#k型試験
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#継父#RGV250γsp#無事故・無違反#斉藤友宏#菰田洋平#吉田努#山下未���#大場麻未#無断またぎ#無断いじくり#一斉体罰#ミジメ#甘ったれてゃ居られない#k型試験#学科試験#技能試験#生嶋宏#生嶋竜一#全面的に甘い#四肢切断#期待外れ#休学歴有り#過年度生歴有り#原級留置歴有り#斉藤雄二#斉藤昌俊#ニート#東京都東村山市出身#中島里恵#野笹無免許運転
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寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュ��スを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と顔を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口調をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエ��トパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエットパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…雅之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪��弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を��れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し殺しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから知ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に寝てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入��うとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせていく。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだよ」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」が遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
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灰と良い絵
金土日と、色んな友達と会って遊んだ。ずっと酔っ払っていた。油に塗れた蛍光灯に茶色い埃がこびりついていた。お月さんが一服ふかしたような雲がたなびいてすぐ消えた。金曜は退勤後にKと落ち合って新宿で痛飲、8月に生まれた子どもの愛くるしさ、子育ての苦労と命の尊さ、妻と義実家両親の微妙な関係性などをきいてやった。土曜は愛妻から「私服がダサい」と詰られて一念発起したAとAが「瀟酒」と認める三君(俺を含む)、シネフィルA氏と南野拓実似の男前Mさんと、新宿を逍遥してAの洋服を見繕ってやった。ピカデリーの並びにある、一階にゲーセンが入っているあのビルディングは三平ビルといって、上層の飲食店を全てその三平関係が占めており、歌舞伎町を見下ろしながら終日ハッピーアワーみたいなイカれた良心価格を楽しむことができる、ということをA氏が教えてくれた。客層はうらぶれたじじいどもや中高年の同窓会や何か冠婚葬祭の二次会的な寄り合いが大半だった。良い場所を教えてもらった。夜には中野に移動してAの妻Yさんも合流し、この日の戦果を報告しながらガストで痛飲、仕上げに入ったカラオケでエレキギターを貸し出していたので嬉々としてかき鳴らしていたら指を少し切った。日曜は昨日会ったばかりのAを含む大学の友達4人と昼から池袋で会って痛飲、お互いの近況を報告し合ったり、憂世を儚むなどした。Sは典型的な嫁姑問題に悩んでおり、Kちゃんは某試験にとうとう合格してキャリアアップし、年度内には彼氏と同棲を開始するらしい。夜には一昨日会ったばかりのKと再び落ち合って、かるまるにしけ込んで一汗かき、せっかくさっぱりしたところへ楽太郎でジンギスカンを食べて臭い煙を浴びた。めいめい社会生活上の懊悩や、職責にまつわる苦労、人生の現状と展望とを、いちいちつまびらかに説明しなくてはならないのが俺はなんだか大変にわずらわしく、使い古された笑顔ぶ��さげて、俺たちの目の前を何かが横切っていくように、冷えたもつ焼きの上、一瞬間の沈黙に支配される瞬間があった、何度かあった、その度に俺たち、三十路もそこそこに差し掛かった俺たちは、型落ちの表情を張り付けて、次のことばを探す、次のことばを探す、どれも廃盤になったことば、どれも廃版になったことば、どれも廃番になったことば、ようやく探し当てた型落ちの懐かしい話題を、勿体ぶるように、出し惜しみするように、恐る恐る差し出しあって、馴染みのくたびれた予定調和に、針飛びしたレコードみたいな声をあげて笑うのだった。
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続出していた基本的な問題ドイツの『ハンデルスブラット』にリークされた内部報告書はクルマの力学と騒音・振動・ハーシュネス(NVH)に関するもので、あるテスト結果が含まれている。サイバートラックのα版の性能を、CAD(コンピューター支援設計)のシミュレーションに基づいた予測や社内の基準と比較したものだ。それらを総合すると、音漏れや騒音があり、ハンドルやブレーキの性能も低いという試作車の状態が見えてくる。「まだα版の車両ですから、目標から遠く離れていても驚きはありません」。自動車業界で40年以上を過ごし、日産自動車の最高執行責任者(COO)やアストンマーティン・ラゴンダのCEOでもあったアンディ・パーマーはそう語るが、報告書の卒直な内容に驚いたという。「これを書いた技術者は厳しい叱責を受けるべきでしょう。普通、こうした報告書は書きませんから」報告書によると、サイバートラックのα版は手作業でシーリングしなければならなかったが、実際の生産モデルでは「シーリングの明確な手順がない部分が複数あった」という。これは雨風を避けるためだけでなく、車内の騒音を抑える意味でも問題となる。報告書のデータは、設計に基づく技術者たちの想定よりもα版の騒音が大幅に大きかったことを示している。テストの結果、車体の21カ所から騒音が漏れている可能性が指摘されたという。テスラ車は過去にも音漏れの問題があった。報告書からは、サイバートラックの奇抜なデザインのせいで、技術者による適切なシーリング作業の試みが複雑化していることがうかがえる。そこには「車体製造や塗装の行程において、これまでもNVH性能を最適化するためのシーリングに苦労してきた。サイバートラックのデザインは新たな課題を突きつけている」と記されている。ハンドルもα版の懸念点のひとつだった。報告書では「中速域での過度な加速や急な動き」「急加速」「構造的な振動」など、複数の問題が指摘されている。トラックには「低速域での操作において横方向の急な動き」が見られ、ステアリングの微調整や車体の横揺れ(ロール)の問題に対処しなくてはならなかった。また、サイバートラックの「ストレイフ」モード(タイヤの角度を変えて横方向に「カニ歩き」できる機能)は「基本的な機能にとどまっていた」という。ブレーキやボディ構造にも「深刻な課題」報告書において最も深刻な問題のひとつとされたものが、ブレーキ性能だった。テスラの技術者は、自動車技術���連の規格を定める国際団体「自動車技術者協会(SAE)インターナショナル」の評価スケールで7点(有望)を目指していたが、α版は4点(不出来)しかとれなかったのである。報告書によると、22年1月時点でサイバートラックのブレーキペダルの圧力パッドは、まだ設計段階にあった。このため、α版には「過度なペダルストロークや不安定な制動」や「摩擦ブレーキ時の過度な縦揺れ」のほか、ステアリング時のブレーキの問題や不安定なパワーブレーキングがあったという。Most Popular地球に寄り添う準衛星「カモオアレワ」が、月の破片だった可能性。その起源がシミュレーションでも見えてきたBy Ramin Skibba今年の「Amazonブラックフライデー」で買うべき商品は? セール攻略の8つの方法と、狙い目の商品62選By Takuya KikuchiUltrahumanのスマートリング「Ring AIR」は“終身サブスクリプション”込みで着け心地がいい:製品レビューBy Simon Hill「ブレーキの性能は深刻に思えます。テスラがそれ以上に踏み込んでいないのは驚きです」と、報告書の内容を精査したパーマーは語っている。ブレーキシステムを含むシャシーは、普通はボディやほかのシステムに先駆けて最初に取り組む部分だ。「すなわち、この段階で試作パーツしかないのは大幅な遅れと言えます」報告書では、自動車の乗り心地やハンドリング性能を評価する車両基礎特性測定試験(K&C試験)の結果についても詳しく説明されている。一般的なK&C試験では車体を固定し、制御された力や変位が車輪に加えられる。こうした試験の結果、「キャンバー」や「トー」などのサスペンションのパラメーター(車輪がまっすぐの状態から内側か外側に曲がる角度を決める値)を得られる。報告書はα版の性能について、「目標値と大きな差異がある」ことを示している。報告書には、解決策の候補と問題点が対比して列挙されているが、なかには示唆に富むものもある。車体前部には「サスペンションの設計を変更しなければ解決できない」問題があったというのだ。また「キャンバーゲインが高する」ことで、タイヤの摩耗や車高によるアライメントの変化などが生じるという問題に対しては、解決策の欄に「恐らくなし」と書かれている。このように、テスラが同カテゴリーのほかのEVに対抗できるトラックを開発するうえで抱えていた問題が、報告書では示されているのだ。自動車のボディがねじれに耐えられる能力を意味する「ねじり剛性」の問題もそうだ。ねじり剛性が小さすぎると、クルマを方向転換させる際にボディが壊れてしまう。大きすぎると曲がりづらくなり、アンダーステアになりやすい。パーマー��よると、α版の(ねじり剛性の)性能は目標を大きく外れており、テスラが懸念を抱く可能性がある。「驚くべきなのは、修正がとても困難だということです。これは根本的な問題ででしょう。開発においては、かなり正確にシミュレートすることができます。ですから、目標から大幅にずれていることに驚きました」と、パーマーは言う。「これは重大な問題でもあります。この問題を解決すると車体の重量が増し、クルマのデザインが損なわれてしまうからです」外骨格構造ゆえの難しさテスラは08年からEVをつくっている。しかし、トラックの開発においては技術面でまったく別の課題が突きつけられると、専門家は指摘している。フォード(同社の電動ピックアップトラック「F-150 Lightning」は22年4月に生産を開始した)など、ほかのメーカーには数十年の蓄積がある。ゼネラルモーターズ(GM)のブランドであるシボレーやGMC、そして新興EVメーカーでピックアップトラックを手がけるリヴィアンなどのEVトラックメーカーは、すでに市場でサイバートラックを上回っているか、今後は凌駕する可能性が高い。
テスラの「Cybertruck」に設計上の“問題”が続出? 内部資料から見えた新型EVの行く末 | WIRED.jp
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水色のランドセルでヒョードルの夢を見る
言ってみろ、お前のお空は何色だ!
通っていた保育園の卒園アルバムの表紙には、園児がそれぞれ自分で描いたイラストが使われた。一人一冊、オリジナルのアルバム、なかなかオサレである。
1990年代当時、跳躍力といえばシカゴ・ブルズのデニス・ロッドマンか私か、という時代であった。私は自分が跳び箱を勢いよく飛び越える絵を描き、空を黄緑に、雲を水色に塗っていた。
すると先生が来て「ねえ、青空っていうくらいだから、お空は黄緑じゃなくて青じゃない?」と言った。
その頃、画家である父親が開いていたお絵かき教室に通っていた私は、その言葉に眉をひそめた。父はいつも「手を抜くな、てきとうに描くな、丁寧に描け」と口を酸っぱくして言っていたが、「○○は××色で塗れ」などと言ったことはなかった。だいたい、どうして先生に見えている空の色が、私にも同じように見えていると思っているんだ。空はいつでも青いわけではない。私は黄緑の空を見た。確かに見た。見たんだもん。トトロいたもん。先生がそういう空を見たことがないだけだろ。
当時”悪童”といえば、ロッドマンか私かという時代であった。ロッドマンは「さすがにレインボーの髪はおかしいんじゃない?」と誰かに言われてもそのクレイジーなスタイルを決して崩さなかっただろう。私も己の信念に従い、空を黄緑色に塗った。6歳の私、グッジョブである。自分で自分の色を選ぶということは、小さな人(子ども)にもできる、数少ない自己表現だ。幸い、家の中では、父も母も、青や水色のような「男の子の色」が大好きだった私に「女の子の色」を押し付けてくることはなかった。
だからこそ、家の外へ一歩出た時、周りの人間が私の選ぶ色について「女のくせに」と言ってくることは、耐え難い屈辱だった。
まともな奴ほどFEEL SO BAD!
卒園後、私は自ら選んだ水色のランドセルで小学校へ通った。
今でこそランドセルのカラーバリエーションは豊富だが、私が小学生の時は、男児は黒か紺、女児は赤かピンクで、それ以外の色はほとんど見なかった。当然、水色のランドセルは目立った。
「お前、女のくせになんで水色のランドセルなんだ」
同じ登校班の子供たちや、同級生、知らない上級生にまで色々言われてからかわれた。
言われたらとりあえず暴力で応えた。殴る蹴る首を絞める。「力こそが正義!私はこの水色ランドセルに全てを懸ける運命の『殉星(※1)』!」とまではいかなかったが、とにかく、私はまことに暴力的な女児だった。
この腐敗と自由と暴力の真っただ中の小学生時代、自分の好きな色を選ぶ権利を認めさせるために私は”たっぽい”になる必要があった。
”たっぽい”とは、TOM★CATが歌うアニメ『北斗の拳2』の主題歌『TOUGH BOY』に由来する言葉で、「たふぼーい」の「ふ」と「ぼ」が重なって「たっぽい」と空耳することから、この楽曲自体をそう呼ぶ。
つま��、小学生の私は誇り高き水色のランドセルの持ち主として、北斗の拳の世紀末の世界のような小学校時代を生き抜くべく、たっぽい(=タフなボーイ)となることを選んだ。私は誰かにからかわれて泣くような軟弱な人間じゃない、その辺の女子と違って水色のランドセルを選ぶ、たっぽいなのだ、と。もちろん、小学生当時の私は「たっぽい」という言葉は知らなかったが。
思い返せば、この経験が私の「女」としての自意識を歪ませ、「女」として扱われることに対する嫌悪感を抱かせるきっかけとなったのかもしれない。
60億分の1の男ッッ!!
思春期ど真ん中、中学生の私は父の影響で格闘技を見るようになった。 当時はPRIDEやK-1が大人気で、強い選手がばんばん日本に来て試合をしていた。ゴールデンタイムにもしょっちゅう試合があって、なぜ人が殴り合って血を流しているところを見ながら食事をするんだと、母にはけっこう嫌がられていた。
学校で仲のいい女友達にPRIDEやK-1を見ている子はいなかった。代わりに、別に友達でもない隣の席の男の子と時折、格闘技の話をしていた。
中でも私が夢中になったのが、ロシアの格闘家、エメリヤーヤンコ・ヒョードルである。格闘家には二つ名というかキャッチコピーみたいなものがついている。たいてい、出身地や生い立ち、外見、ファイトスタイルから名付けられ、ヒョードルもその氷のように冷たい瞳や、表情一つ変えぬクールなファイトスタイルと圧倒的な強さから「氷の皇帝」とか「ロシアン・ラストエンペラー」などと呼ばれていた。
しかし、彼の最も象徴的な呼び名といえば間違いなく「60億分の1の男」だろう。当時の世界人口およそ60億、その全員が武器を持たずステゴロでやり合った時、誰が一番強いか、その答えがこの男だッ!というニックネームである。
めちゃくちゃかっこよくない?
格闘家は試合前に睨み合ったり、言葉や態度で相手を罵ったりする、リング外でのパフォーマンスを見せることもあるが、ヒョードルはそういう”味付け”なしで、ただリング上での強さのみで観客を虜にする。シンプルな黒のパンツ、うすく脂肪の乗った理想的な体型、無表情な顔に冷たく光る氷の瞳。いざ試合が始まれば、そのクールな表情はそのままに、圧倒的な強さを見せつける。ヒョードルこそ、私のなりたい”たっぽい”の究極形。地球上で最もタフで強い人間。それが、60億分の1の男。
ある時、こんな調子で私がヒョードルについて熱く語っていると、いつも話し相手になっていた隣の席の男の子に「なんで女のくせにそこまでして男みたいになりたいん?」と言われた。
最初は意味が理解できなかった。しかし、どうやら彼の目には私が「必死に男についていきたくて、格闘技の話をしている女」と映っていたらしい。なんてこったい。恥ずかしい、悲しい、悔しい、むかつく……負の感情の詰め合わせが出来上がった。「お心遣いありがとよ。これは私からのほんのお返しだッ!!!」と重い一発を熨斗つけて食らわせてやれればよかったのだが、中坊の私は深く傷つき、そのまま黙り込んでしまった。
心の中では「ほらね、女のせいで、また私が馬鹿にされた」という声が響いた。そうか、「男の趣味」に興味を示すと、こんな風に扱われるのだな。私はまた一つ女が嫌いになった。
女には「本物」がわからない?
隣の席の彼は、まるで格闘技を好きでいることは男の特権のように言う。これは、格闘技だけの話ではない。スポーツ、車、プラモデル、歴史、こういうものは「男の趣味」と見なされて、つい女ごときが興味を持とうものならめちゃくちゃにマウンティングをかまされる。頼んでもないのにレクチャーをされる。挙句、「彼氏の影響?」などという屈辱的な言葉を浴びせられる。
何より、コンテンツを作る側も一緒になって、女はファンとしては二流だというメッセージを発信してくる。
『PSYCHO-PASS』というアニメ作品が結構好きだった。大変な人気作で、映画化もされている。周りにもファンが多い。
2014年にこの映画の舞台挨拶が行われた際、総監督を務めた本広克行は、会場にたくさんの女性鑑賞者が来ているのを見て次のようなコメントをしている。
「こんなはずじゃなかったんです。男が観る物語としてどれだけ骨太の物語のSFを作れるかというのでやってたつもりだったんです。ほとんど女性じゃないですか。『萌え禁止!��とか言いながら作っていたんですけど、残念です(笑)」 出典:https://news.nicovideo.jp/watch/nw1374107
はて。
【骨太】 [名・形動] 1 骨が太いこと。骨格のがっしりしていること。また、そのさま。「骨太な(の)からだ」⇔骨細。 2 基本や根幹がしっかりしていること。構成などが荒削りだが、がっしりとしていること。また、そのさま。「骨太の改革案」「骨太のドラマ」 出典:https://kotobank.jp/word/%E9%AA%A8%E5%A4%AA-631150
【骨太】という語には「ぽこちんが付いた人向けの」とか「社会的に男性として生きる人向けの」とかそういう定義でもあるのかと思わず辞書を引いたが、どこにもジェンダーやセックスに触れる記述はない。「私の辞書には『ぽこちんが付いた人向けの』とありました!」という人がいればぜひ知らせてほしい。
しかし、どうやら本広克行の辞書ではそう定義されているらしい。彼の辞書で【女】を引けば「骨太の作品が理解できない生き物」と書かれているのかもしれない。
これは本広に限ったことではない。女性が「男の趣味」に足を踏み入れると、よくこういう言葉を向けられる。
他にも、大好きなプロ野球OBのYoutubeチャンネルを見ていると、「このチャンネルの視聴者は9割男性だそうです。もう、女性ファンはあきらめましょう。男性のための◯◯チャンネルを今後もよろしく!」みたいなことをなぜか嬉しそうに言っていた。女性ファンが少ないことを自虐っぽく言いつつも、内心は「骨太」のファンに愛されていることを誇りに思っているのが透けて見える。吐き気がするぜ。心底女性ファンなんてどうでもいいと思っているんだな。
「男の趣味」に興味を示すと、女の「好き」は浅いと思われる。イケメンが好きなんでしょ、BLが好きなんでしょ、流行ってればなんでもいいんでしょ、そういう扱いを受け続ける。
女性に人気がある俳優が一生懸命下ネタ言って男性視聴者に”アピール”したり、女性ファンが多い芸人は「ワーキャー人気」と呼ばれて見下されたりするのも、根っこはみんな同じだ。男性から支持されないものは二流だと信じてる人は、みんな必死で自分が誰かのぽこちんを刺激する「骨太」な「ホンモノ」なんだと主張する。そうして、女性ファンをいつだって二流扱いする。
女嫌いの女を育てる社会
中学を卒業するころには、私はもうすでに「女」という性が、二流で、ダサくて、「ホンモノ」にはなれない性だと信じ込んでいた。女らしくなれば、見下される、強く賢く本物であることを示すには、もっと男に認められなければならないと本気で思っていた。
自分が「その辺の女の子」だと思われたくなくて必死だった。私はあの子たちとは違う。きゃぴきゃぴはしゃぐ、普通の女子じゃない。私は特別なんです、女だけど普通の女の子とは違って、ちゃんと個性を持って生きています。ピンク色なんて女の色、選びません。格闘技だって、本当に好きなんです。男の人が見るような目線で、スポーツを見ているんです。だから、私は、「その辺の女の子」じゃないんです。
こういう感覚をどんどん内面化させていくと、自分の好きなものを言うことが怖くなってくる。それが好きかどうかではなく、男に認められる行動かどうかが基準になってくるのだ。
私は当時のK-1MAXに好きなファイターが3人いた。初代王者のブアカーオ、無冠の帝王と呼ばれた武田幸三、そしてウクライナのアルトゥール・キシェンコである。私はK-1の話をするとき、男友達にはキシェンコのファンであることはなかなか言えなかった。キシェンコは”美しき死神”というキャッチコピーで、いわゆるイケメンファイター的扱いをされていた選手だったからだ。もし、キシェンコファンだと言えば、ミーハー扱いされる、顔ファン扱いされる、という恐怖があった。今考えるとクソしょうもないことだが、当時の私には大きな問題だった。
「男の色」である水色を選んだり、「男の趣味」である格闘技を好きになったりすると、「女のくせに」が目の前に立ちはだかる。男と同じように好きなんだと証明したくて、好きであることではなく男に認められることを求めて、私と私以外の女に線を引く。私以外の女は、弱くて、かっこわるくて、表面的で、「ホンモノ」じゃないと憎む。私は、そうじゃない。
女なんか大嫌いだ。女なんかに生まれたくなかった。女のせいで、私まで馬鹿にされる。15歳の私の心の中で、女性嫌悪はますます大きく膨らみ続けた。
女嫌いの女は、こういう環境に揉まれてすくすく育っていくのである。
「女」は「人間」
私は市外の高校を受験した。「国際○○科」みたいな名前の学科だが、ベースは商業科、簿記や情報系の資格をたくさん取るコースで、普通科に比べて女子の割合が多かった。(ちなみに同じ高校に音楽科もあり、そこは私の在籍した学科以上の女子率だった。)
自分の希望通りの学校に合格できて大喜びしていた反面、女子生徒の割合が高いクラスに入ることにかなり抵抗を感じていた。なんたって、この時の私は徹底的に「女」を見下していたからだ。
しかし、しばらくしてその意識が変わっていくのを感じた。40人中33人が女子というクラスの中で、私は「女子」としての自分より、一人の「人間」として生きている感覚を得られた。女だらけの環境にいると、なぜだか女が強調されることが少ない。クラスメートも私を「女子のクラスメート」ではなく「ただのクラスメート」と扱っている感じがした。
むしろ男子生徒のほうが、男性性を強調される場面が多く(それはそれとして問題なのだけど)、小中学校時代とちがって「女のくせに」と言われることもほとんどなくなった。それがとにかく生きやすかった。
クラスを一歩出て、普通科の仲間たちとごちゃまぜになる部活では、幾度となく「女」が強調される場面があったが、クラスに一度戻ると、自然と「女」という色が消えて、一人のただの高校生として生活の中に溶け込んでいく自分を感じられた。
資格試験や勉強にも���心な学科だったので、がんばった分だけ先生に認められたし、将来を期待されるような言葉をかけてもらえ、私は家庭以外の場所で、初めて「女」から解放された気がした。
それと同時に、「女」に対する自身の偏見からも少しずつ解放されていった。私が一括りに「その辺の女子」と思っていた同い年の女の子たちは、誰も彼も個性的で、変わっていて、カラフルで、ちょっと可笑しなところがあった。誰一人として、小さな「女」という枠に収まっている人はいなかった。「女の子らしさ」という箱の内側にも外側にも自由に行き来して、楽しそうに、悩みながら、全力で生きていた。私と同じだった。
3年間担任をしてくれたS先生も自立的な女性で、強い言葉でみんなを励ましてくれるタイプの先生だった。「私、『女の腐ったような』って表現大嫌い。女を馬鹿にしすぎだよね。」と言っていたのをよく覚えている。学科長のK先生も女性で、簿記などの専門科目を担当している学科の他の男性3人の先生よりもいつも偉そうで、怖くて、陰で女王と呼ばれるくらいインパクトの強い人だった。「単語帳のページ覚えるでしょ?残ってたら、また見たくなる。だから、どうする?覚えたら食べるねん」などと、とにかくすごいことを言っていた記憶がある。そういう身近な強い大人の女性も、高校生の私にはすごく嬉しい存在だった。
「ヒョードル、かっこいいな!」
2007年の年末、私のアイドル、”60億分の1の男”ヒョードルが”テクノ・ゴリアテ”ことチェ・ホンマンという巨人と対決することになった。チェ・ホンマンの身長218センチに対しヒョードルは183センチと体格差の大きい対戦だった。が、しかし、私は��ョードルの勝ちを確信していた。そして、2学期の終業式の下校中、仲良しの女友達にヒョードルが大好きであることと、その試合が大晦日にあるのでぜひ見てほしいということを伝えた。彼女は「わかった。見てみるね。」と爽やかに答えた。
そして、大晦日の夜、私の期待通り、ヒョードルは大男の腕をあっさりとキメて、華麗な勝利を収めた。やっぱりね、ヒョードルかっこいいね。満足げにテレビを眺めていた私の元に一通のメールが届いた。例の友達からだった。
「試合見てた!ヒョードル、めっちゃかっこいいな!あんな風に強かったら気持ちいいやろうな!」
その時、今まで感じたことのない喜びで胸がいっぱいになった。ああ、「女にヒョードルの良さがわかるまい」と決めつけていたのは、他でもない、自分自身だったんだな。友達からの素直な言葉で、呪いが解けてゆく。
高校時代の女だらけの環境が、私の中のミソジニー(女性嫌悪)を少しずつ溶かしてくれた。自分が「女」ではなく「人間」として扱われたかったように、自分以外の女性も、「人間」として扱われたいと願っている。私が「女」を見下すことで、自分にも自分以外の女性にも、傷を与え、呪いをかけていたのである。もちろん、高校生の私は自分の女性嫌悪に気づ���ことすらなかった。「あれはミソジニーだったんだ」と認識できるようになったのは、二十歳を過ぎてからのことである。
同じく高校時代、私が周りの友達を「女」ではなく「人間」だと理解し始めたころ、私自身も一人の人間であることを教えてくれた友人がいた。
この友人は私に「君の生き方を見ていると、男や女ではなく、君という性別がこの世にあるって感じがする」と言ってくれた。
「ボーイッシュ」「男っぽい趣味」「意外と乙女チックなんだね」他人が息をするように突き刺す言葉で、私の心は穴だらけだった。その無数の穴を塞いでくれるような大切な言葉だった。
ずっと、自分のことを中途半端な人間だと思っていた。枠の中にある「女」というものにはまりきれず、かと言って心身ともに男ではない。では、私の性別は一体?他の人が言うように、女を捨てた状態なのか?まだ女になれない半人前の状態なのか。いつになったら、私は誰かに認められる性になれるのか。もがきながら生きてきた人間にとって、その生き方そのものを私の性だと捉え、受け入れてくれた友人の言葉は、心からの救いだった。
ミソジニーとの戦いは続く
私は怒りを向ける矛先が、女性ではなく、女性を「ホンモノ」として認めようとしない社会の在り方だと思うようになった。「普通の女子」とか「その辺の女の子」「量産型女子」、そんなもんはいない。私たち女性には、当たり前だが一人ひとり好きな色があって、好きなものがある。自分の意志も意見もある。そして、個性がないと言って女性を馬鹿にするような誰かの無神経な言葉に傷つけられていい存在ではない。
私が水色のランドセルをからかわれて傷ついたのと同じころ、ピンクのランドセルを選んで「やっぱり女の子だね」と誰かに言われ、自分の選択ではなく、女の子としての選択として、個性を踏みにじられた女の子がそこにはいたはずだ。
ピンクのランドセルを否定しても、私の水色のランドセルは決して報われない。セクハラを笑って受け流して耐える同僚を憎んでも、女性を軽視する奴らは蔓延ったままである。
私たちを苦しめる根っこは、いつも同じだ。女という物差しでしか私たちを計れない人々で、女の限界はいつも男よりも手前にあると信じ込ませる連中で、女は男に愛されないと価値がないという呪いをかけてきたクソったれ共だ。
THE BLUE HEARTSの「青空」には、聞く者の心を撃ち抜く一節がある。
生まれたところや皮膚や目の色で 一体この僕の何がわかると言うのだろう
生まれた身体で、性別で、一体この私の何がわかるというんだ。
私は自分が救われたい一心で、自分以外の女の子を傷つけてきた。たくさん見下してきた。でも、自分という存在が特別だと思いたいからと言って、自分以外の女を馬鹿にする必要などない。だから、もう誰の性も否定したくないし、誰の好きな色も馬鹿にしたくない。心無い言動に傷つきながらも、笑って受け流そうとする人の痛みを過小評価せず、その痛みに寄り添って、一緒に抗っていきたい。
女を苦しめる連中は、自分たちが勝手に作り上げた「女」という枠からはみ出した人間を見ると、「女を捨てたのか��と言って嘲笑う。私も大げさではなく、100回以上言われてきた。セクシスト(性差別主義者)たちは、息をするように他人の性を踏みにじる。ぐちゃぐちゃに傷つけて、自信を奪う。
だけどな、捨てられねえよ、クソッたれ。そんな簡単に。捨てられるものなら、ずっと昔にとっとと捨てたかったわ。そんなに簡単に捨てられるものじゃねえんだよ、バカヤロウ。人の性を軽んじるお前にはわかるまい。「女」という性と共に、自分を生きる苦しさが。
そういう苦しさを抱えきれなくなって、私は自分の中にある「女」を、周りのクソッたれ連中と一緒になって見捨てた。生まれた時から私と共にあった、私の大切な一部だったのに、自分を傷つけてくる人間の価値観に囚われて、自分も、自分の周りの女性のことも馬鹿にした。
だが、もうそれはやめた。私は自分の中にある、他の誰かの中にある、「女」を否定することはやめた。こいつと共に生きていくことを受け入れる。周りからさんざんボコボコに殴られて、好き放題刺されまくって、満身創痍の、私の中にある「女」を、これ以上傷つけさせてたまるか。
女性であることを恥じることも誇ることもせず、ただ受け入れる。それだけのことがこんなに苦しくて難しい。それでも、私はずっとこの性を生きることにした。見捨てずに、大切にすることにした。
そして、他の誰かの女性性と男性性を、その二つの枠組みの外にある性の在り方を、踏みつけていないか、大事にできているか、できるだけ慎重に歩くことにした。
どれだけ心に強く誓っても、私の中のミソジニーは、なべ底の焦げみたいに私の心にこびりついている。重曹でもお酢でも、簡単には落ちないほど、頑固にこびりついている。
それを取り除いて、鍋の底に映った自分の性と素直に向き合いたいと思う。そのためには、まず、このこびりついたミソジニーと向き合わなくてはならない。
私の水色を守る人
大学時代からの友人でかれこれ10年以上の付き合いになるMは、普段は温厚で、滅多に怒りを他人に向けたりしない人である。Mの喋り方は漫画『聖☆おにいさん』のブッダとほとんど同じだ。同漫画を読んだことがない人は、最寄りの仏をイメージしてもらえばいいと思う。
私が結婚の報告をしたときに、素晴らしいプレゼントをくれたのが、このMだった。
結婚式はしなかったのだが、Mは私への結婚祝いを包む祝儀袋を買いに某百貨店へ行った。そこで店員に女友達の結婚祝いのために探していると言うと、ピンク色の祝儀袋を勧められたらしい。
Mは私が青や水色が大好きなのを知っているので、その旨を伝えたうえで水色のものを選ぼうとしたらしい。ところが、店員はなぜか食い下がる。女性なんですよね、ご友人は、ならば普通はこちらの色ですよ。Mは、いや、他の人からどう見られるかは関係ないし、そもそも本人の好きな色を選びたいだけなので……と説明したが、なぜか店員は折れなかったらしい。
あまりにも頭の固い店員に腹を立てたMは「結構です」と言って祝儀袋を買うのをやめて、結局私を連れて買い物に行き「予算内なら好きなものを買ってあげる」と言ってお祝いしてくれた。その節はかわいいパジャマをありがとう。
「水色は女の色にあらず」というクソジェンダーステレオタイプが19年経っても変わってない事実にがっかりした。しかし、それ以上に、Mが水色の祝儀袋のことで店員にこだわりを見せてくれたという話が嬉しかった。水色のランドセルをからかわれ続けた私は、心が救われた気がした。
Mにとっては、店員との些細な小競り合いだったかもしれないが、私にとっては大きな意味がある。Mは私の好きな色を守った。ジェンダーステレオタイプから守り抜いてくれた。「女のくせに水色」を真っ向から否定してくれた。
子どもにとって自分の好きな色を選ぶことが数少ない存在証明の場なら、大人はその選択肢を決して奪ってはならない。大人が自分の声でジェンダーステレオタイプを否定する時、誰かの中の女や男やその枠組みを超えた性を救うことができると思う。
本広克行がしこしこ『PSYCHO-PASS』の映画を作っていた頃、アメリカでは『マッドマックス 怒りのデスロード』という「骨太」な作品が登場した。
同作品はシリーズとして知られているが、2作目の『マッドマックス2』は北斗の拳に影響を与えた(※2)、まさにたっぽいな作品の一つである。そのたっぽいな作品の主人公の一人を演じた俳優トム・ハーディは映画の記者会見で男性ジャーナリストと次のようなやりとりをしている。
カナダのジャーナリストからの「『マッドマックス』は男の世界の物語だと思っていたのだが、女性キャラクターが登場することについて違和感があったか」という質問に対し、ハーディは一言「ノー!」と答え、記者会見場から拍手が起きていた。 出典:https://www.google.com/amp/s/amp.natalie.mu/eiga/news/147372(日本語記事) https://metro.co.uk/2015/05/29/mad-max-fury-road-star-tom-hardy-has-the-best-reaction-when-asked-if-women-are-taking-over-a-mans-movie-5220250/(英語記事) https://youtu.be/tI6k_8tomRE (映像、10:00ごろ)
「これは男のためのものじゃないのか?」という問いに、私たちはハーディのように「ノー」と答えることができる。自信を持ってそう言える。
水色のランドセルを選ぶ少女が誰にもからかわれない社会がいい。格闘技好きの女子中学生が、誰にも笑われずに、ヒョードルに憧れていると言える世界がいい。
自分の好きな物を守るためにたっぽいにならねばと思ってきた私は、30歳を過ぎてからその必要がないことを悟った。弱いまま、臆病なままでも、誰にも好きなものを馬鹿されずに生きていく権利がある。女の私が、「60億分の1」に憧れる自由がある。私たちは、自分が唯一無二のスペシャルな女の子であることを、他人に認めてもらう必要もないし、誰かに証明する必要もないのである。
涙を拭け、6歳の私。拳を��りしめろ、15歳の私。”悲しみは絶望じゃなくて明日のマニフェスト”だぜ。(意味不明だと思った?私もこの歌詞の意味は未だによくわかっていないけど、かっこいいから引用した。)
家族や友人が私の水色を守ってくれたように、私も周りの人が自分の好きなものを誰かの言葉に傷つけられることなく愛せる世界を作りたい。誰かが「男の子だから青がいいよね」と言えば「そんなことはない。色に性別は関係ない」と言い、「女にこの良さはわかんないだろうな」と言えば「わかってねえのは貴様だ。もっと世の中のことよく見ろ。しばきまわすぞ」と言って黙らせたい。
それは偏見だ、あんたの思い込みだ、幻想だ、嘘だ、そう言って、ジェンダーステレオタイプを否定していこう。みんなでつまらないステレオタイプに「ノー」と言おう。
みんな、聞いてくれ。
この世にあるくそしょうもないジェンダーステレオタイプは一つ残らず、必ずぶっこわせる。たっぽいでなくても、普通の、ひとりの、よわっちい人間にも、それに抗う力はちゃんとある。
私は誰かの好きな色と自分の好きな水色を守るために、これからも一人の女として抗い続ける。そういう旅をしている。そして、あなたが一緒にその旅に来てくれるなら、ヒョードルよりも心強いよ。
※1……漫画『北斗の拳』の中で、一子相伝の拳法の使い手(拳士)たちが持つ星の宿命(宿星)の一つ。愛に殉ずる宿星。
※2……「北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー」内での原哲夫(北斗の拳の作画担当)の発言より。http://www.hokuto-no-ken.jp/hokutogatari/interview10-03
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教室の靴作り
札幌は雪も降って、マイナスの温度もちらほら。 寒いー 冬は夜の時間が長いからなのか、ちょっと考えごとをしてみたり、アイデアを形にしてみたくなったり、あれやこれを想像してみたり、アートに触れたくなったり、映画や本とか美味しいものとか、、、そんなことで使う時間が知らず知らずのうちに増えてしまいます。 春までに形になったらいいのですが、この冬こそは!と思ってます。 何、が? ・ ・ ・ ・ ・
教室で完成した靴 TYさんの2足目。 今回はご自身で用意した茶系の革を使って3アイレットダービーを完成させました。 もともと趣味で革のカバンや小物を作られていますが、靴はちょっと違いますよね? 両方楽しんでくださいね。もの作りは素晴らしい!


