Tumgik
penn-of-auronrafts · 2 months
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『デルトラのベルト』七つの宝石⑧ラピスラズリ 中編
 長い前置きが終わりまして、「デルトラのベルト」のラピスラズリが使われた具体的な例と、ラピスラズリにまつわるあやふやなあれこれについて考えます。
 「デルトラ・クエスト」シリーズ内でラピスラズリが使われたのは、たったの4回!! オパールもリーフから避けられているため、登場回数が少ないのですが、ラピスラズリが一番登場しない宝石です。避けられてるというより、ほとんど意識されてない、不憫?な宝石です。以下に、登場場面を全て挙げます。
ラピスラズリ使用シーン①
1-4巻『うごめく砂』p.204 魔除け・夜の危険から守る
 ラピスラズリの力が発揮された初回は、『うごめく砂』でラピスラズリを見つけた直後。
 ラピスラズリを手に入れた三人は『うごめく砂』の中心をはなれはじめました。魔除けの力を持つラピスラズリを手に入れたリーフは、『大いなる力』の魔力にまどわされることなく『うごめく砂』を抜けることができた。夜の危険からも守られた。
 夜の危険が具体的になんなのかはちょっとわからないですが……『うごめく砂』の中心にたどり着くまでは不安と苦労の連続でしたが、ラピスラズリを手に入れたことにより、行きほど危険にさらされず、砂丘の出口にたどりつくことができた、と読みとれます。
ラピスラズリ使用シーン②
1-7巻『いましめの谷』p.186 神力の石、お護り石
 リーフたちがお尋ね者の三人組だと気づいたいましめの谷の番人は、リーフを魔力であやつり、デルトラのベルトをはずすよう仕向けた。リーフは、神力の石であるラピスラズリを握りしめ、番人に抵抗しようとします。番人は「ふん、神力の石か、お護り石なんかきかないぞ!」といってベルトをつかみますが、案の上?ベルトの魔力に苦しめられてしまいます。
 ルビーやエメラルドは邪悪を察知しますが、ラピスラズリは、邪悪な力に対抗するなんらかの力があるように思えます。が、リーフがこのようにラピスラズリを使ったのは、この1回のみでした。
 ここからすると、神力の石≒お護り石で、神力の石には邪悪を寄せ付けない力がある、と言えそうです。
ラピスラズリ使用シーン③
3-3巻『死の島』p.86 魔除け・夜の危険から守る
『幸運の女神号』の甲板におりようとしたリーフは、デルトラのベルトを確認する。
 このとき、ラピスラズリは、星のまたたく夜空のように強く光り輝いていた。船にちらつく怪しい幻を見たリーフは、甲板の下に危険が潜んでいても、ラピスラズリがある程度魔除けの力を発揮してくれるだろうと期待した。
 『うごめく砂』と同じパターンですね。でも、実際効果があったかどうかはよくわかりません。
番外編∶使おうと考えたけど使わなかった場面
3-3巻『死の島』p.100 幸運を呼ぶ力?
 ちょっとここで番外編です。ラピスラズリを使った回数は4回と数えているのですが、ラピスラズリはほかの宝石と違って「意図的に使わなかった場面」がある宝石です。
『幸運の女神号』の賭博部屋に閉じ込められたリーフは、部屋から出るためにゲームに参加することにします。ベルトのラピスラズリが明るく輝いていることにリーフは思い至ったが、幸運をもたらすラピスラズリがあっても、運頼みのゲームに参加する気にはなれなかった……といって、運頼みのゲームを選びません。
 もしリーフがラピスラズリをたよりにゲームをやっていたら、どういう結末をたどっていたかはわからないままですが、幸運の女神号が金貸しジャックの船であることを考えてみると、ラピスラズリを使わないリーフの選択は正しいような気がします。
 デルトラのベルトは、どの石をどう使うかが問題になったり、使うことで状況を劇的に打開したりする流れが多いなかで「使わない」という選択は珍しいのですが、「デルトラのベルト」はあくまで持ち主がどう使うかにゆだねられているアイテムです。
 すなわち、間違った使い方や、意味のない使い方をしたら役に立たず、その結果かえって追い込まれる可能性もあります。ラピスラズリが運だのみのゲームには効かず、ゲームに参加したは良いものの船から出られない、という結末もありえるのではないでしょうか。ラピスラズリがありえないような幸運をもたらす可能性もあるのかもしれませんが。ただ少なくともここは、運というものに対するリーフの考え方がかいまみえる貴重なシーンです。
 でもって、ここでは「幸運をもたらすラピスラズリ」などという説明が、地の文でさらっと登場します。ラピスラズリに幸運をもたらす力がある、などということは、少なくとも日本語版ではここまで一度も書かれていません。これは前編に書いたように、「お護り石(タリスマン)」という言葉で説明できるからだと考えていますが、あれ?となる箇所です。
ラピスラズリ使用シーン④
外伝)デルトラの伝説 p.146-147 幸運を呼ぶ力?
 そして最後が、その幸運をもたらす力が使われたとみられる場面です。デルトラ建国前にあった影の大王の侵略のころ、怒れる民衆に迫られていたメア族の長・ズィラーは、首の鎖についた大きな銀の星(ラピスラズリの入った容器)をにぎった。すると、あやしい風体をしたアディンが群衆の中から見つかった。民衆の怒りの矛先がアディンに向けられ、アディンがとらえられると、ズィラーは幸運に感謝して銀の星にキスをした。
 運だのみを嫌うリーフとは対照的に、ズィラーはためらいなくラピスラズリにたよります。アディンが見つかっても、その場しのぎにすぎないのですが、ズィラーは喜んでいます。さらに、どう転ぶかもわからないような出来事ですが、ズィラーはおそらく、ラピスラズリの力でもたらされた幸運だととらえて、アディンが見つかっただけで喜んでいるわけです。これを見ると、「幸運」とはきわめて主観的に思えます。またリーフとズィラーの幸運に対する考え方が、大きく違うのもわかります。ズィラーにはどうやら、ひとたびラピスラズリの力で幸運がもたらされれば、その後はうまく物事が進むというほどの認識がありそうです。
以上!
 『うごめく砂』の死の塔で宝石発見したときをのぞけば、作中で登場人物がラピスラズリを意識している箇所自体も、これで��ぼすべてになります。あとはほかの宝石と一緒に、ラピスラズリを見てるときとかですね。
 オパールは不吉な未来ばかり見せるので、リーフはさわるのをいやがってるんですが、ラピスラズリはそもそも眼中になさそう。
『デルトラの書』はラピスラズリのことをまともに書いてない?
 さてこれまで、デルトラのベルトのほとんどの宝石に関する説明は、『デルトラの書』からの引用として数行にわたって記されており、ストーリー上での描写とおおむね一致してきました。なんなら、『デルトラの書』には書いてあるというのに、ストーリー内で登場しない効果もあります。
 しかしラピスラズリについては、「ラピスラズリ……神力の石にして強力な魔除けともなる」たった一文のみ。登場量・説明ともに、7つの宝石のなかで最少。おまけに、幸運を呼び寄せる力も、あるのかないのかはっきりしない感じで登場し、本文で具体的に説明されることはありませんでした。作品のみを頼りにすると、謎の多い宝石です。そこで、ラピスラズリの力への情報をおぎなうために、ありうる可能性を考えてみました。
『デルトラの書』に書いてあることが「デルトラ・クエスト」に書いてない説
 『デルトラの書』は、小さいとはいえそれなりの長さがある本のようです。『デルトラの書』に書かれていても、「デルトラ・クエスト」内で言及されていない可能性はあります。
 ほかの宝石に関しては、今のところ『デルトラの書』からの情報で説明がつくのですが、ラピスラズリだけは地の文で「夜の力から守られる」「幸運をもたらす」と明かされています。リーフはデルトラの書を全部読んだから、このようなラピスラズリの力を知っているけど、読者に向けて説明されていないだけなのかもしれません。
『デルトラの書』の筆者に知らないことがあった説
 あるいは、『デルトラの書』がすべてではないのかも、という考えです。
 『デルトラの書』は、画家のウィシックが調べたことをまとめたものであって、彼が『デルトラのベルト』を使って効果を体感したわけではありません。それに、ウィシックがまとめた宝石の性質は、伝わっている過去の伝承などから読みとれることであって、ウィシックが知りえない効果や特徴が存在している可能性もあります。
 実際、『デルトラの書』には、王位継承に関してウィシックが想定していなかったことが起こったため、結果として説明不十分になってしまった箇所がありました。もしかすると、リーフやジョーカーは『デルトラの書』のあいまいさや情報不足、あるいは誤りを認識していたから、王位継承が『デルトラの書』どおりにいかない可能性を思いついたのかもしれません。
後編は…
 後編は、最後にまとめと、「デルトラのベルト」における幸運の象意について考えます。
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penn-of-auronrafts · 3 months
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DQ2 Lief and Jasmine are basically pre quest-trio Endon and Jarred
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penn-of-auronrafts · 6 months
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『デルトラのベルト』七つの宝石 ⑦ラピスラズリ 前編
 「デルトラのベルト」の3つ目の石、ラピスラズリは、ほかの石と比べると全然作中に登場しないうえに説明も少なく、今までで一番やっかいな石です。
 一方、「デルトラのベルト」の宝石には、世間で言われるパワーストーンとしての効果や伝承にそった特徴と、作者の創作なのか、どこかにモチーフがあるのか、よく分からない特徴があります。そのなかでラピスラズリだけは、おおむねパワーストーンとしての特徴そのままに描かれています。その点では、そのままあてはめてみると、分かりやすい石でもありました。
ラピスラズリという石
 デルトラ・クエストを読むと、青い石ならサファイアもあるのに、なんでラピスラズリなのか?とちょっと思いませんか? デストラはやや語呂が悪いですが、ラピスラズリよりもサファイアのほうが希少なイメージもあります。
 ラピスラズリは、世の宝石のなかでも特に歴史が古く、人が認知し用いてきた鉱物として最古のものと言われ、世界最初のパワーストーンとされています。「宝石に力が宿る」という思想の元祖ともいえ、デルトラ・クエストには外せない石なんですね。
 そのため、ラピスラズリにまつわる伝承はかなり洗練されているというか、どの情報をあたってみても内容にぶれが少ない印象です。また、もともと中東で好まれた石だからか、洋の東西で共通する言い伝えも多いです。ちなみに、特に質が良いとされるのは、濃い青が均一なラピスラズリだそう。
ラピスラズリの象意…『神力の石』?『幸運』?
