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特定の技術や財・サービスで市場を独占した企業・事業体が、技術革新や消費者の価値観の変化によって「迂回」され、衰退するという現象は、経済史の中で繰り返されてきました。これは シュンペーターの「創造的破壊」 にもつながる重要なテーマです。
以下に、産業・業種ごとに分類しながら、できるだけ多くの例を挙げていきます。
【通信・メディア・情報産業】
1. 日本電電公社(→NTT) vs インターネット通信
固定電話を独占していたが、IP電話、メール、LINE、Zoomなどに迂回され、収益構造が激変。
2. 新聞社・印刷メディア vs SNS/キュレーションメディア
伝統的報道メディアが、ネットニュース、Twitter、YouTubeの速報性・拡散性に押されて読者を喪失。
3. テレビ局(地上波) vs YouTube / Netflix
コンテンツ制作の門番だったが、動画配信・VODにより若年層が離れた。
【音楽・映像・出版】
4. 音楽CD産業 vs iTunes → Spotify(ストリーミング)
ソニー、タワレコなどCDの流通網が一時代を築いたが、音源がダウンロード/ストリーミングされることで物理媒体の需要が激減。
5. 映画館チェーン vs ホームシアター・サブスク配信
コロナ以後特に顕著。Netflix、Amazon Primeなどが大���を自社製作し、劇場公開を迂回。
【家電・ハードウェア】
6. 日本のガラケーメーカー vs iPhone / Android
NEC、Panasonic、富士通などがシェアを握っていたが、スマートフォン時代の到来で総崩れ。
7. 写真フィルム産業(Kodak、富士フイルム) vs デジタルカメラ → スマートフォン
デジカメで迂回され、さらにスマホの普及で一気に需要蒸発。
【小売・流通】
8. 百貨店(三越、高島屋) vs ネット通販(Amazon、楽天)
都心店舗モデルが、オンライン購入や即日配送などに対抗できず縮小。
9. 書店チェーン(Borders, 文教堂など) vs Amazon・Kindle
書籍を検索して取り寄せるモデルから、即購入・即読書への転換。
【交通・旅行・宿泊】
10. タクシー業界(日本含む) vs Uber / Grab / DiDiなど
無線配車・現金決済などの旧来型から、スマホアプリ・動的価格・評価制度へ。
11. 旅行代理店(JTB、HIS) vs Expedia / Booking.com / Airbnb
店頭での対面予約が、個人手配の時代に置き換わる。
【教育・学習】
12. 大手予備校(代ゼミ、駿台) vs YouTube講座・スタディサプリ
高額な教室授業から、無料または格安の高品質オンライン講義へ。
【金融】
13. 銀行(メガバンク) vs フィンテック企業(PayPay、LINE Pay、Wiseなど)
預金・送金・決済を独占していたが、スマホ上での金融操作が主流に。
【飲食・フードテック】
14. ファストフードチェーン vs Uber Eats / 出前館
店舗型の大量販売モデルが、デリバリー主体の無店舗型モデルに迂回される。
【車・モビリティ】
15. ガソリン車メーカー vs EVスタートアップ(Teslaなど)
トヨタやGMが支配していた内燃機関の技術系譜が、EV技術の迂回に直面。
【医療・ヘルスケア】
16. 大手病院・対面診療 vs オンライン診療・遠隔医療
特にコロナ後に急拡大。アクセスの良さとコスト競争で一部の需要を奪う。
【その他】
17. 地域のタクシー無線組合 vs MaaSプラットフォーム(Mobility as a Service)
一元的な交通管理による効率化に押されて個別事業者が弱体化。
18. 伝統工芸品市場 vs 3Dプリンティングやクラウドファンディング型プロダクト
コストや流通に優れた新手法に、嗜好性の変化も相まって需要を迂回される。
補足:なぜ「迂回」されるのか?
価格の高止まりと利権構造の硬直化
消費者の価値観の変化(所有→利用、集中→分散)
技術的インフラの普及(インターネット、モバイル、クラウド)
イノベーションの非連続性(新しい価値軸での勝負)
必要であれば、これらの各業種ごとに「具体的な年表的推移」や「迂回に成功した企業/失敗した企業」なども整理して提供できます。ご希望があればお知らせください。
「発想・思想による優位性の独占が、構造の変化や他者の新提案によって迂回され、相対化・陳腐化・無力化される」という現象は、経済だけでなく、人間関係・教育・政治・宗教・軍事・国際関係など、あらゆるレベルで起こります。
