Tumgik
h-adongo · 2 years
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10 February 2022
夕方、日が沈む前に慌ててランニングに出かけるのだけど、走り終わる頃には薄暗くなってしまう。
でもその時間帯の空の色が好き。
湖の波の音を聞きながら。
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走りに行く前は気がすすまないのだけど、いざ走り出して見ると汗をかくのがとても気持ちよくて、走ってよかった!!となる。
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h-adongo · 2 years
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最愛の人の他者性
29 January 2022
久しぶりにフィクション小説が読みたくなって、平野啓一郎『本心』を読んだ。
一気に読み切って、読み終えてからもいくつかの場面を読み返しては自分の立場で改めて考えさせられる内容だった。
大切な人を失ったときの喪失感と、その人からもらったたくさんの愛を思い返すような、悲しいのに綺麗で豊かな時間を味わう読書体験だった。
重要になってくるテーマはいくつかあると思うけれど、
死の自己決定権はあるのか
自分が死ぬ一瞬前をどのように過ごしたいか
格差によって命や生活の質が脅かされてしまう社会
“学習性無力感”にいかにして立ち向かうか
「自分の本心」「最愛の人の他者性」にどう向き合うか
といったことが、問題提起されていたような気がした。
そういったことを考えながら、今も現在進行形で毎日報道される社会のたくさんの悲しいニュースのことも思い出さずにはいられなかった。
自分で命を終わらせようとした人、生きたかったのに生きられなかった人、格差によって負の連鎖の渦中に追いやられてしまった人、理不尽な状況に立ち向かう力をなくした人…。
その現実を目の当たりにしながら、何もできない自分に感じる無力感。
でも、まずは手の届く範囲から、仲間を作り、増やして、一つずつ一歩ずつやっていくことの���望もあることを知る。
希望を見失わず、自分に与えられた生をどのように生きるかを考えるような本だった。たくさんの瑞々しい言葉たちに触れることもできて、嬉しかった。
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h-adongo · 2 years
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「走る」という行為を通して考えたこと
昔から走ることは好きだったのだが、働き始めてから趣味で細々と走り始めるようになった。もうすぐ3年目になる。
2年と少し前に初めて10KMレースに出ることになり、そのために結構頑張って走っていたが、そのレースで力尽きたのもあるし、その後仕事が大変になってしまい心身のエネルギーは枯渇して、全然走らない日々が続いた。
それでも、たまに休みの日にふと思い立って走ると、汗をかくことがすごく気持ちよく、自分にとっての大切な気分転換になることは間違いなかった。
今回ケニアに来るにあたって、仕事をしていた時と比べると時間的にも体力的にも余裕ができるし、たくさん走るぞ~、と意気込んできた。だが、いざ走り始めてみると色々な障壁があることが少しずつ分かってきた。
①どこを走るか
基本的に外は舗装されていない。でこぼこの道に、大きな石や岩がごろごろ転がっている。牛・馬・ロバ等の家畜が大群で道を横切るし、彼らの糞もそこかしこに落ちている。走ることに集中できないし、結構危ないと感じた。
メインロードの一本道はアスファルトで舗装されているが、歩道は狭く人が割と歩いているためスピードを出して抜かすことは憚られる。車道は大きなトラックもバイクもよく走っていてさらに危ない。外を走ることは現実的ではないという結論に。イコール、今住んでいるコンパウンドの敷地内を走ることが、ほぼ唯一の選択肢だ。
②コンパウンドの敷地内で、どのルートで走るか
結構広い研究施設の敷地内であるため、ランニングすることは物理的に可能。しかし、ルートを決定するまで試行錯誤を要した。
一番自分を怯ませたのは、敷地内の小学校に通っている子どもたちの目だった。
昼間は灼熱の太陽が照り付けているため、走るとなると夕方が現実的。つまり、彼らの下校時間だ。はじめのころ、何度か走っていると、子どもたちが大群で追いかけてきたり、指をさして笑ってきたり、「ハローハロー!ハウアーユー?チャイナ!!」と大声をかけてきたりして、それがすごく嫌だった。
ただでさえ肌の色や髪の毛で目立つし、彼らにとっては珍しい人種が珍しいことをしていたら面白いのは当然だ。いろいろな反応をしてくることは決して悪意ではないことはわかる。
だからできるだけ子どもたちの目に触れない場所で、かつ走りやすい足場のルートを敷地内で探すことが必要だった。
③どんなマインドで走るか
はじめは、子どもたちがたくさん反応してくることに対して、「フレンドリーであらねば」「友好的に対応せねば」という意識がすごく強くて、ひとりひとりの反応に律義に笑顔やあいさつを返していた‥。”みんなが自分を見ているから遠くに人影が見えたら挨拶をする心の準備をせねば”というマインドがあったと思う。しばらくはそれに気を遣いすぎて、何のために走っているのかよくわからなくなった。さながら聖火リレーのランナーのような気分だった…。
でも、何回か走ってみると案外自分のことを見ていないケニア人もいるし、ものすごく凝視はしてくるけど何も言ってこない人もいることに気づき、自分は案外この環境の中の何者でもない存在になってきはじめているのではないかと感じるようになった。今置かれている環境の中で自分の他者性を強めているのは他でもない自意識ではないかと思い始めたのは、半年が経ったつい最近のことだ。それに気づいて、やっといろいろなことが吹っ切れてきたのだった。
きっと、周りのケニア人にとっても、アジア人の子どものような女性が毎日夕方走っている光景に慣れてきたこともあるのだろう。慣れるって、とても意味のあることだ。
