Tumgik
3sansun3 · 5 years
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時々
時々、定期的にと言うべきか、自分の過去の出来事を思い出して涙したり、自分の「多くの人と異なる酷い部分」に何故だろう、と自問自答して悲しくなる事がある。
やはりそれは「愛」だ、とくに家族への。
愛は素晴らしい物だと思う。家族は素晴らしい物だと思う。頭ではわかっているつもりだが、やはり分からないのだ。例えば親族の生んだ子供を可愛いと思ったりする事が。確かに可愛いのだが…それ以上のものが出て来ないのだ。
甥や姪が出来た周りは色々なものを買い与えたり、写真を受け取ったりして愛しそうな表情を浮かべる。私は…。と、自問自答してしまう。
もちろん自分が小さい頃に親戚にどこかに連れて散ってもらった事だってある。楽しかった。嬉しかった。けど私はその人と同じ家には住めないんだ、と言う絶望。
とても親切で優しい叔父叔母の家に夏休みは泊まりに行くのが楽しみだった小学生時代。時々何かを買ってくれたりした。しかし言われた事がある。「あなたは私の家の子じゃないからねぇ」と。当たり前な事だ、それでもその現実は辛かった。
どうしてこうなったんだろう?
もしも…を考え出すと止まらなくなるし結果生まれないほうが良かったのでは?と思う。この血が流れている限り無理なんだろうな。自分の血を全部入れ替えたら良いの?なんてアホな事も考える。
それでもやはり分からないのだ、「愛」とは何なんだ。
私は誰なんだろう。
今日は辛い日だなぁ。そんな日もある。
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3sansun3 · 5 years
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The Minority struggling every moment entire life.
Just my experience.
I was invited to a concert by a singer.
When he spoke something before a song. The Song about love.
I think everybody must love somebody. Life is boring and no value if you don't love somebody.
.....
Off cause I can understand his opinion. BUT ARE YOU SERIOUSLY??
How do you feel when you face a kind of racism?
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3sansun3 · 5 years
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クソみたいな日常の一コマ
ザ・男尊女卑な昔ながらの寿司屋。
パートナーである女性は絶対に寿司は握らず、サポートする側。怒る男性。それがその二人の日常であったとしても私はおかしいと思う。それをカウンター越しに見るって何?
必ず結婚未婚を問うてくる。
女性は必ず男性より酒を飲むと何かを言われる。
ルッキズム。
エイジズム。
男性は身体が大きいから広いほうがいい?そんなん誰だって広いほうがいいわ。
If you go to very old and small sushi restaurant, the owner gonna ask are you married or single. Definitely.
Also, you can see fuckin sexism. Almost the owner of a sushi shop is male, a female is definitely a side of his assistant. Women never make sushi. Because it is traditional. Funkin' stupid.
If you drink a lot more than male, he said something. Because you are WOMEN!!
Disgusting.
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3sansun3 · 5 years
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JAN 2019
先月、海外生活時に出会った超がつくほど優しく、 素晴らしい子が日本に来ていた。