この問いを受けて、以下に 個人レベル → 集団レベル → 社会・国際レベル へとスケールアップしながら、多様な「思想の独占 → 迂回 → 衰退」の例を挙げていきます。
■ 個人レベル:学校・日常・小さな共同体
1. 遊びの発明少年 → 新しいブームに置き換えられる
「缶蹴り」「ビー玉」などを仕切っていた子が、ポケモン・スマホゲームの登場で影響力喪失。
2. 知識の独占者 → Googleに迂回される
「物知り」として重宝された人が、ネット検索の普及で知識の権威性を失う。
3. 暗算の達人 → 計算機・アプリの普及で価値が希薄化
そろばん・珠算の技が、関数電卓やスマホアプリに「迂回」される。
4. 先生(権威者) → YouTube先生やAI先生に置き換えられる
村の「物知りおじいさん」が、若者のスマホ・動画学習によって相談相手から外される。
5. 職人芸 → 3Dプリンタや自動化に「ズラされる」
木工細工や裁縫などの手仕事が、クラウド設計・大量生産で崩される。
■ 集団・中規模社会レベル:教育・思想・宗教・政治
6. 学校の権威(先生) → 生徒がネットで知識を獲得
指導者が知識伝達の独占を失い、「話が古い」と生徒に迂回される。
7. カリスマ宗教指導者 → 新興宗教やスピリチュアルに取って代わられる
従来の教��を疑問視した信者が、新しい「癒し」や哲学へと流出。
8. マルクス主義思想家 → ポスト構造主義や環境主義に迂回される
社会構造の矛盾を語っていた運動家が、新しい価値軸(フェミニズム・エコロジー)に埋没。
9. 校内での「ヤンキー」支配 → 文化系サブカルの逆襲
体育会系や暴力による支配が、ゲーム・音楽・オタク文化の価値で無効化される。
■ 社会・国家・国際レベル:制度・イデオロギー・権力構造
10. 要塞防衛戦 → 機動戦・航空戦による迂回
第一次大戦の塹壕・要塞が、第二次大戦での機甲部隊・空爆戦術によって無効化。
11. 王権神授説 → 市民革命による思想的迂回
王が「神に選ばれた支配者」であるという思想が、啓蒙思想と民主主義に破られる。
12. 植民地支配の正当化(文明化論) → 反帝国主義・民族自決のイデオロギーにより崩壊
「教育してやっている」という支配者の論理が、植民地側の主体性の覚醒により無力化。
13. 冷戦期の東西イデオロギー独占 → グローバル資本主義・ネットワーク社会の台頭
共産主義 vs 資本主義の二項対立が、非国家的アクター(企業、NGO、ハッカー集団)に迂回される。
14. 国家による報道統制 → SNS・市民ジャーナリズムの迂回
国営テレビや新聞が、Twitterや現場動画での「直接的な証言」によって信頼を失う。
■ 思想史・学問の中での「迂回と衰退」
15. フロイトによる精神分析の独占 → 認知行動療法・神経科学・AI解析に迂回
無意識という語りを支配していたが、脳科学・データ科学の実証主義に移行。
16. ニュートン的機械論 → 相対性理論・量子力学に迂回
一元的な因果律を支配していた物理モデルが、新しい視点で乗り越えられる。
17. 経済学における新古典派 → 行動経済学・制度経済学・AIシミュレーション
人間の合理性を前提としたモデルが、心理学や実験経済で反証される。
■ 文化・アート・感性の領域での例
18. 伝統的権威ジャンル(クラシック音楽、文語詩) → サブカルやストリート文化
高尚とされていた芸術が、ストリートの即興性・リズム感に価値を奪われる。
19. 名門大学卒の優位性 → 自作アプリ・SNS影響力・YouTuberによる存在感
学歴の意味が、実行力や表現力に「迂回」されて変質。
■ このような迂回はなぜ起こ��のか?
硬直化と保守化:独占状態が続くと、自己革新力が落ちる。
非連続的技術の登場:構造を一変させる「別の地図」が登場。
周辺化された欲望の解放:支配されていた側が自ら発信を始める。
自己目的化した思想が、目的とのズレを生む:そろばんは手段だったが、目的のように扱われてしまう。
まとめの視点:「ズレの力学」
これらはすべて、「支配者が〈いまここ〉の状況に特化しすぎたことで、未来や周辺を読み違える」という現象です。そして、ズレを感知した新興者たちが「別の方向から」アプローチし、社会の力場を変えていく。これはまさに、**ドゥルーズ的な「逃走線」や「生成変化」**のダイナミクスでもあります。
ご希望があれば、「これから迂回されるかもしれない思想・人物・制度」や、「うまく再帰的に自己を変化させて〈再編成〉できた成功例」も紹介できます。お気軽にどうぞ。
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20250128_02
前回の続き

