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#ジョージア:七面鳥
vegehana-food · 2 years
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✿ サツィヴィ | Satsivi ・直訳すると「冷たい料理」。クルミソースに七面鳥や鶏肉などの家禽類を入れたグルジア料理です。 satsiviという用語は、クルミソースで作られたさまざまな家禽の総称としても使用されています。 ・グルジア料理で、くるみソースを使って冷やして、茹でた、または揚げた七面鳥や鶏肉のディップソースとして提供されます。 伝統的に、クルミ、水、ニンニク、玉ねぎ、乾燥ハーブの組み合わせ、酢、カイエンペッパー、塩で作られています。 フムス (酸味料としてニンニク、レモン汁、タヒニ、またはゴマ バター/ペーストを含むことが多い)など、南部のナッツまたはマメ科植物ベースのペーストソースに似ています。 シリア、レバノン、または一般的にレバント料理に見られます。
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komogomo-blog · 1 year
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七月九日 零時過ぎ
日本にて、痛い目を見ている。 一体今日が何曜日で何日なのかさえわからない程に世界から隔絶されている。親の庇護下は快適だ。肉体は健康そのもの、昼に母と食べに行った肉のせいで便は少し脂っこい。 精神も思考を停止させれば健康といえる。親がいる限り肉体の健康は保たれそうだ。死ぬことは万が一にもないし、考えるのをやめれば精神を病むこともないだろう。
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二週間近く、社会から隔絶された生活を送っている。外には絶対に出たくなかった。人間を見たくないから、人が幸せそうなのを見るのがつらいから、どこに行ってもお金がかかり休む場所もないから、そもそも楽しい事が一つもないから。街中ではもう何一つ楽しそうなことが見いだせない。
酒もタバコもあれからやっていない。もうつまらなくなったからだ。苦痛はあまり感じない。今は常に苦痛を感じるし、それがタバコで紛らわせれもしない。酒も同じく。美味しさも酔う快感も全く感じなくなった。何をやってもつまらない。試しに大阪に出てみたりもした、これは本当に逆効果。まず家を出るべきじゃなかったと一発目の電車で後悔。それでも親からお金も渡されたし、一応中心地まで向かう。一時間くらいだ。
大阪の中心駅梅田にたどり着きふらつくが高層ビルばかりで何にも面白くない。百貨店の最上階から街を眺めてもみるが何にもない。 地下鉄でどこかの駅で降りてもみた。どこも一緒に思える。空気がもっと悪いだけだった。 どこにいても心落ち着かず、大阪で唯一落ち着く場所があったと言えば、西成の三角公園だけだった。
自分はいったい何者なんだろうか、なんでこんなところにいて何をしているのだろうか。なんだか全てにおいて現実味がない。生きているという実感はどこにも感じられないし、第一何が生きるということなのかも悩み始めている。寝て食べてクソしてりゃいいのか。性欲も食欲も実は今かなり抑えられている。常に寝ていたいと思うだけ。出来るだけ考えない様に思考を停止している。
死にたいとは思わないがもし死ねるならと考える。そんな勇気があればの話だけど。幸せかと聞かれれば、十分に幸せだと胸を張って言える。幸せとか不幸せとかの話ではない。不自由な足は持っていても、上半身は快調だし、頭も回そうと思えば回りそうだ。金も親がいる限りは困っていない。何が嫌なのかと問われれば、自分が嫌なのだろうか。それもなんだかズレた答えな気もする。そんな簡単な答えじゃなさそうだ。
そんな中、ジョージアで半年くらい一緒に住んでいたロシア人が仙台の海で死んだそうだ。いまいち悲しみも湧き起らず、「馬鹿野郎が」って思ったくらい。ちょうど一年前にジョージアから日本に留学していったあいつは日本でも相変わらず友達も作り楽しんでいたようだった。死ぬ四日前に会うぞと約束を取り交わしていた。勝手に死にやがってという気持ちと半分、生死のあっけなさに驚いている。 そんな話を受けると、死は負けのように悔しく感じて何が何でも生きてやろうと思ったり。どんなくず野郎であろうが、最底辺に落ち込もうが、死ぬまで生きて、ぽっくり逝った奴の分まで生きてやると思えてくる。
ともかく、煙草を吸ってみた。幾分かまともな思考が出来そうだ。加えて酒も入れてみる。頭も軽くなる。
これからどうしたらいいのだろうか。さっさと荷物をまとめて生きれる場所に戻りたい。
日本にも自分の居場所が作り出せればもっと過ごしやすいと思う。二三週間前、現金三万円をもって、南西の方に先輩への挨拶回りに行ってきた。伊丹のヒロコちゃん、広島の尾道、山口の周防大島。やはり先輩に会って「お��えり」の言葉をもらえた事が何よりも嬉しかった事。それ以外は特に覚えていない。やはり自分の居場所がどこにもないというのは心も落ち着かず、楽しくない。自分の仲間、自分が作るコミュニティ。そんな物ジョージアやドイツであったかと言われるとあったとは言いにくいが、日本で感じる疎外感は海外のそれと比べると格が違う。外だと初めから外部の人間、日本だとはみ出し者。この差がやはり大きい。少なからず友達も外にいる。
周防大島ではドイツの先輩の親友の所にお邪魔させてもらった。大変お世話になった。気を大分使わせてしまって申し訳ない気持ちで常にいっぱいだった。 でも自然での生活は心休まる時間でいっぱいだった。子供が帰ってくるまでは本を読んで過ごし、帰ってくれば一緒に薪風呂に火をくべ、打ちのめされた内面を労わる時間だった。何より子供に救われた。存在をありのまま受け入れてくれる。毎日遊んでくれるし、島のことを教えてくれる。 島の海はとてもきれいだった。昔みた幻の海のようだった。
島を船で出発し、一人で愛媛の松山に到着。そっからは落ちて落ちての急降下。楽しそうな人間をわきで眺めていると、心にどっとくる重いものがあった。道後温泉には五年前から入ってみたいと思っていたこともあり市電に乗り込み、温泉まで向かってみたのだが、ついてみたらそこら中に溢れかえる観光客と温泉から伸びる順番待ちを目の当たりにすると、もう入る気も失せた(結局、自分の前の客が最後で締め切られ入れなかったのだが)。 その時、もう家に帰ろうと思い、家へと高速バスで帰ったのだった。
家は良い。自分の部屋に籠れば情報は一切入ってこないし、ご飯もある。加え、屋根もあってベットもある。自由に使える風呂もついてるしトイレにも籠ってられる。有り余る退屈から逃れられてる間は。
それももう限界に近い。ゲームに逃げることも酒に逃げることももうできなくなってきた。ベットで眠ろうとする度に、発狂しそうになっている。おまけに今の実家の周りには自然が一つもない。蝉の声が全く聞こえない。鳥も鳴いていない。吸う空気は重く、風はどんより。
引き籠っていると時間の概念から解放される。空が明るいのか暗いのか、カーテン閉じてれば何もわからないし、曜日も日付ももはや関係ない。この世界にはもう自分一人しかいないのではないかとさえ思わせられる。なんだか心辺りに冷たい隙間風を感じる。 この感覚、妙に気持ち良い様な気もするし、人から遠ざかっていく気もしている。
日本に帰ってきて良かったことは、親に会えたこと、先輩らにおかえりと言ってもらえたこと。またら新たに知り合えた先輩と出会えたこと、くらいか。 日本はまだ自分には早かったようです。
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