④何を考えながら走るか
そうしてやっと肩の力が抜けてきた最近は、毎日その日の体調に合わせて3~5KMくらいを走っている。一日一日と、体が軽くなったり足が自然に前に進んだりする身体の変化が面白いし、嬉しい。
音楽を聴きながら走るようになったことも、楽しさを増した要因だと思う。今日は何を聞こうかなと選ぶ時間も楽しい。また、音楽を聴いているとほどよく周りの環境への注意が減じられるため、すれ違った人がなにか言ってきている気がしてもよく聞こえない。それでいいのだな、と思うようになった。周りの音や刺激を減じて、自分への内向きの集中力を高める。もしかしたら、ハローとあいさつしてくれた人を無視してしまっていることもあるかもしれないが、もう少し自分本位であってもいい時間なのだと思うようになった。これは自分の中で結構大きな考えの変化で、走ることからヒントを得て生活にもいかせるようなマインドセットである。
今は好きな音楽を聴きながら、割と無心で走っている。体もほどよく動くようになってきたので、前ほど「きついな…あとどれくらい走ろうかな…まだ終わらないかな…」という気持ちはなくなった。何を考えて走っているかを、今これを書きながら思い出してみると…一番考えているのは、地面の感触かもしれない。敷地内のルートにおいて、半分くらいはアスファルト、残り半分くらいは、土や芝生の農道を走るのだが、足の裏を通して伝わってくるその硬さ・柔らかさの感覚を楽しんでいるように思う。特に、土はクッション性がありつつも柔らかすぎず、とても走り心地がよいのである。
走るときの望ましいフォームなどには詳しくないが、どうしても足元が不安定なこともあるので、注意深く地面を見ながら走ることになる。そうなると、色々な発見もあり楽しい。あんなに降り続いた雨の後でも、数時間でこんなに地面が乾くのだなという発見があり、綿がなる実が落ちていたり、小鳥が地面で息絶えようとしていたりする。外に出て、小さなことに気づくことは、社会との大切なつながりだと思えた。
こうして考えると、ケニアに来て、「走る」という行為はなんと思索と哲学の時間なんだろうと思う。汗をかく気持ちよさ、体が軽くなる心地よさとともに、この思考の楽しさが、毎日走るモチベーションになっているのだと思った。
17 January 2022
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h-adongo · 2 years
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9 January 2022
年が改まった。
去年は仕事から一旦離れ、ケニアに来て、生活が大きく変わった一年だった。環境が変わり、その中で新しく出会った人との関わりに目を開かされたことも多かったし、これまで近くにいてくれた人たちの有難みをひしひしと感じる日々でもあった。
ケニア暮らし、慣れてきてはいてもやはりまだまだ大変なことも多い。でもこうしてここで健康に暮らせていることは、シンプルに感謝しなくちゃいけないと思う。
今年は思っているだけでなく、もう少し行動にうつせるような年にしていけたらいいな。
元旦の朝日新聞の記事が面白かったので、今年のテーマにもなりうる「わからなさゆえの信頼」について書き留める。
角幡
極地での犬ぞりでの狩りの際、どんなに意思疎通ができても、危機的な状況で犬が危険を回避してくれるかはわからない。でも、その犬のわからなさ、制御不能性を受け入れる。そういう意味での信頼
伊藤
盲導犬ユーザーも、もし盲導犬が自分の思い通りに動いたら一緒に生きる相手ではなくなる、わからない要素があるから信頼しようという気になるし、そこに交渉の余地が生まれる、と言っていました
**********************
これを読んだからこそ気付けたことは、確かに、厳密な意味で全て「自分」の思い通り動く相手だったら、それはもうただの「自分」でしかなくなってしまい、ともにある「他者」や「自分以外の何か」ではなくなってしまうということ。
私達は本当は、自分の思い通りにならないことも含めて、誰かと一緒にいたいと感じるのではないだろうか?
家族や友達、同僚と一緒にいるときに、自分と意見が違うことがあると、それはフラストレーションになったりもする。
でも、自分とは違う行動や思いをもっている人と共にあることでこそ、刺激・感嘆・内省・創造…その他多くのものが生まれるんだろうとも思う。
わからないからこそ聞いてみるし、その違いを知りたいと思うから対話する。そこにある"深い次元"の歓びに気付くことができたのは、大きな発見だった。
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h-adongo · 3 years
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4 September 2021
あっという間にもう9月だ。
8月に入ったあたりから、ありがたいことに徐々にやるべきことができてきて、忙しく過ごすようになった。自分の役割がきちんと与えられて、誰かから必要とされることの嬉しさを心の底からしみじみと感じた。そして、今まで自分は決してお金や生活のためだけに仕事をしていたのではなく、仕事の中に生きる意味ややりがいを見出していたのだなと今になってみて感じたのだった。
そんなことをちょうど考えていたこの時期に、落合陽一×齋藤幸平の「脱炭素の未来」という動画を見た。(登録すれば一か月無料で見られるというやつ。忘れずに解約しないといけないけど)
今やあちこちで聞かれる「SDGs」は、本当に人類が目指すべき正義(気候変動や貧困の解決など)に向かって行っているのか?結局は格差を拡大させているだけではないのか?という問題提起から、それらを真に解決するには資本主義から抜け出すしかない、というテーマで話している回だった。難しい言葉や横文字がダーッと出てきて、ちょっと理解しにくいところもあるんだけれど、その都度一時停止して調べたり、一緒に見ていた人とあれこれ言い合ったりしながら、結果的にはかみ砕いてみる価値のある話だなと思った。