 今回はまず、ラピスラズリの象意から考えていきたいと思いますが、またもこの宝石には悩まされる点がありました。それは『神力の石』という二つ名と、『幸運』という象意が出て来たり出て来なかったりするからです。『神力の石』『幸運』の両方とも、ラピスラズリの一般的な伝承で言われる象意なのですが、「デルトラ・クエスト」内では、あいまいな描かれ方をしている……というかラピスラズリ自体の影が薄いです。
 『神力の石』は、シリーズ本編・外伝をつうじて、ラピスラズリの呼び名や象意として登場します。一方で、外伝の「デルトラ王国探検記」でのみ、ラピスラズリの象意は幸運と記されていますが、Ⅲ-2『影の門』に登場するラピスラズリの竜は、自分のなわばりのことを「幸運の領域」と呼んでいます。さらにラピスラズリの領域やその近くに住む人たちが、運を重視していることも、シリーズ本編・外伝の両方からわかります。
 ラピスラズリは『神力の石』なのか『幸運』なのか。結論としてはどちらも、なのですが、まずはひとつずつ見ていってみましょう。
『神力の石』ラピスラズリ
 神力の石は、原語だと「heavenly stone」という言葉です。heavenly stoneという言葉も、ラピスラズリの伝承通りですが、英語で言うheavenは、赤や橙の彼岸花咲く三途の川の岸辺で、先に死んだ人たちが手招きしてる……みたいな情景のことではなく、空の上の神様や天使がいる場所、神の国のことだと思います。それも八百万の神様ではなく、天におわす唯一の神でしょう。
 heavenlyは辞書どおりの訳だと、そもそも仏教での死後の世界は極楽ですから、『天国』はキリスト教文化由来の日本語です。ここでは、教会のステンドグラス(http://www.interior-joho.com/interview/detail.php?id=1312&page=2)を思い浮かべるのがぴったりだと思います。
 そういうわけで、heavenly stoneとは、神様あるいは神のような存在からの力をもたらす、天国とのつながりを開く石、というイメージを指すと思います。
 ラピスラズリがかくされていた『うごめく砂』は、見渡すかぎり殺風景で、生き物の姿もなく、天国にはほど遠い場所にも思えます。しかし、お金のために戦うリスメアを出て、戦いで得た財産を失っても大きな目的のため命を懸け、見えない力に引き寄せられるように何もない砂漠を進んだリーフたちは、俗欲にとらわれない神的な何かに一歩近づき、ラピスラズリを手に入れることができた、と言えるのかもしれません。
 Ⅰ-3『ネズミの街』のリアの声は、邪悪な魔力でしたが、Ⅰ-4『うごめく砂』では人知を超えた力(魔力?)から引き寄せられます。地中で何ものかがうごめく砂丘は、目に見える世界の向こう側を感じさせる場所でもあります。それはさらにいえば、デルトラには<大いなる力>のように、魔力の源となり、すべてを操る大きな存在がいるのかもしれません。デルトラの宝石に宿る魔力は大地で育まれたものであるため、うごめく砂のありさまは、デルトラの地中にひそむ見えない力のようでもあります。
神力の石、<大いなる力>の訳語について
 辞書だとheavenly stone=神力の石という単語は出てこないのですが、日本だとラピスラズリは基本的に神力の石と呼ばれているため、これは文意をふまえた翻訳だといえます。『デルトラ王国探検記』では天空の石と書かれており、こちらも間違いではないものの、ラピスラズリという石の背景やストーリーもふまえると、やはり神力の石のほうがしっくり来る訳だと感じます。
 また、Hevenly Stone/神力の石という言葉そのものは、ラピスラズリが中東生まれということもあり、東西どちらの言い伝えでもこの言葉が使われていますが、「デルトラ・クエスト」内では上記のような西洋風のイメージがよりオリジナルに近いのではないかと考えます。
 ところが、うごめく砂の<大いなる力>という言葉のほうは、英語だと「Hive」、つまりミツバチの巣、ミツバチの群れと呼ばれています。
 4巻『うごめく砂』のストーリーを振り返ると、女王バチのアップルドリンクのりんご畑、ミツバチの群れをしたがえる女王バチのような果樹園主の老婆、リスメアの人びととデル城の衛兵が大好きな女王バチのアップルドリンク。そして、うごめく砂のブーンという低い音、中心の死の塔に群れるミツバチ。塔のなかにいる女王バチのために、Hiveが砂漠から宝物を集めているのです。
 ここはそのままでも良かったような気もしますが、上に書いた『神力』などに含まれる言外のニュアンスは分かりにくいので、ミツバチの巣そのものが<大いなる力>であると、より分かりやすくされたのかもしれません。
幸運のお護り石 ラピスラズリ
 次に『幸運』の象意に関して。強力なお護りであるラピスラズリですが、英語だとタリスマンという言葉で表されています。Ⅰ-7巻で、いましめの谷の番人が「なんだお護り石か!」と言っていますが、あれもタリスマンと言っています。
 お守りをアミュレットと呼ぶこともあるけど、アミュレットは主に邪悪を寄せつけないためのお守り。タリスマンはどちらかというと、幸運を引き寄せるためのお守りです。タリスマンがあれば、神の大いなる力によって、幸運を呼び寄せることができるのです。
 メア族は全身にお守りをジャラジャラつけていますが、言ってみれば、ラピスラズリはそのお守りたちの親分みたいなもの。『デルトラの伝説』でアディンを見つけたメア族の長は、ラピスラズリを首につけていますが、あれが正しい使用法なんでしょうね。
 「デルトラ・クエスト」でのメア族たちのふるまいを見ていると、幸運って主観的なものにも見えますが、これはのちのち考えてみようと思います。
神力の石か、幸運の石か
 さて「デルトラ・クエスト」シリーズでは、文中で宝石の象意がたびたび並べ立てられています。
 特に「デルトラ・クエストⅠ」各巻のエンディングでは、誠実、幸福、希望、神力、名誉……といった調子で、それまで見つけた宝石をふりかえるように象意が地の文で繰り返されています。ラピスラズリは神力の石ですが、神力は日本語では造語じみた言葉ですから、他の宝石の象意と並べればおさまりが悪い気もします。
 しかも、原書で各巻のこのくだりを見ていってみると、Ⅰ-6巻で急に『luck』が登場します。でも、日本語版のⅠ-6巻では、ほかの巻と同様に訳語は『神力』のままなんですね。おまけに、6巻にラピスラズリは登場しません。なのになぜ、こんなことになっているのか?
 原書に関して言えば、英語のタリスマンであれば、いちいち書かなくても幸運の石という意味合いが伝わるんですかね。または、あえて暗喩で表現したかったからでしょうか。
 またⅠ-6巻にラピスラズリは登場しないのですが、夜間リバークイーン号が襲撃されても、ウミヘビだらけの川に投げ込まれたバルダや、暗闇で盗賊と戦ったリーフとジャスミンも一命をとりとめています。これはある意味ラッキーですし、お護り石ラピスラズリの力で守られたからなのかもしれません(「デルトラのベルト」の力は持ち主にしかおよばない説とは矛盾しますが)。
 日本語版のⅠ-6巻では、手違いという線を除けば、文中で説明するのは難しいし、そのままにしておくとかえって混乱を招きかねないので、『神力』で統一したとも考えられます。
 というわけで、神力の石で、幸運の象徴でもあるのがラピスラズリ。幸運は隠された象意として、作中に存在していると見ることができるかなと思います。
オパールとラピスラズリのつながり
 『デルトラのベルト』のオパールとラピスラズリには、特別なつながりがあるとされています。
 ここまでおおむね伝承どおりのラピスラズリでしたが、この設定だけは世の中に見当たりません。
 今のところ、これは作者の創作設定なのではないかと思っていますが、ラピスラズリを中心に物語を読み進めているうちに、Ⅰ-3『ネズミの街』とⅠ-4『うごめく砂』の2つの巻にもつながりがあるのでは?と思うようになってきました。
リスメアとヒラはコインの裏表
 Ⅰ-3巻『ネズミの街』でのバルダは、トムのランタンを勝手に触っちゃうなんてポカがありましたが、自由に動こうとするジャスミンとリーフのフォローアップに回っていますし、トムとのマドレットの取引やチュルナイでのトラブル対応も代表しています。しかしⅠ-4巻『うごめく砂』ではジョーカーに負け、さらに『レジスタンス』に勧誘されます。これは、バルダがジョーカーの配下につき、リーフとジャスミンも、ジョーカーの指示のもとにおかれるという意味を持ちます。最終的にはバルダが勧誘を断り、リーフとジャスミンもバルダ側についたので、バルダが一行の保護者的立場を失うことはありません���したが、バルダにとっては立場を失いかねない場面でした。
 リーフは、チュルナイでティラを救った優しさが裏目に出て、リスメア競技大会でネリダに負けてしまいます。トムの店で強欲なトムにドン引きしていたジャスミンは、リスメア優勝大会で優勝したけど、血を見る戦いに我を忘れてしまいました。
 ヒラとリスメアという、ふたつの街も対照的です。
 いかにも豪勢に格式張っていて、しきたりが厳しそうなヒラと、人間の欲とずるさがあらわではあるものの、自由なリスメア。影の大王にネズミを送り込まれて滅亡してしまったヒラと、なんだかんだいって、影の大王の支配下でも潰されなかったリスメア。
 平原族とメア族は古くからライバル関係にありました。両者は、切っても切れないくされ縁というか、光と影、カードやコインの表と裏みたいに、表裏一体なものなのかもしれません。どちらかの街での正義は、もう一方での正義ではないし、どちらかが沈めばどちらかが浮かぶ、というつながりが、オパールとラピスラズリだけでなく、ふたつの街や部族のあいたにはあるのかもしれません。
運だのみは神だのみ 見えない希望と見えない神の力
 ラピスラズリは神力の石ですが、オパールは、未来を見せる石です。Ⅰ-4巻『うごめく砂』の冒頭で、オパールが見せたうごめく砂での未来があるから、リーフたちは危険なリスメア競技大会に賭けられた部分もあったと思います。途中退場が難しい大会システムのため、リーフたちは仕方なく参加せざるを得なくなりましたが、この大会で死んだり、動けなくなったりするほどの致命傷を負ったりしないことも分かっていました。
 ただしふつうは、未来に何が起こるかはわからないものです。リーフたちは、オパールで未来が見えたから、自分たちを信じられたのですが、そうでなければ未来などわからないまま。失敗するリスクを背負い、本当にあるか分からない成功を信じて困難に挑戦するには、なんらかの強い意思が必要です。
 『うごめく砂』での見えない力の導きは、「デルトラ・クエストⅠ」の旅における、運命(distiny,fate)に導かれているというリーフの感覚を裏づけるといえます。
 何者かに導かれているという想像は、自分たちの歩む道はどこかにつながっていると信じることであり、苦難においても自分を保つ力のひとつになりえます。本当に導かれているかどうかはさておき、人に困難を乗り越えさせる力にはなるはずです。
 見えない未来を信じることは、祈りに似たものだと思います。讃美歌などを引き合いに出してもよさそうですが、たとえばアメリカンロックの「Livin’ On A Prayer」は、ミュージシャンを目指す男とそれを支えるガールフレンドが、苦境に立たされながらも夢を信じる……という歌詞で、prayerとは祈りの言葉のことですが、同時に強い希望という意味もあります。
 この歌のカップルは、見えざる神の力を信じ、成功を神に祈っているのです。貧困や不運に心折れそうでも、成功への確証が見えなくても、正しい道を進んでいる最中だと信じて希望を持つことで、夢を追いかけつづけられるし、その希望こそが心のよりどころになるのです。
だから神力とは、宗教的な信心に限らず普遍的な言い方をすると、その人なりの信念や、自分や仲間を信じる強い心を持つということでもあるのではないでしょうか。
 Ⅰ-3巻の終盤では、リーフ、バルダ、ジャスミンがネズミの街に乗り込む前に旅の目的を再確認し合いますが、このとき3人が考えた「デルトラのベルトの宝石を取り戻すのは国王のためではなく、自分とその周囲のためである」という信念は、シリーズの終わりまで貫かれます。たとえ困難な旅であっても、それは自分のためであり、他の人のためにもなると信じて強い信念に変えることで、実現のための行動をつづけていけるのです。
 運を天に任せて、不安定な未来を信じるからこそ、希望が生まれます。そしてまた、希望が未来を信じる原動力になるし、転がりこんできた運をモノにでき、また希望が持てる……それも希望と神力・幸運のつながりなのだと思います。
出典-------------------------------------------------------
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 4 うごめく砂」、岩崎書店、2002年
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 2 影の門」、岩崎書店、2005年
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006年
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009年
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penn-of-auronrafts · 10 months
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「デルトラ・クエスト」とキリスト教
 「デルトラのベルト」の3つめの宝石、ラピスラズリや、うごめく砂について考えていたら、キリスト教的な考え方の影響が大きいと思うようになってきました。
 ラピスラズリの持つ『神力の石』という呼び名は、エミリー・ロッダの創作ではなく、ラピスラズリという石にまつわる歴史的な言い伝えなのですが、西洋文化圏のキリスト教的価値観が反映されている言葉でもあります。この辺は、今後も触れることがあると思うので、その前提を一度しっかりまとめておこうと思います。
英語とキリスト教の関係
 まず原点に立ち返ると、デルトラ・クエストは、英語を話す人によって、英語で書かれた文章です。キリスト教は英語よりも歴史が古く、英語はキリスト教と深いかかわりを持ちながら発展した言語です。キリスト教を理解することは、英語の本意や、よりネイティブに近い感覚での理解をするためには欠かせません。
 聖書は世界一のベストセラーともいわれますが、世界で一番考察ガチ勢を抱えてる小説みたいなもので、英単語には聖書由来の単語も多くふくまれています。シェイクスピアが英語圏の教養であるのと同じくらい、聖書由来の言い回しは英語圏でなじみ深いものです。「Oh my god!」だってそうだし、英語のスラングにはキリストを侮辱する言葉もあります。神を侮辱してみせるくらいの怖いもの知らずだ!ってわけですね。
 また、聖書のエピソードや言い回しを引用することが、教養のひとつとみなされることもあります。英語の名演説のひとつとされる、キング牧師の「I have a dream」の演説も、聖書にもとづいた表現が繰り返し使われています。多くの人が、引用されている聖書の情景をありありと思い浮かべることができるため、この演説は広く人の心を打つのです。
