#卒業設計
Explore tagged Tumblr posts
yuki-tamura-studio · 2 months ago
Text
0 notes
chikuri · 4 months ago
Quote
この「高く見える初任給」には実はウラがありましてね。 純粋に基本給増額による底上げができているなら大歓迎なんですが、実��のところは一見月額給与が高額に見えても、よくよく見れば「カサ上げ」「水増し」「付け替え」「見せ金」といった「高見せテクニック」の結果であって、年収総額や生涯賃金で見たらほとんど変わってない、といったケースも多いんですよね。たとえば、このようなテクニックが駆使されます。 ・ボーナス付け替え ⇒従来は年間6ヶ月分あったボーナスを4ヵ月分に減らし、その分を月額給与に付け替えて高見せ ・固定残業代によるカサ上げ ⇒「初任給35万円(固定残業代45時間分含む)」といった形で、基本給に加えて一定時間分の固定残業代を合計表示することで高見せ ・退職金付け替え ⇒退職金規程を改定し、初任給を高く設定する代わりに退職金を大幅に削減 ・年俸制によるカサ上げ ⇒年間総支給額を12で割り、月額表示することで高見せ ・昇給ペース調整 ⇒初任給を高く設定する一方、その後の昇給率を低く抑えることで、生涯賃金はさほど変わらず ・諸手当水増し ⇒通常は別途支給される通勤手当や住宅手当などを基本給に含めて表示し高見せ ・見せ金 ⇒もともと採用予定のない学歴(院卒など)に対して高額初任給を設定し、高見せ&検索結果で上位表示を狙う ・福利厚生縮小 ⇒家賃補助や社宅制度などの福利厚生を縮小し、浮いた原資を初任給に充当して高見せ ぜひ、高額初任給をPRしている会社に応募検討する際は、単に額面だけで判断するのではなく、総合的な待遇や生涯年収なども考慮して選ばれることをお勧めします。 本件報道に対しては、「新人に給料逆転されたら、やる気『そぐ』どころか消え失せるわ」「自分より給料高いヤツに仕事を教えないといけないのか」「『俺より貰ってるんだからその分働けハラスメント』が横行しそう」などと様々な意見が飛び交っているようです。 ただ個人的には、これまで30年以上にわたって横ばいのままだった大卒初任給がようやく上がっていく局面ということで、大変感慨深く見守っております。意欲も能力もある若手にきちんとお金で報いる会社が増えること自体は大���成なので、ぜひ各社ともどんどん報酬額を競り上げて頂き、願わくば若手のみならず、中高年も含めた全体の報酬アップに繋げて頂きたいところです。
Xユーザーの新田 龍さん: 「この「高く見える初任給」には実はウラがありましてね。 https://t.co/XxdU9lV03n」 / X
25 notes · View notes
yutakayagai · 5 months ago
Text
寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュースを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と顔を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口調をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエットパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエ��トパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…雅之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪を弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を挿れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し殺しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから知ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に寝てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入ろうとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせていく。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだよ」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」が遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
47 notes · View notes
leomacgivena · 5 months ago
Photo
Tumblr media
Xユーザーの池田靖史さん:「東大建築の学部卒業設計締め切り前夜の製図室の熱気」
29 notes · View notes
kozy-ogawa · 23 days ago
Text
お金、投資、幸福のシンプルで合理的な人生設計
橘玲『幸福の資本論』『シンプルで合理的な人生設計』『人生は攻略できる』をGoogleのNotebookLMで要約しました。
これらの情報源は、幸福な人生を送るための合理的なアプローチについて論じています。人生をゲームに例え、人的資本、金融資本、社会資本という3つの要素が重要であることを説明し、特に若い時期は労働市場で収益を得る人的資本を増やすことが効果的だと強調しています。また、長期的な幸福を優先するための意思決定の重要性や、「ガラン」のような組織に依存せず「バザール」のように自由な市場で自身の評価を高めること、そして無駄な人間関係を減らすことの利点についても触れています。さらに、幸福を最大化するためには、金銭を増やすよりも限られた時間を有効活用すること、具体的には質の高い睡眠、運動、そして「ぼーっとする時間」の確保が推奨されています。
NotebookLMに質問しました。
60歳を過ぎて幸福の最大化を目指す最適な人生設計はどうしたら良いですか?
橘玲さんの著作や対談に基づいた情報、そしてこれまでの私たちの会話履歴を参考に、60歳を過ぎてから幸福を最大化するための最適な人生設計について考察します。
橘玲さんの提唱する幸福の土台は、金融資本、人的資本、社会資本という3つの資本の上に築かれます。しかし、これらの資本の重要性や、それにどのように投資すべきかは、人生の段階によって変化していきます。
ソースによると、特に人的資本(働いてお金を稼ぐ力)の割合は年齢とともに変わります。若い頃は将来得られる収入の総額として人的資本は大きく、大学卒業時点で1億円を大きく超える価値があるとされています。若い頃は、この大きな人的資本を労働市場に投資する(働くこと)が、最も確実にお金持ちになる方法であり、金融資本の運用よりも重要だと繰り返し述べられています。
しかし、年を取るにつれて人的資本は減少し、定年退職して労働市場から退出すると、これがゼロになってしまいます。ソースで言及されている定年は55歳から始まり、現在は65歳、そして将来は70歳も議論されているとのことです。
つまり、60歳を過ぎて多くの方が直面するのは、これまで幸福の大きな土台であった人的資本(労働による収入)が減少、あるいは消滅するという変化です。ソースでは、この変化により、高齢になってから何歳まで働けるかによって経済格差が大きく開く可能性が示唆されています。年金だけに頼る人と、いくつになっても人的資本を維持して働ける人との間には、ものすごい経済格差が生じるというのです。
このような状況下で幸福の最大化を目指す場合、人生設計の焦点は自然と移っていきます。
1.金融資本の重要性の増大
人的資本が減少・消滅する老後において、経済的自立(国家、会社、家族に依存せずに生きていくのに十分な資産を持つこと)インデックスファンドへの積立投資など、シンプルで合理的な方法で金融資本を形成してきた場合、60歳以降はその金融資本が人的資本の穴を埋める主要な役割を果たすことになります。金融資本を考えることは、単にお金持ちになるというだけでなく、人生の後半に経済的な不安なく、より自由な選択を可能にする土台となります。
2.「人的資本」の再定義と活用
