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台中青旅【背包41青年旅館】入住日治時期的銀行建築.中庭綠植採光明亮.綠川車站步行即抵│台中館│愛嬉遊臺灣青年旅館聯盟

喜歡一人旅行或是節省預算的朋友們~ 台中青旅不用千元住宿,就在繼光街上. 真的就住在日治時期銀行建築改建而成. 充滿歷史故事的青年旅館,太有韻味了. 背包41青年旅館,全館八人一間房型. 房型非常寬敞明亮,廚房家電也相當齊全. 好多國外遊客住宿,感受宛如置身歐美國家. 超大遮雨通風的洗曬區域,久住也超可以啊!
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背包41青年旅館│青旅外觀
背包41青年旅館,地點相當漂亮便利. 位於台中繼光街上,應該很多人對這地名不陌生. 繼光香香雞,早期創始店就在路口處,現在搬家了. 也因為店家生意火紅,繼光街名字也打得相當名亮.
從台中火車站步行過來大約10來分鐘的距離. 搭乘公車到第一廣場站下車,走來也約三分鐘. 租機車遊玩台中,車子可停騎樓相當方便. 整棟五層樓,加上頂樓六樓的洗曬衣場!
背包41青年旅館,前面提到是由日治時期的銀行建築改建而成. 前身是第六信用合作社總部,是不是依舊有點陌生. 與知名冰淇淋〝第四信用合作社〞、宮原眼科~ 都是同一日治時期的歷史建築,那就清楚了吧. 其他二間都只能用餐休息,這間改建直接讓你住裡頭~
重新整建後,多出中庭採光區域. 擺設綠色植栽,與自然光線呼應. 很多歐美遊客超愛這樣的悠閒氛圍. 也讓建築樓層的採光更加敞亮舒服.

中庭這邊的牆面有藝術亮點的圖片介紹. 背包41青年旅館周邊算是台中老城區. 有許多早期留下的歷史建築及老店商家. 很值得細細品味~
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→愛嬉遊臺灣青年旅館聯盟一員: 愛嬉遊臺灣青年旅館聯盟涵蓋了全台各地青年旅館. 背包41青年旅館有加入愛嬉遊臺灣青年旅館聯盟. 嚴選品質才能加入愛嬉遊臺灣青年旅館聯盟. 很適合喜愛入住青年旅館的朋友們. 下次想到哪個城市旅行~網上搜尋超方便. 經過把關合法住宿,讓旅行住宿更加放心.
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聖誕節前夕,有著閃亮聖誕樹陪伴,增添許多過節氣氛. 尤其,這間青旅���受歐美遊客喜愛,周邊都是說英文的. 讓我一度以為自己置身在歐美國家. 只是英文太差很難與他們溝通聊天.

這邊也有背包41青年旅館推薦給遊客的遊程導覽. 有興趣的朋友們,都能和櫃台洽詢導覽活動.

我覺得第二個來場說走就走的旅行,比較容易完成! 背包41青年旅館門口採用密碼輸入大門. 如果忘記密碼,只能按下門鈴請人員開門囉.

背包41青年旅館│青旅大廳
一進��背包41青年旅館大廳感覺好清爽舒適. 相當乾淨整潔,璀璨燈飾也增添旅行歡樂感受.

牆面有多個國家的時間,還有著名台中觀光地標. 青旅電梯就在櫃檯對面,所以房客出入挺安全的.

閱讀全文:https://fresa58.com/backpacker41-txg/
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主題,縱橫論述各式作品的連載文章。以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,��圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對照,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨認是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。

如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝者或被攝者的移動造成的晃動與模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的���印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋,從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提出的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指��:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣活動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」

對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平卓馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的��像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。

之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意是短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體雖薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」為何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風景。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕��蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気���したりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が���る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す��私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、��段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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Dengeki Playstation Vol.353 Persona 3 part pictures and transcription.




『ペルソナ3』とは新世界。『ペルソナ』シリーズは、前作にあたる『ペルソナ2罪』『ぺルソナ2罰』で1つの完結を迎えた。本作『3』は、世界観こそ同じものの、これまでのシリーズとは異なる舞台、異なる物語で描かれることとなる。それを表すように、これまで『ペルソナ』シリーズだけでなく、多くの『女神転生』シリーズでキャラクターデザインを手がけてきた金子一馬氏から福島成記氏にデザインをシフト。福島氏は今までの『ペルソナ』シリーズではゲーム画面中のキャラクター絵を手掛け、『ステラデウス』では幻想的なデザインで好評を博しているアトラスファンならなじみの深いデザイナーだ。仲魔のデザインなど『女神転生』らしさを残しつつも、これまでとは異なる、まさにシリーズとしての新世界の扉を開いたのである。『ペルソナ3』は日常と非日常の物語。舞台となるのは、美しい海ぞいの土地「港区」。港区は、新旧2つの風景をあわせ持っている。陸地側にあるのは、古くからの港街「旅戸白 (いわとだい)」。海を隔てて反対側にあるのは、新興の人工島「房已ポートアイランド」。そしてボートアイランドの中心には、島の竣工理由の1つでもある小中高一貫の名門校、「私立・月光館学園」が建っている。主人公や仲間たちは、厳戸台にある学生寮からボートアイランドにある学園へと、モノレールを経由して日々追うことになる。しかし⋯⋯彼らの青春には “光” だけが待ちうける訳ではない。世界には、じつは1日と1日の狭間に “普通ではない” 時間帯⋯⋯“影時間 (かげじかん)” が存在している。それは毎晩午前0時になると訪れ、しばらく続いたのち明ける。影時間が始まると、普通の人間は棺に似た形の結晶状のオブジェに変わり、その間のことを何も感じられなくなる (これを “象徴化”という)。そのため、影時間は世の中のほとんどの人にとって “ないのと同じ” であり、誰もその存在に気づいていない。自由に動けるのは、影時間の本来の住人⋯⋯ “シャドウ” と呼ばれる怪物たちのみ。極まれに、影時間に “象微化” しない人間もいる。彼らは異形の影時間におびえ、そしてシャドウに抵抗することもできず、精神を食われてしまう。精神を食われた人間は、影時間が明けたあとには無気力状態になってしまう。だが⋯⋯主人公と仲間たちは、その影時間の中で行動しうる “適正” を見出される。やがてそれぞれの内に目覚める、シャドウを滅ぼす唯一の力 “ペルソナ能力”。かくして彼らは、昼には友だちや先輩後輩として学園生活を送りつつ、夜にはともに戦う同士として、影時間のシャドウに挑んでゆくことになる。『ペルソナ3』は神話の象徴。主人公たちには、“ペルソナ” と呼ばれる自身の影を具現化する力がある。ペルソナなくして影時間の住人シャドウと戦うことはできないのである。ぺルソナは、人の心が1人1つであるように、原則として1人1体しか持つことができない。しかし、主人公だけは複数のペルソナを付け替えることができる。なぜ、主人公だけが複数のペルソナを持つことができるのか?そして、人の心を映すペルソナとは一体なんなのか?近いうちにそれら疑問の答えを導くことができるかもしれない⋯⋯。『ペルソナ3』は学園生活。プレイヤーは主人公を通して、「月光館学園」という学校を舞台とした学園生活を送ることになる。朝起きて登校し、授業を受けて放課後を迎える。誰もが1度は過ごす学校という空間での生活。誰もが通るゆえに、親しみや懐かしさという気持ちも強く持つことができる、 そんな舞台だ。『ペルソナ3』では、そんな学園生活での日常が、影時間という非日常の世界に大きな影響を与えることになる。『ペルソナ3』は絆。登校するなか、放課後の街中、さまざまな人々と出会いかかわりを持つ主人公。さらに、学校という空間ではクラスメートや先輩後輩、はたまた教師と、より多くの人と多くのつながりを持つことになる。人とのつながる糸は最初こそ細くもろいものだが、関係が深くなるにつれ、その糸は太く確かなものになり、やがては “絆” になる。そして絆をつむぐことこそが『ペルソナ3』における大きな目的のである。絆は仲間のペルソナの力の糧となり、主人公を助けてくれることだろう。学園での生活は、1年365日続く。1年という期間は、春があり夏を過ぎ秋を通り冬へと至る道。季節によって、また季節ごとのイベントによって絆をつむぐ手段は変わり、絆をつなぐ相手も変わる。誰もが通る学校での生活、誰もが経験する人とのかかわり。『ペルソナ3』特集の幕は、この学園生活の魅力をひもとくところから始めよう。誰もが通るがゆえに近く、誰もが通り過ぎるがゆえに遠い思春期の思い出。ペルソナという、誰もが持ち得ることなき力を手にした少年たちは、どのような学園生活を送るのか?プレイヤーはその学園生活を通して何を感じるのか?今現在、学園生活を送っている人も、すでに学園生活を終えた人も、『ペルソナ3』という新たな学園の門はすぐそこに開いている。その門をくぐろうとしているのは、あなた自身の意思?それともあなたの内に潜むもう1つの⋯⋯。
Are you enjoying school life?
PERSONA3
PS2 RPG JULY,13 RELEASE
ATLUS
7,140 yen(PRETAX)
ATLUS DENGEKI PLAYSTATION
"P3"COMING UP DPS on 23 June.
Are you enjoying school life?
クラスメートとくだらない話題で盛り上がったり、イタズラをして先生に怒られたり⋯⋯『ペルソナ3』の1日はそんな当たり前の日常。当たり前の日常だからこそ、誰もが強く共感でき、深く感情移入できる。そんな日常を表す「コミュニティ」と「絆」、2つの新システムから本作の平凡な日々をピックアップしてお届けする。
Community
コミュニティ
母親から生まれてきた時点で、人は生まれながらに “誰か” とかかわりを持って生きている。親、兄弟、友人、先輩、後輩、恩師、上司、恋人。人は人生において、さまざまな自分ではない他人と出会う。キミはこの世界で、どんな “コミュニティ” を築くことになるのだろうか?
Bonds
絆
かかわりを持った人との間には何かしらの絆が生まれる。人はその絆をたぐり、頼り、そして信じて毎日をすごしていく。はじめは細く弱い絆でも、やがては断ち切りがたい恩愛、離れがたい情へと移り代わる。人を想う力が絆となり、その絆が力となる。絆であふれたこの世界から、キミはどの糸を手繰り寄せ、どんな力を手に入れるのか――?
それは日常の学園生活
登校
朝は学園に向かう登校風景から始まる。遅刻は許されない!?
授業
学生の本分は勉学。授業中に答えを聞かれる、なんてことも当然ありそう。その答えによっては⋯?
放課後
放課後になれば学校を飛び出して街へ。そこでは、学園関係者以外の人との出会いが待っているかも。
“影時間”
そして1日の狭間、影時間へ。そこで待ち受ける者とは⋯⋯?
次の1日へ
『ペルソナ3』1日のスクールライフ
▲日常のなかに用意された会話によって、コミュニティが成長していく。
▲学園内だけでなく、放課後に街へ出てコミュニティを広げることも可能だ。
本作の特徴は、登校、授業、放課後と日常の学園生活を送ることで進行していくという点。そのなかで、クラスメートや教師、街の人などとの関係、“コミュニティ” を深めることが目的になる。ただ1つ日常と異なるのは、1日と1日の間に “影時間” と呼ばれる時間があることだが⋯⋯?
プレイヤーの力は絆
コミュニティを深め、強くなった絆は、本作に欠かせないシステム「ペルソナ」の力になる。つまり、日常の行動が夜の戦闘へ大きな影響を与えることに。昼間と夜が密接に関係しているのだ。
▼コミュニティは20種類以上存在。それは、ペルソナの属性にも影響を与える。
仲間との絆
コミュニティは、学校や街の人と会話することで発現し、仲よくなることでレベルアップする。戦闘の仲間だけでなく、あら��る人と絆を築くことで主人公は力を得ることになる。
ペルソナとの絆
コミュニティで得た絆は、ペルソナの経験値へと変換される。コミュニティには属性があるので、どのペルソナを強化するかで人との付き合いが変わるかも?
Are you enjoying school life?
すべては6/23発売の電撃PSで明らかに!
アトラスと電プレの強力タッグで、『ペルソナ 3』の魅力を深く掘り下げていくこの企画。システムの詳細、設定の謎などは、すべてゲーム発売間近の6/23日売りの本誌で、総特集を組んでお送りする予定だ。そして、次回6/9売りの本誌では、日常のなかの非日常 “影時間” をテーマに、戦闘、ペルソナの魅力に迫っていく!
▶“影時間” とはなんなのか?そして気になるベルソナとは?次号で非日常の扉が開かれる!
影時間?
ペルソナ!?
NEXT
Do you know Shadow Time?
『ペルソナ3』を応援するページ
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2025年1月21日(火)

