#5期生
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yuki-tamura-studio · 1 year ago
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【祝】卒業おめでとう。
研究室メンバーで院生と4年生を送り出しました。みんな頑張って。
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generalwonderlandpeace · 11 months ago
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健太郎居候現在限定の無い中型自動車第一種運転免許証ございます。普通二種MT・中型二種限定無し・大型二種限定無し運転免許証取得するからには中型一種限定無し運転免許証を最低3年無事故無違反徹底して行動していなければ第二種運転免許証取得出来ない為、うろたえて居られなくなります。深田恭子・真喜志智子・美山加恋・三倉未来・吉野紗香・内田莉紗・熊田美香・橋本明日香だって実際に普通二種MT運転免許証取得されてますから、健太郎居候自衛隊採用試験不合格やら人工大理石加工兼マンション向けシステムキッチン製作全般に従事していたとしても会社都合並びに製品受注者減少による人員削減受けられ一方的に退職されていたのは理解して参ると確信致します。
Nack-5ジングル『No.1HotStation,Nack-5.』となってますので、健太郎居候雰囲気変えて行動しなければならないのと、結婚授かりもの両方出来なくては継父継母入れ墨/首吊り/金属バット/デッキブラシ/ボディーブロー/ビンタ/膝蹴り/つま先蹴り/平手打ち/フルボッコ/吐血へ至らせるほどのケンカ/ぶん殴りに依る体罰を覚悟しなければなりません。
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nyangra · 6 months ago
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去年人生2度目の発展旅行のことをそろそろ書こうと思う
5日間の休みをもらい、前回果たせなかった淫乱な発展場と前回遊んだM性感の娘にまた会えればというプランだ
ネタもしっかり用意し、どの順番で行くかを事前に考え、いざ
一発目は思い出に残るプレイがしたいと思い、昼からでも盛り上がっているらしい西日暮里の発展場へ、変態度がとても高く生派が多いと聞く、生は怖いなと思っているがPrEPも準備してきたので存分に楽しめるぞと向かったのである
金曜の午後3時頃、前回怖気づいて入れなかった場所に来た、事前に慣れない腕への仕込みを済ませた状態で未知なる快感の場へ入っていった
店内には10数名ほどおり、通路で交差する際見られている感じがする、僕は性格柄あまり目を合わせられなかった、まずは店内の構造を知るためウロウロ、あちこちでエロい声とぐちゃぐちゃと交わる音が聞こえると思っていたが、今はそうでもないようで残念、穴掘りブランコが見たく更に奥へすでに先客がおり大股を開き目隠しで待機していた
うわっ、マジでこんなエロいことしてる人いるんだとドキドキして周りの人と見ていたがエロいことが始まる感じがなかった、周りの人もウケが多かったのかもしれない
他の場所でも交尾してるのは1組くらい、準備してきた僕はムラムラする中、来るタイミング失敗したかなと思い暫く待っていたが、周りも含めエロいことにはなってない感じだった
しかしエロくキマっている僕は誰かに犯されたいと直ぐにでもアナルにチンポを受け入れられるようバックの体勢でケツを突き出しローションをたっぷり使いアナルを弄りながら待つことにした、普段なら絶対にやらない行為だが今はチンポが欲しくて堪らないイヤラシく音を立てながら気持ちの良い所を刺激し、チンポで奥深くかき乱されるのを想像しながら待っていると音もなくケツに触ってくる感覚が、目を瞑っていたので、どんな人か分からないが今はどうでもいい、お互いの気持ちの良い部分をこすり合って快感をえたい、ただそれだけだった
その人はアナルを少し弄り、準備が出来てるのか確認したのか直ぐにチンポを入れてきた、大きさやゴム付きなのか感覚では未熟な僕には分からなかったが、念願の↑交尾チンポに犯されて未知の快楽を与えてくれるこの時が今ここに、そう思うだけで興奮しているのが分かる、相手にオナホの用に使われてもいい、思うがままアナルを犯してほしいと足と腰の角度を変え動きやすい位置になったのか、今まで知らない奥の方までチンポが入ってきた、ああ、これが知りたかった
チンポは抵抗もなく長いストロークで全体を擦り続ける、奥に到達する時、喉の奥まで刺激されるような快感��あり、そこから引くたびに次も早く突き入れて欲しいと、チンポの先が今どこにあるのか分かる様な感覚で思いっきり犯されていた
このままでも今まで知らない快感が溢れ続けていたが、ふと前立腺のことを思い出した、ここも気持ちいいはずだ集中してみようと、そう思うともう止まらなかった、全身回路が気持ちの良いことに全部接続された感じで、アナルのチンポの動きが手に取るように分かる。次にどこを刺激して気持ちよくしてくれるのかが分かる。もっと欲しいもっとかき乱して気持ちいい気持ちいい、もうそれしか思い出せない
その後寝バックになり、過去の経験で前立腺が刺激される体位と記憶していたので何時も以上に集中すると自分の前立腺の位置や大きさみたいなのが感じられ、今すぐここを好きなだけ突かれたいと、チンポがいい場所に来るたび大げさにアピールした、それで気を良くしたのか、いいのかここが好きなのかと上からズンズン押しつぶすようになり、さらに気持ち良くなってしまった、そのまま前立腺を犯され続けていると、相手はいいかと言って、最初はなんだろうとおもっていると、いいか出すぞ、思いっきり中に出すぞと、ああそうか念願のナマハメ中だしをしてもらえる、自然にいいよ出して、中にいっぱい出してくださいと口から出た気がする
ここからどうなったか、あまり覚えていないが相手の動きが止まるまでの間、ひたすら前立腺を突かれまくり、イキっぱなしだったと思う、一段と激しくなった腰の動きのあと、いくぞと言い、腰の動きがゆっくりと止まっていく、初めての中出し、じわじわ温かい感じがあったと思うがガンガン犯され快感の渦にいた僕はあまり覚えていない
生交尾が終わり、そのままうつ伏せで動けないでいると相手は、そっとケツに触れ「ありがとう」みたいな感じで離れていった、僕は動けず相手がどんな人かも最後まで分からないままチンポにイカされ続けたのであった
相手の方ありがとう、君とやれなかったらムラムラの中、不発に終わっていたかもしれない、現にその後ウケが多かったのか次の相手も現れず、場内もエロい雰囲気が無かった気がする、欲を言えば2人3人と犯されるのを期待して来たので残念だったが、とてもいい経験になったと思う
見知らぬ御相手の方ありがとう、初めての快感をいっぱいもらえたよ
その後、夜に予定している場所へと期待を膨らませ店をあとにするのであった
思い出したことをただ書き出しただけの文章でごめんなさい
つづきもあるかも・・・
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ari0921 · 2 years ago
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに��い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマ��、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴ��街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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higashiyashiki · 9 months ago
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新アルバム「委託の復讐」の配信が始まりました
ひがしやしきです。
新しいアルバムを出しました。
nyan nyan innovationから約一年ぶりなので、最近は年刊ペースですね。
今回のアルバムのタイトルはリチャードブローディガンの芝生の復讐のパロディ。
さむたいむす らいふいずみありーって感じです。
詩集みたいな掌編集みたいな変わった本です。
結構ガッとこうなんです!みたいなことでまとめるのが難しいんですけど、人生の生活抜き物語マシを注文してるのにレギュラーメニューが届き続けるみたいな感じの軸です。提供されちゃったから食べるけど、不服ではありますからね!みたいな…
以下、各曲の話
1YANGU MAGAJINN
曲名はヤングたかじんのパロディ
タイトルをヤングまがじんにしようか迷ったけどこっちの表記にしました。やりすぎだと思ったので。
シュガースティックとか洗剤(ジェルボールみたいなやつ)をガラス瓶に移し替えて満足してたくないです。
最近はやっぱギタートラックに入れるのが楽しいっすね。
それは、ヤングマガジンみたいにのところの最初8小節くらいのコードがお気に入り
2理解らせ橋
曲名は渡瀬橋のパロディ
怒りの曲ですね。
半日ぐらいで完成して、やっぱ強い動機があると捗るんすねって思った。
今夜、すべてのyoutubeliveで辺りからマイナー調のコード進行にハマってる感じあります。
IV系擦り倒してた時期も長かったし、今後もそういう進行の曲は多くなるかもです。
わしがシガールならお前ルーベラは結構いい歌詞かけたと思う。
3お年頃(18↑)
曲名は小倉唯のエンジョイ!と女オタクのbioのパロディ
ファンモンとかワンドラフトとかそっち系の曲に一瞬すごいハマって���これやりたすぎ…って思ってIKEAから帰ってすぐに書き始めました。
こういう華やかな楽器が多い編成だとミックスが難しかったので、今後はもっと上手くやりたいですね。
これも物語みたいなことがあって欲しいって感じの曲だから一貫性ポイント+1ってわけですわ。
4同人誌を買いに
曲名は夏石鈴子のバイブを買いにのパロディ
思い出です。
この前地元のアニメイトに行ったらもう完全に女の子向けのお店になってて、いろんなことを思いました。
僕の世代はオタク趣味をもってるマイヤンの子も多かったので、ヤニく���い部屋でラブライブ見たりしたものです。
Real-tもたくさん聴いた時期なんで叙情みたいな感じとか引っ張る感じはやってみたいな〜って思ってたと思う。
5せんせーにいのられたいかみさまはみーんな16さいだよっ?
