#月夜の燕尾服
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【コスチューム】月夜の燕尾服
目次 ▼【グラクロ】【コスチューム】月夜の燕尾服の基本情報 ▼【グラクロ】【コスチューム】月夜の燕尾服のステータス ▼【グラクロ】【コスチューム】月夜の燕尾服の着用可能キャラ ▼【グラクロ】【コスチューム】月夜の燕尾服の評価 【コスチューム】月夜の燕尾服の基本情報 部位 衣装 レアリティ SSR 入手方法 神器ショップ 価格 セットダイヤ60個 【コスチューム】月夜の燕尾服のステータス 防御力+120 忍耐率+4% クリティカル耐性+1% 【コスチューム】月夜の燕尾服の着用可能キャラ 【陰の実力者】シャドウ 【コスチューム】月夜の燕尾服の評価 シャドウらしくない白ベースの服 シャドウは原作アニメ、陰の実力者になりたくてでも黒っぽい服を着ていることが多いので、白が多い衣装は印象が変わって貴重。 防御面を強化できる 衣装コスチュームが強化できるのは主に防御関連。防…
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幸雄が一時的に「居候」を始めた一日目、美津雄も小百合も疲れてすぐ休んでしまった。浩二は、幸雄に何かもてなすかと応接間に招いた。彼も疲れていたが、浩志について色々話したいだろうからと、生前に浩志が開封せずに置いてあった「オールドパー」を開けた。オールドファッションドグラスに注ぎながら、マドラーで混ぜている間、幸雄はサイドボード横のレコード棚を眺め、彼の好きなアルゼンチンタンゴの一枚を出してプレイヤーに針を置いた。フランシスコカナロの「ラ・クンパルシータ」が流れてきた。彼は言った。
「二日間、迷惑をかけるがよろしく」
「…まァ、お世辞でも『ごゆっくりお過ごしください』とは言えませんが」
「家に帰っても孫守りで疲れるし、一人の時間が欲しいンだよ」
「『孫』?」
「オレは独身だけど、養子を迎えたから」
「そうなンですね〜」
「橋場に移ってから、浩志と会う以外は疲れるンです」
「そうですか〜」
ウィスキーを注いだオールドファッションドグラスを幸雄に差し出すと、彼は一口飲んだ。スコッチウィスキー独特の香りと味が口の中で広がる。
「…美味いなァ」
「持って来てくださった『デンキブラン』は、一本は冷蔵庫に冷やしてありますから」
「ありがとう」
互いにグラスを傾けながら、浩二は幸雄の姿を観察していた。普段は隅田川沿いを散歩したりジムで筋力トレーニングもしたりしているとの事で、九十歳過ぎの割には筋肉質だった。背筋も伸びているし、なかなかカッコいい。彼自身もラグビーをしていたと言うから、当時としてはモダンだなと浩二は思った。そんな彼を父さんは愛していたンだなァ…。浩二は、幸雄の持つグラスにウィスキーを注いだ。
仏間には、満代の遺影の隣に新たに浩志のものも飾られ、仏壇の下にはみいの「菊正宗」、幸雄の「デンキブラン」が置いてある。浩志の魂は佐伯家の上空を彷徨っていた。彼方には暗闇ではあるが日立の真弓山、日製研究所がシルエットで見えた。浩志は、せめて死ぬ前にあのオールドパーを開封しておけばと後悔した。しかし、幸雄が飲んでくれているから良かったなと思った。スッと彼は自分の家に「侵入」し、自分の遺影を眺めた。四十九日には満代も待つあの世へ逝けるンだと、彼は彼女と結婚することになった頃を思い出していた。
広樹や江利子が高校三年となり、その前に克也が卒業して都内の私立大学に進んだ頃だった。何度か用もなく保健室を訪れ、浩志は満代と色々と雑談をする様になっていた。彼女も、一日中保健室にいるのは暇だと浩志が来るのを楽しみにしていた。彼女は、密かにこの男(ひと)と一緒なら、本人曰く「ホモ」ではあるが楽しいだろうなと好意を寄せていた。或る日、彼女は彼に聞いた。
「よかったら、今夜飲まない? 明日は休みだし、勝田に行き付けのジャズバーがあるの」
「ジャズバー? 飲めるの?」
「こう見えても、アタシ、お酒強いのよ」
「へぇ〜、意外だね」
この会話で二人は意気投合した。授業が終わってから、浩志は車を高校の駐車場に置いて徒歩で水戸駅へ満代と向かった。満代の家は勝田でも東石川の方にあった。近くには勝田市役所がある。オレは水戸の備前町ですぐ手前にI百貨店があるから、互いに便利なところに住んでいるなァと早くも共通点を見出し、親近感を得た。
ジャズバー「S」は、表町商店街から勝田駅方面に入ったところにあった。その前に二人は周辺の居酒屋で飲んだ。ビールの入ったグラスを片手に、満代は浩志の奥の奥まで色々聞き、浩志も素の満代を知りたいと根掘り葉掘り聞いた。異性でこんなにざっくばらんに話をするのは、みいだけだった。彼女も酒が入ると止まらなくなる。それにしてもオレの身の回りは酒豪が多いなァと、浩志は思った。
その夜は、結局互いに愉快になりながら、勝田駅で浩志はタクシーを拾い、満代と別れた。気付くと日付が変わっていた。常磐線も運転を終了してしまい、足がなかったからだ。別れる前に浩志は、
「独りで大丈夫かよ?」
と聞いた。満代のテンションは高かった。彼女は、
「大丈夫! 歩いても三十分はかからないから!」
と酩酊状態だったが、そう断言した。
その���も二人は定期的に飲みに行き、次第に距離も近くなっていった。いつしか満代は浩志の手を握る様になり、浩志も満代を抱擁するなど、スキンシップも多くなっていった。しかし、男以外の肉体にしか身体が反応しなかったからか、性衝動は起きなかった。いよいよ結婚を目前とした或る日、満代は何処かで仕入れてきたのか「ディ◯ト」とラヴオイルをバッグに忍ばせ、笠間市内のモーテルへ浩志と入った。初めて満代は浩志と接吻し、ブリーフ越しに彼のチ◯ポを愛撫した。しかし、なかなか勃起せず、彼女は彼の乳房を吸ったり臀部を弄ったりと色々試した。浩志も、幸雄と寝ているンだと思いつつ、満代を抱いた。ショーツ越しに彼女の陰部も弄り、乳房に顔をうずめたり揉んだりした。それでも、「合体」できるほど浩志のチ◯ポは勃たず、最終手段として満代自らディ◯トを彼の下半身の穴に挿れ、所謂「Gスポット」を刺激した。すると、
「あッ! イイ! もっと突いて!」
と一気に恍惚の表情を浮かべ、口に手指を咥えた。女の様な甲高い声を上げながら、
「あんッ! ああんッ!」
と甘える様子に満代も次第に下半身が濡れていくのを感じ、ようやく勃起した浩志の肉棒と「合体」した。時折、彼女は自らクリ◯リスを弄り、
「あぁぁぁん!」
と歓喜の声を上げた。気付くと浩志は彼女の肉体に覆い被さり、腰を振っていた。そのまま二人はオルガズムまで愛し合い、何とか「フィニッシュ」した。モーテルを出た時、浩志も満代も幸福だった。浩志はもしかしたら子づくりができないのではないか、満代も男以外は肉体が反応しないのではと言う不安を抱いていたが、いずれも払拭できた。
数日後、二人は勝田の中根にあるホテル「K」で結婚式を挙げた。その際には東京から幸雄やみい、正樹、そして生天目も駆け付けた。ちょうどバブルの前だったからか、所謂「ハデ婚」だった。二人は神前で結婚式をし、披露宴には燕尾服とドレスに着替えた。そんな二人の船出を誰より喜んだのは幸雄だった。彼はボロ泣きをし、披露宴の後にホテルの部屋で浩志と愛し合った。彼は他人の夫になったことに淋しさを感じたが、
「いつでも待ってるから」
と涙ながらに声をかけた。
こうして、あのモーテルで「種付け」した時にできたのが美津雄、その四年後に生まれたのが浩二だった。子づくりが終わっても浩志も満代も月イチは肉体を絡ませることを欠かさなかった。満代は、浩志と寝る時にはいつもディ◯トとラヴオイルを用意し、
「ほら、幸雄のチ◯ポよ〜」
と浩志の肉体の諸部分を突いた。すると、「おしゃぶり」の様にディ◯トを咥えながら浩志は喜び、
「チ◯ポ欲しいのォ〜」
と甘える様な��で訴えた。
満代は、美津雄と浩二を出産する時以外は保健室に務め、江利子が広樹と付き合い始めた頃には色々と助言をした。例えば、江利子が広樹とセッ◯スしたいと相談してきた時には、
「男の人って、女で言う『Gスポット』が直腸の奥にあるの。『前立腺』って言うンだけど、そこを突いてあげると感じちゃうのよ。大丈夫、膣内射精しなけりゃ妊娠はしないから!」
と話した。広樹にも、
「克也君とセッ◯スした時、何処が一番感じた?」
と露骨に聞き、江利子と寝ても幸福なセッ◯スができるようアドヴァイスした。
浩志は、今振り返ってみると、満代と出逢ったことがこの上ない幸福だと思った。もし彼女と一緒にならなければ美津雄や浩二も存在しなかっただろうし、何よりも「バイセクシャル」にもなり得なかった。彼は応接間で思い出話を続ける幸雄と浩二を、ドアのすき間から覗きながら微笑んだ。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年12月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年9月2日 花鳥さざれ会
影までも残暑に喘ぎをりにけり かづを それとなく秋を呼びゐる波の音 同 哥川忌もなく思案橋灼くるのみ 清女 流灯の川面に万の帯となり 希子 流灯の星となるまで見遺りをり 同 男振り鬼灯市の団扇手に 雪 ふと旅に在すが如く柏翠忌 同 其の声音其の眼光も柏翠忌 同 浅草の粋の申し子柏翠忌 同
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令和6年9月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
さやかなり異郷の地より便りあり 喜代子 彼の人の御霊と思へ流れ星 都 秋霖や昼を灯して新書読む 同 身ほとりを駆け抜けて行く野分かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
身に入むや幽霊坂に解体屋 要 振り向けば幽霊坂に秋の雲 昌文 野分後いうれい坂に干す雑巾 順子 鰐口に打たれて鳴りぬ秋の声 同 秋の蟬跨いで白きスニーカー 要 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉 長月の翳を重ねて魚籃坂 三郎
岡田順子選 特選句
石仏に一円玉と銀杏の実 緋路 朝顔や嬰も黒衣の葬の列 昌文 朝顔や団地めく墓百基ほど 久 正門の秋の気配や女学院 六甲 幽霊坂に細身のをんなつくつくし 昌文 銀杏の実亀石の首そのあたり 久 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ブラインド上げて夕焼の部屋にする 愛 秋風に置く空つぽの洗濯籠 かおり 送り火の煙ゆつくりと四囲めぐる 成子 秋扇こころ明かさぬまま別れ 美穂 にくしみがあきらめとなり秋扇 孝子 身に入むや母のお薬カレンダー 修二 流星の穿ちし窪み都府楼跡 睦子 かなかなや吾子沈みゆく腕の中 朝子 読み耽るアリバイ怪し夜半の秋 修二 ドクターイエローへ手を振る花野人 美穂 月見草わが名つぶやく人の逝く 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
銀漢に明治溶けゆく赤レンガ 三四郎 空蟬や大樹にしかとすがりをり 英美子 新米の入荷太文字人を呼ぶ みす枝 物音の消えし校舎に蟬時雨 昭子 晩酌の静かな会話虫時雨 三四郎 黄色い声ねずみ花火に逃げ惑ふ みす枝 一ト夜ごと虫の音細くなりにけり 英美子 流灯会読経流るる僧百人 三四郎 本心は言へず花火の夜の別れ 英美子 枝豆やまた繰り返す愚痴話 靖子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
露の庭はな緒のゆるい宿の下駄 あき子 リズム良き祖母の寝息や集く虫 和魚 源氏詠む文机近く虫すだく あき子 秋茄子や料理の好きな妹逝きて 和魚
秋尚選・三無選 特選句
秋茄子の色は紫紺の優勝旗 廸子 暑くとも白露の朝でありにけり 秋尚 昼の虫導かれつつ見えぬまま のりこ 心地よい風を感ずる白露の日 さちこ 病む人の今朝爽やかと白露の日 ます江 小振りでも紫紺きつぱり秋茄子 三無 虫の宿庭の雑草残しおき エイ子 虫の声足そつとおく帰り道 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月10日 萩花鳥会
暑き娑婆御堂の��漢高笑い 健雄 百日紅揺れる花房夏惜む 俊文 ジャングルジム登りつく子等鰯雲 美恵子 食べ過ぎて今宵の満月僕の顔 良太 満月の影にうつるは兎かな 綾花
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令和6年9月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
花野道小さく見える牛の群れ あけみ 大花野夢の続きを行くやうに 実加 台風裡兄と出会ひし母の家 あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋日傘半分閉ぢて行き違ふ 都 地図に見る呉亡き父の終戦日 佐代子 誰が植ゑし鶏頭小さく石仏に すみ子 葛一面未だ本籍たりし野辺 都 今放つ槽に小波や新豆腐 同 銃創を見せ物語る生御霊 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
月餅と濃茶一服今日の菊 多美女 野の彩を丸ごと活けて句座は秋 百合子 秋燕別れを告げに母の塔 幸風 長き夜や古き日記に母のゐて 多美女 鮭小屋の朽ちても長汀石狩川 亜栄子 ゆつたりと夜長にすすむ酒のあぢ 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
秋茜近寄り来てはまた高く ます江 桔梗とて気怠そうにて風に揺れ 同 池に波紋残して行けり赤蜻蛉 貴薫 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 隠沼に秋明菊の八頭身 文英 秋の蝶もつれて落ちてまた浮かぶ 白陶
栗林圭魚選 特選句
魁て色づく雅式部の実 三無 秋茜近寄り来てはまた高く ます江 静謐の沢の流れや曼珠沙華 幸風 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 森へ行くバス待つベンチ秋の晴 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月16日/21日 柏翠・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
曼殊沙華赤で囲みし甕の墓 ただし 新しき束子で洗ふ母の墓 同 鉄工所跡は錆色芒原 同 施餓鬼寺秘仏に在す観世音 雪 刃を入れるこれぞ西瓜と云ふ西瓜 同 流灯会母のだんだん遠くなる みす枝 夕月や心素直になつてをり 同 手を上げるだけの挨拶爽やかに かづを 九頭竜の乾坤いまだ秋を見ず 同 夜廻りの拍子木冴える星月夜 嘉和 袖通す事なく紙魚の秋袷 英美子 大漁の海を映して鰯雲 眞喜栄 熊除けのあまりに小さき鈴かとも 洋子 中天に中秋の月ただ一つ 紀代美 一言が十で返つて来る暑さ 清女 花明り水明りして草の露 世詩明 紐引きて夜長の秋を灯しけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
単線の駅の中間大花野 世詩明 露草に跼めば低し膝がしら 同 へのへのの顔に疲れて来し案山子 雪 商ひの顔に見えざる古葭簀 同 もしかして死んだ振りかも火取蟲 同 地酒くみ民話ひもとく良夜かな 笑子 何故に泣きべそかいた十三夜 隆司 大花野境界線は遠き空 千加江 夢の中独り占めし��花野かな 同 ゆつたりと羽を愛しむ秋の蝶 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月20日 さきたま花鳥句会
秋草や流離の雲はとこしへに 月惑 去ぬ燕施設の母の走り書き 裕章 秋暑し観音堂の鬼瓦 紀花 三尺寝青年の腕白きこと ふゆ子 秋風や水尾引く舟の遠ざかる 恵美子 降るほども無き雨の庭昼ちちろ みのり 刈り草の中よりツンと彼岸花 彩香 鍵を置き去りし男や秋の雲 良江
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ぼくがきらびやかな衣装を脱いで、眼鏡をかけても
リンクサイドの暗がりで、ヴィクトルは勇利の手を握っていた。勇利は向かいに立っている彼にほほえみかけ、つないでいる手をそっと揺らした。 「みんな驚くかな?」 「ふたりで驚かせよう」 勇利は、ヴィクトルが昨季フリースケーティングで着ていたのと色のちがう衣装を身にまとっていた。そしてヴィクトルも、それと同じで明るい色の衣装──昨季のものともちがう衣装を着ていた。これを仕立てたと言って自慢げにはしゃいで見せられたとき、勇利は目をまるくしたものだ。勇利のエキシビションが「離れずにそばにいて」にきまって、「衣装は俺のと色ちがいにしよう」と提案されたときにも驚いたけれど、さらに自分のぶんまでつくる彼には感心すらしてしまった。さすがはヴィクトルだ。 ふたりはこれからエキシビションに出るところだった。ヴィクトルが参加することは、勇利と、最低限の関係者しか知らない。 「八ヶ月……ううん、九ヶ月ぶりのヴィクトルの演技だね」 「そうだね」 ヴィクトルは熱心な目でじっと勇利をみつめた。勇利はそわそわした。 「なんでそんなに見るの?」 ヴィクトルがこの型の衣装を着ているのを初めて目にしたとき、勇利は、なんて高貴で威厳があって皇帝らしいのだろうとうっとりしたものだ。それを自分が身につけていることに、彼はいまさらながら不安をおぼえた。 「似合わない?」 「とんでもない」 「ぼくにはちょっと早すぎたかな……早すぎるっていうか、いつか合う時期が来るのかもわからないけど。『エロス』の衣装だってまだ勝生には早い��て言われたんだよ。あれ、ヴィクトルがジュニア時代に着てたやつなのに」 「そんなことを言うのは誰だ? どうせ目が節穴のお偉いさんたちだろう。いつの話?」 「シーズンが始まる前」 「勇利の演技も見ずに言ったにきまってる。そんなことは考えなくていいんだ。勇利、とてもよく似合ってるよ。綺麗だ」 「そうかな」 勇利は落ち着かないそぶりで足踏みをした。いままで、みんなの前で二度、この衣装を着ている。慣れているはずだ。しかし、今夜はこれまでとはちがう。ヴィクトルと一緒にすべるのだ。ヴィクトルがこれを華麗に着こなすのは当たり前の話だけれど、隣にいる自分はどうだろう。 「本当に綺麗だ」 ヴィクトルがほほえんでささやいた。 「うつくしいよ、勇利」 「そ、そうかな」 「ああ、目が離せない。なんて綺麗なんだ。こんなにすてきなおまえと一緒にすべることができるなんて、たまらないよ。ぞくぞくする。俺はいままで緊張したことがないんだ。でもいまはもしかしたら緊張しているかもしれない」 勇利は笑ってしまった。ヴィクトルを見上げると、彼は熱烈に勇利をみつめていた。勇利が赤くなるほどのまなざしだった。 「あの、ヴィクトル……」 「綺麗だ」 「も、もういいよ」 「どうしてそんなにうつくしいんだ?」 「もういいってば」 「早く一緒にすべりたい。おまえをひとりじめしているところを全世界に見せつけたいよ」 「あっ、ぼく出番だ」 勇利はヴィクトルの肩に手を置いてエッジカバーを外した。踏み出そうとしたところで手をつかまれ、引き戻される。ヴィクトルが顔を近づけてささやいた。 「綺麗だよ、俺の勇利」 「勇利とキスしたいな、俺」 バンケットも終わり、部屋へ帰ってひと息ついたとき、ヴィクトルがそんなことを言い出して勇利はぎょっとした。 「え!?」 「あぁ、勇利とキスしたいなあ」 勇利はスーツを脱ぐ手を止めて考えた。──眼鏡はどこへやったっけ? 「勇利にいまの俺の気持ちがわかるかい? こんなんじゃとても勇利と離れられないよ」 勇利はぽかんとしてヴィクトルをみつめていた。 「勇利とキスがしたい。したいなー」 「…………」 ゆっくりとつばをのみこむ。キスがしたい。ヴィクトルはキスがしたい。……なるほど。 「次の試合では金メダル獲るから」 勇利はゆっくりと言った。 「がんばるから、もうちょっと待ってよ。……次の試合って全日本だけど、そのメダルでもいいの?」 「勇利! メダルにキスしたいと言ってるんじゃないんだ!」 ベッドに座って後ろに両手をついていたヴィクトルが、抗議するように騒いだ。 「きみだ。きみにキスしたいと言ってるんだ!」 「……ヴィクトル……」 勇利はつぶやいた。 「なんだい?」 「ぼく、眼鏡どこへ置いたか、知らない?」 「眼鏡の話はしてないだろう!」 ヴィクトルは笑い出して立ち上がった。彼が迫ってきたので、勇利はきょろきょろとあたりを見まわした。逃走経路を確保したいのだけれど、そのあいだにヴィクトルはすぐ前に立った。 「ゆうりぃ。勇利とキスがしたいな、俺!」 最高の笑顔で言われてしまった。しかしそんなにすてきな表情で訴えられても、勇利には意味がさっぱりわからない。 「や、ぼくはしたくありません……」 脱いだばかりの上着をぎゅうっと握りしめて、そんなことを言��てしまった。するとヴィクトルが目をまるくし、片手を額に当てて大きな声で嘆いた。 「なんてことを言うんだ!」 「それはこっちのせりふなんですけど……」 「俺のは普通だろう? 勇利とキスがしたい。何か問題がある?」 「なんで問題がないと思うんだよ」 やっぱりヴィクトルの考えることはよくわからない。この異星人とこれからもずっと一緒にいるのか、と勇利は気が遠くなりそうだった。ヴィクトルのことは愛しているし、望むところではあるのだけれど──かなり大変そうだ。 「本当に勇利はしたくないの?」 ヴィクトルが信じられないというようにまじまじと勇利を見た。勇利は、信じられないのは貴方だよ、と思った。 「しないよ……」 「なんで?」 「いや、なんでって、普通コーチとキスしないでしょ」 「そんな話をしてるんじゃないんだ」 「じゃあどんな話?」 