#夜の教会
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会場から車に乗るまでにはあった駐車券🎟️を父親が失くし
車内やポケットを大捜索で結局見つからず
スタッフさんが中の人と連携とってくれて
無事にゲート開けてもらえたんだけど
次の日車の中の足元に裏返って見つかった
裏面真っ黒だから見つけられなかったみたい
駐車券なんて普通持って帰って来れないもんね
記念に取っておこう😜💓
#教会#夜の教会#ストリングスホテル名古屋#アートグレース#記念チケット#駐車券#ステンドグラス#思い出の駐車券#シャンデリア#噴水⛲️#羊の親子#ZeppNagoya#甲斐バンド#Zepp名古屋のお向かいさん#結婚式#色留袖#二重太鼓#控室#油絵
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BOOK NOW! 2025.5.23 Friday
夜のデッサン会 Vol.72
こんな時間 あってもいいんじゃない? 夜の寄り道ご一緒しましょう
時間:PM21:00~23:00頃
料金:2,000円/お一人
対象:老若男女 素人玄人問わず
定員:10名
持参:スケッチブック(クロッキー帳や無地のノートでもOKです)
※描く道具などはこちらでご用意いたします
淹れたてのコーヒーと、この日のためだけのとっておきスウィーツをご用意しております
お申し込みは Contct よりどうぞ
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【弟が一生分の大金を手に入れたので、使った時の話】 弟が、巨額のお金を稼いできた。 どれぐらい巨額かというと、 弟が30年間休みなく働いて、 やっと手にできるほどの巨額。 それも、たった数時間で、稼いできた。 岸田家の歴史を揺るがす大事件。 まあ、そもそも弟は、 めちゃくちゃ給料が低かったんやけど。 週5日の出勤で、日給が500円だった。 昼食代を引くと、手取りは50円だけ。 弟は生まれつき、ダウン症なので、 障害のある人の集まる作業所で働いていた。 そんな弟に、夢のような仕事が舞い込んだ。 「ほぼ日手帳という商品の、 カレンダーの数字を書いてくれませんか?」 実は、弟はまったく文字が書けないのだが、 わたしが本を出版したときに、 ページ番号を手書きしてくれたのだ。 なんとも言えない、ふぞろいな数字たちが、 手帳のデザイナーの目に止まった! 「あんた、数字書く仕事、やってみる?」 弟に聞くと、 「んー、おお。ほな、ええで」 すでに数字職人としての貫禄があった。 とはいえ、職人の仕事は遅かった。 手帳で使う数字を372回書くのに、 一ヶ月もかかってしまった。 わたしは突如マネージャーとして、 弟をおだて、ジュースをおごり、 最後には温泉旅館にこもって、ギリ完成! ちなみに温泉旅館代は、 姉であるわたしの自腹である。 なんでやねん。 そんなわけで、数字職人・岸田良太は、 30年分の給料にあたるお金を手に入れた。 母は言う。 「これは、ちゃんと貯金しとこうな」 わたしは言う。 「いや、本人が稼いだお金やねんから、 本人に使い道を決めてもらおうや」 「あかんって!良太はお金の価値をよくわかってないねんから!危ない!」 しかし、わたしは立ちふさがる。 「お金の価値は、自分で使ってみないと、 一生わからへんのや!」 「騙されたり、盗られたりするかも……」 「人生で一度くらいはな、ネコババされたり、借りパクされたりして、なんぼやねん」 「えええ……」 「痛い目にあってから、人は強くなるんや。障害があるからって、その機会をな、親が奪ったらあかんと思う」 勢いだけはあるわたしの持論に、 常識だけがある母はたじろいだ。 今だから言えるが。 わたしはただ、 ひとりで買い物したことがない弟が、どうやってお金を使うのか、おもしろがっているだけだった。 「もしそれで、良太がお金に困ったら、姉のわたしがなんとかしちゃる!」 最終的にわたしが大口を叩いて��押しきった。 弟には、現金を渡すのではなく、2万円ずつチャージしたICOCAで渡した。 わたしは知っていた。 弟がICOCAに強烈な憧れを抱いているのを。 受け取った弟は、しばらく目を閉じ、 「ありがと……ありがと……」 天にでも祈るごとく、静かに感激した。 家の近所のコンビニで、使い方を実演し、ピッとして払えることを弟に教えた。 「これからは好きなもん買ってええねんで」 「ええの?」 「あんたががんばって稼いだお金やさかい」 「ええの?」 「ちゃーんと、考えるんやで」 母は最後まで、心配そうに見守っていた。 わたしの予想では、弟はほしがっていたゲームソフトを買うはずだと思っていた。 その翌日。 母は、朝から熱が出て、寝込んでいた。 作業所から帰ってきた弟の手には、 ひ、ひ、冷え切ったマクドのマフィン!!!!! しかも朝マックやないかい。 なんで、朝マックを夕方に……? 作業所の人が、電話で教えてくれた。 「お母さんがカゼ引いてるからって、休み時間に買いに行かれたんですよ」 初めてのことに、母はボロボロ泣いた。 「ありがとうねえ、優しいねえ」 青紫色の顔で母はマフィンをかじったが、普通に病人なので、全然食べられなかった。わたしが食べた。 数日後。 元気になった母と一緒に、 家族で車に乗って、買い物へ出かけた。 夜ご飯をどうしようか悩んでいると、 「マクド!」 弟が言った。 「マクド、ぼく、お金!」 熱意に負け、ドライブスルーすることにした。 母がお金を払おうとしたら、弟が後部座席の窓をあけて、ICOCAでサッとお会計した。 あまりのスマートぶりに、戸惑うわたし。 「良太、ありがとう!ごちそうさま!」 「ええねん」 岸田家の大富豪が顔をほころばせて笑った。 結局、弟は何日経っても、 ゲームソフトを買わなかった。 わたしは、ようやく気づいた。 弟は、自由に使えるお金や、 交通系ICカードがほしかったのではない。 誰かのために、お金を使いたかったのか。 誰かのために、お金を使うことに、 ずっと、ずっと、あこがれてたのか。 ケチなわたしったら、忘れてた。 ごちそうすることの、嬉しさを。 愛する人に、喜んでもらいたい。 お腹いっぱいになってもらいたい。 助けたい、役に立ちたい。 そのために、わたしたちは、 働いていたのではなかったか。 汗水たらしてゲットした初任給で、 家族にラーメンをおごった日のことを、 思い出してわたしは泣きそうになった。 弟は25年間も待ちわびていた、 その喜びを噛みしめている。 誰に教えてもらったわけでもないのにね。 お金をうまく稼ぐ才能がなくても、 お金をうまく使う才能のほうが、 よっぽど人を幸せにするのかもね。 数日後、マクドを買いすぎた弟は、 健康診断にひっかかり、 母��こっぴどくお説教をくらって、 ICOCAの使い道は事前申請制になった。 まあ、それは、しゃーない。 ゲームソフトは、弟の誕生日に、 わたしが買うことになった。 なんでやねん。
Xユーザーの岸田奈美|Nami Kishidaさん: 「【弟が一生分の大金を手に入れたので、使った時の話】 弟が、巨額のお金を稼いできた。 どれぐらい巨額かというと、 弟が30年間休みなく働いて、 やっと手にできるほどの巨額。 それも、たった数時間で、稼いできた。 岸田家の歴史を揺るがす大事件。 まあ、そもそも弟は、 https://t.co/QHTWIcJMGv」 / X
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OC ショコラちゃんご紹介
髪型、髪色、目の色やコーデも魔法で変わるゴシック担当の魔女。 「由緒正しい最高位魔女の生まれなので、お屋敷と領地からめったに出てはいけません」と執事から教わってきた。 領地の森でヴァニラ(メルヘン担当のオリキャラの魔女です)と出会う。 町のみんなには、ショコラは魔法で作られた人形で、たくさんレプリカがいて、 ほんもののショコラは別のところにいるんだとうわさされている。それがほんとうなのかはだれもしらないし、だれが言い始めたのかもわからない。
