#車体傾斜車両
Explore tagged Tumblr posts
merpmonde · 10 months ago
Text
Tilting Diesels!
Tumblr media
In June, we said さようなら to Japan's first tilting electric multiple unit (see that post also for why you'd want tilt in the first place), launched in 1973. For some reason, adding tilt to Diesel multiple units needed a bit more time - my guess is engine vibrations play a part. Nonetheless, in 1989, JR Shikoku did it, launching the 2000 series tilting DMU. The company has continued with the technology, and the latest generation, the 2700 series shown above, is 5 years old this month.
Tumblr media
The 2000 series is still in service, but I haven't yet seen any. However I have seen and ridden two derivatives of the 2000: the JR West KiHa 187 above, which reminds me of trains in England with its yellow front, and the streamlined Chizu Kyûkô HOT7000 below.
Tumblr media
These trains run intercity services along the picturesque San'in coast - the Super Matsukaze and Super Oki in Yamaguchi, Shimane and Tottori prefectures -, and between the San'in and San'yô coasts - the Super Hakuto and Super Inaba in Hyôgo, Okayama and Tottori prefectures, which is how the HOT7000 got its name.
Tumblr media
With these trains, Tottori to Himeji is done in under two hours, a similar time frame to what electric tilting trains can do between Okayama and Yonago. The mountains are also quite scenic, and the HOT7000 has a feature that I don't think I've seen anywhere else: a live cab cam.
Tumblr media
Another country worked to develop tilting DMUs: Germany. This culminated with the high-speed ICE T, which I'm yet to encounter, but in the late 1990s, at a similar time to the Japanese examples above, Adtranz built the RegioSwinger, officially Baureihe 612. These yellow and white examples work in the South-West corner of Germany, along the Rhine between the Bodensee and Basel, with a couple of incursions into Switzerland.
Tumblr media
Riding a tilting train is peculiar. 8° of tilt doesn't sound like much, but it adds up with the camber of the tracks to produce a visually impressive experience. The tilt is really noticeable, and it does what it's supposed to do, compensating the G-forces so you don't feel the pull to the side through corners. The downside of DMUs is that they tend to be quite noisy - the engines sound like they're giving 110% all the time! On the whole, I really like them.
Tumblr media
2 notes · View notes
samantha-dan564 · 7 months ago
Text
Tumblr media
myshadeをいじるのは久しぶりなので感覚を思い出すつもりでモックアップ的にいじっていた
1992年日本車両製造。とりあえず頭に入れているのはこれだけ。このころの日本車両の手癖ってどんな感じだったかな、と思い起こしながらパーツを組み込んでいった。高速運転を行う予定なのでヘッドライトは高いところに置いたけど、自社線内では踏切はないし営業運転時間の間は保線を入れる予定もないのであまり意味がなかったかもしれない
テールがでかいのは高速運転ゆえにできるだけ早く先行列車を見つけてほしいから。もちろんATCで車間管理しているから追突なんてまず起こらないとは思うんだけど可能性としてゼロではないのでできることはやっておこうって感じかな
形式は8200系。特急型と一般型の2形式を開業時に用意する予定で、特急型が8000系とする予定。編成はク8201+モ8251になるのかな? キハ8000系が1991年に退役してるからこの番号をもらう感じだね。名鉄の8000番台って外様感があっていいんだよね
車体はステンレスにする予定。おそらく名鉄もこのころ通勤車にステンレスカーを導入しようと考えていたけど、「赤い電車のイメージを崩したくない」ことから躊躇してた感じなのね。そこで観測気球的に傍系会社のミカQにステンレスカーを入れてみよう、みたいな流れになるんじゃないかな
だから本来は1993年登場の名鉄3500系みたいな正面で出てきたほうが自然だと思ったけど、あえて正面に傾斜を入れた。これはまあ高速走行と長大トンネル対策なんだけど、のちに名鉄初のステンレスカーとして登場した小牧線300系につながる系譜としてスタイリングをまとめたいなって思ったんだよね。だからヘッドライトもおでこ搭載だし、正面はくの字に傾斜させてるわけ。300系はミカQ8200系のライト配置と名鉄3700系のリフトアップされた正面窓とのハイブリッドなわけよ
とまあ、こんな感じでスタイリングの系譜を考えながらモデリングした次第
2 notes · View notes
wakkayamawheels · 1 year ago
Text
fluid dynamical components for professional races
ーー以下、前回からの続きです。ーー
この疑問に関して、最初に考え始めた時には、自由度の高いエアロ パーツをプロのロード レースの世界へ導入するのは興行的な理由から難しいんじゃなかろうか…と思っていました。
無制限にエアロ パーツ使用を認めてしまうと、導入初期はパーツ形状の素早い最適化に成功する特定のチームに所属する選手たち、やがて高効率なエアロ パーツがコモディティ化する以降は、おそらく特定の選手しか勝てなくなる可能性が高いのではないかと思っていたのです。
最初はタイム トライアルで速い順、もう少し丁寧に表現すると、スタート直後の序盤から逃げて、そのままゴールまでもたせてしまえる様な選手は特に有利になるのかな…と考えていました。
その様なタイプの選手が現在よりも仮に10%くらい少ないエア ドラグで走って逃げると、今以上に集団に捕まりにくくなり、ステージ勝利数だけでなく、毎日のギャップ積立ても容易になるはずです。
単独、あるいは少数走行でのエア ドラグが小さくなるという事は、後方に流れる空気の乱れを減らせるという事でもあるので、接近して走る後続車のドラグはむしろ増大し、大きな集団になってもそれほどドラグの低減には繋がらなくなる、という事と同じ意味を持ちます。
言い換えると、エアロ パーツによるドラグの低減が進むほど、単独あるいは少数では楽になりますが、そもそも大きな集団になる事自体が既に大規模なエアロ パーツ化なので、単独での効果とは異なり、大集団では殆ど速度に変化が無いはずです。
そうなると、大集団での迫力のあるゴール スプリントだとか、山岳地帯で集団から少しづつ篩い落とされて強いクライマー選び��かれるだとか、そういった場面になるずっと前、初日から数日の間に何度もスタート直後から長距離少数で逃げられる選手がいれば序盤で既に大量のタイム差を稼いでしまい、以降、逆転困難な状態が早々に作れてしまうのではないか…。
また、山岳ステージでも緩斜面エリアなど、同様にエアロ パーツの恩恵に与れる速度帯で走り続けられれば、クライマーより速い速度で逃げ続ける事ができるTTスペシャリストが目立つ様になり得るかも…。
もちろん、単独で走っても速く強い事が勝つ、あるいは好成績を得る為の条件である事には変わりはないですが、いろんなタイプの選手が活躍する場面を見られる機会は減りそうですし、序盤から総合順位が半ば固定されてしまう様な状態だと、興行的には商品価値を維持しにくくなるんじゃなかろうか…。
…と思っていたのですが、もう少し考えていて、ふと、タイプ別で分けた時に「平地で長距離を逃げるのが苦手な選手」ほど、エアロ ドラグの低減が有利に働きそうなのかなぁ、と思う様になりました。
重量出力比 w/kg (Power-to-Mass Ratio)という概念がありますが、それとは少し違う考え方で、表現を変えると、出力をサイクリストの体重ではなく、流体力学的な抵抗値で割った値(仮にPower-to-Drag Ratioとでも表現しましょうか)が小さくなる選手ほど、ドラグに出力を取られる事になっているので、そのドラグを減らす事によって得られる速度の上昇率がより大きくなり、"PDR"(抵抗出力比)が大きい選手は比較的速度の上昇率が小さいはずです。
但し、実際にはこの選手ごとの「流体力学的な抵抗値」を得るのが結構大変かもしれません。
具体的には乗車状態で風洞施設のトンネル内に一人づつ色々な姿勢で実際に走らせてリアルな抵抗値を計測する必要があります。
ただ、実際には体重と違って、選手毎に多少体の大きさが違っても、体重ほどの影響はあまり無い筈です。
体重が1.5倍になったとしても、エアロ ドラグまで1.5倍になる為にはとんでもなく体積が増える必要がありますが、実際には体格や車体も含めた前面投影面積、あるいは全体の表面積でも構いませんが、それらが出力や体重ほどには大きく変わらないからです。
粗雑な捉え方ですが、一般的に出力の大きな選手は、単純に言って「筋肉量が多い=体重が重たい」傾向があります。
ですが、実際にロード レースではいつも高出力の選手が有利でもなく、コースの状態によっては、それほど出力が大きくない選手が有利になる事もあります。
そう言った比較的、出力の小さい選手は「筋肉量が少ない=体重が軽い」傾向があります。
仮にFTPのPMRが同じ6w/kgだとして、体重が75kgと50kgの選手がいるとすると、それぞれのFTP値は450wと300wになり、その差は150wになります。
平地主体のコースでは体重の重たさがそれ程抵抗にはなりませんが、登坂時には1.5倍、25kgの体重差がそのまま追加の錘となり、仕事量も斜度に応じて増える為、それが150wで賄うことができなくなれば、例え高出力でも体重の重たい選手が不利になる状況もあります。
この斜度や体重を平地でのエアロ ドラグに置き換えた場合、体重と違って1.5倍の差は無く、もっと公平に、ほぼ同等のドラグがかかると、単純に出力の小さい選手は不利で、集団の中などドラグの小さい環境に居なければ、ペースに付いて行くのも難しくなります。
これが現実の世界でクライマーが平地のスピードに付いて行きづらい主な理由で、この場合、300wで出せる速度のドラグにまで到達してしまうと、出力の小さな選手はそこから抜け出る事が困難になりますが、450wの出力があれば、そこから更に150w分の加速が可能です。
つまり、登坂時と違い、速度が上がれば上がるほど、出力がドラグに喰い潰される為、絶対的な出力の違いが影響してくるようになります。
この状況下で何か劇的にドラグを低減させる装備があれば、登坂時ほどでは無くても、小さな出力の選手にとっては、より有効に作用する可能性があります。
例えば、平地のステージで序盤に逃げを打つ小さなグループにクライマーが交ざり混む、と言うような新鮮な光景が見られたり、山岳でもないのに前走集団にブリッジをかけようとしたりするクライマーが現れるかもしれません。
ただ、そこから更に大集団でのゴール スプリントの中で先頭争いまでできる様になるかと言うと、流石に厳しいとは思います。
現実的にありそうなのは、山岳ステージでの下りの直線や高速区間で、ドラグに負けて失速する事で、上りで稼いだギャップを守って逃げるのが難しかったり、重たい選手に置いて行かれていたのは、いくらか改善できそうです。
特に日本の山間地域の様なカーブの多い峠道であれば、旋回速度自体は軽い方が有利なので、上りの強いクライマーがそのまま下りも逃げ切りやすくなる可能性は大きくなる筈です。
また、上りといってもちょっとした丘程度や、急勾配が始まる前の緩斜面で、ヒルクライムとは言いづらい様な比較的スピードの出る上りに入った時にもエアロ ドラグの低減は助かるかもしれません。
本来であれば、エアロ ドラグに喰われる筈の出力を登坂に振る事ができれば、より早い段階から強みである登坂力を発揮させる事に繋がるからです。
これに似た実際の状況は既に存在していて、メジャー レースなどの山岳ステージには2000mを超える様な標高を走る事がありますが、そういった高地では平野部に比べると、大気圧が低く、空気の密度も小さくなる為、ドラグも同様に小さくなっています。
例えば、平地での速度が48km/h.だとして、上り区間ではそれが32km/h.まで落ちる場合、エアロ ドラグは半分未満になりますが、高地では大気密度の低下から更にそのドラグが減る事になり、平地での48km/h.走行時と、高地での32km/h.走行時を比べると、ドラグは凡そ1/3程度まで減ります。
空気の密度が低いという事は、呼吸気中に含まれる酸素量も少なくなってい���の��、出力(と体格も)の大きい選手はその出力を出しきるのが難しくなる事もありますが、出力が小さい選手はドラグに喰い潰される出力が減る分、更に登坂に回せる様になり、クライマーとしての特性を発揮しやすくなります。
これに似た状況をエアロ パーツによって緩斜面でも発揮できる様になる可能性があります。
…とは言ったものの、これらは全て妄想であり、現実にはプロのロードレースにどんな変化をもたらすのかは全然分かりません。
実際にどうなるのかは「規制緩和」をして数シーズンの経過を観察する必要があります。
但し、レース中の痛ましい事故への懸念が無くならなければ、こう言った競技速度の向上に直接繋がる様な規制緩和の実現は難しいのかもしれません。
本来の優先順位で考えると、まず先により高い安全性と快適性を両立したプロテクター類や、車体構成部材の衝撃吸収構造の研究などを優先すべきではないか、という気もしています。
アスリート達がプロとして仕事で走る為には命を懸けなくても良い環境を優先して確保する必要があります。
それとは別に、これらのエアロ パーツ類によってホビーサイクリストの多くが「より小さな力」でも効率的に移動出来る様になる可能性もあります。
極限のスピードやタイムの削減を追求するのではなく、より小さな力でも楽しく遠くまでサイクリングが実現できる様になるのであれば、UCIの規定だとか認可だとかとは無関係に開発が進むと面白そうな領域なんじゃなかろうかとも考えています。
一般公道を走って楽しむのに、自動車だってFormula1等の純粋なレーシング カーである必要は無いのと同様に、「普通の人が一般公道でサイクリングを楽しむ」のに「職業競技者用規格のロード レーサー」である必要はあるのでしょうか。
天井知らずの昨今の車体の高価格化の原因もそこが大きな理由になっている可能性が高いです。
そろそろロード バイクの世界にも競技目的ではない楽しみ方や機材の開発に目が向けられてもいいんじゃないかと。(^_-)d
2 notes · View notes
irsaitama · 2 years ago
Text
高松からいしづち7号で松山へ。8600系が来た。2本連続で空気ばね車体傾斜車両である
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
5 notes · View notes
moko1590m · 16 days ago
Quote
爆発反応装甲(ばくはつはんのうそうこう、英: Explosive Reactive Armour, ERA[1])は、戦車などの補助装甲に使用される、反応装甲(Reactive Armour)の一種。 概要[編集] 爆発反応装甲の構造と、成形炸薬弾のメタルジェットが命中した際の挙動を示す模式図 金属製の箱の底に薄いシート状の爆薬が設置された構造になっており、被弾時に砲弾や成形炸薬弾がもたらす圧力に反応して、爆薬が起爆して表面側の金属板を高速で吹き飛ばし、側面から弾頭に衝突することでメタルジェットの形成を阻害し、戦車本来の装甲の内部への貫徹を妨ぐ。この構造上、戦車の傾斜装甲などに対して30°程度の角度で着弾した際にもっとも効果を発揮し、垂直に当たった場合にはほぼ効果を得られない。 爆発反応装甲のコンセプトを考案したのは、ドイツ人研究者マンフレート・ヘルト博士で、ドイツにおいて1970年に特許を取得した。最初に実用化したのは���スラエルであった。1973年の第四次中東戦争にて、エジプト軍の使用したソ連製対戦車ミサイルにより甚大な被害を受けたイスラエル機甲部隊は、その後開発の始まった国産戦車メルカバにスペースドアーマーなどの対策を盛り込むと共に、マガフやショットなど既に運用中の戦車における対策として「ブレイザー」と呼ばれる爆発反応装甲モジュールの開発を進めた。爆発反応装甲の理論や実験での効果は既に示されていたものの、実用化には様々な条件(小口径弾の命中や隣接したモジュールの作動で誘爆しない事、軽量安価である事など)が必要とされ、開発は難航した。ようやく1982年のレバノンへの軍事行動(ガリラヤの平和作戦)において実戦使用され、シリア軍やPLOの対戦車ミサイルやRPG-7に対する有効性が実証された。その後シリアを通じて捕獲サンプルを入手したソ連や、技術提供を受けたアメリカ合衆国でも同様の物が実用化された。
爆発反応装甲 - Wikipedia
反応装甲(Reactive Armour)の中で、爆発反応装甲以外のタイプはなんですか?
