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It's water under the bridge.
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ny diary.
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myaochi · 8 years ago
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11.23.2017
なぜか、肌が白いね、と言われることはまあまあ多かったんだが、まあそれは幼少期からの徹底したUVケアというより、新潟生まれの母の遺伝と、ただ単に根暗である、そして用事がないと昼間外に行かないという引きこもり体質故に日焼けしなかった、という可能性が高く、むしろ、肌が白いというよりは顔色が悪いのでは、、と、私自身もよく分かっていないところはある。
しかしまあ、紫外線は肌に良くないということももちろん存じ上げているので、8個上なのに肌がツルツルのお姉さんの助言もあり、いつ何時も外出するときは日焼け止めだけは塗るようにしている。
ニベアの水っぽい日焼け止めは本当に愛用させてもらっている。塗ってる感じがしなくてとてもよい。
そもそも、ニューヨークにきて、ファンデーションをしなくなった。だから日焼け止めとマスカラだけしてお外に出ることが多かった。
それでも、まあ、間も無く日本に帰国するということもあり、いい歳してちゃんとメイクもせず外出するのはいささかルール違反かなと思い、数ヶ月前にRMSデビューを果たした。
RMSは本当に肌に負担がないらしく、時折出来る吹き出物に対してもファンデをしているからと言って悪化することもなく、つけ心地もよい。
なんせ、メイク道具って可愛くて好きだし、念入りに化粧すると気持ちもしゃんとする。誰にみられる訳でもないが、私自身のモチベーションになる。
私は気にいるとそればっかり使う傾向にあるので、ファンデのブラシはもちろんのこと、イルミナイザー、マスターミクサー、アイシャドウ、シャドウブラシ、リップ、そしてパウダーまでも揃えてしまった。収集癖である。
まあでも、顔色悪い私はチークが必須なのだが、それは以前から気に入ってるYSLとジルのやつを気分によって使い分けたりしている。
中途半端な収集癖でもある。
でも待て、確かに化粧品は気に入ったのを揃えてみた。しかし、スキンケアはどうだ。ふとしたきっかけで購入したシャネルのメイク落とし、洗顔、化粧水、アイクリーム以外は特にスペシャルケア的なものはない。日本製のパックを日本食スーパーで買うくらいだ。
美容液的なもの、使ってみようかな、なんて思って調べていたら、今更キールズに目をつけたわけだ。
気になったものは徹底的に調べる。こういうのを勉強に活かせたら私はもっと頭が良くなってたかもしれない。
そして、色々見比べた結果、キールズの昼用と夜用のオイル美容液を購入してみた。よい。これはよいぞ。においもよい。昼間の美容液はレモングラスみたいな匂いがして、夜のはラベンダーみたいな匂いがする。癒される。
これでNYの乾燥にも勝てる!そう思った矢先、衝撃の事実が発覚した。
それは、スキンケアをするにあたっての順番について。
通常スキンケアは、洗顔→化粧水→美容液→乳液→クリームという順番で行うと、美容液の成分を油分を含む乳液やらクリームで閉じ込めることができて効果的らしい。
私はこんなに長く生きてるにもかかわらず、この事実をこの間知った。恥ずかしい。中学の頃からドラッグストアが大好きでお小遣いで化粧品やら美容用品を買い漁っていたくせに、そんな基礎的なことも知らなかったなんて。本当に、何してたんだ今まで。
ということで、ここで、もう一つ衝撃の事実に気付いた。うちには乳液が存在しなかった。まあ厳密にいうと、一つで全部まかなえる系のジェルクリームがあったのだが、いかんせん気に入ったものを揃えたい人なので、そこでまあ、キールズで乳液も購入してみたわけだ。収まらない収集癖。
よく分からないけどついでにシャンプーとコンディショナーも買っていた。これは無意識のうちである。こわい。
なんにせよ、これでもう大丈夫である。乾燥にも負けないし、とてもいい美溶液も閉じ込めておける。
ちなみに、昼間化粧する前はYSLの下地にもなる乳液みたいなので、夜だけキールズの乳液で、という具合で使い分けている。
(YSLのは軽い付け心地で、キールズのはこってりした乳液なので、使い分けるにはちょうどよかった。)
よく考えると私が使ってるものは、RMS、シャネル、YSL、キールズ、ジルスチュアートと、バラバラである。どうした収集癖。
まあでも私に合ってるものを組み合わせるのも大切であろう。
加齢による肌へのダメージは今のところ特にないが、まあ、対策しておくに越したことないな。
しわは怖いので、つるつるのババアになるためにも、出来ることは今からしておきたいと、切実に思うので合った。
しかもこれもこの間知ったんだけど、RMSもキールズも、NY発祥だったんだね。今、私の住んでるとこじゃん。今まで知らなかったよ。もっと早く知っておけばよかったよ。。
無知は本当に怖いな。いつまでもいろんな情報についていけるようにしっかりアンテナを張っていなければと、こちらも切に思うので合った。
ところで、たまにこうやって、美容品に惜しみなく金銭を注ぎ込んでいるのを見ると男性から、女の人はお金がかかって大変だね、とか、気をつけることが沢山あって大変だね、とか、メイクする時間とか計算して起きなきゃいけないからうんぬんかんぬん、と言われることがある。
何を言っていらっしゃる、これが楽しくて生きてるんじゃないか。
自己投資と思っている。勉強と同じで。
どれがいいのかな、自分に合うのかな、とか、人体実験(?)したり、新しい化粧品買っていつもと違う気持ちになったりできる。非常に楽しい。
綺麗でいたいと思い、自分に惜しみなくお金をかけること、これは大人になった今だからできることだ。だから大人の女の人は最高であると思う。
若い時は若いだけでなんか可愛いからいいんだ。でももう若くはないから、自分の力で外部から色々取り込んで、若さとは違った美しさを保持したいと思うわけで。
年齢や外見で差別されることももちろんあると思う。男の人からオバさんと言われることもあるんだと思う。更に、若い子からあのおばさん、とか言われることもそのうちあるんだと思う。まあ仕方ない、そういうのは。
だが、自分自身のケアについて大変だとか面倒だとか思ったことは一度もない。女であることに面倒であると思う瞬間は月に一度訪れる血祭りの時のみである。あれはキツイ。あれは本当にやってられない。
しかしその痛みやなにかを差し置いても、やっぱり女の人っていい。若い人には若い人の、年取ったら取った人の、違った魅力があるんだと思う。むしろ、年取ってからが勝負みたいなとこすらあるなと思った。
勢いとノリだけでやっていけなくなるからな。
実力勝負ってことだな。
私は、男の人に守ってもらうんでなく、男の人を守れるくらい強い女になりたい。フ��ジカル的にではなく、メンタリティ的に。
美しく自立した強い女、これが私の理想である。
そんなことに思いを馳せながら今日も顔に様々なものを塗りたくってみるサンクスギビングの夜なのであった。
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myaochi · 8 years ago
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8.23.2017
電車に閉じ��められた。
正確にいうとマンハッタンに向かう電車の中、多分ちょうどイーストリバーの下で止まった。 電波もない、冷房は寒い、ちゃんとレッスンに間に合うように家を出たにも関わらず、もう40分以上待っているので、レッスンにも間に合わなかった。(例えば5分や10分遅れてレッスンが始まってるのに教室に入るのが嫌いなのでそういうときは別の日に振替をする) さてさて、どうする。なんで動かないのかも分からない。とりあえず寒いのでレッスン用のレギンスを手にはめている。ださいけど、半袖なので腕が鳥肌だらけになり体の芯まで冷える方が問題だ。 そうこうしてるうちにノロノロと発信して今、とりあえずマンハッタンにある駅にはついた。この線は調子が悪そうなので違う線に乗り換えるか。やれやれ。 予定が狂うと確かに調子も狂うのだが、いちいちイライラしなくなった。こっちではよくある。
そういえば、今のバレエの学校に行く前の語学学校を転校するのに当たって、学校にExit testを受けに行ったとき。 パソコン室みたいなところでパソコンに向かってやるテストで、これは私が最も嫌いなやつであった。 テストは紙だろうが。 まあ、時代は進んでるんですかね。
テスト自体は文法、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングの進めて行くのだが、リーディングのあたりで人がわらわらとパソコン室に入って来て、何かと思ったら私ともう1人テストしてる人を無視して授業をし出した。しかも、スクリーンに映画を投影して見てる。関係ないアラブ映画の音声がやたら入ってくるので、これはもう、私は集中出来ないことか決定した。 まあまだ、リーディングなどはいいとして、問題はリスニングと、あとはスピーキング、これが鬼門であった。 リーディングはやたらイヤホンを耳に押し当てて聞き取る努力をしなければならなかったし、 ましてやスピーキングなんてパソコンについたマイクに話しかけるタイプのものなので、みなさん周りで黙って映画を見てる中、1人喋るわけには…でも、何か言わなければ…ということで結局ぶつぶつと囁くように発言するしかなく、しかも、メモ取ってもいいというセクションでも、部屋が映画のため暗くなっているし、メモも取れないのでなんかもうアレだった。 別にどこかに出すテストでもなんでもないからいいんだろうけど、見たらテストしてるって分かるだろうに、全くやってくれるよな。 でも、お気に入りの先生に会えて最後にちょっとお話しできたからよかった。あなたは私のお気に入りの先生だよと言った。偉そう。笑 小さなことに怒ったって、仕方ない。 ムカつくことも多々あるけど、そういうとき日本の良さを感じるけど、でも日本ではその気遣いが当たり前とされてて、気を使うだけ消耗することもある。
そう言った点では幾分か楽だ。 例えばレッスン着でフラフラしてても、ブラトップにレギンスみたいな格好でウロウロしてる人も沢山いるからそんなに気にもならないし。寒くないの?電車で寒くないの?とはおもうけど。
次の予定まで時間があるので可愛い服でも探しに行くかなあ。 ブルックリンに行きたい店があるけどそこまで行く には時間が足りないしなあ。
本当やれやれだわ。笑
こんなやれやれもこっちにいるならではの醍醐味かしらね。
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myaochi · 8 years ago
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5.24.2017
