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好きなものは自分で見つけるもの
人に、これ見てみて!と言われてみたもので、面白いものや感動するものはもちろんあるけど、自分で見つけた時のような興奮はないし、ずーっと感動が刻まれるというのも、自分で見つけた時のような気がする。
だから人に勧めても反応があんまり、ということはよく経験する。それでもSNSなどでやたらと人に教えたくなってしまうし、感想や評論のようなものを書いてしまいがち。他人のそういう��葉を見ても、うーん、、と首を捻ることが多いのに、自分は意気揚々と書いてしまう。なんかそれが急に滑稽に感じてしまった。
見つけた感動は自分だけのものだし、出合うタイミングも人それぞれなものだし、自分の中で大切にしておけば良いものなんだろうなぁと思う。そうすれば人に伝わらなくてやきもきする必要もないし、評論家にならなければ、違う意見の人にムキーっとすることもない。
そう思いながら夜の散歩中に、街の景色を見ながら感じたことを丁寧に心にしまっていたら、すごーく気分が良くて、あぁ、こうすればいいんだ、って思った。それがなんか嬉しかった。
そうやってそういうことに慣れていきたいなと思う。
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メトロック!!
NEWSは、なんの違和感もなくロックフェスのステージに立っていて、ものすごい圧巻のパフォーマンスで観客を巻き込み、大合唱のアンセムでひとつになり、胸に響くメッセージを歌で伝えてくれた。
もうそれはロックンロールやん。笑
長年フェスに通い、ロックンロールを浴び続け、そこには私の人生の大切なもの全てが詰まっている。そんな私が、なぜに突然ジャニーズのグループであるNEWSをこんなにも好きになったのか、理由がはっきりとわかった気がした。
ロックンロールは愛と平和でできてる。
それがNEWSも同じだったのだな。そう実感した。久々に大声で歌い、手を振り上げて踊りまくったメトロック。途中何度も涙が込み上げた。それぞれのバンドのエネルギーがしっかり身体に伝わってきて、それをちゃんと声で返せる。当たり前だったそのコミュニケーションがまた戻ってきた。感動だった。
またこれからも、いつまでも、この場所は永遠でありますように!
#ロックフェス #メトロック #音楽
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下北沢
uri gagarnのライブを見に下北沢に来た。下北の駅に降り立ったのなんて、もう何年ぶりだろう。
昔はよくスタジオや、ライブハウスや、楽器屋さんに来ていた。古着屋さんで服を買って、ラーメンを食べた。20代の青春の延長期間のなんとも言えない希望に満ちた風が、今でも下北沢には吹いていた。
懐かしくて、たまらなかった。今で言うエモいってやつだ。この世界に下北沢しか存在しないとなっても、私は事足りるなと思えるほどだった。私の人生の濃厚な部分は、音楽と、こだわりの詰まったサブカルチャーなこの空気に凝縮されているような気がした。
そしてその中で浴びるuri gagarnの音は、隠れ家的絶品料理の店のように、本物だった。この世界にはたくさんのものが溢れているけど、人の流れに惑わされずに、本物だけを摂取していきたい。小さな小さなライブハウスで、確実に贅沢で完璧な時間を過ごせた私は、自分の人生に少し誇りが持てる気がして、心の中でスキップをしながら井の頭線に乗った。
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変わっていくミュージシャン
クリープハイプ のニューアルバムが発売された。
私は最近のクリープハイプ は、歌詞もどんどん文学的になって難しくなってきて、曲調もどんどん変わってきているし、初期の頃が大好きだったからなんかクリープが遠くなっていくような、どこか違うところに行ってしまって見えなくなりそうな、そんな気がしていた。そんな不安を抱えつつアルバム、「夜にしがみついて、朝で溶かして」を聴いた。
頭をどつかれた気分だった。
不安に思ってたしっくりこなかった曲たちが、しっかりとアルバムの中では生きていて、アルバムのためにあったシングルたちだったのかなと思った。アルバム通して聞くと、昔のクリープが好きだったのになんてボヤいてる私にも、ちゃんと響く、新しい、完成度の高い秀逸な作品だった。
それを見透かされているかのように絶妙なタイミングで、一生に一度愛してるよ、が流れて、なんかやられたな、とおもってなんか嬉しいようなこそばゆいような、涙が出ながら笑う、みたいな変な感じになった。