(DeepSeek)
反応装甲(Reactive Armour)は、爆発反応装甲(ERA: Explosive Reactive Armour)以外にも、攻撃の種類や用途に応じて複数のタイプが開発されています。主な種類とその特徴を以下に整理します:
1. 非爆発性反応装甲(NERA: Non-Explosive Reactive Armour)
原理:
爆薬を使用せず、弾性素材(ゴムやポリマー)や金属板の運動エネルギーで弾頭を無力化。
衝撃を受けると内部の層が変形し、侵徹体(APFSDSなど)の貫通力を分散。
特徴:
安全性が高く(誤爆リスクなし)、都市戦や近接戦闘に適す。
複数回の攻撃に耐えられる場合が多い。
例:
イスラエルの「Clip-on NERA」、アメリカの「ARAT(Advanced Reactive Armour Tile)」。
2. 電磁反応装甲(ERA+EMシステム)
原理:
爆発反応装甲と電磁パルスを組み合わせ、成形炸薬弾(HEAT)や運動エネルギー弾を妨害。
センサーが弾頭を検知し、瞬時に電磁フィールドで弾道を乱す。
特徴:
対HEAT/対APFSDSの両方に有効だが、電力供給が必要。
例:
ロシアの「Malachit」システムの実験モデル。
3. アクティブ防護システム(APS: Active Protection System)
※厳密には反応装甲の一種ではありませんが、関連技術として注目されます
原理:
レーダー/赤���線で飛来弾を検知し、小型ミサイルや爆発片で迎撃。
特徴:
反応装甲より広範囲を防御可能だが、コスト高・重量大。
例:
イスラエル「Trophy」、ロシア「Arena」、アメリカ「Iron Fist」。
4. ハイブリッド反応装甲
原理:
ERAとNERAを組み合わせ、多様な脅威に対応。
例:外側にERA、内側にNERAを配置し、HEATとAPFSDSの両方を防御。
採用例:
ドイツ「AMAP」、韓国「KAPS」。
比較表タイプエネルギー源対HEAT対APFSDS安全性コスト
爆発反応装甲(ERA)爆薬◎△低低~中
非爆発性(NERA)弾性変形○○高中~高
電磁反応装甲電磁パルス◎◎中超高
アクティブ防護(APS)迎撃弾◎◎中超高
補足:なぜ複数のタイプが存在するのか?
HEAT弾(成形炸薬)とAPFSDS(徹甲弾)では無力化のメカニズムが異なるため。
戦場環境(市街地・平原)やコスト制約に応じて選択されます。
さらに詳しい技術仕様が知りたい場合は、特定のシステム名やメーカーを教えてください! 🛡️
0 notes
takahashicleaning · 1 month ago
Text
TEDにて
マーク・ロビンソン: 古代ギリシャの建築家の。とある1日
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アテナイの夜が明ける頃、フェイディアスは既に仕事に遅れています。
時は、紀元前432年、建築家のフェイディアスは、最新で最大規模の神殿、パルテノン神殿造営の総監督です。完成したら、彼の傑作は、女神アテナを祀る壮大な神殿となり、アテナイ人の栄光の証となるでしょう。
ところが、フェイディアスが、建設現場に到着すると5人の役人が待ち構えていました。神殿中央にある神聖な像の金を横領した罪にフェイディアスは問われ、日没までに神殿の全経費と金の薄片全ての報告を余儀なくされます。
さもないと、法廷での判決を受けてしまいます。無実の罪を着せられたにもかかわらず、フェイディアスは驚いていません。パルテノン神殿の建設を命じた政治家ペリクレスには、政府内に多くの敵がいることに加え、このプロジェクト自体、いささか物議を醸すものだからです。
アテナイ市民が��待するのは、ドーリア式の古典的な神殿。つまり、シンプルな柱が水平梁エンタブラチュアを支え、切妻屋根がかぶさる建築様式です。
しかし、フェイディアスの設計は、従来のものに比べはるかに急進的です。柱はドーリア式、梁のフリーズ部分はイオニア式で、アテナイで行われるパナテナイア祭の盛大な祭り風景が全面に描かれます。
神殿の装飾に人間と神々が、並んで描かれたことは、かつて一度もないだけでなく、それには従来の手法より多くの費用がかかります。同僚が支出を記録しているよう神々に祈りながらフェイディアスは自らの潔白を証明すべく動き出します。
まず、建築家のイクティノスとカリクラテスに連絡をします。見直すのは設計図ではなく、基本計画書、シングラファイと3Ⅾ模型のパラデイグマです。3人は、正確な設計図なしにただちに問題を解決しなければなりません。
頼りになるのは、入念な計算と均整美に対する自分たちの直観だけです。とりわけ均整を保つことは難しいことが分かりました。パルテノン神殿は湾曲した地に建てられ、柱はやや内側に傾いています。
力強さを示し、遠くからは真っすぐな柱に見えるようにするため、柱に少し膨らみをもたせるエンタシスの技法が採用されました。神殿の他の要素についても比較的、一貫した比率を採用しながら調和の美しさを計算します。
しかし、設計を変更するには休みなく計算し直さねばなりません。そのうちの1つの計算を手伝った後、フェイディアスは、同僚の金の記録をまとめ特別配達を受け取るため、その場を離れます。
神殿のペディメント(三角形の切妻壁)に使う巨大な大理石が、ペンテリコ山の採石場からちょうど届きました。重さ2~3トンのブロックを運ぶのに通常の傾斜路では崩れてしまうでしょう。
そのためフェイディアスは、新たな滑車の建設を命じます。追加費用を記録し、午後はずっと建設の指揮をとった後、フェイディアスは彫刻の作業場にようやく到着します。彫刻家たちはメトープ部分に神話や伝説に関する92の場面を掘り、神殿に装飾を施しています。
彫刻に描かれるのは、様々な壮大な戦いで、どれも約40年前のペルシア戦争におけるギリシャの勝利を表象するものです。これ程多くのメトープが、神殿に使われたことは未だかつてなく1場面、描かれる毎に費用がかさんでいきます。
最後に、フェイディアスは自身の主要任務である神殿の本尊に取りかかります。分厚い金の層に覆われ、繊細な装飾が施されれた礼拝者の上に高くそびえ立つ像、アテナイの守護神、アテナ・パルテノスの像です。
神殿が完成したら人々はその周りに集まり、お祈りをし捧げものをしながら知恵の女神への献酒を注ぐでしょう。フェイディアスは、残った時間を像の最後の仕上げに費やします。
日が暮れる頃、役人が、彼を問い詰めにやって来ます。フェイディアスの記録を見た後、彼らは勝ち誇ったかのように見上げます。フェイディアスが報告したのは、神殿の一般的な支出で女神像の金に関しては、全く触れられていなかったのです。
その時、フェイディアスを助けるべくペリクレスが到着、神殿造営の支援者は役人に言います「像に使われている金は全て、1つ1つ取って量ることができるのでフェイディアスの無実は証明されるだろう」
作業員にその任務にあたらせ、彼らを夜遅くまで見ているよう役人らに命じるとフェイディアスとペリクレスは、敵のもとを去り彼らをアテナ神の情けに委ねるのです。
(個人的なアイデア)
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたい道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にした古代ローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半��に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。
現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
��うすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
<おすすめサイト>
エピソード6Episode6 - アトラクタフィールドと人類の歴史について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon��
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
日本テーラワーダ仏教協会
マイケル・サンデル:メリトクラシー(能力主義)の横暴
アレグザンダー・ベッツ:ブレグジットはなぜ起きた?次にするべきことは何か
マーカス・デュ・ソートイ:数学の核心にあるパラドックス - ゲーデルの不完全性定理
ユバル・ノア・ハラーリ:ウクライナの戦争がすべてを変える?
