#くだらぬ言動喪失させるべき
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健太郎居候現在限定の無い中型自動車第一種運転免許証ございます。普通二種MT・中型二種限定無し・大型二種限定無し運転免許証取得するからには中型一種限定無し運転免許証を最低3年無事故無違反徹底して行動していなければ第二種運転免許証取得出来ない為、うろたえて居られなくなります。深田恭子・真喜志智子・美山加恋・三倉未来・吉野紗香・内田莉紗・熊田美香・橋本明日香だって実際に普通二種MT運転免許証取得されてますから、健太郎居候自衛隊採用試験不合格やら人工大理石加工兼マンション向けシステムキッチン製作全般に従事していたとしても会社都合並びに製品受注者減少による人員削減受けられ一方的に退職されていたのは理解して参ると確信致します。
Nack-5ジングル『No.1HotStation,Nack-5.』となってますので、健太郎居候雰囲気変えて行動しなければならないのと、結婚授かりもの両方出来なくては継父継母入���墨/首吊り/金属バット/デッキブラシ/ボディーブロー/ビンタ/膝蹴り/つま先蹴り/平手打ち/フルボッコ/吐血へ至らせるほどのケンカ/ぶん殴りに依る体罰を覚悟しなければなりません。
#普通二種MT免許証#甘ったれてゃ居られない#無事故無違反#真喜志智子#深田恭子#警察署にて簡素な運転免許証更新#くだらぬ言動喪失させるべき#炎の一発勝負#80%#学科95問化#学科試験90%#深視力#聴力検査有り#人員輸送#命に関連する#適確な行動#ヒステリック#学科にイラス��問題5問導入#製品受注者減少#人工大理石会社訣別#人材派遣労働者人生破滅可能性有り#狭山から北関東��倉庫移転#出荷先店舗閉鎖相継ぐ人員削減#期間満了#部品量産減少人員削減#ミジメ#エンジョイ剥奪#機転きかす#アロー流通サービス#羽村営業所
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2025/6/13
新生児のいる生活というのは、まるでこれまで自分が生きてきた世界とは別の、しかし確実に存在する並行世界へと足を踏み入れたようなものだった。僕は何も知らなかった。いや、知る必要がなかった、と言うべきか。知ろうとしなかった、と言い換えてもいい。無知とは幸福な鈍感さだ。
子供が生まれてからのこの一ヶ月間、僕らは外界から遮断されたような生活を送っている。
免疫の少ない子供のためになるべく外出は控えるのが普通らしい。かつては当たり前だった、扉を開けて一歩外へ踏み出す行為がそこまで危険を伴うものになったのはそれこそコロナの時以来だ。連れ合いは特に厳格にそれを僕に求めるけど、自分は友達や親族を招いたりしている。
「まぁ、いいけどさ」という感じ。

住居の窓から見える空の色は、以前と同じはずなのに、どこか違って見える。いや、違うのは空ではなく、僕ら自身の心境なのだろう。外界が停滞しているわけではない。僕らだけが、時間という名の川の底の泥のように沈んで動けずにいる。
そして、1ヶ月たち検診が終わると「お宮参り」というイベントがくる。 神社に出向いて、生まれたばかりの我が子の健やかな成長を祈願する儀式らしい。
お金をかける気もしないので連れ合いの両親を呼んで、お参りと小さなお守りを買った。
NIKONの一眼でいくつか写真を撮った。いつか、わが子はこれを見て自分は愛されていたと思うのかもしれない。または、くだらないと吐き捨てるだろうか。
不確かな世界で、せめて確かな儀式に身を委ねる。それは人間が太古の昔から続けてきた行為であり、生存戦略の一つなのだろうが、若さの圧倒的な輝きはそれをはねつけることがある。
いつか見るであろう写真の顔には湿疹がある。
「母の男性ホルモンの影響で、この時期の赤子には湿疹が出やすい」**という事実も、僕は初めて知った。生命の神秘とは、かくも複雑で、そして時に奇妙なものだ。身体は、僕らの意識とはまったく無関係に、独自の論理で稼働している。
泣く、食べる、寝る、足や手を動かす。
傍目からみるにそれだけなのに、身体の中はもっと複雑で、予測不能な要素を孕んでいる。湿疹に覆われた小さな顔を見ながら保湿剤を塗ってやる。生命がたどる道のりの無秩序さを思う。
最近、赤子を抱いて外に出ると、見知らぬ人から話しかけられることが増えた。お宮参りのあとによったホテル内にある個室のお店でも「あら、可愛いわね」とか、「何ヶ月?」とか。見ず知らずの他者との間に、ごく自然な形でコミュニケーションが生まれる。
きっと、こうやって僕は地域に「飲まれていく」のだ。個として存在していた僕の輪郭が、少しずつ曖昧になり、共同体という名の大き��水たまりの中に溶け込んでいく。それは、ある種の喪失であると同時に、新たな獲得でもある。自分の時間や自由が減る代わりに、僕はこれまで知らなかった、別の種類の豊かさを手に入れる。望む望まないは別として。

犬は最近、枕で寝ることを覚えた。何歳にっても日々成長。枕は毛だらけになり、少し香ばしい獣の匂いがする。
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夕方、秀一は当直の準備をしにいったん帰った。ようやく引っ越しの片付けを終えたばかりだったが、彼はスエットスーツや下着などをボストンバッグに詰め込んだ。まァ、三泊四日の小旅行に出掛ける感覚で過ごせばイイと、彼はそう自分自身に言い聞かせた。
私立K高校に戻ると、寮の前では大平が待っていた。当直業務を教える為だった。彼は、
「まァ、何もないンですけどね〜」
と当直室にある備品や巡視の流れを大まかに話した。もし生徒が体調を崩したらどうするのか?と秀一は質問すると、
「各部屋に内線電話があるンで、夜間帯に連絡があった時には様子を見に行きます。昼間は保健室の谷中先生が病院に連れて行くべきか判断し、保健体育の教師が同伴します。勿論、家族には電話しますよ」
と即答した。
「まァ、何もありませんけどね〜」
それだけで終わってしまったからか、秀一は不安になった。大丈夫かよ!?と、彼は大平を視線で訴えたが、
「…状況が深刻なら、岩﨑校長や理事長先生に電話すれば大丈夫ですよ! そ、そんな怖い顔し��いで!」
と大平は苦笑した。
秀一は、見た目のわりには口角が上がると「えくぼ」ができる大平が可愛いと思った。まァ、許してやるか…。彼は、大平と一緒に宿直室に入ると背広のジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。スエットスーツに着替えようとしたのだ。スラックスも脱ぎ、真っ白なスポーツビキニだけになるとたまたま秀一の方を向いた大平が、
「キャッ、 エッチ!」
と完全に裏返った声で叫んだ。ウェストゴムには黒地に白くブランドのロゴがあしらわれ、布地の方は所謂「シースルー」だった。秀一は素肌からサックス色のポロシャツを着ながら、
「そ、そんな目で見るからいやらしく感じるンでしょ!?」
と反応した。大平は居ても立っても居られなくなり、そのまま彼を押し倒した。こんな性衝動に駆られるのは、恐らく先日正美を迎えに来た八坂以来だった。彼は秀一の股間にビキニ越しに頬擦りをした。
「そ、そんなァ、イヤぁぁぁぁぁ〜ン!」
二人はそのまま濡れ事に耽った。
畳には、愛液を拭き取ったティッシュが散乱していた。大平は、オルガズムの後に自分の「失態」を恥じた。とりあえず水色のビキニブリーフだけ穿き、秀一の目前に正座していた。彼は、
「つ、つい、『その気』になっちゃいました…。御免なさい…」
と小声で詫びた。
一方、秀一は何事をなかった様にスポーツビキニを穿き、ポロシャツに袖を通していた。その表情に怒りはない様だった。
「…久しぶりに興奮しちゃった。大平先生、『キス』巧いンだもん」
「ぼ、僕、キスだけが巧いって誉められるンだけど、フェ◯が下手って言われちゃうンです」
「じゃ、後で教えてあ・げ・る」
「キャ、そ、そんな…」
まるで童貞を喪失した少年の様に、大平は目を大きく見開き、赤面した。嗚呼、益子先生もやっぱり「エッチ」なンだと彼は安心した。これまで見せていたのは「うわべ」だけだったのだと思った。
大平が出て行った後、愛液の「匂い」が漂っていたので秀一は窓を開けた。ついにやってしまったと、彼は後悔した。どうしても身体に触れられると「その気」になってしまう。それは亮司と付き合っていた頃から変わらなかった。特に大学時代、彼は男娼の様に「ハッ◯ンサウナ」に出入りしては名も知らぬ男たちと寝てきた。教師になってからも飽くことなき肉欲に振り回されていた。しかし、生徒に手を出すことはしなかった。亮司と同じ様になっては辛いと思ったからだ。
秀一は、大平が頬擦りをしてきたビキニの「もっこり」をスエットパンツ越しに押さえた。嗚呼、誰か���また手を出されたら…。彼は不安になった。このK高校自体が男色を奨励している様なものだった。一気に破廉恥な気持ちにさせられた大平を彼は憎んだ。開けてはならぬ「パンドラの箱」を彼は開けてしまったのだから…。でも、「シカト」するのは大人がする振舞いではあるまい。
とりあえず、今夜は淡々と当直業務をすればイイやと思った。
各部屋では、急きょ秀一が当直をやることになったと生徒らが噂をしていた。翔も、遊びに来た正美がさっそく彼について話題にしていた。プライベートの秀一を垣間見たという翔は、
「引っ越しの荷物を片付けていたけど、コーヒーをご馳走になったよ」
と言った。
「え〜!? お前、ラッキーだな!」
「益子先生、エッチな下着を穿いてるンだぜ」
「何、誘惑してきたの!?」
「否、洗濯物が干してあったンだ」
「な〜んだ」
正美は、本当にセッ◯スのことしか頭にない。翔は、オレの様な初心者に秀一が興味はあるまいと思っていた。しかし、バルコニーに干してあった、あの真っ白なビキニブリーフに彼は性衝動を覚えた。あの後、彼は自室でオ◯ニーをした。すっかり亮司による「性の手ほどき」を受けてから、淫液を流すことにエクスタシーを感じていた。
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正確に言うと男なのに男が嫌いになった。 インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。 入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。 先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。 おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。 なぜ遅延や事故でダイヤが乱れて駅係員に当たり散らす? それで事態が解決するとでも? むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。 帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。 喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。 最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。 駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。 酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。 男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。 おっさんが若い女性に絡むパターンが一番最悪。 絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。 