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absinthetokyo-blog · 8 years
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FAIRスピリッツ社長本日来日!
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FAIR.はフランス人、アレクサンドル・コアランスキーがオーガニックキヌアで酒を造ったら、、、というアイデアに出会った事に端を発したプロジェクトです。(キヌアについては近年、栄養価の高いスーパーフードとして一躍注目を集めるようになりました。)
彼はその後数年をかけて世界を奔走し、スピリッツの原料をフェアトレードで調達し、フランスの伝統ある酒造技術と融合させ、今までに無かったやり方でこのプレミアムスピリッツのシリーズを形にしてきました。
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フェア・スピリッツの魅力のひとつが、原材料にフェアトレードで調達したものを使用していることです。海外では大きな運動であるこのフェアトレード。日本ではまだ認知度が浅いのでご説明いたします。
ビデオをご覧いただけるとわかりやすいかと思いますが、フェアトレードとは開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指ざす「貿易のしくみ」を いいます。
FAIR.スピリッツの原材料は、このフェアトレードで仕入れたものを使用しています。
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また、ウォッカの原料キヌア、ラムのサトウキビなどはオーガニックです。このオーガニックとは、農薬など、可能な限り化学的なものを排除しているものですから、化学的危害リスクは一般の食品に比べて極めて低くなっているのです。
このように、FAIRのスピリッツとリキュールは、フェアトレードでオーガニック、なんていうキーワードを持つのですが、それより何より、自然の恵みを受けたまろやかな味わいは、すでにヨーロッパ諸国では大きな支持を集めています。
8月2日までFAIR全商品10%お求め安くなっております。ぜひ、お試しください!
THINK HUMAN, DRINK FAIR !
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absinthetokyo-blog · 8 years
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6/18 Fête de l’Absinthe スイスのval-de traversで開催!
毎年恒例、今年で19回目の『アブサンフェスティバル』が今年も開催されます。今年のポスターはこのような感じです。いつもながら、人の温かみを感じるというか、洗練されすぎていない素朴なデザインです。このポスターは地元で募集し、その中から選ばれるそうですよ。
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さて、このお祭りは、「アブサン発祥の地」スイスのヴァル・ド・トラヴェール地方に属する「ボヴレス/Boversse」という村で開催されます。アブサントーキョーのスタッフは何度も訪れたことがあるので、どんな場所なのかよく知っているのですが、アブサン発祥の地がどんなところなのか、とってもよくわかる映像ができたようですので、ご紹介します。ドローンを飛ばして撮影したのだと思いますが、ほんっとうに、ここに見ることができるような、小さな村なのです。何はともあれ、映像をご覧ください。
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ここがアブサンが生まれ、今でも手作りでアブサンを作っている場所なのです。なぜ、ここがアブサン発祥の地なのか?ということですが・・・
昔、ここで薬酒として作られていたヨモギ酒が、アブサンの原型と言われているからです。1793年頃、「クベ / Couvet」村で、そのヨモギ酒を、いち早く商品化し販売していたアンリオ姉妹がいます。その姉妹が、レシピを売却したのがデュビエ公爵という商人でした。彼の会社でアブサンを商品化し、地元でひろく流通させたのが、後に初代のペルノ社の代表となるアンリ・ルイ・ペルノ氏です。ペルノ氏が、関税の関係から国境をまたいだフランス側のポンタリエの地に工場をつくりのちに独立、ペルノ社を設立します。
アブサントーキョーで発売している、『アルテミジア・アブサン』を製造している、アルテミジア蒸留所は、「クベ / Couvet」にあります。アブサンフェスティバルが開催される「ボヴレス/Boversse」のすぐ隣、アブサンの原型を作ったアンリオ姉妹がいた村です。(もちろん作り手のブニョンさんも毎年フェスに参加します。)
この地図は上記の場所の位置関係です。
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先ほどの映像からでも、この地の澄んだ空気、水の綺麗さ、鮮やかな緑をしたハーブの生き生きとした成長具合が伝わります。アブサントーキョーでご紹介している本物のアブサンはこのような場所で生まれ、今も丁寧に地道に製造されているお酒であるということを、どうぞ覚えておいてください。