自分は今まであまりそういうことを考えてこなかったけれど、この動画を見ていると、一般的にこの社会では「いかにして効率よく富を得るか」「いかにして成長し、拡大していくか」という価値観が支配的なのだなと感じて、ある意味新鮮だった。経営者や投資家だけでなく一般市民だって、スマート家電を駆使して、朝起きると自動でカーテンを開けられるとか、ルンバが自動で床を掃除し、ドラム式洗濯機が乾燥までしてくれるとかいうことが一般常識になってきて、効率至上主義みたいになっていると思う。それってどこまで本当に必要なんだろう?自分の身の回りのことをロボットにやってもらい、自分は仕事に忙殺され、その結果お金持ちになって、ブランド物や高級食材を消費する生活が、本当に目指すべき幸せなのか?という気になった。人それぞれの「幸せ」の指標を批判したりするつもりはないけれど、これからの時代、気候変動や貧困解決に向けた価値観のアップデートを目指すなら、幸せの再定義を人類全体で考える必要があると思った。だから、齋藤幸平が「脱成長(=競争の緩和)」によってコミュニズム的な価値観を作っていこうと提案することには賛成だ。
今の先進国の高度に発展しきった社会では、デビッド・グレーバーのいう「ブルシット・ジョブ(突き詰めれば存在する必要のない仕事)」(ちなみに、ブレイディみかこも「他者の靴~」で引用していた)があまりに増えすぎていて、そういった仕事にばかり富が分配されて、本当に必要とされるエッセンシャル・ワーカーに十分な価値が見出されていないということは重要な問題提起だと思う。落合は、コロナ禍でのテレワークの例を挙げて、「『ブルシット・ジョブ』と言われる仕事に就いている、暇かつ富裕層の人たちは、テレワークができるから家にこもってステイホームができ、外に出ないからCO2も出さないと言うけれど、それはテレワークができないエッセンシャルワーカーに支えられているんだ」という話をしていて、ウンウンと頷きたくなった。私自身も、コロナの始まった当初は、テレワークしている友人たちの話をうらやみながら、外を出歩く得体のしれない恐怖を感じつつ毎日通勤していたことを思い出した。どんなに行きたくなくても、つらくても、絶対にだれかがそこにいなければいけない仕事のもつ重み。実際に必要なのか必要でないのかよくわからない、パソコンに向かう仕事であふれている先進国の姿がある一方で、まだまだ途上国では(現にケニアの私の周りには)、大学や専門学校を出た後も仕事がなく今後の生活に困っている同世代の若者がいる。ここで仲良くなった人たちに「Please help me」「Give me a job, I’ll do my best」と言われることの重み。自分に何ができるのか、葛藤する日々である。
それから、脱炭素社会や気候変動について。IPCCの発表にもあるように、このままでは世界の平均気温が1.5度上昇し、異常気象や旱魃、海面上昇が発生するといわれているけれど、先進国に住む私たちはあまり実感もわかず「気候変動と言ってもそんなもんか」くらいでUber Eatsやamazonを使っている。けれど、アフリカでは雨が降らなければ飲み水や生活に困るし、実際に私の住むこの町には、ビクトリア湖の水面が上昇して家が水没してしまった人たちが大勢いるのである。気候変動で命が脅かされるのは、いつも弱い立場にある人たちなのだ。先進国に住んでいたら、それはなかなか気づけないことだと思う。
…とまぁ、色々と難しい問題提起がでてくる動画だけど、周りの友人たちにも勧めて、いろんな人の意見や感想を聞いてみたいなーと思ったのだった。「より善く生きる」とはどういうことか、という普遍的な問いに繋がるものだと思う。
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h-adongo · 3 years
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確かさ
3 August 2021
8月になった。
四季の移ろいがないといわれるこの土地でも、毎日の暮らしの中で微妙な変化は起こり、時が流れていることを実感する。例えば、我が家のキッチンの前に生えているパパイヤの木。気が付けばだいぶ背丈がのび、たわわに実っていたパパイヤも地面に落ちて、朽ちてしまった。心なしか、家の中でヤモリに出くわす頻度が減った気もする。雨期に大量発生していたユスリカもめっきり減った。高校地理で習ったケッペンの気候区分でサバンナ気候に位置するこの地域は、今乾期に入ってきているようだ。日本でみた春の桜や秋のイチョウ並木のような、ドラマチックな変化は少ないけれど、その時その時の小さな発見や新しい出会いには敏感でありたい。
このあいだの日曜日、この地域で一番高い山に登った。ここで暮らしていると、どこにいてもどこからでも見えるその山は、町のシンボルのようでもある。頂上の標高は1600mほど、この町がそもそも1200mくらい標高があるので、高低差でいえば大した山登りでもないのだけど、その道中と頂上から眺める景色は圧巻だった。乾燥した荒涼の大地が広がり、その中にぽつり、ぽつりと民家が点在する。水道も電気もないような場所。隣の家までどれくらい離れているのだろうか、高いところから見ているだけでは見当もつかない。学校や教会、病院のような、コミュニティへのアクセスはどうしているのだろう。
頂上までの道を上っていくうちに、“あのあたりが集落の存在できる限界のラインだろうな”というのがはっきりとわかった。山のふもとの、人間が住む限界の場所に居を構えることになったその家の、これまで辿ってきた家族の歴史に思いを馳せる。そんな風に景色を眺めたり休憩したりを経てたどり着いた頂上から、いつもそばにあるヴィクトリア湖と、湖を取り囲むようにして広がる大地をまっすぐに見下ろす。不確かなことが多いこの時代に、湖や山が“いつでもそこにある確かさ”は、私たち人間にとっての励ましであり、慰めであり、希望だと思った。
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h-adongo · 3 years
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「女と政治」にまつわる井戸端会議
