#窯焼き
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2023.12.14(木)
おはようございます
休み明けオープンしてます
一雨ごとに寒くなりますね
店にはあたたかな品々を並べて
ご来店お待ちしています
12月の店休日
4(月)5(火)6(水)
12(火)13(水)
19(火)20(水)
26(火)30(土)31(日)
うつわとくらし桃李
10-17open
〒759-6301
山口県下関市豊浦町大字川棚5070-2
tel 083-774-1685
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. . 笠間益子 -craft&create- パンに合う器 え~と・・・ 準備が完了しませんでした(笑 きっと今頃、窯出ししていると思います。 明日のオープンまでには、焼きたてホヤホヤの器を携えて、在廊しに来てくれると思います。 慌てずに安全に来てくれることを願っています。 他の作家さんは、無事に準備完了です。 パンの食卓をイメージして、プレート、スープカップ、シチューボウル、マグカップ、小皿の充実した展示になっております。 笠間から 数納賢一さん 千葉こずえさん @cozue_chiba
益子から 近藤康弘さん @kondopottery 杉本美和子さん @sugimotom_t_e ふたり共、明日は在廊です。
ゲストとして 長野県上田市から イット窯 若林奈央子さん 17日(日)在廊予定になりました。 琺瑯のような肌触りの白釉が素敵。 岐阜県本巣郡から woodpecker 福井賢治さん @woodpecker2007 いちょうのまな板と山桜のカッティングボード、材の違いを感じて欲しい。
パンの合うがテーマですが、他の料理にも重宝しそうなうつわ達です。 クリスマスの色どりにも、新年を迎えるうつわとしても手に取っていただけると嬉しいです。 明日は、タロー屋パンの販売もあります。 焼きたてのパンと焼きたてのうつわ。 しあわせですね。 あたたかな初日になりそうです。 大きく手を振って、ウキウキしながらお出かけください。 . 笠間益子 -craft&create- パンに合う器 12/9(土)-12/25(月) 11:00-18:00(最終日16:00) 火・水定休 オンライン 12/15(金)20:00 -12/25 (日)16:00 coordinate:雨海商店 @utsuwatoe__amagai @takeshiamagai . ギャラリー樟楠
#笠間#笠間焼#益子#益子焼#数納賢一#千葉こずえ#近藤康弘#杉本美和子#イット窯#woodpecker#ウッドペッカー#福井賢治#うつわ#うつわ好き#パンの器#カットボード#まな板#俎板#食器#カップ#マグ#さいたま市#大宮#さいたま新都心
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モノづくりの楽しさを 陶芸家 川路庸山 | 陶磁器専門工房 庸山窯 Potter Kawaji Yohzan-Gama Miyazaki,Japan
霧島連山の麓にある南九州で唯一の 陶磁器専門工房 「 庸山窯 」。 川路庸山 氏は素晴らしい作品を生み出す 陶芸 家です。 伝統的で精巧に作る事に加え「くずし」を取り入れ 伸びやかに制作し土の楽しさを探求しています。 大人になると忘れがちなモノづくりの楽しさを。 Here is the only ceramic pottery workshop in South Kyusu area, at the foot of Kirishima mountain range (Miyazaki prefecture), The name of the workshop is “Yozan-gama(Yozan is the name of the producer, and ‘gama’ or ‘kama’ in Japanese(窯) means a kiln” He originally…

