#風の十二方位
Explore tagged Tumblr posts
Text
『風の十二方位』 アーシュラ・K・ル・グィン 小尾芙佐 他訳
長らく小説を読めなくなっていて、リハビリも兼ねて読み始めたが、このお方の作品をリハビリに選んだ私は自信過剰な馬鹿だった。ははははは。さて、
「ムリの首飾り」 ファンタジーっぽい作品。萩尾望都の絵柄で創造された。スター・トレックのような異星人探査。
「四月は巴里」 15Cの錬金術師の呪文で、現代人(1960年当時の)、ガリヤ人の奴隷、そして4千年先の人間が召喚される。未来人がいるのでSFになる。フレドリック・ブラウンっぽい感じの軽く愚痴っぽくウィッティーな作品。
「マスターズ」 ローマ数字とアラビア数字とゼロの概念。青緑色の太陽と異端と火刑。よー解らん作品。
「暗闇の箱」 ファンタジーだった。
「解放の呪文」 のちの三部作の長編アースシー「第二の宇宙Secondary Universe」への最初の接近と探検の作品。(次の作品も。)魔術、返信できる。魔法で作られた「墓」に閉じ込められた魔法使い、「解放の呪文」を唱え、「存在の丘の向こう側」に行ってしまう。そして、仇敵を呼び寄せて死に至す。ちょっとわかりにくかったけれど、とても印象深かった作品。出先で読んだのだが、どこで読んだかのも覚えてる。記憶って変。
「名前の掟」 あまり腕の良くない魔法使い。本当の(真の)名前がバレて、変装の必要もなくなる。
「冬の王」 ゲセン人。両性具有。『闇の左手』の一年まに書いたもの。途中、間を開けて読んだのだが、この人の物語は、ただ読むのではなく、実際に体験してると感じられるくらいに想像して没入にしてこそなんぼやね。
「グッド・トリップ」 薬物トリップもの
「九つのいのち」 クローニング。クローンはクローン仲間の死を追体験する。最悪。十分の九まで死んでいる。初めて一人になって知った孤独。強烈に萩尾望都。ってか、萩尾望都が描いていたSF世界の多くがル・グィンの影響��受けていたんだな。
「もの」 不気味なのか美しいのか分からん。悪夢なのか幻想なのか、、、。
「記憶への旅」 名前を思い出せない人。何らかの名前をつけると、その人の人生が変わる。生きてる世界も変わる。
「帝国よりも大きくゆるやかに」 エンパシー(生物感情の感知能力)のオスデン、特殊な外見。口が悪い。動物や虫(虫にも感情があるとしてだが)の感情も分かる。これも凄い萩尾望都!本当、ル・グィンがオリジンなんだろうね。雄伝は他者/物の感情の反射板でもあった。面白かった!!これ好き。
「地底の星」 お伽噺的。psychomyth 心の神話、だからか。
「視野」 ちょっと怖いような。人々が神のような存在に火星で出会ってしまう。
「相対性」 木の視点から
「(ウィリアム・ジェイムズのテーマによるヴァリエーション)オメラスから歩み去る人々」 The Ones Who Walk Away from Omelas これを読んでみようと思ってこの本を借りたのだった。これもpsychomyth。穴蔵の子どもは何らかの代理?生贄?
「革命前夜」 もうル・グィンの作品はお腹いっぱいになっててちゃんと読めなかった。が、それでいい。以上。
ル・グィンに関しては、今度は『闇の左手』を再読しよう。
0 notes
Text
京都の伏見は酒蔵の町
京都の伏見といえば、伏見稲荷大社が有名ですね。
その一方で、酒蔵の町としてもよく知られていたりします。

月桂冠に黄桜に、松本酒造に。有名な酒造メーカーが並んでいます。

↓のページが見やすいです。
去年の秋くらいに仕事で近くに行ったので、少しぶらぶらしてきました。
これは松本酒造。


桃の滴が有名なのですかね。

川沿いにあって、春になると菜の花も咲くようで、絵になる景色が見られるかもしれません。
大正時代からある酒造で、正面の佇まいからも歴史が感じられます。
見学もできるようですね。


ここから少し離れたところに、月桂冠大倉記念館やキザクラカッパカントリーなどもあります。

そのあたりも行ってきたので、次の記事でも写真を載せていきますね。
ここのブログは、1記事につき10枚までしか写真がアップできないので、記事をわけなければいけません。
さて、酒蔵の町・京都伏見は、日本三大酒どころの一つだそうです。
あと二つは、兵庫県の灘、広島県の西条です。
京都の観光地というと、やはり祇園・四条・清水エリアが人気ですが
京都伏見のこの辺りも、もっと観光客が増えてくるのでは?と、勝手に見込んでいます。
最近は、インバウンド観光客向けなのか、日本酒の飲み比べができるお店やお酒の美術館もできているほど��すから。
京都四条の錦市場にも、日本酒の飲み比べができるお店があります。人気ですよ。
錦屋台村が人気ですね。
京都伏見の酒蔵の町には、あの寺田屋や十石舟、伏見桃山城もありますし、
もう少し人が入ってきてもいいのになぁと思いながら、散策しておりました。

春になったら人が増えるのかもしれませんね。
桜が咲く頃の十石舟の風景写真は、Instagramでもよく見かけます。
最近はInstagramでの宣伝効果もすごいみたいで
そこまで有名でなかったはずの長岡京市の光明寺や
同じ伏見区の城南宮などがおしゃれになって参拝者も増えたので驚いています。
城南宮は、昔から知ってたりしますが、
今までと違う参拝者が増えたように感じられますね。
Instagramの影響ですね、きっと。
インスタ映えを意識した写真をよく見かけます。
そういう演出もされているようです。
伏見稲荷は、外国人の参拝者ばかりです。⛩️のキーホルダーもよく売れてますし、狐の小物もあったような気がします。
あと、狐のお面があったような。
伏見稲荷の狐さんもPUMAのロゴみたいでかっこいいです!

で、伏見稲荷から酒蔵の町の伏見桃山あたりまでは、歩いて行ける距離ではありません。
電車で14分位ですね。歩くと結構遠いです。
行きたい場所によっては、伏見桃山駅よりも中書島駅のほうがいいかもしれませんね。
1つ隣の駅になりますので、もう少し時間がかかります。
京阪本線で移動するのがスムーズではないかと。
ただし問題があって、京阪本線は京都駅からは乗れないので
観光される方は、京都駅から地下鉄東西線で四条駅に出て
人気観光エリアの祇園・四条・清水あたりを観光されてから
徒歩圏内にある京阪本線の祇園四条駅か、三条駅から
伏見稲荷、伏見桃山駅方面へ向かわれると良いのかも。
途中、東福寺もあります。
もう少し便利な移動手段があれば、伏見桃山あたりももっと賑やかになるのかもなぁとか思ったりして。
思ってたよりもちょっと静かなんですよね。
素敵な街だからもったいないなぁ。
秋ぐらいに行ったからだろうか。
もう少し賑やかになってほしいですね。
長々とすいません。色々気になったので調べました。
ですから、こういうのも
前記事で書いたように
Googleのマイマップに
まとめたいわけなのです👓
#日本酒#にほんご#京都#歴史探偵#歴史#japan photos#kyoto#sake#japanese sake#伏見稲荷大社#fushimi inari taisha#景色#風景#ひとりごと#日記#観光スポット#観光#懐かしい#japanese#日本人#日常の記録#穴場#Instagram#gekkeikan#酒#大正時代#aph japan#考え事
77 notes
·
View notes
Text
寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュースを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と��を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口調をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエットパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエットパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…雅之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪を弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を挿れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し��しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから知ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に寝てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入ろうとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせていく。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだよ」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」が遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
47 notes
·
View notes
Quote
私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平���12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘���に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が���本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第��次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじ���を見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた���残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
7 notes
·
View notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月25日
通巻第8521号
バカ息子の代表選手、あの薄瓜瓜が生きていた
エズラ・ボーゲル宅から“蒸発”12年、カナダの豪邸暮らし
*************************
元重慶特別市書紀、「胡錦濤の次」は習近平か、薄煕来といわれた。革命元勲・薄一波の息子、薄煕来は、夫人の谷開来がイギリス人を毒殺していなければ、習に代わって中国共産党書紀につき、トップに君臨していたかもしれない。ともに「紅二代」であって、通った幼稚園も学校も同じだった。習は薄を頼もしい兄貴と慕っていた。
薄煕来の次男で ハーバード大學留学中だった薄瓜瓜はボストンで24時間警備、プール付きの豪華マンションに暮らしていた。
石油成金の息子のようにフェラーリを乗り回して、女の出入りも多く、プレイボーイとしてもしれられた。だが、「ぼんくら学生」でもなく弁護士資格試験にも合格していた。
2012年、薄煕来の用心棒兼重慶市公安部長の王立軍が女装して成都のアメリカ大使館へ逃げ込んだ。この事件が薄失脚に繋がった。
薄夫人の谷開来が息子の家庭教師で英名門ハロースクールへの入学を斡旋したイギリス人を何かの利害関係のもつれからか、森の中のホテルに呼び出した毒殺したことがばれて、2013年、二人とも終身刑となった。薄煕来は北京郊外の秦城刑務所、谷開来は燕城刑務所にいる。
さて豪遊の限りを尽くして派手な生活を送っていた薄瓜瓜は、両親の逮捕、拘束、裁判に報道陣が殺到したため雲隠れ、後に判明したのは親中派学者エズラ・ボーゲルの家に匿われていた。その後、杳として行方知れずになった。
異母兄は秦城監獄に父親を面会に行っているが、瓜瓜は両親の面会にも行かず、そもそも中国には一度も帰国していない。大金の持ち出しなどを問われて拘束される恐れがあったからだろう。
2024年十月、薄瓜瓜は極秘に台湾入りしていた。台湾人女性の許恵瑜と結婚し、台湾の近親者を集めての披露宴出席のためである。華燭式場は新竹の森の中の迎賓館で行われ、南国文民ホテルで親戚があつまったとされる。許夫人は羅東博愛病医院院長の娘で、カナダ留学中に恋仲となった。
中国の著名人の息子が、台湾入りし、しかも台湾人女性と結婚するという珍事は孫文の孫・周令飛以来である。台湾メディアが連日報道合戦を繰り広げたが、薄瓜瓜を撮影出来なかった。
薄瓜瓜はカナダのパワーコ-ポレーションにマネジャーとして勤務し、トロントに豪邸を構えていると噂されるが真実は何も分かっていない。
パワーコ-ポレーションは1925年創業の金融コングロマリットで、ファンド、生命保険、持ち株会社、企業のM&A斡旋など手広く営業し、上場企業としても老舗、ただし役員会名簿に薄瓜瓜の名前はリストアップされていない。
なぞは薄瓜瓜が不法���ートで巨額をもちだしことは明らかだが、豪邸を購入する資金や、その手続きをどうしたのか。裏では習近平との繋がりがあるのか、どうか。中国奥の院の闇は、しかし解明されることはないだろう。
▼中国トップの農夫山泉CEOがTEMUを酷評した
共産党幹部との繋がりが希薄な中国の企業家はときに災難が降りかかる。アリババの馬雲は「中国にはシステムがない」と放言して以来、金融子会社アントの上場は延期され、言いがかりをつけられて天文学的な罰金を支払わされ、ついには中国に居づらくなった海外を放浪している。
かれは世界的有名人だから、この程度で済んでいる。
民間人で共産党批判するとどうなるか。
中国ビリオネアの筆頭、農夫山泉のCEOは、講演会でTEMUを批判し、その安売りで国内産業は打撃を受けている。「こんな状態に陥った原因は共産党だ」とした。聞いていた人はひやりとなった。
中国の長者番付は四半期ごとに入れ替わる。株価の時価総額がランキングの基本だから株価乱高下に左右されるのだが、この速度の早さは日本とはると際立って異なる特質だ。
日本は1300年続く金剛組を筆頭に300年以上続く老舗は数百、いや数千? 中国で150年続いている老舗は五社ほどしかない。そのうえ日本の企業風土はトップも従業員も同じ釜の飯を食べるファミリーの感覚だからCEOが従業員平均給与の百倍とかの報酬を取ったりはしない。この点ではアメリカと中国は同根である。
十月にミネラルウォーターの「農夫山泉」(CEOは鐘淡淡)を抜いてトップに躍り出たのはTIKTOKの親会社「バイトダンス」の共同創業者、張一鳴だ。
「2024年『胡潤』中国長者番付」で首位となった。かれの資産は493億ドル(『胡潤』は中国のフォーブスのような雑誌)。バイトダンスの23年度の収益は30%増加し1100億ドルに達した。
バイトダンスは、中国で人気のニュースアプリ「今日頭条」と、中国におけるTikTokの姉妹アプリ「Douyin」も所有している。
7 notes
·
View notes
Text