大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。 勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。 性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。 妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。 乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞 「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」 じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。 中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。 大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」 でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。 ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。 今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボ��ンを押してほしい。 人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。 駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。 高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。 暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。 それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。 例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」 大抵黙り込むかトーンダウンする。 彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。 大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。 新宿駅東口は性風俗産業も絡んでくる魔境。 少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。 というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。 路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。 どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。 いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。 最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。 わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教��れれば大人しくなる。 電車を利用する全ての男に言いたい。 他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ 当たり前のことを当たり前にしろ。
駅係員になって女叩きをやめた。
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202505
ずっと遅れて夢を見ている。
先月からの延長で、思っていたより���だいぶ前に出るような仕事をしている。新しい領域に踏み込むときにはそれ相応の負荷がかかるもので、かなり久々に”詰め”の機会をいただくことがあった。圧力をかけられた際の特有の感覚といって伝わるだろうか。血の気が引くとともに体感時間が限りなく圧縮されてゆき、目の前の状況が幾重にも反芻されるあの感覚。ああ、たまらねえぜ。そのような胸がきりきりするような状況に対しても奮起できる性格でよかったと思う。挑戦を試されるような機会にはそれがある程度苦しいことであってもやってやろうという気概が湧いてくる。それが自身の成長に繋がると信じている。不確実な世の中だからこそ、己という最も確実な資産の投資に重要な意義を感じる。昨今はそういった理由で高学歴な人たちからコンサルタントのようなジェネラリスト職が人気らしい。VUCA時代が叫ばれるようになってから久しく、ポータブルスキルをキャッチアップすることの重要性はプレゼンスを増している。一つの仕事に安定を求められなくなった今、あらゆる環境でバリューを出していくために自身をストレッチしつづけることがキャリアデベロップメントにおけるリスクマネジメントのベストプラクティスとなるのだろう。本日のカタカナ語大会はここまで。
明確な目標に向かって走り続けることでしか生を実感できない。それでしか存在意義を感じられない。どうやら僕はそのような人間らしい。だから試されることに喜びを見出してしまう。幼いころから愛してやまないゲームはまさにそのようにして出来ている。ゲームとは、ストレスからの解放を楽しむ遊びだ。敵キャラクターや謎解きというストレスに対し、新たな力の獲得やストーリー展開のような明確な報酬がある。それらが次から次へと趣向を凝らしやってきて、プレイヤー、すなわち僕のことを試し続ける。そういうものに対して僕は異様な執念を燃やしてしまう。一度始めたストーリーはクリアするまでやめられないし、レート戦があれば上級者と言えるような階級に到達するまで戦場から撤退することはあり得ない。要は何かを追いかけているのが好きなのだ。それが届きそうで届かないものならなおさら。目の前に人参をぶら下げられた馬のように、遠ざかろうとする報酬があれば思わず走り出してしまうことを止められない。そうして地面を踏み鳴らすことだけでしか、この身が脈打っていることを実感できないのだ。
ふと、脳から分泌される麻薬が枯れたとき、いつまで自分は走り続けなければならないのかと我に返る時がある。苦しい思いばかりして一体何になるというのだろうか。何かに追い��てられることだけを縁に生きてしまう人間の辿る先は危うい。不意に立ち止まったとき、必死に走っていたはずの道が何だったのかすら分からなくなってしまいかねない。初めからそれだけでしか生きられない人などごく僅かだろうと思う。だが、日々を忙殺され続ければ走り続けること以外の余力など失われてゆく。ものの在り方を考えるというのは、ゆとりある者にのみ許された贅沢である。だから、走ること以外の余力が失われてしまったものにとっては、その慣性に従うことが精一杯の選択なのだ。そういった人々が有り合わせで掲げる理由が成長とかやりがいといった無形の報酬だ。人は誰しも、何かに縋らなければ生きていけないものだ。それが自らの思想であれ、誰かの宗教であれ、危ない薬であれ、生きていくに足る理由がなければ途端に壊れてしまう。アウシュヴィッツ強制収容所で過酷な日々を送ったヴィクトール・フランクルは、極限の状況下であっても自らの存在には意味があると希望を持つことで耐え抜いたという。いかに悲観的な状況であれども、能動的な楽観視によって人は��のような状況をも受容することが出来るのだ。そのような人の持つ性質を素晴らしいと思う一方で、それが孕む無惨な可能性が僕にはあまりにも怖ろしい。
成長ややりがいといった言葉はあたかも我々の身に寄り添っているように聞こえる。だがその実はどうだろう。その道を走り続けることは本当に自身の成長につながるのか、そのやりがいは本当にあなた自身が感じているものなのか、その先に果たして幸福はあるのか。世の中は停滞することに対して厳しい。何も変わらないままでいるということは相対的な退化だ。だから、走り続けるものに対して社会がかける声は”まだ足りない”の一言だけだ。そういった言葉に真正面から向き合って耳を傾けてしまうような馬鹿正直な人間は、死ぬまで誰かが作った閉じた道を走り続けることになる。それは緩やかに足元までやってくる。強制収容所のように限界を超えるようなことを強要はしない。されど限界ぎりぎりのところを走り続けるよう巧みに人を誘う。人は誰しも劣等感を持っている。”もっとできるはず”と期待を込めた言葉はそれを強く煽る。はじめは自分の道を走っていたつもりでも、限界ぎりぎりで走り続けていればやがて正しい認知は歪められていく。それは悪しきものであるとは限らない。だが、自らのあるべき幸福を追い求めたいという心理と、積み上げられたキャリアが生むサンクコストとが生み出す不協和が、自由であるべき自己を喪失させる。そうしていつしか、誰かの期待に応えることが生きがいであるかのようにすり替わる。それが悪いことだと言いたいわけではない。そこに当人による本来の意思が存在しないことが問題であり、故に僕はそれを畏怖の対象と��るのだ。
誇りをもって生きたいのであれば、人は夢を持たなくてはならない。そして、それをどんな時も手放してはならない。空っぽな人間が駒となるのは世の摂理だ。自分の人生を生きていない人間が他人に利用されるのは当然の成り行きだろう。だから、邪な誘惑に唆されてはならない。走る道の舵を切るのはいつだって自分自身でなくてはならない。結果として、それが他者の思想や宗教と結びついても構わない。だが、そこには必ず自らの確固とした意志が介在していなければならない。走り抜けた先にある幸福は、自身で定義出来なければならない。そのために指針となる夢や希望を、人は無理矢理にでも自分の手で掴み取らなければならない。それが自らを由とするということなのだ。
自己実現のために何をすればいいか、それが見えてきている。普通の人と比べれば大きく出遅れてしまったかもしれない。だから未だに青臭いことばかりを繰り返している。だけど、もう少しだけこのモラトリアムを続けたい。美しさに触れていたい。熱を帯びていたい。点だけを散りばめてきた人生で、ようやく線を引くために走り出すことができたのだから。
好きなことで喜び、好きなことで悲しむ。そんな生き方に、初めから憧れていたんだと思う。
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240722 EXTRA
自分メモ:
今日のタスク:倉庫代金の振込 ジャックス未払の振込
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無料枠というか、身内以外(端的に言うと条件次第で敵にもなるような人々)が観ているところでネガティブな事を書くのはリスクだ
基本は建設的で道徳的でポジティブな...
ある意味お為ごかしとも取れるような当たり障りない事を書いていればいい
そういうの書くのが億劫ならそもそもなんも書かないほうがいい
そうだな、それはそう
だがいいのだろうか? 僕のポジティブなテキストというものは「視野狭窄の箱の中で幸せの花が咲き乱れる狂気そのもの」だ
僕が本気で主観的幸福について語ったところで むしろ誰からも共感不能な「勘違いドンズレ幸せ宇宙」が展開されるだけだ
そういう自分だけの「ストレス除去システム」を持っているからこそ「表社会のストレスにダメージ受けてるフリ」してルサンチマン気取って「遊べる」のだ
例えばどんな時でも主観的時間を「一時停止」して「脳だけ活性状態のまま熟考できる」特殊能力持ってたとして、その能力で得た気付きをわざわざ他人にシェアしないだろう?