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小代焼ふもと窯・井上亮我・六寸皿。
亮我さんは鳥取の岩井窯・山本教行さんに師事していた訳ですが、その影響がはっきりと見える、見えてしまう仕事。少し重さはありつつも皿としての出来は良いし、うまくふもと窯らしさを入れようという工夫もあって微笑ましいけれど、ここから「覚えるのに十年 忘れるのに廿年(濱田庄司)」がはじまるわけで、頑張っていこう、と励ましたくなる仕事です。
とはいえ、若い作り手が育っていくためにも、使い手の方々にはこういった試みを軽々と受け止めていただけると嬉しいです。
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茅ヶ崎里山公園 畑の村 秋桜 コスモス キバナコスモス 茅ヶ崎市
富士フィルム X-H1 XF70-300mmF4-5.6R LM OIS WR
※近隣の町中華でランチ:古久家の自家製 窯焼きチャーシュー麺※
#自然#四季#公園#公園フォト#花#コスモス#秋桜#fujifilm#xf70-300mm#x h1#park#landscape#four seasons#nature#landscape photography#flower#flowers#cosmos#風景写真
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ガガガ文庫「火竜の窯: DRAGON PIZZA」著:三宅蘭二朗
装画担当
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Sean bienvenidos, japonsistasarqueológicos, a una nueva entrega arqueológica, en esta ocasión nos vamos a la ciudad de Kameoka una vez dicho esto, pónganse cómodos que empezamos. - La ciudad de Kameoka, se localiza en la prefectura de Kioto, en la región de Kansai, nos vamos a trasladar a los hornos de Shino que se denominan así oficialmente :Sitios de producción de cerámica de Shino, Kioto alguna vez se llamó provincia de Tanba. A Continuación os pondré imágenes de dichas cerámicas, desde 1976 hasta 1986, con el fin de construir una carretera de peaje llamada Kyoto Jukanmichi, Shinogama fue excavada y supervisada continuamente. - Datan del periodo Nara entre los siglos VIII y IX, dicha área cubre un área amplia, desde la prefectura de Aomori en el norte hasta la prefectura de Miyazaki en el sur, el horno Otani No. 3, que investigó la Universidad de Osaka, también era un horno que producía cerámica vidriada en verde durante ese período. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones que pasen una buena semana. - 日本の考古学者たちよ、ようこそ!今回は亀岡市です。 それでは、ごゆっくりお過ごしください。 - 関西の京都府にある亀岡市、これから移動して、志野窯、正式には志野焼生産地といいます、京都はかつて丹波国と呼ばれていました。この窯元の写真を紹介します。1976年から1986年まで、京都縦貫道という有料道路を作るために、篠窯は発掘され、継続的に監視されました。 - 8世紀から9世紀の奈良時代のもので、北は青森県から南は宮崎県までの広い範囲にあり、大阪大学が研究している大谷3号窯も、その時代に緑釉陶器を生産していた窯である。 - 私はあなたがそれを好きで、将来の記事であなたを参照してください願っています素敵な週を持っています。
Welcome, Japanese archaeologists, to a new archaeological instalment, this time we are going to the city of Kameoka. Having said that, make yourselves comfortable and let's get started.
The city of Kameoka, located in Kyoto prefecture, in the Kansai region, we are going to move to the Shino kilns which are officially called Shino pottery production sites, Kyoto was once called Tanba province. Here are some pictures of these potteries. From 1976 to 1986, in order to build a toll road called Kyoto Jukanmichi, Shinogama was excavated and continuously monitored.
Dating from the Nara period between the 8th and 9th centuries, this area covers a wide area from Aomori prefecture in the north to Miyazaki prefecture in the south, the Otani No. 3 kiln, which was researched by Osaka University, was also a kiln that produced green-glazed pottery during this period.
I hope you liked it and see you in future posts have a nice week.
#日本#歴史#考古学#奈良ペリド#ユネスコ#京都府#関西#丹波国#青森県#宮崎県#大阪大学#大阪#陶磁器#長岡京#平安京#考古遺跡#-#Japan#History#Archaeology#NaraPerid#UNESCO#Kyoto#Kansai#Tanbakuni#Aomori#Miyazaki#photography
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沖縄の伝統工芸、壷屋焼。那覇市の壷屋という土地で昔から壷、皿、シーサーなどの焼き物が作られてきました。その焼き窯の名残り。今は使われていません。青空の下に残る歴史の名残り。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
“Tsuboya-yaki, a traditional craft of Okinawa. In the Tsuboya area of Naha City, pottery such as jars, plates, and Shisa (guardian lion-dog statues) have been made for many years. The remnants of the kilns remain, though they are no longer in use. These historical remnants stand under the open sky. The photos are available for free download, so feel free to use them.”
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はにわ展

東京国立博物館ではにわ展を見る。「挂甲の武人」(上のチラシ画像のメインビジュアル)の国宝指定50周年を記念した特別展である。埴輪以外の出土品も展示されている。
つかみは修復後初お目見えの「踊る人々」。最近では、踊っているのではなく馬の手綱を持って馬を引いているのでは、という説が有力になってきているらしい。

修理の模様を収めた動画がとてもおもしろかったのでリンクしておく。(この動画は会場では流れていなかった)
踊る人々の次は、国宝ばかりを集めた展示、および2メートル超の高さを誇る円筒埴輪を含む展示。撮影禁止だったり見学者多数でうまく撮れなかったりしたのでここに載せられる写真はないが、埴輪だけでなく大刀(金の象嵌)、沓(金銅製)、耳飾り(金製)、甲冑など状態の良い出土品も並んでいて、ヤマト王権の威勢を見せつけるかのような展示室だった。
以降の展示室では、埴輪を造形で分類して紹介する流れがわかりやすかった。まず基本の円筒埴輪とそのバリエーション。壺のように見えるものも埴輪で、そのまま壺形埴輪と呼ばれている。



船形埴輪。

武具の形をした埴輪。

そのほか見学者の写り込み多数でここには写真をアップできないが、盾形埴輪、靫形埴輪、椅子形埴輪などがあった。靫(ゆぎ)は矢を入れる道具。
土ではない素材で作られた埴輪様のものが古墳に置かれることもあったのだそうで、例として武装石人(下の写真)、大刀の形をした木製品、靫の形の木製品が紹介されていた。

