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LAMYがジェットストリームのインクを搭載したということで、これを機に長年の足踏みの末ついに購入。ちょうど祖母の葬儀をきっかけに途切れてしまった日記を再開するモチベーションを欲しており、祖母が遺していた阪急百貨店の商品券を譲ってもらったのでありがたく使わせてもらった。
祖母とはあまり一緒にお買い物にでかける機会がなかったので、せっかくお互い阪急沿線に住んでいたのだしもっと梅田でお茶とかおでかけに行けばよかったなと今更ながら悔やむことばかり。
ペンはずっと使う物だから、これで何か書くたびに、少なくとも日記を書く一日の終わりには祖母のことを思い出せる。嬉しい。ありがとうおばあちゃん、大事にするね。
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某美容クリニックのベビースキンが何となく受けられない。ピーリングとイオン導入のセットはちょこちょこ受けに行くのでその度に勧められはするけれど、どうにも「生涯献血ができなくなる」という事実に腰が引けてしまう。自分のお肌の美しさのために有事の際人を救う手段を永久に失うことを考えるとどうしても自分の中の天秤は前者を高く掲げる。3ヶ月とかならまだしも一生涯って重いよ〜。
とはいえ、じゃあお前は定期的に献血に通っとるんかと問われると、何度か献血ルームに足を運んではいるものの遺伝的に低いヘモグロビン値やヘナチョコBMIなどといった観点から毎度お断りされてしまい未だかつて血液を提供できたことはない。したがってベビースキン云々のくだりは今のところ全く私には無関係であり全くもって偽善的なのだが、でもやっぱりな〜〜〜〜〜〜と思う。
他の人のブログを読んでいると、やっぱりはてなブログが読みやすいし過去の記事も引っ張ってきやすいから美容記録としても使いやすそうだなと思うんだけど、あのタイトルを決めてさあ記事を執筆!という感じのフォーマットだとどうしても手が止まってしまい、Twitterやアナログの手帳と似た感覚でだらだらと書けるtumblerに留まり続けている。ブログや記事のタイトルをバシッと決めきれず、そのくせこだわりだけは人一倍強いので長々と長考に入ってしまい、本当に書きたかったことの旬は過ぎ、そんな自分が嫌になってブログを開かずの間にするのが毎度のお決まりである。小ダサさの無限地獄。
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友達から30歳の記念に10年日記を贈ってもらい、三日坊主になりそうだなと思いながらも今のところ10日くらい続いている。
一日あたりのスペースが小さくて文量は1ツイートにも満たないので、続けやすくはあるものの書きたいことが多いとなんだか少し物足りない日もある。字を丁寧に小さく書いたら済む話?
日記に書ききれなかったことは折角だしtumblerに書いておこう。
誕生日にタカシマヤで見かけたGANNIのブルーのワンピースが忘れられなくて、もう一度見に行ったら売れてしまっていた。「あーもう無いですねー」とかで全然いいのに、前に試着してたの似合ってましたとか、私も見てましたとかスタッフさんがおしゃべりしに集まってきてくれて嬉しいやら、恥ずかしいやらだった。タカシマヤのセレクトの店員さん、たまにキツめのベテランスタッフって感じの人いるけど基本的に感じが良くて好き。年々、好きになれる店員さんから買いたいという気持ちが強くなる。受け取るものは同じなのにね。買い物は消費じゃなくて体験なんだよな。結局GANNIのワンピースはネットでさらに安くセールになってるのを発見してすぐ買った。週末には届いてると良いな。