労働市場で高収入を得るという意味での人的資本は減少しても、「好きで得意なこと」を活かして働き続けたり、社会と関わり続けたりすることは、経済的な格差が開くことを防ぐだけでなく、生きがいや自己肯定感に繋がります。ソースでは、特に「伽藍(がらん)」(閉鎖的な組織)的な日本の会社で「ネガティブゲーム」(失敗を避け、目立たない)をしてきたサラリーマンは絶滅に向かうと述べられており、新しい時代には「バザール」(開放的で評判がリセットされる市場)で「ポジティブゲーム」(リスクを恐れず目立ち、良い評判を集める)をする方が有利だとされています。これは若い世代向けのメッセージですが、60歳を過ぎてからも、これまでの経験やスキルを活かして、組織に依存しない形で社会と関わる(例えば、フリーランス、アドバイザー、趣味を仕事にするなど)ことは、新しい形の人的資本の活用と言えるかもしれません。ソースでは、経済的な貢献だけでなく、他者からの尊敬や精神的な安定が仕事によって得られる資産として強調されています。
3.社会資本(人間関係)の継続的な重要性
愛情や友情は、お金や仕事と同様に人生に大きな影響を与える社会資本です。ソースでは、人間関係の維持には時間資源が必要であり、コストのかかる人間関係を減らし、自分にとってプラスになる人間関係を大切にすることが合理的な時間の活用法だと述べられています。また、人は周りの5人の平均に近づくため、自分に良い影響を与えてくれる人との関係を意識することも重要だとされています。60歳を過ぎると、仕事を通じた人間関係が変化する一方で、家族や長年の友人といったコストが低く安定した関係や、新しく生まれるコミュニティでの関係性が幸福にとってより重要になる可能性があります。社会的な繋がりは、孤独を防ぎ、精神的な充足感をもたらすでしょう。
4.健康資本の維持
最後に、そして最も根源的な土台として、健康の重要性が強調されています。ソースでは、十分な睡眠(7-8時間)と日常的な運動(毎日25分の早歩きなど)が、パフォーマンス向上、寿命延長、精神安定に極めて効果的であると述べられています。健康は、他のすべての資本を活用し、人生を享受するための基盤です。60歳を過ぎてからも活動的で幸福な人生を送るためには、健康への投資が不可欠です。
まとめると、60歳を過ぎた後の幸福最大化に向けた人生設計においては、若い頃に注力した「人的資本の最大化(働くこと)」からシフトし、これまでに築いた金融資本を賢く管理・活用し、健康を維持しながら、社会との多様な関わりを持ち続け、良好な人間関係を育むことが重要であると考えられます。特に、経済的な自立度を高めるための金融資本の確保と、働くこと以外の形での社会との繋がりや目的意識を持つこと(新しい形の人的資本や社会資本の活用)が鍵となるでしょう。
ソースの情報は主に若い世代に向けた人生設計の土台の作り方を解説したものですが、そこで述べられている資本の考え方や、時間の使い方、人間関係の捉え方、健康の重要性といった普遍的な原則は、人生のどの段階においても適用可能であり、特に人的資本が減衰する後半生においては、金融資本やそれ以外の形での社会との関わり、そして健康の維持がより一層重要になると読み取ることができます。
ソースは以下の動画です。
youtube
youtube
youtube
youtube
youtube
youtube
youtube
12 notes · View notes
ari0921 · 3 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)3月22日(土曜日)
      通巻第8706号 
 アメリカで研究費をふんだんに使わせて貰った恩義を忘れ
  中国へ陸続と帰還する著名学者にはノーベル省受賞者も
*************************
 米国で最新の科学、医学、化学などを学び、マスターし(なかにはノーベル賞受賞者も三人)、さんざんアメリカの資金で研究を極めた中国人学者が、中国へ還る。アメリの巨額投資の成果はみすみす中国へわたる。
 典型例は楊振寧の場合だろう。
父親も世界的な数学者だった楊は安徽省に生まれ(そのときは中華民国だった)、アメリカへ渡って素粒子の研究にはげみ、同じく中国人の李政道と一緒にノーベル賞に輝いた。
 台湾からの李遠哲もノーベル賞を最初に貰った台湾人。最終的に楊振寧は中国へ帰った。
 逆に中国の高給とふんだんな研究費、助成金に釣られたアメリカ人学者が中国と協力する「科学スパイ」がいる。典型はハーバード大学化学部長だたチャール・ズリーバーで、米国予算からもふんだんの助成金を受けながら同時に中国から2億円の研究補助を受けていた。
これは「千人計画」の一環だった。政治的判断の出来ない日本人研究者も多数が中国の高給と研究環境、待遇などの条件に惹かれ中国へ渡った。
半導体や電池技術に関しても、アメリカで研究し米国企業でノウハウを学んだ台湾人がTSMCやエヌビデイアを設立し、世界を席巻した。そのTSMCからごっそりと数百のエンジニアが中国へ渡りSMICを設立した。SMICはいつのまにか7ナ��半導体を生産出来るまでに『成長』していた。
 中国人とみたらスパイと思えが米国で合い言葉となった、いずらくなった中国人の中国帰国が目立ち始めたのは、この五年ほどで、博士クラスが束になって中国へ帰国し、学部学生の留学生となると、卒業後80%が中国へ帰る(海亀派)。
 ボストン大学でロボット工学をマスターしたイエ・ヤンジン(音訳不明)は中国人民解放軍の幹部だった
 ブラウン大学でバイオ研究30年の曹浩乃は精華大学教授として帰国した。在米20年のホー・イクイエンは北京大学教授になった。
 
 英国留学でも同じ現象が起きた。
 ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で博士研究員として在英中国人学者のパン・リンフェン(音訳不明)は権威ある『ネイチャー』誌に30本以上の論文を発表し 花形とされた。英国の大學に特有な伝統的人事に嫌気したパンは英国を去り、中国が用意した顕職につく(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、2025年3月22日)
 
 日本の大學は中国人留学生を歓迎し、授業料免除ばかりか月20万円ほどの生活費まで支給している。しかも彼らは帰国すると反日になるのである。
 ──忘恩の徒、倫理? それはなんのこっちゃ。
17 notes · View notes
mbr-br · 6 months ago
Text
ちょっとしたきっかけで、科学とAIについてのアドベントカレンダーの記事を一つ書くことになったのだが、書くのはいいとしてどこで書けばいいのか良くわからないので、ここで書くことにした。
ここは普段はてなブロ��を拠点にしている自分が軽い独り言を書くための場所で、どちらかというとX(Twitter)のような短文が中心なので、あまり長々と書く場所ではない(と自分で勝手に決めている)のだけども、内容が内容なのでここに記すことにした。
普段は独り言なのでいきなり本題から入ってしまうが、今回はアドベントカレンダーなので自己紹介をしなければならない。自分は、AlphaFold2というAIに自分の専門分野の中核を撃たれたこと(そしてそこからある種のドミノ倒しが起きたこと)で、学生の頃から数えて20年あまり所属している分野が混乱とともに「バラバラ」になっていくのを見ている、大学の一教員である。
世間はAlphaFoldがノーベル賞を取ったこともあり、かなりの歓迎ムードだが、分野史を追えばAlphaFold2を作ったDeepMindがある種の侵略者・征服者(他分野からいきなりやってきて、コンテスト荒らしどころか20年以上続いたコンテストそのものを数年で終わらせた)であるのは明らかで、この個人的な体験が今回のこのポストを書く上での発端になっている。
正直なところ、実際に科学研究というものを曲がりなりにも職業として行っている立場として、科学分野の大きな問いや分野そのものが「唐突に終わりうる」ということ、特に当該分野で長年知見を積んできた人間ではなく、全く異なる技術を持って横から来た人間が分野を終わらせることがあるという事態に直面すると、専門性を維持するモチベーションを保つのが難しくなることを、じわじわと実感しつつある。自分は大学の講義などでこの一連の歴史の流れを年に数回口にすることもあってか、そのたびに少しずつ心の中に澱のようなものが溜まるように思う。
