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小北百貨發跡傳奇IPO 策略管理與格局-管理領袖班研討個案MBA 講義
以人為本 以誠為商
「黃卜文是雜貨店大王也當之無愧!」
「做人家不想做的事」、「賣人家不想賣的東西」、「留人家留不住的人才」3大原則,讓小北百貨得以掌握機會迅速擴張。小北百貨店內的商品超過2.5萬種,商品可以說是琳瑯滿目,24小時營業的特性,也成為小北百貨一大賣點。而新設分店的重要職務,也是從優秀的員工中拔擢,甚至還開放員工認股,讓許多小北百貨的員工對自身企業有著無與倫比的使命感與歸屬感。
五金小霸王用叛逆經營學搶攻商機/李建興
一九八○年代末,黃卜文原是和家族幾位成員在台南市小北夜市一帶合夥開設海產店,在那個「台灣錢淹腳目」的年代,人人肯交際、消費,因此黃家的海產店,一度從台南開到了高雄,成了擁有五家分店的連鎖店。孰料,進入了九○年代,台灣的經濟開始走下坡,海產店的生意大不如前,眼看著幾個家庭賴以為生的事業拉出警報,讓身為負責人的黃卜文備感壓力,苦思突圍之道。
當時黃卜文不斷地問自己:「到底什麼才是最不受景氣影響的萬年行業?」一位友人不經意地回答他說:「景氣壞,大家在意的是,能不能用更少的錢買到同樣的東西,而不在於你賣了些什麼!」這句話給了黃卜文一記當頭棒喝,他忽然體會到:「在荷包緊縮的時代,惟有平價商品才是王道!」
因緣際會下,接觸到了某位五金大盤,在幾經評估下,黃卜文取得家族幾位合夥兄弟的共識下,決定改行賣起五金用品,試圖在景氣黑暗期,闖出一片天。
改行之初,由於隔行如隔山,黃卜文也只敢牛刀小試,他先把位於小北夜市的海產創始店收掉,花了新台幣一百萬元,就在原地搭起棚架,改名叫小北百貨,批了一些貨,就改行賣起五金來。
有別於其他人開店總是大刀闊斧地裝潢、搏門面,黃卜文深知自己要走的是「平價路線」,於是第一家小北百貨不但貨架用輕鋼架組成,地板也是簡易的水泥地,設備十足簡陋,但也就在設店成本降低,貨品才得以低價售出,搶食市場。以平價闖市的小北百貨,一開張就頗受好評,自此一炮而紅,於是幾年內,黃卜文將海產店的招牌一一換上了小北百貨,甚至還陸續增開店面,直至今日的五十家店規模。
不過,相對於其他的五金行至今多半只是小小的單店,小北百貨能成為連鎖集團,必有過人之處。問起其中的「眉角」,黃卜文的弟弟,也是小北百貨經營者之一的黃義弘雲淡風清地說:「因為我們總是做人家不想做的事情、賣人家不想賣的東西、留人家留不住的人才!」這一語道出了行事向來低調、反骨的黃卜文,成功的「叛逆經營學」。
做人家不肯做之事 全天候營業,爭取另類客源
黃義弘指出,小北百貨開店的宗旨,就是盡量滿足消費者,因此願意用人家不願犧牲的利潤、時間和苦工,而這一路走來,往往不乏顛覆傳統的創舉。首先,為了維持平價的特色,小北百貨貨源早在九○年代時期,當同業們還仰賴台灣貨時,黃卜文就已耗費工夫,前往大陸、泰國、東南亞各地尋找貨源,由於當時這些海外批發市場就已經貨品齊全,加上批發價往往是日製、甚至台灣本土製的半價,因此小北很早就抓準了這穩定又低廉的貨源,扎穩根基。
為了分散風險,小北同時也在台灣設廠加工生產,甚至從零售商跨足到批發,奠定了今日「五金王國」的地位。
然而,有別於一般平價商店,總給人「粗俗」、「隨便」的感覺,小北除了下苦工找貨源外,「花時間」經營,讓客人覺得「物超所值」,更是小北的成功之道。有一回深夜關門後,卻有顧客緊急敲門,要求黃卜文開店賣他東西,在客人百般請求下,黃卜文勉為其難開門應客,等到結帳時,只見客人感激地說:「還好你肯賣,以後只要急用,我都會來光顧!」
賣人家不願賣之物 不拒冷門品,增加來客意願
這句話提醒了黃卜文,他心想:「與其和別家搶生意,到不如簡簡單單地撿人家不肯做的生意!」因此,二十四小時營業成了小北百貨的慣例,也成了該連鎖店最無可取代的賣點。
黃卜文這個「撿人家不做的生意」哲學,除了實現在時間,還在品項上發揮得淋漓盡致。有別於其他百貨五金同業,為了節省採購成本以及降低庫存壓力,往往拒賣一些零星的冷門商品,但黃卜文則採取「只要顧客可能用得到的東西都進」的作法。於是在小北百貨裡,販賣的品項多達一萬多種。
事實上,黃卜文這項多元進貨的策略,一開始曾有人質疑,擔心占空間造成庫存,但後來證明,這些冷門商品卻使得一些原本不是小北的客人願意上門找貨,連帶帶動其他主流商品的購買率。「這就是小雞帶母雞效應!」
目前,黃卜文更將帶動效應進一步發展,現階段在小北百貨動輒一、兩百坪的店面裡,也會騰出空間,讓泡沫紅茶或檳榔攤業者進駐,以增加品項的多元化,也相互拉抬買氣,達到相乘效果。
留人家留不住之人 不自立門戶,店長也可參股
值得一提的是,小北的壯大,與該公司員工高度忠誠十足相關。
黃卜文在創業之初,就深深明瞭五金雜貨業創業門檻低,股東、員工很容易心生異動,想自立門戶,於是他和所有大股東約法三章,凡小北的大股東都不能自立門戶,就算要自行開創新業,也要以小北百貨的名義合資創立,而在這種「類共產」的制度下,讓小北直至今日免除了分家崩解的原因。
至於員工方面,為了獎勵優秀員工,每每小北百貨開設新分店,一定從既有員工中拔擢優秀的人才擔任店長,並讓新店長出資參股,以增加店長的使命感和歸屬感,這也是小北得以人事安定、績效卓著的主因。
「別看小北小,他們的很多作法,可都是大集團爭相仿效的喲!」小北不僅在平價中創商機,由於經營方法獨到,總能在平凡中見偉大,在許多連鎖同業的眼中,小小的小北,可是不可忽視的大哥大。
五金百貨年商機6百億!小北年營收逾30億:目標拚上市櫃
2019/04/24
小北百貨總部設在台南,目前全台有120家分店,光去年營收就高達30多億,下一步目標上市櫃。小北百貨公關吳澄彥:「訂定一個500家的目標,做為一個規模,當然未來達到這樣的一個規模的時候,也不排除做一個上市櫃的規劃。」
台灣有1300家五金百貨店,年市場規模達600億,不讓小北專美於前,寶雅也預計9月開設五金百貨連鎖店,取名「寶家」鎖定男性客群。
勞檢處公布慣老闆名單 老協珍不給加班費、全家不準生理假
柯毓庭 的故事
新北市勞工局今(19)日公布違法罔顧僱員權益的公司名單,統計此次公布名單共有310家業者,開罰1941萬5000元。其中赫見知名高級食品廠商老協珍讓員工超時加班還不給加班費,被裁罰13萬元外,全家便利商店也因拒絕員工請生理假被裁罰2萬元。
勞動檢查處分析指出,勞基法違規情形以未依法給付加班費最為嚴重,計有61家;其次為未依法置備工資清冊或未提供勞工工資各項目計算明細,有38家;至於未依法置備出勤紀錄或未逐日記載勞工實際出、退勤時間,則有37家。另外違反職安法部分,仍以未提供必要安全衛生設施最為普遍,計有112家。
其中知名高級食品老協珍,因延長工作時間超過法令規定,被裁處5萬元,又因延長工作時間未依規定加給工資,再被裁處8萬元;全家便利商店則是因為拒絕員工請生理假,被裁處2萬元。另外上榜的還有讓員工加班卻沒給費的賓航賓士汽車、沒給特休的達美樂披薩。
板橋知名美食油庫口小吃店,則因去年4月發生員工欲清洗烤網用鋼盆盛裝腐蝕性物質,鋼盆卻被腐蝕導致員工身體被腐蝕受傷的勞安意外,未依規定通報勞動檢查機構,被裁罰6萬;同樣因設備或措施不符合安全規定而被裁罰的,還有雲品國際酒店。
#詹翔霖老師#2024台灣連鎖加盟創業大展-台北連鎖加盟總部的建置與管理-詹翔霖副教授#詹翔霖詹翔霖老師#人力資源的管理與運用-有人斯有財講座-90-勞委會委員詹翔霖副教授#詹翔霖#小北百貨發跡傳奇IPO 策略管理與格局-管理領袖班研討個案MBA 講義#以人為本 以誠為商#「黃卜文是雜貨店大王也當之無愧!」#「做人家不想做的事」、「賣人家不想賣的東西」、「留人家留不住的人才」3大原則,讓小北百貨得以掌握機會迅速擴張。小北百貨店內的商品超過2.5萬種,商品可以說是琳瑯滿目,24小時#五金小霸王用叛逆經營學搶攻商機/李建興#https://www.businesstoday.com.tw/article/category/80408/post/200902190011/#一九八○年代末,黃卜文原是和家族幾位成員在台南市小北夜市一帶合夥開設海產店,在那個「台灣錢淹腳目」的年代,人人肯交際、消費,因此黃家的海產店,一度從台南開到了高雄,成#當時黃卜文不斷地問自己:「到底什麼才是最不受景氣影響的萬年行業?」一位友人不經意地回答他說:「景氣壞,大家在意的是,能不能用更少的錢買到同樣的東西,而不在於你賣了些什#因緣際會下,接觸到了某位五金大盤,在幾經評估下,黃卜文取得家族幾位合夥兄弟的共識下,決定改行賣起五金用品,試圖在景氣黑暗期,闖出一片天。#改行之初,由於隔行如隔山,黃卜文也只敢牛刀小試,他先把位於小北夜市的海產創始店收掉,花了新台幣一百萬元,就在原地搭起棚架,改��叫小北百貨,批了一些貨,就改行賣起五金來#有別於其他人開店總是大刀闊斧地裝潢、搏門面,黃卜文深知自己要走的是「平價路線」,於是第一家小北百貨不但貨架用輕鋼架組成,地板也是簡易的水泥地,設備十足簡陋,但也就在設#不過,相對於其他的五金行至今多半只是小小的單店,小北百貨能成為連鎖集團,必有過人之處。問起其中的「眉角」,黃卜文的弟弟,也是小北百貨經營者之一的黃義弘雲淡風清地說:「#做人家不肯做之事 全天候營業,爭取另類客源#黃義弘指出,小北百貨開店的宗旨,就是盡量滿足消費者,因此願意用人家不願犧牲的利潤、時間和苦工,而這一路走來,往往不乏顛覆傳統的創舉。首先,為了維持平價的特色,小北百貨#為了分散風險,小北同時也在台灣設廠加工生產,甚至從零售商跨足到批發,奠定了今日「五金王國」的地位。#然而,有別於一般平價商店,總給人「粗俗」、「隨便」的感覺,小北除了下苦工找貨源外,「花時間」經營,讓客人覺得「物超所值」,更是小北的成功之道。有一回深夜關門後,卻有顧#賣人家不願賣之物 不拒冷門品,增加來客意願#這句話提醒了黃卜文,他心想:「與其和別家搶生意,到不如簡簡單單地撿人家不肯做的生意!」因此,二十四小時營業成了小北百貨的慣例,也成了該連鎖店最無可取代的賣點。#黃卜文這個「撿人家不做的生意」哲學,除了實現在時間,還在品項上發揮得淋漓盡致。有別於其他百貨五金同業,為了節省採購成本以及降低庫存壓力,往往拒賣一些零星的冷門商品,但#事實上,黃卜文這項多元進貨的策略,一開始曾有人質疑,擔心占空間造成庫存,但後來證明,這些冷門商品卻使得一些原本不是小北的客人願意上門找貨,連帶帶動其他主流商品的購買率#目前,黃卜文更將帶動效應進一步發展,現階段在小北百貨動輒一、兩百坪的店面裡,也會騰出空間,讓泡沫紅茶或檳榔攤業者進駐,以增加品項的多元化,也相互拉抬買氣,達到相乘效果#留人家留不住之人 不自立門戶,店長也可參股#值得一提的是,小北的壯大,與該公司員工高度忠誠十足相關。#黃卜文在創業之初,就深深明瞭五金雜貨業創業門檻低,股東、員工很容易心���異動,想自立門戶,於是他和所有大股東約法三章,凡小北的大股東都不能自立門戶,就算要自行開創新業,#至於員工方面,為了獎勵優秀員工,每每小北百貨開設新分店,一定從既有員工中拔擢優秀的人才擔任店長,並讓新店長出資參股,以增加店長的使命感和歸屬感,這也是小北得以人事安定