なんか出てきちゃってる、は、純文学がそのまま音楽になったような素晴らしい曲だった。クリープハイプ は、変わった。でもそれは全くネガティブなものじゃない。完全に洗練されて進化している。それも、昔から好きなわたしみたいなもんを置いていくことなく、ちゃんと変化を驚き喜べるようなものになっていた。
1人のファンとして、勝手に作ってしまっていたハードル?柵?みたいなものを、ひょいっと飛び越えて来られると、それはもう喜び度としては初期のクリープに出会った衝撃と同じなんじゃないのか?とさえ思う。
さすがやな。のひとことです。
丸くなったなんて思ってごめんなさい。笑
最高でした。
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フジロック2021 (続き)
日常生活では、やっぱり大半が違う意見をいうとなんか機嫌悪くなる、とか変な空気になるから言わないでおこう的な感じが漂ってるし、それで言わずにいた意見が勝手に大きくなり、他の人の意見を聞かないまま育ち、とてもエゴイスティックなものになってしまって、自然と人を見下していたり、嫌味っぽい喋り方になっていたり...意見を言う側であっても、受ける側であっても、決して自分と違う意見の人に対して敵意があってはならないんだなと実感した。話し合いにもならないし、聞く耳がない人にどれだけ伝えても意味がない。常にフラットな状態に自分がいられたらいいなと思った。
そしてフジロックに出演してくれたアーティストはみんなかっこいい、と私は思った。いろんな意見があると思うけど、私はフジロックを音楽を守るために参加するという意思のアーティストが好きだし、むしろ私の好きなアーティストは誰もキャンセルしなかった、というところになんか、根本的な意見の一致があるから音楽も好きになるのかなとも思った。
敵対は絶対せず、分断せず、平和に共存できたらいいなと思う。

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フジロック2021
2日目に行った。
行く前は、やっぱり世間の批判的な意見を目にしていたから少し罪悪感もあったけど、会場内に入るとピースフルな空気感が漂っていて、あれ?外と中は別世界なのか?と思うほどだった。みんな、考えてないわけじゃ決してないだろうし、それぞれ思うことはあると思うけどその中でいい意味で力の抜けたリラックス感を持って、参加している感じがした。そしてルールはめちゃくちゃみんな守ってた。ヒロトも向井秀徳も楽しそうに演奏していて、私も楽しかったし、痺れたし、気持ちよかった。
ブルーハーブのボスが、自分の意見をステージの上で言っていたのがすごく響いた。今まで私は、コロナやオリンピックやいろんな問題がある中で政治批判ばかりする人たちが苦手だった。補償がないことにずっと文句を言う人も苦手だった。でもボスは、政治にしかできないことがあるだろ?と、しっかりと政治に対して物を言っていた。今まで全く嫌悪感しかなかった意見だったのに、ボスの口から発せられた内容はすーっと入ってきた。そうか、そういう考え方だったのか、と初めて理解した。私が今まで嫌悪感を持っていたのは、政治批判している人の意見の内容ではなくて、喧嘩腰にキレながら言うその姿だったのだと気がついた。キレてないような言い方をしてる人でも、言葉の端々に攻撃するような要素が含まれている感じがしていたし、正しい言葉を並べてもその言葉からくる印象は気分の悪いものだったり、そういう人ばかりだという感じがしていたから、それが嫌で目にしないようにしたりしてた。でもボスは、とても冷静でフラットでニュートラルな感情でしっかりと話している印象だった。むしろ愛を感じた。だからその意見の内容がまっすぐ入ってきて、同じ意見ではなくても理解ができた。なるほど、そういう考え方もあるなって素直に思った。初めてだった。意見の最後にボスがカメラに向かって頭を下げた時は涙が出た。あぁ、喧嘩とかしてる場合じゃないってことだなって思った。とてもかっこよかったし、尊敬した。

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伝わらないこと
私は好きなものもたくさんあるし、色々感じとったりもしているけど、知識があまりない。例えば好きなアーティストの詳しい音楽ルーツとか、大好きな曲でもなんのアルバムに入ってたかな?とかわからなくなるし、高校生からずーっと大好きでライブに行き続けていたハイロウズのことでさえ、詳しくは知らない。でも、ライブの中で感じた事はそのアーティストの全てだと思っているので、良く知っている、素晴らしさはちゃんと理解している、と自分では満足しているのだけれど、人に伝わらないことが多くてもどかしい。へー!そんなに好きなんだね!と思われるためには絶対に知識がいる。感情の中の方にキャッチした大事な何か、というものは表に出して証明できない。
