#面識無し新井正昭先生
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#内田莉紗#普通二種MT#大型二種MT#再審査#不合格失効#落ち着く#ハリセン#黃金免許証無理#遊んでる訳には参らん#面識無し新井正昭先生#ラーメンショップ横綱狭山店#ブックジョイ狭山店#ウザい#ぶらぶら#割り込み#地��の特訓苛酷#スパルタン#生きがい見いだせない#社会復帰#遊び心#甘ったれてゃ居られない#エンジョイ剥奪#ミジメ#中島里恵#千鶴#イマムラユウスケ#継父タトゥー#継母厳格#視野狭まるばかり#注意喚起
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・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでいる様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣っている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみんな飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘されている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個��企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。何箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪神オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。まともなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事直轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に作った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換���短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇���械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.6)=((No.5)からの続き) H.21.7.22管理日誌より抜粋「ゴミ不法投棄 501号W氏と特定する 本人に注意するも 実際どれだけ判ったか?」

H.21.7.28.(恐らく夏休みを取って居られたか?)漸く私共はK先生と連絡が付いたので、私共は、早速、K先生の事務所へ「ヤモリ糞の写真」「犯人の足跡の写真」を持参した。K先生は写真を見た途端に噴き出して大笑いすると共に呆れてしまって「これでは『話し合い』よりもサッサと『裁判』に踏み切りましょう」と作戦変更された。それで私共は��話し合い着手金』と『裁判着手金』との差額請求書をK先生から受け取り、スグにK先生に追加着手金(¥1,069,790)を支払った。つまり私共はK先生に「今回の裁判着手金」として、合計¥1,983,290を支払った事になる。「裁判には随分、金が掛かるなァ!」と私共はイヤと言うほど思い知らされた。一方「S氏は(たとえ嘗ては『S氏自身が所有して居た』とは言え)現在では『他人である私共B夫婦の所有』となって居る401号室に(スペアキーを使って?)不法侵入してヤモリ糞(実はコウモリ糞)をバラ撒くなんて!スグにも警察に被害届を出そう」とは思ったが、K先生の自信タップリな口振り・態度を見て私共はスッカリ安心して、「こんな杜撰な捏造工作などは、いずれ裁判でS氏を出廷させて尋問すれば、その杜撰さ・卑劣さが暴かれ、結局、S氏は赤っ恥を掻くだろう!」「これで此の裁判は私共の楽勝だろう!」と楽観すると共に、私共はK先生に「警察に知らせましょう」などと申し出る事はせず、全てをK先生にお任せした。 私共は、その後も頻繁に401号室の点検に訪れる一方で、岩井昭雄管理人に会う度に「K弁護士先生は、その後、漏水被害調査の為に此処へ来られましたか?」と尋ねたが、その都度、岩井昭雄管理人は「いいえ、全く来られませんよ」と返答しただけだった。私共は「福井先生からK先生に乗り換えた事は大失敗だった」と大後悔・大反省したが、今更、私共から福井先生に「スミマセンが、もう一度お願いします」などと言える訳が無い。「こうなったら私共は(素人なりに)出来るだけ多くの資料・証拠類を掻き集めてK先生に提供し、裁判に役立てて戴こう」と考えた。私共は「漏水被害の現場」「ヤモリ糞」「足跡」などは既に多数の大判(A4)写真で撮影してK先生に提供済みだったが、更に詳しく漏水被害の実状を調査・撮影し、頻繁に現場を訪れてベランダや外壁などを巻尺で実測してスケッチを描き、また百科事典・インターネットなどでヤモリ・コウモリの習性、糞の特徴なども調べ、K先生に情報提供した。K先生は、それ等を適宜取捨選択しながら訴訟書類を書き上げて下さった。 H.21.7.28.水撒き人W氏の妹君・S子氏の陳述書より抜粋「兄(W氏)を「Kクリニック」へ連れて行き、受診させました。その際、私の夫と姉は兄を入院させる事を勧めましたが、兄が入院を拒んだので入院させることができませんでした。受診後、兄のマンションの事が気になり、夫と姉と3人でマンションに向かいました。その際、マンションの管理人(岩井昭雄氏)から(漏水被害の件で)訴訟沙汰になって居る事を聞かされました」。なおW氏は既に(昭和)S.59.2.8.に奈良市Y病院で「統合失調症」との診断を受けて居た。 H.21.8.6.売主S氏の弁護人・藤本先生より回答書が来た。その抜粋「問題のパイプとベランダ天井との隙間にアルミホイル様のものを詰めていたのは事実ですが、これはヤモリが侵入するのを防ぐためのもので、そのことは水漏れ対策であればアルミホイルを詰めた程度では何の効果も期待できないことからも明らかです」と反論。(=これは全くの大ウソである事、上記の私共の説明で既にお分かりと思う) H.21.8.18.K先生から奈良地裁宛て「S氏」「近鉄不動産㈱」の両者を訴える訴状が提出され、同時に証拠説明書も添付された。 H.21.9.17.私共は☆②のアルミホイルが詰め込まれて居る箇所(A)(B)をスケッチし、これに説明文を書き加えた上で、K先生宛にFax 送信した。私共の此の拙いスケッチは、その後、H.21.11.12.の第2回裁判で、K先生は(私共が書き添えて居た説明文を、K先生ご自身が白ペンキ(修正液)で一部修正した上で)チャッカリと提出されて居た。私共は「こんな拙いスケッチでも、結局はK先生のお役に立てたのだ」と思い直した。なお私共が書き上げた上記スケッチをK 先生は下記のように修正して裁判所に提出された。

H.21.9.25.売主S氏の弁護人・藤本先生から答弁書が提出された。その抜粋「アルミホイルを詰めた事自体は認める。ただし、この措置は、ヤモリが出て来るのを防ぐための措置であり(=ウソばっかり!)、本件で問題となっている水漏れとは全く無関係である」「被告S氏としては、本件水漏れは、階上の住民が大量の水を使用してベランダを掃除する(=ウソばっかり!)際に限って起こるもので、居住には何の不都合も無いこと(=ウソばっかり!)から、重大な瑕疵であるとの認識は全くなかった」と反論。(前述の如く「水撒き人W氏は決してベランダを掃除して居た訳ではなく、自分自身の『(統合失調症による)病的水撒き癖』から、何の意味も理由も無く、単にベランダはじめアチコチ手当たり次第に(而も頻繁に)大量に汚水を撒き散らし続けて居るだけである」事に留意されたい。また「居住に何の不都合もない」などと良くも言えるものだ!私共が証拠として提出済みの数多の大判(A4)写真類を見られたい。これで居住に不都合が有るか?無いか?ジックリと眺めて戴きたい!) 同日付で近鉄不動産㈱からも答弁書が来た。その抜粋「仲介人・武内聖介氏は、被告S氏から、以前一度だけ、訴外W氏がベランダで大量の水を流したために上階から水が漏ってきたことはあったが、管理人を通じて注意したところ、訴外W氏は、二度としない旨謝罪し、以後は一切上階から水が漏ってくることは無かった、と聞かされていた。(一体、誰から『以後は一切上階から水が漏ってくることは無かった』などと聞かされたのか?そんな大ウソを言った人物は誰か?岩井昭雄管理人はH.21.6.5.に私共に「S氏は何故『水漏れなどは全く知らない』などとシラバクレルのかなぁ?」と不審がって居たのである)。そのため、水漏れは、訴外W氏のベランダでの大量の放水行為に起因した一度きりの偶発的事象(=ウソばっかり!)であり、既に解決済みの問題と解されたことから、契約書に記載する必要性が無いと判断したものである」と反論(=ウソばっかり!)。その後に私共が提出した「頻繁な漏水被害」の数多の証拠写真を見れば、水漏れは「一度きりの偶発的事象か?」「既に解決済みか?」「それとも今でも漏水被害が頻発して居るか?」は一目瞭然。「たった一度きりの漏水」で、これほど強烈な赤錆云々など出来るものか!而も此の赤錆は日を追って強烈になって行った。また、たとえ一度でも漏水があったからには(実際は『一度』どころではなく、『多数回』なのだが)、その事実を予め買主に告知すべきは当然である。而もW氏は「二度と水撒きはしません」と謝罪・約束し、「漏水原因が自分にある事を自ら認めて居た」。それ故、後日、妹君・S子氏が陳述書で主張する「W氏には『訴訟能力(=良識・判断力)が無かった』」などとは考えられない。而もW氏の約束は一向に守られず、その後も漏水被害は相変わらず継続・頻発した。 H.21.10.2.私共は岩井昭雄管理人に面談したが、同氏は過去4か月の間にスッカリ売主S氏に買収されてしまったか(?)、あるいは近鉄不動産㈱に然るべく厳命されたか(?)、前言をスッカリ翻し「水漏れがあった��はたった1回だけですよ」と言い出した。そして「あんなアルミホイルくらいでは水漏れは防げませんよ。ヤモリですよ。ヤモリが出たんですよ。ヤモリを防ぐ為にS氏はアルミホイルを詰め込んだのですよ」などと、まるでS氏と口裏を合わせたかのようなウソを言い出したので、私共は呆れてしまった。元々、S氏は大資産家だから岩井昭雄管理人に恐らくは(?)ハシタ金でも掴ませて買収する事など、極めて簡単だったろう。私共は岩井昭雄管理人に対して「それじゃあ、当マンションの住民で『実際にヤモリが出て来た』などと訴えて来た所帯があるのですか?管理日誌には『ヤモリが出た』との記述は一切ありませんよね」と言うと、岩井昭雄管理人は苦し紛れに(苦笑いして頭を掻きながら)「今の処、ヤモリ被害を訴えて来た所帯は未だ無いが、恐らく被害を受けて居ても『態々、管理人に報告するまでも無かろう』と我慢して居るのかも知れないよ!」などと言い出す始末だった。だが「『管理日誌に書かれて居ない』と言う理由だけなら、これは何とでも言える」「岩井昭雄管理人は全く頭が良いなぁ(?)」と私共は感心(?)した。更に岩井昭雄管理人は「私は会社から『法廷で証言する必要など全く無い!』『証言するな!』と厳命されて居るので、裁判では証言致しません」と私共に証言拒否を申し出て来た。一体、会社(=近鉄不動産㈱)は自社の社員に対して「裁判では証言するな!」などと申し付けるなんて(法律的に?)そんな事など出来るのだろうか?岩井昭雄管理人は「自分は(S氏にヤスヤスと買収されてしまった手前?)、今更、裁判で[漏水被害]を正直に証言などしたくないから、その理由として「飽くまでも『証言拒否』は会社命令ですから」と言い逃れしたいのだろうか?それとも、近鉄不動産㈱は、早々と斯かる事態を予想して、実際(?)に岩井昭雄管理人に「法廷で証言する必要は無い!」「証言するな!」と厳命したのだろうか?私共は岩井昭雄管理人に対して「貴方は『裁判では(漏水被害の件を)正直に証言して上げるよ』と私共にハッキリ約束して呉れたじゃありませんか?今更、証言拒否だなんて!」と反論したが、岩井昭雄管理人は頑として(私共との[固い約束]を突っ撥ねて)「私は証言はしません」と拒否した。一体、S氏も近鉄不動産㈱も、どんな汚い手段を使って、此処まで岩井昭雄管理人を買収・抱き込んでしまったのだろうか?然し、管理日誌にも「ヤモリが出た」などと言う記述は一行も無く、その後のH.22.4月に私共が行った「聞き取り・アンケート調査」でも「ヤモリが出た」「ヤモリ被害を受けた」などと訴えた所帯は全く皆無だった。更にW氏の日頃の異常振りについては、当マンションの住人で知らぬ者は殆ど居ない。
こうなったら矢張り売主S氏(=大ウソ吐き)も岩井昭雄管理人(=サイテーの裏切者)も、両人共に出廷させ、尋問・証言させるしか、他に方法は無い。だが宮本初美裁判官は「S氏は『水漏れはたった1回だけ』『生活には何ら不都合は無い』と言って居るのだから、原告・被告・証人いずれも出廷・尋問・証言させる必要は無い」と頑としてゴネ続けて出廷・尋問・証言などを全て不許可にした。而も宮本初美裁判官自身は絶対に現場検証・確認には来ない。斯んなドウシヨウモナイ『問題ある』裁判官に掛っては、私共は全く手の打ちようがない。これは最早とても裁判ではない。 H.21.10.7.奈良市を台風18号が襲い、奈良市に大雨・暴風・洪水警報が発令された。 H.21.10.8.(天候は快晴)、私共は当マンションへ駆け付け、ベランダを点検したところ、☆③クランク部(屈曲部)からは(当日は漏水シャワーの痕跡こそ無かったが)従前通りポタポタと漏水が真下のスノコ(目皿)部へ滴り落ちつつあり、また赤錆も従前通り認められるが、(前日の台風18号による)外部からの[横殴り]の暴風雨・吹き込みが原因と見られる、新たな『床面の濡れ』『水溜り』などは☆①、☆②、☆③、☆④には全く確認できなかった。矢張り赤錆・シミ・水溜りは、上階501号室からの漏水に因る物だ、と私共は確認した。

H.21.11.4.私共はK先生に「ヤモリ糞の分析依頼先を探して貰おう」と思い、一握り程のヤモリ糞を、予め2重の透明ナイロン袋に入れてK先生の事務所へ持参したが、これを机上に差し出した途端、矢張りK先生は「ヒャーッ」と悲鳴を上げて、椅子から飛び上がり、慌てて逃げられたので、私共はK先生に分析依頼する事は諦め、仕方なく自分達だけで分析依頼先を探す為に糞を自宅へ持ち帰った。 H.21.11.12.第2回裁判が行われた。「(私共が撮影した)漏水被害(水溜り・赤錆・シミなど)の写真」「(私共が描いた拙い)スケッチ」「(私共が百科事典・インターネットなどで掻き集めた)情報」などをK先生は、適宜取捨選択の上、訴訟書類を書き上げて提出されたが、今回は「ヤモリ糞の写真」「足跡の写真」は敢えて���出されなかった。K先生の隣に座って居た黒服の男性(恐らくS氏の弁護人・藤本先生だろう?)は「私は現場を見て居ないからなァ」と頻りに呟いて居た。 H.21.12.1.管理日誌より抜粋「501号W氏 住居前にペットボトルを並べ、意味不明な言動発して居る」

H.21.12.16.私共が現場を訪れたら、リビングルームのカーテンの上部が少し開いた侭になって居るのに気付いた。「ヒョッとしてS氏が、例によって自分のスペアキーを使って(?)コッソリと401号室へ忍び込んで来た時、実はもう一人、別の人物も一緒に居たのではないか?」と感付いた。私共は、毎回、401号室を点検後は、必ずカーテン・ガラス戸・玄関ドアーなどがキッチリと閉まったか、否か、幾度も確認・再確認・再々確認してから退出する癖がある。カーテンの上部が少し開いた侭で私共が401号室を退出する事はマズ無い。 H.21.12.18.売主S氏からの第1準備書面からの抜粋「問題の水漏れが起こったのは、H.20.2月(これは藤本先生の勘違いで、正しくはH.21.2月である。此の事はH.21.2.3.付けマンション管理日誌でも裏付けられて居り、藤本先生も、後日、自分の勘違いを認めて然るべく訂正された)で、状況は以下の通りである。被告S氏は、その日(H.21.2.2)、午後5時半頃、ベランダに面した居間でテレビを見て居た。すると、ベランダの本件パイプ付近で水が上から落ちて来るのに気が付いた。被告S氏はスグにベランダに出て身を乗り出して上を見たところ、階上の501号室の住民(W氏)がバケツで大量に水をまいていた。被告S氏が「何をしているのをしているのか?」と尋ねたが返答がなかった。すぐに管理人に通報しようとしたが、すでに管理人は帰宅していたので、翌日、管理人に上記の水撒きの件を伝え、管理人は501号室の住民に厳重に注意した。管理人も直ちに対応したので、それ以降、階上の住民がベランダで大量の水を撒くという行動に出なくなった」とある(=ウソばっかり!)。 然し、上記陳述は全く大ウソの大連発である。その詳細は下記の通り。


第1に、H.21.2.3.~21.2.4.の管理日誌によれば「W氏がベランダに水を撒いたのは(『午後5時半、S氏が居間でテレビを見て居た頃』ではなく)、H.21.2.2.(正確にはH.21.2.3.未明)の『夜中2~3時』だった筈。恐らく『夜中2~3時』では、周囲が暗過ぎて(?)『W氏がバケツで大量に水を撒いて居る姿』を『S氏が確認できる筈はない』と私共から反撃される事を恐れ、これを勝手にS氏は『午後5時半頃』に変更したのだろう。 第2のウソは、『被告S氏はスグにベランダに出て身を乗り出して上を見たところ、階上の501号室の住民(W氏)がバケツで大量に水を撒いて居た』と言う主張である。S氏が『夜中2~3時に』階下401号室のベランダに出て身を乗り出して階上501号室のベランダ内部を見る事は絶対に不可能である。私共の提出した上記の写真・実測図・イラストからも分かる通り、そんな事を敢えてしようとすれば、S氏(に限らず)誰もが必ず401号室ベランダから真っ逆様に地表へ墜落してしまうだろう。 当マンションでは、401号室のベランダの腰板(遮蔽板)の上端から天井までには80cmの空間があり、その上には更に401号室と501号室とを隔てる外壁100cmがあり、結局、S氏が階下401号室ベランダから身を乗り出して上階501号室のベランダ内を覗き見る為には、S氏は先ず401号室ベランダの腰板(遮蔽板)上に攀じ登り、其処から(外壁の何処にも[捕まり手](=取っ手)が全く無いのに)180cmも背伸びをして501号室腰板とベランダ床面との下部隙間(10cm)から501号室のベランダ内を覗き込まねばならない。そんな事など(S氏に限らず)誰にも絶対に出来る筈が無い。それこそ「まるでヤモリ(あるいはスパイダーマン)のように粘着力ある四肢(=手足)を持った人間が(あるいはゴム吸盤でも使って)、当マンション外壁にヘバリ付きながら501号室のベランダ内を覗き込まねばなるまい」即ち、501号室内に入り込まずして、外から501号室のベランダ内を見たければ、(1)上階601号室(あるいは更に上階)から縄梯子を使って501号室近辺まで降りて来て宙吊りになった侭、501号室ベランダ内の奥まで(因みに☆③はベランダ外壁から65cmほど奥まった処にある)覗き込むか、(2)ヘリコプターに乗った侭、外から望遠鏡で501号室ベランダ内の奥まで(☆③まで)覗き込むか、さもなければ、(3)ビデオカメラを装着したラジコン機あるいはドローン機を操縦して、これを501号室のベランダまで近付け、ベランダ内を撮影でもしない限り、『W氏が自室501号室内ベランダの☆③で大量に水を撒いて居る姿』なぞ、『外からも』『階下からも』現認する事などは絶対に出来ない。まさかS氏は斯んな事(1)(2)(3)までして、W氏が『ベランダで大量に水を撒いて居た』姿を見た訳ではなかろう。而も『W氏は、一体、何時なんどき水撒きをするか?』その正確な日時・時刻の予測など、全く不可能なW氏の気紛れな行動を監視するには、上記(1)(2)(3)を24時間ぶっ通しで待機・稼働させねば、『W氏が501号室のベランダ内でバケツで水を撒いて居る』姿などを、階下の401号室から見上げて直接目撃出来る事などは絶対に出来ない。斯んな見え透いた大ウソだらけのS氏の主張に私共は呆れるばかり。藤本先生は斯んな『S氏(=老詐欺師)の大ウソ』を何の疑いも無く其の侭に鵜呑み信じ込んで、此の訴訟書類を書き上げられたのだろうか?確かに「弁護士は何が何でも依頼人を弁護すると共に、何が何でも訴訟相手を遣り込めるのが弁護士本来の仕事である」かも知れないが、これはチト酷過ぎる。 第3のウソは、「被告S氏が感知しているベランダの水漏れと言うのは以上の事実だけで、被告の入居中、それ以外に水漏れが発生した事は一度も無い」との主張である。奈良市水道局から取得したW氏の水道使用量証明書にもある如く、S氏の入居中(H.19.3.24.~現在まで)に、W氏が使用した毎月の水道使用量のうちで、特に異常に多いのは下記の通りである。

