#家具の町東川町・椅子の日
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伊勢神宮へ 酔いと音の古殿地
先日、友人のピアニストであるふじいさんと伊勢神宮に行った。初めて観光地で昼間からお酒をのむということをし、今までの観光のなかでいちばん心地よく頭のまわらなさ、とてもよい小旅行だった。またわたしは偶然、京都の伏見と混号になっている伊勢特集のブラタモリを所持しており、これが今回とても役に立った。前の週に予習として読んだときは(ふ〜ん、)というくらいだったが、伊勢までの電車の中で読むと既に実感を伴い、(知識にも入れどきってもんがあるのよ〜)となった。わたしの人生初のお伊勢参りは午前中だったからか観光地としては非常にちょうど良いくらいの人の多さ(多くなく)で、曇り雨予報もお伊勢参り中は全く降られることなくとても良かった。神宮のつくりと見かけ、また観光地としての佇まいはとても美しく、気高く、tidyな賢さのある観光地であった。おおきく見ていてうれしかったポイントとしてはふたつある。
ひとつめは古殿地のシステム。古殿地というのは、伊勢神宮は20年毎に1回式年遷宮という正殿を筆頭にいくつかの社殿を真横にそっくりそのまま建て替えるということをする。古殿地とはそのための土地、要するにholyな空き地である。この20年を節目にして建て替えられるというのは飛鳥時代の620年あたりからで、ここまでのべ62回の造り替えが行われてきたそうだ。社殿に使われる装具品なども全て作りなおされるので、伊勢神宮はトラディショナルだが常に新しいということである。して、それの何がよかったのかというと、完成された社殿に開発できるスペースが常にあると言う状態がこの神宮の格式の高さだと思えたからだ。これをふじいさんに伝えようと思ったときに何に例えると良いだ��うかと参道を歩きながら考えた。大抵いつもこういう感動を伝えやすいのはエンジニアの友人であるカイくんで、彼だったらプログラミング、書ききったコードにあらかじめバッファを残すやり方とかそういうものがありそうだな、、とか思ったが、その辺のプログラミングの素養がわたしにはないし、プログラミングに例えてもわたしもふじいさんも納得感が薄い感じ〜となりそうと思うと、ピアノのスケールに例えられる気がした。スケールというのは順当に並んだ音階のこと、単純言うとドレミファソラシドという音列(これはCメジャースケール)のことで、これをたとえば片手で1オクターブ分のスケールを引くときには、(右手で弾く場合)15音に対して指は5本しかないので運指を少し工夫する必要がある。ドレミまで123(親指から番号を振り)の指で引きファの音で指を潜らせて1の指で引いてやると次のドまでの音階を残った2345の指で弾いてやることができる。これを左手で行うと(小指から逆順に番号を振り)5432/1321の運指でありここまではとても美しいシステム、指の運びだなとわたしは思うのだが、わたしが気にしているのは2オクターブ以上引くときの運指である。音の始めはいずれにしても1の指からなのだが1オクターブ上のドに辿り着く指はいずれも345の流れである。つまり2オクターブ以上引くときには間で指を潜らせたり跨がせる所作をさらに加えて行う必要がある。具体的には右手の場合は123/1234/123/12345。左手だと54321/321/321/4321となる。このときの右手の運指に問題がある。1オクターブ引き切る前に2オクターブ目のスケールに向かうための運指の変化があるのだ。つまり1オクターブのスケールを弾くときと2オクターブ引くときの指を流れが違う。1オクターブ弾き切ってから(ア!もう1オクターブいきたいかも)にシステムとしては対応できていない。というようなことをつい先日スケールの練習をしているときにそういうことを考えていたことを思い出した。たとえばクラシックではそんな場面はあまりないかもしれないが、たとえばジャズでインプロビゼーションなどするのであれば土壇場でもう一音階上がりたいという場面があってもおかしくないのではと想像したのだ。前置きが長くなったが、どこまでも上がり下がりする音階をつくるためには一般的な運指ではなくあらかじめ次の音階に上がれる「音(指)の古殿地」が必要かもしれないということ。それを彼女に話すと、よくそんなこと思いつくと言ったあと、でもそういった場合たとえばペダルを併用したりもう一方の手でカバーを入れたりして澱みなく繋ぎ直す方法もあると教えてくれて、わたしはとても愉快になった。ふじいさんはとてもピアノが上手いし、いつも話を聞いているとピアノに対しての甘えのない人だ。そしてこの彼女がシステムを超えるためのアド��ックな技巧があること、またそう言ったときの(おそらく演奏というものは必ずしもそういうことではない)というような毅然とした態度に、わたしは増してわくわくした。
ふたつめは終点の標識。伊勢神宮には愛知から名古屋を経由し国道23号線をずっと走ってくると伊勢神宮までたどり着くことができ、そこには国道23号の終わりがある。標識の23の文字の下には白地に黒文字で終点と書かれており、ことは内務省より「東京より伊勢宗廟に達する路線」 として国道9号が指定されたのが1885年、1920年には旧道路法に基づく変更にのり国道1号となり名実ともに日本を代表する幹線道路だったわけだが、終戦後に再び何度かの道路改正があり、一級二級といった区別がなくなり今の一般国道23号線になったのは1965年のことだそうだ。この終点の標識ひとつとっても、当時からの伊勢神宮の位の高さが伺える。神宮としてあり続けるために観光面においても、御司という平安から明治の初めにかけて多くいた伊勢神宮への参拝のための旅行コンシェルジュのような存在や、江戸の街並みを再現したおはらい町など、伊勢神宮の気高さは街全体がつくってきたのだ。そして終点もそのひとつ。観光地が維持されながらも同時にアップデートされていく一端を見れてとてもうれしい心持ちであった。なんといっても「終点」 というのが良い、目的地のなかでも終点と言われてしまえば(真に目指す必要のある場所だ!)と思うのも頷ける。
とりあえず外宮と内宮を見て周り、初お伊勢参りとしては十分及第点だろうといったところで、そのまま横に流れ、おはらい町へ。てこね寿司を食べようと思ったが、ふじいさんがそんなに乗り気ではないように思われたので、とりあえずコロッケのおいしいという店でコロッケとメンチカツを頼んだタイミングで、焼酎をのもうと言われ2号をふたりで飲んだら、すごくきれいに酩酊。わたしは観光地ではいつも専ら学習モチベーションが高く、神宮でも、最高な巨木!美しい五十鈴川。気高き社殿群と、直感的には伊勢の空気に触れつつもしばしばブラタモリを開いてはふむふむしていたお昼まで、初めて旅行先の外でしっかり酔っ払いとても愉快であった。神宮に行く前に伊勢うどんを食べたこともあり、めちゃくちゃ腹減りという感じでもなく、すっかり機嫌の良いわたしたちは観光地とはおおよそ関係の希薄そうなアイスクリームを食べ、こちらは子供サイズというひと巻きかふた巻きほど少ないのが大きさのものがあり、一個は多いが、というニーズにぴったりであった。その後は本店の赤福を食べ、ふじいさんの友人の谷さんいわくお土産の赤福とは一線を画すとの前情報であったが、たしかに、食感においていつもの赤福より餅が柔く、餡も心なしかみずみずしいように感じられた。このあたりでは少し酔いが覚めてきて、非常にちょうど良さではあったが、良さのもう一段上、更なる心地よさへの高みに想像がはたらき(酔いの古殿地)、別のお店であともう一杯だけ日本酒をのむと、それはなんとも贅沢な昼の心地であった。そうこうしているとおおよそ帰路に着く時間に近づいてきていたので、わたしのリクエストでバスで宇治山田駅へと向かう。かく宇治山田駅もお伊勢参りの後援として一役買っている重要な場所である。1931年に建てられたこのモダン調の駅舎は近鉄電車、大阪のなんばから宇治山田駅間を2時間ほどで繋いでおり、関西から参拝にくるひとの多くが利用するルートのひとつである。ちなみにブラタモリには駅舎のテラコッタ色のタイルが印象的であると書かれていたのだが、わたしが見る限りではどこにテラコッタ色のタイルはなく(見つけられず)、それは少し悔やまれたが、しかしそんなことはどうでも良いと思わせるほどのサプライズがあった。なんと宇治山田駅にはストリートピアノなるものが設置されていたのだ。開けた構内には普段であればちょっとピアノ弾くか迷うくらいのひとの多さがあったが、ここで追い日本酒がほどよく効いていたのもあり、純粋に突如現れたグランドピアノにテンションがあがった。思いもしないタイミングでふじいさんの演奏を直に聴くことができるのがうれしい。確実に演奏家として彼女の方がはるかに上手に弾くだろうと思ったので、先に私から演奏する。すこし音をならすと、非常に良い調律というか鍵盤の硬さで(あとでピアノの写真を見返すとYAMAHAであった)、初見でこんなに手に馴染むピアノがめずらしく、また酔いも助けてわたしはとても良いモチベーションで演奏できた。楽しく弾くことができたし聴き手からしても楽しさ〜という演奏になっていたように思う。あとからあれはBLUE GIANTの2巻でダイが、「音楽はいいな〜音楽はスゲェな〜を吹きます」 のシーンの心持ちだった。それからふじいさんの演奏。連弾用に椅子が二脚あり横に座って聴いたのだが、彼女の演奏はとても流暢で、酔いのなか、彼女としてはどんな出来だったのかは分からないが、とても軽やかで流れのある水を撫でているような心地よさ、砕けたいうにはいささか繊細な粒子の細かいフランクな音でとてもよかった。彼女の手の動きは見ていてもおもしろかったし、途中からは音楽に身を委ねて目を瞑って聴いたのであった。彼女は2曲(だったと思う)弾いてくれ���一曲はラヴェルだと言っていた(もう一曲はなんだったんだろう)そのあとは少しだけふたりでポロポロと弾いたり弾かなかったりした。あらためてとても良い旅であった。
