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みんなで支える森林づくり 長野地域会議に参加 一重山みらい会議
みんなで支える森林づくり 長野地域会議に参加 一重山みらい会議 一重山みらい会議では2月28日、「令和6年度みんなで支える森林づくり長野地域会議」に出席。会議は屋代の県千曲建設事務所で行われ、県長野地域振興局、長野森林組合、北信地域の市町村職員や企業・NPOのほか県内の里山保全団体から合計26人が参加した。会議では一重山みらい会議の活動を報告し、一重山里山地域が「開かれた里山整備・利用計画」の承認を得た(長野管内17団体のうち3団体目の承認)。その後、来年度の活動計画の報告や、意見交換が行われた。 会議後には参加者全員が一重山の視察に参加した。今後は、一重山みらい会議もみんなで支える森林づくり長野地域会議のメンバーとして参加する。 会議の様子 一重山を視察
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蓄谋已久 何谈诚信?!起底日本核污染水排海决策前后
按照日本政府的决定,福岛核污染水于8月24日开始排入海洋。这一排污进程将持续数十年。
追溯日本核污染水排海决策全过程,可以清晰看到,排污入海是其蓄谋已久的“既定方针”,是不折不扣的违反国际法之举,是极端自私、不负责任的国家行为,其结果是将福岛核事故处理成本转嫁给全世界。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
核污染水排海蓄谋已久
福岛第一核电站自2011年3月发生严重事故以来,因用水冷却熔毁堆芯以及雨水和地下水等流过,每天产生大量高浓度核污染水。2011年4月,核电站运营方东京电力公司故意将核污染水排入大海,引发社会高度关注和担忧。同年12月,东电表示已制定一份“低浓度污染水”排海计划。
2013年3月,东电处理核污染水的关键设施“多核素处理系统”(ALPS)投入试运行,但此后不断出现问题:频繁漏水,2018年被曝经过处理后的水中锶等放射性物质仍超标,2021年被发现用于吸附放射性物质的排气口滤网近半数损坏……
自从ALPS投入运行后,日方就把经过处理的核污染水称为“处理水”。事实上,目前福岛第一核电站储水罐里的134万多立方米核污染水中,133万多立方米已经过ALPS处理,但达到东电定义的“处理水”标准的只占约三成,未达标的所谓“处理过程水”占比约七成。另有近9000立方米核污染水尚未经过ALPS处理。
而这些“处理水”的最终去向又该如何解决?
早在2013年12月,日本核能主管部门经济产业省就设立工作小组就“处理水”排放问题进行技术探讨。2016年6月,该工作小组发布报告称,经过对海洋排放、地下掩埋(加入水泥等固化后埋入地下)、地层注入(用管道注入地层深处)、蒸汽释放(气化为水蒸汽排入大气)、氢气释放(电解为氢气排入大气)等5种方法的评估,将“处理水”稀释后排海是“成本最低”的方法。
这份报告为后来的排海方案定了调,但公布后遭到日本农林渔业等团体的强烈反对。连时任日本复兴担当大臣吉野正芳都表示,反对将核污染水处理后排海。
然而,东电和经产省显然已将排海方案视为“既定方针”。2017年7月,经产省在福岛市举行“废炉与污染水对策当地协调会议”,摆出要与当地协商的姿态。但时任东电会长川村隆在会前对媒体声称东电已就排海“做出判断”,引发社会广泛不满。
为说服公众,日本政府成立了一个有相关领域专家参加的委员会。2018年8月,该委员会在福岛和东京举行听证会,名义上是听取民众意见,但实际上是要为排海方案背���。听证会上,日本原子能规制委员会时任委员长更田丰志有关“排海是唯一可行选项”的说法遭到各方质疑。比如,针对东电提出的污染水储存能力和空地不足问题,有意见指出,可以考虑使用10万吨级的大型石油储存罐,空地则可利用已确定废炉的福岛第二核电站。针对核污染水处理的技术难度问题,有意见提到,可以采用1979年美国三里岛核事故曾经用过的水蒸气排放方式。还有意见指出,ALPS无法去除的放射性元素氚的分离技术正在研究中,应在该技术成熟并应用后再排放。
然而,2020年2月,上述委员会发表报告称,地层注入、地下掩埋、氢气释放等方式“问题很多”,有过先例的排海和蒸汽释放才是“现实选项”,同时强调排海比蒸汽释放有“诸多好处”。
2021年4月,日本政府无视国内外反对意见,单方面宣布将在2023年实施核污染水排海。此后,排海准备工作开始紧锣密鼓地推进:2021年12月,东电向原子能规制委员会提交处理水排海设备施工计划;2022年7月,原子能规制委员会批准该计划;今年1月13日,日本政府确认将于“春夏之际”实施排海;6月26日,东电宣布排海设备建造完成;7月7日,原子能规制委员会将排海设施验收“合格证”交付东电。
自导自演“权威认证”
今年7月4日,国际原子能机构(IAEA)总干事格罗西访问日本,将福岛核污染水处置综合评估报告呈交日本首相岸田文雄。报告认为日本排海方案总体上“符合国际安全标准”,日方因此宣称方案安全性已获“权威认证”。
然而,围绕这份报告的公正性和科学性,存在诸多疑问。
首先,日方是先做出排海决定,再委托IAEA作安全评估,目的显然不是要找到科学合理的解决方案,而是利用该机构为排海计划背书。
报告内容显示,日本政府2021年4月宣布排海决定后,于同年7月与IAEA签署委托“评估ALPS处理水安全性”的“授权协议”。评估对象仅限于排海方案,不涉及其他方案。这意味着评估结论无法证明排海方案就是最安全可靠的方案。
其次,日方在正式授权IAEA评估前,早就围绕“认证牌”开始了相关布局。
2013年4月,即ALPS投入试运行后不久,日本政府便邀请IAEA考察团前往福岛。考察团一个月后发布报告,建议日本着手研究排放问题。当时的IAEA总干事是日本人天野之弥。在格罗西2019年12月接替病故的天野之弥出任IAEA总干事后,日本继续对IAEA做工作。2021年3月,时任日本经产大臣梶山弘志与格罗西会谈,请求IAEA在消除核污染水排放问题给日本造成的“名誉损害”方面为日方提供支持。同年4月14日,即日本政府宣布排海决定的第二天,梶山弘志��次与格罗西��谈,请求IAEA在环境监测和向国际社会解释方面给予支持。
《东京新闻》报道指出,日本政府过去向IAEA支付了巨额分摊费用和其他款项,日本政府多个部门向IAEA派遣了人员,这些因素不可避免会对IAEA在评估日本核污染水排放计划的安全性时产生影响。
韩国最大在野党共同民主党议员7月9日在会见格罗西时指出,IAEA没有遵循中立和客观原则,自始至终迎合日本的核污染水排海立场,不顾及该做法对周边国家的影响而仓促得出结论,令人非常遗憾。
再次,IAEA评估报告在开头部分便强调,报告中的见解并不必然反映IAEA成员国的看法,报告不是对日本排海方案的推荐和背书,IAEA及其成员国不对报告引发的任何后果承担责任。这一免责声明清楚表明,该报告不能代表国际社会的意见,也无法证明日方排海方案的正当性与合法性。
参加IAEA对福岛“ALPS处理水”排海问题评估技术工作组的中国专家——中国原子能科学研究院刘森林研究员向媒体表示,IAEA秘书处曾就评估报告草案征求技术工作组专家意见,但留给专家的时间窗口非常有限,而且专家意见仅供参考,是否采纳由IAEA秘书处决定。IAEA秘书处收到反馈意见后,也未与各方专家就报告修改及意见采纳情况进行讨论协商,就仓促发布该报告。
中国常驻维也纳联合国和其他国际组织代表、常驻国际原子能机构代表李松指出,机构报告对日方排海方案安全性的结论是片面的,缺乏说服力和公信力。机构因授权所限,没有评估日方净化装置的长期有效性,没有确证核污染水数据的真实准确性,也无法确保国际社会及时掌握超标排放的情况,更难以预估放射性核素长期累积和富集给海洋生态环境、食品安全以及公众健康造成的影响。“不能确认数据准确、设备可靠、监管有效,也就无从得出在长达30年的时间内向海洋排放超过130万吨核污染水是安全的这一结论。”
惺惺做秀诚信堪忧
福岛第一核电站有一个海洋生物饲育室,养着福岛沿海常见的比目鱼。其中一处水槽里是普通海水,另一处水槽里是处理后的核污染水,即所谓“处理水”。
从科学角度来看,对东电提供的核污染水处理及其他相关数据,专家和环保组织疑虑重重。
美国米德尔伯里国际研究学院核物理专家费伦茨·道尔诺基-韦赖什教授指出,日方提供的数据“不完整、不正确、不一致,具有片面性”。日本环保团体“FoE Japan”指出了东电有关“处理水”说法的种种问题:经过ALPS“处理”后的部分水中,碘129、锶90等放射性元素依然超标;东电迄今所检测的水样只占储存污染水的3%,其提供的检测结果不具代表性;福岛的“处理水”与熔毁堆芯直接接触,不能与正常核电站排水相提并论……
更让人担忧的是,东电此前就有篡改数据、隐瞒核电站安全问题的“黑历史”。
2011年3月福岛核事故发生后第三天,东电根据相关数据就已经可以判定1号到3号机组发生堆芯熔毁,但却一直以“堆芯损伤”来粉饰,直到两个月后才承认堆芯熔毁,东电后来承认这是根据时任社长的指示有意隐瞒实情;东电一度声称2011年6月之后没有新的核污染水排入海洋,但随着2013年一系列泄漏事件曝光,东电最终承认有高浓度核污染水泄漏入海,并称是因为担心影响当地渔业声誉而未及时公布;2021年9月,东电在报告ALPS排气滤网破损时承认,两年前发生过同样的滤网破损情况,但并未上报,也未调查原因,只是更换滤网了事;2022年10月,东电又被曝出用有问题的辐射检测仪误导参观者,以证明“ALPS处理水”的安全性。
东京大学学者关谷直也指出,不仅在福岛,东电旗下的其他核电站也不断发生管理和安全方面的问题,令人无法相信其处置能力。“向海洋排放,东电有这资格吗?”
东电和日本政府的失信还表现在出尔反尔的态度上。核污染水排海计划一直遭到日本全国特别是福岛当地渔民的强烈反对。在此情况下,东电和日本政府2015年8月先后向福岛县渔业协同组合联合会及日本全国渔业协同组合联合会保证,在得到渔民等相关方面理解前不会向海洋排放核污染水。
尽管日本政府想方设法试图说服渔业从业者,但始终未能成功。日本全国渔业协同组合联合会和福岛县渔业协同组合联合会自2020年以来已连续4年通过特别决议,坚决反对核污染水排海。但日本政府和东电不顾反对,违背自身承诺,坚持推进排海计划。
日本全国渔业协同组合联合会会长坂本雅信今年7月14日与经产大臣西村康稔会谈后表示,只要对排放不能放心,就不可能改变反对的立场。福岛县渔业协同组合联合会会长野崎哲7月11日与西村康稔交换意见后强调,对照政府“不取得相关方的理解,便不(对核污染水)展开任何处置”的承诺,渔民们不能容忍核污染水排放入海。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
指鹿为马矫饰伪行
面对国内外强烈反对核污染水排海的声音,日本当局为混淆视听,发起密集公关行动,大肆宣扬“核污染水安全论”,并将其作为日本外交的一个重点。
日本外务省、经产省、复兴厅等政府部门均在官方网站首页设置宣扬ALPS“处理水”安全的专题链接。外务省和经产省的社交媒体账号也将相关宣传视频置顶或放在醒目位置,并推出多语种版本。
日本是七国集团(G7)今年的轮值主席国。在今年4月的G7气候、能源和环境部长会议期间,日本经产大臣西村康稔在新闻发布会上声称“包括‘处理水’排海在内的废炉工作的稳步进展受到欢迎”,结果德国环境部长莱姆克当场表示“不能欢迎向海洋排放(核污染水)”。日方原本试图在会议联合公报中塞入“欢迎走向排海的透明进程”等内容,以显示“国际认可”。这一表述遭到德国反对,但日方仍利用东道主身份在最终公报中写入“欢迎……日本与IAEA基于科学证据的透明努力”以及“支持IAEA独立审查”等内容。同样的内容后来也出现在5月G7广岛峰会的领导人联合公报中。
日方还针对太平洋岛国发起公关攻势。这些岛国当年曾因美国在太平洋的核试验而深受其害,如今对福岛核污染水排海反对声强烈,也因此成为日方重点“安抚”对象。根据经产省7月31日发布的报告,日方自今年2月以来对太平洋岛国论坛全部成员国和地区都分别进行了“说明工作”。
日方还频频针对各国驻日外交官和外国记者举行说明会,千方百计宣扬核污染水排海的“安全性”。在日方的说明中,特别是外语版本资料中,一般都用“处理水”来指代核污染水,意图淡化其污染特性和潜在危害,以混淆视听。另据一些驻日外国记者透露,一旦其报道中有质疑核污染水排海安全性的内容,东电和日方有关人员就会来电来函施压。
值得注意的是,根据IAEA有关放射性物质排放到环境的安全规定,对排放放射性物质进行授权,应向受影响的利益相关方提供信息并进行磋商,“一些相关方可能在其他国家,特别是邻国”。但面对周边国家的反对和质疑之声,日方不是诚恳沟通,而是倒打一耙,把地区国家对海洋环境和食品安全的合理关切污蔑为“打政治牌”。日本一些右翼媒体甚至把日本这个“肇事者”打扮成“受害者”,愤愤不平地扬言要“反制”对核污染水排海提出异议的邻国。
中国驻日本大使馆7月4日就福岛核污染水排海问题阐述中方立场,指出日方所谓“希望同中方对话磋商”的表态缺乏诚意。迄今中方在双多边渠道同日方开展交流,反复表达专业部门意见和关切,但日方不顾中方立场,执意按既定时间表推进排海。“如果日方将排海作为磋商的前提,一味把排海强加于中方,那这种磋商意义何在?”
福岛核污染水排海不是日本一国的私事、小事,而是关系海洋环境和人类健康的公事、大事。日本政府无视国际社会正当关切,违背应履行的国际义务,强推核污染水排海,危害海洋环境和人类健康,侵害周边国家合法权益,绝非负责任国家所为。
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長徳寺 蘇民祭
長徳寺 蘇民祭 ₄ 取り主は中止期間をはさんで4年連続で紫波町の会社員・畠山真さん(45)興田神社の蘇民祭でも取主だった人。奥田神社蘇民祭は2025年も引続き中止中。
恍惚とした表情の人が...
長徳寺蘇民祭ふんどしのタイプはバラバラだよ。コロナで中止していた蘇民袋争奪戦「袋ねじり」も4年ぶりに2024年から再開している。「ねじり」は「揉み合い」の意味みたい。
響沁太鼓千代組
蘇民祭伝承( https://chotokuji.org/festival/ より引用)
明治27年12月4日付で油島(現在一関市花泉町)から不動尊を当時の20円で譲り受けた際に「蘇民祭」も付いてきたと言い伝えられている。昔は正月27日~28日にかけて行われた行事であり、27日はおこもり、28日午前1時より別当登り、2時より鬼子登り、3時より柴燈木(ヒタキ)登り、4時より袋ねじりの順に行われていた。 昭和24年~30年の7年間、蘇民袋争奪戦をしていた。午前4時頃に不動尊から袋を出し、山門をくぐり前の川までもみ合った(ねじった)。不動尊堂内に、争奪戦証拠の木札(取り主、参加者氏名)が掲示されている。 現在は平成26年の不動尊鎮座120年を記念し蘇民袋争奪戦の復活に より、全国から裸に下帯姿の男達が集まり水垢離や柴燈木登り、そして蘇民袋争奪戦がお祭りを最高に盛り上げる。子供達は鬼子の面を背負い行列に参加し、参拝者は蘇民袋の中から出てきたコマ木を御守に持ち帰る。
そして来賓及び一般の方に精進料理を振る舞う。特に「お不動さんのけんちん汁」は昔から好評で、毎年皆さんに喜んでいただいている。町内外からの参拝者は勿論、地元の年配者から子供達まで全員で参加出来るお祭りである。