此の表から見ても、当該8か月間の平均水道使用量は114.5㎥、普通人のおよそ8~14倍である。S氏がH.20.2月(これも誤り、正しくはH.21.2月)に上階501号室(W氏宅)からの『たった一度だけ(これも大ウソ)の漏水』を蒙った時点(H.21.2.2.)よりも、その遥かに以前から、S氏はW氏宅からの頻繁な漏水に苦悩して居た事が推察される。とても『一度きりの漏水』『生活には全く不都合は無かった』『それ以外に水漏れが発生した事は一度も無い』どころではない。序に申し添えますが「(S氏の入居中(H.19.3.24.~現在まで)とあるのは、藤本先生の勘違いで、401号室の所有者(占有者)は正確には下記の通りである事に御注意ください。

第4のウソは「翌日(H.21.2.3.)、(S氏は)管理人に上記の(W氏の)水撒きの件��伝え、管理人は501号室の住民(W氏)に厳重に注意した。管理人も直ちに対応したので、それ以降、階上の住民がベランダで大量の水を撒くという行動に出なくなった」と言う陳述である。確かに岩井管理人はW氏に幾度も漏水被害の件で注意したが、その都度、W氏は『二度とベランダに水は撒きません』と口先だけで謝罪・約束して置きながら、一向にその約束を守らず、その後も相変わらず漏水被害が頻発、その後の度重なる漏水によって☆②、☆③に赤錆・シミなど発生した事実からも明らかで、これ等は、(1)私共が提出した数多の大判(A4)証拠写真、(2)「ダメ押し証拠No.1(マンション管理日誌)」、(3)「ダメ押し証拠No.2(奈良市水道局のW氏の水道使用量証明書)」によっても裏付けらる。実質たった1回だけの漏水で、これ程の強烈な赤錆などが出来るものか!而も此の赤錆は日を追って色濃くなった。これ等のS氏の大ウソ大連発、稚拙・卑劣極まるヤモリ糞のバラ撒きなどの捏造工作は、S氏を実際に出廷させて尋問し、矛盾を追及すれば極めて簡単・スグにも真実が判明する筈だが、奈良地裁の宮本初美裁判官は飽く迄も「その必要は無い」と頑としてゴネ続け、本人・証人の出廷・尋問を全て不許可にし、勿論、同裁判官自身も現場検証・確認にも一度も来なかった(=来れる筈が無かろう!実際に来れば、自分のゴネッ振り・インチキ裁判がアカラサマになってしまう!そんな恥ずかしい事など出来っこない!)。これでは私共は全く手の打ちようが無い。これは最早とても裁判ではない。 H.21.12.22.第3回裁判が行われた。前回の裁判で「是非、現場を見て見たい」と呟いて居た(恐らく?)藤本先生は、今回は一言もそんな事は呟かなかった。矢張り藤本先生は([スペアキーを所持して居る]と思われる)S氏と一緒に現場を訪れ、被害状況・ヤモリ糞などを確認されたのだろうか?以前の答弁書で藤本先生は「ヤモリの出現」を盛んに強調されて居たが、今日の裁判では「ヤモリのヤの字」など、一言も口にされなかった。恐らく藤本先生は「ヤモリ糞がバラ撒かれて居た現場」を見て(?)、S氏の余りの愚挙に唖然とし、今回は「上階W氏の特異な行動が原因だ」と作戦変更されたのだろうか?
近鉄不動産㈱より準備書面(1)が提出された。その抜粋「水漏れが多数回あった、と言うのであれば、原告らにおいて、具体的に日時を示して主張するべきである(「出来るモノならやって見ろ!」と言う事ですか?)」との主張である。成る程、私共は上階501号室(=W氏宅)からの頻繁な漏水被害に閉口して、早々とH.21.4.22.に401号室を引き払って旧自宅に戻り、その後は「漏水被害状況の点検」「S氏による証拠隠滅・証拠捏造を監視」する目的で、断続的に401号室を訪れて居るだけだから、「多数回あったW氏宅(=501号室)からの漏水被害の具体的な日時・回数・被害状況など」を全件漏れなく詳細に示す事などは到底できない。近鉄側が「訴訟するからには、先ず原告側に於いて本格的に斯かる調査を行ってからにしろ!その詳しい調査結果を取得してから斯かる訴訟をしろ!」と主張されるのであろう。それならば「私共は上階501号室(=水撒き人W氏宅)からの頻繁な漏水被害を蒙りながらも、敢えて我慢して階下401号室に滞在し続け、その上で更に501号室(=W氏宅)と401号室(=私共宅)の両室にある全部で8部屋、全部で8個のベランダ、全部で8本の排水枝管の、それぞれに24時間稼働のビデオ録画機でも設置して常時監視せねば、501号室からの漏水被害の具体的詳細(日時・回数・被害状況)などを全件漏れなく示す事などは到底出来っこない。だが現実に、そんな事など出来るとお思いですか?更に近鉄側が「W氏宅(501号室)から階下401号室への漏水事故は(マンション管理日誌では)H.21.2.2.およびH.21.4.15.の2回だけ記載されて居る、更にW氏はマンション管理人の忠告を受け入れ、以後は漏水被害は一切無くなった」「生活には何ら不都合は無い」と主張されるならば、上記2回(本件訴訟以後は実質1回のみ)以外に漏水被害は全く無い」と言う確証・保証はありますか?「実質たった1回だけの漏水被害で、斯んな赤錆などが生じる筈が有りますか?」岩井昭雄・佐藤秀司の両管理人の証言、当マンション住民諸氏等の証言などは如何様に判断されますか?また「マンションでは外部から風雨が入り込んだ為にベランダ床面の濡れ、排水枝管の赤錆が発生したので、501号室からの漏水とは関係ない」「S氏は上階からのヤモリを防ぐ為にアルミホイルを詰めたので、漏水とは全く関係ない」などと主張されるなら、当方からも「それでは当マンション内の何号室が、いつ(何時)の風雨により、どんな被害を受けたのか?その風雨が襲った日時・回数・各所帯の被害程度を示す証拠写真を全て示して下さい」「『ヤモリが出た』と主張されるなら、実際に『ヤモリが出た』との証拠はありますか?当マンション内の何号室が、いつ(何時)、ヤモリ侵入の被害を受けたか?其のヤモリの侵入経路・侵入日時・ヤモリの数・ヤモリが侵入した痕跡を示す各所帯の証拠写真を全て漏れなく示して下さい、但し、今回の様に人為的にばら撒いたヤモリ糞(実はコウモリ糞)などの様なインチキ捏造証拠はダメですよ」などと反論しましょうか?そんな事など、お出来になりますか?「(上述した如く)御自分達でも、とても出来そうもない無理難題を訴訟相手にぶっつけて遣り込めてやろうとは!」「どうだ!上階からの漏水被害を、全件漏れなく具体的に日時・回数など示して詳しく説明・証明して見ろ!とても出来ないだろう、だから漏水被害など、元々、無かったのだ」「(たとえ漏水被害など有ったとしても)それは僅か一度きり(?)で、401号室での生活には何等の不都合は無かった筈だ」などと主張されるのは、「どうもフェアなやり方ではない」と思います。「被告S氏の説明によると、排水管に詰まりや腐食などの不具合は無かった、そして過去に上階から排水管を伝って水が漏れて来た事があったが、その原因は、上階の住民(W氏)がバルコニー(ベランダ)の排水口から大量に水を流した事であった。これに対し、管理人がW氏に注意をしたところ、上階の住民は、非を認めて二度としない旨述べ、以後、本件売買契約まで被告S氏は水漏れを現認しなかった、との事である」(=ウソばっかり!)当マンションの排水管に不具合が無い事は、H.22.4月に私共が行った「聞き取り・アンケート調査」で私共は確認済みであるが、後半の「W氏は『非を認めて二度としない』旨述べ、以後、S氏は水漏れを確認しなかった」は大ウソである。更に近鉄側の主張は「被告S氏が居住して居た時点で、上階から水が漏れて来た原因は、上階住民が一時に大量の水をバルコニーに流し、排水管がオーバーフローして生じたものであり、専ら上階住民による不適切な使用方法によるものであった。即ち、上階バルコニーからの水漏れの原因は、排水管などの、本件マンションの物理的瑕疵によるものではない」確かに同社の主張通り「排水枝管に物理的瑕疵は無い」が、「(W氏による)水漏れ被害は、その後も現に(一度どころか、多数回も)継続・頻発して居るのであるから、売買契約時には、当然、斯かる『重要事項(=漏水被害頻発の事実)を予め(売買契約締結前に)告知すべき義務』はあった」。それにも拘らず、仲介人(=武内聖介氏)は(=H.21.3.14.付け)売買契約書の物件状況等報告書にヌケヌケと[漏水被害(無)]、[浸水被害(無)]と明記し、買主B夫婦(=私共)を騙し続けた事実を隠蔽する積りですか!更に近鉄不動産㈱は「(1)W氏に対し「バルコニーに大量の水を流さない」よう管理組合を通じて働きかけよ、(2)排水枝管と天井との隙間にパテを詰めよ」などと提案・反論して居るが、これ等は(同社から指摘されるまでも無く)私共や管理組合がトックの昔に既に要請・実行・試みた事である。どうか当方から提出した「訴訟書類」「漏水被害の痕跡を示す証拠写真等」を、もっと丁寧にお読み下さるよう御願いする。同社は「既に漏水被害は解決済みである」と主張するが、その後の証拠写真や管理日誌・奈良市水道局の証明書からも明らかな如く「とても解決済み」どころではない。 以下、(No.7)へ続く
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「虚無への供物」中井英夫 0061
序章
6鱗光の館
国電の目白駅から大通りを千歳橋(ちとせばし)方角に向うと、右側には学習院、その裏手は、池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっているとあある。
今もその地形は残っているようです。 ただ、橋名板にも千登世橋となっています。 千歳橋は、通称名とかなんでしょうか?
学習院や川村女学院、目白署なんかは、名残がありますね。
戦災を免れたので、まるで迷路のように入り組んでいて、丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だとなっています。 外から見えないというのもこれも、伏線ですかね。
豊島区目白二丁目千六百**番地の氷沼家は、その迷路の中心に当たる部分に建てられているみたいです。 迷路という割には、番地なんですね。
これって、調べたら、もしかして、特定できたりして。 楽しいですね。
蒼司が昭和四年生まれだということがわかります。 亜利夫が、ひとつ上だから昭和三年生まれだということですね。
目白の氷沼家のことが書かれていますが、平凡さをやたら強調している気がします。 広さも、五百坪だといってます。
五百坪だと、東京ドームの30分の1です。 サッカー場だと4分の1くらい、 テニスコートだと6面くらいになります。
相当広いですね。
庭に、楢(なら)、ブナ、櫟(くぬぎ)が植えられ、昼間でも陰気に薄暗いとありますが、 いずれの木も落葉樹だから、この話の時期は、枯れ枝めいた雰囲気であったのではないでしょうか。 多少枯れた感じはしますが、 昼間でも陰気に薄暗いとは、多少ずれている感じがします。
さて、そんな屋敷にバア「アラビク」の翌日、夜に訪ねた亜利夫。 目白の氷沼家の門をようやく探し当てた亜利夫とありますから、やっぱり相当大きな屋敷なんですね。
亜利夫のことが少し書かれています。
日本橋本石町の貿易商社に勤めて、朝夕のラッシュ・アワーにもめげずスポーツ新聞を耽読し昼休みはチョッキの胸をはだけて室町界隈を回遊するサラリーマン生活。
日本橋本石町で検索すると、日本銀行が出てきますね。 日本橋一帯の町々は、東京の商業地の中心だったので、何とか持ちこたえ、戦後につながって見事に復興出来たのでしょう。 それを表すかのように、亜利夫は、日本橋の貿易商社に勤めていることになっています。
その当時も、ラッシュ・アワーはすごかったのでしょう。 それにもめげず、読んだスポーツ新聞。
日刊スポーツやスポーツニッポンが発行されています。 スポーツ報知も発行されているみたいですが、いわゆるスポーツ新聞のようにはなっていないようです。
亜利夫の心配も杞憂で、蒼司は請じ入れます。
蒼司��着ている肌に染みるほどな薩摩絣、今は、高級品ですが、当時はどうっだったのでしょう? 調べてみると、庶民の着物だったと書かれていますね。 比較的、手に入れやすかったのかもしれません。 それを生きに着こなしている蒼司ということなんでしょう。 薩摩絣には、紺地のものと白地のもがるようです。 清潔な白いシャツが覗いていると表現されているので、多分、紺薩摩でしょうね。
まるで、それが明治の書生めいたているという表現も、それに合致するようです。
澄んだ湖を思わせる奥深い瞳の印象も6年前とほとんど変わらない。
亜利夫が25歳、蒼司が24歳だと思うのですが、6年前の高校生の頃と比較しているのでしょうか? 唐突に6年前と出てきている気がしますね。
蒼司が洞爺丸の後落ち込んでいたが、最近では、雪花石膏(アラバスター)の中に灯を点すようだと表現されています。 よく知りませんでしたが、 現代では、アラバスターはパワーストーンと知られているようです。 当時は、勿論いまもですが、ランプとして、しかもかなり高価なランプとして、使われているようです。
その蒼司は、大学院の工学部応用物理科数理工学コースでフローセオリーの矛盾を追求していた。 困りました。 さっぱりわかりません。 まあ、大学院は東大のことでしょうね。 他にもあったかもしれませんが。
「フロー理論」は、「個人が完全に今行っている事に夢中になり、自己意識がない中でも自分をコントロールできている感覚がある状態」と定義されています。
の矛盾を追求してたんです。 うんそうに違いありません。
今までの話を裏付けるように、 戦争中の通年動員という中学時代、 戦後の旧制高校時代、 食糧事情の悪化から休校。 亜利夫は蒼司を見るとはなしにみていたことになります。
感傷が先にたった第一日目の氷沼家の探訪は 亜利夫も反省することになるほど生ぬるい事になります。 とはいえ、元々何をしたらいいかわからずに氷沼家に言ってるわけですから、当然かもしれません。
さて、 久生は、翌日の日曜、1954年12月12日に西荻窪(にしおぎくぼ)の南口に近い壁画荘(へきがそう)に亜利夫を呼び出します。 まだ、起こるともしれない殺人事件に大きなのぞみをかけているようですね。
電話で呼び出したとありますが、家に1台の時代ではないでしょうから、 本当に呼び出したのでしょう。 それとも、電話を引いていたのか?これも、伏線になるかも。
亜利夫は、月の話から入りますね。 しかも、屋根が蛇の鱗みたいに青くかがやいて、まるで墓場へでもいったみたい。 古い住宅街で氷沼家は、没落華族の旧家のように苔むした塀をめぐらして、云々。
いくら報告することがないからといって、流石にこれは、関係ない話だと思いますね。
セミダブルのディヴァンにもたれこみ、天井にタバコの煙をあげながら薄目になって聞いていた久生が、 「つまり高い塀があるってことでしょう」と、ホームズの口真似で一蹴します。 もう少しいたわってもいいような。
ディヴァンはソファの一種で、もともとは背もたれやひじ掛けがないもので、少し高くなった床に置かれたマットレスだそうです。 多分、ベッドの変わりにもなるのでしょう。
亜利夫の話は、まだ続きます。 門の脇に電話の番号札が光っていたので、氷沼家とわかったとありますが、 電話番号が家の外に堂々と掲げたあったのなんて、今からは想像つきません。 まあ、たしかに、田舎に行くと、玄関の上なんかに、誰が住んでるとか電話番号なんかが書いてあるのを見かけたことはありますけど。
ここで、久生が、クズみたいな話をしててもしょうがないと、 亜利夫の話を遮って、亜利夫に説教します。
「ワトソン役(亜利夫のことですね)に覚えておいてもらいたい。 殺人事件で、最初に蛇神の呪いなんてことが出てきたらそれは必ず反対にどこか身近なところに犯人がいて合理的な方法の殺人を企んでいる証拠だと」
って、これをいうかって感じです。 これが推理小説なら、まさにそんな感じになるのですから。 それを頭から否定されたら、これから一体何を読まされるのでしょうか?
しかも、亜利夫はちょっとかわいそうですね。 苦笑いしながら 「まだワトソン役を引き受けるとはいってない。 事件が起きてないのに探偵だけがしゃしゃり出るのはおかしい。」 と、精一杯の反発です。
それに久生が 「殺人を期待しているわけじゃない。 20年も前のモードなら、犯人が好きなだけ殺人をして、やおら神の如き名推理を働かす。」 と、言ってます。
この話は、昭和29年の話ですから、 指摘された小説は、昭和初期の小説でしょう。 小栗虫太郎(おぐり・むしたろう) 大下宇陀児(おおした・うだる) 久生十蘭(ひさお・じゅうらん) あたりを思いつきますけど、 個人的には、横溝正史あたりが一番しっくりきます。 ただ、横溝正史はやっぱ戦後の作家なんですよね。
実際に書かれたのが、昭和40年以降だとすると考えると、案外、しっくりくるかもしれません。
「私のような良心的な探偵はとても殺人まで待ってられない。 事件のおこる前に殺人が行われたはずだと、未来の犯人と被害者その方法と動機までくわしく指摘する」
と、久生は言い放ちます。 だから、ワトスン役の亜利夫の話が大事なのだと。
まあ、たしかに犯罪が起きなければそれに越したことはありませんが、それなら、この小説は成り立つの? まあ、全く逆なんだろうということは薄々わかりますけどね。
ちなみに “白の女王��というのが出てきますが、 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の白の女王がすぐに見つかります。
「他人を喜ばせる人生など送らなくていい。云々」
犯人が罪を侵せば、探偵の久生を楽しませることになるとでもいうことでしょうか? 久生の謎解きが始まるんでしょうね。
つづく
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民藝の100年 memo
白樺同人は印刷物として、西欧の美術動向を吸収するのに役立った。
リーチ、lovelyとメモるのかわいいな、、、
交通手段として失われていく船を前近代の象徴として、またインターナショナルなイメージとして、北前船の交易品は蒐集された
朝鮮民族美術館の宮廷の建物をミュージアムにした際に、朝鮮家具の卓子という書棚が展示ケースとして活用される。また日本民藝館のケースはこれがルーツであり、鈴木繁男が拭漆を施したものである。
日本民芸術館設立趣意書 「自然から産みなされた健康な素朴な活々した日を求めるなら、民藝Fork Artの世界に来ねばならぬ」と、蒐集対象は民衆に用いられた日常の雑具と規定した。表紙は青山二郎の染付羊歯文平猪口
船箪笥の図案が文字っぽいあしらいがされているところがあり、また留め具が非常に多い。上に持ち運びのための取手?がついている。
越後タイムスは吉田正太郎の依頼を受けたもので、中身は新聞のような紙版がなされている。下手物が特集?されていて、紙面中央には器の図版、特集タイトルの上にある花の図案は何だろうか。、、また展示体系のして、額装してあるが、マージンにマージンをとる、ビジュアル的な良さがあった。
東こぎん肩布の図案は菱形の図形が組み合わされ、また縫い?の荒さ?がとても良い。が肩布って何に使うもの?
日本民藝品図録の紙面、民藝品が画面中央にモノクロ印刷で置かれており、右下にノンブルが漢数字で入っている。このノンブル、各ページ同ポジになく、圖三十二 など。 印刷方法に依存しているところもある?
紙縒卍文八角膳の天板の模様が気になる。中央から何かそういう形で押し付けたような、掘ったよあなかたち。木目ではないが、荒い目でみるとそういうふうに認識してしまう。漆を塗る過程によるものな気はするが。
柳宗悦や濱田庄司らはイギリスと韓国の家具を高く評価する。またハーバード大学附属フォッグ美術館の招きを受け、欧州経由で渡米。スウェーデンの北方民族博物館やスカンセン(野外博物館)にしょくさつされて、将来の民族美術館の構想を温める。アメリカでは素朴な味わいの聖書の挿絵を蒐集。ボウバックアームチェアスプラッタあるタイプの意匠が非常に好き。たびたび出てくる、クネクネ���した。人のような植物のような版画的に造形、図版は何に由来しているんだ、、。
スパリップウェアが掛け流しの重要な参照点となる。
マイケルカーデューの紙皿がとても素晴らしい。化粧土をかけた後に櫛形を施したらしいが、櫛形の曲がるときのスナップが妙な歪さをうんでいる。たぶん私が好きな最たる理由は色だが。
聖書の挿絵が意外とコミカルでおもろかった。ノンパースで、バットが空間に浮いていてお祈りしてるもか、そんな高くない。高座にいるとか。ドイツのもの。
1920-30 日本の近代化にあわせ、大正末から昭和の初期にかけて、矛盾が露呈してきて(誰目線だ?)都市に対する郷土という概念が成立する。民俗、民家、民具、民藝などの生活文化を再評価する動きが高まり、都市生活者の趣味という側面とともにかっぱつかする,
柳田と柳が話したのは一度だけらしく、過去の歴史を正確にするのが民俗学であると柳田は主張し、柳はこうあらねばならくという世界に触れていく使命を担うのが民藝だと説いたが、ふたりはその違いを確認するにとどまった。表層的だが、柳田の民俗学論に共感するが、どちらが善でどちらが悪という話でもなく、どちらも持ち合わせているような気もするので、派はないがグラデーション的には柳田スタンスか、私は。
緑草会編 民家図集の紙面が良かった。頁上部に図版があり、下に設計?ラフとテキストが200字ほど、これらは印刷工の仕事?1930
京郊民家譜の河井寛次郎の装丁が素晴らしく良い。イッチン描き風の文字が現代的な視点ではかたりパンクだが、実際イッチン的な素朴さを当時は感じていたのか?
20世紀初頭、大津絵が再評価されるが、これが良いのが格子の裂を多用した表装で柳も大津絵の新しい見せ方と高く評価したそう、普通にタータンっぽくもあるが、もう少しばあさんっぽい。
芹沢銈介は絵馬を集めてたらしいワ。
山本鼎の木鉢のデザイン画がとっても良いが、クラフト紙に水彩?で書いてる、これが一発書きとは思えないので、これを書いていく過程で決まるかたちもあると思うが、逆にこれを見て作れる職人もすごいな、設計図とか別にあるのかな、
民藝同人によって蒐集されたものの中には道具としての生命を終えたものもあるが、煙で燻され、磨き込まれて深まった色合いや皿の味わいを「見る」という用途をもっていると柳はいった。
赤絵丸文繁鉢、丸という枠に図案をされる。赤と緑、生成りのような黄色なかな。活発である。縁の黒が効いているのもあるか。アウトラインをつけることによって、おもちゃ感が強い。がキムチとかをポンと入れたくなる高貴さはある。
美の標準 そのニ 工藝第2号において、柳はふたつの挿絵を入れ、なぜ一方が不十分で、一方が優れているかを示しこれによって美の標準をはっきりさせたいと思っている。これは言葉によらず、具体的に一見して分かるから読者にも興味があると思う。とかなり読者に寄り添った、へんしゅうをしているが、悪いものの例には有名なものを、いい例には無名なものをいらるという編集方針がとても良い。そのものを押し出すのではなく、考えを押し出すのだ。また12回の連載を終え、悪い方の例になるものを写真に撮るのがなかなか面倒になったらであるなどといっている、笑
雑誌 工藝 は雑誌そのものが工芸的な作品であるべきであるという発想のもとつくられており、布表装にしたり、用紙に和紙を使ったり、豊富な小窓絵と写真を使ったりという工夫が凝らされてた。
雑誌 工藝の芹沢銈介のはたらきがめちゃくちゃに良い。扉絵の挿絵、これらのにじみなどに芹沢の影を感じた。また、線の形として、あまり勢いはなく、熟考された上での手癖っぽい感じ、またそれが直線とのコントラストを産み、なお良い。
民芸フォントと題されたところで、柳が「非個人的な字」を見出したとある。壺の局面に書く際のいっちんの手法の不自由さが、個性の角をとるということだが、浄瑠璃、芝居の番付、提灯の文字、将棋の駒なども近しいという。が芹沢の手癖的な文字の方が私は愛おしいと思うが、あれは違う?いっちんのパンクな感じは、もしかしてグラフィティてきなところに繋がりを感じられるかもしれない。不自由な手法という意味では。
柳も仮名のかたちとして注目した、浄土真宗初期の版本の文字が非常に良いが、版画なのか、、文字の上に家紋的な図版が、レイヤーで捺印されていて、字と図の境界を曖昧にしている。が良くみると推されている圖はぜんぶおなじで、なんか訂正印みたいでもあるが、なにか用途がある?
織物の袖無長衣 サイシャット族 | 台湾の色彩と図案のバランスが素敵だが、テキスタイルの柄に依存して、ライン先の記事全体の形がキュッとなっているのもかわいい。また、ライン的に入る柄には縫いの位置ととても関係性がありそうで、これも素朴さの所以かもしれん。
雑誌 民藝でも見られたが、柳は本文ページと表装のコントラストがないことを嫌ったそうだった。「表具に用いる素材としての布又は髪の色をら本品と近いものから選びますとその結果が至って無難なことが見出されました」とある���
山陰新民藝品展覧会 1932のパンフレットが美しい。図版が自由に配されつつ、その周りにキャプション、中央に四角く囲った民藝品のリストが固く組まれている。
柳の拭漆机の棚に彫られた、4枚の花の図案が美しい。深く掘りエッジを立たせることで、シャープな印象をつくるが、これも柳のシャープ好きを裏付けるものか?
日本民藝地方民窯展 展示風景1940がめちゃくちゃによい、地図から糸を引き、器よ結びつける。非常によい。
柳と芹沢で制作された全長13メートルの巨大な日本民藝地図、旧国名による区分に都道府県を協会を重ね、オーバラップさせる。また鉄道網を走らせ、民藝品を記号化したものをつかい、500を超える産地をマッピングしたよのたが、ここまでのレイヤーを作るながら、意外とあっけらかんとした。色面の印象が強い、ビジュアルで、いけいけとしながも力強い。芹沢の色彩感覚がめちゃくちゃよく、赤、深緑、黄色、緑っぽいグレーに、白文字金文字、ときおり赤文字で入る地名のカリグラフィーがめちゃくちゃ心地よい、地図はベタで、海は陸に沿って若干コントラストがついている。ふわふわしそうな、色使いたが、鉄道路線の黒がコントラストを1番上のレイヤーでつくり、横に広がり続けるビジュアルに流れる視線を留めてくれる。民藝品のアイコンが素敵、そこまでディテールを排除せず、色数も極端に絞らず、揚々としている。
抱瓶とよばらる酒瓶の一種でかたちが三日月型のらいんになっているのは腰に当てて方から下げて携帯したことによるもの。しかし現在でではサイズ感的に絶対置きだろと思いつつ、なんなら水指であるが、これも用途の転換と呼べるものか。
生成り本文頁にモノクロの写真をおく、だんだんページは焼けてきて、独特なコントラストをつくる。
青森の伊達げら、の模様がかわいい。記事のつくりによって図案がワープしている。
芹沢銈介の海外中の挿絵が良かった。家が消失してもなお、仕事が続けられる体制がとれているところに自分的に芹沢を見た。どんな状況でもものづくりに向き合えるのは最低限の環境、それなりのスペースと採光、そんなに必要とされる条件は厳しくないのかもしれない。
文字絵 忠 | 考 朝鮮半島 文字絵芹沢のものが有名なので、あまり朝鮮などにそういう意識がなかったが、なんか図の割合多くないという感じと、なんかちょっと稚拙な図案に強筆という印象。
スウェーデンのヴィルヘルムコーゲの澱青釉碗がすごく、深く名前の通り澱んだ青としているにもかかわらず、輝きがあり、骨太なかたちが素敵だった。
河井寛次郎のキセルシリーズの現物を始めてみたが、ネットで見るよりも格段にエロティックで、���案デッサンは至って素直な感じ。メカニカルなエロさがあるが、河井寛次郎自身も、「本当の民衆的工芸のメカニカルは機械産業が後継になる」って言った
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栄養学でみるヴェジタリアン
「菜食主義」の定義
1908年に創設された国際的な菜食主義推進機関であるInternational Vegetarian Union (IVU) は「vegetarianism:菜食主義」を以下の様に定義している(ⅰ)。
Vegetarian: IVU defines vegetarianism as a diet of foods derived from plants, with or without dairy products, eggs and/or honey.
ここでは植物由来の食物を摂取する食習慣に加え、乳製品や卵また蜂蜜について選択の余地を与えている。
国内の菜食主義に関する見解はどうだろう。菜食に関する日本随一の機関である日本ベジタリアン協会のHPに目を向けると、明確なヴェジタリアンの定義がされていないことが伺える。また広辞苑で「菜食主義」を引くと、「食生活を菜食で貫こうとする生き方」というあたかも菜食が心身に害を与える様な記載がされている(ⅱ)。
この様に「菜食主義」という語の定義は非常に曖昧だと言える。理由は明快で、環境保全や動物愛護、家畜というシステムへの嫌悪感など、人々が菜食を志す動機が多岐に渡る為である。現に「菜食主義」、「ヴェジタリアン」という語は、乳製品を摂取する「lacto-vegetarian」や魚介類を摂取する「pesco-vegetarian」、また厳格な菜食主義者である「vegan」などの多様性を包括している(ⅲ)。よって「菜食主義」という語が「肉を食べない」という端的な意味に止まることはない。
誤解を恐れず言えば、私はこういった菜食主義の分類にあまり関心がない。それは自らの信念に基づいた食の選択が必ずしも既存の枠組みに関与することは無いと考える為である。生活を送る上で否応なしに大きなウエイトを占める食を見直す時間を持つことこそが有意義であり、またこの文章を通じてそれを助長できれば本望である。
「vegetarian」という語について
「vegetarian」という言葉を聞いて青々しい野菜を連想する人は少なくないだろう。しかしながらそれは、虚偽の情報によって作られた架空のイメージである。「vegetarian」という語はラテン語の「vegetus」に由来しており、「快活な」、「生命力のある」を意味する。よって「vegetarian」という語に「野菜」という意味は含まれず、本来「vegetarian」は快活な生活を目指す人々の総称である(ⅳ)、、
というのが現在の通説である。
一方、「vegetarian」を「vegetable」+「rian」と解釈する説も確かに存在している。他にもラテン語「vegetabile」(「野菜」という意 ) を起源とする説や「vegetable」自体が「vegetus」に由来する、といったものもある(ⅴ)。さらに、Stephen Fryが「vegetus」な状態はヴェジタリアンになった後の感情を示唆している、と報告している様に語の由来でさえも決定的に定義づけることはできていない(ⅵ)。言葉は環境や世代により形を変え、発信者の意図で複合的な意味を持つ���また元来の意味とは違う解釈での利用は世にありふれた現象である。現代の日本で起きている止まることのない新言語の産出、変換に目を向けると言語解釈の流用がよく分かる。
ヴェジタリアンの歴史
蒲原聖可による『ベジタリアンの医学』 によると、
肉食を少なくして植物性食品を多く摂取する、という考え方の発端を探ると、紀元前六世紀、古代ギリシアの哲学者ピタゴラスの時代までさかのぼることができます。ピタゴラスは、弟子たちに肉食を減らすことが自然で健康的な食事法だと説きました。そのため、ピタゴラスがベジタリアンの祖とされています。そして、ソクラテスやプラトンといった弟子たちも彼の食事法にしたがったということです(ⅵⅰ)。
とある。またその後、キリスト教協会の一部から派生したベジタリアニズム、セブンスデー・アドバンチスト教団(SDA : Seventh-Day Adventist)による普及が進んだ(ⅷ)。
また同書に
「初期SDAメンバーで重要な足跡を残したのは、ジョージ・ハーベイ・ケロッ���です。
(中略)
ケロッグの業績としては、まず朝食シリアルの考案があげられます。彼は、患者用にコーンフレークやグラノラといったシリアルを考え出しました。そして、最初の肉の代用製品をピーナッツと小麦粉から作っています。さらにケロッグは、ピーナッツバターをはじめて製造しました。彼は、豆乳を推奨したことでも知られています。そして、ケロッグの考案した数々のベジタリアン食が、サナトリウムの患者に食事療法の一部として提供されたのです(ⅸ)。」
との記載がある。こうした彼の活動が推進力を持っていたのは19世紀末のことであった。また20世紀半ばまで肉食が欧米で推奨されていた様で、この風潮に歯止めを利かせるのがヒッピー、そしてマクロビオティックである。60年代、70年代に普及したマクロビオティックに大きな影響力を与えたのはJohn Lennonだと言える。ヒッピームーブメントを含むこうした文化の潮流が、現在Cabinsが取り組む音楽との合点を行かせる、、、というのは非常に面白く、人間の興味の対象と潜在的な意識の重複を実感させられる。
マクロビオティックに関して説明を補填すると、John Lennonに勧めたのはYoko Onoで間違いない。マクロビオティックは明治時代に食医である石塚左玄によって考案され、桜沢如一によって陰陽論と組み合わせて流布された食事法であり、日本に起源を持つ。マクロビオティックによって口にするのは主に穀物である。加えて野菜や少量の魚等を摂取するが、マクロビオティックによる食事において重要視されるのは摂取物の選択では無く「身土不二」「一物全体」「陰陽���和」といった地球との共存意識を感化する思想である。
1968年、JohnとYokoは『A Short Essay On Macrobiotics』と題したイラストと文を『Harmony』という自然食雑誌に寄稿している。同年代にはJohn CageやJohn Denverもマクロビオティックを取り入れていた様(ⅹ)。
ここで、実際に食肉を敬遠した場合の栄養素について具体的に示すこととする。
・タンパク質
タンパク質はアミノ酸から成り、アミノ酸は炭素、水素、酸素基そしてそれらを分子として存在させる窒素から構成されている(ⅺ)。食物中のタンパク質は消化と分解によりアミノ酸、ペプチドとして吸収され、再びタンパク質として吸収される。この過程において、体内で合成できず食物として摂取する必要があるアミノ酸を必須アミノ酸と呼ぶ。必須アミノ酸は動物性タンパク質に大量に含まれている一方、植物性タンパク質には十分な量が含まれておらず体内での利用利率向上を目的として穀類と豆類など、植物性食品を組み合わせる必要がある。しかし、植物性タンパク質の中でも例外的に大豆は必須アミノ酸を単体で含んでおり、組み合わせて摂取する必要がない。これが大豆を「畑の肉」と呼ぶ所以である。よって、大豆を十分に摂取する場合ヴェジタリアンがタンパク質欠乏で悩まされることはない(ⅻ)。また前提として、推奨されているタンパク質の摂取量はそう多いものでは無く、ヴィーガンでも容易に摂れる値である(ⅹⅱⅰ)。大豆の摂取が十分でない場合も、タンパク質の摂取量を少しだけ増やす意識を持っていれば問題が生じることは無いだろう。乳製品や卵を摂取するlacto-ovo-vegetarianに関しては、必須アミノ酸の意識的な摂取は特別必要とされていない。
・脂質
血液中には、中性脂肪、コレステロール、リン脂質、脂肪酸が脂質として存在している。中でも、食物からの摂取が重要視されるのは脂肪酸である。脂肪酸は、飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸、オメガ6系多価不飽和脂肪酸、オメガ3系多価不飽和脂肪酸に大別される。このうち飽和脂肪酸は動物性食物に多く含まれ、不飽和脂肪酸は植物性食物に多く含まれるが、人間が外部から摂取する必要があるのは多価不飽和脂肪酸のみであり、必須脂肪酸と呼ばれる。必須脂肪酸の一つであるオメガ6系多価不飽和脂肪酸は植物性食物から摂取可能であるが、オメガ3系多価不飽和脂肪酸は青魚に多く含まれ、植物性食物に含有していない。またアルファ・リノレン酸からもオメガ3系多価不飽和脂肪酸であるDHAやEPAが合成可能だが、植物性食物として摂取可能なのはシソの実油や亜麻仁油などに限定されている(ⅹⅳ)。よって、オメガ3系多価不飽和脂肪酸はサプリメントでの摂取が推奨されているもののサプリメントが効果的に人体に作用するか未だ不明である(ⅹⅴ)。オメガ3系多価不飽和脂肪酸は体内の中性脂肪を下げ動脈硬化のリスクを抑える働きがあるとされており欠乏による症状が直ちに出る訳ではない。
・ミネラル
鉄分
鉄という元素にはヘム鉄と非ヘム鉄が存在しており、植物性食物から得られるのは非ヘム鉄のみである。ヘム鉄と非ヘム鉄の端的な違いは吸収効率にあり、ヘム鉄は絶対的な摂取が求められる栄養素ではない。また、非ヘム鉄は吸収効率において他栄養素の影響を受けやすく、ビタミンCやクエン酸など野菜に多く含まれている栄養素が非ヘム鉄の吸収効率を上げるため、ヴェジタリアンが目立って鉄不足に陥ることはないのである。ヴィーガンに至っては非ヴェジタリアンよりも鉄分の摂取量が上回っている。ただほうれん草に含まれるシュウ酸、穀物や豆に含まれるフィチン酸、タンニンは鉄の吸収を阻害するため野菜での摂取は必須である。無論、女性や子供は意識的に摂取量を増やす必要がある(ⅹⅴⅰ)。
亜鉛
亜鉛は乳製品や牡蠣などの魚介類に多く含まれている為、それらの食品を摂る場合ヴェジタリアンの食事が特に問題になることはない。一方ヴィーガンは摂取量が不足する傾向があり、亜鉛が多く含まれる食物を意識的に多く摂る必要がある。具体的には、小豆やかぼちゃの種、またカシューナッツがあがる(ⅹⅵⅰ)。
カルシウム
カルシウムも亜鉛同様、ヴィーガンのみ摂取量が少ない傾向にある。だがヴィーガン食は動物性タンパク質が無く、代謝過程でカルシウムを多く消費しないため必要量も少ない。カルシウムを多く含む食物としてあがるのは、ブロッコリーやケールである(ⅹⅷ)。カルシウムの摂取に関してどうしても牛乳のイメージが先行するが、他食品からも十分に摂取できるという事実を知る必要がある(ⅹⅸ)。
・ビタミン
ビタミンB12
ビタミンB12はヴィーガンが摂取することができない栄養素であり、その必要性や摂取方法についての議論はこれまで幾度となくされてきた。ビタミンB12はDNAの生成や神経細胞の維持に必要な為サプリメントでの摂取が推奨されているが、ヴィーガンの食事法を始めた人が慌ててそれを用意する必要はない。それはビタミンB12の必要量が非常に微量であり、かつ人間がビタミンB12を体内で貯蔵と再利用する能力を備えている為である。今までに報告されている計算によると、非ヴェジタリアンの食生活を送っていた人であれば10年以上ビタミンB12を摂らなくても欠乏することはない。またビタミンB12は乳製品や卵に含まれているため、それらを摂るヴェジタリアンが摂取量を気にかける必要はない(ⅹx)。
ビタミンD
ビタミンDは骨に必要で、カルシウムの吸収を促進させ血中カルシウム濃度一定に調整する働きを持つ。ビタミンB12同様にヴィーガンのみサプリメントでの摂取が推奨されているものの、ビタミンB12とD共にこれらの栄養素の欠乏症に陥ることは稀である(ⅹxⅰ)。
以上より、ヴィーガンでの食事を実践するのであれば、タンパク質と亜鉛を若干多目に摂り、オメガ3系多価不飽和脂肪酸、ビタミンB12とビタミンDのサプリメントを必要に応じて摂取することが最低限必要である。
非ヴェジタリアンの食事から単に肉食を抜いた場合、ヴェジタリアンが栄養不足に陥るのは明らかである。一方、適切な栄養摂取量を知ることができれば菜食での健康の維持、推進が可能とされている。もし肉食に少しでも疑問を抱えているのならば、是非参考文献にあげたものに目を通して頂きたい。脚色のついた文章もあるが笑、中には目を背けたい事実も正直に書かれている。それらと対峙する機会を設けることで日頃口にするものへの無意識な人間の利己的思想を認識するだろう。勿論、必ずしも肉食を辞めることはない。経験は必ず新しい価値観を与える。