Kさんのおそらく教室での14足目。 確か50mmくらいのヒール高だったので、積み上げを10枚くらい積みました。お疲れ様です。 側から見ると大変そうに見えるかもしれませんが、自分の経験上積み上げたくさん積んでる間は意外と楽しかったりします。 素敵なラインのパンプスができましたね〜


Mさん9足目。 大変そうなブーツが完成しました。 作る目線で見てしまうのは良くないですね…、とっても素敵なブーツが完成しました。 底も冬仕様にして、雪道もこの靴でどこまででも歩けますね。


Tさん3足目のチャッカブーツです。 桜のような淡ーいピンクの革。思い切って初めて自分で木型を削って作った靴でしたが、結構いいとこ行ってるんじゃないですかね。 今の時期は道路が凍りがちで外を歩くのは怖いので、家で試し履きして次の靴のフィッティング向上につながるといいですね。


今回の完成は女性陣ばかりでした。 教室、年内はあと何足完成するでしょうか。
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Jungkook Dazed インタビュー 翻訳
自らの道を走り始めたジョングク
この夏、ノートパソコンの前で眠ってしまったジョングクを600万人のファンが見守った。ポップ界における東アジアのアーティストの扉を吹き飛ばした彼は今、私たちを「驚くべき」ソロ新時代へと誘う。
世界で最も人気のあるK-POPアイドルの一人であり、世界で最も人気のあるポップ・スターの一人であるジョングクが、彼の直感がいったいどのようなものなのかを説明しようとしている。唇の右側にある二重になったピアスをいじりながら「なんというか...」と言葉を詰まらせる。真っ白なTシャツが、右腕に刻まれたタトゥーをより際立たせている。「言葉で表せないような感じです」 と言って笑いながら、軽く額に手を当てる。「鳥肌が立つとかじゃなくて、ただ『これはいけるぞ、これだ』って感じがするだけです」
アメリカ人ラッパー、LattoをフィーチャーしたUKガラージテイストのソロ・デビューシングル『Seven』を初めて聴いたのは、彼の記憶によれば3月のことだった。そして、即座にこの曲の虜になった。「すぐにロサンゼルスでのレコーディングのスケジュールを組み、ビデオ・コンセプトの打ち合わせをしました。すべてがとても順調に進みました」と振り返る。
7月にリリースされたこの曲は、イギリスとアメリカのシングルチャートで数週間にわたってチャートインし(アメリカでは1位を獲得)Spotifyでは、わずか6日間で1億回再生を達成した史上最速の曲という栄冠に輝いた。韓国の女優ハン・ソヒが出演したミュージックビデオは、YouTubeで1日に3,900万回もの視聴回数を記録した。彼が今までに楽曲に対して揺るぎない直感を感じたのは『I Need U』(2015年)だけだという。この曲は、高い評価を得たBTSの3rd EP『花様年華 pt.1』からのファースト・シングルで、彼らをスーパースターダムに押し上げる重要な足がかりとなった作品だと広く認識されている。
ジョングクは直感的なものと無形のものを重要視している。前者は彼の現在を導くものである。一方、彼の未来は後者によって揺り動かされている。少なくとも、彼自身がアーティストとしての自分をどう見ているかという点においては。だが、この話は後にする。というのも、最近26歳になり、この10年間を超有名人として生きてきたジョングクは、今この瞬間、自分が何者であるかについて考えているからだ。「僕は自分の感情に正直なタイプだと思います」と彼は言う。「僕はすぐに変わります。今やりたいことをやらなきゃいけないんです」
HYBEのソウル本社である巨大なビルの中の何の変哲もない一室にいるジョングクとZoomを通して話している。HYBEは、2005年にBig Hit Entertainmentとしてスタートしたマルチレーベル企業で、BTS以前にはK-POPアイドルグループを育成したこともデビューさせたこともなかった。1週間前はロンドン に、その前はニューヨークに滞在していた彼は、重い風邪と闘っていたのだが、テレビの生放送では完璧なパフォーマンスを披露し、どうにかそれを隠していた。
今回の撮影が行われたロンドン北部のスタジオでは、ジョングクは辛抱強く、協力的でありながらも非常に静かで、周囲の慌しい動きに視線を注いでいた。もともと内向的な性格の彼だが、撮影現場には、ざっと数えただけでも少なくとも40人がいる。スーツ姿のボディーガード2人を含め、その半分は彼自身の関係者だ。��員の視線が常に彼に注がれ、彼の一挙手一投足、髪型や服装、表情のわずかな変化まで注視されている。何とも疲れそうだ。彼のスタッフの1人は微笑みながら「彼は慣れていますよ」と肩をすくめた。
撮影の合間に、ジョングクが挨拶に来た。私たちは以前にも会ったことがある。2018年、BTSが成層圏に突入し、アリーナで公演していたのがスタジアムを完売させるまでになった頃だ。そのときも彼は静かだったが、精神的にも肉体的にもそわそわした不安げな雰囲気を漂わせていた。依然として彼の内面には掻ききれないような痒みがあるが、以前には欠けていた、と彼自信が感じている大胆さと自信によって、それが和らいでいる。それらは、長い間ステージで体現してきた彼の持ち味でありながら、日常生活にはついてこなかった特徴だ。「ステージに立つと、さまよっていた考えや感情が静まります」と彼は言う。いつも舞台に立っていた彼にとって、その2つの世界にそれほど大きな隔たりはなかったようだ。
パンデミックによってBTSの2020年『Map of the Soul Tour』が中止に追い込まれるまで、ジョングクは2014年以来、毎年グループとともにツアーを回っていた。2021年と2022年には、ソウル、ロサンゼルス、ラスベガスで1週間にわたるレジデンシー公演を行った。その後、2022年10月に、メンバー7人のソロ活動と韓国人男性全員に義務付けられている18カ月間の兵役服務のために、一時的な活動休止を発表した。この休止期間は彼に、自身の一部を解きほぐす機会を与え、ジョングクは内面にある軋轢を解消し始めた。そのひとつが、彼自身が自称するところの「怠け者」 であり、それが野心と競争心を抑えていたという。「以前は自分のそういうところが嫌いでした。そのせいで自尊心が欠けていたんだと思います」 とジョングクは言う。答えは、そんな自分を消し去ろうとするのではなく、違う角度から自分を見ることだった。「見方を変えて以来、自分の中のもっと良い特徴を見つけられるようになりました。逃したチャンスに、くよくよしたり、怠けている自分を責めたりして『なんで、あの時できたのに、できなかったんだろう』と考えるよりも本当の自分を受け入れ、できることに集中するようになりました。自分のペースで物事を進めることで、より多くのことを得られます。一日中ベッドに横になったり、テレビを見たりしたかったら、そんな一日を過ごすのもいいんじゃないかって」
これは、彼が自分の行動やその背後にある理由を理解する上で、連鎖的な影響を与えた。「僕は有名で人気のある歌手になりたかったし、そのためにはファンとアーティストの間に相互作用が必要だと思いました。愛を贈り、愛を受け取らなければなりません。でも、僕はARMY(BTSのファンコミュ��ティ)に『どうして、こんなにたくさんの愛を贈ってくれるんですか?どうして僕を愛してくれるんですか?』と尋ねていました。僕は愛を受け取るために一生懸命努力したつもりですし、その愛を当然だとも思っていません」とジョングクは言う。「とてもとても感謝しています。でも今は、謙虚に受け入れるべきだと思います。時間が経ったからかもしれませんが、今は逆になったんです。ファンのみなさんから、たくさんの愛と応援をもらっているので、その人たちに僕の存在によってもっと自信を持ってほしいし、もっと自己肯定感を持ってほしいと思っています。それが、僕がベストを尽くそうとする理由なんです」
ARMYの間で長年使われているフレーズがある。「BTS paved the way( BTSが道を切り開いた)」という言葉だ。特にアメリカでは、それまで東アジアのアーティストにとって、ほんのわずかな隙間しかなかった扉を彼らが蹴破ったのだ。あまりに強烈で、急速で、予想外だった彼らの躍進に不意打ちを食らったアメリカのエンターテインメント業界は、ビートルマニアの記憶をたぐり寄せ「BTSマニア」と呼ぶしかなかった。BTSは次から次へと記録を塗り替え、グラミー賞に5度ノミネートされるほどの有名アーティストとなった。アルバムセールスは全世界で1億500万枚を超えると推定されている。
ジョングクは、長年にわたって多くのARMYと会話してきた経験から、なぜBTSが言語、年齢、性別、人種に関係なく人々の共感を呼ぶのか、その理由を正確に理解している。「僕たちの歌やパフォーマンスに込められたメッセージが(人々を)慰めたんです」と彼は言う。「僕たちは、人々が聴く音楽の範囲を多様化することに貢献してきたと思いますし、文化的な観点からも多様性は重要です」 しかし彼は、BTSが壁を打ち破れた理由は、彼らの音楽を広めようとするファン自身の努力でもあるとする。さらに、こう話す「映画、テレビ、ファッション界や世界的なステージで活躍する多くの韓国人アーティストの方々。僕たちだけの力じゃないです」。
カルバン・クラインなどの巨大ブランドの広告塔、柔軟剤からコンブチャまで、彼が使用するものは何でも売り切れる。『Euphoria』などの彼のBTSソロ曲にインスパイアされたタトゥーを誇らしげに入れるファン。こうしたジョングクのスーパースター・アーティストとしての影響力に反して、彼は素朴で謙虚だ。一般的に、大衆文化は幼いスターにとって非情なものだが、15歳でデビューしたジョングクは、然るべき時に彼の襟を正してくれるバンドメンバーたちの注意深い眼差しの下で育った。彼は気配りができ、どこまでも礼儀正しく、好奇心旺盛で、茶目っ気のあるユーモアの持ち主だ。ライター/プロデューサーのAndrew WattとCirkutと共に『Seven』をレコーディングした際、彼はこれまで挑戦したことのな��ジャンルでうまくやろうと意欲満々で、マイクの前に立つと目に見えて緊張した面持ちだったが、2人から称賛の言葉を浴びせられると、明らかに嬉しそうな表情を見せていた。
「自分の声でどんな音楽ができるか試すために、できるだけ多くのジャンルをやってみたいです」と彼は言う。また、ソロ・デビューシングルの成功が、これからリリースする曲のサウンドに影響を及ぼすことはないと付け加えた。「音楽を聴いて、それが良かったらジャンルに関係なく、そのまま進んでいくだけです。『おお、この人はどんなジャンルでもこなせるんだな』って言われるのは本当に気分がいいので、みんなを驚かせられたら、すごく楽しいと思います」
数年前、彼は自分が書いたものをほぼすべて削除していた。当時を思い出し、笑みを浮かべる彼のピアスに光が反射する。「実は、音楽を作っては捨ててしまう癖を直そうとしているんです。でも、過去に自分が作業した曲を聴くと、今の自分はあまり満足できないんです。完璧だと思えなければ、どんな音楽も発表したくなかったですし、そう思える雰囲気もなかったんです。だから全部削除しました」
BTSが活動を再開する日が来るまで、ジョングクは自分自身の境界線を壊したいと考えている。昨年9月、彼はBTSの『Proof』(Collector's Edition) に収められた手紙にこう書いている「『僕の人生の主人公は僕以外の誰でもない』という気持ちで生きています。どんな環境に置かれても、誰が周りにいても、流されることなく自分を守り、自分をコントロールできるというマインドを持つこと。それを忘れないように生きています」。(余談:ジョングクがDAZEDの表紙撮影でシャツを着用しないという明確な取り決めはなく、どの衣装も事前に計画されたものではなかった。だが、楽屋から出てきた彼は、黒いレザージャケットの下に何も身につけていなかった。これが彼が望んで決めた服装だったのだ。黙ってヴィンテージのメルセデス・ベンツの運転席に乗り込んだ彼の腹筋は、くっきりと割れていた。そして、彼はカメラレンズをじっと見つめた)
BTSの最年少メンバーであるジョングクは、ウサギのようなグループの末っ子という本来のイメージが依然、優勢であることを知っている。「そういうところをすごく好いてくれてる」と彼はロンドンに滞在中、最近頻繁に行っているライブ配信の中でファンに言った。「みんなが、そういうところが好きだとする。それで僕はそれだけについて行く。それじゃあ、僕が変えられるものは何なんだよ?自ら、僕の人生なのに。僕が変えなきゃいけないじゃん?僕のことを愛してくれる人たちに『僕はこうです』って話して、それを強要するわけじゃないけど。僕はいつも新しいものを探して、その次に新しいものを面白く作りたいし、それでもってまたARMYたちに認められたいし」 また、『Seven』のExplicitバージョンの必要性を感じた理由を問う声にも答えた。このバージョンでは「And that's why night after night, I'll be lovin' you right」という歌詞が「And that's why night after night, I'll be fuckin' you right」になる。彼はこう言った「そう感じられたのなら、もう、どうしようもないけど。僕ももう何歳だよ〜(笑)」 (※Weverse Liveでのジョングクの発言部分は@may66669様の翻訳を許可を得たうえで使用させていただきました。引用元:リンク)
ここ数年の彼はボクシングを始め、眉と唇にピアスを開け、耳のピアスも増やした。髪を伸ばし、たくさんのタトゥーも入れた。「極端なことが好きなんです」と彼は笑いながら言う。「いつも人から、丸くて柔らかそうに見えるって言われるんです。僕は鋭くて力強いイメージが欲しいんです」 デビューシングルについてジョングクは、「自分のイメージから脱却しようとしたわけではありません」と語る。彼から見れば、すでに進化は起きており『Seven』は現在の彼をそのまま反映しているのだ。だからこそ、あの核心を突くライブ配信で、彼は毅然とした態度で率直に語ったのだ。「新しい挑戦を通して、ソロ・アーティストとしてどれだけ成長したかを見せることが重要でした」と説明する。「居心地のいい場所に留まったり、慣れ親しんだものに甘んじたりするのではなく。それをファンのみなさんに十分に説明したかったんです」
彼がこうした透明性と誠実さを求めるのは、ARMYとの深い心の絆があるからだ。ジョングクはARMYのことを話すとき目を輝かせる。「ARMYのことを思い出したり、会いたくなったりしたときは、ライブをつけて一緒に遊びます」と彼は言う。彼はHYBEのプラットフォーム、Weverseを通じて、今年だけで20回以上ライブ配信を行なっている。そのほとんどは寝室やリビングルームからで、しかも真夜中であることが多い。真面目なものから笑えるものまで、さまざまなコメントに何時間にもわたって答えている。カラオケをしたり、料理をしたり、お酒を飲んだり、洗濯物だって畳む。6月には、ジョングクが配信中に寝てしまい、それに気づいたスタッフが配信を止めるまでの45分間、600万人がその様子を見守った。
ARMYに「もう寝て」とか「飲み過ぎないで」と言われると、彼はやんわりと拒否するが、「ARMYは僕に関心があって、僕のことを好きだからそう言うんです。だから全然気にしません」と彼は話す。ファンがジムに現れたり、食べ物を家に送ってきたりしたときは、しっかりと、しかし丁重にやめるように言う。「複雑な関係ではありません。僕はARMYに自由に話すし、ARMYも僕に自由に話せます。相手が不適切なことを言ったとしても、それを受け入れるか、無視するかは僕の判断であり、僕の自由です」
2021年の『Vogue Korea』とのインタビューで、ジョングクは自分自身のことを完璧でありたいひび割れた灰色(「まだ何にもなってい���い色」)の六角形であり「もっと上にあがりたい」人間だと表現した。だが、彼はそれを淡々と、いくぶん希望的にさえ言った。なぜなら、それが彼の原動力になっているからだ。昔も今も、ジョングクの中で「もっと」とは「もっと優れた、もっとかっこいい歌手になること」なのだと彼は熱く語る。「僕の中では、僕は自分が思い描いていたような歌手じゃない。僕が抱いていた歌手像とは違うんです。だから、もっと上を目指すんです」
しかし、この「もっと」という言葉は、会話において難問を投げかける。なぜなら、それは未来の一部であり、その未来は彼にとって明確な目標よりも、より雰囲気を重視する無形の領域だからだ。だからジョングクは、その想像上のイメージが何なのかを語ることができない。「まだ、はっきりとはわからないけど、何かあるような感じがするんです」 彼は人差し指を空中に突き立てて、上を指さす。「すぐそこにあるんです。ただ、まだ辿り着いていないだけなんです」
2023年のジョングクは、その「まだわからない」状態をよしとしている。彼は今を生き、物事をシンプルに考えることを心がけている。たとえそれが「言うは易く行うは難し」であったとしても。「まったく考えないでいるのは不可能です」と言って彼はため息をつく。「考え事をすると、その考えが延々と続いて、どんどん深みにはまっていくことがあるじゃないですか。それがポジティブな結論につながることもあると思いますが、僕の場合はネガティブな結論につながることもありました。でも、今は自分にある程度、自信が持てるようになったので、余計な考えを排除できるようになってきました」 頭を落ち着かせる術を学ぶ中で、彼は「まだ起こっていないことを心配したり、『自分の期待に応えられなかったらどうしよう』と考えたりすることが少なくなった」という。
しかし、ソロ・デビューアルバムを視野に入れ、さらなる音楽制作に取り組んでいるジョングクは、振り返ってみれば自分がどれほど成長したかを知っている。「(デビューシングルでは)自分の直感を信じて『観客に届くかな、たくさんの人に届けられるかな』と考えていたんです。それが、ある意味、証明できました」 そして、あの曖昧なグレーの六角形ではなく「白になりたいです。どんな色にでも好きなように染められるので」と顔いっぱいに、可能な限りの大きな笑みを浮かべながらジョングクは言った。
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不夜城が如くネオン煌めく繁華街。煌びやかな様子とは裏腹に、一歩道を外れれば影色濃く腐臭漂う裏道へたどり着く。
男は一心不乱に走り続ける。何故自分が追われているのか皆目見当がつかない。ただちょっと扇動されて、「小包」を公園に置いただけ。最近思い当たる節と言えば��の程度。たかだかその程度しか思いつかない。俺のせいじゃない、悪いのはあいつだ!
足がもつれ、運悪くごみ溜めにダイブする。走り続けた足は疲労でだるく、絶え絶えの息は腐臭を吸い込みむせる。
追跡者の影が、煌めく繁華街への出口を背におもむろに得物を取り出す。人生の終点に突っ込んでしまった男は喚き散らし、笑う膝で懸命にもがく。カチリと音がする。
男の顔に落ちた通りからさす光が、追跡者の姿で陰る。
男が最期に見たのは、銃を突きつける少女だった。
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ー入学ー
横浜駅。世界でも5本の指に入るとか入らないとか言われてる程の駅。掲示板と手元の地図とを眺め続けてどれくらいたっただろうか。完全に迷子である。
わたし望月愛衣は齢12…もうすぐ13だが、冷や汗出るほどに迷子になったのはいつぶりだろうか。フィーリングで目的地を目指しても今までなんとかなっていただけに地図の見方すら分からない。完全な詰み。
「うわぁ、ちょっとまずいかも…」
もしかしてなんか試験的なものなのだろうか?入口を探し当てられなければ入学すら認められないとか
そんなはずない、こんなにウェルカムな入学式の案内を送り付けておいて試験なわけが無い。てかこの地図分かりにくい、簡略化しすぎでほぼ一本道しか書いてない。
途方に暮れても仕方がない、目印のお店を探し当てるしかなさそうだ。などと再起したのはこれで3度目ぐらいか
そろそろ足が疲れてきた。近くにあったベンチに腰掛ける。
行き交う雑踏を探しても、自分と同じような制服を着た子は見当たらない。平日の昼間だというのにどこから湧いて出てくるのか分からないぐらいには人が行き交っている。
仕事に行く人だろうか、あの人は観光?あの子たちはショッピングかな?
平和そのものである。よきことよきこと。こんな日常に一人立ちしたいが為に施設から『孤児院』という学校施設がある横浜まで来たっていうのに、入学出来ませんでした〜で帰るのは格好が悪すぎる。
「どうしたもんかぁ〜」
背もたれに仰々しく身を預け伸びをする。
「どうしたの?」
見上げた先、顔を覗き込む女の子、いや見た感じ年上のお姉さんがいた。落ち着いた雰囲気、これが大人びたという表現でいいのか分からないけども。まじまじと見られている。いや、顔近。まつ毛なが。
また着慣れた感じにわたしと同じ白の制服を身にまとっている。ということは
「助かったぁ、やっと同じ制服着てる人見つかったぁ」
上級生であろう彼女がふふっと笑う。上品だ。
「きみ、新入生?駅迷いやすいよね。私もよく迷う。今もそう」
上級生でも迷うってんだ、じゃあ新入生のわたしなんかたどり着くつけないわけだ…って
「ちょっと待ってください?今も迷ってるんです?」
キョトンとした彼女は短く「そう」とだけ返した。
あぁ、完全に終了のお知らせってやつだ。
─────────────────────
と、まあ入学式の会場にはなんとか間に合ったというわけで。
あの後、彼女の寮の同室の方が怒りながら迎えに来たおかげで『孤児院』の施設、更には会場にまでたどり着けたって訳だ。
別れ際、頑張ってねと言われたが入学式に何を頑張るのだろう。長時間椅子座り耐久があるという事だろうか?
純白の制服の群れが体育館のような会場に集まっている。水銀��が照らす会場はやや薄暗く、傍から見たらお嬢様学校もかくやあらむだろうか。近くの椅子に腰をかける。
ざっと見渡して自分含め100人?ぐらい居るだろうか。規則正しく等間隔に机付きの椅子に座って近くの子達同士でソワソワと話し合っている。
さらに数人、様子を伺っているのかコンクリ打ちっぱなしの壁際でたむろしている。
どのグループに混ざろうか吟味でもしているのだろう。当たり前だ、ここにいる子達はわたし含め孤児。12,3歳の子達が集められている。
『孤児院』からの招待状を配られた子達だ。今つるむ相手を見誤れば今後どうなるかわかったもんじゃない。
…というかみんな迷わず来れたんだね、どうやらわたしが一番最後の到着だった様だ。出入口の扉が施錠される音がした。
「どもども、隣いい?」
活発そうな、ショートヘアの子に声をかけられる。バスケとかやってそう、女子にモテる女子だ。
「あ、どうぞ」
断る理由もなく、快諾。
「あたし幸 亜里沙、ちょっとギャグっぽい名前でしょ?亜里沙って呼んでいいよ、あなたは?」
「自分で言っちゃうんだ…望月愛衣よろしくね」
「ねぇ!愛衣はどこから来たの?あたし青森から来たんだけど横浜駅めっちゃ人いすぎじゃね〜?」
ガハハと言わんばかりにはしゃいでいる。てかいきなり名前呼びか、カルチャーショックを受ける。
「おかげで人酔いしちゃったよ。わたしは埼玉から」
「埼玉か!うん、埼玉。埼玉って何があるの?」
この話題はあまり広げない方が良さそうだ。
ふと、椅子の下に箱が置いてあるのに気付く。ちらっと足元を見ると自分の椅子の下にも箱がある。
「あ、っと〜。あれ?亜里沙その足元にある箱って?」
これでも緊張していたのか、今まで気付かなかったそれを手に取る。30cm四方の箱。シルバーのケース?ジュラルミンでできた箱には開けられそうな蓋が付いているが鍵がかかっていてビクともしない。持った感じずしりと重みを感じる。他の子も箱に気付いたのか各々手に取っている。
���なにこれ?新入生へのプレゼント的な?」
中身を確かめるように亜里沙が箱を振る。蓋と本体がカタカタと鳴る以外、中から音はしない。
キーンとマイクがハウる音が響く。ありがちな。
「失礼。諸君着席を」
正面の壇上、舞台袖からツカツカと長く綺麗な黒髪に鋭い目つき真っ黒なスーツを来た大人の女の人が現れた。マイクはインカム型なのだろうか、手には鎖のようなものを持っている。その鎖の先、遅れて舞台袖から現れたのは、手錠をはめられ目隠し、さらにヘッドホンで耳栓までされたツナギの男の人が引っ張られて現れた。
会場がどよめく、これが大人の世界なのだろうか?
「静粛に。この男の説明については後ほど。まずはようこそ『孤児院』へ。諸君らはここで一般常識から外れた存在になっていただく。座席の下にケースがある、確認がまだの者は早急に確認を。」
会場が不安げにざわめく。
「もしかしてコロシアイさせられちゃう?なんちって」
亜里沙が冗談めかしく囁く。
「そんな訳ないでしょうに、映画の見すぎ」
「これよりケースの電子ロックを解除する。各自内容物を確認するように。中身の取り出しは指示があるまで待つように、ケースは落とさぬように」
『先生』?が軽く手を挙げ合図の様な仕草をする。
ガチャリ!会場に電子ロックが解錠された音が響く。
わたしの手元の箱も、大きな音をたてた。
亜里沙と顔を見合わせる。互いに箱の中身を確認する。
恐る恐る、ケースの蓋を開ける。ビクともしなかった蓋がすんなりと開く。
中には、拳銃が収められていた。
「これから諸君らとその銃は一心同体。我々の必需品となる。紛失、破損のないようしっかりと整備すること。」
「どういうことだてめぇ!ふざけるのも大概にしろ!」
前の方に座っていた如何にも不良な感じの子が、銃を手に壇上へ飛び上がる。
「席へ戻りなさい」
「うるせぇ!なんだこれはよぉ?映画の撮影かぁ?あぁ?いいからさっさとセンコーをだせやセンコーをよォ!」
不良生徒が『先生』?へ銃を突きつける。
あまりにも血気盛んすぎる。怖くないのだろうか?万が一これが本物の銃であったら、まずいのではないか?舞台まで止めに入る?いやこの距離じゃ間に合わないか?
マイクがハァとため息を拾う。
「なんだてめぇなにk」
ズダン!
あれは柔術?だろうか、綺麗な動作で『先生』?は不良生徒を床に叩きつけ、同時に銃まで奪ってしまっていた。不良生徒はぴくりとも動かない。気絶でもしたのだろうか?
「今年は血の気が多いですねぇ…静粛に。まだ説明の途中です。」
何事も無かったかのように説明を続け始めた。
やっぱり映画の撮影なんじゃ…?逃げるか?亜里沙だけでも連れ出せそうだけど、他の子は?唖然としてる。出口は一つだけ?会場がざわめき始める。何人かが立ち上がり
パンッ
会場に破裂音がこだまする。遅れて悲鳴。
壇上。男が倒れる。壁に赤が跳ねる。
「いいでしょう、もう面倒だ。この方が効率がいい。そこ!席を離れるな!ったく面倒臭い!」
逃げ出そうとする生徒を一蹴する。
「いいですか?聞いてください。説明します。この男は今日死刑執行の死刑囚です。国家転覆を企て捕まった犯罪者だ。今日から君たちは国家に仇なす犯罪者どもを消し去る存在になってもらいます人事担当がどう説明したかは分かりませんがつまるところ公務員になりますただ公には姿は見せずあくまでも影としてこの国を支えてもらいますそのための『孤児院』でありそのための場所になります───────」
おそらく決まっていただろう口上をめちゃくちゃ早口で垂れ流している。その間、どうすることも出来なくなってしまった会場は、すすり泣く声が聞こえ始めていた。あの男は本当に死んでしまったのだろうか?遠くからでははっきりとは分からない、前の方では吐いてる子も居る。ってことはやはりそうなのだろう。
「亜里沙?大丈夫です?」
ちらっと隣の亜里沙を確認すると、泣きはしてはいないが血の気が引いた顔でケースを抱え固まっている。
「…えっ、えぇ。あぁうん。だ、大丈夫。じゃないよ。愛衣は?逃げる?」
「いえ、下手に動くよりあの先生?の指示に従ってた方がいいかも。立ち向かったりしなければ問題なさそうだし」
落ち着かせようと話しかけるが反応が鈍い。大丈夫じゃなさそうだ。かと言って逃げ出せそうにもない。『先生』?の話は聞かざるを得ない。
「────────ということです。ふぅ、諸君落ち着きましたか?よろしい。では、諸君。その銃で隣の人を撃ってください。」
つづく
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200801 Vogue Japan
世界が恋するBTSが見つめる未来〜独占インタビュー。
今やアジアのみならず、世界で最も愛されているボーイズグループBTSを『VOGUE JAPAN』が独占撮影およびインタビュー! 7月に発売された新作アルバムのことはもちろん、ファンへの思い、そして将来の希望などについて聞きました。
2013年にデビューしてから7年間、BTSが築き上げた実績は、そのとてつもない数字が物語っている。再生回数1億回を突破したミュージックビデオは計24本。2018年5月に発表したアルバム『LOVE YOURSELF 轉 'Tear'』、2018年8月に発表したリパッケージアルバム『LOVE YOURSELF 結 'Answer'』がともに米ビルボードで1位を記録。2018年、アルバム売上が世界2位のアーティストに選定された。2018年夏、ソウルからスタートしたワールドツアー“BTS WORLD TOUR LOVE YOURSELF”は、北米15回公演、ヨーロッパ7回公演すべてのチケット完売を記録。
頂点を極めたメンバーたちは爽やかで謙虚。
そんな圧倒的な業績を達成した7人のメンバーは、近づいてみると、礼儀正しい青年たちだ。彼らが登場する本誌8月号のテーマは「Luxury(ラグジュアリー)」。そこで、メンバーが考える「Luxury」について聞いてみたところ、答えは実にさまざまだった。
リーダーのRM(25歳)は落ち着いた口調でこう答えてくれた。「日常のささやかな瞬間を楽しんでいると自覚することが、最高のLuxuryだと思います。例えば、朝起きてすぐに植木に水をやる瞬間。どれほど平和で楽しいかを実感するときです」。
「自分にさまざまな投資をし、いろいろな経験をしています」と、多彩な才能を持ち合わせているSUGA(27歳)。
「誰かと心から触れ合えた瞬間ほど、胸がいっぱいになるときはありません。両親と食事をしながら交わす些細な会話や、僕を一番応援してくれる親しい友達と電話で話したり、そしてファンの皆さんと分かち合う日課。そんな心温まる出会いからインスピレーションやポジティブなエネルギーをもらっています。それが僕にとっては最高のLuxuryです」と、少年美あふれるV(24歳)が目を輝かせる。
性格もルックスも個性あふれるメンバーたちだが、ステージに上がるとそのパワーは一つとなってスパークする。
世界を舞台に、世界基準を変えた7人。
BTSの影響力は音楽活動だけに留まらず、社会��に、また芸術的にも広がった。2018年、UNICEF(国際連合児童基金)招聘の会合では、スピーチを通して「自分の声を見つけ、自分を愛そう」というメッセージを伝えた。そして、BTSの哲学とメッセージを共有するグローバル現代美術プロジェクト「CONNECT, BTS」では、アートと大衆をつなぐ架け橋になった。
BTSを通して全世界の音楽ファンは、K-POPの新しい世界はもちろん、価値体系の変化を目の当たりにした。友達のように気兼ねなく触れ合っていたかと思えば、ステージに上がると、カリスマ性にあふれる最高のダンスパフォーマンスを披露し、EDM、ヒップホップ等、今一番ホットなサウンドが一つになったダンスミュージックを完璧なスキルでこなすアーティスト。
一方、欧米ではちょうど人種の多様性を享受するコンテンツが広く愛され、BTSの世界的な人気はそんな時代の世相を反映。と同時に、価値体系の変化、その出発点でもあったと言える。 例えばこれまで、アジアから欧米に進出し成功するには、英語で歌わなければと言われていた。インタビューにはRMが率先して流暢な英語で答えるが、BTSの楽曲の歌詞はほとんどが韓国語だ。
「韓国の文化と、ありのままの僕たちを応援して関心を持ってくださることに感謝の気持ちでいっぱいです」と、自作のソロ曲「約束」では楽曲の深い世界観とハイトーンボイスで魅了したJIMIN(24歳)。
ファンコミュニティ内では韓国語を学べるコンテンツもある。「僕たちがきっかけで韓国語を勉強するようになったと聞きました。とても不思議でありがたいです」と穏やかさと芯の強さを併せ持つ最年長のJIN(27歳)。
「世界はとても広くて、とても狭いという相反する考えを持つようになりました。いろいろなことに感激するより、ここソウルで一生懸命、僕たちの音楽とパフォーマンスを磨き上げ、誠意を持って前進すること、それが一番、世界的なことではないでしょうか」(RM)
待望の日本アルバムに寄せるメンバーたちの期待。
7月15日に日本で4枚目のアルバムとなる『MAP OF THE SOUL :7 〜 THE JOURNEY 〜』がリリースされた。2013年6月の韓国デビュー以来、7年間の喜びや苦悩、成功や試練を経て成長する“7人の旅の地図”がテーマとなっている。リード曲「Stay Gold」と、JUNG KOOKがプロデュースし、作曲に携わった「Your eyes tell」の2曲が新たに収録される。