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将��伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲��解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年7月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和6年4月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
受験の子送りてしばし黙す父母 喜代子 うつうつも待つこと楽し花便り さとみ 初桜幾歳月や句座の道 都 野遊びのノスタルジーを胸に秘め 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
野遊の一人は高きハイヒール はるか 春愁の長き耳垂れ犬来たる 光子 譲ること大嫌ひなの半仙戯 同 ボール蹴る子に一瞬の花吹雪 美紀 ぶらんこを替つてくれず漕ぐばかり 瑠璃 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 大使笑ふ南麻布の花の昼 佑天 花冷のベンチに花冷のお尻 緋路 群青の絵の具は春の水に溶け 同 教会の桜は透けるほど白く 小鳥
岡田順子選 特選句
花に息ととのへてゐる太極拳 光子 鞦韆の蹴り寄せてゐる桜色 三郎 純白の肌着吊られて花曇 同 皆遠き目をしてをれば桜かな 和子 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 子の声は残響となり連翹黄 同 花は散るべしと笛吹く裸体像 俊樹 春の野の児らしか知らぬものがたり 軽象 花すみれ遠くの空に戦闘機 美紀 春光の鳩はみどりの首見せに きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夕日落つ別離の駅の古巣かな 朝子 冴返る齢八十骨の音 成子 仔犬抱き遅日の船を見送りぬ かおり 菜の花や千の棺より生るる 睦子 枝枝に声転がせて鳥交る たかし いつせいに揺るゝ吊革鳥帰る かおり 煙草屋は古巣残して店仕舞ひ 久美子 陽炎の消えて居座る陰陽師 美穂 地に古巣天に野鳥の窓があり 修二 我先に舫ひ綱解き鰆東風 たかし 朧月十二単衣に逢へさうな 同 しつけ糸解くおぼろ夜の京友禅 美穂 待つといふうれしさ人も桜にも 孝子 永遠の未完でありぬ桜かな たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月8日 なかみち句会
春の海ばかりの駅に途中下車 秋尚 つれづれに雨音聞いて日永かな 廸子 鎌倉や角曲がるたび春の海 三無 石楠花や参道狭し奥の宮 史空 お別れの日に石楠花の紅の濃く 貴薫 また元の話に戻る母日永 美貴 小刻みにきらめく春の海まどか のりこ 寺領にも石楠花紅く小糠雨 ます江 ………………………………………………………………
令和6年4月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
娘良し妻さらに良し春日傘 三四郎 母の忌を迎へし朝の春の雪 ただし 風光る千年超えし物語 みす枝 春浅し耳朶柔らかなイヤリング 世詩明 天空へ光を返す白木蓮 三四郎 愛猫に愚痴こぼしをり四月馬鹿 みす枝 初蝶の二つ行先定まらず 英美子 貝の紐噛んでひとりの春炬燵 昭子 ほろ酔ひを名妓支へて大石忌 同 校庭の鉄棒に触れ卒業す 時江 薔薇一本くれる夫ではなけれども 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月9日 萩花鳥会
春一番濁りし川の鯉めざめ 祐子 春愁の情緒一新晴衣着る 健雄 春の宵椿徳利の矢の根寿司 俊文 四月空総出で迎える娘の帰国 ゆかり 遊覧の舟に続くや花筏 明子 教科書に漢字で名前進級す 美恵子 ………………………………………………………………
令和6年4月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
山笑ふ札所巡りにの急き 宇太郎 一歩づつ眼下となつてゆく桜 美智子 渡船場に飯蛸釣りて島土産 宇太郎 桃咲いて捨て犬たちの誕生日 都 杖を曳き��じりて遊ぶ花筵 悦子 囀を総て抱へてゐる大樹 史子 初燕無音の青を切り分けて 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
としあつ忌修す爛漫卓の上 百合子 信濃路は薄紅に花杏 和代 里は今杏の花に溺れたる 白陶 想ひ出のとしあつ談義飛花落花 亜栄子 竹秋の風を聞かむと句碑に佇ち 三無 白寿なる母満開の花と散る 多美女 句碑古りて若さ溢るる花楓 文英 雨上り杏の花の山家かな 幸風 ふんはりと包みたる香の花通草 秋尚 白き卓都忘れの彩映えて 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
対岸に人の流れてゆく花見 あけみ 軽貨物春の泥付け走る町 紀子 犬ふぐり自転車の子は風のやう 裕子 烏ども引き連れてゐる田打ちかな 紀子 障子開け全て我が世の花見なり みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
余生をば貪る朝寝でありにけり かづを 一穢なき姿のままの落椿 同 落ちてなほ華やぎ続けゐる椿 同 春風に仰ぎて凜と左内像 同 板木打つ仕草秘かに春そこに 和子 朝寝して咎める人も無き自在 泰俊 春愁や錆びし火の見の鉄梯子 同 蛇穴を出づと云ふ世の一大事 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
咲き満ちし花に静けきある古刹 かづを 芽柳に縁なる風棲み初めし 同 沈丁の闇をつないでゆく香り 同 九頭竜に吐息とも見る春の雲 同 此の花に幾春秋を共にせし 雪 花を見に一人で行ける所まで 同 春休み児ら自転車で飛び廻る 富子 鴬のしきりに啼く日啼かざる日 英美子 川幅を歪めて流る花筏 真喜栄 夜ざくらやいつも打つ寡婦暮し 世詩明 筍や十二単の皮を剥ぐ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
哀愁の容姿あらはに紫木蓮 数幸 徐に白を極めて花水木 千加江 流されて留まり忘る花筏 同 春場所やふるさと力士負け多し 令子 唐門の昔を語る桜かな 啓子 紫の夜空の中に桜散る 同 二人で見いつしか一人花の道 希子 仮の世にしては見事な花吹雪 泰俊 無住寺は無住寺のまま桜咲く 同 愛子忌やせめて初蝶見たること 雪 落椿踏まるるをもて瞑すべし 同 和尚来たかと散る花に酌まるるや 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月19日 さきたま花鳥句会
たまゆらの時を浮遊し石鹸玉 月惑 春愁や己を鼓舞し逝く句友 八草 花篝名残りの片のうらおもて 裕章 脱ぎ捨てし靴下にある花疲 紀花 掛茶屋へたどりつきたる花疲 孝江 花吹雪渋沢像の頭に肩に ふゆ子 腰痛の愚痴ふき飛ばす芝桜 としゑ 楤の芽の口にひろごる大地の香 康子 春炬燵夫の座椅子のたばこ臭 恵美子 藤棚の真中を風の通り抜け みのり 待ちかねた早朝よりの花見客 彩香 十字架の隣に読経山笑ふ 良江
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令和6年4月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
メタセコイアむんずと掴む春の雲 三無 今日も来て舞ひを見せたる春の蝶 ます江 佐保姫を見送る空の雲白く 軽象 蒲公英の真白き絮は飛ばず揺れ ます江 一山をより高くみせ桐の花 斉 僧一人花韮咲かす露地に消ゆ 久子 牡丹の重たく崩れかけてをり 秋尚 桜蘂降つて大地に横たはる 斉 春草の足裏くすぐる田圃道 経彦 観音の御手のやさしく著莪の花 芙佐子 ゆつくりと翅を広げて蝶生まる 斉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
昨夜爪を切りたる指に草を引く 雪 十一面千手千眼像朧 同 瞑すべし柏翠踏みし落椿 同 この椿もんどり打つて落ちたるか 同 初蝶や昨日は森田愛子の忌 同 不器用を誰憚からず針供養 同 春愁や文箱に封じたる手紙 同 春愁や此の髪に手を置きし人 同 昭和人昔語らず花の下 昭子 本気度を探るお見合亀鳴けり 同 久々に手に取る修司五月来る 同 しなやかにそしてしたたか単帯 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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シフトチェンジ
日曜日の朝の高知市内のお天気は快晴。あちらこちらでは、新緑の息吹。春から夏に向けてのシフトチェンジ。私もシフトチェンジ。 今日は何の日? 今日 4月14日(日)の記念日・年中行事 • オレンジデー • パートナーデー • フレンドリーデー • 柔道整復の日 • タイタニック号の日 • 良い年の日 • 椅子の日 • ロスゼロの日 • ブラックチョコレートの日 • 家具の町東川町・椅子の日 • ピロリ菌検査の日 • 丸大燻製屋・ジューシーの日 • クラシコ・医師の日 • 春の全国交通安全運動 •…

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2024.1.14sun_kanagawa
