揺れに揺れた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は、10月8日午後に再開されることが決まった。
この企画展に寄せられた多くの批判のうち、急先鋒が名古屋市の河村たかし市長だ。少女像などの展示に対して「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ」と発言していた。一方で、河村市長の発言には「権力者からの介入」との批判も��った。
河村市長は再開が発表される前の10月7日午前、ハフポスト日本版のインタビューに初めて応じ、「こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ」と展示への不快感を語った。
「暴力によるハイジャックだ」
インタビューは愛知県の大村秀章知事が「表現の不自由展・その後」の再開を発表する約8時間前の10月7日午前11時半から名古屋市役所で行われた。
どのように再開すべきか、関係者のあいだで激しい協議が行われていた。
ーー早ければ8日から再開となっていますが、市長の見解は?
再開なんていかんね。決まっとるがね、こんなもん。
本当に(日本人の心を)踏みにじりますよ。名古屋市民に恥かかせてええの?
無茶くちゃだがい。ようやる。こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ。そんなことやる人が、なぜ表現の自由なんて言えるんですか? 恥ずかしい…
ーー大村知事には、それを伝えているんですか?
伝えてますよ、何べんも。今日も副知事でもええ、そんなハイジャックはやめてくれ、と(伝えたい)。
悪いけど、暴力ですよ。オープンしようというのは。
ーー市長も実行委のメンバーです。不自由展再開に向けての協議には?
そんなん無効ですよ。暴力ですわ、今回は暴力ですよ。
俺、はっきり言うけれども。芸術家と称せられる方の、一定の思想を持っとる人たちの、暴力ですよ。市民の意見を暴力でハイジャックして奪ったということじゃないの?
ーーどの��がハイジャックだと表現されるんですか?
一般的な世論はあるでしょ。天皇なら天皇の話で。ええですよ、天皇制を反対する人がおっても。でも、多くの人は、憲法第1条で象徴ゆう風になってるんですよ。
午後7時45分から開かれた緊急会見で、大村知事は「表現の不自由展・その後」を8日午後から再開すると発表。
ハフポストのインタビュー後、再開が決まるまでの間に河村市長と電話で話したと明かした。再開が決まり、名古屋市側には事務方を通じて担当者に連絡したという。
毎日新聞などによると、河村市長は再開決定を受けて報道陣の取材に応じ、8日に会場前などで座り込んで抗議する考えを示したという。
あいトリのレガシー「暴力が残っただけ」
ーー検証委の中間報告では、「条件が整い次第、すみやかに再開すべき」とされています。
検証委なんてほとんど暴力ですよ。メンバーについて、個人的に恨みはにゃーけどね。
ある方なんて、愛知県の顧問やっとって(検証委も)やってるわけでしょ。第三者性なんかあるわけないじゃない。どんどこどんどこ決めて…。
重要なことは運営委員会でやるって書いてあるがね。1回もやらずに。今日もう一回申し込もう思ってるけど。
ーー10月5、6日と、国際フォーラムが開かれていました。市民も参加されての公開討論会も行われていました。
そんなの、暴力的に全部決めた人たちがですね。なんで、そんな暴力の巷(ちまた)に行かにゃいかんですか、私。本当に、ひどいですよ、本当に。
「あいちトリエンナーレ」の全面再開を発表した7日夜の会見で大村知事は「世界的に見ても一度中止になった展示が再開された例はないと聞いている」と評価。さらに、「一つの芸術祭のあり方をお示しできたのではないかと思う。あと1週間、色々な立場の方の意見を、異なる考え方の意見も尊重しながら、毎日安心安全な運営に全力をあげて(閉幕の)14日にたどり着きたい」として、アートと行政のあり方をめぐる、今後の大きな資産(「レガシー」)にしようという意欲をのぞかせた。
ーートリエンナーレもあと1週間で終わりますけれど、世界に向け、3年後のあいトリに向け、残せるレガシーはなんだと思いますか?