「自分が手掛けた曲にはいつもどこかに悔いが残るのですが、皆さんがこの曲を好きになってくれたらうれしいです」と、歌もダンスもパーフェクトな末っ子JUNG KOOK(22歳)は語った。 世界に韓国語の歌を届けている彼らだが、日本で発売されるアルバムには日本語の曲も収録される。
「同じ曲でも、オリジナルバージョンと日本語バージョンで魅力が違います。それぞれの言葉が持つ語感によるものもあれば、日本語バージョンとして新しくレコーディングしたことで新たにニュアンスが加わったものもあります。そこに集中して聴いていただけると、より興味深く今回のアルバムを楽しめますよ!」とムードメーカーのJ-HOPE(26歳)が笑顔で語る。
彼らがリリースする楽曲やミュージックビデオには、掘れば掘るほど楽しめる工夫が凝らされている。そんな完成度の高い作品が、世界のファンから音楽専門ジャーナリストまでを魅了するのではないだろうか。
予期せぬ事態に直面しつつも、前向きに躍進。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大により、春に開催予定だったソウル公演や北米公演が延期やキャンセルになるなど、BTSの活動も変更を余儀なくされた。
「これまで当然だと思っていたことを新しく感じるようになりました。ツアーの真っ最中は、今どの都市にいるのかもわからないほどに疲れて、自分の体がいつまで耐えられるだろうかと思うこともあります。でも、今回の事態を経た後は、もう一度、以前と同じ状��にぶち当たっても、仕事に臨めることの大切さを強く感じ、その瞬間をもっと満喫しようとするはずです」(SUGA)。
「仕事に没頭するうちにその大切さを忘れて生きていた気がします。改めて振り返ってみると、仕事は僕の人生においてとても大事な原動力だということに気づかされました」(J-HOPE)。
「自分をさらによい人間に成長させるために、ボクシングやギターなどをもう一度始めました。これからの自分の仕事のために、少し違ったアプローチをする努力をしています」(JUNG KOOK)
今や世界的なスターとして爆発的な人気を得たBTSだが、アーティストとしてターニングポイントとなった時期や曲はあるのか、聞いてみた。
「ターニングポイントはたくさんあったと思います。中でも一番記憶に残っている瞬間は、2015年の『I NEED U』が収録されたアルバム『花様年華 pt.1』をリリースしたことです。この曲があったから、僕が思い描いた夢のメンバー、そしてファンの皆さんのことを改めて考えるきっかけになりました」(JIMIN)。
「2016年の『FIRE』が決定的な曲だと思います。『FIRE』のおかげでBTSとしての気持ちを新たにすることができました」(JIN)
ファンと一緒に成長し、寄り添うメンバーたち。
抑圧された10代の心を代弁するヒップホップグループとして誕生したBTSが、『花様年華』シリーズから儚い青春の美しさを描いて人気を確固たるものに押し上げたできごとは、ファンにとっても大切な伝説のひとコマとなっているようだ。 最後に、7人でデビュー7周年を迎えたBTSが5年後、または10年後について、どんな世界を想像しているかを尋ねてみた。
「年を重ねた分、内面がもっと成長して、素敵な人になっていたらうれしいです」(JUNG KOOK)。「5年後? 想像もできませんが、また違ったすごい世界が広がっているのかもしれませんね!」(SUGA)。「世の中は目まぐるしく変わっていて、5年後と言われても、はるか遠くのことのように思えます。10年前、スマートフォンがなくてはならない存在になっているとは、誰が想像できたでしょう(笑)」(J-HOPE)。「世界は驚くほど変わっていると思います。そのときも今のように、一緒に会って過ごすことができるなら、それ以上、望むことはないです」(JIN)。「どんな場所で、どんな姿で、どんな音楽をやっているか、全く想像できず、実は頭の中でずっと気になっています」(JIMIN)。
「今と同じように、常に自分自身に挑戦する姿を見せて、ARMY(BTSファン)と一緒に年を重ねていけたらうれしいですね」(V)。
そして、リーダーのRMはこう言った。「5年前を振り返ってみると、BTSが注目され、活発な活動を繰り広げ始めた頃。そのときは、5年後に今のような姿になるとは全く予想できなかった。同じように、今から5年後の姿は想像することすら難しい(笑)。ただ、今のまま、元気に一緒に活動できたらうれしいですね。小さい希望だけど、それで十分です。そして今度はグラミー賞を受賞できたらうれしいです!!」
若者の気持ちをリアルに表現し、詞と音楽とダンスで世界のミュージックシーンに風穴を開けた韓国の7人組。その未来は未知数だが、無限の可能性を秘めている。彼らが度々口にするように、近い将来、まずはグラミー賞を取るのかもしれない。
Profile JIMIN 1995年10月13日生まれ。「(自由時間があると)ソファに横になってテレビを観ています。あとは、歌の練習や運動をして過ごしています」。シャツ ¥105,000 パンツ ¥84,000 シューズ ¥95,000 ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス) その他/スタイリスト私物
J-HOPE 1994年2月18日生まれ。「(自由時間があると)音楽を聴いたり、ご飯を食べたり、寝たり(笑)……。主に家にいます」。シャツ ¥120,000 バミューダショーツ ¥68,000 ソックス ¥23,000 シューズ ¥83,000(参考色) ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス) その他/スタイリスト私物
RM 1994年9月12日生まれ。「(自由時間があると)最近は運動をしたり、本を読んだり、動画コンテンツを見たりしながら過ごしています。もちろん、���作りもしています」。ライトジャケット ¥380,000 シャツ 参考商品 バミューダショーツ ¥114,000 ソックス ¥23,000 シューズ ¥115,000 ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス) その他/スタイリスト私物
V 1995年12月30日生まれ。「(自由時間があると)Weverseをします。また、音楽を聴いたり、映画を観たり、曲作りをしています」。ジャケット ¥258,000 シャツ 参考商品 パンツ ¥90,000 シューズ ¥90,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)
JIN 1992年12月4日生まれ。「(自由時間があると)ゲームをしたり、寝たりしています」。ジャケット 参考商品 シャツ 参考商品 パンツ ¥90,000(参考色) ソックス ¥23,000 シューズ ¥72,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)
SUGA 1993年3月9日生まれ。「(自由時間があると)最近はさまざまな挑戦をしています。さまざまな分野の勉強も一生懸命しています」。シャツ ¥105,000 パンツ ¥84,000 ソックス ¥23,000 シューズ ¥76,000 ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス) その他/スタイリスト私物
JUNG KOOK 1997年9月1日生まれ。「(自由時間があると)最近は、普段できなかったことをもう一度習っています」。ライトジャケット 参考商品 シャツ 参考商品 バミューダショーツ ¥68,000 ソックス ¥23,000 シューズ ¥115,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス) その他/スタイリスト私物
Scans from Jun 2020 Magazine
English Translation
Seven years after debuting in 2013, the achievements BTS have accumulated are told through tremendous figures. 24 of their music videos have surpassed 100 million views. The album LOVE YOURSELF TEAR announced in May 2018 and LOVE YOURSELF ANSWER announced in August 2018 both ranked in 1st in the Billboard charts. Their album sales put them as the second best-selling artist in the world in 2018. The world tour that started in Seoul in summer of 2018 had 15 shows in North America and 7 shows in Europe, all sold out.
Even after reaching such heights, the members are refreshing and humble. Upon approaching the seven members that had achieved such tremendous feats, they turned out to be well-mannered young men. The theme of the August Issue they’re featuring in is Luxury, so they were asked about what they considered a luxury. Their answers truly varied a lot.
Leader RM answered this in a calm tone: RM: Being aware of how the smallest moments in daily life can be enjoyable is the greatest luxury, I believe. For example, watering my plants the first thing in the morning. I can feel how peaceful and joyful I feel at that moment.
SG: To be able to invest in yourself and experience many things. SUGA, who has a diverse range of talents, said.
V: There’s nothing that fills my heart more than being able to interact with someone with sincerity. Chatting about trivial things over a meal with my parents, talking to my closest friends over the phone, and being able to share my day with the fans. I receive inspiration and positive energy from such heartwarming moments. That is the greatest luxury to me. V said with his eyes shining with youthful beauty.
The members all have their own individual personality, appearances, and characteristics, but when they go on the stage their power combines into a single spark.
With the world as their stage, these seven people changed the standards of the world. BTS’s impact is not just musical – their influence extends to society and the arts as well. They were invited to the UNICEF General Assembly in 2018 where they gave a speech with the message of “Love Yourself, Speak Yourself.” They also combined their philosophy and message with global contemporary art in CONNECT BTS, a bridge that connected art and continents.
Through BTS, music fans around the world are witnessing a new era of K-POP and the change of existing values. They are artists that interact freely with fans in a friendly manner before going on stage to show the ultimate, charismatic dance performance. EDM, hip-hop all the hottest sounds come together to create dance and music perfected by their skills Meanwhile, the west is currently in a state where multicultural content is widely received and loved: BTS’ worldwide popularity is testament to that state of society. At the same time, the change of values could be said to have originated from that.
For example, it was said that success in the west only came about by singing in English. RM leads nterviews with his fluent English, but BTS’ song lyrics are almost entirely Korean.
JM: We’re so grateful there’s interest in the culture of Korea and that we’re supported for being ourselves. said Jimin, whose charming high-tone voice depicted a profound world in his self-composed solo song, Promise. There is even content in the fan community to learn Korean.
J: We’ve heard of people who started learning Korean because of us. It’s a very strange feeling, but we’re grateful Jin, the eldest possessing both a strong core and gentleness, said.
RM: I’ve started to consider the world as somewhere that is both very big, yet at the same time very small. Rather than being deeply affected by everything, we polish our music and performance here in Seoul, to the best of our abilities. I believe moving forward with sincerity is the best thing we can do for the world.”
The expectations of the members as their long-awaited Japanese album approaches. The fourth Japanese album MAP OF THE SOUL 7 JOURNEY will be released on July 15. The theme is the journey of seven people since their debut in June 2013 – seven years of joy and pain, trials and tribulations, success and growth. Lead song Stay Gold and a second song produced by Jungkook titled Your Eyes Tell are newly recorded.
JK: I always have lingering regrets about the songs I make myself, but I hope that everyone will like this song. Jungkook, the maknae perfect at singing and dancing, said.
BTS deliver songs in Korean to the world, but on Japanese albums the songs are recorded in Japanese.
JH: Even if they’re the same song, the original version and Japanese version both have their own charms. There are different nuances in the words of different languages, and newly recording the Japanese version means something new is added to the song as well. If you listen carefully for those nuances, I’m sure you’ll be able to enjoy the album even more! The mood-maker j-hope said with a smile. In the songs and music videos of BTS, there are many intricate details to be enjoyed the deeper you go. Such perfected works have charmed not only fans around the world, but music industry journalists too.
Despite facing an unexpected situation, they push forward positively. However, due to the spread of the COVID-19 pandemic, the Seoul and North American concerts planned for spring have been cancelled or postponed. BTS’ plans were forcefully changed.
SG: I started seeing the things I took for granted until now in a new light. Normally in the middle of tours, l’d be so tired I’d have no idea what city I was even in, wondering how much longer my body would hold out. But after the circumstances this time, even if I were placed in a similar situation to before I’ve realised how important it is to face my work and enjoy the moment to the fullest.
JH: Being immersed in work all the time has made me forget the importance of that. Looking back on it now, I realise how much of my work is my driving force in life.
JK: In order to develop myself into a better person, I started learning things like boxing and guitar again. I’m going to work hard and take a different approach towards my job.
The current BTS are superstars that have achieved explosive worldwide popularity, so we asked them if there was a particular time period or song that was their turning point.
JM: I believe there were many turning points. Among them, the one I consider most memorable would be when we released HYYH Pt. 1 in 2015 with the title song I NEED U. This song was what spurred me into reconsidering the dream I had pictured with the members and fans.
J: I think the song FIRE from 2016 was a definite turning point. It was thanks to this song that I was able to refresh how I felt as a part of BTS.
Growing with the fans, the members grow closer. Born as a hip-hop group that spoke on the behalf of oppressed teenagers, the HYYH series that depicted the fleeting beauty of youth boosted and cemented their popularity is a fan favourite of their many legendary moments.
Finally, we asked the now-seven-year-old BTS what they imagine the world will be like in five or ten years' time.
JK: l’d be happy if I matured more on the inside and became a great person as I gain years
SG: Five years' time? I can’t picture it at all, but I’m sure it’ll be another wonderful world!
JH: The world changes dizzyingly fast, so five years sounds like a lifetime away. Who would have imagined smartphones would become such an essential item ten years ago? (laughs)
J: I think the world changes in surprising ways. There’s nothing I want more than for us to be able to meet each other and spend time together just like now.
JM: Where will we be, what will we look like, what kind of music will we be doing? I can’t imagine it at all…. It’s actually something I’ve always wondered about myself.
V: Just like now, I’d like to be able to keep challenging myself and show that side of me to ARMY, who I hope will grow old with us.
Finally, the leader RM said this: RM: Looking back on five years ago, BTS was just starting to gain momentum in activities Back then, we would never have been able to imagine our current selves in five years' time. Similarly, it’s difficult to imagine what we’ll look like in another five years. (laughs) But I’d be happy if we could continue as we are right now, happily and healthily. It’s a small wish, but it’s more than enough. And I hope we can win a Grammys next time!
The seven-membered Korean group expressing the realistic feelings of youth and breathing new life into the music scene through their lyrics, melodies, and dance. Their future is unknown but holds countless possibilities. Like they occasionally mention themselves, a Grammy award mav be possible for them in the near future.
2018/09 – First appearance on The Tonight Show Starring Jimmy Fallon. Spoke about their dream to attend the Grammys someday.
2020/01 – Attended the Grammys as the first Korean artists to perform on stage. Collaboration with Lil Nas X.
2020/02 – Performed their new song ON at New York’s Grand Central Station for The Tonight Show.
2020/03 – Participated in James Corden’s remote music program Homefest by performing Boy With Luv.
2020/02 – Appeared in The Late Late Show’s extremely popular corner, Carpool Karaoke.
JIMIN Born 1995/10/13. “When I have free time, I lie on the sofa and watch TV. I also practice singing and exercise.” Shirt 105k, Pants 84k, Shoes 95k, Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP)/AIl PRADA / Others stylist-owned
J-HOPE Born 1994/02/18. “When I have free time, I listen to music, eat, sleep… (laughs) I mostly stay at home.” Shirt 120k, Bermuda Shorts 68k, Socks 23k, Shoes 83k (sample colour) Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
RM Born 1994/09/12. “When I have free time, I’ve recently been working out, reading, watching videos. Of course, I write songs too.” Light Jacket 380k, Shirt (sample item), Bermuda Shorts 114k, Socks 23k, Shoes 115k, Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
V Born 1995/12/30. “When I have free time, I’m on Weverse. I also listen to music, watch movies, write songs.” Jacket 258k, Shirt (sample item), Pants 90k, Shoes 90k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA
JIN Born 1992/12/04. “When I have free time, I play games and sleep.” Jacket (sample item) Shirt (sample item), Pants 90k (sample colour), Socks 23k, Shoes 72k (AIl JPY RRP) / All PRADA
SUGA Born 1993/03/09. “When I have free time, I’ve been taking on new challenges lately. I’m studying my hardest in all sorts of subjects.” Shirt 105k, Pants 84k. Socks 23k, Shoes 76k Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
JUNG KOOK Born 1997/09/01. “When I have free time, I’ve been learning things I couldn’t learn properly all over again.” Light Jacket (sample item), Shirt (sample item), Bermuda Shorts 68k, Socks 23k, Shoes 115k (AIl JPY RRP) / All PRADA / Others stylist-owned
Source: Vogue Japan Scans by: @kocchi English translation by: @kocchi
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2021年12月1日(水)