だからといってそのために別に興味のない知識を勉強する気にもなれないし。。
その知識がなくとも、その人の他の言動や態度や日々の暮らし方や考え方で、あー、この人はハイロウズをちゃんと好きなんだろうな、とわかってくれるような感じがあったら良いのになー。と、思ったりする。
私の根幹はハイロウズで染まっている事は確かだ。
とある友人と美術館に行った時、その友人は芸術に詳しいらしく、海外も含めいろんな美術館の名前や、芸術家の名前を知っていた。私はほとんどわからず、へぇー、ほぉー、と返事をしていた。そしたら、初心者だと判断されてしまい、横で色々と説明してくれたのはいいんだけど、"よくわからない絵でもなんか面白いなーとかそんな感じでもいいんだよ" とか、"つまらなくない?大丈夫?"とか、最後には"付き合わせちゃったみたいでごめんね?"とまで言われてしまった。
私は何度も、初めてじゃないよ?私も絵好きだよ?と繰り返したけど、気を使ったと思われたのかもしれない。。
私は本当に絵をみるのが好きだし、芸術からもたくさん感動をもらっている。ピカソを見て泣いたこともあるし、絵や芸術作品からくるエネルギーは、音楽にも似てると思っている。だけど、知識がないゆえに友人と芸術の話に花を咲かすということもできない。ちょっとその伝わらない感じが寂しかった。
やっぱり、知識や、資格とか地位とか、形として見えるもので人を見るのは仕方のない事なのかもしれないけど、感覚で生きてる私のような人間は、虚しい思いをすることもある。理解者がいたらいいのになぁ、と思いこがれることもあるけど、仕方ないのかな、とも思っている。
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感動する料理とは
私は料理が好きだ。音楽と似ている。作り手のポリシーや価値観や伝えたいメッセージなどが作品(一皿)に込められている。それを受け取った時、感動して涙が込み上げることもある。
今日、ずっと憧れていたジョエルロブションの比較的カジュアルな店舗、ラトゥリエトゥジョエルロブションのランチを食べに行った。カジュアルといっても1人7000円ほど。でも、恵比寿のロブションほどは手が出ない訳ではなかったので、初めて行ってみた。
お店もそこまでかしこまってなくて、入りやすかった。料理はとても味は美味しく、スパイスなどの斬新な味付けだったり、見た目の美しさは素晴らしかったのだけれど、私の期待していた、料理から感じる心に響くような感動が、無かった。
ロブションというのは王様で、星を取り続けている名店だから、絶対に感動するんだと思っていた。なのに、なにも心に残るものがなかったのだ。ショックだった。。。
感動する料理とは、技術、味、サービスのバランスが完璧で星がつくほどに認められている店にも、必ずあるとは限らないのだ、ということを今日知った。料理も音楽と同じ、深いのだなと改めて感じた。ミリオンヒットして、レコード大賞とって、めちゃくちゃ歌唱力があるからといって心に響くとは限らない。もちろん好みとか、その時の自分の状態とかもあるだろうけど、本当に感動するものに出会うのは、そう簡単なことではないなぁと、実感した日だった。
また新しい感動をくれるお店に、出会いたいな。
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好きな人
一郎くんとまっすーが話しているのを、感慨深い気持ちで見ていたら、私が好きな人はみんな自分の気持ちや心をとても大切にしている人たちなんだなぁと改めてわかった。交わることのないと思っていた2人が、すごく気が合っている、わかり合っている、ファンとしてはとても堪らない光景だったけど、根本的に私が好きになる理由、みたいなものが共通しているだけなのかもしれないなと思った。ジャンルとか関係なく、人間として。
メディアでたくさんのものを見て、聴いて、膨大な表現の中から、ふと自分にぱちっと繋がる瞬間があったら、その人を深く知ってみたくなる、表現しているものを正座してちゃんと一度見てみないと、という気持ちになる。一郎くんに繋がった瞬間は、スペシャでアルバム発売の特番か何かで、曲についてのインタビューを受けているのを見た時。大概、このようなインタビューって、素人の私にはアーティストの言ってることがよくわからず、眠たくなったり、もやもやとしてしまったりすることが多かった。でも一郎くんは、歯に絹着せぬというか、なんのオブラートにも包まず、はっきりとした言葉で自分の気持ちを話していた。こんなアーティストがいるのか!と、内心びっくりして、その瞬間にこの人のことを知りたい!と思った。それから、どんどん好きになってサカナクションの曲を全て聴いて、ライブに行って、改めて実感した。あの時見た、真っ直ぐに自分の全部を表現する姿が、全ての表現の要になってるんだなと。だから、今でも、どんな表現をしてもサカナクションなら大丈夫、みたいな信頼感がある。手を抜くわけがないし、嘘をつくわけもないなって。