【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
17 notes
·
View notes
Text
1year Anniversary
少し遅れましたが、だいふまは無事に1年という素敵な記念を迎える事が出来ました。もう1年?ってぐらいにはあっという間で、同棲してからの時の流れは本当に一瞬に感じる程に早かった。
過去の恋愛から 「もう二度と恋愛なんてしない」 。そう決めていた俺の心の中に入り込んで来たのは、無邪気で真っ直ぐで柔らかくて。優しい可愛らしい大吾。
何度も好きを伝えられ、その都度断り続けても尚諦めないで猪突猛進してきました。…凄いよな。
離れない、離さない。と決めた日から1年。せっかくなら素敵な記念日を…なんて、前々から想像膨らましてたんだけど、何をしていいやら。プレゼントするにも、何をあげたら喜ぶかなぁ。なんてぐるぐる考えた後に行き着いたのは手作りのアルバム。
俺らあるあるなんだけど、一緒に居過ぎて写真を撮り忘れる事が多々。後になって「撮ればよかった!」なんて日常茶飯事だよね。(笑)そんな中でも今までの1年の思い出達をかき集めて、居ない時間を見計らっては頑張って作ったんすよ。褒めて褒めて。
ほら、常に一緒な訳よ。居ない時間の方が少ないから、作る時間がほぼほぼないみたいな。
当初の計画では、観覧車に乗りに行ってテッペンでプレゼント。と考えてたのに、当日あいにくの雨。プラス観覧車の時間が終わってしまう…。との事で、急遽夜景を見に行こうと誘ってみたら成功。
ドライブしながらCASを繋いで、向かった夜景スポット。この時からポケットに指輪を忍ばせてバレないように必死。それと、サイズが大丈夫か渡すまでずっとソワソワしちゃったよねー。
雨にも関わらず多くの人が夜景見に来てて、高台まで登って夜景見てたんだけどね。俺っていつも大吾の右側が定位置なのよ。でもほら、左手の薬指なら左に行きたくて寒さを理由にそっち向かったりしちゃって…(笑)めちゃくちゃ不自然。おもろ。
夜景に見とれてる大吾を確認してから、指輪をそっと取り出して大吾の手握って。薬指に指輪をはめたらジャストフィット。……もうね、そこで安心感半端なかった。今まで右手の薬指にお揃いで作ってもらった指輪をしてたんだけど、どうしてもしっかりした指輪をあげたくて風磨くん頑張っちゃいました。てへ。
渡したらすんごいすっとんけな声で「え?え!?」って。可愛かった。(笑)
少女漫画とか、ドラマで見るようなロマンチックなシチュエーションに憧れがあるの知ってたから俺なりに考えたプランでした。…喜んでくれたでしょうか。
渡したはいいけど、俺が寒さのあまりブルブル震えてたのは言うまでもない。
車に戻ってから、隠してたアルバムも渡して。恥ずかしかったけど、俺からのプレゼントです。言葉にするのはもちろんだけど、���か形に残る物を渡したくて。
それが俺らの1年記念日の話でしたー。
大吾も言うようにこの1年は" 通過点 " だから、この先何年、何十年と隣に居て欲しいのは貴方です。今回の指輪は「これからどんな事があろうと、ずっと傍に居て下さい」と言う俺からのプロポーズね。同棲してから勿論、お互い色々な部分を見せて来て、モヤモヤしたり不安になったり、沢山の葛藤があったと思う。それでも俺は、どんな大吾も好きで、一緒に居られる今がとても幸せです。本当にありがとう。来年もまた、一緒に笑顔で記念日を迎えようね。約束。
p.s トイレの電気、頑張って消しましょう。by 旦那
なーんてな(笑)
" ずっと " をこれから先も俺に教えて。愛してる。

