[友の会メール]大躍進する<ゲンロン 大森望 SF創作講座>の関連イベントに要注目!
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[友の会メールvol.313]
大躍進する<ゲンロン 大森望 SF創作講座>の関連イベントに要注目!
(2019年1月16日配信)
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こんばんは、スタッフの堀内です。
底冷えが続く毎日ですが、体調など崩されていないでしょうか。
★大躍進する<ゲンロン 大森望 SF創作講座>関連のイベントに要注目!★
1/22(火)には、「大森望のSF喫茶」の第27回として、SF創作講座の出身者である櫻木みわ氏の単行本デビュー作『うつくしい繭』の刊行記念イベントを開催いたします。
櫻木氏のほか、同じくSF創作講座の出身者で、『異セカイ系』で第58回メフィスト賞を受賞しデビューした名倉編氏、
さらに! SF創作講座には毎年ゲスト講師としてご登壇いただいている新井素子氏をお迎えします。
豪華ゲスト陣とSF創作講座の主任講師である大森氏とともに、小説を書くための具体的なアドバイスから「新しい才能」の生み出し方まで、SF創作講座大躍進の秘密に迫ります!
https://peatix.com/event/589405
また本日の朝日新聞デジタルには、櫻木氏の紹介記事が掲載されています(上記イベントの告知もしていただいております)。
こちらもぜひご覧ください!
www.asahi.com/articles/ASM1H46N7M1HPTFC019.html
さらに1/24(木)には、「メフィスト評論賞」創設記念イベントを開催します。
ご登壇いただくのは、同賞の選考委員を務める作家・評論家の法月綸太郎氏と評論家の円堂都司昭氏。
同賞の創設にあたっては、法月氏がSF創作講座にゲスト講師として招かれ、小説家志望の若者を鍛えていく場に触れたことが契機になったんだそう。
「メフィスト評論賞」は「メフィスト賞受賞作家の作品(メフィスト賞受賞作に限らない)」が評論の対象なっていますが、SF創作講座の出身者である名倉編氏は、昨年第58回メフィスト賞を受賞しました。
小説家や評論家を目指す人、メフィスト賞の受賞作家ファンは勿論、エンターテイメント小説の魅力にひかれる全ての人にとって必見のイベントです!
https://peatix.com/event/589346
上記以外にも、小松理虔『新復興論』の第18回大佛次郎論壇賞の受賞記念イベントなど、話題のイベントが目白押しです!
もちろん、それぞれのイベントはニコニコ生放送で生中継、またタイムシフトで1週間くり返しご視聴が可能です。
今後のイベント情報はこちらから! どうぞお見逃しなく!
https://genron-cafe.jp/event/?q=now_on_sale
* * * * *
★お得なVimeo動画パック販売中!★
石田英敬氏による『一般文字学』シリーズ全3回がセットになりました!
通常レンタル価格¥1,800→¥1,500(ご購入は¥3,600→¥3,000)とたいへんお買い得です!
こちらのシリーズがベースとなったゲンロン叢書第2弾となる『新記号論』は、目下刊行準備中!
https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou
* * * * *
それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆1/16(水)19:00-
【生放送】イアン・ウェレット=ジェイコブ×DJ SHARPNEL×DJ TECHNORCH
「ナードコア・ムーブメントとはなんだったのか」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317898801
◆1/17(木)13:00-
【再放送】小川哲×山形浩生×大森望
「暴力の歴史から未来のゲームへ
――小川哲『ゲームの王国』刊行記念イベント」
【大森望のSF喫茶 #25】
(2017/11/28収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317900521
◆1/17(木)22:00-
【講評・無料生放送】小川哲×大森望
【ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 #8】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317902895
◆1/18(金)13:00-
【再放送】夏野剛×東浩紀
「2020以前/以後
――東京はこれからどうすべきか」
【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #4】
(2018/2/21収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317900990
◆1/18(金)19:00-
【生放送】清水亮×東浩紀
「人工知能は悩める経営者を救うのか」
【ゲンロンカフェat VOLVO STUDIO AOYAMA #15】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317899575
◆1/19(土)17:00-
【生放送】ヒロユキ × さやわか
「魅力的なキャラクター――応用2」
【ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第2期 #16】
【チャンネル会員限定・生放送】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317901707
【講評・無料生放送】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317902488
※無料放送分についてはタイムシフトの公開はありません。
◆1/22(火)19:00-
【生放送】新井素子×櫻木みわ×名倉編×大森望
「SF創作講座大躍進!
――新たな才能はいかにして生まれるのか?」
【大森望のSF喫茶 #27】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317977877
◆1/23(水)19:00-
【生放送】江尻浩二郎×黒瀬陽平×小松理虔
「被災地の記憶/アートと歴史
――『新復興論』第18回大佛次郎論壇賞受賞記念」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317978292
◆1/24(木)13:00-
【再放送】
法月綸太郎×東浩紀
「ふたたび謎解きの世界――名探偵と愛のゆくえ」
(2014/3/14収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317978213
◆1/24(木)19:00-
【生放送】円堂都司昭×法月綸太郎
「ミステリ評論の可能性
――メフィスト評論賞創設記念イベント」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317978943
◆1/25(金)13:00-
【再放送】勝川俊雄×東浩紀
「日本が漁業後進国になった理由」
(2016/11/10収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317978390
◆1/25(金)18:00-
【再放送】さやわか×大井昌和
「いまこそ語ろう、士郎正宗!
――ニッポンのマンガ #2」
【四天王シリーズ #6】
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317978794
(2018/11/16収録)
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆1/16(水)23:59まで
【再放送】広野真嗣×星野博美
「消された信仰を訪ねて
――世界遺産登録から問い直す、キリシタンたちの足跡」
(2018/10/26収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317835317
◆1/17(木)23:59まで
【再放送】川島素晴×木石岳×藤倉大
「現代音楽のポピュラリティ」
【現音カフェ #2】
(2018/10/30収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317835482
◆1/17(木)23:59まで
【再放送】清水亮×東浩紀
「2010-2015 IT界10大ニュースを斬る!
――ディープラーニング、2045年問題、シンギュラリティ……」
(2015/8/6収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317835593
◆1/18(金)23:59まで
【再放送】海猫沢めろん×坂上秋成×LEGIOん
「ヴィジュアルノベルの軌跡と未来
――臨界点と星霜圏を超えて」
(2018/9/27収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317835671
◆1/18(金)23:59まで
【再放送】高橋哲哉×初沢亜利×東浩紀
「本土に基地を引き取る覚悟はあるか
――沖縄に照らして考える思想と運動」
(2016/8/9収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317835736
◆1/22(火)23:59まで
【初配信!】小松理虔×師茂樹×秋田光軌×陸奥賢
「死者・仏教・観光―ポスト『新復興論』をめぐる冒険―」
【主催:ほとがく】
【『新復興論』第18回大佛次郎論壇賞 受賞記念!】
(2018/11/7収録)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv317899188
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】津田大介×東浩紀
「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻
——公文書改竄から漫画村問題、そして米朝電撃会談まで
2018年前半の主要ニュースを振り返る夏休み特別企画!」
https://vimeo.com/ondemand/genron20180817
(2018/8/17収録)
◆【vimeo】速水健朗×さやわか 生徒=東浩紀
「戦術のパラダイムシフトとペップコードの謎
——オフサイドの意味すらわからない超初心者・東浩紀が、
それでもハリル解任を許さない速水健朗と元サッカー部のさやわかに聞く2018ロシアW杯の魅力と行方」
https://vimeo.com/ondemand/genron20180715
(2018/7/15収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧
https://bit.ly/2sybMGS
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆1/16(水)19:00-
イアン・ウェレット=ジェイコブ×DJ SHARPNEL×DJ TECHNORCH
「ナードコア・ムーブメントとはなんだったのか」
https://peatix.com/event/581400
★New!★
◆1/22(火)19:00-
新井素子×櫻木みわ×名倉編×大森望
「SF創作講座大躍進!ーー新たな才能はいかにして生まれるのか?
櫻木みわ『うつくしい繭』刊行記念イベント」
【大森望のSF喫茶 #27】
https://peatix.com/event/589405
◆1/23(水)19:00-
江尻浩二郎×黒瀬陽平×小松理虔
「被災地の記憶/アートと歴史
──『新復興論』第18回大佛次郎論壇賞受賞記念」
https://peatix.com/event/585637
★New!★
◆1/24(木)19:00-
円堂都司昭×法月綸太郎
「ミステリ評論の可能性ーーメフィスト評論賞創設記念イベント」
https://peatix.com/event/589346
★New!★
◆1/29(火)19:00-
勝川俊雄×鈴木智彦
「ゆれ動く日本の水産業と食文化を考える
――豊洲市場移転、漁業法改正…そして、サカナとヤクザ」
https://peatix.com/event/591022
★New!★
◆1/31(木)19:00-
柴田英里×千葉雅也×二村ヒトシ
「『欲望会議』刊行記念イベント」
https://peatix.com/event/590544
★New!★
◆2/9(土)14:00-
パルコキノシタ×黒瀬陽平×梅沢和木×藤城噓
「おばけやしきをつくろう!——第6回 おばけのプラネタリウム」
【ゲンロンこどもアート教室 #26】
https://peatix.com/event/591512
◆◇ 編集部からのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中!
絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録!
https://genron.co.jp/shop/products/detail/193
→試し読みページはこちら!
https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★『ゲンロン9 第I期終刊号』絶賛販売中!
『ゲンロン』創刊から3年。第I期のあらゆる伏線を回収し、第II期の飛躍を準備する、第I期終刊号。
https://genron.co.jp/shop/products/detail/188
→試し読みページはこちら!
https://issuu.com/genroninfo/docs/genron9issuu/36
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中!
第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン!
https://genron.co.jp/shop/products/detail/178
→『新復興論』特設ページはこちら!
https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中!
https://genron.co.jp/shop/products/detail/103
→『ゲンロン0』特設ページはこちら!
https://genron-tomonokai.com/genron0/
★友の会第9期への更新・新規入会を受付中!
https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です!
知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、
友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、
東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に!
http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報 ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中!
最新の記事は「被災者が必要としてるのはリラックスした言論環境では」です。
https://dot.asahi.com/aera/2018122600034.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。
https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて>
ご好評いただいております座席確保サービスですが、
お席の希望のご連絡を、当日16:00までに
いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について>
お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、
メールアドレスなどに変更があった方は、
友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ
https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。
営業時間は、11時-20時です。
営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。
ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
株式会社ゲンロン
〒141-0031
東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F
tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231
http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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12150006
軽快なメロディが音割れしていることにきっと全員気付いているはずなのに、誰も指摘しないまま、彼は毎日狂ったようにそれを吐き出し続けている。
時刻は朝の8時過ぎ。何に強制されたでもなく、大人しく2列に並ぶ現代の奴隷たち。いや、奴隷ども。資本主義に脳髄の奥まで犯されて、やりがいという名のザーメンで素晴らしき労働という子を孕まされた、意志を持たない哀れな生き物。何も食べていないのに胃が痛い。吐きそうだ、と、50円のミネラルウォーターを一口含んで、押し付けがましい潤いを乾く喉に押し込んだ。
10両目、4番目の扉の右側。
俺がいつも7:30に起きて、そこから10分、8チャンネルのニュースを見て、10分でシャワー、10分で歯磨きとドライヤー、8:04に自宅を出て、8:16に駅に到着。8:20発の無機質な箱に乗る、その最終的な立ち位置。扉の右側の一番前。黄色い線の内側でいい子でお待ちする俺は、今日もぼうっと、メトロが顔を覗かせるホームの端の暗闇を見つめていた。
昨日は名古屋で人が飛び込んだらしい。俺はそのニュースを、職場で開いたYahoo!のトップページで見かけた。群がる野次馬が身近で起きた遠い悲劇に涎を垂らして、リアルタイムで状況を伝える。
『リーマンが飛び込んだ』
『ブルーシートで見えないけど叫び声聞こえた』
『やばい目の前で飛び込んだ、血見えた』
『ハイ1限遅れた最悪なんだけど』
なんと楽しそうなこと。まるで世紀の事件に立ち会った勇敢なジャーナリスト気取り。実際は目の前で人が死ぬっていう非現実に興奮してる変態性欲の持ち主の癖に。全員死ね。お前らが死ね。そう思いながら俺は、肉片になった男のことを思っていた。
電車に飛び込んで仕舞えば、生存の可能性は著しく低くなる。それが通過列車や、新幹線なら運が"悪く"ない限り、確実に死ぬ。悲惨な形を伴って。肉片がおよそ2〜5キロ圏内にまで吹き飛ぶこともあるらしい。当然、運転手には多大なトラウマを植え付け、鉄道職員は線路内の肉片を掻き集め、乗客は己の目の前で、もしくは己の足の下で、人の肉がミンチになる様を体感する。誰も幸せにならない自殺、とは皮肉めいていてよく表現された言葉だとつくづく思う。当人は、幸せなのだろうか。
あの轟音に、身体を傾け頭から突っ込む時、彼らは何を思うのだろう。走馬灯とやらが頭を駆け巡るのか、やはり動物の本能として恐怖が湧き上がるのか、それとも、解放される幸せでいっぱいなのか。幸福感を呼び起こす快楽物質が脳に溢れる様を夢想して、俺は絶頂にも近い快感を奥歯を噛み締めて堪えた。率直に浮かんだ「羨ましい」はきっと、俺が人として生きていたい限り絶対漏らしてはいけない、しかし限りなく本音に近い、5歳児のような素直な気持ち。
時刻は8:19。スマホの中でバカがネットニュースにしたり顔でコメントを飛ばして、それに応戦する暇な人間たち。わーわーわーわーうるせえな、くだらねえことでテメェの自尊心育ててないで働けゴミが。
時刻は8:20。腑抜けたチャイムの音。気怠そうな駅員のアナウンス。誰に罰されるわけでもないのに、俺の足はいつも黄色い線の内側に収まったまま、暗がりから顔を覗かせる鉄の箱を待ち侘びている。
俺は俯いて、視界に入った己のつま先にグッと力を込めた。無意識にするこの行為は、死への恐怖か。馬鹿らしい。いつだって、この箱の前に飛び込むことが何よりも幸せに近いと知っているはずなのに。
気が付けば山積みの仕事から逃げるように、帰りの電車に乗っていた。時刻は0:34。車内のアナウンス。この時間でこの場所、ということは終電だろう。二つ離れた椅子に座ったサラリーマンがだらりと頭を下げ、ビニール袋に向けて嘔吐している。饐えた臭いが漂ってきて貰いそうになるが、もう動く気力もない。死ね。クソ野郎が。そう心の中でぼやきながら、俺はただ音楽の音量を上げて外界を遮断する。耳が割れそうなその電子音は、一周回って心地いい。
