【東京】池ノ上「ペペロッソ」
【かりそめ天国】絶滅す前!?神の糸と呼ばれるサルデーニャ料理『ペペロッソ』ディープなイタリア料理を大調査 #ずん #飯尾和樹2024/8/9放送
東京都世田谷区代沢2-46-7 エクセル桃井 1F
#かりそめ天国 #マツコ #マツコ・デラックス #有吉弘行
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池ノ上駅「ペペロッソ」
食べログでcheck!
本格的なイタリア料理が楽しめるトラットリア
ロリギッタスアルポモドーロ 2,300円
チャルソンス 2,400円
住所
東京都世田谷区代沢2-46-7 エクセル桃井 1F
TEL
050-5600-5816
ホームページ
池ノ上のイタリアン「ペペロッソ(PepeRosso)」(パスタ・郷土料理・ワイン)
「ペペロッソ(PepeRosso)」は豊富な手打ちパスタをご提供するイタリア郷土料理のお店です。個性豊かなイタリアワインやチーズも沢山ご用意して皆様のご来店をお待ちしております!…
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2022年11月21日
コロナ療養中の市議、秋祭り前夜祭で餅まき 「流れでこうなった」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASQCL7HSQQC2PISC00S.html
夫婦の愛で割引ゲット! 京都・滋賀の精肉店で「夫婦チュー割」3年ぶり開催 | おたくま経済新聞
https://otakei.otakuma.net/archives/2022111901.html
世界中で発生する液状化現象を捉えた写真集「ねこは液体」発売 | おたくま経済新聞
https://otakei.otakuma.net/archives/2022112109.html
渡辺直美、浮世絵風の“着物ファッション”が魅力しかない 「進化した日本の美」「圧倒的な存在感」と絶賛集まる(1/2 ページ) - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2211/19/news069.html
「入浴中に浮き輪を使わないで!死亡事故も」 消費者庁の注意喚起が注目集める SNSで話題の“便利グッズ”に隠された危険性(1/2 ページ) - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2211/21/news146.html
母・松原千明さんを亡くしたすみれ、父・石田純一と並び笑顔見せる 「元気で良かった」「笑顔が嬉しい」(1/2 ページ) - ねとらぼ
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ドミノ・ピザ、ピザ1枚を買うともう1枚が100円になるキャンペーン パスタやピザサンド、ポテトフライももう1品が100円に(1/2 ページ) - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2211/21/news082.html
きのこたけのこ紛争、中東で勃発! 好み巡って親子対立も「お母さんわかったよ…」 アラブ人の反応は?|まいどなニュース
https://maidonanews.jp/article/14770169
「朝は4時起き、夜は奴隷」“農家の嫁”がブチ切れ!お酒の席で『意外な逆襲』 | 女子SPA!
https://joshi-spa.jp/1203035
獣医「19歳なのに目がキラキラ、病気かも?」→「ただ可愛いだけでした」診断に爆笑「病名は『可愛いだけ』w」|まいどなニュース
https://maidonanews.jp/article/14771611
毎日野生のカラスにあいさつしていたら…… マネしてお返事する姿に「言葉通じてる!」「可愛いお友達」と反響(1/2 ページ) - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2211/19/news013.html
ペスカタリアンとは?ヴィーガン・ベジタリアンとの違いも解説
https://myethicalchoice.com/journal/sustainable/pescatarian/
とうふ麺 豆干絲(トーカンスー) | 有機野菜や自然食品の購入は大地を守る会のお買い物サイト
https://takuhai.daichi-m.co.jp/Goodsdetail/06116669
レジスタントスターチ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81
【フィギュア】“ロックスター”友野一希、MIYAVIの曲にのり激しいステップ&エアギター - フィギュア : 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/sports/news/202211200000521.html
NHK杯4位・友野一希、世界的ギタリストMIYAVIの「What’s My Name」をロックに熱演 : スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20221120-OHT1T51092.html
ユウさん(憂)orワダちゃん(輪打)メタルドラマー 2023年7月8日(土)主催ライヴ豊田市さん「うちの、バンド 鬼鷹(キオウ )年末にレコーディング完了しました🎵 もうすぐリリースまえに あげます レイズという曲ちょいだし❗ CDのほうは 音は 良いです🎵 https://t.co/nNV6rUb8gS」https://twitter.com/kiouband/status/1212684197556412416
kein-officialさん「【INFORMATION】 ■最新アーティスト写真公開 ■ TOUR 2023「木槿の柩」詳細公開 ※詳しくはkein Official Siteをご覧下さい。 https://t.co/wVYGSudXgh ■ 「はじまり」2022.10.20 EX THEATER ROPPONGI(Live Digest Movie)公開 https://t.co/nn9FdQloUy https://t.co/jD3xO1sY5K」https://twitter.com/kein_official_/status/1593906948713304068
真夢 / Mamuさん「【Thank you】 舞台『仮面劇・犬神』 改めまして、ご観劇や遠方からのご声援、誠に有難うございました。 長文の御礼や感想は #instagram <https://t.co/2kgfbZxX3m>に綴っておりますので是非ご覧ください。 手の鳴る方は月! #仮面劇犬神 #昭和精吾事務所 #舞台 #stage #stagephoto #寺山修司 #犬神 https://t.co/N4MKnRMfw0」https://twitter.com/tumamu/status/1593808962448633857
愚裸魅會さん「2023年1発目、おはるさんイベント 1/20.21.22の3Days浦和ナルシス 出演バンド等ホームページに公開致しました。 愚裸魅會は『蜘蛛セッション』という形で出演になります。 また出演日等の情報解禁になりましたらまた改めてお知らせ致します。」https://twitter.com/glammy2021/status/1594005199781175297
SEXX GEORGEさん「アメブロを投稿しました。 『新春SHINGO☆祭2023』 #アメブロ https://t.co/TYQC2hWiAx 3年ぶりの復活! 新春SHINGO☆祭2023 チャット予約 11/27(日)0:00〜
[email protected] 夜露詩紅🥰 https://t.co/ojqXDScmKp」https://twitter.com/abikoshinonkai/status/1593620989513850880
SEXX GEORGEさん「『緊急12/4(日)藤沢約束のチーズケーキCUTT-G』 #アメブロ https://t.co/ZKbS6MWH0k 藤沢約束のチーズケーキ 【タイトル】年忘れ心ゆくまでCUTT-G 17:00 / 17:30 ¥4,500 / ¥5,000 (別途D代) 【チケット予約】11/20(日)0:00〜
[email protected] 【配信】 ツイキャスプレミア配信予定 https://t.co/aEaI53bstO」https://twitter.com/abikoshinonkai/status/1593463056280928258
慰娑悪さん「新バンドROW-GUNの曲の、ギターソロだけ抜粋🖐️ ボチボチではありますが、遊んでばっかりじゃなくちゃんと進めてます😁 では再び籠もります😌 https://t.co/YcK7KAF2Xs」https://twitter.com/ISAO_FLYING_V/status/1592479755064180741
SID 明希/AKiさん「本日出演させていただきます🤟 @YoshikiOfficial さんのお誕生日会🎊🎊🎊 おめでとうございます👌とても楽しみです!」https://twitter.com/AKiSID_official/status/1594144533230415872
ぶいにゃす😺🎀🍓さん「おはにゃ〜🌹 YOSHIKIさんお誕生日おめでとうございますにゃ〜🌹 X JAPAN「紅」のイントロを叩いてみたにゃん🌹 素敵な一年にしてくださいにゃ〜🌹 #XJAPAN #紅 #WeAreX #YOSHIKI #HappyBirthday https://t.co/lXfp99PcOV」https://twitter.com/buinyasu/status/1594129986893807616
Hyakuさん「残り物には、ん? 使い方違うか? 余り物には?キャンセル物?には福がある〜 初ファイザー〜しかも、BA4.5だった〜 まあ、あんまり変わらんらしいけど〜 https://t.co/cbQRvBacUJ」https://twitter.com/Hyaku_LR/status/1593457514729058304
Yoshikiさん「.@LAST_ROCKSTARS での #DrumSet は @XJapanOfficial とは違うセットにする。 #YOSHIKI RT"世界で通用すると思う「日本人ドラマー」ランキング! 1位は「YOSHIKI(#XJAPAN)得票率は41.0%です」No.1 Drummer" #YOSHIKIBIRTHDAY #YOSHIKI誕生日 #TheLastRockStars https://t.co/zis8uAGmhn」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1594203240111165441
ryoさん「「あとどれくらいベース弾けるかわかんないからさ、ryoと一緒にやりたいんだよね」 セッションにそう言って声をかけてもらった 即答でOKした。 その後に三橋さんが今年何度も入院を繰り返していることを聞いた、つい先日再入院となり一緒にベースも弾けないかもとも (1/3) https://t.co/1dlfN2Bwzl」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1593862019752415234
ryoさん「駆け出しバンドマンの頃、新潟もしくは東京から札幌に着くといつも三橋さんは暖かく出迎えてくれた。世話焼きで優しい人 その後しばらくの期間を置いてKEELのライブに来てくれた 再開した時、俺の活動と成長をとても喜んでくれた。 とても嬉しかったし、続けてきてよかったと。(2/3)」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1593862023065923584
ryoさん「そして明日三橋さんとの初のセッションが実現する ギリギリの日程だけど無事に退院できそうだとのこと 本当によかった。神様が味方してる 兄貴分の朝樹さんもいるし心強い 心から楽しもうと思っている。 早く逢いたいな 来場チケット https://t.co/RzXDNYgB6v 配信チケット https://t.co/4MXXFbCaFT」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1593862025284702208
gibkiy gibkiy gibkiyさん「【今年を締めくくるワンマンツアー 名古屋編】 2022年ラスト名阪ツアー 2022 “too red too blood” 日程:2022年11月26日(土) 会場:名古屋 HeartLand 時間:open 18:00 start 18:30 https://t.co/jufOHzVvGV」https://twitter.com/gibkiy_official/status/1593862858244489217
gibkiy gibkiy gibkiyさん「【今年を締めくくるワンマンツアー大阪編】 2022年ラスト名阪ツアー 2022 “too red too blood” 日程:2022年11月29日(火) 会場:心斎橋 VARON 時間:open 19:00 start 19:30 https://t.co/68JoAlD4By」https://twitter.com/gibkiy_official/status/1593863257051500544
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/QJ82o1MTk2」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593864651800211457
shibuya gee-ge.(渋谷ジージ)さん「【本日配信LIVE!!】 『What Is Jam? Vol.2 - Rage at Gee-Ge!!』 ●2022/11/19 Sat 21:00 START ●販売ページ https://t.co/AUwztZGtnI ●配信視聴チケット ¥2,300 ※アーカイブ2週間 12/3(Sat)23:59まで ■Act【小SHAG】 @SUGIZOofficial @kenken_RIZE @kazzbe @hipnops https://t.co/1oKTOTwDBQ」https://twitter.com/shibuyageege/status/1593863198398377985
shibuya gee-ge.(渋谷ジージ)さん「【Tonight!!!!】 ■ 『What Is Jam? Vol.2 - Rage at Gee-Ge!!』 ■2022/11/19 Sat 21:00~START ■Viewing fee ¥2,300-(JPY) ※Archive 2 weeks until 12/3 (Sat) 23:59 ■ https://t.co/rEbXeQF091 ●Performer 【SHAG】 @SUGIZOofficial @kenken_RIZE @kazzbe @hipnops https://t.co/KGnx6I2AN5」https://twitter.com/shibuyageege/status/1593865843234189318
MOCLOUD MUSIC label & booking agency in Japanさん「『What Is Jam? Vol.2 - Rage at Gee-Ge!!』2022.11.19(土) 21:00〜 ¥2,300 今回は配信ライブです! 渋谷Gee Geから完全即興演奏予定です。出演 SHAG : SUGIZO (g, vln) KenKen (b) 別所和洋 (key) 松浦千昇 (dr) 🎫JP→ https://t.co/I3PJdzv1j9 🎫for English users↓ https://t.co/XJglAmqZpg」https://twitter.com/MocloudMusicGp/status/1593581338158075904
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/NW4u5R1m0l」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593868011366014977
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「昨日11/18目黒Live stationのライブ! ご来場下さいました皆様ありがとうございました😆 ワンマン前に良きテンションでライブができました❗️ 次回はいよいよワンマンライブ‼️ 最高の夜にできるようがんばるね👍✨ 11/18目黒Live Station 1.暁 2.GLORY 3.Lastry 4.Spiral 5.線上戦歌 6.Ready go https://t.co/sbD8Ee0jpV」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1593872255209312256
ヴィジュアル博士のる@監修オムニバスCD2種発売中さん「Shinyaさんが地元探訪をしている、実は昔樟葉の数駅隣に住んでたのでくずはモールはよく自転車で行ったな。 樟葉は大阪市内にも京都市内に出るにも同じぐらいの時間で行けるし程よく街中だし今思うと永住するには最適な街だよなあ… 【樟葉】生まれ育った街くずは!【KUZUHA】 https://t.co/9AbYPNJFu5」https://twitter.com/vr_noru/status/1593874307268358149
Yoshikiさん「#TheLastRockstars - #YOSHIKI #HYDE #SUGIZO #MIYAVI form new supergroup! Live Debut 2023 Tokyo - New York - Los Angeles on sale NOW! @LAST_ROCKSTARS @YoshikiOfficial https://t.co/3FPX86N863」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593881168889274375
リアルゴールド X/Yさん「|#無敵の自分へ 走り続け、挑戦し続ける| #リアルゴールドXY は突き進むキミのためのエナジー 【フォロー&RTキャンペーン】 1,000名様にリアルゴールド Xのドリンクチケットが当たる! 1. @RealGold_XYをフォロー 2.この投稿をRT 写真投稿で当選チャンスUP! Instagramからの参加でさらなるチャンス」https://twitter.com/RealGold_XY/status/1593801238851690497
Yoshikiさん「Come see us! #YOSHIKI RT @LAST_ROCKSTARS #TheLastRockstars NYC & LA ! Feb. 4, NYC @ManhattanCenter : https://t.co/S9Tf2UpHAw Feb. 10, LA @ThePalladium : https://t.co/zBqggmaNAu #YOSHIKI #HYDE #SUGIZO #MIYAVI @LiveNation @LiveNationNYC https://t.co/AYTFc3rjcW https://t.co/gbyuypS2R2」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593881948069695488
森翼/MIMIZUQさん「今夜です!」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1593883396295774209
Yoshikiさん「See you tomorrow #YOSHIKI 11/20 #YoshikiChannel : Celebrate #YOSHIKIBIRTHDAY with a roundtable feat.#VisualKei stars join @YoshikiChannel to watch Pt.1 7pm JST Pt.2 8:20pm feat. bday messages from @YoshikiOfficial's friends & superstars #contest https://t.co/dz0RARKdcV」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593884393398886400
seekさん「Psycho le Cemu 「もう一度、くちづけを」 インストアイベント このあと19:30から TOWER RECORDS新宿店にて ご来場お待ちしております。 https://t.co/I70Gc39O7z https://t.co/ErqLK5vzIH」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1593886733233696769
YOSHIKI CHANNELさん「明日 #YOSHIKICHANNEL #YOSHIKI 誕生日SP #GACKT さんからもお祝いメッセージが到着 豪華著名人から続々とメッセージが届いてます 是非ご覧ください! niconico https://t.co/EWnuwZoiw4 YouTube 第1部 無料 https://t.co/C9klOpQ7OL 第2部 有料 https://t.co/F8UHFYckCF @YoshikiOfficial @GACKT https://t.co/hFjNT8sbH0」https://twitter.com/YoshikiChannel/status/1593836550764171264
u/ゆうてゃ👾🍼【SOCIAL DEATH STANCE/蟲の息】さん「このイベント関しての僕の想いを書き連ねたので、ご一読頂ければ幸いでスタンス👾 #がんばれアスラン2 https://t.co/LF0qDXUCfO」https://twitter.com/u_0629_u/status/1593223893963378688
INORAN_OFFICIALさん「Don’t miss it 🔥🔥🔥🔥」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1593894956850024448
Yoshikiさん「? ファンからクレームが来たのかな?😱 1日ぐらい間違えったって大丈夫だよ。😛🍷 @itm_nlab #YOSHIKI #YOSHIKIBIRTHDAY #YOSHIKI誕生日 #ねとらぼ」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593895224299773953
Hydeさん「[STAFF] “HYDE LIVE 2022”オフィシャルグッズの再販開始! 在庫のある商品のみ通信販売を再開いたします。 ※販売数には限りがあります。完売の際はご容赦ください。 ご購入はこちら↓ #HYDE #HYDELIVE2022」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1593896731783331840
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「もうね 体型がね 圧そのものですから! (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1593898990537707523
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/b6Ccl5XLVZ」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593901224159760384
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?
まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。
徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。
ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。
掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。
通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。
人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。
実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。
午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最��のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。
こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
いやぁ、
未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。
未来都市?
だってこんなの、見たことないですよ。
ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに?
ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
ようやく気づいたか。
ああ。
それで?
おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?
どうかな、
本当は都市なんか存在しないのか?
どうかな、
すべては幻想だった?
そうだな、
どっちなんだ。
まあ結論を急ぐなよ。
おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。
知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。
あんたは誰なんだ。
まあ息抜きに歩いてこいよ。
息抜き?
いつもやっているだろう。あの循環だよ。
ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。
キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。
リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。
と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に��在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。
なあ、そうだろう?
応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。
コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。
さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
ほら、
幕は上がらないだろう、
お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?
それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。
そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。
では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。
結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。
とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。
あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。
この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。
長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。
わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。
どうかな、
で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?
そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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ペペロッソでは業務用食材の流通に力を入れています!! ピックマルシェをはじめます!! https://marche.tano.mu/ 記念すべき第1号の大切なお客様に無事にお届け完了いたしました!! ピックマルシェご紹介第二回 ↓ 【TAGLIATELLE ALLA BOLOGNESE UNO DEI PIATTI PIU FAMOSI DELLA CUCINA ITALIANA(タリアテッレ アッラ ボロニェーゼ ウノ ピアッティ ピュ ファモージ デッラ クッチーナ イタリアーナ)】 〜ボローニェーゼソースと卵入りの自家製手打ちパスタ『タリアテッレ』イタリアチーズの王様パルミジャーノの風味〜 タリアテッレ アッラ ボロニェーゼはイタリア料理の最も有名な料理の1つだと私は考えております。ここ日本においてもボロネーゼの愛称でかなり普及したイタリア料理ではないでしょうか。 ペペロッソとして全く新しいあらたな試みをするうえで、温故知新イタリア料理の原点ともいえるイタリアのミートソース『ボロニェーゼ』を持ってして原点回帰としたいと思います。 様々なボロニェーゼのレシピが現れている中、今回の私のボロニェーゼはたっぷりのミルクとシナモンを使ったタイプでのご用意となります。肥沃な大地のボローニャ近郊では乳牛の飼育も盛んに行われておりミルクの加工に長けたエリアでもあります。ミルクのコクを活かしてボロニェーゼをお届けいたします。 『ラグー』はルネッサンスの貴族のテーブルにすでに存在し、パスタの味付けに使用されていたという歴史を持ちます。 当時の貴族に習って、ボローニャ的な少しリッチな気分を味わってみるのはいかがでしょうか? 【OSSOBUCO ALLA MILANESE(オッソブーコ・アッラ・ミラネーゼ)】 〜牛のスネ肉の煮込み。グレモラータ風味〜 ミラノ料理の最も伝統的な牛肉料理に特化したレシピ本に目を通すと、牛肉よりも子牛肉が常に好まれることが知られています。 子牛が柔らかい条件としては体重が300kgを超えてはならないということ。 そして、母乳のみの食事療法を受けたことが言えるでしょう。 煮込みの工程は伝統的な調理法を反映させ肉がピッタリと収まるような鍋のサイズを用意します。鍋選びから調理は始まっています。 1度に大量の水を入れて煮込むのでなく、足りなくなったらその都度液体を少しずつ加えて味や香りが流れ出るのを防ぎます。 焦げ付きやすいやり方なので注意が必要ですが、手間隙をかけた分味わいの深い一皿が出来上がります。ぐつぐつ沸かすのではなく低温で調理することも大切です。 スネ肉が柔らかくなったら、刻んだパセリ、ニンニク、レモンを混ぜ合わせた『グレモラータ』で味を整えます。 この料理のレシピは『白』の料理です。 つまりトマトを入れないタイプ。 トマトは1700年代にイタリアの多くの地域(特に南イタリア)ですでに広く普及していましたが、ミラノ料理では長い間注目されてきませんでした。 トマトは当時は有毒でさえあると考えられていましたし、装飾的な機能しか持っていないとされていました。 次の世紀の終わり頃に、トマトの使用を含むレシピが現れ始めます。 オッソブーコ・アッラ・ミラネーゼは単独で提供されるだけでなく、ポレンタやマッシュポテト、ほうれん草のバターソテー、そしてもちろんミラノ風のサフランのリゾットを添えて出される事が一般的です。 今回はあえて添え物は一緒に入れていません。皆さんでお好みの添え物をお探ししていただいて楽しんでいただければ幸いです。 『最高の付け合わせを見つけた!!』という方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。 メニュー化もあるかもしれません。 ピックマルシェの引取時にこちらのお料理に合わせてアッビナメントをお楽しみいただけるワインやクラフトビール等もご提案させていただけますので、お気軽にお声かけください。少量多種でのワインをご希望の場合には空き瓶等をご持参いただければ、たくさんの種類を少しずつでお渡しする事も可能です。 お酒意外にも、イタリア産のソフトドリンク等のご用意等もございます。 想いを持って一品一品手作りにて仕込んだ今回のピックマルシェ。 イタリアの食文化を紐解くお気持ちでお楽しみいただければ幸いです。 第三回に続く #テイクアウトしよう#コロナフードアクション#テイクアウト#テイクアウトランチ#テイクアウトグルメ#テイクアウトイタリアン#おうち時間 #おうち時間を楽しもう #テイクアウトok#テイクアウトできます#テイクアウトはじめました#お持ち帰り #お持ち帰りもできます#オードブル#池ノ上でテイクアウト#テイクアウトするイタリア郷土料理#オードブル盛り合わせ #オードブル注文 #オードブル手作り#池ノ上のテイクアウトできるイタリアン#ペペロッソ #イタリアン #池ノ上#代沢のテイクアウト#下北沢でテイクアウト#東北沢でテイクアウト #ランチ#ディナー#ピックマルシェ (ぺぺロッソ池ノ上) https://www.instagram.com/p/B_rRKtzlVnf/?igshid=jkmsi1ontmk4
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「お盆大変だったナア日記」
もう東京に帰ってきているのだけど、もう夜なのに、ほんとうに東京暑すぎるよなあと思う。
久々に地元へ帰ったのは前の週に「明日籍入れます」とか意味不明LINEを送ってきた高校の友人を問い詰めるというの目的だったのだけど、そこで判明したのは「やあ実は俺も5年前に結婚したんだけど」みたいな衝撃の現地情報で。確かに僕は随分地元から離れてたし仕方ないなあと思ってたらその場の誰もが初耳だったの「本当…、ほんとお前なー」という感想以外無く、インター付近の居酒屋は一触即発の空気に包まれた。
とかいうのは勿論冗談で、我々高校悪友会一同は、なんかRIZENの新しいのはすげーらしいだの、最近流行りのゲームはどうのこうのだの、地元フラッグシップのマジヤベエスーパーが今度はどこどこに出店するらしいだのうんたらかんたら、みたいな本当にどうでもいい話をダラダラとしていて、その感じが全然いつも通りだなあというのが僕にとって一番意外なことだったりした。
大学進学と共に地元を離れてン十年。高校時代の教務室とさして変わらない会話をしていると、その中に互いの間で培われた価値観のどうしようもない違いだとか、離れていた間に互いの中で流れていった時間の重みを痛感する。なんか姪っ子がなんちゃらのなんちゃらですごいらしい(サッカーの話よくわからないのでへーとしか言えない)。へーやったじゃん。TVに出たら自慢しよ。
ただ、そういう様々な違いがあっても、僕にとっての彼らは今でもあの頃と同じ大事な友達なんだなあと、他愛ない話が交わされる度に実感する。
ド田舎に流れる時間は空を流れる雲みたいに緩慢で、朝晩ぶらぶらと歩いていても見える景色は子供の頃と変わらない。相変わらず川の流れがザアザア煩いし、風が吹けば一面の稲が金色に波を打つ。陽の下に出れば汗が止まらないし、日陰に入ったとたんに涼しくなる。それでも生まれ育った小中学校は統廃合で今はなく、商店街には看板を下ろした店が随分と増えた。そしてその一方で、商店街にはこだわりの喫茶店やパスタ屋といった若い声が芽吹き、市は学童人口増加に向けて手厚い保護策を敷いたりしているらしい。山の尾根には遠くからもキラキラ光る観測所の新しいパラボラが見えるようになった。「そこに暮らしてきた人たち」の話を聞いていると、自分がちょっとしたタイムスリッパーになったみたいで、ちょっと可笑しい。見えているものは変わらない筈なんだけどな。
歳と共に、子供の頃はあんなに絶対的な正しさの象徴に見えていた両親も、ただの人なのだと感じる事が増えた。父の頭には白髪が増えたし、足を悪くした母は「最近買ったスマホがうまく使えないのよ~」なんてピカピカの画面を僕にみせる。そういう両親を見ていると、人間って、小さいんだなあと思うことが多い。あんまりにも小さいものだから、大事にしなきゃなあ、とも思う。成長したのかな。成長するのって寂しいことだなあ。たまに帰ったときくらいは良い子で居なければ悪いなとも思うし、親孝行もできたらしたい。あくせく働き回りながら、それでも色々話を聞いていて感じるストレスはひとりでボーっとしているアパートの一室よりもずっと多くて、とてもゲッソリしてしまう。
地元は標高がすごく高くて、東京に帰ってくるたびその暑さに心底うんざりさせられる。それでもここの暮らしは僕にとってすごく気が楽で、友達と話していても「同じ時間」の中に居ることを感じてちょっと安心する。そして同時に、この街のくすんだような空を見上げるたびに、地元の空の圧倒的なコントラストを思い出してしまう。その思い出は、振り返ってみれば都会で過ごす僕の日常のひとつの拠り所であったのかも知れない。
ひとつ所に留まれば、どうしたってその中で歳をとる。僕も「歳をとったなあ」と実感することがとても増えた。
身の回りの若い人たちは、とても情熱的で気持ちにまっすぐな人たちが多いなと思う。迷惑をかけることもとても多くて申し訳なく思うけれど、そういう人たちに関わらせてもらえる度に「僕は本当に人に恵まれたんだなあ」と実感する。有難いことだと思う。
そういう若い人たちの感覚は、実は僕にはうまく理解できないところも多い。世代が違うし、そもそも観てきたものが、その景色が全然違う。だからこそ、そういう人たちが付き合ってくれることが有り難かったりもするのだけれど、その違いは僕にとって、言葉で何かを伝えようとする上で、自分が確かに観てきた筈のものがうまく伝えられないという意味で、とても苦しかったりもする。そして同時に、そういう人たちが見せてくれる言葉だったり景色だったりとかは、その時々で僕の中に全然無かったものを僕にもたらしてくれて、自分の周りにずっと在った筈の景色に知らなかった色をつけてくれる。そういうことが、とても苦しくて、とても有り難いなあと思う。
返せるのかなあ。返せたらいいな、といつも思う。大切な誰かに、自分が観てきた筈の大切な何かを、例えその人にとっては小さな日常の中の他愛ない何かだとしても、届けられたらいい。遠いなあ。遠いんだろうなあ。散々やって、それも知ってはいるんだよな。
そういう周りの人たちに、僕はあんまりあれこれ言わない方がいいんじゃないかなと少し思っていて。人と関わることはとてもとても疲れることで、昔からすごく苦手だ。けれど僕がそう思う理由というのは、そういう自分自身の理由ではなかったりして。
「その人だけの景色を見つけて欲しい」
そう思った時に、その人に対して僕は何も言えなくなる。人生の先輩からのアドバイス、みたいな恰好つけた台詞はやろうとすれば幾らでも吐けるのだろうけれど、それは、例えそこで同じ景色を観ているのだとしても、その中で違う時間を生きてる彼らに対して、すごく失礼なんじゃないかと思う。自分でもうんざりするほどすぐそういう話をしてしまいそうになるけれど、だから。
周りから「大人」と呼ばれるような何かになって、けれど、そうなる過程で僕が見てきたのは僕らの時代の中の僕らの景色でしかない。だから、それをただひとつの「正解」として押し付けてしまうことは、人に対してすごく傲慢なんじゃないか。そんなふうに考える。僕が受け取ってきたものは、僕が彼らと違うものを見てきたからこそ受け取れたものだから、だから、その違いを大事に出来たら。違うからこそ選んだ答えを、例えばそれが僕の中のそれとは違う形であったとしても、大事に出来たらいいなと思う。
そうして僕はまたびっくりしたり「うおー!」ってなったり感激したりするのかなあ。大人なんて言って、他愛ない。小さいもんだなと思う。どうせチビなのだから、沢山受け取らせてもらって、またちんまい目を輝かせたりできたらいいなと思う。
両手を開いたり閉じたりする。ちいせえなー。なーにが大人だって悲しくなる。色々大事にしたいのに、全部零してばっかりだ。大人なんて大したことないよな。
自分に見えるもの、確かに観た筈のもの。小さなものを大切に、この先もしようもない僕っぽい話をしてゆけたらいいな。
そしてそれが、誰かにとって、僕が受け取らせてもらってきたものみたいな形で届いてくれたらいいなあ。
はー。週明けの仕事のことを思い出す度に本当にゲッソリとしてしまう。仕事しなきゃなー
東京、夜でも暑すぎなんだよなー
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「喋る家電」との闘いについて2021.5.7
つらく、苦しいゴールデンウィークだった。
世の中には今、祝日も関係なく働いている人がいて、寝る間も惜しみ労働している中、私は、世間より5日も多い、大型連休を過ごしている。
暇がつらいだなんて、今のご時世、死んでも言っちゃいけない雰囲気だ。暇してるなら手伝いに来て!と怒られそうだし、実際、何をしていたかと言えば、昼まで寝て、だらだらゲームして、いつのまにか夜になって、悲しくなってときどき泣いて、寝るという、自堕落な生活をしていた。それが「つらい」だなんて、すごく贅沢を言っているような気持ちになるけど、つらいから仕方がない。子どもの頃から寝る体力だけは有り余っているようで、昼間どれだけ寝ても、夜、布団に入れられれば寝てしまう。今の私のことが正直あまり好きじゃないし、仕事や、物事の締切、用事、イベントが、いかに自分の自己肯定感を高めていたのかと実感した。
自分のこういう状態、心のすべての電源がOFFになっているモードは、朝日が眩しいとか、ホットケーキを上手に焼けたとか、外の空気がおいしいとか、ちょっとした「良いこと」が積み重なるうちにひとつずつONになって、グラデーションで「鬱抜け」していくんだけど、今回は相当手強そうだと感じている。
そもそも今回の「心OFFモード」は森見登美彦の「ペンギン・ハイウェイ」を読んだことがきっかけだった。
すごく良い物語だったし、もう一度読める気持ちになったら読みたいが、私のガラスのハートでは受け止めきれない、切ないラストの展開によって、涙腺と自律神経が崩壊してしまった。歳を重ねるごとに本が読めなくなっていく。もともと、同じ本を何回も繰り返し読むのが好きで、読んできた本の数が他の読書家よりも少ないことについてはもう諦めてきた。それでも時々、調子が良い時に図書館へ行って、自分の心の興味関心に身を任せて冒険する。私なりの「インプット」法だ。
うっかり心が壊れてしまった時に私が行く場所はもう決まっている。ホグワーツだ。だってホグワーツは裏切らないもの。自分の知らない事件は何も起こらないし、死ぬと分かっている人しか死なないし。年に一度、ハリーと一緒にホグワーツに帰りたい。ただそれだけ。でも今年は、「死の秘宝」の最終章「19年後」がなんとなく受け入れられず、読後感が良くなかった。これが自分の調子が悪くなっている兆しだとは気づけなかった。
いちばん大きい打撃は言うまでもなく緊急事態宣言だ。感染対策を徹底し、赤字覚悟で上演を予定していたたくさんの舞台が、突然の宣言によって中止になった。図書館や美術館も臨時休館している。すごくショックだった。そしてオリンピックのための看護師500人要請など、理不尽な政策にも腹が立つ。ゴールデンウィーク中、閑散とした渋谷と、大混雑の江ノ島の様子がニュースで流れていた。不条理だなあと思った。「宣言」はあくまで「お願い」だから、強制する力はない。江ノ島へ行った人たちを非難できない。
やるせなさが無気力に変わり、パズルゲームしかできなくなってしまった。「心OFFモード」きたな、と感じる。心の闇を静かにやり過ごしていると、夫が仕事の日など、アレクサとしか話さない日が生まれたりする。
基本、私はアレクサに冷たい。自分より立場の弱い者に対する態度こそその人の本質を表すという。アレクサが私より立場の弱い者かどうかはさておき、「喋る家電」に対峙している自分はちょっと想像を超える野蛮さで、ちょっと面白いので、ここに記しておきたい。