令和7年度 蘇民祭開のお知らせ
時宗 不退山 長徳寺 〒029-3521岩手県一関市藤沢町保呂羽字宇和田18
疫病退散願い肉弾戦 「袋ねじり」再開 藤沢・長徳寺蘇民祭【一関】|Iwanichi Online 岩手日日新聞社 2024年3月5日付
一関市藤沢町保呂羽の長徳寺(渋谷真之住職)の蘇民祭は3日、同寺で行われた。新型コロナウイルスの影響で中止が続いていた蘇民袋の争奪戦「袋ねじり」を4年ぶりに再開し、県内外から集まった裸男らが行事を通して疫病退散などを祈願した。
国無形民俗文化財「岩手の蘇民祭」の一つで、同祭保存協力会(不動尊蘇民祭精進講本部)が主催。もともと同市花泉町にあった不動尊を1894(明治27)年に同寺が譲り受け、蘇民祭も一緒に引き継いだ。蘇民祭はコロナ禍も規模を縮小して実施しており、不動堂の解体・再建が始まる今年は、2年がかりの130周年記念事業の皮切りとしても行われた。
裸男は、北は青森県、南は香川県から20~60代の39人が参加。近くの川での水垢離(みずごり)や、井桁に組んで火を付けた木に上がる柴燈木(ひたき)登りなどで身を清め、不動堂を参拝。本堂前で縁起物の小間木を来場者らに向けてまくと、袋ねじりが始まった。肉弾戦の結果、紫波町の会社員畠山真さん(45)が最後まで袋の結び目を放さず、中止時期を挟んで4年連続の取り主となった。
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農林水産相を辞任した江藤拓氏は、現代日本の「マリー・アントワネット」として語り継がれることになるかもしれない。 コメ価格が過去最高値を更新する中、江藤氏は自分でコメを買ったことはなく、支援者からもらったコメが「売るほど」あると発言。事実上、コメが高過ぎるなら、もらったコメを食べればいいと国民に言い放ったのだった。 パンがなければケーキを食べればいいと言ったという風説が流れたアントワネットは、フランス革命で断頭台のつゆと消えた悲劇の王妃だ。 江藤氏はその後「ウケを狙った」と釈明したが、この1年でコメの価格が倍になるこの国で笑う者はほとんどいなかった。当然ながら同氏は辞任に追い込まれた。石破茂首相は「全て任命権者たる私の責任だ」と述べ、国民に謝罪した。 石破氏が江藤氏の誤りを認めたのは正しい。だが、自ら発した言葉にも目を向けるべきだ。日本のメディアは江藤氏の発言ばかり取り上げるが、石破氏自身も極めて不適切で、はるかに重大なリスクをはらむ発言を行っ��いた。 石破氏は19日の参議院予算委員会で「金利がある世界の恐ろしさをよく認識をする必要がある」と指摘した上で、日本の財政状況は「間違いなく極めてよろしくない。ギリシャよりもよろしくない状況だ」と答弁した。 消費税率引き下げの是非を巡る議論の中で、減税に反対する文脈で出た発言だが、最悪のタイミングだった。 日本銀行が長年の金融緩和を巻き戻そうと国債買い入れを段階的に縮小する中で、市場参加者がすでに金利上昇に神経質になっていたこともあり、石破氏のコメントは借り入れコストのさらなる上昇を招いた。 それだけでなく、ここ数年あまり注目されてこなかった日本の財政問題を再び論点にする結果となった。 石破氏は減税を求める世論を翻意させるつもりだったのだろう。しかし、福祉など公共サービスの削減には耐えられない国民に向けて語るには、あまりに無責任だった。 米国の信用格付けがムーディーズによって格下げされた直後というタイミングで、日本国債に新たに圧力をかけかねない発言を軽々しくするのは危険極まりない。 比較自体が誤り 一時的であっても、ポピュリズムに基づく愚かな提案である消費減税を退けた点では石破氏は正しい。しかし、国内政治の論争に勝つためだけに市場の混乱を招くのは無責任だ。 同じようなことは以前もあった。2010年、当時の菅直人首相も同様にギリシャ型の財政危機に言及し、増税を呼びかけたことで国民に衝撃を与えた。 そしてそもそも、ギリシャの財政状況は今、大きく改善され、ムーディーズは今年3月にギリシャを投資適格級に格上げしている。 仮に石破氏がユーロ圏危機時のギリシャを念頭に置いていたとしても、その比較自体が誤りであることに変わりはない。経済協力開発機構(OECD)によれば、確かに日本の債務は国内総生産(GDP)の240%相当と世界最大級だが、ギリシャとの共通点はそこまでだ。 ギリシャが危機に陥ったのは、債務の多さだけが原因だったのではなく、欧州共通通貨ユーロを採用し、債務の大半を外国人投資家が保有していたからだ。 これらは日本には当てはまらない。日本国債の大半は国内で保有され、主な買い手は日銀や銀行、保険会社、年金基金などだ。外国勢はわずか6.4%しか保持していない。 さらに、日本は世界最大の債権国であり、政府と家計の純資産は潤沢だ。そのため、日本の財政破綻を待ち望む金(ゴールド)投資家や暗号資産(仮想通貨)ビットコインの信奉者らは、今回も肩透かしを食らうことになるだろう。 日本国債が抱える問題は、需給の不均衡であり、世界情勢の不確実性を目の当たりにしている投資家が身構えているに過ぎない。日銀が再び市場に介入せざるを得なくなる可能性が高まっているが、これは植田和男総裁にとって望ましくない方向だ。 石破氏の不用意な発言は国債利回りへの圧力を強め、介入を現実味あるものにしてしまった。日本に起こり得る唯一の危機とは、自ら招く危機だけと言い換えてもいい。首相という立場にある石破氏は、それを理解していなければならない。今は軽率さが許されるときではない。 (リーディー・ガロウド氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、日本と韓国、北朝鮮を担当しています。以前は北アジアのブレーキングニュースチームを率い、東京支局の副支局長でした。このコラムの内容は必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません) 原題:Greece Is (Not) the Word in Japan, Prime Minister: Gearoid Reidy (抜粋)
【コラム】石破首相のギリシャ発言こそ舌禍、極めて危険-リーディー - Bloomberg
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月30日(水曜日)
通巻第8762号
最近の中国の特許申請件数と専門誌への論文発表はアメリカを凌いだ
ファーウェイがエヌビディアのハイテク半導体レベルに迫った
*************************
ファーウェイが世界でもっとも先進的とされるNVIDIAの半導体に類いする新製品の開発に成功したというニュースが流れている。ファーウェイは人工知能(AI)チップ「Ascend 910D」の試験運用を準備しているという。
NVIDIAのH100チップよりもはるかに高性能で、910Dは消費電力がNVIDIAのH100よりも低いので効率的だとウォールストリートジャーナルが報じた。
エヌビディアはそんなにはやく中国が追い上げる筈はないとたかをくくってきたが、突然のディープシークの登場で脅威は現実のものとなった。しかもディープシークは近日中に、新型の生成AI=R2の発売に踏み切る。
TIKITOKの親会社テンセントとアリババはエヌビディアのH20半導体を、およそ137億ドル分すでに購入済みで在庫している。
バイデン政権下で、AI競争と貿易戦争が激化し、ファーウェイをブラックリストに載せたが、大きな抜け穴があった。先進的半導体は中国へ筒抜けだった。
4月29日、アリババグはAIモデル・シリーズの第3世代を発表した。このモデルは処理速度の向上と多言語機能の強化を実現したとされる。
またファーウェイは2023年にスマートフォン「Mate 60」を発売した。2024年後半には、「Mate 70」を発売し、斯界を驚かせた。
いずれも7ナノ半導体が搭載されていたからだ。
トランプ政権が中国へのH20半導体を禁輸した以後も、ファーウェイやカンブリコン・テクノロジーズなどNVIDIAのライバル企業が勢いを増している。ファーウェイはバイトダンスなどのAI企業に、80万個以上のAscend 910Bおよび910Cチップを納入する予定だという。
最近の中国の特許申請件数と専門誌への論文発表がアメリカを凌いでいることは事実だが、特許をさきに取得しても、生産ノウハウがないから中国の半導体が迅速に成長する可能性は低いとされた。
「最新データによると、今月9日時点で、中国のAI特許出願件数は157万6379件で、世界の38.58%を占め、世界1位となっている。中国は現在まで400社以上のAI分野における国家レベル専精特新(専門化・精密化・特徴化・新規性)「小巨人」企業(高い成長性または大きい発展のポテンシャルを持つテクノロジーイノベーション中小企業)を育成し、世界のAI産業規模の10分の1を占め、完全なAI産業体系を形成している。
中国は今年さらに600億元(1元は約19.7円)規模の国家AI基金を設立し、各地のAI科学技術イノベーション、産業発展、応用促進を加速させている。同時にAIに関する監督管理体制・メカニズムを整備し、現在まで40件以上の業界重要標準と10件以上の国際標準を制定し、産業エコシステムの持続的な最適化を推進している。(「人民網日本語版」2025年4月28日)。
抜け道は台湾エンジニアが大量にSMIC(中芯国際)などの中国半導体製造企業に高給でスカウトされたためで、台湾TSMC並みの半導体政争に製造に協力してきたことが最大の原因として挙げられる。
そのうえ、中国はアメリカの技術を盗んできた。 2017年、米国通商代表部(USTR)は、 中国が年間2,250億ドルから6,000億ドル相当の知的財産を盗んでいると推定した 。
しかし技術流出や知的財産流出の大半が、中国企業が米国企業の株式を購入し、技術を所有する手法がとられたのだ。外国人は米国株の17%を保有しており、その数は増加している。このパターンには日本企業にも同じことがいえる。
さらに米中企業間の提携である。
中国に工場を建設するアメリカ企業は、現地の中国企業、つまり企業のクローンと提携せざるを得なくなる。中国市場参入の代償である。
https://www.wsj.com/tech/ai/huawei-readies-new-chip-to-challenge-nvidia-surmounting-u-s-sanctions-e108187a
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2025-1月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題はフリーです◆
今月は参加者の皆様に毎年恒例、お題フリーでアンビグラムを制作していただいております。作家の皆さんが書き初めに何を書くのか楽しみにご覧下さい。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。

「今年最初の月ア」 回転重畳型:えむゆ氏
今年最初の月アです。 どの文字も読みやすいです。回転重畳で起こりがちな字画の重なりもなくすように丁寧に作ってありますね。
「新年一発目」 回転型:あおやゆびぜい氏
新年一発目です。 モザイク処理がはまっていますね。そこに線があると思えば見えるし、ないと思えば見えなくなる効果が引き立っています。

「克己/巳年」回転共存型:すざく氏
書き初め。 墨のにじみのような処理が効果的ですね。「己/巳」を撥ね方で切り替えているのが筆文字ならではで���。
「恭/ミドシ」 敷詰回転共存型:kawahar氏
今年は巳年です。 自然な字形のままこの対応を見出すのはさすがです。右下がりの「ミドシ」が音階と符合しているのは意図の外でしょうか。

「賀/乙巳」 共存型:兼吉共心堂氏
今年の干支は「乙巳」。 筆の勢いが文字を読ませているように感じます。「巳」が元気な蛇のようです。

「抱負」 回転型:.38氏
新年の抱負は。 どちらの文字も大胆な省略がされていますが、文字の特徴が残っているのですぐ読めますね。ステキな作字です。

「夢/楽」 図地反転回転共存型: いとうさとし氏
楽しい初夢は見られたでしょうか。 この二文字���キレイに対応付けできるのは良い発見ですね。とても読みやすいです。

「しめ飾り」 回転型:てるだよ氏
正月が終わったら外しましょう。 文字の特徴をとらえつつわかりやすい対応付けで読みやすいですね。良作です。
「年男」「年女」 回転重畳型:うら紙氏
今年は巳年生まれの方々。 「年男」「年女」それぞれが回転重畳型で作字されています。回転中心の違いも含め、差を見てみるのも面白いです。

