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#旧鎌掛小学校
norisunorin · 7 days
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滋賀県日野町 しゃくなげ学校 旧鎌掛小学校
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dtmfree · 4 years
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懐かしさが、湧き上がる学校です。
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kachoushi · 3 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年11月4日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
小六月ぼちぼち仕舞ふ鍬と鎌 由季子 木枯や五分刈り頭分け目つけ さとみ 気にかゝる今日の運勢冬に入る 都 短冊の文字のくづしや一葉の忌 同 兄逝きて里は遠きに冬ざるる 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月6日 零の会 坊城俊樹 選特選句
江戸よりのお香に塗れ菊仏 順子 古井戸を漕ぎて船屋の冬支度 はるか 舟魂の神は留守なる佃島 いづみ 鉄を裁つ音が遠くや小六月 光子 参道は潮へつづき神の旅 同 馬鹿高きビルの月島秋日和 梓渕 菊日和ひなたのまんなかに赤子 光子 秋寂の魑魅魍魎のもんじや焼 炳子 汐風にすだれ名残の佃煮屋 はるか 冬蝶の羽根重たげに船溜り 美智子
岡田順子選 特選句
教会に貼る福音や野ばらの実 和子 離れ里紅葉且つ散り元は海 いづみ 聖ルカの曳く影長し冬近し 眞理子 もんじや屋の電球秋のエレキテル 俊樹 鉄を裁つ音が遠くや小六月 光子 参道は潮へつづき神の旅 同 聖ルカへひと声高く海猫帰る 三郎 江戸風味買ひに佃の冬浅し いづみ 佃煮を売りて一献今年酒 三郎 元漁師ばかりがゐたり報恩講 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
恋しても愛してならぬ木の葉髪 世詩明 神苑の葉擦れの音や神の旅 みす枝 吹かれても土を離れぬ秋の蝶 信子 幾度も糸先舐めて一葉忌 上嶋昭子 見えねども秋を惜しみてゐる鳥語 信子 おそろしき閉館あとの菊人形 上嶋昭子 褒貶は湯気の彼方におでん酒 同 秋天にハングライダーゆつたりと 錦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
浅漬の出るおやつ時祖母の家 美貴 流れゆく綿虫瑠璃を極だたせ 三無 日輪に溶けて綿虫見失ふ 同 そば処まづは浅漬け山盛りに 迪子 浅漬の昆布のぬめりも一菜に 貴薫 大綿の行先未だ定まらず 秋尚 冬あたたかへら鮒釣りの竿の黙 三無 重力を無くし大綿さ迷ひぬ 秋尚 今もなほ冬温かき笠智衆 有有 冬あたたかベンチに鳩の忘れ羽根三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月11日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
窓を打つ音傾ける古簾 雪 菩提樹は枯れ秋潮は音も無く 同 叡山の虚子碑しぐれて古り給ふ 匠 俊樹選なしと来る文そぞろ寒 清女 新米と仏に告げて供へけり 和子 手紙には里の落葉も入れもして 雪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
峠路は叩く雨降る神の留守 あけみ か細くも白さ汚さず菊残る 紀子 白日の耳目を引いて冬の虫 登美子 まだ若き葉もありさうな柿紅葉 紀子 山間の忠霊場に木の実降る 同 干柿を吊るして揺れる風を見る 光子
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………………… 令和3年11月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