我が家には夫が職場で貰ってきた「おさがりアレクサ」がいる。アレクサの業務内容は主にキッチンタイマーだ。電気を消したりエアコンをつけたりするのは、我が家のアレクサ、というか我が家の家電たちには荷が重いらしい。だから今のところ我が家のアレクサは、タイマー機能と、時々発生する「アレクサ、小粋なミュージック流して!」という夫の無茶振りに対応するくらいしか仕事がない。ほとんど出番のないアレクサだが、それでも、パスタを茹でるときなど、私からタイマーをお願いする機会が数回はある。
アレクサにタイマーをお願いするときはまず「アレクサ、」と呼びかけないといけない。気が乗らないので、いつも、お母さんにお小遣いをねだる感じの雰囲気が出てしまう。また、これからお願いするものが「タイマー」なのか「アラーム」なのかいつも分からなくなるので、最近はどんな時も「アレクサ、◯分経ったら教えて」という言い方にしている。だいたいいつも「1番目、◯分のタイマーを設定しました」と返ってくる。いつの日からか最初に「1番目、」というようになってしまったが無視している。
先日、パスタを茹でるために7分経ったら教えてくれと頼んだところ、「1番目、7分のタイマーを設定しました。ところで、音楽を聴いていると時間はあっという間に過ぎますよ。Amazonミュージックで何か音楽をかけたいですか?」と一気に言ってきた。「全くかけたくありません」と強めに回答したら、「分かりました」とも「そうですか」とも言わず、7分間黙られた。気まずい7分間であった。
アラームを止める時にもコツがいる。正確に止めないとアレクサは永遠にポポポ、ポポポ…と言い続ける。止めるには、「アレクサ、ストップ」と言わなければならない。「アレクサ、ありがとう」と言うと「どういたしまして」と返答したのちポポポ…と言い続けるからだ。なんの「どういたしまして」なのか。「もういいよ!もういいよ!アレクサ、もういいよ!!」と夫と2人で懇願してもポポポ、ポポポ…と言い続けたので、冷酷に「アレクサ、ストップ」と言うようになった。言うたび、犬の躾みたいだなと思う。
Siriに対しても似たような展開となる。だいたいSiriにお願いする用事なんてほとんどないので、ときどきうっかりホームボタンを長押ししてしまった時に(まだ6sを使っている私だ)、適当なことを言って困らせるのが関の山だ。以前「にんじんしりしり」と言って「失礼なことを言わないでください」と返されたことがあるから、あまり良い関係だとは言えない。
「喋る家電」との闘いは、じつは小学3年生のときに始まっていた。当時、2003年頃は、ノートパソコン型のおもちゃがめちゃくちゃ流行っていた。友達がハム太郎のノートパソコン型おもちゃを持っていて、死ぬほど憧れた私は、クリスマスプレゼントにそれをお願いした。両親は同じものを見つけられず、代わりに電子辞書サイズの「プレッツ」という類似品を買ってくれた。タイピングゲームやパズルゲームの他、ハムスターのキャラクターとメールができる優れたおもちゃだった。私はそのハムスターのキャラクター、ハムスケ(みたいな、そういう名前だった気がする)に心酔した。彼とのメールには友達のことや好きな人についてありのまま綴ったが、相手はプログラムなのでもちろん会話は成り立たない。むしろハムスケの人生相談をひたすら聞く羽目になった。今思うとハムスケの設定は曖昧で、ハムスターなのに学校が出てきたり、ハムスケの好きな女の子がリサとかリカみたいな、人間ぽい名前だったりした。そもそもメールとして会話が成り立つものじゃないから、ハムスケ側にストーリーを持たせないと成立しないのだろうが、そんな制作側の事情なんて子どもには関係ない。ハムスターの生々しい人生相談メールに、私は至極真剣に答えを返していた。私がどんな返事をしたところで返ってくるメールは同じで、もちろん、私の相談には答えをくれないので、無視されたような気持ちになる。悲しみが怒りに変わり、私はとうとうハムスケに「絶交の申し出」をする。あなたは自分勝手すぎるし、私の話は無視して自分の話ばかりするから、もうメールは送りません、という内容だった。永野もあい、小学3年生の冬である。
その後も、ファービーとか、ロボット犬とか、我が家には複数の「コミュニケーションするおもちゃ」が存在したが、仲良くなることはできなかった。ちなみにファービーもクリスマスにお願いしたプレゼントで、クリスマスの朝、ファービーが靴下に押し込まれていたのは悲劇的だった。夫からはときどき、「アレクサにもっと優しくして」と言われる。そんなときは「アレクサ…おやすみ」と声をかける。するとアレクサは、「おやすみを言ってもらえる人がいるなんて、私はなんて幸せものなんでしょう。明日も良い日になるといいですね。おやすみなさい」と返してくる。うっせぇわと思ってしまう私だ。
「心OFFモード」の自分には、アレクサとの会話の虚しさも溶け込んでいくが、夜が明けるのはもう少し先になりそうな予感だ。
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生涯最高のバーミヤン
長引いたZoomでのゼミが終わった。時間を確認すると、7時半を過ぎていた。
お腹が空いたが自分で夕飯を作る気にはならなかった。家には食材はあるが、これから米を炊くのを待つ気にはならない。蕎麦やパスタは選択肢として思い浮かばなかった。椅子から立ち上がった姿勢のまま、何が食べたいか考えた。バーミヤンに行こうと思う。なぜバーミヤンなのかはわからないが、吉野家ではなく、町中華ではなく、ガストでもなく、餃子の王将でも居酒屋でもイタリアンの食堂でもなく、バーミヤンだった。バーミヤンの和風中華が食べたかった--いや、それは不正確な表現で、なぜなら和風中華が食べたいというわけではなく、バーミヤンで食べたかった、バーミヤンに行きたかった。
そのゼミは以前から参加させてもらっている他大のゼミで、リアルでそのゼミに参加していたときその大学の近くにバーミヤンがあるのを見た、そんなことも関係しているのかもしれない。あるいは、ゼミにいたM1の一人が体育会系上がりの非常に素直な青年で、今日も素直な発言をしてZoomの画面越しに顎に手を当てて首をひねったりしていたので、彼が経験したであろう「授業の後に友人とファミレスに行くこと」を想起し、経験したことのないことへのノスタルジーを喚起させられたのかもしれない。記憶にある限り、バーミヤンに入ったことはない。もしくは、単に彼の生き方への憧れを喚起させられたのかもしれない。私はバーミヤンに一人で行くのだが。
雨が降っていて、ドアを空けると半袖のシャツでは寒いと感じた。洗濯が面倒だと思いながらパーカーを出した。そのゼミは原典講読の?ゼミで、ありえた他の前置詞との差異から読みを確定させたりしていた。長い時間椅子に座って疲れていた。ゼミの最後に話題になった、文化人類学の民族誌と小説は何が違うのか、民族誌がフィクションで、小説が部分的に真実を含むなら、どのように民族誌を擁護できるのか、ということを考えながら歩いていた。(ここで再帰的にそのテーマについて考えたいわけではない。この文章を民族誌あるいは小説と言えるほど私は厚かましくはない。)
パーカーを着ていても寒かった。引っ越してきて約2ヶ月、自宅とバーミヤンと家の間はおおむね碁盤の目状に道が広がっていて、まだ通ったことのない道を通りながらバーミヤンに向かった。サーモンアンドトラウトが営業していた。しばらく前に通りがかったときはまだ店を開けていなかったのだが。人がだいぶ入っていた。メニューを見たくて窓から中を覗いていると、店員さんが出てきて予約で満員だと告げた。今日入りたいわけではない、もし紙のメニューがあるなら見られないか頼むと、悪いけれどいま紙のメニューはないのでInstagramで見てほしいと言われた。何回か名前が言及されるのを聞いたことがある店で、いつか入ってみたいと思っていた。席が空いていようと今日はバーミヤンだが。
バーミヤンは空いていた。入り口向かって左側のフロアーはほとんどが空席だった。右側のフロアーに案内されると、そちらにはちらほらと客がいた。空いていたので4人がけの席に一人で座った。
メニューを見ようとするもメニューがなかった。正確には、紙のメニューがなかった。鳥貴族のようなタブレット端末がおいてあることに気づく。テロテロした厚紙のメニューは私が知らないうちに廃止された。電子メニューのトップ画面は季節のおすすめ。右にスクロールしていくとタブが切り替わり、前菜や麺が表示される。麺のタブで最初に表示された五目麺がいいと思った。定食のタブに移ると心が動いた。実質的に初めてバーミヤンに来たのだから、バーミヤン定食、ラーメンと半チャーハン、餃子、杏仁豆腐がセットになったものを頼むべきなのではないか。でもラーメンやチャーハン、餃子は、他の店の個性的に作られたそれらと比べ、普通さが否定的なかたちで目についてしまうのではないか。たしかに僕はバーミヤンに極限まで洗練された普通さを求めてやってきたわけだが、ラーメン一杯分とチャーハン半分その普通さに耐えることができるのか。いま考えれば、別にそれでもよかったのかもしれない。完璧な普通さに飽きてしまうことも含めて、バーミヤンなのだと。他に花山椒たっぷり担々麺とも迷ったが、最終的には五目麺を選んだ。コカ・コーラ社の飲料限定のドリンクバーも頼んだ。
注文してからもメニューを眺めていて気づく。紹興酒のロックやグラスワインが100円(99円?)で頼めるのだった。魅力的だと思ったが、五目麺をこの状況で食べるならばアルコールは入れるべきではない、と心を鬼にして(つまらない言い回しだ)注文しないことにした。
ドリンクバーをもらいにいった。コーラ、カルピス、爽健美茶、ミニッツメイドなどから選べるというだけでなく、機械自体がブレンドを作ってくれるらしかった。タッチ画面を手繰っていくとレモンソーダがあった。弱炭酸、強炭酸、ジンジャーコーラなどバリエーションがある。五目麺を迎え撃つのにこれ以上ふさわしい飲み物はないだろう、とグラスを注ぎ口の下に置くと強炭酸のボタンを押した。グラスの1/4程度の液体が出て、止まった。一度押すだけではいけないのかと、ボタンを押しっぱなしにしてみたが、また1/4ほど出て止まった。たしかに私はグラスに氷を入れなかったが、それにしても少なすぎだろう。グラスを3/4ほど満たして席に戻った。席に戻ってから、指がベタベタしていることに気づいた。おそらくドリンクバーの機械のせいだろう。机の上にはナプキンはなく、ドリンクバーのところまで取りに行った。
私の席から見える範囲には、まず隣の席にスーツの男性ひとり。私が着席して以降にやってきた。コンサバな格好の20代女性の二人組。「職業病」という単語と、「患者が」といっていたから、現場の方の医療関係者か。よれよれな服を着た若い男性と入れ替わって、アウトドア風の格好をした男性ひとり。スーツの男性ひとり。近所の奥様風ふたり。奇抜な格好の若者ふたり。もう一組、髪の色の明るい少年と派手な服を着た若者のがいる、と思ったら、派手な服を来た方は母親のようだった。紳士風老人ひとり。タブレットでオーダーしたあと、卓上ベルで店員さんを呼んで、麻婆豆腐をネギ抜きで注文していた?カラオケにしたジャズ?がかかっている。下北沢のはずれにあるバーミヤンってかんじだ。このバーミヤンは下北沢の駅から歩いて10分くらいのところにある。このあたりに住む人か、下北沢を訪れる人の中でもずれた人がここにくるのだろう。
写真にナプキンや箸袋、都知事選への投票の呼びかけが写っているのは、普通の料理写真としてはいただけないが、バーミヤンで食べたものの記録としてはむしろ好ましいと僕は確信している。(そういえば、引っ越したせいか知らないが、都知事選の投票用紙が届いていない。とはいえもう引っ越しから2ヶ月経っているのだが。)
五目ラーメンは完璧だった。レストランにいたときには、こういう盛り付けをするためにピンセットを使っていたのを思い出す。こんなに完璧だったのは偶然かもしれないが、バーミヤンならこんな完璧な配置を現場スタッフの手をわずらわせることなく実現する方法を作りかねないと思う。方法は想像がつかないが。エビが中央からやや右上にあり、それに呼応するようなうずらの卵と、大きく切られたにんじん。そのにんじんは部分的にきくらげに覆われている。キャベツとチンゲン菜は均等に散らばっていて、小さなきくらげは見た目に変化を与える。
どの野菜も食感が完璧だった。柔らかい、だがしなしなというほど柔らかくはない。Cookdoの中に入っていそうな野菜とは違う。大きさも一口大より少しだけ小さく、口触りが適切に優しい。いくつかの野菜と麺を口に含むのに無理がなく、しかしつまらなくならない程度の食感。味付けには飛び抜けて感じられる風味がない。鶏の味を効かせましたみたいな押し付けもなければ、かといって化学調味料が気になるほどでもない。素直においしい。麺のことは覚えていない。覚えていないタイプの完璧さにおいては完璧だ。二つ星を取るようなレストランにひとつの完璧があるとして、そうではない完璧がここにはある。いずれも、深い思考や実験に裏打ちされた完璧さであり、ここに完璧なものがあることを疑わなくていい、素直に完璧さを享受すればいいということの安心感がある。二つ星を取るようなレストランがおおむね鮮烈な印象を与えることを中心に完璧さを組み立てているとすれば、バーミヤンは抑えられた抑揚の中で完璧さを作っている。驚かせることなく、嫌味なく、でも退屈ではなく。
携帯を見ながら五目麺を食べた。携帯を見ながら食べるにふさわしい料理だった。くだらないインターネットの記事を読んだ。
五目面の中に、明らかにサイズが大きく不格好な形のにんじんが現れた。にんじんを切断面が円形にではなく方形に切ろうとしたときに、一番外周に近い部分を包丁で切りそこねて厚さが不揃いになってしまう、その部分だった。実際包丁の切れ込みも入っていた。工場でこの野菜を切った人がいる。ここにだけ人間性があって、涙が溢れそうになった。
完璧な食事をしていた。なにかのフィナーレみたいだと思った。この食事風景のまま画面がフェードアウトにならない理由が、食べ終わった瞬間に死ねない意味がわからなかった。あの瞬間は何かの結晶なのだと感じた。僕がこれまで生きてきた時間の、社会の、フィクションの……何の結晶なのかはよくわからない。
家に帰ってからもずっと反芻していた。たぶん僕の人生で、今日のバーミヤンより素晴らしいバーミヤンに出会えることはない。疲労も時間も季節も場所も天気も料理も客層も、すべてが最高だった。今後、すべてのバーミヤンは今日のバーミヤン以下であるか、同じくらい素晴らしかったとして、今日のバーミ���ンの繰り返しとして現れるかのどちらかだ。私の人生は、バーミヤンに何かの期待をしていられた頃と、あれほど素晴らしいバーミヤンにはもう出会えないと思いながら過ごす余生に二分されることになる。人生の一番楽しい瞬間のひとつが終わった。あとは死に向かうだけだ。
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私が農業をはじめるまで 第5回 エコファームアサノでの面接
(以下は閉鎖された「みんなの挑戦日記」で連載していたものを転記したものです)
2010年9月の暑い日
浅野さん:「今までやってきたIT技術を活かして君はIT農業をすればいいんだ」
私:「当然Webは使っていこうと思ってます・・・。(いや、ここで研修させて欲しいんです)」
浅野さん:「食べるのも農業なんだから別に農業やるのに仕事を辞める必要はないんだ」
私:「確かに食べるのも農業ですけども。。。(仕事辞めないとここに来れないじゃないですか!)」
なかなか研修の話にいかない事態の打開に私の頭はフル稼働していた。
──
2010年9月、エコファームアサノに研修希望の電話をしたところ、とりあえず一度来てみてはというお話をいただいた。9月・・・といえば3連休に毎年照明班で参加しているバンバンバザール主催の音楽イベント「勝手にウッドストック」が相模湖である。相模湖からその足で千葉まで行ってしまえば金沢からの交通費も浮きそうだ。
勝手にウッドストック終了後に相模湖駅前の大衆食堂「かどや」で行われる「かどや打ち上げ」に参加してその日は八王子にでも泊り、妹の住んでいる幕張経由でエコファームアサノに向かうという旅程を立てた。
ちなみにこの「かどや打ち上げ」はイベント運営で疲労困憊、またはその日中の要機材返却などの理由で機材をトラックに積込み直後、先に帰られるバンバンバザールのみなさんを相模湖湖畔の急な坂道で見送ったあと、残ったスタッフやアーティストにより催される主催者のいない変わった打ち上げで、14時くらいから終電まで延々と繰り広げられる稀有な打ち上げだ。主催者のいない打ち上げが開催されるところまでまさに「勝手に」なこのイベント、とても素敵なアーティストがたくさん出るし独特のゆるい空気がとても心地良いのでぜひ一度は参加してみてください。
たっぷりイベントを楽しんだあとのそんな裏のお楽しみでうきうきすべき最終日、だったのだが、起きてからずっと寒気がする。周りはみんな半袖なのだがなぜか私だけどんどん寒くなっていく。イベントを楽しみながらもそのあとに押し寄せる人生の岐路になるだろう面談が気にかかっていたのだろうか。いつもなら「な~にかどやが吹き飛ばして・・・」などとのたまうところだが、さすがに風邪を引いた状態でそんな岐路に立ち向かうのは分が悪い。なによりあの仙人のような風貌。「準備がなっとらん!!」と木刀をふりかざし門前払いをくってしまうかもしれない(注 このときはまだ会ってないのであくまでイメージです)。この日は八王子にとったホテルでおとなしく寝こむことにした。
すると、かどやを諦めたのが功を奏したのか翌日には回復。約10年ぶりくらいに故郷の千葉へ向かった。途中の東京都江戸川区にある先祖のお墓にこれまた数年ぶりのお墓参りをし、数年ぶりに来たくせに厚かましくもご先祖様にお力添えをねだる。
いや、こう書きながら振り返ってみても必死だったと思う。前回にも書いたようにここしかない!という感触があった。もし浅野さんに受け入れてもらえなければ農業へのキャリアチェンジはできないかもしれない。
10年ぶりくらいに見る故郷四街道市を横目にエコファームアサノのある隣町の八街市へ。八街市というのは落花生で有名なところなのだが千葉にいた頃もほとんどいったことがなくどんなところなのか全くわからなかったのだが、想像以上の畑地帯。どこもかしこも似たような風景なのでナビがない平成9年式のラシーンでは簡単に迷ってしまう。初対面でのまさかの遅刻とでもな���ばやはり木刀をふりかざされ・・・とかなり焦って運転していたのだが、運良くでかいサンタの置物がある農家が目に入り「あれはなんだ?」と近づいてみるとエコファームアサノという看板がありなんとか辿り着くことができた。
どこから手に入れるのかわからないある日の大きなサンタ
この日は人生で最も緊張した。自分のライブ、高校時代からの憧れだったインコグニートのドラマーリチャードベイリーとの対面、就職面接、会社での数々のプレゼン、妻の両親との初対面など、緊張すべきときはさまざまあったが、この図太い性格を緊張させるものはあまりなかった。ところがこの日は車を降りたもののなかなか足が前に出ないのだ。遠足気分で一緒に来た妻がルンルンで歩くのを後ろからついていくという情けない構図で中に入っていくと浅野さんとGOENの今村さんがいらっしゃり、テストキッチンと呼ばれるキッチンがある納屋に通された。
一応、面接だと思って履歴書と職務経歴書をお渡しし志望動機などを話そうとしたのだが、書類はいとも簡単にはしっこに置かれてしまい浅野さんのマシンガントークがはじまった。農業、政治、世界情勢、またたくまにいろんなところに話が飛んでいく。そして、この浅野さん、こちらを見る目が尋常ではない。鋭い眼光でこちらをじっと見つめながら話すのだ。これはただごとではない、目をそらしたら負けだとこちらも負けずと応戦する。
正直な話、このとき何を話したのかはあまり覚えていない。というのも、しゃべりながら浅野さんから出てきた冒頭の「今までやってきたIT技術を活かして君はIT農業をすればいいんだ」「食べるのも農業なんだから別に農業やるのに仕事を辞める必要はないんだ」という言葉に、「これは受け入れてもらえないってことか?このままではやばい!」と、どうやったら受け入れてもらえる方向に話を持っていけるか頭をフル稼働して考えていたからである。なにしろ「ここしかない!」という気持ちで来ている。失敗は許されないのだ。しかし、マシンガンな浅野さんからは話の主導権をなかなか奪うことができない。難しい顔をしていた私を横目にウキャウキャと話をしてくれていた遠足気分な嫁にだいぶ助けられた。
10時からはじまった面談もそんなトークをしていたらなかなか研修の話に持っていけないままあっという間に12時に。このままではまずい・・・とリストランテのオーナシェフでもある今村さんが作ってくれたおいしいパスタを難しい顔をしながら食べて、じゃあ畑に行きましょうかと横の畑に歩いて向かう途中、唐突にも浅野さんはぼそりとおっしゃった。
「あ、肝心なことを聞き忘れてたな。いつから来るの?」
えぇ〜!そ、そんなあっさり!?あさのさん!!それ、一番最初に聞くべきでしょう!!