曲名はせんせーのおよめさんになりたいおんなのこはみーんな16さいだよっ?のパロディ
トラックが僕たちにしてはうるさいので、ライブでやると楽しいです。こういう曲ができると心強いですね。
6stungun
曲名は原題がstungun(厄介)でteokure(泣)とかkoucha(嗜み)のセルフパロディ 説明しすぎか…って思って厄介は省きました。
更に遡ると、もともとはアイドルの方に当て書きしたんですけど、企画がポシャッちゃったので歌詞をアイドル目線からファン目線にリライトして作り直しました。
Bメロをラストに再度持ってくるのってあんまり無い気がするのでちょっと変わった構成で面白いかなと思ってます。
評判よかったらしょっちゅうライブでも披露したい曲かもしれません。
7ラブソング以外全部飽きた
曲名はラブソング以外は糞です。のパロディ
硬めのコードで引っ張るやつがやりたくて作りました。ラブソング過激派。
彼もフライドチキンじゃなくチキンサグカレーだったらもうしばらくは熱々だったのかもしれない…
8僕と女性声優とプロレス
曲名は部屋とワイシャツと私メソッドです
大坪由佳さんのお誕生日を祝うラップがめっちゃよくて影響受けたと思う。
声優業界最前線で戦い続ける姿はまるでプロレスラーみたいですね→プロレス…?そういえば三森すず子さんの旦那様って…→ご結婚おめでとうございます
↑この流れを曲でやるの思いついた時めっちゃ楽しかった。
最終的にブシロード讃歌。マイゴーもレヴュスタもずいぶん楽しませてもらってます。ヴァンガードもいつかやります。
9diner
パロディってほどじゃないですけど、全体的にwhite powderの伝説のゲームlamunationからモチーフを持ってきてます。
僕は予約して定価で買いました。つまらないドラマが終わって、つまらないドラマが始まります。
シークレットソースっていうエフェクターが大好きなのでよく使ってます。これのギターとか、人生ちゃんのピアノとか。
アルバムの軸を考えた時に、めっちゃ合致してる部分を感じて、収録しました。
10回り続けるのだ…
曲名はシコり続けるのだ…のパロディ
どんな曲で締めようかな〜って思いながら歌詞を書いてて、やっぱ立派なフリするのは無しで希死念慮の話をしましょうねと思って作りました。
右肩が下がってくる前に幕を引けたらいいのですが、そういう勇気もない、生に対する執着を拭えないカスでございます…(リン��モリノ)
でも暗いトラックだと面白くないから爽やかな感じでやりました。
よろしくお願いします。
イチオシ、お気に入りのアルバムです。
今度ワンマンもあります。ぜひきてみてください。
このアルバムを軸でセットリストを考えるのは、この前の初めてのワンマンとはまた違った心地で楽しいです。
あわせて、よろしくお願いします。
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beracha7 · 2 months ago
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少し前の写真です^_^
さて、昨日マーリンさんの本を3冊読み
心が生き返ってきました。
ここまで人は変わるのだろうかといった感じで、
ありとあらゆることを
感謝してみたのですが、
180度変わりますね。驚きます!
讃美の力、神の秘密兵器、信仰、驚くべき力?
すべて違う角度から、信仰が強められ
引きあげられ、素晴らしい恵みです!
そして、私が心の中で神様に感謝していると
子供達にも何も言っていないのに
自分から神様に感謝しますと言っていて
驚きます。
マーリンさんの本の中に
15年間悩まされていた花粉症を
感謝して、その後症状も消えたと。
かかれていて。
私も、イネ科の花粉症(4月後半からですw)
を心から感謝してみました!
というのも、
家の前の緑道が、イネ科だらけの道で。
イネ科のアーチみたいな。笑
イネ科のシャワー🚿を浴びまくり!
1分外に出ると痒くて😊
去年は、この時期から
非常に大変な思いをしながら
移動をしていました。笑
でも、感謝して
長男を迎えに行ったら
なんと!!!
イネ科の雑草、全部カットされてました。笑
去年、さすがに苦しくて、
市にお願いしたのですが🤣
年に3回やっております^_^とのことで、
ありがとうございます!とだけ伝えて
時期は委ねていました。
去年は、4月も5月もボーボーだったのですが、
こんな時期にカットするなんて、、、、
普通はない。
神様が市の方々も動かしてくださって
この、辛い時期がはじまる直前に
全カットしてくれました😢
距離が、たぶん?1キロほどの緑道。
神様ありがとうございます😭✨🙏
どうやって迎えに行こうかなと
迂回して行こうかなと思っていたので、
大変助かります^_^
昨日は、花粉症が少し出ていたルークも
その話をして、神様に感謝しますと 
言っておりました^_^
すべてに感謝!!!!!
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djsouchou · 4 months ago
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考えてみれば、2008年に始まった小泉改革は、今から考えれば郵政事業を民営化したら民間活力で経済が再生するなどという、それこそ絵に描いた餅のような話であった。だが、当時は「ふわっとした民意」の「風」が吹くことで、そんな材料で5年の長期政権が引っ張れたのである。ちなみに、小泉純一郎氏も敵を作って叩く効果を計算するのが得意であった。
 小泉氏の名誉のために言えば、非常に稚拙で部分的なものであっても、当時の改革キャンペーンには思想的な背景はあった。経済成長が必要であり、それを阻害する既得権益を削減するのは正しく、民間の市場活力に委ねる方が上手くいくというのは、一般論としては成立する考えだし、正しかった。だからこそ当時の世論は期待したのであった。
 問題はこの「ふわっとした民意」の軽さ加減、移り気な加減のターン(周期)がどんどん短くなっていることだ。ネットの書き手の多くにとっては、その高速に変化してゆく「ふわり」とした民意に乗り、あるいは操作することでビューを稼ぐというのがビジネスモデルとして身に付いていると考えられる。
 例えば、これはプロの書き手ではないが、よく問題にされるニュースの「コメント欄」による「世論」形成がある。政治家や官僚、あるいは経営者などは、この「コメント欄」に荒れ狂う賛成反対の意見を無視することは難しくなっている。けれども、書き込みのパターンを見ればほぼ明白なのだが、コメント欄を制圧している移民排斥、皇位継承、ポリコレ批判などに関する意見は、「いいね」欲しさに書き手は変幻自在に内容を変えて多数派に付いた結果であるようだ。
 つまり、本当の民意のサンプル調査にならないどころか、コメントの熱意から背後に訴えの強度を量ると言うのも、実はナンセンスだったりする。コメント欄では、ある宮家を叩けば、あるいは西川口のク��ド系を叩けば「いいね」が稼げる、あとはレトリックと語彙の職人芸を競うだけ、そのような傾向だ。
〈週刊文春は廃刊すべき〉騒動に思うこと、トランプ現象より日本の世論の方が遥かにタチが悪い理由  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)
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kennak · 8 months ago
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重度障害の子が2人いて、生活保護を受けている堺市の女性が、多額の支給漏れがあったとして、すべてさかのぼっての支給などを求めて、行政不服審査請求をすることがわかりました。 女性側は「行政側はミスを犯しても何の不利益も生じない、いわば『間違え得』だ」と主張しています。 10日午後、会見を行った代理人によりますと、ミスがあったのは大阪府堺市の2つの区です。 2007年から生活保護を利用してきた、ひとり親の女性は、障害のある子を持つ他の親と話して、自身の世帯の加算が少ないのではないかと疑問を持ち、ケースワーカーに伝えたのがきっかけでした。 在宅の重度障害者に算定する「家族介護料」がなかったり、子どもが施設入所した際に「障害者加算」が削除されたなど、支給が漏れた生活保護費は、17年で総額約625万円に及ぶということです。 代理人によると堺市は、過去5年分をさかのぼり、女性に約212万円を追加支給し、それより前は時効が適用されるとして、申請を却下したということです。 女性は、「最低限度以下の生活を、多感な時期に子どもたちに強いてきた事を申し訳なく、悔しさが拭えない」とコメントしています。
重度障害の子2人いる、ひとり親の女性に多額の生活保護支給漏れか…計600万円超 女性側は『行政は間違え得』と不服審査請求へ | MBSニュース
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xf-2 · 2 years ago
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記者である私、石井孝明が脅される