周りから俺へ向けられる目は冷たく、会社に俺の居場所はない。同期、後輩はどんどん活躍し、華々しい功績を挙げて出世していく。無能な俺はただただ単純で煩雑な事務作業をし続けて、それすらも上手く回せない。ああ、今日はただエクセルの表作りと、資料整理、倉庫の整理に、古いシュレッダーに詰まった紙の掃除。それで金を貰う俺は、社会の寄生虫か?ただ生きるために何かにへばりついて必要な栄養素を啜る、なんて笑える。人が減った。顔を上げると降りる駅に着いていた。慌てて降りる俺を、乗ろうとしていた騒がしい酔っ払いの集団が睨んで、邪魔そうに避けた。何だその顔は。飲み歩いて遊んでた人間が、働いてた俺より偉いって言うのか。クソ。死ね。死んでくれ。社会が良くなるために、酸素の消費をやめてくれ。
コンビニで買うメニューすら、冒険するのをやめたのはいつからだろう。チンすれば食べられる簡単な温かい食事。あぁ、俺は今日も無意識に、これを買った。無意識に、生きることをやめられない。人のサガか、動物としての本能か、しかし本能をコントロールしてこその高等生物である人間が、本能のままに生きている時点で、矛盾しているのではないか。何故人は生きる?生きるとは?NHKは延々とどこか異国の映像を流し続けている。国民へ向けて現実逃避を推奨する国営放送、と思うと笑えてきて、俺は箸を止め、腹を抱えてしこたま笑った。あー、死のう。
そういえば、昔、俺がまだクソガキだった頃、「完全自殺マニュアル」なる代物の存在を知った。当然、本を変える金なんて持ってなかった俺は親の目を盗んで、図書館でそれを取り寄せ借りた。司書の本を渡す際の訝しむ顔がどうにも愉快で、俺は本を抱えてスキップしながら帰ったことを覚えている。
首吊り、失血死、服毒死、凍死、焼死、餓死...発売当時センセーショナルを巻き起こしたその自称「問題作」は、死にたいと思う人間に、いつでも死ねるからとりあえず保険として持っとけ、と言いたいがために書かれたような、そんな本だった。淡々と書かれた致死量、死ぬまでの時間、死に様、遺体の変化。俺は狂ったようにそれを読み、そして、己が死ぬ姿を夢想した。
農薬は消化器官が爛れ、即死することも出来ない為酷く苦しんで死ぬ地獄のような死に方。硫化水素で死んだ死体は緑に染まる。首吊りは体内に残った排泄物が全て流れ出て、舌や目玉が飛び出る。失血死には根気が必要で、手首をちょっと切ったくらいでは死ねない。市販の薬では致死量が多く未遂に終わることが多いが、バルビツール酸系睡眠薬など、医師から処方されるものであれば死に至ることも可能。など。
当然、俺が手に取った時には情報がかなり古くなっていて、バルビツール酸系の薬は大抵が発売禁止になっていたし、農薬で死ぬ人間など殆どいなくなっていたが、その情報は幼かった俺に、「死」を意識させるには十分な教材だった。道徳の授業よりも宗教の思想よりも、何よりも。
親戚が死んだ姿を見た時も、祖父がボケた姿を見た時も、同じ人間とは思えなかった俺はきっとどこか欠けてるんだろう。親戚の焼けた骨に、棺桶に入れていたメロンの緑色が張り付いていて、美味しそうだ。と思ったことを不意に思い出して、吹き出しそうになった。俺はいつからイカれてたんだ。
ずっと、後悔していたことがあった。
小学生の頃、精神を病んだ母親が山のように積まれた薬を並べながら、時折楽しそうに父親と電話をしていた。
その父親は、俺が物心ついた、4、5歳の頃に外に女を作って出て行った、DVアル中野郎だった。酒を飲んでは事あるごとに家にあるものを投げ、壊し、料理の入った皿を叩き割り、俺の玩具で母親の顔を殴打した。暗い部屋の中、料理が床に散乱する匂いと、やめてと懇願する母親の細い声と、人が人を殴る骨の鈍い音が、今も脳裏によぎることがある。あぁ、懐かしいな。プレゼントをやる、なんて言われて、酔っ払って帰ってきた父親に、使用済みのコンドームを投げられたこともあったっけ。「お前の弟か妹になり損ねた奴らだよ。」って笑ってたの、今思い返してもいいセンスだと思う。顔に張り付いた青臭いソレの感触、今でも覚えてる。
電話中は決まって俺は外に出され、狭いベランダから、母親の、俺には決して見せない嬉しそうな顔を見てた。母親から女になる母親を見ながら、カーテンのない剥き出しの部屋の明かりに集まる無数の羽虫が口に入らないように手で口を覆って、手足にまとわりつくそれらを地面のコンクリートになすりつけていた。あぁ、そうだ、違う、夏場だけカーテンをわざと開けてたんだ。集まった虫が翌朝死んでベランダを埋め尽くすところが好きで、それを俺に掃除させるのが好きな母親だった。記憶の改変は恐ろしい。
ある日、俺は電話の終わった母親に呼ばれた。隣へ座った俺に正座の母親はニコニコと嬉しそうに笑って、「お父さんが、帰ってきていいって言ってるの。三人で、幸せな家庭を作りましょう!貴方がいいって言ってくれるなら、お父さんのところに帰りましょう。」と言った。そう。言った。
俺は、父親が消えてからバランスが崩れて壊れかけた母親の、少女のように無垢なその笑顔が忘れられない。
「幸せな家庭」、家族、テレビで見るような、ドラマの中にあるような、犬を飼い、春には重箱のお弁当を持って花見に行き、夏には中庭に出したビニールプールで水遊びをし、夜には公園で花火をし、秋にはリンゴ狩り、栗拾い、焼き芋をして、落ち葉のベッドにダイブし、冬には雪の中を走り回って遊ぶ、俺はそんな無邪気な子供に焦がれていた。
脳内を数多の理想像が駆け巡って、俺は、母の手を掴み、「帰ろう。帰りたい。パパと一緒に暮らしたい。」そう言って、泣く母の萎びた頬と、唇にキスをした。
とち狂っていたとしか思えない。そもそも帰る、と言う表現が間違っている。思い描く理想だって、叶えられるはずがない。でもその時の馬鹿で愚鈍でイカれた俺は、母の見る視線の先に桃源郷があると信じて疑わなかったし、母と父に愛され、憧れていた家族ごっこが出来ることばかり考えて幸せに満ちていた。愚かで、どうしようもなく、可哀想な生き物だった。そして、二人きりで生きてきた数年間を糧に、母親が、俺を一番に愛し続けると信じていた。
母は、俺が最初で最後に信じた、人間だった。
父親の家は荒れ果てていた。酒に酔った父親が出迎え、母の髪を掴んで家の中に引き摺り込んだ瞬間、俺がただ都合の良い夢を見ていただけだと言うことに漸く、気が付いた。何もかも、遅過ぎた。
仕事も何もかも捨てほぼ無一文で父親の元へ戻った母親が顔を腫らしたまま引越し荷物の荷解きをする姿を見ながら、俺は積み上げた積み木が崩れるように、砂浜の城が波に攫われるように、壊れていく己の何かを感じていた。母は嬉しそうに、腫れた顔の写真を毎度俺に撮らせた。まるでそれが、今まで親にも、俺にも、誰にも与えられなかった唯一無二の愛だと言わんばかりに、母は携帯のレンズを覗き、画面越しに俺に蕩けた目線を送った。
人間は、学習する生き物である。それは人間だけでなく、猿や犬、猫であっても、多少の事は学習できるが、その伸び代に関しては人間が群を抜いている。母親は次第に父親に媚び、家政婦以下の存在に成り下がることによって己の居場所を守った。社会の全てにヘイトを募らせた父親も、そんな便利な道具の機嫌を損ねないよう、いや、違うな、目を覚まさせないように、最低限人間扱いをするようになった。
まあ当然の末路と言えるだろうな。共同戦線を組んだ彼らの矛先は俺に向いた。俺は保てていた人間としての地位を失い、犬に、家畜に成り下がった。名前を呼ばれることは無くなり、代わりについた俺の呼び名は「ゴキブリ」になった。家畜、どころか害虫か。産み落とした以上、世話をするほかないというのが人間の可哀想なところだ。
思い出したくもないのにその記憶を時折呼び起こす俺の出来の悪い脳を何度引き摺り出してやろうかと思ったか分からない。かの夢野久作が書いた「ドグラマグラ」に登場する狂った青年アンポンタン・ポカン氏の如く、脳髄を掴み出し、地面に叩きつけてやりたいと思ったことは数知れない。
父親に奉仕する母は獣のような雄叫びをあげて悦び、俺は夜な夜なその声に起こされた。媚びた、艶や��な、酷く情欲を煽るメスの声。俺は幾度となく吐き、性の全てを嫌悪した。子供じみた理由だと、今なら思う。何度、眠る父親の頭を金属バットで叩き割ろうと思ったか分からない。俺は本を読み漁り、飛び散る脳髄の色と、母の絶望と、断末魔を想像した。そう、この場において、いや、この世界において、俺の味方は誰もいなかった。
いつの間にかテレビ放送は休止されたらしい。画面端の表示は午前2時58分。当然か。騒がしかったテレビの中では、カラーバーがぬるぬると動きながら、耳障りな「ピー」という無慈悲な機械音を垂れ流している。テレビの心停止。は、まるでセンスがねえな死ね俺。