このあと群馬県太田市の窯で焼かれた「挂甲の武人」埴輪5体が揃い踏みする室へと向かう。展示のしかたがやたら凝っていて、戦隊モノのヒーローをキャラづけして紹介するようなノリだった。たとえ��下の写真は国立歴史民俗博物館所蔵のもので、台が黄色、そして展示ケースの背面に埴輪の上半身がぼうっと浮かび上がるように見えている。埴輪ごとに台の色が異なり(キャラごとに色が違うのは戦隊モノのお約束)、ケース背面もそれぞれ同様にデザインされている。

おもしろかったが、埴輪そのものをつぶさに見るというより展示方法に注意が向いてしまったので、個人的にはもっと淡々と見たかった。出来の良いよく似た埴輪が5体揃ったというだけでじゅうぶん派手なのだから、見せ方まで派手にしなくとも……と思ったり、しかし埴輪を作った人がこうして華やかに展示されたのを見たら喜ぶかもしれないな……と思ったり。

埴輪は赤、白、灰色、黒の顔料で彩色されることもあったのだそう。上のチラシ画像のメインビジュアルの挂甲の武人が当時彩色されていたらこ���な感じかも?という復元が下の画像。


次の3枚は、挂甲の武人が着ているのと同じタイプの冑、挂甲、籠手。こういうものも現物がちゃんと出土してるのか!と驚いた。



造形別埴輪紹介に戻る。人の形の埴輪がたくさんあったが見学者の写り込みも多数でやはり写真は載せられない。モチーフとしては、盾や杯や何かを持った男子や女子、座った男子や女子、力士などが挙げられる。
家形埴輪はとても神聖なものなのだそうで、これも多数展示されていた。下の写真は作りかけのままの家形埴輪。埴輪工房が焼失した状態で発見されたとのことで、気の毒ながらたいへん興味深い。

導水施設形埴輪。導水施設。意外すぎてキャプションを二度見三度見してしまった。聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられている由。

これは埴輪棺。このように古墳を飾るためではない埴輪もあったとのこと。

みんなの人気者、動物埴輪の皆さん。

少なくとも四つ足の動物のお尻にはたいてい穴が空いているように見えた。鳥のお尻にも空いていることがある。


下の写真の中央は鵜形埴輪。ここで鵜が出てくるとは想像できなかった。

魚形埴輪。鵜がいるなら魚もいて不思議ではない。

最後は近現代における埴輪の受容のされかたに関する展示。内容的にはごくあっさりしているので、この分野については東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」を見るべきだろう。
東京タワー近くの芝公園から出土した男女の埴輪。これが出土したときの調査が郷土研究のきっかけになったとのこと。

三船敏郎が所持していたらしい、ひよこ形埴輪。

版画家の斎藤清が下の写真の埴輪をモチーフにした作品を作っている。

次の埴輪は、映画『男はつらいよ』主演の渥美清に似ていると話題になったそうだが、別に似てないよね……?と思ったら、葛飾柴又の古墳から出土したものだそうで、まあ納得。