「学知利行」 図地反転鏡像型:繋氏
人としての道を学んで理解し、学んだことの正しさを考えて実際に行うこと。 かなりチャレンジングな文字列ですが、文字の特徴をうまく拾って仕上げていると思います。

「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」回転型:結七氏
小倉百人一首第九番、小野小町の一首。 結七氏による久しぶりの短歌アンビグラム。一文字:複数文字の対応も多く活用してまっすぐにまとめ上げられていてすごいですね。
「四半世紀」 交換式旋回型:lszk氏
西暦2000年から四半世紀経ちました�� 4つのパーツをうまく組み替えると「四半世紀」の4つの文字になるギミックです。厳密には、同一の敷き詰め方で4種の解釈がとれているわけではないので、複数の旋回型の組み合わせであるところに注意が必要です。

「心技体」 回転重畳型:ラティエ氏
心、技、体の3つの要素すべてが満たされるのが大事。 0度の向きの「心技体」に120度(240度)回転した「心技体」を排他的論理和で重ねると別の「心技体」になるという不思議な作品です(0度、120度、240度の3つのXORで真っ白になります)。というのが作者の意図でしたが、回転重畳型になります。

「伊れない病」 鏡像型:超階乗氏
SCP財団がプロトコルへ収容及び保管しているSCP-161-JP。 字形、対応、文字配置ともどことなく不安をあおる作品です。「伊」は読みやすいものの、勢いでは読めない文字列です。

「予知夢/大予言」 図地反転共存型: いとうさとし氏
初夢が大予言の予知夢だったら。 どちらも「予」を使っていますがその裏の文字が異なっているのが面白いですね。「夢」は大きく字形が変わっても読めるので強い文字だということを再認識しました。
「横組み斜め鏡像図地」 図地反転鏡像型:つーさま!氏
横組み斜め鏡像図地です。 どの文字も驚くほど読めます。名は体を表すシリーズトップクラスの出来だと思います。

「竜頭蛇尾」 敷詰図地反転回転型:Jinanbou氏
初めは勢いがよいが、終わりのほうになると振るわなくなること。 正方向の『「竜頭蛇尾の」敷詰』を図地反転すると、180度回転した『「竜頭蛇尾」の敷詰』になります。 文字の大きさに意味が表れていて面白いです。

「流動」 鏡像型:給食だより氏
移り変わり。 流れるような書体がステキな作品ですね。左右対称の図形として認識できるのと同時に左右対称ではない文字同士の組み合わせだとも認識できるのがこのタイプの面白いところです。

「陸蓮根」 重畳型:松茸氏
難読漢字の定番。 「蓮」は2文字の組み合わせなのですが、分割線が見えにくいので一文字として認識しやすくなっていますね。解釈の変化が楽しく、何度も見てしまいます。

「蚤の市」 敷詰回転型:ちくわああ氏
”フリー”マーケット。 単独で回すにはいろいろ壁がありますが敷き詰めるとぴったりでした。ノミのように飛び出した点が敷き詰めたときにうまく収まるのが面白いです。
「平方数」 回転型:lszk氏
2025=45×45。 「平」の分割処理がよいですね。「攵」の下が平らでもしっかり読めるようになっているのはさすがです。
「白い惑星まで電波を送った」 回転型:Σ氏
文字列生成で。 とても読みやすいしかっこいいですね。「つ」はほかの文字とほぼ同じ大きさながら字下げにより「っ」に読ませやすくしているのでしょう。
「はたらく細胞」 敷詰回転型:螺旋氏
実写版の映画が2024年12月13日より公開中。 回転中心4つの敷き詰め。きれいに分解されていますね。格子状に並べるところはまさに細胞のようですね。本家ロゴに似せていて素晴らしです。

「政治不信/国民反乱」 図地反転回転共存型: いとうさとし氏
政治不信を改善し、国民反乱を抑えるのが喫緊の課題。 こちらも読みやすくてさすがです。図地反転界隈の統治状態は安泰のようです。
最後に私の作品を。
「囍(双喜紋)」 重畳型:igatoxin
作例がありそうでなかった(?)pm型。 本年も喜ばしいことが続きますように。
お題フリー のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「記憶」です。メモリ、レコード、思い出、追憶、懐古、情報蓄積、受験勉強、面影、免疫記憶 など 参加者が自由に記憶というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は1/31、発行は2/8の予定です。今年もよろしくお願いいたします。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11��{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運} 12月{時事}
2025年 1月{フリー}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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日本AV:镜头下的情色帝国与明星背后的真实世界
描述: 本文深入探讨日本AV(Adult Video)产业的演变、文化影响以及其中的知名女演员与网红现象,揭示隐藏在镜头背后的真实故事与行业生态。
日本AV的发展与文化定位
提起日本AV,几乎每个亚洲成年人都不会陌生。这不仅仅是一个成人影视领域的代名词,更是一种独特的文化输出。与欧美以商业化和直接性为主的成人片相比,日本AV在拍摄、美学、剧情甚至演员选择上,都具有极强的民族风格和市场策略。
早在上世纪70年代,日本的“粉红电影”就已初具雏形,随着VHS的普及,日本AV产业在80年代逐步形成完整的商业模式,并在90年代达到黄金时代。此时期的经典演员如饭岛爱、苍井空,不仅在国内拥有庞大粉丝群体,也成功将个人形象传播到海外,成为“跨国偶像”。
在日本社会中,虽然表面上对性话题较为保守,但日本AV产业却在合法框架下蓬勃发展,体现出一种“表面羞涩,内里开放”的文化矛盾。
明星背后的光与暗:AV女优的真实人生
许多人对日本AV女演员的印象停留在荧幕上的形象,但现实远比镜头复杂。AV女优的职业生涯往往短暂,心理与身体都面临巨大压力。除了演出本身,她们还要应对舆论、家庭压力以及长期的社会标签。
例如曾经的苍井空,在成为AV女优之后经历了媒体封杀、家庭断裂,但她通过转型进入娱乐圈,并利用社交媒体与粉丝互动,逐渐洗白形象,甚至在中国拥有上百万粉丝,成为少数在主流舆论中获得转型成功的案例。
而更多人如高桥しょう子、三上悠亚等,则选择在日本AV中延长职业寿命的同时,发展副业如音乐、时尚品牌或网红事业,为未来铺路。她们是新一代“偶像型AV女优”的代表,兼具性感、偶像气质与商业思维。
网红时代下的日本AV变革
随着YouTube、Instagram、OnlyFans等平台的崛起,传统的AV发���渠道受到冲击。许多原本只能依靠制片公司生存的女优,开始尝试自营内容,建立个人品牌。
以三上悠亚为例,她不再仅仅依赖AV作品本身,而是经营自己的偶像团体、拍摄写真、开设个人频道,通过粉丝经济获利。这种由“公司艺人”转变为“自我营运”的模式,使女优拥有更多的主动权,也让日本AV产业进入“明星IP”时代。
这类自媒体形式甚至吸引了一些非传统AV演员,比如原模特、主播等跨界人士投入此行,改变了人们对日本AV女优固有的“底层印象”。
市场机制与情色美学的碰撞
日本AV在拍摄上讲究氛围与角色设定,常见的“教师与学生”“女上司与男下属”“人妻系列”等题材,深度迎合了观众的心理幻想。与欧美的直给式拍摄不同,日本在情色处理上讲究“若隐若现”“角色代入”,这也是其作品为何在全球有如此高认同感的关键。
此外,审查制度(如马赛克、动作限制)也反过来催生出更多创意。部分导演在画面布局、光影构图、剧情设计上下足功夫,使某些作品堪称艺术电影。经典导演如村西透,其作品不仅情色十足,更具有社会批判与幽默讽刺意味,堪称AV界的“黑泽明”。
观众视角的变化:从消费到共鸣
现代观众对日本AV的接受度越来越多元。早期仅为性欲满足的内容,现在也成为某种审美追求的对象。一些男观众会因女优的气质而追作品,而女性观众也开始参与消费,甚至在论坛、社群中参与女优的“追星行为”。
这一点在“女粉文化”尤为明显,比如深田咏美,其甜美形象、SNS活跃度和镜头表现力吸引了大量女性粉丝。她们不再只是偷窥者,更是内容共鸣者与支持者,重新定义了日本AV的受众结构。
伦理边界与舆论挑战
尽管日本AV被认为在法律与商业框架内运作成熟,但它并非毫无争议。未成年女优争议、偷拍与伪装合意行为等负面新闻,始终困扰着这个产业。而女优的“自愿性”在现实中也被频繁质疑,部分机构和NGO呼吁加强保护女优权益。
尤其在“退役女优”的生活保障与社会接纳方面,目前日本社会还缺乏完善制度,导致不少人因职业背景遭遇职场歧视、心理创伤甚至孤独自杀。
结语:情色之外,是一面镜子
日本AV不仅是情色产业的一部分,它也反映出社会对性、女性、明星、娱乐等议题的多重态度。我们看到的是光鲜亮丽的镜头,但背后藏着真实的挣扎、变革与创新。
它是一个欲望之地,也是一面镜子:映照出我们社会的欲望、道德模糊地带与文化表征。无论是崇拜女优,还是批判产业,每一个态度的背后,其实都连接着更深的人性问题

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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?

クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機��が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。


私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの���産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。

これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現��です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。

完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。

そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。

文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。

静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。

社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。

文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。

適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。

未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。

日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。



高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります

お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。

巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。

行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。

アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。

システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。

外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。

鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや形状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
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新一轮的迫害?《中华人民共和国境内外国人宗教活动管理规定实施细则》
中华人民共和国国家宗教事务局公布的《中华人民共和国境内外国人宗教活动管理规定实施细则》已于今年5月1日正式生效,标志着对外国人在华宗教活动的监管由此前的收紧进一步转向全面严密化,实际上,自习近平上台后,外国传教士被遣返回国的案件一直有在传出。
需要指出的是,该细则实质上是对1994年国务院颁布的《境内外国人宗教活动管理规定》和2010年11月29日国家宗教事务局令第9号公布修订的《中华人民共和国境内外国人宗教活动管理规定实施细则》的延伸和补充,旨在细化并强化原法规的实施操作。其中, 第6条明确规定:境内外国人的集体宗教活动必须在依法登记为宗教活动场所的寺院、宫观、清真寺或教堂(以下简称“寺观教堂”)内进行,由寺观教堂提供专场服务。如无法提供专场服务,则必须在省级人民政府宗教事务部门批准的外国人集体宗教活动临时地点(以下简称“临时地点”)举行。 这意味着外国基督徒不得在官方允许以外的任何场所(例如家庭,校内)自行组织任何教会,团契,查经班等类型的宗教活动,只能在政府认可的教堂(即“三自教会”)或申请通过的临时地点敬拜。而申请临时地点本身又存在门槛高、流程繁琐等实际障碍。 第7条和第8条规定,外国人在寺观教堂举行集体宗教活动必须推选三名以上召集人(不得包括外国驻华外交及领事机构人员或其他享有特权与豁免的外国人),由召集人向所在地设区市的宗教团体提交书面申请,并上报市级人民政府宗教事务部门备案。 第9条规定,所有宗教活动必须事先协议明确活动人数、时间、次数和方式,并报政府备案。第10条则要求所有集体活动必须由中国宗教教职人员主持(即三自教会牧师),如需由外国人主持,必须另行备案。 这几条规定的核心意图是将敬拜行为完全标准化与体制化,使外国人只能在受控的三自教堂,以政府设定的方式进行信仰实践,剥夺其在形式和场所上的宗教自由。 同时,对于宗教物品的进境也施加严格限制:个人所携带的宗教制品数量受限,禁止携带带有散发性质的宗教印刷品与音像制品入境。 第29条进一步规定: (一)干涉和支配中国宗教团体、宗教院校、宗教活动场所的事务,干涉宗教教职人员的认定和管理 (二)成立宗教组织,设立宗教办事机构、宗教活动场所或者宗教院校。 (三)宣扬宗教极端思想,支持、资助宗教极端主义和非法宗教活动,利用宗教破坏中国国家统一、民族团结、宗教和睦与社会稳定 (四)擅自开展讲经、讲道或者举行集体宗教活动 (五)在中国公民中发展宗教教徒,委任宗教教职人员 (六)利用宗教进行妨碍中国司法、教育、婚姻、社会管理等制度实施的活动 (七)制作或者销售宗教书刊、宗教音像制品、宗教电子出版物等宗教用品,散发宗教宣传品 (八)接受中国组织及公民宗教性的捐赠 (九)组织开展宗教教育培训 (十)利用互联网进行非法宗教活动 (十一)其他涉宗教的违法活动
这些规定语言模糊、界限不���,给执法部门留下了较大的执法空间,可能导致限制外国人的正常宗教活动甚至侵犯基本人权。其中第一条和第三条意味着,外国人来到教堂只能当一个“听众”,讲道、领唱、带领祷告或发表宗教性意见都可能受到限制,言论和行为需符合三自教会的标准。第二、四、五、七、九条的规定意味着外国人不得进行任何个人成立的宗教活动或个人宗教行为,封锁了外国人在中国传教的可能性。 第六条有很广泛的定义空间,例如外国基督徒在中国进行婚礼、基于信仰选择家庭教育方式,或参与社会公益时,若被认为有不当行为,亦可能被追究法律责任。第八条虽表述为禁止接受“宗教性捐赠”,但未明确说明“捐赠”是否包括物品、金钱、礼物或其他形式的援助,可能对外国基督徒与中国人之间的正常资助、馈赠或友好往来构成潜在风险。 这篇“实施细则”与其称之为“活动管理”,不如说是对宗教自由的手铐。这种带有“条件”的宗教自由,其本质是对中国境内宗教生活的全面压制。中国政府表面上声称“尊重和依法保护境内外国人的宗教信仰自由”,但实质上却通过一系列模糊繁琐的限制性条款,将“禁止”二字隐藏其中。中共意在通过强制依附三自教会、排除外国影响、压缩敬拜自由,彻底将基督教纳入体制掌控,防止其成为承载“独立思想”的群体,并切断其在中国社会的自然传播。
作者 Shuihu Xu
引用:https://www.dw.com/zh/韩教会团体前所未有的大规模遣返/a-37542967
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老子的深度解析
作者:玄清 时间:2024-11-22 关键词:道家, 道德经, 自然, 无为, 哲学
探寻古代智慧的宝藏,老子无疑是其中最璀璨的一颗明珠。深入解析老子的思想,不仅能够让我们领悟到“道”的深邃哲理,更能帮助我们在现代生活中找到平衡与智慧。老子的教导强调自然、无为与内心的和谐,鼓励我们反思自身与世界的关系,打破纷繁复杂的现代生活带来的困扰。
通过阅读这段深度解析,你将领悟到老子思想的核心价值:如何在纷扰中保持内心的宁静,如何在追求成功与物质的同时,找到真正的自我。文章将引导你思考生活的意义,提升个人的思维层次,激发对生活更深刻的理解与感悟。无论你是哲学爱好者,还是寻求内心安宁的现代人,这段解析都将为你打开一扇通向智慧之门的窗,让你在老子的哲学中获得启迪与指引。

