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hashishu · 8 days ago
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年を重ねることの一番つらいことって、何だと思う?
— なんだろう?
— 見えなくなることよ。
若いうちは、何かしらの「存在」として見られるの。
「あの感じのいい人」とか、「おしゃれなあの人」、「力強い彼」、「頭の切れるあの子」ってね。
誰かが目を留めてくれて、名��を呼んでくれる。
でもね、少しずつ変わっていくの。
やがて、「いつもひとりで歩いている白髪のおじさん」とか、「くたびれた靴を履いたおばあさん」になってしまう。
それだけ。
まるで世界の目から消えてしまったかのように。
— でも、僕は見てたよ。君が入ってきた瞬間から。すぐに気づいた。
(これは、ある有名なイギリスのドラマの台詞。でも何より、それは胸を刺す真実。)
年配の人の話になると、たいてい年齢のことしか語られない。
「もう80を超えてるらしいよ」
「そろそろ90になるらしい」
でも、こうは言われなくなる。
「昔は音楽家だった」
「何世代もの生徒に教えてきた人だよ」
「今は一人暮らしだけど、あの人にも、かつては――」
時が経つにつれ、「本当のあなた」を知っている人たちはいなくなってしまう。
友達も、少しずつ失っていく。
子どもたちは、自分たちの生活に追われている。
仕事、子育て、予定に追われて、精一杯。
たまに短い電話。ほんの少しの立ち寄り。
ご近所の顔ぶれも変わっていく。
新しい住人は、「二階のおばあさん」がどんな人だったかなんて、知らない。
お店に行っても、もう名前で呼んでくれる人はいない。
そして、気づかぬうちにぽっかりとした空白が生まれる。
静かに、けれど確実に。
見えない存在になっていく。
私たちはわからない。
なぜ母が、一日に何度も電話してきて、天気のことを聞いたり、持っていないはずの物のありかを尋ねたりするのか。
なぜ父が、同じ質問を何度も繰り返すのか。
でも、心の奥にあるのはただ一つ。
忘れられることへの恐怖。
もう誰にも見られていないのではないか、という寂しさ。
老いるというのは、ただ身体が変わっていくことではない。
透明になっていくこと。
そして、たった一人でもいいから、「自分はまだここにいる」と思わせてくれる存在を、必死に探しているのです。
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hashishu · 2 years ago
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Rei Hanada|広告プランナー&ドローンフォトグラファーさんのツイート 朝日広告賞の一般公募の部をなにげなく見てたら良いのがたくさんあったから個人的に好きだったやつ17選
(1/17) 一番好きかも。字の崩れ方も秀逸。 https://t.co/bwXnf2zVnf)
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hashishu · 2 years ago
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“何事をするにも「通常のルート」を通して行うように主張せよ。決断を早めるためのショートカットを認めるな。 「スピーチ」を行え。できる限り頻繁に、長い話をすること。長い逸話や自分の経験を持ちだして、主張のポイントを解説せよ。「愛国的」な主張をちりばめることを躊躇するな。 可能な限りの事象を委員会に持ち込み、「さらなる調査と熟考」を求めよ。委員会のメンバーはできるだけ多く(少なくとも5人以上)すること。 できる限り頻繁に、無関係なテーマを持ち出すこと。 議事録や連絡用文書、決議書などにおいて、細かい言葉遣いについて議論せよ。 以前の会��で決まったことを再び持ち出し、その妥当性について改めて問い直せ。 「警告」せよ。他の人々に「理性的」になることを求め、将来やっかいな問題を引き起こさないよう、早急な決断を避けるよう主張せよ。 あらゆる決断の妥当性を問え。ある決定が自分たちの管轄にあるのかどうか、また組織上層部のポリシーと相反しないかどうかなどを問題にせよ。”
— POLAR BEAR BLOG: 第二次世界大戦中のライフハック「仕事を進まなくさせる8ヵ条」 (via otsune)
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hashishu · 3 years ago
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“怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。”
— ニーチェ