見慣れなかった2017という年号に慣れた頃、私はまたひとつ、年齢を重ねる。 こちらで過ごす、3回目の誕生日。アメリカに来て25になり、26になり、27になった。 なんと。 節目節目でいつも、自分の人生を思い返すが、27になった今でさえ、まだやるべきことが残されているように感じるし、確かに日本に帰ったらもう若くもない、微妙な年齢ではあるが、それでも私は変化するために色んなことに取り組んで、挑戦し続けようと思う。変化が多い方がいい。疲れるけど、消耗するけど。でも、その方が私はいい。
私は1年かけて一つ歳をとることに対しての準備をするので、去年の今からまあ、27になる覚悟をしてきたものの、自分の年齢の数字を見ると怯むようになってきた。中身��実年齢が追いついているのかという疑問に対しての怯み。 来年は28である。きっと28になる頃は27なんて若いと思っているんであろう。今、過ぎ去りし昨日の26歳をすごく若く感じるように。 若いことはいいことだ。未来も希望もある。 でも、歳をとるのもいいことだ。経験と知識とが蓄積されて行く。身体は衰えるのかもしれない、でも私は今現在もあまり体の衰えは感じていないし、特に目立った変化はない、まあ、強いて言えば20の頃よりは無茶しなくなったくらい。笑 思い込みは大事で、私はいい歳だけど、フィジカル的には若い気もする。というか、変わらないと思っている。26過ぎたら体重落ちなくなるとかも聞いたけど、ぐんぐん落ちたしな。笑 無理はしちゃいけないし、身の程を知らないといけないけど、自分で自分を卑下する必要はないんじゃないか。世の中の風潮や評価に沿って年をとったからといって女が自粛しなきゃいけないなんてこともないだろう。 年をとってたってびっくりするくらい美しい人やかっこいい佇まいの人はいるじゃないか。私はそうなりたい。そうなれるように、昔から少しの努力を続けてきた。塵も積もれば山となる、ですよ。
そう言えば祖父も同じ五月生まれで、先日、誕生日であったので、国際電話をしたら、祖母が出た。 えらい喜んで、元気でいてね、早く帰ってきてね、おじいちゃんに変わるね、と矢継ぎ早に言って祖父に変わった。祖父はよくかけてきてくれた、よく覚えててくれた、ありがとう、って何度も言ってた。 声で元気そうなのが分かった。安心したし嬉しかった。生まれてこの方、2年も祖父と祖母の顔を見なかったことなんてなかったから、会わない間の2人のことが心配だったけど、あの人たちは尚も変わらず元気に私の帰りを待っているようで、祖父なんて電話の切り際に、サンキューベリーマッチ!と英語で私におどけていうくらいのユーモアを言える余裕さえあって、本当になにがあっても長生きしてくれ、ていうか、貴方達の孫でよかったと心から思うのであった。
いやはや、両親とこれだけ顔を合わせないのも生まれてこの方なかったのだが、まああの2人は大丈夫。仲良くやってることだろう。それに、両親とはまあまあ連絡を取っているからね。妹とも。 家族っていいな。家族は最高だよ。私の居場所だし。この人たちのおかげで私は強く生きられる。頭が上がらない。 まあもうちょっとパパに似て鼻が高ければよかったとか軽く文句はあるけど、この人たちの娘でよかった。離れてわかることがたくさんあった。だからこそ私には自立というステップが必要だったんだろう。今一番したいことは親孝行だしな。
こうやって思えるようになったことが、何より、自分がオトナになったと実感する瞬間であった。 自己の幸せより、誰か、大切な人の幸せを。 自分だけじゃなく、周りのことを。 歳をとる度、どんどん優しい人に、余裕がある人になりたいな。
そんなわけで来週、Cancunに旅行に行ってきます。 ちょっと遅いけど誕生日旅行。 自分で贅沢できるってのはやっぱりいい。 オトナは最高だな。
と、思っていたら事件が発生してよ。 出発の1週間前に、私が乗る行きの便が勝手に変更されてて(航空券は2ヶ月くらい前に購入してて、元々、夜中に出発して、1回乗り換えて1時間くらい待って、Cancunに午前中に到着というフライトだったところを、前日の昼過ぎに出て、1回乗り換えて15時間待ってCancun午後到着という冗談も程々にしなね?的な謎のフライトになっていた)しかも航空券買った代理店から連絡がこなくて、私がそれを知ったのは、ホテルとかを予約するのに介した旅行代理店からだったの。 旅行代理店の人が気付いてくれなかったら私はどうなっていたのか…くるはずのない飛行機を永遠に待つ、遭難した人みたいになるところだったろうか…と想像してぞっとしたのだけど。 アメリカあるあるなんでしょうね。本当に信じられないね☺️
まあ、そんなわけで、15時間も待てるかよと思い、行きのフライトをキャンセル→代わりの飛行機を探しまくる→いいの見つけた→買う→システムエラーで買えない→これを三回繰り返したのち確認のメールを待ったり問い合わせたりしながら2日経過→出発日が近付くにつれて航空券の値段あがりまくる→結局倍くらい払って行きのチケットを購入(イマココ)
ふざけてる☺️一体どういう騒ぎだよ☺️2ヶ月前にとった私の飛行機どこ行ったんだよ☺️くっそ☺️そもそももっと英語話せたら問い合わせのとき強気でいけるのに☺️悔しい☺️勉強する…☺️ まあなんにせよ対応力不足、語学不足、注意不足、想定不足というところですかね、やれやれだよ☺️
日本のサービスのように何事もなく当日まで行くと思ったら大間違いなのね。笑 まあ今回は良くないケースにぶちあたったのかもしれないけど、これも勉強かね。
そんなわけで楽しみにしてた旅行前にこんなことがあり、ちょっと行く気をなくしつつあるものの、まあもうチケットもホテルも何から何まで手配したし、まあ、あと数日、気分が戻るのを待とうかな、と。 多分、大好きな飛行機に乗れば機嫌は治るから大丈夫だけどね。 自分で全部やるって大変ね。
余裕が必要だ。余裕って大事だよな。もはや余裕が全てな気すらしてくる。 なのでまあ、私もまずはリゾート地にて私もオトナのヨユウを体験してくるね。←?
🙌
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myaochi · 8 years ago
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2.9.2017
またあっという間に2月になった。 私はいつも2月9日になるとあることを思い出す。それは大学受験の時だ。第一志望の学校の受験日が2月9日だった。落ちたけど。笑 でも、だからこそ覚えているのかもしれない。悔しかったから。すごく、悔しかったから。悔しさはバネになりますからね。あれをバネにできてるのかどうかは未だ謎だけど。
SNSから少し距離を取る生活をしてると、何でもかんでも呟くのが当たり前だったあの頃とはちょっと違った感じになって、でも、言葉のアウトプット量が減ったりはして、それは良くないなと思ったり、でもSNSに張り付く生活は嫌で。でも私は文字を書くのがすきだから、本当は幾つか文章が溜まってるんだけどね。 その時思ったことをつらつら書いているだけだからとりあえず読み返したり、修正したりしないと公開できないような代物だけど、まだ。 今年は多めに更新していけたらいいなと思います。日記を。
それに私は今、東京のみんなと離れて暮らしてるんだから、やっぱりこういうところでちゃんと文字を残さないといけないね。
なのでまあ、最近思ったことを書いてみるよ。今日は雪だからね。学校や会社がお休みになるレベルの雪らしいからね。
こう、異国で生きてると、状況適応能力というか柔軟性というものがどうしても必要になってきて、なので頭が硬いと色々苦労することもあるんだけどね、私は拒否もしなければ、特に受け入れもしないから、ある意味頭が硬いのかもしれないな。
だから、よくこちらにきた日本人がアメリカは最高!日本は微妙!みたいになって彼らの感性を謳歌させてる(またはパリピ化してる)姿を見ると正直羨ましいと思う。私はこちらに来てからずっと日本は最高!アメリカは微妙!としか思わないから。 ないものねだりなんだろうか。でも私、生きていく上で本当に大切なものって信頼できる人間とおいしいご飯だと思う。
こっちより日本の方が信頼できる人も美味しいご飯も圧倒的に多い。しかも、毎日食べても飽きないやつ。 こっちのご飯って二日と同じもの食べたいと思わないんだよね。そもそも、私はパンじゃなくてご飯派だしね。なんでアメリカに来たよ?ってね。笑 まあ、アメリカに来てもうすぐ2年になるけど、その間で徐々に 食が合わない→変なもの食べるくらいなら食べない→ガリになる→免疫落ちる→風邪引く→また食欲なくなる→ゼリー食べる→またガリになる→ひどい風邪を引く→さらにガリになる→免疫が皆無→DEAD というサイクルが出来上がってて、多分このサイクルの合間の免疫が皆無あたりで私、なんとインフルエンザになりまして、平熱が35.4のくせに39.4という記録を叩き出して、しかも熱が1日半ほど下がらないという鬼畜な展開を見せ多分脳細胞とか少しなくなったんじゃないかなと。 次の日電話で人と話したのだけど、私の言葉がこんがらがっててちょっと何言ってるか分からなかったんじゃないかなと。私も自分が何言ってるか分からなかったんだ。ごめんなさい。。
ちなみに人生で初めてタミフル飲んだよ。タミフルでは特に変な感覚にはならなかったよ。笑 もう高熱ですでにバグってたからよくわからないんだけどね。
話戻るけど、日本にあるご飯屋さんは、多分他の国の料理でも全部日本風の味に少し整ってるんだと思う。だから私も食べれた。すんなり。おいしく。だが、こっちに来て美味しげなお店に行ってみても、これなんのソース?え、この葉っぱいる?このスープ何…いや…変な味する…みたいなことになって食が進まないったらありゃしない。(そんな私でもここは美味しい!素敵!と思ったお店もあるので後々ご紹介します。)それが恐怖で自炊しまくるようになったからいいのかもしれないけど。 挙句スイーツにはまってパウンドケーキ、ドーナツ、カップケーキ、なんか他にも色々作った。こっちのキッチンには大きなオーブンが付いていて、それで焼き物ができるから少し楽しかったりするよ。
アメリカに来て私が好きになったものといえば、ローオイスターと、シュリンプカクテル。← あと、ステーキは食べれるよもちろん。おにくおいしい。おにくはさいこう。 まあでも、私のそもそもの食に関するモチベーションの問題でもあるかもしれない。 日本にいたときはとにかく痩せなくてはというか、痩せてる=かわいいみたいに思ってたからとにかくもうデブになることを恐れていたけれども、あの頃考えてたデブというのは別にデブではなくてだな。いやはや、もう固定概念がぶち壊れてたんだろうと思う。今や、健康な身体=かわいいだと思う。別にそういうかわいいはいいわ。私はなんかもうちょっと生命力溢れるかわいいがいいわ。ガリになって気付いたけどこれはもう生きるか死ぬか的なものしかなくてかわいいもクソもない。不健康って全然可愛くないよね。 貞子も実は可愛いのかも?みたいなオカルト的な可愛さしかないよもうこのガリ界には。なんの話?しかもおかげさまで私は鶏ガラ扱いですよ。お化けでもなんでもない、鶏ガラですよ。つら。
今年はもう少しお肉をつけることが目標。私がどれほどの体重減少を見せたかというと、病院で手首に巻いて血圧測る機械でエラーになるくらい。笑 いつも行く病院のお医者さんに、ワリバシって言われたよ。ワリバシて。 痩せて良かったことはパンツのサイズが落ちたことだけど、それ別に落とす必要あったかというとないから、いいことではないかな。笑
なんにせよ、インフルエンザ治ってきて良かった。日本でも流行ってるって聞いたから、本当に気をつけてね。本当につらいから誰もかからないでほしい。笑