NEWSに繋がったのは、たまたま見た映像の中で、熱唱している4人の姿を見た時だった。
ジャニーズは、キラキラして、華麗にターンを決めて、カメラが来るとばっちりウインクを決めることのできる王子様。そういうイメージがやっぱりあった。でもその時みたNEWSは、カメラの方も向かず、髪を振り乱して、しゃがみ込んで顔も映らないような状態で心の底から熱唱していた。わたしは、その姿におもわずぽろっと涙がこぼれてしまっていた。自分でも、泣いてることに驚くくらい自然に溢れていて、心が揺さぶられた。そこから、もっと知りたくなり、DVDを買っていろんなライブをみたり、インタビューやトークでどんなことを考えている人たちなのかに触れて、かっこよくいるという事、アイドルでいる事にプライドを持っていて、その上で素直に自分を表現している人たちだと知った。だから、アイドルだということにプライドを持ってあの時熱唱していたんだと思うと、心の底からかっこいい人たちだ!と思った。
好きな人、ぱちっと自分に繋がる人は、そんなに多くはいないから出会う瞬間は嬉しいし、出会った後はその人たちの活動を見るのがとても楽しみだし、ファンでいるっていうのは決して依存ではなく、とても充実した、大きな意味での芸術鑑賞だと思うから、たくさん好きな人がいることは、幸せだなぁと改めて思った。これからも出会いたいし、好きな人がもっともっと面白いことをしてくれるのを、楽しみにしている。
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わたしの青春
ELLEGARDENの生配信を見ていて、あぁ、エルレも50歳になるんだー。と思ったけどなんか良い意味で全く変わってないな、エルレって。と思った。今もあの頃と同じ場所に居てただ年月が経って、また同じように笑ってるなーって感じだった。
わたしはというと、エルレと一緒に青春の中にいた20年前の自分は、なんだか遥か遠くて、今は全く別の場所にいるような感じがする。単純に社会人になって年期が入ってしまったからだろうなぁ。
あの頃は、未来の全てが無限大でキラキラしててなんでも出来るような気がしてて、時間も永遠にあるような気がしてた。ロックがこの世でいちばんかっこ良くて素敵なモノで、友達とただギターを弾いたり歌ったり、バンド組んでみたり、朝まで飲んで悪ノリでめちゃくちゃ馬鹿なことばっかりして、音楽の話いっぱいして、いつかフェスに出たいね!なんて夢見たりとかして。それが青春の1ページであり、エルレを聴くと蘇っていつでも泣ける、そんなもの。だけどバンドマンは、それがそのまま続いていて、ずっと青春で、ずっとそこに居るんだな。エルレを見てたらそんなことを感じて、なんかすごいなぁと思った。
社会人になっても、いつでもあの頃に心が帰ることが出来る、そんな音楽を鳴らしてくれる、馬鹿のままでいてくれる兄ちゃんたちが居てくれるから、私の青春はまだ完全には消えずに身体の中に生きていることが出来る。良かったなぁ、ロックが好きで良かったなぁ、そんなことをしみじみ思う夜だった。
ジターバグは、私がエルレを好きになったきっかけの曲。それがスイッチみたいになってて、歌が始まると一気にわたしの青春は蘇る。そんな一曲が自分にあって、本当に幸せだなって思った。
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誹謗中傷とか、
炎上とか、そういうのってこんな風に広がっていくんだなぁ。。
手越祐也のエッセイ本が出て、みるみるSNSが荒れていく様を見ていて思った。
最初は、内容に納得がいかなくて腹を立てた人がSNSに投稿して、それを見た人がなんだなんだ?と色々検索して、一部の文章やスクショなどを見て、呆れた、とか、酷すぎる、とかどんどん呟く。
ほとんどの人が、エッセイ本を全て最後まで読んではいないと思う。色んな人の呟きを見れば見るほど真実が埋もれて、ただ罵倒しまくる、ボッコボコにする、みたいな景色が広がっていく。自分が傷ついた訳じゃないのに謝れとか言い始める人も出てきて、もう乗っかってその輪に入ることに陶酔しているような印象だった。