AlphaFold2の存在が明らかになったのは2020年の11月末だが、一般に公開されたのは2021年7月のことだった。DeepMindは前バージョンのAlphaFoldを出し渋ったこともあり、AlphaFold2が計算済み予測モデルのデータベースと共に全面フリーで公開されたことは今思い返しても信じがたい。当時の混乱をエッセイとして書けと言われればいくらでも書けるくらいで、たぶん同分野の自分と同世代~上の世代の人たちはみな同じだろう。
そしてそれから1年半ほどあとの2022年11月末、ChatGPTが世に出た。ChatGPTを使ってみてしばらくして思ったのは「自分たちが味わった衝撃を、全ての分野の全ての人が味わうのか」という感覚だった。ただ、この時点では、AlphaFold2にしてもChatGPTにしても、単独の機能に優れたAIであって、それほど広がりを持たないものだったように思う。もちろんこの時点では、だけれども。
さらにあれから2年弱が経ち、自分の分野はAlphaFold2が引き起こしたドミノ倒しによって次々と問題が解かれるようになり、「解く問題がなくなる」という方向で分野が崩壊しつつあるが、世界はまだAIによってすべてが崩壊する程ではない。ちょうどこのアドベントカレンダーを書く予定になっていた12月20日にOpenAIからo3が発表され、ベンチマークの都合か数学方面が狙い撃ちされつつあるようだけれども、まだAlphaFold2ほどの衝撃はないように見える(ひょっとしたらAlphaFold1の瞬間かもしれない)。
これまでの4年間、AlphaFold2からo3までを自分の立場で振り返ると、研究分野は中核を撃たれる(重要な問題を解かれる)とそこからドミノ倒しが発生し得る・次々と問題が解決していく可能性があること、撃ってくるのは分野外の人間かもしれずタイミングは分からないこと(ここが一番つらい)、ドミノ倒しが始まると分野の流れが急激に速まり、多くの研究者はいわば土砂崩れから逃げ惑うような苦しい立場に立たされること、だろうか。この苦しさから逃れるため(そして研究業績を上げ続けるため)に、多くの研究者は当然もがきながら方針転換するのだけども、転換するより早く分野が崩壊する可能性もあって、正直なところこれが他分野でも同様に起こるとすると、あまりにも厳しすぎるし、気の毒すぎるように思う。
この苦しさは崩壊の過程が引き延ばされればされるほど長く続くと思われる(もちろん、従前のように崩壊が非常にゆっくりであれば問題ないが、もはやそこまでスローダウンすることは考えられない)ので、AIの進歩が加速し科学のすべてを「早く終わらせる���ことでしか、この苦境を脱することはできないのではないかと感じている
…というのが、過去4年を踏まえた2024年末の現在の心境だが、また来年再来年には考えが変わっているかもしれない。それと、自分がここに書いた分野観はそれほど異端ではないはずだけども、まだあからさまに口にできる状況でもない(皆悪いことはあまり口に出したくない)ので、できればそろそろ自分の分野以外にも、AIで崩壊し始める分野が出てきてくれて、こうした見方が一般化してほしいものだ。
追記: 今年の1月に似た話題(AIと科学研究と自身のキャリア)について独り言を書いていた。自分がこの崩壊の中である程度冷静でいられるのは、「自分は他人にとって代わられて当然である」という価値観であるからかもしれない。 https://mbr-br.tumblr.com/post/739340490648043520/
追記2: 自分が科学の発展に何を望むかについて書いたものがあったので、参考としてここにつけておく。正確には「科学の発展で何が可能になって欲しいか」という問いで、自分の回答は「生死の境界・生物無生物の差異・自他の区別を完全に破壊したい」である。書いたのは3年数か月ほど前だが、そこにある「現在ほぼ全ての人に植え付けられている生命とか自我とか社会とかの概念をぶち壊して、その先に何が出てくるか見てみたい」のは今でもそうで、現在のAIは生物無生物の壁を破壊しつつある点で、自分にとってはとても好ましい存在だと感じている。 追記3(2024年12月31日6:41AM): アドベントカレンダーに載せたせいかそれなりに読んでもらっているようで、某所では面白いと評してもらったりもしてやや恥ずかしい気分になっている。せっかくなので、このブログポストに関連する話題としてVirtual Lab論文にも触れておきたい。これは2024年11月半ばに発表されたAIによる生命科学(タンパク質工学)研究自動化の試みで、取り組みとしては課題設定も含めそれほど目新しいものはないのだけども、研究チームを率いるAIを設定し仮想のチーム作りからAIにやらせるところと、AIが計算で設計したものを人間が実験で検証するところがやや新しい。12月初旬にNatureのNewsで取り上げられて、12月下旬には日本国内のSNSでも生命科学者の間で(恐怖を伴いながら)話題になった。
すでに書いた通り、GPT-4oなどの商��AIを活用した研究自動化の取り組み自体は新しくないし、生命科学者が自分がAIに代替されるかもしれない未来に思いを馳せながら、あれこれ騒ぐのも理解できる。ただ自分としては、論文のイントロダクションにあった「学際領域の研究は大事だが、そういう研究者は少ないのでAIで代替する」という文言が一番堪えた。実際、この論文ではComputational BiologistとMachine Learning SpecialistがAIチームメンバーとして登場するが、これらはまさに自分たちをリプレースする存在である(つまり、多くの生命科学者と違い、自分は「すでにAIに代替されうる」側に立たされている)。
これがただでさえAlphaFoldで崩壊しつつある自分の分野に何をもたらすのか。元々、この展開は予想していたことではあるし、書けることもたくさんあるのだけれど、一つ言えるのは「人間が学際領域を研究するインセンティブ、そういう人材を教育するインセンティブが極端に減ってしまう」ことだと思う。もともと複数の学問領域にまたがる分野を研究するのは複数の分野の知識が必要な点でやや大変だし、そういうところを目指す学生もそれほどは多くないので大事に教育してきたつもりだけども、最初から無数の分野のそれなりのエキスパートとしてAIが降臨してしまうと、新しく分野に参入する気持ちはくじかれてしまうだろう。企業研究者であれば新卒の代わりにAIを雇用することでとりあえずは解決できるかもしれないが、教育を担う大学教員としてはこれをどのように扱えばいいのか正直まだ答えはない。そして、流入する人間が減ってくると分野は実質的に「蒸発」するだろう。
結局のところ、AIによって分野の問題がすべて解かれるという崩壊と、AIによって研究者が代替されるという蒸発の二方向から、研究分野は消滅に追い込まれていくのかもしれない。
10 notes · View notes
tar0 · 1 year ago
Photo
Tumblr media
(先輩社員 設計(火器) | 豊和工業株式会社 新卒採用情報から)
11 notes · View notes
kennak · 3 days ago
Quote
介護分野の国家資格「介護福祉士」について、国などが指定する養成施設を卒業すれば、国家試験に不合格でも取得できる「特例措置」の適用者が2017年度以降、外国人を中心に8000人を超えた。介護現場の人手不足を背景に、言葉の問題などで試験の合格率が低い外国人が働けるようにするための措置だが、国家資格の価値を損ねるとの声も強く、継続するかどうかで意見が割れている。  介護福祉士は、社会福祉士・介護福祉士法に基づき、16年度までは介護福祉士養成施設を卒業すれば、国家試験を受けずに取得できたが、質の向上のために法改正され、17年度以降は試験の合格が義務づけられた。  その際、経過措置として、養成施設卒業者は不合格でも5年間は介護福祉士として登録でき、介護現場で働き続ければ、期限の定めのない介護福祉士になれる特例が導入された。特例は当初21年度までだったが、2��年度の卒業者までが対象に延長されている。  社会福祉振興・試験センターによると、特例の適用者数は、17年度は年110人だったが、20年度以降は年1000人台で推移し、24年度までで累計8033人に上る。日本介護福祉士養成施設協会の調査では、23年度までの7年間に養成施設を卒業した外国人留学生8346人のうち、卒業時に国家試験に合格したのは3284人。残る5000人超が特例措置の適用を受ける対象だった。  特例の再延長を巡っては、「人材確保に欠かせない」「国家資格の価値を失わせる」などと賛否がある。
介護福祉士の国家資格「不合格でもOK」特例適用8000人超、外国人が中心…継続に賛否 | ヨミドクター(読売新聞)
