#符牒
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ジャーゴン作りたがる奴はきらい
ジャーゴン(jargon)=素人にはわからない専門語・業界用語、特殊な集団内でしか通用しない隠語
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噺家の符牒で博打をモートルと言うのは以前から知っていたけれど、語源がモーター(motor)だとは知らなかった。
Xユーザーの鈴木浩一さん
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困局
H:「不論是職場、商場、個人生活,處處會遇到僵局、困局。其實說穿了,每個大小問題都可以視作一場賽局。」賽局理論:囚徒困境、納許均衡!每個困局也是一個事件,一個專案,「莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。」放著困局不解,日子也會過,只是堆積而已。慶餘年第40集劇情「光陰最殺人,不是嗎?」不能走出困局,只是「時間到了,壓力也來了。」超過解決困局的時限,就是困局的致命傷,不可不慎。從困局走出的叫「功成名就」,不能走出的「換人做做看!」殘酷的事實,人人都要面對。20250217W1
網路字典
困局
艱困的局勢。如:「公司財務陷入困局,裁員恐怕是免不了的事了。」
困局的相似詞
困境 窘境 破局 危局 發展困境 發展困局 尷尬處境 經營困境 窘局 發展瓶頸 迷局 融資困境 面臨的困境 發展難題 危機 陷入困局 難題 死局 資金困境 破局而出 面臨困境 兩難困境 兩難境地 陷入困境 面臨難題 局面 解決之道 舉步維艱 經濟困境 面臨的難題
絕句漫興九首·其四
朝代:唐代
作者:杜甫
二月已破三月來,漸老逢春能幾回。
莫思身外無窮事,且盡生前有限杯。
事件簿
看了書之後才知道事件簿的意思原來就是指虛擬一事件來做為學習的憑藉。 以前學習總是用條列式方法一味地填鴨,收到的訊息越多就越混淆,然後因為失去信心便對日文投降了。 《事件簿學日語》把學習當成演戲,藉由角色在不同事件中對話與不斷地出糗,了解自己犯了何種日文使用上的錯誤。
專案(英語:project),又譯為計畫、計劃、項目,是為完成某一獨特的產品或服務所做的臨時性努力。 臨時性是指計畫有確定的開始日期和結束日期。 獨特意味著專案的最終結果不重複。
專案:是暫時性、一次性、及獨特性的活動或工作;亦即是為實現某一特定目標,在一定的 時間、人員和資源限制下,所展開具獨特性的一次活動;如技術改造活動、流程改善、組織 變革活動。
專案管理就是針對一個既定的目標,進行時程、預算及執行的控管,最後實現所設定的指標或是目標。
專案管理是領導一個團隊在規定時間內實現目標和達到成功標準的過程,其主要挑戰在於在給定的約束條件下實現所有專案目標[1],在社會科學領域是管理學的一個分支學科。這些訊息通常包含於在開發過程初期建立的專案文檔中。主要的約束條件是範圍、時間、預算[2]其次是優化資源配置的必要投入,並將其應用於實現既定目標。
專案管理的目的是產生一個符合客戶目標的完整專案,在許多情景下也可以通過塑造或改變客戶的想法,更切實地實現客戶的目標。一旦明確了客戶的目標,就應該讓目標指導參與專案的其他人員——例如專案經理、設計師、承包商和分包商等——做出的所有決策。定義不清或規定過嚴的專案管理目標不利於良好決策。
專案具有臨時性,目的在於生產一種獨特的產品、服務或結果,具有明確的開始和結束,通常還受到時間、資金和人員限制。[3][4]專案的臨時性與商業中的「一切照舊」(即business as usual)[5] 形成對比,後者是為生產產品或服務而進行的重複的、永久或半永久的實踐活動。
專案的10大面向
答案是:整合、範疇、時程、成本、品質、資源、溝通、風險、採購、利害關係人。
專案管理流程、重點圖解!5 步驟,一次看懂專案管理怎麼做
1. 起始階段:定義問題,並辨識專案利害關係人
2. 規畫階段:思考完成專案所需做的事
3. 執行階段:整合各方訊息,輔助專案推行
4. 專案管理|監控階段:隨時隨地檢視專案是否符合計畫
5. 專案管理|結束階段:將經驗文字化,供後續的專案參考
維基百科:
策略 (賽局理論)
完整計劃博弈玩家在每種可能的博弈情況下的表現
在賽局理論裡,玩家在賽局中的策略是指在所有可能發生情況下的一套完整行動計畫;這完全決定了玩家的行為。玩家的策略會決定玩家在賽局的任一階段所採取的行動,不論這一階段之前是如何���變而來的。
策略組合是每個玩家都完全選定他們在賽局中所有行動的一套策略。一個策略組合對每個玩家都必須包括一個且只能一個的策略。
策略有時會和移動搞混。移動是指玩家在賽局中某一點所採取的行動;策略則是完整的演算法,告訴玩家在賽局中的每一個可能情況下要如何動作。
策略集合
策略集合是個由玩家所能採取的策略所組成的集合。
若玩家有有限個具體的策略可供選擇,則稱其有個有限策略集合。例如,在單一次剪刀、石頭、布裡,每一個玩家都有一個有限策略集合 {剪刀, 石頭, 布} 。若有無限個具體的策略可供選擇,則稱其有個無限策略集合。例如,有規範出價增額的拍賣會有個無限策略集合 {$10, $20, $30, ...} 。另外,在分蛋糕問題裡則有個連續的策略集合 {在蛋糕的百分之零至百分之百間的任一處切分} 。
在動態賽局裡,策略集合是由玩家能夠給定機器人如何進行賽局的規則所組成的。例如,在最後通牒賽局裡,第二位玩家的策略集合應該是由要接受及要拒絕的各種規則所組成的。
在貝氏賽局裡,其策略集合和動態賽局的相似,由任何私有情報所會採取的行動規則所組成。
選擇策略集合
在應用賽局理論裡,策略集合的定義是使賽局能同時可解及有意義的重要一部份;利用對整個問題的了解來限制策略空間,以簡化問題。
例如,嚴格來說,在最後通牒賽局裡,玩家可以有策略如下:「拒絕 ($1, $3, $5, ..., $19),而接受 ($0, $2, $4, ...,$20) 」。包括所有的策略會使得策略空間變得很大,並且得到一個稍難的問題;但對這賽局的理解,相信是可以限制其策略集合為 {拒絕所有不大於 x 的錢,而接受所有大於 x 的錢;這裡的 x 等於 ($0, $1, $2, ..., $20) 的其中一個} 。
純策略和混合策略
策略集合是由玩家能夠施行的純策略所組成的集合。例如「剪刀、石頭、布」中,玩家只有剪刀、石頭和布這三個策略。純策略就是只使用策略集合中其中一條策略。
混合策略是對每個純策略分配一個機率而形容的策略。混合策略允許玩家隨機選擇一個純策略。因為機率是連續的,所以即使策略集合是有限的,也會有無限多個混合策略。
當然,嚴格來說,每個純策略都是一個「退化」的混合策略,某一特定純策略的機率為 1 ,其他的則為 0 。
完全混合策略是個混合策略,其對每個純策略都分配了一個不為零的機率。(完全混合策略對如顫手完全均衡之類的均衡精細很重要。)
混合策略
例子
ABA1, 10, 0B0, 01, 1純協調賽局
假設一收益矩陣表示如右(為一協調賽局)。這裡,一個玩家選擇行(Row),另一個玩家選擇列(Column)。行玩家得到第一個收益,列玩家則得到第二個。若行玩家偏向百分之百選擇 A ,則稱他在玩純策略。若列玩家偏向以擲硬幣來決定,若頭朝上則選擇 A ,若字朝上則選擇 B ,則稱他在玩混合策略,而非純策略。
重要性
在約翰·福布斯·納許的一篇著名的論文裡,他證明出對每個有限賽局,都存在一個均衡。納許均衡可以分成兩類:「純策略納許均衡」,之中的所有玩家都玩純策略;和「混合策略納許均衡」,之中至少有一位玩家玩混合策略。並不是每個賽局都會有純策略納許均衡,例如賭便士就只有混合策略納許均衡,而沒有純策略納許均衡。不過,還是有許多賽局有純策略納許均衡(如協調賽局、囚犯困境和獵鹿賽局)。甚至,有些賽局能同時有純策略和混合策略均衡。
爭議的解釋
在1980年代時,混合策略的概念曾遭受很嚴重的攻擊,被認為是「直覺地有問題」[1]。混合策略的核心-隨機缺乏行為的支持,人們很少會憑運氣做決定。此一行為問題在認知的難題上顯得更加嚴重,因為沒有人能夠在沒有隨機數發生器的幫助之下做出隨機的決定來。
在阿里爾·魯賓斯坦的一篇論文中[2],他描述了另一個了解此一概念的方法。首先,基於純化理論[3],並假設混合策略的解釋只是反應了對玩家資訊和決策過程認識的缺乏。明顯地,隨機決定被認為是不明確、利益無關的外部因素的結果。然而,一個由不明確的因素決定的結果很難令人感到滿意。
第二個解釋是,想像有許多組玩家在進行賽局,每組玩家都選擇一個純策略,且利益是依賴玩家們選擇策略的百分比來決定的。因此,混合策略便表示是每一組玩家所選擇的純策略的分佈。然而,這對玩家都是單獨的一組時,提不出什麼合理的解釋。
之後,奧曼和布蘭登柏格 [4]) 重新將納許均衡解釋成是一種「信念」的均衡,而不是行動的。例如,在剪刀、石頭、布裡,信念的均衡即每個玩家都「相信」對方會平均地施行每一個策略。然而,此一解釋弱化了納許均衡的預測能力,因為在此均衡裡,「確實」地施行石頭的純策略也是可能的。