露の新治師匠つながりの東京のNさん、上方落語が好きで聴きたい番組があると天満天神繁昌亭・動楽亭・喜楽館と、関西の定席に来ることも厭わない。そんな彼女に関西ローカルの落語番組を録画して送る作業、年末年始に溜め込んだものをかき出すと通算82枚となった。ブルーレイに印刷したラベルを貼ってスマートレターで投函、明晩には届くだろう。トラブルさえなければ2/8(土)の<三田落語会@浜松町>で再会出来るはず、今年もよろしくお願いします。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食は奥川ファームの手打十割蕎麦、今日は玉子をトッピング。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
可燃ゴミ、30L*2。
ヤクルトさんから、野菜ジュースを購入する。
ツレアイは8時20分に自転車で出発、今日は訪問2件。

水分摂取を管理するために、以前使っていたアプリを再インストールする。
今後の仕事のスケジュールを確認する。
溜め込んでいた落語番組をディスクに書き出し、東京の落友・Nさんに送る。買い置きしておいたスマートレターに、切手30円分を貼って投函する。

息子たちのランチ、残りもののパスタソースを使い切る。
ツレアイが仕事終えて帰宅、彼女には<キャベツ焼き>を用意する。最近のお気に入りだが、そういえば写真を撮っていない。

先週の<土曜は寅さん>の録画を楽しむ。
青森で知り合った中年男・兵藤謙次郎(船越英二)と旅を続ける寅さんは、函館のラーメン屋の屋台で、なんとリリー(浅丘ルリ子)と再会を果す。初夏の北海道で、気ままな道中を楽しむ三人。兵藤は、小樽で初恋の信子(岩崎加根子)に一目だけ逢おうとするが、それを“男の甘え”とリリーは寅さんに当たって、二人は大げんか。そのままリリーと別れた寅さんは、リリーのことが気がかりな毎日。そんなある日、リリーが柴又へとやってきて… 寅さんとリリーの再会。結婚に失敗したリリーは、再び歌手となり旅暮らし。寅さんは、船越英二扮する冴えない中年男・兵藤と旅をしている。三人が揃って旅をする場面は幸福な気分に満ちあふれている。パパさんこと兵藤が、持って来たメロンをめぐっての一悶着は「メロン騒動」と名高い。リリーと喧嘩した寅さんが、雨の降る柴又駅へリリーを迎えに行く“相合い傘”シーンは、シリーズ屈指の名場面。
リリーと寅のやり取り、シリーズ中で一番好きな作品だ。
彼女は買物へ、私は午睡。
夕飯用にコレモ七条店へ買い出し、手羽中と茄子を購入する。

今夜は天ぷら、見た目は悪いが味は良し。
録画番組視聴。

録画番組視聴、呑み鉄本線日本旅(2018年2月18日放送分)/落語研究会から「帯九」春風亭一之輔。
明日は出勤なので、散髪して貰う。
入浴、体重は250g増。
パジャマに着替えて日誌書く。

ムーブ届かず、もう少し頑張らねば。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホ��ルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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【世代交代】カーナビに「ドラックストアのある交差点を左」って言われた際、目の前にドラッグストアが3店舗見えていた私が、それでもサッポロポテトを選ぶ理由.zip
(PS:下の方にビアゲの役者紹介があります)
西南図書館24周年、おめでとうございます。私は「『いきのこり⚫︎ぼくら』にのせて懐かしいものを紹介しているだけのYouTube shorts 撲滅委員会」で会計をしている、近未来ミイラです。最近こういう動画を目にする機会減ってきたでしょう?あれ、私たちのおかげなんですよ。感謝してくださいね。そして皆さんはくれぐれも過去に囚われて、旅行先にLと書かれたコンタクトレンズだけを持ってくるような真似はしないように気をつけてください。この世にはRも必要です。私は本気です。やってやんよ。
さて、仕事の引き継ぎと通信速度ははやい方がいいだなんて言いますが、ちゃうかで引き継ぐべきものは仕事だけではありません。解散の挨拶、ケミの折り方、大集会室に見回りが来るのが20:00頃と22:00頃だという研究結果。まぁ色々ありますが、中でも私が引き継がねばならないと考えているのが、かの有名な天照大神の自宅に併設されたクラブハウスでDJをした経験があるという、NASUKA A.K.A. たぴおか太郎 さんによるtumblerなのです。
私は、たぴおかDJアゲ太郎が引退する前に、何とかしてこれを継ぎたい。習うより慣れよ。私は早速たぴおか太郎になりきることにしたのでした。
しかし、桃色サンゴへの道はそう容易いものではないということくらい容易く想像できます。このままでは私がなすかさんの文体の全体を会得するより前に、先輩が引退してしまいます。
先輩の稽古日誌を観察していたら、とりあえずちゃんと稽古日誌としての役目は果たしていたので、一旦そのパートやります。でも稽古してないのでただの日誌です。
⭐️間接照明って名前ダサくないか?稽古日誌
コンクリートと殴り合い(敗北)
タンバリンに鉛筆で落書き(怒られた)
海老の小道具の精度に脱帽(すごい)
はらぺこあおむしを逆から読む(退化)
たなからバター餅(略してたなばた)
ピコ太郎の再燃(アツい)
おせち料理を意地でも漢字で書く(御節)
蚊が何故かまだ猛威をふるっている(許せん)
⭐️直接照明とは言わないのにね〜〜〜
ここまで書いて私は思ったわけです。いやたぴおか太郎難しすぎんか???
もう諦めようかな……。
???「君には失望したよ……」
はっ!?その声はっ!?!?
???「どうも、愛称として後ろに『ぴ』をつけられることもある、秋公演の舞台上でも大活躍した、あのお菓子です」
ま、まさかお前はっ!!!イモケン!?!?

