#壁画模様ネクタイ
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◇Maurice(モーリス)◇ネクタイが入荷しました。 定価:9,900円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/KENTPT240601001L3-6/ 素材:シルク100% カラー:パープル×マルチカラー サイズ:長さ約145cm、剣先幅約8cm (平置きの状態で測っています。) 古代エジプトの壁画に描かれている女性のモチーフを施した非常に珍しい柄のネクタイ。 素材はイタリア製シルク生地を使用しています。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ⠀⠀// 🗣 いいね・保存・コメント大歓迎!ご来店お待ちしております! \\ ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】7月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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この手法を活用し,日本の街並みをミュンヘンやパリのように美しく調和の取れたものにしていくことは不可能でしょうか。
僕は以前にヨーロッパを旅行したことがあります。ドイツ・スイス・フランスの名所旧跡を回ったり美食を堪能したり,実に楽しい旅行だったことを今もよく覚えています。余談ながら申し上げると,特に驚いたのがドイツの食事の美味しさです。自他ともに認める「美食の国」であるフランスの食べ物が美味しいのには満足しつつも驚きはありませんでしたが,ドイツの食事は「ソーセージとじゃが芋,パン」といった素朴なものが本当に素晴らしい味で「地味ながら大変な美味ではないか」と感じさせられたものでした。両者を和食に喩えれば,フランスのお料理は華やかな会席料理,ドイツのお料理はご飯・味噌汁・魚��焼き海苔を添えた旅館の朝食といったところでしょうか。本当に美味しいもののお好きな方であれば,前者のみならず後者もまた同じように高く評価することでしょう。
さて,食べ物の話は別にして僕が「これは素晴らしい」と感じたのが,それぞれの都市景観です。特に「完璧だ」と感じさせられたのがドイツ・ミュンヘンの街並みでした。ミュンヘンというのはかつてバイエルン王国の都として栄えたところでありニンフェンブルク宮殿などが今も残されていますが,その周囲の街並みもまた宮殿と調和するような形状・色合い・装飾で統一されてまるで街自体が一つの美術品のように感じられました。「お城の周りだからということで,特に配慮が行われているのかな」と思いきや,ミュンヘン市内の何処を回っても「複数の建築物が同じような形状・色合い・装飾で統一されている」ということについては全く同じでした。これには本当に心の底からの驚きを感じさせられたものです。 その後に向かったフランスはというと,パリの中には「これは日本とあまり変わらないな」と感じさせられた地域もありました。具体的にはジュネーヴからのTGV(新幹線)で降り立ったパリ・リヨン駅前など(註:パリは東京と同様に各地方都市から向かってくる鉄道のターミナルをいくつも抱えていて,それぞれが「○○方面駅」という意味で「パリ・○○駅」と称されます。これを東京に擬えれば新宿駅を「東京・甲府駅」,池袋駅を「東京・秩父駅」,上野駅を「東京・水戸駅」、浅草駅を「東京・日光駅」と呼ぶような感じでしょうか)。しかし市内観光に繰り出すと,やはりパリ市内にもミュンヘンに負けないような街並みは存在するのでした。「ここはアンリ4世時代に遡る街並みだ」という地区などは全ての建物が同じ形状・色合い・装飾で統一されているばかりか各建築物のスカイラインも統一されていて,その美しさに思わず息を吞み「あぁ,ヨーロッパの文化はかくも素晴らしいのか」という思いが胸に刻まれたのは,今も僕の記憶に新しいところです。
翻って日本では,そういった街並みはあまり存在しません。日本にもミュンヘンやパリに負けないような歴史的建造物,或いは近年に建てられ優れた外観を持つ建築物は勿論存在しますが,両市に匹敵するような同一の意匠で統一的な街並みとなると,これは少数の事例に留まるようですね。ドイツやフランスでは厳しい建築規制で街並みの統一が保たれているのに対し,これまでの日本はそうではなかったからです。重要伝統的建造物群保存地区や自治体の景観条例で指定された地区,或いは景観法に基づく景観地区や街並み誘導型地区計画を活用し��設けられた地区などはありますが,どちらかというと日本では近年まで都市景観の調和・統一という意識自体が弱かったということが指摘されています。なお,このように申し上げると「無秩序不調和こそが日本の街並みの特徴であり面白さだ」といった意見や「何を美しいと感じるかは個人の感覚の問題だ」といった反論を見掛けることもありますね。たしかに無秩序や不調和にも面白さがあり,世界全部を調和で染め上げるのは逆に面白さや多様性を損なうことにもなるでしょう。しかし現状の日本には既に不調和は幾らでも存在する一方で,調和した街並みがあまりに少ないのが現状です。調和が求められる場面でも無秩序で不調和なことを「これで良いのだ」と居直るのは健全な議論とはいえません。また「何を美しいと感じるかは個人の感覚の問題だ」というのは一面の真理ですが,それは「何を美しいと感じるかは人によって全くのテンデンバラバラである」ということを意味しません。実際に「個人」を大勢集めて「美しい」と感じるものを選ばせると概ね一定の範囲に収斂してしまうというのは,我々も経験的に知る厳然たる事実です。たとえば日本庭園に極彩色のオブジェが置かれるなどということは特殊なイベントを除けば通常はありませんね。そこに破調の美を見出す者は居ても調和や統一を感じる者は滅多に存在せず,かつ破調の美は調和・統一の美に比べて圧倒的に不人気だからです。そもそも「何を美しいと感じるかは個人の感覚の問題だ」などと口にする者も,どんな服装も自由なプライベートな場で「ステテコにネクタイ」「背広にサンダル」「水着に革靴」などという珍しい格好をして「これこそが美しい装いである」と主張するかといえば,そのような事例はほぼ存在しません。たしかに「何を美しいと感じるかは個人の感覚の問題」ではあるのですが,実際に何を美しいと感じるかについての「感覚」は各人殆ど同じであるということの動かぬ証拠でしょう。
とはいえ「ミュンヘンやパリのように調和のある街並みを日本にも」と求めても,それはなかなか容易ではありません。既に存在する建築物は各々異なった形状・色合い・装飾を持っており,耐用年数が来ても居ない以上それを建て直したり大規模修繕したりすることは実に難しい。仮に「街並みに調和と統一を」という意見に賛同する人であっても「貴方の持つ不動産を取り壊して,新しく建て直しなさい」などと要求されれば,たとえある程度の経済的支援(補助金や無利子・低利子での融資など)を用意したとしても「それには応じられない」と拒絶する場合が殆どでしょう。既に調和のある街並みが整っている場合にそれを維持することは可能でも「半ば調和が壊れかけた街並み」に再び調和を齎すことは非常に難しく,かつ「これから調和させていく」ことを実現させるのは遠い将来の話ではないか。僕はそのように思っていました。しかしそんな僕の思い込みを大きく揺さぶってくれたのが,こちらの記事で紹介されている長崎銀行本店です。一見すれば明らかなように「石造りなのかな」と感じさせる,重厚な威容を誇る実に美しい建築物ですね。しかしこちらの建築は実は石造りではなく,通常の建築物の周囲を衝立のような外壁で包んだいわゆる「看板建築」です。看板建築というのは「建物の前面に衝立を置いたような看板を兼ねた外壁を持ち、その壁面があたかもキャンバスであるかのように自由な造形がなされている」(Wikipedia「看板建築」より)建物のことで,建物の見栄えを良くすることと防火とを兼ねて1923(大正12)年の関東大震災後に被災地のみならず各地で盛んに採用されました。こちらの長崎銀行本店も1924(大正13)年の建築で,まさに「看板建築」の典型ということが出来るでしょう。 この「看板建築」の手法を使えば,既存の建築物を建て直したり大規模修繕したりすること無く,調和のある街並みを迅速かつ安価に作ることが可能になるのではないか。既に存在する建築物の正面,角の建物でも2つの面に衝立を立てるだけなのですから。その衝立の形状・色合い・装飾を同じようなものに統一することは決して難しくありません。それどころか現在ではバラバラの建物のスカイラインもかなりの程度まで統一することが叶います。衝立の高さを揃えれば良いだけなのですから。それは街並みの調和に資するのみならず,その衝立の材質に工夫を凝らすことで看板建築のもう一つの目的である防火にも有益ですから,そうした衝立の整備に行政が補助金を与えることは決して無理な話ではないでしょう。この点「そんな芝居の書き割りのような方法で『調和』を実現するというのはいかにも安直で安っぽいのではないか」という批判も予想されるし,その詩的にはたしかに一理あるといわざるを得ません。しかし安直で安っぽいと何が悪いのでしょうか。安物であっても全体の調和を図ることは充分に可能です。色調や形状に配慮すれば日常使いの安い食器であっても調和を図ることは充分に可能だし,それを心掛けると否とでは全体の美しさが全く違います。またこれは「本物の歴史的建造物が存在し,街並みをそれと調和させる」といった場合でも同じです。お金持ちではない僕も以前に人から頂いた高級なネクタイを持っていますが,それを身につけたい時には僕はトレーニングウェアではなく背広を着ます。トレーニングウェアはネクタイとは全く調和しませんが,背広であればたとえ安物であってもネクタイとかなりの程度調和してくれるからです。「安直で安っぽいもの同士でも形状・色合い・装飾などの統一を図れば調和するし,高級品と安物であっても雰囲気を揃えることでかなりの調和が図れる」というのは間違いの無い真実だといえるでしょう。
日本の街並みもまたミュンヘンやパリのように美しく調和の取れたものにしていきたいし,それを迅速かつ安価に実現するための極めて優れた手法として「看板建築」の手法を大々的に活用していくべきであろう。僕はそのように考えますが,皆様はそれについていかがお思い��しょうか。ご意見をお聴かせ頂けますと幸いです。
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🎼 01260 「好きじゃないけど愛してる」。
とある高等学校の廊下を超えた階段で 女子に蹴られて吹っ飛んだ高校生の恋模様を描いた 松竹恋愛映画 「好きっていいなよ。」 を久しぶりに観ています。日向朝子監督作品。若い子のラブな物語はさておき、渡辺満里奈さん (とある女子高生のママ役) 見たさに (ついつい) 観てしまいましたこの映画、とある女子高生が付き纏う男子に困ってしまって とある 宇宙キタ男をケータイで呼び出す場面に映る古書店らしきお店がとっても素敵で 光の速さで インターネッターしたところ、阿佐ヶ谷駅近くにあるらしい "古書 コンコ堂" というお店のやうで、いつか行ってみたいです。
つづいて
"こどものころから なぜかわたしの周りには いつも猫が寄ってきた。学校の帰り道や おつかいに行った先、公園でブランコに乗っているとき、河原を散歩しているとき、どこからともなく猫が寄ってきて、わたしを じっと見つめるのだった。猫に好かれる特殊な匂いを発しているのか、気になるところだ" と、庭がとても広い家の庭で とある女性が水撒きをしているところから始まります、貸猫屋を営む女性のヒトとネコの日々を描いた スールキートス映画 「レンタネコ」 を久々に観ています。わたしのラブリー 荻上直子監督作品。川沿いの遊歩道を 小さめなオレンジ色をしたリアカーを引きながら 貸猫屋を営むサヨコは、様々な人々に 猫を貸して レンタキャットした人々のハートをウォーミングさせるのですけれど、小林克也さん似の お隣のおばさんに ズケズケとモノを言われてギャ��ンッて感じです。ちょこっと書き留めます。
・ワイシャツにネクタイ姿、左手にケータイを持った 眞島秀和さん (ちょっと感じのワルい、ヨシオカさんの息子役) の台詞。
「はいっ、何?」。
「あゝネコね。さっさと持ってってくれる?シーーーッ、俺、ネコアレルギーなんだよ」。
「あ、ごめんごめん、あん、それで?ええ!こんなにいい場所にあるのに そんなもんにしかならないの?一等地なのに。あん、何っ?壁に 引っ掻き傷?あーあ、だからネコなんて飼うなんて あれほど言ったのにさあ。あん、オフクロ全然言う事聞かないから。俺に言われたって分からないよ そんなこと。うん、うんわ分かったまいいや じゃあ、また連絡するから。うん、はいはい、はぁい」。
「うわあ!何だこれ (と冷蔵庫の中の有り様を見て)」。「チッ、何がおかしいの?ハァァ、どうやって処理すんだよ こんな物ぉ。ハァァァ」。
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さ���写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。

東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、��千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。

アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエ��共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。

わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?