残せるもの(笑)。暴力が残っただけですわ。
より厳しくチェックせな、になっちゃったがな。なってくるでしょうが。
(これまでに、あいちトリエンナーレは)3回やったけども、みんな楽しゅう、楽しいゆうか、現代アートのプロモーションをやってちょ、いうだけだったの。
事後でも補助金やいろんな金を支払わないことができるという規定はあるんですよ。
ーー逆に、表現の自由を規制せざるを得なくなってしまった、と?
こんな風になると、(そう)なりますよ。
そうなると、とにかくフェアにだけやらにゃいかん。(事前に)きちっと出品者の名前を明らかにして、内容もちゃんと明らかにして。自分で分かるでしょ、問題になるゆうことは。表現者の方だったら…。
「マスコミは事実を伝えていない」
ーー河村市長が8月2日に不自由展を視察して以来、たくさんの節目がありました。国内外の注目も非常に高まりました。刻々と変化したあいちトリエンナーレをどう見ていましたか?
マスコミの批判してもしょうがないことはないけど、正しいことを言わないかんよ、あんたたちも。
なんで表現の自由て大事かいうと、要は、民主主義社会においては色々議論が出てきて、言論の自由市場といいますけど、みんなでわあわあ言うようにせにゃあかん。
しかし表現の自由を自由市場にするためには、国民の知る権利が満たされておらなあかんわけですよ。だから、マスコミが事実を伝えるのは、どえりゃあできゃあ(とても大事な)わけですよ。
ーー今回、メディアが事実を伝えていないというのは、どういう点でそう思われたんですか?
三つありますよ。
一つは、慰安婦のことばっかり言いますけど、天皇陛下の話がでかいんですよ。天皇陛下の肖像を燃やしてですよ、それもバーナーで燃やしてですよ。燃えてると朝日新聞が書いとったと思うけど(笑)、燃えてるんやない、バーナーという暴力行為で燃やしてる、それを足で踏んづけてるというのが展示されてる。これは事実じゃないですか。
二つ目は、私は、悪いけど作家の人やら不自由展の実行委の人に、こういう表現をするなと言ったことはいっぺんもないですよ。公共事業ではやめてくれ(と言ってるんです)、これ。名古屋市と愛知県の、まあ国の金も入ってますけどね。公共事業なわけです。東京オリンピックと同じですよ。東京オリンピックの会場に行ったら、慰安婦の像と天皇陛下の像を燃やして足で踏んづけるやつと、兵士が間抜けだいうのが飾ってあったらどうします? そこちゃんとやらないと、マスコミも。公共事業だと(伝えないと)。
それから三つ目。これが決定的だと思ってますけど、法的なことも考えてますけど、やっぱり公的なものを申請する時には、補助金適正化法というのがあって。今回、補助金と主催という名義。実は主催がでかいんですよ、名古屋市主催というと、名古屋市が認めた、すなわち市民がそれを応援するいうことになりますから。名古屋市民が天皇陛下の像をバーナーで燃やして足で踏んづけるという表現行為を応援することになりますから、これ。そのプロセスが明らかにアンフェアというか。どう言ったらいいんだ? これ。まあ、ハラスメントですわ。
ーーアートの解釈が人によって分かれるのはよくあることです。今回の作品も、政治的スタンス、歴史の解釈によって感じ方は人それぞれだと思いますが、アート作品は国民全員が不快感を抱かないようなものであるべきだと思われるんですか?
いや、公共事業だいうことが分かってないから。外国人記者クラブでもいっぺん言わないかん。違うんだいうて。名古屋市直営事業なんだ、これ。名古屋市直営事業ということになると、名古屋市民約230万人いますけど、愛知県だと700万くらいか…。
みんながみんな「OK」と言わなくてもいいですよ。そら、いろんな意見があるから。しかし、だいたいがですね、自分たちの意見を踏みにじられんもんをやってちょうだいよ、というもんですよ。そうじゃないと困るじゃないですか。これ、公共でやる場合は。
じゃあなんで、自分の金で、自分たちでやらんの? やりゃあいいじゃないですか、別に。わしは、「どうぞどうぞ」とは言わんけど、「どうぞ」と一回くらいは言ったてもいい。どっかの画廊をお借りになって、主張されればいいじゃないですか。
ーー公共の美術館を使って、公金を使うべきではない、と?
