#台中美術館
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2025當聲音遇上水晶,藝術就此展開 ,洸影水晶燈 x 藝術家饒加恩老師《La-tone》 2025年,一場藝術與聲音的嶄新對話,於國立臺灣美術館隆重展開。這場由臺灣與法國聯合主辦的國際級聲音藝術展——《無序樂章:聲音藝術之旅》,由法國龐畢度中心與國美館共同策劃,邀集多位當代藝術家共同參與,呈現出一場跨越國界、形式與感官的聲音盛宴。而���其中,一件名為《La-tone》的作品,無疑成為展場中最令人駐足凝視的焦點。 這件作品由臺灣知名藝術家饒加恩老師親自操刀創作,結合視覺、聽覺與空間裝置藝術,以創新的多重感官體驗突破觀者對於「水晶燈」與「聲音」的既定印象。而我們——洸影水晶燈,很榮幸在此作品中提供來自埃及 Asfour 品牌的三萬多顆精美水晶作為主要材質,讓整件藝術作品在燈光折射與音場迴響中,閃耀出令人屏息的藝術能量。 #洸影水晶燈 #LaTone #饒加恩 #聲音藝術 #水晶藝術 #Asfour水晶 #當代藝術 #台灣藝術家 #國美館 #龐畢度中心 #聲光裝置 #視覺與聽覺的饗宴 #無序樂章 #藝術展覽 #光影藝術 #水晶燈 #CrystalArt

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KATZ卡司韓藝料理 | 台中人氣餐廳推薦!創意韓式料理,美味征服你的胃~
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2025免費送紅包袋活動一覽懶人包 台中、網購或臺灣其他地方
以前每到快過年的前夕就好多地方都有在送紅包袋,例如銀行、商場、商店。如今越來越少見了!還有哪裡有免費的紅包袋可以拿呢?本文由作者撰寫於方格子親自轉載至Tumblr,原始方格子連結為 https://vocus.cc/article/678f8c3afd89780001abe787
2025年
國美館
1/21~1/26限量年畫紅包送
屯區藝術中心
1/17(五)起至1/26(日),到中心服務台出示官方臉書打卡追蹤畫面即可領取屯區藝文中心限量蛇年紅包袋(1組2個),送完為止。
大茗本位製茶堂
2025年1月11日起到全台門市消費就免費送蛇年限定紅包袋,數量有限,心意無限~歡迎大家來拿~~
天仁喫茶趣ToGo
1/20起門市使用悠遊卡/悠遊聯名卡/悠遊付消費不限金額,即贈「蛇年限定好運紅包袋」乙份(2入)
無印良品-中友百貨B棟3樓
即日起-1/28(二)出示MUJI passport 手機APP會員畫面即可兌換喜迎蛇年好禮乙組,贈品內含:蛇年春聯x1、紅包袋x2
銀行
臨櫃辦理業務送紅包袋-國泰世華、兆豐、永豐、台新
滙豐1/20~24
春節前 新光銀行
櫻本舖
完成任務網購送,不限國���外客戶皆可參加,送完為止。
櫻本舖有很多以前留下來沒使用掉的紅包袋,上面印的年份和生肖都不是今年的,送給想要的人。
取得方法:完成分享任務,任務內容詳見櫻本舖商品一覽裡的各商品頁說明,不限平台訂購櫻本舖商品,櫻本舖就將紅包袋隨包裹一起寄給你。不限消費金額,分享幾處就送幾個。限有看到本文的你參加喔!櫻本舖聯絡方式請按此
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台東区谷中の建築(2)
・SCAI THE BATHHOUSE
・上野桜木あたり
・間間間(さんげんま)、寺町美術館
・絵馬堂、スペース小倉屋
・岡倉天心公園
・HAGISO(旧萩荘:アパート)
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【福岡発見!】初めての訪問者が絶対に訪れるべきトップ観光スポットとその魅力を徹底ガイド
皆さん、こんにちは!今回は、九州の北部に位置し、その歴史の深さ、豊かな自然景観、そして何と言っても美食で知られる福岡県の魅力に迫ります。福岡は、博多美人で知られ、多くの人々を魅了してやまない場所です。そして今、このブログを読んでいるあなたにお届けしたいのは、福岡市内外で訪れるべきトップ10の観光スポット!これらの場所は、どれもが訪れる価値があると自信を持ってお勧めできるスポットばかりです。 さて、このブログを読んで、福岡に足を運びたいと思われた方も多いのではないでしょうか。ぜひ、実際にその足で福岡の地を踏み、その全てを自分の目で確かめてみてください。福岡の歴史を感じる古い神社から、息をのむような自然景観、そして舌鼓を打つ地元の味わいまで、多彩な魅力があなたを待っています。それでは、福岡での素敵な旅の始まりを、私と一緒にみていきましょう! ①博多駅 福岡の玄関口でもある博多駅は福岡の…

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京都の伏見は酒蔵の町
京都の伏見といえば、伏見稲荷大社が有名ですね。
その一方で、酒蔵の町としてもよく知られていたりします。

月桂冠に黄桜に、松本酒造に。有名な酒造メーカーが並んでいます。

↓のページが見やすいです。
去年の秋くらいに仕事で近くに行ったので、少しぶらぶらしてきました。
これは松本酒造。


桃の滴が有名なのですかね。

川沿いにあって、春になると菜の花も咲くようで、絵になる景色が見られるかもしれません。
大正時代からある酒造で、正面の佇まいからも歴史が感じられます。
見学もできるようですね。


ここから少し離れたところに、月桂冠大倉記念館やキザクラカッパカントリーなどもあります。

そのあたりも行ってきたので、次の記事でも写真を載せていきますね。
ここのブログは、1記事につき10枚までしか写真がアップできないので、記事をわけなければいけません。
さて、酒蔵の町・京都伏見は、日本三大酒どころの一つだそうです。
あと二つは、兵庫県の灘、広島県の西条です。
京都の観光地というと、やはり祇園・四条・清水エリアが人気ですが
京都伏見のこの辺りも、もっと観光客が増えてくるのでは?と、勝手に見込んでいます。
最近は、インバウンド観光客向けなのか、日本酒の飲み比べができるお店やお酒の美術館もできているほどですから。
京都四条の錦市場にも、日本酒の飲み比べができるお店があります。人気ですよ。
錦屋台村が人気ですね。
京都伏見の酒蔵の町には、あの寺田屋や十石舟、伏見桃山城もありますし、
もう少し人が入ってきてもいいのになぁと思いながら、散策しておりました。

春になったら人が増えるのかもしれませんね。
桜が咲く頃の十石舟の風景写真は、Instagramでもよく見かけます。
最近はInstagramでの宣伝効果もすごいみたいで
そこまで有名でなかったはずの長岡京市の光明寺や
同じ伏見区の城南宮などがおしゃれになって参拝者も増えたので驚いています。
城南宮は、昔から知ってたりしますが、
今までと違う参拝者が増えたように感じられますね。
Instagramの影響ですね、きっと。
インスタ映えを意識した写真をよく見かけます。
そういう演出もされているようです。
伏見稲荷は、外国人の参拝者ばかりです。⛩️のキーホルダーもよく売れてますし、狐の小物もあったような気がします。
あと、狐のお面があったような。
伏見稲荷の狐さんもPUMAのロゴみたいでかっこいいです!