マーク・ロビンソン:ヨーロッパの歴史を変えたノルマン人
ジェシー・バイアック:呪文、脅迫、ドラゴン、ヴァイキングのルーン石碑に刻まれた秘密のメッセージ
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス��開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
0 notes
5tora · 2 months ago
Text
〖115〗ロードレーサー
【大会当日まであと 45日】  2025.05.01
午後から怪しい天気でしたね。木曜日の雨です。短い時間でしたが、少しまとまった雨量になりましたね。
Tumblr media Tumblr media
今日のブログは、JTUの公式ルールブックから、解説をしたいと思います。今回は、「バイク編」の続きです。
Tumblr media
(バイクの基本構造) 第90条 競技に用いるバイクは、ロードレーサーを基本とする。 2 UCI 規則(該当年の1 月1 日時点)に適合するバイクを競技、試走及び公式トレーニングにおいて使用しなければならない。 (1)UCI ロードレース規則を、トライアスロンやデュアスロンのドラフティング許可レースで適用する。 (2)UCI タイムトライアル競技規則を、トライアスロンやデュアスロンのドラフティング禁止レースで適用する。 (3)UCI マウンテンバイク競技規則を、ウィンタートライアスロン、クロストライアスロン、クロスデュアスロンで適用する。 3 自転車は、2 つの同径ホイールからなる人的駆動の車両であって、前輪はハンドル操作が可能であり、後輪はペダルとチェーンでの駆動システムとする。自転車は、バイシクル、サイクル、一般にはバイクと表現し、次項の特性を備えていなければならない。 4 ドラフティイング許可レース用(対象:エリート、U23、ジュニア、ユース) (1)バイクのフレームは、メイン三角形を中心とする伝統的なパターンで次を満たすものでなければならない。 ・直管又はテーパー付きチューブ(断面形状が、円、楕円、偏平、涙滴形状等)で構成され、各構成材の中心線は、常に��線であること。 ・フレームの構成材は、次のパターンに適合した接合部をもって配置されていること。 ・トップチューブは、ヘッドチューブの上端とシートチューブの上端を接続すること。 ・シートチューブ(シートポストに連結する)は、ボトムブラケットシェルに接続すること。 ・ダウンチューブは、ボトムブラケット、シェルとヘッドチューブの下端に接続すること。 ・リアトライアングル(後ろ三角)は、チェーンステイ、シートステイ及びシートチューブで構成され、シートステイはトップチューブの傾斜に許される範囲内でシートチューブに固定すること。 ・各チューブの最大径は、8cm、最小径は2.5cm でチェーンステイとシートステイは、最小幅が1cm であること。 ・フロントフォークは、最小幅を1cm とし、直線状又は曲線状であること。 (2)バイクは全長185cm 以内、幅50cm 以内であること。 (3)チェーンホイール軸の中心は、地面から24cm 以上30cm 以内であること。 (4)チェーンホイール軸を通る垂直線と前輪軸の中心を通る垂直線の間隔は、54cm 以上65cm 以内であること。 (5)空気抵抗を低減する効果を有するもの、人工的加速を目的とした保護スクリーンや胴体状のフェアリング、あるいは同様の機能を有する部品をバイク本体に組み込んでいないこと。 (6)UCI 承認ラベル(コード RD)が付いたバイクは、ドラフティング許可レースでの使用を認める。 (7)UCI タイムトライアル承認ラベル(コードTT)が付いたバイクは、上記リストに明示された条件を満たさなければ禁止する。 (8)U23 とエリート大会におけるサドルポジションは次のとおりとする。 ・サドルの最先端部に触れる垂直線は、チェーンホイール軸の中心を通る垂直線の後方、男子は5cm 以上、女子は2cm 以上とし、競技中にこれらのラインを超えてサドルを調整してはならない。 ・大腿骨(だいたいこつ)から脛骨(けいこつ)の割合は56%から44%程度であるが、この割合が50 対50 に近い場合は、特例措置を受けることができる。このための申請は、大会の30 日以上前にJTU から次の委員宛に行う。 − ITU 技術委員会指名の1人 − ITU コーチ委員会指名の1人 − ITU メディカル・アンチドーピング委員会指名の1人 (9)非伝統的、一般的でないバイクや機材は、大会の30日以上前にITU 技術委員会に詳細を提出し、承認を受けなければならない。この手続では、ITU 競技規則の基準が満たされていることが前提であり、画像を含む機材の全詳細をITU 技術委員会に提出しなければなれない。申請された機材のカタログ(一覧)は、承認か非承認かが明示されITU ウェブサイトに掲載される。承認申請フォームはITU ウェブサイトで入手できる。 (10)バイクに表示できるバイク製作メーカーのロゴの配置は、バイクフレームへのレースナンバーのさまたげとなってはならない。 (11)選手の姓名又はイニシャルは、トップチューブあるいはシートチューブの1 カ所に10㎠以内で表示することができる。 (12)ITU 又は大会が提供するバイクナンバーステッカー(シール)は、変造することなく指示どおりに付けなければならない。
Tumblr media
5 「ドラフティング禁止レース」及び「エイジグループのドラフティング許可レース」のバイク構造は次の各号に掲げる規定を満たすものでなければならない。 (1)全長185cm 以内、幅50cm 以内であること。 (2)ボトムブランケット(クランク軸)の中心と地面の間隔は24cm 以上30cm 以内であること。 (3)ボトムブランケットの中心を通る垂線と前車軸との間隔は54cm 以上65cm 以下であること。 (4)ボトムブランケットの中心を通る垂線とサドル先端の間隔は、後ろに15cm 以内、前5cm 以内とし、競技中にサドル位置を変更することができるシートピラーは、この範囲内において使用できる。 6 前2項の規定にかかわらず、マウンテンバイクトライアスロンのバイクは大会規程によるものとする。 7 リカンベント並びに選手本人の力以外で推進する動力又はアシスト機能を有するバイクの使用は禁止する。 8 バイクのフレームは伝統的型式、すなわち直管又はテーパー付チューブ(断面形状が円、楕円、偏平、涙滴形状等)が構成材でなければならない。ダウンチューブのないダイヤモンド形状又はトップチューブとダウンチューブの先端部分で接続されていないリアトライアングル(後三角)で構成されたバイクは、これを認める。 9 UCI 承認ラベル(コードTT)が付いたバイクは、第90条第5項の規定にかかわらず、ITU ドラフティング禁止レースにおいて使用できる。
Tumblr media
バイクには、とても細かい規定があります。バラモンキング大会では、以前は大会前日に文化会館で車検を実施していました。その際には、私から見たらどれも同じバイクにしか見えないのですが、ベテランのTOの方々から見たら、ルール違反をしているところや許容範囲のものなどが、次々に指摘されているのをよく見かけました。私自身がバイクには乗らないので、事前知識が全くありません。たまには勉強しないといけませんね。つい数年前には、車体のフレームにバッテリーが内蔵されている「電動アシストバイク」の話を聞きました。ロードレーサータイプのバイクにも、アシスト機能がついているものがあるそうです。すごいですね。
Tumblr media
五島トライアスロン協会は、バイクを愛しトライアスロンを愛しているアスリートの皆さんを、心から応援しています。
0 notes
knozmi500 · 2 months ago
Text
【江ノ電】「700形」登場‼️
どうも😄江ノ島電鉄は本日、新型車両「700形」電車を導入し、2026年から運用を開始すると発表しました。
車体前面は傾斜した大きな前面ガラスやシャープなアイラインが特徴で、窓には鉄道車両で初めて採用するフィルムも貼り付けられるそうです。
詳しくは、こちらをご覧下さい。
0 notes
tsuntsun1221ts · 3 months ago
Text
2025.02 甲斐駒ヶ岳(1/2)
Tumblr media
初めての甲斐駒ヶ岳山頂、左に仙丈ヶ岳、奥に中央アルプス、
単一の尾根としては日本一長くてキツイと言われている、甲斐駒ヶ岳へと続く黒戸尾根。その道中にある七丈小屋が冬季でも営業しているとのことで、まだ夏にも登ったことがないが行ってみることに。長大な尾根と、山頂手前に危険箇所ありとの情報は得ていたのでかなり不安であったが、結論としては北アルプスの山々で鍛えられているから体力的には問題なかった。冬季での難易度としては残雪期の奥穂高と同じくらいかな。
とにかくどれだけキツイのかも想像できず、なるべく早朝から登り始めたかったので小淵沢駅の近くの宿で前泊。泉園というところに泊まったが、水回りはかなりきれいなところで、トイレも最新の洗浄便座なのか?22時着だったが、翌日早起きのため寝るだけだったのが申し訳ないくらい。ただしアメニティ類はほとんどなかった。
0430に起床、0530小淵沢駅からタクシー乗車し登山口へ向かう。タクシーの営業時間は0530からとのことだったが、駅前には自分以外のタクシーはおらず、前日に予約しておいた方が良い。尾白川駐車場まで20分くらいで、片道4700円。気温はマイナス6度くらい。
【コースタイム1日目】尾白川駐車場(0555)→笹ノ平分岐(0735)→刃渡り(0855)→五合目小屋跡(0945)→七丈小屋(1055)
Tumblr media
準備を整えて0600駐車場発、100台くらい駐められそうなところに20くらいだったか。夜明け前だが、少し空が明るんでいてライトは10分も使わなかった。
Tumblr media
駐車場から歩いて5分くらいのところに駒ケ岳神社があり、この脇を通って奥に進む。
Tumblr media
大きな吊橋があるので、これを渡ったらすぐに登山道が始まる。
Tumblr media
0~1合目。ハイキングレベル
Tumblr media
1~2合目。薄く積もった雪がガチガチに凍っていた。ツルツル滑って危ないのでチェーンスパイク装着。道は相変わらずハイキングレベルで穏やか。
Tumblr media Tumblr media
2~3合目。ようやく山登りらしい感じだが、まだどこかハイキングコースっぽい。1合目につき1時間ずつかかっているので、2-3時間は登っている。木々の間から外界が見えておりそこそこ標高をかせいでるように見えるが、これでもまだ3合目にすら達していないのか。気が遠くなる。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
3~4合目。三合目過ぎた直後に「刃渡り」という名前の通りナイフリッジが出現。鎖も設置されているし、そこまで両側切れ落ちているわけでもなく、写真の見た目以上には安全に通過できる。ここから10分くらいだったか、ヤセ尾根がしばらく続く。ただしここから先は勾配もややキツくなり、ハシゴやロープの連続となる。
4~5五合目。雪がやや深くなり、アイゼンに替えたほうがよいか微妙なところ。5合目に到着する直前、かなり大きな下りあり100mほど標高を落とす。せっかく高度稼いだのに。また下山時には登りとなり、けっこうしんどかった。
Tumblr media
5~6合目。5合目に到着すると大きな岩の壁が立ちはだかり、右に長い階段が続いていた。また5合目の広場は風の通り道で、冷たい風がびゅうびゅう吹きすさび、長居はちょっとツライ。この先道が険しくなるとのことで、ヘルメットを装着したりウェアを着直したりしてもう一度準備を整える。
Tumblr media
5合目はある程度広い広場となっていたので、アイゼンなどをはめることもあるだろうが、七丈小屋まではチェーンスパイクのままが良い。というのも、上の写真のような場所を長い爪の生えているアイゼンで通過するのは結構危ない。5合目直後から6合目までは急峻な階段、ロープ、鎖、ハシゴの連続で、岩も露出しており、まだ歯が短いチェーンスパイクのほうがよいかも。いっきに距離を稼ぐので6合目まではあっという間。いままで1時間ずつかかっていたところを30分くらいで通過したような?
Tumblr media
6~7合目。引き続き急な傾斜は続く。垂直に近い壁もある。急峻なだけあっとという間に高度を上げ、ここも30分くらいで通過。
Tumblr media
少し道が緩やかになったと思ってしばらく歩いていると突然山小屋が目の前に現れる。駐車場からちょうど5時間、本日の宿泊者では一番乗り。第一小屋と第二小屋の2棟あり、自分は第一小屋だった。第二小屋のほうが寒いらしい?昼食はカップラーメンのみで500円、地酒も4種置いてあり700~1000円。定員24名に対して本日は20名くらい泊まるとのこと。夕食は17時からと18時からの2回。今年からカレーハンバーグとのことで、カレーはおかわり自由。トイレは小屋の外にあり、当たり前だが便器が非常に冷たい!20時消灯。小屋の中は暖房がついているとはいえマイナス5度くらいなのでは?布団は暖かいのでちゃんと寝れた。
Tumblr media
4時半くらいに起床、前日に渡されていた朝食弁当を食べて準備する。5時くらいに外に出たが、夜明け前であたりは完全に暗闇。星が出ていて空は晴れているのはわかる。外はマイナス10度くらいか?
