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#その代わりに吉田家率が非常に高い
ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(89)
『強靭な国家』を造る(26)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その16)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 
今般、ハマスのイスラエル攻撃を発端に発生した一
連の争いのニュースを知って、改めて、宗教、人種・
民族の違い、さらには歴史的権利などが絡む対立
の“根の深さ”に思いが至ります。
私自身は、現役時代に「イラク復興作戦」の計画・
実行に関わり、イラクのサマーワ、シリアのダマス
カスやゴラン高原を訪問した経験もあって、あの地
域の風土や対立の歴史などについて関心を持ち始め
てから長い年月が流れました。
今回、ハマスのイスラエル攻撃が発生した後、偶然
にもイスラエルとアラブに関係者がいる複数の日本
人と、別々にではありますが、会ったり、メールで
やり取りして意見交換する機会がありました。
当然ながら、イスラエルに関係者がいる知人は、イ
スラエル側に立った見方をしますし、アラブに関係
者がいる知人はハマス側に立った見方をします。人
道的な視点では共有できても、どちら側が(より)
悪いか、あるいはどちら側が譲歩すべきか、という
観点に立つと、考え方は全く正反対になります。
国内では、いつものように、“にわか評論家”がマ
スコミに露出して(日本の悪い癖ですね)、自分流
の勝手な見方で得意げに解説していますが、おそら
く、本事案の“真相”とはかなりかけ離れているの
だろうと思います。言葉を代えれば、自ら「フェイ
クニュース」を流しているようなものであることを、
なぜマスコミ側も気がつかないのでしょうか。
私はこれまでの経験から、イスラエルとアラブの対
立の背景や“何が起きているのか”などについて、
私たち日本人のような門外漢が見極めることは困難
と思ってきましたが、今回もそのように考えるのが
適切と思っています。
例えば、「ハマスの攻撃をイスラエル諜報機関のモ
サドが知っていたか」とか、「ハマスに武器を供与
したのはだれか」とか、「ハマスがこのタイミング
でなぜあのような暴挙に出たか」などは当然ながら、
見方が分かれます。
特に、ハマスにはウクライナにNATO諸国が提供
した武器が流れているとの情報がある一方で、ロシ
アのワグネルと繋がっているとの情報もあります。
当然、イランをはじめ、他のイスラム過激派などと
も繋がっているのでしょう。
また、500人以上の犠牲者が出ているガザ地区の
病院の爆破については、イスラエルかハマスか互い
の犯行の“非難合戦”をしていますが、その真相は
不明です。
爆発の映像をみる限りにおいては、ロケット弾が命
中して爆破したのではなく、地上に仕掛けた爆弾が
破裂したように見えることに加え、一般的な見方を
すれば(専門用語では「戦術的妥当性」と呼称しま
す)、バイデン大統領が訪問するこのタイミングで、
このような大事件を起こすことは、ハマス側に“
利”はあっても、イスラエル側に“利”はないとみ
るのが妥当でしょう。ただ、よほどのことがない限
り真相が明らかになることはないでしょう。
イスラエルのガザ地区への地上攻撃があるかないか、
あるとすればいつかが、現時点(10月20日現在)
の焦点であり、本メルマガが発刊される頃には、イ
スラエルが地上攻撃を敢行しているかも知れません
が、その行為がイスラエル自らの立場のみならず、
中東地域への拡大、あるいは国際社会全般にいかな
る影響を及ぼすかなどまで現時点では詳細、かつ正
確に見積もることは難しいでしょう。
バイデン大統領がイスラエルと連帯を強調しながら
も「怒りにのみこまれるな」と自制を促したのは、
その影響の大きさを懸念したからでしょうが、イス
ラエルからすれば、国際社会からの非難などよりも、
国家とユダヤ民族の生き残りをかけた戦いを最優先
することがまさに「国家戦略」なのであろうと思い
ます。
一方、ハマス側がイスラエルのこのような戦略を逆
に利用し、イスラエルの地上攻撃を誘発することに
よって、ヒズボラやイランなどアラブの諸力をもっ
てイスラエル包囲網を形成することまで視野に入れ
ていたとすれば、地上攻撃の結果は、報復戦以外の
違った意味をもたらす可能性があるでしょう。
国際社会は、バイデン大統領の訪問が(どちら側が
犯人であっても)500人以上の犠牲者を出す病院
爆破に繋がった、と判断して“最悪のタイミングだ
った”との見方が多かったですが、本事件によって、
人道的視点がより強調され、イスラエルが攻撃を停
止あるいは延期、もしくは限定的な攻撃に留めると
いう結果になれば、訪問の成果だったとものもとら
えることができるでしょう。いずれにしても、近い
将来、明らかになることと考えます(20日時点は
不明です)。
私たち日本人は、戦後の「平和ボケ」のせいか、人
類の歴史は、その善悪は別にしても、自らの「正義」
の追及や「国益」獲得を最優先して、そのために国
民の生命や財産を犠牲するような行為の繰り返しで
あったことに考えが及ばないのでしょう。それは今
も繰り返されているし、将来も絶えることはないと
覚悟しておく必要があるのです。
確かに、人類は長い歴史の中で、後々振り返れば
“数々の過ち”を繰り返してきました。しかし、そ
の時点に戻って当時の状況(事情)を考えると、
“他の選択肢などなかった”と考えざるを得ないこ
ともたくさんあります。
私たちは、人類が繰り返してきた様々な争いの原因
について、一方を善で片方を悪と単純に決めつける
のは、“稚拙以外のなにものでもない”ことに気づ
く必要があります。それが人類なのであり、その本
質は、今も、そして将来もそう簡単に変わることは
ないのです。
いずれにしても、早期解決を願わずにはおれません
が、翻って、「そのために、我が国は何ができるか」
と問えば、前回紹介しました湾岸戦争時同様、依然
として「何もしない、何もできない日本」を寂しく
思うばかりです。
岸田首相が周辺のアラブ諸国の首脳に電話している
ようですが、それがどのような効果があるのか、こ
の争いの早期終焉に結びつくのかについては不明と
言わざるを得ないでしょう。このような時こそ、ユ
ダヤ側にもアラブ側に立たない“孤立国・日本”の
「出番」なのかも知れないのですが・・・。
一方、同じような日程で、「一帯一路」会議を利用
して、プーチン大統領が中国を訪問、習近平主席と
会談して「反米路線で一致した」との報道がありま
した。テレビで見る限りで印象に残ったのは、習主
席がプーチン大統領はじめ、他国首相などだれと会
っても一度も笑顔を見せず、“心ここにあらず”な
のか、終始深刻な顔をしていたことでした。これが
何を意味するのか、早晩、その意味が分かるのかも
知れませんが、習主席自身あるいは中国国内で私た
ちの予想を超えるような“何か”がすでに起きてい
るのかも知れないと考えると不気味な気がします。
▼現時点の「国家戦略」の位置づけ
さて、『日本の大戦略』を参考しつつ、「国家戦略」
の策定手法について筆を進めることにしましょう。
まず、「国家のライフサイクル」と「国家戦略」に
ついて触れておきます。本書によれば、「国家戦略」
は、国家の4サイクル、「黎明期(誕生期)」「上
昇期」「定常期」「下降期」によってそれぞれに対
応した戦略があるとしています。国家の最重要な目
的が「安全と富」であることは大きく変わらないと
しても、国家が4サイクルの中で置かれている位置
や当時の国際システムなどによって、めざす目的の
優先順位とか、その獲得の仕方などが変ってくるの
は当然です。
振り返れば、明治維新の「富国強兵」「殖産興業」
は「黎明期の戦略」であったととらえることができ、
その後の「帝国国防方針」のようなものは「上昇期」
の戦略だったと言えるでしょう。本書では、戦後の
「吉田ドクトリン」も「上昇期」の戦略だったとら
えています。敗戦の結果、国土は疲弊していました
が、明治初期に比べれば、国家の人的・物的基盤の
ようなものは健在していたと考えた結果なのでしょ
う。
「定常期」の戦略の例としては、我が国には当ては
まる戦略がなかったこともあって、本書では、アメ
リカの第2次世界大戦後の戦略を例示しています。
同様に、「下降期」の戦略とついても、1980年
代の“アメリカ衰退論”からレーガノミクスのよう
な「回復戦略」を例示しています。
今、我が国に求められるのは、「富」の観点に立て
ば、まさにレーガノミクスのように、我が国の「ハ
ード・パワー」の「下降期」の「国家戦略」であり、
「これ以上の『国力』の低下を防止し、あわよくば
上昇に転ずる」ことを主目的とした「回復戦略」を
創り上げることだろうと思います。
つまり、我が国が人口減、特に生産年齢人口の減少
に伴い労働力や税収減、一方で高齢化社会の到来に
伴う社会保障給付費の増額などに対する中長期的な
対策、そして食料やエネルギーの自給率低下に伴う
安定確保政策などについて、それらをすべて網羅し、
総合的に向かうべき方向を明確にすることを“柱の
1つにする”「国家戦略」が必要なのです。
レーガン大統領時代のアメリカは、「安全」の分野
では、元々相対的に優位だった軍事力にプラスして、
「スターウオーズ計画」といわれたSDI戦略を計
画・実行することによって、ついに第2次世界大戦
以降長かった「冷戦」を結着させることができまし
た。
それに対して、現在の我が国の「安全」の分野では、
現下の情勢からますます厳しさが増大すると予想し
なければならない国際情勢、なかでも、先行きの不
透明感が著しい周辺情勢に対して、いかにして盤石
な未然防止と有効な対処態勢を整備するかが問われ
ているのでしょう。さらには、南海トラフなどの天
変地異に対する有効な備えなどまで含むとすると、
これまでの“常識”の範囲をはるかに超える短期お
よび中長期目標を設定することを余儀なくされるで
しょう。
このように考えれば、現下の我が国の「国家戦略」
は、レーガン時代のアメリカよりはるかに難しいこ
とも理解できると思います。
さらに欲を出せば、冒頭のように、国際社会を巻き
込むような文明の衝突などに対する「調整役」とし
ての我が国の責任(あるいは使命)から、“いかな
る役割を演ずるべきか”についても、“脳裏”から
消し去ることはできないわけですから、まさに現在、
我が国は“人前未踏”の「国家戦略」を打ち立てる
ことが求められているのです。
▼「我が国を取り巻く環境の変化」をどのように描
くか
 
その策定自体がとても悩ましいことはこの上ないで
すが、次のステップとして、「国家戦略」を創り上
げる際に、「我が国を取り巻く環境の変化」を“ど
のように描くか”は避けて通れないことでしょう。
『日本の大戦略』においては、第2章から第7章ま
での約250ページ、つまり書籍の約6割を、「我
が国を取り巻く環境の変化」の分析に充当していま
す。
興味ある読者にはぜひ一度目を通していただきたい
と思いますが、項目だけ紹介しますと、まず前半で
は、「国際社会の『大変動』と21世紀型主権国家
システム」とのタイトルを掲げ、「グローバル化の
加速と変調」「国際社会の拡大と国際安全保障」
「超長期の力の移行」「先進国/新興国複合体の生
成」などを詳しく分析しています。
それに続き、後半は「アジア太平洋─日本をめぐる
地域」に焦点をあて、「アジア太平洋における経済
秩序」「アジア太平洋における安全保障秩序」まで
考察の範囲を広げ、様々な角度から緻密に分析して
います。
本書の発刊以来10年以上の歳月が流れ、「我が国
を取り巻く環境の変化」はかなり“様変わりしまし
た”が、「国際社会の『大変動』」とのタイトルか
らしても、本書の行間から“今日のような事態を予
想していた”とも取れますし、現在は、当時の“想
定外のこと”が発生しているとも取れるでしょう。
いずれにしても、我が国にとっての現時点から近未
来の「国際社会の変化の焦点」は、(1)「ウクラ
イナ戦争、さらにはこの度のパレスチナ紛争などの
影響を受けつつ、パワーシフトの最中にある国際安
全保障体制や主権国家システムは今後、どうなるだ
ろうか」、(2)「米国の将来の国力の動向と国際
社会に対する影響力をどのように分析するか」、
(3)「習近平率いる中国の動向は将来どうなるだ
ろうか」、(4)「インドをはじめ、グローバルサ
ウスなどの新興国は将来の国際社会においてどのよ
うな役割を果そうとするだろうか」などであろうと
考えます。
このような網をかぶせた中で、中台問題なども論ず
るべきと考えますが、これらについての分析の結論
が少し違うだけで、「国家戦略」の書きっぷりが大
きく違ってくることは間違いなく、詳しく分析する
必要があることは言うまでもありません。
さらに言えば、 これら「我が国を取り巻く環境の変
化」は、我が国の「安全」に対する直接・間接の影
響に留まらず、「国力」の「ハード・パワー」その
ものに直接、重大な影響を及ぼすことは必定でしょ
う。
つまり、「緊迫を増す世界情勢や世界の人口増が食
料獲得に及ぼす影響」「気候変動とその対策がエネ
ルギー需給に及ぼす影響」「人類を救う科学技術の
動向」など、我が国は、「国力」の相当の部分で国
際社会に依存している“現実”を知る必要があり、
各界の叡智を集めての詳細に分析することも避けて
通れないことでしょう。
特に、分析結果を公開するかどうかは別にしても、
我が国の「安全」や「富」を確保する上で“極めて
重大な影響を及ぼす”「アメリカと中国」両国の将
来をいかに見積もるかによって我が国の「国家戦略」
の基本方向が大きく左右されることは衆目の一致す
る所でしょう。
なかでも焦点は中国でしょう。冷戦が終焉して旧ソ
連が崩壊した時、西側社会、特に我が国は旧ソ連と
経済的結びつきがあまりなく、大きな影響を受けま
せんでしたが、中国とは違います。
すでに触れましたように、2020年時点で、日本
は、中国・アメリカ・ドイツに続く世界第4位の貿
易大国を誇っていますが、最大の貿易相手国は中国
となっています。中国から見ても、日本は輸出相手
国で3位、輸入相手国で2位となっています。
世間には、「中国はやがてアメリカを抜き、世界N
O1の大国になる」との見方がある一方で、最近の
厳しい中国経済の動向などから、中国の将来につい
ての悲観的な分析も後を絶たず、極端な結論として
「今から2年以内に中国は崩壊する」との見方まで
大きく揺れています。
このようななか、『2035年の中国』(元駐中国
大使・宮本雄二著)のように、長年の中国ウオッチ
ャーの立場から、極めて現実的・冷静に見極めてい
る書籍もあります。
本書は、中国の将来については、「中国共産党の真
の挑戦は国内から来る」として、“若い世代が納得
する中国社会をつくり出せるか否か”にかかってい
ることを強調します。つまり、共産党一党独裁の中
国にあっても、国民主権の我が国などと同様、世代
交代に伴う価値観の変化に合わせて「社会そのもの
を変える」以外に“生き残るすべ”がないというの
です。
もう少し付け加えておきましょう。中国は、204
9年に中華人民共和国誕生から「建国100年」を
迎えますが、その国家目標として、習主席が「総合
国力と国際的な影響力において世界の先頭に立つ社
会主義現実化強国を作り上げること」と自ら発信し
ています。
当然とはいえ、中国のような国にあっても、総合的
な「国力」の増強とその上に立った「国際社会にお
ける影響力」を最優先の国家目標に掲げているので
す。これは我が国の「国家戦略」を描く際にも大い
に参考になると考えます。
本書はまた、中国でさえも「日米はじめ、国際社会
と連携なしに国家目標は達成できない」として、そ
のためにも「日米は、中国外交の路線修正を促す外
交を強化すべき」と強く提言しています。この点も
興味深い所です。
なお、アメリカの将来については、これまで幾度か
触れてきましたので細部は省略します。現時点にお
いて、様々な問題を抱えるアメリカではありますが、
私自身は、「国民一人一人が自由意志をもってその
総和として国家を運営する民主主義国家に勝る国家
運営体制は存在しない」というチャーチルの名言の
主旨にあるような、かつ、そのことを歴史が証明し
ているような“普遍の原理”は将来も変わらないだ
ろうと考えています(よって、あまり心配していま
せん)。
しかし、その成否を握っているのは、強いリーダー
に率いられた主権者たる国民の意志であり、その総
和としての「国家意思」であろうと思いますが、そ
れについては後述することにしましょう。
▼「国家戦略」策定へのアプローチ
このように「国家戦略」は、各界・各機能の総力を
集めてあらゆる知恵を絞り、その上で、大所高所か
ら、バランスを取りつつ、漏れなく、しかも“した
たかな”検討を積み重ねる必要があると考えます。
その中で、『日本の大戦略』は、我が国に必要な
「3つのアプローチ」を提唱しています。大変興味
深いアプローチなので簡単に紹介しておきましょう。
まず第1は、「『自律』を基本におくべきこと」で
す。つまり、“一国平和主義”のような「自立」で
はなく、これまで述べた「我が国を取り巻く環境の
変化」を至当に分析した結果として、“自ら原則を
立て、それに基づいて行動し、他国や他のアクター
とも協力していくという「自律」の重要性を説いて
います。全く同感です。
第2は、「他国から見て『頼りがいのある日本』を
めざすものでなければならない」としていることで
す。つまり、日本と協力すれば良い結果が出せる、
という意味での「連携力」を強調しています。「調
整役」の役割についてすでに触れましたが、この
「連携力」についても異論がないことでしょう。
第3は、「未来起点でのアプローチを探る必要があ
る」としていることです。つまり、現世代の繁栄と
平和を追求するだけでなく、将来世代の繁栄と平和
を求めていくということです。「将来世代を起点に
考えることによって、硬直化した政策体系を見直し、
政策の幅や柔軟性を回復することが可能になる」と
しています。
私は、私たち・戦後世代の責任として、この「未来
起点」のアプローチで「資産」を残す必要性を繰り
返し提唱してきましたが、まさに「的を射た視点」
との感を強くします。
『日本の大戦略』は、このような手順を経て最後に、
「『先進的安定化勢力・日本』のグランド・ストラ
テジー」(平成23年6月9日発表)を提言してい
ます。「国力」の中に占める「ソフト・パワー」と
しての「国家戦略」とそのアプローチは少し違いま
すが、よく分析・整理され、戦略として必要な要素
をほぼ網羅していると考えます。
いよいよ“外堀”が埋まってきました。次回、これ
らを参考にしつつ、私が考える「国家戦略」指針な
どについて紹介しましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマ���ー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
パークアクシスブランド レジディアブランド コンフォリアブランド パークハビオブランド プラウドフラットブランド パークキューブブランド アーバネックスブランド ルフォンプログレブランド カスタリアブランド オーキッドレジデンスブランド ディームスブランド ブリリアブランド 東京都心のブランドマンション 白金ザスカイ仲介 ワンルーフレジデンス田町仲介手数料無料 ザ・パークハビオ渋谷クロス仲介手数料無料 コンフォリア新宿イーストサイドタワー仲介手数料無料 パークタワー勝どき仲介手数料無料 HARUMI FLAG/晴海フラッグ仲介手数料無料 白金ザ・スカイ仲介手数料無料
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shintani24 · 5 months
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2024年5月7日
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大規模買収事件 有罪確定で広島市の石橋竜史議員が失職(NHKニュース)2024年5月7日
5年���の参議院選挙をめ��り、河井克行元法務大臣から現金を受け取った罪に問われた広島市議会の石橋竜史議員は、有罪判決が確定し失職しました。
広島市議会の石橋竜史議員は、河井元大臣から妻の案里氏を当選させるための選挙運動の報酬と知りながら現金30万円を受け取ったとして、公職選挙法違反の罪に問われ、1審と2審で罰金などの有罪判決を受けて最高裁判所に上告していました。
先月、最高裁判所が上告を退ける決定をしたのに対し石橋議員は異議を申し立てていましたが、最高裁が先月30日付けで申し立てを棄却したため、有罪判決が確定しました。
有罪判決の確定を受けて、法律の規定で石橋議員は失職しました。
これについて、石橋議員は7日、広島市内で会見を開き、「異議がかなわなかった部分は非常に残念だが、処分は真摯に受け止めている。失職という形になり、1人の議員が3年働けないという損失につながるので、あらためてお詫びしたい」と謝罪しました。
一連の事件で被買収側の議員が失職したのは安芸太田町の町議会議員に次いで2人目です。
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”オタフクお好みソース”が15年ぶりリニューアル「美味しさそのまま 塩味を優しく」消費者の声を大切に(テレビ新広島 5月7日)
5月7日は語呂合わせで「コナモン」の日です。広島の「コナモン」と言えば、なんと言っても“お好み焼き”ですが、オタフクソースの「お好みソース」先月、リニューアルしたのを皆さんはご存知でしょうか。
あえて変化を続ける食品メーカーの理由をツイセキしました。
広島のソウルフード「お好み焼き」に欠かせない「お好みソース」。ソウルフードを彩る「甘口の味」に地元の人も観光客も舌鼓を打っていますが、業界シェアトップのオタフクソースはこの春、看板商品をリニューアルしました。
五十川記者 『野菜・果実の甘味とうま味』と4月からパッケージも新しくなりました。家庭用と業務用の一部が新しくなりました」
広島から世界に展開している「お好みソース」が先月から順次切り替わっています。実に15年ぶりです。
オタフクソース 家庭用商品企画課 吉廣 空さん 「15年の間に色んな味覚の変化や嗜好の変化があったと思っています。お好みソースの塩辛さというところについても一部お声をいただいていました。そこにお応えをすることでより塩味を優しくして、お好みソースのおいしさはそのままに」
1952年の発売以来、時代に合わせ不定期にリニューアルを重ねてきたという「お好みソース」ですが、今回はと言うと…
五十川記者 「言われてみたら野菜と果実の感じが増しているのかなという感じもするんですけど、お好み焼きと一緒に食べていると今までの親しんだ味という感じがするんですけど、吉廣さん、変わりましたか?」
オタフクソース 家庭用商品企画課 吉廣 空さん 「これまでのお好みソースも非常にご愛顧いただいていたので、これまでのお好みソースの美味しさは変わらず商品を磨き込むという形で今回はリニューアルしました」