在日クルド人が彼らの問題行為を報道する記者、私、石井孝明を脅迫した。1日午後、携帯電話をかけてきて喚いた。その中には、私の体に危害を加えると受け止められる言葉があった。私は警察に連絡し、現時点で警察が介入した。
これ以上は詳細を明かさない。事件が警察案件になっているためだ。そして相手が何をするか不明であるためだ。��だし事件の存在を公にすることで、在日クルド人に関わる人への注意喚起と、他人の注意の目を増やして私自身のの身の安全を図ろうと思う。
ただし、どう自分で振り返っても、私は他人に批判されるべき行動はしていない。また脅迫は怖いが、私はそれに屈するつもりはない。在日クルド人の多くは「難民」と自称しているのに、日本で暴れ、日本人記者を脅迫するとは異様だ。遵法意識のかけらもないし、彼らの行動を放置すれば日本社会が壊れるだろう。
事件の背景−報道により憎しみを受ける
私は、今年5月から、埼玉県南部に集住する在日クルド人の行状と、住民との間で起こしているトラブルを取材している。彼らの住民への迷惑行為、違法行為について、私の見聞した事実を伝えてきた。埼玉県南部の日本人たちが、彼らの行動に苦しんでいる。
8月になってようやく一部メディアが報道を始めた。ところが地元紙の埼玉新聞をはじめ、大多数のメディアがこのトラブルに今でも沈黙し、行政、警察の動きは鈍い。その事実に私はいきどおりを感じ、孤軍奮闘の状態で、無償で自分のサイト、SNSで報道をしてきた。クルド人の怒り、日本人からの「差別」などの批判はあった。はっきり言って、不快で怖かったが、「埼玉県民を守るために自分の仕事であるペンの力で情報を広げる」という使命感で、報道を続けた。
そして「クルド人問題を解決しなければならない」という世論の流れを少し作った。自慢するのは嫌いだが、この行為にある程度の評価はいただいていいと思う。ただし結果として私だけが目立ち、在日クルド人の憎しみを受けている。もちろん私は主に事実のみを伝え、「クルド人・外国人を排撃しろ」などの主張はしていない。それどころか、日本人による過剰な外国人排撃運動を批判し、「日本人による差別行為は許されない」と主張した。
そして埼玉県民や、地元政治家の努力により、状況は少し動き始めた。私の行動はこの動きの小さな一部に過ぎず、主役は彼らだ。産経新聞によると、埼玉県川口市の奥ノ木信夫市長が1日、法務省を訪れ、不法行為を行う外国人について厳格に強制送還することなどを求める要望書を斎藤健法相に手渡したことが分かった。
報道によると、要望書では、クルド人の現状などを説明。難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」のクルド人が市内に相当数いるとして、行政サービスの提供を国の責任で判断することも求めた。
同市議会は6月、一部のクルド人を念頭に、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」を可決し、警察官の増員や犯罪取り締まりの強化を求めている。このまま問題解決による変化を期待したい。
絶対に謝らないクルド人−日本人との共生は無理
この脅迫では、彼らは日本語が読めない、また話せないために、私の話を誤解していた。誤解で殺されたらたまったものではない。また情報をやり取りするために、クルド人の会社経営者(名義は妻)1人だけに携帯の番号を交換した。この���物は、後に私の報道を批判し、この携帯の番号を脅迫者に漏らした。クルド人を信じた私が愚かだった。裏切られたわけだ。この人物も、警察の監視の対象になっている。
私に対する在日と海外からのクルド人の罵倒は、合計で20件ほどになった。カタコトの日本語で「糞」「バカ」「豚」「犬」という幼稚で下品なな言葉を垂れ流す文章だ。イスラムでは、豚と犬は一番汚い罵り言葉らしい。彼らはトルコ語、クルド語でも送ってくるが、誤字だらけなのか翻訳ソフトにかけても翻訳できない。教育の水準がわかる。在日クルド人の大半は小学校以上の教育を受けているか、怪しいとされる。
さらに、これまで在日クルド人に、対面、もしくはSNSやメールで15人ほど、海外在住のクルド人と10人ほど、やり取りした。約25人の全員に「日本でのクルド人の迷惑、違法行為をどう思うか」と聞いた。「クルド人は態度を改めなければいけない」と返事をした人は1人のみ。残りからは一つも反省の言葉もなかった。「日本人もやっている」「小さなこと」「私はやってない」「なぜ他の外国人も悪いことをしているのにクルド人だけを批判されるのか」「我々は差別されてきたことを考えろ」「悪いことをするのはトルコ人だ」という返事で、責任を転嫁し、話をずらした。そのまともな返事をした1人は上記の経営者だが、その人物は私を騙した。
これが在日クルド人の姿だ。このような人々が自発的に日本人への迷惑行為を変える可能性はないだろう。私は5月の段階の報道ではクルド人との「共生」を唱えていた。しかし今では、在日クルド人のが「良き日本人」になることは無理と思っている。絶対に、日本に馴染まない人がいるのだ。まともな人はいるのかもしれないが、私は出会っていないし、他人を脅迫する人が一定数混じる集団は日本にいる必要はない。
日本政府は粛々と法律を適用し、違法滞在者、「難民」と嘘をつく人を、トルコに強制送還してほしい。そうしないと、彼らと暮らす日本人、埼玉県民、川口・蕨市民は永遠に苦しみ続ける。在日クルド人の一部には、おかしな人がいることを、日本人、日本在住の外国人は知り、警戒していただきたい。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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yuki-tamura-studio · 3 months ago
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【LUCHTA TV 03】 藤原禎之さん[東京工芸大学] 建築学を学んだ学生時代の歩みを振り返り、その成長と気づきを綴る「建築学的回顧録」
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mlyzvt-no2157 · 5 months ago
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Fさん宅の訪問販売
Fさんというのは、新卒のときに就職した会社の営業部にいた中年男性のことである。この会社の営業部は、何故か、非常に容姿��恵まれた人が多い中、Fさんは、お世辞にもイイ男とは言えなかった。どちかというと、贔屓目にみても、中の下か、下の上だろうという容姿である。しかし、自信家のFさんは、自分がイイ男でスタイルも抜群であると固く信じ込んでいた(実際は、背が低く、頭と顔が大きく、かなりのメタボのぽっちゃり体型で、手足が太くて短いのに、無理に海外のハイブランドのスーツを着ているため、脚の裾は引きずっており、手は指先しか出ておらず、ウエストはベルトの上にお腹の肉がぷよぷよと乗っかって、シャツのボタンは今にも弾き飛びそうだった。だが、あるとき、私の所属する部署の新人に鼻っ柱をへし折られ、ヤケクソを起こし、落ちる所まで落ちたが、上司の励ましによってスタイルを取り戻し、その後、男性ホルモン注射に夢中になってしまったという経歴?を持つ、かなり残念でかつ痛くて変な人である)。
さて、Fさんはかなり前に離婚したバツイチで、Fさんは実家から会社へ通っていた。Fさんのお母様はかなり前に他界しており、当時大学生だったの息子さんの衣食住の面倒は、Fさんのお父様が見ていた。Fさんのお父様は、Fさんと血が繋がっているとは思えない程、紳士で、Fさんが離婚した後も、元若嫁であるFさんの奥様と週に2~3回の頻度で子供を交えて会っていたらしい。恐らく、Fさんが、どこか遠くに単身赴任して滅多に家に帰って来なければ、Fさんと元奥様は離婚しなかっただろうと、会社の皆が思っていた。Fさんは、よく会社で、「親父の面倒はオレがみてやっている」と言っていたが、「お父様がFさんの面倒を見て下さってるの間違いじゃないですか?」と私は反論していた。ちなみに、営業部の全員が私と同じ意見だったが、それを言うとFさんはふてくされて仕事をしなくなってしまうので、営業部の人達は私と同じ事を言えなかったらしい。
なぜ、親子近く年上のFさんに対して私が反論できたかというのは、違う部署だったことと、Fさんが戦場記者や戦場カメラマンに対して、コンプレックスと憧れを抱いていたからである。Fさんも、最初から営業マンではなく、元戦場記者だった。だが、新人の頃に戦地を取材したFさんは、戦場の悲惨さ・目の前で無抵抗な女性や子供や惨殺されるところ、病院に運ばれても、次々と人々が死んでゆくこと、昼も夜も怯えながら仕事しなければならない地獄に耐えられず、たった一度の取材をしただけで営業部に異動したのである。だから、戦場記者や戦場カメラマンを続けていられる私の上司のMさんや、カメラマンのYさん、同期のS君や私などはFさんから一目置かれていた。