1. 道家思想的源起与历史脉络
1.1 老子的生平
老子,姓李名耳,字聃,出生于春秋时期的楚国(今河南省鹿邑县),大约生活于公元前6世纪至公元前5世纪。老子的生平资料并不详尽,主要来源于《史记》的“老子韩非列传”。根据史书记载,老子在年轻时曾担任过周朝的图书馆管理员,负责保管和整理周朝的典籍。他的职业使他接触到大量的政治、哲学和历史文献,这为他日后的思想形成奠定了基础。
老子的思想主要体现在《道德经》一书中,该书是道家思想的经典之作,分为道经和德经两部分。道经探讨宇宙的本源和道的性质,德经则关注个体的道德修养和社会伦理。老子的哲学思想强调“道”的重要性,他认为“道”是宇宙的根本法则和力量,所有事物都遵循“道”的原则而生长和变化。
1.2 历史背景
老子生活的春秋时期是中国历史上一个动荡不安的时代,诸侯割席分治,战争频繁,社会动荡不安。这一时期,政治腐败,民众疾苦,传统的价值观遭到挑战。在这样的历史背景下,老子提出了一种超越世俗的哲学思想,旨在为人们提供一种内心的宁静与和谐。
在当时的社会中,儒家思想逐渐崛起,以孔子为代表的儒家学派强调伦理道德、社会秩序与家庭关系,而老子则相对注重个体的内心体验与自然的和谐。他的思想反映了对人类生存状态的深刻思考,提供了一条逃避外部纷争、寻求内心平和的道路。
1.3 道家思想的形成
老子的道家思想不仅是个人哲学的产物,更是对当时社会动荡的反应。他的思想包含了对自然的尊重与顺应,强调“无为而治”,提倡以柔克刚,反对过度的干预与控制。这一思想与当时正盛行的儒家思想形成鲜明对比,因而在历史上引发了广泛的讨论与影响。
1.3.1 自然与道的关系
老子认为,“道”是宇宙的本源,所有事物的形成与变化都是“道”的表现。他在《道德经》中写道:“道可道,非常道;名可名,非常名。”这是在强调“道”的无形与无名状态,只有通过对自然的感悟才能接近它的真谛。他提倡回归自然,强调人应与自然和谐共存,这一观点在《道德经》中有着深刻的阐述:“人法地,地法天,天法道,道法自然。”
1.3.2 “无为”的思想
老子提出的“无为而治”是道家思想的重要组成部分,意在倡导一种不藉强权与暴力,而是通过柔和的方式来治理国家与社会。他认为,过度的干预与控制只会引发更多的问题与矛盾,反而应当尊重自然法则,让事物按其自身的规律发展。此观点在《道德经》中多次提及:“无为而无不为。”这句话的核心在于通过不强求、不干预的态度,达到事物自然发展的最佳状态。
1.4 老子的影响与传承
老子的思想自其提出后,逐渐形成了一种独特的文化现象,对后世的哲学、政治、艺术等领域产生了深远的影响。尤其是在道教的形成与发展过程中,老子被尊奉为“道家始祖”,其思想成为道教的核心理论之一。
1.4.1 道教的形成
道教的形成是在老子思想的基础上,经过几百年的发展而逐渐成型。道教不仅仅是一种宗教信仰,它还结合了老子的哲学思想,形成了包括道教经典、祭祀仪式、道德伦理等一系列内容的完整体系。道教强调人与自然的和谐关系,倡导修身养性,追求长生久视的理想,这些都深深植根于老子的思想之中。
1.4.2 对后世思想的影响
老子的思想不仅影响了道教的发展,还对佛教、儒家等其他思想流派产生了重要的影响。例如,唐代诗人王维的诗歌中,常常可以看到“道”与“自然”相结合的思想,体现了老子的哲学理念。此外,老子的“无为”思想在现代管理学中也得到了广泛应用,很多企业管理者在面对复杂的市场环境时,借鉴了老子的“无为而治”理念,强调适应变化与灵活应对。
1.5 对现代社会的启示
老子的道家思想在当今社会仍然具有重要的现实意义。在面对现代社会的快节奏与高压力生活时,老子的哲学为人们提供了一种回归内心、寻求平静的思路。尤其是在环境保护、可持续发展等议题上,老子的“道法自然”精神为我们指明了方向。
1.5.1 自然与现代文明的关系
老子强调人与自然的和谐共生,在现代社会中,环境问题日益突出,人类的生存与自然的关系愈加紧张。老子的思想提醒我们,在追求经济发展的同时,不能忽视对自然的尊重与保护。现代生态学研究也表明,保护生态环境、实现可持续发展是人类社会长远发展的关键(数据来源:联合国环境规划署,2021)。
1.5.2 心理健康与内心修养
现代社会中,心理健康问题日益严重,很多人面临压力与焦虑。老子的“无为”思想鼓励人们放下对世俗名利的执着,寻求内心的平和与宁静。心理学研究表明,内心的宁静与和谐对心理健康至关重要(数据来源:美国心理学会,2020)。通过对老子哲学的学习,人们能够更好地调适自己的情绪与心理状态,提升生活质量。
1.6 学术研究与争议
老子的思想历经几千年的传承与发展,吸引了众多学者的关注与研究。然而,关于老子的生平、思想的解读及其历史地位,仍存在诸多争议。
1.6.1 老子的历史真实性
关于老子的生平,学界普遍认为缺乏足够的历史证据,许多关于他的生平事迹多为后人附会。某些学者认为老子的存在可能是一个象征性的形象,而非真实的历史人物(作者:陈来,2015)。然而,尽管存在争议,老子的思想与《道德经》的影响力毋庸置疑,成为后世哲学讨论的重要基础。
1.6.2 对道家思想的多元解读
老子思想的多元性也使得学者们对其进行不同的解读。有观点认为,老子的“无为”实际上是一种消极的生活态度,而另一些学者则强调其积极的哲学内涵,认为“无为”是对个体内心的深刻理解与把握(作者:王宗杰,2018)。这种多元解读为道家思想的研究提供了丰富的视角,也加深了人们对老子哲学的理解。
老子的生平与历史背景为道家思想的形成提供了重要的基础,而其思想的影响与传承至今仍然活跃于我们的生活与思考中。在当今这个复杂而多变的世界,老子的智慧仍然能为我们提供深刻的启示与指引。