その時に一応ノンセクシャルなんだよ、と話した。 けど妙にそわそわおどおどしてしまった。 敗因としては(?)向かい合って話していたからかもしれない。 目を見ながらカミングアウトするのは結構大変だ。
とはいえ、友達は驚きもせずに話を聞いてくれた。 私が「ノンセクシャル って自認できて心がすっきりした!w」 と言ったら「スッキリしたんだwそっか〜」 と、さらりと反応してくれた。
とりあえず伝えられた。
異国で日々戦う彼女が幸せになれますように。
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3sansun3 · 5 years
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恋とか愛とか
中学生のとき、中学2年生の時仲良くなった子は2年生になる頃には他の子と仲良くなることが多かった。
自覚する一つの点に「恋愛トークが分からない」からだ。
相手は電話をしてくると「○○くんが気になるけど、そういう人いる?」みたいな話だ。必ず、誰でも、当たり前に通過するイベントだと思う。私は本当にこれがわからなかった。どうやったらそんなに人を好きになるのだろうか?と。
私もその当時は集団生活をする中で「ああ、好きな人を見つけなければ」と思いながら生活していた節がある。所謂同調圧力になるのだろうか。そんな訳で、人に「恋」をした事は確かにあるのだ。しかし、それが人様のもの比べたらどうなのか。恋と呼べるのか。
最近ではセクシャリティやマイノリティに関する話ををしている人が最近恋人が出来たようで、セフレと付き合う事になった。恋をして、付き合って、幸せ、と言うツイートをしているのを見て嫌悪感を覚えてしまったのだ。
なぜに世の中にはヘテロセクシャル、セックスが好きな人が多いのだろう…と、当たり前のことなのだがそのマジョリティの当然のあり方が不思議に感じる。
最近では、ドヘテロ友人と元恋人含むグループチャットをようやく退会した。心スッキリである。
子供ができた、結婚した、結婚式がどーのこーの…次はいつ会うどこに行くどこに行きたいblah blah blah.....本来おめでたい知らせのはずがこの上なく鬱陶しかったのだ。
学生時代に仲が良かった、と言うのはすごく大切なことだと思う。しかし当時の価値観とたまたま学校という場所に居合わせた人達と無理に付き合い続ける必要も無いのだな、と大好きなアーティストの言葉にハッとさせられた。
本当に時間がすぎるのは早い。好きな事しか出来ない。以上。
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3sansun3 · 5 years
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天気の話のように
自分のセクシャリティがこれだー!となったのは本当に最近の出来事。
自認後に私はノンセクシャルだ、と言ったのは一人だけだ。それもごく自然と、中華料理屋でラーメンとレバニラ炒めをシェアしながら。
「海外にいて何か恋愛した?」
「うーん、うちノンセクシャルだとおもうんだわ」
「良いじゃん!」
終わり。
すっごい気持ちが楽だった。その子とは長い付き合いで、その子自体がとても良いやつ。色んな事を考え行動して純粋で凄く好きな友だちだ。ますます好きになった。
自分自身のセクシャリティを天気の話の様に出来たら良いのに、と「私は」思う。
さらに古い友だちで、とても良い人なのだがドが付くほどのヘテロセクシャルの女性がいる。
彼女には数年前には「私は恋愛に興味がない。どうでも良いと思っているんだ」と告げた事がある。自認前までノンセクシャルと言う言葉も知らず、ただ性的マイノリティなのだなぁ私は…と思っていた感じだった。
にも、関わらず。
「良い人出来た?」
「絶対海外の人が合うよ!」
「良い人出来るといいね!」
などなど、ぱっと見当たり障りのない「普通」のメールを送ってくる。彼女自身の中に私のようなセクシャリティの人間は「普通ではない」のだろう。
恋愛の話を対してしてこない人に対して社交辞令のように聞いてくる神経が信じられなかった。
彼女にはとてもお世話にもなったし良い友達ではある。
しかし、このような話を振られるたびに「恋愛に興味がない」と私は言い続けてきた。
にも関わらず…飽きずに聞いてくる。アホなのか??いい加減に嫌気が差し、どうでも良くなってしまった。会いたいとも思えなくなった。
私はuncomfortableな事はされたくない、したくない、しない、一週間が過ぎるのはものすごく早い、この調子だとあっという間に死んでしまう。不愉快な思いをする時間があるなら美味しいものを食うし映画を見る。じゃあな!達者でな!私は森で、そなたはタタラ場で暮らそうねー!