前置きが長くなってしまった。そんな、人間性にはかなり問題がある��面白いと言えなくはないが、家族には絶対なりたく人である)Fさんだが、Fさんのお父様は、世界的に有名な大手総合商社の経営企画部の部長&取締役だった超エリートである。それゆえ、基礎年金・厚生年金・企業のOB年金を含め、Fさんのお父様の収入は凄い額で、普通のサラリーマンの平均年収の2~3倍はあろう額だった。そのためか分からないが、Fさんの家の家計は、全てお父様の年金や投資して運用している不労所得などから支出していた。その事を当然だと思っているふてぶてしいFさんは、息子の養育費や自分の食費や被服代など生活に必要なお金を一切家に入れず、給与は全てFさんのお小遣いになっており、Fさんは非常に金遣いが荒かった。
そんな、金遣いの荒いFさんが大好きだったものは、訪問販売である。あるとき、何処のメーカーの物を取り扱っているのか得体の知れない訪問販売の営業マンがFさん宅を訪れ、羽毛布団を紹介した。この羽毛布団は100年使っても羽毛がダメージを受けることなく、干さなくても湿気たりしないので、お手入れも簡単、その気になれば洗濯機でも洗える、乾燥機OK、そして何よりこの羽毛布団で寝ていれば、金運が上がるという怪しさ満載のシロモノだった。そして価格はなんと1枚70万円である。常識で考えたら、日干しやそれが無理でも乾燥機で布団を干さないとダニの巣窟になるのは当然のことであることは、大人であれば誰でも知っている。しかも、高級マザーグースダックの羽毛布団を普通の家庭用洗濯機で洗ってしまったら、へしゃげてしまい、布団がダメになることも少し考えたら分かることである。第一、布団はある程度長く使っても、寿命というものがあり、ウン十年も使うような物ではない。まして、100年も使ったら、中はダニやダニの死骸や埃の巣窟、そもそも100年後に自分が生きている可能性の方が遥かに低い。しかも、1枚70万円である。寝る布団の質で金運なんぞ上がる訳がない。金運は、本人が為替や株式の仕組みをよく勉強して、如何に上手に投資するか、今までに無かったようなモノを起業して大ヒットするかなど、本人の努力が必須である。そんな、ぼったくり価格の胡散臭い羽毛布団なんぞ、即断るのが常識だと思うが、高級品やハイブランドが大好きなFさんは違った。Fさんは即決で羽毛布団を自分とお父様と息子さんの3人分を購入し、合計210万支払ったのである。
どちらかといえば、私も「安物を沢山」よりも「高い物を長く大事に使う」タイプの人間である。だが、その考えを適用する物には、向いている物と向いていない物がある。例えば、腕時計などは、いい物であれば、きちんとメンテナンスを続けていれば、自分の代だけでなく、子供に譲ることもできる。財布も私が現在使っている物は、就職した時に購入したものをまだそのまま使っている。だが、布団はそういう買い方に向いていない物だと思う。70万円の布団を1枚より7万円(それでも高いが)の布団を10回買い替える方が、余程、衛生的で清潔で快適である。
Fさんの訪問販売でのお買い物は、羽毛布団だけにとどまらなかった。羽毛布団で金運が上がったのか下がったのかは謎だが、多分、何の変化もないと思われる。羽毛布団の訪問販売の営業マンが来てから2か月後、Fさん宅に、また別の訪問販売業者が訪れた。今度はアコヤ貝をうる業者だった。アコヤ貝は、おなじみの真珠を養殖する為の貝である。真珠が欲しければ、アコヤ貝を自分で育てて真珠にするのではなく、真珠として出来上がっている物を買うのが普通である。だが、Fさん宅を訪れた業者は違った。『このアコヤ貝には、直径15mmを超える花玉真珠の原石が眠っている。来年の春に、このアコヤ貝を開けると、まばゆいばかりに光り輝く、立派な直径15mm以上の花玉真珠が必ずできているはずである。アコヤ貝1枚の中に、少なくとも真珠は3つ以上入っている。その真珠を宝石店に売りに行けば、1粒あたり最低でも300万、平均で500万以上の値段で買い取ってくれるだろう。今回は、特別にあなただけに、アコヤ貝を1枚あたり50万円でお譲りしましょう』という、如何にも胡散臭いシロモノだった。これはいくら何でも断るだろうと普通は思うが、とにかく「普通でないもの。後にプレミアが付く」などのキャッチフレーズが大好きだったFさんはアコヤ貝に飛びついた。そして、訪問販売の兄ちゃんに薦められるがままに、アコヤ貝を10枚も購入したのだ。そのアコヤ貝は、側部が透明になっている円柱状の入れ物に入っており(イメージとしては、ツナ缶が透明になったような物)、何処からでもアコヤ貝が見られるようになっており、上部は缶詰よろしく、開封用のフックまで付いていた。何故、私がそんな事を知っているかというのは、Fさんが会社でみんなに自慢するために、合計500万も投資したアコヤ貝の缶詰(?)を全部持ってきて、デスクの上に並べてニマニマしていたからである。なお、待ちに待った翌年の春、Fさんは嬉しそうに、アコヤ貝を空けていたが、花玉真珠はおろか、10枚あった貝の中に真珠ができていた貝は4枚だけで、しかも到底真珠とは言えない黄ばんだ小さな粒(直径3~4m程度)で、僅かに場所によっては真珠色に輝いているかな?というような物だった。
それでも、懲りないFさんが、訪問販売で散財した物は計り知れない程多い。私が知っているだけでも、食器棚を改造したとしか思えないガラスの観音扉になっている500万円の真っ白な仏壇(私が某安価な家具チェーンで8万円で買った自宅にある食器棚ソックリだったし、観音扉を開けさせてもらい、中を見たら、側面に一定の間隔で穴���開いていた。その穴は何の為に必要なのか尋ねてみらた、「『気』を通すために、必ず開けておかないというえない穴」だそうである。でも『気を通す』と言っているが、穴は外部に貫通しておらず、どう見ても、食器棚の中棚を取り付ける為のフック穴としか思えなかった。そして、肝心の『気』とは何か?と尋ねてたら、Fさん本人もよく分からないと答えるものだから、思わずひっくりかりそうになった。)、南西向きの屋根があるにも拘らず、高層マンションに面した北向きの屋根に付けられた600万円のソーラーパネル、法外な値段のオール電化工事で(オール電化にも拘らず、台所のコンロは何故かガスのまま)など例を挙げていったらキリがない。
私が転職してかなりの年月が経ち、更に関西に引っ越してきて、そろそろ5年近くなる。Fさんが今でも散財を続けているのか、とても気になるが、3年程前に、Fさんのお父様の訃報連絡があった。Fさんのお父様はどんな思いで息子の散財を見ていらしたのかと思うと、やはり、高齢の親に心配をかけるような親不孝物にはなりたくないと思ってしまった。
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nmtn-kobi · 2 years ago
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「あぁ…イク…イクイクイク……!」
種が潤滑剤になって、一段奥に入る。奥でヒクつくのがたまらなく感じる。擦りこむようにねじ込み、味わい尽くしてくださる。嬉しい。軽くキスをすると、ズロロっと引き抜く。ポッカリ開いたそこはまだ疼いている。
一戦が終わると静かになる。深夜何時頃だろう。時間を確認するために、ロッカールームへ行く。4時だ。さすがに皆寝ているか。一旦汗を流そうと、ロッカーからタオルを取り、シャワーを浴びにいく。もちろん種マンはそのままにしておく。
ロッカーに戻り、タオルをなおす。ふとスマホを見ると、メッセージの到着を示すランプが点滅している。
「今から行く。5時頃に着く。」
店に来る前に連絡を入れておいた雄から返信が来ていた。ヨシッ!なかなか予定が合わなかったが、やっと会える。かなり竿がデカいらしく、期待に胸が高鳴る。
とてつもなく長い時間が経った気がする。新しいお客さんが扉を開けた音だ。来た!その雄がロッカールームにやってくる。軽く会釈をすると、ロッカーに荷物を入れ、俺の目の前で、さっさと服を脱ぐ。デカい!太い!事前に聞いていたよりもスゲェ!思わず唾を飲み込む。
「やるか」
暗闇に移動してすぐに跪き、先端からゆっくり頬張る。唇をまとわりつかせ、舌を使い、首をゆっくり上下させる。半分も銜えることができないが、あまりの雄感に、唾が勝手に溢れ出してくる。
マジでうめ��…
すると、その雄は頭を撫で、耳を刺激してきて、腰をゆっくり前後に動かし始める。あぁ…犯してくださっている…たまんねぇ…ねっとり味わいながらご奉仕を続ける。
「あぁ…たまんねぇ…」
感じてくださるのは、この上ない喜びだ。さ��きより一際大きくなってくる。スゲェ…
「そろそろケツ貸せ」
言われるがまま、口を放し、仰向けに寝転がると、両足を持ち上げ、開ききったそこを見せつける。
それを見た雄は、亀頭で穴をマッサージしてくる。あぁ…ナマの感触がたまらねぇ…早く欲しくてヒクついてしまう。だが、なかなか挿れてくださらない。あぁ…気が狂いそうだ…
「欲しい…ッス」
その言葉を合図に、ゆっくり亀頭を嵌め始める。あぁ…段々と押し拡げられてゆく。どこまで拡げられるんや…デケェ…あぁ………………あっ!ツルんと亀頭が全部入り、マンコが亀頭の段差を…包み…こんだ…気持ちいい…
「こっからだぜ」
うぉぉ…太い竿が入って…く…る…あぁぁぁぁ…スゲェ…たまんねぇ…気持ち…いい…あぁ…奥に入ってくる…あぁ…デッケェ…
「まだ入りきってないぜ」