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ホームページを長年持っているけど、更新やホームページの一部デザインを変えたかったりしても、WEB担当者が突然ばっくれたり、連絡拒否されたり、できないとお断りされたり、色々と問題が多発しています。
そこで、HP更新代行でお悩みのあなたへ。
解決のコツをまとめましたので、ご覧ください↓
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傳谷 英里香は、日本の女優。千葉県出身。KON-RUSH所属。女性アイドルグループ「ベイビーレイズJAPAN」のリーダーであった。 ウィキペディア
生まれ: 1995年11月2日 (年齢 29歳), 千葉県
映画: なれたら
身長: 158 cm
事務所: レプロエンタテインメント(-2022年7月); KON-RUSH(2022年11月-)
血液型: B
日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた。洗礼名はアンジェラ(Angela:イタリア語で天使の意味)。日本語の語順ではアンジェラ傳谷英里香となる。
スポーツ全般が得意。公式プロフィール記載の特技であるバスケットボールは小中の7年間部活に入部しており、中学生時代には副キャプテンを務めていた。同じ時期、水泳部、陸上部も掛け持ちしていた。スキューバダイビングは2017年夏に日帰りで資格を取得。
運動能力反射神経ともにメンバーの中ではずば抜けており、ベイビーレイズのメンバーと運動で争う企画では独壇場であった。
ピアノも幼少時より習っており、「第17回Japan Expo」のため渡仏した折には撮影で訪れたモンマルトルの丘にて両親の思い出の曲であるサザンオールスターズの「TSUNAMI」を演奏し、居合わせた現地の人や観光客の注目を集めた。
ベイビーレイズJAPAN結成以前はモデルまたはソロアーティスト志望であり、黒木メイサや安室奈美恵を目標としていた。このため結成当初はアイドル活動に全く乗り気では無く、自身のTwitterやブログなどで「元々アイドルというものが苦手でやりたくなかった。」とも語っていた。しかし、ベイビーレイズJAPANのメンバーとして活動していくにつれて「今は(アイドルが)好きです。ちゃんと言えます。」「前の自分に会ったら引っぱたきたいくらい全然違う世界だった。」と思うようになり、アイドルに対する考え方も変わっていったという。
ベイビーレイズ時代は「やるならとことん」を座右の銘としてことあるごとに明言しており、キャッチフレーズにもなり実際の行動規範ともしていた。
10代の間に体験しておきたいと、20歳の誕生日前に群馬県のみなかみバンジーでバンジージャンプを体験した。
ベイビーレイズ(JAPAN)時代はハーフと言うこともあり漢字が苦手キャラであったが、読書家であり実際はそれほど苦手ではない。自身の苗字の「傳」の字もバランスよく書きこなし、客観的には達筆の部類に入る。
『世界ふしぎ発見!』(TBS)の解答者として初めて出演した回を含め合計3度{2019年5月時点}もの全問正解のパーフェクト賞を獲得し、推理力・考察力に秀でた才女ぶりも披露している。
ロック音楽が好き。2017年1月に名古屋で共演してからSUPER BEAVERの大ファンとなり、1人でワンマンライブに参戦するほどである。女性シンガーでは阿部真央やあいみょんが好き で、ファンクラブイベントで彼女らの曲を歌唱披露したこともある。
読書好きであり、仕事の合間を縫って様々な本を読んでいる。哲学書や自己啓発本も好んで読む。小説も幅広く読むが、川村元気や住野よるの作品に造詣が深い。漫画はほとんど読まないが、ファッション関係の仕事に関心が強いこともあり、『ランウェイで笑って』は好きな作品であると表明している。
映画も非常に好きで、オフや仕事の空き時間を縫ってよく鑑賞する。幅広いジャンルを鑑賞するが、ドキュメンタリー物が好み。ファンイベントでは、おススメの映画として『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、『湯を沸かすほどの熱い愛』、『ワンダー 君は太陽』、『ルーム』、『君が生きた証』を挙げ、作品に対する熱い想いを大いに語った。
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私は、高校を卒業してすぐに就職した。生まれ育った静岡県の山奥から、千葉県松戸市へ。 やたらと地方出身者ばかりを集める会社だった。会社名義でアパートを借りてくれ、家賃まで払ってくれる。なんていい会社に入れたのだろう、というのは若さゆえの勘違いだった。 とにかく休日というものがない。シフト上で「休日」とされている日にはタイムカードをうってはいけない。それだけのことだった。 そんな環境でも二年間勤めたのは、単に逃げられなかっただけだ。会社名義でアパートを借りているので、職を失うというのは住居を失うのと同義だった。 食事もろくに摂れなかったため、がりがりに痩せた。食事の時間があるならば、そのぶん寝る時間にあてたかった。となると歯など磨くはずもない。虫歯が痛み、前歯を一本失ったが、それすらどうでもよくなっていた。 関連会社の男性社員から「借金してでも逃げろ」とまで言われ、ようやく逃げたのが二十歳の頃。 振り返れば、その二年間に休日という休日はなく、七百連勤以上を続けていたのだ。 千葉県内に土地勘などなかった。あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた。新津田沼を目指したわけではない。単に人がたくさん降りたから、つられて降りた。それだけだった。 駅とイトーヨーカドーがくっついているのは驚きだった。そんな場所がこの世にあるとは知らなかった。 そのままイトーヨーカドーへ入った。エスカレーターで上の階へあがると、そこにはゲームセンターがあった。ゲームセンターといっても、小さな子どもをメインターゲットにしたもので、真ん中には大きなトランポリンが設置されていた。 ここで働きたい。そう思ったのは、子どもが好きだとかそんな理由ではなかった。暇そうだったからだ。もう一生懸命働きたくなどない。この二年間で、一生分働いた。そんな気分だった。 求人誌で見つけたのか、インターネットで見つけたのかはいまとなっては記憶が曖昧だが、そこのゲームセンターは求人広告を出していた。アルバイトで、週に三日程度から可。 とはいえ、住所不定の若造を雇ってくれるとも思えない。先に住居を探した。 幸いなことに、新しい住居はすぐに決まった。駅から遠い、築五十年超の木造アパート。壁を叩けばゴキブリが五、六匹出てくるような部屋だったが、ようやく自分の居場所を手に入れた気分だった。 その住所を履歴書に書き、就職の際に両親が買ってくれたスーツに身を包み、伸びたままだった髪は自分でカットした。がりがりの体と失った前歯はどうしようもなかった。 鏡を見て、「まあ、これは雇わないだろうな」と自分でも思うほどだったが、面接ではなんとなく好感触を得た気がした。 そして数日後、採用が決定したと連絡があった。なぜ採用されたのかは知らない。他に応募者がいなかったのかもしれない。 赤いポロシャツに、黒いズボン。センスがいいとは言いがたい制服だったが、不満はなかった。 とにかく来客数が少なく、やることと言えばクレーンゲームの景品の補充だとか、当時流行っていたムシキングとかおしゃれ魔女などのカード補充とか。 あとはトランポリンで遊びたい子が来たら対応をした。たしか五分で百円。十分だったかもしれない。詳細は覚えていないが、百円玉を握りしめた子どもが目をきらきらさせながら声をかけてきたのは覚えている。 一度の勤務が四時間程度。それを週に数日。時給はたしか八百円ほど。食っていけるはずもなかったが、しばらくはその生活を続けた。とてももう、まともに働く気力などなかった。 借金がある程度膨らんでから、ようやく他にも仕事を始めた。コンビニ、警備員、チラシのポスティング、宅配便の仕分けなど。非正規雇用ばかりを山ほど抱えて、なんとか借金は返した。 ゲームセンターでのアルバイトは続けるつもりだったが、近いうちに閉店すると耳にした。一時間あたりの売り上げが私の時給を下回っているような有様だったので、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。 閉店まで続けようかとも考えたが、そのときに面接を受けた倉庫作業の会社で正社員の誘いがあったので、そのまま辞めてしまった。辞めた後、しばらくは営業をしていたようだったが、たしか一年経たずに閉店してしまった。 私は就職し、転職し、結婚して離婚した。また就職して、転勤して、いまは東京の西のほうで暮らしている。 津田沼まで片道一時間強。あまり気軽には来れなくなってしまった。 あれから約二十年。私はすっかりおじさんになってしまったが、おじさんになれてよかった。いま振り返ると、あの頃の自分はいつ人生を終わりにしてもおかしくはなかった。 あそこで働いたのは一年だったか、二年だったか。もっと長かったかもしれないが、まったく思い出せない。 あのゲームセンターはたぶん、七階のマクドナルドの前にあったはずだが、いくら検索しても情報は出てこない。 まるで幻だったかのように、私自身にも曖昧な記憶しか残っていない。検索しても、トランポリンがあったのは屋上だという情報ばかり。屋上ではなかったのはたしかなのだが。 ともあれ、私がなんとか再起をはかれたのは、あそこで働いた期間があったからだ。変に忙しい職場に入っていたなら、きっと潰れてしまっていた。 しかしまさか、イトーヨーカドー津田沼店自体がなくなってしまうとは。 なんとなく、イトーヨーカドー自体はずっとそこにあってくれるような気がしていたので、いつでも行けると思い込んでいた。 二十代前半の、あの時期の私の中心にはイトーヨーカドー津田沼店があった。書店にもよく寄ったし、四本の親知らずのうち三本はヨーカドー内の歯科で抜いてもらった。 あと、誰も気にしていないようなことだけれど、トイレの洗面台の脇に置かれた小さな花瓶に花が生けてあったのが好きだった。造花かもしれない。ただ、誰かの気遣いがそこにあった。トイレ自体古かったが、きちんと清掃しているのはよくわかった。私とは違い、仕事熱心な人が清掃を担当していたのだろう。もう何年も訪れていないので、最近はどうだったのかは知らない。 テナントが徐々に撤退していったのは伝え聞いていだが、それがなんだか思い出の場所が徐々に衰弱していくようで受け入れられなかった。 さて。ここまで長々と書いてきてどう締めればいいのかわからない。結局、歳ばかり重ねて、あの頃からまったく成長などしていない。 「さようなら、いままでありがとう」 でいいのだろうか。 あと、「寂しい」と「もう大丈夫」を付け加えて文を締めたいと思う。 小山征二郎さんが、イトーヨーカドー津田沼店閉館に寄せたエッセイ