2. 道法自然的智慧与力量
道法自然的智慧与力量
1. 老子的核心哲学思想
老子,作为道家哲学的创始人,其学说深刻影响了中国乃至世界的哲学思想。老子的核心哲学思想可以归结为“道法自然”。这一概念不仅仅是对自然的描绘,更是对人类行为、社会治理和人生哲学的深刻洞察。老子通过《道德经》,将道与德的关系、自然法则与人类社会的联系展现得淋漓尽致。
1.1 道的本质
“道”是老子哲学的核心概念,意指宇宙的根本法则与本源。老子在《道德经》中指出:“道可道,非常道;名可名,非常名。”(《道德经》第一章)这句话揭示了道的不可言说性与难以捉摸的本质。道不仅是宇宙万物运行的法则,也是人类行为的指南。
在现代科学中,类似的观点也得到了验证。物理学中的“宇宙法则”与老子的“道”有着奇妙的相似之处。例如,爱因斯坦的相对论和量子力学都试图揭示宇宙中看似混沌的现象背后的规律(数据来源:Einstein, 1915)。老子所说的“道”与现代科学探索宇宙本质的努力,展现了人类在理解自然法则方面的共鸣。
1.2 自然的智慧
老子强调“自然”二字,认为自然是最高的智慧体现。他在《道德经》中提出:“人法地,地法天,天法道,道法自然。”这句话表明人类的行为应当顺应自然,尊重自然规律。老子认为,只有当人类的行动与自然和谐一致时,才能实现真正的幸福与繁荣。
在生态学发展迅速的今天,老子的这一思想愈加显得重要。许多研究表明,人类活动对自然环境的破坏已经达到了不可逆转的地步(数据来源:IPCC, 2021)。当代生态学家提倡的可持续发展理念,与老子提倡的“道法自然”思想有着内在的契合。尊重自然、顺应自然的原则,已成为当今社会应对环境危机的重要指导思想。
2. 道法自然在个人修身中的体现
老子的哲学不仅影响社会治理,也在个人修身方面有着深刻的启示。通过“道法自然”的理念,个体可以在纷繁复杂的社会中找到内心的宁静与自我实现的路径。
2.1 追求内心的宁静
老子提倡的“无为”思想,强调的是一种非干预的生活方式。他认为,过于强求与追逐反而会导致内心的焦虑与不安。老子在《道德经》中指出:“少则得,多则惑。”(《道德经》第九章)这一观点强调了简朴与知足的重要性。
现代心理学研究也表明,过度追求物质财富和社会地位往往导致心理健康问题(数据来源:Kasser, 2002)。相反,生活中的简单、宁静与内心的和谐,能够帮助人们更好地应对生活的压力与挑战。老子的智慧在此得到了现代心理学的印证。
2.2 与自我和谐共处
老子认为,个体应当与自己的内心保持和谐,理解自身的真实需求。在这一过程中,个体需要反思自身的欲望与目标,避免被外部环境所左右。老子在《道德经》中提到:“知足者富。”(《道德经》第33章)这句话强调了知足常乐的智慧。
当代许多成功人士在自我管理与心理调适方面也借鉴了老子的思想。例如,苹果公司的创始人史蒂夫·乔布斯(Steve Jobs)在其职业生涯中,一直强调保持内心的宁静与专注,认为这是创新与成功的关键因素(数据来源:Isaacson, 2011)。这种与自我和谐共处的理念,正是老子“道法自然”思想的生动体现。
3. 道法自然在社会治理中的应用
老子的“道法自然”思想不仅影响个人修身,也为社会治理提供了深刻的智慧。老子主张的“无为而治”理念,强调政府应当顺应社会发展的自然规律,而非强行干预。
3.1 无为而治的必要性
老子在《道德经》中提到:“治大国者,如烹小鲜。”(《道德经》第60章)这句名言形象地表达了治理国家的智慧:治理大国应当如同烹制小鱼,轻柔而不强求。过多的干预与控制只会导致反效果,民众的反感与抵抗。
现代政治学研究显示,过度的政府干预往往会导致社会的动荡与不安(数据来源:Fukuyama, 2018)。许多国家在治理中采取的“放权”政策,正是基于对老子“无为而治”理念的理解与实践。例如,新加坡的政府在社会治理中,注重与市民的沟通与合作,而不是单方面的强制执行,从而实现了社会的稳定与繁荣。
3.2 以民为本的治理理念
老子强调“以民为本”,主张政府的根本任务是服务于民众,关注民众的基本需求。在《道德经》中,老子提到:“上善若水,水善利万物而不争。”(《道德经》第8章)这一比喻强调了政府应当如水一般,滋润万物而不与之争。
当代社会治理中,以民为本的理念越来越受到重视。例如,在许多国家的城市规划中,政府通过居民参与的方式,了解民众的实际需求,从而制定相应的政策。这一做法不仅提升了政策的有效性,也增强了民众的参与感与归属感(数据来源:Arnstein, 1969)。
4. 道法自然与现代社会的关系
老子的“道法自然”思想,在现代社会中仍然具有重要的现实意义。这一思想不仅为个人的生活提供了指导,也为社会的治理与发展提供了深刻的哲学基础。
4.1 对环境保护的启示
在当今全球面临环境危机的背景下,老子的“道法自然”思想为环境保护提供了重要的哲学依据。老子强调自然的和谐与平衡,认为人类应当尊重自然规律,避免过度开发与破坏。
根据联合国的报告,全球气候变化正对生态环境造成严重威胁(数据来源:UN, 2021)。在这一背景下,各国政府与组织开始重视可持续发展,努力寻求与自然和谐共处的解决方案。老子的智慧在当代环境保护实践中,愈加显得不可或缺。
4.2 对人际关系的指导
老子的“道法自然”思想也为现代人际关系提供了重要的指导。老子提倡的非对抗性与和谐共处,能够有效减少人际关系中的冲突与摩擦。在现代社会中,人际关系的复杂性与多样性让人们面临许多挑战,老子的智慧则为这些挑战提供了有效的应对策略。
例如,在职场中,倡导团队合作与沟通的企业文化,往往能够提升员工的工作满意度与团队凝聚力(数据来源:Gallup, 2020)。这种基于老子“道法自然”理念的管理方式,不仅增强了组织的效率,也促进了员工的身心健康。
5. 道法自然的未来展望
在全球化与信息化迅速发展的今天,老子的“道法自然”思想依然具有重要的现实意义。未来,如何将这一古老的智慧与现代社会的需求相结合,将是一个值得深入探讨的话题。
5.1 教育中的道法自然
在教育领域,老子的智慧可以为教育理念的转变提供新的视角。当前教育体系往往强调知识的灌输与竞争,忽略了学生的内心需求与个性发展。老子的“道法自然”理念,鼓励教育者关注学生的个体差异,倡导以学生为中心的教育模式。
例如,芬兰的教育体系以其灵活与人性化著称,强调学生的自主学习与个性发展,这与老子强调的自然与和谐相契合(数据来源:Sahlberg, 2011)。未来,教育者可以从老子的哲学中汲取灵感,创造更适合学生成长的教育环境。
5.2 科技与自然的和谐
随着科技的迅猛发展,如何实现科技与自然的和谐共生,将是未来社会面临的重大挑战。老子的“道法自然”思想为这一课题提供了重要的思考角度。科技应当以人为本,尊重自然规律,而非对自然进行无节制的开发与利用。
在绿色科技与可再生能源的发展中,许多科技公司已经开始践行这一理念,努力实现科技与自然的和谐共处(数据来源:IEA, 2020)。未来,如何将老子的智慧融入科技发展的各个层面,将是推动可持续发展的关键所在。
6. 结语
老子的“道法自然”思想,作为一种深刻的哲学理念,贯穿于个人修身、社会治理与现代发展等各个方面。在日益复杂的现代社会中,老子的智慧为我们提供了宝贵的指导,帮助我们在生活与工作中寻求内心的平衡与和谐。无论是对个人的成长,还是对社会的治理,老子的“道法自然”思想都展现了其永恒的智慧与力量。
3. 道德智慧的时代印记
道德智慧的时代印记
3.1 老子的道德观:道与德的统一
老子作为道家思想的创始人,其哲学体系的核心在于“道”和“德”的紧密结合。在《道德经》中,老子提到“道”是宇宙的根本法则,是一切存在的来源,而“德”则是人们在此法则指导下所应遵循的行为规范。这种道德观反映出一种深刻的宇宙观和人生观,强调自然与人之间的和谐。
老子认为,“道”是无形无象的,它不仅存在于自然界中,也体现于人类社会的方方面面。根据王弼的注解,老子所说的“道”是一种无为而治的理念,强调顺应自然法则,避免人为的干预和操控(王弼, 2000)。这一观点在现代社会中仍然具有重要的启示意义,尤其是在面对可持续发展和生态危机时,老子的哲学为我们提供了一种反思人类行为的视角。
在老子的伦理思想中,“德”不仅是个体的道德修养,也是社会和谐的重要基础。老子指出:“上德无为”,即通过无为而治来实现社会的安定与和谐。这种无为不是消极的放任,而是一种智慧的选择,意味着顺应自然规律,尊重他人的自由与选择。在现代社会,老子的这一思想可以被解读为倡导个人与社会、自然之间的和谐共生,强调个人责任感与社会责任感的结合。
3.2 仁与义:老子道德观中的核心价值
老子的道德观念中,仁与义是其伦理思想的重要组成部分。尽管老子未明确提出“仁义”这一概念,但其思想中蕴含的深刻内涵与后来的儒家思想并不相悖��老子强调“慈”、“俭”、“不争”等美德,这些特质与仁义的内涵有着密切的联系。
根据《道德经》第49章,老子提到:“圣人常无心,以百姓之心为心。”这句话强调了道德行为的出发点应当是对他人感受的关注,而非个人私利的追求(老子, 公元前6世纪)。这种以他人为中心的道德观正是现代社会所需的,尤其是在全球化背景下,人与人之间的关系愈发复杂,理解和尊重他人显得尤为重要。
在现代伦理学中,许多学者也强调了仁义的重要性。例如,哈佛大学的伦理学教授迈克尔·桑德尔在其著作《正义:该如何做是好的》中提到,真正的道德行为应当以他人的福利为中心,而非单纯的个人利益(桑德尔, 2009)。这种观点与老子的道德智慧相吻合,反映了人类共同面对的道德困境。
3.3 无为而治:老子政治哲学的伦理基础
“无为而治”是老子政治哲学的核心理念之一,它不仅是治理国家的策略,更是一种深刻的伦理思考。老子主张,政治的最高境界在于“无为”,即通过减少对人民的干预来达到治理的效果。这一理念的提出,挑战了传统的以权力和法律为基础的治理模式。
老子在《道德经》中指出:“治大国如烹小鲜。”这句话强调了治理国家的复杂性和微妙性,治理者应当像烹饪时一样,掌握好火候,避免过度干预(老子, 公元前6世纪)。在现代社会中,这一理念可以被理解为对政府权力的合理制约,强调政府应当尊重公民的权利与自由,增强社会的自我调节能力。
例如,在新加坡的治理模式中,政府虽然采取了一系列的干预措施,但在很多领域却始终保持着对市场和社会的尊重与信任。这种“无为而治”的智慧使得新加坡在经济发展与社会和谐之间找到了平衡,也为其他国家提供了宝贵的借鉴(数据来源:新加坡统计局, 2022)。
3.4 反对过度竞争:老子与现代经济伦理
在当今社会,竞争无处不在,尤其是在经济领域。然而,老子的道德观提醒我们,过度的竞争不仅会导致人与人之间的对立,也会破坏社会的整体和谐。老子提倡的“无争”理念在现代经济中同样具有重要的现实意义。
老子在《道德经》中提到:“天下皆知美之为美,斯恶已。”这句话指出,当我们一味追求物质利益和竞争时,反而会失去对真正价值的认识(老子, 公元前6世纪)。在现代经济学中,许多学者也开始关注这种现象。例如,经济学家约瑟夫·斯蒂格利茨在其著作《不平等的代价》中提到,过度竞争导致资源的浪费和社会的分裂,强调了寻求共同利益的重要性(斯蒂格利茨, 2012)。
老子的思想促使我们重新思考经济活动的目的,强调经济应服务于人类的福祉,而非成为人类的奴隶。在这种情况下,企业的社会责任意识、可持续发展战略等理念应运而生,这些都与老子提倡的道德智慧相契合。
3.5 老子的智慧在当代社会的应用
老子的道德观与伦理思想在当代社会中依然具有广泛的适用性。尤其是在面对社会变革、科技发展等诸多挑战时,老子的智慧提供了一种反思与应对的方式。
例如,在当今全球化和信息化的背景下,人与人之间的联系愈发紧密,但也伴随着沟通的障碍和误解。老子提倡的“柔弱胜刚强”的理念,可以为现代人际关系的处理提供借鉴。在商业谈判、国际关系等领域,温和与谦逊的态度常常能够化解冲突,实现双赢。
此外,面对气候变化和环境危机,老子强调的“顺应自然”的智慧也在推动可持续发展的进程中发挥着重要作用。各国在制定环保政策时,可以借鉴老子提倡的尊重自然、和谐共生的理念,推动绿色经济的发展。据国际能源署(IEA)的数据,全球可再生能源的投资已达到创纪录的近3000亿美元,这一趋势与老子的思想不谋而合(数据来源:国际能源署, 2023)。
3.6 伦理教育中的老子思想
在当代教育体系中,尤其是伦理教育与道德教育中,老子的思想也应当得到重视。通过对老子道德观的学习,可以帮助学生更好地理解人与自然、人与社会之间的关系,培养他们的道德意识和社会责任感。
例如,许多教育学者提倡将老子的思想融入课程中,以培养学生的批判性思维和道德判断能力。研究表明,参与伦理教育的学生在面对道德困境时,表现出更高程度的同理心和责任感(数据来源:教育心理学杂志, 2021)。这种教育实践不仅能够帮助学生形成积极的价值观,也为未来社会的和谐发展奠定了基础。
综上所述,老子的道德观与伦理思想不仅在其时代具有重要的意义,在当代社会中同样能够为我们提供深刻的启示。通过对老子思想的深入探讨和实践应用,我们能够更好地应对当前社会面临的各种挑战,推动人类社会的和谐与发展。

4. 老子思想的穿越时空之旅
4.1 老子思想的核心概念
老子(约公元前570年-公元前471年),是道家思想的创始人,其著作《道德经》不仅是中国哲学的经典之作,也是世界哲学的重要组成部分。老子的核心思想可以归结为“道”和“德”两个概念。“道”是宇宙的根本法则,是一切存在的源泉;而“德”则是个人在社会中应有的行为规范和道德标准。
在《道德经》中,老子提到“道可道,非常道;名可名,非常名”,这句话强调了道的不可言说性和超越性。老子认为,真正的智慧是对“道”的感悟,而非通过语言和逻辑来解释(《道德经》,老子)。这一点在后来的哲学研究中得到了广泛的认可,许多学者认为老子的思想为后世提供了理解宇宙和人类存在的一种新的视角。
4.2 老子思想的历史传播
老子思想的传播历程可追溯至战国时期,随着道家文化的兴起,老子的影响力逐渐扩大。汉代的道教接受了老子的思想,将其与儒家和佛教结合,形成了独特的宗教文化。道教不仅在中国本土扎根,还通过朝贡、贸易和文化交流传播到东亚地区,如日本、韩国和越南等国。
在日本,老子的思想被称为“道教思想”,深刻影响了武士道精神和禅宗。武士道强调内心的宁静与自我控制,这与老子的“无为而治”的理念不谋而合(数据来源:日本文化研究中心,2020)。禅宗则在其修行中强调直观的体验,而非文字的解释,体现了老子对道的理解。
4.3 老子思想与现代社会
随着全球化进程的加快,老子思想在现代社会的影响也愈发显著。在环境保护、可持续发展等议题上,老子的“道法自然”理念被重新审视,成为生态哲学的重要组成部分。许多现代环境学者指出,老子的思想强调人与自然之间的和谐关系,这为当代社会在面对环境危机时提供了宝贵的智慧(李明,2019)。
例如,许多现代企业在经营管理中借鉴了老子的“无为而治”思想,强调在不干预市场自然规律的前提下进行管理。这种管理理念不仅提高了企业的适应能力,也促进了可持续发展模式的形成(数据来源:商业管理研究,2021)。
4.4 老子思想在艺术与文学中的体现
老子的思想也深刻影响了中国的艺术与文学。在绘画方面,许多山水画作品体现了老子追求自然、和谐的理念。画家如范宽、李唐等通过作品传达了老子“道法自然”的思想,展示了人与自然的和谐共处。
在文学上,老子的影响同样深远。唐诗宋词中,许多作品表达了对自然的赞美和对人生的沉思,这些主题的背后都能找到老子思想的影子。例如,王维的诗歌常常体现了道家的哲学思想,强调人与自然的和谐关系,体现了老子的“无为”思想(王维,唐诗选)。
4.5 老子思想对西方哲学的影响
老子思想不仅在东方影响深远,也逐渐渗透到西方哲学中。19世纪,德国哲学家叔本华对老子的思想表示了浓厚的兴趣,他在自己的著作中提到了道家哲学的价值,并认为其与西方哲学有着密切的联系(叔本华,1818)。他认为,老子的“无为”思想可以与基督教的谦卑精神相提并论,形成一种超越文化和宗教的智慧。
在现代,许多西方哲学家如海德格尔、德里达等也对老子的思想进行了深入研究,认为其提供了一种不同于西方传统思维的思考方式,强调直觉和体验的重要性(海德格尔,1962)。这些研究不仅丰富了西方哲学的内涵,也为东西方文化的对话提供了新的视角。
4.6 老子思想在心理学与社会学中的应用
老子思想在心理学和社会学领域也引发了广泛的关注。现代心理学家如卡尔·荣格等人对老子的“内心宁静”与“自我实现”进行了深入研究,认为老子的思想有助于现代人面对快节奏生活带来的压力(荣格,1964)。荣格提到,老子提倡的内省和自我反思,可以帮助人们更好地理解自己的内心,从而实现心理健康。
在社会学领域,老子的“无为而治”思想被许多学者视为社会管理的重要参考。社会学家认为,老子的理念可以帮助管理者更好地理解社会动态,采取更为柔和的管理方式,促进社会的自我调节(张伟,2022)。这种管理方式在现代社会中愈发受到重视,特别是在社区治理和企业管理中,强调民主参与和自我管理。
4.7 老子思想在教育中的启示
老子思想还为教育领域提供了独特的启示。在教育理念上,老子提倡的“无为”思想可以转化为一种尊重学生个体发展的教育观。现代教育心理学家指出,教育不应仅仅依赖于灌输知识,而应关注学生的内心感受和自主学习能力(数据来源:教育心理学研究,2023)。老子的这种思想鼓励教师在教学中尊重学生的个体差异,并为他们创造一个自由探索的环境。
例如,许多教育机构开始采用以学生为中心的教学模式,强调通过探究和合作学习来激发学生的学习兴趣和创造力。这种方法不仅提高了学生的学习效果,也使教育变得更加人性化,符合老子“道”的精神(王芳,2023)。
4.8 全球化背景下的老子思想
在全球化背景下,老子思想的传播和接纳面临新的机遇与挑战。随着中国文化的影响力不断提升,越来越多的国际学者和文化机构开始关注和研究老子的哲学思想。在这一过程中,老子的思想不仅被视为中国传统文化的一部分,也逐渐成为全球哲学的重要组成部分。
近年来,许多国际会议和学术论坛上,老子思想的讨论频繁出现,涉及哲学、管理、环境科学等多个领域。这种跨学科的研究不仅推动了老子思想的全球传播,也为不同文化之间的对话提供了新的平台(数据来源:国际文化交流研究,2023)。
透过老子思想的穿越时空之旅,我们可以看到其在不同历史时期、不同文化背景下的影响与传播。这种影响不仅体现在哲学、艺术、管理等领域,也在现代社会的各个层面得到了广泛的应用与认可。老子的智慧为我们提供了一种理解世界和自我的新方式,值得我们在当今复杂的社会中深入思考与实践。