雄は少しずつ腰を動かし始める。前後にゆっくりと、そして段々速く、奥を拡げるように突いてくださる。ガツンガツンと突かれるたびに、ヌチャヌチャと種とローションの音が響き渡る。あぁ…やべぇ…気持ち良過ぎて涎が垂れてきた…たまんねぇ…………そう思って力が抜けた瞬間、生デカマラが一段奥に、ズボっと侵入してきた。
「あっ!気持ちいい……………!」
雄からその声が洩れて興奮が伝わってくる。さっきよりも腰振りがガツガツと激しくなってくる。あぁ…嬉しい…たまらなく幸せだ…そこが気持ちよくて仕方がない。
「あぁ…やべ…種マン気持ちいい…やべやべやべ…あぁ…イクイク…イクイクイクイクイク…………!」
ズドン、ズドン、と奥に打ち付けてくださる。ズルっと奥に突き刺さり、デカい亀頭の形が中でわかる。やべぇ…エロっ………
「どうしたんこれ…?」
雄に腹を触られて、そこが濡れていることに気付く。いつの間にか、俺の先からも、種だかなんだかわからない液体が吹き出していた。雄は、中でまだビクビクさせながら、覆い被さってくる。デカい竿で満たされ、雄と種の匂いに包まれながら、俺はまたイッたようだ…やべ…
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ari0921 · 1 month ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)5月19日(月曜日)
     通巻第8788号 
トランプ改革、11勝1敗3引き分け
   常識革命の快進撃は続くか?
*************************
 現在の米ドルの実力、実勢をさきにおさえておきたい。
 IMFにおけるSDRの「通貨別シェア」は2019年に次のようだった。
 米ドル  41・7%」
 ユーロ  30・9
 人民元  10・9
 日本円   8・3
 英ポンド  8・1%
IMFは中国に過度の歩み寄りをしていることが分かる。
 次に主要国中央銀行の外貨準備の割合をみると
 米ドル  69%
 ユーロ  21%
 ポンド   5%
 外貨準備では嘗て3・6兆ドルと豪語した中国が過去3年で凡そ5000億ドルの米国際を売却し、現在、日本は1・1兆ドルの米国際を保有し債権国第一位である。
 
 それでは外為取引での各国通貨の需要はといえば、
 米ドル  88・5%
 ユーロ  30・5
 日本円  16・7
 ポンド  12・9
 これで分かることは貿易決済の予約とマネーゲームのバランスが微��な力関係にあることが判明する一方、人民元は外為取引の対象外(固定相場だからか?)
 さらに実勢貿易におけるドルのシェアをみよう。
 米ドル  44・3%
 ユーロ  15・3
 日本円   8・3
 ポンド   6・5
 人民元   3・5%
 これらの基礎的なデータを考慮しつつ、ドル相場が、今後どうなるかを予測してみる。
大胆なシミュレーションでは、1995年4月19日につけた1ドル=79・75まで近づく可能性がある。大方のエコノミストの予測では2025年後半に1ドル=140円台前半、まれに1ドル=120円を予測する人がいる。しかし政治は一寸先が闇である。
 
▲トランプ政権は何をしでかすか、予測不能
 わすれてはならない不測の要因がある。
それはトランプ政権が「何をシデカスカ 予測出来ない」ということだ。大統領経済諮問委員長のミラーは「関税は美しい」と獅子吼し高関税政策を唱えた張本人である。
しかもミラー委員長は「トリフィンのディレンマ」という比喩を多用する経済学者。これは基軸通貨が海外に普及しその需要がたかまれば為替相場で高騰する(つまり現在のドル高はバブルである)。それは自国経済にインフレをもたらす。
ドル高はインフレ、外国の輸出競争力を高めるが、自国経済は物価高で経済が苦境に陥る。高関税は自由貿易を阻害するばかりか経済を痛めつけるのだ。
「製造業製品の8割以上を輸入に頼っており米国国内での供給力がまったく存在していない状態で輸入を遮断すれば、米国民の生活が立ちゆかなくなる」(武者リサーチ、25年5月16日号)
 まさにトランプの高関税税は基本的なドル高のうえに加重されたため、米国経済の首をしめる自業自得の結果となった。あわてて関係国と協議を開始、まっさきに中国への145%関税をとりやめ、いきない115%値引きとなった。
 米ドルはミラーのいうように「マールアラーゴ合意」に向かっているかのようだ。「第二のプラ合意」が準備され、G7中央銀行総裁、財務相がトランプのフロリダ別荘に集まって画期的な為替レート調製が行われるという囁きは、いまや公然たる議論に近い。
 第一にトランプは債務残高36・2兆ドルに4兆ドルを上乗せし債務上限を40・2兆ドルにするとしている。
これはドル安要因である。三大格付け機関(SPなど)が米国の格付けを落としたことは市場に信用不安を運んだ。マスク主導の政府効率化の成果は5月11日までに1700億ドルの削減でしかない。当初の2兆ドル削減なる夢想はきえて無くなった。
 第二に金利高を是正し、低金利へ誘導をようにとFRBに水面下で要請、利下げは明確にドル安となる。住宅ローン、学生ローンの破産がうなぎ登りなのは高金利が大きな原因である。トランプ政権はアメリカ製のクルマ購入に関しては上限10000万ドルまで金利を免除する措置を取った。
 ▲高関税政策、失敗と認定するや早急是正へ
 第三に所得減税が共和党上院でも不評、個人所得上限37%からまだ減税へ向かうと、歳入は減る。評判のよかったチップならびに残業手当への免税は2028年で終了する。
 
 第四に高関税によって外国企業がどっと米国へ工場移転をなすが、軌道に乗るに数年はかかるだろう。そもそも米国の最低賃金制度は米国へ移転して雇用を増やすが、確実に生産コスト高となる。あまつさえ「ものづくり」を放棄してきた米国では製造業への労働人口が少ない。中国の製造業従事労働者は1億2000万人、米国は1300万人でしかない。不足するエンジニアは外国から招聘せざるを得なくなる。
 第五にコロナ禍によるサプライチェーン寸断状況にくわえて高関税ショックによって世界的規模でのサプライチェーンが機能不全に近い。トランプの経済政策は一時的頓挫を余儀なくされた。
 以上のように見てくると“ドル高バブル”はまもなく終演し、ふたたび円高時代がくると予想できるのである。
 さて現在までのトランプ改革の成果だが11勝1敗3引き分けである。勝利は不法移民強制送還、国境警備強化、ジェンダーは男と女、DOGEの効率化、DEI規制撤廃、SDG緩和、NATOの防衛分担増加、USAID縮小、VOA縮小、中東歴訪により空前の対米投資。敗北は高関税、引き分けは暗号通貨法案の上院での一時的頓挫、クライナ早期停戦、ならず、そしてドル安誘導が現時点では首尾良くいっていないことである。
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iamactuallybeing-o-od · 4 days ago
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#00025:
なんか、自分の好きなものを誰かに説明するのって、すごい緊張する。
......というのに、先々週のある日、仕事中に気づいた。人事やらなんやらをしている先輩(上司...と言ったほうが適切なのかもしれないけど、体感的に、先輩のほうがしっくりくる)から、趣味について聞かれたのがきっかけだった。
自分は音楽を聴くのが幼少期からずっと好きだ。だ��ら、「あなたの趣味は?」と他人から聞かれたときに真っ先に浮かんでくるのは、いつだって、音楽だった。誰が何と言おうと、音楽。これまでの自分は、その時々で自分なりに好きなもの、聴きたいものを聴いてきた。だから、「音楽」の「中身」について話そうと思えば内容はたくさん出てくる。それでも、誰かに話そうとすると、喉が詰まるような、息苦しさを覚えるのだ。
同じくその、ある日の仕事中、(はて、これはなんでなんだろぅ......💭)と早速少し頭を動かすと、割とすぐに昔の記憶が浮かんできた。
それは、小学生のときの出来事。
クラスメイトが、自分の聴いている音楽が古い、という理由だけでバカにしてきた......ということがあった。自分の頭に浮かんできたのは、まさに、そのときの風景や身体の感覚だった。(ちなみに当時は、母親のMD~カセットテープ~CDのライブラリを中心に聴いていて、90年代~00年代初頭の音楽が自分の日常にあった。どちらかと言えば、90年代の音楽のほうが割合的に多かったと思う。)
その感覚は、今、自分の趣味について他人から聞かれたときに覚えるものと、非常に似通っていた。ちなみに......学校では、自分の趣味をオープンにすることは決して無かった。なのに、なぜ、あのクラスメイトは知っていたんだろう......?と、あれはかなり不思議な出来事でもあった。で、ひとつ思いあたるというか、芋づる式に出てきた記憶なんだけど......これは、自分の聴いている音楽についてバカにされたよりも少し後に起きたことだった。
