Tumgik
hitsu-zetsu · 4 years
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CJグループ会長の夢は、世界の人々が毎年2~3本の韓国映画を見て、毎月1~2回韓国料理を食べ、毎週1~2本の韓国ドラマを視聴して、韓国文化を楽しんでもらうことだという。
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関係のないかも知れない話をする。
海外に住む日本人と、海外に住む韓国、中国の人との違いがある。
日本人は群れない。それは群れる事のメリットがないからかも知れない。日本人には恐らくそれほど強い愛国心もない。表に出さないだろうが、僕がそうであるようにむしろ日本が嫌いですらある。日本文化や伝統をリスペクトはしているが、それを世界にシェアしたいと考えない。
でも彼らは違う。本気で国に誇りを持っているし、自国文化をリスペクトしている。(右的な愛国心ではなく。)
海外在住の人を例にしたのは問題を理解しやすくするためだが、それぞれの国内に住む人にも適用は可能なはずだ。
日本では個では達成できないような成果を皆で生み出すということが不可能な土壌なのだ。高校野球はどうなんだと言われると思うが、根性任せな精神論と混同してはいけない。生まれた土地に対する誇りや尊敬という点において、日本では表層的なことしか学ばないのではないか。中国や韓国で愛国教育が他の国を敵対するため(*だけに)に行われている訳ではない根拠に、この記事にあるような事象が起きていると考えている。
*そういった目的が本当にあったとするならば。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3bb908e11e76a6d51f8eb41171babbc17b66c586?page=1
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hitsu-zetsu · 4 years
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新しい映画の定義
よく「映画なのだから劇場で上映されてこそ」という話を業界の人から聞く。要は配信やDVD、ブルーレイは本筋ではないということだ。
でも人は映画を劇場だけでなく、配信でも楽しむし、どちらにしても、観た人にとっては、<映画を観た>体験には変わりない。
だとすると業界関係者が言う劇場にこだわる理由は作り手のエゴ以外にどこにもない。劇場でお披露目して初めてスタッフへの恩返しができるという考えはとても古いし、その考え自体が映画を金だけかかるエンタメの厄介者あるいはハイリスクのギャンブルにしてしまうのではないか。
作り手、スタッフにしても自分が関わった作品がより多くの人に見てもらえる環境の方が良いに決まっているし、今後劇場の動員が減る状況で、万一減らずとも大きくマーケットが開ける可能性がない今、配信を含め、如何に人に観てもらうかに注力すべきだと考えている。
宮崎駿監督の初期の作品が最近劇場リバイバルしている。おそらく劇場では観なかったけどTVで観て好きになって、劇場で観たいと思う人の要望に応えたのだろう。
もし劇場のような大きなスクリーンで、劇場のような良い音響で観たいと観る人が望めば劇場で、という順序に変わってきている。消費者が望めば、劇場で上映できる。この状況は実は映画を作る人にとって良い環境になるかも知れない。巨大な制作費を配信で少しでもカバーしつつ、劇場への可能性を探るのは、経済原則にも則っている。劇場にとってもリスクは少ない。
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hitsu-zetsu · 5 years
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映像の著作権のこと
映像の著作権のことを書いておきたい。
音楽は、アーティストの曲は当然のこと、TVコマーシャルなどで使用される音楽にも製作した人が著作権を持てる場合があります。
映像は、と言うと、映画などは監督をはじめ、脚本家、技術部、などそれぞれが権利を持つことが出来ます。それに対し、TVコマーシャルなど商業映像については制作会社はもとより、監督も、スタッフ皆一切権利はありません。(全部ではないかもですが)作った当初は予算があって作っているわけでギャラも出るし見過ごされがちなのですが、、、よくよく考えてみると、例えばその映像が1年後また使用されるとなった時、使用料は’音楽以外発生しない’のだ。
ただでさえ昨今制作予算が削減されて、それでも作られる映像。ギャラを抑えられながらも頑張って作るスタッフ、制作会社。
映像の著作権を、フェ���にしていくことを、考えていきたい。