2 notes · View notes
jun4matsuo · 15 days ago
Text
低気圧にヤラレ #23
 こんばんは  最近低気圧にやられて、やる気���全く出なくてぐだぐだ過ごしてしまっています。  ちなみに今日は3限から学校があったのですが、何とかやる気を出して授業に向かったら休講になっていて気が沈みました。しょんもり。
 グダグダ過ごしていたというのもあって、卒制の方の進捗も大した動きはなく、本を読んだりしつつもあまり身が入ってないような気もします。  本は分厚い奴以外を一通り読んでみました。が、ちょっと数理に関するコンテンツが多くて、読破するにはあと1~2年くらいじっくりかけたいな…となってしまいました。  とは言いつつも、自分に関連するかなあという部分はしっかり読み込んでみたりはしたものの、どちらかというと幾何に関するというよりかはこれまで建築に応用されてきた人体や生物のプロポーションとメカニズムといった内容が非常に多くて、これらを学んだうえでどうやって研究に生かしていくべきなのか、若干のズレを感じている状態です。    何もしないのも問題だと思い、多少頭と手を動かしてみようと、Live2Dの仕様について考えたり、どんな幾何形体にしてみるのかなどふんわり考えたのですが、後者に関してはちょっとあまりにも早計というか、もっといろんなことを調べたりして、少しずつ練っていく方がいい気がしました。
Tumblr media Tumblr media
 ちなみにLive2Dの仕様についてですが、頭部を動かすパラメータ角度Xと角度Yが存在して、それらを組み合わせることで上下左右の動きを表現できます。そこから更に、四隅の自動生成���いう機能を使うことで、上下左右の4方向に加えてその間にあたる斜めの4方向のパラメータが補完されます。ここで重要なのは、斜めのパラメータは右上から時計回りに(X,Y)=(1,1),(1,-1),(-1,-1),(-1,1)となっているところです。しかし、人間が首を回すとき、斜めに当たる部分は例えば右上で言うと、(cosπ/4,sinπ/4)になるのではないかと思うわけです。このとき、Live2D上で数値上限を設ける(どうやって?)のか、(1,1)のパラメータに(cosπ/4,sinπ/4)で想定した表情を入れてみるべきなのかという検討をしている状態です。斜めの時のモデリングの処理もしっかり考えなければなりません。ここは数学の出番かなと考えています。
 それでは手短にはなりますが、今回の更新は以上となります。  明日は面談、多少は用意できたのか?うーんという感じでふんわりしていますが、頑張ろうと思います…。  おやすみなさい。
3 notes · View notes
mikyake · 28 days ago
Text
プレゼンまとめ
本日発表の方お疲れ様でした💫プレゼン聞くの楽しいから終わっちゃうの寂しいし、ここから先がもう己との戦いになっていくと思うと苦しいね……
本日のぶんのまとめ。理解できてない部分も結構ある。自分、普通になんか耳悪いんだよね
💖Sさん
VRによる時間感覚の再構成
時空…時間と空間が合わさった概念
先行事例…時間が遅れて知覚される/空間を誤認するデバイスなど
VR=現実では体験できないことをあたかも体験しているかのように知覚できる
砂時計で操れる世界
浦島太郎VR
タイムトリップマシン…別の展示室に飛べる、卒制期間中のいずれかの時間軸に飛ぶ
アバターの映像が流れる
周りのスクリーンには現在の映像を、VRの映像は1-4日目(5-10分に短縮された四日間の映像)の展示室の空間のもの
現在の映像はVRの映像(時間軸短縮されていたやつを現実世界の時間軸に則って引き延ばしたもの)
V Rのゴーグル?を公の場でかぶるのは抵抗感ある人もいる
ちょっとタイムトリップというよりワープっぽい?時間の振れ幅が欲しい。
過去に戻るよりも未来に行く方が新規性ありそう?
→動きをそのまま未来に転送できるところがウリ
先生から…なんで時間?→VRがさき。体験できないことを体験できるという魅力にひかれ、作品として成立させてみたい気持ちがある。
Kさん①から…時空感覚の再構築なら、タイムトラベルではないのでは?トラベル先でも時間の流れかた・感じ方は同じなのでは?→一応展示期間の映像を通しで見られるようにはしたい?みたいな気持ちはなんとなくある
時間の流れかたというより時間の感じ方に着目するのかも?
Kさん②から…上記の構想は鑑賞者に伝わって欲しいのか?伝えたいなら明確化しないとわかりにくいのでは?
先生から…どこの時間軸にいるのかはわからなくていいのか?時間の感じ方のずれを表現したいということ?→いえす
Yさんから…展示1日目は何を写すのか?展示期間中の様子は撮れないので、、、
展示室は変化がないので時間経過がわかりにくいのでは?
時間とVRのゲームなら時限爆弾(知らぬまに装置が作動するのでこれを阻止する)に関するものなら時間が戻るよさ、面白さもでるのでは?
→先生から…イベント的なものは入れたくないように見受けられる。ただ、映像の中で一番大きな要素が変化するものを作ると鑑賞者を引き込みやすい
Tさんから…映像は日によって異なる?→異なる
ARでもいいのでは?→ARでもいい。現実に即すならAR、日によって映像を育て上げるならVRかなと思っている
先生から…VRが最適な形なのかは再考して欲しい。VRがやってみたいのはわかるので、出力の仕方は上手いことやれると良い。VR以外の時間軸の扱われかたも調べると良い。
💖Yさん
米づくりの工程を視覚的に表現するキャラクターデザイン
スマート農業をテーマに
工程、環境的要素、社会的関わり
スマート農業にふれ、意識が変化
キャラクターデザインを通して米づくりのかっこよさを伝えたい
キャラクター設計で終わっていいのか?
どこから要素を抽出?工程の概念?メカ要素は全面には出さないのか?(従来との差別化をもっと出していいのでは)
→これからメカらしさを足す予定だった
実際のスーツとかを参考にしていた
工程そのものの概念というよりかは工程専門の人間のビジュアルを想定している
ビジュアルや職人気質的なものより便利からくるかっこよさが大きそう、スマート農業に関わりのない鑑賞者にはビジュアル的なかっこよさがメインとして伝わることになるが、関心を持ってもらうことが目的なのかな?
Mさんから…技術の革新に惹かれたっぽい?→自然にも技術にも触れられ、食物を育てるという複合的な要素に惹かれている
米づくりのカードゲームに昇華するのは?農業への理解が深まるのでは?艦これも参考になるかも?
先生から…絵柄のチャレンジがあると良い→絵柄のビビットさに新規性があると思っている
Yさんならではのテーマで良い❣️(これ、共感。自分もこれ思った)
Tさんから…いろんな要素が出てきた時点でバトルものを想起した。ストーリーを作るのもいいかも?イラスト一枚絵でできるアニメーションも一応ある
めなめなぬーんちゃんから…世界観について→米づくりしないと食糧難で滅びるみたいなものは考えていた
機械のデザインは改造するのか?→するつもり
4 notes · View notes
yuki-tamura-studio · 3 months ago
Text
youtube
【LUCHTA TV 03】 藤原禎之さん[東京工芸大学] 建築学を学んだ学生時代の歩みを振り返り、その成長と気づきを綴る「建築学的回顧録」
0 notes
miyusic222 · 2 months ago
Text
Chat GPT
1. 【軸を確かにする】
まず、あなたがやりたいことは次の2点に集約されているように見えます。
(体験) 個人に「自分の人生 × 日本社会 × 音楽」を重ねて思い返させる
(目的) その体験を通して、日本の音楽や社会を愛する感情を育む
これをさらに軸として整理すると、
【軸】 音楽を通じた「社会とのつながり」の再認識と、それによる自己肯定感・社会肯定感の向上
と言えそうです。 ただ「社会とのつながり」をどう感じさせるか、「音楽の力」をどう見せるか、もう少し深めて言語化できると、ブレない土台になります。
2. 【深掘りする】
次��、今のテーマからさらに掘り下げて考えたいことです。 掘りたいポイント具体的な問い音楽が社会を映すとは?ヒット曲はどんな社会背景と結びついていた?社会問題、技術革新、流行、事件など個人の人生と音楽の結びつきとは?人はどんなときに音楽を思い出す? 音楽は感情・記憶とどう結びついている?日本の音楽への愛着とは?「好き」という感情は何によって深まる?知識?体験?物語?メンタルトラベルの誘導法どうすれば鑑賞者が自然に「心の時間旅行」に入れるか?