ずっと、後悔していた。誰にも言えず、その後悔すらまともに見ようとはしなかったが、今になって、思う。何度も、あの日の選択を後悔した。
あの日、俺がもし、Yesと言わなかったら。あの日の俺はただ、母親がそう言えば喜ぶと思って、幸せそうな母親の笑顔を壊したくなくて、...いや、違う。あれは、幸せそうな母親の笑顔じゃない、幸せそうな、メスの笑顔だ。それに気付けていたら。
叩かれても蹴られても、死んだフリを何度されても自殺未遂を繰り返されても、見知らぬ土地で置き去りにされても、俺はただ、母親に一番、愛されていたかった。父親がいない空間が永遠に続けばいい、そう今なら思えたのに、あの頃の俺は。
母親は結局、一人で生きていけない女だった。それだけだ。父親が、そして父親の持つ金が欲しかった。それだけだ。なんと醜い、それでいてなんと正しい、人間の姿だろう。俺は毎日、父親を崇めるよう強制された。頭を下げ、全てに礼を言い、「俺の身分ではこんなもの食べられない。貴方のおかげで食事が出来ている」と言ってから、部屋で一人飯を食った。誕生日、クリスマス、事あるごとに媚びさせられ、欲しくもないプレゼントを分け与えられた。そうしなきゃ殴られ蹴られ、罵倒される。穏便に全てを済ませるために、俺は心を捨てた。可哀想な生き物が、自己顕示欲を満たしたくて喚いている。そう思い続けた。
勉強も運動も何も出来なかった。努力する、と言う才能が元から欠けていた、可愛げのない子供だったと自負している俺が、ヒステリーを起こした母親に、「何か一つでもアンタが頑張ったことはないの!?」と激昂されて、震える声で「逆上がり、」と答えたことがあった。何度やっても出来なくて、悔しくて、冬の冷たい鉄棒を握って、豆が出来ても必死に一人で頑張った。結局、1、2回練習で成功しただけで、体育のテストでは出来ずに、クラスメイトに笑われた。体育の成績は1だった。母親は鼻で笑って、「そんなの頑張ったうちに入らないわ。だからアンタは何やっても無理、ダメなのよ。」とビールを煽って、俺の背後で賑やかな音を立てるテレビを見てケタケタと笑った。それ以降、目線が合うことはなかった。
気分が悪い。なぜ今日はこんなにも、過去を回顧しているんだろう。回り出した脳が止められない。不愉快だ。酷く。それでも今日は頑なに、過去を振り返らせたいらしい脳は、目の前の食べかけのコンビニ飯の輪郭をぼやけさせる。
俺が就職した時も、二人は何も言わなかった。ただただ俺は、父親の手口を真似て、母親の心を取り戻そうと、ありとあらゆるブランド物を買って与えた。高いものを与え、食わせ、いい気分にさせた。そうすれば喜ぶことを俺は知っていたから。この目で幾度となく見てきたから。二人で暮らしていた頃の赤貧さを心底憎んでいた母親を見ていたから。
俺は無邪気にもなった。あの頃の、学校の帰りにカマキリを捕まえて遊んだような、近所の犬に給食のコッペパンをあげて戯れていたような、そんな純粋無垢な無邪気さで、子供に戻った。もう右も左も分からない馬鹿なガキじゃない。今の俺で、あの頃をやり直そう。やり直せる。そう思った。
「そんなわけ、ねぇよなぁ。」
時刻は午前4時を回り、止まっていたテレビの心拍が再び脈動を始めた。残飯をビニール袋に入れて、眩しい光源を鬱陶しそうに睨んだ。画面の中では眠気と気怠さを見せないキリリとした顔の女子アナが深刻そうな顔で、巷で流行する感染症についての最新情報を垂れ流している。
結論から言えば、やり直せなかった。あの女の一番は、俺より金を稼いで、俺より肉体も精神も満たせる、あの男から変わることはなかった。理解がし難かった。何度殴られても生きる価値がない死ねと罵られても、それが愛なのか。
神がいるなら問いたい。それは愛なのか。愛とはもっと美しく、汚せない、崇高なものじゃないのか。神は言う。笑わせるな、お前だって分かっていないから、ひたすら媚びて愛を買おうとしたんだろう。ああ、そうだ。俺にはそれしかわからなかった。人がどうすれば喜ぶのか、人をどうすれば愛せるのか、歩み寄り、分り合い、感情をぶつけ合い、絆を作れるのか。人が人たるメカニズムが分からない。
言葉を尽くし、時間を尽くしても、本当の愛の前でそれらは塵と化すのを分かっていた。考えて、かんがえて、突き詰めて、俺は、自分が今人間として生きて、歩いて、食事をして、息をしている実感がまるで無い不思議な生き物になった。誰のせいでもない、最初からそうだっただけだ。
あなたは私の誇りよ、と言った女がいた。そいつは俺が幼い頃、俺じゃなく、俺の従兄弟を出来がいい、可愛い、と可愛がった老婆だった。なんでこんなこと、不意に思い出した?あぁ、そうだ、誕生日に見知らぬ番号からメッセージが来てて、それがあの老婆だと気付いたからだ。気持ちが悪い。俺が人に愛される才能がないように、俺も人を愛する才能がない。
風呂の水には雑菌がうんたらかんたら。学歴を盾に人を威圧するお偉いさんが講釈を垂れているこの番組は、朝4時半から始まる4チャンネルの情報番組。くだらない。クソどうでもいい。好みのぬるめのお湯に目の下あたりまで浸かった俺は、生きている証を確かめるように息を吐いた。ぼご、ぶくぶく、飛び散る乳白色が目に入って痛い。口から出た空気。無意識に鼻から吸う空気。呼吸。あぁ、あれだけ自分の傷抉って自慰しておいて、まだ生きようとしてんのか、この身体。どうしようもねえな。
どうせあと2時間と少ししか眠れない。髪を乾かすのも早々に、俺が唯一守られる場所、布団の中へと潜り込んで、無機質な部屋の白い天井を見上げた。
そういえば、首吊りって吊られなくても死ぬことが出来るんだっけ。そう。今日の朝だって思ったはずだ。黄色い線の外側、1メートル未満のその先に死がある。手を伸ばせばいつでも届く。ハサミもカッターも、ガラスも屋上もガスも、見渡せば俺たちは死に囲まれて、誘惑に飲まれないように、生きているのかもしれない。いや、でも、いつだって全てに勝つのは何だ?恐怖か?確かに突っ込んでくるメトロは怖い。首にヒヤリとかかった縄も怖い。蛙みたく腹の膨れた女をトラックに轢かせて平らにしたいとも思うし、会話の出来ない人間は全員聾唖になって豚の餌にでもなればいいとも思う。苛立ち?分からない。何を感じ、生きるのか。
ああ、そういえば。
父親の頭をミンチの如く叩きのめしてやろうと思って金属バットを手に取った時、そんなくだらないことのためにこれから生きるのかと思うと馬鹿らしくなって、代わりに部屋のガラスを叩き割ってやめた。楽にしてやろうと母親を刺した時、こんなことのために俺は人生を捨てるのか、と我に返って、二度目に振り上げた手は静かに降ろした。
あの時の爽快感を、忘れたことはない。
あぁ、そうか、分かった。
死が隣を歩いていても、俺がそっち側に行かずに生きてる理由。そうだ。自由だ。ご飯が美味しいことを、夜が怖くないことを、寒い思いをせず眠れることを、他人に、人間に脅かされずに存在できることを、俺はこの一人の箱庭を手に入れてから、初めて知った。
誰かがいれば必ず、その誰かに沿った人間を作り上げた。喜ばせ、幸せにさせ、夢中にさせ、一番を欲した。満たされないと知りながら。それもそうだ。一番も、愛も、そんなものはこの世界には存在しない。ようやく分かった俺は、人間界の全てから解き放たれて、自由になった。爽快感。頭皮の毛穴がぞわぞわと爽やかになる感覚。今なら誰にだって何にだって、優しくなれる気がした。
そうか、俺はいつの間にか、人間として生きるのが、上手くなったんだ。異世界から来てごっこ遊びをしている気分だ。死は俺をそうさせてくれた。へらへらと、楽しく自由にゆらゆらふわふわ、人と人の合間を歩いてただ虚に生きて、蟠りは全部、言葉にして吐き出した。
遮光カーテンの隙間から薄明るい光が差す部屋の中、開いたスマホに並んだ無数の言葉の羅列。俺が紡いだ、物語たち。俺の、味方たち。みんなどこか、違うようで俺に似てる。皆合理的で、酷く不器用で、正しくて、可哀想で、幸せだ。皆正しく救われて終わる物語のみを書き続ける俺は、己をハッピーエンド作者だと声高に叫んで憚らない。
「俺、なんで生きてるんだっけ。」
そんなクソみたいな呟きを残して、目を閉じた。スマホはそばの机に放り投げて、目を閉じて、祈るのは明日の朝目が覚めずにそのまま冷たくなる、最上の夢。
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出典:破壊の前後のシリアのパルミラのGoogle写真
どのように国家遺産を保存するには?