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hitsu-zetsu · 5 years
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日本でカジノ
をやるなら、時代劇のアレがいい。 紋紋入れた男女がカジノのディーラー。 観光客を呼び込むならそれがいい。 またそれをやるなら一緒に街中にあるパチンコをカジノに集約するといい。 カジノ以外はクリーンな街になる。 そして登録制にして、遊べる客も制限する。 そこまでするならやる価値はあると思う。 今後日本の産業が衰退し、観光立国になっていくとするならば、それは一つの手だと思う。
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hitsu-zetsu · 5 years
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ミニマリズムとは、満ち足りた状態を模索するアート
ミニマリズムの根幹にあるのは、モノがない(少なさ)事を追求する事ではなく、足す必要も、減らす必要もない状態を突き詰める試みであり、その到達点は満ち足りて、満ち足り切ってしまっている状態の事。
その空間が、思想が、幸せで満たされていたい、主義。
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hitsu-zetsu · 5 years
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広告を考えるときの尺度としての「鮮度」
その時々の市場や世界情勢、流行や人々の作り上げている空気感などを考慮した上で、広告の市場価値は、その鮮度で推し量るべきであり、鮮度を上げることを目標にすること広告として成功する条件ということができると思います。
また、事例として10年前の広告がもし今もその鮮度を保っているとしたら、その広告はもはや広告ではなく、芸術(アート)として評価されていると判断するのが正しいと思います。芸術作品は普遍的価値を具現化したものであり、時に時代や文化を超越したものが存在するためです。
つまり「広告とは」というとき、スーパーに並べられた野菜などと同じ感覚で捉えていくと合点が行くことが多いのです。
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hitsu-zetsu · 5 years
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投票率を上げる
そもそも投票率を誰がなんのためにあげたいのか。
与党の政治家は投票率はあげたくないだろう。今のままコントロールできるのが良いから。野党は自分たちに票が入る層が存在するならあげたいかも知れない。
国民にとっては?民主主義の本来あるべき姿を良しとする人はあげたいだろう。与党支持者と政治に無関心な人は現状不満もなく、あるいは不満の正体すらわからないのだから、どちらでも良い、もしくはあげたくない、となる。
また現状としては投票率の低い若者層が投票に行ったからと言って、人口比率の面から、それほど選挙に影響を与えることができない物理的なマイナス面もある。
そうは言っても、政治に関心がないと政治家の質も上がらないので、政治に関心を持ってもらう、日本をより良い国にしていくためにも、投票率を上げていこうよ、という話を前提として、投票率を上げるにはどうしたら良いかをその案が良いか悪いかを置いておいて考えてみる。
-スマホで全て行える
候補者の確認から投票まで、投票所に行かずとも、どこにいても、いつでも投票できるシステムを作る。
-投票することで何かのメリットが得られる
投票したらお得な何かを特典としてつける。人気者の握手券とか、都道府県キャラクターグッズとか。
ネット投票が出来ると、投票所の人件費場所代、設備費など諸々節約出来るから、その分特典のシステム構築にも回せる。集計もリアルタイムでに出来るだろう。
-競馬のような賭博性を持たせる
選挙管理委員会が候補者にオッズをつけ、お金を投じて投票し、結果を楽しめるようにする。
候補者はSNSはもちろん、公式のアプリを駆使してアピール。自分への掛け金は一部ギャラとして選挙費用に充てることができる。賭けでの売上は自治体でうまく活用できるし、立候補者の自己負担も減らすことができ、幅広い層からの立候補も期待できる。
-政治に関する教育
これが一番大切なことだが、政治の仕組みや投票することで政治に参加する意義や重要性を小さい時から教えて行く。本来政治は金に汚い���中だけのものではない。国を、国民生活を善くして行くシステムのはずである。
時代や文化で人は世界は変化し続ける。
その中でうまく時代に適応し、民主主義も進化していかないといけない。そのためには新しいアイディアも時には必要だと考えている。