【コースタイム2日目】七丈小屋(0515)→八合目(0600-0605)→甲斐駒ヶ岳(0710-0730)→八合目(0810-0815)→七丈小屋(0835-0855)→五合目(0930-0935)→刃渡り(1020)→笹ノ平分岐(1100)→駒ヶ岳神社(1200)→尾白川駐車場(1205-1210)→道の駅はくしゅう(1255))
Tumblr media
7~8合目。先行者のトレースとヘッドライトの明かりを頼りに進む。下山時はシリセードができるほど傾斜のある道を登る。8合目はやや広い広場になっており、朝一でキツイ道を登ってきたのでちょっと休憩。
Tumblr media
前方には険しそうな道と、先行者が遠くに見える。8合目以降が黒戸尾根の核心部であり、遭難が多発しているのでかなり気を引き締めないといけない。注意喚起の看板も設置されている。ちなみに山頂は直前になるまでずっと見えない。
Tumblr media
8合目から振り返ると八ヶ岳連���やその麓の町の明かりが綺麗。
Tumblr media
8合目~山頂(9合目はどこだかわからなかった)。ナイフリッジなかなり細い尾根。3-4合目の途中に現れた刃渡りよりも断然道が狭くて切れ落ちていて危険。
Tumblr media
雪が積もっているから均されているが、普段はかなり傾斜の強い岩場だと思われる。
Tumblr media Tumblr media
雪の大壁あり。ここは下山時に非常に危険になるところ。難易度としては残雪期の奥穂高岳の大壁と一緒な感じで、焦らずクライムダウンでやり過ごせば問題ない。核心部といえば、先のナイフリッジとこの雪の壁の2箇所だろうか。
Tumblr media
雪の大壁を登りきったところに設置されている看板。下山する人たちに「大切な人の顔を思い出してください。そして一歩一歩落ち着いて、確実に下山をしてください」。ここまでハッキリこうしろと書かれた看板は初めて見た。
Tumblr media Tumblr media
このあたりは景色もかなり開放的になり、北岳であったり、鳳凰三山とその奥の富士山など。
Tumblr media
この先も引き続き鎖や、岩雪のミックスなどを通過し細心の注意を要するが、さっきの核心部を通過できればやや安心してやり過ごせる程度。先も言ったように頂上がずっと見えず、偽ピークだらけ。
Tumblr media Tumblr media
駒ケ岳神社奥宮の手前で、初めて、そしていよいよ頂上を拝むことができる。山頂の祠の周囲に何人か立っている。
Tumblr media
駒ケ岳神社奥宮。ここまで七丈小屋から約2時間。
続く
0 notes
kunihirostudio · 5 months ago
Text
地域の個性を形成する建築デザインとまちづくりについて~桂陽山伝統市場の再構築計画~
Tumblr media
仁川市は韓国第3の都市として発展を続けており、桂陽区は1990年代以降、急速に成長したベッドタウンとして知られている。多くの人々が他地域から移住し、都市化が進展するにつれ、地域固有の文化や歴史的なアイデンティティが希薄になっている現状がある。
Tumblr media
こうした変化のなかで、桂陽山伝統市場は長年にわたり地域住民の生活を支えてきた重要な商業空間として存在してきた。しかしながら、建物の老朽化、消防安全の問題、駐車場不足など、さまざまな課題に直面している。
本計画では、単なる市場の改修にとどまるのではなく、地域の歴史と特性を反映した建築と都市設計を通じ、市場を新たに再構築することを計画する。市場を単なる商業空間としてではなく、地域社会と密接につながる持続可能な空間へと発展させることが本計画の目的である。
Tumblr media
桂陽山伝統市場は1990年代に桂陽区の都市化とともに発展し、現在は商業空間としてのみ活用されている。しかしながら、本計画では商業機能に加え、住宅機能を組み込むことで、市場を単なる経済活動の場ではなく、地域住民の生活と密接に関わる市場環境へと進化させることを目標としている。
市場が位置する地域は一定の傾斜地にある地形を持っている。そのため、この地形的特徴を考慮しつつ、既存の道路や歩行環境を整備し、アクセス性を向上させることが重要な課題となる。
現在、桂陽山伝統市場には多くの問題がある。建物の老朽化により耐震性能が不足しており、衛生管理の問題も発生している。施設の老朽化は訪問者の減少につながっており、衛生環境の改善が急務である。また、市場内の通路が狭く、違法な物品の設置によって消防車の進入が困難になっており、火災発生時の安全性が確保されていない。
Tumblr media
さらに、駐車場が不足しており、市場利用者や地域住民が同じスペースを共有しているため、混雑が発生している。特に週末や観光シーズンには駐車場不足が原因で訪問客の減少が見られる。市場内の道路や歩行環境も整備されておらず、歩行者の移動が不便であり、車両との混在による安全上のリスクも存在している。このような問題を解決するため、道路の拡張や歩行者専用エリアの設置が求められる。
桂陽山伝統市場は、従来の単なる商業空間から、住宅と商業が共存する複合空間へと変貌させる計画である。そのため、市場内の道路を拡張し、歩行者のための歩道を設置することでアクセス性を向上させるとともに、ユニット型建築方式を導入し、段階的な再開発を進める。既存の大規模な一括建て替え方式ではなく、1階建て・2階建て・3階建ての異なる建物タイプを導入し、段階的に市場を改善していく計画である。
1階建てユニットは、小規模な店舗を中心に構成し、短期利用者や小規模事業者向けの空間とする。2階建てユニットは、1階を飲食店やカフェなどの商業スペースとし、2階には**事務所や生活利便施設(病院、学習塾、コワーキングスペースなど)**を設けることで、地域住民の生活と密接に関わる市場環境を形成する。3階建てユニットは、1階を商業施設、2階を事務所や生活利便施設、3階を住居空間とし、地域の暮らしに必要な機能を市場に統合することで、より持続可能な空間へと発展させることを目指す。
建物外観には地域の建築的アイデンティティを維持するため、レンガを主要な建材として採用し、周囲の景観と調和するデザインを取り入れる。
Tumblr media
市場の建築には、地域の歴史と調和するデザインを採用し、主要な建材としてレンガを使用する。仁川は1883年の開港以来、西洋建築技術の影響を受け、レンガ建築が発展してきた。特に1939年に設立された富平レンガ工場は、韓国で初めて韓国人によって運営されたレンガ工場であり、1950年代以降、都市発展を支える主要な建材として広く普及した。
レンガは耐久性が高く、時間が経つほど独特の風合いを持つため、長期的に市場のシンボルとしての役割を果たす。このように、レンガの採用は単なるデザインの選択ではなく、地域の歴史と文化を継承しながら、持続可能な市場環境を構築するための重要な要素である。
Tumblr media
本計画は、短期・中期・長期の3段階で実施される。
短期計画では、市場の環境改善を最優先とし、消防安全対策や駐車場の整理を実施する。また、違法に設置された物品を撤去し、歩行者の移動を円滑にすることで安全性の向上を図る。さらに、市場運営者と地域住民の協力組織を構築し、共に市場の方向性を定める。
中期計画では、商業エリアの統合、動線の整理、駐車場の拡張を行う。また、ユニット型建築の一部を導入し、2階スペースを活用した生活利便施設や事務所を追加することで、市場の機能を拡張する。 長期計画では、3階建てユニットを中心に市場の全面的なリニューアルを実施し、商業・住宅・生活利便施設が共存する持続可能な市場を実現する。
Tumblr media
桂陽山伝統市場の再構築は、単なる市場の改修ではなく、地域全体の活性化を目的とした都市設計プロジェクトである。本計画を通じ、市場を地域経済の中心地として再生させ、持続可能な空間へと発展させることを目指す。これにより、桂陽山伝統市場は地域のアイデンティティを継承しつつ、新たな商業・生活空間として生まれ変わることが期待される。
Tumblr media
第1期生 鄭 潤琳(2024年度卒業)
1 note · View note
kobayashimasahide · 6 months ago
Text
Happy New Year  Jan. 1. 2025 (part 2)
承前 後編
 そして、(25) に至っては、これはもう明らかなビール腹の男がもう一人のビール腹の男にナイフで刺され、宙に投げ飛ばされ、毒を盛られ、銃で撃たれ、布を被せられて見えなくさせられるというドタバタ喜劇 (“slapstick comedy”) に他なりません。
Tumblr media
(25)
 或いはまた1971年雑誌初出の “The Disrespectful Summons” (柴田元幸訳『失敬な召喚』河出書房新社, 2018) の表紙(26) では、
Tumblr media
(26)
タイトルの長い横文字二語を収めるために少々お腹/胸を膨らませられた装飾枠縁のフィニアルも、作中で悪魔に召喚される「か細い腰」の女主人公スクィル嬢の身体と見做せなくもありません。事実、���女が地獄の業火の中に真っ逆さまに投げ捨てられて終わる最終場面の後の裏表紙(27) では、
Tumblr media
(27)
このフィニアルは––––尖端を表紙のそれよりは短く太くされ、お腹/胸には羅典語で “Finis” と書かれて––––死体として地に倒され横たえられて “終” らされているのであります。
 更にはまた1993年1月11日『ニュー・ヨーカー (“The New Yorker”)』誌掲載の《忠告詩 (“Verse Advice”)》12点の中の<“At twilight objects often start / To make odd sounds and fall apart.” (黄昏に 物皆しばし 始むるは/バシと音を上げ 砕け毀るる。)>(28) のそれも、
Tumblr media
(28)
隣のベンチに座って気になって上/横目遣いにチラ見している老いた68歳翁ゴーリーの、あちこち痛んでガタが来た老体そのものを表しているようです。
 フィニアルに関してはこのくらいにして、「古い…便器」の方に移りましょう。シフはこれ以上は言っていませんが、実はこれが、ゴーリーが1985年 (60歳時) に「築200年の古い館を買い…『エレファントハウス』と自ら称した…命名の由来」の中で「もっとも有力な…トイレの便器の形が象の頭部のようだったからという」その便器で、「エンドテーブルとしてリメイクされ、今でも…ゴーリー・ハウスで案内台として活躍中」(29) だそうです。
Tumblr media
(29)
 確かに、この便器のボウル (“Bowl”) と排水管 (“Drain Pipe”) の組み合わせは、横から見ると、ゾウの頭と鼻にそっくりで、我が沖縄–万座毛の象の巌(30) を連想させます。
Tumblr media
(30)
 “横から見ると” と言ったのは、通常は便器をその方向から見たりはしない (通常は斜め上・前方) からで、それはまさに、かのマルセル・デュシャンの<泉>(31)
Tumblr media
(31)
––––厳密には、アルフレッド・スティーグリッツがこの男性用小便器をこの置き方で台 (≒台座) の上に載せ、マースデン・ハートリーの油彩画<騎士>(32)
Tumblr media
の中心部をバックに、複数の投光/照明で演出・撮影して雑誌に掲載された解説文付き写真図版(33)
Tumblr media
 (33) 
––––の “造形” 原理と同じなのです。
 そして、この便器もまた “この写真の作者” であるスティーグリッツには、やはり「ゾウ」に見えたのです……但しゾウはゾウでも、仏像と聖母像ですが……。彼は1917年4月23日付けの手紙で次のように書いています。
 ––––「『小便器』の写真は本当に全くもって素晴らしい–––見た人は皆美しいと思うよ–––本当に–––そうなんだ。東洋的な雰囲気があり–––ブッダとヴェールを被った聖母マリアを合わせたような感じだ」(‘The "Urinal" photograph is really quite a wonder―Everyone who has seen it thinks it beautiful―And it's true―it is. It has an oriental look about it―a cross between a Buddha and a Veiled Woman’)」(34) ––––と。 
 聖母であれば、差し詰め<Virgin of Lourdes Fountain (ルルドの泉の聖母)>(35)、
Tumblr media
(35)
仏様なら<白衣観音 (白衣母)>(36)  といったところでしょうか。
Tumblr media
(36)
両者共に白いヴェールを被り、洞穴口 (前者) や岩の狭間 (後者) をハートリーの<騎士>中央部のアーモンド型マンドルラ (“mandorla”=光背) のように背負い、共に湧/噴/出水 (いづみ) と密に結びついているからです。
 柴田元幸は、前掲書(11) の p.70 で、ゴーリーが何冊か絵本を協作したピーター・ニューマイアーとの書簡集 “Floating Worlds” の中に披露された (ゴーリー本人自ら言うところの)「E・ゴーリーの偉大にして単純なる芸術論」を、以下のように紹介しています––––「芸術とは、一見ある何かを描いているが実は別の何かを描いたものである。『「ある何か」しかない芸術は退屈だし、「別の何か��ばかりの芸術は苛立たしい』」––––と。
 この「別の何か」とは、よく言われるメタファー (“Metaphor” 隠喩/暗喩) とかシンボル (“Symbol” 象徴) といった所謂 “裏に隠された/隠れた意味” のことでしょうが、もしこれが「『何かの形に見える』別の何か」だとしたら、これ以上やり過ぎるとゴーリーならずとも苛立ってきますので、この辺でやめにしておきます。
 兎に角このようにしてゴーリーは、例えば「プルースト式質問表」で「あなたの最高の贅沢は?」との問いには「フリーマーケットでものを買うこと」と答え(37)、「『何かの形に見える』古道具が好きで集めていた」 (と言うよりは「物が捨てられない。別の場所に仕舞い込むだけ」(38) だった) わけですが、私が少なからず残念に思うのは––––その買い/集め/仕舞い込んだものが、飽くまで彼の言語 (literature) が先で視覚 (illustration) が後に来る…… (字義通り先在する文字=“litera” の中に=“in”、光=〈色と形〉を差し入れる=“lustrare”) ……創作 (絵本や挿絵) の単なる刺激物や参考品として (或いは純粋な遊びとして) 留まっていただけで––––それを使って (素材にして/別の何かと組み合わせて) 更なる創作 (オブジェや彫刻や立体造形) へと展開することは殆ど無かったという事実であります。
 例の “塩/胡椒容れの都市” も––––例えば『ウィローデールの手漕ぎ車 またはブラックドールの帰還』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2024, 原書は1962) の第11場面に描かれた断崖の上の資本家の「宮殿風のお屋敷」(39) 
Tumblr media
(39)
に反映させたかもしれませんが––––それを立体造形作品としては発表は無論のこと意識さえしていなかったのではないでしょうか。「おろし金の都市」も、作品としては造られた形跡は無いようです。(そしてこれは想像するだに楽しいのですが) “フィニアルの都市” というのも是非、見てみたかったものです。
 ゴーリー自らが––––「どちらかというとわたしは自分を作家だと考えています。視覚的なものよりも、文学的なアイデアの方が先に浮かぶんですよ」(40) ––––と言っているのと軌を一にするかのように、文字/言語/文学畑からの方が、視覚畑の方からよりも発言が多いように思います。特に (イラストやデザインといった応用美術=“Applied Art” ではない) 純粋美術=“Fine/Pure Art”––––中でも特にオブジェ/彫刻/立体造形や美術理論/美術史––––の分野からの発言が極めて少ないように思います。
