#湖面を渡る朝の風
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4/7 箪笥をパタパタ倒したりぐりぐり引き摺ったりわっせわっせ担いだりしていく人たちの後を途中まで追い、タイヤの履き替え予約をしていたため離脱。海までついて行きたかった。箪笥と人々は無事海を護岸まで渡り、持ち帰られたり崩して燃料として引き取られたりしたらしい。
4/8 次の家の片付け。外は暖かいのに家の中がひんやりで、冬が思いやられつつ……他人の荷物を片付けながら、私は持ち続けたいと思えるもの少量と付き合っていくのだと改めて念ずる。
4/9 おやすみおでかけ。道を歩いていて、ふと手の指が腫れているのに気づいて立ち止まりそれを見ていたら、10秒後に自転車に追突された。足と足の間にタイヤが入り、かごのあたりがお尻にぬっと当たる。あっ、あっ、と乗っていたおばさんが、すみませんよそ見していて、ちょうど入りましたね、と口走り、互いにヘラヘラした。すこしも痛くなかった。/滝を見に行ったけど日照り続きで枯れてた。/湖を見に行ったけど工事をしていて殺風景だった。/老舗の旅館の喫茶室へいった。うららかな昼間をのんびり過ごし、夕暮れ時にもう一軒の喫茶室へ行った。良心と喜びが残る余白に安心した。/帰宅してご飯。じゃがいもを薄く切って揚げ蒸し焼きのようにしたりと。/恋恋風塵を観た。あの田舎の集落の広場のような場所がほしい。
4/10 人気ない庭に寝巻きのまま出て日光浴ができたら、このやるせない朝は無くなるんじゃないかと思う。/雨降り低気圧頭痛。/通ってる温泉から電話があって、排水溝が詰まって数日間入れないかもしれないと。/モリスのユートピアだよりをここ数日読んでいる。初めは面白かったけれどもうユートピアはいいかな。/全身小説家を観た。肝臓がんの手術のシーンがあった。肝臓にカビみたいなのが生えていて、今朝失敗してカビを生やしてしまった甘酒みたいだなと思った。
4/11 ドラッグストア買うようなものたちを一度全部やめしばらく経ったので、やっぱり必要だぅだものたちだけを買う。ずっと無いことの無い生活だったから、無いことを一度意識的に通る。/業務委託で仕事することになって、その打ち合わせ、のち、お店開ける。/橋本治の本読みながら言われた通りにセーターをつくる。明日毛糸が届くから、今日は型紙を準備した。
4/12 春、自分のお店を開いているよりも行きたい催しがたくさんある。/南米生まれの友人がまたその友人と連れ立って来店し、私は踊るようなスペイン語を聞きながら編み物をしていた。
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幻想の銀河を握りしめる
ぼんやりとしているうちに、八月が終わってしまいそうだ。
今年は、ツバメのねぐら入りを見に平城京へ行くタイミングがなかったし、大台ヶ原も二回しかいけなかった。コマドリの写真はもちろん撮れていない。わたしは結構大台ヶ原の運はよくて、行けばコマドリを見ることができていたのだけれど……鳥というのは、なかなかむずかしい。
代わりに先週、十津川村の「玉置神社」というところに行った。 「呼ばれなければ行けない神社」と言われている。奈良県十津川村は、吉野郡に属するのに三重県からだと、和歌山を回った方がはやくつく。 三時半に家を出て、八時半くらいについたかな……。 山に登るタイプの家族と一緒に行ったので、まずは玉置山にのぼった。のぼりはじめてすぐ、カケスが目の前に飛び出してきた。望遠を引いても見切れるくらいの間近でしばらくたたずんでいて、うごけないままシャッターを切った。びっくりした。 こんな幸運があると、(まずこの神社にたどり着けたことが幸運で、「呼ばれていない」ときはカーナビが壊れたり車が壊れたりするらしいが)この土地の神々は、わたしを受け入れてくれたんだ、と思う。 山頂へ行き、下っているあいだに、鳥はあまりいなかったが、見たことのない花をたくさん見た。ホトトギス、という種類の花らしい。 リスがしきりに鳴いていた。 お参りを済ませてから御朱印をもらい、紙製のお守りと陀羅尼助を買った。お守りは最初はスマホケースに入れていたのだが、トイレとかにも持ち歩くことを考えたら、なんだか神様に狼藉を働いているような気がして、財布に入れ替えた。

お参りを終えたのがお昼まえで、そのまま熊野本宮大社へ行った。八咫烏のグッズや置物がたくさんあった。八咫ポストというのがあったので、いずれわたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさいひとにはがきを送った。自分には、八咫烏のピンバッヂを買った。木曽駒ヶ岳で帽子をなくしてしまい、お気に入りのライチョウとルリビタキのピンバッヂも一緒になくなってしまったので、新しい帽子に付けた。かわいい。
それはそうと、いま田中芳樹の『銀河英雄伝説』を読みかえしている。先々週の台風で仕事を休んだ日に、急に読み返したくなって読み始めた。いまは6巻。ヤンイレギュラーズが結成されたあたり。 社会情勢が日々悪くなってゆき、暗澹とした未来しか見えない。そんな状況でこの物語を読むと、ラインハルト・フォン・ローエングラムの存在を切望し、いないことに落胆する自分がいてぞっとする。 物語に指摘されずともいまの日本の状況には、成人して参政権のあるわたしにも責任がある。それなのに、絶対的な善性を持った、カリスマ性のある誰かに、この状況を打破してもらおうと期待している。そしてそんな人が現れないことに、毎朝、(通勤の電車で読んでいるので)やるせなさを感じてしまう。 社会のかわらなさ、どうにもならなさ、悪化に歯止めのかからなさ、それらに追い詰められている。 わたしにできるのは自分の善性を信じ、また疑いながら、日々を過ごしてゆくことと、それを他者に働きかけること。それはわたしの現在をいますぐ変えてくれることはないかもしれないが、わたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさい人が、人生選択をするころには、作用していてくれればいいと思う。 わたしは生きることをつづけて行けるだけの幸運さがあり、まだ生きるという抵抗をやめずにすんでいる。
そんなことを思いながら、今日は伊良子へ渡った。伊良子清白という詩人は、自分が伊良子という姓だから伊良湖岬のことをあえて「伊良子」と書いたらしい。わたしもそれに倣っている。 行きのフェリーで、シェアオフィスの一階のちゃんぽん屋さん夫妻にである。今日から夏休みでお出かけのようだった。少し話をして、わたしは鳥を鳥にサイドデッキヘ。 鳥羽ー伊良子航路は、神島ー伊良子間にオオミズナギドリが多く飛ぶ。水面すれすれを飛び、ときに水面に片翼の切っ先をすべらせて澪を引くその姿のうつくしいこと。 風を得て、羽ばたかずにただ身を風に乗せている、その動きの簡潔さと効率に感動する。いまは「アホウドリ」と呼ばれているオキノタユウをこの航路で見ることはできず、オオミズナギドリの飛翔を見て想像するしかないが、かれらは荒天のほうが生き生きと飛ぶらしい。眠りながらでも飛び続けられるというから驚きで、その姿をこの目で見たいと切望している。 恋路ヶ浜で去年ノビタキを見たので探そうと思っていたが、暑すぎて無理だった。「日本で二番目においしいかき氷」のお店でかき氷を食べた。このお店はシロップが自家製で、田原の特産物を使っている。わたしはいま銀英伝を読んでいるので、ヤンのことを思いながら紅茶シロップにした。 それにしても、暑かった。水温が上昇しすぎた海には魚が減ったと漁師たちが嘆く。渡り鳥の種類も減ったり変わったり(渡りのルートや時期も変���ってしまっているらしい)していると、何十年もバードウォッチングをつづけているひとたちは言う。 人間が滅びてしまっても、鳥や魚たちはやはり各々の営みをつづけるのだろうが、それでも、人間による傷跡のことを考える。遠い昔からわたしたち人間という種族が滅ぼしつづけてきた生物、そしていまだ滅ぼすことをやめない生物たちに対して負っている責任��ことを。 帰り際、遊歩道でくちばしにルアーが引っかかっているアオサギをみる。このアオサギも、人間によって迷惑を被っている鳥なのだ。そしてその個体を直接的に救うすべを、わたしは持っていない。
復路にもミズナギドリは飛んでいた。フェリーに併走するように飛ぶ鳥は、とてもうつくしかった。

神島を過ぎ、鳥の姿も見えなくなって、SNSの友人たちに旅の報告をしていたら、TLに自分の本の写真が流れてきた。 千葉の書店「本屋lighthouse」さんが、『ゆけ、この広い広い大通りを』を取り扱ってくれることになった。セーファースペースの取組みをしている書店さんで、この本を並べてもらえることは、ほんとうにうれしい。安心してお買い物できると思うので、本をお求めの方は是非本屋lighthouseさんのショップから買ってください。