白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここから���ラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?

いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。

ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐ��ルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。

それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談���する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。

ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な���点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた���五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。

実際、人には���会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。

まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光���空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。��の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。

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期間限定のインターネットラジオ放送がスタート! ヴェロニク・ニシャニアンが語る、「ラジオエルメス」のメッセージとは。
写真:高木康行 文:飴李花 2019.09.06
9月1日から29日まで、約1カ月間限定で放送しているインターネットラジオ「ラジオエルメス」は、エルメスのメンズの豊穣な世界観をラジオというメディアを通して表現する、画期的なイベント。その収録風景やアーティストによるライブ演奏まで体験できるという東京・原宿のポップアップ・ラジオステーションに、来日中のヴェロニク・ニシャニアンを訪ね、話を聞きました。
エルメスのメンズ部門のアーティスティック・ディレクター、ヴェロニク・ニシャニアン。ところどころに新作バッグがディスプレイされた、ヴィンテージ・ラジカセが築かれた壁面の前で。
いま再び脚光を浴びているマスメディアであるラジオ。エルメスのメンズコレクションに30年以上携わっているヴェロニク・ニシャニアンは、自身もラジオの愛好家だといいます。まずは大人もワクワクするこのイベントの仕掛けを、隅から隅まで堪能。そして約2年ぶりに来日したニシャニアン氏に、「ラジオエルメス」の魅力や、エルメスのメンズコレクションで表現し続けてきた世界観について、大いに語ってもらいました。
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期間限定でスタートした、「ラジオエルメス」が発信するもの。
インターネットラジオというメディアの特性を意識し、外壁を飾るのはモダンでスタイリッシュなネオンサイン。もちろんエルメスらしいオレンジがキーカラーとなっています。
インターネットラジオ「ラジオエルメス」のポップアップ・スタジオが東京・原宿の「CASE W」に出現。エルメスにとっては意外なロケーションですが、幅広いライフスタイルや年齢層にメッセージを届けたいという、エルメスの熱い思いがうかがえます。会場がコンクリートや金属、ネオンサインなど、都会的かつ近未来的な要素で構成されている点にも注目。伝統と革新をバランスよく織り交ぜ前進し続ける、メゾンの世界観を見事に表現しています。
本格的な機材を揃えるレコーディングブースでは、期間中毎日実施される公開生放送を見物することも可能。壁の吸音材には、さりげなく「H」ロゴがあしらわれている。
スタジオ内には、実際に生放送を行うための本格的な設備や機材が備わっていて、生放送風景を見物することも可能。あっと驚くゲストに偶然出会えるなんてサプライズもあるかもしれません。スタジオ公開は11時~20時のみですが、ラジオではエルメスの世界観やクリエイション、文化的な背景の一端に触れることのできる、多彩で魅力的なプログラムを24時間聴くことができます。
会場全体の内装デザインは、気鋭の若手デザイナーYOSHIROTTENが監修。クラシックな機材とフューチャリスティックなデザイン、メタリックな素材感が見事に調和。
「ラジオエルメス」のロゴはもちろん、さまざまな内装設備や空間の監修・デザインを担当しているのは、国内外から熱い注目を集めるYOSHIROTTEN(ヨシロットン)。グラフィックアーティストやアートディレクターなど多彩な顔をもち、あのスティーヴィー・ワンダーやボーイズ・ノイズなどのミュージシャン、エースホテル、ナイキ、ユニクロといったグローバル企業と協業する気鋭のクリエイターです。
レコーディングブースに併設されたエンジニアリングルームでは、機械計のようなモニターに今シーズンのネクタイに使われているテキスタイルをモチーフとしたアニメーションが流れる。
会場内ではエルメスのメンズの世界観を構成するさまざまな要素が、YOSHIROTTENのフィルターを通した近未来的な表現として「夢のラジオステーション」を形づくります。たとえばエンジニアリングルームに設けられたモニターは、エルメスのメンズコレクションを象徴するアイテムであるネクタイのテキスタイルをアニメーションとして視覚化。またヴィンテージのラジカセを無造作に積み上げたレトロフューチャーなウォールには、最新のレザーバッグのコレクションが額装されたかのようにディスプレイされています。
ラジオ局のバックヤードのようなオリジナルのレコード棚には、ヘッドフォンが設置されランウェイショーで使用された楽曲を聴くことができる。
棚を移動させる際に握るハンドルにも、自然な形で「H」ロゴを使用。新作のカレがエレガントな彩りを添える。
本物のスタジオのように膨大なレコードのアーカイブが収められたシェルフでは、今シーズンのファッションショーで使用されたさまざまなBGMを聴くことができます。しかもヘッドフォン脇のパネルにレコードジャケットを置くだけで再生が開始されるという、先進的なテクノロジーを採用。レコードジャケットには、ネクタイ同様にエルメスのメンズコレクションにとって大切なカレの新柄がプリントされており、この色とりどりのグラフィックを眺めているだけでも十分に楽しめます。
世界的音楽家・坂本龍一と三味線奏者の本條秀慈郎による共演、RADWIMPSの野田洋次郎、フランス発オルタナティブ・ロックバンドのキャンプ・クロードなど、錚々たるアーティストが国内���所で行ったパフォーマンスを映像で楽しめる。
2階には「ラジオエルメス・ツアー」と題した、アーティストたちによる無観客ライブパフォーマンスのVR映像を視聴できるコーナーもあります。このように会場内は、ただ見るだけでなく、聴く、触るなどの五感を幅広く駆使する体験型の仕掛けが盛り沢山。ラジオプログラムを聴くだけでなく、このポップアップ・ラジオステーションを訪れて実際に体験することにより、エルメスのメンズの世界観への理解と共感がさらに深まることでしょう。
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ヴェロニク・ニシャニアンが語る、「ラジオ」と「エルメス」
ポップアップ・ラジオステーションの開場時間は夜8時まで。放送を聴きながら会場を見て回る、なんてことも可能だ。 Photo: Nácasa&Partneres Inc.
エルメスのメンズ部門のアーティスティック・ディレクター、ヴェロニク・ニシャニアンが私たちを迎えてくれたのは、スタ���オの屋上に設けられたVIPルームともいうべき空間でした。
「私は世界中のラジオ番組に何度も出演しているけれど、エルメス独自のラジオ放送を始めるのは初めてのこと。だからとてもワクワクしています。もともとこのプロジェクトは、2年ほど前に日本社のスタッフとディナーをしている時に思いついたもの。その頃から私たちは、エルメスのメンズの世界というものを多くの方に知っていただきたいと取り組んでいました。いろいろな会話をするなかで、エルメス独自のラジオ番組を日本全国に向けて発信したら面白いんじゃないかと考えたんです」
ポップアップ・ラジオステーションは2フロア構成。階段を上がると、エルメスのロゴでお馴染みの従者がミュージシャンやDJに変身したかのような楽しいグラフィックが迎えてくれる。
ニシャニアン氏はちょうどその頃、人々がSNSやスマートフォンに支配されてしまっているかのように感じていたといいます。
「みんながスマートフォンの画面ばかり見ている。コミュニケーションの仕方が、変わってきてしまっていると感じていました。そんな時代だからこそ、目で見るのではなく、耳で聴くというパーソナリティをもったメディアであるラジオが面白いと考えたんです。エルメスや私自身が何を考え、どんなメッセージを発しているのか、ラジオを通して伝えたいと思いました」
そんな彼女の“世界”の一角をなしているのが、音楽であるという点も重要でしょう。パリのオフィスで仕事をしている時も、日常生活を送っている時も、世界中を旅している時も、音楽は常にともにあるのだとか。ランウェイでのファッションショーにおいても音楽をとても大切にしており、「服、モデル、空間、そして音楽があって初めてショーは完成する」というのが、ニシャニアン氏の信念です。
「昔から音楽がとても好きで、ラジオもよく聴いています。家には古いレコードプレーヤーがあり、CDよりなによりレコードを愛しているんです。だって音質が一番いいですからね。ジャケットも大切にしているんですよ」
馬車を離れ、前方へ駆け出していく従者を表現したネオンサイン。翼の生えたスニーカーが導く先は……?
音楽を愛し、ラジオに親しみ、ラジオを通してエルメスのメンズの世界観を発信しようと考えたニシャニアン氏。では、いまという時代にラジオを使って表現する意味やメリットは、一体どこにあるのでしょうか。
「���コードでは私と家族や友人くらいでしかシェアできない大好きな音楽も、ラジオなら大勢の人と共有することができます。ラジオの魅力のひとつは、自分の思いや好きなものを、世界に向けて発信しシェアできることだと思うんです。私が興味をもっているゲストと私、ゲスト同士の対話などもシェアしたい。それにラジオは、映像や文字では伝わりづらい、会話の機微を感じてもらうのにも適した、ライブで、ダイレクトなメディアでもあるんです。私はこのあとパリに戻らなければいけないけれど、収録したトークを流すことはできるし、スタジオではライブのDJプレイや演奏などを楽しんでもらうこともできます。これって、とても素敵なことだと思いませんか?」
VR体験コーナーでは、アーティストによる無観客ライブパフォーマンスのムービーを視聴できる。
テレビ以前の主要マスメディアであり、ときに前時代的とも思われがちなラジオを、「とても現代的」と評するニシャニアン氏。その背景には、彼女自身のクリエイションに対する姿勢と共通する、ラジオならではのある特性があります。
「エルメスのプレタポルテやオブジェをデザインする時、私が最も大切にしているのは、軽やかであること、動きがあること、そして自由であることです。これは30年以上仕事を続けてきたいまも、決して変わることがありません。テレビやスマートフォンなどは画面をずっと見ていなければならないけれど、ラジオなら聴きながら仕事をすることもできるし、クルマの運転だってできます。ラジオというメディアと接する時、人は軽やかさや動き、自由さを損なわれることがないんです。マルチプルな人生、つまりさまざまなことを同時進行できるというのは、とても素晴らしいことだと思います」
2階の壁面にはレコードを模した装飾も。タイトルには今季のメンズウエアに採用されている生地の名が刻まれ、レコードジャケットにそれぞれの素材が使用される。
「タイムレスでありながら、時代に合っている」というニシャニアン氏の理念を実践し続けている、エルメスのメンズプレタポルテ。2019-20年秋冬コレクションにおいても、軽やかで自由な男性像を描き出す。 Photo: Jean-François José
そんなラジオと数々の魅力的なプログラムを通して伝えたいと願うのは、ほかでもないニシャニアン氏の思考や価値観、すなわちエルメスのメンズの世界観です。
「エルメスならではのエスプリやオリジナリティを、どのようにファッションとして表現しているのか、どんな思いをもってデザインやものづくりを行っているのかを表現したいですね。そこには最上質の素材や膨大な時間とコストがあり、伝統的な手仕事のよさ、革新的なテクノロジーのよさがある。そういったプロセスを経て生まれる繊細で微妙な素材感なども、日本のお客様には共感していただけていると感じています。美しい製品が、時の流れとともにさらに美しく熟成されていく、そんなエルメスならではの価値観を、さまざまな音楽や声とともに伝えたい。家族や友人同士で意見交換をしていただけるような知識や体験を提供し、私自身とエルメスの世界観をより深く理解していただきたいのです」
踊る従者とラジオエルメスのロゴ。輝くネオンサインがこのイベントの楽しさや斬新さを物語るかのよう。
1988年にエルメスのメンズのプレタポルテのディレクターに就任し、既に30年以上。その旺盛な好��心と飽くなき探究心、エネルギッシュな情熱は、衰えるどころかさらに輝きを増しているようです。
「自由であること、そして情熱的であることがなにより大事。エルメスというメゾンではクオリティにおいてもデザインにおいても、完璧である必要があります。一流のダンサーやバレリーナのようなもので、練習では細部に至るまでこだわり抜き、地道な練習を必死の思いで繰り返す必要があるけれど、いざ本番となったら動きはとても自然で美しく、シンプルで軽やか。完成されているのに、その裏側にある苦労は感じさせませんよね。最終的に、目に見えるものが軽やかで美しい。そのためにできることは、すべてやるということです。私はこの仕事が大好きなんです。人生をかけて取り組む価値のある仕事で、大切なのは、どんな結果を成していくか。毎日ワクワクするような仕事に取り組める、こんな素敵なことはありませんね」
「ラジオエルメス」の会期は9月29日まで。特設サイトで番組を楽しみつつ、機会があればぜひポップアップ・ラジオステーションに足を運んでみてください。
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遠近法の次は魚眼レンズ