 さらにキリスト教は、西洋圏の文化、歴史とも非常にかかわりが深く、常識や善悪の観念だけでなく、社会にも大きく影響しています。たとえばアメリカは、日本人からするとごたまぜで自由な国のように見えますが、実は非常に宗教的な国です。世界中から移民が集まっているのに、キリスト教徒以外が大統領になったことはありません。なかでもプロテスタントの支持が篤く、キリスト教であってもカトリック信者の大統領すら、今までに2人だけ。これは政党支持が宗教と深く結びついているためで、似たような国はほかにもあるわけですが、アメリカなど西洋文化圏ではそれがキリスト教だ、ということですね。オーストラリアも同じで、第一次大戦時の徴兵制導入が、キリスト教カトリック信者を基盤とする組織の反対でひっくり返された、なんてこともあるので、キリスト教と社会の関係においてはまったく例外ではないでしょう。
 というわけで、「デルトラ・クエスト」にみられるキリスト教的な要素については、作者個人の嗜好や意図まで掘り下げようとすると、話が違ってきますし、「デルトラ・クエスト」だけを読んで判断することもできません。おそらくエミリー・ロッダの他作品にも、キリスト教要素を見い出そうと思えば見つかると思います。
日本語と宗教
 話がそれますが、このような宗教と言語や文化の深い関係は、英語・英語圏だけにみられる特別なものではありません。
 日本語には、仏教用語が多数含まれています。たとえば、「自由」「退屈」「大丈夫」といった言葉も、仏教の教えが由来だそう。でも、誰かが「自由」「退屈」「大丈夫」と言ったからといって、その人が必ずしも敬虔な仏教信者とは限りませんよね。仏教用語抜きの日本語なんて考えられないのと同様、キリスト教抜きの英語も考えられないんです。
 日本に来た外国の人が、日本の価値観が仏教的で驚くこともあると聞きますが、日本に住んでいる身からすると何に驚くのかさっぱりわからないほどです。だから、英語や西洋文化圏でのキリスト教的価値観や慣習も、その文化圏外の人間からすると目立つけど、そこで生きる人たちにとっては、空気のように当たり前なのでしょう。
ファンタジーとキリスト教
 「デルトラ・クエスト」にもキリスト教色が見出せる理由は、大きく3つほど考えられます。
 ひとつは、作者の無意識です。西洋文化圏でキリスト教そのものが文化や環境と深く結びついている以上、その影響は誰であってもまぬがれることはできません。もし仮にキリスト教を信仰していなくても、信心深い人とかかわったり、キリスト教と関係のある習慣を経験したりすることもありえます。周りの人と協調して生きていくためにも、西洋文化圏の社会では、ある程度キリスト教的価値観になじむ必要があるはずです。キリスト教徒であるかどうかに関係なく、そこで生まれ育てば誰しもが影響を受ける範疇というものはあるでしょう。
 作者は姓からしてもイングランド系の出自だと思われるため、キリスト教の信徒である可能性はかなり高いと思いますが、公言されていない信教を断言するのはやめときます。
 ふたつめは、英語で書いているから。英語そのものがキリスト教の影響を強く受けているため、キリスト教と関わりのある単語や表現を用いることも当然出てくると思います。これは個人的な考えですが、古風でおごそかというか、ちょっと文語的な言い回しをしようとすると、宗教的(キリスト教由来)な単語は多くなるんじゃないかと思います。
 エミリー・ロッダの他作品にも、キリスト教色が見い出せるはず、とする理由も、主にこの作者の無意識や英語という言語の特徴の2つからです。これは、英語で書かれた文章全般にも共通すると思います。
 最後に、みっつめは、物語にファンタジーらしさを出すため。「デルトラ・クエスト」に宗教色があるとすれば、主に3つめの理由からだと思います。
 ファンタジーには、宗教的要素がみられるものが多くあります。有名どころだと『指輪物語』『ナルニア国物語』がそうで、これらはキリスト教・聖書からのテーマを物語で表現していると言われています。あるいは、ファンタジーの代表と言われる『指輪物語』『ナルニア国物語』がそうだから、ファンタジーは宗教的要素があるものだとみなされるようになっていったんじゃないか、って感じもしますね。
 西洋のファンタジーとは何かを真面目に理解しようとするほど、キリスト教に行きあたるのではないかと思います。『指輪』『ナルニア』以外にも、キリスト教色のあるファンタジーはいっぱいあります。「デルトラ」と近い時期のものだと、ドイツの「ネシャン・サーガ」(ラルフ・イーザウ、1995)とかがそうです。
 大きく3つと言いましたが、4つめの物語的な理由も考えられます。聖書は世界最大のベストセラーと呼ばれるということを上で書きましたが、古くから読み継がれている小説のひとつでもあります。古典として聖書を引用することは、物語の格調を高められるのではないかと思います。キング牧師の演説のように、聖書の言い回しや筋をなぞらえると、多くの人が言外に同じイメージを共有しやすくなるので、大衆に響きやすくなるという面もありそうです。
「デルトラ・クエスト」とキリスト教
 ですので、「デルトラ・クエスト」でみられるキリスト教色が意図的と言えるほどのものならば、王道・正統派ファンタジーの色合いを強めるためや、物語としての説得力を増すためではないかと思われます。しかし今のところは、キリスト教そのものは、物語のテーマのひとつだとまでは言えません。
 あのハリポタであっても、読む人が読めば、随所にキリスト教的要素が見出せるといいます。ネットで調べると、本職の人たちが解説している記事がたくさん出てきて、なかにはストーリーを通じてJ.K.ローリングの宗派まで推測している人もいます。それでも先ほどのべたように、あくまで書き手の無意識に近いものであって、意図的に取り入れたものではないとする見方がほとんどです。
 「デルトラ・クエスト」のストーリーでも、キリスト教的な信仰心のようなものが描かれたり、善悪の観念などにキリスト教の影響が見られると考えていますが、あえてわざわざキリスト教を選んだというほどでもないと思います。作者も、作者が想定する読み手も、宗教=キリスト教的なものという価値観を共有しているため、伝え方や表現方法がキリスト教的になることもまた、自然に起こりえます。 わざとそうしたというより、外そうにも外せない要素だってことですね。ファンタジーや宝石や魔法を語るうえでも、英語を使って子どもたちに語りかけるうえでも、どこかに必ずキリスト教が結びつくのです。
  先ほど例に出した「ネシャン・サーガ」は、信仰心の獲得がストーリーになっているので、そのくらいど真ん中に置かれていてはじめて、宗教がテーマだ、と言えるのだろうと思います。ですがやっぱり「デルトラ・クエスト」も、キリスト教的価値観を理解することで、より深く読める部分はあると思っています。そしてここでは「デルトラ・クエスト」とキリスト教とのつながりを強調してきましたが、一般的なキリスト教的概念とは異なる思想もあるのではないかという気もしています。しかしそれもまた、キリスト教的なものをよりわけたうえで見つけられるはずです。
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penn-of-auronrafts · 1 year
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ベリティーとベリタスの関係
ベリティー(Verity)
ベリティーが登場する「デルトラ・クエストⅢ」3巻『死の島』では、リーフのセリフによって、ベリティー(verity)という言葉には真実という意味があると説明されています。
では辞書を引いてみると、たしかにリーフのいうように真実という意味なのですが、「真理」という意味が真実よりも先に来ます。加えて、やや古い言い回しでもあるという説明がなされています。
一方で、アメジストの象意である「真実」は、デルトラ・クエストのほかの箇所では(全部見たわけじゃないけど)、truthという言葉で表現されています。
truthは、「真実」という意味の一般的な英単語で、.真実、事実、真相、真実性、真実味、真実であること、真理、誠実、正直、忠誠、正確さ手年などなど、 幅広い意味を持つため、よく使われる語です。
対してverityは、主に文語表現であって、あまり日常会話で使われるような単語ではないんじゃないかと思います。個人的に���、truthよりも、厳かな雰囲気を持つイメージです。verityと口に出すと、ちょっと高尚な、もしくは気取った印象があるんじゃないかな。
上のとおり、truthは広い意味での真実なので、verityはtruthの持つ意味に含まれます。
verityは狭義の真実であって、何が事実で嘘かというような文脈での真実ではなく、誰もがたどり着くようなひとつの事実や、何があっても不変の真実、すなわち真理を示すときに使われることが多いのだろうと思います。
Verityは、実際に英語圏の人名にも使われます。主に女性の名前ですが、男女兼用の名であるうえ、姓にも使われることがあるし、イギリスやアメリカなどよりもオーストラリアで特に人気の高い名前だと言われています。
"verity"辞典での英語の意味
エミリー・ロッダさんは、本名のジェニファー・ロウ名義で大人向けミステリー作品も書かれていますが、その代表作は90年代に書かれた「ベリティー・バードウッド」シリーズといって、ベリティーという女性探偵が謎を解決していくお話です。まだ読んだことはないので、デルトラのベリティーと関係があるのかどうか分からないのですが、ロッダさんはベリティーという名の女性キャラクターがお気に入りなんじゃないかな~と思ったりしてます。
ベリタス(Veritas)
ベリタス(veritas)は、ラテン語で真実という意味の言葉です。格言や校訓によく使われている単語でもあるので、ラテン語とはいっても英語の辞典に載ってるような言葉です。
英単語には、ラテン語の言葉が語源になっていることが結構あり、veritasは、verityの語源のひとつです。veryとかも、veritasが語源の英単語です。また、フランス語のveriteも、veritasが語源で、真理・真実という意味の言葉です。
デルトラの七匹の竜は宝石の象意にもとづいた名前を持っていますが、Veritasだけがラテン語で、ほかの六匹は英語です。
デルトラの竜の名前を見てみると、象意の言葉そのものから来る名の竜と、その類義語みたいな英単語があてられている竜がいますが、ベリタスだけが例外です。
ただ日本語版では、英語版から竜の名前が変更されています。英語版だと、象意or類語を人名(竜名?)っぽく変形した名前ですが、日本語版のベリタスホープフォースフォーチュン…は変形が取り除かれており、もとの単語だけになっています。
変形までされていると、日本の読者にとってはもとの単語が非常に推測しにくくなり、トリックを明かされてもピンと来にくいですからね。しかしベリタスだけは、邦訳でもそのままで変更がありません。
verityとveritasのつながり
ともかくフォーチュン(原書ではFortuna)オナー(原書ではHonora)などのように、真実の竜の名も、truthから取った名でも良かったはずです。それこそトゥルータスとか。
そうではなくわざわざラテン語があてられている理由が何かというと、ベリティーとベリタスの名前のつながりは、竜の名前の仕かけに気づかせるフックのひとつだからかなと思います。どんでん返しの伏線というわけですね。
伏線という点をふまえると、先にベリティーという類語があって、竜の名前らしく変形させたら、たまたまラテン語になったとか、あるいはもともとtruth→verity→veritasの連想が頭にあったのかもしれません。推測であり、断言はできませんが。
あともうひとつは、言葉のつながりやバリエーションの豊かさを通じて、言葉や物語の奥深さを表現されているのかなと、あらためて考えて思いました。
竜の名前の仕かけは、おそらく読者が英語話者である前提で作られた設定で (作者は翻訳されることをさほど念頭に置いていない?) 、英語圏の人であればverity→veritasにももう少し気づきやすいのではないかと思いますし、より面白みを感じられるのかもしれません。同じ意味のtruthとverityがあるように、真実という概念ひとつとっても、どのような真実があるかや、真実という言葉で表される事柄はひとつだけではないですし、それはほかの竜も同じです。デルトラⅢでは、デルトラの七つの宝石の象意を別の言葉やエピソードで表し直すことで、デルトラⅠから一段深く掘り下げているのだと思います。
ただ日本語になっているから、意味や面白さが損なわれているかというと、そういうわけではありません。
verity(真理)という言葉の意味合いは、verityという言葉をそれまで聞いたことがなかったとしても、骨岬のベリティーとそのエピソードを思い浮かべれば分かります。ベリティーは名を体現していて、真実に関するお話を残していることは、作中から読み取れます。このように、言葉という無形のものを言葉で表すことができるのが、物語だと言えます。
また、英語が母語の人であれば、言葉に語源などがあることを知れば英語(国語)を学ぶきっかけになりそうですが、そうでない人も英語を楽しむきっかけになるでしょう。
しかし邦訳の竜の名前は、たぶんverity→veritasを踏まえてそこだけ変更なしにされているかと思いますが、日本の小学生向けとしては「Diamond Emelrald Lapis・Lazri…頭文字をとってDELTORA」と比べると、ラテン語と英語の関連はさすがになじみがなさすぎる点は否めません。オナー、フィディリティーなどの語彙もだいぶ難しいです。英語版はひねりも加わっているので、英語で読んだとしても読解の難易度は上がっていそうですけどね。
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エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 1 沈黙の森」、岩崎書店、2002年
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 3 死の島」、岩崎書店、2005年
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 4 最後の歌姫」、岩崎書店、2005年
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penn-of-auronrafts · 1 year
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デルトラ王国の民族②
 あまりにも時間が経ち過ぎて、何を考えていたかもう忘れているのですが、たぶん〇〇族かどうかってことにデルトラ王国でどのくらい意味があるのか、〇〇族ってどういうことなのか……という話をしたかったんだと思います。
 前回の記事「デルトラ王国の民族①」では、デルトラ王国に住んでいるのはどのような人物か?ということを考えてきました。その続きとして、部族というものにどんな意味があるのか、ということを見ていきたいと思います。
1.出身部族は社会的な意味を持つのか?