ほとんど味が変わらないように心がけつつ、会社に寄せられた消費者の声を元に「塩味を優しく」したり、カラメル色素を入れないようにしたりするなど、およそ5年もの間、試行錯誤を重ねてきました。
オタフクソース 家庭用商品企画課 吉廣 空さん 「一部のお客様の声ではあるんですけれども、お客様の声も大切にしながら我々、商品・ものづくりに取り組んできましたので、リニューアルしたお好みソースでよりお好み焼きをもっともっと好きになっていただけるようなことになれば、うれしいなと思っています」
久々にリニューアルしたお好みソースに、プロの受け止めは…
店主 「お好みはソースで決まると思っているんで、今、多様性が求められている中で、これがいい、これが悪いじゃないけど、皆さんが美味しく食べられるソースにしてくれるのは、本当にうれしいです」
広島のお好み焼きに欠かせない「お好みソース」食べても気づかないほどの変化ですが、15年ぶりのリニューアルには、より多くの安心感と満足感を届けたい企業努力が詰まっていました。
お好み焼きのソースといいますと、広島県内、他にもメーカーがあります。
“カープ お好みソース”は「今の味を大切に守っていきたい」
“ミツワ お好みソース”は「変えないように努力をしている」
今回、オタフクソースはリニューアルしたということですけれども、これまでの味を守るという選択をするメーカーも当然あるということで、匹田さん、この味をどう守っていくか、わずかなチェンジですけれども、大事なことなんでしょうね。
広島大学大学院 匹田 篤 准教授(社会情報・メディア論が専門)「多分一番プレッシャーを感じているのは、オタフクソースの社員さんだと思うんですよ。お好みソースらしさはそのままに、よりみんなに愛されるソースに変えていくっていうこと伝統的な味をあえて変えていくっていう、この攻めの姿勢を評価したいと思います」
味を変えずに守っていくことも大切だし、ちょっとずつ変化を加えることも大切だし、いずれにしても、この広島のお好み焼きの心というのは残していただきたいな、というふうに思います。
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アルツハイマー病、リスク遺伝子2つでほぼ確実に発症=研究(ロイター)
[シカゴ 6日 ロイター] - アルツハイマー病の発症リスクが高まることが知られている「APOE4」と呼ばれる遺伝子を2つ持っている人は、ほぼ確実にアルツハイマー病を発症し、早い年齢で症状が出るとの研究結果が「ネイチャー・メディシン」誌に掲載された。
アルツハイマーの研究・診断・治療方法が変わる可能性があるという。
APOE4を2つ持つ人は、APOEの一般的な型であるAPOE3を持つ人よりアルツハイマー病の発症リスクが高いことが30年前から知られていた。APOE4遺伝子を2つ持つ人は人口の約2─3%、アルツハイマー病患者の15%だという。
バルセロナ大学のフアン・フォルテア博士らが行った研究によると、APOE4を2つ持つ人の少なくとも95%が65歳までにベータアミロイドと呼ばれるアルツハイマー病関連タンパク質の髄液中濃度に異常が見られた。
APOE4を2つ持つ人は65歳の時点でほぼ全員、APOEを持たない人よりもアミロイドの濃度が高かった。
エーザイとバイオジェンのアルツハイマー病治療薬「レケンビ」の臨床試験ではAPOE4が2つある患者は治療に伴う脳内出血と脳腫脹の発生率が大幅に高く、患者を治療しない施設もあると研究者は指摘。こうした患者は機能障害が早く進む可能性が非常に高く、早い年齢から治療を始めるべきだとの見方を示した。
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身寄りなき老後、国が支援制度を検討 生前から死後まで伴走めざす(朝日新聞 5月6日)
頼れる身寄りのいない高齢者が直面する課題を解決しようと、政府が新制度の検討を始めた。今年度、行政手続きの代行など生前のことから、葬儀や納骨といった死後の対応まで、継続的に支援する取り組みを一部の市町村で試行。経費や課題を検証し、全国的な制度化をめざす。
高齢化や単身化などを背景に、病院や施設に入る際の保証人や手続き、葬儀や遺品整理など、家族や親族が担ってきた役割を果たす人がいない高齢者が増え、誰が担うかが課題になっている。多くは公的支援でカバーされておらず、提供する民間事業者は増えているが、契約に100万円単位の預かり金が必要なことも多く、消費者トラブルも増えている。本人の死後、契約通りにサービスが提供されたかを誰かが確認する仕組みもない。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、65歳以上の一人暮らし世帯は、2020年の738万から30年には887万に、そして50年には1084万へと増える。今後、頼れる人がいない高齢者はさらに増えるとみられ、厚生労働省は公的支援の仕組みが必要と判断した。
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「先生、家に帰りたい…」自宅での最期を望む患者、〝在宅医療〟を叶えるかりゆし姿の医師(テレビ新広島 5月3日)
どんな最期を迎えたい?超高齢社会の医療の在り方を考える
2025 年、団塊の世代が後期高齢者となり、国民の 5人に 1 人が 75 歳以上という超高齢社会を迎える。医師や看護師、介護職はさらに不足し、病院ではなく自宅で最期を迎えざるを得ない時代が近付いてきている。
そんな今、人生の最期を自宅で迎えたい患者を支える「在宅医療医」に注目した。「家で悔いのない最期を迎えたい。」患者の思いに応えるべく奮闘する医師がいる。日本の医療の先行きが不透明な中、「病気だけでなく、人と暮らしを診る」と言い、患者と向き合う医師に迫った。
自らハンドルを握り駆け回る「かりゆし」姿の訪問診療医
沖縄の民族衣装「かりゆし」姿で、玄関から顔をのぞかせる一人の男性。彼のことを知らなければ、まず彼が医師だと思う人はいないだろう。人懐っこい笑顔と気さくな会話で、相手の懐に入っていく様子は、親戚や友人の家を訪問しているかのようだ。仕事中の医師には一見見えない。
福井英人さん(45)は、在宅医療を始めて5年の医師だ。広島市のベッドタウン安佐南区で月に2回のペースで患者を定期的に訪問する。同じく医師の弟と2人で、合わせて約160人の患者を診ている。その患者のもとを、福井医師は軽自動車を自ら運転し訪問する。運転を人任せにしないのにも理由がある。
「運転すれば、道を覚えられる。深夜の容体急変時にも、いち早く駆け付けることができるから。」根っからの医者であることが伝わってくる言葉だ。
「在宅医療」には、医師が定期的に患者の家を訪問し診療する「訪問診療」と、かかりつけ医が患者の急変時に自宅に駆け付ける「往診」とがある。福井医師は、「訪問診療」しながら「往診」にも24時間対応するハイブリット型の在宅医療を行う医師だ。
患者の一人で90歳を超える一人暮らしの高齢男性は、この日、脱水症状があり、足がむくんでいた。もともと心不全を抱えており、定期的に福井医師が病状を診ていた。
「亡くなった妻と暮らした思い出があり、住み慣れたこの家で暮らし続けたい。」と男性は言う。
だから、それを叶える福井医師の存在がありがたい。福井医師は、「独り暮らしでも、看護サービスや介護サービスなど必要なサポートとつなげば、在宅医療を受けて生活することが可能だ。」と言う。
認知症の患者もいる。
「デイサービスもある、訪問入浴というサービスもある、そういったものを複合してオーダーメイドの医療を作っていく、それが在宅医療です。」
訪問後、薬剤師が訪れ医師が指示した薬を処方する。薬が残っていて、飲み忘れに気が付けるのも訪問医療ならではだ。
在宅医療に感謝 遺族の思い
患者の一人、西本幸子さんは84歳の時に福井医師と出会った。重度の心臓の病気を患い肺の病気もあった。余命1~2年だと大学病院で言われていた。残りの日々は自宅で過ごしたいと願い、福井医師の存在がそれを可能にした。寄り添うのは娘の康子さんだ。
「ここならわがままも言えるし、近所の人も訪ねてくれる。友達も遊びに来てくれる」幸子さんはそう話し、福井医師に全幅の信頼を寄せていた。趣味のものづくりをしながら日々を楽しんだ。気が付けば、余命1~2年と言われてから3年が経っていた。
その幸子さんが今年初めに86歳で亡くなった。最期は体調を崩し、連携する総合病院へ入院した。福井医師が病院へお見舞いに行くと、手を握りながらこう言ったという。
「先生、もう1度家に帰りたい…。」 福井医師は、その思いにこたえたかった。 「わかった。帰らしちゃる。」そう言って準備を進め、もうすぐ退院と決めた日の直前に、そのまま帰らぬ人となった。
亡くなって1ヵ月後、花を抱えた福井医師が、娘の康子さんの元を訪れ仏壇に手を合わせていた。遺族を訪ね、話を聞き寄り添う「グリーフケア」と言われるものだ。それをすることで、もっとできたことがあったのではないかと考え、次につなげるとともに、自分自身の心の整理もするという。双方の心のケアのような意味があり、福井医師はほぼ毎回行うようにしていた。 「最期が心残りだった。」という福井医師に対し、康子さんは言った。
「私自身は、心残りがあるかなと思ってみたり、精一杯やったとも思ってみたり…。でも在宅医療はすごくうれしかったです。先生には十分してもらいました。母は、友達にも囲まれていました。在宅医療はありがたかった。」 どんな最期を迎えたいか、迎えてほしいか。在宅医療は看取る側の家族にとっても、選択肢の一つとして可能性を広げている。
「日々ドラマがあるんです。もちろん���役は患者さんとその家族です。でも自分が指揮者として参加させてもらっている気がしています。こんなやり方があるよと、提案をさせてもらうことで、その人の人生が豊かになることにやりがいを感じています。」
福井医師は、人と密接にかかわる在宅医療が自分には向いていると感じている。もともとは救命救急医だった。大阪や沖縄の病院で働き、ドクターヘリにも乗り、救命救急医療に取り組んだ。故郷の広島に帰り5年前、父が院長を務める「福井内科医院」で働き始めた。見渡せば内科は他にもたくさんある。これからの時代にあった医療は何か、そう考えたとき、救命医の経験が生かせる在宅医療に行き着いた。
緊急の呼び出しもあるため、決して楽な仕事ではない。妻と5人の子供との生活もある中、時には自己犠牲も必要とされる。でも救命救急医として活躍した自分だからこそ対処できることがあるという自負もある。何より患者との距離が近いことに魅力を感じている。「人が好き」なのだ。
詐欺業者も撃退!生活に寄り添う日々
在宅医療をはじめて5年、患者は増え続けている。福井医師は、「在宅医療は、病気だけでなく、人や暮らしを診る医療です。」と表現する。診察に訪れた家で、高齢者に詐欺行為を働こうとする人を追い出したのは、1度や2度ではない。高価な宝石を騙されて買いそうになる認知症のおばあちゃんを説得したこともある。患者の日常のトラブルに向き合い、寄り添うのも在宅医療ならではだ。在宅医療は患者の生活空間に入っていく医療だ。超高齢社会の中で、人を見守る頼もしい存在といえる。
一方で、人生の最期に寄り添う医師の存在は、患者の逝き方も変えている。余命宣告されてから好きな旅行を家族と楽しんだ人、大好きな自宅の庭を見つめながら亡くなった人、幸せに悔いなく旅立つ人を多く診てきた。自分らしい最期を自宅で迎えたいという要望にできる限り応え、自宅でできる医療を施す。点滴をするために、家にある洗濯用のツッパリ棒を活用したこともある。オリジナルの工夫は、「自宅では無理」を「自宅でもできる医療」に変えている。
自分らしい最期を支える 医師が感じた「役目」
福井医師は、今、広島市民病院から研修医を迎え入れている。昨年度は5人の研修医が、それぞれ1ヵ月間を福井医師のもとで過ごした。研修を終えた 1 人は、「在宅医療は、自分らしく過ごす日々を支える医療だ」と表現した。普段は総合病院で最先端の医療を学ぶ研修医たちにとって、在宅医療の研修は「患者の生活」を知る機会にもなっていた。
福井医師は、この機会を将来の種まきだと考えている。これから総合病院でたくさんの経験を積むであろう研修医たちが、十数年後でいいから、在宅医療と向き合ったこの経験を思い出し、訪問診療医として活躍してほしい。自分がそうであったように。そんな願いを込めて、今年度も新たに 8 人の医師を受け入れる予定だ。
※この記事はテレビ新広島と Yahoo!ニュースによる共同連携企画です。テレビ新広島 石井百恵
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感染対策根付くも 医療現場なお負担/コロナ5類移行1年(東奥日報 5月7日)
新型コロナウイルス感染症の法的な位置付けが5類に引き下げられてから8日で1年。青森県内でも、感染対策が市民生活に根付き、社会がコロナ禍前の日常を取り戻す中、医療現場ではコロナ対策の負担が一部緩和されつつも、いまだ気の抜けない状況が続いている。
ドラッグストアなどを運営する丸大サクラヰ薬局(青森市)によると、マスクの売れ行きは年々下がる半面、消毒用品や抗原検査キットは継続的に売れている。中でも検査キットは、人混みへの外出後や症状が出た時に備えて購入する客も少なくなく、広報担当者は「『あれ』と思ったら使うよう習慣化しているのでは」と話す。
「5類に移行したからといって、コロナがなくなったわけではない」
一方、健生病院(弘前市)の竹内一仁院長はこのように医療現場の状況を訴える。今もコロナ感染から重症化するなどした患者が常時複数入院しており、「合併症がある人が感染により重篤な状態になったり、高齢者が体力を奪われて亡くなったりするケースはある」。
同病院は感染対策を以前よりも大幅に緩和。面会制限は設けず、感染者の手術も延期せず実施する。「病院全体がコロナ診療に慣れてきた印象がある」と救急集中治療部の太田正文科長。5類になり抗ウイルス薬の自己負担が増え、適応するのに処方を希望しない患者が多い-とも明かす。
県医師会の近藤博満常任理事(青森市)は「一番困っているのは、一般患者に交じってコロナ感染者が入ってきてしまうこと。『5類だから普通に病院に行っていい』という考え方ではなく、発熱など感染の恐れがある場合は受診前に連絡してほしい」と強調する。同時に「うつされることを怖がって病院に来ない人も増え、各病院でコロナ前の患者数には戻っていない。病院や診療所の存続が危なくなってきているのが現実」と語る。
「5類移行後も変わらず院内でクラスター(感染者集団)は出ている」と説明するのは県立中央病院(同市)の北澤淳一新興感染症対策推進監。入院時の全員検査を廃止し、「今は症状がある人しか検査しない。無症状の患者を見つけ出す負担が減った」と話す。
患者には入院の2週間前からなるべく感染の機会を減らすよう呼びかけるが、必ずしも全員が協力的ではないという。「入院後に発症すれば病室、病棟と広がってしまう。患者側も注意するべきだし、見舞いも本当に用事がある人だけ来てほしい」と本音を漏らす。
ナルミ医院(弘前市)の鳴海晃院長は「スタッフが感染し自宅療養になると周囲の負担が大きく、人員を少し余分に確保する必要がある」とし、コロナ対策の負担は軽減されたが現場の人手不足が解消されたわけではない-と訴える。
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monqu1y · 3 years
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大戦がもたらしたもの  「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。  講演内容の要旨は、次のとおり。  1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。  イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。  翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。  ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
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 1941年6月、独ソ激突が始まった。  半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。 ��それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
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 1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。  1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。  1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。  1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。  1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。  しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
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 彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。  近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。  アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
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  占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
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 ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。  ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。  日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。  1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。  イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
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 朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。  1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。  1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。  1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。  1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。  1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。  1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
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 そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。  朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。  1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効���配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。  1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
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 1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。  1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。  1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。  1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。  1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。  1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。  1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。  米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。  しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。  その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。  9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
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 しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。  その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。  6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。  1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。  1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。  1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。  1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。  1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