「A Short Essay On Macrobiotics」The Beatles Bible (2021年1月20日閲覧) https://www.beatlesbible.com/1968/11/07/john-lennon-writes-a-short-essay-on-macrobiotics/
*当方の専門分野ではないため、内容に関して間違った情報があればご指摘ください。
・参考文献
蒲原聖可著『ベジタリアンの医学』平凡社新書 2005年2月10日
ティルストン,ジョン著『私が肉食をやめた理由』小川昭子訳 日本教文社 2007年3月15日
ホーソーン,マーク著『ビーガンという生き方』井上太一訳 緑風出版 2019年2月10日
John Davis 2011年6月1日「The Vegetus Myth」 (2021年1月20日閲覧) https://www.vegsource.com/john-davis/the-vegetus-myth.html
Macquarie Dictionary 著者不明 2011年9月12日「Origin of the word 'vegetarian'」 (2021年1月20日閲覧) 2https://www.macquariedictionary.com.au/blog/article/165/
羽多野毅 2019年2月1日「音楽とマクロビオティック~三人のジョン」
(2021年1月20日閲覧) https://column.ima-coco.jp/ta-201902
マクロビオティックWeb 著者不明「マクロビオティックととは?」(2021年1月20日閲覧) https://macrobioticweb.com/about/about.shtml
厚生労働省 監訳:伊藤壽記(大阪大学)、大野智(帝京大学)翻訳公開日:2014年3月28日 「オメガ3脂肪酸について知っておくべき7つのこと」(2021年1月20日閲覧)
https://www.ejim.ncgg.go.jp/pro/communication/c03/05.html
・註
ⅰ IVU 著者不明「Definitions」(2021年1月20日閲覧) https://ivu.org/definitions.html
ⅱ 広辞苑第六版 岩波書店2008,2009
ⅲ 蒲原聖可著『ベジタリアンの医学』平凡社新書 2005年2月10日 p.22-24
ⅳ デイビス,ジョン 2011年6月1日「The Vegetus Myth」 (2021年1月20日閲覧) https://www.vegsource.com/john-davis/the-vegetus-myth.html
ⅴ デイビス,ジョン 全ホームページ
�� Macquarie Dictionary 著者不明「Origin of the word 'vegetarian'」2011年9月12日 https://www.macquariedictionary.com.au/blog/article/165/
ⅶ 蒲原聖可 前書 p.160 l.7-11
ⅷ 蒲原聖可 前書 p.160
ⅸ 蒲原聖可 前書 p.162 l.10- p.163 l.5
ⅹ 羽多野毅 2019年2月1日「音楽とマクロビオティック~三人のジョン」(2021年1月20日閲覧) https://column.ima-coco.jp/ta-201902
ⅺ ティルストン,ジョン著『私が肉食をやめた理由』小川昭子訳 日本教文社 2007年3月15日 p.73 l.9-10 蒲原聖可 前書 p.110-114
ⅻ 蒲原聖可 前書 p110-114
ⅹⅲ ホーソーン,マーク著『ビーガンという生き方』井上太一訳 緑風出版 2019年2月10日 p.61 l.8-9
ⅹⅳ 蒲原聖可 前書 p.114-120
ⅹⅴ 厚生労働省 監訳:伊藤壽記(大阪大学)、大野智(帝京大学)翻訳公開日:2014年3月28日 「オメガ3脂肪酸について知っておくべき7つのこと」(2021年1月20日閲覧https://www.ejim.ncgg.go.jp/pro/communication/c03/05.html
ⅹⅵ 蒲原聖可 前書 p.122-137
ⅹⅶ 蒲原聖可 前書 p.137-139
ⅹⅷ 蒲原聖可 前書 p.142
ⅹⅸ ホーソーン,マーク 前書 p.62-63
ⅹⅹ 蒲原聖可 前書 p.123-130
ⅹxⅰ 蒲原聖可 前書 p.130-131
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)1月2日(土曜日)
「2050年 脱炭素」という時代が本当に来るのか
日本の政財界は、環境ビジネスに本腰を入れているが。。。。
************************
日本は2050年までに「脱二酸化炭素」を宣言した。「カーボン・ゼロ」が新しい日本の目標となったのだ。
歴史的巨視から見ると、第一次革命となった農業分野の改革改良と飛躍的生産から第二次が蒸気機関の発明による産業革命だった。第三はアルビン・トフラーの『第三の波』に予告されたごとく、IT、通信の大変革による通信革命だった。であるとすれば、カーボン・ゼロは「第四の革命」となる。大袈裟に考えなくとも、地球温暖化の異常現象が目の前にあって、人類はコロナの渦中にあっても、前を見続けることは重要である。
日本が世界覇権を目指さない平和国家、福祉国家の建設を目指していることは戦後史を振り返れば明瞭だが、このためにパワーの配分が偏在的となって、主要産業は鉄鋼、造船、自動車から、なんと「介護」となった。国家予算107兆円の三割強が福祉医療介護である。防衛予算はGDPの1%以下、とてもまともな国家ではない。
日本には防衛産業が不在で、宇宙航空産業分野へも、米国の監視網があって、独自に乗り出せば、三菱重工の新型中距離旅客機の頓挫という事態に遭遇する。
つまり日本の産業競争力は偏在している。だから総合力が弱い。
自動車産業だけは依然として世界のトップにあるものの、次世代EV競争となると、日本の安泰は続かないことになる。たとえ、EVに現時点では多くの欠陥があるにせよ、世界の合意は「2050 脱炭素」である。
昭和四十年代までに成し遂げた鉄鋼の復活も、造船も新興国に追い抜かれ、さらに脱炭素社会が実現すると仮定すれば、日本で自動車鋼板が生産できなくなる日がくる(環境保護を叫ぶ人たちは鉄鋼産業の廃業を視野に主張しているのだろうか?)。
ともかく敗戦後の日本は臥薪嘗胆を経済力の復活にもとめ、五輪、新幹線、高速道路の配備を達成した。工業の先端を走っている間に、金融改革で独自色を出せずに米欧ばかりか、中国の猛追を受けた。通貨戦争は完敗だった。
産業のコメといわれた半導体は、日米半導体協議によって、世界一の座から引きずり下ろされた。あの日本のGDP世界第二位という黄金の日々は幻想の闇に消えつつある。
▲町から書店も激減し学生が本をよまない時代
スマホ時代がやって来た。
同時にスマホは若者の思考力、想像力を奪った。またスマホによって地上波テレビは衰退し、新聞は読まれなくなり、教養の源泉とされてきた活字世界は遠くに去り、辛うじて漫画本で書店経営がほそぼそと成り立つ。
学生街から書店も激減し学生が本をよまない時代がきた。
次世代通信は5Gを超えて、次々世代の「6G」開発で、ようやく日米英の足並みが揃ったが、総合力では日米独走とはいかず、ファンドリーでは台湾に敗れ、量産では韓国が勢い、中国の半導体自製化プログラムも猛烈な勢いを見せてきた。
いまひとつ。EV(電気自動車)競争では、中国が飛び抜けて首位を走るが、米国は冷ややか、日本は「2050 脱炭素」を念頭に、やや中途半端な取り組みである。
ところがバイデン政権が出現してパリ協定復帰を公言している以上、アメリカはシェールガス開発が頓挫し、ふたたび原油とガスの輸入国に転落することになる。
日本が独走していた筈の電池技術もいつしか比較優位というポジションになった。これらは中国が日米から機密情報を盗み、ノウハウを得るために優秀なエンジニアを大量にスカウトしたからだった。
読売新聞(2021年1月1日)の一面トップは「中国千人計画に日本人が44人」という驚くべき記事である。戦後教育と偏向報道により日本人エンジニアが
中国に協力することが売国的という認識は完全に欠落している。この政治センスの無さ、国際情勢を判断できる情報力の欠如は、致命的とさえ言える。中国の軍民融合に協力することは売国奴である。しかし日本の文科省予算では十分な研究が出来ず、中国の厚遇ぶりと、学生を育てるという使命感が先に立つというのだから、日本への愛国心欠如への後ろめたさが皆無。日本の予算が少ないという不満は論理のすり替えである。
ところが、EVの欠点が明らかとなった。
北日本から北陸を襲った大雪、豪雪により、高速道路が寸断された。数千台のトラックが動かず物量が中断するという新しい危機を目の前にみた。地球温暖化ではない。EVが各所で燃料切れを起こし、その限界が露呈したことである。
電池技術が未完成のレベルになり、充電スタンドが圧倒的に不足しているという現実は、おそらくガソリン車全廃となっても、ハイブリッド車の優位が続くだろう。
▲脱炭素なら原発再活用しか手立てはないのではないのか?
だが脱炭素の流れは止まらない。
三井物産は「石炭火力の海外撤退」を前倒しする。海外五ヶ国で三井物産は火力発電事業を展開してきた。ほかに三菱商事、丸紅、伊藤忠、住友などが石炭火力の発電所プロジェクトを展開してきたが、石炭は時代遅れとばかりに、ます三井物産が撤退を表明した。
火力発電は石炭の他に重油を燃やす発電所もあり、日本の電気はこれらに支えられている。
福島原発事故によって日本中の原発発電がとまった。
この十年、奇跡的に水力と火力に加え、風力、太陽光パネルに切り替えてなんとか、電力供給を維持してきた。しかし誰も電力会社に感謝しない。
EVは電気がないと使い物にならない。電力の安定供給は既存の水力、火力に風力、太陽光、地熱をくわえても不足するのは火を見るよりも明らかだろう。
「脱炭素は原発を活用するしかない」と中西宏明経団連会長は明言している。「人類の智恵である原発をうまく活用しないとまずい」とし、サステイナブルキャピタリズムの機軸になるとしているが、まさに原発の再稼働がない限り、従来型の経済発展も無理である。こうした重大な基礎用件を、メディアはなぜか伝えない。
#脱炭素社会の欺瞞#グリーンエネルギーの欠陥#宮崎正弘の国際ニュース速読#宮崎正弘の国際ニュース早読み#宮崎正弘の国際情勢解題#宮崎正弘の国際ニュース先読み#本を読まない学生#脱炭素社会なら原発再稼働
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活況を呈していたベンチャー投資市場は、コロナショックによって一変。明暗がくっきり分かれている。 例えば観光・レジャーなど「人の移動」に関わるようなベンチャー企業は大苦戦。その一方で「非接触」「非対面」へのニーズが急上昇している。再生可能エネルギー関連や暗号資産などの金融テクノロジーにも元気な企業が多い。 本特集では、ウィズコロナ、アフターコロナ時代に飛躍するベンチャー企業を厳選。「昨年までのベンチャー100特集に選ばれていない」という条件をクリアしている企業だけを掲載しており、ニューフェイスばかりだ。 「社名」をクリックすると個別企業のページにジャンプします。「代表者」については、複数いる場合には1名のみを記載。「代表者」「資本金」「社員数」などの項目は、いずれも7月下旬の取材・執筆時点のデータ。 巨額調達 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 1 VPP Japan 送電線網を介さない太陽光発電所を運営 秋田 智一 2017年6月 8800万円 10名 2 APB 次世代���リチウムイオン電池を開発 堀江 英明 2018年10月 1億円 54名 3 ベルフェイス 営業に特化したウェブ会議システム 中島 一明 2015年4月 4億6万円 282名 4 Paidy 後払いできるオンライン決済サービス 杉江 陸 2008年3月 27億3016万円 130名 5 AnyMind Group ネット広告を柱に多彩なデジタルマーケティング 十河 宏輔 2016年4月 3684万円 750名 6 ヘイ ネット通販と決済の構築を簡単に 佐藤 裕介 2012年3月 1億円 200名 7 Ubie 「AI問診」で医療現場を効率化 阿部 吉倫 2017年5月 14億1500万円 51名 8 モジュラス 最先端の計算科学を駆使して創薬 木村 俊 2016年8月 1億円 11名 ユニコーン # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 9 リキッドグループ ビットコインなどの交換所を運営 栢森 加里矢 2014年5月 12億7000万円 135名 10 TRIPLE-1 暗号資産採掘用の半導体を開発 山口 拓也 2016年11月 18億3194万円 35名 連続起業家・元社長 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 11 LayerX 「重い産業」のデジタル化を主導 福島 良典 2018年8月 15億5480万円 28名 12 カンカク 完全キャッシュレスのテックカフェ 松本 龍祐 2019年6月 1億989万円 10名 13 NOT A HOTEL 宿泊に関わるオペレーションを自動化 濵渦 伸次 2020年4月 5億234万円 2名 14 アルプ サブスク収益最大化を支援 伊藤 浩樹 2018年8月 1000万円 16名 15 MOON-X 日本のものづくりを支援 長谷川 晋 2019年8月 1億円 4名 大学発 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 16 ACES 画像認識AIで人間の動きを解析 田村 浩一郎 2017年11月 1848万円 11名 17 Heartseed 「心筋球」で移植に代わる心不全治療 福田 恵一 2015年11月 9822万円 30名 18 エレファンテック プリント基板を独自技術で製造 清水 信哉 2014年1月 3億1000万円 42名 19 Integral Geometry Science 外から見えないものをマイクロ波で画像化 木村 憲明 2012年4月 5億5360万円 11名 20 Craif 高精度ながん検査を提供 小野瀨 隆一 2018年5月 1億円 13名 21 AutoPhasyGo オートファジーで老化を防ぐ 石堂 美和子 2019年6月 5250万円 1名 22 リージョナルフィッシュ 魚の品種改良を超高速化 梅川 忠典 2019年4月 8460万円 12名 23 KAICO 特殊なタンパク質を生成 大和 建太 2018年4月 1億7500万円 3名 広告・マーケティング # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 24 サイカ テレビ・ネット広告効果分析システム 平尾 喜昭 2012年2月 4億7000万円 53名 25 ビズパ オフライン広告の検索・発注サービス 石井 俊之 2018年12月 3000万円 6名 26 unerry 位置情報とAIで人の流れを可視化 内山 英俊 2015年8月 1億4310万円 21名 業務支援 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 27 RevComm 音声認識AI搭載のクラウド電話 會田 武史 2017年7月 4億8852万円 57名 28 Wovn Tecnologies ウェブサイトやアプリを多言語化 林 鷹治 2014年3月 1億円 88名 29 UsideU 分身を使った遠隔接客ツール 高岡 淳二 2017年6月 100万円 2名 30 テックタッチ 操作ガイドを簡単に作れる 井無田 仲 2018年3月 3億1500万円 23名 31 エピックベース 音声文字起こしをAIで自動化 松田 崇義 2020年1月 50万円 2名 32 KOSKA 製造業向けの原価管理自動化サービス 曽根 健一朗 2018年10月 1億2500万円 15名 33 Leaner Technologies 無駄な間接費の削減に貢献 大平 裕介 2019年2月 1億8017万円 5名 34 A1A 製造業の調達を支援 松原 脩平 2018年6月 1億7965万円 12名 35 Miletos 不正な経費利用をAIで検知 朝賀 拓視 2016年6月 120万円 7名 36 イエソド SaaSを一元管理 竹内 秀行 2018年9月 1785万円 8名 37 EdLog 先生の採点業務を支援 中川 哲 2017年11月 300万円 1名 人事 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 38 LAPRAS AIを活用したヘッドハンティング 島田 寛基 2016年5月 1000万円 27名 39 POL 理系に特化したスカウト 加茂 倫明 2016年9月 1億円 48名 40 HERP 現場主導の採用システム 庄田 一郎 2017年3月 1億円 25名 41 HRBrain 目標設定や評価を効率化 堀 浩輝 2016年3月 1億円 68名 42 スタジアム ウェブ面接システム 太田 靖宏 2012年8月 5億1566万円 193名 43 JOINS 副業人材をマッチング 猪尾 愛隆 2017年6月 2333万円 0名 住まい・暮らし # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 44 KabuK Style 定額制の宿泊サービス 大瀬良 亮 2018年2月 3億400万円 75名 45 WAKUWAKU リノベーション業者にノウハウを提供 鎌田 友和 2013年6月 1億9308万円 94名 46 Zehitomo 専門サービスを適正価格で ジョーダン フィッシャー 2015年8月 3億8700万円 35名 47 サマリー スマホで管理できる収納サービス 山本 憲資 2010年4月 1億円 19名 48 ビットキー 暗号化技術を駆使した電子カギ 江尻 祐樹 2018年5月 4億546万円 162名 49 インフォメティス 家電製品ごとの消費電力をAIで推定 只野 太郎 2013年4月 1000万円 48名 50 RABO 首輪で猫の行動を24時間見守り 伊豫 愉芸子 2018年2月 9025万円 7名 51 ストロボライト 園芸メディアと庭リノベが柱 石塚 秀彦 2012年7月 4億3771万円 37名 小売り・飲食 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 52 ClipLine 従業員教育を短尺動画に 高橋 勇人 2013年7月 1億円 52名 53 AWL 小売店向けAIカメラの開発 北出 宗治 2016年6月 2億3975万円 66名 54 セーフィー クラウドで録画する防犯カメラ 佐渡島 隆平 2014年10月 1億円 130名 55 Mellow フードトラックのマッチング 森口 拓也 2016年2月 4億504万円 31名 56 シン 個人店が軸の出前サービス 大見 周平 2019年6月 500万円 18名 57 スナックミー 好みのおやつをAIが選定 服部 慎太郎 2015年9月 5000万円 17名 58 GINKAN ブロックチェーンを使ったグルメSNS 神谷 知愛 2015年12月 1億9928万円 14名 フリマ・通販 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 59 ジラフ トレーディングカード専門のフリマ運営 麻生 輝明 2014年10月 2億6250万円 41名 60 モノカブ スニーカー特化のネット売買市場 濱田 航平 2018年12月 1億4009万円 11名 61 モデラート 月額制でスタイリングを提案 市原 明日香 2014年12月 1億3765万円 10名 62 picki 個人のブランド立ち上げ支援 鈴木 昭広 2017年5月 3400万円 7名 63 Sparty シャンプーをカスタマイズ 深山 陽介 2017年7月 1億円 21名 物流 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 64 Rapyuta Robotics 複数のロボットを協調制御 ガジャン モーハナラージャー 2014年7月 2億7496万円 71名 65 KURANDO 倉庫内業務を安価に効率化 岡澤 一弘 2019年7月 350万円 2名 66 ダブルフロンティア 地域密着で買い物代行 八木橋 裕 2013年4月 1億6700万円 8名 67 Azoop トラックの中古売買サイト 朴 貴頌 2017年5月 3000万円 24名 68 アイディア 船舶管制システムの開発・運用 下川部 知洋 2017年11月 1億9302万円 20名 エンタメ # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 69 Mantra 漫画に特化した機械翻訳サービス 石渡 祥之佑 2020年1月 100万円 4名 70 わたしは ユーモアを操るAIで広告提案へ 竹之内 大輔 2016年4月 5100万円 6名 71 クラスター イベントなどの仮想空間を提供 加藤 直人 2015年7月 1億円 38名 72 playground スポーツなどの電子チケットから拡張 伊藤 圭史 2017年6月 5100万円 26名 73 THECOO 芸能人とファンの交流を活性化 平良 真人 2014年1月 5億3000万円 69名 74 オシロ 月額課金のファンコミュニティーを構築 杉山 博一 2017年1月 8485万円 12名 デバイス # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 75 BONX 距離無制限の次世代トランシーバー 宮坂 貴大 2014年11月 2億5000万円 22名 76 アロマビット においを可視化できるセンサー 黒木 俊一郎 2014年2月 5億8500万円 20名 77 INFORICH スマホ充電器のレンタルサービス 秋山 広宣 2015年9月 1億6988万円 37名 データ・セキュリティー # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 78 LeapMind 端末側で深層学習ができる技術を開発 松田 総一 2012年12月 25億8700万円 85名 79 エイシング エッジAIで製造業を効率化 出澤 純一 2016年12月 1億円 16名 80 ココン セキュリティーの脆弱性を診断 倉富 佑也 2013年2月 8354万円 250名 81 Ninjastars ゲームの不正対策 森島 健斗 2018年7月 3300万円 3名 82 TRUSTDOCK 決済時の本人確認を代行 千葉 孝浩 2017年11月 1億円 15名 83 DataSign 個人データ管理ツールを提供 太田 祐一 2016年9月 8600万円 15名 84 Synspective 地方面を観察する小型人工衛星を開発 新井 元行 2018年2月 1億円 80名 医療・介護 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 85 AIメディカルサービス 内視鏡の画像診断を支援するAI開発 多田 智裕 2017年9月 1億円 51名 86 テンクー 遺伝子解析データを基に医師支援 西村 邦裕 2011年4月 1000万円 30名 87 リーズンホワイ セカンドオピニオンをネットで提供 塩飽 哲生 2011年7月 9880万円 25名 88 Buzzreach 製薬会社と治験被験者のマッチング 猪川 崇輝 2017年6月 1億6480万円 18名 89 DentaLight 歯科医院向けのIT開発 藤久保 元希 2013年10月 2810万円 20名 90 イノフィス 人工筋肉で作業負担を軽減するスーツ 折原 大吾 2013年12月 24億8120万円 33名 91 ウェルモ AIがケア事例を提示 ⿅野 佑介 2013年4月 3億円 146名 92 ファミワン 妊活を専門家がサポート 石川 勇介 2015年6月 7773万円 5名 行政 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 93 xID 無料の電子契約とデジタルID 日下 光 2012年5月 6320万円 17名 94 one visa 外国人労働者のビザ申請支援 岡村 アルベルト 2015年9月 2億5699万円 20名 95 WiseVine 予算書をデータベース化 吉本 翔生 2018年3月 1億4880万円 4名 金融 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 96 justInCase 保険料を「わりかん」するがん保険 畑 加寿也 2016年12月 1億9562万円 26名 97 エメラダ オンライン資金繰り管理 澤村 帝我 2016年6月 1億円 19名 98 Basset 暗号資産の分析・監視ツール 竹井 悠人 2019年7月 200万円 6名 99 TORANOTEC 買い物のおつりを投資へ ジャスティン バロック 2016年8月 16億4396万円 38名 100 日本資産運用基盤グループ 地方銀行に資産運用をアドバイス 大原 啓一 2018年5月 1000万円 10名 週刊東洋経済 2020年8/22号 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。 この号の目次ページを見る プラス会員(有料)にお申し込みいただくと 下記のサービスがご利用いただけます。 『週刊東洋経済』の最新号を先読みできる 1000冊以上の豊富なアーカイブを読める 雑誌誌面のイメージでも記事を読める 限定セミナーにご招待
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此れ以上同じ繰り返し致しませんが、過去には①面識無し新井正昭先生に用事無くおねだりしようとした
②ラーメン店でラーメン注文せずお水飲もうとした
③古書店にて書物購入せず立ち読み繰り返したといった理不尽な行為をしたのは確かですし、ましてや新井正昭先生は部署全面的に異なる為に仕方なく東松山市旗立台在住の斉藤悠騏男教授に置き換え、ラーメンならば家系である山岡家/武蔵家/壱角家/湘南乃家瑞穂店/大和家/坂戸家に致し、書物購入ならばAmazon/楽天/ポンパレ/mercari/WOWMA/ZOZOTOWN/駿河屋/DMM.comを用いて改善に努めなくてはなりません。その他やみくもにうざいだまれ/割り込み/ブラブラ/遊び心/就職失敗/地獄の特訓苛酷/物流系に着目/工場系厳しい/恋人無しの判断力乏しき引きこもり/ニート/穀潰し/SNEP/生活保護/遊び人では日々の進歩見られないのと同じです。いつまでもふざけて居られなくなり、改心して参りたく存じ挙げます。
2024/05/01
#面識無し新井正昭先生#ラーメンショップ横綱狭山店#ブックジョイ狭山店#水飲みに来たことにより厳しく排除された#立ち読み繰り返した為強制退去処分された#何ならば斉藤悠騏男教授#家系ラーメン#Amazon#楽天#ポンパレ#MERCARI#WOWMA#ZOZOTOWN#駿河屋#DMM.COM#ローソンチケット#チケットピア#6thトヨタカリーナ
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「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」 こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じている。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との交渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」 5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる。環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打���出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。 たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった 戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材に加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の祖」と言われた チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。 その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤りを認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。 今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」 「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を���使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した 原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。日本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。 医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治っていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.8)=((No.7)からの続き) 2010(H.22)年 H.22.1.21.水撒き人W氏はマタゾロ自室(501号室)のベランダに大量の汚水を撒き、お陰で階下401号室(私共宅)の☆➂現場は、その漏水シャワーをマトモに受けて、惨憺たる有様、枝管クランク部から漏水が引っ切り無しに滴り落ち、而も床面は霧吹き器で吹いたような細かい粒状のシブキ跡が無数に見られ、これ等が集まって大きいシミ跡が出来て居た。「もう少し早く(せめて10分くらいか?)私共が現場を訪れて居たら、今度こそ漏水シャワーその物(決定的証拠)を動画撮影できたのだが!」これは私共にとっては(マンション管理日誌によれば) H.21.4.15.の第1回目の漏水シャワーに続く、今回が第2回目の漏水シャワーであった。