今津景「タナ・アイル」展
『東京オペラシティアートギャラリー』を訪れたのは恐らく20年弱ぶりか。エルネスト・ネトかシュテファン・バルケンホールの展示風景の断片が思い浮かぶがICCとごっちゃになっている気もする。

今津景という画家を知らなかったが話題の展示らしく気になって来てみた。一言で言えばすごい。絵画における横尾忠則の系譜の正当継承者だ。もはや展覧会というより現出した異界。画家というより魔術師や呪術師のほうがしっくりくる。絵は向こう側から開かれた「窓」だ。


デジタル・コラージュみたいな画像をわざわざ油絵の具で描き起こしている。中にはキャンバスに印刷された図像の上に描画されているものもある。人間が描く画像と機械が出力する画像が等価でその境界は曖昧だ。

写実的なイメージ上に走る線画など具象と抽象、別次元のものが同一画面に収まっている。
展示会場には熱帯の植物の葉や猿や鳥などの輪郭を象った金属製のフレームのようなものが所々に置かれている。そのフレーム越しに絵画や彫刻の置かれた展示空間を眺めると、今津景が描く絵が肉眼の中で新たに生成されるような感覚が起こる。
またそれをふまえて、他の鑑賞者の視線に入ることで画像編集ソフトにおけるレイヤーとレイヤーの間に自分の姿が挿入され、まるで絵の中に閉じ込められるような感覚になりこれも面白かった。
絵を見てる誰か、を見てる自分、を見てる誰か、を見てる…まるで無限後退の迷宮ッ。



医療的な何か(マラリア?)をテーマにしたであろうインスタレーション。
受付でもらうリーフレット以外に作品タイトルや説明のキャプションはないが圧倒的な絵画の技術で「すげえな。」ととりあえず納得してしまう。
刊行が遅れているという図録のサンプルを覗くと、そこにコンセプトやらが記されていて策士だなと思った。浮かぶ謎が閾値に達したところで図録にたどり着く。これは買ってしまう。
併設のミュージアムショップのネットストアで予約できるが、ただ今頃になって買うかどうか迷いだす。
複雑すぎる図像が脳の処理速度や能力を超えると、時間が経つにつれ印象が「なんだかやたら高解像度の夢を見たな…今朝。」ぐらいの漠然としたものに変化する。
二、三日前の脈絡のない夢の中身に拘泥などしないように今回見た絵の中身を振り返るだろうか?と思うと図録の購入を少し躊躇する。
多分会場で売ってたら買ってた。
圧倒される絵と音楽でいうスルメ曲みたいな絵の違いはなんだろう。モチーフかしら。
勝手なもんだなと我ながら思う。
それでも「夢」というイリュージョンを覚醒した意識のまま現実で見せられるようなことはすごいことなのかもしれない。
これは絵画体験というより、起きたまま見る明晰夢なのだ。
こちらは東京オペラシティーアートギャラリーで3月23日まで。
小西真奈「wherever」

小西真奈は確か2007年辺りのART ITだったか美術手帖かなんかに小西の「浄土」という作品が掲載されていて知った画家だ。
それ以来実物を見てみたいと思い定期的に調べてみるも検索結果に女優の小西真奈美が出てくるぐらいで、それぐらい寡作の作家なのかなと思っていた。今回の個展の説明��は結婚や出産を機に絵を描く時間が取れなくなってしまったと書かれていた。

「浄土」
実物を前にぞわぞわと鳥肌が立つくらい異様なアウラを放つ。
この絵の中の女性が不意にこちらを振り返る、あるいは逆に一瞥もくれず向こう側へ行ってしまうような。この感覚はなんだろうと思って考えてみたが中学校の美術室の壁にかかっていたアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」の色褪せた複製絵画が思い浮かぶ。そちらの女性は少し大袈裟な背中をしていたが。
「浄土」というタイトル通りあの世との境界面という気がした。今でいうリミナルみたいな感覚か。
思えば私が登山を始めたのもこの絵のような異界的風景を求めたが故だった気がする。その一つの基準としてこの絵画が確かにあった。そう考えると私の人生を変えた絵とも言える。
タッチの手数をかなり抑えた近作の展示部屋いくつかと、件の「浄土」を含めた2010年あたりまでの若描きの頃の作品がまとめられた一つの部屋を見る限りやはり初期作品群の放つ気配は色濃く、絵画の醸すアウラとは、画面から鑑賞者に向けて放射されるエアロゾル状の何か、と思わせるくらいだ。
作家の狙いとしておそらく何かがあるとは思うのだが、一連の近作は私には良さがわからなかった。図録には批評家によってその手数の少なさとタッチを評価する論評が載っていたが正直わからん。
本展の図録の後半部に「浄土」含め初期作も載っていたが悩んだ挙句結局購入を見送った。良いも悪いもそもそもこっちの勝手な熱量に一因があるかもしれない。
せめてポストカードを買って帰ろうと思ったがラインナップに「浄土」は無く、世の中と自分の審美眼は少しズレてんのかなと思った。やべーのはあの絵だろとブツブツ言いながらバスを待った。
あくまで私の主観であります。
府中市美術館で2月24日まで。
ちょうど府中市美術館では予備校時代にお世話になった先生の奥さんでもあるところの小木曽瑞枝さんの公開制作と展示が行われていた。その日はあいにく制作日ではなく展示室にかけられた作品をガラス越しに眺めた。自分もあんな作品を作ってみたいと思わせる作品で羨ましいな思った。作っていて楽しそうなのがこちらに伝わる。