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absinthetokyo-blog · 9 years
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ゴッホの手記の中のアブサン
ゴッホが弟のテオに宛てた手紙の中に、アブサンに関する記述がいくつかあります。未だ、ゴッホが耳を切り落としたのは、アブサンが原因である、と言われていますが、その真相は別としても、この中にゴッホのアブサンに対する考えがあわられていることは確かです。
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Letter from Vincent van Gogh to Theo van Gogh ゴッホからテオへの手紙
Arles, 30 April 1889   1889年4月30日アルルにて
この点において、我々は社会に反対し、自分自信を守ることが許されているのだ。我々は、自殺に傾倒したマルセイユの芸術家が、アブサンの影響でそうなったのではないと確信できる。それは単純な理由からで、誰も彼にアブサンを差し出しはしなかったし、彼自身、アブサンを買えるお金もなかったのだ。それに、彼は好んでアブサンをストレートで飲みはしなかっただろうし、彼はその以前からすでに病気だったのだ。
Letter from Vincent van Gogh to Theo van Gogh ゴッホからテオへの手紙
Arles, c. 21 April 1888 1889年4月21日アルルにて
モンティセリがあんなにも大量のアブサンを飲んだという伝説の真実性を、だんだん疑うようになっている。モンティセリの作品を見ると、酔っ払いで無気力な男にあんな絵が描けるのが可能とは思えない。
Letter from Vincent van Gogh to Theo van Gogh ゴッホからテオへの手紙
Arles, 10 October 1888  1888年10月10日アルルにて
よくモンティセリのことを考える。彼の死について色々と言われていることをくよくよ思いを巡らしている。しかし、私には、モンティセリが飲酒に溺れて、酔っ払いとして死んでいったという考えを排除しなければいけないだけでなく、当然のこととして、一人の人間が開放的な空気の中で、カフェ文化の中で、彼なりの人生を生き、彼は多かれ少なかれ、生涯において大酒飲みであった、というように理解しなけれなならないのだ、と思える。
しかし、大酒飲みとは真逆の、彼に対する大いなる賞賛は当然のものだし、彼は聡明で、ガリバルディのごとく、あらゆる噂に反論していた。だから私は喜んで、アブサン大酒飲みモンティセリの伝説を、私の所に来る郵便局員と同じぐらいの酒飲みへと、少し酒量を減らして考えようと思う。
Letter from Vincent van Gogh to Theo van Gogh ゴッホからテオへの手紙
Arles, c. 21 April 1889  1889年4月21日アルルにて
私の病気の大いなる原因の一つは、疑いの余地なくアルコールであるかもしれないとあなたは思っている一方で、病はゆっくりとやってきたのだから、そしてもし消えるものであるのならば、ゆっくり消えてゆくのだろうと思う。
Letter from Vincent van Gogh to Wilhelmina van Gogh ゴッホからヴィレミーナ・ゴッホ(末妹)への手紙
Saint-Rémy, c. 20-22 October 1889  1889年10月20-22日サンレミーにて
ここの医者はパリへ行ってしまった。テオに会うためだ。医者はテオに、私は狂人などではなく、私にある危機というのは、てんかん性のものであると言った。だから、アルコールが私の病の原因ではないのだ。だからと言って、それが私に取って良い事だとは言えない事をわかってほしい。不運の疑念に落胆しすぎている間は、人は日常生活に戻る事はとても難しいのだ。そして、過去への愛着と執着から、不運は続くのだ。                                   
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absinthetokyo-blog · 9 years
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伝説のスターと言われるデビット・ボウイが亡くなりました。私は「スターマン」や「チェンジズ」などの曲が一番好きでした。あまりにもスターすぎるので、雲の上の人という印象がつよく、現実に生きている人という実感があまりなかったのですが、死去されたニュースが流れてくると、人生について思いをめぐらせてしまいます。
みなさんご存知の「マンサン」をつくったマリリン・マンソンも、彼の死によせてメッセージを出したそうです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160113-00010000-rollingsj-musi
そして、彼の死を知ったのと同日に、ボウイの曲に「アブサン」がでてくるのを初めて知りました。それが、「バラッド・オブ・ジ・アドベンチャーズ」という曲です。
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Still he explores and rakes the absinthe green oceans(未だに、彼はアブサンの緑の海の中を探索している)
