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2018.3.5
誰にも言ってない あたしの秘密を 耳元で小さな声で あなたにだけ伝えたい 必ず過ぎてく 優しく切ない 2人だけの瞬間 忘れない 秘密/aiko
外へ出ると、眩しい日差しと少し肌寒い風に包まれて、わたしは肩をすくめる。振り返ると、6階の階段から小さく顔をのぞかせたあなたが手を振っている。わたしはそれが嬉しくて、だけど、あなたが寒くないかが心配で、少し歩いては振り返った。あなたはまだこっちを見ている。三度目に振り返ったとき、あなたの姿はなかった。それが、ホッとしたような、寂しいような気がして、わたしは歩く速度を上げる。 イヤフォンを耳に差し、aikoの「秘密」をかける。優しいピアノのイントロに涙が出そうになった。 頭を撫でてくれたことも、最後に強く抱きしめてくれたことも、階段から見送ってくれたことも、全部全部、大きな苦しいあなたの忘れ物。
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2017.10.11
『星の王子さま』をようやく読み終えた。
元彼の影響で買ってみたものの、途中まで読んで止まったままだった。別れて4ヶ月たったいま、再び手に取ったのは、元彼との思い出に浸りたいというより、中途半端なものを片付けたかったからというほうが近い。
*
登場人物の中で、わたしはやはりキツネが一番好きだ。かの有名な一節、「肝心なことは目では見えない」はこのキツネのセリフだが、わたしはそれよりも、そこへ至る前の場面でのキツネの話が印象に残っている。
王子さまに出会ったキツネはこう言った。君は僕にとってたくさんいる少年のひとりにすぎない。僕も、君にとってたくさんいるキツネの1匹にすぎない。だけど、君が僕を"飼い慣らす"ことができれば、僕たちはお互いに特別な存在になるんだ。僕を……飼い慣らしてくれ!
世の中にはたくさんの人がいて、自分がいなくなったとしても代わりになる人はたくさんいる。そういう意味においては、わたしたちは個人そのものでは生きる意味をもたない。だからこそ、わたしたちは他者に生きる意味を求める。誰かにとってなくてはならない存在となることで、生きる意味を得て、安心したいと思っている。
けれども、誰かの特別になることは、幸福なことであると同時に、怖いことでもある。もし、自分にとっては特別な存在であっても、相手からしたら自分は特別ではない、代替可能な存在だったとしたら…? ーーでもそれは、相手の心のなかのことなので、現実的には知ることができない。
100%特別であるかはわからないけど、99.999…%特別だと思ってもらえていると感じられるように、わたしたちは、話をしたり、一緒に食事をしたり、公園を散歩したりするのだろう。その積み重ねによって、わたしたちは互いの存在を特別に感じあい、生きる意味を見出す。
「肝心なことは目では見えない」という言葉は、この前提があってはじめて、本当の意味をもつような気がする。
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2017.9.30
灰になってく手足にサヨナラを告げたら 焼け残った心がまだ息をしていた
火の鳥/黒木渚 *** 先週、黒木渚のライブツアーに行ってきた。 昨年の夏に喉の病気が発覚して活動休止になってからおよそ1年ぶり、新曲を引き下げて全国5箇所を回る初日。渋谷のライブハウスには、彼女の復活を待ちわびた人たちが集まった。 わたしは去年の1月頃に彼女の存在を知って、そこからハマっていったので、古参ファンからしたらニワカなのだろうけど、ライブがあったら行ってみたいなと思っていたところの活動休止の知らせだったので、今回の活動再開はファン歴とか関係なく純粋に嬉しかった。チケット○ャンプを使ってチケットを手に入れるくらいには行きたかった。 ツアー開始に先立って発売されたシングルCDの曲について、この1年間の活動休止中、歌いたくても声が出ないもどかしさや表現できないことの苦しさを詰め込んだと話した。そのCDの3曲目に収録されているのが「火の鳥」という曲だった。 衣装替えをして登場した彼女は真っ赤なドレスを身にまとい、ファンとの再会を喜んだ。彼女はファンのことを「愛しい分身たち」と呼ぶ。そして、声を震わせながら歌った。その姿はまさに火の鳥そのものだった。
