Tumgik
#平行世界のエイドス
satoshiimamura · 10 months
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第7話「日(かんけい)常」
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「観測システム問題ありません」
「シンクロ率七十パーセントをキープしています」
「通信速度も安定」
 次々と周囲から報告される内容に、夢見は中央管理室の中央に鎮座する巨大モニターを見ながらも笑う。
 そこに映るのは空を飛び回る青のイカロス。次々とやってくるペティノスを打ち倒している。
 青空の中、それよりももっと濃い塗装の機体が、火炎を背負いながらも宙を飛び回る。その光景は、かつて夢見もよく見たものだった。
「まるで子供だな」
 夢見の背後からタスカが声を掛けた。
「子供でしょうよ。そもそも、あの双子たちがガキだし」
 モニターから目を逸らさずに夢見は言い返した。それに気分を害した気配もなく、さらに会話を続ける。
 両者とも視線はモニターに固定されていた。
「当初はおとなしいガキが、やんちゃなガキ共に振り回されている印象だったが」
「容赦無くなってるよ、あの子。七番との裁定勝負の途中、収集可能範囲九十五パーセントくらいのデータをランダムでパイロットに開示し始めてた」
「腐ってもナンバーズか……それだけの情報を拾えるオペレーターもだが、神楽右近も開示データを処理できる辺り脅威だな」
「問題児とはいえ、スバルの秘蔵っ子だし」
「死んだわりにはタチの悪い置き土産だ」
「言えてる」
 ククッと夢見は笑う。タスカはそれを横目で眺める。
 二人の背後で、さらに青のイカロスに関連した数値が読み上げられていた。
 直接搭乗を行っている獅子夜ゆらぎの脳波や心拍数、呼吸などから、彼の心理状況が暴かれていく。が、それらはとても安定していた。彼は迷いなどなく、淡々と、静かに場を把握していく。緊張感も恐怖も、そこにはなかった。
「実戦でもこれか……最終決定には帰還時のデータ収集まで待たなくてはいけないが、思った以上に使えるな」
 タスカがそう言えば、夢見もまた頷く。が、一部の数値に疑問があったらしい。唸り声を喉の奥から響かせて「データが少なすぎる」と嘆いた。
「この数値が個人によるものか新世代のイカロス由来なのかわからないね。比較がしたいが……これじゃあ、結論が出せない。ていうか、サンプル少なすぎて無理」
「現見さんたちが許さないだろう。五番の直接搭乗ですら、未だ眉間に皺を寄せて反対してるらしいぜ」
「まったく、三十年前の連中は頭が固い!」
 憤慨だと言わんばかりの夢見に対し、タスカは諦めの混じった声色で嗜める。
「アレクたちがあれだけ過去の情報開示を求めても、連中は首を横に振るばかりだ。三十年前のトラウマがどれだけ深いのかは知らないが、オレやお前の元上司たち並みに頑固なのは初めから知ってただろ」
 でも、と夢見が諦めきれないように青のイカロスを見上げる。モニターに映るイカロスは、先程他のイカロスから援護を受けて、再びペティノスを複数体撃破していた。
 その横でタスカがモニターの端を指さす。そこにいたのは、黒のイカロスだった。
「もう少し待てば、勝手にサンプルは増えるだろうさ」
 それまでの辛抱だ、とのタスカの言葉に夢見も意味を理解したのだろう。そうだ、そうだったと同意をし、そして笑って次の願いを口にした。
「早く比較したいね」
***
 イカロスによる出撃を終えて、ゆらぎは右近とともに待機室に戻る。そこには、複数人のイカロス搭乗者たちが集まっていたが、皆ゆらぎのことを気にしていた。
 突き刺さる視線と圧に目を逸らすゆらぎだが、右近はその様子に気づいていない。呑気に「飲み物いります?」と尋ねてきた。相変わらず、後輩の苦労を考えない先輩である。
「あ、いたいた。おーい、右近! 獅子夜くん!」
 誰もが振り向くほどの大声で、場の空気を一切気にすることなく話しかけてきたのは、同じナンバーズの神楽左近だ。彼もまた出撃していたのをゆらぎは知っていた。
「左近さん、先ほどはフォローありがとうございます」
 戦闘中、ペティノスに囲まれたところで黒のイカロスからの援護があった。それについてゆらぎが左近に礼を述べると、左近の返事よりも先に右近が諌める。
「ゆらぎくん、礼を言う相手が間違っています。どうせこの戦闘バカは、状況に気づいていなかったに決まっています。オペレーターのルーが気づいてフォローを進言したに違いありません」
「ちげーよ馬鹿! ちゃんとオレが気付いたんですー。て言うか、いつの間に獅子夜くん名前呼びしてんだよ、オレも名前で呼びたいっての、この馬鹿」
「馬鹿て言わないでくださいよ、この馬鹿。あとゆらぎくん呼びはちゃんと本人に許可貰ってください、お前には勿体無いですけど」
「何様だよ馬鹿」
「お前こそ、この馬鹿」
 互いに馬鹿馬鹿と罵り始めた双子に、ゆらぎはどうしようかと思案し、周囲はいつものやつかと興味なさそうな顔をする。喧嘩自体はゆらぎも割とどうでもいいのだが、生憎とナンバーズとして引き継ぎをしなければならないのだ。次の当番の者たちも集まり始めており、未だ業務に不慣れと言うか新人枠のゆらぎにとって、どうすればいいのか右近と左近に聞きたいところであった。
「あのぅ」
「もう! また二人とも喧嘩してるの!?」
 突如、待機室に女性の声が響く。と同時に、それまでくだらない罵り合いをしていた双子の肩がビクリと揺れた。
「呆れた! 引き継ぎも終わってないし、新人放置してるなんて何やってんの? ちょっと左近、あたしの話聞いてる? 右近も逃げない!」
 直球過ぎる言い回しと、小柄でありながら力強い足音をさせやってくる女性。彼女は華奢な身体に長い金の髪を纏わせている。その金とも橙とも思える目は鮮やかで、ゆらぎの向こう、神楽兄弟たちを睨んでいた。
「ルー、これには深い事情、つまり右近が喧嘩を売ってきてな」
「いつものやつじゃない!」
「いつもじゃないって」
 タジタジな左近というのを初めて見たゆらぎは、成り行きを見守っている。さらに彼女は右近にも近づいた。
「右近も久しぶりに左近と出撃だからって、浮かれてるんじゃないわよ!」
「浮かれていません」
「言っておくけどゆっきー経由でエイト・エイトが教えてくれたわよ」
「ちょ、エイト・エイト!? 何言ったんですか、あなた」
 腕時計端末に向かって右近が問い詰めようとするが、彼の端末にAIのホログラムは映らない。対し女性の指輪型端末からは、瀬谷雪斗がニヤニヤと笑った状態のホログラムが映し出されていた。
 「これは仕事なの。しかも新人も入れての! それなのにあなたたちのくっだらない喧嘩で皆の時間を取って」
「ルー、落ち着けって。な?」
「そうです、そんなに興奮した状態で動くと」
 その直後、興奮した女性が左近の胸元をつかみかかろうとし、バランスを崩す。
「あ」
 誰が間抜けな声をあげたのか分からないが、それまで笑って見ていた周囲が慌て始める。が、咄嗟に左近と右近が女性を抱えるように庇い、下敷きになった。
「痛たたた」
「ドジなの忘れないでくださいよ」
「ううう、ごめん」
 折り重なった三人にの様子に、怪我はなさそうだと周囲も一安心する。
 ゆらぎもホッと安堵の息を吐いてから、一番上にいた女性に手を差し出した。ルーと双子に呼ばれていた女性は一瞬躊躇ったが、ゆらぎに微笑んでその手を掴み、立ち上がる。
「ありがとう、獅子夜くん。ごめんなさいね、こんな変なところ見せちゃって」
 至近距離からの大人の女性の優しい笑みを見たゆらぎは、「え、ああ。どうってことないです」と早口で言い返した。
 ルナやあの気の強そうな七番の兎成姉妹とは違う雰囲気に、少しばかりゆらぎの頬が赤く染まった。が、お互いを押しのけて立ち上がった右近と左近は、女性とゆらぎを引き離す。
「ルー、ちょーっと距離が近すぎかなぁ」
「ゆらぎくん。彼女に騙されないでください。君はまだクーニャから卒業したばかりなのですから」
 その言葉に、何を勘違いしているのかと言い返そうとしたゆらぎ。なのだが、返すよりも先にいい笑顔の女性が、それは見事なアッパーを左近に、続けて右近に繰り出したのであった。
 引き継ぎ報告を終えたゆらぎ、右近、左近、そして未だに苛ついてる女性の四人は、待機室からファロス機関の休憩所にやってきていた。
「本当にごめんなさいね、獅子夜くん。こんな馬鹿な男二人に振り回されて、大変でしょう? 嫌だと思ったら遠慮なく頭叩いちゃいなさい」
 はいこれ、おねーさんの奢り。と手渡された缶コーヒーは、練乳たっぷりの激甘商品として、すでに新入生たちの中で話題になっているものだった。
 正直ゆらぎとしては、手渡されたものが甘すぎてどうしようかと思うものだったのだが、好意を無下にすることもできずに受け取ってしまう。
 ぼそぼそと礼を言いつつも、彼女の言葉に苦笑いをするしかない。というか、前にも二番の二人に似たようなことを言われている。どう考えても右近と左近の双子は、問題児なようだ。
「あー、えと、その……右近さんにも左近さんにも、出会ったときから振り回されているので……その、そこまで気にしてないです」
 悲しいかな。地上にやってきた日から振り回されすぎてるゆらぎにとって、先ほどのような小競り合いはもう日常であった。頭を叩くまではいかないにしろ、相棒とその兄弟を放置しながら、オペレーター向けの課題演習をエイト・エイトを相談相手として解いていたほどだ。
「新人に気を使わせて、本当に先輩失格だわ」
 そのゆらぎの日常を察したのか。再び女性が双子を睨みつ���る。睨みつけられた方は、お互いに同じ銘柄の飲料を口にしながら、目を逸らした。
 その様子に女性は大きくため息をついて「もういいわよ」と呟く。そして、改めてゆらぎの方を向いた。
「自己紹介がまだだったわね。私はルル・シュイナード。ナンバーズ六番のオペレーター、つまりそこにいる神楽左近の相棒よ。右近ともナンバーズになる前からの付き合いなの。左近やゆっきー……瀬谷雪斗とは会ってたかもしれないけど、こうしてオペレーター同士でお話できる日を楽しみにしてたわ」
 よろしくね、という笑みと同時にルルから握手を求められる。ゆらぎもまた改めて名を告げて、握手に応じた。
 両者ともにのほほんとした雰囲気だったが、次の瞬間爆弾が落とされた。
「ふふ、ようやく獅子夜くんに会えた。ずっとモニター越しだったし、獅子夜くんはオペレーター室にはいなかったから、直接会って話したいと思ってたの。あのね、私も直接搭乗しようと思ってるから」
「え」
「ルー!」
 内容を理解しようとするよりも先に、左近が間に割って入る。どうやら彼にとっても衝撃的な内容だったようだ。
「お前だって、直接搭乗のリスクは知ってるだろ!?」
「でも、メリットもあるわ。それに、左近だけが戦闘の最前線にいるのが……いえ、私だけが後ろにいるのが怖いの。私たちのイカロスは近距離特化だから」
 撃墜される可能性が一番高いわ、と続くルルの言葉に左近は否定できない。右近とゆらぎはレーザーや銃器による近距離から中距離型イカロスではあったが、左近たち六番のイカロスの武器は複数のブレードなのでペティノスに接近するしかない。
「危険なのも、オペレーター病のことも分かってる。でも、スバルの最期を考えると、私、左近と一緒にいたいと思ったの。空で、独りいなくなるより、誰かと一緒にいた方がいい。もちろん、負ける気なんてさらさらないけど」
 だから、と続く彼女の言葉に震えは一切なかった。
 しっかりと左近を見つめるルルに対し、相棒は何も言えないでいる。だが、右近は静かな声で「いいのですか?」と尋ねた。
「何が」
「左近も俺もパイロットの中では、かなり好戦的な性格です」
「知ってるわ、あなたたちが出てきたことで、これまでにないレベルでの超接近、超高火力イカロスが設計されたぐらいだもの」
「ええ。夢見博士やタスカ技官長に言われたんですけど、俺たち双子は異常なレベルで恐怖心が低いんですよ。それをオペレーターの警戒心で補っているとまで言われた。だから」
「だから?」
「ルーは普通に怖いのでしょう? あの戦場に立てるのですか? いや、ゆらぎくんになんの説明もなく直接搭乗をさせた俺が、言えたセリフではないのは重々承知していますが」
「そうね、怖いわ」
 さらりと言い返された内容に、左近がならと言い募ろうとする。だが、ルルはそれを制した上で再度告げた。
「でも、左近だけが前線にいる方がもっと怖い」
 左近は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。右近��無表情でルルを見つめる。ゆらぎだけがどうするべきかと、三者それぞれに視線を移すしかできなかった。
「……右近。後で、現見さんを説得するの手伝え」
「ええ、俺でよければいくらでも手を貸しますよ」
 ルルだけでなくゆらぎもホッと一息つく。ありがとう、と彼女の小さな謝礼が聞こえたのは、きっとゆらぎだけだった。
「で、だ。クーリング期間に入ったわけだが、獅子夜くんはその間予定ある?」
 これまでの重い雰囲気をガラリと変えて、左近がゆらぎに尋ねた。
「ええと、クーリング期間は最低二十四時間ですよね」
「そう。とは言え、今回はペティノスとの戦闘までしたから、緊急時以外は四十八時間はクーリング期間になるな。通常だったら夜にはエイト・エイトからカウンセリングも入るとは思うけど」
「直接搭乗の影響を調べる名目で、明日はファロス機関に行くことになっています。AIによるカウンセリングは就寝時に行われるので、この後六時間は自由行動が可能だと思いますが」
 左近、そして続いた右近の説明に改めてイカロス搭乗にはパイロットもオペレーターも多大な負担がかかるのだと、ゆらぎは思い直す。彼自身は大して疲れたという感覚がないのだが、イカロスから降りた際に何人かのパイロットが座り込んでいたのを見かけていた。
「獅子夜くんは平気そうね。ナンバーズは比較的搭乗での負荷が少ない傾向があるけど、個々人のクーリング期間が長くなることはあれど、短くなることはないわ」
 ルルもまた、平気そうな顔をしている。未だナンバーズ以外のパイロットとオペレーターたちと親しくないゆらぎには、その負担の度合いが分からない。
 とはいえ、今は左近からの質問に答えるべきだろう。
「ええと、その、一応買い出しに行こうかと思っているのですが」
「買い出し? 何を買うんだ?」
「その、部屋の家具をまだ揃えてなくて。エイト・エイトからは色々と提案されているんですけど、おれが欲しいのがなかったから」
 ゆらぎの回答に左近やルルだけでなく、なぜか右近まで驚く。
「え、もしかしてまだあの状態なんですか? この間、学園のご友人が泊まりに来ていましたよね?」
 右近の指摘にゆらぎは少し目を逸らして、言い訳を口にする。
「その、どういう部屋がいいか学園で盛り上がって、じゃあエイト・エイトに協力してもらってARで再現しようということで、お泊まり会になったんですが……なぜかルナさんおすすめアニメ鑑賞会になってしまって」
 掛け布団一枚とエイト・エイトに作ってもらったポップコーンを三人で取り合いながらの鑑賞会は、それはもう盛り上がった。が、目的は何一つ達成されていない。
 同日は右近もゆらぎたちの邪魔をするべきではないと、珍しく空気を読んで自室に引っ込んでいた。が、楽しそうな声が聞こえていたので、とっくに友人を招き入れる部屋の状態だと勘違いしたのだ。
「あまりにもおれたちの話が進まないのに呆れたのかもしれません。いっそのこと家具店に行く方がいいとエイト・エイトの提案があって、今日行こうかなと思っていました」
 そのゆらぎの説明に右近は呆れ、左近はエイト・エイトも苦労しているなと思い、ルルは「じゃあ、先輩として案内しましょうか」とにこやかに提案した。
***
「部屋の雰囲気は置いておくとして、必要な家具が何かはリストアップしているんですか?」
 都市ファロス唯一のショッピングモールにやってきた四人は、家具を取り扱う店舗で様々なカタログを引っ張り出していた。
 多種多様なレイアウトが載った電子端末を見ながら、右近がゆらぎに尋ねた。
「え?」
 全体のレイアウトとその雰囲気を議論し続けていただけに、右近からの指摘に戸惑いの声をあげる。
「ゆらぎくんの今ある家具は、ベッドくらいでしょう? あと机と椅子はないと困るでしょうし」
 続く右近の指摘に、さらに左近とルルも乗る。
「クローゼットの中身はどうするんだ? 小物入れるチェストとかもあったら便利だけど」
「部屋の雰囲気変えるなら、ベッドも変えていいと思うわ。話を聞いてる限り、たぶん新人に最初に渡されるベッドよね?」
 ぽんぽんと続く提案を聞いたゆらぎは、よくよく考えた。
「そう……ですね。たぶん統一した雰囲気にしたいので、ベッドも変えることになると思います。あと映画とかドラマとかアニメの鑑賞したいので、ソファとテーブル、投影機が欲しいかも。クローゼットは今のままで大丈夫だと思いますが、小物を入れるチェストは欲しいかな。それとカーテンも」
 ゆらぎの回答に、右近がエイト・エイトを端末に呼び出す。
「今の聞いていました?」
 端末に現れたエイト・エイトは「もちろん!」と反応する。そしてゆらぎに向かってグッドサインを投げた。彼は先日の、ゆらぎたちがしでかしたあまりにもぐだぐだなやりとりを知っているだけに、涙らしきエフェクトまで出している始末だ。
 その様子をみた右近はため息を吐き、左近は「たはは」と苦笑いを浮かべている。唯一ルルだけは、次の話題を提起した。
「それじゃあ獅子夜くんは、どんなコンセプト? 雰囲気がいいのかしら? といっても、漠然としすぎているから、まずは好きな色から決めちゃいましょう」
 散々決まらなかった内容なので、ルルの告げたとっかかりはありがたかった。
 うんうんと唸りながら、ゆらぎが脳裏に思うかべるのは、これまで見てきた映画たち。そして決めたのは。
「青……がいいです」
 ゆらぎの返答に、右近が「青?」と聞き返す。彼の脳裏に浮かんだのは、五番のイカロスが纏う青だった。
 だが、ゆらぎは心を読んだかのように「イカロスの青とは違います」と訂正する。
「おれは、星空の、いえ宇宙の青が部屋にあればいいと思うんです」
 今度は左近とルルが「宇宙?」と問いかけた。
「そうです。地下都市クーニャでは絶対に見れなかった星。地球の外を取り巻く宇宙。無数の光と神秘の闇がひしめく場所。おれが航空部隊を希望したのは、地上にでないとと宇宙に近づけないと思ったからです」
 無機質な天井を仰ぎ見て、その向こうにある光景を思い浮かべていたゆらぎ。しかし彼の相棒は不思議な顔をする。
「ペティノスたちがやってきた場所、ですか」
 その感想に、ゆらぎは苦笑いをする。よくよく周囲を見れば、左近やルルも同じような表情を浮かべていた。なるほどナンバーズともなればそうなるのか、と思ったほどだった。
「そりゃあ、地上の現状を知らなかったから憧れたのは事実です。でも、おれは未だ諦めてません。せっかく空を飛べるんなら、もっと高く、もっと空に近づきたい。イカロスをそういった目的で使うのは怒られるかもしれないんですが、おれは空を飛びたかった」
 その説明にルルが目を見開く。何が彼女の琴線に触れたのかはわからない。が、これまでの年上らしさ全開の表情から、双子と同じように幼い雰囲気を携えた少女のような顔をした。
「そっか、宇宙」
 ぽつりと零した彼女の独り言に答える者はいなかった。
「うん、そうだね。これまであたしたちは宇宙になんの興味も持ってなかった。オペレーターで、前線に出なかったあたしが言うなって話だけど、そうだね。直接搭乗をするなら、もっと宇宙は……空は身近になるんだものね」
 いいね、とこれまでの大人びた雰囲気を一切取り払ったルルの笑みがあまりにも眩しくて、ゆらぎの頬が熱くなる。途端にそれまで黙っていた左近と右近の両者が、二人の間に入った。
「だからルー、お前もうちょっと落ち着いて」
「ゆらぎくん、あの、本当にルーだけはやめてください。あれは外見だけは良いんです。外見だけで中身はダメです」
 そんなんじゃない、とゆらぎが叫ぶよりも先に、カタログを映し出す電子端末が左近の脳天に振り下ろされた。振り下ろしたのは言わずもがな、ルルである。さーっと血の気が引いた右近は、黙って元いた席に戻ったのだった。なお、血の気が引いたのはゆらぎも同様である。
「あの、その……おれの親友も地上は知らないけど、ルルさんたちみたいな反応だったんで、宇宙に憧れる人間が少ないのは重々承知してます。まして、ここはペティノスと命を掛けたやりとりをしているから」
 何をそんなにも弁解する必要性があるのか分からないが、少しでも落ち着いて欲しいと、ゆらぎが言葉を重ねる。しかしルルは「好きなものを好きって言っただけよ。そんなにも卑下する必要はないわ」と優しく返す。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われることでもないんだけどね。……でも宇宙となると、さすがに都市ファロスでも、あまり選択��はないかもしれないわ」
「やっぱりそうですか」
 薄々ペティノスのことを知ってから思っていただけに、ゆらぎは落胆を隠せない。
 だが、そこで頭をさすった左近と彼のAI瀬谷雪斗が「諦めるのはまだ早い!」と会話に加わった。彼の横では、電子端末に歪みがないかを右近がチェックしている。
「オリジナルデザインによる家具製作は可能だぜ。オレもゲームモチーフのアイテムを作ったことがあるし」
「そうそう、自分にデザインするセンスがなくても依頼っていう方法もあるからね。左近はゲーム画像を提出して作って貰ってたんだ」
 デザイン方面の依頼先一覧は僕がデータ化してるし、打ち合わせようのアプリもあるよ、エイト・エイトにコピーしようか? との瀬谷の提案にゆらぎはありがたく頂戴しようと思った。が、そこで気づく。
「でも、それだと宇宙の写真データとかが必要では」
 ファロス機関に空のデータがあるかな、と内心思ったところで、ルルからとんでもない爆弾が落とされた。
「それだったら、同じナンバーズの梓ちゃんが得意よ。確かあの子、オペレーター仲間からの依頼でデザイン案を一から練ってるのあたし見てるもの」
 途端に右近と左近が嫌そうな顔をしていたが、止める間もなく彼女は「連絡してみるね!」と好意全開で端末を起動させた。
***
 ゆらぎと梓は向かい合って、沈黙、沈黙、沈黙していた。あまりにも気まずくて席を立ちたくなったのだが、きっと相手も同じ気持ちだろうと察せられる。
「梓ちゃん、来てくれてありがとう」
 ただ一人、ルルだけがにこにこと笑っている。のだが、外から見れば俯いている男女と、その間に立つ笑う女の構図なので周囲からは浮いていた。
 オリジナル家具製作の話題が出た後、家具店から出た四人は昼だったのもあり、施設内にあるフードコートに来ていたのだ。
 その一画で梓と――案の定呼び出したメンバーがメンバーなのであゆはも来たが――合流し、今に至る。
 梓からしてみれば、あの裁定勝負で煮湯を呑まされた相手がまさかいるとは思っていなかったのだろう。同じオペレーターと言えど、直接搭乗をしているゆらぎと、間接搭乗をしている梓では接点がまともにない。合流した直後に冷や汗がだらだら流れていたし、なんだったら一歩引いていたのをゆらぎは見ている。でも断れない雰囲気なのは察した。主に横にいて眩しいくらいに好意全開のルルを前に、ここで拒否はできないよな、とゆらぎが共感したくらいだ。
「でね、獅子夜くんの部屋なんだけど、宇宙をコンセプトに家具を作りたいの。梓ちゃんは前にも」
 ぺらぺらと続くルルの言葉にも、梓は無言でいた。
 こんな時に黙る選択肢を持たない右近、左近、あゆはの三名はここに残っている面々の分も含めた昼食を買いに席を外している。それはそれで大丈夫なのだろうかと思わなくもないが、この圧倒的な気まずさよりかはマシだった。
「ね、ね、どうかな? 梓ちゃんはとっても可愛い小物とか作ってるし、すごいセンスあるもんね。きっと家具デザインも素敵だと思うんだ」
 ようやくルルの独壇場だった説明も終わり、勝手に圧倒されていたゆらぎの緊張感が解けた。だからだろう、彼もまた梓にお願いをする。
「あの、ほとんどの説明をルルさんがしてくれたんですが、その……本当におれ、宇宙をモチーフにした家具が欲しくて。宇宙を知っている人が少ないのは知っていますが、それでもお願いします」
 梓からしてみれば突然の呼び出し理由は、ルルの説明で理解した。更に癪な相手ではあるが、真っ当な理由の依頼人からもちゃんとした言葉でお願いがされた。
 なるほど、と彼女の緊張も少し解ける。ので、気になることを指摘した。
「仮にわたしがデザインするとして」
「はい」
「正直イメージが漠然としすぎる。どんな部屋にしたいのかが分からない」
 その指摘にゆらぎが困惑する。
「え、宇宙の」
「宇宙って言ったって、星や夜空、プラネタリウムに天文台やロケット、望遠鏡。まぁ、あんたのことだから星座占いみたいなのはなさそうだけど、どれを主軸にしたいのか分からないわ。映画と写真とかないの?」
 つらつらと紡がれる梓の説明に違和感を覚えたが、ゆらぎは深く考えることなく、それならと先日のお泊まり会でのアニメを思い出す。あのアニメでも宇宙に憧れる少年たちが、夜中にゲームをしながらおしゃべりをするのだ。
「星間開拓少年オウル、というアニメがあるんですが」
 ピクリと梓の眉が跳ねた。
「何話だったかな。主人公オウルが親友ディーの家に泊まる時の、ディーの部屋みたいなのが良いのかもしれません」
「あれは宇宙っていうか、ゲーム少年の部屋じゃない」
「でも望遠鏡と太陽系のモビールとか、ロケットエンジンのパーツに宇宙飛行士のポスターとか宇宙への憧れが映り込んでて……待ってください。梓さん、アニメ知ってるんですね?」
 通りで宇宙の話が通じるはずだ、と違和感の正体にゆらぎは気づく。それまで聞いていたルルは「え、おもしろいアニメ? ちょっと気になる」とそわそわし始めている。
「何よ、ナンバーズがアニメくらい見てたっていいじゃない」
 随分と刺々しい雰囲気で言い返してくる梓の反応に、何か地雷を踏んだのだろうかと思ったゆらぎは必死に弁解する。
「だって星間開拓少年オウルって、アニメ映画の中では珍しい地上の話なんですよ! こんなところに同じ視聴者がいたなんて、早瀬さん――おれの友達なんですけど――が知ったらきっと喜ぶと思うんです。おれやイナくんだってこの間初めて見て、すごい楽しくて、宇宙への憧れがやっぱり膨らむんですよね」
 しかし元来自分の好きなものに忠実なゆらぎは、勢いのままに喋り倒した。
「でも嬉しいな。あの映画を見て、本当に宇宙に行きたいって改めて思ったんです。イカロスならもっと高く飛べそうだし。高度が上がればあがるほどペティノスの脅威もあるんですが、雲の上で星空見放題とか、あとは……」
 そこでぽかんと彼を見つめている梓とルルに気づき、そのままゆらぎは顔を真っ赤にして俯く。
「うんうん、獅子夜くんが宇宙大好きなのはよく分かったわ。そのアニメに出てたやつ、他の家具とかはどうなの?」
 大人として軌道修正をかけたルルの言葉に、小さくゆらぎは「できれば、あのアニメにある天井投影型ホームシアターも欲しい……です」と付け加えた。
「梓ちゃん」
「え? あ、はい? え、なに? じゃなかった、なんですか?」
 ルルに突然名前を呼ばれた梓も、あまりにも突然だったので妙な口調になる。
「このように獅子夜くんはとても宇宙が好きだし、宇宙関連の家具が欲しいわけだけど、今の説明で具体的なイメージが掴めたかしら?」
「う、うん。わたしも知ってるアニメだし、今回はキャラの部屋っていう具体的なイメージも欲しい家具も分かってるから、できると……思う」
「じゃあ、デザインを引き受けてくれるかしら?」
 そこで梓は少し躊躇する。やや引っ込み思案の彼女もまた、ゆらぎの熱意に関しては覚えがあったし、なんだったらハイになったときのあの喋り倒す行動も理解できた。
 あの憎き五番のオペレーターに力を貸すのは癪だが、手伝ってもいいかも、と彼女は思ったのだ。
「いいですよ、えっと、そのデザインするの」
 その瞬間、俯いてたゆらぎがきたりと目を輝かせて顔を上げる。
「ありがとうございます! 梓さん」
「へあ?」
「梓ちゃん、ありがとう。よかったね、獅子夜くん」
 すかさずルルも礼を告げ、続けてゆらぎに声を掛ける。そこでやはり、多少綺麗なお姉さんに微笑まれた彼は顔を赤くした。それを見た梓はなんだか馬鹿らしくなる。
「え、なに。あんた、ルルさんが好みなの?」
 以前流れていたルルに纏わる恋愛の噂話は知っていたので、これは止めるべきかと梓は思った。が、「違います!」と相手から強い否定が入る。
「なんで右近さんと左近さんどころか、梓さんにも言われるんですか。本当にそんな意図はないです!」
 青少年らしいの反応に、梓はゆらぎを半目で見ながらも、ルルに問う。
「……本当なの?」
「本当よ。獅子夜くん、随分と初心な反応してるから、たぶん女性との交流自体少ないタイプだったんじゃないかしら」
 あっさりとルルに指摘されたところで、ゆらぎは更に「そんなことないですから!」と否定するが、年上の女性二人にとっては可愛らしい反応なのは確かだったので、適当な頷きだけ返して話を変えた。
「あ、そう言えば天井投影型のホームシアターって、プラネタリウムは併用するの? それとも映像特化?」
 デザインを決めるにあたっての梓の問いかけに、少し疲れた様子のゆらぎは力なく答える。
「映像特化でお願いします。早瀬さんとイナくんと、3D共有でのシアター鑑賞をするつもりなので。共有前提だと、たぶん専用機の方が便利でしょうから」
 ゆらぎの説明を聞いた梓は端末にメモをとっていた手の動きを止めた。
 画像共有は、3D空間に自己アバターを入れてのリアル主人公目線での鑑賞方法だ。個人でも楽しいのだが、一番楽しいのは複数人での画像共有。リアルタイムでの感想の言い合いは魅力的で、それ専用のコミュニティが存在しているのを梓も知っている。
「それおもしろそう、私も参加したい。それで、獅子夜くんが熱弁してた宇宙開拓少年オウルも見てみたいなぁ」
「いいですよ、ルルさんの部屋もあの家にあるんですよね? だったら泊まりやすいでしょうし」
 あっさりと約束を取り付けるルルに、内心梓は羨ましいと思っていた。彼女とて友人知人同級生はいるのだが、実際同じ趣味の画像共有をしあう友人はいない。ゆらぎだけではなく、彼のその友人たちも梓と似た趣味を持っているようなので、是非とも参加したい。
 参加したいが根が引っ込み気質で、姉のあゆはの力でなんとか交友関係を築いていた梓には、声を掛けるハードルが高かった。が、
「そうだ、梓さんもどうですか? きっと早瀬さんと梓さん、いい友達になれると思うんです」
「へ?」
 まるで梓の心を読んだかのようなゆらぎの誘いに、彼女は一瞬何を言っているのだと思った。そして数秒後に意味に気づき、慌てふためく。
「え、あ……ええと」
 とりあえず、はいの返事だけでも思った矢先に「ふざけないでよ!」と梓の姉の怒号が響き渡る。
「毎回、毎回、あなたたち双子のその傲慢さ、イラつくったらありゃしない! 少しは協調性ってものを学びなさいよ!」
「言っておきますがね、俺たちはあなたたち七番よりかは連携をとっていますよ」
「そうそう、超高火力イカロス誕生っていう、新戦術まで生み出してるわけだし? 基本、オレたちの代は連携プレーが得意な連中が多いのは、あんただって知ってるだろ?」
「あたしだって本当に、できれば、あんたたちに関わりたくなんかないんだから!」
 三人の喧しい言い合いに、梓はこの三人を前にしてゆらぎ宅、つまりあの双子の片割れの家に泊まりたいとは言えなくなっていた。例え双子がいなくとも、姉のあゆはが許しはしないだろう。
「もう、またあの二人はああやって後輩をいじめて」
 ルルがいい加減にしなさいと止めようと立ち上がった瞬間、まるでドミノ倒しのように彼女は周囲にぶつかり、皿が落ち、飲み物がこぼれ、他の人の悲鳴が響いた。それを見た右近と左近が慌ててルルのフォローに回る。
 対し口喧嘩が不完全ながらも終了したあゆはが、梓に話は済んだのかと尋ねてきた。梓は小さな声で「ううん、まだ」と返事をする。
「そう……まだかかりそうなのね」
���うん。ごめんね、お姉ちゃん」
 梓の申し訳なさそうな声色に、あゆははべつにと気にした様子はない。それに少しだけ梓は安堵した。
「いいわよ。で、獅子夜ゆらぎ――あなた、後どれくらい時間が必要なの?」
 ずいっと力強く、睨みつけるような目をしたあゆはからは、いい加減にしろと言外に意味を込めた問いかけが放たれる。それに少したじろいだゆらぎは、視線を反らしながらも提案した。
「あ、その、すみません。おれが話を脱線させちゃって。とりあえず方向性は決まったので、先に昼食にしませんか? その後は詳細を詰めるだけなので」
「いいわね、賛成するわ」
 その提案に乗ったのは、右近と左近に助けられているルルで。特に異論のない双子と、緊張感が和らいだが故に空腹だったのを自覚した梓と、それを看過できなかったあゆはは、同時に賛成と言ったのだった。一瞬にして、その場の空気がヒヤリとしたのは言うまでもない。
***
 梓との話し合いは無事に終わり、ほくほくとした気分でエイト・エイトの作った食事を終えたゆらぎは、満足した気分でベッドに入った。
 ベッドから眺められるゆらぎの部屋は未だ簡素だ。が、じわじわと私物は増え始めている。これがどうなるのかというワクワク感があふれて、彼は一人でふふふと笑った。
「ゆらぎくん」
 突如部屋に現れたエイト・エイトのホログラムに、ゆらぎは飛び起きる。
「え、エイト・エイト!? どうしたんですか?」
「七番のAI、テトラが来ていてね」
「テトラが?」
 テトラは梓とあゆはのナビゲートAIだ。今回のデザイン作成では、大枠をAIであるテトラが作り、より細部を梓が詰めていく流れとなっている。それをAI瀬谷雪斗が作ったアプリで立体化し、家具作成として適当な形状かを確認するのだ。
 だが、流れそのものやデザインの方向性は既に決まっている。今更なんだろうかと思ったゆらぎだが、考えるよりも先に部屋に現れる許可を出していた。
「やぁ、獅子夜君。こんな夜分に失礼するよ」
 現れた凛々しい男性にしか見えないAIは、基本設定での性別は女性だ。男装の令嬢、といった雰囲気を醸し出した彼女は優雅な一礼をした後、手に一通の手紙を持っていた。
「話が途中で頓挫したけど、獅子夜君は梓を3D共有でのシアター鑑賞に誘っていただろう? 梓からの返事を持ってきたんだ」
 ほら、と彼女が差し出したホログラムの手紙には梓のサインと共に、シアター鑑賞は是非とも参加したい、という旨の文章が綴られていた。それを読んだゆらぎは無邪気に喜ぶ。
「ぜひ梓さんも楽しんでください、て返事をお願いします!」
「ああ、喜んで。梓も楽しみにしていたよ」
 それではこれ以上眠りを邪魔するわけにはいかないから、とそのままテトラは退出する。続くようにエイト・エイトも、ゆらぎにおやすみと告げてホログラムを消した。
 今度こそゆらぎはベッドに戻り、目を閉じる。
「楽しみだなぁ」
 また一人でふふふと笑い声を漏らしたゆらぎ。これはいけないと思い、彼は瞼の裏に星空を描いて、眠るまでそれを数えることにしたのだった。
 一方その頃、電脳世界ではエイト・エイトとテトラが、大変真面目な顔で相談会を開いていた。中身は、梓のお泊まり会を邪魔するであろう右近と左近をどうするか、というもので。その相談はAI瀬谷を呼ぶことになり、結果朝までかかる大議論に発展したのを人間側は誰一人知らなかった。
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thetaizuru · 4 years
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 世界が、詩のようなものを求めている。
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詩とは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 語源のギリシア語では「創造,生産」を原義とし,一般用法としては「言語芸術の作品」を意味するが,詩を簡単に定義することは至難である。ギリシア以来詩は韻文と不可分の関係にあるが,「韻文と散文」という対置が明確であるのに対して,より一般に使われる「詩と散文」という対立は複雑な問題を含んでいる (たとえば「散文詩」の存在) 。また「詩と科学」という対立も考えられる。かくして詩の定義は,「詩とは最高の順序に並べられた最高の言葉」から「詩は人生の批評」まで実に種々さまざまである。...
