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manoellao · 3 years
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manoellao · 4 years
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こころやみとひかり
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manoellao · 4 years
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manoellao · 4 years
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manoellao · 4 years
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manoellao · 5 years
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現実の日常から逃げたくて空ばかりみてた
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manoellao · 5 years
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潮風公園から青海までテクテク
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manoellao · 5 years
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毎日ちょっとずつ。 まだ途中…
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manoellao · 6 years
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じょぶはんてぃんぐ
最近応募した企業の書類選考に落ちた。
元々どーかなー経験と合わないかもと思いつつも、合う可能性も残ってたので受けてみたところ
なのに、落ちてショックだった。自分が全否定された気分。さすがアダルトチルドレン
自分の頭の中の毒母の声はこうだ!
「えー落ちちゃったの〜?せっかく〇〇な仕事できたかもしれないのにー。
なんで落ちたのよ⁉︎書類の書き方が悪かったんじゃないの?
落ちてばっかじゃないのよ、ダメねー
ちゃんとやってることアピールしたのー? ちょっと見せてみなさいよ、お母さんが直してあげるから!
ほら、早く見せなさいよー。だってアンタ文章書くの下手なんだもん!(続)」
( ̄(工) ̄)
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manoellao · 6 years
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せかいかん
知人女性が結婚した。
長く彼氏もいなくて自分は結婚しない、
と仕事に打ち込んでた人だった。
そんな人が結婚することをきめた
自分が聞いた限りのジャッジだけど、
彼女の家族は機能不全だとおもう
そんな人が家庭を持つことになるのは
嬉しく、そして安心もした
毒親育ちでも幸せになってもいいのだと
いう安心感。その反面、羨ましいとも
思った
この「羨ましい」は結婚が羨ましいのでは
なく、人生のパートナーがいることが
羨ましいのでもない
(普通にいいな、とはおもうけれど)
毒親育ちで結婚しないと言っていたけど
それを乗り越えて、相手と結婚に至るまできちんとコミュニケーションをとって深い関係を築くことができた、それが羨ましいと思った
そんなことは当たり前にできる人もいるだろう。そういう人からみたら言ってる意味がわからないかもしれない。
でもACにはそれが難しい
自分の話をすると、人とのコミュニケーションを深めるには自分には世界観を変えることが必要だ
私の世界観では、この世はほぼ敵だらけだ
だから自分の姿は滅多なことでは晒せない=自己開示は難しいし、たまに出会う自分を受け止めてくれる人は数少ない敵ではない人のため、うっかりすると依存したり執着してしまう。そうすると人と程よい距離で付き合えない。
下手したらすごく重い人になってしまう
そんなことで嫌われたくないから、自分から距離をとる。いつまでもその距離を縮められない
それが増えていき、知り合いは増えるけど仲のいい人は増えない
そんな自分を横目に他の人たちは、距離を縮め深く関わりあうようになっていく
それをみて疎外感を感じる、そして孤独を感じる
1人でも子供の頃に自分の味方がいたら
どんな状況でも自分をかばって守ってくれる存在がいたら、世界は違ってみえたのかもね
親はアレだし、祖母達からは存在を忘れられてたし
唯一、祖父が大事にしてくれてたような記憶があるけれど、早くに亡くなったのであまり覚えていない
世界観を変えていくのは時間がかかるねぇ
まぁそんなんだから、
うちとちがう種類(と思われる)の毒家庭でも、そうして人との関わりを深めてきた彼女を素晴らしいと思うし、見習いたいし、同時に羨ましいのだ
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manoellao · 6 years
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納豆がはみでた
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manoellao · 7 years
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頭の中の毒母が自己評価を下げる
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manoellao · 7 years
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うちの母親がいいそうなことだ
友人の小学生の子が学校で一人で演技の発表をしたらしい。友人は一人で自分の表現したいことに挑戦したこの子を尊敬していると言っていた。
この子がとても羨ましく同時に劣等感を抱いてしまった。こんな小さな子に対して⁉︎
劣等感の原因はすぐに顔をだした
この子に比べて私はなにを表現したいのかも分からない。この子は一人で発表に臨んだのに私は一人ではこわくてできない
「〇〇ちゃんが舞台で発表したんだって! あんたもなにかやんなさいよー!何かないの、発表できること⁉︎ え、ないの?つまんない子ねー!」