これも、小学生時代のこと。ある日、自分は学校から帰ると、いつものように手洗いうがいをして、部屋で音楽を聴き始めて......。そのときの自分は、それはそれは...リラックスしていて、放課後の清々しさをめいっぱいに感じていた。そして、聴いている曲に合わせて歌ったりもして......。そんな感じで、2~30分経った頃だったと思う。急に、「おーい」みたいなクラスメイトの声がして......窓のほうを向くと、その、声がしたクラスメイトのほかにもうひとり、クラスメイトが立っていた。ふたりとも、ニコニコして、窓の向こうに立っていた。このとき、季節は夏で、窓を少し開けて網戸の状態にしていたから、いつもは曇りガラスの自室の窓からはっきりクラスメイトの姿が見えていたし、反対にあちら側からも自分が見える状態だった。当時自分たち家族が住んでいたのはアパートで、自室の窓はアパートの通路に面していたから、クラスメイトも覗きやすかったのだろう(当時、ワンフロアあたり3戸あるうち、この部屋に越してきたときには隣の部屋に住んでいた一個上の子の家族が父親の転勤でいなくなっていて、残りの一戸はもとから誰も住んでいなくて……基本的に誰も通らないだろうと思って、自分もすっかり油断していた)。自分は、ただただ、びっくりするというか、心臓がおかしくなりそうになりながら平静を装うために必死だった(回転椅子に座っていたから、転げ落ちそうだった)。そうしているうちに、ニコニコしたふたりは「じゃあね」とそのまま行ってしまい、自分はひとり、心臓バクバクのままそこにいるしかなくて......。しばらくして、また音楽を聴き始めるんだけど......。真っ先に窓を閉めて、いつもより音量をかなり絞って聴いたり、窓のほうをチラチラ見てしまったり......また誰か見てるんじゃないかという恐怖と、自分の日々の楽しみをどうにか守ろうという意思と、その両方で揺れて、あの清々しさはどこへやら~って感じだった。もしかすると、クラスメイトはもっと別の日にもこっそり家の前まで来ていたのかもしれない(そしてそうやって、自分の情報を入手していたのでは......?と思う。本当のところは分からないけども......)。そう思うと、ただただ、ぞっとする............。
でも、もうちょっと時代を遡ってみると......自分の趣味を公言することへの恐怖の源泉は、もっとほかのところにあったのかもしれない、となった。
⋆⋆
年は2006年、自分が保育園に入園した頃に遡る。
入園式の次の登園日のこと。母親から離れて、いよいよ保育園生活が始まる......という恐怖と心細さで、母親と別れた自分は号泣。先生になだめられながらかばんをロッカーにしまったり、名札をつけたりしたのち、自分は教室内をキョロキョロ、ウロウロしていた。すると、自分の目に留まったのは、持ち運び式のオーディオコンポだった。見つけるなり、自分は、(あ、あれ、うちにあるやつとおんなじだ ※厳密には同じモデルじゃないけど、用途的に同じものだ、という意味)と思った。そばまで歩いて行って、コンポを前にして立つ。そして、考える暇もなく自分の脳内に流れてきたのは......Every Little Thingの"Feel My Heart"のイントロだった。そこからは完全に独壇場。脳内で流れる通りに、自分は歌った(脳内では目の前にスタンドマイクがあるイメージが出来上がっていて、自分はその、スタンドの棒部分を掴みながら歌っている気満々)。すると......通りがかったひとりのクラスメイトが......具体的な言葉は覚えていないけど、「変なの」みたいなことを言って通り過ぎていったのだった。これが、自分にはすごい衝撃的な一言で......(だってたぶん、家族以外の人からマイナスの評価を下される経験はこれが初めてだったから)。自分のシャイ人生は、この日、この瞬間を起点に本格的に始まったと言っても過言ではないくらい......あの一言は、自分の人生の方向を強く変えたものだと思う。そうして自分は、自分のこと......特に、趣味=音楽にまつわることを話すのに、少し、臆病になってしまった(その後、さらに色々ありもっと臆病になるという...)。
⋆⋆⋆
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それからの自分はというと、一人でいる時間もあるけどそれなりに人付き合いはする人、という立ち位置で(それも、中学生の後半~高校ではかなり放棄していた気がするけど)、さらに、プライベートが謎に包まれたよく分からない人、みたいな感じに見られていたんだろうな...と思う(そういえば、高校時代......部活のメンバーには比較的会話をすることが多い人がいたんだけど、その人から「○○○○○(※自分のあだ名)って、ミステリアスだよね」と言われたことがあった)。心を許した人や、安心できる空間では自分の趣味に関して詳しい話もできるんだけど。。それでも、恐る恐る、な部分が抜けない。つい先日は、例の"恋人関係を解消した彼"から、「前々から不思議だったけど、(音楽の話題に関して)詳しい話になるとだんだん声が小さくなるよね」と言われてしまった。親しいともだちの前でも、緊張しちゃうし......。あぁ、嫌だ。
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......最近の自分の人生のトピックは、「もっと素直に���きたい!!!!!」って感じの気持ち。素直さは、ずっとはちきれそうなくらい持ち合わせ続けてるのにね......。もっと解放したい😖
P.S. 5月末あたりはピンチだったけど、なんか、最近は仕事が楽しく感じるようになってきてる。自動車教習はめんどくさすぎる。。
[2025_06_23]
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ygggibeon · 1 month ago
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みんなの笑顔が好き
私は長い間、言葉にすることをためらっていました。周りに理解されないこの世界で生きていくのだから、自分の心の奥にしまっておこうと決めていました。
けれど、年を重ねた今、私を生かしている不変の想いを、祈るように語ってみようかと思うようになりました。これは、私の生きてきた記録です。動物たちの声なき声に、私なりに応え続けてきた足跡です。誰にも見つけてもらえなかったとしても、この記録は、いつか誰かの心に静かに届くと信じています。
1.与えられた世界で
子どもの頃、私は世の中から与えられたものを、「そういうものなんだな」と、どこか素直に受け止めて生きていました。動物が好きでした。花が好きで、蝶が好きでした。触れることも、眺めることも、すべてが新鮮で美しく、そこにある命の気配を感じながら、こういうところなんだなあと見ていたことを覚えています。
お刺身が好きでした。シチューも好きでした。それは、味が特別好みだったというよりも、他のものよりなんとなく「好き」という曖昧な感覚でした。カレーも好きでした。具材がどうこうというより、「甘口が食べやすいな」「ごはんがすすむな」そんな感じだったと思います。 
本当に、それ以上のことを考えようとしませんでした。大好きな動物たちと、食卓に並ぶ料理のあいだに横たわる残酷さに、ぼんやりと気づいていながらも、「きっと万事うまくいっている」「酷いはずがない」と見ないようにしていたのだと思います。心のどこかで違和感を感じながらも、それを意識の奥に沈めていました。
 2.扉が開いた日
思春期を過ぎた頃、私は食べ物を見た目や雰囲気で選ぶようになっていました。スマホも普及しておらず、情報の多くはテレビか雑誌から得る時代でした。私はジャンクフードやスナック菓子に囲まれていました。心のなかにうっすらとした違和感はあったけれど、意識的に向き合おうとしませんでした。
そんなある日の夕方、何気なくつけていたテレビから衝撃の映像が流れました。白いうさぎたちが、金具で頭を固定され、身動きもできずに実験を受けている姿でした。動物実験の現場を映したニュースだったのです。私は言葉を失い、呼吸が止まるような思いでした。まるで稲妻が私を貫いたような衝撃を受けました。
当時、私は自分の飼っていたうさぎの病気を治すために必死に看病していました。まるで自分の子どものように大切にしていたうさぎのほのかちゃん。その最中に、この映像を見たのです。私はテレビに映っていた動物実験廃止の活動団体の名前をメモし、ホームページを調べました。そこには、私の想像をはるかに超える現実がありました。
化粧品の動物実験、毛皮のために皮を剥がされる動物たち、畜産で苦しむ命、野生動物の扱い…。私は衝動のままに、郵便局へ走りました。会費と寄付金を送り、その瞬間から、私の人生は変わったのです。私はアニマルライツのヴィーガン(完全菜食)になりました。
 3.失ったもの
私は迷わず、一日でヴィーガンになりました。動物たちの現実を知り、知ってしまった以上、もう以前の自分には戻れませんでした。見て見ぬふりはできませんでした。知って良かった。ソクラテスの言うとおり、無知は罪だと思いました。だから、みんなもそうなると思っていました。疑いもしなかったのです。
私は、知らなかったから食べていた。だから、みんなも「知らないだけ」。動物たちの置かれている残酷な現状を知りさえすれば、きっと友人たちは私と同じように感じ、菜食になり、一緒に声をあげてくれる…そう信じていました。