デジタル大辞泉の解説 1 文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。 2 漢詩のこと。
百科事典マイペディアの解説 一般に,一定の韻律に則って選ばれた句を一定の形式に配列して表現される言語芸術。韻文の別称,英語poem,poetryなどの訳で,〈詩歌〉とも。散文に対する(〈詩は舞踊,散文は歩行〉P.バレリー)。叙事詩,抒情詩,詩劇などに分類され,その理論的考察が詩学。欧語はギリシア語poieinに由来し,元来製作一般を意味する。言語を素材とする人工的構築物ととらえるのが西洋の伝統的な詩観だが,一方神を至高の製作者=詩人と措定して,その超越性を排除するものではない。言語の神的起源を想定する態度は人類に普遍的であるから,〈詩の起源は呪誦,詩の字義はその呪能を保つもの〉(白川静)との説も成立しうる。神託(託宣)が多く詩の形をとることは示唆的であろう。神霊ではなく〈エスが語る〉(J.ラカン)とすれば,詩の本質の理解には人間そのものに問いが向けられなければならない。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 ... 詩とはなにか コールリッジは詩と散文の区別を韻の有無によらないで、「散文はよいことばのよい組合せで、詩はいちばんよいことばのいちばんよい組合せである」と、ただ述べている。とりわけ散文詩という形式が成立した19世紀なかば以降では、詩の定義は韻律のような外面的なものでなく、もっと内面的な要素によらなければならない。したがってコールリッジも「詩作品は他の科学的作品と違って、真実でなく、美を直接の目的とする」と説明している。つまり、一般の科学の論文や報道の文章は単に事実の正確な伝達を目的とし、いったん伝達が終われば用済みとなるが、それに反して詩作品は、伝達の内容よりも表現自体が目的なのである。バレリーが散文を歩行に例え、詩を舞踏に例えたのも、同じ意味であろう。むろん詩においても内容は重要であり、詩も人生についての認識に深くかかわっている。知識が哲学・歴史・天文学のように分化していなかった時代には、詩は総合的な認識様式であった。科学の発展によって細分化された今日でも、シェリーのいうように「詩は知識の中心」であり、「それはすべての学問を内包し、すべての学問は詩に帰せねばならない」と考えてよい。なぜなら、科学は部分的な認識を与え、詩は全体的認識を与えるからである。  詩は音楽や絵画や彫刻と同じく、人間の全体性について認識を伝える感情表現の一様式であるが、ことばをその表現の固有の手段としている。言語の機能からみると、指示作用よりも暗示作用が本質であって、それは主として音と比喩(ひゆ)表現に依存している。ペーターは「すべての芸術の状態は音楽に近づく」といっているが、詩にとって音楽の役割は大きい。...詩の比喩はけっして装飾的なものでなく、直観的認識のために不可欠なものである。なぜなら、現実は慣習の眠りのなかに埋もれているので、絶えず新しい比喩によって呼び覚まさなければならないからだ。ワーズワースはこれを「日常の事物に想像の光を注いで新鮮な意識を回復する」といっている。...
(詩(し)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%A9%A9-71671)
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ポイエーシスとは
創(つく)ること、創造を意味する。プラトンの規定によれば、ポイエーシスとは、「あるものがまだそのものとして存在していない状態から存在(ト・オン)to onへと移行することについてのいっさいの原因」である(『饗宴(きょうえん)』)。いいかえると、それはまだ無秩序のうちにあるものを秩序(タクシス)へ ともたらすことである。この定義は緩やかに考えれば、全能の神による「無からの創造」creatio ex nihiloから人間的創造に至るあらゆる相に妥当する。イスラエルの宗教に固有のものとされる「無からの創造」の思想は、「無からは何も生じない」というメリッソス(前5世紀ころ)のことば(デールス・クランツ編『断片』30)に集約されるようなギリシア哲学の伝統にはみいだされない。この思想の直接の表明は『旧約聖書』「創世記」はもとより他の正典にもみられないが、「神はすでに存在するものからすべてを造ったのではない」という外典「マカベ第二書」のことばが一つの典拠とされている。「マカベ第二書」が紀元前1世紀初めごろに成立したと推定されることから、「無からの創造」がイスラエルの宗教に固有のものであるかどうかは議論の分かれるところであるが、アリストテレスのいう四原因――目的因、形相因、質料因、作動因のすべてを所有する完全な自己原因的創造として、思想史上ポイエーシスの最高の典型である。これに対してプラトンが世界創造の担い手とするデーミウルゴスdmirgosは、メリッソスのことばに示されるように、自ら質料を創りえないために、それ自身の活動原理を有する必然(アナンケー)の力としての純粋質料を理性の力によって説得して自己の支配下に置かなくてはならない(『ティマイオス』)。アウグスティヌスのことばを借りれば、完全な原因性を有する創造者(ポイエーテース)は、その実体に本来的な存在性、善性あるいは美に拠(よ)って、存在するもの、善きもの、美しきものを創り出す(『告白』)。このような全能の神やそれに近い創造者デーミウルゴス���ポイエーシスに対して、人間的なポイエーシスもまた���のテクネー(学問的技術的知識)に拠りつつ、善きもの美しきものを目ざして自己の作品(ポイエーマ)が一定の形(エイドス)をもち秩序(タクシス)を 有する存在となるように仕上げてゆく(『ゴルギアス』)。しかし人は神やデーミウルゴスのような自己原因性をもちえない「劣った創造者」(『法律』)であるから、そのポイエーシスは不十分なテクネーに基づく小さな創造、すなわち神の宇宙創造とのアナロギア(類比)にたつ小さなコスモスの創造である。文芸創 作に代表される人のポイエーシスが神の創造に倣う小さな創造であることから、それは本来的にミメーシス(模倣)となる。  プラトンは、人のポイエーシスが存在論的にも認識論的にも十分な根拠をもちえないことから、高次の哲学的ポイエーシスの可能性は許容しつつも、とりわけ文芸創作としてのポイエーシスを現象の模倣的再現(ミメーシス)にすぎないものとしてその原理的および事実的危険性を指摘した(『国家』)。一方アリストテレスは『詩学』(悲劇創作論)において、ミメーシスとしてのポイエーシスをその蓋然(がいぜん)的な真理性において積極的に評価し、歴史的記述(ヒストリアー)とは異なる詩的記述(ポイエーシス)の存在理由を、詩作が人間的生における普遍的なありよう(カトルーkatholou)を呈示するところにあるとしている。魂の教導という観点からプラトンは詩作の虚構(プセウドス)の危うさを論難し、アリストテレスは同じ観点から虚構というよりはポイエーシスのもたらす可能的世界(ありうべき世界)の現実的効果(驚きやカタルシス)を重視したのである。その意味で、アリストテレスは創作論の祖であるといえる。
(ポイエーシス(ぽいえーしす)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9-1594075)
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 詩のようなものとは、よい詩や物語が感じさせてくれるような、あるいは人によっては宗教や神学にそれを求めるような、世界の手触りのようなものだ。自分の中に、自分を含む世界の全体性を回復させてくれるような、矛盾したような、よくわからないもののことで、詩や宗教は最初から、よくわからないことについて語り、いつまでも「ようなもの」のまま、よくわからないまま受け入れるための手掛かりを提示する。  それは、全体主義のように、何かの全体のためにその全体と同じ信念を受け入れるということではなく、あるいは世界系という言葉で揶揄されるような、自分の感情と世界を等価値として見るものでもない。  世界の手触りのようなものを失ってしまった時、人は、全体主義や世界系といったものの方へ流されてしまう。
 世界の手触りを失ってしまったような感覚が、近年の世界のかなり広い範囲を覆う空気となっている。これに流されてしまわないように、人々がそれぞれ、手掛かりを探している。誰かエラい人とかに言われて教わるだけだと流されてるのとあまり変わらないしムカついてくるが、かといって、自分はこう思うから自分の中ではこうで、おまえがそう思うならおまえん中ではそうなんだろみたいな切り離した態度では、あまりに何も見えてこない。  宗教を科学的に分類し解説してくれる人が、例えば「踏み絵」について、そもそも偶像崇拝を禁止している宗教なら踏んでも全然オッケーだから踏みゃいいじゃんみたいな話をするのに対して、それは弾圧から免れるための知恵を提示する優しさでもあるとわかっているが、「ざけんな、倫理とか礼節とか心とかねーのか」って言ってしまう気持ちとか、一方で、詩的な言語表現に感情的にアジテートされる連中に嫌悪感を持ったりだとか、あと信仰心とかねーし説教嫌いだし言葉遣いもきれいになんねーし、矛盾してるような、よくわからない考えを抱えたまま、よくわからないものを探している。
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 ユング心理学に「影 (シャッテン/シャドウ)」という概念がある。肯定的な影と否定的な影があり、否定的な場合は、自我が受け入れたくないような自分の側面を代表する。簡単に言うと、自分自身について認めがたい部分、その人の人生において生きてこられなかった側面、自分で作ったイメージや世間体などにより抑え込んでいる自分の側面を表すものとされる。それは現実にいる他者に投影されて、自分の目の前に立ち現れるときに特にはっきりとする。影は、その人の意識が抑圧したり、十分に発達していない領域を代表するが、また未来の発展可能性も示唆する。
(cf. 元型 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B#%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%85%83%E5%9E%8B 影#心理学における影 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1#%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%BD%B1 「影」のはなし | 学生相談所 - 東京大学学生相談ネットワーク本部 http://dcs.adm.u-tokyo.ac.jp/scc/columnlist/column/568/ 投影 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E5%BD%B1 )
 どこかで作られたイメージを合成して自分で作り上げたイメージを通して見ていた世界が、だんだんと辻褄が合わなくなってきたり、頼っていた情報源からの情報が支離滅裂になってきて、混乱が広がると、あるゆるものを拒絶して攻撃的になったり、または自分の方を疑い、外部情報に過度に従う。  「影」に捕われてしまうか、「影」を切り離してしまうか、どちらかの状態になると、世界や心の全体性を失う。
 偶像崇拝は、人が作った偶像を崇拝することで、多くの場合そうと知らないうちに、神ではなく人を、場合によっては自分自身を、崇拝する。物体としての像だけでなく、エラい人が言ったことなどのイメージも偶像に当たる。神を崇拝していたはずが、知らないうちに人を崇拝しているような倒錯した状況になると、ナルシシズムか自己嫌悪のどちらかに陥る。これは真実の拒絶である。  これは科学を信じていると思っていたはずが、知らないうちに似非科学に陥っているという状況にも似ている。  似非科学は本当の科学が与えてはくれない感情面の欲求に訴えかける。人は絶対に確かだと言えるものをつい欲しがってしまう。  科学が誘う先にあるものは、そして本来、科学的な思考により目指していたものは、ありのままの世界であり、こうあってほしいという願望ではない。
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「アラバマ州上院議員@DougJonesをコントロールする社会主義左翼とワシントンの民主党は、道徳的相対主義を採用しています。これは客観的真実の拒絶です。」 「このポストモダンの世界観には危険な結果が伴います。私は、米国上院で真実の戦士になることを誓います。 #fightbackwithjeff」 「私たちの国は、客観的な真実があるという信念の上に設立されました。しかし、この新しい世俗的な左派は客観的な真実を拒絶します。すべてが相対的です。それはアメリカの憲法解釈全体に深刻な被害を与えています。 #fightbackwithjeff」
(セッションズ前米司法長官のツイート https://twitter.com/jeffsessions/status/1226900622739484672 https://twitter.com/jeffsessions/status/1226900625079881729 https://twitter.com/jeffsessions/status/1227004191014621185 )
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「科学のもうひとつの側面は、研ぎ澄まされた“センス・オブ・ワンダー”(SFのように、これまでの常識では理解できない物事に触れた際に生じる不思議な 感覚のこと)であり、精神を高揚させるスピリチュアルなものです。とはいえ、心地よいから信じるべきだというわけにはいきません。道の途中にはわれわれを 惑わすような嘘がたくさん横たわっていますから。信じるべきは真実であり、真実を突き止めるために人類の編み出した唯一の方法が科学なのです」 ーカール・セーガン
(2017.12.20 WIRED https://wired.jp/2017/12/20/sagan-old-interview/)
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 アメリカの前政権時に行われたドローン爆撃とその誤爆や、瓦礫になった中東の景色を見続けて、シリアなどの中東の国々に同情し、アメリカやりすぎじゃねーかっていう感情を漠然と持っていた。今も持っているし、そういう人も多いと思う。でも明らかに状況は変わってきた。  シリアの街並はドローン爆撃だけで破壊されたのではなく、2011年3月から続く内戦状態(「新しい種類の戦争」とも呼ばれる)による。
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シリア内戦は各国・各勢力の思惑が露骨に衝突した戦争となっており、それがこの紛争の解決をより一層難しくしている。アラブの春に影響を受けた、当初の目的である平和的な反政府デモを発端とするものの、その後は反体制派が周辺国からも入り乱れて過激派にとって代わられることで双方の対立が激化。その反体制派からはISILまで生んだ。
つまり、欧米諸国とその同盟国が描く巨悪・アサド政権に対する自由を求める民���の蜂起という構図は、その後のシリア内戦で変質した。多国籍の軍隊がそれぞれ別の思惑でシリアを舞台にして、自らの権益を拡大・死守する代理戦争と化し、欧米が支援する反体制派では、民主化とは正反対であるイスラム原理主義の過激派勢力が台頭した。同時にこの対立構造ではSNSを駆使した情報戦が行われており、アサド政権とその支援を行うロシア・イラン、さらに反体制派を支援するサウジアラビア・トルコ・カタールのアルジャジーラ、さらにBBC・CNN等の西側メディアも含めて悲惨な難民の姿や女性、子供の被害者・犠牲者をメディアを通じてセンセーショナルに報道する場面が目立ち、プロパガンダの応酬となっている。特に欧米諸国が資金援助を行っているホワイト・ヘルメットの扱いや、化学兵器の使用に関する報道で顕著となっている。
シリア紛争に関しては双方の利害の主張が著しく、中立的な視点を持つ報道が過小または中立的な視点を持つジャーナリズムは主流メディアから殆ど追いやられているといってよい。そこには、かつての各地で起こった民族間や旧宗主国とその権益から来る利害関係から起きた内戦とは大きく異なっており、より複雑でグローバル戦争ともいえる。人道主義を掲げて樽爆弾や無差別爆撃、化学兵器の使用等からアサド政権の残虐性を厳しく指摘する欧米諸国も反体制武装勢力によるキリスト教徒への迫害を批判したバチカン市国のローマ教皇庁等の一部を除き、反体制派の残虐性やサウジアラビアが関与するイエメンの惨状(2015年イエメン内戦)には余り言及されていない。
(シリア内戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6)
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 未だ、戦場の霧の中で、プロパガンダの応酬は続く。  全体を見通せるようになるまでにあとどれくらいかかるのかも見当がつかないが、しかし、何かの兆しが見えてきたようにも思える。
(2020年2月) 米中央軍は13日、米海軍のミサイル巡洋艦が9日に中東の海域で拿捕した小型船舶から、イラン製のミサイルや兵器の部品を押収したと発表した。イランが後ろ盾のイエメン反政府武装組織フーシ派に供給される予定だったとみられている。 (2020年02月14日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020021400345&g=int)
 「NIAC」(The National Iranian American Council)というワシントンD.C.に拠点を置くロビー団体があって、この団体の設立にイランのザリフ外相はダイレクトに関わっていて、「西洋のザリフの広報担当者」と呼ばれたりもしてるという。 (January 27, 2020 RealClearInvestigations https://www.realclearinvestigations.com/articles/2020/01/27/pro-iran_lobby_behind_obama_nuclear_deal_is_back_in_high_gear_122118.html)
 このNIACとも‘良好な関係のある’米民主党のクリス マーフィー上院議員がミュンヘン安全保障会議(2020年2月14 – 16日)の期間中に、イランのザリフ外相と秘密裏に会合していたと報道された。  トランプ大統領はツイートで、「ローガン法に違反している」と非難している。 (cf. February 17, 2020 The Federalist https://thefederalist.com/2020/02/17/source-democrat-senator-held-secret-meeting-in-munich-with-iranian-foreign-minister-zarif/#.XkqNtakwTew.twitter February 18, 2020 the Washington Free Beacon https://freebeacon.com/national-security/pompeo-slams-democrats-for-secretive-meeting-with-top-iranian-official/ 日本時間2020年2月19日 トランプ大統領のツイート https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1230141397094690818 )
 イランのザリフ外相は、米-イスラエル-サウジを非難するために(米のボルトン補佐官、イスラエルのベンヤミン・ネタニ ヤフ首相、サウジアラビアのビン・サルマン王太子の名前の頭文字のBからとった)「Bチーム」という言葉を使っていた。(e.g. https://jp.reuters.com/article/mideast-tankers-zarif-idJPKCN1TF081)  ざっくりした対立関係を言い表しただけの言葉に過ぎないし、2019年9月10日のボルトン補佐官解任によりほとんど聞かなくなったけど、この言葉のイメージに上乗せするように、‘アメリカは分裂して内戦状態だ’とかのお話が積み重なった。‘抽象的に言えばそう言えなくもないかもしれないかもしれない話’をニュース解説者や専門家や学者や特攻野郎のチームメイトとかがなんか一生懸命お話ししていた。  こうしたお話や‘宗派対立’とか‘文明の衝突’がなんかどうしたってお話に覆われていた‘前から知ってたけどあまり重要ではない’‘人気のない’‘つまらない’方の話が少しずつ出てきた。「ナルコ-テロレジーム」と呼ばれるもので、麻薬や武器の密売ネットワークを指す。(https://thetaizuru.tumblr.com/post/190422996633/2020-hindsight-%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%8C%E7%92%A7%E3%81%AA%E4%BA%88%E6%B8%AC%E5%BE%8C%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8)
 イラン政府は、大学や公共の広場などの道路にアメリカとイスラエルの国旗を描き、人々に踏み絵をさせていた。こうして、反米、反イスラエルの感情を作ってきたという。  今年に入って、イランの人々が「もうそんなことやめよう」と声を上げ、踏み絵を拒絶し始めた。 (cf. https://www.youtube.com/watch?v=aNJLG8jCq1Q https://www.youtube.com/watch?v=OBWmJq33GOg )
 2月21日に行われたイランの国会選挙では、イランの人々は、不正な選挙だとしてボイコットを呼びかけた。
政府に対する国民の怒りや経済の落ち込み、候補者の半数が失格となったことを受けて、投票率は1979年のイスラム革命以降で最低となった。 (2020年2月24日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/3269792)
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 パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義組織であるタリバンも、麻薬や鉱物の販売、外国からの寄付、市民からの徴税により多額の収入を得ている。
ケシ栽培による収入は約1億ドルと言われ、2017年頃からヘロインの生産も開始し、現在はターリバーンの収入の半分(4億ドル)が麻薬の生産と輸出によるものという説もある。 (ターリバーン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3#%E8%B3%87%E9%87%91)
 2020年2月21日、米国務省は、アフガニスタンで22日午前0時から7日間の「暴力の削減 (RIV; Reduction In Violence)」が始まると発表。米国と反政府勢力タリバーンの間で合意したもので、履行が確認されれば、双方は29日に和平合意に署名する。 (cf. 2020.02.22 CNN https://www.cnn.co.jp/world/35149760.html 2020年02月22日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022200582&g=int )
米国務省は25日、アフガニスタンの大統領選で勝利し、再選を果たしたガニ氏の2期目の宣誓就任式を延期することでアフガン政府と合意したと発表した。米 メディアなどによると、27日に就任式を行う予定だった。対立候補が選挙結果を不当だと主張するなかで就任を強行すればアフガン政局が混乱し、反政府武装勢力タリバンとの和平合意に向けた雰囲気に水を差すとして米国が懸念していた。 国務省は声明で、29日にタリバンとの和平合意の署名式を開く方向で調整していることを踏まえ「(アフガンは)選挙をめぐる政治ではなく��続的な平和やタリバンとの終戦に集中すべきだ」と強調した。米国は2001年の米同時多発テロを受けてアフガン戦争を始め、トランプ政権はその終戦を目指している。 (2020/2/26 日経 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56057300W0A220C2000000/)
 国連アフガニスタン支援ミッションが発表した報告書では、アフガニスタンの内戦で、ここ10年間で死傷した民間人は10万人を超えたと述べられた。  アフガニスタンでは、ここ5年間で400万人が家を失った。  アフガニスタンの最大の問題は移民問題だと述べたアフガニスタンのバルヒ移民大臣は、同国が平和になれば、この問題は根底から解決されると信じていると強調した。 (2020年2月22日 TRT https://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2020/02/22/ahuganisutan-nei-zhan-niyori10nian-jian-de10mo-ren-yi-shang-gasi-wang-1364455)
 この間の24日から2日間の日程でトランプ米大統領はインドを訪問。 (2020年02月24日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022400393&g=int)
アフガニスタン和平をめぐり、米国とイスラム原理主義勢力タリバンによる和平合意が29日、カタールの首都ドーハで署名される。AP通信によると、署名式 典には立会人として、ロシアやインド、パキスタンなどの代表も招待された。2001年から続く「米国史上最長の戦争」は終結に向けて最終局面を迎えた。 (2020.2.28 産経 https://www.sankei.com/world/news/200228/wor2002280023-n1.html)
タリバンと水面下で連携するグループも存在し、治安回復にはテロ組織同士の関係を断絶することも欠かせない。アフガンにはタリバンに加え、アルカイダなど20を超えるテロ組織があるとみられる。タリバンが和平合意でテロ組織との関係を断絶すると宣言しても履行の確約はない。 アフガンは欧州とアジアをつなぐ要衝地にあたり、イラン、ロシア、中国などの周辺国がタリバンとかかわりを持っている。米軍撤収後は周辺国の資金や武器供与の動きも注視せざるをえない。 安定した国家運営には経済再建も大きな課題だ。アフガンは70年代以降、旧ソ連や米国の軍事介入が続き、内戦に明け暮れた。有力な食いぶちは麻薬アヘンの原料となるケシの栽培くらいで、国家財政は国際社会の援助に頼り切りだ。国際通貨基金(IMF)によると、18年の1人あたり国内総生産(GDP)はわずか 544ドル。世界平均の約20分の1にとどまる。 アフガンは石油、ガス、鉄鉱石、銅などの天然資源が眠っているとされる。ガニ氏は14年の 大統領就任以降、資源開発に力を入れると強調したが実現していない。テロや内戦を背景に資源の採掘に向けたインフラ投資を進めることが全くできなかったためだ。IMFは「民間企業主体の持続的な成長を目指さなければいけない」と指摘する。 ...01年にタリバン政権が崩壊した際、当時のブッシュ大統領はアフガンの新政権に(1)テロ組織との関係断絶(2)周辺国との友好関係(3)麻薬栽培の停止――の3つの実現を求めたが、この課題は今もなお変わらない。 (2020/2/29 日経 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56242670Z20C20A2EA5000/)