日々、いろんなことを考えている。 考えるだけでは、まえに進まないこともたくさんある。それでも、とりあえず考えなければならなくて、考えの果てに、すこしはよい未来がありますようにと思っている。
文フリ大阪が間近だ。 ヨモツヘグイニナからは再録短編集の新刊はあるけれど、どうか日々詩編集室から出る『ゆけ、この広い広い大通りを』をよろしくおねがいします。
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各地句会報
花鳥誌 令和7年3月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年12月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
火野正平まで連れて逝く冬の雨 清女 淋しさは犬との会話冬の雨 同 赤椿狂ひ咲きして天守坂 千加江 忘れ上手になれよと男近松忌 雪 顔のいづれ淋しき菊人形 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月5日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
11月句会
街路樹や日々の黄落留まらず 由季子 黄泉の祖父何方に振る舞ひ根深汁 同 球根を深々と植ゑ春を待つ 喜代子 泣き笑ひ最後は無言冬に入る さとみ 根くらべ集めて散りし柿落葉 同 古き蔵新酒の香り醸し出し 都 云はずとも母が用意の夜食かな 同
12月句会
道楽も過ぎて齢の木の葉髪 由季子 枯蓮の水面ぼやつと疲れ顔 さとみ 空耳か武者の叫びの虎落笛 都 冬怒濤雄島は人を寄せ付けず 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
縁者なきマリア観音冬ざるる 久 近づけば寡黙にあらず冬の墓 荘吉 素つ気なく通り抜けたる冬の墓地 同 冬ざるるものへとマリア傾ぎゐて はるか 拾うてはもらへぬ供花と凍蝶と 和子 枯れて尚マリアの像を守るかな 三��� クリスマスソングピアノの墓石より 慶月 その墓碑に冬あたたかなひびのあり 和子
岡田順子選 特選句
イザベラの墓へと枯葉踏み残す はるか 槙大樹聖樹となりて花鳥子へ 毬子 冬の日は小さき道を真白にす 小鳥 枯野よりゾンビのやうに師が来たる 光子 維新に死す墓を巡りて饂飩すき 俊樹 すずかけや裸木になるまでの音 和子 電飾の届かぬ異人墓地の冬 毬子 としあつは俊厚と書く冬の墓碑 俊樹 黄葉の錐を瑕疵なき青空へ 要 枯蔦を解く術なぞはありもせず 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
火事現場逃げ遅れたる子を抱へ 朝子 押し花の一片欠けて冬の蝶 睦子 仮想の世に情は残りて近松忌 美穂 語られて哀しき火事の妓楼跡 かおり 大火事に昭和の町の灯の消えて 光子 「小火です」と電話口より消防士 成子 若き夢みさせし映画館の火事 睦子 江戸大火偲ぶ救ひ��橋いくつ 久美子 逝く人の煙ひとすぢ霜の朝 朝子 火事燻るや愛憎の落し所 睦子 火の見櫓都市の底ひへ沈みたり かおり 時雨るゝやアウシュヴィッツもアフガンも 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
具材盛る母の湯豆腐命日に のりこ 紅葉山初冠雪の遠見かな 聰 白鳥の雅に進む濠深き 秋尚 新雪を掌に受く静けさよ ます江 窓明けて初冠雪の富士拝す 怜 白鳥や富士を見渡す山中湖 貴薫 白鳥を茜に染めて湖落陽 三無 初雪や窓を絵文字にする子たち 聰 初雪や淡い思ひ出いつまでも 秋尚 初雪や喜ぶ孫の靴の跡 史空 白鳥の飛び立つ姿勇ましく さちこ 湯豆腐を頰張る友の皺の増え 史空 初雪や風音もなく降りしきる 廸子 湯豆腐や友あの頃の顔となり 三無 湯豆腐に心ほぐれて二人酒 廸子 湯豆腐や流れやさしき河の辺に 和魚 白鳥をゴン太と呼ばふ人の逝く 貴薫 湯豆腐を崩さず掬ふ紅の爪 三無 今朝の富士初雪まとふ勇姿かな エイ子 湯豆腐や昔の話に頰染めて 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月10日 萩花鳥会
焼き芋の声透き通り冬に入る 俊文 石焼ィー藷遠ざかり往きしまま 健雄 焼藷をくるんで熱き新聞紙 恒雄 夜勤明け焼藷食みつ帰り道 綾子 何か住む田なかひと町枯葎 美恵子
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令和6年12月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
日溜に息衝き蝶の凍てゆくか 美智子 顔揚げて冬日に甘え芝広場 栄子 鴉鳴く寒林ふいに淋しくて 都 箒目のたちたる園に散る紅葉 和子 生き様のあるが如くに木の葉舞ひ 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
色もなく静かに眠る冬田かな 紀子 紙を漉く季節の飾り散りばめて 裕子 隙間風母と耐へしは昭和なり みえこ しあはせは日向ぼつこの中にある 裕子 初雪に歌ひ出すあの一小節 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
由緒ある館を覆ひ蔦かるる 和代 蔦枯れて残る雨の音風の音 幸子 葱買ひて妻に戻りて帰り道 三無 園児らの声弾みをり日向ぼこ 白陶 鼻の先冷たくなりて句座につく 同 野仏を労はるやうに石蕗の花 幸風 北風に騒めき起こるアスファルト 白陶 枯蔦の中に灯をともすジァズ喫茶 三無 根深汁啜る心は故郷へ 和代 ことさらに人に告げたき枇杷の花 白陶 経あげて冬青空を拝しけり 秋尚 人参引くやはらかき葉の心地良さ 幸子 碧天の雲一つなき枇杷の花 文英 短日や小走りになる下り坂 恭子 牡蠣筏島に抱かれ守られて 幸子 日を溜めてポインセチアの小さき鉢 秋尚 張替へし障子の白に思ふこと 多美女 寒空の墓碑に誦経を修しけり 幸風 息深くして残菊の香に染まり 三無 深谷ねぎ譲る先々崇められ 幸子 住み古りて枯菊を焚く夕間暮れ 美枝子 冬日背にたつぷり溜めて句碑拝す 秋尚 べりべりと枯蔦はがす蔵の壁 幸風 山間の畑の一畝葱坊主 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
裸木の並木一本づつ孤独 三無 乾きたる落葉の音を深く踏む 秋尚 応へなき観音に問ふ寒さかな 三無 冬日には届かぬ観音様の指 慶月 冬ざるる枡形山に武者の翳 月惑 冬日和影の大きな母の塔 斉 冬紅葉素知らぬふりの母の塔 三無 急磴の手摺冷たく母の塔 芙佐子
栗林圭魚選 特選句
枯れ野行く躓く石も皆乾き 軽象 綿虫とぶ山日の暈を大仰に 千種 敷松葉旧家の縁の蘇鉄かな 久子 凜として冬青草の戦ぎたり 三無 冬晴や大きく開けて蔵の窓 芙佐子 冬ざるる枡形山に武者の翳 月惑 碧空にメタセコイアの冬木立 白陶 静寂の谷戸の小流れ冬紅葉 ます江 冬日和影の大きな母の塔 斉 遠富士を冬青空に確と嵌め 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
無人駅芒の穂波金と銀 世詩明 虚子偲ぶ三國しぐれの中にかな かづを 落葉掻き柿の木二本栗二本 清女 産土の���馬は白蛇年用意 希子 省くもの影さへ省く枯木立 同 初雪の門前に立つ修行僧 隆司 寒修行手足真つ赤になりまうす 同 無精髭似合ふ漢の懐手 千加江 人恋ひの世を永らへて近松忌 雪 近松忌黄泉に携ふ文書かん 同 時雨の人よりと結びし古き文 同 書きかけの手紙の続き十三夜 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
顔の菊人形でありにけり 雪 濃き縁薄き縁も近松忌 同 越前に生れて老いて菊膾 同 湖を吹く風が遺してゆく寒さ かずを 九頭竜を揺り篭とし鴨浮寝 同 目に見えぬものが背を押す師走街 同 雪囲ひうす暗がりの仏達 ただし 獣をやさしく抱へ山眠る みす枝 ポインセチア妻と二人の医者通ひ ただし 風花の風山からも海からも 世詩明 再手術生きねばならぬ去年今年 同 極月や韋駄天走り買物に みす枝 日本海屋根の上まで浪の花 同 笑ひじわ一本増えて年の暮 真喜栄 肩の荷の一つ減らして年惜む 同 断崖を香りでつつむ野水仙 英美子 薄つすらと甍に雪の初便り 喜代美 板塀の木戸から婦人近松忌 嘉和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年12月20日 さきたま花鳥句会
半身出し指呼の車掌の息白し 月惑 鴨の陣水面につくるある秩序 八草 竹輪麩におでん談義の始まれり 裕章 昏れなづむ街に消えゆく大熊手 紀花 酉の市客待つ人の股火鉢 ふゆ子 早口の会話飛び交ふ年の暮 としゑ 家用の小熊手買ひて大手締め 久絵 雨上り土ふくらませ生姜の香 康子 冬服や流行遅れの肩パット 恵美子 神宮の森寒禽の声あまた みのり 雪吊を見事に仕上げ茶屋の前 彩香 五十年砥石の凹み十二月 良江
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2025/1/21 10:00:05現在のニュース
トランプ大統領、「パリ協定」から再離脱する大統領令に署名(毎日新聞, 2025/1/21 9:59:49) 「高額所得者が塾代に使う」 自民、私立高校無償化は教育格差拡大招くと指摘([B!]産経新聞, 2025/1/21 9:57:13) トランプ氏が大統領令への署名開始 前政権の大統領令78件取り消し(朝日新聞, 2025/1/21 9:55:02) 田沼意次の「お国入り」文書発見 「べらぼう」に合わせて展示へ(毎日新聞, 2025/1/21 9:52:45) 広島県、トランプ米大統領に訪問を要請 被爆者との対話も求める(朝日新聞, 2025/1/21 9:47:17) 「パナマ運河を取り戻す」「火星に宇宙飛行士を」トランプ氏就任演説全文(後半)([B!]読売新聞, 2025/1/21 9:39:09) フーシ派、イスラエル関連の船舶に攻撃を継続すると主張 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/21 9:37:51) ガザ地区のがれきから97人の遺体 南部では狙撃による死者も | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/21 9:37:51) 「ウクライナで衛生兵」称し支援物資の薬だまし取る、「注目されることに高揚感」…無職男に有罪判決([B!]読売新聞, 2025/1/21 9:33:16) キャベツ高値で「吉田のうどん」ピンチ…トッピングに使い独自の文化、「このままでは値上げせざるを得ない」([B!]読売新聞, 2025/1/21 9:33:16) 【そもそも解説】トランプ氏が早速署名 米国の大統領令ってなに?(朝日新聞, 2025/1/21 9:32:47) ビットコイン、1カ月ぶり最高値更新 トランプ氏就任で緩和期待(毎日新聞, 2025/1/21 9:31:19) 諏訪湖の御神渡り、今年はどうなる? 観察中日、全面結氷に程遠く(毎日新聞, 2025/1/21 9:31:19) 「米国の黄金時代が今まさに始まる」 トランプ大統領が就任演説 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/21 9:30:16) トランプ氏が関税引き上げ強化を表明 「自国民富ませるため」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/21 9:30:16) トランプ政権、パリ協定再離脱を表明 風力発電向け土地貸与も禁止へ | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/21 9:30:16)
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online shop update 〜 儚くも美しい氷の世界