でも違った。
まさか、私が責められるとは思いもしませんでした。ましてや、自らの生き方を正当化するために言葉で攻撃してくるなんて…。「伝え方が悪かったのかもしれない」私はそう思い、もっとわかりやすく、もっと簡潔に、感情的にならないように工夫をしました。
それでも、届かなかった。
「どうして? どうして?」
情熱は空回りし、私はうるさい人と思われたかもしれません。渡したチラシは送り返されてきました。友人たちも私も互いに距離を置くようになり、やがて私は、完全に一人になりました。けれど、それでも私は、あきらめるつもりはありませんでした。絶対にどうにかしなければという使命感に満ちあふれていたのです。
 4.絶望の中で
私は毎日泣いていました。動物たちが苦しみ、もがき、叫び声をあげる姿が、頭から離れなかったのです。起きているときも、目を閉じているときも、残酷な映像が脳に直接送られてきている感じでした。私は謝り続けました。何度も何度も、心のなかで、口に出して。
「ごめんなさい」と。
人間の罪は、同じ人間である自分の責任だと。人類に絶望しながら、自分もまた残酷な人類の一員であることがいたたまれませんでした。でも、だからこそ思ったのです。「私が人間に生まれたことには意味がある」と。動物たちを苦しめているのが人ならば、動物たちを救えるのもまた、人にしかできないのだと。
私は、何かをせずにはいられませんでした。駅前でのチラシ配り。パネル展。講演会。デモ行進。自作のホームページで発信し、図書館や地域の施設にリーフレットを置いてもらい、イベントに参加しました。少しでも多くの人に「現実」を知ってもらいたくて、同じように苦しんでいる同志を見つけたくて、わかりやすく、伝わりやすくすることに心を砕きました。
絵本も出版しました。動物の法律が変わろうとしていた年には、議員に何度もFAXを送りました。まだスマホがない時代です。やれることは、全部やろうと最善を尽くしました。
そんななか、私の心は少しずつ削られていきました。
情報を正しく伝えるには正確な資料が必要なので、動物実験や畜産の現場を映した写真や映像を取り寄せました。しだいに家の中は、大キライな重たい情報で満たされてきました。会報やメールでも、見たくない、知っているはずの残酷な現実が、何度も届きます。
「私はもう知っているのに!どうして、また見なきゃいけないの? 知らない人が見ればいい‼」
叫びたい気持ちを抑えながら、それでも私は、正しく伝えるために見続けました。そして、限界を迎えたのです。
 5.沈黙の季節
私は人が怖くなりました。電話が鳴るだけで胸が苦しくなり、コンセントを抜きました。布団から出られず、ただ泣き、眠り、また泣きました。唯一外に出たのは、愛するうさぎのほのかちゃんのごはんを買いに行くときだけでした。ほのかちゃんは、いつも私の涙をなめていました。彼女の存在だけが、私の心を現実世界に繋ぎとめていました。
私は、自分がうつ病なのだと感じていた。今からもう二十五年以上も前のことです。電話ひとつかけられず、病院に行くことさえできなかった。誰か助けてほしい。でも、その「誰か」はどこにもいませんでした。
パソコンで「うつ病の症状」を検索すると、すべてが当てはまっていました。けれど、当時は今のように気軽に相談したり、質問できるSNSや動画の解説もありません。私はただ、苦しみもがきながらも、自分でどうにかするしかなかったのです。
人と話して傷つけられることに異常に敏感になっており、誰かと関わることが吐き気のするくらい苦しかった。だから私は決断するしかありませんでした。
「私は鬱を自分の力で治す」と。
精神世界の本を読みあさり、スピリチュアルなグッズに救いを求めました。ゲームや映画に逃避し、そして、祈りました。絵を描き、涙を流し、眠る日々。そんな状態でも、私は諦めたくありませんでした。絶対に、何か出来ることをしたい。どうにかしたいと強く思っていました。この狂った世界で犠牲になっているほのかちゃんの仲間たちを、ひとりでも多く救わなければならないという想い。そして、残酷な人類の一員として、彼らに与えた苦しみの責任を、自分が全て背負わなければならないという責任感と、深い絶望の中にいました。
きっと私なら乗り越えられる。だからこそ、この試練は私のもとにやって来たのだと、毎日自分に言い聞かせながら。
 6.祈りを描く
私は、絵を描くことに没頭するようになりました。朝から晩までアクリル絵の具を広げ、静かな部屋の中で一人、天使の絵を描き続けました。描いているあいだだけは、現実から切り離された別の世界にいるような感覚でした。心の重さや痛みが、色となり、形となり、キャンバスの上に塗り固められていく感じでした。
出来上がった作品は、最初に思い描いたものとは全く違うものになっていました。けれど、そこには確かに私の魂が映り、祈りの希望が込められていました。
自然界との共同創造…私はそれを「コークリエイティブ・サイエンス」と呼ぶようになりました。100枚描��たら奇跡が起きる。そう信じて、私は描き続けました。やがて、作品は300枚を超えました。絵は、私の感情の記録であり、祈りであり、生きた証です。
私は絵のおかげで、鬱の暗闇から少しずつ抜け出していくことができたのだと思います。引きこもりだった7年間。そのうちの3年は深い闇の中で眠り続けていました。残る4年間で、私は一進一退を繰り返しながら、光のほうへ歩き出すことができました。その間、生活を支えてくれた家族には、心から感謝しています。その支えがなければ、私は餓死していました。そして何より、絵という姿の見えない希望との対話が、私の命をつなぎとめてくれました。
7.生きる努力
私は、自分の力で生活していきたいと強く思うようになりました。そのためにはまず、仕事をしなければなりませんでした。週に3日、1日4時間。選んだのは、家族経営の小さなハーブ専門店。人の出入りが少なく、ここならできるかもしれない、そう思ったのです。
けれど、現実は違いました。
「おはようございます!」と笑顔で出勤し、「お疲れさまでした」と元気よくドアを閉めたあと、私の仮面は砕け散りました。涙が止まらず、吐き気すら覚え、苦しくてしばらく休まないと家に帰る力が出ませんでした。心と体が、まだ外の世界に耐えられないのだと感じました。
ある日、店長が電話を切ったあと、不意に言いました。
「鬱は甘えなんだよ」その言葉は、ナイフのように心に刺さりました。その電話の相手が、うつ病のお客様だったと後から知り、私は深く傷つきました。
店を辞め、次に選んだのは、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)での入浴介助の仕事でした。週3日、午後のみの勤務。身体はくたくたになったけれど、汗を流すことで、心が少し軽くなるのを感じました。体を動かすほうが、苦しい思考から意識をそらすことが出来る…それが、当時の私にとって大きな救いになりました。
その後も、私は少しずつ仕事を広げていきました。職業訓練校で資格を取り、正社員として介護士になりました。がむしゃらでした。鬱の再発を恐れながらも、初めての一人暮らしに喜びを感じていました。
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)で3年、デイサービスで2年、介護事務、サービス付き高齢者住宅、和菓子屋、菜食レストラン、介護老人福祉施設のランドリー清掃…。
どの仕事に就いても、私は一貫してアニマルライツの菜食を貫いてきました。けれど、同じ信念を持った人には、一度も出会うことはありませんでした。
「こんなにもいないのか…」
SNSが普及した今なら、X(旧Twitter)やFacebook、Instagramで同志を見つけることは出来ます。けれど、日々の暮らしの中で、「同志と出会う」ということはありませんでした。彼らもまた、きっと私と同じように、一人でこの世界に立って頑張って生きているのだろう。もう、受け入れるしかありませんでした。変わり者なのは、私だった。
「みんなはどうしてなの?」と嘆いていた過去の私に、今なら言える。
少数派なのは、私のほうだったのだと。
 8.やさしさを選び続ける
今、私は毎日、ヴィーガンの食事をSNSに載せています。日々、絶望して元気のない自分を励ます“ごはんの記録”です。
AIで描いた自然や動物たちのイラストも、フリー素材として提供しています。見た人の心が少しでも和らぎ、命を愛おしく思ってくれたら…、それが願いです。
YouTubeでは、狂った世の中で生きる同志の道しるべになればと思い、思想家や哲学者の本を朗読しています。本当に苦しいとき、祈ることしかできなかった経験から、祝詞や祈りの言葉も発信しています。
動物や、地球のすべての生きものの犠牲を減らす生き方はあります。その方法は、菜食です。「何もできない」と嘆くことはありません。たった一人でも、菜食を選ぶことで、命を救っていることになります。毛皮を買わないことで、犠牲を減らすことが出来るのです。
「植物だって生きている」と意地悪く言ってくる人がいます。けれど私は、こう答えます。
「そんなことは、あなたより知っています。知らないとでも思ったのですか?」
動物を食べなければ、動物を殺さなくて済みます。簡単なことです。
私は、動物を殺してまで食べたいと思いません。あなたは、動物を殺したいのですか?