24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。 むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の���民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。 それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。 帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。 樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。 だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。 ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。 それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。 しかし、地球はまだまだ広い。 就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。 無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行��ないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。 何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。 無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。 様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。 自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。 しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。 きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。 達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。 私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。 さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。 だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。 世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。 そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。 15万人が入るというスタジアムに案内された。 東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に��手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。 初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。 だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。 演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。 あなたがいなければ私たちもなく あなたがいなければ古里もない 金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳! そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。 むごたらしいまでの完成度の高さ。 虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう! 金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。 色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。 だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は���国でもなかった。 たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。 かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。 しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。 今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。 それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都��開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。 忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。 ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。 警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。 私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。 そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか? 尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。 出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいる���いうこと、他を知らずに。 しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。 だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。 めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。 姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、���史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。 恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。 根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。 マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。 小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。 その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。 それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。 だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。 その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。 象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。 人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。 理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。 アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。 自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。 相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。 彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか? 派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。 しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月

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フールナイト:ディストピアの装飾文様

青々と茂る草木に色とりどりのかぐわしい花々。それらは生命維持に必要な酸素を供給してくれるだけでなく、その姿形によって私たちの目を楽しませてくれる。冬になると葉を落とし春になると芽吹くサイクルは、主に生命の賛歌としてさまざまな形で表現されてきた。
安田佳澄による漫画作品『フールナイト』に登場する植物はそれらとは性格を異にする。舞台は24世紀。厚い雲が地球を覆うようになって100年が経ち、ほとんどの植物が死に絶えた世界で、人間は自らを植物に「転花」させて酸素をまかなう究極の自給自足を強いられている。転花に志願した者は、対価として国から支給される大金で人としての短い余生を好きに過ごすことができる。当然、志願者は余命いくばくもない者や貧困にあえぐ者だ。
主人公は神谷トーシローという若者で、病の母を抱えギリギリの生活を送る彼は、失職を機に転花の意志を固める。その処置を請け負う「転花院」で出会ったのは幼なじみの蓬莱ヨミコである。ヨミコはそこの職員となって人々を転花させることを生業としていた。仲良しのふたりの関係は、持たざる者が持てる者に命を差し出す残酷な社会を縮図している。
手術を終えたトーシローはなぜか、人が転花した植物=霊花の声を聞き取れるようになっていた。この特殊能力のおかげで転花院の職にありつけはしたものの、大小さまざまなトラブルにも巻き込まれていく。トーシローをはじめ、登場人物たちの周りには常に植物が生い茂っている。
作品の設定世界における植物は元人間なのだから、まともな神経の持ち主なら草花を無邪気に愛でることはできないだろう。では、それらをかたどった柄や文様ならばどうだろう。純粋な装飾として楽しめるものだろうか。実際、この物語には文様や装飾がたびたび登場する。そのほとんどは話の筋と無関係だが背景の一部として片付けるにはあまりにも強い存在感を備えている。それらについてああだこうだ類推するのがこのテキストである。
『フールナイト』の大きな魅力のひとつが手描き表現の緻密なディテールであることは間違いない。だから装飾文様もそのひとつだと言ってしまえばそれまでだが、装飾好きの筆者としては強引な見方になるのを承知で本作における装飾や文様の意味を深読みしてみたい。
たとえば主人公たちが勤める転花院や食堂、個人宅などの場面には、床のタイルや壁のパターンとして幾何学やアラベスク調の模様が幾度となく出てくる(インテリア全体がしゃれており、建築やデザインに対する作者の偏愛や趣味がうかがえる)。手描きによる緻密な描写もあいまって、それらの装飾はそれ自体で魅力的だ。
だが登場人物がこれらの凝った装飾を気にかける様子はない。当たり前といえば当たり前だ。その世界の住人にとっては日々目にする光景に過ぎず、見慣れてしまえば何の感情も湧き起らなくなる。同時に、読者の目を引くに足る装飾に囲まれながらそれらに対してまるで無関心なその姿は、彼らが生きる現実がいかに厳しく殺伐としたものであるかを表しているようにも見える。
同時に、多くの装飾は元をたどれば植物をはじめとする自然界の造形が抽象化されたものであることを思うと、人の手によって人工物の形に押し込められた自然が、装飾の姿をとって四方八方から人間を取り囲み、じわじわと追い詰めているように見えなくもない。
純粋な鑑賞対象としての装飾もひとつだけ登場する。第5巻収録の「ジオメトリック金魚」である。ジオメトリック金魚は体表に幾何学模様が浮き出るようゲノム編集された金魚で、この回ではメインキャラのひとりである八束アキラが新種のマラケシュ柄に執心する様子が描かれている。
エリートで口が悪く、感性の鋭いアキラは、ロゼッタ柄のネクタイがトレードマークのおしゃれな青年だ。毎日を生きるのでやっとのトーシローには理解したくとも理解できない「心の豊かさ」を地で行くのがアキラである。つまり彼は、装飾を愛でる余裕のある環境で育つことができた一握りの人間なのだ。装飾に対する彼の態度はそのまま、トーシローとの格差を物語っている。
こと金魚について言えば、私たちが目にする鑑賞用の金魚だって品種改良の賜物なのだから現代だってやっていることに大差はない。だが、未来のディストピアにおけるジオメトリック金魚の風流は、現代のそれとはきっと違う。アキラは夏を感じたいから金魚を愛でるというが、四季が失われた世界では季節感ですら過去の遺物である。だとすると、未来の風流はノスタルジーや憧れ交じりのせつなさを帯びたものとして想像できる。
トーシローは霊花に耳を傾ける時、うんと意識を集中させる。とりわけ真剣な時の彼は、頭がうずまき管になった姿で描かれている。そのトーシローによって聞き取られる霊花の代表格が連続殺人鬼であるアイヴィーで、全身がとぐろ状のツル性植物(カギカズラ)でできている。つまりうずまき管とらせん状の植物という違いはあれど、トーシローもアイヴィーも渦巻の造形として表現されている。
水流や銀河の構造、草木など自然界のそこここに見つけることのできる渦巻き模様は、もっとも古い装飾のひとつといわれる。そして装飾とは、無秩序な世界を秩序立てて理解するための手立てだ。理解しようと耳を傾ける者、理解されるものとして傾聴される者、ふたりが初源の装飾の形をしていることは必然の一致のように思われてならない、と言ったらさすがに大袈裟すぎるだろうか。
最後に、筆者の専門分野である装身具について触れておく。とはいえ、本作には装身具の類はほとんど出てこない。ファッションにうるさそうなアキラも光りモノには興味がないらしい。そのほかのメインキャラも似たりよったりで、ピアノコンサートに行くヨミコが花のコサージュをつけている場面があるものの、これはドレスアップの記号にすぎず特別な意味があるようには見えない。
いつも決まってジュエリーをつけているのは、アキラの叔母で警部の八束ミネで、正三角形のメタルプレートをいつも耳から下げている。その描き方が独特で面白い。留め具や金具が省かれており耳下で宙に浮いている。現実世界ではありえないこのミステリアスな浮遊感は、二次元ならではジュエリーの表徴といえよう(まったくの余談だが、この思い切った省略表現は、くるぶしから下をまるまる省略したジュリアン・オピーの人物画を思い起こさせた)。
またこの三角形は常に「面」で描かれており、側面である断面が見えることはない。立体物を面に服従させるというこのテクニックは、平面作品においてありがちといえばありがちな手法ではあるものの、この作者の手にかかると二次元的な装飾への偏愛にも見えてくるから不思議である。
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松岡英明ツイキャスプレミア配信《The One SP Online Edition #04》初回配信:2021年2月28日(日)20時start
現在、松BOWの配信ライブは 3つのシリーズが存在する。 以下 タイトル→解説( 松BOWのツイートより)→ ( )個人的な感想
1《The One 2nd Season》 解説:生ライブではないものの イメージとしては最新の 『The One』のステージ ( 『最新』のガチ『松岡英明の音の世界』を 堪能できる。 凝ったセットリストも楽しみ♪)
2《音楽でおうち時間をハッピーに♡》 解説:過去のライブ映像 (どれもリアルタイムで参加できていないので、 参加されたファンの方や 松BOW、バンドの方々と配信で 追体験できるのがうれしい。 ツイキャスコメントで、 ステージに関する話、裏話も楽しみ♪)
そして今回の配信 3《The One SP Online Edition》 解説:『The One』の魅力を 映像的により遊び心を加えた形 (個人的に一番楽しみ♪ 松BOWの音楽はもともと絵画的なのだけれど、 このシリーズでは 映像でさらに具体的に 彼の描く絵画のイメージを感じられる。 そして、松BOWの想像力、 プロデュース力、 その他彼の才能のすべてが 端々にまで発揮されていると思う。 褒め過ぎかな!? でもホントにそうなんだもん!)
ということで、 遊び心いっぱいの 《Online Edition》シリーズ第4回目のセットリストはこちら。