で、伏見稲荷から酒蔵の町の伏見桃山あたりまでは、歩いて行ける距離ではありません。
電車で14分位ですね。歩くと結構遠いです。
行きたい場所によっては、伏見桃山駅よりも中書島駅のほうがいいかもしれませんね。
1つ隣の駅になりますので、もう少し時間がかかります。
京阪本線で移動するのがスムーズではないかと。
ただし問題があって、京阪本線は京都駅からは乗れないので
観光される方は、京都駅から地下鉄東西線で四条駅に出て
人気観光エリアの祇園・四条・清水あたりを観光されてから
徒歩圏内にある京阪本線の祇園四条駅か、三条駅から
伏見稲荷、伏見桃山駅方面へ向かわれると良いのかも。
途中、東福寺もあります。
もう少し便利な移動手段があれば、伏見桃山あたりももっと賑やかになるのかもなぁとか思ったりして。
思ってたよりもちょっと静かなんですよね。
素敵な街だからもったいないなぁ。
秋ぐらいに行ったからだろうか。
もう少し賑やかになってほしいですね。
長々とすいません。色々気になったので調べました。
ですから、こういうのも
前記事で書いたように
Googleのマイマップに
まとめたいわけなのです👓
#日本酒#にほんご#京都#歴史探偵#歴史#japan photos#kyoto#sake#japanese sake#伏見稲荷大社#fushimi inari taisha#景色#風景#ひとりごと#日記#観光スポット#観光#懐かしい#japanese#日本人#日常の記録#穴場#Instagram#gekkeikan#酒#大正時代#aph japan#考え事
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On the way going to Kaohsiung Museum of Fine Arts to learn from art shows. 👀
🫧《珍珠—南方視野的女性藝術》非典型藝術導賞-東南亞視角🫧
《大南方多元史觀三部曲 珍珠—南方視野的女性藝術》,由本館與新加坡國家美術館、新加坡美術館共同策劃,以「南方」所匯聚的多元背景下代表性的女性藝術家為策展主題,呈現了過去近三十年來臺灣與東南亞具開創性的女性藝術家創作。
有別於一般印象中由策展人、藝評家主導的導覽活動,本次活動特別邀請來自東南亞的新住民講師主講,透過她們對東南亞文化歷史的深厚理解,為觀眾帶來具有跨文化視角的深入詮釋,並從不同的文化脈絡發現藝術的全新面貌。
𝟐月𝟗日場次,導覽將由來自越南的阮氏雪老師主講,將導覽越南藝術家阮純詩(𝐍𝐠𝐮𝐲𝐞𝐧 𝐓𝐫𝐢𝐧𝐡 𝐓𝐡𝐢)、蒂梵妮‧鍾(𝐓𝐢𝐟𝐟𝐚𝐧𝐲 𝐂𝐡𝐮𝐧𝐠)、新加坡藝術家王良吟、緬甸藝術家妮格‧雷(𝐍𝐠𝐞 𝐋𝐚𝐲)、柬埔寨藝術家艾美‧李‧桑芙德(𝐀𝐦𝐲 𝐋𝐞𝐞 𝐒𝐚𝐧𝐟𝐨𝐫𝐝)及多位台灣與東南亞藝術家的展出作品,期間也歡迎觀眾提問與現場互動。
【講師介紹】阮氏雪/越南新住民多元文化推廣講師
阮氏雪為越南立體捲紙藝術創作與推廣工作者,作品曾在國立臺灣工藝研究發展中心臺北當代工藝設計分館、行政院、屏東縣政府社會處女性夢想館、屏東縣政府文化處新住民素人藝術家展、三餘書店等展出,並於𝟐𝟎𝟐𝟑年榮獲臺灣國立工藝研究中心推薦前往加拿大多倫多及溫哥華參展與工作坊。
Art Show [Part 1]






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続続・デート記録 0502 無事2度目の採卵を終えて現金で謝礼金を受け取る。なんで現金…闇バイト感がすごい。 帰宅後、生理痛よりさらに重い鈍痛に耐えていると哲学博士がごはんつくりに来てくれた。親子丼と冷ややっこを大きなテーブルで食べて、人と暮らすのって悪くないのかも、と去年高橋君が家に転がり込んできた時と同じ感想を持った。 0503 喜劇研究会の大学二年生の後輩と雨の中出町柳でデートした(〇〇君とデートしたいな~♡とふざけて名指しでツイートしたらDMが来た、夢のようななりゆき)。 喫茶ゴゴでモーニングしたあと出町座で映画観て、叡山電車にのって貴船神社参拝。やっぱりお笑いサークルの人はごりごりに笑わせてくれてすごい、超満足。 人生で一番歳離れた人とのデートかもしれない。いまの1年生、早生まれだと干支同じらしくてウケる。 0505 神戸-東京間で仕事上二拠点生活をしている人と心斎橋でランチ。一周遊び終えた感じのしゃらくさい、一歳上のコンサルだった。ディスカッションでヒートアップしたけどそういう人には色気を感じないもんだなと思う。寝ないように気をつけよう、ならよくあるんだけど、寝たいと少しも思えなくてわれながら不思議だった。 夜中に「結局真剣な相手は求めてないんだよね? どういう関係がほしいの?」とLINEが来ていて、あー最初に目標設定しないと異性と関われない感じ? つまんないなあ、と思った。けれど明らかに自分より頭が回る人だったので、そう思うことでほっとしてもいることにも気づいていた。デートは戦いじゃないのに。 0507 哲学博士が車出してくれたので清水五条でランチ。デザートにスコーンとたいやきもつけた。 一歳しか変わらないとはいえあくまでも学生だしそのうえバンドマン、長髪、ピアス、喫煙者なので(ひも願望とかあんのかも!)と邪推していたのだがお手洗い行っているうちに勘定もたれてしまった。見た目のわりに硬派な人。なんというかカップルじゃなくてアベックって感じの交際になりそうだなと思いながら付き合い始めた。 わたしの本拠地はあくまでも東京なのだが彼がどれくらいそれをわかってくれているのかわからない。吉田寮を一瞬出て一人暮らしするも半年で舞い戻るくらいには寂しがり屋っぽい。 暇な人と付き合いたいなあと思ってたからちょうどいいのかも。今年博士出そうにないし、吉田寮も気に入ったし、わたしは元々貧乏くさいデートが好きだし(登山、野宿、ドライブ、不法侵入など)、うん、ずっと学生でいてほしいかも。 0509 高橋君が京都に来たので、雨が降りしきるなか一緒に自転車で写真の展示を見て回った。誰かと自転車で並行して町走るの、意外と1年ぶりとかだった。写真と企画への文句を言うのをにやつきながら聞き流す。文句ってその人の賢さが出るから、いいよね。 夜はおかるでカレーうどん食べて、2軒目は村屋という居酒屋でちびちび日本酒を飲んだ。京大生の友達の家に泊まるというのを見送って帰宅。