ここをさらに言葉にできると、卒制がより強くなります。
3. 【必要なリサーチ】
この卒制を進めるにあたり、特にリサーチしておきたいことは次です。
(1) 音楽と社会の関係史リサーチ
各年代(例:1980年代、1990年代、2000年代...)の代表的ヒット曲と、同時期の社会背景
ヒット曲が社会に与えた影響、また社会が音楽に与えた影響
例)バブル期の音楽、震災と音楽、SNSと音楽の変化
(2) 音楽と記憶・感情の関係リサーチ
「音楽想起(Music-evoked autobiographical memories, MEAMs)」という心理学研究分野
なぜ音楽は記憶を呼び起こしやすいのか(脳科学的メカニズム)
(3) メンタルトラベルの心理学的背景リサーチ
メンタルトラベルによる幸福感向上についての実証研究
心的時間旅行を促す演出・体験設計の事例(展示、VR、インスタレーションなど)
(4) 日本の音楽産業・文化のリサーチ
音楽産業の現状、日本独自の音楽文化(J-POP、アイドル文化など)
若年層・中高年層の音楽への意識の違い
まとめ
あなたが今やろうとしている卒制をシンプルに言うなら、
「音楽で社会と自分を思い出し、愛着を取り戻す旅」
そのために、 ①音楽と社会の関係 ②音楽と記憶の関係 ③メンタルトラベルの設計方法 この3本柱をリサーチ・深掘り
2 notes · View notes
stoopid-o · 2 months ago
Text
ベニテスを理解したくて調べた、現代メキシコ編
この投稿は、2025年4月20日にTwitterで話したスペースの原稿です。元のスペースは下記にリンクを貼っておきます。
Tumblr media
このスペースはベニテス���ことを理解してえと思ったオタクが調べたことを発表するだけの場です。私は専門家ではないので、調べが足りていない部分、勘違いや元資料の誤り、情報が古い、などで間違っている部分もおそらくあります。なので、訂正コメントいただけたら助かります。 まず、前提として、今回はメキシコとコンゴについて、一時間ほど話します。性暴力に関する内容が含まれるため、お気をつけください。また、非キリスト教徒で、カトリック知識に詳しくない人間が話しています。人物名は敬称略で呼びます。人物や地名の発音をうまくできないことがあります、ごめんなさい。
さて、まずは前提としてベニテスが何歳で何年生まれなのか。ベニテスを演じたカルロス・ディエスは50代ですが、原作では67歳。自分の中だけの設定として、映画本編を2023年だと仮定し、1960年代前半から半ば生まれの60代前半とします。ご了承お願い致します。 そして、ベニテスが生まれたと仮定する1960年代のメキシコはどんな状況だったのでしょうか。当時のメキシコは制度的革命党の支配体制がしかれていました。こちらの政党の名前が長いPRIと呼ばれ、1927年から2000年まで71年もの間、与党に君臨し、その期間をPRI体制と呼びます。現在もこの政党はメキシコにあります。 当時は各州の知事や政府の人間の多くがPRIの党員で、報道機関も政府の統制下にあり、圧倒的にPRI優位な状況でした。もちろん、国民の間では不満がありました。汚職などが蔓延り、ベニテスが子ども時代を過ごしたであろう1968年は、「1968年騒乱」と呼ばれる年でした。 こう呼ばれる所以は「トラテロルコの虐殺」など様々な事件があったからです。この年にメキシコオリンピックが開催されるのですが、オリンピックへの開催反対運動や反政府デモが各地で発生していました。特に首都メキシコシティでの学生主体のデモが活発でした。学生がキャンパスを占領して抗議活動を行い、政府はそれを軍や警察を動かし厳しく弾圧していました。そんな折、10月の2日、キャンパスを追い出された学生たちがメキシコシティのトラテロルコの三文化広場に集まって抗議活動をしていました。 広場にはおよそ1万人の学生が集まり抗議活動を行っていると、軍が包囲し銃撃を開始します。犠牲者の数は公式発表では30人未満でしたが、実数は推測するしかなく300人から400人とも言われています。この虐殺事件はメキシコオリンピックが開催される10日前の出来事でした。 人々が民主化を求めた激動の時代にベニテスは子ども時代を過ごしていました。 そして10代の後半、1982年にメキシコでは金融危機が起こり、物価の値段が4倍になるなど、苦しい時期でした。公開されている教皇選挙のスクリプトには貧しい両親のもとに生まれと書いてあったので、様々な苦労があったのかもしれません。しかも、1985年にはメキシコ地震が起こります。この地震のマグニチュードは8、死者は約1万人でした。メキシコ沖の震源地からは300km以上離れていましたが、メキシコシティでの被害が大きく、もしベニテスがメキシコシティの出身であれば、家族や住んでいた建物が被害に遭ったかもしれません。 ベニテスが何歳で神学校に入学したのかわかりませんが、おそらく一部は参考にされているフランシスコ教皇が20で神学校に入学したので、私はそれくらいの年齢、1980年半ばまでには入学したと考えています。 この時期のカトリック教会は苦境に��たされていました。 カトリック教会とメキシコについては時代を大航海時代まで遡って説明します。1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到着し、スペインはアメリカ大陸を侵略し始めます。スペイン征服後、先住民へのキリスト教布教のためスペイン国王の命でまずフランシスコ会、ドミニコ会、アグスティン会が1520年代頃から派遣されました。 ここで少し余談ですが、メキシコ先住民のことを何と呼ぶか意見が分かれています。ある研究者は「インディオ」という名称を使っており、インドとアメリカ大陸間違えたゆえの言葉ですが、先住民の権利運動で当事者たちがこの語を使っていたため「インディオ」と記す人もいます。ただ、近年は地元民を意味する「ナティーボ」や「オリヒナリオ」など先住民が自分たちのことを指す言葉が変化してきています。ただ、このスペースでは先住民と称させていただきます。 征服戦争、旧大陸からもたらされた天然痘や麻疹により先住民の人口は激減します。推定であり正確な人口はわかりませんが、征服前にはメソアメリカに600から700万人はいたとされています。それが1550年にはわずか300万人になりました。 このような過酷な状況で先住民に選択肢はなく、キリスト教へ改宗していきます。宣教師たちも、先住民の信仰や文化を許容できる範囲でキリスト教と融合させました。かつて祀っていた神と似たキリスト教の聖人や聖母を祀ったり、多神教になじみのある聖人崇拝を推奨するなど、妥協しつつ布教をしました。こうして現在でもメキシコでは人口の8割から9割がカトリック教徒です。 植民地時代はその土地の住人はすべて王の臣民であり、土地を含めカトリック教会の管理下にありました。教会は宣教活動だけでなく、農業経営や高利貸しも行っており、大きな資金を有していました。 しかし、メキシコが19世紀前半に独立を果たすと、国家はカトリック教会が所有している広大な土地を欲しがります。 1857年の改革憲法で教会特権を廃止し、住民はカトリック教会からメキシコ国家の管理下に置かれていきます。そして1859年には教会財産没収法が��定され、宗教行為に必要な最低限の物以外の教会財産はすべて国家のものになりました。 カトリック教会も黙って受け入れていたわけではなく、ミサなどの宗教行為のストライキを起こしたり、信徒が武装蜂起して「クリステーロの乱」と呼ばれる戦いなどをおこしました。 しかし、この厳しい制限はベニテスが神学校で学んでいたであろう1980年代も続いていました。教会財産の没収以外にも、聖職者への公民権の制限があり、選挙権のはく奪、僧衣をまとったまま外出してはならないなど様々な弾圧がありました。 