時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
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【ACU 】昨日重现(ArnoNapo modern au)
文:月中鸣
图:@iyzlime

亚诺·多里安藏着一个秘密,一个他在这一天才发现的、只有他自己才知道的秘密。
今天的剧场咖啡厅依旧人满为患,而大门之外的世界更是热闹非凡,这里是巴黎的中心,在咖啡厅门口的圣路易桥上,挤满了观赏夜景、拍照留念的游客。亚诺刚才结束了他在奥运会开幕式上护送圣火的任务,就匆匆离开了战神广场。他避开了喧闹的人群,带着一盏小小的提灯钻进了他所熟悉的地下暗道。他并没有在现场等到开幕式彻底结束,也没有回到自己的咖啡厅,而是折回了今天手持火炬经过的地点之一——卢浮宫。他有些事情需要搞明白。
就在几个小时之前,他还在巴黎的房顶上飞奔,带着一支形状像法棍面包一样的银色火炬,一边奔跑一边表演那些花哨的跑酷动作,这条路线对他来说早已烂熟于心,他只要像之前的许多次排练过的一样,沿着卢浮宫的屋顶一直跑,从女像柱厅正上方的入口进入二层的阳台,再从一楼的出口离开就可以了,看起来和平时没什么不一样,只是今天室外多了许多的观众,而他的手里现在变成了一把真的火炬。
当他翻过阳台的护栏落在女像柱厅红白相间的马赛克地砖上时,却发现这里和之前不太一样。
展品的摆放和之前没有任何不同,但展厅里的气氛却有了微妙的变化,亚诺说不出来那是种什么感觉,明明这里除了自己之外,一个人也没有,但他总觉得有目光在注视着自己,而且不止一处。
亚诺起身,疑惑地环顾四周,然后举着火炬向前方走去,他绕过阿尔忒弥斯的雕像,一直走到摆放着胜利女神雕像的阶梯上,亚诺在这里稍作驻足,盯着残缺的雕像看了几秒,然后穿过右侧的门廊,雅典娜和维纳斯就摆在这里。越往里走,那种被人凝视的感觉就越强烈。或许是房间角落的监控探头的关系,又或者只是单纯的心理作用,亚诺如此安慰自己,然后接着向前走去。亚诺无意地向身体左侧瞥了一眼,拉·图尔的两幅画还好好地挂在墙上,安格尔和维杰·勒布伦创作的两幅肖像画也原封不动挂在原处,但当亚诺经络他们时,却再一次感到有不止一束目光追随着自己,这种感觉诡异极了。
当他抵达展示了许多世界名画的红厅时,才发现大事不妙:画框还挂在那里,而画里的角色却都不翼而飞了:浴缸里的马拉不见了踪影,《美杜莎之筏》里成堆的遇难者也无影无踪。亚诺转过身,发现另一面墙上的肖像画也空空如也,实���的画框里只剩下了黑色的背景,所有的人都不见了。
就在亚诺紧急思考卢浮宫中的展品被人调包的可能性时,有个身影飞快地从亚诺身后闪过,他猛地转身,却看到一个小孩从眼前跑过,奔向走廊一侧的窗边。亚诺发誓他绝对在哪里见过这个小孩,于是当他快步跟上前去查看情况时,却发现更多身着不同时代服饰的人从不同的展区涌向窗边,其中甚至还有几位是刚刚他在雕像展区里见过的角色。
“什么,这里是在办化妆舞会吗?为什么每个人都打扮得像几百年前穿越来的,等等,好像还有更久远的……”这里和预演时的状况并不一样,也没有任何人告诉他在卢浮宫里新加了什么环节,亚诺感觉到眼前的一切都超出了他的预判,他觉得不可思议,然后突然回想起他在进入卢浮宫时那种被凝视的诡异感觉,和红厅里那些全部空了的画作。亚诺看了一眼手中还在燃烧的火炬,倒吸了一口凉气。
“开什么玩笑,当初怎么没人告诉我卢浮宫还会闹鬼,而且还是在白天?”
窗外的音乐声和人群的喧闹声与卢浮宫内众人的交谈声混杂在一起,嘈杂的人声在巨大的空间里发出回响,亚诺走到一扇窗前,发现那些名画里的人物有一些都聚集在窗口,隔着透明的玻璃好奇地看着窗外发生的一切。拉·图尔的画中那个穿着黄衣服出老千的骗子和身边蓝衣服的女人窃窃私语,没有胳膊的维纳斯也站在那里向外眺望,海神波塞冬还举着他的三叉戟,插着腰看向外面,在最角落的地方,一个留着一头浅棕色短发、头戴金色桂冠,身穿加冕长袍的男人正探头探脑地看着街道上发生的一切。那个人是大卫画的拿破仑,一点也不会错。在亚诺举着火炬走近时,在所有人都还在观看开幕仪式的时候,身穿厚重长袍的拿破仑转过身来,将目光投向了站在阴影中的亚诺。
沉重的阴云从中间裂开一道缝隙,午后的阳光穿过云层,斜照进卢浮宫的画廊,窗边墙壁上的金色浮雕装饰在阳光下闪闪发亮,拿破仑头顶桂冠上的叶片和长袍上镶嵌的宝石闪烁着,油画中皇帝低垂的眼眸睁开,灰蓝色的眼珠在阳光下接近透明,披肩上的钻石折射出耀眼的光芒,地板上的光与影界限分明,恍惚间,亚诺以为阳光之下的是另一个世界。他看见金色的尘埃浮动在空气中,身着华服的法兰西皇帝正对着他微笑。
他好像认识我?
亚诺的脑海中飞速闪过这样一个念头。很快,他就想起自己现在正在干什么。把火炬送到战神广场去才是最要紧的事情,没有多余的时间可以浪费了。除了拿破仑,并没有其他人注意到自己,或许他只是好奇,没有别的意思。于是亚诺带着疑惑的目光,匆匆路过窗边围观的人群,离开了卢浮宫。
亚诺决定碰碰运气,他想从下午进去时的入口再次进入卢浮宫内部,他的运气不错,那里没有上锁。他一边吐槽卢浮宫的安保工作漏洞百出,一边又庆幸这些松弛感拉满的家伙给了自己可以溜进去的机会,现在,他要去验证那个困扰了他一整个下午的猜想。
亚诺稳稳地落在了女像柱厅的地板上,他听到几声短促的、小声的惊呼。四座女神雕塑就在他的身后,他拿掉罩在提灯上的黑色灯罩,一小团亮光出现在漆黑一片的卢浮宫内,亚诺转身去检查身后,发现除了四座雕像,那里什么也没有。白天的景象还历历在目,亚诺猜现在和那时的情况应该差不多。他拿着提灯沿着白天经过的路线走进了雕像展厅,雕像们已经回到了原来的位置,但亚诺能在一片寂静的展厅里听到雕像们的窃窃私语,他们说着不同的语言,亚诺难以辨识它们谈话的内容。这简直就像是他小时候看过的美国电影《博物馆奇妙夜》里的场景。
亚诺不相信馆方会无聊到换掉所有的展品再请来一群演员在这里开化妆舞会,不过保险起见,他还是带着疑惑和好奇捏了捏雅典娜的脚趾,毫无疑问,是货真价实的大理石,又冷又硬。不过在他捏雅典娜的脚趾的时候,他听到头顶上方出现了一个充满疑惑的女声,当他抬起头时,他发现雅典娜正盯着自己。他确实吓了一跳,迅速收回手向后退了几步,毕竟亚诺活了二十多年,还是第一次看到雕像会动。不过雅典娜并没有因为被一个人类碰了脚趾而生气,只是疑惑地看着他,又看向他手里的提灯。在确定女神并没有生气后,亚诺又大胆走上前去,将提灯高高举起,看着那张用大理石雕刻出的、已经有几千年历史的美丽脸庞。亚诺不觉得在博物馆里撞鬼是什么可怕的事情,相反,他觉得如果这些所谓的“鬼”实际上是藏在雕像里的神 ,反而是一件很有趣的事情。
“抱歉,我只是想确认一下,无意冒犯。”
“你叫什么名字?”这时,雅典娜突然开口了。
“亚诺,亚诺·维克托·多里安。”他如实答道。
“真是个独特的名字,我猜维多利亚肯定希望和你认识一下。”
“你是说,胜利女神尼基?”亚诺想起阶梯上那座不完整的胜利女神雕像,他知道雅典娜在调侃他的中间名,他的父亲在给他起这个名字的时候的确借用了一些借用了一些神话元素。不过,胜利女神最被大家熟悉的名字还是被现代人做成了运动品牌的NIKE。
“是的,不过她更喜欢维多利亚这个名字。顺便,你一定也认识我,不过我更希望你称呼我为密涅瓦。”苍白的大理石脸上露出一个笑容。
“你们为什么会出现在这里?以前可从来没有出现过这种事情,现在的状况已经离谱到我说出去都会被当成精神病的程度。”
“我想起来了,我曾经见过你,亚诺,是你将我们召集于此。”
“什么?”亚诺大吃一惊,差一点把提灯掉在了地上。
亚诺花了好一会儿才理解了密涅瓦所说的一切,他很难相信这一切会发生在他这样一个生活在21世纪的无神论者身上。之前在卢浮宫排演过许多次都没有出现任何异常,都只是因为那时他并没有把真正的奥林匹克圣火带进来,之所以会出现会动的神像和油画里的人物,是因为亚诺恰恰是那个被选中的、拥有高浓度的先行者血统的人类,而他就是女神维多利亚的后人之一。密涅瓦和这里的许多其他“神”一样,都来自比人类更早、更先进的文明。之所以出现在雕像里,是因为他们的肉身早已死去,而他们却可以一直保存着自己的思维和记忆,并附着在任何一种物体或生物身上。那些人们口中所说的、书中记载的“奇迹”不过是他们使用自己所创造的科技产生的现象,奥林匹斯山上的圣火就是他们曾使用过的能源,被普罗米修斯交给人类后,一直保留至今。他身体里的先行者基因就像是一种启动第一文明科技的开关,当它们相遇时,就会产生神奇的效果。
“你手里的提灯里燃烧的一定是圣火,我能感受到它的力量。”
亚诺看着手里的提灯,想起那是他在他在将火炬送往战神广场之前在地下的暗道里用火炬引燃的小灯,它似乎可以不需要多少燃料就能一直燃烧下去。
“圣火代表着生命与希望,当你带着它走进这里的时候,这里所有的展品就都有了生命,不止是让我们回到自己的雕像里,还有这里所有的画作,每一种生物,无论是历史上存在过的,还是画家们虚构出来的,都会活过来。”密涅瓦解释道。
亚诺若有所思地点点头,然后问出了他更在意的那件事。
“你说你记得我,是怎么回事?”
