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Shape of heart would be to chage every day.
あたかも心を固形物のように考えていて、昨日も今日も同じ形だと思っている人がいる。
自分もその一人である。
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My plan is still egg.
Thank you for coming.
Hello world. Nice to meet you. I'm Hidenobu Saji. I'm a Japanese photographer.
I think I have the other side I've never seen inside me. I have took many type of photographs on my job, but now I want to find my new photograph from inside me. I don't know what they are yet. I think, they are pretty personal.
They are still eggs. But they might born soon.
I'm going to show you if I found them. So, I'm excited.
再三再四のブログ作成ではあります。 正直また書き始めたのかと自分でも。
僕は今、頭の中を変えたいと思っている。 直結しているかどうかわからないけど、そんな理由で英語を勉強している。
高校生のころから洋楽が好きで、バンドよりもシンガーソングライターの歌が好きだった。 ディランやトム・ウェイツ、スプリングスティーン、デヴィッド・ボウイ、ニール・ヤング、ルー・リード。
僕は彼らの音楽というよりも、彼らの詩を聴きながら日本語訳された歌詞カードを繰り返し読んでいた。 そしてその表現に憧れを持っていた。 もちろん今でも持っている。
僕は彼らの詩を日本語で読みながら、日本人ならこんな詩を作れないだろうなと思っていた。 言葉を生み出す源流がそもそも違うように感じた。 英詩を和訳された日本語を読んでいただけだが、とても魅力的に響いた。 リアルに思えた。 少年だった僕はそんな詩を書いてみたいと思っていた。
洋楽を聴くようになるそれよりもっと前、僕がまだ子供のころリアルタイムでテレビでベルリンの壁の崩壊のニュースやチャウシェスク大統領の射殺された歴史的事件を見た。ソ連の崩壊も見た。
海外の若者の街頭インタビューなどがテレビから流れてくる。 国の情勢が逼迫しているということもあるだろうが、彼らの言葉はシリアスだった。そのころ僕は小学生か中学生だったろう。 「日本人はこんな場面にこんなにシリアスになれるだろうか?」子供ながらにそう思っていた。
数年前、僕が一月ほどロンドンに滞在しているとき、ロンドンで知り合った日本人から「何しに来たの?」とほぼすべての人に聞かれた。 おそらく僕も彼らの立場ならそう聞くだろう。 しかし僕には取り立てて「何かをしに来た」というアイデアはなかった。 だから僕が返答に困っていると、アレックスが「ヒデはエクスペリエンスに来たのさ」と僕の代りに答えた。 僕の頭は一度に氷解した。
来たからには何か目的がなくてはならない。 語学留学とか、写真を撮って写真集を出すとかしなくてはならないよう��気がしていた。 そうしないとただの浪費の旅なような気がしていたからだ。 「経験」が目的となり得るいうアイデアが僕の頭にはなかった。 僕はその旅以降「経験」を目的の一つに数えるようになった。 これは僕にとって大きな財産になった。
僕は人生で度々外国人の考え方にノックアウトされている。 もちろん日本は好きだし日本語も好きだ。 僕は漱石の文章が世界で一番美しいとさえ考えている。世界を知らないのに。
しかし言語や文化による発想の源流の違うのは明らかで、僕はその違いを捕まえたいと思っている。
僕は英語を習いたいというより感覚を理解したいと思っている。 だから英語を話すとき、日本語で考えて、それを英訳するつもりはない。 英語で発想できるようになりたいと思っている。 日本人も英語で歌を作る時があるが「これ日本語を英訳したな~」という歌詞が多かったりする。 そういう英語は嫌なのだ。
話しながら脇道にそれて、曲がりながら脇道を太くしてしまい元の路に戻れなくなるのが僕の特長なのだが、僕は今、人生の中盤に差し掛かりながら、死ぬまでに外国で暮らせるようにならないかなと考えている。
しばらくはそんな思いの卵を温めながら、もちろん日々の仕事もきちんとするつもりだ。
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