31 July 2021
今日は、昼間、ブレイディみかこさん・坂上香さんによるZoomウェビナーに参加した。題して「『女と政治』にまつわる井戸端会議」。ブレイディみかこ著『女たちのポリティクス』の刊行記念イベントだった。とても好きで応援しているお二人の対話をリアルに見ることができて、ワクワクした時間だった。
話題は尽きずあっという間に時間が経ってしまったなかでも、とても印象的だったことは、二人が違う意見を持っていても遠慮せず、お互いにはっきりと「私はこれが好き」「嫌い」と言い合う姿勢だった。ふつう、相手が「好き」と言っている人やことについて「でも私はそれには賛成できない」「嫌い」と意見することって、勇気がいることだしなかなかできないと思う。今日の場合は、ブレイディさんがドイツのメルケル首相には反対で、嫌いだということ、ギリシャ経済危機の時に、緊縮強化によって債務返済を執拗に迫っている姿はひどかったと言ったことに対し、坂上さんは、それでも難民危機の時にいち早く受け入れを決めた懐の深さは評価されるべき、私は好き、と返答していた。こうした二人の対話の姿勢からは、「意見が違う」ことは「対立」ではないのだと改めて気づかされる。意見が違ってもいいし、相手に反対でもいい。その違いを丁寧な言葉で伝えて、違う意見を持っている存在を受け入れる、という作業が、日本社会でももっとシンプルに上手に行われるといいのにな、と感じてしまった。
ブレイディさんはさらに続けてメルケルについて、漬物石みたいな、どっしりとした人。自分の理念をしっかりもっていて、人気取りをするためにその場の損得で軽々しく自分の姿勢を変えない人、という風に描写していた。たしかにそのような印象がある。メルケル本人の政治観や人間性は脇に置くとしても、自分も理念を大切にするどっしりとした人間になりたいものだなぁー、と聞きながら考えていた。
今日の話を総括して、特に心にとめておきたいのは、女性がより活躍できる社会とは、ただ単に女性リーダーの数が多いということではなく、社会に自分の声をオープンに届けられること、もっと言えばためらいなく「助けて」と言える社会、だということ。そしてそれは、女子の教育・エンパワメントだけで成し遂げられるものではなく、男子側へのアプローチ、つまり価値観や社会構造への変革が重要な鍵になると感じた。そのためにはやはり早期からの教育が意味をもつ。理想の教育・理想の学校を作り上げることは難しいけれど、保護者からの反対意見やクレームを過度に恐れすぎず、理想的な対話の仕方や、男女の性差(sex/genderともに)を理解し他者を尊重すること、を教えていく場を増やしていくことが大切だと感じた。やはりここでも、行き着く先は「エンパシー」なのだな。
今の日本社会は、女性や弱者にとって生きづらい大変なところだけれど、「元気を出して、めんどくさいことをやりましょう」と言っていたブレイディさんの言葉で少し前向きになれた気がした。対話は民主主義の第一歩、自分の手の届くところから民主主義を実践して、まず自分の身の回りから、自分らしくいられる場所にしていこう。
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h-adongo · 3 years
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近所の子どもたち
30 & 31 July 2021
金曜日。昼間、諸々やることがあり忙しくしていたのが落ち着いて、18時くらいに少し体を動かしたくなった。家の前のスペースで、仕事の気分転換にと夫を誘ってバドミントンのラリーをした。
しばらくやっていると、どこから出てきたの!?という感じで、男の子たちが5人くらいやってきて、横一列に座り込んで私たちのラリーを観戦し始めた。「やってみる?」と声をかけると、「やりたいやりたい」と積極的に出てくる子と、恥ずかしがって陰に隠れるような子がいて、性格の違いがおもしろい。
積極的な性格の二人が早速向かい合ってラケットを握りしめる。張り切ってシャトルを打とうと力が入るのだけど、どうにもラケットに当たらず空振りばかり。本人、恥ずかしそうに笑いながらもう一回、二回、と挑戦する。三回目でシャトルがラケットに当たって相手側へ飛ぶ。思わず見ている私たちも「おぉ~」と歓声を上げる。お互いに思い思いにラケットを振り回し、相手が空振りするのを大爆笑しながら見ている。楽しそう。しばらく続けていると、また一人、二人と子どもが増えてきて、総勢8人くらいになる。あとからやってきた子も「やりたい」と言って代わってもらう。他にもやりたそうにしている子がいると、年長の子が促してちゃんと交代してあげている。大人が何も言わなくても、秩序だってみんなで楽しく遊ぶという感覚をもっているんだな、と感じるような情景だった。
ラケットが2本しかないので、8人のうちの6人は競技に参加できず、キャッキャと笑いながら見ているだけになってしまう。はじめのうちは、プレーしている二人の間を走って邪魔したり、シャトルを手でキャッチしようとしたりしていたのだけど、だんだんそれにも飽きてきてぐるぐる私の周りを走り回る。そこから鬼ごっこに発展し、6人の男の子たちと全力で駆け回って、疲れたけど楽しかった。
1時間ほどが経つ頃、駐車場の屋根にシャトルが乗ってしまい、あたりも暗くなってきたところでお開きに。「今日はこれでおしまい。またね~」と言うと、聞き分けよく「ありがとう!」「バイバイ!」と言って散り散りに走って暗闇に消えていった。
土曜日。今日の朝、起きてキッチンで食パンを焼いていると、何やらにぎやかな声が聞こえる。昨日の子どもたちがさらにもう何人かを連れてきて、屋根に乗ってしまったシャトルをどうにか取ろうと試行錯誤していた。支柱伝いによじ登って取ろうとする子もいれば、長い棒をどこかから持ってきて取ろうとする子もいて、健気に色々試している。キッチンの窓から行く末を見守っていると、まっすぐの棒だと引っ掛かりがなくてとれない、と気づいた年長の子が、棒の先端を足で折り曲げて角度をつけた形にして再チャレンジ。しばらくそれで頑張って、そのあと見事に回収成功していた!