概要:何百万人もの観光客を惹きつけているピラミッドやタジマハルのような世界遺産が数多くありますが、アフガニスタン、シリア、イラクのテロリストによって組織的に損傷、破壊、略奪されているものがたくさんあります。これらの貴重な場所はすべての人類に属しています。なぜなら、私たちが誇りに思うべき豊かな遺産を示しているからです。しかし、悲しげに、人々の中には価値がないのです。
出典:スーダンのメロエにある復元されたピラミッドのGoogle写真
私がスーダンで働いていたとき、私はMeroëのピラミッドを渡していましたが、これは国家遺産の一部です。メロエル自体はナイル川の近くの荒涼とした場所ですが、かつてはファラオがエジプトのようにピラミッドを建てたが、サイズははるかに小さい素晴らしい都市でした。スーダンのファラオが、上部と下部のエジプトを含むメロエからの広大な帝国を支配し、黄金の二重のコブラを王冠にかぶった時がありました。それらは数千年前の栄光の日でした。
今ではMeroëを見ると、30〜40個のピラミッドが一緒に集まり、野蛮人が記念碑を荒らしてしまうのを防ぐために有刺鉄線で囲んでいる以外は何も残っていないので、あなたは完全に失望します。
ある日、私はピラミッドを見るために逃げ出し、膝の深い砂を通り抜けてそこに着いた。砂漠の砂はほとんどの地域をカバーし、ピラミッドの一部を部分的に覆い、他のモニュメントを完全に覆っているかもしれない。私はピラミッドがエジプトのものよりも印象的ではないことを発見しましたが、そのうちのいくつかの基盤には、砂の石から彫刻された絶妙な彫刻が見つかりました。厳密に調べると、私は誰かが彫刻を破壊し、ファチマがアーメドやモハメドが大好��だったようなものをエッチングしたことに気づいた
イスラム教徒は明らかに国家遺産を評価しておらず、古代の栄光の過去を尊敬することなく無邪気に扱った。ピラミッドは様々な崩壊段階にあり、実際には遺跡は残っていませんでした。発掘物がないので、砂の中に埋もれているものは誰も知りませんが、過去の遺物や宝物を見つけたら驚かないでしょう。
ノーザン・スーダンには、寺院群、宮殿、または砂に覆われているが、考古学部門によってゆっくりと清掃されているが、海外からの助けを借りて大きな意味を持つ他の場所の遺跡を見ることのできるサイトが数多く残っている国が広大であるために発見されるべきである。
私は、遺跡の悲惨な状態を目の当たりにしており、多くの国ではそれらを掘削し、自然や人々によって引き起こされた損害を修復するための資源が不足しているため、遺跡では大変重要な遺跡を見過ごしています。
出典:カンボジアのアンコールワットにおける損傷したアプサラのGoogle写真
カンボジアのシェムリアップにあるアンコールワットを訪れた場合、クメール・ルージュの支配下にあるモニュメントが破壊され、泥棒が彫像の上から運び去られたため、アプサラスなどの多くの彫像が破損したり、黒市場でそれらを売るバンコクのお店を訪れれば、そのようなアーティファクトが数多く見受けられますが、どのように入手したのかは教えてくれません。
インドの有名なカジュラホの寺院からあまり遠くないところに宮殿、砦、寺院があり、昔は植物が生息し、完全に放棄されていたことを示している壊れた彫像や複雑な彫刻があります。
海面が上昇したため、エジプトとインドで重要な地点のいくつかは海の下にあります。アレクサンドリアのクレオパトラ宮殿とDwarkaのクリシュナ宮殿の遺体は今水の下にあります。あなたはダイビング・ギアがあればそれを見ることができます。
いくつかの国では、人々は彼らの遺産を非常に誇りに思っており、テロリストがBamiyanやPalmyraのように体系的に破壊している間に、モスル博物館の貴重な遺物はテロリストによって破壊され、イスラム以前の遺産を破壊することになっています。
出典:破壊前と破壊後のバミヤン仏のGoogle写真
中国の一部の人々が文化革命の名で数千年前の貴重な写本、本、そしてそのような書類を体系的に破壊して焼いたという事実は残念です。そのような国家遺産の破壊に責任を負う人々の一部が捕まって投獄されたが、その被害は終わった。
過去は、石の人々の歴史を記録しているため、私たちが誰だったかを伝えています。タージ・マハルが意図的に破壊された場合、誰が知っていたでしょうか?ラージャスターンの砦と宮殿の完全な栄光を誰が知っているのですか?砦やその他のモニュメントを全国に保存しているインドの考古学的な社会は、彼らはまだナランダやアジャンタのような歴史的なサイトの印象的なリストを維持することができましたが、千人以上がまだ保存されるのを待っています。
イスラム教徒の狂信的な人たちは、世界遺産の一部であるこれらの栄えある記念碑に、彼らが破壊される可能性があるイスラムではないため、保存する価値がないという誤った信念の犠牲者を出している。彼らは自国の過去に敬意を表していないので、スーダンのMeroeの破壊行為を見ることができます。
ユネスコは多くの国で多くの遺産遺跡のリハビリに資金を提供しており、世界遺産の地位を多くの場所に与え、遺跡を保護し、復元するために資金を費やしていますが、国連も資金が枯渇しています。
出典:エジプト・アスワンで修復されているアブ・シンベル寺院のGoogle写真。
アブシンベルの彫像をエジプトのアスワンに保存したのは、ナッセル湖の水位が高騰したために大規模な像を高台に移すことでした。イタリアのエンジニアは、他の場所に移転して再建した巨大な像を切り取るために雇われました。しかし、誰がアフガニスタンのタリバーンによって完全に破壊された、偉大なバミヤンの仏像を復元することができますか?
歴史的に、イングランド、フランス、スペインなど多くの西側諸国は、エジプトなどの貴重な彫像や書類を盗んでしまって博物館に足を運び、彼らを奪い取った国に戻すことを拒否しています。有名なTakht e tausやPeacock Throneはインドから撮影され、現在海外のある美術館に展示されていますが、Kohinoorという有名なダイヤモンドは英国にあり、女王はそれを王冠の上に置いています。
植民地時代の国家遺産の世界的な奪取と、ヨーロッパやインドやエジプトなどの古代文明国との戦争では、自分の財宝や博物館を埋めるための宝物を手に入れることができました。盗まれたアーチファクトはほとんどまたは全く戻ってこなかった。この破壊と盗難は、依然として中東や自国の人々が略奪し、闇市場で売り払って利益を上げるために貴重な過去を売り渡している他の多くの国々では衰えが続いています。
最後の世界大戦中、ドイツ人は占領されたヨーロッパからの絵画、金や銀の遺物や何千もの貴重なものを奪い取り、後で博物館を埋めるためにそれらを保管しましたが、戦争を失って隠された財宝は隠されたままでした。最近、誰かが何百万ドルもの価値のある屋根裏部屋に絵画の束を発見した。それはドイツの略奪品の一部であり、撮影場所から博物館に戻ってきた。これは幸運だった。
タージ・マハルの内壁には、ろうそくの光で輝いていたが、ガラスのビーズでイギリス人に取って代わった本物の宝石が飾られていたことをご存知でしたか?本当の宝石はどうなりましたか?希望のダイヤモンドがインドの寺院でヒンドゥー教の神のネックレスにあったと知っていましたが、おそらくイギリス人の外国人が撮影しましたか?
私はワシントンDCのスミソニアン博物館のある日、私の子供の後ろにいるアメリカ人がダイヤモンドがいつもここにあり、どこからでも盗まれたことはないと憤慨したとき、盗難と歴史を説明するホープダイヤモンドを子供たちに示しました。 Googleの時代に人々はどうやって無知になれますか?教育は彼らの強みではなく、私たちの子供が知っていたので、無知の人々は歴史を聞くことができないので、私はちょっと静かにしていました。
多くの場合、権力を持つ人々が遺産の壮大な盗難に責任を負っていました。私はここでポイントを強調するために2つの例を挙げます。
ケース番号1:アフガニスタンに行って、彼の帝国を邪魔して宝物を略奪しようとしていた侵略者を罰するよう、マンハーン将軍に尋ねたムガール皇帝アクバルの時に、ラージャスターンのジャイプールにあるアンバーの砦には大きな宝物が葬られました。だからマン・シンはアフガニスタンに大きな軍隊を持ち、反乱軍を罰し、軍隊に金と銀と宝石を蓄え、自由に手を振った。
マン・シンは以前の合意に従って、アクバールに戦利品の一部を渡したが、自分のためにそのほとんどを保管し、アンバーの砦のどこかに隠した。誰が隠れていたか、どれくらいの価値があったのかは分かっていなかった。何世紀も前から、すべての主要な俳優たちが何百年も前に死亡し、彼らの秘密を彼らに埋めていたからです。しかし、隠された富の物語は膨大な割合で残っていました。
インディラ・ガンジーのリーダーシップの間、彼女は隠された宝物を見つけるためにアンバーの砦を徹底的に捜索し、砦は何ヶ月も密閉され、掘削は本格的に始まった。我々は城砦に行って、私が砦がインドの大部分の城砦のように大規模であると言ったときに私を信じている。物語が進むにつれて、彼らは宝を見つけ、重い武装した警備員がいる多くのトラックで全体の夜
トラックが気づかれないように封鎖されている。その後、宝は消えました。今日でも誰も宝に何が起こったのか、どれだけのものが見つかったのか、その価値は何かを知る人はいません。
あなたがその門を通って入ると、城砦の正面の中庭のちょうど100フィート×100フィートの石造りの石造りで造られた水タンクがあることをツアーガイドが教えてくれました。彼は私たちに空のタンクを示しましたが、城壁や他の壁に慎重に建てられたチャンネルのシステムによって雨水が集められたラージャスターンの砦で、このような水タンクを見つけるのは珍しいことではありません。
珍しいのは、地下に建てられたこのタンクの底に人が掘ったもので、2階または3階の広大な地下室への入り口が階段で闇に導かれていることが分かりました。彼らは、宝物が深い地下の金庫に隠され、永遠に封印された場所であると言います。
私たちは階段が下っていくのを見ましたが、そこに下ることは許されませんでした。私たちはまた、宮殿の中から秘密のトンネルを発見し、タンクの下の地下室に導いていると言われましたが、今は封印されています。これは何世紀にもわたって何世紀も後に発見されるまで、離れて。
ケース番号2:最後の世界大戦中、山下将軍はフィリピンを占領したが、それはビルマからベトナム、満州、中国まで広がった帝国の膨大な占領地域の一部に過ぎなかった。山下は、占領されていた全ての領土から貴重なものの中に金銀の系統的な奪還を命じ、後に回収されて日本に運ばれるフィリピンの100以上の敷地に秘密に葬られたが、連合軍は日本へのルートを逃れるため、フィリピンでは山下が秘密を守っていたため、宝物はフィリピンに隠れていました。
彼は奇妙な暗号で指示を書かれた手書きの地図を手にしていた。彼と他の少数の人しか東京の皇居に読んで元の地図を読んで1-2人しか知りませんでした。山下の宝物バギオの丘に住むフィリピン人が深いジャングルと葉に隠れた洞穴に口を見つけるまで、誰も成功しなかった。
彼は単独で内部を冒険したとき、金色の仏像と数字の付いた多数の箱を見つけました。彼はそれを掘り起こして9年近く掘り起こし、彼が洞窟を見つけたときに彼の資源をすべて使い果たしていた。発見はマニラに報告され、政府はすぐにすべてを没収し、貧しい人を拘留し、そうでなければ彼は知っていた。長年の後、彼は裁判所の命令によって解放されました。また、堅い金の像もまた彼に返されなければならないと言っていたので、偽の真鍮のブッダ像が政府から与えられました。彼は自分の努力のために何も得ていないので、貧困と悲惨さで亡くなりました。
バギオで見つかった山下の宝物は、他の場所に埋葬された宝物のほんの一部ですが、決して見つかりませんでした。この宝物はすぐに姿を消してしまい、その国から吸い上げられた可能性が高く、多くの国の国家遺産は消滅しました。
スペイン人は中東と南米の植民地の宝物を略奪する専門家で、アステカ人の王モチェツマは、金の産物で大きな部屋を埋めるが、スペインの侵略者コルテスの命令で即座に消えた。このように、アステカ帝国の偉大な遺産は奪われ、人々はメキシコで虐殺されましたが、それはすべての歴史です。この宝物は今日40億ドル以上の価値があると推定されています。
どのように遺産を保存するには?
