Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
“ 3) イヌイット語: Iktsuarpok 誰か来たかもしれないと思ってついつい外を見に行ってしまう気持ち”
— (via hsgn)
456 notes
·
View notes
Text
“保育園のころ、魔法を使える先生がいた。 その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。 まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。 私が通っていた���は公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。 とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかった。最近の保育園ではどんなに小さな怪我も許されないと聞いている。それに比べれば、なんというか、おおらかな時代だったのだろう。 私たちは3歳~4歳のときに数々の伝説を作り、悪評を確かなものにしていた。そして、そろって5歳児クラスに進級した。そこで出会ったのが、まこ先生だった。 その保育園は2人担任制だった。まこ先生のほかにもう1人、とても若い先生──ここでは「きく先生」としよう──が、私たちのクラスを担任していた。さらに時々、見覚えのない先生が来ていた。たぶんパートタイムの保育士を雇っていたのだろう。まこ先生ときく先生の2人の正規職員+パートタイムの計3人で、最凶の悪ガキ集団を迎え撃ったのだ。 きく先生は、子供からあまり好かれていなかった。 決まりごとに厳格で、ルール違反を絶対に見逃さなかった。たとえばお昼寝の時間。横にならない子供が1人でもいると、烈火の如く怒った。眠気があろうとなかろうと、子供たちを片っ端から布団に叩き込んでいた。私は昼間に眠くならない子供だったので、きく先生に監視されているお昼寝の時間がひたすら苦痛だった。 たとえばお散歩に出かけるとき、給食を食べるとき、そして読み聞かせをするとき。そんなときは、子供を1カ所に集めなければいけない。大人の言うことを聞かせなければいけない。ルールに厳格なきく先生は、きっと、号令1つで子供が動くのを理想としていた。「集まりなさい!」と命令すれば、子供たちが遊びをパッとやめて駆け寄ってくる。彼女はそういう状況を求めていた。 しかし私たちは悪ガキ様ご一行だ。そんなこと、できるわけがない。 言うことを聞かない私たちに対して、きく先生はヒステリックに怒鳴るだけだった。「集まりなさい!」「遊びをやめなさい!」「こっちに来なさい!」そして「言うことを聞きなさい!」……まこ先生が休んだときは、きく先生の怒声が教室に響くのだ。やがて子供たちも慣れてきて、きく先生の言葉を聞き流すようになった。「はいはい、集まればいいんでしょ?」みたいな斜に構えた態度を取るようになった。子供とはいえ、5歳にもなれば「話を聞くふり」ができるようになる。心の中では相手をバカにしているのに、態度だけ取り繕うことができるようになる。 まこ先生は違った。 たとえば子供を集めるとき。まず右手の指を3本、左手を2本伸ばして、胸のまえに突き出す。そして「あわせて、いくつだ!?」と近くの子供に聞く。相手はぽかんとしながら、「5つ?」と答える。「正解! それじゃ次は……」と、また違う組み合わせの指を差し出す。遠くから見ていた子供たちが(何か面白そうなことをしているぞ?)と気づいて、まこ先生の周りに集まってくる。 そして3分後には、クラス全員がまこ先生の前に集まって、われ先に「指の数クイズ」に答えようとしているのだ。 指の数を当てさせるだけではない。ある時は、なぞなぞを駆使していた。 「暗くって、暗くって…暗ぁ~いモノは、な~んだ!」 まずはかんたんな問題から。まこ先生の近くにいる数人が、声を揃えて「夜~!」と答える。 「正解! それじゃ次は……白くって、冷たくって、甘ぁ~いモノは、な~んだ!」 これもかんたんな問題。子供たちは大声で「アイスクリーム!」と答える。遠巻きに眺めていた子供も、(なんだか楽しそうだぞ)と近寄ってくる。 「次の問題は、ちょっぴり難しいよ~?」 もったいぶった口調で、まこ先生は言う。 「高くって、高くって、高~いモノは、な~んだ!」 「天井!」「屋根!」「うんてい!」 子供たちは口々に、自分の知っている「高いもの」の名前を上げる。 「ううん、もっともっと高いものだよ?」 遠くのほうで遊びに夢中だった子供たちか(まこ先生が何かしてる)と気づく。次々に集まってくる。 「えっと~、サンシャイン!」「東京タワー!」「富士山!」 子供たちは夢中になって、矢継ぎ早に答えを口にする。まこ先生は首をふる。 「いいえ違います!もっともっと、も~っと高いもの!」 いつの間にか、クラス全員がまこ先生の周りに集まっている。 そして声を揃えて、「「空!」」と叫ぶ。 「はい、正解です!」 まこ先生はニコッと笑う。 「それでは空を見に、みんなでお散歩に行きましょう!」 これは一例にすぎない。まこ先生はありとあらゆる手段を使い、悪ガキ連中を意のままに操っていた。優しいばかりではなく、イタズラをしたときは厳しく叱られた。私も何度かげんこつを落とされた覚えがある。それでも、まこ先生がヒステリックに怒鳴ることはなかった。 子供の主体性を引き出して、自発的に大人の言うことを聞かせる。 