 前の記事では、七部族ルーツの国民とそうでない無所属者という風に分類してきましたが、実のところ、この二者にあまり違いはないと思います。
 前の記事でいう無所属者の集団であっても、デルトラで数世代暮らしてきているなら、余程世間から切り離されていない限り、数十分の一程度は何らかの部族の血が混ざると思います。
 たとえばドールなんかは、人種的な様相からみても、まだあまり混血が進んでいないように見えますが、デルトラの土着の民と結ばれたドール市民はゼロではないと思います。ドールはやや閉鎖的ではありますが、おそらく混血者がまだ少ないのであり、すべては度合いの問題です。もしドールの街で閉鎖的な傾向が続き、混血者が少なく抑えられるとしても、「そういう街」「そういう集団」というだけの話。これは、小人族とかララド族などの古風な七部族も同じですし、逆もまたしかりです。
 誰がデルトラの住民か、という観点では、七部族ルーツかそれ以外のルーツか、あるいは混合集団かという点による優劣はありません。何が多めで何が少なめかってくらいなだけなんです。デルトラの言葉を話し、互いにつながりを持ち、デルトラで暮らしているなら、デルトラ王国民です。それ以上でも以下でもありません。  作中においても、何族であるかが重要だったのは、ほぼ『デルトラのベルト』への誓いを改めたときだけです。
 デルトラ建国前��おいては、よその部族を忌み嫌う部族もあったし、よその部族の血が入っていることは、おそらくどこの土地でもあまり誇れることではありませんでした。  ただそれは、あくまでよく知らない者への不理解や不信、利害の対立の延長にあるものです。部族同士が互いに敵対することはあっても、他の部族との関係において、特定の部族の者だけが公に差別されたことや迫害されたことはありません。すべての部族が等しく、互いを嫌い合っていました。  建国後においても、ある特定の部族の出身だからといって、移住や就職の機会が制限されることはありません。  「よそ者」の安易な出入りが好まれない土地や、ララド族や小人族のように伝統的な暮らしを続けている部族もあります。入ったところで文化的に馴染みにくかったり、出ていくことが一般的でないって場合はあるかもしれません。しかし、本人がその気になればよその街に引っ越して、商売を始めても家を建てても自由です。  デルトラ王国において、どの部族の生まれかということで縛られることは少なく、「よそ者」であることが職業や居住地を選ぶ大きな壁になることも少ないのではないかと思います。  ただ、民間人レベルの差別や偏見までもが起こらないとまでは言い切れません。魔法を使うトーラ族がひとりでよその街に行けば魔女と罵られたり、青灰色の肌のララド族が好奇の目で見られることがないとは言えないと思います。また、デル城を国の中枢とするならば、七部族ルーツ(特にトーラ族)の高官・政治家はもしかしたら多かったかもしれません。  ここで言いたいのは、あくまで国家や部族が、人種・民族のみを理由に何かを制限することを公に認めたことはないということです。
2.血統と部族への帰属意識の関係 2-1.部族と血
 いろんなルーツを持つ者が共存していることは、デルトラ王国の魅力的な側面ですが、ルーツによる違いが重要でないならば、日常生活でそのルーツを意識させられる機会は減ってきます。
 小人族やララド族のように同じ土地に住み続け、古代とあまり変わらない生活をしている部族もいる反面、リーフやバルダのように、自分が何の部族とつながりを持つのか、聞かれてはじめて意識するような者もいます。
 七部族の都だった都市であっても、人の移動や混血がかなり進んでいる場所もあるので、3、4世代遡れるからといって遺伝子的にその街の部族の血を最も濃く引いているかどうかは分からない場合もあると思われます。
 特にデルなど、人の出入りに寛容な街では、デルトラ(竜の地)がひとつの島だった頃からの先住デル族の血だけを引く、純粋なデル族はほぼ存在しないでしょう。
 『七部族の誓い』に名乗りを上げ、デル族として忠誠を誓ったリーフも、純デル族ではありません。
 当時はリーフも自分の家系のことをはっきり知らなかったこともあり、バルダともども、デルにずっと住んでいるのでデル族だろう、というアバウトな推測のもとデル族の代表となりましたが、何の問題も起こりませんでした。
2-2.魔法と血
 『七部族の誓い』は、伝説上の手続きに則って行われた、魔法の契約が介在する誓いです。ここで気になるのは、魔法の効果と部族の血統にどこまで関わりがあるのか、ということです。
 リーフは、十数世代にわたってトーラ族と交わりを持っている家系の人間です。十数世代もトーラ族系の血を選りすぐって受け入れていたら、リーフ個人は遺伝的にだいぶトーラ族だと言えると思います。おまけに、祖先のアディンが国王になる前にはすでに、よその部族の出身者(オパール)と婚姻関係を結んだ親族がいました。
 そのアディンも、デル族を名乗って宝石を集めて回りましたが、予言されたデルトラのベルトの魔力も無事発動しました。
 リーフもまた、繰り返しになりますが『七部族の誓い』において、純粋なデル族ではないにもかかわらずデル族を名乗りましたが、何事もなく誓いは結び直されました。リーフ以外の参加者はどうでしょうか。半分くらいはだいたいはっきりしないというか、系図を調べでもしない限り、そもそも純粋にその部族であるかなんて判断がつけられません。
 何の部族であるかどうかには、魔法という言葉を超えた関わりという面においても、血統の濃さや正当性がすべてを決めるわけではなく、本人の認識によるところも大きいのではないかと思います。もし両親がそれぞれ異なる部族であっても、本人が自分はそのどちらかの部族だと思えば、その人が思う方の部族に属するのです!
 ドランが『デルトラ王国探検記』において、外国の民が七つの宝石のうちどの石にひかれるかは「性格による」と語っていたことは示唆に富みます。これまでも見てきた通り、移民の多いデルトラ王国では、遺伝的なルーツを国外に持つ住民も多くいます。彼らがデルトラへやって来てどこに住み、どこに帰属するかは、本人の心持ち次第ということではないでしょうか? そこが好きで、心惹かれるなら、その人はその部族なんじゃないでしょうか?
 あるいは、作中に登場したセリフを借りれば「どれほど薄められていたとしても血は血」。『デルトラの伝説』でも、リーフたちの家系のもっとも古い先祖は、古代デルに住むサイラスだとされています。どれほど時間が経ちいろんな血が混じっていたとしても、その源が純粋なデル族であるからには、リーフはデル族なのです。あるいは、ほんのひとしずくであっても、その部族の血が混じっていれば、その部族であるという認識が真実になる、と言えるのかもしれません。
 これらはもちろん、何の血のつながりもない部族を名乗ることまでできるわけでなく、あいまいであっても受け入れられうる余地があるということです。
2-2-2.本質的な部族と社会的な部族
 残される疑問は、じゃあ血統と本人の認識のどちらが部族だと言えるの?というものです。
 部族・人種の混合は、歴史的・文化的に起きたのであって、人々が忘れたり気にしなくなったりしたとしても、血統があるかないかという境目までもが消えてなくなるわけではないからです。
 前項で扱った血統と部族の関係(先ほどの「血は血である」論)は、より本質的にその部族といえるかどうか、ということだと言えると思います。血で区別するならば、どの部族であるかが誰から見ても明確になるように思えます。しかし本人にはどうにもならないことだと言えますし、リーフたちがそうだったように、だいたいそうだろうで判別するしかありません。
 対して、本人の認識(「性格による」論)は、区分けがあいまいである代わりに、その人の選択次第だと言えます。その代わりに、人種的にはどうみても小人族なのに、デルに住んでいて、デル族を名乗るなんてことも起こるかもしれません。本人が自分をどう感じるかは、その人が立たされている社会的な立場や環境にも大きく影響されます。
 ふたつの考え方は、どちらか一方しか成り立たないのではなく、時と場合によって変わりうると思います。デルトラ王国の社会的な場においては、本人が好みで自由に選んでも問題がないことがほとんどなのです。『七部族の誓い』のように、特別な場で血統の正当性が問題になることもあるかもしれない、といった位置づけにしたいと思います。
2-2-2-2.そもそも民族・部族って?
 さて、この記事でいう民族は「デルトラ王国に住む人々の区分け」といった意味合いで、部族とそれ以外のものすべてをいっしょくたに考えてきましたが、世間では民族という言葉の定義そのものに曖昧な部分があるといいます。いくつもの民族が入り乱れる国はファンタジーではなく現実にあり、民族は政治や紛争などの問題と複雑に絡み合っています。前項では、民族の血統と自認に関する疑問についてひもとくため、学問的な定義をふまえて少し整理してみました。 
こちら(「民族 身近で、実はあいまいなもの」
)を参考にさせていただいていますが、あくまで「それっぽいようにあてはめてみた」だけであって、実際には前項のふたつの単純な考え方とは大きく異なっているであろうことを強調しておきたいと思います。
 しかしここで見えて来るのが、魔法というものが血統の存在意義をよりくっきりと浮かび上がらせていることです。現実には、血だけでなく、言語や文化なども、その人をその民族と強く結びつけることがあります。魔法と血というのはファンタジーならではの部分であると同時に、部族・民族との関係以外でもストーリーに関わっていることなので、また別の機会に掘り下げられたらいいなあ~とフラグだけ立てておきます。
2-3. 部族と宝石と大地の魔法
 最後に3つめの可能性として、「何族であるか」はその人が生まれた場所による可能性もあるかもしれません。
 ラピスラズリの竜は、ゼリーをひとめ見ただけで、自分の領土生まれの人間と見抜きました。デルトラの魔法は、大地から宝石を媒介して人や竜に共通して流れるものだとされています。多少出自があやふやであったり、祖先からそこに住んでいるわけでなかったりしても、その領域で生まれた者であれば、大地とのつながりを持つがゆえに、その土地の出身者であるという何らかの印を持つのかもしれません。これもまた、デルトラの魔法がどんなものかってこと自体があやふやなので、いずれ考え直すことにして投げておきます。
まとめ
 デルトラ王国において、どの部族かまたはどの部族でないか、ということは、人種や出自で左右されるものではなく、本人の自認によるもの。だが、そもそもどの部族かどうかということが、デルトラで大きく意識されることは少なかったし、ましてや意思や機会の制限や優遇につながることは多くない。
 なんか、『七部族の誓い』だって、七部族とかあったんだ~みたいな雰囲気でしたよね。いつからそうなったか分かりませんが、長くそんなもので、部族とはいつしか忘れ去られた伝統だったんだと思います。でも、リーフの時代になって基礎教育がはじまり、どこに住む誰それたちはどの出身で……といったことをみなが理解するようになれば、かえって人々が意識し出すこともあるかもしれないなとふと思いました。「デルトラ・クエスト」は、みんな部族なんてものがあることを知らなかった、国民がルーツを忘れた状態であり、そんなことを気にする余裕もなかった環境を舞台にしていますから。みんながルーツを意識し出したときに、ひとつの国として団結できるかどうかは、また別の問題になってくるのでしょう。
出典
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 8 帰還」、岩崎書店、2003年
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエストⅡ 3 影の王国」、岩崎書店
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 2 影の門」、岩崎書店
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006年
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009年
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「スター・オブ・デルトラ」、KADOKAWA、2016年
「民族 Ethnic Group / Tribe / Nation」(アジア経済研究所「調査研究」)
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penn-of-auronrafts · 1 year
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『デルトラのベルト』七つの宝石 ④エメラルド 中編2:解毒と痛みを抑える・潰瘍をいやす
 『デルトラのベルト』のエメラルドが持つ力について考えます。「デルトラ・クエスト」シリーズのネタバレを含みます。
 エメラルドの力のうち、邪悪を察知する力と誓い破りを察知する力については、これまでの記事で考えてきました。残るは、解毒する力と痛みを抑え、潰瘍をいやす力の2つです。