 彼が作り出した絵本の中には、文のない絵だけの “字義通りの絵本” もあり、また他の人の文に絵だけを提供したり……と、結果的にはむしろ絵の方が多かったわけで、私が以前に絵本の「読み聞かせ/読み語り」という呼称に対して “音声/言語 /文字/文学偏重で、絵を見せる行為/所作が一言/一文字も入っていないではないか!” と噛み付いた(41) と同じ不満を、このことに対しても抱くのです。
 最後に、“これもフィニアルだ!”(42) というお年玉を上 (挙) げましょう。
Tumblr media
(42)
 これは実は壺でもあります……壺は壺でも「ルビンの壺 (“Rubin’s Vase”)/図地の壺 (“Figure-Ground Vase”)」ですが。
 この写真(43) が説明し易いので選びましたが、
Tumblr media
(43)
ピンクの服を着た少女の向こう=奥の黒い背景=「地 (“Ground”)」は、首を前に傾げて立つ人物の平面的なシルエット (影絵) になっていて、間の柱を挟んで同様に首を傾げて向かい合って立つもう一人の黒い影も「地」です。そして (この「地」に対する)「図 (“Figure”)」としての少女のオデコが触れそうになっている (やはり「図」である) 立体的な柱が「ルビンの壺」ですが、ここでは壺の形ではなくて、まさに細いフィニアルの形になっています。
 ゴーリーのこの絵(42) は、同じ格好でワイン・グラスを掲げて向き合って乾杯する二人/匹の登場人/獣の形に刈り込まれた植木の “Topiary (トピアリー=刈り込み装飾)” が「図」で、蒼い空と地続きの「地」としての狭間が、ルビンの壺ならぬゴーリーの “Finial (フィニアル=先端装飾)” になっているわけです。
 この『蒼い時』は、図版引用元のマーク・デリー(44) も述べている通り、ゴーリーの性的指向がホモセクシャル/ゲイであるとの推測/分析/解釈/論評の傍証として喧伝されている作品で、だからここで以下のことを述べるのは場所として相応しいというわけではありませんが、“Finial”(フィニアル=先端装飾) の形が本質的に “Phallic”(ファリック=男根的) であると言う形体類似連想は、やはり最後に一言触れておかねばならないことだと思います。
 フロイトは『精神分析入門講義』の中で––––「男性性器……の象徴的代替物となるのは、形の上でそれと似たもの、つまり、杖、傘、竿、樹木、等のように、長いもの、高くそびえるもの…さらに、体の中に侵入する…傷つける……あらゆる種類の尖った武器」(45) ––––と述べています (別訳の異なる訳語では––––「ペニスを象徴的に代理するものは…形の上で似ているもの…すなわち長くて突き出ているもの」(45)-1 ––––となります)。
 更に、この『精神分析入門 (正/講義)』(1917) と並ぶ二大著作の一つ『夢解釈 (/判断)』(初版, 1900) の第4版 (1914) の方にも––––「長く伸びるすべての物、…杖、木の枝、傘 (広がることが勃起に比せられるゆえ!)【1909年】…は、男性性器を代理する傾向がある」(45)-2––––と追補・既述されており、また、壺に関連する物に関しても対比的に続けて––––「小筐、箱、大筐、箪笥や戸棚、窯は、女性の体に対応する。【1909年】…洞窟、船、そしてあらゆる種類の容器類もまた、そうである」(同上)––––とあります)。
 この図と地の反転図形は、一方に意識が行っている (意識へと浮上させ/解き放っている) 時には他方は見えず (無意識へと「抑圧」(46) し/沈潜させ)、一旦双方を交互に認識できた途端に、片方ずつしか見えない反転……つまり浮上と沈潜/解放と抑圧……を交互に繰り返すのです。
 ゴーリーがこの絵��描いていた時、当然それは図であるトピアリーの方を描いていたわけで、その時この地の “ファロス風フィニアル” に気付いていた (図–地反転が起きていた) のかどうか?––––ひょっとすると彼は、それを無意識的に無意識界へと抑圧して、見えなかったかもしれません。
 ただ、意識して描いた「図」であるトピアリーの方にも、実は気になる形があります。それは、この二人/匹の振り上げた片方の脚 (樹木/木の枝) が、位置的にも勃起したペニスのように見えることで、これにもゴーリーは気付いていなかったかもしれません。そして以下のことも知らなかったかもしれませんが、これは原始美術でもよく知られている勃起した男根を持つ上半身が牛で下半身が人間の洞窟壁画(47) 
Tumblr media
(47)-1
Tumblr media
 (47)-2
を想起させるのです (ポーズもそうですが、何よりも人でもあり四足獣でもあるという点が共通しています)。
 そして、「図」として斜め上に向かって突出し合うこの尖った脚/ペニスは、「地」のフィニアルにとっては、左右から斜め上に切れ込む––––「体の中に侵入…傷つける……尖った武器」としての銛や槍や鏃の威力を高める––––「返し/掛かり/顎 (逆刺/逆鉤)」を形作っていることになるわけです。或いはこの形はまた、フロイトが挙げるペニスの象徴的代理の別の一つである “枝や骨を広げた樹木や傘” にも見えます (おまけに、その先端からは、グラスが激しく合わされば、液体が飛び撥ねることになるのです)。
 ただ、ゴーリーが––––「あの悪名高い種族…の一人が…わたしの展覧会を見たあとで、わたしのところに来…ある一枚の絵がずいぶんと気になる様子で––––彼女は精神科医だったんですがね––––『あの絵の本当の意味は何か、教えていただきたいんです』と言ってきた。人が物事に意味を見出しはじめたときには気をつけろ、という…意見に、私は同意します」(48) ––––と言っている通り、私も精神科医の意味付けには充分に気を付けて、傾聴しつつもこの話はこれで「終わり」(49) にしたいと思います。
Tumblr media
(49)
                       (1. 1. 2025)
(25) via [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/2024-exhibit]。
 これは2024年【ゴーリー・ハウス】企画/開催の《優美な屍骸:エドワード・ゴーリーの仕掛け絵本》展の紹介頁の冒頭に掲げられている図版ですが、そもそもは 1989年に刊行された縦長の「仕掛け絵本 (“Moveable Book”)」『滴る蛇口 (“The Dripping Faucet”)』(25)-1 =[https://www.etsy.com/jp/listing/1603748724/the-dripping-faucet-by-edward-gorey?click_key=8b96556e010b406c8d13c514f71245733995bbd1%3A1603748724&click_sum=3017a4f9&ref=related-2] 
Tumblr media
(25)-1
の縦 ⅑ 頁の “絵札” 4枚を横に繋げ、その見開き左頁の “読み札” (別の絵札の裏) の文字をそれぞれ下に並べたものです。
 この「二人」に関して、濱中利信編, 柴田元幸/江國香織/他著『エドワード・ゴーリーの世界』(河出書房新社, 2002初版, 2020改訂増補初版) の p.41 では濱中が「壺」と (因みに “⅑” は「10分割」と)、また pp. 149-77 所収の「特別座談会:ゴーリー作品の魅力を語り合う」では柴田が––––「チェスの駒みたいですけれどもね、この二人は」(p.165) ––––と言っていますが、もしも後者が “チェスの駒に似ている” の意ではなくて、“どうやらこれはチェスの駒であるようだ” の意だとすると、それは前者の言う「壺」と共に一寸違うと言わざるを得ません。
 と言うのも、チェスの駒……の中でも特に歩 (ふ)=“pawn” を指していると思いますが……の基本型である「スタントン・スタイル/デザイン (“Staunton design”)」(25)-2 =[https://en.wikipedia.org/wiki/Pawn_%28chess%29] と、
Tumblr media
(25)-2
フィニアル(25)-3 =[https://www.etsy.com/jp/listing/1116587700/unfinished-decorative-carved-staircases?click_key=74cc44b90049cb904e94138a1b91a4cd1b1ee18a%3A1116587700&click_sum=8fb4ce21&external=1&rec_type=cs&ref=landingpage_similar_listing_top-6&pro=1] とは、
Tumblr media
(25)-3
その形態の構造原理が異なるからです。
 ただ、両者には共用性/融通性が有って、フィニアルにチェスの駒の形を使う (チェスの駒をフィニアルにする) ––––例えばチェスの選手の椅子のデザインとして、背柱/後脚の天辺に駒の形のフィニアルを取り付けるといった––––ことも可能ですし、小さなフィニアルならそのままチェスの駒として盤上で用いることも可能なわけです。実際、タイのチェス (“Makruk” マークルック)の駒(25)-4 (via [https://en.wikipedia.org/wiki/Makruk]) などは、ズングリした “フィニアル形” ですし、
Tumblr media
(25)-4
細長い “フィニアル形” としては、かつてフランスで造られていたもの(25)-5 (via [http://www.chess-museum.com/chess-piece-production-in-the-jura.html]) や、
Tumblr media
(25)-5
プレ・スタントン型でトルコの塔型(25)-6 (via [https://royalchessmall.com/en-jp/collections/camel-bone-chess-pieces/products/4-6-turkish-tower-pre-staunton-chess-pieces-only-set-black-white-camel-bone]) なんていうのも製造販売されています。
Tumblr media
(25)-6
 そして、子どもの頃、将棋の歩を一個失くしてしまった時は、代わりに一円玉を歩に見立てて使ったように、そもそも、どんな物でも将棋やチェスの駒に見立てて代用することは可能で、その伝で行くと、先の “塩/胡椒容れ” なんかも、立派なチェスの駒に仕立て上げられるのです。
 実は斯く言う私こそ、そういう自由な定形外のチェスの “変わり駒” を造っていたのでした–––– [https://u-ryukyu.repo.nii.ac.jp/records/2001956]–pp.80-3《病院用チェス・セット (“Hospital Chess Kit”)》––––。そしてこの中に「滴る蛇口」で造った駒も (“pawn” ではありませんが) 二つあります (p.83 の右上の写真が p.81 の<⑶ 排尿促進のための駒>で、下段左から3つ目が鍵付き蛇口の “King (王将)”、上段左から4つ目が玉形弁に十字ハンドルの “Rook (香車)” です)。
 なお、p.82 の左上の写真で、私に相対して駒を動かしている白髯のカウボーイは、サンタ・クロースではなくて…… (私と撮影者の恵子にとってはそうでしたが) ……美術家のジェームズ・タレル (James Turrell) です。彼がここに写っている経緯は、[https://u-ryukyu.repo.nii.ac.jp/records/2001954]–p.80=「むすびに」に記しています。
(26) [https://www.amazon.co.jp/dp/430927966X?tag=pictbook_info-22]。
(27) [http://andeverythingelsetoo.blogspot.com/2011/09/disrespectful-summons-by-edward-gorey.html] の最終 (最下段) 画。
 因みに、これによると初出では表紙=最初 (最上段) 画は、お腹/胸の左右に持手の付いた蓋付優勝カップのような形のフィニアルに描かれています。
 なお、この絵本には、この表紙と裏表紙以外にも、第3場面の室内の壁に掛けられた風景画……マティスの室内画ではないが、窓外の風景という可能性もないではない……の中に、同じようなフィニアルが–––– (女性がその前で跪いて祈っているように見える) 墓碑と思しき石碑の天辺に載せて––––描かれています(27)-1 ([https://gorey34243.tripod.com/SUMMONS.HTML]-No.3)。
Tumblr media
(27)-1
 また、第6場面と第11場面の室内にも、やはり墓/石碑の描き込まれた風景画 (/窓外景色) が描き込まれていますが、前者の石碑の天辺に載せられているのは、フィニアルではなくて壺で(27)-2 ([ibid.]-No.6)、
Tumblr media
(27)-2
後者の墓/石碑の頭頂部は、下部と一体で彫り出されたかのような境目のない丸みを帯びた人の肩~首~頭を抽象化した形に描かれています(27)-3 ([ibid.]-No.11)。
Tumblr media
(27)-3
(28) [https://www.instagram.com/p/CJwqQWQFrC_/?igshid=blas2jgo4d1k&epik=dj0yJnU9WmdOb3dJNVJPUmpxQ1ItNlQxa0JWaWx3ZERGWUlaZ2wmcD0wJm49UEFqRFZydTJJbnI2eTdHa3laWWdrUSZ0PUFBQUFBR2M3X3Vj]。
 柴田元幸に倣って、この脚韻二行一連を短歌形式で訳してみました。
 なお、2016年の4月から10月まで伊丹市立・福島県立・下関市立の三美術館で開催された (下記書名と同名の) 展覧会の公式図録––––カレン・ウィルキン, 濱中利信, 柴田勢津子著/柴田元幸, 小山太一訳『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』河出書房新社, 2016, p.81 ––––には、この原画からの図版 (cat.no.128 (EG129)) が掲載されています。
(29) 写真は [https://www.flickr.com/photos/astropop/4935052617/in/photostream/] から、また、文章は『M0E』2019年12月号の《巻頭大特集/謎に満ちた異色の絵本:エドワード・ゴーリー》の年譜の〈1985年〉の項の記事と掲載写真のキャプション (p.24) からです。なお、これと少しアングルの異なる写真が、同誌の2023年5月号の《展覧会開催記念:エドワード・ゴーリーの不思議な世界への旅》のグラビア写真頁〈The Edward Gorey House ゴーリーの終の住処へ〉p.68 にも掲載されています (以上の三つの写真とも、便器→案内台が置かれている場所は同じです)。
(30) via [https://diversity-finder.net/tourism/manzamou-manza-beach]。
(31) via [https://artincontext.org/fountain-by-marcel-duchamp/]。
(32) via [https://www.flickr.com/photos/mbell1975/5571983113/in/photostream/]。
(33) via [https://www.thecollector.com/what-was-great-about-marcel-duchamp-fountain/]。