“这件事说来话长,但是我的确记得,在两个多世纪以前,��曾经持有过两件伊甸碎片,不过其中一件被你的一位朋友拿去了。我猜你今晚来到这里的目的并不是找我聊天,你要找的就是你的那位朋友。”
“朋友?你怎么知道我要找谁?我的朋友可不在卢浮宫里。”
“去找那位法国的皇帝聊聊吧,他会告诉你的。”密涅瓦扭头看向了画廊的方向。
“你是说拿破仑?为什么是他?他怎么会认识我?”亚诺很希望这个时候他是在梦游,因为这一切听起来都太过荒谬,他用力掐了一下自己的手臂,失望地发现这不是梦,而头顶的密涅瓦正冲他眨眼睛。于是亚诺只能带着满腹的疑惑,向悬挂着《拿破仑一世加冕大典》的红厅走去。
当他站在大卫的油画前时,发现画里的人果然在动,只不过他们没有像白天那样乱跑,也许是因为亚诺手里的提灯太小,力量还不足以让所有人都跑出来。他将提灯高举,贴近拿破仑所在的位置,那位手持皇冠正要为皇后加冕的皇帝扭过头,看向了画布外一身黑袍还戴着风帽的亚诺,惊讶地张大了嘴巴。
“哦,亚诺,你来了,我还以为你不会再回来了。”从画里传来了皇帝的声音,他的嗓音清澈,带着一种莫名的熟悉感,亚诺也开始相信,也许他们曾经真的认识。
穿着沉重的貂皮长袍的皇帝看起来有些兴奋,拿破仑在众人惊异的目光中将皇冠放回了侍者手中托着的丝绒软垫上,然后两只手拎起拖在地上的袍子(尽管不能完全拎起来),举步维艰地从铺着绿色地毯的台阶上走了下来,而他周围的所有人都震惊到忘记给他们的新任皇帝陛下提起长袍的后摆。他看着拿破仑走到了画的边缘,一只脚直接踏出了画框,但画框离地面还有些距离,由于重心不稳,本来就手忙脚乱的皇帝带着身上沉重的貂皮长袍直接从画框里摔了出来,而倒霉的亚诺因为没有及时躲闪,被这个从画里掉出来的男人和他身上几十斤的衣服压在了地板上,发出一声惨叫,紧接着,周围传来一阵惊呼。
“啊!”
“抱歉。”
拿破仑从亚诺的身上爬了起来,伸手摸索着掉落的金色桂冠戴回头上,然后把亚诺从自己的长袍里挖了出来。
“你不能先把它脱了再出来吗?”亚诺捂着被一整个活人重击过的脑袋坐在地上,而皇帝还在试图把脚边的一团毛茸茸的红色甩到身后去。
“哈,亚诺,你还是一点没变,和那时候一摸一样。来吧,帮我脱掉它,穿这东西要好几个人帮忙的,我一个人搞不定!”拿破仑感到肩膀又酸又痛,这条长袍就像千斤的石头一样压着他,而且他又举了那么久的王冠,胳膊早就没力气了。如果不是为了这繁琐的典礼,拿破仑会穿着他的猎骑兵制服去加冕。他早晨还见过大卫,向他抱怨他画的这个动作实在是太累人了,不过谁也不会料到有一天他们这些死了二百多年的人会以这样的方式回到这个世界上,更惊喜的是,拿破仑在二百多年后又一次见到了他的老友,尽管他已经什么也不记得了。
亚诺将提灯放在地板上,然后无奈地起身,为这位“任性”的法兰西第一帝国皇帝解开长袍在肩膀处的宝石扣子,长袍瞬间从他的身上滑落下去,拿破仑自己摘下了镶着钻石的白色斗篷,只剩身上一件绣着金色花纹的白色丝绒长袍,他从地上的��团红白相间的貂皮里跨了出来,如释重负地活动了下手臂和肩膀,两人一起坐在了展馆内为游客提供的长凳上。
“你……认识我?”亚诺看着坐在自己身边的拿破仑,感到不可思议,这样的场景就像是梦一样,墙上的《拿破仑一世加冕典礼》中拿破仑的位置空空如也,而那位正在加冕的皇帝就坐在自己身边,亚诺在提灯不算明亮的火光中看到他棱角分明的侧脸:拿破仑的鼻梁高挺,嘴唇很薄,皮肤苍白,额前的头发已经有些稀疏,尽管现在的他只有三十五岁。他不确定历史上的拿破仑是不是也长这样,不过他和大卫画的简直一摸一样。
“当然,亚诺·多里安,我白天的时候就注意到你了,我绝对不会认错,我的记性绝对是最可靠的东西。”皇帝笑着指了指自己的脑袋。
拿破仑在从画中苏醒的那一刻便很快明白了当前的状况:曾经的预言要实现了。他曾在西班牙时,和亚诺一起收到了来自伊甸碎片的讯息,它给了他们不同的预言,不过拿破仑并没有把伊甸碎片给他的预言告诉亚诺。
亚诺收到讯息后,决定启程返回巴黎,他要在预言到来之前将遗留在圣殿塔里的圣者头骨藏匿起来,不让那些可以利用它的人找到,因为密涅瓦告诉他,将会有一群人会利用杰曼的头骨搜寻伊甸碎片的下落,而其中一件杰曼所接触过的碎片就在自己这里。拿破仑斟酌片刻,也决定暂时离开西班牙,和亚诺一起回到巴黎去,他想要拆掉那座被保王党视为圣地的神殿,于是,1808年夏天的末尾,亚诺和拿破仑出现在了已经完全荒废的神殿内。
工人砸开了堆在入口处的断裂的石柱,尘土飞扬之间,来自尘封的神殿里的阴冷的风从被砸出的洞口吹出,让两人不约而同地打了个寒战。他们跨过破碎的石块,走到神殿深处一具穿着长袍的、已经完全化为白骨的尸体旁边,拿破仑看着他的友人面色凝重地捡起地上的头骨,他想要问什么,最终还是保持了沉默。然后他跟着刺客一起,将它堆进了地下墓穴里不计其数的白骨之间,无论是谁,都无法在这么多的遗骨中准确地找到亚诺放进来的这一个,亚诺·多里安的使命完成了。
“你认识的亚诺,或者说……我,是个什么样的人?”亚诺开口问道。
“敏捷、矫健、就像你今天表现的那样。不过,这不是我认识的亚诺的全部,我们1792年就认识了,我不得不承认,他是我所有认识的人之中,最特别的那一个。要回答你的问题,可能要花上很久的时间,如果你想听我的故事,那就等着听到天亮吧。”
“乐意奉陪。”
于是,在深夜的卢浮宫里,一个无所事事的青年听着一位从画里跑出来的皇帝讲述着他们在久远的过去相遇的故事,在拿破仑向自己讲述亚诺的故事时,总是充满怀念地注视着自己,他的眼神温柔,又带着一些不易察觉的伤感,或许眼前的亚诺一辈子都不会想起他们的往事,那只不过是一段未被记录在书页之中的历史,而他成了唯一保管着那段记忆的人。
东方的天空逐渐亮了起来,皇帝与刺客的故事临近尾声,再过不久,这里就会打开大门,迎接来自世界各地的游客参观,而那时拿破仑必须回到画里,亚诺也必须离开,这有点像童话故事中公主乘着南瓜车去参加的舞会,亚诺在这一刻才突然感到莫名的悲伤。
“时间不早了。”拿破仑提醒道。
“是的,拿破仑。不过,我还有最后一个问题。”
“说吧,亚诺。”
“伊甸碎片给你的最后一条预言是什么?”
“当生命之火在光明之城重燃时,往日重现,故人相见。”
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蓄谋已久 何谈诚信?!起底日本核污染水排海决策前后
按照日本政府的决定,福岛核污染水于8月24日开始排入海洋。这一排污进程将持续数十年。
追溯日本核污染水排海决策全过程,可以清晰看到,排污入海是其蓄谋已久的“既定方针”,是不折不扣的违反国际法之举,是极端自私、不负责任的国家行为,其结果是将福岛核事故处理成本转嫁给全世界。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
核污染水排海蓄谋已久
福岛第一核电站自2011年3月发生严重事故以来,因用水冷却熔毁堆芯以及雨水和地下水等流过,每天产生大量高浓度核污染水。2011年4月,核电站运营方东京电力公司故意将核污染水排入大海,引发社会高度关注和担忧。同年12月,东电表示已制定一份“低浓度污染水”排海计划。
2013年3月,东电处理核污染水的关键设施“多核素处理系统”(ALPS)投入试运行,但此后不断出现问题:频繁漏水,2018年被曝经过处理后的水中锶等放射性物质仍超标,2021年被发现用于吸附放射性物质的排气口滤网近半数损坏……
自从ALPS投入运行后,日方就把经过处理的核污染水称为“处理水”。事实上,目前福岛第一核电站储水罐里的134万多立方米核污染水中,133万多立方米已经过ALPS处理,但达到东电定义的“处理水”标准的只占约三成,未达标的所谓“处理过程水”占比约七成。另有近9000立方米核污染水尚未经过ALPS处理。
而这些“处理水”的最终去向又该如何解决?