Though his mother has given him up for lost(母親はもう彼を失ったものだとあきらめているのに)
Grinning and cursing with a few odd tears of contrition(悔恨の涙を流しながらニヤニヤと笑う)
Always in search of that land where life seems best(最高の人生が送れる場所を探し続けている)
これがアブサンがでてくる箇所の歌詞ですが、たった4行で母と息子の悲哀が感じられてきます。
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absinthetokyo-blog · 9 years
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耽美主義者の酒、アブサン
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ワームウッドと、アニスやフェンネルなどのハーブが奏でるグリーンのリキュール、アブサンにはロマンティックな何かが存在します。ゴッホやオスカー・ワイルドが愛飲し、ロートレックやピカソが描いたアブサン。アブサンは唯美主義者たちの飲み物であり、そのことがアブサンを初めて有名にした必要不可欠な要素でした。また、1840年代のアルジェリア侵攻での、フランス兵士へ配給されたこともまたそのひとつです。解熱や、赤痢の予防目的で使用されていました。すぐに、兵士たちは、医療目的ではなくアブサンの魅力にとりつかれていき、アルジェリアのカフェやナイトクラブでは流行のドリンクとなったのです。兵士たちはフランスへ戻っても、アブサンの虜になっていました。その当時、フランスのワイン業界は、ぶどうにつくアブラムシが原因でワインの供給は不足し、崩壊しかけていました。まさに、アブサンは、いい場所で、いい時期に入ってきたものだったのです。しかし単にワインの代用品というわけでなく、フランス人は、アブサンを偉大な酒のうちのひとつにまで高めた『アブサンを飲む儀式』を発展させていきました。
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その儀式とは、はじめに、アブサンを冷水を加えます。これは、70度ほどある酒を薄めるという意味だけでなく、「ルーシュ」と呼ばれる白濁する効果を生み出します。ルーシュは、視覚的に印象的ですばらしい光景です。光の加減で、アブサンが深い緑色から乳白色に変化していくのです。それはグラスの中で起こるマジックといった感じです。ルーシュは、また、化学的にも興味深い現象で、それは「ウーゾ効果」と呼ばれています。基本的に、水がアブサンとまざると、アブサンの持つエッセンシャルオイル成分が、アルコールから水に溶け出して、自然発生的に乳化していきます。これがアブサンが白濁する原理で、この現象は長い時間持続します。
なにより、冷水がアブサンには不可欠と言われており、生ぬるいアブサンは、とても飲めたものではない、という19世紀の記述があるそうです。
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www.museeabsinthe.com
アブサンは、穴の空いたスプーンの上に置かれた角砂糖を置き、水を1滴1滴たらし(ドリップ)ながら、砂糖を溶かす儀式とよばれる方法で飲まれます。
なぜアブサン専用のスプーンが作られたのか?フォークでもアブサンの儀式は可能ですが、アブサン全盛期の1800年代、砂糖は今の角砂糖のような形ではなく、でこぼこしていた��で、フォークではうまくバランスよく砂糖を乗せることができませんでした。というわけで、フランス人がアブサン専用のスプーンを発明したわけです。
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アブサンファウンテンが作られたのは、次の二つの理由からです。ひとつは、アブサンに注ぐ水を経済的に冷やせる、という点です。1800年代半ばには、まだ氷は高価で、高級なもので、多量の水を冷やすにはかなりお金のかかることでした。ふたつめには、白濁する効果を狙ったためです。もちろん、一気に水を注ぐこともできます。しかし、そこにマジックはあるのでしょうか?ーないのです。アブサンを飲むことは、感覚をくすぐる道楽であり、だからこそ芸術家たちが愛飲していたのです。
1900年代後半には、より多くの人に愛飲されたアブサンですが、その儀式とそれに使う器具はすぐに社交界の指標になりました。カフェには、穴のあいたシンプルなデザインのスプーンがあり、裕福な家では銀細工師に頼んで特別なスプーンを作ったようです。また、その頃登場した新素材のアルミニウム製のスプーンは、純銀製のそれよりも、高価だったといいます。
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芸術家たちの飲み物というアブサンの名声にもかかわらず、アブサンはまず、一般大衆の飲み物でした。芸術家たちがアブサンを楽しんだのは、人々が一緒になれるお酒であるからです。彼らは、アブサンを文化として楽しんだのです。
Copyright 2015 NPR. To see more, visit http://www.npr.org/.