他人が共感不能で応用も不可能で再現性も乏しい「ラッキー」にまつわる物語は、シェアしたところで「一体誰の為の何の話?」って思われてしまう
再現性も普遍性もない「想像の枠を遥かに越えた幸せな物語」は薬物用いて観る幻覚と差異がない
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まあ、同じ薬物使えば似たような幻覚見られるという点で再現性はあるっちゃあるが...(社会性がマイナス域に入っちゃうので、死の淵に立たされ苦しみの絶頂にいるような人がやる場合除き肯定できない)
僕は妻と出会えなければ物理的 / 社会的に氏んでいたという確信がある
つまり妻の存在は僕にとって「死にかけの人間の痛みを取り去る薬物」だった
もし僕が生きる気力に満ち溢れた状態で妻と出会ったなら、むしろその出会いは僕の人生を狂わせ不幸へと導く毒として働いたかもしれない
悲しみや虚無感を打ち消す為には、自身のそれを遥かに上回る悲しみと虚無を凄い勢いで外からぶつけられるしかない
つまり自分が想像&実感するシリアスさ(往々にして他者との比較による死にたさ)を遥かに越えるシリアスさぶつけられる事で自分という存在が相対的に「ギャグ化」される
それによって当たり前に「救われる」のである
ギャグ時空に入ると とりあえず生き延びられはするものの、仕事をする気がゼロになってしまう。ギャグキャラというものは社会や現実に対する責任を一切負わない(負えない)からだ
不老不死キャラが「ぼんやりとした眠たげなパーソナリティ」になるのは「他人と同じ世界や時間軸に所属していないから」だ
だから自身をギャグキャラ化して「死ぬ理由」キャンセルした後は、ほどよい真剣さと建設性取り戻して「自分はこの世界で活躍し自尊感情満たしながら生きる権利がある、もとい使命がある」と思い込まなければならない(そうしないと社会に対する信頼感とリアリティが喪失して貯金が尽き、再び「死ぬ」以外の選択肢がなくなってしまう)
人はどんなにキャリア重ねようと優れた知性を獲得しようとも「自身の人生には何の価値もなかった」と思い込むことができるように設計されている
それはそう設計されているんだから仕方ない。その視点に切り替えたら最後、あらゆる他者の言葉を無視して破滅の道へと突き進む「暴力性」を持っている
理性や知性の存在が動物的な本能や判で押したような退屈を拒絶し「自決」という「非・本能的レア行動」を選び取らせる
だからこそ心療内科で自殺志願者に処方される薬の半数は前頭葉の働きを鈍らせ「人間性を抑える」ものになっている
理性を研ぎ澄ませて無用な自分を「処分」できるなら、理性の力で理性を抑えて「無用な自分を有用と錯覚させる」事も当然できるのだ
最も、自分もそれができるようになるのに15年以上の歳月を要したが...
ああ、でも諦めないでほしい。10代後半で既に僕以上の「精神操作」を実現している人間をDiscord上で観測している
つまり、できるやつは数年で僕がストレス回避に用いている「楽天思考」を獲得できる
楽"観"思考というのは「悪いことなど多分起きないさ」という「思考停止」を内包する思考法
楽"天"思考は「悪い出来事が発生しようともそれは長続きしない、必ず人生はいい方向へと進んでゆく」という「自浄作用への信仰」を含んだ思考法
これはアドラーが唱える「共同体感覚」とまったく同種のものである
自分の半径100kmの人間が全員悪人であろうと、その輪の外側には必ず建設的で道徳的で優しい人々のコミュニティがある
だから自分の周りに蔓延る悪意を「現実」として認識する必要は一切ない
信じるべきは世界全体(もっと言えば宇宙全体)の「善意」の和であり、卑近な現実で観測できる悪意や諦観に「リアル」を見出すメリットはない
ほんとこの「ともすれば異常」と評価できる視点を10代、20代で獲得している人間は一体なんなんだ?? って思う
押し並べてその視点を獲得しているのは女性だ
ヘテロ男性で若くしてその視点を獲得している人間は極めて稀
男性は卑近な現実の不幸に対し影響を受けすぎる
「不幸の実感」こそが自分と他者を、ひいては世界全体を不幸にする事はもはや自明の理だというのに...
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間違いなく、イランとの戦争に突入しつつあります。 ロシアはイランへの攻撃を黙って見てはいないでしょう。それを阻止するために世界大戦に突入するでしょう。 ダグラス・マグレガー大佐は、こんな厳しい警告を発しました。 「ネタニヤフ首相は今週、ワシントンD.C.を訪問する予定です。彼はおそらく、より広範な中東戦争に向けた戦略をプライベートで詳しく説明するでしょう。 彼の計画は、全てのアメリカ市民に真剣に受け止められるべきです。現在、ガザの戦争はすでに何百万もの人々の生活を破壊または混乱させています。正確な数字を確認するのは困難ですが、数十万人のパレスチナ人と、増加するイスラエル人が国内で避難し、負傷し、または死亡しています。これらは単なる数字ではなく、壊滅的な家族や破壊された人生そのものです。 それなのに、ワシントンにはイランとの戦争を考えている政策決定者がいます。ガザという局地的な紛争の人的コストがこれほど高いのであれば、イランとの戦争のコストはどれほど高くなるのでしょうか? アフガニスタン、イラク、シリア、リビア、ソマリア、そしてウクライナ。その代償は、数十兆ドルと数万人のアメリカ人の命。 その代償を払うのは誰か? これらの戦争で利益を得る政策決定者や防衛関連業者ではなく、農民の子供達。 戦い、苦しみ、死ぬのは、農民、トラック運転手、看護師、配管工の子供達なのです。 私達は、アメリカの他国の内政への干渉を阻止しようと決意している新しい同盟の出現に直面しています。これらの新しい同盟には、イラン、ロシア、中国、そしてワシントンの無謀な介入を阻止しようと待機している多くの国が含まれています。ロシアのラブロフ外相が最近、イランとの衝突は世界の他の大国を巻き込む危険性があると警告したことは、真剣に受け止めなければなりません。 はっきりさせておきたいのは、いかなる国家も、特にわが国のような自由民主共和国は、それを貫徹する十分な準備がない限り、戦争を予告すべきでは(脅しとして用いるべきでは)ないということです。私達の歴史のこの時点で、ワシントンは、私達の国家と軍隊が、アメリカから6,000~7,000マイル離れた主要な軍事大国との戦争に備える準備ができていないことを理解している、あるいは知るべきです。 私達は35兆ドル近い借金を抱えています。 これは国内総生産のほぼ100%に相当します。 私達は毎日24億ドルの利息を支払っています。 ワシントンの全員は、ずっと前に理解しておくべきことでした。 イランとの戦争は私達の経済に壊滅的な打撃を与えます。イランとアラブ諸国を結ぶ狭い海の通り道であるホルムズ海峡が閉鎖されたとしましょう。 毎日、世界の石油の3分の1がこの通路を通っています。戦争によってこの海峡が封鎖されれば、ガソリン価格は高騰し、毎日の通勤から食料品の値段まで、あらゆるものに影響を及ぼすでしょう。私達はすでに紅海の混乱による打撃を感じています。この問題を何倍にもして考えてみてください。イランとの本格的な戦争は単なる不都合ではなく、経済危機の引き金となり、アメリカの全ての家庭に大打撃を与え、雇用の喪失、財産の消失、深刻な不況につながる可能性があります。 そして忘れてはならないのは、あらゆる紛争の始まりにおいて、戦争を���護する人々は常に、戦争は短期間で決定的なものになると確信しているということです。歴史が示すように、彼らは必ずと言っていいほど間違っています。アフガニスタンでも、イラクでも、ウクライナでも。戦略は失敗するのに、私達は再評価する代わりに失敗を倍増させるのです。同じシンクタンク、評論家、請負業者が、さらなる紛争、さらなる支出、他者からの犠牲を推し進めるのです。これは単なる戦略の失敗ではなく、責任の失敗でもあります。 ここで皆さんの出番です。あなたの議員に電話をかけ、不快感を表明し、自国の現実を思い知らせてください。 アメリカ人の70%は、いまだに給料日前の生活をしており、食料品や燃料の高騰に苦しんでいます。 政治家の皆さんへ: イランやその他の国に対する軍事行動への支持を表明する前に、有権者の福祉を考えてください。2つの仕事を掛け持ちしているシングルマザー、PTSDと闘う退役軍人、家を買う余裕がないために家庭を持つことを先延ばしにしている若いカップルなどです。あなたは、彼らの苦しみが別の戦争に値すると言うつもりですか? 達成不可能な軍事目標を掲げて無制限に軍事介入するという自滅的な政策は終わらせるべきです。アメリカ人は、責任のない意思決定の連鎖を断ち切り、アメリカの真の強さは、戦争を遂行する能力ではなく、平和を構築する能力にあることを認識しなければなりません。 アメリカ人皆さん、 あなたの国は今、外国で戦うのではなく、繁栄と平和のために、説明責任を果たすために、そしてあなたのニーズを最優先する政府のために、自国で戦うことを必要としています。 議員に電話をかけ、地域社会で声を上げ、平和と繁栄に対するアメリカのニーズが最優先されなければならないと信じるアメリカ人の声を、権力の中枢に響かせてください。 そして、誰もが平和で豊かな未来を手にすることができるよう、神がアメリカに知恵と勇気を授けてくださいますように。」
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学習する組織入門