料理ばっかりして、何しに来たんだって感じではあるけど、ま、このまま引き続き花嫁修業はしておこうと思います。いつか必要になるかもしれないし、ならないかもしれない。 もう少し勉強もしないとな。全回復したらたくさん食べて、たくさん動いてアグレッシブになりたい今日この頃でした。健康は最高。
ほなね。
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myaochi · 9 years ago
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2016.3.6
明けまして、おめでとう御座います。
と、一言もSNSにつぶやかないまま、早、3ヶ月が経過した。大変遅ればせながら、みなさま本年も宜しくお願い致します。
さて。 2015年、変化に変化を重ねたせいか、自分の感覚が麻痺したせいか、それともほんとに足踏みしてただけだったのか、後半戦は滞りが見られた私の人生も、やはり新年になると気持ちがおにゅうになって、さて今年のプランはどうしようか、などと年末の不運のことなど頭の片隅にはもうなく、ただ、嫌なことは去年終わらせましたので、というポジティブシンキングに戻るので本当に都合のいい脳みそである。
しかし困ったことに、今年に入って時間が過ぎるスピードがやけに早い。 本当にこの前まで年始だったのに、という気分。(なのでこうして三ヶ月も経った今年始の話をしている次第。) おいおい、来月はもう渡米して一年になってしまうぞ、とまた私はいつもの焦燥感と戦う。でも、どんなに焦燥感と戦ったって時間は止められない。皮肉だね。
去年、今のお家に引っ越してから週末は大抵自炊をしていて、着々とレパートリーを増やし、料理の手際を良くしているので、一人暮らしという名の花嫁修業だなと勝手に思っている。 ちなみに得意料理はロールキャベツ。好きすぎて三種類作られるようになった。スタンダードのコンソメ風、チーズを挟んでミルクで煮るやつ、あとはトマト缶を使ったやつ。早く実家に帰って家族に披露したい。いろんなものを作れるようになるのは楽しいし、美味しいご飯を食べることはとても幸せなことだ。私は将来、ママのご飯が一番美味しい、と言ってもらえるような母親になることが目標なのだ。早めに準備しておいて損はないだろう。もう25ですし。(というか、再来月26だ。)
そして今年、私にとっての大きな変化が一つ。それは、ペットを飼ったこと。なんと、生まれて初めてのペットである。 ジャンガリアンハムスターの男の子で、名前はおもち。間抜けな名前の通りよく食べるおばかねずみであるが、これがまたかわいい。 多分待ってないんだろうけど、私が帰ると音で巣から寝ぼけた顔して出てきたり、エサにがっつくところもまたなんともかわいい。 家で待ってるペットがいるとなぜか早く帰らなければいけない気がしてくるのでこれは多分赤ちゃんが生まれたばかりの旦那さんの気持ちに近いのかしら、と思ったり。 ふわふわであったかい生き物というのは、殺伐とした日常の中で、本当に癒しになる。 おもちに長生きしてもらうためにも、見守る愛情を育もうと思う。(ハムスターは触りすぎるのもストレスになるようなので。) そして今年に入って私はとある大きな決断を二つした。 ああ、腹くくるかあ、という感じであった。また整い次第、ご報告出来たらと思います。でもこれは、私史上最大の挑戦。なんだかなあ。不安と期待の入り混じったこの感じって、自分の殻をぶち破るみたいで凄く好きなんだけれど、まあ、人生最大の挑戦というだけあり生半可な気持ちでは成し遂げられないだろうことは分かるので、覚悟したいと思う。 私の座右の銘は、何か捨てることが出来ない人は何も変えることは出来ない、という言葉なので、簡単に言えば、甘い環境を捨てたということ。私は大分愚か者なので、放っておくとぬくぬくしてしまうし、いちいちタイミングを見て自分を鼓舞しなければならない。みんなも、そうなのかな。自分を鼓舞しなくたって、壁壊せる人はいるよね。私はそういう人になりたいな。
何かな。人間というのは結局一人きりでは成長出来なくて、色んな人と関わり合うことで色んな自分を見付け、新しい感情を知り、また原点回帰して、なんて行ったり来たりするものなのかもしれない。 傷付けたり傷付けられたり、そんなことも長い人生の中で見ればほんの些細なことに過ぎないけど、当事者でいるうちはその苦しさにのたうち回ったりして。 それでも思うわけだ、私の選��だ職業というのは、どんな感情も経験も、すべて芸の肥やしにしてしまえばいい。 逆に言えば芸の肥やしになるくらいまでに、達観というか、物事を昇華しなければならないわけなのだが。
何かの本で読んだのだけど、誰かにとって"消えて欲しい"人でも、それと同時に他の誰かにとっては"存在していて欲しい”人であり、 誰かのポジションを羨むことがあるように、きっと、そんな誰かの今のポジションを羨む人がいる、のかもしれない。 私には、タバコの煙は青く見えるけど、紫煙、と世が言うように、世の大半の人は紫に見えているのかもしれない。それとも、ただの白か。
何が正しくて何が間違いなのか。何が美しくて何が醜いのか。どれが青で、どれが赤なのか。そんな指標は当たり前��ゃなくて本当は曖昧で、見る人の眼が違えば見え方も微妙に違う。ちょうど、2年前の3月、恩師の舞台に出てそんなトピックについて考えさせられた。そんなことを私は今もまたふと考えている。やっぱり、進んでは止まって、周りの景色を見て、また走って、歩いて、止まって、また走って。そんなことの繰り返し。毎日毎日、誰にも同じ時間は流れているのに、どうしてこうも、違うのだろう。
失われゆくものと、変わらないもの。そして、新たに浮上する何か。気が付けばもうこんなに生きてしまっていた。めくるめく変化する自分に、置いてけぼりになる過去の自分。時間は止まってくれない。だから私も止まれない。後ろに行ってしまったことに想いを馳せたりもしない。過去には愛おしいと思った記憶さえ、それが終わり、その後3日あれば思い出したりもしなくなる。 昔はうじうじしていた。だけど、そんな自分が格好悪くて嫌で、だから、切り替えを早くしたいと思った。私は切り替えが早い、と思い込むことにした。そうしたらいつの間にか後腐れない性格になっていた。変われるんだなあ、と思った。変わって仕舞えば前の自分なんて、それができなかった頃のことなんて、思い出せなくなってしまう。
異国というのは、ある意味で生きやすい場所だった。帰りたくなくなる気持ちがなんとなく、分かる。 でも、私はいずれ、帰らなくてはならない。戦う国は、きっと母国なのだ。 それに、私は母国に置いてきたものがあまりにも多すぎる。きっとそれを全て捨てることは到底できない。なぜなら、それらや彼らが、私という人間を形成しているから。
一から何かを作り直すことは、きっとそんなに難しいことではない。一から何かを作っているようで、私の基盤にはきっと彼女たちや彼らが存在している。だからきっと、一からではない。きっと、地球のどこへ行っても、一から、なんてことはないのだ。どんなに知らないひとばかりの国に行っても、言葉が通じなくても、私の心の中で、私は支えられてる。例えすぐに会えなくても。例え、地球の裏側にいても。
距離によって明確になるものがたくさんある、と何度か述べているけれど、距離があっても変わらないものも、本当に沢山あった。私は彼女たちや、彼らに助けられている。母国を離れ、もうすぐ1年経つ今も。時差なんて関係なく連絡を取り、会いたいと言ってくれる。私だって君達にとても会いたい。私の大切な人たち。
今まで生きてきて、なにが誇れるって、私はひとより長けているところなんて、特にないように思うけれど、私が誇れるものは、自分の周りにいてくれている人々、なのではないだろうか。私に自慢された相手がどんな風に思うかなんてわからないけど、そういうのではなく、ただ私は心から、彼女たちや彼らを、誇りに思う。それだけだ。でも、それが、きっと人として生きることの、幸せなのではないかとも思う。 お金や名誉なんていう、見せかけのものより、精神的な幸福が、愚かな人間にとっての一番の至福だ、といいつつ、私は自己の生活を、そして自分の家族を守るために、きっと働くことをやめないし、自己の願望を叶えるために精進するのだと思う。動き続けないと死んでしまう魚みたいに。
これから産まれてくる私の息子か娘か知らないけど、私と私の愛している人の遺伝子を半分ずつ受け継いだちいさい生命には、たくさんの選択肢を与えてあげたい。私は私の子供がどんな風に生きてくれるのか、すごく楽しみなのだ。身篭った訳ではないし、まだ結婚だってしていないけど、暴れまわって生きて欲しいと思う。思う存分。私はその子の自由に責任を持てる親でありたい。私の両親が、そうであったように。 25の後半にもなるとこんなことを考えてしまうのだ。そういった面だけで言えばオトナになったのかもしれないし、なってないかもしれない。笑
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myaochi · 10 years ago
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2015.12.1
Twitterには少し書いたけれど。 母国日本から出たことで、あんなにも他人事だった例えば、殺人とか強姦とか、そういうことがぐっと身近になって(でも日本で聞かされていたよりもアメリカはずっと安全に私は思う) 挙げ句の果てには、テロが隣り合わせという現実に、やっぱりまだ着いていけないでいる自分を目の当たりにして、これが平和ボケというやつかと半ば絶望を覚える。 昨年の今と比べ、次の年に期待する気持ちは僅かに減り、だけど私の中では大きな変化がもうこれはこれは沢山起こった。 未熟な自分自身の思考や行動を見直すことが出来たのは環境を変えたからこそ気付けた大きな収穫だったし、 こちらにきてしか感じられなかったであろう様々な感情があったことを嫌でも痛感はしているので、そういう面でいうならば、少しは成長したのかもしれない。 1年、というスパンで自分を見つめ直したとき、前年とどれくらいの飛躍が見られるのだろうか。 果たして海外に来たことで停滞はしていないか。 私はこちらに来るに当たって自分の仕事を休んできているわけで、そういった仕事面で考えると前に進んでいるとは言い難い。 ただ生活しているだけの毎日に、またお馴染みの焦りにも似た感情で日々を過ごしている。 人間的な経験値で言えば停滞しているか、亀のような歩みでありながらも前に進んでいるのか、どちらかのような気がする。 どうも、走り抜けるようには毎日生きていない。そのような実感がない。 しかし、それはこの街自体が常に高速で動いていて、エネルギーに満ちているから、らしい。 さすが世界の中心、私が日本で生きてたスピードなんて停滞も同然だったということか。 全力疾走していたつもりだったのに、世界規模でみたら、私の歩みなど散歩レベルだったという現実はなんとも自分の生きてきた世界の狭さを思い知ったと同時に、無知ということの怖さと愚かさをも叩き込まれたような気さえする。 ゆとり世代特有の"知らなかった"からしなかった、が本当に通用しないということも。笑 NYのことを、東京と変わらない、と私は以前言った。だけど、何かのスピードは確かに違う。不思議な街だなあと思う。ここに永住したいとかそういうのとは関係なく、来てよかったなあ、と心から思う。 