いや、主催で。主催が大きいんですよ、主催が。それ言やあせんもん、あんたたちマスコミ。これ主催って。
主催ってどういうことかいったら、東京オリンピックですがな、あれ。あれ日本国主催だがね。そりゃどういうことかいうと、みんなのためにやる、そりゃ100人が100人じゃないよ。でもみんなの心を踏みにじるのはやめてくれ、と。市民が思いますよ、そりゃ。
そういう意味で、日本国民の心を踏みにじるのは、主催はいかんですよ。主催は。
編集部注:あいちトリエンナーレ2019の主催者は「あいちトリエンナーレ実行委員会」。意思決定機関は「運営会議」で、会長が愛知県の大村知事、会長代行が河村市長。委員には、中日新聞社の社長や、NHK名古屋放送局の局長も名を連ねる。
一方、芸術監督の津田大介さんは運営会議のメンバーではなく、芸術部門の責任者。トリエンナーレ全体の企画を統括する役割を担う。河村市長が使う「公共事業」・「名古屋市直営事業」・「主催」という言葉には違和感が残る。
同様に、東京オリンピック・パラリンピックの主催者は、日本国ではなく、「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」となっている。
補助金は支払わない方針「不正義だった」
ーー市も補助金の一部を支払わない可能性があるとおっしゃっていましたけれど、そのあたり変化はありませんか?
そんなもん、不正申告、目的外使用、もうそれがあったらいけないじゃないですか、それは。市民の税金なんだから。
ーー文化庁も全額不交付との姿勢を崩しませんが、同じスタンスですか?
文化庁(の姿勢)も理解していますよ、私。どういう展示しとくというの、(事前に)正直に言わなあかんですよ。
ーー事前に知っていたら止めていた?
事前に知ったら、実行委を直ちに開きましょうと言ったと思いますよ。津田さんにも、展示やる人にも来てもらって、そこで議論するだがね。そこで一つの方向性が出たと思いますよ。
ーー問題は事前のコミュニケーション不足だったということ?
コミュニケーションじゃないが。隠したんですよ。そんな甘いもんじゃないですよ、これ。
だからね、反政府活動もええよ? 反政府活動も。でもこうやってやるんだったら、堂々とやってくれなあかん。こんな騙してハイジャックしちゃいけません、これ犯罪の可能性あるんですよ? 騙して犯罪的にやったことに、表現の自由ってあるんですか?
なぜ嘘を言うんですか? 本当の事、言やあええの。手続きも申請も、ちゃんと。しょうがないんですよ、公共の主催でやろう言うんだから。嫌なら、自分でやればいいんですよ、そりゃ。公共の主催という看板を取りたかったわけでしょ? 補助金も取りたかったわけでしょ?
ーーもし事前に議論されてたら納得感がありましたか?
そんなもん分からんですよ。やるまでもないじゃないですか。嘘言って、騙して、出さなかった。はっきり言ってるじゃないですか、作家も言ってるじゃないですか。僕の知っとる芸術家も言ってましたよ、「ああいうのは、いかん」て。
正直に言わなあかんよ。そこで議論することが、『表現の自由』の現れになるわけです。そこで当事者も来て、僕なら「(内��や展示方式を)考えてくれんか」と言ったかもしれない、それは検閲ですか?
ーー対話は、不自由展が中止となった後にあちこちでやっています。作家さんたちも積極的に市民との対話の場所を作ったりもされていますが、それでは納得はできない?
(騙して)出しちゃったら、ダメですよ。当然のことながら、(展示を)出す前にやるに決まっとるがね。そんなこと言っとたら、役人もいらんですよ。議会もいらん、マスコミもいらのや。何もチェックせんで、全部表現の自由だ。そんなら。
ーーやはり、問題はスタートの段階でのコミュニケーション…
不正義だったの!