こんばんは。
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「御神渡り」(おみわたり)
長野県諏訪湖で発生する、冬の自然現象である。
これは、湖面が全面凍結し、氷が隆起することによって湖面に氷の山脈が発生する現象のことを言う。
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古くより、神様が湖の上を歩いた跡だと言われている。
「御神渡り」が発生すると、氷の亀裂を観測し、その年の雨量であったり、農作物の吉凶なんかを占って発表する習わしがあるそうだ。
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残念ながら、ここ数年暖冬が続いており、「御神渡り」が観測されない年が続いている。(最後に観測されたのは2018年のことになる。)
そんな「御神渡り」が発生しないことを「明けの海」と言うそうだ。
僕は、小寒から大寒にかけての約1ヶ月。
毎年、遠く大阪から「御神渡り」の発生状況をついついチェックしてしまう。
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発生したからといって僕の生活に大きな影響を及ぼす訳ではないけど、古くから毎年観測が続けられてきた文化として、チェックしてしまうのだ。

今年の年末年始は2年ぶりに実家の長野に帰省した。
電車を降りると、肌を刺すような冬の冷気を感じた。
骨身に染み入る冷気だけど、どこか懐かしく、スッとするような冷気だ。
もちろん、長時間そんな冷気に晒されていると凍えてしまうのだけど、暖かな車内から出た瞬間に感じる、地元の冷気はどこか気持ちよく感じる。

年明け、元日は快晴だった。
関西の方には理解されないのだけど、雪が降る日より晴れた日の方が朝の冷え込みが厳しい。
外に出ると、あちらこちらに降りた霜が、年明けの光を反射し、閃光が走ったかのように、いつも以上に眩しく感じた。

少し辺りを歩くと、路面に氷が張っていた。
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地元にいた頃は当たり前に見かけた風景も、大阪にいるとすっかり忘れてしまう。
そんな氷をじっと見ていると、その氷上に現れる模様に心を奪われてしまった。

僕が見た氷がたまたま美しかったのかもしれない。
それはまさに自然が生み出した、再現性不可能な、一期一会の美しさとも言える。

「氷紋」だったり、「樹氷」だったり、「氷柱」だったり。
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氷が生み出す美しい世界がある。
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時間をかけて生まれるものだったり。
気温や風など、他の自然現象と出会うことでできるものだったり。
自然の力によって生まれる偶発的な美しい氷の世界。
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「御神渡り」だって、そういった自然現象の一つなのだ。

冬の朝。
布団から出るのは辛いけど。
そんな凍てつく寒さから見ることのできる美しい世界がある。
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可愛かったり。
ランダムだったり。
美しかったり。
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今回は、氷が生み出す、僅かな美しい世界を見た時の感動を思いながらアイテムをピックしてみた。

氷が生み出す世界は永遠に残るものでもない。
消えゆく美しさで、儚い美しさでもある。
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もし良かったら、そんな氷が生み出す儚ない世界を思いながら、装いという永遠に落とし込んでもらえると嬉しく思う。
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なお、オンラインショップは下記からご覧いただける。
それでは、次回もお楽しみに。

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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら���かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家��柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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2024.08 水晶岳(雲ノ平~水晶岳)

水晶岳からの帰り、右に鷲羽岳、左奥に槍
折立~雲ノ平より
テントを張り水晶岳へ向かうが、身体にはかなりハード。その代わり近くの百名山である鷲羽は登らないことに。アタックザックに変えてかなり軽量になった・・・とはいえさっきから水晶岳見えているけど、かなり遠回りルートで距離かなりあるぞ。
【コースタイム】雲ノ平テント場(0835)→祖父岳分岐(0900)→祖父岳(0920)→岩苔乗越(0950)→ワリモ北分岐(0955)→水晶小屋(1020)→水晶岳(1050-1100)→水晶小屋(1125-1155)→ワリモ北分岐(1210)→岩苔乗越(1215)→祖父岳(1240)→祖父岳分岐(1255)→雲ノ平テント場(1220)

まず祖父岳を登らなければならない(巻道なし)。木道を進み、祖父岳と三俣山荘の分岐を通過する。写真右下の地面がテント場。歩きやすい礫の道。

分岐からはゴーロ帯。ハイマツも生えており、雷鳥3羽と会う。帰りにも同じ場所に3羽いて、おそらく同じ個体か。

雲ノ平テント場から祖父岳まで1時間弱。周囲の山々見渡せるとてもいいスポット。

薬師岳。あの左肩に昨日通過してきた太郎平小屋あり(たぶん見切れている)。

手前に双六、奥に槍ヶ岳の北鎌尾根~穂高岳まで

黒部五郎岳。黒部五郎カールを正面に。

祖父岳山頂より。向こうに見える稜線(ワリモ北分岐)まで到達したのち、左に向かった先が水晶岳。途中にカルストみたいな岩場を通過するが、そこはお花畑広がっていてキレイ。

ワリモ北分岐を目指して歩き続け、岩苔乗越という鞍部に到着、上に見えるのがワリモ北分岐。

ワリモ北分岐。ここは水晶岳と鷲羽岳の分岐点となる。ザックがいくつかデポられているが、鷲羽へ向かう人達のかな?水晶岳まではまだ遠くてここでデポるのは不適。

ワリモ北分岐から先は気持ちの良い稜線歩き、左端が水晶岳。途中で通過する水晶小屋は稜線の向こう側にあるため近づくまで見えない。

景色よく、振り向いて槍ヶ岳を。中央に写るのは鷲羽岳。

水晶小屋はけっこう先にあり、雲ノ平テント場から2時間経った。

ここから水晶岳は目の前に見えるが、まだ距離がある。


水晶小屋~水晶岳の間の半分は岩稜で、しかも少し危ない。初心者でも登れはするが注意。

水晶岳は名前の通り、昔水晶が採れたことによる。今は登山道上には転がっていないし、国立公園内(だよね?)なので持ち帰り自体も禁止されている。山頂近くにはところどろころ石英が露出している。


水晶小屋からは約30分、雲ノ平テント場からは約3時間で水晶岳に到着。山頂は狭く、10人以上立つのは危ないか。周囲はどんどん雲に覆われているが、ぎりセーフで槍ヶ岳バックに写真撮れた。

遠くには黒部ダムによりできた黒部湖。たぶん奥にダムのアーチも見えているはず。

小屋へ戻る。左上のピークの左肩に小さく小屋が見えている。

水晶小屋で昼食、力汁1200円(野口五郎岳をバックに)。甘味噌に焼いたお餅2個入、自由にニンニク入れてよく、スタミナめっちゃつく!ものすごく美味しくて感動した。山で食べた食事の中でトップ3に入るかと。

食べている間にツアーの登山者らが野口五郎岳へ向かう。彼らの本日の宿泊地は野口五郎小屋か?ちなみに水晶小屋から野口五郎岳へ向かう稜線は非常に強い風が吹きすさぶポイントで、今ほど装備が充実していない昔は低体温症になった遭難者(死者)が多かったとか。

水晶小屋で30分ほど休憩し、あとは雲ノ平に戻るだけだが、まあ距離が長いなあ。写真左からぐるっとまわって祖父岳を踏み、右端の平らになっているところ、ギリ小さく雲ノ平山荘が見える。

先ほども見た光景だが、気持ちの良い稜線歩き

岩苔乗越付近。そこまで大きなピークではないのだが、目の前の祖父岳を踏まなければ帰れないのが大変。

水晶小屋から祖父岳まで約1時間。雲ノ平山荘の赤い屋根が近づく。あとは下ってテント場へ。途中で往路でも見かけた雷鳥3羽。

水晶小屋から1時間半でテント場到着。この日は薬師沢小屋を朝5時半に出て行動していたため、行動時間8時間となった。テントについたらさすがに体を休めてゴロゴロ、曇って風が出てくるとさすがに標高2500mあるだけ寒い。