来ては去る鳥語の中に笹鳴も 和子 学園祭ネイルの指で大根売る 都 松茸や鉄灸の香に偲ぶ郷 宇太郎 山粧ふ電動椅子の行く田舎 同 渡し場の冬の小石に下駄乾して 悦子 鐘楼に釣鐘は無し帰り花 益恵 橡の実干す山家の縁を鉄に 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
今朝の富士凜とそびえて冬に入る 和代 陽子墓碑ぬくき冬日を肩に乗せ 三無 凩の夜は読みきかすごんぎつね ゆう子 庭を掃く音の乾きや冬に入る 三無 凩や磨き上げたる鍋ふたつ ゆう子 木洩れ日の落葉の音を踏み登る 秋尚 一湾に凩の波せめぎ合ふ 美枝子 凩やくつきり浮かぶ富士の峰 白陶 茶の花や暗き葉影にぽつんと黄 三無 多摩川も富士も一望冬に入る 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
秋天に知床岬盛り上がる 独舟 時雨るゝやかの花街は川向う 晶子 煙突の遺る銭湯冬の月 同 凩の夜の決断のプロポーズ 岬月 蝦夷富士の裾を踏みつけ大根引く 雅春 蝦夷富士のひつくり返る大根引 同 風花や小樽運河に舟一艘 同 (順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月16日 萩花鳥句会
茶の花やコロナの谷間吾娘来たる 祐子 畑で買ふ丹後枝豆宅急便 美恵子 初霜や名も無き草の薄化粧 吉之 庵主逝く嵯峨野路泣くや京しぐれ 健雄 茶の花や母の法要一人して 陽子 冬立つや里の浜辺は波静か ゆかり 野良猫も日向につどひ冬ぬくし 克弘
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令和3年11月16日 伊藤柏翆俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
九頭竜の黙が募らせゐる寒さ かづを 師を偲ぶ三国時雨の中にかな 同 ひとつ付き二つ付いては秋灯る 富子 大根の畝高々と鍬を打つ 真喜栄 越前の七浦繋ぐ野水仙 みす枝 旧仮名の句集読みたる夜長かな 世詩明 高虚子を継ぐ中子忌を修しけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凩の風の縺れは雨が解く 世詩明 面影はしぐれの中に去来せる 和子 木枯しに病棟の樹の揺れ止まず 昭子 木枯しに独りの髪をかき上げつ 同 夫のこと母のこととも時雨るる夜 同 黒猫も散歩してゐし小六月 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
刀傷めける一すぢ蔦紅葉 千種 水音と鳥語に紅葉且つ散りぬ 三無 冬鳥の礫の黒く梢渡る 斉 大玻璃戸腕組む漢冬に入る 亜栄子 移築校舎に金の標章鳥渡る 炳子 盆栽の松へと大いなる落葉 千種 火炎立て三和土を焦がす榾火かな幸風 どの道も櫟落葉やこの径も 亜栄子 行秋や薬舗の壁に由美かおる 月惑 縄文は地下の賑はひ落葉踏む 菟生 鬼ごつこ落葉舞ひ上げ走る鬼 三無
栗林圭魚選 特選句
お醤油の焼ける匂ひのして小春 久 盆栽の松へと大いなる落葉 千種 万葉の歌碑に散りつぐ紅葉かな 芙佐子 菅公の梅に冬芽の尖り立つ 同 防人を恋ふ妻の歌碑積む落葉 眞理子 静寂なるハケの小川の冬桜 文英 梁は漆黒の蔵神の留守 亜栄子 鯉跳ねて十一月の水歪む 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
角取れし男の如く古団扇 雪 虚子の野菊左千夫の野菊いづれとも 同 落葉踏み思索の道となりにけり 上嶋昭子 七五三まうすまうすと祝詞かな 同 今日ばかり御座す神の子七五三 一涓 晩秋や朽ちて横たふ榧巨木 紀代美 冬空に硝子をはめる指物師 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年11月25日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
落葉して見知らぬ空のあるばかり 美穂 天空に続く棚田や神渡 千代 冬薔薇の空の向うは眩しくて かおり 蒼穹に掛けたる稲架やかくれ里 千代 終りなき螺旋階段冬の月 愛 大根積む仏頂面の女かな かおり テーブルの日向を歩く冬の蝿 桂 手に触るる化石の時間虎落笛 喜和 山茶花やエロスを説きし比丘尼逝く 久美子 不実なる昼と夜の顔月夜茸 睦子 驛ピアノ男の指が生む小春 美穂 メレンゲの如く白鳥眠りけり 久恵 箱階段踏めばみしりと冬館 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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yasuhirockhow · 5 years