自分の日々の制作のタリスマンとして作品集を購入。
ドキュメンタリー「鹿の国」
YouTubeで回ってきた予告を見て気になっていたが、『岡谷スカラ座』まで行くのはさすがにきついぜと思っていたところ東中野で上映中とのこと。
以前読んだ中沢新一の「アースダイバー神社編」に出てきた「御室」と呼ばれる豊穣を祈願して冬に行われる神事に迫ったドキュメンタリー。
ただ自分としては諏訪の地の奥深くに秘められてきた神事をカメラで追った作品だと勝手に思っていた訳だが、中世の神事を演劇的に再現した作品だったことを知った。
予定を詰め過ぎた疲労からか開始10分の予告編で強��な眠気。画面が二重に見え30分は目ン玉を指でつまんだりゴシゴシして闘ったが結局ほぼ寝た。無理。無理でした。爆睡。なので何の感慨も残らず。98分2000円のうたた寝。
久しぶりの東京。
若い頃を思い出したり、もうそんなことどうでも良かったり。
振り返ったところで、過ぎていったあらゆることは風景に溶ける。
そしてコルビュジエが言うみたいに海へと流れつくのだ。
それはやがて一本の水平線となり、
駅のホームで吐き出した白い息はいつか夏の日の入道雲になる。
なんだかよくわかんないことを思いながら電車を待つ。
東京の冬の空気に鼻の奥がツーンとした。
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2022/10/15〜

10月15日 修理に出していたカメラを受け取って図書館へ行った。 神保町カレーフェスティバルのポスターにリラックマがいて、san-xに認められた大会になっていてすごい。私が屋台で売り子をしていた時は、小さな公園が会場で知らないコメディアンがMCを務めていたイベントだった(でも入場規制がかかる程混んでいた。)。 図書館で調べものをして、本をただ眺めているだけで、なんだか漠然と、なんでもやろう!という気持ちになれる。多分無理だろうけど、平日の夜にギンレイホールで映画を観る予定と、日曜の夜にライブへ行く予定を立ててみた。 個人空間について書かれたイーフー・トゥアンの本と、女子のSNS投稿について書かれた名物社会学者おじさんの本を借りた。SNSの方は、少し読んでみるとなんだか危なっかしい書きぶり…

お茶をしよう・写真を撮ろう、の待ち合わせに向かう。 合流できたのは1時間半後。定刻に到着してしまった私は、お祭りを控えた神社の境内を行ったり来たりして、植樹されている木の縁石の上で本を読んだりして、なんだかんだ過ごした。 合流した後、1時間ちょっとお茶をして、30分位お散歩をして別れた。お茶をしましょう、が、成り立つことって凄いな〜、と改めて思う。何を話しても「まぁ皆いろいろ大変だよね」に落としどころをつけられるのが分かりきっているのに、会ってお茶をして近況を話すのって凄い。皆それぞれ衣食住で忙しいのにね。 神保町駅の青山フラワーマーケットに可愛いバラがあったので、ぜひ一輪挿しに!と、購入。お茶の席で「まるで甥っ子と姪っ子にあげるみたいに、お二人にお花を持ってきました…」と、お花を頂いたので、私のバラをあげてしまった。頂いたふわふわの赤いお花は、私の一輪挿しには合わないかもな〜、と思いつつ、帰って生けようとしたら、包装と栄養剤だけを残してお花はどこかへ消えてしまっていた。 作った女の子と写真についてのフォトブックを観てもらった! フィルムカメラが修理から戻ってきて嬉しけれど、自分はもっと喜ぶかと思っていた。 雑司が谷の街は思いがけず人が多くて「アド街効果すごいね〜」と言っていたら「そんなにみんなアド街で生きてない」みたいなことを言われた。 今年初の「よいお年を」を言った。

10月16日 昨日、残り2つ88円に値引きされたバター餅が気になって、2回スーパーへ行った。午前中の予定を終えて、町のお花屋さんでバラを買う。昨日の分を取り戻す! 紫や青やオレンジのバラがあって、全部名前が違う。オレンジを下さい、と店主さんに言うと「アミナって言います。紙のお包みで良いですか?」と教えてくれた。お会計を済ませて店を出るときに、昨日もらった赤いふわもこのお花がいたことに気がつく。名前を確認すれば良かった…!
エレベーターを待っているとお隣さんと鉢合わせ。このところ結婚式続きなのか、いつも正装をしている気がする。「雨が降りそうですよ〜。傘持ちましたか?お気をつけて!」と言われる。 その後会った人に「目が半分くらいしか開いてなかったけれど、やっと開いてきたね。気をつけて帰ってね。」と言われる。 みんなお母さんみたい。