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(蛇足:  ちょっと気になるのが、インドとアフガニスタンの間に挟まれたパキスタンの「シャキル・アフリディ」という人物。 ‘ビン・ラディンを「売った」男’とも‘ビン・ラディン殺害の「影の英雄」’とも言われる人物で、現在は国家反逆罪に問われ服役中。  シャキル・アフリディ氏は、アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を追跡するCIAに協力したパキスタン人医師で、偽のポリオワクチン接種を口実にビンラディンの邸宅を訪問、居住者のDNAを得ようとした。  ビンラディン暗殺後、パキスタン内ではポリオ根絶のワクチン接種を進める衛生関係者が敬遠され、武装勢力に殺害される例も出ている。  間接的に世界各地で「反ワクチン」説と「とりあえず全部の黒幕はCIA」説をブーストさせた。    (cf. 2012年5月24日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/2879791 2013年8月30日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/2964873 2015.03.19 CNN https://www.cnn.co.jp/world/35062016.html     )  インド、アフガニスタン、そしてパキスタンとアメリカの関係(の進展)により、ビンラディンやシャキル・アフリディに関連する(話がどこまで本当だったのかっていう)情報が出てくるかもしれない。 )
(もしかしたら全てが蛇足だったかもしれない。)
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 目の前にあるものを見落としているような、見えないはずのものが見えてしまっているような、目に見えない大切なものを失ってしまいそうな、悪霊彷徨う闇の中に、一縷の光明を与ふるものは僕等の先達並びに民間の学者の纔かに燈心を加へ来れる二千年来の常夜燈あるのみ。
2020年2月 ナマステ
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satoshiimamura · 10 months
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第6話「悪(はじまり)夢」
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 アンナ・グドリャナは夢をみる。
 彼女の憎悪の根源、彼女の立ち上がるための燃料であるそれ。多くの人々と出会い、別れ、そしていなくなった人々のために前をむき続け、後ろを振り向かない全ての元凶をみる。
「――ッ」
 アンナは声を出そうとして、出せなかった。上に瓦礫が乗った足が燃えるように熱い。煙が視界を曇らせる。
 炎が周囲を進行していく。瓦礫と化した列車の金属部分は燃えず、けれどぼろぼろになった座席には火が付いている。
 焦げ臭さと同時に鼻へ届く、肉が燃えていく匂い。先程まで助けを求めていた少女の声が聞こえなくなった。身近なところはなくなったが、悲鳴は遠くで響き続ける。
 奇怪な形――獅子の体に羽が生えながらも頭部は人間のそれだったり、あるいは極めて太い足で二足歩行しながらも痩せこけた腕がついた巨人だったり――をしたペティノスたちが、爆発音とともに先程まで列車に乗っていた少年少女を殺していく。
 逃げ惑う彼ら、彼女ら。倒れていく彼ら、彼女ら。悲鳴と懇願と恨言の合唱。それを動けないアンナは見続けていた。
「おい、大丈夫か⁉︎」
 未だ成長途中だと思わせる少年が、金色に輝く猫目をアンナに向ける。頬は煤けていて、爪は割れて血が滲んでいた。アンナと同じような制服に身を包み、同じピンバッジを胸元に留めていた彼は、必死に彼女へ声を掛ける。
「クソッ、足が動かせないのか。……でも、これさえ退ければ動けるよな?」
 必死にアンナの足の上にのし掛かる瓦礫をどかそうとする少年。彼は意識を保て、こっちを見ろ、死ぬんじゃない、と何度も言葉をかけ続ける。
 ただ待つことしかできない彼女は、足元に広がる灼熱が痛みとなり、そのおかげで何とか意識を保てていた。
「もう少しで」
 息切れしつつも、少年が最後の力を込めて瓦礫をどける。アンナの足からは、痛みが続くが重みはなくなった。
「肩を貸す、逃げるぞ」
 彼は震える腕を隠すこともできず、それでもアンナの腕をつかみ抱き起こす。その時、炎で鈍く輝く異形が彼らの前に舞い降りた。
 それは翼を持つものだった。
 それは翼に無数の目があった。
 それは少なくともアンナが知っているどのような動物にも似ても似つかぬ、ただの羽の塊であった。その塊の中央に、なんの感情も浮かべていない美しい人間の顔がある。銀色に輝く顔だけがあった。
 翼にある複数の目がギョロギョロと蠢き、そのうちの幾つかが少年とアンナに固定される。ヒッとアンナは息を飲んだ。ギリッと少年は歯を食い締めた。
 少なくとも少年だけは逃げられる状態であったが、それを彼は選ばずにアンナを強く抱きしめる。そして、彼は「ふざけるな」と小さな声で囁き、ペティノスを睨みつけた。
 彼の怒気にもアンナの恐怖にも何も感じないかのようにペティノスは翼を広げ二人へと近づこうとした。その時、上空を黄昏色に染まる機体が飛んだ。
 ペティノスは二人から視線を外し、機体――後にそれがイカロスと呼ばれるものだったと彼女らは知る――へと飛びかかる。それまで淡々と人々を殺害し続けた奇妙な造形をしたペティノスたちが、親の仇と言わんばかりに殺意を迸らせ、機体を追い続ける。
 十いや百にも達するほどの数のペティノスが、黄昏色のイカロスへ攻撃を仕掛けるが、空を飛ぶ機体はそれらを避けて、避けて、そうして多くの敵を薙ぎ払う。
「助かった……のか?」
 呆然としながら、少年とアンナは空を見上げた。
 黄昏色に染まった機体が、実は地上で燃え盛る炎の色に染まったのだと知ったのは、それよりも少し後の話だ。
 それでもアンナや少年にとって、現見空音とユエン・リエンツォの操縦する銀色のイカロスは、後に幻想の中で出会う最強の存在――大英雄に匹敵するほどの救世主だったのは言うまでもない。
 
「――」
「目が覚めたか」
 瞼を二、三回閉じて、開けてを繰り返すアンナは、ぼやけた天上の中央に少年の面影を残したアレクの姿を認める。
 上半身が裸の彼は心配そうにアンナの頬を撫でて「うなされていた」と言った。その際に彼が覗き込んだことでアンナの視界はアレクだけになる。柔らかいベッドの中で下着だけを身につけたアンナは、パートナーの手を両手で取り、大丈夫と口を動かす。彼女の声は悪夢の日から出ない。
「……あの日の夢か」
 まるでアンナのことなら全てを見通せると言わんばかりに、アレクが彼女を抱きしめながら耳元で囁いた。それに抱き返すことで答えを告げる。
「今回は、久々の犠牲が出そうだったしな。……毎年毎年、律儀に思い出させてくれる」
 アレクの言葉に、アンナは彼を癒したいと願いながらも、優しく頭を撫でて、次に口付けた。あの悪夢から十年以上経っても、消えない傷が常に隣にあることを二人とも痛感している。
 ベッドの中で抱きしめ合いながら、互いの存在を確かめるアレクとアンナ。その中で、彼らのサポートAIであるローゲの声が届けられた。
「お二人とも、そろそろ時間です。準備をお願いします」
 声だけで全てを済ませるAIの気遣いに、仕方がないなとアレクは笑ってベッドから降りた。アンナも微笑みながらベッドから出ていく。
「行くか」
 アレクは手を出し、アンナはその手を取った。
 ファロス機関の待機所はそれなりに広い。広いが、無機質な印象を抱かれる。カラフルなベンチも、煌々と光る自販機や、昼夜問わず何かしらの番組が流れるテレビだってある。それでも、無機質なものだと誰もが口を揃えていた。
 待機所の中ではいくつものグループが何かを喋っている。互いにパイロットとオペレーターの制服を着て、時にジュースを飲んだり、カードゲームに興じていたりしていた。その誰もが顔色が悪いので、より一層待機所が無機質な印象になっていく。
 そこにたどり着いた制服に身を包んだアレクとアンナは、多くの室内にいた人々と挨拶をしながらも中央で待機していたナンバーズ四番のナーフ・レジオとユエン・リエンツォの元へ向かう。
「ご苦労だったな」
 アレクがナーフへ声を掛ける。それに無表情のままナーフが頷き、一枚の電子端末を彼に渡した。
「報告はこちらに。今回発生したペティノスは、これまで観測された形状と一致した。ただ攻撃範囲が広いタイプが増えている」
「損害は」
「一機撃墜されたが、パイロットは無事に保護されている。今は処置も終わり療養施設に運ばれたところだ。完治したところで、今後はカウンセリングを受けるだろう」
「そうか」
 それは何よりだ、と零したアレクの言葉に同調するかのように待機所にいる面々がホッと息を吐いた。その様子を見ていたユエンは呆れたように言う。
「ははぁ、今晩は二番の同期たちばかり……と思ったらそういうことですかぁ。毎年毎年、君ら律儀だねぇ。おいらはそんな気分になったことないよ」
 十年も眠れない夜が続くだなんてかわいそう、とユエン・リエンツォが口にするが、そこには似たような境遇であるはずの彼らへの多大な揶揄が含まれていた。
「そういうあんたも、この時期は多めに任務に入るじゃねぇか」
 言い返すつもりでアレクがユエンの任務の数について告げる。
「小生、そろそろ後進に引き継ぎたいところでありますが、現見が許してくれないんだわ。せっかく新しい二番が生まれたってのに、未だに信用できないんかね」
「ユエン、そんなことは」
 小馬鹿にするかのような言い回しの彼女に、ナーフは顔をしかめて制止する。だが、それを無視してさらにユエンは話を続けた。
「毎年毎年、この時期になると不安定なやつらが増えるからねぇ。早く悪夢世代のなんて無くした方がいいんじゃない? あの問題児たちも虎視眈々と上を狙ってるようだし。君ら夜勤多いから、下の子たち割と快眠タイプ多���じゃないか。噛み付く元気満々なんだから、そろそろ下克上くらいしでかすんじゃない?」
「余計なお世話だ」
 アレクがユエンにきつい口調で告げた。
「少しは羽目を外しなさいよ。同世代のスバル・シクソンの社交性を見習うべきじゃないか」
「あいつは、俺たちの中でも腑抜けたやつだ」
 今度はアレクをナーフが制止しようとしたが、それをユエンは止めた。
「ハッ! 笑わせるねぇ。あのスバル・シクソンの死後も、君らが彼の言葉を無視できてないの、我輩が知らないとでも?」
「……ユエンさんよぉ、今夜はやけに突っかかるな」
「なぁに、気が付いたんですわ。あの五番の坊やが、自力で立ちあがったのを見てね。悪夢世代の多くは救って欲しいわけじゃない。ともに地獄にいて欲しいだけ」
 その言葉にそれまで黙って聴いていたアンナは、ユエンを叩こうとする。が、呆気なく彼女はその手を避ける。そして、けらけらと何がおかしいのか侮辱を込めて「平々凡々、やることなすこと繰り返しで、飽きたよ」と彼女は言う。
「あんたがそれを言うのか。同期の誰一人助からず、現見さんが戻るまで誰も助けられずにいたあんたが、それを言うのか」
 アレクは怒りを滲ませて返す。
「あんたは地獄を見なかったのか。あの怒りも、嫌悪も感じなかったのか。俺たちが救われたいと本気で思わなかったとでも」
「その共感を求める言葉は、呪い以外の何者でもないだろうよ。少なくとも、スバル・シクソンは悪夢世代という共同体から旅立った」
 その結果が五番という地位だろう、と告げたユエン。彼女は、そこで口調を変えた。
「あいつの素晴らしく、そして恐ろしいところは、あの視野の広さだ。オペレーターとしての実力だけでなく、よく人間を見て、観察して、そして洞察力で持って最適解を出せるほどの頭の良さがあった。もしも倒れなかったら、間違いなく私たち四番を超えていっただろうし、二番の君たちも脅威を覚えたはずだ」
 滅多に人を褒めないユエンの賛辞に、隣にいたナーフが呆然とした表情を浮かべた。
「あの双子たちは、パイロットとしては私たちを超えているよ。恐怖でも、憎悪でもなく、君たちのような大義も掲げず、ただ互いへの競争心と闘争心だけでペティノスを撃破し続けている彼らの存在は、新しい時代が来たとファロス機関に知らしめた。スバル・シクソンはそれを敏感に感じ取り、そして彼らを導いている」
 その言葉にアレクは皮肉を込めて「違うだろ、過去形だ」と言い返す。だが、ユエンは首を横に振った。
「いいや、現在進行形だ。現に、あの坊やは次のオペレーターを見つけてきた。あの大英雄のプログラムを損傷できるほどの能力を持った新人を」
「まぐれだ」
「それが成り立たない存在なのは、お前たちだってよく知っているだろう」
 冷徹な指摘にあの勝負を見た誰もが口を紡ぐ。
 先日の裁定勝負のことを知らなかった幾人かが、話を知っている面々から小声で詳細を聞き、その顔を驚愕に染めた。嘘だろう、とこぼれ落ちた本音が全てを物語っていた。
 それらの反応を見たユエンは、最後の言葉を紡ぐ。
「時代は変わっていくんだ。否応にも、人間という種は未来を求める。その先が地獄でも構わない言わんばかりに、彼らは前へ行く。いつまでもその場に突っ立ってるだけじゃ、何も成せない」
「……説教か」
「吾輩ごときが、らしくないことを言ってるのは百も承知だ。が、毎年の恒例行事に嫌気が差したのも事実だよ。お前たち悪夢世代は、少しは外を見るべきだ」
 そこまで言って、ユエンは部屋から出ていく。ナーフがアレクたちを気にしながらも彼女の後を追って行った。
 沈黙が室内を満たした。誰も彼もが思い当たる節がある。誰だって今のままでいいとは思っていなかった。それでも悪夢世代と呼ばれる彼らは立ち上がり、アレクとアンナの元に集まる。
 彼らは顔色が悪く、常時寝不足のために隈がくっきりとしていることが多い。
 誰かがアレクの名前を呼んだ。
 誰かがアンナの名前を呼んだ。
 それに呼応するかのように、アレクとアンナは手を繋ぎ、同期たちを見る。
「みなさん、そんなに不安に思わないでください」
 唐突に落とされた言葉。ハッとしたアレクが、自分の腕につけていた端末を掲げれば、現れたのは彼ら二番のナビゲートAIであるローゲのホログラム。微笑みを浮かべ、頼りない印象を持たれそうなほど細いというのに、その口調だけは自信に満ちていた。
「あの臆病者の言葉を真に受けないでください。彼女が何を言ったところで、あなたたちが救われないのは事実でしょう」
 ローゲの指摘にアレクは視線を逸らせ、アンナは鋭く睨む。だが、かのAIはそれらを気にせず更に言葉を重ねる。
「悪夢をみない日はどれほどありましたか? 笑うたびに、願うたびに、望むたびに罪悪感に苛まれたのは幾日ありましたか? 空に恐怖を抱き、出撃するたびに死を思い、震える手を押さえつけ、太陽の下にいる違和感を抱えて生きていたあなたたちの心境を、あの人は本当に理解していると思いますか?」
 彼女の言葉は何の意味も持たない戯言ですよ、とローゲは告げる。
 静かに「そうだ」「ああ」「そうだったな」「あいつらは分からない」「そうよ」「あの悪夢をみたことがないから」「そうだわ」と同意する言葉が投げられた。
 アレクがそれらをまとめ上げる。
「そうだな。今夜もペティノスが現れるまで、話そう。どうやってやつらを殲滅するか。なに、夜は長い」
 誰もが救われなかった過去を糧に、怨敵を屠る夢想を口にした。敵を貪りたいという言葉ばかりが先行し、それよりも先の未来を願う言葉が出てこない歪さを誰一人自覚していなかった。
***
 ゆらめく炎を前にして、ゆらぎとイナ、そしてルナの三人は困惑していた。
 ここは都市ファロスの外れにある墓地であり、そして多くの戦争従事者たちの意識が眠る場所。つまり肉体の死を受け入れ、新しい精神の目覚め――擬似人格の起動を行う施設でもあるため、人々が『送り火の塔』と呼ぶ場所であった。
 擬似人格とは常に記録された行動記録から思考をコピーした存在だ。永遠の命の代わりに、永遠の知識と記憶の保管が行われるようになったのは、ペティノス襲来当時からだと言われる。地球全体を統括しているマザーコンピューターはその当時の人々の擬似人格から成り立っているのは、クーニャで教わる内容だ。
 しかし擬似人格は思考のコピーであって、本人そのものではないために、起動直後はたいてい死んだことを受け入れきれずにいる。
 擬似人格が擬似人格として、自分の存在と死を受け入れる期間がしばらく存在するのだが――特に都市ファロスはペティノスとの最前線に位置するため、その死者たちは多大な苦痛を伴って亡くなっている場合が多い――その際のフォローを行うのがこの施設の役割であった。
 また、擬似人格が安定した後に自分が電子の存在であり、データの取扱い方を覚えていった先に生まれるのがAIでもある。これは都市ファロスに来てからゆらぎたちも知ったことなのだが、エイト・エイトを筆頭に人間味のあふれるナビゲートAIたちは、その多くが対ペティノスで亡くなった歴代のイカロス搭乗者たちだった。そして、あれでも戦闘に影響がでないよう、感情にストッパーが課せられているらしい。
 そのAIへの進化や感情への制御機能がつけられるのも、『送り火の塔』があるからであった。
 そして『送り火の塔』の入り口、玄関ホールの中央に聳え立つのは、天井まで届く透明の筒の中に閉じ込められた巨大な青い炎だった。
 地下都市クーニャでは街の安全のために炎がない。火という存在をホログラムでしか知らない彼ら三人は、教科書に載っている触れてはいけない危ないものというだけの情報しか持っておらず、ただただ初めて見るそれに魅了されていた。
「おや、そのご様子ですと、初めて火を見たようですね」
 三人とは違う声が掛けられる。
 ふわふわとした淡い白金の髪を結いだ青年が、建物の奥から歩いてきた。彼の姿は白に統一されており、腰元に飾られた赤い紐飾りだけがアクセントになっている。彼はゆらぎたちの前にやってくると、同じように炎を見つめた。
「この火は、送り火の塔の象徴的存在でもあります。肉体の終焉をもたらすもの、あるいは精神の形の仮初の姿、人間が築いた文明の象徴であり、夜闇を照らす存在として、ここで燃え続けています」
 男の説明にイナが尋ねる。
「しかし、クーニャでは火は存在しなかった。人々を危険に晒すためのものとして……なのに何故ここでは」
「地下世界の安全のためでもあります。火は恐ろしいものですので、できる限り排除されたと聴いています。ですが……ここ都市ファロスでは、火は身近なものです。対ペティノス戦において、火を見ないことはないでしょう。燃やされるものも様々です」
 あなた方も、いずれ見ることになりますよ、と三人を見て男は微笑む。
「初めまして、新しく都市ファロスに来た人たちですね。私は自動人形『杏花』シリーズの一体、福来真宵といいます。ここの送り火の塔の管理人として稼働しておりますが、今日はどのようなご用件でしょうか」
 ゆるりと笑う線の細い青年は、どこをどうみても人間にしかみえないと言うのに、己を自動人形と告げた。
「自動人形? こんなにも人間みたいなのに?」
 その存在に、ゆらぎは戸惑いを覚える。感情的なAI、執念を込めて人間に似せられたプログラム、そして人間そっくりな機械と、ここまで人間以外の存在を立て続けに見てきたからこそ、いよいよこの都市は人間がこんなにも少ないのかと驚いていたのかもしれない。
「もしかして、ゆらっち自動人形見たことないんじゃない?」
 その戸惑いを感じ取ったルナが指摘する。それに対しイナも「そうか」と何かに気づいたようだった。
「獅子夜は始めからナンバーズ用宿舎にいたからな。僕ら学生寮の統括は自動人形だ。ナビゲートAIが与えられるのは正規操縦者になってからだし、それまでの日常生活のサポートは自動人形たちが行っているんだ」
 ここ都市ファロスでは珍しい存在ではない、と続くイナの説明にゆらぎはほっと詰めていた息を吐く。
「……そうなんだ」
「そうなんよ」
 ゆらっちは特殊だもんねぇ、と笑って慰めるルナの言葉に、イナもまた頷く。
「私のことを納得していただけましたか?」
 苦笑混じりに真宵が声を掛けてくる。ゆらぎは小さな声で「すみませんでした」と謝罪した。
「いえ、お話を聞く限り随分と珍しい立場のようです。都市ファロスに来たばかりでありながら、すでにナンバーズとは……まるで」
「まるで?」
 ルナの相槌に真宵はハッとしたように首を横に振る。その動きは滑らかで、やはり機械とは思えないほどに人間味があった。
「……いえ、何でもありません。それで、どのような用件でしょうか」
「あ、そやった。あんな、うちら大英雄について調べに来たんよ」
 ルナが告げた大英雄の言葉に、真宵の顔がこわばったのが、イナとゆらぎにも分かった。
「なぜ、来て間もないあなたたちが大英雄のことを」
 疑問と不審の感情が乗せられた視線を三人は向けられる。やはり、ここが正解なのだと全員が確信した。
 大英雄と呼ばれる存在について、三人が調べた限りわかったのは、あの銀色のイカロスに乗っていたパイロットとオペレーターであること。そして、空中楼閣攻略を人類史上初めて成し遂げ、三十年前の大敗のときに命を落とした存在であること。そこまでは、学園内の資料や右近、左近たちから聞き出せた。
 だが、とここで不可思議なことに気づく。彼ら大英雄の名前も、写真も、どのような人物であったか、どのような交友関係があったのか分からなかったのだ。
 ナンバーズ権限を使っても同様、セキュリティに引っ掛かり情報の開示ができないことが殆ど。他のナンバーズからの話――主にあの双子のパイロットからだが――では、三番のパイロット現見が嫌っているらしい、ユタカ長官が彼らの後輩であった、くらいの情報しかなかった。
 これは故意に情報が隠されていると感じ取った三人は、他に何とか情報を得られないかと手を尽くしたのだ。
 結果、ここ『送り火の塔』という存在を知ることになる。あの謎のAIが告げた、正攻法では情報に辿り着けないの言葉通り、ここの擬似人格に大英雄に関連した人がいるのではないかと三人は考えたのだ。
 丁度、右近と左近、彼の相棒のオペレーター、そして先日裁定勝負を仕掛けてきた兎成姉妹たちは、あの銀のイカロスについての調査があるということでファロス機関本部への呼び出しがあった。その隙を狙ってゆらぎたちは送り火の塔へとやってきたのだ。
「先日、彼――獅子夜ゆらぎが受けた裁定勝負のときに、仮想現実で銀のイカロスが現れました。なぜ現れたのかは謎ですが、それでも」
「大英雄と呼ばれる彼らをおれたちは……知りたいんです。あの電脳のコックピットにいた二人が、一体どんな人たちだったのか。執念染みたあのプログラムが」
 先日の銀のイカロス戦について説明するイナ。それを引き継ぎ、ゆらぎもまた、正直に気持ちを吐露する。その二人の説明に真宵は目を見開いた。
「……そんな、君たちはあれを――彼らを見たのですか? まさか、そんな日が来るなんて」
 驚きと戸惑いを隠しもせずに、視線を左右にゆらす真宵。
「見たのは獅子夜だけです。でも、あの銀のイカロスの中にいる人が正直どんな人だったのか、僕だって気になります」
「とっても優しそうな人やった、てゆらっちは言っとった。擬似人格は残らなかったってことやから、たぶん一から作り上げたんやろ? そんなにも遺したかったお人たちなんやろうな、てうちは感じる」
「お願いします、福来さん。おれたちに、大英雄のことを教えてもらえませんか? もしくは、大英雄を知っている擬似人格を」
「知ってどうするのですか?」
 それまでの揺らぎが嘘のように、真宵の声は冷たかった。いや、意識的に冷たくしているのだろう。
「大英雄を知ってどうするのですか。彼らは既に過去の人です。この戦局を変えるような存在ではありませんよ」
 その真宵の言葉に反論したのはイナだ。
「なぜ、そんなにも大英雄と呼ばれる人々が隠されるのですか。名前すら見つからず、功績だけが噂されるだけの存在にされて」
「彼らは罪を犯したのです」
 痛ましい罪です、と真宵は続ける。その言葉に、今度はゆらぎたちが戸惑う。
「大英雄が死んだことで、多くの人々が擬似人格を残さずに自殺しました。戦いへの絶望、未来への絶望、自分が立つべき場所を失った人々は、その命を手放しました。それは罪です。私は……あの光景を記録として知っています。あの地獄の底のような怨嗟を知っているのです」
 ですから、と彼は話を続ける。
「大英雄は隠されたのです。これ以上、彼らがいない現実を受け止められない人々を増やさないように」
 その説明に納得できなかったのはルナだ。
「おかしいやん。確かに人類が負けたことに絶望した人がいたかもしれへん。でも、それが大英雄のせいなん? 違うやろ、全部受け入れられなかった側の問題やねん。そんなんで、その人らが隠される理由にならへんわ」
 それに、と彼女は小さな声で尋ねる。
「名前まで隠して……おらん人のことを思い出すのも、罪なん?」
 ルナの言葉に真宵は複雑な表情を浮かべる。彼もまた必死に何かに耐えるようにして言葉を紡ごうとしていた。
「彼らは……海下涼と高城綾春は」
 大英雄の名前が出された時、第三者が現れた。
「珍しいな、自動人形のお前がそこまで口を滑らすなんて」
 低い大人の男の声だった。その声でハッとしたような表情をうかべる真宵は、何かを断ち切るかのように「なんでもないです」と言ったきり無言となった。
 一体誰が、と思ったゆらぎたちは、振り向いて固まる。そこにいたのは、随分とガタイのいい男と、無表情の美しい女性であったからだ。
「……アレク、それからアンナ。ああ、そんな時期でしたね。二人ともいつものですか?」
 男女の名前を真宵が呼ぶ。そして、簡略化した問い掛けを彼がすれば、やってきたばかりの二人は頷いた。その仕草に真宵は了承の意味で頷き返し「少し準備をしてきます」と告げてその場を離れる。
 置いていかれた三人に向かって、やってきた二人組が近づいた。
 男は筋肉質で、身長は百八十を超えていた。身体つきだけならばエイト・エイトと似たようなタイプだが、刈り上げた黒髪と金色の鋭い猫目が相まって、威圧感がある。
 対し女はゆらぎよりも少し大きい、ややまるみのある身体つきだった。もしかしたら全身を覆う服装なのでそう見えるだけかもしれない。ゆるく結われた白髪が腰を超えており、右目を隠すかのような髪型。出された紫色の目は丸く、無表情でありながらも美人だというのはよく分かった。
「……獅子夜ゆらぎだな」
 男がゆらぎを見て、その名前を当てる。ゆらぎもまた、この男女に見覚えがあった。
「そうです。ええと、あなたたちは」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はアレク・リーベルト。ナンバーズの二番パイロットだ。こっちが、パートナーのアンナ・グドリャナだ」
 そこでアンナは両手を動かして何かを伝えようとした。
「よろしく、だとさ。……悪いが、アンナはこの都市ファロスに来るときの事故で、声が出せねぇんだ。耳は聞こえるから、挨拶は声で問題ない」
「そうですか。改めまして、五番のオペレーターになりました獅子夜ゆらぎです。こっちの二人はおれの友達の」