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京アニ『中二病でも恋がしたい』の聖地にして、朝ドラ『スカーレット』や渡辺あやさん脚本による京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』などのロケ地でもある旧・鎌掛小学校。 校舎内にも飛び出しガールが!(※平日は見学出来ません)。
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2ttf · 12 years
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯��頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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yugeki432 · 4 years
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感想:アサルトリリィアームズ
https://432web.net/2020/10/33054/
感想:アサルトリリィアームズ
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アゾネット | 商品詳細 | 『アサルトリリィ』アサルトリリィ アームズ
小説続刊ないのかーと思ってたら(ほぼ)アゾン公式ショップ限定で2巻出ていることを知ったので買った。
電ホビでWeb連載してたものを書き下ろし入れて書籍化したものだとか。
概要
外伝っぽい全然雰囲気違うタイトルだし(というか外伝という触れ込みが本書中にある)、中身も主役チームである一柳隊以外の視点が多いが、シナリオ上は「アサルトリリィ~一柳隊、出撃します!~」の続刊に相当する内容。
1巻は一柳隊の面々を主軸にした全体のプロローグ的構成に対し、2巻は工廠科、つまりメカニック分野をテーマに様々なキャラをオムニバス形式でピックアップする構成。
アニメでは眼鏡の子、真島百由ちゃんが1~4話まで毎話出ていて準レギュラーだが、彼女が2巻全体での主役という扱い。 一柳隊からは梨璃と、工廠科のミリアムのみ毎章登場する。一柳隊自体がメインの章もあるのでそこは安心。
特記事項
真島百由
表紙の人物1。工廠科2年の赤縁メガネ。2巻全体の主役。アニメではレギュラー枠で毎話出ているが、小説1巻では影も形もなかった。
夢結が所属したアールヴヘイムの解散に関わる事故を起こしており、夢結と不仲。別件でまた洒落にならない事件を起こしているため、他の工廠科生からも評判が悪い。
しかしアニメだとどっちの描写もない。夢結に至っては不仲どころか夢結の方から個人的な相談をしに百由の工房を訪問している。大体なかったことになってる?夢結に関しては答えが出るが、工廠科内で毛嫌いされているという設定は、この2巻とアニメ5話までの比較では不明なままだ。
第1世代CHARM
旧型CHARM。梨璃達が使っているグングニルとかダインスレイフとかは第2世代。百合ヶ丘は先進エリート校なので第2の普及率が高い。
世代を分かつ基準は変形機構の有無。第1世代は変形しない。つまり剣型は剣として、銃型は銃としてしか運用できない。 使い分けたい場合は両方運搬して、更に起動状態と休止状態(再起動は待ち時間あり)を適宜切り替える必要がある。
ただ、変形しないということは可動部が少ないわけであり、その分強度限界は第2より高い。また持ち替えの手間を除けば起動の隙も第1のほうが短い。 また、あくまで変形の違いによる世代差なので、火力に関しては普通に現役。
第1世代型の新作はもういずれのメーカーからも出ない状態だが、サードパーティ製のオプションはまだ出ていたり、ガーデンによっては未だ主力CHARMになっているくらいには根強い支持があるようだ。
学費