ヴァニラはちょっぴり悩んだけれど、 「もしにせものであってもショコラがいま友達だということ、それがわたしにとってたいせつなこと」と思い、ショコラにもそう伝え、ふたりともあまり気にしていない。 家を守らないといけないプレッシャーを感じ、孤高の魔女令嬢のイメージを保つことを頑張っているが、 実はさみしがりやで外にも遊びに行きたいし友達が欲しいと思っている。
ヴァニラが泣きたくても泣けない時、怒っているとき遠く離れたショコラの目からなみだが出てきたり怒りだしたりするので執事は困っている。 ヴァニラが素直にわからないことをわからないと言ったり、子どもらしく振舞うのが自分にはできないことをしているので、 うらやましくてもっとなかよくなりたいと思っている。
最���なぜか気が付くと森にいて、じぶんがどこからきたのか、どこへいくのかわからずに森の別邸で過ごすことが多いのがすこしだけ悩み。
夜眠るときに少しだけ、朝起きた時、別の自分と入れ替わっていたらどうしよう? もしかしたらもうすでに入れ替わっていて、気づいていないだけなのかもとふあんになる。 朝になるとそんなことはありえないと思う。夜になるともしかしたらみんなが言う通りそうなのかもしれないと思う。 でも朝になったらやっぱりそんなことはありえないと思い、大好きな薔薇とベリーの紅茶を飲み、ベリーソースのかかったダークチョコレートケーキを 食べているうちに忘れてしまう。
読書と日々のティータイムを大切にしている。 薔薇の紅茶と菫の砂糖漬けが大好き。 色はワインレッド、黒、ボルドーパープルが好き。 コーデはチョコレートやココア、コーヒーのコーデが好き。 モチーフは十字架、ゴシックレース、アンティークが好き。
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2025/01/17 ライブ2日目
11月のライブが体調不良で延期になった振替が昨日と今日。もともとツアーファイナルだったのでできれば両日行きたいなと、先行と2次先行と申し込んで珍しく両日取れた。2次の今日はぼぼ最後尾の整理番号だけど会場に入れるだけ幸せだ。
昨日は物販も行きたかったので早めに現地に行ったけれど今日はもう見るだけ、整理番号も遅いしなんなら開場してから行っても良いかななんて思っていたけれど、ライブのために2日間休みを取って行くまで家事をするのもなんだかな。ということで結局今日も2時間ほど早く来てしまった。
昨日と同じようにカフェでチーズケーキとお茶を飲む。昨日はホット柚子にしたけれど今日はホットジンジャーにした。

さて。
職場でインフルエンザがじわじわと蔓延しつつある。昨日は所属長から連絡があって、明日人が足らないので予定残業をして欲しいと依頼あり。承諾する。今日、行きの電車の中で次長より電話あり。「夜勤者を優先してインフル���内服薬を予防投与するけどどうか」 と。
予防投与か…。何年か前、コロナがまだ出る前にインフルエンザでアウトブレイクし、予防投与されたが結局飲まなかった。というのも生まれてこのかたインフルエンザに罹ったことがない。幼い頃に罹っていたのかもしれないけれど、診断されたことが無い。なのでタミフルもリレンザもイナビルも飲んだこも吸入したことも無い。なので前回はびびってやめた。
今回は、どうしよう。一応処方してくださいとは頼んだものの。どうなんだろう。きっとタミフルなんだろうな。副作用とか思うとやっぱり躊躇する。そういえばこれ自腹なのか。保険適用では無いし職場が負担するとも思えない。次長なんも言ってなかったけど、まあいいか。
カフェの前の料理教室らしきところで、男の人がエプロンをして何やら棒を使ってコロコロと伸ばしている。何作ってるんだろう。
変わらないものなんてない。
変わらないと思っていても変わっていくんだ。
だから。
その答えを今日は見つけに行く。
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27歳
なんでそんなに結婚制度がいやなの、と聞かれて、「友達を守るためだよ」って言葉がすんなり出てきた。
結婚制度の無邪気な肯定は、配偶者以外を「その他大勢」に押し下げることで、私はどうしても、絶対に、それが許せない。というか、許すわけにはいかない。
私の友達を「なかったことにされる」なんて、堪ったもんじゃない。私に言わせれば、自由意志を軽んじる浮気不倫の否定は、友情の否定と同義。不倫はカルチャーなんてぬるいもんではなく、人の尊厳です。ポジショントークでもなんでもない。
メディアで叩かれるたびに傷つく。あーぜんぜん社会は、私の「誠実さ」を誠実だとみなしてくれないんだな、と絶望する。
なんとなく5年前の日記を読んでいて、おんなじこと言っていた。交際から結婚制度に変わっただけで、私ってずっとこう。
なんでこのあと、あんなに恋人とか結婚とかに執着してた時期があったのだろうか、と思い返すと、もちろん精神的な未熟さや、わかりやすさへの渇望もあったりしたけど、なにより傷ついたんだよな。
昨日まで普通に会話をしていた人から、「恋人/配偶者がいるから会えません」と言われることが何度かあった。世間はそれを「誠実」と評するけれど、私が大事に紡いできたものは、社会制度やまかり通る倫理の「記号」にいとも簡単に踏み潰されるんだってこと、どうしようもなく悔しくて、やるせなくて、絶対に私も迎合しなければ、と思った。こんな苦しい思い、もう二度としたくなかった。
それでも、この感覚をきちんと取り戻したのってここ1年くらいかも。
枠組みが絡みづらい同性からは当然そうなんだけど、異性からの愛情をちゃんと掬えるようになったし、あたためるのもうまくなった。
そして彼らを大切に思えば思うほど、やっぱり無批判に制度は受け入れられなかった。この人たちを絶対に、「その他大勢」にしてはならない。私にとっての「誠実」って、こういうこと。
同い年の京大卒、年収1本超え、顔立ちも整っていて話もまあまあおもしろく、何より私のことが好きな男の子と何度かデートしていた時期がある。
何度目かのデートで、「大切に思える人と、はやく結婚して落ち着けたらいいなと思ってる」みたいなこといわれた瞬間、無性にかちんときた。
「ふーん私は結婚5回して左手薬指にでっかい縦爪ダイヤ重ね付けするけどね」って早口で噛みついて、そのあとはさながらお通夜だった。当然その次はなかった。
私、とっても大人気なかったと思う!けど、本当に許せなかった。社会制度に乗っかってサボろうとするなよ。
1年くらいお酒を飲んだり旅行する仲の男友達は、はじめて会ったときに「交際するときはオープンリレーションシップにしている」って教えてくれた。「それって遊びたいだけでしょ」って言う人もいるけど、私はわかってるよ。「『誠実で在る』ためには、それしか選べない」んだよ。
「価値観」はすり合わせられるけど、「美意識」はすり合わせられないらしい。私が恋愛できないのは私に魅力ないから、って信じ込んでいたときもあったけど、世間が謳う美しさと、私が願う美しさがあまりにも違っていただけの話。ポストモダンなめんなよ。
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私立K高校にまつわる怪談話を、そう言えば親父から聞いたなと、貢は思い出した。理事長室の本棚にある「我が学園の歴史 ◯◯周年記念号」と節目ごとにまとめられ、今でもOBであれば購入が可能とされている記念誌を眺めながら、彼は例の事件について書かれた記載に目が留まった。その記念誌には一行ぐらいしか書かれておらず、
「まァ、都合の悪いことは書かないだろうな…」
と貢は思ったが、たまたまその隣に操が書いた日記があった。操は、その日にあった出来事をまめに記録する性格だった。「ケセラセラ」に生きてきた貢とは違っていた。
「へぇ〜、こんなの付けてたンだ」
と彼はそう思いながら、「一九七八年」とテプラで貼られたその日記の頁を開いた。事件が起きる前、何度か操は他の教師からその生徒について話を聞いている様だった。
“六月十日