ラケットはなくとも、手元に戻ってきたシャトルを使ってそこで遊び始めるのかな?と思っていたら、我が家の呼び鈴が鳴る。「とれたよ」と少し恥ずかしそうにしながら、わざわざ持ってきてくれた。
そして今日の夕方。我が家の前で昨日の子たちが遊んでいたので、また一緒にプレーすることに。今日は、家の前の狭いスペースではなく、広いグラウンドまで行って、みんな上達してきたので点数をカウントしてゲーム形式でやったりした。一日でみるみるうちに上達していく子どもたち。8人くらいいたメンバーの名前も全員覚えて、ずいぶん距離が縮まった気がする。これからどんな風に彼らと交流していけるか、バドミントンの上達具合(もちろん自分も)も含めて、楽しみなことの一つになった。
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h-adongo · 3 years
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波音
26 July 2021
この土日は、人と会い、体を動かし、本を読み、ゆっくりして、緩急のついたいい過ごし方ができた。ケニア版のアマゾンともいえるネットショッピングサイトで買ったバドミントンセットを早速開けて、住んでいるアコモデーションの敷地内にあるグラウンドでラリーをした。まだまだ舗装されていない道を牛やロバが我が物顔で歩いているような辺境の地なのに、キャッシュレス決済は浸透し、ネットショッピングもできるなんて、自分が今どこにいるのかわからなくなる。
家の裏が小高い丘になっていて、湖がよく見える。その丘の木陰に布を敷いて、水筒とキンドルとPCを持ち込み、少し勉強したり本を読んだりした。湖の波の音を聞きながら風にあたって、気持ちがよかった。
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最近は生活にも慣れてきて、何か新しいことをはじめようかと少しずつアクションを起こし始めた。オンラインが発達してきて、遠隔でもいろいろな選択肢があるというのは、ありがたいことだと思う。まだまだ新しいことを知りたいし、やりたい!と思うと、楽しみが広がる。ひとつひとつ、着実に丁寧に。
昨日、今日と、家の中にいても湖の波の音がよく聞こえる。風が強いのか、“ザバーン、ザバーン”という音で夜中に目が覚めるほどで、少し怖くなる。大洋と見紛うようなどこまでもひろがる広大な湖のもとで暮らし、自然への畏怖の念に立ち返る日々。
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h-adongo · 3 years
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23 July 2021
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細長い土地が湖に突き出たわが町では、右を向いても左を向いても湖が見える。湖は、その時その時の条件によって、少しずつ違った表情を見せる。今日は穏やかな風が水面を撫でるように吹いて、さわやかに青く凪いでいた。どこまでも広がる海のような水面を見ていると、吸い込まれそうになる。日が暮れてくれば、夕陽が水面をきらきらと白っぽく光らせる。
今日は外にランチを食べに行った。近くのレストランの、大好きなニャマチョマ(牛肉の炭火焼)とウガリ(メイズという甘くないコーンをすりつぶした粉をふかして練ったもの)。ウガリを指で練って丸めて、おかずにつけて食べる。白いご飯のような感じかな。
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家では設備がなくて炭火焼ができないので、週に一回くらい外でチョマを食べるのがささやかな楽しみになってきた。1食150円。シンプルなのに本当に美味しくて、しみじみと幸せになる。
昨日、珍しく自分一人でマーケットに買い物に行ったときの話。
普段夫と二人で歩いている時と比べものにならないくらい、色々と町の人たちから声をかけられた。大抵は「ヘイ!ムズング(白人)!ハウアーユー?」だけど、ときには茶化したような調子で「チャイナ!」とか「チンチョン!」「コロナウイルス!」みたいな言葉も混ざる。さすがにちょっとムムムみたいな気持ちにもなるんだけど、彼らの様子をちゃんと見ていると、言葉の響きとは裏腹に、あまり��意や攻撃性みたいなものは感じられないような気もする。声をかけてみたいという好奇心や気恥ずかしさのようなものもあり、(何と言ったらいいかわからないのでとりあえず定型文で気を引いてみよう)みたいな感じなのかな?と勝手に解釈している(自意識過剰かもしれないケド)。
それで、ここまで挙げたような声掛け文句は、まぁ夫と一緒に歩いているとき��も言われたことはあった。でも、私一人で歩いているときにしか言われない言葉もあって、それが割と頻度が高いのである。
後を追いかけてきて「ヘイ、電話番号教えてよ」とか、「You are so beautiful...」とか、「結婚してくれ」みたいな、ジェンダーバイアスのかかった言葉。これは、本気でそう言っているように見えないからこそ、ちょっとuncomfortableな感じになるのだ。なんとなくおちょくっているような、この相手になら言っても大丈夫、みたいな高を括った雰囲気を感じる(多分、欧米系のムズングに対してはそんな風に言わないんじゃないかなぁ?というような…。被害妄想?)。まぁ、それも特に悪気はなくコミュニケーションをとりたいだけなのかなと思って流しているけど、なんとも思わずスルーすることに慣れちゃいけないんだろうなぁという気持ちもある。だから少なくとも、覚えたてのルオ語(現地の部族語)で一言二言返したりすると、「え、ルオ語わかるの?(笑)」みたいに少し怯んで?会話の雰囲気や関係性が変わってくる。こうなると、あぁ黙っているだけではダメなんだなぁ、と思わされる。この国も自分が生まれた国も、まだまだジェンダー非対称なことをたくさん抱えている。
今の自分は、圧倒的にマイノリティで周縁化された存在を体験しているのだろうなと感じる。アジア人で、女性で、言葉も満足にわからない、部外者。何かあっても、絶対に意思決定プロセスには反映されない存在だろう。そういう立ち位置に一度自分の身をおいて、世の中がどんなふうに見えるのかを体験できることは、とても貴重で恵み深い経験なのだろうな。そういう視点を噛み締めて日々を過ごしたいと思う。ただの特権的な旅行者にならないように…。
最後に付け加えたいのは、この町の人たちは基本的にとても優しくて、そんな私のことも分け隔てなく接してくれる人ばかりだということ。おちょくられてもちょっかいかけられても、そんなやりとりでさえ嫌いじゃないと思える人と人のつながりのあたたかさが、ここにはある気がする。
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h-adongo · 3 years