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hitsu-zetsu · 5 years
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真意はともかく、いろいろ罪深い言葉だ。
ビジネスは建前としては客対客という対等な立場のはずではある。はずではある。 
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hitsu-zetsu · 5 years
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原発推進派が原発に執着する理由は、大きく分けて(1)温暖化対策(2)経済活動に支障をきたさない電源確保、(3)利権、の3点(建前は2点)だが、(1)は火山を利用した地熱発電が、(2)は再生可能エネルギー産業を活性化させる、で置き換えるのが、世界的な原発ビジネスの尻すぼみの潮流を見ても合理的だ。(3)は(3)で関係者にとってだけは合理的だ。
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hitsu-zetsu · 5 years
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周りにもいるような、要領の良いやつ悪いやつ、人当たりの良いやつ悪いやつ、しっかりしてるやつしてないやつ、賢いやつ馬鹿なやつ、そうしたやつらが一括りに年齢を重ねて老人というカテゴリーになっていく。
そりゃ敬うのには限界があるよ。
でもそれでも、労わらないといけないカテゴリーなんだとは思う。
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hitsu-zetsu · 5 years
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「普段から快活な人で思い悩んでいる節がなかった」、「今思えば内にストレスが溜まっていたのかも知れなかった」。
「危険信号を周りが察知」「周りに打ち明ける勇気」「専門家や窓口に相談」。
そんな問題ではない。
もっと大きな事象として捉えないといけない。
(他人事)のように自殺問題を語るあなたは<まだ自殺してないだけ>と捉えるべきだ。
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hitsu-zetsu · 6 years
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対案は要らない。
政治に対して声を上げるのに対案は要らない。
YESかNOかの意思を示すだけでよい。
そのYESかNOかの国民の意思を受け、政治家は真摯に対案を練り上げるのだ。
選挙でも候補者が是か非かを投票するだけなのに、専門的な見地を踏まえないといけないような対案が必要であるはずがない。
もちろん政治家や政党には対案が必要だ。
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hitsu-zetsu · 6 years
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『トゥエンティーセカンド』
「じゃあこの問題は、ミス山本!」
「はい!」
 教壇の先生の指名に立ち上がったのは、山本さんと、僕だった。
 その突飛な出来事に、いつもザワついていて落ち着きのない教室は、しんと静まり返った。
 山本さんが僕を振り返っているのが気配でわかったが、彼女の方を見返す勇気はなく、その時の先生の顔も、クラスメイトの顔も覚えていない。恐ろしくて見れなかったのではなく、僕の方から目を開けたまま視界を閉ざしたからだった。
 クラスの全員が状況を把握して爆笑が起こるまで、ある友人が
「あれは二十秒はあった」
と言い、英語の授業ということで、皆ふざけて僕に<トゥエンティーセカンド>とあだ名をつけ、その後しばらく僕と山本さんを冷やかした。
 そんな出来事から二十年が経ち、僕は大学進学以来、故郷を出て東京に暮らしている。大学を卒業して、職を何度か変えた後、大学の先輩に誘われて転職した、水産加工品を卸す会社に落ち着いて十年になり、会社の後輩に紹介されて知り合った彼女とは三年前から付き合い始め、半年前から同棲をしている。
 東京は僕の田舎に比べとてつもなく都会で、落ち着きのない街だ。
 終電のなくなった午前一時に街の灯りは煌々とし、通りにはスーツを着たキャバクラの呼び込み達がたむろし始め、散々会社の愚痴をぶちまけたであろう酔っ払いが足腰をくねらせて歩き、タクシーの列が道路脇で客を待つ間、運転手は窓外へタバコの煙を吹き出す。そのすぐ脇をスレスレで走り抜けていく長距離トラックの排気ガスが、酔ってへたり込む大学生に話しかける警官の帽子を揺らす。酔っ払いが千鳥足のうねりを手に伝道させた力でタクシーのドアをノックすると、運転手が慌ててタバコを処理した。