コミュニケーションじゃない、不正義だったんです!これは。
「検証委そのものも暴力的だ」
ーー再開には否定的なお考えですが、もし「不自由展」が中止したまま再開されずにトリエンナーレが終わった場合、検証委も言っているように、電凸だったり攻撃的・脅迫性をはらんだような抗議によって表現の場が奪われるという悪しき前例を作ってしまうとは思いませんか?
検証委のみなさん、自分たちそのものが暴力的だと感じないかんですよ、まず。
だれが承認したんですか、あれ、検証委。名古屋市になんの相談もねえ、突然出て来てね、その中に愛知県の顧問やっとる人が入っていてですね、第三者性なんかあるわけないじゃないですか。
悪しき前例どころじゃない、ちゃんと正直に(事前に情報を)出して来ればこんなこと起きんかったですよ。僕は、「頼む、今のままだったらやめてくれ」と言ったと思いますけど、主張したければ、違うところでご自由にやるか、方式をもうちょっと納得行くように変えてくれと言ったってええでしょ。
ーーそれは検閲とは言わない?
言わないですよ。検閲ゆうのは、最高裁の判例で決まっとって。一切表現を禁止するやつを検閲と言うんです。
例えば、僕がある出版社に入っていって、「この本はもう出しちゃだめ」と、言うと検閲になる。今回の場合、民間であればなんの問題もなく(展示)できるわけです、これ。なんの問題もないかどうか、知らんけど。私が言う権限もありませんし、検閲とは全く関係も無い。
100歩譲って(不自由展の作品が)芸術だというんだったら、(内容への口出しは)必要最小限にとどめなあかんいう論理は分かります。
それから、みなさんが気づいとらんのは、(今回のような)主催という問題は、ガバメントスピーチと言いますけど、「行政が発信するなら、正しい」という裏書き効果がある。そういう効果がありますから、普通の画廊でやるのと、名古屋市主催でやるのと全く意味が違うんです。名古屋市主催でこういうことをやりますと、そうでない意見の人たちは対抗できんせんのですよ。
ーーそういう風にならないように、委員会という形を立てて、芸術監督とかを間に立てるのが公共が関わる美術祭のあり方だと思うんですけど。今回もその形を取っていましたが。
騙したで、いかんじゃないですか。問題はそこに行きますよ。
本当のことを言っとれば、さすがの大村知事も、わしも言いますから。ちょっと待ってくれと。大方の日本人の気持ちを著しく害すると。天皇陛下のやつは特にね。
アートとは何か。
「表現の不自由展・その後」が中止された当時、抗議電話の約4割が、昭和天皇の肖像写真をモチーフにした大浦信行氏の映像作品についての批判だった。河村知事も、インタビューの中で、何度もこの作品について言及した。
ーーあの作品をご覧になって、あれがアートだということに異議はありませんか?
アートの定義がなんだか分かりませんけども、まあ一般的に言ったら一人でも感動したらアートかもしれませんよ、定義はありませんから。(でも)一般的にいう芸術ゆうものではないですわな、普通は。
ーー一般的にいう芸術とは、どういうものだとお考えですか?
そりゃ、ああいう政治的なメッセージがあるものなら、ピカソの『ゲルニカ』とか、ああいうやつですわ。それから平和なやつだと、『モナリザ』とか。
検証委によると、大浦氏は昭和天皇をモチーフにした作品について制作した背景をこう答えているという。
「映像の中で焼かれているのは写真でなく、自分(大浦氏)の版画作品そのもの。焼くことを従軍看護婦の女の子に託したのは、それを焼くことで自分の中に抱え込まれた内なる天皇を燃やすことで昇華させる行為であり、祈りと言ってもいい」という。
さらに、「天皇を批判するために燃やすなどという幼稚なものは芸術の表現ではない」として、天皇を侮辱する目的ではないと強調している。
ーー大浦作品の意図はご存知ですか?
