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What We Did On Our Holidays
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音楽、映画、英国での生活、etc.
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nissato · 9 years ago
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1964年のレスリー・ゴーア 〜少女の歌は時を超えて〜
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海外のガールズポップは好きですか?
 僕はザ・ロネッツやダスティ・スプリングフィールドといった、1960年代の女性グループ/シンガーをとりわけ好んで聴きます。当時のテレビ番組の映像で、彼女達が歌っているのを観て熱狂したり、曲に合わせて楽しそうに踊ったりしているオシャレな若者達を見ると、���分もその中に交ざりたかったな…と、大体いつも思っています。まあ、今はそんな話さておき…
 レスリー・ゴーアという、アメリカのシンガーがいました。1946年ブルックリン生まれのゴーアは、16歳の時に「It’s My Party(涙のバースデイ・パーティ)」というデビューシングルで全米1位を叩き出します。この時、彼女はまだ高校に通いながらボーカルのレッスンを受ける、一人の女子学生でした。クインシー・ジョーンズという伝説的なプロデューサーの力もあって、その後も彼女は学校に在籍しながらも、いくつかのヒットシングルを出し続けます。大体1963年から1964年にかけての話です。
 さて、今回はその中でも僕がとりわけ好きな曲について話します。それは「You Don’t Own Me(恋と涙の17才)」という、1963年12月にリリースされたシングルです。
https://www.youtube.com/watch?v=JDUjeR01wnU
 大学1年の夏、僕はバンドサークルの先輩から『T.A.M.I. Show』という1964年にサンタモニカで行われたコンサートフィルムのDVDを借り、エアコンのよく効いた実家のソファで寝転んで、何となくそれを眺めていました。ザ・ビーチ・ボーイズ、ザ・ローリング・ストーンズなどのそうそうたる顔ぶれが出演する中で、この曲を歌う若きゴーアの姿を初めて目にした時、僕は強く衝撃を受けて思わず起き上がったのを覚えています。
 女子ファン達の歓声に包まれ、嬉しそうにそれに応えながら登場する17歳のゴーアは、途端に表情を変えてこう歌い出します。
You don’t own me
I’m not just one of your many toys
 この曲では、歌い手が恋人に対して「私はあなたの所有物でも、おもちゃでもないし、こうしろこう言えなんて指図するのはやめて、ただ自分らしくいさせてほしい」という力強いステイトメントを、約2分30秒の間に残していきます。まだティーンエイジの真っただ中を生きるゴーアは、絶妙に抑制を効かせつつも、徐々に感情をむき出しにして歌い上げることによって、この曲をしっかりと自分のものにすることに成功しています。(アッパレ!)
 この曲は国中の女子達の共感を集め、1964年2月に3週連続で全米2位を記録しました。(ちなみにこの時の1位はザ・ビートルズ「抱きしめたい」でした。)また、この曲はその後第二波のフェミニズム運動に影響を与えた曲として取り上げられることも多く、決して一過性ではないテーマを含んだ曲とも言えそうです。
 のちにゴーアは「You Don’t Own Me」について、こう振り返っています。
 「16か17の時にこの曲を初めて聞いた時、フェミニズムはまだそれ程盛んなものではなかった。フェミニズムについて語っている人はいたけれど、まだ当時ではどんな段階の状態でもなかった」
 僕には、この曲がリリースされた頃、もしくはそれ以前の1950年代のアメリカは、まだ保守的な雰囲気が強く残る社会だったイメージがあります。それだけに、この曲は当時の聴き手には相当斬新に、あるいは、ある種の「恐れ」を喚起させるようにも響いていたのではないかと思います。
 自分の場合だと、それは特にゲイリー・ロスの『カラー・オブ・ハート』という映画から受けた影響も大きいです。
 簡単に説明すると、この映画は現代アメリカ(製作は1998年)を生きるティーンエイジャーの双子の兄妹(トビー・マグワイアとリース・ウィザースプーン)が、ワケあって1950年代の白黒のテレビドラマ『プレザントヴィル』の世界に入り込んでしまう、という話です。それまではカラーだったトビーとリースも、この映画自体も、なんと入り込んでからは白黒になってしまいます。「プレザントヴィル」の世界は、暴力も不倫も文学もなく、100パーセント秩序のある町として描かれます。現代的な価値観をもつ二人は、そんな平和で完璧すぎる世界に違和感を抱き、図らずも周りの人々に変化を与え始めてしまいます。印象的なのは、二人によって持ち込まれた新しい考え方や感情表現の仕方によって“目覚めた”「プレザントヴィル」の人たちが、次々と白黒からカラーになっていくところです。一方で、そんな新しい価値観のせいで、今までの白黒の世界が失われていってしまうことに対して人々が抱く「恐れ」についても、対照的に描かれています。