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2017.7.8
前回の投稿で「しばらくは『恋人ごっこ』を楽しむ」と書いたけれど、「恋人ごっこ」なんていうものは思ったほど簡単なことではなかった。 アプリで知り合って、ちょっとやりとりしてふつうに対話できるし、プロフィールもまともそうだし、住んでるところも近いし、じゃあ会ってみますかとなる。食事しながら、話す。仕事のことや趣味のことや友人関係のこと。べつに盛り上がらないわけではない。けれど、「ステキだな」とか、「もっと仲良くなりたいな」というふうには思わない。解散して帰宅するころ、「今日は楽しかったです、また会いましょう」とLINEが来て「わたしも楽しかったです、明日のお仕事頑張ってください」とか適当に返す。また会いましょう、とはなかなか言えない。 この感じ、ウインドウショッピングと似てるかもしれない。 これといったイメージもなく、なんとなく買い物をしていると、結局決まらずになにも買わない。そんな感じ。 SNSというのは功罪あって、そのおかげでわたしたちは友人といつでもつながっているような感覚になれるけど、その半面、他人の生活が(見たくなくても)目に入ってくるようになる。見た目至上主義には屈したくないが、やはり見た目のいい人をみると羨ましいと思う。そして、バランスを取るように(あぁ、承認欲求むきだしで嫌な感じだワ)と見下してみたりする。そんな自分を、もう1人の自分が見て、言う。「あんたも相当歪んでるよ。」 色情は正常な判断を鈍らせる。 本当は、もっと心穏やかに暮らしたい。 自分の時間や友人と過ごす時間と大切にしたい。 気が合うかも分からない人と食事して散在するより、自分の趣味や友人との食事にお金を使う方が、よっぽど有意義だろうに。 そう思いながらも、来週末には1件食事の予定がある。 出会い厨モードで予定を入れまくった過去の自分を恨んでも、時すでに遅し。
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2017.6.28
久しぶりにTumblrを開いたら、過去の投稿のいいねがジワジワと増えていた。 わたしが放ったことばたちが、わたしの思考を離れて、名前も顔も知らない人たちの目に届いていると思うと、なんだか不思議だ。 *** 最近、出会い系アプリを積極的に活用している。 彼と別れてしばらくが経ち、恋人がいないという状態がこんなにも自分を不安定にさせるのかと知って、愕然とした。なんとなく自分に自信がない。やろうとすることが上手くいかない気がする。人から必要とされていると感じられない――。そんなこと、恋人がいたところで無条件に満たされるわけないのだけれど、なんとなくそんなふうに感じてしまうのは、わたしがこれまで恋人がいることの上に胡坐をかいてきた証拠だ。 これまで、周りの一人身の友人たちには「恋人がいることイコール幸せじゃない」とか「恋愛がすべてじゃない」などと説教めいたことを説いてきたのに、いざ自分がその立場になったらこのザマである。思い返してみると、あれはただのマウンティングだったのではないかという気すらしてくる。みんな、ごめん。 ああ、きっとこれは試練だ。わたしは、恋人がいなくても自分に価値があると思えるようになるために、自分自身と向き合い、自分の価値を高めていく必要がある。いまはそういう時期なのだ。 そう思っていたはずなのに。やはり人の心というのは弱い。 ……いや、わたしの心が弱いだけなのか。 ここ3週間くらい、アプリを使って近場の人とやりとりをしている。 べつに恋人が欲しいわけじゃない。正直、パートナー的意味での恋人には求めるものが多すぎて、それに見合うだけの人を見つけるための労力を割く気力がいまのわたしにはない。そんなこと言ってるうちにあっという間に30になってしまいそうだが、そうなったらそうなったで仕方がない。 これまでアプリを通じて数人と出会ったが、ある人とは食事をして公園を散歩してお茶して別れたし、別の人とはカラオケに行ってお茶して別れた。なんと健全なことか。 友人にこの話をしたら、「それって、ただ恋人ごっこがしたいだけなんじゃない」と言われた。たしかに。本気で付き合うには、バイトも学校も忙しいし、時間も気力もお金もない。セックスの相手はいちおう別にいるので、あえてアプリで探す必要もない。ただただ、好みの人といい感じで食事したりでかけたりして、ときめきを得たいのだ。我ながらゲスいな。 まぁ、しかし、基本的には「恋愛」「セックス」「生活」の相手はそれぞれ別であってもいいというのが自論なので、当面は「恋人ごっこ」を楽しみながら、学校の勉強を頑張ろうと思います。もちろん、いい出会いがあれば話は別だけれど。