いや犬けんぴかよ!!!!!
犬ケンってもうこれ犬×2じゃねぇか。
犬「難しいということだけを理由に書かないというのは、それはただ諦めていることに等しごほっ!おっ」
あ、犬ケンピが喉に刺さってる
開いている記事のセキュリティ証明書に問題があります。
エラー吐いちゃったよ。まず犬ケンピ吐かないと。
この記事の閲覧を続けますか?
はい わからない いいえ
多分そう部分的にそう 多分違うそうでもない
いや選択肢アキネイター!!!
犬「なんか、もうネタ切れ感あるし、やめるわ」
あぁ飽きネイターだった。
……ということで、
【結論】たぴおか太郎はたぴおか太郎にしかできない
ところで、本当に何も用がないのにtumblerを荒らすのもマズイと思ったので、この場をお借りし��ビアゲの役者紹介をします。やってたことはしおりと同じです。この人を主役にするなら、こんなタイトルこんな劇。
以下本チラ掲載順。兼役の2人は省略しています。ごめんね。
東愛莉
『東博士の自由研究所』
使い捨てカイロをたくさん繋げて、使い捨てホットカーペットにしたり。香水を鍋で茹でて香湯にしたり。裏起毛の服をひっくり返して着て表起毛にしたり。東博士の自由研究は、今日も失敗続き。意味のないように思えるその研究内容に、周りは呆れて、中にはバカにする者も。しかし東博士は、そんなことお構いなしに、日々楽しそうに研究を続けているのである。そんな研究所にやってきた一人の青年。どうやら人生がつまらないらしい。そんな彼を見た東博士はこう言う。「ちょうどよかった!今ね、ちゃんこ鍋を作っている蓋の上でトントン相撲をする研究をしたかったけど、人手が足りなかったの。ちょっと手伝ってよ!」
辛い過去がありつつも、今をとにかく楽しく生きると決めた東博士から、元気をもらうことができる公演になると思います。
大良ルナ
『心外、しかし純愛。』
「運命は、自分で掴みに行くものよ。」占い師のその言葉を鵜呑みにした少女は、自らの手で運命の人を掴みに行くことにした。しかし、容姿を見て選り好んでしまうと、それは運命でもなんでもない。そこで彼女は思いついた。人気の多い公園で目を瞑り、手を広げながらふらふらと歩き、一番最初にぶつかった人を抱きしめよう。その人を運命の人にしよう。早速実践。視界が真っ暗になってから2分ほど経った時、ドンと胸元を突く感覚。これはと思って抱きしめようとすると、それは思っていたよりも小さかった。胸元から聞こえる声。「くるっぽー。」いや鳩じゃん。これじゃ運命の鳩じゃん。人外は流石になぁ……。いやでも、このクリっとした瞳に綺麗な毛並み。正直、割とアリ。
鳩とのハートフルラブコメです。私にはハッとする衝撃の展開が広がるピジョンが見えています。
児
『教室における感慨と、その二面性についての考察』
7月某日。俺のクラスに転校生がやってきた。15人。もともと3人しかいなかった俺のクラスに、転校生がやってきた。15人。なんでも、近くの村にあった高校のすぐ近くで土砂崩れが起きて、校舎が倒壊したらしい。15人はそこから一番近いところにあった、船で30分の小さな島にあるこの高校に通う羽目になったそうだ。かわいそうに。転校生15人は、その慣れない環境に緊張……するはずもなかった。昨日までの穏やかな生活が嘘のように、喧騒に包まれた教室。俺の教室を、俺の居場所を、返してくれないか……?
教室では静かであるべきか、にぎやかであるべきか。それともにぎやかな教室を静かに眺めているべきか。
うみつき
『髪と縁』
またフラれた。これで何回目なんだろう。付き合ってみるたびに、「なんか思ってたのと違うわ」って言われる。いやいや、思ってたのと違うところを受け入れられるのが「好き」ってもんじゃないの?いや、愚痴なんか言っててもしょうがないけどさ。私は失恋した時、必ず髪を切ると決めている。他人の。普段は別の仕事をしているけど、フラれた次の日は実家の美容院の手伝いをする。別にこの仕事が好きってわけじゃないけど。自分以外の誰かのためにハサミを持つのが、なんか落ち着くというか。
その日店にやってきたのは、私をフった男だった。殺してやろうかな、これで。
統括のフォーニャー
『liebrary』
「はい。どうされましたか?看板?あぁいえ、これであってますよ。この図書館に置いてある本は、全部嘘なんです。この世界で生まれたすべての嘘が、ここに集められるんです。ですから、あなたがついた嘘もあれば、あなたがつかれた嘘もありますよ。あ、面白いですか。それはそれは、ありがとうございます。はい。またぜひどうぞ」そうして客を見送った女は、ついさっき新しく生まれた本を手に取る。「そっか、面白くないか」
嘘が分かるということは、本当が分かるということ。そこに計り知れぬ苦悩があるということは、嘘じゃない。
緒田舞里
『0で割るということ』
よっ。元気?こっちは元気だよ。ちゃんとご飯も食べてるし。大丈夫。……仕事?あぁ、うん。楽しいよ、ちゃんと。あぁ、ほら、最近さ、ちょうどクリスマスに向けての準備とか始まっててさ、この時期って夜にパフォーマンスの練習入ったりするじゃん?それがちょっと大変ってだけ。でも、私ってそういうの好き、だしさ。多分。あ、ごめんね、こっちばっかり話して。そっちはどう?……なんてね。
二宮はそう独り言を呟きながら、右側に供えた花のバランスを整えた。
白
『ニッポンのこれから審議会』
説明しよう!ニッポンのこれから審議会とは、ニッポンのこれからについて審議する会のことである!発足後初の会議となる今回の議題は、「ニッポンにとって不要なモノ」 つまりはニッポンが削るべき要素を洗いざらい洗い出すということになる!年賀状?節分??お盆???ニッポンには今や企業が儲かることしか考えていないような形骸化した文化が山ほどあるではないか!いつまでこんなの残してるんだ!消せ!!しかし、そんな議論の流れに静かに異議を唱える男がいた……。
だんだんとアツくなっていくぶらんの演技にご注目ください。
岡崎仁美
『カヌレ』
おかしい。利用客が減少の一途を辿る小さな駅構内にある、小さなケーキ屋さん。今までいろんなケーキを売っていたのに。今ではショーケースの中は、一面濃い茶色。カヌレしか売っていないじゃないか。奇妙な品揃えを覗いていたら、店の奥から出てきた女性店員に話しかけられた。「こんにちは!カヌレはいかがですか!?」
コイツはカヌレしか食わない。コイツはカヌレしか売らない。利用客が減り、カヌレが増える。これは一体何を意味しているのか。新感覚カヌレホラー公演。逃げろ。
雨々単元気
『にじいろアジト��
大阪の南の北の方。そのさびれた倉庫では、夜な夜な5人の学生が身を寄せ合っていた。各々の事情により、学校に通うことを諦めている彼らには、共通する一つの目的があった。「この世には、やけに綺麗な虹ってもんがあるらしい。それが見たい。」
セカイ系のお話にしたいです。彼らが虹を見たことが無いのは、彼らが昼間に外に出ないからではなく、地球外生命体が地球を黒い幕で覆い隠して、宇宙から隠蔽しようとしているからなんですね。まさに黒幕。まぁ確かに地球ってずいぶん異質な惑星ですし、宇宙にとっては無い方が都合がいいのかも知れません。ちなみにこの公演の愛称は「ニジアジ」。
舞原の絞り滓
『大器晩声』
ある公園で開催された大声大会。その喧騒に怒り、近所に住むおじさんが怒鳴り込んで来た。……いやコイツが優勝じゃんか。(『大声大会』) 「あの、すみません。キッズメニューの裏の間違い探しってなくなったんですか?」「はい。その代わりといってはなんですが、この店の中には、既に10個の間違いがございます」(『間違いなく間違い』) 訪問販売で契約したタイムマシンがパチモンだった。「夕仏マシン」だった。時間は夕方限定、場所は仏や大仏の目の前にしかいけないらしい。……じゃあ、修学旅行のあの日を、もう一度だけ。(『驚麗』)
などなど、全7編のショートストーリーからなるオムニバス公演。そのうちいくつかは、まほろさんに演出してもらいたいです。
じゃがりーた三世
『何点かお伝えしたいことがございます』
ある山奥の宿泊施設で、人が死んだ。死体の様子から見るに、他殺であることは間違いなさそうだ。この施設から人が出入りした形跡も無いため、ここにいる6人のうちの誰かが、コイツを殺した。「とりあえず電話で警察を呼ばないか!?」そう言い出した男に対して、周りは呼びかけた。「忘れたのかお前!この施設では、携帯電話などの音や光の出る機器類は、必ず電源から切らないといけないじゃないか!」……じゃあ、このカメラで証拠の写真を、いや、許可のない撮影録音は禁止か。……もうこんなところにいられるか!俺は抜けさせてもらうぞ!え?途中休憩はございません?そんなことしらねぇよ!俺は出ていくからな!?……係の者がいないから、出られない。
前説で語られたルールが、全て適応されている空間で起こる推理合戦。ところで、上演時間は60分ということは、それってつまり……
オーム
『非常に新車』
とある交差点で車両同士の接触事故が起きた。畜生、この後マスコミに向けたプレゼンがあるってのに、どうしてこんなときに……。
仕方なく車の外へ出ると、相手の運転手は私の顔を見るなりこう言った。「あれ、ZESSANの岩本社長ですよね!?え、すご!私ずっとZESSANのクルマのファンなんですよ!今日もほら、先日発売されたばっかりのやつ乗ってるんです!すごいっすよねこれ、自動運転機能も充実してて!ハンドルから手離してても余裕で運転できてましたもん、さっきまで」
絶対にバレてはいけない事故。どうにかマルク収めなければ。
テキストを入力
『いまどうしてる?』
背が高いその男は、公園のど真ん中にある、さらに背の高い街頭の下に立っている。その公園にやってくる人は皆、紙にデカデカと自分の近況を書き、背の高い男に渡していく。男はその紙を体のいたるところに貼り付けて、ただずっとその場に立ち続ける。公園には、ただ人が書いた紙を見にくるだけの人もいれば、紙越しに喧嘩をしている人もいる。背の高い男はそれを見て、何を思うのか。
キャスパ曲というか、エンディング曲には、ゲスの極み乙女の「灰になるまで」を使いたいです。(ツイ)廃ではないです。
縦縞コリー
『優しすぎた男』
理不尽に呑まれ、後悔に苛まれ、そんな優しさが誉。しかし彼は優しすぎた。完成間近のレポートのデータを友人に消されても怒れないし、飲み会の参加費を1人だけ二重に請求されていることに気がついても指摘できない。いや、それは優しさというか、弱さなのではないか……?
キャスパには、トリプルファイヤーというバンドの「次やったら殴る」という曲を使います。舞台上でふにゃふにゃしたこりちゃんを観ましょう。
大福小餅
『a hole new world』
ざく。ざく。まだ掘った方がいいかな。ざく。ざく。もうちょっと深い方がいいかな。ざく。ざく。ま、こんなもんか。よし。……あれ、これ私が穴の中入っちゃったら、誰が私を埋めるんだ?あ、ちょうどいいところに人が。すみませーん、私を埋めてくれませんか?
埋まりたい人と通りすがりの人の二人芝居。普段あんまりネガティブなことを言っているイメージがないこふくが、ものすごくブルーな気持ちの役をやっているのを観たい。
叶イブ
『世迷言病』
「こんにちは」「あ゛ぁ゛!?こんにちは!!」「えっと、今日はどこが悪くていらしたんですか?」「見りゃ分かるだろ!!口だよ!!」「……口?何か口内炎みたいなできものがありますか?それとも痛みが」「ちげぇよバカ医者がよ!!そのまんまの意味だっつーの!!先週末くらいから口が悪くなってんの!!」
「よまいごとやまい」と読みます。高圧的なキャラ、似合う気がします。病が完治した��とのギャップがメロい。多分。
はぜちかきつ
『喫茶・愛のペガサス』
「本格中華やめました」 亡き父親が経営していた喫茶店をいやいや継ぐことになった男は、とりあえず中華料理の販売を停止した。どうせなら店の名前も自分好みに変えたかったけど、常連の客からの反対の声も大きく、仕方なくこのままにしている。そもそも駅から少し離れていて、人が多くないような街の喫茶店なので、お客さんのイリはまばら。まぁ、ワンオペでも全然回るし、むしろ空きの時間で趣味の小説を書けているくらいだから、これはこれでいい生き方なのかもしれない。……その日、見慣れない客がやってきた。オーバーサイズの服を着た、ショートカットの女の子。
優しくて大きい(器が、という意味)ハゼは、喫茶店オーナーとか似合いそうです。
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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詩集『人生と演劇』