校長の杉山先生から、「堀川啓介」という男子生徒がよからぬいじめを受けているとの話を聞いた。「よからぬ」とは、流石に全くの「ノンケ」である杉山先生にとってはケツの谷間を両手で覆いたくなる様なものらしい。オレにとっては逆に「おっ広げ」になりたくなるが…。
啓介君は、両親が教育熱心なのか必ず国立T大に合格させたいという思いが強く、比較的、国公立大学への進学率が良いウチに入学「させられた」様だが、オレにしてみれば馬鹿馬鹿しい。人生八十年と言われるご時世に、大学だけでその先の人生なンて決まるとは限らないと思う。
しかし、その啓介君、ウチに来たことで「ホモ」の洗礼を受けただけでなく、凌辱されることに快感を得てしまった様だと、杉山先生。ある夕方、たまたま浴��を見回った時に彼がブリーフ一丁で脱衣場の鏡の前に立っていたが、背中にあちこち鞭打たれた様な跡があり、思わず声をかけたそうだが、彼曰く、
「校長先生、父さんや母さんには黙ってて! オレ、縄で絞められるのが好きなンだ…。快感なの! これでイッちゃうの! 勉強勉強って、オレ、おかしくなっちゃうよ!」
彼はそう訴えながら杉山先生に抱きつき、号泣したらしい。
嗚呼、そんなに追い詰められるのなら、いっそのこと、新宿二丁目や上野の入谷などで男娼をしていた方が幸福なンじゃないか? オレだったら、啓介君を優しくしてあげたい”
“七月一日
たまたま、オレが寮の当直をすることになった。まァ、久しぶりに生徒らとアハハオホホとやってもイイだろう。
その二日目、ちょうど昨夜だが人気がない筈の浴室に誰かがいたのでそっとサッシを開けてみると、其処には全裸の啓介君がいた。やはり背中や胸には鞭打たれた跡があり、痛々しかった。しかも、その日は首筋に「キスマーク」もあり、余程凌辱されたのだなと思った。彼はブリーフを穿くと軟膏を手の届くところに塗り、時折首筋にできたキスマークに触れた。彼は微笑を浮かべ、
「…もっと欲しいよ」
と呟いた。まるで、情事の後に独り残された娼婦の様だった。オレは彼を好いてしまった。そんなオレに彼は気付いていたのか、サッシの方を振り向いた。
「だ、誰ッ!?」
オレは仕方なく脱衣場の中に入った。理事長だと判ると、彼は顔を赤らめながら慌ててTシャツを着た。彼は言った。
「何故、理事長先生が!?」
恐らく、始業式や終業式の時にオレは必ず挨拶をするから顔を憶えていたのだろう。まさか、理事長でさえ寮の当直をするのかと、彼は疑ったに違いない。オレは、
「大丈夫、今週だけ当直に入っただけだから。杉山校長からは、君のことは聞いているよ。縄に絞められるのが快感なンだろ?」
と聞いた。彼は不安気な表情を見せてはいたが、頷いた。
「…快感でたまらないンです」
オレは、どうかしていたのかもしれない。何故かそのまま彼を抱きしめたのだ。優しくしてあげなければならない気がしたのだ。
その夜、当直室でオレは啓介君を愛した。鞭打たれた跡に皆キスをし、そのうちに彼も涙を流しながら、
「嗚呼、愛されてる…」
と言葉を漏らした。オレは、
「凌辱だけが快感を得る手立てではないよ。君は優しく愛されたいンだ」
と唇を奪った。
次第に、彼はオレを強く求める様になり、オルガズムに達した。オレの内腿の間に下半身を挟め、愛液が二人の下腹部に跳び散った。
「…啓介君、君が好きだ」
気分は、アダ��とエバの様な感覚だった。教育者とその教え子という関係��逸脱し、オレは一人の男子として彼を愛してしまったのだ。もはや後戻りはできない。このまま「世間体」と言う名の境界を越え、何処かへ逃亡しようかとも思った。彼は、
「理事長先生…」
とオレの頬に触れ、そっとキスをした。
情事は、夜明けまで続いた”
“七月二一日
この日は終業式だった。ほぼ全員の生徒が帰省していく中、啓介君だけが寮にとどまっていた。彼は怯えていた。担任の山本先生が彼の両親に事情を離したが、特に母親は猛反対していたと、電話の後に話していたっけ。
「理事長、どうしますか?」
と杉山校長が困り果てていたが、啓介君の家の事情を何も知らなかったオレは、
「じゃ、オレが一緒に送りに行くよ」
と安易な判断をした。
啓介君の家は東京のS区にあった。最寄りには私鉄O線の駅名にもなったS学園があり、所謂「高級住宅街」だった。オレは馴れない道を自ら運転しながら彼を送り届けた。本来なら理事長であるオレは動くべきではなかったのだろうが、一度彼とは肉体的に「契り」を結んでしまったから、何故か責任を感じていた。
彼は助手席に座っていたが、ずっとうつむいていた。信号待ちの合間、時折彼の手を握ってあげた。
「大丈夫、怖くないよ」
彼の家には、母親が待っていた。一見、感じのよい雰囲気ではあった。オレは自分の名前を名乗ると母親は、
「あらら、理事長先生がこんな遠くまで!? 大変ご迷惑をおかけしました」
と深々を頭を垂れた。彼はそのまま無言で家の中に入って行ったが、その間ずっとオレの姿を目で追っていた。それでも、
『これでよかったのだ』
と自分自身に言い聞かせるしかなかった”
“八月一日
杉山校長から、啓介君から電話があったと話があった。オレは書類整理をしていたが、どういう経緯かは不明だが例の鞭打たれた跡について母親が気付き、その問い合わせがあったらしい。半ばヒステリックな声だったと、彼は言っていた。オレは心配になり、
「ちょっと行って来る!」
と自分のセドリックに乗った。
夕方近くに到着したが、出迎えた母親は泣き腫らした様子だった。開口一番、
「理事長先生! どういうことですか!?」
と訴え、隣に座っていた啓介君の着ていたポロシャツをたくし上げた。彼は泣きじゃくっていた。
「う、うちの啓介、いじめに遭ってるンですか!?」
と彼女は聞いた。オレは返す言葉がなく、ただ黙っていた。
その後、母親の狂気じみた声が居間に響きわたった。オレも流石に耐えかねたが、
「母さん! もう止めてよ!」
と啓介君が突然立ち上がり、悲鳴の様な声で制止した。彼は言った。
「オレはもう嫌なンだ! ずっと『イイ学校』『イイ会社』って言われ続けながら母さんには黙っていたけど…。ただ国立T大学に入ったら何やるの!? 僕ァ、父さんの様な平凡な人生は送りたくない。ただ結婚して家庭を持って…全然夢がないじゃないか! 僕はそんな人生に価値はないと思う。今のK高校に来て、僕は気付かなかった人生を見つけたンだ…。母さん、僕は男が好きです! あのアザは僕が好きな先輩と『セッ◯ス』して出来たものです!」
これまで自己主張もせずにただ両親の言われるがままに行きてきたのだろう。オレは彼の方を見入っていた。母親は、恐らく我が息子のこの様な言動に遭ったことがないのだろう、ますます錯乱した様だった。啓介君はオレの手を持ち、
「理事長先生! 僕、寮に『帰ります』! こんな家にいたら、僕、自殺しそう!」
と訴えた。オレは彼の放った「自殺」という言葉に衝撃を受けた。
「啓介君! 生んで育ててくださったお母様の前で『自殺』という言葉はないだろう! 先生も怒るぞ!」
「否、僕は本当のことを言っているンだ! もうイヤだ…」
「…」
二人の嗚咽が居間に響き渡った。オレは、この家自体を憎んだ。一体、何がそうさせたのだろう? 性の歓びを見出し、本来の自分自身を見出した啓介君、一方で一流の大学や企業に進めば苦労しない人生が保証されるという世間の「呪縛」に囚われそれを良かれと我が子に訴えてきた母親…どちらとも悪くはない。オレは言った。
「…お母様、これまで啓介君をここまで育て上げるのに色々なご苦労をされたかとお察しします。確かに、今は一流の大学に進めば一流の企業に入れ、そのまま一生涯安泰と「年功序列」の思想が根付いています。未だ日本は成長をしていくかと思いますが、いつまでもその状況が続くとは限りません。私どもは可能な限り、その様な時代の変化に対応できる将来の人材を育成すべく教育しております。
しかし、啓介君を含め、この十六、十八歳という年齢は思春期ということもあり、自我が芽生え始める時期でもあります。彼の様に性を通じて本当の自分自身に気付くお子様も少なくありません。きっと、これまでの教育方針に対し自我の芽生えによって啓介君も葛藤をされてきたのでは…?