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2017.5.31(2)
朝井リョウは「思考停止は悪、きちんと言語化すべき」と言った。 ……まぁ、「悪」とまではっきり言い切ったかは覚えてないが、なにかを議論していて「それは難しい問題ですね」で終わらせることは思考停止であり、やるべきでないとは言っていた。このあいだも、ラジオで「わたしはなぜ大食い番組を観るのが好きなのか」について語っていて、それも彼なりの「言語化する」というポリシーの現れらしかった。 わたしはここ最近、ドラマを観ることが趣味になっている。 そこで、朝井氏を見習って、「なぜドラマ鑑賞が好きなのか」について考えてみた。 ひとつに、ドラマとは疑似体験である。 自分とは違う境遇の人、違う属性の人、違う職業の人の人生を、追体験することができる。それは、観る者にとって新鮮な経験となる。 ふたつに、ドラマとは人間観察である。 ドラマでは、それぞれの登場人物が実際に発する言葉だけでなく、心の中で考えていることがモノローグとして語られたり、ふとした視線や表情、隠れた行動など、現実では把握しえない部分の情報まで得ることができる。それらをもとに、その人物の心情を推察したり、その背景にある社会構造まで読み解くことは、とても奥深い行為である。 みっつに、ドラマとは問いかけである。 ドラマにはメッセージがある。それは、主題とも言えるかもしれない。そこには、観る者の常識や価値観を揺さぶる問いかけ、朝井風に言えば「つきつけ」がある。一大ブームを巻き起こした「逃げ恥」は、わたしたちに、結婚とは何か、対等なパートナーシップとはなにか、という問いをつきつけた。そういった、新たな視点、価値観、ものの考え方に触れることは、知的好奇心を刺激するいい機会となる。 これらの理由から、わたしはドラマを観ることが好きであり、昨日も「あなたのことはそれほど」を観ながら「そこは乗ったらアカンやろ~」とか「有島くん墓穴ほってる!」とか「麗華さんが闇出してきていい感じ」といったような頭の悪そうな感想をTwitterに垂れ流すのだった。
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2017.5.31
5月のはじめに恋人と別れた。 もういよいよ限界だなと感じて、わたしから切り出した。 ゴールデンウィーク真っ只中の新宿サザンテラスはいつも以上に賑やかで、 段差に腰掛けたわたしたちは、楽しげな人たちが往来するのをなんとなく眺めた。スタバで買ったアイスラテは、すぐに温くなった。 話し合いは穏やかに進んだ。 わたしがもう彼を恋愛的な意味では好きと思えなくなっていたこと、 彼がわたしに“恋人”を求めることに疲れてしまったこと、 恋人関係を解消し、友達として付き合っていきたいこと。 彼はときどき風に顔をしかめながら、静かにわたしの話を聞いていた。 そして、わたしの話を聞き終えると、大きく息を吐き出して 「君がそう決めたのなら仕方ないね」 と言った。 彼と過ごした6年間に後悔はないし、自分にとって大切な時間だったと伝える。 「それならよかった」 食事が美味しかったとき。友達と遊んで楽しかったとき。仕事がうまくいったとき。 彼はいつも「それならよかった」と言う。 わたしの幸せを願ってくれた言葉だったと知る。 * 帰りの電車、LINEが届いた。 「これまでありがとう。幸せでした」 その言葉に、心がぐらりと揺れる。 これでよかったんだろうか、本当に別れるしかなかったんだろうか、もう少し続けてみたらなにか変ったんじゃないか―― ふと、最近パートナーと別れた友人の顔が浮かぶ。 「別れたことが正解かどうかなんて分からないけど、それを正解にできるように、これからを生きていくしかないんだと思う」 そうだ、その通りだ。 この選択が正解だったと思えるように生きていくことが、彼に対する誠実だろう。 * 別れから2日後、わたしは髪をバッサリと切った。 こんな失恋の典型みたいなことを自分がするなんて、とも思ったが、これは気持ちを切り替えるための儀式なのだと自分に言い聞かせた。儀式だと分かって、あえて乗っかっているだけだ……。 実際、髪を切ったことで気持ちは切り替わらなかった。むしろ、ここ10年くらいで一番短くしてしまったせいで、顔がものすごく人目に晒されている感じがして、自尊心が下がった。なにやってるんだわたしは。