学習する組織は「PDCAサイクルをなぜ回すことがそれほど難しいのか?」を体系的にまとめ上げた組織学習論です。あなたは「PDCAサイクルを回すなんてあたりまえじゃないか!」と思われるかもしれませんが、PDCAサイクルを回ることは実は困難を極めることなのです。なぜなら、みんながPDCAサイクルを回せるのであれば、みんながやり抜く力を発揮している超一流の人間になっているからです。では、そもそもなぜPDCAサイクルを回すことはそれほど難しいのでしょうか?この点について学習する組織の提唱者であるピーター・M・センゲは(以下敬愛の念を込めてセンゲ先生と記します)は人々からやる気が喪失しているからだと述べています。このやる気スイッチのオフ状態について従来やる気がないのは自己責任であるとされてきました。その最たるものがやり抜く力の提唱者であるアンジェラ・ダックワースです。しかし、センゲ先生はやる気スイッチがオフ状態なのは組織の構造的欠陥にあると述べています。この構造的欠陥には系統的なパターンがあり、そのパターンのことをシステムの原型と呼んでいます。いわゆる、システム思考です。僕はこのシステム思考を知って、とても感動し、職場で使ってみようと思うようになりました。しかし、職場での反応は冷ややかなモノでした。この点について大変悲しく思いました。僕は理論的に正しいことを訴���ているはずでした。なのに、周りの反応は芳しくありませんでした。このことについて、悩みました。そして、悩んで末にある結論に至りました。それは人が率先して”見ざる聞かざる言わざる”となり、そうすることでやる気スイッチのオフ状態になること(没個性的になること)と引き換えに自分を守っているということです。思い返してみてください。就活生の頃、あなたは青臭く、そして、泥臭かったはずです。しかし、社会人となって、社会人としての”まともさ”を身につけるに従い、やる気スイッチがオフ状態となったはずです。この先程申し上げた”まともさ”という言葉がキーワードなのです。そもそも社会人としての”まともさ”とは何を指すのでしょうか?それはまともな身だしなみ、まともなビジネスマナー、まともな従順さ、まともな共感力、まともな協調性、まともな理解力、まともな事務処理能力、まともなストレス耐性、まともな体力、まともな気力等です。これらが”まともさ”を構成しており、これらは人が本来持っているやる気スイッチを抑圧的に蝕みます。この抑圧的にという表現はフロイトが生み出した精神分析学の抑圧を意味します。つまり、社会人として生きていくに従い、気づかぬうちにやる気が喪失しているのです。また、この点について、あなたの無意識は自ら進んでやる気スイッチのオフと引き換えに”まともさ”を身につけることを選択しているのです。なぜでしょうか?それはみんながやる気スイッチのオフ(没個性的なること)と引き換えに”まともさ”を身につけることを選択しているからです。この同調圧力は極めて強固なものであり、あなたがこの同調圧力に抗してやる気スイッチをオンにしようとすれば、”KY”であるとみなされ、窓際族と化すでしょう。このことをあなたは無意識に理解しているため、自分自身を守るために”まともな道”を進んで選択しているのです。つまり、文字通り”出る杭は打たれる”のです。これに対して。天才は文字通り”出過ぎた杭は打たれない”をモットーとしています。近年の研究結果から人は誰もがやり抜く力を秘めている可能性があることが指摘されていますが、あなたがやり抜く力を持った一流を目指すのであれば、このようないばらの道が待ち受けていることを覚悟した方がいいでしょう。
最近になって日本は諸外国から”安い国”であるといわれています。その原因は学習する組織で述べられているように創造性と生産性の欠如にあるのではないかと思います。この点に関して僕なりの考えがあります。それは「なぜ多くの人がやる気スイッチがオフとなってしまうのか?」を理性的にではなく、感情的に共感し、周囲の人が”本当は”「どう活躍し、また、どのように生きたいのか?」を察する”やさしさ”です。この”やさしさ”をセンゲ先生は”愛”と表現しています。すなわち、本当は”知”とは経済的成功と権力掌握のための”力”ではなく、みんなの苦しみを察するためのマザー・テレサが持ち合わせていたような”愛”なのです。あなたがシステム思考を理解したうえで、押し付けの善意ではない相手が本当に求めている”ヘルプ・ミー”の声を汲むことは少なからず試行錯誤が必要です。しかしながら、その格闘の中��あなたがあなたらしく生き、そして、あなたの周囲の人がその人らしく生きることが可能となるはずです。これを急ぎすぎてはなりません。なぜなら、システムを改善するにはゆっくりと確実に解決することが求められるのですから・・・。
#学習する組織#経営学#mba#mba courses#mbacollege#peter senge#learning organization#mit#ビジネス#自己啓発本#自己啓発#自己肯定感#自己分析#自己実現
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、���本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては���きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はない��言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような���容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口��、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。

小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著

各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著

私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著

そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしている��、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があ��ば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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旅の始まりは
自機紹介小話です。
あれは――夢だったのか、現だったのか。
思い出すたびに、まぶたの裏に張りついたまま離れない。
けれどそれは、触れようとすると指の隙間から零れ落ちるように、輪郭を失っていく。
それでも、胸の奥には焼きつくように、ただ一つ。
あの“赤い月”の情景だけが、今も鮮やかに残っている。
夜空は、深く澄んだ藍に染まっていた。
星はひとつもなく、雲もない。
風は止まり、森がざわめく音さえも消えていた。
音のない世界。沈黙に押し潰されるような夜。
ただ、空のまんなかに浮かぶ“それ”だけが、異様に赤く、重く、ぎらぎらと光を放っていた。
月――だったのだと思う。
だが、あれをそう呼ぶには、あまりにも禍々しかった。
まるで、天井からぶら下がった巨大な果実が、重みで枝をきしませながら、ゆっくり、じりじりと傾いていくようで。
今にも――堕ちてくる。
びりびりと、空気が震えていた。
肌を刺すような異物感。耳鳴りにも似たうねりが、空からじわじわと降りてきて、
胸の奥に、じくじくと鉛のような不安が溜まっていく。
視線を逸らすことができなかった。
吸い込まれるように、その赤に目を奪われていた。
理由なんてなかった。ただ、そう“感じた”。
――世界が、終わる。
赤が世界を侵食していく。
夜が焼け落ちるように、すべてが、赤に染まっていく。
風が消え、色が失われ、時間が凍り、音が潰え、世界のすべてを飲み込んだ。
……目覚めたとき。
静けさの中にいた――木々の梢からこぼれる、薄い朝の光が目に差し込んできた。重なりあった枝葉のすき間から、淡い金色がふわりと落ちてくる。
露に濡れた葉の先が、陽の光を受けて小さくきらめいた。
遠くで、鳥が一声だけさえずった。
森の空気は、ひやりと冷たく、湿り気を帯びていて、草の匂いと、樹の皮の匂いと、湿った土の匂いが、ゆっくりと肺に染み込んできた。
地面に伏していることだけはわかった。
仰向けのまま思うように動けず、ただ空を見ていた。
頭はずきずきと痛み、手足の先が冷えきっていた。
息をするたびに、胃の奥がひりひりと軋んで、身体の内側で、何かがぐるぐると逆流しているような――そんな感覚。
あとから聞いた話では、ひどいエーテル酔いを起こしていたらしい。けれどそのときはそんなことを考える余裕はなかった。
ただ、全身を貫く疲労感と、喉に絡まる空気の重たさに、うまく呼吸ができずにいた。
「……お? 生きてるかい、小さいの」
ふいに届いた、くぐもった低い声。
草を踏む足音とともに、逆光の中に一人の人影が立っていた。
くたびれた旅装をまとい、荷車を引く男――ブレモンダ、と名乗った。彼は通りすがりの旅商人で、グリダニアの方まで運んでくれた。
道中、何か話をした気もするけれど、あまりよく覚えていない。ただ、馬車の車輪がぬかるみに揺れるたび、森の木漏れ日が天幕に踊っていたこと。
それと、時折吹き込んできた風の匂いだけが――妙に、記憶に残っている。
「また、どこかで会えるさ」
彼はそう言って、何も言わずに去っていった。
自分の名前だけは、覚えていた。
けれどそれ以外のこと――どこから来て、何をしていたのか、何を目指していたのか。
すべては、霧の向こうに隠れていた。
ただ。
あの赤い月だけは、今もはっきりと、胸に張りついて離れない。あの光を思い出すたび、指先が微かに震える。
世界が壊れる音が、どこかでまだ続いているような気さえする。
――きっと、あれが始まりだった。
夜が終わり、赤が去り、朝が訪れる。
どこへ向かうのか、自分が何者なのかもわからないまま――旅は続いていく。
※※※
クー(自機)設定
クー(Quu Kozakura)設定まとめ(創作交流用)
📋種族/性別/身長:ララフェル・プレーンフォーク/女性/87cm
ジョブ:白魔道士(回復役)
一人称:あたし/私 二人称:君/あなた
📒��格
お人好しで放っておけない性格に見えるが、本質は直感派で、人の善意も悪意も「そういうもんだろ」くらいの距離感。
初対面では飄々としていて、どこか煙に巻くような話し方をする。
他人を「好き」ではないが「嫌い」でもない。基本は中立、深入りしないが、見捨てることもしない。
嘘が苦手で、つい本音をポロリとこぼしてしまう。
🍺身体的・生活的特徴
食欲は大きめ(大食い)。旅中でも食べ物は切らさないようにしている。
手先は不器用。料理や道具の扱いは「頑張って慣れている」レベル。
基本は朝型。のんびりした暮らしが性に合っている。
純粋さが残っており、割と無防備な言動もある。
📑背景・記憶喪失の設定
過去に何か大きな出来事があったようで、名前以外の記憶を失っている。
覚えているのは「赤い、赤い月が落ちてくる」という記憶の断片だけ。
現在は旅をしながら、人を癒やし、自分の記憶の手がかりを求めている。
💬 口調・語り口の特徴
明るく冗談めいた語り口が多いが、本心を隠しているというより重くしたくないという気遣いからくる言葉選び
相手が深く踏み込まない限り、自分から過去の話はしない。
📖 関係性・交流について
他人をすぐに信じるわけではないが、縁あって出会った人とはその場限りでも誠実に接する。
そのスタンスは「助けたのには理由がある」とは言わず、「そういう縁だったんだよ」と片づける飄々とした態度にもあらわれている。
本人は一期一会の時間を大切にしている。
🔖使用についてのゆるっと補足
「軽く使うね〜」くらいの声かけがあれば、ぜんぜんOKです!
モブっぽくちょい登場、とか、
通りすがりにちょっと会話、とか、
そんな感じで気軽にどうぞ〜!