今日から12月、そして1日は世界エイズデー。Appleのサイトでは<AIDSの終わりを(RED)と始めよう。>という特設ページが公開されている。<(PRODUCT)RED製品を買うだけで、AIDS対策や新型コロナウイルス対策に取り組むグローバルファンドを支援できます>というもので、私も今使用している iPhone12 (ツレアイはSE2)にいたるまで、REDを愛用している。すでに<死の病>でなくなったAIDSのように、コロナを恐れなくとも良い日が来るのはいつのことだろうか。
5時15分起床。
日誌書く。

ネギ煮麺+ヨーグルト+豆乳。
空き瓶・缶、45L*1。

2男のおにぎりはツレアイ担当、私は3人分の弁当を用意する。
今朝は、同僚にしてご近所さんのK姉と一緒に出勤、9時から会議があるとのことだ。道中ではその会議含めて近頃の大学/学科をめぐる動きについて、あれこれ愚痴を聞く。私はそんなことに時間を取られるのが嫌で今の契約(授業担当のみ=低給)にしたのだが・・・。
図書館へ省農薬ミカンを差し入れする。
明日の「人権論」「環境論」の資料を印刷する。
水曜日は2限・3限「情報機器の操作Ⅱ(食物栄養学科)」、先週のエクセル試験の解説と「グラフの書き方」。午前のクラスは試験解説に手間取ったので、午後のクラスは後半のグラフの書き方に時間をかけた。
帰路に給油アラームが出たので、いつものMK石油に立ち寄る。166円*36.83L=6,114円、前回(11/11)と同じ単価だ。
ホンダにスタッドレスタイヤ入替の予約を(アプリから)入れておいたが、確定のメッセージが来る、12/7(火)14時。
15時30分帰宅、同居猫がリビングの椅子の上にちょこんと座っていた。お留守番、ご苦労様。
水・金は帰宅してから洗濯する。
昨晩ツレアイが購入した惣菜があるので、買い物には出ない。

息子たちにはコロッケとローストビーフ、ツレアイには昨日の煮物残りで晩酌。
録画番組視聴。
「“ダメトラ”が起こした奇跡! 阪神タイガース21年ぶりの優勝」
初回放送日: 2021年11月30日
1985年の快進撃。その裏にあったファンとメディア、選手と監督が折りなす知られざる物語。ミスター・タイガース掛布雅之は千葉出身で、実は関西という土地になじめなかった。その苦悩を最も近くで見つめた地元スポーツ新聞記者。球団歌を勝手に「六甲おろし」と名付け、ラジオで歌い広めたパーソナリティー。この年の夏、快進撃を陰で支えた球団社長が日航機墜落事故で犠牲となった。悲劇は選手と監督をどう変えたのか。
写真提供:デイリースポーツ写真提供:ABCラジオ
https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/38MZ5GVKRV/
36年も前の話なのか、いやぁ懐かしい。
今夜も早めにダウン。

辛うじて3つのリングクリア、水分は1,600ml。
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緊急投稿 <Synth Review: Forgotten Saga of KORG 800DV>
●メーカー名 KORG
●機種名 800DV
1974年発売、当時の定価 24万円 鍵盤数は、Fスケール 44 鍵で、ミニコルグより半オクターヴほど拡張されている。
アナログシンセ黎明期の機種であり、コルグ初の量産型シンセ mini KORG シリーズを元に開発された機種でもある。すなわち 800DV は、コルグ歴代の量産型シンセとしては事実上2番目となる、きわめて初期の機種であった。
あたらしい音が出る電子楽器を生み出そうという試みは、なにも海外の moog、Buchla などが初めてではない。'60年代から、すでに国産メーカーは、いろいろ試行錯誤を重ねていた。
'63 年には KORG、当時の京王技研株式会社は同社初の商品「ドンカマチック」を発表。これはアナログ電子音源によるプリセット式リズムボックスで、なぜか小さな鍵盤が1オクターヴ弱ほど装備されており、それでマニュアル演奏もできた点では、すでにドラムマップで演奏できたと言える。
翌 '64 年には、Roland の前身でもある Ace Electronics すなわちエース電子工業株式会社が、海外の Clavioline を元に「Canary(キャナリー)」という電子楽器を発表しており、これは3オクターヴ鍵盤のモノフォニック・キーボードで、鍵盤下にならんだタブレットスイッチ群による音色切替や音域切替、ヴィブラートの on/off 機能、音量の抑揚レバーがついた、言わばシンセ的なキーボード、シンセの一歩手前とも言うべき機種であった。キャナリーとは英語でカナリア鳥のこと。かわいいシンセリードっぽい音がしたのかなぁ、と想像するばかり。
当時エース電子工業は「Ace Tone(エーストーン)」ブランドでいくつかの電子オルガンを開発製造しており、キャナリーは、おそらくアクセントとして使うソロ鍵盤楽器として創造されたものと思われる。キャナリーもエーストーン・ブランドで発売されていたようで、さらに Canary S-2 と Canary S-3 の2機種がある。鍵盤の左横にマニュアルで叩く2個のアナログ電子パーカッション・ボタンを追加した機種が S-3 らしい。 トリヴィアなことを紹介すると、このキャナリーの音量抑揚レバーには操作性の向上のため先っぽに1円玉くらいの直径の黒い丸い玉がついており、この玉は家具メーカーから仕入れた、つまり家具の部品を流用したものとのこと。電子楽器あけぼのの時代には、こうした混沌とした珍エピソードがごろごろころがっているものらしい。
そして '70 年ちょうどになると、ついに国産初のシンセサイザーの試作機が、コルグこと京王技研によって実験的に製作される。
コルグの創設者、加藤孟(かとう・つとむ)氏の話では、開発当初コルグは、シンセというものがどういうものか知らず、したがってシンセを開発しているという意識も無く、ただ単に差別化のため個性的なオルガンをつくるつもりで開発していた。すでに海外では moog や ARP がシンセを生産していたが、そんなとんがった最先端情報は、日本になかなか入ってこない。とりあえずコルグがつくりあげた「個性的なオルガン」なるもののプロトタイプは、2段鍵盤こそあるものの、母音が鳴るという機能までついている不思議なしろもの。で、つくった後になってから、海外通の日本人ミュージシャン佐藤允彦氏の指摘で、実はこれがシンセだと判明。つまりコルグは、偶然にもシンセを開発していたのだ、そうとは知らずに。
このプロトタイプは商品化されること無く、この後に開発された「デカコルグ」が発売された。デカコルグという名前は通称で、正式な商品名は「KORGUE(コルグ)」といい、その特徴から「デカオルガン」と呼ばれることもあったらしい。デカコルグは1段鍵盤しかなく、とにかくオルガンに VCF などをつけた風変わりな機種。コルグはこれを発売した。勇気と言うか蛮勇と言うべきか、よくもまぁそんな機種を世に出したものである。 シンセとも知らずにシンセのプロトタイプを開発し、その次にデカコルグという変態オルガンを発売したコルグ。そこからコルグは、シンセ開発へ本格的に乗り出してゆく。
その量産型シンセ初号機が '73 年に発表された「mini KORG-700」で、1VCO のモノシンセであった。このミニコルグという名称は、先行していたデカコルグに対するものかもしれない。37 鍵しかない小さなおもちゃみたいな外観だったが、音は非常に個性的かつ音楽的で良い。これは偶然にもローランドの量産型シンセ初号機「SH-1000」と同年に発表され、ともに国産初の量産型シンセとなった。いずれもオルガンの上に載せてソロ楽器として使うことが前提にされているため、鍵盤下の本体前面に操作パネルを設けているところが、まだシンセが世間的に認知されていなかった黎明期であることを感じさせる。ちなみに現行の KORG ロゴは、このミニコルグ 700 のリアパネルにて初めて搭載されたものを、ほんのわずかに変更したもの。
ミニコルグ 700 は、翌 '74 年サブオシレーターとノイズジェネレーター、そしてリングモジュレーターを追加したマイナーチェンジ版「mini KORG-700S」というモノシンセに置き換わる。