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absinthetokyo-blog · 9 years
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ブラックフォレスト産のハムと、ブラックフォレストのジン、モンキー47の相性は言うまでもなく最高でしょうね・・・
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Schwarzwälder schinken & brie #brie #schinken #ginstagram #monkey47 #gin #basilica
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absinthetokyo-blog · 9 years
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Monkey47 GT #monkey47 #gintonic #ginstagram #ginspiration #biergarten
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absinthetokyo-blog · 9 years
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 ブラックソーンはヨーロッパや北アメリカではよくある普通の生垣に生えている低木の植物です。冬に葉が落ち、春に花を咲かせ、秋に1円玉ほどの 大きさの実をつけます。この実が”スローベリー”です。熟した実の見た目のかわいいさとは裏腹に、まずくてとても食べられません。ストロベリーや ブルーベリーのように、ジャムにやパイにするにも適さない、落ちこぼれベリーなのです。しかし、ジンと砂糖と一緒に漬け込むと、酸味のある奥 深い味わいを奏でます。この果実は、スロージンのために生まれてきたのかのようです。  スロー・ジンの歴史は非常に古く、18世紀まで遡ることができます。もともとはスロー・ベリーにジンと砂糖を漬け込んで作る酒。日本の梅酒のように、 家庭でビンなどに入れて漬け込んで作られていました。イギリスでは体をあたためる飲み物として冬の寒い時期に愛飲されていたそう。アメリカに渡って、 柑橘類やソーダで割ったリフレッシュな1杯となり、夏にも楽しまれるようになります。これがスロージンで最も有名なカクテルのスロージンフィズのはじまり。  アメリカでの1960,70年代は、スロージンにとってのスランプ期で、あまり人気がなかったそう。それはただの、甘くてシロップ状の人工的な味がする赤い リキュールで、原材料にスロー・ベリーすら使用されていませんでした。というのも、伝統的なスロージンのレシピがいつのまにか忘れさられ、本来の 似せただけの粗悪なものになっていたのです。  しかし、近年になり、ジンを製造するメーカーが、18世紀の古いレシピを再現した正真正銘のスロージンの製造を開始するようになったのを 皮切りに、今ではバラエティー豊かなスロー・ジンに酒屋さんやバックバーで出会うことができるようになりました。
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absinthetokyo-blog · 9 years
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ゴッホとアブサンの関係は非常に有名で、ゴッホを語るにはアブサンは欠かせないものとなっていることも確かです。 そして、今日はこんなものをご紹介します。 「ゴッホとアブサン」というタイトルの人形劇です。 これ、ひじょ~~~に!良くできております。(作るのは本当に大変だったと思います)
ゴッホ、がんがんアブサンを飲んでいますね!