「イナ・イタライだ。オペレーター候補で、相棒予定がこちらの」
「早瀬ルナです。イナっちと組む予定のパイロット候補です」
 それぞれが挨拶すれば、アンナがおもしろそうに笑って何か手を動かした。
「あの?」
「ああ、お前たちが随分と礼儀正しい��らあの馬鹿どもには苦労させられそうだな、とさ。俺も同意見だ」
 問題児どもに迷惑掛けられたら、さっさと他のナンバーズに言えよ、と続くアレクの言葉に、ゆらぎたちは曖昧な表情を浮かべる。その問題児たち以外に現状出会ってないのだ、彼らは。
 困った現実を知ってか知らぬか、いや興味もないのか、話が元に戻される。
「……真宵に大英雄のことを聞きにきたのか」
 唐突なアレクからの問いかけに、頷く三人。
「あいつがあそこまで大英雄の話をしないのは、仕方がないんだ。大敗の記録はあっても、記憶はない」
「え」
「自動人形は稼働年月に明確に決まっている。それで同一素体――あいつのは場合は杏花シリーズだな――に記録を書き込んで目覚めるんだが、真宵は不完全な起動だった。三十年前の大敗の記録はあるが、先代の感情は一切受け継がれず、目覚めたばかりの身で理不尽な現実と向き合うことになった」
 淡々と告げられる説明に当時を思い出したアンナはそっと目を逸ららす。彼女の肩をアレクが抱き寄せた。
「大英雄を失った地獄で目覚めたんだ。そこからずっと大英雄という存在を恨んでいる。俺たちもこの都市に来る洗礼で取り乱したが、それ以上だったよ、真宵は」
 その優しい目とともに吐き出される残酷な言葉に、ゆらぎはなんて言えばいいのか分からなかった。
「長いお付き合いなんね」
 代わりにルナが返せば、アンナが何か告げようとした。それをアレクが訳す。
「長いさ。あいつの起動と俺たちがファロスに来たのは一緒だった。同じ地獄を見たんだ。俺たちのことなんかさっさと割り切ればいいのに、あいつは律儀だ。だから、未だに大英雄のことを口にするのを躊躇う」
 そこまで説明されてしまえば、ゆらぎたちはこれ以上の追求を諦めるしかない。しかし、大英雄である二人の名前は分かったのだから、少しは収穫があったと言えるだろう。
「そう言えば、先程いつもの時期と」
 イナの疑問にアレクは「墓参りだよ」と返す。それにアンナも頷いた。
「誰のだ?」
「お前たちが尊い犠牲にならないように頑張った連中」
 その瞬間、ゆらぎたち三人は顔を硬らせた。
 自分たちが無事に都市ファロスへ到着していたから忘れかかっていたが、あの時列車の中で見た画像には、ペティノスの猛攻を受けたイカロスたちが確かにいたのだ。
「忘れるなよ……犠牲は常に出る」
 アレクの言葉に続くように、アンナもまた頷く。彼らはそれだけの犠牲を見続けたのか、とゆらぎが思った矢先に「かと言って、悪夢世代の俺たちのようにはなるなよ」と苦笑混じりに告げられる。
 聞き覚えのない単語に、ゆらぎだけでなくイナやルナも首を傾げた。その様子に、アンナが呆れた表情を浮かべ、何か伝えようとしている。
「呆れた、何も言ってないのかあいつらは、だと」
 ほぼそう言う意味だろうな、という予感が三人ともあったが、やはりそうだったらしい。
「あー、悪夢世代ってのは」
「十五年近く前の、ナンバーズ復活から犠牲を出しながらも生き残ったパイロットとオペレーターたちの世代のことですよ」
 唐突にアレクとアンナの前に小さなホログラムが現れた。病的に痩せた男で、顔は整っているが整いすぎている印象を抱く。真っ白な髪と真っ白な肌、そして全身を隠すかのような衣服。垂れ目でありながらも、その緑の目だけが爛々と生命を主張していた。
「ローゲ」
 アレクがホログラムの正体を告げる。
「初めまして、新しくやってきた地下世界の人類さん。俺はローゲ。この二人――二番のナビゲートAIです。以後お見知りおきを」
 にっこりと笑い、丁寧に会釈をしたローゲというAIはそのまま悪夢世代について大仰に説明する。
「まずは簡単な歴史です。三十年前の大敗の後、ファロス機関は一度壊滅しました。ですが、その際生き残った現司令官、ユタカ・マーティンとその仲間たちは大敗で重傷となった現見空音をサイボーグ化してパイロットへ復活させ、ファロス機関を蘇らせました」
 ゆらぎの脳裏に初めて会ったときのユタカの表情が思い出される。絶望的であった光景をあの人は直接見ていたのだ。
「この現見復活が大敗からおおよそ十年ほど経過しているのですが、その時の都市ファロスへやってくる新人の生存率はほぼゼロだったようです。現在四番のオペレーター、ユエン・リエンツォ以外の生存者はいません」
 ヒュッと息を呑んだのはルナだった。イナは表情も変えずに、ローゲの説明を聴き続ける。
「現見復活と何とか生き残れたオペレーターであるユエンの二人が初めて新人を助けられたのが、ここにいるアレクとアンナだったのです。……とはいえ、たった一体のイカロスでどうにかなるほど戦場は甘くないのですから、彼らの同期の半分以上は犠牲になりましたがね」
 苦々しい表情を隠しもせず、アレクがローゲの説明を引き継ぐ。
「……戦力が整い、完全に無傷で新人を輸送できたのは、お前の相棒の神楽右近たちの代からだ。それまでは、必ず犠牲が出ていた。その世代のことを」
「悪夢世代、と呼ぶのですよ」
 さらに被せるようにローゲが結論をつける。にっこりと先ほどと何ら変わらぬ笑みを浮かべて、彼はゆらぎたちを見つめていた。
「神楽右近さん、神楽左近さんの両者ともに、悪夢世代については知っていたはずですよ。なにせ、右近さんの前のオペレーターは悪夢世代の一人でしたから」
 前の人のことくらい教えてもいいでしょうに、と続くローゲの言葉に、ゆらぎは背筋が震える。
 彼が暮らす部屋は、かつての主の日用品が残されていた。いや、正確には適当な箱に詰め込まれて部屋の片隅に置かれていたのだが、それが誰だったのかを教えてもらったことはない。右近に尋ねてもはぐらかされるし、左近に尋ねたところで邪魔なら引き取るとだけ返された。それだけで彼らの持ち物ではないのは明白だ。だが、処分するには躊躇う何かがあったようだ。
「あの」
 ローゲに向かってゆらぎが質問しようとしたとき、真宵が「お待たせしました」と彼らの間に割って入る。
「準備ができましたよ」
「ああ、そうか。ローゲ、端末に戻れ」
 アレクの呼びかけに、すんなりとローゲはその場から消える。そして彼らは真宵がやってきた方向に歩き出そうとした。が、そこで何か思い出したのか、アレクがゆらぎに声を掛ける。
「そうだ、獅子夜。神楽右近に伝えておいてくれ。前を向いたんなら、いい加減に元相棒の墓参りくらいしろってな」
 それだけを告げて、アレクもアンナもあっさりと去っていった。
 呆然としたまま、ゆらぎはその場に立ち尽くす。
「少し話が途切れてしまいましたが、私は大英雄については」
 戻ってきた真宵は先程の話の続きをしようとしたが、それはイナもルナも首を横に振って止めた。いない間にアレクたちが何か言ったのを察したのか、真宵は「そうですか」と安堵の表情を浮かべる。
 話はそれで終わりになるはずだった。だが、
「あの……ナンバーズで五番のオペレーターだった方をご存知ですか?」
 ゆらぎが真宵に全く違う話を振った。
「亡くなった五番のオペレーター、ですか」
「おれの前に、神楽右近と組んでいた人です」
 その言葉で、ゆらぎのポジションが分かったのだろう。真宵は「ああ、あなたが新しい五番のオペレーターだったのですね」と納得の表情を浮かべる。
「確かに、五番の前オペレーターであるスバル・シクソンとは交流がありました。それに彼は自分の死後の擬似人格の起動に関して、遺言がありましたから」
 自殺や死ぬ直前に擬似人格を残さない意思表示がされた場合は、このデータが残らないのもゆらぎたちは知っていた。が、まさか起動にまで条件をつけられるとは思っていなかった。
 だが、それよりも先に彼が気になったのは。
「名前……スバル・シクソンと言うんですね」
「そこから、ですか」
「何度か聴いたかもしれませんが、直接教えられたことはおれにはありません」
「……スバル・シクソンはとても優れた人でした。それ以上は私からは告げられませんが、彼の擬似人格の起動には特別な条件が付けられています。未だこの条件は達成できていないため、私からあなたにスバル・シクソンの擬似人格へ対面させることはできません。申し訳ないのですが、故人の権利としてこれを破ることは、ここの管理を任されている自動人形の私には不可能です」
 もしも、擬似人格が起動したら是非お話してください、と真宵はゆらぎを慰める。
「新しいオペレーターのあなたと話せば、彼もより早くナビゲートAIになれると思いますが、まずは……神楽右近に来ていただかないと話が進まないですね」
 そう残念そうに告げる真宵に対し、ゆらぎは弱々しい声で「伝えておきます」と返した。
 そして彼は真宵から離れ、送り火の塔から出ていく。通り過ぎる際の弱々しさと、浮かべる複雑そうな表情に、イナとルナは不安を抱いた。
「獅子夜」
「ゆらっち」
 後を追った二人がゆらぎの名前を呼ぶ。そして、両者ともにとっさに手を伸ばした。友人たちの様子に気づいたゆらぎは伸ばされた手を握り、微笑む。
「大丈夫」
 優しい友人たちを安心させるように、ゆらぎはしかたがないんだと口にする。
「たぶん右近さんたちは、まだ前を向いただけなんだ。歩けるほど割り切ってはないし、未練がましく後ろが気になってしょうがないんだよ。きっと、それくらいに、スバル・シクソンという人が大きな存在だったんだ」
 そこまで言って、ゆらぎは深呼吸した。そして、今度は力強く宣言する。
「そんな人におれも会いたいよ。会って、話して、ついでに右近さんと左近さんの弱みを握れたら握りたい。できれば恥ずかしい話で」
 その真っ直ぐなゆらぎの思いに嘘偽りはなかった。
 途端にイナは吹き出し、ルナは声をあげて笑う。
「ええな、それ。ゆらっち、散々振り回されてるわけやし、うちもあのお二人の話気になるわぁ」
「それだったら僕も協力しよう」
 三人が三人ともあはははと笑い、握っていた手を話したと思えば肩を組んだ。
「獅子夜、無理はするな。お前は何も悪くない」
「そうそう、ゆらっちは正真正銘ナンバーズのオペレーターなんよ。どんだけ前のオペレーターがすごいお人でも、ゆらっちだってすごいんだからね」
 その優しい思いやりに、ゆらぎは二人を力強く抱きしめる。
「……うん、ありがとう……二人がいてくれて、本当によかったよ。おれは未熟だけど、確かにナンバーズの五番のオペレーターで、神楽右近の相棒なんだ。慢心もしないし、怯みもしない」
――おれは、イカロスであの人と一緒に飛ぶんだ
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satoshiimamura · 10 months
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第5話「英(げんそう)雄」
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 三十年前に何があったのか、獅子夜ゆらぎはよく知らない。ただ現時点で分かっているのは、空中楼閣の多くを撃墜し快進撃を続けていた人類が、大敗したという事実のみだ。だが、と彼は思う。
 もしも、この銀色に輝くイカロスが三十年前の平均的な動きをしていると言うのなら、今のイカロス搭乗者たちは絶対に空中楼閣の攻略は不可能だ。それ程までに、この機体の動きはレベル違いだった。
「損傷四十パーセント、動力部は無傷ですがこのままのペースで壊れれば、あと十分もしない内に完全破壊されます」
 ゆらぎの予測に、右近は苛つきながらも青のイカロスを操作し、ギリギリで相手の攻撃を致命傷にしないようにしていた。
「ッ!?」
 再びノイズが頭を通り抜ける。直後にイカロスの右足が持っていかれた。
「動力部への影響出ました。完全破壊までの時間を下方修正し、あと六分以内です」
 度重なるノイズに頭を抑えつつも、ゆらぎはオペレートをやめない。やめた瞬間に貫かれるのがオチだ。
「……相変わらず化物染みた戦闘力だ」
 ボソリと右近が呟いた言葉に、ゆらぎは尋ねる。
「ちなみに前回はどのように対応を?」
「ナンバーズ成り立てだったんですが、手も足も出ず五分もせずに撃墜ですよ。左近も同じでした」
 ただ、とそこで右近は奇妙なことを口走った。
「アレとやりあって負けると、大抵パイロットよりもオペレーターの方が気分を害するんですよ。俺も左近もオペレーター適正がそれなりにありますから、試しにお互い組んでみたこともありましたが、確かに気分が悪かった」
「オペレーターだけが?」
「心打ち砕かれるのはパイロットですが、気分を害する表現なのはオペレーターですね」
 その言葉にゆらぎはハッと気づいて、エイト・エイトを呼ぶ。そして「はいはーい」と言いながら現れたホログラムの彼に、ゆらぎはとんでもないことを告げた。
「エイト・エイトさん、ハッキングの手伝いをお願いします」
「ハッキングだけで良いの?」
「クラッキングできる自信あります?」
「ジャミング程度なら」
「じゃあ、それで」
 リズム良く告げられた内容に「は?」と疑問符を付けたのは珍しく右近だった。
「え、獅子夜くん何をする」
 つもりですか、を右近が続けることができずに、イカロスが揺れる。
「右近さん、なんとか時間稼ぎをお願いします」
「時間稼ぎって」
 詳しい説明は後ですと言い返し、ゆらぎはエイト・エイトとともにノイズの原因を探る。
 それはダイブに近いものだった。いや、脳に情報をインプットさせるのではなく、情報に自分の写身を投影させるのだから、真逆ではあるのか。ゆらぎは自分自身の脳波を信号に変えて、精神を乗せ、アバターを介して電脳の世界へと潜り込む。
 そこではいくつのもの複雑な情報が流れていた。それらは時に映像に、音に、感触に、熱に変換されていく。その逆もしかり。そして、彼の予想通りに、情報の海の中には、外部からの干渉の痕跡があった。
「エイト・エイトさん! 伝っていきますので補助を」
「はいよ」
 真っ暗闇の中に記されたか細い線は、煌めく糸か、あるいは蜘蛛の糸かは分からない。今にも途切れそうなそれらを引き寄せていくゆらぎの意識は半分、イカロスから離れていた。
「……こんなことが可能だったなんて」
「オレも技術だけは知ってたよ。でも、知ってる限り誰もしてなかった。獅子夜くんもよくできると思ったね」
「いえ、おれも思いつきです。でも、これは」
「ああ、対イカロスだけじゃないだろうね」
 この技術は、そもそもオペレーターが外部の情報を求める時の状態に近い。それでも、意図的に他の機体へ意識を向けるなんて大技が可能だとは、ゆらぎは思ってもいなかった。連続したノイズとオペレーターたちが抱く不快感。そこからの閃きだ。
「獅子夜くん!」
 エイト・エイトがゆらぎに可視化した情報を渡す。
 電脳の世界では、いくつものセキュリティと称した防護壁が聳え立っていた。そして、その前に立つAIの姿も現れる。
 そのAIは長身の男だった。きっちりと着込んだ姿、柔和で糸目のように細められた目。ただ微笑みながらも、彼はここから先へは行かせないと言わんばかりに立ち塞がる。
「やぁ、きみがナンバーズの新しいオペレーターだね」
 親しげな口調、だが感情はよく分からない。
「あなたは……」
「あんたは、まさか一番の」
 ゆらぎが問いかける途中で、エイト・エイトがその正体の一端を口にする。だが、それに男は返答はしない。
「さぁ、きみの力を見せてくれ」
 そう宣言だけして、AIはゆらぎへ攻撃を始めた。やはり、大量のノイズが実体化して電脳世界のゆらぎを襲う。
「くっ」
「獅子夜くん、ここはお兄さんに任せて。正面衝突のとき、AIにはAIだよ」
 エイト・エイトが大量のノイズを捌き始める。その隙をゆらぎが見逃すわけはなかった。一瞬にして、AIの背後を取り防御壁を最低限だけ壊していく。意外なほど単純な暗号で、罠さえ疑うほどにあっけなくそれらは壊れていった。
「やっぱり。このプログラムは、おれたちオペレーターに干渉するために防御が薄いんだ! あとは内部の構成を分析できれば」
 防御壁の先に隠れていたものを暴こうと、さらにゆらぎは先にすすんだ。
 そして、この銀色のイカロスを動かす中枢が姿を表す。
「……え」
 現れたそれらは、電脳の情報と呼ぶにはあまりにも不可解だった。コックピットが整備され、それらを取り巻く視界はゆらぎと同程度の精度だ。だが、本来何もないはずのオペレーターの座席にはマスコットが置かれていたり、パイロット席にはポップなシールが貼られていた。
 無機質なものではない。誰かが使っていると思われる場所だ。
 丹念に、丹念を重ね。執念に執念を塗り込み。そうして念入りに作り込まれた幻は、もはや現実にも等しいほどのリアリティを抱く。
「ーーッ」
 ゆらぎの視界が電脳の幻に飲み込まれそうになった。現と幻の境目が溶けそうになった時、二人の人間の影が見えた。
 それは先程見かけたAIではない。
 一人は少年だった。ゆらぎとそう年齢は変わらないだろう。快活そうな顔つきをしていて、なんだか楽しそうだ。対しもう一人は、少し年上の少女……というよりも女性だった。こちらは気弱そうな顔つきで、けれど微笑みはなぜか安心できた。彼らは互いに手を繋いでいた。そして、明らかにゆらぎの存在を認識していたようだ。
 女性がやわらかな笑みを浮かべ、手を差し伸べる。一瞬、ゆらぎは手を伸ばしそうになった。ハッとして、彼は睨みつける。だが、その様子すら少年や女性には気分を害するものではなかったようだ。
 彼らは手を伸ばしたまま、言葉を発した。
「アナタ ヲ シリタイ」
 その瞬間、その音質、その違和感は尋常ではなかった。
「ーーっ」
 背筋が震え、敵意が生まれ、拒絶の感情が膨れ上がった。何もかもが異質。異常。ありえないほど人間に似た何かは、想像を絶する程度には人間でなかった。AIでもない、ゆらぎが出会ったこれまでの何もかもに似ても似付かぬ何かだった。
「やっぱり、違和感は拭えないんだね」
 いつの間にか、先程の長身のAIが悲しそうにコックピット内に立っていた。大して表情は変わっていない。だが発せられた電子の声だけが、こんなにもこのAIは人間に似て、感情を零し、執念を露わにし、執着を人間の形をした何かに向けていたのが分かる。分かるだけに、ゆらぎはなおさら、銀のイカロスを操縦する二人の存在が何だろうかと思った。
「それは……それは誰を模倣したんですか!」
 恐怖を押し殺し、怒鳴るようにゆらぎはAIに問いかける。だが、AIは微笑むだけで、やはり明確な答えを告げない。
「さぁ、誰だと思う?」
 AIの言葉で、ゆらぎはエイト・エイトとともに強制的に銀のイカロスを操る何かから弾き出された。
「調べるのなら、正攻法じゃうまくいかないよ」
 AIのよく分からないアドバイスだけが、ゆらぎの耳に届く。
 ハッとしたゆらぎは時計を確認する。たった二分しか経っていないが、それでも彼が乗るイカロスは撃墜していなかった。
「お帰りなさい、獅子夜くん。早速ですが、そろそろオペレートをお願いします」
 汗だくと息切れをした右近が、パイロット席から声をかける。その言葉にゆらぎは「はい!」と大きく返事をした。
「成果は」
「あります!」
 そのままゆらぎは、これまでセンサを邪魔してきた、ありとあらゆる銀のイカロスからの干渉を退けていった。その甲斐あってか、ようやく敵の姿が現れる。
「なるほど、ジャミングどころか情報の書き換えですか」
「まさかの敵に向けて、ここまでセンサを狂わせにくるとは思わなかったです、ですが、これで」
 土俵は同じになりました、と続けられたゆらぎの言葉に右近は笑って頷く。
 姿を露にした大英雄ーー銀のイカロスに、二人は注視する。すでに彼らが乗る青のイカロスはボロボロだ。だが、それでも撃墜はしていない。
「稼働制限時間は三分。それ以上は自壊します」
 ゆらぎの報告に右近は操縦桿を握り直す。
「大英雄相手に三分だなんて、最長記録ですよ」
「……さっきは五分も持たずにと」
「見栄に決まってるでしょう、見栄」
 行きます、の右近の言葉と共に、青と銀のイカロスが動き始める。
 残された銃で光弾を放つも、銀のイカロスはなんなく避けていく。騎槍が構えられたままその姿が再度消えかけたところで、ゆらぎは干渉を跳ね除けた。そしてそのまま対抗するように青のイカロスの情報も相手から消そうと干渉しかえす。
 その間に右近は自らもオペレートをし、青のイカロスの動きを変則的に切り替えていく。
 消えて、現れて、構えて、放ち、防御し、反らし、まさに相手との攻防の読み合いだ。動きの遠心力に視界がぶれ、情報と現実の二重の空間に脳内が悲鳴をあげていく。
「ーーッ」
 ゆらぎの鼻から血がぽたぽたと落ち始めた。
 右近の唇が噛み締められ過ぎて血が滲んだ。
 それでも、銀のイカロスは彼らを翻弄する。突撃、消失、移動の素早さ、急な方向転換などの動きそのものが美しいものだった。まるでゲームの騎士のように美しく、誇り高く、敵に回せば厄介な存在。
「ハハッ……やっぱり一番に相応しい」
 どれだけ追い込まれても右近は笑い飛ばす。根っからの戦闘狂のようなセリフに、ゆらぎもまたくすりと笑いを零す。どう考えても、セリフからして五番の彼らが騎士に屠られる悪役だ。それでも……。
「悪あがきは得意なんだよ」
 右近の狙いは途中でゆらぎも気付いていた。だからこそ、それだけはサポートした。それだけのために、彼は無茶をした。
 銀のイカロスの槍が青のイカロスの左側に展開していた武器を貫く。だが、その瞬間を逃さずにカウンターを二人は用意していた。
 青のイカロスは右腕で銀のイカロスの槍を掴んだ。
「逃しませんよ」
 残り十秒のカウントダウンが始まっている中、ゆらぎもまた右近のように笑う。
 銀のイカロスは離れようとして、離れられ��いことに気付いたらしい。そのまま躊躇なく、槍を握り込んだ青のイカロスの右腕を蹴り壊す。だが、それよりも三秒早く右近が攻撃を繰り出した。
「超接近戦イカロスの火力、知らないだろう?」
 大英雄以降の、俺たちの時代に開発されたやつだからな、と言い放って自爆にも等しい火力を纏った左手を銀のイカロスの腹部に叩き込んだ。
 爆発音と共に、シュミレーターの画像が砂嵐に覆われる。両腕を壊されたことでの動力部への致命的損傷により墜落した青のイカロス。が、それでも最後の画面には腹部がえぐれた銀のイカロスが一瞬だけ映されたのだった。
 無機質なアナウンスがシュミレーター内で流れる。それは、ゆらぎと右近の負けを告げていた。二人は二人とも、目を覆い、先程までの戦闘を反芻する。しばし無言の時が続いた。が、やがて右近が小さく笑い始め、段々と大きな声になり、そして座席を叩き始める。
「ああああああああああああー……」
 何の意味もない音だけを吐き出した彼が立ち上がり、オペレーター席にまで降りた。未だゆらぎは目を覆ったまま無言だ。乾き始めた鼻血の跡を拭いた形跡もない。
「獅子夜くん……獅子夜くん? 獅子夜……なぁ。ゆらぎ、ゆらぎくん」
 なんども肩を揺さぶり、反応のないゆらぎの名前を呼ぶ右近。あまりにも反応がないので、つい右近は彼の息を確認した。
「……なんです?」
「ああ、生きてますか」
 ほっとした表情を浮かべた右近に対し、ゆらぎは不機嫌そうだ。
「……負けました」
 ぶすりと不貞腐れた表情を隠しもせずに告げたゆらぎの言葉に、右近は「そうですね」と同意する。
「悔しいです。これは気分が悪い」
「そうです? 俺は、気分がいいですよ」
 そう言って、右近はゆらぎの頭を撫でた。髪の毛がぐちゃぐちゃになるほどに、乱暴に、笑いながら、楽しみながらも撫でる。
「ゆらぎくん、本当に最っっっっ高」
 あははははと笑い続ける、子供のように無邪気な年上の男になんだか毒気が抜けたゆらぎは、なすがままになっていた。
「あの大英雄相手に、一撃入れられたんです。これは誇ることですよ。あ、後で左近にも自慢してやりましょうね」
「はいはい。本当に根っからの戦闘狂というか、左近さんに対しての敵対心強いですよね、右近さんは」
「あいつには死んでも負けたくないので」
「……そうですか」
 もういいですよ、右近さんはそういう人ですもんね、とゆらぎは口にはせず思っていた。そして彼は諦めて頭を撫でられるのは、相棒が飽きるまで放置したのだった。
 これは本当に起きた出来事なのだろうか、の空気がファロス機関の会議室にいたナンバーズたちの間に流れていた。
 誰もが呆然としたまま画面を眺める。
 二番はアレクとアンナのどちらもが、目を限界まで開けていた。
 三番は現見が不機嫌に、クレイシュがニコニコと笑って。
 四番はナーフが立ち上がり、ユエンが無表情のままに。
 六番は左近が口を押さえ、ルルが呆然として彼の袖を握っていた。
 ナンバーズだけでなかった。タスカや夢見はすでに、何が行われたのかの検証を行っていたし、側で待機していたフィンブルも手に持っていた端末を落としていた。ユタカは「そんな……あれを……?」と呟いたきり顔色が悪い。
 やがて、現見がクレイシュと己のAIの名を呼ぶ。その声にハッとなったユタカが、彼の名を呼んだ。
「現見……さん」
「なにを呆然としているんだ、ユタカ。五番と七番の裁定勝負は決まり、そして予想外の場外乱闘の決着もついた。いつまでもぼんやりしている時間はない」
「そう……ですね」
「私はここで一旦失礼するとしよう。……だが、ユタカ」
「は、はい」
「あの幻影を知っているのは、どうやら我々の予想よりも多いらしい。あれは、閲覧禁止のはずだったが」
 そこで現見は、呆然としていた他のナンバーズたちをじろりと睨みつける。
「後日、事情聴取を行う。特に七番、六番、五番の三組は、めろり・ハートとの件も聴いておきたい。もっとも、新人の獅子夜ゆらぎは除外していいだろう」
「……ええ、めろり・ハートがあのデータ���持っていたことと、彼らが持っているのを知っていることは気になりますね」
「どうせ、迂音が関わっているに決まっている」
「……」
 現見の決めつける言葉には、少しばかりの苛つきと怒りが混ざっていた。その感情に、夢見やタスカ、そしてフィンブルはびくりと肩を震わせる。ユタカは黙り、他の面々は黙って彼らの様子を眺めていた。
「クレイシュ、行くぞ」
「あーい」
 オペレーターを呼び、三番の二人は会議室を後にする。そのまま、彼らのAIも姿を消した。
「……相変わらずだな、現見さんの大英雄嫌い」
 左近の呟きに、アレクが「当たり前だろう」と返す。
「ナンバーズの永遠の一番、空中楼閣撃破をした大英雄。あの大敗を生き残った現見さんだって、伝説に相応しい人だ。が、三十年前の大英雄を直で見てたんだ。思うところくらいあるだろうよ」
 擬似人格さえも残っちゃいないんだからな、と続く彼の言葉に、ルルもまた「どんなお二人だったのかしらね」と言葉を零す。
「さぁな。その辺りのこと、ユタカ司令官だって言わねぇし」
 なあ、とアレクに声を掛けられたユタカは、黙って首を横に振り、そしてフィンブルを連れて出ていった。
 残された彼らはそれ以上何かを話し合うことなく、続いて部屋を出ていったのだった。
***
「遅かったじゃないか」
 ファロス機関の某所にやってきた現見を待っていたのは、ホログラムだった。長身の男、きっちりと着込んだ姿、柔和で糸目のように細められた目。その目が少しばかり開かれて、赤色が現れる。
 そのホログラムの男性が、さきほど現見に遅かったと言ったのだ。
 現見の後をついてきていたクレイシュが「あ!」と叫んでホログラムを指さす。
「はじめ!」
「やぁ、クレイシュも久しぶりだね」
「うん、こんにちは」
「こんにちは」
 ホログラムーーナンバーズ一番のサポートAIである迂音一が、微笑みを崩さずにクレイシュ・ピングゥと和やかな挨拶を交わした。
「遅かった、ということは要件は分かっているようだな」
「まぁ、めろりから裁定勝負しているのは聞いてたしね」
 クレイシュが迂音のそばを、きゃらきゃらと笑いながら駆け回っている側で、佇む現見は問いかける。
「なぜ、あのプログラムをめろり・ハートが展開した」