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hashishu · 3 years ago
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“押井:この間の『ハウルの動く城』だって、「CG使ってないんだ」って宮さん(宮崎監督)は言い張ってたけど、現場の人間は使いまくってるよ。あの人が知らないだけだよ。まるきり裸の王様じゃないか。それだったら、自分の手で(CGを)やったほうがよっぽどましだ。いや、わかりやすくて面白いから、つい、宮さんを例に出しちゃうんだけどさ(笑)。 いかに中性洗剤使うのやめたって言ったところで、結局は同じことじゃない。宮さん、別荘に行くとペーパータオルを使ってるんだよ。そのペーパータオルを作るために、どれだけ石油燃やしてると思ってるんだ。やることなすこと、言ってることとやってることが違うだろう。そこは便利にできてるんだよね。自分の言ったことを信じられるってシステムになってるんだもん。”
「口だけの人」が世界を変える - いつか電池がきれるまで
(via
oiteke
)
2012-11-26
(via mmtki)
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hashishu · 4 years ago
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“即時性(Immediacy) コピーよりも速いこと 個人化(Personalization) 個人に最適化されていること 解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報 信憑性(Authenticity) コピーを手に入れるときの特別な体験 アクセスしやすいこと(Accessibility) 取りやすく見やすいこと 具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること 後援(Patronage) 作者との関係性 見つけやすいこと(Findability) 目につく場所に情報を存在させること”
— 情報のコピーが無料になった中で、コピーできない8つの価値 :Heartlogic (via okamodeler) (via gkojax) (via gkojaxlabo) (via mitaimon) (via nanospectives) (via kml) (via msnr) (via yaruo, june29) (via gkojay)
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hashishu · 4 years ago
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“私事ですが、 娘が2歳を過ぎた頃、夫が夜、娘が寝付かないことに異様に怒るようになりました。 うちの娘は人見知りのうえ活発な方ではなく、家の中で遊ぶことが多かったので寝付きは良くなかったのは確かですが、それにしても常軌を逸した、というか人が変わったような怒り様でした。 そのうち娘もぎゅっと目をつぶって息を殺して寝たふりをするようになる程で、私も非常に心を痛めていたのですが、夫がそのように怒る理由がわからず、また夫も自分でそれがわからないようで、ひどく怒った後で懸命に謝ったりするので、どうしていいかわからずに、一生懸命娘を早起きさせて出来るだけ外で遊ばせようと努力したりしていました。 しかしそれでもなかなか寝ない日というのはあります。あるときそんな日に、とりわけひどく怒り散らした後で夫が突然、 「寝ない子は死ななきゃいけないんだ!」 と叫んで、それから自分で驚いたように呆然として、しばらくしてから泣き出しました。 その後の夫の話によると、彼は小さい頃「ねないこだれだ」がとても怖かったのに、泣いて嫌がっても毎晩読み聞かせられたのだそうです。足が無くなっておばけに連れられて飛んで行く子供が、初めて触れた「死」のイメージだったと、寝ない子は死ななければならないのだと子供心に思ったと、泣きながら話していました。 私にはそんなことをした彼の親の考えはわかりません。彼の心の傷が絵本のせいだと思う訳でもありません。 私個人は、切り絵の子供の目が奇妙に虚ろな感じがして苦手な本というだけで、すごく怖いとも思いません。 しかし、子育てをしていると切実に楽をしたいことも理解できる一人の親として、「怖がってすぐ寝てくれるようになった」「しつけに効果的」といった発想が、子供の心に深い傷を残すこともあるということを知って頂きたいと思うのです。 明るい場所で一緒に楽しく読まれている親御さんには、余計なお世話だと思いますが………。 娘は3歳半を過ぎた今も、寝付く前に夫の足音が聞えると不安げな顔をします。昼間はお父さんが大好きなのに。 夫はそんな娘を抱きしめて「おやすみ」と笑顔で言いますが、その度に傷ついているのがわかります。 この傷がいつ癒えるのかわかりませんが、我が家に「ねないこだれだ」が来ることはないでしょう。 私事で申し訳ありません。このレビューがせなけいこさんの本を非難するものでないことをご理解いただきたいと思います。”