 東京に十数年も僕が特に不満も満足もなくいるのは、この街の雑踏が、意味もなく延々と繰り返されるあの教室のザワつきと似ているからかも知れない。
 そんな午前一時の東京の、僕の住むアパートの近くにある二十四時間営業のスポーツジム。
 僕はそこのプールに、週一回通うのを習慣としている。
 僕はジムを利用しないが、さすがにこの時間ともなると、筋肉をつけたい日焼けした男性や、ウエストを一ミリでも細くしたいと願うゆったりめのTシャツを着た女性の姿はなく、サウナ目当ての中年男性を数名見かける程度だ。
 ジムの入っているテナントビルの最上階の天井高の空間にそのプールはある。バブル時代を今も匂わす、夜景が見渡せる無駄に大きな窓に囲まれ、まるで都会の空に横たわっているかのようだ。
 受付を通って階段を上がるとプール利用者用の更衣室があり、シャワースペースを抜けてプールに出る。僕はいつも家でスイムウエアを履いてから来るので、受付を通ってからものの数分でプールに入ることができた。
 プールサイドをヒタヒタと歩いて引き上げてくる先客とすれ違い、入れ替わりに僕はプールを占有した。
 まだ湿っていない足で音を立てることなくプールに近づき、誰もいない水に飛び込む。水しぶきが収まると、水を掻く音だけが少し湿った天井に反響して、僕の耳に返ってくる。
 そしてプールの真ん中まで泳ぎ着くと、大の字に浮かび、水面が落ち着くまでじっと待つのだ。
 目を閉じると、暗闇の中からさざ波すら立たない大きくて静かな湖が視界に現われ、水平線まで果てしなく続く、その湖の真ん中で身を任せているような、あるいは棺桶に入れられてその湖を漂うような、不思議な錯覚が始まる。
 
「じゃあこの問題は、ミス山本!」
どこからか突然、英語教師の声が聞こえる。
 それに応えるものは誰もいない。しかし僕の体はビクリと硬直し、あの時の静寂を再現する。
 ピンと張りつめた、空気ですら静止している感覚。
 永遠に続く苦しみのようであり、一瞬の恍惚のようでもあった。
 ここでは誰も動くことすらできないはずだ。その静止した空間の中、ふっと背中に入った力を緩めれば、僕はそこを自由に泳ぐことができるのだ。
「晩ご飯の前に行くとかの方がいいんじゃないの?」
キッチンでフライパンを返しながら、彼女は言った。
 お互いに働いていたので、晩ご飯を作るのは当番制にしている。
 会社から帰って二人で食事をし、酒をも飲んでリラックスした後にジムに行くのを不思議に思っているのだ。
 少し前に彼女に、
「誰もいないプールの静けさがいいんだ」
と言ったこともあった。
「それって私と家にいるとうるさいってこと?」
という話になり、それ以来僕は人混みを避けるためと説明している。
 釈然としないようだが、僕もそれ以上合理的な理由を思いつかなかったので、半年間、曖昧なまま放置している。
 実際理由などなかった。
 僕の勤める会社では、毎月報告会議が開かれ、僕は自分の課の成績を発表する課長という立場の人間だ。課長といっても部下が二人いるだけの小さな課だ。
 会社の扱っている水産加工品は、毎年同じ漁業組合から同じ取引先に売られるため、報告する数字はここ数年ほとんど変化していない。それでもたまにその数字が微妙に下がるようなことがあると皆深刻なふりをしてクリーム色の事務テーブルにうつむき、厳つい顔の部長が課長たちに問い詰める時の、語尾以外ほぼ方言で構成された発言への笑いを堪えるのだ。
 ある日、報告する数字が悪い方向に変化した。幸い僕の課ではなかったが、部長はその担当課長に歩み寄り、いつものように語気を荒げた。
 見慣れた風景なので、その場の空気を張りつめさせるほどではなかった。
 しかし担当課長は僕より一つ歳上の痩せ男で、先月課長に昇格したばかり。まだ会議慣れしていないためにうまく返答できず、
「あぁ、うぅ…」
と言葉に詰まった挙句、下を向いて黙り込んでしまった。
(ドンッ!)
 その態度にさらに腹を立てた部長がテーブルを肉厚な両の手で打ち下ろす。皆でひとつのテーブルを囲んでいるので、その振動が各自の目の前のノートやらペンやらに伝わり、課長は怯え、個々の薄ら笑いも消し、部屋をしんと黙らせた。
 この沈黙が、僕は好きだ。
 皆が神妙な顔で視線を落とす事務テーブルは、午後の光を反射して透明に澄み渡っていた。テーブルの端は見渡す限りの水平線だ。胃の上あたりが少しキュンとなり、心が踊る。僕はそこへ一人、泳ぎ出していくという妄想に浸った。
 社員一人ひとりの強張った顔の間を通り抜け、窓を出て眼下の道路の人や車の往来を眺めに行こうか。
 そうして何十秒かの遊泳を楽しんだ後、部長の訛った発言によってまた会議に戻った。
 何年かに一度、同窓会の誘いがある。しかし僕は毎回なんやかんやと理由をつけて断っていた。
 クラスメイトと疎遠になっている今、わざわざ帰郷してまで出席する気乗りはしなかったし、