「七番のオペレーターが望んだからだよ」
「そんなことを聞きにきたのではない。なぜ、あのプログラムがまだ存在する。しかも、学園側にまで出回っているのはどうしてだ」
「ああ、デバックさ。おかしなところがないのか、確かめているんだ」
「なんだと?」
 怒りが満ち満ちた表情を浮かべる現見に対し、迂音は微笑みの表情を変えない。その両者のやり取りに、クレイシュは動きを止めて首をかしげた。
「パパ? どしたの?」
「……なんでもないよ。クレイシュに怒っているわけではないんだ」
 自らを落ち着かせ、極力怖がらせないように現見はクレイシュに声をかける。そして彼は、AIの金剛司紀を呼び出した。現れた金剛は、何も言わずにうまくクレイシュを両者から離した。
 その様子を、表情を全く変えずに迂音は眺める。
「……大きくなったね、クレイシュ」
「話を逸らすな」
「……逸らしたつもりはないよ。それだけの時間が経ったんだ。あの子たちは、目に見える時間の体現者じゃないか。それだけ、僕はあのプログラム……いや願望に向き合い続けているんだよ」
 現見は、その回答をくだらないと言い切った。
「お前が未だ起動しているのは、三十年前の大敗への反省だ。あんな馬鹿げたことをするためだけに、起動し続けてるわけではない」
「でも、君とユエンでも倒せなかったじゃないか」
 軽く告げられた事実に、現見は黙る。
「三十年前の大敗時の唯一生還したパイロット、現見空音。君がユエンと組んでいた時代、唯一のナンバーズとはいえ、あのプログラムの前では意味をなさなかった。それだけの再現度なんだ」
 未だ誰も破ることのできない、永遠の欠番となった一番の象徴。それがあのプログラムだった。当時の一番を模倣したプログラム。当時の、圧倒的な天才の残滓。そう、あれでも残滓なのだ。
「確かに戦闘だけなら、かなりの再現度だろう。だが」
 そこで現見は、言葉を区切る。今度は怒りではなく、説得の色を帯びていた。
「同じ人間は生み出せない。一度死んだら、人間は終わりなんだ。人格さえ同じものは、神もできなかった」
 その言葉は、何度も迂音を絶望に叩きつけ、それでも稼働し続けるAIとして感情が長続きできない彼に夢物語を繰り返させる。
「AIは百五十年前に遺された人格だし、君たちも順当に行けばAIにいずれなる」
「何度も説明したはずだ。それは、最期までネットワークに記録された擬似人格でしかないし、本人が望まなければ生まれない。現に三十年前に自殺した多くの人々は、擬似人格を残せなかった。そして、お前はあの二人の最期を記録できなかった。あいつらが望まなかったんだろう」
 その説明に、初めて迂音の表情が変わった。それまで、全く変わらずにいた微笑が崩れ、ようやく焦りの感情が露になる。
「違う! 涼も綾春も自殺はしてない! あの二人が簡単に諦めるはずがない!」
「じゃあ、なぜあの時にあいつらは負けた!? 確かにあの二人だったら、諦めなかっただろう。だが、それでもお前との接続を切ってまで、最後は燃やされる道を選んだんだ。だから、ファロス機関は大敗の後に崩壊した」
「違う、違うんだ。きっとあの選択だって二人らしい何か理由が」
「その理由が分からない限り、本当の意味であいつらは生まれない」
「ーーッ」
 今度は泣きそうな表情を浮かべる迂音。論理的な言い回しは一切せずに、小さな声で「違うんだ」と返す。
「違わない。いい加減に諦めろ。何が大英雄だ。誰が救世の存在だ。もう死んだ人間なんだ、あいつらは。何百回、何千回繰り返しても、何万回直しても、デバックも、修正も再構築も無意味だ。もう一度あいつらが生まれることはない」
「それでも」
「……」
「それでも、僕は諦めないよ。僕の全てを賭けてでも、あの二人を誕生させる。どれだけ君が邪魔をしても、このファロス機関そのものが僕の行動を制限しても、地上にいる誰もが忘れたとしても、それでも僕は諦めない」
 再び、念を押すように、迂音は「諦めてたまるか」と囁く。それを聞いた現見は、軽蔑とともに吐き捨てた。
「過去に固執したAIめ。三十年前の地獄を再現する気か」
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satoshiimamura · 10 months
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第4話「姉(ななばん)妹」
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 地下都市クーニャから地上に出たとしても、学校は変わらないのだな、とゆらぎは思っていた。
 唯一と言ってもいい変化は、ここがイカロスの搭乗者養成校であり、学校の全てを管轄するのが「めろり・ハート」だということだ。
 ホログラムの彼女が教壇に立ち、今後の予定を告げていく。列車で見たときと同じように、派手な学生のような見目。しかし全ての教室で、全ての時間をたった一人、彼女が統括しているのを今日一日見せられてしまえば、並みのAIでないのは理解できた。
 すでに新入生はダイブと呼ばれる基礎的な操作方法のインプットは終わっていたらしい。その後の後遺症や、不備、機体自体の説明が今日のメイン講義だった。
「それじゃあ、明日からは具体的なイカロス操作に関して講義するよん。遅刻厳禁、でも朝ごはんはちゃんと食べること!」
 一日の授業が全部終わり、多くの生徒たちが立ち上がる。すでに入学から数日が過ぎている。数人単位のグループが、教室内にいくつか見えた。
「獅子夜、準備はいいか」
「ゆらっち、はよ行こ」
 ゆらぎの背後から、声が掛かる。振り向けば色白の男子生徒と、赤毛の女子生徒。
「うん、今行く。イナくん、早瀬さん」
 久々の、気の抜けた生活だとゆらぎは思った。
 色白の男子学生、イナ・イタライ。ゆらぎの親友祐介と同じく、飛び級で卒業して、入学した少年。適正診断では、ゆらぎと同じオペレーター。対し、赤毛の女子生徒は早瀬ルナ。昔みたアニメ映画の、関西弁というものに憧れて真似し始めたという少女。適正診断ではパイロット適正が高く、イナと共にパートナー候補として、登録する予定らしい。
 彼ら二人が、ゆらぎの学園での新しい友人だ。
 好奇心の視線に晒されたゆらぎに、臆せず、列車では隣だったとルナとイナが話しかけてきたのがきっかけだった。今日一日、一緒に授業を受けて、昼休みや教室移動での案内役を二人が担ってくれる中、意外なほど趣味があったのも、気安く会話できた理由かもしれない。
「よーやく、シュミレーター室の予約とれたんよ。ゆらっちも一緒なんやから、イカロス操縦のコツ教えて欲しいわ」
「早瀬、獅子夜はオペレーターだ。必ずしも、パイロット操作が得意とは限らない」
「イナっちには聞いとりません」
「うーん、おれ実は、パイロットちょっと気になるんだよね」
「せやろ、せやろ!? ほらほら、イナっち聞いた?」
「うるさい」
 やいのやいのと騒ぎながら、三人は学園内にあるイカロス搭乗のシュミレーター室へと向かう。時折、ゆらぎを見て鋭い視線を向けたり、ひそひそと何か話すような仕草をする生徒たちもいた。しかし、それらは全てイナとルナの二人から無視するように言われていたので、ゆらぎも気にせずに会話をし続ける。
 シュミレーター室に入った時も、似たような視線が多かったが、やはり三人とも気にせずに、指定された機器へと向かった。
「あははは、ゆらっちパイロットの才能なさすぎでしょ」
「ここまでオペレーター特化型だったとは……」
 けらけらと笑い続けるルナに対し、イナは気にするなとゆらぎを慰めてくる。シュミレーターということで、張り切ってパイロットをしてみたゆらぎは、あまりの操作の難しさと、感覚の違いに愕然としながら即座に撃墜。ここまで向かないのかと落ち込んでいた。
「……右近さんは、あんなにも簡単に操作してたのに」
「まぁ、ナンバーズの一員なのだろう? 僕らとは経験が違う」
「それはそうなんだけどさ……おれの経験の浅いオペレートで、あそこまで動いてたのがすごいなって改めて思えた」
 ゆらぎの説明で、うんうんと頷いたのはルナだ。
「ゆらっちのオペレート、わかりやすいんよ。でも、あんだけ一気に情報渡されると、うちも混乱するわぁ」
 先程、試しに組んでみた際には、ゆらぎのオペレートを処理しきれずに早瀬ルナは撃墜。イナのオペレートでは、オーバーフローは起こさなかったが、今度は見逃した敵が多く出た。
「獅子夜と組んでいるナンバーズの神楽右近は、閲覧できる資料だとオペレーター適正も高いようだな」
「はぁ、すごいお人なんね」
 イナが配布された携帯端末から調べた情報を伝えると、感心したのがルナ。さらに落ち込んだのがゆらぎだ。
「二刀流だなんて、うらやましい」
「これが特殊例……でもないな。六番の神楽左近も似たような適正値だし、四番オペレーターのユエン・リエンツォもかなりのパイロット適正値だ」
「あの双子、そこまで一緒なの!?」
「どうして、双子で組まんかったんやろね」
 ゆらぎからナンバーズの情報も聞いていたルナたちからしてみれば、同じ適正値同士なら組んでもよかったのではないかと思われた。が、ゆらぎだけは、なんとなく予想がつく。というよりも、あの短時間で両者のスタンスが分かりやす過ぎたのだ。
「たぶん、右近さんも左近さんも……お互いには負けたくないんじゃないかな」
 負けず嫌いの権化のようなあの双子だと、手を組む発想はあまりなさそうだ。ゆらぎはそう思っていた。彼の説明を聞いて、イナもルナもそうなのかとだけ思う。
 その時、ゆらぎを呼ぶアナウンスが流れた。放送は、受付カウンターまで来るように告げられる。
「なんだろう」
「とりあえず、行ってみんと分からんわね」
 ルナの言葉にゆらぎもイナも頷いた。
 そうして三人が、シュミレーター室の受付カウンターにやってくると、随分な人集りができていた。
 その中心にいたのは、二人の女性だ。彼女たちの身につける制服とその腕章から第三学年だというのが分かる。
 その片方が、イナやルナと共にやって来たゆらぎに気づいた。
「あなたが、獅子夜ゆらぎ?」
 ややつり目がちの、黒髪をツインテールにした女性が、ゆらぎに尋ねてくる。その眼力は強く、つい目を反らしながらもゆらぎは肯定した。
「は、はい」
「そう、じゃあ裁定勝負をお願い」
「え、」
「突然で驚いてるかもしれないけど、あたしは君がナンバーズに、しかも五番に相応しいと、ちっとも思わない。神楽右近とスバル・シクソンのペアなら、認めてたわ。でも、パートナーが交代したなら、また一から始めるべきだと思わない?」
 だから、裁定勝負をお願いしたいの、と続く女性の言葉に、ゆらぎは目を白黒させる。
「あ、あの……あなたは」
「あら、ごめんなさい。あたしは兎成あゆは。ナンバーズ七番のパイロットで、こっちはオペレーターの」
「梓・A・兎成だよ。お姉ちゃんはすごいんだからね! あんたなんか、すぐに負けるに決ま��てる」
 ツインテールの女性の陰から、ひょっこりとまた別の女性が出てくる。あゆはと同じ髪型と服装なのだが、より小柄で金髪のため似ているかと言えばそうでもない。また梓は、あゆはよりかは派手な化粧をしている。だが、互いに同学年でありながら、姉妹と称する言葉にゆらぎは戸惑った。
「姉妹の」
「ナンバーズ」
「七番」
 ゆらぎと同じように、成り行きを見ていたイナとルナが唖然とした表情を浮かべる。それぞれが引き継ぐように、驚きのポイントを述べていった。
「あら、姉妹が珍しいの? クーニャでも、それなりにいたはずよ」
「わたしたち以上に、双子なんてほうが珍しいのに変なの」
 あゆはと梓の互いの言葉に、どこから何を言うべきかとゆらぎは戸惑う。いや、そもそもの成り行きから驚きの連続なのだから、とっくのとうにゆらぎのキャパシティはオーバーしていた。
 だが、さらに事態は大きくなっていく。
「ちょうど良いタイミングだったようですね」
 聞き覚えのある声が、ゆらぎに掛けられた。その際、周囲のざわめきが、極端に大きくなった気がする。よくよく見てみれば人集りも、先程よりも二回り以上も大きくなっている。その原因は、一眼見て分かるほどに簡単だった。
「右近さん」
 やってきたのは、朝別れたきりの男、神楽右近だった。
 ナンバーズ、五番、あの双子とヒソヒソ声が小波となって耳を通り過ぎる。その中にの紛れ込んだ友人の二人は、あの人が、という言葉以外何も零せなかった。
「臆病者が何の用」
 あゆはが辛辣な言葉を吐く。梓もまた、無言で彼を睨みつけていた。それをものともせず、右近は仮面のように白々しい笑みを浮かべて答える。
「何、兎成姉妹にも朗報です。俺と獅子夜くんのペアを認めるために、七番か四番との裁定勝負が決定しました。この機会を逃すほど、あなたたちもナンバーズの矜持は欠けていないでしょう」
「呆れた。あなたにナンバーズの矜持があるかと問われるとはね」
「それで、受けるのですか? それとも、四番のお二人に譲る?」
「受けるに決まってるじゃない」
 どう見ても右近が兎成姉妹を挑発していた。だが、姉妹のどちらも冷静さを欠いていることに気付いていないようだ。
「あの……裁定勝負って、何ですか」
 何かに巻き込まれていることだけは分かっているが、さてそれが何かと言われてもゆらぎにはさっぱりだ。恐る恐る、低く手をあげて右近に尋ねてみれば、彼は実に胡散臭いとしか言いようもないほどにニッコリと笑って「後ほど説明しますね」と述べた。
 どう考えても、ゆらぎがイカロス初搭乗時並みの暴走に思える。思わず、ルナとイナの両名がゆらぎの両腕をがっつり掴んだ。本当に大丈夫なのかと、今日一番の不安な顔を二人共がしている。大丈夫かどうかはゆらぎも分からない。
「エイト・エイト、聞いていましたか」
「はいよー、バッチリ。それじゃあ、リンクを雪斗のところに持っていけばいいね。観戦の処理は全部あっちがすればいいか」
 三人の不安な表情に気づかない右近は、そのまま腕時計端末からエイト・エイトを呼び出す。小さな彼のホログラムは元気いっぱい、笑顔で敬礼をしていた。
「そうですね。左近とルー経由で他のメンバーには観戦してもらいましょう。兎成姉妹も、それでいいですか?」
「あたしは問題ないわ。梓は?」
「私もないよ。でも審判は誰がやるの? エイト・エイトとテトラ以外のナンバーズAIを呼ぶにしても、瀬谷雪斗は論外だからね」
「ああ、学園ですから適任がいますよ」
 そこで右近は、室内の端に寄せられた机に向かって相手の名前を呼んだ。
「めろり教官」
 彼の呼びかけに応じるように、机のそばに等身大のホログラムが現れる。それは、ぱっと見では学生のようにも思えるめろり・ハートだった。だが、右近だけでなく、あゆはや梓もまた彼女��の対応は実に丁寧だ。
「なによ、この問題児」
「学園内の会話は、あなたには筒抜けでしょう。単刀直入に言えば審判をお願いしたい。公平公正な立場でできるのは、あなただけだ」
「この間の件を恨んで、君たちのことを厳しく見るかもしれないよ」
「そんなこと、あなたは決してしない」
 その言葉には、絶大な信頼があった。
 めろりは大袈裟にため息をつくと、「しょうがないなー」と呆れた仕草をする。
「エイト・エイト。めろりの審判での裁定勝負と、学園設備の貸し出しを許可するって向こうに伝えて。瀬谷雪斗とのオープン通信の権限の一時的譲渡もするから」
「エイト・エイト、了解しました」
「あゆは、梓。二人ともテトラにめろりとの同期を許可して。後でエイト・エイトにも同期するよう伝えるけど、学園内で行う裁定勝負なら、学園側にもその戦闘ログを提出してもらうよ。後進の育成機関だもん、ここ」
「兎成あゆは、了解です」
「梓・A・兎成、了解です」
「神楽右近、要請了解しました。エイト・エイトの帰還次第、同期許可を出します」
 ぽんぽんぽん、と軽快な言葉のキャッチボールが進む。めろりの提案にゆらぎたち新入生を除いて、多くの生徒たちは興奮し始めた。
 ざわめきの中身は、ナンバーズの裁定勝負が生で見られること。そもそもナンバーズの戦闘が見られるだけでもかなり珍しいようだ。
「それじゃあ、二組ともめろりが指定した機器に搭乗して」
 右近から「さて、行きましょうか」と招かれて、ゆらぎはゆっくりと歩き出す。それまで両腕を押さえていた友人たちの手は、あっけなく離れていった。
「それから、イナ・イタライと早瀬ルナ。二人は新入生だし、特等席で観戦しよっか」
 こっちだよん、と案内するめろりに連れられてどこかに行った直後のどよめきで余計にゆらぎは心配する。が、いつの間にか戻ってきたエイト・エイトが、右近の端末から「心配しないで」と声を掛けてきた。
「めろりちゃん相手に文句言う生徒はいないし、あの人あれでもこの学園を取り仕切るAIだから。二人が厄介ごとから避けられるように、めろりちゃん気を回してるんだよ。もちろん、今回の件は獅子夜くんに責はなーんにもないから、変に気にすることはないよ」
 右近はその辺り鈍いからね、と揶揄するようAIに対し、右近は実に複雑な表情を浮かべていた。
「……悪かったですね、鈍くて」
 否定する言葉でなかったので、それが真実を物語っていた。
 ゆらぎが搭乗したのは、模擬戦用に使っていた先程までの機器とは違う機器だった。より複雑で、より性能の高い模擬戦用の機器らしい。確かに、先程よりもよりイカロスに乗っている感覚が強い。
「そもそも、裁定勝負はナンバーズ同士の戦闘になるので、より高速で処理できる機器とAIが必要になります。今回は特例として学園で行いますが、普段はファロス機関の中にあるシュミレーターで行われるんですよ」
 右近のこれまでの経緯と、裁定勝負についての説明が行われたところで、ゆらぎは一つ、気になったことがあった。
「どうして、学園内にそのような機器があるんですかね」
「……まぁ、推測でしかないですけど、たぶん必要だとめろり教官たちが、かつて思ったんではないですかね」
 相棒の歯切れの悪い言葉に、ゆらぎは首を傾げる。なにやら含みのある言い回しだが、と思ったところで、聞き覚えのない男性の声が聞こえた。
「やぁやぁ、獅子夜ゆらぎくん。噂は左近から聞いてるよぉ。さてはて、準備はできたかなぁ?」
「……雪斗。裁定勝負前に、俺たちに接触していいんですか?」
 呆れたように右近が相手の名前を呼べば、オペレーター席のすぐそばにエイト・エイトとともに男性AIが現れた。
 銀髪は襟足まで、同系色の目は銀より濃く灰色だ。デニムジャケットとシルバーアクセサリーの組み合わせに、エイト・エイトとは違ったベクトルでの陽気さを感じ取る。
「審判はめろりちゃんだし、僕は観戦実況担当なんだな。と、初めまして獅子夜ゆらぎくん。僕は瀬谷雪斗、左近たちのAIだよ。今回は、僕を通して他のナンバーズたちに裁定勝負を見てもらうことになってるから」
 ほら、と瀬谷雪斗が表示した画面には、円卓とそこに多くの人々が並んでいる。ゆらぎがわかるのは、一段高い位置に座るユタカ司令官と、にこやかに手を振っている左近くらいだ。
「いやー、こんなおもしろい裁定勝負ってなかなかないよねぇ。僕、楽しみで楽しみで、右近たちが負けたら全力で左近たちをけしかけようと思ってるんだぁ」
 にこやかに言うべき話ではないのは百も承知なのだろう。そこで、ようやく真顔になった雪斗は、触れられないのは分かった上でゆらぎの頭を撫でて、右近を睨む。
「僕は観戦しかできないからさ。ちゃんと前を向きなよ、右近」
 じゃあ、もう準備よさそうだねと微笑んだ雪斗が、ホログラムごと消える。残されたのはエイト・エイトで、彼は苦笑していた。
「激励するんだって、左近やルルの言うことも聞かなくてね。特例ではあるけど、雪斗曰く特例尽くしの裁定勝負なんだから、べつに構わないだろうって。獅子夜くんには何のことかさっぱり分からないだろうけど、それだけ五番の裁定勝負って注目されてるんだよ」
 ね、右近。とAIからの同意を求める言葉に、言われた本人はため息を一つ。
「……獅子夜くんの実力、無駄にはさせませんよ」
「そうそう、その調子」
「そろそろカウントダウンが始まります。獅子夜くん、エイト・エイト。準備はいいですか?」
 そう言って右近は前を見た。つられるように、ゆらぎもまた前を向く。
 それまで無機質の壁だったのが徐々に透明になっていき、空中に多くの文字が並んだ。そして中央には大きな数字が刻一刻と形を変えていく。
 三……二……一……カウントゼロの瞬間、オペレーターであるゆらぎの視界が変えられた。
 一面に映るのは、都市ファロスの上空。ゆらぎが感知する全てが、最初に搭乗したときと同じ範囲であり、風も光も暑ささえもシュミレーターでありながら感じ取れる。
 今の天候は、やや風が強めではあるが晴天だ。
 そして、彼らが乗るのは青のイカロス。多量の銃器と、素早い動きでの接近および中距離攻撃に特化した形状そのままに、想像の世界にいた。
「……すごい」
「これがめろり教官が、教官として万人に敬意を抱かれる能力ですよ。彼女一人で、ここまで舞台を再現できるのは……かなりの異端です」
 さて、と右近がゆらぎに告げる。
「この舞台での敵はペティノスではなく、同じイカロスです。兎成姉妹の乗るイカロスは赤。大変目立つ機体なのですが」
 説明の合間に、光弾が三発ほど彼らの機体を襲った。即座にゆらぎはシールドを貼り、光弾の弾道から敵の位置を確認する。だが、彼の感知できる範囲にイカロスはいなかった。
 続けて五発の弾が放たれるが、その軌道が歪んでいくのをゆらぎははっきりと感じ取る。
「着地点の予測を。あの弾の道は初期設定値から変えられません」
 右近のセリフに、ゆらぎは考えられる場所を可能性が高い順に提示。即座に右近はその中から、経験的に最もあり得そうな軌道を選び出し、回避の動きをした。
 五発の内四発の回避に成功する。だが、一発は避けきれずに被弾した。
 機体の揺れと衝撃が本物のように来る。
「さすがに、全ては難しかったようですね」
「すみません……おれがもう少しちゃんとオペレートできてたら」
 演習でルナに言われたのも、実際にパイロットのシュミレーターをしたからこそ実感できる。ゆらぎの実力は、オペレーターとしてもまだまだ未熟だ。それを右近の技量で跳ね上げているだけに過ぎない。
「いいえ、正直君の技量はダイブ直後から飛び抜けています。今はただ単に経験が浅いだけですので、そう落ち込まないでください」
「ですが」
「獅子夜くん、相手は遠距離型のイカロスです」
「……」
「兎成姉妹は、ほとんどの天候でも命中率が高く、また弾道の設定可能な種類の多さでナンバーズに上り詰めました。どれだけペティノスたちから攻撃されていようが、対応するどのような機体の動きの中でもそれが可能なのは、パイロットとオペレーターの技量と経験が卓越しているためです」
 が、とそこで右近は悪戯っ子のように笑う。
「それを先日ダイブしたばかりの新人オペレーターに予測されたどころか、半分以上回避されたんです。彼女たち、ものすごく苛ついてるでしょうね」
 ふふふ、と笑い続ける彼に、ようやくゆらぎは力が抜ける。
 今日一日、あのナンバーズ五番の新オペレーターとして、ありとあらゆる視線に耐え続けたのだ。緊張でとっくに疲れ切っている。他のナンバーズから裁定勝負だと言われても、イカロスに一度しか乗っていないから、それがどれほどの意義を持つものなのかも分からない。
 分からない、分からない、分からないけど、どうにかしなくてはいけない。でもどうすればいいのかさえ分からない。イナやルナたちと過ごして、少しだけ安堵したのだが、それでも彼ら彼女らに頼り切るわけにはいかない。そんな思いでいたにも関わらず、右近は簡単にゆらぎを振り回す。全部、全部、右近が蒔いた種だし、ゆらぎは巻き込まれているだけだ。なのに、原因は楽しそうに相手を下すことしか考えていない。
 エイト・エイトが彼は鈍いと言ったのもよく分かった。
「……もういいです。そうですね、右近さんはそういう人でしたね」
 悩むのが馬鹿らしい、と悟ったゆらぎはついそう言ってしまった。途端に、びくりと右近の肩が揺れる。
「深刻に受け止めたおれが馬鹿でした。おれが未熟だからってくよくよしてたのが、本当にあほらしいのも分かりました」
「あ、あの……獅子夜くん?」
「右近さん!」
 キッとゆらぎは背後を見ずに、前だけを睨みつける。だが、鬼気迫るものを感じ取ったのか「はい!」と普段より大きな声で右近は返事をした。
「おれは未熟なオペレーターなので、あとは全部右近さんに任せました!」
 いきますよ、と声をかけたゆらぎは、あっという間に周囲の状況を数値化し、可能性を全て提示し、そして後の判断を相棒に放り投げる。
 その数値の中には、罠と思われる機雷や爆発のために使用するセンサー系、あるい弾道を瞬時に切り替えるための仕組みなども混ざっていた。
 一瞬だけ呆けた右近は、その次には悪どい笑みを浮かべて、イカロスを動かし始める。
 移動、行動、その結果やってくるのは、敵の攻撃だ。
 再びゆらぎは、ありとあらゆる可能性を、なんの脈絡もなく提示する。先程のように可能性の順位は一切されていない、本当にただのデータだ。だが、それだけでも右近には十分だった。
 今度は五発の光弾が五発とも回避できた。
「これでいいですか!」
「構いません。相手のところまで最短ルートで突っ切るので、揺れます。酔わずにオペレートお願いします」
「右近さんこそ、データ読み間違えしないでください」
「生意気な新人ですね」
「あなたの相棒です」
 その返答でパイロットが笑ったような気配した。が、続く「行きます」の右近の言葉の直後に、本当に派手にイカロスが揺れる。
 ゆらぎの視界がブレるも、根性でオペレートを続ける。対し、右近は口笛を吹きながらも、次から次へと出される数値を頭に叩き込み、乱暴にイカロスを動かす。時に操縦席着弾の直前で、敵の攻撃を撃墜する荒技までしでかしている。
 重力というよりも遠心力や爆風でオペレート席から転がり落ちそうだ。
「ははは、あいつら焦り始めましたね」
 穏やかさのカケラもなく、好戦的なまでの「きますよ」の言葉通りに雨霰のように光の塊が降り注ぐ。いくつかダミーだったり、あるいは囮だったりで不規則な動きをしているのもあるが、既にゆらぎの中では、タネが分かっている。即座に、撃ち落とす光弾と放置していい光弾を分けて、最短ルートを叩き出した。
「無茶を提示しますね」
「最初から無茶しかしてません」
「失望しましたか」
「逆です」
「なら、頑張ります」
 さらにイカロスが加速する。その加速に合わせて、ゆらぎが再計算した結果を出した。それに戸惑う右近ではない。
「嘘でしょう」
 兎成あゆはは、否定の言葉を吐きながらも相手のことを認める。獅子夜ゆらぎのオペレーター能力は本物だ。
 これまで散々、裁定勝負を仕掛けようとして六番の二人にやられていたのだ。今ならどさくさに紛れて五番を引きずり落とす裁定勝負に持ち込めると思ったのに、番狂わせである。
「なにあれ、なにあれ」
 妹の梓は相手の動きを計算して、弾が当たるように数値を変えていく。だが、それ以上に青のイカロスの動きが早すぎるし、どう冷静に見ても無茶苦茶な戦法を即座に実行し続けている。
「なんだって、あんな馬鹿な動きするのよ!」
 すでにこの場に留まるメリットはない。五番は五番らしく、狩人のように彼女たちを追い詰めていく。
「梓、離脱する」
「うん、分かった」
 その言葉の通りに、赤のイカロスは逃げに徹し始める。
 姉妹だって、それなりに息のあった連携をしている。だが、今回の五番のオペレーターとしてやってきた獅子夜ゆらぎの、神楽右近との相性はだいぶ良いようだ。
「スバル・シクソンとだって、あんな無茶してなかったじゃない」
 一年以上前の記憶を頼りにしているとはいえ、それでもここまでじゃなかったと、あゆはは断言できる。彼は、もう少し嫌らしい戦法を好んでいたはずだ。
「お姉ちゃん!」
 妹の梓の呼びかけに、はっとするあゆは。逃亡ルートに、いつの間にか罠が仕掛けられていたようだ。
「これって」
「私たちが仕組んだやつそのまま利用したんだ」
 梓の解析に、あゆはも舌打ちをする。前言撤回、今回のオペレーターもかなり嫌らしい戦法を使うようだ。いや、もしかしたらあのエイト・エイトが教えたのかもしれない。