— Amazon.co.jp: ねないこだれだ (いやだいやだの絵本 4)のNorthstarさんのレビュー (via rikukoike) (via manami) (via takaakik) (via petapeta) (via otsune, rickkoike)
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hashishu · 4 years ago
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“これは結構ガチです。メンタルが強い人は「比べない」「期待しない」「批判しない」の3つが共通してる。逆にメンタルが弱い人ほど、人と比べ、人に期待し、人を批判する。他人に執着しているから、人に左右されて心がよわる。僕もメンタル豆腐だったけど3つの意識で平常心になれた。自分に集中したい。”
— ささひろ / Twitter
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hashishu · 4 years ago
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やりたくないことを我慢してやっているから、やる気が続かないし、パフォーマンスも上がらない。「やりたい」(want to)ではなく、「やらねばならない」(have to)ことばかりして生きているから、毎日、頭の中がモヤモヤする。
「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! / 苫米地英人 (via qsfrombooks)
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hashishu · 4 years ago
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結局、私たち日本流の社会開発を考えるなら、その源流へと辿ってゆくのが一番だと思うんですよね。そうすれば、私たちは「遊行聖」を思い出すことになるでしょう。たとえば行基。「アウトロー」としての指導者。あるいは、「与えるNPO」ではなく「引き出されるNPO」としての始原。ときに蔑まれるアウトローたちが、コミュニティに何をもたらしたかについて・・・。 散在するコミュニティの境界には、いずれのコミュニティからも保護されず、義務も負わない社会的空隙のようなものが生まれます。たとえば、エピクロスが、そこを「神々の棲み処」と呼んだように、古来、この地帯には、非日常の、精霊もしくは魑魅魍魎が巣食うとされ、コミュニティという生活空間からは遮断されていました。とくに農耕民にとっては、それらの地帯に足を踏み入れることは、極力避けるべきことであり、踏み入れるときは、神隠し、悪しき病などを覚悟する必要がありました。 ところが、コミュニティを後にし、その尋常ならざる世界に身をおく人々もいました。たとえば遊牧民、行商人、巡礼者、吟遊詩人、そして白拍子などの芸能民、遊行聖、あるいは追放者、匪賊、そして狂人などの異端者、すなわちアウトローでした。こうした者たちは「遊手浮食の徒」とさげすまれながらも、祭りの日には「神とふれあう者」として怖れと敬いのうちに迎え入れられることもありました。 祭りの日��、コミュニティにとって重要な意味をもちます。閉ざしていた外界への窓を開き、内部に新鮮な風を送りこむことができるからですね。この日ばかりは、村の空気も華やぎます。芸能民が舞いを奉納し、詩人や聖が流行の思想を謳い、商人が集まり市がたてられ、新しい商品と情報がどっと流れ込むでしょう。遠くに離れていた家族も帰ってくるかもしれません。人々は、これらがもたらすものの取捨選択を経て、閉塞していたコミュニティを再び活性化させるのです。 アウトローは背筋を伸ばし、うつろう世を見極めながら生きています。盗賊、商人であれ、聖人であれ、コミュニティという巣をもたない者にとって、浮世の風から身を守るのは彼自身の才覚でしかありません。 そんな生き方をしていることを自覚すればいいのに・・・。いや、そういう覚悟を決められたなら、きっと楽になれるんじゃないかな・・・と。いやいや、もう少し具体的な話をしました。「行基」という社会開発のプロフェッショナルについて。 日本の社会事業、地域開発がNPO主体で活発にすすめられたのは、国家の体制がまだ不十分で、地方では民間組織、つまりNPOの力に頼らざるをえなかった古代から中世にかけてでした。