【素敵な洋書絵本の紹介】 スイスのグラフィックデザイナー、セレスティーノ・ピアッティさんの作品集です。 日本でも翻訳された『The Happy Owls』を含む7作品の絵本が一冊にまとまっています! The Happy Owls、以外は日本ではあまり紹介されていませんね。 作風がそれぞれ違っていて、見ていてもあきない作品集になっていますよ。 ピアッティさんの大胆な線と色使いが魅力的な、美しく満足感のある本です。 Piatti for Children Contributor(s): Piatti, Celestino (Author) EAN: 9780735844759 Publisher: Northsouth Books Binding: Hardcover Pub Date: February 01, 2022 Target Age Group: 04 to 07 Physical Info: 2.54 cms H x 26.92 cms L x 24.13 cms W (1.29 kgs) 216 pages Annotation: First published as Piatti fèur Kinder in Zurich, Switzerland: NordSèud Verlag, AG, Ã2021. Publisher Marketing: Beloved Swiss designer Celestino Piatti's fun and retro children's picture books--all seven combined in one volume for the first time--make this collection a visual treat for the whole family! Celestino Piatti is one of Switzerland's most famous artists. The designer of thousands of posters and book covers made Piatti an icon. The owl was his hallmark, as was his graphic style with its distinctive black lines. Piatti also painted for children. He illustrated seven picture books at the height of his career. For the first time they are all gathered in a high-quality volume: Animal ABC, Barbara and the Dormouse, The Happy Owls, The Little Crayfish, Circus Nock (The Circus Family), The Golden Apple, and Holy Night. #celestinopiatti #readleafbooks #art #本 #本棚 #絵本 #児童書 #絵本屋 #洋書絵本 #絵本が好き #絵本が好きな人と繋がりたい #絵本のある暮らし #芸術 #英語 #イラスト #base #baseec @readleafbooks Webショップで紹介中。プロフィールからぜひどうぞ! https://www.instagram.com/p/CarkUhkPrx3/?utm_medium=tumblr
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ミロシュ・ラオニッチのテニスのCEOは、この僕だ。
#テニス [Number Web]モヤ、マッケンロー、ピアッティというテニス界のレジェンドをコーチに従えたとき、個性の強いトロイカ体制がはたして機能するのだろうかという疑問の声が識者たちの間であがった。だが、当のラオニッチは「全てのコーチたちは、僕にアドバイスを ...
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トークイベント「ドローン大学」@高円寺円盤 20150722
畠山(以下、H):さて、始めましょうか。ええ、今日はですね、ゲスト講師に相田悠希さんをお招きしました。宜しくお願いいたします。
相田(以下、A):はい、宜しくお願いいたします。
H:今日はですね、ドローンの先史ということで、ヨーロッパ的な源流を遡ってみようと。それの第一回ということでね。このシリーズで、今後はアジアや民俗学的な源流も探ってみたいと考えているんですけど。今日は20世紀の美術から現代の音楽を時間の許す限り紹介していくっていう企画なんですけど。
A:前回のこの講義はギタードローンがテーマだったということを先ほどお聞きしたんですど、今日はまぁ、ドローン大学の番外編という位置付けでやらせて頂くので、ドローンに直接的に繋がらないかもしれないんですけど、そこはお許し頂ければ幸いと思います。