スイス庭園へ寄ってみた。ここは雲ノ平周辺で唯一(?)携帯の電波が通じるところ。
薬師沢小屋から大荷物背負って、そして水晶岳ピストンは体力的に意外と持ったが、鷲羽まで踏んでたらヤバそうだったので、行かなくて正解だった。18時くらいから雨が振り始めた。雲ノ平は真っ白な霧に覆われた。夜から早朝にかけては結構激しく降ったらしい(寝てたのであまりわからなかった)。
水晶岳は立山や槍ヶ岳から眺めるとあまりパッとしない山容だが、雲ノ平から見るととてつもない存在感を発するし、道中や山頂からの景色も素晴らしい。百名山の中でもアクセスし辛い秘境の山であり、とても威厳の高い山である。
つづく
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(途中でやめるショップから)
途中でやめる新作UPしましたよんよん
https://tochuyame.thebase.in
2024/10/05と10月6日(日)は三茶生活工房に13時〜19時で在廊しておりますので、バイトやめる学校読みました(本当は読んでないけど)!俺もバイト辞めてぇっす相談いつでもお待ちしておりますよんよん
10月4日のことの下の方に書いておりますが10月12日から神田TETOKAでPOTTOの山本さんとSAU /健康のホリさんとヌノワールというダジャレな展覧会やります。
10月は長崎から無為の萌ちゃんが直売やりにやってくるし、11月は福岡からフミカッツが直売にやってくる、やいやい厚着だ厚着だ!
早朝から書いてみる。朝飯も食べずに
2024年10月4日のこと
おはようございますアトリエ文学
昨日は昼から編集のオーカワさんがやってくるのと、13時にバイトのリコ、アンナちゃんが来てクレカの使い方説明などをやる。
オーカワさんと昼飯。湖南料理屋で羊を食べる食べる。相変わらずのうまさと、前回ランチで定食食べただけだったからピータンをゴマすりみたいなのでパクチーと青唐辛子と一緒にすりおろすのと、きゅうりの大葉炒め揚げもオーダー。定食はレモングラス羊酸スープ豆腐麺みたいなの。とにかくうまくてうまくて、うまいうまい、うまいうまいいと言いながら食べる。
三茶の西友の向かいの7階にあります。味坊グループの店です。
展示に戻ったら、あめつうしんの田上さんが来てくれてご挨拶。
丁度来てくれるとのことだったので、立花文穂と草間京平について話す。
外山滋比古が朝起きて、飯も食わずにバチコン書けって書いてたけど、、コラー!頭冴え渡るどころか、ぼーっとして何も思い浮かばんやんけやんけ。
朝飯食べてきます。
朝ご飯食べて一眠りしてツイッターのショート動画見てたらもうこんな時間文学
これよこれよこれよ、ユニクロ万引き団じゃないっての
明日から滋賀県でガリ版展始まるのよ。いつ行こうかな。日帰りかな
秋は外の気温が気持ちいいいから、外に椅子持って行ってコーヒー入れてハンモックやりてぇな
キャンキャン、風呂から上がりましたよ文学
今日は、仕入れに行って三茶に寄って、仕入れに行ってと三茶をハブにしたらいろんなところが巡れるのではないか?と思っております
三茶、生活工房を展示ギャラリーじゃなくて事務所兼作業場兼SHOPにすることで家賃無料の開放区を作ることに成功したんですが、さらに輪をかけて、ヒカちゃんギャラリーの奥にある薄い布きれがかかけられた場所が俺の快活倶楽部個室として漫画喫茶の個室機能も兼ねていてそこで安眠してるんすよ実は。
さらに、新大久保の自宅が仕入れた荷物を置く場になってたけど、世田谷、二子玉川界隈で仕入れたら三茶にブッ込めるから大胆な仕入れも可能になる
こりゃぁ楽しくなってきましたよ
明日2024/10/05は14時からミシン修理がやってきてくれます。。修理見学料1000円にしたら修理代25000円をPAYできるか?
↑できるわけねぇだろ!しかし、そういう視点は大事ですよ賞差し上げます
ギャンギャン
佐久間宣行のオールナイトニッポン聴いてたら娘(18歳)と夜に散歩に行ったトークをしてて、その後にジュディマリの散歩道が流れて、若い頃に聴こえてきたジュディマリとは違う、娘を持つ父として聴こえてくるジュディマリ最高やんけ!
キャンキャンキャン キャンだキャンだ神田の手と花でヌノワールやりますやりますやりますよーー
手と花では2024年10月12日(土)〜10月27日(日)の会期でホリヒロカズ・山下陽光・山本哲也 『ヌノワール』を開催いたします
https://tetoka.jp/archives/9842
2024年10月3日のこと
おはようございます庭文学
少し眠い
昨日も生活工房ギャラリーに行く前に少し作ったり、締切原稿を書いたりしてたんだけど、どうにもうまくいかない。書きたいことはたくさんあるし、ここにこうやって書いてるけど、いざ本番原稿となると筆が進まない
なんでなんすかねぇ
これなら死ぬほど書けるし200くらいススっと書いちゃう書いちゃう
一生本番なけりゃいいのにねぇ
庭で書くようになってから一ヶ月くらい経ったでしょうか、少し小雨が降ってきたんですが木のおかげで雨を一度も感じなかった。そして止んだ。
木よ!枝よ!葉よ!
鳩よ!って雑誌あったね。
なんだよ!ってアンサー雑誌作ろうか
鳩目線で
石野卓球が1秒に6回くらいツイートしてる時にリアルタイムで更新が見れたら嬉しいよなと思って書きました。
起きたよぴぴちゃん
↑誰がわかるんだよバカちんが
高円寺にある雀蜂ってお店のスタッフだったピピちゃんが起きた時にするツイートです
というわけで寝て起きました。20分くらい寝たら絶好調になる
昨日から引き続きの夢はタトゥー入りまくりの警察の顔はタトゥーに目が行きすぎて顔を全部忘れるので泥棒に入られやすい。という安すぎるコナンネタみたい夢です
さて、昨日は久々に生活工房に行ったら三人くらいから質問攻めされたのでみんな座ってもらって気がついたらその三人のうちの2人が仲良くなってたので、まずはおもしろ金儲けも大事ですが、友達を作る、話し相手になる、聞くってのは超大事な気がします
Mr.佐藤さんと2軒呑みに行って三茶の夜をウロウロするのは楽しいですね���2軒目に行った店で4人の団体客がうるさすぎてマスターか店員か常連か俺かMr.佐藤の誰がそいつらを殴っても合法ってくらいにうるさくて、誰も何もしなかったけど、あのうるささは殴っといてもよかったなと皆が思ってました
ギャンギャンギャン
2024年10月2日のこと
おはようございます庭文学
昨日は起きて、朝ごはん食べて、もう10月か、なんて言いながら我が家は月末からアイスコーヒーからホットコに変わったんですがアイスコだと氷とミルクで薄くなるからカフェインが優しく許してくれますがトコはぬるくなってもカフェイン強めなので靠れるので、飲みかけのトコに氷とミルクを入れてスコに変えたら味変じゃなくて温度変で快適最高
ちょっと待ってくれよ、冒頭からトコもスコも靠れも、わからんぞい!
わかんないと思ったので、最初にアイスコーヒーって書いた後にホットコにしたら、ひょっとしてホットコーヒーかしら?と思っていただけるかなと。
相変わらず、三軒茶屋の生活工房で山下陽光のおもしろ金儲け実験室という展覧会を年末までやっておりまして、どう考えても会期が長すぎる。
9月は在廊しまくり、作りまくりで出勤してたんですが10月から展示内容と体制を変えて俺は古着を仕入れをしまくって、バイトの子らにガンガン作って売る方針
昨日は電動アシストママチャリ(前カゴ、後ろカゴにIKEAバッグ2つ入る)で江古田方面でガッツリ仕入れに。セカンドストリート、トレジャーファクトリー、バズストアでUNIQLO古着を最安500円くらいの1000円以下で仕入れてリメイクしたら5000円から10000円くらいで売れる売れる売れすぎるおもしろ金儲け実験室の手口大公開時代の学校なんです。
2014年から2024年までの10年間は人類史上で安い物のクオリティが一番高い時代だったと思います。そして、安いものの中古品がさらに安く買えた時代で、こんな幸せな時代は二度とこないので何度も何度も、これは凄い、儲かりまくるからみんなやった方がいいとリアルではデカい声で言いまくってきましたが、ネットではあまり言ってこな買ったので、是非是非の是非この手頃な安さとそれを重要のあるデザインにリメイクして販売したらギャンギャンに売れるのでやってみてください。
さて、さて、そんでなんか知らんけど、知ってるけど、原宿、渋谷、高円寺、下北のようなオシャレ大好きっ子生息地帯のチェーン古着店にはオシャレで高いブランド古着が並ぶんですが、そんなとこにも古着屋あるんだ?というような場所にはユニクロ古着が大量に仕入れられます。
おすすめは、江古田、練馬、桜台、井荻、東伏見、東久留米、錦糸町、亀戸、日暮里、二子玉川あたりのセカスト古着屋です。
でっ、昨日は江古田〜井荻あたりをギャンギャンに仕入れまくって超大量に購入でき��した。
