itinisan4
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iti ni san 4
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itinisan4 · 1 year ago
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逃げ道を無くせ
4年間続けた仕事で得たものはそれなりの対応力とそれなりの振る舞いの仕方だった。 中卒を拾ってくれた良い会社だった。社長を憧れとし、尊敬し、見合うように努力する人間がたくさんいた。自分もそうなろうとした時期が一瞬あったが、やはりこの道を選ぶのかと少し落胆もしている。 安定してこなかった人生だった。 それでも選んだものは音楽だった。高校生の頃に組んだお遊びバンドを思い返してみても、あの頃は本当に自分に才能があると思い込んでいたし、切り離してみても、どうしても吸い寄せられてしまう。 「ひょっとして」という言葉の乱暴さが小学生の私に降り掛からなければきっとこういうことにはなっていなかったのかもしれない。 音楽が全てだ。たくさんのものを聴いてきたわけじゃない。 音楽家たちよりは全然知識も経験もない。 それでも続けたいと思えたものがこれだった。
不思議と周りの人たちからは止められることもなく、呆れられているのか心の底から応援されているのかわからない曖昧な「がんばってね」がこんなに心地良いとは。 もう戻れない。 大人になってしまった今、バカになりきれない自分がいることも分かっている。自分を外から見たら絶対にアホだ��言うと思う。 そんな自分を今は信じたい、などと何年かぶりに前向きなことを考えている。 去年の5月の手術で全てが変わってしまった。 何故生きているのか、なんのために生きているのか、自分には何が残せるのか。 あれからずっと考え続けている。 すぐに死ぬんだろうと思い込んでいた毎日が、そうそう簡単に殺してくれないじゃないかと考えが逆転した。 少しで満足するつもりだった。何曲かの中に自分の思いが乗っかって、そこで悦に浸れればいいとあの時は思っていた。 今は何故だか「こっちを見てよ」という気持ちばかりになっている。 自分にもやはり承認欲求があって、覗き見されるだけでは満たされなくなっている。見られるためには続けなければ。注目を浴びるにはもっとレベルを上げなくては。 もう引き返せない。 どんな形であれ、自分は上に行くしか、もう道はない。 逃げ道をなくせ。マイクを握れ。ギターを弾け。ステージに立ち続けろ。 何万人といる世の中のアーティストたちが思うように、私だって埋もれたくない。 埋もれたくない。 平凡な暮らしでは満足できない。 安心したくない。 常に考えていたい。 自分がどう死ぬのかを考えて生きていたい。
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itinisan4 · 2 years ago
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えきせんとりっくすうぱあぼうい
一ヶ月間の記憶の中で残り続けていたのは、ただの欲望でしかないと思う。どこが良いかと聞かれたら特別そこまで口に出すほどのものではないだろう。それでも、なんとなく「また」とか「これよりか」と��劣をつけているのだから、怖いなと思う。
今回は特殊なケースな気がする。 全ての始まりとか、プロローグとか、起承転結とかそういうものを無視ししたイレギュラーなものだと思う。 イレギュラーだからこそ、いつおしまいになっても、エンディングがきても(同じこと言ってる)、完結してしまってもおかしくないと、思う。 その危うさがまた自分の欲を駆り立てる。絶対に自分の手の中に収まらないものほど手を伸ばしたくなる。
では手に入れてしまったらどうなるのだろう
一度安堵して、その後は飽きてしまうだろうか。 はたまた自分の経験が少ないだけであって、こんなものはどこにでもある話にしかすぎないのかもしれない。
一定の距離を保つ心地よさと、あと数ミリの間がもどかしくもあり快感でもある。 全ての物事はこれに尽きる。
なんでも手に入れてしまっては面白く無い。 なんでもわかってしまったら面白く無い。 その先にあるのは惰性しかなく、生まれるものなど何もない。私は知っている。 こんなことばかりを考えるから何も進まないこともわかっている。わかっていてもやめられないのが性で、そこに依存してしまわぬよう他で気を紛らわせる。
あと5つくらい持ち合わせないと事足りない。
それくらいには、やはり私は愛に飢えている。
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itinisan4 · 2 years ago
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赤いギターを掴んだなら