おなじみとなったオープニング曲 【Scene from Paradise】とともに流れる映像は 今までのOEシリーズでのさまざまな松BOW。 コメント欄ではすでに「泣きそう」との声も。 そうか、もう過去映像をダイジェストで流せるくらい 回を重ねたのだ。 昨年の3月に初めてオンラインライブを開催して はや一年がたったのだなと、 この一年にふと思いを馳せた。 会場の錦糸町rebirthさんのステージに映像が切り替わると、 カウントダウン。 《The One》の松BOWの声にかかった深いリバーブが 壮大な映画のオープニングのよう。
【01 Fantasy】が1曲目ということに コメント欄は驚きの声。 意外な1曲目! 冒頭は映画で観た近未来的な (《ターミネーター》とか《マトリックス》とか) データのような文字や数字の羅列が映し出されたと思ったら、 画面の隅に『REC』の文字。 カメラの画面をそのまま使っている?? 映し出された松BOWは ステージではないところにいる。 画面はモノクロ(ちょっとセピア色っぽかった) (もともとカメラについている モノクロエフェクトをそのまま使ったそう:松BOWコメント解説より ちなみにカメラマン、そして映像編集は 今回も『神保町昭和歌謡倶楽部』のディレクター 藤沼さん。) 松BOWの衣装は 黒のTシャツにジーンズ(多分)。 シルバーのロザリオ。
登場は楽屋からフロアに向かったそう。 毎回意表を突かれる。
そして、たびたび映される 松BOWの顔のどアップ! 近い近い近い! (ありがたい!(笑))
カメラの動きもアクティブで、 画面に釘づけ。 が、ちゃんと耳にも 音の進化は届く。 ベース、ピアノ…… 回を重ねるごとの進化。 それだけで単純にうれしい。
それにしてもロックだ。 タイトル【Fantasy】から想像するものとは 違った第一印象を思い出す。 今回の【Fantasy】も 熱のこもったボーカルでめっちゃロックだった。
【02 Heaven`s Underwear】 イントロ、黄色の淡い光が漂い 時々挟まれるサイケデリックな模様。 間奏では、 煙のような、 渦巻く水面に絵の具を流し込んだような なんともセクシーで気だるい雰囲気の効果も。 藤沼さんコメントによると、 曲に合わせてのエフェクトを施すのに 苦心した、とのこと。 素晴らしかったです!(拍手)
この曲は、 エロティックな表現に どきりとさせられるが、 『真実』を隠す underwear(下着)、 決して脱がない underwearだから、 悩ましく美しいのかなと、 哲学的な思考に促される 楽曲でもあるなと思う。
【03 泣かないで】 イントロと間奏で 松BOWからキラキラした粒子が放たれたような映像に 素敵!と感激。 すると、藤沼さんから OEシリーズ第1回目で、 ラストに松BOWが魔法をかけたシーン (キラキラをその手から息を吹きかけ飛ばした) にインスパイアされたとのこと。 なんですかその素敵なエピソード! この曲を聴くと Eath, Wind & Fireのとある曲を思い出すのは 私だけだろうか。 ダンスナンバーだけれど、 ちょっぴり切ない。 こんな素敵な曲で 『泣かないで』なんて歌われたら そりゃ笑顔になるしかない。
ここで [インタビュー1] ・配信ライブを始めて感じたこと
松BOW:配信を始めてみて 面白みが見えてきたっていうか、 今まで想像もしてみなかった 面白さが見つかり始めて。 心が動く時に、興奮したりとか 感動したりすると思うんですけど、 配信でも心が動くかどうかが 鍵だと思っていて 心が動いてくれるような 何かをお届けできたら良いなと思っています。
この時、バックには【Kiss Kiss】が流れていたのだけれど、 聴いたことのないアレンジだった。 それについて何人かのコメントが 書き込まれると シングル【Kiss Kiss】のカップリング曲 【One More Kiss】との松BOWのコメント。 ご本人直々にお答え頂けるって すんごい贅沢。 (とても愛らしいアレンジ(バージョン?)だったので 持っていなかった【Kiss Kiss】のシングルを 探して早速手に入れました。 オルガンの音があったかくて愛らしい。 タイトルに(MIX without lips)とあるのも素敵。)
【04 シェリーと夏と僕】 場面変わって、 ソファに座りヘッドフォンをした松BOW。 やさしい笑顔。 ヴェールがかかったような 柔らかな映像。 (コメント欄にて、『ソフトフォーカス』との書き込み。 なるほど。ソフトフォーカスというのね。 ファンの方のコメントで知ることも多い、 有意義な視聴会。) 衣装は白シャツ、ネクタイに 襟もとにラインの入った ネイビーのVネックニット。 パンツはモノトーンチェック。 『おうちでライブ』的な衣装素敵♪ それにしても、距離が近い。 近すぎる!! 近すぎて曲が耳に入ってこない!!! (何の曲かはわかっているけれど(笑)) と、思ったら、別角度からの撮影に切り替わり、 スマホ(iPhon)で自撮りしている松BOWが映し出された。 道理で近いはずだ。 (種明かし映像も画期的。ちょっと笑ってしまった。) 引きの映像で、 自宅の部屋風セットとわかる。 赤いソファ、黄色や赤、 薄い水色のクッション。 テーブルの上には パソコン、機材。 そしてマグカップは 壁の色と同じ薄いブルー。 色合いも工夫されたそう。 そして、ここで松BOWから 『僕の秘密兵器は何でしょう』との問い。 ???と考えていると、 松BOWの後方の カーテンに飾り付けられている 『電飾』とのこと! ライブ前に、 Amszonで何か買い物をしたことを ツイートしていた。 これなのね! とても良いアクセントになっている! 本当に隅々まで考えられているのだなと 感動した。 ともかくそれは、 『自宅にお呼ばれされてのプライベートライブ』のようで ドキドキを楽しんだ。 配信ライブならではの映像、楽しい! が、まだまだ感動は用意されていた。 間奏で 空の映像が挟まれる! 空に流れる光る雲、 大木のシルエットなど、 曲にマッチした映像。 切なさがいっそう沁みる。 松BOWが何も伝えないのに、 藤沼さんが ご自分で用意された映像とのこと。 松BOWのイメージ通りだそうで、 さすが楽曲の事を よくご存知なのだろうなと思う。 冬に聴く【シェリーと夏と僕】 乙だった。
短いギターとドラムのイントロからの 【05 Let Me Alone】もコメントが欄わいた。 人気の曲。 私も大好き! 滑らかなフレットレスベースが印象的。 いつもより少し早いテンポかなと感じた。
すべて松BOWによる打ち込みだそうで、 特にギターもベースも生音にしか聴こえてこず。 さすがだった。
【06 ヒカリの花】 衣装チェンジ。 白いフリルたっぷりブラウスに ネイビーのベルベットジャケット。 こちらもすべてイチから打ち込んだそう。 画面では、色とりどりの花々が 次々に咲く映像。 ボーカルにも一段と磨きがかかって。 まっすぐに伸びる歌声が まっすぐに胸に届く。
[インタビュー2] (バックにかかっていたのは【Emerald Tablet】) ・配信ライブという新しい音楽の楽しみ方 松BOW:僕自身が何か新しいものを見つけ出したいと チャレンジしていることなんですけど、 そのことを見る側の人たちも 実践してくれている感じで 配信って、こんな楽しみ方もあるんだっていうのを 僕も味わっている気がするし、 それが背中を押してくれているんだと思うんですよね。 なのできっと、みんなが楽しんでくれていることがなければ 自分も続けていこうっていう気持ちになれなかったと思うので、 皆さんが楽しんでくれていることが 配信を続けていくことに繋がっていると思いますし、 これからもみんなと一緒に 新しい音楽の楽しみ方を 見つけられたら良いなと思います。 是非皆さんも楽しんでください。
【07 Cute Girl】 場面変わってrebirthさんのステージ。 キャスケットがまず可愛いしお似合い。 白シャツにネクタイ、 ジャケットはジップアップ。 タイトなパンツに厚底シューズ。 (脳裏に浮かんだ『London Boy』という言葉。 ロンドンが似合う、誰よりキュートな松BOW♪) この曲は、おもちゃ箱みたいに 色んなカワイイ音がするのが楽しい。 鐘、トイピアノ、カウベル(?) chu !の音まで! シンセの音もキラキラでワクワク感満載! そしてラストには投げキス♡ 盛り上がらないワケがない!
【08 Catch】 曲が始まったとたん、 画面には送られた花火やクラッカーなど、 アイテムが賑やかに映し出される。 アガる! 間奏部分では、 舞台狭しと走り回る松BOWが可愛い。 と、アンプの陰に 隠れる松BOW。 かくれんぼ!? 追うカメラ。 見つかった! …までの仕草、その表情。 まるで少年のよう。 (何度も見返した。アーカイブに感謝。) 【09 Study After School】 奈良部氏が、当時最先端のハウスを取り入れた アレンジで、人気のヴァージョン。 やっぱりカッコ良い。 松BOWによると、ハウスでも ヨーロッパ寄りのアレンジだそう。 そして、【07 Cute Girl】からここまでの 3曲は、アルバム《Kiss Kiss》と同じ曲順と、 松BOWコメント。 ホントだ! だからなんだか既視感あったのか!
【10 恋はあせらず】 松BOWMC:ありがとうございました! 楽しめましたか? 最後はこの曲で盛り上がって下さいねー! え!もうラスト? 時間が経つのが早過ぎる! やだやだやだーーー!!!!とコメントしつつ 盛り上がらなきゃね! 藤沼さんの秘密兵器、 ドローンを使ったカメラアングルが 松BOWのパフォーマンスと相まって 躍動感増し増し! 恋のようなドキドキ感さらに煽られた。
終了後、松BOWからのメッセージ。 (バックには【Light and Colour】が流れ、 スタッフロールが映し出されていた。) 『なかなかまだ生のライブが 再開できないのもちょっと寂しいし、 皆さんもおうち時間が長引いていて ストレスもたまっているかもしれませんが、 こんな感じで僕らなりの楽しい配信を これからもお届けしようと思っていますので、 是非、次回も楽しみにしていて下さい。 またお会いしましょう。 今日はどうもありがとうございました♪ またねー』 手を振る松BOW。 (両手で手を振る様子が超可愛い。いちいち可愛い。 いちいちキュンキュンするこちらの身にもなって欲しい(笑)) と、ちらり目線を手元に落とし 何やら操作。 カメラが回っているのに何を?と思っているうちに 鳴り出すイントロ。
わお! アンコールだ!!! 【11 Dual Personality】!!!! 大好きな曲にテンション爆アガリ!! 終わったと見せかけてからのアンコール。 (曲をスタートさせるのに、 iPhoneで操作したそう。) 来るかな?と内心期待はしていたけれど、 やっぱりうれしい!! (【Dual Personality】のPVも何度も観たなぁ。 白シャツ松BOWは個人的ツボ) アイテムの花火、クラッカー、 松爆(本来『お茶爆』。松BOWデザインなので『松爆』)などが 画面に次々に送られ賑やか華やか! 生の声援や拍手を届けられない分、 こういうアイテムで盛り上げられるの ホント良きアイデアだと思う。 カメラも松BOWに負けずアクティブな動き。 楽しい!
フロアから、楽屋、そしてステージへと 移動しながら歌う松BOWを追うカメラ。 オープニングの黒いTシャツ姿と、 先ほどのキャスケットの ロンドンボーイが交互に映し出されるのも楽しい。 何より楽しそうな松BOWの笑顔が うれしくて、最高にハッピー!!
今回も アレンジ、ボーカル、パフォーマンス、演出、 映像、そして、全体的な音。 細部にまでこだわった、素晴らしいライブ配信だった。 映像が加わった『松岡英明の音の世界』 素敵だった。 次回のOnline Editionシリーズも楽しみ!