解毒
 この力はなかなか強力で、しかも比較的速やかに効果を発揮します。エメラルドが解毒のために使われたのは、作中で大きく2回ありました。
デインの毒(『帰還』より)
ベタクサ村で、デインがバルダに盛った毒。この毒のせいで、数日かけてじわじわと弱ったバルダ。しかし、イカボット乱入のどさくさに紛れてベルトが胸の上に落ちると、バルダは立って動けるくらいまで回復しました。この間は、長くとも数分~十数分です。
パフの毒(『最後の歌姫』)
パフが使用していた、『トーラ病』を引き起こす毒へも、デルトラのベルトのエメラルドが解毒に用いられました。この毒は、摂取した人に対し、高熱と赤い腫物を伴う症状を引き起こします。パフが毒を与える量を調節していたのか、違う毒を使い分けていたのか分かりませんが、症状が出た日のうちに亡くなった人もいた一方で、シャーン妃は数日間かけてじわじわと衰弱します。 
 ともかく、そんなシャーン妃にデルトラのベルトのエメラルドを数十秒押し当てると、みるみるうちに脈が安定し、熱も下がりはじめます(直前に毒を追加されていたため、次に処置されたリンダルほどの回復には至りません)。シャーンと同じような状態で倒れていたリンダルも、数分間エメラルドを当てられると口がきけるほどまで回復。さらに、毒を盛られたからすにも1~2分程度当てると羽ばたき出すなど、かなりの回復が見られました。
解毒作用の使い方
 この解毒の力は、心臓付近に置くことで、最も効果を発揮するようです(『最後の歌姫』より)。
他の宝石の似た効力
 エメラルドがないとき、ほかの宝石を使って解毒が行われた事例もいくつかあります。
ルビー
 ルビーを使っても、ジャスミンの手のひらをかすったゲリックの毒を緩和することができました。これはルビーの持つ、邪悪をかわす能力によるもの。ゲリックの毒が邪悪だったから効いたようなので、デインやパフが使ったような毒にはもしかしたら効かない可能性もあります。
 また、『王国探検記』では、ゲリックと同じ種であろうジクジクヒキガエルの毒を、アディンがルビーの力で癒したことが書かれています。
 逆に、ゲリックの毒をエメラルドで解毒できるかどうかは不明なのですが……そのときエメラルドはゲリックのおでこにはまってましたからね。毒は毒なので、できない理由はないんじゃないかなあ。でもアディンは、ルビーを所持している頃にはすでにエメラルドを手に入れていたはずなので、そこでなぜエメラルドではなくルビーを使ったのかが謎です。このことはルビーについて考えるときにまた触れてみようと思います。
ダイアモンド
 リーフたち3人が、果ての森の出口そばの湖に生えている、催眠作用を持つ金色の実を食べてしまったときも、リーフはダイアモンドを握って毒を弱めることに成功しました(『竜の巣』より)。しかし、ダイアモンドの持つ効果はあくまでも体力増強ですから、完全な毒消しにはなりません。
 だからダイアモンドの力を借りても、リーフの体はほとんど麻痺しており、回復するには解毒作用のあるしぶい皮を食べる必要がありました。さらに、この金の果実は食べても死に至るわけではなく、大量に食べてようやく深い眠りに就く程度のものだったので、他の毒と比べるとやや微弱と言えそうです。
 したがって、力をもたらすダイアモンドの効果は、ルビーとは違って邪悪な毒には効果がないのはもちろん、エメラルドとも違い、強い毒をくだすことはできないのではないかと思います。
毒消しの宝石使い分け
 エメラルドがないときにもしも毒消ししたければ、邪悪な毒はルビー、邪悪でない自然由来の毒等にはダイアモンドで代用することができるでしょう。とはいえ、先に書いた通り、特にダイアモンドの力はあくまで予備として使える程度のものなので、エメラルドがあればそっちを使うのがやっぱり一番安心なんだと思います。エメラルドないけど。
小さなエメラルドにも解毒作用がある
 これはデルトラ産の宝石全体に共通する性質なのですが、デルトラ産のほかのエメラルドたちも、この大エメラルドと同じ力を持っています。
 前述のトーラ病騒動の際にも、患者を治療するために、グラ・ソンが持っていた恐怖の山のエメラルドと、デル城にあったエメラルドのアクセサリーが用いられました。
 グラ・ソンによれば、恐怖の山の小人族は昔から、宝石が持つこの性質をよく知っていました。小人族は、解毒のために、守護石の大エメラルドも普通のエメラルドもどちらも使って来たのでしょう。
痛みを抑える・潰瘍を癒す
 さて、エメラルドは、痛みを抑え、潰瘍を癒す力も持つとされています。
 この2つの力は、『デルトラの書』で触れられているものの、作中ではっきりと使われた場面はありません。しかし、解毒作用と同じように、未開の山中で、しかも危険な生き物だらけの『恐怖の山』で暮らす小人族にとっては、病やケガの治療のために、この力が大いに役立っていたと思われます。
まとめ
 エメラルドが登場する場面は多いし、持っている効果も多い……。中編が2つに分かれるとは思いませんでした。
 今回は、触って役立つ系の力2つについて考えました。最後に、象意である「名誉」ついて簡単に考えてようやくおしまいです。
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penn-of-auronrafts · 2 years
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Dog Tales(誰も知らない犬たちのおはなし)の21周年記念版も今年の6月に出ていました。
私はまだ日本語版も読んだことがないけど、デルトラやローワンの次に出たのが犬のお話という振り幅にはいつも驚かされます……!
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penn-of-auronrafts · 2 years
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「デルトラ・クエスト」シリーズ登場人物の死の描写について
以前気になった、味方キャラと敵キャラの死の描写は異なるのではないか?という説について考えます。
ここでは、作中で亡くなった人物を挙げました。作中時点ですでに故人だったり、本に書かれていない時間帯で亡くなっている人物やオルや憲兵は含めていません。ざっくりなので抜けや勘違いはあるかもです。
【葬儀・埋葬の様子まで書かれている】 ミン(Ⅰ-1)……エンドンはミンの遺体を運んでチャペルに横たえ、おきて通り一晩の番をした エンドン(Ⅰ-8)……皆が見守る前で死去���、リーフとシャーンがおきてに則りチャペルで遺体の番をした。 グロック(Ⅱ-1)……遺言を残し、墓参りまでされ、遺品は無事弟に受け継がれます。 イノシシ男オットー(Ⅲ-2)……仮面の人にやられてしまいますが、一座の仲間に弔われます。怪しげな葬儀の様子は、仮面一座の独特な世界を印象づけます。 ドラン(Ⅲ-3、4)……エンドンやグロック同様、死に際に言葉を残し、墓が作られる。
【死後の様子まで書かれている】 クリアン老人?(Ⅰ-1)……死をきっかけにジャードが鍛冶屋を継いだ。本人も寿命を予期していたためか、転がり込んできたジャードに鍛冶を教え、孫娘の結婚まで見届けたはずだから、幸福な晩年ではないでしょうか。 ジンクス(Ⅱ-2)……疎まれてはいたものの、マリリンがジンクスを思い出して顔をしかめる場面がある。 ロルフ(Ⅲ-1)……埋葬の際、ジャスミンが遺骸を漁り、北の歌姫の地図を見つけたという。 ジョセフ(Ⅲ-4)……チャペルでラネッシュと最後の言葉を交わす。ジョセフの死は、周囲の人たちにとっても悔いの残るものでした。 ラネッシュもその後マリリンを迎えに行かされてるので埋葬は書かれてないけど、ヒラのドロドロ征伐のあとにあったのかな。デルトラの伝説は、作中の時系列でもジョセフの死後に出版されているので、彼の存在は世の中に残り続けている。 パフ(Ⅲ-4)……なかなか劇的な死だったが、あれはパフにとって苦しみからの解放なのでしょう。リーフ、ジョーカーは、哀れみをもってパフの死を仲間たちに話しました。
【死の場面のみ】 ライ(Ⅰ-3)……人間の敵キャラで初の死者。 リ・ナン(Ⅰ-5)……ゲリックにぺっ!と唾を吐きかけられておしまい。 ミルン(Ⅰ-6)……グルーの洞窟に置き去り。 ネリダ(Ⅰ-7)……小川で倒れてた。 アマランツ(Ⅱ-2)……正気を取り戻し、友人シャーンに看取られていたので、温かみの感じられる死に際でした。 オーリス(Ⅱ-2)……個人的にシリーズ中で一番えぐい死に方。リーフが肝心な場面で目を反らすのでどうにか読める。 ベス(Ⅲ-2)……死ぬことよりもその後(仮面がくっついてる)のほうが嫌だ。 クリステン(Ⅲ-2)……これもえぐい。
【番外編・外伝の人物など】 ライゲーン(モンスターブック)……うごめく砂の探検家ライゲーンは、砂丘探索に出かけて帰らぬ人に。いかれライゲーンなどと呼ばれていたわりには、デルトラ年鑑にも記録が残されていたりと、それなりに功績を認められていたようです。 シーラ(伝説)……影の大王の手下同士の仲間割れで死ぬ。 ドッドとライザ(伝説)……幽霊になる。 ベリティー?(Ⅲ-3)……作中の時間軸ではすでに亡くなっていましたが、リーフとバルダの幸運の女神号のエピソード自体、ベリティーが遺したものの話。彼女の場合は船首像が墓標で、海が墓場なのだと思います!
まとめ
表には挙げませんでしたが、うごめく砂で死んだ2人の憲兵を死者と数えれば、デルトラ・クエストでは毎巻誰かが亡くなっています。特に多いのは『幻想の島』と『影の門』で3名ずつ。
抜けはあるかもしれませんが、味方や、敵だとしても温情の持てるキャラクターだと、一言・一文であっても死に関する他の人物からの気持ちや、埋葬や葬儀に触れられているなど、丁寧に書かれているように思えます。 敵キャラや悪役だと必ずしもそうではないので、ストーリーに合わせたらそうなったのか意識的なのかは分かりませんが、やはり生き死にって重要なことですから、ある程度気を遣って書き分けがされているんじゃないかと感じました。特に、埋葬や葬儀といった形式面によく言及されることも印象的です。
でも、デルトラこそダークファンタジーと評されることもありますが、���ミリー・ロッダさん自体はそこまで登場人物をバタバタ死なすわけではないと思っています。一作目から六作目(ローワンと魔法の地図)までは今のところ死者ゼロで、ファンタジーでないほかの作品でも、誰かの死がストーリーに大きく関わっているケースはあるものの、登場人物が亡くなることはそんなにないのではないかと思います。ローワンの後半の巻とかどうなんだろう?
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penn-of-auronrafts · 2 years
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死んだ怪物が影の手下説! 恐怖の山のブラールも殺されず逃げ帰ってるけど、あれは野良だからOKかな!
これを聞いて思ったのが、話のなかで死んだ登場人物も、味方キャラだと葬儀やお墓のことまで触れられてるけど、敵キャラだとそうではない感じがするんですよね。それだとパフは敵扱いになるけど……。そのうち考えてみたい~。
個人的に考えた説まとめ
・デルトラで死んだとされる怪物、全員影の王国の手先説
 死んだと明確にされているもの→影の大王の手下?
死んでいない・死んだと明確にされていないもの→デルトラに古くから居た、もしくは影の大王の手下ではない?
〈一旦の結論〉
 ゴール死んでるからないんちゃう?でもゴールって倒したというよりは死んでただから別?
〈肯定意見〉
・死んだと明確にされているもの
 ゴール(死んでいたが正確?)、テーガン、ジニジッド、ライ(ネズヌク)、リア、ゲリック、デイン、ダーク、ロルフ、マリエッタ
・死んだが、リーフたちが倒してはいないもの
 ドラン、パフ、アクババ数匹
・死んだと明確にされていないもの、死んでないもの
 ウェンバー、ソルディーン、ネズミ、テレオクティ、ハチ、グルー、ファーディープ、アラク
 (個人的にはドランとパフは影の大王の手下とはしたくない(ドランはともかくパフも)ので、ドランはアメジストの竜、パフはデルトラのベルトによって死んだとしたい……。でもそうするとアクババも竜に殺されてることになるな?いやドランの死は愛し愛されたものによる永遠の休息だから……違うものでしょ……(ドランオタク))
デルトラにもともといたものは死んでいない……?
ウェンバーはもともと森にいた怪物。
ソルディーンは影の手下にはなっていない。
ネズミはネズヌクが放したものだが、あいつら自身は食べ物を求めているだけ?
テレオクティはもともと砂丘にいた怪物。砂丘の食物連鎖にも入っている。
ハチはデルトラの最も古いものと言っても過言ではなさそう。
グルーは巣を守ってるだけ。
ファーディープは影の大王の手先になってしまったことはたしか。しかし谷に逃げてきたときはエンドン即位前のため手先として生まれた訳では無い?
アラクは今も地下で生きてるんだろうな……
・とするとデルトラに生きるものは殺さず、影の手下だけ殺してることになりませんか?