何か変化があるわけでもないのにそういう臭いことをこの歳になってまで口走るのは、やっぱり時間があの時で止まっているからだろうか。
今年の出来事は先日早々に振り返り、忘年会シーズンに突入した12月25日の今日、世間ではクリスマスらしく赤と緑が踊り、渋谷の街はいつもより賑わっている。 店内では流行りのバンドのクリスマスソングが流れ、もう何百、何千と聴いたから頭に刷り込まれてしまった。
サンタはいないから、自分でギターを買った。 20歳ぶりに降りたお茶の水は駅が工事されてピカピカになっていた。相変わらず、サラリーマンと駅近辺にある大学生らしき綺麗な顔をした若い人たちで入り乱れていて、当時と変わらず私には罪悪感を覚えさせる街並みに変わりがなかった。 よくそんなところで毎日��イトをしていたものだ。
道路の両脇に立ち並ぶ楽器屋は見覚えのある店ばかりで、そういえば高校生の時��お茶の水でベースを買ったことを思い出した。 あの時は友人に勧められたバンドがあまりにもかっこよくて、MVを見て一週間後には楽器屋の前に立っていた。 7万円した白いボディのベースが、もうどんな音だったかも忘れてしまっている自分がここにいる。
閑話休題。
駅から一番手間にある楽器屋から奥へと順に回り、新品、中古、新品、と連れ添いで来たバンドメンバーが指差しながら教えてくれる。 このブランドはどう、とかネックが太いとか、ギター自体が重たいから向いてない、とか。 クリーム色のギター、誰かが使っていたであろう塗装の剥げたギター、有名なギタリストモデルのギター。色々あった。 一通り回ったあと、大学の横にあるイタリアンの並びにある中古の楽器屋に入った。入店してすぐにアコースティックギターがずらりと並び、店内は有名な歌手の曲が流れていた。 壁に掛かっているギターから、スタンドで買い手を待っているギターまで、順に丁寧に見ていく。ピン、ときたものを買おうと決めていた。 バンドメンバーのうんちくが呪文に聞こえ始めた頃、足が止まる。 ボディよりも目に入ったのはヘッド部分のウサギだった。 サングラスをかけた丸っこいフォルムで描かれたウサギがそこにいて、バンドメンバーに尋ねたら「俺も知らないブランド」と言った。 ピックアップの付いていない赤いボディはその後に目に止まり、よくよく見たら真っ赤ではなく深い赤色だった。後から製品サイトを見たらチェリーレッドと言うらしい。 ウサギが特別好きなわけではないけど、赤色だってお気に入りの色ではないけれど、可愛いと単純に思った。
店で試奏をするなんて日がやってくるとは思わなかったし、そもそも自分がバンドを組むこと自体無いだろうと思っていたから、店員がウサギギターにアンプを繋いだ時、大丈夫かなと心配になった。「いいから。弾くことには変わりねえから」とバンドメンバーは言った。 覚えたての曲を震えた指で弾いた。 しっとりもしてなくて、うるさくもない音色だった。私の臆病な弾き方のせいもあったかもしれない。 すぐさまメンバーに「弾いてみて」とウサギターを渡し、いろんな音を出してもらう。私の曲、人の曲、彼が弾きながら「いいね」と言った。私もそう思った。
これだな、と決めたのは、やっぱり音と、誰も知らないようなブランドだったということ。 あれっぽいとかこれっぽいが嫌いだから、誰かと同じギターは嫌だった。 「買います」と口に出すまで15分ほどかかり、お金を下ろすのは2分とかからなかった。 買ったその日は顔を真っ赤にして酒��飲み、ギターを買った感動で寝る前に少し泣いた。
サンタはいないから自分でギターを買った。 ウサギが側にいてくれる赤いギターを買った。 赤いギターを掴んだなら、あとはもう弾くしかない。歌うしかない。
やるべきことは決まっているから、私はもうしばらくは迷わないだろう。
ほら、また臭いこと言ってる。
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itinisan4 · 2 years ago
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酩酊
煙草吸ってたって肺に負担がかかるだけだし、酒飲んだって記憶飛ばしてあることないこと言ってるし、音楽やってたって金にならないし。
増える酒の量と共に周りにいる人たちも増えた。有難いことに。 今年ももうすぐ終わるけれど、今年は元旦から日本酒とマックを胃に入れていた気がする。 人はそんな簡単に変われないからこのまんまでいればいいかと開き直っていたら今の自分になってしまった。奇しくもこの性格やら態度が良いと言ってくれる人間が指の数くらいいる。私の人生でそんなことがあったか、いいやなかった。 この激甘な環境にいても尚、未だ私は自分に自信を持てずにギターよりもマイクよりも酒のグラスを握っている。 今年を少し振り返る。
1月は3日からレコーディングがあった。 スタジオの仕事始めが3日で、縁起良さそうだからと閃いて酒飲みたちへ歌った曲を録った。 何が起きるかわからない2023年に少しの期待を抱いて、それがリリースされた頃、ギターに会った。