6 notes
·
View notes
Photo

『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の���務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で���瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
19 notes
·
View notes
Text
八篇 下 その三
大阪にやってきた弥次郎兵衛と北八。 河内屋の亭主、四郎兵衛が、仲をとりもって、 さらに、観光を続けることとなる。
それを知らずにかの親父は、一人で先に歩いてしまった。 「いまいましい親父だ。 俺たちに糞の値段を聞いても、何がわかるものだ。気のきかねえやつだ。」 と言いながら歩いていくと、さっきの親父が道端に座り込んで待っている。 北八が、めざとくそれをみつけると、 「ええ、情けねえ。あそこにまた待ってやがる。」 「さあさあ、きなせえ。お前さんがた、道がしれないだろう。 さあさあ、いっしょにいてごんせ。 さっき、ちらっとみえたが、あこで小便してじゃあったじゃろ。 お江戸じゃあないに、みなそのあたりにしてじゃそうな。 もったいないこといの。 お前さんがたは、一日に何回くらい小便してじゃぞいな。」 「そりゃあ、三度する日もありゃ、四、五回することもある。 これときまっているわけじゃない。」 「太うでるか、細うでるかいの。」 「ええい、お前も、いろいろなことを聞くもんだ。 俺などは、そんなでもねえが、 この男のはしゃあしゃあと、滝が落ちるようにでるわ。」 「ああ、そりゃ、肥料にすると、ようきくじゃあろに。おしいことしてじゃ。」 「ちと急いで、行こうじゃねえか。北八。おや、お前何をする。」 と、弥次郎兵衛のそでを引いたのをとがめられて、北八は小声で、 「あれ、見ねえ。糞だめのなかに銀のかんざしのあたまが見える。」 弥次郎兵衛も、それに気が付いた。 でも親父は、まだ気が付いていないようだ。
弥次郎兵衛は親父と話しながら歩いていくと、後ろのほうで北八は拾った竹きれで話の夢中になっている親父と弥次郎兵衛の隙を見て、おやじの抱えている桶の中のかんざしをはさんでやろうとしていた。 すると肥取りの親父がやっとこさと右肩から左の方に肥溜めの位置を換えようとして、北八の持っていた竹の切れを跳ね飛ばしてしまった。 それが弥次郎兵衛や北八に、肥を跳ね飛ばしてしまった。 「ええい、汚いことになった。」 鼻紙を出してふく。 それを見ていた親父は、肥溜めのなかにかんざしを見つけ 「こりゃ何じゃいな。」 とあたまをつまみて、ちょいと引き上げて見れば、すごく立派に��えるかんざしである。
「こりゃ、えいものじゃ。 大方、便所の落とした物じゃあろぞい。孫娘の土産じゃ。 どれ、お先にいこわい。ゆるりと後からついてきなせえ。」 となんとなく浮き足立ってさっさと歩いていってしまう。 「ええ、失敗した。」 北八が悔しがっているのを、弥次郎兵衛が、 「ああ、お前は、ろくなことをしねえ。なんだか体中が臭くなってきた。 やっぱり今の親父めと連れ立っていったからだ。」 と、小言を言いながら歩いて行くとはやくも天王寺の西門に着いた。
ここで、佐平次が後から追いついてきた。 「やれやれ、しんど。やっとの事で、追いついた。 これ見なされ。この鳥居の額は小野の道風のかいたのじゃといな。」 と佐平次は、一息つくと、説明をしだした。 「なるおど、はなしにきいていやしたが、こりゃ何だか全然わからねえ。」
唐めきて 見ゆる文字に しられけり おののとうふの お筆なりとは
もっともこの四天王寺は上宮太子の御草創にて由来は太子伝記にくわしく見られ、まことに日ノ本最上の霊場にして堂塔の荘厳さは改めていうこともない。
何となく こころはうちやう 天王寺 われをわするる ありがたさには
御境内の広大さは、筆舌にも尽くしがたい。 大雑把に順俳してここでも、いろいろあったが、略すことにしてそれより、安部街道にでると、道すがら畑うつ男の歌が聞こえてきた。 「坊様よお~、大ぼんよお~、 ちょいちょいと、めさるまいかいの~、この大ぼんよお~。」
弥次郎兵衛は、ふと声をかけてみた。 「とっさん、精が出やすの。今、何時だ。」 「ああ、きのうの今時分じゃろぞいな。」 「はは、お定まりのしゃれをいうわ。 ところで北八、煙草でも吸おうじゃねえか。火をうちねえ。」 むっとしながら、そう言うと、 「向こうで、乞食が呑んでいるから、吸い付けさせてもらいなせえ。 しかも女の乞食だ。」 と北八が目ざとく見つけて言うと、 「汚ねえ。」 「なにいってるんだ。このきせるで吸付けるのに、どうしてきたねえんだ。 どれどれ俺が、借りてやろう。これ、火をひとつかさっし。」
北八が、その二十一、二の女乞食に近寄ると、 「はい。いんま、つい消しましたさかい、ちょっとうってあげましょうかな。」 と、言ってきた。 「いや、うつくらいならこっちにもある。」 「そしたら、お前さん、ひとつうっておかしなされ。」 「いい事をいう。おい、弥次さん。 みなせえ。乞食にしておくには、おしい器量だ。」 と北八が言う。 弥次郎兵衛は、北八がいうので、 「ほんに、なかなかいい代物だ。これお前。男がいるか。」 「はい、亭主には去年わかれましたわいな。」 「そんなら、又、新しい男でも見つければいいものを。」 「さよじゃわいな、この間も世話やいてじゃ、お方があってな。 その男はえい男で、年中はだかで同じ乞食じゃが稼ぎ上手くて、一生食��せたやるといわれたのじゃが同じ乞食で、肝心のうちがないてて、ようさんじませんわいな。」
弥次郎兵衛が、 「それなら俺がいい所へ世話をしてやろう。ほれ、この男はどうだ。」 と北八を指差すので、 「おほほほ、あのお方の所へなら、わしゃどうぞいきたいわいな。」 「いやまて、俺も家がねえがいいか。でも、今、建築のさいちゅうだ。 出来上がったなら呼やしょう。」 「そりゃ、どこに建ててじゃえ。」 「いや、地名は何という所かしらねえがここへくる道すがら、橋を作っているとことがあった。 あれが出来たら、その橋の下で祝言しょう。」 「そしたら私も、新しい菰など貰うて、着るものの支度しよわいな。」 「どれ、結納に一文やろうか、ははは、 おれが乞食だとお前を女房にするものを。残念残念。」 「はて、お前さんは、私らの仲間じゃないかえ。」 「しれたことよ。俺は、正直で真面目なお町人さまだ。」 「私はまたそないにあかじみた、しゅんだなりしてじゃさかい私らの仲間かと思うたわいな。」 「ええ、いまいましいことを言う。」 「ははは、そのお見立ては、まんざらでもない。さあ、お出んかいな。」 と佐平次が、先をうながす。
それより住吉街道に出ると、老若男女がごちゃごちゃとこの御神にあゆみをはこぶ。 道すがらの賑やかさは、ひきもきらない。
ここに大臣風の男がたいこ餅らしき男を連れて歩いていたが、だんご屋のかどで立どまるとおのおの団子屋で、ひとくしずつ求めて、団子の串をくわえている。 この大仁は、名を河太郎という。 「これ、ばあさまや。わしゃ団子より外に、買いたいものがる。 売ってくれんか。」 と呼びかけられた団小屋の婆は、 「はいはい、何なと、買うておくれなされ。」 と上機嫌でいう。 「そしたらこの角に立ててある障子を一枚売って下んせ。これやろわいの。」 と財布から金を出してやると、ばばはきもをつぶし呆れた顔をしている。
河太郎は自分でその障子を外してしまうと、太鼓もちも驚き、 「これは旦那。こないな破れ障子、金一枚とはえらい高い数珠じゃわいな。 しかしこれには、なんぞ裏がおありになるんでござりましょうな。」 「ああこれか。わしゃ日向を歩くとのぼせて悪いさかい、これ久助、この障子を持ってこんかい。 こりゃ、そちにも一歩やるわ。そのかわり、住吉までこうたてにして持ってあるけ。 おお、そうじゃそうじゃ。」 と日傘の代わりに、障子をたてにもたせて歩こうというのだ。 この河太郎というは、浪花で評判の変わり者。 この様な事をするのが趣味のような男でその道では、有名な男である。
弥次郎兵衛と北八は、これを見てぎよっとし、 「いや、こいつはなかなか、おもしろい。」 「上方も、ばかにゃできない。とんだしゃれものがある。愉快愉快。」 と興味が湧いてきたので、この人たちの跡をついてあるくと、一里も行かないうちに先を行く大臣の河太郎が、 「いや、障子も少し���っとしうなったわいな。」 「ちと開けましょかいな。お庭は、ひろい。泉水は御前崎、淡路島が、築山とは、えらいもんでござりますわいな。」 「久助もうその障子は、もう、ほってしまえ。」 「もうよござりますかいな。」 「おけおけ。」 と河太郎がいうので、障子を道のかたわらへ、ほうり出して行く。
つづく。
2 notes
·
View notes
Text