〈反論意見〉
ゲリックも昔はただのカエルだった?数百年生きてから手下になった?
ジニジッドも直接ではない?
→ほぼ直接みたいなもん(焦)
リーフの髪色黒髪説
 単行本も白いんだよな。でもほら……帰還で黒髪トーラの青年が変装してるし……トーラ生まれのゼアンは黒髪でしょたぶん今確証ないけど……エンドンは何色なんだろう……もしかしたら隔世遺伝とか突然変異あるかもやけどそこまでしないでしょ……?
グルー、ル・カルコル説
これについては投稿したので読んでください。1個前の投稿です。
あとはドランの容姿が見れたらなんでもいいです。
ドランとベリティーとパフが好きなんです……ドランとベリティーの真の英雄感とパフの折れ曲がったひたむきさが大好き。
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penn-of-auronrafts · 2 years
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個人的に考えた説まとめ
・デルトラで死んだとされる怪物、全員影の王国の手先説
 死んだと明確にされているもの→影の大王の手下?
死んでいない・死んだと明確にされていないもの→デルトラに古くから居た、もしくは影の大王の手下ではない?
〈一旦の結論〉
 ゴール死んでるからないんちゃう?でもゴールって倒したというよりは死んでただから別?
〈肯定意見〉
・死んだと明確にされているもの
 ゴール(死んでいたが正確?)、テーガン、ジニジッド、ライ(ネズヌク)、リア、ゲリック、デイン、ダーク、ロルフ、マリエッタ
・死んだが、リーフたちが倒してはいないもの
 ドラン、パフ、アクババ数匹
・死んだと明確にされていないもの、死んでないもの
 ウェンバー、ソルディーン、ネズミ、テレオクティ、ハチ、グルー、ファーディープ、アラク
 (個人的にはドランとパフは影の大王の手下とはしたくない(ドランはともかくパフも)ので、ドランはアメジストの竜、パフはデルトラのベルトによって死んだとしたい……。でもそうするとアクババも竜に殺されてることになるな?いやドランの死は愛し愛されたものによる永遠の休息だから……違うものでしょ……(ドランオタク))
デルトラにもともといたものは死んでいない……?
ウェンバーはもともと森にいた怪物。
ソルディーンは影の手下にはなっていない。
ネズミはネズヌクが放したものだが、あいつら自身は食べ物を求めているだけ?
テレオクティはもともと砂丘にいた怪物。砂丘の食物連鎖にも入っている。
ハチはデルトラの最も古いものと言っても過言ではなさそう。
グルーは巣を守ってるだけ。
ファーディープは影の大王の手先になってしまったことはたしか。しかし谷に逃げてきたときはエンドン即位前のため手先として生まれた訳では無い?
アラクは今も地下で生きてるんだろうな……
・とするとデルトラに生きるものは殺さず、影の手下だけ殺してることになりませんか?
〈反論意見〉
ゲリックも昔はただのカエルだった?数百年生きてから手下になった?
ジニジッドも直接ではない?
→ほぼ直接みたいなもん(焦)
リーフの髪色黒髪説
 単行本も白いんだよな。でもほら……帰還で黒髪トーラの青年が変装してるし……トーラ生まれのゼアンは黒髪でしょたぶん今確証ないけど……エンドンは何色なんだろう……もしかしたら隔世遺伝とか突然変異あるかもやけどそこまでしないでしょ……?
グルー、ル・カルコル説
これについては投稿したので読んでください。1個前の投稿です。
あとはドランの容姿が見れたらなんでもいいです。
ドランとベリティーとパフが好きなんです……ドランとベリティーの真の英雄感とパフの折れ曲がったひたむきさが大好き。
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penn-of-auronrafts · 2 years
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『デルトラのベルト』七つの宝石 ③エメラルド 中編
 エメラルドが邪悪を察知する効果に関して、残るいくつかの疑問点を考えながら、分かったことを整理していく……つもりだったのですが、ほぼすべてがルビーにも共通することに思えるので、考えるのが面倒くさくなってきてしまいました。ルビーの項でまとめて考えてみようと思います。また今から振り返ってみると、察知した対象が何かだけよりも、どういう状況だったか、ということから見ていったほうが良かったような気もしています。
 ということで、続きましてエメラルド固有の力である、破られた誓いを察知する効果について考えます。
破られた誓い
 なんらかの誓いが破られた場に居合わせると、エメラルドは色あせてその存在を知らせます。誓いを破った人物とかに反応しても良いようには思えますが、あくまで例示されているのは、過去にその誓い破りがされた場所での反応でした。
 エメラルドが破られた誓いをはっきりと察知したのは、トーラ族がエンドン王の頼みを断っていましめの谷に飛ばされたときです。これ以外に誓い破りをエメラルドが察知したと明言されている場面はないのですが、なかなかインパクトのある出来事なので、このトーラ族の誓い破りを掘り下げて考えていってみようと思います。
立場や名誉を守るための誓い
 この効果について考えるにあたって、のちに破られることとなった、トーラ族の誓いが結ばれた経緯をまずさかのぼってみます。
 アディンによるデルトラ王国の建国後、竜の地の七部族は、国王に就任したアディンへと忠誠を誓いました。しかしトーラ族は、ほかの六部族のようにアディンにただ忠誠を誓っただけではなく、大岩に魔法をかけてその誓いを表します。
 アディンが影の大王に対抗するための団結を説いたとき、トーラ族は、ほかの部族や、トーラの外の民が苦しめられていることをアディンから知らされてもなお、戦いへの協力要請を二度も拒み、アディンと6部族があわや影の大王軍に滅ぼされる寸前になって寝返りました。戦後、トーラ族はこれを深く恥じ入ったため、誓いを破ると自らが破滅する魔法をかけた、とされています。※1
 この誓いはトーラ族の誇り高さゆえに生まれたものでもあるのですが、当時のトーラ族の状況を考えてみると、彼らはとても肩身の狭い状況に置かれていたと思われます。トーラ族はアディンの頼みを二度もむげにした直後だったため、彼らが信頼できるかどうか怪しまれてもおかしくありません。
 けれども、トーラ族にしてみれば、国王に謀反を企てているのではないか、本気で国王に忠誠心を持っていないのではないかなどと疑われていたら、他の部族から攻撃されかねなかったり、トーラ族の意見に耳を傾けてもらえなくなってしまったりと、立場が非常に危うくなってしまいます。新しく出来た国で、そして新しい国王やほかの部族との関係のなかで、自分たちの立場を守りつづけるためにも、彼らはどうにかして周囲からの信頼を保つ必要がありました。ここでの立場というのは、名誉と言い換えても良いかもしれません。
 そこで立てられたのが彼らの忠誠の誓いであり、さらに魔法で縛りをかけて保証することによって、誓いへの信頼性を高めました。自らに厳しい誓いを強いたことで、ほかの部族からの不信もかなり和らげることができたでしょう。こうすることで、危機に陥っているほかの部族を省みなかったという不名誉におとしめられることもなく、魔力を持つ誇り高き民という面子を保ち続けることができたのです。
 ただこの時点では、まだまだ1度目の過ちで、トーラ族が子孫代々に渡って誓いを守りつづけるかは誰にも分からないことだったので、反省や保身としてだけではなく「わざわざそんなことまでするなんて」という認識でもあったのではないかと思います。
 ほかの六部族だって、入って来た他部族を見境なくやっちまうとかいろいろすねに傷を持っていたわけなので、過去のことは水に流し、アディンのもとで団結してひとつの国を作り上げていきましょう、というタイミングです。ギリギリだったとはいえ、トーラ族はちゃんと味方についたし、影の大王も追い返せたので、終わり良ければすべて良しでもありますしね。
 というわけで、トーラ族は、偉大なるアディンとその子孫へ深く忠誠を示してしまいたい!そしてこの国と国王を支え続ける!という強い気持ちをもって、幸か不幸か自らに厳しいいましめを課してしまったのだと思います。
エメラルドの誓いは非常に重い
 なんやかんやあって、結局数百年後にトーラ族はこの誓いを破ります。ドランも危惧していたように、デルトラの竜が絶滅しかけていたころには、トーラ族も先祖が誓いを立てた理由を忘れかけており、誓いを気にして国王に強く出ることを恐れるようになっていました(忠誠って何?という気分にもなる……)。その後のデルトラ国王のだめだめっぷりもあいまってでしょうが、トーラ族は、この誓いは時代遅れの足かせに過ぎないと感じるようになり、ひいては無意味なものだと思いこむようになっていったのではないかと思います。でも実際は違っていて、誓いの魔法の効力、誓いの重みは、アディンの時代と変わることなく保たれていました。そして、運命のあの日、エンドン王からの手紙を破った瞬間、トーラ族は魔法でいましめの谷に吹き飛ばされてしまいます。
 しかし、どうしてトーラ族がああまでならなければならなかったのか。だいたいは影の大王の企みのせいでもあるんですが、忠誠の対象とするべきデルトラ国王の権威はだだ下がりだったので、そんなものに忠実に従っても意味はないと思うのも仕方ないと思います。
 具体的に「エメラルドが誓い破りを察知した」とされているのは、このトーラ族の例しかありませんから、トーラ族がこの行動のせいで誓い破りとされた点についてほかの出来事と比べて考察することはできません。そこで、原書で『デルトラの書』のエメラルドの部分を引いてみると、「vow」という言葉で表現されています。同じ誓い、宣誓という意味でも、「oath」の方が日常的な言葉のようですが、oathは特定の人と人のあいだの誓いであるのに対し、vowは特定の誰かに対してではなく、神に誓う、世間一般に対して誓うというやや固い意味合いになるようです。つまり、誰か少数の人間のあいだで何か一定の行動をする、しないという程度の誓いではなく、生きている限りその何かをする、またはしないという重い約束のことが想定されているのだと思います。
 誓いを破った結果、トーラ族がたどった運命にはゾッとさせられます。何もこんなにひどい目に遭わなくても……。しかし、彼らが立てた誓いは、まさに人生や命をかけても守るべきものであり、それをむやみに破った責任もとても重いのです。あの魔法を解く手段があったかは不明ですが、あの誓いが「vow」であるなら、トーラ族がこの世に存続している限り、デルトラ王国がある限り、守られ続けなければならない誓いだったのだと思います。身が破滅するほどの報いは、相応だったと言えるのでしょう。
誓いは復活しない
 忠誠の誓いを破ったトーラ族は一応魔力を取り戻し、リーフに許されてトーラに戻ることもできました。けれども、古代の先祖たちがかけた誓いの魔法が復活することはなく、トーラの誓いの大岩もひび割れたままです。
 ここら辺は魔法の仕組みの話にもなってきそうですが、トーラ族が一度誓いを破った事実が消えることはなく、もう一度誓い直すこともできないようです。つまり、誓いという手段で名誉を回復することはもう不可能です。
 しかしトーラ族はまたしても、自らがエンドン国王に対してした裏切りのため、部族以外の民から厳しい目線にさらされることになっており、その不満は『トーラ病』騒動で噴出します。
 だからといって、トーラ族が自ら名誉や信頼を回復する手段まで失われているわけではありません。最終巻「最後の歌姫」で示されているように、トーラ族は、自分たちが罵られていることを知っても支援の食料を届けにデルへやってきました。このように、魔力というほかにはない恵まれた力で名誉を維持するのではなく、魔力を通じて得たものをほかの民にも分け与えることで、名誉を回復し、それぞれと信頼関係を結び直していくこともできます。これは誓いの魔法をかけるよりもはるかに時間が要りますが、過ちの償いという意味では、魔法よりもずっと確実に思えます。
破られた誓いを察知する意味
 トーラ族の話だけ見ても分かるように、一度でも立てた誓いを、正当な手続きを踏まずに破ることは非常に不名誉でもあります。トーラ族は自分たちの行いが引き起こした事態を受け入れ、過ちを正そうとしていますが、それを証明する道のりは厳しいもので、今後もことあるごとにこの過ちを持ち出す口さがない人だって出てくるかもしれません。
 ダイアモンドの報復を防ぐ手法と同じで、一度自分でした大事な約束も、状況が変わったからといってむげに破棄することは許されないのです。トーラ族の先祖の誓いが立てられてから数百年が経ち、状況も大きく変わっていましたが、窮地に陥ったエンドンの頼みを断るべきではなかった。いくら国王が無策であっても、敵である影の大王の侵略の前で仲間割れしたり、不信をぶつけあったりしている場合ではなかった。
 ほとんど見ず知らずのエンドン国王夫妻をかくまいたくなかったのだとしても、エンドンと手紙を交わして話し合ったり、トーラに一旦呼び寄せてから考えたりすることもできたはず。ワンタッチでアディンを追い返せるトーラ族なんですから、気に食わなければエンドンを追い出すなんてわけもないのです。それもせず断りを入れるのは、忠誠の誓いの魔法の前ではうかつだったと言わざるをえません。ゼアンが振り返っていたように、この行為は思い上がりが招いたおろかな間違いです※2。
 一度生み出された大事なものが失われるというのはそれだけ不穏なことであり、何らかのトラブルや混乱を想像させます。エメラルドが邪悪を察知する効果のように、それ自体が危険かもしれないから、というのもひとつあるでしょう。
 また、ダイアモンドの盗難センサーとは違って、誓い破りを察知する力に罰や制裁はないのですが、たぶん持ち主が何らかの誓いを破ったときも、エメラルドは色あせて誓い破りの存在を知らせるのではないでしょうか。そういう面では、この力は持ち主自身へのいましめとも言えるかもしれません。
魔法の縛りは必要?