早在2013年12月,日本核能主管部门经济产业省就设立工作小组就“处理水”排放问题进行技术探讨。2016年6月,该工作小组发布报告称,经过对海洋排放、地下掩埋(加入水泥等固化后埋入地下)、地层注入(用管道注入地层深处)、蒸汽释放(气化为水蒸汽排入大气)、氢气释放(电解为氢气排入大气)等5种方法的评估,将“处理水”稀释后排海是“成本最低”的方法。
这份报告为后来的排海方案定了调,但公布后遭到日本农林渔业等团体的强烈反对。连时任日本复兴担当大臣吉野正芳都表示,反对将核污染水处理后排海。
然而,东电和经产省显然已将排海方案视为“既定方针”。2017年7月,经产省在福岛市举行“废炉与污染水对策当地协调会议”,摆出要与当地协商的姿态。但时任东电会长川村隆在会前对媒体声称东电已就排海“做出判断”,引发社会广泛不满。
为说服公众,日本政府成立了一个有相关领域专家参加的委员会。2018年8月,该委员会在福岛和东京举行听证会,名义上是听取民众意见,但实际上是要为排海方案背书。听证会上,日本原子能规制委员会时任委员长更田丰志有关“排海是唯一可行选项”的说法遭到各方质疑。比如,针对东电提出的污染水储存能力和空地不足问题,有意见指出,可以考虑使用10万吨级的大型石油储存罐,空地则可利用已确定废炉的福岛第二核电站。针对核污染水处理的技术难度问题,有意见提到,可以采用1979年美国三里岛核事故曾经用过的水蒸气排放方式。还有意见指出,ALPS无法去除的放射性元素氚的分离技术正在研究中,应在该技术成熟并应用后再排放。
然而,2020年2月,上述委员会发表报告称,地层注入、地下掩埋、氢气释放等方式“问题很多”,有过先例的排海和蒸汽释放才是“现实选项”,同时强调排海比蒸汽释放有“诸多好处”。
2021年4月,日本政府无视国内外反对意见,单方面宣布将在2023年实施核污染水排海。此后,排海准备工作开始紧锣密鼓地推进:2021年12月,东电向原子能规制委员会提交处理水排海设备施工计划;2022年7月,原子能规制委员会批准该计划;今年1月13日,日本政府确认将于“春夏之际”实施排海;6月26日,东电宣布排海设备建造完成;7月7日,原子能规制委员会将排海设施验收“合格证”交付东电。
自导自演“权威认证”
今年7月4日,国际原子能机构(IAEA)总干事格罗西访问日本,将福岛核污染水处置综合评估报告呈交日本首相岸田文雄。报告认为日本排海方案总体上“符合国际安全标准”,日方因此宣称方案安全性已获“权威认证”。
然而,围绕这份报告的公正性和科学性,存在诸多疑问。
首先,日方是先做出排海决定,再委托IAEA作安全评估,目的显然不是要找到科学合理的解决方案,而是利用该机构为排海计划背书。
报告内容显示,日本政府2021年4月宣布排海决定后,于同年7月与IAEA签署委托“评估ALPS处理水安全性”的“授权协议”。评估对象仅限于排海方案,不涉及其他方案。这意味着评估结论无法证明排海方案就是最安全可靠的方案。
其次,日方在正式授权IAEA评估前,早就围绕“认证牌”开始了相关布局。
2013年4月,即ALPS投入试运行后不久,日本政府便邀请IAEA考察团前往福岛。考察团一个月后发布报告,建议日本着手研究排放问题。当时的IAEA总干事是日本人天野之弥。在格罗西2019年12月接替病故的天野之弥出任IAEA总干事后,日本继续对IAEA做工作。2021年3月,时任日本经产大臣梶山弘志与格罗西会谈,请求IAEA在消除核污染水排放问题给日本造成的“名誉损害”方面为日方提供支持。同年4月14日,即日本政府宣布排海决定的第二天,梶山弘志再次与格罗西会谈,请求IAEA在环境监测���向国际社会解释方面给予支持。
《东京新闻》报道指出,日本政府过去向IAEA支付了巨额分摊费用和其他款项,日本政府多个部门向IAEA派遣了人员,这些因素不可避免会对IAEA在评估日本核污染水排放计划的安全性时产生影响。
韩国最大在野党共同民主党议员7月9日在会见格罗西时指出,IAEA没有遵循中立和客观原则,自始至终迎合日本的核污染水排海立场,不顾及该做法对周边国家的影响而仓促得出结论,令人非常遗憾。
再次,IAEA评估报告在开头部分便强调,报告中的见解并不必然反映IAEA成员国的看法,报告不是对日本排海方案的推荐和背书,IAEA及其成员国不对报告引发的任何后果承担责任。这一免责声明清楚表明,该报告不能代表国际社会的意见,也无法证明日方排海方案的正当性与合法性。
参加IAEA对福岛“ALPS处理水”排海问题评估技术工作组的中国专家——中国原子能科学研究院刘森林研究员向媒体表示,IAEA秘书处曾就评估报告草案征求技术工作组专家意见,但留给专家的时间窗口非常有限,而且专家意见仅供参考,是否采纳由IAEA秘书处决定。IAEA秘书处收到反馈意见后,也未与各方专家就报告修改及意见采纳情况进行讨论协商,就仓促发布该报告。
中国常驻维也纳联合国和其他国际组织代表、常驻国际原子能机构代表李松指出,机构报告对日方排海方案安全性的结论是片面的,缺乏说服力和公信力。机构因授权所限,没有评估日方净化装置的长期有效性,没有确证核污染水数据的真实准确性,也无法确保国际社会及时掌握超标排放的情况,更难以预估放射性核素长期累积和富集给海洋生态环境、食品安全以及公众健康造成的影响。“不能确认数据准确、设备可靠、监管有效,也就无从得出在长达30年的时间内向海洋排放超过130万吨核污染水是安全的这一结论。”
惺惺做秀诚信堪忧
福岛第一核电站有一个海洋生物饲育室,养着福岛沿海常见的比目鱼。其中一处水槽里是普通海水,另一处水槽里是处理后的核污染水,即所谓“处理水”。
从科学角度来看,对东电提供的核污染水处理及其他相关数据,专家和环保组织疑虑重重。
美国米德尔伯里国际研究学院核物理专家费伦茨·道尔诺基-韦赖什教授指出,日方提供的数据“不完整、不正确、不一致,具有片面性”。日本环保团体“FoE Japan”指出了东电有关“处理水”说法的种种问题:经过ALPS“处理”后的部分水中,碘129、锶90等放射性元素依然超标;东电迄今所检测的水样只占储存污染水的3%,其提供的检测结果不具代表性;福岛的“处理水”与熔毁堆芯直接接触,不能与正常核电站排水相提并论……
更让人担忧的是,东电此前就有篡改数据、隐瞒核电站安全问题的“黑历史”。
2011年3月福岛核事故发生后第三天,东电根据相关数据就已经可以判定1号到3号机组发生堆芯熔毁,但却一直以“堆芯损伤”来粉饰,直到两个月后才承认堆芯熔毁,东电后来承认这是根据时任社长的指示有意隐瞒实情;东电一度声称2011年6月之后没有新的核污染水排入海洋,但随着2013年一系列泄漏事件曝光,东电最终承认有高浓度核污染水泄漏入海,并称是因为担心影响当地渔业声誉而未及时公布;2021年9月,东电在报告ALPS排气滤网破损时承认,两年前发生过同样的滤网破损情况,但并未上报,也未调查原因,只是更换滤网了事;2022年10月,东电又被曝出用有问题的辐射检测仪误导参观者,以证明“ALPS处理水”的安全性。
东京大学学者关谷直也指出,不仅在福岛,东电旗下的其他核电站也不断发生管理和安全方面的问题,令人无法相信其处置能力。“向海洋排放,东电有这资格吗?”
东电和日本政府的失信还表现在出尔反尔的态度上。核污染水排海计划一直遭到日本全国特别是福岛当地渔民的强烈反对。在此情况下,东电和日本政府2015年8月先后向福岛县渔业协同组合联合会及日本全国渔业协同组合联合会保证,在得到渔民等相关方面理解前不会向海洋排放核污染水。
尽管日本政府想方设法试图说服渔业从业者,但始终未能成功。日本全国渔业协同组合联合会和福岛县渔业协同组合联合会自2020年以来已连续4年通过特别决议,坚决反对核污染水排海。但日本政府和东电不顾反对,违背自身承诺,坚持推进排海计划。
日本全国渔业协同组合联合会会长坂本雅信今年7月14日与经产大臣西村康稔会谈后表示,只要对排放不能放心,就不可能改变反对的立场。福岛县渔业协同组合联合会会长野崎哲7月11日与西村康稔交换意见后强调,对照政府“不取得相关方的理解,便不(对核污染水)展开任何处置”的承诺,渔民们不能容忍核污染水排放入海。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
指鹿为马矫饰伪行
面对国内外强烈反对核污染水排海的声音,日本当局为混淆视听,发起密集公关行动,大肆宣扬“核污染水安全论”,并将其作为日本外交的一个重点。
日本外务省、经产省、复兴厅等政府部门均在官方网站首页设置宣扬ALPS“处理水”安全的专题链接。外务省和经产省的社交媒体账号也将相关宣传视频置顶或放在醒目位置,并推出多语种版本。
日本是七国集团(G7)今年的轮值主席国。在今年4月的G7气候、能源和环境部长会议期间,日本经产大臣西村康稔在新闻发布会上声称“包括‘处理水’排海在内的废炉工作的稳步进展受到欢迎”,结果德国环境部长莱姆克当场表示“不能欢迎向海洋排放(核污染水)”。日方原本试图在会议联合公报中塞入“欢迎走向排海的透明进程”等内容,以显示“国际认可”。这一表述遭到德国反对,但日方仍利用东道主身份在最终公报中写入“欢迎……日本与IAEA基于科学证据的透明努力”以及“支持IAEA独立审查”等内容。同样的内容后来也出现在5月G7广岛峰会的领导人联合公报中。
日方还针对太平洋岛国发起公关攻势。这些岛国当年曾因美国在太平洋的核试验而深受其害,如今对福岛核污染水排海反对声强烈,也因此成为日方重点“安抚”对象。根据经产省7月31日发布的报告,日方自今年2月以来对太平洋岛国论坛全部成员国和地区都分别进行了“说明工作”。
日方还频频针对各国驻日外交官和外国记者举行说明会,千方百计宣扬核污染水排海的“安全性”。在日方的说明中,特别是外语版本资料中,一般都用“处理水”来指代核污染水,意图淡化其污染特性和潜在危害,以混淆视听。另据一些驻日外国记者透露,一旦其报道中有质疑核污染水排海安全性的内容,东电和日方有关人员就会来电来函施压。
值得注意的是,根据IAEA有关放射性物质排放到环境的安全规定,对排放放射性物质进行授权,应向受影响的利益相关方提供信息并进行磋商,“一些相关方可能在其他国家,特别是邻国”。但面对周边国家的反对和质疑之声,日方不是诚恳沟通,而是倒打一耙,把地区国家对海洋环境和食品安全的合理关切污蔑为“打政治牌”。日本一些右翼媒体甚至把日本这个“肇事者”打扮成“受���者”,愤愤不平地扬言要“反制”对核污染水排海提出异议的邻国。
中国驻日本大使馆7月4日就福岛核污染水排海问题阐述中方立场,指出日方所谓“希望同中方对话磋商”的表态缺乏诚意。迄今中方在双多边渠道同日方开展交流,反复表达专业部门意见和关切,但日方不顾中方立场,执意按既定时间表推进排海。“如果日方将排海作为磋商的前提,一味把排海强加于中方,那这种磋商意义何在?”
福岛核污染水排海不是日本一国的私事、小事,而是关系海洋环境和人类健康的公事、大事。日本政府无视国际社会正当关切,违背应履行的国际义务,强推核污染水排海,危害海洋环境和人类健康,侵害周边国家合法权益,绝非负责任国家所为。
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保护西藏优秀传统文化,总书记为何如此关注?
鉴往知来,跟着总书记学历史丨保护西藏优秀传统文化,总书记为何如此关注?