「俺は勇利とキスがしたいな! っていうことを言ってるんだ」 「そんな話じゃないか!」 勇利はあきれてしまった。 「とにかくしないから」 「なんで? 意味がわからない」 「ヴィクトルのほうが意味わからないよ」 「この宇宙人め」 「貴方がね!」 「ねえねえゆうりぃ」 とりあえず離れようと勇利がベッドへ向かおうとすると、ヴィクトルが手首をつかみ、顔を寄せて熱心に言った。 「しようよ。キスしよう。勇利とキスがしたいな、俺!」 「子どもなの!?」 「何を言うんだ勇利。キスなんだから大人の行為だろう? 勇利のことも大人だと思ってるよ」 「いや、することの内容じゃなくて、駄々っ子みたいな態度のことを言ってるんだけど」 「しないの?」 「しません!」 勇利はヴィクトルの手から手首を取り戻すと、まったくわからないコーチだ、とぶつぶつ言いつつベッドのほうへ逃れて腰を下ろした。キスってなんだよキスって。いや何かは知ってるけど。なんでぼくとしたいんだ。意味がわからない。キスをするのは、一般的に言って……。そこで勇利はかぶりを振った。頬が赤くなりそうだった。深く考えるのはやめよう。 「したいのに」 ヴィクトルが不満そうにつぶやいた。勇利はしらんぷりをした。えーっと、眼鏡眼鏡……。 それからしばらくヴィクトルは何も言わ���かったが、ようやく勇利が眼鏡をみつけてかけようとしたとき、にっこり笑って、まるで初めて提案するみたいにさわやかに言った。 「勇利、勇利とキスがしたいな、俺!」 「しません!」 世界選手権は、ヴィクトルと初めて一緒に出場する大会だった。勇利は彼とどれほどの距離を保っていればよいのかわからず、いろいろなところでまごつき、ためらった。選手として、コーチのヴィクトルにはそばにいてもらいたいけれど、選手のヴィクトルには近づきすぎたくなかった。自分がヴィクトルの邪魔をしているかもしれないと思うとそれだけでも精神的に揺らぎが生じるので、それなら、ひとりでいるほうがよいと勇利は判断した。勇利はヴィクトルに、そばについている必要はないと宣言し、まったく親しくなかったころ同じ大会に出ていたときのようにへだたりをとった。勇利はヴィクトルにいっさい話しかけず、ひとりで意識を集中した。ヴィクトルのほうを見ることもなかった。圧倒されるかもしれないとあやぶんだのもあるけれど、頼りたいという甘えが出ては大変だと思ったのである。何より、ヴィクトルが勇利を心配することで、負担になるのがいやだった。ヴィクトルのことを考えると、勇利は混乱して、とりみだしてしまいそうだった。 しかし、そんなふうに思い惑ってい��勇利の気持ちなど、ヴィクトルはお構いなしである。 「ゆうりぃ。なぜ無視するんだ?」 彼は気安くそばへ寄ってきて話しかけた。 「ひどいじゃないか。勇利って本当につめたいよね」 「ヴィクトル、ぼくはそばについてなくていいと言ったんだよ。聞いてなかった?」 「聞いてたさ。だからつめたいと言ってるんだ。俺のことをぜんぜん見ないし」 「集中してるんだよ。邪魔しないで」 「いままでは俺がいても集中してたじゃないか」 「いままではね。今日はだめ。ヴィクトルはぼくの欲しいものを持っていってしまうかもしれないんだから、べたべたできるわけないでしょ」 「勇利がいつ俺にべたべたしてくれた? どんなときだってそっけなくて、冷酷で……」 「黙って。あっちへ行って」 「勇利は徹底的に残酷なんだ! そんな精神攻撃を俺にして、動揺した俺が演技をしくじったらどうする?」 「そんなかわいげのある皇帝じゃないだろ、ヴィクトルは」 「俺は勇利にめろめろだからね。あり得るさ」 「ひとりでいれば精神攻撃なんか受けないよ」 「離れてることが精神攻撃なんだ。勇利はひどい。俺がぼろぼろの演技をしてもいいと思ってるんだな」 そんなことになるなんて想像してもいないくせに……。勇利は溜息をついた。 「あのね、普通、演技前はひとりで集中したいものでしょ。ぼくはヴィクトルの邪魔はしたくないんだよ。ぼくのことはいいから、自分のことだけ考えてよ」 「俺は勇利といないと落ち着かないんだ。俺にいい演技をさせたいなら一緒にいてくれなきゃ。勇利は俺がいたら邪魔になるのか?」 「邪魔じゃないよ。でも……」 「勇利」 ヴィクトルは勇利の手を引き、選手廊下のすみまで連れていった。勇利は壁にもたれ、戸惑いながらヴィクトルを見上げた。 「つれなくしないでくれ」 「…………」 「俺を見て」 「……でも」 「俺も勇利を見ているから」 ヴィクトルは勇利の頬にふれ、親指でくちびるをそっとなぞった。 「……綺麗だ」 「…………」 「勇利は綺麗だ。おまえは本当に、リンクに立つときほれぼれするほどうつくしくなるね。その黒いジャージの下に俺のあの衣装をつけていると思うとぞくぞくするよ。セクシーだ」 「普通に衣装着てるだけじゃない」 「セクシーだ」 ヴィクトルはくり返し、勇利の耳元にささやいた。 「いけない気持ちになりそうだよ」 「…………」 「おまえはうつくしい」 勇利は目を伏せた。 勇利の滑走順が来たとき、ヴィクトルは勇利の手を熱心に握り、こんなふうにささやいた。 「いちばんうつくしいのは自分だっていう気持ちですべるんだよ」 「うん……」 「俺にとって、俺のこころをふるわせるのは勇利だけだ」 ヴィクトルは身を乗り出して低く言った。勇利はゆっくりと瞬いた。 「おまえだけだ」 シーズンの中でもっとも大きな大会が終わったということで、クロージングバンケットが済むと、勇利は快い疲労を感じた。この一年で彼はずいぶん変わったし、彼を取り巻く環境も変わった。それがひと段落ついたのだと思うと感慨深く、勇利は吐息をついた。 「ゆーうりー」 そうして勇利が物思いにふけっているというのに、ヴィクトルはおおはしゃぎで陽気だった。 「楽しかったねえー」 「ヴィクトル、騒ぎすぎなんだよ。ヤコフコーチがどれだけ青筋立ててたか見てないの?」 「ヤコフ? 何か言ってたっけ」 「連盟の人たちもにらんでたし」 「気にしない気にしない」 「浮かれすぎなんだよ」 勇利はシャツとスラックスという姿でどさりと���ッドにあおのいた。苦しいのでネクタイをゆるめていると、すこし向こうからヴィクトルが「勇利!」と明るく呼んだ。 「なに?」 「勇利とセックスがしたいな、俺!」 「…………」 勇利は何を言われたのかよくわからなかった。ぼんやりして天井を眺め、ネクタイを外して襟から抜いた。……いま、ヴィクトルなんて言った? 「聞いてるかい?」 「聞いてるけど……、なんて?」 「聞いてないじゃないか」 ヴィクトルがあきれ声で言った。 「勇利とセックスしたいな! って言ったんだよ!」 勇利は目をまるくした。聞きまちがいだろうか? 首を動かしてヴィクトルのほうを見る。彼はすばらしい笑顔で勇利をみつめていた。 「……え?」 「勇利とセックスしたいな!」 「な……な……」 「いいだろ? したい!」 「何を言ってんの!?」 信じられない。異星人だ異星人だと思っていたけれど、とうとうこんなことを言い出してしまった。とんでもないひとだ。 「いやなの?」 「な、なんでぼくがヴィクトルとセッ……」 勇利はわめこうとして声を落とした。 「……するんだよ」 「したいから」 あっさり返事をされて、勇利は口をわずかに動かすことしかできなかった。 「したい、勇利」 いや、そんなこと言われても……。勇利はわけがわからず、いいか悪いかという簡単な答えさえ返せなかった。 「よし、しようか!」 ヴィクトルがベッドに上がってきたので、ようやくそこで危機感を抱くことができた。勇利はばね仕掛けのように跳ね起き、ベッドの上で後退して激しくかぶりを振った。 「いやいやいやいや」 「俺のベッドがいい? 勇利のベッドでいいよね?」 「いやいや! なに言ってんの!」 勇利は、いつもみたいにヴィクトルの陽気さに流されたら大変だと思った。 「しない! しないから!」 「なんで?」 「いや、なんでじゃないよ! なんでするんだよ!」 「だからしたいからだろ? するぞ、ゆうり!」 「しないしないしないしない!」 勇利は両手を一生懸命胸の前で振って拒絶した。 「しないから!」 「したくないの?」 「したいとかしたくないとか以前の問題だから!」 「勇利の言うことはよくわからないな」 「ヴィクトルの言うことがわかんないよ!」 なんでいきなりそういう話になるんだ!? 勇利の頭の中はもうめちゃくちゃだった。 「だって勇利が綺麗で可憐だから、したいなあって思ったんだよ」 「いやそれも意味がわからないから! ヴィクトルは綺麗な相手ならすぐそういうことしたがるの!?」 「勇利が相手ならしたくなるよ」 「ちょ、ちょ、ちょっと!」 ヴィクトルがのしかかってきてシャツを脱がせにかかる。勇利はうろたえた。ああ、ネクタイを外すんじゃなかった! 「待って待って待って待って」 「なに? こころの準備かい?」 「いや、準備しないから!」 「でも勇利、初めてだろう?」 「どうでもいいだろ!」 「こわいかい? 優しくするよ」 「ちょっとなんか生々しい!」 「勇利、好きだ、綺麗だよ、いとしい勇利……」 適当なことを言っているのではないかと勇利は疑ったけれど、ヴィクトルはあきらかに本気の目をしており、うっとりと勇利をみつめていた。 「だから、しよう!」 「ちょっ……」 シャツをスラックスからひっぱり出され、勇利はどうしたらいいかわからなくなった。とにかくやめさせなければと思い、その手を必死で押しのける。 「しないから!」 「勇利とセックスしたいな、俺」 「何度も言わないで……やだもうちょっと帰って!」 「どこへ?」 「自分のベッド! 帰ってよ!」 「俺のこと好きじゃないの?」 「好きだけどこういうのは……帰ってってば!」 ヴィクトルに抱きしめられ、綺麗だとかうつくしいとか言われていると、流されそうになる。いい加減にして欲しい。ヴィクトルのばか。信じられない。セッ……とか! もう! 「ヴィクトル!」 勇利は、すっかりみだれたシャツをどうにか引き寄せながらヴィクトルをにらみ上げた。 「なんだい?」 ヴィクトルはうれしそうににこっと笑った。なんでそんな顔するんだよ、もう……。 「えっちなことするひとの家には行かないよ!」 「…………」 「えっちなひととは一緒に住めないからね!」 春からは、勇利はヴィクトルの家で暮らすことになっているのだ。貴方の家には行かない、というのが脅し文句になるのかいまひとつわからなかったけれど、とりみだしているため、ほかに思い浮かばず、勇利はそんなことを口走った。わかった、来なくていいからえっちしよう、と言われたらどうしよう。そう考えて焦った。ところがこれは、予想以上の効果を上げたようだ。 「うっ……」 ヴィクトルはかなりの攻撃を受けたというようにうめくと、胸を押さえてうらめしそうに言った。 「勇利、それは卑怯だぞ……」 「し、知らない! 帰って!」 驚いたことに、ヴィクトルはベッドから降り、本当に自分の寝台へと戻った。勇利はきょとんとした。なんだかしょげているようなので、断って悪いことをしたかな、と思った。身体を起こし、頬を赤くして身なりをもぞもぞと整えていたら、ちらと振り返ったヴィクトルが懲りずに言った。 「勇利とセックスしたいな、俺」 「しないから!」 勇利はロシアでヴィクトルと暮らし始めた。生活は楽しく、スケートも順調で、勇利の人生のさまたげとなることはまったく起こらなかったけれど、ひとつだけ困った問題が持ち上がった。 「勇利とキスがしたいな、俺!」 ヴィクトルがひんぱんにこう言うのである。そして「ね、勇利!」と付け加えて片目を閉じる。勇利はそのたびに「しない!」と拒絶したり、「知らない」とそっけなく答えたり、聞こえないふりをしたり、「ばかなこと言わないで」と怒ったり、適当に笑い飛ばしたりしていたのだが、ヴィクトルはいっこうにへこたれず、毎日のように「キスがしたいな、俺!」と勇利を誘うのだった。 「あのねえ……」 「勇利はなんでいやなの?」 「だから、普通に考えて……」 「普通じゃなくて勇利の気持ちを訊いてるんだ」 「しないことに理由なんてないよ。しないものはしないんだ」 「勇利はずるいなぁ」 ヴィクトルは断られても笑っているだけだった。だから勇利は余計に心苦しくなるのだ。べつにいいかな、キスくらい減るもんじゃなし、という気がしてくる。でもヴィクトルがキスしたいのは、きっと……。 「勇利、なんでそんなにいやなんだ? 俺は勇利を愛してる。勇利は俺を愛してないの?」 「うーん……」 愛してるけど。愛してるけど。でもなあ……。勇利はどうしても「うん」とは言えなかった。 ある日、リンクで練習していると、背の高い女性がやってきてヴィクトルに声をかけた。ヴィクトルは勇利を呼び、三人で応接室を使った。彼女はデザイナーで、ヴィクトルの衣装を担当している重要人物だった。もちろんヴィクトルは勇利のものもつくるよう頼んだので、今日はふたりぶんの出来上がった衣装を持ってきたのだ。 「勇利、着てみて。俺も着るから」 「うん……」 ヴィクトルが案を出し、念を入れてこまかく注文をつけた衣装はうつくしかった。ひどく上品で、高貴で、貴族的だった。燕尾服に近いかたちのそれは、いたるところがきらきらと輝き、背にも気品高い模様が描き出されていた。勇利は、本当にこれを自分が着るのだろうか、とぼんやりした。 「勇利、どう?」 「うん……」 普段のままではよくないと思い、リンクへ出るときと同じように髪を上げて眼鏡を外したが、勇利は現実味がないという気がした。しかしヴィクトルは目を輝かせ、「すてきだよ、勇利」とささやいた。 「そうかな……」 「そうだよ。自分でどう思う?」 「よくわからない……」 「大丈夫。リンクへ立つときは変わるよ。勇利は氷の上ではすごく凛々しいからね。気持ちも切り替わる。勇利にふさわしい衣装だし、勇利もそう思うはずだ。俺はどうだい?」 「うん……」 上手く答えられなかったのは、ヴィクトルがあまりにもきざでかっこうよかったからだ。勇利は、自分の姿はそんなに見ることができなかったけれど、ヴィクトルのきまりすぎていない、どこかゆったりとした、しかし正装に近い水際立った衣装にうっとりとなった。ヴィクトルはなんでも似合うが、これは最高にいいと思った。皇帝然として、はかりしれない彼のすばらしさがはっきりと目立っている。勇利を魅了する威力は華麗なほどだった。 「かっこいいよ……」 「本当かい?」 「うん……」 「勇利も綺麗だよ。うつくしい」 「うん……」 「悪魔的なほど魅力的だ」 「うん……」 「聞いてる?」 「うん……」 「俺の勇利……」 「うん……」 「勇利とキスしたいな、俺」 「うん……」 ヴィクトルは勇利を抱きしめてキスした。勇利は目をみひらいたが、頭の中はまだぼうっとしていた。ヴィクトルがくちびるを離し、ごく近くから勇利をみつめた。勇利は瞬いた。ヴィクトルがもう一度キスをした。勇利はまぶたを閉じた。 「──いかがですか?」 ヴィクトルが扉を開けると、着替えのあいだ廊下で待っていたデザイナーが笑顔で入ってきた。 「ああ、すごくいいよ! 気に入った。どうもありがとう。称賛すべきすばらしい仕事だ」 「よかった。着ていて違和感などは……」 着心地を確かめようとした彼女は、ぼんやりしている勇利に目を向けて瞬いた。 「あら! 勝生さん、なんだか顔が赤いですよ」 それ以来、ヴィクトルは勇利にひんぱんにキスするようになったし、勇利もなんとなく拒めなくなった。勇利は、ちっともいやではないのだけれど、いいのかなあ、という気持ちだった。なんかもう……舌とか入ってくるし……いいんだけど……いいんだけどさ……でも……。 しかも、ヴィクトルの要求がまた過激になってきたから大変だ。 「勇利とセックスしたいな、俺!」 「しません」 「なんで? なんで? キスはするのにセックスはしないの?」 「ぜんぜんちがうでしょ」 「でも勇利、キスしてるとき、もう全部俺にあげちゃってもいいみたいな顔して……」 「わー!」 勇利はヴィクトルの口元を手で押さえた。 「そんなことないから!」 かぶりを振ったけれど、実際、それは否定しきれないところだった。ヴィクトルに熱烈なキスをされて身体にふれられていると、もういいかな……というとろけた気持ちになってしまうのだ。意思を強く持てない。ヴィクトルが悪い、と勇利は思った。ヴィクトルがその……あんまりにもぼくを好きにさせるから……。 だってしょうがないじゃん! もともと好きだし! キスなんかされたらもっと好きになるし! 当たり前だろ! ヴィクトルなんだから! ……でも……。 勇利は溜息をついた。 ヴィクトル、キスするとき、ぼくの眼鏡外しちゃうからな……。 勇利はよくよく考えてみた。ヴィクトルが言うことの意味と、自分の彼への気持ちと、彼とどうするのかということを。 「勇利、勇利とセックスしたいな、俺!」 「いいよ」 次に求められたとき勇利はそう答え、ヴィクトルは��またそうやって断る! 勇利はつめたい!」と言い、それからはっと目をみひらいた。 「え……?」 「いいよ」 勇利はほほえんでヴィクトルを見上げた。 「ヴィクトルがそうしたいなら……」 「ゆ、勇利……」 ヴィクトルは目のふちを赤くし、瞳を宝石のようにきらきらと輝かせた。彼はすぐに勇利を寝室へ連れていった。勇利はベッドの上にぺたりと座りこんでヴィクトルと向かいあい、改まった様子で口をひらいた。 「ヴィクトル……」 「ゆ、勇利」 ヴィクトルが感極まったそぶりで勇利を抱きしめようとした。勇利は待ってというようにそれを押しとどめ、口元に微笑を浮かべて、眼鏡をゆっくりと外した。 「ヴィクトル、終わってから……」 「あ、ああ」 「ぼくが眼鏡をかけて、冴えない感じになっても……」 「……え?」 「ぼくがぜんぜんかわいくなくなっても、ぼくを嫌いにならないでね……」 ヴィクトルは目を大きくし、驚いて勇利をみつめた。 「ぼくがきらびやかな衣装を脱いで、うつくしくない、目立たない地味なかっこうでいても……」 勇利はヴィクトルの手にそっとふれた。 「できればぼくのことを好きでいて欲しい……」 「ゆ……」 ヴィクトルは信じられないというように勇利の手を握りしめた。 「勇利! 何を言ってるんだ?」 「だってぼくはヴィクトルも知っての通り、普段は平凡な感じだからさ」 「そんな勇利を俺が愛してないとでも!?」 「愛してくれてるのはわかってるよ。でも、キスとか、それ以上のこととか、したくなるのは、眼鏡を外して衣装を着てるぼくでしょ?」 「なんで!?」 理解できないというようにヴィクトルが叫んだ。 「なんでそんなこと言うんだ!?」 「だってヴィクトルはそういうときに綺麗だとか可憐だとかうつくしいとか言ってくるし」 「普段も言ってるだろう!?」 「普段は言ってないよ」 「言ってるぞ!」 「普段は、そうだな……、愛してるっていちばん言う」 「愛してるじゃないか!」 「だけどそういう愛とはちがうでしょ?」 「なに言ってるんだ!?」 「キスするときも、眼鏡を外すし……」 勇利は溜息をついた。 「ごく普通のぼくじゃだめなんじゃないかなって……」 「そんなふうに思ってたのか!?」 ヴィクトルは勇利の手をぎゅうぎゅう握り、必死の様子で言いつのった。 「眼鏡を外すのは、キスするのに邪魔だからだ!」 「……え?」 「だって夢中になると、俺の顔に当たるから……」 「……そうなの?」 「いや、そうなったことがあるわけじゃないけど、そうなんだろうなと思ったんだよ。キスのときに気になることがあるのはいやだから……俺は勇利とのキスに集中したいし……」 「キスに集中って、あの……」 勇利は赤くなってうつむいた。それからヴィクトルを上目遣いで見た。 「……こっちに来てから最初にキスしてきたのも、ぼくが衣装姿のときだし」 「それは! ……それは……確かにそうだけど……、そう……、あのときの勇利は特別綺麗だったけど……、そりゃあ、世界を魅了するような衣装をまとってるんだからね。綺麗にきまってる。だけどあのときついそうしたのは、それだけが理由じゃない……」 「……じゃあどうして?」 「勇利の……」 ヴィクトルは勇利をみつめた。 「勇利の俺を見る目が、……すごくとろけてたから」 「え?」 「だから、たまらないなと思って、我慢できなくなったんだよ……」 「…………」 勇利はまつげを伏せて頬に手を当てた。ヴィクトルの言ったことをよく考えてみた。そうなんだ、と思った。そうなんだ……。 「……俺は普段の勇利もすごくかわいいと思ってるよ……。眼鏡をかけてても、ダサい、燃やしたいような服を着てても、そうだよ……いとしいし、愛してる……」 「そ、そうなんだ」 「そうだよ。ぱっと見てわかるうつくしい勇利だけが好きなわけじゃない……」 「でも衣装を着てるときはやたらと言ってきたから。あと、スーツのときとか」 「それは、普段の勇利との差に興奮してるからで、確かにその傾向はあるけど、逆に、そういうのからいつもの勇利に戻ると、やっぱりかわいいなと思って、かわいいかわいいって思うと、俺は愛してるって言っちゃうんだ……たぶん」 ヴィクトルは口元を片手で覆って目をそらした。 「知らなかったけど。いま勇利から話を聞いてそう思った」 「…………」 「……わかったかな?」 勇利は考えこんだ。 「……つまり」 「うん」 「ヴィクトルはぼくがどんなふうでも、ぼくを好きだということ?」 「その通りだ。わかってもらえてうれしいよ」 ヴィクトルがほっとしたように息をついた。すがすがしいまなざしだった。 「そっか……」 勇利はひとつうなずき、よくよく思案してみて、神妙な顔で申し出た。 「……あの、ヴィクトル」 「なんだい?」 「えっと……、やっぱりするの、今度でいい?」 「えっ! なんで!」 ヴィクトルが絶望したような顔つきになった。 「そういうの聞いたら、恥ずかしくなっちゃった……」 勇利は頬を赤くしてつぶやいた。 「だから、また今度で……そういうことで……」 さっと顔をそむけ、ベッドから降りようとすると、ヴィクトルにしっかりと腕をつかまれた。勇利は困惑しながら振り返った。すると、なんともうれしそうな、輝かしい笑顔に出会った。 「勇利とセックスしたいな、俺! 我慢できないな! 勇利、清楚でかわいい! 愛してるよ!」 勇利があのすばらしい衣装を着てリンクサイドに立つと、ヴィクトルが同じように威厳のある衣装姿でそばに寄り添った。 「やっぱりいいね、この衣装。凛として、とてもうつくしく見える。俺の勇利……」 「ヴィクトル……」 勇利はヴィクトルにおもてを向けてほほえんだ。ヴィクトルの袖をきゅっと握り、上目遣いで彼を見て、甘えるようにささやく。 「いまのぼくはかわいくない?」 「え……」 「いまのぼくにも、言って欲しい……」 勇利は子どもが駄々をこねるようにねだった。 「いつもみたいに……」 「ゆ……」 「ヴィクトルに愛してるって言ってもらいたいな、ぼく……」 ヴィクトルは勇利とのデュエットが終わったあと、取りに行った眼鏡をかけて戻ってくる勇利をぼんやりと眺めているところをクリストフに発見された。 「おや、ヴィクトル。どうしたんだい?」 「クリス……」 ヴィクトルはうっとりとつぶやいた。 「聞いてくれ……」 「なに?」 「勇利が……」 「勇利が?」 勇利が初々しくほほえんで、胸のあたりでヴィクトルにちいさく手を振った。ヴィクトルは満面に笑みをたたえ、はしゃいで手を振り返した。 「綺麗でかわいくて可憐でうつくしくて……」 「…………」 「悪魔的なんだ……」 「また骨抜きにされたのかい。何回めろめろになるんだか、この皇帝は」