色々言っとるけど、そうなる(炎上する)に決まってるじゃないですか。自分の意図がどうであろうと、受け取る人がどう思うかがでかいんだから。
ーー天皇陛下を燃やそうと思ったわけではない、ということはご存知…
そんなバカな。実際燃やしとるがな、バーナーで。そんなん通じませんよ。そんなこと。悪いけど。
ーー感じ方はそれぞれですが、こういう解釈があるんだ、という風には思われない?
祈りがあったとか、そんなもんじゃないですよ。(中間報告)読んどるけど。普通の人が見て、どう思うかですよ。
そんなことを隠れてやって、どういうつもりですか?日本の国民世論をハイジャックしてどうするの、これ。
世界に大恥を晒して。日本国民って、天皇陛下に敬意を持たん国なんだなということを世界に晒すことになるよ、言っておくけど。
ーー意図がどうであれ、まったく伝わらないと?
受け取る人がどう思うかが決定的にでかいわけですよ。
(事前に)正直に言いなさい、と言っとるんですよ。ハレーションが起こるのと、非常に多くの日本の人たちの心を踏みにじることになるのは、分かっとるわけでしょ?そうでしょ?
だいたい多くの日本人は、みんな陛下に敬意を持っとるわけです、長い歴史の中で。そういう方たちの気持ちを踏みにじると思わない?
名古屋市民、愛知県民、日本国民。主催事業ですから、自国の天皇陛下の肖像画をバーナーで暴力的に燃やして、足で踏みつける展示を積極的に認めたことになるんですよ。主催だから。恥じゃない?
ーー作品を見て、平和や検閲について考える人も少なからずいると思います。そういう人は、日本人、市民には当たらないんですか?
色んな意見があってもええですよ。ほんだけど、やり方ちゅうのがあるんであって。正直に「こういう展示を出します」と言えば、討論会になったでしょう。実行委員会を開こうという事になっただろうから、そこに大浦さんが来て話せばいいじゃないですか。
ーー最後に一つ。河村さんの中で、芸術祭や芸術とは、どういうものだとお考えですか?
そりゃあ、みんな自分の意見をどんどん言っていくゆうのは、大変ええことであって。ただフェアにだけやらないかん、ということです。
ある日突然、ハイジャックしてですね、騙して。だまし討ちにしたような人たちが出てきてですね、マスコミも真実を伝えずに……。そういうのは、本当に危険な日本になりますよ。
フェアにだけやって、そこで議論を巻き起こせばいいじゃないですか。正当なステップが嫌だで、隠して出したんでしょ。そこにどうして『表現の自由』があるんですか。表現の自由という名の、国民世論の、普通の人の国民世論のハイジャックですよ。
暴力的、今回のは、ひどい話ですよ、こんなの。おびただしい人たちの、天皇陛下に敬意を持とうという人たちの心はどうなるんですか? 名古屋市とか愛知県とか日本国とかそこが主催でやるんですよ? 個人じゃないのよ。これは止めないかんでしょ、いくらなんでも。恐ろしい話だわ。どえりゃあ…
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【ストーリー 俳優・中村敦夫78歳の挑戦(その2止) 未来見つめる表現者】 - 毎日新聞 : https://mainichi.jp/articles/20180610/ddm/010/040/163000c
2018年6月10日 東京朝刊
{{ 図版 1 : 反骨と探究心を持ち続ける中村敦夫さん。「人生の下り道で福島第1原発事故が発生し、多少は意味のある仕事をしたいと思いました」=東京都新宿区で日、丸山博撮影 }}
◆反原発朗読劇「線量計が鳴る」で行脚
■《戦争同様、戦犯いる》
東京・西新宿。ビルの壁に囲まれた交差点を人と車が行き交う。
「ふと、荒野をさまよっている気分になるんですよ。こうして雑踏を歩いていてもね」。俳優の中村敦夫さん(78)は歩みを止め、虚空を見詰めた。2年前、俗世のしがらみを断つために在家のまま出家し、僧籍に入った。言葉が求道的な色彩を帯びる。