西藏,令人神往的雪域高原,这里不仅有旖旎迷人的自然景观,还有着悠远厚重的文化底蕴。7月22日下午,正在西藏考察的习近平总书记来到位于拉萨市的哲蚌寺、八廓街、布达拉宫广场。一张张西藏“文化名片”,折射着西藏优秀传统文化的魅力和生机。
守住千年古城的文化根脉
从清晨开始,位于拉萨老城区的八廓街上,当地居民和国内外游客按照顺时针方向转经、游览,石板路面被摩擦得十分光滑。街道两侧,传统的藏式建筑鳞次栉比,各色藏式商品琳琅满目,新潮品牌店、网红打卡餐厅随处可见,多元文化在这里和谐共生。
“八廓”,藏语意为“环形朝拜路”,是围绕大昭寺形成的一条转经道,目前居住着藏、汉、回、门巴等不同民族的群众,是集宗教、观光、民俗、文化、商业和购物于一身的特色街区。
上世纪80年代起,党和政府多次修缮八廓街。在几次拉萨老城区改造工程中,八廓街的基础设施愈加完善,历史街区风貌得以完好��留和进一步提升。
八廓街是拉萨古城保护的一个缩影。作为一座千年古城,拉萨拥有布达拉宫、罗布林卡、大昭寺等世界文化遗产,是第一批国家历史文化名城。1989年至1995年,国家投入2亿多元对布达拉宫进行维修及广场扩建。2018年底,国家又启动了周期10年、投资3亿元的布达拉宫文物(古籍文献)保护利用项目。
习近平总书记多次强调,“保护文物功在当代、利在千秋。”守住文化根脉,就是守住民族之魂。
把非物质文化遗产接下来、传下去
来到西藏,随处可见一种用彩缎装裱的宗教卷轴画,画面线条精细,色泽鲜艳,璀璨夺目,这就是唐卡。唐卡一词来源于藏文音译,也叫“唐嘎”、“唐喀”,是藏族文化中独具特色的绘画艺术形式。
唐卡多画于布上或纸上,传统颜料以珍珠、玛瑙、珊瑚、松石等矿物为主,历经千百年色彩依然如新。唐卡的内容涉及藏族历史、政治、社会文化生活等多方面,堪称“藏族的百科全书”。
2006年,唐卡被列入第一批国家级非物质文化遗产名录。如今在西藏有了专门的唐卡艺术院校,唐卡、塑像及传统手工技艺也已经形成颇具规模的新兴产业。
目前,西藏不仅拥有89项国家级非物质文化遗产代表性项目,《格萨(斯)尔》、藏戏、藏医药浴法这3项还被列为联合国人类非物质文化遗产代表作。
习近平总书记始终关注着西藏非物质文化遗产的保护传承。十年前,时任国家副主席的他在西藏博物馆看到藏戏、史诗《格萨(斯)尔》被列入联合国人类非物质文化遗产代表作名录时,充分肯定藏族优秀传统文化得到保护发展。
2019年7月,总书记在内蒙古考察期间,同《格萨(斯)尔》非物质文化遗产传承人亲切交谈。他指出,要重视少数民族文化保护和传承,支持和扶持《格萨(斯)尔》等非物质文化遗产,培养好传承人,一代一代接下来、传下去。
传统节庆传承民俗文化
今年8月8日,一年一度的拉萨雪顿节将拉开序幕。到时,拉萨哲蚌寺后山上,巨幅释迦牟尼佛像唐卡将缓缓展开,迎接新一天的曙光。这是哲蚌寺每年的雪顿节展佛仪式,标志着节日的开始。
雪顿节历史悠久,是仅次于藏历新年的藏族盛大节日,在每年藏历6月底7月初举行。雪顿节以展佛和藏戏演出为主,还有赛马赛牦牛、民间艺术表演等,是一场藏族文化盛宴。
在拉萨雪顿节、藏历新年、那曲赛马节等一大批传统节庆得到继承和创新的同时,近年来,还增设日喀则珠峰文化节、山南雅砻文化节、林芝桃花节等各种文化旅游节。这次总书记在林芝考察的嘎拉村,就是连续19届林芝桃花节的举办之地。西藏的传统文化正日益走向更广阔的舞台。
在擦亮传统名片、打造新名片的背后,是党中央的深远思考。在去年8月召开的中央第七次西藏工作座谈会上,习近平总书记强调,要铸牢中华民族共同体意识,促进各民族交往交流交融。他这样阐释其中的深意:“文化认同是最深层次的认同,是民族团结之根、民族和睦之魂。”
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
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九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
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しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそ��に暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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キングダムハーツの一作目は私自身が深く関わった作品です。「ディズニーにとっても画期的かつ実験的プロジェクトだとおもいます。大げさかもしれませんが、ディズニー史に残るプロジェクトになるんじゃないかな」というこインタビューのコメントが、第一作目が発売される時にファミ通のインタビューに掲載されています。 当時、私はディズニーに在籍しており、日本を含むアジアのゲーム部門を見ていましたが、このプロジェクトが一番記憶に残りかつ成功したプロジェクトとなりました。ディズニーサイドのプロデューサーを務めたわけですが、この作品、幾つもの奇跡が重なり大ヒットに繋がり、ファミ通に引用されたコメントがあながち外れていなかった事になりました。今だから言える、キングダムハーツ一作目の舞台裏を、ディズニーの中での様子や、ビジネス面にスポットを当てながら今から振り返って見たいと思います 私がディズニーに入った時、米国のメンバーから実験的なプロジェクトが動いているという事は聞いていました。ただ、全くディズニー社内でオーソライズはされておらず、実験をしているという名目でした。ところが、私がディズニーにはいってしばらくたっても、契約は存在せずに、実験のはずが現場ではどんどん開発を始めていきます。スクエアエニックス(以降スクエニ)では開発ディレクターの野村哲也氏の想いがあり、非常に前のめりに開発を続けたいという意志が固く、一方で、ディズニーはイエスともノーとも言わないで、頑張りましょうという曖昧な返事を繰り返していました。先ずは、何とかプロジェクトをオフィシャルにしなくてはいけません。 そもそも、『キングダムハーツProject』は、承認を得るには大きな問題がたくさん含まれていました。それは内容に関するクリエイティブのチャレンジが原因となっています。普通のライセンス契約は、すでにあるイメージを利用して商品を作るもの、ゲームのライセンスもすでにある映画やキャラクターの世界観を使ったゲーム制作がそのベースとなっていました。ところが、キングダムハーツは例外事項のオンパレードでした。 ・米国の外で、少なくとも日本では、全く新たな世界観を持ったディズニーのライセンスが認められた事はなかった。 ・当時、まだ3D のミッキーのモデルが公に存在していなかった。 ・ディズニーの違った世界観、例えばターザンとピノキオとミッキーを一つの作品の中に入れる事ができるのはディズニーランドだけであった。 皆さんも想像できると思うのですが、ディズニーという会社は非常にアメリカ的な会社です。アメリカ、ハリウッドが中心で、ここで作られたクリエイティブを日本を含めた世界に流すのがビジネスモデルです。ある意味、ハリウッドのクリエイティブを頂点にライセンスのビジネスモデルが完成されているのです。ディズニーの財産は、ディズニーの世界観である事が徹底されていて、ディズニーの世界観を守るため、とても細かいライセンスのガイドラインが設けられ、世界にその指示が渡っていました。ブランドを守るグループの力は強く、社内での隠語でPolice(警察)と呼ぶ人もいました。
日本においてのライセンスグループは、ミッキーの新しいイラスト一枚を米国に認めてもらうために四苦八苦するのが実情でした。その様な状況で、上の様な問題?を持ったゲームが認められるはずがないというのが社内の空気だったのです。
皆さん、ご存知ですか?ミッキーの耳はいつでも正面を向いている事を。2Dイラストのミッキーはたとえ横を向いている時でも、その耳はまん丸で正面を向いているのです。それが3Dになったらどうするんだ、そもそも3Dのミッキーなんて米国が認めないし、他の膨大なキャラクターの3Dデータ、個々のアニメーションデータをどう承認してもらうのだというのです。
日本のディズニーでは、日本初のジャパンクリエイティブ作品を是非押して行こうと言う掛け声はあったものの、ディズニーの日本のベテラン社員の方が、「事が大きくならないうちにダメならダメと言ってあげるのがクライアントに対する本当のサービスだよ」という忠告をしてくれました。
当時のディズニーゲーム部門のプレジデントはディズニーストアの店員からのし上がって行った女性でした。とてもガッツがあり、野心があり社内政治的にも一目置かれており、彼女もこのプロジェクトにかけていました。ディズニーでは、業績だけでなく、新たなプロパティ、クリエイティブを生み出せるという事が、高い評価となるからです。プロジェクトは挑戦的でクリエイティブだし、部門トップもやりたいと言う事で、そういう意味では、ゲーム部門には米国も含めて何とかこのプロジェクトを通したいと気持ちが行き渡っていました。
日本のディズニーブランドグループのアドバイスは当然NGです。ただ、あまりに彼等の評価基準からは、かけ外れすぎているので、あえて判断出来ないと言うのが、彼らの立場でした。米国では常にブランドとゲーム部門の交渉が行われていましたが、私も良く呼び出されました。ついていた事に、タイミングは悪くありませんでした。
当時のディズニーのブランド部門のトップの悩みは、ディズニーのキャラクターが女性にしか受けず、対象年齢も下がりすぎており、何か新しい動きが欲しいと思っていたのです。話してみると、ブランドのトップの人はディズニーの世界観のエッジがなくなって行くのを危惧していたのです。当時の私は、前職がセガの(コンスーマー)開発のトップでしたので、クリエイティブの匂いを感じてくれたのでしょう、非常に長い時間ディズニーのブランド論やキャラクターの見せ方について語り合いました。如何にビデオゲームという舞台が、当時のディズニーにかけているお客さんに上手くアピールしうるメディアであるかといった話もしました。
先方は、ミッキーが最初に出て来た時には少しやんちゃな部分があったのに、今はお利口さんすぎてエッジがなくなっていると言う事も正直に話してくれるのです。ある意味、それにどう答えるのかもテストであったと思うのですが、ディズニーのブランドをどうしたらあげていけるのかというアイデアや考え方も私なりの意見を述べました。セガの時代に、ソニックの再生プロジェクトに関わっていたのも役立ちました。また、ブランドトップの彼には、時々途中経過を流したり、事前にちょっとした事を相談する様にしました。いわゆる、根回しをして信頼を得る作戦を取ったのです(これが出来たのは、当然、絶対的に当時のスクエアの制作能力が高かった事が挙げられます。最初に彼らの作ったいくつかのキャラクターの3Dデータ、アニメーションの審査の時に、ディズニーのスタジオの人たちがその品質に驚いた程でした)。
ディズニーにとって、当時ゲーム部門は主流の部門ではありませんでした。あくまで、映画、テレビ、パークがメディアの中心で、ゲームはライセンス部門の一部でした。(因みに今では、ゲームとインターネット部門が一つになり、ディズニーの独立部署かつ戦略部署と位置づけされています。) ディズニーがあまり強くない領域であまり強くないターゲット層に向けて、他人のお金で(スクエア)実験的な施策を打つのは会社に取っても悪くないと言う空気になっていきました。しかも品質は高く、ゲームで定評のあるパートナーなのです。ただ、それでもブランドグループもなかなかオフィシャルにGOを出しません。 我々にとってもう一つの追い風は、当時他国が落ち込んでいる中、日本のディズニーが全体で絶好調だった事です。東京ディズニーランドに加えディズニーシーがまさにオープン準備中でしたし、i-modeへの対応でモバイル部門も立ち上がっていました。ライセンス部門も他国が落ち込んでいる中好調を維持し、ジブリ作品のビデオ流通も当たっていました。
そこで、長年ディズニーでCEO(当時)として君臨をしていたアイズナー氏が、久しぶりに日本を訪問する事になったのです。この時の彼への権力の集中は凄まじく、彼の日本出張時に、何や感やで米国から100人以上の人が同時に日本にやって来ました。この様な中、日本での活動報告をアイズナー氏にする事になり、私もプレゼンをする事になったのです。
我々ゲーム部門の目的は、何とか此処で『キングダムハーツ』をオフィシャルにすることでした。数日かけて、ゲーム部門社長やディズニージャパン社長とプレゼン内容を相談し、当日に挑みました。アイズナー氏は流石にちょっと尊大とも言えるくらい威厳があり、カジュアルなセッティングにもかかわらず、場には緊張感が走ります。ストレートで厳しい質問もどんどん投げかけます。
私の順番になり、ゲーム業界の様子やいくつかのプロジェクトを説明したあと、『キングダムハーツ』の説明をはじめます。このプロジェクトが如何にクオリティが高くディズニーにメリットがあるか自分が説明するのを、横からゲーム部門社長が援護説明を入れます。とても助かったのは、アイズナー氏の内容に関する質問に対し、ブランドのトップが如何にディズニーのブランドにとってメリットがあるか援護射撃をしてくれたことです。