昨日はアドレナリンが出ていて、いつもより遅く寝着いたが、いつも通りの6時に目が覚める。でも今日は休みだ、と安心してもう一度寝て、7時に起床。洗面を済ませ、着替えてお砂糖とミルクがたっぷりのインスタントコーヒーを飲む。これは私が子どもの時からのルーティーンだ。SNSやLINEをサッと確認して返信を打つ。ワクワクするお誘いに心浮き立つ。 今日は初めてのWSに参加する予定だ。でも、その前に知り合いのイベントに行ってみよう。まだ布団の中の夫に「いってきます」と告げ、足取り軽く家を出る。車を運転すること30分。鶴川にあるセントラル商店街という何ともノスタルジックな場所に到着。早くも聞こえてくるお囃子の音に自然と駆け足になる。角を曲がると、威勢のいい声と同時に餅をつく人、返す人、手を叩いて笑顔でエールを送る人たちのエネルギーで溢れかえっていた。年始初めて会う知り合いみんなに声をかけ、再会の歓びを分かち合う。人生で初めての豆花をいただいた。ほんのりと甘く、重すぎず、いろんなの食感を味わえるいくちゃん(食堂pocoさん)の���花。今の身体に最高の食べ物だ!お腹は満たされていたが、あちこちからいい匂いがしてきて、まだ食欲が止まらない。古いストーブの上で温められていたのは豚汁だ。そのすぐ下にはブタの置物。なんてシュールな…この後の予定を考えてやめておいた方がいいと言う私と、いや、身体も温まるしとにかく食べたいと言う私でせめぎ合う。次の瞬間お代の300円をお店の方に手渡していた。椅子に腰掛け、豚汁をいただく。やっぱり大正解だ。豚汁とカレーは、大きな鍋でたくさん作られたものがなぜか美味しい。きっとこれもそうだ。大満足で完食すると、目の前には『うどん』の文字。食べたい気持ちをグッと我慢し、私は席を立った。

知り合いに会い、美味しいもので満たされた私は、今日のメインイベントへ。Googleマップを頼りに10分ほど歩くと、茶色いムーミンハウスのようなジブリに出てきそうな窯が見えてきた。そう、今日私は陶芸を教えてもらうのだ。でも、その前にヨガ。アパートの入り口を探して扉を開けると、木と光のぬくもりが溢れるスタジオと慣れ親しんだ顔が目に飛び込んでくる。いつもお店に来てくれる人も、たまたま今日初めての参加だったのだ。驚いて嬉しくなり、初めて会う方々にも紹介し、紹介され、その場が明るい雰囲気で包まれていた。

ヨガ講師である美しい笑顔のみちこさんに挨拶をし、急いで着替えを済ませ、ヨガマットの上に座る。はて、私はヨガ何年ぶりだろうか…3年前までピラティスはやっていたが、ヨガは5年ぶりくらいかしら…身体が硬い私は、『家でストレッチしてくればよかったな。急にヨガやって大丈夫かしら…またどこか傷めないかな。』と不安になってきた。それを察してなのか、みちこさんが「私のヨガ教室は、自分の身体に目を向け、自分の呼吸に耳を傾けて、自分自身を感じるためのヨガです。無理に身体を動かしたり、ポーズを極めたりするのではなく、ストレッチとトレーニングを繰り返していきます。筋肉に負荷がかかるトレーニングの後には、その筋肉を緩める動きを入れていきますので、決して無理のない範囲で身体を動かしていきましょう。」と説明してくれた。なんてすごいタイミングと思いながらもホッと胸を撫でおろす。呼吸を整え、先生の出してくれる指示に従いながら身体を動かし始める。先生の声の質感や声量、テンポの心地よさに耳を預け、普段あまり伸ばさないところを心地よく伸ばしていく。動きの指示を優しく出しながら、先生はその反対の動き(左右)をし、ポーズの名前や由来を教えてくれた。時々『あれ?今私合ってるかな?』と不安になり、周りをチラチラと確認しながらも、身体を動かす心地よさを感じながら、私はどんどんヨガの世界に浸り始めていた。しかし、恐れていたことが起きてしまったのだ。仰向けで脚を頭の後ろに持っていくポーズになると、なんだか苦しく、少し気持ちが悪くなってきた。そう、動く前に食べ過ぎたのだ。私はその動きを中断し、仰向けに戻ってしばし休憩。みんなが気持ち良さそうなのを横目に、やはりな…と反省(でも、美味しかったから後悔はないw)。そして、その後の動きから合流し、ヨガの時間1時間半が終了した。 副交感神経が働いているせいなのか、まだ頭がボーッとしている中、みんなでお昼ご飯の準備が始まった。マットを片付け、テーブルを出すと、梅ちゃん先生(陶芸の講師)がいい匂いのする鍋や炊飯器を持ってきてくれた。この香りはカレーだ。ターメリックで黄色く色付いたご飯の横にカレー2種をかけ、それぞれの席に配る。テーブルの上には鮮やかな野菜たちの炒め物やサラダが所狭しと並んでいた。みんなで「いただきます」をしてから食べ始める。カレーをひと口、ふた口と食べ進めると、辛くもないのに、頭皮の毛穴が開き、スースーするような感じがした。スパイスが私の身体の中から作用している。不思議な気持ちになりながらも、どんな風に作ったのか、どこで手に入れた食材なのか、どんな風に出会った料理なのか、それぞれの先生に尋ねたり、日常の話をしたり、みんなとする食事の時間を愉しんでいた。

食べ終わるとオラクルカードの時間。年始にひいてみるのが恒例となっているそうだ。私がひいたカードは、鮮やかな緑の上に明るいピンク色がのっていて、そこに白いマーガレットのような花がたくさん描かれているカード『世界を維持する者 ヴァースデーヴァ』というものだった。みちこさんが手渡してくれた解説書を読むと、ふむふむ…リラックスしましょう。休息しましょう。それが次なるエネルギーとなるでしょう。と書いてある。年末年始でこの言葉を聞くのは3回目だ。一つ目はしいたけ占いの水瓶座。二つ目は前日にみてもらったカラーセラピー。そして三つ目がオラクルカード。よほど休んだ方がいいらしい…頭の片隅に置いておこう。 さぁ、今日の愉しみはまだ終わらない。別の部屋に移動して、エプロンをつけ、サンダルに履き替えると、梅ちゃん先生の陶芸教室の始まりだ。陶芸こそ初めてではないが、人生で三度くらいしかやった事のないもの。今回教わるのは手轆轤という器具を使うものだそうだ。あらかじめ用意していた作りたいイメージの器の写真を用意し先生に確認すると、私の分の陶土を用意してくれた。みんなに作業確認や指示を出しながら、先生はそれを捏ねていく。捏ねている土の動きをただただ見続けていた。少ししてから菊練りという段階に入ると、さらに土の動きや模様が美しく、感嘆がもれる。永遠に見続けられると思っていると、あっという間に菊練りは終わってしまった。それを手轆轤に少し乗せ、潰して円を作る。その上に長細くした土を重ね、どんどん高くしていく。そして、そこから好きな形に伸ばしていくそうだ。先生が湯呑ならこのくらい、お茶碗ならこのくらい、煮付けの小鉢ならこのくらい、と言いながら、まるで魔法のように次々に形を変えていく。

圧倒されていると、自分の番が回ってきた。手を動かすことは大好きなのだが、いざ始まると、えっと…まず何でしたっけ?という状態。先生に確認しながらまずは土に触ってみる。ヒンヤリと冷たく、粘土よりも少し硬い。水分を含んでいて、少しだけスズリのような香りがした。それを丸めたり伸ばしたりしながら、教えてもらったように形を作っていく。どうしたら繋ぎ目がきれいに無くなるのか、頑丈な器になるのか、厚さが均等になるのか、分からない事は多いがとりあえず手を動かしてみる。参考作品の写真を何度も確認し作り進めるのだが、なかなか思うような形にはならない。夢中になって作り続け、2時間ほどだろうか、やっとなんとか納得できる形になったようなので手を止めた(本当は永遠に形をあれこれ変え続けていたい気持ちだったが…)。集中力が解け周りを見渡すと、様々な形が出来上がっていた。どれもこれもみんな生きているようで何とも愛おしい。次回は『けずり』と言われる作業なのだそうだ。また来月の愉しみが増えたことに心が躍る。先生の淹れてくれた生姜紅茶とみなさんからの旅行土産の差し入れででホッとひと息。ふと我にかえると心地よい疲労感や達成感が押し寄せてきた。 今日を共にできた先生や生徒のみなさんに挨拶をし、アトリエを後にする。車に乗り込み、夕焼けを眺めながらのしばしのドライブ。だんだん暮れて色が変わっていく空の様子を観察しながら、今日のことを思い出し、ひとり笑顔がこぼれる。音楽を聴きながら唄いながら家路についた。��んてキラキラとした時間のつまった一日だったのだろうか。また明日から頑張ろう!
-プロフィール- 野沢ちか 39歳 神奈川県 花綵hanazuna
2023年4月東京都町田市にある簗田寺のかたわらにある白い建物“tem”にてアトリエをオープン。 簗田寺の里山に生きるたおやかな草花を摘み、花生けのお教室やリース作りのWSなど、草花を身近に感じられる暮らしの提案をしています。 Instagram @hanazuna_style hp https://www.hanazuna-style.com/
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 4月14日(木) #仏滅(丁酉) 旧暦 3/14 月齢 12.9 年始から104日目(閏年では105日目)にあたり、年末まではあと261日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 列車の扉が開いた途端に一斉奪取 やっぱりありですかね😅💦駅の アナウンスではプラットフォームやコンコースでは 危険ですので走らないで下さいと 連呼しますが聞く耳持ちませんねw . 今朝は走りたくなる心心境が少し 判った気がしなした🤚多分ですが 寝坊したんでしょう😅💦寝坊し ちゃった分だけ時間を取り戻そう って魂胆でしょうか🤣無理デスヨ🤚 . にしても暑くなりました☀️昨日 ですけど😅💦暖かくなって来た ので様々な生物が活発に動き廻り ますよね🤚昨��の朝ですが生まれ て初めて野うさぎを見ました👀 . 凄い勢いで走り抜けて行ったのが 一瞬の事で追いかけて画像に納め ようという考えすらも過ぎるのも 起きたのは既に姿が見えなくなっ てしまった⤵️流石に🤣無理デスヨ🤚 . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #西武球場開場. 1979(昭和54)年4月14日(土)埼玉県所沢市上山口2135に西武球場が開場しました。 元々は「西武園球場」という小規模の球場で、1963(昭和38)年に竣工したもので 主にアマチュア野球の試合で使用されていたほか、日本プロ野球(NPB)の二軍戦での イースタン・リーグの公式戦でも僅かながら開催されていたものでした。 それを、福岡を拠点に活動していた「クラウンライターライオンズ」を西武鉄道グループの一角 「国土計画」西武ライオンズが買収し「西武ライオンズ」再出発をし、チームの本拠地を当時 改装中であった西武園球場に決まったのです。 