学費事情がここで明かされた。リリィは学生であると同時に軍人なので、学費どころか給料出てるらしい。一方で百由は生徒の権利を訴える際に「学費払ってる」と主張しているので、学費を差し引いた分の給与が支払われている、というのが正確なのだろう。
まあ当たり前である。娘を最前線に送り出しつつ、学費も払うなんて普通の神経した親には無理だ…。実力者の早期引退は許されないが、なることに関しては徴兵レベルで強制されてるわけでも無いみたいだし。
吉阪凪沙
アニメでは5話時点で一切出てこず、恐らくもう登場しない様子だが、小説では1巻からそれなりに登場している主要人物の一人。梨璃のクラス、1年椿組の担任だもの。 やはりというか元リリィで、彼女の現役時代の戦いがこの巻で語られる。
石川精鋭
小説だとモブ除けば初めて実際登場した男キャラ。ヒゲのおっさん。国防軍ヒュージ対策総司令。なんとも判断しづらい肩書だが、まあこの世界の軍はヒュージに全リソースを割く組織だと思われるので、トップと捉えて差し支えないだろう。彼の娘、葵が他校に在籍しているが、アームズでは名前のみの登場。
「CHARM使いとしてはそこまで優秀ではなかった」と書かれているが、単にリリィと比べたら話にならないだけなのか、無適性の男の中でも更に微妙だったのかは定かでない。 凪沙の師匠だったから恐らく前者だとは思うが。
なお、CHARMの使用に関しては、別に男でも問題ない。マギを攻撃力に転化する武器であり、若年女性とそれ以外はマギ量がまるで違うという点を除いては。 アニメだと指輪つけて、初回起動になんか契約めいたことまでしてたから、「使えるには使える」という点もなんだか怪しくなってる気はするが。
六角汐里
1巻でもサブキャラとして度々登場した梨璃のクラスメイト、今回はメインの章が用意されている。
二刀流スキル「円環の御手」により高い戦闘力を持つが、CHARMを盾の代わりにして突進するなど、CHARMを酷使するような戦闘スタイルにも繋がっており、リリィとしては評価される一方でアーセナル(担当メカニック)からのウケが悪い。今回の壊しぶりだと修理工数が他のリリィ5人分くらい掛かるんだと…そりゃ愛想も悪くされるわ。
戦法を直すべきかもしれないが、CHARMが頑丈になってくれれば一番いいのだが…?というのが彼女の章のテーマ。…まあ、癖もいくらかは直したほうが良さそうだ。ちょっとデストロイヤー過ぎる。
谷口聖
1巻において、巻頭カラーページの集合絵に名前付きでいたけど、肝心の本編で一切名前が出なかった謎の二年生。 消去法で夢結様チラシ剥がした先輩が設定上こいつなのかと筆者は疑っていたが、どうやら全然違ったようだ。1巻本編に聖はマジでいなくて、チラシ先輩は普通にモブだった。 正体は汐里のシュッツエンゲル。そして学内でもトップクラスの知名度を誇る実力者の一人。人当たりも良いのでチラシ破りそうにはない。
聖は塩水が好物だったわよね
もてなしの紅茶の代わりに聖だけ塩水出されそうになるギャグ。1巻でも4コマの夢結様が2度もやってるけど、塩対応が上級生間で流行ってんのか…?敵に塩を送るってそうじゃないぞ。
楓・J・ヌーベル
2章中盤で登場し、登場したページで梨璃にセクハラを行う。書き下ろしエピソードでは罪を犯したり妄想で犯したりする。今回彼女の戦闘描写は無いが、すべきことはした感があってひどい。
梨璃に執着する理由が小説内ではここで初めて明言されるが、「一目惚れですわ」の一言で終わり。まあ楓の方の都合で考えるとそれしか無いんだよな…。梨璃やその周囲にとっても謎とされているが、梨璃のカリスマを抜きにしたらマジでそれしか。 梨璃を誰か別の人間と重ねてるみたいな、ありがちな線はほぼ無いし。「あの人と似ている…!」で欲情してたら更にヤバいものな。
番匠谷依奈
表紙の人物2。夢結がかつて所属したアールヴヘイムのメンバーの一人。気が強いようで非常に打たれ弱く、アールヴヘイムの解散以降スランプに。今は壱盤隊にいるが、アールヴヘイムは伝説級のレギオンで、依奈もまた超人とされていたため、現状の体たらくに幻滅されて益々不調に陥っている。実力こそ落とさなかったが、協調性を失った夢結とは違う形で苦しみ続けていた人物。
「円環の御手」で最新機種の第3世代CHARMを二刀流するという、かなり豪華な戦闘スタイルを取るが、百由と共に過去を乗り越えるために更に上の次元を目指す。復活か廃人かの賭けができるのは流石リリィか。
第3世代CHARM