0510 東山の京セラ美術館でもういちど高橋君と集合。今度こそ晴天、暑すぎずちょうどいい季節。 ハンバーガーショップでランチ食べて、17時まで展示回って高瀬川で休憩して、次会う約束は特にないまま「またね」と別れた。 恋人がドラマーとしてライブに出ていたので吉田寮に行く。演奏中4回くらい目が合って恥ずかしかった。文句なしにいろっぽくてかっこよかった。好いた男の表舞台を見に行く、というのはもしかしたら大学生以来かもしれない。 元彼とゆいとKICHIRIで21時に集まって0時までだべった。元彼に「やってること大学生すぎるけど、マーケットが拡がってよかったじゃん」と失礼なコメントをされた。 0512 末広食堂という600円で定食を出している、いかにも学部生が来そうな食堂に恋人と行った。店前でハグして、14時に新幹線に乗る。
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風景的螢幕實踐 第4回 若松孝二與Chantal Akerman的密室=風景論
風景的螢幕實踐 佐佐木友輔
映像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔,以電影、攝影、美術、動畫中的「風景」與承載其影像的「螢幕」為主軸,自由橫跨各種作品進行討論的連載系列。本連載以1970年前後曾引發激辯的「風景論」為起點,嘗試進行當代更新。在第四回中,將聚焦於以「密室」作為舞台的兩部電影──導演若松孝二的《胎兒在密獵時》與導演Chantal Akerman的《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》。一方是粉紅電影的大師,一方則是聚焦女性日常生活的藝術家……這兩人之間,關於「密室」的觀點,究竟有何共通與差異之處?
松田政男〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉(1969)
人們聽到「風景」這個詞時,腦中浮現的往往是山川河海或城市街景等戶外場景。但若將「風景」定義為:透過將場所經驗物化為「值得觀看之物」的過程中所���生的產物,那麼建築物的內部空間也就能成為風景。事實上,曾引領風景論爭的松田政男,在其重要論文〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉中,就將「密室」與「風景」這兩個關鍵詞結合起來,深入分析若松孝二的電影。
在本文中,筆者將從松田的密室=風景觀點出發,重新解讀若松電影,並假設Chantal Akerman的電影也可視為某種密室電影,進而進行比較與分析。
以粉紅電影大師之名聞名的若松孝二,與足立正生等人共同持續創作充滿性與暴力的作品,堅持反權威立場,並在國內外引發眾多爭議。1965年,其作品《壁中秘事》在第15屆柏林影展上映時,甚至遭到觀眾辱罵,在日本國內也被稱為「國恥電影」,飽受批評。但這些聳動風評與實際觀看若松作品時的印象,卻存在落差。實際上,他的電影中幾乎看不到刻意煽情的情色描寫,反而多是令人沮喪壓抑的性愛與暴力,經常在封閉的密室中展開。
松田引用矢島翠的話說:「只要有一間房、一個男人、一個女人、一張床,粉紅電影便能成立。」並據此將若松的電影定位為「密室的劇場」。當時,若松電影的主要觀眾群是年輕男性。他們並非如電影中人物般性解放者,而是閉門在自己房間苦讀至深夜,靠著廣播中女性播音員的聲音自慰──這樣一群擁有「被隔離的認真」特質的青年。對這樣的觀眾來說,若松電影並非為了釋放被壓抑的性衝動而存在,反而更像是「應被持續反覆思索的對象」,即是一面讓人凝視自身慾望的鏡子。
在這裡,松田將幾個密室結構性地重疊──電影院作為密室、若松電影中描繪的密室、觀眾所處的自家密室,以及他們的內心世界這座密室。
若松孝二《胎兒密獵時》(1966)──思辨的、概念化的密室
換句話說,若松電影中的密室,不僅是攝影機所進入、實際進行拍攝的物理空間,同時也是為了「反覆思索」而被建構出的、帶有高度思辨性與抽象性的概念空間。例如,足立正生擔任編劇、若松執導的《胎兒密獵時》(1966)所發生的場景,是一間為拍攝而被塗成全白的「白盒子」密室。主角丸木戶定男(由山谷初男飾演)不只是具有自身背景與故事的角色,��也承載了「施虐性」這一抽象概念。與他同住密室中的江守由香(志摩美波飾)則被設定為與定男前妻長得一模一樣。也就是說,這部作品中不僅是密室本身,連其內部的人物都經過「漂白」,喪失原本的個體性,轉而成為年輕男性觀眾內心投射的「螢幕」。
建築學家原廣司曾將近代社會主導的空間概念命名為「均質空間」。這類空間排除了自然環境、地域特性、文化意涵與宗教性,因其具備完全一致的屬性,因此可作為任何用途的「空白空間」。而《胎兒密獵時》中的密室,正是透過全白塗裝而構築出的均質空間。再加上如水波般閃爍的光照打在這空白空間上,進一步為其賦予了新的意義。這樣的密室,成為懷抱「反出生主義」思想的定男,投射其「回歸母胎願望」的場所。他對自己被生下此世感到怨恨,否定「家庭」這種再生產體系,卻又在這「母胎的烏托邦」中化身暴君,一次又一次地鞭打著被囚禁的由香。
密室的螢幕之上,映照出對家父長制與「母親」這一存在的扭曲慾望。