江古田で仕入れをしてる時に若者が1990年代のサントリーウーロン茶のCMの女の子3人がバックプリントされたTシャツを着ててバチくそにオシャレすぎるだろと。当時のアニメTとか芸能人Tを付加価値で着る文化はバンドTが高くなりすぎた余波でそうなってるかもしれないけど、当時のある一部分だけを切り取って今の解釈でTシャツにするって海賊版か?一体なんなんだ?と女子十二楽団みたいな人らだっけ?いやもっと前の、インシュシンカン、チャラララみたいなCMだっけ?いや、若者当時しらんでしょ?そのTシャツ良すぎじゃないかい?
あまりにも良すぎたので接近したらHITUJI BUNGAKUとプリントされてる、あちゃー、これも文学だったんかい!
今、展示してるのは、自分の儲けを全公開しても大丈夫だし、それが淘汰されて早く自分が食べられなくなればいいのになという戒めのような、次の飯のタネを本気で探さなきゃいけなくなるくらい自分を困らせたいと思う、自分の棚卸しでもあって、なんでこんな事を書いたり言ったりするのかというと、もし今自分が2011年の3月10日に、今の脳みそのまんまで行けたとして、明日東北にめちゃくちゃデカい津波が来るから逃げてくださいと言っても誰も信じないし、誰も逃してやることができないんじゃないか、という反省があって、この感覚が2017年頃からずっとある
これだけ便利なスマホとネット環境がみんなで揃ったから通勤して疲れる仕事やってる場合じゃない、自活だ自活だ!と言いまくってるけど、そーすか、みたいなテンションで、アンタはできるけど俺には、私には無理っす。と
2011年の3月11になれば津波が来るのがわかるけど、今のこの産業革命よりもものすごいスマホによる情報革命の凄さは2030年頃に2010年代後半から20年代前半ヤバかったっすねになるのか?その時を今生きてるからあまりにも勿体なくないか?
今日から10月やんけ
2024年10月1日のこと
おはようございますアトリエ文学
昨日は編集のオーカワさんとコメダで打ち合わせ
全くやってこないやんけで1時間くらい本を読んで過ごす…どうげんぼうずという仕事が涙が出る寸前でいい。こりゃたまんないねぇ。道元坊主という中野にあるラーメン屋さんで正義感強すぎる抵抗運動の人という認識だったんだけど、その通りなんだけど、正義感が独特すぎて、ポリコレの正しさとは全然違う人間臭すぎる正しさに、いやアンタその通りすぎる、すぎるんだけど、それができなくなってしまって、、、とか言いながら大人の醍醐味ってそういうめちゃくちゃ恥ずかしくて緊張して逃げたくなるようなことを震えながらやるって事でしょ。実はめちゃくちゃやりたかったやつやん。と何度も言われてびっくりした本だった
オーカワさんとの打ち合わせはもう��稿で書いたのが2018年とかの原稿の直しとかで、こりゃもう出ないんじゃないか?とか思いながら真剣に話す
その後、模索舎に行って大量購入。金子山さんの喰っっちゃ寝買えて嬉しい
いつも行って入れない、現世の向井さんおすすめの金太郎に行ったら入れた。
ウォー!嬉しい。そんでめちゃくちゃ美味しくて、オーカワさんが涙出る寸前で喜びすぎてコメント多すぎて、店の人からカメラ付けたいとかtiktokやってくれとか言���れるくらい全部に大感動、美味い、大盛りで安い。
タンシチューなんて最高すぎて涙出ますよこりゃ。
オーカワさんと別れて夜の新宿を歩いてたら猛烈な便意で伊勢丹別館に駆け込みセーフ
路上で買った本を読む極楽よ
帰宅して本読んで、残りの東浩紀ゲンロン動画を見て風呂入って寝る
起きるが、なんか眠い。昨日から我が家はアイスからホットコーヒーに切り替わって、アイスは氷と牛乳でカフェイン濃度が低いけどホットコは濃いので全部飲めず、残りをアイスコーヒーにするナイス転換
そろそろ出かけようかと思ったら雨降ってきたやんけ
今日は家で服作りかな、ミシン修理が思ったよりも高くてうーむと唸る22000円+部品代。まじか
どうすりゃいいぜ。3万円出したらそこそこ良いのが買えちゃうんだよな
ミシン修理屋さん出張来てくれる事になったー!
休みだけど、やることたくさん、しかしウキウキ
2024年9月30日のこと
おはようございますアトリエ文学
昨日も生活工房出勤で忙しいフリしながらゲンロン7時間動画をワイヤレスヘッドフォンで聴きながらサボる。東浩紀が俺はエビアンをラベル無しで飲み当てられる!と言ってから、実際に飲んでわからなあくなって彫刻のように固まる瞬間が最高に爆笑した。
7時間の動画って地面師とかと同じレベルなのに見れるって凄すぎるな。天才なのかな。
みんな俺のことバカにするけど俺はちゃんとやってんだよ!って酔っ払ってクダ巻いてるだけなのに、それが7時間ずっと面白いって奇跡だろ。まじで凄いな。
インターネットみたいな場所を作るって言ってゲンロンやってるのも凄いし、それで利益を出し続けてるのもすごい。
それを聴きながら展示替えをやっておりまして、展示してたフリマグッズを下げて、布やレースなどを貼って、いい感じの展示空間になってしまう。おしゃれ禁止にしてたのに、、、
でも、作る過程がわかっていいのかもしれない
世の中の人ってもっと忙しいんだろうか?、俺は日常業務のほとんどがネットに繋がっているので、ネットでいい人ぶってたらお金も人望も集まってきて、こんなに簡単な事でいいのか?と疑問を持ちながらお金が入ってくるからやめられず、だけど、どんどんもらうだけのは申し訳ないような気がして、リアルとネットの間を善人面して渡り歩いてるけど、
ネットでいいねを20個押してもらうのは超簡単だけど、一日に20回ありがとうと言ってもらえる事ってあるでしょうか?
9月29日のことはnoteで始まった新メディア MARGINAL NOTESに掲載されます!やったー!前回の8月31日のこと 抵抗の快楽というタイトルで開高健ワールド炸裂で書かせていただきましたのはこちらで読めます
https://note.com/marginalnotes/n/n2deb08ae3fc6
体調不良は治ったのか?
2024年9月28日のこと
おはようございますリビング文学
昨日は体調不良でお休みして家の片付けやらなんやらを
お昼は久しぶりにネパール料理 二ムトでダルバートを蘭ちゃんと食べに行く。
新大久保で一番美味いダルバートでおすすめです。値上がりして950円になってたけど、それでもラッシーもついてくるし、もう一種類少ないのは650円くらいで食べられて最高です。日本人はほとんどいないってか見たことない。
↑すんちゃんの同級生のお父さんのお店です。新大久保駅から徒歩1分です
帰ってきて、薬飲んでバチコン眠ったらいい感じになったので、自転車で中野へ。充電できてなかったみたいで30%しかない。電力を計算しながら弱モードで
勝田商店でマグロ、イクラ、シャケ、海ぶどうを購入
中野ロープウェイでイトウ君と話す。あれ?体調不良で休むツイート読んだばっかだよ。大丈夫?と心配してもらいながら、インスタストーリーにUPしないよ。と気遣いしてくれて優しい
タコシェでデウエクスマキな食堂24年夏号 魂のラーメンを購入
沼袋バズストア、豊玉セカストで大量仕入れして帰宅
手巻き寿司大会やってすぐに寝て19時に起きて、また寝るってのをなん度も繰り返して、たくさん寝てどうにか体調大復活でございます
本日は大井競馬場フリマで買ったものを買った値段で転売する嬉しい転売屋さんです
発見の喜びには安さの喜びもあるはずで、そのあたりがシカトされやすいのは、ずっと消費者でいたいからなのか。仕入れを暴露してもやる側にメリットはないし御法度とされてきてるから公開しないんだけど、なんでもオープンソースな時代にアメリカで問屋で、倉庫で仕入れてますと一般人が立ち入れないようなことを行ってプロぶってるけど、みんな大井競馬場で死ぬほど仕入れしてますよ。
100円で買ったのを6000円とかで売ったりしてるのよ。いや、いいんだけど、でも、もう見せられるところ、付加価値をつけられる所が残ってないんですよ。ネットが一番面白いもの。それでも物を買ったりするなら、買う行為を評価して値段は極限まで下げるべきかなと。いや、あげてもいい。どっちでもいい場合はユーザーが喜ぶ方で。
LINEって毎月2000円の使用料がかかるって言われても払うと思うんですよ。一番使ってるし不可欠だから。でも無料なのはユーザーがそっちの方が嬉しいからでしょう。そういう事に抵抗してみたいんですよ。リアルの場で。リアル対インターネットってよく言われるけど勝てるわけがないんですよ。家賃とか人件費が無い世界なんすよ。
なんでも無料の0円ショップやりますと言われても、物が余りまくってるこの時代に、おおっと!テンションが上がるとは思えなくて、でも、0円で売り買いする事でお金を挟まないからコミニケーションが生まれるってのと、もらった物の中で売れそうなものはこっちでいただいて販売することで場所代や人件費に当てられるんじゃないか?と思って実験してみたいと思ってます