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 そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。  1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。  1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。  1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。  1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。  1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
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もう1ヵ月以上遅れている
安倍首相は28日に記者会見し、「緊急経済対策の策定と、その実行のための補正予算案の編成を、このあと指示する。今まさにスピードが求められており、10日程度のうちに取りまとめて速やかに国会に提出したい」と述べ、今後10日程度でリーマンショックのときを上回る規模の緊急経済対策を策定し、新年度の補正予算案を編成する考えを示した。
筆者の結論を言おう。これまでの本コラムを読んでもらえればわかると思うが、「あまりに遅すぎで、シャビー(みすぼらしい)」だ。
まず「遅すぎ」からいこう。28日に記者会見が行われたのは、27日に2020年度予算が成立したからだ。この段階で、財務省の手順に従ってしまっており、「遅すぎる」のだ。
筆者はこれまでの本コラムでも、3月中の2020年度予算の「修正」を主張してきた。2020年度予算を成立させてから「補正」で対応すると、1ヵ月以上も遅れるのだ。
また、中身に関わる話でもあるが、安倍首相は、現金給付の規模や対象について「リーマンショックの時の経験や効果などを考えれば、ターゲットをある程度おいて、思い切った給付を行っていくべきだと考えている」と述べ、すべての国民に一律の現金給付には慎重な考えを示した。
これは、所得制限したうえで現金給付をするつもりなのだろう。今回のような大きな経済危機の時には、何よりスピードが優先される。なので先進国では、まず現金給付をする。具体的には、筆者が本コラムで書いてきたような政府振出小切手を国民に配るというやり方だ。
所得制限とは、通常は配布前に所得制限をかけて行うものだ。具体的には、所得に応じて給付金を配布するという方法になる。しかし、実際に行うにはかなりの時間を要する。そこで、政府振出小切手を一律に配布するという方法がとられる。この方式は、アメリカなら2週間程度で実施可能だ。
やっぱり財務省が障害か
「高額所得者に対しても一律に給付金を出せば批判される」と、財務省は国会議員を脅す。実際に、今回もそのようなことがあったようだ。しかし、その脅しは簡単に切り返すことができる。
というのは、アメリカでも同じであるが、税法の非課税措置を手当しなければ(つまり何もしなければ)、給付金は税法上「一時所得」に該当するため、高額所得者は限界税率が高く、それなりの調整がなされるのだ。
こうした危機に所得制限を示唆するとは、日本の国会議員はコロっと財務省に騙されてしまったようだ。
ついでに言っておくが、日本の現金給付は政府振出小切手を使っていないので、とても2週間ではできない。
リーマンショック時に給付された定額給付金は、いわゆる地方事務である。地方自治体から国民に、定額給付金の「申請書」が送られる。国民はそれに銀行口座などを記載し、本人確認書類などとともに地方自治体に「申請」する。受け取った地方自治体は、本人確認をして、銀行口座に振り込む。この間、1、2ヵ月を要する。
一方、政府振出小切手では、本人のところに小切手が届く。本人はそれに署名して、銀行に持ち込む。銀行が本人確認して現金が付与される。この方式のほうが簡便なので、2週間くらいで実施できる。
官邸が財務省にやられている
次に、対策そのものの規模も情けないほどシャビーだ。一応、「リーマンショックの際を上回る規模」というが、これは事業規模の話だ。リーマンショック時に政府が56兆円の事業規模で対策したのは事実だが、真水ベースだと15兆円程度だった。
経済対策には、大別すれば(1)公共事業、(2)減税・給付金、(3)融資・保証がある。「真水」とは、(1)のうち用地取得費(事業費の2割程度)を除いた部分、(2)は全額、(3)は含めないで、(1)(2)を合算したものを指すことが多い。
実際の政策としては、(2)でも消費に回らないと短期的にはGDP創出につながらないし、(3)がないと企業倒産に繋がり、雇用の喪失を通じてGDPへの悪影響が出る。
その意味では、全ての政策が相まって重要なのだが、「真水」の考え方は、「マクロ経済政策による有効需要増のGDPに対する比率」で表すことができる。そのため、経済ショックで需給ギャップがGDPの一定割合に生じた際、どの程度まで穴埋めできるかが簡単にわかるので、景気の先行きを占う上で有効である。
実は、筆者は、2010年1月5日から本コラムを書いている。最初の原稿「なぜ日本経済だけが一人負けなのか」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60)では、リーマンショックのGDPギャップとその埋め方を、日米英独で国際比較している。その中で、「日本は財政政策も金融政策も酷い」と論じている。
安倍政権になって、少しは民主党政権より経済運営がまともになったが、ここにきて、メッキがはげている。自民党内の一部はまともであるが、今の安倍政権は官邸が機能していない。このため、財務省にやられている。さすがの安倍首相も、パワーが失われているようだ。
「真水」でないと意味がない理由
その結果、今回の経済対策も事業費ベースでは50兆円を超えるが、真水ベースではシャビーな案になっている。GDPに影響を与える真水ベースだと、せいぜい20兆円ともいわれる。これではGDPのわずか4%である。アメリカでは2兆ドルベースの経済対策で与野党が一致しており、これがGDPの10%に達することと比べると、日本はシャビーと言わざるを得ない。
なぜ「真水」が重要なのかと言えば、先に紹介した本コラムの第1回にも書いたように、今回のような経済ショックがあると、有効需要が失われGDPが低下するが、それはGDPと失業率の関係を示すオークンの法則からわかるように、「雇用の喪失」を意味するからだ。
どこの先進国でも、雇用の確保はマクロ経済政策のイロハである。経済ショックが各国のGDPに与える悪影響も均一ではなく、またそれが失業に与える悪影響も同じではない。しかし、雇用の確保という観点からみれば、経済ショックに対する各国のマクロ政策には自ずと相場観が出てくる。そうした議論のためには、「真水」の考え方で経済対策を見たほうが適切だ。
「真水」をシャビーにするのは、財務省の意向だ。彼らがその言い訳に使うのが、財政事情である。本コラムでは、日本の財政事情は悪くないと何度も繰り返してきた。
特に、今回のような経済危機においては、先進国では同時に金融緩和も行われる。それは、財政問題を起こさないためでもある。
実は、「経済対策を国債発行で賄い、それと同時に金融緩和する」というのは、発行した国債を中央銀行が購入することを意味する。そうなると、国債の利払いは中央銀行になされるが、それは納付金として政府の収入になるので、実質的な利払い負担がなくなるのだ。
このことは、前回のコラムにも書いた。しかし、実際の政治の現場では、政治家は財務省のいいなりになってしまう。どうしてなのか。
「ポスト安倍」との絡み
それには、自民党の党内力学が働いているようだ。ポスト安倍で、財務省に近い岸田文雄氏が図抜けているということだ。
岸田氏の派閥は宏池会だ。宏池会は、大蔵官僚から首相まで登りつめた池田勇人氏を創設者とする自民党内の伝統派閥で、官僚出身議員が多く、財務省の影響を強く受けている。
麻生太郎財務大臣は、宏池会ではないが、宏池会に近いとされている。もちろん財務大臣なので、財務省の伝統的な手法をそのまま実施しようとしている。
消費減税や小切手案は、財務省が最も嫌う政策であり、岸田氏や麻生財務相も否定的なので、現段階で実施は政治的に無理なのだ。
筆者もある宏池会系の議員や記者から、「あなたの言う消費減税や政府小切手などの政策は経済的には正しいが、財務省が否定するので政治的には採用されない」と言われたこともある。
それにしても、28日の記者会見で、消費減税について質問した記者はたった1人。新聞社が軽減税率の恩恵を受けていて、消費減税に反対しているから質問できないのではないだろうかと思ったくらい、残念だ。
このままで自民党は大丈夫なのだろうか。先週末に行われた共同通信の世論調査では、「望ましい景気対策」として、現金給付32.6%、商品券給付17.8%、消費減税43.4%となっている。意外と世論はよく見ているのかもしれず、ポスト安倍は国民と財務省の板挟みで苦しむかもしれない。
その他の対策もおかしい
いずれにしても、今の安倍政権はちょっとおかしい。筆者が強くそう思うのは、経済対策だけではない。
ひとつは新型インフルエンザ対策特別措置法の運用だ。これは民主党政権時代の法律を改正したもので、3月13日公布、14日施行だった。
筆者が驚いたのは、14日施行なのに、この法律にもとづいてすぐに政府対策本部を立ち上げなかったことだ。すでに首相官邸には新型コロナウイルス感染症対策本部があったので、それをそっくり移行させればよかったはずだ。政府対策本部が発足したのは、なんと27日だった。
緊急事態宣言がまだ出されていないのも奇妙だ。
特措法改正時の3月10日、筆者はあるネット番組で「ヒゲの隊長」こと佐藤正久参院議員と対談したが、一刻も早く緊急事態宣言を出すべきとの意見で一致した。
その時はまだ、今日の事態を必ずしも正しく予測していたわけでないが、各都道府県知事が強制措置をとるべき時になれば法的根拠を確保できるし、とるべきでなければやらなければいいだけだからだ。他国では軒並み緊急事態宣言やそれに準ずる状況であり、いまさら日本が緊急事態宣言を出しても特に問題にはならないので、やらない選択肢はなかった。
しかしながら、いまだに宣言はなされていない。政府は「ギリギリの状況だ」と言う。特措法は医療崩壊を防ぐためのものなので、それほど「ギリギリ」なら緊急事態宣言を政府が行い、各都道府県知事に、対策の法的根拠と実施権限を与えておくべきだ。
小池百合子東京都知事が「ロックダウン」などと言っているが、法的根拠なしで行うのは危うい。
もはや終息のメドは立たない
その小池都知事も、もっと前に都民へ強く注意喚起をしておくべきだった。これは、3月19日の政府専門家会合で示されたデータだ。
「感染源が未知の患者数の推移」であるが、これを見ると、東京と大阪で急激に増加しており、危ないと読める。実際、吉村洋文大阪府知事は、3月20〜22日の3連休前に兵庫・大阪間の往来自粛を呼びかけている。
そのときの根拠として、吉村知事はTwitterで厚労省から説明を受けたことを明かしている(https://twitter.com/hiroyoshimura/status/1240892069507256320)。
厚労省から受けたこの提案を重視し、方針を決定した。単なる有識者やコメンテーターが作成したものじゃない。国がこの書類を持って大阪府と兵庫県にわざわざ説明に来て提案された。重要な事実と判断して外に出した。多くのコメンテーターはこんな数字なる訳ないと思うだろうが、僕は無視できない。
大阪府が厚労省から説明を受けているのであれば、東京都も同じであるはずだ。しかし小池都知事は、3月20〜22日の3連休前には何もしなかった。いくら東京五輪の延期に手間を取られていたとしても、これは重大なミスである。
因果関係はわからないが、結果として、感染者数は急激に増加している。下図は、これまで筆者が示してきた患者数推移予測の図を更新したものだ。従来の政策が有効であるとの前提で立てた先週までの予測は範囲内におさまっていたものの、今では大きく外れており、終息のメドは立たなくなっている。まったく違うフェーズに入っていると言わざるを得ない。
筆者はいろいろな場で「いつまでにこの騒ぎは収まるか」と聞かれて、「東京と大阪が大丈夫なら○○までに」などと答えてきたが、その前提が崩れたいま、当面確たることは言いにくくなった。
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ari0921 · 4 years
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映画『日本独立』がついに描いた日本国憲法の真実
古森 義久
飛行するB29(1945年、米空軍撮影/パブリックドメイン)
(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
「ついに出たか」というのが私の実感だった。日本国憲法がどのように作られたのかをここまで現実通りに描いた作品は、映画に留まらずテレビドラマ、歴史書、学術論文など、どの分野を見渡しても日本ではまずないだろう、と感じた。最近、封切られた日本映画『日本独立』(2020年12月18日公開)を見ての率直な感想である。
 今、あえてこの映画について報告するのは、決して作品の宣伝をするためではない。戦後の日本にとって最も重要といえる憲法についての歴史の展開が、これほど簡明に実際の歴史どおりに報告されることは、私の知る限りまずなかったと思えるからだ。だからその歴史の現実を伝え、知るには、この映画の紹介が好材料だと感じた次第である。
米軍の将校十数人が一気に起草
 日本の憲法が、占領下の1946年(昭和21年)2月に米軍総司令部(GHQ)の米軍人たちによっていかにあわただしく作成されたか、私はその経緯を、作成にあたった当事者から詳しく聞いた数少ない日本人の1人である。その当事者が語った実際の歴史は、今回の映画で描かれた経緯とほぼ同じだった。
 実際の歴史をこれほど正確に伝えた表現や描写の記録を私は知らない。つまり日本国憲法の草案作りの実態は、歴史として正確に語られることがほとんどなかったのだ。
 ただし、その骨子はすでに多方面で多様な資料によって明確となっている。日本国憲法は、日本がアメリカをはじめとする連合国の占領下にあった1946年2月3日からの10日ほどの期間に、米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。この将校団は連合国軍総司令部(GHQ)の民政局次長だったチャールズ・ケーディス米陸軍大佐を実務責任者としていた。「連合国軍」といっても主体は米軍だったのだ。
 ケーディス大佐の直属の上官は民政局の局長のコートニー・ホイットニー准将、さらにその上官は連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥だった。
 日本の新憲法を作成するにあたって、GHQは当初、日本側にその起草を命じた。命を受けた時の幣原喜重郎内閣は松本烝治国務大臣にその起草を任せた。まもなくその草案ができたが、GHQは一蹴してしまった。「内容が十分に民主主義的ではない」という理由だった。その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。そしてその実務がケーディス大佐に委ねられたのだ。
 その結果、書き上げられた日本国憲法案は、3月13日に日本側の幣原内閣に提示された。日本側は内容を不満だとして抵抗を試みたが、しょせんは戦争の勝者と敗者の関係である。ふつうの独立国家であれば、考えられない戦力の不保持や戦争の放棄、さらには自衛の放棄までをうたうような憲法案を受け入れざるをえなかった。
 米国側の意図はもちろん日本を二度と軍事強国にさせないということだった。そのためには、たとえ自国を守るためでも「戦力」や「戦争」は禁止するという意図だったのだ。
反論の余地なく押し付けられた
 映画『日本独立』は、その米国製の憲法案を押しつけられた日本側の責任者たちの米国との交渉、苦闘を描いている。
 その筋書きは歴史どおり、米国のGHQが独断で書いた憲法草案を、「日本政府が自主的に書いた」という虚構とともに日本側にそのまま受け入れることを強制する、という展開だった。
 出演は浅野忠信、小林薫、宮沢りえ、松重豊、柄本明、浅田美代子といったスターたちだ。監督は、かつて東条英機にユニークな光をあてた映画『プライド・運命の瞬間』を作った超ベテランの伊藤俊也である。
 映画のストーリーは、幣原内閣の外相の吉田茂、そしてその知己の国際派実業家だった白洲次郎に焦点を合わせ、「日本を独立国ではなく、まったくの隷属国として扱っている」(白洲次郎の言葉)米国への反発を追っていく。だが、結局は米国の命令どおりに事態は進んでいく。
 この映画の展開は、私にとってきわめて新鮮に感じられた。なぜならこれまでの日本では、憲法をめぐる論議がこれほど長く、これほど広く進められてきても、憲法草案が占領軍の米軍によってすべて作られ、日本側にはなんの反論の余地もないまま、そのとおりに受け入れさせられたという事実が明示されることはまずなかったからだ。
 その意味で、この映画は重要だといえる。改憲にしても、護憲にしても、まず現在の日本の憲法がどんな経緯で、どんな環境下で作成されたかを客観的に知ることは、憲法問題への取り組みの第一歩だからである。これまでの日本の憲法論議では、その事実認定の第一歩がきちんと踏み出されていないのだ。
真の主役、第9条を書いたケーディス大佐
 映画『日本独立』では、米国側のマッカーサー、ホイットニー、ケーディスという重要人物たちも頻繁に登場し、日本側代表と衝突する。だが当然ながら戦争の勝者の占領軍はほぼ100パーセント、その意思を押し通していった。この映画では、そのやり取りがわかりやすく、ドラマティックに活写されていた。
 その米側の多数の登場人物たちの間でも、真の主役はやはりケーディス大佐である。GHQでの肩書は民政局の次長だった。
 ケーディスは当時39歳、コーネル大学、ハーバード大学の出身で、戦前からすでに弁護士として活動していた。1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、陸軍に入り、参謀本部で勤務した後、フランス戦線で活動した。日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。そして赴任の翌年の2月に憲法草案作成の実務責任者となった。
 私はそのケーディスに1981年4月、面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞く機会を得た。場所は、当時75歳の彼が勤務していたニューヨークのウォール街の大手法律事務所だった。
 私の質問に、彼は時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。結局4時間近くの質疑応答となった。
 私は彼の話から日本国憲法作成の状況の異様さに衝撃を受け続けた。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱだったからだ。日本側への対処があまりに一方的な押しつけに徹していたからでもあった。そもそも戦勝国が占領中の旧敵国に受け入れを強制した憲法なのだから当然なのかもしれないが、それにしても、なんと粗雑な点が多かったのかと驚かされた。
 彼の言によれば、起草は都内の各大学図書館から他の諸国の憲法内容を集めることから始まり、後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた天皇の地位や戦争の放棄など簡単な基本指針だけが盛り込むべき内容として指示されていた。
「私自身が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。しかも上司からのノートでは、戦争の放棄は『自国の安全保障のためでも』となっていました。この部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」
 ケーディスは後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、自分の判断だけでOKを与えたという。この修正案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。
 憲法草案のこうした枢要な部分は、上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を事後に得てはいるが、ケーディスの判断だけでも済んだという。
最大の目的は日本の永久非武装化
 このインタビューでケーディス元大佐が私に語った内容の主要点は以下のとおりであった。
・憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。
・草案の指針は日本の自国防衛の権利までを否定する意図だったが、自分の一存でその部分を削った。上司の了解は事後に得た。
・「天皇は日本国の象徴」という表現もアメリカ政府の事前の指示にはなく、ケーディスら実務担当者が思いついた。
・第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、あるいは他のだれかなのか、自分にもいまだにわからないままである。
・アメリカ側は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は国民投票にかけるという圧力をかけたが、日本側の受け入れには選択の余地はないとみていた。
 以上の5点からも、現在の日本国憲法は日本の占領下に米軍によって書かれ、なおかつ押しつけられたことがあまりにも明白である。しかも日本を永久に非武装にして自国の防衛の能力や意思をも奪おうとしたのだ。戦後の日本は、自国の防衛という主権行為の権利さえも制約された「半国家」にされたと言っても過言ではない。
 日本国憲法は、あまりにも異常な条件下で、占領する側が一方的に作成した憲法だった。その実態が、憲法案作成から75年近くが過ぎたいま、映画のなかでやっと正確に再現されるようになったというわけである。これも令和という新時代になったからこそ、なのだろうか。
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genron-tomonokai · 5 years
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話題書、ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』の刊行記念トークイベント! 同書を翻訳した夏目大氏とゲンロンカフェではおなじみの吉川浩満氏、さらにスピノザ研究者の木島泰三氏という豪華鼎談です! 哲学と生物学を横断する、知的刺激に満ちた内容は必見です! 当日はぜひゲンロンカフェにご来場ください!