セリーヌ・シアマの映画も観たい。借りてきた本も読みたい。あおいちゃんがブルーハーツを歌っていた頃のファッション雑誌を読みたい。 今日は自分の文章を見たくなくて、日記を更新できなかった。 帰りにスーパーへ行くと、バター餅はまだ2つ残っていた。でも42円に値引きされていた!セルフレジでお会計をして、スーパーを出るときにもう一度確認すると、1つだけになっている!明日はついて売り切れるかも。 来週は今住んでいる町の市長選なのだけれど、あまり興味を持ちきれない。市民でいるより国民でいたい。

10月17日 バター餅はちゃんと売り切れていました! 紀の善の閉店を知って、抹茶ババロアを食べたくて仕方がなくなる。もうないものって安心して欲しいって思える。 特別にごほうび!と、修論を終えた時と、夏のなんか冴えないダメダメな日のバイト終わりに食べたことがある。いちごあんみつも美味しかったはず。 今日はつまらなさのターン。でも帰りにトゥアンの本が少し面白く読めた。 人間��神ではないので、複雑な絡みあうものたちを大きくまとめることが苦手。複雑な小さいことを処理することと、大きくて単純な仕組みを作ることが得意(回転寿司?)。社会的である時は全体。生物的、超越的である時は個人。超越的存在でありたいのに、生物的側面があることに恥じて、個を好むことがある、などなど…

10月18日 昨日の夜、ひどく苦い半額シールのついた豆腐を食べたせいか、胃が気持ち悪い。 趣里ちゃんが根本宗子脚本の映画に出演するようなので是非観たい! 主演の前田あっちゃんを交えた3人でトーク番組に出演していたらしく、Tverで観てみる。おとぎ話のcosmosのPVのこと、おとぎ話みたいの映画のことを3人で「とっても良いよね〜!」と当たり前に話していて「!!!」となった。 10月19日 ライブカメラの映像を眺めるのが好きなマンスーンさんがおすすめしていた演劇をyoutubeで観てみる。 タナダユキの新作映画も観たい。 久しぶりに仕事中に、死んでしまうかも、と思った。 屋上から更に5m上の塔屋の上へ、屋外むき出しはしごで登った。何を考えて、はしごを登り降りすればいいのかよくわからなかった。一通り終えた後、このことを思い出しては、足がガクガクして手に汗を握っていて、心の負債をまた一つ負ってしまったことに気がつく。 紀の善閉店の件を知ってから、抹茶ババロアって他で食べられるところあるの?と検索している。検索結果は紀の善ばかりなので、もうこの世に抹茶ババロアはないのかも知れない!なので、抹茶ババロアが好きな食べ物です!って大声で言えるね。 栗原類って何しているのかな、と調べてみたらyoutubeにラジオをアップしていたので聴いてみている。ぼのぼのが好きすぎて、世の中でつかわれて��る“ほのぼの”という単語を“ぼのぼの”と無意識に読み違えていた話が良かった。

10月20日 トゥアンの本、今日はテーブルマナーから個人空間の誕生を考察した章だった。中国では伝統的な、食事の場での作法があり、食べ物を“陰”と“陽”に分けてその案配でもっと健康が維持される、と、考えられているらしい。食事を自然界までひとくくりで考えている。一方で、西洋は、獣をとにかくごった混ぜたご馳走や壺のスープを回し飲む食事から、食事毎に食べ物を切るナイフを用意し、フレーバー毎にワイングラスを用意する程、神経質なテーブルマナーへ変わったために、そこに自意識を持ち出さずにはいられない、らしい。 (中国では穏やかな集団の食事会があるが、西洋にはなく、そこから逃れるために個人空間生まれて…というような流れのようだった。) 明日に予定されていたお部屋の消防点検、時間を早めてもらって午前休をとろうかと思っていたら「いや次回で大丈夫なんで!」と今回は行わなくて良いお返事をもらった。 明日から箱根へ旅行に行く話とこの週末にディズニーランドへ行く話を聞いた。 箱根へ行く方からは、昨日ふいにロイズの小さいラングドシャクッキーをもらって、それが久しぶりにいつもじゃない食べ物過ぎて、自分じゃない人が選んだもので、とても美味しく感じた。そのことを伝えると「いつも何も美味しくないんですか…!」と、今日は塩ちんすこうをくれた。 「箱根でも、美味しいって思ってもらえるお土産を買ってきますね!」と500mlパックの低脂肪乳を飲みながらお話してくれた。