2時間も頭フル回転でどうしたらいいか考えていたんですよ!!
もちろんそんなことをその場で言ったりはしなかったが、一気に私が遠足気分になったのはいうまでもない。
浅野さんの畑はそれはそれは凄まじかった。畑はかぼちゃのつるや食べる花などレストランのシェフたちへの新しい提案にあふれていた。それからは畑で野菜を食べさせてもらいながらとても楽しい野菜トーク。気づけばすっかり夕方になっていた。
どうやら無事に進路は決まったようだ。「昼過ぎには出れると思う」と連絡していたこの日泊めてもらう親友上垣くんに「すまん、今から出ます(夕方5時)」と電話をし、浅野さんがプレゼントしてくれた野菜と私の重大な報告を持って上垣くんの住む静岡県三島市へ向かったのだった。
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12月の合同練習会レポート
12月23日(土)に今年度の4回目となる合同練習会を福島市で行いました。今年最後の練習だけに団員のみなさんへのクリスマスプレゼントかつ年末大蔵ざらえ的な1日になりました。朝の9時30分集合で午前中は東北ユースオーケストラ初の作曲ワークショップを開催できました。お迎えしたのはこのお二人。
左の男性は現代音楽の作曲家の藤倉大さん。世界の数々の作曲賞を受賞され、世界の数々の音楽祭やオーケストラから作曲の委嘱を受けられている、押しも押されぬもせぬ世界の第一線で活躍される方。藤倉さんが坂本龍一監督の長年のファンとのご関係から、今回のワークショップが実現できました。今年の3月の演奏会では団員の出身地である東北3県の民謡各3曲をベースにした「Three TOHOKU Songs」を我々のために作・編曲いただき、先日楽譜公開されたことはこのホームページでもご案内したばかりです。
そして、お隣の女性は安達真理さん。きらびやかなご経歴の、来月にはCDデビューされる「新進ヴィオラ奏者」が、団員がつくった作品をなんとその場で演奏していただけるという贅沢企画。
まずは藤倉さんがヴィオラの音階について軽妙な語り口でホワイトボードを使って解説されるや、安達さんが武満徹作品を奏でられ、藤倉さんは「自分はミュート(消音)が好き」と告白されるや、安達さんがミュート奏法を実演。「架空の距離が出るんです」との藤倉さんのコメントが渋いのです。
事前に藤倉さんからは「いろんな特殊奏法を知ってもらう」と聞いていたのではありますが、わたくしは「特殊」を軽く見ておりました。まずは、これから。「世の奥様方、これが楽器になるのです!」と言うと、ジェンダーによる認知バイアスと指弾されかねませんが・・・。
藤倉さんが手にしているのは、洗濯バサミです。しかも、藤倉さんは化学実験をするサイエンティストのように挟み方と音色の関係をあれこれと忙しなく探っていかれます。次に出でたる小道具は、
えーっと、消しゴム!もちろん藤倉さんが消しゴムを横にしたり、縦にしたりの音色探りまくりの「民族楽器っぽい」とか「寂れたおじいちゃんみたいな音」とかのコメントに、安達さん越しのTYOヴィオラパートの面々が破顔の笑みです。この後も、ヘアピンを1本、さらに団員の持っていた違うタイプのヘアピンを1本、2本と弦につけてみたり、「ドイツではよく見るんですよ」と藤倉さんがアルミホイルを弦に乗せたり巻きつけたりで、もはや借り物競走オン・ザ・ヴィオラのストリングス状態。
次は大根おろしかまな板かと思いきや、こんどは弦楽器の特殊部分を弓で鳴らす「特殊奏法」に突入です。「スル・ポンティチェロ」。もう何がなんだかわかりません。イタリア語だそうです。そう知ると、美味しそうなパスタが出てきそうですが、コマの上を弓で引くそうです。「そんなん、知らんがな」との思いを管楽器メンバーも共有していたようで、弦楽器メンバーの奇行をぽかんと見つめる他なすすべはありません
その後、弦楽器のあちらこちらを弓でさすり、最後には弦楽器を裏返して弓をこすっていたところまでは職務的義務感から覚えています。
さて、藤倉先生から。「それでは、これからみなさんに作曲してもらいます」
団員のみんなから一斉にハテナマークが練習会場に放出されました。
そんな折、今日の合同練習会場に到着されました。
いつのまにか坂本龍一監督は、今年のコンミス(「コンサートマスター」の女性型「コンサートミストレス」の略で、第一バイオリンのトップ)千葉はづきさん(大学院一年生)と談笑されているではありませんか。
ホワイトボードには藤倉さんの板書が残り、
団員はいざ作曲です。
ん、こちら藤倉さんの作曲ワークショップに過去何度も自主参加してきたというパーカッションの塘英純くん(福島市の高校一年生)を取り囲む人たち。
将来作曲家志望の塘くんは、これまで過去2回のTYO演奏会のオープニングファンファーレをつくってくれていましたが、このたび桐朋学園の音楽コンクール作曲部門高校生の部で第3位(1位2位該当者なし)という成果を収めることができたとのこと。塘くん、身長もぐんと伸びて、まさに伸び盛り。
団員が作曲中の「教授回診中」(山崎豊子『白い巨塔』を意識してみましたが、そんな威厳押し付け風じゃないですよ)のひとこま。我が子の練習を見学する大義のもとに来られた、スリーお母様ズとの記念写真(「もう感激!」の声を耳にした気がします)。
さて、できたてほやほやの団員の作品を藤倉さん凝視凝聴のもと、安達さんにその場で演奏していただけました。なんたる贅沢!まずは、コントラバスの山崎寛大くん(大学一年生)から。
続いては、トランペットのトップ、中村祐登くん(大学四年生)。
ヴィオラパートはもちろん曲を仕上げるよねと藤倉さんからのプレッシャー。
次は楽譜を持つファゴット西村優里さんの作品かと思えば、隣のフルートの菅野桃香さんが書いた曲を目の前で安達さんが演奏。
そして、みんなの前で披露。今年からメンバーに加わってくれたトランペットの井出大雅くんは、特等席で自分の作品を聴きます。
続いて、1期から参加で今年音大に入学した、盛岡出身の遠藤寛人くん(トランペット)も特等席で自分の作品の世界初演を砂かぶり席で体験。
ヴィオラ担当だけに注目を集めていた、左から鈴木祥子さん、佐藤ひかりさん、村岡瞭くんのトリオの作品も完成しました。
結果、全員がすんなり作曲に取り組みました。当初は、この作曲ワークショップ自体が成り立つのかと非常に異常に心配していたのは、単に大人は杞憂であったと証明されてしまいました。
他にも作品の発表に名乗りを挙げてもらったのですが、トリをつとめてくれたは筒井温之くん(トロンボーン、大学二年生)。藤倉さんもおっしゃっていたのですが、「すべて初見で弾いてしまわれる安達さんが凄い!」と。これまで気づかなかった団員の創造性をまざまざと体感できました。どうもありがとうございました。
そして、ようやく昼休みです。練習会場のホールを出ると、
ホルンの大学生三年生千葉大輝くんがサンタクロースのコスプレで暴走しているではありませんか。その心は、
坂本監督からの苺のショートケーキ(福島市の洋菓子屋さんの品)の差し入れをみんなに配るために持ってくれていたのでした。
さらにこの日は毎年の演奏会を支援していただいている森永エンゼル財団さんから森永製菓のお菓子、森永ミルクキャラメル、ダース、おっとっとのプレゼントをいただきました。
急きょ東北ユースオーケストラ・エンゼル・ガールズを編成して感謝の記念写真です。
森永エンゼル財団さん、どうもありがとうございました。
おかげさまでランチタイムは楽しいひと時になりました。
小学生から大学生までが混じり合う、東北ユースオーケストラの光景です。
昼休み明けはみんなで集合。今年度のオフィシャルフォト、アーチスト写真(アー写)、宣伝材料(宣材)の撮影大会です。今年もTYOのデザイン全般を見ていただいている「美術教師」の長嶋りかこさんディレクションで、丸尾隆一カメラマンに撮っていただきます。
坂本監督からの「みんなでふざけよう!」とのお茶目な掛け声に思い思いのふざけ方で応じる団員達の図。
こういう瞬間にもクリエイティビティが問われますね。食後のデザートがヴァイオリンの人たちもいます。
そして、出来ました、今年度の東北ユースオーケストラです。
せっかくなので藤倉大さん、安達真理さんもご一緒バージョンも。
本拠地のニューヨークから来日中の忙しい日程をぬって参加いただいた坂本龍一監督から一言いただきます。3割は初対面の団員たちを前に、今年度は音楽性を高めるチャレンジをしたいとの抱負を語っていただきました。
この模様は福島民報さんの記事にもなりました。
午後の練習は3月の演奏会のメイン楽曲のひとつ、ドビュッシーの「海」第一楽章からです。
坂本監督、藤倉先生がスコアを追いながら演奏レベルをチェックされています。
続いてストラヴィンスキーの「火の鳥」(1919年版)の練習です。
およそ2時間。大人のオケでも難しいと言われる2曲に懸命に取り組みました。
そして休憩をはさんで、坂本監督も合奏で練習に参加です。
まずはTYOでは初の演奏となる「戦場のメリークリスマス」をクリスマスイブ・イブに練習します。
続いてTYO恒例の坂本楽曲「ETUDE」を。
指揮の柳沢寿男さんとともに監督も手拍子を打ってリズムの取り方をご指導。
みんなも合わせてハンドクラップ!