動物虐待は犯罪です。
かつて、菜食である私に無理やり肉を食べさせようとした人がいました。それは、虐待です。いじめです。モラルハラスメントであり、パワーハラスメントです。やめてください。
言いすぎでしょうか?
 私は、菜食を始めて25年以上になります。最初の3年はヴィーガンとして、その後もヴィーガンを目指した菜食を続けています。
世の中は、確実に良くなってきています。 プラントベース、マクロビオティック、ヴィーガン商品が、今ではスーパーでもコンビニでも手に入るようになりました。動物実験を廃止した国も増え、動物実験を行わない製品も多くなっています。確実に良くなっています。
そして、これから、もっともっと良くなっていきます。
高齢者虐待をなくそう! 
児童虐待をなくそう! 
そして、
動物虐待をなくそう!
私たち人間は、徳を積む生きものです。そのことを、私は信じて生きています。
 生きものに優しい人間が増えますように
この記録を、ここまで読んでくださってありがとうございます。私は、自分の中に芽生えた違和感を大切にして生きてきました。周りに理解されなくても、自分の心が感じた痛みを、ないことにはできなかった。見て見ぬふりはできませんでした。誰かに笑われても、攻撃されても、私は自分の感じた「優しさ」の感覚を信じてきました。
動物たちは、人間よりもずっとずっと愛情深く、まっすぐで、正直で、信頼できます。一緒に生活したことのある人なら、きっとうなづいて下さると思います。
誰も犠牲にしないで生きていくことは、現実的に難しいかもしれません。けれど、犠牲を減らすことは出来ます。小さな選択の積み重ねが、世界を静かに変えていくと、私は信じています。この記録が、やさしい風となって世界を変えていきますように。
以上
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warehouse-staff-blog · 2 months ago
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『WILDSWANS NATURAL INDIGO CROCODILE受注会』
東京店の浅井です。
本日は今週から開催予定のイベントのお知らせです。 近年では恒例になりつつあります『WILDSWANS受注会』。 今年も開催致します!
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『WILDSWANS NATURAL INDIGO CROCODILE受注会』 東京店開催期間:2025年4/25(土)~4/30(水)
WILDSWANS SPECIAL ORDER WALLET ”NATURAL INDIGO CROCODILEシリーズ” 外装:藍染クロコダイル 内装:サドルプルアップレザー(ブラック)
内外装に使用するレザーは、藍染クロコダイルです。(クロコダイルはナイルクロコを使用しています。)
~以下、WILDSWANSブログより~
こちらのクロコは、クロム鞣しを行った後に天然の藍の染料にて1枚1枚手作業で染色されています。 染料に浸す時間により色味の濃淡や革の硬さが変わるため、染料から上げるタイミングを見極めるのは経験と感覚から成される職人の技と言えるでしょう。
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藍染クロコは鮮やかで深みのある青色にほんのりと紫色が混ざった色合いです。 斑の中にうっすらとムラ感が現れており、藍の色合いと相まって非常に複雑で魅力的なカラーリングに仕上がっています。
藍染クロコは長くご使用頂くと藍の染料が紫外線と反応して段々と色味が明るくなっていきます。 一般的に染料染めの革はエイジングと共に色味が深まるものですが、藍染クロコの場合は穿きこんだジーンズのように段差やシワの部分と盛り上がった部分とのコントラストが徐々に表れ、えも言われぬアンティーク感が増していきます。
反対に極力紫外線に当てないようにした場合には、やや赤みが増して紫に近い藍色になる場合もございます。 このエイジングの幅の広さは天然の染料ゆえの特徴で、一般的な顔料染めのクロコでは味わえない特別なものとなります。
残念ながら今回はエイジングサンプルをご用意することが叶わなかったのですが、ぜひお客様一人一人がオリジナリティあふれるエイジングをお楽しみ頂ければと存じます。
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※藍染クロコダイルにつきましては皮革の性質上、原皮由来の傷や皺が含まれる場合がございます。 また部分的に溝やシワが白っぽく見えるようなことがございますが、これは溝やシワの深い部分に対して顔料が浸透せずにクロコダイル革の地の色が見えている状態で、皮革が切れていたり、割れていたりするといった状態ではございません。 この他にも色ムラや色味の濃淡といった状態が見られることがございますが、何れも皮革の原皮、及び製造工程上避けられないものになりますので、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
内装に使用するレザーは、ベルギーの『マシュア社 サドルプルアップレザー』のブラックを使用しました。
このレザーはWILDSWANSがブランド創立当初から20年以上製作に用いている堅牢度の高い牛革です。 しかし近年は、供給悪化の一途をたどっているため、WILDSWANSにおいてもサドルプルアップを用いたアイテムを製作することが少なくなっています。
そして、今回お選び頂ける5型はこちらです。
《WAVE (長財布) ¥278,300(with TAX)》
《CASA (ミニ財布) ¥107,800(with TAX)》
《TONGUE (小銭入れ) ¥79,200(with TAX)》
《GROUNDER (二つ折り財布) ¥200,200(with TAX)》
《GENERAL (カードケース) ¥71,500(with TAX)》
《WAVE (長財布) ¥278,300(with TAX)》
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《CASA (ミニ財布) ¥107,800(with TAX)》
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《TONGUE (小銭入れ) ¥79,200(with TAX)》
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《GROUNDER (二つ折り財布) ¥200,200(with TAX)》
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《GENERAL (カードケース) ¥71,500(with TAX)》
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受注頂きました商品にはWILDSWANSとWAREHOUSEのWネームの刻印を入れさせていただきます。
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※オーダー頂きました商品はその後、生産に入ります。
商品のお渡しは2025年8月下旬頃を予定しております。 (皮革の生産状況により、入荷時期の前後が予想されますので予めご了承下さい。)
受注頂きました商品はお渡しの際、税込み価格より10%OFF+ポイント2倍の特典がございます。
東京店から始まり、東京店~名古屋店~大阪店~福岡店~阪急メンズ東京店、札幌店と全直営店で開催致します。
『WILDSWANS NATURAL INDIGO CROCODILE受注会』開催期間
東京店:2025年4/25(土)~4/30(水) 名古屋店:2025年5/3(土)~5/7(水) 大阪店:2025年5/10(土)~5/14(水) 福岡店:2025年5/17(土)~5/20(火) 阪急メンズ東京店:2025年5/24(土)~5/28(水) 札幌店:2025年6/2(月)~6/8(日)
是非この機会に店頭でサンプルをご覧ください。
各店舗とも短い期間の開催ですが、是非皆様のご来店お待ちしております。
WAREHOUSE東京店 東京都渋谷区恵比寿西1-29-8 恵比寿ウエスト1階 03-5457-7899 営業時間:平日 PM12:00~PM7:00、土日祝 PM12:00~PM7:00 ※定休日はございません。
☞[リペアに関して] 弊社直営店で行っておりますジーンズ等のリペアの受付を休止させて頂いております。※ご郵送に関しても同様に休止させて頂いております。 再開の日程は未定です。 ご迷惑お掛け致しますが、ご理解下さいます様お願い致します。 ※弊社製品であればボトムスの裾上げは無料にてお受けしております。お預かり期間は各店舗により異なりますのでお問合せ下さい。
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