10月21日 フィルムカメラを持って貴族出勤した日。 同じバスに乗る推している方が、足を引きずって歩いているのに気がついて。大丈夫かしら。 母から珍しくメッセージが入っていて、ちらっと文を見ると、幼馴染(保育園〜中学まで)で家族ぐるみで付き合いのある人達との会が来月に予定されているらしいけれど、知ってた?とのこと。 とっても心がザラザラして、仕事中はなんとなく紛れていたけれど、帰宅してかなり焦っていることを実感している。とにかく掃除をして、爪を切って、体を洗って、さっき届いた新しい服をハンガーにかけて、バタバタしてしまった。 参加してみて何がどうなるのかを確かめたい好奇心があるのが嫌だ。 少し想像すると、その場で、社交無理でした!を120%でしでかして、何となく皆様からかわいそうだから優しくされているのを感じて泣いてしまうのが目に見える。心の負債を負うことなく母のメッセージを一先ず無視しようと決めた。セーフ。 明日は早く起きれたら映画を観に行こう。ダメだったらはとバスに乗って図書館へ予約した本を受け取りに行こう。 ひどくそわそわとザラザラが募り、カメラの前で飛び跳ねたりした。


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●『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)
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●『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集) 源氏物語は、何度か読みましたが、日本の最古の官能小説というのが私の感想です 私は頭が悪いので途中挫折で完読には程遠い感じです。 瀬戸内さんの翻訳本を所有していたこともあります。 万葉集に出ている詩は結構恋愛物が多いようです。 源氏物語にしろ万葉集にしろ 昔も今も男女の恋はスゴイものがある。 歴史を作ったのは夜の寝床の中。 こんな事も聴いたことがある。 人を愛する事は素晴らしいこと。 たとえソレが不倫であっても。 賞賛できないものもタダ多いとは思うけど。 人を好きになるのは何者にも変えがたくて人間臭いのでは。 その人のために命をかける。 日本人はそのものをモット広げて大風呂敷を広げてきた。 慈悲ではなくて博愛の精神で。 ソレが人もモノも大切にする事につながったのではなかろうか。 ●菟原処女の伝説 https://ja.wikipedia.org/wiki/菟原処女の伝説 菟原処女の伝説(うないおとめ の でんせつ)とは、奈良時代より日本の摂津国菟原郡菟原(現在の兵庫県芦屋市および神戸市東灘区付近)での古の出来事として伝えられてきた、一人のおとめ(年若い女性)を巡る悲しい妻争いの伝説である。妻争い伝説(つまあらそい - )ともいう。 2人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男達も後を追って死んでしまったというもの。 ●万葉集 - Wikipedia http://bit.ly/wXFe3N 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。 天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。 日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには���み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。 和歌の原点である万葉集は、時代を超えて読み継がれながら後世の作品にも影響を与えており(一例「菟原処女の伝説」)、日本文学における第一級の史料であるが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても重要な史料である。 日本の元号「令和」は、この万葉集の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の一節を典拠とし、記録が明確なものとしては日本史上初めて元号の出典が漢籍でなく日本の古典となった。 ●たのしい万葉集: 万葉集の入門サイトです - ART TAGS https://art-tags.net/manyo/ 万葉集は、日本でもっとも古い歌集で、奈良時代の終わり頃にできたと考えられています。 全部で20巻、およそ4,540首あり、平城(へいぜ い)天皇の勅撰(ちょくせん)とも、 大伴家持(おおとものやかもち)の私撰(しせん)ともいわれています。 でも、誰が・何のため・どのようにして編纂 (へんさん)したかは、 はっきりとはしていません。 万葉集は最初から20巻あったのではなくて、もともと巻1と巻2の内容があって、これらにいろいろな歌集や歌の資料をもとに増えていったと考えられています。 歌は舒明(じょめい)天皇(600年くらい)から大伴家持(759年)までのものが収録され ています。第一巻の最初の歌は、雄略(ゆうりゃく)天皇の歌と言われています。 ●万葉集入門 http://bit.ly/yuvM7H 現存する日本最古の和歌集である万葉集。 学生時代に授業で習った方もおられるかと思いますが、その難解さに辟易とされた記憶があるのではないでしょうか。 しかし、ほんとうの万葉集は万葉時代の人間の喜怒哀楽、神への祈りが歌に託されている、もっと楽しく読める詩歌集です。 ここでは一首ずつ歌を取り上げながら、万葉集を誰でも気軽に学び楽しめるように工夫してみました。 