NGはちょっとだけあります:恋人・家族・ガチ敵対など、関係性をがっつり決めるのは事前相談お願いします。
基本「縁があったらよしなに!」な旅人です。
※※※
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その戦争体験者が「匂いがしない、完全に絵物語」と感じたとすれば、映画には表層的な戦いのビジュアルや物語構造だけが描かれていて、内面や実存、偶然性、非英雄性、人間の矛盾、そして身体的・心理的リアリティがごっそり抜けている可能性が高いです。
以下に、「戦争のリアル」を描く上で足りない可能性がある要素を、テーマ・感覚・心理・構造の観点から分類しつつ、できるだけ多く列挙します。
【1. 身体的リアリズムの欠如】
汗、泥、血、排泄、飢え、臭い、虫、皮膚病、腐臭、死体の硬直
爆音による聴覚のマヒや耳鳴り、吐き気、震え、嘔吐、痙攣
仲間の身体が破裂・欠損していく恐怖と慣れ
怪我の痛みが引かないまま任務を続ける日常
寒さや暑さ、眠れない、ずっと渇いている、痛い、重い、かゆい
「全身が震えたまま、銃を構えた」ような描写
【2. 時間感覚の歪み】
「5分が1時間にも1秒にも感じられる」極限状況
待機、待機、待機……そして一瞬の地獄
時の流れが意味を持たなくなる感覚
日常との断絶した時間の密度や希薄さ
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
臆病になって隠れてしまった自分の記憶
敵の死体を見て吐いたのに、数日後には無感動になっていた
味方が「楽しく」敵を殺していることへの戸惑い
殺したくないのに殺してしまう手の震えと、その後の沈黙
「あのとき引き金を引いていなければ…」という思考ループ
英雄ではなく、ただ生き残っただけの自分
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
��なぜ自分が生き残ったか、わからない」
爆弾が数メートルずれていたことの奇跡と罪悪感
「これは何かの意味があるのでは」と思いたくなる自分
お守りや占い、神の声、意味づけせずにはいられない心
【5. 他者との関係の変容】
昨日笑っていた友人が、頭を吹き飛ばされる現実
遺体を運ぶときに、その人の顔が浮かばない
仲間が狂気に陥る姿を見る恐怖
敵を殺した直後に、敵の写真や手紙を見つけてしまう苦痛
【6. 「自己」の崩壊と新たな再構成】
殺すことも死ぬことも日常になっていく
自分が死ぬかもしれない、という理解ではなく“納得”
善悪の軸がぐらつく
帰還後、自分が何者だったかがわからなくなる感覚
「ただの肉の塊になった自分」を発見する体験
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦場での行動と、帰国後の賞賛のギャップ
正義と命令が一致しない苦痛
上官や命令の理不尽さを呑み込むか、壊れるかの選択
戦争の「意味」が理解不能になっていく感覚
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
「死にたくない」と叫んで小便を漏らす上官
空腹に耐えか��て、犬の餌を取り合う兵士たち
下品な冗談だけが生き延びるための方法
死体から靴を奪うときの罪悪感とそれを忘れる速度
【9. 帰還後の断絶・孤立・空白】
日常が遠すぎて「帰る場所」が感じられない
何を語っても誰にも伝わらない、という沈黙
戦友の笑い声が頭から離れない
「まともに生きている」ように見えて、何も感じていない
【10. 戦争の「前」や「外」からの視点が欠けている】
「戦争が始まる前の普通の暮らしの記憶」
戦場に行かない人々の無関心と理想化
民間人の視点・戦場の“裏側”にある日常の破壊
加害者にも守りたいものがあったことへの気づき
◆まとめ
戦争をリアルに描くためには、戦闘シーンの迫力やストーリーの巧妙さ以上に、身体・偶然・沈黙・羞恥・無意味・孤独・矛盾・臭気・記憶・無感動といった「人間の限界」に迫る視点が不可欠です。
「匂いがしない」と言われた作品は、おそらく意味や因果が整いすぎており、人間の不条理な弱さや迷い、生理的リアルが欠落していたのでしょう。
もしご希望があれば、「そのような“匂い”を意識的に盛り込むための脚本演出ポイント」もご提案できます。お気軽にどうぞ。
「戦争に直接行かない側」の現実や現実感
【1. 身体的リアリズム(不在ではなく“他の形”での表出)】
座りっぱなしの司令部職員の腰痛、胃潰瘍、疲労死
空襲警報のたびに地下壕へ走る都市住民の動悸・息切れ
子どもを背負いながら疎開路を歩く母親(父親)の足の水ぶくれ
工場労働者の油まみれの手、火傷、慢性的な睡眠不足
「安全な場所」での身体の硬直、息を殺す夜、失禁・嘔吐
【2. 時間感覚の歪み(兵士とは別種の異常)】
ラジオの開戦・終戦放送を聴いたときの「一瞬の凍結」
毎日が「誰かの死の連絡を待つ時間」になる家庭
戦地からの手紙が届くまでの時間が異常に長く、届いた瞬間に過去に戻されるような感覚
疎開先で過ごす時間が、「本当の時間」と断絶した非現実のように感じられる
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
「何もできない」都市市民としての罪悪感
募金しかできない自分に苛立つ若者
「戦地に行ってないから語ってはいけない」と自ら口を閉ざす帰還兵の妻
息子(娘)や夫(妻)を「立派に送り出した」ことへの誇りと喪失の共存
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
「この神棚に祈れば無事に戻ってくる」と信じる母親(父親)
何かのサイン(夢、お告げ、日常の偶然)を「徴」として受け取ろうとする心理
「爆撃の前日に家を離れていた」ことで生き延びたことの意味づけと混乱
占いや星座、預言などに集団的に依存していく現象
【5. 他者との関係の変容】
近所で戦死者が出るたびに口数が減る住民たち
「息子(娘)さん、帰ってこないの?」と訊かれて黙るしかない母親(父親)
兵士を送り出すことが、共同体内の「名誉」と「義務」になり、人間関係に緊張が走る
疎開先で「余所者」扱いされ、冷たい視線にさらされる子ども
【6. 自己の崩壊と再構成(戦地外でも発生する)】
「妻」として待ち続けた時間の中で、自分が自分でなくなるような感覚
子を失った親が「自分が死ぬべきだった」と語るようになる
空襲後の瓦礫の町で、言葉を失う子ども
自ら志願した息子(娘)の戦死に、肯定も否定もできないまま何十年も止まる時間
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦時報道と現実との乖離を肌で感じる都市民
勝利報道の裏で息子(娘)が戦死した事実に混乱する家族
上層部の豪華な食事の映像に怒りを覚える配給制下の民衆
学校教育で「正義の戦争」と教えられながら空襲で親を失った子どもの矛盾
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
瓦礫の中から米を探して盗み食いする子どもたち
「戦死者を讃える式典」で泣かない自分を責める未亡人
国策映画を見ながら、隣で眠る父親(母親)
空襲警報中に着替えを優先して逃げ遅れる市民
空襲で焼け出された者同士で、濡れた畳を巡って口論になる避難所
【9. 帰還後の断絶・空白】
帰ってきた兵士と目を合わせられない家族
「普通の生活」がぎこちなくなる、日常のうすら寒い静けさ
戦地でのことを語ろうとしない父親(母親)に苛立つ子ども
「あの人は昔、誰かだった」という形で語られる帰還兵
【10. 「戦争の外」にある視点】
遠い村の老婆が感じる「戦争なんて知らないけど、何かが変わった」感覚
民間人にとっての「戦争」は、配給制度、失踪、突然の爆撃音としてのみ現れる
戦地に行くことのない知識人が戦争を「語る」ことの危うさ
犠牲者の顔を知らない立法者が「正義」を語る虚しさ
◆補足的視点:子ども、戦場に行かない大人、高齢者、障害者の経験の特異性
子ども:戦争の意味もわからないまま空襲に怯え、孤児化し、誰の話も理解できないまま成長する
大人:夫(妻)を送り、子を失い、町を守り、避難所で全責任を背負う存在
高齢者:次の世代を見送りながら、自分は何もできないと嘆く日々
障害者:疎開も逃避もできない身体を抱えて、破壊のただ中に取り残される恐怖
◆まとめ
兵士の経験と戦場外の人々の現実は、決して断絶していない「地続きの暴力」として描かれるべきです。 都市や農村、官僚、親、学者、子ども、それぞれが異なる形で身体・偶然・不条理・羞恥・期待・喪失を経験し、戦争はその全体を貫く構造として立ち上がる。
ご希望があれば、ここから文学・映画・演劇・ノンフィクションなど具体作品に即した視点や、戦場体験のない作家がこれらを描く工夫なども掘り下げてご紹介できます。
「戦争を“知らずに”生きている人々の現実」が、戦場の地獄の同時代性とどう不気味なコントラストを成すかを、多層的に列挙します。
【1. 空間的ギャップ】
同じ「時間」に、まったく違う「世界」が隣接して存在していることの異様さ
晴れた休日のピクニックと、そのとき戦場での銃撃戦の地獄が、地球上で同時進行している事実