詩集『人生と演劇』
1.「夜と演劇」 2.「あなたと演劇」 3.「ドレスと演劇」 4.「旅と演劇」 5.「僕と演劇」 6.「秋と演劇」 7.「演劇と風」 8.「演劇とマス」 9.「演劇とはかない」 10.「演劇とあきない」 11.「演劇と街」
1.「夜と演劇」
終演後の街はもう暗く、 車内も人はまばら。 言葉にならない余韻の中で、 私は台詞を反復する。
カーテンコールが終わる頃、 ひとりの眼を見つめて、 一瞬に涙を認めた。
この劇団はもう終わる。 明日はここにいない。 サヨナラも言えぬまま。 キャラバンは街へ消える。
風の中へみんなの宴は、 静かに溶けていく。 誰の声も聞かぬまま、 明日は別の場所で。
サヨナラも言わぬまま。 キャラバンは夜へ消える。
ありがとうも言えぬまま。 キャラバンは時に消える。
2.「あなたと演劇」
私の憧れた先輩、 ずっと追いかけてた先輩、 彼が「部活を辞めたい」と言った日、 未だに忘れもしない。
誰に聞かれても、 部長が問い詰めても、 虚ろな目のまま、 どこかを見つめていた。
もう数ヶ月が経って、 誰も先輩の話はしない。 でも、私は覚えてる。 数日後に転校していった先輩の噂、 もう聞かないけれども。
あのアイドルのオーディション、 親にも友達にも内緒で、 初めて応募した。
テレビに出るような人になれば、 先輩は帰ってくるんじゃないかって。 詩的でも激情でも、 なんでもなくたって、 私はアイドルになる。
やりたいことはこれから見つければいい。
広告を見た日に浮かんだ疑問、 やっとわかった。
生きる意味。 生きる価値。 生きる……
3.「ドレスと演劇」
ふだんの私にはなれない、 あなたになりきって。
大きな声で叫んだり、 普段言えないことを伝えたり、 そんな非日常感に憧れ、 私は役者になりたいと思った。
あの娘が着ている、 ドレスには手が届かなくたって、 あなたへのラブレター、 最初に渡された日、 ここで生きてくことを決めた。
憧れた私じゃなくても、 夢は無数に分岐して、 いつか描いた道のりが、 突然目の前に現れる。
世界はいつも残酷で、 言うことなんか聞かないけど、 それでも私は素直に、 愛のままに。
咲かせろ、リアリズム。
4.「旅と演劇」
あの頃は旅をするたびに、 街に劇団があって、 夜になると素敵な劇を観られたものだ。
名もなき役者と、 天才作家たちの宴。 次もまた観られるかと劇場を訪れると、 もう別の劇団が構えてた。
たとえば海の見える街で、 かつて映画館だった劇場。 たとえば昔栄えた町で、 かつて盛場だった劇場。
アングラの名を借りて、 誰もが明日の光を求めてた。
埃を被ったマネキンに何かを問うても、 誰も何も答えないと私は知っている。 それでも世界は今日も回り続けて、 誰かの夢を無作為に拾い集めようとする。
さらば役者たちよ、 さらば素敵な劇団よ。 あなたたちの描いた虹は、 私が忘れない。
一度きりのロマンスは 愛の名を借りた幻想。
5.「僕と演劇」
学校へ行きたくない日は 女優志願の姉に連れられ、 劇団の稽古を静かに眺めてた。
朝から深夜まで 僕の知らない世界が、 目の前に広がる様を観るのは 楽しかった。
でも本番を観るのは嫌いで、 大人と呼ばれる年齢になってからも 一度も観劇したことがない。
未完成なものが好きなのは、 保育園だった頃からの癖。 完成したら後は壊れるだけ、 ちょっぴり可哀想な気がした。
スーツをしっかり着る男も、 ドレスをきちんと着こなす女も、 どこで生まれたのかわからない生物も、 自然の中に佇む擬人化された君も、 そして、それを見つめる僕も。
9時から6時まで今日も僕は、 上司に怒られながら仕事をする。 後輩にゃ出世で先を越されたが、 世の中には上司になるよりも大事なことがある。
誰かの上に立つよりも、 僕は僕の人生の方が大事で、 とっくに亡くなった姉の後を追い、 週末はこのステージに立つ。
髪を切れと言われても 僕はこのステージのために髪を伸ばす。
6.「秋と演劇」
雨上がりの舗道に ぽつんと取り残された水溜りが、 まるでクラスメイトのAのようだと 友人の誰かが言う。
僕はそれを否定する言葉が出ず、 ひたすら唇を噛み締めるしかなかった。
秋が来る頃、 高校で文化祭があると聞いて、 僕はAにある役を演じないかと誘った。
ずっとAを見つめてきたから BにもCにもなれると知っていた。 誰かが決めつけなければ Aは誰にでもなれると知っていた。
人はほんの一言で変われる、 きっかけがある、 もしその一瞬が僕なら、 ありきたりな言葉でもいい、 僕だけの言葉で。
愛という名のシャワーで 君の心を融かそう。
AがAのままで居られるように 僕がこの手を握るから。
7.「演劇と風」
どんなに君が歴史になろうとも、 私が思い出させるから、 「老いた」なんて言わないで、 その手を握るから。
風に吹かれるように、 社会はゆっくり変わって、 たしかに君を、 過去のものにするけれども、 精神に埃を被らぬうちは、 きっと現在を投影したまま、 そうやって生きる。
ロマンティシズムの塊を、 人間と呼ぶのなら、 君が若かった頃の写真を切り取って、 目の前に貼り付けたい。
まだ死んでないじゃないか、 安いバーボンに溺れるくらいなら、 ラーデンシュタインに、 ローガン伯爵に、 君にしかなれないアイツを、 死ぬまでに再び演じてくれよ。
そうさせなきゃ、 ここで手を握っている意味などない、 私だって、 君に惚れ込んだんだから。
一度は憧れた人だから。
これ以上、 好きに筆を入れさせないでくれよ。
8.「演劇とマス」
最初はほんの気まぐれ、 人生はやさぐれ、 そんな私の戯れ、 あなたに明け暮れ。
いつしか劇も大きくなり、 髪はちょっと伸び、 メイクは綺麗になったけれど、 それでもふと微笑む瞳は、 あの頃とちっとも変わらない。
あなたの劇を見て、 あなたを好きになり、 私は大人に変わってった。
大きな仕事を任され、 しばらく行けなくなっても、 私はあなたが生き甲斐、 ずっとそうだと信じてた。
ある日、友達からのLINE。
彼の安寧を奪わないで。 ふつうに生きる権利を憎まないで。
9.「演劇とはかない」
この一瞬がすべてを台無しにしてしまう。
たった一音…… たった一秒…… いつかの夏の影。 踏みしめて。
「コメディエンヌ」と言われた同級生が 効果音を持ってきた。 いつも朗らかな少女の真剣な眼差し。
絶対に失敗は出来ないと 何度も練習して 僕のいない日は後輩にも委ねて もしもに備えた。
でも本番はまさかの影が付き纏う。
永遠に終わらぬ読み込み、 舞台はすぐそこまで進んでく。
君の落胆した表情が今も忘れられない。 プロになっても時折夢��現れるんだ。 ひと夏の努力を無駄にした十字架。
「君だけのせいじゃない」と皆は言うけれど、 それでも、 何か出来たはずだと、 心の中には消えないかさぶた。
君へのかさぶた。 青春という名前のかさぶた。
10.「演劇とあきない」
愛がはしゃぎだす、 この共鳴の中に、 ふたりは抱きしめ合う、 夜が明けるまで。
正解なんてない、 このエチュードが終わるまで、 悲しみに任せて、 抱きしめ合えばいい。
そんな芝居すら、 誰かが決めたもの、 私たちはドールハウスの中で、 夜明けまで、 愛を演じていく。
そうやって生きてきて、 こうやって笑ってきて、 ああやって泣いてきて、 どうやって生きるのか。
11.「演劇と街」
私の街に、 新たな劇場ができた。
人が来る、 広場が生まれる、 愛を知る、 夢を感じる。
余分に木を切らず、 できるだけ循環させ、 後載せの言葉ではなく、 今ある言葉、 そして地域の声で。
奏でたいのは理想じゃなく、 そこにある現実を見つめ、 何もない土壌への幻想でもなく、 今の地域と共に歩きながら。
なんでもない物語を紡ごう。 言葉のない世界を生きよう。
あなたと、 わたしと、 この街と。
詩集『人生と演劇』Credit
Produced by Yuu Sakaoka
All Poetry Written by Yuu Sakaoka Dedicated to Kazumi Yasui(「女優志願」) Brain by TORIMOMO, Koharu Takamoto, Sakura Ogawa
Designed, Edited, A&R by Yuu Sakaoka Co-Produced by Koharu Takamoto
Management by G.Slope & Hill's Planet
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2024.9.1 坂岡 優
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202408大塚国際美術館と直島
ずっと行きたいと思い続けていた大塚国際美術館と直島に行った。特に直島は、ひとり旅だと結構お金もかかるし、かといってアート系に興味ない人と行く場所でもなく、、、しかし今年は友達が一緒に旅をしてくれたので、念願が叶いました。ありがとう。豊島美術館の時間が取れなかったので、ここはいつかリベンジしたいです。
大塚国際美術館、あまりにも広大。1日いても足りないくらいだった。ルーヴルやナショナルギャラリー、コートルードには過去行っているので、本物を見ているものも一部ある。日本の美術館の企画展で、貴婦人と一角獣なども見たし。全て陶器に絵付けし、サイズも原画に忠実で、圧巻。もちろん、それまで見たオリジナルと比べると魅力は劣るものの、ここはそういう目的の場所ではない。本物を見に、バチカンに、ギリシャに、イタリアに、フランスに、あらゆる国に全て回れるか?あちこちにあるゴッホのひまわりを同じ場所に集めて見比べられるか?あらゆる受胎告知を一気見できるか?修復前と修復後のレオナルドの最後の晩餐を向かい合わせで鑑賞することができるか?壺絵を平面にして見ることができるか?古代から近現代まで、一気に駆け抜けることができるか?可能性の実験、追及がここでできる。記録として残しておける。ここで気になったものがあれば、本物を見に行けばいい。きっかけになる。まずはここにきてみればいい。すごいところだった。細部を近くでじっと見ることも、通常なら難しいし。観察のしがいがある。ただやはり、システィーナ礼拝堂など、宗教的なものはそこに信仰があるからこその厚みがあるので、素晴らしくはあるものの、信仰抜きの展示は虚しいなとは感じたし、スペインでゲルニカを見た時の本物のエネルギーの圧と比べると、ややあっさりしすぎな感じもあったり、しかしこれはわたしの感情であり、いかに感情でものを見ているかという表出でもあるなとも思う。