今回の配信がきっかけとなって 購入した【Kiss Kiss】の8cmシングル。 (8cmシングル懐かしい!) 松BOWの楽曲に限らず 今までシングルは買わないできたので、 ほとんど持っていなかったシングル。 カップリング曲は、 アルバム未収録で 素敵な曲もたくさん。 【One More Kiss】もそのうちの1曲だった。 これからも、手に入るものは探してみよう。
それにしても、 松BOWって、 CDジャケットにしても、 雑誌のグラビアページにしても、 本当にアーティスティックでため息が出る。
色んな素敵要素が詰まった 『松岡英明の音の世界』 もっともっと深く知りたいし 追いつけないほど進化していく様子も 楽しみにしている。

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ー自殺紳士 Vol.11 要らない人ー
私はいつの間にか白色の錠剤が入った瓶を取り出していた
頭がぼーっとしている 世界がぎゅーっと押し寄せてくるようだ
息苦しい 苦しい 苦しい 誰か助けてほしい
でも…
私は私に助けが来ないことを知っていた 私が一番知っていた
アパートの一室 誰もいない 誰もいたことがない
あゝ 胸が苦しい
早くこの苦しさをなんとかしたい この苦しさを消してほしい
私は瓶から錠剤を3〜4粒取り出して口に放り込んだ
苦しさは変わらなかった 吐き気がする 内臓を全て吐き出したい 心を胸からえぐり出し 虚空に投げつけてしまいたい
早く早く早く・・・
私は次々と錠剤を口に入れた それは小さな子がぼんやりと ただ自動的にラムネを口に運んでいるようだった
指先がしびれてくる 薬がきいてきたのかもしれない これで少しは楽になるだろうか
一瞬 ーもう目が覚めないかもしれない ー死んでしまうかもしれない という思いが過ぎったが それはそれで喜ばしいことだった
だって、 ワタシは要らない人だったから
ふらりふらりと頭が揺れて ああ、これで・・・ そう思ったとき アパートの扉が激しくノックされた
「ちょっと、誰かいませんか!?」
誰かがワタシを呼んでいる・・・?
私はフラフラと扉に近づき、鍵を開けた 私が扉を開けるより前に 扉が開いた
そこには知らない男性が立っていた
黒い服 黒に近い濃紺のネクタイ 年齢は20代前半くらいだろうか
誰?
そう思った途端、私の意識は深い暗闇に吸い込まれた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここはどこ?
薄っすらと目を開いた私は 見知らぬ天井を見ていた
白い天井 格子のような模様
カーテンが見えた
次にわかったのは、私が寝ているのが 硬いベッドの上ということだった シーツもゴワゴワとしている
それで、ここが自分の家ではないことに気がついた
誰もいない・・・ それは私にとってはとても親密な感覚だった
家に帰っても、誰もいない 職場にいても、誰も私に話しかけない
職場では「事務員さん」 街では「お客さん」
私は話をするけど ワタシは話をしていなかった
私は誰かと関わっているけど 誰もワタシを必要としていなかった
そうだよ、だって・・・ もう何百回も思い出される言葉 小さい頃 何歳の頃かは覚えていないけど ワタシは母からこう言われた
ーアナタなんて産まなきゃよかった ーいらない子だ
別に涙も出ない 悲しくもない
ただ、そのとおりだと 本当にそのとおりだったと思うだけだった
それは、空っぽのようで 寒々しい気持ちにワタシをさせた
「あの・・・」 突然男の人の声がした
え?
ワタシはベッドの脇に男の人が座っているのを見つけた 今まで誰もいなかった?
いや、居たのだろう ワタシが気づかなかったのだった
黒い服、かろうじて黒ではない濃紺のネクタイ 晩夏とは言え、まだ暑い盛りだというのに まるで葬儀屋のような姿の男性は ワタシのことを心配そうに見つめていた
「あなたが私を助けてくれたの?」 「病院に連絡しただけです。助けてくれたのはお医者様です」 「どうして私の部屋に?」
ワタシは不思議に思って尋ねた 誰も、私の部屋に用事なんてあるわけ無いからだった 聞きながら、ワタシは、何か妙な期待をしている自分に気がついた
「あなたが、死のうとしていたからです」
・・・? 男性の答えはワタシが想像したどのセリフとも違うものだった
「私は死のうとなんてしていなかった。ただ、苦しいのを抑えようとしただけだった」 「どう考えたかはわかりません でも、あなたの部屋からは死の気配がしたんです」
それから男性は不思議な話をした ずっと前に自分も自殺をしたこと そのときに神様に会ったこと 神様から自殺を止めるように言われたこと でも、何人の人の自殺を止めればいいかを思い出せないこと だから、死にたい人がいるのがわかる、ということ
信じられない話だったが それでもワタシは信じていた
たしかにワタシは死のうとはしていなかった でも生きようともしていなかったのだ
男性がワタシの自殺を止めるのが遅れたのは ワタシが直前まで死のうとしたわけではないかららしい 錠剤を飲みながら 「生きていなくてもいい」 そう思ったときに 男性に死の気配が伝わったのだった
「遅くなってすみません」 男性は頭を下げた
「いいの」 ワタシはコロンと寝返りをうち 男性に背を向けた
この人は誰で なんでこうしているかわからないけど
役割ではないワタシを見ている人だと思えた
ワタシはそういう人とどう話していいかわからなかった
「2〜3日で退院できるそうです」 男性は言い添えた
ワタシはずっと壁を見つめていたが、 男性は出ていこうとはしていなかった
1時間近く経っても 男性はそこに居た
「ワタシ・・・要らない人なんです」
ワタシは話をしていた 壁を向きながら 人に話をしていた
長い間胸の中にしまわれていて もう腐りかけていた想いだった
触れられない髪 求められない身体 聴かれない歌 知られない想い
今、ワタシがなくなっても 世界は何食わぬ顔で回り続けるとしたら ワタシは、ワタシは 何処にいればいいのだろう?
それでも、誰かが必要としてくれたら 誰かがワタシと手を繋いでくれれば
生きていかれると思えるのに ワタシの手は誰ともつながっていなかった
男性はワタシの言葉を聴いていた ワタシは話し続けた いつしか頬に涙が伝っていた ワタシは嗚咽し 腐った内臓と 昏い心をえぐり出すように話した
あまりにも静かに男性は聴き続けた ワタシはほんの出来心で 尋ねてしまった
「この世に、要らない人はいると思いますか?」
それは、ワタシの心の真ん中にある問だった ずっとそればかり考えていた そして、私は答えを知っていた
きっと、男性は答えに窮してしまうだろう そう思った ーいる と答えれば私を傷つける ーいないと答えれば嘘つきだと言われる ーどちらでもないと言えば逃げになる
だって、私は答えを知っているのだから
「そんなの・・・」 ワタシが話し始めて 男性は初めて口を開いた
「そんなの、いないに決まってるじゃないですか」
・・・ あまりにも当然のように言い切った男性に ワタシは気勢をそがれてしまった
なんで少しも考えもしないの? なんで、そんなに言い切れるの? なんで、ワタシが必要だと言い切れるの? 何も知らないくせに!
ワタシは猛然と腹を立てた
言い返さなきゃ と思って振り返って 男性の目を見て驚いた
男性は泣いていた
「当たり前じゃないですか 誰が要らない人だって言うんですか」
ワタシは男性が嘘をついていることがわかった 男性は、ワタシを傷つけまいとして 今、自分が持っている精一杯の言葉を使ったのだった それは何にも工夫されていない言葉だった
あゝ そうか この世に要らない人が居ないとか居るとか ワタシの心にある問いは そんなのではなかったのだ
誰かに「あなたが必要だ」って ただそう言ってほしかった ただ気持ちを込めて 居てほしいと叫んでほしかったんだ
ワタシはそっと目を閉じた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 数日後、ワタシは退院した 自殺未遂をしたらしい
親族に連絡が行き、 ワタシは会社を1ヶ月ほど休むことになった
休んでいる間、 わたしは色んな所に行った 映画を見た 美術館に行った 前にCMで見た、瀬戸内海の島にも行ってみた 趣味のサークルがあったので、参加してみた ダイビングのワークショップ 陶芸教室
そこで、人にあった 人と話をして また来ますと そう言った
別にわたしはいらない人ではないとは思えていない でも、「わたしは必要な人なのか?」 と思うたびに、ふと
思い出しそうになる事がある それは涙だった 言葉もなく ただわたしを見つめる目と涙
ただ、温かかった
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ブリュールさん出演の未日本語化作品観賞マラソンまとめ
ブリュールさん出演で日本語化されてない作品を色々見たので短い感想をまとめてみました。音声言語/字幕については、私が見た版でのものです。

Sturmzeit(1999) ドイツ語/字幕無し シリアス★★★ 生意気★★★ 細い★★★ 登場時間 10~15分程度 全5部構成の第4部に登場します。学生運動に身を投じる青年の役なので、ドイツの1968年の学生運動についてざっくり頭に入れておくと話が理解しやすいのかも。この時期のドイツのトレンドなのか、もみあげがすごい。

Deeply(2000) 英語/英語字幕 切ない★★★ 永遠の恋人感★★★ 登場時間 数分程度 台詞無し、ヒロインの回想のみ登場。「ラヴェンダーの咲く庭で」の前にもヴァイオリニスト役をやっていたことを知れたのはぶりゅーるオタク的には嬉しい発見でしたがオタク以外はあえて見なくてもいいと思う。ヒロインとブリュールさん演じるジェイを、「ラヴェンダーの咲く庭で」のアーシュラとアンドレアが現代に転生した姿だと思ってみると死ぬほど鬱になれる。

Schule(2000) ドイツ語/ドイツ語字幕 青春★★★ 少女漫画感★★★ ジャケット画像を見て、てっきり脇役かと思ったら主役だったのでうれしかった。アビトゥーアを3週間後に控えた主人公たちの青春模様を描いた学園ラブコメ。学園ラブコメですよ!ダニエル・ブリュールが!学園ラブコメに!出演!!その後の作品選びを見るとかなり珍しいタイプの出演作になるのでそれだけでも貴重で見てて楽しい。この作品によってドイツでは「ブリュール旋風」が巻き起こったと日本でよく紹介されてるけど真偽は不明。でも、そういう現象が起きたとしても不思議ではないかっこよさではあった。ラストは完全に少女漫画でときめきすぎてもだえた。

Das weiße Rauschen(2001)
ドイツ語/英語字幕 シリアス★★★ 憂鬱★★★ 全裸★★★ ディスク開けて中に入ってるリーフレット見たらいきなり全裸の写真掲載でびっくりしたやつ。田舎から出て来たばかりのおのぼりさんな感じが可愛いなあと微笑ましく見守っていたら、次第に精神の失調からひどい言動をするようになっていってつらかった。統合失調症による幻聴の渦に視聴者も一緒に叩き込まれるので、メンタルの調子によっては見るのを避けた方がいいと思う。やさしい人たちが伸ばした手を、一度は掴みながらもすぐに自分でふりほどいてめちゃくちゃにしてしまうのが見ていてつらい。お薬はちゃんと飲もう。

Nichts bereuen(2001) ドイツ語/英語&ドイツ語字幕 青春★★ 黒歴史感★★★ パンイチダッシュ★★★ タイトルは英語だと No Regretなんですけど、まじ?後悔しないの?メンタル強すぎでは??ってなるぐらいはたから見たら黒歴史量産してる主人公だった。教会でのセルフ緊縛やパンツ一丁で夜の街を疾走するなど、なかなかパンチ力のある青春を送ってる。上目遣いで可愛い顔をして年上の恋人に甘えるシーンでは、恋人役の「自分の魅力わかってやってるでしょ?」って台詞に完全に気持ちがシンクロした。第四の壁を越えて視聴者に主人公が話しかけてくる構成なので、ブリュールさんがこっちを見つめて話しかけてくる度に心臓に衝撃をくらいました。

Elefantenherz(2002) ドイツ語/字幕無し シリアス★★★ 筋力★★ 全裸★★★ ブリュールさんがボクサー役ってだけで面白すぎる。「筋力には興味がない」と公言しているブリュールさんがおそらく人生で唯一身体を鍛えて撮影した作品。 他作品の映像特典でやたらカメラを殴りに来るブリュールさんが見られたり、自宅に自分用のサンドバッグ持ってるのはこの作品でボクサー役やった影響…?