大都市のカフェで誰かが恋に落ちる一方で、同時刻に前線では誰かの頭部が吹き飛ばされている
戦場では「匂い(死臭・火薬)」が支配しているのに、都市では新製品の香水の広告が流れる
子どもが夏休みの自由研究をしている家庭の裏で、兵士の母親(父親)が「息子(娘)の遺体確認」の電話を受け取る
農村で「今年は豊作だ」と喜んでいる老人が、戦場に行った孫の遺書をまだ知らない
【2. 時間的ギャップ|個人的な「気づき」のズレ】
ある個人が、戦争の現実に気づく瞬間と、それ以前の無関心との断絶
戦争についてまったく意識していなかった人が、徴兵制の通知や親族の死で突然すべてが反転する
「昨日までただのTVの話だったのに、今日は“自分の話”になった」
SNSで笑っていた友達が、突然「戦死者追悼」の黒いアイコンに変わっていて、動揺する
戦争に無関心だった若者が、恋人の兄弟の戦死によって、人生観ごと崩される
学校の授業中に先生が「戦死した教え子」の話をし、生徒の表情が凍る
【3. 時間的ギャップ|集団的な「気づき」や遅延のズレ】
社会全体が戦争の現実に気づくまでの時間差
初期はみんな「どこか遠くの戦争」として扱っていたのが、徴兵や物資不足で「自分たちの生活」が侵食されていく
政府や報道が戦争を隠していることで、市民が**“まだ平和”という錯覚**を保っている時間
戦争が始まってから数年経ってようやく「戻ってこない息子(娘)たち」に異変を感じ始める村の空気
テレビ番組が急に「戦死者特集」を始めて、一般人が**「今さら…?」と違和感を抱く瞬間**
集団的な目覚めが訪れるのは、爆撃が都市部にも及んだとき――「遅すぎた気づき」
【4. 感情的ギャップ】
「日常の喜怒哀楽」と「戦争の非日常」が、ねじれながら共存している
若者がプロポーズを考えていた同じ日、戦場では同年代の兵士が死亡している
家にいる子の誕生日パーティーのケーキを用意する母(父)の手元に、戦死の電報が届く
SNSで自撮り・推し・恋バナで盛り上がっているタイムラインに、ぽつんと戦地からの報告が流れる
街の映画館では笑い声が響き、戦場の衛生兵は**「誰も笑っていない場所」で傷口を縫っている**
新年を祝うカウントダウンの瞬間、兵士は雪の中で一人見張りをしていた
【5. 意識・想像力のギャップ】
自分の“当たり前”が、他者にとって“想像すらできない”現実であるという落差
「朝の散歩が気持ちいい」と言った直後に、「息子(娘)の足が地雷で吹き飛んだ」と語る隣人の表情
「今日、何食べる?」という日常会話が、戦地では**「あと何日食料がもつか」**という恐怖に変わる
自分の悩み(失恋、試験、仕事)を打ち明けた後に、相手が戦争孤児だと知る羞恥と沈黙
「選挙なんて行っても意味ない」と言っていた人が、戦地に送られる前の兵士の最後の投票行動を知ったときの衝撃
「ニュースは暗いから見ない」という態度が、ある人の**「現実からの逃走」**に見えてくる瞬間
【6. 構造的・社会的なギャップ】
「無関心でいられる特権」と、その代償
大都市の富裕層は戦争を「コスト」としてしか見ておらず、田舎の若者が実際に死んでいる
戦場に送られるのは「誰か」であり、自分ではないと信じている都市住民の慢心
「平和のなかにある平和」が他者の死によって維持されているという不都合な構図
メディアの「戦意高揚」の裏で、実際の被害は矮小化されている
戦争が続くほど、兵器産業や経済が潤っていくことへの倫理的ジレンマ
【7. 不在によって浮かび上がるギャップ】
何かが「ここにいない」ことで生まれる痛みと現実感
運動会で一人欠けた家族写真
誰もいなくなった村の青年会
帰ってこない恋人を待つ部屋だけが、時間が止まっている
戦地からの手紙が届かなくなった瞬間から、時計の針の音がうるさく感じられる
◇まとめ
このギャップの本質は、「戦争の“外”にいることの異常な正常性」です。 人は戦争が始まっても、恋をし、笑い、誕生日を祝う。 けれど、それが誰かの死と同時に起きているという“二重性”に気づいたとき、世界は一気に歪んで見えます。 その歪みこそが、戦争の「本当のリアル」の一部なのです。
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大田区
この町に、縁あって20年w🤣🤣🤣✨👍
その前は、群馬伊勢崎。
父は外資、戦後約12年の、Good Year。
ゴムの会社だが、いわゆる軍産複合体関連。
アメリカ、アクロンが当時の本社。
昭和40年。
当時の日本は、公務員の月収¥15,000-、父は10倍の給料w🤣
深田萌絵さんも言っていたが、深田さん専門卒で、月収¥120,000、外資年収初年度¥10,000,000-w🤣✨
今も変わらず、占領国強w🤣🤣🤣✨
大田区。
武蔵荏原の地、海ぞい。
古くは池上邸、池上本門寺、被差別部落としての歴史後、戦争産業にて町おこるも、東京大空襲。
創価学会、羽田飛行場デモ、埋め立て。
住商、伊藤忠、三菱、山久、上組、それはそれは、日本の根幹産業の本拠地。
広大、莫大な規模の、公団、つまりUR。
日本の産業の中心は、ここにある。
八潮の入国管理、移民、陸運局。
つまり、庶民の被害者も、めちゃくちゃ集中している。
妬み。
人間の心の、最も醜いもの。
支配まん延の中、優秀な人間はめったに生まれない。
とにかく支配者のいいなりに生き、悲壮感と貧困、不満、DV、怒号…
おしゃれも、出来ない。
しゃれたやつ見つけたら、嫌がらせをする。
威風堂々創価学会、譲り合うべき道を、わざと避けず、勝った勝ったと、慢心する…
昨日スーパーに行き、駐車カードやらを取り忘れたら、サービス券は本来出さないと、噛みつかれた…
今回特別にと、出した。
6回謝っても、ずっと説教された…
もはや、イオンというシステムは、サービス業ではなく、上から物を言う、勝ち組が、我ら庶民に、餌わけてやってるサービスな訳だ。。
大田区は、日本で一番変わらねば、ならない。
だから私は、大田区に吸い寄せられたw
貧困、搾取、暴力、妬み、酷いグローバリズム、この最大級が、まさに大田区。
品川、港区みたいに、メーカーたち並ぶ、頭脳都市ではない。
現代の不利益を一手に詰め込んだ、被害者モデル都市だ😭🤣✨
この町を、変えたい。
誰かが神の生活をし、誰かがくつ下一つ買えない貧困にあえぐ。
この悲劇を作り出してんのが、グローバリズム、全体主義だ。
だから、応神天皇、誉田別神が、鎮座する。
日本を変えるには、まず大田区ではないだろうか?
これは実は、私自身の、問題解決でもある。
他の家庭は知らないが、私の家は、DV家庭だった。
わかりやすい、父は半ばアル中、酔っては、説教、暴力、そして後悔した時は、金を渡した…
こんな家庭、全国的には少ないが、大田区は、かなり多いだろうw🤣
サイクル・オブ・バイオレンス。
DV家庭で育った人間は、必ずDV家庭を作る。
父の父もまた、DV親父だったw😭🤣✨
第二次世界大戦、なぜ、
「恐れ多くも天皇陛下!!」
、怒号あげ、一億玉砕、あんな悲惨な戦争になったのか?
さあ、石原莞爾、永田鉄山を失った日本は、何を考えたか?
総力戦。
フランスがナチス・ドイツに���ったのは、一般市民もまた、窓越しに、ナチス・ドイツ兵を撃った。
国民全員が、戦争に参加すれば、日本はアメリカに勝つ、鬼畜米英に、勝つ、そう日本政府は、考えた。
家庭から、鍋釜が没収された。
戦闘機の資材さえ、国は無い。
国民に食料が無い。
配給制となる。
食料だけでなく、酒、たばこ、全て配給制。
欲しがりません、勝つまでは!
国民全員が搾取され、徴兵され、次々と死んでゆく…
父の父は、子供を半分失った。
11人兄弟、半分は、軍に…
そんな異常な環境で、人間はどうなるか?
常にピリピリしている、国が行う矛盾の、はけ口がない、まわりに合わせねばならない…
自動的に酒に走り、気が付けば、自分より弱い者、女、子供を虐待し、国からの虐待の憂さを晴らす…
↑↑↑これが、サイクル・オブ・バイオレンスのメカニズムだ。
そして大田区では、最もこの現象が起きた、
だから私も、共感する部分はある。
さて、
何がいけない?特色じゃないか!
、と思うかな?
そんな簡単な問題じゃないんだ…
この環境は、自己肯定感を喪失させる、致命的なレベルで。
「言うことを聞きなさい!」
「殴ってでも、やらせる!」
「子供は、殴らなきゃわからないんだ!」
「殴るのは、親の愛だ!殴るのは、辛いんだ!」
「反抗期だ!」
↑こんな考え方こそ、精神異常なのに、世間は、いや大田区はこれを、常識と呼ぶ。
一億玉砕の日本は、全員��主、女の子はおかっぱ。
つまりは、サザエさん…
これが正しいんだ!、これが正しいんだ!、と、支配層は意図的に、ありとあらゆる手を使い、庶民におしつけた。
結果、ワクチン打ちまくり、死にまくり、SDGs万歳!!、未来都市大田区だ!、の、大田区になったんじゃないの?
大田区民、幸せかな?
町を歩く人らは、全員みけんにシワ寄せて、小学校の行事は、未だに、軍歌みたいな歌全員に歌わせ、子供の野球用品に、何十万もかけ、次々と広がるホームレス、わけわからない威風堂々創価学会とか、行き過ぎ果てた国家暴力の賜物以外の何物でも無いんじゃないの??
大田区長は、大田区議会議員は、大田区は本当に未来都市だと、考える?