直島、晴れた夏の青、海と空、ロケーションの贅沢。初めて、安藤忠雄の建築に感動した。こういうのだけ作っていればいいのに!(暴論)地中美術館のモネの展示もモネで初めて感動した。靴を脱いで、大きな白い部屋に入る。地下なのに柔らかい自然の光だけで目の前に大きな睡蓮の絵がある。(部屋自体には計5点)こんなに美しい睡蓮に出会ったことがない。時間と光の移り変わりの睡蓮を、時間と光の移り変わりのために見るための部屋。正直、そこまでモネが好きなわけではないので、パリに行った時も他との兼ね合いでオランジュリー美術館をスキップしてしまったのだけど、今になって後悔している。ウォルター・デ・マリアのタイム/タイムレス/ノー・タイム、ここの美術館で1番好き。圧倒される。神殿のような静かな空気を壊しては行けないようで、ここだけ時が止まっているみたい。階段を登ると音が響く。時が移れば光の加減が変わって、また違う表情を見せるのだろう。だから時間の概念がないわけではないし、時は止まってはいないのだけど、この空間から外だけの時間であり、ここは時間がなくて、それを永遠というのかもしれない。永遠は長いのではなくて、ある種の無である状態かもしれない。ウォルターは確か作品についてはあまり言及しない人だった気がする。美術館ではない屋外の展示は写真が撮れる。直島の景色を花崗岩の球体に移して、石は何を我々に見せているのだろう。(見えて/見えず 知って/知れず)


タレルの光の展示は好きだし、直島のオープンスカイは直島の空の良さがあるけど、他2人に比べるとここのロケーションを活かせるかといえば、まぁまぁになってしまうのが少し残念。
李禹煥の本領は美術館ではない。国立新美術館の展示に行ったけれど、もの派の本領は美術館では語れない気がした。いや李禹煥「美術館」なんですが、スケールが違う。作品を語らせるためにある場所なのがすごかった。


全て上げているとキリがない。ベネッセのミュージアムは夜中まで。ブルースナウマン100生きて死ねを暗い中で静かに鑑賞している。深夜映画を観ているみたい。〇〇(行動や感情)AND DIE,LIVEのワードのネオンがひとつずつ不規則に光り、最後は全て光る。暴力的で乱暴な気もするし、ワードの組み合わせがめちゃくちゃで元気が出る気もするし、全てがネオンで品はあまりなくて、死も生も、期待もないし失望するほどでもなく、そういうものかなという気もする。






ヴァレーギャラリー、草間彌生のナルシスの庭、自分の写り込みはどうでもよくなって、どうしても球の集合体が卵に見えて、再生をイメージする。でもそこに映るのが自分なら、自分の再生産なのかも、アタシ、再生産(いや舞台少女じゃないですけど、まぁシェイクスピアも、この世は舞台、人はみな役者と言っているし)





杉本博司も何年か前の美術館展で杉本博司展示があって行ったわけですが、妙な陳腐さがあったのですが、これも時間というものを詰め込んではいけないのだと思った次第。昼の時の回廊、夜の時の回廊、時間とは本来、贅沢でゆとりのあるものだと身に沁みた。




直島でずっとお金と芸術についてぼんやり考えていた。結局、こういうものを楽しむには金と時間が必要だ。感動と共に、金と時間がすべてなのでは?という虚しさが脳裏にはずっとあった。何もかも素晴らしい。けれど、所詮は持てるものの楽しみでしかないものなのでは。




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short trip to Inujima and styling for island trip

こんばんは。
・
昨日は、久しぶりに1日お休みを頂き、日帰りの小旅行に行ってきた。
行くと決めたのも2日前とかで、どこに行こうかなんて考えていた時、最初は豊島美術館にでも行こうかなぁなんて思って調べてみると生憎14日は休館日。
そんな時、ふと思い出したのが犬島だ。
・
瀬戸内海を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」(以下「瀬戸芸」)。
数ある芸術祭の中でも知名度・作品数やその質は国内でもトップクラスだと思っている。
そんな「瀬戸芸」には、2010年、記念すべき第1回の時に、3泊4日で訪れた。
その当時は、現在ほど会場となる島が少なかったため、3泊4日の日程でもかなりの作品を見てこれた。
今でも家に保管されている当時の美術手帖。

この当時、大学5年目の僕は、めちゃくちゃ金が無くて、でもどうしても行きたくて、本当に申し訳ないことに、会場に並んでいたこの本を連日さりげなく立ち読みをさせてもらって、日々向かう島の情報とマップを頭に叩き込み、スケジュールを組んでアートを見て回った。
・
なので、この本は後日、当時は滋賀に住んでいたけど、��賀に帰ってからバイト代が振り込まれた後に書店に購入に行った。
・
そんな2010年の「瀬戸芸」第一回から会場の一つになっている犬島。
2010年の時は、島へのアクセスや時間の都合から島への訪問を見送ってしまった島になる。
まあ、関西からも近いし、また改めて行けばいいかなんて思っていたら、気がつけば14年。
そんな訳で、今回は14年前の忘れ物を取りに行くような。そんな思いを抱いて行ってきた。