P206 「『兵は半ば渡して討て』という言葉があります」クレオが言った。 “There’s a saying that goes, ‘attack when the army is in the middle of a crossing’,” said Cleo.
「川や湖を渡っている部隊はその半分が上陸した時、つまり兵力が少なく、かつ攻撃の成果を最大限に得られる時に討ち取れ、という兵法ですが……」 “In other words, if you attack your opponent while he’s part way through crossing a river or a lake, with only half his forces available, you have the highest chance of victory.”
飛刀を腰に差しながら、クレオが続ける。 Stowing her throwing daggers in her belt, she continued.
「私たちの上陸を待っているところをみると、テオ様は鉄甲騎馬隊に自信がおありなの、でしょう」 “Seeing as how Lord Teo is waiting for us to disembark, he must be very confident in his armored cavalry.”
「そうかもしれない……」 “I guess so.”
楼を握りしめ、ティルは船から飛び降りた。 Grasping his staff with both hands, Tir jumped down from the boat.
火炎槍の威力をティルはまだ知らなかったが、心のなかではこう思っていた。 Tir did not yet know the power of the fire spears, but in his heart he had only one wish.
父さん、逃げてくれーー。 Please, Father, just run away.
ーーー
マッシュが軍を整え部隊を草原に展開した時、テオは五百歩ほど離れた位置で鉄甲騎馬隊を横一線に並べて待ちかまえていた。 Mathiu sent the troops prepared for battle out onto the plains. From his position five hundred paces away, Teo awaited them, his armored cavalry units lined up in a neat row.
その後方には、赤いマントを翻したアレンと緑の着衣と銀の鎧に身を包んだグレンシールが率いる、騎馬隊を中心とした本隊がひしめいていた。 Crowding behind those troops were the main cavalry units led by Alen, his red cape fluttering, and Grenseal, clad in green, his silver armor shining.
鉄甲騎馬隊約三千、本隊約一万一千。 The armored cavalry numbered about three thousand, and the main force roughly eleven thousand.
対する解放軍は、火炎槍を準備したビクトール、フリック、ハンフリーの三隊を先頭に、 On the other side was the Liberation Army. Viktor, Flik, and Humphrey led three fire spear units at the front,
p207 左翼にレパント、右翼にバレリア。 flanked by Lepant on the left and Valeria on the right.
中盤にはカイとバルカスの率いる歩兵がつき、後方にはキルキス、ローレライ、ルビィの射手がついていた。 In the middle were the foot soldiers led by Kai and Varkas. At the rear were Kirkis, Lorelai, and Ruby’s archery units.
さらに兵力は少ないものの、ルックも魔術師部隊を率いて参戦していた。 Furthermore, though their military strength was limited, Luc also led a unit of mages.
その兵力約一万二千ーー。 All in all, they numbered about twelve thousand.
テオの軍と解放軍の、まさに総力戦となった。 Teo’s army and the Liberation Army were on the verge of war.
戦意に満ちあふれる兵の間を抜け、ティルがマッシュと共に陣頭に立つ。 The soldiers were ready to fight. Tir and Mathiu stood together at the head of the army, a little ways away from the fighting units.
すると鉄甲騎馬隊の間からも、馬に乗ったテオが姿を現した。 Teo rode out from among the armored cavalry units.
「反逆者よ!よく聞くがよい!! 」剣を振りかざして、テオが叫んだ。 “Listen well, traitors!” he roared, drawing his sword.
「何度やっても同じことだ!我が鉄甲騎馬隊にかなう者などない!!無駄に血を流すな!!」 “Try as many times as you might, the result will be the same! None can win against my armored cavalry! You are spilling blood pointlessly!”
「帝国の名を借りた盗賊に貸す耳はないぞ!!」部隊の左手から声があがった。叫んだのはレパントだった。 “I have no ear to lend to common thieves who put the name of the Empire to shame!” came a return shout from the unit on the left side. It was Lepant.
「貴様らこそ、我らが軍の巻き起こす烈風��、虐げられた民の悲しみの声を聞くがよい!! 」 “You are the ones who will be left in the dust of our gale! Listen to the voices of the oppressed and suffering people of this country!”
二人のやりとりにティルの胸は痛んだが、もう悲しむ暇も苦しんでいる余裕もなかった。 Their exchange made Tir’s heart ache, but there was no time or room left for sadness or suffering.
「全軍進め!!」 テオが鉄甲騎馬隊に号令を下した。 Teo gave the order to his armored cavalry. “All units, advance!”
十分に休息を取ったガルホースが大地を蹴り、怒濤のごとく飛び出してきた。 The gulhorses, well rested after their ten minute break, stampeded across the earth, leaping and surging like waves.
「火炎槍の威力を見せよ!!」 “Witness the might of our fire spears!”
マッシュが部下に旗を振らせ、ビクトールら前衛を前に出す。 Mathiu motioned to his subordinate to wave the flag and Viktor’s unit at the front advanced.
三隊は真横に並び、鉄甲騎馬隊を待ち受けた。 Three armored cavalry units lined up side-by-side awaited them.
[ «-first // previous // next // archive // Ramsus-kun Scanslations ]
9 notes
·
View notes
Text
巨乳きょにゅうJカップ
酥素米婭爆乳媽 大罩杯
這個東瀛風格的泡湯室,設立在客廳角頭的一間附室內,進入附室的玄關處,吊了兩片厚厚的棉布,棉布上所繪有的鯉魚也象徵著進入魚水之歡的玄關,進入後就如魚得水之意。厚厚的棉布有隔音效果。日式格子推門所傳出的淫聲浪語,會被吸音,門外和玄關之間的室內植物擺飾品,也取得減少減弱,呻吟或叫床的傳聲。較強的玄關處的燈光,令昏暗或紅色的泡湯間,取得若隱若現的效果。打開附室的壁櫥,琳瑯滿目的性愛玩具掛滿櫥櫃裡。吊著不少情趣內衣,拴馬般束縛身穿,拉珠,繩繫球狀拉珠,蘆薈潤滑劑,依蘭花潤滑劑,熱辣滾燙潤滑劑,後庭專用殺菌藥肥皂,浴缸泡沫澡肥皂,電動陰毛修毛器,金黃色染髮劑,後庭用花灑噴頭,不同呎吋大小的後門塞,好像掛工具一樣,掛滿櫥櫃的門上,應有盡有。她爸實在懂得享受,真懂得玩,是不是因為這原因,所以她媽沒有和他住在一起。問起酥素米婭後,才知道原來她媽是個第七藝術工作者。她讓索菲亞看她媽照片,被嚇了一跳,竟然這麼美。比安妮還要大上一碼的J罩杯四十一吋多的神乳。她媽裸體照片印刷製作成的纖毛畢露壁紙張貼在牆壁上的神乳,就張貼在她爸的睡房,由床頭的牆壁上端,落地式的直達底部。印刷機印刷成的壁紙也是她爸代理的,所以一切都不用假以人手,種種的圖案,圖畫都可以印刷出來。任何其他女人想要躺在這張床上的話,也得先考慮一下自己的條件,是否能夠劈開雙腿的,躺在這讓人玩著。要躺在這裡讓她爸玩,至少也要比她美,才有資格劈開雙腿承歡。酥素米婭湊過嘴巴去,在索菲亞的耳邊細語著,然後拗口笑起來,媽説他不濟事,不重用的東西,因為她長大了,所以媽教她一些女性的東西,包括性愛。
但是,怎麼可以酥素米婭有在家裡的時候,也把女人帶回家來玩呢?她説這是男女泡湯共浴,她爸對她説,帶朋友同事來泡湯,交流一下罷了,外面找不到日式風格泡湯三溫暖。的確,裡面還有冷水瓦製浴缸和蒸氣室。蒸氣室裡面有石灰平臺,可以躺在上面玩,坐在那裡玩,另外還有一個像太妃椅的彎曲形石灰椅。趴在上面屁股翹起來也可以。這些裝飾對付得起的人來説,和這間屋子的價錢來相比的話,簡直九牛一毛罷了,根本弱不足道。原來她爸代理浴室用品,包括蒸氣室,小巧玻璃浴室之類。
プリンプリン 胸むね の
但是,一旦把壁櫥打開後,情形就不一樣了��其中有一個非常漂亮,來泡湯交流一下的東瀛女,她是單獨一個人來和她爸泡湯。她才不相信只是和她爸泡湯而已這麼簡單。她趁她們正在泡湯沒有注意時,把玄關處的燈關掉,那麼就形成裡面看不到外面了。因為裡面微弱的燈光,雖然光線不足,但是玄關處完全黑暗,變成只看到裡面一切,門縫隙間有人站著是看不見的。她看到那個女的被壓著身上,正在玩著她,她雙腿劈開,下身一挺一挺的在承歡著。臉上露出痛苦的表情,她知道其實那是她爽死的表情,她正在爽,她正在和她爸爽,她是正在絕頂,大痙攣,和她爸泡湯泡到爽得不得了。