直至今日,學者們對混合策略的結果依然是很矛盾的。混合策略依然廣泛地被應用不存在純策略均衡的賽局中,以提供其一個納許均衡,但這些模型都無法說清楚為何且如何玩家能夠隨機化他們的決定。
參考資料
賽局理論相關電影推薦
1.《美麗境界》(A Beautiful Mind,2001):
2.《驚爆13天》(Thirteen Days,2000):
3.《��暗騎士》(The Dark Knight,2008):
囚犯困境
賽局理論的經典案例
囚犯困境(英語:Prisoner's dilemma)、囚犯兩難[1]是賽局理論的非零和賽局中具代表性的例子,反映個人最佳選擇並非群體的最佳選擇,且在一個群體中,個人做出理性選擇卻往往導致集體的非理性。雖然這是一個理論上的情境,但現實中的價格競爭等也會出現類似情況。
納許均衡
個體經濟學名詞
在賽局理論中,納許均衡(英語:Nash equilibrium,或稱納許均衡點)是指在包含兩個或以上參與者的非合作賽局(Non-cooperative game)中,假設每個參與者都知道其他參與者的均衡策略的情況下,沒有參與者可以透過改變自身策略使自身受益時的一個概念解。[1]該術語以約翰·富比士·納許命名。在賽局理論中,如果每個參與者都選擇了自己的策略,並且沒有玩家可以透過改變策略而其他參與者保持不變而獲益,那麼當前的策略選擇的集合及其相應的結果構成了納許均衡。即若pi(s)=maxri[pi(s;ri)],則稱s為納許均衡點,其中:pi為參與者i的收穫(payoff),si代表所有參與者之策略,ri代表參與者i的一種可能策略,(s;ri) 指參與者i單方面改變策略為ri。[2]
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む ⅩⅡ
花鳥誌2024年12月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
22 この池の生々流轉蝌蚪の紐
『ホトトギス』昭和三十二年三月号「句日記」に「(昭和三十一年)三月十八日、土筆会、真下宅。」と前書き。 掲句については清崎敏郎『高浜虚子』に詳細な成立事情と鑑賞があるので、そこから始めたい。
「今年また私の庭の小さい池にいくつか蟇や蛙が水に飛び込んで這ひ上がったり、『蝌蚪の紐』が浮かみやうになって来た」と虚子自身『虚子俳話』(昭和三十一年)書いているから、池は虚子庵の池であり、「蝌蚪」は兼題であったろうと推測している。ただし、「句日記」の前後に「蝌蚪」の他の句は確認できない。
清崎は、「生々流轉」とは、四季の巡行を「蝌蚪の紐」から思い致した心の動きを指すとする。紐は成長し、蝌蚪が生まれ、それに手足が生えて蛙となる頃には夏となり、秋を経て冬ともなれば冬眠して姿は見えなくなる。そしてまた啓蟄あたりには蝌蚪の紐を産み付ける、と。 ただし、虚子自身は清崎が指摘するような、蛙の「生々流轉」に限定しないことをさりげなく語っている。以下『虚子俳話』「生々流轉」の章の続きを引こう。
この池の生々流転蝌蚪の紐 虚子
まことに万物の生々流轉の姿がわが心をひいた。春立ち、夏来り、秋去り、冬至る、一年の流転の忙しさが心を引く。 この句はその心持を「生々流轉」の文字で現はに表はしてをる。
すわなち、虚子は「蝌蚪の紐」から天地の四季の運行全体を連想していた。続いて虚子は、「蝌蚪」と「蛙」の縁から、芭蕉の古池句を引き合いに出す。
若しこの句をよしとする人があらば、そはこの「生々流転」と現はに言つた処にあるのであらう。併しながら、彼の、
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
の景色を叙するのみであつて、何の主観の表現をせず、その中に生々化育の意を寓し得てゐるのといづれぞや。
虚子に「古池」句の解釈は独自で、「初蛙」の発想でこの句を春の初めの生命感あるものと捉えていたので、単なる一瞬の写生ではないにしても、自身のように「生々流轉」と主観を露出してはいない。そのどちらが良いというのかと自問自答して見せる。
流れ行く大根の葉の早さかな 虚子
大根は二百十日前後に蒔き土壌の中に育ち、寒い頃に抜かれ、野川のほとりに山と積まれて洗はれるのであるが、葉つぱの屑は根を離れて水に従つて流れて行く。水は葉をのせて果てしなく流れて行く。ここにも亦た流転の様は見られたのである。
つまり、虚子一流の集中的に対象の本質をつかむ、客観写生の句である「大根」句も、「古池」句同様、背後には生々流轉の世界が��るというのである。しかし、こう書いたからと言って、「いずれぞや」という自問自答の回答にはなっていない。むしろ、最晩年の虚子にとっては、主観の露出か客観かの二項対立は問題ではなく、広く俳句とは「生々流轉」を詠むものである。ただ、その表現の仕方が違ったに過ぎないと言いたいらしい。
逆に言えば、掲句は珍しい主観露出によって、自己が求めてきた俳句世界一般を表現したものだったということなのだろう。 なお、虚子の「この」は要注意である。
この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
「遅日」の本意を「いつまでも」と抜け抜けと詠んだだけに見えるこの句も、「この庭」と限定することで庭の外の俗世間との対比がなされ、自ずと庭の状況が感じとれるようになっている。この句は、京都竜安寺石庭にわずか十分ほどいて詠んだもので、後に山口誓子が何度も訪れ、庭石の配置まで図って詠んでも虚子に適わなかったと述懐していることを思い合わせるべきである(『俳句鑑賞入門』昭和四二年)。
寒庭に在る石更に省くべし 誓子
23 春の雲とけて流れてむすぼれて
『玉藻』昭和三十二年三月号初出。
年尾の解説にはこうある。
父の好きな句に、凡兆の「上行くと下来る雲や秋の天」といふ句がある。それは巧みに秋の雲の様子を捉へてゐる。この父の春の雲は又、春の雲の姿を言ひ得てゐると思ふ。春の雲のとけたかと思ふとすうと形が伸びて行き、又結ばれたやうになる。春の雲の柔らかい様を云つたのである。所謂春雲巻舒の情を叙したのである。
「巻舒」とは、伸び縮みする様を言う。漢詩を調べると「春雲」そのものではなないが「晴雲巻舒」「天雲巻舒」といった熟語が確認できる。 掲句で問題とすべきは「て」の三回の繰り返しである。動詞の多用は、俳句で成功しにくいが、虚子は稀に思い切って使って成功している。
囀の高まり終り静まりぬ 虚子
まず、同じ春の句であることは注意を要しよう。浮き浮きした心の調子を乗せたリズムとなっている。掲句の「て」の連続は、変化・転変の様を言う。年尾が指摘する虚子愛唱の凡兆句。ふつう秋の天は高く馬肥ゆる爽快な様をいうが、凡兆の句は極めて動きの激しい荒れ模様の空である。台風の時期、高いところを流れる雲と、下の方から激しく動きの早い雲が飛んで来て交差するような、ダイナミックな様を詠んだ。
対する虚子は、同じ雲の動きを主題にしながら、春の光の中、絹糸のように一旦「流れて」はまた絡み合う様を詠んだ。
なお、漢詩には���雲雨の交」(『文選』)という言葉があり、男女の情交を暗示した。俗に雲になり雨になりと読み下して、芝居の音曲や江戸小説の濡れ場でも使われる。御所での帝の睦言は、「雲雨」とだけ符牒として日記に記録されたこともあるという。虚子がそこまで意識した否かは確かめようもないが、「溶けて流れりゃ皆同じ」という小唄調の流行歌も思い合わされ(虚子は自分の句をコラージュして小唄も作っていた)、「むすぼれて」のオチに「艶」を感じるのは私だけだろうか?
『虚子百句』より虚子揮毫
23 春の雪とけて流れてむすぼれて 24 鎖したる老の我儘梅が門

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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禁じられた遊び
が、タイトル以上に重い映画で悲しくなってしまった……spic&spanと言い、あの頃は子供に厳しいものが喜ばれたんだろうか?そこまで感じるのは大袈裟かもしれないけれども、最近はあそこまで子供に重たい辛さを求める映画はそんなに……規制とかもあるのかな……いずれにせよもう見るのは無理だな、と思いました。
でもこちらはまだまだいける!というわけで、明るいお話?です。
>二人遊び(主福 R18)
R18なので!18歳未満の方は読まないでください。
なんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。符牒が招いた誤解と行き違いから、隠し刀がとうとう自分の本懐を遂げる運動会です。諭吉がちょっと可哀想可愛いかもしれない。
相変わらずこの手のものを書くのに慣れず、ついで照れと正気を殴りながら書くのでしんどいけれども、楽しいお話になれたならば幸いです。人の幸せはいろんなところにあるからね……!