 話を戻します。
 レスリー・ゴーアの歌う「You Don’t Own Me」に、なぜこんなにも心惹かれるか。それはこの曲に、『カラー・オブ・ハート』でいうところの「人々に色を与える」力を感じるからです。
 また、音楽的なことを言えば、この曲は終わりに向けて何度か転調を繰り返します。それはまるで、ゴーアが4小節ごとに違う顔を見せながら、それまで抱え込んでいた感情を一つずつ、勢いよく解き放っているようです。
 最後のコーラスで、彼女はこう歌います。
I’m young and I love to be young
I’m free and I love to be free
To live my life the way I want
To say and do whatever I please
私は若いわ 若いってことが嬉しいの
私は自由 自由であることが嬉しい
好きなように生きられて
どんなことでも思ったことを言えて
やりたいことをやれるって そのことが嬉しいの
 少し皮肉かもしれないけれど、この作詞曲はJohn Madara & David Whiteという男性コンビによるもの。それでも、この曲はきっと当時多くの女子達が抱いていた自由な生き方への渇望を、リアル・ティーンエイジャーのゴーアが体現したことによって初めて成り立ったものだと、僕は思います。
 それにこの歌は、捉え方を変えれば必ずしも男女の関係だけではなく、学校と生徒、親と子のような関係性にも当てはめることができそうです。そんな普遍的なテーマは、この曲が時代を超えて聴き手を惹きつける重要な要素の1つとなっているのではないでしょうか。
 実際、「You Don’t Own Me」はその後いくつものカバーを生み、『ダーティ・ダンシング』や『ファースト・ワイフ・クラブ』といった映画にも使用されることになります。中でも印象的だったのは、2012年にタヴィ・ゲヴィンソン、レナ・ダナム、アレクサ・チャンなど、職業も世代も異なる女性の著名人たちが、この曲に合わせてリップシンクしている動画です。
https://vimeo.com/51920265
 この動画は、その年のアメリカ大統領選での共和党候補ミット・ロムニーの方針への反対と、民主党候補オバマへの投票を呼びかける公共広告として使用されたものでした。この時のロムニーは、男女格差や妊娠中絶に対して時代遅れな程保守的な考えをもっていたことから、それに危機感を覚えた女性たちがこの動画を作成するに至ったということです。これにはゴーア本人も出演をしていて、動画の最初と最後にコメントを残しています。
 「私が’You Don’t Own Me’を録音したのは1964年。とても信じられないことだけど、私たちはまだ当時と同じことのために闘っているわ。そう、レディーたち、力を合わせて、投票して、自分たちの身体を守るの」
 こうして「You Don’t Own Me」は時代とともに意味を変え、もとは男女の恋愛だった文脈が、政治的なメッセージまで帯びてくるようになりました。この動画には数えきれない程多くの女性たちが登場しますが、決して威圧的なものになっている訳ではなく、むしろ一人一人が自由に、ユーモアを武器に闘おうとしている様子が伝わってきます。そのスピリットは、きっと「1964年のレスリー・ゴーア」の時から変わっていません。
  惜しくも昨年2月にゴーアは他界しましたが、この先もこうして「1964年のレスリー���ゴーア」はこの世界のどこかで生き続けているのではないかと、もう先輩に返してしまった『T.A.M.I Show』の映像を今はネットで観ながら、僕は思っています。
*この記事は2016年9月にSister Magazineに掲載されたものです。
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nissato · 12 years ago
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The Zombies
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nissato · 13 years ago
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Nick Drakeの墓へ
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 先月、土砂降りの中Nick Drakeの墓を訪れて来た。
 Nickの墓は、Birminghamから電車で南へ20分くらいの、彼の故郷であるTanworth-in-Ardenという街の教会にある。周りには何もないし、殆ど人もいない。いわゆるvillage greenなところだ。むしろ「Nick Drakeの墓がある街」とさえも言えそうである。もう少し南へ行くと、シェイクスピアの故郷Stratford-upon-Avonも近い。ので同じ日にそちらも訪れた。
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 無人駅で下車し、人一人すれ違うこともなく教会に着いた。目印の大きな木の下に、Nick Drakeの墓を見つける。買って来た花を添えてみた。帰りは道が洪水していたため、膝下までがずぶ濡れになる、というクリスマスイブを過ごしてしまった。