今、私はこのブログの難しい部分に来ています。なぜなら、遺産を建てることよりも破壊したり略奪したりするのは簡単だからです。富を蓄積し、未来の世代が見て誇りに思うものを残していくには何世紀もかかります。遺産には記念碑やピラミッドのような物理的なものだけでなく、国民の歴史、偉大な英雄、成果、文明の過去に照らされた書類も含まれています。インドの人々は古代ヴェーダとウパニシャドを書いています一定期間にわたって悪化したヤシの葉。
当時の彼らの洗練さにもかかわらず、非常に重要な書類を椰子の葉の上に書くのではなく、羊皮紙の上に書くことを選んだ理由は誰にも分かりません。私は非常に脆くなって容易に分解することができるヤシの葉について、いくつかの古代の文書を見てきました。彼らはまた、非常に悪い条件のもとで飼われました。一部は保存され、国立博物館に展示され、他のものはどこかに隠されたままです。
中国の広大なテラコッタ軍隊は、それを発見した農民が掘り起こされるまで何世紀も慎重に隠されていました。死海のスクロールは何世紀にもわたってイスラエルの砂漠の洞窟に隠されていたベドウィン・ゴッダードが洞窟を見つけ、険しい山側を登って、羊皮紙で満たされた数多くの粘土瓶を発見した。石で作られた記念碑は長く続きますが、パルミラ、バミヤン、アンコールワットで見たように破壊に脆弱です。
遺産は中国のように事故で発見されたものの、意図的に国の過去を掃除するために破壊されたために保存されていま���。それは純粋に犯罪的で悪意あるものです。私たちは過去を保存するために将来の世代に借りています。 私たちはどこから来たのか知っています。 子供たちは過去を保存する価値を教えて、ある日彼らが責任ある市民になり、破壊者にならないようにするべきです。
Shutten: Hakai no zengo no Shiria no Parumira no gūguru shashindo no yō ni kokka isan o hozon suru ni wa?
Gaiyō: Nan hyaku man-ri mo no kankōkyaku o hiki tsukete iru piramiddo ya tajimaharu no yōna seikaiisan ga kazuōku arimasuga, Afuganisutan, Shiria, Iraku no terorisuto ni yotte soshiki-teki ni sonshō, hakai, ryakudatsu sa rete iru mono ga takusan arimasu. Korera no kichōna basho wa subete no jinrui ni zokushite imasu. Nazenara, watashitachi ga hokori ni omoubeki yutakana isan o shimeshite irukaradesu. Shikashi, kanashi-ge ni, hitobito no nakaniha kachi ga nai nodesu.
Shutten:
Sūdan no meroe ni aru fukugen sa reta piramiddo no gūguru shashin watashi ga sūdan de hataraite ita toki, watashi wa Meroë no piramiddo o watashite imashitaga, koreha kokka isan no ichibudesu. Meroeru jitai wa nairukawa no chikaku no kōryō to shita bashodesuga, katsute wa farao ga Ejiputo no yō ni piramiddo o tatetaga, saizu wa haruka ni chīsai subarashī toshideshita.
Sūdan no farao ga, jōbu to kabu no Ejiputo o fukumu meroe kara no kōdaina teikoku o shihai shi, kogane no nijū no kobura o ōkan ni kabutta toki ga arimashita. Sorera wa sūsen’nenmae no eikō no hideshita. Ima dewa Meroë o miru to, 30 〜 40-ko no piramiddo ga issho ni atsumari, yaban hito ga kinenhi o arashite shimau no o fusegu tame ni yūshitessen de kakonde iru igai wa nani mo nokotte inainode, anata wa kanzen ni shitsubō shimasu.
Aru Ni~Tsu, watashi wa piramiddo o miru tame ni nigedashi, hiza no fukai suna o tōrinukete soko ni tsuita. Sabaku no suna wa hotondo no chiiki o kabā shi, piramiddo no ichibu o bubun-teki ni ōi, hoka no monyumento o kanzen ni ōtte iru kamo shirenai. Watashi wa piramiddo ga Ejiputo no mono yori mo inshō-tekide wanai koto o hakken shimashitaga, sonōchi no ikutsu ka no kiban ni wa, suna no ishi kara chōkoku sa reta zetsumyōna chōkoku ga mitsukarimashita.
Genmitsu ni shiraberu to, watashi wa darekaga chōkoku o hakai shi, fachima ga āmedo ya Mohamedo ga daisukidatta yōna mono o etchingu shita koto ni kidzuita Isuramu kyōto wa akiraka ni kokka isan o hyōka shite orazu, kodai no eikō no kako o sonkei suru koto naku mujaki ni atsukatta. Piramiddo wa samazamana hōkai dankai ni ari, jissai ni wa iseki wa nokotte imasendeshita.
Hakkutsu-mono ga nainode, suna no naka ni umorete iru mono wa dare mo shirimasenga, kako no ibutsu ya takaramono o mitsuketara odorokanaideshou. Nōzan sūdan ni wa, jiin-gun, kyūden, matawa suna ni ōwa rete iruga, kōkogaku bumon ni yotte yukkuri to seisō sa rete iruga, kaigai kara no tasuke o karite ōkina imi o motsu ta no basho no iseki o miru koto no dekiru saito ga kazuōku nokotte iru kuni ga kōdaidearu tame ni hakken sa rerubekidearu.
Watashi wa, iseki no hisan’na jōtai o manoatari ni shite ori, ōku no kunide wa sorera o kussaku shi, shizen ya hitobito ni yotte hikiokosa reta songai o shūfuku suru tame no shigen ga fusoku shite iru tame, isekide wa taihen jūyōna iseki o misugoshite imasu.
Shutten:
Kanbojia no ankōruwatto ni okeru sonshō shita apusara no gūguru shashin Kanbojia no shemuriappu ni aru ankōruwatto o otozureta baai, kumēru rūju no shihai-ka ni aru monyumento ga hakai sa re, dorobō ga chōzō no ue kara hakobi sara reta tame, apusarasu nado no ōku no chōzō ga hason shi tari, kuro ichiba de sorera o uru Bankoku no o mise o otozurereba, sono yōna ātifakuto ga kazuōku miuke raremasuga, dono yō ni nyūshu shita no ka wa oshiete kuremasen.
Indo no yūmeina kajuraho no jiin kara amari tōkunai tokoro ni kyūden, toride, jiin ga ari, mukashi wa shokubutsu ga seisoku shi, kanzen ni hōki sa rete ita koto o shimeshite iru kowareta chōzō ya fukuzatsuna chōkoku ga arimasu.
Kaimen ga jōshō shita tame, Ejiputo to Indo de jūyōna chiten no ikutsu ka wa umi no shita ni arimasu. Arekusandoria no Kureopatora kyūden to Dwarka no kurishuna kyūden no itai wa ima mizu no shita ni arimasu. Anata wa daibingu gia ga areba sore o miru koto ga dekimasu. Ikutsu ka no kunide wa, hitobito wa karera no isan o hijō ni hokori ni omotte ori, terorisuto ga bāmiyan ya Palmyra no yō ni taikei-teki ni hakai shite iru ma ni, mosuru hakubutsukan no kichōna ibutsu wa terorisuto ni yotte hakai sa re, Isuramu izen no isan o hakai suru koto ni natte imasu.
Shutten:
Hakai mae to hakai-go no bamiyan Futsu no gūguru shashin Chūgoku no ichibu no hitobito ga bunka kakumei no na de sūsen’nenmae no kichōna shahon, hon, soshite sono yōna shorui o taikei-teki ni hakai shite yaita to iu jijitsu wa zan’nendesu. So no yōna kokka isan no hakai ni sekininwoou hitobito no ichibu ga tsukamatte tōgoku sa retaga, sono higai wa owatta.
Kako wa,-seki no hitobito no rekishi o kiroku shite iru tame, watashitachi ga daredatta ka o tsutaete imasu. Tāji maharu ga itotekini hakai sa reta baai, dare ga shitteitadeshou ka? Rājasutān no toride to kyūden no kanzen’na eikō o dare ga shitte iru nodesu ka? Toride ya sonohoka no monyumento o zenkoku ni hozon shite iru Indo no kōkogaku-tekina shakai wa,Karera wa mada naranda ya ajanta no yōna rekishi-tekina saito no inshō-tekina risuto o iji suru koto ga dekimashitaga, sen’nin’ijō ga mada hozon sa reru no o matteimasu.