で、早速ですが、これは個人的な捉え方なんですけれど、ドローンっていうとそれこそ、スコットランドのバグパイプとか、オーストラリアのデジリドゥってありますね、あの長い縦笛ね、それから大陸から渡ってきた仏教の声明とかですね、そういったものにドローン的な要素は見ることが出来ると思うんですけれど、今日は一回それを脇へ置いといて、産業革命から見ていきたいんですね。僕がイメージするドローンってのはと言いますか、僕が興味を惹かれるのは機械によるドローンなんですね、或いは電気によるドローンですね。で、それを辿っていくとどうしても産業革命に辿り着かざるを得ないというところがあって、それで今日はマリー・シェーファーの「世界の調律」という本がありましたけれど、その流れに即した形でお話したいと思います。
それまで産業革命以前のドローンというのは、あくまでも通過儀礼であるとかお祭りであるとかですね、声明もそうですけど、所謂非日常のもの、柳田國男のハレとケと言う区別の仕方や、或いはデュルケムの聖俗二元論で言うところの聖なるもの、そういったものを演出する為に使われていた、と考えるんですね。
それで産業革命を用意した要因の一つに人口の爆発的な増加がありまして、その前の時代の農業革命によってイギリスの人口が増えていったわけですね。出生率が増加したわけでも、移民の数が増えたわけでもなくて、どうも単純に死亡率が低下したと言う事らしいんですけど、それで農村部で増えた人口が都市部に流入するようになり、雑踏や工場の機械の騒音が街に溢れるようになっていった。
その時にドローンをどう言う風に見るか、という事なんですけれど、僕は「機械音が連続して時間を持つとドローン化する」と考えているんですけれど、その頃からドローンが街を覆い尽くすようになって行くんですね。例えば、それまで馬車だったものが自動車に取って代わる。引いて見れば、人間の足が速度を持って連続してブーンと言うドローンに変わる。また、僕らが着ている洋服。それまでは手で縫っていたものがミシンによって大量生産できるようになった。これはシェーファーの言葉ですが、僕らが着ている洋服の縫い目の長さ分だけかつて世界にドローンが放たれていた。とまあ、こう言うようなロマンティックな言い方も出来るわけです。ですからね、僕にとっては速度、というのが一つのkeyなんですね。
古代ヨーロッパ世界においては「音」というのは、例えば嵐であるとか雷であるとか、何かこう人間の英知を超えて大きい音がどこかで鳴る。それは脅威であると共に敬いの対象だった。畏敬とでも言うんですかね。それが中世において、教会が出来始めると教会の鐘の音、これ面白いんですけど、当時のヨーロッパの町内区分はその鐘の音が届く範���まで、と言う話があって(笑)、ま、それぐらい音の少ない、ポツポツと音があるような、そういう音環境の中で当時の人は暮らしてたわけです。 で、教会の鐘の音ってのは畏敬の対象であったと。それが工業化に伴って、権力の主体、つまり大きな音を出しても許されるという主体が自然から教会、教会から資本家へと移行していった。という見方をシェーファーは示唆しているわけですね。「騒音を権力に結びつける事が人間の想像力の中で真に打破されたことはない。その権力の所有者は、神から聖職者へ、そして産業家へ、もっとも最近では放送事業者や航空会社へと降りてきた。聖なる騒音を所有することは、単に最大の音を出すということではなく、検閲を受けずに騒音を出せる権威を持っているという事が本質である。騒音が人間の感傷を免除されている所には、どこにでも権力を見出す事ができる」と、ここまで彼は言っているわけですね。で、工場が乱立するようになってですね、少年が労働に従事させられていまして、当然当時の人々もその騒音が耳に良くないってことは分かっていたわけなんですね。で、あ、ちなみに産業革命ってのは1760年代から大凡1830年代にかけてゆっくりと進行拡大していったわけですが、音楽史で言いますと、バッハが1750年に亡くなっていて、56年にモーツァルトが産まれて、えーと、モーツァルトと14歳違うから、えー、70年にはベートーベンが産まれている、そういうような時代です。で、その頃に先ほど申し上げたミシンですとか、タイプライター、鉄道、蒸気船、セメント、といったような工業製品が出てくるわけですけど、そこで働く少年達は皆難聴だったわけですね、サドラー工場調査委員会という所が1832年に調査した報告書によるとですね、少年の労働時間は一日35時間、仕事に遅れないように工場で眠る子供達、極度の疲労から崩れるように機械にもたれかかる労働者、子供のアルコール中毒、というような記述の中で、音に関する記述というのは「機械がガタガタ鳴っている」という文言と、労働者が鞭で打たれる音の記述だけだったと。そう言うような酷い労働状況の中、1831年の時点で100人のボイラー製造者を調査した時には何と一人も正常な聴力を持っていなかった、と言うんですね。しかし、その予防について真剣に考えられるように鳴ったのは、それから100年も後のことなんですけど、ああ、喋り過ぎですね(笑)ごめんなさい(笑)
H:いやいや、でもちょっとこのペースでいくと世界史の授業になってしまいそうなので(笑)ちょっと今のお話の中で重要なことをまとめると、とてもざっくりですけれど、産業革命によって耳の在り方、音の聴かれ方が、それ以前の時代とは大きく変わってしまったのではないか、ということですかね?