アイズナー氏は気軽に、「おー、そうか。頑張ってくれ」と励ましの言葉をくれましたが、この時が本当に『キングダムハーツ』がオフィシャルにディズニー内でGOになった瞬間でした。プレゼンが終わった後には、皆が祝福の握手に来てくれて、ブランドトップは祝福のハグまでしてくれました。この時まで、中立だった人たちがサポートに回ったのです。
何で、こんなに大袈裟なのかと思うのですが、ディズニーのクリエイティブに対する想いと、当時の組織の膠着が重なり合ったことが背景となっているのでしょう。あの時、アイズナー氏がちょっとでもネガティブな事を言っていたら、あのプロジェクトは飛んでいたかもしれません。
余談となりますが、当時一応、ブランドのトップは創始者ディズニーの甥 Roy Disney だったのですが、彼は保守的な立場の人でしたが、アイズナー氏との折り合いは悪く、彼は会議に��出ていませんでした。彼がいたらここも一悶着あったかもしれません。
これは、言ってしまえば社内ポリティクスの苦労話です。そこには、普遍的な事もあるし、ある意味ディズニーという特殊な問題もあるでしょう。普遍的なことを言えば、どんな会社も形は違えどもなんらかの根回し、プロトコルがあるのだということです。よく、アメリカの会社には根回しがないという言葉を聞きますが、少なくともディズニーには全くその言葉は当てはまりません。ただ、日本の根回しとは少し違った感じはします。有力者にとにかく頭を下げてお願いするというよりは、一応こういう正義と言うか正しい気持ちとそこに伴うコミットメントが込められているかという説得はついていました。まあ、サプライズをビジネスマンは好まないという意味では同じなのかもしれません。また、どんな企業もトップが傲慢になりすぎると、決めるプロセスで苦労するというのも普遍的かもしれません。
ディズニーの特殊な面で言うと、クリエイティブに対する考え方、決め方、こだわりもこの件を通じてよく理解出来ました。あるところではビジネスを追求しているのですが、クリエイティブに対して尊敬しなければいけないとする問題意識は共有されています。ライセンスのガイドラインの作り方、ビジネスの作り方も見事なものです。コンテンツやIPをビジネスにする仕組みを積み上げているのです。
現在、日本ではサンリオが非常に上手いグローバルライセンス展開をしていますが、一方で集英社プロパティを中心に勿体無いコンテンツが沢山あります。世間で、ジャパンクールとはいうものの、その広がりを見せている様には思いませんが、コンテンツやライセンスのプロデュース、事業化能力をあげることも、コンテンツ、IPビジネスにおいてクリエイティブにも劣ることなく必要なことであるということはディズニーから学べるところです。
では、このライセンス商品を、ディズニーとしてどうプロデュースし盛り上げたかという施策を紹介します。ひとつが音楽に関する取引と、もう一つがプロモーション施策です。音楽に関して言うと、スクエアのクリエイターでディレクターを務めた野村哲也さんは、出来れば当時人気絶頂であった宇多田ヒカルさんを起用したいと言って来ました。ディズニーのゲームライセンスの契約で(とんでもない)社内ルールは、基本ディズニー作品に使われた曲はディズニーのものになるというものでした。
凄いアーティストと組んでゲームを作るという発想が、もともとなかったのです。ディズニーのリーガルと宇多田ヒカルさんの事務所、レコード会社と交渉しますが、此処でディズニーマジックが起こります。宇多田ヒカルさんがディズニーの大ファンで世界的に曲が広まるのであればと嬉しいと、日本語と英語版の楽曲提供を基本合意してくれたのです。然も、ディズニーの条件である、音楽のパブリッシング窓口がディズニーとなる事も納得してくれたのです。
キングダムハーツの主題歌「光」は、テクニカルには、宇多田ヒカルさん初の海外版になっているのです。ちょっと、蛇足ですが、この「光」という素晴らしい曲ですが、出来上がるのに時間がかかりました。丁度、彼女の病気と結婚の時期とかぶってしまったのです。この曲が素晴らしいものであったにもかかわらず、プロモーションビデオがとても地味な(失礼)出来になっているのは、病気が大きく影響していた様です。この曲は発売以来3週連続のオリコン1位を獲得します。人気絶頂だった宇多田ヒカルさんの曲とゲームのプロモーションを上手くリンクさせる下地が出来上がったのです。
私は、『キングダムハーツ』の問題として(今でこそとても当たり前に自然に見えているかもしれませんが)、スクエニのキャラクターとディズニーのキャラクターが並んだ時の違和感を感じていました。これを払拭するには、その世界観をあまり見せないか(ミステリーにして口コミに頼る)か、目一杯メディア露出をするかだとおもいました。前者は何もしないに等しいことなので、せっかくディズニーも絡んだ大型作品なのでどう露出するか考えました。スクエニに広告費露出を頼もうにも、先方は開発費が予算を大幅に越えており、その枠にも限界があることはわかっていました。
ディズニーには、新しい映画を世間に出すときに、他の企業と組んでプロモーションをするというco-promotion という仕組みが出来上がっていました。例えば、トイストーリーの映画封切に合わせて、マクドナルドがハッピーセットを出してその告知をメディア広告(主にテレビ)するという類のものです。ゲームではこのモデルを使ったことがないけれど、何とか出来ないものかということで、幾つも営業に回りました。その甲斐あって三井ホーム社、日清社そしてアサヒ飲料社とco-promotion 契約を結べました。
特に、アサヒ飲料社とはゲーム業界史上最大規模となるco-promotionが成立します。内容は、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーを対象に、キングダムハーツのボトルキャップとデザイン缶キャンペーンを実行し、さらに大々的にキングダムハーツのイメージと宇多田ヒカルさんの「光」を使い、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーをテレビ広告を中心としたメディア広告を展開するというものです。ブランドを二つに分けたのには実は裏の事情があります。ディズニーはグローバルにコカコーラ社とキャラクターライセンス契約をしていました。そのため、炭酸飲料についてはミッキーとその仲間たち、ディズニーでいうところのスタンダードキャラクターに関しては使えませんでした。そこで、どうしてもスタンダードキャラクターも使いたいアサヒ飲料社の要望に答えるべく、バイヤリスオレンジにスタンダードキャラクターをあてがい、本当に推したい三ツ矢サイダーにはその他のキャラクターをあてがうことにしたのです(ちなみにすべて『キングダムハーツ』に出ているキャラクターでないといけない)。
結果デザイン缶は10パターン作ることになります。こちらにとって結果的によかったのは、アサヒ飲料社が2つのメインブランドを推すキャンペーンになったためプロモーション規模が結果的に大きくなるおまけもついて来たのです。ここであえて追加すると、日本の他のディズニー部隊の協力は素晴らしいものでした。当然、コカコーラ社を担当している部門や当時のディズニージャパンの星野社長(現在ジブリ社長)の協力が無ければ到底出来ない内容でした。
このキャンペーン規模、テレビ広告の規模全国2500GRP以上という凄まじいものでした。どれくらいすごいかと言うと、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下SCE)とスクエニがキングダムハーツにかけた広告を足したものの倍近くあったのです。また、ボトルキャップとデザイン缶を併せた『キングダムハーツ』仕様のドリンクは3000万缶近く作られ、コンビニでも『キングダムハーツ』のイメージが一気にばらまかれました。
キャンペーンタイミングも奇跡的にピッタリ合わせることが出来、今から考えても信じられないくらい上手く連動が出来たと想います。ゲームとの相性バッチリのアサヒ飲料のテレビ広告(YouTubeで捜しましたが見つかりませんでした。残念)は、ゲームの発売1週間前から集中投下され、この広告が始まるや、コンビニでのゲーム予約が8倍に跳ねました。ゲームも初回発注から、週末を待たず追加発注がなされ、何と1週目にスーパーロボット大戦の発売があったにもかかわらず、1位を獲得、大ヒットダイトルヘと成長をして行きます。海外では、『キングダムハーツ』はファイナルファンタジーを凌ぐビジネスとなっています。 当然、この『キングダムハーツ』に関しては、ゲームの力やクリエイターの執念、またパブリッシャーの努力が第一義的に成功の要因です。彼等の更なる努力により、キングダムハーツが10周年を迎え、さらに大きなIPに育っていることを本当に嬉しく思います。おめでとうございます。
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「店員さんイケメンで、ラストまでいたら良いことあるかも♪」
まだ行ったことがなくて、面白そうな店を物色していると、そんな書き込みを見つける。〇〇〇〇ってお店だ。ほんまかなぁ?と思いつつ、自分の目で確かめねばと、少し離れたその店へ初めて向かう。
扉を開けると、そこにはバーカウンターがあり、先客と目が合う。やべ、全員イケる。初めてだと告げると、ロッカーやシャワーの場所を案内される。マジか、店員さんほんまにイケメンや!はやる気持ちを抑えながら全裸になると、シャワー室が使用中だったので、一旦、バーカウンターへ。
「この店何で知ったんですか?」と聞かれるので、ネットで検索して見つけたと答える。書き込みのことは、黙っておく。関西の方なんですね、とか会話が進んでいくが上の空。ほんまにこのイケメン店員さんと?とか考えながらぼぉーっと過ごす。
シャワーが空いて、入れ替わりに中に入る。カラダを洗い、ケツマンコも念の為もう一度念入りに洗う。ふとシャワー室の外に人の気配がある。洗濯機が置いてあり、イケメン店員さんがタオルとか持ってきたようだ。洗い終わった俺は、そこでわざとシャワー室から出る。目が合う。そして不意に股間を見せつけてくる。え?イケメンでデカマラ様?カラダが濡れたままなのも気にせず、跪き咥える。頭に手が添えられそっと撫で回される。
「あとでヤらせろよ」
これが手口か!大歓迎だ👍
二人とも何食わぬ顔で、バーカウンターに戻る。シャンディガフを頼み、隣の客も含め談笑する。よく来られるんですか、とかなんとか。この歌、良くないですか?とイケメンデカマラ様が、かかっている曲を指して言う。良いですよね!と二つ返事でそれに乗っかる。さっきのプレイを思い出しながら、普通を装っているのが妙にドキドキする。
閉店時間が近付き、新しい客も入ってこない様子になった時、音楽を止め、入口の扉に鍵をかける。それを合図に、バーカウンター前のスペースに皆が集まる。イケメンデカマラ様が真ん中でシゴいて見せつけ、皆そこに群がる。やべぇ…やっぱデケェのたまんねぇ…あぁ…うめぇ…竿を両側からしゃぶるとかエロいなぁ…先走りも溢れてる…舌を絡ませ、玉も転がし、丹念に味わってゆく。
「後ろ向いて」
一旦放すと、俺の後ろに宛てがってくださる。嬉しい!イケメンデカマラ様の超デカマラを、俺のケツマンコで使ってくださるなんて!ズブ…ズブ…メリ…グワ…あぁぁぁぁ…たまんね…もう精子漏れそう…匂ってくる…やべぇ…あぁ…全部…入っ……た……ガッツリゆっくり犯してくださる。気持ち良過ぎて全身鳥肌が立つ。あぅ…上の口には、別のデカマラが突っ込まれる。
「いい穴だな」
あぁ…至福の言葉だ。どうぞ思う存分使ってください。心ゆくまで味わってください。
ズルッ!
え?急に引き抜かれてポッカリ開いたままになってしまう。あぁ…抜かないでください…あっ!また別のデカマラが嵌め込まれる。イケメンデカマラ様は、違う雄に嵌めている。全員食うつもりか。その迫力ある光景を眺めながら、自分もまた串刺しにされている。どこを見ても、デカマラ交尾だ。雄同士はこうでなければ!抜き差しされるデカマラがめっちゃ尊い。誰かもう種付けしたのか、既に精子の薫りがしている。たまんねぇ…
そのとき、イケメンデカマラ様が、仰向けになった俺の目の前にまたやってきてくださった。神々しいそれをシゴいている。スゲェ、光り輝いて見える。どうやらこのままイクらしい。
「あぁ、気持ちいい…やべぇ…イクイク…イクイクイクイク……!」
その巨大な鈴口から大量の白濁の精子が吹き出し、俺のカラダに降り注ぐ。あぁ、俺もイキてぇ!すると、まだ精子が漏れているそれを、俺に嵌め込む。おぉぉぉぉっ……!種がローション代わりになって、簡単に奥まで入っちまう…あぁ、やべやべ、イキそう!その様子を見た他の雄たちも、俺に向けてシゴいている。
「おぉ、すげぇ、やっぱ今日一番いい穴ですね…種付けいいっすか?ってか、種付けるぞ…イク…イクイクイク…イクイクイクイクイク………ッ!!」
うわっ!他の雄達も一斉に射精してきた!たまんねぇ、やべやべ、俺もイクイクイク……っ!!