全部無料で人もボランティアでもいいんだけど、そうなると金儲け実験室じゃなくなるし、一ヶ月間この場をやってきて馴染んできた実感があるので10月の2週目くらいまで0円ショップをやりますので、家にある不要な、本、服、食器、食品をお持ちください。食品は常温保存の物で。
よろしくお願いします
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2024年9月27日のこと
おはようございます庭文学
昨日はいや一昨日から頭が痛くて本調子じゃなかったんだけど無理して店を開けに行った。
いや、店じゃねぇから。生活工房ギャラリーだから。いや、そうなんだけど、もう店なのよ俺の中でも客もそう思ってるよ。
リコちゃん出勤日だったのでいざとなれば任せて帰れるなと思ってたので開けてみたら誰も来ない。前日は平日なのに出勤しただけでめちゃくちゃ人がいてバンバン売れまくって24着で9万100円の売り上げだった。それなのに、今日は誰も来ない。これだから商売は面白い
面白くねぇよ!売れろよ、買えよ!コラー!行儀悪いよ。
サーセン、サーセン。
↑反省の色なし。
色と言ったら今季は薄ピンクいいですねぇ。
展示会場の裏にヒカちゃんギャラリーってのがあって、そこに今回の展示の設計、デザイン、設営全てをやってくれた萩ちゃんという手作り陰謀論のゴッドが展示をしてくれていてその奥に洞窟と快活倶楽部と個室ビデオ宝島が一体化したような鴨長明ライクな寝て半畳スペースがあるんですが、そこの壁に布を垂らして目隠しして、仮眠させて頂いたらあら快適。バッチリ一時間寝たら復活しました。
これよこれよ。どこでも寝れる場所があれば最強で、だからハンモックが好きなんすよ
寝るって性とかセックスに結びつくと考えられてるからなのか、寝させない環境を作られることが多いんだけど、マジでどこでも寝させてくれよ。コーヒーに牛乳入れるのに+100円で個室は+1000円くらいか?でも寝れない個室な気がする。
個室ビデオ、漫喫くらいしか寝れる場所がないのも残念。
でっ、前回、本を30冊くらい取り置きして3万円分も買ってくれた女性の松原さんが来てくれて、服を選んでたら、見た目ヤンキーの様なオバちゃまが来て、言ってることがほとんど寅さんなんだけど全部声がデカくて面白くて松原さんにも絡み始めて、2人の見た目が似てるからバンドやってくださいよとか言ったら、ヤンキーおばちゃまこと高橋さんはアタシ、ピアノ弾けるよ。松原さんは洗面器叩くくらいしかやったことない。
それ最高!シャグスだよ、スリッツだよとか思ってたら、高橋さんマジで寅さんだから人が集まって来て、なんか楽しそう!と連絡先交換しあったりしてて、こういうのがやりたかったんだよと。
いつも新大久保から自転車で三茶まで行ってて、幡ヶ谷のファミマの角を曲がって行くんですが、昨日は曲がらずにそのまま進んだちょい先にある弁当屋でルーローハン買って暗渠の上で食べた。弁当屋の前、つまりファミマの2階にコメダがあるなんて毎日通ってるのに知らなかった。
と、思ったら、芸人のタイムマシーン1号がチェーン店のオープン初日に行って最初の客になるシリーズのYouTubeで行ってたコメダやんけ!と今書きながら思い出した
だからなんだよ!って話なんですが、それだけです
フラフラになりながら昨日は店じまいして売り上げもまともに計算せず。
本日金曜日はお休みさせていただきます
サーセン、サーセン。明日は13時から壁にあるぶつも一同に販売いたします。そして夕方から四階で大宴会やりますのでいらしてくださーい。
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旅行の話
先日、山梨へ一泊二日の旅行をした。
自然美を目当てに旅をした最初期の西洋人はルソーだった。それ以前の観光旅行はピラミッドやギリシャの神殿などの文明の建築物が目当てで、どちらかというと自然は煩わしいものだったと、石川美子が『旅のエクリチュール』に書いている。
わたし自身は昔から旅行がそれなりに好きで貧しい財政と時間の許す範囲で様々な場所に足を運んだが、「海を見たい」「未踏の北海道を巡りたい」など若い頃ほど人並みの動機に支えられていた。とはいえ、「ひとの居ない場所に行きたい」「何もせず行き当たり任せに自然美のある地域に行きたい」など、最近は次第に漠然とした逃避欲が頭をもたげるようになった。今般の旅行にしても、何でもよいので煩雑な人と街から距離を置きたい、と思っての出立だった。
中央線の高尾から大月で乗り換えて富士急行線で赤坂という駅で降りた。高尾も大月も、いつの間にか外人観光客で賑わっており、逃避どころではないのに閉口したが、流石に赤坂は無人駅なだけあり降車するひとのまばらで、町の様子も普通の田舎だった。
車道は広く、マクドナルド、ローソン、コーエイというスーパー、「園芸と資材」という英国古典小説のように簡潔な看板の巨大ホームセンターが駅周りに集結している。この一帯が地元のひとの生活基盤なのだろう、菅野川という細い川に沿って宿まで歩くと程なく一軒家が点在するだけになった。御正体山に囲まれた地だけあり、四方を見渡しても山が迫っている。
一泊して翌朝、菅野川沿いを散歩していると、幾人かの老人たちが釣りに励んでいた。わたしたちの頭上を鳶が笛のように鳴いて旋回している。
光景の一々に満足している傍ら、「自分はなぜ自然美に惹かれるのだろう」という自問が並走していた。静かで、ひとの声に混じって川のせせらぎを耳にするだけでも東京より遥かに静かで充分に安らいではいるのだが。
河口湖へと列車で向かう為に、赤坂の無人駅に赴くと地元の老爺と老婆の二人が会話していた。話は縦横無尽だったが、ふと爺さんが金に窮した知人の話題で「生活保護とか受ければいいんだよなあ。金のない時は、仕方がないよなあ」と言い、婆さんも「仕方ないよ」と頻りに相槌を打っていた。それで、わたしは養老孟司の『手入れという思想』という古い講演録を思い出していた。何故都会で虫を見ると嫌な気持ちになるのか、という切り口で都市と地方における人心の対比を語った講演だ。そこで養老は、都市ではすべてが人間のコントロール下にある。舗装された道路や規則的な列車のダイヤ。そして不確定な要素を可能な限り排斥した。だから都市の人間が、何か我慢できない事が起こったとき、誰かの所為にして、責任を追及する。無論、仕事の上でも然りで、これが都市生活者の基底を為している。しかし田舎の自然に生きるひとはそうはいかない。天気や動物による災害まで、誰かの責に帰すことの出来ない不幸は日常茶飯事のように起きる。そうした暮しのなかで田舎の人の心映えを象徴として「仕方がない」という言葉を、養老は挙げている。先の赤坂駅の老人たちの会話に自然と息づいた「仕方がない」を聞いて、そのようなことを思い出していた。
自分は何故惹かれるのだろう?
河口湖へと向かう行路の観光客の充満ぶりに辟易しつつ、一方で河口湖一帯から富士山が見える、という事実を知らなかった自分の無知にも呆れながら河口湖駅から徒歩十分ほどで湖畔に辿り着いた。そこにはここ数年ではなく、何十年前から観光地として栄えてきた、という歴史を偲ばせる古いが清潔な食事処や土産屋が並び、外国語の案内も揃えて国籍問わず訪れた人間を漁っていた。人間の気配から離れたい為に旅をしていたわたしは失望していた。湖畔で飯を頬張ったり、写真を撮ったりする人々のあいだを縫うように湖畔を歩く。湖にせり出すように黒い岩が雪崩れていた。岩の表面には気泡が浮かんでいる。ふと、富士山が火山であり、次いで湖畔沿いに浅間山神社のあることを思い出した。ふたたび大噴火すれば、ポンペイ遺跡のような風景が現れるかも知れない。
岩の上に座って湖面を眺めていた。それが火山岩であることを気に留めることなく、観光客が次々と岩に載って写真を撮っていた。が、その眼前の風景は現実であるのに、遠い昨日のように見えた。わたしたち人間は自然の時間に一瞬登場した短命の生き物に過ぎない、という事実をそこに見る思いがした。想念というより、岩場が見せてくれた現実の風景として。そのとき、旅の目的を達した気がした。
人類という括りや、そこに伴う責任、資本、文明生活は常に虚構であり、いつか地上からは一掃される。故に、我々がどのように生きても構わない。岩や花や水辺には、後世の地球には関係ない。だが、都市は人類の文明や社会が堅固で絶対であると錯覚させる。都市の煩雑な物や音に囲まれて、わたしもいつしかそのように思い込まされてゆく。でも、いつか消える。全部。それは悲観の滅びとしてではなく、もっと静かで当然の風景として。だれも居ない、のびやかな白昼の庭園。君たちはその庭園を通過するだけでいいんだよ、と地表は語ってくれる、それが自然美に惹かれる理由であり、そしてわたしは安堵の中で生命感を取り戻していった。