群馬県が開催したHANI-1グランプリで優勝した埴輪。満面の笑みが勝因か。

下の3体は明治天皇の陵に奉献された埴輪と同じ形で作った模型。吉田白嶺の作。このあたりのヤマト民族らしいきな臭さなどは上述の「ハニワと土偶の近代」の守備範囲。

おまけ。展示室の壁の装飾。

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しいたけは、採れたての新鮮がとにかく美味しい。 焼いてちょっと塩をして、そのまま椎茸の旨みを味わう。 しいたけ農園さんのおすすめは、玉ねぎとマヨネーズをトッピングして窯焼き。 チーズトッピング焼きも最高!
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この間ナロちゃんで甲府に行って、友達の家で焚き火したり窯を作って焼き物焼いたりしたんだけど、内燃機関の楽しさって、焚き火の楽しさと似てるなって思いました。
XユーザーのNaotaka Fujiiさん
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抹茶金時蒸しまんじゅう
窯変皿 QuietHouse ー抹茶金時蒸しまんじゅうー
曇り空の岡山です。
今日は蒸し暑いですね。
さて、今日のおやつは蒸し饅頭を買ってきました。
抹茶金時の蒸しまんじゅう。
いただく前に備前焼へ。
クワイエットハウスさんの窯変皿。
見込みに炎が走った跡が景色になっています。
シンプルな造形で日常使いとしておすすめ、
また非常にきれいな景色ですので飾り皿としても良いですね。
クワイエットハウスさんのオフィシャルサイトでは販売していないアイテムですので
この機会にいかがでしょうか。
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鹿児島銘菓“ボンタンアメ100周年”「懐かしい味」「安心する」日本中から長く愛されてきた理由は - ライブドアニュース
以下引用
鹿児島の銘菓「ボンタンアメ」は今年、誕生から100年を迎えました。戦争や水害を乗り越えて、長年、愛されてきたわけを取材しました。 ポケットサイズのレトロなパッケージでおなじみの「ボンタンアメ」。オブラートにくるまれたもちもちとした食感が人気の鹿児島生まれの菓子です。
街のみなさんにとっても慣れ親しんた味のようです。 (親子)「大好きです。息子は食べたことない。娘が好きでよく食べている。娘が『ちょうだい』というのであげたら『おいしい』ってなって」 (高校生)「工場にいった、小学校の工場見学。安心する」 愛知から旅行で来た2人も。 (愛知県から)「このまま丸ごとですよね。懐かしい味、子どもの頃の味がする」 離島の口永良部島出身という女性は。 (口永良部島出身)「鹿児島に修学旅行できたときは買って帰った」
100年のロングセラーとなった商品「ボンタンアメ」の誕生のきっかけは、従業員が遊ぶ姿でした。
ボンタンアメ誕生のきっかけは
発売から今年で100年。全国で親しまれるボンタンアメ誕生のきっかけは何だったのか?製造するセイカ食品の玉川浩一郎社長に聞きました。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「もともとお菓子の材料問屋だった。水あめもつくっていた」 セイカ食品の創業は明治36年。もともとは菓子問屋でした。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「商売が厳しくなっていた時に、取り扱っている水あめで熊本の朝鮮飴をまねしてつくり、社員が遊んでいるのを見た初代が参考にして、鹿児島の特産であるボンタンの味をつけてお菓子として売り出そうとしたと聞いている」 ボンタンアメが生まれたきっかけは、従業員たちの「遊ぶ姿」でした。
長い歴史ゆえのエピソードも
その後、工場が空襲で焼けたり、8・6水害で浸水したりと、災難に見舞われたこともあったこの100年。 長い歴史の中で、ボンタンアメが誕生した「年」を巡って、こんなエピソードも…。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「最初は大正15年(発売)と聞いていた、いろんな人の話をきき大正13年と訂正したが、当時の決算書などを見ると大正13年ごろでもないなと」 おととし、発売を大正13年から大正14年の西暦1925年に訂正。長い歴史があるからこそ起こった出来事です。
ボンタンアメの工場を見学
では、ボンタンアメは、どのようにつくられているのか、工場を見学させてもらいました。 (記者)「ボンタンアメの原料が入った窯、この段階でボンタンの良い香りマスク越しでもわかる」 原料は、もち米・水あめ・砂糖、そして阿久根産のボンタンから抽出したオイルなどです。 100度に熱してどろどろになった飴。窯の底をあけると…下にある冷却板に落ちて、冷やされていきます。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「重力はただで利用できる、コンベヤーいらず」 飴は冷やしながら形を整えられ、オブラートに包んでいきます。 Q.なぜオブラートで包む? (製菓部業務課 東龍吾係長)「キャラメルのように包装紙で包むともち米なのでくっついてしまう。オブラートだと形を保ったまま食べられる」 柔らかいため、手作業で箱詰めし、完成です。1日で製造するボンタンアメは57万粒。小さな一粒に長年の工夫が詰まっています。
キャッチコピーに込めた思いとは
そして、ボンタンアメといえば…キャッチコピー「ときどき、ずっと。」に込めた思いとは。 (セイカ食品 玉川浩一郎社長)「先代の社長からも言われているが、お菓子は主食とは違っていつもいつも食べてもらえるものではない、そのなかで人それぞれの食のサイクルがあると思う、できればボンタンアメも入れていただきたい」 「1年に1個でも5年に1個でも10年に1個でもいいから、ときどきでいいからずっと」 ふるさとのお菓子として、親しまれて100年。ほっとする懐かしい味をこれからも届けます。
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新入荷品より、小代焼ふもと窯・小どんぶり。いつもより一回りくらい小ぶりでかわいらしい。わら灰釉の景色が里山に降る雪のようです。
今日は祝日の振替で営業、明日はお休みをいただきます。
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茅ヶ崎里山公園 茅ヶ崎市 畑の村 コスモス畑 キバナコスモス 秋桜
富士フィルム X-H1 XF70-300mmF4-5.6R LM OIS WR
※近隣の町中華でランチ:古久家の自家製 窯焼きチャーシュー麺※
#公園#公園フォト#四季#自然#花#コスモス#コスモス畑#キバナコスモス#fujifilm#x h1#xf70-300mm#landscape#landscape photography#nature#park#four seasons#flower#flowers#cosmos#kibana cosmos#風景写真
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