これらNPOの指導者とは、社会事業に参加することを勧め、資金提供するよう勧めて歩いた勧進聖、たとえば空海、重源、忍性、そして一遍らの名前で想起されますね。彼らの活動は、橋を架けたり、道を通したり、あるいは港湾整備や灌漑施設の整備、さらには布施屋という浮浪者救済の宿泊所の建設など、本来国家が果たすべき役割を、代行し補充したものでした。そして、そのような勧進聖の草分けとして、東大寺大仏を造立したことでも有名な行基がいます。 行基は西暦668年の生まれ、飛鳥から奈良時代にかけて生きた僧です。『天平十三年記』によると、彼の指導による社会事業は、橋6ヶ所、道1ヶ所、池15ヶ所、水路10ヶ所、港2ヶ所、堀4ヶ所、布施屋(行き倒れの保護施設)9ヶ所とあります。その活動の幅広さは、彼の人間的魅力もあったと思いますが、勧進という独特の手法に支えられていました。 勧進とは、公共設備をつくる意義を民衆にわかりやすく説明し、そのための労働力や資金を提供するよう促すことでした。そして、行基に付き従った数千人ともいわれる人々(土木工事の技��者や信徒)にとって、勧進とは利他行の社会的実践であり、そこには病人、貧者を救済してゆくことで自らも救われてゆくという大乗思想が根幹にあったのです。 私が行基の活動に注目するのは、そのNPO活動の戦略にあります。彼の進歩的な戦略は、大いに分析に値すると思っています。行基の活動展開には、現代なお日本が模索している、市民中心の開発ビジョンと持続性が既に見出されるからです。 『続日本紀』の717年に、行基が歴史書に初めて登場します。 「小僧の行基とその弟子たちは、街の道路に乱れでて、みだりに罪福を説き、徒党を組んで、指に火をともして焚き、臂の皮をはいで経をうつしたりして、家々の門を訪ね、あてにならないことを説き、食物以外のものを乞い、偽って聖の道であると称して人民を妖惑し、そのために僧侶も俗人も乱れ騒ぎ、それぞれの階層の人民は生業を捨てている。」 すでに行基がNPOを組織していたことがうかがえますね。皇位継承をめぐる反目から政情不安となり、貴族は土地私有をめぐって画策するなど、国家の統制が失われつつある時代でした。また、慶雲年間の704年から、全国的な飢饉や疫病が広まり、さらに日照りにより人々は苦しめられていたのです。これらの不安を一挙に解決しようと、政府は平城京遷都(710年)を断行しますが、その造営は過酷を極め、諸国から徴発された力役の民は疲弊し、平城京の周辺や地方に通じる交通路には逃亡した浮浪者があふれ、人々はより一層苦しめられることになってゆきます。行基は、このような悲惨な時代に政府に変わって、人々の救済に乗り出すのでした。 さきほどの『続日本紀』の記述を、私なりに解釈し直してみます。 「行基とその弟子たちは、辻々に立ち、他利行の実践を説いている。大勢を引き連れ、なかには、占いを生業とする者、肉食をし皮をまとっている者もいるが、皆、仏道に帰依している。家々の門を訪ね、社会事業を勧め、そのための金銭や労働力の提供を呼びかけ、これを救済の道と信じている。そして、僧侶も、職人も、農民も、団結して土木事業に参加している。」 このような、行基のNPO戦略には、3つの特徴が見出されると思います。 まず、行基は、信頼を失墜した政府(大和朝廷)の権威をまったく帯びず、民衆の中へ積極的に入って行きました。このように、僧侶が民衆の中にあえて身をおく姿勢は、鎌倉仏教のさきがけともいえるでしょう。親鸞らがそうであったように、行基もまた、尊敬と蔑視の狭間にゆれていたのではないでしょう��? 聖と呼ばれつつも、ぼろをまとい、皮を剥いで肉食をする河原者や坂の者を従え、各地を放浪する行基の姿を思い浮かべてしまいます。彼はまさしくアウトローそのものであったでしょう。行基はアウトローとして、何がこの村に必要なのかを客観的に判断し、情報と技術を提供したのです。 当初、政府の権威を帯びなかったとはいえ、行基は政府の動きを常に見据えていました。そして、やがて政府をも巻き込み、連携するようになります。これが、行基のNPO戦略にみる第2の特徴です。 栄原永遠男は、資料的検討によって、行基の水田開発は、三世一身法が出された翌年からみられるとの結論を得ています。これは、行基が政府を無視して我が道を行くのではなく、その方針に気を配っていたことを示唆しています。つまり、行基は、政治が民衆に与える影響をよく計算して、運動の照準を定めていたものと思われます。このような行基の姿勢こそが、やがて政府を禁圧者から協力者へと変化させていったのかもしれません。 742年、聖武天皇は、行基に為奈野の荒れ地を与え、救孤独園とすることを許しました。律令用語において「孤」とは16才以下で父のない者、「独」とは60才以上で子のない者をさし、救孤独園とは、こうした身寄りのない人の収容施設でした。この事実は、すでに政府が、社会的矛盾の調整をNPOとしての行基に頼っており、行基も国家権力を利用して土地を手にするなど、相互に共存するようになっていることを示しています。 しかし、行基の活動は、あくまで国家機能、もしくはコミュニティー自身が果たすべき機能の代行でした。