当日(H.22.1.21.)は木曜日で、岩井昭雄・マンション管理人はお休み、従って私共は此の第2回目漏水シャワーをスグに同管理人に報告出来なかった。だが、売主S氏・近鉄不動産㈱仲介人武内聖介氏・水撒き人W氏および妹君・S子氏、弁護士諸先生方、更に奈良地裁・大阪高裁の裁判官諸氏は、これ等の惨状現場の写真を見ても、なおも『水漏れはたった1回だけ』『生活には何らの不都合は無い』『売買契約を撤回する理由にはならない』と断言されるか?これ等の写真は全てが大判(A4)で(他の写真と一緒に)いずれも奈良地裁に提出済みであったが、宮本初美裁判官は「売主S氏は『漏水は実質1回だけ』と言って居る」「生活には何ら不都合は無い」として、これ等の証拠写真には一切言及せず徹底的に無視・握り潰し、更に原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言は全て不要として不許可、そして宮本初美裁判官自身は、結局、一度も現場検証・確認に来る事は無かった。これでは私共は全く手の打ちようが無い。これは最早とても裁判ではない。
H.22.2.3.K先生は、私共が収集・提出した資料(写真・イラスト・情報など)を、その都度、チャッカリと取捨選択・適宜活用しては下さるが(=これでは単なるパッチワーク?)、K先生ご自身は殆ど何らの調査もなさらず、資料も収集なさらない事に焦りを感じた私共は『当マンション管理組合』から『501号室のW氏』宛に送付された『改善のお願い』のコピーをK先生にお渡しした。K先生は驚いて「あらッ!この書類、一体、どうしたの?」と尋ねられたので、私共は仕方なく正直に「実はK先生に御相談する 前に、当ビル内の隣室・福井英之弁護士先生に御相談して居りまして、これ等は福井先生が取得して下さった資料です。福井先生は『確定的ではないが、売買契約の白紙撤回は難しいかも知れない』と言われたので、私共はK先生に御相談に来た次第です」と話すと共に、福井先生が既に収集して下さって居た資料をK先生にお渡しした。K先生は、その中から上記の『改善の御願���』など(御自分が利用できる資料を)その侭チャッカリと今後の裁判に活用して下さる事になった。
H.22.2.5.K先生が提出された準備書面より抜粋「売主S氏が上記の第1準備書面で主張して居る事、特にベランダに出て身を乗り出して上を見たところ、上階501号室の住民(W氏)がバケツで大量に水を撒いていた、との主張は大ウソである」と一々(私共が撮影・作成した)写真・スケッチ・実測図をチャッカリ利用して説明された。85歳の高齢者(S氏)がベランダから身を乗り出して上階のベランダ内を覗く事など、絶対に不可能、また(私共が予め調査して置いた)ヤモリの習性・糞についても触れ、アルミホイルが「ヤモリを防ぐ為」ではなく、「まさしく漏水防止の為だった」事も主張された。そして漏水被害が未だに続いて居る事実を、数多の証拠写真等で立証された。同時にK先生は近鉄不動産㈱が作成した売買契約書に「漏水被害:無」「浸水被害:無」との記載ある事実も指摘された。だが奈良地裁の宮本初美裁判官は、これ等の記述・事実にも(意図的に?)全く言及せず、徹底的に無視し、最後まで「こんな物は信用できない」として、S氏・証人等の出廷・尋問・証言をも全て不許可にした。勿論、同裁判官は現場検証・確認には一度も来なかった。これではK先生も私共も全く手の打ちようが無い。どうしようもない。これは最早とても裁判ではない。 H.22.2.10.第4回裁判でK先生は「ヤモリ糞の写真」「糞をバラ撒いた犯人の足跡写真」を遂に公開された。K先生は「今日はサスガに(S氏の弁護人である)藤本先生も大人しくして居ましたね」と言われた。本日以前には、ヤモリ糞をバラ撒いた犯人が複数回、現場に不法侵入してコウモリ糞を適宜に増量・撒き足した形跡が見られたが、本日以後はサスガに誰かが401号室へ複数回不法侵入した形跡はパッタリと見られなくなってしまった。然し、宮本初美裁判官は、「漏水被害」「ヤモリ糞(=実はコウモリ糞)」「足跡」などの数多の写真類には一切目も呉れず、「上階のW氏の行動が問題なのですね?」「マンションに物理的欠陥はあるのですか?」などと、ワザと全く関係無い事ばかりに拘って私共に長時間を空費させ、私共の期待する「漏水被害を隠した侭で当マンションを売り付けた事による売買契約の白紙撤回」にまでサッパリ話が進まなかった。挙句の果てに宮本初美裁判官は傍聴席の私共に向かって「貴方は当マンションには居住して居ないのですね?それならサッサと転売したら如何ですか?」などと持ち掛けた。K先生は「原告B(私共)は漏水被害を全く知らされずに当マンションを購入したのです。然し、漏水被害が表沙汰になってしまった以上、原告Bが今ここで転売すれば多額の転売差損を蒙る事になります。だからこそ契約の白紙撤回を求めて訴訟して居るのです」と解説して下さって、漸く宮本初美裁判官は事情を理解できた振り(?)をして見せた。後刻、K先生と私共が打ち合わせた際、私共は「あの宮本初美裁判官はバカですか?私共が、一体、何の為に訴訟して居るのか、その事情を(K先生に解説して貰うまで)全く理解して居なかった。そんな簡単な事も分からないで(あるいはワザと分からない振りをして(?))、私共に向かって『サッサと転売したら如何ですか?』などと持ち掛けるなんて!裁判官ともなると、余りにもエリートであり過ぎて、私共シモジモの生活感覚が全く分からないのですかねェ!」と言うと、K先生は「あの宮本初美裁判官は別にエリートでも何でもありませんよ。私達、奈良市内の弁護士の間でも、とかく『問題ある裁判官』として有名なんですよ。私は(宮本初美裁判官の扱う事件では)未だ一度も負けた事が無いけれど、あの『問題ある(宮本初美)裁判官』のお蔭で迷惑を蒙った弁護士が幾人も居るのですよ」と解説して下さった。K先生は更に「あの宮本初美裁判官は、当方から提出した証拠書類などはチットも読んで呉れて居ないようですね」とも付け加えられた(実は同裁判官はワザと読まない・読みたくないのだろう?)私共は「こんな『常識の無い』『証拠書類・資料をチットも読まない』『弁護士諸先生方に迷惑ばかり掛け続けて居る』『問題ある事で有名な(宮本初美)裁判官』が私共の事件を裁くのか?これじゃあ、いくら証拠写真・書類などを取り揃えて提出しても、どうせ握り潰されてしまって、ロクな判決が出ないだろうな!」と憂慮した。そして、その半年後には私共の憂慮・不安が現実のものとなってしまった。なお同日、K先生より奈良地裁宛に「送付嘱託申立書」が提出された。①近鉄住宅管理㈱のH.19.4.1.~H.21.4.30.までの当マンションの管理日誌、②当マンション管理組合のH.21.4月および5月の管理組合理事会議事録etc.で、これ等はいずれも漏水被害を立証する上で重要証拠書類であるが、宮本初美裁判官は此の申し立てを悉く全て不許可にした。こんな重要書類を裁判に持ち出されてしまっては、宮本初美裁判官のメンツは丸潰れ、赤っ恥を掻く事は必定、『これは何が何でも絶対に阻止せねば!』と必死になって[K先生および私共]の妨害・邪魔をする訳だ!これではK先生も私共も全く手の打ちようが無い。これは最早とても裁判ではない。なお(私共からの要請により)、K先生は下記業者にも「弁護士照会」を提出された。
H.22.2.2.(不二建設㈱)、H.22.2.8.(美和ロック㈱、 H.22.2.24.(不二建設㈱)、 H.22.3.10.(㈱アイ・フラッツ)、 H.22.3.10.(再び美和ロック㈱)の各社に対してK先生より、「弁護士法第23条の2第1項に基づく照会」を提出されたが、それ等のやり取りは全て添付DVDに収容されて居る。但し「法廷でウソの証言をした時は、偽証罪に問われる」が、此の弁護士照会に対しては「たとえウソの回答をしても、何ら罰を受ける事は無い」との事。 H.22.2.18.K先生からの弁護士照会に対して不二建設㈱からの回答の抜粋「W氏宅のトイレの詰まりを確認した処、便器内に『スルメ』『箸』『昆布』が詰まって居り、廊下まで汚水が溢れて居た」「通常とは少し違う感覚をお持ちの方と思いました」との回答あり。W氏の病的に異常な言動が、此処でも明らかである。なお同社からの無責任な回答に対する、私共の反論は前述した通り。 H.22.2.20.現場にバラ撒かれて居たヤモリ糞(実はコウモリ糞)を分析して貰う為、私共は害虫・害獣駆除専門業者「ダスキンターミニクス奈良北店」のセールスマネージャー西久保氏明男に現場へ来て貰った。同氏は現場の糞を一目見ただけで「これはヤモリ糞ではなく、コウモリ糞だ」と断定した。同氏は素手で現場の糞を拾い上げ、掌に載せて私共に示しながら「素人目にはヤモリ糞とコウモリ糞は良く似て居て、区別が付き難いが、ヤモリ糞には表面に白い尿石があるから、スグに分かります」そして同氏は「ヤモリ糞は入手が難しいが、コウモリ糞なら比較的簡単に入手できます」との事だった。そして「裁判での証拠書類として利用したいのなら、矢張り正規の分析機関で分析し、正式に検査結果報告書を書いて貰いましょう」とアドヴァイスして呉れ、サンプル糞を自社へ持ち帰った。
H.22.2.24.検査機関・㈱ビアブルの検査結果報告書が完成、ベランダにバラ撒かれて居た糞は矢張り「ヤモリ糞」ではなく、「コウモリ糞」だった。検査結果報告書を参照されたい。

H.22.3.18.私共は岩井昭雄管理人に会ったが、同氏は「私は本日付で当マンション管理人を退職し、後任に佐藤秀司氏が引き継ぎます」と話した。更に岩井昭雄管理人は私共との[固い約束]を反故にして「私は勤務先(近鉄住宅管理㈱)から『裁判では漏水についての証言などする必要は無い!』『証言するな!』と厳命されて居るので(?)、証言は致しません」と私共に証言拒否を申し出て来た。同氏は形式上は「自主退職」となって居る由だが、近鉄側が(漏水被害の事実を知悉して居る)岩井昭雄管理人のようなヤバイ存在は早めに切り捨ててしまおう!」との魂胆がミエミエ。因みに岩井昭雄氏は、外国語(特に英語)に堪能な能力を生かして、現在は京都府内の某私立大学(同志社?立命館?)の非常勤講師をして居る由(現在の佐藤秀司・新管理人より聞いた話)。斯んな「(恐らくはハシタ金(?)で)S氏に簡単に買収されてしまって、『水漏れが有ったのは、たった1回だけですよ』『実際にヤモリが出たんですよ』『ヤモリを防ぐ為にS氏はアルミホイルを詰め込んだのですよ』などと大ウソを吐き、挙句の果てには『会社から厳命されて居るので(?)、私は裁判では証言致しません』などと、私共との[固い約束]をアッサリと反古にしてしまった卑劣な男(=裏切者)が、事もあろうに大学の先生になるなんて!此の世の中(=日本)は一体どうなって居るのだ?私共は全く呆れてしまった。 H.22.3.25.第5回裁判では宮本初美裁判官は、相変わらず私共が提出した証拠書類には一切言及せず、「物理的瑕疵」「環境的瑕疵」などについてK先生に長々と説明させ、長時間を空費させた。これでは一体、何の為に態々裁判を開催したのか?全く時間の無駄だった。 H.22.3.27.私共が信頼して居た岩井昭雄・前管理人の裏切り行為(=前言を翻して「水漏れはタッタ1回だけですよ」「実際にヤモリが出たんですよ」などと大ウソを言い出したり、私共との[固い約束]を反故にして「証言は致しません」などと証言拒否したり)に私共は大いに失望し、苦し紛れに当マンションの全28所帯の内、(501号室(W氏宅)と401号室(私共宅)とを除く)26所帯に聞き取り調査(そして後にはアン���ート調査も)を実施する事を思い付き、アンケート調査票(原案)を作成して、これをK先生に校閲して貰った。後述の如く、私共が苦し紛れに行った此の『聞き取り・アンケート調査』は、後々、幾度も私共の役にたった。


H.22.4.21.当日付でK先生から「当マンション住民に対するアンケート票」を各住人諸氏宛てに発送して貰うと共に、私共は約1ケ月掛けて聞き取り調査・アンケート調査を終えた。(但し、アンケート調査票の回答回収は一部だけ)。その結果、「(上階からの)漏水被害を受けて居るのは、W氏宅(501号室)の真下にある私共宅(401号室)だけ」と言う事実が判明した。それで私共は「此の漏水被害は(元々、当マンションの排水パイプの腐食などの)物理的瑕疵などに因る物ではなく、また外界からの風雨の吹込み等による結果でもなく、正に501号室の住人(W氏)自身がベランダの排水口・排水溝へ「大量のゴミ類を捨て」て枝管内をビッシリと詰まらせて置いて、その状態で更にベランダへ「大量の汚水を撒いた」為の環境的瑕疵である」事を此処に確認した。即ち、私共は「当マンションは、元々、物理的に何ら問題無いマンションだ」と分かった。なお当初、私共は「聞き取り調査」だけを行って居たが、後になって「言った」「言わない」などとトラブルになっては困るので、「聞取り調査」が一先ず終了した時点で、今度は更にまた同趣旨の「アンケート調査」をも実施する事にした。然し、アンケート調査票を回収するに当たり、私共は幾度も各戸を訪問したが、多くの所帯からは『マタゾロ押し売りジイサン・バアサンがシツコクやって来た』と勘違いされたらしく、門前払いを食わされる事も屡々で、調査票の回収は予想外に難しく、中には日時を替えて8回も訪問したが、結局、完全無視されて、アンケート調査票を回収できなかった所帯もあった。なおK先生は当マンションの某主婦から電話で「買主B夫婦(私共)は、聞き取り調査を終えたばかりなのに、今度はマタゾロ同趣旨のアンケート調査票を回収しようとして、各所帯をウロツキ回って居る!」「ウルサイ事だ!」との苦情を受けられたのであろう?私共に「今後は御自分達だけで調査票を回収したりせぬように!」とアドヴァイスをして下さった。然し、私共は「(旧売主S氏は元々大ウソつきだが)ズッと私共が信頼し続けて来た岩井昭雄・前管理人にまで、ものの見事に裏切られてしまったからには、止むを得ず、何が何でも自分達が行う『聞き取り・アンケート調査票』を出来るだけ多く回収して、これ等をK先生に提供し、裁判で役立てて戴こう」と思った。だがアンケート調査票を回収すべく各所帯を訪問して居た時、ある主婦は私共に「現管理人(=佐藤秀司・新管理人)から『余計な事は書くな!』『喋るな!』と箝口令が敷かれて居ますよ」と打ち明けて呉れたので、私共はアンケート調査票の全票回収作業を途中で断念した。箝口令が敷かれた後では、「いくらアンケート調査票を回収しても、結局は当マンション住人諸氏の本音は聞けない」と判断したからである。但し、聞き取り調査だけは、それよりも以前に既に完了して居たのは救いだった。念の為に其の調査内容を書きに一覧表示します。