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20240502

釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝くじ以外。)
なんというか釣りもそれと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。

水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。

少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。

小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。

本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。

休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。

ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。

天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。

水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。

手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。

さて。
次は食う。
多分。
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四十雀落ちんとするや持ち直し青空に終わらない水切り
移り住む人を数えて町報は届きおり島の形の函に
さざなみのように時間が押し寄せる潮時表置くレジの向こうゆ
生垣に寄せて止まれる原付のサイドミラーの奥のさみどり
視野に入れながら近づく山茶花のあなたの顔はすでに寂しい
朝露に砥石のごとき明るさをもて鶺鴒の尾羽は立てり
何かしら思うところのあるらしく壮年のまるが一日を随き来
日盛りの街歩む時靡きつつ流れ行かざり堀割の藻は
朴の花散る気配せり山ひとつふたつ越えても変わらぬ闇に
いつか来るだろうあなたを待っている事ができない、それはあなたも
言う事と言わない事の火を喉に閉じ込めて行き過ぎる朝顔
衣嚢を裏返しては天国へ近づくために通過する門
いつからか吹いている風明け方の羽重たげに飛ぶ黒揚羽
軒先へ翼ひるがえし現実を葬り続くる燕鉄紺
見るものの方へ明かりを向けながら常遠ざかる精霊流
絡ませてやるたび空へ反りゆける朝顔よ魂の咎人
渡された風の歯車ゆっくりとゆっくと回り始めるまでを
忘れずにいることたどり着けないほど遠い湖まで行くということ
アパートの廊下の奥の暗がりに濡れつつ光射し添う傘は
樹果揺れて誰も僕とは話さないさびしいなあこんな綺麗な夏に
薄明に蝉鳴き居りてしばし鳴き止みぬ久遠の少年のごと
噴水の青天に折れいるあたり結語短く寄り添いくるる
野の道に夏白菊の高低を見て行きぬ野は風に揺らぐも
ありとある道知方せよ天頂の向こう見放けば天頂はすぐ
春の日の瀝青に敷く花弁の狂おしきもの隔たりて見つ
さるすべり卓に置きけり何にしもあらぬ日白を静かにたもつ
この梅雨を橋の裏に咲く変種とぞキバナノセッコクランの曙
羨しめば人は遠のく道向こう花橘の夏木立見ゆ
静かにも光降る昼夏蝶が葉の上に産み落とすモノリス
したい事、できる事ただ眇として凌霄花の開く真昼間
天の段吾には上るとも見えて友の友なる手を引く手あれ
外の道を行き出でたくもなりながら桜見ており河田病院
一人来て歩む夜広し木々に浮く花と花との間の闇も
また何も言いたくなくて凌霄花の咲く真昼間も目を閉じている
正しさが通り過ぎゆくバス停の列に見上げる街路樹の花
梅雨空の中程にまた人立ちて落とせるメタセコイアの枝葉よ
午前九時前で止まれる分針の瑞々しかる朝の道よ
「KLEID NOTE」KLEIDの意味知らざれど金色に文字押されてありぬ
留金ゆ切り外したるメモ帳に静かに記す電話番号
四キロを下りて町の方へ行く商店の置く自販機までを
巻き込まれたのがなにかも分からない 多分、戦争 百日紅揺れ
木槿咲くを言わずにおれぬ本来の外向型の性格のゆえ
室内の灯よりしばらく目を離すヒメヒオウギズイセン群れて暮れかかる家
平等を行うはきっと易けれど万作の花咲きつつ寂し
AIの根絶を一人願いつつ居れば姫沙羅の老樹が戦ぐ
面白いことがあるかなこの先の時代に 山が濃き影を引く
ビオレUV買いしアパート 選手権サッカー見つつ遠く思うも
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シノ鉄 at 神戸VARIT./滋賀B-FLAT/奈良NEVERLAND
あけましておめでとうございます!柚葵夜です!(クソ大遅刻) 今年もよろしくお願いします! さて、今回は先日(というか昨日も!)行ってきたシノ鉄レポです! 神戸と滋賀と奈良に行ってまいりました~。 ここまで日程と地域を被せてくれたの神すぎんか!?関西最高!(なお京都) ところで、レポ書くのはやいな~って思ったでしょ?私も思った。 なぜなら3月8日、9日でMSSPのライブに行ってくるからです!(バーン)(効果音) 記憶力ポンコツなので上書きされる前に書いちゃいます! なんなら今年は9月までは毎月ライブ参戦するぞ!?大丈夫なのか!? 唸れ私の脳味噌!(?) んじゃ、レポ行きまーす!(雑) (記憶違いはご愛敬!) ↓2/18 神戸VARIT.↓ しょっっぱなギターのピック忘れてくるって何!?!?!?????wwwwwww 描き下ろし新曲の真っ赤な(?)ダイナマイトってポートタワーから連想したんかな 風、花からのMilkTablet好きすぎ。 NeonBeautyもほんっと好き。 undoもおおおおおおおおおおお好きいいいいいいいいいい 8月3日と血みどろのスパゲッティ聞けたの嬉しかった……………! あと最近カバーされてた食べなくちゃも! 余計ケキボ欲しくなるよぉおおおおおん!!!!!! 帰ってからFCコンテンツ聞き直そ! 「あと34公演!?34公演かあ~~~~!!!(頭を抱える)」 頑張ってくださいね先生。 ハピバの歌歌えてよかったね先生(誕生日だった人おめでとうございます!) 「ライブ終わって捌けてからすぐシノ鉄で検索してっからね。まあ終わったばっかなんで何も出てこないんですけど…」 うーん、インターネットの住人。 あのさあ、シノダ先生が音楽始めてからのアレコレを言ってくださったあとの友達(ガラシさん)の話からのイメージは泣くって。ねえ。泣くってば。 あとあとあとあと、曲に入る前の語りがうますぎるから小説書きません? 食べなくちゃもNeon Beautyも!!!!!! 絶対1曲1本小説書けるから!!!!!! てかマジでエッセイ出してくださらない!?!?!?!??? エッセイ出してそしてまたサイン会して!!!!!!!! ハァーーーーーー。テノヒラ。ハァーーーーーー!!!!!!!!(クソデカ感情) サイン会のあの処刑感やばい。(言い方) 神戸が初めてのシノ鉄ってことと滋賀と奈良行くって事しか伝えられなかったけど頑張った方ですよねえ!?!???? 普段モブに徹している私にしては頑張ったよねえ!????? 神戸VARIT.で、IKIのアルバムに、サインもらえたこと自体がもう。緊急事態すぎる。 ああ、、、、、、、、(砂になって消え去っていく絵文字) ↓2/23 滋賀B-FLAT↓ ごっっめん椅子のおかげで腰痛くて全然覚えてないのと、 アンコのstrawberryで全部持ってかれたわ strawberryまじで好きなんですよ・・・・・ 何度でも言うけど、あんなんでなんな曲書けちゃうのズルくない!?(メチャクチャ褒めてる) ズルすぎるよぉ~~~~~!!!! 今日もハピバ歌えてよかったね先生(明後日誕生日の方おめでとうございます!) リーダーの曲にボヤいてんのちょっと面白かったな。 音が多すぎるとかなんとか……… でもそれが必要だったんだよなとか言っちゃって…………… なんなの………………泣かせないで……………… 温度差でオタク死んじゃう…………………… 友達(ガラシさん)の話からのイメージこれ毎回泣きそうになる。てか泣いちゃう。 良くない。良くないぞ。メイク崩れるからやめてもろて。 でもそういう話もっと聞かせて。 まえじまさん(スタイリストさん)が滋賀出身でびっくり! でもちょっと(いやかなり?)滋賀dis入ってたのウケるな。 会場を見渡して、こういうところはまたバンドでもやりたいねえなんて言ってた。 これはワンチャンありますか????? 「朝7時起きで電車で来てからの車移動で、車中で爆睡してたから琵琶湖見てなくて…」 「滋賀に来たという実感がない」(バーン)(鳴ってないてけど鳴ってそうな効果音) (からのその日のニキーで当日中に奈良に移動したことが発覚。今度は琵琶湖見れるといいね……) 音楽始めた話になって、 「音楽(ボカロだったかな?)に手を染める………なんか言い方がドラッグみたいだなこれ」 言い方ァ! サイン会で、strawberryのお礼言おうと思ったのにもう頭真っ白になんのよね????? とりあえず明日(奈良)も行きます!しか言えなかったしなんならなんか今日は顔すら見れなかったし?????? あーあかん。アカンて。ファン失格っすわ。カンペ書かなきゃ。 ↓2/24 奈良NEVERLAND↓ 目眩はずるいわ。 奈良に来たのは7年ぶりでIKIツアー以来らしく、だからってさあ!!!!!! 目眩はさあ!!!!!!!!!! 普通に泣かすやん!?!?!??????? 泣くやん!?!?!??? 風、花のライティングめちゃくちゃよかったーーーーー!!! 青と緑で青空に吹かれる葉っぱみたいな感じでよかった~~~!!!!! 私が持つイメージそういうのだから助かる~~~~~!!!! 残像スティグマータ、普通にカッケェんよな。 んでもってライトは赤。うーん、かっこいい。 今日もハピバ歌えてよかったね先生!!!!!(またもや明後日誕生日の方おめでとうございます!) 【リクエストコーナー】 リクエストコーナーで、何かを歌いたかったシノダさん。 ずーっとスマホをさわっており……… 「(スマホの)メモ帳に歌詞書いてるんですけど、日記書いてるから一向にでてこない!!!!」 そこでフロアから、検索機能ありますよーと声がする。 え?ってなるシノダさん。 もうその光景がスマホ初心者のおじいちゃんと孫なんよ!w あと、誰かが山田亮一さんの曲をリクエストしていて、 「山田亮一信者か……………………」 「……………………あ、いや、うん、やめとこ」 なにを言いかけたんですか先生!!!!!w それだけではなく、所々失言的な発言をしていて、 「いやいや私はこう言いたかったわけじゃないんですよ」 とか、 「もうちょっといい言い方あったよな………」 とか言ってて面白かったw 「もう私はインターネットが怖くて怖くて……………(色々書かれるから)」 【アンコMC】 アンコでくまちゃんのぬいぐるみ引っ掴んで出てきたの笑ったwwwwwww 上手と下手でそれぞれ掲げるんじゃないよw ほんで、水が置いてあったテーブルになんとかして座らせて満足げなんだもんなw 「あー、やっぱりこれ(くまちゃん)について説明が必要ですか?」 滋���から奈良に来て、スタッフさんとタイステ寄って、取ったらしい。 (ちなみに重い頭の方を狙うといいらしい。) 「シノ鉄やり始めて行く先々でクレーンゲームばっかやってんだけど!w」 ぬいぐるみに占拠されていくシノダ先生の部屋。うん、かわいい! そして、アンコ2曲終わらせて退場してったんだけど、くまちゃん置いてった! ので、写真におさめておきました✌ どことなーく、ファーマシー猫と色合いが似てるのは気のせいかな?あえてそれを狙ったんかな? サイン会でネコチャン描いてもらえたああああああああああ ぼく「日記の書籍化しないんですか?」 先生「ん~出版社がね~」 ぼく「あとネコチャン絵本とか!」 先生「絵本!?」 ぼく「お待ちしてます!!!!!!(言いながら逃げる)(時間制限のタイマーが鳴ったので)」 はい、シノ鉄レポでした! とりあえずこのツアーは一旦これだけの参戦だったんですけど、今後の日程次第ではまた行けるといいな! 本当に色んな曲が聴けるので! 乗車してない人は是非行ってもらいたい! それでは今回はここら辺で!では! 20240225
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雪が積もっては溶けする毎日。我が家は上の写真の左から二番目のマンション。振り返ると左下写真の景色が見える。私の部屋は道路側では無いので、窓外は中庭のビルばかりを見渡す格好となる。年末に入り、雪も降り、ドイツ人達の気分も華やぐようだ。
ちなみに、左下の写真は内アルスター湖だが、ここは二十年ほど前までは全面に氷が張り、湖の氷上でクリスマスマーケットをしていたらしい。ドイツ人の体格やクリスマスマーケットの屋台の重さを思うと、どんだけ分厚い氷が張っていたんだい!?とツッコミを入れたい感じ。まぁそれだけ寒かったという事だろうし、そりゃじゃが芋とザウアークラウトのスープが御馳走って言うのも良く分かる。北ドイツはプロテスタントが多いというのも、そりゃ働き詰めなきゃ冬に死ぬわなぁ。。。と普通に思うけふこの頃。
それにしても、今学期は研究所に招かれる人々が底浅くてつまらない。そんな下らんこと、ワシ、修士の時にやってた。。的な内容をこれ見よがしにエエ歳こいたオッサンがしゃべりよる。コイツアホか。。。と幻滅することばかり。今どきの学術界って、こんな感じで良いんだなぁって、全世界的に、今の60代前半から50代半ばまで位の、バブル世代の軽薄さには、呆れる。世界的にも、40代後半から40代半ばまでの極薄い層だけが、割とまともな事を言っているのだが、その下になると、バブルの子供たちなので、更に質が悪く、変な左翼思想で盛り上がっている。人間という種の低下を見る。
マジで子供なんか持たなくて良かった。こんな中、子育てしてたら、子供が可哀想すぎて、ワシは発狂して無理心中を図りそうである。なので、周りにいる子供がアホなのを見て安心する。こいつらなら、生きていけるな。。。と。しかし、極々たまに、大丈夫かな。。。と心配になる良識ある子供もいる。賢い子ほど、大抵、打ちのめされている。そりゃ、賢ければ賢いほど、打ちのめされる以外に無いだろう。見える社会の片鱗は、もしかしたら自分の親も含めて、狂気の沙汰だからだ。ワシは、アメリカ人夫妻の御子息で、ずっと気になっていた、塞ぎ込んでいる13歳の少年アッティカに、ワシがつまらん会議中に密かに折り貯めた折り紙のツルを渡す。コレで、何か作ってみる?と、アート好きの彼に渡した。美しい笑顔ではにかみながら笑う少年を見て、久しぶりに笑っているアッティカを見たと、夫婦は喜ぶ。自分の子供に手を焼いているようだ。
生きることは大変だ。サボれば良いとか、適当にやれば良いとか、漁夫の利を得れば良いとか、楽すれば良いとか、色々なズルい生き方はあるだろう。ズルい事を賢さと誤解しているならば、もうその時点で、真面目なワシは、袂を分かつ。真面目に一つ一つにしっかりと取り組むことのできる、古風な人間が一番辛い目に合う現代社会。アッティカが、そんな生きにくい世の中に、小さな楽しみを見いだせますように。