 因みに、“この男性用小便器…を置く/眺める方向” に関しては、前註(17) の拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/152794762970/光線男は二度ドアを叩く-マンレイのドアノッカーと騙し絵卵平面卵透明巨人について]–註 (*3) で、マン・レイの<便座のドア・ノッカーと騙し絵卵>の便座のそれと比較しながら述べています。
(34) via [https://en.wikipedia.org/wiki/Fountain_%28Duchamp%29]。
 但し二重引用符の単一引用符への変更は [https://www.tate.org.uk/art/artworks/duchamp-fountain-t07573] の “Collection Text” 内の引用に従いました。
 なお、マイケル・R・テイラー, 橋本梓訳「ブラインド・マンの虚勢:デュシャン、スティーグリッツ、《泉》をめぐるスキャンダル再考 (抄)」『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展図録 (朝日新聞社, 2004, pp.12-23 所収) には、この経緯が次のように詳述されています。
 スティーグリッツが…撮影した驚くべき写真…によって、鈍く光る男性用トイレの備品は、擬人的な姿へと変容した。当時の鑑賞者たちは、スティーグリッツによって陰影のつけられたイメージを、ベールを被ったマリヤや座したブッダのような宗教的な存在と容易に結びつ��た。そうして、…デュシャンのイコノクラスム的な意図を…取り違えることになったのである。(p.12 )
 ダダの雑誌『ザ・ブラインド・マン』2号…「リチャード・マット事件」という記事……は、「洗面所のブッダ」と名付けられたルイーズ・ノートンの記事に引き継がれ……/これらの記事には、便器の写真が掲載され…ている。……ガートルード・スタイン…宛て…手紙のなかで (日付不詳)…カール・ファン・ヴェクテンは、グランド・セントラル・パレスでの展示から外されたすぐ後、スティーグリッツの291画廊にこのレディ・メイドが展示されたことを明らかにしている。「……スティーグリッツはそれを291画廊で展示し、何枚かの素晴らしい写真を撮った。写真に撮られた便器は、聖母マリアにもブッダにも見えた」。……カール…やルイーズ…が行った、便器が聖母マリアやブッダのかたちに類似しているという言及は、明らかに、実際の便器そのものではなく、イコン的な写真に仕立てるための照明、陰影のつけかた、視点と関連づけられる。(p.17 )
 スティーグリッツが1917年4月にジョージア・オキーフに宛て…た手紙のなかで座したブッダと評した……(32)。(p.21 )
 32)  Alfred Stieglitz, letter to Georgia O’Keeffe, April 19, 1917,……未出版の…手紙…。(p.23)
 21)  スティーグリッツは、美術批評家のヘンリー・マクブライトに宛てた手紙の中で、便器の写真を撮るよう頼みにきた人々の名を挙げている。「私は、…デュシャン他によって…撮影するよう依頼された。……面白いのでご覧になってください」。…Alfred Stieglitz, letter to Henry McBride, April 19, 1917,……. (p.23)
(35)  via [https://observandoelparaiso.wordpress.com/2013/12/20/la-inmaculada-concepcion-y-santa-bernadette-soubirous/])。
(36)  via [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/531421])。
(37) 文責不詳 (Anonymous) の「エドワード・ゴーリーへのプルースト式質問表 (“Proust Questionnaire”)」(初出 “Vanity Fair”, 10.1997, p.382) : 前掲書(13) pp.195-9 所収。引用は p.196。
(38) フラン・ワイル (Fran Weil) によるインタビュー『不気味の匠がゴーリーを福の神に (“Mastery of Macabre Turns Gorey into Moneymaker”)』(初出 “Boston Herald American”, 3.27.1975, pp.18-9) :「雑多なインタビューより」; 前掲書(13) pp.257-9 所収。引用は p.259。
(39)  via [http://tavola-world.seesaa.net/article/edward-gorey-the-willowdale-handcar.html]。
 引用はこのブログ主「塔公少年 (“Tagong Boy”)」の訳文です。
(40) トビ・トバイアス (Tobi Tobias)「バレゴリー:エドワード・ゴーリーとニューヨーク・シティ・バレエ (“Balletgorey”)」(初出 “Dance Magazine”, 1.1974, pp.67-7) : 前掲書(13) pp.21-38 所収。引用は p.32。
(41) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/742667870817927168/la-guerra-delle-campane-1-the-bell-tower-to] の註 (*1)。
(42)  via [https://glreview.org/article/edward-goreys-gothic-nonsense/]。
 この絵と文は、ゴーリーの1975年の絵本 “L’Heure bleue” (柴田元幸訳『蒼い時』河出書房新社, 2001) の第4場面で、柴田の訳文は––––「ワインはすごくあったまる気がするね。/君の考えていることが重要なのか 僕にはわかった試しがない」––––です。
(43)  via [https://mussyusiawase.blog.ss-blog.jp/2009-12-13]。
(44) 前註(7) で柴田が言及しているゴーリーの評伝の著者です。
 なお、この評伝に関しては、前註(14) で紹介した【ひとでなしの猫】も、[http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-3825.html] で、紹介/要点引用–翻訳/論評しています。「アセクシャル」と自己規定するこのブログ主は、自身の体験に照らして––––「ゴーリーは生まれつき『アセクシュアル』だったものの、当時はアセクシュアルなどという概念がなかったので、他人に『ゲイ』だと言われ、自分でも『ゲイ』なのではないかと思いこまざるを得なかった…。同様に、高機能自閉症(AS)などという概念がなかったころには、他人に『変り者(eccentric)』だと言われ、自分でも『変り者』なのではないかと思いこまざるを得なかった…のではなかろうか」––––と推測し––––「わたしの興味は『ゲイ』としてのゴーリーにではなく『高機能自閉症者』としてのゴーリーにあ」り、「自閉症文化の系譜にゴーリーを位置付けたく思」––––うと述べています。
(45)  ジークムント・フロイト (Sigmund Freud) 著、新宮一成 他訳『フロイト全集第15巻 精神分析入門講義』(第2部 夢:第10講 夢における象徴作用) 2012, 岩波書店, p.185。
 Web上では、当該部分を–––– (但しその訳文は1977年/高橋義孝・下坂幸三訳/新潮文庫版 {上巻} p.196 のもので、訳語の相違に “männliche Genitale”:男性性器 → 陰茎がある)––––【平原卓の哲学案内】: [https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-freud-vorlesungen-einfuhrung-psychoanalyse/] ––––で、また、原文に関しては–––– [https://gutenberg.spiegel.de/buch/vorlesungen-zur-einfuhrung-in-die-psychoanalyse-926/10] ––––で、読むことができます。
 (45)-1 は、懸田克躬・高橋義孝訳, 1971, 人文書院版『フロイト著作集 第1巻』(p.126)。
 (45)-2 は、岩波書店, 2011–全集5「夢解釈Ⅱ–第6章 夢工作」p.98。
 なお、これはよく言われることですが、こうしたフロイトの象徴対応は、上記の平原卓も言うように––––「これらの例えは…有名だが、かなり無理がある…。…/最大の問題は、象徴の対応関係が原理的に証明できない…ことだ。……/シンプルに言えば、ステッキが男性器を象徴していると言わざるをえない証拠はどこにもない…。一見それらしく思えるかもしれないが、どこまでも行っても証明できない」––––のです。
(46)  フロイトは「抑圧 Die Verdrängung」について、次のように語っています––––「抵抗にぶつかり、…欲動の蠢きは抑圧の状態に入る」,「欲動代表は、抑圧によって意識…から遠いところに置かれると…暗闇で繁茂し、極端な表現形式を身に纏う」,「フェティッシュの発生において…欲動代表は…理想化という運命を辿る」,「原則として抑圧の解除は束の間であり、すぐに再び設定し直される。…抑圧は…高度に流動的で…、抑圧されたものは、意識に対して、持続的な圧力を掛け続けて…この途切れることなき反対圧力によって、平衡が維持されている…。…抑圧の流動性…は、睡眠…の中にも見出され、睡眠…だけが夢形成を可能にし…覚醒と共に…抑圧…は、ふたたび送り出される」––––岩波書店, 2010–全集14「論考 (1915年):抑圧」p.195, pp.198-9, p.200, p.201。
 これは図–地反転について述べたものではありませんが、相通じるものがあります。特にこの場合は、(図–地の) 地 (フィニアル) が性=欲動的な「フェティッシュ」で、更に図 (向かい合う人/獣) の方にも或る種性=欲動的な “二重像/隠し絵 (Simultaneous Image)” が含まれてもいるからです。
 日本語版ウィキペディアの「ルビンの壺」([https://ja.wikipedia.org/wiki/ルビンの壺]) の「特別支援教育」の項に––––「障害のある子どもの場合、2つの見方のうちの一方しかできない…ケースもある。…切り替えができず、『図–地知覚障害』の状態とされる」––––という興味深い記述があります。
 また、これとは別に、図は性的な図/画像なのですが、地は非性的という、伊系スイス人画家サンドロ・デル・プレーテによる<イルカたちの愛の詩>と題された絵があります(46)-1 ([https://im-possible.info/english/art/delprete/the-master-of-illusions/083.html]←[https://im-possible.info/english/art/delprete/the-master-of-illusions/index.html]←[https://im-possible.info/english/art/delprete/])。
Tumblr media
(46)-1
 認知心理学者でカリフォルニア工科大学教授の下條信輔は、この絵に関して、ある対談で次のように語っています。
 「有名な『ルビンの壷』で……横顔が先に見えた人は、なぜ…先に見えたかを知らないし、壷が先に見えた人もその理由を知らない。それは頭の中の潜在過程で処理されているわけです。ここにはある種のパラレルワールドがあ…るわけで…、同じ絵を見ているにもかかわらず、ある人は壷を見ていてある人は横顔を見ている。///…すべてのパラレルワールドにはいつから存在したかという問題がある…。/右の絵も同じような隠し絵で…大抵の大人、特に中年男性に訊くと、裸の男女が絡んでるという…。でも6、7歳くらいの子どもに割と近い位置で見せると、イルカが泳いでるって答えるわけです。裸の人なんていないよって…。その時に見方を説明すれば、裸の男女が見える子もいますが、どう頑張っても見えないという子もいるんですね。//…かく言う僕もイルカはなかなか見えなかった(笑)。…人は自ら見たいモノしか見られない…。この場合…、裸の男女を見てもいいし、イルカを見てもいいわけですよ。でも、どちらが先に見えるの (か–引用者補) は、その人の自由意志ではなく、自らのあずかり知らぬところで決まっているような気がします。」(via [http://www.kanazawa-it.ac.jp/rg/rg2009/rep2009/rep6.html] ––––因みに、かく言う私も、解説文を読むまでは大小9頭いる黒地のイルカに全く気付かず、見えませんでした)。
 ゴーリーの場合も、また「障害のある子ども」や「6、7歳くらいの子ども」の場合も、この “見える/見えない” の科学的根拠や原因は今のところ分からず、私のフロイト抑圧論の援用も、飽くまで上記平原卓が謂う所の「一見それらしく思える」仮説に過ぎないのです。
(47)  via [https://www.larevuedesressources.org/les-reponses-erotiques-de-l-art-prehistorique-un-eclairage-bataillien,605.html]。
 因みに、この -1, -2 は、拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/639079714964783104/あけましておめでとうございます-令和三年元旦-牛の仮面]-註(7) でも触れています。
(48) 上掲書(40)=前掲書(13)、引用は pp.34-5。
(49) ふくらんだ腹/胸にラテン語で “Finis” と書かれて倒され横たえられた『失敬な召喚』の裏表紙のフィニアル(27) のポーズ (“pose”) を真似し、(42) の狭間に文字を「スーパーインポーズ (“Superimpose”)」しました。英語の “THE END” ではなくてフランス語の “Fin” にしたのは、言うまでもなく “Finial” に掛かるし、ゴーリーがハーバード大学でフランス文学を専攻し、ふるいフランス映画が好きだったからです。
0 notes
samantha-dan564 · 2 years ago
Text
VSEか…
まあ個人的にいろいろ思うところはあるけど、できるだけ前向きな書き方をしよう。以下はあらかじめ吐き出しておく毒
電車の本質は軽量化なんですよ。軽量化は列車性能の向上にとても効果的だし、軽量化を極めれば浮いた分をほかの性能に廻すことができる。だから軽量化を怠ってはいけないんです
ロマンスカー・VSE(50000形)はこれまでの11両連接から長さそのままで10両連接にした。本来そんなことすると軸重が重くなるので「よほどのことがない限り」11両連接で行くべきなんですよ
それをロマンスカー・VSE(50000形)では10両連接にした。なぜだ
「10両にすれば左右対称になって美しいから」
馬鹿じゃねーの? ホントこの一点で駿馬が駄馬になったといっても過言じゃないんだけど、増えた軸重はどうにかして軽量化で何とかするしかない。車体をアルミにするのはいい方法だ。これで鋼体質量が3割くらい軽くなる。窓を小さくするのはどうだ。剛性を確保できるからさらなる軽量化が期待できるから考慮すべきデザインだ。何よりも剛性が小さなアルミボディなら衝突時の変形を考慮してある程度ののりしろを確保しておくのが鉄道事業者としての誠意だろう
しかしロマンスカー・VSEは「幅4mの窓」を採用した
呆れてものが言えない。安全よりも展望が大事か? 正面からぶつかったらやわなアルミボディでは開口部からグシャっと行くぞ?