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nissato · 13 years ago
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Swingin’ Londonの頃はMods達で賑わっていたと言われるCarnaby Street。今では無印良品やDIESELなど、他の都市とも変わらないような店が並んでいて、グローバル時代の到来を感じた。クリスマスとストーンズのベロマークは、相性がいい気がするね。
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nissato · 13 years ago
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Carole King & Louise Goffin - Where You Lead I Will Follow (Gilmore Girls intro theme song)
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nissato · 13 years ago
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男の子女の子
 大学1年の時に知り合ったイギリスと日本のハーフの友人に、「ビートルズの”You Can’t Do That”は歌詞が嫌いだ」と言われたことがあった。その時は、「なんで?曲は良いのに。」という印象であった。
 そんなピンポイントなことを、先月LiverpoolのCavern Clubへ行った時、ジョン・レノンのそっくりさんのような人がJ-160Eをかき鳴らしながら「You Can’t Do That」を歌っているのを見て思い出した。思えば、その歌詞をちゃんと調べたことはなかった。よく聴いてみるとこの曲は(簡単に言えば)嫉妬した男が女に「またあいつと喋ったな。それはしちゃだめだ。(You can’t do that.)」といって束縛するような内容であった。確かに、今の時代だとsexismに聞こえるかもしれない。
 一方で頭に浮かんだのが、Carole Kingの1971年の代表作『Tapestry(つづれおり)』に収録されている「Where You Lead」の歌詞だ。
Where you lead, I will follow
Anywhere that you tell me to
 『Tapestry(つづれおり)』が2008年に2枚組で再発された時、Disc 2には本編の全曲のライブ版が入るはずが、「Where You Lead」だけ何故か抜けていた。Carole自身、『Welcome to My Living Room』というDVDの中で「私たち女性はもはや男性たちについて行く必要なんてなかった」と語り、当時ライブではやりたがらなかったそう。
 しかしその後、2000年にGilmore GirlsというアメリカのTVドラマの主題歌になるにあたり、男女間を歌っていた「Where You Lead」の歌詞を親子間の歌として書き直し、Gerry Goffinとの間の娘、Louise Goffinとデュエットで再録。今ではライブでもやっているようだ。
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nissato · 13 years ago
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Scarborough Fair - Simon & Garfunkel
Scarborough Fairというのは、中世末期にYorkshire地方の北海沿岸で重要な交易場となっていた行楽地、Scarboroughで毎年8月15日から45日間もの間行われていた行事のこと。ヘンリ3世の時代の1253年から国の認可を得て始まっていたらしい。Fairの間は英国内のみならず、ノルウェーやデンマーク、バルト海、当時のビザンツからも交易をしに人々がScarboroughへやって来たという。
この歌は元々「The Elfin Knight」というチャイルドバラッドNo.2の曲が(ちなみにチャイルドバラッドはNo.350まである)、1670年頃から全国に広まるにつれ何十バージョンにもなったうちの一つだという。
現在最も知られている『卒業』の挿入歌にもなったS&Gのバージョンは、19世紀末に生まれた編曲を元にしているらしい。
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nissato · 13 years ago
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ヨークシャーから日本まで