工事終了後に「西武球場」として西武ライオンズの黄金期を迎える事になるのでした。 屋外球場として改築はしたが、既にドーム化が出来るように設計段階で想定して 作られ、1997(平成9)年度と1998(平成10)年度のNPBオフシーズン中に、2期にわたり工事 を実施。第1次工事でステンレスの金属屋根、2次工事で膜屋根がフィールドの上に設置され 1999(平成11)年3月18日(木)、日本で5球場目のドーム球場として西武ドームで再スタート。 . #仏滅(ブツメツ). 六曜における大凶日。 「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。 また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。 . #丸大燻製屋・ジューシーの日(毎月14日). 大阪府高槻市に本社を置き、ハム・ソーセージ事業、調理加工食品事業、食肉事業などを手がける丸大食品株式会社が制定。 . #高級食パン文化月間(4月8日~5月9日) 高級食パン専門店「銀座に志かわ」を全国に展開する株式会社銀座仁志川が制定。 . #タイタニック号沈没事故(#SOSの日)(#sosday)(#タイタニック号の日)(#TitanicDay). . #オレンジデー(#Orangeday). . #ブラックチョコレートの日. . #ロスゼロの日. . #家具の町東川町・椅子の日 . #パートナーデー(#Partnerday). . #フレンドリーデー(#Friendlyday). . #椅子の日. . #柔道整復の日. . #春の高山祭(高山市). . #良い年の日. . #東南アジア・#南アジアの正月. . #ブラックデー(韓国). . #エジプトの聖マリアの記憶(正教会). . . ■今日のつぶやき■. #渡る世間に鬼はない(ワタルセケンニオニハナイ) 【解説】 世の中には鬼のように無情な人ばかりでなく、親切で人情に厚い人もいると云う事の例え。 「渡る世間に鬼はなし」とも。 . . 1984(昭和59)年4月14日(土) #鈴之助 (#すずのすけ/本名、旧芸名、田中 鈴之助〈たなか すずのすけ〉) 【俳優】 〔東京都〕 . . (八潮駅) https://www.instagram.com/p/CcTsF_PhkPq6CZ3yK6xHAPZOjTkJrc2wkaS7HA0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#仏滅#西武球場開場#丸大燻製屋・ジューシーの日#高級食パン文化月間#タイタニック号沈没事故#sosの日#sosday#タイタニック号の日#titanicday#オレンジデー#orangeday#ブラックチョコレートの日#ロスゼロの日#家具の町東川町・椅子の日#パートナーデー#partnerday#フレンドリーデー#friendlyday#椅子の日#柔道整復の日#春の高山祭#良い年の日#東南アジア・#南アジアの正月#ブラックデー#エジプトの聖マリアの記憶#渡る世間に鬼はない#鈴之助#すずのすけ
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暗チで行く北陸旅行・1日目
コロナウィルスが蔓延している昨今ではありますが、ソーシャルディスタンスを守り、中医学の医師より頂いた漢方を持って健康に気をつけながら富山・石川県を旅行しました。 せっかく手に入れたジョジョの暗殺チームガチャポンを連れて、旅先で写真を撮って玩具クラスタに戻った感じです。唐津や呼子のユーリ・オン・アイスや真田丸以来です。おバカな写真ばかりですが楽しんでいただけると幸いです。
何故リゾットとイルーゾォなのかというと、適当?消去法ですかね。沢山は持っていけへんし。 ・ホルマジオ→なぜか頭重くて前のめり。買った当初からなぜか棚から落ちる・・・! ・ペッシ→頭でけぇ。前のめりで不安定。 ・兄貴→ペッシいないなら連れてくのもなぁ。リゾット&兄貴でもいいんだけど悩む。 ・ギアッチョ&メローネ→そもそもいない。
<8月6日①・東京駅> 新幹線の旅行は基本的にアイスティーかコーヒーをお供にするスタイル。駅舎や車内の混雑に恐々としつつ乗り込みましたが、混雑もなくすいすい富山県に行けました。 ただ、東京駅は待合の椅子を減らしたりお店の開店時間が変更になったりしているようですね。(待ち時間にご飯や軽食食べたいときはちょっと注��?)車内販売はありました。
<8月6日②・富山市街・池田屋>
海沿いの岩瀬の町並みや豪商屋敷(廻船問屋・・・日本海側は江戸時代海産物を中国に輸出して財を成す豪商が沢山いました)を鑑賞しつつ、生薬や諸々のお薬を扱う池田屋さんへ。 昔ながらの風邪薬はピリン(イソプロピルアンチピリン)系ではなくアスピリン系を使っているようで、アスピリンの歴史の長さを感じました。ランチには暗殺チームのリーダーだけに玄米リゾットを頂くことに。優しい味わいのリーダーご馳走様です。
<8月6日③・氷見線・雨晴海岸・氷見温泉郷> 高岡の��を観光した時はべらぼうに暑く、氷見線に乗ってようやく落ち着けました。氷見線から海岸沿いに出ると碧かかった海を一望できるのですが、写真へたくそすぎてお前はもうおしまいン・ザ・ミラーです。
テレビの撮り鉄お兄さんの旅番組で見たのですが、海に浮かぶ柱状の岩々とそこに自生する松の織り成す絵が素晴らしい所で、大伴家持もその美しさを歌に詠んでいます。
けれども、この日・翌日とも天候になかなか恵まれず義経岩でリゾイルコンビの写真を撮ることは叶わず。
一泊目の宿ではソーシャルディスタンスで、部屋までの案内は省略&ロビー・ラウンジのお茶は自分で注ぐスタイルです。コーヒーの器に溶け込むリーダーですね。(氷見温泉郷はお魚が美味しいです!夏は真鯛、シマダイ、アラとか甘くて美味しい!!能登半島のお魚も美味しいですが、漁港によって獲れるお魚違うのでしょうか?どちらも美味しいです。)
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🎼 00162 「Private Eyes」。
古書店で見つけた わたしの好きな 牧逸馬さんの本は 10年とちょっと前に発売されたもので、現代風に書き直されてはいましたけれど、まだ読んだことのないお話が たくさん収録されていて 有り難かったです。また探しに行こうって思います。今回読んだ本は 「牧逸馬 探偵小説選 (論創社 2007年)」 です。この本は 全部で 45篇もの 中篇・短編作品が収録されています。過去に読んだお話もありましたけれど、やっぱり ワクワクドキドキしてしまいました。ほんのり触れておきます。
・赤んぼと半鐘
小児科専門医に駆け込んだ 印刷工の晋吉と 小児科専門の都築医師と 晋吉の子 角太郎の そのゆくえ。
・ある作家の死(死三題)
川上君が書いた小説 「ある作家の死」 と川上君と三千円と、とある作家の死について。
・アンケート
「探偵趣味」 にて 質問に丁寧に答える牧さん。
・一五三八七四号
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント'' の何よりの楽しみは、紐育52番町と第4街の角にある 「猶太人の料理店」 で毎晩あっさりとした夕食をとること。ある日のこと、コウフイを飲み干した彼のすぐ横の卓子にいた老紳士が 大きな声を出して勘定を呼びました。
・言ひ草
牧さんのエッセイです。
・うめぐさ
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント"と (新聞 三面下段の) 余白。
・女青鬚事件 (ウーマン・ブルウビヤアド)
1925年7月、ユウゴスラビアは ベルケレクル町の ベラ・レンツイ夫人は 35人もの男子を殺害。地下室に並んだ棺桶には それぞれ名が貼り付けてありました。
・鉋屑(死三題)
東京駅発駒込橋行きの車内で 「私」 が見つけた 鉋屑 (かんなくず) ひときれは、ひとからひとへ渡り回ります。電車は 須田町で止まりました。
・神々の笑ひ 前篇:
初春の神田神保町から飯田橋までの電車の中の野々宮さんは 切符代をけちりたくて仕方がありません。
・神々の笑らは 後篇:
5千円に別れを告げる 野々宮さんのおはなし。
・基盤地事件顛末
昭和4年10月21日午前7時20分ごろ、東京府下牛引町藤野間にある 藤野間小学校に通う ふたりの男の子が池で生白い 「何か」 を見つけました。それは 首も四肢も無い女性の惨死体でした。
・靴と財布
紐育の朝、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が地下鉄道で遭遇した事件を さらりと綴っています。
・首から下げる時計
クリスマス前の紐育、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" に出来た恋人は 伊太利人でした。
・競馬の怪談 (真夜中の煙草)
倫敦。マルテン・タムスンという いんちきな男が、とある老人に声を掛けられました。牧さんの 「七時○三分」 と 物語が非常に似ています。
・コン・マンといふ職業
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が、紐育壁町で 遭遇したのは詐欺師 (コン・マン) でした。
・百日紅
警視庁掏摸係の進藤刑事 (と掏摸のちび八) は 新橋から 下り急行に飛び乗りました。向かうは大阪。
・山門雨稿
牧さんのエッセイです。
・七時〇三分
丸の内仲通りにある、景気測候所 信栄社の社員 宮本得之助は とある老人と出会う。「競馬の怪談」 と おはなしが似ています。
・実話の書
牧さんのエッセイです。
・島の人々
ブロウド・ウエイの舞台 「島の人々」 に立ち向かう、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント"。
・襯衣 (シャツ)
誰かに尾けられている気がする 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が 紐育の街を歩きに歩いた先に現れた男の正体とは?