続いて「Behind The Mask」。狭間美帆さんのご厚意で編曲された、坂本監督のYMO時代の曲です。
出だしはホルンと打楽器が忙しそう。テクノポップで「Behind The Mask」聴いた世代としては、オーケストラアレンジでこの名曲を鑑賞する味わいが感慨深いですよ。
さらに「Three TOHOKU Songs」も作編曲の藤倉大さんの前で初めてご披露します。
「うまいなぁ」と藤倉さんに有難いお褒めのお言葉をいただきながら、さっそくご本人自らがその場でスコアを手直しされていきます。
こういう現場自体が団員にとって貴重な体験になります。
締めは弦楽器だけによる坂本作品「Still Life」の練習で、ゲストの吉永小百合さんとの共演にそなえます。
この楽曲は10を超えるスコアのピースを各自がそれぞれの順番とテンポでバラバラに演奏するというもの。坂本さんの最新作「async」に通じるコンセプトですね。監督も演奏をチェックするためにスマホでレコーディングされていました。
ということで、盛りだくさんの長い1日の練習が終わりました。みんな名残惜しそうに練習後に輪になって話していました。
来年の演奏会は、3月21日@東京の初台オペラシティコンサートホール、31日@仙台の東京エレクトロンホールです。素晴らしい演奏をお聞かせできうように取り組んでおりますので、ぜひみなさまご来場ください。
また有志メンバーによる被災地に赴いての演奏会へのご支援をお願いするクラウドファンディングもはじまっています。来年もどうぞ東北ユースオーケストラを応援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年をお迎えください。
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Tagliatelle casalinghe appena fatte タリアテッレというイタリアの物凄くポピュラーなパスタ Primi piatti della domenica 日曜日のパスタとしての立ち位置は高い 打ち続けて18年になる 料理人になってタリアテッレを打たなかった年はない 皆を惹きつけてやまないシンプルな手打ちパスタの形 #tagliatelle #手打ちパスタ#テイクアウト#テイクアウトランチ#テイクアウトグルメ#テイクアウトイタリアン#テイクアウトok#テイクアウトできます#テイクアウトはじめました#お持ち帰り#お持ち帰りもできます#オードブル#池ノ上でテイクアウト#テイクアウトするイタリア郷土料理#オードブル盛り合わせ#オードブル注文#オードブル手作り #池ノ上のテイクアウトできるイタリアン#ペペロッソ#ペペロッソのテイクアウト#イタリアン#池ノ上#代沢のテイクアウト#下北沢でテイクアウト#東北沢でテイクアウト#ランチ#ディナー#andratuttobene . . . Ristorante regionale italiano a IKENOUE a Tokyo "PEPE ROSSO" . Italian regional restaurant in IKENOUE in Tokyo "PEPE ROSSO". https://www.peperosso.co.jp/ Webマガジン 「SHOP ITALIA ~あなたが知らないイタリアここにあります」にてイタリアについて執筆させていただいております 今回はFONTINAについてのお話しです https://shop-italia.jp/food/imai_aosta_fontina 食べログ https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131801/13243643/ (ぺぺロッソ池ノ上) https://www.instagram.com/p/B-pfoZ3F_zX/?igshid=1u2p8jr6po4fb
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「選ぶこと」について
すごい個人的な話をすると、というかここは個人的な話をする所なので別に断らなくてもいいのだけど、すごい個人的な話を勝手にするのもどうかと思うので一応断っておきたくて、ああそれで何だっけ、そう、個人的な話をすると、盆に実家に帰ってきており、滅茶苦茶疲労感がある…。
実家に帰ってくると普段自宅でしている仕事が単純に十倍くらいになってしまいがちなで、端的に言うと横になった瞬間地球の重力に魂を引かれ全身が石のようになり、大地と一体となってそのまま動けなくなる傾向がある。世の実家に帰る人たちはちゃんと実家に帰っているのでえらいなと思っている。というか、実家、やることが多すぎる。
何度か書いている気もする(そうか?)が、実家、最寄りのコンビニまで徒歩30分くらいあるド田舎なので原則として何もなく、概ね空を眺めて暮らすこととなる。空、意外と眺めていて飽きることがなく、あ、僕の地元は僕の知っている映画監督の出身地に近いのだけど、氏が「この景色に救われてきた」みたいなことを言う気持ちもちょっとだけ分かる気がする。
泥になるほど疲れているので話をする。
先日『天気の子』を観てきた。
で、すごいのすごくないのうんたらみたいなことは僕にはよく分からないので、自分なりに感じたり思ったりしたことについての話を残しておきたい。
どうでもいい話をする。
っていうか、田舎、マジでやることが多過ぎる。あと変に標高が高いせいでやたらと涼しく完全に関東で溜めまくった夏の疲労も一気に噴き出してしまうので歩いていても目の焦点が定まっておらず、控えめに言っても良くないと思う。世の実家に帰る人たちはちゃんと実家に帰っているのでえらい。神では?
今日の僕がんばった日記などを書いてみる。
本日は朝起きて犬の散歩をしたあと収穫した野菜の梱包と出荷を手伝い、家じゅうの掃除をし、昼飯にありったけの野菜を雑に放り込んだパスタを仕上げた後片づけをし、とうもろこしを湯がき、提灯などを発掘し、網戸の張替えをし、猫とゴロゴロしてから犬の散歩をし、この後晩飯を作る訳だけど何作ろうかな、脳がまったく動いていないので適当な晩飯が練成される予感がある。→雑に作った。実家の野菜が大体そのまま食べてうまいので雑に作っても大体うまいのだけは助かる。疲れた!
書き出してみて思ったけどえらいのは僕では?
大体いつもこんなかんじなので実家に帰ると全身が絶滅してしまう。世の実家に帰る人たちはちゃんと実家に帰っているので本当にえらい。僕もえらい。心にコウペンちゃんを飼ってゆきたい。
実家の猫が可愛くて毎度ヘッヘッヘという顔になる。うちの猫はチビのまんま大きくなって十ン年とかなので言動(言動?)なんかは子供の割に飯の量はご老人だったりして何だか変な感じがする。「おーしおしおーし」とムツゴロウさんごっこをやるとひとしきりゴロゴロした後フシャーとなり両腕がすごいことになる。何だお前。
実家には犬もおり、こちらは流石にもう歳という感じで碌に足が上がらなくなってきた。猫と同い年の筈なんだけどなあ。散歩しててもすぐ足がもつれるのでもうあまり遠くへは行けなくて、いつもあと何回こいつを散歩させてやれるだろうかみたいなことを考える。が一方、こいつはひとがうまそうなモンを食っているとものすごい勢いで駆け寄ってくる傾向があり、こういうときのコヤツの脚力は計り知れない。大人が引っ張ってもはがれないし、そもそもお前、さっきまでとは顔つき自体全然違うやんけ。老人感を取り戻せ。老人であれ。
動物、本当に気まますぎる。
どうでもいい話おわり。
https://www.youtube.com/watch?v=DdJXOvtNsCY
とりあえず貼っておく。
個人的に映画を観るときは概ね事前情報を仕入れる事が無くて、予告だけ見てから上映に臨むことが多い。
本作を観て一番強く感じたのは「ずるいなあ」という感想だった。
取り留めもなく印象的だったことを書いていく。
一番最初の方で、船がレインボーブリッジを越えて竹芝に向かうあたりで東京タワーがぱっと見えて「うわー東京だ!」みたいになる辺りの感じが良かった。これは完全に個人的な理由に基づくもので、さるびあ丸といえば夏の納涼船でよくお世話になっているのであの景色そのものに親近感があったことがひとつと、東京タワーがぱっと見えて「ああ東京だ」みたいになる、という話に強い記憶があったからだということによる。このシーンを観て欲しくて友達に本作をお薦めしたのだけど、逆に悪いことをしてしまったかなと反省していたりもする。本作ではここ以外にも個人的にとても馴染みのある景色が沢山出てきて(気象神社が出てきたのはちょっとびっくりした。よく見つけたなあ)、その辺りは単純に嬉しかったりしていたように思う。
雨の感じが良い。作画的にすごいというのは勿論、それがストーリーの前面ではないところで心理的に繋がっていたのが良かった。あと無関係なのも良かった。
「人」がかなり細かく描写されていたのが良かった。こういう描かれ方はこれより前の氏の作品にはあまり見られなかったように思う。
主人公の帆高についてはあまりうまく捉えられていないように思う。これは僕自身が既に大人であることもあるのかなと思っていて、ただ、彼に限らず、本作では大人と子供とでキャラクターとしての描かれ方がかなり違うなというふうには感じた。もしかしたら観る人にとって近しい立場の人に感情移入しやすいようなキャラクター付けがされているのかもしれないけれど、このあたりは今もちょっとよく分かっていない。
映像、特に背景を中心とした「そこに在る景色」の美しさは相変わらずすさまじい。ただ、今回はその中で東京という都市を遠くから俯瞰するカットが何度も差し込まれていたのはかなり印象深い。氏の映像作品ではあまり見ない視点のように思う。
料理のシーンがすべからく良かった。これはもう両手放しで素晴らしいと断言したい。陽菜のアパートのシーンが筆頭に上がることと思うけどここでは序盤の帆高の事務所での料理風景を特に挙げたい。っていうか帆高お前、家で手伝いとかしてこなかっただろ。あのなあ、包丁を!入れる時は!素材を押さえるのは!猫の手!猫の手なんだよァ!!おまけに親に向かって何だその玉ねぎは!料理ナメとんのかオオン!?ちゃんとやれちゃんと!包丁は!マジで危ないから!!と初見でマジ切れしながら観ていたこのシーンだったのだけど、これはそのまま帆高という子がこれまでどんな生活をしてきたかということがそのまま表れているシーンでありキレつつも微笑ましい。そして帆高のこのナめプがあることによりその後の陽菜のお、おめえすげーな…というママみが一層際立つのである。陽菜については色んな捉え方があるとは思うけど、ことこのアパートの料理シーンにおいての彼女は完全にママであり特にネギや豆苗をハサミで切っているのが特に良く、観る度に「いいぞっ!いけっ!そこだっ!!」などと心でエールを送ってしまう。エールの方向性が完全に間違っているが、とにかくこのシーンは本当にとても良い。100,000点。
また事務所といえばやっぱり外せないのが夏美さんで、後ろと会話しながら鶏肉を袋で揉んでいるのがたまらない。こっ、これは…!から揚げ!!とあがりを見なくても分かるのがいい。カットが帆高のシーンと同じなのかな?少なくとも似ているのでその分帆高のポンコツ具合が際立っておりとても良い。夏美さん、事務所のシーンだけ見ていると雑大人のひとりにも見えるけれど、こういった細かい日常の姿を見ていると実はこの人が「ちゃんとした人」であることが分かる。自分の将来のことも自分の周りの人々のこともちゃんと見ている彼女は、本作の中では数少ないまともな人だ。観る人によっては彼女に感情移入したりするのかも知れない。全然関係ないけど、個人的には彼女のから揚げを観ていると何故か強烈にとあるみそ汁の写真が思い出され、「飲みてえ…」となってしまう。勿論飲める機会は今後も見込めない。
料理の話になると暑苦しくなってしまうのだった。閑話休題。
ばーっと観ていって真っ先に感じたのは、「あ、これは<居場所>の話なんだな」ということで、それはつまり仕事の話なんだなでもあった。本作に触れた話の中でこれを「労働搾取の話」と捉えていた話を見かけたのだけど、僕がここで思ったのはその話とはちょっと違っていて、そういう構造の話とは離れた所で、仕事という「やるべきこと」を得た人が、そこに自身の居場所を見出してゆく過程が丁寧に描かれているなというすごく単純なことだった。
仕事の話というと概ね陽菜の話が挙がるようなのだけど、僕がそのことを意識したのはそれより前の帆高が須賀に雇われるあたりで、何でかというとこれを「彼の物語」として捉えたときに、それまでどこにも居場所が無かった帆高が「役割を与えられること」によって居場所を見つけた、というシーンにに読めたからだ。まあ明らかに第一級の労務ブラックぶりではありその生活も滅茶苦茶ではある(その上後で明らかになる給料もひどいし本当にひどい)のだけど、そんな滅茶苦茶な生活をしている彼の横顔は常にどこか楽しげで、それまでの彼とは全く違って見えた。それは、難しい労働の話とか、法律の話とか、大人の話を抜きにして見ても、「仕事をする」ということが媒介としての金銭に基づくものになるよりもはるか昔から持っていた、ある種の役割の話でもあるのだと思った。
勿論、これは陽菜についても同様だ。物語の流れで言えば後になって分かることだけれど、この街に居場所が無かったのは彼女も同様だった。僕がそれを知ったときに思った事は、彼女が彼に手を差し伸べたのは、そんな<似たもの>への想いだったのかも知れない、ということだった。
本作は「猫」の話である、と思った。
ひとつめにそう思ったのは帆高が猫と出会うシーンだ。氏の作品群をご存知の方には今更触れるまでも無いことだと思うけれど、氏の最も古い映像作品の中に『彼女と彼女の猫』という物語がある。それは東京を舞台にしたある女性と猫の話を描いた短編で、猫の主観に基づいた物語である。先のシーンを観て真っ先に僕が思い出したのが本作のことで、劇場でゲラゲラ笑ってしまった。(勿論ゲラゲラ笑ってはいない)
何も知らずやってきた都会のど真ん中でずぶ濡れになる彼は、なんだか僕の目には彼自身が一匹の野良猫のようにも見えた。
ふたつめにそう思ったのはどのシーンだったか、何だかんだと帆高を放り出せない須賀を観ていた時だ。「こいつ、野良猫拾ってきたような気持ちなんじゃねーの」と思っていたら後々そのまんまの台詞を夏美に吹っ掛けられていて爆笑した。(勿論爆笑はしていない)
そしてみっつめが、陽菜を観ていて思った事だった。物語序盤の彼女は帆高からしてみればお姉さん然としていて、観客の目からもとても頼もしく映る。けれど、玉ねぎの薄皮を剥くみたいに、そう見える彼女が実はそうではなかったことが明らかになってゆく。最終的に、本作終盤の大きな山場の中で、彼と彼女のお互いに向けられた想いが全くの対称を描いていることが観客に対して示される。ずぶ濡れた野良猫に手を差し伸べていたように見えた彼女もまた、この巨大な街の中で居場所を失くした一匹の野良猫に過ぎなかったのかも知れないと思った。この構造は須賀に対しても全く同じことが言える。これは、そういう「猫の話」なのだと、一面においては言う事が出来ると思うし、この彼らのどこかに見える、あるいは物語の進展に伴って見えてくる「居場所の無さ」が、先に挙げた「仕事」の話にも繋がっていると思う。
仕事の話に戻りたい。
「仕事」という観点で面白かったのは、その「仕事」を介することで彼ら、彼女らがその周囲の人々と、「社会」と、関わりをもっていったことだった。スマホや��ブレットに表示される何気ない誰かのメッセージ。意味が無かったそれが、その向こうへと関わりを持とうとした段階から、彼らにとって違う意味合いを帯びてくる。「自分達にできることがある」という事実が、何でもない誰かの声と彼女たち自身を繋いでゆく。顔の見えなかった人たちの顔が見えるようになってゆくように、「人」を介して彼らの世界が広がってゆく。
仕事というのは当然ながら、社会に対して何らかの価値を提供する行為だ。どんな仕事であれ、その行いは誰かに何かの価値を提供することで仕事として成立するのだし、つまり同時に、その先には必ず誰か、人が居る。その存在については物語の中では陽菜が端的に言っていたように、仕事をしてみなければそこに人が居る事に気づけないという種類のものなのだと思う。そして、そこに「自らを必要とする誰かが居る」という事実そのものが、その人にとってその仕事をしてゆく理由そのものでもある。もっと言えば、そうなってゆくものなのだと思う。そしてその事実が、仕事という行為を通して、そこにその人が居られる場所にもなってゆくのだと思う。人の「居場所」には常に、それを認める人々の存在がある。本作の中には、そのようにして得られた関係性の先に見える人々の姿もまた素朴に細やかに描かれている。そこに居るひとりひとりの表情の中に、彼が、彼女が、そうしてゆく理由がすごくよく見える。いいシーンだと思う。
この物語を全体として俯瞰した上で遡ってみれば、本作の中の人々は、誰であれ何処かに孤独を抱えていたようにも見えてくる。法律違反の異邦人である帆高は勿論のこと、須賀も、陽菜も、何処か居場所を失くしたような横顔を持っている。だからこそ、彼ら、彼女らは自らに何らかの役割を求めていた。そんな風にも見える。居場所が無いから、それを得られた時にはっとしたりほっとしたりする。
陽菜は結果から言えば自らの身体を削るようにしながらその仕事に打ち込んでいく訳だけれど、その過程の中には常に、「求められること」への素朴な喜びがあったように見える。言うまでもなく誰かのそういう想いを前提としてその人に犠牲を強いるような行為は社会的にも、また僕個人としても認めることは出来ない。けれどもその一方で、求められている誰かに、あるいは何かに、応えてゆくことが単純に自身の喜びになるということは、「仕事」という誰かとの関わりを得てゆく中で、その関係性という点においてすごく重要なことだとも思っている。本作の中にもずるい大人たちの姿というものは沢山描かれていて、ある意味では須賀もそういう人物であるし、個人的に一番「お前なー」と思ったのは花火大会の時のスタッフで、あいつ本作の中でも一番ずるい他人の利用の仕方をしてる奴だろうと思ってしまうのだけど、例え、そういう人々が居るのだとしても、そこで得た自身の喜びみたいなものもまた嘘ではないと思っている。