↑ 高校時代の元カノからタダでもろて、阪急電車をむき身で持ち帰ったやつ
そしてこの 700Sをさらに改良したシンセを2台分搭載したのが、本機「800DV」。

たった2音ポリと思う無かれ。800DV の DV とは、おそらく Double Voice(今で言う Dual Voice)の略で、モノシンセが主流だった当時、ARP Odyssey に続く2ボイスという仕様をアピールするためのものと思われる。 ところで 800DV は、海外では MAXI KORG(マキシコルグ)という機種名で販売された。これは mini KORG(ミニコルグ)と対をなすためであろう。米国では Univox 社が代理店をつとめ、700 を K-1、700Sを K-2、800DV を K-3 として販売してもいた。
なお同 '74年、ヤマハが同社初のシンセ「SY-1」を発表したことで、国産シンセメーカー御三家がそろうことになる。SY-1 は小さなモノシンセだったが、その前年に発売されていた巨大エレクトーン・シンセ GX-1 から、1音分の回路のみを独立させて小型キーボードにまとめた機種。
800DV が発表された '74 年には、冨田勲氏が moog IIIp による傑作アルバム「月の光」を発表している。翌 '75年にはヴァンゲリスがアルバム「天国と地獄」を、そしてさらに翌 '76年にはヴァンゲリスが「反射率 0.39」を、ジャン=ミシェル・ジャールが出世作「Oxygene(邦題:幻想惑星)」を発表している事からも、いかにこの 800DV がシンセあけぼのの時代に生まれたかが、うかがえよう。
●音源方式
2系統のフルアナログ減算方式:各系統の構成は、
1基の VCO 1基の VCF 1基の VCA 1基の ホワイトノイズジェネレーター 1基の ピンクノイズジェネレーター 1基の サブオシレーター 1意の リングモジュレーター 1基の EG 1基の LFO???
非常に初期のアナログシンセだが、すでに当時から Hz/V 仕様でピッチは安定。ただし CV/Gate 端子が無いので、分解でもしない限り検証しようがない。 Hz/V 方式は、ヴィンテ時代のコルグとヤマハが採用し、ピッチが安定している利点があった。これに対し Oct/V 方式は、ピッチが不安定になりがちなものの、先行していた海外メーカーのシンセと互換するという利点があり、ローランドが採用していた。ただし同社の準プリセットタイプのシンセ SH-2000 だけは、安定性重視の Hz/V の VCO だったらしい。コルグも確か MP-4 "MONO/POLY" だけは、互換性重視の Oct/V 仕様だったはず。
なお、コルグが Hz/V を採用したのは、実は Oct/V にあるアンチログ回路を省くことでコストダウンできるためであり、安定性はあとからついてきただけと元技術者が証言。
●同時発音数
2音。 モノシンセを2系統搭載し、2音ポリとした機種。 2音をレイヤーさせることで、分厚い音のするモノシンセとしても使える。
800DV は2音ポリであると同時に、完全独立2系統のシンセでもあった点が、Odyssey よりも進んでいる。Odyssey は、2音ポリというより、2音パラフォニックであった。 800DV ではフロントパネル上に2系統のシンセが上下に並び、それぞれ UPPER と LOWER という名前がついていた。アッパーとロワーを同じ音色になるよう設定すれば、通常の2音ポリシンセとして使えたし、それをレイヤーすれば厚い音のするモノシンセとして動作した。アッパーとロワーをおのおの違う音色になるよう設定にすれば、2音色別々に鳴らしたり一種のキースプリットまがいの奏法をしたり、レイヤーすることで部分音合成できるモノシンセとして動作した。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
んなもん、あるわけがない。 ただ2音ポリのアナログなので、微妙なナチュラル・コーラスは常にかかる。あと、後述するが、アッパーとロワーの音を個別に出力できるので、左右のスピーカーから微妙に違う音を出すことで、空間合成のコーラス効果も得られる。 なお、音源波形の中に CHORUS と銘打たれたものがあり、これでよく「コーラス内蔵」と勘違いされるが、じつはこれは PWM 波形である。
●内蔵波形、プリセットの傾向
音源波形には、三角波、矩形波、パルス波、鋸歯状波、前述の CHORUS と名づけられた PWM 波、そしてノイズが2種類あった。
CHORUS 波については、先行機種ミニコルグシリーズでは周期固定で、周期のゆっくりした CHORUS I と周期の速い CHORUS II と2種類搭載されていたが、800DV では1種類にまとめられ、実は後述するビブラートスライダーで周期が可変できるのが便利だが、分かりにくい。ビブラートデプスをゼロにすれば PWM のみかかる。
ノイズは、アッパーにピンクノイズが、ロワーにホワイトノイズが割りあてられていたので、両者をレイヤーして鳴らすことも出来た。なお、アッパーにあるピンクノイズだが、のちの MS-20 のような「ゴー」という雷のような音ではなく、もっと高周波も含まれたもので、おそらくはピンクノイズが何たるかを良く分かっていないまま開発し搭載してしまったと思われ、実際のピンクノイズとは違う音がする。 なお、ミニコルグ 700Sでは、NOISE 1 というものが何やら笛っぽい音階ノイズ、NOISE 2 というものがホワイトノイズになっている。さらにのちの MS-20 では、ホワイトノイズとピンクノイズとを混ぜて、LPF、HPF に通し、カットオフ��2つ同時に動かすことで、冨田勲の「ソラリスの海」のような潮騒の轟音が再現できた。
800DV の音はシンセ黎明期ならではの、さすがに他のアナログシンセとは一線を画す、やわらかで暖かみのあるもの。のちの MS-10 や MS-20 などとも違う。ただし「太い」というより「あたたかい」「枯れた」という感じ。別に細い音ではないのだが、太さで言うなら minimoog や prophet-5 のユニゾンモード、あるいは Pro-One のほうが、はるかに太くてゴージャスな音がする。800DV やミニコルグは、それらバタくさい洋物や舶来品とは違い、東洋の哀愁のような、やわらかくも枯れた、あたたかみを感じさせる音。この音には、他のどのアナログシンセとも違う、独特の個性がある。龍安寺の石庭のごとく、枯れた和のこころすら感じさせる、わびさびな音。 なお、ミニコルグでサイン波と書かれている音は、じつは三角波である。800DV では、正直に三角波と書かれている。 個体差なのか私の 700Sと 800DV とを同じ設定にしても、違う音になる。キャラの違いなので、どちらも良い音。そして両機種ともに、テクノよりプログレ向き。
音色メモリーが無いので、無論プリセット音色も無い。
●エディットの自由度と可能性
これが今となっては、かなり謎解きな感がある。フルアナログだからすべて本体上のノブやスライダーで操作するようになっているのは良いが、なんせシンセ黎明期の産物ゆえ、独自の用語だらけ、しかも今のシンセには無い変態機能まであり、何が何を意味するのか分からないことおびただしい。
先述のとおり、完全2系統のシンセなので、フロントパネル上も上下2つに双子シンセがならび、それぞれ UPPER と LOWER という名前がつき、両者を同じ設定にすれば2音ポリシンセになる仕掛け。ここまでは分かりやすい。 だが、ふつうならフロントパネル上を左から右へ、信号の流れとともに VCO → VCF → VCA とボブ・モーグ先生から教わったように配置するであろうところを、なぜか 800DV では UPPER/LOWER ともに左から VCF、VCA、VCO と並んでいる。なんでか、わからん。 あと、垂直に配置されているスライダーは、すべて下へ行くほど値が大きくなる! この常識に反した設計はミニコルグでも見られるもので、ボリューム・スライダーでも、下へおろすほど音が大きくなる。これはハモンドオルガンのドローバーと同じ感覚で操作する事を考慮したものと憶測され、目盛りも0~8とドローバーに準じている。
ただ、考えられているなと思わせるのは、ミニコルグと同様 ・青色:音程に関係する操作子 ・赤色:音色に関係する操作子 ・橙色:音量に関係する操作子 ・黄色:特殊効果系の操作子 と配色されていることで、このカラー・コーディングがシンセの理解を助けてくれる。たとえば VCO の中でもオクターヴ切替ノブは青く、音源波形の切替ノブは VCF 系の操作子と同じオレンジに配色されているところは、本質をついていて鋭い。
まずフロントパネル上の一番左にある VCF セクションには: ・「TRAVELER(トラベラー)」スライダー ・「BRIGHT(ブライト)」スイッチ という、さっそく謎の操作子を装備。
目をひくのが「TRAVELER」と名づけられた、2本で1組の水平スライダーで、カットオフ・フリケンシーをつかさどる。2本で1組となっているのは LPF と HPF の組合せになっているからで、両者のカットオフが互いに相手を通過して音が消えてしまうことがないよう、2つのスライダーのツマミには、物理的に干渉する突起がついている。このため、Q幅が可変する BPF として動作する。LPF スライダーと HPF スライダーとを同じ位置にして、一緒に動かすと気持ちいいスイープ感が得られる。
なお、Traveler というつづりは米語であって、イギリス英語だと Traveller なのでご注意。私もなんかみょーな感覚で最初書いたので、混乱させてごめんなさい。
その右横にある「BRIGHT」スイッチ、これがレゾナンスの off/弱/強 スイッチ。なんだスイッチかと思うことなかれ、意外にもレゾナンスの効き具合は気持ち良く、これとトラベラーだけでも、驚くほどいろんな音がつくれる。先行機種ミニコルグでは on/off しかなく、また 800DV ともども自己発振しない仕様だったが、このときからすでに聴感上、効き心地よく設定されていた。ヴァンゲリスの「天国と地獄 パート1 第三楽章」では、終わりのほうで低いシンセ音がレゾナンス効かせ、ゆっくりカットオフをスィープさせながら聴こえてくるが、あれは恐らくミニコルグによるレゾナンス音と思われ、なかなか聴き心地が良い音である。
よってここ VCF セクションには: ・カットオフをつかさどるスライダー ・レゾナンスをつかさどるスイッチ があるということになる。
VCF の右隣にある VCA セクションには: ・「ATTACK/SLOW」スライダー ・「PERCUSSION/SINGING」スライダー ・「HOLD/SUSTAIN」スイッチ ・「SHORT/LONG」スイッチ を装備。
最初のスライダーは、アタックタイム可変スライダー。
2番目のスライダーには名前がついておらず、上端が「PERCUSSION」、下端が「SINGING」と書かれており、つまり上端では短いパーカッシヴな減衰音に、下へおろすほどディケイタイムが長くなると同時に途中からサステインレベルが上昇してきて、最後に下端ではディケイなしの持続音になる。確かに持続音なら歌うよう聴こえるわけで、SINGING という名も理解できる。
その次のスイッチがまた無名のくせもので、実態はリリースの on/off スイッチなのだが3段階あり、上端が「HOLD」と書かれており文字通り音が鳴りっぱなしになり、真ん中にリリース無しのポジションがあって、下端は「SUSTAIN」などとまぎらわしく書かれているがこれはサステインレベルではなく、ここでリリースが on になるが、ついでにサスティンレベルがゼロになり、事実上スタッカート専用音色になる!
リリースの長さは、もうひとつの無名3段階スイッチで「SHORT」と中間値そして「LONG」とを切り替えれる。「LONG」にすると、やたらリリースタイムが長くて、ほとんど使いものにならないのが、ご愛嬌。
よってここには、音量 EG の: ・アタックタイムをつかさどるスライダー ・ディケイタイムとサステインレベルを同時につかさどるスライダー ・リリースの on/off 兼ホールドスイッチ ・リリースタイムを3段階で変えるスイッチ を装備、ということになる。
なお、VCF と VCA との間に「EXPAND(エクスパンド)」と書かれたスイッチがあるが、これを on にすると、VCA EG が、そのまま VCF EG を兼ねる。やはり3段階スイッチで off/EG デプス弱/EG デプス強となっているが、聴感上なかなか気持ちよく設定されている。ブラスやシンベとかいい感じ。これもミニコルグでは on/off の2段階しかなかったが、それでも気持ちよいポイントに設定されているのは流石。
とまぁ、とかくイレギュラーな EG セクションだが、慣れると手早く音が創れるので ADSR より使いやすいこともある。
そしてなぜかその右にある VCO セクションだが: ・オクターヴ切替ノブ ・音源波形を切り替えるノブ ・「MIXER」レベル・ノブ ・「MIXER」のオクターヴ切替と、リング変調 on/off 兼用ノブ となっている。
各 VCO のオクターヴ切替だが、高音は2フィートからあるのは普通として、低音はなんと 64 フィートという超低音まであるのが驚き。ただし、64フィートまで下げて低い鍵盤を弾くと、もはやただの断続的なパルスしか得られず音にならない。64フィートで実用的な音を得るためには、鍵盤の中高域を弾くことになる。これがふつうのシンセにない低音で、おもしろい。 音源波形ノブでは、前述のとおり、UPPER シンセにはピンクノイズが、LOWER シンセにはホワイトノイズが装備されているのが特徴。
「MIXER」というのは、サブオシレーターをミックスするためのオシレーター・ミキサーのこと。 まずミキサーレベル・ノブで、サブオシの音量が決まる。ゼロにするとサブオシの音が出ないはずなのだが、私のは壊れてて、ちょっとだけ漏れて聴こえるので、その時はメイン VCO と同じピッチになるようにしてごまかしている! それはまだしも、このレベルノブをフルテンにするとサブオシのみの音になるのが、また大胆! 中央値にすると、メイン VCO とサブオシが半々に混ざった音になる。
しかもこのサブオシ、めずらしく鋸歯状波オシレーターで、世間に良くある矩形波オシレーターではない。ミニコルグ 700Sでは、サブオシのピッチを専用スライダーで連続可変できたが、残念ながら 800DV ではその機能は省かれ、サブオシ独自のオクターヴ切替ノブに発展的解消(?)された。その範囲は 32フィートから2フィートまでと可変幅が大きい。このためメイン VCO とはオクターヴ・ユニゾンにするか、同じピッチにするかしかできず、適当な音程差を持つインターバルをとることはできない。そのかわりと言っては何だが、メイン VCO 2つと、おのおのにサブオシが1個ずつ計2つ、これを全部レイヤーで鳴らすと4アナログオシレーター同時駆動できるので、かなり分厚い音になる。
サブオシのオクターヴ切替ノブは、リングモジュレーターの on/off スイッチも兼ねていて、32フィートよりさらに左に、つまりを最も左へ回しきると、リング変調が on になる。それよりも右へ回すとサブオシのオクターヴ切替になる。 リング変調は UPPER と LOWER とを乗算させているらしく、よく言われたがホワイトノイズとピンクノイズとを乗算すると雷の音ができる。リング変調機は1台につき1基しかついていないらしく、それを UPPER/LOWER の2つの出力から取り出せるようになっているらしいのだが、なぜか UPPER と LOWER とで違う音が出るのは、 UPPER/LOWER とで、キャリア/モジュレーターとをひっくり返した音が出ているのか? なお、フロントパネル左端の果てに、UPPER/LOWER それぞれのピッチ粗調整ノブ(今で言うコース・チューン:coarse tune)と微調整ノブ(今で言うファイン・チューン:fine tune)があるので、これを手動で回せば、リングモジュレー��ー特有の、倍音が出たり引っ込んだりするスイープ音もつくれる。
ところで、このピッチ粗調整ノブだが、なんとセンタークリックがついており、アナログシンセの分際でピッチの安定性には自信があったことを、うかがわせる。しかも黎明期のシンセなのに!
また、800DV のリング変調は、その後のシンセにあるものと似たものだが、ミニコルグ 700Sでは3つのリング変調モードがあり、「MODULATOR 1」と「MODULATOR 2」では倍音の出方が違うので、たぶんにモジュレーター側のオシレーターとなっていると思われるサブオシのピッチを変えていると想像される。そして「MODULATOR 3」は、なんと音階にならず、その代わりに鍵盤ごとに違う倍音が出るようになる。ということは、この「MODULATOR 3」モードでは、キャリア側のオシレーターのみピッチがキーフォローせず一定の値で固定になるのだろうか? いずれにせよ、これも黎明期ならではの実験的産物であり、800DV 以降では、より実践的にリファインしたものと思われる。やっぱリング変調は、楽しい。
なお、ミニコルグ 700Sには「EFFECT」というスイッチがあり、これは内蔵エフェクトを指すのではなく、そもそも 700Sにエフェクターは内蔵されておらず、これは 700 から 700Sになるとき追加された部分、すなわちサブオシ/リング変調/ノイズジェネレーターを一括して on/off するスイッチである。おおざっぱに言えば、これを発展させたのが 800DV のミキサー・セクション/リング変調/ノイズ・ジェネレーターとも言えよう。 いずれも、あいかわらず今となってはまぎらわしい名前なので注意。
VCO のさらに右には: ・ビブラート関連スイッチ ・「BENDER(ベンダー)」関連スイッチ ・ポルタメント FIXED/off/VARIABLE スイッチ ・ビブラート・デプスのスライダー ・ビブラート・スピードのスライダー ・「BENDER デプス」のスライダー ・「BENDER スピード」のスライダー ・ポルタメント・スピードのスライダー と、いわゆるモジュレーション系が並ぶ。
ビブラートは、on/off のほかに、ディレイ・ビブラートも選べるのが気が利いている。
次にある「BENDER」とは、いわゆるピッチベンダーとは関係なく、オートベンド、すなわちアタックだけのピッチ EG。そもそも 800DV には、ミニコルグ同様、ピッチベンダーもモジュレーションホイールも、後世コルグ独自のコントローラとなるジョイスティックもついていない! 800DV のオートベンドは、ベンド・アップとベンド・ダウンとが選択でき、ベンドする時間もスライダーで調節できる。ミニコルグではベンドアップのみで、ベンド時間も固定だった。音源波形を三角波にしてベンドアップさせると、喜多郎が好んだ口笛みたいなシンセリードになる。
ポルタメントは普通のアナログシンセのポルタメントなのだが、3段スイッチにてかかり具合が選択可能。VARIABLE にすると、ポルタメントスピードを可変できるスライダーが生きる。FIXED にすると速度固定でポルタメントするが、なぜか私の個体では非常に遅くて使いものにならない。喜多郎の「シルクロード」にて、要所要所で効果的に使われていたのが、懐かしい。
ここまでの各セクションは、UPPER と LOWER 個別に存在し、そのため 800DV は、上記の操作子をすべて2つずつ持ち、この翌年に出た Oberheim Two Voice と同じく完全2系統のシンセとなっている。VCF と VCA まで2基ずつあるのがポイントで、のちの MP-4 "MONO/POLY" や POLY-800 のように オシレーターだけ複数あるというパラフォニックではなく、ほんとうに2音ポリシンセとして動作するので弾きやすい。 フロントパネル上にならんだ、上下2つのシンセ操作子群は、なかなか壮観ですらある。
さて、ここからは1台につき1系統しか存在しない謎のセクションたち。UPPER/LOWER 各シンセ独立ボリューム・スライダーは見ただけで意味が分かるが、さらにその次にあるのが、謎のセクション「REPEAT(リピート)」。 そこにあるのは: ・REPEAT スピードのスライダー ・REPEAT 形状のスライダー ・REPEAT モードのノブ:値が off のほかに A、B、C、D、E とある
このリピートを動作させるとトレモロ効果が得られるので、ついつい VCA LFO かと思ってしまうのだが、よっくよく挙動を調べてみると、じつは EG とベンダー(前述のオートベンド)を周期的にトリガーしているため各ゲート信号を周期的に開閉する、という変態機能らしい。黎明期の混沌である。 このためか効果は、VCA LFO 波形にたとえて言えばパルス幅が可変できるパルス波 LFO のみで、これは恐らくパルス波 LFO ではなく、ゲートの開閉であると思われる。なお、このゲートは、UPPER/LOWER 個別に独立して存在するらしいが、考えてみればモノシンセ2台分なんも考えずに搭載しているから当然か。
リピート・スピードのスライダーでは、トレモロの速さを決定できる。かなり高速にできるので、AM 変調の一歩手前くらいのことができる。 リピート形状のスライダーというのは、パルス幅すなわちゲート・タイムを変えるスライダーで、上端ではパルス波状、中央値で矩形波状になり、下端では上端とは逆相のパルス波状になる。
そして謎のリピート・モードのノブ、これが2系統のシンセシスとからんで複雑なことになっている。各モードの解説をすると: ・A:UPPER のみトレモロがかかる ・B:LOWER のみトレモロがかかる ・C:UPPER/LOWER 同期し、同時に、同じ位相でトレモロがかかる ・D:UPPER/LOWER 同期し、逆相でトレモロがかかるので、両者の音が交互に鳴る ・E:UPPER が一度鳴ってからあとは LOWER がずーっと鳴る、らしいのだが、私のは壊れているのか、UPPER/LOWER 同時に鳴ってから、UPPER のエンベロープがトランケートされて LOWER のみの音になる。
というわけで、たとえば UPPER でベードラの音を、LOWER でハットの音をつくって、モードDにすると「ドンチードンチー」と、ハウスなリズムボックスみたいなリズムが刻める。つまり、ちょいとしたシーケンサーまがいなことも可能。このままベードラの代わりにシンベを UPPER で創ると、なんとなくルート弾きっぽくなって調が連想されるから面白い。 UPPER/LOWER ともに同じシンセ音にすると、2音アルペジエイターになる。UPPER/LOWER とで異なるシンセ音にすると、アナログなウェーヴシーケンスっぽくもでき、周期を遅くすれば、アナログのベクターシンセシスふうにも、聴こえなくもない。
これに先述のリピート形状のスライダーをからめると、スライダー上端では UPPER の音は全部鳴るが、LOWER の音はごく短い間しかゲートが開かないのでエンベロープが終わる前にトランケートされて途切れる。中央値では、UPPER/LOWER 均等に交互に鳴る。下端では LOWER の音が全部鳴るが、UPPER の音がトランケートされて鳴る。ということは、モードDにおいてはゲート開閉が UPPER/LOWER で反転しているのであろう。
また、UPPER/LOWER で持続音をつくってレイヤーし、モードAないしBにすると、片方はずーっと鳴っているのにもう片方だけトレモロがかかるという、風変わりなリード音ができる。
出力端子が、UPPER/LOWER 個別にあるので、外部ミキサーのパンで左右に振り、リピート機能を使うと、左右で音が交互に出たり、超高速で左右でパンするような空間演出もできる。
ちなみに、このリピートという機能はミニコルグにもあったが、 ミニコルグはモノシンセなので、ここまで複雑ではなかった。だからますますただの VCA LFO くらいにしか思えなかった。だがこれは、ミニコルグと 800DV ならではの、変態機能。 ミニコルグで、このリピート機能とベンダー機能とを効果的に使った例として、ヴァンゲリス「天国と地獄 パート2」の最初のほうに出てくるコウモリの鳴き声をイメージした効果音がある。この効果音は、しばらく不気味にひっぱったあとリピートとベンダーとを解除され持続音となり、そのまんまながらに一転して哀愁をおびたメロディラインを少しだけ奏でる。効果音から楽音へのメタモルフォーゼ。ここにシンセならではの、音色変化のおもしろさ、リアルタイムにモーフィングする楽しさが垣間見える。
そして 800DV 最後が究極に謎のセクション、その名も「TRANSPOSE(トランスポーズ)」。もちろんこれも、キー・トランスポーズとは何の関係も無い。これはいわば、キー・アサインの方式を変えているようなセクションで、あるのはただ二つのスイッチ: ・左スイッチ:値はAとBのみ ・右スイッチ:値はCとDのみ だけ。 してその動作は: ・スイッチ群を AD という組合せにすると、まず最初の打鍵で UPPER のみが鳴り、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば LOWER が鳴る。 ・スイッチ群を BC という組合せにすると、まず最初の打鍵で LOWER のみが鳴り、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば UPPER が鳴る。 ・スイッチ群を AC という組合せにすると、UPPER と LOWER がレイヤーされて同時に鳴るモノシンセとなる。ただし、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば、UPPER と LOWER が分離してばらばらに鳴る。UPPER が高い音、LOWER が低い音の鍵盤で鳴る。 ・スイッチ群を BD という組合せにすると、最初の打鍵では音が出ず、次の打鍵で2鍵同時に鳴る。これも UPPER が高い音、LOWER が低い音の鍵盤で鳴る。
つまり: AD ないし BC にて、UPPER/LOWER を同じ音色に設定すると、2音ポリシンセとして動作する。モノシンセとして単音弾きすると、AD で UPPER が鳴り、BC で LOWER が鳴るので、UPPER/LOWER とで違う音色にすれば、AD と BC とを音色メモリーがわりに利用でき、瞬時に音色切替ができる。じつは単に UPPER と LOWER とを切り替えているだけだが。 さらに最後の BD モードにて、UPPER/LOWER を同じ音色に設定すると、高速のコード・カッティングができて便利。違う音色にしても面白い。 というわけで、シンプルかつ難解ながらに、いろいろ使いみちがあるセクションである。
なお、どのモードでも、2つ鍵盤を押したとき、かならず UPPER は高音に、LOWER は低音にアサインされる。どうやら UPPER は高音優先のモノシンセ、LOWER は低音優先のモノシンセらしい。 両者を違う音色に設定すると、レガート奏法することでキースプリット効果が、それもフローティング・スプリットポイントみたいな演出ができる。当時、これを利用し、LOWER でシンベを、UPPER でリード音を創り、左手でシンベを弾きつつ右手でリードとを弾くことで、アクアタルカスを再現していたデモンストレーターがいたとか。 この状態でさらに LOWER のみにリピートをかけてこの奏法すると、シーケンスベースとシンセリードによる合奏ができる。 逆に UPPER のみに高速でリピートをかけると、シンベとトレモロリードによる合奏ができる。UPPER/LOWER 両方にリピートをかけても、いろいろ実験できてたのしい。
よぉこんな機能や名称の数々、考えついたな。

なお、KORG 700 系はもっと変態で、もはや VCO/VCF/VCA という区別も無く、あらゆるパラメーターがごちゃまぜになって配置されている。なので、パネルの回路と、中の音源回路とが、無関係に配置され接続されている���思われる。