だとしたら、精神病院に入院した方が良い。
自転車に3人子供乗せ、しょっちゅう駅前は暴力事件、変わらぬDV家庭、たまに駅で歌って歩く異常者、やたら手足無い義足やらが多い、
これは幸せな未来都市なんかな?!😤
腹が立つわ。。
要するに、グローバリストに最も都合良い、スーパー奴隷City、大田区やんか。。
私自身が、ようやく自己肯定感が、回復してきている。
57にして、やっとなんです…
「俺なんかは…」
「どうせ駄目だ…」
「また、この繰り返しだ…」
私の中に、こんな【垢】があった。
このせいで、
やたら人前で緊張する。
ギャンブルは、必ず大敗する。
自信が持てない。
自己肯定感ならぬ、自己否定感は、暴力と萎縮により、形成される。
自己否定感の例
創価学会。
アメリカの大空襲で、ナパーム弾が雨のように降る。
逃げ惑う人々は焼け死に、それを横目に、逃げる。
それは圧倒的恐怖…
戦争の無い世の中を、願う。
神を求める。
大田区で、成長の家の偉い御坊さんがいるらしい、
あの、海苔屋の息子さんだ。
素晴らしい教えだ!
次から次へと、学会員は増えた。
子供も、全員学会員にする…
800万世帯にも昇る…
魂は萎縮しまくり、恐怖は拭えない。
くやしさと、無念しかない。
「私達は、この生きてる現世で、輝きたい!、金持ちになりたい!」
そうやって、ワクチン同様、8割近くが、学会員、或いは関係者、成長の家、大本教へと沈んでいった日本…
「障害者を救うんだ!」
「宮沢賢治の小説のごとく、自分の命を捨て、妹を助ける人生だ!」
頭は完全に、ネオコン共産思想になる…
掲げてる事は、確かに素晴らしい。
ではあなたは、どう生きる?
社会貢献、公共の福祉、素晴らしいね。
で、あなた自身の人生はどう?
24時間、365日他人に尽くし、あなたが欲する事、何か把握してる?
AV見て、オナニーしてるの?、じゃああなたは、そんな事がしたいんだね。してるの?してないね、他人に隠してんだねw🤣
戦争の恐怖、貧困の恐怖、創価学会は、成長の家は、大本教は、それらを払拭してくれる。
あなた自身を、捨てさる事により。
夜中に、泣き出したりしてる?
じゃあ、あなたは本当はそれを、やりたくないんだね。
じゃあ、なんでやってんの?
安心、安定が欲しいから。
死ぬほど、安心、安定を求めるのが、魂の萎縮。
安心、安定など、存在しない。
それこそが幻想であり、あなたは何度も、安定企業や、安定上司、安定政治家、安定芸能人に、裏切られ、平気で責任逃れを、見てないか?w🤣
自己否定感のもう一つ、凶暴性。
大田区あるあるだが、狭い道は、絶対譲らないw
車はわざと近づいてきて、驚いてこちらが止まると、キチガイのような目で睨みつけ、去るか、怒鳴るか、場合により車から降りて、喧嘩を売るw🤣👍
事故起こしたいんか?
事故起こしたいんですよ、萎縮とはw
事故になり、揉めて、金なくなり、裁判になり、戦う事で、満足を得る…
「やはり私なんかは、まだまだ。池田先生は、なんと素晴らしい!」
やっぱり駄目、戦っている!、それを延々、ループさせ、癌になり死ぬw🤣
ある意味の、自作自演だが、本人は納得してるw
支配層は恐ろしいシステムを考えたもんだ。。
これが魂萎縮の、支配メカニズムだ。
そして、それに気がついた人間、新しい事をする人間を、
「あれは幼稚だ!自分勝手だ!」
と、メディアで吹き込む。
私はサイキック・スロットというコンテンツを立ち上げた。
それは、スロットはサイキックだと気がついたから。
出して貰ってるんじゃなく、自分で出してるんだと。
そこにある、私自身の、自己否定感に、気がついたから。
あたり🎯を引いているのに、怒っている自分、初めてGoGoランプが点いたとき、冷や汗が出て、目が回り、手が震え、揃わないと更に焦り、自己嫌悪してる自分が、分かった。
おかしな話だ。
くれる、といっているのに、潜在的に、拒絶している自分がいた。
これが、暴力が生む、恐怖、萎縮、自己否定なんです、私も、大田区も。
で、受け取る事を、自分に認めた。
怒鳴られ覚悟で、父にスロットで負けた話も、勝った話もした。
父は、「何でもいいから、頑張れ。」と、言った。
私は、父と和解し、父は他界した。
珍しいと思う。
マーヴィン・ゲイ、プランツ・カフカ、父と和解せぬまま、マーヴィン・ゲイは殺され、プランツ・カフカか、町ですれ違っても、挨拶もしなかった。
世代間の違いは、なかなかギャップが埋められない。
でも分かり合いたいという気持ちがあれば、必ず分かり合える。
暴力こそ、最も要らない。
そして自分肯定感があれば、ギャンブルも勝つ。
元来人とは、誰にも裁かれない、誰も存在を否定出来ない。
裁きと、否定、グローバリストはこれを、我々にやる。
それが戦争であり、コロナ、ワクチン、そしてSDGs、究極、7/5に予定されていた、人工津波なわけだ。
確かに、グローバリストは、怖いし、強い。
でも怯めば、どんどん、調子に乗り、我々はいいように使い捨てされるだけ。
大田区の皆さんが敬愛する日蓮正人は、果たしてそんな考えだと思う?
天皇陛下にまで、改宗を迫った人ですよ?🤣✨
怯まない、恐怖を捨てる、何より、全ては愛だと、知る。
スロットにしたって、何人もの技術者、開���者、試験、それを経て、世に出る。
知ったかぶりせず、当たる人もいて、当たらない人もいると、知る。
目立つ場所の台を出さないと、客は飛び、店は潰れる。ホールは、潰れたくない。
だから、必ず出す。
自己肯定感が壊れてたら、必ず負ける。或いは、店から嫌われるw😭🤣✨
違う店なら、必ず勝つ。
運では、ない!
店、場所、履歴、時間帯を、考えて打て。
当てずっぽうは通用しない、開発者たちを、舐めるな!
店は、必ず出したいのは、早朝、昼、夕方。
客入り始めたら、繁盛を見せなきゃ、客は飛ぶ。
客が飛んだら、閉めるも、設定入れるも、出来ないんだから、店は、必ず出す。
私は、長年、自己否定感に苦しんだ。
極度の肩こり、あがり症、ギャンブル負け…
自己否定感が取れ始めた時、鉄拳デビルで300万円まで勝った。
しかし、店長と喧嘩をきっかけに、何年も勝てなくなった…
負けるのは、自分のせい、店や台ではない。
怒りは、全てを台無しにすると、知った。
かつて、巨人の星、あしたのジョー、怒りがエネルギーだと、我々は刷り込まれた世代、57歳。
それは、間違いである。
怒りとは、最も要らない、全く、要らない。
愛なんだ。
全ては、愛なの。
暴力は、決して親の愛情ではない!!むしろ、親の弱さ、女子供に、精神依存する、父の弱さ、母の弱さと、知れ!
私は変わりましたよ、大田区よ。
あなたらも、変わろうよ。
以上😎👍✨✨✨
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日々あれこれ#182
2025年5月19日 くりかえし出現する 青白い炎 冷たく遠い 高い空にある星 満足と力 同等に赤く柔らかい 飛び立ったばかりの鳥と 失ったこころのような ゆるやかな喪失 時間を静止すれば 象徴として確認し 現実として君臨する あなたはあなた 青白いは赤く 燃え尽きれば鳥になる 裏表の輪廻 循環の輪舞
2025年5月20日 わたしの生を全身から 末端から中心まで 同じように感じさせる 映像 そこに情緒を感じたなら 登ってゆくは 天の中 時に染むように 入り込む 時に動けなくなる 吐き出すことのできぬ言葉の羅列 こころには浮き上がっていても 視覚からの流入によって マジックのように どこか 消えて失う

2025年5月22日 人を愛すると 苦しいなんていうけれど そんなことはないはず 愛があれば潤沢な水 あふれ出て 飲み放題どころか 嫌なことすべて 洗い流せるだろう なにも知らないあの人を 愛してしまえば あふれ出る もも色だいだい こころ満たされても言葉は出ずに あれ 部屋でひとりになると 苦しいな
2025年5月23日 冷たいほどの鋭い眼光 わたしのこころ 深くえぐる 美しさを突き抜ける 鋭い爪 ひどく痛む その刹那 捉えているのはわたしだけ 許しているこころの中に 鋭く切り裂く眼光は わたしをずたずたにする 知っていればなおさら 冷たさに止まり 暖かさを求め 落ちてゆく ひとしずく 落ちる波紋
2025年5月24日 地平線や水平線と同じように 区切りのある存在 SとNの区別はどこだ 反発しあう背中合わせの思い 水を張った青いバケツの中 別の存在 比重 明確に分かれれば 境界線に映る互い 鏡のように青が映えるか それとも 水平線も地平線にも映っているか お互いのこと そのときは真実が分かるかな