「今、100年後のことを考えていたんです。ここにいる人たちは、もう誰も生きてはいないなって。同じように、東京電力福島第1原発事故を終わったことにしたがっている人たちも、やがてはいなくなる。ただし原発問題は、現状のままだと100年たっても解決していないでしょうね」
悟りには程遠い心境と見受けた。
2011年5月。中村さんは福島県いわき市の海岸沿いを車で南下していた。案内役は、参院議員時代からの知己で地元紙「日々の新聞」を発行する安竜(ありゅう)昌弘さん(64)と記者の大越章子さん(53)。津波被害で、がれきだらけの惨状。市の一部は福島第1原発の30キロ圏で、放射線量が高かったため県外に一時避難する人も多く、人影はまばらだった。
「一番困っていることは?」「食べ物ですね。何を食べたらいいのか……」
安竜さんとそんなやりとりをした。
いわき市は中村さんにとって第二の古里である。戦中戦後、空襲が激しさを増した東京から父の実家がある福島県に疎開し、小中学校時代を平市(現いわき市)で過ごしている。
思い出深い地の変わり果てた光景に、敗戦前後の記憶がよみがえった。福島県にも米軍爆撃機B29の編隊が飛来。防空壕(ごう)に逃げ込んだ。焼け野原となった東京から、食糧を求める人々が列車の屋根に乗って押し寄せた。「原発事故と戦争には共通点がある。一度起きたら取り返しがつかないということです」
飯舘村や南相馬市も訪れ、自殺者を出した現場に立った。12年には日本ペンクラブの視察団の一員としてチェルノブイリ原発のあるウクライナを訪問。キエフの放射線研究所や被ばくした村を回り、今なお苦しむ人々に接した。原発を覆う不気味な石棺も、その目で見た。
「表現者として何ができるのか」。自問の末に考えついたのが、一人芝居の台本を書くことだった。主人公は取材を重ねた「被害者らの集合体」とする。
執筆中、死を意識する経験もした。前立腺の手術で、麻酔から覚めた直後に呼吸困難になった。「喉付近の神経が麻酔の影響でまひしたんです。『気管切開する』と言う医師に『待ってくれ』と叫びたいのに、声も出ない」。実際には15分くらいの出来事だったが「生きているうちに、やれることをやらねば」という思いが募った。
{{ 図版 2 : 津波で壊滅的な被害を受けた福島県いわき市の沿岸部=2011年4月2日、佐々木順一撮影 }}
16年秋、いわき市を再訪した。がれきの撤去が進んだ一方で、県内では避難指示が徐々に解除されていた。「なかったことにしたい」という意図を感じた。実際、被ばくの影響を巡り「家庭内でも意見が分断され、面と向かって議論できない状況」(安竜さん)があった。
小学校の同窓会に参加し「朗読劇を準備している」と打ち明けた。旧友らが公演実行委員会をつくってくれた。
朗読劇「線量計が鳴る」は1幕4場。福島第1原発で働いていた主人公の配管技師は事故後、酒浸りとなる。賠償金を受け取っていることをなじられ、同じ福島県民とけんかになり、留置場に入れられる。原爆を落とされた日本に、なぜ原発が数多く造られたのか。原発で利益を得ているのは誰か。主人公は一つ一つ告発していく。背後のスクリーンには利権の構図などが映し出される。
中村さんが帽子やジャンパーなど黒ずくめで演じるのは、被害者の無念を映した「亡霊」をイメージしているからだ。
■《いわき市での公演が実現したのは17年6月16日、雷雨の夜だった。》
書家の鴨田茜竹(せんちく)=本名・恒子=さん(78)は昨年10月、東京・笹塚での「線量計が鳴る」の公演を見ながら、都立新宿高1年の時に隣の席になった男子生徒を思い出していた。福島県から転校してきたという。若き日の中村さんである。
「無口なのに、教師には反抗的。卒業アルバムの写真は一人だけそっぽを向いています。俳優の道を歩み始めた時から『いずれは何かを成し遂げる人』と思っていましたが、今がその時ではないでしょうか。この朗読劇の言葉には、人の心に訴える力があります」