そうでなくてもこんなバカでかい開口部をつくったらやわなアルミボディでどうやって剛性を稼ぐんだ。しかも軽量化のためにVSEの展望席はアルミのシングルスキン構造だ。きしむボディに防音の難しいシングルスキン。カーブのたびにたわむボディ。これでフラッグシップトレインをつくれと言われた日本車両製造の心境やいかばかりか。日車はキレていい
とはいえそこはさすが日車というか、この無理難題をちゃんとまとめてきた。N700Sなんかでも使われているアルミ削り出しの技法でムクのフレームを作って剛性を確保。連接車の構造上ストレスが最もかかるのは車端部なので、ここを強くすればあとは中央に梁を一本入れておけば「なんとかなる」。当初デザイナーは「8m幅の1枚窓」を要求したそうだが、これを蹴っ飛ばした日車の見識は素晴らしい
車体に関しては日車の技術力以外褒めるところが何一つないんだけど、足回りは小田急の意地が感じられる一級品で俺大好きなんよ。何といってもMB-5110モータをギアリング4.16で回す。もう最高にしびれるじゃないですか。「小田急は速くなくてはいけない」というロマンスカー・SE(3000形)からの信念がビンビン伝わってくるじゃないですか
もちろんこんな浅いギアリングだといかにトルクのある三菱モータでも出足がきつくなる。そこで11台車中8台車にモータを吊っちゃうあたり小田急のファナティックさが伝わってくるというものです。こんだけモータがあればコントは1C4M×4基で問題ない
それにしても、だ。こんだけモータを吊ってさらに駆動方式はWNドライブ。特急車としての静粛性はどうなんだと思ってしまうんだけど、ここでギアリング4.16が生きてくる。これだけギアリングが浅ければモータはそんな高回転で回らない。モータの騒音は回転数に比例するから多数のモータを低回転で回せば問題ないだろというこの深い見識にしびれなければいけない
WNドライブも現代では相応に進化していて、バックラッシの適正な管理でかなり騒音を抑え込めているからまあ、小田急的には自信があったんだろうね。それにシングルスキンで騒音のウイークポイントとなりそうな先頭部の台車にはモータを吊ってないし連接車なら台車は客室にかからないからこれも問題ない。しかもロマンスカー・VSE(50000形)は車体傾斜装置の関係で連結面が800mmも空いてるから騒音源から客室がさらに遠くなる。素晴らしいデザインだ
いやー、ほんと「ただただ早く走るためのセッティング」。さすが小田急と言わざるを得ない。こんなファナティックなセッティング決めてるのと言ったら、ほかには東武100系スペーシアくらいじゃないかな
それゆえに思うんですよ
ロマンスカー・VSE(50000形)が、これまで通り11連接だったらどんなに速く、静かで、エレガントだったんだろうなと。小田急はね、ロマンスカー・LSE(7000形)でt1.6の鋼板をボディに使うような、走りに命かけてる会社なんですよ。関東民鉄で小田急ほど「スピード命」のセッティングを組んでる会社は皆無と言っていい。車両の軽量化と足回りのセッティングに命かけてる会社なんですよ。ロマンスカー・GSE(70000形)のT台車ってM台車より車輪径が50mm小さいんですよ? 今時こんなことやる会社小田急以外にありますか?
だから、ちゃんと剛性を保った適正な大きさの窓を配置した、アルミダブルスキンの12.5m連接車……乗ってみたかったなあ。きっとレールの上をすべるように、タンタンタンと連接車独特の小気味よいリズムを奏でながら複々線を走り抜けたんだろうな
返す返すも、残念だ
3 notes · View notes
shokobekki · 7 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
【山日記 続き】
三河住み歴16年、山登る人になって10年。一度は観てみたいと思っていた、東栄町の「花祭」に、ようやく初めて行けた。ほんの部分でしたが、良い体験だったので、印象が醒めないうちに、長いけど記しておきます。
「花祭」は、奥三河の山間の村々に古くから伝わる冬の夜の祭。立冬から年明けにかけ、地区ごとに続々開催される(→*)。 昔はもっと広く三遠南信の各地(天竜川の支流域山間部)で行われていたらしいけど、数が減り、いまは愛知県の山間(おもに北設楽郡の東栄町)に十数カ所残るばかり。今回訪れたのは足込(あしこめ)という地区。かねがね機会をうかがってはいたのだけど、今日、ここしかないと決心し、先日S山から帰宅後、19時に寝てAM2時半に起き出し、真っ暗な夜道をTさんの車で向かった。(甲斐駒ヶ岳山頂アタック時のような行程だ 笑)
麓の大千瀬川と、やがて天竜川にそそぐ、足込川という小さな谷川に沿った傾斜地。山に囲まれた静かな地区。旧小学校舎と集会所が会場だ。山の中腹にある神社から神様をお迎えする神事と、滝水を汲む神事を経て、夕方早くから翌朝にかけてが祭事となる。様々な舞の奉納が、夜通し切れ目なく続くらしい。
 今回は、未明から明け方の三時間ほどを見物できた。演目は、四つ舞、翁、一力花、湯ばやし、茂吉鬼、というもの。誰でも入って近くで(勿論しめなわの外から)見ることができる。まだ青い闇に浮かび上がる、小さな祭場と��き火。かまどの煙と湯気にゆらめく、天井の色とりどりの飾りや、結界に貼られた白い切り紙、お面も舞手のいで立ちも美しく、見どころがとても多い。一見して、好きだな、と思った。見始めは午前4時半。前夜からいる観客も舞子も、もう疲れて眠そうな頃合い。よそ者でも疎外感なく、規模が大きくないのがまた良い。お見舞い金を出しに会所に入ったとたん笑った。保存会のはっぴを着た高齢のおじさんが四人、狭い受付の座敷内にぎゅうぎゅうに折り重なって爆睡している。(こんな時刻なので予想はしていたけど笑)。「お見舞いを…」と言うと、一番手前の方が赤い顔でむくりと起き上がり、どうにか受付をしてくれて、記念品に素敵なタオルをくれた。(なぜタオルなのかはその後よく分かった)こういう、ゆるさも同居する雰囲気がいい。
踊りは、「テーホへー テーホヘッホー」という掛け声に、笛太鼓、ときおり歌ぐらも伴い、滝水を沸かしたかまどの周りで、絶え間なく披露される。舞手はきほん男性で、お面で翁や鬼に扮した、ゆっくりとした古風な舞踏もあれば、四人組(世代別)が輪になって、大振りでリズミカルに舞踏するものもある(時代とともに昔の女人禁制は解かれ、今は、演目によって女性も舞手になるらしい)。派手な化粧をするでもなく、衣装も踊りも洗練されていて、非常にかっこいい。こんな閉ざされた奥山で、小規模でも何百年と続いてきたのは、自分もあれを踊ってみたいと、次世代に思わせる何かがあったからかもしれない。
佳境は「湯ばやし」といって、十代の若者四人が舞う。両手に、"ゆたぶさ"という、稲束を持って。みんな細く小柄な少年だ。 セイト衆と呼ばれる大人の男たちが、つかず離れずの距離で立ち、ときおりお茶や菓子を口に含ませてやったり、せんすで扇いだり、リズムにのせて大声で囃し立てながら、ひき立て、盛り上げる。 舞は、端正かつ乗りの良い、意外に激しい動作の繰り返し。1時間以上ぐるぐると踊り続けねばならないから、運動神経と体力が要るのはもちろんだけど、決して肉体や力技を見せるようなのではなく、立ち居振る舞い、姿勢、表情の瞬間瞬間がよく見える踊り、という印象だ。 一人、所作と表情のひときわ佳い少年がいて、なんだか見ていて幸せな気持ちになった。ああ、そういうことか、と思う。きっと、若い娘さん達が見て、いい人を決める。昔は特に、そんな貴重な場でもあったのかもしれない。 担い手だろうから、来年また来れば彼はいるだろう。でもきっと成長して役回りも変わってしまうから、この姿を見ることは多分もうない。と思うと、なんだか切なくも尊くも見えてくる若い舞台だ。 ゆばやしの太鼓と舞は、夜明けとともに加速して、再び目を覚ました一堂大盛り上がりの中、舞手がかまどの熱湯にゆたぶさをひたし、観衆にぶちまけていく。みんなびしょ濡れ。でもこれを浴びれば一年無病息災に暮らせるそうだ。最後は、観衆の頭を適当にはたきながら奥へ走り去って行った。私もあの少年にバシャッとやられ、良い気分。 一堂騒然とし、みなタオルを手にやれやれとしている最中、ふと気づくと、泥々になったかまどの周りに藁が敷き詰められ、いつの間にか、鬼が一匹、槌のようなのを持って、ひっそり立っていた。外は明るくなり、朝の鬼(茂吉鬼)の、また新しい静かな舞いが始まる。休憩はなく、見事なまでに、飽きさせない流れだ。
寒い冬の夜、山間の小さな場所に灯りがともり、繰り広げられる、愉快で華やかで、でも静けさと儚さもある、とてもいいお祭りだった。祭りを貫く "生まれ清まる " という思想もいい。収穫を終え、冬の眠りに入った大地に感謝するとともに、新しい年に向け、またそのエネルギーを呼び起こす。人は、心身を開放して発散し、洗われる。未勉強だけども、所感、そんな趣旨だろうか。 繋いでいくのは大変だろうけど、地元の方々は本当に楽しそうで、この魅力は自然と次世代を惹きつけるかもしれないと思えた。時代の変化に変容しながらも…。
演目や地区によっても差があるだろうけど、初見でとてもいい印象に触れることができ、私も幸運。浄められ、新たな気持ちで、師走を迎えられそうです。
0 notes
practiceposts2 · 9 months ago
Text