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21 July 2021
今日は、日中いつになく集中力があって、調べ物や勉強が捗った。夕方疲れたのでベッドで少しウトウトしていて、目が覚めると窓から夕陽が差し込んでいた。部屋の白い壁に、夕陽に照らされた木の影が大写しになっていて、きれいだった。ベッドから蚊帳越しに写真を撮った。
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久しぶりに映画が見たいような気分になって、夕食後にフランシス・リー監督の『ゴッズ・オウン・カントリー』を観た。
英北部ヨークシャーの農場を舞台に、孤独な青年ジョンと季節労働者のルーマニア青年ゲオルゲの関係を描いたストーリー。
音楽もセリフもほとんどなく淡々と朴訥にすすんでいく描写は、今の気分に合っていて満足できた。何より、懐かしきヨークシャーの曇天と丘陵の風景、ヨークシャーなまりの英語…すべてが個人的にエモーショナル要素満載で、よかった。
ジョンは高齢の祖母と病気の父との暮らし。さびれた牧場を一人で切り盛りしなければいけない彼の、酒とゆきずりのセックスの中で感情を殺して生きている姿は見ていて苦しくなるものだった。でも、ゲオルゲと出会って、欲望のままの野性的な行為から、お互いを慈しむような優しいそれに変わっていく、その関係性の変化の描写が印象的だった。
内向きな自分だけの視点から、他者との関係性の中で自分を見る視点が生まれることの尊さを感じた。
厳しい自然と生に対峙しなければいけない牧場の仕事を背負い、愛着対象の不在の中で思春期を迎えていったであろうジョンの、さみしさや不安に思いを馳せる。
ラストのシーンで、ジョンの言った「変わりたいんだ」「一緒にいたい」という言葉。
よく言ったと思った。やっぱり、思っていることはきちんと言葉で伝えないといけないと改めて思わされた。どんなにしんどくても、へたくそでも、自分の感情に蓋をしなくていいんだ。誰かと一緒にいることは時にはしんどいし面倒くさいけど、きちんと体当たりでぶつからないといけないんだ、と背中を押された気がした。
今暮らしているアフリカと、イングランド北部の風景は全く違うようでいて、自然や動物の生死に向き合い、自分たちの生きることと直接つながる生活をしている点は相通じるものがあった。
私たちの生は、大小さまざまな命の犠牲の上に成り立っていることを実感させられる。それが自然界の抗えないリアリティだ、と割り切ることも必要だけど。
生きていくことも、生かすことも、大変なんだ。それは動物も人間も同じ。
毎日同じことの繰り返しのように感じてしまう日々の中で、映画や音楽のようなアートから刺激を得ることのありがたさ、嬉しさを再確認できた。
今日はいい日だった。
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h-adongo · 3 years
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先週の月曜日から金曜日まで、ヴィクトリア湖の中にあるいくつかの島のひとつ、Mfangano(ムファンガノ)島に滞在して、夫の仕事に同行した。
夫はマラリア流行のホットスポットであるヴィクトリア湖沿岸地域で、マラリア罹患率を下げる(理想的にはなくしていく)ための仕事をしている。ケニアではマラリア(そしてHIV)がごく限られた地域でのみ突出して流行しており、今となってはヴィクトリア湖沿岸地域だけの風土病のようになっている。その背景には、貧困や経済格差、都市整備の遅れ、開発から取り残されるに至った政治的な問題がある。マラリア・HIV流行地域の偏在については、しっかり調べ・勉強して、また別の機会に取り上げたいと思う。
さて今回のムファンガノ滞在の目的は、マラリアを媒介する蚊が家の中に侵入してくることを防ぐために作られた「天井式蚊帳(ceiling net)」というものを各コミュニティに配り、その効果を検証する調査をするための説明会をそれぞれのコミュニティですることだった。
1日に2つのコミュニティを回り、5日間で合計10回の説明会をした。5日でほぼムファンガノの全域を回ったことになる。もともと社会地理学を勉強していた私にとって、地形の変化に富んだ島を回って各コミュニティの人に直接会い話をすることは、とても楽しくてワクワクする時間だった。地域ごとに生活様式も違えばそのコミュニティの雰囲気やキャラクターも違うわけである。沿岸地域の人々は、湖の浅瀬を背にして、ボートに腰かけて説明を聞くし、山間の集落では斜めになった地面にそのまま腰を下ろして説明を聞いた。各回で、覚えたての現地語(ルオ語)で挨拶をすると、みんなが喜んで歓迎してくれたことが嬉しかった。
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ムファンガノで一番印象的だったことは、子どもたちがとにかく主体的で自立しているように見えたことだ。
基本的に、子どもたちは子どもだけで行動しているのだ。日本ならば大人が必ず付き添っているような年頃の子どもでさえも。子どもだけで道を歩いているし、遊んでいるのである。行き交うバイクや大きな牛たちにちゃんと注意を払っている様子もあるし、とてもしっかりしているように見える。
朝、庶民派食堂で朝食をとっていると、登校前と思われる制服を着た5~6歳くらいの女の子が一人で朝ごはんのチャパティを買いに来て、すました��でテイクアウトしていた。
3歳くらいの���どもたち4人くらいが、その辺に落ちていたであろう段ボールをおもちゃにして道端で遊んでいた。
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7~8歳くらいの子どもが、頭に食器や洗濯物がたくさん入ったタライを載せて、1歳くらいの兄弟を伴って湖に洗い物をしに行っていた。
制服を着た10歳くらいの女の子が赤ちゃんを片手に抱きかかえながら、町のコーナーショップの店番として、ミネラルウォーターやフルーツを売ってくれた。
こんな風に、とにかく子どもがみんな立派な社会の構成員のように見えるのだ。これには、なぜかわからないけれどすごく感動してしまった。とにかく町の雰囲気が違う。子どもが大人とおなじ意志をちゃんと持って、自分で考えて行動している感じがする。
この違いはどこからくるんだろうか。いつから日本や先進国では、時にその主体性が失われるまでに、子どもは守られるべき存在として(捉えようによっては過保護的に)扱われるようになったのだろうな。どちらがいいとか、どうであるべきとかいう議論はナンセンスで、それぞれが生きている社会の文脈があるのだから、それはそれでいいと思う。けれど、自分の身の回りの子どもたちにはせめて、(適切なケアと安全を確保したうえで)自分で考える姿勢とワクワクする・楽しむ気持ちを忘れずに過ごしてほしいなと思う。そのための環境を大人の責任として整えていけるように、こういう視点はずっと持っていたいと思ったのだった。