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆3/27(水)18:00- 【再放送】津田大介×西田亮介×塚越健司 「メディアは破綻したのか? ウェブ新時代の対抗軸! ――『情報戦争を生き抜く』刊行記念イベント」 (2018/11/29収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318876376
◆3/28(木)13:00- 【再放送】豊田剛一郎×津田大介 「情報テクノロジーと医療のゆくえ ――『ぼくらの未来をつくる仕事』(かんき出版)刊行記念イベント」 (2018/3/16収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319112125
◆3/28(木)19:00- 【生放送】日比野克彦×中村和彦 司会=石戸諭 「障害者スポーツから考える未来 ――映画『蹴る』公開記念イベント」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318836990
◆3/29(金)13:00- 【再放送】吉川浩満×東浩紀 「運と確率の進化論 ――『理不尽な進化』をめぐって」 (2015/4/24収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319112246
◆3/29(金)19:00- 【生放送】夏目大×吉川浩満×木島泰三 「頭足類の心と私たちの心 ――『タコの心身問題』刊行記念イベント」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318785879
◆4/5(金)19:00- 【生放送】原武史×東浩紀 「平成において皇后とはなんだったか」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318992163
◆4/6(土)19:00- 【生放送】さやわか×吉田雅史 「ダンス/ポップミュージックのレシピ!」 【四天王シリーズ #10】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318992379
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆3/27(水)23:59まで 【再放送】西きょうじ×石戸諭 司会=津田大介 「反『自己責任』宣言 ──西きょうじ『さよなら自己責任』刊行記念イベント」 (2019/1/8収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318870120
◆3/28(木)23:59まで 【再放送】浅田彰×千葉雅也×東浩紀 「POST-TRUTH時代の現代思想 ――60歳を迎えた浅田彰と語る、21世紀の新世界秩序」 (2017/3/25収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318871720
◆3/29(金)23:59まで 【再放送】高橋源一郎×東浩紀 「平成のおわり、文学のおわり」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #9】 (2018/7/30収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318872542
◆3/29(金)23:59まで 【再放送】高橋源一郎×東浩紀 「平成のおわり、文学のおわり #2」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #13】 (2018/11/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318873387
◆4/2(火)23:59まで 【生放送】黒瀬陽平×坂上秋成 「平成にとって東浩紀とはなんだったのか? ――『ゆるく考える』刊行記念! 東浩紀本人は海外出張中なので思いの丈を語るイベント」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318991864
◆4/2(火)23:59まで 【再放送】五百蔵容×速水健朗 電話出演=樋渡群 「サッカー批評の新たな地平を切り拓く!」 (2018/12/3収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv318874326
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】三中信宏×山本貴光×吉川浩満 「知はいかに体系化されるか? ――『系統体系学の世界』『統計思考の世界』刊行記念イベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20180720 (2018/7/20収録)
◆【vimeo】小川哲×飛浩隆×東浩紀×大森望 「日本SFの新たな地平 ――日本SF大賞同時受賞&『ゲームの王国』山本周五郎賞 &『ポリフォニック・イリュージョン』刊行記念イベント」 【大森望のSF喫茶 #26】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180706 (2018/7/6収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://bit.ly/2sybMGS
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆3/28(木)19:00- 日比野克彦×中村和彦 司会=石戸諭 「障害者スポーツから考える未来 ――電動車椅子サッカー映画『蹴る』公開記念イベント」 https://peatix.com/event/611746
◆3/29(金)19:00- 夏目大×吉川浩満×木島泰三 「頭足類の心と私たちの心 ――『タコの心身問題』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/607331
◆4/5(金)19:00- 原武史×東浩紀 「平成において皇后とはなんだったか」 https://peatix.com/event/612730
◆4/6(土)19:00- さやわか×吉田雅史 「ダンス/ポップミュージックのレシピ!」 【四天王シリーズ #10】 https://peatix.com/event/613118
★New!★ ◆4/16(火)19:00- 高橋沙奈美×本田晃子×上田洋子 「ツーリズムとナショナリズムからみる現代ロシア ――建築、教会、収容所」 https://peatix.com/event/620169
★New!★ ◆4/17(水)19:00- 長谷敏司×三宅陽一郎×大森望 「AI研究の現在とSFの想像力」 【大森望のSF喫茶 #28】 https://peatix.com/event/623028
◆4/25(木)19:00- 高瀬康司×土居伸彰 『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』公開&『アニメ制作者たちの方法』刊行記念 「アニメーションの「光」について ――21世紀のリアリティの行方」 https://peatix.com/event/618797
★New!★ ◆4/26(金)19:00- 小石祐介×松下隆志×渋谷慶一郎 「ファッションを通して見る現代ロシア文化 ──ポストソ連のナショナル・アイデンティティをめぐって」 https://peatix.com/event/619657
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ   ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
開催中の展示
◆2019年3月16日(土) - 3月31日(日)) ※月曜休廊 『3月の壁』
参加作家:秋山佑太、新井健、荒木佑介、井戸博章、梅沢和木、ク渦群、しんかぞく、名もなき実昌、 パルコキノシタ、藤城嘘、宮下サトシ、柳本悠花、弓指寛治、和田唯奈、BeBe、Everyday Holiday Squad ほか
開廊時間:15:00-20:00
五反田アトリエでは現在、カオス*ラウンジによる「三月の壁」展が行われています。 東日本大震災から8年、その記憶の風化をテーマにしながら、アトリエのリニューアルにも合わせ、梅沢和木、藤城嘘、弓指寛治、和田唯奈の4名による合作の壁画を制作。 また、新芸術校第3期金賞の新井健による「仮囲い」を使用した大作を展示するほか、様々な作品がひしめきあうグループ展となっております。
是非お見逃しなく!
今後の展示予定についてはこちら http://chaosxlounge.com/
藤城嘘
◆◇ 編集部からのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』増刷決定!&電子書籍版も販売開始! 脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる! 物理書籍版: https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 電子書籍版: https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
★ウェブ批評誌『ゲンロンβ』配信日変更のお知らせ 毎月第3金曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年4月から、配信日を第3木曜日に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 →最新号『ゲンロンβ35』はこちら! https://genron.co.jp/shop/products/detail/221
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中! 絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録! https://genron.co.jp/shop/products/detail/193 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★『ゲンロン9 第I期終刊号』絶賛販売中! 『ゲンロン』創刊から3年。第I期のあらゆる伏線を回収し、第II期の飛躍を準備する、第I期終刊号。 https://genron.co.jp/shop/products/detail/188 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/genron9issuu/36
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中! 第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン! https://genron.co.jp/shop/products/detail/178 →『新復興論』特設ページはこちら! https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞&朝日新聞社「平成の30冊」第4位!『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →『ゲンロン0』特設ページはこちら! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★友の会第9期への新規入会を受付中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆久田将義さんの新刊『「かわいげ」は人生を切りひらく最強の武器になる』(CCCメディアハウス)に、 東浩紀が「かわいげの人」としてイラストつきで登場しております! http://books.cccmh.co.jp/list/detail/2313/
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、「東浩紀、福島の教訓『人類全体のもの、後世に伝えるのが義務』」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019031300010.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都���川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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shintani24 · 5 months
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2024年4月21日
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2023-24 WEリーグ第16節 ちふれASエルフェン埼玉 2-1 サンフレッチェ広島レジーナ@熊谷スポーツ文化公園陸上競技場 853人/29分 吉田 莉胡、55分 小川 愛、76分 吉田 莉胡
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小川 愛
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天皇杯サッカー、福山シティが2年ぶり4度目の広島県代表 全広島選手権決勝大会、広経大を4―0で下す(中国新聞)
サッカーの第104回天皇杯全日本選手権(日本サッカー協会、Jリーグ主催、共同通信社、NHK共催)の広島県予選を兼ねた全広島選手権決勝大会(中国新聞社など主催)が21日、広島市中区のエディオンピースウイング広島であった。福山シティが4―0で広経大を下し、2年ぶり4度目の出場を決めた。
福山シティは前半22分、ゴール前の混戦からのこぼれ球を高橋佳が押し込み先制。27分には左CKから藤井敦仁が頭で合わせ、2点のリードで折り返した。
後半にも勢いは止まらない。9分に吉井佑将が右サイドからのグラウンダーのクロスに合わせて3点目を挙げ、33分には途中出場の塚田裕介がゴールネットを揺らした。広経大は2015年以来9年ぶりの優勝を目指したが、激しいプレスに苦しみ、ゴールが遠かった。
天皇杯は5月25日に開幕。福山シティは同26日にエディオンピースウイング広島で沖縄県代表との1回戦に臨む。(時間は速報値)
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元サンフレの服部公太監督率いる広経大、5度目の優勝逃す 天皇杯広島県代表決勝戦 「いつも通りのプレーできなかった」(中国新聞)
サッカーの天皇杯全日本選手権の出場権を懸けた全広島選手権決勝大会で広経大が、2015年以来5度目の優勝を逃した。21日、エディオンピースウイング広島での決勝で福山シティに0―4。チームを率いる元J1サンフレッチェ広島の服部公太監督(46)は「完敗です。いつも通りのプレーができなかった」と唇をかんだ。
昨年1月に就任後、「無失点と、局面を打開できるチームづくり」を徹底。今大会は初戦で前年優勝のSRC広島に対して目指してきたプレーを見せ、1―0で勝利。準決勝では広島文化学園大に3―2で競り勝って7年ぶりに決勝の舞台に導いた。「自信がついたと思う」と収穫を語り、「1対1の(部分の)強度を上げて、当たり前のことを確実にできる集団を目指す」とレベルアップも誓った。
広島時代には、J1、J2で171試合連続フル出場し、「鉄人」と呼ばれた。この日初めて新スタジアムを訪れ「感動した。連れて来てくれた選手に感謝です」と指導者の顔をのぞかせていた。
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デジタル社��の「命綱」、磁気テープが進化中 70年で容量2千万倍(朝日新聞 4月17日)2024年4月21日に追記
ビデオテープやカセットテープでおなじみの「磁気テープ」がひそかな進化を遂げている。CDやDVD、そしてブルーレイディスク(BD)に押されて一般向けの消費は激減したが、膨大なデータを扱う海外の大手IT企業などの引き合いは逆に増加。性能も高まっている。そんなデジタル社会の「命綱」の生産は、実のところ、大半を国内企業が担っている。
昨年10月に起きた、銀行間の送金を担う全国銀行データ通信システム(全銀システム)の障害。この非常時に、磁気テープが活躍した。
障害によって全国11の金融機関で、他行宛ての送金と着金が通常通りできなくなった。復旧までの間、磁気テープを用いて積み残った手続きを行った。
例えば、障害が起きたA銀行から別のB銀行に送金する場合は、A銀行で口座や支店名などの情報をテープに書き込み、それを全銀システムに読み込ませて送金先に伝える。逆の場合は、送金元の情報を全銀システムからテープに書き込み、それを送金先に届けた。こうした地道な作業で事態を乗り切った。
コスパにすぐれ、サイバー攻撃にも強く
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富士フイルムの磁気テープ=同社提供
磁気テープは、プラスチックのフィルムに「磁性体」と呼ばれる細かい粒子を薄く塗ってつくる。写真フィルムにも生かされている技術だ。粒子を細かくし、薄く塗布できるほど、記録できる容量が大きくなる。
CDなど他の記録メディアよりも、大容量の製品を安くつくれるとされる。膨大な情報を蓄積するのに向いており、データセンターなどで記録媒体として使われている。
さらに、データを読み書きする時にしか電力を使わず、稼働中はずっと電力を消費するハードディスクと比べてCO2排出量を95%減らせるという。ネットワークと切り離して保管ができるため、サイバー攻撃や障害などが起きても影響を受けないことも、特長の一つだ。
世界シェアの大半占める日本勢
いま、コンピューター用磁気テープの生産は、富士フイルムとソニーの2社で世界シェアの大半を占めている。
ソニーは1950年に国内初の磁気録音テープを発売した。富士フイルムも59年に国内初の放送用ビデオテープを開発し、今はコンピューター用の世界生産シェアの7割を握っている。
米IBMが52年に開発した磁気テープの保存容量は、2・3MB(メガバイト)。対して、富士フイルムが昨年8月にIBMと発表した最新型は50TB(テラバイト)と、2時間の映画1万本分のデータ量を誇る。およそ70年で容量は2千万倍以上に増えたことになる。
富士フイルムは、2025年に世界で蓄積されるデータの量は、20年と比べて2・7倍に増えると予想している。
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富士フイルムの磁気テープ=2023年11月、東京都港区赤坂9丁目
一方、生成されるデータの最大65%程度は、頻繁にアクセスする必要がなく、磁気テープで保管するのに適した「コールドデータ」が占めるとみられる。金融機関や官公庁、研究機関などで、普段は使われないが、法制度などで保管が義務づけられているデータなどがあてはまる。
10年代には、事業環境が厳しいとしてTDKが撤退するなどしたが、富士フイルムの担当者は「アクセスの頻度に応じて最適な保管方法を選ぶ動きはさらに進む。ポテンシャルは広がっている」と話している。(杉山歩)
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105年前に貸し出された小説が返却 米国の図書館、延滞料は…(毎日新聞 4月20日)
米西部コロラド州フォートコリンズの公立図書館で今年、105年前に貸し出された歴史小説が返却された。図書館によると、延滞の罰金(1日2セント)が計760ドル(現在の貨幣価値で約1万4000ドル=約216万円)に膨らんでいたが、おとがめなしとなった。
返却されたのは、スコットランドの作家ウォルター・スコットが19世紀に発表した歴史小説「アイバンホー」。12世紀のイングランドを舞台に騎士の活躍を描いた作品で、1919年2月13日が返却期限となっていた。
米メディアによると、同州コロラドスプリングズで、家の整理をしていた住民が本を発見し、今年2月に図書館に返した。住民は「大叔父、大叔母、祖母の誰かが借りた本だと思う。大事にしないといけないと思って、返しに来た」と話したという。カバーの内側には、貸し出し履歴の記録表も残っており、過去に3人が借りたことが記されていた。
返却された本は博物館か図書館で展示することが計画されているという。【ワシントン秋山信一】
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ヒトの脳神経回路、iPS細���で再現 東京大学が技術開発(日本経済新聞 4月20日)2024年4月21日に追記
大脳オルガノイド(上)を培養すると軸索が伸び、別の大脳オルガノイドと接続する(中央と下)=東京大学の池内与志穂准教授提供
東京大学の池内与志穂准教授らはヒトのiPS細胞を培養して、脳の神経回路を再現する技術を開発した。大脳の構造に似た立体組織を作り、神経細胞から伸びる長い突起を介して互いに接続させた。活発な神経活動が生じ、脳の複雑な機能の解明や病気の治療法の研究に役立つ。
研究チームはiPS細胞を使って大脳組織を再現した「大脳オルガノイド」を2つ用意し、特殊な構造の培養皿で育てた。それぞれの大脳オルガノイドの神経細胞から軸索と呼ばれる長い突起が伸びた。
2つの大脳オルガノイドが軸索を介して接続すると、直接つながる場合に比べて神経の活動量が増えたり、不規則な周期の複雑な活動が生じたりした。神経細胞の活動を制御する「光遺伝学」を用いて刺激すると反応が敏感になり、記憶や学習の基礎になる現象が起きた。
池内准教授は「脳の神経は離れた2つの部位の間でやりとりすることが多く、神経の位置関係は脳の機能に関わる可能性がある」と話す。
ヒトやサルは他の動物に比べ、脳内で神経細胞の軸索が占める体積が大きい。今後は軸索を介して接続する大脳オルガノイドの数を増やしたり、小脳など別のオルガノイドと接続させたりして、ヒトの脳が情報を処理する仕組みを調べる。
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kadookanobuhiko · 4 years
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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅱ
   部落問題の頓珍漢な英語論文の執筆者、マーク・ラムザイヤー(敬称略)は、日本語の著書『法と経済学』(弘文堂、1990年)の経歴によると、18歳まで日本で過ごし、1982年にハーバード・ロー・スクールを卒業後、連邦高等裁判所のロー・クラーク(法務書記)、さらにはシカゴで弁護士を務めている。1985年から東大法学部で、フルブライト研究生および日本学術振興会研究員として学徒の道を歩み始めた。
 わずかな期間ではあるが、弁護士としても活動していることに、私は少なからず驚いた。論文での恣意的な引用は、厳格であるはずの法律家によるものとはとうてい思えないからである。 
 文脈を無視した無茶苦茶な引用は、もはや訴訟案件である。引用元の著者(私を含む)に、そんなことは書いていないと抗議されたら、どう反論するのだろうか。
 前掲の著作を読む限り、日本語は完璧である。研究員を務めるハーバード大学のエドウィン・O・ライシャワー日本研究所のサイトによると、東大、一橋大、東北大で、日本語による講義もおこなっている。読解も問題はなく、判読が難しい大正時代の手書きの資料も読み込んでいる。
 語学力を駆使した広範な資料の渉猟は尊敬に値するが、そこから構築する論理は支離滅裂で、結論から導く強引な引用は、犯罪的ですらある。
   ※  ※  ※
    著者は 2019年に著した『On the Invention of Identity Politics :The Buraku Outcast in Japan』 で、20世紀初頭に、著書で被差別部落について触れた賀川豊彦や高橋貞樹の記述を紹介したあと、さらに多くの文献から、部落の<文化><犯罪><家族>について引用している。部落のそれであるかは、別として。本稿では、まずは文化から見ていきたい。
<高橋貞樹が言及したように、19世紀末から20世紀の初めにかけて、彼らが”穢多根性”(穢多の本質)と呼んだ行動のスタイルは、19世紀アメリカ南部の貧しい白人の文化”cracker”と非常に似ている。すなわち、職場や学校生活における長時間にわたる精力的な努力への意欲の欠如である。また、明白な攻撃への志向性である。それらは、危険で度を越えたレベルの口論にエスカレートする傾向にあった>
 部落の行動スタイルは、攻撃への志向性なのだろうか。繰り返すが高橋貞樹は、そんなことは述べていない。
 続けてラムザイヤーは、民俗学者の柳田國男(東大教授は務めていない。また、YANAGIDAではなくYANAGITAである)が書いた島崎藤村の『破戒』評を引用している。原典から引く。
<(小説として十分納得できない)その一つは新平民と普通の平民との間の闘争があまり劇(はげ)し過ぎるように思う。信州の穢多は別に研究したことはありませんが、私が他の諸地方で多少観察したところからいえば、このような非道(ひど)い争いはない>
 『破戒』で描かれているような激しい争いはなかったーー海の向こうの南部白人まで引き合いに出し、部落の攻撃性を強調しているにもかかわらず、大した悶着はなかったという論考に同調しているのはなぜだろうか。
 その論理展開は理解に苦しむが、要するに差別はそれほど厳しくなかったと言いたいのであろう。なぜなら差別の厳しさを前提にすると、部落の攻撃性が薄れてしまうからである。
 19世紀末の著述家たちは、いかに部落民が争いに腐心したかを繰り返し不平を述べた――。ラムザイヤーはそう断言している。ここから、彼が発掘してきた、部落民の反社会性に関する記述の総攻撃が始まる。
 部落民が社会から排除される理由は多くある。最も基本的な要素を率直に挙げるなら、彼らが暴力的であるからだ。彼らはレイプもおこなう――。島崎藤村とは別の”Toson”が、1889年の著作で書いている、とあるが、誰のどの著書なのか、いろいろ調べたがわからなかった。差別される理由を、まずは被差別当事者に向けているが、そんなことを書いた”Toson”が 本当にいるのだろうか?