她那兩粒東西蠻大的,胸部起伏著,兩粒東西像波浪般波動著。プリンプリン 胸むね の東瀛女 身材還蠻不錯的,她如何呻吟,那個女的怎麼叫床,酥素米婭一清二��。她自己也忍不住把手伸到胯下,伸進底褲裡面去,用中指䊙磨一番,她更發現底褲都澀的一片。但是,她發現一件事,她並沒有去注意兩人正在玩,她把注意力集中在那個女的身上。她非常享受著她被玩的情景,她渴望像她一樣被玩弄著。她一面䊙磨著,一面幻想自己正在被人玩著,非常享受的感覺。意思是説,如果吃起壽司來,她比較喜歡受,多過施,被動比主動爽。她發現自己開始注意,其他被她爸帶回家來玩的女性了。她也幻想自己在泡湯裡面,被人玩著。她也就故意穿著短褲,讓索菲亞注意自己的臀部上的紋身圖案,入墨 入れ墨。而江户時代後期,將更多彩色顏料融入刺青后,便有了雕物 彫り物。日式傳統的入墨又被叫作和式雕物 和彫り。
惱殺 若妻 解禁 和姦 覺醒 初嚐試
她説她們倆離婚前,她還看過她媽在床上被別個男人壓在身上,她被批准和別的男人上床,好讓她不跟她爸離婚。她最後還是決定離婚,還開出來一個條件,就是不可以把房間的壁紙除掉,不然她就會要其中一個孩子的撫養權。酥素米婭心想,她這麼做是因為一路來,男尊女卑的,男人三妻四妾,根本沒有想過不能夠滿足妻子的性慾。男人在外面有女人,可沒有想過自己根本就不濟,不能夠滿足妻子的性慾,還把精力用在別的女人身上。不是精力充沛,那個東西雄渾有勁,男人哪裡可以三妻四妾的,根本就是拿石頭砸自己的腳。她沒有怪她媽,反而覺得是臭男人不對在先,還想用別個男人來滿足妻子的性慾。她媽向來都冰身玉潔的,從來不會越軌,只不過她爸召來的令她把持不住。這個韓國健身運動員,一身的肌肉,高大挺拔,超大尺寸的二頭肌胸肌,令她放下矜持的欲想嚐他一口。自己也讓他領教 105センチ 爆乳ばくにゅう 大波妹ボイン肉騰騰むちむち 一下五去四的威力。她也就乾脆躺下來劈開雙腿了。
美乳びにゅう はみだし出界
她看到當時,她媽是非常享受的讓丈夫以外的男人躺在自己的身上在玩著,自己丈夫以外的那個東西,進入身體。生物的雄性與雌性的交配,形成了這些光怪陸離的肉體關係,每天都在我們生活中發生。更有不舉的男人,會要求若妻讓他看,自己的妻子被別個男人玩,看到自己妻子被玩會令他撅起來。這種種的矛盾心理也就產生了她想把自己的處女身奉獻給女性,而不想被男性破處的心理。這種是男尊女卑反其道而行的舉動,現代的日本女性都不像以前的年代了。隨著日本經濟起飛,也就造就了日本的女性們,性開放思想的年代開始萌芽了。女性不再忍受自己受控於男人,捏脫拉叻式的性愛就這樣形成了。是種逆寝取られ对象被人睡,ねとられne to ra re,女方背叛式的,而不限於男性寝取るnetoru睡走某个对象,或他人妻。但是,不是每個日本女性都是這樣,很多都是抱著一夫一妻制的想法的。只有思想十分開放的女性,才會出現把性愛肉體關係,當成好像吃飯那麼簡單的事情。所以,別以為全部的日本女性,只要看到喜歡的就可以把她抱上床。千萬不可以有錯誤的觀念,認為東洋妞隨便也隨時劈開雙腿的。至少要搭訕,挑逗,先撩一撩,先打動芳心,才可以毛手毛腳,別想剛剛才認識就對人家上下其手的。更加別去模仿日本影片,很多都拍攝得不切實際的。沒有那麼容易得手的。如果你搭訕的是人妻的話,她會告訴你她結婚了,不可以喜歡她。和日本女性拍照的話,也不可以隨便摟她的腰部的。
巨乳 (きょにゅう) G H 37 39
爆乳(ばくにゅう)I J 40 42
極乳(きょくにゅう)K L
魔乳(まにゅう)M N
超乳(ちょうにゅう)O P Q
日本的罩杯算法是上胸圍-下胸圍
A=10 B=12.5 (單位:公分)
C=15 D=17.5 每多2.5公分多一罩杯,依此類推。
所以日本罩杯是沒有灌水的問題而是算法問題,假設今天一個東洋妹上胸圍85,下胸圍70,那在日本就是C罩杯,台灣這邊就是B罩杯。
台灣的罩杯算法是上胸圍-下胸圍
A=12.5 B=15
C=17.5 D=20 每2.5公分多一罩杯,依此類推。單位:公分
就是說同樣高度的三角錐,底部面積越大,體積就越大。也就是如果一個妹子骨架大或下胸比較發達,那麼一樣的罩杯數體積,就是要比同呎吋的大一點。原來因計算方式的不同就會多1~2個杯位,實際上以我們的呎吋大概落在C,D罩杯左右。
歐美的算法是 上胸圍減下胸圍再+5 (單位:英吋)
AA=0.5 A=1B=2 C=3
D=4 DD=5
奧樣 解禁 初嚐試 生尺
酥素米婭䊙磨著,知道快要絕頂了,她把底褲脫下,蹲下身,底褲墊在地上,手伸進校裙裡,中指撳著陰蒂旋轉。如繼續站著的話,淫水會沿著大腿留下來,也會直接從胯下滴下來。她的淫水正在滴上墊在地上的底褲上,另外一隻左手伸進校服的衣襟裏,用力揉捏著她自己的右邊乳房。當她開始抽搐起來時,她趕緊一手摁住她的陰戶,她那充足的水份從手指縫隙溢出。她知道自己會潮吹,怕噴得到處都是,所以用手按住下體。她趕快拿出手帕抹一抹乾淨地上的水漬後,就離開玄關處去沖涼房。她卻發現弟弟的房門剛剛才掩上,她心存懷疑的從鎖匙孔望進去。只見他已經把褲子脫掉,握著他的東西在玩。弟弟的東西已經不是小孩子了,雖然十多歲,卻好像成年人的那麼大,他正在手淫著。她心想會不會剛才看過自己後,已經弓在弦上,非要噴射不可。才沒兩下子,就看到他噴射了,青筋凸顯的一挺一挺地在噴射。她看過,成年人的東西,每次放學走路回家時,經過店後巷,有臭男人故意假意掏出來小便,讓她去看到他的東西。整個東西撅起來的,哪裡是小便,憋尿的時候東西是軟的,堅挺的時候是不會排尿的,故意讓她看見罷了。她知道弟弟正在發育期間內,每天早上會挺起,一個星期內肯定要弄出來,溢滿了小腹會痛的。
一般情況下,男性的精液與尿液是不會同時排出的。因為男性尿道中有個特殊結構-尿道膜部括約肌。男性性生活過程中興奮狀態下,尿道膜部括約肌和膀胱括約肌會同時收縮,這樣兩者之間就會打造出一個密閉的空間,在這個空間裡精子與其他分泌物混合就會形成精液。精液聚集到一定量或者男性到達性高潮時,尿道膜部括約肌舒張,精液便從尿道口射出,這個時候膀胱括約肌並不會舒張,因此尿液是不會排出來的。膀胱是一個肌肉組成的器官,主要功能是儲存尿液,當尿液儲存滿的時候膀胱會脹起,尿液排出後就會扁下去。
憋尿动作或可治阳痿,盆底肌锻炼能增强肌肉力量、提高射精控制力。锻炼盆底肌(类似憋尿的动作),能有效地缓解阳痿和早泄。中途停止排尿(即憋尿动作),是收紧肌肉、增强肌肉力量和控制射精能力的一种方法;把睾丸向上提升是另一种方法。盆底肌肉力量虚弱直接影响勃起力量和射精过程。
人體是構造相當精密,雖然尿液與精液排出是共用相同一個尿道口,但是射精時膀胱頸會自動閉合,因此可避免尿液外流,所以正常來說不會有射精與尿液同時排出的狀況。當男性在極度性刺激、準備射精時,精液會受到壓力而被推往尿道,這時膀胱與尿道交界處的膀胱頸會自動閉合,不僅可以避免尿液外流,同時也可避免精液倒流入膀胱,因此在正常情況下,精液裡面是不會有尿液的。
正確的憋尿,並不用去擔心傷身體,反而可以鍛鍊膀胱,所以不用再一覺得想���尿,就趕緊衝廁所了。憋尿並不是錯誤的事情,反而是種訓練,只是不能憋尿過度,反而會傷身。
把膀胱想像成是一個氣球,隨著尿液多寡膨脹、消減。所以訓練膀胱是很重要的事情,假如膀胱長期沒發揮其脹大的功能,會出現萎縮、纖維化,而逐漸無法容納正常的尿量,定量喝水、忍住尿意的習慣,慢慢恢復膀胱原有的彈性,這樣也可以避免膀胱變小造成的頻尿問題。
當膀胱已經儲存到極限了,一直撐大也可能造成膀胱肌肉失去彈性、無法收縮。如果還一直憋下去,會造成膀胱壓力上升,長期這樣的狀態會壓迫到腎臟,造成腎臟的損傷,其他可能的傷害還有膀胱炎、尿道炎等等。
プリンプリン 胸むね
她媽教會她許多性知識,包括口技和各種如何拽拋 “波動布丁” 騎乘位姿勢。用枕頭跨騎上去,扭動臀部,劈開雙腿半蹲下身向前褪後,前後推送著的動作。還交代她要去教導弟弟,他年紀小缺乏性知識,她不方便教他,因為她是姐姐沒關係,可以教他。所以她就跟弟弟説,一個星期只一次,十天左右太滿了,不可以一個星期玩幾次他下面那個東西。如性興奮後沒有弄出來,就用手輕輕揉搓著陰囊,撚睪丸,輸精管,消除腫脹疼痛,按揉小腹疼痛,消除前列腺的脹痛。她教他如何將包皮翻下,使他的龜頭脫穎而出,好讓他的東西能正常發育。她媽是利用瓶子和塑膠袋,向她作示範教學,好讓她能教導弟弟。可別怕痛,每天輕輕拉它下來,搽一點肥皂,䊙磨龜頭,減低敏感度,就不用怕磨到底褲會痛,待龜頭脫穎而出後,搽多一點肥皂,快速抽送磨擦龜頭,以後進入女性下體時,就是這種感覺,現在別太好奇心重,玩壞掉了東西就不會站起來,到時就沒有得玩了!
索菲亞吻著酥素米婭,兩人浸泡在泡湯中,她越來越愛酥素米婭了,她雖然沒有那個話兒,但是她感覺上佔有了她的身體。畢竟人家把處女身奉獻給自己了,她對索菲亞説,至少現在我是不會交男友的,但以後會嫁人啦!我現在是妳的人哪!妳愛酥素米婭嗎?我愛妳!妳好可愛!索菲亞愛妳!除了莎比麗娜對她開拓留下深刻的感覺外,在她玩過的女孩子當中,酥素米婭烙印在她心中最深刻。至少她的兩個洞穴都是她所開發的。她撅過四個處女了,開發了七個後庭,和十四個女孩子有過一手。玩過的十四個女孩子當中,她最喜歡酥素米婭了。莎比麗娜是不會專一,她有捃摭和掎摭之癖好。她喜歡掎摭處女膜,或者後庭初夜,捃摭有過一手的女孩子。她玩過一百零五個女孩子了,當然可以如今酥素米婭在她的生活中寫下新的一頁。她愛上她無捻紗和強捻紗般的東洋味。雖然她沒有粉紅色壽司,但瑕不掩瑜。她更喜歡她那五顏六色,花花綠綠的屁股,一口咬下去超爽的!吻起來滑溜溜的。舔她股縫隙她整個人就顫抖著。她實在是她好可愛的酥素米婭。她愛上她了,愛上她那愛不釋手的紋身屁股。酥素米婭還叫她躺在池邊,然後替她做身體按摩。還會用她那兩粒肉團為她按摩。她真的愛死這個騷東洋妞兒了!前無古人後無聖賢新秀。
淫水舔淨情不會淡
猛撅再搠而不散
埋頭兩腿之間 也不孤單
妳足以傾城的兩粒
較花與草還璀璨
然而眉目恍惚飄散有一絲慨嘆
淫水透徹出我倆 沿路滿佈
陰毛也雪亮
房間昏暗 性愛得到了景仰
世間甚麼性愛純潔
妳甘願化作兩隻紅蝴蝶
世間甚麼性愛還比女女愛
處在高潮任力竭
留守最尾一起高潮那怕歷劫
劈開雙腿它比繁花更美
下面紅蝴蝶漫天飛很美
我一生銘記
索菲亞被莎比麗娜玩過後,愛上了紅蝴蝶漫天飛,自己也懂得如何吃壽司了,受也歡欣雀躍,施也令到對方陶醉。酥素米婭是她吃過的當中,她認為最美味的,她愛上粉紅色壽司捲海苔。她自己的壽司,沒有海苔。完全剃掉光禿禿的。東洋妞通常都是,海苔捲壽司,毛茸茸的。室內傳來悅耳的紅蝴蝶歌曲。
酥素米婭説,她爸説可以帶朋友同學回家泡湯,不過不可以男女泡湯,小孩子不可以,更不可以孤男寡女處於一室。索菲亞説,可是附室的門沒有鎖,我們怎麼玩?而且不能呻吟叫床,淫聲浪語一番,很掃興的!有辦法鎖上推門的,玄關處的音樂可以調高聲浪的,跟他們説不可以進來看我們泡湯,我們是十多歲含苞待放的青春少女,不好意思的,讓人看感到很難為情的。玄關處地上有一盞石燈,石燈亮著的話,意思是説,小孩子不可以進來。況且我們當然會選擇他上辦的時間,我們辦完事了,他應該都還沒有回來。
兩人擁抱吻起來了,酥素米婭急不及待伸出舌頭,讓索菲亞吸噬著,嘴巴被撩得爽到不得了。她立刻就乳暈收縮發硬起來了,很多女性都會對濕吻容易動情起來的,索菲亞用下體再次䊙磨她的紅蝴蝶,酥素米婭,妳想要甚麼地方?兩個地方都有反應!怎麼辦呀?索菲亞趕緊束縛起雙棒性愛玩具。她首先納入陰道,因為陰道比較靈活,可以遷就後庭納入之勢。如果先納入後庭的話,後門口會限制另外一個進入陰道內時的擺動,不夠靈巧。直腸與後門口使玩具挺直,限制玩具的擺動,當納入陰道時,恐怕會扭傷掙傷後門口,甚至直腸內壁。
乳ちち Gカップ 88センチ