とりわけ魂を揺さぶられ、また「彼らしい」と思ったのが、主人公が国の原発政策に異を唱える次のセリフだ。
{{ 図版 3 : 「線量計が鳴る」の決めぜりふを書にした鴨田茜竹さんの作品=国際架橋書会提供 }}
<右向けといわれれば右向き 左といわれれば左 死ねといわれれば死ぬ おれはもうそういう日本人にはなりたくねえんだ>
国際書画連盟常任理事という要職にある鴨田さんはこの言葉を書にし、昨年末に国立新美術館(東京)であった書道展で発表した。
中村さんの「反骨精神」には長い歴史がある。福島の小学校を卒業する時、謝恩会で教師や保護者ら約400人を前に卒業生が「二十年後の同窓会」という芝居を演じた。台本を書いたのが中村少年。20年後に再会した同級生たちが「○○先生は竹ざおで頭を殴ったよね」「○○先生も乱暴だったよね」と実名で告発する内容だ。もちろん喜劇仕立てで会場は爆笑に包まれたが、思いがけぬ「仕返し」に舌打ちした教師もいたに違いない。
俳優としては「あっしにはかかわりのねえこって」の決めぜりふとリアルな殺陣が話題になったテレビ時代劇「木枯し紋次郎」(1972年から)でブレークした中村さんだが、幼い頃からの気質は、自身の目を芸能界の外にも向けさせた。
「紋次郎」を演じる前、東京外語大を中退し俳優座に所属していた65年、ハワイ大に留学する機会を得た。「今まで知らなかった世界を知り、自分の中の国際化が進みました」。この経験は後に「国際小説」の執筆につながる。俳優業を休んでタイで取材を重ね、83年に著した「チェンマイの首」は10万部のベストセラーに。翌84年には報道番組の先駆けとなるMBS(TBS系)の「地球発22時」キャスターに抜てきされた。
マニラのゴミ処分場に捨てられた残飯を食べる子どもたち、崩壊過程の旧ソ連で酒を買い求めるために並ぶ2キロの列……。衝撃的なリポートを繰り出した。「俳優業だけでは満足できなくなった。世の中はなぜおかしいのか。突き詰めて考えると政治に行き着くんです」
俳優のキャリアをなげうち、95年の参院選東京選挙区で新党さきがけ(当時)から立候補したが落選。98年に無所属で再挑戦し、当選を果たした。
当時から原発の危険性を訴えていた。自身が月1回発行していた新聞には「安全な高速道路などはないように<安全な原発>などあり得ないのだ」と書いた。
「原発事故が起きても誰も逮捕されない。津波に罪をかぶせて、責任者が見えないようにしている。これはおかしい。戦争と同じで戦犯がいるはずです。私の原動力は、誰も責任を取らないことに対する公憤と義憤です」
今、そう語る俳優は「反骨の少年」の進化形と言えるのかもしれない。
■《欲が欲呼ぶ社会に反発》
{{ 図版 4 : 公演は各地の実行委員会の招きで行われる。芝居後の懇親会で談笑する中村敦夫さん(左から2人目)=栃木県那須町で、沢田石洋史撮影 }}
「線量計が鳴る」の公演は、声と演技が観客にしっかり届くように、多くても数百人規模の劇場が選ばれている。このため、チケット販売が定員に達し、当日券を売れないケースが相次いでいる。
昨年6月、雷雨の中を約1時間、車を運転していわき市に着いた茨城県東海村前村長の村上達也さん(75)も「当日券はありません」と言われ、やむなく引き返した一人だ。4カ月後、京都にまで足を運び、ようやく観劇できた。
日本初の原子炉が臨界に達したことで知られる東海村。村上さんが原発推進派村長の後継者として初当選したのは97年だった。だが99年には核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」東海事業所で臨界事故が発生。東日本大震災では村内の日本原子力発電東海第2原発にも津波が押し寄せ、外部電源に加え非常用電源も一部断たれるなど「あと一歩で福島と同じく大惨事になるところだった」(村上さん)。震災後は東海第2の廃炉を訴え、13年に引退するまで「原子力ムラ」と真っ向から対立した。