そんな犬島に2010年からずっと展開されている美術館。
「犬島精錬所美術館」
犬島は明治初期、銅の精錬所があり、その精錬所跡地を利用した美術館になる。
第一次世界大戦によって銅価格が暴落し、1909年に開業した精錬所は僅か10年で閉鎖されたそうだ。
・
その精錬所跡地は、忘れ去られたまま放棄されていたのだけど、現代アーティストの柳幸典と建築家の三分一博志によって美術館として再生されている。
美術館には、精錬所跡地が当時のまま保存されており、近代化産業遺産としても認定されている。
・
この美術館には、エアコンなどは無くて、自然の風の力を使って空気の循環が行われているそうだ。
犬島自体が、東からの風の影響を受けやすく、その風を取り込んで銅の精錬が行われていたそうだ。
なので、この美術館もそんな自然の風などを利用して空気の循環や室内の気温を保っているそうだ。

美術館のエントランスまで続くアプローチは、黒色のレンガが積み上がっている。
これは、当時、銅の精錬をする工程で生まれた不純物を含んだものをレンガに固めていたそうで、それがそのまま放棄されていたものを活用したそうだ。
鉄を多く含む素材となり、夏は表面温度が60度から80度に。
冬は反対に非常に冷たくなるそうで、これもこの美術館が自然の力で気温調整をするのに役立っているそうだ。
・
実際に触ると、確かにめちゃくちゃ熱かった。

館内には、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫の邸宅から出た廃材などを使った作品が並んでいて、空間もとても見応えがある。
・
さて、美術館で鑑賞中にめっちゃ驚いたことに、先日西脇のコットン畑に行った際に、一緒に作業をしていた知人の足立くんとバッタリであった。笑
土曜日の段階では、犬島に来ることを決めていなかったので、まさかここで会うとは。
足立くんはどうやら家族で遊びに来ていたみたいで、めちゃくちゃびっくりした。笑

足立くん。
また来月、西脇で。
・
その後は、もう一つ、犬島に行ったら見たい「家プロジェクト」。
2010年よりも施設数も増えた「犬島 家プロジェクト」。
島内を散策しながら、作品を見て回る。
ちなみに、「犬島 家プロジェクト」のチーフキュレーターは、現在「金沢21世紀美術館」の館長も務める長谷川祐子。そして、設計は同じく「金沢21世紀美術館」の設計に携わっている建築家の妹島和世。
・
作品も定期的な入れ替えなどもあったりするみたいで。
一番新しいものだと2019年に設置されているそうだ。

犬島 家プロジェクト F邸 名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」

犬島 家プロジェクト A邸 ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」

犬島 家プロジェクト S邸 荒神明香 「コンタクトレンズ」

犬島 家プロジェクト I邸 オラファー・エリアソン 「Self-loop」
お馴染みのアーティストも多いなぁなんて思いながらも、それでもやっぱり普通に楽しめたりして。
ライブにめっちゃツアーする人に似ていて、セトリが変われば別物というか。
同じアーティストでも、そもそも作品が異なればそれは別物だし、空間も変われば感じるものであったり見え方も変わる。
・
オラファー・エリアソンに関して言えば、大阪・前橋・犬島と今年だけで3箇所も見ているし。
それでも、やっぱりそれぞれ良かったりして。
陽射しが降り注ぐ島内を散策しながら楽しんで作品巡りを行った。
・
さて、正直そんなにお腹も減ってはいないのだけど、せっかくなら何か食べようということで、島内のカフェへ。
ここが最近、僕が成長したところ。

これまでの僕は、本当に旅の途中の食というものに無頓着で、平気で食事を抜くとか、手っ取り早くコンビニで済ませるとか。
せっかく旅に出ているのに、その土地のお店に寄らないとか平気でしていた。
・
最近、ちょっとそれを改めるようにして、その土地のものやその土地のお店に入るということを意識してやるようにしている。
・
ちなみに、2010年の「瀬戸内国際芸術祭」に訪れた際は、朝と晩はコンビニのパン。昼はコーラ。
マジで終わっている。
高松を拠点にしていたのに、讃岐うどんすら食べていないという。
逆に、その徹底ぶりを褒めてほしいくらいだ。
・
まあ、今回は、パスタとビール。
休みだし、昼間から酒飲むのもOKでしょと。
・
食事をとったら残り船の出港まで1時間ちょっと。
大宮エリーの作品を見て、そのままひたすら海岸に沿って散歩を。

海が本当に綺麗だ。
以前、夏が好きだという知人に、なんで好きなのかと聞いたことがある。「夏の瀬戸内の海が綺麗だから」という話を聞いた。
その方は、瀬戸内海に面した街の出身なんだけど、マジでそれがめちゃくちゃ分かった。
マジで海が綺麗だった。
青のグラデーション。島々の陰影。
太平洋や日本海のように、水平線が続く風景とはまた違った世界がある。
なんか、夏もいいかもなんて本当に思ってしまった。
(まあ、今日、早速大阪の夏を目の前にして、夏が嫌いだと思い出しました。笑)
・
多分、きっと夏の瀬戸内が一番綺麗なんだろうなぁ。
それは僕が冬が好きだという感覚に近くて、僕は長野の松本が地元だけど、確かに冷え込みは半端ないのだけど、北アルプスが雪化粧している姿がとても綺麗で、ピリッとした冬の冷気すら気持ちよく感じてしまうからだ。

さて、僕は様々な芸術祭に足を運んできたけど、初めて行った芸術祭が「瀬戸内国際芸術祭」だった。
その2年後に越後妻有「大地の芸術祭」へ。
この2つ、エリアは違うけど、とにかくランドスケープが素晴らしい。
都市型芸術祭にはない、風景美も楽しめる。
・
来年は「瀬戸内国際芸術祭」。
現在僕にとって夏旅の最有力候補だ。
犬島の風景とまた違った風景を楽しめるのだろうか。
今からちょっとワクワクしてしまう。