在〈作為風景的性〉中,松田分析了《壁中秘事》、《胎兒密獵時》,以及由若松企劃製作的《New Jack & Betty》(沖島勳,1969)中的密室。他指出:像是否定生育、肯定亂交等反權力與反家父長制的行動,只能在如此具有思辨性與母胎性的密室中實現。同時也指出,欲突破此種母胎烏托邦所面臨的「終末觀的缺失」──即無具體戰略去改變現況的無力感。總的來說,若松與沖島所描繪的密室,正是1970年前後那群年輕男性觀眾的閉塞感與退行慾望的映照,並藉由這些密室,促使觀眾省思自身處境,探索變革的可能性。
風景的對立語/同義語作為密室
接著,松田提到了若松孝二當時的最新作《二度處女GO GO GO》(1969)。他指出,在該片中,被封鎖出口的公寓屋頂成為廣義上的「密室」。四周所圍繞的不是住宅的牆壁,而是透過鐵網望去的藍天、東京鐵塔與高樓大廈等城市風景。松田從這些看似普通的風景中,看見了包圍我們、並與我們對立的國家權力的運作。
「若是國家權力,它會大膽切斷風景──例如直接貫通東名高速公路。我們享受暢快駕駛的那一刻,正是風景將我們緊緊束縛、〈權力���將我們全面擄獲的時刻。」
在這個脈絡下,「密室」一詞獲得了對風景的雙重意涵。一方面,密室被看作是對抗作為國家權力的風景的私人領域──是個人內心與性慾的領域。然而另一方面,它也成為在四面被權力風景圍困、無處可逃的絕境象徵。根據文脈不同,密室既可以是風景的對立語,也可以是其同義語。
如果說躲進「母胎的烏托邦」中能暫時保身,那麼人終究無法永遠安於其中。總有一天,必須親手「粉碎那溫暖母胎的烏托邦」或「炸毀密室的牆壁」。當松田這麼說時,「密室」就已經被明確地視作「風景」的另一種表達。而他將真正試圖破壞密室牆壁的行動者,指向了連續槍擊殺人犯──永山則夫。
永山在東京、京都、函館與名古屋四地犯下四起殺人案。他的動機並非單純源自個人怨恨或家庭環境,松田反而認為,他是為了劃破那覆蓋全國、到處均質的風景=權力而扣下扳機……透過這種寫法,松田企圖將原本只能以「情境」或「密室」等抽象詞彙描述的概念,具體化為「風景」這一可視形象,從而更清楚描繪出應當對抗的敵人。
然而,在現實中,永山的子彈尚未撕裂風景,就已奪去了兩名保全與兩名計程車司機的性命。他的反抗行動最終以五名勞動者的死亡作結,包括被判死刑的永山自己──成了悲劇的終局。
同樣地,松田指出,在若松電影中與男性觀眾一同苦悶的主角們,也只能藉由選擇悲劇性的結局來逃離密室=風景。例如,在《胎兒密獵時》中,定男被奪走了原本用來虐待由香的刀子,接著被由香反過來刺殺致死。
這名出於自保而犯下殺人行為的由香,在密室中與定男建立起一種扭曲的共犯關係。她既拒絕被當作理想的「妻子」或「母親」,也試圖逃出這個作為母胎烏托邦的密室。然而,另一方面,也正因為由香的反叛與她撕裂密室=風景的行動,松田=若松試圖傳達的權力批判計畫得以完成,定男也在被殺死的同時獲得某種解放。
這個原本應該只是「被反覆思索之物」的思辨性、概念性的密室,實際上並非只有思考主體可以主導的自律空間。無論是在維持密室的階段,還是要破壞它的瞬間,「女性」這個他者總會被召喚而來,被迫同時扮演忍受暴力與施加暴力的角色。*
Chantal Akerman《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)──呈現「另一種觀看方式」
距〈作為風景的性〉發表約五��後,在比利時,Chantal Akerman完成了《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)。這部電影將攝影機帶進Jeanne Dielman(由Delphine Seyrig飾)與她的獨子同住的公寓中,觀察她的日常生活。正如本文開頭所提,這部作品同樣可被視為一種「密室電影」。
兩位導演對密室的處理,乍看之下截然相反。定男所打造的是一個將牆壁漆成白色、冷峻極簡的無機密室;而Dielman的房間則充滿了各種物品。僅在廚房一隅,就排列著食材、調味料、碗盤、圍裙、抹布、手巾、洗劑、刷具等家務用具。Dielman實際使用這些工具進行烹飪與清理。Akerman使用固定攝影機與長鏡頭,耐心地記錄她沉默而專注地重複著每日家務的模樣。相較於若松孝二透過思辨與抽象的密室,描繪作為應被思索對象的「性」與「暴力」,Akerman所描繪的家務,是一連串具體的動作與身體行為的累積。
電影理論家Teresa de Lauretis讚揚《Jeanne Dielman》提出了一種「不同的觀看方式」。早在當時,已經有不少理論試圖批判傳統男性中心的電影美學,或探索屬於女性的美學,但如果所依賴的理論本身仍是由男性所建構,那麼就難以真正脫離男性主導的世界。de Lauretis主張,與其沿用既有理論去正反辯證,不如從根本重新審視:「那些長久以來被認為不具美感價值的事物,是否真的就不具美感?」例如,《Jeanne Dielman》中的女性日常行為──煮飯、洗碗、打掃──在傳統以接吻或爆破為價值中心的電影中,根本被視為無足輕重的瑣碎日常,甚至長期被從銀幕中排除。但Akerman透過改變觀看視角,使這些原本「未及於美」的行為成為應被觀看、被重視的風景。她並未順從男性美學的語言進行否定或肯定,而是展現出「美」可以存在多種可能。
Jeanne Dielman與丸木戶定男
不過,《Jeanne Dielman》與《胎兒密獵時》之間,以及作為密室主體的Dielman與定男之間,並非僅存在對比,也存在數個重要的共通點。
Jeanne Dielman每日按部就班地執行例行公事,而這些日程中也包含了賣淫。第二天的下午,她如往常般接待客人,但從這裡開始,生活節奏開始出現失衡:客人逗留過久,使她不得不丟棄煮到一半的馬鈴薯;泡咖啡也泡不好;逛遍多家店也找不到想買的鈕扣;甚至平時常坐的咖啡館座位也被人搶先佔走……隔天,她用剪刀刺死當天的客人,滿手與滿身是血地���坐在餐桌前,陷入恍惚。
電影中並未明確說明這起殺人事件的動機,但從她日常節奏逐步崩潰至最終衝動殺人的過程卻描繪得極為細緻,展現出異常的說服力。回頭看來,Dielman對秩序的堅持有些過頭──她總是極度在意既定順序與物品擺放位置。雖然目的與手段不同,但她與定男同樣是試圖建構一個排除不可控制他者的密室,並將自己封閉其中。