(山本さんに会ってみたい)
という気持ちはあったが、途中で転校していった彼女が同窓会にくることはまずないだろうとわかっていた。
 教室の出来事の何ヶ月か後、山本さんは、父親の転勤でどこかに転校していったのだ。
 それは僕にとっては寝耳に水で、どういうわけかクラスの中で僕だけが事前に彼女の転校を知らなかった。
 何故知らされなかったのか、今となってはもはや知るすべはないが、あの頃しばらくの間冷やかされ続けたおかげで、僕は山本さんと気まずくて口も利けなくなり、授業中に彼女の横顔を眺めるだけで、転校の日まで、ついに一言も話すことはなかった。
 山本さんが授業の終わりに先生に促され教壇で転校の挨拶をしたのを、そしてその日の放課後、彼女を囲んで皆それぞれに手紙やプレゼントを手渡していたのを、僕は状況を整理できないまま眺めていた。
 ある日、たまにメールだけを交わしていた友人から同窓会の誘いがあった。
 今回は公式な同窓会ではないが、東京にいる同窓生を集め東京で開催され、一時帰国している山本さんも参加すると聞かされた。
 友人曰く、山本さんは大学でアメリカへ留学し、そのままアメリカ人の旦那さんと結婚し、今では二児の母になっているそうだ。
「会社の予定見てみるよ」
と僕は一日考えた後、参加する旨を友人にメールで伝えた。
 次の日、駅中にある行きつけの簡易床屋での整髪をやめ、近所の美容室に行ってみた。三年ぶりにスーツも新調した。
「あなたにしては良いセレクトじゃない」
壁にかかった縦縞模様のスーツを見て彼女は言った。
 上着の裾を返して製品表示を確かめている。
「ウール100パーじゃないんだ」
誰に話すでもなくブツブツ言っている彼女を眺めながら、なんとなく後ろめたさを感じて、その日はプールには行かなかった。
 同窓会は、都内の大衆居酒屋の二階の座敷を貸し切って催された。
 過剰な暖房と鍋から立ち上る湯気で座敷は蒸し返していた。
 人数は僕を入れて八名。
 僕は、田舎から同じように東京に出てきた同窓生が八人もいたのだと、少し感心した。
 皆あの頃の面影をわずかに残し、快活にそして少し戸惑いながら経年の変化を交換し合う。それがお互いにとってどんな変化に見えたかは言いっこなし、の暗黙のルールだ。
 当時学級委員をしていた女性が、
「山本さん、少し遅れてくるみたい」
と言うと、周りは
(転校してった子だっけ)
(おぉ〜)
(山本さんと言えば)
とばかりに僕に視線を向け、それまでぎこちなかった場の雰囲気は、あの出来事の話で一気に打ち解けた。
 同窓会とは、そういうものかも知れない。
 二十年前の友情は濃度を年々薄めながら、何滴かの異質な出来事だけを共有するように設計されているに違いない。
 あの出来事と一杯目の中ジョッキが一通り消費され、幹事の男性がお代わりを頼もうと障子から顔だけ出し階下の店員を呼んだ。
 しばらくして階段を登って来る足音が聞こえ、皆はそれぞれメニューを手に取り、入口の方を振り返る。
 しかし僕は皆と同じように店員を期待していたわけではなく、さりげなく毎回の出入りを意識していた。
「こんばんは…」
 果たして、障子から顔を出したのは山本さんだった。確信はなかったが、横顔の雰囲気でそう感じた。
 店員を��えるつもりであった皆が遅れてきた彼女を認識するのに、少しの間を要した。
 座敷の奥の誰かが口火を切って、
「あ、山本さん!」
と声をかけると堰き止められていた水がダムから放出されるように、うねりとなって、座敷に笑顔を伝達していった。
 その後、幹事によって<出来事の主役>である山本さんは当然、僕の隣の席に誘導された。途中皆に軽く挨拶しながら狭い人の間を縫い、僕のいる中ほどの席まで彼女は近づいてくる。
 山本さんが隣に到達するまでの距離と時間はとても長く感じられて、僕はただ持て余しながら彼女を見守っていた。そして距離が詰まるほどに何か決断を迫られているような気持ちになり、自分から先に声を掛けようと決めた。
「久しぶり、山本さん!」
すっと姿勢を正しながら可能な限り快活に言った。
「久しぶり!(…)」  
僕が<あの僕>だという認識はあるようだったが、どうにも名前を絞り出せない、そういう間があった。
 そして笑顔と小さなガッツポーズとともに、山本さんは言葉を繋いだ。
「トゥエンティーセカンズ!」
 流暢でとても綺麗な英語の発音だった。
 セカンドは複数形が正解だったのだと、のちに反復するうちに気がつきもした。
 山本さんは終始笑顔で僕に話してくれたが、僕は山本さんと何を話したのか、あまり覚えていない。
 彼女の顔も、笑顔の口元だけが網膜に発光しながら滲んでいるくらいだ。
 ただ一つはっきりと覚えているのは、山本さんがキャメル色のコートを脱いだ時にふわりと漂った外国の香水の、甘い香りだった。
 同窓会から少し経ったある日、僕は彼女を連れて、久しぶりに田舎の両親の元へ帰った。
 少しビルが増えた駅前から実家に向かう途中に、同窓生のやっている酒屋があり、そこで夜に飲む酒を買った。あいにく同窓生は配達で不在だったのでアルバイトの学生によろしくと伝えた。