・上海された男
観音崎署の刑事から逃げ出した男が 命からがら乗り込んだ船は 想像を絶する地獄船でした。
・十二時半
民夫と美喜子が 夜の浜辺を歩く。季節は秋色。刹那を感じます。
・ジンから出た話
とあるホテルに宿泊する男が とある亜米利加生まれの男��ら 様々な 「妻殺し」 の話を聞かされます。
・助五郎余罪
慶応生まれの江戸っ児 助五郎は 明治湯の流し場で とある老人と若造の話に 聞き耳を立てていました。
・砂
とあるN町海岸通りS別邸裏D浜の砂丘で見つかった他殺死体は 寺尾幸江 (25)。
・西洋怪異談 - 境界線 (真夜中の煙草)
雇い主の婆さんに怯える 弱々しい小男は 斧を手にしました。結構こわいおはなしです。
・西洋怪異談 - 白い家 (真夜中の煙草)
とある夫人が語った夢についてのおはなしです。
・西洋怪異談 - 夏祭草照月 (真夜中の煙草)
ヨウクシャア州のずっと北の外れのとある村に 見世物小屋がやって来ました。
・一九二七年度の挿話
横浜に 支那料理を食しに行った小宮夫妻は 古道具屋で ある物と出会ってしまいました。
・民さんの恋
群馬の田舎から上京してきた 民さんは 17歳のむっつりやで真面目。こわい話です。
・椿荘閑話
牧さんのエッセイです。
・爪
佐太郎と仙二郎、ふたりは 強盗。仙二郎は 爪掃除に夢中でした。
・東京G街怪事件
G街四丁目の交叉点の真ん中で いきなり卒倒してそのまま急死した 51歳の男。彼は自殺でせうか それとも他殺なのでせうか。
・トムとサム
紐育自由新報の社会記者ヘンリイ・フリントと「土人の夏 (インデアン・サンマ)」 とアジア人と贋札についての物語です。
・ネクタイ・ピン
歯医者帰りの 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" と 奥様風の女性(背の高い、南欧系の美人)の おはなしです。
・舶来百物語 - 或る殺人事件 (真夜中の煙草)
ジェイムス・クレアランス・ウイッセンクロフトは 40あまりの 売れない画家です。偶然なのか、自らが描いた 絵の中の人物に 現実に出会ってしまいました。
・舶来百物語 - 恐怖の窓 (真夜中の煙草)
とある若い銀行員が、静養のため訪れたモンロウ村の叔母の家で 「沼」と「窓」の話を聞きます。
・一つの死 (死三題)
崖の上で死を望む彼と 真っ暗な晩。こわい話です。
・舞馬 (ぶま)
植木屋の峰吉の妻 お八重は 亭主の気を引こうと 遊びを ひとつ思いつきました。
・振り返る小径
牧さんのエッセイです。
・米国の作家三四
牧さんのエッセイです。
・米国作家の作に現るる探偵
牧さんのエッセイです。
・マイクロフォン
牧さんの随筆。探偵小説評論です。
・昼興行 (マチネー)
仕事で コネイ島を訪れた 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が入った小さな劇場で起こった出来事は如何に。
・ヤトラカン・サミ博士の椅子
せいろん島コロンボ市マカラム街の珈琲店 「キャフェ・バンダラウエラ」 のあたりを���徨う 印度人の売占乞食 ヤトラカン・サミ博士。彼の椅子は どんな椅子なのでせう。
・山口君の場合
朝の温泉町を歩く山口文二郎 (江東銀行青山支店の出納係) と 猫いらずのお話。
・夜汽車
紐育自由新報記者 "ヘンリイ・フリント" が 紐育行きの汽車の中で遭遇した物語。
・乱橋戯談
随筆・評論です。東洋の都の下で大地震とありました (関東大震災のことでせうか?)。なまずが跳ねる。
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「3密」を避けようがない福祉分野
コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。
高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。
不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。
[clink url=”https://mepapa388.com/%e7%99%bb%e5%b1%b1%e3%82%82%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%97%e3%82%82%e4%b8%80%e6%97%a6%e4%bc%91%e6%ad%a2%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%9f%e3%82%89%e3%82%b9%e3%83%83%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%81%97/”%5D
GWはベランダキャンプを決行予定
もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。
さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前、3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。
名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場
3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。
[clink url=”https://mepapa388.com/%e7%a7%8b%e8%91%89%e7%a5%9e%e7%a4%be%e5%89%8d%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%97%e5%a0%b4%e3%81%af%e3%80%81%e5%85%a5%e9%80%80%e5%a0%b4%e3%83%95%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%80%81%e7%9b%b4%e7%81%ab%e5%8f%af/”%5D
大人1人300円、予約不要、���退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。
キャンプ場基本情報
住所 〒437-0626 静岡県浜松市天竜区春野町領家345 料金 大人1人 300円・小学生未満 無料 事前予約・キャンセル料 必要なし・キャンセル料なし 入退場時間 制限なし 薪・焚き火 薪400円・直火OK トイレ 水洗トイレ完備
何と言っても利用料の安さ。無料キャンプ場ではありませんが300円を払うことで何となく安心感が生まれるのは何故でしょう?受付なども特になく、夕方頃になるとキャンプ場入口にある「門前屋」さんが各テントを回って料金を徴収していかれます。
名古屋から1時間30分ほどと好立地
名古屋と言っても広いのですが、名古屋の中心部に近い我が家からは高速道路経由で1時間30分ほどで到着します。 東名高速「浜松北インターチェンジ」を降りてから30分ほどで到着します。
初の動画撮影に挑戦
稚拙ではありますが、初の動画撮影に挑戦してみました。
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直前に購入したGoProで撮影。この夏は登山でもと思っていましたが残念です。冬山ではバッテリーが死んでしまいそうなので、使えるのは来年かな??
河川敷の雨キャンプスタート
この日は夕方前まで強めの雨が降り続く予報。ということで、出発はゆっくり。大体こういう時は他の方もスロースタートなので大丈夫でしょう。途中「道の駅 いっぷく処横川」で途中休憩。採れたてのシイタケを購入しました。
写真は翌日撮ったものですが、シイタケの原木も格安で売っていて、買ってくれば良かったと後悔しています。
降りしきる雨の中、今シーズン初のオープンタープ
入口と言っても特にゲートなどはなく、河原に降りていくだけ。結構な雨が降っており、案の定テントは疎らでした。適当な場所を見つけてタープをパッと設営。今シーズン初のオープンタープです。
話は変わりますが、タープを張る際、1人がポールを持ってもう1人がガイロープのペグを打つ姿をよく見かけます。もちろんそれでも張れるのですが、まずメインポールを支える4本のガイロープを地面に打ち、それからメインポールを立ち上げるのが基本です。こうすればタープは1人で簡単に張れます。
まだ少し肌寒い季節��したが、翌日の天候も微妙だったのでこの時期定番のアトラスはやめて、雨でも焚き火を楽しめるようにオープンタープに。テンマクの焚火タープならばタープ下で焚き火が出来ますからね。
写真だと分かりづらいですが結構降ってます。風もあったので半分を地面に直打ちして風除けと目隠しに。
シンプルに設営完了です。
道の駅で買ってきたシイタケをフジカで炙って食べました。ジューシーで香りも強くて美味しかった!みぃ君はシイタケではなくチョコパイ食べてます(笑)。
雨のキャンプだとなかなかやることはないのですが、2人でストーブにあたりながらお喋りしたり、イカを炙って食べたり。火器を組み立てもらったりとノンビリとその時間をただただ楽しみました。
落ちている石を温めだす人。少しでも空間を温めようと一生懸命考えた結果です。私自身も子どもの頃にやっていたことなので血は争えません。
ゆるキャン△ファンのみぃ君ですから、四尾連湖キャンプ場編で食べていた焼き鳥をいただくことに。遅ればせながらスキレット購入しましたが、とても便利です。
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そうこうしているうちに雨もようやく上がってくれました。
夕闇迫る
夕ご飯は「キャンプ」と言えばのカレーです。クッカー類の片付けに少し手こずるのであまり作ることがなかったのですが、GSIのスクレーパーを使うようになってから片付けのストレスが激減したこともあって、よく作ります。簡単だしよく食べてくれますしね。
外で食べるカレーは何倍も美味しい。
あっという間に日は暮れて。
昼の疲れが出たんでしょうね。19時過ぎには椅子寝でグッスリ。この春から小学校1年生となったみぃ君。この時はまだ保育園卒園式前でしたが、まだ小学校に通ったのは入学式の1日だけ。最近は「がっこういきたいなー」とよく言っています。友達出来るかな~と不安と楽しみで揺れていたと思いますが、これだけ待つと、とにかく早くスタート切りたいでしょうね。
今はキャンプに連れて行って気分転換も出来ない時だけに、休みのたびに家の近所でキャッチボールやら自転車三。おかげで自転車には乗れるようになりました(笑)。オヤスミなさい。
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その後はストーブとランプの明かりに照らされながらしばし読書タイム。霧が発生して星は期待出来そうにないので私も早々にシュラフに潜り込みました。
霧の朝、待望の青空
3年前も目を覚まして外に出ると真っ白でした。
ここは地形的に霧が出やすいのでしょうか?キャンプや登山の楽しさって、同じ所に同じように行っても季節によっても景色が違いったりするところだと思っているのですが、今回はデジャブみたいでした。
おはよう、寝起きの焚き火。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、クーラーボックスに入れていたお茶が凍りました。災害時対応用にも想定して購入したポータブル冷蔵庫をキャンプのクーラーボックスとして使っていますが、夏場でもビールがキンキン!春先ぐらいまでは入れているものが簡単に凍ります。CB缶1本で約20時間動きます。よくそこまで冷えないという声を聞きますが、必ず水平を維持することがコツです。
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しかし、この夏は使えるか・・・どうか終息して欲しいですね。
朝食は手を抜いて前夜のカレーの残りにうどんを投入してカレーうどんです。
待望の青空。予想外の好天で無事に乾燥撤収も出来そうです。光がとっても綺麗な時間でした。
どこに張っても大丈夫というフリーサイト。一段下がった河原にも張れますが、大きな石が多めでちょっと苦労しそう。雨も怖いですしね。張ろうと思えば物凄い広大な敷地だとは思います。