私は手越祐也のファンなので、心配になりSNSを追いかけたので、燃え上がる様子を見ることになったけど、今まで数々の有名人が炎上して、辛い思いをした人たちがいた。とても悲しくてつらいことだけど、どこか遠い話のような感覚がしていたのは正直なところだし、少なからず当人の発言が原因なのだから、騒がれても仕方ないんじゃないか?と思ってしまう時もあった。でも今回、そういう批判コメントを初めてたくさん読んで、これは読み続けてしまったら病むだろうな。。とひしひしと感じた。
��ちろん、騒がれる火種は当人の発言かもしれないけれど、思ったことを言っただけで、そこまでボロボロにされるのはやっぱり異常だと思った。
考え方の違いだってあるし、相手の発言が気に食わなくて腹が立つことは日常でもよくあることだ。自分だって誰かのことを傷つけているはず。なのに、"前に立つ有名人たるものは誰のことも傷つけない、模範のような態度と発言をするべきだ、ファンあってのものなのだから"みたいな、誰が決めたんや?と思うような常識を盾に、公開処刑みたいなことをして、それが当たり前のようになっているのは本当に恐ろしい、と思った。
ファンあってのものだから、みたいなまるで極悪株主のような態度で前に立つ人のことを批評するのは、最低だと思う。自分にはできないようなことが出来る才能に惚れて、お金を払っているのだから。と思うんだけど、やっぱり人は、媚び諂って自分の機嫌をとってくれる人に、好意を持ってしまう。だから人の機嫌をとらない手越くんみたいな人間を、嫌う。
私たちに媚び諂わないの!?これから1人で頑張っていくらしいけどその態度でいいの?!どん底に落としてやるわよ?みたいな。。
まぁ私も手越祐也のファンなので、考え方が似ているから、私も嫌われるタイプなのかもしれないけど。。笑 でも私は、人に媚びて相手の機嫌を良くして合わせて、それでコミュニケーションを円滑に。。というような、嘘のつきあいはやっぱり苦手だ。
本音を話したらいい。喧嘩になってもいい。根底に愛があればそれでいいじゃん。手越くんは愛があるなぁといつも思う。人に合わせ��り機嫌とったりはしないけど、嘘はつかないし、人を恨み妬みもしない。
そういう、自分のありのままで生きる人に、人の気持ちがわからない人だ!と罵るけど、機嫌をとって恐る恐るコミュニケーションをとることが、人の気持ちを考えるってことではないと思う。
手越祐也が、これからも今のままで明るく突っ走ってくれますように。。♡*✲゚*。
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NEWS
4人のNEWSが大好きだった。妹が心配して"大丈夫?" って聞いてくれたけど、"そんなので落ち込んで泣くなんて中学生じゃないんだからーっ" て笑って答えた。自分でも平気だと思ってた。すぐに前向きなことを考えて、"3人になってもライブ行くしー!" "てごちゃんがもしライブやったら行きたいなー!" とかワクワクするー!なんて言って、むしろ少し上機嫌になってた。けど、今日朝起きて絶望的に悲しくなって、涙が止まらなくなった。(やたらと明るくテンション高くなった時って、大体そのあとわぁーっと抑えてた寂しさとかが来ることが、よくある。。)あれもこれも、もう4人で歌って踊ることはないんだなーとか、4人が楽しそうに飛び跳ねたり、冗談言い合って笑ったり、そんな姿はもう2度と見られないんだ、って思い始めるともう絶望的につらかった。平気なんかじゃなかった。
平気だと自分で思ってたのに、全然平気じゃなかった、ということが私はよくある。本当に、嘘じゃ無く大丈夫だと思い込んでいることが、致命的に身体と心を蝕んでいた、というようなこと。
私には好きな人がいる。もう長い間ずーっと好きだけど、相手の気持ちを確かめたことがない。
忙しいし、立派な仕事をしている人だし、わたしは好きだからこそ理解者になりたいし、相手に言葉を求めたり、答えを迫ったりしてはいけない。と、本気で思ってたし、それでも優しいその人のことを好きでいるだけで幸せだ、私は大丈夫、そうずっと思っていた。
今回、NEWSのことで大泣きしたときに、そのことも一緒に湧き出してきて余計に涙が止まらなくなった。私が絶望的につらいときに、そばにいてくれないのは、それはもう愛ではないよな。そんな思いが湧き上がった。離れていても気持ちは繋がっている、とかよく言うけど、本当に苦しいときには、離れていては何もできないし、してもらえない。
相手の気持ちを察して、言葉がなくても理解して温かく包んでくれるような女性が求められるのならば、わたしはそうはなれない。なろうとしてたし、めちゃくちゃ頑張ってきたつもりだった。
でも、私が察して欲しい時は?私が言葉を伝えるのもしんどくて黙り込んだ時、黙って温かく包んでくれる人は?