島の北側のごつごつしたrockyで険しい山道。南側の、湖岸に沿ってつづくメイズ畑の牧歌的な風景。島の真ん中にそびえる山に向けて、道なき道を進んでいった先にある教会の建物。活気に満ちた無邪気で素朴な人々。(冒頭写真)
ムファンガノの記憶として、焼き付けた。
次にまた訪れるときが、今からとても楽しみ。
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h-adongo · 3 years
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h-adongo · 3 years
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東京からケニアへ
夫の仕事に帯同してケニアのビクトリア湖畔の町で暮らすようになってから、あっという間に1か月が過ぎた。
数年前から、ゆくゆくは彼がケニアで長期の仕事をすることになるだろうということはなんとなくわかっていた。一緒に行くか、それまで通り離れての生活を続けるか、なかなか決めきれない時期もしばらくあったけれど、もうそろそろ一緒になりたいよねという気持ちと、そう簡単にはめぐってこない貴重な機会となるであろうケニア暮らしを彼と一緒にしたいという気持ちで、仕事を数年間休業して一緒に行くことを決めたのは自然ななりゆきだった。
ケニアに着いてから最初の1~2週間は新鮮なことばかりでワクワクしたし、夫と毎日一緒にいられることも嬉しかった。ただその時期を過ぎると、それまで全力で打ち込んできた仕事がなくなったことへの実感が急に押し寄せて、自分の所在なさに落ち着かなくなってしまった。朝起きなければいけない時間も絶対的なものは決まっていないし、日中これをやらなきゃいけないというものも特にない。そりゃあもちろん家事はあるし、「仕事がなくなったらゆっくり読もう♪」と楽しみにしていた積ん読はたくさんあるが、ただ読みたい本を読んで合間合間に家事をしているだけでいいのか!?という気になって焦燥感に駆られた。
それに加えて、ケニアの家は過酷だ(ローカルな人たちの住居よりも格段に恵まれた贅沢なものだが)。
朝起きると、湖から飛んできたレイクフライ(ハエのような虫)が破れた網戸から部屋に入って床にびっしりと落ち、膨大なハエの死骸の絨毯のようになっている(現地の人たちはそれをパンケーキにして食べるらしい)。さらに、家にすみついているヤモリの糞が気づけばそこら中に落ちていて、掃除しても掃除してもキリがない。夜になるとコウモリの発する超音波が不気味で不快な気分にさせるし、明け方には天井裏で何かが走り回っている音で目が覚める(たぶん、猫、だと思いたい)。加えて、マラリアのホットスポットであるこの地域で夕方以降に蚊に刺されるのはリスキーなので、蚊がプーンと飛んでいると神経質になってストレスがたまる。自分がこんなことをしている間にも、職場の仲間たちは日々大変な中で頑張っているのかと思うと、後ろめたさと自分の不甲斐なさにがっかりする。…そんなこんなで、到着後2週間後くらいからしばらくは、不調な日が続いた。
そうはいってもここでの生活は続いていくし、いつまでも沈んだ気持ちでいるのはもったいない気もする。毎日こんなに青空で太陽がまぶしく、それでいて涼しくて快適な軽井沢のような風が吹いてくる。そこかしこに、日本では見たことがないような鮮やかでかわいらしい花が多種多様に咲き乱れている。それだけでも幸せな気持ちになれるのだから。
ということでまず毎日の時間割をつくることから始めて、生活リズムを作っていった。
それが功を奏したのか、はたまた単に慣れてきたのか、その両方かもしれないが、1か月たった今はずいぶん気が楽になって、やっと「わが町・わが家」感が出てきた。過酷と思われた居住環境も、まぁ許容できるくらいにはなってきた。
直近の1週間、ビクトリア湖の内部にある島に滞在して夫の仕事に同行していたので、余計にそう思うのかもしれない。島の暮らしは、本土の町よりさらに一昔前の辺境の暮らしである。1週間でそれに慣れていったので、図らずも本土の暮らしがスタンダードで居心地のいいものになったようだ。人間の感覚のアップデートって、よくできているし、適応能力はすごい。島からウォーターバス(大型フェリー)で1時間湖を渡り、本土のマイタウンに降り立ったとき、新参者のはずの自分が「あぁ、帰ってきた…」という気になったのは、少しおかしかった。
1週間の島滞在は、前向きで強く明るく生きる島の人たちに励まされる体験だった。
これはまた別の機会に詳しく。
とにかく、私はケニアで元気にやっています。
東京で奮闘している仲間に恥ずかしくないよう、私は私がここでできることを、地道にめげずにやっていこうと襟を正す日々。
18 July 2021
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h-adongo · 3 years
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エンパシーと民主主義について考える
ブレイディみかこ著『他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』を読んだ。
1か月くらい前にNHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」にブレイディみかこがゲスト出演した回で、村山由佳著『風よあらしよ』の紹介とともにアナキズムとエンパシーの話をしている中で、この本のことを知った(2021.6.25に出たばかりの新刊)。最近自分の中でエンパシーがキーワードになっていて(仕事場面での示唆や、職場の人との会話のテーマなどで。)タイムリーに気になっていることだったので、発売を楽しみにして、飛びついて読んだ。
この本では、エンパシーについてとことん検証している。エンパシーは手放しで称賛されるだけのものではなく、注意しなければならないダークサイドをも持ち合わせていることなどがクリティカルな視点で論じられている。しかし、やっぱり行きつく先はエンパシーの重要性であり、エンパシーは(その性質をよく理解したうえで)人々が身に着けるべき能力であると主張される。
そのなかで、“エンパシーを育てる授業”について紹介されている。エンパシーは頭脳で理解する知識として身に着けても意味がなく、「身体性」をもって日常生活の中で使えるようになることが大切であることが分かる。具体的な”エンパシーを育てる授業”として挙げられているのが、カナダの教育者で社会起業家のメアリー・ゴードンが1996年に創始して以来世界中に広まったという「ルーツ・オブ・エンパシー」というプログラムである。これは「赤ん坊からエンパシーを教わるプログラム」なのだそうだ。このプログラムでは、教室の真ん中に緑色のブランケットを敷き、その上に赤ん坊を乗せ、子どもたちはブランケットの周囲に座る。そしてインストラクターが赤ん坊に玩具を与えて遊ばせたりしながら、子どもたちに赤ん坊を観察させ、そのときの表情から感情を読み取ったり、むずかっているときにはなぜ機嫌が悪いのかを想像させたりして、それを言葉で議論し合うのだという。これがパースペクティブ・テイキング(他者視点取得)のトレーニングとして有効に働いており、実践的にそのスキルを学ぶことができる、というわけである。