今回、身体に出来たアザについては他の教職員からは聞いていたものの、ご連絡しなかったことについては申し訳ありません」
これが、オレができる最大限の謝罪だった。母親は未だ冷静になれない様だった。啓介君も大粒の涙を溜めていた。オレは、今日は彼を寮に連れて行かないことにした。オレは言った。
「もし何かありましたら、私どもの方までご連絡ください。夜間でも寮に当直がおりますので、お電話いただければ対応いたします」
帰り道の車中にて、オレはこれまでにない疲労感を感じた。この夜は流石に爆睡だった”
“八月三日
杉山先生から、寮の当直をしていた山本先生から啓介君より連絡があったと話あり。やはり寮に戻りたいと訴えていたらしい。あれから両親とは話ができたのか、気掛かりで仕方がなかった。
理事長室の隅に置かれた時計が秒針を��む音に半ば苛立ち���がら、オレは情人(アマン)が来るのを待ちわびるかの様な心情に駆られた。一度は肉体同士の接触があったが、それだけでオレは彼と一心になっていた感覚でいた。もし教育者と一生徒という関係でもなければ、あの場で彼を連れて帰っていた。母親を弁護することもなかったろう。
午後二時になり、啓介君が帰って来た。オレは直接来たのかと聞くた。彼は言った。
「…先生、会いたかった」
すると彼はオレの背中に両腕を伸ばし、抱いてきた。途端にオレの胸の中で涙を流し、やがて嗚咽も聞こえてきた。
「大丈夫、泣くのはおよしよ」
とりあえずオレは啓介君を寮に連れて行き、当直をしている山本先生に事情を話した。まずは様子を見て欲しい、と。また、一昨日彼の家に行った時のことも話した。山本先生は、
「じ、自殺!?」
と驚いていたが、今の精神状態なら大丈夫だろうと伝えた。”
“八月四日
一晩過ごしたが、山本先生からは何の連絡もなかった。オレは大丈夫だったのだろうと安堵した。
午前九時過ぎ、理事長室に啓介君がやって来た。彼はオレを抱きしめてきた。すっかり好いてしまっている様だった。オレは彼にキスをした。舌を彼の唇の隙間に忍ばせ、込み上げてくる唾液を呑み合った。彼はそれが「快」と感じたのかスラックスのベルトを外し始めた。オレは声をかけた。
「此処ではまずい」
オレは雑木林の中にある「別荘」に連れて行った。しばらく寝泊まりしていなかったからか、室内はジメジメしていた。そんな中でオレは彼のワイシャツのボタンを外した。ブリーフだけになった彼を目前に、オレもワイシャツを脱いた。ブリーフだけになると早くもチ◯ポの先端が濡れていた。こんな性衝動は初めてだった。彼をこれでもかと言うくらいにキスをし、乳房や股間を愛撫した。自殺なンて馬鹿なことは考えるなと、繰り返し心の中で叫びながら…。
気付くと二人は真っ裸になっていた。白いブリーフがベッド元に重なっている。これは身も心もさらけ出していることを意味していた。オレは彼と一体になった。
「あッ、あァ、あはァァァん…」
何度も乳房を鷲掴みにし、吸い続けた。その度に彼は歓喜の声を上げ、乱れに乱れた。ほのかにサーモンピンクへと全身が火照り、彼はオレの唇を求めた。
「…け、啓介」
いつしかオレは敬称を付けずに呼んでいた。ただ十六歳の彼をオレは愛した。全身に無数の汗が滴り、シーツが濡れた。
啓介君は、用を出すだけしか知らなかった穴をもって女の様に快感を得ることを知ってしまった。いつしか彼は激しく腰を揺さぶり、オレの身体にしがみついた。
「あ、愛してる…!」
耳元で彼はそう囁き、オルガズムに達した。オレも彼の体内に愛液を噴射させ、
「啓介!」
と激しいキスをした。
情事の後、ベッドで抱き合いながらオレは言った。
「もう『自殺』という言葉は使わないで」
すると、
「…死にたくない。こうやって愛してくれてるから」
と彼はオレにキスをした。
これで総てが終わったと思った。啓介君が愛されることで新たな人生の方向性を見出し、進んでくれるとオレは信じた。”
貢は、父・操もまた一人の生徒を愛してしまったのかと思った。オレは生徒には手を出したことがないし、そんな度胸もなければやってはいけないと、頁を進めた。しかし、日記はしばらく何も書かれておらず、急に「九月一日」まで飛んでいた。恐らく、その間に啓介が自殺をしたのだろう。
“九月一日
啓介君が雑木林の中で首吊り自殺を図り、憔悴する暇もなく両親が教育委員会に訴えると騒いだ。父親は、杉山校長に訴えた。
「国立T大学への進学率がイイと聞いて入学させたら『ホモ』にさせられた挙げ句、自殺まで追い込んで...。この悪党! 人殺し!」
父親は国家公務員だった様だ。彼は他の保護者から、お宅のお子さんは大丈夫か、「ホモ」にさせられてないかと根掘り葉掘り聴取し、何人かの生徒からその気がある様だという話を聞きつけるや、
「理事長を出せ!」
と罵った。杉山校長は流石にビビッてしまい、
「理事長! 何とかしてください!」
とすがりついた。殴り込みに来た父親に対し、オレは土下座もした。罵声を浴びさせられた挙げ句、胸ぐらもつかまれた。正直、辛かった。啓介君を愛していたのに、自ら生命を絶ってしまったのだから…。裏切りの何物でもない。
オレは父親が帰った後、雑木林の中で慟哭した。啓介君が首を吊った杉の根元にひざまずき、喉がやぶれてしまいそうなほど声を上げながら泣いた。”
この部分を読みながら、貢は高校二年だった頃を思い出した。そう言えば、両目を泣き腫らした様子で操が家に帰って来たのだ。母の茉莉子がどうしたのかと心配したが、彼は、
「…すまないが、独りにさせてくれ」
と言って部屋に籠もってしまったのである。ちょうど父の書斎の隣に貢の部屋があったのだが、壁越しに号泣する声が聞こえたのだ。しかし、何故泣いているのかを聞くことはできなかった。嗚呼、きっと啓介君のことだったのだろうと、彼は思った。
もし岩﨑の言う通りにその啓介君の声が聞こえたのだとしたら、オレに何ができるだろうと貢が考えた。
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京都でよかったデートの記録 0412 6歳下の学生起業家と梅田でランチデート。なんでわたしと会おうと思ったんだろう?と思っていたら前の彼女が10歳以上年上だったとのことで合点、そしてとても好感度があがった。目が切れ長で歯並びが綺麗なところがとても好みだった。若いのに色気あるね、と言おうかと思ったけどわたしが言うと褒めているというより恫喝めく気がしないでもなくてやめた。起業してる人って頭よくてほれぼれするし、わたしの奇天烈な行動にも笑顔で聞き流してくれて、話が早くて助かる。 梅田から西梅田まで送ってもらった。 0414 清水五条の工房に行き、清水焼の器を買った。本当はマグカップだけでよかったのだけれど、どうしてもパスタ皿にひとめぼれして、すこし思い切った価格だったけれどこれも出会いだからと思って2つセットで買った。そしたら職人さんにとても感動されて「工房まで買いに来てくれたひと初めてなんです。嬉しいので一つなにかプレゼントします、なんでも」と言われ、恐縮して、追加で2つ茶碗をえらんで一つプレゼントにしてもらった。不恰好に膨らんだ厚い手が、さまざまな色に灼けていてとてもセクシーだった。蕎麦屋さんをいろいろ紹介してくれたが(一緒に行ってくれたらいいのに)と思っていた。 日が空いたけどやっぱり焼き物の職人さんかつ同世代の方と知り合う機会ないと思うから、蕎麦屋に誘ってみよう。蕎麦食べたらすぐ帰るから、って。 