私にはいないのに、私はそんな人間にならなきゃいけない、ならないと、好きな人に愛されない?
正直ずるいと思った。理不尽だと思った。
今まで、大丈夫だとおもってやってきたことが、こんなにも大丈夫じゃなかったなんて、気付かなかった。というか、言うことができなかった。ガッカリされて終わると思ったから。物分かりのいい、包容力のある人間にならないと、見限られてしまう。そんな女だとは思わなかった、ってどんな顔で言われるかな、とかそんなことを考えて、本音なんて言えなかった。むしろ、本当にそういういい女になって、本音自体を書き換えてしまえばいいと思っていた。
でも無理だった。つらくて耐えられない。
優しくされたいし、涙が止まらない時はそばで慰めて欲しい。それがつまんない女と思われても、私はそういう女だ。。
痛いほどそのことに気付かされた日だった。
6月19日。NEWSが、3人になった日。
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2020.4.8 ロックンロールと政治批判
わたしはロックンロールが大好きで、高校生の頃からもう20年近くロックンロールが人生のど真ん中にあった。だからこそ、選挙に行くとか、政治のこととか、自分からだとなかなか考えないようなことを考える機会にも出会えた。
しかし、私はそれによって、自民党を批判しないとロックじゃない、みたいな空気を暗黙で感じとり、そういうスタンスにならないと、大好きなミュージシャンたちの敵になってしまう、という恐れから、頭の中の考え方を比較的意識的に、安倍政権を批判する意見に寄って行っていたような気がする。
だからといって、自民党支持だ!とかそういうのではなく、自分で考えないといけない、って思った。
私は元々、自発的な人間でもなく、ロックは好きだけど積極的な方の人間ではなくて、前に立つ尊敬するミュージシャンたちが言うことが、きっと正しいはず、だってあんなに素晴らしい歌を作るから、と、思ってしまう。音楽の判断は自分でできる。自由にできる。もちろん好みがみんな違うし、正解がないから。
でも政治には、正解があるような気がする。でも、それぞれのやり方があるので、道はたくさんあるような気がする。今回のコロナのことで、寝ずに働いていたんだろうなと思うような、疲れた顔をした小池知事や、緊急事態宣言の際、力強い言葉で国民に呼びかけていた安倍総理を見ていると、私たちのことを考えてくれていない!なんて言えなかった。
職場で、上の人に対する文句を、従業員同士で言い合う、なんてことはよくある。仕事の支持内容や、待遇などへの不満から、私たちのことを考えてくれてない、どうでもいいとおもってるんだ、なんてことを私も思っていた。でも、その立場それぞれで、やるべきことや考えることというのは異なっていて、違う立場のものには想像もできないことなんだと思う。
もちろん、だからこそ私の立場からの意見は上司にも聞いてもらいたいと思うけど、かかってきている責任とプレッシャーと、役職の大きさは比例していると思うから、やってくれないから、ひどい!!やれよ!!責任者だろ!!というようなモチベーションでキレるんじゃなくて、やってくれませんか?お願いします、って頼んでみる、という態度だったら少しは環境が良くなるのじゃないだろうか、と思った。でもそういう言い方が出来るようになるには、相手を尊敬していないとできない。わたしは、相手を尊敬するということができていなかったように思う。だから職場でも不満も、もやもやも、募ることはあれどなくなることがなかった。
今回のコロナのことで、ライブハウスへの補助金のことや、ミュージシャンの、国は無責任だ!という声を聞いたりして、少し悲しくなった。そして悲しくなったことに、落ち込んだ。今まで人生の真ん中にあった音楽の世界から、おまえは裏切り者だと言われてるような気がして、勝手に疎外感に陥っていた。