著者は、創始者のゴードンの言葉を引用して、“ある意味では、ルーツ・オブ・エンパシーは、子どもたちが教室で囲んでいる緑色のブランケットの上で参加型民主主義を築こうとしているのです”。と説明する。 
さらに、グレーバー(『民主主義の非西洋起源について』)の言葉を以下のように引用する。“重要なのは、普通の人々が討論の場に集って座り込み、自分たちの課題に自分たちで―武力によって決定を支えられつつ課題に対処するエリートたちに劣らず―対処できるということを、さらにまた、無理だったということになるとしても、彼らには試してみる権利があるのだということを、私たちが心から信じることだ。”
そして著者は続ける。
“ルーツ・オブ・エンパシーでは緑色のブランケットの周囲に子供たちが集って座り、エンパシーという人間の大きな課題の一つを話し合い、自分たちの頭で考えようとしている。子供たちには試してみる権利があるのだということを、大人たちは心から信じなければならない。”
これまでの自分の仕事の現場を思い返すと、胸にぐさぐさ刺さる言葉たちだ。私たちは目の前の子どもたちを無力化して、自分たちの意のままにしているだけだったのではないかと感じてしまう。では、いろいろな難しさを抱える目の前の子どもたちに対して、民主主義の場を提供できるだろうか?彼らは、「ただ自分だけのために」ではなく、「最大多数の最大幸福のために」意思決定できるだろうか?やっぱり実際のところ不��は残る。理想を語っても、やはりそうはいかないのが現場の大変なところなのだ。
でも。やっぱり私たちは、それを提供するために彼らを「信じる」ことから始めないといけないのだと思う。始めないといけないし、少なくとも「私は」、彼らのその可能性を信じていたいと思う。まず彼らを信じて民主主義の場を提供してみて、うまくいかないときに大人が軌道修正していけばいい。そのためには大人が自分の靴を脱ぎ、子どもの靴を履いてその会議に参加しなければいけない。子どもの民主主義を保障するためのオブザーバーとなるには、エンパシーに長けた人材であるべきなのだと気づかされる。
組織の中で、それが当たり前という暗黙の正義の中でも、「私は、こう思う」という一人称を持ち続けないといけないのだということを、この1・2か月ずっと考えてきたのだった。できうるならば、「私は、こう思う」を心の中に秘めるだけでなく、少しずつ、手の届く範囲から伝えること。一人、また一人と仲間を増やすこと。たとえ意見が違っても、心で思っていることを相手にまず伝えてみること。そんな小さな勇気の積み重ねを実行することが大切だと分かってきた。「思う」のと「口に出して伝えてみる」のでは、大きな差があって、はじめは怖い。それでも、その一歩を実際に踏み出さないと始まらないと思うのだ。
著者は、クライマックスからラストにかけて、以下のようにまとめる。
“子どもたちが自分でものを考えなくなったとか、自分の意見を言えなくなったとかいう前に、我々大人たちは、彼らが進んで何かを言う気になるアナーキーでエンパシーある空間を提供しているかどうかを考えてみなければならない。”(中略)
“「そうなんだよね」「国の教育はダメ」とため息をつく前に、わたしたち大人が始めなければならないのは、おそらくまず自分の足元に緑色のブランケットを敷いて民主主義を立ち上げることだ。”
こうした著者の言葉を読んで、上述したような最近の自分の考えてきたことの答えを受け取ったような気になり、嬉しかったし勇気が出たのだった。「まず、自分の手の届く範囲から」「一人称で」「自分の言葉で」話し始めること。これが民主主義の基礎だと思った。誠心誠意自分の言葉を伝えたら、次は相手の言葉を聞く番。プリズンサークルの受刑者たちのように。 組織や社会の中で何が起きているかわからなくなったら、「緑のブランケットを敷く」、そのプログラムを頭の中で再現すればいいのだと学んだ。⑴まず仲間たちや身近な人たちと集い、腰を下ろす⑵目の前の赤ちゃんの気持ちを想像する(=何が起きているか、問題点の背景は何か、考える)⑶その想像した内容を、仲間たちと互いにシェアして伝え合う。そのとき、すぐに「だからあいつはダメなんだ」「あの人はこうだから言っても仕方ない」などと言わないこと。いろんな視点から赤ちゃんの表情を読まなければいけない。時には育児書を開いて、基本の知識に戻ることも大事かもしれないけれど。自戒を込めて。
最後に、アナーキーとエンパシーが溶け合った末に導き出される民主主義について、著者の答えを引用する。
“「アナーキー」は暴力や無法状態と結びつけて考えられやすい。しかし、その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセットが「アナーキー」なのである。そう思えば、機能しなくなった場所、楽しさも元気もない組織、衰退している国などにこそ「アナーキー」のマインドセットは求められている。そしてそのマインドセットをもって人々が緑色のブランケットの周りに集まって話し合い、「いまとは違う状況」を考察するときに必要不可欠なスキルこそ、「エンパシー」という想像力に他ならないのである。”
私は私の人生を生きながら、時には他者の靴を履いて歩き、広い世界を見て回れるような人間になりたい。
17 July 2021
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h-adongo · 8 years
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私がロンドンに到着した直後から、イギリスではバンクホリデーという祝日による連休が始まった。街はあちこちでお祭りムード。
イギリス南部のArundelという小さな城下町では、中世へとタイムトリップ。コスチュームを着た人々が出迎えてくれた。ベンチで一休みする親子が、よーく似ていた。ちょっと胡散臭いマジシャンに群がる子どもたちの笑顔が印象的。国は違えど、子どもたちの無邪気さはみんな同じなんだと実感させられる。どこにいたって、子どもは宝物。
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h-adongo · 8 years
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2016年8月26日
残暑厳しい東京を飛び立ち、イギリスにやってきた。ロンドンはスピード感、ドライブ感のある街だ、というのが第一印象。紺碧に浮かび上がる夜の顔。
ここからしばらくはロンドンで過ごして、もう2週間もしないうちにリーズへと移る予定。ロンドンとリーズではまた人々の様子も生活スタイルも異なることだろう。どんな日々が待っているか、新しい世界と交わる感覚が楽しみだ。色彩に満ちた様々な風景に触れて、記憶に残る日々を過ごしたい。
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