「原発事故で避難を強いられ、古里を失った人の気持ちを中村さんがどう代弁するかを見たかった」と語る村上さんは京都公演の日の夜、共通の知人宅で中村さんと初めて会い、酒を酌み交わした。話題は、地方が原発やゴミ処分場を受け入れ、中央の生活を支えるというこの国のゆがんだ価値観だった。「『少欲知足』を説く中村さんと話して共有したのは、地球規模の環境破壊が進む中、利便性や効率性を最優先にする社会から脱しなければならない、という点です。現政権の成長戦略の根本にあるのは経済至上主義。金が金を呼び、欲が欲を呼ぶ。これでは原発からも抜け出せないし、最後には身を滅ぼす」。熱く語り合い「気づいたら午前2時になっていた」と苦笑する。
リアルタイムであのドラマを見た「紋次郎世代」とでも呼ぶべきか。村上さんも75歳だが、公演の観客席は比較的年配の人が目立つ。「そう。この世代には問題意識の高い人がいるんだよ」と中村さん。
今年3月、滋賀県守山市での公演を企画したのは、同市内の60歳以上の人たちでつくる「これから行動隊」。次世代のために環境問題や子育てについて提言を続ける市民グループだ。中村さんも招かれた宴席で、会長の笠原吉孝さん(77)はこうあいさつした。「若い頃にいろいろな経験をしてきた自分たちこそ、もう一回頑張らないと駄目。今の若い者には任せられない」。翌日の公演には、過去最多の460人が詰めかけた。
「もう一度、種をまいているように見えます」。中村さんの活動を追い続ける「日々の新聞」の大越さんは言う。
参院議員時代、中村さんは欧州にあるような環境政党をつくろうと「みどりの会議」を設立した。03年の統一地方選挙では地方自治体の議員ら141人を推薦し、66人を当選させた。応援のために全国を駆け回ったのは、翌04年の参院選をにらみ「種をまく」行為でもあった。
ところが参院選では、のちに政権を奪う民主党(当時)支持にくら替えする動きが相次ぎ、中村さんを含め比例代表に立候補した10人全員が落選した。東京・新宿で2年以上借りた事務所経費は月数百万円。ポスター代なども含めると億単位に上る経費を工面した。当時64歳。「精も根も尽きた」(中村さん)はずが--。
「また種まき? そんな意識はないよ」と一笑に付しながらも、徐々にアクセルを踏み込んでいるようにも見える。
4月13日、東京都武蔵野市。公演終了後のトークショーで、中村さんは「これから行動隊」の活動を紹介し、観客にこう呼びかけた。「有権者に高齢者が多くなった今こそ、この人たちをドーンと動かすダイナミックな発想が必要です。原発ゼロと高齢化社会。この二つを争点化できる政党が、いずれ政権を握る。皆さん、頑張りましょう」
こういう人を家族に持つと、どうなるか。俳優座時代に恋におちた妻(72)、長女らと暮らす。「参院選への立候補もそうですが、重大なことは家族に相談せずに決めてきました。家族も、そういう人間だからと諦めていると思う。子どもは僕と一緒に歩いて、すれ違う人が振り向くのを嫌がった。家庭を持つタイプではなかったかもしれないね」
目標の100回公演まで残り67回。年25回のペースとして、その日には80歳を超えているはずだ。「表現者の使命は社会に異議を申し立て、世に問うこと。チャプリンが映画『独裁者』で、ピカソが『ゲルニカ』でそれぞれナチス・ドイツに対峙(たいじ)したようにね。巡業の旅先でのたれ死ぬのは本望です。それが僧籍に入った僕の修行なのかもしれないね」
◆《今回のストーリーの取材は》
沢田石洋史(さわたいし・ひろし)(夕刊編集部)
1992年入社。東京・大阪社会部、東京地方部特報グループ、同副部長などを歴任。現在、夕刊「特集ワイド」のデスク・執筆陣の一人。作家、俳優、歌手ら「表現者」へのインタビューや、憲法・原発をテーマに取材を続ける。
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