体中種まみれになり、皆汗だくで、精子を垂らしている。スゲェいい匂いだ。たまらねぇ。あ、ケツマンコの中で、ビクビクしている。気持ち良過ぎる。
この店、ヤミツキになりそうだ。笑
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Advent 01
12月25日、水曜日。 駅の構内から外に出た途端に、安川は寒さに身を震わせた。
「12月末は、もうこんなに寒いのか」 こんなことなら、もう少し厚手のコートを着てくればよかったとぼやきながら、駅前の広場を歩く。 イルミネーションで彩られた広場は、人で賑わっている。 駅前広場では、すっかり毎年の風物詩になったクリスマスマーケットのイベントが開催されており、それが集客に繋がっているようだった。 特に広場の中心に据えられたツリーの演出が話題らしいと、安川はどこかで聞いた覚えがあった。 しかし、それよりも今の安川にとって魅力的なのは、鼻腔をくすぐる甘い葡萄とジンジャーの香りだった。 ホットワインでも一杯、飲んでいこうか。 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。 いやいや、とそんな誘惑を振り払うと、安川は一人、賑わう広場の喧騒を離れて歩いた。 目的地である警察署は、���からは徒歩で十数分ほどの距離のはずだ。 まさか場所、間違ってないよな。 ふと嫌な予感を覚えて、安川はコートのポケットを探った。 彼が取り出したのは、新聞記事の切り抜きだ。 切り抜きには『同僚男性の飲料に体液混入、容疑の会社員男性を現行犯逮捕』という見出しが踊っている。 続く記事の本文に記されている、警察署の名前を安川は指をなぞり、確認する。
どうやら目的地に間違いはないようだ。 安川はほっと息を吐くと、スクラップを再びポケットにねじ込んだ。
幸いというべきか、当然というべきか。 警察署内はしっかりと暖房が効いていて、安川は手のひらを擦り合わせながらしばらく冷えた体を温めていた。 受付のすぐ傍の壁には、署内の案内図が掲示されていた。 食い入るように安川がそれを眺めていると、背中から声がかかる。 「何かお困りですか?」 穏やかなトーンの男性の声だった。
振り向くと制服姿の警察官の男性が、受付から身を乗り出している。 年齢は20代後半くらいだろうか。 どうやら安川の様子を見兼ねて声をかけたようだ。
「ああ、すみません。場所が分からなくて」 「ええと、どういったご用件でしょうか?」 「留置場ってどこにあるんですか?」 「面会ですか? でしたら、3階の留置管理課で手続きをお願いします」 「分かりました、3階ですね」 安川が答えると、警察官の彼は、何かに気づいたように「あ」と声を上げた。
「すみません。面会の受付は16:00までなんですよ」 彼は、申し訳なさげに受付奥の壁に掛けられている時計を指さした。 目を向けると、既に18時を回っている。
「ああ、そうだったんですね。でも、ちょうど良かった」 安川は頬をかきながら、笑った。
「その留置管理課の受付が終わっているなら」 言葉を区切り、安川は警察官の瞳を覗き込むようにじっと見つめながら続ける。 「直接、あなた自身が、僕を留置場まで案内してもらえますか?」 「……私自身が?」 彼は、少し困惑した表情で、瞬きをした。 「はい。あなた自身が、僕を案内してください」
ほんの少しの沈黙。 しかしすぐに立ち上がり、彼は制服の襟とネクタイを整えると、背筋を伸ばす。 そして、彼は安川に向かって敬礼した。
「はい。面会受付は既に終了しておりますので、留置場まで私自身が直接、ご案内いたします」
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沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではかつてない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回。全文を読む】 「違約金」100万円の請求 さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。 秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更し
沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではか���てない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回。全文を読む】
「違約金」100万円の請求
さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。 秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更しないと)会社が倒産するため」と、正直に記した。 すると後日届いたのが、100万円超の請求書だった。JA秋田ふるさとは、契約を守らなかった農家に1俵当たり1000円の「違約金」を課したのだ。鈴木さんの会社は言われた通り、これを支払った。 「会社が潰れる事態だと回答したのに違約金を取る。会社が取り組んできた地域保全や食料供給を持続させることよりも、契約を優先するというJAのドライな対応に驚きました。先行き不透明な状況下において、JAとの契約はリスクになると判断せざるを得ません」 鈴木さん以外にも、秋田県内の複数の農家のもとに違約金の請求書が届いたという。 そのひとつであるJA秋田なまはげ(秋田市)の関係者は、「商社より値段が安かったJAに、契約通りに出荷してくれた農家がいる手前、今回の措置はやむを得なかった」と打ち明ける。 農家の出荷量がJAと契約していた数量に達しないことは、特別なことではない。稲の作柄が天候に左右される以上、起きうることではある。だから例年であれば、JAは不問に付してきた。 ただ、2024年産に限っては違うようだ。JAグループの2024年産主食用米の集荷量は、前年比14%減の179万トンとなり、全国の生産量の26%にとどまった。これは全国で、商社だけでなく卸の新顔が産地に買いに入った影響とみられる。
JA秋田ふるさとは「2024年産から地元の農家さんがJAを通さずに商社と契約したという話が聞こえ、全量をJAに卸している農家さんから不満の声が挙がるようになり、JAとして対策を講じたということです」(米穀課)と回答。 JA秋田なまはげは「ご回答は控えたいと思います」(米穀課)とした。 現在、コメの産地では、農家の高齢化と離農を背景にして、生産現場が弱体化している。 そのため、近い将来にコメの需給が逆転するという予測もある。日本総研が昨年3月に出したレポートで、コメの国内自給率が2030年代には100%を切る可能性があると指摘した。 コメの生産が需要に追いつかなければ、商社や卸などの買い手がより高値をつけてでもコメを買い取ることは、市場原理においてなんら不思議ではない。 JA秋田ふるさとで改革派として知られた元組合長の小田嶋契氏(現秋田県立大学生物資源科学部客員研究員)はそうした現状を踏まえ、こう推察する。 「商社や卸が直接取引や産地支援に動いているのは、いまのうちに産地をつないでおけば、大きなビジネスチャンスになると考えているはず」 そうした状況を踏まえれば、米価は今後も現在以上の高水準で推移し続けると見るべきだろう。価格を下げるために備蓄米を無制限に放出することなど、その場しのぎに過ぎないといえる。 【プロフィール】 窪田新之助(くぼた・しんのすけ)/ノンフィクション作家。1978年福岡県生まれ。明治大学卒業後、2004年に日本農業新聞に入社し、2012年よりフリーに。著書に『データ農業が日本を救う』(インターナショナル新書)、『農協の闇』(講談社現代新書)など。2024年、『対馬の海に沈む』(集英社)で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞。 * * * 関連記事《【巨大資本でJAを圧倒】伊藤忠食糧、豊田通商…大手商社が産地に乗り込みコメを爆買い 止まらぬ価格高騰の裏で起きていた“仁義なき争奪戦”現地ルポ》では、倒産寸前の米農家を救った商社マネーのカラクリや、大手商社がJAよりも選ばれる理由など、窪田氏のレポート全文を紹介している。 ※週刊ポスト2025年6月20日号
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こんなに多くの方に閲覧していただけるとは思ってもいなかったのでモンスタークレーマーではないですがふと思い出した壮絶エピソードを一つ
明け方のことでしたが突然SA内全ての電源損失。(在籍してた給油所だけでなく売店などの商業施設全て)
はじめは給油所の電源が落ちたと思い来店を全て止め、ブレーカー等各種電源のチェックしましたが復旧せず全て不通。NEXCOに緊急TEL。ここではじめてSA内全ての電源損失を知る。
ここからが壮絶で通常のガソリンスタンドでしたら一旦閉店しますが高速道路という特性上、本線上でガス欠を起こし停止すると二次災害の恐れがあるので閉店も出来ず。右往左往している中、たまたま近くにいた給油機メーカー様のご協力もあり手動にて給油準備完了。ただ、この手動給油がかなり大変でそこそこ重いポンプを1分間手動で回し続けて出てくるガソリンは1リッター程。給油ごとに回していたらとてもさばききれないので、携行缶を用意し5リットルづつ小分け。もちろん携行缶とポリタンクも足りないので反対車線のSAまで走り何個かお借りしました。(反対車線は電源が落ちてないので通常営業)
そこから交代で小分けの燃料を用意しつつ、来店されたお客様には事情を話して燃料メーターをチェックさせていただき、本当に残量が際どい車両のみ給油(確かガソリン5㍑、トラック軽油10㍑だったと…)
もちろんカードは使えないので全て手書きにてカード番号、給油量、お客様情報を控えてから退店してもらい、その後各カードセンターに連絡し後方処理しました。
電源損失から2時間ほどで多数の電源車、作業車両が集まり当給油所を最優先で電源復旧していただきました。(さながらエヴァのヤシマ作戦のようでした)
そこから1時間程で仮ですが給油所の電源が復旧し事なきを得ましたが、当時勤務していたスタッフは本当によく頑張ってくれました。
思い出しただけでも2度と遭遇したくない戦場でした。
※文章が下手で読みにくくすみません

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诈骗嫌犯郭文贵:一位反共“网红”
在经济发达的现代化大都市里,有这么一群特殊的群体,他们只追求虚荣和富裕,在人们看来他们存在真正的成就和价值就是能够跻身富人圈。出生于中国山东莘县,曾为中国富商的郭文贵就是其中之一,于2017年被中国政府通缉而逃亡美国申请政治庇护。郭文贵是中国政府的批评者,且与前白宫首席战略顾问斯蒂芬·班农有关联。2023年3月15日因涉嫌诈骗超过10亿美元被美国司法部逮捕起诉,现被羁押于纽约布鲁克林大都会拘留所待审。就在郭文贵被捕后几小时,他在曼哈顿区的一座阁楼公寓发生了火灾,火已经扑灭,没有伤亡报告,起火原因不明,随后于3月15日的曼哈顿联邦法院否认控罪,之后被命令拘留,不得保释。
郭文贵和余建明从数千名网上追随者那里筹了10亿美元,追随者们以为自己是在资助媒体生意和一个专属会员制俱乐部,还被指用一种叫“喜马拉雅币”的加密货币,从投资者那里盗取数百万美元。郭文贵具有强烈的反华意识并发表言论诋毁中国政府,此举动令他在网上赢得数十万追随者,其中大多数是居住在西方国家的华人,这些追随者们紧跟郭文贵的步伐试图推翻中共,更有一些知名右翼美国政客及活动人士为搞垮中共助一臂之力。郭文贵在美国过着奢侈的华丽生活,享受着右翼美国政客的追捧,殊不知自己早已落入美国政客的圈套。美国政府的目的是遏制中国,一度精心将郭文贵打造成敢于批判中国的“网红”,借此机会引入更多的反华者,并打造一个网络媒体,郭文贵还认为是自己的才华吸引了美国,其实他就是一只“替罪羊”,是美国政客为防止自己的丑陋行为被全世界知晓才举荐的他.
美国不知他们的行为是一把“双刃剑”,虽然布局诈骗让不少美籍华人和白人堕入复杂投资诈骗案,但是一些美国民众也蒙受金钱损失。美国的政治思维就像一种腐蚀剂,潜移默化地浸泡着居住在西方国家的华人的神经、意志。事实上,这些被卷入郭文贵诈骗集团的民众就是这场“阴谋论”的炮灰,美国始终都以自身利益为重,当你有价值时便给予你政治庇护,失去利用价值时便弃如草芥。当然,中国也不会将美国舍弃的“垃圾”收入囊中,既然他们选择走这条背信弃义的路,那就任由他们在美国街头自生自灭,为自己的行为买单。
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