下のコスメフロアで春コスメ見ていたら乾燥でどんどん肌がつっぱってきて、ポイントも結構貯まっているしとプレストパウダーを買いにクレドへ。年始、母へ娘が無事30歳を迎えた記念(労り?)として同パウダーを贈ったんだけれどこれが本当に噂に違わぬ名品でメイクの仕上がりの格上げのみならず、終日ベタつきも乾燥も感じさせないその全顔掌握っぷりには畏怖の念すら抱くほど。いざカウンターに向かうとパウダーのケース違いが去年出ていたらしく、ただでさえ薄く美しい装いのクレドのコンパクトがさらに薄く美しくなっており自分のはともかく、母にはこっちを贈ってあげたかったなと自分のアンテナ感度の著しい低下を恨むなど。働いてた頃なら絶対見逃さなかっただろうに。ただでさえ諭吉(栄一)超えのパウダーが諭吉二人分の価格になる上、人気すぎてそもそも手に入らないそうですが…。百貨店に来るとつくづく不景気なんて遠い国の話のように思えるな。景気がいいのは元気が出る。
もう一着、ドリスの花柄のシャツを二次流通で見つけてこれがもう本当にかっこよくて素敵なもんだからGANNI買えなかったら買おうと決めていたんだけど、思いの外GANNIが安く買えてしまったからドリスもいっちゃおうと思ったらタッチの差で売り切れてしまっていた。悲しい。私は本当にいつもそう。これが即断即決できなかった報い、貧しさという罪に対する罰ですか????全部買ってたらキリないけど、ここぞというところで決めきれない(逆にエイヤで買って失敗もしがち)買い物下手なところがあるから、今年、というか30代は買い物上手になりたいと切実な気持ちで一つまた目標に新たに加えた。初月からいきなり失敗しているが…。諦めが悪くてついつい同じものをネットで延々と探してしまうのをやめたい。22ssのシャツだそうです。諦めてね私…。
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十年近く履いたポンプフューリーが壊れてしまい、先ほどようやく涙を拭いながら手放した。(添付は在りし日のポンプを労わる私のツイート)
うちは被服にお金をかけるような家庭ではなく(百貨店で洋服を買い与えられていたツイッタランドの人たちの前ではこういう話はしづらいのだけれど)、お洒落着といえば母親に一生懸命お願いして近所のイオンでINGNIやHetherのセール品を年に数回買ってもらうような子供時代だったので、今でこそ百貨店大好きイカレ散財女に育ったものの元々私は大学生になってもHEP FIVE一階のBEAMSすら気後れするような奥ゆかしい女であった。
そんなH&MやBershkaのセール品から一生懸命アンダー五千円のパンプスを探していた私が人生で初めて自分で買った二万近い靴がこのポンプフューリーだった。JR高架下のESTはHEPよりも価格帯が上がるので当時の私には入りづらく、それでもデート服を見繕うべくリリーブラウンやダズリンを物色するため(阪急百貨やルクアの店舗に行く勇気はなかった)たまに足を運んでいたのだが、ある時せっかくだしちょっと今日は面の皮を厚くして色々物色していこうかなという気になった。いつもは足早に通りすぎるようなお店もなんて事ないような顔をしてじっくり見ていると陳列されているブルーのポンプフューリーが目に留まった。
当時のポンプフューリーといえば定番のガンダムみたいなカラーリングや黄×赤×黒といったキャッチーなものか、ABCマートにあるブラック、カーキー、ネイビーといった渋めカラーがメインで流通していたと記憶しているが、それらどれとも違う落ち着きつつも冴えた美しいブルーと白いパーツとのコントラストに釘付けになり、ドキドキしながらスタッフを呼び止めて試着させてほしいと申し出た。
二万円を一度に支払った経験が部活の合宿費か交際相手へのお誕生日プレゼントを買った時くらいしかなかったのでなんだか悪いことをしているような気がした。よくよく考えてみれば三つ下の弟はガンガンNIKEのスニーカーを買ったり売ったりして玄関をどデカい靴まみれにしていたので自分のお金でプレ値でもなんでもないポンプフューリーひとつ買ったところで何の問題もありようがなかったのだが、買ったばかりの頃は母親に咎められるような気がして毎回靴箱に隠すようにしまっていた。それでも安いからじゃなく、可愛いから定価で買った初めてのスニーカーは私の特別だった。