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2023年2月1日(水)
最近いちばんよく聴いているCDがあります。 12月にEtt、泊、ふちがみとふなとで、78回転時代の歌を歌う三都市コンサートを企画してくださったレーベル「ぐらもくらぶ」から出ている、東海林太郎さんの音源を集めたCDです。 東海林太郎さんは「直立不動の丸メガネに燕尾服で赤城の子守唄を歌う人」というイメージで、1980年代前半くらいまでテレビのものまねの定番のひとつでもありました。 レコ室には東海林太郎さんの音源が結構たくさんあり、見つけるたびに赤城の子守唄のイメージと違うことに驚き、全貌を知りたいと思っていましたが、数が多すぎるし、ジャンルも多岐にわたっているし、無理だな、と私はあきらめていました。 その膨大な東海林太郎さんの音源を集め、二枚組のCD全集を二種類、作られたのが「ぐらもくらぶ」さんです。偉業です。 しかも、歌詞、曲にまつわるクレジット、各楽曲の解説、写真、ブックレットも充実かつ愛情に満ちていて、聴くたびに感激するので、今月のレコ室では絶対にこのCDからかけるのだと決めていました。 ということで、すべて「ぐらもくらぶ」さんのCDより。 1 雪の若人/東海林太郎 (1934) 詞:サトウハチロー 曲: 浅井拳曄 2 〜挨拶〜 『��柳恋しや』宣伝盤より/東海林太郎 (1936) 3 もう一度言ってよ/東海林太郎、山路ふみ子 (1936) 詞: 安東英男 曲: Summy Fain 編曲: 山田栄一 4 雨の夜船 / 東海林太郎、田中絹代 (1936) 詞: 佐藤惣之助 曲: 阿部武雄 編曲: 山田栄一 1〜3 CD「谷間のともしび 東海林太郎1934ー1949」G10039-40 4 CD「歌へ若人」 東海林太郎1934ー1948」 G10033-34


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眼前の泡沫は輝きを反射して
okmcです。楽ステですね。役者紹介をしましょう。昂った時がいいものを書ける。きっとそうですね。
・宙稚勇貴
くうやさん。我らがA脚の主役。新歓のときのくうやさんがすごく印象的です。今回で初めてくうやさんに関われて、演出の一面を初めて見れました。言語化できない微妙な部分を表現する姿は長く演劇をやってきた人のそれでした。皆奏者ではご迷惑をおかけしました。どうか34期のこれからを暖かい目で見てくれると幸いです。当制でお話しするのをとても楽しみにしてます
・田中かほ
ゆるあさん。今回の公演で一番長く話したであろう33期の先輩。初めての大道具チーフを支えてくださったのは紛れもなくゆるあさんで、今回舞台が無事にたった立役者の1人と確信を持って言えます。多分一番話したし、多分一番仲良くなったと思うんですが、やっぱり馬は合わないですね笑���だべりながら舞台図を書いたり設計図作ったり、いろいろあった舞美会議がもう1ヶ月は前なのかと思うと感慨深いです。これからも支えてくれると僕はとても嬉しいです。
・君安飛那太
コルクさん。演補様。再び同じ脚本で嬉しいです。キャスパ最高です。かっこよくてエモいキャスパをこの公演でやれてとっても嬉しいです。これからも仲良くしてくださると、とても嬉しいです。僕はまたコルクさんと同じシーンに立ちたいです。
・田中響子
りこぴさん。演劇が初めての人のそれでは無いものを持っていらっしゃる。練習量がとてつもなく多くて、気がついたら練習をしているとても勤勉な方。とっても真剣に役に向きあっていて、自分の役に対する理解度がとても高いです。衣装の製作の腕もすごい。よくよく考えたらできないことあるのか?みたいな人で、新人でもとっても期待してます。
・あしもとあしっど
ニトロさん。小道具系の作業の質がとっても高い。なんでそれが木材から作れるんですか?みたいなものを作る方。絡んだ様であんまり絡んでない様で、やっぱり絡んだ人。やっぱりあの野獣のキャラを保ったままのキャスパが天才的すぎる。声の演技系の指導をたくさんしてもらった。発声がおばけすぎて見習いたい存在です。
・雑賀厚成
シドさん。楽ステの前に写真撮れたり、幕裏で直前にお話しできて本当に嬉しかったです。最後って言葉がとてもひどく重くのしかかって、とても寂しいです。シドさんの声はとってもかっこよくて、普段の雰囲気も好きだけど舞台上でのかっこい雰囲気もまた大好きです。新人楽しみにしてるって言われた以上、最高のものを見せたいと思ってます。
・梅本潤
シアラさん。やっぱりシアラさんはとってもかっこいいです。稽古場にいない時期もあったけど、気がついたらセリフ全部入ってるし、キャスパも全部入ってるし、最高のものを見せてくれる姿はやっぱり本当にかっこいいです。シアラさんとはどんな話もできる気がして、バイトとかいろいろ忙しそうでちゃうかから離れ気味になっちゃってるのは少し寂しいです。新人楽しみにしておいて欲しいです。
・黍
きびさん。合宿でとってもとってもいっぱい話せた人。あの時一緒に遊べた記憶は今もまだ鮮明です。その流れで今回の公演でも同じシーンを共演できたのはとても幸運でした。大道具作業も手伝ってくれたし、シーンも一緒にたくさん回せたし、稽古場はとても楽しかったです。
・岡崎仁美
カヌレ。天才。小学生の時の経歴聞いて耳を疑った。本当に天才の所業で尊敬してる。演出をつけるのがとても上手い。提出してくるダメがわかりやすく、とっても助かる。動かない役だから、今度はいっぱい動く系の役も見たい。
・永満柊人
ミッチェルさん。ながみつさんとも呼ぶ。とてつもなくかっこいい。燕尾服と左耳のピアスの組み合わせが最高。実は同じシーンに出てるけど、役柄的にセリフを交わさないのが残念。楽ステ直前の幕裏での雰囲気がたまらなく好きでした。いいものになってましたかね。いいものだったらとっても嬉しいです。
・舞原舞宙
まほろ。ダメが良すぎる男。すべての稽古にいるし、シーンも被りまくってるからめっちゃくちゃ話した。本当にいっぱい話した。お互いの好感度の上がり下がりが多分お互いにとてつもなく激しい。僕がまじでこのキャラはむずそうだと思ってたキャラを演じる。発声が化け物ですごい尊敬してる。キャスパでの幕裏移動の量がとてもとても多い。なんやかんや信用できる34期の1人。
・okmc
スチル。つまり僕。
・荷電レプトン
レプトン。謎の多い男。PV頑張った。今回の役がレプトンとの双子キャラ的なものだったから、いろんな稽古を2人で回した。ポージングとか歩き方、セリフのタイミング、セリフの言い回し、合わせられるところは2人でセットになる様にした。まじで大変だったけど、なんやかんやで完成した。キャスパも本当によく頑張った。楽ステのキャスパをにっこり笑顔で踊れたら最高だな。
・友情出演
ロビンソンさん。高井さんとも言う。やる演技の全てが面白く、オムニの脚本がこの人で本当によかったです。脚本解釈が楽しくなったのは間違いなく高井さんのおかげです。4ステで終わっちゃうなんて、寂しいですね。ケツもツケも返さぬ間に酒をかっぱらうシーンはやっぱり最高です。どこかでまた会えたらとっても嬉しいです。
・えどいん
エドウィンさん。大道具で本当にお世話になりました。スチル、次の仕事は?って聞いてくれるのが本当に嬉しくて、本当に助かりました。初めての僕についてきてくれて本当にありがとうございました。やっぱりエドウィンさんは天才です。セリフ飛ばした時のアドリブの返し方であったり、初見のキャラに対する理解度も半端なくて、とっても尊敬してます。
・アリリ・オルタネイト
いるる。舞美感謝。初舞美チーフまじでお疲れ様でした。いろいろ忙しかったと聞いてるけど頑張ったと思う。両脚本は本当にすげえよ。
・握飯子
クオリアさん。演出本当にお疲れ様でした。今回の公演はずっと大変そうで、それでも自分が演技をするシーンは本当に楽しそうに演技をするのがとても好きです。ずっと演出に悩んでて、演出に不安なところもあったと思います。クオリアさんの付けた演出はぜんぶ最高でしたよ。また元気な姿見せてください。
・杏仁アニー
アニーさん。アニーさんともっかい同じ脚本関われて、僕は本当に嬉しいです。オムニ終わりの公園であんなにいっぱいお話しできた後に、留学を取り消してちゃうか残ってくれたのは本当に嬉しかったです。役者紹介でロビンソン役が一番好きだって言ってくれて、僕は本当に嬉しかったです。アニーさんなしでの公演はとても寂しいです。アニーさんがぼくたちの新人を最高だったと言えるように。
スペシャルサンクス
・かけうどん
ロッドさん。32期の大道具チーフで、1ヶ月前にロッドさんとゆるあさんと買い出しにいけて楽しかったです。あれから1ヶ月、オムニが終わったあの日からはもう何ヶ月経ったんでしょうか。秋公でロッドさんの念願のけ���ぶりを実践できて嬉しかったです。最後のキャスパ、最後のけやぶり。そして最後の2回目のけやぶり。ぜんぶ最高でした。ロッドさんがいなきゃ舞台は立たなかったし、僕は大道具チーフではなかったです。なんだかんだ言ったけど僕は大道具チーフとっても楽しかったです。仕込みも楽しかったし、深夜作業も楽しかったし、僕は大道具やっててよかったです。何回ロッドさんにメッセージ考えても、全部は伝えられないですね。今までお疲れ様でした
32期はやっぱり輝きで、それでもやっぱり泡沫でした。もっといっぱいお話ししたかったです。
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俊樹五百句
虚子の「五百句」と対峙したい。虚子はそれを五十年ほども掛けたが、この作句期間は一週間に過ぎない。出来不出来以前にこの名著なる存在と対峙したかった。俳句の存在意義だけがこの試行錯誤の源である。短い人生である、我が愚行を是非批評して頂きたい。
坊城俊樹 令和4年8月
弔ひの夜に横たはる暑き襤褸 浮浪者の襤褸に星降る夜となりぬ 弔ひの夜の白服なる異形 弔ひの杖に樹海の町暑し 浮浪者の眠る窓とて朧なる 夏の灯のまたたき琴座鳴るといふ 幽霊や露台に支那の戦没者 幽霊の招く小路の風死せり 夏の路地女幽霊絢爛に 星の降る夜へ英雄の霊かぎろふ
国士無双あがる男へ星流れ 夏の夕遺族は骨を探索す 夏夕べ黒き連鎖の遺族たち 遺族らは夜より黒し星流れ 哀しさは真夏の盆へ地震きたる 地震の町に吠える家守の夜でありし 恋人も濡れる家守の夜となりし 母死して星も死すてふ家守の夜 家守らの目の爛々と星見上ぐ 家守らに昭和の記憶ありにけり
金色の家守は母の野望とも 父がつけし渾名の犬へ星流れ 大蛇の我が天井を護りたる 姫蛇の碑へと真夏の夜の夢 蛍火に意思といふものありにけり 山泣くも山笑へるも蛍へと 犬死して総理も死して蛍へと 一億の蛍の一つ死してをり ほうたるの火に照らされて万華鏡 ほうたるの乱舞を待てる半旗かな
火蛾ひとつ火焔の中を舞うてをり 蛍来る夜は両親へ星降る夜 死ぬ匂ひして晩年の蛍籠 怪しげな教会へ入る蜥蜴かな 万華鏡の色の蜥蜴や月を追ひ 猊下そは百歳に死し蜥蜴また 猊下死す百一の星流る夜を 猊下逝く蜥蜴は天の星仰ぐ 猊下逝く十の契りを夏の夜に 総理逝きしばらく夜の火蛾として
猊下逝く祇園の夏の夜の契り 星流る方へ杖つき神楽坂 夏の夜の三味の灯しは籠もらざる 懇ろに幽霊を待つ簾上げ いつも見てゐて見てゐない裸かな 貪りて夜の怨霊の裸とも 風通す裸の窓をすべて開け 恩讐もある傷跡の裸体とも カンバスに幾何模様なる裸体 日当たるとやはらかくなる裸体かな
陰翳の裸の体囁ける 因果なる裸体を褒めてゐて死せり 裸体なる女カオスの縮図とも 茅舎忌の我を白痴と思ふかな ヌードデッサンせんと孤高の茅舎の忌 茅舎忌といふ忌まはしき忌なりけり 俳壇に生けるも死ぬも茅舎の忌 茅舎忌の猿股を日に干してあり 金剛の露現今の茅舎ゐて 口唇に薬挿し入れる茅舎の忌
河童忌の屋根に墜ちたる龍之介 河童忌といふ祝祭のやうなもの 蚕豆に天使の翼ありにけり 蚕豆の妻の故郷はカタルーナ 蚕豆といふ処女作のやうなもの 蚕豆を剥き深緑やや遺憾 蚕豆の筋のあたりを背骨とも 蚕豆のやうな赤子を��かりし 蚕豆とは一卵性双生児 バンクシーの絵は白黒に夜の秋
我が瞳孔まもなく朽ちて夜の秋 丑三つのマンゴーゆつくり熟すなり 丑三つの蜘蛛透明な糸を吐く 斬られる待つ丑三つの熟柿かな 愚かなる夢の中なる熱帯夜 しづかなる女の舐める熱帯夜 黒蛇が白蛇を呑む熱帯夜 括れざる腰振る真夜の熱帯を 母さんが父さんを呑む熱帯夜 口唇を襞と思へる熱帯夜
熱帯夜朱き口唇とて腐臭 熱帯夜とはずぶ濡れの吾子の夢 峠路に幽霊を待つ月見草 裏切りの美人薄命月見草 月光やちやん付けで呼ぶ影法師 月見草火星より木星が好き 月見草路地の子やがてゐなくなる 星の降る夜はひとつきり月見草 月見草恐らく祖母は浮気した 新婚の路地の匂へる月見草
日覆を立てる穴とて深淵に 日覆のおほひて赤子腐敗せり ビルよりも高き日除けを立てにけり 男一人日除けを出でず老いにけり 裸族らし我が家の下の夫婦かな 裸にて人に逢ひたく皮を脱ぐ しづかなる蛇しづかなる自死をせり 蟻と蟻獄を出でたる如出逢ふ 灯の蟻といふ見当たらず羽蟻とす あの蛇を保育園へと見失ふ
青条揚羽より高き蝶のなき 金輪際黒筋揚羽見失ふ 黒揚羽より正装の男かな 瑠璃揚羽祖父の遺墨を飛び立てり 暑き電線暑き電線と出逢ふ とぐろ巻く蛇地境を管理せり 大いなる物の崩れががんぼの死 青き星流れて白き星流れず 蟷螂と格闘をして日記とす 暁に麦飯を食ふ祖父の髭
亡霊が炊いた麦飯吾れのため 麦飯の茶碗に描くただの柄 麦飯に卵二つの豪華さよ 麦飯を母は嫌がり父も嫌がり おばQを見て麦飯を食ふ至福 箸は茶で洗ふ麦飯たひらげて 麦飯を父は食はずにバタを食ふ 麦飯といふ軍縮のやうなもの 麦飯にのりたまかけて邪気かけて 仏教にあらず神道麦飯を食ふ
麦飯を御霊に捧ぐことならず 麦飯で鉄腕アトム見てをりぬ 昭和三十六年の麦飯豪華なり 麦飯といふ神道のやうなもの 瑠璃鳴くや御霊のやうな声溢れ 神域を歌へる瑠璃のすきとほる 殉職の御霊へ瑠璃の鳴きにけり 銃弾に斃るるときに瑠璃鳴けり 天照大神きて瑠璃鳴かせ 天辺の虹の上より瑠璃鳴けり
虚子とのみ彫られし墓へ瑠璃鳴けり 坊城家六代目へと瑠璃鳴けり 勾玉の青のひとつは瑠璃の声 瑠璃何か喩へてみれば金剛に 夏燕折り返し来る消防署 三次元を四次元に斬る夏燕 生れ替るなら岳麓の夏燕 青空を巻き込んでゆく夏燕 夏燕鏡を斬りてさかしまに 天辺に仏来給ふ朴の花
朴の花白く翳りて懇ろに 朴の花の中に釈迦尊をらざりき 虎尾草に毛並のありて逆立ちて 虎尾草の揺れて待ちたる未通女かな 金輪際虎尾草と縁切ると言ふ 虎尾草の先くねくねと蠅を追ふ 梧桐に影といふもの濃かりけり 樹海めく梧桐たちに迷ひたる 梧桐を仰ぐ超高層仰ぐ 梧桐の葉とは天狗の団扇かな
梧桐やブランコは立ち漕ぎ続け 梧桐の翳に不良の煙草吸ふ 梧桐に青春である疵を彫り 梧桐の伐られ虚空の天となる 山笠の波動花鳥子より届く 山笠の句の勇壮な波動来る 山笠に恋といふものありにけり 博多つ子純情の夏なりしかな 山笠の日と生誕の日と隣る 純情の山笠に夢馳せてをり
山笠に天神颪とは来たり 金亀虫裏返りたる真夜の褥 黄金虫夜を引き摺りて灯へ入りぬ 灯に入手夜の帝国の黄金虫 羽蟻の夜玻璃にべたりと都市の闇 羽蟻翔ち��日様に溶けなくなりぬ 子を捨てし母は戻らぬ羽蟻の夜 羽蟻の夜金輪際の父は帰らぬ 羽蟻の夜弔問はなほつづきをり 茅舎忌の卍となりて日章旗
露の世へ消ゆる人あり茅舎の忌 茅舎忌の夜が流れてしまひたる 隻眼が見えなくなりぬ茅舎の忌 龍子の絵どこか稚拙な茅舎の忌 茅舎忌の流れ流れて星ゐない 吾妹子の胸やはらかき虎が雨 吾妹子の海へ尿する虎が雨 煙草屋もとうに死に絶え虎が雨 土用波恋愛はもう星屑に 岬越え来る土用波白々と
土用波いよよ怒濤となり崩れ 子が一人攫はれてゆく土用濤 土用濤灯台を越え来たりけり 元総理死にて土用の波濤へと 波怒濤土用の夜の人攫ひ 伝説の出水川とはこの小川 子を攫ひ妹を攫ひて出水川 出水川と記憶流れて悪夢とも 出水川恋の破綻も流しゆく 虚子塔に人来ぬ日なる最澄忌
最澄忌千日回峰終るころ 叡山は星の降る夜の最澄忌 叡山をさ迷ふ夜の最澄忌 最澄の忌の極楽の湯舟かな 最澄忌灯す頃の先斗町 祇園にて猊下と酌みし最澄忌 萍の隠沼として河童棲む 萍を髪に見立てて河童立つ 萍の茂り月光留めたる 妖精が腰掛けてゐる蛭蓆
丑三つの月光にある蛭蓆 優曇華へ星やさしくて月やさし 優曇華のいのち揺らぎて月を待つ 儚きは優曇華の茎なりしかな 優曇華にいのちあかりの灯せり 優曇華に神降臨すひとつづつ 母死して優曇華の情なしとせず 優曇華へ言葉少なき真夜の人 ケルン積む星降る夜となりしかな ケルン積む大岩壁と対峙して
ケルン積むひとつひとつに女の名 行李から恐らく祖父の登山帽 恋をして山登りして死に逝けり ロッククライミングの刹那あの夏を しづかなる人しづかな死夜の秋 夜の秋幽霊ももう寝静まり 恋をして失恋をして夜の秋 瞳の奥の闇へと星の流れゆく 星の降る中に月降る夜の秋 蟻ひとつ彷徨うてゐる夜の秋
死顔の威厳なるかな夜の秋 曾祖父も祖父も今宵は夜の秋 星ひとつ艶然とある夜の秋 夜の秋網膜剥離みたいな灯 羅を着て恋などに惑はされず 浴衣着て金魚の柄を泳がせて 羅を着て老いらくの恋をせむ 羅に序破急といふ恋のあり 妙齢は達磨柄なる浴衣着て 浴衣着て恋に窶れてしまひけり
祖父と祖母らし残像の藍浴衣 羅の包んでをりぬ裸体かな 羅の包み適はぬ恋をして 浴衣着て恋の乳房となりしかな 浴衣着て恋人と逢ふ浜の路地 羅を着て蝮酒召し上がる 浴衣の子星とおしやべりしてをりぬ 後ろ手に団扇はさんで恋浴衣 白兎波間に跳ねて卯波くる 人死して星の卯波となりしかな
卯波寄す森田愛子の臥所へと 九頭竜の卯波漣ほどのもの 夏の波真砂女の卯波とぞなりぬ 月光が卯波流してをりにけり 滴りの金銀の粒金剛に 滴りに輪廻転生ありにけり 滴りて岩壁となる日本海 東京スカイツリーの天辺滴りて 滴りて浅草線の三ノ輪駅 ゆつくりとしづかに歩む蛇ひとつ
蛇の夢見てその蛇を見てをらず 蛇酒といふ極楽の中に死す 滴りの岩壁を行く数学教師 滴りの後ろ姿の女体山 蛇女邪心となりて星流れ 蛇ふたつ絡んでをりぬ月光に 蛇絡みつつ愛欲の中にあり 権現の無数の蛇の降る社 炎帝の統べるままなる総理の死 炎帝へ斬首の鴉羽ばたけり
炎帝いま月の裏側焼きにけり 炎帝といふ今生の大宇宙 勲一等正一位なる墓灼けて 勲一等の軍馬の墓は緑蔭に 暗夜行路書きし墓とて茂り中 暑き固き墓石の如き絵画館 イザベラの墓に彫られし薔薇香る 銀杏並木の緑蔭もとんがりて 茂りてはいつも探せぬ乃木の墓 坊城は俊ばかり付く墓涼し
殉教の墓へマリアの南風吹く 寝棺そのものを横たへ夏の墓 緑なる線対称の銀杏かな 八月の面対称の絵画館 サンドレスとは青山のあつぱつぱ 青山の墓みな灼けて無言なる 夏日燦超高層といふ墓標 無機質の超高層を旱とも ソファーめく茂吉の墓へ夏蝶来 茂吉いま夏蝶となり利通へ
墓に挿す供華も明日より秋薔薇 秋の蝶クルスの墓を懇ろに 夏果てて石より重き絵画館 緑蔭のハチ公の墓何処なり ハチ公の供華はおそらく水羊羹 異国なる地下に眠りて薔薇の墓 夏の蝶マリアの指に触れてより 喪主だけが半袖で乗る霊柩車 蟬の音は聞かず真昼の野辺送り 蟬死して蝙蝠ばかり飛んでをり
蝙蝠は帰る逆さになるために 蝙蝠の裏切る音を聴いてゐる 蝙蝠も消え失せグリム童話の夜 めまとひはめまとひとして囁けり めまとひは無責任なる大家族 婆の眼の脂にめまとひ親しめり めまとひを払ふ多情の口を閉ぢ めまとひの中を葬列続くなり 朱烏夏の夜の夢覚めし頃 茅舎忌の月光ことに夢を食ふ
茅舎忌の虫の音といふ哀しけれ 茅舎忌のシュミーズは幽霊の自慰 そこはかとなく隠微なる茅舎の忌 キリストと生きる男へ茅舎の忌 茅舎忌に金子みすずを読んでをり 白鼻心白夜の夢を見てをりぬ おぼこ今白夜の夢を見てをりぬ 白夜とは神の数だけありにけり 熊に似る男涙の炉辺話 雪女帰らず解けてしまひたき
金輪際なき眼光の鯖を食ふ 鯖を食ふ恋愛をした夢を見て 銀色に無限のありし鯖を食ふ 恩讐の臭みの鯖を食ふ女 鹿島灘あたり怒濤や鯖を食ふ 鯖を食ふ女臀部を揺らしつつ 鯖を食ふ潮の香りを煮てをりぬ 黒潮を炊いて鯖煮��なりしかな 鯖食ひ男鯖食ひ女淫靡なる 鯖食うて惜別の情無しとせず
我が生の金輪際の虹に逢ふ 虹死して首都凡庸の空となる 奈落より虚子の墓へと虹の橋 蚊柱となりて青山墓地を舞ふ 吾妹子の子宮男の子を生みにけり 我が家より大いなる虹架かりけり 苔の花とは妖精の小さき眼 苔の花喋るぺちやくちやぺちやくちやと 苔の花海に流れてしまひさう 我が生も淋しからずや苔の花
大漁の夜の纜に苔の花 苔の花阿呆の黄色楽しくて 苔の花金輪際の生にあり 苔の花哀しくなれば咲いてをり 苔の花苔を大地として咲けり 苔の花の夜は近づく大宇宙 未熟児に産まれる人へ苔の花 そよぐことなき苔の花小さすぎ 流星と同じ色して苔の花 苔の花咲きて天動説となる