 トーラ族の忠誠の誓いは、トーラ族の魔法をかけられていましたが、おそらく骨岬灯台のレッド・ハンや、『幸運の女神号』のこぎ手たち、そして金貸しジャックも同じ魔法によって誓いを立てたことになっていると思われます。たぶんこれらの誓いも、もし破られればエメラルドが色あせることになると思います。
 でも、トーラ族が魔力によって特別な存在であったように、トーラ族以外の大半の人々は魔力を持ちません。魔力がない人々にも、重大な誓いが必要なときはあるはずです。エメラルドが察知するかどうかという点では、魔力による保証が必須なのでしょうか? 結論から言うと、魔法がない誓いでも、それが重要なものであり、また破られていればエメラルドは察知するのではないかと思います。
 このトーラの魔法は、誓いの重みそのものに違いを与えるものではなく、誓いを守ることを強いたり、破ることへの緊張感を与えたりすることにあるのだと思います。魔法をかけることで、誓った事柄について他人からの信頼は増すかもしれませんし、誓い破りが行われたことが把握しやすくなったりすることはあると思います。
 しかし、魔法ほど完璧ではないかもしれませんが、例えば証書や交換条件をつけるなどして、同じような目的を果たすこともできます。
 だから、魔法があるかどうかは、誓いの中身には影響を与えないのだと思います。トーラ族以外の六部族も、忠誠の誓いは立ててたし。魔法を介さない誓いについては、作中ではあまり明確なものがないので、どういうものが破られたらどうなるのかは断言できませんが……。ひとつ大きなところで挙げるなら、国王に就任したとき、デルトラのベルトを受け継ぐことは誓いの一種と言える���だろうか。これはめんどくさいから今度考えよう……。
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 次回は、触れて力を発揮する系の効果である痛みを抑える・解毒を癒す・解毒の力について整理する予定です。このトーラ族の誓いの話を振り返ってみると、トーラ族はむちゃくちゃな魔法なんかかけない方がよかった! それに尽きます。はじめから骨岬での貿易でも頑張って、地道に利益を配り歩く方がずっと安全だった!
 誓い破りに関しては、不名誉であることが明らかなのですが、邪悪を察知する、触れて力を発揮する系の効果は、今のところ象意とはつながりが見出しづらいです。パワーストーン的、民間伝承的な意味が強いのかもしれないですね。
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<出典>
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 7 いましめの谷」、岩崎書店、2003
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 3 死の島」、岩崎書店、2005
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※1:『デルトラの伝説』をふまえるとこうなりますが、『魔物の洞窟』時点では、リーフは「トーラ族は最大の部族だったから誓いを立てた」と語っています。リーフの知っていた話が誤りだっただけのか、『デルトラの伝説』が後付けなのか……。リーフの発言が父から聞いた話で、父はそれをデル城で習ったなら、誤りでもおかしくはないですが。
※2:トーラ族がエンドン王を受け入れていたら、トーラ族がいましめの谷送りになっていなかったら、どうなってたんだろう?
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penn-of-auronrafts · 2 years
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『デルトラ・クエスト』を個人的な解釈で考察・分析していきたい(『沈黙の森』数字編④〈3〉という数字)
 『デルトラ・クエスト』シリーズを大人になってから読み返して気づいた点とか考えた点をテーマごとに書いていく考察と分析の軌跡。
 ここでは『デルトラ・クエスト1 沈黙の森』(1)に登場する数字に関する描写や物語の展開をつらつらと書いていきます。④では数字の〈3〉関する数字について見ていきます。当然のことながら『デルトラ・クエスト』全体のネタバレ注意。
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penn-of-auronrafts · 2 years
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『デルトラのベルト』七つの宝石 ②エメラルド 前編
 あまりにも長らく放置してきて、書き方を忘れつつある七つの宝石考察ですが、ダイアモンドにつづき、今度はDELTORAのE エメラルドについて、宝石ごとの効力や、力が使われる条件などを少しずつ考えていこうと思います。
 作中では、リーフたちは『デルトラの書』に書いてあることをもとに宝石の力を使いこなしていますが、ここでは実際に宝石の力をどのように使うことができたか、もしくは使わなかったかという場面について考察していきます。
 「デルトラ・クエスト」シリーズのネタバレを含みます。
 5巻『恐怖の山』から登場したエメラルド。デルトラのベルトでは、2つ目の宝石です。 
 全シリーズ、外伝中で「ベルト」の持ち主がエメラルドを使ったことが言及されている回数は17回。後半の巻からの登場にも関わらず、文で示されている使用回数はトパーズ、ルビーに次ぎ3番目でした。
  前回同様、『デルトラの書』でエメラルドについて詳しく書かれている部分を探してみると、二か所に分けて書いてあるんですね。
 『いましめの谷』p.58が前半部分、『帰還』p.143が後半部分。このふたつを合わせた文に照らし合わせて、エメラルドの力がどんなものだったか見ていきます。
 前回のダイアモンドは、自発的に触れて得られる力とそうでなくても発せられる効果がありましたが、エメラルドはまたタイプが違っていて、色の変化で何かを知らせる効果と、触れることで得られる力に大きく分けられます。
色が変わる効果
 エメラルドについては、まず色の変化によって分かる効果の方から整理していこうと思いますが、エメラルドの色が変わってしまう場合は大きく2パターンありました。
悪を察知
 まずひとつめに、エメラルドは悪を察知すると色が退色してしまいます。
 17回中、「ベルト」の持ち主は実に12回もこの力を使おうとしました。この力で特徴的なのは、ルビーも似たような効果を持っており、ほとんどの場合でルビーと同時に登場することです。しかし、ルビーとの違いがあるのかどうかという点については、後半のルビーの回に回し、今回はまずエメラルドだけについて考えてみようと思います。
エメラルドが察知する悪、邪悪
 エメラルドが察知するものは、邦訳では「悪」とされていますが、原書にあたると、悪の前兆( presence of evil )となっています。evilは、悪の類語のなかでも、とりわけ道徳的な悪事や邪悪を指します。では、作中でエメラルドが察知する悪、邪悪とはなんなのでしょうか。
邪悪な魔法による生き物
 デルトラにおける悪や邪悪と言われて最も想像しやすいものは、邪悪な魔法の影響を受けたモンスターではないかと思います。
 エメラルドも、黒魔術を扱う魔女・テーガンの子どもであるイカボッド(「帰還」)や、影の大王の魔術で生み出された怪鳥アクババ、グリーア兵(「デルトラの伝説」)が近づくと、退色してその存在を知らせます。
邪悪な魔法の気配
 さらには、実体がなくとも邪悪なものや、邪悪な魔法によって作り出された物体についてもエメラルドは反応するようです。これは、主に「デルトラ・クエストⅢ」シリーズでよく見られます。
 リーフが、デル城に置かれた『水晶』を通して影の大王のささやきを聞いていたとき(「竜の巣」p.13)も、エメラルドは色あせています。
 影の大王から魔力を授けられた『四人の歌姫』と、その番人の存在も、エメラルドは察知します。
 『東の歌姫』の番人だったロルフが、リーフ一行を道に迷わせるために策を巡らしているとき(「竜の巣」p.140~145)も、エメラルドは石のようにくもっています。『影の門』にある歌姫の石碑と、『仮面の人』の城を前にしたときも、エメラルドは輝きを失いました。
 そして最後に、ヒラ平原のドロドロしたアレです。これに関しては非常に強烈です。ベルトを身につけたリーフははるか遠く離れたデル城におり、『南の番人』も倒されたあとだというのに、エメラルドは石ころのように色あせていました。
 また、影の大王から魔力を与えられた金貸しジャックが運営していた『幸運の女神号』に乗り込んだときも、エメラルドは退色しています。『幸運の女神号』にはいくつかの邪悪や危険、破られた誓いが潜んでいたので、そのうちどれか一つに絞ることはできないように思います。
 リーフたちがいるところからガラス戸一枚隔てた向こうには、乗客の退室をふせぐ壁の魔法や、部屋を無限に長くする魔法、金貨箱にかけた魔法など、ジャックが残した邪悪な魔法の痕跡が至るところにありました。そして、甲板の下には、呪われたこぎ手たち。
 もし、このときのエメラルドが邪悪な魔法に反応しているなら、要素がてんこ盛りです。どれか一つだけを察知しているというより、全部!て感じがしますね。ついで「破られた誓い」も存在しますが、これについては後でまた述べます。
危険な生き物
 エメラルドは、邪悪な魔力を持たないデルトラ土着の危険な生き物についても反応します。代表的な生き物は、魔物の洞窟のグルーです。 リーフが魔物の洞窟に入ってグルーに遭遇したとき、本編においてエメラルドの力が初めて活用されました。
 また、『秘密の海』で、リーフの部屋に放たれた平原サソリの気配もエメラルドは察知しました。
 このほかには、『デルトラの伝説』でアディンがうごめく砂にほうり込まれたときもエメラルドは退色していました。しかしこれは、テレオクティの気配の存在によるものなのか、見世物のためにアディンを危険な目に遭わせようとする人の心によるものなのかは判別がつけられていません。
色が変わるタイミング
 では、どこまで悪が近づいたときにエメラルドは色が変わるのか。
 近ければ数メートルほどの至近距離から、もっとも遠いときでも、持ち主が動けば見える程度の場所にその相手がいるときには、エメラルドは反応を見せています。しかしこれらは、持ち主がベルトを見たタイミングにもよるので、気配を察知してエメラルドを見る前��ら色が変わっているときもあると思われます。
 例えば、魔物の洞窟でエメラルドを見たのは、数メートルのところまでグルーが近づいて来たあとのことですし、リーフの部屋の毒サソリも、リーフがエメラルドを見たのは部屋に入って気配を感じたあとのことでした。
 それよりもう少し距離が離れていたのは、かくれ家を襲ったイカボッドや、アディンとツァーラがトーラの外へ出てきたとき上空に飛んできたアクババです。
 これらの場合には、持ち主から見えない場所に相手がいたため、色あせたエメラルドを見てから邪悪に気付くことになりました。
 これらのことから、エメラルドが邪悪を察知するのは、少なくとも対象まで数十メートルほどに近づいたときからかもしれません。
 しかし、この距離の法則にはあてはまらないものもありました。それは、ヒラ平原のドロドロです。対象まで何十キロも離れているのに、エメラルドはその辺の石ころのように色あせています。作中最大の危機であることから、エメラルドが褪せすぎてまっ白になっても不思議ではないくらいですが……。
 あのドロドロは確かに並外れた邪悪でしたが、そうするとエメラルドのこの力は、対象となる邪悪の強弱や、魔力、その邪悪が行き届く範囲などによって左右され得るということなのでしょうか。
色の変化具合
 邪悪との距離以外で、エメラルドと対象の関係を表わしている可能性があるのは、色の変化具合、変化についての表現です。何の問題もないときには、ほとばしるような、若草のような緑色に光輝くエメラルドですが、邪悪が近づいたときには色を変えることで反応を示します。この退色の表現は、大きく3パターンに絞られます。
色、輝きがにぶる、弱まる、くすむ
 一番多い場合は、エメラルドの色がにぶる、緑がくすむ、よどむといった描写です。どれも、緑色に光り輝いている状態からの変化というふうに書かれているので、まだ緑みが残っている感じがします。
 ゲリックやグルーに遭遇したときは色がにぶり、平原サソリを見つけたときは色を失いかけており、デル城の『水晶』から話しかけられていたとき、ロルフのわなに近づいたとき、『仮面の人』の城に近づいたときには、エメラルドの輝きが弱まり、または失われます。
 この表現だけ見ると、色を失いかけているだけの平原サソリへの反応はやや弱く、影の大王由来の邪悪な魔法たちに対しては、見るからに輝きが弱まり、または失われているので、よりはっきりと退色しているように思えます。
石のように色あせる
  そして、先ほどの灰色のドロドロのときのように、エメラルドがまるで石ころに例えられるほど色あせることもありました。
 石のように色あせたのは、3回。ひとつは灰色のドロドロの前兆ですが、もうひとつは七部族の誓いにイカボットが乱入する直前のことです(帰還p.130)。イカボットの襲撃自体も大きな危険ですが、リーフたち3人と七部族の代表が集う、王国の存亡をかけた会議に裏切り者が入りこみ、やがて一網打尽にしようとしているところです。どちらも、全てが台無しになりかねない、大がかりな邪悪ではありました。
  あともうひとつは、ロルフが細工をした橋の看板に近づいたとき(「竜の巣」p.145)にも、エメラルドは道ばたの石ころのように変化していました。ただこれは、そのまま行けば確実に死にかねないという意味では、たしかに取り返しのつかない危険です。しかし、単純に人を巻き込む規模だけ見ると、灰色のドロドロや、大事な誓いをかく乱されることよりは大きくないようにも思えますし、見破るのも簡単です。ちょっとこれについては、あとでもう一度検討してみます。
灰色
 次いで、エメラルドは灰色に変わってしまうこともあるみたいです。アディンがうごめく砂に連行されたとき、エメラルドはどんよりとした灰色になっていました。