そして、環境面で言えば、こちらは本当に乾燥がひどい。笑 噂には聞いていたが、本当に乾燥がひどい。あと、寒い。 干したタオルはすぐに乾くし、髪の毛もすぐに乾いてくれるからいいけれど、起きると身体がパリパリいうみたいに乾燥しているし、もともとカサカサな手がさらにカサカサになり色気もへったくれもない感じに仕上がっている。 潤いたいので、最近はやっぱりニベアを使っている。あとはこちらにきてどハマりしているFlash. 気に入ったものを人に勧めまくってるので完全にFlashの回し者状態である。 渡米予定のある友人は絶対Flashに連れて行くことにしているのであしからず。(一人目の犠牲者は我が妹、原しおりでした。) そうそう。こちらでおうちを借りた。アパートの一室。シェアハウスからの卒業。そして一番最初のお家以来のクイーンベッド。広くて快適。でもクイーンベッドを買ったらお部屋がベッドで埋まってしまった。でも大丈夫、今度の部屋はベッドルームともう一つお部屋があるので。 一人で暮らしていると、実家で暮らしていたときよりも、大切なことを決断しなければならないときというのがしばしば訪れる。 つい先日も大きな決断を別でまた一つした。 これで良かったのかしらん、と思ったりもしたけれど、今ではこれで良かったと思えている。 大きな決断をするのは、勇気がいるけれど、その分後味がいい。 自力で生きるということはまた、たくさんの人のサポートがあってこそ自己の生活が充実するのだということを考え直せる機会でもあり、 よく考えてみると、NYにきてもなお、人に恵まれているおかげで、こうやって楽しい生活を送れていることにも気付けるわけだし、本当に何に感謝したらいいかもわからないけど、ありがとう、と思う毎日である。 そして、やっぱり何でもやってみるに限るな、と思っている。 本当に、何事も経験。私はやってみていないのに、好きだとか嫌いだとか一丁前に言うタイプのオトナにはなりたくない。自分で触れてみてから、それの良し悪しをあくまで私の考えの中だけでの評価を下したい。なんとなく、それが私にとってのフェアだと思うから。 たくさんの初めてを経験した2015年も、あと1ヶ月。ということで、初心に帰ろうと思う。 いつも忘れてしまいがちな"最初"は、何度でも思い出して、その度にその時の感情に戻れたらいい。私は私の愚かさと向き合って、それとうまく付き合っていこうと思う。 来年、とてもとても楽しみなことがある。それに向けて、私も精進したい。来年だって所詮、明日の明日とかの延長で、日々の積み重ねにすぎない。だけれども、やっぱり未来には希望を持っていたい。楽しみを増やして、毎日を楽しく過ごしたい。 その方がきっと、人間として、しあわせだろう、と思う。
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myaochi · 10 years ago
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2015.8.7
Laundryの悲劇。
こっちのLaundryは大抵25¢コインを入れることで回るのだが、まず、いつも25¢コインを貯めてるお財布を家に忘れて、家に戻る羽目になった。 (Laundryに出かけるときには通常の財布を持っていかないので、本当に1¢も持っていない状態でLaundryに行ってしまっていたことになる。間抜けである。) それから、再び戻ってきていざ洗濯!と思い、洗濯機を回して25分後。 まだ泡だらけの洗濯物たちがそこにあった。 表示の窓にはErrorの文字。 聞くと、Too much soapとのこと。洗剤の入れすぎでもう一度洗い直し。 洗濯運ないな…。笑 たくさん貯めておいた25¢コインがほぼ無くなってしまった。かなしい。また溜めるからいいけれど。 そして余分に30分くらい待たなくてはならなくなった。まあ、本持って行っていたからいいけれど。 こういうことは、些細なケアレスミスに気を付けようという教訓になる。 最初は些細なケアレスミスでも、放っておくととんでもないミスを犯しかねない。最初はどんなことでも些細なものだ。確認、大切。 でもLaundryの兄さんが少し親切にしてくれたので、まあいっかとなった。 むむ、ということが起こると決まってほっこりすることがあるから、それもそれでよい。 そして終いには、見知らぬおばさんにHow to use?と聞かれたのでLaundryのやり方をレクシャーした。笑 So funny なひと時。
そうそう、最近勉強したことで、日常会話に即使える文法をちょこっと紹介しようと思う。 たまには、役に立つこと書かないと。笑
日本において未来を表す表現としてメジャーなのは「Will」であるように思うのだが、近未来、例えば週末の予定やなんやの話をするとき(Grammarの授業ではこのことをFuture planと呼ぶ)「be going to」を使う、らしい。 What are you going to do this weekend? これはいつもSpeakingのクラスで金曜日に話すトピックである。 そしてこの”going to”会話になると、gonnaと略される、らしい。(Native speaker曰く)
What are you gonna do this weekend? →I’m gonna go to Brooklyn.
Who are you gonna go with? →I’m gonna go with my friend.
みたいな。 この、gonna、映画やドラマの中でも沢山出てくるので、口語としてすごく使えるようだ。 私もよくその辺にランチにいくよ、とか、お買い物に行く予定、とか、様々なシーンで使っている。便利。 こんなの、学校で習わなかったよね?笑
あと、最近覚えたスラング。
No hell.
これは「絶対いやだ」とか「絶対ありえない」とかいう意味らしい。 まだ日常会話で使ったことはないけれど。笑
そんなわけだが、肝心の私の今週末はノープランである。 まあ相方を引き連れて、ゆっくり散歩でもするかな。 NYの夏はなんだかんだ過ごしやすい。湿気がないだけでこれほど違うのかと驚くくらい。日本に帰ったあとが心配。笑
何事もなく、どこも痛くなく、こちらでも相変わらず人に恵まれていることに感謝しよう。もうすぐ、渡米して4ヶ月。そして今年も残す所4ヶ月強。 いったい何ができるだろう。
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myaochi · 10 years ago
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2015.7.11
毎日があっという間、とは言わないまでも、やはり、瞬く間に今年も半年が過ぎ、渡米してからもうすぐ三ヶ月になる。 私はなぜかお酒が回ると英語がすらすら出てくるところがあるらしく、友達とたまたま飲みに行ったバーで女の子をナンパし友達になり、盛り上がるということをしたりしている。男の子か。笑 やはり、細かいニュアンスが伝えられなかったり、言いたいことがあるのに言えないのは悔しい。 スタートのレベルが低すぎたので、今自分に培われている英語力がなんだか大層なものに思えるときもあるが、やっぱりまだまだである。
でも最近の成長はちゃんと質問ができるようになったこと。簡単なやつだけど。会話において質問ってすごく大切。これは母国語だけ喋ってたときには当たり前に使いすぎて分からなかったこと。 学校の先生はゆっくり話してくれるから言ってることが分かるだけで、実際のところ、日常で聞く英語はもっと早いしごちゃごちゃしている。 学校のお勉強の文法は前より更にわかるようになってきた。覚えられるようにも。上のクラス行きたいんだけど先生が好きだからここにいることにしている。笑 なんでもっと中高のときちゃんとやっておかなかったんだろう、って思ったのだけれど、でも英文法って、それ単体で覚えたところでじゃあ果たしてこれをどんな場面で使うのか、というのまで把握していないと会話に反映なんて出来ないんだよね。ネイティブの人の感覚で教えて貰うことはとても私の身になっている気がする。やはりどうしても頭で考える癖が付いているからこそ。 今更だけど結局言語って頭がいい人より耳がいい人の方が先に話せるようになる気がするなあ、と思ったり。 ま、そんなこんな言っても私は今勉強が大好きなので気合を入れて文法の授業に取り組んでいるわけなんだけど、でも、お勉強も大事なんだと思う。会話してて習ったことがすらすら出てくる奇跡の瞬間がたまにあるのだけど、そのときはちょっと「やるじゃん」みたいな気分になるし、やはりなんだかんだ真剣に取り組んでると出てくるの、フレーズが。笑 そうするとまた授業がんばろうみたいになる。単純。 でも、成長っていうのはそういう小さいことの積み重ねだよね。
ま、三ヶ月目というのは節目であり、ということで気が緩んだのか酷い風邪を引いたりもしたのだけど、なんとか生き延びているので、これも経験として、今後に生かそうと思う。 本当に、健康は最高。笑 3ヶ月経った今でさえ、自分の中にいろんな変化が見受けられるので、これからもっともっと沢山のことが変わっていくのだろうと思う。 1ヶ月では分からなかったことが分かって、2ヶ月目では感じなかったことを感じて、3ヶ月目になっても、渡米してきて3日目だったあの日と変わらない感覚もあったりして。 変わっていくものと変わらないもの。 私はこっちであらゆることを吸収したかったので、日本にいたときのままのことは多分相変わらず日本の本を読んでいることだけな気がする。 新しいこの土地のいろんなものを吸収したいから、固定概念は捨てようと思った。わざわざ母国から10900㎞も離れたところにきているのだから、日本で培ったものに囚われすぎるのはもったいない。 それと同時にやはり自分は日本人であることを様々な面で痛感する。 国民性、なんて日本にいた時はとくに考えもしなかったけど、異国にいると嫌でも考えざるを得なくなる。 でもそれについて自己の意見がしっかりあることはとても大切なことで、しかも、自国に対する意見をしっかり持つというのは、一国の市民として、世界ではごく当たり前のことのようだ。 母国を離れて初めて見える母国の姿や有り難み、そして自分の家族や近しい人への感情についても、もちろん思いを馳せるべきものではあるけれど、それとは別に自分の生まれ育った国についてもっと自分なりに思考しなければいけないなと思った。 物理的な勉強も、適度に友達と遊ぶのも、たまにの観光も大切だけど、やはりこっちにきてしか感じられないことを感じそのことについて思考して、自分の意見とか方向性とかそういうものの判断基準に反映していくことが、もしかしたら一番の「変化」なのかもしれない。
ああ、プエルトリコに行きたい。バカンスがしたい。 もう少し頑張ったら旅行にでも行こうかしら。
たまにはご褒美も大切なはず。
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myaochi · 10 years ago
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2015.6.2