どんなパネル配置かというと、鍵盤下、左から右へと: ・ボリューム・スライダー(VCA) ・トラベラー(VCF) ・原始的な音量 EG 関連(例のアタックとかシンギングとか言うやつ:VCA) ・オシレーター・フィート切替ノブ(ピッチ切替ですな:VCO) ・音源波形の切替ノブ(VCO) ・Expand という、EG を VCF にあてはめるスイッチ(VCF) ・Bright という、レゾナンスをつかさどるスイッチ(VCF) ・EG リリース・スイッチ(VCA) ・オートベンド・スイッチ(VCO) ・リピート機能スイッチ(ゲートと各種トリガー?) ・ヴィブラート・スイッチ(VCO) ・ディレイヴィブラート・スイッチ(VCO) ・ポルタメント・スイッチ(VCO) ・リピート速度スライダー(ゲートと各種トリガー?) ・ヴィブラート速度スライダー(VCO) ・ヴィブラート深度スライダー(VCO) ・ポルタメント時間スライダー(VCO) ・電源スイッチ ・チューニング・スライダー(VCO) とまぁ、むちゃくちゃでっしゃろ。さらに七百式改では鍵盤左横にサブオシ関連、リングモジュレーター関連、ノイズジェネレーター関連の操作子が、これまた、むとんちゃくに配置。えらい混沌。 まぁ鍵盤下に並んだパラメーターは、おおざっぱに言えば基本的な設定を左半分で行い、それに対し効果を右半分で加える、という思想で配置されているようにも思える。
●拡張性
皆無、と言いたいが:
・背面に「ATTACHMENT FROM」という端子と「ATTACHMENT TO」という端子:これは、UPPER/LOWER 個別に外部エフェクターをカマせる、つまりエフェクト・センド/リターン端子 ・UPPER/LOWER 独立にトラベラーのカットオフを開閉できるフットペダルを接続できる端子 がある。
前者を活用すれば、UPPER/LOWER で異なるエフェクト処理ができる。外部アウトボードギアを「アタッチメント」と呼んでいるあたり、時代である。 後者の端子は、当時のコルグ独自の形状になっていて、通常のフォーンジャックなどではない複雑な複数ピン仕様のものである。CV を可変できるような独自のフットペダルがあったに違いないが、見たことが無い。
そして最後に音を出す出力端子は、前述の通り UPPER 用の出力端子と LOWER 用の出力端子とが個別に用意されており、リピート機能などを使った曲芸的な空間演出ができるほか、ふつうに両方で同じ音にして別々のスピーカーから鳴らすと、微妙な音程・音色の違いから空間合成式のステレオ・コーラス効果が生まれる。あるいはここでも UPPER/LOWER で、別々のエフェクトをカマすこともできて便利。
●あなたにとっての長所
いやー、こんだけ音も仕様も個性的なシンセはなかなか無いでしょう。ええ音しまっせー。テープエコーをカマすと、ますます飛べます。しかも少ないパラメーターで、これほど豊かで多彩な音を実現しているところは、ミニコルグと 800DV とに共通する長所。
たった2音とはいえ、和音で弾けるのは大きな長所。モノシンセを弾いてから 800DV を弾くと、ポリフォニックならではの自由度の高さが、じつにありがたい。UPPER/LOWER を違う音にするのも、創意工夫が試されておもしろい。 キータッチもミニコルグより良い、というかミニコルグのがおもちゃっぽすぎる。
●あなたにとっての短所
意外にでかい。ほんで、ごっつ重い! なんでピッチベンダーが無い? 重たさでは、なんでも 16.5kg あるとかで、こりゃたいがいの 61鍵シンセより重たい。 あと、用語や変態機能が独特すぎて、しばらく使わないとすぐ意味や動作を忘れてしまう! そして CV/Gate 入出力端子が無いので、外部からシーケンス駆動できない、手弾きのみのシンセ。
●その他特記事項
忘れ去られた、変り種。
800DV 弾いててなにがすごいって、他には代えがたい音の良さと個性もさることながら、ただ単純に2音ポリのシンセつくりゃーいいとせず、やたらと難解な機能を付加し、2音仕様ならではの、とはいえ思いもよらぬ効果が出るように工夫してあるところ。唯一無比の音にこの変態ぶりの組合せは、先人たちの偉業である。
ここからは純粋に憶測にすぎないのだが、800DV は、のちのポリシンセで使われたデジタルスキャニング・キーボードを採用していない。単に高音優先のモノシンセと低音優先のモノシンセを合体させただけなのだろうが、その結果、変態リピートや意味不明トランスポーズなど、かえってさまざまな演奏というか奏法が可能になっているのではないだろうか。今は滅び去った変態機能の数々は、それら黎明期の、まだ発想が自由だった時代ならではの産物ではなかろうか。
そのせいか、海外では、これを史上初のデュアルティンバーシンセ、つまりパート数が2というマルチティンバーシンセの先駆者として評価する向きもある。しかもいちいち MIDI チャンネルを合わせたり複雑なルーティングを組まなくても、スイッチやスライダーの一発でできるあたり、800DV の操作性はじつは非常に感覚的。 また完全2系統のシンセシスでレイヤーもできたことから、部分音合成が可能なため、ローランド D-50 にあった「パーシャル」という音色単位を早々と実現していた先駆者とみなす向きも、海外にはある。
さらに、独特の用語たち。 たとえば長い音の旅路をわたる旅人になぞらえたという「トラベラー」。これら独自の名称は、800DV だけでなく mini KORG やデカコルグ、770、900SP、M-500SP Micro Preset といった、当時のコルグ機種に共通して使われていた。シンセ黎明期の混沌ぶりをあらわしているこれらコルグ独自のパラメーター名は、なんとかして新しい音創りの世界を、世にひろめようとした努力と工夫であろうか? つまり「かっとおふ・ふりーくえんしぃ」などという技術用語やテクニカルタームをユーザーに押しつけるのではなく、分かりやすく一般的な言葉で、あるいはバーのマスターであった創業者・加藤孟さんならではの粋な言葉で、さまざまな新機能を紹介しようとしたのだろうか? あるいは、はたまた、たんに外国産のシンセを知らなかったために、独自の自社技術でもってシンセの試作機まででっちあげてしまったその歴史から、独自の用語を用いるようになったのか?
事実、同時代のローランド SH-1000 は、すでにモーグ社とコンタクトしていたことがあった経験もあってか、ローランド独自開発であるにもかかわらず、搭載されているパラメーター名は、ほぼ現代のシンセと変わらない。
それでいてなおかつ独自開発だったせいか、ミニコルグの好敵手 SH-1000 は、国産初のシンセであるにもかかわらず、すでにプリセット音色を装備し、しかも複数の音源波形を同時発生でき、おまけにフィート合成までできたという、これまた今のシンセには見られない、独特の個性的な仕様となっている。
800DV に見られるスライダーの多用も、のちのコルグでは長らく見られない。 VCF に至っては、トランジスターを並べたという有名なトランジスター・ラダー型ではなく、ダイオードを並べたダイオード・ラダー型なのだという。 これら原始の混沌からすれば、その次の世代たるコルグ MS-10、MS-20、MS-50、PS-3100、PS-3200、PS-3300 などですら、用語も音色も、それまでのコルグあけぼのの時代とは違う、なんだかずいぶん整然と整理され進化した近代的な機種に思えてくる。それこそ丸ノブの多用から「Cutoff Frequency」という名称の採用にいたるまで、である。
シンセがまだ海外で産声を上げたばかりのころ、それこそアーティストの間ですらまだ知られていなかった時代、メーカーはなんとかしてこの新しい楽器をひろめようと、さまざまに工夫を凝らした。中には今では絶えてしまった機能もあるが、その工夫を凝らした意気込みが、このただの2音ポリシンセにとどまらなかった 800DV には詰まっているといえよう。
そしてミニコルグと違い、操作子を鍵盤の下に置かず、ミニモーグ同様に鍵盤の後ろに傾斜したフロントパネルを設け、そこに操作子を集中させているあたり、単にオルガンに従属した周辺機器にとどまらない、シンセという独自のアイデンティティーを持ったあたらしい楽器が生まれたことを主張しようとしたのではないか。ミニコルグのように王者オルガンに隷属しない、新種の楽器、あたらしい楽器、その誕生ではなかったか。それこそが 800DV の、真の姿ではなかったか。
なによりも、他のどのシンセにもない独特な音。ミニコルグともども枯山水を思わせる、枯れた、だがゆたかで有機的な響きの音。おなじコルグでも、次の世代になる MS-10 や MS-20、PS シリーズとも違う、さらに後の機種とはまったく違う、世界中のどのシンセとも違う独特の個性。これがコルグ・シンセの産声なのか。黎明期ならではの、味のある音である。
忘れ去られた変り種。
喜多郎は、NHK 特集「シルクロード」の中で、ミニコルグ 700Sのサイン波(実は三角波)を、その幻想的な笛のような唯一無比のサウンドから木管調のリードに使い、800DV の鋸歯状波をまろやかなブラスっぽいソロに使っていたという。 難波弘之は、最初に手に入れたシンセがミニコルグ 700Sというところから思い入れがあるのか、800DV とともによく使っている。しかも未だに 700Sを、ライヴで使ったりしている。難波氏は、700Sにある CHORUS I という名の、ゆっくりした PWM がかかる音源波形を使ったと思われる、のびやかなリード音がお好みのようで、レトロフューチャーなリード音が聴ける。 ヴァンゲリスは、前述の通り初期の名作「天国と地獄」「Ignacio」「反射率 0.39」などで、ミニコルグや 800DV などを駆使していたらしく、それらしい音が随所に聴ける。
彼が自身のトレードマークともなったヤマハ CS-80 を多用するようになるのは、'77 年のアルバム「螺旋」から。そのさらに翌年 '78 年には、クラフトワークがアルバム「人間解体」を発表。そのころには、すでに各社からさまざまなアナログシンセが出現し、それらを駆使したプログレやクロスオーヴァーから広まっており、高機能化・低価格化が進んでテクノブームを起爆させ、ついには伝説の名機の数々として語り継がれることになる。
だが、800DV は、まだそのさらに前の時代、シンセあけぼのの時代の、突出した、それでいてほとんど忘れ去られた先駆者だった。
この混沌とした、だがそれがゆえに今では見られない底抜けに自由かつ奔放な設計思想でつくられたシンセたち。
それらのうち、特に miniKORG 700S は、だがコルグの創業者、加藤孟(かとう・つとむ)氏をして、永遠の理想の名機と思わせたらしい。 その発売から三十年くらいたったころ、彼は TRITON 以来のワークステーション全盛期に、一度これを復刻しようと試作させている。できたものの 15 万円くらいになるというので、量産は見送られが、逆に機能縮小することで安くすればいいんじゃないかという話になった。そこで、とことん仕様を削りまくり倒し、最小限のスペックで誕生したのが、スマホサイズのアナログモノシンセ monotron。
時に 2010 年の春。
ひょうたんから駒、ここからコルグは直球でアナログシンセ復興をかかげ、その盟主となって数々の名機復刻や、新時代のアナログシンセをたくさんつくり、不安定でじゃじゃうまなアナログ回路の設計と量産に関するノウハウを積み、ついにアナログシンセ・リバイバルから 10 年、コルグ最初のシンセ試作から 50 年ちょっとたった 2021 年1月 18 日、miniKORG 700FS として、700S に音色メモリーやアフタータッチ、ピッチベンダー、スプリング・リバーブ、USB、MIDI などなど追加したうえで復刻させた。すでに加藤氏は逝去されたあとであったが、当時のエンジニアだった三枝文夫監査役が復刻に関わったという、原点回帰。
原点にして異形なのか。そもそも異形とはなにか?
これを異形のシンセと見ても不思議ではない。 しかし、シンセとはもともとは自由な存在ではなかったか。既存の楽器からの自由解放。しがらみからの逃走と既存文脈への闘争。なんでもかんでもかっとおふふりぃけんしぃなのは、シンセにあるまじき様式美ではないのか?
というわけで、ここまで過去を総括した上で、なおかつ、今までの歴史も文脈も、この総括も全く関係ない若い世代が、あたらしい世代が、彼らなりの文脈とセンスとで、あたらしく使ってくれることを、期待する。老害は黙ってなさい、自由に育成できる土壌づくりに専念してね。
せやかてシンセは、あらゆる既存からの自由なんやさかい。