来週・再来週はお出かけもあって更新できるかチキチキレースになります……半年ほどかけて計画してきたので頑張りたい〜〜〜それが何んらかの糧になりますように。
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youtube
メカスが亡くなった2019年……その当時、私はまだ都内で暮らしていたから、追悼上映で『ロスト・ロスト・ロスト』と『ウォールデン』を見ることができた。3時間にわたって記録された映像=日記。《リュミエール兄弟に捧げる》。スクリーンに矢継ぎ早に現れるイメージの乱舞。記録された過去の断片が、たとえば「美」や「幸福」といった言葉で単純に言い表されることを拒むかのように、荒々しい編集で流れていく。暗闇のなかで、観客は黙って映像を見続ける。ただ彼が世界に向かって終始カメラを回し続け、生きたこと以外には脈絡が分からないまま。
見終わってしまえばたちまち忘れられてしまう映像? しかし、あれから五年の歳月が過ぎても、不意に、記憶の暗がりに光が射すかのように、メカスの映像の欠片を思い出すことがある。ただしそれは、憶えていたどこか一連のシーンというよりは、流れ去ったものが身体に残していった感触のようなものとして。
ペ・スアの小説にはまた、『サン・ソレイユ』の一節がエピグラフに掲げられている。その年にはマルケルも盛んに特集されていて、とりわけこの作品はメカスの映画と並んで大好きだった。
最初の映像は一九六五年にアイスランドのある道で撮った三人の子供たちだ、と彼は手紙に書いてきた。これは自分にとっては幸せのイメージで、だから他の映像とつないで映画にしてみようと思ったが、まだ成功していないと。だがいつの日か、この映像が冒頭に単独で登場し、その後しばらく真っ暗な画面だけが続く、そんな導入部の映画を作りたいと。 もしも人々がこの映像の中に幸を見出せなかったとしても、暗闇だけは充分に見られるように。 ――クリス・マルケル『サン・ソレイユ』
その後地元に戻ってからは、一度も映画館に行かないまま、もうすぐ四年になる。それどころか配信で映画を見る習慣も今ではすっかりなくなってしまった。ところが最近、偶然手に取ったペ・スアの小説のなかで、忘れ難い印象を残した映画がモティーフとして表れていて、さらに私がそれらを見た時期と小説内の現在時とが同じ2019年だったという符牒があったから、何となく書き残しておきたいと思った。自身の底に沈んでいるフィルムの記憶が、不意にまた呼び覚まされるために。
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--深海人形-- 精神状態がピークの時に最高のパフォーマンスが生じる
※閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※クロスオーバー?ネタ注意
※ピークの状態を長く維持すれば、其れが持続して居る時間を稼げるが、寿命が削れる。…でも気にする事は無い。……と言う訳で、クラピカの様に、四六時中、寿命削りまくってるワイ(※人生の有効活用)。
八月六日に幾つも何時も通りガトーネタ投稿ですが、御存知の通り、何も関係ありません。然し、正直私も今の時期に投稿するのは大変凄まじくムカつきますので、後で、ガトーを徹底的にイカタマみたいに成敗します(※ガトー男リョナ編はじめます)。
…某アニオタNAOYA並の(最低)発言するで、先ず顔があかんわ、ノリス君、ガトー君と逆やったら良かったのに(※ガトーは無駄に美形だし……其の無駄な美形さをノリス君に分けて欲しい笑)。
…。
※以下、某えろバレー風パロ注意
もしも、赤い彗星が来たら「せや!地球にアクシズ落としたろ!(しめいかん)」の奴だし、『今、自分が居る此の過去の時代で色々(政治的にも)頑張る事によって此の過去が改変される事で、少し位所か劇的に未来は良くなる筈(※…尚、此の時代が確実に宇宙世紀に繋がるとは限らない模様。…って言うか繋がらない。本当に凄い迷惑)。』位は考えて、其処の時代環境荒らすかもね(※震え慄け!此れがジオン星人全一の体たらくだ!)。…大人しくえろバレーしてて?どうぞ(※懇願)。
…。
※クロスオーバー?注意
※前作とは繋がる様で繋がらない
※暴力表現・男リョナ・過去捏造注意
※常夏の楽園に流れて来た生粋地球人(アースノイド)の戦闘エンジョイ辞めちゃった野獣大尉
「…メリーさんの羊、羊、羊……、」
其の男は、暇潰しに、適当に自分が知って居る歌を歌って居た。
「…メリーさんの羊、楽しいな……。」
何処か虚な表情で、其の心が心が半壊して居る様に。
…そして、暫くして、歌を歌い終わると、誰も居ない空間の中、彼は、一人言を呟きはじめた。
「…なぁ、シロッコ。お前、サラ曹長もだけど、死んだってな。でもな、別にな。御前等なんてな。俺にとっては如何でも良い。自分さえ生きてりゃ。…だけど、其の前に生きて地球に着陸出来るかな?」
…。
その日、宇宙艦艇に搭載されて居た一人乗り用の脱出ポッドが地上に落下した。
すると、すぐさま、元気良く、中に居た人が出て来る。
「奇跡だ……!オレは生きてる!!…で、此処は何処だ?見るからに、南の島だな!気候的にも過ごし易いしまぁ、良いか!」
其の後、何時間も人里を探し、其処に着く。そして、其処の職業安定所に入り、まるで、全く人慣れした口調で職員に話し掛けた。
「オレ、ヤザン・ゲーブルって言うんです。外国人渡航者で、住み込みで働ける所を探してるんですが、何処か其う言う所ありませんかねぇ?」
そして、其の島で日々を過ごす内に、此の時代が、かつての国家が現役で存在する程の過去で、年号が西暦--A.Dであることを知った。ヤザンは、西暦よりも未来のU.C--宇宙世紀から来た人間だった。
…。
「よぉ、ガトー、又、会っちまったな?仕事は何してんだ?」
昼下がりに、偶然仕事帰りにガトーと出会ったヤザンは自分とほぼ同じ匂いのするガトーに聞く。
「機器のメンテナンスと無線通信だ。オーナー経由で頼まれたのだ。当方機材のシステムとモールス記号が分かるからな。元々、MS乗りの軍人はエリート職で高等技能職だ。働き口には困らん。」
…然し、…リゾート地にある遊戯施設の機器整備の業務で燻って居るのは自分でも惜しいと思っては居るが……。
其れを聞いてヤザンは此う返す。
「あー其れオレもだわ。敢えて其う言う職にはつかねぇけどな。今も、日雇い仕事と漁師を転々としてるな。」
其う、露も相手が元々軍人だったとは思いもして無かったガトーは素直に驚く。
「なぬ?!お前も軍人だったのか?!」
「��はな。」
「……然し、何故、軍人としての高等教育を受けて居ながら、高給の仕事を避ける?其の能力を最大限に活かすべきでは無いのか?」
「いちいちウルセェな!其う言うお前の様な思想の奴が絶えねぇから戦争は無くならねぇんだよ!」
「…まぁ、好きに生きるが良い。」
其れから、二人は会話を辞め、ヤザンは去って行った。
…。
後日。ヤザンは、現在仕事中のガトーを誰も居ないリゾート施設の片隅に呼び出した。
「未だオーナーから頼まれた仕事が残って居ると言うのに……、…私を此処に呼び出して何がしたいのだ?」
「別に良いだろ?…何も怪しい事はしねぇよ。…ただ、オレはお前と話がしたいんだ。少し良いか?…"お前は一体何時の時代の人間だ??"」
ある種の符牒。地元の人間には非常に不可解な質問であろう。…だが。
「素直に答えて良いか?」
ガトーは此う答えた。
「嗚呼、外部には言い触らさないと約束するぜ。」
すると、其の質問を、待ちに待って居たかの様に、意気揚々と、ガトーはハキハキと答える。
「宇宙世紀だ。U.C.0058年生まれだ。」
其れを聞いて、ヤザンも嬉しく反応する。
「矢っ張り、アンタもか……。通りで……。…なら、MS、其の時代に起きた戦争の話も出来るよな?」
其れを聞いたガトーはヤザンに質問で質問を返し、此う訊く。
「何故、過去に参加した戦争の記憶に怯えて居るのに、其の様な過去の話をしようとする?」
「……如何しても、アンタと、一年戦争の話をしたくてな。一年戦争は其処迄トラウマじゃねぇし。」
「…一年戦争だと?所属は?…ジオン、連邦の何方だ?」
「連邦だ。」
「如何やら、連邦の兵士は、誰も彼も能天気で軽率で軽薄の学生か会社員気分で軍人をやって居ると言う評論は本当の様だな。」
「でもなぁ、銀髪銀眼のジオン星人さんよ。故郷はアンタらジオン星人の所為でスラム街ごと焼けたがな。でも、逆に、悪辣で忌まわしい故郷を焼いてくれてありがとよ。」
「何と馴れ馴れしい。感謝される筋合いは無い。私の部隊がやった訳でも無い故尚更。大体、一年戦争時は、我々の部隊は宇宙での戦闘一辺倒で……、」
ガトーの冷淡な反応には半ば呆れたが、其れでも、ヤザンは話を続ける。
「……もしかしたら、アンタとは、ソロモンの戦場であった事があるかもしれねぇな。あの時、俺はGMに乗って居た。」
「…海域のか?」
「宙域の方だ!しらばっくれるな!」
「知らんな。少々腕は立つ方らしいが、連邦のジムは数の多さ、物量作戦が売りで幾ら潰しても潰しても蝿の様に湧いて来る。其の中のパイロットが誰だとか、如何とかには、全く興味は無い。」
「お゛っ゛?!ふざけてんのか!?テメェ!?」
露���に地球連邦軍属と言うだけで見下されたヤザンを後目に、更にガトーは冷静に話を続ける。
「どうせジオン側のエースパイロットを恐れて、明らかに操縦が未熟な学徒兵達の乗るザクかゲルググ狩りに精を出して居たのだろう?…其の様な兵など恐るるに足らぬ。」
「…テメェ……!言わせて置けば!此の恥知らずが!!」
…どれだけ、周りの味方が其の卑劣な戦法を初めて、連邦に貢献して沢山の戦果を上げようが、オレは、絶対に、其んな戦い方しなかった!…寧ろ、其んな奴等は無視して、エリートかエースの乗った機体だけを狙った!