二度目のお引越しをして早3日目。 今回のおうちはとてもいい。なんと、Central Parkまで徒歩5分である。Times Squareまでは徒歩20分弱。徒歩で20分ってよく歩く私からしたらもはやご近所である。(なので徒歩5分なんて庭のような感覚になっている。) でもまあ引越しの���を含め、NYは珍しく連日雨なので、まだCentral Parkにお散歩にはでかけていない。のりをいただいたのでおにぎりを作ってお散歩がしたい。なので早く晴れて欲しい。でもこちらの雨はそんなに憂鬱でもない。今日だってたくさん歩いた。昨日も。傘もささずに歩いてみたり、傘をさして歩いてみたり。
そうそう、昨日は念願のMoMAに出かけた。全然時間が足りなかった。なのでまた行くことが密かに決定している。
昨日見たのはビョークという歌手の特別展。私はこれまで彼女を知らなかった。私の連れが知っていてそのブースに立ち寄った。とにかく、本当に衝撃的だった。意味がわからなかった。全く分からなかった。もちろんいい意味で。世界観がぶっとんでいすぎて、映像のブースでは開いた口が塞がらず、私も連れも相当精神力を持って行かれた。これももちろんいい意味で。凄かった。多分You Tubeなどで検索してPVをみるのとあの巨大スクリーンで見るのとでは情報量も感じ取れることも違うような気がしたので、見られてよかった。本当に疲弊したけれど、それでも。
なんの前情報もなく何か作品に触れるというのはそれこそ自分の中の価値観とか、ものの見方とかが嫌という程露呈する。他の人がそうかどうかは分からないけれど、私の場合はそうだ。 その場には似つかわしくない全然関係ないことまで考えてしまったり、その作品の表現している世界に必死に寄り添おうとしてみたり。 全然追いつけないのだけどね。 それでも、そのときに自分が感じたひとつひとつの衝撃を、言葉ではなく感覚でどこかに刻めていたらいいのに、と思う。 そのようなものを自分が表舞台に立ったときに違った形で表現に繋げられたらいいのに、と。もっと、人に届くレベルで。
ちなみにその映像ブースに長く居座りすぎて全体の半分も見られなかった、ということになる。相当魅入っていたのだろう。私も連れも同様に。笑 美術館の時間配分というのは本当に難しいですね。←
渡米して一ヶ月半が経とうとしている。 あっという間、とは感じていない。毎日を流さず、しっかり生きている感触があるから。毎日がとても刺激的、というわけでもない。私はNYに慣れてしまっているので。刺激なんていうのは自発的に動いたからといって必ずしも発生するものでもない。でも、自発的に動かないと発生しないものだ。おそらく。 人間の脳が出す電気信号のような刺激で全身の筋肉や細胞が動くように、ブレインである自己が何か行動を起こさなければ何も変わりはしない。何もかも自分次第だということを私は年下のクラスメイトに教わった。最近の年下ちゃんは恐れ多い。 仕方なかった、なんていうのは言い訳に過ぎない。仕方のないことなんてない。少なくともこうやって先進国で生きられている人々に関しては。私はそんな弱音とも諦めともつかない発言をしている暇があるのなら一つでも多くの情報を取り込めるように目の前のことに集中したい、と思った。というか、思うようになった。 所詮状況を「仕方なく」しているのは自分の判断だ。見ている世界が狭いからそうなってしまうのだそうだ。 こっちにきて、いろんなことに目が覚めた。 私が持っていた邪念は、要は、取るに足らないことであった。もう、笑ってしまうくらい、小さなこと。小さくて、些細な。 渦中にいるときはそれがとても大きいことのように感じるのに一度気づいてしまえばたいしたことなく思えるんだものね。 全力でやってみてそれでも結果が出なくて初めてそこで、仕方ないをつかおうと思う。それがいつで、なんのことで、どのタイミングかも、私には今はまだ分からないけれど。 ただただ目の前のことに必死になることがこんなにも生きていることを充実させるという事柄を、私はこの年まで知らなかったことを恥ずかしく思いすらする。 しっかし相変わらず勉強は楽しい。飽きない。まあ、一ヶ月足らずで飽きたらそれもそれでびっくりだけれど。今日もこれを書き終えたら、ゆっくりとお風呂に入って勉強をするつもり。 新しい家は広い机があるので勉強がしやすい。嬉しい。 学校までの距離も半分になったし、今日は薄手のチャコールグレーの形のきれいなジャケットを見つけたし、よい。雨ばかり降っていて寒いけれど、まあいいや。
日本では梅雨か。なんだかもう日本でのことが遠い昔のことに思える。不思議だ。
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myaochi · 10 years ago
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2015.5.5~9
学校が始まって一週間が経過した。 授業を聞いているときに「これが所有格だからそうなるのか…」という言葉がふと出てきて驚いた。覚えているわけのないと思っていた文法用語がふと私の脳裏を過ぎる、ということが学校二日目から起こったのだが、ということは、英語で言われてることを頭のなかで変換する作業が要はうまく出来てきたのかもしれない。まだまだ、だけど。まあそもそも所有格、なんて基礎過ぎるけれど。笑
初日にあんだけひーひー言ってた割に授業にも、3日目には既に慣れたのだが、ただ朝が苦手なので毎日起きるとひどく具合と顔色が悪く、ゾンビのような足取りで支度をし、ゾンビのような形相で通学している。朝の具合の悪さには中々手を焼くし、ちっとも慣れない。 でも、学校の最寄駅に着く頃にはゾンビ感は幾分かマシになっているので、まあよい。
勉強が楽しい。とにかく楽しい。路子にNYは楽しい?と聞かれ(相変わらず毎日LINEをしている。笑) NYというよりも英語の勉強が楽しいと答えた。 でも私はこの街が結構好きだと思う。なんだかんだ東京を好きだったように。そのくらいのフラットな「好き」で、要は住んでいるところに対しての愛着が湧いてきたのだと思う。観光に行ってここは魅力的だ、好きだ、と思うのとはまた違った感覚。私の中では。 そういった意味で私が好きだと思うのは、ヨーロッパの国々かもしれない。どこにもいったことがないのだけれど、私の好きそうなものがヨーロッパにはたくさんある。建築物とか、絵画とか。 そこに住もうとは思わないけど行ってみたい。興味もある。 そういう場所へ行ったときに感じる「好き」と、今私がNYに感じている「好き」は違うものだ。 前者は少し生活とは縁遠いところにあるもの、要は非現実的な場所であり、後者は生活の中にあるもので、現実的な場所。 つまり私はこの街にも慣れつつあるということなのだろう。まあ20日もいて慣れなかったら今直ぐ帰国するべきだと思うけれど。笑 もう、見知らぬ国、などとも思わないし。
分かるようになるのもできるようになるのも本当に楽しい。いつも言うけど。どんなものに対しても私は肌に合うか、肌に合わないかで判断しているのだが、そういった意味でも、私は何かを探求し、新しいことを習得するのが凄く肌に合っているのだと思う。 自分の視野を広げることは、選択肢を圧倒的に増やすことにもなるもの。
思ったよりも生活のリズムを掴むのが早く出来ているので、来月からはダンスにも通おうと思っている。もう少し早く通いたいのだが、来月引っ越すのでね。引っ越してからの方が何かとよろしいでしょうし。 いや、でも、もう来週から行ってみようかな。身体と相談する。笑
ちなみに今住んでいるところはManhattanの中でも結構北の地域なのだが、今度引っ越すところはcentral Parkの近くである。急にいいとこに引っ越すんだね、と言われた。Manhattanの中でも一番家賃が高い地域らしいが、でもどうせNYにいるのだから真ん中らへんに住もうと思った。そうしないと東京にいた時と変わらないんだもの。変えないと、生活を。常に変え続けないと。慣れるのが早いのなら自発的に変化していかないと。なんだか、自分と追いかけっこしているみたい。殻を、そして従来の自分を破り、前に前に進みたい私と、その新しいところに一刻も早く適応し何かを習得しようとする私。自分と全面戦争している。いい意味の。
でもそんな風にしているせいか今日は宇宙戦争みたいな夢を見た。笑 よく分からない新型爆弾を投下され、私は高いビルの中にいて、ああ、ここに落とされたらわたしも死ぬな、逃げられないな、どうするかな、突然変異で空でも飛べないかな、などと考えていた。海が近くにあって、遠くで次々落とされる爆弾や、海の中に沈んではまたでてきて大爆発する爆弾を見ながら花火みたいだ、と思っていた。私は死期を目の前にして意外とのんきだった。でも、大爆発を目撃する夢はいい夢らしい。←調べた。笑 なんにせよ、いい夢ならいい。
でも私は自分にとって予測していなかった何かが起こったとき、あたふたするのではなく、こいよ、くらいの気持ちで物事に挑みたいので、ああやっていわゆるピンチのときにたとえ夢の中であっても狼狽えなかったじぶんが少し微笑ましかった。現実でもそうできるようにしたいところだ。
こっちでバレエ団に入っている綺麗なお姉さんに、あなたなんかいける気がする、と言われた。私のこと全然知らなくて、根拠もなくて、だけどそうやって言ってくれるのってなんだか嬉しい。私は期待には絶対応えたいと思う人間なのでそのことばがいいモチベーションになったりする。 結局、自分にしか自分の人生をどうにかすることは出来ない。なので私は言ってもらったたくさんの嬉しいことばをバカみたいに鵜呑みにしてでも士気を高めていたい。時には休憩をしながら。
さ、今日もいいにおいに包まれてねる。明日��laundryにいこう。日曜日だし。 そして母の日。東京の母とNYの母にありがとうを伝えよう。感謝は時折ことばにするべきだと思う。本当に。時折じゃなくて、いつもの方が本当はいいのだろうけど。
おやすみ。
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myaochi · 10 years ago
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2015.5.2,3,4
お誕生日。 25歳になった。 私はGW生まれなので、日本にいる場合誕生日は100%祝日である。 つまり大概の人はお休みのため、もちろん個人的に祝ってもらえることも多かった。去年はカウントダウンをして貰った。緑色の髪の毛で魔女みたいだって言われたっけな。笑 今年は見知らぬ国(といってももう半月居るのでだんだんちょっと知ってる国と化してきたが)で、しかも初登校日。初めて母国を離れての誕生日。笑 昨日はイタリア人カメラマンさんと会い、全て英語での打ち合わせに頭をフル回転させた挙句、親友ちゃんと四時間も電話し、癒されつつも自分の思考を整理しながらさらに違う頭の中をフル回転させたために、今日はひどく眠かった。笑 学校ではまず受付してくれた日本人スタッフの人を含む四人ほどのスタッフさんに手続き中に急にHappy birthdayを歌って貰い、どんな顔で居たらいいかも分からず、でも初めての場所だからと精一杯笑顔を作り、うわあ平日誕生日ってすごい…!となった。(後で聞いたのだが、誰か一人のスタッフさんがBirthday songを絶対歌おうと言い出してくれたらしい。泣ける。) クラスでは偶然私と同じ誕生日の人が居て先生含めそのクラスの人がおめでとうって言ってくれたり、唯一の友達(陸が紹介してくれた女の子の友達。笑)さきちゃんにも偶然廊下で会って、おめでとうって言ってもらって、そのさきちゃんの友達たちにも声かけて貰って、ただただもう「平日が誕生日ってやっぱりすごい」という結論に落ち着いた。 なんか、ほっこりした。新しい感覚だった。