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absinthetokyo-blog · 9 years
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ゲームで白濁を楽しもう!アブサンゲーム
暑い日はもっぱらアブサンモヒートを楽しんでいます。 さっぱりしますよ!
そうはいっても毎日アブサンを飲んでもいられない、という方も いらっしゃると思います。そんな時はゲームでアブサンを堪能してはいかがでしょうか?
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このゲームの説明を読んでみますと、 やはりアブサンの幻覚作用に焦点が当てられています。(ゲームにしやすいネタですから) ご存知のようにアブサンにはそのような作用はございません。
ですが、このゲーム。 画面左上から、飲み方を選択できますし(アブサンスプーンを使ったりなど)、 画面右上のスコア数字の上にある"Select Brand" からは、 産地や度数を選ぶことができる、なかなかのものです。 ゲームの目的は、死に至ることなく、どれだけ多くのアブサンを飲むことができるか。 (死に至ることなく、というのが恐ろしいのですが・・そしてしつこいようですが、 アブサンが原因で死に至ることはございません。それはアルコールによるものだと考えられます)
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下にゲームのルールを記しておきますので、ぜひトライしてみてください!
1.アブサングラスが出てきますので、クリックで飲むことになります。 2.下にある2本のラインは、上がどれだけアルコールを摂取しているか、 下は、幻覚作用がどれくらいかを表します。 3.アルコールの摂取がいっぱいになると、ゲームオーバーです。 そのようにならないよう、グラスに入った水をクリックし、 水を飲みながら、アブサンを飲んでください。 幻覚作用が多くなると、幻覚が見えてきます。 4.ストレートで飲むより、左上から、飲み方を選び、 アブサンドリップなどで飲んだ方が、酔いが遅いようです。
どれだけ飲めるでしょうか?
http://www.buzzedgames.com/play-4633-Absinthe_La_Fee_Verte.html
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absinthetokyo-blog · 9 years
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ゴッホのお墓参りにいくのだ!
我らアブサントーキョーが敬意を表して、ゴッホのお墓や住んでいた場所を訪れて参りました。 フランスはパリから電車で約1時間あまりの街、オーヴェル=シュル=オワーズ。アブサン博物館のある街でもあります。
上の写真は、この村にある教会。ゴッホもこの教会の絵を描いています。
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この村はとても小さいですが、ゴッホ最期の時を迎えた地として有名で、 世界中から人々がゴッホの面影に会いに来ています。
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こちらの普通の一軒家。一階はレストラン、カフェです。 そう。この三階部分、屋根裏部屋にゴッホは住んでいました。 どうしてここなのか? それは、この部屋がこの村で最も安価だったという理由だったからだそう。
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ゴッホとその弟テオのお墓。合掌。
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ゴッホとその弟テオのお墓。合掌。
ゴッホが描いた風景の場所には、絵が飾られており、ふたつを同時に見比べることができます。彼が描いた時とほぼそのままの風景がひろがります。
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absinthetokyo-blog · 9 years
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あなたが知らないアブサンのこと 15 ~part 2~
8. アブサンが多くの国で禁止された時、遵法的なフランス人は、アブサンにかわってパスティスを開発した。しかしながら、国境を超えたところ、スイスの密造者たちは彼らの本質にたちもどるため、クリアなアブサンを密造した。それは、1910年から2005年までのことである。彼らは密輸入の税関手続きから逃れていたそう。しかしながら、税関はそのことを知っていて、分け前をもらっていたかもしれない!