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Revision Log; Jan 18, 2021 - First Edition posted
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防衛省がまとめた陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の代替案に関する試算の中間報告では、有力視されるイージス艦2隻の建造費が、地上用レーダー搭載に伴う船体の大型化で跳ね上がり、4800億~5000億円超となった。断念したアショア(2基計4000億円)より2割以上高い。高額な費用が見込まれる国外での性能試験費を含めると、コストはさらに膨らむ可能性もある。
防衛省は、レーダーや発射装置を洋上の構造物などに搭載する別の案も試算したが、自民党内では南西諸島防衛など多用途に使えるイージス艦新造を推す声が圧倒的だ。同省も同艦を軸に検討している。 コストがかさむ要因の一つが、アショアで選定・契約した米ロッキード・マーティン社製のレーダー「SPY7」の洋上配備への転用だ。地上用で高出力の分、既存のイージス艦レーダーよりややサイズが大きく、重い。防衛省によると、搭載には船体を数メートル長く��る必要がある。 レーダーは多数のセンサーブロックを組み合わせており、ブロックの数を減らせば小型化が可能で安くなるはずだが、同省幹部は「アショアで期待した性能を落とさないよう、サイズは変更しない」と強調。海上自衛隊の最新型イージス艦「まや」と比較しても、建造費は800億円ほど高い。 SPY7は開発途上で、完成しても性能確認試験が必要だ。中国の軍事力を念頭に巡航ミサイルの迎撃機能を付加することも検討。アショアのレーダー選定で競合した米レイセオン社のSPY6の場合、米軍の要求性能を満たすためにハワイで実目標を使い試験を実施し、弾道ミサイルと巡航ミサイルの同時探知・追尾に成功。同社関係者によると、計15回に及ぶ試験費用は15億ドル(約1500億円)とされる。 SPY6は、米海軍が次期イージス艦用に採用したレーダーで、試験費用は米政府持ち。一方、SPY7は日本独自の発注となるため、防衛省は「日本が支払う」としている。海自や自民党内には「製造段階にあるSPY6の方が納期やコスト、日米の相互運用性の面で優位な可能性があり、再選定すべきだ」との意見が根強くある。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2200899に関してコンビニのカウンター下やスーパーの冷蔵ショーケースに塞がれた手洗い場食品販売施設に必須だったので形だけつけてある。カウンター下手洗い場で手洗いするのは困難。各都道府県の条例により設置義務が決まるが、平成19年通達により設置義務緩和のガイドラインが定められたので、以後開業のコンビニなどでは無い場合がある。 コンビニのカウンター下手洗い場+イートイン席コンビニの客用手洗い場設置義務は緩和されたが、店内に客席がある場合は設置の義務がある。逆に言うとカウンター下に客用手洗い場があるコンビニでは無工事でイートイン席を作る事が出来た。 人工大理石カウンターの下にシンクコンビニカウンターの向こう、壁側にもカウンターがあり、肉まんホットケース、タバコ棚が並んでいるが、一部は天板取り外しが出来てその下には二槽式シンクがある。食品を売る店舗では複槽シンクが必須だったため(自治体による)。先述のガイドライン策定により、洗うのが器具だけで食品を洗う必要がない場合は複槽である必要なしと規制緩和。 レーサーレプリカバイクの後席のバンド二人乗りをあまり考慮していないレーサーレプリカやスーパースポーツタイプのバイクの後ろシートの前の部分には目を凝らさないと判らないようなバンドが存在する。例:NSR250R https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPGこれはデザイン上の飾りではなく、後部乗員用が手で掴まる「シートベルト」で、道路運送車両の保安基準(道路運送車両法の政令)で定められた乗車装置である。撤去すると車両法違反となり車検がある車種では車検が通らない。 鉄道振替輸送とSUICA切符の発行、購入は目的地に輸送するという旅客運送事業の契約成立であるので、不通が生じた場合には振替輸送が供される。契約不履行としての代替手段である。Suicaなどでは���の契約が成立していないので振替輸送を受益する事が出来ない。しかしそのSuicaで切符を買ってしまうと旅客運送契約が成立するので振替切符を交付してもらえる。 手荷物輸送運輸業には旅客と貨物の免許がありそれぞれ別物である。故に旅客免許しか受けていない鉄道会社、バス会社は貨物輸送を受ける事が出来ない。フェリー航送は車の持ち主の乗船が必須。だが客の手荷物を別料金、別列車で輸送するという建前で単独輸送する託送手荷物制度が存在する。また、託送荷物には速達性が求められる新聞も加わり、その流れで映画館で放映するニュースフィルムも託送された。ところでセルロイドは爆薬(硝化綿、無煙火薬)から作られるものであり、易燃性で暑い時に勝手に発火することもある。この為に担ぎ屋が持ち込んだタバコパイプ等が発火して火災になる車両事故などが多発して持込が禁止されていた。だが昔の映写フィルムはこのセルロイド製であったので、夏にバス運転席前に置かれた託送手荷物の映写フィルムが突然激しく発火、バスの出口が前一か所だけなので満員の乗客が逃げられずに多数が焼死という事故が何件も起きている。国鉄が廃止したのを皮切りに今は手荷物輸送は殆ど行われていないが、夕方などに客室の一部をロープで締め切って新聞を託送する電車はいまだ存在する。 ソープランドのサービス売春は禁止されているが、ソープランドでの性行為は「自由恋愛が発生したので」黙認されている。 ウリ専男性の売春であるウリ専は認められている。売春は異性間性交であるとの暗黙の了承による。 「ヂーゼル」などの外来語表記明治文明開化以降、大量の外来語が入ってきた為に、小文字カナの使用が始まる(捨てガナという)。明治政府は、政府の公文書や法令での捨てガナの使用を禁止。これに新聞社や大企業なども倣ったため、お堅い業種や監督官庁がある分野では外来語表記に捨てガナが無い表記を工夫するようになった。機械や自動車工学では整備士など国家試験があるので「ディー」と書けず、「ヂー」を使うようになった。この捨てガナ規制は昭和63年に解除された(昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』)。よく「キューピー社の正式名称は『キユーピーだ』というトリビアが開陳されることが多いが、以上の経緯からナンセンスなインチキトリビアである。「キューピー」や「QP」で登記できなかったからであって、古い外来語名企業は全て捨てガナ表記されていない。(ローマ字やアラビア数字で登記出来るようになったのは2002年11月1日:商業登記規則改正) 裁判での陳述裁判では判決は言い渡しし、口頭弁論などは陳述する事になっている。その為に準備書面を予め提出し、廷内で「書面の通り陳述します」と言うと書面の中身を法廷で話した事になる。 ネット選挙一般的なインターネットとはWWWの事で、ハイパーテキストによる出版であるから出版が準用されて、ネットを通じた選挙活動というのは禁止されていた。が、ガバガバな状態であった。だが公職選挙で出版が制限されるのは出版や印刷には金がかかり資金の差が獲得票数の差になる事を避けるための規制であるから大して金が掛からないWWWでの運動を規制するのは立法趣旨に反する。という事でWWWでの文書図画の公表、頒布は限ってはOKという事にした。但し電子メールアドレス表示必須である(守られてない)。電子メールでの活動は候補者以外は禁止のままだ。 輸入バスの後部脱出ドア数々の車両火災によりバスの後部、出口と反対側には脱出用のドアの設置が義務付けられている。だが外国製バスには無いものが多い。普通は改造しないと型式取得が認められないが、連接車など特別な用途のモノの場合、ガラスカチ割り用のハンマーを後部席に設置してあるから特例的にKという形になっている。 差金の目盛り計量法は日本の旧尺貫法での表記がされた計量器具の製造販売を禁じている。だが建築内装などでは旧尺貫法に準じた長さが未だ標準となっている。そこで、差金の裏に尺に準じた目盛りをメートル表記したものが売られている(尺相当目盛り付き長さ計)。国会で審議されてこれは合法というお墨付きが出た。 三輪自動車のドア海外で製造された三輪トラックなどを日本に輸入する場合、普通自動車としての型式は取れないので、ドアを撤去してサイドカーとして登録する。ドアを撤去するのは、サイドカーの条件として「ドアが無いこと」となっているから。冬は寒いが幌は禁じられていないのでビニルレザーでドア型幌を作って付けても大丈夫かと思われる。なお、50ccの場合はミニカーで登録できるのでピアッジオ・アペ等はドア付きでOkである。 A重油A重油は殆ど軽油で軽油9割、重油1割から成る。軽油には32円/Lの軽油税が掛かるが、道路を走行する車両に搭載されないエンジンで使用する場合その税金は払う必要が無い。その為の油種。トラックが使用したら直ぐに判るように蛍光剤が混ぜられている。 消毒用アルコールIPエタノールには酒税が掛かるがイソプロピルアルコールを少量混ぜて不可飲処置させてあるので酒税が掛からずに安い。 料理酒酒に塩や酢を混ぜて不可飲処置されているので酒税を回避。つまり不味い。 以上、三つだけ選んでお届けした。
「ガバい法律逃れ」三選
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赦-forgive-
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
エミリーライクステニス二万字インタビュー企画第二回は、最後の加入メンバーにして最年長の赦-forgive-。個性がぶつかり重なり合うバンドの中で確かなベースの主張がありながら人間性はあまり見えてこない。同じベースプレイヤーかつ同年代という共通項で比較的フランクに行われたインタビューで見えて来たのは、彼の見えない人間性ではなく、そもそも人間性という型の無さであった。否が応でもこれまでの型を破り、これからを暗中模索しなければならない今日のわれわれにおいて、彼の型の無い人生観やベースプレイはひとつの糸口となるのではないだろうか
(聞き手・早瀬雅之)
●それではエミリーライクステニスのメンバーそれぞれの二万字インタビューということなんですが、今回は飯田君(赦-forgive)、始めて行きましょうか。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。俺、二万字も話すことあるかな。俺二千字で良いかなー(笑)」
●ははは少ねえよ(苦笑)
「まあ乗り気で頑張ります!」
●それでは生い立ちから訊きたいなと。出身はどこ?
「出身はちょっと色々引っ越してて説明がめんどくさくて」
●それは親の都合で?
「そうだね。親の社宅が色々転々と場所が変わっていって、生まれた時は千葉に住んでいて、2歳で渋谷区の恵比寿に引っ越して、小学三年生の時に川崎市の等々力競技場の近くに引っ越して、そっから長くて、高校を卒業したあたりで横浜へ。横浜は親が家を買って。川崎市が一番長かったかな」
●ああそうなんだ。まあざっくりいうと関東圏内を転々と、って感じだね。
「そう転々とっすねぇ。だからこれと言った地元っていう感覚が分からなくて、大学の時とか地方から来たやつが半分以上だったから『休みに実家に帰る』みたいな話を聞くと地元に帰るっていう一つの儀式みたいなものが羨ましかったりした。地元があるっていうことは自分のルーツがしっかりあって逆にそういうのがない自分はルーツはわからないから自分は何者なんだろうというフワフワした感覚が昔からあって。親の出身も二人とも関西だし。ずっと『ここは自分の居場所なんだろうか』っていう正体不明の違和感がずっと付き纏っていた。裏を返すと『ここも、ここも地元だよ』っていう風にどこでも出しゃばっているけど、とにかく地元があるやつはみんな羨ましかった」
だんだん距離感とかわかってくるんだろうね、近すぎず遠すぎず。
●家族構成はどんな感じなんでしょう?
「父親、母親、それで姉二人」
●姉二人か、へぇそうなんだ。兄弟の仲とかはいいの?
「あー、どうなんだろうね、自分の家族しかわかんないし客観的に考えたことなかったなあ。うーん、どうだろう。仲が良いっていうのはどういうことを言うんだろう。そういえば早瀬くんは兄弟いるの?
●俺は弟がいるよ。
「へえ、仲良い?仲良いっていうのは一緒に遊んだりっていう感じなのかな」
●子供の頃はそうだね。子供の時だったら一緒に遊んだりっていうのが仲良いってことじゃないかな。飯田くんは子供の頃どうだったの?
「そうね、小さい頃は結構、姉が友達と遊んでいる時に、一緒に遊びに連れてってもらって、まあ姉の友達に可愛がられたり、甘やかされたりしたよね。(だんだんと思い出して)ああ、でも真ん中の姉には小さい頃すげえいじめられてた気がしてきた。三人兄弟ってさあ、一番上はまあ親にとって最初の子供だからすごく可愛がられて、それで一番下はまあずっと甘やかされてチヤホヤされるじゃん。そうすると、真ん中の子って可愛がられる期間が短いし、末っ子は可愛がられてるしで、ひねくれたりするんだよね。
●なんかそういう傾向はあるよね、三人兄弟は。
「それでさ、小さい頃の家族の写真、俺泣いてて、隣で姉がにやけてたりすんの。大きくなってから何で俺泣いてんのかって思って親に聞いたら、写真撮る直前につねられたりしてたわよ、って」
●(笑)
「甘やかされてる弟にムカついててて、俺がなんか憎たらしいことを言ってそれを親に訴えたところで『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』っって言われるだけだから、陰でこっそり俺にヤキを入れていたんだろうね。あるいは単純にいじめてたか」
●はいはいはい(笑)
「でも高校生とか、大人になってくるとそういうのは段々となくなっていって、いつも普段はそんな会話する方ではなかったんだけど、むしろ節目とかことあるごとに俺がどうしようとか悩んでると『おい、あのな、』と的確なアドバイスとかくれたりして、『え、何で俺のことそんな知ってんの。』って不思議に思いつつすげえなあってなったりして。あんまり喋りはしないのに。よく見てんだね、姉というものは。ああ、今まで生意気なこと言ってきてごめんなさいって。
●いやでもいい関係ですね、それ。
「だんだん距離感とかわかってくるんだろうね、近すぎず遠すぎず。人間関係は適度な距離が大事と言うことを学んだし、姉は偉大だと」
●なるほど。
●子供の時は客観的にどんな子供だったと思う?
「うーん、やっぱり客観的に考えるのは苦手だな、、、。まあ喋んなかったね。
●結構無口だったんだ。
「無口だねえ。自分の主張とか苦手だね。授業中手をあげたりしないし、友達作ったりとかも積極的にしないし。学校帰りとかに友達んちにゲームしに行ったりとかはまああったけど、家で一人でなんか一人遊びしたり図鑑を読んでたりしてるのが多かったなあ。
●積極的じゃなかったんだね、意外だなあ。
「え、そう?俺の中では今も全然変わった感じしないんだけどなあ」
●あ、そう?(笑)
「そう(笑)」
●内気な少年だったんだ。
「そうね、小心者だし。あまり目立ちたくないんだよね。何事も傍観していたい」
●将来の夢とかあった?
「それね、そういう質問になるよね!」
●内気な少年は何になりたかったの?
「無い!その時どきでみんながなりたいようなのになりたいっていうのはあったけど。プロ野球選手とか、パイロットとか、他色々。
●ベタなとこね。
「ベタなとこはあったけど、『絶対これになりたい!』っていうのはなかったねえ。多分、自分の将来を思い描いてなかった、描けなかったんだろうね。あ、これいいね。ここ使ってよ!『内気な少年は、見えない未来を思い描くことが、出来なかった・・・』」
●はいはい(苦笑)
こんな中学行きたくねえ、こんな世界絶対抜け出してやる!
●中学校の時とか部活何やってたの?
「そりゃ将棋部っすよ」
●あっ!本当に将棋やってたの!?
「本当に将棋部なんだよ!」(注:赦-forgiveは一時期「将棋部」と名乗っていた)
「話が脱線するんだけど、ビーストとかドラゴンが実名でやると名字が珍しいから仕事的にまずいかもみたいなのでステージネームを決めるって話になって、俺は全然支障ないし、ありふれた飯田と言う苗字だし別に飯田で良いんだけどなーって思っていたんだけど、飯田さんも揃えてつけましょう!って流れになって、それでビーストが『飯田さん、〈DJボカロP〉か〈囲碁部〉にしましょう!」って言ってきて。
●なんだよそれ(笑)
「なんだよそれだよな。まあ『DJボカロP』は無いじゃん。俺そんな面白い名前背負える自信ないし、そんな名前つけるほど派手な真似できないし」
●まあそうだね(笑)
「それで消去法で〈囲碁部〉が残るんだけど、実際に将棋部だった手前、それを名乗るのは俺は許せないわけよ。『いや、囲碁できねえし、将棋部だったし!』って感じで、『じゃあ〈将棋部〉でいいかな』って」
●そんな話だったんだ。
「それでまたね、一年かそこら将棋部でやってたけど、将棋で藤井くんって怪物が出てきて、将棋ブームがやってくるわけよ。俺、将棋部入ってたけど、全然部活熱心に行ってなくて、ほぼ帰宅部だったから、これまた背負えないわけよ、『将棋部』という看板を。おこがましすぎるじゃんよ。それで『将棋部』に似た音の、ショウギブ・・・・・フォーギブ・・・forgive(赦す)・・・・これだ!・・・っと」
●それが名前の由来だったんだ。それでも意味わかんないけどね。
「うちのバンドの意味のわからなさは今に始まったわけではなく。まあもう、飯田でいいんだけどね、なんでもいいよ。名前はただの記号だし」
●ちょっと話を戻して、中高の頃とかどうだった?やっぱり内気だったの?
「中高の頃は多少変わって喋るようにはなったかもしれない。友達も普通にいたし。そう言えば中学に入る前の、小学生の時もずっと内気だったかと言われると、そうではなかったかもしれない気がしてきた。まあ小さい頃は内気で喋んなかったんだけど、小学校入学してから三年生の時まで渋谷区にいるときは割と学校で騒いでたり積極的に喋ってたりしてた方かも。川崎市に引っ越してからガラッと変わったかもしれない。渋谷と川崎って距離は近いんだけど、結構雰囲気が違ってね。渋谷区って、渋谷駅の雰囲気はまた違うけど、そこで暮らしてる人たちってやっぱり余裕がある人が多かったりして、全体的に落ち着いていると言うかマセていると言うか独特の雰囲気があって。川崎の方は、一般的な工業的な川崎のイメージのある東の方の地域よりもっと西の陸の方に行って、イメージとしての川崎よりももうちょっと落ち着いているんだけど、でもなんか、等々力らへんの、都会っぽさと田舎っぽさが共存しているところで、まあ日本全体で考えると川崎の方で渋谷の方が特殊なんだけど、俺はそこで育ったから川崎に言った瞬間に空気が違うのを肌で感じて、嫌いじゃないし居心地が悪いわけではないんだけど、なんか萎縮してしまって、ちょっとからかわれたりするだけでヘコんで、気の許せる同級生とだけ喋るって感じで」
●ふーん。
「それで、しょうろくになるぐらいに中学のこととか段々意識するようになるけど、それで地元の中学が通学路にあったから毎日様子を見てたんだけど、『あ、やべえ、金髪のやついるし、なんかバット持ってるし』ってなって、もうぬくぬく育てられた気弱な俺はそんな中学で過ごしていく自信なんか湧くわけないから『こんな中学行きたくねえ、こんな世界絶対抜け出してやる!』っていうふうなことで中学受験を決意しまして。親も俺がそういう性格なのはもちろん知ってるから『じゃあ頑張んなさい』と」
●なんか初めて自我みたいなものが見えたね。
「あー。そういえば。いいこと言うね。それまで自我というか、自分で『これやりたい』と主張したことなかったな。初めての自我の芽生えかもしれない。それで、中学はなんかおぼっちゃまみたいなのが集まるような学校だったから、また水が合うのか自然にに過ごせるようになって内気では無くなったかもしれない。まあ中高は楽しく過ごしてましたね。
●ちなみに音楽はどのぐらいの頃から聴いてた?
「どうだっけな。最初は姉が買ってきたりしてたCD聴いたりしてたなぁ。あとは学校で流行りの音楽を聴いたり。特別深いものでもなく、普通にJーPOPを。小沢健二とかB’zとかスピッツとかミスチルとか奥田民生とか。初めて自分で買ったCDは、シングルはラルクだったかなあ。アルバムはTMレボリューションの『トリプルジョーカー』。
●ちょうどそのへん流行りだったね。TMレボリューションとかって小学生の時だっけ。
「いや、中学入ってからな気がするなあ。小学校のときはお小遣いはそんなにないしジャンプとかVジャンプとかドラクエのバトル鉛筆に消えてたから、お小遣いが増えた中学生の頃だったと思う。(注:赦-forgive-と早瀬は一学年の差があり、一九九八年のTMレボリューションやラルクアンシエルが流行った時期は赦が中学一年生、早瀬が小学六年生でお互いの認識はそれぞれ正しい。)
「中学のときも流行りの音楽を聴くだけで、意識して色々聴き始めたのは高校生になってからかな。友達たちもみんなそれぞれ音楽的に趣向が出てきて、情報交換、というか『これやべえいいぞ』とか教えてもらって、NOFXとかRED HOT CHILI PEPPERSとかRAGE AGAINST THE MACHINEとかRADIOHEADとか王道なのから、SLAYERみたいなスラッシュメタルだったりJOHN ZORNだったり、でもJUDY AND MARYめっちゃ聴いてたり。一番学校でやっべえぞってなったのが、AT THE DRIVE INで。そんで、高校ではいわゆるミクスチャーとかメロコアと呼ばれてるのが流行って俺もだいぶ聴いてたけど、高三になったあたりでUKロックがロックリバイバルになった頃で、このあたりが一番ダイレクトに影響受けたかもしれない。FRANZ FERDINAND、THE MUSIC、THE CORAL、がかなり大学生になってロック研究会とブルースサークルに入って、そこから一気に世界が広がったかもしれない。50年代とか60年代のロックやブルース、そしてソウルとかファンクとかの世界を知った感じ」
●親の影響とかは有ったの?
「父親はなんか、楽器はやってなかったけど音楽を聴くのはすごく好きだったみたいで、めっちゃ大量にCDを買い漁ってて、それがアメリカのカントリーとかサザンロックとか、ジャズとかクラシックとか大量に千枚とか二千枚とか家に有って。なんか馬鹿高そうなオーディオとか買ったりして。ロック系だったらオールマンブラザーズとかアルクーパーとかフェアポートコンベンションとかリトルフィートとか、あともちろんビートルズとかも。別に父親と仲が良いとかもなく、父親もそんなに会話する方じゃなかっし、音楽とかそういう話はした記憶がないんだけど、父親が高そうなオーディオで垂れ流してるのを俺は自然と聴いて、『あ、これ良いな。』とか心の中で思っていたり、思わなかったり。あとは、姉がエレクトーン習ってたりしたのと、俺の幼稚園の同級生のお母さんかおばあちゃんか忘れたけどピアノの先生をやってたから、それがきっかけで俺は幼稚園の時からなんとなくピアノ習ってて、引っ越す小学校三年生までやってたかな」
●あ、ピアノやってたんだ。ピアノってなんか音楽というかベースに役立ったりしてる?
「それね、めちゃくちゃ役立ってる。楽譜読むのとか基礎的な部分とか、和音の構成の知識がついて、それでベースライン考えられたり。この音出したいなら、フレットをこんだけ移動スレばこの音になるんだなとか検討ついたり、ベースやるなら他の楽器もやった方がいいというか、他の楽器を始めてからベースをやった方がいいと思う。いきなりベースやると基本的に全体のことが良く見えなくて、無意識にコードがCだったらドを弾かなきゃみたいな。でもCだからってドを弾かなきゃ行けない訳ではなくて、他の音を弾いてもいいし、逆にここはドを絶対弾いた方がいいみたいな、色々考えるには他の楽器やってからの方がいいベース弾けると思う。それでその楽器の経験とか知識がベースに組み合わさって面白い発想のベースが弾けると思うし。俺のベースは変わってる、みたいなことを言われることが多くて、自分では『どの辺が?』と思うけど、これは多分俺はベース始めたときにギターを触ったことなくて、鍵盤をベースにしてたりするからかなあと。まあ音楽的な話はつまらないからこのぐらいでやめよう。
●ベースを始めたのはいつ頃になるの?
「人生のたいていのことはあんまりはっきり覚えてないんだけど、ベースを始めた時期はよく覚えていて、中学二年の時。さっきの話に通じるけど、俺は中学の頃は今で言ういわゆるキョロ充みたいな奴で、オタクな奴とも仲良いし、嫌いな言葉だけどスクールカースト的に上位の、流行の最先端を追いかけてる奴とかとも仲良くて、それで、上位の奴とかが『バンドやろうぜ』みたいなブームが中二くらいで出てくるのね。俺は、その時はもうピアノもやってないしそれほど音楽にも興味はなかったんだけど、どういう流れか忘れたけど『飯田もやれよ。』ということになって、それで『ベースいないから、お前ベースな』って言われて。『ベースって何それ?』という感じで。俺も、よくわかってなかったけど楽しそうだから『じゃあやるわ。』と。その頃は、バンドというのもよく知らないし、ギターとベースの違いとかも全然わからなかったんだけど、それで友達の家で、その友達は医者の息子で吹奏楽部に入ってて、千葉に豪邸が建ってて、当時は出たばっかりで高級品のソニーのMP3プレーヤーとか持ってて、『すげえ、いっぱい曲入ってるし!』って興奮したんだけど、そいつはNOFXとかハイスタンダードが好きで、そいつの家でハイスタンダードだったか忘れたけどミュージックステーションの録画でバンドが演奏しているのを見せてもらって、『このでかい方のギターがベースだよ。今度買いに行くぞ』って。『俺は深夜にこっそりエヴァンゲリオンとギルガメッシュナイトを録画したことしかないのに、こいつは音楽番組を録画して、MP3プレーヤーを持ってるし、なんてハイソサエティな世界なんだ!』と興奮しちゃって、ベースやるぞって気持ちがどんどん盛り上がってきて。ちなみに二〇年前のテレビなんか大して低音が聞こえないから、結局ベースの音が一体どういうものか全くわからなかったんだけど。それで数日後にお茶の水の楽器屋へ行って、三万か四万くらいのヤマハの初心者セットを買って、ベースを始めた感じ」
●(笑)じゃあ始めたきっかけは友達の影響って感じなんだ。
「うん。自我が基本ないからね。友達がやってて楽しそうだったらやる、みたいな」
●最初はどういうのやってたの?
「最初はHIDEとかハイスタとか、イエモンとか・・・」
●当時の流行りひと通りって感じだね。
「何かエンリケとかが毛嫌いしてそうな奴��っかだな(笑)」
●高校に行ってもバンドを続けてたたの?
「俺、何事も自分からは始めることってあまりないけど、一回やり始めたらなかなかやめないからね。やり始めたら止まらない。っていうか学校が中高一緒だったんだよ。中学から同級生みんなそのまま高校へっていう流れがあるから普通にやってた。ベースやってみたら、『あ、結構楽しいじゃん』って、ずっとやってた。
●バンド組んだら、文化祭とか、発表の場とか、自分で作ったことはある?
「文化祭ライブは前からあったんだけど、うちの高校は軽音部みたいなのが元々なくて、ちょうどうちの代の人達が『軽音部作ろうぜ』ってなって軽音部を作ったね。俺はまあ傍観してただけだけど。スーパーガンバリゴールキーパーズの抜けたメンバーとか、同級生なんだけど、そいつらが積極的に動いてた。
●あ、同級生だったんだ。
「そう。実は」
●それが高校時代。そっから大学になると思うんだけど、進路とかどういう風に決めたの?
「いやー、進路が難しかったんだよね。何しろ将来の夢とか具体的になかったから。大学、学部どうしようって。
●大学に行こうっていうのは決めてたの?
「高校がみんな大学受験するって感じの高校だったから、大学受験する以外の選択肢は特に無くて、大学受験するっていうのだけ頭にあって、『とりあえず勉強頑張って、一番行けたところに行こう』と」
●高校の時って頭良かったの?
「学校の中で?」
●うん。
「いや、全然。二八〇人くらいいて、大体二五〇位とか二六〇位とか」
●低いね(笑)
「高二ぐらいまで五年間勉強はほとんどしないでゲームとバンドしかやってなかったからね。さすがに高三になって、『さすがに勉強しないとまずいな』って。自分の中で何も勉強しないで適当に卒業して適当に大学行ってたら人生に何も残らないで後悔するだろうなって危機感が湧いてきて。とりあえずやることはちゃんとやろうと思って。結局高三になってからそんなんじゃ現役では受からないから浪人することになるんだけど」
●すごいね。また自我らしきものが出てきたね(笑)
「そうなんすよ」
●それ以外は流されるままに生きてるね(笑)
「そうだね(笑)」
●やっとこう、自分の意志で、ていうのが出てきましたね。
「高三の時にね、学年のボスと同じクラスになって、なんか急に仲良くなって。野崎くんっていうんだけど。野崎は中学からマジ怖くてね。蹴られたりとかしてたんだけど、高三になって同じクラスになってから急に仲良くなって、一緒に学校帰りに自習室に行ったり。野崎が「俺は将来弁護士になりたいから中央法に行く」って言ってて。俺も影響されてめっちゃ勉強して」
●学部はどこ?
「経営学部ってとこで。これはなんでここかっていうと、ここはセンター試験の点数だけで良くて、俺はセンター試験でめちゃくちゃ点数とったから、センター利用でこことあと何個か合格して、行きたかった私立は滑って、結局まあ自分なりに頑張ったでしょとここに落ち着いて。経営学部は、まあ全然興味なくて本当につまんなかったね。もっときちんと学部を調べればよかった。
●サークル的なものは?
「最初、映画研究部っていうところに入って、これは単に部室が居心地良かったからなんだけど、これも映画が全然好きじゃなくてね。ここでも自我が無いな(笑)」
●バンドのサークルはどうだったの?
「最初入ってなかったんだんだけど、経営学部にやっぱり授業出てなかったりで友達いなかったんだけど、大学にマルチメディア文化課程っていうとこがあって、何するかよくわかんない学科なんだけど、まあ日大芸術学部みたいなとこなのかな。そこに入ってくる奴はもう変な奴しかいなくて、映画研究部にもマルチのやつがいっぱいいたからマルチのやつと仲良くなってって、そいつから『マルチのやつでバンド組みたいやつがいてベースいないらしいんだけど、飯田くんやる?』っていう流れになって。マルチのKくんっていうのが組もうと言ってて、そのKくん含めてマルチの三人と俺とでバンドやり出して、それでロック研究会に入りました。
●バンド組んだのが先だったのね。
「そう。でもこのバンド、そのKくんとは”音楽性の違い”でKくん以外の三人で活動するようになるんだけど(笑)」
●大学行ったらバンドを続けよう、あるいはやめようみたいな気持ちはあったの?
「あー、最初はやろうと思ってなかった!『バンドなんて将来の役に全然立たない』っていうのがあったから、いつやめようかなあって。最初は大学で勉強しまくるぞって。でもやっぱり大学は水が合わないし、学部は全然つまらないし、受験で燃え尽きてたし、でも、なんかバンドは楽しいじゃん。それ大学行かずにロッ研だけは行く、みたいな」
●バンドはどういう感じの活動だったの?
「最初は横浜のライブハウスに出たりしてて、そのうち下屋根のオーディション受けに行こうってことになって、俺はそん時仕組みをよくわかってなかったから『オーディション!?やべえじゃん何それ!」ってなってて、後から考えると屋根裏のはそんな大袈裟なものじゃないと気づいていくけど、俺たちはオーディション受かったぞ!うおおお!みたいな自惚れみたいなもので興奮して、屋根裏とかに出るようになって。そん時に太平洋不知火楽団とかオワリカラとか対バンで見てたりして。向こうは俺たちのことなんて何にも覚えて無いと思うけど。俺たちは謎の根拠の無い自信で調子乗ってて、もっといろんなバンドと交流しておけば良かったなと後悔してる。あとから三年か四年後とかに、太平洋とかオワリカラとかやべえぞ!みたいな。そん時俺は『同じようなところで出てた同世代のちゃんと頑張って活動してるカッコイイバンドはどんどん結果出してるじゃん。何やってんだ俺は。』ってやる気どんどん無くして行って」
●そのバンドはいつぐらいまでやってたの?
「いつまでやってたかな。他にもサークルで組んだりとかもあって・・・、四、五年くらいやって���自然にやらなくなっていったかな。あ、ちなみにそのバンドのやつ、放送研究会にも入ってて、エンリケの先輩になるんだけど、性格に癖が強すぎてエンリケがそいつをめちゃくちゃ苦手でね。まあ俺は同級生で同じバンドだからそいつのこと面白くて良いけど、確かにこいつが先輩だったらめちゃくちゃ嫌だろうなって(笑)エンリケが『バンドはカッコイイし、飯田さんは良い人なんですけどね・・・』って(笑)今は『飯田さんのベースは認めるけど、人間性はね・・・。』って、真逆のことを言われてるけど(笑)」
●エミリーライクステニスに入ったのはどういう流れ?
「前々からエンリケが『飯田さん、ベースやってくださいよ。ブボンペキペキってやつを』って言ってくれてたんだけど、俺はずっと断ってたの。先輩とやったらエンリケが遠慮して、自由に出来ないで堅苦しいだろうなって。そのあと、やってたバンドもやらなくなって、就職もしないでずーっとゲームとかして虚空を見つめて人生無駄な期間過ごしてて、ちょうどエミリーライクステニスの先代のベースが抜けて。『もう、飯田さんしかいません。』って。『じゃあやる。』って。二〇一三年だったっけな。もう七年くらい前か」
あれ?これはめちゃくちゃカッコイイぞ。
●それまでは、エミリーを外から見ててどんな印象だった?
「そうね、最初は三人でやってて、横浜のライブハウスとかに見に行ったりしてて、なんかまあ、俺もバンドやってるから、『エンリケのやりたいのはおそらくこうこう、こんな感じなんだろうな。』って頭の中で補正しながら見てて理解はできたんだけど、やってることは甲高い声でエンリケが叫んで、速いリフの応酬で、でも全然演奏がめちゃくちゃで、なんかMCだけはまあエンリケのことだから面白い、誰が見に来るんだ、みたいな」
●それはエンリケも言ってたね。『演奏は受けずにMCだけ受けてました』って。
「そんで、しばらくして、先々代のベースがいて、ビーストとドラゴンが入学して二人が入って、四人でやってるのを学祭で見た時に『あれ?これはめちゃくちゃカッコイイぞ。演奏はめちゃくちゃだがこのまま演奏が上達したら良い感じになりそうだな。』って印象になってきて」
●おお。
「でもね、先々代のベースが就職する時に『辞めます。』ってなって、先代のベースが入って。その時は俺は虚空を見つめてたから一回もライブ見てないんだけど。なんかいろいろあったらしいことをエンリケから相談というか報告されてて、それでさっきの話の通り俺が入ることになって」
●なるほど。飯田くんが入ってから、いろいろ幅が広がったし、やろうとしていることの再現度が上がったりしてきたと思いますけども。
「それは褒められてんのかな(笑)」
●そうですね。ライブ中は何を考えていたりするの?
「そうだねえ。色々考えてるけど。むしろ早瀬くんはどういうことを考えてライブやったりしてた?」
●そうね、エンリケとこないだ話したことだけど、『ライブ中何も考えない時の方がいい時が多いよね。』って話をしてて。
「そういうのはあるなあ。でも何も考えないでやるって、昔はできてたけど、最近は、エミリーやってからはなくなったなあ。何かしら考えてやったりしてる。演奏、走ったりとかしないか、とかここでこのタイミングで音変えるぞ、とか考えなきゃいけないことが多くて。エミリーに入ってから無心で無邪気にできなくなったというか。昔は『俺が弾くものは全部ベースソロだぞ。』みたいな感じだったけどエミリーでは支えなきゃいけないなって意識が出てきて。先輩という意識もあったし、俺が演奏面で支えなきゃいけない自覚が出て。これは成長なのかな。まあ演奏以外では別に先輩みたいな威厳とかは全然無いんだけれども。演奏に関してはまあある程度矜恃はあるので。あとはステージの上は恥ずかしいよね。恥ずかしいからビースト全部任せたぞ、って感じで」
俺たちがやる意味あるんですか?
●曲作りの面では、どういった作り方とか、どういう役割?
「難しいよね。一曲一曲違うし、以前と最近ではだいぶ作り方変わってきて。最近はコロナがあってしばらくスタジオには入ってないから作ってないけど。ボツになるのも多いし。なんかいい感じのフレーズができても『こういうの俺たちがやる意味あるんですか?』とか、『面白いところがわからないから無しにしましょう。』とか」
●やっぱ基準が「面白いかどうか」になってるんだね(笑)
「そうだね。具体的には・・・スサノオ先生とかは、ビーストが『東京オリンピックの新しい種目の応援ソング作りましょう!』とか言って、『種目はスポーツチャンバラです。』って。まあ俺も最初は『???』だよね。最終的にブラジルの少年がスポーツチャンバラでヤマタノオロチを倒すみたいな感じで、『じゃあ曲調はサンバのリズムで作るか』とか、うーん、すぐ思いつくのは、スペースパワーで、俺が最初言ったのかビーストが言ったのか忘れたけど、『動物はもういっぱいやったから宇宙で行こう』見たいな感じになって、まあ宇宙って言ったら、Pファンクとか、あとはスペースカウボーイっしょ、って感じで、ジャミロクワイっぽい『ドゥンべべドゥンべべドゥンべべドゥンべべ』ってアシッドなベースを考えて、そっからどんどん肉付けして行って」
●最初にコンセプト的なものが生まれるってこと?
「ここ最近はね。最近スタジオ、二時間入ったら、一時間くらいは会話でずっと大喜利やってるもん。最近の面白いのあったけどまだ曲完成して無いからここでは言えないわ。映画制作みたいな曲の作り方なんじゃない?『このシーンはこういう感じで、次のシーンはこういう感じで・・』ってどんどん」
●展開が一方通行だよね。同じ展開が出てこない。
「繰り返さないね。俺もなんか心配になって『繰り返さないの?』て言ってみたら『いや、繰り返しません。』と」
●ハハハ(笑)一方通行って覚えるの大変じゃないの?
「それがねえ、よく同じこと聞かれるんだけど、むしろ逆で簡単。一方通行で流れがあるから一回覚えたらむしろ混乱がなくて、覚えられるよ。みんながイメージしてるより簡単。並列だと、繰り返しがあると数えなきゃいけないじゃん。例えば、イントロあってAメロが何小節でサビが何小節あって、またAメロで次はサビ二回あって、とか。『あれ?今どの部分引いてんだっけ?』とか、数えなきゃいけないじゃん。そっちのほうが断然頭使わなきゃいけないと思う。直列の方が間違えない。もし間違えるとしたらそれはもう技術的な問題。』
●その、エミリーの曲の作り方とか構造はみんな気になるよね。
「なるのかね。まあ俺もたまに『ん?ん?何言ってるんだこいつら』ってなってるけど(笑)」
●(笑)
「まあ俺はあんまり構成とかはなるべく意見しないようにしてるけど。俺あんま面白い人間じゃないし、三人の方が面白いこととか突拍子ないこととか考えてるから面白いことは三人が考えてればいいっしょって。俺はフレーズ、こここういう方がしっくりくるんじゃない?とかそういう細かいところとか、リフ一緒に考えたりとか」
●そういうところでも役割がいろいろあるわけですね。
●また次の質問に行きますけど、バンドとかやってるけども、最近、普段音楽どういうのを好きで聴いてる?
「あーそうね、最近は・・・。三〇代になると根気とかなくなってきて昔みたいに聴き漁ってはないけど」
●新しいのを掘ったりしたりしなくなってくるよね。
「もともと、他の、バンドやってる人たちに比べては漁ってないと思う。最近はこういうのかっこいい、とか発掘しないね」
●プレイの面で影響受けてるものとかは?
「この話面白いのか疑問だけど(笑)この種の話をしだしたら面白味もなくダラダラ二、三時間くらい続くけど(笑)まあベースに関してもいろんなもの影響してるので全部はあげられないから一番だけ挙げると、生で一番『やべえぞ、このグルーヴは。』ってなったのは、溝渕さん(注:ex.スイセイノボアズのベース)。まあ他にも挙げたらキリがないのでこの辺で」
●はい(笑)
●エミリーに入ってもう長いと思うけど、もしバンドをやってなかったら今頃何やってた?
「何やってたんだろうね。考えられないな。生活の一部だからね。うーん。まあ・・・・・ゲームしてるかなあ」
●あ、そう(笑)
「ゲーム・・・。マジで何してただろ」
●例えば、今(コロナの影響で)バンドできないで家にいるだろうからゲームするの?
「ゲームといえばね、俺さあ、ゲームばっかやってたから、もうかれこれ一〇年以上以上ゲーム買わないで禁止してたわけよ。ずっとやっちゃうから。
●なるほど。
「でもね、そこで今回のコロナよ。俺、久しく一人で旅行とかそういうのしてこなかったから、冬ぐらいに『なんか東京に疲れてきたしたまには一人でちょっと北海道でも行こうかな。』って思って、三月に飛行機と宿を予約したのよ。そしたら見事に北海道で『これコロナじゃないの?』みたいになり始めたタイミングで、『マジかよ。何でこんなピンポイントで。こっそり行こうかな。でも絶対怒られるよな。』って自問自答して。まあ結局行かないで正解だったんだけど。そんで飛行機代は損したけど、あっちで三、四万くらいパッと使うかーって考えてたから、『行けなくなっちゃったなあ。鬱憤ばらしになんか買うか。』って。『そういFF7リメイク出るじゃんか。これだ。』って。それでPS4買って、FF7リメイク予約して、ドラクエⅪとか買って。ちょうど四万くらいだし。三月からもうずっとゲームして。いやもうPS4やばいよ」
●(笑)。俺ゲームやんないからわかんないけどどうすごいの?
「スーファミとかPS1とかで止まってたとこからいきなりPS4になったらね」
●だいぶ飛んだね(笑)PS4になると例えばPS3とかと比べると何が違うの?
「PS3は全然わかんないんだよ。やってないから。でも多分、PS3でも、ムービーとかはすごかったと思うの。でも操作中とかは多分荒くなったり。PS4でさ、まずドラクエⅪやって、動いてる最中もずっと綺麗だから『うわあ、リアルドラクエだ。』って感動して、さらにFF7リメイクやったら、もうフルCGムービー状態で操作できんの。FF7リメイクはなんか賛否両論あるみたいだけど。いやもう没入感がすごかった。それで切れ目がないから��ずーっとエンドレスでやっちゃって、四日くらいでクリアして。五〇時間くらいだったから一日一〇時間以上か」
●えー。熱中しちゃうね。
「だから、バンドやってなかったらそんな生活してたと思う」
●廃人になってたところでしたね(笑)
「別に今も廃人みたいなもんだけど(笑)」
●ふふ(笑)
●なんかこう、今こういう状況ですけど、これが明けたら、なんか『こういうことしたい。』っていうのありますか?バンドとしても個人的にも。
「まあこれは普通にもうね、普通にライブしたい。さっきステージ出るの嫌だみたいな話したけど、やっぱり、生でやるのはいいですからね、バンドは。もう普通にバンドしたい。
●そうだよね。
「そのね、普通にライブできる状態にするには、ライブハウスが普通の状態に戻らないと行けない。でもなんか俺ができることって何なんだろうって。何にもねえなあって」
●いやまあ、このインタビューでもそうなんだけど、エミリーはいろいろアイデアに溢れてるから、状況問わず、面白い発信のしかたがありそうですけどね。
「うん。まあそういう面白いアイデアは三人が考えて、俺は『あ、それいいんじゃない?』って言ってるだけだけど(笑)まあそんな感じでなんかやれたらいいっすね」
●まあ、アイデア豊富なバンドを支える、ベース飯田くんって感じですかね。
「なんか綺麗にまとめようとしてるね(笑)」
●いやでも、一人そういう人がいないと収拾つかなくなると思うんだよね。
「まあバンドに一人はそういう人必要だけど、俺が支えてるかって言われると、うーん。そんな気はしないけど」
●まあ一人そう、受け入れ態勢のある人がいないと、結構ぶつかったりとかも増えると思うし、いいバランスなんじゃないですかね。
「そんなもんなのかね。まあ良いように言うとね。まあなん今回のインタビューで振り返ってみると、小さい頃から『受け入れてる』のかな・・」
●そうっすね。そういう感じがある。
俺ね、面白いやつと一緒にいないと何にも面白くなんないんだと思う。
●今こうバンドやってる上で、その辺の意識というか、バンドを最初始めたきっかけも、周りの影響で始めたとか多かったけど、なんかこう、自分の意志でやってるなって感覚はあります?
「やっぱりあんまない気がするよなあ。かと言って消極的にやってる訳でもないんだけど。俺、多分さ、『こういうのいいんじゃないすか?』って言われて、『それはいいんじゃないか』とか『よくないんじゃないか。』とか『それ面白そうだな。』とか『むしろこうしたらもっと面白くない?』とかが多くて。そんで『じゃあそれやってみよう。』って、やってそれが面白そうだな、って思ったら割と積極的にやってたりする」
●はいはいはい。0から思いつくっていうより、人から提示されたものを重ねて行ったりする方が得意なんだね。
「そうそう。確かにずっとそうだった。0から1にするよりも、1を2にしたり、10を11とか12にしたりは得意だな。改良したりアレンジしたり。
●そこが持ち味ですね。
「俺ね、面白いやつと一緒にいないと何にも面白いよね。俺一人だと全然なんも面白くない。面白いやつと一緒にいたらその面白いやつをさらに面白くさせられるとは思う。だからね、こういうインタビューは、大変ですよ(笑)」
●ハハハ(笑)そうだね。個人のインタビューはね(笑)
「そういうの含めて、自分の話好きじゃないんだよ。『俺の話なんかして、お前、なんか面白いか?』って」
●まあでも、今回は飯田くんの自我がどこにあるのかってい うのがポイントだったと思うけど、今の話でなんか見えた気がする。
「うん。まあ俺は金魚の糞ですよ。コバンザメ」
●ハハ(苦笑)
「なんか面白そうなやつにくっついて、なんか面白そうにしてるだけ。
●まあ、なんか面白そうなものを膨らませる可能性を持ってる感じですね。
「なんかやっぱり上手いようにまとめようとしてるね(笑)」
●いやまあ、この辺で質問ももうないし終わりに向かって行こうかなと(笑)
「いや、でも二千字で終わるつもりだったから思ったより長くなった(笑)」
●じゃあまあこのへんで(笑)ありがとうございました。
「ありがとうございました」
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ネスターゲームズ(nestorgames)について その3
この記事は ボドゲ紹介 Advent Calendar 2019 の20日目です。2016年から参加させて頂いて今回で4回目、毎回「他と被らず自分だから紹介できる(したい)ゲームってなんだろなー」と考えるんですが、今年は昨年と同じくnestorgamesについて書くことにしました。
最初にnestorgamesってそもそも何?アブストラクトゲームって?という方は以前の記事(その1、その2)を見てもらえたら。一言でいうとアブストラクトゲームを中心にリリースしているスペインのパブリッシャーです。
このnestorgames、ゲームをあまり絶版にしない割にリリースペースが結構早いのが特徴で、10周年を迎えた2019年時点では現行品だけで180種類以上あります。そしてなんと言っても代名詞とも言うべき統一されたペンケース型のシルエットは、プレイ欲だけでなくコレクション欲もくすぐります(この形ではなかったり2個で1つだったりするゲームも一部ありますけどね)。積み上げるとこんな感じ。