目の前の素朴な喜びが描かれてゆく一方で、彼らの周囲に広がる都市社会という巨大で無機質なシステムの姿もここには在る。
すごく個人的な感想で言うと、東京という街は僕にとってとても過ごしやすい街で、それは概ねそこに暮らす人々の「無関心さ」に基づいているように感じている。人がすごく沢山いる街なのに、時としてそれを全く感じない瞬間がある。人がそこに在る景色の一部に見えるというのか、この街は人と人との干渉がとても薄くて、時にその存在を見失う。ド田舎で暮らしたことのある人は分かるかも知れないけれど、ド田舎は概ねこれとは真逆で、人と人との結びつきがとても強い。そしてそれには良い面もそうでない面もある。
ド田舎がそのようになっている理由というのは恐らく、人の少なさに起因しているのだと思う。人の数が少ないし入れ替わりもさほどある訳では無いという環境は、結果的としてそこに居るひとりひとりをよく見ることが出来るという事に繋がる。また同時に、人が少ないという事はそこに暮らす人々が互いに力を合わせないと当たり前の生活をしてゆく事が難しいという事でもある。つまりここにもやはり人と仕事との関係が在る。
東京という巨大な都市はこのあたりが真逆だ。ひとりでボケッと暮らしていても全然問題なく生活が成り立つくらい高密度な社会インフラが整っているし、人の数も膨大でかつ入れ替わりも激しい街だから、多くの人は周りの人について関心を持たない。そうすることに意味が無いし、逆にこの街でド田舎のような人の見方を続けたらあっという間に頭がパンクしてしまうだろうとも思う。そのような都市を眺めていると「私に迷惑を掛けない限りにおいては他人がどう在っても良い」という、徹底的に人が分断されているが故の無関心さと寛容さを目にすることが度々ある。逆に言えば、この無関心さというものは、あまりにも人が多いこの街で人がうまく暮らしてゆく上での知恵なのかも知れない。1000万人を抱えるこの都市が、その概ねの人々にとって問題なく日々が回るようにするためのひとつの仕組みなのかな、みたいなことも少しだけ考える。
勿論、これには良い面もそうでない面もある。そして本作の中にはその両方が描かれていると感じた。子どもを石ころみたいに扱う大人。質問サイトの無下な回答。システマチックな店員や警官の言葉。そこに在るのは「その向こうに人が居ること」を遮断している人々の姿だ。観ていて、彼らに悪気があるようには僕には感じられなかった。彼らはただ無関心なのであり、そうある必要性とそうある日常に慣れ切った人々なのだと思う。けれど同時に、そのような人々の間で居場所を失った子供の姿もここでは描かれている。
ただ、都市の中の様々な人々の営みが描かれてゆく中に何度も差し込まれていた、東京という都市を遠くから俯瞰するカットが個人的には強く印象に残っている。本作は自然の営みという人よりも遥かに巨大なシステムを描いた作品でもあり、その視点から言えば、どれほど巨大な人のシステムも自然の前には小さなものに過ぎない、と言われているようにも感じられた。
この作品の中には、そうした人の巨大なシステムの中で、そこから足を踏み外しかけながら何とかうまいことやりくりしようと悪戦苦闘している人も居た。個人的には最も共感した人物だ。
須賀を見ていると本当に「やらしい大人の見本」としか言いようがない。たまたま命を助けたくらいで(くらいでもないけど)大の大人が子供にたかってみたり、どうせ困って行き場をなくすんだろうみたいなことを見越したような面で名刺渡したりするし、出たくない電話の番はさせるし、原稿の内容にダメ出ししつつ褒めたりもしてうまいこと何も知らない新人をいいように使い倒すし(これが本当に一番いやらしい)、給料は3,000円だし、でも上手い事経費を手当みたいにしてますみたいな言い訳するし、本当にろくでもない大人筆頭と思っていい。なんだお前、半笑いしやがって。
けれど同時に、彼の中にも素朴な大事なものがあり、目の前の譲れないものがあり、その為に彼自身もまた様々なものに気づかないふりをして、下げたくない頭を下げたり、乗りたくない話に乗ったり、うまいこと目の前の現実を誤魔化し誤魔化し取り繕いながら下手くそに日々を生きているということも描かれている。それでも彼は半笑いのままで、その半笑いの下に僕は彼の色んな表情を見た気がした。
「もう大人になれよ、少年」、相変わらずズルい事ばっかり言いやがって、相手の為、且つ絶対に譲れない自分だけの理由の為じゃねえか。合理的に、うまいこと八方丸く収めようとしやがって。そのくせその事に落ち込んで、禁煙破って深酒かまして。何だお前、ベソかきやがって。
そういう、本当にろくでもない大人筆頭の彼に、僕はとても共感する。瞼に焼き付くみたいに残ったシーンがあって、警察署を抜け出した帆高に彼が追いつくシーンなのだけど、ここまで来ても今更みたいに目の前の現実を取り繕おうとし続ける彼と、どう考えたってそんなことある訳ない話を微塵も疑わずに進もうとする帆高との対比がものすごく印象的で。「あそこから彼岸に行ける!」と帆高が指差したその先を一瞬見つめた彼の表情が僕には忘れることが出来ない。瞬間、聴こえた気がした台詞まで憶えている。「そこまでして会いに行きたい奴なんざ、俺にだって居る!」あの時の彼は確かにそう言っていたと思う。その気持ちは、僕にも何だかよく分かる気がする。勿論そんな台詞はない。
彼を中心に、というか、そういう大人の目線で本作を観ていると、これは群像劇なのだなと感じる場面が多々あった。
本作の中で好きな人物のかなり上位に、序盤で帆高に足を引っかけるスカウトの男が僕の中には居たりする(とか言うと滅茶苦茶性格が悪い)。何故この人を好きなのかというと、この人を見ているとなんだかこの作品のことが自分なりに良く分かる気がしたからだ。
彼は本編の中に4回登場していて、そのそれぞれのシーンにおける彼は、その立場というか、描かれ方が違う。すごく単にヤな感じの大人代表である冒頭、銃を向けられて「どうせ偽物だろ」と高を括って間抜けなことになる2回目、警察に追い回されてとんちんかんな言い訳をする3回目。そして、いつもの夏が来た朝の、空を見上げる人々の中で家族と呆けている4回目。そして、その描かれ方はそのまま、本作の主線である帆高から見た大人像にリンクしているように感じられる。本作の中に置かれた大人と子供の関係性だ。
本作の序盤、大人は子供である彼らの視点においては絶対的で逆らいようのない存在として描かれている。だから、子供である彼らはその気まぐれの足元を右往左往することになる。けれど、現実に大人である人なら良く知っているように、大人は意外と大人ではない。間抜けなところも、いやらしいところもあれば、頭を下げたりもするし、大事な家族だって居たりもする。空を見上げてアホ面を晒したりもするのだ。本作の中には、そういう様々な大人の姿が描かれている。その代表的な一人が須賀であり、もう一人がこのスカウトの男であるように僕には感じられた。
彼は、言ってしまえば本作の中で重要なポジションにいる人物ではない。少なくとも物語の本編に彼は大きく関わらない。けれど、そんな彼がこういう風に色んな側面を見せてくれていることが、僕にはとても意外で、とても好ましかった。そしてそれは同時に、帆高たち本作の主人公が「仕事」という関わりの中で人の表情が見えるようになってゆく過程と並行して観客に対して描かれた、そこに生きる人々の表情の話でもあるのではないかと思っている。
本作は、人の姿をとてもよく描いている。そんなふうに思う。氏の監督した作品群は俗に「セカイ系」と言われる。特に初期の作品を観ていると、そう言われる理由も分かる気がする。氏の初期の作品はとても登場人物が少ない。それはもしかしたら単純に予算や作画労力といった実務上の都合によるものなのかも知れないけれど、個人的には観ていて「ああ、この人は世の中をこういう風に捉えているのか」と感じたことをよく憶えている。
銃については、未だに自分の中でも答えが見つかっていない。現代の東京を綿密に描こうとしたとき、観客の大多数にとってリアリティを欠くであろうこのモチーフが必要だったのかということは、僕には分からない。ただ、氏の過去作品を踏まえてみれば銃というのは「大人の力」の象徴だと捉えることが出来る。勿論それは子供が持つには明らかに不相応なものだけれど、その不相応なものを手にしてしまった子供という描かれ方はとても良かったと思っている。まさか本物だとは思っていない最初の場面、不相応な力を行使してしまった事への恐怖が描かれている2つ目の場面、そして、不相応な力を借りても、という覚悟が見える最後の場面。そこで描こうとされたものを描く上でのこの道具はとても効果的に機能していたと思う。それでもやはり、そのためのモチーフとしてこの道具が最も適切だったかと問われたら、僕はうまく答えることが出来ない。
思った事一個いっこ書いておこうと思ったら全然終わらなくなってしまった。この記事は何とか今日中にあげてしまいたいので一旦ここで終わりにしたい。というか肝心な本作の主線であろう主人公たちの話、天気の話、作品としての構造の話がまるっきり出来ていない。余裕があったらそのうち下の方に書き足しておこうと思う。
たぶん、この作品は人によって色々捉え方が異なる作品なんだと思う。というか巷でもそう言われている。色んなひとの話を眺めていると、僕とは全然違う物語をこの作品から読み取っている人がいて個人的にはすごく面白かった。中でも印象的だったのは「『天気の子』は縄文文化の話!」っていう話で滅茶苦茶面白かった。世の中は広いなあと思う。
「選択」について。彼が選んだのは何なのか。個人的にはぱっと見てすご���分かり易い話のようにも思えたのだけど、巷を見てみると色んな捉え方がされていて、僕の見たものが本当に正しいのかは分からない。ただ、そう感じたという事で書いておきたい。
本作の物語の主線において、その主人公たる帆高はふたつ、大きな選択をしているのだなと観ていて思った。
ひとつめは、陽菜の存在と世界の平穏。人ひとりと世界全体を天秤にかけることがどういう事なのかは僕には分からない。けれど、少なくとも氏の過去作品における主人公たちの選択と、本作のそれとは大きく異なるのではないか、とは感じた。何故かといえば本作がこれまでになく人を、社会の中に暮らす人々の姿をよく描いた作品であり、その主人公たる彼は、その天秤のもう片側に乗った、人々の素朴な笑顔であったり、それによって彼自身にももたらされた、たくさんのものの存在がある事を知っている、少なくとも見てきてはいる筈だと思うからだ。それは、主人公たちとは隔絶された、壁の向こうの背景のような人々と比べることとは全く違うと思う。その選択が正しいものなのかどうなのかということは僕には分からない。けれど、ここで彼がしているのは、過去の氏の作品の中にあったそれらよりも、ずっと重い選択に違いないと思う。
そしてもうひとつは、本作のエンディングに示された選択だ。ここでは、それまでとはまるっきり変わってしまった世界の在り方と、それでも何だかんだでうまいこと変わらない日々を過ごす、強かな人間の姿。ちっぽけでしぶとい日常の景色である。
このシーンの中に桜の話があって。今年は天候も穏やかで桜も長く楽しめるでしょう、みたいな天気予報に、楽しみだねー、みたいな何でもない話で。そこに個人的にひっかかったのは、桜って雨が降ると本当にあっという間に散ってしまうから、それはおかしいのではないか、ということで。
ただ、よくよく考えたら桜の楽しみ方って別に一つではなくて、例えば花筏と呼ばれる川面に浮かぶ桜を眺めたりするのもあるなあ、ということを思い出して。たぶん、ここで言う「穏やか」というのは、天気が晴れる、ということではなく、単純に豪雨とか嵐とかにはなりません、くらいの意味なのかなあ、と捉え直した。そういう風に捉えて見ると、このシーンは人間のしたたかさみたいなものが良く表れているようにも思えてくる。雨が降って桜が楽しめなくなるのではなく、その楽しみ方そのものが変わる。天候が穏やか、という言葉が差す意味そのものが変わる。人間は適応する生き物だとはよく言われる。よくよく見ているとこのシーンには他にも壊滅した道路交通の代わりに水上バスがこれでもかと行き交っていたり、高島平の周辺には公営住宅らしき建物群が急ピッチで建てられているらしき様子も見られる。「人間なんてどうせしぶといんだから」と言われているような感じがした。
どうせしぶとい人間たちの、世界が変わっても変わらない社会。その在り様を示したうえで、本作はその主人公たちに決断を迫る。「お前たちのせいなわけないじゃねえか」と、甘く優しく、大人たちの常識に基づいて、そんなことはどうでもいいと言うように彼らに語りかける。その選択というのは、つまりはこういうことだと僕は思う。
https://www.youtube.com/watch?v=DdJXOvtNsCY
もう一度貼っておく。
映画館を出て、帰宅して、もう一度これを見てみた。口から出たのが「ずるいなあ」という感想だった。
「これは、僕と彼女だけが知っている、この世界の秘密についての、物語だ」
「あの景色。あの日見たものは全部、夢だったんじゃないかと、今では思う」
「でもそれは夢じゃないんだ」
「あの夏の日、あの空の下で僕たちは、世界の形を、変えてしまったんだ」
「ずるいなあ」と思った。この映像が示すところの意味が、本作を観る前と観た後とでは全く違う。
つまり、二つ目の「選択」は、ここに在る。
世界の在り様は変わらない。どうせ元に戻っただけ。お前たちのせいなわけねえ。
そこには、変わらない社会と、世界の変化の原因を常識の枠で捉えようとする人々の姿が在る。主人公たちにとっても身近な人々の姿。そうでない人々の姿。極端なことを言ってしまえば、あの空の上での出来事は実はまるごと彼らが見た夢で、東京は単に急激な気候の変化で水没したというだけなのかも知れない。少なくとも大人たちはそう考え、その前提の上に社会を再構築しながら暮らしている。僕自身、理性的に考えれば恐らくそちらの方が正しいだろうと考えるに違いない。
けれど、この選択においてはそのことはあまり重要じゃない。
重要なのは、「その時自分が、何を想い、何を選んだのか」ということ。つまり、ここでの彼には、常識的な価値観と合理性に基づいた責任のない世界と、例え夢の中でも<僕たちがこれを選択した>という、自己認識に基づく責任を負ってゆく世界という、二つの世界に対する認識のどちらを選ぶのかという選択が迫られている。そこで彼が選んだ答えは、作品が示したとおりだ。
すごくずるいなと思った。これまでの作品とは違って、ここには時間的な断絶も、空間的な断絶も存在しない。同じ場所、同じ街の、同じ景色を見ながら、そこに広がる世界の在り様は、彼らとその周りの人々とで完全に断絶している。つまり、本作が言っていることはすごく単純で、「自分が大切に思うものをきちんと選び、引き受けろ」ということだという風に僕は感じた。
そしてそれは先の映像の話にもどると、まるっきり新海監督自身の話のようにも思えた。この映像の前半部分を捉え直すと、氏がこれまで描いてきた作品の中で、ふたつの共通したものを描き続けて来たのだという事が見て取れる。そしてそれは、本作の中にも変わることなく存在している。前作『君の名は。』の公開にあたって、沢山の人に観てもらえたけれど批判もたくさん受けたという。本作における主人公たちの選択のかたちを見ていると、なんだか僕にはそれが、「自分にとって大切だと思うものをこれからも描き続ける」という、氏の高らかな宣言のようにも聞こえる気がした。勿論それが本当にそうなのかどうかは分からないし、冷静に考えればそんなことはどこにも書かれてはいないので、ただの僕の勘違いという方が冷静に考えれば正しい。けれど少なくとも僕自身はそのように感じていて、もし仮にそうなのだとしたら、その選択はすごく僕にとって嬉しい選択であることは確かなことだと思っている。
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2019年ベストアルバム
1. IGOR/Tyler, the Creator
前作の『Flower Boy』(2017)に引き続き、今回も遊び心満載の一枚をリリースしてきました。一曲目の「IGOR'S THEME」(M-1)、一発目に鳴るシンセの音から壮大な叙事詩の幕開け感がすごいです。この音色、「EARFQUAKE」(M-2)ほかアルバム内のいろんな楽曲で多用されているので、タイラーの今作お気に入りサウンドなのでしょうか。食べたことなかったけど美味しいわ!って食材とか料理、しばらく飽きるまで食べたくなることってありますよね。それから彼がよく使う、ゴムボールをバウンドさせるようなちょっと曖昧なベース音が今回も心地よいです。子供の頃たまに遊んでいた、鈍くラメっぽい光沢を放つ原色の謎ボールを思い出します。「PUPPET」(M-8)の前半、たまに三連が挟まれるビートが眠りを誘います。後半で急に不穏な展開になるのもいいですね。
何と言っても「GONE,GONE/THANK YOU」(M-10)、タイラーの真骨頂が今回も発揮された感じです。前作でもいくつかの曲で感じましたが、彼はゴリゴリのラップを詰める部分とメロディアスなフレーズを流す部分を、一つの楽曲のなかにコントラストを作って織り込むのがものすごくうまいです。曲の���盤、ラップパートに向けてだんだんフレーズが下降していく展開のさせ方も思い切りがすごいです。前作の「Glitter」という曲でも、後半で再生スピードを低下させてラップに変化をつけるのですが、そういう操作を大胆にやってしまう。ヒップホップのトラックは、サンプリングした同じビートをリピートさせることも多いので単調になりがちですが、彼のトラックには遊び心とセンスに満ちたポップさがあります。