そういった制限が解消されたのが1992年の憲法改正です。この改正により教会は財産取得と所有が認められました。聖職者の公民権も一部認められ、投票権が回復し僧衣を着たままの外出ができるようになります。ただし、被選挙権は与えられていませんでした。 そして神学校を卒業したベニテスはまずメキシコのベラクルースから活動を始めます。ベラクルース州はメキシコ湾に面した場所にあり、メキシコ征服の拠点となった湾岸都市です。かつては先住民の人口が激減したため、アフリカ大陸などから運んできた奴隷集積所や市場もありました。 ベラクルースで具体的にベニテスがどんな活動をしていたのかわかりませんが、あくまで想像の範囲で推測します。あくまで想像です。メキシコの基本的な町の作りは、広場があり90度の角度で市政庁と教会があります。教会のほとんどはは西向きに正面玄関が設置され、東側に祭壇が置いています。朝日がさし込むと聖像は後光に包まれ、夕日は入り口から聖像を照らします。そうした効果を計算し、カトリック教会は原則として西側に正面玄関を設置しています。 「レジデンシア」と呼ばれる教会には司祭が常駐し、「ビシータス」と呼ばれる村などの教会には司祭が住んでいません。神父は村人たちの要請でこのビシータスへ赴き、ミサや洗礼を行います。なので、ベニテスもベラクルースの村々を巡っていた可能性があります。 とりあえずこれでメキシコの話は終わります。 参考にしたのは明石書店の『メキシコを知るための60章』清水透 著『ラテンアメリカ500年 歴史のトルソー』国本伊代 著『メキシコの歴史』などです。
3 notes · View notes
picnicism · 9 months ago
Quote
ネオジム磁石は例えば、みなさんが肌身離さず持っておられる携帯電話に使われています。中に入っている超小型振動モーターには、100%ネオジム磁石が使われております。ネオジム磁石は現在最強の磁石です。計算では1グラムのネオジム磁石で1キログラムほどの鉄を持ち上げることが出来ます。そのような磁石をどのようにして見つけたのか、これからお話しします。 1. 新しい磁石を見つけるには  まず原理的なことから。これは元素の周期表です。私たちの体を含めたあらゆる物は、この周期表に書かれている100余りの元素から出来ています。磁石の基になっているのは、元素番号26の鉄(Fe)、27番のコバルト(Co)、28番のニッケル(Ni)で、これらは「鉄属元素」(あるいは遷移元素:transitional metal)と呼ばれています。もう1つ、磁石の基になっているグループが「レア・アース」(Rare earth)と呼ばれる16種類の元素です。この���ち磁石に関係の深い元素が60番目のネオジム(Nd)、62番目のサマリウム(Sm)、66番目のディスプロシウム(Dy)です。磁石を補佐する大事な役割をするのが5番目のボロン(B)。6番目のカーボン(C)も今日のお話ではよく出てきます。  では、磁石をミクロで見ると、どんな物質なのか。磁石の元はすべて電子です。例えば、鉄族元素の周囲にネオジム磁石などの永久磁石を近づけながらグルリと回すと、いつでも鉄族元素の電子はすべて同じ磁界の方向に向いているという性質があります。強い磁石となるためには、すべての電子がつねに一定の向き(N極、S極)で、変化しないということ。つまり磁石には磁気方向の頑固さ(磁気異方性)が必要で、レアアースがその役割を果たすのです。  分かりやすく言えば、みんなが同じ方向を向く「仲良し電子ちゃん」の中で、一定の間隔で「頑固電子ちゃん」が配置されている構造となっていることが必要です。1970年代の最強の磁石は「サマリウム・コバルト(SmCo)磁石」でした。これは鉄属元素であるコバルトの元素の間に、サマリウムが規則的な間隔で並んでいるような化合物(Sm2Co17)です。「仲良し電子ちゃん」の集団の間に、サマリウムの「頑固電子ちゃん」が並んでいる構造ですね。これに磁界をかけると、一方にN極、もう片方がS極となって方向がつねに変わらない、永久磁石となったのです。  ところが人間の作るものには必ず欠陥があります。本来あるべき所の「頑固電子ちゃん」がなくて、空いてしまった部分が出来ます。こうした欠陥部分が出来ると、永久磁石はその部分から磁性の変化が起きて、周囲に段々と広がり、ついにはその磁石全体が磁性体ではなくなってしまいます。純粋、無垢(むく)な化合物というものはなかなか作れませんから、どうしてもこうしたことが起きてきます。この問題を解決したのが、磁石の中を「セル状構造」にすることでした。これは元の化合物に別の元素などを加えて「合金化」し、製法などの条件を工夫することでセル状構造を作ります。セル状構造というのは、小さなセル(細胞)に区分けしてやることです。セルとセルの間は別の層、非磁性体の元素による「磁気の壁」を作ってやるのです。そうすることで、例え1つのセルに欠陥があっても、隣のセルには影響しない。1個のセルはかなり小さいので、全体としては磁石の性質を維持したままとなります。こうした方法で人類は磁石を作ってきたのです。  そのため、新しい磁石を見るけるためには、まず磁石に適したR-T(レアアース・鉄属元素)の新化合物を見つけること。そしてそれを元に、セル状構造を作るための合金組成や製法を見つけることです。こうした流れに沿って、私が新磁石を見つけ、1982年に誕生させたのがネオジム磁石です。 2.どうやってネオジム磁石を見つけたか  私は神戸大学工学部の電気工学科を卒業後、大学院に進むときには材料科学者を志しました。今でも私は材料科学者だと思っているのですが、神戸大学大学院博士課程(1966-68年)と東北大学大学院博士課程(68-72年)では材料科学の研究室に所属し、勉強��ました。研究テーマはどちらの大学院でも似たようなもので、「固体表面の性質、構造、結晶成長の電子顕微鏡による研究」でした。しかし、よい研究成果が出ず、よくできる研究者にはなれなかったのです。でも自分の所属する研究室以外の、特に基礎的な研究分野の研究室に積極的に出向いて、他の分野の勉強をして、材料科学者としての実力と感覚を身に付けたと思っています。  博士課程を終えた後は大学に残りたかったのですが、その願いかなわず、富士通研究所の材料研究部(72-82年)に入りました。そこで会社から与えられた研究テーマが「リレーやスイッチに使う磁性材料の開発」というものでした。大学院時代にいろいろな他の分野の研究室に出入りしたと言っても、基礎的な研究であって材料など具体的な開発の研究をしている所ではありませんし、私も磁性材料の勉強をしたことはなかったのです。  「自信がないなぁ、困ったなぁ」と思いつつも、会社から言われたのだから、やることにしました。そして入社して5年目に、私単独に与えられた研究テーマが「フライングスイッチ用サマリウム・コバルト(SmCo)磁石を開発せよ」というものでした。「フライングスイッチ」というのは、直径が1-1.5ミリメートルの極めて細いガラス管の中に小さな円柱形のSmCo磁石を入れ、外から中の鉄ニッケル合金の針金で作ったコイルに電流を流して、磁石が動くことによって電流を断続させる高性能のスイッチのことです。しかし使う回数が増えてくると磁石も壊れてくる。そこで私への研究テーマとなったのが、「何回使っても壊れないSmCo磁石を開発せよ」というものでした。  勉強したことがないし、私1人へのテーマなので、リーダーもいないし困ったなぁと思ったのですが、やり出したらこれが面白い。自分に合っていたのだと思うのですが、それからは磁石の勉強、さらに勉強・・・と、朝から晩まで、家に帰ってからも勉強しました。全部独学です。磁石の製造の装置も、会社の遊休設備を集めてきて自分で作りました。こうしたことに、大学院時代の実力養成が生きたのです。