各歌のページの上半分にある、原歌と現代語訳を読むだけでも、一通りの知識が得られるようになっています。 また、解説のページでは奈良や明日香村などの万葉集に詠まれた歌枕(土地)や歌碑の写真なども掲載しているので、それらを眺めるだけでも楽しんでいただけるかと思います。 古典というかたぐるしさにとらわれることなく、ぜひ万葉集の世界を楽しんでみてください。 黒路よしひろ(サイト製作者)より ●訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―http://bit.ly/wbnd2p 目次 はじめに 凡例 ●万葉集入門 - ODN http://bit.ly/zLukdb ようこそ、万葉集の世界へ。 今から、つかの間、古代への旅をお楽しみください ●万葉集 まんようしゅう - 奈良時代 京都大学所蔵資料でたどる文学史 http://bit.ly/xrV0K3 ●平成万葉集 2019/04/14 https://www.bilibili.com/video/av49365360/ ・生田斗真と吉岡里帆が朗読、短歌から平成を振り返るNHK BS『平成万葉集』 https://www.cinra.net/news/20181214-manyoshu 2018/12/14 短歌の番組『平成万葉集』が、1月2日にNHK BSプレミアムで放送される。 『平成万葉集』は平成に詠まれた無数の短歌の中から秀逸なものを紹介する番組。 天皇皇后や歌人、ホームレスや短歌マニアの小学生まで、多様な立場の人々による短歌から、当時のヒット曲なども織り交ぜながら、平成の30年間を振り返る。短歌監修は京都大学卒の細胞生物学者でもある永田和宏が担当。 ●高岡市万葉歴史館 大伴家持が見た越の国 http://www.manreki.com/ 越中国守大伴家持ゆかりの富山県高岡市にある万葉集の博物館。 企画展示以外に上代文学関連の五万件近い図書や論文を公開。 ●万葉集ロマン(万葉集と、四季の草花の写真集)http://hiro-ks.jp/manyou 万葉集を原文、訓読み、かなで表し、季節、花、地名等の歌に読み込まれた言葉で検索が可能です。 万葉集の意味が分かるように解釈文をつけています。 自選の万葉集百人一首を掲載しています。 自選の万葉集長歌百選を編纂中です。 四季の草花の写真、鎌倉めぐりのスナップ写真を掲載しています。 万葉集、草花の写真、万葉時代のロマンを楽しみ頂けたら幸いです。 ●万 葉 集 を 読 む ー壺齋散人の万葉集評釈ー http://manyo.hix05.com/ 万葉集はわが国最古の歌集であり、世界的にも非常に古い詩集のひとつである。成立したのは、日本史で言えば奈良時代の終わりころであり、西暦で言えば八世紀の末にあたる。その時代に、民族の感性を集約したような歌集=詩集が編まれたというのは、非常に意義深いことである。ある意味で、中国の詩経国風に相当するものと言えなくもない。万葉集に盛られた歌の精神は、以後日本人の感性の原点となって、日本の詩歌の歴史を駆動していく原動力ともなった。万葉集は今日に至るまで、つねに民族の心を舞台にして、日々新しい意味を付与されているとも言える。つまり眠ることのない歌集なのである。 ●万葉集校本データベース http://www.manyou.gr.jp/SMAN_1/ ●朝鮮語で「万葉集」は解読できない��http://bit.ly/AaQUJG 「万葉集」を「レプチャ語」で解読? JICC出版局 「万葉集」を、朝鮮語で説明するという流行の本のほとんどは、正しい言語比較の方法をとっていない。 「朝鮮語は、日本語と関係があるはずだ」という未証明の前提のもとに謎を解こうとしている。 かくて「暗合」が「暗号」に転化する。 ●レプチャ語 - Wikipedia http://bit.ly/A0Fq55 レプチャ語(レプチャご)またはロン語(ロンご) インドと中国に挟まれたシッキム(現在はインドの州)で話されている言語である。 チベットの一地方語である。 言語学的にはシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属する。 表記にはチベット文字を元に18世紀初頭に作られたレプチャ文字を用いる 日本語の起源はレプチャ語であるとする安田徳太郎の『万葉集の謎』が ベストセラーになり一時話題になったことがある。 しかし、実際は稚拙な語呂合わせに過ぎなかったと言われている。 ●湯河原の由来も万葉集 「令和」に驚きと期待 | 箱根・湯河原・真鶴 ... https://www.townnews.co.jp/0609/2019/04/05/476864.html 2019/04/05 「万葉公園」「万葉倶楽部」も 「令和」の出典が万葉集である事が明らかになり、湯河原の万葉公園では1日午後から観光客が「萬葉洞門」の看板を撮ったり、元号由来の歌を探す姿が見受けられた。 湯河原はかつて土肥と呼ばれ、万葉集にに収録されている一首「あしがりのとひ(土肥)のかふち(河内)にいづるゆ(湯)のよにもたよらにころがいはなくに」は町のルーツとも言われる。 公園内には万葉集に登場する草木が植えられ、 町所有の宿泊施設の名前も「万葉荘」。 湯河原温泉を配湯し各地に施設を展開する万葉倶楽部(株)の高橋弘会長は 「湯河原と出典が同じ万葉集。大変喜んでいます」とコメントを出した。 町観光課も「町内から『チャンス』という声もある」と前向きだ。
●万葉集遊楽 http://manyuraku.exblog.jp/
●あなたに聴かせたい万葉集 全16曲 http://bit.ly/wZuZxO