 Bob Dylanは1962年にイギリスへ初めて訪れた時、Martin Carthy(Steeleye Span等に参加)から「スカボロー・フェア(Scarborough Fair、元はヨークシャー地方のバラッド)」を教わり、それを元に「北国の少女(Girl from the North Country)」を書いたらしい。「Remember me to one who lives there / She once was a true love of mine」という2行はそのまま「スカボローフェア」から拝借している。北国へ行ったら昔の彼女によろしく言ってくれ、というものである。
 のちに日本では「ソバカスのある少女」(作詞: 松本隆)や「五番街のマリーへ」(作詞: 阿久悠)のような、そのフォーマットを日本語で転用した曲も出て来た。一部では「伝言型ラブソング」などと呼ぶ人もいるらしい。
 また、あの太田裕美「木綿のハンカチーフ」(作詞: 松本隆)もBob Dylanの「スペイン革のブーツ(Boots of Spanish Leather)」の歌詞と良く似ていることで有名。ヨークシャー地方のバラッドは、日本の歌謡曲まで旅をしていた。
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nissato · 13 years ago
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Hold On / Sharon Tandy ~with Les Fleur De Lys~ (1967)
恐らくメンフィスからは既に帰って来て、ドイツのBeat-Clubに出演するSharon Tandy。ギターソロがフリーキーなバックはLes Fleur De Lys。
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nissato · 13 years ago
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Girls From London To Memphis
面白そうだったのでメモ。出典は殆どWikipediaかreadysteadygirlsより。
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Sharon Tandyは1943年、南アフリカのヨハネスブルグ生まれ。
当時ロンドンで音楽業界を渡り歩いていたFrank Fenter(のちの夫、同じく南ア出身)に声をかけられ1964年に渡英。1965~69年にシングルをいくつか出すも、いずれもヒットには至らず。
1966年にFrank FenterがAtlanticレコードUK支部のヘッドに選ばれ、ヨーロッパ全域におけるAtlanticレコードのマネジメントを務めることになる。そこでFenterはSharonにStaxでのレコーディングを提案。
メンフィスを訪れたSharonはStaxのMcLemore Avenue(Booker T. & the MGsのアルバム名にもなっている)で、Booker T. & the MGsやIsaac Hayes等をバックにレコーディング。翌年にはAtlanticからの初シングル”Toe Hold”(Isaac Hayes/David Porter作)をリリース。これはDusty Springfieldの1969年の作品、『Dusty In Memphis』よりも先であった。
同じような例を上げると、その『Dusty In Memphis』(69)、Luluの『New Routes』(70)、アメリカ人ではあるがCherの『3614 Jackson Highway』(69)と、所謂ブルーアイドソウルの女性シンガー達が南部のサウンドに惹かれ、Muscle Shoalsを訪れては録音をするという流れがその頃にはあった。
しかし1966年ともなるとまだロンドンもSwingin’ Londonの頃で、でむしろ当然のように(まだ)売れなかったのかもしれない。
その後、Dusty Springfieldがメンフィスへ行く頃には、逆にSharonはLes Fleur de Lysという所謂フリークビートの英バンドをバックにシングルを(同じくAtlanticから)出したりもしていたが、商業的には成功せず、Fenterとの関係も終わる。70年には南アへ帰ってしまった。
ところでこのFrank Fenterという人物、Atlantic UKのヘッドとして当時新結成したばかりのLed ZeppelinをAtlanticへ連れて来るという重役を果たしたと言われている(Led Zeppelinは68年にAtlanticと契約)。『Dusty In Memphis』にまつわる話で、「『Dusty In Memphis』のレコーディングの間、DustyがAtlanticの人物にLed Zeppelinという良いバンドがいるがどうかと紹介してみたら、それがDustyからの紹介というだけで会社はLed Zeppelinと面会することも無く契約した」というものがある。今思えばその「Atlanticの人物」とはこのFrank Fenterだったのかもしれない。ちなみに『Dusty In Memphis』の前作『Definetely...Dusty』(68)ではJohn Paul Jonesが録音に参加しているため、彼つながりでDustyはLed Zeppelinを知ったのかもしれない。