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2017.5.1
お久しぶりです。 ぼちぼち生きてます。 新生活が忙しくて、日記を書いている暇がなかった。もとい、書こうと思える余裕がなかった。 久しぶりのタイムラインは、ちょっぴり顔ぶれが変わったような。 またすこしずつ再開していけたらいいな。 今期、ドラマがおもしろい。 とくに「あなたのことはそれほど」を観ているときの、他人の色恋沙汰に第三者として首突っ込んでる感覚が、超下世話なんだろうけどすごい好き。 ドラマの感想というか思考整理として書いていこうかな。
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2017.2.25
「おむすび」という言葉には、なんだか願掛けのようなものを感じる。 漢字で書くと「お結び」になるのだろう、あの、ご飯を両手で包みこむ感じがなにかを結ぶ儀式のようにみえる。 ひととひと、ひとと自然、ひとと命―― 大学時代にお世話になった先生のお宅にお呼ばれし、手料理をいただいた。ともにお世話になった友人たちも一緒に。 先生とは卒業以来お会いできていなかったけど、facebookで動向は確認していた。今年度は、なんとかという制度(忘れた)を利用して一年休職し、定期的に福島へ通って米を育てたり、熱海の別宅で飼い猫とたわむれたりされていたのだけど、ここ最近はもっぱら「おむすび修行」と称して、ひたすらおむすびを握ったり、おむすびに合うオカズを研究したりされているようだった(ちなみに先生の専門は文学とジェンダーである)。 一人暮らしで自炊も適当なわたしには、先生のおむすびと豚汁が身に沁みた。稲を植えるところから実際に体験したり、日々の食事を丁寧に楽しむことは、わたしにとって理想的な生活にみえた。そういう生活は、心と金に余裕がなければできない。 * 帰りの電車が一緒だった友人に、先日の「タラレバ娘」の感想を話してみた。 「自分のものだけど一緒にいてしっくりこない人と、他人のものだけど一緒にいてしっくりくる人、どっちといるのが幸せなんだろう」というセリフが名言チックに描かれていたけど、わたしはその二択に縛られる必要はないと感じた。一緒にいて楽しいかは主観であり、これは関係性構築のうえで大前提となる。一方で、自分のものであるかどうかは、相手との関係性の問題であるから、もし自分が(相互に)独占的な関係を求めるのであれば、相手にそれを伝えるべきである。伝えたうえで、応じるかどうかは相手次第だが、相手が応じないという選択を下したなら、そこでまた自分はどうするのか悩めばいい。べつの妥協案を提示するのか、それならとそこで関係を終わらせるのか。必要なのは「対話」であると。 そこまで話しきって、ふと我に返る。わたしは、彼と一緒にいて楽しいだろうか。そもそも遠距離だからここ2年くらいの会う頻度は4ヵ月に1回くらいだ。当初は会えば楽しかったように思うけど、ここ半年の数回は別れ話などして穏やかでなかったので楽しかったとはいえない。そもそも、彼は事情があってわたしのことを両親には話せないでいるし、だからか、結婚式や子育てには前向きではないようだし、同棲だって難しいのかもしれない。だとしたら、わたし、いったいなんで―― 「もしかしたら、別れる理由を探してるのかな」 ふと浮かんできた言葉を友人に伝えると、彼女はマスクの位置を直してわたしを見た。 「別れる理由を探し始めたら、遅かれ早かれ別れるよ」
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2017.2.22