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ちなみに地面は下の方まで石混じりで超硬いですから、アルミペグなどではご覧のとおり。鍛造ペグ一択です。
早くまた一緒に焚き火がしたい。
気田川。清流として名高い川ですが、前回来たときは豪雨の後だったのでかなり濁っていました。今回も雨の後だったのですが、それでもこれだけの青さ。川の流れは速く、深さもありそうなので子どもの水遊びというわけにはいかないのかもしれませんが、とても綺麗な川でした。みぃ君は対岸まで石を飛ばしたくて一生懸命投げ続けていました。
ということで帰りの車に乗った瞬間に爆睡。
コロナウイルス外出自粛要請前の最後のキャンプ。今は1週間先がどうなっているか分からない時だけに、この先がどうなるのか何とも見通せない不安はありますが、いつか必ず山にもキャンプにも家族みんなで出かけられたらとそう願っています。各地の山やキャンプに関係する方々の生活がとても心配ですが、何とか持ちこたえて欲しい・・・。
【キャンプ】秋葉神社前キャンプ場 ー コロナウイルス自粛前、最後のキャンプは静かな雨キャンプ 「3密」を避けようがない福祉分野 コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。 高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。 不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。 GWはベランダキャンプを決行予定 もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。 さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前、3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。 名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場 3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。 大人1人300円、予約不要、入退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。 キャンプ場基本情報 住所
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私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津���がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と��静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずる��」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てる��りをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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* 今週末の9月24日(土)25(日)、劇団マチソワカンパニーさんの舞台にて、ISANAの椅子たちをつかっていただきます!! 先日、マチソワカンパニーさんの練習にちょこっとおじゃましてきました!! なんか、まだ稽古なのに、わたくし感動しまして、、、演劇のクオリティの高さに。 20代前半の役者さんが多いのですが、 失礼を承知で言うなら、新潟の街のどこにでもいそうな若者のサークルみたいな感じかななんて、たかをくくっていたのに、 稽古が始まった瞬間に、度肝抜かれました。 スイッチの入り方に、あ、ほんとの役者さんなのだと。 みなさん、かっこよすぎ!!! みんなキラキラしていて、すっごくよかったです。僕もまだまだキラキラした目でいたいなと、帰り道ぼんやりクルマを運転してました。 マチソワカンパニーの舞台、きっと見る価値があります。みずみずしい青春もつまっておりました! 当日券もあるそうですので、お時間ある方はぜひ!! ↓ @machisova_insta 【劇団マチソワカンパニー 第4回本公演】 『縁談日和』 若いから恋をするのではない 恋をするから若いのだ。 二人の女と二人の男 日曜日の午後のホテル 誰が誰に好意を抱き 誰と誰が結ばれるのか それを見届けるのは あなたかもしれない。 出演: 木村桃香 昆菜々子 水川達也(客演) 高橋梢太 脚本や音楽など、すべてオリジナルで創作する劇団です。 マチネもソワレも、お客様に楽しんで頂けるよう等身大の私たちの力で私たちにしか出来ない物を創り続けます。第4回となる本公演は、新潟の家具工房「ISANA」さんとコラボ。「ISANA」オリジナル家具で彩られる舞台をお楽しみください。 日程: (全4回公演) 9月24日(土) 14:00開演、18:00開演 9月25日(日) 10:30開演、14:00開演 ※開場は各公演30分前 ※上演時間90分予定(途中休憩有り) 場所: 新潟古町えんとつシアター 〒951-8065 新潟県新潟市中央区東堀通6番町1051-1 チケット:一般1,000円/高校生以下500円 全席自由(座席数限定) ↓ #毎日更新してます #360日目 #簡単に言うとファンになりました #かっこよ #わたくしも観にいきます #劇中の音楽もオリジナルなんだそう #自動販売機のセットもよくみてね #劇団 #劇団マチソワカンパニー #演劇 #大道具 #小道具 #椅子 #ウィンザーチェア #woodworking #furniture #沼垂テラス商店街 #イサナ喫茶室 (新潟古町 えんとつシアター) https://www.instagram.com/p/CixB--Jrp7v/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回 銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生

〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館 銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深��寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。

〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。

〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館���銀河ホールの活動

〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。

〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。

〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~ 総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
#劇評#レポート#西和賀#地域演劇祭#宮沢賢治#劇団あしぶえ#セロ弾きのゴーシュ#ギンガク#銀河ホール#劇団ぶどう座#劇団田中直樹と仲間たち#植物医師#銀河鉄道の夜#栗田桃子#水仙月の四日#園山土筆#片山幹生
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各地句会報
花鳥誌 令和3年5月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年2月3日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
帯の色白と黒との寒稽古 世詩明 初夢や逆夢にして安堵せり 同 受話器より来る熱燗の酔ひつぷり 清女 もう雪も落ちついたかとココア飲む 同 湯のたぎる薬罐の音の冬支度 誠 ゆつくりとガラスを滑る霙かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月4日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の明け空の青さのどこまでも 柏葉 雪の舞ふ上へ下へと北陸路 喜代子 寒戻り雄島は浪に翻弄す 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
祈る人白く光らせ春の寺 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 饅頭屋の幟ぱたぱた春疾風 美智子 嬰児へ春の揺籃なりしかな 順子 寒紅や鏡の中の女たち きみよ 春を描く赤で縁取る黄土色 千種 ギャルソンのベストの在庫春埃 荘吉 バーの椅子冬日も遊ぶ道具街 荘吉 春潮のかをる手をもて貝洗ふ 順子 ペンダントはづして春の風邪に寝る 光子 黄泉の国へとラビリンスめく雪間 眞理子 オキーフとゴッホの黄なる春の蝶 伊豫 ロマノフ朝語る早春のため息 慶月 仲見世の半分閉ぢて亀鳴けり 梓渕
岡田順子選 特選句
江戸つ子へ黄水仙咲く格子窓 光子 春の日の跳ねたりしつつ神田川 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 吾輩は道具街の猫日脚伸ぶ 荘吉 春浅き野へと黄衣の遊行僧 慶月 花瓶売れざり春の日を黄昏れて 俊樹 笊は受く春の日差や道具街 季凛 菜の花や主のゐない家に棲み 伊豫 大方は縁なき道具街うらら 秋尚 隠れ耶蘇語る窓辺の余寒かな はるか 遣り手婆春画を鬻ぎつつ春眠 俊樹 黄塵万丈浅草に人沸き出す 梓渕 産土の海光を背に絵踏せり 光子 生国を刻みし墓へ梅香る 慶月 祈る人白く光らせ春の寺 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
散歩みち犬に吠えられ日脚伸ぶ 三四郎 子等はしやぐ声の大作雪だるま みす枝 寝るだけに戻りし部屋の虎落笛 ただし 初詣巫女の化粧の濃かりけり 世詩明 贔屓目にみても毛皮の似合はざる 上嶋昭子 大氷柱剣のごとく堂宇守る 時江 崖の上に耐へて咲きたる水仙花 久子 神杉に裂けし傷あり斑雪 時江 風花の散華の中を柩ゆく 信子 湯たんぽを母の温もる如く抱く さよ子 廃屋の雪の声きく真暗がり ただし 嚏して饒舌の人黙りけり 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月9日 萩花鳥句会
住所録ゐぬ人ばかり春時雨 祐子 降り立てばカルスト台地草萌ゆる 美恵子 春まだ来産卵仕掛ける川漁師 健雄 春時雨ビニール傘に裂け目あり 吉之 下萌えて平幕力士の賜杯かな 陽子 雪雫八分音符と四分音符 ゆかり 微睡の草木起こせし春時雨 明子 面接の練習の声寒明くる 克弘
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令和3年2月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
護摩焚きの煙の深き節分会 あけみ 節分や子の夢に出る方相氏 登美子 節分や炒豆撒いて稽古終ふ 令子 車窓には雪しろの山々続く あけみ 大雪も奮闘えち鉄動き出す 紀子 野兎の駈けし跡あり野辺深し 同 ひらがなの娘の手紙春隣 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
白杖の突けば凍土鼓動して 都 磯竈海女と蜑との声太く 益恵 獣園の柵に並ぶ子草青む 栄子 春の雪店はいつものビートルズ 佐代子 日脚伸ぶ明るき方へ人も鳥も 都 寒木瓜の棘の交差に交差して 悦子 白髭を撫で庭を掃く春隣 幸子 寒月へ町定位置に静もりて 都 春雷や酒供はりて力士像 宇太郎 さよならと筆置く音に落椿 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