しかし、肝心の私と言えば。 英語の授業を英語でされるという至極当たり前な現象にまずはぽかーんとなり、Speakingはまだいいものの、問題はGrammar(文法)である。実は袴田、英文法に関しては中一で躓いている。それなのによく高校受験、大学受験を乗り切ったなと思うが、おそらく、多少の一時記憶でなんとかなっていたのではないかと今では思う。というか、なんとかなってもなかったな。笑 それはさておき、文法的知識がほぼ無なまま授業を受けるということになると、文法の説明を英語でされて、でも、メモしたいのにメモしてると肝心なところ聞き逃しかねないし、なんていうのか、目と耳と脳と手とそれから少しの過去の記憶(昔勉強したことで少しだけ覚えていること)をフル活動させなければならなく、もう午後の授業が終わる頃にはぐったりであった。 昨日カメラマンさんと話していても思ったけれど、英語を使ったり、聞き取ったりするのって物凄く体力が必要なんだね。 おおよそ何を言っているかは確かに分かる、だけど、正確に分かっているかというとそうじゃない。私に必要な語彙力はその細い言葉やニュアンスを汲み取ることまで出来るようになることなので、こんなんじゃダメだと余計集中するがあまり、昨日もそうだったけど、数時間経つと鈍い頭痛がする始末。笑 でも、勉強という意味で、脳みそをこんなに使ったのは久しぶりなので無理もない。(どちらかというと感覚で動く人だし。)今までしわのなかったところにしわが刻まれている感じ。痛いには痛いのだけれど、これは必要な痛みな気がする。成長痛、みたいな。
それから、授業中に急に音楽が流れた。誰だろうな〜とのんきにしていたら「Maoじゃない?」と先生に言われた。「Me?」と、絶対私じゃないよ、みたいな顔して確認すると、私だった。なんということだ。ていうか、なぜ。なぜ急に鳴り出した私のiPod。絶対私じゃないよ、という顔をしてしまった自分を恥じたい、と一瞬思った。登校初日に何、音楽鳴らしてんだ。 まあ、怪奇現象ということで片付けることに。都合のいい頭。ポジティブだからね、私は。
要は、自分の誕生日を謳歌するよりもこれからの自分の成し遂げたいことについて考えていたらそれどころじゃなくなったという話。笑 でも、やっぱり日本に居る方々には感謝である。時差問題のなか、こちらでいう3日のお昼くらいから続々と連絡を頂いた。SNSすごい。Internetすごい。 ところで25歳ってアラサーなんでしょう?誰なの、四捨五入を考えた人は。五捨六入にして欲しい。 誕生日は、大切な日だった。今も、もちろん大事だけど今の私には家族をはじめ、大切な人たちを思い出す日に変わったのかもしれない。普段連絡を取っていなくても、こうやってコンタクトを取ってくれる、そんな一人一人を思い出してその人たちの様々な言葉を胸に、さて、今年はどんな年にしてやろうか、と思いを巡らす。 昨日の私がしなかったこと、いや、1秒前の私が知らない私を、今年は沢山生み出して行きたいと思う。常に、感謝の気持ちだけは忘れずに。 飛躍、とはもうあえて言わない。そんなのして当たり前だ。
24歳最後の日にして、もしかしたら新しい私と出会えるかもしれない切符を手に出来たことは、大きな一歩だったのかもしれない。25歳初日の今日はまあてんやわんやしかしない1日ではあったけど、袴田まお25周年、しっかり地に足を付ける生き方にシフトチェンジをしていきます。
生活するのも、生きるのも、一人でしてみるのは確かに大変だけど、私は逆にどれだけの人のサポートがあって生きているか痛感出来たし、気付けて本当に良かったと思う。そして、楽しい。だって頑張った分だけ返ってくる。だから苦しくはない。甘えた環境に居たくない、と要は苦労しにきたくせに、壁にぶちあったとき、きゃー大変!とか、なんと…!となりはしても、次第にとめらめらしてきてしまうのは、きっとどこかで状況を楽しんでるからなんだと思う。ということはもっとやれるってことか。ふむ。
もう今まで使ったことないくらい五感の全部を使って生きよう。 毎日くたくたになろう。 大体このくたくた感に比べれば日本で3時間睡眠で生きていたときのなんて全然比じゃない。全然。あんなの余裕だった。今考えれば。笑
ルームメイトの人がケーキを買ってきてくれていた。私が食べたかったから買ってきたんだけどね、と笑いながら差し出してくれた。暖かいひとだと思った。とても美味しいチーズケーキだったのでまいふれんどがやってきたら一緒にそこに行こうと思う。場所は聞いたのでもう大丈夫。
くたくただけどいい日。くたくたはいいこと。疲れたら森口家に帰るからいい。 ああ宿題しなくては。
改めて、はじめまして、25歳。1年間よろしくね。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.30,5.1
4.30
幼稚園時代を共に過ごした幼馴染くんの実家にお邪魔するためにLong Island の方へおでかけ。(当の幼馴染くんは実家にはいないのだが。笑) LIRRという電車に乗った。Long Island Rail Road の略らしい、というか見るからにそうか。 渡米当初より幼馴染くんとそのお母さんは私のことを大層心配してくれていて、LIRRの電車の切符の買い方から乗り方、何番ホームに行けばいいかはどこに書いてあるか、何色の表示の電車でpenn stationを何分発で、最寄駅に何分に着くかというところまでレクチャーしてくれた。手厚い待遇。 本来はチケット売り場の窓口のおばさんのところで1 way切符を買うようにと言われていたのに、肝心の窓口が見付けられず券売機で買ってみたのだが、ちゃんと買えたので、めでたしであった。 にしても彼らはもう、18年もNYにいるとのこと。とんでもない年数。たまげる。
そんなこんなで時折帰国された際に幼稚園の仲が良かった面々で会うということも何回かあったのだが、最後に会ったのいつだったんだろう。 兎も角久しぶりであったことは間違いなく、私を見てお母さんは「相変わらず白くて細い」と言ってくれた。褒められて嬉しかった。しかしこうやって文字列だけみると「白くて細い」って麺みたいだ。そうめん。うどんでもいい。
袴田家と森口家は母親同士も仲が良い。しかも彼のお母さんは私の母と同じ名前である。奇遇。漢字は違うのだが、同じ読みをする。でも、こちらの道子さんはもう本当に柔らかくて可愛くて素敵な人で、路子(私の母)の方も愉快な人種ではあるが、また違った魅力を持ったお母さんである。 駅まで車で迎えに来てくださって、まおママは道路の路でミチコで、私は道路の道でミチコだから二人で道路だね、と言って笑っていた。その発想がかわいいです。
おうちは、ただただ豪邸であった。「田舎だからね」とはいうものの、田舎だとしても私が楽しくなるくらい大きかった。隣に大家さんのおうちもあった。大家さんのおうちは更に大きかった。それはそうか。笑 ちなみにプールもついていた。大家さんはそこで泳ぐのだろうか。 そしてパピヨンのそらくんがいた。この子がまたもう可愛くて。実家で動物を飼ったことがない私としては、ペットはもう新鮮さのかたまりである。突撃されたり舐められまくったりした。彼は私の靴下とジーンズのわずかな素足の部分を舐めるので、よくその隙間を見つけたなと感心したのだが、でもわんちゃんからしたらくるぶし付近は視界によく入る部位なのかもしれない、よく考えたら。
お父さんもご帰宅されて、帰るや否やスーツ姿のまま、私が来たからとわざわざ鳥の餌をバードフィーダーに設置してくれた。そこに餌を置いておくと野鳥がくるようになるらしい。でも、野鳥が来るようになるまでに(ここに餌があるんだと認識するようになるまでに)数日かかるらしい。笑 私は今日の午前中までしか滞在していなかったので、もちろん野鳥はお目にかかれなかったのだが、そのお心遣いが非常に嬉しかった。次回お邪魔したときにお目にかかれたらいいな、野鳥。
三人でご飯の時間にビールとワインを飲んで乾杯をした。NYに来て初飲酒。 Blue Moonという名前の濁ったビールを出してくれた。美味しかった。 そして何よりご飯がとても美味しかった。とにかく美味しかった。お味噌汁も出してくれた。神様。普段は小食の私も昨日ばかりはよく食べてよく飲み、たくさんおしゃべりをした。そしてよく笑った。森口家には独特の��録がいろいろあり、それがまた私のツボであった。
どういう経緯でこの国にくることになったのか、日本で一体どんなことをしていたのかなども話した。二人が結婚した経緯も聞いた。笑 二人は本当に可愛くて素敵な夫婦で、始まりは幼稚園時代のママ友のよしみであっても、私個人が大人になってもこうやって仲良くさせてもらって本当にありがたい。路子に感謝しかない。 まおちゃん、いつでも遊びにおいでね、頼ってね、と言ってくれることが、どれだけ心強いことか、この人たちは知っているんだろうか。笑 そしていざとなったら頼れるところがある、帰る場所があるということが私をどれだけ勇敢にするのかも、彼らは知っているのだろうか。笑 私には帰れる場所も見守ってくれる人も離れてもずっとそばにいる、と男前なことを言ってくれる友達もいる。遠いからこそ絆が強くなることもあるみたいだ、と半月足らずで感じれているのはいいことな気がする。
そしてなんと森口家にはお風呂が三つもあった。本当にたまげる。 久しぶりにお湯に浸かった。アメリカにも綺麗なおうちがちゃんとあるということに対して幸せな気分になった。笑 パジャマを貸してくれた。ラルフローレンだった。なんと。お風呂に入り、パジャマを着て下に降りた。道子さんがブランデーを飲んでいたので、私も頂いた。ブランデーのストレート。初めて飲んだけれど、美味しかった。後ほど喉が渇いたけれど。笑 終いには、そのパジャマあげる♡と言われた。こんないいやついただけません、といったのだが使っていないから、と。お言葉に甘えて大切に着用させていただくことにした。そして道子さんは私の中で第二の母ということで渾身のお返しをさせていただきます。
幼馴染くんの名前は陸という。陸は今年からまた医学学校に行くらしい。すごいな。笑 彼は幼稚園の時から優しかった。幼稚園時代しか共に過ごしていなかったけれど、今も相変わらず優しい。何も知らない私にNYが5つの地区に分かれているところから説明してくれたり(笑)自分の友達を紹介してくれたり。この子は全然変わらない。変わらない、というのは時に褒め言葉だ。 そしてこの子の家族も素晴らしい人たちだ。心が洗われる。 幸せな気持ちで就寝。
5.1
6時に起きてしまった。笑(予定起床時間は8時。)そらがドアをあけて、とやるのであけてあげたら突進された。この子は朝からハイテンションである。 二時間ほどベッドの中でぬくぬくしていた。本を読んだり、連絡を返したり。時差がある分、寝ているときに連絡が来ていることが多い。だから起きてからみんなからの連絡をみるのが楽しみでもある。
この日はお昼にクイーンズにある小籠包屋さんに行こうと約束していたので軽めの朝食を摂った。 それから道子さんと路子に電話をした。(ややこしい。笑) 路子も森口家がこちらに居ることで幾分か安心していたようだ。 そして私は幼稚園の頃から女の子よりも男の子と遊んでいたらしいことをこの時知らされた。高校くらいからそうなのかと思っていたが、違ったようだ。 優しい陸と、ワガママな私。笑 本当に小さい頃しか一緒に居なくても、小さいころ共に過ごした人たちというのは妙な安心感と繋がりを覚えるものだね。 家族も最初から家族なのではなく、少しずつ家族になっていくのかもしれないなとふと思ったりもした。