2月20日に誕生日を迎えた。25歳になった。 25という数をみて、思うこと。 ひとつ。25というのは20よりも30に近い。四捨五入。 ふたつ。25年を四半世紀という。100年の四分の一。 誕生日当日、別件で会っていた友達がお祝いしようと食事に誘ってくれた。おいしい食事とワインを2杯。もともと誕生日らしいことはとくにする予定がなかったけれど、いざこうして祝ってもらえると思わず「一人じゃなくてよかった~、ありがとう」と感謝してしまうくらいには、わたしも誕生日を誰かと過ごしたかったんだと気付く。そう、世のなかの多くの人がきっとそうであるように。 SNS越しにメッセージをくれる人もいた。どれもありがたい。それと同時に、自分が誰かの誕生日をSNSで祝うことへの抵抗も思い出す。それはつまり、もともと覚えていたわけでなく、twitterやfacebookの通知で知ったから、社交辞令的にお祝いメッセージを送ったのではないかと思われることへの抵抗(あるいは自意識過剰ともいう)。だから、個別にメールやメッセージをくれた人への信頼は厚い。わたしもそういう人間になろう。 浮かれたのか、次の日、熱を出した。けれども、どうしてもその日中に片付けなければならない用事があって、それというのが、区役所へ行き、ハローワークへ行き、免許証の更新へ行くという、総移動距離何キロだよとつっこみたくなるようなスケジュールだった。全部こなしたあと、病院にまで行った自分を褒めたい。まぁ、結局、次の日は仕事お休みしてしまったんですけど……。
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2017.2.7
クリスマスも、1月の彼の誕生日も、とくに何も贈り物をしていない。クリスマスは別れる気満々だったし(でも結局別れなかったし、彼からのプレゼントはちゃっかり受け取ってしまった)、1月は資格試験で忙しくて買いに行っている暇がなかった。このままではマズいと思い、こないだの休みに買いに行った。 * 物は決まっている。白のニット、それもタートルネック。甘いマスクの慶應ボーイとかが紺のチェスターコートと合わせて着てそうなヤツ。わたしの彼は(年の割には)爽やかな見た目をしているのに、お金がないとか興味がないとかで田舎の大学生みたい��恰好をしているので、服を贈ろうと決めていたのだ。 * わたしは買い物をしていて店員に話しかけられるのが超絶苦手である。話しかけられないように、入店するときにはイヤホンをつけているし(曲は流れていない)、店内では店員とはできる限り距離をとる。それでもグイグイ来る店員はいるもので、「何かお探しですか?」と聞かれようものなら、「あ、どうも……」と聞こえるか聞こえないかの声で軽く微笑みながら会釈をしてその場を去る。……まぁ、そこまで極端ではないけれど、でも常に「(店員には話しかけられるまい)」という緊張感をもって買い物をしている(生きづらい)。 * その日、池袋のパルコは冬物の最終セール期間中で、どの店でもお目当ての白ニットはかなり安くなっていた。店員のアプローチをかわしつつ、ようやく気に入るものを見つけた。50%OFFである。安い。タートルネックじゃなくてふつうの丸首だけどまぁいっか。レジでわたしはとっておきの切り札を出す。そう、実家から大量に送られてきたギフトカード。そして、こう告げる。 「ギフト用で」 レジのお兄さんは、さぞやドン引きしたことだろう。半額になった商品をプレゼント用にギフトカードで購入する客。 でも、言い訳をすれば、半額になっていたのは諸事情で買いに来るのがセールの時期にたまたま被ってしまっただけだし、ギフトカードも近所のスーパーでも使用できるものであって使おうと思えば自分の生活に必要な日用品や食品に充てられるものなのだ。できるだけ安くとか、自分の財布を傷めずにとか、そういう気持ちがあったわけではない。 ギフト用のラッピングが終わり、レジのお兄さんが店の入り口まで来て手渡してくれた。「プレゼント、喜んでいただけるといいですね」と、爽やかに微笑まれた。……ちょっぴり良心が痛んだ。
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2016.2.1
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Kitchen/LILI LIMIT 一時期(具体的には、彼と別れようと思っていた時期に)聴きまくっていた曲。MVが公開されていてテンション上がった。 「ご飯作ってくれてあたりまえ」と思ってのうのうと寝ている男と、食事を用意しながらどんどんと心が冷めていく女。まな板が傷付いていくように、わたしの心も傷だらけになっていく。「買い替え時」というのは、2人の関係の終わりを示唆している。 * 最近は彼から毎日のようにLINEが来る。訓練が落ち着いていて暇らしい。 一方、わたしは資格試験があったり春からのバイトの面接があったりして、なかなかに忙しい。