まだ百合ヶ丘でもそうは普及していない最新世代CHARM。第2世代の変形に加えて、分離合体で更に多様に変化する。 まあ、まんまな進化。第1→第2と同じく、基本性能が劇的に上がったわけではないので、全てのCHARMを過去にするわけではない。
ノインベルト戦術
「ノインヴェルト」「ノインベルト」で表記ゆれしている戦術。小説では1,2巻共に「ベ」だが、公式ツイッター等の最近の文字情報は「ヴェ」。というわけで今ではノインヴェルトが正だと思う。ノインベルトって言ってる人は小説などの過去のコンテンツを知っているのかも知れない。
今回は「9人フルではなく、少人数で複数回周回してマギスフィアを溜める」という戦法が出てくる。アリなんだそれ。 ただしヒュージはかなり的確に阻止を狙ってくるので、バリアの端っこでバレずに溜めきるみたいなことはできない。パスを多人数で回す場合と比べて、他のメンバーでの足止めがかなり重要になる。
高出力砲
百由の秘密兵器。携行を一切想定していない、ちょっとした大砲並に大型の射撃型CHARM。変形しないため定義上は第1世代。 長距離狙撃でラージ級(本来ギガント級以降で使うノインヴェルト戦術を持ち出すほど硬い特殊個体)を葬るほどの活躍を見せたが、想定外の消費電力で百合ヶ丘女学院を停電させて説教されることに。 ここまでだと半分くらいギャグだが、ほんの一時とはいえ防衛施設である百合ヶ丘を機能不全にした事実や、過去には攻撃範囲の方が想定外で多数の民間人を負傷させてしまい、アールヴヘイムの解散という形で責任を取ることになった問題の兵器だったということでやたら重い話になっていく。夢結が百由を避けてるのはこれのせい。
アニメ・ノベルにおける夢結とアールヴヘイム
しかしアールヴヘイムって、名前を引き継いでるレギオンがあったり、アニメ版では解散の経緯が違ってるみたいで、どれがどうなってるのかよくわかんなくなった…。 夢結の視点で整理してみるか。
ノベル夢結のキャリアは「初代アールヴヘイム→(高出力砲の民間被害不祥事で解散)→川添隊→(川添美鈴死亡で解散)→フリーランス→一柳隊」ということらしい。
一方で夢結はアニメ3話から「初代アールヴヘイム→(甲州撤退戦で川添美鈴死亡)→(初代アールヴヘイム分裂)→フリーランス→一柳隊」と分かる。
つまり、アニメだと高出力砲の不祥事と、それにより結成される川添隊が存在しない。だから夢結と百由の間にわだかまりがない。
そして初代アールヴヘイムは潰れ方こそ双方で違うが、二代目として壱盤隊が結成されるのは共通と。
第4世代CHARM
各企業が水面下で、百合ヶ丘では百由が研究を進めている次世代CHARM。「マギビットコア」などと呼ばれる数個の浮遊装置がリリィに随伴し、脳波に呼応して攻撃を仕掛ける。本体は手ぶら。理想的なクオリティに達すれば単独で1レギオン分の働きをこなせるとされており、全てのCHARMを過去にしかねない。 ただし研究は難航どころか、百由は人体実験に失敗して彼女の親友「長谷部冬佳」が廃人になっている。工廠科内で避けられているのはこれのせい。だから重すぎるってば。
最終的に実用ギリギリの段階で実戦投入される。確かな戦果はあげるものの課題は山積み(脳負担による頭痛がヤバい)。かつ脳波を使う関係上、使用者ごとに特注のチューニングをする必要があり、量産化には程遠いという形で締めくくられた。
おまけ1:熱海編
単行本書き下ろしエピソード。リリィたちの休暇を描く話。一柳隊がメインだが、アームズの主要人物が大体出てくる構成。出てこないのはおっさんの石川精鋭くらい。一部他校リリィもチラ見せ程度に登場する(単行本特典のエピソードなので、本筋レベルの展開はない)。 世界観的に平和ボケた話は期待できるのか…?とは作品に対して思っていたが、どうやらその気になれば不可能では無いようだ。大人数でまとまった休みが取れるし、防衛がしっかりしている慰安施設はいくらか維持されているらしい。勿論、なんでも出来るとはいかず、例えば学年全部空けることになる修学旅行は不可能で、過去のものになっていることが言及されているが。
おまけ2:鎌倉編
アームズ本編だと、シナリオ終盤のメインチームである壱盤隊のエースでありながら、構成上出番が殆どなかった遠藤亜羅椰がメインの話。熱海編でハブられた石川精鋭もちょっと登場する。 彼女は楓と同じ手合いの人間だが、楓と違って一途ではなく食い散らかすタイプ。壱盤隊に籍をおいたのも、性的に気になるリリィが2名いたのが決め手。アニメでは梨璃をもターゲットに加えている。小説版では今の所梨璃は狙っていない(可愛い子だったことはしっかり記憶している)。