索菲亞對酥素米婭梅開二度,雙穴齊飛,她乘勝追擊地,擠滿了熱辣滾燙潤滑劑,於她的後門口和玩具上。兵分兩路,酥素米婭被雙管齊下的搠。陰道高潮和後庭高潮,形成重疊高潮,再用手玩弄陰蒂一番,吮吸著乳頭和乳暈,多兩樣高潮一起來,這種重疊多重高潮,是高潮中的顛覆。再加上之前的高潮,算是重覆高潮,連環數次的高潮迭起。女性最陶醉其中的,就是這種連續的性高潮。會一次比一次的爽,能夠到達數次的高潮,女性才算得上真正滿足了。女性只達到一次高潮,是肯定不會滿足的。任何女性都要求被弄到死去活來,欲仙欲死方罷休。索菲亞和莎比麗娜,因為自己本身是女性,所以更能夠掌握其中竅門。也因此女女性愛更能夠令女性滿足。自己的陰道,喜歡怎麼被搠,那一個地帶喜歡被䊙磨,喜歡怎麼被頂撞,怎麼捶擊才爽,對方也就怎麼被搠。對症下藥,也就藥到病除,打通經脈,血氣暢通,通經復元。索菲亞,我兩個地方都爽呀!兩個地方都被妳弄到爽爽的呀!哎喲…!弄到人家爽死了!噢…!噢…!噢…!嗯!嗯!嗯!唲…(拖曳長)!爽死了呀!我愛死妳了呀!搠吧!搠我吧!沒想到這個騷貨,才第一次被開發就騷得很,胃口那麼大,還有那麼多的水份。雙穴齊齊飛去了,我飛了!飛了呀!素顆艾!昂基摩茨!索菲亞想起當初,被莎比麗娜開發後庭,後庭初夜被掇去了,是那麼的溫馨。她慶幸自己被莎比麗娜帶進女女性愛世界,沒有試過之前,她是無法想像女女性愛的歡愉,無法想像女性胴體也會令其他女性迷戀。開始她只知道自己喜歡和莎比麗娜接吻時的歡欣,喜歡被她愛撫。就像小女孩喜歡人家疼她那樣。直到私處被撫摸,她才發現到自己渴望莎比麗娜對自己有進一步的動作。不感到羞怯,感到被愛和墮入愛河的感覺。後門口被撩動到超爽的,心裡頭總是在想,到底甚麼時候會對自己採取行動。直到怦然心跳的跟她回家,她知道今晚她將要佔有自己身體了。在公交車上互相含情脈脈的注視對方,戰戰兢兢地期待著。她有在游泳池脫光光沖涼的經驗,不怕被人看著。可是當晚在莎比麗娜面前脫光衣服的時候,卻血液沸騰,臉上泛起紅暈,感覺臉頰熱辣辣的。當莎比麗娜用赤裸裸的身體抱著自己時,真的有觸電的感覺。這才發現原來女性能夠讓自己慾火高漲,意亂情迷。就這樣和莎比麗娜渡過情慾翻滾纏綿激吻的一個晚上。
樊掖提拔 女女愛
經過莎比麗娜的樊掖提拔,她愛上女性胴體,無��受與施,她青睞十多歲的女孩子,尤其是那些穿著校服的女學生。看到她們就像看到自己讀書的時候,看到漂亮的女學生,就想一親芳澤。她結果也嚐了七個,令她驚訝的是其中三個早已不是處女了。她們三個竟然好像自己那樣,讀書的時候,就被破處了。自己也被七個成年女性,像莎比麗娜那樣二十多歲的女孩子玩過。她萬萬沒想到,被喜愛女女愛的女孩子搭訕,會有被男性撩的感覺,對方的眼光落在自己敏感的地方,也會有觸電的感覺。沒想到女性也會對自己的胸脯色咪咪地看著,對那兩粒東西有興趣。但是,何嘗自己不是被看得怦然心跳,鬼迷心竅的倒入懷中任人魚肉。單單只是店裡的廁所,就已經成就了幾番大事業的前奏曲。哪裡止在廁所被莎比麗娜撩後門口。已經好幾個了,她上廁所時,對方洞悉她的眼神,跟隨入內,抱著她吻。她被吻得神魂顛倒,心花瞭亂,也就答應人家的約會了。放工後就被人家拖著手兒,帶回家去玩了。她喜歡覬覦她肉體的女性,喜歡被玩,被動,喜歡被人品嚐全身上下。那種樂趣是無法言喻的,只有女女愛的女性才懂得欣賞和明暸。她作主導採取主動攻勢時,就喜歡那些情竇初開的女學生,看起來天真無邪卻慾火焚身,按捺不住的偷吃禁果那種。那種女孩被吻就立刻像觸電般,非常可愛,濕吻一番下面就溼的。只要掌握到接吻的技巧的話,她就會讓妳吻另外一張嘴巴,吻到她爽爽的,哪裡還不到手,吃到口裡了。
大痙攣 絕頂 絕叫
哎喲!人家給妳弄死了啦!爽死了啦!把人家給爽死啦!噢…!噢…!噢…!素顆艾!昂…基摩茨!玩過東洋妞兒的,都熟悉她們的呻吟,叫床。嗚咽的聲音,痛楚的表情,拗口的動作,哭出來的聲音,咬手指,咬枕頭角,枕頭掩臉,床單被拉扯到鄒去。酥素米婭被打通全身十二經脈三百絡,通經復神才不至於內分泌失調。洋妞兒的叫床不一樣,通常都嚷著,噢呀!我的天呀!你幹我真好!是的,就是這樣幹!幹我!我喜歡你幹我!再用力!對,用力一點!深一點!再深一點!對了,對了!你幹得很好!弄我淫水出來!弄我高潮!就快了,快要來了,正在要來了!噢呀!我來了!來了呀!噢……呀!噢………!我的天,你幹我真好! 口技也許可以溫柔一點,但是口技加上深喉的洋妞兒,通常口技動作比較激昂的,還肯做較重口味的深喉,可以把口腔當作陰道般,極力快速抽插。如果是説心情,肉體上的爽的話,日語是 気持ちいい(きもちいい)音:ki mo qi yi 。爽(そう)音:sou 噢!哇!音:素顆艾
彫り物 ハメ撮り 初撮
酥素米婭很會撒嬌的,就像港劇不懂撒嬌的女人裡面,所説的台灣妞那樣,非常懂得撒嬌。一會嚷著要人家弄她,説她願意讓人玩,一會又嚷著,妳把人家弄死了啦!把人家弄到爽死啦!一會慾火焚身的時候,又嚷著説兩個地方都要爽。還故意用日語叫床以致製造出東洋口味,予人一種東瀛風格,浪漫性愛。還有還沒使出來的騎乘位腰震,她媽教她的,有如韓國女團扭動屁股,做盤旋䊙磨狀,姿態撩人的舞姿那樣。M字開脚エムじかいきゃく 蹲跨著,只是下身旋轉,然後又用腰部把臀部前後推送,雙手擠推雙乳向乳溝。她表演讓索菲亞看,她媽跨在枕頭上,示範教學的。索菲亞可真拿她沒辦法的,可是她就是那麼的可愛。
麗宇芳林對高閣 新籹艶質本傾城 映戶凝嬌乍不進 出帷含態笑相迎妖姬臉似花含露 玉樹流光照後庭東洋和彫股的魅力可想而知了,滑溜溜,柔嫩細緻,柔軟卻帶勒性的彈力,渾圓飽滿翹起。嚐過無不愛不釋手,食髓知味,可稱絕色剛柔並濟後庭。
高潮過後,她倒在索菲亞懷裡讓她吻著,她的柔嫩的身體實在令人驚艷不已,非常爽手,她那吐氣如蘭的嘴唇,口氣芬香,吻過千遍也不厭倦。索菲亞如獲至寶的愛死她了。卻可是她自己送上門來的,大方贈送,讓索菲亞給吃掉了,還是個處女呢!她不喜歡臭男人扦破她的處女膜,她寧願選擇性愛玩具,屹立不倒,一擎沖天,體積自由選擇,對臭男人那個東西,她嗤之以鼻,像用手指攪拌均勻一樣,完全沒有享受可言。酥素米婭還要求拍下,奧樣解禁初嘗試呢!ハメ撮り 在日文的意思是指 性愛自拍 而單純的自拍是 自撮り 。她讓索菲亞有機可乘,又吃掉一個處女了!
坦脯樂布落課小説 剝落科(五) 酥素米婭媽 爆乳 J罩杯 美豔婦人爸不濟事 召猛男服侍妻嚐嚐
5 notes
·
View notes
Text
題詠100首 2024
「短歌は奴隷の韻律」と喝破した小野十三郎の短歌否定論を読んだあとで、それでもここに戻ってきてしまうのは、やはりこの詩型が好きだからなのかもしれない。
五十嵐きよみさん主宰の「題詠100首」に参加しました。ありがとうございました
2024-001:言 言ひかけたそのくちびるをくちびるでふさげば夜はすみれのにほひ
2024-002:置 置く露の消ぬべきものと思へどもなほなつかしき鬢のほつれ毛
2024-003:果 白鳥のゆくへ知らずもさびしさの果てなんくにへ飛び去りぬらむ
2024-004:吸 くちづけは甘き陶酔蜜を吸ふみつばちににて飽くことのなき
2024-005:大切 大切なものこそ目にはさやかなれこの目この肩このふくらはぎ
2024-006:差 差しみづするやうにして息をつぐ逢瀬のまへの胸の高鳴り
2024-007:拭 足拭ふ��のくるぶしの白さゆゑねむれぬ夜をすぐしてけりな
2024-008:すっかり もうすっかり秋なのですね江ノ電に待ち合はすれば日影のながく
2024-009:可 不可分のふたりなりけりかんづめの鰯のやうに身を寄せあつて
2024-010:携 天の川白しと言ひて仰ぎみつ手を携へて川わたるとき
2024-011:記 ツンドクをツンドラと読みまちがへてガリア戦記に雪のふりつむ
2024-012:ショック あの夏の藤の木かげをおもひいづルドルフ・ショックのあまき歌ごゑ
2024-013:屈 身を屈め砂に字を書く主イエスは赦したまふやこのふかなさけ
2024-014:外国 マラケシュへ脱出したしサフランとなつめの香る外国(とつくに)の果て
2024-015:見 あひ見てののちのおもひはすみれいろ日の出のまへのひさかたの空
2024-016:叡 あさぼらけ比叡のやまにたつ霧のふかくぞひとを思ひそめてし
2024-017:いとこ 豆好きの子の記念日につくりおくかぼちやとあづきいとこ煮にして
2024-018:窮 窮鼠にも朝は来るらし鎧戸のすきまより洩るひかりひとすぢ
2024-019:高 抱きあげて高いたかいをするたびにはじけるやうにわらひたりけり
2024-020:夢中 青春は夢中のうちにすぎさりぬめざめていまは白き秋風
2024-021:腰 腰骨の上に手をおき抱きよせる サルサのリズム 波うつ体
2024-022:シェア イヤフォンをシェアしてバッハ聴きをりぬ予定日すぎて子を待ちながら
2024-023:曳 ひかり曳くものこそなべてかなしけれ流るる星もほたるのむれも
2024-024:裏側 いかにせんうかがひしれぬものありて人のこころは月の裏側
2024-025:散 知られじな夜もすがら吹く木枯らしに散るもみぢ葉のつもる思ひを
2024-026:頁 世界史の頁を閉ぢて夢見をり講義のをはりとこの世のをはり
2024-027:おでん 二日めのおでんのやうにしみてくるやさしく気づかふあなたのことば
2024-028:辞 言霊の幸ふ国に聞き飽きる 美辞も麗句も誹謗も揶揄も
2024-029:金曜 泣きぼくろつついておこすとなりの子金曜五限睡魔のきはみ
2024-030:丈 つり革にとどく背丈となりし子の腋窩の白く夏さりにけり
2024-031:けじめ ひるよるのけじめもつかぬ薄明かりいのちの果てのけ���きとぞ見る
2024-032:織 経糸も緯糸もなき鳥たちの声の織りもの聞けども飽かぬ
2024-033:制 制限字数こえてあふるるわが思ひたぎつ早瀬となりにけるかも
2024-034:感想 「感想を十四字以内で述べなさい」「あいたいときにあなたはいない」
2024-035:台 灯台のやうに照らせよぬばたまの無明の闇におよぐこの身を
2024-036:拙 目をとぢてなにおもふらん古拙なる笑みをうかぶる半跏思惟像
2024-037:ゴジラ 清涼水ささげまつらん着ぐるみをぬいでくつろぐゴジラのひとに
2024-038:点 夕されば宵宮に灯の点されて稲穂をわたる風かぐはしき
2024-039:セブン 響きあふセブンスコードやはらかくスイスロマンドかんげんがくだん
2024-040:罪 罪深きものと知りつつやめられぬ午前零時のキッシュロレーヌ
2024-041:田畑 とり入れををへし田畑に雀らのさわぐを聞けば秋更けにけり
2024-042:耐 陣痛に耐ふるつまの手にぎりをり痛みを分かつすべあらなくに
2024-043:虫 別れきて秋の夜長をなきとほす虫の息にもなりにけるかな
2024-044:やきもち 黒い怒りもしづまるでせうやきもちにきなこまぶして頬張るならば
2024-045:桁 花ごろも衣桁にかけて待ち遠し色とりどりに咲きみつる春
2024-046:翻訳 ふさふさのしつぽを立ててあゆみ去るねこのことばの翻訳もがな
2024-047:接 おたがひの足音のみを聞いてをり話の接ぎ穂見つからぬまま
2024-048:紐 「結んでよ後ろの紐を」あらはなる背中見せつつ言ひたまひける
2024-049:コロナ かろやかに走り抜けたり太陽のコロナのやうに髪なびかせて
2024-050:倍 この仕打ち受けても七の七十倍赦しなさいと命ぜらるるや
2024-051:齢 少女らのもはや倦みたる遊具あり遊具にもまた適齢期あり
2024-052:圧力 ゆつくりと圧力かけて皺のばすアイロン台に湯気は立ちつつ
2024-053:柄 春の夢見させてください花柄のスカートのうへに膝まくらして