勉強したり準備したいと思っているのに、LINEがだらだらと続くと正直めんどくさい。既読スルーしてると、泣き顔のスタンプが送られてくる。 “もし本当に好きなら”申し訳なく思うのかな。 “もし本当に愛してるなら”しょうもないLINEにも愛想よく返せるのかな。 たとえ自分が忙しいときでも。 わたしの器が小さいのか。 それとも、“本当に好き”ではないのか―― * 職場の新年会で、先輩(50歳くらい女性)と同棲はアリかナシかという話。 わたしが「籍入れる前に一緒に住んでみたい。一緒に住んでみないと分からないこともあるから」と言うと、先輩は「それって“お試し”ってこと?それはもう結婚するべき相手じゃないんじゃない」と言われた。 「同棲したいと思うくらいなら、いっそ籍入れたらって思う。結婚したり子どもができることで考え方の違いも受け入れようって努力できるけど、そうじゃなかったら分かり合おうって努力もできないし、他の人に行かれちゃっても何も言えないでしょ。その人のこと手放したくないって思うんだったら、籍入れようって思わない?」 結婚という枠組みに収まらなければ関係を維持しようと思えない相手こそ、そもそも結婚するべき相手ではないのではと思ってしまう。だって、それだと、関係を維持するために結婚するのか、結婚(という体裁を保つこと)のために関係を維持するのか、よく分からない。いずれにせよ、一緒にいたいと思うのならカタチにこだわる必要はない派です。必要なのは「対話と合意」であって、「体裁」とか「法的な保障」ではない(もちろんそういうものが必要になる場面もあるが本質ではない)。
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2016.1.28 今日のわたし 9:00 起床。録画したポケモンを観ながらトーストを食べる。パンを焼く間に食器を洗った。 10:00 洗濯。待ちつつ、勉強。 12:00 昼食。パスタを茹でる。買っておいたカニクリームソースを使う。テレビでは王様のブランチで佐々木蔵之介が買い物をしていた。 13:30 買い物へ行く。実家から商品券の束が送られてきていた(母が譲ってくれた)ので、普段できない買い物をしようと思って、すこしいいバスタオルを買った。今治タオルは値段の高さに手が出なかった。食料品の買い物も済ませる。 15:00 帰宅。勉強。 19:00 夕飯。一人鍋の素を使って鍋。鶏胸肉が安かったから買ってみたけど、鍋向きではなかった(固くなってしまった)。録画していた「嫌われる勇気」を観た。 20:00 勉強。 23:00 明日の試験に向けて、職場の人からもらった湯島天神の鉛筆を削ろうとしたら、家に一個も鉛筆削りがなかった。しかたなく、カッターで削る。小4のとき社会科の授業でやらされた経験が役に立った。 0:00(いま) 風呂。お湯に浸かりながら日記を書いてる。湯がぬるくなってきて寒い。 こんなに時間通りに起きて食事して家事をこなせる日は珍しい。たいてい、用事のない休みの日は昼頃まで寝てしまう。まぁ、夜勤ありのシフト勤務なので仕方ないと割り切ってはいるけど、やはりこういう生活リズムの方が健全な気がしてしまう。 明日の試験、付け焼き刃の勉強しかしてないけど、なんとかなると思うしかない。鉛筆のご利益もあるだろうし。
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2017.1.18
なんだかんだ、彼との交際が丸6年を迎えた。 ついこないだ破局(おおげさ)の危機をなんとかやりすごしたところだけど。 そう、乗り越えたんじゃなくて、やりすごしてる。 だって、まだまだわたしは彼の本心が分からなくて不安だし、彼は彼できっと葛藤してるだろうし。 一緒に住んだらそんな不安、まるっとどこかへ行ってしまうんだろうか。行ってしまわないだろうな~。 ある友人も、付き合いの長くなったパートナーとの関係を悩んでいた。 将来一緒に住みたいわけでもないし、子どもがほしいわけでもない、月に1~2度会えればそれでいい、でも付き合いも長いし一緒にいれば落ち着く。 「それってホントに好きなの?」 と聞くのは愚問である。 そんなことは誰にも分からない。ひょっとしたら本人にも。 すこしずつ日が長くなってきたことが、ささやかな希望。
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