これでも現行品の半分くらいで、限られたサイズでここまでバリエーション豊かなゲームを出せるnestorgames恐るべし。
刺さる人には刺さるこの統一感。1つ難点があって、見た目は似ててもルールが全然違うというゲームも多く、初見の人には「どれが自分の好みに合いそうかさっぱり分からん!」となりがちです。
なので、前回同様オムニバス形式でオススメを色々紹介していきたいと思います。そして今回はお手軽入門ゲームを多めにしてみました。なんといっても今年は日本のショップでnestorgamesが取り扱われ始めたので、���めて手に取る人も少しずつ増えるかなと思って。
2019年12月時点では、バネストさん(名古屋)、サニーバードさん(長崎)、ヒカリゲームズ堺さん(堺)、アグレットさん(福岡)が取り扱われてますね。この記事で紹介しているゲームの在庫はちょっとないかもしれませんが、取り寄せを受け付けてくれるところもあるようです。英語にあまり抵抗がなければ公式サイトで直接注文する手もあります。
前置きが長くなりましたが、紹介していきましょう。
フューズ (Fuse)

その2で紹介した「ここのつ(9tka)」に似た外周からボード内側へコマを移動させる(押し込む)ゲームで、自分の色でより大きいグループ(縦横のコマのつながり)を作ると勝ちというシンプルなもの。
コマを内側へ直進させるときに他のコマを押せるので、その押しくらまんじゅうを見越した手を打っていかないといけないようになっています。
でも盤面が狭いおかげで先を見通しやすく、実は1プレイあたり5~15分程度。前菜的にプレイするも良し、何度も繰り返しプレイするも良し、です。
ライン・オア・カラー (Line or Colour)

見た目もプレイ感もカジュアルで、アブストラクトゲームの経験が少ない人にもオススメなゲーム。
最初に5×5か7×7のどちらのボードにするかを選んだ後は交互に自分のリングを置いていきます。ここからは7×7の場合の説明ですが、自分のリングが縦横斜めのいずれかで5個並べるか、同じ色を7箇所中5箇所押さえれば勝ち。勝利条件が2つあるわけです。
この2つの勝利条件に対してボードの色の配置が絶妙で、ライン揃えに注力するとカラーが揃えにくく、カラー揃えに注力するとラインが揃えにくいという配置になっています。その分かりやすいジレンマと、相手の勝利条件達成を防ぎつつ一挙両得できる場所はないかを考える適度な悩ましさがポイントですね。
これでもちょっと難しいなーという人は5×5の方でプレイしましょう。勝利条件が5から4に減ったイージーモードです。
逆に、慣れてきたら付属のディスクを使ってボードの色の配置を変えることができます。各マスの価値が大きく不均等になるので、より価値の高いマスの見極めが必要になってきます。
そんな感じで、サッと出して色々な人に楽しんでもらえそうなゲームです。
タイゴ (Taigo)

自分と相手の色が対になった、たった1種類のコマを互いに置き合うへクス型五目並べ。これに「穴ができたら即座にコーンを置いて、それも一目分としてカウントする」(つまり1手番でいきなり二目増えることがある) というルールがスパイス。
これもルールは単純明快ながら、常に相手と隣り合わせの配置で「ここは穴になる、置きたくない… あ、でも置かないと四目作られて次に負け確定だ、、、」と中盤から一気に悩ましくなります。たったこれだけのコマとルールなのに面白さも十分あることに感心します。
アップタウン (Uptown)

さてさて今度は立体モノに行きましょう。
元々nestorgamesの立体系名作ゲームといえばPent-Upがあります。
自分もPent-Upは大好きで、見た目良しルール良しの名作と思っていますが、自分がどう置きたいかより相手にどう置かせるかが肝という点がイマイチしっくりこないという人もいるかと思います。
その点このアップタウンは「上から見て、縦に5マス中3マス以上占めてる列は自分の列、それを7列中4列以上占めたプレイヤーの勝ち」という、ルール的にも何をすれば勝ちに近づくのか分かりやすいです。また、立体モノとはいえPent-Upのように複雑に積み上がっていくものでもないため、その点でも入門者向け。
これもスッと出してパッとプレイできる手軽さでありながら中々面白いです。
ちなみに見ての通りこのゲームはペンケース型ではなく巾着型になっています。ブロック型のコマが含まれるゲームや、比較的大きめなコンポーネントを含むDeluxe版にはこのタイプが多いですね。
スクー (SQU)

ここからちょっと難易度を上げていきましょう。つい最近リリースされたパターンビルディング系ゲーム、スクーです。
ぱっと見は「え?見た感じシンプルそうだし初心者向きでは?」と思いますよね。だいぶシビアですよコレ。
確かにルールはごくシンプル���先手がコマを1個置いた後は、どちらかが投了するまで互いにコマを2個ずつ置いていくだけ。より大きな「四隅にコマがある正方形」を作った方が勝ち(分かりやすくピラミッドで目印を付ける) 。写真で言うと5×5対4×4で赤の勝ち。
「なーんだそれだけ?」と思わせておきながら実際やってみると分かるんですが、1手番で2個置ける&たった4個でパターン完成なので、単純な見落としのケースを除くと、序盤からずっと1ミス=ほぼ挽回不可能な攻防が続きます。
手抜きは無しとして何手まで持ちこたえられますかね?キリキリしたプレイ感が好きな方はチャレンジしてみてください。
リミット (Limit)

相手を手詰まりにさせたら勝ちの配置&移動ゲーム。
ゲームが配置フェーズと移動フェーズに分かれており、前半でタイルとボールを配置してボードを形作り、後半にボールの移動とタイルの除去で相手を追い詰めていくという流れです。
ボールが取り除かれる条件がちょっと囲碁に似ていて、呼吸点(隣接する空きタイル)がなくなった同色ボールの集団が一気に取り除かれるというものです。ただし勝敗はボールの数ではなくあくまで手詰まりにならないこと。数の多少よりも退路の確保の方が重要だったりします。
これに加えて、空きタイル上を縦横無尽にボールが移動できたり、タイルの除去によって刻々と盤面が狭まっていくなど、見た目以上にダイナミックな展開が楽しめます。
自分の思い通りの手を打つには何回かプレイが必要かもしれませんが、1プレイ20~30分程度なので案外気軽に遊べます。
なお写真は通常版ではなくDeluxe版になります。値は張りますが、ビリヤードと同じ材質でツルッツルのボールは触るだけで気分がアガる逸品です。といっても、通常版も見た目が若干チープではあるものの内容数は一緒ですし「ゲームが楽しめればOK!」ということならそちらで全然楽しめます。
トライアド (Triad)

ポップな顔して底意地の悪さをのぞかせる3人専用ゲーム。
nestorgamesには3人用ゲームとしてレッド(Red)、ブルー(Blue)、グリーン(Green)という色シリーズがあり、これらは初めての人にもオススメなんですが、このトライアドをその層に出したらほぼ間違いなく「わけわからん」と言われてしまうと思うので、あくまでアブストラクト系に慣れた3人でやってみてもらいたいゲームです。
ゲームとしてはコマの直線移動&除去を繰り返して誰かのコマが0になったときに残り2人のうちコマが多く残っている方が勝ちなんですが、初心者お断りなポイントはその頭がこんがらがるルール。
手番に自分のコマを1個移動させて移動先に隣接する敵コマをすべて除去するのが基本なのですが、実は移動先のヘクスの色が次手番のプレイヤーになります(ただし自分の色のヘクスには移動できません)。ならトップ目じゃない方に次手番を渡そうとしますよね。そんな分かりやすいゲームじゃないんですよ、コレ。
コマを移動させるときは「一番多く敵コマを除去できるヘクス」にしか移動できません。つまり、例えば3個除去できるヘクスが1箇所だけあって他のヘクスは2個以下しか除去できない盤面だった場合、自分の手番なのに移動の選択肢がないということです。移動先の色が次手番を渡したくないプレイヤーの色だったとしてもです。
あとは手番終了時に次手番ではない方の敵プレイヤーのコマを1個任意の場所に置くので、これによって最多除去の場所が変わってきたりもします。
がんじがらめの制約の中でいかに敵2人を操るかが面白ポイントで、うまくしかければ少しの間”ずっと俺のターン”状態にすることもできるわけです。ルールブックには「一方の敵を操ってもう一方の敵を全滅させることもできる」とさえ書いてあります。さすがに自分はそこまで先を読むことはできませんが。
3人専用な上に人を選ぶゲームなので出せるシチュエーションは限られそうですが、我こそはという方はぜひお試しを。
コンストラクター (Constructor)

このコンパクトなケースをもってしてもスカスカなミニマルコンポーネントなんですが、ゲームの面白さ、ルールの美しさ、見た目のクールさ、3拍子揃って個人的にお気に入りなゲームです。
手のひら大のたった9ヘクスしかないボード内で3種類のコマ(大リング、中ディスク、小ディスク)を配置・移動し、どちらかが手詰まりになったときに、所有する(=自分のコマが最上段にある)スタックが多いプレイヤーの勝ち。
手番は自分のコマを1個配置するか移動するかです。配置の方は自分のコマを任意の空きヘクスに置くだけ。特徴的なのは移動ルールで、3つのコマが三すくみのような関係になっています。
小ディスクは中ディスクに乗れる
中ディスクは大リングに乗れる
大リングは単独の小ディスクにはめ込める
さらに、まだ他のコマと合体していない自分の単独コマしか移動できず、相手のコマの上にしか移動できません(空きヘクスや自分のコマの上には移動不可)。
実際にプレイしないと分かりにくいんですが、移動ルールがスゴく良くできていて、たった9ヘクスなのに相手への牽制や所有権の取り合いがジレンマたっぷりで悩ましく面白いゲームです。アブストラクト好きの方にはぜひプレイしてほしいですね。
スタックス (STAX)

さらに歯ごたえがほしい方にオススメしたいのがコレ。トゲがいろんな方向に突き出ているタイルが特徴です。
ゲームの目標はトゲのないタイル��キングを追い詰めて捕獲する(キングの上に乗る)ことですが、最初は何もない状態から始まります。
キングが場に出ていないゲーム序盤は互いにタイルを置くことしかできないのですが、臨戦態勢が整ったと思ったプレイヤーは自分のキングを配置することで次から配置済みのタイルを移動できるようになります。手前で紹介したリミットとは異なり、自分で移動開始タイミングを決めることができるわけですね。
移動する場合はそのタイルのトゲが指す方向へ直進させるのですが、色にかかわらず移動先タイルのトゲが進行方向と同じ方向を向いていればさらにその先へ進むこともできて、一気に複数マス直進できます。他にも空きマスを通過できたり移動後に回転できたりといった細かいルールがありますが割愛。
もう一つの大きなルールはステップルール。全タイル/スタックについて、それぞれ階段状に下るルートが最低1つはないといけないというもので、これがかなり制約になります。
ざっくりルールを聞くと「トゲが多いと全方向に攻撃を仕掛けられて強そうだな」となり、実際にある面でそうなんですが、トゲが少ないタイルにはこれ以上先に進ませないという防御の側面があります。全方向にトゲがあるタイルは確かに強いですがどの方向からのタイルも通過させてしまいますからね。
そういった各タイルの攻撃力・防御力を意識した上で、序盤にキング用の安全な場所を確保しながらなるべく戦力を追加しつつ、どのタイミングで攻撃(移動)に転じて相手のキングを詰めていくか、かなり悩ましいゲームです。
一手一手の選択肢が多いので、そういったタイプに抵抗がなくてある程度複雑なのが好きな方にプレイしてみてもらいたいですね。
パーティクル・アクセラレーター (Particle Accelerator)

ラストを飾るのは、絶版まで含めたnestorgamsの全ゲームにおいて唯一のアクションゲーム(!)。これを最後に持ってくるのはどうかと思ったんですけどね、まあオマケのネタ枠ということで。
プレイヤーたちが扮するは商人でもなく貴族でもなく科学者でもなく…粒子加速器です。もう一度言います。粒子加速器です。人じゃないです。
ゲームの目的は、発射口から陽子、電子、中性子を指で弾いて原子核と電子殻に突入させ、周期表に沿って水素~ネオンの原子を順に作っていこうぜ!という独創的すぎるフレーバー。
それでも、だいたいこういうアクション系ってみんなでワイワイ楽しめるよういい感じにデフォルメして絶妙な難易度になってるじゃないですか。否。マジで周期表のHe~Ne原子を忠実に再現させられます。
陽子と中性子は原子核に入れないとミス。
電子は細ーーい電子殻(K殻やL殻)で止まらないとミス。
He~Li間とLi~Be間は陽子と中性子を同時に突っ込まないとダメ。
他の粒子を弾き出してしまったら原子が崩れ、安定同位体に留まったらセーフだけど、そうじゃなかったらメルトダウンで即敗北。
アクションゲームにここまで現実に忠実なルールいる??? ノーミスでネオンまで到達できた人は神です。
おわりに
ふー、今回も記事を書くのが大変でしたが、少しでもアブストラクトゲームやnestorgamesの同好が増えると嬉しいところです(最後のはアブスト関係ないですけど)。
さて明日のAdvent Calendarは、以前にGIPF project七番勝負で対決したり、一緒に福岡アブストラクトゲーム会を主催したりしたきぬりすさんの記事ですー。
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