1時間ほど電話をし、支度をして小籠包を食べに出かけた。こちらの高速はお金がかからない。橋やトンネルにはお金がかかるらしい。面白いね。 小籠包も、凄く美味しかった。昨日から美味しいものしか食べていない。至福。もうこれでしばらく生きていかれる、そう思った。← 今度は陸が好きな違う小籠包のお店に行ってみようね、と言ってくれた。うれしい。私は道子さんが大好きである。もちろん、路子も。
電車に乗ってManhattanに向かうとき、段々と見えてくる高層ビル群を眺めて、ああ、帰ってきたなあ、頑張るかあ、という気分になった。不思議。これは私が新潟から東京に向かう新幹線の中でいつも思うことなので。 私の中で、高層ビル群=頑張るところ という認識になっている可能性もあるが。笑 でも、新潟に帰っても、帰ってきたなあという気分になる。 ニュアンスは違くてもどちらも私の帰る場所なのだろう。
リフレッシュできた。沢山いろんな経験をして、癒されたくなったら森口家のみなさまに会いに行こう。第二のおうち
着々と馴染んでいる、ような気がする。春にしてはまだ肌寒い気温だけれど、花が沢山咲いている。私は木蓮が好きみたいだ。
考えることも、考えてる事柄も、私の頭に浮かぶ文字も全て、英語に変換出来たら、そうしたら、今までと違ったものの考え方になるんだろうか。それとも、言語なんて所詮出力に過ぎず、考えてる事柄自体に言語の違いは影響しないのだろうか。 考え方の相違は「国柄」の違いなのか、それとも周りにいる人間の相対値によるものなのだろうか。
はて。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.27,28,29
ご飯ばかり作っている。 昨日作ったものをアレンジしてみたり。料理はやっぱり楽しい。
大学生時代が世でいう「人生の夏休み」だったことに対して私の大学生時代はちっとも「人生の夏休み」感はなかったので、今のこの2週間足らずを「人生の夏休み」いうことにして、何もない日を堪能している。 日本じゃあ何も予定のない日なんてなかったもんなあ、もう、何ヶ月も。今日はオフ!と決めても誘われれば出かけていっていたし。 誘ってもらえることはとても嬉しいことだけれどね。 でも、それも今日でおしまい。 木曜日からはまた、毎日予定がある。本来の私。笑 もうすぐ4分の1世紀生きてることになる。 すごいぞ。たくさん生きた。25年も。
私は自分の誕生日から語学学校のプログラムをスタートさせることにしている。いい、20台後半の幕開けになるように。 毎年目標を飛躍などと言っているが、果たして私は飛躍しているんだろうか。 成長って意外と自分ではわからないものだな。
サランラップを買った。 こっちのサランラップは少し様子がおかしい。安いビニールみたい。(実際安いビニールだが。)割とちゃんと強く引っ張らないとうまく切れない。日本のみたいにしっかりしていない。箱もラップ自体も、それからラップを切るための歯も。笑
あとは、赤いグミのようなお菓子も買った。合成着色料がすごく入っていそうな代物だけれど、おいしいかな、と思って買ったらおいしくなかった。全然おいしくなかった。となりにおいてあったやつにしておけばよかった。 もう買わないぞ。失敗は成功のもと。
私が今日読み終わった小説は1999年に発行されたもので、要は私が9歳のときに作られた物語であって、というか、9歳って。笑 9歳の時、何してたかなあ。(まあ、当たり前だが小学生であった。) 工作の好きな小学生だった気がする。なので図工の時間を毎回心待ちにしていた。何か閃いたときは作品を作るのが楽しかった。でも、何も閃かないときもあってそういうときは、あまり作業に熱中出来なかったような気もする。 放課後残って図工の作品を作ったりもしていた。 とある彫刻刀を使った作品は地域の展覧会に推薦され飾られたこともあった。
小学校内のイベント、地域であるおまつりでも、私は色んなものを作っていた気がする。何かに没頭しているのがすきだった。黙々と、黙って取り組んでいることが。 黙々と、というと、一輪車。あれは学校が午前中で終わる日もひたすら乗れるようになるまで一人で練習していたのを今も覚えてる。古すぎない校舎。広すぎない校庭。鉄棒の近くで、何度もなんども。転んでも、めげなかった。小学校1年生のときだったかな。 なんだか、小さい頃のが根性あったのかもしれない。笑
あと、理科も好きだった。雨の日の理科室。寒い廊下。レモン石鹸。スイセンの花をみんなで育ててた。根が生えていくのを見るのが楽しかった。 あとは実験。今思えば、実験が好きだったのはあの頃からだったのかも。(大学でのゼミも研究室に入り、実験をしていたので。) 理科といえば資料集。あれは興味深くて面白いのでよく見ていたのだが、小学生の私はイモムシが(というか虫全般が)とても苦手で、というのも小学校1年生のとき、友達(女)に頭の上にイモムシを乗っけられ、ありえないほど叫びまわり、校庭を暴走し、挙句、まおちゃんの頭の上にイモムシを乗っけたのは誰ですか的なことを帰りの会で先生がみんなに尋問するという出来事が勃発するほどの苦手さで、なのでふいに理科の資料集をパラパラめくっていて、イモムシのアップの写真が唐突に現れると毎回非常に驚き、授業中に飛び跳ねてしまったものだ。なので、その腹いせにそのページをきちんとのりで貼って開かないようにしたりはしていた。 あろうことか、資料集だけではなく、教科書にもイモムシが登場していたので、そこのページもきっちりのりで貼り付けていた。
学年が上がり、教科書が変わると、イモムシページののりづけが私の恒例行事になった。もう二度と授業中に飛び跳ねるような真似はしたくなかったんだと思う。幼いながらに。笑
小学校のとき、憧れていた女の子がいた。その子は運動神経が抜群で、とにかく足も早く、カモシカみたいな子だった。格好良かった。私もそうなりたかったが、生憎走るのはとんでもなく遅く、50mは10秒台であった。残念。体格差を思い知った。 でも。水泳は出来た。5歳くらいから習っていたので。なぜ水泳だけはやっていたかというと、私の一番最初の夢は、よくある「お花屋さん」でも「ケーキ屋さん」でもなく「イルカ」だったからだ。泳げるようになったらイルカになれると思っていた。本当にイルカが大好きだったので、イルカになるためにプールに通い始めたものの、間も無く人間はイルカにはなれないということを知る。イルカになれないことを知ってもプールは続けた。レッスン後のアイスが楽しみだった。 親や祖父母が観覧席に見に来てくれることもあった。そういうとき、とても嬉しかったのを覚えてる。私の子供も、私が何か習い事の発表会を見に行ったら嬉しいと思ってくれるのだろうか。というか、私の子供も、一番最初の夢を「イルカ」だとかたわけたこと言ったらどうしよう。そしたら完全に遺伝だな。笑
そんな小学生時代。9歳というワードからこんなに色々出てくるとは、自分でもびっくりだけれど、意外と昔のこと、覚えているみたいだね。まだまだ色々書けることはあるけど、NYと何にも関係ないのでこの辺で。
明日はLong Islandの方へ遠出します。楽しみ。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.24,25,26
24日
同志ちゃんたちがNY最終日ということで、みんなと会った。 TKTSに並んでチケットを買うという初めての試みをした。 STOMPというショーらしい。 こっちで観劇は生まれて初めてだったので、楽しみだった。
開演時間まで少し時間があったので、SOHOというところに行った。 街がすごく可愛くてパリみたいだった。(パリ行ったことないから完全にイメージだけれど。) いろんなお店を覗いたけれど、結局お買い物したのはSABON。笑 みんなはボディスクラブを買っていた。私はshower oilを購入。shower oilって要はbodysoapみたいな感じらしい。 なんやかんや時間が経ち、いろんなお店を再び物色して会場まで徒歩で移動。 とても寒かったのでさあやとくっついて歩いた。(ちなみにこの日のNYの気温は8℃。冬。夜は4℃だった。真冬。) そういえば席が、3人と1人と1人でしか取れず、私とあやがその1人の席に当たったのだが、私は幸運にも二階席の一番前だったのですごく見晴らしが良かった。高いところだいすきな人種としては、その席はとても最高であった。← STOMPの前情報として「ホウキとか、いろんなもので音を鳴らすショー」であること、また「すごく刺激的」であると聞いていたので、一体どんな風なんだろうと思っていたのだが、本番始まってからはもう吸い込まれるように舞台に釘付けになった。 この人たちの手にかかれば何でも楽器になってしまうし、単体だとほんの些細な音でさえも、組み合わせて音楽にしてしまえるんだと、言葉なんてなくても伝わるものってとても沢山あるんだと思った。恐ろしく。 最近読んだ本の言葉を借りるなら、本当に「fabulous」であったし、私自身のボキャブラリーではもう「凄い」という言葉を使うのが精一杯であった。ただもう、誘ってくれたみんなに本当にありがとう、という気持ちでいっぱい。本当に観に行けてよかった。また観たい。でも他のももっと観てみたい。
その日はみんなの泊まってるホテルにお邪魔した。 女の子5人で和気藹々とするのはとても楽しかった。みんな自由でとてもかわいい。いろんな話をして、各々就寝。
25日
帰国するみんなを見送り、私は住んでいる地域まで戻ってきた。帰り、ぼーっとしていたら降りるべき駅を通り過ぎてしまい、仕方がないのでもう一つ奥の駅から歩いてみることにした。 いうてもそんな距離はなく、とてもよく晴れた日だったので、いつも目にすることのない建物なども見られて新鮮で楽しかった。 部屋に帰ってきて少し微睡み、ドライヤーを買うためにまた外に出かけた。
そこで事件が起きた。← 私の今住んでいる地域というのは言って見れば治安がそんなにいいところではないので、昼間からふらふらしている人というのが割と居たりもする。 ドライヤーと、サンダルまで無事に購入し、最後にスーパーに寄ったのだが、そこの野菜コーナーで私がキャベツを物色していたところ、よく分からない歯並びの悪いおじさんに声をかけられた。半笑いをした。しかし、名前は?などと聞きながらついてくるので、逃げるように違うところに行った。それからもスーパーに結構長い時間居たのでさすがに撒いたと思っていた。甘かった。
フルーツジュースだけを買って外に出たら、そのおじさんが再び登場した。名前は?どこから来たの?と再び質問攻め。暇か、暇なのか。そして何回同じこと聞くんだ…と思いつつも、あなたには教えません、ということで英語が分からないフリをし、シカトしていたのだが、こちらの人はメンタルが強い。ひたすらついてくる。しかしこういうとき、なんて言って追い払えばいいかなんて全く分からないし、それこそ日本語で罵倒したところで通じないし、一体どうする、と思っていたところで、おじさんが私より前方を歩き始めたので、よし、今だ、と思いそのまま路地を曲がり、迂回して帰宅することに。 ぐるっと迂回し、路地から、念のため私の家に面している通路を覗いたら、道路挟んで反対側でおじさん、待ち伏せ。おーい、そこに居られたら家がバレるから帰れないじゃないかーい、ということで、しばし物陰に隠れて待ち、ちらっと覗いた。まだいる。それをを繰り返していたら、向こうも塀に隠れ出した。隠れても無駄だ。笑 ということで、なす術がなくなった。かといって誰にも連絡する気になれなかったので(連絡したところで心配かけてしまうし、ここまで来てもらったところで追い払って貰ったとして、その人が恨み買って刺されたりしたら嫌だし)考えた結果、公園に行って本を読むことにした。笑