●万葉集について 野尻昌彦のホームページ http://www2.gol.com/users/nojiri/manyou.html 万葉集には様々な魅力があります。そして、また、なぞもあります。万葉集を読んでいると、古代日本史の舞台裏が見えるようなそんな感じにさせてくれます。 1.万葉集の魅力 ある友人��、「『万葉集』の歌というのは、読む人の感性によっていろいろな解釈が出来ると思います。そこが「万葉ファン」の多い理由でもあるんでしょう」と語っておりますが、そのような自由な読みかたができる古典として「万葉集」は希有な存在なのではないかと感じています。 「源氏物語」「今昔物語」などすばらしい古典だと思いますが、自由に夢を膨らませ、想像の世界に入って行けるものではありません。万葉集がそのような読みかたができるのは、短歌(あるいは長歌)といった形式で書かれているということもあると思いますが、何よりも歴史と密接に繋がっているという点にあるのではないでしょうか。 歴史上の有名人が至る所に登場しています。その中には悲劇的な最後を遂げたひとびとも数多くおり、事件の背景や状況を想像することができます。大津皇子とその姉の大伯(来)皇女の歌や皇子の辞世歌、有馬皇子の歌などがそれに当たります。大津皇子は姉のもとを訪ね何を話したのか。興味は尽きません。 ●万葉集を携えて http://achikochitazusaete.web.fc2.com/ 万葉集には百数十種の花が詠われているといいます。 現在の花名と違うものも多く、はっきりこの花といえないものもたくさんありそうです。 でも、そんな難しいことは学者の方におまかせして、 野原や山道でそっと咲いている花に出会ったときのあの喜びを伝えたくて編集してみました。 ですから、できるだけ「植物園」・「万葉公園」などではなく、野山に自生する花を求めたいと思っています。 万葉集に詠われた花々を紹介します 花の紹介 113種 ●万葉集 - YouTube https://youtu.be/MwTNvmBuMh0 恒2 身分の高い人も庶民も文字が読めたということですね。どんな社会を形成していたんでしょうか。興味があります。日本民族がどのような人達だった想像ができます。だから敗戦後の日本の復興があったのでしょう。誇りに思います。
Friedrich Engels 「新しき 年の初めの・・・」の歌が第三位に選ばれている。この家持のしらべは、万葉集の最後を飾る歌だったように覚えている。 万葉集の美は、人の純粋な感情を表した明るい清雅の美ではないかと思っている。上代の古い言葉に「きよく、なほく、あかき(明き)」という表現があるけれど、そういうものが歌の中に一体となって形象化されているのではないだろうか。私の好きな額田王の歌が八位であるのも嬉しい。この解説をなさっている女性はどなたなのか判らないけれども、抑揚と緩急の効いたみごとな朗読のように思える。UPに感謝。
仏陀 春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 それは500年以上後、鎌倉時代初期に藤原定家(1162~1241)が、自分の美意識にそうように改作したもので、小倉百人一首にあります。もともとは持統天皇(645~702)の作です。
digin 宇宙語は日本語。カタカムナは文字の始め。神代文字は天皇家や皇族別に様々有り、古事記や日本書紀は古史古伝を編纂したもの。漢字は日本が生んだもの。中国人が中国語を学校で習うにはルビがローマ字でも明らかです。
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YouTubeチャンネルに新しい動画をアップロードしました @uekiya_izumi_uchida ↑からリンクサイトへアクセス 今回は子供部屋の改造の続きです はしごのような階段のようなロフトへのアクセスを自作しています #youtubeやってますいずみの植木屋さんで検索 #youtube #renovation #diy #ハシゴ #ロフト #階段 #リフォーム #子供部屋 #子供部屋収納 #収納アイデア #てすり https://www.instagram.com/p/CQ49Yqsh1DG/?utm_medium=tumblr
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仕事紹介動画 YouTubeチャンネルに新しい動画をアップロードしました @uekiya_izumi_uchida ↑からサイトへアクセスしてみてね 樹木生産のプロが植木を掘るとこうなります vol.3の動画です 植木の根鉢をきれいに巻くための仕上げ作業を今回はアップしています ぜひご覧ください 底取りとは,掘り取った根鉢の一番下の分部の土が崩れないように,麻紐をつかって編み込んでいく作業です. 根巻き編で,くるくる巻いた根鉢だけでは,一番底の部分がまだ土のままです. 近くに運ぶ際には,土のまま運ぶことが多いですが, 鹿児島から遠くに運ばれることが多いうちの商品は,丁寧に底取りまでします 皆さんの何かの役に立てると嬉しいです. ぜひご覧ください. #YouTubeやってますいずみの植木屋さんで検索 #植木の掘り方 #根巻き #底取り #ナナミノキ #株立 #植木生産者のひなた散歩 #植木生産 #植木生産者 #いずみの植木屋さん #植木 #植木屋 #プロフィールからサイトに飛べます (鹿児島出水市) https://www.instagram.com/p/COfHI_8lQB-/?igshid=1umoffxza7gho
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