0418 「アンゼルム・キーファー:ソラリス展」を高橋君にとても勧められたので、絵を描く趣味があるという起業家を誘って2回目のデートをした。 わずかな隙間の窓から漏れる昼間の陽射しの力だけで照らされてぎしぎし鳴る木の廊下を歩く。暗く翳った部屋の中で、彫刻や巨大なアクリル画をゆっくり見て回った。 暑い日だったのでそのあとジェラートを食べた。地下鉄の階段を下りながら彼が振り返って「楽しかったです」と恥ずかしそうに告げてきたのが印象的だった。 0418夜 吉田寮のKG+の展示を見に行った際、別なイベントが食堂でやっており、たまたま話しかけられて親しくなった人が哲学専攻の博士5年生だった。東京が地元で、高校時代から生粋のドラマーらしい。小説の話をしたら「仕事しながらものつくりも並行してる人って本当にすごい」と言ってくれた。 院に進んだ時点で自分の人生は王道の、まっとうな人生からはずれている、と零していて、わずかに劣等感と矜持の両方を感じた。「自転車のサドル高すぎたから、今度直してあげるよ また寮来て」とLINEが来て、なんてかわいいデートの誘い方なんだろう、とそれだけでめろめろになった。 0421 シェアハウスを介して2度会った26歳の学部3年生から「もっと話してみたかったのでお茶しませんか」と直球のデートの誘いがあったのでよろこんで承諾してコーヒーショップヤマモトへ行った。 わたしのこと好きってコト⁉と思ったけどそういうことではなくて、単純に人間としてわたしに好奇心を寄せてくれたみたいでそっちの方がうれしいかもしれない。 とても綺麗な顔をしていて、わたしは好きじゃないけどめちゃ女の子からモテそうだなあと思ったらやはりそうだった。モテの弊害の話聞いて面白がる。波長があって、サンドイッチと1杯だけで3時間粘った。 3カ月後から東京へ引っ越すらしいので次は東京で会おうね、と言って別れた。 0421夜 桂離宮へ予約を取っていた��だが同行者飛んじゃったんだよねと熊野寮で船橋さんに愚痴った。「俺建築好きだし行きたいな」と言われたが、食堂で、本を読みながらごはんを食べているめがねの男の人がとてもセクシーで、どうしても目がいってしまい、彼が読んでいた本は「辞書で読むドイツ語」(何それ)で、好ましくてどうしようもなかった。 「彼は建築の学生だよ。学年は知らないな」と船橋さんが教えてくれた。「わたしあの人と桂離宮行こうと思う。ごはん食べながら本読むなんて、ありえないくらい貪欲だからわたしと気が合うよ」と宣言して、食べ終わった後彼の部屋に案内してもらった。「24日の16時に桂離宮に同行してくれませんか」とドアから出てきた途端いきなり要求した。とても緊張した。彼は突然の闖入者に戸惑いながらも面白がってくれて、「ゼミあるけど行きましょう」と言ってくれた。M1で、博士はヨーロッパで取る予定だそうだ。 「きみのコミュニケーションは気さくなんじゃなくてごり押しだよ」と高橋君に指摘されたが、本当にその通りだと思う。
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袋帯と草履とバッグはゴールドで揃えました👘🩴🩴
鶴さんの緑帯は何処で使おうかな〰🫥

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BOOK NOW! 2025.4.25 Friday
夜のデッサン会 Vol.72
こんな時間 あってもいいんじゃない? 夜の寄り道ご一緒しましょう
時間:PM21:00~23:00頃
料金:2,000円/お一人
対象:老若男女 素人玄人問わず
定員:10名
持参:スケッチブック(クロッキー帳や無地のノートでもOKです)
※描く道具などはこちらでご用意いたします
淹れたてのコーヒーと、この日のためだけのとっておきスウィーツをご用意しております
お申し込みは Contct よりどうぞ
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六曜より大切にしたいものがあったから仏滅に結婚した。夫も「知らないけど、アメリカではいい日だよ」と言っている。
入籍日までは、仄かな恐怖と一緒に過ごした。今死んだらみんな悲しむよなという気持ち。職業柄もあるのだろうが、常に死がそこに見えていて、大切なものが増える度に死ねないな、死ねないなと身を固くしてしまう。誰かを悲しませないように、今日も生きることを続けている。あなたのために生きている。あなたがいつか生きる理由がわからなくなった時、わたしのために生きていて欲しい。と思っている。夫の祖母が入籍日のほんの数日前に亡くなった。わたしに報告した夫は泣くわけでもなく、ただ静かだった。理由を聞くと「94歳だよ。仕方ないよ」と話してくれた。素敵だと思った。わたしも死ぬことを許されるくらい大往生してからが良い���と思った。
結婚してからは大して変わらない毎日を過ごしながら、生活の合間で粛々と氏名変更をこなしている。夫は手続きするものがほとんどなく、呑気そうで羨ましい。戸籍謄本が出来上がらないので、金融口座の氏名変更ができないでいる。給料が入る金融口座の氏名変更ができないと職場にも書類を提出できなくて、旧姓のまま働いている。旧姓で呼ばれたり、新姓で呼ばれたり、マリッジブルーなんてものはなく、友人や職場の後輩がきゃあきゃあとわたしを新姓で呼んでいるのをどこか他人事のように聞いている。中高生の頃は、授業時間に好きな人の苗字と自分の名前をノートにこっそり繋げて書いて、うっとりとしていた。そんな気持ちこそないが、当たり前のように改姓を受け入れてしまっている自分に「へえ」と思いつつも、どこか晴れ晴れとしている。
結婚指輪も20歳くらいから決めていた彫金師の方に特別に作ってもらえることになった。とても嬉しい。育児の合間にゆっくりと制作してもらっているため、まだ手元にはない。とっておきのおまじないをかけてもらった指輪が出来上がる予定。
結婚式も妊娠についてはまだ何も考えていない。昨日、子を産んだ高校の時のクラスメイトに会った。「出産育児に対して何も後悔はないし、子は可愛いけれど産む前の生活には2度と戻れないのだなと思っている」と教えてくれた。まずは夫婦としてのふたりきりの生活を謳歌しようと思っている。日中働いて、夜はすすきのに酒を飲みにいき、たまに長く有給をとって旅行に出かけるような生活。今この文章は、ソウルへ向かう飛行機の中で書いている。夫は横で文庫本を読んでいる。旅行に行く時は必ず、旅のお供に新しい文庫本を買うような人だ。そういうところがいいなと思っている。プロポーズ前に決めた旅行が、図らずとも新婚旅行になってしまった。パスポートの名前は旧姓だし、左手薬指に指輪のない新婦と生レバーを食べたがっている呑気な新郎。
幸せって状態ではなく、感じる心だとどこかで聞いた。わたしは今、幸せなのだろう。幸せだと感じると同時に怖くもなる。夫と一緒に歳を取っていくのは楽しみであり、歳をとっていくと辛いことも多くなるのだろうと悲観してしまう。いつかどちらかが先に死んでしまうと死別が予定されている未来。夫に看取られたいと思う反面、夫を残すのは可哀想だとも思う。夫が死ぬ前にボケてしまいたい。願わくば、頑固なばあちゃんにならずに可愛くボケたい。幸せであるうちは、その幸せをいつか喪失する恐怖からは永遠に���げられないのだろう。そんな恐怖とも、横でうたた寝をし始めた夫とも、今後とも仲良くしていこうと思う。