ついでに、ドール製品としての「アサルトリリィ」がここで登場する。作中世界でもリリィにはアイドル的な側面があり、こういったグッズ類がリリィたちの活動資金源の一つになっているらしい。
おまけ4コママンガ:大川ぶくぶ
ポプテピピックの作者。当然作家の持ち味を出す前提の人選であり、おかげで1巻のおまけ4コマより更にノリが酷いことになっている。作中人物が作中人物に対して「アサルトリリィの原作読んだのか…?」と言い出すくらいには原作無視。まあその分強烈だからこれはこれで良いと思った。
商品仕様について
価格は定価1500円+税にアゾネットの送料880円で2530円と、技術書レベルの値段になる。 書き下ろしがあるとはいえ、Web連載版読んでて大半既読だったら正直手を出さなかったかも知れない。まあ連載はアニメ以前の話で、筆者は何も知らなかったのでその辺は平気だった。価格分のボリュームは確実にある。実際技術書並みに分厚く、設定にこだわっている作品なので情報量も非常に濃い。
最大のネックは電子版が無いこと。筆者はガチガチの電子派で、対するこれはよりにもよって厚さ3センチ400ページ超の大ボリュームだからマジで読みづらかった。 えらく限定的な流通形態からして、結構無理して書籍化した感じがあるから、あまり強くも責められんが…1巻のKindle版が恐ろしく快適だったから辛い話だ。 まだ続刊あるなら次は電子ありで頼みたい。
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yamanocalo · 6 years
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「武蔵の昔のお話」2016書き起こし
2016年8月11日 旧武蔵小学校の校庭にて。 長年にわたり武蔵の盆踊りを担ってこられた小田奈良枝さんと尾中明美さんに、昔の盆踊りの様子や女性の目線から見たお祭りについて伺いました。 この記事は当日の記録から、一部を抜粋しました。 聞き手:中川真さん(大阪市立大学教授)
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中川 大阪から来ました中川と申します。よろしくお願いいたします。 今日はとても素敵な女性のそばにおりまして、どきどきしております。小田奈良枝さんは90歳ということで、大正15年ですか、昭和元年、まさに昭和そのまま、で、尾中明美さんが昭和9年のお生まれということで、お二人とも十津川村の武蔵の盆踊りの継承に本当に長く長く貢献なさっておられます。ご本人たちはどう思っておられるかわからないけれども、芸能の流れからいうととっても尊敬すべき方々です。
武蔵の盆踊りとは
中川 この武蔵の盆踊りは、平成元年に国指定の無形民俗文化財に指定された踊りです。風流と書きまして「ふりゅう」と読みますけれども、風流系の盆踊りとして非常に著名なものです。 盆踊りはそもそも踊念仏と呼ばれた宗教的な行為で、仏の力を感じたりそれを実践したりするために踊っていたのですが、時代を下って江戸時代にはいると、風流という要素が付け加わりました。風流というのはひとことでいうと「美しさ」「飾っていくこと」です。そして、京都の河原で阿国の歌舞伎踊りが始まったのが17世紀の初めです。十津川の盆踊りは阿国の歌舞伎踊りの影響を強く受けた風流系の盆踊りで、江戸時代初期の踊りの姿を典型的に残しているのが「大踊り」と呼ばれている踊りです。 大踊りはどちらかというと太鼓が中心の踊りなんですけれども、それ以外の扇を使う踊りを中心とした、こちらでは「バカ踊り」というんですか、すごく難しい扇の振りが加わっていって今日の踊りになってきた。 そういう意味では、ものすごく古い、とっても大事な近世の美しさというものを保っている踊りで、お二人はその継承のど真ん中にずっと何十年も携わってこられたのです。
今日はいくつか、個人的な古いお話から、徐々にに今日のほうに移っていけたらなあと思っているんです。
子ども時代(昭和初期・戦前)
奈良枝 私ら子どもの時分は、呼び太鼓って、日が暮れてきたらそのへんをずうっと太鼓をたたいて回ったんですよ、それが今はね、子どもも少なくなってないようになりましたし、まあそういう面はな、違ってきてますな。
中川 なるほど。踊る場所とかはどこでなさってたんですか?