苔の花影といふものありにけり 囁きの夜に閉ぢたる苔の花 河童忌を星の吹雪と思ふなり 河童忌の蛇口ひねれば湧いてをり 河童忌に砂糖を舐める女あり 河童忌のしんがりの児は引き込まれ 河童忌にベートーベンを聴いてをり 河童忌を皇后陛下畏くも 河童忌の童は杓子定規かな 怒濤とし童押し寄せ河童の忌
滴りて山又山を濡らしをり 絵画館の壁の隙より滴れり 夏の水汲み元勲の墓域へと 滴りに栄枯盛衰ありにけり 滴りて富嶽をすこし潤せり 滴りに奈落といふは先のこと 滴りてゆつくり濡れてをりにけり 滴りて巌の命を疑はず 幻か滴る先に河童の子 滴りて四国三郎ありしかな
蟻ひとり穴ひとつあり佇みぬ 増上寺国葬にあり蟻ひとつ 群衆の蟻群衆の蟻に逢ふ 山蟻の威厳の黒に死してをり 黒蟻と赤蟻言葉交さざる 蟻ひとつ地下迷宮を出で来たる 蟻塚に蟻の声のみ充満す 蟻塚の掘りたての土匂ふなり 蟻地獄静謐といふ美しき あとづさりして身を隠す臆病に
岳麓へ行者道めく蟻の道 蛾の破片ゆらゆら運ぶ蟻の道 ビール飲む眉間に皺を寄せながら 麦酒飲むますます法螺を吹きながら 白魚のやうな指もて麦酒注ぐ 我が世とぞ思ふ望月の麦酒かな 麦酒のむいつか焼かれし喉仏 女ひとり化粧濃くして黒麦酒 蛇苺姉の我が儘永遠に 蛇苺庭に埋めし金魚へも
侯爵の墓の片隅蛇苺 蛇苺男鰥の庭の恋 山笠の西の便りを句に乗せて 博多つ子純情いまも山笠に 山笠の男だらけの怒濤なる 傀儡の関節錆びて夏の雨 白雨きて蛍光灯の切れかかり 関節はぎしぎし老ゆる夏の雨 飴玉が降る音のして夏の雨 連続の数珠の音して夏の雨
夏の雨身の内の獅子唸るなり 旋律はボブマーリーに似て夏の雨 戦後すぐ膣より産まれ夏の雨 白雨きてボサノバの雨合体す 白雨きてコーラの壜の女体めく おそらくは黄泉の国とて夏出水 夏出水遺品の遺書の何処へと 高貴なる神に押し寄せ夏出水 最果ての鵺の夜へも夏出水 土用波七里ヶ浜で祖父に抱かれ
土用波みたいな嬶の乳房かな 柏翠の療養所へと土用波 土用波森田愛子の身の内へ 土用波虚子と愛子の物語 髪洗ふ乳房の先を湿らせて 髪洗ふ妬み嫉妬を流すとか 女百態懇ろに髪洗ふ 髪洗ふ幼き頃の金盥 あんな女に嫉妬して髪洗ふ 犬洗ふ即ち犬の髪洗ふ
昼寝して夢の合戦破れたり 元首相撃たれし頃の大昼寝 夜よりも昼寝彼の世に近かりし 貪るは蛸か女体か昼寝覚 昼寝して夜には死んでをられたる 昼寝覚女百態消失す 昼寝覚地獄の釜を押し上げて 昼寝覚一年損をした気分 昼寝して虚子と話をして戻る 昼寝覚范文雀と別れ来て
蝙蝠の彼の世此の世と飛翔せり 蚊食鳥煙のやうなる蚊を追へり 蚊食鳥夕焼け小焼けの唄に乗り かはほりの逆さに夢を見る昼間 かはほりに迷子探してもらふ夕 蚊食鳥夜の女は出勤す かはほりは街の電波と交錯す 蚊食鳥幼稚園児はもう家へ 友人の納骨を終へ蚊食鳥 学習院初等科の上蚊食鳥
あぢさゐの萎れし夕べ蚊食鳥 かはほりと月と金星置きどころ 青林檎みたいな乳房持つ少女 青林檎囓る気もなく接吻す 青林檎真夏の夜の夢の中 昭和とはヌード写真と青林檎 麗人の口怖ろしく青林檎 漆黒の夜は青ざめて青林檎 青林檎堅しと思ふ瑪瑙より パテイーデュークショーを観ながら青林檎
青林檎がさつな漢の手に堕ちる 夏の夜の夢とはならず老いゆけり 夏の夜の罪ある墓標御影石 唇は濡れて真夏の夜の夢 夏の夜のネオンサインはジジと切れ 漆黒の真夏の夜の夢となり 入れ墨の夏の女を持て余し 金魚玉夜に入る頃の小宇宙 絢爛の金魚は恋をしてをりぬ 絶縁の夜に浮きたる金魚玉
和服着て振り袖を振る金魚かな 勲一等正二位の飼ふ金魚かな 飛魚の飛んで越え行く隠岐の島 隠れキリシタン飛魚となり戻りけり 飛魚の流刑の島を飛び越えて 炎帝に見つからぬやう昼に寝る 日輪が炎帝をまた拐かす 炎帝に翳といふものありにけり 白日夢とは炎帝が司る 炎帝が紛れ込んだり夢の中
盆栽といふ炎帝の置き土産 炎帝も銀河の裾の一部分 我が霊も炎帝となり銀河へと 観音の笑みて溽暑を遠ざけて 観音の炎暑の唇を赤しとも 陽炎へる陽子の墓や禁色に 墓の苔とて万緑の一部分 観音の胸乳あたりへ夏の蝶 五輪塔とは緑蔭のただの石 乾きたる稲毛氏の墓とて旱
一山の万緑なだれ年尾句碑 薔薇咲かせ流行り遅れの服を売る 昔から麦酒が好きな人の墓 蛍光灯切れかかりゆく夏の果 夏行くや皆んな貧しき灯して 人を待つ心にも似て夜の秋 涼しさの雨の粒とは淋しくて 街の灯の蒼く点りて夏の夜 灯して何読むでなき夜の秋 夜の秋義兄は生れ替りしや
涼しさの夜の灯の鈍色に 堕胎の子いつも走りて汗哀し 夏逝くや雨の音符の翳色に 夜の秋眼の衰への文字歪む 夜の秋炎集めて住む川原 夜の秋己れ空しく酒を飲む 涼しさの夜雨の音の蓄積す 涼しさは恨みに似たり灯を消せば 幽霊坂うすむらさきの夜の秋 幼稚園死んだ子が居る夜の秋
夜の秋やがて孤独の誕生日 蛍光灯切れかかりゆく死者の秋 老いてなほ秋めく恋の行方かな 新涼の飴の色とは濃紫 秋めきて失恋をする七回目 新涼の鏡に映す吾の死顔 頭痛して秋めく我の髑髏 新涼の驚き顔となりし天 新涼の犬に哀しき堕胎過去 八月の女ものものしく太り
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読書メモ29
9章
英国が誇る英雄の一人、アーサー・ウェルズリー。フランス革命戦争後はずっとインドにいた。
1645に登場した真っ赤な軍服は1707に公式化、ジュストコール型の軍服が定められた。47に青い襟がつくドイツ風に改め、60には階級を示す正肩章と袖線章が付いた。アメリカ独立戦争でも同じく。1790からナポレオン・ジャケット型燕尾服に改め、将官はボタンの数で階級を数える方式に変わり、それに応じた刺繍飾りもついた。帽子も三角帽から二角帽に変更。英陸軍では1802から縦被りに。海軍は1820年代まで横被り。
1811末から英陸軍将官は正肩章をやめて将官飾緒を右肩につけ、帽子に白いダチョウの羽毛飾りをつけるようになる。
派手な軍服をあまり好まない人々もいた。アーサーもその一人。
ジョージ・ブライアン・ブランメル、ダンディズムの始祖。元々は騎兵隊の将官だったが田舎暮らしが嫌で除隊。人を食った態度と独特の服装のセンスで社交界の寵児に。王太子からも「ボー・ブランメル(洒落者ブランメル)」の異名を取る。
ブランメルが広めたのが紳士服のダークカラー化。それまでは紳士、軍人とも派手な色彩が当たり前だったが、ブランメルは極力色を抑え、紺、青、黒などの地味な色を中心にしたコーディネートを流行らせた。彼が黄色いベストを愛用していたのはホイッグ党(自由党の前身)支持者だったから。トーリ党(保守党の前身)は青色コーデを好んだ。
摂政もブランメルのファンだったこともあり、ロンドンの貴族や高級軍人たちは影響を受けていった。
1815、6月15の夜、ウェリントン公はブリュッセルで開かれた舞踏会に参加。しかしその最中ナポレオン軍が接近し緊急収集されることに。
翌日ナポレオン軍との合戦場にウェリントン公は青い私物のフロックコートに足元はヘシアン・ブーツ。副官のサマーセット中佐も1811から公認されていた野戦用の青いダブルのフロックコートを着ていた。
英陸軍は連隊ごとに調整はされていたものの、かなりルーズだった。ウェリントン公は軍人が雨傘を持ってはいけないと決めていた。
この時の戦いで、フランスのネイ元帥の突撃を英軍近衛連隊が止め、プロイセン軍が応援に駆けつけて見事勝利した。この時の記念として英国近衛擲弾兵連隊は背の高いベアスキン帽を被るようになった。ナポレオン軍の真似である。1831からは全ての近衛連隊が被るようになり、今でも続いてる。
感想:男性の服装が暗い色になった起源くらいの話だったな。あとイギリスといえば出てくるあの黒くてもふもふで長い帽子の始まり。やっぱあれだよな
口の内側の頬が腫れてるみたいでずっと奥歯で噛んでしまうようになってからもう数日くらい経った。前にも同じことになったがこれの原因ストレスと水分不足だっけ⋯⋯水分不足かは忘れたけどこういうの大体水分不足だったと思う⋯⋯でも寒いからな⋯⋯水飲むのが億劫⋯⋯⋯でも食事のたびに噛むのも怠いもんな⋯⋯飲も⋯⋯
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月24日(日) #先負(乙巳) 旧暦 9/19 月齢 17.7.3 年始から297日目(閏年では298日目)にあたり、年末まであと68日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . iphone 8 plus Red の発売日が 2018年4月13日となってるので リリースされる前に予約して購入✋ だから5月ぐらいには手元には あったと思うんだが?まる3年は 使ってた愛着あるエイトが下取りの 為に今日、引き取りに来ます💦 . 買ったから防水防塵耐衝撃ケースに 入れて使用してたので殆ど無傷w 新品同様でピカピカです✋鮮やかな REDだったけど人目に触れさせる 事がなかったので色なんて何でも 良かったんですけどね😅💦 . 今回の13も同様の防水防塵耐衝撃 ケースなので本体の色なんて気にし ませんよね🤣😆🤣下取りと云うの で、中古で販売されるのかね? 下取り価格19,000円でしたが📲 中古価格で同じ256GBで36,800円 . Bランクでその値段だから私のは無傷 だし、間違いなくAランクでしょう😅💦 なんだか損した気分だけど、エイトを 購入したいというユーザーがいるかね って事もあるもんね✋いやぁ~シカシ よく我慢して3年も使った🤣😆🤣 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #悲しき口笛が封切り. 1949(昭和24)年10月24日(月)、美空ひばり初出演の映画『悲しき口笛』が封切り。 同年の9月10日(土)には、同名の映画の為の主題歌としてシングルが発売されていて 45万枚程の売上にな美空ひばりにの初めての大ヒット曲となる出世作と云われた。 当時12歳にして「天才少女歌手」と呼ばれ日本中が関心寄せたのは戦後、僅か4年 余りの事だったからでしょうか? 2002年にはひばりが幼い頃通っていたという横浜市中区野毛にある「松葉寿し」の 店頭に、『悲しき口笛』のひばりをモデルにしたシルクハットに燕尾服の姿の銅像が建立。 . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う). 「先負日」の略。 陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。 「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。 午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #母倉日(ボソウニチ). 暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 . #マーガリンの日. #文鳥の日. #天女の日. #吾郷会の日. #ツーバイフォー住宅の日. #ブルボン・プチの日(毎月24日). . #トリコロール記念日 (#仏蘭西). #ザンビア独立記念日. #暗黒の木曜日(#亜米利加). #国際連合デー. #世界開発情報の日. . . ■今日のつぶやき■. 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(シズムセアレバウカブセアリ) 【解説】 人生には良��ことも不運な事も有り、不運な事ばかりが続く訳では無いから、くよくよしても始まらないと云う事。 人生の局面を川の瀬に見立てて、浮き沈みが有る事を表している。 「沈めば浮かぶ」ともいう。 人生には浮き沈みが有ると云う事の例え。 . . 1991(平成3)年10月24日(木) #窪真理 (#くぼまり) 【女優、タレント】 〔大阪府〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CVY-B7Dh6nMsXS45egbHCvGUU1qyEhGJDD1SXU0/?utm_medium=tumblr
#先負#悲しき口笛が封切り#大明日#神吉日#母倉日#マーガリンの日#文鳥の日#天女の日#吾郷会の日#ツーバイフォー住宅の日#ブルボン・プチの日#トリコロール記念日#仏蘭西#ザンビア独立記念日#暗黒の木曜日#亜米利加#国際連合デー#世界開発情報の日#窪真理#くぼまり
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【黒バス】TEN DANCER has NOTHING -2-
2015/01/03Pixiv投稿作
「脚本は人生によって汚されたのです」 ジョセフ・エル・マンキーウィッツ『裸足の伯爵夫人』
他人の熱をどうやって知ることが出来るだろう *** 「……あれ?真ちゃんは?」 「緑間くんなら三日は来ませんよ」 高尾と緑間が出会い、夕飯を共にした翌日、稽古の開始は午前十時だった。早朝ランニングの服のまま、高尾が稽古場入りしたのは丁度その一時間前で、板張りのがらんとした部屋に人影は無かった。彼は誰もいない稽古場に向けて「よろしくお願いします」と頭を下げ、靴を履き替えて入口から踏み入る。稽古場だろうと、舞台は舞台である。舞台には、敬意を払わなくてはけない。それは役者だけではなく、ダンサーも、或いはバスケットプレイヤーや野球選手も同じことだ。自分たちが立つ舞台へ、尊敬と畏怖の念を忘れた者から落ちていく。自分がどこに立っているのか、それを理解しない者に居場所が与えられるほど、世界は広くなど無いのだ。 初日にチェックしていた照明のスイッチを入れれば、窓の無い稽古場がぼうっと青く光る。どうやら設備が古いらしく、完全に点灯するまでに時間がかかるらしい。さして気にも止めず、高尾はミラーと椅子を引っ張り出す。歴史ある劇場に備え付けの稽古場は、その歴史にふさわしくあちこちに時間が刻んだシミや引っかき傷が残っていた。けれど、手入れをされていないという訳ではない。大切に使われてきたのであろうことは、机のネジ一つとってみても判る。広さざっと10メーター掛ける6メーター。天井の高さ5メーター。稽古場の中でも、ある程度の広さが確保されている部類だ。軽く準備運動をしていれば他の共演者たちもぽつりぽつりと入って来る。 挨拶を交わしつつ、高尾は共演者たちの目を見る。どうやら、誰よりも早く来て準備を済ませていた高尾に悪感情を抱く者はいないらしかった。高尾は、それなりに名の知れた役者たちの中に、突如紛れ込んだダンサーだ。どれだけ高尾が踊りの世界で名を馳せていようと、ここでは全くの初心者である。準備運動をしっかりとしたかったというのも勿論あるが、誰よりも早く来たのは、共演者達への敬意をわかりやすく示すためでもあった。 いつだって、どこだって、下っ端のやることは変わんねえよ、と言って笑った、高尾のスクール時代の友人がいる。 『誰よりも早く行って、雑用して、笑顔で挨拶して、どんなことでも引き受けるんだ。世界はこんなに広いのに、ボトムビリオンのやることは変わんねえし、逆に言や、それだけやっときゃどんな世界でも受け入れられるんだ。最高に笑えるよな』 全くもってその通りだと、その時の高尾は笑いながらくすねたスタウトで乾杯したものだが、いざ世界に出てみれば、九割は彼の言う通りだった。そして残り一割はといえば、表立ってはそのように従順な態度を示す人間を、侮蔑するタイプの人間だった。そういった人種の大抵はひねくれていて、人の好意を素直に信じない。ごく稀に、そういった「表面だけの従順さ」或いは「気に入られようという下心」を敏感に察知して嫌悪を示す潔癖な人間もいるが、高尾は滅多に出会ったことが無い。そして、この舞台に集まった役者たちは、皆、ある程度の癖はありこそすれ、真面目で、一本気な人間らしかった。そのことに彼は素直に安堵する。仕事を共にするにあたって、仲間は気持ちがいいほうが良いに決まっている。 (まあ、真ちゃんなんかは、割と残り一割の人間っぽいけど) にこやかに笑いながら、高尾は頭の中で気難しそうな緑髪を思い出す。そうして、稽古開始10分前になっても、その鮮やかな芽吹きの色の、影も形も見えないことに首を傾げた。顔合わせの時の緑間は、丁度30分前に現れた。一分の狂いも無かったのだから、それが彼の流儀なのだろう、こだわりの強そうな男だから、自分の決めたルールから外れるようなことはすまい。高尾は、そう思っていたのである。そう思っていた所に、突如かけられた声だった。 「緑間くんなら三日は来ませんよ」 「……三日? 三日は来ないって、どういうこと?」 「僕に驚かないんですね」 「いや、驚くも何も普通に話しかけられただけじゃん」 「そんな反応されたのも久しぶりです。いや、初めてかもしれません」 高尾の横に静かに現れたのは、水色の髪の少年だった。髪と同じ水色の、大きな瞳に感情は見えない。埃一つついていない燕尾服は、舞台の上ならば映えるだろうが、この稽古場では浮くばかりである。黒の燕尾服と青白い肌のコントラストは沈黙を発している。背は低く、線も細く、とても役者とは言い難い風貌をしていた。 そもそも昨日の顔合わせの時に、こんな男を彼は見た覚えがない。稽古場に燕尾服で現れるような人間を、忘れる筈も無いのだから、間違いなく高尾とこの男は初対面だ。けれどこの少年の佇まいは、高尾に既視感をもたらした。 この色を、この空気を、どこかで見たことがある、それも、つい最近。 脳みその奥でぐるぐると記憶が動き始めるが、その既視感よりも、少年の言葉の意味よりも、高尾には気になることがあった。頭蓋骨の奥で回転を続ける脳を放って、高尾は思ったままの質問をぶつける。 「えーっと、真ちゃん、三日は来ないって、マジ?」 「ええ、マジ、です」 「……なんでそんなこと知ってるの?」 「緑間くんはぶっ飛んでいるなりに真面目ですから、支配人に連絡はちゃんと入れますよ。欠席の連絡、ですけどね」 「……支配人?」 「ええ」 高尾の訝しげな瞳にも、鋭さを増していく視線にも動じることなく、水色の瞳はじいっと鏡のように見つめ返してくる。その静寂さを、高尾はふと思い出した。 これは、舞台が始まる前の沈黙だ。 例えば稽古場の照明を灯した瞬間のぼうっとした青い光。或いは、幕が開く直前に落ちた沈黙の色。目の前にいる人間は、舞台の上でスポットライトを浴びる人間ではなく、けれど必ず、舞台の始まりに潜んでいる影だ。既視感の理由を突き止めて、高尾はもう既に判りきった解答が与えられるのを待つ。 「君にこの舞台のオファーを出したのは僕です。顔を直接合わせるのは初めてですね」 「……まさか、こんだけ伝統ある劇場の支配人がこんな若いとは思ってなかったわ」 「童顔なんですよ、僕。年齢的には君や緑間くんと変わりません」 「それでも充分若いって」 「同世代の若造に雇われるのはお嫌ですか?」 「まさか。その逆。すげーよ、お前」 苦笑しながら高尾は右手を差し出した。雇い主に対して随分と馴れ馴れしい口を聞いてしまったとも思うが、恐らくこの人物はそういったことを気にしないだろう。支配人といえば、いつだって、劇場を我が物顔で歩き回り、まだ売り出されてもいないような若い卵を小間使いのように従えて歩いているのが常だった。黒子テツヤと名乗る男に、その虚栄の影も見えなかった。そして何より、入口で丁寧に揃えられた、曇りひとつない黒い革靴を、高尾は確かに視界に捉えている。黒子もまた、舞台という圧倒的な存在に、尊敬と畏怖を覚える人種なのだ。そんな確信と共に、高尾は、自分の右手が、冷たく青白い右手に握られるのを感じている。 「改めまして、この度はこのような歴史ある舞台にお招き頂きましてありがとうございます。高尾和成です」 「黒子テツヤです。この度はご無理を申し上げましたが、快くお引き受け頂き感謝致します。感謝の証に、この口調はやめましょうか」 「はは、助かるわ、こういうしゃちほこばったの、苦手でさ」 「僕も無意味なやり取りは興味ないです。���礼廃止派なんですよ」 「へえ。劇場なんてトラディショナルマインドの塊かと思ったけど」 「伝統と歴史は大切ですよ。気持ちがこもっていなくちゃ意味が無いってことです」 「耳が痛いね」 別に君は、伝統も歴史もないがしろにする人間じゃあないでしょう。 そう言って静かに笑う黒子に、高尾は目の奥の苦笑を隠せない。出会って数分で、見透かしたようなことを言う。臆するどころか、一つも揺るがない調子で。黒子は、身にまとう静謐な空気とは裏腹に、その内面は感情豊かな男のようだった。いっそ、苛烈とさえ呼べるほど。 「しかし、なんでまたわざわざ俺に声かけたのさ?黒子さん」 「さん付けなんてしなくて良いですよ」 「いや、そりゃ流石に不味いだろ」 「緑間くんの懐に、一日目にしてあそこまで入り込んだ人ですから。『友達の友達は友達』、とまでは言いませんが、『奇妙奇天烈な友人の数少ない友人になりそうな人』は大切にしたいんですよ、僕も」 「……真ちゃんとは友達なんだ?」 「腐れ縁です」 僅かに剣呑な雰囲気を帯びた高尾に、黒子は内心で驚嘆と呆れの入り混じった溜息をつく。黒子も黒子で、この異端のダンサーには思うところがあった。勿論お首には出さないが、どうやら、この高尾和成という男の緑間真太郎への執着は、事前に黒子が伝え聞いていたよりも一段と強いようである。それは、噂の方が間違っていたということでもないのだろう。何せ黒子に高尾の存在を教え、その詳細な情報を伝えて寄越した男は、人を見る目だけは確かだった。口調や言動こそ軽い男だけれど、人脈の広さと内面を探ることに関しては黒子も認める所である。その彼の情報では、ここまでの執心はうかがえなかった。 どうやら『緑間真太郎』の実物と出会ったことによって、その執心が一段と深まってしまったらしい。そう黒子は察しをつける。 「……さっきの君の質問ですが」 「さっき?」 「自分で聞いたんでしょう。