基礎的な勉強をしていたし、いろいろな実験装置を作ることもやっていたのです。とにかく楽しくて、どんどん研究にのめり込んで行きました。  当時の磁石研究の主流はSmCo磁石でしたし、さらに勉強し、機械的な強度を改善するためのアイディアもいくつか考えました。サンプルも作って強度や特性を測ったりしながら開発は順調に進んで行ったのです。そうした中で考えていたのは、「なぜR-Fe(レアメタル・鉄)磁石はできないのか?」ということでした。鉄の資源はコバルトよりも無尽蔵にあります。鉄はコバルトよりも電子の密度が濃く、「電子ちゃん」をたくさん持っている。いわゆる、大きな“磁石の素”を持っていたのです。ですから鉄で作ればより強力な磁石ができるはずですが、だれもやろうとしない。「コバルトでなければ磁石はできない」と、だれもが思い込んでいたのです。私は初心者ですから、いろいろなことには囚われていなかったのです。  さらに勉強する中でヒントになったのが、1978年1月に日本金属学会が主催して東京都内で開かれた���ンポジウム「希土類磁石の基礎から応用まで」でした。その時に出席された浜野正昭先生の講演は、ほとんどがR-Co系化合物の性質や状態などの金属学的な基礎的な説明をされたのですが、ほんの数分だけ、R-Fe化合物が磁石にならない理由を説明されました。つまり、「鉄と鉄の原子間距離が近すぎるので、強磁性が不安定になる」ということでした。  それを聞いて私は、「それなら炭素(C)やボロン(B)を合金化すれば、原子間距離を広げてくれるのではないか」というアイディアを持ったのです。当時の私には、すぐに実験するという習性がありましたので、帰ってすぐにアーク溶解炉で合金を作り、磁力を計測したり、X線回析で結晶構造を解明したりしました。すると短期間で「これは何かあるぞ」と思いました。  新磁石を見つけるには、磁石に適したR-T新化合物を見つけること、それを基にセル状構造を作るということです。これについては早く発見していました。私がヒントを得た1978年には、ネオジム(Nd)-鉄(Fe)-ボロン(B)の組み合わせが磁石として有望であることを見つけていたのです。ところがそれを他の人に説明しても、合金の粒を見せても、だれも関心を持ってくれない。それは、磁石としての構造をもっていないため、つまり磁石になっていないからでした。  その一方で、壊れないSmCo磁石の研究についてはどんどん進み、1979年には開発目標を達成して、国際会議などで発表しました。ところが発表したら、「磁石の研究は終わりだ」と富士通研究所のトップから言われたのです。私は「新しい磁石(Nd-Fe-B磁石)の開発の糸口をつかんでいるので、何とか研究を続けたい」と言ったのですが、「ダメです。もっと富士通らしい研究をしなさい」と言われてしまいました。それは会社とすればもっともなことで、磁石ではなくてコンピューターを作る会社ですからね。結局、私も従わざるを得なかったわけです。  こうして私の、Nd-Fe-B化合物を基にセル状構造を作り、新しいNd-Fe-B磁石を作る研究は、公式テーマとして取り上げられることなく、1980年までに修了してしまいましたが、決してあきらめていた訳ではありません。頭の中で研究を進め、時には余ったサンプルで溶かしてみたりしていました。そうしているうちに、上司との決定的な事件が起きてしまいました。ふだんからよく怒る上司で、その人にものすごい大声で怒鳴られたことを契機に私は辞表を出して、富士通研究所を退職しました。そして住友特殊金属に入社し、それからすぐの1982年5月に、住友特殊金属の実験室で、世界最強の磁気特性をもつ「ネオジム磁石(Nd-Fe-B磁石)」ができたのです。  よく「発明は1人でできる。製品化には10人かかる。量産化には100人かかる」とも言われますが、実際に、私はネオジム磁石を1人で発明しました。製品化、量産化については住友特殊金属の仲間たちと一緒に、短期間のうちに成功させました。82年に発明し、83年から生産が始まったのですから、非常に早いです。そしてネオジム磁石は、ハードディスクのVCM(ボイスコイルモーター)の部品などの電子機器を主な用途として大歓迎を受け、生産量も年々倍増して、2000年には���界で1万トンを超えました。 3.さらなる発展を支える  ネオジム磁石の今の、あるいはこれからの重要な用途はハイブリッド自動車や電気自動車、エアコンなどの比較的大きな発電機やモーターなどです。ハイブリッド自動車1台には1キログラムのネオジム磁石が使われますので、さらにハイブリッド自動車が作られていけば、使われるネオジム磁石も増えていきます。エネルギー消費の大きいエアコンでも、ネオジム磁石を使えばコンプレッサー部分のエネルギー効率が上がって、消費をかなり抑える効果があります。風力発電では、ネオジム磁石を発電機に使うと高効率になり、音も静かになるなど高性能になります。特にこれからのエネルギー問題では、洋上風力発電が日本の主力電力源になると考え、運動していきたいと思っています。それとエレベーターでは、モーターにネオジム磁石を使うと、あるメーカーのものでは、かなりのスペースの節約になり、電力消費も半減する効果があります。  これらの用途が広がり、ネオジム磁石の需要が伸びていけば、生産量も2015年には1年間に10万トンに達すると予想されています。ところがこうした需要に応えるためには、レア・アースなどの資源問題を解決しておかないと実現できません。  ネオジム磁石の「磁気特性マップ」に対応する応用について、縦軸に磁気の強さを表す「最大磁気エネルギー積」、横軸に「保磁力」に対応する耐熱温度を取り、考えてみましょう。  MRI(磁気共鳴画像装置)やハードディスクではあまり耐熱性は必要ないので(100℃程度)、最大磁気エネルギー積が大きい、つまり磁気の強い磁石を使います。ところが、ハイブリッドカーのモーターでは、200℃に耐える磁石が必要となります。  これに対応するネオジム(Nd-Fe-B)磁石の合金組成をみると、100℃の耐熱温度を得るには「Nd-Fe-B」の各質量%が「31-68-1」の割合でよいのですが、より高い耐熱性を得るためにディスプロシウム(Dy)を加えることが必要となり、200℃の耐熱温度を得るための組成「Nd- Dy -Fe-B」は「21-10-68-1」となります。つまり必要となるディスプロシウムの量は全体の10%、ネオジム(Nd)の半分の量です。ところが自然界では、ディスプロシウムはネオジムの10の1の量しかありません。しかも中国南部の一地域にしかない。ですからこのディスプロシウムを使わないようにしないと、ハイブリッドカーを安定して生産することはできません。ディスプロシウムを使わずに耐熱性が得られる磁石を作ることが大事な課題であり、できたらネオジムだけでこれだけの耐熱性のある磁石を作りたい、というのが目標です。  この「低ディスプロシウム・高耐熱ネオジム磁石」の開発に、当社「インターメタリックス(株)」が2004年から取り組み、さらに京都大学の「桂ベンチャープラザ」というインキュベーション施設に入居して進めてまいりました。そこではベンチャー・キャピタルや銀行などの投資家による投資のほか、三菱商事や大同特殊鋼といった大企業からの投資もありました。それから経産省やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の国家プロジェクト(2007-2012年)として大きな予算も頂き、この研究がある程度成功しました。つまりセル構造の微細化によって、低ディスプロシウムで高耐熱化する組成や、そうした新材料を作る方法を見つけたのです。この新材料は「Intermetallics Japan(IMJ)」という会社が2013年初からの量産開始の予定で現在工場を建設中です。 4.