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2025/6/3
知識はAIに聞けばわかる時代に、我らは一体何をして生きていけばよいだろう。
自室のワークスペースに籠りながら窓ガラスの小さな雨粒が滑り落ちていくのを眺めていた。そんな疑問が心の奥底で何度も反響していて少しうるさい。
大きな知識が隣にある時代、僕らの役割はもはや特大のHDを頭に作ることではない。
答えは3つ
・体験や感情を語れないやつに用はない。
・そのために実行せよ。あらゆることを。
・そこで得た問いをAIに問い、その知識を持ちまた体験せよ。
考えてみてほし��。
朝のキッチンで、まだ起き得ない誰かのために朝食を作る喜び。トマトを刻む指先の感触。あるいは、出張先で、隣に座った見知らぬ誰かと、他愛のない話に花を咲かせた時の、あの奇妙な一体感。それから、真夜中のバッティングセンターで渾身の一振りがようやくボールに当たった瞬間の小さな勝利。
AIはきっと、完璧は完璧な朝食のレシピを教えてくれるだろうし、最高の会話術をレコメンドしてくれるかもしれない。バッティングの練習方法も、きっと驚くほど効率的なカリキュラムを提案してくれるはずだ。でも、そこで生まれる「熱」や「匂い」、胸の奥で確かに感じる「震え」は、データからは決して立ち現れない、僕たち人間だけが触れることのできる、やわらかな世界の断面だ。
知識が無限に広がる世界で、僕たちが本当に探すべきは、おそらく「知識」そのものじゃない。それは、僕たちの五感で、肌で、心で、直接触れることのできる「体験」の積み重ねなのかもしれない。ひとつひとつの体験が、まるで地層に刻まれた溝のように、僕たちの人生に確かな深みを与えていく。そして、その深みこそが、AIには決して届かない、僕たち人間の本質を照らす光になる。
雨粒を降らす、分厚い雲の向こうで星々が瞬くように、僕たちは今日も、指先の感触と、心の奥底の微かな響きを頼りに、この世界の端を彷徨っている。それだけが、僕たちがまだ、僕たちである証なのだから。
谷崎潤一郎に言わせれば「本を捨てよ」ということだろうが。
僕に言わせれば「文庫本をポケットに入れて歩き出そう」
知識や倫理に縛られるのではなく、感覚や直感で物事を理解するための一助になれ。
驚くほど静かな誕生日に。

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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作 島 守

新隊員の便所はノリだらけ
朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
それでも���あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
それは3ヶ月前
桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。
両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!���とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。
たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。
地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。

すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
午前中に寝泊まりするテントを設営する。
午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
<前期教育終了4日前>
パンツの隙間から半立ちのものが…
教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」
奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
再会をめざして頑張ろう
とうとう、今日という日が来てしまった。
俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
そして後日談…2024年
題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
職務上死の覚悟を要求される世界。
その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
文中漢数字が多いのは縦書きの影響。

「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。

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去年のことなのだが、一国一城の主になることができた。 昼と夜に営業する飲食店を開いた。若い頃から、ずっと関東地方にあるレストランで修行してて、いつかは自分の店持ちたいなー、と思ってた。先輩方は30代後半までにお店を起こす人が多かった。出遅れた感はあるけど、やっと達成できたのが心地よかった。 悩みというのは、「おしぼり業者をどうすればよかったのか?」ということだ。本業に比べれば、なんとも小さいことなんだが、地域でやっていくにあたり最適な業者を選びたかった思いがある。 以下長いけど、経過をまとめてみた。 (以下経過。長いです) 東京で修行して、故郷である京都市内でお店を開くっていうのが若い頃からの理想だった。 最初は故郷である山科の郊外でお店を開こうと思ってたが、(いろいろ問題がわかって)試行錯誤した結果、祇園にいいところが空いていた。 で、まさに開業をしようという時だった。残りひと月を切ったあたりかな? お店の開店準備をしてると、何かの営業の人がふたり来ていた。「こんにちは。ちょっと、いいですか?」ってプランクな感じだった。見た目は京都スタイルの和風私服だったけど、まあビジネスにもありかなって装いだった。 それまで営業は全部断っていた。自分で調達先を決めていたから。でも、『おしぼり』の会社だったんだ。京都でずっとやってるという。 おしぼりは、当時の自分が失念していた調達先のひとつだった。その時に「うわ、まずい忘れてた」と思ってひとまず話を聞いた。 「オーナーさんですよね。開店おめでとうございます」 という感じで名刺を渡されて、いろいろ話を聞いて、その場では返事をしなかったけど、こんな感じの内容だった。 ・おしぼりのレンタル(リース)をやっている ・長い間営業していて、京都市内の飲食店だとシェアがある ・祇園の半分の店はうちを使っている ・飲食店組合にも話は通してあるので すごいニコニコしていた。嫌な感じはしなかった。 「少し、考えさせていただけます?」でその場は乗り切った。 一応は、東京都内の飲食店に勤めていた過去がある。一部マネージャーの仕事もやってたから、なんとなく嫌な予感がした。最悪、反社の可能性がある。はてな民・増田民の皆様も、ああいう営業で人当たりが良すぎるのは気を付けた方がいい。 