9. アブサンはそもそも透明な蒸留酒として製造された。”vertes"(緑)色は、アブサンを製造するときの第二段階、ハーヴのはいった袋を浸すことからきている。透明でいて自然な緑色をしたアブサンは、1790年に製造されて以来、まさに本物のアブサンである。
10. 人工着色料または甘味料を使用したアブサンを製造する必要はない。19世紀末のフランスで製造された人工着色料を使用したアブサンは、最も品質の低いものと認識された。それは製造過程において、コストと時間を削減し、人工的に緑の色をつけたものだった。甘味料を使用したアブサンは、低品質商品以上の口当たりを出すために砂糖を使用していて、それはアブサンとは言えないもので、それは単に”リキュール”である。
11. バーなどで見られる、いわゆる”バーニング・リチュアル”(炎を出して行うアブサン儀式)には、歴史的根拠がない。
12. 1988年、EUが食品と飲料の添加物に使用を標準化したさいに、アブサンはヨーロッパで再合法化された。フランスでは1998 年になって、アブサン、正しくは「薬草アブサン・ベースの蒸留酒」が厳重な制限付きで許可されるようになった。
13. アブサンが幻覚症状(またそのようなもの)を引き起こすことはない。ゴッホが耳を切り落としたのは、アブサンによるものではない。アブサンは“ツヨン”を含んでいるが、それはニガヨモギに自然にある物質である。(“ツヨン”はヴェルモットやその他リキュール、セージにも含まれている)“ツヨン”効果を得るために多量のアブサンを飲んだとしても、アルコール中毒で死亡するだろう。
14. アブサンは現在、スイス、フランス、アメリカ、スペイン、ドイツなどその他多くの国で製造されている。スイスのみ、アブサンの製造を管理する規則がある。それは、蒸留されていなければいけないこと、そして人工着色料を使用していないこと。一方、フランスとアメリカでは、アブサンという単語はラベルに使用できない。(くわしくはこちらの記事をご覧ください!フランスではつい先日、許可されました!)
15. “Terroir” (フランス語で”地方”の意味)はスイスアブサンにとって重要な要素である。アルプス山脈の草地は、アブサンの原料になる植物にとって特に適している。
元の記事: www.distillnation.com
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absinthetokyo-blog · 9 years
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フランスの作家エミール・ゾラの作品に、「居酒屋」があります。 映画化した監督は「禁じられた遊び」や「太陽がいっぱい」などを撮ったルネ・クレマンです。昨今では3D映画が大人気のようですが、この映画は3Dとは遠く離れ、自然主義文学をしっかりと継承した、人間のそのままをいき映した作品です。ゾラ自身もこの映画の出来には満足だったと言われています。
そして、ゾラ自身もアブサン愛好家だったようですが、小説「居酒屋」もアルコール(アブサン)により退廃していく人間を描いた側面があります。
また、小説の原題はフランス語で「l'assommoir」(ラソモワール)。辞書をひきますと、「鉛玉のついたこん棒」「撲殺用武器」(プチ・ロワイヤル仏和辞典)と出てきます。(恐ろしいです)が、同時に、この「l'assommoir」(ラソモワール)は、19世紀においてアブサンの俗称だったようです。19世紀において、アブサンは人間を破滅させる「撲殺用武器」的なものとして認識されていたからでしょうか。
そしてまた、ペンギン・クラシックの表紙画には、かの有名なドガの『アブサン』(L'absinthe, 1876)が使用されています。この女性の表情はどう形容したらいいのでしょう。このうつろな目は一度見たら忘れられないほど強烈です。
みなさんご存知のように、アブサンが覚醒や中毒症状を引き起こすことはありません。 むしろ、その時代背景、そしてそこにおける人間生活などの興味を、アブサンは私たちに引き起こしてくれるのです。
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absinthetokyo-blog · 9 years
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あなたが知らないアブサンのこと 15 part1
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アブサンはいろいろなうわさがつきまとうお酒です。「目が見えなくなる」、「幻覚が起こる」、ゴッホが耳を切り落とす原因となった」困惑など、危ないものが多いですね。
今回は、歴史の観点から、信憑性のあるアブサンについての情報をお伝えします。15項目ありますが、今日はそのうちの半分です。 あなたはいくつ知っていましたか?