家の近くに大きな公園があり、幸い人が沢山いた。なのでそこに隠れてしばし時間を潰し、帰ってみるという作戦を決行。 公園にはスケボーに興じる高校生らしき少年、こどもとお母さんなどがいた。 よきかな。
一時間後、意を決してその辺に戻ってみると、もうあの歯並びの悪いおじさんはいなくなっていた。よかった、というかまさかストーキングされるとはな。隙があったんだろうと思い、今度から一人の時は絶対険しい顔で歩こうと思った。野菜どれにしよっかな〜♡とか思ってにやにやしてたからおっさんに目をつけられたんだ。反省。 同居人さんにその話をしたら、そういう時はこういいな!というフレーズを教えて貰った。(ちなみにBack off!というらしい。笑)次そのような人が現れたら絶対ものすごい剣幕で言ってやると今から意気込んでいる。かかってこい、暇人。今日は少しびびったけど、もう怖くないからな。
こうして虫もお化けもグロテスクなものも暇なおっさんも怖くない、強い女になっていくのだった。←
住人は全員年上なのだが、昨晩もガールズトークに興じていた。 Saturday Night ということで、住人の4人中2人は夜の街に繰り出して行った。私も誘われたが、夜遊びはしないので就寝。笑 そういうのは経験者の話を聞いているだけで十分面白い。お酒は知らない人とあまり飲みたくない、気心知れた人とゆっくり飲みたい、いつからかそんな風に変わったみたい。NYに来たからとかじゃなくて、少し前から。
26日
でも、夜遊びから帰ってきた彼女たちの話はとても愉快であった。でもやっぱり、私は話を聞いているだけで十分だなと思った。きっと、陽気で開放的な彼女たちはこっちの人たちと気があうんだと思う。こっちの、というか、この辺に住んでいるスパニッシュの方々と。笑 みんないろんな好みがあって、いろんな考え方があって、いろんな人生があって面白い。こっちにいる日本人は変な人が多い。いい意味で。彼女たちに言わせてみると私は「おだやか」らしい。でも、ヒステリックですよ、と一応付け足しておいた。
食材を買うのが最近楽しい。今日は一人でではなく、住人の一人とスーパーに出かけた。またあのおっさんがいたらどうする、と笑いながら。いなかったけど。笑 そして、ラフというかスポーティーな格好もすきになりだしたのかパーカーとか、そういうのばかり欲しくなってしまう。なんていうか、オーバーサイズの。というかこちらの服は大きい。何着ても大体大きい。そりゃあそうだ。日本人は骨格が違う。スニーカーを買おう。そのうち。夏までに。 というか、私がスニーカー。笑 日本ではコンバースしか履いたことなかったのに。笑
趣味嗜好も変わる。きっと人間性も変わるのかもしれない。分からない。笑 でも、体型だけは変わりたくない。なにがあっても。 今日でちょうどNYにきて10日。 やはり、時間の経過が遅い。 でも今日は、少しの発見があった。収穫も。前進。 ゼロから何かを生み出していくということの難しさと葛藤を今している気がする。よく分からないけど。早く、形にしたい。何か、なんでもいいから。いつまでも手探りでいるわけにもいかない。滞在日数が二桁になったんだもの。そろそろね。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.23
住人の人とおしゃべりに興じていたらこんな時間になっていた。 ここに住んでる人は皆愉快で自由。住み始めてまだ4日とかだが、すっかりだいすきである。 昼間はコインロッカーに行ってみた。 洗濯部門は難なくクリアしたものの、乾燥機部門では間違えて48minとかいうのを選択してしまい、やたら待つ羽目に。 でも乾燥されていく自分の洗濯物を眺めるのもなんだか楽しかった。 日本ではコインロッカーに行く機会も、そもそも、自分の洗濯物がくるくる回る様子を改めて見る機会もないもの。 (先ほど私の親友ちゃんに訂正してもらったのだが、ここで言ってるコインロッカーはコインランドリーの間違えである。でもあえて直さないで注訳をつけることにした。←)
帰ってきてからはまた晩御飯を作った。 昨日買ってきたレタスにドレッシングをかけて食べていたら、旦那さん(ロメオさんという名前)に「usagi-food!」と言って笑われた。 ウサギフード!笑 レタスを必死にむしゃむしゃしていたからだろうか。 その後、イギリスの昔のコメディ番組をみせてくれた。 所々通訳してくれたので私でもわらえた。 その番組が終わったあとは、一緒にパラノーマルアクティビティをみた。 そのとき、チーズのスナック菓子を分けて貰った。 スナック菓子の匂いを嗅いでから食べたら「cat!」と言って笑われた。 猫は食べ物の匂いを嗅いでから食べるのだろうか。 にしても、ウサギだったり猫だったり、ロメオさんからしたら私は日本人というよりなんか動物のような女、という認識な可能性もある。 まあ、それでもいい。 明日の朝ごはん何にしようかな。 牛肉があるからそれを何かしらにしようかな。 お料理って楽しい。バリエーションもないし、食材もよくわからないのが多いけど。 食材を眺めながら献立を考えられるようになったら素敵だな。
そしてアメリカに来て一週間が経過。英語を話すのはとても頭を使う。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.22
ああ、今日眠ればNYにきて一週間になる。
時間の流れが恐ろしくゆっくりだ、と言っていたものの、意外とそうでもないのかもしれない。
今日は新しい同居人と会った。一ヶ月間だけここにいるそうだ。クラブとかで遊んでる系の人らしい。全くそんな感じには見えないので(私からすると)人は見かけによらないのだなあ、と思っている。 それから大家さんと、大家さんの旦那さん(英語と日本語が喋られる黒人さん)とお話をした。途中から旦那さんと二人でお話をしていた。ゆっくり、私にもわかるように話してくれるので、英語と日本語を織り交ぜてお話をした。全くちんぷんかんぷんな部分もあったにせよ、意外と会話できた。思ったより。一週間にしては、わりと。笑 といっても私は主に相槌を打つばっかりだったけれど。笑 英語でもっと自分の意見が言えたら楽しいだろうなあ。 討論とかしたい、討論。← そうそう、今日も図書館に。 日本の書物を見つけて、とっても嬉しくなって借りようとしたのだが(もちろん無料で借りられる良心的な施設ではあるのだが)まあ、なんだろう、日本でいう公共料金の領収書、みたいなものが必要で(厳密に言うと自分に送られてきた郵便物、というか現住所が確認できるもの)持ってなくて借りられなかったのでリベンジするつもり。 嬉しい。でも、本借りられると思ったらとっても嬉しい。楽しみ。早く届かないかな、郵便。 いつか、英語の本も読めるようになるのだろうか。なりたい。そうなりたい。素敵。頑張る。でも、英語で本が読めるようになったら本の虫に拍車がかかる可能性もある。いいんだけどね。 なんにせよ、可能性に満ち溢れている。るーん。
今日は自炊をしたよ。 近くのスーパーに行って、お米を買ってきて、この前教わった要領で鍋で炊いてみた。炊けた。笑 それからレタス、お肉を買ってきて簡単におかずを作った。 自炊も楽しい。そしてコスパが素晴らしい。 外食も好きだけど、これを機に料理上手になってしまおう。一石二鳥である。(ちなみに日本の調味料も売っている。醤油とか。そのうち日本食スーパーに行ってみようと思う。)
日本でも言っていたけれど、できないことができるようになることや、知らないことを知ることは本当に楽しい。 私は未知と遭遇するときがとても好きだ。だから初めて、が好き。初めてをくれる人が好き。初めてに会うと、新しい私を発見した気分になるから。
いつも常識を良い意味で壊していきたい。固定概念も。私の中の古臭い考え方も。それに囚われるのは自分の選択肢を狭めることにもなるんだ、とここ自由の国にきて改めて思った。
ね。
おやすみ。
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myaochi · 10 years ago
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2015.4.21
ライターが50¢だった。← fireはある?と聞いたらライターを出してくれたので通じて安心。
今日は愛すべき同志たちがNYにやってきているということで、会ってきた。 根暗を発揮する日々だったのでこんなに笑ったのも久しぶりで、とても安心した。私に会った時の3人のテンションよ。笑 もう、だいすき。 にしても私よりずっとNYに慣れている3人。 頼もしい。それに、当たり前だが私よりこの街のことをよく知っている。すごい。 暑いからアイスを食べたいと言ったら、みんなもそう思っていたらしく、でも近くにアイス屋さんがなかったのでスタバに行ってフラペチーノを飲んだ。 日本に居たらフラペチーノなんて飲まないので、新鮮だった。ちゃんとシールにmaoと書いてあった。ふむ。
それからお買物。 あんなに一緒に過ごしていたのに一緒にお買物に行ったりしたことがなかったのでこちらも新鮮だった。思い思いに好きな品物を購入。私はさあやとお揃いのルームシューズ(ふわふわで可愛い)と、ありなとお揃いでメンズのスウェットトップスを購入。あと、靴下。calvin kleinの。笑
私も早くこっちでの生活に慣れてダンスレッスンに行きたい。← 日本で頑張ってるみんなを見ると私もここで頑張らねばと思えるから、本当に感謝しかない。 みんながずっとこっちにいてくれたらいいのに、と思ったけどそれじゃ私みんなに甘えちゃうからダメですね。
さあやが、口だけで実行できない人が多いなか、こうやってちゃんとこっちで再会できるってすごい素敵なことだよね、と言っていた。確かに。でも、私の周りの人は有言実行する人ばかりだな、と思う。つくづく。結局思いを成し遂げるのは他でもない、自分自身だもの。そう言った意味で意志が強い人が多いのかもしれないね。
そして、NYにきて一番感動したものと出会った。 それはNY国立図書館。 みんながレッスンに行くということでバイバイした後、一人でふらっと立ち寄ったのだが、もうなんていうんだろう。言葉にならなかった。うわあ…と、ただ、声に出てしまうくらいのスケールで。ずっとここに居られる、と思った。それくらい壮大で、飽きない。 一目見て大好きになった。また行く。私、セントラルパークよりもここが好き。(セントラルパークも全体を見てないからまだなんとも言えないが、今の所。笑) こういう、だいすき、って思える場所をたくさん見つけて行きたいな。 NYには、私の「だいすき」がたくさんありそう。まだまだ、見ていない、知らないところだらけだもの。にしても、とてもいい気分。「だいすき」を見つけると、それこそ、るーんとなる。帰り道もずっと、今もなお、るーんとなっている。
まだみんないるらしいからまた会えると思うけど、でも、よかった。いい1日だった。友達ってすてき。友達も、私の中の「だいすき」に分類される大切な生活の一部。
ありがとう。
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