まこ先生の技術はまるで魔法だった。 ◆ 先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。 定年よりも少しだけ早い退職だった。まこ先生いわく、体力が衰えたからだという。子供の抱っこがつらくなったから、もう保育士は続けられないと判断したそうだ。園長や役所の管理職を目指すのではなく、まこ先生は最後まで保育の現場に立ち続けた。 まこ先生のかつての教え子や、その親たちが集まって、ささやかな「お疲れさま会」を開くことになった。 私も同席した。20年ぶりに再会したまこ先生は、記憶のなかの姿よりもずっと小さかった。目尻や口もとには年相応のしわが刻まれて、「お酒は医者に止められているから」とウーロン茶しか飲まなかった。まこ先生はすっかり「おばあちゃん先生」になっていた。 きく先生が苦手だったこと。まこ先生はまるで魔法使いだったこと。 私がそんなことを話すと、まこ先生は控えめに笑った。 「きく先生だって、悪い先生じゃなかったのよ?」 ウーロン茶で口を湿らせて、まこ先生は続けた。 「たしかに、ちょっとマジメすぎる部分はあったけれど……でも、保育に対する情熱は私と変わらなかった。もしかしたら、情熱は私よりも強かったかもしれないわね。少なくとも『話を聞く子を育てたい』という目標は同じだった」 表面的な態度を取り繕うのではなく、心から大人の言うことを聞く子供。大人が与える言葉や知識を、すんなりと飲み込める子供。そういう子供でなければ、小学校に上がってから苦労する。幼児教育においても「保育目標」が設定されていて、子供たちを一定の水準まで育てあげる義務があるという。 「大人の命令を聞くという意味じゃないわよ」まこ先生は念を押した。「先生や親の授ける知識をスッと受け止めて、自分の頭で判断できるようになる。そのためには、大人の話をきちんと聞く子供でなくちゃいけない。私たち保育士がそういう子供を育てられなければ、その子の一生が滅茶苦茶になっちゃうわ」 責任の重たい仕事だったわね、まこ先生はしんみりと言った。 「だけど、ばつぐんに面白い仕事だった」 私は食い下がった。 「そうは言っても……やっぱり、きく先生のやり方がいいやり方だったとは思えません。子供たちはみんな、きく先生の話を聞く“ふり”をしていました。まこ先生のおっしゃる『目標』とは真逆ではありませんか?」 「そうね」 まこ先生は目を伏せる。 「気づいてほしかったけれど……。きく先生は気づいてなかったのかもしれないわね」 「気づくって、何に?」 「子供は考えるのが好きだってことに」 昔のように、まこ先生はニコッと笑った。 指の数クイズも、なぞなぞも、まこ先生の技術は「子供に考えさせる」のが土台になっていた。「考える遊び」を駆使して、まこ先生は悪ガキどもに言うことを聞かせていた。 子供の「考える力」には個人差がある。 なかには頭の回転が速い子供がいる。言葉が達者で、口から先に生まれてきたような子供がいる。その一方で、ぼんやりしていて、何をするにもワンテンポ遅れてしまう子供がいる。けれど、どんな性格をしていようと子供は考えるのが好きだ。まこ先生は、そう言った。どんなにおっとりした子でも、その子なりに「自分で考える」のは楽しいのだ。頭を使うのはよろこびなのだ。 「だから、まったく考える余地を与えなければ、子供は言うことを聞かなくなる。表面的に取り繕うだけになってしまうの。反対に、ちゃんと考えさせれば、子供はきちんと言うことを聞く」 そして自分で考えた結果が「上手くいった」と経験するのが楽しい。1~2歳なら、パンツを自分で履けた。靴下がうまく履けた。そんな小さな成功が、子供は���しい。だから子供が何かに初めて成功してたとき、大人がきちんと褒めるのが大切だという。 「なるほど! 子供は褒めて育てるのが正解なんですね!」 「そうは言っても、褒めすぎもよくないのよ?」 「だけど…頭ごなしに怒鳴るよりもいいですよね!」 「怒鳴りたくなることぐらいあるわよ。人間だもの」 40年近く子供と向き合ってきた人は、考え方の“厚さ”が違った。 「すごい、すごいと何をしても褒める親がいるけれど……褒めすぎると、今度は『すごい』と言われないと不安な子供に育ってしまうの。トイレに行っただけで『すごい?』と親に訊く。靴を履けただけで『すごい?』と承認を求める。できて当たり前のことを褒めるのは、子供にとってプラスにならないと思うわよ」 まこ先生は言葉を区切った。 「それから、今の親たちは忙しいでしょう。朝から晩まで働いて、くたくたに疲れて帰宅する。なのに子供はタダをこねて、まったく言うことを聞かない。そんなとき、怒鳴るなというほうが無理でしょう。どんなときでも笑顔を絶やさないのは、超人的なお母さんにしかできないわ。大人だって怒ることもあれば、キレることもあって当然。人間なんだから」 私はおずおずと答えた。 「そうは言っても……子供に対してムキになって怒るのは、やっぱりよくないことだと思います」 「そうね。子供の扱いに慣れていたら、怒らないで済むかもしれないわね。大人がカッとなるのは、子供に言うことを聞かせる方法が分からないからだと思うの。どうしても子供が言うことを聞かないから、どうすればいいか分からなくなって……それで頭に血が昇るんじゃないかしら」 「つまり、子供に慣れるのが大事ってことですか」 「そう、今の親たちは子供に接する機会に乏しい。