『何故俺に声をかけたんだ』って」 「ん? ああ、そうそう、そうだったわ」 「僕には、顔の広さだけは誇れる友人が一人いましてね」 「君の噂はかねがねお伺いしています」 そう黒子が告げた瞬間に、高尾は確かに薄く笑った。高尾和成の『噂』は、どうやら彼自身の耳にも届いているらしい。どこまで知っているのか、等という無粋な質問を、高尾はしなかった。その代わりに浮かべたのが、温かみの欠片も見つけられない、酷薄な笑みだった。会話の切上げ時だ、と黒子は感じる。そうして何故、自分の周りには、こうも厄介な人間ばかり集まるのだろうと考えている。舞台に立つ人間は、そこで輝く人間は、どれだけ真っ当に見えても必ずどこかが歪な形をしている。その歪みこそが輝きを生むのだと思わせるほどに、強烈な光を放つ物ほどその歪みは大きい。黒子の脳裏に浮かぶのは、神経質そうに眉をひそめて腕を組む、緑の友人。 (君は僕の友人の中でもとぴきり奇妙で扱いにくい人だけれど、変人は変人を引き寄せるんでしょうかね) 周りからすれば、はた迷惑な話だ、と一人で納得する黒子には、自分も���の一員なのだという自覚は、少なくとも高尾和成からは同じカテゴリに分類されている自覚は、ない。 「長々とお喋りしてしまいました。もう立ち稽古始まりますけど大丈夫ですか?」 「いや、別に準備運動は済ませてっからいいけど……つうか、そうだよ、真ちゃん結局来てねえじゃん。そのこと聞きたかったのに話逸れすぎだわマジで」 「不思議なことです」 「お前なあ……まあいいや。俺は役者じゃねえけどさ、どう考えてもおかしいだろ。場当たり稽古で役者がいないって」 「そうですね」 時計の針は、十時一分前を指している。座ってストレッチをしていたものも立ち上がり、集合の声がかかる瞬間を待っている。もう、舞台は始まるのだ。片手に台本を持った場当たりの稽古だろうと、そのことには変わりない。そうして、高尾が待ち焦がれる緑色は、恐らくもう現れないだろう。 「彼とんでもない馬鹿なんですよ」 「……随分と知ってるんだね」 「腐れ縁だって、言ったでしょう。まあ、馬鹿さ加減なら、君もどっこいだと思いますけどね」 「さっきから、結構ずけずけ言うよなあ、お前」 「そうですね」 飄々と高尾の視線を交わす黒子の顔には罪悪感の一つも浮かんでいない。高尾には判る。この黒子テツヤという人間は全く悪びれていない。高尾が何も判らずに、少しずつ苛々の棘をあらわにするのをじいっと観察している。そうやって、高尾和成を見定めようとしている。そのことが、高尾には、わかる。何せそれは、形こそ違えど、高尾が朝、この稽古場で他の共演者たちに向けたのと同じ瞳なのだから。 「あー、なんかなあ、俺結構人あたり良い方なんだけど」 「自分で言いますか」 「言うね。高尾ちゃんだって顔の広さならそれなりだよ。でもなんかお前は、ちげーや。同族嫌悪ってやつかな」 「そうかもしれません」 集合の声がかかる。高尾は黒子に背を向ける。結局、緑間が何故来ないのか、その答えを黒子は一つも言わなかった。焦ることはない、と高尾は言い聞かせる。黒子が支配人というのならば、彼はこの劇場の住人だ。この劇場の中に、必ずいる。そして恐らく、隠れもしないだろう。練習終わりにでも捕まえればいいし、万が一捕まえられなかったとしても、三日後に緑間が来るという情報は確かなのだろうから。 「でも、君と僕は全然違いますよ。全く、一つも、何もかも、全部」 意外なことに、背中を向けた高尾にも黒子は言葉を続けた。背中でその言葉を受け止めながら、高尾は頭のスイッチをぱちりぱちりと切り替えていく。緑色を遮断して、水色も遮断して、その代わりに頭に浮かべるのは真っ白いスポットライトだ。幕が上がるまでの静寂と、布擦れの音、音楽と、軋む床。それを思い浮かべれば、今まで頭の中を占めていたことはゆっくりと消え去っていく。舞台の上は、もう違う世界だ。 そうやって段々と現世から消えていく高尾へ、亡霊のように、水色の声は続いている。 「僕は黒子ですから」 「……?」 「君はそちらの人間だ」 その声の、あまりの冷たさに高尾は振り返った。振り返った先に見えた瞳は、相変わらず鏡面のように静かで、そこに映りこんだ高尾自身まで反射して見えた。その姿を見たことを、僅かに高尾は後悔した。 「ステージもミュージックもミラーも、僕には手に入れられなかった」 深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いているのだと、そんな古い戯曲の一節を、何故か高尾は呼び起こした。成程確かに、この黒子テツヤという男は影だった。劇場に潜む、影だった。 * 「ああ、高尾くん、お疲れ様です」 「……お疲れ様です……ってかなんでここいんの? そんなケロッとした感じで?」 「ケロッと、というのが何を指しているのかよく判りませんが、そういえば緑間くんが来ない理由言い忘れてたなと思い出して」 「え?! いやそりゃ言われなかったけど、何あれわざとじゃなかったの? 嘘だろ?」 「すみません、忘れてました」 「マジかよ……」 あまりにもあっけらかんとした黒子の態度に、高尾は思わず頭を抱えて蹲る。あれだけ思わせぶりな態度で人のことを引っ掻き回しておきながら、自分は無実だと言わんばかりのこの態度はどうだ。 窓の外はもう日も暮れて、木枯らしの音と星の瞬きが聞こえるのみである。これが演劇初舞台となる高尾にも薄々察せられるように、どうやらこの劇場の練習はかなりじっくりと行われるようだった。公演までは一ヶ月、ほぼ毎日のように練習が入っているが、長い時では一日六時間近く確保されている。恐らく平均の倍近いだろう、というのは事前に高尾が関係者から聞いていた話との比較だ。それだけ、この劇場で行われる演目というのは重大なことなのだろう。それを高尾はこの日一日で感じ取っている。そして、その劇場を取り仕切っているのが、今、彼の目の前でぼんやりと佇んでいるこの男なのだ。 黒子、お前はとんでもない役者だ、という内心を口にするのも悔しく、獣のような唸り声を噛み殺して高尾は小さく文句を告げた。 「いやほんと、お前も大概だわ」 「失礼ですね。僕は少なくとも彼らよりはマシだと思ってます」 「いや本当にどっこいだと思うぜ。真面目に」 「そうですかね」 「はー……、ま、いいや、これ以上言っても無駄だろうし……」 頭をかきながら高尾は立ち上がる。見下ろす黒子はやはり存在感の希薄な何も無い少年で、一体全体この体のどこに熱が潜んでいるのか高尾には全く読み取れない。 「なあ、真ちゃんの連絡先って教えてもらえる? 直接行くわ」 「プライベートもへったくれもないですね。そして残念ながら、僕も知りませんよ」 「知らねえの?」 「自宅のベルという意味なら知っています。或いは郵便物の届け先なら。けど、少なくとも今は無意味ですよ」 「どういうこと?」 「見つけるのは……そうですね、君次第ですけど不可能じゃないです」 「待てって、黒子、ちゃんと説明してくれよ」 「緑間くんを連れてくるというならご自由に。まあ、できるなら、ですけど」 「黒子」 高尾が話についていけないことを理解しながらも黒子は喋り続ける。理解させるつもりが無いのかと苛立つ高尾に黒子が向けた瞳は、高尾の予想に反して一切のからかいを含んでいなかった。ただ、彼に覚悟を問いかけていた。 それは緑間真太郎という役者��、関与することの覚悟である。 「緑間くんはね、絶対に妥協を許さないんですよ」 「稽古には出ないのに?」 「サボりじゃ無いですよ。一応僕だけじゃなく、監督さんや演出さんにも連絡は入ってますし」 「いや、何してんだか知らないけど、来ないんじゃ駄目だろ」 「君だったら朝起きてどうしますか?」 「俺?」 正直な所、高尾和成は、今朝、確かに失望を覚えていたのだ。昨晩ともに夕食を食べた緑間は、少なくとも舞台に対して真剣な態度を示していた。舞台に命をかけている人間の目をしていた。彼は、緑間真太郎が、まさか初日から練習を欠席するような男だとは、ゆめにも思っていなかったのである。そんな男を追いかけてこの舞台に来たのかと自身をあざ笑いさえした。ただ、何より、高尾は、何故緑間がこのような行動に出たのかを問いただしたかったのだ。理由なく休む男ではないと信じていた。けれどその内容如何によっては、あの顔を殴ることも辞さないとすら考えていた。黒子の態度によって誤魔化されてはいたが、高尾が緑間に対して抱いていたのは、紛れもない怒りだった。 自分だったらどうするか、という問いは、高尾からしてみればナンセンスな質問だった。準備をして、練習をしに行くに決まっている。そうして高尾のその答えに、黒子は静かに首を振った。 「高尾くん、君は普段、朝起きて、何をしますか?朝起きて一番に、トイレに行きますか?顔を洗いますか?或いは真っ先に朝ごはんを食べる?それともご飯は食べない?食べるとしたら、パン?ライス?フレーク?それとも果物や飲み物だけ?着替えてから朝食を食べますか?それとも先に支度を全て済ませてから最後に着替えますか?靴を履くのは右から?左から?その靴は誰が選んだ物ですか?どこで買ったもので値段はいくら?新聞は手に抱えますかそれとも鞄?ニュースはテレビジョンで見るだけ?欠伸は噛み殺しますか?それとも手で隠しますか?そうですね、それから」 「ちょ、ちょいまって、なに、黒子、そんなに俺のこと知りたいの」 「そうですね、君には何の興味もないですけど」 「失礼すぎだし、お前さっき、友達の友達候補は大事にとか言ってたろ」 「成程、僕が言いすぎました。でも、そうでしょう? 他人のそんなところまで興味、ないでしょう、普通は」 「そりゃあ、まあ」 「そんな所まで気にするのは、緑間くんくらいです」 黒子の言葉に高尾は首を傾げる。たった一度食事をしたきりではあったけれど、緑間がそのような人間だとは彼にはどうしても思えなかった。彼は高尾に一切の詮索をしなかった。質問こそすれど、高尾が隠したいと望んだことを、隠していると気がつきながら、それ以上踏み入ることはしない男だった。 『そんな姿勢で人事を尽くせるのか?』 そう尋ねた緑間の瞳に燃える炎を高尾は覚えている。茨のような形をした緑の炎。けれど、高尾がその答えをはぐらかせば、その棘を突き刺そうとすることもなくしまいこんだ。緑間は、人の痛みに鈍感な男ではなかった。かといって、わざわざ人に関与しようとは思わない、自分の国を守ることができれば他は預かり知らぬ、そういう態度をとる男だった。 「真ちゃんなんて、他人に興味ないベストテンって感じの顔してるけど」 「君もなかなか失礼ですがその通りですね」 呆れたように笑う黒子の顔に怒りが見えないのは、黒子なりの肯定に他ならない。そう、緑間真太郎は他人などに興味が無い。興味を持たずに、生きてきたのだ。 「でも言ったでしょう。彼は妥協を許さないんですよ。だから、自分の役が、朝、何をしているのか、知らないなんてことを彼は許さない」 「……嘘だろ?」 「嘘なら良かったですね」 緑間真太郎。高尾和成が10点の顔だと評した男。彼が出る舞台のチケットは即日完売。舞台から徐々に人が、観客が失われていく中でも変わることなく、常にスタンディングまで客席は埋まる。赤いベロアの椅子が、その生地を覗かせることなどない。そこには常に、人影がある。高尾だって、チケットを手に入れるには、関係者のコネクションを辿りに辿って、ようやくスタンディングセンター一列だったのだから。 自分はもしかしたら勘違いをしていたのかもしれない、と、ふと高尾は閃いて、脳裏にちらついた空想に背筋を震わせた。この劇場の稽古だから、練習が倍量なのではない。 共演するのが緑間真太郎だからこそ、周囲は倍量の練習を、余儀なくされているのではないかと。 舞台の世界は、決して、顔だけではない。 「多分緑間くん、昨日家に帰ってから、『緑間真太郎』としての生活なんてしてないですよ」 「……真ちゃんは、さっきお前が言ったようなこと、全部、考えてるってわけ? 脚本家だってそこまで考えてないようなことを?」 「ええ、何せ、彼、超ド級の、馬鹿なので」 君はさっき、僕が緑間くんのことを馬鹿だって言ってた時に嫉妬していたようですけれど、それは随分と見当違いだったと言わざるを得ませんね。 腐れ縁じゃなくったって、一回でも彼とおんなじ舞台に立てばきっとわかりますよ。彼がどれだけ大馬鹿なのか。 黒子の言葉は高尾の耳を通り抜けて落ちていく。冷たい夜の床に、黒子の言葉は誰に拾われることもなく散らばっていた。 「緑間くんの役は、映画監督になることを夢見て、才能が追いつかず家賃を滞納し、食費も無くバイト代は全てフィルムに回す馬鹿な男でしたっけね」 「……つくづく真ちゃんとは真逆の男だよなあ」 「そうですね。だから緑間くんは突き詰めるでしょう」 自分には理解できない役だからこそ、その役がどういった人物なのか、どこでうまれ、何を考え、何を食べ、何を感じ、何を信じて今の瞬間にたどり着いたのかを理解するまで、緑間真太郎は止まらない。愚直なまでに、それだけを追い求め続ける。妥協という言葉は、緑間真太郎には存在しない。ある程度、などという言葉で彼を止めることなど出来はしないのだ。 『一つの物を極めるためには、他の物を捨てねばならないだろう』 「もう一度聞きます。君ならどこに行きますか?」 「俺なら」 「君がもし、映画監督になることを夢見て、才能が追いつかず家賃を滞納し、食費も無くバイト代は全てフィルムに回す馬鹿な男だとしたら、どこに行って、何をします?」 高尾の顔色は黒子に話しかけた時と比べて段々と悪くなっている。そこに浮かんでいるのは、一種の恐怖だ。或いは、畏怖だ。舞台に全てを捧げる男の、凄惨なまでの一途さは、人がたどり着いていいものではない。 「君が考えるこの役と、緑間くんが考えるこの役がもし一致すれば、きっと君は緑間くんを見つけられますよ。」 「そんなの」 「まあ、焦らなくてもいいんじゃないですか。彼が三日と言ったからには三日でつかめると判断したんでしょう。三日後には会えますよ」 「三日間、役になりきって生活してんのかよ、あいつ、一人で」 「妥協ができないんです彼は。それに一人とも限りませんよ。もしも彼がこの役を『女好き』だと判断��たのなら女性の一人や二人や三人四人、引っ掛けていてもおかしくないですし。三日間、ヒモとして面倒見てもらってるかもしれません」 「……は?」 黒子の発言は、高尾の強ばっていた表情を一瞬呆けさせ、それから引きつらせるのに十分だった。 何かを口に出そうとして、何を口にしても藪蛇にしかならないことが目に見えて、高尾は二の句が継げずにいる。右手はさまよった挙句に、彼の頭を抱えた。そうしてその様子を興味深そうに最後まで観察した黒子は、きっかり三十秒後、高尾から一切の言葉が無いことを確認して背を向けた。今度こそ、用事は無いとばかりに。自分の出番は終わったとばかりに。 「それじゃあ、僕はここで。高尾くんも慣れない練習で疲れたんじゃないですか? 公演が終わるまで体調管理はしっかりお願いしますね。大楽が終わって幕が完全に降りたあとでしたらいつでも熱出してブッ倒れていいので、それまではどうか健康に。心身ともにとは言いませんが、出来れば両方整うと良いですね。それでは」
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ホテル リッツ (August 2002)リニューアル更新 (1) Hôtel Ritz(Hotel Ritz Paris)(August 2002) Renewal (1)
はじめに (Introduction to the renewal version)
憧れの「ホテル・リッツ」のリニュアール更新版です(オリジナルヴァージョン / Original Version )。内容的な変更はなく、画像のフィルムスキャンをもう一度やり直して、若干画像を差替え・追加しています。
2002年8月、前半2泊、後半3泊と分けて、ガーデンサイド108号室、”オペラ座サイド”526号室、スクウェアサイド335号室の3室を体験しました。建物や内装にはやはり古さを感じましたが、メインダイニングルーム「エスパドン」、「バー・ヴァンドーム」のカフェ・テラス、リッツ・ヘルス・クラブ、ウナギの寝床状の長いブティック、夜のリッツなど思い出いっぱいです。
ホテル・リッツの格式は、まずはスタッフの昼夜の礼装とセキュリティの厳しさに現われているようです。フランスの合理主義のためでしょうか、スタッフも非常にクールで合理主義的な印象です。ウェルカム的な浮ついた歓迎はありませんが、最初は取っ付き難い感じのスタッフも、話をしだすとジョークも交えながら親切でした。リッツの接客モットーは控え目、シンプルかつ礼儀正しく。見られたい人、見せたい人が泊まるホテルではないそうです。
ちなみに2010年秋にフランスのホテル格付け基準が変更され、5つ星を上回る最上級ランクとして「パラス」が設けられました。「パラス」に選ばれるには、ホテルが歴史的建造物にあり、卓越した建築と装飾を備え、最高水準のサービスとインフラを提供し、仏高級レストランガイド「ミシュラン」で星を獲得したレストランがホテル内にあり、客室1室あたり2.75人以上の従業員を抱えているなどの多くの条件があり、リッツはその基準に見合うよう2012年に閉館して大改装し、2017年に再開業しました。
5年にわたる大改装により、私たちの思い出も消え去った過去のこととなってしまいましたが、ヴァンドーム広場の美しさは生涯の思い出となるでしょう。
1) ヴァンドーム広場とホテル・リッツ (Place Vendôme and Hôtel Ritz)
ヴァンドーム広場、パリで最も美しい調和を見せている広場と言われ、周囲の建物にはルイ14世時代の面影が忍ばれるそうです。広場は、17世紀初めにルイ14世の栄光をたたえて、建築家マンサールによって設計されて造られました。当時は、ルイ14世自身の巨大な騎馬像がありましたが、フランス革命(1895年)の際に破壊されたそうです。現在ではナポレオンのオーステルリッツ戦勝の記念柱が、広場の中央に立ち、ナポレオン像が広場を見下ろしています。ただあまりにも像が高い位置にあるので、肉眼では像の詳細は良く分かりません。
ヴァンドーム広場の周囲には、司法省、ナポレオンの王冠を作成した宝飾店などの高級宝飾店、そしてホテル・リッツがあります。宝飾店ショーメのある場所では、かつて音楽家のショパンが住んでいたそうです。
ホテル・リッツは、建築家アルドゥアン・マンサールにより設計され、1898年6月1日に創業し、現在もエレガントに格式と伝統を堅持しているホテルと言われています。かつてココ・シャネルが住んでいたスイートルームがあることでも有名なほか、ビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘップバーン主演の名作映画「昼下がりの情事」の舞台になるなど、多くの小説や映画の舞台になっています。しかし今では、衝撃的な死を遂げた英国王室のダイアナ妃が、最後を過したホテルとして印象的です。
いよいよ憧れのホテル・リッツの探検です。
2) リッツ 到着 (Arrival to Hôtel Ritz)
予約は、ホテルと何度かメールのやりとりをした後、お願いしました。部屋のランクや料金は、ホテルのホームページには掲載されていないので、問い合わせをしたところ、MS-WORDの添付ファイルで送られてきたので、少々驚きました。ホテル・リッツが属する The Leading Hotels of the World のホームページからも予約は出来ますが、ホテルに直接問い合わせる人は少ないのでしょうか?。
ちなみにホテルのランクは大きく、ダブル、ジニアスイート、ワンベッドスイート、サウナ&ジャグジー付きスイート、プレステージスイートの5つに分けられ、それぞれがさらに細かく区分されています。スイートルーム以外の普通のダブルルームは、クラシック、スーペリア、デラックスという単純な区分です。8月の料金はMINIMUM RATESでした。
なお予約時のクレジット・カード情報はセキュリティがはっきりしないので、メールではなくFAXにしました。予約確認に際しては、予約番号と空港までの送迎の案内(ベンツ / リムジン)が来ました。
ホテル業界における原則は、「人は見かけによる」だそうです。36℃の酷暑の東京からの長旅では、途中で着替でもしない限り、何を着て行ってもよれよれになってしまいます。それでもいろいろと工夫して、フォーマルに過ぎず、カジュアルに過ぎず、そのバランスに苦労しながら出来るだけセンス良く(?)ビシッとした服装で出発しました。
さて、ヴァンドーム広場に面した正面玄関を回転ドアから入り、右手のコンシェルジェの奥にあるレセプションでチェックインをします。スタッフに名前を告げると、既にコンピューターから数枚の書類がアウトプットされていて、クレジット・カードとパスポートの確認があり、署名をして、あっという間に完了です。書類には予約時にメールしたこちらの情報が記入されており、その下半分にはおそらく約款と思われる文章が書かれているのですが、さすがに読んでいる時間はありませんでした。対応は非常にクールで合理主義的な印象です。 (ふとロビーを見渡すと、軽装でチェックインする人達もけっこういるではないですか・・・。)
そして、そのスタッフが部屋に案内してくれました。内心、彼の美男子ぶりに圧倒されました。やはり、フランスは容姿で勝負なのでしょうか!。年令は20代後半、身長は190センチ位の長身で細身、金髪、クールなルックス、そして、夕方なので燕尾服?(ブラックタイでしたが、どう見てもタキシードではありませんでした)を着用していましたが、その服装がたいへん板についていました。
Hôtel Ritz Paris, August 2002, CONTAX 645 MFB-1B Distagon T* 35 mm F3.5 Planar T* 80 mm F2 / Fuji PN400, REALA, NS160, Film Scanner EPSON F-3200, Fuji TIARA ix TITANIUM We can look at the enlarged images clicking the original ones.