『地面師たち』のドラマ見たことある人はわかると思うけど、反社の人って演技力が抜群である。いい人の演技が熟達してるヤツが結構いる。 正直迷った。ちゃんとした業者の可能性も十分あるので。どうしようか迷った結果、飲食店の組合に聞いてみることにした。 京都は飲食店組合が強いと聞いていた。コミュニティが熟成しているのは間違いない。祇園なんて、全体で見ても狭い街である。最短で10分もあれば横断できる。新宿や六本木も狭いけど、一般市街地まで含めたら広い。 ただ、この京都のコミュニティの中で、(反社含めて)いろんな業者がどれほどの力を持っているのか、自分には全然想像もつかなかった。 祇園の飲食店組合(※正式名称は出しません。一応……)に思い切って聞いてみた。長年の経験によるアドバイスがほしかった。 業者が来た経過を説明したのだけど……正直スゲー他人事みたいな表情だった。その初老の役員さんは。 「まあ、○○さんですか。昔からある業者さんやわな」 「聞きにくいんですが、いわゆる、そういう方々なのでしょうか?」 「さあ、どうやろなぁ~祇園も色々あるやんなぁ~答えられん。おしぼりをどこから取るかは、結局、お店が決めることやし。組合がどうこう言う話でもない」 そっけなかった。「お店が決めること」っていうのは、自己責任ということだ。 組合は相談に乗ってくれなかった。絶対あんた情報知ってるやろ。反社かそうでないかくらい教えてくれよ。 ほかの店のおしぼり業者も気になった。 「うちの店の近所である」と断言できるお店が3つだけあった。同じ通りにある。 ただ、そこも教えてはくれなかった。口が重いというか、うちが新参だから気にされてる感はあった。 返答はこんな感じだった。 ・うちは昔から付き合いのあるところに頼んでる。会社は教えられない ・おしぼりなんて、適当に決めたら?(紙おしぼりでもええですよ) ・あなたもお店も、まずはええお客を作らんと。細かいところは後でいい ・どこも似たようなもん。京都府内だったら適当に会社を選んでもハズレはない ・話聞く限り、あなたのお店は高いんでしょう?おしぼりくらい自分で選びや~ なんか、どのお店もよそよそしい感じだった。それはわかるんだよ。近所とはいえライバルなのだから。 私が京都に帰ってきたのはつい先日である。料理の専門学校を卒業して都会に出たのだが、その暮らしの中で京都弁はすっかり抜けて標準語になってた。年に一度は山科に里帰りしていたのだが(京都の人は地元感を気にする)。 あの人たちは核心に触れるのを避けているように感じられた。面倒事に関わりたくないというか。 例えば、鴨川を挟んで真向かいにある木屋町だったら、今でも反社に守ってもらってるお店はある。高瀬川の上流にあるエリアである。第一観光ビルとかグリーンビルとか、昔小学校が建っていて今ホテルになってるとことか、あの周辺が特にそうだ。※たまに足がついて京都府警のお縄になっている 下流のエリアだと、ハイソがお店が並んでいる。同じ木屋町でも、お金持ち向けのエリアである。高瀬川の反対側にも飲食街があるが、そのあたりは残念ながら確信がない。 あきらめたくなかった。当時���一生懸命にどの業者がいいか?を調べていった。 おしぼりや什器といったお客さんが絶対に使うモノは、どこぞの知らない業者から手に入れたくなかった。こだわりがあった。反社など論外。東京で痛い目にあったことがあるからわかるのだ(秋葉原~台東区にかけての飲食街。アキバ冥途戦争はあながち間違ってない)。 ところで、故郷である山科で開業しなかったのは、開店時に「そういう人達」がやってくる可能性が極めて高かったから。木屋町も同様だった。その点、祇園は飲食店組合がしっかりしているからか、明らかにそういう連中が「うちが守ってあげますよ(^^)」みたいに来ることはなかった。 というわけで、食材やメニューや仕入れルートを決め切った後で、細かいことでも一生懸命に調べまくったよ。まな板とか包丁とか、食器とか、キッチンの導線とか、メインでもメイン以外でも、こだわりたかった。何事も最初が肝心だと思ってる。 今になっての感想だが、調べておいてよかったという確信はある。小さいことにも専心するのが事業の基本である。おしぼり業者は、結局インターネットで見つけた大手の無難そうなところにした。 ただ……今になって後悔がある。あの例のふたりで営業にきたおしぼり業者なのだが、彼らは反社ではなかった。正直、まっとうというか、京都市内でも伝統があると断言して差し支えないところだった。 彼らは、「祇園の半分の店はうちを使っている」旨の発言をしてたけど、それはマジかもしれなかった。実際、うちの近所の3店は、その業者からおしぼりをリースしてもらってた。 だったら、なんで教えてくれなかったんだよ!! 最近になって、そのおしぼり業者がもう一度きて、「しょうがないか……」という感じで、ほかの店とリース契約している証拠を見せてもらった。うちが京都と地縁が薄い新参店ということで、特別な配慮をしてもらったのだ。 ※私が失礼にも証拠を要求したのもある 後悔している感はある。実際、今からでも間に合うなら、その会社とおしぼりの契約をしたいと考えてる。ここだけは、明らかに選択を誤った。 けど、今の会社もまっとうな大手企業だし、契約期間1年未満で切るのもちょっとな~という思いがある。 おしぼりって意外と大事なんだよ。今の時期だったら、温かいおしぼりと、冷たいおしぼりが選べる店があるかと思うんだが、どっちにも適応できる神おしぼりを提供できるリース業者だってある。 あと、食事中もお手拭きや、洋食のナフキン代わりにおしぼりを使うお客さんもいるので、できればいいやつをお店に置きたいのである。 飲食店を開いたのは、「自分の料理で人を幸せにしたい」という確固たる思いがあるからだ。その思いは、開店前も今も変わらない。 だからこそ、全部こだわりたい思いがある。自分でうだうだ悩んでいてもしょうがないので、こちらに相談してみようと思った。その道に詳しい人が増田にはたくさんいるはずだ。 商売とかやってる人でも、会社員の人でも、経済社会に今は参加してない人でも、アドバイスをいただけるとありがたいです。クソバイスになってても読ませてもらいます。
レストラン営業のこじんまりとした悩み
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2025/03/26 休みの日
子ども達の引越しもほぼ終わって向こうに行かなくても良い休みの日の2回目。生活自体もう始まっているので必要なものはネットで頼み、向こうに届くというようにしてあり大きめの何かが昨日全て届く日だった。
新しい生活を始めるということは、時間もお金もかかるものだなと改めて知る。
私はというと毎月の定期通院の日、午前中かけて2つのクリニックに行き薬をもらう。貧血は前回から鉄剤を処方され毎朝内服している。少し前に採血したのでその結果も教えてもらった。ちゃんと数値は上がっていた。鉄剤ってすごい。それでもまだ基準値に満たないものもあるのでまだ継続します、と先生に言われまたひと月分の処方をもらう。確かに体を動かす際の息切れというかしんどさが軽くなった気がする。貧血、良くないね。
どちらのクリニックもさほど待つことは無かったが待ち時間に少し文庫に目を通す。スマホをなんとなく見て過ごす時もあるけれど、文庫をカバンに一冊入れてあるので、それを読むことも多い。