A:そうですね。で、今の感覚で考えると普通こういう、難聴とかですね、こういうことってのは反対抗議して然るべきだと思うんですけれど、これを賛成する向きが出てくるわけですね。で、それが未来派に繋がっていくと。
H:ああ、なるほど。その肯定的に捉えた人達ってのが未来派の下地になったと。
A:ええ。僕はそう考えます。
H:ではちょっとその頃の音楽作品を聴いてみましょうか。
A:では、未来派って言えば真っ先に浮かぶのがアントニオとルイージのルッソロ兄弟なんですけど、今日はルイージ・ルッソロの方の「awaking of the city」という曲と、それからプラテッラのイントルモーリを使ったオペラの抜粋音源を二曲聴いてみましょうか。
<曲>
H:はい。ではまず1曲目の「都市の目覚め」ですね。これは何年の作品になるんですか?
A:これが1913年ですね。(会場からため息)あ、良いリアクションですね!(笑)
H:これって録音は当時のもの?
A:あ、これはそうです。13年のもの。で、2つ目におかけしたプラテッラの「飛行家ドゥーロ」って作品、これは1911年から14年の間に書かれた作品ですね。
H:ルッソロの方は自作の楽器を使った作品ってことなんですか?
A:えー、ルッソロのアシスタントの、えーっとウーノ・ピアッティだ、元々ルイージは画家だったんですけれども、1909年のマリネッティの未来派の宣言に共感してその日のうちにルイージはサインするわけですけれども、でその後にイントナルモーリという自作のノイズ生成機のようなものを、そのアシスタントのウーノと一緒に作ったわけです。
H:イントナルモーリって、まあ、ご存知ない方は後で画像検索すれば出てくると思うんですけど、あの大っきなスピーカーみたいなやつですよね。しかし、この「都市の目覚め」って曲は今聴いてもノイズとしていけそうな、と言うか全然古びてないですね。
A:100年経って一回りして新しい、みたいな感じですよね。ちょうど今のこの時代の雰囲気に合っているような気がします。
H:一番面白いのは、イントナルモーリを使って、本当に都市を表現しようとしてるようなところがあるじゃないですか。なんかこう再現しようとしているような。今じゃあんまりしないですよね、なんかわざわざ自作楽器を作って、この中央線を表現しよう!みたいな(笑)その発想は、やっぱり出自が画家っていうのがよく分かる気がするんです。こう、風景画を描くような感じと言いますか。
A:うん、象徴的ですよね。ルッソロ兄弟というとお兄さんのアントニオが作った「コラール」という作品が有名で、そっちはもうちょっと音楽らしいんですけど、で、この作品が13年ですよね、今日お越し頂いた方はお好きな方ばかりだと思うんですけれど、13年ってストラヴィンスキーが「春の祭典」を初演した年なんですね。あれも、当時は大問題になった作品だったわけですけれども、ルッソロも初演した時は酷い大ブーイングだったらしいです。
H:それは今でも顰蹙買いそうな(笑)まあ落合のsoupとかね、ああいうとこでやる分には良いと思いますけど(爆笑)で、次の2曲目はオペラの一部なんですか?
A:あ、このプラテッラという人は、根っからの音楽家で、直接的に未来派の運動に参加していたわけではないんですけれど、ちゃんとした音楽も書いているし(笑)でもやはり新しい表現だという感じで彼のアンテナに引っかかったんでしょうね。ノイズを作品の中に取り入れるようになっていきまして、ちょっと面白いなと思ったんでおかけしました。
H:これってでも当時イントナルモーリが流行ったってことですかね?