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零の会
2023年10月7日

於:シティ音羽 〜音羽・鳩山会館〜
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
坊城俊樹出句
山縣の墓こそ舞へよ秋の蝶 軍人の墓も公卿の墓も秋 ぐるぐるの螺髪に秋日ぐるぐると アールヌーボーの色して秋薔薇 永遠のステンドグラス秋日濃し 梟の像ぽつてりと秋日燦 ステンドグラスの秋日もロココ調 秋の灯を落して永久のシャンデリア 大仏の耳朶垂れて小鳥来る 小鳥来よアールデコなる伯爵家
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
天高く誇り高きは講談社 きみよ 華やかに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 秋冷を暗くともして華燭の火 千種 白帝は白い梟従へて きみよ 薔薇は秋その夜会より咲き続け 順子 肘掛に秋思の腕を置いたまま 光子 爽やかや罅ひとつなきデスマスク 緋路 一族の椅子の手擦れや秋の声 昌文 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 洋館に和箪笥置いて秋灯 荘吉
坊城俊樹選 ▲問題句
流星を見ること永きデスマスク いづみ
坊城俊樹選 並選句
ビロードのソファーに露の身を沈め 光子 せつちんのかんぬき外れ秋の声 いづみ 秋の蝶風の軌跡を辿りたる 緋路 カーテンの襞のさざなみ小鳥来る 千種 神田川そつくり秋の水となる 荘吉 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋麗ら坂にも名付け親のゐて 久 大仏の手はつやめきて秋天下 小鳥 もう誰もくぐらぬアーチ秋の薔薇 和子 十字架の不屈目白の秋天に 昌文 はばたきのいとおほらかに秋の蝶 荘吉 カーテンを秋日に低く括りをり 和子 講談社秋思の影を列柱に はるか 月の夜を酌みし記しの夜会服 順子 重鎮の尻を支へし椅子も秋 軽象 赤蜻蛉ルルドの泉よりひとつ 順子 秋空に時告げぬ鐘ジョセフィーヌ 六甲 古寺に蟷螂の息われの息 光子 大正の玻璃戸にそそと秋の薔薇 昌文 書架に古る大言海や虚栗 眞理子 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路 マリア像その一切を蔦かずら 昌文
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岡田順子出句
岡田順子出句
薔薇は秋その夜会より咲き続け 鏡の間には秋声の言霊も 月の夜を酌みし記しの夜会服 土まんぢゆう淋しからむや曼珠沙華 野路菊の挿し花のある書笥書函 宰相の遺訓は野菊薫る径 鳥渡る我らいつものオムライス 天狗風鳩山邸の栗落とし 赤蜻蛉ルルドの泉よりひとつ 小鳥湧く鳩山邸へ道折れば
岡田順子選 特選句
岡田順子選 特選句
栗の毬むけば貧しき実の二つ 瑠璃 流星を見ること永きデスマスク いづみ 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋天の青は濃度を増すばかり 緋路 月光の鏡の中で逢ふ二人 きみよ 聖堂は銀に吹かるる鬼芒 いづみ 実石榴をロイヤルホストで渡されて 小鳥 石榴熟る女人の拳より重く 光子 秋の灯を落して永久のシャンデリア 俊樹 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路
岡田順子選 ▲問題句
もう誰もくぐらぬアーチ秋の薔薇 和子
岡田順子選 並選句
カーテンの襞のさざなみ小鳥来る 千種 粗草を撫づるや秋の蜆蝶 昌文 山縣の墓こそ舞へよ秋の蝶 俊樹 華���かに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 石積みて富士にみたてる秋日和 久 蜻蛉のひふみと杭にとまりけり 光子 鶏頭の花輪晴れやかなる画廊 要 赤とんぼはづす視線に飛び上る 千種 昼の月溶けて小鳥のための空 緋路 秋日濃しガラスケースに燕尾服 眞理子 ステンドグラスの秋日もロココ調 俊樹 講談社秋思の影を列柱に はるか 筆塚へおほかた萎む酔芙蓉 要 十字切る大聖堂を鳥渡る はるか 秋薔薇開いて誰も住まぬ家 緋路 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 秋の薔薇宰相二人立ちし庭 要 旧邸の入口遠し野紺菊 千種 書架に古る大言海や虚栗 眞理子 子の唄ふ机に置かれざくろの実 小鳥 シスターも同じ咖喱を秋のカフェ 久 マリア像その一切を蔦かずら 昌文 せつちんのかんぬき外れ秋の声 いづみ デスマスクひそと灯して秋館 はるか
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浸潤の次

口の中にちいさな砂粒が五つ入っていた。かろうじて動かせる程度の舌が上顎にそれらを押し上げて、密着させる。上顎の肉をころころと突く、硬い固まりを感じて、朧は気の抜けた様に唇の端が緩むのを感じた。嗚呼、私はまだ、これはわかる。これはわかるのだと。
もう幾分と、先に待つ事柄など何も見えなかった。見えぬまま、追いかけて、疲れ果てて、脛に大きく傷を入れてしまった。私は、この雑木の繁みの隙間に��を滑らせて転がり落ち、ぐったりと息づくなか、かろうじて認識できるものはたったこれだけだと、認めており、その場に倒れていた。されどこれだけなのだと。そうした朧の、安堵に含まれているものは確かに自嘲であった。
「せんせい、」
青い唇がかすかに真横へ引き伸び、前歯の隙間に息を通して、反芻を重ね過ぎてしわくちゃになってしまったひらがなが目の前で私を見つめるのを見た。家屋の襖だって、冬にはもっと大きな声で泣くものだろう。朧はそれを知っていた。
私の耳は今森に打ち付ける大きな雫の群れを聴く。梅雨とは渡り鳥である。だから、きっと烏ではなくて、彼らは燕だろう。こんなにも透明なのだから尚更そうだ。
透明で聡明な燕たちは、夥しく、幾万本も真っ直ぐな尾を引いて落ちてくる。中には葉に肢体を激突させ、小さな破裂音を立てる者らも少なくはない。如何にせよ、落ちてくるこの燕たちは、きっと生きることを諦めたのだろう。では鰹鳥ではあるだろうか。浅い海を泳ぐ魚を狙って、眼球を潰す鳥達。それも妥当かもしれないが、此処が彼奴らの棲む、拓けた海の真中であるはずがない。
沢山の鳥の屍に、埋もれて死んでいく私も今まさに居た。倒れ伏している。いるようだ。
朧はまたかすかに笑って、安らいだ。水の燕の特攻によって、装束の奥までが水気にひたひたに満ちていた。大きく挫き、動かせない腫れ上がった脚の腱の火照りと、枝の先端が膝下を切り裂いた一本の大傷から出づる血液を、土へと流していく。黒く湿りざらついた土は燕の死骸とこの身の血液を少しずつ吸っていく。寒くて、寒くて。
今は水無月だったはずで、それなのに私の躰はこんなにも凍えて死を待っている。腫れた左踝を上から幾千叩く感覚はあっても、まさか、震えもしないとは。私は一体どんな所業を為して、今ぐったりと諦め、抵抗もしないでいられるのか。ああそういえば、私がそう自らを稽古したのであったか。
「おい!」
大きな水粒が耳の穴が埋める、その水かささえすり抜けて、誰かの澄んだ声を聴いた。
懐かしい声だった。誰だろうか。
晋助だろうか。
ああ、と、冴えていった。
ばしゃばしゃ真新しい草鞋を足袋で包んだ両足で、ゆるい土を踏みつけて、こちらに駆けてくる。同じく真新しい縮緬の、紫色の袴。私がかつて「私」であった頃には、口塞ぎに葬る者の纏い布と同じ種であっただろう。しかし、この袴の男児は、朧にとって、彼の朋友も含め、そうであっては決してならないのだった。
彼は傘を持っているのか、この顔のすぐ脇に寄ると、すっと上半身に杭打つ燕の撃が退いた。腰あたりまでそれを防ぐから、きっと大人が持つような番傘だ。重たかろうに。
「馬鹿、何やって、んですか」
「…す、け、」
「ぼんやりするな!待ってろ」
晋助は大声を出した。叱咤してすぐ、開いた傘を地面に立て掛けて、空いた両手でゆさゆさと私の右肩を掴んで揺らした。力の無い朧の頭も前後に揺れる。湿った髪が皮膚に引っ張られて一筋頬骨を滑る。晋助は取りやめることは無かった。生半可な力ではなかった。必死なのか。心の臓が左右から圧迫されて細長い棒になる。どれだけ彼の白い手の甲が今現在歪んでいることか。豆が痛いだろう。先日の試合、歳上相手によくやった。帰りに泣いたおまえを背負って、皆に内緒で茶菓子を買いに町に出掛けたな。一度手を、握ってきたじゃないか。あれは頑張ったという主張だろう。その手の痛みを、朧は痛々しいほど容易く予想立てることができた。すまない。これで倒れるのは何度目だろうか。
目覚めなければ。起きなければ。晋助。お前は私が見えるか。私に触れているのだな。お前の手が氷雨に打たれてしまうのが、俺は、嫌だ。だから、もう一度、真を見るべきだ。
此処は何処だ。此処は、そうだ庭だ。此処は萩の真砂土で、ぬかるみが濁りたった山では無いようだ。人を殺め、殺め返して、たった一人で祠で地蔵と夜を明かしていたあの砦の山ではない。そうだとも。
均された、小さな地面の間。ささやかな姫所音と酢漿が、水たまりの底に咲き、液体で満ち満ちていながら、封じ込めた様に小さな葉は中で生き生きと輝いている。目を少し遠くにやれば、若い小楢の木が一本と、名前の知らない黄色の花が秋に咲き乱れる青黒い葉を繁らせた同じ高さの木がふたつ、小楢の横に生えていて、屋根を建て替えたばかりの井戸がその下に置かれている。こなれた桶がふたつある。担ぎ棒が井戸脇に立て掛けられて、濡れそぼっている。井戸の右手には、締め切られた縁側が見える。その縁側は、永久に締め切られて誰も入れないものではないと、此処で暮らす朧は既に知っていた。その建物がどんな存在であるかもとくの間に知っていた。横にぐったり寝そべりながら眺めることが出来る一番遠くの景色には、木の小屋や蔓が伸びつつある小さな畑、洗い場の隙間から、屋敷を取り囲む垣根が並び、躑躅がその垣根の下半分で、均等な列をなすようにと、小奇麗に育てられていた。やや手入れの、手抜きがあるような、せんせいと、弟子と生活する屋敷の庭の一角に朧は居た。
「おい、おい!」
「あ…」
「聞こえてるのか、……誰か此方に向かって来てんのか、またどっかを向いてた」
朧は誰も居ないと答えた。
「なんだよ……」
変に気を張っていた晋助は胸を撫で下ろしたが、すぐ我に帰ったのか、
こんなに呼んでるんだから返事しろよ、
と撫す腐れて、押し付けるように一段と大きく朧の肩をぐりぐりと揺らした。朧が何か言おうとする前に思いっきり掴み上げて、左手も地面に付いた朧の左肩に回して、強引に半身を縦の視界に押し上げた。ざり、晋助の草鞋と朧の着物が濡れた泥砂を擦る。朧は抵抗を与えまいと丹田からの力をその方向に添えて、上体を起こした。それは晋助の照れ晴らしを慮ったからではなくて、今ならば、それを庇うことすら雑作もなく出来るからだ。
「もう平気かよ」
「ああ、」
晋助は起き上がった自分を食い入る様に見つめていた。何か、せつなげに見えるのは朧にとって不思議であった。凛々しい眉がしかめられていたが怒りの他にも何かたたえているようだ。端正な縁取りの真ん中に鮮やかな緑色の眼があり、ふたつでこちらを捉えている。淡い色の唇がぐにゅと噛み締められている。胸の上下が早かった。
風邪でも引いてしまったに違いない。私の、不明なる病状の発作によって。
「また俺は、此処で倒れてしまっていたのだな。お前も、すっかり濡れそぼってしまったようで」
「違う。そういうのはいい、要らない」
「そうなのか」
ぐっと口ごもって、意を決して、
こんな恥ずかしい思いをするくらいなら、死んでやる。そんな意志を存分にたたえた顔面が、直前いっそう切なくなって呟いた。
「やっぱり、兄弟子がこんなに冷いなんて、皆は知らないんだろ」
「冷いだろう……な。むしろ俺を見て、覚えるものとはそんなところではなかろうか」
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兄弟子から見降ろされてる眼はいつも、黒くて洗っても取れ無さそうな隈で覆われていて、元服済みの男衆だって、一目置いて眺めてるくらい見つめるのをすこしばかり躊躇していた。前髪が長くて、何を考えているのか読み取れない、いつも後ろの方にいて、多くを語らず、また俺達の為に死力を尽くしていることを、悟らせないようにしてる。
でもこの理不尽な発作が、度々起こるようになり、兄弟子がこの庭の繁みで倒れていることがだんだん多くなり、そして不可思議でならないけれど、いつも兄弟子を最初に見つけるのは俺なんだ。ちょろっと、塾の中で噂になってたりするんだ。俺にも何故か解らないけれど。
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「冷いって、兄弟子の態度のことじゃない。でも体温だけじゃないところまで、凍えてるんだ。だけど、俺が見つけた時の兄弟子は…他のどんな時よりずっとーー……、から、」
誰かに見付かったら嫌だ。小さな声で、確かに言い切ってから、しまった、と言いそうな程に動揺した晋助はぐねぐね視線を首ごと左右にそらして口を真一文字につぐんだ。真っ赤な顔。果糖と水をなみなみ含んだ林檎を連想する。
有難う、と兄弟子が発した声音を聴いて、晋助の瞳はますますぽってりと潤むようだった。一時合った視線が反れ、どことなく朧の体全体を見回しているようだ。
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��兄弟子に肩を貸し、片手に傘を持ってゆっくり歩き出した。雨の匂い。土の匂い、霧の匂いが傍らで混ざっている。兄弟子は当然なんの疑いもなく俺らと同じ様に生きてるけど、あのまま放っておいたら分解されるところだったんじゃないかとも、頭にちらつくことがある。
「また着替えるのを手伝ってはくれまいか、包帯も」
「は……、……、わかった」
そんなことを言うから馬鹿の一つ覚えみたいに噂になってんだよと悪態を付いても、返事はなく、寄りかかる体重だけを感じた。仕方が無いので心の中で溜息をついた。
よくもぬけぬけと言ってしまえたものだ。いつもは絶対に言わないことだろう。誰にも見せない初めてを朧は俺に見せてきた。たった其れだけだ。他には何も、無いはずだ。
誰かの大事なものを、初めて預かることになったのだ。血がついた重たい衽を開いた時に、舌を這わせて冷えきった体を感じたいと思ってしまった。見えた何本の傷、青白い肌、薄い色素が晋助の脳裏に焼き付いていた。
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御代替り奉祝煎茶会「煎茶を飲むで淹れる中国茶・鳳凰単叢とは」
いよいよ御代替りも目前と迫りました。上皇となられる今上陛下と新天皇の御即位、そして新しい御代『令和』の弥栄を込めて煎茶会を催します。
淹れるお茶の銘柄は「鳳凰単叢」。鳳凰単叢は広東省潮安県鳳凰鎮の付近で作られている烏龍茶です。非常に香り高く果物や花の香りがし、味わいはコクがあるのが特徴です。煎茶道にも烏龍茶のお手前があります(無い流派もございます)。われわれの烏龍茶手前は中国の工夫茶とも違い、独自の美味しい所作で烏龍茶をお淹れします。
「鳳凰」とは、中国の伝説上の霊獣で「麒麟」「龍」「亀」とともに四瑞として尊ばれました。嘴は鶏,顎は燕,背中が亀,尾は魚,首は蛇,前部が麒麟,後部が鹿に似て,聖徳の天子の御代に瑞兆として出現するといわれています。また竹の実だけを食し、梧桐(あおぎり)の木にしか宿らないともいわれ、桐・竹・鳳凰は大変お目出たい瑞祥紋様として裂地などに合わせて図案化されています。鳳が雄,凰は雌を指すといわれています。奉祝の意味もこめ当日はそれらに即した道具立てと設えで煎茶の烏龍茶手前を楽しんでいただきます。椅子を用いた立礼(テーブル)席ですので、正座の苦手な方も安心してお楽しみいただけます。
どなた様でも参加可能です(要事前予約)。平服(普段着)でお越し下さい。もちろんお着物での参加も大歓迎です。三五夜の四畳半の茶室はにじり口のある本格的な茶室です。お電話(070-1779-0358)またはダイレクトメッセージにて①お名前②参加希望日時③参加人数④当日ご連絡のつくお電話番号をお教えください。
【日時】
平成31年4月30日(火)
令和元年5月 1日(水)
令和元年5月 2日(木)
時間はいずれの日も①10時〜11時半②12時半〜14時③15時〜16時半
【参加料】お一人様3000円(煎茶道のお手前で最上級の鳳凰単叢を心ゆくまでお楽しみください。お茶受け付き )。
【その他】
場所はJR奈良駅徒歩2分の場所にあるとは思えないほどの閑静な住宅街の通りから奥まった古民家です(お申し込み時に詳細お伝えします)。好評の茶道具市も同時開催です。お稽古に使えるお手頃価格のものから、茶会に使用できるような本格的なお道具まで一堂に並べて販売いたします。

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26/淡い夢には染まれない(2h)
(CoC ※身内向けシナリオバレ含む)
(大体)二時間ライティング。これは試験導入です
~レギュレーション(仮)~
・1話二時間でライティング(プロットを含む) 尚、校閲については時間外に加算(だってクソ文そのまま出すの恥ずかしくない?)