「〇〇ちゃん一人でやったんだってー!すごいよねー。あんたも一人でなにかやってみなさいよ! 一人でできなんてだらし無いわね〜!」
うちの母親がいいそうなことだ
少なくともわたしの記憶の中ではこんなことを言われてたわ
彼女がいいそうな台詞が頭の中を回ってた
きっと友人はこんな事をその子に言って育てるようなことはしないのだろう
その子は親が背中を支えてくれると知ってるから一人でも舞台に立てるし、自己表現がそんなにこわくないのかもしれない
それがなかった自分はそれを持ってる人が羨ましい
わたしも欲しい
きっとそういう気持ちなのだな
気付けて良かった
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manoellao · 7 years
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記憶のなかの父親とかぶる自分
先日、知り合い同士の中で言い合いが起こった。主に年上の人が年下に詰め寄るシーンが多かった。とりあえずは収まったかがまだその2人の間には蟠りが残っている
私は自分の立場ではどうするのがベストだったのかんがえている
2人の間のことだしなにか求められていたとは思えないけど、その場にいたのだしなにか言うべきするべきだったのではないか
なにもせずなにも言わずにその場にいた自分の姿が、私が子供のころ母親にぐずだ早くしろっだのデブだの罵られているのに我関せずテレビを観ていた父親と被って物凄く嫌なんだ
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manoellao · 7 years
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昔家族と住んでた街に行ってみた。リベンジに。小学生のころ父親に「お父さんはお金持ってるけど〇〇はお金持ってないからご飯食べられないよ」と馴染みの喫茶店の前で揶揄われた事をふと、散歩帰りにカフェでコーヒー飲んでた時に思い出した。で、「クソっ!子供苛めて楽しいかアホが!いまは自分のお金持ってんだから自分で注文してやるわ」と思い、その足でその場所に行くことにした。電車で1時間かからないくらいの場所なのでできることなんだけど。
最寄駅について街を見渡してみたら、当然街は変わっていて古い店と家々がなくなり新しいお店やマンションが立ち並ぶ。同時に変わってねーなーと思うところもあり、それがなにかというとなんとなく、としか言えない
私がリベンジかましたいあの喫茶店はまだあるだろうか。別にその店に何かされたわけではないのだけど。子供の頃の自分に代わって、その店で自分でお金払ってご飯食べて帰れることがしたいだけだ。
そう言えばこれまた別の喫茶店で日曜に同級生にお昼食べにいこうと誘われたこともあった。両親共働きのその子は時々お金を渡されて、近所のお店でご飯を食べてたらしい。で、その時は暇だったしご馳走してくれるというので行ったのだがその子には「本当は他の人誘いたかったけど、みんな予定があったから〇〇ちゃん呼んだだけだから」ってツンをかまされた。いま考えれば、なんだよツンデレかよで済むところだけど子供の私はかなりキズついた
ということで、このリベンジもしたい
ところだったが、店は完全に消えてた。跡形もないっていうかその店があったあたりはガラリと変わっていて土地の買収もあったのか商店街の中だけどデカい建物になってた。ないなら仕方ないので次に行く
歩いていると私がいた頃からあるお店がまだ結構あることに気づく。茶葉屋さん、雑貨屋、パチンコ、薬局、パン屋、本屋、食堂、美容院、喫茶店
みた感じ人がほとんど歩いていないこの通りで、今までお店を維持しているのはすごいなぁと感心しつつ。でも看板を変えるなどのリニューアルをしているお店とボロボロで店の名前が読めないよっていう状態で営業しているお店とに分かれるのが面白い。敢えてのリニューアル無しなのかギリギリ経営なのか。どうなんだろう
そんな事を考えていたら通りの反対側にリベンジ喫茶店があった。すごーく遠い横断歩道を渡ってお店の前に行く
そうだそうだ、この前の通りだ。いもうとと父親と歩いていてお腹すいたから喫茶店に入ろうかっていってこの店の前で君はお金がないから食べられない、と子供じみたイジワルを言われたのだ。ちなみに妹の友達の実家なので妹は友達の親御さんに奢ってもらえるというストーリーらしい
この店で自分の金でナポリタン食ってやるぜって店の前に行った。古めかしいショーケースの下の方にミートソーススパゲティとカレーピラフっぽいサンプルがあった。うーん美味しくなさそう、あんまり食べたくないかも。でもいままで続いてるんだから、食べたら美味しいのかも。お店の雰囲気がすごくいいとかなんとか考えて入り口を見たら、まだ営業前でした。まだまだ時間あるじゃん、なんだよまじかよ、もういいや。
結局リベンジはかませなかったけど、なんだか満足した。達成感?
あらためてこの街に来てみて思ったのは小せぇという事。子供の頃の自分にとってあ駅前のパチンコ屋はとても大きく広い大人の遊び場だったけど今日見たらとても小さい狭い場所だった。他の場所もそう。
かつてこの場所はほぼ世界のすべてで広く力をもったところだった。
でも高層ビルもマンションも商業施設も多く国内外から色んな人がくるところにいるいまの自分から見ると、この場所はなんミニマムで閉ざされたところなんだろうと思う。
きっと大して変わってなくて、むしろ住み心地は良くなってて、住むには好感度の高い地域なんだと思う。街にあるお店やマンションの数なんかでそう思う。
住んでた家も見てきたけど、こうしてきて見るのは自分にとっては結講いい。
その当時にどれだけ自分が悩んでいたことがどんだけ狭い世界で起こっていたことか実感できたしいまはそこに自分はいないことも実感できた。ついでに思い出したネガテイブな記憶は消し去れないけど、その場所で思い出すことで捉え方を変えられたり、相手がやったことを「これはないよなー」と感じられた
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manoellao · 7 years
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お休みの日にたこ焼き買ってきてお家で食べた。 皿にのせたらカフェ風になってアガったわ
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manoellao · 7 years
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マルタに住んでた時は大抵どこからでも海が見えた。大きな岩山のやうなこの国は内に向けて坂になっている。海沿いのタワーロードは毎日のように歩いていて潮が高い時には波飛沫で道路も自分もびちょびちょだ。
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