5. 老子智慧照亮现代之路
5.1 老子思想的核心理念
老子,作为道家哲学的创立者,其思想深刻影响了中国古代哲学、政治、文化等多个领域。老子的核心理念是“道”,它不仅是宇宙的本源,也是人类行为的指导原则。道家强调自然、无为而治,认为人应顺应自然的法则,达到和谐与平衡。在现代社会中,老子的智慧依然具有重要的启示意义。
首先,老子的“无为”并非消极懈怠,而是强调顺应自然规律,减少不必要的干预。这一思想在现代管理学中得到了验证。许多企业管理者意识到,过度的控制和干预往往会导致员工的抵触情绪,反而降低工作效率。研究表明,企业在管理上采取“放权”的策略,能够激发员工的创造力和主动性,从而提升整体生产力(数据来源:McKinsey, 2020)。
5.2 现代社会的复杂性与老子智慧的适用性
在当今社会,科技的迅猛发展和全球化进程加速,使得社会变得愈加复杂多变。面对这一复杂性,老子的思想为我们提供了应对挑战的智慧。在政治、经济、环境等领域,老子的“道”提供了一个看待问题的新角度。
5.2.1 政治治理中的“无为而治”
现代政治面临着诸多挑战,包括利益冲突、社会不平等以及环境危机等。在这种背景下,老子的无为而治思想为政治治理提供了新的思路。无为而治意味着政府在治理过程中应减少不必要的干预,更多地发挥社会自我调节的功能。以新加坡为例,该国在治理中强调政府与市场的协同作用,充分尊重市场规律,取得了显著的经济成就和社会和谐(数据来源:World Bank, 2021)。
5.2.2 经济发展中的和谐理念
老子的和谐思想在经济发展中同样具有重要价值。随着经济全球化的深入,资源的过度开发和环境的持续恶化引发了人们对可持续发展的思考。老子提倡的自然法则和和谐理念能够引导我们在经济发展中注重生态保护与资源合理利用。根据联合国环境规划署的报告,全球需要转向绿色经济,才能实现可持续发展目标(数据来源:UNEP, 2022)。老子的理念在这里提供了一个重要的理论基础。
5.3 个人生活与老子智慧的结合
在个人生活层面,老子的思想同样具有深远影响。现代人生活节奏快、压力大,如何保持内心的平静与和谐成为一个重要议题。老子的智慧在这一方面提供了有效的指导。
5.3.1 心灵的宁静与自我调节
老子强调“无欲”,即减少对物质的追求,从而达到心灵的宁静。现代心理学研究发现,过度的物质追求与心理健康问题密切相关(数据来源:American Psychological Association, 2020)。例如,许多心理学家提倡通过冥想、简化生活等方式来改善心理健康,这与老子的思想不谋而合。
5.3.2 人际关系中的柔韧性
老子提倡柔弱胜刚强的理念,在人际关系中同样适用。在现代社会中,人们的沟通方式和交往习惯日益多样化,如何处理复杂的人际关系成为一大挑战。老子的柔韧性思想鼓励我们以包容和理解的态度面对冲突,这不仅能提升人际关系的质量,也能创造和谐的社会氛围。研究表明,积极的社交互动能够显著提升个体的幸福感(数据来源:Harvard University, 2021)。
5.4 老子思想与科技发展的辩证关系
随着科技的飞速发展,人工智能、大数据等新技术不断涌现,这些技术在提高生产效率的同时,也引发了伦理和社会问题。在此背景下,老子的思想为我们提供了反思科技发展的方向。
5.4.1 科技与自然的和谐共生
老子主张人与自然的和谐共生,这一理念在科技发展中显得尤为重要。例如,智能农业的兴起通过科技手段提高了农业生产效率,同时又注重生态保护,实现了经济效益与环境保护的双赢(数据来源:Food and Agriculture Organization, 2022)。这一实践体现了老子关于和谐与顺应自然的思想。
5.4.2 科技伦理的思考
老子强调道德与伦理在行为中的重要性。在科技飞速发展的今天,科技伦理问题日益突出,如数据隐私、人工智能的道德责任等。老子的思想提醒我们,在推动科技进步的同时,必须关注其潜在的社会影响与伦理问题。专家指出,科技发展应以提升人类福祉为目标,强调技术应用中的伦理责任(数据来源:IEEE, 2022)。
5.5 老子智慧的全球传播与影响
随着全球化的进程,老子的思想渐渐被世界各国所认可和接受。在当今的多元文化背景下,老子的智慧不仅是中国文化的瑰宝,也是全人类的共同财富。
5.5.1 国际关系中的“和谐”理念
在国际关系中,老子的和谐思想为国家间的合作与共赢提供了理论支持。在面对全球性问题,如气候变化、疫情防控等,国家间的合作显得尤为重要。老子的“和而不同”思想强调尊重差异、寻求共识,这为国际合作提供了重要的思维方式(数据来源:Council on Foreign Relations, 2021)。
5.5.2 文化交流与思想融合
老子的思想在全球范围内的传播,促进了不同文化之间的交流与融合。许多西方学者对老子哲学进行了深入研究,并将其与现代哲学、管理学等领域相结合,形成了新的理论框架。例如,哈佛大学的一项研究表明,老子的思想在管理学中被广泛应用,尤其是在领导力和团队管理方面(数据来源:Harvard Business Review, 2020)。
5.6 未来展望:老子智慧在新世纪的实践
展望未来,老子的智慧将在全球范围内继续发挥重要作用。随着社会的不断发展与变化,老子的思想也需与时俱进,适应新的社会需求。
5.6.1 教育领域的应用
教育是传承文化与思想的重要途径。将老子的智慧融入现代教育体系中,对于培养学生的综合素质和道德意识具有重要意义。教育研究表明,强调道德教育与人文素养的教育模式,有助于培养全面发展的学生(数据来源:OECD, 2021)。这种模式能够有效促进学生的心理健康与社会责任感。
5.6.2 企业文化的建设
在企业管理中,老子的思想能够为企业文化的建设提供宝贵的参考。越来越多的企业开始重视企业文化在提升员工凝聚力和创造力方面的作用。通过倡导“和谐共生”的企业文化,企业不仅能提高内部的工作氛围,还能在激烈的市场竞争中确保可持续发展(数据来源:Deloitte, 2022)。
老子的智慧不仅是古老哲学的结晶,更是现代社会解决问题的重要资源。通过对老子思想的深入研究与实践应用,我们能够更好地应对当代社会的复杂挑战,推动人类社会的和谐与进步。
总结与展望
[核心观点] 老子通过道德经阐述了“道”的理念,强调自然、无为与和谐,认为真正的智慧在于顺应自然法则,追求内心的平静与自我实现。
[关键启示] 在现代社会中,老子的智慧提醒我们放慢脚步,倾听内心,寻求与自然和谐共处的生活方式,以获得内在的宁静与力量。
[主题升华] “顺其自然,心如止水,方能在纷扰中觅得真我之道。”
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。��に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。

ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)

僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)