1. アブサンの起源は18世紀にスイスのヴァル・ド・トラヴェールの薬用酒。また初の蒸留所はス イス、クヴェに1797年に設立された。
2. アンリ・ルイ・ペルノー氏(のちのクヴェ蒸留所の義理の息子)は、1805年、節税のためにフランスの国境を超えて新事業をはじめた。両国境で、アブサン蒸留所は繁栄し、19世紀には少なくとも15の蒸留所がクヴェの地に存在していた。
3.  透明または白いアブサンは、緑のアブサンより前に作られていたらしい。(同じく、ワインはシャンパンより先につくられた)
4. アブサンの発展にとって、女性は重要な役割を果たした。アンリオ家の母とそのふたりの娘は、今日わたしたちがアブサンと認識できる飲み物を、初めて作った人物とされている。(発売中のアンリオ・スプーンはこちらの姉妹にちなんだ商品です)また、シャルロット・ヴォシェ(クランディスティンのレシピ発案者)は、1910年に禁止されてから、スイスでアブサンを密造していた数人の女性のうちのひとりである。
5. 19世紀に、”スイス・アブサン”という名称は”高品質アブサン”を示す用語として使用されていた。中にはスイスで製造されていないものもあったが・・・・
6. アブサンが有名になったのは19世紀、フランスにおいてである。それは、”phylloxera”という害虫の発生がワインのぶどうを多く破壊し激減させたためである。
7. 20世紀初頭のアブサン禁止令は主として、事業回復を狙うワイン業者と一般的な酒を攻撃することを狙った禁酒主義との間の同盟のために起きたものである。しかし、アブサンはイギリス、スペイン、チェコスロバキアにおいては禁止されなかった。
元の記事: www.distillnation.com
世間で今も言われているもののうちで明らかに誤解であるとわかるのは、 アブサンが禁止されたのは「飲むと危険」「飲むと命を落とす」からなのではなく、 害虫によりぶどう畑が壊滅し、事業がうまくいかなくなったワイン業者と禁酒主義者たちのためだったということです。
今でもよく見ることができるアブサンの危険なイメージを表に打ち出したポスターなどは、 このような意図のもとに作られたものなのです。
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このポスターはかなり強い語調でアブサンを攻撃!1907年のものです。 ”死を宣告された!” "いまわしいアブサンめ!” ”アブサンを飲むな!これ以上!” "アブサンを倒せ!”
・・・・・・・このあたりにしておきましょう。
自由にアブサンを楽しむことのできる今に乾杯!
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absinthetokyo-blog · 9 years
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12月17日金曜日、フランスでやっと”アブサン”が解禁された?
2010.12.19 Sundayのポスト
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© KEYSTONE-A
2010年12月15日金曜日、「アブサン」という名称が、新たにフランスで許可されました。 スイスの製造者たちがこの呼び名を我が物とするのを阻むためです。 金曜、アブサンの発祥の地である、フランス、ドゥ県の国会議員に近い筋から明らかになりました。
フランス国会は水曜、1915年3月16日に制定された法律を廃止しました。この法律は、現在のフランスの製造者にさえ「アブサン」のラベルを使用することを禁止し、「ニガヨモギでできた高アルコール飲料」という名称のもとで製品を製造、商品化することを強いるものでした。
今回のこの法律の撤廃のねらいは、スイスのIGP、また、スイスとフランスの製造者とのあいだでの競争が不利になることをさけ、生産権簡略化および改善を訴えるスイスのプランに対抗するねらいがあるといわれています。   飲むと気が狂う、という疑惑を持っていたアブサン(その歴史的な首都はポンタルリエでドゥ県にあり、フランスの北西にある。)は、フランスで1905年に禁止され、新たに許可されたのは1988年で、アルコール度の低いものにおいてである。(そもそもは72度のアルコール含有量) 40もの蒸留所が今日、フランスでこの飲み物を製造している。
http://www.rtlnews.tv/info/monde/europe/761382/la-denomination--absinthe--de-nouveau-autorisee-en-france 以上はこちらのニュース記事の翻訳です
Absinthe-Tokyoの解説 
フランス産のアブサンにはラベルに決してアブサンとは書かれておらず、 よく見ると、どのアブサンにも”ニガヨモギという薬草からできた高アルコールの飲み物”、とか”ニガヨモギっていう植物の香味成分を抽出した蒸留酒” なんて周りくどい表記がされています。