だが、ガトーは相変わらず、ヤザンを見下して来る。
「お前が言うか。」
…其処で、ガトーの差別意識に耐えきれなくなったヤザンが話を変える。
「アンタ、連邦軍の教本に乗ってるらしいじゃねぇか。面構えは中々ハンサムだが。…然し、教本に乗る位にさぞかし人間性も模範的……と思えば、"天下の地球連邦様を個人の力で此処迄苦戦させたのは凄いから"と言うノリで教本に載せて貰ってるだけで、実際の中身は、此処迄自己中心的で差別的で下卑た人間性最悪の最低野郎だとは思っても見なかったぜ。矢っ張り男は顔じゃねぇな。寧ろ逆かもよ?」
其の悪態を聞いたガトーは、ヤザンの顔面を殴る。
「…此の…!…愚劣、醜悪極まり無い下郎が。二度と私の前に姿を現すな!」
そして、一撃殴ると、ガトーは更にヤザンを蹴り飛ばし、其の儘踵を返した。…そして、最後に、ヤザンは此うガトーを吐き捨てる。
「…ったくよぉ!酷ぇ奴だ!シロッコの方が未だ人間としてよく出来てたぜ!」
…。
そして、ある日の夜。其のリゾート施設で豪勢なパーティーイベントがあり、其処で、オーナーと女子達の護衛をして居たガトーは、少し其処から遠くて暗い場所で、一人寂しく辛そうに泣いて居るヤザンの姿を見つける。
其の時のガトーは、何時もとは違い、酷く何か胸騒ぎがしたので、其のヤザンの姿を見過ごす事は出来ず、何か助けてやりたいと、…ヤザンの元に駆け付けて彼に訊く。
「如何かしたのか?病気か?」
「こっちに来んじゃねーよ!!!!何で二度と姿を現すなって言った癖にテメェから来るんだよ!??オレの前にも二度と姿を現すんじゃねぇぞ!!」
だが、ガトーは空気を読まず、話を強引に進める。
「お前程の男が泣くとは相当凄まじく辛い事があったと言う事だ。其れが如何しても気になって来た。本当に如何したのだ?」
其う言って、ガトーはヤザンを明るい所へ連れて行こうとする。…が、ヤザンは其のガトーの手を振り解く。
「もうほっといてくれ!!!!!!!」
すると、其の時、 驚く事に、ガトーは、意外にも大嫌いなヤザンに頭を下げた。信じられぬ事に。
「今迄の非礼は詫��る。正直済まなかった。」
「……!?!!」
「…どうだ、許してくれるか?」
すると、相手に心を許したのかヤザンはポツポツと話し出す。
「…昔にな。俺の所属してた軍にはな、シロッコとサラって言う奴が居てな、其奴等はな……、」
「初めて聞いた名だな。…死んだのか。」
「其うだ。サラ曹長もシロッコも何処にも居ねぇ、死んだって知ってるんだ。其れが、哀しくて哀しくて……。時々、思い出す。たとえ帰れても辛ぇだけだ。宇宙世紀には帰りたくねぇ。元の時代に帰っても、其処には取り戻せる物も得る物も、其んなの何も無ぇ。」
「…其うだったのか……。…もっと光のある所へ来い。…今夜の事は誰にも言いはせぬ。さぁ、もっと人の居る所に行くぞ。彼方には、オーナーと其の仲間達が居る。…来い。…其方に居た方が、お前の心身にとっても傷を癒す癒しになるだろう。」
「…お前、意外と優しいんだな……。」
「……此処だけの話、…私も私で戦争の古傷に苦しんで居るのでな。」
…そして、最初から目指して居る通り、光のある所に連れて行く。其れから、其処のスタッフにガトーは声を掛ける。
「如何か此方から御願いしたい。此奴の御守りを頼む。」…と言いながら、ヤザンを指差す。
「ガトー!テメェ!!許るさねぇ!!」
…。
…翌日。
「あれから感情はスッキリしたか?」
「…嗚呼。二日酔いしたが。」
其のすぐ後、ガトーは、キザにヤザンに対して何時もの上から目線で此う言う。
「其れにしても意外だった。其れ程醜悪なザマでも、人間としての美しい感性自体は健在な様で、一安心した。」
当然、其の言葉を聞いたヤザンは怒り出す。
「…未だ、相手(オレ)を格下だと思いやがって!!!!舐めてんじゃねぇぞ!!!!」
今度は、ヤザンがガトーの腹と顔を、二発で殴った、其のあと、次いでに、其の足で強く腹を蹴った。
「シロッコの方がテメェより未だずっと高尚な精神してるぜ!良い加減にしろ!マジの屑が!」
※此んな様でも、草葉の影で、シロッコとサラが生暖かい目で見守って居ると思うと、正直笑いが堪えられない(※…尚あの閣下は居ない模様)。
…。
※おまけ(※基本ギャグでメタくて本編完全無視)。
「頼む!ガトー!兎に角MSの話がしたいんだ!此の楽園(しま)でMSの話が出来るのは(オレと)お前しか居ねぇ!」
「何故私が野獣のお前なんぞとMSの話をせねばならぬ!此れをオーナー(さん…)や女子達に見せて私が居なくともMSの話が出来てる様にして来い!」
ドン! Zgndm&0083本編(※何も劇場版付)
「」
「ゲームもあるぞ!(Gジェネ、エクバ網羅)。」
※ゲームの方が種類充実!(※おい、もっとアニメ見せろよ ※アニメじゃないけど)。
…。
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象牙の塔から降りてきて
と語りかける空疎な歌
遠ざかっていく窓には
髪を梳かす乙女
薄水色の綿の寝衣
人影が行き交うと
たちまち炎に包まれた
瓦礫のなかの小さな手箱
零年
焼け落ちる暗幕はなにかの符牒ではない
切断された時のなかに
干上がった砂地に
膨張しつづける沈黙のなかに
黒い城を打ち立てる
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引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。
そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
神聖かまってちゃん
このバンドのことを知ったのは漫画「モテキ」。
「モテキ」は毎回作者の久保ミツロウさんのセンス&チョイスでその回のテーマに近い楽曲名がそのままタイトルになっている。
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とかタイトルを見てそのアーティスト・ミュージシャンを当てるのを毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
それが「モテキ」3巻・23話のタイトル「ロックンロールは鳴りやまないっ」だった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度とその引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。
ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
「私はあなたの仲間だ」と囲い込むためだけの言葉選びや引用���
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。
それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。
そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。
どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
「俺の言葉を真似するよりも、あなたの言葉で俺を震わせてくれ」
この言葉の意味を……あなたはわかるだろうか。わかっちゃいけないんだよ。
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「狂乱苦悩の真崎甚三郎」より
(引用者注:1934年4月、実弟白上佑吉の収賄事件を契機に林銑十郎陸相が辞意を漏らす。取材の一環で著者は皇道派の首脳・真崎甚三郎教育総監邸を訪ねる)
…
玄関の呼び鈴を押すと女中が出て来た。ちょっと会釈して引っこんだ。左手の応接室には電気がついている。来客らしい。間もなくさきの女中が出て来て「こちらで暫く」といって、玄関つきあたりの八畳ぐらいの座敷に案内し、茶など運んで来た。先客はなかなか帰らない。もう十時はとうに過ぎた。十一時近い。やっと客の帰る気配がして、玄関で真崎が「やめたくても勝手な真似はさせんから大丈夫だ」と言って笑いながら送り出した。さァ、こっちの番だ。襖のあくのを待っていたが、真崎は部屋に入って来ないで、廊下づいたに座敷の横壁に取りつけてある電話にかかった。相手はわからない。
「いま秦が帰ったところだ。どうも真意がわからぬという。……いや、そうじゃない。表面は困った、困ったと言っているそうだが、何しろ起訴されて懲役刑の求刑を受けたというだけだから、それですぐどうというわけにはいかぬ……そうだ、そうだ。裁判が確定したというのではないから秦が手をまわして検事局の方を調べさせたが、検事は口が堅くて裁判の見通しについては何もしゃべらぬらしい。警視庁の方では物になると言っているがこれも観測だけだからね。……それに妙なことに白上と兄弟だということは、世間ではあまり知らないらしい。けれども、これはすぐ暴露することができる。…‥それで番町の方から極力この際は進退を明らかにして、一応辞めた方がよいということを口説かせている。それには相当に耳を傾けている模様だ。…‥ナニ、そうだ、そうだ。ところが秦には辞めそうな口振りは一切見せぬという。…‥イヤ、秦も随分突っこんで勧告はしたらしい。彼のことだから少しアクがきき過ぎて、かえって気を悪くしたのかもしれぬ。だが、機会は今だよ、いい機会だ。ナニ?俺にはそうはいえない。会えばまあ慰留の言葉になる。そうすればそれにつかまって来るかもしれぬ。だから今しばらく俺は会わぬ方がよい」