市民活動では全国規模での展開が難しい。その意義を国家が気づき、民衆が理解する必要があったのです。 そこで、行基の第3のNPO戦略の意味がみえてきます。 行基は、単なる奉仕や、慈善のボランティアではありませんでした。彼の活動には、歴史的背景から生ずる必然があったのです。それを行基は、国家に、大衆にわかりやすく説明しつづけました。 「もし、あなたが幸せになりたいのならば、まわりの人も幸せにしなければならない。なぜなら、全ての人は因縁でつながっており、あなた独りが幸せになることなど不可能だからだ」 これが、行基による市民活動のすべてであるといっても過言ではないと私は思います。このメッセージが、やがて、皇后が施薬院の運営など社会福祉的な施策を試みるようにしむけ、民衆を積極的に大仏建立など社会事業に参加させるようにしたのでしょう。その後、行基の流れをくむ勧進聖が中世日本には次々と登場しますが、民衆に情報と技術を提供することを重視し、アウトローの本分を守り、活動の主体は常に民衆自身だったのです。 市民活動を考えるとき、どうしても欧米をお手本とし、西洋の系譜に乗せようとしてしまうことが多いようです。けれども、西洋と日本のボラン���リズムの原動力には違いがあると私は感じています。西洋のボランティア活動の長い歴史は、言うまでもなくキリスト教会、伝道会によるものです。これらが慈善活動と呼ばれていたように、こうした活動のモチベーションとは慈善、もしくは奉仕の精神であり、いまも欧米の市民活動の根幹を支えています。 現代日本の市民活動の特徴として、説得力のあるリーダーはすぐに現れますが、応援する人が少なく横への拡がりがありません。どうも、しっくりこない感じがあるんですよね。なんかギラギラしていて、リーダーが真ん中に立っている(ように見える)。これは個人的な印象に過ぎませんが、大乗仏教的な基本理念の上に、そっくり西洋型の活動形態をのっけようとしているから・・・ かもしれません。 私は、日本の社会開発は、改めて古代から連綿とつづく日本史のなかに位置づけられるべきじゃないかと考えています。とくに、行基(に代表される)のボランタリズムが、日本思想史のなかで育まれていることに気がつくべきです。そうすれば、おのずと社会開発に求められるリーダーシップの姿も浮かんでくるんじゃないかと・・・。
Facebook - 高山義浩
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hashishu · 4 years ago
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たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。それが大切なんだ。
小説『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』
https://twitter.com/hyuki/status/981515272489091072?s=20
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hashishu · 4 years ago
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西洋音楽の形式が何になってきたのかというと、記憶のパラフレーズだ。だが、記憶は他の方法でも作用する。私の新しいピアノ曲「Triadic Memories」では、様々な種類の和音からできているセクションがあり、そこではそれぞれの和音がゆっくりと繰り返される。ある和音は3回繰り返され、別の和音は7、8回繰り返されることもある――どのくらいそれを続けるべきかどうかは私の感覚次第だ。新しい和音に移るや否や、その前に繰り返されていた和音を忘れてしまうだろう。それからそのセクション全体を再構築した。以前起きた進行を並べ替え、特定の和音の反復回数を変えた。この作曲法は記憶の混乱の「形式化」を意図した試みだった。和音はいかなる識別可能なパターンもなく反復される。この周期性のなかで(テンポの微かな差異はあるが)、私たちが聴いているものが機能的で指向性も持っているのだと示唆される。だが、これは幻想なのだとすぐに悟る。ベルリンの街を歩いていると、たとえ実際はそうではないにせよ、建物全てが同じように見えるのに少し似ている。
Morton Feldman 
あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-3
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hashishu · 4 years ago