その名の通り松ばかりやたらと植えてある松見公園というゆるやかに傾斜する扇形をした芝生の広場とその底に位置する大きな池(パンくずを投げ入れるとたちまち無数の鯉が食いついてまるで水面が沸騰したかのように波打ち泡立ち飛沫をあげてたゆたう)とその池の真ん中のあたりに屹立するコンクリート打ちっぱなしの栓抜きの形によく似ているから栓抜きタワーと呼ばれている塔がある公園はその北東の一画が大学病院の敷地になっていて、だから松見公園には足先を丸っこく厚ぼったいギブスで固められたうえに包帯でぐるぐる巻きにされて両腕で松葉杖をつきながら一方の足を浮かせもう一方の足で跳ねるように歩いている男やおそらくはなにか頭部の手術をしたあとなのであろう髪の毛を剃りあげられて半球状に包帯を巻きつけられその上に伸縮性のある素材で出来たやわらかい真っ白いネットをかぶせられて看護師に車椅子を押されている少女が散歩しているのをながめられるのだけ���ど、大学一年生のとき映画サークルに入った友達に連れ出されて松見公園でなにかの撮影につきあっていたらどういうなりゆきからかはもう忘れてしまったが入院中の子どもたち(たぶん六歳から十歳までの間くらいだったと思う)と遊ぶことになって一緒にぶらんこを漕いだり鬼ごっこをしたりしたことがあったのだが今から思えば不審者と間違われて通報されてもおかしくなかったわけでよくあんなことをしたものだと思う、松見公園のすぐ南は盛んに自動車が行き交って街路樹もまばらにしか生えていない殺風景な生活道路そのものといった感じの北大通りという道路になっていて、ペデストリアンデッキのゆるやかそうに見えて意外ときつい傾斜にしたがって陸橋を越えると北大通りのむこう側の小さな大学のキャンパス(欅や櫟、楠、樫があおあおと茂る雑木林になっていて十月か十一月頃に通ると黄や赤に染め直された落葉枯れ葉が風に舞って夢のようにうつくしい)になっているのだが、そのキャンパスは校舎と図書館と体育館とグラウンドの間から住宅街のほうに抜けることができるからわたしはよく抜け道として使わせてもらっていた、赤茶色と焦茶色と黄土色の煉瓦をモザイク模様のように敷きつめた雨や雪が降るとやたらとつるつると滑っていつも転びそうになる真っ直ぐな小さな道を通るとそのむこうは住宅街になっていて、緑いろの安っぽいビニール製のひさしを大きく伸べた拉麺屋がある角のひとつ先の角を曲がりなだらかに続く坂をゆっくりと下っていくとその先にわたしがよく通っていた有朋堂という一階建ての古い書店があって、くり返し刈り込まれたせいで横に広がることができず縦にばかり伸びて箒のような形になっているイロハモミジが並び立つ通りに白くペンキで塗ってあるが劣化し剥げて擦り切れて赤茶色の錆を露わにしている細長い高い支柱の頂点にアンバランスなほど小さな正方形のパネルに「本」とだけ書いてある真っ赤なネオンサインが掲げられた看板が立っているのが目印だった、有朋堂には二階がなくてつまり一階建てで平面図にすると正方形かそれに近い長方形をしていてその横の辺に対して平行に何列も本棚が並んでいる他に壁際も隙間なく本棚になっていて、その南東にある通りに面した角だけは斜めに小さく切り取られて自動ドアを嵌め込まれた出入口になっていた、学生街に昔からある書店ということもあってか今どきめずらしい硬派な品揃いをしていて文庫や新書はもちろんとして学術書や人文書も豊富なので非常に重宝し頻繁に通っていたから、わたしが大学三、四年生の頃にちかぢか閉店することになったと聞かされたときは本当に残念でならずせめてその前になにか一冊本を買って形見の品にしようとAと話し合って自転車を漕ぎ漕ぎ慌てて駆けつけて一、二時間も本を物色したあげく買ったのがル・クレジオの『物質的恍惚』でなぜあえてその本を買ったのかは自分でもよくわからないけれどその本も幾度か引っ越しをくり返すうちに今はもうなくしてしまった、その後有朋堂は一度は閉店したのだがしばらく経って規模を縮小し再び開店することになったと人づてに聞いたから今もあの「本」とだけ書いてある赤いネオンサインが掲げられた看板は立ち続けているはずでそのことはたしかめようと思えばすぐにたしかめられるがわたしはたしかめない。
0 notes
kotobatoki-arai · 10 months ago
Text
ひどくもろくみえづらくさわれないもの
 たとえば  /むきだしの内臓  /メモワールの墓標  それなりの垂移にSpinを捧げる   この『たまらなく はがゆいうた』  あなた自身を映し出すわたしの瞳が存在を憶えているから、それ以上も、逸らすことも不能だった。ひらかれた例題にも、観測できず くそったれな月光の結合を視するうちに、(自嘲を溢している。)念入りな退屈の宙吊りを見物しながら……驚きのあまりに際して、睡ネブるのみ/では、影絵の受け答えはつづきもの、あの子はまだ遠くを眺めながらおはなししているらしかった。  あの摩耗したグリーンハウスの、ぬるめ触れ書きは無学の昔を留置している波が、羽根が、梢が躊躇うばかりの類例を喚ぶのだとおもった。死後に伴う永い切符を、いま、わらう主人を――芽生えだしたものは、また唄い肇めるまでわずかの差異を。   憐れな___を。跨ぐばかりで  振り子時計の針も戻った気がして。あんな虚ろな風貌を見せかける弱さを寂しさとして。ざらざらと遮るもの/ふわふわと授かること。隠蔽色に赤らめて(やまない)幸せを抱いたげて/こう平然とした古書だけが残る。斜向かいの馴染の靄に後ろが荒ぶるといえる駄物である。  見世物に記するグロテスクな溝にある関係をこうしてあらわにさせるが、今更 ないような感覚 思い浮かべたメロディを等分した インチキは贈呈品の一泡にすぎない。すべて空々しい鋳露に 色彩ができるなら。  やわらかな殖えは貧しさと撒く、入江に張り詰める、自我と対象と比べられない。水平線が熔けゆく有り様を来訪者と、見紛う 経帷子の花のきみわるさをチラつかせる、〝夕暮れ・朝焼け〟などに/余すところなく震えている。   海龜の泪をみた気がする  これは無自覚な両腕が掬う古びた箱。じかに封にするには。おそらくは乱暴ないい方では底の浅い人間 丁寧なわらい肩で。口元だけ温むけれども。掻爬したものの、きれぎれのいっぺんは荒野を泡立て無垢ないしのかけらを求め、喉に絡まる観賞魚を養いながら。垂れ込��る鱗翅類の大池、むさぼり眺める、むしのいどころ/止め処無く、憐れむのですが。  なんていっても 帆を上げれない・なんて。おもえば・座敷に経る波紋に抜かれる。(もう掴めない風通しの両足、枝々と祀られる卑しい蛇を消せない、恋人が溺れている)〝有り触れて〟ゆずらない ほんとうのことは。手のひらで著アラワすけれども。迂曲するばかりに蔑んだ価値判断を、確かに。胸苦しい山頂には残照が灰で煤で、泥を吐く冬戯フユザれに、ある寂寥の旋律はふと咲ワラう。   意識朦朧の閃光でしょうか  あまり立見席はまだを識らないが。切ないおもいででも、途して締まって。塊の体系をまた肩紐の堅物の片方の形見だけ傾きつつある。白栲シロタエの余情だなとやはり責め立てるこのザマだ。引きだしの天井にのしかかり、わななく粒子と気体は こきあげるように巡り、両の眼だけ傍で在り続けるなら、しまいを頂戴。とあちこち空々しいばかりの雨 ぽつぽつと染み込んだあの、   よこしまな序文について (いままでを畏れ、従いましょう)  忘れ果て 無感覚になる 浮薄時半  徒労もないくせに、物静かに褪色する体言・壇 少焉は、薔薇色だった亡骸を。  描写するおろそかな滑車に軋み、うつ伏せの息吹の音一本ずつ。目眩に窃ヌスまれる砂を房で、咲かせたら? 餞ハナムケに由来するたなざらしの、ありきたりの見解や、次第に薄れゆく生形キナリ海図に応じて。複雑で干潮で頼りない朽葉が仰山、渇いた枝に絡まる名残/なんぼかの膨らみ。慢性的な土壌が折れ半角の目合い、相場より。あとが/ものが。どちらかを――刺し抜いた薄紫の風が気だるさに削られたほど小刻みに押しつぶされて。いきをのむ島へ、  けれど燦燦と域の音を絆ホダし残響を鳴らした鴉は? あたりいちめんそれきり。しどろもどろの――むこうは知っていたのでしょうね。こう揃えられた腹と腿と、つばさとハンカチと、言いなりの耳朶。まぁ小さな蜘蛛でしたわ。たったひとつだけ展望台で、しげく。 (いくつかの私物の糸があった。)  近く遺作の計画は前髪が濡れている  あらやだ。/「襟が汚れているな。」  ……末尾の賑やかなこと (さきもみえない/私は/あとがない)  たまゆらに咲きかけた水面下に、  『いまにして大地に、作り笑い 慎ましく 寂しかったよ』   ――おそらく輪郭は僅かにヌメる累の血を    磨りガラスの表紙に    やぶれかぶれと当たり散らしました  平行線の綱渡りと、たまらなく かゆいうた  それはきっと浜昼顔のように易しく有りましょう 私は 息苦しい みぎてのゆびきり。  すまなそうに被る月はそっとおぼろげ、意固地な人形の 星を鏤め埋め戻した、遊戯の最中でなきやんで。手渡されたこのごろも晴れて あえかに寄せた情景を鮮やかに遷した、完璧な欠乏がこうして呼吸を投げ出すとき。――それほどの多岐に亘り。  気が遠くなるほど 波をひきしだいて、いきものの美星は狭間で、無作為リズムひとつ。切手を貼らずに〝ふむ、潰す、つまむ、捻る〟黙想の腕、中だるみに痺れた約束とこれはもう雪の華だろうかねぇ。  不条理はその見栄を戸に預け、ひょろひょろと櫂をしずくを、崩れ落ちた小言を並べていった。一度にあたえる心臓のあたりが軽薄な童謡を焦らないように 譜を生きて往く尽きか展翅だった。たからかな理念か痩果・容姿類似がおおく夙に奔放とも閉口して。天明アシタにいいなおせるから、  そうだろ。感傷的なオラシオンならまだ追い縋る、暗外。完結済の。出入り口だというのに理コトワるまでもなく、手順を通りすがりの流行りにのせ。脈の目撃者の凹みを緩衝するこの完全な密室では、またずいぶん人馴れしていて暮色の濃淡とほおずりする、宴席がある。  どの少女も寝言なんて華やかな悪知恵だって  とんと音は溶けて、瞬間の真ん中に転がりこむ 『詞先シセンの助手は台本と斎サイを留めた罪人の献花をはじめる』   碑が透る思惑は鉛の頭が引き起こします。  またあなたは郵便受けから、かすかに若草の展望にひらかれた。浮世、ほのかにあふれる丘の靴音だけを期待し、踏み惑う木の葉と散り歩くこと。いくつもの汀線を/視線を気にして/眼尻を決して。闇に湾曲した傷だからこそ、空々しい獣を抱きかかえてみせるのに。この手を離れた影を再び見つけ全身に戯れてた香りはなんというか、伝わるのだろうが。――切り開いた気配として未来を天に還し、そして過去としてひかりを探りあて海に翔けることができます。  詩篇が胚を箸に変えることは指を汚すけれど、慌ただしく泥濘むだけで。延延とむずがる諦めだろ、と罵る鼓翼。事実より塵架かる。蛍火が細濁ササニゴり、惨い/ともしび。と夜を混めて流れ落ちた襞の暁は、「果たして衝動的な気分なのか。」 2024/06/15
0 notes
m12gatsu · 2 years ago
Text
無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、���々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
50 notes · View notes