人によっては、自分の子供ができるまで、まったく子供の面倒を見ずに大人になる」 だから子供の扱い方が分からない。 「たとえば、何を褒めるべきで何を褒めなくていいのかのさじ加減とか、疲れ切っているときでもキレずに済ませる方法とか、そういうものは子供と接してみないと分からない。子供と向き合った時間が長ければ長いほど、子供がどういう生き物なのか分かってくる。そして、うまく子育てができるようになる。私はそう思うわ。……ところで、あなたは結婚していなかったわね。あなたの身近に子供はいるかしら?」 「はい、姪っ子たちと……あとは子持ちの友人が何人かいます」 「だったら、その子たちとできるだけたくさん会っておくといいわね。あなたの知らないことを、子供はたくさん教えてくれるはずよ」 「そうすれば、私にも魔法が使えるようになるでしょうか?」 「魔法?」 まこ先生は首をふる。 「そんな大それたものじゃないわ、私は自分にできることをしていただけよ。私には保育ぐらいしか、できることが無かったから」”
— その子はなぜ大人の言うことを聞かないのか? - デマこいてんじゃねえ! (via junsakura)
4K notes
·
View notes
Photo




この夏に出逢った自然や色の名前達。
自分の生きている国の美しさを改めて知りました。
( 古性 のち Kosho noci さんのツイート )
1K notes
·
View notes
Text
おしゃれで静かな自信に満ちた、凛とした女性。
上品で洗練された装いに身を包み、言葉遣いも美しく、毎日を特別な贈り物のように大切にしている女性。
ミステリアスな雰囲気を漂わせ、内面を磨く努力を怠らず、積極的にアートに触れている女性。
むやみに物を買ったりせず、すっきりとした素敵な家に住んでいる女性。
特別な秘訣を知っているかのように、毎日をいきいきと過ごしている女性。
わたしたちは誰でもスタイルと品格を持って、エレガントに暮らすことができる。
過去の育ち方は関係ない。どれだけお金を持っているかも関係ない。
昨日、あるいはついさっき、情けない振る舞いをしてしまったとしても、家族でさえあなたの気持ちを理解してくれなくても、そんなことはちっともかまわない。
大事なことはただひとつ。わたしたちには変化を起こす力があるーーなりたい自分になれるということ。
/フランス人は10着しか服を持たない ファイナル・レッスン
28 notes
·
View notes
Text
「彼らが俺を否定しても、彼らの知ってる俺は俺の一部でしかなくて、俺のすべてを否定されたわけじゃないから大丈夫です」ってたくましく笑ってた後輩のこと純粋に尊敬した。強いと思った。最近落ち込むことがあると、よくこの台詞を思い出してる。
619 notes
·
View notes
Text
反復訓練をすればスキルとして必要なものはほぼ習得できる。
一番の敵は、自分に対しても相手に対しても
出来るようになるまで待てるか、だ。
これがなかなか難しい。
https://twitter.com/hanakomiura/status/1346427072906809350?s=21
142 notes
·
View notes
Text
“どうして人間は変わってしまうのかねぇ。しかも悪いほうにさ。成功すれば傲慢になり、失敗すれば卑屈になる。俺は昔、こんな大人になりたかったわけじゃない。”
— 片想い (文春文庫)
288 notes
·
View notes
Text
“「なんで挑戦しなきゃいけないの😩」と言う人にお届けしたい名言があります。それは携帯電話市場で14年間首位を独走した後にほんの4年間で株式時価総額の90%を失ったノキアCEOの言葉「何もミスはしていないのに、なぜか負けた」です。周りが成長している時の現状維持、それは相対的には衰退なのです。”
— あひるさん🇺🇸 / Twitter
856 notes
·
View notes
Photo






(via tata haruiさんはTwitterを使っています: 「くじけそうな時に思い出すこと📝 これを思い出してダイエット頑張ってる #エッセイ漫画 (1/2) https://t.co/GjvtttoUaz」 / Twitter)
1K notes
·
View notes
Quote
今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。 曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。 別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。 「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。 一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。 「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。 私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。 「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。 結局、アホらしいと思った私��方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。 