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“パジャマを脱ぎ散らかしている小3娘をたしなめたら「それ『人が脱いだ服』という作品なの」という。作品ってことは片づけちゃだめなの!? と聞いたら「べつに片づけてもらうのは構わない、それも含め作品だから…」だそうで、なんなんだこの人は。”
— 古賀及子さんのツイート (via conveniitekuru)
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hashishu · 4 years ago
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銀河系の外から現れたペリュトンの正体
オーストラリアのパークス天文台を中心に、2001年ごろから謎の信号が検出されていました。この信号、FRB(Fast Radio Burst)は、その周波数とパルスの特徴から、銀河系外から届いているものだと考えられていました。
そのFRBの中でも、特に奇妙な、謎の特徴をもったものがあり、それらをホルヘ・ルイス・ボルヘスの「幻獣辞典」に記載されている謎の生物になぞらえて『ペリュトン(peryton)』と呼んでいました。
今回、パークス天文台が発表したのは、「『ペリュトン』の発生源は天文台の電子レンジだった」というものです。天文台にある3台の電子レンジのうち、松下製の2台の電子レンジ、それを「チン」というのを待たずにドアを開けたときに起きるものだということを突き止めたのです。彼らは、電波望遠鏡の姿勢を設定し、施設内の電子レンジを動作させる実験を3度にもわたって行い、なぜ途中でドアを開けたときだけ『ペリュトン』が現れるのかも考察しています。
こういうのは笑い話みたいに聞こえるかもしれませんが、このことを発表する姿勢もすばらしいですし、論文もとても論理的、かつ面白いものです。すばらしい。
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hashishu · 4 years ago
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“「今まで提供しておりました”シェフの気まぐれサラダ”ですが、シェフの気まぐれではなく仕入れの都合ではないかというご指摘を頂きましたので、本日より”仕入れの都合次第サラダ”に改めさせていただきます。誤解を与える表現を用いていたことを深くお詫びいたします」”
— Twitter / Fumiaki_Taka: 「今まで提供しておりました”シェフの気まぐれサラダ”ですが、 … (via wideangle)
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hashishu · 4 years ago
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“東京都が頓珍漢な、若者のワクチン忌避論を展開しているけど、これと同じで「若者が伝統工芸に興味を持たないから跡継ぎが無くなり衰退する」といって実施していた都の支援事業を思い出した。 実態は、不況や経営下手で新人を雇えないという問題で、若い志望者はたくさんいた。”
— えブチみほ(ぶっちだよ) / Twitter
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hashishu · 4 years ago
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一方で、記者から「音楽フェスは、原則やめてというメッセージは出さないのか?」と問われると、大村知事は「それは違う」として、次のように理由を述べた。 「それをやると、真面目に一生懸命、感染防止対策をやって、音楽業界・関係のみなさんの仕事も一生懸命支えたい、両立させてやっていきたいという人を、潰しちゃうことになりますよね。叩いちゃうことになりますよね。それは、私は違うのではないかと思います。こういう約束を守っていただけない方のために、一生懸命守っている方が被害を受ける、迷惑を被るということは、これは違うと思います」 「極端な話、もう日本には音楽、コンサートといった文化・芸術・アーティストは要らないと、なくていいというのであれば別ですが、そんなことは誰も思っていない。どうやって両立していくのかということですよね。ですから、感染防止対策をしっかりしたうえで、厳しい状況を乗り越えていこうと申し上げたい」 「そういう中で、『自分の会社さえ儲かりゃいいんだ』『そんなの、知ったことか』と『県にはこう言っておくけど、実際の客がどうするかは知らんわ、そんなもん』という行動を取られた方は、極めて遺憾だ」
愛知県の大村秀章知事「もう二度と場所を貸さない」 波物語「密」報告で炎上に怒り|ニフティニュース (via pixiewired)
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