H.22.4.30.売主S氏の弁護人・藤本先生からの第2準備書面の抜粋「夜間、窓にヤモリが張り付いて居るのに気付き、気味が悪かったので、パイプにアルミホイルを詰めたら出て来なくなるだろう、と思ってそうしただけだ」(最初、S氏は「水漏れなど全く知らなかった」→「水漏れなどは全く無かった」→私共が「それでは仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)、マンション管理人(岩井昭雄氏)の両人に、裁判で漏水被害の事実を正直に証言して貰いますよ」と言うと、慌てたS氏は一転して急遽「水漏れは確かにあったが、それはたった1回だけで、生活には何ら不都合は無かった」→「アルミホイルを詰めたのは、ヤモリが上階501号室から排水枝管☆②の外周を伝って這い降りて来るのを防ぐ為だった」→「アルミホイルは水漏れとは全く関係ない」→私共が「ヤモリは粘着力ある四肢で何処でも自由に動けるから、排水枝管外周とベランダ天井との円形(環状)隙間にアルミホイルを詰めても、ヤモリを防ぐ事は出来ませんよ」と反論すると→今度はS氏は更に一転して「窓にヤモリが貼り付いて居て気味が悪かったから、天井とパイプの隙間にアルミホイルを詰めたのだ」などと言い出した。窓に張り付いて居るヤモリを防ぐのに、何故、全く無関係の天井と枝管との隙間(A)(B)にアルミホイルを詰める必要があるのか?私共の聞き取り・アンケート調査の結果、当マンションの住民で「ヤモリが出た」などと答えた所帯は皆無だった。 また岩井昭雄・前管理人も当初(H.21.6.5.)には私共に対して「ハハハ、S氏は『ヤモリが出た』などと話して居るのですか?そんな話など私は一度も聞いていませんよ」と私共に(笑いながら)話して呉れて居たのだ。(但し、岩井昭雄氏は、後日、売主S氏に(ハシタ金でも掴まされて?)スッカリ丸め込まれて『ヤモリが出たのですよ』『ヤモリを防ぐ為にS氏はアルミホイルを詰めたのですよ」などとウソを言い出したり、会社からの厳命(?)で「法廷での証言は致しません」と証言拒否を申し出て来るなど、甚だしい裏切り行為で私共をスッカリ失望させた)。だが、当マンション管理日誌にも「ヤモリが出た」との記載は一行も無い。而もベランダにバラ撒かれた糞は(ヤモリ糞ではなく)コウモリ糞だった事も既に判明して居る。売主S氏も岩井昭雄管理人も(2人とも)全くの大ウソつきだ。 このように売主S氏の主張は正にウソ八百、二転・三転・四転、五転、支離滅裂、無茶苦茶である。宮本初美裁判官は、こんなS氏を何故出廷させず、本人尋問をさせないのだろうか?これでは私共は全く手の打ちようが無い。藤本先生は、こんなS氏の『度重なる大ウソの大連発』と『稚拙・卑劣でウソがバレバレのヤモリ糞の捏造工作』とを十分に承知の上で、S氏を弁護する準備書面をマコトシヤカに書き上げられたのであろうか?確かに「弁護士は何が何でも依頼人を弁護すると共に、何が何でも訴訟相手を遣り込めるのが弁護士本来の仕事である」かも知れないが、これはチト酷過ぎる! H.22.5.7.近鉄不動産㈱からの準備書面(2)の抜粋「説明義務違反は無い」と反論。
H.22.5.14.K先生からの「ご連絡」によれば、「本件訴訟で送付嘱託(管理日誌・理事会議事録)について採用して貰いたい」と奈良地裁に申請したが、宮本初美裁判官から「裁判所としては、その必要は無い、またS氏の尋問も必要ないと考えている」と、K先生の抗議にも態度を変えなかった由。「宮本初美裁判官は、原告(私共)が確認した水漏れは1回だけであり、後はパイプの錆やベランダの水跡などで、水漏れがあったと推測しているだけ」と言い、「その後水漏れがあった確証はない」と言わんばかりの口ぶりで、当方にとって非常に不利益な状況となって居るように思います」との連絡だった。