もちろんいろんな場所に、助成金はあるべきだし、出来る限りのことは尽くしてくれると信じたい。わたし自身も、ギリギリの給料でなんとか生活をしているし、もし補助がもらえたら嬉しいけど、もらえなくても仕方ないと思う。それは、国がケチだから、じゃなくて、国も精一杯やってくれてるはずだから、わたしも精一杯頑張ろう、と思いたい。
政治家の人たちが、与党で国を引っ張るとなった時にどんなことで苦労をして、どんなことをすれば1番いいのかなんて、わたしに分かるわけもない。政治のことを勉強して詳しくなったとしても、やってみないときっとわからない。だから、今の与党が間違っているのか正しいのかの判断をするのは難しい。
その上で自分で考えて、わたしごとのわたし目線でちゃんとみたら、この大変な時に政治批判するのは違うなと思った。大好きなミュージシャンたちと、それを支持するファンの仲間たちと、同じ気持ちになれないのは寂しい。だけど、政治家の人たちや、身近な職場の上司の人たちも、きっとその人たちのやり方で、頑張ってくれているとわたしは信じたい。決して私利私欲で権力を使っているなんてことはないと思う。
日本はそんなところではない、と私は思っている。
根っこはロックンロールなので、ある意味メルヘンな頭ではあるけれど....信じるならば、わたしはそれを信じたいな、と思っている。
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しあわせなじかん
休日。
国分寺カフェスローに久しぶりの来店。
土に息づいた自然の味、まごころこもった料理、
いただきます、と手を合わせてからじゃないと食べられないような気持ちがした。
すごく美味しくてなんか魂に染み込んでくるような感じがして涙がこみあげてくる。
至福の涙だなぁ。
そのあと、前から気になっていたねじまき雲という喫茶店に行ってみた。お店の前には注意書きが沢山あって、無駄に長居をしたり大きな声でおしゃべりしたりパソコンを広げて作業をしたり、などは禁止と書かれていた。出て行ってもらいます、くらいの力強さで書かれていて、すこし背筋が伸びたけれど、勇気を出してドアを開けると、神聖な静寂のなか数人のお客さんが静かに座って寛いでいた。素敵すぎてときめいた。
メニューにもたくさんの種類のコーヒーをゆっくりと選べるように、丁寧な説明が書いてあって、本を読むような感覚でメニューを選んだ。
コーヒーは、座っている椅子からのけぞりかえって、うひょーーー!!と叫び出したいくらいに美味しかった。雑味が全然なく、湧き水のような瑞々しい甘いコーヒーだった。しあわせ〜〜、と心の中で何度もつぶやきながらゆっくりと飲んだ。
写真は基本的に撮ってはいけないということだったので、心のシャッターを切っておいた。

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映画の感想メモ
映画マザーを見た。凄かった。。この監督、鬼才って言われてるけど、ほんとに!こういう強烈に賛否両論を巻き起こす表現って、凄いなと思った。。圧倒的に。あと、人間は何回やり直してもこれは無理やろ。。と思ってしまった。。。痛烈なメッセージだった。。
皮肉だけど、シンプルに現実を描いているように感じて、だとすればその現実の中で生きてる私たちは、だいぶ感覚がおかしい、というか麻痺してるんだと思った。。マザーアース、地球がこんなにもズタボロにされてるのに、我が物顔でずかずかと入ってくる人間たち。
創造主、神、と言ってるけど最後のマザーのセリフ、"貴方は私を愛していない、貴方のことを愛す私を愛してると言ってただけ。" 神は結局人間で、理想郷を作ろうと何回もやり直す。でもそれでは、いつまでも同じことの繰り返しなんだな、と、思った。
なんか、強烈な問題提起をする作品だなと、なんか圧倒された。。。
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tumblr
BAGDAD CAFE THE trench town
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