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トランプ政権2期目始動から3カ月。1世紀近くにわたって築き上げられてきた米国の金融覇権の柱が、かつてないほど揺らいでいる。 トランプ大統領は、多くの貿易相手国を対象とした関税措置を発表し、市場に衝撃を与えた。その後、米連邦準備制度理事会(FRB)への批判を再び強め、パウエル議長の解任も辞さない構えを鮮明にしたことで、市場の動揺はさらに深まっている。 米経済の優位性を支えてきた資産価値が再評価を迫られている。市場混乱時の資金逃避先とされてきたドルと米国債の魅力は、ここにきて急速に低下。投資家は最近まで、米国例外主義を加速させるいわゆる「トランプトレード」を期待していたが、今の市場はむしろ「米国売りトレード」の様相を呈している。 こうした動きは、より広範で痛みを伴う変化の一部に過ぎない。「最後の購買者」として世界経済を支えてきた米国の家計消費や、安全保障および政治同盟の柱である米軍の役割にも、今や疑念が生じ始めている。 世界各国の政府も資金運用者と同様、急速な環境変化への対応に苦慮している。こうした不透明な情勢の中、今週ワシントンで国際通貨基金(IMF)の春季会合が開催され、各国の経済閣僚や中央銀行総裁が一堂に会する。世界秩序を支える柱だったワシントンが、いまや混乱の震源地と化している。 President Trump Participates In Easter Prayer Service And Dinner イースターの祈祷会と夕食会に出席したトランプ大統領(ホワイトハウス、4月16日)Photographer: Al Drago/Bloomberg ドイツ連銀前総裁でコメルツ銀行監査役会長を務めるイェンス・ワイトマン氏は先週ロンドンで講演し、「地政学的な力関係が目の前で再編されつつある」と指摘。半世紀前に欧州でドル支配を表現するために生まれた「米国の法外な特権」という言葉についても触れ、「この特権が永続的とは限らない」と述べ、米国優位の持続性に疑問を示した。 市場の懸念を一段と深めているのは、トランプ氏がFRBへの「口撃」をエスカレートさせ、即時利下げを強く求めている点だ。法曹界ではトランプ氏にパウエル議長を解任する権限があるか疑問視する声もあるが、投資家の間では米国市場の基盤である中央銀行の独立性に対する信頼が既に揺らぎ始めている。 バークレイズのストラテジストらは21日付のリポートでドル相場見通しを下方修正し、「FRB議長解任の可能性は依然低いとみているが、FRBの独立性が低下するリスクは現実的であり、ドル相場にとって無視できない重大なリスクだ」と警告した。 関連記事:狙いは中国包囲網、トランプ政権は貿易相手国に関税妥協の見返り要求 米経済はその規模の大きさから、急速に崩壊する可能性は低い。しかし、今月起きた市場の混乱を、単なる予期せぬ副作用として片付けることは難しい。トランプ氏は市場の動揺を受け、一部の関税措置を一時停止したが、政権の基本姿勢に変化は見られない。他国が米国の通貨や消費者、さらには軍事力を利用して利益を得ているとの主張を続け、経済・貿易などあらゆる面で根本的な見直しを迫っている。 米国はこれまで、財政・貿易の赤字を資本流入で補ってきた。だがトランプ氏が今月2日、友好国からライバルである超大国中国までほぼ全ての国を対象に関税引き上げを表明して以来、資金の流れは一変した。資本流入は鈍化し、むしろ国外への資金流出が急速に始まっているとの見方が強まっている。 アポロ・マネジメントのトルステン・スロック氏によると、外国勢は米国株を19兆ドル(約2700兆円)、米国債を7兆ドル、米社債を5兆ドルそれぞれ保有しており、市場全体の約20%から30%を占める。これらの保有資産が売却されれば相当大きな痛手となりかねない。 JPモルガン・アセット・マネジメントのチーフ・グローバルストラテジスト、デービッド・ケリー氏は、「突然の保護主義政策への転換が米国の評判に与えるダメージを考慮すべきだ」と指摘。米国の政策への信頼喪失という結果となれば米国資産価格を低下させると述べた。 米国内では、トランプ氏の関税措置が消費者と企業の心理を冷やしている。需要減退や原材料コスト上昇、外国の対抗措置に直面する企業の株価は急落。S&P500種株価指数は今月2日以来10%近く下落し、時価総額は約4兆8000億ドル吹き飛んだ。 ブルームバーグのドル指数は今年に入り7%余り下落し、年初来のパフォーマンスは2005年の指数算出開始以降で最悪となるペース。しかし、最も人目を引いているのは、米国債相場の急落だ。米国債は米政府の後ろ盾があるため、他の市場の混乱時には通常なら堅調に推移する。 今月の米国債市場では、住宅ローンや企業の借り入れなどの基準となる10年債利回りが週間ベースで過去20年以上で最大の上昇を記録。利回りはトランプ氏の関税計画の一部停止を受けて4.6%近辺のピークから低下したとはいえ、同氏のFRB批判が過熱し再び上昇している。 通貨と借り入れコストが通常は正の相関関係にあることを考えると、ドル安と利回り上昇の同時進行は一部投資家には驚きだった。相関関係は現在、過去3年間で最も弱く、米国資産への広範な回避姿勢と、従来のリスクヘッジ手段への疑念を示唆している。 レイモンド・ジェームズ・アンド・アソシエーツのシニア投資ストラテジスト、トレーシー・マンジ氏は「最も驚いたのは、米国債とドルがこれまでに見られたような安全資産としての役割を果たしていないことだ。市場全体として、関税に関するニュースをうまく消化できていないことは明らかだ」と述べた。
トランプトレードは実は「米国売り」、市場が気づき始めた真の意味 - Bloomberg
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【世界でいちばん貧しい大統領】
2025年5月13日 『世界でいちばん貧しい大統領』として知られたウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が亡くなった。
2005年、ウルグアイ初の左派政権となる。ムヒカ氏と同じ「拡大戦線」に所属したバスケス氏が大統領となり、社会福祉や医療に力を入れた。
2010年から2015年、それらを引き継いだムヒカ氏。貧困層に寄り添った政策をし、自身が大統領になっても質素な生活を送っていた。
ふっくらした体形に、真ん丸な優しい瞳、愛車はフォルクスワーゲン・ビートル。とても愛らしいムヒカ氏からは想像しにくい過去や大統領として懸命に取り組んだ日々をエミール・クストリッツァ監督がインタビューし映画化した。
【トゥパマロス時代】
ムヒカ氏「時に悪は善である。そして逆に善は悪にもなるんだ。」
幼い頃に父を亡くした彼は貧困や格差に矛盾を感じていた。
ムヒカ氏は、左翼ゲリラ組織トゥパマロスに参加した。
トゥパマロスは、1962年に、チェ・ゲバラに影響された社会主義者によって結成され、武力による社会主義革命を目指した。
当初は、ウルグアイ北部の砂糖きび労働者を率いてモンテビデオへの行進を指導し、砂糖きび労働者の窮状を訴えた。
しかし、行進という平和的な手段が全く影響を与えなかったことに深い怒りを感じ、武力革命を目指すことになった。
翌年、射撃クラブを襲撃して1ダースの銃を奪うことから作戦を開始し、1年半の準備ののち、政府機関への襲撃、要人の誘拐や暗殺、外国企業や銀行への襲撃などを行った。
しかし、南米に広がる共産主義者や社会主義者の活動を打破することを目的としてコンドル作戦が始まる。
1975年から1989年にかけて、冷戦時代に南米の親米、反共、独裁政権が組織的に行った。アメリカ合衆国はこの地域での影響力を維持するために積極的に関与している。
作戦にはチリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、ブラジルの各国が参加。
そして左派活動家、労働運動活動家などは「テロリスト」と指定され、逮捕された。
ムヒカ氏も逮捕された。その時に、片足を13か所、腹を12か所、撃たれている。
ひとつは深刻で脾臓を失った。
片肺の半分に線維症と膵臓に感染症もある。
刑務所の生活は酷いものであった。
水さえもコップ1杯しか与えられない。
空腹は我慢できても 喉の渇きは無理なもの。そこで彼らが考えたレシピは容器に排尿し置いておく。
室温になるころには塩分が沈んで飲めるようになるというもの。
106人のメンバーが脱獄事件を行うも、また捕まった。捕まった時は瀕死状態であった。
13年間投獄した。しかし孤独な年月のおかげで多く学んだという。
「人は好事や成功よりも苦痛や逆境からより多くを学ぶものだ。
最良のリーダーとは自らが去る時、
自分を超える人材を残していくものである。
世代を超えた戦いです。」
【大統領として ~政策 哲学~】
後に大統領となったムヒカ氏。
「多くの国民に選ばれたら国民と同じように暮らすべきだ」
彼は貧困層のいる所へ出向く。かつて貧困層には住む家が無かった。
そこで社会福祉住宅計画(プラン・フントス)を実施。
家をもつことが出来た町の人は以前と違い家があるから雨でぬれずにすむという。
そして、彼は弱者を助けてくれるし、学校にも通えるようになったとも。
ムヒカ氏は言う。
「学校1つで世界は変えられないが、変えるためにはたくさんの学校が必要だ」
「文化が発展しなければ人類は進歩しない。文化とは壁の絵とかだけじゃない。毎日の暮らしの中で従うべき価値観のこと。より良い社会を作る為の土台。」
子どもたちに畑の作り方を自ら教える。貧困層には花の育て方を教える。稼げる。
富の分配ができる。貧困層は花でなく食べ物を買う。しかしお金がある人は花も買う。
文化が変わらなければ真の変化は起らない。
「資本主義では問題解決できない。
違う仕方を積極的に探す必要がある。
それが宿命である。」
「人間は本来 社会的な動物。
つまり社会主義者である。
だが時間や歴史が私たちを
資本主義や個人主義に変えた。
なぜなら私たちは矛盾を抱えているからだ。
私たちは生きるために懸命に闘う。
だが同時に他と協力し社会を形成する。
文明化と連帯意識は
人が人間らしく生きるための
最も素晴らしい美徳だ。
この矛盾を克服し
利己主義よりも
連帯意識を優先させるには
多くの労力を伴う。」
「体制を壊すのは簡単。体制を作るのは難しい。」
大統領を退任する日のスピーチでは
「私は去りません。
去るのは死ぬときです。
どこにいても そばに駆け付け
寄り添います。
それが人生を生きる最高の道です。
ありがとう 皆さん」
映画の最後、奥様とBarへ行く。
そこで、大好きなタンゴの生演奏を観る。
奥様とお酒を酌み交わし、肩を組み、タンゴを歌う。
「タンゴは郷愁そのものだ。
何を手に入れ、何を失ったか。
人生での喪失を知る者の為の歌なんだ。
挫折の後に好きになる音楽だ。」
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