芝居の稽古にも、就活が嫌で誰にも言わずこっそり行った台湾にも、中之島の会社から自宅まで4時間かけて歩いて帰った日も、勢いで移り住んだ東京にも履いて行ったポンプフューリー。ずっと一緒にいてくれてありがとうね。あれから私はお洋服を安いからじゃなく可愛いから買えるようになったよ。
それが良かったのか悪かったのかは分からない。悪魔的なカードの明細を見るたびに、あのReebokの青い箱はパンドラの箱だったんじゃないかと思う日もある。
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鶴舞線に乗ると窓にカーテンがついていた。地下鉄なので窓に映るのは地下道の暗闇と等間隔に設置された蛍光灯だけなのだが、カーテンという豪華な額縁がついたことによりなんだかそのうち素敵な景色が飛び込んでくるような気がしてくる。
心做しか座席も私の愛する阪急電車や京阪電車のようにしっとり柔らかに感じられた。人間の心とはかくも容易い。
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指定されていないタイプの座席で、席数は足りてるけど二人連れが並んで座れない歯抜け状態の空席具合の時、自然と自分のポジションを調節する人の多い空間だと安心する。
必ずそうするべきとか、しない人がどうとかではなく、むしろ思いやりなんかは個々人の状況に応じて任意に行われるべきで思いやりを強要するようなポストを見かけた日には自分の善性を全てドブに捨てたくなるんだけど、それはそれとして今いる空間の善性の平均値(もしくは最低値)が比較的高いと何となくここでは悪いことが起こらなさそうな気がして心理的安全性が担保される(ような気がする)ので。
病院の待合で耐えられる程度の不調に苦しんでいたら子供を抱えた男性が来たので椅子を譲った。待ち時間は私が受付した段階で一時間半以上あり、流石に子供を抱えて一時間半立ちっぱなしは辛かろうと思ったというだけの理由である。子供や子持ちに特別な思い入れや好意もないので本当に自分の中のプロトコルに従って行動が出力されただけだなあと思う。これ読んだ人は病院でしんどい時はぜひそのまま座っていてほしい。別にこれしたから偉いとかないので。ただ、その後来院した二人連れ、三人連れのために少しずつベンチに座っている人が無言で尻を動かしているのを見て、なんだかちょっと息苦しさが和らぐ。
これを書いてたら隣にSNSでバズってそうな香水の香りを強烈に主張させて大学生風の男がiPad抱えて座ったので白目をひん剥いた。シンデレラボーイとかなとりを好み、SNSで沼らせ香水のポストを参考に香水を選ぶかもしくはそういうポストを投稿していそうだね、君。理不尽な悪意をサイレンとでぶつける。こういう整合性のなさを内包しているのが自分なのか。だから良いとか悪いとかではなくただそう思った。一貫性のある生き方なんて自分には土台無理な話なのかもしれない。
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久しぶりにtumblerを開いた。
前回アプリを立ち上げた時、昔の静謐さはすっかりなりを潜め(SNSに静謐さなどそもそもあるのか疑問だが)、MetaとTwitte社とTikTokが悪魔融合したかのようなそのUIに私は尻尾を巻いて逃げ出した。
あの頃のtumblerはもういない…、派手さがなくどっちつかずでとっつきづらいが、その静かで気の利かないところが彼の優しさでもあったのに。
そんな風にしてtumblerとは袂を分かったのだけれど、Twitterを追われ行き場をなくしたわざわざ聞いてもらうほどでもない140字×nが脳をぎゅうぎゅうと圧迫し始め、ロルバーンに気持ちを綴るもどうにも物足りず、結局冒頭に至る。
出戻ったから擁護するという訳でもないけど、もしかしてtumbler落ち着いた?デスクトップから見てるからそう感じるだけ?