今カバンに入っているのは川端康成と三島由紀夫の往復書簡、というものだ。持ち歩いて出先で読む程度なので全然読み進んではいないけれど、三島由紀夫の川端康成に対する敬愛がすごく分かる。手紙というのはとても個人的なものになるのに、著名人の場合、時代が過ぎてからこんな風に公開されるなんて本人は恥ずかしいと思っているのかもしれないとか思ったり。

通院と通院の間に少し時間があったので辺りを歩いてみた。道端には土筆がたくさん生えており、すっかり穂も開いていて過ぎゆく春を感じる。そういえば小さな頃は祖母と土筆を採っては煮て食べたけれど、もうそんなこともすることは無いな、と幼い頃に思いを馳せた。
土手の水仙は強い香りを辺りに放ち雪柳は溢れんばかりだ。真っ黒の嘴だけ白い鳥たちがすいすいと川面を泳いでいた。調べてみるとオオバンという渡り鳥らしい。




それにしても黄砂の影響か、空が白い。
2箇所の通院を終えるとそろそろ昼だった。昼からは実家で髪の毛を切って染める予定。少し早めに行こうと思っていたところに母からのLINEが入る。お昼をこっちで食べないか、とのこと。そちらに向かっている旨を返信。
実家に着くと「お父さんと土筆を採りに行ったのと、お客さんから土筆をもらったのがたまたま重なって、思ってた以上にたくさん作れた」 と母がタッパーを見せる。

パッと見るとちょっと気持ち悪いかもしれないが土筆です。
驚いた。さっき土筆なんてもう食べられないだろうな、なんて思ったところだったし、母だってもう何十年もそんなことしたことが無かったというのに、採りに行ったのともらうのが重なるなんてことあるのか。偶然の一致とはなんて運命的なんだろう。
子ども達が家を出てからというもの、母が私の方を気にしているようでこうやって何かがあるからと食事を一緒に食べさせてくれることが増えた。ありがたいことだ。

両親とともに食事を済ませて、母に髪の毛を切ってもらう。入学式やら何やらあるのでさっぱりした。その後、母が近所のスーパーが割引の日だからと言うので母を乗せ買い物に行った。
まだ両親とも車の運転もしている。そこまでの年では無いし乗せられて怖くもないけれど、子ども達にお金も手間もかかる今、両親が元気でいてくれることは本当にありがたいと思う。親の介護と子育てが重なることほど大変なことはない。両親に日々感謝だ。
買い物をして帰宅すると時間指定で頼んでんあったものが配達された。私も自分だけの食事管理になるため、心機一転というのかそれ用にフライパンを買ったのだ。ダンボールを開けていると下の子からLINEが入る。所用があり急遽帰るとのこと。そんなつもりは無かったがこんな夕方から帰ってくるのなら戻る時は送って行くことになるなと思う。


下の子が帰宅するくらいの時間に合わせて晩ごはんを準備する。届いたフライパンも早速使う。大きめで色々入れられるように、とそれ目的で買ったものだ。
昼は母の手料理をご馳走になりすっかり��どもの立場だったが、こうなると母の立場になって子どものために食事を作る。これもまた巡っている感じがしておもしろい。
最寄りの駅まで迎えに行くと、月初めに開けた口元のピアスのキャッチを紛失したためこのままドンキホーテに行きたいとのたまう。毎日締めていてもすぐにバーベルの玉がどこかにいってしまうらしい。ホールが安定していないので取れてしまうのは困る。ドンキホーテで予備も含め2つ滅菌済みラブレットスタッドを購入。ボディピも大変だ。
そんなこんなで帰宅し下の子と作っておいた食事をする。珍しく美味しい美味しいと言いながら完食した。姉妹暮らしで主に食事を担当している下の子は、そんな風に思うのだなと感心する。親のありがたみというのではなく、他者に作ってもらった食事というのは格別美味しく感じる、というのを体感しているようで良かったなと思う。
慌ただしくて完成した食事を撮らなかった。一応もやしと豆苗に鱈を乗せたもの、小松菜を豚肉で巻いたもの、菜の花のおひたしとゆでたまごがメニューだった。
下の子が必要だったものを持ち、上の子の届いている荷物を持ちアパートに向かう。夜なので道も空いていて思ったより早く着いた。上の子はシャワーを浴びていて風呂のドア越しに少し会話をした。先週体調を崩していたようだったが元気そうなので安心した。22時頃にアパートを出た。帰り道もトラックばかりで混んでおらず1時間半かからずに家に着いた。
朝から夜まで何かと動いていた一日だったし、向こうには行かなくてよいと思ってたけど結局行ったな、などと思いながら風呂に入り布団に潜り込む。
この頃ゆっくり日々を振り返る時間が無く随分長くなってしまったが、記録として書いておく。ふと思ったことなんて慌ただしさに追いやられてすぐに忘れてしまうから。
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半年ぶりに以前交際していた男性に会う。SNSで彼の近影を見るたびに変わらず色気振り撒いてて、私は会ったらまた、くらくらしてしまうんじゃないか、と思っていた。別におんなじ展開でもいいけど、違う筋書だっていいじゃない。いまの私ってどっちなの、それが知りたくてのこのこ渋谷に向かった。
結果拍子抜けするくらい、なんともなかった。帰りに手を繋がれたのにも浮き足立たない。別れ際キスされそうになって、咄嗟に頬を向けた自分に驚いた。あ、いまの私ってもう彼に熱を感じないんだっていう寂しさと、ちゃんと私の感覚って変わってるんだっていう嬉しさがないまぜになった。
最近はそんなのばっかり。加藤とはいまだに季節が移るごとに会っているけど、ここ2年くらいはただ食事して解散するのを重ねている。いっぺん明け方に、我々もう寝たほうがよくね、とホテルに行ったこともあった。わずかな期待と、でもそれ以上に「据え膳」になったときに、いま私がどう感じるのかを確かめたくて。彼なら絶対に強いてこない、っていうずるい気持ちもある。いざ腕を回されたとき、なんか違うな、と感じて、ただふかふかのベッドでそれぞれ丸まって眠って、翌朝別れた。
ぴかぴかのエリートの恋人が欲しくてしょうがない時期に出会ってしばしねんごろだった東大卒外コンの男の子とも1年ぶりに会った。会うのがひさびさでうまく線引きできず応じたけど、正直なところしなくてよかった。ただ、ピロートークと言うほど甘やかなものでもないんだけど、彼とぽつぽつ言葉を交わす時間は楽しかった。でもそれでしかなかった。
彼からは、「〇〇ちゃんと話してると異文化交流してる感覚になる」と言われた。見えない壁に名前をつけられたようで悔しいけど、おおむね合っている。ずっと前からそびえていた壁は、価値観なんてものじゃなくて信じる宗教、というのが正しい。それは元彼や加藤も同様な気がしていて、かつてはそれに目を瞑ってもなお、執着できた。むしろ私は、神様が違う人に惹かれたかった。
とはいえ、どうしても情欲に引っ張られそうになった夜に、「彼らだったら受け入れてくれるだろう」と思える人を頭の片隅に置いておけるのは、ある種のセーフティネットとも思う。
それでも、傷つく。それは私を無碍にしているから、というよりかは、セーフティネットにしてしまったことへの罪悪感で、まっとうに傷つく。だから、深夜にLINE飛ばすことももうないと思う。こなせるようになって、寂しい。
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