ここまで書いておいて、Sharon TandyのMemphisでの音源はYouTubeに上がっていないため未だ聴けていない。上の画像の『You Gotta Believe It's...』という編集版が唯一のCD化音源で入手可能のよう。もちろんMemphisでの録音の曲も入っている。
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nissato · 13 years ago
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Cilla Black - You're My World
英女性シンガーとなると自分の中ではダスティスプリングフィールドの座が不動になってしまうのだけれど、シラブラックも好き。バカラックのAlfieもシラのバージョンが一番良いと思っています。昨日リバプールから帰ってきましたが、ビートルズ云々はまあという感じで、EMIつながりでちょくちょくシラの写真が飾ってあったりしていたのも印象的でした。キャバーンクラブのクローク係やってた時のとか。これは73年ロイヤルアルバートホールのシラ。
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nissato · 13 years ago
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Shake - Otis Redding, Eric Burdon, Chris Farlowe
1966年のReady Steady Go。金曜の夜にこんなものが観れるならそりゃモッズたちも大人しく家へ帰るでしょう。エリックバードンのマイクの持ち方がちょっとハモネプの人みたい。
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nissato · 13 years ago
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Out Of Time - Chris Farlowe
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nissato · 13 years ago
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Heatwave / Lulu
当時15歳のルルによるヒートウェイヴらしい。ギターはジミーペイジ、ではないだろうか。
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nissato · 13 years ago
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Up On The Roof / Carole King & James Taylor
 TSUTAYAも何も無いので、日々CDやDVDを借りることも出来ず、Amazon.ukで気になる物だけをポチるという生活を送っています。Amazon.jpでは手に入らない物も、ukでは普通に安く売られていたりすることも稀にありますが。
 最近は数年前にリユニオンしたキャロキン&JTの『Live at the Troubadour』を買いましたが、嬉しいことにDVDも付いてきました。バックもギターにダニーコーチマー、ベースにリーランドスカラー(仙人のような髭..)、ドラムはラスカンケルと、まさに『Sweet Baby James』〜『Tapestry』のレコーディング時のメンバーによる同窓会。曲中でも互いにチラチラと目を合わせ本当に仲良さそう。そして息がぴったり。武道館観に行けば良かった。
 You’ve Got A Friendで「Thank you James~」とJTに感謝を伝えるキャロルのお涙頂戴なシーンも良かったですが、Up On The Roofで二人が交互に歌いながら曲を作り上げて行く感じもまたドラマチック。クーチのペケっとした温かいギターも健在。
 荒井由実『14番目の月』でベースを弾いていたのもこの仙人ベーシスト、リーランドスカラーだったらしい。
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nissato · 13 years ago
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Magic Moments / Perry Como
Bacharach-Davidの初期作。いい声。
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nissato · 13 years ago
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Ray Davies @ Symphony Hall Birmingham (13 Oct, 2012)
 人生初ですが、いわゆるライブレポなるものをやってみたいと思います。と言っても先月のレイデイヴィスなので、かなり時間が経過していますが。
 