然るに、K先生からの送付嘱託に対して、頑として『不許可』を喰らわせて来た宮本初美裁判官の『メンツを丸潰れ』にするような事態が、後日、起きてしまった。即ち、後日(H.22.6.18.)にK先生が私共の弁護を放り出した(=逃げ出した?)後で、私共の弁護を引き受けて下さった松村安之・南陽輔両弁護士先生によって、此のマンション管理日誌(のコピー)が(奈良地裁の許可など無くても)H.22.10.14.にヤスヤスと入手出来てしまい(これを『ダメ押し証拠No.1』とする)、次回以降の裁判にスンナリと提出される事になったのである。だが、此の事は宮本初美裁判官、その後を引き継いた担当裁判官諸氏の『メンツ丸潰れ』『プライドを著しく傷付ける』結果となってしまった。(然し、松村・南両先生にはモトより『宮本初美裁判官、その後を引き継いだ担当裁判官諸氏のメンツを潰してやろう』などという意図も魂胆も、勿論、全く無かった。ただ「本件裁判では、是非とも必要だったから取得した」だけなのだ)。松村・南両先生は、予めFax送信・電話連絡等によって、当マンション管理組合理事長の事前許可を取得した上で、H.22.10.14.に両先生2人とも遥々大阪から奈良市内の当マンションへ来訪され、管理人室で近鉄住宅管理㈱の重役2氏および佐藤秀司・現管理人、私共B夫婦(合計7人)が立会いの下に(当マンション竣工時(H.19.2.23.)から前日(H.22.10.13.)までの全管理日誌・全議事録を閲覧・精読され、同時に管理日誌(の必要部分のコピー16枚)をも取得されたのであり、そのお蔭で私共は此の「経過報告書」の随所に「管理日誌」の該当箇所を組み入れる事が出来たのである。なお両先生は同時に議事録も閲覧されたが、これは「管理日誌」に比べると、それほど裁判には効果的と認められる記述・材料が無かったので、そのコピーは取得されなかった。 なお松村・南両先生は、更なる『ダメ押し証拠No.2』として、奈良市水道局から「水撒き人W氏の水道使用量証明書」の送付嘱託をも申請されたが、(これ以上、メンツが潰れる事を恐れた?)裁判所は「此の上、更なる『ダメ押し証拠No.2』まで許してなるものか!何が何でも阻止せよ!」とばかり、懸命になって(?)これを不許可にした。松村・南両先生は幾度も私共に「奈良市水道局からの『W氏の水道使用量証明書』は『W氏が如何に無茶苦茶に大量の水を撒き散らして居たか』が数字の上で立証できる、これは『重要な証拠』だよ。此の取得を、何故、裁判所は許可して呉れないのかな?これを許可して呉れればなァ!」と頻りに残念がって居られた。ところが此の『ダメ押し証拠No.2』も、実は全く思い掛けない事態・理由から、奈良地裁は松村・南両先生に許可せざるを得なくなってしまい、その結果、両先生はH.24.9.7.に「W氏の水道使用量証明書」を首尾良く奈良市水道局から取得されたのである。これを『ダメ押し証拠No.2』とする。そのお蔭で私共は『W氏の各月の異常な水道使用量』の該当部分をも、此の「経過報告書」の随所に組み入れる事が出来、同時に『W氏の異常な水撒き癖』を数字上でも立証する事が出来たのである。だが、これ等の[ダメ押し証拠No.1][ダメ押し証拠No.2]が「天下のエリート」(=裁判官諸氏等)のメンツを潰し、心証を一層悪くしてしまったのであろうか?裁判官諸氏等は、以後の裁判では、これ等の[ダメ押し証拠No.1][No.2]を完全無視、「大量の水を使ったからと言って、漏水被害が有ったという事にはならない!」(正に『アア言えばコウ言う』という屁理屈だ)と決め付けた。(それじゃぁW氏は、一体、何の為に、それ程の大量水を使用したのか?)、従前通りの不当判決(=インチキ判決)が下されたのである。いくら松村・南両先生が[動かぬ証拠=ダメ押し証拠No.1およびNo.2]を首尾よく取得して、これ等を裁判に提出されても、肝心の裁判官諸氏等が、これ等すべての証拠類を、意図的に(?)あるいは必死に(?)なって完全無視すれば、これ等は、結局、裁判では全く無価値である。これ等について詳しくは後述する。本来ならば、これで私共がW氏から蒙った(そして現在も蒙り続けて居る)漏水被害は、下記(1)(2)(3)(4)(5)によって十分に立証できた(筈だ?)と思った。 (1)私共から裁判所に提出済みの数多の『漏水被害現場の大判(A4)証拠写真』、当マンションの外観『イラスト』『スケッチ』『(ヤモリ糞などの)インチキ証拠写真』『犯人のマヌケな足跡写真』、 (2)当マンションの住人および近隣住人諸氏等の証言、および当マンション管理人(岩井昭雄・佐藤秀司両氏)、近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏の証言(但し、岩井昭雄・武内聖介の両氏には、後日、見事に裏切られてしまったが…)、
(3)松村・南両先生が当マンション管理組合から取得して下さった『ダメ押し証拠No.1』=マンション管理日誌16ページ分、 (4)松村・南両先生が奈良市水道局から取得して下さった『ダメ押し証拠No.2』=W氏の各月の水道使用量証明書、 (5)最重要事項として、裁判所が本人等(原告・被告・証人等)を出廷・証言させ、而も裁判官諸氏ご自身も現場検証・確認に来られる事、などである。
然し、結局、裁判所には上記(1)(2)(3)(4)(5)を全て完全無視されてしまって、私共が全裁判で実質的全敗した事、既述の通りである。
以下、(No.9)へ続く
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこって��る。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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福島事務局の大塚真理さん、大いに語る。
東北ユースオーケストラ結成のきっかけは、スイスの世界的に高名な音楽祭、ルツェルン・フェスティバルから東日本大震災のための復興イベントを行いたいとの相談を受けたことからはじまります。
大震災直後から被災三県の学校の楽器を点検、修理し、音楽活動を支援してきた「こどもの音楽再生基金」では、発起人である坂本龍一さんから「子供たちによるオーケストラができないか」というアイデアが出ていました。
2013年のルツェルン主催の宮城県松島での音楽イベントに「東北ユースオーケストラ」という混成オーケストラを編成して指揮者グスターボ・ドゥダメルさんや坂本龍一さんと共演する機会があれば、日本のみならず世界に復興途上の現地の子供たちの姿が発信されるのではないか。
この大きな構想を受け止めてくださったのが、当時福島市のテレビ局、福島テレビが運営されているFTVジュニアオーケストラで事務局を担当されていた大塚真理さんでした。大塚さん無しには、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013」で「東北ユースオーケストラ」が生まれることはあり得なかったでしょう。そういう意味でも、大塚真理さんはTYOの母であります。
以来、2015年の団員募集ではチラシを抱えて地元を駆け回ることから、合宿での急病人の対応から、福島市での毎月の合同練習会で団員が出したゴミの後始末から、何から何まで気の効くサポートを受け続けて来ています。時に原発事故の話題になると、国や東電の対応や深刻な影響について声を荒げて話されることがあり、折に触れお話を伺ってきました。しかし、これまで一度もいわゆる「インタビュー」をしたことがなかったと気づきました。そこで、今年も311が近づく2月の1泊2日の合同練習会で二日に渡ってお話を聞いてみたのです。
ー 今日はあらためてお話を伺いたいと思います。まずは福島テレビ(FTV)に入社された頃の話からでいいですか?
FTVには1977年、昭和52年に入社しました。最初は営業管理部で、スポットデスクに配属されました。
(注:「スポットデスク」とは番組と番組の間に入るスポットCMの管理を行うセクションです)
その後は、制作部でサブディレクターになりました。県庁担当で「市政たより」やお母さんのための幼児教育番組「小さな世界」などの制作をしていました。弁当やお花の手配ばかりしていたので、自分のことを「弁当ディレクター」と言っていました。
鼓笛隊パレードとか、当時はジュニアオケの番組もありました。毎年土曜日午後の1時間半番組でスポンサーもついていたんです。昔は自社制作番組が結構ありました。
ー 今では地方局は東京のキー局の番組ばかりになってますからね。福島テレビは当時からフジテレビのネットワーク局だったんですか?
その頃はフジテレビとTBSの2局のネット局だったんです。最強だったですよ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」も「花王名人劇場」も「ザ・ベストテン」も「夜のヒットスタジオ」も金八先生のドラマも「なるほど!ザ・ワールド」も同じ局で放送していたんですよ。
ー それはすごい!わたしが子供の頃に見ていた番組ばかりです。きっと仕事も面白くてしょうがなかったでしょうね。
はい、楽しかったですから結局結婚まで10年勤めました。当時の福島だと30過ぎると結婚が遅いほうなので周りに心配されました(笑)
ー ということは今や珍しい寿退社ですね。一旦お辞めになってからまた復職されたのですね。
わたしの主人が亡くなった時に戻ってこないかと声をかけてもらいました。15年ほど前、いまとにかく困っているから事務を手伝ってくれと言われたんです。
ー 困った時には大塚さんですね(笑)
平成15年、2003年に福島テレビの事業部一年間、契約社員で働きました。そうしたら翌年の2004年からFTVジュニアオーケストラの事務局をやってくれとなりました。その頃には福島テレビの女性社員はほとんどいなくなってたんです。
ー オーケストラとは昔からつながりがあったんですか?
制作部時代、ジュニアオケの番組収録の時にタイムキーパーとして何度か手手伝ったくらいでした。だから頼むれた時も「え、オーケストラ? 音楽は知りませんよ、でも事務はできますよ、予算管理ならできますよ」と言いました。
社内の人たちはよく知ってるし、社内交渉はできる。それに営業と制作で鍛えられたので、段取りはよくわかっている。人生何事も経験で無駄なことは無いとつくづく思います。若い頃の経験が役立ちました。
ー それは大塚さん、適任ですね。でもオーケストラの運営には専門知識も必要ですよね。どうされたんですか?
そもそもトランペットとトロンボーンの違いもわからないくらいだったんです。だから必死で本を読みました。「音楽の友」など音楽雑誌を毎月読んで、フルトヴェングラー、カラヤン、ウイーンフィルなどについての本を気の向くままに読みました。特にNHK交響楽団のオーボエ奏者茂木大輔さんの本は役立ったと思います。
指導していただく先生方の話もチンプンカンプンだったので、楽譜を読めるようにドイツ語とイタリア語の対照表も自分でつくりました。「やさしいクラシック」のような入門向けのCDも片っ端から聴きましたね。
— オーケストラの運営となると、この世界ならではの業務もありますよね。
まずは一所懸命に楽譜の整理をしました。もうそれはそれは楽譜がバラバラだったんです。東京から指導に来ていただいていたパーカッションの先生、大塚敬子先生に教えていただいて、パートごとの並べ方や番号の方を教わったり、それはとても助かりました。
3年やってようやく慣れたかな。予算のこと、楽器のこと、テクニカルタームもわかるようになってきました。だんだん実務が楽しくなってきて、自分から企画が出せるようになってきたんです。
— 大塚さんにとってジュニアオケでの転機となるようなことはありましたか?
6、7年目かな。福島県文化センターでクリスマスコンサートとして竹内ひとみバレエ団とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕をやりました。この企画を出した時は、子供たちがオーケストラピットに入って演奏するから脇役になると、先生方は反対でした。でも子供たちはやりたいと言うんです。だから押し切った(笑)。前半と後半に分けて負担を減らすようにしてね。
— 一番思い出深いコンサートとなると、どうですか?
ベートーヴェンの第九ですね。わたしがFTVジュニアオーケストラの事務局を辞める年、2013年12月30日でした。会��が福島県文化センターという県の公共施設ですから、年末は通常28日で仕事納めなんです。それを「開けてください」とお願いして、ホールの歴史で初めてのことでした。 この時も大人は反対でした。「忙しいから駄目だへ、無理だべ」とさんざん言われました。でも、子供たちに聞くと「やってみたい」と言うんです。実際やれるんです。子供は「やるよ」と言ったら、やるんです。大人が決めてはいけないんです。
このことは、子どもたちに教えられたことです。子供たちってすごいんですよ。わたしは若い人たちにパワーをもらって生きてきた、助けられて生きてきたんです。大震災から2年経って、福島の復興への想いもありました。
わたしはジュニアオケの仕事も10年で辞めるからと言っていました。わたしの子供も大学を卒業するし、60歳から先は自由に生きるのだと決めていた。だから「歓喜の歌」である、第九をやって締めくくりたいと思ったんです。第九の合唱団も公募で大変だろうと言われたけど、好きなことだから頑張れるんです。そしてサポートしてくれる、先生や周りの人に恵まれていました。
おかげさまで演奏会は大成功となりました。
— いつも団員インタビューで聞いている質問です。311の時、どこで何をしていましたか?
福島テレビの旧館5階の事務局に一人でいました。いつも2時40分が仕事のひと区切りがつく時間だったんです。だからその日もコーヒーを淹れようと立ち上がったら、携帯の地震警報が鳴りました。もう激しく揺れだしてびっくりしました。逃げようと廊下を走ったけど思うように前に進めないんです。すると壁が部分的に崩れてきた。譜面台は一斉にバタバタと音を立てて倒れ、階段を降りることもできず、エレベーターの角の柱につかまっていました。すると、わたしの背後でコピー機が左へ右へと走ったんです。もうびっくりして、あの時はこのまま一人で死ぬんだと思いましたね。
2回目のほうが揺れが大きくて、長く感じました。そうこうしていると、4階の秘書室の部長が上がってきた。バタンバタン大きな音を立てて動いていた防火扉を止めるためにです。
それで揺れもおさまって3階の事業部に戻ったところ、危ないので外に出ろと言われた。外に出たら、こんどは雷と吹雪になりました。 報道と制作が入っていた新館は、それほどの被害は無かったのですが、旧館が酷かった。あらゆるガラス、窓ガラスがほとんど割れたから、そのあとずーっとベニヤ板で覆うような状態が続きました。よく怪我人が一人も出なかった、奇跡に近いと言われましたね。もう壁もひび割れて「メロンハウスだね」と言って笑うしかなかった。
— 外にしばらくいたのですか?
いったん家に帰れと言われました。家族の安否を確認するために連絡を取りました。そしていったん5階の事務局に戻ったら、テレビもファックスも吹っ飛んでいましたね。ようやく鞄と靴を探して、コートを持って車に乗りました。車内のラジオで津波が発生と聞きました。被害が出てると言うけども、よくわからなかったです。車を運転しても、信号が止まっているので、渋滞はしてなかったけど、道路を渡ることすら思うままにできなくて、交差する車同士で「ごめんなさい」と道を譲ってもらったり譲ったりで、踏切の無い道を選んで車を走らせました。 水道管が破裂したところは、もう道路がわからない状態で、運転しながら足が震えました。もう自分の家が無いのではと思いながら、運転するのに必死でした。道路が陥没して軽自動車が落ちてる脇を通って抜けた時の恐怖。あの時のことを思うといまだに怖いです。 おかげさまで家はあったし、屋根も損傷受けずでしたが、電気ガス水道が止まりました。
— ご家族はみなさんご無事だったのですか?
当時23才だった上の娘が勤めていた銀行がたまたま仕事休みで、いつもはぼーっとしてる娘がセブンイレブンに買いに走ったけど、ほとんど何も無かったと報告してくれました。 78才の父は犬が飛び出さないよう抱えて、いったん家を出たそうです。 80才の母は玄関で動けないでいた。あまりにびっくりして、記憶が無いと言っていますね。もう、ぼーっとしてるしか無かったと。 家族と家は大丈夫だと実際に安否確認でき、会社に報告したらしばらく出社しなくていいと言われました。ちょうど金曜日だったので、それからしばらく家にいましたね。
— 津波のことは後から知ったのですか?
ラジオだけの情報でした。だから津波の悲惨な状況を聞いても想像できなかったですね。電気が戻ってから、テレビの映像で津波を見てショックを受けました。まるで映画のワンシーン。こんなことが起きるんだと思いましたね。家族でみんな生きているに感謝しました。
— 避難所には行かれました?
結局、避難所には一度も行かずでした。2000年問題の時に電気が止まると言われていたので、ストーブがあって、灯油もあったので寒さはしのげました。あと近所の飲めない井戸から水をもらって、ストーブでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、その水を利用してトイレも使えました。 近所の井戸水で飲める水があるとの情報を聞きつけ、ガソリンあるうちは車を走らせてもらっていました。 やはり困ったのは水、電気でした。夜は庭の太陽光で発電する照明を家に持ち込んだり、ロウソクの生活が続きました。テレビも見れなかった。 ガスが最初に復帰して、1週間もかからなかったですね。水道は1週間かかりました。そしてうちは電気が一番最後に復旧しました。道路の反対側まで電気が来てるのに、あともう少しなのにとせつない思いになりましたね。街の中は電気ガス水道ともに全然大丈夫だったんですが。
— 原発の事故はいつ知られましたか?
大震災の週明け火曜日に会社に行って、はじめて原発がたいへんなことになっていると知りました。それまで、そんな重大なことと思わなかったです。家に帰って「どこに逃げようか、どっち方向だろう、貴重品を持ち出せるように、いつでも避難できるようにしよう」としましたね。 水をもらうために外で2時間とか平気で並んでました。原発が深刻だと思わなかった。学校行ってないから子供が外で並んでたんですよ。もうちょっと教えてくれたらと今になって思いますね。もっと広報の仕方とか方法が無かったのかと。確かにそれどころでは無かったかもとは思います。誰も経験したことの無いことだったから。福島は災害が無かったから、災害の無い県と思い込んでましたね。それに「原発は安全だ」と思い込んでいました。地震はともかく、津波の恐ろしさ。あの津波さえなければと思いますね。
— 福島市から逃げようとはされなかった?
逃げて行っても、生活の場が無いですしね。できるだけ外には出ない、窓は締める。ガソリンがあるうちは車で移動。必要以外は外に出ないとしました。 それでもしばらく余震が続きました。地震警報におびえる生活が続きました。家の中でも寝る時もジャージで、一階の和室で生活をしすぐに外に出られるようにしていました。 いつから普通の生活に戻ったんだろう。記憶はあいまいになっていくものですね。
— これもいつも団員インタビューで聞いている質問なのですが、311で変わったことは何ですか?
日々何事も無く過ごしている有り難さを感じるようになりましたね。電気ガス水道の有り難さ。そして、なにごとにも感謝です。
平凡が一番、普通が一番。
なにごとにも「ありがとう」感謝の気持ちを持てるようになり、気持ちが穏やかになったと思います。
それから、普段からの災害への備えをするようになりました。それでも、またあったらうろたえるのだろうなとも思いますけど。
— FTVジュニアオーケストラの団員の子供たちに変化はありましたか?
ジュニアの子どもたちのうち、自主避難でいなくなった子が3人いました。逆に浪江町から避難してきた子が一人入団しました。福島テレビの社員でも小さなお子さんのいる方は3人は辞めました。
福島県でも飯館村とか、伊達市とか、思わぬところで放射線の線量が高い��す。出て行った若い人は戻らないでしょうね。もう年寄りばかりです。避難した地域は生活ができないですから。店や病院もありません。
— 今の福島についてどのように思われていますか?
福島県に中高一貫校を新設するとか言っていますが、世間の目を欺くためではないかと思ってしまいますね。政府などへの不信感もあります。東京にオリピックを呼ぶために安倍総理がいくら「原発事故はコントロールできている」とプレゼンしても、「嘘つけ!」と思ってしまいました。
除染したと言っても限界があると思います。イノシシ、豚とか、山の中を動き回って、汚染された餌を食べている訳ですから。
— つい最近、除染が来たとおっしゃっていましたね。
ようやく去年の暮れに家の近所の側溝の除染に来ました。いまだに除染土が家の庭にありますよ。大きい袋ですからね、目に入ると気が重いです。なかなか持って行ってくれないんですよ。
(大塚さんご自宅の庭に置かれたままの除染土の写真です)
線量が高いところからはじめて、一年くらい後にうちの家に来て、「今ごろやっても無意味なんじゃない」と、みんなそう言ってますよ。気休めのような気がする。
— 実際のところはどうなんでしょうね。
噂では癌患者が増えてると聞きますが、あまり表には出て来ないですね。最近の国の「不正統計問題」を見ても、情報に対する信頼度が落ちてると思います。都合がいいことだけ発表して、情報統制しているのではと思ってしまいますね。
沖縄の人に「福島の人はおとなしいね」と言われました。沖縄なら毎日デモだよって(笑)
— 政府や国の行政にこれだけはお願いしたいということはありますか?
本当のことをしっかり発表して欲しい。今、現在どうなってるかを知りたい。福島の街にいくら線量計があっても気休めなんだと思うんですね。
それにこれだけの事故を起こしながら、原発を、海外に売ろうとしたでしょ。いったい福島のことをどう思ってるのかと。
国ってなにを考えているのかなと悲しくなります。
ヒロシマ、ナガサキ、唯一の被爆国ですよ。
今の日本が悲しいですね。
— そんな状況の中で東北ユースオーケストラの活動はあります。どのようにお考えですか?
主役は子どもたちのことだから、大人は政治的なことを押し付けはいけないと思いますね。
でも代表・監督の坂本龍一さんは、はっきりものをおっしゃいます。偉い。勇気があると思います。影響力のある人が発信することが大事なんです。
坂本さん、凄いなって、いつも尊敬してます。
— 震災のあともFTVジュニアオーケストラの活動が続いてきたからこそ東北ユースオーケストラが生まれましたね。
震災の後、ジュニアオケは活動をやめたらどうかという話になりました。でも子どもたちはやりたい。しかし、毎週練習に使っていた福島テレビの旧館の社屋は、使えない。2011年の5月の連休明けからしばらくして練習を再開しました。もうあちこち転々と1週間ごとに楽器を運んで練習を続けました。時には関連会社の会議室で練習しました。そして、7月に定期演奏会ができたんです。よくできましたね。子どもたちが絶対やりたいて言うからね。親御さんのサポートもありました。おかげさまで福島市音楽堂が再開してすぐのコンサートを開くことができました。