<ジャーナリストの横山源之助は、同じように1898年の著作で、部落民は激しやすく、すぐに腹を立てる、と書いている>
   ”激しやすく、すぐに腹を立てる”(hot-tempered and quick to take offense)は、この論文で著者がよく使うフレーズである。実際に原文にそう書かれているかは別として。
 横山の1898年の著作は、言うまでもなく『日本之下層社会』(教文館)である。同書は、都市の工場労働者や職人の就労実態、スラム住民の生活を調査した報告書で、部落に特化したものではない。また、部落=激しやすいという記述もない。
 1910年、小原新三は東京大学の法律雑誌で、部落民について次のように説明した――そう述べた上で著者は、『国家学界雑誌』から、次の文章を引用している。
<彼等が他の種族の者より一寸した害を受けても之を針小棒大とし損害賠償を強ふる性質となり衆を頼んで暴行する原因ともなって居る。換言すれば即ち此根性は猜疑となり、無反省となり、復讐心となり、無遠慮となり、自暴自棄となって居る>
 原典の執筆者の小原(KoharaではなくOharaである)は、東京帝大を卒業後、貴族院書記官、内務省参事官、奈良県内務部長などを経て朝鮮総督府地方局長を歴任し、和歌山県と新潟県の知事までつとめあげた。部落問題を管轄する奈良県内務部長に就任した経験から、引用の原典『奈良懸下ニ於ケル特殊民部落改善ノ方針』を同誌に発表したのだろう。
 この論考は、部落民の起源を朝鮮半島とし、その”特徴”を縷々述べているが、内容は偏見を交えた誹謗中傷に近い。
<憫む可き五つの性質>として<規律秩序を知らざる事><一時的に活動するも忍耐力乏しき事><不潔を厭はぬ事><貯蓄心なき事><所有の観念なき事>を挙げ、その”実態”が悪し様に描かれている。それらを生んだ社会的背景は、一切書かれていない。当時の官僚が部落をどのように見ていたかがわかり、その意味においては貴重な資料と言える。<彼れ等の特性>には、次のような記述がある。
<彼れ等は平素犬や猫を殺すに係らず、非常に犬を怖がる。之は彼れ等が常に悪事をして居るから自から心に咎る為めダローとの説あれど、ドウだか心理学者に研究して貰ひ度ひ>
<彼れ等が党を組み団体を造って他と喧嘩をする時は頗る勇猛だが、単独になると非常に卑怯だ。他村に出た時などは堂堂たる六尺の男子が女や子供にからかはれてもドシドシ逃げ出す>
 悪意に満ちた記述は、計10点、2ページにわたって書き綴られている。エリート官僚が書いたものとは思えない内容で、有斐閣から出版された書籍は見ることができたが、不二出版の復刻版は<人権問題を考慮して>まるまる削除されている。
 異民族起源説が信じられていた時代の、悪意と偏見に満ちた記述を何の解説もなく、研究論文に引用する神経を疑う。
 小原論文は部落の罵詈雑言のオンパレードなので、著者の立論に合うらしく、ラムザイヤー論文には頻繁に引用されている。
   ※  ※  ※
 著者はさらに部落民の特徴について、さまざまな文献から引用している。
<貴族院議員の遠藤隆吉は、1912年、部落民はとてつもなく嫉妬深いと報告した>
<きわめてささいなことであっても、彼らはそれを立腹への想像力をかきたてることに利用する>
 遠藤は東洋大、早大教授を務めた社会学者で、巣鴨高商(現・千葉商科大)の創設者でもある。貴族院議員は務めていない。原典の『日本我』(巣園学舎出版部、1912年)から、該当部分を引こう。
<嫉妬心の強きこと、凡て精神上のことは一概に之を評する能はず。然れども特殊部落に対する世人の感情甚だ面白からざるが故に、勢ひ微細なることに関しても直ちに想像を逞しうし、嫉妬を起すの傾きあるは免るべからざる所なり>
 原文では、嫉妬心が強いと言われている���一概には言えない、と世評を���定している。<とてつもなく嫉妬深い>とは報告していない。また、些事をおおごとにするとは書いているが、その前の<特殊部落に対する世人の感情甚だ面白からざるが故に>という一文には、触れていない。自らが欲する単語、文章だけ抜き取っていることがわかる。 
 京都府警が、1924年(大正13)に報告したとする文章がそれに続く。
<部落民は伝統的に激しやすく、非協力的で、なおかつ暴力的である>
    該当する原典は京都府警ではなく、京都府の資料である。原典の<部落民ノ思想的傾向>では、次のように記述されている。読みやすいよう、片仮名や一部の漢字を平仮名に改め、句読点をつけた。
<部落民は久しきにわたる因習により、執拘かつ反抗心強く、また猜疑嫉妬の念に富み、ややもすれば暴戻残虐の行動に出る者あるは、今なお旧套を脱せずといえども、近来教育普及の結果、彼等の中には相当自覚し、旧慣の悪習を去り、普通民の同情により、融和を求��んとするの意気、ようやく痛切なるものあり>
 この内容を<伝統的に激しやすく、非協力的で、なおかつ暴力的である>と簡潔にまとめている。原文の文意は「いろいろ問題行動を起こす者もいるが、教育の結果、痛切に融和を求める者もいる」であろう。欠点らしき単語のみを故意に抜き出している。前述した高橋貞樹の『特殊部落一千年史』の引用とまったく同じ手口だ。
 そもそも京都府の資料は、2年前に創設された全国水平社の反響を冷静に分析した報告書で、最後は<水平運動の勃興は、部落民を通して差別撤廃の急を感覚せしめたること大なるものあり>と結ばれている。部落民の運動に共感しているといっても過言ではない。
 著者は文意も文脈も関係なしに、ただただ部落民の欠点らしき記述を血眼になって探し出し、論文に引用している。前にも述べたように、暴力⇒運動⇒利権と言いたいがための前ふりだが、その品性こそ、危険で、貧しく、卑しい。
   ※  ※  ※
<同じように観察者たちは、部落民は努力しないと不満を述べている>。資料を使った部落攻撃は、まだまだ続く。
 前掲の遠藤隆吉は、著書『日本我』で<部落民を雇っても、すぐに辞める>と書いているという。原典では<一旦職に就くも之を棄つるの已むなきに至れる者亦甚だ多し>とある。
 この文章がどのような文脈で用いられているのか、原典をじっくり見てみよう。遠藤は貧困に苦しむ部落民について、次のように記述している。
<此の部落に取りて最も大なる打撃は社会の圧迫の強きがために高等の教育を受くること能はず、官吏として社会に立つ能はざると是れなり。彼等の中より軍人を出し、教師を出すの例は之ありと雖も極めて少数のことに属し、多くは半途にして退学し、又は一旦職に就くも之を棄つるの已むなきに至れる者亦甚だ多し。彼等の職業は勢ひ従来のものに限られ、哀れなる職人的又は半農的の生活を以て終らざるを得ず>
 遠藤は、部落民は社会の圧迫(差別)が厳しく、高等教育の機会を奪われている。学校中退や中途退職をせざるをえない者がかなり多いと嘆いている。<部落民を雇っても、すぐに辞める>と非難しているわけではない。ましてや部落民は努力しないと主張しているわけでもない。
 部落の悪口で埋め尽くされた『奈良懸下ニ於ケル特殊民部落改善ノ方針』を書いた小原新三も、部落民の怠慢を述べているという。ラムザイヤーの要約を見てみよう。
<部落民が職場を辞めなかったとしても、彼らは働かなかった。ある工場のオーナーは、何人かの部落民を雇ったが、彼らは20~30分以上はほとんど働かなかった。2時間以上は持たず、けっきょく1カ月以内に解雇した>
 引用箇所を原典で確めたが、1カ月以内に解雇したという記述はなかった。何度も言うが、引用するにあたって、勝手に文章を付け加えるのは言語道断である。
    ※  ※  ※
 著者はあまたの資料の中から、部落民が反抗的で怠け癖があり、努力しないという<文化>を見つけ出した。部落民にそのような人間がいないとは、まったく思わない。現にそのひとりが、この私である。
 だがそれを言えば、どんな組織、共同体、民族、人種にも、その手の人間はいる。部落民の欠点をあげつらうな、と言いたいわけではない。低位な状況にあるからこそ”対策”が必要だ。ただその状況を描く(引用する)場合は、時代状況や資料的価値を見定めた上で、偏見や差別から一定の距離を置かなければならないことは言うまでもない。それは何も部落問題に限ったことではなく、あらゆるマイノリティに言えることでもある。 
 ところがこの著者には、そういった姿勢がまったくない。色眼鏡をかけて見た観察者のおどろおどろしい記録を精査することなく、手前勝手に引用するばかりか、あまつさえ加筆までして、自論に誘導しようとしている。また、部落に同情的な文章であっても、否定的な言葉だけを抜き出し、執筆者の見解にしている。もはや研究以前の話である。
 だれもチェックする人間は、いなかったのだろうか。<2020・6・11>
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xf-2 · 5 years
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一 はじめに
(日本オリンピック)  五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。  八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。  「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。  半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。  本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す)  「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。  厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。  我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
 二〇二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。  浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。  津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。  来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。  九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。  「ここで帰ったら後悔する」  オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。  その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。  心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。  東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと思います。
三 地方創生
(観光立国)  全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域の魅力を世界に発信する、絶好の機会です。  北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本博」を、本年、開催いたします。  国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。  首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。  オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。  更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出)  世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。  昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。  先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。  農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。  神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。  CSF対策を一層強化します。野生動物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づき、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生)  昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。  相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。  東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口��一割に当たる二千八百人が減少した町です。  しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。  原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。  「地域みんなで、手伝ってくれました」  地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。  「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへとつなげてまいります。  都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。  企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。  若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者)  「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。  全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。  この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。  信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。  七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。  デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革)  IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。  本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。  AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。  フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。  技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション)  吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。  吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究の世界に飛び込める環境を整えます。  変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。  第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。  その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。  次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。  月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。  Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス)  今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。  日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政健全化なし。この基本方針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。  この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。  雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。  兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。  経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障)  この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に拡大します。  高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。  こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。  年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。  二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。  年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。  医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。  子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援)  子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。  昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実質無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。  保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりま��た。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。  妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会)  我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。  この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。  女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。  バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。  「その能力は磨けば無限である。」  中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。  「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」  中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実現しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと帰ってきます。  本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義)  日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。  「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」  オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。  日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。  もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。  プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。  日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策)  いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。  昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。  日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決)  この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。  中東地域における緊張の高まりを深く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。  自由貿易の旗手として、二十一世紀の経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。  G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。  我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EU��どG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。  世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
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shintani22 · 2 years
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2022年4月17日
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2022 明治安田生命J1リーグ 第9節 ジュビロ磐田 2-2 サンフレッチェ広島@ヤマハスタジアム 7393人/39分 鈴木雄斗、46分 満田誠 → 松本泰志のクロスから磐田オウンゴール、61分 満田誠、89分 ファビアン ゴンザレス
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広島4連勝ならず…磐田、途中出場のF・ゴンザレスが値千金の同点弾(サッカーキング)
5戦未勝利の磐田と3連勝中の広島が激突。磐田のMF遠藤保仁は、前人未到のJ1通算650試合出場を達成した。