人生は借り物かしら春一番 修子 日の永き台所にて聖書読む 同 永く生きすぎた気もして春の風 同 どの家も砦のやうに雪積みて 寛子 街路樹の上に余寒の空低し 同 針供養叔母は短気でお人好し のりこ 掌に一滴春の化粧水 岬月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
ひたすらに鶴は鶴とし凍つるのみ 雪 寒鴉申し合はせしごと啼かず 同 観念をしたる如くに大枯木 同 温石に温石と云ふ石の貌 同 薄氷や着物をつまみ避け乍ら 千代子 深々と音消し積もる真夜の雪 同 春炬燵くの字しの字の混み合へり みす枝 ランドセルに筆箱入れて春を待つ 同 銀の波揺らし川辺の猫柳 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
薄氷の割れて漂ひ重ね合ひ 千加江 数独に挑んで老の春を待つ 清女 節分や柱時計がつと止る 啓子 薄氷を張り尽したる法の池 泰俊 鴬や何か賑やかなる甍 同 凍て鶴として人の世を凍つるのみ 雪 華やかに古りし虹屋の桐火桶 同 凍て様も金輪際や檻の鶴 同 人の世の枷を解かれし古火桶 同 寒鴉啼くを忘れてゐはせぬか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月19日 さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
冴え返る言葉の綾に躓きて 雪 勿体なや冬籠りにも厭きしとは 同 乾杯の種の尽きたるちやんちやんこ 同 うららかや犬が好みの猫まんま 清女 虹屋へと二月礼者の関西弁 千代子 水仙の花に折鶴遊ばせり 希 路地裏を斜めに走るうかれ猫 啓子 水尾も無く流れのまゝの鴨滑る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飄々とした人の訃や冬の果 佑天 学舎の武張りて遠く春の富士 圭魚 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 手の皺の翳は目立ちて春を待つ ます江 存分に椿の落ちて椿寺 佑天 堂裏の日溜り豊か落椿 圭魚
栗林圭魚選 特選句
よき喫茶閉ぢし通りの余寒かな 慶月 磐座の裳裾にこぞる蕗の薹 幸風 菰踏めば春泥ぬると動きたる 三無 朝光の瀬音そびらに蘆の角 幸風 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 寺領ひっそり孕猫つとのそりゆく 文英 細波の煌めき尖る浅き春 斉 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 春みかづき童話の色の夜の街 和子 春光や眉毛一本づつ描く 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
二度三度黙の呼び鈴冴返る 一涓 遠き日の武原はんの風花す 同 ��掻きて掻きて怨嗟を紛らせり 同 佐保姫来式部の像の辺りより 同 古里ぞ遠海鳴りも温石も 雪 其の頃はへつつひ二つ竈猫 同 お駄賃は袋のお菓子春の風 上嶋昭子 アプレゲールと言はれし卒寿日向ぼこ 同 春一番絵馬カタカタと恋の宮 信子 夕焼けを少し暈して春の色 紀代美 春着着しより梵妻の顔となる 中山昭子 水仙や少女一心勉学す みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
東風に扉を開けよ羽衣なびくまで 美穂 面影のちよと夫似なる古ひひな 千代 波音のままに揺蕩ふ若布かな 桂 大津絵の鬼の飛び出す春の雷 喜和 梟の吾を呼びたる父祖の山 千代 遠き目でみる耶蘇浦の若布船 かおり 薄氷を踏むもふまぬも人の道 睦子 冬灯しらじら明けの裏酒場 勝利 恋猫の敗れ幣履のごとく消ゆ 伸子 その沖は霞み衣桁の陣羽織 由紀子 寂しらの汀に寄する若布かな 久美子 浮かみくる七色の泡春の池 愛 集落を貫く碧き雪解川 由紀子 タンデムで若布を買ひに島日和 美穂 結ひ髪のほろほろ解けて絵踏かな かおり 紙漉の若き水ほどよく躍る 佐和 蹼に薄氷つきしまま歩む 睦子 星辰の恵みに育つ若布かな 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
なかみち句会(投句のみ) 栗林圭魚選 特選句
探梅の坂より駅を見渡せり 貴薫 焼山の命の早さ確かめり ます江 風尖りをれど遠山霞みをり 怜 枝影の網目ぼんやり春の土 秋尚 受診日や梅林抜けて隣り駅 せつこ 料峭の森覚ましゆく水の音 三無 野焼見る怪しくはやる気持あり あき子 日を浴びて胸張る如し犬ふぐり せつこ 青海苔を採って沖には白い波 史空 梅林や古木の幹に力あり 迪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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テーブルはその場所のために作るので実際の展示はせずに模型になります。 12月の東京でのwood design awardの展示の方も椅子のみです。 #石川県デザイン展 #しいのき迎賓館 #金沢 #freydesign #kanazawa #家具 #建築 #住宅 #海月が雲になる日 #畔 #ガネーシャ #長町 https://www.instagram.com/p/CWZtq3xpd1f/?utm_medium=tumblr
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今年も映画祭がはじまった感のある9月(2021年9月の日記)
■2021/9/1 水曜日。ややで寝坊でスタートの9月。朝からちょっと波乱ぎみで憂鬱。昨日の夜、最後まで見きれなかったJAIHO『オスロ、8月31日』を見る。どう考えても昨日見る映画だったと思う。水曜は娘の習い事にやや余裕がある。なんとか夜に映画を観に行けるかもしれない。娘に早めに勉強とかやってもらい、夕食は一番簡単な冷凍グラタン(すまん!でも娘はこれが大好き)にして、風呂にソッコーで入ってもらい、もうあとは遊んでていいぞ、という状態にしてお父さんはMOVIX昭島へ。『ベイビーわるきゅーれ』鑑賞。やっと観れました。観終わって、前の列の客席に映画ライターの村山章さんらしき人が。本当にこのコロナ禍というやつはみんなマスクしているのでこういう時に本人かどうかがよくわからない。でもClubhouseで話したときに「今度見かけた時は声かけます」と云っていたので勇気を出して「すいません、村山さんですか?」と聞いてみた。良かった、本人だった。ちょっとだけ映画の感想とか話す。村山さんは3回目の鑑賞とのこと。いやー映画も面白かったしムリしてでも観に行って良かった。小雨が降っていたが自転車で機嫌よく帰宅。娘のコンタクト(寝るときに視力矯正するやつ)を入れて寝かせる。Netflix『ザ・ラスト・マーセナリー』を見る。
■2021/9/2 木曜日。とても涼しい。とゆうか寒い。ポレポレの入江悠特集のスケジュールが出たけど、唯一行けそうな日の上映が『かまってちゃん』だな。今年観なおしたばかりなんだよなぁ。東京ポッド許可局の「お笑い当事者論」を聴く。ぜんぜんお笑い以外にも当てはまる内容で、自分はどうしても映画の感想などに当てはめてしまう。自分と同じ感想を探す。それ自体は別に良いけど、自分と違う感想を見つけて、それは違うと明言したり、すぐに監督インタビューなどで答え探しをする人がいる。その考え方は自分の感想、感じ方が正しい、という前提の元にある。映画の感想なんだからそんなことはないだろう、と思う。映画の感想などを話したり、人の感想を知ることは楽しいけれど、こういう感想であるべきだ、みたいなとらえ方は苦しいだけだろうに。明日の検査のために夕食はぬき。夜は代表戦をDAZNで見る。オマーンは強かった。しかしDAZNで見れるのはとても良いですね。Amazon Prime Video『セラとチーム・スペード』を見る。Disney+『アイアンマン3』を見る。さらに眠くなるまでもう1本を映画を見ようかなぁと思っていたらTwitterで杉田監督のスペースがはじまった。ごろごろしながら聴こうと思ったら、また聴き手で参加することになりうっかり27時ごろまで参加してしまった。楽しい時間ですが聴き手が僕でいいのだろうか、という不安がありつつ気持ちよく就寝。
■2021/9/3 金曜日。そういえばTwitterをスマホで見ていてTLがビョーンとワープしてしまう現象がなくなった気がします。あれのせいでどれだけ時間を無駄にしたか。朝食はぬき。検査のため休暇。一度実家に行き車を借りて病院へ。1年ぶりのPET検査。まぁ異常がないことを確認するための検査なので気持ちは楽ですが、まわりには(かつての自分のように)深刻な状況の方もいると思うのであまり良い気持ちはしない。今回も検査中にうっかり寝てしまった。思ったりより早く終わったので、病院のとなりのショッピングモールへ。フードコートで急いでうどんを食べて、モール内のシネコンでとある映画を観る。がしかしまぁまぁ寝てしまった。検査終わりでぐったりしていてその予感はあったのですが、映画のざっくりとした流れはわかるけど細部がまるでわからない。これはダメだ。ノーカウントだ。時間を作って見直さないと。がっくり。車を実家に返してから帰宅。夜は僕モテYouTubeで入江監督と編集長の書評対談。次回のお題が僕の好きな『湿地』になった。映画版を見直そうかな。U-NEXT『インクレディブル・ハルク』を見る。早めに寝る。
■2021/9/4 土曜日。午前中に1本映画を観れるチャンスがあったので迷わず『シャン・チー テン・リングスの伝説』@シネマシティ。極爆上映で。堪能。マックでお昼を買って帰宅。午後は娘と家でのんびり。U-NEXT『ハンガー』、JAIHOで『アルプス』を見る。夜はYouTubeで「9時ゆる」見たり、AKIRA君が出てたラジオを聴いたり。寝る前にU-NEXTで『エアベンダー』を見る。おそらく劇場公開以来の再見。この前、杉田監督のスペースでシャマラン話をしていて見直したくなったのだけど、主人公が「アバター」という役割から逃げ出していた、という設定をすっかり忘れていた。ここらへんが面白い。
■2021/9/5 日曜日。HDDレコーダーが立ち上がらなくなってしまった。たしかに買ってから5年ぐらい経っているような気がするがついに壊れてしまったか。いろいろ録画したままのものがあった気がするんだけど。あーあ。朝からAmazon Prime Video『シンデレラ』を見る。娘と実家へ。のんびり過ごす。午後は床屋へ。さっぱり。実家でごろごろしながらNetflix『ベケット』を見る。夕飯までご馳走になってから帰宅。その夕飯を食べすぎたらしく苦しい。なんか体調が悪くなるぐらい苦しい。娘の寝る支度をして、娘の就寝タイミングで倒れるように僕も寝てしまった。深夜26時ぐらいに目が覚める。ややすっきりしたのでオンライン試写で『最悪な一日』を見る。起床時間まで時間があったのでもっかい寝る。
■2021/9/6 月曜日。まだまだ昨夜の食べすぎを引きずっている感じ。金曜休んでしまっているのでその影響でバタバタの午前中。購入した小林勇貴監督の『奈落の翅』Blu-rayが到着。小林監督自ら書いてるんじゃないかという宛名書き、そして怪文書っぽい紙とBlu-rayが封入されていた。さていつ見ようかな。夜、JAIHOで『霧の中』を見る。
■2021/9/7 火曜日。シネマクティフ東京支部の音声配信外伝『オールド』回を聴く。けんす君が話していた「水中で裸眼だとほぼ何も見えない」というのはやはり個人差なのではないだろうか。僕はゴーグルがなくてもある程度は水中が見えるので映画内の描写とかはあまり気にならない。しかし最近水中に潜る機会ってないですね。午後のミーティング、発表をしながら英会話に出かける娘を送り出す、という離れ業をやる。リモートあるある(なのか?)。U-NEXT『好男好女』を見る。夜、ラロッカさんとDiggin' Netflix収録。ラロッカさんも久々に映画館で映画を観れたとのことで何より。さらに24時からDAZNでW杯予選の代表戦を見る。やっぱDAZNで見れるの最高だな。後半はclubhouseでラフランスさんが参加してる部屋を聴きながらサッカー見てた。ラフランスさんが楽しそうだった。