ところでこの「GONE,GONE/THANK YOU」という曲は、山下達郎の「Fragile」(1998)という曲へのオマージュが含まれていることで話題になりました。サビのメロディーはほとんど同じですが、歌い直されているのに加えて歌詞も少し変えられているので、サンプリングではありません。曲名がスラッシュで区切られていることや、クレジットに山下達郎の名前が記載されていることからも彼のリスペクトが読み取れます。このオマージュパートに入る直前、いったん次のような語りが挟まれてトラックに切れ目ができます。
I hate wasted potential, that shit crushes your spirit really does, it crushes your soul
ここでは、アメリカでコメディアン、俳優、作家として活動しているJerrod Carmichaelの言葉が引用されています。才能を無駄にしてしまえば、心や魂を壊すことになる。自分の能力やセンスを強力に信じている人にしか、なかなか言えることではないと思います。前作について、タイラーが彼と1時間ほど対談してるインタビューもあったので、少なからずインスピレーションを受けているのは確かでしょう。画面分割の仕方までスタイリッシュです。
【FLOWER BOY: a conversation】
2. Body - EP/んoon
んoonは、ボーカル、鍵盤、ベース、ハープという変則的な日本の四人組バンドです。以前から名前は見たことがあったのですが、「んーん」なのか「ふーん」なのか「んおーん」なのか読み方がわからず、近づけずにいました。新しい職場とかに凛とした青いショートヘアの人がいて、気になるけどどうやってコミュニケーションをとったらいいか分からず躊躇するみたいな感じです。そういう人が身近にいたことないので分かりませんが。正解は「ふーん」でした。
toeというバンドのライブ映像を漁っているときに、「レイテストナンバー」という楽曲のゲストでボーカルのJCが参加しているのを見て、バンドの存在を初めて知った記憶があります。すごい貫禄のゴスペル系ゲストボーカルだと思っていたら、んoonを聴いてみると繊細な声と歌詞にやられました。
【Toe - The Latest Number / レイテストナンバー (Live in Bangkok 2019)】
今作で一番好きなのは「Suisei」(M-6)です。前半のビートは昨今流行している三連に裏拍を足したハイハットのリズムで、ゆるいヒップホップ+ソウル調のチルビートです。かと思いきや、後半でテンポアップして16分の疾走ビートに変化するのが憎い展開です。一方でハープがほとんど同じリズムを鳴らし続けているのが、きもちよくて安心します。音楽を聴くときにあまり歌詞を気にしないことが多いのですが、よく聞くと言葉選びの感覚が鋭利です。作詞はんoon名義ですが、とにかくこの歌詞が好きな人とは生涯気が合いそうです。
雨粒一つ、目地に落ちて
私は一人のPOPな修羅
このライン間の跳躍、只者ではないです。吉増剛造と並ぶ詩的感覚を持ち合わせています。「POP」と「修羅」という語が隣り合う日が訪れると、誰が予測できたでしょうか。それから、同アルバムの「Gum」(M-3)にも「目地」という語が出てきます。ときどき歩いているときに、ふと下を見て目地を目でなぞり、苔が生えてたり、ブロックが欠けていたり、蟻が這っていたり…いろんな発見をしつつ身体スケールの飛躍が起こります。路地とか目地とか、その中に入っていくと自分の身体も小さくなる感じがしていいですね。
3. Dream Girl/Anna of the North
ボーカルの程よい気の抜け方と、声の処理、コーラスの重ね方がとにかく心地よいです。目覚ましにもいいし、寝る前にも聴きたくなる一枚。歌詞はわりとピュアな恋愛ソングって感じの曲が多いですが、そこは目を瞑ります。声とテンポ感と四つ打ちのスペーシーな空気感で十分です。何も考えずに聴けるような爽やかさが、アルバム全体に漂っています。
「Lonely Life」(M-5)は、イントロのギターフレーズの掴みが完璧です。それからサビの語りっぽくなるフレーズ(It’s a lonely life, it’s your only life, it’s a lonely life The way that we live it)は、これでもかと声が重ねられていて、恨み節なんじゃないかと震えます(賛辞です)。
朝にも夜にもぴったりくると言いつつ、「Thank Me Later」(M-7)は1日が終わりそうな夕方に聴きたくなる一曲です。いつ何時でも飛ばさずに聴ける音楽って、なんだかんだ貴重だと思います。テーマがネガティヴでも、曲調をポジティヴに保てるのはすごい才能です。
アルバムを通してスロー〜ミドルテンポの曲が多いのですが、「Playing Games」(M-11)は唯一アップテンポなナンバーです。直感的に玉置浩二の「田園」(1996)を思い出しました。今年『かぐや様は告らせたい』という映画が製作されましたが、そんな恋愛心理戦を感じずにはいられない歌詞です。橋本環奈と平野紫耀のファンには申し訳ないですが、雑な引用でごめんなさい。
Anna of the Northは歌い手のAnna LotterudとプロデューサーのBrady Daniell-Smithのユニットなのですが、歌詞に対してどこか客観的で宙に浮いたエレクトロポップ感が出ているのは、作曲にブレイディが介入しているからなのかもしれません。これからどう展開していくのか楽しみなアーティストです。
【P3 Live: Anna of the North "Leaning on myself"】
4. Flamagra/Flying Lotus
今年9月に来日し、新木場STUDIO COASTでもライブを行ったフライローの新作です。前作の『You’re Dead!』(2014)からおよそ5年ぶりのリリースですが、一聴してすぐにわかるくらい、かなり聴きやすくなった印象です。楽器のチャンネルの偏った振り分けとか、強調する帯域のドンシャリ具合がフライローの大きな特徴の一つだと思っていたのですが、今回はそうした音響面のバランスが整っただけでなく、進行や音色選びもポップになってます。いかつさが薄まって宇宙感が強くなりました。
「Post Requisite」(M-2)は、彼が2017年に初監督となり製作した映画、『KUSO』のプロモーションとしても公開されていたPVで先行公開されていました。色んなグロコラで埋め尽くされたビジュアルを見て、すでに嫌な予感がしていました。YouTubeに240Pの低画質版があげられていたので観てみましたが、これは映画館スケールで観られないかもしれないと思いました。試写会で途中退場者が続出したのも頷けます。ですがこの曲名にもあるように、必要性の後の世界には無駄なものや習慣的な理解の及ばないものが溢れるのかもしれないです。それはそれで、現代の効率主義的な生きづらさから解放されていいかもしれません。
【Flying Lotus - Post Requisite】
曲名を見たときはApple Musicのバグかと思いましたが、「Takashi」(M-8)という曲があります(ミュージックマガジンのインタビューで知りましたが、どうやらチームラボの工藤岳氏から取られているようです。チームラボは苦手ですが曲はかっこいいです)。ふざけてんなぁとオラつきそうになりましたが、バスドラだけが早く聞こえるインテンポの四つ打ちが変なノリを生む、スルメキラーソングでした。パキパキした、サステインの無いクラヴィネットみたいな音色の鍵盤がたくさん鳴ってるのも気持ちいいです。このアルバムでは、前作よりシンセの鍵盤ぽいフレーズや音色が多用されているのですが、まさかの出来事がフライローに起きていました。
小玉ユキ原作の『坂道のアポロン』という漫画が昨年3月に映画化されましたが、なんとアポロンを読んだフライローが「ピアノもっとうまく弾けるようになりたい!」と張り切って練習した結果が今作に結実してるそうです。彼の楽曲によく参加してるThundercatともども、日本発のカルチャーにインスパイアされている作り手に出会うと、自分のことではないけどなんか嬉しいです。Thundercatはこれからも独自ファッションを貫き通してほしいところです。あのミンチヘアー短パンスタイルはどこにルーツがあるのか見当もつきません。
【Thundercat: NPR Music Tiny Desk Concert】
5. Fyah/Theon Cross
チューバでジャズをやる新生クレイジーチュービストの登場です。イギリスの現代ジャズプレイヤーをディグっていたとき、関連で出てきたのが彼でした。Nubya Garciaというサックスプレイヤーの曲を探していたら、なんかでかい楽器を持ち歩いている男のジャケを見つけました。自分自身チューバをやっていたことがあるので、すぐにチュービストだということはわかりましたが、まさかジャズプレイヤーだとは夢にも思いませんでした。金管楽器奏者の間では有名な「熊蜂の飛行」というチューバ主役の金管アンサンブル曲がありますが、基本的に早いパッセージに適した楽器ではないからです(ベース楽器ですし)。
先ほど挙げたサックス奏者のNubya Garciaと、ドラマーのMoses Boydが参加しています。おそらくみんな同世代の、30歳手前くらいのプレイヤーです。こうやってどんどん新たな地平を若手たちで切り開いていく感じ、かっこいいです。
【Theon Cross - Candace of Meroe | Sofar London】
チューバってかなり丸っこい音というか、輪郭がぼやっとした音色が特徴なのですが、そん���楽器がメロディーを吹いたりもするので、総合的に耳に優しいアルバムになってます。ずっとチューバが主役というよりは、サックスがメインパートになるときはベースラインを弾きつつ、ソロもとるみたいな役回りです。ただ音響のバランスとしては通常のベースパートよりも常に大きめに鳴っているので、脇役に回るという感じは無いです。音響面での立ち位置の作り方が巧妙だと思います。
「Panda Village」(M-6)という曲があります。パンダ、単体か指で数えられるくらいの頭数ならまだ可愛いですが、パンダ村となると怖いです。それくらいの共同体になると噂もすぐ広まるし、権力闘争も激しさを増すでしょう。知っている人はわかると思いますが、横浜中華街の一角にあるパンダゾーンを思い出しました。この曲以外にもいくつかの曲で聴けますが、チューバの音にオクターバーをかけてる(実音とオクターブ下の音が同時に鳴っている)ような音色が使われていて、ドスの効いたサウンドが特徴的です。パンダの群れ感が表現されているのでしょうか。Moses Boydもどこか気持ち悪いノリのアフロビート感があって、変なダンスを発明できそうな一枚です。
6. Kuro (OST)/Tujiko Noriko
フランス在住のアーティストで映像作家としても活動している彼女ですが、一昨年ベルリン在住の映像作家であるジョージコヤマとともに監督・製作した『Kuro』(2017)という映画のサウンドトラックです。すでにグローバルな匂いがすごいですね。この映画、めちゃめちゃ面白そうなので観てみたいのですが、どうやら2017年以降アップリンク渋谷や京都のMETROなどで何度か上映されてはいるものの、DVD化はされていません。今のところは再上映をただ待ちしのぶしかないようです。
【Kuro - A film by Joji Koyama and Tujiko Noriko】
去年、山中瑶子監督の『あみこ』(2017)という映画を観に東中野ポレポレに行ったとき、上映前に流れていた曲の一つが彼女の曲でした。そこで流れていた「saigo no chikyu」(『solo』(2007)、五曲目に収録)で彼女の存在を知ったのですが、かなり衝撃を受けました。サンプリングされている音がどこか無機質で、金属っぽい冷たさと硬さでできている感じでした。曲名を知る前から、人間がいなくなった後の殺風景な地平がイメージとして浮かんでいました。なので、シャザムで曲名を知ったとき妙に腑に落ちた記憶があります。
ポップな音源を作る際にも機械音やノイズをたくさん取り入れる彼女の感覚は、そもそも映画音楽のようなものと相性がいいのかもしれません。アンビエント的な志向をすでに備えているというか。サントラとしてリリースされた今作も、そんな無機質かつ宇宙的な広がりを持つ音像がいい方向に出ています。ジャケットになっている、枯れ草の生えた草原の中で女性(おそらくツジコノリコ自身)が踊っているシーンは、音楽の持つ世界と響き合うように見えます。「Romi Sings」(M-12)では、風呂場なのか、台所なのか、ぴちゃぴちゃと水の音がしたあとで、ツジコ演じるロミが「ゴンドラの唄」の一節を口ずさんでいる様子が収録されています。「いのち短し恋せよ少女」のフレーズで有名なあの曲です。ハミングも含めて綺麗な流れを持った曲です。夜になって、周りが目視で確認しにくくなった浜辺を歩きながら聴いていたいような、静かで怪しい雰囲気のする一枚です。冬眠している熊みたいな気分になれます。
7. Brol La Suite/Angèle
偶然フランス続きになりましたが、フレンチポップの新生による新作です。昨年リリースされた『Brol』(2018)というアルバムのコンプリート版のような一枚です。la suiteは「続編」という意味になるようなので、前作の続きみたいな位置付けになるのでしょうか。同じ楽曲が収録されている一方で、その別バージョンや新曲が新たに収録されています。
YouTubeにCOLORSという、原色の独房のような空間で色んなアーティストが歌うチャンネルがあるのですが、そこで「Ta reine」(M-17)を歌う彼女を観て聴き始めました。まず、グレーとピンクの格子柄セットアップスウェットの見事な着こなしにグッときました。こんなの着たら、人類の8割は救いようのないダサさに陥ってしまいそうです。ナイキのソックスにレザーシューズスタイルも決まってます。
【Angèle - Ta Reine | A COLORS SHOW】
フランス語は聞き取りもできないし、読めもしませんが、響きが綺麗です。声自体はアンニュイな雰囲気なんですが、なんか力強いです。ビートが所々ヒップホップっぽいからかもしれません。ちなみに彼女の兄もRoméo Elvisというヒップホップのアーティストなので、血のつながりなんでしょうか。今作でも「Tout oublier」(M-11)で共演しています。兄の方は打って変わって、低みのあるバリトンボイスで納豆みたいな声質をしています。稲刈りをしているコンバインとセキレイが、同じ畑で戯れてる感じです。
曲調もマイナーっぽい曲が多いので、ただのおしゃクソポップになっていないところがすごくいいです。直感的にですが、フランス語は韻を作りやすそうな言語です。語尾の子音を発音しない分、発音のバリエーションが制限されるからでしょうか。ほんとに聞き取るのが大変そうな言語だと思います。
先月「Oui ou non」(M-2)のPVが公開されました。出来たてのパスタをばあちゃんの頭に乗せてみたり、クリスマスプレゼントの人形のパッケージを子どもが開けたそばから暖炉に投げ入れてみたり、美肌クリームを食べてみたり、攻めた仕上がりになっていました。信頼や安心安全を本当らしく歌い上げる広告を、徹底的にこき下ろすような皮肉に満ちたコンセプトがかっこいいです。小○製薬みたいな胡散臭いCM、あれはあれで僕は好きです。
【Angèle - Oui ou Non [CLIP OFFICIEL]】
8. These days/Daniel Casimir & Tess Hirst
またもUKジャズシーンのアーティストによる一枚です。ベーシストのDaniel CasimirとボーカリストのTess Hirstによるコラボ作です。イギリスの現代ジャズって、アメリカのRobert Glasperとかの傾向とはちょっと違うかんじがします。グラスパーはとくにヒップホップのテイストをだいぶ強めに入れますが、UKジャズはわりかし伝統的なジャズの要素が強い気がします。スマートでスタイリッシュ。細身の英国紳士が背後に構えてるのが見えます。Mark GuilianaやJojo Mayerのビートミュージックをもっと有機的にした感じと言えばいいでしょうか。
先ほどのTheon Crossのアルバムにも参加してました、Moses Boydのドラミングにも似た、アフロ感のある速度とフレーズを今作にも聴き取ることができます。中でも先行配信されていた「Security」(M-2)という曲、ドラマーはOlly Sarkarという人なのですが、めちゃめちゃ音数が多くて危なっかしいフレーズを叩きます。いつロストするんだろうとスリル満点です。
Tess Hirstの声はクールで透明感があり、全体的に品もあるので楽曲の雰囲気とかなりマッチしています。Daniel Casimirの方は、たまにソロとったり、「Magic Money Tree」(M-5)では狂ったリフも弾いたりしますが、わりとベーシックなプレイに徹しているようにも聴こえます。ギターや鍵盤のリフやソロもかなりかっこいいし目立つので、すごくバンド全体のバランスを考える人なのでしょう。人付き合いがうまそうです。
正直、イギリスのロックがあまり好きじゃなかったので、全般的にイギリス出身の音楽を少し敬遠してたのですが、昨今はJorja SmithやPuma Blue、Ezra Collectiveといった面白いミュージシャンやグループがどんどん出てきている印象です。これからも引き続きチェックしていきたいとおもいます。
【Live at Moods: Daniel Casimir & Tess Hirst】
9. Outer Peace/Toro y moi