試合は22分、磐田にアクシデントが発生する。GK三浦龍輝が筋肉系トラブルでプレー続行不可能となり、アレクセイ・コシェレフとの交代を余儀なくされた。コシェレフは磐田でのリーグ戦初出場となった。
試合の均衡が破れたのは39分、磐田が先制する。左サイドから切り込んだ大森晃太郎のドリブルは途中でカットされるが、こぼれ球はリカルド・グラッサに当たってペナルティエリア手前に流れる。これを回収した鈴木雄斗は、相手の寄せをブロックしながら右足一閃。ゴール右上に突き刺した。
ビハインドで折り返した広島は、後半開始早々に試合を振り出しに戻す。スルーパスに抜け出した松本泰志がペナルティエリア左から折り返すと、グラッサに当たってコースが変わり、ゴールに吸い込まれた。
後半に入ってから攻撃の迫力が増した広島は、61分に逆転する。佐々木翔が左サイドのスペースにロングパスを送り、反応した柏好文はワンタッチでペナルティエリア左の森島司につなげる。森島もダイレクトでグラウンダークロスを送り、ゴール前に飛び込んだ満田誠が合わせてネットを揺らした。
追いかける展開となった磐田は84分に決定機を迎える。83分に投入されたばかりのファビアン・ゴンザレスが左コーナーキックに頭で合わせたが、惜しくも右ポストに阻まれた。
89分、磐田が試合を振り出しに戻す。右サイドを突破した吉長真優がグラウンダークロスを送ると、相手DFはクリアに失敗。ゴール前でルーズボールに反応したF・ゴンザレスが押し込み、J1初ゴールを記録した。
試合はこのまま終了し、勝ち点1を拾った磐田は3試合連続ドローとなった。広島のリーグ戦連勝は3で止まり、J1通算400勝達成はお預けとなった。
次戦は23日に行われるJリーグYBCルヴァンカップ・グループステージ第5節となり、磐田はホームでFC東京、広島はホームで徳島ヴォルティスと対戦する。
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動画:ウクライナ侵攻で核シェルターに再注目 スイス(AFPBB News)
【AFP】ロシアのウクライナ侵攻を受け、スイスでは冷戦(Cold War)時代に造られた核シェルターへの関心が再び高まっている。
1960年代以降、スイスの全自治体には住民のための核シェルター建設が義務付けられている。また一定規模以上の戸建てや集合住宅を建てる場合にも、同様に核シェルターを設置しなければならない。スイスの総人口860万人に対し、確保されているスペースは約900万人分。官民合わせて36万5000か所にシェルターがある。
核シェルターは、チョコレートや銀行、高級時計と並ぶスイスのトレードマークの一つで、これまでは倉庫やワインセラーとして使われてきた。ところが、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日以降、本来の役割を見直す動きが起きている。
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は侵攻開始から数日後、核抑止力部隊を厳戒態勢に移行するよう命令し、世界に警戒感が広がった。
さらに、1986年に史上最悪の原発事故を起こしたチョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)原発付近をはじめ、ウクライナの原発周辺における激しい戦闘によって、永世中立国のスイスでもウクライナ侵攻の影響を受けるのではないかとの懸念が高まっている。
ジュネーブの国防・市民防衛当局トップ、ニコラ・スキラッチ(Nicola Squillaci)氏は同市郊外メイラン(Meyrin)で、新築集合住宅の地下シェルターを案内しながら、「衝撃波や空気中の放射性物質から」住民を守るのに役立つとAFPに語った。
約150人用のシェルターは普段は倉庫になっているが、排せつ物を微生物によって分解・処理するバイオトイレや、組み立て式簡易ベッド、外気ろ過システムなどが備わっている。「非常口とメイン出口にエアロックがあり、カプセルのようになっています」とスキラッチ氏。「建物が崩壊しても、シェルターには影響はありません」
これまでスイスで核シェルターへの避難命令が実際に出されたことは一度もない。専門家は、シェルター使用の必要性が最も高いのは、国内で原発事故が起きた場合だと指摘している。
しかし、ウクライナ侵攻を受け、「市民からはシェルターに関する質問が数多く寄せられている」とスキラッチ氏は言う。
専門家は、実際の核兵器攻撃に対するシェルターの保護レベルは、攻撃の強度と攻撃地点からの距離に大きく左右されると警告している。
スイス国防省の報道官はAFPに対し、「核シェルターあれば、市民を放射性物質から一時的にはある程度守れる」が、「大規模な核戦争となれば大惨事となり、どの国もその影響を免れることはできないだろう」と述べた。映像は3月25、28日撮影。
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ロシア産木材、ウクライナショックで高騰 マイホーム価格に波及か(朝日新聞)
ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、国内の木造住宅で重宝されるロシア産木材の輸入が難しくなっている。「ウッドショック」に続く「ウクライナショック」で、木材価格は最高水準に達した。急激な円安やアルミなどの高騰も重なり、建築コストは膨らむばかり。マイホームの夢はさらに遠のいてしまうのか――。
千葉県鎌ケ谷市にある丸宇木材市売の京葉市場には、ロシア産のアカマツがまだ積まれていた。「垂木(たるき)」と��ばれる3センチ×4センチ角の棒状で、戸建ての屋根などによく使われるものだ。
「今あるのはこれだけ。次はいつ入るかわかんないよ」
3月31日の市で、残り少ない在庫分が競りにかかると、あっという間に買い付けが入った。同社が扱う輸入材の半分はロシア産で、この日で在庫はすべてが予約済みとなった。
市場長の中島英夫さんが話す。
「先々のストック分も確保しようと、いつもの倍の量を買っていくお客さんが多い。ロシアから次にいつ届くかは見通せない」
直近の取引価格は1立方メートルあたり十数万円で、1年前のほぼ倍。同じ形状の国産スギより2割ほど高い。
競りに参加した材木店の社長が言う。
「消費者にはあまり知られていないが、戸建てにはロシア産が意外によく使われている。大工が好むんだ。釘が抜けにくくて国産より使いやすいんだと言ってね」
世界の森林の2割を国土に持つロシア。日本の木材輸入量では、合板の材料となる単板で8割強、製材で2割弱をロシアが占める。
日本木材輸入協会によると、ロシアからの輸入はカラマツの単板と、製材の一種であるアカマツの垂木が中心だ。木の節が小さく丈夫なのが特徴だという。(藤田知也)
ロシア産ウオッカ輸入禁止 木材・自動車部品38品目(FNNプライムオンライン 4月12日)
ロシア産のウオッカなど、38品目が初の輸入禁止。
ウクライナ侵攻の追加制裁措置として、4月19日から輸入禁止になるのは、ウオッカなどのアルコール類、チップなどの木材、自動車部品などの機械類で、あわせて38品目にのぼる。
経済産業省によると、ロシアからの輸入総額は、2021年の1年間でおよそ1兆5,000億円で、対象品目の輸入額は、そのおよそ1.1%にあたるという。
経産省は、日本の市場全体を見ると、ロシア産の割合は小さく、日本経済への影響は大きくないとしている。
石炭や木材「ロシア産禁輸」で福井県内の企業に打撃 合板価格は2倍…住宅新築にも影響の可能性(福井新聞 4月12日)
政府がウクライナに侵攻したロシアへの追加の経済制裁策として石炭の輸入を禁止する方針を示し、製造工程や工場電力の燃料などにロシア産石炭を利用する福井県内企業が輸入先変更などの代替策を迫られている。追加制裁策には一部木材の禁輸も盛り込まれ、県内の木造住宅新築にも影響が出そうだ。
敦賀セメント(本社敦賀市)は、セメントの焼成工程で使う石炭を全てロシアから輸入している。3月に石炭を搬入したため、今後4カ月ほどのセメント生産に影響はないが、政府の禁輸方針を受け、その後の石炭確保が不透明になっているという。
同社は「他国からの調達を検討しているが、世界的に他の生産国への買い付けが集中し確保が難しくなっており、石炭価格も高騰している」と話す。他国産への切り替えに伴うコスト増などの影響も大きく、「非常に厳しい状況」とした。
また、福井港を管理する県によると、同港を利用してロシア産石炭を輸入し工場電力の燃料などに使っていた嶺北の製造業が、インドネシア産に切り替え、今月中に専用船が入港するという。ウクライナ情勢を受けて輸入先を変更したとみられ、関係者は「海上輸送費が増すなど、企業にとってはコスト負担が重くなっている」とした。
北陸電力は、石炭火力の燃料の一部にロシア産を使用し、敦賀火力発電所も敦賀港で搬入している。2020年度の発電量に占める石炭火力の割合は41%。燃料調達はリスク分散のため、以前から豪州やインドネシア、北米からも輸入しているという。
政府の禁輸方針を受け「豪州やインドネシアの別ルートのほか、アメリカ、カナダなどからの調達に向けて情報収集している」とコメント。石炭価格などの燃料高の影響で電気料金引き上げが懸念されるが、「まずは経営効率化などを図り、現時点で値上げは考えていない」とした。
一方、政府の追加制裁策にはロシア産の一部木材の禁輸も盛り込まれた。木造建築資材卸でプレカット加工を担うクラシス(鯖江市)によると、同国産のアカマツなどが北欧で構造材に製品化されて日本国内で流通しているが、森林認証を行う国際機関がロシア材を「紛争木材」として認証を停止したため、流通も止まっているという。
担当者は「北欧からの住宅建材の輸入量が例年の4~5割減となっており、国内の合板価格も今年に入って2倍近くに高騰している」と話す。米国産や国内材の調達で対応しているが、木材価格の上昇はしばらく続くとみている。
農畜産業で資材高騰 ウクライナ情勢波及―生産者に負担(時事通信 4月18日)
深刻化するウクライナ情勢を背景に、穀物や肥料など農業や畜産業に必要な生産資材の価格高騰が続いている。特に穀物はロシアとウクライナ両国からの輸出減少で価格が大きく上昇。穀物を原材料に含む配合飼料も値上がりし、生産者の負担がかさむ。ただ、販売価格への転嫁は難しく、経営の先行きが見通しにくい状況だ。
「(生産資材の)高騰にもかかわらず、価格に転嫁できない」。全国農業協同組合中央会(JA全中)の中家徹会長は7日の定例記者会見で、生産調整がしにくい野菜など生鮮食品の販売価格は需給動向で決まることが多いと指摘。資材価格の高騰が農家の所得減少に直結すると強調した。
穀物価格は、干ばつによる不作などが原因で高止まり。さらに、ロシアがウクライナに侵攻したことで供給不安に陥り、小麦の先物価格はシカゴ市場で14年ぶりに最高値を更新、穀物相場の影響を受ける飼料価格も急上昇した。政府は価格安定制度の基金を積み増したが、「この先枯渇しかねない」(自民党議員)と懸念する声がある。
肥料も原料価格高騰の影響を受けている。農産物の生育に必要な肥料の原料の一つ、リンは約9割を中国に依存するが、同国の輸出規制を受けて価格が急上昇。カリウムも全体の4分の1をロシアとベラルーシから輸入しており、調達先の変更は必至だ。
全国農業協同組合連合会(全農)は、リンの調達先をモロッコに切り替えるなど、対応に追われる。全農はこの先も肥料原料の国際価格が高値で推移するとみており、今年秋に使用する肥料の価格改定でも値上がりを見込む。
施設園芸の被覆素材や暖房用として使われる原油の価格高騰や、円安による輸入物価押し上げも重なり、生産者は「三重苦だ」と嘆く。政府は4月末までに取りまとめる「総合緊急対策」で、食料の安定供給に向けた支援策を盛り込む予定。ただ、「価格高騰の要因となったウクライナ情勢は見通せず、財源がない中で十分な支援ができるのか」(別の自民党議員)との指摘が出ている。
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【本日 (4/17)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 26人死亡 3万9291人感染(17日18:15)(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 5220人感染確認 先週日曜日より2806人減(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 5人死亡 新たに2707人感染確認(NHKニュース)
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マイナンバーカード「持っている」6割にとどまる 発行しない理由は?(ITmedia)
保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
保険相談サービスを提供する保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
マイナンバーカードの取得状況を見てみると、「持っている」と回答した人は63%。制度の開始から6年が経過するが、取得率が高いとは言えない状況だ。
マイナンバーカードを作った人に「なぜ発行したのか」を尋ねると、「ポイントがもらえるから」と回答した人が182人で最多となった。次いで「顔写真付身分証明書、本人確認書類になるから」(140人)、「住民票や印鑑証明書など各種証明書をコンビニで取得できるから」(95人)となった。
マイナンバーカードの発行時期について聞くと、「覚えていない」という答え以外で多かったのが「2021年1月~6月」だった。
総務省によるマイナンバーカードを活用したキャッシュレス還元事業「マイナポイント第1弾」は20年9月にスタートし、当初は21年3月に終了する予定だったが、21年12月末まで延長。同事業が終了する間際に申請した人が多かったとみられる。
マイナポイントは、クレジットカードやQRコード決済などのキャッシュレスサービスを利用して買い物をすると、利用金額の25%のポイントがもらえる。そこで、どの決済サービスを登録したか尋ねてみると、「楽天カード」(66人)と「PayPay」(64人)が上位を占めた。
現在マイナンバーカードを持っていない人に今後発行したいか尋ねると「発行したくない」と回答した人がおよそ6割に達した。「必要性を感じないから」「個人情報の紐づけが嫌」「手続きが面倒そうだから」などの理由が挙がった。ほかにも「個人情報と紐づけられることの安全性が信頼できない」や「作っても更新しなくてはいけないため面倒」なども理由として挙がった。
調査は男女500人を対象に3月30日にインターネットで実施した。
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スマホにマイナンバーカード機能、22年度末までに 推進団体は「日本が世界のデジタル革命を先導する」(ITmedia)
2022年度末までに、スマートフォンへのマイナンバーカード機能が実装される。同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアムの松田学代表理事は「日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを話す。
2021年にデジタル改革関連法が成立し、22年度末までに、スマートフォンにマイナンバーカード機能が実装されることが決まった。これにより、マイナカードを使った個人認証機能がスマホで行えるようになるという。
同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアム(DIPC)の松田学代表理事は「(この機能を通して)日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを語る。
DIPCは、21年5月に設立した一般社団法人。日本発の認証基盤として、スマホ上での公的認証基盤の利用を民間や地方自治体とともに検討、促進していくことを目的にしている。松田政策研究所の代表で、元衆議院議員の松田学氏が代表理事を務め、情報セキュリティ大学院大学の客員准教授を務める、辻秀則氏ら4人が理事に就いている。
個人認証機能では、マイナンバーの「公的個人認証サービス」をスマホで実現する。この機能を利用する際に個人番号は使わず、マイナカードとは別に、スマホ用の2種類の電子証明書を使う。
スマホをタッチする度に、新しい電子証明書を発行し、本人認証を行う。辻理事は「電子証明書は、スマホのICチップに格納される。そのため、情報が漏れることはないし不正利用はできない」と安全性を説明する。
また辻理事は「億人単位の人口の国で、これだけ大規模な国民IDの電子化を進めるのは、世界に先駆けた事例だ」と話す。「情報格納するのは、ソニーの『FeliCa』を使ったICチップになる。この技術とセキュリティモデルを組み合わせて安全性を担保するのは、日本発ならでは」(辻理事)と日本の独自性をアピールした。
現状では、公的個人認証サービスを事業者が利用するには、認定事業者として登録する必要がある。今後DIPCでは、マイナカードの機能のスマホ搭載に向けて、民間事業者の利用率向上のため、安全性を失わないように登録制度の見直しを行うなど、利用促進のための活動を続けていくとしている。
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mototor · 3 years
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ラムザイヤー教授が批判に反論 強制連行に証拠なし
J・マーク・ラムザイヤー 「太平洋戦争における性サービスの契約:批判者への回答」 (Contracting for sex in the Pacific War: Response to My Critics)要約 日本人と朝鮮人女性が戦時の「慰安所」で働いた際の契約の仕組みを探求した私の論文は、大きな論争を呼び起こした。学問の世界における通常のあり方によれば、論文に同意しないのであれば反論を書き、独立の論文として他の研究者による査読を経る必要がある。しかし、私の批判者たちは、こうした手続きを踏まず、学術誌編集部に私の論文を撤回するよう要求した。私への攻撃の多くは韓国からか、韓国とつながりのある欧米研究者によるものであった。 すべての批判者は、論文のテーマが売春宿と女性の契約を成り立たせている経済的関係であることを無視している。私が問うた二つの主な論点は、なぜ売春宿と募集業者は女性に多額の金銭を最初に支払っていたのかということと、女性が働く期間を定めたのはどのような契約メカニズムであったかということである。批判の中で行われた証拠書類や引用の不十分さに関するいくつかの指摘には感謝しているけれども、それらは私の中心的論点とは関係がなかった。 ■慰安婦をめぐる「契約」とは何か 批判者たちは大きくわけて三つの主張を行っている。 第一の主張は、慰安婦は契約によって働いていたのではないというものである。多くの具体的証拠が示しているとおり、こうした主張は誤りである。もちろん、契約の下で働いていた事実と、その契約が公正で正義に叶ったものであるかどうかは別の問題である。私の論文は、どうあるべきかという規範ではなく、どうであったのかという事実に関する研究なのである 経済学にある程度通じた読者であれば、個々人が明示的に交渉するかどうかとは関係なく、市場競争は売り手と買い手をわりあい効率的な契約を結ぶよう仕向けるものだということは容易に理解できるだろう。しかし、この経済学の基本が、私の批判者には「基本的」ではないようなのだ。 ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授とカーター・エッカート教授は、私が実際の慰安婦契約書を入手して調べていないと批判し、論文の撤回を求めているけれども、そもそも私は実際の契約書を持っていると主張してはいない。論文で明らかにしているとおり、私が依拠したのは、公文書、戦時の回想録、新聞広告、慰安所の経理担当者の日記などから得た売春契約に関する情報である。 もちろん私が利用できたデータの限界を指摘することは、全く正当な批判である。両教授をはじめ批判者には是非、私が誤った結論を導き出していることを示す当時の実際の契約書を提示し、私の主張に反論していただきたい。 ■いまも欧米ではウソが信じられている 第二の主張は、日本軍が銃剣を突きつけて朝鮮人女性を慰安婦として働くよう強制連行したというものである。日本軍が犯した犯罪をいかなる意味でも矮小化するものではないけれど、この主張は全くの誤りである。朝鮮半島における強制連行に関する同時代の証拠はひとつも存在しない。論文は対象を日本と朝鮮半島に限定しており、東南アジアなどの戦場で強制連行があったかどうかは、私の主張と無関係である。 日本軍による慰安婦強制連行説は、1980年代に吉田清治が言い始め、朝日新聞によって広められた。96年の国連の報告も吉田「証言」に依拠している。しかし、当初から日本では信憑性に疑問を持たれていた吉田「証言」は全くの捏造であり、朝日新聞は関連する過去の記事を2014年に全面撤回している。 一方、ゴードン教授とエッカート教授は私の論文撤回要求では言及しなかったものの、自分たちの著作では、この吉田「証言」に依拠したジョージ・ヒックス氏の著作に基づき、強制連行説を繰り返している。 元慰安婦支援団体「正義連」の理事長を務めていた尹美香氏。刑事裁判の被告となり、ソウルの裁判所で記者団に囲まれる(共同) 元慰安婦支援団体「正義連」の理事長を務めていた尹美香氏。刑事裁判の被告となり、ソウルの裁判所で記者団に囲まれる(共同) 慰安婦だった女性が強制連行されたと訴え始めたのは、吉田「証言」後であり、朝日新聞が記事を撤回する前であった。彼女たちを非難したり侮辱したりする意図は全くないけれども、強制連行説は彼女たちの証言にほぼ全面的に依拠しているため、その内容を精査せざるを得ない。悲しいことに、こうした女��たちのなかで最も著名な人たちは辻褄のあった話をしていないと結論づけざるを得ない。強制連行説に基づき日本政府を糾弾し、日本との和解を妨害してきた元慰安婦支援団体「正義連」(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯、旧「挺対協」)は、元慰安婦が暮らす施設「ナヌムの家」とともに、彼女たちを利用してきた。なお、正義連に関しては、2020年に元慰安婦たちと理事長だった尹美香氏の間で内紛が起こり、尹氏は現在、資金不正疑惑で公判中である。 最後に第三の主張は、慰安婦が募集業者に騙されたり、売春宿主にひどく扱われたりすることがあったというものである。この主張は正しいし、私も論文で指摘したところである。まさに、売春宿主が取り決めを守らず、騙されるリスクがあることが、女性たちが多額の金銭を最初に受け取っていた理由の一つなのだ。期限付きで多額の前借金が支払われる慰安婦の年季奉公契約の経済的ロジックは単純明快である。この契約の経済分析が論文の要点なのである。 慰安婦問題に関する欧米での通説に疑問を投げかけることが英語圏で専門家の激しい怒りを呼び起こしたのは、今回が初めてではない。2015年に日本政府が米国の高校歴史教科書の事実に反する記載に申し入れを行った際、ゴードン教授らは日本政府非難の声明を出した。 このひどい不寛容さは、欧米とくに米国の大学が作り出したものである。欧米では今も、日本専門家が強制連行という「コンセンサス」を押し付けている。 日本では、吉田「証言」はペテンであって、これに基づく朝日新聞記事が虚偽であることは誰もが知っている。いまだ強制連行伝説に固執しているのは、減る一方の活動家や過激な左翼歴史家だけである。韓国では異議を唱える研究者が迫害を受けるなど、状況はより厳しいとはいえ、それでも、勇気ある研究者たちが増え続け、声を上げている。ただ欧米の大学にのみ、このペテンが真実とされ、ペテンを支持する「コンセンサス」が存在するのだ。
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shintani24 · 7 months
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2024年2月9日
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国の借金、過去最大1286兆円 23年末、財政運営厳しく(時事通信)2024年2月9日