Dielman的「例行公事」不僅限於家務,也包含賣淫與外出行程。無論是洋裁店還是咖啡館,她總試圖消除所有偶發因素,並期待自己與他人都能維持一貫的行為模式──就如同松田政男對《二度處女GO GO GO》中的主角所指出的,她將私人的密室延伸到了戶外風景中。然而這樣的嘗試,最終被客人的意外行為打破,她也因此陷入必須「屈服於變化」或「排除他者」的二元選擇。Dielman與定男一樣,最終也走上了透過對他者施加暴力,來維持密室並走向自我毀滅的道路。
與都市節奏連結的密室
我們已經知道,在若松電影中,密室既可視為風景的對立語,也可為其同義語。而這一點,也可用於理解《Jeanne Dielman》。該片可被解讀為一部風景論電影,描繪資本主義與國家權力所建構的「均質風景」中人們無法逃脫的處境。
Jeanne Dielman的公寓到了夜晚,會被窗外光線照亮──那可能是霓虹燈、汽車車燈或其他無法明確分辨的燈光。不同於《胎兒密獵時》中水面般柔和的光影,Dielman屋內所接收到的光線節奏規律卻令人不安──近乎痙攣,喚起一種生理上的焦躁感。它彷彿象徵著Dielman的神經質與過度拘謹,但更像是來自外部世界的一種強迫訊息,促使她不得不那樣行動。
這種節奏,也可以被歸入電影史上一個視覺化都市節奏與人體機械化的譜系之中──像是《The Electric House》(Buster Keaton, 1922)、《Ballet Mécanique》(Fernand Léger, 1924)、《Modern Times》(Charlie Chaplin, 1936)等作品。在這些作品中,工業化社會的節奏滲入了人的身體。而Dielman所處的密室,也同樣成為了資本主義下無盡的生產與再生產鏈的一部分。她透過堅持日常規律來維持現狀、賦予其價值,進一步合理化變革的「不可能」。此外,她也順從市場邏輯,不得不販售自己的性來維繫生活。若定男是靠與他者的扭曲共犯關係來維持密室,那麼Dielman則是靠自我壓抑與勞動,努力維繫密室的秩序──但她依舊無法完全阻擋外界的侵入。
Chantal Akerman《Saute Ma Ville》(1968)與「密室=風景」的掙扎
Akerman在《Jeanne Dielman》中,一方面以深情凝視女性日常動作,另一方面卻也清楚意識到:這些活動隨時都可能被風景=權力吞噬與操控。這種自覺,也強烈體現在全片無可逃離的壓迫感與悲劇結局中。即便殺了一個男人,這一刀仍無法劃破風景;她與兒子的明日,只會更加艱難。這點與懷抱革命幻想、迎向死亡、對共犯由香之未來漠不關心的定男,形成決定性的差異。
回顧 Akerman 的首部短片《Saute Ma Ville》(1968),她親自飾演主角,完成家務與晚餐後,在鏡子上以美容霜寫下「Ça suffit!(到此為止!)」,接著點燃瓦斯,引爆整個房間。影片中對日常細節的描繪、自選悲劇性結局、手持鏡頭的拍攝與僅以聲音表現爆炸──都與若松電影互為呼應。不同的是,此作明確將殺意對準「城市」本身,正如其法文標題「Saute Ma Ville(炸毀我的城市)」。這正與松田政男風景論的「風景=權力結構」觀形成強烈共振。
從《Saute Ma Ville》到《Jeanne Dielman》的過程中,我們可以看到Akerman對「密室=風景」之不可切割性的絕望,以及儘管如此仍試圖開一條裂縫的苦苦掙扎。從歷史上來看,被囚禁於「密室=風景」中的主要受害者,多半是女性,是家庭主婦。從1970年代中期起,「風景論」的主題,也開始融入家庭劇與情感劇,轉化為對「主婦的一日」的各種變奏與再現。
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*補充說明:值得注意的是,在2000年代至2010年代間興起的所謂「零年代批評」(ゼロ年代批評)語境中,也反覆出現與「作為母胎烏托邦的密室=風景論」同構的論述。代表性論者如東浩紀在其著作《遊戲性寫實主義的誕生》(講談社現代新書,2007年,頁321)中為《Kanon》(1999)、《AIR》(2000)等美少女(色情)遊戲辯護,指出這些作品蘊含一方面展現父權主義男子氣概、另方面又對此抱持嫌惡與反省的雙重結構。
對此,宇野常寛在其著作《ゼロ年代の想像力》(早川書房,2008年,頁204)提出反駁,認為東所謂的「自我反省」實際上未發揮反省功能,而只是鞏固並延續男性佔有女性的欲望的表演形式。此外,宇野也追溯了男性御宅文化的源流至漫畫家高橋留美子,批判其所創造出的「如箱庭般的世界裡,被美少女角色包圍,過���樂園般重複日常生活的結構」,稱之為「母性ディストピア(母性反烏托邦)」(頁211)。
再如評論者てらまっと(Teramatto)於文章〈どんでん返しのヘテロトピア──『じょしらく』と震災後の日常〉(《週末批評》,2022年5月21日)中指出,動畫《じょしらく》(2012)描繪的五位美少女落語家的「樂屋」,看似與外界隔絕的烏托邦,但實則是社會性與政治性不斷滲透其中的怪異空間──他稱之為「滿是漏洞的樂屋」。這種對「密室」與「風景」模糊邊界的描寫方式,正可視為動畫領域中的密室=風景論,其與松田政男在若松電影中對密室既為風景的對立詞又為其同義詞的論述形成對應關係。
從這個角度來看,如何釐清1970年代初期的風景論爭與2000年代「零年代批評」之間的異同,無疑也是未來值得深入探討的重要課題之一。
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ホワイトデーだった。彼が高価なチョコレートを買ってきてくれた。わくわくしながら箱を開けたら、12粒入りだったけれど、半分くらいしか食べられるものがなかった。同じブランドのトリュフアソートだったら全部食べられたのに、と勝手に落胆しては、そもそも人の好意を無碍にする自分って最悪だなと思ってさらに落ち込んでいる。