・目安~3000字(私の速度が1500字/hなので) これはね、守れてない
・タイトルをお題サイトから適当に1つ、キーワードを歳時記からランダムに3つ選択し、それをベースに即興で物語を汲む
・キーワードは1つ以上を使用すれば、3つ全ては使わなくても良い
・+して各話のランダム要素として適当に相手に何か聞いて提示してもらったものを組み込む
~ここまでレギュレーション
●キーワード ・燕(乙鳥、玄鳥、飛燕、燕)夏 ・更衣(ころもがえ、俳句の世界では夏の衣服に着替えることを言う)夏 ・鬼灯(6~7月には淡い花が咲く)秋
●タイトル ・「淡い夢には染まれない」 元:√9
前半:春の雨は全てを雪ぐなら、(中坪と今井野と次の季節の話) 後半:海の底に、亡骸が沈んでいる(神楽坂と×××と夜明け前の話)
記事内リンクできないのでスクロールしてください。
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(1.とうしょー)
雨音で目が覚めた。窓の外を見て、それが人を目覚めさせるような粒の大きさでもないことを知って、たまらなく嫌な気持ちになった。
ガラス張りの窓いっぱいに着いた水滴は、まるで雲の中を泳いだ後のように風景を隠して、寝室と外の世界とを隔てていた。雨に濡れてもいないのに、全身は微かに濡れて湿っていた。 ゆっくりと息を吐く。 スマートフォンのサイドボタンを押す。午前二時半を少しだけ過ぎた時間。人は、この時間を真夜中と呼ぶ。 ひそやかに息を吸う。 (……嫌な夢、) 酷な、幻を見た。ひどく懐かしい邂逅だった。 死んだ人の、夢を見たのだ。けれど、ここ最近は見ていないものでもあった。だからこそ余計、せり上がってくる酸を堪えるのに必死だった。目を覚ました瞬間に嘔吐しないだけ、以前よりいくらかまともになれているのかもしれない。 伏せた瞼の裏に、忘れるなと言いたげな残像が焼き付いていた。閉じかけた目を薄らと開く。苦い表情が零れる。
迷う指先でスマートフォンの画面を撫でようとしては、躊躇って引っ込める。しばらく逡巡して、結局真っ暗な画面をお守りのように握りしめるだけに留まった。 翔子は湿った夜着のまま、ベランダの窓をそっと開けた。霞のような輪郭が無い雨が世界を包んでいる。右手を宙に投げ出してみると、肌に当たる雨粒は柔らかく、優しく、手のひらを濡らしているというのに、息が詰まるほど生暖かった。 冬の名残は、どこにもない。
春が嫌いだった。全てが色づき始める季節だから。全てが、始まる季節だったから。
強制的に、あらゆる全てを初めからやり直させてしまう世界のシステムだとすら思っていた。 灰ばんでいた空はいつのまにか青くふんわりと宇宙へ向かって伸びやかに揺れ始めるし、枯れた下生えの隙間から若葉色の新芽は空に追いつこうとどんどん背を伸ばすし、その内に冬鳥はそっと氷河を渡り消え、木々花々は匂やかに揺れ、ありとあらゆる全てが柔らかく、美しく歌い出す。幸福な季節には違いない。 只人であれば、尚のこときっと、そう思うのだろう。悲しいことを濯ぐための機構であるのなら。そのために必要なことなのであれば。 しかし、前の季節に留め置かれたものは、そうではない。春の雨には縋れない。 だとすれば、どこへ流れて行けば良いのだろう。何度も彼女は考えた。幾ら蹲って考えても、行き先の解は得られないままだった。行き先が無いまま溶けてしまえば、どこにだって居場所は見つからない。
閉じた冬の装いのまま、人々の中を縫うように行う呼吸は翔子の肺を確かに焼いた。春を待たずに動かなくなってしまった美しい鳥の亡骸を抱いて、翼を畳なわらせて、一緒に白くなってしまいたかっただけだったのに。それすら春は無慈悲に雨を注いで、溶かしてしまった。 もういない、六花一つ残されていない。 追い縋ることさえ、できなかった。 時間だけが、無為に流れて行った。雪解け水のように。 心は確かにまだ吹雪の内側に取り残されたままなのに、がらんどうの身体だけが芽吹きの季節を迎える。そうして、終ぞ何にもなれなかった。 何になることも、許されなかった。 だからこそ、春という存在が、痛哭に至るほど嫌いだった。
深夜のベッドの上には、旧い記憶の扉が開く音だけが波打ったシーツに遺されていた。 そうだ、彼女の夢を見たのだ。
思い出の中と寸分違わない、輝血のような目をしていた。 彼女はただ、何も言わないまま翔子を見ていた。見ているだけだった。相対して二人佇むだけの、不思議な明晰夢だった。 鬼灯の萼みたいに穴の空いた二つの目で、翔子の目をじっと見つめるだけだった。責め苛むことも、忘れないでと縋ることもせず、ただ網膜の隙間から、ひっそりと赤い色を向けるだけだった。 夢の中で、零れそうになる謝罪を、せり上がる嗚咽を、飲み込んで腑の中にもう一度落とすことの苦痛を知って尚、翔子はただ沈黙を保っていた。ここが、夢だと判っていたからこそ。 どうせなら、罵声の一つでも投げつけられたほうが、余程楽だというのに。凍り付いた冬の名残ばっかりが、喉元にずっと刺さっているから、こんなに苦しいのだというのに。 けれど、それでも。 ――それでも。
不意に、握りしめたスマートフォンがけたたましく鳴って、翔子は「うひゃっ」と変な声を上げて、電話を取り落とした。慌てて拾い直そうとして、表示されている名前を目にした瞬間、微かに肩が跳ねる。 どうして、と思う気持ちより先に、途方もないものが溢れた。
恐る恐る、受話を押す。 「……もしもし?」 『翔子さん!? オレです! 中坪ですけど!』 「……、……」
不意打ちの音量が鼓膜を思った以上に揺さぶって、翔子は思わず眉間に皺を寄せた。煩い以外に、上等な形容があるのであれば教えてほしい。 唸るように息を吐いてから、首を振る。耳から携帯を少し離すように持って、その声を噛み締める。 『あれっ!? 翔子さん!? もしもし!?』 「落ち、落ち着いて。……聞こえてる。冬次でしょ、解ってるよ。……名前、登録してるんだから」 『あ、そっか。……や、そーいうことじゃなくて! オレオレ詐欺とかだったらどうするんスか!?』 「またベタな問いを……。嫌、その前に、詐欺する奴らが、こんな妙な時間に電話してくることないだろ。ATMだって閉まってるし……。今、何時だと思ってるか知らないけど」 『……確かに?』 そもそも、登録しているのは携帯の番号だ。いずれにせよ、そんなものが他人の手に渡っている時点で割ととんでもない状況だという前提が必要であることを、翔子は思いついても敢えて口には出さなかった。
窓を閉めて、ベッドに座った。コイルスプリングが柔らかく沈んだ。 「えっと、どうしたの、こんな時間に」 あ。と電話口から声が漏れた。言葉を選ぶように、無音を探るような呼吸が聞こえる。 『や、うーん。……別段どうした、ってのは特にないんですけど』 「珍しく言い濁るね、きみにしては」 『あはは。いや、なんか嫌な感じがして! なんつーのかな、勘みたいな?』 「勘?」 『うん。なんか、翔子さんが泣いてるような気がして』
羽根を撫でるような、そんな声音だった。 静寂。春霞が、窓ガラスを叩く音さえ部屋に響くような。柔らかなふちを持った残響。夜が、嫋やかに濡って行く音だった。
『……っつーか、こんな夜中に突然電話して、起こして、それこそどうすんだよって感じっスよね! ……ごめんな��い、迷惑だった?』 「や、」 反射的に声を出すと、喉が詰まるような感覚を覚えて、翔子はたまらず二、三度ほど咳き込んだ。 「……びっ、くりはしたけれど、たまたま起きてはいたから、別に」 『あ、ホント!? 良かった!』 「うん。だから、迷惑とかじゃないよ。それは、平気」 それは嘘ではない。むしろ。 『えと、でもなんかやっぱり、声、元気ねー気がするけど、大丈夫スか』 「大丈、」 そこまで言って、舌が縺れた。
翔子は、喉に支えた冷たいものを、融かすように、ゆっくりと唾液を飲み込んだ。小鳥のような細やかな呼吸を一対すると、微かに目を伏せる。――そうして、誰見る人も居ないというのに、瞑目したまま、ふっと笑みを零した。 「……大丈夫、……では、なかったから、助かった」 『え』 「ありがと冬次。電話貰えて、嬉しかった」 『うぇ? ん? よくわかんないけど、ナイスタイミングだった感じ?』 「うん」 『おー。……へへ、良かった! なんか、力になれたみたいで』 照れたように弾む声を聴きながらふと窓の外を見ると、あれほど燻っていた霞の群れは、いつの間にか止んでいた。薄雲は未だ空を漂っているものの、霽月は冴え冴えと淡く濡れて、輝いていた。とろりと艶やかで、柔らかな黒い闇が世界を包んでいた。 「もう春時雨が降るような季節だったか」 『ん? そっち、雨降ってたんスか?』 「ああ、もう止んだみたいだ。雨なのかなんなのか、はっきりしないくらい細かいやつだったけどね」 『霧雨みたいな』 「霧は秋の言葉だよ」 『えー……じゃあ、霧吹きみたいな雨』 「……うん、まあ、誤りではない」 窓を開けると、湿った夜風が優しい手つきで頬を撫でた。不意の心地よさに目を細める。
月と雲の間に、鳥の群れが飛んでいた。黒い影を思わず目で追った。 長い尾を翻して、空気を裂く羽ばたきは力強く、それは生命の息吹を伴って夜空を飛んでいた。 ツバメの群れだ。 五、六羽ほどの影が、黙したまま雨の名残の中を、すうっと横切っていった。 思わず吐息が漏れた。春なのだなと思う。翔子は自分の喉元を撫でた。 冷たい違和感は、どこにだってない。
「あのさ」 『うん?』 「蒸し返すみたいに感じたら、ごめんね。えっと、あれから私、何回か考えたのだけれど、」 『あれから、って?』 「夢の中のことの話さ」 ふと、思い出したように苦笑混じりの声を零す。疑問符を浮かべるような瞬きが、電話越しに聞こえたような気がした。 立ち上がって、パソコンデスクに向かう。伏せられたままの写真立てを、そっと起こした。縁についた埃を払う。写真自体は褪せもせず、いつかの記憶の中と同じ色を保っていた。
写真の中の少女は、ただ一人で笑っている。 暗がりの中でも、自分と良く似た赤い二つ目の色だけは、炎のように明るく燃えている。
逢いに行こう。とふと思い立った。 考えるだけで足が竦むけれど、雪が溶けた後の大地でなら、残された花弁のひとひらくらい拾うことができるかもしれない。
「やっぱりさ、ツバメには春のほうが良く似合うよ」
銀世界に零れ落としてきた、花の完爾を思う。 窓の外に冬の名残は、やはりどこにももう無かった。
/.
(2.かぐさが)
神楽坂がそこに向かった理由は簡単だ。庁舎の屋上から植え込みにしゃがみ込むそれを小一時間以上も眺めていて、その間、彼女が微動だにしないものだから、興味を引かれて降りていっただけだった。 夜は、やおら白みかけていた。黒と、紺と、あいまいな赤が入り混じって、暗いのに、どうしてか白色に光っているように思えるのだ。 夜明け前に、世界は一番暗くなる。そのことが、この上なく不思議だった。明かされる前の夜が前日の遺したものを含めて、一度咀嚼して、内側へ連れて行ってしまうからだろうか。
がらんどうの朝である。 空は這うような速さで明るくなっていくのに、空気だけが未だ暗いままだった。まるで、薄墨の中を泳いでいるようだ。歩いた跡の宙空に、影が緒を引くように濁って、揺れている。
神楽坂が相模原の前に現れると、彼女は瞬時に形容し難い顔をした 「うわっ……、……神楽坂さん」 「ううん、その反応は想定していなかった。……流石の私でも傷つくな」 「また、そんなこと言う。……思ってもいないくせに、良くそんな言葉ぽんぽん出てきますね」 「手厳しいなあ。でも、どうだろう? 私も君が思っているよりは恐らく人間なのだろうから、邪険にされると揺れる心の一つや二つ、持ち合わせているさ」 相模原は瞼を薄く伏せると、地面に目をやった。 朝闇の中に目を凝らすと、彼女がじっと見ていたのは、一羽の小鳥の死骸であることがすぐに理解できた。小鳥の瞼は閉じていて、うす黄色い足が縮こまって小枝のように固まっている。長い燕尾は萎れて、翼が貝のように閉じていた。
「君がね、一体何を見ているのかと思ったんだ。小一時間、身動き一つしないものだから」 神楽坂の問うような独白が、溶けるように輪郭を滲ませた。
相模原は、顔を上げなかった。 彼女は二時間の間、ずっと沈黙を留めていた両手をようやく動かして、小鳥の亡骸を恭しく掬い上げた。羽毛は神楽坂が見ているだけでも、まるで雪のように柔らかだった。汚れらしい汚れもない。その艶のある幼い両翼が、だらけるように相模原の手のひらから零れた。嘴の端から、涙のような赤が数滴、彼女の薬指を濡らした。
「眠っているだけかと思ったんですよね」 返答、と言うよりは、言い訳のように独り言ちて、両掌の棺に雛燕を収めたまま、相模原はどこか宛てがあるような足取りで、茂みの中に分け入っていった。 神楽坂も無言でそれを追った。藪の中は折り重なった青葉が一層闇を深めていて、草葉の緑すら曖昧模糊としていた。 足の長い下生えと放り出された蘖が足取りを阻んだが、少し奥に分け入ったあたりに、まるで獣道のように秘め踏み固められた小さな路が奥へ続いていることに、神楽坂は気が付いた。 相模原は野良猫の如く訳知った風で、その獣道を往く。 夏木立は底の無い陰をより深めていた。まるで、海の底を歩いているような暗さだ。世界でたった一カ所、この場所だけが、未だ夜の中に取り残されてしまっているのかと思うほど。お互いがお互い、誰であるか、わからなくなるほど。 相模原は、一瞬神楽坂を振り返った。 それだけだった。
やがて、彼女は雑然と茂る数多の緑の中の一つにたどり着いて、迷い無くその根元を掘り始めた。堆積した腐葉土は柔らかく除けられ、土の下から雨上がりのような、湿った匂い��した。 背高く生えた緑の、茎の隙間に、白い蕾がまどろむような面持ちでいくつか揺れているのが見える。 「これは……?」 「ああ、鬼灯ですよ、これ」 神楽坂が興味深げに指先で蕾に触れると、相模原は顔も上げずに答えた。 「好きなんです、鬼灯。あたしによく似てるから」
程なくして出来た十数センチくらいの円形の縦穴に、相模原は巣立ち雛を葬った。からっぽの土のゆりかごの中に、冷たい羽毛はすぐに沈んで見えなくなった。地面は子燕の体積ぶん、僅かにまるい弧を描いて、鬼灯の茎を埋もれさせた。相模原の指には土が着いたままで、それは薄墨の中、行き場を無くして漂っていた。 「手袋を、持ってくるべきだったな」 神楽坂はまるで後悔するように呟いて、相模原の手を取り、そのまま着いた土を払った。僅かに相模原の両手が動揺を見せて固まった。「はい」と言って、差し出された彼のハンカチを、少し迷って、相模原は諦めたように受け取る。 「……すみません」 「いいや、気にしないで欲しい。手袋も、私が持っていれば君にスマートに差し出せたのだろうから」 「……、や、唐突に土掘り出すような想定して、手袋持ち歩いてるほうが、よっぽど稀有だと思うんですけど」 「はは、そうだとしても、相模原がそういうことをするのであれば、持っていたほうがいいだろ?」 神楽坂は温顔のまま笑った。押し込まれるようにして、相模原は影を探すように俯いた。泡を吐くような呼吸が、木の葉擦れの音に掻き消された。 二人の足元で、鬼灯の小さな花がぎこちなく揺れた。晩夏にはきっと、珊瑚の玉のように煌びやかな、赤い実を結ぶのだ。
「ねえ、神楽坂さん。もう止めましょうよ。こんな不毛なこと」 まるで、朝凪のような弱々しい声が漏れた。ゆっくりと伏せていた顔を上げて、彼女はまるで途方に暮れたように笑った。 「何も無いんですよ、ここには」 土で汚れた指先のまま、相模原は自分の胸の中心をそっと撫でた。ネクタイの結ばれた胸元には穴も空虚も無く、土で僅かに汚れた白いシャツが見えた。悲鳴のように掠れた声が、乾ききった唾を飲み込んで震えた。
「そう思っているのは、相模原だけだよ」 けろりと悩んだ風もなく神楽坂はそう返して、相模原はいよいよ苦い物を噛んだように顔色を崩した。 「何の音だって、聞こえたことが無いのに」 「まだ眠っているだけさ」 「……そうやって、根拠の無い事を言うの、おじょーずですね」 「そうでもないよ?」 後退するように引っ込めた彼女の両手を少々強引に引き寄せて、神楽坂は未だ���れたままの掌に、唇を寄せる振りをした。言葉に詰まる相模原の顔を手の向こうに見て、冴え冴えと明るい両目で笑う。 その掌から、燕の死臭はしなかった。
息が詰まった顔のまま、相模原は手を引いた。彼は易々と両手を離して、笑顔を崩さないまま「そろそろ戻らないと。随分長い気分転換になってしまった」と、迷うことなく庁舎のほうへ歩き出した。 無言で彼女もそれに続く。深海のような暗闇の中に、木の葉の擦れる音だけが波のようにざわめいていた。
「海の底だって、ここよりかもうちょっと息しやすいと思うんですよね」 苦しそうな独り言が聞こえた。こぽりと音を立てるように、忌々しげに相模原が泡を吐く。 神楽坂は薄く笑って、微かに頭上を仰いだ。 木下から夜明けの空が零れている。深海のような空気の中で、いつの間にか空は海の青と同じ色に染まり始めていた。
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慟哭と吃驚ー小島信夫と小沼丹ー
「第三の新人」と呼ばれた作家たちの中で、小島信夫と小沼丹は、理由は異なるが、どこか収まりの悪い存在に思える。 小島信夫については言うまでもなく、彼が一九一五年生まれと「第三の新人」では最年長であり、それどころか「第二次戦後派」とされる三島由紀夫(一九二五年生まれ)や安部公房(一九二四年生まれ)、井上光晴(一九二六年生まれ)や堀田善衛(一九一八年生まれ)よりも年上、「第一次戦後派」の野間宏や梅崎春生とおない年であるという事実に依っている。これは一九一七年生まれの島尾敏雄が「第三の新人」と「戦後派」のどちらにも入れられていることがあるのに似ているが、小島にかんしては「戦後派」とされているのは読んだことがない。 「第三の新人」という呼称は、山本健吉が「文學界」の一九五三年一月号に発表した同名の論文が初出とされるが、そこで山本が取り上げている作家は「第三の新人」とはあまり重なっておらず、実際にはその後、山本を含む文芸評論家やマスコミが、この時期に文壇に登場もしくは頭角を現してきた一群の小説家たちを、この便利なフレーズの下にカテゴライズしていったということだったのだと思われる。小島は五二年に「燕京大学部隊」と「小銃」(初の芥川賞候補)を、五三年に「吃音学院」を、五四年に「星」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカンスクール」といった力作を矢継ぎ早に発表し、五五年に「アメリカンスクール」で芥川賞を受賞する。この経歴からすれば、彼は如何にも「第三の新人」と呼ばれるに相応しい存在だった。 しかし最初期の作品集『公園/卒業式』(冬樹社/講談社文芸文庫)を繙いてみればわかるように、小島は戦前から小説を書いていたし、その中には「死ぬということは偉大なことなので」(一九三九年)のような重要な作品もある。でもまあ「小島信夫=第三の新人」という等号は、文学史的にはごく常識に属すると言っていいだろう。単に他の面子よりも年を取っていたというだけである。 これに対して小沼丹の場合は、もう少し微妙な浮き方をしている。彼も一九一八年生まれと「第三の新人」では年長組だが、そういうことよりもむしろ、存在感というかアティチュードというか、その小説家としての佇まいが、他の「第三の新人」たちとは、かなり異なった風情を持っていると思えるのである。小沼は井伏鱒二の弟子だったわけだが、彼が井伏から受け取った或る種の態度と、それは関係があるのかもしれない。比較的横の繋がりの強い印象がある「第三の新人」の中にあって、小沼は他の作家たちと親しく交流することもあまりなかった(庄野潤三とは付き合いがあったが)。年譜を見ても井伏鱒二と旅ばかりしている。しばしば言われることだが、小沼にとっては、あくまでも早稲田大学の英文学の教授が本職であって、作家活動は趣味というか余技というべきものだった、というのも、あながち間違った見方ではないだろう。もっともそれを言うなら小島信夫も英文学の明治大学教授だったのだが。 小島と同様に「第三の新人」ムーヴメントの頃の小沼の筆歴を記せば、一九五四年上半期に「村のエトランジェ」、下半期に「白孔雀のゐるホテル」、五五年上半期に「黄ばんだ風景」「ねんぶつ異聞」で、計三度、芥川賞候補に挙げられたが、受賞はしていない。ちなみにそれぞれの回の受賞者は順番に、吉行淳之介、小島信夫/庄野潤三(二名受賞)、遠藤周作と、見事に「第三の新人」で占められている。これ以後、小沼が芥川賞候補になることはなかった。ちなみに五五年下半期には石原慎太郎が「太陽の季節」で受賞し、もはや「第三の新人」が新しかった時代は過ぎ去ってしまう。とはいえ翌五六年には「第三」の近藤啓太郎が「海人舟」で受賞するのだが。 小沼の第一作品集『村のエトランジェ』(みすず書房/講談社文芸文庫)は五四年刊だが、そこには収められている小説には、四〇年代後半には原型が書かれていたものもある。同時期に彼はスティーヴンスンの翻訳や『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』の子ども向け翻案などを手掛けており、大昔の異国を舞台とする「バルセロナの書盗」や「ニコデモ」(ともに四九年)や「登仙譚」(五二年)には、そういった仕事からの影響を窺うことが出来る。 先にも述べたように、小沼丹が「白孔雀のゐるホテル」で候補になり落選した一九五四年下半期の芥川賞は、小島信夫の「アメリカン・スクール」(と庄野潤三「プールサイド小景」)だった。両作の冒頭を引用してみよう。
大学生になったばかりの頃、僕はひと夏、宿屋の管理人を勤めたことがある。宿屋の経営者のコンさんは、その宿屋で一儲けして、何れは湖畔に真白なホテルを経営する心算でいた。何故そんな心算になったのか、僕にはよく判らない。 ……湖畔に緑を背負って立つ白いホテルは清潔で閑雅で、人はひととき現実を忘れることが出来る筈であった。そこでは時計は用いられず、オルゴオルの��でる十二の曲を聴いて時を知るようになっている。そしてホテルのロビイで休息する客は、気が向けばロビイから直ぐ白いヨットとかボオトに乗込める。夜、湖に出てホテルを振返ると、さながらお伽噺の城を見るような錯覚に陥るかもしれなかった。 コンさんは、ホテルに就いて断片的な構想を僕に話して呉れてから云った。 ーーどうです、いいでしょう? ひとつ、一緒に考えて下さい。 (「白孔雀のゐるホテル」)
集合時間の八時半がすぎたのに、係りの役人は出てこなかった。アメリカン・スクール見学団の一行はもう二、三十分も前からほぼ集合を完了していた。三十人ばかりの者が、通勤者にまじってこの県庁にたどりつき、いつのまにか彼らだけここに取り残されたように、バラバラになって石の階段の上だとか、砂利の上だとかに、腰をおろしていた。その中には女教員の姿も一つまじって見えた。盛装のつもりで、ハイ・ヒールをはき仕立てたばかりの格子縞のスーツを着こみ帽子をつけているのが、かえって卑しいあわれなかんじをあたえた。 三十人ばかりの教員たちは、一度は皆、三階にある学務部までのぼり、この広場に追いもどされた。広場に集まれとの指示は、一週間前に行われた打ち合わせ会の時にはなかったのだ。その打ち合わせ会では、アメ��カン・スクール見学の引率者である指導課の役人が、出席をとったあと注意を何ヵ条か述べた。そのうちの第一ヵ条が、集合時間の厳守であった。第二ヵ条が服装の清潔であった。がこの達しが終った瞬間に、ざわめきが起った。第三ヵ条が静粛を守ることだという達しが聞えるとようやくそのざわめきはとまった。第四ヵ条が弁当持参、往復十二粁の徒歩行軍に堪えられるように十分の腹拵えをしておくようにというのだった。終戦後三年、教員の腹は、日本人の誰にもおとらずへっていた。 (「アメリカン・スクール」)