奈良枝 踊る場所はあっこやったな、クラブ。私ら(外では)踊ってないな。クラブばっかりやなあ。
中川 お二人の若いころは、やぐらもなくてお堂の中で踊っていた、と。盆踊りってやぐらがあってその周りをぐるぐる回るっていうイメージが強いんですけれど、この形は十津川においてはとっても新しいですね。 ですので、基本的にはお堂の中とか、つまり、お堂、クラブ?これクラブなんですか??
奈良枝 クラブなんです、昔から。でも本当はお堂なんですけどね、お寺やったんですよ。廃仏毀釈になってから、保育所になっとったんですよ。
中川 明治に入ると廃仏毀釈というのがあって、で、この小学校が明治8年ですよね。明治の初めというのは、この場所においても、お寺がなくなり、新しい小学校ができるというものすごい激動の時期であったわけです。 お寺で踊っていたということは先ほど言った念仏踊りですね。場所については踊念仏の影響というのが非常に強く残っていたわけです。 子どもさんってほとんどみなさん踊ってたんですか?
明美 踊りましたねえ。小学校に入るともうすぐ皆踊ったし、入るまでにも踊ったんじゃないかと思うんですけれど、そこらへんは私らもはっきり覚えてないですけど。 このやぐらの代わりが長椅子、それも木製の長椅子で、こう3つ三角にして、音頭取りのおばあさんらが三人。ほいで上のほうの、大きな白の提灯でもないし、あのなんていうかな、そこで今でも吊ってますがな、四角で。それも作って天井につるして。 私ら小さいときは、建物の中で広さが限られてますわね。この運動場と違うから。隣村からも踊りの応援に来てくれるし、たくさんの若い人も武蔵におられたし、いっぱいでもう子どもらは扇も振れないくらいでしたんです。
大踊り
明美 それでもう、そんなして何曲か踊って、大踊りに入ってきますわね、そうしたらすぐにみんな子どもらは(外へ)飛び出て、あそこに腰かけるぐらいの高さのなんていうかなあ、畑のぐるりずっとコンクリであったんですわ、こっちは運動場になってて。そして大踊りが終わるまで外で遊んだり腰かけておしゃべりしたりというような状況でした、女の子は。男の子はどうしてたか、憶えてないですけど…。
奈良枝 男の子も踊らんだったんちゃうか?大踊りになったらなあ。
中川 なんか去年も西義秋さんにお話し伺ったら、あんまり踊らんかったなあ~、とおっしゃってましたけどねえ。
奈良枝 そうやろなあ。大踊り言ったら長いでしょ、だから嫌いやったわ、子どもの時分。もうぜんぜんわからんしな。バカ踊りやったら飛び込んで踊ったんやがな。あの大踊りだけは嫌いやった(笑)。
明美 それが3回ほど(繰り返して)踊ったんかな。
奈良枝 そうそう、そうそう。
明美 大踊りっていっても昔は「お城」とか「十三、四、五」とか。
中川 現在大踊りというのは、一曲といいますか、最初はゆったりとした部分、そして後半は早くダイナミックな部分ですけれども、それで一つのかたまりになっています。 それとは別の大踊りもあって。「十三、四、五」「鎌倉」「お城」というのは歌詞だけが残っています。これはもう無理なんですか?
奈良枝 今、習おうと思ってもおらんもんなあ。一人おるけど、その人もちょっと、うーん。その「十三、四、五」という踊りが私らも好きやったんや!
中川 あ、好きやったんですか!
奈良枝 うん、好きやった、けど嫌い!踊るのは嫌い!(笑)見るのは好きやったんや、きれいな踊りで。
盆踊りとの関わり
中川 踊りはいつぐらいまで踊ってらっしゃったんですか?
奈良枝 踊りはそやな、44~5歳まで踊ったかなあ。足ケガしてからは踊ってないんです。そやけど、松葉づえついてね、なんかあるとき(出張公演など)は行って、踊ったりしたんですよ、そういうときもあったんやけどね。(お盆の)踊りはそのときはしてなかったんやけど。
中川 あーそうですか。でも踊りはほんと大好きだったんですよね。
奈良枝 そうそう、踊りは好きやったからな、もう足さえ痛なかったらほんまに踊り子のほういきたかったんですわ。
中川 明美さんはわりと最近までずっと踊ってらっしゃいましたよね?