財務省は9日、国債や借入金、政府短期証券の残高を合計したいわゆる「国の借金」が2023年末時点で、過去最大の1286兆4520億円になったと発表した。
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【ひと目でわかる】「国の借金」の推移 国の借金、1276兆円 過去最大を更新―6月末(時事通信 2023年08月10日)より
高齢化に伴う社会保障費の増大などを税収で賄えず、借金頼みの厳しい財政運営が続いている。
借金の合計額は23年9月末比で10兆8404億円増加した。内訳を見ると、政府系金融機関などへの貸し付け原資となる財投債や政府短期証券は減少したものの、普通国債が1043兆7786億円と同16兆3657億円増えた。
不破雷蔵 「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 補足 今記事参照元は財務省「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高(令和5年12月末現在)」ですが、そこでは「国の借金」「借金」との文言は一切ありません。「国の借金」は、日本国政府が発行している国債(の額)を示しますが、「借金」の対象が日本国全体、国家組織や所属企業、民間人の全てに至るまでとの誤読につながります。たとえ「いわゆる」を本文でつけ釈明していたとしても、です(タイトルにはそれすらありません)。
日本国債の約9割は日本国内で購入され、その額は日本国民の債権。さらに日本国債は円建て。日銀の利益のうち剰余金は準備金や出資者への配当に充当される分を除き、国民の財産として国庫に納付。
借金云々とするのなら、負債だけでなく資産も見る必要があります。なお日本の対外純資産(対外資産と対外負債の合算)は3.16兆ドルで世界第一位(IMF公開値より)です。
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【速報】日経平均終値743円高 3万6863円 終値でバブル後最高値更新(TBS NEWS DIG 2月8日)2024年2月8日に追記
きょうの東京株式市場で日経平均株価は、きのうより743円高い3万6863円で取引を終え、バブル後の最高値を更新しました。
7日のニューヨーク株式市場でダウ平均株価が史上最高値を更新した流れを引き継ぎ、半導体関連株や好調な決算を発表した銘柄を中心に買われました。
上げ幅は一時800円を超え、3万7000円に迫る場面もありました。
イギリスの半導体設計大手アーム・ホールディングスが業績予想を上方修正したことをうけて、親会社のソフトバンクグループも大きく値上がりしています。
また、日本銀行の内田副総裁が講演で「マイナス金利の解除後もどんどん利上げをしていくようなパス(経路)は考えにくく、緩和的な金融環境を維持していくことになると思う」との見解を示したことも相場の支えとなりました。
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日経平均終値34円高、2日連続でバブル以来の高値更新…一時3万7000円台まで上昇(読売新聞 2月9日)
9日の東京株式市場で日経平均株価(225種)の終値は前日比34円14銭高の3万6897円42銭で、1990年2月以来、34年ぶりの高値となった。日経平均がバブル景気以来の高値を更新するのは2日連続。上げ幅は一時400円を超え、3万7000円台まで上昇した。
【一覧】売買代金は943兆円以上…証券取引所の現状
前日の米株式市場でハイテク株が上昇した流れを受け、東京市場でも半導体関連株に買いが先行した。東京外国為替市場で円相場が円安・ドル高に振れたため、輸出関連銘柄にも買いが広がった。
東証株価指数(TOPIX)は4・75ポイント低い2557・88。
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25歳で見せた歴史的瞬間、西洋に起こした革命 小澤征爾さんを悼む(朝日新聞)2024年2月9日
「小澤の目力」という言葉を、楽員たちからよく聞く。目が合った瞬間、無意識に音が出てしまう。なのに、なぜか他の奏者たちとぴったりそろってしまうのだと。
制するのではなく、技術と気の独創的な融合により、壁を壁とせず、東洋人にクラシックはできないという偏見に挑戦状を突きつけてきた。規格外の才能を花開かせたのは、やりたいことを絶対にやり抜く意志力、桁外れの行動力、そして愛すべき無鉄砲さだった。
1950年代末、1台のスクーターと貨物船に乗り、63日かけて欧州へ。日の丸付きのヘルメットをかぶり、ギターを背負って国から国へ。
パリに漂着し、腕試しにと受けたブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ほかのコンクールもどんどん勝ち抜き、カラヤンに弟子入りし、名門ニューヨーク・フィルの副指揮者に大抜擢。躍進ぶりも規格外だった。
「ねえ先生。僕、バーンスタイン先生に教えてもらいにアメリカに行ってもいいかな」
そう、帝王と呼ばれたカラヤンにも屈託なく尋ねた。周囲からライバル扱いされていた2人だが、小澤さんにとっては最高の音楽を奏でる「同志」でしかなかった。物おじしない奔放な振る舞いを保守的な日本の楽壇がもてあまし、対立したNHK交響楽団に公演をボイコットされる事件も起きた。
小澤さんのベースとなった恩師・斎藤秀雄の指揮法は、西洋の音楽家にとっては自明のやり方を、他の文化圏の人々のために「翻訳」したものといえる。西洋人の「言葉」を自分たちのやり方で体得し、コンプレックスを超え、胸を張って自分たちの歌を歌おう。小澤さんはそんな斎藤の夢を背負い、彩りとニュアンスに満ちた音響を己の感性でたぐり寄せた。「外様にしか見つけられない本質もある」。そして小澤さんは、日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした。
61年、ニューヨーク・フィルを率いて初来日したバーンスタインが、当時25歳の小澤さんを舞台に呼び込んだ。口元をぎゅっと結び、指揮台でぶるっとひと震い。閃光のようにタクトを振り下ろし、自身の愛する黛敏郎の「バッカナール」で百戦錬磨の楽員たちと火花を散らした。戦後初めて、米国と対等に渡り合う日本の芸術家の姿が聴衆の心に深く刻まれた、歴史的な瞬間だった。
誰にも壁をつくらない生き方は、教育や啓蒙に対する情熱をも培った。「普通の人や子どもたちにこそ、真剣に向き合わなきゃ」。これは、志半ばで逝った盟友、山本直純との約束でもあった。
最後の10年は、相次いで襲ってくる病をかいくぐり、執念で指揮台に立ち続けた。力が抜けて軽みを増した指揮からは、楽員との即興的なやりとりが、より鮮明に浮かび上がるようになった。
ある日の終演後の楽屋で、そんな感想を小澤さんに伝えると「そう! 僕はシンフォニー(交響曲)でオペラをやりたいんだよ」。対話の権化であるオペラの精神を、言葉や文化の壁のない楽器だけで実現する。そんな理想郷を小澤さんは生涯目指し、音楽の伝統を継ぐ「職人」のひとりとして国境を越え、欧州の伝統の系譜に連なった。(編集委員・吉田純子)
コメントプラス
佐倉統(東京大学大学院教授=科学技術社会論)【視点】 日本人と日本文化にとって西洋音楽とは何なのかーー小澤征爾さんは終生この問題にこだわっていた。そしてこれは、明治期から本格的に「洋楽」を導入し始めた日本のほとんどすべての音楽家にとって、逃れられない宿命でもあった。瀧廉太郎も山田耕筰も伊福部昭も武満徹も、みなそれぞれにこの問題と格闘し、各人なりの答えを出してきた。その歴史と積み重ねの頂点に立ったのが小澤さんであり、吉田氏が書かれているように、彼は「日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした」のだった。
小澤さんはオーケストラの指揮者だ。オーケストラの合奏は、日本の雅楽ともインドネシアのガムランとも異なる。独立した個々の演奏家が、論理に基づいてひとつの曲を構築していくのがオーケストラであり、つまり、西洋文化に根ざしたコミュニケーション様式が凝縮された組織だといえる。なので指揮者は、音楽的な才能と表現能力に加えて、そのコミュニケーション様式をすみずみまで身体化していることが要求される。小澤さんは非西洋圏に生まれ育ってそれを成し遂げたわけで、そう考えるとその偉業はとりわけ際立って見える。
小澤さんの指揮する音楽のどこが、どのように世界の人々を魅了したのか。それを精密に分析し解明して、後世の人々でもわかる形にしておくことが必要なのではないか。吉田氏が指摘しているように、小澤さんの師・斎藤秀雄が西洋のコミュニケーション文化に基づく指揮法を普遍的な形に「翻訳」したことで、それをマスターした小澤さんのような人材が非西洋圏から輩出した。次は、小澤さんの会得した指揮法を他の人でもわかる形に「翻訳」することで、聴衆を「説得」する指揮法をマスターしやすくなるのではないか。そんな夢みたいなことを考えてしまった。これも小澤さんの魔力に捉われたからだろうか。御冥福を祈る。
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ホテルなどの2次避難所からの退去期限に不安抱える避難者 石川県が仮設住宅説明会を開催(FNNプライムオンライン 石川テレビ)2月9日
避難者にとって選択の時が迫っている。加賀市のホテルが避難者を受け入れているが、2次避難所の退去期限の不安がある。そんな中、石川県は2次避難所となっている旅館などを回り、仮設住宅などの状況を避難者に説明した。
通常営業に切り替わる2次避難所も
加賀市山代温泉にあるホテル「みやびの宿 加賀百万石」。珠洲市や輪島市から6日時点で347人の避難者を受け入れている。
しかし、いま避難者はある不安を抱えている。それは2次避難所の退去期限だ。
馳知事 「今、2次避難所の旅館やホテルに入っていただいている方々も3月16日前には出ていかざるを得ないというか。次にスライドしていかなければいけないということは当然、想定されます。」
3月16日に北陸新幹線は敦賀まで開業する。すでにホテルや旅館などでは、観光客の予約が入っているところもあるという。
2次避難をしている人 「うちのところの地元は特にまだ戻れるようなライフラインも全然やし、今まで通りの生活で仕事ができるかと言ったら全然目途がまだ全然。果たして2年後になるか5年後になるか…」
2次避難をしている人 「(移転の準備は)個人でしなきゃいけないでしょ。高齢の方がどんな手続きすればいいかというのがわからんままきていて。いきなりあんたたち2週間後に出て行ってくれ、みなし仮設住宅、みなしって何やという感じで分からんままやるのもちょっとあれやなと思うんやけど…。」
「みやびの宿 加賀百万石」の平均客単価は2万5,000円。しかし今、国や市からこの旅館に支払われている金額は避難者1人当たり1万円。採算はギリギリ。
北陸新幹線の敦賀開業に大きな期待を寄せているが、この旅館では行き先が決まらない避難者は引き続き受け入れる方針だという。
みやびの宿 加賀百万石 吉田久彦社長 「不動産屋さんと被災者の方をつなぐことをさせていただいているみなし、仮設住宅と仮設住宅に行くと家賃の補助は出ても食事代の補助は出ないんですよね。食事の心配というのは一番不安なところだと思いますので、そこも何かしらの手当・支援の策を行政には考えていただきたい。」
みなし仮設住宅について県が説明
こうした中、県は7日2次避難所で今後の住まいについて説明会を開いた。
この中で県は、この旅館はおおむね3月上旬が利用期限だとした上で、仮設住宅の着工状況やアパートをみなし仮設住宅として利用する手続きを紹介した。
県復興生活再建支援チーム 谷野明勝広域避難者支援グループ長は、「今アンケート調査をおおむね1週間程度考えていただく時間を用意して、その上でのご意向を踏まえまして、みなさまのご意向にできるだけ添えるようにやっていきたい」と話す。
これに対して避難者は、「みなし仮設住宅を利用する場合の条件とかがはっきりしていなかったのが、今お聞きして自分が思っていたよりいい条件だったので良かったなと思います」・「わかっていたことを聞いただけであって、解決策には何もならんなという感じ。みなし仮設とかそんなところに入る気もないし、水道(の復旧)次第だからねちょっと悩んでいるところです」と話していた。
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kentarouchikoshi · 3 years
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 自由と人権とが尊重されている筈の西側先進諸国でこのようなことが行われ今もそれが続いているというのは大変な驚きです。衝撃を禁じ得ないとの思いを覚えるのは,決して僕だけではないでしょう。
 僕はクラシック音楽の鑑賞を趣味にしています。音楽を本格的に好きになり聴き始めたのは中学生の時でした。それ以来ずっと,音楽鑑賞は僕にとって何にも増して大切な一時です。どんなに忙しいときでも音楽鑑賞の時間を作って楽曲に耳を傾けるようにしていますし,それは僕にとって「生きる喜び」と言っても決して大袈裟な表現ではないと思っております。  とはいえ,これは自分でも少し残念なのですが,ごく僅かな例外を除いて僕の聴く音楽は20世紀前半までの作品に限られています。クラシック音楽はしばしば「古い音楽」というイメージを持たれますが,実は必ずしもそうではありません。現代にもクラシック音楽の作曲科は大勢存在しますし,当然ながら今も多くの作品が制作されています。しかしながらそれらの作品の殆どは「無調」といって調性を持たない音楽で,口ずさみたくなるようなメロディを備えてもいません。本来はそうした作品についても鑑賞すれば素晴らしい芸術体験を得られるのでしょうが,まだ頭が柔らかかったはずの中学時代の僕が「調性があってはじめて音楽だ」という妙な固定観念を抱いていたこともあって,今に至るも無調の楽曲については「聴こう」という意欲を持てず,そのせいで何かの機会に聴いても耳慣れないままでなかなか親しめないという状態が続いています。
 さて,僕は今まで「現代において作曲されるクラシックの楽曲の殆どは無調で苦手だ」と感じるばかりでした。しかし今回改めて「そうした作品ばかりが作曲される理由は」と考えてみると,それは俄かには説明のつかない話です。「それが時代の流れだ」などと言われても納得出来るものではありません。「昔の人と違って現代の人は無調の音楽を好む」「現代では調性やメロディは人々の人気を失ってしまった」などというわけではないでしょう。現代でもポピュラー音楽や歌謡曲などの分野では新規に作曲された楽曲でもその殆どが長調か短調という調性を有し,文字どおり「歌うような」メロディを持っているのですから。またクラシック音楽の分野においても,演奏会やCDで取り上げられる楽曲の殆どは調性とメロディのある昔ながらの作品です。つまり「現代においても調性を持つ楽曲に対する人々の需要は高いのに,クラシック音楽の分野においてはそうした作品が殆ど作られていない」という状況にある訳です。一体何故なのでしょうか。  因みに僕のもう一つの趣味である美術においてはそうではありません。美術の世界においても,これまで人々の間に馴染みの無かった表現技法で制作された現代美術(コンテンポラリーアート)の作品は勿論多数存在しますが,現代においても多くの人々が観て好ましいと感じる対象を描いた昔ながらの具象的な作品も数多く制作され続けています。
 今回,著書「〈無調〉の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ」で第30回吉田秀和賞を受賞した柿沼敏江氏のインタビュー記事を読んで,その謎の一端が解けたように感じられます。  まず同氏は「調性の崩壊はありえない」として,俗に「ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』前奏曲で調性の崩壊が始まり,それがシェーンベルクの無調音楽に繋がった」と言われているが,実は当のワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」の後に調性音楽の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を作曲していることを論拠に「無調の音楽が出現したことには何の歴史的必然性も無い」と指摘します。因みに同氏は触れていませんが,ワーグナーの後継者と看做されたリヒャルト・シュトラウスも歌劇「エレクトラ」で無調音楽を使用したものの,彼がその次に作曲した歌劇「薔薇の騎士」はやはりモーツァルトを彷彿とさせる調性音楽です。両者とも無調音楽の後に調性音楽を作っているわけで,これらの史実を踏まえれば「調性音楽から無調音楽に移り変わっていくのが時代の流れ」などという話は非常に怪しく感じられると言えるでしょう。  それにも拘らずクラシック音楽の世界で無調音楽が主流になっている理由について,柿沼氏は「調性を持たない音楽が肯定的に評価され,更には無調音楽を作曲することが倫理的で誠実だとされているのは,ヒトラーがそれら無調音楽を毛嫌いしていたから」という注目すべき指摘をしています。これを身も蓋も無い表現で僕なりに言い換えれば「無調の音楽は,ナチスやヒトラーへの逆張りだから持て囃されている」ということになるでしょうか。たしかにナチスという��は人類史上他に例を見ない巨大な悪であり,その巨悪を前にして「ナチスの毛嫌いした音楽だから持て囃すべきである」と考えてしまうことは心情的には共感出来なくもありません。しかし冷静に考えればそれは論理的に全く筋の通らない考え方です。調性音楽自体は人種差別的でも反ユダヤ的でもないし,人の尊厳を否定するようなものでもないのですから。この点について「本当にそうか」という疑問を持たれる向きがあるかもしれないので念のために補足すれば「ナチスが無調音楽を否定したから,その無調音楽は倫理的で誠実だ」というのは「ナチスはドイツ語で人々を煽動し戦争を遂行し人々の尊厳を奪い去ったのだから,ドイツ語を使わないことが倫理的で誠実だ」「ナチスは禁煙政策を推進していたから,喫煙することこそ倫理的で誠実だ」などという主張と同質同レベルの噴飯ものの代物に過ぎません。端的に言えば「悪に逆張りしたからといって,その逆張りが必ずしも正義になるとは限らない」ということです。
 とはいえ,無論それは理屈でしかありません。「ナチスに持て囃されたという過去を思うと,調性音楽を好きになれない」という人が居ても問題は無いし,そういう考え方が存在することはむしろ自然なことと言えるでしょう。しかし柿沼敏江氏のインタビューを読んでいると,状況はそのような「そういう風に感じてしまう人も居るのは当然だよね」などというレベルで済む話ではないようです。  柿沼氏は凄まじい事例を次々と紹介していきます。無調音楽の盲目的な顕彰によって沖縄出身の作曲家・金井喜久子が「ノイローゼにかかって、こんな知的で難しい音楽をこれからの時代は書いていかなければいけないのかと苦しんだ」こと,また無調音楽の称揚者テオドール・アドルノの執拗な罵倒によって調性音楽の作曲家であったジャン・シベリウスが「次を書けなく」なるほど追い込まれたこと,更にドイツでは今も「調性音楽を書くなんてとんでもない話」とされ「作曲コンクールでは『無調』で書かなければいけない」という傾向が非常に強く存在することなどなど。これらを知って,僕は率直に思います。これらはかつてナチスドイツが無調音楽を「退廃芸術」と銘打って弾圧したこと,或いはソビエトがやはり無調音楽を「形式主義」と銘打ち弾圧したことと何が違うのかと。無調音楽を否定するか肯定するかという点でベクトルの向きだけは逆ですが,勝手な基準に基づき或る特定の様式に属する芸術作品の価値を貶め芸術家を理不尽に苦しめるものという点では両者は全く同じです。自由と人権を尊重していたはずの西側先進諸国で,ナチスドイツやソビエトにおけるのと全く同じようなことが行われていたというのには衝撃を禁じ得ません。「いや,ナチスドイツやソビエトと違って先進諸国では圧力を掛けても作曲家の生命や身体に危険を及ぼしはしなかった」という反論も予想されますが,人に対して「従わなければやっていけなくなる」ような圧力を掛けておいて「我々は敵対者の生命や身体的自由までは奪っていないから,罪は軽いのだ」などと居直っても,それは見苦しい逃げ口上でしかないでしょう。
 無論,このインタビュー記事を読んだだけで全ての疑問が氷解したわけではありません。ナチスドイツにおいて退廃芸術として前衛的な作品が抑圧されたのは音楽に限らず,美術も同じです。では美術においても「ナチスへの逆張り」で前衛美術が極端に称揚されたり,或いは具象美術が抑圧されたのか。先述のとおり,どうもされていないように感じられます。先ほど指摘したように美術の分野では所謂「ハイアート」の世界においても具象美術が制作され続けているし,そういう作品を制作したからといって美術家が抑圧されたり罵倒されたりという事例は寡聞にして存じません。それとも僕が知らないだけで実は美術家も抑圧されていたのか。また抑圧が行われなかったとすればそれは何故なのか。それらの点については今後の課題です。  その点について自分なりに考えるためにも,まずは「〈無調〉の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ」から始め,僕も色々と勉強をしないといけないと感じております。
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notenoughtoplay · 4 years
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a letter of sorts vol. 17 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の散文)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
 サチュロスのダンス!      すべての奇形が舞い上がる          ケンタウロスに  リードされ      乱舞する音だけのコトバ  ガートルード      スタインの作品--しかし          ただのおふざけで  芸術家に      なれるわけはない  夢は      追い求める! (「画家たちに捧げる」ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、原成吉訳)