小島信夫は五四年だけで実に十編もの短編小説を発表しているのだが、個人的には「アメリカン・スクール」よりも「星」や[殉教」、そして「馬」の方がすぐれていると思う。単行本『アメリカン・スクール』の「あとがき」で、小島は実際に自分がアメリカン・スクールに見学に行った経験が出発点になってはいるものの、それはごく最近の出来事(「先年」とある)であり、しかも「事件らしい事件は、その時には一つも起らなかった」と述べてから、こう書いている。「僕はこの見学を終戦後二年間ぐらいの所に置いてみて、貧しさ、惨めさをえがきたいと思った。そのために象徴的に、六粁の舗装道路を田舎の県庁とアメリカン・スクールの間に設定してみた。それから今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」。 その結果としての、主題的な、話法的な、一種の紛れもないわかりやすさが、芥川賞の勝因だったと言ったら怒られるかもしれないが、「終戦後二年間ぐらいの所」というのだから、一九四七年頃の物語を一九五四年に(五三年の体験をもとに)執筆したこと、それから「六粁」すなわち「往復十二粁」という「行軍」の設定、そして「僕」から「群像の中の一人物」への変換(右引用の少し先で、この小説の主人公というか狂言回し的な人物は「伊佐」という男だとわかる)という三種類の「距離」の導入が、その「わかりやすさ」に寄与していることは間違いない。もちろん小説とはこういうことをするものであるわけだが、「現実」を巧妙にずらすことによって却って「現実味」を増すという操作が、ここでは見事に上手くいっている。と言いつつ、であるがゆえに、わたし的には今ひとつ物足りない気もするのだが。兎角上手くいき過ぎているものはどうもつまらない。だがそれはとりあえず置く。 これに対して小沼丹の「白孔雀のゐるホテル」の場合は、ここで夢見られているホテルの「お伽噺」めいたイメージとは裏腹に、現実の宿屋は二軒長屋を若干改造しただけの古臭くて襤褸い代物で不便この上なく、何故だか自信満々の「コンさん」に驚き呆れた「僕」は、ひと夏の間に六人以上の泊まり客が来るかどうかの賭けをすることになるのだが、その賭けの顛末が綴られてゆく物語は、この時期の小沼小説の一大テーマというべき男女の色恋がメインに据えられてはいるものの、どこか牧歌的であり、こう言ってよければ妙に非現実的な「お伽噺」ぽさの内に全編が展開されるのである。つまりこの小説には「アメリカン・スクール」にあったようなリアリティへの配慮と戦略が著しく欠けている、というかそれはほとんど顧みられていないようにさえ見える。小沼丹がやろうとしているのは、もっとあからさまに「物語」らしい小説であり、その意味では「文学」らしからぬ小説なのである。そのせいで芥川賞を得られなかったのかどうかはよくわからないが、この作風は「第三の新人」においてはやはり異色である。 それは「村のエトランジェ」や、二編と同年発表の「紅い花」など、この頃に書かれた多くの作品にも言える。「エトランジェ」は衝撃的な殺人の目撃シーンから始まるが、現在の感覚からするとまだほとんど子供と言っていい「中学一年坊主」の「僕」の視点から、戦時中に田舎に疎開してきた美人姉妹と若い詩人とのロマンス、そのドラマチック過ぎる結末が、しかしやはりどこか牧歌的な雰囲気の中で物語られる。「紅い花」の舞台は「戦争の始る三年ほど前」だが、「大学予科生」の「僕」によって、郊外の山小屋を借りて独り暮らしを始めた「オスカア・ワイルドのように真紅のダリアを一輪飾った女」の波乱に富んだ恋愛模様が、おそるべきショッキングなラストに向かって物語られてゆく。いずれも極めて人工的なお話になっており、特に「紅い花」には一種の心理サスペンス風ミステリの趣がある。そして実際、この数年後の五七年から五八年にかけて、小沼丹は雑誌「新婦人」に「ニシ・アズマ女史」を探偵役とするユーモラスな短編を連作し、その後も何作かミステリ小説を発表している(「ニシ・アズマもの」は『黒いハンカチ』として一冊に纏められている。ミステリ作家としての小沼の側面にかんしては同書創元推理文庫版の新保博久氏の解説に詳しい)。ミステリに留まらず、五〇年代末から六〇年代頭の小沼はいわゆるジャンル小説にかなり接近しており、当時隆盛を迎えていた「宝石」「オール読物」「小説中央公論」などの中間小説誌にも作品を書いている他、六一〜六二年には新聞小説としてユーモア長編『風光る丘』を連載している。ジャンル的な方向性や出来映えの違いはあるが、デビュー以来、この頃までの小沼の小説は、おしなべて物語的、お話的なものであり、言い替えればそれは、どこか浮き世離れした雰囲気を持っていた。ところが、よく知られているように、この作風は、その後、大きく変化を見せることになる。 一九六三年の四月に小沼丹の妻・和子が急逝する。彼は娘二人と現世に残された。翌六四年には母親も亡くしている。そして同年五月に、のちに「大寺さんもの」と総称されることになる連作の第一作「黒と白の猫」が発表される。 この小説は、次のように始まる。
妙な猫がいて、無断で大寺さんの家に上がりこむようになった。ある日、座敷の真中に見知らぬ猫が澄して坐っているのを見て、大寺さんは吃驚した。それから、意外な気がした。それ迄も、不届な無断侵入を試みた猫は何匹かいたが、その猫共は大寺さんの姿を見ると素早く逃亡した。それが当然のことである、と大寺さんは思っていた。ところが、その猫は逃出さなかった。涼しい顔をして化粧なんかしているから、大寺さんは面白くない。 ーーこら。 と怒鳴って猫を追つ払うことにした。 大寺さんは再び吃驚した。と云うより些か面喰つた。猫は退散する替りに、大寺さんの顔を見て甘つたれた声で、ミヤウ、と鳴いたのである。猫としては挨拶の心算だったのかもしれぬが、大寺さんは心外であった。 (「黒と白の猫」)
以前から身辺雑記的なエッセイは発表していたが、この作品によって小沼丹はいわば「私小説的転回」を果たしたとされることが多い。淡々とした、飄々とした筆致から「大寺さん」の、とりたてて劇的な所のない平凡な日常が浮かび上がり、いつの間にか自宅に上がり込むようになった猫の話が綴られてゆくのだが、小説の後半で「大寺さん」は妻を突然に亡くす。しかしそのことを伝える筆致もまた、どこか淡々と、飄々としている。事情を知る読者は、おそらく作家自身に現実に起こったのも、こんな感じであったのかもしれないと思う。そしてこの作品以後、かつてのような人工性の高い「お話」は、ほとんど書かれなくなってゆく。これが多分に意識的な「転回」であったのだということは、次の文章でもわかる。
小説は昔から書いているが、昔は面白い話を作ることに興味があった。それがどう云うものか話を作ることに興味を失って、変な云い方だが、作らないことに興味を持つようになった。自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を���けるようになった。この辺の所は自分でもよく判らないが、この短編集に収録してある「黒と白の猫」という作品辺りから変わったのではないかと思う。 (「『懐中時計』のこと)
作品集『懐中時計』は一九六九年刊。右は九一年に講談社文芸文庫に収められた際に附された「著者から読者へ」より抜いた。この先で「黒と白の猫」についてあらためて触れられているのだが、それは(明記されていないが)一九七五年発表の「十年前」というエッセイの使い回しとなっている。なので以下は同エッセイ(『小さな手袋』所収)から引用する。「十年前」とは勿論「黒と白の猫」が書かれた時のことである。
日記には「黒と白の猫」を書き終わって、一向に感心せず、と書いているが、これはそのときの正直な気持ちだろう。尤も書き終って、良く出来たと思ったことは一度も無いが、この作品の場合は自分でもよく判らなかったような気がする。よく判らなかったのは、主人公に初めて「大寺さん」を用いたからである。 突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない。「彼」でも不可ない。しっくりしないと云うよりは、鳥黐のようにあちこちべたべたくっつく所があって気に入らなかった。此方の気持の上では、いろんな感情が底に沈殿した上澄みのような所が書きたい。或は、肉の失せた白骨の上を乾いた風邪が吹過ぎるようなものを書きたい。そう思っているが、乾いた冷い風の替りに湿った生温い風が吹いて来る。こんな筈ではないと思って、一向に書けなかった。 それが書けたのは、大寺さん、を見附けたからである。一体どこで大寺さんを見附けたのか、どこから大寺さんが出て来たのか、いまではさっぱり判らない。 (「十年前))
「兎も角「僕」の荷物を「大寺さん」に肩代りさせたら、大寺さんはのこのこ歩き出したから吻とした。しかし、出来上がってみると、最初念頭にあった、上澄みとか、白骨の上を吹く乾いた風の感じが出たとは思われない。それで一向に感心せずとなったのだろう」と小沼は続けている。ここでわたしたちは、小島信夫が「アメリカン・スクール」について「今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」と語っていたことを思い出す。つまり小島も小沼も、一人称を架空の固有名詞に変換することによって、或る転回を成し得ている。興味深いことに、「私」で/と書くのを止めることが、むしろ「私/小説」を誕生、もしくは完成させているのである。 「アメリカン・スクール」前後の小島信夫の小説で、一人称の「僕」もしくは「私」で書かれていないのは、他には「声」(一九五五年)など数える程しかない。一九五五年には初の長編小説『島』の連載が「群像」で開始されるが、これも人称は「私」である。そして長編小説にかんしてみると、続く『裁判』(一九五六年)、『夜と昼の鎖』(一九五九年)、『墓碑銘』(一九六〇年)、『女流』(一九六一年)は全て一人称で書かれている。そして小島が初めて三人称で書いた長編小説が、他でもない『抱擁家族』(一九六五年)なのである。その書き出しは、次のようなものである。
三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。 家の中をほったらかしにして、台所へこもり、朝から茶をのみながら、話したり笑ったりばかりしている。応接間だって昨夜のままだ。清潔好きの妻の時子が、みちよを取締るのを、今日も忘れている。 自分の家がこんなふうであってはならない。…… (『抱擁家族』)
この「三輪俊介」は『抱擁家族』から三十二年後の一九九七年に刊行された長編『うるわしき日々』に(それだけの年を取って)再登場する。当然のことながら、一人称で書かれているからといって作者本人とイコールでないのと同じく、三人称で書かれているからといって作者とまったく無関係とは限らない。小島の他の長編小説、たとえば大作『別れる理由』(一九六八〜八一年まで連載)の「前田永造」であるとか『美濃』(一九八一年)の「古田信次」であるとかも、基本的には「小島信夫」の別名であると言ってしまって構わない。これはあらためてじっくりと論じてみたいと思っていることだが、日本文学、少なくとも或る時期以降の「日本」の「文学」は、煎じ詰めればその大半が広義の「私小説」である。それは人称の別にかかわらず、そうなのだ。その中にあって小島信夫は、かなり特異な存在だと言える。何故ならば小島は、自身の人生に材を取って膨大と言っていい小説を書いたのみならず、それらの小説群によって自らの人生自体をも刻々と小説化=虚構化していったからである。だが本稿ではこの点にはこれ以上は踏み込まず、小沼丹との比較対照に戻ることにする。それというのも、言うまでもないが『抱擁家族』でも「三輪俊介」の妻が亡くなるからである。 『抱擁家族』は、前半では「三輪俊介」の妻である「時子」と、三輪家に出入りしていたアメリカ兵ジョージとの姦通(次いで三輪家の二番目の家政婦である「正子」と息子の「良一」も関係を持つ)によって生じた「家/族」の危機が、後半では「時子」が癌に罹り月日を経て死に至るまでと、それ以後が描かれる。現実の小島信夫の最初の妻・キヨは、一���六三年十一月に数年の闘病生活の末に亡くなっている。これは小沼丹の妻の死の半年後のことである。小島信夫の代表作、おそらく最も有名な作品であろう『抱擁家族』は発表以来、さまざまに読まれてきた。言わずもがなではあるが、よく知られた論としては、実質的に「第三の新人」論と呼んでいい江藤淳『成熟と喪失』(一九六七年)が挙げられるだろうが、今から見れば些か過剰に社会反映論的とも思えるそこでの江藤の立論は、たとえ当たっていたとしてもわたしにはあまり面白くはない。今のわたしに面白いのは、たとえば小島の最初の評論集である『小島信夫文学論集』(一九六六年)収録の「『抱擁家族』ノート」における、次のような記述である。
時子の死ぬところがうまく行かない。つまらない。自然の要素が強すぎる。 しかし、ここをとるわけには行かない。一応こういう自然の時間を追うスタイルの小説だからである。
小説の推移、一つ一つの会話がそのまま混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである。そのくらい複雑でなければ、こういう問題を書く意味がない。 (「『抱擁家族』ノート」)
二つの断片を引いた。この「ノート」は、小島が実際に『抱擁家族』執筆に当たって作成した創作メモがもとになっているそうだが、最後の一文に「俊介は狂っている」とあり、思わず戦慄させられる。周知にように、小島信夫は小説と同じくらい、ことによるとそれ以上の労力を傾注して多数の小説論を書いた作家だが、自作にかかわる論においては常に、右の引用に示された紛れも無いパラドックスをめぐる葛藤が旋回している。すなわち「小説」と「自然の時間=人生そのもの」との、ややこしくもあり単純でもある関係性が孕むパラドックスである。それは小沼丹が「突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない」と悩んだあげくに、ふと「大寺さん」を発見したのと同じことである。 それならつまり、小島信夫も小沼丹も、自らの実人生に起きた、たとえば「妻の死」という決定的な出来事、悲劇と呼んで何ら差し支えあるまい出来事を、如何にして「小説」という虚構に落とし込むかという試行に呻吟した結果、それぞれにとっての小説家としてのブレイクスルーを成す『抱擁家族』と「黒と白の猫」という「三人称の私小説(的なるもの)」が産み落とされたのだ、と考えればいいのだろうか。それはまあそうなのだが、しかし両者の対処の仕方は、一見すると対照的である。『抱擁家族』では、夫である「三輪俊介」が、妻である「時子」の死に対して激しく動揺し、狼狽し、慟哭するさまが執拗に描かれている。その様子は勿論シリアスなものではあるが、しかし同時に奇妙な諧謔味を湛えてもおり、そしてその諧謔がぐるりと廻って哀しみを倍加する、というようなものになっている。それは名高い「私の妻は病気です。とても危いのです。その夫が私です」という台詞に象徴されているが、そこに作家自身の生の感情が吐露されていると考えてはならない。「アメリカン・スクール」で施されていたのと同様の戦略と計算が、ここにはより大胆かつ精妙に働いている。 たとえば次の場面には、小島の独特さが現れている。
病院での通夜までの間に一時間あった。その間、彼は病院の玄関に立っていた。涙がこみあげてきて、泣いているとうしろで廊下をするような足音がした。ふりかえるとカトリックの尼が、トイレから出てきたところで、トイレのドアがまだ動いているところであった。 二人の尼は俊介のところへおびえるようにして近よってきた。 「お亡くなりになったそうで」 眼から涙がこぼれおちてくる、と俊介は思った。 「先日はどうも」 と彼は口の中でいった。 「祈ってあげて下さい」 と若い女の方がいった。 「それは僕も祈りつづけてきたのですが、祈る相手がないのですよ。だからただ祈り、堪え、これからのことを考えるだけです」 「あなたは、今、神に近いところにおいでになりますよ」 「なぜですか」 俊介は尼について歩きはじめた。 「家内に死なれたからですか。これは一つの事業ですよ。その事業をぶざまになしとげただけのことですよ」 俊介の涙はとまった。 「ただ僕は子供がふびんで……これからどうして暮して行ったらいいのだろう。ずっと前から予想していたが、やっぱり思いがけないことが起きたのです」 (『抱擁家族』)
「『抱擁家族』ノート」には、こうある。「カトリックの尼を出す��時子は求めているらしいのに、追払う。こういう錯覚、洞察力のなさが俊介にはある。神の問題は、この程度にしかあらわれない。そういうこと、そのことを書く」。これはつまり、敢て、故意にそうしている、ということである。小島は、あくまでも意識的なのである。小島は「演劇」にも関心の深かった作家だが、ある意味で「三輪俊介」は、演劇的に慟哭してみせているのだ。 小島信夫は徹底して方法的な作家であり、彼の方法意識は『抱擁家族』でひとつの極点に達し、それから数十年をかけて、ゆっくりと小島信夫という人間そのものと渾然一体化してゆくことになるだろう。従って、それはやがて「方法」とは呼べなくなる。だが、ともかくも言えることは、『抱擁家族』という小説が、たとえ表面的/最終的にはそう見えなかったとしても、実際には精巧に造り込まれた作品なのだということである。以前の作品と較べて、明らかにスカスカを装った文体や、一読するだけではどうしてそこに置かれているのかよくわからない挿話、あまり意味のなさそうな主人公の述懐さえ、周到な準備と度重なる改稿によって編み出されたものなのである。 小沼丹の「大寺さんもの」は、「黒と白の猫」に始まり、計十二編が書かれた。最後の「ゴムの木」の発表は一九八一年なので、実に十七年にわたって書き継がれたことになる。いずれも、ほぼ作家と等身大とおぼしき「大寺さん」の日々が綴られている。そこでは確かに、お話を「作らないこと」が慎ましくも決然と実践されているようであり、また「自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向け」られていると読める。この意味で、小沼の姿勢は小島信夫とは些か異なっているかに思える。 だが、ほんとうにそうなのだろうか。「黒と白の猫」の、今度は末尾近くを読んでみよう。
大寺さんは吃驚した。 例の猫が飼主の家の戸口に、澄して坐っているのを発見したからである。大寺さんは二人の娘に注意した。娘達も驚いたらしい。 ーーあら、厭だ。あの猫生きてたのね。 ーーほんと、図々しいわね。 この際、図々しい、は穏当を欠くと大寺さんは思った。しかし、多少それに似た感想を覚えないでもなかった。大寺さんもその猫は死んだとばかり思っていたから、そいつが昔通り澄しているのを見ては呆れぬ訳には行かなかった。 (「黒と白の猫」)
この短編を、そして続く「大寺さんもの」を読んでゆく誰もが気付くこと、それは「大寺さん」が、やたらと「吃驚」ばかりしていることである。もちろん小沼丹の小説には、その最初期から「吃驚」の一語が幾度となく書き付けられてはいた。たとえば「村のエトランジェ」の冒頭も「河の土堤に上って、僕等は吃驚した」である。『黒いハンカチ』の「ニシ・アズマ」も、一編に一回は「吃驚」している。だが、それでも「大寺さんもの」における「吃驚」の頻出ぶりは、殆ど異様にさえ映る。なにしろ「大寺さん」は、悉く大したことには思えない、さして驚くには当たらない小さな出来事にばかり「吃驚」しているのだ。そして/しかし、にもかかわらず「大寺さん」は、真に不意打ちの、俄には信じ難い、受け入れ難い出来事に対しては、むしろ淡々としている。その最たるものが、身近な者たちの「死」に向き合う態度である。「黒と白の猫」には「細君が死んだと判ったとき、大寺さんは茫然とした。何故そんなことになったのか、さっぱり判らなかった」とある。彼は「茫然」としはするが、そのあとはせいぜい「しんみり」するくらいで、取り乱すことも、泣くこともない。「茫然」は、あっさりと恬然に、超然に席を譲るかにさえ思える。演劇的なまでにエモーショナルな『抱擁家族』の「三和俊介」とは、まったくもって対照的なのである。つまり「大寺さん」の「吃驚」は、実際の出来事の強度とは殆ど反比例しているのだ。 「大寺さんもの」第三作の「タロオ」(一九六六年)は、タロオという飼犬のエピソードで、最後にタロオは知人のAの所に貰われてゆく。
大寺さんがタロオを見たのは、それが最后である。タロオはその后十年以上生きていて死んだ。死ぬ前の頃は、歯も悉皆抜けて、耳も遠くなって、大分耄碌していたらしい。老衰で死んだのである。 その話を大寺さんはAから聞いた。 ーータロオが死んだとき、とAは云った。お知らせしようかなんて、うちで話していたんです。そしたら、奥さんがお亡くなりになったと云うんで、吃驚しちゃいまして…… ーーうん。 大寺さんの細君はその二ヶ月ばかり前に突然死んだのである。 (「タロオ」)
ここには「吃驚」の一語があるが、それは「大寺さん」のものではない。この短編で妻の死が持ち出されるのはこのときが最初で、そしてこれだけである。あと数行で、この小説は終わる。「……タロオをルック・サックに入れて持って来て呉れたTも、五、六年前に死んだっけ、と思った。そして、みんなみんないなくなった、と云う昔読んだ詩の一行を想い出したりした」。この幕切れは寂寞としてはいるが、哀しみと言うにはやはり妙に飄然としている。 「大寺さんもの」を通して、小沼丹は繰り返し繰り返し、幾つもの「死」を話題にする。それは疑いもなく作家自身が「身近な何でもない生活」の中で現実に出逢った「死」がもとになっている。要するに「大寺さんもの」とは、死をめぐる連作なのだと言ってもいいくらいに、そこでは死者たちの思い出が語られている。しかし、にもかかわらず、小沼の筆致はその点にかんしては、いや、とりわけそれに限って、只管に抑えられており、そしてその代わりに、彼の言う「何でもない生活」の周囲に、夥しい数の「吃驚」が配されているかのようなのだ。 だとしたら、これは、これもまた、一種の「お話」と言ってしまっていいのではあるまいか。小沼丹は「黒と白の猫」で変わったわけではなかった。彼の創意と技術は、むしろ以前よりも研ぎ澄まされていったのだ。小島信夫とは別の「方法」によって、だが底の底では極めてよく似た動機に突き動かされて、小沼は「大寺さん」というキャラクターを造り上げていったのではなかったか。その「動機」とは、受け入れ難いのに受け入れなくてはならない出来事を受け入れざるを得なかった、この自分を虚構化=小説化する、ということだった。 「大寺さんもの」の最終篇「ゴムの木」の終わりを引用して、本稿を閉じることにしたい。「黒と白の猫」が「黒と白の猫」のお話だったように、「タロオ」が「タロオ」のお話だったように、これは「ゴムの木」のお話である。
いつだったか、大寺さんの娘の秋子が、ちっぽけな男の子を連れて大寺さんの家に遊びに来たとき、何かの弾みで想い出したのだろう、 ーーウエンズさんに頂いたゴムの木、どうしたかしら? まだ、あります? と訊いた。 ーーあれだ。 と大寺さんが教えてやると、 ーーまあ、驚いた。あんなに大きくなったの……。 と眼を丸くした。大寺さんも何となくゴムの木を見ていたら、青い葉の傍に恨めしそうな眼があったから吃驚した。 (「ゴムの木」)
最後の「吃驚」に、わたしは思わず吃驚した。この「眼」はいったい何なのか、まったく説明はない。まるで「村のエトランジェ」の頃に戻ったかのようではないか。しかしこれ以降、小沼丹の小説は、ますますエッセイと見分けがつかなくなってゆく。彼は一九九六年、七七歳で没した。「ゴムの木」が書かれたのと同じ一九八一年、小島信夫は大作『別れる理由』の連載を終え、『女流』の続編である『菅野満子の手紙』の連載を始め、『美濃』を刊行した。小島は二〇〇六年、最後の長編『残光』を発表し、それから間もなく亡くなった。九一歳だった。
(初出:三田文学)
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