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 こちらに来てから初めてのライブでしたが、日本と違うところはやはりまずチケットの値段でしょうか。一番良い席で35ポンド(4500円くらい)でした。今自分が他に行ってみたいものだと、ヴァンモリソンが51ポンド(6500円)、ゾンビーズが25ポンド(3200円)、マーサ&ザヴァンデラスは21ポンド(2600円)、といった感じです。2600円でマーサの歌が聴けてしまうなんて、ちょっと贅沢な気もしますね。
 あとはネットで買う時に、どこら辺で観たいかをクリックして決めることが出来ます。日本だとS席A席などで買ってもその中で前だったり後ろだったりと差が出てきますが、こちらでチケットを取る時は大抵かなり細かくエリアが分かれていて、時には一席一席の状況まで確認出来、何列何行の席で指定出来ることもあります。まるで映画館です。
 
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  場所はバーミンガムのSymphony Hallというところで、ここはその名の通り普段はオーケストラや合唱団、たまにジャズなどのコンサートが主に行われているところです。
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 恐らく中野サンプラザより少し小さいくらい。とても綺麗で落ち着いていて、やはり交響楽団向けな雰囲気でした。客層は見事にオール英国人老夫婦という中で、日本からの若者はさぞ浮いていたことでしょう。しかし皆さん夫婦でこういったライブを観に来るなんて良いなあとしばらくキョロキョロ。
 前座の男性SSWがエモーショナルな40分を歌い上げ、30分の休憩を挟み、ようやくレイさんが出てきました。おじさんおばさん、興奮のるつぼ。
 始めの数曲はギタリストの人と二人でアコースティックセット。殆どキンクスの曲でした。一曲目はThis Is Where I Belong。ゆるやか〜に歌い上げます。
 続いてAutumn Almanacで前の方のおばさんが立ち上がってラーララーラーと熱唱。一方「Roast beef on Sunday, オーライ」と客に歌わせておいて「中にはベジタリアンも居るんじゃないの?」と笑いをとるレイさん。
 引き続きDedicated Follower Of Fashion, Sunny Afternoon, See My Friendsなどのキンクス尽くめでアコースティックセットが終了。この時点でも場内は既にかなりの盛り上がりです。やはりギター二本でも皆で歌える曲ばかりなので、終始斉唱でした。
 突如姿を表したレイさんのバックバンド達が演奏を始めます。編成はドラム、ベース、キーボード、ギター、そしてレイさん。長〜いソロ回しから5人揃って演奏し始めたのはTill The End Of The Day。レイさん以外のメンバーは比較的若く演奏も今風なサウンドながら、これまた45年の時を超えてコントラバーシーな感じが伝わって来ました(何を言っている)。
 続いてApemanをぺろっと歌い上げ、自ら自著の『X-Ray』を片手に朗読し始めるレイさん。曲間のMCや、曲中のコール&レスポンス、アウトロの回しなどがいちいち長くとも憎めず、ひねくれていながらもエンターテイナーなところがどこか半年前に観た山下達郎と重なってしまいました。
 20th Century Man~Victoriaというパワフルなメドレーに続き、Dead End Street、A Long Way From Home、Tired Of Waiting。泣きのWaterloo Sunsetは静かにアコースティックで。最後は『マスウェルヒルビリーズ』からMuswell Hillbillies、Oklahoma U.S.Aを挟み、「Rock'n'roll is not dead~!(若い..)」のシャウトで始まったAll Day And All Of The Nightで本編が終了。レイさん6���歳。終始飛び跳ねたりと、かなりフレッシュです。
 アンコールはThank You For The Days〜の一曲だけ。と思いきや場内は英国人老夫婦たちの「ローラァ〜!!」の声とドンドンドンという足踏みの音で興奮冷めやらず。
 しばらくして、ひょこひょことレイさんとバックバンド達が再入場。レイさんのOvationのエレアコからゴングのように鳴り響くはやはりあの「C~C~CCCC~DD(コードストロークです..)」で始まるLolaのイントロ。アウトロの「LalalalaLo~la~」が何回続いたかは分かりませんが、皆さんスタンディングオベーションで合唱です。キンクスのヘイジュード。
 鳴り止まぬ拍手と歓声に包まれ、舞台の上手から下手へ、下手から上手へと手を振り、名残惜しいように退場するレイデイヴィス。全体を通してソロ曲が2曲ほどあったのを除いて、キンクスのグレイテストヒッツのようなセットリストでした。どれも知っている曲だと終わるのも早く、ましてや飽きることもなく。
 ライブ後の場内では終了のアナウンスと共にPerry ComoのMagic Momentsが流れ、満足げな老夫婦達が口笛を吹きながら退場。これも最後までエンターテイナーなレイの粋な演出なのだろうか、と思いを巡らせながらSymphony Hallを後にしました。
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