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 回想からはじまる話だ。回想は第164回芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読み終えたことでひき起こされた。面白かった。よくいわれている表現の巧みさ見事さもさることながら、構成が非常によくできていた。とりわけ「書かない」部分の選択に舌を巻く。書く部分を緻密に描いて、書かない部分、読者に想像力を使ってもらう箇所の選び方も緻密で、周到だった。その筆頭にあげられるのは「推し」である彼の苗字に(この字からいってきわめて自然な読み方である)ルビがふられているのに名前の読み方はわからない点だが、他にも姉との関係性、たとえば小さい頃のテレビなどの「推し」につながる思考の部分や、どんなテレビ番組を一緒に見てきたかも全く描かれないので想像するしかない。あと、主人公の背丈。これを書かないことで似たような体験を持つ女の子たちはみな感情移入しやすくなる。これが少しでもヒントになることが書かれていればぐっと感情移入の母数は限定されてしまう。とても緻密な構成に唸らされた次第である。そういえばちょっとSNSでは「推し」をどう訳すかが話題となったが、たとえば「推し」の彼の下の名前の読みは、当然のことながら表意文字であらわされる言語では翻訳家が音を「定義」しなければならない。これはなかなか難儀な作業に思える。  主人公の進路がどんどん苦境に陥ってきて姉と妹の口論の描写が増えていくところで、ふとイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』を思い出した。ベルイマンで姉妹の出てくる映画といえば『沈黙』だけど、ぞっとするような静けさではなく激しさが伴ってるから、『ペルソナ』のビビ・アンデションとリブ・ウルマンの論争にならない口論。きつい陽射しに映される口論。『推し、燃ゆ』読み終えてこれも『ペルソナ』と同じだ、炎上ではじまり日に照らされて終わる点では同じだ、と思った。死ぬほど虚しい陽光に照らされて。  ���語を書かれた宇佐見りんさんとはまるで世代が異なるのだから当然だが当方には「推し」が何を以て「推し」とするかなんて考えたことなかったし思ったこともなかった。それがふと考えざるを得なくなったのは『推し、燃ゆ』を読み終えて数日後にあなた真空管を見ていた時だ。    あなた真空管。いまこの文をお読みになっている方で真空管を見たことある人はどのくらいいるのだろうか。自分がものごころついたとき、さすがにラジオやステレオには入っていなかったがテレビは1台真空管を使ったものが現役だった。19型の家具調カラーテレビだった。「家具調」テレビというのものに対しても説明が要るけれどももう説明もしんどいし検索すればわかるだろうから省く、ともかく真空管を使っていた。真空管は寿命が短くてすぐ切れた。切れるたびにテレビを動かし裏側を表に出してくっついてるボール紙をネジ廻しで外して新しいのと替えていた。50年かそこら前までテレビの裏側というのは必要上簡単に開くようにできていたのだ。いま自分のすぐ手元にある、洋書屋で立ち読みを何度もされて表紙から数ページがパカパカになってバーゲン品として売られていたものを愛用してる英語辞典「長男」でtubeと引いてももはや真空管のことは載ってない。かわりに(?)8番目の意味として載ってるのは  technical: the part of a television that produces the picture on the screen  とあって、これはどう考えてもブラウン管のことであるが今の十代いや二十代でも若い方はブラウン管もわからないかもしれないだろうがやはりここで説明は面倒なので話を先に進める。そのときPCをひらいてあなた真空管で音楽の動画を検索しそして見ていたのだ。洋楽のライヴ映像だったが1980年代の洋楽ではなくもう少しあとの頃のだった。横の、いわゆる「この動画をご覧になる方次はこちらはいかがでしょうか」の候補の一覧にそのバンドは挙がってきたのだった。曲目はそのバンドの曲ではない。そのバンドの活動時期からほぼ15年前のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル(CCR)の曲をカヴァーしているものであり、このカヴァーは聴いたことなかった。この曲はアメリカがベトナム戦争参戦時に書かれた、作者であるCCRのジョン・フォガティにとって切っても切れない曲でもある。その、サムネイルといわれてるが足の親指というより幕の内弁当のスミッコにある栗きんとん1個分の大きさくらいのリンクにカーソルをもっていってどんっとタップした。  このバンドはアルバム2枚出して解散した。幸か不幸か、1枚めのあとに「推し」だった人以外全員当時その人のプロデューサー兼マネージャーだった男がメンバーを入れ替え、というかクビにして2枚めが作られたのですぐこの映像は1stアルバムの頃だとわかる。いまから36年前、1985年のライヴ。このバンドの映像は以前も検索したことがあるが、見始めると明らかに以前にみたときとは違う思いがあった。率直に言うと何かが弾け飛んだような感じがした。何故かはわからない。『推し、燃ゆ』の終盤のライヴのシーンを思い出したからかもしれない。「推し」だった人のバンドの来日公演はなかったので観ることはかなわなかったし、恥ずかしながらこの人が来日した直近の、8年前の公演にも行けなかった。ソロになってから来日したとき、たしか27年前の2月末に一度行ったきりだ。    ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★  2021年2月13日夜の地震、専門家のあいだでは東日本大震災の余震という見解の多い大きな横揺れが自分の部屋にも来た。読書が好きな方は積んだ本が、音楽が好きな方は積んだコンパクトディスクが倒れて落ちてきた、という方々も多いのではないか。それはある年代以上の人だろうか。10年前の震災のときはラックからたくさんCDが落ちてケースが割れたりした。今回の大きな揺れでは積んだCDは落ちなかった。CDを最近聴いてなくて、周囲���要塞のように買った本が積まれてしまっているからだ。要塞というより、事故のあとの建屋のほうがイメージは近いかもしれない。つまりコンクリートで固めているように外から本で中のCDを囲んでいる。流れでそうなってしまったのだ。  揺れが続いて文庫本が落石のはじまりのような音で2冊落ち、3冊8冊14冊って落ちてきた。おさまったかな、余震くるんじゃないかなと思ってそのままにしていて、多分1時間後くらいだ、落ちてきた文庫本の中でいちばん上にあった一冊を拾いあげた。そのときはもう、前の段落にしるした一件があってから一週間は経っていて、「何をみてもその人を思い出す」、のべつかつて「推し」だった人のことを考えている状態になっていた。  その一冊の、以前自分が、いわゆる独立系zineのひとつから文章の依頼を受けたとき、このエッセー集の中から引用させていただいた、その文を開いた。引用したのは「B子ちゃん」が出てくる箇所だった。そして、その前の「A子ちゃん」の箇所に目が入った。くりかえしになるが、何をみても「推し」だった人を思い出す状態になっていたときだ。       A子ちゃんはふとって、髪がたくさんあって、いい顔立で、しかし眉根がちょっと悲しげに寄っていて、おとなしい子だった。     (幸田文「こども」)    あらまぁ。そっくりじゃないか。「おとなしい子」以外おしなべてそっくり、自分が高校の頃「推し」だった人、その人がハイティーンを過ぎた頃にそっくりじゃないか。    ここに気づいてから、気づいた自分を省みた。そしてちょっと恥ずかしくなった。海外にも日本にも、何年もゴシップにあがりつづける人から今なにしてるのかわかんない人まで好きなミュージシャンはたくさんいる。が、どういうわけか、まったく客観視できない人はひとりだけだ。そもそも『推し、燃ゆ』を読み終え、誰が自分の「推し」といえる人だったのか中学高校の頃を思い返し考えたとき。なんでこの人しか思い出さなかったのだろう。  ソロになってからのこの人のアルバムははいつも発売日に買ってた記憶がある。でもバンドの頃はレンタルで借りて、あとから輸入盤を買ってた。だからその当時、少なくともアティテュード、こちらの態度面ではいちばん好きなバンドだったとはいえない。  いちばん歌をうたうのがうまい人だと今でも思ってるからだろうか。高校に入って洋楽を聴きはじめたときにできた雑誌の創刊号の新人特集に載ってて、バンドのデビューからずっと知ってるからだろうか。バンドが売れなかったからだろうか。ソロになってから大ヒット曲があるがその前から知ってるぞという所謂オタク心からだろうか。  どれもそうである気もする。しかし決定打ともなりえない。  『推し、燃ゆ』の主人公が推しの情報をルーズリーフに書き込む、あの一文に反応した気がする。  この人のバンドだけ他と違うのは、ノートを持っていたことだ。  それには理由があった。  僕の姉もノートを持ってつけているバンドがあった。ビートルズだった。姉がノートを書いていたとき、ビートルズはすでに解散してた。  姉のつけてたノートもさすがにそうだろうけど、自分のも引っ越しのときに捨ててしまったはずだ。いまは記憶を頼るしかない。  僕のノートは姉のと違って、バンドは現役の若手バンドだった。  ノートにつけていたのは日本語の歌詞だった。    「何をみてもその人を思い出す」話にもどる。たとえば、自分の「推し」だった人は、21歳か22歳の頃、こんな歌詞を書いてる。歌の中の人が、要するに「何をみてもその人を思い出す」心になっているときの曲のなかの一節。        Every trace, every vision      Brings my emotions to collision  この曲をはじめて聴いたのは17歳のときだ、だらしない高校生だった。そりゃそのときはこれがどれだけ詩的に優れた表現かなんてわからない。申し訳ないけどそこから34年たって、やっとわかることである。  この人はライヴの人だ。それはこのバンドやこの人のファンには誰でもわかっていることだ。ライヴの映像だけでなくテレビ出演の映像でもすべて生で唄っている。当時の洋楽ミュージシャンとして、これは珍しいことである。そして34~35年前はお金払ってでも観たかったライヴの映像が簡単にみられる。この人のファンには根強くて熱心な人が(やっぱり)いてたくさん投稿されてる。好きな曲を検索すると関連を察してくれて他のライヴもひっぱりだしてきてくれる。歩いていくと果物畑はどんどん広がっていって、バンドのものもソロになってからのものも38年前の実も31年前の果物も27年前のも12年前のも6年前のもバスケットに投げ入れていってそして味わう。  ソロになってからは正直いってそんなに聴いていない。でもバンドの曲はどれも唄える。いっしょに唄える。なんというか、こういういいかたも恥ずかしいが余裕をもって唄える。唄いながら、ノートに書いた歌詞を思い出してる。日本語のほうの歌詞。    34年前。1987年の2月か3月だった記憶がある。たしかTV雑誌のスミッコにあった新譜紹介欄で、このバンドのライヴのVHSソフトが発売されるのを知った。発売日に買った。それは輸入盤の表に日本語のシールをつけていただけのものだった(当時のことを知っている方はわかると思いますが、特に音楽関連のビデオソフトは日本盤はテープを包むようなプラスチックケースに入っていて、輸入物は簡易版というか、テープを差し込む紙ケースに入って売ってるものがほとんどだった)。解説も入っていなかった。これを夜家族がみんな寝てから、お湯を沸かして紅茶を淹れたり冷蔵庫からジュース持ってきたりして、誰もいない応接間のテレビでくりかえし観ていた。テレビにソニーのヘッドホンを挿して。まだ密閉型のヘッドホンなんて家庭用にはなかった(まだ費用をかけずに軽くする技術がなかったから。密閉型は重かったのだ)。たしかいちばん軽いヘッドホンのひとつだったはずだ。それをかけて60分近いヴィデオを通しで観ていた。7曲あるうち、2曲目に入っていたバンドのデビュー曲でブリッジ(サビ)のあと、3番からやたら客席が盛り上がるのが大好きだった。画面の中からはなんでそこまで盛り上がるのか全くわからない。でもそこが好きだった。なにしろあれだけ湧くんだからそんなフンイキ自体があったんだろう。そしてこっちも盛り上がってコードがひっぱられてヘッドホンがカサブタが取れるみたいに頭から抜けたりなんてことがよくあった。それを季節がかわっても何度も観ていた。  34年経って、その7曲は1曲ずつ分かれて、先述の「あなた真空管」にアップされている。自分の狭い部屋で、机にウィスキーのお湯割りをもってきて、PCに100円均一の店で買ったイヤホンを挿して、あなた真空管にアクセスした。どれか聴いてみようかと思って、最初に2曲目を聴いた。そしてブリッジのあと、歓声が盛り上がるところでお湯割りを吹いた。  盛りすぎだ。  浮いてる。途中の歓声だけ浮いてる。あとから付けたのがまるわかりである。歓声というよりもうこれは陥穽に近い。なんで昔はわからなかったのかわからない。これでこの7曲は振り返りづらくなった、ということだけは記しておく。どうしても盛ってるところで笑ってしまうのだ。ライヴ自体は変わらず昔を思い起こさせるのだが。いくら盛り上げたところでバンドは売れなかったね、という点も含め悲しささえおぼえる。  そして、もちろん34年経って歓声を盛ってるのがわかった理由は、自分の耳が良くなったからではない。あまたのデバイスの、種々の面における精度があがっただけのことである。  「あなた真空管」にあがっているその人のいくつかの(いくつもの)ライヴ映像や音声、そこにつけられたコメントを読んで感じるのは、とりわけバンド時代の記録へのコメントに対して、その人を単独の「ソロミュージシャン」としてより「バンドのフロントウーマン」としてもっと長いこと観ていたかったという気持ちが強く表れていることだ。  実際、いま当時のバンドのときのライヴを観るとこの人の当時のある種の「引き受け方」には、あの年ごろですごいなと素直に感心してしまう。その人は昨年、新譜を出したときに受けたインタビューで曲を書くときに若い頃の自分のヴィデオを何度も観たと言っている。自分のその時の気持ち、その時どうなりたかったかを思い出そうと。それをふりかえり「野生のエナジー」だったと言っている。これを読んだときは今もその人の、自分の大好きな部分は変わってないんだなと思ってうれしかった。そして、結果的にバンド時代の最後のシングル曲となってしまった歌の詞の一節を思い出す。  「どんな台風でも目のなかに入れば、そこには静かな夜がある」  34年前の、先ほど触れた頃より少し前。1987年になったばかりのときに自分がテレビを観てた話。日本のテレビでおそらく唯一、(さっき触れたライヴの一部がヴィデオクリップになっていたものを除けば)このバンドのライヴが、オーディエンスのいたライヴがOAされたとき(注1)。1987年1月1日の未明だった。それはMTVのライヴ特番だった。  先述のとおり高校生だった。いちおう中継先とこっちで時差があることくらいはわかっていた。わかっていたはずだ、自信はないが。でも日本とアメリカのどっちが先に新しい年を迎えるかなんてことは全くわかっていなかった。だから、あれは元日になって午前1時前後だったかもっと遅くだったか、テレビ朝日(当時、MTVの番組を流してた)の画面から「推し」だった人がHappy new yearって言ったときああ向こうも年が明けてるんだなと、今思い出したら恥ずかしさで笑うしかないような記憶も残っている。そして、あの中継、ライヴの中継自体を衛星生中継なんだと思っていた。うちにあるビデオデッキで録画はしていた。けれど3倍モードだった。テープに出費できるほどお金をもってなかったのだ。  最初に画面がステージに切り替わったときにその人が何か言っていたのだ。Happy new yearっていう前に。"Welcome to ...kon"。...の部分が日本のだらしない高校生の耳ではききとれない。会場はスタジオじゃなくてどこかのライヴハウスなんだろうか、そこの名前だろうか。なんて思っていた。先述のとおり、このバンドは2枚出したアルバムのメンバーがまったく違っていて、このときは86年にセカンドアルバムを出したときの5人である。5人が2曲(アルバムからの2つのシングルカット曲)つづけて披露し、中継は終わった。このとき複数のバンドが出演したが自分の好きなバンドはひとつだけだった。だから画面をみていてこのバンドが登場したことに気づいた時にスタンバイ状態から一時停止ボタンをはずして録画したはずだ。あとで録画したテープをかけてみると"Welcome to..."と言いだすところで始まっていた。これまた何度も、3倍モードのテープを観ていたのだ。34年前。  その映像もいま「あなた真空管」でみることができる。実は今回ほぼ35年ぶりに自分が観たライヴ映像はほとんどが10年前後まえに投稿されたものだ。だからほぼ25年ぶりにライヴの映像を見つけ耽溺する機会もあり得た。自分の怠慢なのかもしれない。ただ、笑われてもしょうがないが35年くらい経たないとわからないこともある。  いま見直すと、その人は、ここではっきりと、  「サテリコンへようこそ」と、言っている。  申し訳ないけれど、34年経ってやっとわかった。    satyrikonの訳。(中略)サテュロス劇は、ディオニューソスに従うコロスとして登場するサテュロス(Satylros)たちにちなんで、そのように呼ばれる。サテュロスは山野に住む精霊(ダイモーンdaimon)で、顔と姿は人間であるが、身体は毛におおわれ、馬の耳と尾、ときには馬の足をもつものとしてあらわされる(のちにはさらに山羊の要素をもつようになった)。     (「詩学」アリストテレース、松本仁助・岡道男訳より、「サテュロス劇的なもの」の注釈から)    いまグーグルにsatyrikonと入力し検索すると「もしかして:satyricon」と表示され、フェリーニの映画の原作となった(伝ペトロニウス作の)物語が大きく出てきて、同時に映画のソフトを「おすすめ」される。前段の引用のような語義(?)は上位には出てこない。並記されるのならまだしも、ひとつしか出てこない。それはきっと、これでひとつ映画のソフトウェアが売れるかもしれないという具体的な「要素」、売り上げのための要素と結びついているからだろう。ここでいうsatyrikon (satyricon) は自分が捜している意味と違うと思うので、もうひとつ別の文献から引用する。    ディオニューソスの随伴者として、もっとも通例現われるのは、かの山羊脚をしたサティール(正しくはサテュロス)の群れである。しかし彼らは本来は特別にディオニューソスに縁故の者ではなくて、ただ山野に群れる生類の精にすぎない。ヘーシオドスも、「ロクでなしの、わけのわからない所業をするサテュロスたち」と呼んで、ニンフらや、クーレーテスの兄弟分にしている。(中略)  その姿は通例山羊の角や耳、長い尾に、蹄(ひづめ)のついた脚をもち(アッティケー州では、馬の尾をつけ、馬的であるのが特徴)、毛ぶかく、鼻は低く、くちは大きく、しばしば興奮した男性器をもつ、ふつうは若い青年男性の精霊である。しかしその心性はもっと素朴に野性的で、遊戯をこのみ、色情的でとくにニンフたちをからかったり、ふざけたりして喜ぶ。要するに野育ちの自然児で、深いたくらみや強い力もなく、積極的な悪とは全然かかわりのない、愛すべきいたずら者、というのがギリシアの都会人の空想する、このサテュロスであった。  彼らは群れて、あるいはディオニューソスやその他の山野の神に伴って、跳ねまわり踊り狂う、そして笛や笙(しょう)をこのんで奏でる。このような姿と性徴とをもって、かれらは春ごとに悲劇と併せて上演される、サテュロス劇に舞唱団(コロス)となって現われた。     (『ギリシア神話』呉茂一)    自分が「推し」だと思ったその人はここで自分と自分のバンドをサテュロス、愛すべきいたずら者に譬えていたのだ。いま、とてもはっきりと聞こえた。  Welcome to satyricon.  って。恥ずかしいけどいまから10年前ではわかっていなかったと思う。  その映像では4曲披露されてる。これは"MTV New Year's Eve R&R Bowl 1987"の映像なので、1986年12月31日のステージということになる。で、自分が34年前にテレビで見たのはここでの2曲目と4曲目(!)なので、あのときの映像は「2曲つづけて」ではなかった。何回も自分に笑ってしまうが、あの時点で最初から録画されたものを流していたことに、そのときは気づきもしなかった。この動画を投稿した人は几帳面な人なのか、3曲目の一部は途中でカットされてて(しかもいっしょけんめいつなぎを目立たなくさせている跡があって、それもつらい)、4曲目は途中で終わってる。当時のMTVの中継がこんな形で途中で切れちゃったとは思えないので録画してたテープが終わりになってしまったのか、もうテープがボロボロになっているので出すのを控えたのかどちらかだろう。あのときのテープを持っていればとも思うしあのとき標準モードで録画しておけば……と思ったりもして、なんにしても34年は長いものだと思う。  結果、自分の中で「推し」だった人の、"Welcome to satyricon."を反芻するだけだ。  同じ日の別の動画もみることができた。これはその時のアンコールだったのだろうか、「石鹸とスープと救いの歌」の映像だ。この歌は「推し」だった人の歌のうまさが最も感じられる歌であり自分には思い入れの強い歌だ。自分たちをサテュロスにたとえた人らしいいいライヴであり歌なんだけど、このステージのほぼ10年後にオランダのテレビでオンエアされたらしいドキュメンタリー(これも今回発見した)で彼女は「私のプロデューサー兼マネージャーは私をスプリングスティーンにしようとした」と言っていて、それを踏まえて見るとそれなりに悲痛でもある。(「すべてやってみた、やってみたけど……なんにもうまくいかなかった」。)途中でなにか別の歌を挟んでいる。なんかきいたことあるなと思って、やっとわかった。ヴァン・モリソンが作って自分のバンドで唄い、それをジム・モリソンがドアーズのステージで唄って、その形式に則ってパティ・スミスが唄いつづけているあの曲だ。自分の「推し」だった人は地縁(?)的にはドアーズの系譜を、表象としてはパティ・スミスの系譜を継ぐ人のようにも思える。    誰があの文を書いたのだろう。あの一文、レコードレビューの中の、最後の句点を入れれば25字の文。あれがなかったらその人は自分の唯一の「推し」と思える人にはなっていない。逆にいえばあの25文字のおかげでその人の歌と歌詞を知ることができて、その人が綴って唄う言葉から自分で気づかないうちにいろいろ影響されているんだな、と35年経ったいま思う。  1985年の暮れに「ザテレビジョン」の別冊が出た。そこにテレビの記事はほとんどなくて、洋楽ミュージシャンと音楽の話がほぼすべてを占めている、今ふりかえるとすごく80年代を現している増刊号だった。中ほどに見開きのレコードレビューのページがあった。いま手許にその号がないから思い返すしかないが30枚ほどの1985年にリリースされた洋楽の日本盤が紹介されていた記憶がある。XTCの「スカイラーキング」やトッド・ラングレンの「ア・カペラ」、それからフランク・ザッパの「奴らか?俺たちか?」、あとはなんだっけ。自分がその中に、はじめて日本盤リリースされた2枚目のアルバム、プリファブ・スプラウトというバンドの「スティーブ・マックイーン」が載っているということを知ったのは翌年はじめてそのバンドの曲を聴いてからだ。それはさておき、そこにその人のバンドのレコードレビューもあった。いま記憶にあるのは最後の一文だけである。そして、少なくとも日本語で書かれた記事ではその人がソロになる前、バンドのフロントウーマンだった頃にこういった言及はされていなかったはずだ。みんなその人のヴォーカルがいいとかいった話しかしていなかったはずだ。あと(わりと今でもアタマにくるけど)かわいいとか。  そのレビューの最後の一文、  詩作面におけるユニークな才能にも注目したいところ。  このバンドのデビューアルバムは日本盤のライナーノーツにも歌詞の日本語訳はついていなかった。レコード会社が不要と判断したのだろう。時間がなかったわけではないと思う。それはなにかの事情、ここからは自分の話。先ほど引用した25文字を見てから、コピーした歌詞カード(これも日本盤のために、聞きとりにより記述されたもの)をもとに、自分が持ってたマルマンの表紙の厚いノートに、小学館プログレッシブ英和辞典を引きながら歌詞を訳しはじめた。これが自分が思い返す当時の「作業フロー」である。    例えばその人のポスターは探せば売ってたのかもしれないけど部屋に貼ってないし買ってない。その人のCDを発売日に買ったのはソロになってからで、バンドのときはレンタル屋で借りたのが最初だった。でもその人だけが「推し」に該当する人だ。それを辿ると、やはりあのノートしか思い浮かばないのである。その人はソロになって、キャリアを重ねるにつれてシンガーソングライターとして詩人として認められていった。だけどバンドの頃からその人の綴る歌詞は他のソングライターとはちょっと違っていて、そして際だっていた。    歌詞を訳しはじめてどうしても意味のわからない曲があった。石鹸とスープと救い、タイトルだけ訳せばそうなる。意味がつかめないのでちょっと英語の先生になりそこねた人に訊きにいく。    その頃、姉と自分が授業などで英語がわからないときに訊きにいく人がいた。その人は「英語の教師になりそこねた人」だった。
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(注1)実は、36年前デビューまもない頃バンドがプロモーション来日をしたときにTVK=テレビ神奈川の番組でスタジオライヴをやったのを見た記憶がなんとなくあるのだがよく覚えていない。その頃はまだそんなに注目していなかったし、なんか晩ゴハン食べながら不熱心に見ていた記憶しか自分に残っていない。 ※この話はまだまだ続きますが、ひと区切りとして載せておきます。※この話は事実にヒントを得て構成されたフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がないように読まれれば筆者は困惑します。
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