ワシはけふ、暗い北ドイツを離れて、南ドイツのミュンヘンへ。片道7時間の電車旅行に出る。朝4時に起き出し、真っ暗な中、駅へ。折角、指定席を取ったのだが、鼻息の荒いデブおっさんの隣りの自分の指定席を避けて席を移動し、おまけに、それでも鼻息が気になるので耳栓までして、真っ暗な中、南へ移動中。朝なのに、夜行列車。笑。鼻息がイビキに変わったオッサンと、外が真っ暗すぎて窓が鏡の車内。ドイツ第三の都市ミュンヘンは、私にドイツの別の側面を見せてくれるのだろうか。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
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令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立��こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
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令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2023.08.07〜09
京都旅行
前日はまったく眠れなくて、ほぼ寝てない状態で朝を迎える。今までにもよくあった、大事な予定があるときのアドレナリン効果?
予定よりもひとつ早い電車に乗り、乗り換え駅で何本か電車を見送る。通勤ラッシュということもあり、人が多い。電車のなかで恋人と合流。二人して寝不足でとろとろの目で向かう。想像以上にスムーズに進み、新幹線乗り場ですこし時間を持て余す。おにぎりをひとつずつ買い、新幹線に乗車。おにぎりを食べ、話しているとすぐに静岡に突入。やっぱり大きい〜などと話しているうちに眠くなり、眠る。あたたかい手に包まれて幸せをひしひしと感じる。これからの3日間へのたのしみが溢れて、自然と笑みがこぼれ落ちていた。
あっという間に京都に到着し、荷物を預けに宿泊先へ。まだまだ京都に来た実感が湧かないね〜などと言いながら、中心部を移動。ホテルはなんとなくで選んだわりにはとても良い場所で一安心。荷物を置いて、昼食をとりにうどん屋さんへ。かき卵うどんが沁みる。食後は鴨川へ。念願の鴨川を目の当たりにし、京都へ来た実感が一気にわく。鴨川の河川敷を恋人と歩くのが長らくの夢であったから、ふとにやけてしまい恋人に不思議がられる。暗くなってからもまた来ようね、と約束する。その後、白川通りや花見小路通りへ。いかにも京都らしい街並みに感激し、手を繋いでいろいろなところを散策。人の多さに圧倒されつつも、脇道に逸れると一気に人が減り、落ち着くねと言いながら歩く。小腹が空き、散策のは���めのころに見つけた甘味処へ並ぶ。なんとなく良さそうだね、と決めた入ったところ、二階のお座敷の部屋に通され、想像以上に趣のある店内に二人で興奮する。ずっとここにいられるね、などと話しながらわらび餅を注文する。今度はお座敷のある旅館みたいなところで、宿泊先に重きを置いた旅行もしたいね、などと話す。再び鴨川沿いを歩き、能面を探しに五条通りへ向かう。到着するも能面工房は展示がされておらず、すこし残念であったが、しょうがないかと切り替え、京都駅方面へ向かう。途中で東本願寺を見つけ、参拝する。大きな本殿に圧倒され、すこし休憩する。古くに建てられた建築物内は風通しがよく、何時間でもいられそうなくらいの心地よさに感動する。そろそろ出ようかといったころに、何人もの僧侶見習いのような人たちの波にのまれ、驚く。キッザニア的なやつ?とつぶやくと、バチがあたるよと怒られる。その後、地下鉄に乗り、ホテルでチェックインを済ませてすこし休憩。きれいなお部屋でまた安心。ひとつのベッドに3つも枕が用意されていて、枕投げするか!と話す。お互いアレルギー持ちだから死んでしまうぞ、と笑う。そんなくだらない話をしながらソファに横に並んで座って、室内で二人きりになることがはじめてだね、と触れ合う。長旅の疲れと寝不足で今にも眠ってしまいそうになり、夕飯をとりに餃子屋さんへ向かう。餃子屋さんではカウンター席に通され、二人並んで餃子を食べる。恋人が注文した黒いチャーハンは見た目に反してシンプルな味わいであとを引く。餃子は想像通りおいしかった。恋人の眠気がピークに達し、少し不安になるも、さっと食事を済ませ、約束していた夜の鴨川へ向かう。鴨川に到着すると、川沿いの床料理の飲食店の提灯や照明に照らされ、まだ少し明るく、河川敷に座って辺りが暗くなるのを待つ。その頃も恋人はとっても眠そうで何度もうとうとと持たれかかってきて、かわいらしかった。今日はいつもみたいに帰りの時間を考える必要はないんだね、と旅行ならではの喜びを噛み締める。そうも話しているうちにすっかり暗くなり、雰囲気のある情景に。いつもみたいに恋人がわたしの腕をふにふにと触り、愛おしそうに見つめてくれて、横にいられる幸せを感じる。お話をしたり触れ合ったりと存分に鴨川の雰囲気に酔いしれ、ホテルへ戻る。あまりそのつもりはなかったがたくさん甘えてしまって、甘えなれていなくてよくわからなくなりつつも、眠い時だけではなくていつもこうやって甘えてほしい、眠いときだけ?と言われ、甘えるのも悪くないかも、と思う。同時にいつもそういうことを任せきりにしてしまうことに反省。その道中、コンビニでアイスを買い、帰って食べようねと約束する。んたしのシャンプーの香りが好きだとずっと言ってくれるので、シャワーはあとに入ろうか?と聞くと、その香りがいっぱいになったシャワールームに入りたい、と照れながら伝えてくれたのでその通りにする。メイクを全て落とした状態で対面するのは不安だったけれど、その姿も肯定してくれてうれしい気持ちでいっぱい。そういえば、香りは覚えているしもうわかるよ、と教えてくれた。香りっていちばん記憶に残るよね。わたしもわかるよ。二人ともお風呂から上がり、アイスを食べて歯を磨く。寝る支度を済ませて布団に入るか〜などと言いながら、準備をしていると枕をぶん投げられる。わしゃわしゃとすこし遊んでいると、同じベッドで寝る?と一���のベッドに入る。ホテルを予約した時点でもこういうことは少しだけ考えてはいたけれど、恥ずかしくて、寝相が悪いことにして別のベッドにしたことを思い出す。シングルに二人はきついかな〜と思いつつも、くっついているのでぎりぎりセーフ。好きな人といっしょに寝るのってこんなに幸せなんだと漫画みたいなことを思う。あまりの近さに照れてしまって枕に顔を埋めてしまう。でもいつも寝る時もけっこう顔を枕に押し付けているような気もする。これまで、外でしか二人きりになれなかった分、存分にくっつき合える場を楽しむ。恥ずかしくて仕方がなくなるも、こっち向いてよと何度も囁かれ、見つめ合う。どんな人であっても、身体に触れられることは今まで苦痛で苦手だったのに、ゆっくり少しずつ、安心できるように触れてくれることへの感謝を伝えられてよかったな、と思う。
気がつくと朝で、それでもまだ二人とも眠たくて夜の続き。ワンピースだけになり、いつも嫌だと避けてきた脚を触られる。ぶにぶにだから、とよけるもそれがいいのと言われ、ならばよいか、と許す。そんな自分が単純すぎておもしろい。
よい時間になり準備を済ませ、朝食をとりにパン屋さんへ。外は前日と打って変わって暑く、蝉の鳴き声が鳴り響き、京都の夏を見せつけられる。パン屋ではお互いが好きなクロワッサンとわたしはカレーパン、彼は好きな大葉のパンとナッツのパンを選び、珈琲とともに店内でいただく。朝から優雅な時間を過ごし、旅行気分を味わう。
2日目は彼の行きたいところメインで回ろう、と決め、嵐山方面へ。その道中の電車は外国人観光客で溢れかえっており、代表的な観光地であることを再認識する。到着後はトロッコの乗車券を購入。トロッコはこれまた外国の方だらけで日本人のほうが少数なのでは、というくらい。トロッコから見える景色は美しく、鹿がいるのも見えた。なかでもわたしはトロッコ保津峡駅の吊り橋がお気に入り。サスペンスドラマの撮影地にもなったと言っていたとおり、いかにも人が突き落とされそうな感じ。トロッコから下車し、竹林の道へ。竹って一日でものすごく伸びるから安易な気持ちで植えたらいけないんだよ、と教えてもらう。パセリも無限に繁殖するからだめらしい、よく知ってるね。竹林の道を抜け、渡月橋へ。恋人の念願の場所ということもあり、いかにもテンションが上がっている姿が見られて、こちらも嬉しくなる。お互いにインスタグラムのストーリーに投稿し、橋の下の川へおりる。彼は石を渡って中洲のようなところへ。その姿を動画に撮っているとこちらに気づいてにこにこ。かわいい。水切りをしたりふらふらしたりとなにやらたのしそうでよかった。その後は休憩がてら和菓子屋さんへ。わたしはみたらし団子、彼はわらび餅を注文し、店の奥にある椅子で食べる。良い雰囲気だね、と話す。嵐山を楽しんだあとは金閣へ。電車とバスを乗り継いで到着すると、いかにも大切にされていそうな雰囲気の鹿明寺に背筋が伸びる。拝観料と引き換えて渡されたチケットがお札のようになっていて、こういうのいいねと話す。金閣はほんとうにぴっかぴかでびっくり。特に写真で掲示されていた内部の最上階の壁や床が全て金箔で埋められた洗練された部屋が圧巻。足利義満の派手さに圧倒される。敷地内が一方通行に規制されており、人を避けて進まなくてよいことのストレスの少なさに二人して感じていた。進むと蝋燭や線香をお供えできる場所を見つけ、二人でストレス封じの線香を供える。効果があるといいな〜。金閣を見終えたあとは夕食のために京都駅方面へ。京都駅はやっぱり人が多い。いろいろと迷った挙句、夕食は地下街のお好み焼き屋さんで済ませることに。チーズが存分にかけられたお好み焼きが想像以上に美味しかった。ボリュームのわりにはおなかによくたまり、大満足。ホテルへ戻るには少し早かったので、夜の千本鳥居に興味が湧き、伏見稲荷大社へ。勝手に人が全くいないことを想定していたけれど到着するとそれなりに同じような人たちがいて、みんな考えることは一緒か、となる。やはり夜はライトアップされていることからきれいで、感動する。マップを見ると、最後まで行くとすると稲荷山を登頂することになるようで、全く想像がつかなかったがとりあえず行けるところまでいってみるか、と意気込み、千本鳥居へ。途中で花火の音が聞こえ、そういえび今日は琵琶湖の花火があるんだったね、と思い出す。はじめの方は連なった鳥居が魅力的でどんどんと進んでいけたが、途中から険しい坂道となり、それなりのところで引き返す。疲れたけれど手を繋いで散歩できてとってもうれしかったなあ。電車で烏丸御池まで戻り、コンビニで飲み物とヨーグルトを買ってホテルへ戻る。昨日と同じように順番にシャワーを浴びて寝る支度をする。昨日は持参のパジャマを着たが、今日は備え付けのほうにしてみようか、とお互い前開きの浴衣のようなものを着る。あたりまえのように同じベッドに入る。昨日のこともありより積極的ですこし驚く。気がつくと服を身につけていない状態になる。何度も綺麗だと言ってくれて恥ずかしいけれどうれしい気持ち。
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2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、��刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとって���重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
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