 それ以外で、エメラルドがはっきりと灰色になったと書かれているところはありません。しかし、リーフが『竜の巣』に近づいたときには、あまりの邪悪な気配に、ベルトを見るまでもなく、エメラルドは岩のようにくすんだ灰色になっていることが予想されました。
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 色あせる・くすむ・輝きが弱まる場合と、石のようなくすみ方や、灰色になる場合で反応するものには違いがあるようにも見て取れます。
 灰色になる事例がちょっと少ないので、何とも言えませんが……ただ状況を見てみると、灰色になった・なりそうなときは、灰色のドロドロや、七部族代表へ仕掛けられたわなと匹敵するほどの邪悪ではないと思うので、エメラルドが石のようにくすむときがやっぱり最上級特大の危険って気がします。強弱をつければ、うす緑(にぶる、弱まる、くすむ)>灰色>黒(石のようにくすむ)かな。
 しかしここで、今後回しにしたロルフの標識と、エメラルドの変化具合の関係が気になってきます。同じ石のようなくすみ方でも、これだけ、残る2つの事例ほどの邪悪ではないように思えます。
 この色になった理由になりそうなこととしては、エメラルドがリーフの意識にのぼって描写される少し前に、エメラルドと同じく邪悪を察知するルビーだけが色あせているのをリーフが見ています(「竜の巣」p.140)。リーフたちはこのとき、ルビーの竜を目覚めさせたかったので、エメラルドを気にするどころじゃなかったわけです。このルビーは、まだにごったピンク色でしかありませんでしたが、一行が歩を進めて怪しい道に入りこんでしまったとき(p.145)に、ベルトを見ると、エメラルドともども灰色になってしまっていました。
 ルビーのことも考えないとはっきりとは言い切れないことですが……つまりこの場面では、エメラルドもルビーと同じ様に、はじめはまだにごった緑でしかなかったのが、危険な道に入りこみ、橋に近づくにつれてさらに色あせたとも考えられます。けれど、色あせ具合には対象の力の強弱が関わるだけならだましも、距離の違いまで関わってくるとなると……ますますこんがらがってきます……。
 もちろんこれらは、単なる文章表現の違いでしかなく、意味はないか、どれも同じという可能性もあります。また、ほぼ邦訳だけをふまえているので、原書もよく読んでみるとまた違いがあったり、なかったりするかもしれないわけですが。
 続けて、エメラルドが邪悪を察知する効果に関して、残るいくつかの疑問点を考えながら、分かったことを整理していこうと思います。
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<出典>
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 5 恐怖の山」、岩崎書店(2002)
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 6 魔物の洞窟」、岩崎書店(2002)
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 8 帰還」、岩崎書店(2002)
エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエストⅠ 1 秘密の海」、岩崎書店(2004)
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 1 竜の巣」、岩崎書店(2004)
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 2 影の門」、岩崎書店(2005)
エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 4 最後の歌姫」、岩崎書店(2005)
エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店(2006)
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penn-of-auronrafts · 2 years
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2022年の抱負
明けましておめでとうございます🎍
抱負と言うほどのものじゃないですが、去年までは歴史や世界設定の考察に手をかけてきたので、今年はぼちぼち登場人物の考察もやっていきたいなと思っています。
それから、ロッダバース、エミリー・ロッダのファンと言いつつ、ほぼ「デルトラ・クエスト」一辺倒でやってきているので、そのほかの作品についても触れられるようにもしていきたいですね。
今年はやることが盛りだくさんなので、ほんとに手をつけられるかどうかは全く不明ですが、マイペースに続けていこうと思います!今年もよろしくお願いします✌️
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penn-of-auronrafts · 2 years
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デルトラ王国の民族①
 デルトラ王国やドーン島といったロッダバースの舞台は、多様な人種や民族、さまざまな性質の人々が入り交じり、偏見や無理解ゆえの対立はありますが、おおむね自由で平等な世界が繰り広げられていることも大きな魅力です。
 ロッダバースの住民には、小柄な人も大柄な人も、黒髪も金髪も、緑の目の人も黒い目の人もいます。ファンタジーですから、現実の世界ではあり得ない特徴を持つ人間も登場します。
  しかし、その世界のなかに自分と同じような身体的、内面的特徴を持つ人間がいることで、現実にありえない出来事であっても、より身近でリアルに起こっているかのような気持ちで読むことができます。
 ここでは、そんなデルトラ王国の民族と人種について、考察していきます。今回は、デルトラにおける民族の枠組みについてです。
『竜の地』の七部族
 デルトラ王国における民族の基礎と言えるのは、現在『デルトラのベルト』にはめ込まれている七つの宝石を守っていた民族であり、デルトラの地の先住民族でもある七部族です。  この七部族は、早い部族(デル族など)でははるか古代に海底地震がおさまり海運が根付き出した頃から、海を超えた交流によって島外の人々と交わっています。遅い部族(おそらくメア族、平原族、トーラ族)でも、デルトラが建国された頃からは、民族間の移動や混血が始まっています。  さらに影の大王の支配をめぐる混乱で、平原族は拠点や生活様式を大きく変え、ジャリス族は大きく数を減らしました。
 反対に大きな変化がないと思われるのが、同じ場所に住み続け、主に身内だけで交流を続けているララド族や小人族です。
 しかしデルトラ王国の長い歴史のなかでは、この七部族をベースに人々の交流がなされてきているため、国民の大半は多かれ少なかれ七部族の血を引いているはずです。
移民
 海洋国家であるデルトラ王国では、海の向こうからの移民たちも大きな存在感を持っています。南の海はあまり様子がわかっていませんが、東にある蛇の海、西にある銀の海からの移民はデルトラのあちこちに住んでいることが分かっています。 蛇の海系移民
 蛇の海からやってきた移民は、デルトラの特に東側に多く定住していると思われます。東にある蛇の海からの移住者といえば、ドール族とブルーム村の民です。  ドール族については、自由で安全なデルトラの噂を聞き、またドーン島での危険から逃れるため、4代アディーナ女王の時代に集団で海を渡ってきました。  リーフ王政下で生きているドール族の民は、魔女テーガンとあれやこれやあったせいで、デルトラ移住から150~200年ほどたった頃の8代?エルスペス女王~9代?国王の時代に生まれた住民が大半だと思われますが、彼らはドーン島の先祖と同じ黄金の肌や髪という特徴を保っています。  対してブルーム村の民は、蛇の海の流浪者とその子孫で構成されていると言われています。みんなで一緒に海を渡ってきたドール族の民とは異なり、あちこちから寄せ集めの集団な訳ですね。  ブルームは、街としての成立時期も不明です。潮の流れなどの影響で、ブルーム村のところには漂着しやすいんだろうか……。  銀の海系移民
 銀の海系移民は、少なくとも邦訳がある本のなかでははっきりと存在が書かれていません。  しかし、銀の海に面するトーラ族領では、アディンの頃には海の向こうからの移民が住み着いていたようですから、デルトラ西岸には、銀の海からの移住者を先祖に持つ者も多く暮らしていそうです。  さらに、デルトラの一大貿易港であるデルでは、銀の海の島々とも交易が行われてきているので、デルの街にも銀の海出身者の子孫はいるかもしれません。 どの部族にも属さない者  現代(デルトラ・クエスト~スター・オブ・デルトラ)のデルトラ王国では、何族出身かはあまり意味を持たないと思うので、実際には普段ほとんど意識しない、または考えたことがないという人が多そうです。  そのなかでも、デル、トーラ、リスメアといった古代の七部族の都には当時からの伝統がある程度残っているので、家族が代々その街に住んでいることが分かっていれば、先祖が何族だったか推測できる人も結構いるかもしれません。  しかし、そうでない土地に暮らし、特定の部族の文化の影響をあまり受けていない無所属者もデルトラには大勢います。  ここでは「特定の部族とのつながりは見いだせないが、移民でもない者たち」といった意味で考えていますが、例えば北西部の内陸にある影の門村や、西部の内陸にある川合い村などが思い浮かびます。  国境の山脈のふもとにあり、デルトラ最北の村と言われる影の門村の住民は、エメラルドの領土の先住民である小人族とは人種的にも文化的にも異なるようで、どの部族を祖先に持つかは不明です。しかし、海からはかなり離れた山のふもとに位置しているため、海を越えてやってきた移民かどうかもはっきりしません。
 一方川合い村は内陸といっても海がそんなに遠くないので、遡れば移民も含まれている可能性はありますが、近くに住むトーラ族と深い関係がある訳でも外国の島とのつながりがある訳でもありません。アディンの頃のアメジストの領土にはすでに、ほかの土地からやって来た者たちが住んでいたことからすると、部族間の混血者たちの子孫もいそうです。  こういった名もなき村や集落は、デルトラのあちこちに点在していると思われます。そこでの住民には、古くをたどれば特定の部族である者も含まれているかもしれませんが、混血によって人種的な特徴が薄くなっていたり、部族の領土をまたいで移動してきた者が多かったりすれば、どの部族との関係が一番深いかは本人たちにも判断がつかないのではないかと思います。
 続いて、人種のお話を始める前に、この民族的な違いがデルトラ王国でどのように表れているか、といったことを考えていきます。
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出典
エミリー・ロッダ、神戸万知訳、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009
エミリー・ロッダ、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006
エミリー・ロッダ、神戸万知訳、「デルトラ・クエスト モンスターブック」、岩崎書店、2003
エミリー・ロッダ、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 2 影の門」、岩崎書店、2005
エミリー・ロッダ、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 3 死の島」、岩崎書店、2005
エミリー・ロッダ、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 8 帰還」、岩崎書店、2003
エミリー・ロッダ、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 3 ネズミの街」、岩崎書店、2002
エミリー・ロッダ、岡田好惠訳、「勇者ライと3つの扉① 金の扉」、KADOKAWAメディアファクトリー、2014
エミリー・ロッダ、岡田好惠訳、「スター・オブ・デルトラ 1 <影の大王>が待つ海へ」、KADOKAWA、2016
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penn-of-auronrafts · 2 years
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『デルトラのベルト』七つの宝石 力の使われ方2.5 ダイアモンド 原書
 エメラルド編に(ようやく)入る前に、ダイアモンドについて21周年記念版のバインドアップを読み返してみたところ、いくつか気になる箇所が出てきました。
宝石の入手方法
 宝石を手に入れる方法については、暴力や不正がダメなのは変わりないですが、diamonds gained nobly,and with a pure heart(純真な心で高貴に得たダイヤモンド)という長い前置きがある(p.612)ので、入手の際の心持ちもやっぱりある程度関係してくるのか……。
 このことに具体的な言及はないと思うので、ちょっと原書をじっくり読んでみないとですね。
わざわい(pestlience)について
 ダイアモンドが守ってくれるという「わざわい」ですが、このp.612の原文をDeepL翻訳で見てみると、驚いたことにこちらでもわざわいという訳語が出てきました。
 このpestlienceという単語は、やや古めかしい文語らしいのですが、伝染病という訳のほかに、害悪・害毒という意味もあるそう。邦訳では、伝染病、疫病と意味を特定したのではなく、こちらの害悪という意味合いでわざわいという表現が取られたのかも。
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Rodda.,Emily,Deltora Quest,Scholastic Australia,2000,2021reprint
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