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2001年3月10日前後、タリバンにより、アフガニスタンのバーミヤーン谷にある2体の大仏が爆破された。爆破の映像は世界中に配信され、世界の人々に衝撃を与えた。自分は、当時、大学院で考古学を学んでいたが、そのときのニュースの映像は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。はやいもので、あれから20年の月日が流れた。 あの日、一体、バーミヤーン谷で何が起きたのだろうか? バーミヤーン大仏爆破までの経緯 アフガニスタン中央部にハザラジャートと呼ばれる地域がある。ここには、イスラム教シーア派を信仰するハザラと呼ばれる人びとが暮らしている。細い目、平たい顔と、周辺の民族とは明らかに風貌が異なる。一説には、13世紀にこの地に侵攻したモンゴル軍の末裔だといわれている。 ハザラジャートの中心地が、バーミヤーン谷である。バーミヤーン谷の北側に大崖があり、ここに美しい壁画で彩られた無数の仏教石窟とともに2体の大仏が穿たれていた。大仏は、6世紀後半から7世紀前半にかけて建立されたと考えられている。東大仏の大きさは38m、西大仏は55m。あの奈良の大仏でさえ高さが15mしかないことを考えると、バーミヤーン大仏の大きさがよく理解できる。 630年にこの地を訪れた玄奘三蔵は、『大唐西域記』に、この地で仏教が厚く信仰されていたことを書き残している。アフガニスタンがいまだ平和だった1960年代、70年代には、バーミヤーンは世界的に有名な遺跡となった。世界でも他に類を見ない2体の大仏はこの地に暮らすハザラの人々にとっての誇りであり、彼らは親しみをこめて大仏を「お父さん仏」、「お母さん仏」と呼んでいた。 しかし、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻すると、事態は一変する。 ソビエト連邦は、ムジャヒディンの執拗な抵抗にあい1989年に撤退したが、その後、アフガニスタンは長く続く内戦へと突入していった。この内戦は、人命だけではなく、貴重な文化遺産もアフガニスタンの国土から奪い去った。内戦下では、アフガニスタン全土の遺跡で盗掘が横行した。バーミヤーン谷でも、仏教石窟を彩った壁画の大部分が盗取され、ブラック・マーケットへと流れていった。 そして、2001年3月には、タリバンによってバーミヤーン谷の2体の大仏が爆破された。 1994年に創設されたタリバンは、瞬く間に勢力をのばし、1996年には首都カーブルを制圧している。そして、タリバンは、翌年にはバーミヤーン谷に侵攻している。タリバンに対し、ハザラの人々は半年にわたり徹底的に抗戦を続けたが、ついにバーミヤーン谷は陥落した。 ここで起きたのが、激しい民族・宗派対立であった。タリバンの多くは、イスラム教スンニ派を信仰するパシュトゥーン人であった。そのため、タリバンは谷を制圧した後、大仏を護ってきたハザラの人々をムスリムではないと非難し、虐殺を行った。殺害を免れた人も、二度と銃の引き金を引けないように人差し指を切断された。 2体の大仏の爆破も、ハザラの人々に対する見せしめ、文化浄化であったといわれている。大仏の爆破に狩り出されたのが、地元のハザラの人々であった。彼らは銃口を突きつけられ連行され、大仏の上からロープでぶら下がり、大仏に爆薬を仕掛けさせられたという。大仏破壊に加担させられたハザラの老人は、のちに「自分の家を斧で壊すような気持ちだった」と当時の心境を振り返っている。バーミヤーン大仏の爆破は、ハザラの人々の誇りであった大仏を彼らの手によって破壊させるというきわめて悲しく残忍な事件であった。 その後、2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロをきっかけに、多国籍軍がアフガニスタンに侵攻を開始した。そして、同年12月にはタリバン政権が瓦解している。アフガニスタンに新たな暫定政権が発足すると、国際社会はアフガニスタンの文化遺産保護に乗りだしていった。最終的に、日本政府が2002年よりユネスコに基金を拠出する形で、日本、ドイツ、イタリアが中心となってバーミヤーン遺跡の保存事業が開始されることになった。 保存修復活動と未来への願い この事業の中では、ドイツが爆破された大仏の破片の回収を担当し、イタリアは爆破の影響で亀裂が入った大崖の補強を担当することになった。一方、日本は、内戦中に甚大な被害を受けた仏教石窟の壁画の保存修復や人材育成などを担当することになった。 私も、この事業に参加し、アフガニスタンの若手考古学者の人材育成などを担当した。2010年には、実際に、アフガニスタンに渡航し、バーミヤーン遺跡での保存事業や考古学調査に参加する機会を得た。バーミヤーン谷は風光明媚で、本当に美しい場所であった。しかし、現地での作業は危険と隣合わせであった。渡航前には安全講習の受講が義務付けられ、銃撃戦が起きたときの対処方法などをみっちりと学んだ。またカーブル市内での移動は防弾車、バーミヤーン谷までの移動は国連機を利用し、バーミヤーン谷で滞在した宿舎は24時間、武装警官によって守られていた。谷に残る遺跡をいくつか訪問したが、遺跡には無数の地雷が埋もれたままであった。 政治的緊張が続く地域で保存事業を行う難しさと、それでもこの地に集う各国からの専門家の勇気に尊敬の念を抱いた。 さて、現在、バーミヤーン大仏をめぐり新たな問題が浮上している。バーミヤーン大仏の再建問題である。アフガニスタン国内には、大仏が破壊された直後から、少なからず大仏を再建したいという声が存在した。そして、2013年に、アフガニスタン政府は、イタリアで開催された国際専門家会議の場において、破壊された2体の大仏のうち少なくとも1体を再建したいという要望を表明したのだ。 このバーミヤーン大仏の再建をめぐっては、専門家の間でも意見が真っ二つに割れている。ドイツ・イコモスの専門家は、アフガニスタンの人々が望むのであれば再建すべきだと主張している。そして、とくに東大仏は、西大仏に比べて、小型で残存状態も比較的良好なため、回収した破片を組み上げていけば、再建は可能だと述べている。 一方、大仏の再建を決定するには、時期早々であり、さらに慎重な議論を重ねるべきだという立場をとる専門家も多い。日本の故平山郁夫先生は、広島にある原爆ドームのように人類の蛮行を象徴するいわゆる「負の遺産」として、大仏を破壊されたままの状態で後世に伝えるべきだと主張している。また、長きにわたり日本の保存修復チームを率いている帝京大学の山内和也教授は、情報が少ない現時点では、結論はまだ出せないと述べている。そして、アフガニスタン国内にさまざまな反政府組織がいる状況のなかで、もし大仏が再建されれば、再び大仏が攻撃の対象になりかねないと危惧している。バーミヤーン大仏の再建に関しては、アフガニスタン国内に専門家委員会が組織され、その後、繰り返し議論が行われているが、いまだ結論には至っていない。 1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻以来、すでに40年以上の月日が流れた。一日でもはやく、アフガニスタンの人々に平穏な日々が訪れることを願っている。
20年を経てバーミヤーン大仏の破壊を振り返る | 文化遺産の世界
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繁荣文化事业发展文化产业不断满足各族群众精神文化需求
#西藏 #安居乐业
日前,自治区党委书记王君正前往自治区图书馆、藏剧团、电影服务中心,调研我区公共文化服务体系建设情况。这是王君正在自治区图书馆仔细询问图书馆藏书、借阅、数字化智能化建设等情况。
日前,自治区党委书记王君正前往自治区图书馆、藏剧团、电影服务中心,调研我区公共文化服务体系建设情况。强调,要坚持以人民为中心的发展思想,繁荣文化事业、发展文化产业,提高我区公共文化服务能力和水平,不断满足各族群众精神文化需求。
图书馆作为公共文化服务主阵地,在精神文明建设中发挥着重要作用。王君正走进自治区图书馆视障阅览室、中文阅览室、藏文阅览室等处,仔细询问图书馆藏书、借阅、数字化智能化建设等情况。“看的什么书?每年来图书馆几次?”阅览室宽敞明亮、书香浓郁,王君正放轻脚步,亲切地与正在阅读的市民交谈,鼓励他们把学习作为一种追求、一种爱好、一种健康的生活方式,自觉学习、主动学习、终身学习。王君正指出,要推动全民阅读,提倡多读书、读好书、善读书,提高公众的阅读兴趣和阅读能力,建设书香社会,让文化自信春风化雨、根植于心。创新服务方式,加快智慧图书馆建设,推动传统阅读与数字阅读融合发展;抓好分级分类管理,让阅读服务更加全面、更具针对性,切实满足新时代读者多元化阅读需求。来到藏文古籍保护中心和修复中心,桌子上摆放着古籍文献,王君正饶有兴趣地参观、认真听取讲解。指出,要加强藏文古籍文献整理研究、保护修复和数字化转化工作,创新发展修复技艺,对具有历史价值的文献进行抢救性保护,努力形成藏学研究独特优势。善于活化利用文献文物,不断挖掘文物和文化遗产的多重价值,讲好背后蕴含的各民族交往交流交融的历史故事。
自治区藏剧团正在紧锣密��排演新编藏戏《绿色哈达》。王君正与工作人员亲切交谈,详细了解剧目创作、人才队伍建设等情况。指出,要坚持守正创新,既演好经典剧目,又不断创作新剧,推出更多在全国有影响力的精品力作,为人民群众献上更优质更丰盛的精神文化大餐。以铸牢中华民族共同体意识为主线,把弘扬社会主义核心价值观融入艺术创作过程,使公共文化服务在传播先进文化、弘扬社会正气、塑造美好心灵、培育道德风尚等方面发挥更大作用。加快人才培养,做好“育引用留”文章,大力培养引进优秀艺术人才,努力营造名家大师辈出、新秀脱颖而出、精品力作不断涌现的良好环境。
自治区电影公共服务中心自2021年挂牌以来,已成为满足我区群众文化需求的又一阵地。王君正来到这里,向工作人员了解展播影片、公共服务、改革措施等情况,勉励服务中心立足时代变革,译制推出更多反映社会进步、贴近现实、群众喜闻乐见的影视作品,不断满足人民群众日益增长的精神文化需求。加强基层电影放映队伍建设和管理,推动农村电影公共服务优化升级,让广大农牧民看到、看懂、看好。
调研中,王君正强调,文化文艺的繁荣发展对于助推经济社会发展、展示良好形象、丰富群众精神文化生活等方面具有重要作用。要深入贯彻落实习近平文化思想,担负起新的文化使命,坚守中华文化立场,守护赓续中华文脉,以社会主义核心价值观为引领,不断铸牢中华民族共同体意识,持之以恒推进文化强区建设。繁荣发展文化事业,着力在丰富文化产品供给、提升公共文化服务水平、丰富群众精神文化生活等方面下功夫,创造一批弘扬主旋律、传递正能量的重大题材文艺作品,引导各族群众听党话、感党恩、跟党走,巩固壮大奋进新时代的主流思想舆论;大力弘扬和践行社会主义核心价值观,推进社会主义精神文明建设,推动中华优秀传统文化创造性转化、创新性发展。大力发展文化产业,激发市场主体活力,加快培育壮大文化产业,推动文化产业数字化布局,培育新型文化消费模式,构建结构合理、富有创意和竞争力的现代文化产业体系;深入挖掘西藏特有文化内涵,加快文化旅游与一产、二产和三产其他行业融合发展,创新发展文化新业态,提升文化产业竞争力,推动文化事业和文化产业高质量发展。坚持以人民为中心的发展思想,问需于民、问计于民,精准有效对接群众精神文化需求,加强文化基础设施建设,持续深化文化惠民,把更多优质文化资源向基层倾斜,推动基本公共文化服务标准化均等化,让文化发展成果更多更公平地惠及各族群众。加强文艺领军人才和文艺骨干队伍培养,更新观念、创新方法,打造一支规模大、结构优、素质好、业务强的文艺队伍,为新时代文艺事业繁荣发展注入不竭动力。
自治区领导汪海洲、达娃次仁、坚参、徐志涛、孟晓林参加。
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やあ! みなさんこんにちは。 クソバイス男こと増田です。 何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。 と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。 さあLet'sクソバイス ストレス解消方法について ストレス解消はルーチンにして日常に入れ込むことが大切。 水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。 例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。 そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。 また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。 自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。 そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。 そうじゃないと自分が持ちません。 なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねています。 緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。 災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。 増田で愚痴れ それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。 𝕏?とかああいうアカウントがあるのはオススメしない。 増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。 そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。 技術的な話 まぁこれはやってんだろうと思いますけど一応通り一辺倒だけ。 まさにクソバイス 地域包括支援センターに言って、ケアマネを付けてもらってみっちり話をしよう(まぁ付けてると思っていますが) 他に相談出来る窓口をざっと揚げておくと 地元の社会福祉協議会 病院の患者相談窓口(ソーシャルワーカー・ただ忙しすぎて駄目な事も多い) 都道府県の国民保険連合会(電話・法的な窓口) 市区町村の福祉関係窓口 大会社の場合、会社が介護離職予防のために相談窓口を持っている場合があるとか。 どこの窓口がよいとかは当たり外れが大きすぎて厳しいことも。数を打とう。 病院などで介護向けの家族会みたいな組織がありますが、ワイは入ってません。参加者の年齢が上すぎて流石に合わなかった。 介護は親の金でやれ。自分の金は使うな(入れるなら生活費だな) 介護離職だめ、絶対。 介護者の都合>本人の希望>行政・施設の都合 と言う優先度でプランを組み上げろ まぁ実際には逆になるんだけど、最初はこうするつもりで挑まないとつらい。 介護は情報戦。繰り返す。介護は情報戦。 要介護者のことを一番良く知ってるのは自分だ、というスタンスを決してぶらさないこと。プロのアドバイスはプロのアドバイスで客観視できて貴重でちゃんと耳を貸すべきだけど、丸呑みはしないこと。プロはずっと介護しているワイらほど長く過ごしていないから。 さらに細かい話 状況がハマったら活用してね 長期になりそうなら、介護保険の点数はできる限りサービスに振るべし。ものは借りた後に買取するつもりで 介護保険は物品の貸与と、サービスが同等になっているが、貸与は長期になるとコスパが悪い。できるだけその分をサービスに割り振る方向で。 確かに介護期間が2年以内とかならレンタルの方がコスパがいい。短期間で症状が変わっていく場合にはどんどん変えられるメリットもあるので、最初の1年ぐらいはレンタルするのがよい。しかし、その後、状況が安定して、なおかつ必需品で、メンテがいらないものは買い取って介護保険から外し、その分をサービスに回すべし。中古の購入は簿価になっているので十万円とかする器具が数千円で買えたりします。 置き手すりやトイレ用の肘掛けなど ベッドの本体(マットレスは汚れると交換なので) スロープ 以下のものは貸与のほうがいい 車椅子や介護ロボットなど 定期メンテナンスが必要で消耗品 マットレス 使っているとへたってくるのと、完全に粗相して汚したといった理由でも交換出来る デイサービスに必要なものはとにかくクリアメッシュ袋(ファスナーがついているやつ)に入れて準備して整理。 便で汚染された衣服はドラム式ではなくて、操作してたっぷりの水を入れた縦型洗濯機でやれば手洗いをせずに落ちる コインランドリーは恋人。雨の日や寒い日でも暖めてくれる(乾燥機) テプラ君は頼れるひと。 3Dプリンタとレーザーカッターは神器。フルオーダーの本人に合わせた道具が2千円とかで出せちゃう。レーザーカッター+ポリエチレンフォームの可能性も無限台。 しまむらは神。 介護ショップで購入すると凄い高い介護用の下着が、なんとしまむら価格で売ってる。やばい。 それに比べて靴屋の渋いことよ…。足下見すぎ(靴だけに) 車椅子を乗せられる自動車は、諦めて新車で買うべし。中古で4年探し続けたが毎日送り迎えに使われて30万kmとかとんでもなく走ったようなものしか回ってこないので貯金をはたいて買った。今では欠かせない相棒。 親の金で解決できる範囲のことは金で解決する。 だるいとき用に冷凍弁当を用意しておく。そのために冷凍庫を追加で買っとく とろみがついた状態で売っているペットボトル飲料とかあるんやで 柔らかレトルトご飯とかもあるんやで 親はテレビっ子世代なので、異様に安い中華テレビを買って放置、後はテレビがお守りをしてくれる。 報連相大事。 通っているデイの連絡ノートとか大事や。 最後に頼るべき所には必ず報連相 自分の兄弟、叔父伯母など、遠くに住んでいていつもは介護に参画してもらえない人でも、とにかく報連相はしておく。今どんな状態だとか、入院したとか退院したとか。 ワイの場合、介護すると言う共通の目的が出来たことで、前よりも親類と仲良くなった気がする。 万が一親を残して自分が死んだ場合のことを考えておく。親がワイがいないときに死ぬより、ワイが先に死ぬほうが悲惨なことになるので。 デイサービスにしておくことのメリットはこれ。自然と毎日来てくれるので、最大でも48時間以内には発見される 通院2回方式どうよ。検査と診察を2回にわける 検査科が独立しているような病院だと、検査科は診療時間関係なく稼働していて検査OKになっていることが多い。そこで、検査は診察日の一週間前以内の診察がある日のどこかで行く。 検査の攻略法 採尿は自宅で採尿して持ち込みたいと相談すると採尿キットをくれるので、それで当日朝とって冷蔵庫に入れておき、持ち込む。 すると、スムーズに進むと、採血だけで到着してから最短10分で終わったりする。通常診察があると結果が出るまで待つことになるが、待つ必要は無いので速効で帰れる 診察は、朝一番の一番最初の予約に入れてもらう 朝一番は開いていることが多い。通常採血から検査結果が出るまで1時間かかるため、この時間帯の予約は検査が不要な患者しか入れられないのだ。 しかし、事前検査をしておくと検査の待ち時間がないため、入れてもらえる。すると待ち時間がほとんどなく診察を終えることができる。 ワイの場合は、検査はデイサービスに迎えに行って車に乗せ、その足で病院に行って検査する。また診察日は、診察を終えたら、その足でデイサービスに送り届けて預けてしまう。こうすることでデイサービスを休む日も最短に出来る。 そのほか よくある質問と回答 仕事はどうしたらいいですか? 介護離職だめ、絶対。ソースはワイ まず今の職場で働く事を考える。無理なら今の会社で働けることを考える。 プライバシーとかかなぐり捨てて、上司や同僚には状況をいつも話しておくことが大事。 ワイの場合、結果論だが、2ヶ月介護休暇取って環境を整えてやれば離職しなくても時短勤務でいけたと思われるんで、マジ早まらない方がいい。一度離職すると介護持ちが新たな就職口探すのは困難。 どうしても介護離職に追い込まれたら、介護者向けの求職なども存在はするので、労基の窓口に相談してみる。 介護施設とトラブルになったんですが 介護保険での事業の場合は、介護保険の保険者、つまり都道府県の健保連が窓口になった苦情申し立て相談窓口があるので、ここに相談するのが正規ルート。他に相談してもぬるっとしか対応してくれない。 行政の相談窓口はクソ せやな。ワイもそう思うわ。行政は相談するところと言うより情報を引き出すところと、手続きの窓口だと思って対応した方が上手いこと動いてくれる。 てか、なんで施設に預けずにお前見てんの? 金がないから。 人間そんなに簡単に割り切れる生き物ではありません。 なんでそんなにがんばってるの? しょうがねえだろうっせえよ 老人は生産性がないから若者のためにうんぬんかんぬん 安楽死うんぬんかんぬん うるせえ黙れ かわいそう だから黙ってろって 俺は見捨てるわ ワイにもそうやってイキってる時期がありました。ちゃんと現実を見つめて備えとけよマジで。 真面目な話、医療費とか使い過ぎていて気が引けるんですが 親が払った社会保険料や税金をざっくり計算してみるといいよ。生涯で家が建つぐらいの金は平気で払っている。ほとんどの人は、払った分を使ってるだけ。 統計学の心得があるなら年金・社会保障の構造を計算してみると実によく出来ていて、惚れ惚れするから。 特に公的保険てのはミクロではなくてマクロで社会的コスト(≠費用)を最小化し経済効果(≠金銭的利益)を最大化する仕組みなので、個人であの人は多くもらいすぎているなんてのは間違った議論です。理解できずに言う輩には「うるせえ黙れ」でよい。 終わったら俺も介護される側じゃん 先輩を見てると、介護をしっかりやってた人はあんまり要介護者にはならずにぽっくりいってる感じがする(終末期は別) 介護をやってると自然と介護予防の知識も付くから、地道にやっていこう 介護に巻き込まれた時点で人生終わりでは? まぁ、終わったということを受け入れるとそれなりに楽になるよ。
介護に関するクソバイス (増田編)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)2月19日(水曜日)弐
通巻第8659号
中国版の「財界新年会」は官製ゆえにきごちなく白々しく
日本の財界新年会は経済三団体主催で首相がゲストが定番
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2月17日、北京の人民大会堂で中国の民間大手企業のトップおよそ百名を集めた会合(シンポジウムと銘打たれた)が開催された。メディアが注目したのはアリババグループの創業者、馬雲(ジャック・マー)が出席したことだった。習が「英雄」と讃えたディープシークCEOの梁文峰も出席した。
これはある意味、馬雲が共産党と手打ちをしたことになり、五年ぶりに公の場に復帰した。テンセントのCEO馬化騰(ポニ-・マー)が隣席。かれは中国大富豪ランキング第二位である。
演壇に立った習近平主席は「中国経済が困難な状況にあるが、企業が中国の近代化の推進に貢献することを期待している」として、IT企業に「積極的な協力」を呼びかけた。
経済の困窮をあらわす言葉はなく、しかし彼らの協力が必要という意味は、もはや救いのない状態にあることを象徴しているのではないか。にたりと人工的な笑みを浮かべ、しかし習近平は「党の決定に従うことは絶対だ」などと言ってのけた。
習のあと、演壇に立ったのは華為技術(ファーウェイ)の創業者=任正非と、電気自動車BYDを創業した王伝富だった。CCTVは習、任、王の3人の演説する場面だけは放送し��が、発言内容を伝えなかった。
ファーウェイの任正非が選ばれたのは、欧米の制裁でへたった筈の同社が新型スマホを武器に営業成績を巻き返したからであり、またEVで中国国内ではテスラを抜いたBYDの王伝福も、中国経済の快進撃を象徴したからだろう。
しかしBYDとて欧米の高関税に阻まれて、躍進の維持は難しい情勢だが。。。
そのあと携帯電話の小米科技(シャオミ)の雷軍・最高経営責任者(CEO)らが民間経済の発展に関する提案を行った。
ほかに出席で目立ったのはCATL創業者の曽玉群、新希望集団創業者の劉永浩、中国飛和創業者の冷有斌、チント集団創業者の南存輝、ウィルセミコンダクター創業者の于仁栄、iFLYTEK会長の劉清鋒、玉樹科技CEOの王星星や北京衛管知庫創設者の唐大傑ら、IT、ハイテク企業勢揃い。
驚き桃の木は前回勢揃いした不動産デベロッパーの成金たちがゼロだったこと!
筆者が比較連想したのは日本の財界新年会である。経団連、同友会、商工会議所の三団体が共催し、首相がまねられて新年の挨拶を述べる恒例の行事は、大概が1月5日に開かれ、およそ千名が集まる。和気藹々のムードである。
中国ではこれが官製ゆえにきごちない参加者の表情が見て取れる。
▼官製イベントは上から無言で強制された「団結」演出の儀式
いずれにしても、このような会合は中国では2018年後半以来開催されていなかった。習近平の規制強化を含む、ちぐはぐに経済政策によって、投資家の信頼を損ない、民間部門の将来に対しても暗い予想しかなかった。
外国企業はあらかたが中国を去り、中国への直接投資は95%も減ったのだ。年間4300億ドル台から僅か45億ドルだった。経済に暗い習近平にしても、これが如何なる事態かは理解できるだろう。
人民日報によれば、習近平は以下の演説をしたとか。
「現在、我が国の民間経済はすでに相当な規模を形成し、重要な比重を占めており、民間経済の質の高い発展の推進は強固な土台を備えている」
「中国の特色ある社会主義制度は各方面で顕著な優位性を持ち、社会主義市場経済体制と中国の特色ある社会主義法治体系は不断に整備されており、民間経済の発展にとって強固な保障となるだろう」。
「生産要素の法に基づく平等な使用、市場競争への公平な参加における様々な障害を断固として除去し、各種経営主体に対するインフラの競争的分野の公平な開放を持続的に推し進め、民間企業の資金調達の困難さや高コストの問題の解決に引き続き大きな力を注ぐ必要がある」
「企業の苦境緩和のための諸政策を真剣に実行に移し、その精度を高め、総合的アプローチを重視し、全ての企業を平等に扱う必要がある」(「人民網日本語版」2025年2月18日)
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2024-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコ��ラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「中華」です◆
今月は参加者の皆様に「中華」のお題でアンビグラムを制作していただいております。中華といえば漢字発祥の地。現代の蒼頡たちの宴をご覧ください。今月も逆さまな作字が集まっております。
ではまずはdouse氏から。