「……ナニ、下落合でもそう言われるのか、こちらからはまだ申しあげていないんだが、それは困ったな。荒療治だよ、それでなくてもうるさい奴がいるから、俺���はだめだ。それより貴様もう一度出ろ。もう病気も癒ったのだし、従来のことは何でもわかっているんだから、俺よりは貴様の方がよい。……ハハハ。……まあ、もう少し情勢を見てからにしよう。下落合には貴様からよく話しておいてくれ、俺より貴様だよ、ハハハ……」
かなり長い電話であった。最初は何気なく聞いていたが、その話の内容は実に重大なことである。林陸相追い出しの陰謀をやっているのである。いろいろな符牒を使って話しているが、筆者にすぐわかるのは下落合とは武藤信義、番町とは柳川平助である。先客は憲兵司令官秦真次である。要旨は説明するまでもないが、林の実弟白上裕吉が疑獄事件に連座している問題である。真崎らはこれを種に林を辞めさせ、その後任には教育総監の真崎をすえようとしているのだ。それを真崎は俺は困る、貴様がいいと言っているところからすれば、電話の相手は荒木貞夫以外にない。
林は近衛師団長から朝鮮軍司令官になり、いわゆる越境事件で名をあげた。荒木が五・一五事件で辞任するつもりで林を朝鮮から呼んだ。林は大臣になった気で東京に着いてみると、荒木が留任することになっていた。今さら朝鮮に帰すわけにもいかないので、武藤が教育総監を辞めて林をその後任にした。…
…
(引用者注:荒木がその1933年初春病を得て辞意を漏らした後)…後任を誰にするか、武藤は軍事参議官だが、皇道派の総帥だ。その意見をきくと真崎か林かの何れかにせよ、何れにしても異議はないという。真崎は参謀次長を辞めて、これまた軍事参議官でいたから、一番てっとり早いが、林は一度大臣にするつもりで、朝鮮から呼んだ関係もあるから、林を大臣にし、真崎を教育総監にして林を監視させることにした。
林は五・一五事件で中央にもどり、荒木の発病という偶発事故によって陸相を拾ったのである。拾ったというよりむしろ皇道派の傀儡として登場したといった方が適切であろう。彼は東京湾要塞司令官として、首の座にすえられていたのを真崎が武藤に生命ごいして浮かび上らせ、近衛師団長という師団長最高の地位にまで進んだ。これはもう林の器量にもよることだが、真崎は林にとって生命の親である。林の方が一年先輩ではあるが、以来真崎の頣使に甘んじてきた。だから真崎としては、林が陸相になっても、自分が三長官の一員としてにらんでおさりすれば、勝手な真似はさせないという自信があった。一には荒木、真崎に対する風当りが強くなって来たから、林という無色な者を陸相にしておけば、自分��も木陰でゆうゆうと昼寝ができることも計算に入れていた。
ところが、林は呉下の阿蒙ではなかった。柳川次官、山岡(重厚)軍務局長、秦憲兵司令官などは相手にせず、第一旅団長から永田鉄山をもってきて、軍務局長にすえた。そのかわり小畑敏四郎は大学校幹事、つまり副校長にし、山岡は他所に飛ばすというのを、真崎が「相成らぬ」といって、整備局長に横すべりさせ、永田を監視させる。秦憲兵司令官も転任させず、宇垣時代に、小磯のために軍務局長を横どりされて、悶々の中にいた林桂を教育総監本部長にした。林は頭もよく仕事もできる。惜しいことには背骨があまり堅くない。だから使い方如何では随分役に立つのである。
こんな風に、真崎オンリーでなくなった林に対して、皇道派はまなじりを決して怒った。「忘恩の徒なんたることをする」と。だが、いったん大臣となればいかに忘恩呼ばわりしても、そうやすやすと追い出すことはできない。そこに降ってわいたのが白上問題である。本来なら林が気にすることではない。しかし、林もちょっと皇道派の脈を診てみようとという気になった。それは林の自発的意思ではない。渡辺錠太郎から知恵をつけられたのだ。そこで柳川の前で困ったふりを見せたので、これ幸いと皇道派は一斉に起って、排撃の狼火をあげたのである。薬がききすぎて、林も少しとまどいした。真崎、荒木の深夜電話はこういう経緯を知っていなければ面白くない。
さて、筆者はこの電話を全部きいた。盗聴でも何でもない。待っている部屋の隣の廊下で、声高に話しているのだから、荒木の応答は聞こえないが、真崎の言分はいやでも聞こえる。それで最初のうちは感激して聞いていた。これほど重大な秘密電話を、新聞記者の前で堂々とかけている。よほどの信用がなければできないことだ。いや、おれはその信頼に応えてやる道義的義務がある。たとえ画策していることが正しいことでなくても、他人から信頼されて何もかも打ちあけられたとなれば、首が飛んでもこの秘密は厳守してやらなければならぬと決心した。ところが、電話がすむとこんどこそ、こちらに来るものと期待していた真崎が、隣室の居間に行ってしまった。三尺の廊下をへだてた隣室である。
それから一、二分たつかたたないうちに、隣室で「ピシャッ」という音がした。明らかにビンタをやられたのだ。そうするとドタリ、バタリという騒音になった。女の悲鳴になる。夫人らしい声でしきりにかき口説いている。それも涙声だ。そうすると真崎の声で「これですべてはぶち壊しだ、何としてくれる。新聞屋など入れて……」と怒髪天をついているらしく、上ずった声音だ。そしてまた、ピシャリ、ドタリである。百年の恋が一時にさめるというのは、筆者のこのときの心境であった。「何だ、俺のいることを知らずに電話していたのか」と思うとおかしくもあるが、畳の上に投げつけられ、足蹴にされている女中や、思いきりビンタを張られている夫人のことを考えると知らぬふりもできない。筆者は立ちあがって、真崎のいる部屋に飛びこんだ。
「閣下、待ってください。隣室で何もかも聞きました。しかし、これは全く善意の行きちがいです。私は案内されて部屋にとおり、お茶まで頂戴して先客の帰られるのを待っていた。こっそり忍びこんだものではない。それでは女中さんが無断で案内したのかといえば、そうではない。ちゃんと一度引き返して、多分閣下の御許しを得て――待たせておけとか何とかいう御命令で私を案内したのでしょう。あるいは閣下は女中さんに、今夜は会えないと断られたのかもしれません。女中さんは私がお訪ねして、御在宅のときには一度も玄関払いを食わせたことがないから、閣下のお言葉を聞き間違えて、いつもの通り上げたのだろうと思います。あるいは閣下はお話に夢中になっておられて、私の待っていることをお忘れになっていたのかもしれません。
いずれにしても、閣下の面会謝絶の御意思が女中さんに徹底していなかったことは間違いないと思います。だからこの場は誰も悪意をもってやった者はない。私も只今の電話がいかに重大な意義を持つものかは十分想像ができます。けれども今にして思えば全く偶然に聞いたまでです。もし新聞記事にするなら随分反響がありましょう。しかし、私は取材の意思なくして、偶然ころがって来た材料をもって記事にするようなことは断じて致しません。これは誓います。私の良心が許さないのです。だから全部聞かなかったことにします。もちろん他言も致しません。御安心下さい。念のために申しますが、私は今夜社に帰りません。ここで政治部長は今夜は何もないから、社に寄らずに帰ることを電話します。電話がすんだら応接室に行きます。閣下も御迷惑ながら来て下さい」
筆者は廊下に出て社に電話して応接室に行った。さきほどまでは上気していた真崎の顔が青くなっている。しょんぼり椅子にかけている。
「やあ、失礼しました。今夜は私もとんだところに飛びこんでしまって……」
と頭をかきながら笑ったが、やはり顔面筋肉は幾分硬直しているのを覚えた。真崎はうつむいてしばらく何か考えているようだったが、突然椅子を立って、
「高宮君、今の話は是非秘密にしてくれ、このとおり頼む」
というと敬礼した。びっくりして、こちらも立ち上って、
「大丈夫ですよ。私は断じて他言も致しませんし、新聞にはもちろん書きません。ご安心下さい」
と頭を下げると真崎は筆者の手を堅く握って「おい、頼むぞ、頼むぞ」と言って打ち振った。その手の感触はつめたかった。筆者は電話したとおり社に帰らず自宅にもどった。けれども何となく後味がわるい。約束したからにはそれは破らない。とはいえ、真崎とは何者だ。師団長のころからあれほど真面目な話をしていた男が、実はとん��もない食わせ者ではなかったか。悪党だとしても小悪党だ。大悪党なら夫人を殴ったり、女中を叩きつけてわめくような真似はしないはずだ。たとえ「話を聞かれたか、失敗だった」と思っても、ゆうゆうと筆者の前に現れ、「やあ、待たせたね、あっちに行こう」と応接室に行き「今夜はいい台詞を聞かせたね。あれはまあ秘密にしておいてくれよ」ぐらいにして、あとは平然と話をしていたなら、筆者のような単純な男は、太ッ腹な将軍という気になって、従来以上の尊敬をしたに違いない。