2月の話。気に入っている焼き鳥屋に入った日があった。 カウンターしかない狭い店でとにかくレバーが美味しい。あと烏賊。隣の席の男二人組がシルバー925の話をしていたので、自分の知識と答え合わせをしながらその話を盗み聞きしてビールを飲んだ。 マスターが「そういえば」と言って、それから話は早かった。隣の男の片方も音楽をやっているという内容で、彼はギターやベース、ドラムも叩けるなんでも屋さんであることが発覚。 すぐにSNSを交換して、何かあったら連絡させてもらうことになった。
3月。誕生日は味気なく、普通に仕事して家のすぐそばのイタリアンでハンバーグを食べた。 アルバムでも作るか、と決めたのがこの時で、曲のストックが増えたことと、何かは残さなくちゃと変なテンションになっていたのを覚えている。
4月ごろからライブの話が出た。 バンド編成でやろうやろうとずっと言っていたことが現実になる。 声をかけた二人は立ち飲み屋で知り合い、居合わせたらよくおしゃべりする仲で前々から話していた。 キーボードとベースが揃い、ギターは2月に会ったなんでも屋さんに頼み、ドラムはベースの大学時代のサークル仲間という人が叩いてくれることになった。 面白いのはキーボードの彼女との出会いも、ギターと会った居酒屋だった。
5月、3年ぶりの入院と手術をした。 うまく進んでいたレコーディングがストップし、永遠とNetflixを見る2週間を過ごした。 バンドの初練習はビデオ通話で参加し、歌が歌えないのはこんなにきついのかと真っ白い壁と、彼らの演奏を映す画面を交互に見ながら思った。 入院中に新曲がリリースされ、回診に来た担当医や看護師に宣伝し、庭園の寒いんだか暑いんだかよく分からない気温の中でアイスかフェラテを飲んだ。浸るような気にもならずすぐにベッドへと戻った。
6月、バンド編成のお披露目となった。 あの時の2曲分の記憶はもうない。 後半には池袋、新宿、渋谷、下北を一日で周り路上ライブをした。 5月の終わりにシンガーソングライターをしている子とこれもまた飲み屋で知り合い、そのまま朝まで飲んで、路上ライブでもするかという話になった。分かっちゃいたが見てくれる人の方が少ない。だから目が合う人はすぐに分かる。夏本番まであと少しという中で夕暮れ時に歌う心地良さを知った。
7月と8月はレコーディング月間となった。とにかく歌った。 レコーディング最終日にはスタジオの人と二人でワインと日本酒を1本ずつ空けた。 それからバンドマンに出会った。 これも飲み屋での出会いだった。店の外にある灰皿の前で煙草を吸っていたら「りゅうちぇるが死んだ」と言ってきた男がいた。嫌な話だと思いながら「そうなんですね」と返したのを覚えている。すごく細身で真っ黒い男だった。髪の毛は少し長くて艶々としていた。バンドマンかな、と思ったので「バンドマンですか」と聞いたら案の定ドラマーだった。 この2ヶ月間は音楽関連の知り合いが増えた月でもある。
9月、多分飲まなかった日がない。 誰かに呼ばれて飲んで、誰かを呼んで飲んで。 9月は本当に永遠に酒を飲んでいた。 セカンドアルバムがリリースされた安心感からなのか、とにかく飲んだ。
10月、またバンドをすることになった。 日々飲む中でバンドメンバーの誰かとは3日に1回会っていて、またしようねなんて言っていたらライブが1本決まった。 メンバー全員とは新宿の居酒屋で飲むが定番で、と言ってもこれでま��3回くらいしか飲んだことはないけれど。 ほぼほぼくだらない話で盛り上がり、ひとり一つの灰皿とポテトがテーブルに並ぶという異常な空間が出来上がっていた。
11月。そこそこに酒もセーブしながら飲んで、10月から始めたギターの練習がメインの生活となった。メルカリで買った二万の初心者用ギターはボロボロで、いつも行っている練習スタジオで直してもらった。 ライブ本番は全員チャイナ服で出演。私が決めたのだけど。 それが三日前の話。 ギターはきっとダメダメだったけど、まあそれでも。
今年は酒と音楽だった。自分に甘い部分が増えて、友達は増えた分減った。昨日は飲んでいる途中でブラックアウトして、目が覚めたらベッドの中にいた。丁寧に掛け布団がかけられていたから、誰かがかけてくれたんだと思う。ありがとう。 今年は何かを残せたと言えただろうか。 誰かが死んで、それで産まれた命があったりした。私は夜中の1時に死にかけたけどまだ生きてる。10年ぶりに会う人の顔があまり変わってないことに驚いた。記憶のままそのままで、優しく笑ってくれたり、不安そうなら支えたいと思った。 自分が好きじゃないけどステージに立った時は大好きでいられるかもしれないと思った。歌が好きだ。歌うのが好きだ。 心底私の人間性は終わっている。酒の飲み方はひどいし、たくさん嘘もつく。綺麗なんかじゃない。このままでいれたらいいのに。この私を好きになれたらいいのに。今年はなれなかった。アルバムを出してもバンドで真ん中に立っても好きにはなれなかった。 毎年のように切り替わろうとする、人と接する中でこの人だったら、と切に願う。
来年もこんなふうにして終わるのだろうと、辟易する。
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