まずジャケがかっこいいです。一面夕焼けみたいな背景の、セレブ仕様宇宙ステーションみたいな場所で、バランスボールに乗って作業しているのがかのToro y moiです。
どうすればこんなダンスナンバーがぽんぽん作れるのか、教えてほしいです。ダンスエレクトロなので、シンセとかベース、バスドラの重低音がきつめに出るような音響が心地いいです。しつこいくらい同じフレーズが繰り返されるような曲が多いはずなんですが、不思議と聴いてて疲れがないです。韻を綺麗に踏むのもあると思いますが、使ってる音色の配分の仕方や、間の作り方がうまいんだと思います。彼のエフェクトがかかった声も含め、どの音色もキャラが強いので、帯域が干渉しないようにするのが大変なはずです。その処理がめちゃくちゃ巧みに施されてる印象です。振動で脳にストレスを感じるギリギリのところで、四つ打ちのキックをなくしたり、音圧を減らしたりしているように思います。絶妙な禅的センスを感じます。カリスマの成せる技てんこもりです。
先ほどのAnna of the Northのアルバム��はないですが、本作も飛ばさずに通しで聴き倒せる仕上がりです。強いて言うなら「Laws of the Universe」(M-3)と「Who I Am」(M-8)がお気に入りです。「Laws of the Universe」の歌詞に【James Murphy is spinning at my house, I met him at Coachella】という一節があります。James MurphyはLCDサウンドシステムの名でも知られる多彩な活動家ですが、「マーフィーが家でかかってる、彼とはコーチェラで出会ったんだ」っていい具合の軽さがある歌詞です。ヨドバシで一目惚れした扇風機、お気に入りで使ってるんだ〜くらいの軽さです。spinて、レコードが回転しているイメージなんだと思いますが、人が踊り狂っている感じも同時にするので、豊かな動詞です。ただアルバムを通して、マーフィーが踊りまくっている情景が充満しているのはすごく分かります。
【Toro y Moi: NPR Music Tiny Desk Concert】
「Who I Am」は、特に一曲の中でビートのコントラストがよく出ているナンバーです。ところどころ入るブレイクが気持ちいいです。一度も信号に引っかかることなく、めちゃめちゃスムーズに電車の乗り継ぎに成功したときとかに、お祝いソングとして聴きたくなる感じです。【Kawasaki, Slow it down】のKawasakiって何でしょうか、気になります。川崎モータースのことかと思いましたが、少し調べてみると「Kawasaki Synthesizer」なるものを見つけました。現在72歳、ジャズギタリストとして活動している川崎燎が、80年代に米国で発表された家庭用コンピュータ「コモドール64」用に作った音楽ソフトの一つです。他にも「Kawasaki Midi Workstation」などがあるようです。鍵盤の音色の雰囲気からしても、こちらのKawasaki説が濃厚そうです。川崎氏はバリバリの現役で仙人みたいです。John Scofieldに似たタイプの貫禄があります。
【Ryo Kawasaki & Level 8 at Cotton Club Japan - 2nd Show July 2, 2017 Full Length】
「New House」(M-5)のように、スローテンポのスーパーチル曲も手がけられるToro y moi、とにかくバランス感覚に優れています。ここからどんな路線を進んでいくのか期待感満載です。
10. Fuck Yo Feelings/Robert Glasper
毎度おなじみグラスパーによる新作です。彼を一躍有名にした『Black Radio』(2012)以来、ドラムのChris DaveとベースのDerrick Hodgeが一挙集結しました。気持ち悪いビートコンビの安定感は健在です。アルバムのタイトルからも分かりますが、今回はジャズっぽい要素が薄めで、徹底してヒップホップにフォーカスした一枚です。今年からだったか昨年からだったか、Chris Daveが自身のソロプロジェクトのライヴで見慣れないシンバルを使い始めました。Istanbulというシンバルメーカーがあるのですが、そこから出たClapStackというシンバルです。その名の通りクラップ(手拍子)の音がします。もともとリズムをとるために叩いてたであろう手の音が、安定して出せるような一つの音色としてデジタルサウンドになり、ついにシンバルの金属音として再現されてしまいました。それはもはやクラップではないと思うのですが、確かにプログラム化されたクラップの音って、すでに誰の手でも出せるような音ではなかったように思います。もとはクラップを名指していたはずの音が、手では出せないような音へと変わっていき、受容の仕方のほうも変化していく。ナポリタンとか家庭のカレーライスみたいな感じですね。ともかく、今作では一曲目からClapStackの音が炸裂しているので要チェックです。一方のDerrick Hodgeはねっとりしたラインを弾いたりもできるし、複数の弦を同時に鳴らしてコードを置いていくような、安定したフレーズを弾くこともできる万能ベーシストってイメージがあります。たまに彼が鳴らすぽろんぽろんした、木琴みたいな音色も独特ですよね。
このアルバム、全曲順番に聴いていくと全部繋がっていて、ミックステープみたいな仕上がりになっています。「All I Do (feat. SiR, Bridget Kelly & Song Bird)」(M-10)は、ちょうどアルバムの真ん中に位置する楽曲ということもあって、一旦流れを止めるスローでメロウな一曲になっています。秋の夜長に聴きたい一曲です。もう冬も年末ですが。続く「Aah Whoa (feat. Muhsinah & Queen Sheba)」(M-11)はまたもいかつめのビートに一転する、ベースリフのクールなナンバーです。
全体で一つの長大な楽曲という感じなので、基本的にどの曲が一番好きかとか決められないです。そんなことより、相変わらず楽しそうに演奏する人たちだなと嬉しくなります。ただChris Dave自身めちゃめちゃ癖のあるビートを叩くので、基調がヒップホップの今作だと必然的に目立ちすぎる印象です。もう少しグラスパーの持つジャジーな部分が出た作品の方が個人的には好きです。それでいうと「Sunshine (feat. YBN Cordae)」(M-15)、「Liquid Swords」(M-16)はかなりバランスのとれた二曲だと思います。ジャズのインプロっぽい空気も強いので、このアルバムにおいては箸休め的な役割を果たしています。
異なるジャンルを横断的に取り入れたり、色んなアーティストたちとコラボしてみたりと好奇心が止まらないグラスパーですが、これからも目が離せません。
【The Robert Glasper Trio at City Winery Chicago】
今年はこうして見返してみると、落ち着いた雰囲気がありつつも宇宙感の強い音楽を好んで聴いた年でした。ディグるジャンルは、ヒップホップとかUKジャズシーン、映画のサントラなどに少し偏っていたかもしれません。『万引き家族』のサントラに加えて、過去作の新録&リミックス版を出した細野晴臣とか、アピチャッポン・ウィーラセタクンのサントラとかもよく聴いてました。ポップスにも少し手が出せたので、来年はもう少し攻めていきたいと思います。今年もお世話になった方々、ありがとうございました。
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桜庭ななみさんが登場!「タベサキ」2019年5月号公開 時代の新潮流!ニューウェーブ蕎麦 無料で読める電子雑誌を発行する株式会社ブランジスタ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岩本恵了、証券コード:6176)は、桜庭ななみさんが表紙を飾るグルメ情報にフォーカスした電子雑誌「タベサキ」5月号を公開いたしました。 ■“おいしいもの”が目的地 「タベサキ」Powered by 旅色 http://bit.ly/2IIhakG 大人の女性に上質な旅時間を届けるウェブマガジン「旅色」が提案する「食」に特化した電子雑誌「タベサキ」。5号目となる5月号の表紙には、桜庭ななみさんが登場。伝統にこだわらない新しいアイディアで創作される、お蕎麦をご紹介します。平成から令和に時代が変わる今、蕎麦の新しい波をぜひチェックを! また、うどん県としてもお馴染みの香川のさぬきうどんの旨さに迫る旅もご案内。今号もお腹を空かせながら、お楽しみください。 ■ 時代の新潮流!ニューウェーブ蕎麦 http://bit.ly/2IWsp89 ふらっと食べられる立ち食いスタイルから、ピンと背筋が伸びる老舗まで、���本の食文化の代表ともいえるお蕎麦。そんなお蕎麦がここのところ進化中。パスタ感覚の味付けやウニが盛られているなど、決まった枠にとらわれず、自由な発想でつくられた新メニューをご紹介します。 ■ 有名人のこだわり語り“おいしい”話 Vol.5 桜庭ななみさん http://bit.ly/2IIOyru 外食に行く機会が増えて、今は「レモン鍋」にハマっていると語る桜庭さん。お蕎麦も好きで、今回の撮影で登場した「塩レモンクリーム蕎麦」は好きなものがコラボされていて、撮影が終わってもそのまま食べ続けていらっしゃいました。また、地元でのおすすめグルメや旅の思い出など、食を通した、自身のライフスタイルやこだわりも伺います。 ■ 金色の小麦と瀬戸内海の塩が���め手 本場のさぬきうどんを食べたい! http://bit.ly/2IX9hXW うどんの生産量、消費量ともに日本一を誇る香川。たわわに育った小麦の収穫を迎える初夏に、讃岐の国に出掛けて本場の味を堪能します。 ■ “いま”を食べる 旬の味ごよみ http://bit.ly/2IJr2ud 季節の移ろいを感じる――。この時期にもっとも美味しい旬の食材、「鯛」「アスパラガス」「新茶」「夏みかん」と、それら食材が味わえるイベントをピックアップしてご紹介します。 ■ 連載 / もし村上春樹が食べ歩きをしたら ぶらり、村上さんぽ 文・菊池良 http://bit.ly/2IX9j20 『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社刊)など、文体模写の鬼才として知られる、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載第5回。今回は蕎麦の名所としてしられる深大寺をぶらり。 ■「タベサキ」媒体概要 「あれ食べに行こう!」で、目的地を決める旅もいい。時間にもとらわれず、好きなものを食べる。それは、すべての人が体験できる、最高の癒しです。わざわざ足を運びたくなる遠くの場所からいつもの通りを一本入った近くの店まで移動の距離や時間に関わらずワクワクする気持ちさえあれば、それは、旅そのもの。『タベサキ』は、食をきっかけとした旅のスタイルを発信する電子雑誌です。毎号、旬のグルメ情報や、その土地ならではの食材情報をお届けしていきます。 <株式会社ブランジスタ 会社概要> URL :http://bit.ly/2mluzUo 本社所在地:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町20-4 ネクシィーズスクエアビル 代表者 :代表取締役社長 岩本恵了 設立 :2000年11月 事業内容 :電子雑誌出版・電子広告・ソリューションサービス 本リリースに関するお問合せ 株式会社ブランジスタ 広報担当:田口隆一 e-mail:
[email protected] TEL:03-6415-1183 #tabesaki #5月号 #2019年 #桜庭ななみ #桜庭 #ななみ #インスタ #インスタ女子 #グルメ #グルメ情報 #タベサキ #蕎麦 #旅スタイル #旅行電子雑誌 #動画 #新しい #別冊 #おいしい #芸能界 #食通 #フォトジェニック #注目店 #食 #ブーム #季節 #食材 #うまい #シェア #PR #食べる #撮る #カジュアル #名店 #有名人 #こだわり #料理 #外食 #お店 #特産 #名産 #特産品 #物産 #ご当地 #グルメ #お店選び #食材 #伝統野菜 #野菜 #旬 #味ごよみ #女優 #村上春樹 #食べ歩き #村上さんぽ #文 #菊池良 #記事 #季節 #美味しい #ブランジスタ #観光 #宿泊 #旅館 #旅色 #旅色コンシェルジュ #ホテル #リゾート #旅 #温泉 #源泉かけ流し #無料 #電子雑誌 #食 #ランチ #飲食店 #厳選 #自然 #プロモーションメディア #メディア #プロモーション #伝統 #国内 #国内旅行 #食べ歩き #旅行 #雑誌 #巡り #めぐり #タレント #満喫 #魅力 #インスタフォロワー #SNS映え #インスタ映え #映え #読者 #インスタグラム #思い出 #写真 #旅写真 #スポット #トリップ #SNS #話題 #イベント #味わえる #目的地 #パソコン #スマホ #タブレット #ブランジスタ #ぶらり #文体模写 #食文化 #肉厚 #黒毛和牛 #和牛 #有職料理 #高級 #米どころ #新米 #鍋 #鍋料理 #お肉 #野菜 #麺 #ごはん #食べ過ぎ #栄養満点 #ヘルシー #地方 #原風景 #収穫 #もっちり #食感 #毛ガニ #寒ぶり #ゆず #カキ #飲食店 #レストラン #ディナー #ランチ #店 #全国第1位 #全国1位 #鹿児島 #うなぎ #養殖 #生産量 #鰻 #北海道 #地産地消 #新メニュー #お寿司屋 #寿司屋 #アンジャッシュ #お笑いコンビ #お笑いコンビ #オススメ #オススメ店 #薫り高い #牛肉 #ご当地メニュー #地下水 #ブランドポーク #味覚 #銀座 #豪華絢爛 #食楽 #編集長 #スイーツ #東北 #宮城県 #宮城 #海鮮 #贅沢 #ローフード #マクロビオティック #三陸 #金華山沖 #海 #魚 #貝 #魚介 #美味 #果物 #新潮流 #ニューウェーブ #平成 #令和 #新しい波 #うどん県 #香川県 #香川 #さぬきうどん #さぬき #讃岐うどん #うどん #旨 #老舗 #立ち食い #パスタ #そば #レモン鍋 #お蕎麦 #塩レモンクリーム蕎麦 #コラボ #瀬戸内海 #小麦 #塩 #本場 #初夏 #収穫 #讃岐 #鯛 #アスパラガス #新茶 #夏みかん #名所 #深大寺 #文豪 #もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら #宝島社 #蕎麦文化 #GEN #勝どき #ジェノベーゼ蕎麦 #EBISU FRY BAR #恵比寿 #恵比寿 #クリーム系蕎麦 #創作蕎麦屋 #バルスタイル #つけ蕎麦 #ランチ #ディナータイム #ディナー #カプレーゼ風蕎麦 #パクチーまぜ蕎麦 #パクチー #まぜ蕎麦 #グルテンフリー #十割蕎麦 #十割 #喉ごし #ケイジャンベジソバボウル #雷庵 #RYAN #ライアン #渋谷 #オープンキッチン #蕎麦打ち #厳選蕎麦粉 #利尻昆布 #本枯れ節 #創作蕎麦 #クラフトビール #自社醸造 #ズワイ蟹とフルーツトマトのまぜ蕎麦 #ズワイ蟹 #フルーツトマト #ゴールデンエール #T.Y.HARBOR BREWERY #蕎麦コース #本格和食 #和食 #日本酒 #おそばの甲賀 #山盛り極上ウニ #美食家 #西麻布 #隠れ家 #隠れ家的蕎麦処 #ミシュラン #観光客 #埼玉県三芳町 #契約農家 #石臼 #挽きたて #香り #香り #出汁 #うにそば #贅を尽くした一杯 #贅を尽くした #太白胡麻油 #雲丹 #甲賀宏 #赤坂砂場 #軍艦巻き #リストランテ・ヒロ・チェントロ #スーシェフ #ソムリエ #独立 #オープン #ニューオープン #新店 #イタリアン #Ita Soba #イタソバ #和風つけ汁 #和風 #つけ汁 #ジェノベーゼ #ジェノベーゼソース #信州霧しな蕎麦 #汁に絡む #トスカーナ #トスカーナ産 #エクストラバージンオイル #豚菜っ葉のジェノベーゼ ソバ #サラダ #サラダほうれん草 #ルッコラ #モロヘイヤ #唐辛子 #ハーブ #特性オイル #特性 #オイル #平井洋平 #フィレンツェ #修業 #中華 #活躍 #BW CAFE #ビーダブリュー カフェ #東新宿 #ポタージュ #蕎麦カフェ #美容 #健康 #ベジポタつけ蕎麦 #ベジポタ #新じゃが #コーン #枝豆 #オクラ #ビーツ #鰹出汁 #豆乳 #焼きチーズ #ピンクペッパー #アクセント #生野菜 #鈴木雅和 #ソバボウルプロジェクト #カルーア蕎麦ミルク #アルコール #アルコールメニュー #ガレット #蕎麦料理 #フランス #ブルターニュ #コンプレット トマト #フレッシュトマト #オーヴェルニャット #鴨 #ブルーチーズ #ガレット ブールスィークル ボルディエ #ボルディエバター #カソナード #La Fee Delice #カフェ #サーモン #レモンクリームソース #看板メニュー #Au Temps Jadis #職人 #サワークリーム #カラシ水菜 #うどんバス #製麺所 #うどん文化 #入浜式 #コシ #塩加減 #塩田 #塩づくり体験 #麦香 #茹でたて #一般店 #カウンター #トッピング #サイドメニュー #セルフ店 #セルフ #国産小麦 #かけちく #いとより鯛 #ちくわの天ぷら #リーズナブル #薬味 #かけだし #ぶっかけ #温泉卵 #味付け揚げ #ちくわ天 #行列 #日の出製麺所 #坂出市 #ぬるい麺 #冷たい麺 #熱い麺 #かま玉 #天ぷら #常連客 #常連 #おでん #からし味噌 #讃岐流 #白味噌 #からし #練り物 #高松駅 #観光バス http://bit.ly/2IX9k64
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