A:みたいですね。かなりの影響力があって、それこそストラヴィンスキーもそうだし、サティが四十の手習いでスコラカントゥラムに対位法を習いに行ったのがこれの少し後なんですけれど、ベテランのサティがこれに腰を抜かして、そこからサティもダダに加わるようになっていくんですね。ま、直接的にルッソロにどうこうってのはないかもしれないんですけど、当時皆の度肝を抜いたってのはそうなんだろうと思います。
H:なるほどね。じゃあ改めて未来派の説明を簡単に(笑)相田さんにしてもらいましょうか。
A:未来派のちょっと前のイタリアってのは、1900年ってのが日本でいう明治33年なんですけども、日本より少し前に統一国家になってるんですね。だからまあ、近代国家という意味では日本とさほど永さは変わらない国なんですけれども、1860年に国家になったイタリアは、1900年になる頃にはドイツとオーストリアと三国同盟を結んでいて帝国主義になってたわけです。で、当時フランスが��フリカに侵攻してたんですね。イタリアは反仏でしたから、これに対抗する為にアフリカ、とりわけリビアに侵攻していくことになるわけです。この時ってのは、イタリアのカトリックでさえもリビア侵攻をこれはある種の十字軍だと言って擁護していたわけでして、この時に出てきたのがこのマリネッティという人物で、その前にはダヌンツィオって人がいるんですけれど、主にこの二人が当時のイタリアの若い青年たちを、そのカリスマ性でもって戦争賛美へと駆り立てていたわけです。ですので、未来派ってのはとにかく、機械とそれが生み出す工業製品の速度を最も重要視して、この頃の未来派の画家の作品、ジャコモ・バッラですとか彫刻だとボッチョーニとかカルロ・カッラ、写真だとプラガーリアなんてのもいましたし、この人たちってのは、今でいうところの手ブレ写真見たいな、ブワッと像が動いているのをそのまま作品に取り込んで速度を表現してたんですよね。まあ、そういうような美術運動ですね。
H:でそれがラ・モンテ・ヤングまで行くと(笑)それで、今日は僕の方でも曲を用意したんですけど、先程の「都市の目覚め」でもそうだったんですけど、ルッソロ兄弟は現実のものを模倣するっていうベクトルだと思ったんですよ。でそれとは逆に現実音から非現実のものを作るっていう方向があるのかな、と思いまして、フィールドレコーディングの素材からドローンをやってる人ってことで、今のお話の関連の中で出して見たいなと思ったんですけれど、Jana Winderenっていう人で2010年の作品のエナジーフィールドというアルバムの1曲目を聴いて頂きましょう。
<曲>
H:とまあ、こういう感じで20分ほどの曲なんですけど、ちょっと最後の方も聴いて見ましょうか。(CDをスキップする)うん、こういう感じですね。で、これは北極海の氷の中にマイクを突っ込んで録音したという気合いの作品です。もう頭が下がりますね。僕この人スーパーデラックスでライブ見たことあるんですけど、もうちょっと具体音が曖昧だったですね。で、まあルッソロの後に聴くとこれも違った見方が出来るというか、比較してみると面白いですね。
A:うーん、相変わらずかっこいいですね、この人は。録音ってことで言うと、やっぱり産業革命以後に録音技術も出てきたわけですよね。それ以前は音ってのは一回限りの、その場にいる人しか聞けなかったものだったわけですけど、それが何回でも聞けるようになったと、しかもそれを編集して作品を作る、まあ、今では当たり前のことですけど、それが可能になったわけですよね。でね、面白いのはね、その編集的と言うかコラージュ的な音楽の作り方ってのは、実は映像の方からかなりの影響を受けているんじゃないかと思ってて、録音でこう言う音楽っていうと「5つのエチュード」のピエール・シェフェールが有名ですけど、ヴァルター・ルットマンって人、この人映像作家なんですけれど、この人がシェフェールより20年も前に、映像編集の必然性から音楽作品を作ってたんですね。でこれから聴くのは「ウィークエンド」っていう、12分くらいの曲なんですけど、これは映像を伴わない音だけの映像作品ってことで、これちょっと聴いてみましょう。
<曲>
H:これね、さっきの話じゃないですけど、速度を感じますね。これは何年の作品ですか?