さて、今日もスーパー自己開示タイムをしようと思う。今回は食生活編。先に言っておくが後半で理解のある彼くん(笑)(言ってみたかった)の惚気が入るよ。ここはとても静かで良い場所だから、別に嫌がる人はいなさそうだけど。
他人からの好意を無碍にしてしまった経験を、幾度となくしてきた。そしてそれのうち、ほとんどが食べ物に関するものだ。以下に思いつく限りの具体例を挙げていく。
高校生のとき、とある男子運動部のマネージャーをしていた。高1の春、学校外での外練の後、学校に戻る途中にあるシュークリーム屋に寄る流れになった。わたしはべつにいらないな、と思ったので、同じく買わないメンバーと一緒に、お店の外で待っていた。主に3年生の先輩がこぞって買っていたはずだ。先輩たちがお店から出てくると、その中の一人の先輩がわたしにシュークリームをくれた。わたしの分を買ってくれたらしい。ありがたく受け取りはしたが、先輩との間に恋は芽生えなかった。わたしは生クリームが苦手なのだ。
大学生の頃、美容院の予約日がちょうどバレンタインデーだったので、担当の美容師(メンズ)に既製品のチョコレートをあげてみた。翌月の施術の時、ホワイトデーのお返しをもらった。「甘いの苦手って前に言ってたから、控えめのやつにしてみたよ」と言われ、会話覚えててくれたんだ〜と嬉しくなった。中は謎の焼き菓子だった。家に帰ってひとくち食べた。普通に甘すぎて食べられなかった。家族にあげてしまった。
ある年の冬、友人と待ち合わせをしていたとき、相手がすこし時間に遅れて、寒空の下で待ったことがあった。遅れてきた友人はコンビニで買ったであろう暖かい紅茶をくれた。午後の紅茶のストレート。飲んでみたら、甘かった。ストレートのくせに甘かった。調べてみると、午後の紅茶はミルクとレモンが入っていない状態の紅茶をストレートと定義しており、ストレートと表記されているものは飲みやすさを重視して、若干量の砂糖が含まれているのだそう。わたしは完全に無糖の紅茶しか飲めない。一口でオエってなって、それ以降飲めなかった。
恋人と高価格帯のおしゃれなバーで飲んでいたとき、座っていたテーブル席に虫が出た。店員さんに対処してもらった。その後、不快な思いをさせてすみません的なお詫びで、お店からシャインマスカットの盛り合わせをサービスとして出された。ありがたくいただくことにした。一口食べた。あまくてそれ以降食べられなかった。
数年前に研究関連の用事で台湾に行ったとき、出先でお弁当などをよく出してもらった。だが、どうしても匂いが受け付けなくて、一口も手をつけられなかったということが何度もあった。去年フィリピンに行ったときも、帰りの飛行機の時間が早朝だったのでホテルが朝食としてお弁当を準備してくれたのだが、食べずに空港のゴミ箱に捨ててしまった。
食べ物を粗末にしたら地獄に落ちる系の言葉はきっとわたしのためにある。誰かが準備してくれたり、労力をかけてくれたり、お金をかけてくれた好意を、わたしはこんなにも簡単な形で切り捨ててしまう。わたしは本当に地獄に落ちた方がいい。
食に関する悩みが人生においてずっとつきまとっている。決まった時間に食事をとるのが苦痛だ。毎日決まった時間にご飯を食べている人間、あまりにも文化的存在すぎて尊敬する。あとわたし、単純に好き嫌いが激しすぎる。嫌いなもの・気分じゃないものを食べるくらいだったら一食抜いてもいいや、という、どう考えてもおかしい判断がまるで正当かのようの思われてしまう。
一般的に太りやすいと思われている食べ物が軒並み食べられない。ポテチはのり塩以外たべられない(のり塩でも別にいらない)。甘いもの、大半はむり。ミルク・ビターのシンプルなチョコレートは大丈夫だけど、ケーキ全般、生クリーム、和菓子、パフェ、ドーナツ、シュークリーム、大抵は無理で、ミスドのチョコファッションのチョコレートの部分が小さくなったという話題についていけなかった。バスキンロビンスことサーティワンアイスクリーム、わたしはオレンジソルベしか食べられない。唐揚げやカツなどの揚げ物も好きじゃない。ステーキも別にいらない。焼き鳥もべつになくても生きていける。天ぷらもいらない。ていうかうどんの天かすマジでいらない。ハンバーガーも食べない。牛丼もいらない。焼肉屋ではホルモンしか食べない(付き合いで他の肉を食べることはもちろんある)。菓���パンも苦手。ついでにフルーツも、柑橘系とりんごしかたべない。
じゃあ何食うの?? って感じだと思うけど、おさかなと野菜、あと各種麺類です。カップ麺は食べられるので助かっている。わたしあと3年は学生なのでまだいいけど、社会人になったら飲み会とかですごく苦労しそうだからもうすでに怯えている。
偏食だという事実をふわっと誰かに話すと、ほぼ確実に「羨ましい」と言われる。甘い物と脂っこいものを食べないから細いんですね、いいなあ、と。でも、違うんだよ。生きづらいよ。アフターヌーンティーとか行ってみたいんだけど、無理なんだよ。ほぼ全部食べられないから。パスタ屋に入ってもオイルベース系かジェノベーゼしか選べないし、ピザ屋のピザもトマト系はまず無理だから選択肢がないし、ジェラート屋さんに行って食べられるものが一つもないとかザラだし、カフェのフードメニューから食べられそうなものを探す作業も苦痛だ。行ったことのない店に行くと、これは食べられるものか、という認知判断が食事に先立つからいちいち疲れるんですよ。だるい。