2024-054:朧 朧なる記憶の底にきこゆなり赤子のわれを呼ぶ祖母のこゑ
2024-055:データ データなぞ改竄するのが前提といふひとあれば美しくない国
2024-056:紋 わがうたにいまだ紋章なきことも恥ぢずこよひも豆腐が旨い
2024-057:抑 「好きといふきもちは抑へられなくて」読みかへす午後ひざしうつろに
2024-058:反対 環状線反対まはりに乗せられてはじまりしわが大阪時代
2024-059:稿 ブルックナー第八初稿で祝ひたり生誕二百周年の宵
2024-060:ユーロ ふらんすはあまりに遠し「赤と黒」原書にはがすユーロの値札
2024-061:老 生ましめしのちのよふけのしづもりに老助産師のたばこくゆらす
2024-062:嘘つき どうせならうつとりさせて狂はせる目覚ましい嘘つきなさいませ
2024-063:写 ちちははの結婚写真色あせてアルバム白く夏は来たりぬ
2024-064:素敵 はにかんでものいふときの片頬にゑくぼをきざむ笑顔が素敵
2024-065:家 家ひとつこぼちて三つ家を建つなんのふしぎもなしとはいへど
2024-066:しかし 焼き魚ほぐしつついふもしかしてわたし妊娠してゐるかしら
2024-067:許 胸許にきつつなれにしスカーフあり柩のひとの息あるごとく
2024-068:蓋 きみがため抜山蓋世のますらをも恋のとりことなりにけらしな
2024-069:ポテト ベークドポテトふたつにわればふうはりと湯気立ちのぼるバター落して
2024-070:乱 黒髪の乱れも知らずうちふして幾何証明にゆきなやむ吾子
2024-071:材料 材料はグラム単位ではかりませう恋の女神にささぐるお菓子
2024-072:没 ひそやかにゐなくなりたし没年齢しられぬままに墓標もなしに
2024-073:提 下駄ならしなつまつりよりかへりきぬゆかたの子らは金魚を提げて
2024-074:うかつ 「もうすこし一緒にゐたいな」うかつにもつぶやきしゆゑ底なしの沼
2024-075:埒 ひとり舞ふほかにすべなしもろびとの大縄跳びの埒外なれば
2024-076:第 しんしんと肺蒼きまでしみとほるかなしみふかき第二楽章
2024-077:オルガン オルガンの裏にひかへてふいご踏み風を送りし労苦を思ふ
2024-078:杯 願はくはおなじ杯よりのみほさん媚薬なりとも毒薬なりとも
2024-079:遺 「きらひなのさういふところ」といはれたり不貞寝して聞く遺愛寺の鐘
2024-080:なかば ランウェイに踏みだすやうなあひびきはのぞみとおそれ相なかばして
2024-081:蓮 さきゆきは見通さずともしろたへの酢蓮を食めばこころはなやぐ
2024-082:統一 姿見のまへでくるりとひとまはり「青で統一秋色コーデ」
2024-083:楼 春高楼の花のうたげはまぼろしか廃墟の城を照らす月かげ
2024-084:脱 管弦のとよもすホール脱けだせばしんとしづもる明きフォアイエ
2024-085:ブレーキ ブレーキのきかぬくるまかすこしづつあなたの方にかたむくこころ
2024-086:冥 冥府よりプロセルピナはもどりたり野の緑もえ春のおとづれ
2024-087:華やか 華やかに開幕ベルは鳴りしかどせりふおぼえずお化粧もまだ
2024-088:候 姸を競ふ花嫁候補に目もくれず選びたまふは桐壺の姫
2024-089:亀 わたつみの底の浄土の住みごこちいかにと問ひぬ青海亀に
2024-090:苗 十年後ジャスミンティーの再会��苗字かはりて人の子の母
2024-091:喪 青き花好みたまひしひとなれば青き旗もて喪章となしつ
2024-092:休日 窓ごしに別れを告げる新幹線休日なんてあつといふ間ね
2024-093:蜜 乳と蜜ながるるところといはれたるカナンの地いま血潮ながるる
2024-094:ニット 置きわすれられしニットのセーターに顔うづむればにほひなつかし
2024-095:祈 祈るやうに手をあはせたりめづらしき蝶見つけしと馳せきたりけり
2024-096:献 妻あての訳者の献辞見返しにあり「罪と罰」古書あがなへば
2024-097:たくさん ひとつぶのあかい木の実をかみしめるあしたまたたくさんとぶために
2024-098:格 格変化となへつつ夜ぞふけにけるロシヤ語講師の赤き唇
2024-099:注 ちらぬまま朽ち果ててゆくあぢさゐのはなのをはりにふり注ぐ雨
2024-100:思 さめやらぬ夢のほとりに置く露のかわくまもなくもの思ふころ
4 notes
·
View notes
Text
七月になり、ようやく広樹のギブスが取れ、サポーターだけになった。通学は自転車に戻り、時折ラガーシャツにも袖を通した。
一方、克也は広樹が辞めないで済んだことに胸を撫で下ろしたが、未だ自分自身の気持ちを言えずにいた。浩志からは、
「いつまでもウジウジしてンじゃねぇよ! チ◯ポ付いてるンだろ!?」
と一喝されていたが、男同士が好きになることに対して罪責感があった。未だ、同性愛が世間的にタブーとされていた時代である。浩志が大学生だった昭和三十年代の後半と比べると、五十年代の前半は女装したり女言葉を使ったりする芸能人も多く活躍したが、やはり偏見はあった。
夏休みになり、秋の試合に向けて練習にも力が入った。浩志も普段はポロシャツとジャージーと言う格好だったが、時折ラガーシャツとラグビーショーツでグランドに現れた。そんな姿に漫画研究会の利江子たちは、
「あれぇ〜? ヒロシったらラガーマンになってるぅ!」
「きゃッ! なんで、あんなにラグパン短いの!?」
「いゃァ〜ん、何か誘ってない?」
「ラグパンって、パンツ穿かないンでしょ!? エッチぃ〜!」
と、相変わらず盛り上がっていた。そんな彼女たちに浩志は、
「鶴田ッ! 一応、穿いてるぞ!」
とラグパンの裾をチラッと上げてみせた。何故、アタシの名前を知ってるのとびっくりしながら、
「ヒロシ、このスケベっ!」
と笑い転げた。他の同級生は黄色い声を上げていた。
休憩時間になり、広樹は予め作っておいた麦茶の入ったやかんを二つ、ベンチのある日陰に置き、部員に声をかけた。皆、待ってましたと言わんばかりに詰め寄って来て、麦茶の注がれたプラスチックのコップを手に取った。浩志も蛇口の水を頭から浴び、
「このまま昼飯にするぞ」
と、眼鏡を片手に持ちながら首に掛けたタオルで頭を拭き、彼は校舎に戻って行った。
その間、日陰で弁当を食べたり芝生に横になったりと、それぞれ休んでいた。克也もケヤキの幹に寄りかかった。視界には空になったやかんや、プラスチックのコップを片付ける広樹の姿があった。なかなか告白できずにいる克也は、
『今なら言えそうな気がする』
と立ち上がった。そっと近づき、広樹の手を取った。
「加藤先輩…?」
「ちょっと来て」
そう言われるがまま、広樹は克也に手を引っ張られた。連れて行かれたのは部室だった。窓を全開にしていたが殆んど風が入らず、蒸し暑かった。十二畳はあるかないかの室内で、克也は広樹と見つめ合った。両手を握りしめ、
「額田君、好きだ」
と克也は唇を奪った。身体を密着させ、広樹の背部に両腕を回し、愛撫した。広樹は嫌がることなく、奪われた唇が克也のものと一体になる様な感覚を得た。
ラ��パンの中で股間が隆起していくの互いに感じながら、二人はブリーフ越しに恥部を弄った。内腿から汗が垂れ、次第に濡れていった。克也はこれまで抑えてきた感情を露にしながら喘ぎ、広樹のラグパンを脱がせた。
「あぁん、はァ、ああん…」
鼻息を粗くさせながら、二人はブリーフを膝まで下げ、肉棒の裏側を合わせながらしごいた。
「あッ、あん、ああん…」
先走り汁で手指を汚しながら、克也は広樹のラガーシャツを胸元までたくし上げ、乳房を咥えた。
「イ、イキそう…」
「オ、オレも…」
オルガズムは二人一緒に達した。ドクッ、ドクッと粘度が強い乳白色の愛液を流し合い、克也は広樹の唇を求めた。広樹も舌を絡ませ、二人は暑さも忘れて愛し合った。
練習を終え、体育館に併設されたシャワーを浴びた部員はそれぞれ、制服に着替えて帰って行った。浩志もワイシャツとスラックスに着替え、職員室の扇風機で涼んでいた。嗚呼、今日は飲みにでも行こうかなァ…。そう思っていると、
「…先生」
と克也が訪れた。浩志は、
「何だ、帰ってなかったの?」
と気だるそうな声で聞いた。克也は言った。
「オレ、額田君に告白しました」
「へぇ〜、良かったね。…で?」
「…そのままエッチしちゃった」
「へぇ〜、良かったね」
何も考えずにこう言ったが、否、「エッチしちゃった」って、何が? ようやくコトの真意に気付いた浩志は、
「ハァァァァァァ〜!?」
と上半身を起こした。
「犯っちまったのか!?」
「声が大きいよ!」
「…お前、溜まってたンだな」
「何か、気持ちが大きくなっちゃって…」
克也は、徐々に真顔になっていく浩志の様子に、嗚呼、怒られるのかなと不安になった。しかし、浩志はバンッと彼の背中を叩き、
「よくやった! これでこそ男だ! 気持ち良かったっぺ!?」
と、寧ろ喜んだ。何だ、この先生!?と克也は呆然とした。そして、浩志は克也の股間を鷲づかみにし、
「イイぞ、イイぞ! その調子でガンガン攻めろ! 若いってイイなァ〜!」
と揺さぶった。
「や、やめッ…! おしっこ漏れちゃう!」
もし誰かいたら問題になるなと、克也は思った。
この日を機に、克也と広樹は浩志から色々と「性のてほどき」を受けた。時折、部室で『さぶ���や『アドン』などのゲイ雑誌を渡され、ア◯ルセックスの仕方も山奥のモーテルで「伝授」された。克也は、
「オレは純愛が好きなのに!」
と心の中で叫びながらも、沸々を込み上げてくる肉欲に負けて広樹と絡んだ。広樹も、克也を所謂「セックスシンボル」としてしか見られなくなり、ラグビーショーツから覗くブリーフに生唾を飲んだ。克也の家も若宮町にあった為、水府橋の下で毎日の様に愛し合った。
一方、ラグビー部の成績は劇的に飛躍した。これまで県大会で二回戦以上は勝ち進められなかったのが、関東大会でも上位の方まで成績を残した。他県のシード校を打ち破った時には、浩志は嬉しさのあまりに、
「これも皆、克也と広樹の『愛』あってこそだ!」
と口走り、二人は火消しに追われた。
そんな克也と広樹だが、個別に利江子から漫画のネタに色々とインタビューを受けた。あまりにしつこいので、
「イイじゃん、愛してるンだから。好きにさせてくれよ」
と広樹は言い切ったが、
「えぇ〜!? そんなにラブラブなのぉ〜!? だったらイイじゃ〜ん!」
と、寧ろ彼女の創作意欲に火をつけてしまった。
広樹は浩志との思い出を「熱弁」した。途中、浩二は笑いをこらえるのに骨折り、
「う、嘘ッ!?」
「それ、本当ですか!?」
「高校生だったのに!?」
云々と、何度も聞き直した。
二人が話している間、大樹は座布団を半分にして折り、枕の様にして眠っていた。寝息を立てている我が子を気にしながら、広樹は目頭をハンカチで押さえた。今は高校生だった二人を浩志が手を出し、淫乱にさせたことを信じられないと思っているが、その数年後には中学生になったばかりの大樹をまさか自分がそうさせることになろうとは、考えてもいなかった。
午後九時を回り、広樹は大樹を起こした。
「長居をしてしまってすみません。告別式には妻が来ますので…。私、K百貨店に勤めておりまして、明日から秋に催される物産展の関係で北海道へ行くンです。克也、否、加藤さんは通夜には行けるそうです」
「K百貨店にお勤めですか? 大変ですね。道中、気を付けて」
玄関で広樹と大樹を見送ると、茶の間に戻って浩二は残っていたお茶を飲み干し、片付けた。徐々に、彼は浩志との永遠の別離がきているのだなと実感した。
38 notes
·
View notes
Text