— 2013年のルツェルン音楽祭の復興イベントから東北ユースオーケストラは始まりました。その立役者が大塚さんだったわけですが。
2013年のルツェルンのイベントは、無我夢中でした。自分でもよくできたと思う。子供たちのために今やらなきゃというエネルギーですね。何かをやっていたほうが、自分も楽な時期でした。止まっちゃうと駄目なんです。
わたしとしては、機会があれば子どもたちをどこかに福島の外に連れて行きたかった。そして、世界に眼を向けさせる。いろんな人を知る。ルツェルンの復興イベントは、そんな絶好の機会だと思ったんです。
しかし、FTVジュニアの先生方からも反対されました。子供たちの負担になると言うんです。大人はいつも安全パイを選んでしまう。こんな、世界とつながれる機会はないですよ。行ける子どもだけでもと、FTVジュニア以外にも近隣の高校の吹奏楽部などにも声をかけました。
ドゥダメルや坂本龍一という世界に通じる人と、松島の特別な場所で、いい経験が積めたと思いますね。
子供たちが坂本さんにサインをもらってうれしそうに笑っているのを見て、うれしかったです。
— そのルツェルン音楽祭で好評だったため、東北ユースオーケストラは一般社団法人化しました。
組織がしっかりすることはいいことです。続いていくことは、有難いことだと思ったし、何より親御さんからの信用、社会的信用が生まれます。
最初はゼロから募集をかけて人数を集めるとなった時に、集まるか不安でした。140通を超える応募の数には正直びっくりしました。
— かれこれ組織としては、東北ユースオーケストラは5年が経ちましたね。感慨深いです。
何しろ最初の夏合宿が沖縄県の宮古島だったでしょ。行動力がすごい。いろんなことを1つづつ叶えていく、その実行力には頭が下がります。最初は運営も危なっかしくってね、どうなることかと思いました。ただ夢中で子どもが演奏だけに集中できる環境をつくろうとしていました。もう大丈夫ですよ(笑)
— 最後に、これもいつも団員インタビューで聞いている質問です。今後、東北ユースオーケストラでどんな活動をしたいですか?
卒団した子どもが練習や演奏会にやってくるじゃないですか。そういう場があることが素晴らしいと思いますね。だから長く続けて欲しい。
海外公演も実現して欲しいです。よちよち歩きから始まった東北ユースオーケストラが、ルツェルン音楽祭で凱旋公演できるといいですね。あの2013年の松島のルツェルンのイベントの時のオーケストラがこんなに立派になって、と言われたら最高じゃないですか。
いち早く多額の支援をしてくれた、親日家の多い台湾公演もできたらいいですね。
東京オリンピック・パラリンピックでは何かしないんですか?
このインタビューを行なったのが先月の1泊2日の合同練習会だったもので、土曜日の練習を終え、JA共済さんにご手配いただいた宿泊組の宿へと向かうバスを見送る団員、大塚さん、そして同じく福島事務局で団員の演奏指導もお願いしている竹田学さんです。
あらためて大塚真理さんのお話を伺って考えさせられたのは、強い使命感と子供たちへの無償の愛です。通奏低音として「大人は子供のことを、子供の可能性をわからないのだ」という姿勢があって、だから大塚さんの子供へのまなざしには上から目線が微塵もありません。とてもふらっとです。だから子供たちも大塚さんのスタンスを動物的に嗅ぎ取って自然と寄って来るんだと思うのです。
「大人の都合で子供のことを考えるなよ」は、肝に命じたいフォームです。とと同時に「子供も大人の事情を考えろよな」と言いたくなってしまうのは、大人気ないことなのでしょう。反省反省。
実際にお聞きした内容にはとても刺激的なことも含まれていて、本当はノーカット無編集で「大塚さん大いに語る」を掲載したかったのですが、それはそれで品位に悖るような気がしまして、細かな配慮ができたかどうかは別として編集をいたしました。
311から8年です。大震災は続いています。そのことを知って欲しいと思います。それが東北ユースオーケストラの存在意義の一つであるからです。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をお願いいたします。
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ここのところ続いている維新の会ネタから 【維新 丸山衆院議員の「戦争」発言 ロシア大使におわび】 丸山穂高衆議院議員が北方四島を戦争で取り返すことの是非などに言及したことについて、日本維新の会の片山共同代表と馬場幹事長は、17日、ロシアのガルージン駐日大使と面会し、当時、丸山氏が所属していた党の幹部として、おわびしました。 日本維新の会は、北方四島を戦争で取り返すことの是非などに言及した丸山穂高衆議院議員を除名処分にし、議員辞職するよう重ねて促しています。 こうした中、片山共同代表と馬場幹事長は、17日午後、東京のロシア大使館を訪れてガルージン駐日大使と面会し、丸山氏の発言について、当時、丸山氏が所属していた党の幹部として、おわびしました。 このあと馬場幹事長は記者団に対し、ガ��ージン大使が「『戦争』ということばとロシアの混乱を望むようなことは非常に不快だ」などと述べたことを明らかにしました。 そのうえで馬場氏は「『日本維新の会が、丸山氏の発言のような考え方に基づいて、ロシアとの関係を考えているのではない』とはっきり申し上げた。われわれの真意はロシア本国にも伝わると思う」と述べました。 (2019/5/17 NHK) 情けないの一言です。 本来であれば片山虎之助は橋下に文句を言って こんな馬鹿な事を止めさせるべき立場です。 片山虎之助は今年83歳。2016年の参院選で当選しましたが、 2022年の選挙で引き続き出馬することはないでしょう。 あと3年で辞めるのですから、 なおさら橋下の暴走を止めるべき立場だったはずです。 丸山議員の酒に酔って(酒が原因で騒動を起こしたのはこれで何度目だよ) の発言は政府の外交交渉を妨害する形にしかならず、 この点に於いて丸山議員が処罰されるのはありなのです。 ですが、北方領土は国際条約違反で 火事場泥棒によって持っていかれた土地です。 大日本帝国軍の文字通り命を賭けた防戦によって 北海道までは不法占拠されずに済んだというだけです。 丸山議員の発言の件で日本がロシアに謝る理由は何一つありません。 ここは絶対に間違えてはならないところです。 ところが片山虎之助すらこれを止めようとせず ロシア大使館に言って謝罪。 ロシアの主張している 「日本との戦争で勝って手に入れた」 という嘘をかえって補強する行動を取りました。 丸山議員の私的な発言の件で わざわざロシアに謝る理由なんて全くありませんよ。 このへんが外交オンチの橋下や松井の「らしさ」なのでしょう。 橋下の機嫌を損ねたら追い出される。 維新の会にはそういう恐怖があるのは明らかです。 かつてマスゴミが作った「姫の虎退治」なんてくだらないもので 片山虎之助は落選させられました。 その後、マスゴミが持ち上げまくった姫井由美子が どのような役立たずの無駄飯食い政治家だったか マスゴミに乗せられて姫井由美子に投票した人達が 一番理解しているのではないかと思います。 ただし、落選した途端にしょぼい政治家になる なんてのは山崎拓の事例もあります。 一度の落選によって片山虎之助も ここまで落ちぶれたということなのでしょう。 さて、今回の件を機に丸山穂高議員を潰そうと 私怨を晴らそうと維新の議員達をけしかけた橋下はというと 橋下徹 ✔ @hashimoto_lo 丸山穂高氏は上西小百合氏と全く同タイプ。このような国会議員を誕生させたのは僕の責任。維新が辞職を促すのは当然だが、国会の辞職決議はいかがなものか。辞職の基準がない。弁護会の懲戒基準と同じく法の支配にかなわない。選挙で落選させて現実を認識させた方がいい。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00000079-kyodonews-pol … 4,458 14:56 - 2019年5月17日 Twitter広告の情報とプライバシー 丸山穂高氏の辞職勧告案提出へ 戦争発言で野党6党派(共同通信) - Yahoo!ニュース 立憲民主党など野党6党派は17日、北方領土を戦争で取り返すことの是非に言及した丸山 - Yahoo!ニュース(共同通信) headlines.yahoo.co.jp 2,162人がこの話題について話しています 橋下徹 @hashimoto_lo 丸山穂高氏は上西小百合氏と全く同タイプ。このような国会議員を誕生させたのは僕の責任。維新が辞職を促すのは当然だが、国会の辞職決議はいかがなものか。辞職の基準がない。弁護会の懲戒基準と同じく法の支配にかなわない。選挙で落選させて現実を認識させた方がいい。 さすがは口の回る小沢一郎です。 逃げ足の速さは抜群ですね。 自分がけしかけたのがネットでかなり評判が悪い事に気付いたのか 真っ先に逃げました。 松井一郎代表の「党としてできる最大限の事をした」 という発言から一晩経たずに 辞職勧告決議を出して無理矢理辞職に追い込もうと 急遽動き始めたのは維新の会です。 維新の会の行動が 足立康史議員ら所属銀や 松井代表らの発言と整合性が取れないのは 実権を握っている橋下の命令以外にありえません。 維新・松井代表「丸山の議員辞職勧告が出たら賛成する」 (議員辞職勧告提出を共産党、社民党、立憲民主党、自由党、国民民主党に呼びかけて共闘を持ちかけたのは維新の方です) ↓ 丸山ほだか ✔ @maruyamahodaka 憲政史上例を見ない、言論府が自らの首を絞める辞職勧告決議案かと。提出され審議されるなら、こちらも相応の反論や弁明を行います。ただ問題は、議運委や本会議では本人からの弁明機会の機会すら無い。その場合には、この機会にyoutube等で自ら国内外へ以下の様々な配信を。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190515-00000040-asahi-pol … 12,697 17:47 - 2019年5月15日 Twitter広告の情報とプライバシー 丸山氏の辞職勧告決議案を協議 「戦争」発言で衆院議運(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース 北方領土返還に関連して戦争に言及した丸山穂高衆院議員(日本維新の会が除名)をめぐ - Yahoo!ニュース(朝日新聞デジタル) headlines.yahoo.co.jp 10,091人がこの話題について話しています 丸山「クビになったらつべでぶちまけるわ」 ↓ 橋下徹「国会の辞職決議はいかがなものか」 (命令した張本人がこれ) 橋下シンパの有本香氏も 「国会で辞職勧告で追い込もうというのはやはり異常」 と、橋下のこの発言に乗ったようです。 松井代表以下、維新の面々は 真っ先に逃げ出した橋下徹によって 盛大にはしごを外された形なので大いに笑ってあげましょう。 ちょっと脱線しておきます。 森友学園の土地取得問題は 財務状況が認可基準を満たしていなかったのに なぜか特例のように森友学園に認可を出した大阪府があったからこそ あの売却手続きが進んだのです。 ですので誰が一番憎いかと山本太郎が 安倍晋三と答えさせようと繰り返し籠池に質問したのに 「松井一郎大阪府知事です!」 と籠池に繰り返し断言されたのです。 ところがマスゴミは森友問題=安倍という事にするために この「大阪府が異例の認可を出したから土地を購入できた」 という部分についてもまともに報道しません。 そんな流れの中でしたから 大阪維新にとっては 安倍を潰せば問題を安倍に押しつけて誤魔化せるし、 うまくいけば政権与党に交じって利権を切り回せる。 そう考えたのでしょう。 松井一郎は小池人気に便乗しようと 「三都物語連携」なんてものをやりました。 ところが、小池の希望の党は 民主党の残党を入れてしまったことで それまで圧倒的だった支持率が一気に崩壊して惨敗しました。 マスゴミは小池が排除の論理を掲げたから支持が下がった と嘘をついていますが、 民主党が合流すると決めたタイミングで支持が急落を始めたんです。 「民主党の托卵戦術を排除しなかった」 これこそが小池が惨敗した最も大きな理由だと言えます。 さて、話を戻しましょう。 過去の動きを見れば松井以下維新というのは いざというときに寝返る小者ばかりが集まっています。 橋下という担ぎ手が集められるのがそのラインだったのでしょう。 そんな維新も江田憲司with有象無象を入れてしまって 江田憲司に乗っ取��れた事もあったわけですが・・・。 2年前に丸山穂高議員は 代表選と選挙での総括をすべきと主張しました。 これが橋下の逆鱗に触れて党を追放されそうになりました。 丸山議員も感情にまかせて余計な言い方、余計な物言いをする という悪癖がありますのでここは大きな問題です。 (どうも彼の突発的な変な言動などを見るにアルコール依存症のように思います) 物には言い方というものがあるのですから。 もう35であり、国会議員なのですから 「若いなぁ」で済まされる問題ではなくなっていることを理解して 二度と、一滴たりともアルコールには口を付けないようにすべきでしょう。 宴会の場だから、勧められたからと 簡単に断酒の禁を破る事を繰り返すようではダサすぎます。 今回の問題の根本には維新の会の構造の問題があります。 維新の会の代表には任期がありません。 大きな選挙の後は見直すという形を取っているようですが、 実質的に党内で公平な選挙が行われた試しがありません。 ワンイシューポピュリズムの劇場型選挙のために 維新が散々批判してきた共産党が取っている体制と同じなのです。 日本共産党は不破哲三と党中央委員会が実権を握り、 志位和夫が20年もの間、 党規約も無視して無選挙でずっとトップを続けて来ました。 (共産党の党規約では役職は選挙で決めるとあるんです。内部のルールすら一度も守ったことのない連中が護憲といいつつルールを守らないのはある意味で当然なのかもしれません。) そしてなにがあろうとも志位和夫に責任を取らせない という体制を維持してきました。 志位和夫に責任を取らせない事によって その裏にいる不破哲三に絶対に責任が及ばないようにしているわけです。 維新の会も同じ構造を採用しています。 しかも維新の会は 「一地方首長が国会議員団の上にいる」 という極めて歪な形を取っています。 そして今回の 「ロシア大使館に謝罪しに行く」 という完全に的外れ、 いや、それどころか日本の足を引っ張る行動に至りました。 橋下としては大阪のローカル人気で絶対的基盤を作っているので そこを通して国政側も支配する構造が重要ですから 維新の会の橋下を頂点とする ・雇われ法律担当顧問という設定の一民間人 ↓ ・大阪市長 ↓ ・国会議員団 という歪な構造を維持しているのでしょう。 地方政治と国政は別物であり、 地方の利益と国の利益は往々にして利益相反を生みます。 地方と国の利益がぶつかった場合、 国側の視点から妥協点を考えるべき話です。 しかしながら、 維新の会は構造が真逆になっているので 外交に全く関与しないはずの一市長が 外交を処理する国会に余計な命令を出した形になってしまうのでしょう。 そして地方政治しか知らない、 それも橋下人気がなかったら ただの一地方議員で終わっていた人間が 外交マターにまで出しゃばれば 的外れな事をやらかすのも不思議ではありません。 橋下自身が外交オンチという事情もあって 今回のロシア大使館へ謝罪しにいく という頭の悪い事態に至ったと思いますが、 今回の丸山穂高の粛清を狙った事件は 維新の会の実態を見事に露見させてしまったと思います。 橋下としては自分に責任があるみたいな 「責任を取らない立場を真っ先に取って口先だけで言う責任」 で誤魔化していますが、 「雇われ法律顧問の一民間人」 という責任を取らなくて良い立場を取って 党の実権を握るという 橋下にとってこれ以上ない美味しい構造をまもるために 今後も党内で民主的な代表選挙や 選挙の総括は行わせないことでしょう。 北朝鮮方式の民主選挙ならやるでしょうけどね。 丸山穂高潰しの為に 劇場型選挙のために散々批判してきた共産党や立憲民主党、社民党と 躊躇亡く手を組んだという事実と、 散々批判してきた共産党と似たような構造を組織内に作って 責任を取らない人間が実権を握っている独裁政党。 この2点について改めて知られるべきだと思います。 さて、お次は政治とはちょっと関係のない記事を採り上げます。 【狂犬病予防接種は必要か…国内感染例60年以上なし、獣医師会は「接種率7割以上必要」と主張】 編集委員 石黒穣 飼い犬の狂犬病予防注射の必要性を巡り、専門家の間で議論が起きている。動物の疾病対策を受け持つ国際機関が、注射義務を定める狂犬病予防法の見直しを勧告し、国内研究者からも懐疑的な見解が出されているのだ。 「時代遅れ」国際獣疫事務局が報告書 狂犬病予防法は、年1回犬にワクチン注射を打つことを義務づけており、4月1日から3か月の一斉注射期間が始まった。 法律の「見直し」「改定」を勧告したのは、国際獣疫事務局(OIE)だ。日本の獣医療に関する総合的な評価報告書を2018年7月にまとめ、その中で言及した。 国内発生が1957年を最後に60年以上ない中で、流行リスクが「過度に厳しく」評価され、過剰対策になっているというのが理由だ。この報告書は、農林水産省および、同省とともに狂犬病対策を所管する厚生労働省内部の検討資料にとどめられ、国民には広く知られていない。 報告書は、狂犬病予防法が野良犬があふれた戦後間もない時期に施行されたものであり、放し飼いが原則禁じられている今日には、「時代遅れ」との見方を示した。実質的に、義務的な注射の廃止や緩和の検討を求めた。 狂犬病予防注射の料金は1回3千数百円だ。2017年度には全国で451万頭が予防注射を受け、飼い主の費用負担は全体で約150億円に上ったとみられる。 報告書は、日本の狂犬病対策で「費用対効果」の視点が抜け落ちているとの判断も示した。 OIE関係者は勧告について「国際的なリスク評価の基準を踏まえ、資金や労力の適正配分を重視している」と解説する。勧告に強制力はないものの獣医療効率化に向けて指標となる。 感染動物が侵入する確率、4万9000年に1度 一方、義務的な注射を廃止しても「大規模な流行は起こりにくい」とする研究結果をまとめたのは、山田章雄・東大名誉教授を中心とするグループだ。 山田氏らは厚労省の研究班として15年度まで、疫学や統計調査を行った。その後も研究を続け、最新成果を国立感染症研究所発行の学術誌(ネット版)で18年12月に公表した。 日本の厳しい検疫をすり抜けて感染動物が侵入する確率は、4万9000年に1度との計算値を示すとともに、万一侵入しても、感染の連鎖は起こらず自然に収まると結論づけた。 ~以下省略~ (2019/5/12 読売新聞) 日本のマスゴミの記者が知識と教養が足りず、 常にろくに勉強していないことは今更強調する必要はないでしょう。 もはや常識ですから。 そしてごく一部の学者などの言説を根拠に 珍説を発表してドヤ顔をするというのが 日本のマスゴミの定番になっています。 そして世論誘導に成功したら 書いた記者が自分の成果だと思い込んで ますます調子に乗るというのがパターンです。 狂犬病は東南アジアでは今でも発生している病気であり、 インドに至っては今でも毎年3万人ほどが 狂犬病によって死亡しているとされています。 日本では大正期に家畜伝染病予防法が制定され、 犬に対して狂犬病のワクチン接種が義務づけられたことで 大正末期~昭和初期には年3000件以上の発生例が 年間数件にまでおさえられました。 しかし、大東亜戦争によって起きた国内の混乱から この予防対策が滞ると 1940年代は年間1000件ほどの発生に戻りました。 そこで再び1950年に狂犬病予防法が施行され、 犬に毎年の狂犬病ワクチン接種が義務づけられ、 1956年の例を最後に国内での狂犬病発生は観測されていません。 (1970年にネパールで狂犬病の犬に噛まれて帰国後に発病した例が1件あり) 狂犬病はコウモリ、アライグマ、狐なども感染源となっており、 犬以外が媒介する可能性は大いにありますが、 実生活においての人間との接触の可能性を考えれば 常に身近に有り、人を噛む可能性が最も高いものの 飼い主が管理できる犬へのワクチン接種で管理していこうという この考え方をブログ主は支持します。 さて、一時期日本であった台湾も同様の制度があったこともあり、 台湾は長らく狂犬病の発生が確認されていない数少ない国の一つでした。 しかしながら、平成25年に野生のアナグマに狂犬病が確認され 狂犬病持ちのアナグマに噛まれた犬へ狂犬病の感染が確認されました。 今回採り上げた読売の記事ではワクチンは必要ないだの 日本に入ってくる可能性は49000年に1度程度だから必要ないだの おおよそ信用に値しない誘導を行おうとしています。 今の時期ですとナガミヒナゲシがオレンジ色の花を咲かせています。 日本に入ってきた外来種ですがあっという間に広がりました。 ついでいうとアツミゲシも とある河川敷で見付けましたが こちらは麻薬ゲシなので 下手に栽培したら捕まりますからご注意ください。 セアカゴケグモも日本に入ってきて 今や「セアカゴケグモがそこら中にいる」状態になりました。 セアカゴケグモは二次元的な巣を作る他のクモと違い、 三次元的な巣を作ります。 このあたりは観察すると面白いのですが それはまた別の話ですね。 今や輸送手段の発達により、 それまで日本に無かった動植物が日本に入ってきています。 そうした中で 「狂犬病の入ってくる可能性は49000年に1度」 なんて珍説をブログ主は全く信用しません。 日本で明治42年を最後に確認されていなかった 口蹄疫が平成12年に実に90年ぶりに確認されたのです。 このときは自民党政権であっという間に封じ込めをしましたが、 平成22年の赤松口蹄疫災害では 民主党政権のせいで大災害へと発展しました。 まさかと思っているものでも 輸送手段が発達した今となっては 今までよりもずっと入ってくる可能性が高くなっていると思います。 マスゴミの記者が 「無駄だからやめたほうがいい。(ごく一部の)学者もそう言っている」 とドヤ顔をして言ってきた話はほぼトンデモや妄言の類いだと そう切って捨てておくのがいいでしょう。 そういや立憲民主党は 「インフルエンザウイルスの無毒化は紅茶が一番です」 とか癌に対しての現代医療を否定して 「肝臓が元気になれば癌にならない、だから自然治癒を」 みたいな妄言を垂れ流したりしている (案の定ホメオパシー信者) あさぬま和子を公認して愛媛県議会へ送り込みました。 放射能デマのおしどりマコにしてもそうですが、 立憲民主党の人選ってほんとなんというか 一貫しているといえば一貫しているのですが 「ろくでもないのを探してくる」 という点ではすごいですね。
批判している共産党と同じ体質
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入管管理法改正について