Vaya con Dios(2002)
ドイツ語/字幕無し コメディ★★★ うぶな美少年★★★ 脱衣★★★ 世間から隔絶された山奥で育ったために現代文明にうとく女性に対してもうぶな、天使の歌声を持つ美少年修道士の役。ダニエル・ブリュール史上でも一、二を争う設定の盛り具合。とにかく可愛いので、会う人会う人が世話を焼いてくれる。一緒に山を下りた修道士たちとの珍道中も面白い。お風呂に浸かってるシーンでの肌のもちもちつるつる具合が赤ちゃんすぎる。

Cargo(2006) 英語/字幕無し 生意気★★★ 痛い目に遭う度★★★ 謎脱衣★★★ EscapeはUS版タイトル。やむをえず密航することになった主人公が乗り込んだ船では不可解な出来事が続いていて……というミステリ/スリラー映画のはずだけど、割と色々なことが投げっぱなしで終わるので「???」ってなった。はじめはふてぶてしい感じの主人公が、海の荒くれものたちに「可愛がられて」あんな目やこんな目に遭う様子に、作り手のフェチ心を感じた。もはやブリュールさんが脱ぐのは珍しくもなんともないけど、顔の傷の治療のためにTシャツを脱ぐ謎の脱衣シーンにはさすがに「なんでだよ」と突っ込まざるを得ず印象に残った。

Ein Freund von mir(2006) ドイツ語/ドイツ語字幕 切ない★★ スペイン語口説き文句★★★ 全裸★★★ 上司の指示で、身元を隠してレンタルカー会社に勤めることになった主人公が、そこで出会った風変りな同僚に振り回されながらも友人になっていく……というあらすじからコメディかと思ったらかなり切ない話だった。個人的には「ラヴェンダーの咲く庭で」と同じくらい見たあとに鬱な気持ちになるものがあった。台詞を全部訳しながら見たわけではないので、内容をもっと理解したら印象が変わるかも。内向的な主人公がスペイン語になった途端、すごい口説き文句を発するシーンにはやられた。全裸ドライブや全裸ダッシュなど、今日も元気に脱いでます。

Lila, Lila(2009) ドイツ語/英語字幕 コメディ★★ 可愛い→セクシー★★★ 全裸★★ 日本語化されていない作品で薦めるとしたら真っ先にこれを挙げたい。ウェイターのダビットは片思い相手のマリーの気を引くため、偶然手に入れた小説原稿を自分が書いたと偽って見せるところから始まるドタバタコメディ。小説の作者だと主張するジャッキーにダビットが振り回され、マリーとジャッキーがダビットを取り合うまさかの三角関係になるところは笑ってしまった。とにかくあか抜けないぼやっとした青年として登場したダビットが、作品内の出来事を通して大人の男に成長する姿を見られるのが良い。ジャッキーおじさんに無理やり「あーん」で食事を食べさせられるシーンがあったり、恋人のマリーにぐずぐず泣きついて甘えたりするシーンがあったり、見どころたくさん。

Dinosaurier(2009)
ドイツ語/ドイツ語字幕 コメディ★★★ 金髪巻き毛★★★ 悪い笑顔★★★ いけ好かないやり手銀行員役。メインは老人ホームの老人たちで、ブリュールさんはその老人たちに対しての悪役なので出番はすごく多いわけではないけど、金髪巻き毛といい、性格悪そうな笑顔といい、あまり他作品では見ることのできない姿が楽しめてよかった。お化け柄のネクタイ可愛すぎ。