「梓、今は逃走を優先するから、最小の被害でいけそうなところ教えて」
「分かっ……え?」
 画面上に映る逃げ道がないと出された数値と困惑する妹。
 その梓の疑問の答えを、コンマ数秒であゆはは導き出した。
「やられた! あいつら最初から逃亡ルートまで予測してたんだ」
 最小の被害、または最短のルート。どちらに賭けていたのかは知らないが、それでも最もという制限を用いたら、彼女たちの行動は予測可能だ。
 逃亡ルートに向かおうとした赤のイカロスは、逃げ切るよりも前に、彼女たちが放った以上の弾数によって戦闘不能にされたのだった。もちろん、その攻撃をしたのは青のイカロスだった。
「決まったようだな」
 五番と七番の裁定勝負という、異例尽くしの勝負を見守っていた他のナンバーズたちは、ユタカの言葉につまらなそうな顔をして頷いた。例外なのは、六番の神楽左近とルル・シュイナードのみ。随分と嬉しそうだ。あとは、三番オペレーターのクレイシュ・ピングゥがキャッキャッと楽しそうに笑っている。
「まぁ、なかなかやるようだ」
 二番のアレク・リーベルトの言葉に、パートナーのアンナ・グドリャナもまた肯定のサインを出した。
 その横では、だらしない体勢でこれまでの勝負をみていたユエンが相方のナーフに問いかける。
「ふーん、わいとしてはどうでもいんんだけど、ナーフどう思う?」
「こちらも裁定勝負をするべきだと思う。おれたちの実力差は殆どないない」
「あんなひよっこ相手に? ナーフったら心配性だなぁ」
 まぁ、いいよと続く言葉とともに、四番のユエン・リエンツォは猫のような気まぐれさで目を細めた。
「それじゃあ、こちとら四番らしくお相手してあげようかねぇ」
 ナーフは無表情を少し和らげて、目元だけをユエンのように細める。その視線の先には、映像に映る青のイカロスがあった。
「それでは、とりあえず神楽右近と獅子夜ゆらぎのペアは、五番として認める方向でよろしいですか」
「私に聞かなくてもいいだろう、ユタカ。君がファロス機関の総司令官なのだから」
 ユタカの問いに、三番のパイロットである現見空音はしかめっ面のまま返事をする。
 いよいよ退屈な時間が終わると思い、それぞれが席を立とうとしたところで、現場で起きている違和感に気づいた。
「……何かおかしくないか?」
 左近の言葉で、ナンバーズの動きが止まった。
 違和感の発端は、赤のイカロスで起きていた。
「悔しいけど、あなたたちの実力は認める」
 あゆはが通信越しで、ゆらぎや右近に負けを認めていた。
 既に裁定勝負が終わり、めろり・ハートの宣言により勝敗も公式なものになっている。ちらちらと別回線で見える訓練室の光景は、興奮の渦で満ちていた。
「そもそも左近たちに勝ててないんですから、この結果は当然ですよ」
「右近、あなたその嫌味な口調いい加減やめたら? 左近との差別化とかなんとか言ってたけど、全ッ然似合ってないのよ。左近の方がまだ裏表なくて好感持てるから」
「あなたたちが俺を左近と間違え続ける結果です。悔しかったら、見分けてみなさい」
「だーかーらー」
 さらに口喧嘩が発展しそうなところで、ゆらぎの制止がかかった。
「右近さん、その言い方は流石にないです。そりゃあ確かに勝負の吹っ掛け方が唐突でしたし、おれへの配慮も全くなかった先輩ですが、右近さんだって似たようなものです。右近さんが指摘するのは、どう考えてもブーメランというやつです」
 そのゆらぎの言葉に右近は押し黙る。あゆはは、こめかみを引き攣らせる。
「ちょっと獅子夜ゆらぎ。あなたフォローしたいの? それともあたしを貶してるの?」
「え、フォローしているつもりですが……」
 自分何か間違っていますか、と言わんばかりの表情を浮かべていたゆらぎに、あゆはもまた心に傷を負う。
 戸惑い続けるゆらぎと、黙ってしまったパイロットの二人。そして、これまで一切会話に加わらなかったもう一人のオペレーターは、ずっと泣き続けていた。
「悔しい、悔しい! あんな新人の罠に引っかかるなんて、悔じいいい」
 テトラと呼ばれている、一瞬男性かと見間違う麗人のAIに慰められてた梓は更にゆらぎへの呪詛を吐き出し始めた。そして、唐突に「そうだ」と呟く。
「こうなったら、お願いめろりちゃん!」
 梓は化粧が落ちてぐじゅぐじゅになった顔を隠すことなく、めろりを呼び出す。
「はいはーい、何かな?」
「あのデータを展開して!! あの新人に、上には上がいるって思い知らせてやる」
 その言葉に不穏な何かを察したあゆはが、待ったをかけようとした。
「ちょっと梓? 何を言ってるのよ」
 あゆはが梓を問いただすも、先程のセリフにめろりは意味深に笑う。それは待ちに待ったご馳走を前にした、肉食獣の歓喜に似ていた。
「いいよん、めろりもそろそろ頃合いだと思ってたからね」
「ねぇ、めろりちゃん、待って」
 止めようとするあゆはを無視し、青と赤のイカロスの間にめろりのホログラムが登場する。そして、パチンと指が慣らされた。途端に赤のイカロスは退場し、幻想の都市は消え失せる。そして、いくつもの数字が見えない壁を形成した。
「なんですか、これは」
 通信越しで兎成姉妹の片方が、何かを企んだのは理解している。外部の様子を確認するゆらぎ。対し右近は無言で全面を睨みつける。
 シュミュレーター内の異変は、外で様子を見ていた面々も気づいていた。なんだなんだと、観戦していた生徒たちがモニタに群がる。それとは別に、ファロス機関から見ていたナンバーズたちも、固���を飲んで見守っていた。
「データ展開、凍結解除、展開スピードを加速。フィールド情報をリセット、年代の固定、天候は晴天、蓄積データにアクセス。アクセス権の譲渡完了、データロック解除、百桁のパスワードを入力、問題なし。フィルタリングを実行、ノイズ除去、容量の圧迫問題なし」
 めろりの朗々とした進行の言葉は、祈りの祝詞のように抑揚はない。
「展開データを実体化、残り三十……二十……十パーセント、カウントゼロ。投影開始します」
 そこでようやく文字が消え失せて、先ほどよりもより高度が高く設定された、都市ファロスの上空に青のイカロスは浮かんでいた。
 強風が延々と流れ続け、けれど雲ひとつない快晴の中、太陽光が容赦無く照りつける。
 そして、それは現た。
 その存在が何か理解した者は、多くいた。
「ゲッ!?」
 現れた存在を目にした瞬間、左近は汚い声をあげる。そして、三秒にも満たない思考の末に、すぐさまモニタリングを止めようとした。が、それを押しとどめる声が響く。
「いいじゃないか、左近君。閲覧禁止のあのデータを、どこで君が知ったのかは知らないが、これもいい経験だ」
 現見は無表情ながらも、周囲のナンバーズや長官たちへと同意を求める。それぞれが、焦り、驚き、興味深く、そして怨敵のような表情を浮かべているが、それでも否はなかった。
 
 現れたのは、巨大な騎槍を持ったイカロスだった。
「銀色の、イカロス?」
 見たことのない機体の色に戸惑うゆらぎ。だが、怒鳴るように右近はシールドを展開するように告げた。
「え? あ、はい全方位シールド展開しまし」
 た。と最後の音を発音するよりも先に衝撃が訪れた。それは、ゆらぎには感知できないものだった。いや、何かノイズが脳裏に走った気がする。
 気がついた時には、展開したはずのシールドが粉々になっていた。
「……え?」
「次が来ます!」
 何が起きたのか分からないままのゆらぎを叱咤激励して、右近は機体を僅かに動かす。そのズレが功を成したのか、彼らが乗るイカロスは右側に展開している銃の全てをもぎ取られるだけで済んだ。
「兎成妹! 馬鹿なデータを展開してくれたものですねッ」
 舌打ちとともに、残った左側で応戦を右近は開始する。だが、先程はっきりと見えた銀のイカロスの姿は、今は全く見えない。
「右近さん!」
「ゆらぎ君、わずかな痕跡も見逃さないでください。あれは、これまでのとはレベルが違う存在です」
「わ、わかりました。でも、あのイカロスはいった」
 問いかける途中で、再度微かなノイズをゆらぎは感じ取る。ほぼほぼ、直感のようにオペレーターを格納する場所を彼は厳重に守った。
 衝撃が訪れる。鋭い騎槍の先端が、先ほど極力厚く張り巡らせたシールドを貫きかけた。
 ゆらぎの視界いっぱいに、銀色の塗装がなされたイカロスが現れる。
 その姿は御伽噺の騎士のようで、ありもしないマントが風で翻った幻想が見えた。ゆらぎの頭の中をノイズが走る。一瞬にして、銀色のイカロスの姿は消える。
「よく防御が追いつけましたね」
 右近はゆらぎを褒めるも、言われた本人は褒められているような気がしない。
「あれは……あれは一体なんなんですか」
 驚愕と恐怖がない混ぜになった感情を隠しもせず、ゆらぎは右近に尋ねる。その質問に、右近は簡単に答えた。
「三十年前の大英雄、未だ誰も到達できない永遠のナンバーズ一番です」
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satoshiimamura · 10 months
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第3話「五(じつりょく)番」
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 神楽右近は人見知りである。
 彼は積極的に誰かに話しかけることが苦手だし、独りでいることが苦ではない。地下都市クーニャから、地上都市ファロスにやってきた時も、彼は独りだった。誰とも話さずに学園へ入学し、オペレーターを探すこともせずに、イカロスの操作に夢中になった。その途中で双子の左近と出会い、驚愕し、喧嘩し、いつの間にか一緒につるむようになった。
 左近は、右近と違って積極的に色々な人と交流していた。右近は左近を経由して、彼のオペレーターであるルル・シュイナードと仲良くなり、更に何人かの同期と交友関係を築いた。右近の世界は、左近の世界と重なっていた。それでも彼は、構わなかった。
 その世界がズレたのは、スバル・シクソンと出会ったときだった。
 ス��ル・シクソンは、右近の二歳上の先輩だった。彼の代は、ペティノスの列車襲撃を防ぎきれず、多くの新人が亡くなっている。その代の誰も彼もが地獄を見ていたらしく、随分と憂鬱な雰囲気で互いを雁字搦めに縛っているような印象があった。が、スバルは妙に明るかった。
 スバルは初対面のはずの右近を訪ねてきたときに、一緒にナンバーズを目指さないか、と興奮気味に言ってきた。彼は、当時ナンバーズの中でも注目株のアレクとアンナのコンビに憧れていたらしく「あんなパートナーになりたいんだ」とも喋ったはずだ。即座に恋人にはなれないと右近は断ったが、スバルは信頼できるパートナーという意味だと、慌てて反論してきた。
 スバルが右近を選んだのは、単純にAI診断での相性が良かったからだった。試しにシュミレーターでイカロスの操作をしてみれば、確かに息があった。その場で契約して、ナビゲートAIをめろり教官から紹介された。エイト・エイトと一緒に三人での当時掲げた目標は、目指せナンバーズだったはずだ。もう、うろ覚えで右近は悲しいくらいに、当時のやり取りを覚えていない。
 右近とスバルのイカロスは、それから大活躍した。負けてたまるか、と左近とルルも大活躍して、四人で一緒にいることが増えた。左近たちのAIである瀬谷雪斗も、一緒に馬鹿をやるようになった。めろり教官からは、問題児世代というレッテルを貼られた。
 ナンバーズ入りを右近も左近も果たした日、スバルは憧れのアレクとアンナと嬉しそうにお喋りをしていたと思う。あの後、何を話していたのかと問い詰めた気がするが、彼がなんて答えたか右近は覚えていない。
 スバルに関して、覚えていないことは沢山ある。
 ナンバーズ入りをしてから四人で暮らした。エイト・エイトが妙に家事がうまくなったのは、ここからだ。雪斗がホームビデオ機能をカスタマイズして、定期的に上映会をし始めたのも、確かこの辺りからだ。
 その頃から馬鹿が集まると碌なことにならない、とアレクに呆れられたような気がする。現見には説教された気もする。ナーフは何も言わなかったが、一人でいると他の面々はどうしたと聞かれるようになった。楽しかったのは覚えているが、細かい部分は全然覚えていない。
 何かを話して笑ったのだ。
 何かを観て喧嘩したのだ。
 何かを聴いて真似したのだ。
 そうしてある日、ナンバーズの一番を目指そうと誓い合った。
 全部の記憶を、右近は霞の向こうに置いてきてしまった。
 詳細に覚えているのは、スバルが壊れていく過程だった。
 スバルが倒れたとき、スバルの病の原因がわからないことが判ったとき、スバルの足が動かなくなったとき、スバルのオペレートができないと判断されたとき、スバルの余命が出たとき、彼がターミナルケアを勧められたとき、彼が死後の希望を言い始めたとき、彼から看取りを頼まれたとき、彼が食べることが困難になり、どんどんと痩せ細り、眠るだけの一日が始まったとき。
 途中で左近は耐えられなくなり、家を出て行った。
 ルルも左近を心配して、後を追った。
 雪斗は二人の側にいるべきだと、エイト・エイトが追い出した。元より、二人のAIである雪斗は、初めから二人の側にいるつもりだったが、それでもスバルと右近のことを心配していた。
 右近は、そうしてスバルの側に独りでいた。久々の独りだった。あまりにも静かすぎて、かつて世界の終わりはこうして始まったのだろうかと錯覚したほどだ。
 そうして、スバルの最期を右近は一人きりで待った。それは、曖昧な時間だった。昼も夜も感じられず、時間の進みが早いのか遅いのかさえ分からずに、ただ淡々と規則的な呼吸音だけを数える日々だった。
「右近、終わったんだ」
 エイト・エイトが半透明のホログラムのまま、何の意味もない抱擁を右近にしたとき、彼はスバルがこの世からいなくなったことに初めて気づいた。一体、いつの間に握りしめたのか分からない冷たいスバルの手と、閉じられた彼の瞼が、右近の視界に映った。その瞬間、眼球に映り込む輪郭が全て歪んだ。
 半日以上、視界は歪み続けた。痛みで頭が割れそうになり、喉は乾いてガラガラになった。真夜中ごろに誰かが、右近を呼んだような気がしたが、そのときの記憶はビー玉の中を覗くように、よく分からないものとなっている。
 それから右近は、独りでどうにかしようと現状で溺れそうながらも、もがいて、ようやく新しいオペレーターを見つけた。エイト・エイトにファロス機関の機密情報を盗ませ、味方を騙すようにして、見つけた。
 獅子夜ゆらぎ。右近と少し似た気質の少年。正直、断られると思っていた。こんな強引で、騙し打ちのような方法で、直接搭乗をさせたのだ。
 それでも獅子夜ゆらぎは、なぜか右近のオペレーターをしてくれるようだった。分からないから乗るのだと、ユタカ司令官に言ってくれた。
 もう、右近は後に引けなかった。
 どうしてここまで無茶をしでかした���か、そこまでイカロスに乗り続けるのかの理由は、自分の心なのに分からなかったが、右近はゆらぎと一緒に上を目指すのだ。死んだスバルと掲げた、ナンバーズの一番になるという夢を目指すしか、彼はできなくなっていた。
 それが今の、神楽右近のかろうじて成り立っている世界である。
***
 ガタンと扉が乱暴に開かれた。自動扉ではない、時代錯誤の手動式のものだ。その騒音で、右近は意識を過去から現在に向ける。やってきたのは、現在のナンバーズたちだ。続々と彼らは自分の席に座る。
 予定調和のように、一番の席には誰もいない。
 二番の席に座っているのは、アレク・リーベルトとアンナ・グドリャナの二人だ。相変わらずべったりとしているが、彼らのナビゲートAIのローゲは、特段気にした素振りは見せない。
 三番の席に座るのは、パイロット現見空音とそのオペレーターであるクレイシュ・ピングゥ。彼らのナビゲートAIの金剛司紀が、クレイシュに何か伝えている。大方、静かに席に座っているように注意しているのだろう。
 四番の席は、ナーフ・レジオが微動だにせず座っていた。対照的に、ユエン・リエンツォは携帯ゲームに夢中だ。彼らのナビゲートAIであるフーは、ナーフと似たような表情で、しかしユエンだけをしっかりと睨んでいた。
 六番にいるのは、気楽な表情をした神楽左近と相棒のルル・シュイナード。ナビゲートAIの瀬谷雪斗ですら笑っていたが、手を振っているところを見ると一応、右近のことを応援しているらしい。
 そして、七番……には、なぜか誰もいなかった。
「七番の兎成あゆはパイロットと、梓・A・兎成オペレーターは、学業を理由に欠席となっております」
 司令官の敏腕秘書、フィンブル・アダムスがユタカとその周囲に伝わるように説明した。
 その秘書である彼女の視線の先にいるのは、ユタカともう二人。
 ナンバーズたちよりも更に上座に、ユタカ総司令官および夢見・リー博士、そしてタスカ・スロ技官長が座っていた。まさに、対ペティノスにおいての錚々たる面々が集っている。
「では、始めようか。議題は、ナンバーズ五番の神楽右近が行った直接搭乗について」
 ユタカの朗々とした発言に、誰もが右近を見た。その視線だけで、彼は一歩退きたくなる。だが、堪えた。
「無垢な新人捕まえて戦地に行くって発想が、もうダメだろ」
 アレクの発言に、アンナも頷く。彼女は素早く指文字で意思表示をしたが、あいにくと早すぎて右近は読み取れない。それを察したローゲが「アンナから人でなし、だそうです」と翻訳した。柔らかい口調ではあるが、その内容は辛辣だ。
 その流れで、ユエンもまた皮肉を込めて発言する。
「ふふふ、血気盛んな若者の考えそうなことだね。巻き込まれる方は溜まったものじゃないけど。なぁ、ナーフもそう思うだろう? なぜか作戦にない人物の登場と、突然の命令に従うなんて、お前も随分と馬鹿げてたじゃないか」
 きゃらきゃらと何が面白いのかと笑いながらも、パートナーであるナーフ・レジオに同意を求めるユエンだった。が、彼女の予想とは違う意見が出る。
「……おれは、ペティノスたちを駆除できたから、それでいいと思ってる。正直、あのままでは非常に危なかった」
 淡々と事実だけを告げる彼に、ユエンはツマラナイと堂々と言い放つ。だが、肯定的な意見の流れは、そのまま左近に引き継がれた。
「オレもあの場では右近のやり方に賛成。実際問題、結構削りきれなくて苦しかったんだよね。まぁ、直接搭乗は、緊急的な場面に限定させるってことで、今後は間接搭乗をして欲しいところだけど」
 オペレーターのみんなだって、危ない段階なのはわかってただろ? と同意を求める左近。それに同意したのは、彼の相棒であるルルだった。
「そうね、右近が来なきゃ間違いなく犠牲者は出たわ。……正直、オペレーター同士での通信では、誰が列車を止めるかの話は出てたの。汚れ役なのは事実だから、現見さんが行くって言ってたけど、彼のAIはクーちゃんにその片棒を担がせることに反対してたし、アンナさんも同じような反応だったわよね。いざとなったら、ナーフさんが行くかもってユエンさんは言ってたけど、乱戦でのペティノス撃破に手一杯って感じだったし」
 彼女の言葉に、アンナもゆっくりと頷く。ユエンもまた、頬を膨らませながらも、否定はしなかった。ただ一人、クレイシュだけが話の内容を理解できていないのか、首を傾げ足をバタつかせている。
 その様子に、右近は内心ほっとしていた。が、緩みかけた気を即座に締める声が発せられる。
「……確かに、あの場では正解に近い行動であったのは事実だ。だが君は、これからも直接搭乗を行おうとしているらしいな」
 重苦しい言葉。青く鋭い目から放たれる、冷気を纏う視線。誰よりもこの場で年長者の彼は、しかしシワひとつない、二十代にしか見えない見目で、右近を睨みつける。
「直接搭乗によるオペレーターへの負担は、学園で教えられただろう。そして、それを克服するために、間接搭乗が編み出されたのも」
 現見の確認に右近も頷く。
「……はい、知っています。それでも、最後の空中楼閣撃破には、直接搭乗を用いるべきだと思います。乗って、分かりました。あの操作の速さは空中楼閣攻略には必須なレベルだと。三十年前も、直接搭乗だったからこそ、空中楼閣の撃破が可能だったのでは」
「それは君たちの技術不足の言い訳だ」
 右近の言葉全てを言わせる前に、現見はバッサリと否定する。
「三十年以上前の、多くの同胞が亡くなった惨劇を見たことのない君が、憶測で物を言うべきではない。あの時代、多くのオペレーターが使い捨てられた。当時私が組んでいたオペレーターのアデリーも、重度のオペレーター病により、その命を落としている」
 もう二度とあの惨劇は繰り返してはならない、と続く確固たる意思のもとでの発言に、右近は怯む。
 だが、思わぬところから助け舟が出た。
「しかしながら、当時と現在の技術力は違う。ナビゲーションAIとオペレーターの補助関係も、随分と発展したんだ。今なら、当時ほどのオペレーター病は起きないのではないか、とオレは思いますけどね」
 イカロスの整備、開発を担う技術部門のトップ、タスカ・スロ。彼女の発言に、現見は片眉を上げた。
「もちろん、オレだって三十年前の様子がどうだったか知らないんで、断言はできませんよ。それでも、今回直接搭乗を行ったオペレーターの……ええと、獅子夜ゆらぎでしたっけ? 彼のその後の様子からしても、問題ないんじゃないスかね」
 なぁ、と乱暴に話を振った先にいたのは、夢見・リーだった。タスカと夢見は、同い歳で仲が良い……とは言い難いが、それでも互いにイカロスやペティノスについての意見交換をよく行なっている程度には、交流がある。
 夢見は、タスカからのバトンに嬉々として答え始めた。
「確かに、リアルタイムでのデータ収集を行なっていないので、はっきりとは言えませ���がね。それでも、脳内空間の補正と演算の速さは、ナビゲーションAIで一定の補助が可能となりました。単純作業の補正作業も、三十年前とは違い、AIに任せることが可能です。そして、現見さんはよくご存知でしょうが、間接搭乗と直接搭乗では情報の伝達速度は比べ物にならない。あたしとしては、是非とも彼らには直接搭乗を続けてもらって、生のデータ採取を行いたいところですね」
 ヒヒヒ、と不気味な笑みで、彼女のギザ歯が露わになる。その様子に、タスカは呆れつつも、もう一つの問題点を指摘する。
「実際問題、未だ間接搭乗の地上との情報通信タイムラグはネックだ。空中楼閣の存在する高度三十キロ地点では、通信用中継機を飛ばしたとしても、戦闘の邪魔にしかならなねぇだろうし、ペティノスに撃墜される可能性もある。そんな状況じゃ、勝てるものも勝てないだろうよ」
「それを解決するのも、君たち技術部門の仕事ではないのかね」
 現見の指摘にタスカはムッとした表情を浮かべる。
「タイムラグの原因はいくつか考えられていますがね……その全てを解決する例えとして言いましょうか。重力による原子時計数百億分の一秒の差を埋める努力が、本当に必要かという問いなんスよ」
 その労力を払うよりも、別の部分を改善した方がいい、と述べるタスカの意見に、現見は聴いているのか聴いていないのかよく分からない表情を浮かべる。その様子は、技師側の意見を重要視していないようにも捉えられた。
 一瞬、不穏な空気が議場に満ちる。その様子を察した左近が場の空気を変えようと発言しようとしたが、それよりも先にアレクが話の矛先を変えた。
「直接搭乗にしようが間接搭乗にしようが、俺としてはどうでもいい。現見さんたちの世代が地獄を見たのは耳にしているが、俺たちだって地獄は散々見た。それこそ、この場にいる俺やアンナ、それに博士や技官長だけでなく、右近のオペレーターだったスバルだって、悪夢の世代の一員だからな。悪夢は見飽きたんだ。空中楼閣撃破に向けて、高い戦力になるのならどうでもいいことだ。……だが、右近。お前が本当に五番の地位にいていいのかは、確認しなきゃならねえ」
 ギロリと灼熱の太陽を模した金色の目が、右近を貫く。
「ちょっと、アレクさん! それを確かめるのは、オレたち六番の仕事」
「うるせぇ、裁定勝負すら挑まなかった腰抜けが!」
 左近が反論するように声を荒げるが、それをアレクは一蹴する。その言葉に、ルルが椅子を蹴飛ばしてアレクへ向かうが、それよりも先にアンナが彼女を止めた。
「離してよ、アンナさん! 私たちは腰抜けなんかじゃないわ!」
 激昂したルルだったが、怒り心頭なのはアンナも同様だったらしい。ぎりぎりとあり得ないほどに強く握りしめた彼女の力によって、ルルの握られた腕の色がどんどんと暗褐色へと変異していく。
「そこまでにしておきなぁ」
 バッと女性二人の腕を離したのは、ナーフ。そして、気怠げな雰囲気のまま止める言葉を吐いたのは、ユエンだった。
「左近クンとルルちゃんが怒るのも無理はないけどねぇ、でもアレククンやアンナちゃんの言葉、吾輩も現見も否定できないんだわ。本来、オペレーター死亡後の右近クンは、戦力としてはナンバーズどころか一般兵よりも下。その引導を渡すのが、君たち六番の役割だったのに、それすらしなかったのは事実でショ」
「でも、右近には今オペレーターがついてるんですよ! だったら、今こそ六番の私たちが」
「引導渡せなかった君たちが、あの二人とちゃんと裁定勝負仕掛けられるかどうか小生疑問ですな」
「オレたちを馬鹿にしてるんですか!」
 ルルを抱き抱えるようにして保護した左近が言い放った一言に、誰も何も返さない。それは肯定と同義だった。
 舌打ちをする左近とルルだったが、そこでようやく右近が口を開く。
「俺が……いや、俺たちが五番の地位に相応しければ、直接搭乗を認めますか。裁定勝負はシュミレーターでの模擬戦闘。条件は間接搭乗と同じになります」
 右近の問いかけに、三番の現見は沈黙で答え、二番のアレクとアンナ、四番のナーフは頷いた。同じく四番のユエンはおもしろそうに笑い、三番のクレイシュだけはやはりよく分かっていないのか、激しい口論に目を白黒させている。六番の左近とルルは、元より否定する必要性がない。
「現時点で、六番と五番の裁定勝負への懸念がある。そうなれば、君たちが行うのは、七番と四番のどちらかとなるが」
 ユタカ司令官の言葉に、右近は「上等です」と笑う。
「とにかく、まずは実力を見せます。獅子夜ゆらぎの実力は確かです。そこに、俺は何の贔屓もありませんし、傲るつもりもありません」
「口だけにならないことを待っているよ」
 冷静に、しかし右近の神経を最大限逆撫でする言葉でもって、現見は返答する。
「ーーッ、今すぐ、連れてきますよ!」
 怒りを押し殺した声で宣言した右近は、そのまま普段とは全く違う乱暴な動きで会議室から出て行った。
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satoshiimamura · 10 months
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第2話「地(とし)上」
 目覚めた先に見えたのは、暗闇に染まった無機質な天井だった。左右に視線を動かし、シンプルな照明器具があるのを見つけて、ここが自室でないと思う。その直後に、自室を最後どころか、地下都市クーニャを出たのだと思い出した ゆらぎは、がばりと慌てて起き上がる。
 身体の軽さで、クーニャを出るときに着ていた上着が脱がされていることを知る。そろりと、暗闇の中で少し手を伸ばした先に、上着は丁寧に畳まれて置かれていた。
 掴んだ上着を身につけつつも、暗闇に慣れた視界は、現在地を把握するのにそう時間は掛からなかった。と言うよりも、随分とシンプルで物がない部屋だったのだ。
 窓に引かれた濃い色のカーテン、彼が寝ているベッドも似たような色合いだ。部屋の片隅に積まれたのは、頑丈にそして入念に封をされた無機質な箱がいくつか。それだけがあった。それしかなかった。
 ゆらぎはベッドから静かに降りると、窓際へと移動する。夜闇の冷たさを吸い込んだカーテンを掴み、隠された光景を広げた。
「うわっ」
 ガラスのキャンバスに映り込む外の景色に、驚きの声をあげる。
 そこに広がっていたのは、光の洪水であった。