さて、そんな旅に何を着て行ったのか。
まあ、僕は結構旅のコーデを考える時間も楽しかったりする。
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今回、この小旅行の旅を決めた瞬間に絶対に着ていこうと決めた服が"osakentaro"の"mesh tops"だ。
船が海を行き交う柄が、まさに島旅にはぴったりだ。
僕自身も島の風景にとまでは行かないけど、そんな気持ちでピックしてみた。
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そしてボトムスは"rihei"の"Denim Pants"
"rihei"のデニムは、普段皆さんが街で目にするデニムや、保有のデニムと比べるとライトオンスデニム(厚みが薄いデニム)を採用しているので、軽やかで夏に着用しても気持ち良いのだ。
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全身を淡いブルーで。
海に媚びたコーデで楽しんできた。
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コーデの写真。
オラファーの作品で撮らせてもらうという、超贅沢なことをしてしまったけど、そんな旅コーデも楽しんでもらえると。
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ちなみに、僕の着用しているアイテムとは少し異なるかもだけど、一応"osakentaro"の"mesh"シリーズと"rihei"のデニムをそれぞれ掲載しておく。
まあ、もし気になる方がいらしたら問い合わせください。
osakentaro : rib mesh tops (sea) ¥52,800 (tax in)
osakentaro : mesh tops (bougainvillea) ¥29,700 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (people) ¥41,800 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (bougainvillea) ¥41,800 (tax in)
rihei : Denim Skirt (navy) ¥30,800 (tax in)
こんな感じで"osakentaro"のメッシュ素材を使ったアイテムと"rihei"のデニムシリーズをピックしてみました。
気になる方はお問い合わせください。
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それでは今日はかなり長々と、ほぼ、旅のお話でしたが、結果、何を着て行ったのか。
そんなコーデを考えるのも旅の一部であると。
特別な瞬間に特別なコーデを。
そうなると、また楽しみが一つ増すかなぁなんて思ってます。
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それでは次回もお楽しみに。
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年齡:45
身高:178
體重:82上下
居住地:臺北
職業:公職(非軍警消、普通行政職)
星座:天秤
婚姻:已婚/偽單身(因為一個人在台北工作)
興趣:球類運動(主要為籃球、壘球)/美食(偏愛日料、海鮮)/網路穿越小說/追劇/看YT/相聲、 脫口秀/約會(形式不拘)/旅行(偏好北部輕旅行)
武器尺寸:長約16公分/直徑約5公分
武器形狀:下彎
武器特色:適合跪趴式,跪趴式時可頂到亞洲女性的子宮頸、穴口可摩擦G點。
武器持久度:單純抽插可15分鐘以上。
擅長姿勢:女生跪趴式
喜好姿勢:多變化姿勢
偏好方式:前戲不拘,可溫柔、可粗暴、可長久、可省略,但最後一定要狂野抽插才能射出。
堅持原則:不無套、不碰藥、不碰男人、不影響彼此家庭。
特殊性經驗:
1.人數:2男1女、2女1男、2男2女、多男1女。
2.地點:電影院、天橋、河濱公園、中研院研究室、學校樓梯間、七星山、網咖包廂、停車場/休息站親子廁所、前公司辦公室、客運上
3.方式:車震、野外、二人以上、SM、邊開車邊被口、顏射、口爆、肛交
4.第一次3P:21歲,對方是夫妻檔。
5.第一次女T:在旅館,瘦T、有刺青、用很多潤滑液,印象很深刻、很特殊
特殊性對象:
1.身份:人妻、夫妻、情侶���老師、社工、國中同學、妹妹的國中同學、二女彼此是大學同學、 前同事、小演員、管樂團團員、女T。
2.年齡:最低17、最高54(當時年紀)。
3.年紀最大差距:大16歲(當時我22對方38)/小10歲(我38對方28)
性經驗人數:50人以上
性癖好:SM/2女1男/安全又刺激的戶外
SM相關:
1.屬性:非典型S/偏DOM、寵物主。
2.擅長:羞辱、控制、強制、寵物調。(綑綁、鞭打等其餘方式均有涉獵)
3.年資:資深業餘,第一次SM情趣及收奴,距今超過20年。
4.重視:溝通、安全、心靈滿足、開發內心深處、盡量滿足一切慾望。
5.理解:互相對向的雙方,一個攻、一個受,一個需求、一個供給,雙方在同一個頻道上,彼此 互相尊重、取悅、滿足。
6.需求對象:生理女性/愛刺激、敢玩、愛玩、以服務跟滿足男人為樂/不拘束彼此/有很多的想法想 體驗。新手及資深均可/樂於溝通。形式不拘。女奴、夫妻奴、綠帽奴均可,但不跟生理男性發生性關係。
7.底線:沒有道德底線,在安全跟不傷害別人的前提下,只要雙方開心,沒有不能進行的方式。 不進行無法控制的調教,例如會大量出血的切割。不單調非生理女性奴。對非生理女性奴不進行性行為調教,但可以使用工具。
8.曾有過奴數:5
9.目前奴數:0.5+0.5,因為對方居住地跟時間上無法時常配合。
10.偏好調教方式:只要奴願意提出,在安全合法範圍內,滿足一切慾望,就算我不擅長的~我 也會去精進。個人偏好強制高潮、強制排泄、露出、展示、犬調、犬化。
目前需求:
FWB是最接近我需求的一種形容,沒有固定形式,不彼此拘束,可以長期交流,彼此關心的朋友,但不能只是在網路上交流。具體補充如下:
1.就是可以約會,約會內容不拘,可以單純碰面,可以調教,可以性愛,重點是看雙方需求跟彼此開心。
2.在我的框架裡面,我可以任意變形,我的框架很大,不碰毒,不碰男人,不影響家庭,不被 命令調教是我的框架骨幹。
3.願意陪伴我的人,我會盡力滿足他的需求,當然前提是不能挑戰我的框架。
4.我是一個孤獨寂寞的人,需要陪伴,需要性,需要滿足感跟成就感,所以我想找一個我能讓他開心,他也可以讓我開心的約會對象。
暗黑變態幻想:(標準的夢裡都有)
1.參與別人的家庭亂倫
2.擁有一個廁奴,可以當我的隨身馬桶。
3.母女檔/姊妹檔/雙胞胎
4.現喝產婦的新鮮母乳
5.擁有為我賺錢的妓女奴
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「虚無への供物」中井英夫 0041
序章
4蛇神伝説
バア「アラビク」で、 久生と亜利夫、そして藍ちゃんの会話のつづきです。
この東京で、アイヌを見かけたという藍ちゃんに 久生と亜利夫は、それぞれ、サンドイッチマンや花やしきでの出し物を疑います。
日本堤を藍紋様の晴着をきたアイヌが闊歩しているのは、想像できないのでしょう。 たしかに滑稽な感じはしますね。
ところで、戦前あった日本堤が、戦後、台東区に含まれたそうで、 まさに、バア「アラビク」は、日本堤にあるということのようです。
藍紋様の晴着とは、あの独特のアイヌ紋様を指しているのでしょうが、 晴着という表現がピンときません。 一般的に、ふだんとは違うハレの日に切る服を言うのだと思いますが、 それを着ているということは、例のアイヌ人にとって、 まさにハレの日だと言うことを言いたいのでしょうか?
単にそう表現したとも考えられますが、 やはり、何か、ハレの日にふさわしい出来事でもやったという意味にも取れますね。
しかし、藍ちゃんは、見かけたのは2度めだというし、ホヤウカムイの使いだといいます。 久生は多少興味があるようにホヤウカムイについて訪ねます。 ホヤウカムイは、洞爺湖の蛇神で、それは現実の恐怖から生まれたものでアイヌの伝説の一つだそうです。
アイヌ語でシャック・ショモ・アエップ(“夏、口にだしてはいけない”)が“怖い蛇の神様”と同じ意味に使われるくらい、 蛇を恐れているそうです。
ちょっと調べたところアイヌ語では、 シャックは“夏” ショモは“~しない” アエップは“食べ物や餌(エ)”なんかだそうです。 間違っているかもしれませんが、 大雑把に訳せば、「夏、食べない」「夏、口にしない」というところでしょうか? “夏、口にだしてはいけない”とは、少しニュアンスが違う気がしますが、そういう言い回しもあるのだと言われればそうかもしれません。
蛇の出てくるユーカラは、夏場に頼んでも、決して歌ってくれない。 ユーカラは、アイヌ語では叙事詩を指すそうですが、単に歌を指す言葉でも使われるみたいです。 蛇の出てくる歌(そんな歌があるんですね)は、決して歌わないということでしょう。
久生も興味が湧いてきたのか、北海道旅行に言ったときの友人に聞いた話をします。
夏になると、洞爺湖の饅頭(まんじゅう)島から中島へ蛇が群れになって泳いで渡る。 調べてみると、饅頭島はヘビ島と呼ばれるほどに蛇が多い島だそうです。 実際に、中島へ蛇が渡るのかどうかは知りませんが、想像すると確かに怖い光景かもしれません。
純粋なアイヌが残っているとしても、 ホヤウカムイという蛇神は、 五弦琴(トンコリ)をならし、氓び(ほろび)の歌の中にでてくる話なのだろうといいます。
アイヌと氷沼家に 因縁があると思わせてますね。
ところで、 五弦琴(トンコリ)は、樺太アイヌ起源の楽器だそうです。 ハープ等と同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。 かなりシンプルな音なんでしょうね。
氓び(ほろび)の歌はアイヌの歌にあるのでしょうが、 この氓びの意味がよくわかりません。
滅びるや亡びると同じような意味だと見て取れますが、 実際に、検索してみると民としての意味合いが強いようです。
つまり、民が亡びるというような解釈すればいいのでしょうか? それは、すなわちアイヌが消滅するということに繋がつのかもしれません。
アイヌを恐れているのは、 藍ちゃんの従兄弟同士であり、 亜利夫の学校の先輩後輩に当たる氷沼蒼司の弟、紅司(こうじ)であると。
それを引き取って、久生は、氷沼家とアイヌの因縁を探ろうとします。
アイちゃんの曽お祖父ちゃんの誠太郎(せいたろう)が、開拓使の役人で、クラーク博士の通訳をしていた。 氷沼家は曾お祖母さんの実家だとのこと。
なんと、 ここでw.s.クラーク博士の名前が出てきます。 そうです。あの“ボーイズ・ビー・アンビシャス”の人です。
明治三年(1870年)以降、アーマスト州立農業学校時代に、クラーク博士と誠太郎が知り合ったことになっています。 アーマスト州立農業学校は、厳密には、マサチューセッツ大学アマースト校のようですね。
で、同行帰朝したと『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)にあるが、 これは間違いで、明治七年(1874年)に誠太郎が先に帰国し、 北海道・サハリン(樺太)の開拓のために設けられた開拓使に、出仕しています。 青山試験場勤務から、明治九年の博士の来日とともに、札幌勤務となっています。
『クラーク先生とその弟子たち』の中身までわかりませんが、同行帰朝ということは、 国命によって外国に使者として出かけたものが帰国するということなので、誠太郎は、国の仕事をしていたことになります。
そのクラーク博士が翌年明治十年(1877年)帰米したあとも、内村鑑三(うちむらかんぞう)や新渡戸稲造(にとべいなぞう)を北海道に送り込んだりと勢力的に働いていたはずなのに、 誠太郎によるアイヌ狩りともういうべき残虐な行為が、黒田清隆(くろだきよたか)の耳に届き、 長崎出張申シ付ケ候事と明治六年(1873年)に官営となった高島炭鉱へ追いやられてしまいます。
その後、誠太郎は、失踪。最後は、狂死したと言う連絡が、函館の実家に入ります。
と、 ここまで、実在の人物名を挙げて詳細に述べられると、現実の話のような気にさせられます。 うまく現実と絡めて盛り上げていますね。