Die kommenden Tage(2010) ドイツ語/英語&ドイツ語字幕 シリアス★★★ 眼鏡★★★ 近未来ディストピアストーリーなので話はとても重い。2010年製作ですが、今見るのにちょうどぴったりの内容でないかとも思う。とにかく眼鏡。眼鏡ブリュールがあまりに好みすぎて死んだ。眼鏡ブリュール好きには致死量レベルで眼鏡ブリュールが投与されるので気を付けろ。ちょっとおっとりした話し方と併せてとてもかわいい。ややあか抜けない印象の眼鏡姿から眼鏡を外すと急にハンサムになったり、髭もじゃもじゃでくまさん化したり、髭剃った途端童顔っぷりを露わにしたり様々な魅力をこの一作で味わえる贅沢さ。「青い棘」「イングロリアス・バスターズ」に続いてアウグストとは三作目の共演ですが今作内ではあまり絡みがなくて残念。
#Sturmzeit#Deeply#Schule#Das weiße Rauschen#Nichts bereuen#Elefantenherz#Vaya con Dios#Cargo#Ein Freund von mir#Lila Lila#Dinosaurier#Die kommenden Tage
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◇Maurice(モーリス)◇ネクタイが入荷しました。 定価:9,900円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/KENTPT240601001L3-4/ 素材:シルク100% カラー:ネイビー×マルチカラー サイズ:長さ約145cm、剣先幅約8cm (平置きの状態で測っています。) ストーン柄に古代エジプトの壁画をモチーフを組み合わせたネクタイ。 非常に珍しい柄です。 イタリア製シルク生地を使用しています。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ⠀⠀// 🗣 いいね・保存・コメント大歓迎!ご来店お待ちしております! \\ ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】7月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I
【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs
【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg
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夢売り
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、
ありとあらゆる鍵があり、ありとあらゆる扉あり、
ありとあらゆる持ち主が、ありとあらゆる客招く。
どんな鍵をご所望で?どんな夢がお望みで?
なあに扉の向こうには、見知らぬ世界が待っていて、
それを夢と呼ぶのです。
おとぎ噺の夢はこちら、甘美な恋はあちらの扉。
戦場もあればペットの夢もあれば懐かしいあの人の夢もありますよ。
その店は最近そこにできたのかそれともいつも横の道を通り抜けるはずの俺の視野が狭くて気づかなかっただけなのか知らないがちょっと古い建物の並ぶ団地の一角に建っていた。何でそこに建っているんだろうと思わずにいられ���いような立地で、漆喰で固めた崖からはんぶんはみだして、そのはみでた分は崖の下からわざわざ鉄骨を組んで支えている。周りの家はほとんどがおそらく築70年とか80年とかそれ以上とかそろそろ建て替えろよ状態で、そんな日本の家屋の建ち並ぶ中にある中世ヨーロッパ風建造物はいやでも人目をひき、異彩を放っていた。この空気を読まない建物にちっとも気がつかなかった俺の注意力は大丈夫なんだろうか。
何でそこが店とわかったかと言うと白地の看板にでかでかと赤い字で「店」と書いてあったからで、何の店だかさっぱりわからないその看板に興味を引かれて近寄るとそれでもやっぱりわからなくてよーく見ると表札の所に「夢屋」とちっこい字で書いてあった。
夢屋。子供服の店だろうか。だいたいこれが店の名前とも限らない。表札に書いてあるのだから常識的に考えれば夢屋というのはこの家に住む人の名字である。
「いらっしゃいませ」
いきなり背後から声がして俺は何もやましい事はしていないのだがぎくりと硬直してしまった。恐怖を感じるのでせめて足音をたてて近づいて欲しい。
声をかけてきたのは「店員」というやたらと目立つはがきサイズの名札を付けた女の人だった。名札が無かったら「店員」とわからなかったに違いない。それらしい制服などではなく光沢のある薄緑のドレスを着ていたから。厳しかった残暑も終わり、朝晩は少々冷えるようになったこの季節にうす布の袖無しドレスで寒くないのだろうか。俺は制服の冬服移行期間になるなり夏服をクリーニングに出したというのに。
「あー…ここ何のお店なんだ?」
「夢屋です」
だから何を売ってる店なんだよ。
細い目をする俺を無視して「店員」はカツコツとハイヒールを玄関に続く石畳に左右交互におろして行った。
「どうぞ中へ」
それだけ言ってカツコツとハイヒールの音を響かせながらさっさと中に入って行く。俺はあわてて後を追って中に入った。
入って、驚いて立ち尽くした。店なのだからと陳列棚があってそこにずらりと商品が整列している様子を想像していたのだがそこは服屋でも酒屋でもなかった。壁いっぱいに、床にも天井にも、様々な大きさの、様々な形の、様々な色の、様々な扉が、ところせましと並んでいたのだ。
扉には一つ一つ「海」だの「飛翔」だのへたくそな赤い字が書きなぐられた白い紙が赤茶色に錆びたねじで打ち付けられていた。ほとんどの扉に取っ手があったがどうやって開けるのかさっぱりわからない扉もあった。
「初めてかね?」
後ろで太い声がしてぎくりとした。さっきほどではなかったけど。
振り向いてその服装のセンスに絶句した。背の低い太ったおじさんである。立派な黒ひげはこの建物の雰囲気に非常に似つかわしい。青いシルクハットというものを俺はおそらく初めて見たがなかなかフォーマルな色である。そして赤い蝶ネクタイ。シルクハットの色に合う色だ。そして黄色いシャツに濃い黄緑の燕尾服、真っ赤なズボン。健康に気をつけていらっしゃるのか紫色の腹巻きを燕尾服の上からしている。首から下は見るべきではなかったのかもしれない。「店長」という名札からしておそらくこの店を経営している人なのだろう。
「ここって何売ってるんだ?扉?」
「店長」の奇妙な服装から無理やり目をそらして気になっていた事を尋ねる。「店長」はにこにこして片手で立派な髭を撫で付けながらもう片方の手でズボンのポケットから鍵の束を引っ張り出した。束が揺れ、じゃらじゃらと金属非金属のぶつかり合う音が部屋に響く。
「夢じゃ」
「店長」はニタニタとこちらに笑いかけ、手元も見ずに束から二、三の鍵を選び出して「店員」の持ってきた木製の机に並べた。
「わしは、夢を売っておる」
言いつつ、赤い色鉛筆で何やら紙に書きなぐっていく。扉のプレートや「店員」の名札と同じ、汚い字だ。
「嬉しい夢も、腹立たしい夢も、悲しい夢も、楽しい夢も、何でもござれ。さあさあ、ひとつどうだね」
俺は右から二番目の鍵を手に取った。思ったよりも重さを感じる金属製の鍵で、クローバーを模した持ち手に緑色の石がはまっている。
「値札がついてないけど。何円?」
「税込一万九千八百円じゃ」
…高価(たけ)えよ。とても俺の所持金で買える値段じゃない。ため息をついて机に戻す。
「安価なものをお望みならどうぞ奥へ」
「店員」が淡々とまるで台本を棒読みするかのように告げると同時に「店長」が足下に落ちていたはしごをかつぎあげた。三段しかないはしごが何の役に立つのか非常に疑問だが。はしごをがしゃがしゃ鳴らしながら壁の扉の一つにどすどすと入っていく「店長」の後ろを「店員」が無表情についていく。俺はあわてて後を追いかけた。
夢を売り続けてはや三年、数人常連もいて不景気だろうが好景気だろうがおかまいなしに商売年中大繁盛のこの店はもちろんお金のない一見(いちげん)さんも大歓迎。わざわざそういう人たちのために無料貸し出しコーナーも用意してあるのだという。ただしレンタル用の夢は時間が五分から十分と短いもの、内容がいまいちのものが多いそうだ。最も高価な夢は四十八時間のオーダーメイド品。値段は恐ろしくて俺の口からは言えない。国家一つ潰しそうな値段と言えば想像つくだろうか。しかし購入者は年に数人いるのだそうだ。金くれ。
「さあさあここがレンタルエリア。種類は豊富、でも短くてちょこっと物足りないとお思いならばさあさああちらへ、お金はいりますがもっといいのを見られます」
「店員」はセリフを棒読みし、みょうちくりんな服装に似合わず「店長」はシルクハットをとって優雅に一礼してみせた。そして顔を上げるとともにさっきと違う鍵の束をさしだす。すべて似たり寄ったりの形のプラスチック製だ。
「どんな夢があるんだ?」
「それは見てのお楽しみ」
「札を見るのじゃ。それでわずかなりとも予測がつくじゃろう」
俺はところせましと扉の敷き詰められた広間を見まわしてため息をついた。どれだけ広いのだろうこの家はと思う程にたくさんの部屋と長い廊下にまだ他の部屋に続くのではないかと思われる扉がうんざりするほどあるのだ。外から見ると普通の、そんなに巨大だと言うわけでもない洋館だったはずだ。家の構造がどうなっているのか知らないが怪しい店に入ってしまったらしい事が今更遅いがわかってきた。そもそも夢を売ると言うが、睡眠時に脳が情報をごちゃまぜにして作る映像を売れるはずがない。夢は個人が見るものであって第三者がどうこうできるものではない。
でも興味があった。俺は駄目元で適当に鍵束から一つ引き抜いた。
「これにするよ。どの扉だ」
「店長」が無言で広間の端の木製の古そうな扉を指差した。近づいていって試しに鍵穴に突っ込んで回してみて回らなかった。
「夜に夢で来るといい。早寝をする事。遅刻厳禁じゃ」
夢を貸し借りできるわけが無いと決めてかかっているくせにわざわざいつもより三時間も早くベッドに潜り込んだ俺はなんだかんだ言って騙されやすい奴なのだろうか、それともただたんに週末課題をやっつけるのが面倒でさっさと寝てしまいたい気分だったのだろうか。とにかく俺は「店長」の言いつけ通り早寝をして意識が沈んだらいつの間にかあの「店」とでっかい看板を掲げた洋館の前に突っ立っていた。夢で来る、とはこういうことを言うらしい。ようこそいらっしゃいました、と丁寧に礼をする「店員」の横をどすどすと「店長」が通り抜けていく。俺はあわてて後を追って中に入り、扉の廊下を走った。
「これじゃ。どう考えて、どう行動するも自由。さあ行くのじゃ。お前さんの世界へ」
他にも客が来ていてそちらの対応に行くのだろうか、昼に見た扉の前に俺を残して「店長」はまたどすどすと他の扉へ入っていった。もはやどこもかしこも扉だらけでどこが入って来た廊下に繋がる出口やらさっぱりわからない。どうやらこの扉の中に入るしか無いようだ。昼間回してみて開く気配がなかったんだから、夜になったから、夢で来たからといって同じ扉を開けられなかった鍵で開けられるわけが無いと全く期待せずに突っ込んだ鍵はぐるりとまわった。少々勢い余ってそのまま扉は開いた。真っ暗だ。でもかすかに、草のにおいがする。
開いた扉の先に、吸い込まれるように足を踏み入れた。ゆったりした風がさあっと通り過ぎてさわさわと音がした。一面の雑草がまるで水面のように波打つ。どこかでちろちろこぽこぽと水の流れる音がする。小川があるのかもしれない。
揺れる草の間に埋もれるように小川がきらきら一部分だけ光らせていて、そのほとりに人がいた。無地の白い半袖シャツ、茶色の長ズボン。髪が中途半端に長いがたぶん男。同い年かもしれない。時折吹く風にシャツやズボンや髪をはためかせながらそいつは何かを両手で大事そうに包んで立っていた。
「何、それ」
近づいて尋ねるとそいつは俺の声にぴくりと反応し、ばっと振り向いた。まるで背後の敵に対峙するかのような反応だったので俺は思わず身を引いた。そいつはじいっと俺の目を疑わしげに見て、いい加減居心地が悪くなって目をそらしかけた頃にようやくすっと警戒を解いた。
「誰?どうしてここにいるの?」
いきなり質問かよ。しかも質問の答えを聞く気は全く無いようですぐに何かを包んでいる両手に目を落とし、俺に見せるようにそっと開いた。
さあっと黄緑色の柔らかい光が現れ、少し暗くなってまた明るくなった。呼吸をするようにゆっくりと明滅を繰り返す光はすうっとそいつの手を離れてしばらくその場で浮遊し、どこかへ飛んでいった。
「ほたるだよ。久しぶりに見つけたんだ」
そいつの言葉を片耳で聞きながら俺はほたるの飛んでいった先を追った。どこへ行ったか完全にわからなくなって空を仰いで思わず息をのんだ。
月の無い空に、一面の星。どこまでも続く、濃紺の大きな空いっぱいにひろがる星のうみ。
「わあ…」
俺はつい声を漏らしていた。はるかかなたまで何に邪魔される事も無く手で触れられそうな空が続いているのだ。いつもビルや電線で切り取られた平べったい空を見ていたから、こんな星で彩られた球面の空ははじめてだった。俺はそのままその場に寝そべって空を見上げた。背中の土と草が冷たくて気持ちいい。
「届くかな」
隣に寝そべったそいつがせいいっぱい手をのばした。もちろん空の星はひとつもつかめず、指は宙をかく。
「無理だろ。っていうか、その体勢で手が届いてたらとっくに俺たちは宇宙で頭打ってるぜ」
そいつは頑固にもしばらく口をへの字に曲げて右腕をゆらゆらさせていたが急に何かを思い出したようにそばに置いてあった小さなリュックサックを探って何やら取り出した。その筒の片端を目に当ててまた寝転ぶ。
「望遠鏡?」
「うん。こっから見るとさ、みんな同じに見えるけどこれで覗いたらみんな少しずつ違うんだよねえ」
渡されたそれで空を見てまた驚いた。そんな小さな望遠鏡では普通に見るときと大差ないと思っていたのだが全部白だと思っていた星が青や赤や緑や色んなもやもやした雲みたいなのを引き連れているのまで見えた。もっと見ていたくなった。
「ねえ、もしあのうちどれか一つに行けるんだったら、どの星に行きたい?」
望遠鏡を受け取りながらそいつはもう一方の手で星々を指した。どの星と言われても俺は個々の星の名前など太陽と月と水金地火木土天海冥(すいきんちかもくどってんかいめい)ぐらいしか知らない。
「おまえはどこ行きたいんだよ」
「へへ、ぼくは、…ひみつ。そのうち教えるからさ」
要するにおまえもどの星に行きたいかなんてちぃっとも考えてなかったんだな。ため息をついてまたこの壮大な星空を見上げて、俺もどれかに行ってみてもいいかもな、みたいなことを考えた。
こう言うのも何だか変な表現だが俺は夢から帰って来た後(たぶん出口があってそこから出て来たと思う)目覚ましの設定を忘れた寝室の時計がとんでもない時間を指しているのを発見して大慌てで通学路を暴走した。一限目にギリギリセーフで間に合った。昨日早寝をしたせいで英語の予習をしておらず十分間立たされたり友達に借りた漫画を朝急いでいたせいか忘れて来ていたりレンタルした夢の弊害はさんざんだったのだが俺の頭の中身は一日じゅう夢の事でいっぱいだった。今日も友達のカラオケの誘いを断ってそうそうに帰宅しさっさとインスタントラーメンで夕食を済ませて普段より四分の一日も早くベッドに潜り込んだ。
開けた扉の先はやはり昨日と同じ草原だった。あいつはまだ来ていない。昨日と同じ場所で昨日と同じように寝っ転がって空を眺める。少しずつ動いているように見えて面白いなあなどと見ながら考えて、しばらくするまでそれが当たり前の事だというのに気がつかなかった。昔の人が地球がとまっていて空が動いているのだと主張した気持ちはよくわかる。このきらきらの粒をのせた紺色の空はゆっくりゆっくりと移動しているように見えるから。ふと気がつくと、昨日あいつを届くわけないだろうと笑ったくせに今懸命に寝転がったまま空に手を伸ばしている自分がいて苦笑した。
それにしても。あいつは本当に男なんだろうかという今日の昼休憩に星図鑑を眺めていてふと疑問に思った事をもう一度考えてみる。あの雰囲気は何か男らしくないような気がする。とはいえ女だったら「ぼく」という一人称は明らかにおかしい。ズボン履いてたから服装から判断はできないし、髪も中途半端な長さだったし、胸は…確認してなくてよかった。もしあいつが女だったら俺は変態だ。
「はやいね」
噂をすれば陰ということわざはよく知っているが考えただけで本人が来るとは思わなかったので思わず飛び起きて三メートルぐらい走った。昨日と同じ服装のそいつは目をまんまるにしたが俺のオーバーリアクションよりはまだましだ。
「悪い。びっくりした。…で、何それ」
俺はそいつが右手に提げた馬鹿でかい旅行鞄を指差した。まさかここで野宿する気じゃないだろうな。俺の質問にそいつは無言でそのチャックをジイイと開けておもむろに…スコップと土木作業用ミニ手押し車を取り出した。用途も旅行鞄の中に入っていた理由も全然理解できない。何を考えているんだ。
「塔をつくるんだよ。河原の石で」
「何のためにそん���ものをこんなところで作るんだ」
「決まってる」
そいつはにやっとわらって俺を見て、ばっと突き上げるように空を指差した。
「星に行くんだよ。ずっとずっと積み上げていったらそのうち着くかも」
「ありえねえ」
ばっさり切り捨ててため息をついた。夢の中でまで寝言を言うな。しかしどうやら俺は怒らせてしまったようでそいつは涙目になって俺を睨んだ。
「もちろん色んな方法を試してみるよ。はしごも作ってみるさ。宇宙船だってつくるさ!どの星でもいい、どんな星でもいい、」
ああ、まあ確かに宇宙船なら行けるだろうが…。
「何をしてでもぜったいぜったい…わたしは星に行く」
はあ、と俺はため息をついた。論点がずれている。
「手っ取り早く宇宙船つくって飛んで行った方が早いだろうが。ここ夢の中だしそのくらい簡単にできるだろ?石積み上げてみるとか無意味な事してないで」
「意味なんかいらない。ぼくは意味が欲しいんじゃない。そんなもの後から勝手についてくるんだよ。意味が欲しければとっとと宇宙船組み立ててひゅーんと宇宙の果てまで行けばいいじゃないか、ぼくなんかほっといてさ」
ほっとけるわけねえよ。泣いて高くなった声を聞いていられなくなって目をそらした。そらした先は光の海のような空。誘うようにゆらゆらと波立って見える。足に比較的大きな石がぶつかり、ため息をついてそれを拾い上げる。しばらくそれを見つめて片手に持ち替え、思いっきり振りを付けて直上にぶちあげた。
どの星でもいい。俺の願いが届きますように。
「…何してるんだよ。今のが宇宙船?」
「宇宙船の…発射テストってことにしてくれ。あれに乗って星にたどり着けるとは思えない」
そいつはしばらくぽかんとして俺の顔を見つめていたがやがてふっと吹き出し、きゃらきゃらと笑い転げた。しばらくしてどすんと俺がさっき投げた石が積み上げられた石の上に墜落してくずしてしまい、いっきにそいつは仏頂面になって手伝えとばかりにスコップを持たされた。
手の届かないものは最初から望まない。そうやって俺は色んな事をあきらめてきた。でも、本当に手の届かないものかどうかなんて実際に手を伸ばしてみないとわからないじゃないか。
でかい石を一個拾い上げて積む。積んで高くなったところで星に届かないのはわかっている。でもそこまで高くなったら下を見下ろせばいい。そこは広大な宇宙の一点だ。自分自身がその一点だ。そこからのびる逆さまの石の塔の先に星があるはずだ。俺は今その星に思う存分体をくっつけてその星の一部を使って塔をつくっている。それでいい。見下ろしてみて、それでどうするかなんて知らない。意味なんかなくていい。たぶん後からついてくる。
唐突に目が覚めて、何か不安な気持ちで寝室を見回した。普段と全く変わりない。時刻を確認するために勉強机のライトをつけて見たらまだ五時にもなっていなかった。ベッドに入る時間が早すぎたせいだろうか、そのまま眠れず漫画を読みあさって起床予定時刻を待った。朝食は適当に割った卵をフライパンに載せて調理して食パンと一緒に食べていつもよりだいぶ早めに家を出た。自転車にまたがって、いつもと同じ通学路を学校目指してこぎ出した。
その空き地は最近空き地になったのかそれとも前から空き地でそこに店があったという俺の記憶が間違っているのか知らないがちょっと古い建物の並ぶ団地の一角にあった。何をどうしたって狭すぎて宅地としては使えなさそうな立地で、隣の家からトラック一台分ぐらいの幅の先は漆喰で固めた急な崖になっている。周りはどこもかしこも家が密集状態で、そんなひしめき合うような家屋の群の中にぽつんとある空き地はいやでも人目をひいた。
しかしおそらくそこに店があったというのは俺の記憶違いではないようだ。なぜそう言えるかというと「売地」というどこぞの不動産会社の看板の下に汚い赤い字ででかでかと「店跡地」と書いてあったからで、よーく見るとその下に「長年のご利用、誠にありがとうございました」とちっこい字で書いてあった。
からからと自転車を押して歩く音が聞こえて振り向くと、俺と同じ高校の制服を着た女子が歩いてきて空き地の前で立ち止まった。そしてしばらく何も言わずに看板を見つめていた。中途半端な長さの髪と制服のスカートが後ろから吹いてくる風にはためく。女子の制服を着ていたが、そいつが誰だかすぐわかった。俺は風の音に負けないように、そいつに届くように、そいつが一字一句逃さず聞き取れるように、大声を出して言った。
「俺さ、将来絶対宇宙飛行士になる。どの星でもいいから行ってみせる」
突然の宣言に驚いたようにそいつは振り向いて、そっと微笑んだ。
「わたしも絶対どこかの星に行く。先に行ったら待ってるから」
「俺が先に行って待ってるさ」
しばらくじっと見つめ合ってからふたりしてにぃっと笑った。そして「店跡地」の看板に目を落とし、空き地の上に広がる空を見上げる。
早朝のうすい青色の空には白くかすれた雲が浮かんでいた。電線で切り取られた、平坦な空。でも、きっとあの雲の向こうには、無数の星の散らばる広大な夜空がひろがっている。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、
ありとあらゆる鍵があり、ありとあらゆる扉あり、
ありとあらゆる持ち主が、ありとあらゆる客招く。
どんな鍵をご所望で?どんな夢がお望みで?
なあに扉の向こうには、見知らぬ世界が待っていて、
それを夢と呼ぶのです。
さあさあ鍵を手に取って、さあさあ足を踏み入れて、
きっと見つかる探し物。
きっと見つけるあなたの未来。
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映画『グレートウォール』マット・デイモン、チャン・イーモウ、ジン・ティエンら 豪華キャスト・スタッフ大集結のLAプレミア開催!!!