と言う開き直り(?)をしてからまぁ〜楽なこと。
天気の話のように話すにも、色々な問題があるのだな。
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3sansun3 · 6 years
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リレーションシップ
高校時代、同性と付き合った。2年ぐらいは続いたのだろうか。
趣味も同じ、いつも一緒に居た。恋愛感情とはこういう事なのだろうな、好きだな。と感じていたのはお互いだったようで家に遊びに行った時にキスしたことから関係が始まった。
過去異性に恋心らしきものを抱いたこともあったし告白もした事はあった。しかし付き合う事はなく、私のはじめてはその時だった。
しかし自分が相手に何かをする事に物凄い違和感を感じたのだ。相手が性的快感を得る姿がキモい悪いとさえ思えた。しかし性的快感を与えられるのは気持ちがよかった。が、相手にも何かをせねばいけないと言うのが一番嫌だった。今思えばこの思いも納得である。
とは言えど、相手のことを私なりに好きだった。大好きだった。しかしお互いに誰かにこの関係を言う事は無かった。高校卒業後にしばらく関係は続いたがいつ頃だろうか、相手はこの関係を疑問に思ったのだろう。別れよう、と言う言葉も無く徐々に離れていったのだ。置��ていかれたとでも言えばいいだろうか。ようは相手はヘテロセクシャルになる事を選んだのだ。
正直その頃どう言う気持ちだったかを事細かには覚えていない。ただ辛かった、悲しかった、嫉妬をしていた事は覚えているし何年経っても夢に出たりした事もあった。
その後自分は異性を好きになる事も同性を好きになることも無く今に至る。
何度かは「みんなの様に、誰かに恋心を抱いてみる事にしよう」と言う心持ちから「好きな人が出来た」事はあった。しかしそんなのただ無理をしているだけ、昔から自分が無理する事が嫌いだったのでそれから私は「恋愛に興味がないのだな」と自認するようになった。モラルの低い人間や肉親からは恋人はいるのか居ないか何年やってないの等と言われればずっと前に別れた。と言っていた。
高校時代のあの恋は何だったのだろう?と時々考える。けど面倒なので深く考える事は無い。その程度なのだ私のは恋心と言うのは。
その相手とはその後無理して顔を合わせたことがあった。正直また付き合えたら?なんて考えたことさえあった。まぁ無理なんすけどね。
そして数年前に結婚し子供はそろそろだろうと言う話を共通の友達に聞いた。そんな事を教えられたところで…という気持ちばかりだ。おめでとう、と言えないのは何故なのか。嫉妬ではなく相手に興味が無になったのだ。
あの時は確かに楽しかったものだ。しかし私も自分なりに成長し、色々と経験し、ここ数年の私は徹底して楽しくない事、少しでも嫌だな、面倒だな、と思う事には時間も金も心も使わない事にしたのだ。その当時仲が良かった子達と過ごす時間は楽しいけれど、私にはもっと自分でチョイスして過ごしたい時間があるのだ。また私にはその当時の目標があった。その為に過去の相手含め、行きたくない。と思った結婚式は欠席する事にしたのだ。(よくまぁ相手も招待状送っていい?なんて聞いてきたものだ…
人を恋する気持ちはきっと素晴らしい事だ。私にもまたあるかもしれない。無いかもしれない。同性かも異性かもしれない。でも無理にする事ではないのだ。
楽しい事は世の中にたくさんある。
自分が本当に楽しい事を見つけている、知っている私は幸せで自由なのだ。自分の時間も、人生も自分のために生きるのだ。
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3sansun3 · 6 years
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イタリアにて
2018年のローマのPRIDEパレードはJUNE 9。
私が訪れたときにはすでに終わっていたが6月のヨーロッパは色々なところでレインボーフラッグを見かけた。
その日はレインボー柄のトートバッグを持ってバチカンを観光、その足で周辺の街を散歩していた。少し暑かったのでとりあえずそこらじゅうでジェラートを食べまくっていた。甘いものは美味しい。
ジェラートを食べ終わり別の場所行くか〜と歩きはじめるとふと向かいの通りにレインボーカラーで「PRIDE」と書かれた看板のバーがあり、店先にタンクトップ、短パン姿の男性が私のバッグが目に入ったのかコチラを見ていた。そこで私は特に立ち止まることも無くスタスタと駅に向かったのだが、既にノンセクシャルなのだな、と自覚した自分は晴れ晴れと「性的マイノリティだなー!」といった気持ちのもとPRIDEな時期にレインボーアイテムを持って歩いていた事に今までに感じたことが無い開放感を感じたのだ。
This is PRIDE!なんていい言葉!
自分のアイデンティティがはっきり分かる、自分のセクシャリティがはっきり分かる、って凄く気持ちが良いなぁとその時改めて感じた。
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