相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。 こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」 それが���へのただひとつの答えだと思ったのです。 結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。 「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。 それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。 相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。 そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。 具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。 「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。 「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」
本当はわかっているくせに - 背後からハミング (via naimononedari) (via karlmcbee) (via wonderthinkanswer) (via erohi) 2010-07-17 (via yasaiitame) (via takeakick) (via tatsukii) (via tkamiya) (via hanwarai) (via toronei) (via mcsgsym) (via quote-over100notes-jp) (via tatsukii) (via lovecake) (via yaruo) (via eralyintention) (via quote-over1000notes-jp) (via norimochi-da) (via lain2lain)
7K notes
·
View notes
Text
“自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか。”
— 梨木香歩「西の魔女が死んだ」 (via kimikimianone)
6K notes
·
View notes
Photo



新社会人、新大学生の方にお勧めの英語関連の無料アプリ・サイトをまとめました✍🏻 どれも無料とは思えないほどの神ツールばかりなので、是非英語を使ったお仕事や英語の勉強に活用してみてください。
普段使ってるのはDeepLのみだけど、ELSA Speakとか試してみたい。明日から新年度、再スタートしたい方もお供にいかがでしょう。
911 notes
·
View notes
Text
“人は先にある種の何らかの情報を得ている場合、そのあとに入ってくる関連する情報の処理スピードが圧倒的に速くなる・・・。 その効果を教育学や心理学ではプライミング効果と呼ぶ。 これをうまく使えば、「あれも知りたい、これも知りたい」という知識欲の連鎖をつくることができる。 そう著者の弘中氏は語る。 同氏はこの仕組みをクイズと組み合わせることによって『クイジング』という新しい販促手法を確立した。 ただ単にクイズを一つ出すのではなくて、丁寧に段階を踏んで組み立てることにより、顧客の興味をどんどん喚起することができるようになるのだ。”
— idea*idea - 【東京ブック】 顧客の興味を引き出す方法 (via liquidstyle, mnky)
347 notes
·
View notes
Text
“楽器の練習って究極的には「分解」して「ゆっくり」やる、の二つで大体全て解決すると思う。どんなに難しそうな動きでも一部を取り出して冗談かというくらいに遅くして弾けば、少しずつ無意識に弾けるようになっていく。焦って一気に完成形をやろうとさえしなければ、確実に着実にゴールに向かえる。”
— ずっしーの音楽教室 / Twitter
367 notes
·
View notes
Text
“私はしばしば読書とは、なにか夢を見るようなことではないかと感じる。ページに目を落として、文字を追っているあいだは、たしかにそこに書かれたことばを知覚し、理解し、味わっているという実感がある。でも、本を読むのを止めて閉じたとき、果たしていま目にしたことばが、どれほど脳裡に残っているだろうか。何が書いてあったかを、要約したかたちで言うことはできても、一字一句再現するというわけにはいかない(そうしようと努めて覚えた場合は別として)。それは、見ているあいだはありありと感じていたはずなのに、目覚めて少し経つと忘れてしまう夢に似ている。”
— 山本貴光著『文体の科学』(2015年5月kindle版、新潮社)
172 notes
·
View notes
Text
“美しさは事実ではなく解釈だし自信のあるフリして余裕をかましておけば大抵のコンプレックスは誤魔化せるから皆も堂々としていればいいよ”
— ブラジル現代史Lv.183|ミシェルの偏差値
62 notes
·
View notes