 地下都市クーニャでは見られなかった高層ビル郡。それらの間を通り抜ける幾つもの光が流れる道。ギラギラと輝くのは車か部屋の灯りか。消灯時間になれば真っ暗になっていたクーニャとは対照的な光景に、ゆらぎは一歩後に引く。
 その時、来客を告げる音がした。ついで、慌ただしい様子の足音が、部屋の外ーーおそらく廊下を駆け抜ける。聞き覚えのある声がしたが、その内容まではさすがに聞き取れなかった。
 ゆっくりと、そしてこっそりと部屋の扉をゆらぎは開ける。ほとんど音はせず、来客と家主の会話は止まることなく進められていた。
「新人を列車から連れ去った上で、イカロスに直接乗せるとか馬鹿じゃねーの!」
「うるさい。結果的にペティノスたちを殲滅したから良いだろう。大体お前だって、ノリ��リで組んでたじゃないか」
「まさか、移送中のまっさらな新人のことだとは思わないじゃねえか。直接搭乗は禁止されてる。それを、兎成姉妹のイカロスにわからないよう小細工までしてやったことにオレは怒ってんだよ」
「だが、あれをしなければまず間違いなくペティノスを削りきれずに、犠牲者はもっと出た。左近だって、まっさらな何も知らない新人を尊い犠牲とやらにはしたくなかっただろ?」
「それはッ」
 そこで来客者は押し黙���。わなわなと握る手を震わせてはいたが、それでも怒りを相手にぶつけることはしなかった。
 ゆらぎは、そこまで聞いてようやく来客者の男が、あの黒のイカロスから聞こえてきた声の主だと気付く。そして、家主と思われる人物が、ゆらぎをイカロスで連れ去ったあの痩せた男だとも。両者ともがどこか似たような声質で、髪型や目の色などは違うが、それでも面影が重なる不思議な感覚に支配された時、第三者が現れた。
「はいはーい、右近も左近も夜中に大声で怒鳴りあうんじゃないの。あんまりにもうるさいと、獅子夜くんが目覚めるよ?」
 先程まで言い合っていた二人とは違う、落ち着いた声。けれど、茶目っ気も含まれた言い方に、右近と左近の二人はムッとした表情を浮かべる。
 二人の間に、文字通り床から浮き上がるようにして登場したのは、イカロスの中で現れたエイト・エイトと呼ばれる人物だった。その身体は透けており、彼がAIで、現れたのがホログラムだと分かる。
 左近と呼ばれた来客は、少し落ち着きを取り戻したようだが、それでも言いたいことはまだまだあったようだ。
「だいたい、エイト・エイトも右近の無茶振りに応えるなよ。めろり教官だってカンカンに怒ってたし、ユタカ司令官も」
「あー、はいはい。うん、左近の怒りが治らないのはよーく分かった。オレちゃんだって、まずいなぁって自覚はあったさ」
「だったら、なおさらやるなよ」
 テヘッとふざけたポーズをするエイト・エイトに、遂に毒気が抜けたのか。項垂れる左近に対し、エイト・エイトや右近は大して反省している素振りもなく、また慰めることすらしなかった。
 がくりと膝をついていた左近は、そこでようやくゆらぎの存在に気づく。お、と顔を明るくさせた彼の様子に、右近もまた後輩が目覚めたのを知ったらしい。エイト・エイトだけは、肩をすくめた後に、パチンとウィンクをして、その場から消えた。
「よー、起きたんだな」
 馴れ馴れしく近づいてくる左近に、彼がこれまで接したことのないタイプだったゆらぎは身体を固まらせる。
 白い髪と桜色の目。けれど面立ちは右近とよく似ているし、痩せ型であるところも同様だ。色だけが違うだけで、あとは殆ど一緒であることに違和感がある。人間のクローンは違法であるが、ペティノスの一件を黙っていたこれまでのことがあるからか、ゆらぎはその説を捨てきれないでいた。
「獅子夜ゆらぎ、だっけ? お前すげーな、ダイブ直後だったんだろ? それであそこまで乱戦に対応できるなんて、本当天才だな。なぁなぁ、オペレート中の景色どこまで見えたんだ?」
 ゆらぎの肩を組み、矢継ぎ早に繰り出される左近からの質問。それらに答えるだけの度胸もなく、ゆらぎは視線をきょときょとと不自然なほどに、あちらこちらに向けた。
 その様子が、あまりにも哀れに思われたのか。右近から助けが入る。
「左近、獅子夜くんが怯えている。一旦、離れろ」
「えー、親睦だよ、親睦。右近だけでなく、オレとも仲良くなろうよ、獅子夜くーん」
「だから、獅子夜くんは、まだ俺たちのことを知らないんだ。お前だけでなくて、俺のことも、この場所のことも」
 そこまで言われて、左近の動きがピタリと止まった。
「え? マジ?」
「大マジ」
 確かめるように、か細い声で左近が問いかければ、重々しく右近は頷く。その答えに、左近はゆっくりとゆらぎの肩から手を引いた。
「……自己紹介も、もしかしてまだ?」
 とんでもない相手をみる、怯えるような左近からの問いかけに、ゆらぎは無言で頷く。その様子で現状を客観的に見た左近は、右近に近づくと、彼の頭を叩いた。
「この大馬鹿野郎が! 完っ全に誘拐犯じゃねーか!」
 そのまま右近の頭を床に押し付けようとする。が、右近は右近でそれに抵抗しているようだ。十数秒の攻防だったが、右近が左近の脛を蹴り飛ばしたことで決着がついた。
 床にうずくまる左近を放っておいて、右近がゆらぎに近づく。そして、ゆっくりとした丁寧な口調で自己紹介を始めた。
「今更ではありますが、自己紹介を。俺は神楽右近(からき うこん)。君を連れ去った張本人であり、あの青のイカロス、つまりナンバーズ五番のパイロットです」
 そこまで一息に告げて、右近はぎこちなく握手を求めてくる。ゆらぎもまた、ぎこちなく握手を返した。互いにその手は冷たい。
 続けて右近は説明する。
「ここは、俺が住んでいる家で、獅子夜くんがいたのは……君用の部屋のつもりです。本当は新入生は寮に入る規則なのですが、ここはナンバーズ用の宿舎なので、多少融通は効くと思って、連れてきました」
 それと、と続く言葉にゆらぎは首を傾げる。
「そこにいる、俺とよく似た男は神楽左近(からき さこん)。察していると思いますが、あの黒のイカロス、つまりナンバーズ六番のパイロットで、俺の双子の兄弟です」
 ゆらぎは双子という言葉を初めて聞いた。
 地下にいる人類は全員、統一マザーコンピューターによって、ガラスによく似た材質の擬似子宮から生まれる。ランダムに選出された卵子と精子が受精し、擬似子宮に着床。その後十ヶ月ほどかけて生まれ落ちた胎児は、血縁関係にない、統一マザーに選出された二人組の親の元で一定期間育てられるのだ。
 ごく稀に、何らかの事情で兄弟姉妹の関係になる子供たちがいるらしいとは、ゆらぎもクーニャで聞いているが、双子の兄弟はどういう意味なのかと戸惑う。
「どーも、神楽左近デス。この大馬鹿野郎とは双子デス。双子なのを後悔してマス」
 先程まで床にうずくまっていた左近は、恨めしげな声で、右近の背後をとる。ぎりぎりと首元に腕を回し、大馬鹿野郎の評価に反抗する右近を押さえつけた左近。両者の表情はまるで違っていたが、それでもそっくりに近かった。
「あの……双子ってなんですか? クローンとは違うんですか」
 ゆらぎの質問に、気がついたらまた一戦交えようとしていた二人は、動きを止める。
「あー、そっか。そうだよな、普通は双子なんて見ないだろうしな」
「俺だってここに来るまで、左近の存在を知りませんでしたからね。もしかしたら、双子は別の環境で会わないように設定されているのかもしれません」
「可能性あるよなぁ……たまたまオレたちがここにいるっていう、滅多にないというか、とんでもない偶然があったから、話が広がってここ最近は双子の説明をする必要がなかったんだもんな」
 そこまで互いに確認し合ってから、右近から説明が入る。
「ええっと俺と左近は、全く同一の受精卵から発生してます。とある受精卵が二つに別れたのち、別の人間になっていったのが双子、というわけです。統一マザーへ情報の確認をしましたが、俺と左近は二つに別れた後に、そのまま同じ擬似子宮で成長を続けます。その後、健康状態に不備はなく、無事に生まれ、全く違う親の元で育てられました。説明した通り、同一の受精卵なので同一の遺伝情報を持っていますから、結果瓜二つの人間となるわけです」
「え、でも髪色も目の色も違いますが」
 ゆらぎの疑問に、カラリとした笑顔で左近が答える。
「それは、オレが脱色してカラコン使ってるだけ。元々は右近と同じ色合いだったんだ。オレも右近の存在を知ったのは、この『都市ファロス』に来てからで、お互いあまりにもよく似ているもんでな。周囲が間違えて間違えて、すっげー面倒になったから、じゃあカラーリング変えちまえって。その結果これよ」
「双子といえど、別の人間ですからね。進路適正には性格も含まれますが、まさか双子が揃ってイカロスのパイロットになるとは思わなかったのでしょう」
「さすがに、めろり教官や他のAIは間違えなかったから良かったといえば、良かったけど」
「替え玉試験はできなかったですけどね」
「そこは惜しかった」
 うんうんと腕を組み合って頷く動きがシンクロしていることに、これが双子なのかぁ、とゆらぎは妙な感想を抱く。そして、二人がゆらぎを見つめているのに気づくと、今度は自分の番なのだと悟った。
「えっと、獅子夜ゆらぎです。クーニャのエリア6出身……というか、今回の卒業はエリア6の番なので、ご存知かと思います。兄弟はいなくて、両親と暮らしていました。あとは……その、特には」
 他に何か言うことはあったかと空回りする思考の中、「よろしくな!」と左近が肩を組んでくる。おずおずとゆらぎは「よろしく……お願いします」と二人に改めて挨拶の言葉を告げる。
「ええ、よろしくお願いします」
 ようやく家主であり、正体不明の相棒である右近の表情が和らいだのを見たためか、ゆらぎの体から力が抜ける。
 その瞬間、盛大な腹の虫の音が鳴った。
「……」
「……」
 音の出どころを確認する双子に対し、ゆらぎは顔を真っ赤にさせながらも俯く。
「食事にしましょうか」
「そうだな」
「あの……本当にすみません」
 右近と左近の「気にするな」の言葉が重なった。
 こっちです、という右近の案内で、ゆらぎはリビングへと案内される。彼の一人暮らしというには、テーブルやソファなどは広々と置かれていた。
 ゆらぎは案内されたダイニングテーブルとその椅子に座る。
「エイト・エイト」
 右近の呼びかけにAIが再び姿を表す。今度はエプロンを身につけたホログラムで、完全に主人の用件を把握しているようだった。
「はいはーい、夜食だね。獅子夜くんだけでなくて、右近と左近も食べるかい?」
「ええ」
「お、エイト・エイトの夜食だ。やった、ラッキー」
 じゃあ、少し待っててねー、とキッチンの方へ向かうAIと、その様子になんの疑問も抱かない双子の様子に、ゆらぎは一拍だけツッコミが遅れた。
「え、いや、AIのホログラムって料理できませんよね!?」
「エイト・エイトは起動してから長いもので……ああ言った小芝居をよくするんですよ」
 ゆらぎの言葉に、あっさりと右近は返す。が、そんな理由で彼が納得するわけもなく、苦笑いを浮かべた左近が補足する。
「いや、起動してから長いって理由だけじゃないよ。ほぼ同時期に支給されてるオレのAIに料理頼んでも、温めた料理プレートをテーブルに置かれるだけだぜ。……まぁたぶんだけど、当初この家住んでたオレ含めた連中の世話している内に、ああいう小芝居というか、親みたいな対応し始めたんじゃないかな。料理の好き嫌いが全員極端だったし、いちいち対応するのも面倒な連中だったしな」
 懐かしい風景だと言わんばかりの左近の表情に、ゆらぎは困惑を隠せない。
「左近さんも、この家に住んでたんですか?」
「そう。二、三年前に出てったけどな。それでもエイト・エイトの料理はうまいし、たまに食べに来てるぜ」
「たかりにきているの間違いでは?」
「いいじゃんか。右近がちゃんとメシ食ってるかどうかの、確認も兼ねてるんだし」
 どうも彼の言葉通りならば、この家には複数人の人間が住んでいたようだ。この広さや部屋数も納得できる。しかし、どうみても今は隣にいる右近だけが住んでいる状況。なんとなく違和感がゆらぎを襲ったが、空腹を刺激するいい匂いが立ち込める。
 ぐぅと再びゆらぎの腹が鳴った。
「今もっていくから、獅子夜くん待っててね!」
 軽快な言葉と鼻歌交じりで登場したエイト・エイト。彼の周囲には、物理ハンドで運ばれている三つの器があった。
「空腹限界の獅子夜くん用、ごろごろ野菜のスープです。ブイヤベースは、この間調べた改良型を合成してみたよ」
 どうぞ、とテーブルの上に並べられた器の中身は、ゆらぎがこれまで見たこともない色と形をしたスープだった。香りもまた、見た目以上に食欲をそ���る。
「うまそー」
「ああ、そうだな」
 先輩二人がエイト・エイトに一言礼を告げて、スプーンで口にする。その二人の嬉しそうな顔に、ゆらぎはいてもたってもいられずに、スプーンを掴んで食べ始めた。
 一口で止められずに、二口、三口とかき込むように、野菜を運び込む。あつあつのスープに、舌がやけどしかけたりもしたが、それでも水を飲んで冷ますと、また次を食べ始める。
 がつがつと食べるゆらぎを見て、エイト・エイトは満足そうな顔をした。
「いいねー、こんなに勢いよく食べてくれる子がいてくれると、お兄さん嬉しいなぁ。見てておいしいってのがわかるのは、本当にありがたいよね」
 にこにことするAIに対し、何か後ろめたいこともあるのか、双子たちは黙って食べ続ける。それなりに好き嫌いがあった彼らは、それはもう数多くのわがままを、AIに対してぶつけていたのを後輩には悟らせないようにしよう、と無言のまま誓い合った。
「ああ、そうそう。ユタカ司令官から、明日の十時に司令室に来るよう連絡があったよ。獅子夜くんも連れてくるように、だって」
 三人が三人とも食事を終えた頃に、エイト・エイトが右近に告げる。その内容に、家主は嫌な顔を浮かべた。
「もう少し遅い時間にはできないのか?」
「だめだめ、さすがに今回の一件は早めに説明した方がいいよ。獅子夜くんだって、これ以上蚊帳の外に放置すべきじゃないし」
「……」
「右近が恐れるものは、AIのオレでも分かるさ。でも、彼はスバルとは違う。彼をスバルと同一視しないって、前に約束したよな?」
「……ああ」
 すまない、と口に出した右近にエイト・エイトは満足そうに笑った。
 その様子を横から見ていた左近は、からかい混じりに「司令官はめちゃくちゃ怒ってたぞー。あ、でも夢見博士は普段通りで、むしろ直接搭乗の件ですっげぇ興奮してたな」と、ここにくる前の光景を告げてくる。
「憂鬱だがしょうがない。獅子夜くん、明日はファロス機関の本部に……獅子夜くん?」
 これまで何も尋ねてこなかったゆらぎを不審に思った右近は、彼の名を呼ぶ。が、それに対しても返事はない。
「あ、これ寝ちゃってるな」
 隣にいた左近が、うつ伏せになっていたゆらぎの肩を揺らして、その顔を確認したところ、大変健やかな寝顔を晒していた。
「まぁ、空腹も解消しましたし」
「疲れてるだろうしなぁ……部屋まで運ぶの手伝うぞ、右近」
「ああ、助かる」
 今日はオレもこのままこっちに泊まるかなと零す左近は、ふとした疑問を右近にぶつけた。
「どこの部屋だ? もしかしてオレが寝泊まりしてたあの部屋?」
 客間に改造されていたのは知っているが、だがこれでは寝泊まりできないかも、と彼が思った矢先に、右近から静かに答えが返される。
「……スバルの部屋だったところだ」
 その説明に、一拍だけ左近は動きを止めた。
「……そっか。うん、そうだよな。あそこは、もう誰も使わない部屋だもんな」
 むりやり自分を納得させるかのような口調の彼に対し、話はもう終わりだと言わんばかりに双子の兄弟は指示を出す。
「左近は、獅子夜くんの足元を持ってくれ。俺は頭側を運ぶ」
「りょーかい、了解っと」
 三人を見守っていたエイト・エイトは、静かにその場から消えた。
***
 都市ファロスは、中央に街で一番長い塔があることが特徴である。その塔こそが、対ペティノスに特化したファロス機関の本部であり、その塔からイカロスたちが発射される。
 塔の周囲ほど街は発展しており、主要な役所、対ペティノスの防衛学校、さらにはペティノス研究や医療機関も集中していた。
 逆に街の外側へ向かうほど、植物園や食肉の合成工場、あるいは交通網が可視化されており、隠されているが街の防御に関連した施設も多数ある。
 人々は、そういった施設の合間合間に住居を作っていた。
「というのが、大まかな都市ファロスの構造となります。移動は基本徒歩と自動通路。あのチューブみたいなのは……自動車の一種です。あんまり俺は使わないのですが、知り合いのパイロットの中には、あれのマニアも何人かいますね」
 右近からの説明に対し、ゆらぎは「はぁ」と気の抜けた返事しかできなかった。何もかもが地下都市クーニャとは違いすぎて、驚くのも飽きてしまったほどだ。
「で、今からこの塔に登るわけですが、ここはさすがにセキュリティが強固ですので、獅子夜くんは俺から離れないように。ナンバーズ権限で、一緒に司令室まで向かいますから」
「は、はい」
 右近が指差す先にそびえるクリスタルのように輝く塔。下の方へはより広がっていて、細長いラッパを置いたような形だとゆらぎは思った。
 入り口と思われる場所は無人で、誰もいない。エントランスとも言えない場所に右近は立ち止まる。その横にゆらぎが並ぶと、入り口が一瞬にして閉じ、光が途切れる。完全な闇にたじろぐ彼だったが、すぐに二人の前にホログラムが現れた。
「……ペンギン?」
 どういうわけか現れたのは、アデリーペンギンだった。いつだったか祐介がおもしろいと持ってきた映像にあった姿のままだ。
 何故と首を傾げるゆらぎに対し、隣の男に驚いた様子はない。
ーーご用件はなんでしょうか?
 ペンギンから女性の声がした。合成音特有の、ぶつ切りにされた音に、これまでのAIたちとは違い随分と雑な印象を抱く。ペンギンのくちばしすら動いていない。
「ユタカ司令官への面会を予定している、神楽右近だ。同席者として獅子夜ゆらぎもいる」
ーー音声照合実施。声門に相違なし。ユタカ・マーティンのスケジュールを照会、矛盾なし。未承認の人物がいます。この人物が獅子夜ゆらぎですか?
「ああ」
 右近の右人差し指がゆらぎを指した。
ーー獅子夜ゆらぎを登録します。バッジを提示してください。
 指示された通りにゆらぎは卒業バッジを掲げる。その瞬間、何か光の線が複数彼を通り抜けていった。おそらくなんらかの光学センサーが、彼の中身ごと分析したに違いない。
ーー登録を完了しました。それでは、司令室へと案内します。
 ぴょこん、とペンギンが跳ねて背を向けたかと思えば、一瞬にして暗闇が消えた。
「うわっ、すごい……」
 全面がガラス張りの箱のような部屋が、塔の中を上昇していく。何かしら特別な作りなのだろう。都市ファロスが眼下に広がる。
「それなりに機密の多い建物ですから……都市の景観が見られる代わりに、この塔でどれだけの人間とAIが働いているのか一切わからないようになっているんです」
 そんな右近の説明を話半分で聞き流しながら、広がる街と覆う空を眺め続けるゆらぎ。彼の様子に、右近はこれ以上の説明は野暮かと思い口を閉じた。
ーー司令室に到着します。
 先程の女性の声が響く。再度ペンギンが跳ねて、二人の方を見た。バイバイとジャ��チャーのために羽をばたつかせたペンギンが、その場から消える。その直後に見えない扉が横に開き、広い部屋に出た。
 大きな窓が都市ファロスを映し出す。その窓の前に置かれた重厚な執務机には、いくつかの画面が浮かび上がっている。全体的に品のいい家具で揃えられた部屋だった。
 その中央に、男が立っていた。身長はゆらぎや右近よりも高い。一眼でわかるほどに、鍛えられた体躯だ。
「待っていたよ、神楽右近君。そして初めまして、獅子夜ゆらぎ君。ファロス機関の歯車の一つ、ユタカ・マーティンだ」
 友好的な挨拶、浮かべる笑みは柔らかい。けれど、顔や手に刻まれた皺も、白髪に染まった頭も、血のように赤く鋭い目も、全てが年老いた狡猾な重鎮である彼を構成する圧となる。
「今回、君たちを呼び出したのはただ一つの理由からだ。神楽右近君。私は君に尋ねよう。何故、何も知らない新人に直接搭乗などという暴挙をさせたのか」
 その言葉でようやくゆらぎは、目の前にいる男が非常に強い敵意を持っているのだと気付いた。
 右近が挑発的な眼差しを添えて、質問に答える。
「俺のオペレーターを迎えに行っただけです。あのままでは、まず間違いなく今回の新人は犠牲となった。大多数の命を救うために、強行しました」
 その迷いない答えに、ユタカは冷笑を浮かべた。
「そのために、直接搭乗のリスクも説明せずに、たった一人の新人を犠牲にすると? 確かに、事前情報で獅子夜君のオペレーター適正が高いことは事実だ。だが、直接搭乗はオペレーターに過度の負担がかかる。まして、基礎情報を直接的に脳内にインプットする『ダイブ』直後に、乱戦を行うことがどれだけの負担になるのか、長くイカロスに乗っている右近君が知らぬわけではあるまい」
 何も知らないゆらぎにも、どのような事態だったのか分かるよう、ユタカが淡々と丁寧に説明を交えて問いかけていく。昨晩あれほど左近が怒っていたのも、この説明を聞けば頷けるものだっただけに、ゆらぎは顔をこわばらせた。
 少年のその様子で、ユタカはパチンと指を鳴らした。途端に室内が暗くなる。
「どうも君は、獅子夜君に説明していないことが多いようだ。改めて、ペティノスやイカロス、そして現在の戦況について説明しよう」
 ふわり、と天井から三つのホログラムが降りてきた。
 一つはペティノス。
 一つはイカロス。
 最後の一つは、地球だ。
「約百五十年前に飛来したペティノスの正体は、現状分かっていない。彼らの形状も実に様々で、飛来した直後は絶滅した動物を模したものが多かったそうだ。が、近年ではその姿に統一性も法則性もない。ただ、小型なものは素早く、大型なものはパワー重視の戦略をとることは共通している」
 ペティノスのホログラムが複数に分かれ、さらに形状が数秒ごとに変化していく。
「ペティノスが攻撃するのは、人類に限られる。数が大変少ないが、その他の動植物に対しての攻撃は、人間を狙うために巻き込むこと以外はないと断言していいレベルだ。つまり、あれらの狙いは人類の滅亡である」
 ここまでいいかね、とユタカからの問いかけに、ゆらぎは無言で頷いた。
「ペティノスへの有効な攻撃方法は、必ず存在する人の顔を砕くことだ。砕く、と表現したが、それは銃撃でも切断でも構わない。ただ、顔を破壊しなければ、あれらは再生を続ける。
 そして、その攻撃手段として開発されたのが、イカロスと呼ばれる機体だ」
 ペティノスのホログラムと対峙するように、イカロスのホログラムが横に並ぶ。しかし、その形状はどこか弱々しく、ただの骨格標本と表現してもいいほどに細かった。
「イカロスは素体と呼ばれるものを基本とし、その周囲の装甲と武器をパイロットやオペレーターの得意とする戦法によりカスタマイズしている。獅子夜君が昨日、搭乗したあの青のイカロスは、乱戦を得意とする機体であり、背に羽のような銃を身につけた形状だ。似たような戦法をとる、黒のイカロスは腕を六本つけてのガンマナイフを用いた超接近戦での乱戦を得意とする。同じ銃を使う赤のイカロスは、長距離戦でのスナイパーのような戦法を。白のイカロスは、剣と銃を使い分ける中距離型だ」
 ユタカの説明により、イカロスのホログラムが複数の姿へと変化していく。そこに映るのは、確かにゆらぎが見たあのイカロスたちだった。
「さて、そのイカロスだが、操作にはパイロットとオペレーターという二人の人間が必要となっている。パイロットはその名の通り、機体そのものの操作を行なっており、オペレーターは簡単に言うとレーダーだ。ありとあらゆる信号をキャッチし、あらゆる方向からの攻撃の察知および計算による敵の動きを予知レベルで推測していく。このオペレーターの成���手は非常に少ないのだが、理由は脳負荷が挙げられている」
 そこでホログラムが一旦消え、どこかの映像が流れ始めた。そこには、ボサボサな髪を乱雑に結いあげた、白衣姿の女性が映し出されていた。
「今、写っているのは夢見・リー博士だ。ペティノス研究の第一人者であり、またオペレーター適正に対して脳科学分野からの研究もしている」
 画像の中の夢見博士は、気怠げな口調で論文を読み上げる。
『つまり、オペレーターたちはありとあらゆる刺激を元に、自身の脳内に仮想領域を形成しているのです。AIならともかく、常に仮想領域を展開し続け、現実と仮想の二重の視界の中で戦闘をすることは、多大な負荷となっています。
 ここで掲示しているのは、イカロスで取得できる情報量を徐々に拡大していったときの、オペレーターたちのストレス値の上昇具合をグラフ化したものです。
 見れば分かると思いますが、一定の法則性があります。
 そして、オペレーターを続けられる限界点の存在も見えてきました。これまでストレス値への耐性や、仮想領域の形成精度には個人差がありましたが、このグラフを用いればより適正な人材の判別および、長期的なオペレートの限界点の早期発見が可能でしょう。今後の進路適正試験において、これらの情報を元にしたオペレーター適正試験も導入すべきことが分かります』
 そこで、ぶつりと映像が消えた。ついで、イカロスと地球のホログラムが再び現れる。
「これらのストレス値を軽減するために、導入されたのが間接搭乗という手法だ。二重の視界をなくし、より精密なオペレートを可能とした手法で、オペレーター病とも言われた頭痛・視力低下・記憶障害および色覚異常がなくなった。それを……」
 そこで、再びユタカは右近へ視線を向ける。
「右近君は、利己的な理由で、一人の人間を使い潰すつもりか」
 ぎらりとユタカの赤い目が右近を睨みつける。だが、右近もまた譲れない部分があったようで、負けじと言い返した。
「使い潰すなんて、そんなひどいことはしません。確かに直接搭乗にはデメリットも多い。が、メリットだってあります。それに、機体の性能向上によりAIとの連携も進み、オペレーターの負担は減りました。最後の空中楼閣撃破を狙うのならば、タイムロスの存在しない直接搭乗を行うべきです」
 突如新しい単語が出たことで、ゆらぎは「あの、」と緊張した面持ちで手を上げる。ユタカは彼の疑問を察して、地球のホログラムを指さした。
「……確かに、右近君の言うことも、もっともな部分がある。だが、私は三十年前の大敗を知っている身だ。安易に、その意見を呑めない事情がある」
 彼は、地球のホログラムのとある一点を指さした。その一点が拡大され、一つの奇妙な浮島が現れる。浮島は東洋のどこかの建築物を核として、その周囲に木々が生えている、なんとも奇妙なものだった。
 これは……とユタカは説明を始める。
「空中楼閣と名付けられた、高度二十キロ地点に浮かぶ、ペティノスの拠点だ。この拠点周囲での時空転移により、ペティノスは現れ、地球に襲来する。……三十年以上も前に、地球上にこの空中楼閣は五十基ほど存在していた」
 絶望的だったと続くユタカの感想に、ようやく彼の暗い過去が垣間見えた。
「人類の空中楼閣撃破が、初めて為し得たのは三十年前。とある英雄たちにより、その大半が撃破されたが……そこで油断してしまったのだろうな、人類は」
 ずらりと地球上のいたるところにあった空中楼閣の映像は、その撃破の映像であったが、歓喜にも似た雄叫びが流れるのとは対照的に、ユタカの声は淡々としすぎている。
「最後の空中楼閣撃破を目指した人々は、ある英雄の死により任務を失敗。歴史的大敗により多くの同朋が亡くなったが、特にパイロットを庇ったオペレーターたちがその割合を多くしていた」
 スッと、司令官の視線が右近とゆらぎの間を通り抜けた。まるで、誰かが彼らの間に立っているかのように、視線が固定される。
「……同じ悲劇を繰り返さないためにも、次の空中楼閣戦において、オペレーターは間接搭乗を行うべきだ。そして間接搭乗によって起きる、目下の問題として地上と高度二十キロ地点での通信ラグについては、多くの技術者と科学者が解決方法を模索している。そう、焦るべきではないんだ」
 それまでの怒りが勝った口ぶりとはうってかわった、ユタカの諭すような口調に、しかし右近は噛み付く。