Isuramu kyōto no kyōshin-tekina hito-tachi wa, seikaiisan no ichibudearu korera no haearu kinenhi ni, karera ga hakai sa reru kanōsei ga aru Isuramude wanai tame, hozon suru kachi ga nai to iu ayamatta shin’nen no gisei-sha o dashite iru. Karera wa jikoku no kako ni keiiwoarawashite inainode, sūdan no Meroe no hakai kōi o miru koto ga dekimasu. Yunesuko wa ōku no kuni de ōku no isan iseki no rihabiri ni shikin o teikyō shite ori, seikaiisan no chii o ōku no basho ni atae, iseki o hogo shi, fukugen suru tame ni shikin o tsuiyashite imasuga, Kokuren mo shikin ga kokatsu shite imasu.
Shutten:
Ejiputo asuwan de shūfuku sa rete iru abu shinberu jiin no gūguru shashin. Abushinberu no chōzō o Ejiputo no asuwan ni hozon shita no wa, nasseru mizūmi no suii ga kōtō shita tame ni ōkibona zō o takadai ni utsusu kotodeshita. Itaria no enjinia wa, hoka no basho ni iten shite saiken shita kyodaina-zō o kiritoru tame ni yatowa remashita.
Shikashi, dare ga Afuganisutan no taribān ni yotte kanzen ni hakai sa reta, idaina bamiyan no butsuzō o fukugen suru koto ga dekimasu ka? Rekishi-teki ni, Ingurando, Furansu, Supein nado ōku no nishigawa shokoku wa, Ejiputo nado no kichōna chōzō ya shorui o nusunde shimatte hakubutsukan ni ashi o hakobi, karera o ubaitotta kuni ni modosu koto o kyohi shite imasu. Yūmeina Takht e taus ya pīkokku Throne wa Indo kara satsuei sa re, genzai kaigai no aru bijutsukan ni tenji sa rete imasuga, Kohinoor to iu yūmeina daiyamondo wa Igirisu ni ari, joō wa sore o ōkan no ue ni oite imasu.
Shokuminchi jidai no kokka isan no sekai-tekina dasshu to, yōroppa ya Indo ya Ejiputo nado no kodaibunmei kuni to no sensōde wa, jibun no zaihō ya hakubutsukan o umeru tame no takaramono o te ni ireru koto ga dekimashita. Nusuma reta āchifakuto wa hotondo matawa mattaku modotte konakatta. Kono hakai to tōnan wa, izentoshite Chūtō ya jikoku no hitobito ga ryakudatsu shi, yamiichiba de uriharatte rieki o ageru tame ni kichōna kako o uriwatashite iru ta no ōku no kunigunide wa otoroe ga tsudzuite imasu.
Saigo no sekai taisen-chū, doitsunin wa senryō sa reta yōroppa kara no kaiga,-kin ya gin no ibutsu ya nan sen mono kichōna mono o ubaitori,-go de hakubutsukan o umeru tame ni sorera o hokan shimashitaga, sensō o ushinatte kakusa reta zaihō wa kakusa reta mamadeshita. Saikin, darekaga nan hyaku man-doru mo no kachinoaru yaneuraheya ni kaiga no taba o hakken shita.
Sore wa Doitsu no ryakudatsu-hin no ichibudeari, satsuei basho kara hakubutsukan ni modottekita. Kore wa kōundatta. Tāji maharu no naiheki ni wa, rōsoku no hikari de kagayaite itaga, garasu no bīzu de igirisuhito ni totte kawatta honmono no hōseki ga kazara rete ita koto o gozonjideshita ka? Hontō no hōseki wa dō narimashita ka? Kibō no daiyamondo ga Indo no jiin de hindo~ū kyō no kami no nekkuresu ni atta to shitte imashitaga, osoraku igirisuhito no gaikoku hito ga satsuei shimashita ka?
Watashi wa washintondīshī no Sumisonian hakubutsukan no aru hi, watashi no kodomo no ushiro ni iru amerikahito ga daiyamondo ga itsumo koko ni ari, doko kara demo nusuma reta koto wa nai to fungai shita toki, tōnan to rekishi o setsumei suru hōpudaiyamondo o kodomo-tachi ni shimeshimashita. Gūguru no jidai ni hitobito wa dō yatte muchi ni naremasu ka?
Kyōiku wa karera no tsuyomide wa naku, watashitachi no kodomo ga shitte itanode, muchi no hitobito wa rekishi o kiku koto ga dekinainode, watashi wa chotto shizukani shite imashita. Ōku no baai, kenryoku o motsu hitobito ga isan no sōdaina tōnan ni sekinin o otte imashita. Watashi wa koko de pointo o kyōchō suru tame ni 2tsu no rei o agemasu.
Kēsu bangō 1: Afuganisutan ni itte, kare no teikoku o jama shite takaramono o ryakudatsu shiyou to shite ita shinryaku-sha o bassuru yō, manhān shōgun ni tazuneta mugāru kōtei akubaru no toki ni, rājasutān no jaipūru ni aru anbā no toride ni wa ōkina takaramono ga hōmura remashita.
Dakara man Shin wa Afuganisutan ni ōkina guntai o mochi, hanran-gun o basshi, guntai ni kanetogin to hōseki o takuwae, jiyū ni te o futta. Man Shin wa izen no gōi ni shitagatte, akubāru ni senri-hin no ichibu o watashitaga, jibun’notameni sono hotondo o hokan shi, anbā no toride no doko ka ni kakushita. Dare ga kakurete ita ka, dorekurai no kachi ga atta no ka wa wakatte inakatta.
Nanseiki mo mae kara, subete no shuyōna haiyū-tachi ga nanbyakunen mo mae ni shibō shi, karera no himitsu o karera ni umete itakaradesu. Shikashi, kakusareta tomi no monogatari wa bōdaina wariai de nokotte imashita.
Indira ganjī no rīdāshippu no ma, kanojo wa kakusa reta takaramono o mitsukeru tame ni anbā no toride o tetteiteki ni sōsaku shi, toride wa nan-kagetsu mo mippei sa re, kussaku wa honkaku-teki ni hajimatta. Wareware wa jōsai ni itte, watashi ga toride ga Indo no daibubun no jōsai no yō ni ōkibodearu to itta toki ni watashi o shinjite iru. Monogatari ga susumu ni tsurete, karera wa takara o mitsuke, omoi busō shita anchisukiru ga iru ōku no torakku de zentai no yoru Torakku ga kidzuka renai yō ni fūsa sa rete iru.
Sonogo, takara wa kiemashita. Kyō demo dare mo takara ni nani ga okotta no ka, dore dake no mono ga mitsukatta no ka, sono kachi wa nanika o shiru hito wa imasen. Anata ga sono mon o kayotte hairu to, jōsai no shōmen no nakaniwa no chōdo 100 fīto × 100 fīto no ishidzukuri no ishidzukuri de tsukura reta mizu tanku ga aru koto o tsuāgaido ga oshiete kuremashita.
Kare wa watashitachi ni sora no tanku o shimeshimashitaga, jōheki ya hoka no kabe ni shinchō ni tate rareta chan’neru no shisutemu ni yotte usui ga atsume rareta rājasutān no toride de, kono yōna mizu tanku o mitsukeru no wa mezurashī kotode wa arimasen. Mezurashī no wa, chika ni tate rareta kono tanku no soko ni hito ga hotta mono de, 2-kai matawa 3-kai no kōdaina chikashitsu e no iriguchi ga kaidan de yami ni michibika rete iru koto ga wakarimashita. Karera wa, takaramono ga fukai chika no kinko ni kakusa re, eien ni fūin sa reta bashodearu to iimasu.
Watashitachiha kaidan ga kudatte iku no o mimashitaga, soko ni kudaru koto wa yurusa remasendeshita. Watashitachiha mata, kyūden no naka kara himitsu no ton’neru o hakken shi, tanku no shita no chikashitsu ni michibiite iru to iwa remashitaga, ima wa fūin sa rete imasu. Korehanani seiki ni mo watatte nanseiki mo-go ni hakken sa reru made, hanarete.
Kēsu bangō 2: Saigo no sekai taisen-chū, Yamashita shōgun wa Firipin o senryō shitaga, sore wa Biruma kara Betonamu, Manshū, Chūgoku made hirogatta teikoku no bōdaina senryō chiiki no ichibu ni suginakatta. Yamashita wa, senryō sa rete ita subete no ryōdo kara kichōna mono no naka ni kingin no keitōtekina dakkan o meiji,-go ni kaishū sa rete Nihon ni hakoba reru Firipin no 100 ijō no shikichi ni himitsu ni hōmura retaga, rengō-gun wa Nihon e no rūto o nogareru tame, Firipinde wa Yamashita ga himitsu o mamotte ita tame, takaramono wa Firipin ni kakurete imashita.