わたしは実家で暮らしていた約20年間、ことごとく母親を困らせてきた。もともと家族全員で食事をとる習慣がないうえに、わたしは上記の通り病的な偏食なので、よく何も食べずに適当に過ごしていた。ネグレクトとかじゃなくて、家族それぞれ別のものを別の時間帯に食べることが多いというかんじ? 母はふつうに料理をしていたと思う。だけどみんなバラバラの場所で適当に食べるから、なんかぬるっと夕食をパスできる家だった。母はわたしが食事を残すことも、連絡なく勝手に夕食を外で済ませてくることも、なんなら夕食があるのにそれをパスして部屋でカップラーメンを食べるのも(これはわたしが最低すぎる)、べつにとやかく言わなかった。母はたまに気まぐれで、「今日あなたが食べられそうなもの作ったけど食べる?」とか聞いてくるから、そういうふうに言われたら食べるようにしていた。わたしが自室以外で食事を���ると、父にいつも「珍しいね」と驚かれる。当時はべつに引きこもっていたわけでもないのに。
↑は夕食の話だけど、それ以外にも母はよくスーパーでお惣菜を何種類か買ってきて、どれかを食え、と選ばせてくれた(選ばれなかったものは父や弟の昼食になる)。知らない間にウイダーやカップ麺をよく自室の学習机の上に並べられていた。わたしがとあるブランドのグミにハマると、飽きてもういらん!となるまで母は毎日そのグミを買ってきた。お願いだから何か外で食べてこい、とお金を渡されることもしばしばだった。母のために食べた。母はわたしが何かをむしゃむしゃ食べているところを見ると安心するのだそう。あまりにも親だ。迷惑かけてごめんなさい。
空腹をそこまで苦痛に感じない。お腹がすいた、よりも、動きたくないな、の方が強い。トイレに立ったときに立ちくらみがすると、そこでやっと「そういえば食べなきゃ」が勝つ。そういう生活。
実家を出て恋人と同棲しているが、ここでも彼を困らせている。放っておくと何も食べない。彼が夕方に仕事から帰ってくると、「今日は何か食べた?」と尋ねられ、「まだ〜」もしくは「さっきウーバー頼んだから今日はもういらない〜」と答える会話をほぼ毎日している。約一日何も食べずに過ごした日曜日の夕方、お願いだからすこしでも食べて、と懇願されて、ねるねるねるねと茶碗蒸しを食べたこともあった。ウェーブ体型なのが相まって、さいきん肋骨が出始めてきた。アー食べなきゃ、と思うけど、お腹いっぱい、の感覚が嫌いすぎるのでたくさん食べられない。ジュースを飲んで糖分を摂取した気になっている。わたしはそのうち病気になると思う。死にたくないな〜。
温泉旅館に泊まったりして、いつもより多い量のご飯を食べると、絶対に次の日は反動で食べられなくなる。これも人体の、否、我が身体の謎だ。
不健康自慢なんてクソダサいからしたくないんですよ。だけどどうしたって食と睡眠に関してはガタガタすぎて困ってる。せめて2日に1回ウーバーイーツを頼む生活をやめたい。
ていうか自炊できる人ってすごくないですか?? 毎日働いて、生活してる人って本当に尊敬する。わたし、生活を捨ててそのほかの欲望に忠実でいることで、気が狂いそうな毎日の中で精神性のバランスをとっている節があるから、自炊をするようになったらたぶん心が壊れる気がする。あと、それとは別で、ウーバーを愛用してしまうのは自炊をするのに必要な文化的資本がないからなんですよ。わたし、まったく料理ができない。それは、「色々と大変な状況下でわたしに家事手伝いまで強制させたらあまりにも気の毒だから」という理由で母がわたしに家事手伝いを強制しなかったという一種の愛の副作用でもあるが、それよりもわたしにやる気がなさすぎるのと、ふつうに自炊に必要な道具も食材も足りていないのが根本の原因だ。もちろん、道具と食材とレシピと動機があればやるのかもしれない。だがわたしの頭はほんとうにおかしいから、作るのが面倒だから食べなくていいや、になるの。それだと死ぬからウーバーを頼む。スーパーにいけば安いお惣菜があるけれど、家から出るのがだるいから食べない、になるの。それだと死ぬから、ウーバーしかないんですよ。家に届いたら食べるしかないから。こういう思考回路。あほじゃん。3月までは同年代の人よりも多くの額の収入があったからウーバー漬けの生活でまかり通っていたけど、4月からはそれがごっそり減るので、やはり怯えている。
ご飯を食べなきゃって思いながら過ごす生活、だるいです。どのタイミングで食べるかを考えるのがしんどい。ログインボーナスをもらうために一日一回ソシャゲにログインしてる感覚に近い。今日もやらなきゃ、みたいなね。午後に出かける用事があればそれが終わるまでは大抵何も食べないから、用事が終わったあとに、やば今日何も食べてないじゃん、と思ってあわてて外食するみたいな。だるい。味のないゼリーとか飲んだら1日分の栄養が摂取できるとか、そういうのってないんですか?? 味も食感もいつか飽きるからしんどい。
なんか今日の記事いつにも増してキモすぎるからみんなに引かれそうでこわいな〜。おねがい、嫌いにならないで…。
冒頭の話に戻る。結局その後彼は、同ブランドのトリュフアソートをまた買ってくるねって、にこにこしながら言ってくれた。罪悪感とほんのりとした嬉しさがぐちゃぐちゃに交わってなきそうです。面倒くさくてごめんねっていうわたしの中のメンヘラの部分が顔を出していると同時に、こんなわたしにも怒らないでいてくれるんだっていう安心感にやさしく包み込まれている。ありがとね。たぶん、彼のそういうところが好きだ。
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【かいわいの時】明治三十六年(1903)3月1日:第五回内国博覧会開催(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