その後、藍ちゃんのお祖父ちゃんの光太郎が昭和9年3月21日の函館大火でなくなったり、 長女の朱美(あけみ)が広島の原爆で、 洞爺丸の事件で長男の紫司郎と三男の薫三郎が亡くなったりと、 氷沼家では、ろくな死に方をしないと言われるようになります。
結局、目白にいるには、蒼司とその弟の紅司それに藍ちゃん それから同居人の叔父橙次郎(とうじろう)夫妻ということになります。
ここまでで、アイヌとの因縁が匂わされると、 ミスリードさせようとしてる感じがプンプンです。
あとは、主な登場人物が出てきましたね。
氷沼蒼司(ひぬまそうじ) 氷沼紅司(ひぬまこうじ) 氷沼藍司(ひぬまあいじ) 橙次郎(とうじろう)夫妻
光田亜利夫(みつだありお) 奈々村久生(ななむらひさお)
つづく。
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2024年に見た映画(ラブなものは★付き、今一つは-)
NOCEBO/ノセボ -
コット、はじまりの夏(The Quiet Girl) ★
ダム・マネー ウォール街を狙え! ★
夜明けのすべて
梟 フクロウ
ボーはおそれている
落下の解剖学
ソウルメイト(韓国リメイク)-
DUNE 砂の惑星 2(IMAX)
美と殺戮のすべて ★★
オッペンハイマー
アイアンクロー ★★
パスト ライブス ★
プリシラ -
パスト ライブス
異人たち ★
異人たち
悪は存在しない
NTL ワーニャ(アンドリュー・スコット)★★
マッドマックス:フュリオサ
違国日記
チャレンジャーズ ★★
美しき仕事
蛇の道
ホールドオーバーズ
アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家(ヴィム・ヴェンダース)
クワイエット・プレイス:DAY 1
SCRAPPER/スクラッパー ★
メイ・ディセンバー ゆれる真実
密輸1970
#スージー・サーチ
ソウルの春
ナミビアの砂漠 ★★
ヒューマン・ポジション ★
憐れみの3章 ★
シビル・ウォー
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
HAPPYEND ★★
破墓 パミョ
SUPER HAPPY FOREVER
ナミビアの砂漠
動物界 ★
ザ・バイクライダーズ
クラブゼロ
スピーク・ノー・イーブル 異常な家族
※
映画館に46回、重複はパストライブス、異人たち、ナミビアの砂漠 でした。
HAPPYENDも劇場でまた見たいよー!
2024年映画ベスト10
①美と殺戮のすべて
②NTLive ワーニャ
③HAPPYEND
④ナミビアの砂漠
⑤アイアンクロー
⑥パスト ライブス
⑦異人たち
⑧チャレンジャーズ
⑨ヒューマン・ポジション
⑩動物界
ラブだよ!
コット、はじまりの夏
ダム・マネー
瞳をとじて
ベストアイス!
ナミビアの砂漠
スター映画!!!
ザ・バイクライダーズ
見て良かった!
ソウルの春
美!!
瞳をとじて
美しき仕事
おもしろかったよ!
#スージー・サーチ
スクラッパー
憐れみの3章
◼️2024年映画ベスト10の感想
①美と殺戮のすべて
ナン・ゴールディン自身の写真作品、お姉様と家庭のこと、ご自身の痛み、身近な人の痛みと社会の中の痛みを美しさでつなぐ。弱さと強さが混ざり合うこと。個人的なこと、私的なことと、社会・仲間・未来への行動。素晴らしい映画。
②ナショナル・シアター・ライブ『ワーニャ』チェーホフの戯曲、アンドリュー・スコットの9役一人芝居
チェーホフの戯曲の強さ、アンドリュー・スコットの脅威の演技力。こんなもの見たことない、圧倒的。美と殺戮〜にも圧倒的な愛を感じたけれど、ワーニャのアンドリュー・スコットから受け取った愛がすごい。『ドライブ・マイ・カー』の感動ってチェーホフの感動だったのか!?と困惑するくらいすごい。
中年期の人生への絶望、労働、退屈を、アンドリュースコットの悲しい瞳とコメディ演技、孤独と人のぬくもりを一人芝居でやってしまうので打ち震えました。
労働に疲れた時にいつでも見たい。でもなかなか見られない。
もし再上映があったら見てください。私も見たいよー!NTLだとプレゼント・ラフターも素晴らしかったです。
③HAPPYEND
超良かった。今年はHAPPYENDとナミビアの砂漠を見てれば邦画はいいのではないだろうかくらい良かった。青春ものであり、人と人の出会いと道のずれ方、差別と社会、見えていなかった愚かさ、音楽の存在が私たちにくれるもの。素晴らしかったです、すごくいい映画。
④ナミビアの砂漠
カナーーーーー!!!!劇場で見られて良かったです。少し長いので迷ったのですが、大丈夫でした。人間が人間と別れるときに、ブロックひとつでもう会わないことが可能な世界で、コミュニケーションを諦めない様子をこの映画で見られてとても嬉しい。面白いところがたくさんありました。二回目を見たらカナは思いのほか喋らないんですよね。なのに記憶の中のカナの存在感がとても大きいのは、身体の演技と表情、少ない言葉の面白さなのでしょう。監督のインタビューも全部面白かったです。
⑤アイアンクロー
号泣。フォックスキャッチャー以来の根暗マッチョ傑作。そのままバンドを続けてくれよ…。
プロレスわからない人にもおすすめです、私はわからないまま見て泣きました。
⑥パスト ライブス
1回目そこまでだったのに、味わいが増してしまって。薄味に感じた部分、何回見ても飽きない何かになってきた。サントラも素敵で、秋〜冬にたくさん街で聴きました。
⑦異人たち
アンドリュー・ヘイ監督、人間と人間を描くのにどうしてずっとあんなに果てしない寂しさを描けるんだろう?
何回か見て、さらに好きになりました。山田太一原作も面白いよ。少し怖いけど。現代的改変が素晴らしいと思いました。でも山田太一も男性の弱さについて、あの時代にとても上手い、当たり前なのですが…。
⑧チャレンジャーズ
楽しい!超楽しい!配信で見直しても楽しい!爆音で見てね!
この監督で唯一好き!!前作全然好きじゃないのに劇場に行って良かったーーー!!!
⑨ヒューマン・ポジション
少し弱った大人と、静謐な画面。とても好きでした。
⑩動物界
よくわからないで見に行ったけど、映画らしいセンスオブワンダーがあり、青春と、他者への恐怖の表現が全部うまくいっていたと思います。父から息子への愛情表現が抜群に好きです。ここは愛を強く伝えるほかない、というタイミングが素晴らしい。見て良かった。
◼️配信で見て良かった映画
ディナー・イン・アメリカ(言ってよ~~~!!超良い!)
恋するプリテンダー(楽しい!)
喪う(うしなう/Netflix配信・良い映画~~~)
◼️良かったドラマ
虎に翼
べいびーわるきゅーれ エブリデイ!
Top of the Lake(ジェーン・カンピオン監督、s1s2両方超良かった)
ポーカー・フェイス(U-NEXT、最高!!!)
1122(prime、岡田将生さん、高畑充希さん素晴らしかったです、脚本が素晴らしい)
トゥルー・ディペクティブ s4(U-NEXT)
人間失格 LOST(チョン・ドヨンさん、リュ・ジュンヨルさん大好き)
THE PENGUIN(U-NEXT、面白かった~~)
somebady somewhere s3(U-NEXT、クィアで楽しくてずっとみんなといたかった)
※
◼️2024年の美術館・ギャラリー
アニッシュ・カプーア 奪われた自由への眼差し 監視社会の未来/表参道GYRE
いのちをうつす 菌類、植物、動物、人間/東京都美術館
坂本龍一 トリビュート展/ICC
棟方志功記念館 冬の展示「板極道」/青森
奈良美智 The Beginning Place ここから/青森県立美術館
十和田現代美術館(塩田千春、ロン・ミュエク、レアンドロ・エルリッヒ)
ヴィム・ヴェンダースの透明なまなざし/中目黒N&A Art Site
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家/オペラシティ
中平卓馬 火|氾濫/国立近代美術館
私たちのエコロジー/森美、さわひらき hako/MAMコレクション
オラファーエリアソン 相互に繋がりあう瞬間が協和する周期/麻布台ヒルズギャラリー
エコロジーダイアローグ2 つかの間の停泊者/メゾンエルメス
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?/国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象る/アーティゾン美術館
刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか/目黒区美術館
アピチャッポン・ウィーラセクタン Solariu/SCAI THE BATHHOUSE
フランシス慎吾 Exploring Color and Space 色と空間を冒険する/茅ヶ崎美術館
遠距離現在/国立新美術館
シアターゲイツ展 アフロ民藝/森美術館
アンゼルム・キーファー Opus Magnum/FergusMacaffrey
ミランダ・ジュライ F.A.M.I.L.Y/プラダ青山
内藤礼 生まれておいで生きておいで/東博
ホー・ツーニェン エージェントのA/都現美
マーク・レッキー/エスパスルイヴィトン東京
島袋道浩 音楽が聞こえてきた/BankArt station横浜
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション/都現美
船越桂 水に映る月蝕/彫刻の森美術館
フィリップ・パレーノ この場所、あの空/ポーラ美術館
内藤礼 生まれておいで生きておいで/銀座エルメス
ヤノベケンジ BIG CAT BANG/銀座SIX
マティス 色彩を奏でる/ポーラミュージアムアネックス
大友良英 without records/YCAM
坂本龍一+YCAM Forest Symphony/常栄寺 雪舟庭
香月泰男美術館 一九六九.七.二〇の月星、凧/山口県
日本の新進作家 現在地のまなざし アレック・ソス 部屋についての部屋/都写美
空の発見(香月泰男��青の太陽〉)/松濤美術館
ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ、言っとくけど、素晴らしかったわ/森美
トゥールーズロートレック都ソフィカル 不在/三菱一号館美術館
奈良美智 I Draw the Line/BLUM
西川勝人 静寂の響き マーク・ロスコ シーグラム壁画/DIC川村記念美術館
ウェイド・ガストン Thirteen Paintings/エスパスルイヴィトン東京
2024年ベスト展示(旅・美術館の建築と立地を含んで)
奈良美智「The Beginning Place ここから」/青森県立美術館
西川勝人「静寂の響き」、マーク・ロスコ〈シーグラム壁画〉/DIC川村記念美術館
フランシス真悟「Exploring Color and Space-色と空間を冒険する」/茅ヶ崎市美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家/オペラシティ
香月泰男美術館 一九六九.七.二〇の月星、凧(山口県)
坂本龍一+YCAM Forest Symphony/常栄寺 雪舟庭
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ/森美
内藤礼「生まれておいで 生きておいで」/東博・銀座エルメス
青森県のしっとりとした空気と雪の静寂、山口県の日本海、茅ヶ崎美術館の緑と海岸での夕焼け、東京の街と生活の美術、とても充実した美術館巡りでした。良かった〜!
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.


ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと���奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
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髪の短い主婦
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