それから数日後、筆者は真崎の家を訪ねた。まだ陽のある午後だった。真崎はもう帰宅していた。刺を通ずると先夜の女中のかわりに夫人が玄関に出て来た。気軽く面会を申しこむと夫人はいったん引っこんだが、こんどはちゃんと玄関に正座して、
「お取りつぎ致しましたが、これまで長い間ご交際を願っておりましたが、これから先は会っても利益はないから、お断りしてくれと申します」
思いなしか夫人は緊張の顔色である。
「……利益はないから……利益はないからと仰せられるのですか」
「はあ、さように申しております」
「それでは今までは、閣下は閣下の利益のために、ご交際下さったというのですね」
と念を押したが、夫人は何とも答えない。
「わかりました。私は閣下とのお約束は忠実に守るつもりでした。あれから後の朝日新聞を見て下されば、私が食言していないことがわかりましょう。しかし、閣下がそのような気持でしたら私も考えなければなりません。すみませんが、もう一度会いたいと頼んでみて下さいませんか」
夫人はしばらく黙っていたが「とてもだめでしょう。今日はこのままで御引きとり下さい」と遠慮がちにいう。
「致し方はありません、それでは確かに閣下にお伝え下さい。ふたたび私は閣下に面会は求めません、たとえ閣下から申しこまれても私は会いません。これだけをどうぞ」
「承知致しました」
それっきり筆者は彼の生前一度も会わない。そして真崎という人間に対しては、今日でも憎悪と侮蔑を感ずる。真崎と絶交してから、まもなく荒木を訪ねた。荒木は機嫌よく迎えた。
「おい、先夜はえらいところを聞かれたらしいね、真崎が弱っていたぞ」
「真崎閣下とは絶交しました。あんな狸爺は軽蔑します」
というと、「まあ、そう怒るな」と言って快く笑う。何のくったくもない。ああ、これは真崎より人物は一枚も二枚も上ではないかと思った。…
(高宮太平『昭和の総帥』、1973年、189-190頁)
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srnn
前に”親密さ"に酔ってしまうことを書いた。過剰な親しさに、相手を自分の内側に取り込みはじめ、他者であることを忘れてしまう。そうしている自分は醜くて嫌になる。
週末、同居予定のひとが泊まりに来ていた。交際相手を兼ねていた付き合いの長い友人と別々になり、当時の居候が部屋を出た、丁度そのころ知り合った人だ。(離れた友人は私の古い名前を呼んでくれる最後のひとだったので、関係の断絶は即ち名前の死没だった。私だと思っていた一部の欠損に、投げ遣りな気持で暮らしていた頃。)知り合ってすぐ間貸しを承諾してから、今回が二度目の対面だった。その所感。
私が"ぼくら"とか"私たち"とかいう言葉でひとまとまりにする、その内側には滅多に入らない人。基点や信仰が違っていて、話すたび他人だと知る。(一部を除いて、その違い自体は二者間を仲介してくれている。釣り合いの取れた相違。たとえば、嗜好が正反対の二人が同席すると、食べ残しは生まれない。)おのれの振舞いが相手��どう映るかという意識を巡らせている人だと思う。話していると、意識されている自分が反射する。
その人の扱う符牒は私にとって未知のもので、下手な応答ばかりしていた。俯瞰して関係を見る余裕はなかった。一人称の視線の高さまでぐいと手を引っ張られているようだった。 自分と誰かを俯瞰的に捉えようとすると、私のまなざしだけが宙に浮いて、私らしき存在と相手とを眺めはじめる。視力の悪い私には、自身と相手との差異がぼやけて見える。けれど一人称の視線では、私はどうしようもなく私であって、相手はどうしようもなく私でない存在としてある。
その人といると、自分と他者との境界線が濃くなっていく。それは、身勝手な親密さを遠退けるのに良く作用した。
かつて別の人から、私と紐づいた関係について「あなたの物語の愉快な登場人物たち」と言われたのを思い出した。私のために仕立てられた物語の、都合よく立ち回る要素。それになりたくない、と微量の軽蔑を向けたそのひとは、結果として私を交際相手にした。ときおり自嘲めいた溜息を吐いた。そのあと関係が閉じられて一年近く経った今でも、私の日記を見ているらしかった。日記には、人に近づいては失敗し、新しい登場人物を獲得しようと焦れている様が記録されている。滑稽で浅薄に見えているだろう、失望されているだろう、見送りの帰りにそういう考えから抜け出せなくなっていた。目の前をシベリアンハスキーが通った。犬、でかい犬だ。犬が歩いているということに意識の全てを持っていかれて、それ以降はあまり落ち込まずに済んだ。
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念藥師佛 腎臟病轉危為安│藥師佛大威神見聞記

今天要和大家分享我今年中發生的一件事。六月24日因為泌尿道發炎回去醫院回診,不幸的是,醫生說細菌沒有殺死,而且感染到腎臟,必須住院治療。本來不想住院,但被醫生下了最後通牒,於是步出醫生診間後,與辦公室主管溝通一些工作的事宜後,再回去診間回覆醫生,可以辦理住院。但醫生卻告訴我,必須自己去急診室辦理住院,因為今天是他最後一天上班。臨時被醫生告知要住院,所以我沒有攜帶任何物品,也沒有帶可以保���自身的小佛卡或平安符,只有一只五色線的手環陪伴。
在辦理住院手續時,看到健保病房的人超過17人,所以就告知櫃檯人員,如果雙人房有空缺的時候也可以知會我,我可以接受雙人房的價格。當時櫃檯人員也說好,但是隔天病房跑馬燈顯示雙人房等待人數是0的時候,完全沒有人知會,拖著點滴去櫃檯詢問時,櫃檯人員竟然和我說,沒有登記您的病房耶!頓時覺得,怎麼這麼倒霉,眼前只有無數的黑線。
好加在,我有雙人房的床位了!完成一些手續之後,跟著護理人員到達我的病房。一進門無意間看到隔壁病房的病友,非常震驚(後來才知道她是一位癌症末期的媽媽),她骨瘦如材,第一次看到人的雙腳像新聞中難民的腳那樣,這種感覺很震撼,心情十分複雜。此時,辦公室的同事很擔心我的狀況,表示下班想帶晚餐來探視,還好辦公桌有放著一張佛卡,請她幫我帶過來,因為短短的這幾天實在太不順利,沒有小佛卡在身邊,真的很惶恐啊!另外,也和我的師兄說晚上幫忙帶藥師經過來。我的不如意就在今夜畫下句點。
因為是細菌感染的關係,所以體溫一直在39度左右起伏,這期間我就一直在打抗生素、念藥師經、聽隔壁病房媽媽說自己故事中過一天。有一天聽到醫生和隔壁病房媽媽說:你可以好好回家想想要去哪裡玩,去哪裡吃好吃的渡過你剩下的時光。聽完醫生說的時候,覺得很震撼和悲傷,要怎麼承受這樣的苦難!於是,我心裡暗暗下了一個決定,要找機會去和她說藥師佛的大威神力。雖然我下了一個決定,可是不管怎樣,就是有任何事阻擋(例如:媽媽睡著了、她的訪客來了或者我又開始高燒發抖),苦無機會。所以我和藥師佛卡的藥師佛說:如果我和她有緣分,請藥師佛幫忙,製造一個機會可以讓我和她說明藥師佛的好,但如果不適合也讓我知道。真的,就在說完的下一刻,隔壁病房媽媽的家人們來探視她,從她們談話中聽到她去一間宮廟,主神是拜觀音的,但是住持是用日語和觀音溝通,她每天花50元用了一種叫「轉運燈」的東西,要改變自己的命運;心底明白這是藥師佛在提醒我不用過去了,所以轉而默默的祝福她。也感謝藥師佛給了我提醒。
這是住院的第一個神奇經驗,但是接下來發生第二個神奇的感受。住院到第五天還是會發燒到38、39度,醫生覺得很不對勁,依我的年紀,抗生素治療了5天應該要維持正常的體溫了,但我還是會一直在高燒症狀,所以醫生安排照斷層掃描,想釐清是不是腹部有長東西,或是腎臟化膿。聽完醫生的見解,人生跑馬燈在我眼前快速跑了一輪,另一方面和真心師姊、茵茵師姊、禾汝師姊說明最新情況,請他們抽空幫我回向。真心師姊教我念十二藥叉大將名號,所以卯足全力的狂念藥師經、12藥叉大將名號和藥師佛。神奇的是思緒不是混亂的,我感覺有一種很祥和的白光圍繞著。原本斷層掃描是安排在隔天,不知道是不是我的誠心被上蒼聽到,在下午突然有時間可以提早拍攝斷層,我帶著小佛卡一起做檢查,心裡不停的念著佛號,祈求藥師佛能夠保佑我順利平安。懷著忐忑的心渡過了這難關,真的很感謝藥師佛,檢查出來是細菌讓腎臟腫了好幾倍,但是腎臟沒有化膿,腹部沒有長壞東西,所以就繼續施打抗生素治療即可。兩天後,白血球已經下降,細菌已經減少,所以醫生放我出院了。謝謝藥師佛的醫治,和鳳珠師姊、真心師姊、茵茵師姊、禾汝師姊的大力幫忙,謝謝你們。
小甄
李文塗老師註解:
修來囤才會安穩!平常我們誦要師經、持藥師咒、念藥師佛,其實藥師經沒有很長,若時間不夠,就誦持藥師佛十二大願、藥師咒108遍加上藥師佛佛號簡易修法。我們要知道,若臨時抱佛腳,就麻煩一大堆了;你若平時修來囤,這些大小事情過關就安穩了,而且自然會過關。
我在此有寫一個特別叮嚀!