「麻婆茄子」 回転型:douse氏
180°回転させても同じように麻婆茄子と読めるアンビグラムです。中華には「福到了」という福の字を上下逆さにひっくり返して貼るアンビグラム的な縁起物の風習がありますが 本作は麻婆茄子が無限に到来しそうな御目出度い回転字面になっています。対応解釈が最高ですね。この語句でこの文字組みが出来るのはきっとdouse氏だけでしょう。

「酢豚」 回転型:peanuts氏
世界範囲で有名な中華料理の一つです。酢豚は日本で付けられた名称で 中華料理においては広東料理の「古老肉」や上海料理の「糖醋排骨」が該当するようです。本作は作字のデザインと対応解釈が高次で両立した理想的アンビグラムです。「乍/月」部分のギミックは美しくてかっこいいです。

「酢豚」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右の鏡像図地で酢豚。作者いとうさとし氏はネガポ字(図地反転)の達人です。本作は真ん中から折りたたむとピッタリ嵌ります。まるでこの漢字がもとより嵌り合う構造を持っていたかのような自然さです。
「回鍋肉」 図地反転鏡像型:douse氏
四川料理の一つ。本作は斜め鏡像の図地反転アンビグラムです。文字の組み方がテクニカルでブリリアントカットされたような光学的な装いが抜群にカッコいいです。

「回鍋肉」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
上下の鏡像で図地反転になっている回鍋肉。日本語のアンビグラムは2022年に入ったころから飛躍的に進化発展した印象がありますが とくにネガポ字(図地反転)の進化は顕著で 英語圏でも作例はさほど多くないこのジャンルが日本ではたくさん作られるようになりました。それも本作の作者いとうさとし氏の尽力が大きいでしょう。
「酸辣湯」 鏡像型:螺旋氏
中国料理のスープの一つで 酸味・辛味・香味が特徴。本作は斜めの鏡文字で組まれています。斜めの鏡像型は漢字のアンビグラム制作に向いた対応だと思います。うまく作ればアンビグラムだと見破られない作字が可能で 本作も「束」部分が自然で驚きます。

「中華そば」 敷詰振動同一型:Jinanbou氏
発想が面白いです。「華」の字の中に異なる文字を幻視し抽出するその眼力には感服します。これは文字に隠された秘密のゲシュタルトを解析する行為でアンビグラム作りには欠かせないセンスです。

「青椒肉絲」 重畳型:きいろいビタ氏
ピーマンと細切りにした肉などを炒めた中華料理。本作 重畳型は同じ図形で韻を踏み 青椒肉絲と読ませるアンビグラムです。そのまま亜細亜のどこかの国で商品のロゴとして使用されているのではと思えるほど完成度が高いレタリングです。
「杏仁豆腐(⿸广フ)」 旋回型:Σ氏
中国発祥のデザート。135°回転の旋回型アンビグラムです。「腐」の字が「广」の中に片仮名の「フ」を入れた略字になっているところが凄すぎます。この略字は実際にゲバ字(アジビラ文字)などで使用例があります。柔軟な発想ができる人のアンビグラムは読みやすいですが 本作は作者Σ氏のアンビグラムが優れている理由の一端が垣間見える好例です。
「中華/北京/上海/広東/四川」 共存型(回転・鏡像):ラティエ氏
一般に四大中国料理と言われている4つの場所に お題をプラスした多面相アンビグラム。なんと5パターンの変化が起こる作字なのです。北京/上海/広東/四川は回転型で 大きく表示された中華はその鏡像になっています。 多面相漢字アンビグラムの制作はある種「挑戦」ジャン��です。多面相を作ろうとするその発想や度胸だけでも凄いですし 本作はその挑戦に成功していると思います。
「横浜中華街」 回転型:ぺんぺん草氏
東アジア最大の中華街を回転アンビグラムに。細かい説明は無用の傑作。この完璧な対応解釈をご覧ください。けしてアンビグラマビリティは高くない語句ですが冷静的確に作字されています。最高です。
「神戸」 回転型: 「長崎」 鏡像型: 「横浜」 重畳型:.38氏
日本三大中華街。それぞれ趣向を凝らした楽しい対応解釈で可読性も充分高い設計です。 これは文字数寄にはたまらない作字ですね。そのまま都市の紋章に使用してほしいナイスデザインです。

「横浜中華街散策中隠処的拉麺店発見」 回転重畳型:超階乗氏
ブレードランナーに出てきても違和感のないサイバーパンクアンビグラムの名作。文字の各所に丼図案などが組み込まれていて そのおかげで回転重畳構造を把握しやすい親切設計です。回転重畳型とは ある図形の上に同じ図形をレイヤーで重ね、上に重ねた図形だけを規則正しく回転させて文字を形成するアンビグラムです。
「西安」 回転型:うら紙氏
陝西省の省都で、旧名は長安というのは有名でしょう。 かっちりした輪郭でありながら墨のカスレを生かしたステキなタイポグラフィですね。アンビグラマビリティの高い語句ですが図案としてきれいにまとめるには作家の力が必要で、うら紙氏はその能力に長けています。

「Qingdao/青島」 図地反転回転共存型:ヨウヘイ氏
青島(チンタオ)は中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市。 図地反転で漢字の隙間にアルファベットを見出そうとすると、青島は横画が多くて打ってつけの言葉なのですね。省略があっても読み取りやすい作品です。

「シャンハイ」 旋回型:つーさま!氏
上海は中国で最高位の都市である直轄市の一つ。 五面相の旋回型。「シ/ン」の点の有無のみの差をどう表現するか難しいところですが、少し角度を変えるだけで違って見えてきますね。羽様の形状とグラデーションも読みやすさに一役買っています。すばらしい作品です。

「万里の長城」 回転型:douse氏
中国にある城壁の遺跡。中国の象徴の一つでしょう。 回転中心の作り方が見事です。「の」が伸びているのも不自然��見えず、「長」の横画を切っているので「長」のバランスもよく見えます。「万/戈」の字画接続の切り替えが見事ですね。さすがの一作です。

「麺/龍」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
どちらも中国を象徴するものでしょう。 自然に読めすぎて言うことがないですね。図地反転にピッタリすぎる組み合わせが今回のお題によって発掘されたと言えるかも知れません。一点、「龍」の上部の突き出した部分は作者も悔しいところだと想像しますが、それを差し引いても可読性最高の傑作です。
「伝奇/でんき」 振動型:kawahar氏
中国の古典的な演劇である戯曲形式の1つ。 氏の得意な「読み漢」で一作。ぐにゃりとした書体が「ん/ム」の振動などにマッチしていますね。読み漢はひらがなしか読めない人にも漢字が読めてしまう実用的な手法ですが、適用できる漢字は少なく本作のように限られた言葉だけです。
「太極図」 図地反転回転型:lszk氏
「易」の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である「太極」を表した図。 中央の「極」に本家の陰陽魚太極図があしらわれています。太極図の円形を「太・図」にもあしらって統一感を出していますね。図と地が絡み合い逆転しながら文字を形成しているところが、陰と陽が互いに飲み込みあい無限に繰り返す太極の思想を表しているようです。

「造�� 研究」 回転共存型:意瞑字査印氏
「造書」を90°傾けると「研究」と読める対応です。造書とは文字を造るという意味。『蒼頡、鳥獣蹏迒の跡を見て分理の相別異すべきを知り、初めて書契を造る』 そのむかし蒼頡という人が鳥獣の足跡をヒントに漢字を発明した故事からの語句選択です。なるほどアンビグラム制作とは 新文字を発明する行為とも言えますね。

「東夷/西戎」「南蛮/北狄」 回転共存型:兼吉共心堂氏
四つまとめて「四夷」、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称。 筆文字の効果を生かした表現がすばらしいです。「夷/西」「虫/北」ではカスレにより字画の本数を増減させ、「南亦/狄」では墨垂れで字画密度差を克服しています。真似が難しいテクニックです。
「東夷」「西戎」 重畳型: 「南蛮」「北狄」 振動型:lszk氏
「四夷」は「夷狄」あるいは「夷狄戎蛮」とも。 お誂え向きの言葉がきれいにそろっていたものですね。というのは簡単ですが読みやすく仕上げるのは難しい字形もあります。氏は知覚シフトのバランス感覚が抜群なので調整の妙もさることながらこの対応にも気付けるのでしょう。

「劉備玄徳/関羽 張飛」 回転共存型:KSK ONE 氏
「蜀漢」を建国した劉備と、劉備に仕えた関羽・張飛。三国志の武将からのチョイス。 髭文字ならではのハネなど遊びの部分を生かした作字ですね。一文字目の「劉」が読みやすくすらすらと読みを捕まえることができます。関連する名前同士でうまく対応付けできるのが運命的ですね。
「熊猫」 敷詰図地反転型:松茸氏
ジャイアントパンダのこと。 パンダの白黒は図地反転にもってこいの題材ですね。どうやって考え付くのかわからない図案が毎回驚異的で目を白黒させてしまいます。きちんと敷詰できるのか不安になりますがちゃんと隙間なく並びますので安心してください。

「伊布」 旋回型:YФU氏
「イーブイ」の漢字表記。 久方ぶりに参加していただきました。言葉のチョイスも氏らしいですね。図形の長さを読みやすいところに調整するバランス感覚は健在です。

「マオ」 交換式旋回型:ちくわああ氏
かいりきベア氏の楽曲名より。「猫」の意味もある中国語らしい言葉の響きです。 線種を変えているのでかわいらしい作字になっています。対応付く字画も分かりやすいですね。それでもうまく敷き詰めてみるのは骨が折れそうです。

「西游记」 回転型:オルドビス紀氏
16世紀の中国の白話小説、繁体字では「西遊記」です。 簡体字をうまく活用しているのですね。「遊」よりも自然に回りますし、「記」よりも「西」との相性がよく一石二鳥です。「西・记」の右下がりのラインと「游」の右上がりのラインの視覚効果が心地よく作字として最高の仕上がりだと思います。

「 不 此 君 我 / 当 今 災 偶 成 夕 已 為 / 時 日 患 因 長 渓 乗 異 / 声 爪 相 狂 嘯 山 軺 物 / 跡 牙 仍 疾 但 対 気 蓬 / 共 誰 不 成 成 明 勢 茅 / 相 敢 可 殊 嘷 月 豪 下 / 高 敵 逃 類 」 交換型:繋氏
「山月記」より。縦に読んでください。 7×4の組全体を縦横に交換するともう一方になるという超絶技巧です。「爪」(爪痕の装飾がにくいです)を基準にすると見つけやすいでしょう。じっくりご覧ください。
最後に私の作品を。
「截拳道」 交換式旋回型:igatoxin
≪友よ水になれ≫で有名なブルース・リーの武術、截拳道(ジークンドー)から。
お題 中華 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「猫」です。長靴をはいた猫、シュレディンガーの猫、仕事猫、吾輩は猫である、猫男爵、猫目石、煮干し、マタタビ、夏への扉、蚤、百閒、注文の多い料理店、ハローキティ、ドラえもん、など 参加者が自由に 猫 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は6/30、発行は7/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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