フランス国内においては、ニガヨモギ酒、アブサンをつくることは認められたのに”アブサン”という言葉は使えないという矛盾した状態が続いていたのです。
酒造業者や関連団体から法律改正の要望は出されていたものの何年も回答すら得られないという状況がようやく急展開し、実質法改正が可決されたのです。
この流れについては先日当ブログフランスにおけるアブサン解禁立役者へのインタビュー記���にて詳しい経緯を書きましたが改めて簡単に記すと
シャンパンはフランス、シャンパーニュ地方でつくられたものしかシャンパンと名乗れないのと同様、スイスアブサン発祥の地、ヴァールドトラベール地方のアブサン製造者たちが”この地で決められた製法でつくられた高品質アブサンしか世界中でアブサンと名乗ってはならない”という法をつくろうという運動を起こし議会に提出しました。
これはフランス国にとって商売的にも、文化的にも不利になってしまうとフランス政府があわてたところでやっと動いたということのようです。
アブサントーキョーでも、フランス産の添加物フリーの本物アブサン『アブサン・ラ・シャルロット」を取り扱いしています。
今夜はフレンチアブサンでカンパイ!
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absinthetokyo-blog · 9 years
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アブサンとベルエポック
今日はだいぶ時間をさかのぼったアブサンのお話です。
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アブサンスプーンの「ロートレック」をデザインした、アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレックが生きた時代、「ベル・エポック」のアブサンを今宵は堪能しませんか?
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映画「フレンチ・カンカン」です。舞台はフランス、パリ、モンマルトル、「ムーラン・ルージュ」。今では映画「アメリ」で有名なモンマルトルですが、ロートレックやピカソなどまだ売れない芸術家たちが生活し、ブルジョアたちとはかけはなれた庶民が暮らし、また夜はきらびやかな歓楽街であったのです。ロートレックはキャバレーのポスターをよく書いていたたことでも有名ですね。お酒では、ムーラン・ルージュのようなキャバレーでは、シャンパンやワインなどが飲まれていたようです。が・・・・・・
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街角ではアブサンが大人気でした。庶民に根付いた飲み物なんですね。アブサンとは。たいていのカフェでは、水をカラフェに入れてサーブされていたようです。
有名人が愛したお酒「アブサン」としての認知が高いのですが、このベル・エポックの半狂乱のなかで、パリのカフェで庶民たちがアブサンを飲んでいる姿を思いながら今日は飲みます、アブサンを!
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absinthetokyo-blog · 9 years
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荒っぽい暮らしには向かないが、それなりに感じの良い部屋だ。隅の少し仄暗くなったあたりに、大きなダマスク織りの長椅子が置かれていた。ハリウッドの配役担当重役の部屋に、曰くありげに置いてありそうな寝椅子だ。人々があぐらをかいて座り、砂糖のかたまりにアブサンを染ませながら飲み、感極まった声で何かを語り、あるいはただ単に金切り声を上げているような種類の部屋だった。どんなことが起こっても不思議のなさそうな場所だった。まっとうな仕事以外のものならなんでも。
レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」(村上春樹訳)
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文学作品の中にお酒が登場することがよくあります。
メタファーとして登場することもありますが、
むずかしいことはおいておいても、作家たちと酒は深いつながりがあるように思います。
では、たとえば、「彼は、一気にビールをのみほした。」という文と、
「彼は、一気にアブサンをのみほした。」という文があるとします。
どうでしょうか?
アブサンは普通、一気に飲みほすようなお酒ではないですから、
何かただ事ではないことが彼の身に起きたのではないのか、と想像します。
それは、お酒が語っています。
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