「ですが、基地本部とのコンマ一秒以下のタイムロスが原因で、あの最後の大敗が起きたと言われています。オペレーターとパイロット間でのタイムロスは、それ以上に命取りなのは自明でしょう。そして、人類に残された時間が想像以上に少ないのは、俺の元オペレーターのスバル・シンクソンが証明しています」
 あいつは、とそれまでにない激情を込めて右近は言葉にする。
「間接搭乗をしていたスバルは、それでも原因不明の病に倒れました。最期まで何の解決策もなく、薬も意味を成さず、原因すら不明で、この世を去ったんです。そして、スバルのような最期を迎える人間は、年々多くなっています。今は、確かにペティノスに滅ぼされていないけれど、いずれ時間が過ぎれば過ぎるほどペティノスに抵抗する力さえ失って、滅びるのは事実です」
 右近の言い分で、ようやくゆらぎは、あの広々とした家の隙間を誰が開けたのか理解した。一緒に住むほどに、彼らは仲が良かったのだろう。そして、いなくなった後そこから引っ越しすることもできないほどに、未練を残す最期を迎えたのも察せられた。
 その痛みをゆらぎは感じ取った。ユタカもまた、感じてはいる。いるのだが、頷けない。
「……これは、私だけの意見ではない。同じく、三十年前にオペレーターを亡くした現見さんもまた、直接搭乗には反対している。死の重みは、平等であるべきだ」
 痛々しい吐露に、現見という人物とユタカが、同じ傷を負ったのだと察せられた。それでも、右近はたたみかける。
「現見さんには、俺が言います。俺が説得します。あの人だって、時間がないのは知っているはずです」
「そこまで言うのなら、明日のこの時間に他のナンバーズを召還しよう。そこで、君一人で彼らを説得してみなさい」
 私ができる譲歩はここまでだ、とユタカは告げる。そして、彼はそのままゆらぎの名を呼んだ。
「獅子夜ゆらぎ君」
「……はい」
「君は、本当に直接搭乗でいいのかね? 先程から君の様子を見ていると、何も右近君から教えられていないようだ。先程説明したように、直接搭乗には多くのリスクが存在する。そのリスクを全て了承した上で、君はイカロスに乗るのか?」
 ゆらぎは、どうすればいいのか正直分かっていなかった。
 卒業してから、地上に出てから、ペティノスを見てから、イカロスに乗ってから、目覚めた先の空虚な部屋を見てから、右近の周囲の人間を知ってから……ありとあらゆる場面で、激情とされる何かは顔を見せていた。だが、その感情の正確な名前は分からない。それがどんな意味を持つのかも、彼は知らない。ただ、理解していることは一つ。
「おれは、まだ何一つ分かりません。分からないから、とりあえず右近さんと一緒に、イカロスに乗り続けようと思います」
「……そうか」
 ゆらぎの答えに、満足はしていないユタカだったが、それでも一つの区切りとなったらしい。要件は終わりだと彼は告げて、退室を促す。それに右近は無言で頷き、ゆらぎは丁寧な礼をして去っていった。
 再び、二人は都市ファロスを見下ろす見えない道を辿って帰っていく。その後ろ姿を見送ったユタカは、誰にも聞こえないことをいいことに、独り言を零した。
「きっと、こんな中途半端な私のことを卑怯者だとも言ってくれないんでしょうね、海下先輩と高城先輩は」
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satoshiimamura · 10 months
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序、
 太陽が近かった。近すぎるが故に、光が熱を帯びて機体を容赦なく焼き尽くす光景が広がる。それでも太陽から逃れる選択肢は、��人にはなかった。
 最期に男は笑った。何かを女に言ったようだった。
 最期に女は微笑んだ。何かを男に返したようだった。
 その何かは誰にも伝わることなく、二人が乗った「イカロス」は、もう誰も覚えていない神話の通りに、地に墜ちたのだった。
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第1話「卒(ゆりかご)業」
 約150年前に、宇宙から飛来してきた謎の存在「ペティノス」。そのペティノスは地上を焼き尽くし、そこに住む多くの命を奪った。それまで数多くの戦争をしてきた人類は、共通の敵が現れたことでようやく団結することに成功。そして彼らは、多大な犠牲を払うことでペティノスを撤退させたのだった。
 しかし、そのために払った代償は重度の地上汚染。人類は地上で暮らすことができなくなり、地下への移住を余儀なくされた。
 それが、この地下都市「クーニャ」で教えられた歴史だった。
 獅子夜ゆらぎ(ししや ゆらぎ)は、卒業証書代わりのピンバッジを指で弾きながらも、散々試験で覚えた歴史を思い出す。
 重度の地上汚染を正常化することが、人類の最大の目的だ。常にその人材は足りず、地上に出ることは、すなわちエリートの証でもあった。
「ゆらぎ!」
 これから地上へと向かう、年に1度だけ動かされる直通列車の駅のホームで、ゆらぎを呼ぶ声が響く。声がした方に顔を向ければ、そこにいたのはダボついた男ものの服を着た、目つきの悪い女がいた。彼女の胸元にも、ゆらぎと同じピンバッジが輝いていた。
「佑介、来てくれたのか」
 ゆらぎが女の名前を呼ぶ。
 乾佑介(いぬい ゆうすけ)。彼女ーーと表記するのは、本当は間違っている。彼は男の自覚があるし、本当は男の体になるべきだった。けれど、厄介な体質だったために、本来の性にする手術が受けられなかったのだーーは、ニカッと笑ってゆらぎの肩をバシバシと大袈裟に叩いた。
「あったりまえだろ。地上進路の中でも、エリート中のエリートコースに進む親友を見送らずにいられるか」
「佑介だって、地上に出る進路だろ。地上汚染の浄化は、大切な仕事だし、おじさんやおばさんも佑介の進路に喜んでたじゃないか」
「町で唯一の航空部隊に選ばれたお前に言われても、嫌味にしか聞こえねーって。……うん、でもお前に嫌味の自覚ねーし、そういうやつだもんな。なんだよ、あの進路適正結果。ほとんどの職種で最高ランク叩き出してんじゃねーか」
「おれの両親、喜ぶよりも先に絶句してたなぁ」
「気持ちはわかる」
 うんうんと頷く佑介の姿に、ゆらぎは「おれは、そんなすごいやつじゃない」と言い返す。
「何寝ぼけたこと言ってんだ。お前はすごいんだよ! 俺の体質聞いても驚かなかったし、俺のこと男としてちゃんと扱ってくれたし。お前は、本当にすごいやつだ」
 続けて「まぁ実際は神経が図太いか、感性が死んでるのかもしれねーけど」と茶化すように佑介が口にすれば、「何だと」とゆらぎは大袈裟に腕を振り上げる。そのやりとりは、子犬同士がじゃれているようなものだった。
 その時、列車到着のアナウンスがホームに流れる。
「アナウンスが流れたな。俺も自分のに乗らなきゃ」
「もう、そんな時間か」
 そこで2人はお互いに少し照れ臭そうな表情を浮かべて、硬く握手を交わした。
「俺さ、お前と親友でよかったよ。航空部隊での活躍、楽しみにしてるぜ」
「おれだって、佑介と親友でよかったさ。お互いに違うコロニーだけど、頑張ろうな」
 じゃあな、と互いに互いへ激励を向けて、ゆらぎと佑介は別れる。そのままゆらぎは、やってきた列車に身一つで乗った。
 出発した列車内にいたのは、ゆらぎと同じく航空部隊への入隊が決まっている面々だった。誰もが緊張した面持ちで指定された席に座っている。出発する駅のホームには、誰もいない。誰も彼らを見送らない。それが不自然であるとは、誰も思わなかった。
 クーニャを出るときは独りで、卒業のピンバッジ以外は何も持たずに。それが常識だ。その常識に逆らって、佑介と最後の挨拶ができたのは、ゆらぎにとって幸いだった。
 地下から地上へ向かう列車の中は、緊張をほぐすような音楽が流れている。そうして、地上到着までのカウントダウンが座席の裏側に取り付けられた、列車内モニターに映し出されていた。
 隣り合う人間が、小声で挨拶や自己紹介をしている。時には知り合いや同郷の者もいたようで、歓声にも似た音が届いたりした。
 ゆらぎは、誰かと挨拶することなく列車の窓から外を眺める。
 真っ黒な暗闇が続くそこは様相を変えず、窓ガラスの反射で列車内を写すだけだった。
 どれほどの時刻が過ぎたのか、モニターのカウントが五分を切ったところで、誰もがそわそわとしてきた。そして音楽は途切れ、列車の駆動音ばかりが耳にまとわりつく。
 カウントが一分を切った。三十秒、十秒、カウントダウンが始まる。そして、ゼロとなったとき、窓から差し込んだのは、青色だった。
 誰もが視線を窓に向ける。遥か上からゆらめく青色と、地平線とは違う果てまで続く瓦礫の山々。そして、かろうじて視認できる巨大な生物が宙を浮いている。
「これは……海、というやつなんだろうか」
「海の中ってことか?」
 図書館に保存された記録映像で、海を見ていた面々が呟く。その言葉が広がり、誰もが海の中を走っているのだ、と知った矢先に、モニターから随分と場違いな音楽が流れ始めた。
 ポップで軽快な音楽と、キラキラとしたピンクに画面が染まる。そして映し出されたのは、鮮やかなピンクの長い髪をツインテールにし、同じくどぎつい紫の垂れ目を際立たせるようなメイクをした少女だった。
「はぁーい、みなさーん。ちゅ・う・も・くぅ」
 可愛らしい声で、可愛いと自分が分かっている人間の動作をした彼女は、ふりふりのレースをあしらったのブラウスから短いスカートを翻すまでをカメラに写し、ビシッと決めポーズをした。
「はっじめましてぇ、めろり・ハートだよん。めろりちゃん、て呼んでねぇ」
 甘ったるい声で、自己紹介を始める彼女に誰もが呆然とする。
「まずは、クーニャからの卒業おめでとうございまーす。これで、みんな晴れて一人前となりました」
 おめでとう、おめでとう、イエーイ、とテンションを高くして、拍手音とともに、めろりは飛び跳ねる。彼女が映るモニター内で、幾つものクラッカーが鳴り響き、突如現れたくす玉が割れて花吹雪が舞い散った。が、落ち着いためろり・ハートがパチンと指を鳴らしたところで、それらは一斉に消えた。どうも彼女の周囲は全てバーチャルで構成されており、おそらく彼女もまたアバターなのだろう。これまでゆらぎが見てきた中で、随分と人間らしく、現実と遜色のないほどに高性能な動きであったが。
「それじゃあ、一人前になった君たちに、この世界の真実を教えたいと思います」
 甘い声は、毒を含んでいるにも関わらず心地よい。そのまま耳障りな言葉を流しそうになったが、それもできないほどの事実が彼女の口から溢れ出る。
「150年前に人類は、ペティノスを撃退したと教えられたと思いますが、それは真っ赤な嘘でーす。今も、人類はペティノスと戦争状態なのです」
 そして、とニンマリ笑っためろりは、さらに爆弾発言を続ける。
「航空部隊に選ばれたみんなは、このペティノス戦での重要な戦力です。つまり、人類存続のために戦争に参加してもらうことになります」
 ざわりと、車内でどよめきがあがった。
「ペティノスの目的は人類滅亡。敵も人類が地下深くへ潜っていることは把握済み。なので、年に1度戦力である人間が補給されるこの列車は、敵にとっても重要な殲滅対象なんだよね。まあ、だからこそ君たちを囮にして、他のコロニーに向かう子たちを安全に輸送できるんだけど!」
 きゃらきゃらと何がおかしいのか笑い続ける彼女に、誰もが蒼白な顔で言葉を紡げないでいた。
「さぁ、世界の真実はここまでにして、これから海面を走るよ。そしたら、ペティノスからの攻撃でこの列車も大分揺れるから、しっかり目の前にある手すりに掴まってね!」
 そこまでの説明で、薄暗い青に染まっていた車内が一気に光で満ちた。誰もが眩しさで目を閉じるが、数秒後には爆発音が届き始める。
 ゆらぎは薄く目を開けて、窓から外を確認した。そして、窓の外から見える青々とした快晴の中、これまで見たことのない何かが無数に浮いていることに気付いた。
 それらの形を何と表現すればいいのか。人型に近いものから、四つ足の動物染みたもの、節足動物のような多量の足を器用に動かしているもの、どちらかといえば球体に鳥の羽を突き刺したようなもの......と、形だけでも様々だ。ただ全てに共通しているのは、太陽光を爛々と反射する金属光沢に覆われた身、無機質で何の感情も浮かべていない面のような人間の顔、そして毒々しい緑から赤にかけて彩る蛍光色の光が絶え間なく行き来する管だった。
 それらは真っすぐにゆらぎたちが乗る列車へ、群れをなしてやって来る。
 一体が光弾を発射した。幸いにも列車には当たらなかったが、海面に派手な水柱が噴き上がる。空気を伝ってやってきた振動が列車を揺らした。あれが当たったら命がないのは、一目瞭然であった。それを理解した途端に、先程めろりが言った重要な殲滅対象の意味が腑に落ちる。びっしょりと背中に冷や汗が流れ始めた。
 続けて、複数の個体から光弾が放たれる。揺れが断続的に彼らを襲った。
「はぁい、今窓側にいる人は確認出来ると思いますがぁ、あれがペティノスでーす」
 再び、場違いに明るい少女の言葉が車内に響いた。
「ここからは、みんなはとにかく手すりに掴まって、怪我をしないようにしてくださーい。でないと命の保証ができないんで」
 ゆ���ぎの隣に座っていた少女が、ヒッと短い悲鳴をあげた。その向こうにいる少年は真っ青な顔で、座席に取り付けられた手すりを握り込んでいる。彼の手は血の気が失せるほどに力が込められており、かすかに震えていた。車内にいる誰も彼もが似たような状態だった。パニックは起こしていないが、それは現状を飲み込みきれていないからだ。
 それらをモニター越しで確認しているのか、彼女は可愛らしく人差し指を唇にあてて、小首を傾げる。
「あれあれ、もしかして怖いのかなぁ? だったら少しは安心できるお話もしよっか。ペティノスの殲滅は、みんなの先輩たちがするからね!」
 めろりの説明と同時進行で、ペティノスとは違う何かが高音と共に近づいてきた。
 それらはペティノスとは違うものだった。人型だがペティノスとは違い、随分と大きい。黒や白、赤といった特徴的な色に染まった機体は、肩の部分にブレードや巨大な主砲を背負い、ジェットを用いて空を飛び続ける。三体の人型の機器は、そのまま列車の真上やってくると、並走し始めた。
「みんなの上空にいるのが、対ペティノス戦においての重要な兵器、機体「イカロス」でーす。今回は、ナンバーズの七番、六番、四番が来てくれたようですねぇ」
 パッとモニターに映る映像が変わった。右下にめろりが写り続けているが、背景になっているのはイカロスと呼ばれた機体だ。どうも、列車の外にカメラがあるらしい。その三体は、互いに何かをやりとりしたのか、一体を除いてペティノスの群れに突撃し始めた。
 列車と並走しているイカロスの機体の色は、赤い。それは、肩に担いだ銃のようなものを構えると、三発の光弾を放った。光弾は、群れに向かっていくイカロスたちへ近づいていたペティノスたちを貫いていく。遠距離型のようであった。列車に当たりそうになった、ペティノスたちの攻撃すら、その射撃で弾道を反らしていく。
 対し、二体のイカロスの機体の色は黒と白。黒は複数のブレードを持って、ペティノスが密集している場所に突っ込んでは、敵を切り刻み、屠り続けている。白もブレードを持っているがその数は一本しかなく、どちらかといえば黒の機体の援護をしているようだった。
「あれが、イカロス」
 ゆらぎは、呆然としながらも呟いた。いつの間にか、恐怖で震えるだけだった面々に安堵が広がっている。
「安心したかな? じゃあ、そろそろ陸地に着くから……ここからが本番だよ?」
 めろりの声色が一気に真面目なものに変わった。
 誰かが窓に顔を貼り付けて「陸だ!」と叫ぶ。数秒後には、外の風景が乾燥した大地に変化した。先程までの比ではないほどに、車内が揺れる。悲鳴がいくつか上がり、誰もが手すりどころではなく、座席にしがみついた。
「海上戦は前哨戦。みんなを守り続けながらのファロス機関本部への移送が最上級任務。けれど、あのペティノスたちの群れを拠点まで連れて行ったら大問題。もちろん本部の防衛は、ナンバーズの三番と二番が担っているけれど、それでも間に合わないと判断されたなら、君たちには尊い犠牲になってもらうんだ」
 パッとイカロスたちが映るモニターの左上に、タイマーが現れた。そこに記された時間が、尊い犠牲になるまでのカウントダウンなのは、誰もが理解できる。
「さぁ、祈ろうか。君たちの先輩たちが勝つことを」
 厳かな言い回し、急に真面目な口調になったアバター。ペティノスの群は少しずつ削られてはいる。どうも画面には映っていないが、援護射撃をしているイカロスが増えているようだ。あちらこちら、列車から遠い場所で機体が立ち構えているのが、窓から見える。だが、ペティノスたちも防戦一方ではなく、援護射撃をしているイカロスたちを撃破している。
 明らかに数だけは、イカロスたちが不利であった。
 乗車しているゆらぎたちに祈ること以外は、何もできないでいる。
先程まで騒がしかっためろりも、何も言わずに佇んでいた。いや、イカロスが撃破されるたびに、僅かに顔を顰めている。
 その時、画面が揺れた。
 めろりやイカロスの姿、そしてタイマーすら消えて現れたのは、褐色肌の筋肉質な男だった。琥珀色の目で、愛嬌いっぱいにウィンクをする。
「やぁやぁ、初めまして。ここは自己紹介をすべきところなんだけど、時間がないから省略させてもらうよ。オレが用があるのは、獅子夜ゆらぎくん。いるんだろう? すぐさま先頭車両に来て欲しい」
 突然出た自身の名前に、ゆらぎは動きを止めた。男の視線は、画面越しだというのに、しっかりとゆらぎを見据えている。
「ここの列車を守り切るためだ。誰だって、死にたくはないだろう。なぁ、獅子夜くん」
 逃げるな、という圧を感じ取ったゆらぎはゆっくりと席を立った。その動きで、皆がゆらぎを認識する。しがみついて、道を塞いでいた人々も、ゆっくりとではあるが彼の進む道を開けて行った。
「急げ! 先頭車両の扉は、君のピンバッジをパスとして設定した」
 男の急かす声に乗せられて、ゆらぎは揺れる車内の中を走り出す。
 車両を移動するたびに、誰も彼もがゆらぎを凝視した。
 そして、次が先頭車両になったときに、画面に映る男が消えて、今度は焦った表情を浮かべためろりが戻ってくる。
「獅子夜ゆらぎくん! 君は元の座席に戻りなさい。エイト・エイトの言葉は一旦忘れるんだ。ああ、もう! あいつ完全にセキュリティを改竄して、めろりの権限乗っ取ったな」
 それでも、ゆらぎは止まれなかった。ロックの掛かった先頭車両への扉は、パス読み取りの端末にピンバッジを翳すだけであっさりと開く。
 そこは無人だった。自動制御による運転席に誰かがいるわけがない。ただ全面に広々と嵌められた窓の先に、先程まで見なかったイカロスが飛んでいた。
 そのイカロスの機体の色は青。ゆらぎがまだ見たことのない、けれど地上でとても見たいと願っていた、記録映像だけに残された夜空の色。その機体の背に持つ武器は無数の銃器。
『獅子夜ゆらぎ君、だね?』
 初めてイカロスから人間の声がした。丁寧な言い回し。けれど、どこか焦った声色。ゆらぎは頷く。
『エイト・エイト! 頼んだ』
 その声かけで、先頭車両の天井が開き始めた。止まっていないのだから、風が吹き込み、砂が入ってくる。乾燥した空気の匂いは、ゆらぎがこれまで嗅いだことのないものであった。
 その場で立っているのが精一杯のゆらぎは、抵抗など一切できずに、青色のイカロスによって先頭車両から連れ去られたのだった。
 イカロスと共に空を飛んだのは、おそらく三十秒にも満たない短い時間だった。気がついたら、イカロスの腹部にあった謎の球体の中に押し込められていて、ゆらぎはどこを見ても白い靄が続く謎の空間にいた。
「……ここは」
 その中で、突如衝撃が訪れる。脳内に直接やってきた数多の情報に、ゆらぎは吐き気がする。それは、このイカロスの操縦に関することであり、そしてゆらぎの役割が明確になった瞬間でもあった。
 右手を横に薙ぎ払う。その瞬間、靄は消え去り、イカロスの周囲全てが見渡せた。
「ダイブ直後で、この感度。君は本当に才能がありますね」
 突如ゆらぎの前に男が現れる。さまざまな配線が繋がった座席に座った彼は、色白の痩せ型で、黒髪の合間から除く蜜柑色の目がギラギラと輝いていた。見たことのない服装であったが着崩した印象はなく、だが両手の全ての指に銀色のリングが嵌められていることがちぐはぐな印象を持たせる。
「あなたは」
「時間がないので、話は後。まずはペティノスたちを殲滅させます。エイト・エイト、獅子夜くんのフォローを」
「はいはい、右近の仰せのままに」
 先程の褐色肌の男が、ホログラムとしてゆらぎの背後に現れる。
「さぁ、獅子夜くん。まずは、このイカロスの説明だ。かなり超特急で情報を渡すから、あとはこのお兄さんを手本にして、ペティノスたちを分析するぞ」
 再びやってくる情報の波。だが、先程のものよりも圧倒的にスムーズに覚えていく。そしてエイト・エイトと呼ばれた男が指示した通りの手順で、ペティノスたちを分析し始めた。
 数多のペティノスたちの分析結果、動き、パターンが蓄積されていく。それに伴い、その情報を右近と呼ばれた男に示していけば、どんどんと攻撃軌道が展開されていく。
「行きますよ!」
 と右近は声を挙げて、ペティノスたちの群れに突っ込んでいった。
 無数のペティノスたちは、展開された光線によって貫かれ、撃墜していく。突如現れたイカロスに、敵は動揺している素振りはなく、けれど対応もできずに撃ち落とされていった。
『よーう、右近。お前、オレたちだけじゃ不安に思って、エイト・エイトと一緒に心中でもしにきたの?』
 突如入った通信。その送り主は、最初にペティノスたちの群れの中で暴れていた黒のイカロスからだった。
「そんなわけないだろ。今はオペレーター込みだ」
『えぇー? お前、散々他のオペレーターたちと喧嘩したじゃん。あのルーですら喧嘩になったじゃん。どこの誰よ、新しいお前のオペレーター』
「獅子夜ゆらぎ。たった今、オペレーターになった新人」
『新人!? ちょっと待って、めろり教官の監視は? は、ヤバ』
「無駄口叩いてる場合か?」
 そこまでの言い合いをしながらも、確実にペティノスたちを撃ち落としていく。黒のイカロスもまた同様に、いや、先程よりもより高速になって敵を切り捨てて行った。
 一気にペティノスたちの群が小さくなっていく。が、遠目に巨大な都市も視認できるようになっていた。あれが、対ペティノスの拠点であり、ファロス機関とやらがある場所なのだろう。
「リミットまで残り十分。ナーフさん、一旦離脱して兎成姉妹の援護をお願いします。残りは俺と左近で一掃します。いいな、左近」
『ナーフ・レジオ、了解』
『はいはーい。久しぶりだからって、ミスするなよ? 右近』
「お前こそ、ミスって撃ち落とされるなよ」
 そこまで軽口は続き、通信は途切れる。
「そういうわけです」
「どういうわけですか」
 先程までの悪ガキ感満載のやりとりから、落ち着いた声色に戻った右近に対し、ゆらぎは思わず言い返してしまった。
「左近は超接近型ですので、あいつを核にして、俺たちはペティノスたちの群れをとにかく小さくしていきます。内はあいつに、外は俺たちで」
 それがいつものやり方なんで、と好戦的な笑みを浮かべた右近に、聞く耳はなさそうだと思ったゆらぎは、諦めて弾道計算をしていく。感知できる敵の位置と、黒のイカロスの位置を確認。その過程で、いつの間にか離脱している白のイカロスは赤のイカロスと並んで列車を守るように待機していた。
「さぁ、行きますよ」
 右近の予告と共に、イカロスが一気に動き出す。黒のイカロスもまた、一緒に動き始めた。
 撃って、撃って、撃って、切って、切って、切って、と攻撃をしかけるのと同時に、敵からの攻撃を瞬時に解析し、回避か相殺を狭い空間でし続ける。それらをし続けるだけで、脳への負荷は積み重なり続けるが、同時に快感もあった。
 弾道の予測と攻撃の感知と撃墜の修正を繰り返す。
 撃って、撃って、撃って、測って、調べて、軌道を描き、また撃って、撃って、撃って……敵の数が一体、また一体と減っていき、見るみると群れが小さくなっていく。
「これで最後だ!」
 右近の歓声と共に、最後の一体が撃墜された。
 ゆらぎは列車を確認する。と、ペティノスたちがいなくなったことから他のイカロスたちも撤退しているのか。列車だけが淡々と地上を走り、遠くに見える都市へと吸い込まれるよう消えていった。
「……よかった」
 ほっとした息を吐いたところで、ゆらぎは力を抜き、そしてそのまましゃがみ込み、後ろに倒れ込んでいく。倒れながら見た空は随分と明るく淡い青で、これが夜になるとどうして暗くなるのだろうという細やかな疑問を抱きつつ、彼は瞼を閉じたのだった。
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satoshiimamura · 9 months
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宙のイカロス
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企画名 平行世界のエイドス X @AuOusia
宙のイカロス 本編
第一部 1  卒(ゆりかご)業 2  地(とし)上 3  五(じつりょく)番 4  姉(ななばん)妹 5  英(げんそう)雄 6  悪(はじまり)夢 7  日(かんけい)常 8  研(ふしん)究 9  夜(すばる)闇 10 願(とり)望 11 襲(ついらく)撃 12 記(そら)憶 第二部 1  望(とも)郷 2  人(しゅうえん)類 3  地(わらえ)獄 4  名(かりもの)前 5  審(しゅうちゃく)判 6  真(ていこう)実 7  誕(らくえん)生 8  暴(だいえいゆう)走 9  決(ねがい)着 10 宇(そら)宙
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登場人物 一覧
No.1 海下 涼 高城 綾春 迂音 一 No.2 アレク・リーベルト アンナ・グドリャナ ローゲ No.3 現見 空音 クレイシュ・ピングゥ 金剛 司紀 No.4 ナーフ・レジオ ユエン・リエンツォ フー No.5 神楽 右近 ★獅子夜 ゆらぎ エイト・エイト (スバル・シクソン) No.6 神楽 左近 ルル・シュイナード 瀬谷 雪斗 No.7 兎成 あゆは 梓・A・兎成 テトラ ユタカ・マーティン フィンブル・アダムス 夢見・リー タスカ・スロ めろり・ハート 早瀬 ルナ イナ・イタライ 福良 真宵 乾 祐介
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satoshiimamura · 10 months
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行き先案内
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オリジナル小説
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企画名「蔦絡みの館」 X @tutagara_yakata
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企画名「雨濡れ色のペトル残響」 X @amapetozankyou
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企画名「平行世界のエイドス」 X  @AuOusia
弊世1 宙のイカロス
弊世2 魔霧の城
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企画名「龍と誠葉の契」 
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