1903(明治36)年に大阪で開催された博覧会である(略)日清戦争(1894-95年)の勝利により各企業が活発に市場を拡大していたこと、鉄道網がほぼ日本全国にわたったことなどがあり、博覧会への期待は大きく、敷地は前回の二倍余、会��も最長の153日間で、最後にして最大の内国勧業博覧会となった。会場には、農業館、林業館、水産館、工業館、機械館、教育館、美術館、通運館、動物館のほか、台湾館、参考館が建設された(略)参考館は、それまで認められていなかった諸外国の製品を陳列しており、イギリス、ドイツ、アメリカ、フランス、ロシアなど十数か国が出品した。その中で新しい時代を強く印象付けたのはアメリカ製の8台の自動車であった。内国博覧会といえども、念願の万国博覧会に近づいていると言えよう。初めての夜間開場が行われ、会場にはイルミネーションが取り付けられた。大噴水も5色の照明でライトアップされ、エレベーターつきの大林高塔も人気を呼んだ。これらは、日本にも本格的な電力時代が到来したことを示している。また、茶臼山の池のほとりに設けられた飛艇戯(ウォーターシュート)、メリーゴーラウンド、パノラマ世界一周館、不思議館(電灯や火薬を用いた幻想的な舞踏、無線電信、X線、活動写真などを見せた)、大曲馬など、娯楽施設が人気を呼んだ。堺の水族館は二階建ての本建築で、閉会後は堺水族館として市民に親しまれた。各館は夜間は閉館していたにもかかわらず、多くの入場者はこれらのイルミネーションや余興目当てで来場し、入場者は内国勧業博覧会始まって以来の数を記録した(国立国会図書館)。
(写真)人類館に「展示」されたという人々(個人蔵)。前列中央の人物がホテネ=伏根安太郎と思われる。画像は、東京都写真美術館HPより。
人類館 場外余興の一なり左の趣意書を読めば内容も分かる。第五回勧業博覧会の余興として各国異種の人類を招聘聚集して其の生息の階級、程度、人情、風俗等各国固有の状躰を示すは、人類生息に付き学術上、商業上、工業上の参考に於いて最も有要なるものにして博覧会に欠く可からざる設備なる可し然して文明各国の博覧会を観察するに人類館の設備あらざるはなし之れ至当の事と信ず然るに今回の博覧会は万国大博覧会準備会とも称すべき我国未曾有の博覧会なるにも拘らず公私共に人類館の設備を欠くは我輩らの甚だ遺憾とする所なり爰(ここ)に於いて有志の者相謀り内地に最近の異種人即ち北海道アイヌ、台湾の生蕃、琉球、朝鮮、支那、印度、爪哇(ジャワ)等の七種の土人を傭聘し其の最も固有なる生息の階級、程度、人情、風俗等を示すことを目的とし各国の異なる住居所の摸形、装束、器具、動作、遊芸、人類等を観覧せしむる所以なり(不染)。「博覧会の余興」大阪毎日新聞1903.02.22
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Bonnie Sugar 曙光店 |不限時的日系老宅甜點店!裝潢設計挺不錯,甜點真心很普...
有人去過台中《Bonnie Sugar 曙光店》了嗎?這間Bonnie Sugar在高雄可是相當知名的人氣甜點店,除了Bonnie Sugar高雄總店之外,第二間Bonnie Sugar分店開在台北,Bonnie Sugar林森店也是滿滿人潮,而台中Bonnie Sugar分店「Bonnie Sugar 曙光店」一開幕也吸引超多人潮前往朝聖,Bonnie Sugar 曙光店評價不錯,google評論超過600則保有4.1顆星,不少人說他們家裝潢設計滿滿悠閒~ Continue reading Bonnie Sugar 曙光店 |不限時的日系老宅甜點店!裝潢設計挺不錯,甜點真心很普…
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湯明茶樓 | 台中人有福了!桃園新竹人氣美食開過來拉~老宅文青風格,視覺味覺雙享受~
大家知道《湯明茶樓》嗎?這間新開的台中餐廳,可是桃園新竹在地人激推的台菜餐廳,湯明茶樓台中店是該品牌的第三間店,整間餐廳的設計都是出自老闆之手,由0⭢1親自設計,讓40多年的老宅變身成了,結合老宅及現代文青美學的台中特色餐廳,雖然《湯明茶樓》主打台菜料理,但台菜可不能被桌菜框架給侷限,《湯明茶樓》以新式台菜定食為主,推出個人化套餐,不在受到吃台菜=桌菜的舊觀念,何須一群人,一人兩人也能美美的開心吃~ Continue reading 湯明茶樓 | 台中人有福了!桃園新竹人氣美食開過來拉~老宅文青風格,視覺味覺雙享受~
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2024.06・05
家人が今話題になっている本屋大賞の「成瀬は天下を取りにいく」を読んでいたので、借りて読んでみた。主人公の「成瀬あかり」というちょっと風変わりな女の子と幼馴染みの「島崎みゆき」を中心に、中学3年から高校までの彼女たちの生き様が面白い小説だった。
舞台は滋賀県大津市。お隣の県ということもあるし、話に出てくる西武大津店や平和堂は、福井にも西武福井店(現在も営業中)や平和堂もあるので、すごく身近に感じる。また主人公の地元愛に考えさせられることもあった。
そういえばこういう女子って似たような人がいたような⋯。
大賞を取っただけあって、面白くて一気に読み終えた。
『成瀬が言うには、大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら「あの人はすごい」になるという。』
島崎がそれはほら吹きとどう違うのかと尋ねると、
『成瀬はしばらく考えた後「同じだな」と認めた。』
本を読むといろんな言葉に会えるのが嬉しい。
しかしここ数年、小説はあまり読まなくなっちまったね。

話は変わるが、つい先日NHKの「日曜美術館」で宇野亞喜良氏が取り上げられていた。
氏が描く少女が笑っていないことを女性のアナウンサーが尋ねて、
「いつも笑っている人はいないし、不自然でしょう? みんな社会に何パーセントか不満を持っている・・・。」
その言葉を受けて坂本美雨さんが「それが凛とした表情に見えるのですね」
というようなことを話していて(正確じゃないかもしれないが)、印象に残った。
番組の最後に宇野亞喜良氏と横尾忠則氏が麻布十番にある「浪花家総本店」でおいしそうに鯛焼きを食べている姿がよかった。
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