安倍政権は、人手不足が深刻化していると認め出入国管理法改正案を可決され来月から施行されます。
深刻な人手不足の対応として注目されているのが外国人の雇用に関する新たな「在留資格」です。
現在は日本に滞在中の外国人が日本国内で働くために必要な資格は医師や弁護士など17資格のみで専門性を必要としない「単純労働」は認められていません。しかし、実際には28種類ある「技能実習」の枠組みの中で企業は外国人の単純労働を行なっています。
しかし「技能実習」の枠組みは各々資格ごとに期間が定められています。
来月からの新しい制度では、働くた為に必要な『日本語能力』を確かめ合格していれば「特定技能」と認め就労資格を得れるというものです。
従って、外国人を正式に「労働者」として受け入れることのできる幅が大きく広がることになります。
学校法人岩谷学園沖縄事務所では、「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会のcourseを用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行います。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
来月から施行される外国人雇用に関する新しい制度について、人手不足に悩む経営者や人事担当者から期待する歓迎の声も高まっていますが、野党議員からも複雑な法案内容に批判も集まっています。
特に「一定の専門性」や「特段の技術」の具体的な内容が分かりづらい。また、知識または経験とする業種がどのような業種に当てはまるのか ? というものです。その他、受け入れの規模や人数について、更に単純労働を奴隷的に強いられている技能実習生の実態が改善されるのか ?
など、非常に分かりづらい状況です。
法務省入国管理局は、低賃金・虐待・過剰労働を強いる劣悪な環境で労働を強いられていた2870人分の聴取票資料の閲覧を政府は認めましたが、切迫する人材不足に即時対応するために沖縄県の市町村も地元企業や店舗の指導や案内が必要ではありませんか。
学校法人岩谷学園沖縄事務所では、「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会のcourseを用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行います。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
深刻な人材不足に対応する政策として安倍政権は「外国人労働者」の雇用について新たな法案を可決させ4月から新しい「在留資格」が施行されることになりました。
法改正では様々な注意事項も増えています。また、治安の悪化や移民反対問題などの懸念される声も多々あります。
情報が錯綜する中、確かな労働者を確保するために正しく理解する必要があります。
数年前にベトナム人技能実習生を対象にした日本についてのアンケート調査がありました。日本の好印についての回答では、来日前の印象は「好印象が97%」、日本での実習経験後には「印象はあまり良くない」が37%に減少。
少子化を迎える日本にとっては経済的な観点からも外国人の雇用は避けられない課題です。
まず理解しなければならないのは「雇用受入」であり「移民受入」ではないということです。
学校法人岩谷学園沖縄事務所では、「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会のcourseを用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行います。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
外国人労働者を受け入れるにあたって、職場環境の改善が急務です。
これは絶対に必要です。
何故ならば、少子化を迎える日本は経済的観点からも外国人の受け入れは避けられない課題です。
来月から実施される管理法改は、正規雇用の賃金上昇を抑えるために派遣の非正規雇用も賃金を安く抑えることが困難になってきた経団連の強い働きで安倍政権が受け入れる形で可決されましたが、賃金高騰の非正規雇用を外国人に頼ることで人手不足を解消しようと目論んでいる様ですが、最大の問題点は「受け入れブローカー」の存在です。
非常に大きな問題です。
外国人労働者を悪人の様に報道する番組も放送されていますが、実態はブローカーの存在によるトラブルです。こうした仲介ブローカーを排除する対策が必要です。そのためには、企業の担当者レベルと受け入れる地方自治体との協力が必要です。
そのために、外国人を雇用する場合の企業側が日本人と外国人の労働者を区別しない様に徹底しなければなりません。入管法の規定で違反企業には罰則を設けるというのは現実的には難しいので、経営者や管理職員、人事担当職員、更には入管職員の人権教育を徹底することが肝要となります。
同時に日本で安心して働ける様に外国人労働者のサポートできる機関を設置するなどの施策も重要な課題です。
学校法人岩谷学園沖縄事務所では、沖縄県内で外国人の労働力を受け入れるにあたり、来てくれた外国人労働者が今まで以上に親日的になって帰国できる様に体制づくりをしていきたいと考えています。
「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会のcourseを用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行います。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。

経団連のホームページで中西経団連会長改正入管法成立を歓迎するとコメントしています。法務省官僚が外国人労働者受け入れに反対する中で安倍首相は「即戦力となる「外国人材」を受け入れ、日本経済を支える一員となっていただく」との理由を語りましたが、実際は自民党の支持層である『業界団体』の要望に応えただけだという批判も多い様です。
菅義偉官房長官は、全国各地の現場では人手不足が深刻化していて、十数業種で外国人材がいなければ事業に大きな支障をきたす。即戦力となる外国人材を幅広く受け入れる仕組みをつくることは急務だと説明していましたが、帰国を前提とする『安価な労働者』として扱う『使い捨て政策』は新たな下層階級が日本にでき、差別など重大な人権問題に発展することになりかねません。
法改正後の施行では「特定技能1号」は特定の分野で「相当程度の知識または経験を要する技能」を持つ外国人に与えられ、在留期間は最長通算5年。
「特定技能2号」は「熟練した技能」を持つと認められた外国人は在留期限は無く家族の同伴も認められます。
技能実習制度は国際貢献の一環として発展途上国の経済発展に寄与する目的で創設されたものですが、外国人労働者を劣悪な環境下で受け入れる為の隠れ蓑になっています。特に問題なのは「人材ブローカーの高額な手数料」から発生するトラブルです。法務省のずさんな調査も発覚しましたが、山下法相が心からおわびしても取り返しのつかない大問題です。
「より高い賃金を求めた」と「低賃金による失踪」の間違いなんてあり得ますか ? 悪意を感じます。しかも項目名も数値も変わっていました。
学校法人岩谷学園沖縄事務所では、「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会の機会を用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行います。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
出入国管理法の改正によって、外国人労働者の受け入れを拡大することになりましたが、その外国人労働者の受け入れ人数については「5年間で最大34万5,150人」との公表がありました。
業種別で分野毎に受け入れ人数に上限設定があります。
入管管理法改正案の強行採決には色々と非難の声もありますが、実際既に外国人の技能研修生などの労働者が日本の様々な分野で学んでいます。実態としてあるのに、寧ろ法改正が遅れていると云えます。
移民政策と捉える人達も多くいますが、全く間違った見方です。
また、介護が特筆して取り上げられていますが、「日本人が嫌がる3Kみたいな仕事を外国人に頼んでしまおう」と言う発想も全く間違えです。
そんな陳腐な発想は一切捨てて下さい。この問題は緊急課題でもあるのです。
関係各社及び自治体や関連担当者の方は正しく理解して頂きたいと思います。
そこで、学校法人岩谷学園沖縄事務所では「入管管理法」や「日本語学校の運営」「外国人雇用ノウハウ」について、様々な勉強会の機会を用意しています。沖縄県においては学校長が直接講演を行いますので、まずはお気軽にご相談下さい。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
入管法改正案による在留資格は2種類です。
1つは、日本語力とある程度の知識があれば働くことができる「特定技能1号」です。
来月から施行されます。
受け入れ人数については、各種業界団体からの要請で定められています。
業界団体の申告によると、2018年末時点で人材が不足している人数は58万6,400人で、5年後には145万5,000人になる試算しています。
最も急いでいる業種は「農業」「ビルクリーニング業」「外食業」となっていますが、沖縄県では宿泊施設の急増により「宿泊業」が最も人材不足になる見込みです。
来月から入国外国人が働くことができる業種は「14種」です。
2つ目の在留資格とされる「特定技能2号」については、日本語の会話力に加え、熟練した技能と知識が求められることから「建設業」と「造船・船用工業」の2業種に限定される予定で、運用開始は数年後からとなっています。
これら詳しく知りたい方は、学校法人岩谷学園沖縄事務所までお問い合わせください。
沖縄県における市町村や企業の説明会などが実施される場合は、学校長が直接講演を行うことが可能です。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。

初年度の最大受け入れ人数が最も多いのは農業の7300人。次いでビルクリーニング業の7000人。介護業と外食業は5000人だった。
初年度から5年目までの累計で介護業が6万人、外食業が5万3000人、建設業が4万人を受け入れる。
なお政府の試算では、これら14業種では現時点で58万6400人の人手が不足しており、5年後には145万5000人が不足する見通しだという。
「特定2号」は先送り
一方、「特定技能2号」の運用開始は、数年後に先送りされる見通しだ。
それぞれの産業で、何をもって「熟練した技能」とするかの定義も、それを図る試験の内容も、まだ詰まっていない状況だからだ。
菅義偉官房長官はまた、11月14日の記者会見で、「特定技能2号」は「建設業」と「造船・船用工業」の2業種に絞る考えを示した。
外国人労働者を雇用することについて「技能実習生」に対する考え方について、皆さん良く考え、理解を深めなければなりません。このことは、少子化と高齢化社会に直面している日本の大きな問題を解決する為に必要な政策です。本来の目的は「途上国の人々に日本の技術を働きながら学んでもらい、自国のために活用してもらう」という趣旨の制度でした。
しかし、現在の日本国にこの様な上から目線の意図で法改正できる現状ではありません。
特に改め認識しなければならないことは「低賃金で外国人労働者を確保する」とい考え方です。
「賃金が安いから頑張れない」とか「もっと給料上がったら仕事ができる」などと平気で訴える日本人は少なくありません。
技術も知識も無い上に、才能も無い人間のセリフですが、能力が無い人材でも雇用しなければならない日本の実情が情けない限りです。
この〝全く使えない日本人〟を雇用するよりも、自ら学び働くために自己投資している外国人の方が千倍真面目で良く働きます。
「日本人は勤勉で真面目」と言うのは現代では神話であり昭和の話です。
日本の技術が世界一だとか日本食は世界一美味いなどと本気で思っているならば時代錯誤も甚だしい井の中の蛙大海を知らずですよ。
今回の入管法改正案は、外国人労働者に対する昭和時代の考え方を改めるものでもあります。
何故ならば、法改正後は現在の技能実習2号の修了者は「特定技能1号取得に必要な試験を免除する」と規定されています。
即ち、3年間の「実習生は、4年目から「特定技能1号」の在留資格者となり、5年間働く「労働者」になることを意味します。
日本人の社員と同等の「労働者」です。
従って、自国に帰って日本の技術を活用することを目的とする「外国人実習生」という捉え方は一切無くなります。
現実的に、日本に来日して日本語を学び技術を習得しようとする外国人材のほとんどが日本で働くことを望んでいます。
特に「特定技能2号」が施行される場合、特定技能1号の資格で合計8年働き特定2号の資格を得れることになり、合わせて13年も日本で働いていることになります。その後は永住権の申請資格も得られるので一生日本に住むことができる様になります。
しかし、このことが「移民受け入れ」とはなりません。
平成の若者が、同等の条件で技術や知識を得るために自己投資するでしょうか ?
「金をもらわなきゃ仕事の勉強もしない」と考えている日本人にはできないことです。
現実問題として、少子化の若者が使えない人材という現状に、自己投資して必死で学ぶ外国人を受け入れることが必然では無いでしょうか。
技能実習の留学を隠れ蓑に黙認される「外国人の単純労働」を正常化する様なことになってはならない。
外国人雇用に関するお問い合わせは「学校法人岩谷学園沖縄事務所」までお願いします。
また、沖縄県における市町村や企業の説明会などが実施される場合は、学校長が直接講演を行うことが可能です。
特に商工会や市町村の関連担当者の方には是非御連絡を頂ければ幸と思っております。
【学校法人 岩谷学園 沖縄事務所】
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