A:これがね、1930年ですね。でもう一曲いいですか?今日お客さんで映像やられてる方もいらっしゃったから、同じ30年の作品で、ジガヴェルトフっていうソビエトの映画監督なんですけど、ジガヴェルトフっていうとゴダールが政治映画やってた頃の集団の名前を思い出されると思うんですが、それの名前の元になった人物です。そのジガヴェルトフで「レディオプラウダ」と言う曲を。
<曲>
A:似てますよね。ま、同じ年だし、同じ映像作家だしってことで。こういう風に技術の側の要請で、新しい形の音楽が生まれるってことも30年には既に起こっていたわけですね。ベルグが「ルル」を書いていたのが28年ですよ。だから同時多発的にあちこちで様々なことが起こっていたということですよね、それが垣間見えますよね。
H:この講座の2回目がね、エリアーヌ・ラディーグだったんですけれど、彼女はシェフェールとかアンリの元で学んで、テープのフィードバックから自分の音楽をスタートさせてるんですね。と、いうところまでもうちょっとと(笑)いう感じですね。あと30年くらいか(笑)でね、そろそろまとめたいんですけれど、話を戻して未来派ってのはどのくらいの期間の出来事だったんですかね?
A:あ、収束するまでってことですか?それはもう早いですよ。ですから、1909年に宣言が出されて、まあ、マリネッティ自身が第一次大戦も二次大戦も戦地に行くし、その思想がムッソリーニ政権と結びついていくんですよね。で、その後18年にツァラがダダ宣言をしますので、で、ダダってのは、既存の価値観を茶化して破壊した、何にも属さない美術運動でしたので、まあ、そこまで続いたとみても9年足らずですよね。
H:うーん、美術の潮流って早いですね。
A:早いですね。ダダもものすごく早くて、この後ツァラとブルトンが大喧嘩をして、ブルトンの方はシュルレアリスムを立ち上げますからね。
H:今日ね、本当はダダまで話を進めるって話だったんですけれど(笑)全然時間が足りなかったですね。大戦後にね、ネオダダってのもあったり、ま、ヨーロッパから芸術のムーブメントがアメリカに一部移って行くっていう流れの中にフルクサスってのもあったりね、それがラ・モンテ・ヤングに繋がると(笑)まあそういう話もしたかったですね。やっぱり現代を知るには縄文から知らないと(笑)まあそれは置いといて、最近のドローンってアンビエントと結びついてるパターンが多いじゃないですか。だからなかなかコンセプチュアルというかな、そういう風にやる人って少数派だと思ったりもして、最後にコンセプチュアルなドローンをかけて終わりにしたいと思います。これは、マシーンファブリックという人の「デュオトゥーン」というアルバムなんですけど、2010年の作品。
<曲>
H:というわけで、まとめになったでしょうかね?
A:あ、僕は全部繋がってると思ってますよ。今のこの情勢もそうですし、僕にとっては今日お話しした未来派からダダの辺りは参照することがすごく多くて、あ、誰かが良いこと言ってたな。えーっと、確か「現代美術や現代音楽の全てのジャンルの予告編だ」みたいな言葉だったな。ま、年数が少ないので掘ろうと思えばすぐ掘れるんですけど、面白いですね。今日地平さんがもう一曲用意してくれたケージの曲、ナンバーピースのTWOでしたよね。もしフルクサスまで話が行ければってことで括弧付きで用意して頂いていたんですけれども、例えばケージの偶然性にしたって、ダダの頃にデュシャンが既にグリーンボックスの中で偶然性を導入して曲を作っていたんです。デュシャンが音楽を作っていたなんて皆さんご存知でした?僕つい最近知りました。
H:いや、だから、未来派まとめてくれって言ってるのに、また相田さんが先言っちゃう(笑)
A:あ、そうか。ごめんなさい(笑)
H:てなわけで、もう時間いっぱいですので、続きはまた次回ということで。今日のゲスト講師は相田悠希さんでした。ありがとうございました。
A:ありがとうございました。
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