Kare wa kimyōna angō de shiji o kaka reta tegaki no chizu o te ni shite ita. Kare to hoka no shōsū no hito shika Tōkyō no kōkyo ni yonde gen no chizu o yonde 1 – 2-ri shika shirimasendeshita. Yamashita no takaramono Bagio no oka ni sumu Firipin hito ga fukai janguru to ha ni kakureta horaana ni kuchi o mitsukeru made, dare mo seikō shinakatta. Kare wa tandoku de naibu o bōken shita toki, kin’iro no butsuzō to sūji no tsuita tasū no hako o mitsukemashita.
Kare wa sore o horiokoshite 9-nen chikaku horiokoshi, kare ga dōkutsu o mitsuketa toki ni kare no shigen o subete tsukaihatashite ita. Hakken wa Manira ni hōkoku sa re, seifu wa sugu ni subete o bosshū shi, mazushī hito o kōryū shi,-sōdenakereba kare wa shitteita. Naganen no ato, kare wa saibansho no meirei ni yotte kaihō sa remashita. Mata, katai kin no zō mo mata kare ni kaesa renakereba naranai to itte itanode, nise no shinchū no budda-zō ga seifu kara atae raremashita. Kare wa jibun no doryoku no tame ni nani mo ete inainode, hinkon to hisan-sa de nakunarimashita.
Bagio de mitsukatta Yamashita no takaramono wa, hoka no basho ni maisō sa reta takaramono no hon’no ichibudesuga, kesshite mitsukarimasendeshita. Kono takaramono wa sugu ni sugata o keshite shimai, sono kuni kara suiage rareta kanōsei ga takaku, ōku no kuni no kokka isan wa shōmetsu shimashita. Supeintoha Chūtō to Nanbei no shokuminchi no takaramono o ryakudatsu suru senmonka de, asuteka hito no ō mochetsuma wa,-kin no sanbutsu de ōkina heya o umeruga, Supein no shinryaku-sha korutesu no meirei de sokuza ni kieta.
Ko no yō ni, asuteka teikoku no idaina isan wa ubawa re, hitobito wa Mekishiko de gyakusatsu sa remashitaga, soreha subete no rekishidesu. Kono takaramono wa kyō 40 oku-doru ijō no kachigāru to suitei sa rete imasu.
Dono yō ni isan o hozon suru ni wa?
Ima, watashi wa kono burogu no muzukashī bubun ni kite imasu. Nazenara, isan o tateru koto yori mo hakai shi tari ryakudatsu shi tari suru no wa kantandakaradesu. Tomi o chikuseki shi, mirai no sedai ga mite hokori ni omou mono o nokoshite iku ni wa nanseiki mo kakarimasu.
Isan ni wa kinenhi ya piramiddo no yōna butsuri-tekina mono dakedenaku, kokumin no rekishi, idaina eiyū, seika, bunmei no kako ni terasa reta shorui mo fukuma rete imasu. Indo no hitobito wa kodai vu~ēda to upanishado o kaite imasu ittei kikan ni watatte akka shita yashi no ha. Tōji no karera no senren sa nimokakawarazu, hijō ni jūyōna shorui o yashi no ha no ue ni kaku node wa naku, yōhishi no ue ni kaku koto o eranda riyū wa darenimo wakarimasen.
Watashi wa hijō ni moroku natte yōi ni bunkai suru koto ga dekiru yashi no ha ni tsuite, ikutsu ka no kodai no bunsho o mitekimashita. Karera wa mata, hijō ni warui jōken no moto de kawa remashita. Ichibu wa hozon sa re, kokuritsu hakubutsukan ni tenji sa re, hoka no mono wa doko ka ni kakusa reta mamadesu. Chūgoku no kōdaina terakotta guntai wa, sore o hakken shita nōmin ga horiokosa reru made nan seiki mo shinchō ni kakusa rete imashita.
Shikai no sukurōru wa nanseiki ni mo watatte Isuraeru no sabaku no dōkutsu ni kakusa rete ita Bedō~in goddādo ga dōkutsu o mitsuke, kewashī yamagawa o nobotte, yōhishi de mitasa reta kazuōku no nendo bin o hakken shita. Ishi de tsukura reta kinenhi wa nagaku tsudzukimasuga, Parumira, bamiyan, ankōruwatto de mita yō ni hakai ni zeijakudesu. Isan wa Chūgoku no yō ni jiko de hakken sa reta mono no, itotekini-koku no kako o sōji suru tame ni hakai sa reta tame ni hozon sa rete imasu.
Sore wa junsui ni hanzai-tekide akui aru monodesu. Watashitachi wa kako o hozon suru tame ni shōrai no sedai ni karite imasu. Watashitachiha dokokarakitano ka shitte imasu. Kodomo-tachi wa kako o hozon suru kachi o oshiete, aru hi karera ga sekinin aru shimin ni nari, hakai-sha ni naranai yō ni surubekidesu.
Chū: Watashinoburogu wa, furansugo, Supeingo, doitsugo, nihongo no kaku gengo demo riyō dekimasu.
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How to preserve the national heritage ( in Japanese) 出典:破壊の前後のシリアのパルミラのGoogle写真 どのように国家遺産を保存するには? 概要:何百万人もの観光客を惹きつけているピラミッドやタジマハルのような世界遺産が数多くありますが、アフガニスタン、シリア、イラクのテロリストによって組織的に損傷、破壊、略奪されているものがたくさんあります。これらの貴重な場所はすべての人類に属しています。なぜなら、私たちが誇りに思うべき豊かな遺産を示しているからです。しかし、悲しげに、人々の中には価値がないのです。 出典:スーダンのメロエにある復元されたピラミッドのGoogle写真 私がスーダンで働いていたとき、私はMeroëのピラミッドを渡していましたが、これは国家遺産の一部です。メロエル自体はナイル川の近くの荒涼とした場所ですが、かつてはファラオがエジプトのようにピラミッドを建てたが、サイズははるかに小さい素晴らしい都市でした。スーダンのファラオが、上部と下部のエジプトを含むメロエからの広大な帝国を支配し、黄金の二重のコブラを王冠にかぶった時がありました。それらは数千年前の栄光の日でした。 今ではMeroëを見ると、30〜40個のピラミッドが一緒に集まり、野蛮人が記念碑を荒らしてしまうのを防ぐために有刺鉄線で囲んでいる以外は何も残っていないので、あなたは完全に失望します。 ある日、私はピラミッドを見るために逃げ出し、膝の深い砂を通り抜けてそこに着いた。砂漠の砂はほとんどの地域をカバーし、ピラミッドの一部を部分的に覆い、他のモニュメントを完全に覆っているかもしれない。私はピラミッドがエジプトのものよりも印象的ではないことを発見しましたが、そのうちのいくつかの基盤には、砂の石から彫刻された絶妙な彫刻が見つかりました。厳密に調べると、私は誰かが彫刻を破壊し、ファチマがアーメドやモハメドが大好きだったようなものをエッチングしたことに気づいた イスラム教徒は明らかに国家遺産を評価しておらず、古代の栄光の過去を尊敬することなく無邪気に扱った。ピラミッドは様々な崩壊段階にあり、実際には遺跡は残っていませんでした。発掘物がないので、砂の中に埋もれているものは誰も知りませんが、過去の遺物や宝物を見つけたら驚かないでしょう。 ノーザン・スーダンには、寺院群、宮殿、または砂に覆われているが、考古学部門によってゆっくりと清掃されているが、海外からの助けを借りて大きな意味を持つ他の場所の遺跡を見ることのできるサイトが数多く残っている国が広大であるために発見されるべきである。 私は、遺跡の悲惨な状態を目の当たりにしており、多くの国ではそれらを掘削し、自然や人々によって引き起こされた損害を修復するための資源が不足しているため、遺跡では大変重要な遺跡を見過ごしています。 出典:カンボジアのアンコールワットにおける損傷したアプサラのGoogle写真 カンボジアのシェムリアップにあるアンコールワットを訪れた場合、クメール・ルージュの支配下にあるモニュメントが破壊され、泥棒が彫像の上から運び去られたため、アプサラスなどの多くの彫像が破損したり、黒市場でそれらを売るバンコクのお店を訪れれば、そのようなアーティファクトが数多く見受けられますが、どのように入手したのかは教えてくれません。 インドの有名なカジュラホの寺院からあまり遠くないところに宮殿、砦、寺院があり、昔は植物が生息し、完全に放棄されていたことを示している壊れた彫像や複雑な彫刻があります。 海面が上昇したため、エジプトとインドで重要な地点のいくつかは海の下にあります。アレクサンドリアのクレオパトラ宮殿とDwarkaのクリシュナ宮殿の遺体は今水の下にあります。あなたはダイビング・ギアがあればそれを見ることができます。 いくつかの国では、人々は彼らの遺産を非常に誇りに思っており、テロリストがBamiyanやPalmyraのように体系的に破壊している間に、モスル博物館の貴重な遺物はテロリストによって破壊され、イスラム以前の遺産を破壊することになっています。 出典:破壊前と破壊後のバミヤン仏のGoogle写真
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