 実家で僕たちを迎えた両親は、機嫌は快くも悪くもないようだったが、
「四十近くなってようやくか」
とだけ言って、いつも誕生日や法事などにだけ利用していた出前を頼んだ。
 次の日、
 「何もないよ」
と言ったのだが、彼女は僕の田舎を見て回りたがったので、父親の車を借りて少しドライブした。
 変わってしまった場所、変わらない場所。
 忘れていた場所、覚えていた場所。
 あの教室のあった学校は、体育館が新築されていた。
 あれから特に会社が忙しくなったわけでも、生活に変化があったわけでもないが、プールに通う回数は少し減った。
 山本さんは、今頃はアメリカに戻っているだろう。
 僕は今も、時々だが、トゥエンティーセカンズの静寂に浮かんでいる。
おわり
『トゥエンティーセカンド』
松居雅也 著作
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hitsu-zetsu · 6 years
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自分に何ができるか考えよう
「パヨク」「ネトウヨ」と発言する前に、自分に何ができるか考えよう。
自分は違う、と、他を、他の言動を卑しめて優越感浸ってるだけ。
あなたは<他>と何も変わらないひとりの人間だ。現状を憂う心も持ってる。
人はそれぞれ違う意見を持つのだから、いくらかの相違は自然なこと。
その多様性はあなたの優越感の為に存在するんじゃない。
あなたは何者?という問いかけ。
自分に何ができるのか考えよう。
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hitsu-zetsu · 6 years
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進化論
仕事である大学の先生を取材したときのこと。 先生は、いきものがどのように進化してきたのかを研究されている。 もちろん何万年もの進化の過程を観察し続けることなどできないから、寿命の短い微生物を使って世代間を観察するのだ。
ある微生物とその微生物が捕食する微生物をひとつのシャーレに入れる。 捕食される生物が食べまくられていき、絶滅寸前まで行く。 ジ・エンド。かと思いきや、そこから生物の進化が始まる。 捕食者は被捕食者とコロニーを作ってひとつになり、別の生命体を作り出すのだ。
生態系は、弱肉強食だけではない。 生物の多様性とは、共存していく様子に他ならない。 そして進化とは、優勢遺伝の結果でなく、何億年も前から、共存の仕方をあれこれ試している結果なのだ。
人間は他のどの生物にも優ってない。(劣ってもいないが) だからあまり奢るのはホントどうかと思う毎日である。
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hitsu-zetsu · 6 years
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飲み会に参加する心得
行きたい飲み会に行くよりも、乗り気がしなくなってる飲み会に頑張って行くほうが結果楽しい確立が高い。圧倒的に。 なので今度からはモチベーション下げて行く事にします。
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hitsu-zetsu · 6 years
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開国
中沢新一氏のトークショーを聞いた。
TPPは日本史始まって以来の本格的な開国だ、と。
古来、海に囲まれ、長期の鎖国も相まって外来文明の流入を防いできた日本。そして小国家という条件や、寺小屋等の教育機関の教育が国民に行き渡った為の識字率の高さ、そしてクーデターを好まない民族性の恩恵で、昔の出来事や戸籍が書類として残り、日本語という特殊な言語と、独自の文化を継続して支えてきたのである。
明治維新の開国では、日本は既存の識字率や民度の高さで、驚くほどすばやく新しい文化を吸収した。新しく入ってきた大きなものは蒸気機関くらいのものだった。
戦後も同様、様々な条件が効を奏し、日本人は独自なまま、果たして守られてきた。戦後経済もこれほど発展しながら、日本語というハードルに守られ、独自の経済を積み上げてきたのだ。
今回TPPで開国したら、日本国家始まって以来の本格的な開国になるだろう。
そして歴史にある、争いを好まない無口な民族がどのような末路を辿ったかの例を見るまでもなく、日本民族は終わるだろう、と結論付ける。
我が愛すべき日本文化、日本人。一体どうなっていくのか。
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