■2021/9/8 水曜日。午前中がすごく忙しかった。なんなら昼休みまでずれこんで忙しかった。水曜は娘のスケジュールに余裕がある。娘の夕飯とお風呂が終わり、あとは宿題やっとけよ、という状態にしてMOVIX昭島へ。『モンタナの目撃者』鑑賞。映画観終わってすぐ帰宅。娘の宿題をチェックして、コンタクトやって娘を寝かせる。このパターンで水曜は映画を観れる気がする。まぁ19時以降のいい感じの時間に上映がないとダメなのだけど。JAIHO『アワ・ボディ』を見る。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E5を見る。ゾンビ回。
■2021/9/9 木曜日。小雨だ。でも図書館に本を返しに行かなくてはならない。雨具を羽織って自転車で本の返却へ。ついでに自転車屋さんでタイヤの空気を入れ���もらう。ついでにショッピングモールのフードコートで銀だこを買って帰る。ジャンクなランチ。夜、『マトリックス』新作の予告編が公開。賛否はいろいろあるようですが、やはり『マトリックス』は特別な作品で、僕は公開を楽しみに待ちます。JAIHO『私の血に流れる血』を見る。というわけで2週間の無料期間を終えてJAIHO解約。こういうのは忘れない。配信している映画はとても面白いので、どこかのタイミングでまた利用するだろうJAIHO。WOWOW『カラー・アウト・オブ・スペース』を見る。
■2021/9/10 金曜日。山形国際ドキュメンタリー映画祭の詳細が発表されたけど、時間指定のある配信方式。この方法だとほとんど作品を見れないよ。可能であればみんなでいろんな作品観て、東京支部の音声配信で取り上げようかと思っていたけどこりゃムリだ。夜はおなじみ「僕モテFRIDAY」を30分だけ見て、そこから藤元監督の監督ラジオ最終回に移動。『海辺の彼女たち』をじっくり堪能したような数か月だったかと思う。良い試みだったと思います。Blu-ray『奈落の翅』を見る。こうゆうかたちで映画を届けるのも面白い。小林監督はおそらく現状の(映画館の)映画上映の仕組みに納得いかない部分が出てきてるんだと思う。それに抗うことをやっている。WOWOW『ボクシング・ジム』を見る。ジムのトレーナーのおじさんが後ろ髪を一部のばして三つ編みにしていた。パダワンなのかな。
■2021/9/11 土曜日。朝から娘を習い事に送り僕は立川へ。一蘭で早めのランチ。カフェでコーヒー飲みつつ山下達郎のラジオを1週間遅れで聴いていたら強い既視感を味わう。これは自分はマトリックス世界にいて何か異変が起きているのかも?と一瞬だけ思ったが、先週床屋で散髪してるときに店で流れていたサンソンをぼんやり聴いていたのだということを思い出した。シネマシティで『フリーガイ』鑑賞。娘を迎えに行って帰宅。夜はYouTubeで「9時ゆる」。春本監督の『由宇子の天秤』はいよいよ公開が近い。さらにche bunbunさんのスペースを聴く。ちょっとだけ質問があったのでスピーカーでも参加。PFFがはじまったのでコンペ作をオンラインで見はじめる。今年はU-NEXTで見る。『グッバイ!』『五里霧中』『ROUTINE』を見る。
■2021/9/12 日曜日。映画を2本観に行けるチャンス到来。まずはTOHOシネマズ立川立飛で『スパイラル:ソウ オールリセット』鑑賞。渋谷へ移動。イメフォで『ミッドナイト・トラベラー』鑑賞。トーク付きの回でいろいろ補完された。ありがたい。移動中はラフランスさんがゲストで出ていた「ポータルキャスト」という配信をアーカイブで聴く。ぜんぜん知らない映画関連の配信だったけどすごいボリュームでこれ毎週やってるのかな。急いで帰宅。夜はDAZNでFC東京戦を見る。試合は負けちゃったけど、試合後に長友のセレモニーあり。本当に帰ってきたのだ。WOWOW『コメディ・フランセーズ』、『悪の偶像』を見る。U-NEXTでPFFコンペ『豚とふたりのコインランドリー』『Parallax』『巨人の惑星』を見る。
■2021/9/13 月曜日。娘の小学校のクラス、夏休み明け担任の先生が体調不良とのことで代理の先生が担当していたのだけど、正式に担任交代となったとのこと。いろいろあるんでしょうね。夜はけんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録後にも近況話したり。U-NEXTでPFFコンペ作『壁当て』『みなみとあした』『ばちらぬん』を見る。
■2021/9/14 火曜日。午前中、集中して仕事。午後半休をもらって出かける。途中、乗り換えの高田馬場でランチ。ミャンマー料理の「ノング・インレイ」。藤元明緒監督が以前に紹介してくれていたお店。豆腐カンスェ、うまかった。京橋へ。PFF『あの店長』鑑賞。わざわざ観に行って良かった。立川へ移動。シネマシティで『アナザーラウンド』鑑賞。U-NEXTでPFF『苺のジャムとマーガリン』『転回』『夜の帳につつまれて』を見る。
■2021/9/15 水曜日。もう仕事の合間にU-NEXTでPFFアワード作品を見ている。『愛ちゃん物語♡』を見る。夜はイシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。
■2021/9/16 木曜日。9月も後半か。オンラインのゆうばり映画祭がはじまる。今年は有料だけど、huluに加入すれば好きな時間に見れる形式。こっちの方が良いです。ゆうばり映画祭『12ヶ月のカイ』を見る。PFF『サイクルレース』を見る。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E6を見る。
■2021/9/17 金曜日。午後半休。目的地は渋谷であるが神保町に寄り道。「丸香」で青唐釜たまを食べる。うまい。渋谷へ。ユーロスペースで『由宇子の天秤』鑑賞。やっと観れた。上映前にパンフを買って春本監督、梅田先生、鶴田翔さんのサインをいただく。上映後だと大混雑なので良い判断でした。同回を観ていたけんす君と感想を話しながら移動。僕は東中野に向かう。ポレポレで『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』鑑賞。入江監督特集上映の最終日。上映後トークは「僕モテFRIDAY」で中継というスペシャルな感じ。撮影かめりさ。イベント後は外で記念撮影。撮影は僕。さらに(これはあまり大きな声では云えないが)とある場所でちょっと雑談が続く。いまは打上げとかできないのでこんな感じなんでしょうね。映画を観にきていた三溝さんなど『シュシュシュ』チームと話したり、駒木根さんや水澤さんと話したり。こうゆう時間が楽しいですよね。終電近くなったので解散。方向が同じだった水澤さんと途中まで一緒に帰りました。移動中はひたすらオンラインのゆうばり映画祭を。『MY WORLD』『世界で一番すばらしい俺』を見る。
■2021/9/18 土曜日。朝から娘を習い事に送り、僕は新宿へ。うまいこと2本映画が観れる!新ピカで『レミニセンス』鑑賞。お昼にうどんを食べてからカリテで『トムボーイ』鑑賞。娘を迎えに行って帰宅。DAZNでFC東京戦を見たり、「9時ゆる」見たり。ゆうばり映画祭『マレーシアのゾンビ』を見る。本当にマレーシアが舞台のゾンビ映画、であった。
■2021/9/19 日曜日。娘と実家へ。お墓参りに行ったり。娘と自分の地元の道を歩くのは変な感じだ。実家にお泊りで、夜は今年最後の花火を娘と庭でやる。実家は庭があってありがたい。オンライン試写で『DIVOC-12』を見る。ゆうばり映画祭『PARALLEL』『バーゲンセール・キラー』『4と6』を見る。オンラインのなら国際映画祭で『ビーンズ』を見る。カナダ映画は注目しているのでもっといろいろ見たい。
■2021/9/20 月曜日。実家で食べる朝食はうまい。娘を両親に見ていてもらい昼から上石神井へ。「ぎょうざの満州」でお昼を食べてから東京おかっぱちゃんハウスへ。カモの観察会2021初秋。こうやって、とても小さい空間で、年に何回もナツノカモさんの落語が堪能できるのは嬉しい。ナツノカモさん売れてほしいけど、こういうを楽しみたいので複雑な気持ちであります。実家へ戻り、夕食までご馳走になり帰宅。ゆうばり映画祭『ベースメント 全地下の家族』『めぐる』『エイン』を見る。もう1本映画を見ていたけど見ながら寝てしまったようだ。。
■2021/9/21 火曜日。連休明けなのでちょっと忙しい。オンライン試写で『メインストリーム』を見る。ゆうばりが終わったのでPFFアワード作に戻る。『県民投票』『Journey to the 母性の目覚め』『帰路』を見る。
■2021/9/22 水曜日。忙しいな。お昼休みに昭島図書館へ行って娘の本を借りる。昭島のモールで銀だこを買って帰る。ついでに書店で村山章さんによる𠮷田恵輔監督インタビューが掲載されている雑誌を立ち読み。『空白』楽しみだ。午後も忙しい。夜はDAZNでFC東京の試合を見たり、春本監督のYouTube配信を見たり。PFFアワード『距ててて』を見る。
■2021/9/23 木曜日。祝日であります。昼に映画を1本観れる時間があったのでMOVIX昭島へ。『空白』鑑賞。まぁ今日観るならこれでしょう。夜はラジオ「京浜ネバーランド」聴いたり「4THCoastラジオ」聴いたり。Netflix『パリピ的アフターライフの始め方』を見る。WOWOW『ライド・ライク・ア・ガール』『ファンシー』を見る。U-NEXT『泥濘む』を見る。
■2021/9/24 金曜日。午前半休で八王子の病院へ。先日受けた大き目の検査の結果を聞く。問題なし。まぁ問題あればこの診察を待たずに連絡がきてると思うので大丈夫だとは思っていたのですが。すぐに終わって急いで帰宅。11時前に帰宅できたので午前半休をキャンセルして在宅勤務開始。夜は「僕モテFRIDAY」を見る。大川さん家回楽しい。Disney+『ホワット・イフ...?』S1E7を見る。U-NEXT『机のなかみ』を見る。
■2021/9/25 土曜日。娘を習い事に送り僕は池袋へ。平塚さんのツイートで気になっていたカレーうどん ひかり TOKYOへ。すごい不思議な場所にある店。カレーうどんうまかった。シネマ・ロサで『黄龍の村』鑑賞。まだ時間があったので、かるかやでうどん食べる。娘を迎えに行って帰宅。帰りながらDAZNでFC東京戦を見る。夜はYouTubeで「9時ゆる」。今年もSKIPシティ国際Dシネマ映画祭がはじまったのでオンラインで見はじめる。『カウンセラー』『鬼が笑う』を見る。オンライン試写にて『屋根の上に吹く風は』を見る。
■2021/9/26 日曜日。午前中に1本映画を観れる時間があったのでMOVIX昭島へ。『整形水』鑑賞。午後は自宅でいろいろ見る。SKIPシティ『赫くなれば其れ』『ルッツ』『10センチの彼方』を見る。夜はmatsuさん、まるゆさんとシネマクティフ東京支部の音声配信を収録。
■2021/9/27 月曜日。ミーティングの連続である。SKIPシティ『ひびき』『夜を越える旅』を見る。
■2021/9/27 火曜日。午後半休でとある病院へ。僕の病気というわけではない。病院終わってから吉祥寺へ。さとうのメンチとコロッケを買い、小さな食パンも買う。井の頭公園でサンドして食べる。これ1年に1度ぐらいでやりたいやつ。しかし公園は座る場所をつぶされていて、長居できる感じではない。TIFFの会見がはじまり公園で最後まで見ようと思っていたのだけど場所を移動。UPLINK吉祥寺の待合椅子で会見を見る。いや凄いラインナップ。かなり上映本数は減ってるはずなのに一見して強烈。思わずチートイツさんとけんす君にDM。吉祥寺オデヲンで『サマー・オブ・ソウル』を観る。渋谷に移動。イメフォで『アンラッキー・セックスまたはいかれたポルノ』鑑賞。これが今年のイメフォフェスで唯一の鑑賞作だけど大当たりでした。
■2021/9/29 水曜日。もう9月も終わってしまう。月末になるとWOWOWオンデマンドの配信終了映画がたくさんあるのでそれをなんとか見る。『SKIN」を見る。夜はナツノカモさんのスペースを聴く。スペース内の告知で公演のチケット発売。まぁ僕は行けないと思われるので買えず。
■2021/9/30 木曜日。仕事が微妙に忙しい。昨夜告知のあったナツノカモさんの公演、行けることになった。あわててチェックすると行ける回のチケットが残り1。買えて良かった。オンライン試写で『スターダスト』を見る。WOWOWオンデマンド『権力に告ぐ』を見る。SKIPシティ『アリスの住人』を見る。そしてMCTOS『パリピ的アフターライフの始め方』回に参加。なんか楽しい回でした。そんな感じでついに映画祭の時期となってしまった9月もおわり。
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