研究者になってよかった!  何が私を研究に駆り立てたか?——私は子どもの頃、湯川秀樹先生に憧れていました。その憧れの気持ちが、いつも私を前向きにしてくれました。研究者として駆け出しの頃、学会や研究会の会場などで私はいつも先輩研究者から軽視され、挨拶も返してくれませんでした。「今に社会のためになる研究をして、人から認められるようになるぞ!」。この強い自己顕示欲、目立ちたいという気持ちが、私を研究に駆り立てたのです。  研究者の仕事は素晴らしい!——人の最大の喜びは社会のためになることです。研究者は頭脳活動によって研究し、研究が成功すれば社会に貢献できます。研究者は地球温暖化問題など、様々な社会的難問を研究によって解決していけます。研究者、あるいは科学者ほど素晴らしい職業はないと思っています。  最後になりますが、大学院時代には涙を流していた私が、日本国際賞という大きな賞を頂き、ここに立っているのは不思議なことです。何が違ったのでしょう。大学院時代は基礎研究をしていました。基礎研究というのは何を明らかにしたら、どんな成果につながるのか、分からない。ところが企業の研究では、「これこれを開発しなさい」というようにターゲットがはっきりしています。これが私には合っていたのです。ターゲットがはっきりすると、解決のためにいろいろなアイディアが出てくる。それが今ある理由だと思っています。
世界最強「ネオジム磁石はこうして見つけた」(佐川眞人 氏 / インターメタリックス株式会社 代表取締役社長) | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
4 notes · View notes
ari0921 · 3 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)4月12日(土曜日)弐
      通巻第8736号 
『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感は消えた
トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある
*************************
トランプ政権が発動した高関税措置は経済取引というより政治取引への武器化だ。
ところが、日本の議論をみていると、やれ株が暴落した、サプライチェーンが分断される、国債が上がった、さがった、金利がどうした、企業利益が脅かされたという経済のレベルである。率直に言って、エコノミックアニマル世界の議論だ。
重ねて力説しておきたいのだが、トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある。
中国がアメリカを超えるか、あるいは並ぶかの壮大なパワーにはさせないのだという基本戦略を了解しておかないと、この無謀ともとれる高関税政策は理解できないのである。
パンダ・ハガーだったマイケル・ピルズベリーが「我々は半世紀に亘って中国に欺されていた」と深く自省を吐露した『チャイナ 2049』の刊行は十年前の「事件」だった。
 嘗てピルズベリーは「中国と軍事協力すべきだ」と主張していたのだから尚更の驚きだった。かれは『中国がいずれアメリカの同盟国になる』としたのは幻想だった。「韜光養晦」の中国を見誤ったとした。トランプ大統領は第一次政権で、このピルズベリーを評価した。そして中国政策を助言する「国防政策委員長」抜擢した。
 バイデン政権の四年間は中国にかたちだけ強硬をみせながら通商、技術、金融面では大
甘、議会を手なづけるためにいくつかの中国制裁やブラックリストを作成したが、いずれもザル法だった。なぜなら最先端のハイテク技術がほとんど中国に漏れていたからだ。その典型的な例証はSMIC(中芯国際)が7ナノ半導体を自製したこと、エヌビディアの特性半導体を輸入したディープ・シークの唐突なる登場だった。特殊半導体はシンガポールのダミー会社から迂回輸出され、中国の手に渡っていた。
つまりアメリカの技術優位性の足下が崩れ始めていたのだ。
アリカの中国に対する評価は、ニクソン時代からオバマまでの半世紀が中国成長を助ける政策、即ち『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感であり、1989年6月4日にそうした展望は見事に
崩れ去ったのに、制裁を解除するや、ブレジンスキーなどは「G2」とかの寝言を並べていた。
オバマ政権末期から薄ぼんやりと中国の不気味な脅威を認識し始め、トランプ第一次政権以後は中国封じ込めへの転換である。右から左へ、つまり中国を甘やかす方向から、敵対し封じ込める逆方向へと転換した。
いまやアメリカの合い言葉は『中国人とみたらスパイを思え』だ。
アメリカ国民は自国の経済成長、国際貿易の優位性を過信してきた
2008年のリーマンショック以後の金融危機、19年からのコロナウイルス感染症のパンデミック、これらが中国をして決定的に劣勢に陥ったと誤認した。
ところが数年を経ずして中国は「ゼロコロナ」政策を放棄し、瞬く間に経済成長を回復させた。
一方で中国は先進国同様の若者の減少と高齢化という深厚な人口動態をかかえ、大學の新卒に職がないという失業率の高さと、爆発する債務、不動産暴落が経済活動を停滞させた。
中国は鉄鋼、太陽光パネル、EV、風力発電、ドローンなどを過剰に生産し、ダンピング輸出、ともかく死にものぐるいでドルを稼いでいた。
イェーレン前財務長官が警告したように、中国の過剰生産はとまらない。これは世界経済の攪乱要因である。
 ▼米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。 
中国が米国を追い抜くことはありえない、という楽観論がしばしアメリカ政治を支配した。いま、アメリカに溢れだすのは中国脅威論、それも軍事脅威論から技術脅威論を含む総合的な脅威論に軸足が移っている。
中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、わずか20年間で、世界の製造業に占める中国の割合は5倍の30%に増加した。対称的に米国のシェアは15%となりました。
米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。重要な指標で、中国はすでに米国を上回っている。製造能力は米国の3倍。EVは寡占状態、特許と引用頻度の高い科学論文数も米国よりも多い。
セメントの生産量は米国の20倍、鉄鋼13倍、自動車3倍、電力2倍である。
軍事的にはいつのまにか世界最大の海軍力を保有し、米国の200倍の造船能力を誇り、夥しいICBMを保有し、極超音速能力を示した。ペンタゴンはこれを「スプートニク・ショック」に喩えた。
「中国製造2025」の目標を達成したと中国は胸をはり、世界の化学製品のほぼ半分、世界船舶の半分、電気自動車の3分の2以上、電気バッテリーの4分の3、民生用ドローンは80%、太陽電池パネルとレアアースの90%を生産している。産業用ロボットの設置数でも地球の半分を占め(米国の7倍)、第4世代原子力技術の商業化では、他国より10年先行している。くわえて次の20年で100基以上の原子炉を建設する計画である。
 しかも中国は、その優位性を継続拡大するために多角的な政策を実施している。
 かような認識に立つなら、トランプが中国に145%の関税をかける荒技をなぜ講じるのか、中国経済の発展が中国御軍事力を高める近未来は『アメリカファースト』、世界一の軍事大国を目ざすアメリカにとっては、たたきつぶしておかなければならないほどの脅威になったからだ。
スパルタはアテネの台頭を許せず、戦争を仕掛けた。まさに「ツキディデスの罠」が、これから再現される。
7 notes · View notes