第一,修藥師法不是僅僅要給我們平安而已,而是要讓我們絕對成佛的基因累積圓滿。所以我們行善斷惡、做好事、念佛;不是到醫院遇到事情了才念,平時就要念。
第二,要做好事。大家要知道:內外明徹。學習第二大願內外明徹,我們要光明磊落,但是不要以為自己會做好事就囂張或炫耀,我們要謙虛,認真去做。
第三,我們要清清楚楚,當下心要好好的訓練,訓練我們的覺受。例如:大梵天王獻給佛陀一朵花供佛,請佛陀為大家說最妙最妙的大法。佛陀接過這朵花之後,最妙最妙的大法是什麼?花接過來,面露微笑,這覺受的歡喜心,就是這樣而已!很多事情我們聽到、看到、接觸到會驚駭恐怖不安,我們就上他們的當了。這朵花拿起來,這朵花是代表心靈的花朵,我們心靈的花朵要訓練,時時刻刻就很安穩了。接受到外來的一切,我們這樣的覺受、微笑;我們要能好好的培養覺受、微笑,因為微笑正好是藥師佛灌頂相應法。
我們微笑時大腦神經正好放輕鬆;若你在煩惱時,腦袋裡糾結成一團,灌頂就不能灌下來了;所以佛授以這最祥和的法門:灌頂,我們要好好的覺心、覺受、覺用,這是不知不覺秘證相應法。值此末法時期,秘證相應法若不是遇到藥師法,難難難,難遭遇!而我們是巧遭遇!我們這一世是巧遇,正好遇到。
佛陀在世時,我們沉淪;我們出生時,佛陀已然入滅。生在末法時期,怨嘆我們這色身多業障,不見如來真色身。我們無法遇到如來住世說法,卻能巧遇到藥師法門,藥師經有說:能聽到藥師佛的聖號,是難難難!「人身難得。於三寶中信敬尊重亦難可得。聞世尊藥師琉璃光如來名號。復難於是。」藥師佛的名號就是蘊藏了這麼多殊勝的大因緣,所以我們要好好自己密證受,不要在那裏害怕,被那些無形的欺負,這一點很重要。
http://blog.udn.com/alula5168/article
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唆使他人做恶和被迫做恶,都有罪!

宇宙法则是至公至正的,无论什么人,善恶必报,欠债必还。他若是赖账不还,以后一定得还,拖延越久,越是变本加厉,还的越多。谁若是指使别人干坏事,赖账说:“那件事,我没动手干,是别人所为,我有何罪?”那也抵赖不过去!也有人讲:“那件坏事,是某人迫使我干的,责任在指使者。与我无关。”那也不行。 唆使他人干坏事和被迫干坏事的人,都有罪!请看清代著名文学家袁枚在《子不语》中,记述的一件实事—— 苏州人宋宗元,官职是道员。他有个族弟之子,人们叫他宋生。宋生幼年失去双亲,依靠叔叔教养成长。叔叔对他十分严厉。 宋生七岁时,到塾师处去读书,中途偷偷去戏场看戏,被邻人看见,告诉了他叔叔。他吓得不敢回家,逃到木渎乡,去做乞丐。有个姓李的人,可怜他,收留了他,让他在钱铺做帮工。宋生工作很勤快谨慎,所以,李某后来,把丫���郑氏,给他做妻子。 这样,宋生过了九年,宋生在钱铺任职,积存了不少资财。有一次,他进城去烧香,在路上碰到了叔叔。宋生无法隐瞒,就把情况老老实实地告诉了叔叔。叔叔知道宋生有积蓄,就劝他回家,另外为他娶妻。 宋生起初不答应,告诉叔叔说:“郑氏很贤淑,并且她已生了个女儿。” 叔叔发怒说;“我们是大家族,怎么能娶丫鬟作妻子?”硬是要逼宋生离婚。 李某(早年收留宋生,对宋生有恩)听说这事以后,情愿把郑氏认作自己的女儿,另外准备嫁妆陪嫁,送给宋家。 但宋生的叔叔不同意,强迫宋生,写了离婚文书给郑氏。然后,叔叔另外为宋生娶了个妻子金氏。 郑氏拿到离婚书后,悲痛大哭,自感羞愧,无脸见人,抱着女儿跳河而亡。 过了三年,金氏也生了一个女儿。宋生的叔叔,坐着轿子经过一个地方,忽然刮起了一阵旋风,把轿帘吹起。家人看轿里的人(即宋生的叔叔)发现他已经痰涌气绝,颈部有爪痕(叔叔被郑氏鬼魂所掐死)。 就在这天晚上,金氏做梦,梦见有个女子,披着头发,身上滴血,对她说:“我是郑氏。你丈夫(即宋生)不良,听从他恶叔的话,将我离异。我守大义,不再嫁人,跳河死去。如今我先与他叔叔算账,马上就来和你丈夫算账。这事和你没有关系,你用不着害怕。但是你所生的女儿,我不能放过,用你一女,还我一女的命,这也是公平的报应方法。” 金氏醒后,告诉了丈夫宋生。宋生十分害怕,向朋友求教:“这该怎么办?”朋友说:“玄妙观有个施道士,能画符驱鬼,你去请他作法,作文牒,把她(郑氏)的魂,押到丰都地府去,你们就没事了。” 于是,宋生用重金请来施道士。施道士问明了郑氏的出生年月日,写在黄纸上,加上天师符,把鬼押往酆都。宋家果然太平无事。 三年后,宋生大白天正坐在书房窗前。忽然见到郑氏,骂他说:“我先抓你叔叔,后捉你,是因为做坏事不是你的主意,并且还记住从前夫妻情义的缘故。现在你反而先下手,用文牒押我到丰都去,你怎么坏到了这个地步!如今我的拘押期限已满,我向城隍神,诉说了我的冤屈,��赞赏我的贞烈,批准我报仇。看你再往哪里逃?” 宋生从此以后,痴呆昏迷,不省人事。家中的用具,无缘无故自己破碎;顶门杠和棍棒,在空中乱飞。 金家人都非常害怕,请来僧人超度郑氏,还是没有效果。没出十天,宋生死了。又过了十天,宋生的女儿也死了。只有金氏无恙。 正是: 宇宙镜悬,毫发毕现。 唆使者罪,首当清算; 被迫做恶,亦遭毁惨。 雪飞六月,雷摄九天; 虹贯白日,冤伸幽泉; 善恶有报,欠债必还。 神目如电,天威震撼; 奸佞倾覆,理有固然! zhengjian.org Read the full article
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Karel Chapek “The Shaking World”
At this moment, it is unclear what happened in Japan, thousands of miles away from Japan. So far, the exact number of dead is not at hand, and it is not known whether there are still thousands or tens of thousands. We receive various signatures and names, but it is difficult to understand whether the signatures or names mean humans, cultures or ethnic groups. A seismograph at hand indicates that the quake occurred very, very far. And just that?
This quake was felt throughout Europe when the earthquake destroyed Lisbon in 1975. Awakened from pleasant optimism, he shook himself with the fear of an unknown being. The problems that humans pose to themselves and society have been suddenly and sharply presented. And the eighteenth-century man asked God —- God, if you exist, how can you forgive so much evil?
This quake that destroyed Tokyo and flooded Yokohama, made Fukagawa, Senju and Yokohama a sea of fire, crushed Asakusa, messed up Kanda, Gotenba and Sitaya, collapsed Hakone, flattened, and swallowed Enoshima It did not happen as far away from Japan as these exotic names say. It's close. That's within our reach, and probably within reach. And it is decisive to be close enough to shake our brains and wake them from the coma. Faced with this fear, humans of the twentieth century do not ask God if God exists. Instead, it asks humanity if humanity exists. And it is a much more terrifying and fateful question than was once the question of God, now, especially now after World War II.