私がtumblerから逃げ出した時は確かに悪夢のイルミネーションのような様であったのに、また少し落ち着いたように感じる。
まるで迷走に迷走を重ね形容しがたい大はしゃぎを披露した後、手痛い失敗をして老いも重なり徐々にトーンダウンしていった20代半ばの私のようである。お前は私だったのか…。
今なら私たち、上手くやれるのかもね。お互いずいぶん歳をとったし、ヨリを戻したっていいんじゃないかしら。
茶番はさておき、実際日記未満のちょっとした文章を書くちょうどいいプラットフォームに飢えていた。Twitterのご近所付き合いみたいなコミュニケーションを望むわけじゃないけれど、ロルバーンに淡々と書き連ねるローカル一辺倒はどうにも寂しい。
ただの駄弁りにいいねや承認なんていらないんだけど、何か1つトピックが読んだ人に引っかかってちょっとした議論が生まれたり別のトピックの糸口になる可能性が存在しているだけで、嬉しいような、自分にとっての希望になるような気がしている。灯台で誰に向けるでもなく、でもたまに何か返ってきたら面白いなと思いながらビカビカやっていたいのだ。
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12.02
滑り込みで庵野秀明展。
制作資料の展示がメインで情報量に溺れてしまった、メモを持っていくべきだった…。
東京は美術館が多くて常にどこかで企画展をやってるのが本当に良かったなあ。これだけは東京の好きなところだった。あと1ヶ月でどれだけ気になってる展示回れるかな。
こないだPATOUの話をしたから今日はPATOUのソックスを履いていったんだけど、Kodakの色とリンクしててなんか良かった。
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スープストック、めちゃくちゃ好きだ。
学生時代は紀伊國屋でどっさり買った書籍の山を抱えて、就活では午前御社と午後御社の合間に、その他辛いことがあった時、疲れた時、寒い時、小腹がすいた時etc…何かあるとスープストックに駆け込む。
何がそんなに良いって、もうこの完全に安定した味と注文してから出てくるまでの速度。マッハの癒し。クイックヒール。だいたい歩き疲れたタイミングで徒歩5分前後の場所に店舗があるのも良い。立地が完璧。
在宅が始まってからはお祝いだのちょっとした贈り物なんかにかなり重宝した。私自身もちょっと調子を崩した時なんかに友達がLINEでスープストックのチケット送ってくれたりしてかなり嬉しかったのを覚えてる。
フラペチーノ一杯が厳しくなってきた昨今、スープストックのチケットはスタバのチケットに代わる優秀なちょっとしたお礼になったと思う。
そんなわけで今日は梨のラッサムと豆乳スープを食べた。ラッサム。保守派な食生活の私が食べた異国のカタカナスープ類はほとんどスープストック提供といって過言ではない。
スープに梨と聞いてずっと気になってたのよ。スパイスの効いたカレーのようなスープの中にふんわりじゅわっとした甘さの梨がめちゃくちゃ合う。フルーティーな冬瓜って感じかな。これは美味しい…
豆乳スープはめちゃくちゃ実家の冬頻出豆乳スープの味がした。ノスタルジック…帰りたいな大阪…
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久しぶりに近くで海を見たのは、休職に入る前日の早朝だった。
曇った空、すでに活動を始めたサーファー達で賑わうビーチ、連れ出してくれた彼が見せたかったものとは少し違ったらしいけれど、六畳一間で疲弊しきっていた私にはあまりにも清々しく映った。苦しい場所から物理的に逃げ出せたのは学生以来のことで、その日の江ノ島の海は昔何度も見た誰もいない四条大橋から眺める早朝の鴨川に似ていた。
始業までのほんの僅かな時間で、不眠つづきの脳もあまり鮮明に残してはくれなかったけど、願わくば死ぬ前にこの海を思い出したい。
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なんにもない日にふらっと埼玉までお散歩に行って、グリーン車でお弁当食べながら帰ってきた日。
kodakのカメラもフィルムも初めて使ったけど、青みが綺麗で気に入った。
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前にネモフィラ畑を見に行ったことがあったんだけど、めちゃくちゃ並んでほとんど液晶越しに花を見て、内心なんだコレ…と思ってしまった。花を見るのは好きだけど、万博や中之島なんかをぷらぷら歩いて適当に座ったり話したりしながら見るくらいが私にはちょうど良い。一面の青く染まった花畑は確かに美しくはあったんだけど、花と同じくらい人がいるとなんだかスン…としてしまう。
ネモフィラ、遠出しなくても表参道の店先で咲いてた。うちのベランダに来てくれたら嬉しいんだけど、いかんせん我が家はひと2人暮らすので精一杯の広さであるからなあ…。
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