マット・デイモン主演×チャン・イーモウ監督最新作 万里の長城には、人類が知らない秘密が隠されていた。 『グレートウォール』 ━…━…━…━…━…━ 『グレートウォール』LAプレミア ■日程:2月15日(水)※現地時間 ■場所:TCLチャイニーズ・シアター(ロサンゼルス) ■参加キャスト・スタッフ:マット・デイモン、チャン・イーモウ、ペドロ・パスカル、 ウィレム・デフォー、ジン・ティエン ━…━…━…━…━…━ 万里の長城を舞台に描かれる本作のプレミアを開催するにふさわしいTCLチャイニーズ・シアターにブラックカーペットが敷かれ、豪華キャストを一目見ようと多くのファンとマスコミ陣が詰めかけ熱気に包まれる中、マット・デイモン、チャン・イーモウ、ペドロ・パスカル、ウィレム・デフォー、ジン・ティエンらが登場! 瞬く間に黄色い歓声に包まれ、会場は大盛り上がりとなりました。 主人公ウィリアム役を演じたマット・デイモンは、 ネイビーのスーツに黒のシャツを合わせたシックでスマ��トなスタイルで登場。 大迫力アクションが壮大なスケールで描かれる本作について「僕がこれまで関わった映画でも最高の規模だよ。これまでに他の大作にも関わってきただけど、この作品は飛び抜けているね。撮影には100人もの通訳がいたんだ、だからセットにいくと軍隊に入ったみたいだったよ、圧巻だった」とコメントし、作品を楽しみにしている観客へ「スペクタクルなシーンや展開が満載だし、敵が壁を襲い人間が壁を守る、迫力あるシーンだらけだ。とにかく観客には楽しんでほしい」と熱いメッセージを送りました。 本作の監督を務めたチャン・イーモウはプレミアのカーペットに合わせたようなブラックのワントーンコーデと飛び切りの笑顔と共に登場。 「中国とアメリカのフィルムメーカーがここまで密に共同作業したのは初めてといえる作品だから、これが偉大なスタートとなることを願っているよ」と喜びをあらわにし、本作の見どころについて問われると「スケールの大きい戦闘シーンやモンスターのシーンももちろんだけれど、マット演じるウィリアムの変化と成長、彼が欲を捨てて仲間を信じてヒーローになっていく姿、そこから観客の皆さんが何か受け取ってくれることを願っているよ」と壮絶なアクションシーンだけでなく主人公ウィリアムの成長についても描かれた本作の魅力をしっかりアピール。 ウィリアムと戦場のパートナーであるトバール役と務めたペドロ・パスカルは、黒のシックなスーツにネクタイでカッチリと決め、劇中の荒っぽい性格のバラードと一転したあどけない笑顔とともに登場! プレミアに参加した感想について問われると「信じられない気分だよ。昔から、妹と一緒に好きな映画を選んでは、チャイニーズ・シアターで行われるプレミアに来てたんだ。本当にエキサイティングだよ」と興奮した様子でコメント。ペドロはかねてよりイーモウ監督の大ファンであり、今回の出演も熱望していたそうで「彼は素晴らしいよ。僕のこれまでの人生において、チャン・イーモウは最も好きな映画監督の一人で、彼の映画を全部見ているよ。イーモウとの仕事が現実になって、夢がかなったという感じだ」と尊敬するイーモウ監督に熱すぎるほどの敬意を表し、さらに今回の撮影については「僕のキャリアでも最高規模の作品の一つになると思う。子供の頃に描いだイマジネーションの世界にいるみたいな感じだった。これまで様々な経験をしてきたあのマット・デイモンですら、“自身のキャリアで最も規模の大きい撮影セットだ”と言っていたくらいだから」とかなり圧倒された様子。 万里の長城に潜み、ウィリアムとバラードに手を貸そうとする謎の男バラードを演じたウィレム・デフォーは、黒のスーツにグレーのネクタイを合わせた姿で登場。 本作の監督を務めたイーモウ監督について問われると「彼は様々な種類の映画を作ってきたし、それらは全て美しい映画だ。彼と一緒に、中国でこの大規模な映画で関わることが出来たのは、本当に素晴らしいことだったし、そのような機会を得られたことに感謝したい」とイーモウ監督の作品に出演した喜びを語りました。またスケール感たっぷりに描かれる本作について問われると「何と比較したらいいかわからないよ。CG効果でスケールを大きく見せているだけじゃなくて、本当にスケールが大きいんだ。何千人ものエキストラを使ったし、撮影セットのサイズも巨大だし、この作品の規模と比較できる映画は思いつかないよ」とこれ以上説明する必要が無いといった、自信たっぷりの表情でコメントしました。 長城の軍に属する女性司令官リンを演じたジン・ティエンは、ディオール(Dior)の黒いシフォンドレスに、同じくディオールのチョーカーと真っ赤な口紅を差色に合わせたモノトーンコーデを身に纏って登場! 本作へ参加したことについて「チャン・イーモウ監督と仕事ができて光栄だった。彼は世界的に見て最も偉大な監督の一人だと思うし、彼と仕事との仕事は夢が叶ったようだわ」と誇らしげにコメントし、最後に「観客の皆さんがこの映画と、その題材である古代中国を好きになってくれたらうれしいわ。本作は豊かな中国の歴史を表しているの。たとえば、人々の性格、勇敢さ、意志の強さ、賢さなどよ」と万里の長城に秘められた伝説が明らかになる本作の舞台となった中国の魅力について語りました。 観客の熱を目の当たりにし、思わず喜びを隠しきれないイーモウ監督がペドロをハグしたり、デフォーと肩を組んだり、マットも笑顔で写真撮影に応じる等、撮影を終えても変わらない仲の良さを感じさせたキャスト、スタッフ達。 賑やかなL.A.プレミアイベントは終始温かな空気のなか幕を閉じました。 ・‥━‥・‥━‥・ 【作品情報】 『グレートウォール』 ■監督:チャン・イーモウ 『HERO』 『LOVERS』 ■キャスト:マット・デイモン、ペドロ・パスカル、ウィレム・デフォー、ジン・ティエン、アンディ・ラウほか ■配給:東宝東和 4月14日(金)より全国ロードショー! 情報提供:ガイエ (C)Universal Pictures
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