It is not about humanity, but about civilization.
"The cruiser What has sailed for Yokohama for rescue operations." However, even if cruisers around the world flooded the steam of their boilers and rushed to Yokohama with all their might, that would not be enough and would not subside the world's conscience. It is not enough that all governments around the world have sent donations and condolences, telegrams and drugs. Even if all bells are ringing and all flags are in half-flag position for mourning, it is modest and nothing. 500,000 or 600,000 people have lost their lives due to building debris, fire and water. Ruined towns with a delicate culture and working tirelessness. Perhaps that is not a big deal after the horrible disaster of World War. It's too far away. And it struck a population of different skin colours, which we couldn't understand and had little to do with it. No, it's not far away.
At the moment the earth was shaking in Japan, the land under other people's feet did not shake. However, it has broken and rocked our planet. The bamboo beam and the bark fell on the head of mankind, not on the family of petite people with yellow skin and smiling faces.
It would be terribly ironic if the waves of the hearts of the whole world could not respond to this wave on the surface of the earth. The wave of the mind is the wave of solidarity.
Our sympathy will be a hypocritical feeling, unless it is accompanied by a clear and simple consciousness, that is, that all humans and nations on earth are united. The relationship may be called as desired, such as a family, sibling, neighbor, or close relative. We Czechs, Germans and French, we whites and blacks, clothed or naked, polar or equatorial, we humans, the same human beings, co-workers You are on this torn, burning and shaking planet.
It happened far from our country. But it is a tragic flash of twilight, and in its glow we suddenly differ from one another in a completely different way. We must look at the relationship between the people and between continents. After the flash of this terrible bunch, could anything in the world ever change and not be purified? Could that moment that scare us be left in our minds of a sharp and shocking consciousness that, before then, a wider, borderless horizon appeared like a flash?
I want you to ask. A great misfortune happened on the horizon. Donations need to be raised. But it's not a recruitment of a monetary ball of money (one-hundredth of the Czech monetary unit Koruna) or a charity. We need to recruit everything in humanity that connects us, the children of this shaking celestial body. It is solidarity, fellowship, a simple and clear consciousness that everything is one with all. We need to recruit friendly and endless collaborative capital for humans on earth. It will probably--without holding it in hand--cast a stronger chain around our common, unexclusive, and torn planet.
This flash, which appeared in the twilight of suffering in today's civilization, is the same crazy glow, not only for our brothers who live in the Far East, but also for our brothers who live in any geographical direction. If he did not shed its tragic and warning light, it would simply be wasted.
From Karel Chapek, “The World of Shaking” (1932), sent to the Great Kanto Earthquake.
"Various People"-Collection of Chapek Essays-
Heibonsha Library Translated by Amane Iijima
カレル・チャペック “ゆれ動く世界”
この瞬間、我が国から何千マイルも離れた遠い日本で、なにが起こったのか詳細にはわからない。これまでのところ、死者の正確な数も手もとになく、まだ何千人なのか、何万人に達するのかもわからない。さまざまな符牒や名前をわれわれは受け取っているが、その符牒や名前が人を意味するのか、文化なのか民族なのか理解困難である。手もとにある地震計は震動がとてもとても遠くで起こったことを示している。そしてただそれだけだろうか? 千七五五年に地震がリスボンを破壊した時、この震動はヨーロッパの全範囲で感じられた。心地よい楽観主義から目覚め、未知だった存在の恐怖と顔をつきあわせて身をふるわせた。人間が自分自身と社会に課す諸問題が、より鋭くより切実に、突然提示された。そして十八世紀の人間は神に問うたのである —- 神よ、もしあなたが存在するなら、どうしてこんな多くの悪を許しておくのだろうか? トーキョーを破壊しヨコハマを水浸しにし、フカガワとセンジュとヨコスカを火の海にし、アサクサを粉砕し、カンダとゴテンバとシタヤをめちゃくちゃにし、ハコネを崩して平らにし、エノシマを呑み込んでしまったこの震動は、これらの異国的な名前が語るほどわが国から遠くで起こったのではない。それは近くのことだ。それはわれわれの心が届く範囲で、おそらくおそらく、援助の手が届く範囲だろう。そしてわれわれの脳をゆり動かし、昏睡状態から目ざめさせるのに十分な近さであることは決定的である。二十世紀の人間は、この恐怖に直面して、神が存在するかどうか、神に質問するようなことはしない。その代わりに、人類が存在するかどうかを人類に質問する。そしてそれは、現在、とくに世界大戦後の現在、かつて神にたいする質問がそうであったよりも、もっと恐ろしくもっと運命的な質問である。
それは人間性の問題ではなく、文明の問題なのである。
「巡洋艦なになに号が、救援活動のためヨコハマに向けて出航した」それはよろしい。しかし、世界中の巡洋艦が機関のボイラーの蒸気をいっぱいにし、全力をあげてヨコハマに急行したとしても、それでは十分でなく、それで世界の良心がおさまることはないだろう。世界中のすべての政府が募金と哀悼の言葉や電報と薬を送ったとしても、十分ではない。すべての弔鐘が鳴らされ、すべての旗が追悼のために半旗の位置におかれたとしても、それはささやかで無に等しい。五十万か六十万の人々が建物の破片や火や水のために命を失った。デリケートな文化を持ち、疲れを知らぬ勤労の町々が廃墟となっている。おそらくそれは、世界大戦の恐ろしい災害の後ではたいしたことでないかもしれず。おまけにあまりにも遠くの出来事である。そしてそれは、われわれには理解もできず実際にほとんど関係もない、肌の色の異なる国民を襲ったのだ。いやそうではない、それは遠くのことではない。日本で大地が震動して��たその瞬間、他の国民の脚下の土地はゆれ動かなかった。ただ、それはわれわれの遊星を裂き、ゆり動かしたのである。竹のはりやたる木は、肌の黄色い、微笑をうかべている小柄な人たちの家族の上に砕け落ちたのではなく、人類の頭上に落ちたのだ。
地表に起きたこの波に、全世界の人々の心の波が応じないとしたら、恐ろしく皮肉なことである。心の波とは連帯の波のことだ。
われわれの同情は偽善的な心情になるだろう、もしそれが明白でひたすらな意識、すなわちわれわれ地上のすべての人間と国民は一体なのだという意識にともなわれなければ。その関係を家族、兄弟、隣人または親近者など、好きなように呼んでよい。われわれチェコ人とドイツ人とフランス人、われわれ白人と黒人、着衣であろうが裸であろうが、極地の人間だろうが赤道の人間だろうが、われわれ人間、同じ人間、共同作業者たちは、この裂かれ燃えあがりそしてゆれ動く遊星上にいるのだ。それはわが国からは遠い所で生じた。しかしそれは、たそがれの中の悲劇的に広がる閃光で、その輝きの中にわれわれは、突然ながら以前とは異なった、まったく異なったやり方で、人と人との。国民と国民との、そして大陸と大陸との関係を見とらなければならない。この恐ろしい束の間の閃光の後で、世界の中でなにかが変わらず、浄化されぬことがありうるだろうか? われわれをぞっとさせたあの瞬間が、それまで知らなかった、より広く境界なき地平が閃光のように現れたという、鋭い衝撃的な意識をわれわれの心に残さずにいることがありうるだろうか。
皆さん、お聞きいただきたい。地平線上に大きな不幸が起こった。寄付を募集する必要がある。だがそれは、お金のハレーシュ玉(当時のチェコの貨幣単位コルナの百分の一)や慈善事業の募集ではない。人類の中の、われわれ、つまりこのゆれ動く天体のさまざまな子供たちを結ぶものすべてを募集する必要がある。それは連帯、同胞愛、すべてがすべてと一体なのだという単純で明快な意識である。われわれ地上の人間の、好意的で限界のない共同作業の資本を募集する必要がある。それはおそらくーー手に手をたずさえてーーわれわれの共通の、独占されぬ、そして裂かれた惑星のまわりに、より強力な鎖を鋳造することになろう。今日の文明の、苦悩のたそがれの中に現れたこの閃光が、もしその狂った輝きで、極東に住むわれわれの兄弟たちにたいしてだけではなく、いかなる地理的方向に住むわれわれの兄弟たちにたいしても、同じようにその悲劇的で警告的な光をなげかけなかったとすれば、それはただ無駄に燃え尽きたということになるだろう。
カレル・チャペック “ゆれ動く世界” (一九二三年)より 関東大震災に寄せた文章。
『いろいろな人たち』 チャペックエッセイ集
平凡社ライブラリー 飯島周編訳
カレル・チャペック(Karel Čapek, 1890年1月9日 - 1938年12月25日)は、チェコの作家、劇作家、ジャーナリスト。兄は、ナチス・ドイツの強制収容所で死んだ画家・作家のヨゼフ・チャペック。
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俺が「仲間内の符牒」を極力使わない理由がまさにこれ
馴れ合いそして「釣合痴呆」につながるから
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