#おでかけ #乳岩峡
総仕上げとばかりに、最後はこのハシゴが立ちはだかっておりました。まあでも、さっきのアレのせいでハシゴがあるだけマシだと思えてきました。しかもこのハシゴ、手すりまである、優しい。

そしてやっと!外に出られました!青空が目に染みます。ものすごい冒険を越えてきたかのような達成感があるんだけど、果たして二度目挑戦したいかと問われると、怖さの方が勝つ気がします。いのちとほね、だいじに。

大きな大きな自然のトンネル、石門をくぐっていきます。今まではずっと上ってきたけれど、ここからは下りになります。
今の乳岩川はだいぶ下の方を流れているけれど、かつてはこれぐらいの高さを流れていて、川の浸食→岩の風化→割れ目から大きな岩が崩れ落ちてこのような門の形になったと考えられているんだそう。
今の川の位置とかなりの高低差があるんですが、長い年月でこんなに川の流れる場所って下がってくるもんなんですね……驚きです。

よく乳岩峡の観光案内ページに出てくるのはこれから向かう乳岩洞穴の写真なんですが、洞穴内には子安観音と三十三ヶ所観音が祀られているとのことで、そこに向かう道端にもぽつぽつとお地蔵さんの姿がありました。石もそこここで積まれていて、何だか違う世界へと迷い込もうとしているかのよう……。
8 notes
·
View notes
Quote
中居正広氏と女性のトラブルをめぐる一連の問題を受けて、フジテレビと親会社のフジ・メディア・ホールディングスは、第三者委員会の調査報告書を公表しました。 第三者委員会は、一連の問題で「女性Aが中居氏によって性暴力による被害を受けたもの」と認定。「重大な人権侵害が発生した」としています。 また、中居氏と女性Aとの関係性、両者の権力格差、フジテレビにおけるタレントと社員との会食をめぐる業務実態などから、「本事案はフジテレビの業務の延長線上における性暴力であった」と認定しました。 そのうえで、本事案の報告を受けたフジテレビの港社長ら3名は、中居氏と女性Aの関係性が番組共演を通じたものであることを十分に認識可能だったとして、プライベートの問題だと即断するのではなく、必要な事実確認をしたうえで、対応を検討し、意思決定を行うことが適切だったと指摘。「被害者ケア・救済の観点からも不十分な対応だった」としています。 また、第三者委員会は、フジテレビの港社長らが人権問題リスクの認識を誤り、危機管理としての対処をしなかったと指摘しています。 中居氏の依頼を受けた「フジテレビの幹部が中居氏サイドに立ち、中居氏の利益のために動いた」と指摘。中居氏のために、フジテレビのバラエティ部門の弁護士を紹介したことも明らかにしました。中居氏の利益のための行動は、女性Aに対する二次加害行為に当たり得ると指摘しています。 結論として、「フジテレビの対応は経営判断の体をなしていない。港社長ら3名は性暴力への理解を欠き、被害者救済の視点が乏しかった」としています。 「二次加害行為など、一連の行為によって、女性のAの被害をさらに拡大させた」ことなどを指摘。経営陣の対応について、「思慮の浅い意思決定と被害者に寄り添わない対応がステークホルダーからの信頼を失わせ、フジテレビを危機的状況に至らしめた」と断じています。 ■類似事案について 第三者委員会は、不適切な会合の実態があったかについて、「フジテレビの一部には社員、アナウンサーらが取引先との会合において、性別・年齢・容姿などに着目され取引先との良好な関係を築くために利用されていた実態はあったというべき」と指摘しています。 「フジテレビでは、全社的にハラスメント被害が蔓延していた評価できる」としたうえで、「フジテレビにおいて培われた誤った認識、対応が被害者によるハラスメント被害申告をためらわせ、適切な対処がなされず、結果としてさらにハラスメント被害が生じるという、負の連鎖が繰り返されてきた」と分析しています。 ▼人権侵害リスクの防止や人権救済メカニズムの整備が不十分だとしたほか、▼「男性優位の同質性の高い構造がトップダウンで人権意識の鈍さをもたらし、ハラスメントが容認されやすく、信賞必罰が徹底されない企業風土を作り出している」と指摘しています。 また、第三者委員会は、日枝久取締役相談役がフジテレビグループの人事権を掌握していると感じているかというアンケートに対し、役職員の82%が「感じる」と回答したと明らかにしています。 そのうえで、「役員が日枝氏の方ばかり見て行動している」「日枝氏に気に入られた人物が出世する」という選択肢に過半数の回答者が選択したということです。 日枝氏は「現在でも経営に強い影響力を及ぼしており、社内の組織風土の醸成に与えた影響も大きい」と指摘。そのうえで、「セクハラを中心とするハラスメントに寛容な企業体質は日枝氏だけでなく、当社の役職員全員の日々の言動から形成されたものである」とも分析し、「日枝氏のみならず取締役会メンバー全員に経営責任が認められる。港社長の任命責任を日枝氏に問う声もあるが、その任命責任は取締役会全員が負うべきである」と指摘しています。 ■再発防止策に向けた提言 第三者委員会は、再発防止策に向けて、▼被害女性に真摯に謝罪し、対話を始めること、▼被害を救済し、二次被害から守り抜くことなどを提言。▼人権方針実施体制の見直し、▼人権デュー・デリジェンスの強化、▼人権救済メカニズムの構築を迅速に進めるべきとしました。 ▼リスク管理体制の見直し、▼取引先・取材先からのハラスメントに対応する体制構築、▼人材の多様性の確保、▼今年6月の株主総会に向けて役員指名ガバナンスを強化することを求めています。 また、「性的暴力・ハラスメントという人権課題はフジテレビ固有のものではなく、メディア・エンターテイメント業界における構造的な課題である」と指摘。
【速報】「女性Aが中居氏によって性暴力による被害を受けたもの」 フジテレビとフジ・メディア・ホールディングスは第三者委員会の調査報告書を公表(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
2 notes
·
View notes
Text
反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
24 notes
·
View notes