明美 踊ってました。
奈良枝 この人はもうずっと踊っとったよってな。
明美 結婚するまでです。
中川 結婚するまで踊ってたって…最近結婚なさったんですか(笑) 。
一同 あはは(笑) 。
明美 やっぱり、子どもが生まれると、子どもを見てくれる人があればいいけど、主人が踊ってたから、子ども連れては踊れない。だから。
中川 明美さんのご主人は、尾中嘉明さんとおっしゃって、以前盆踊りの保存会の会長をなさっておりました。嘉明さんは会長をなさった時期がずいぶん長かったですねえ。
明美 踊りが好きやったんでしょうね、ずっと踊ってたから。だけどなんか不思議やなと思ったのが、長男やったらあの大踊りも習ったんやな。そやから、主人のお兄さんは踊ってたんですわ、「十三、四、五」も「鎌倉」やなんかも。
中川 じゃご主人は長男じゃなかった?
明美 次男やったから。次男らはあんまり踊らなんだったか、それとも嫌いやったんか、そこらへんはちゃんと聞いてないんですけど。
中川 なるほど。大事な踊りは長男が受け継いでいく?
明美 じゃないかと思うんですわ、次男三男はあんまり踊ってないように思いました。
中川 ふーん。踊りはお二人とも見よう見まね?それとも誰かに習うんですか?
奈良枝 見よう見まねやの。 明美 見まねやの~。
奈良枝 やっぱりそれだけ自分が好きだったから踊れるようになったんやと思いますわ。見よう見まねで。手とり足とりで習ったことないな。
明美 教えてくれるような人もいなかったしな、みんな踊ったから。
中川 もう踊るのは当たり前みたいな?
奈良枝 そう。 明美 そうそう。
中川 お二人とも武蔵の生まれで、生粋の武蔵人ですから、ほんとに小さいころからずーっと…。
奈良枝 そうやな。
踊りの移り変わり
中川 ちょっと細かいとこに入っていきますけれども、若いころに踊っておられた踊りと、今の踊り、その踊り自体は変わってますか?
奈良枝 踊り自体は変わってないな。変わってないです。
中川 そうですか。ちょっとなんか一つ振りがなくなってしまうとか?
奈良枝 あ、そういうのはひとつあるけどね、うん。「うずまき」って踊り。
中川 「うずまき」ってどんな踊りですか?ちょっと歌って…
奈良枝 どんな歌やったっけ。
…ちょいとちょいと 鮎は瀬ですむ 鳥りゃ木でとまる 人は情けの ちょいとちょいと 人は情けの やれこりゃもとですむ それもそじゃないか
ここに「ね」が入ったんです、昔は。 「それもそじゃないか ねぇあなた ちょいとちょいと」 って入ったんですよ。それが今は、そこで省かんことには調子があわん。
明美 これが「ちょいとちょいと」になったらきれいでもあるし。
中川 つまり踊りが少し短くなったということですか?
奈良枝 昔はそれに合わんでももう歌だけ歌うていったら、それもそのまま踊っていったんやと思うわ。
明美 次々と歌に合わせずに。
中川 踊りそのものは変わってないけれども、歌のほうを踊りに合わせて変えた?
奈良枝 そうそう。
明美 結局、その「ちょいとちょいと」もビデオ撮り(無形文化財指定に際して作られたビデオ)の時にあわせたんやな。そのほうがわかりやすいやろうということで。 それまではずっと「ちょいとちょいと」があわんでも、そのままずっときたんやけども、これはそろったほうがいいやろと。
中川 わかりました。そういうビデオ撮りだとか外部の力が入ったときに踊りが変わりますよね。大踊りが万博だとか行った時ぐらいからかなり短くなった話を聞きました。15分や20分ぐらいに合わせてくれ、って。でそれが逆に今やるときの本番も舞台でやってるような短さになったという話も聞いたんですが、そのへんはどうですかね?
明美 大踊りはちょっと変わったかの。
客席から平瀬肇万(ただかず)さん(保存会の現会長) 一番長いときは1時間10分ぐらいあった。
中川 1時間10分ですよね?いま20分ぐらいですよ!
肇万 俺ら小学校4年生ぐらいに習ったときは、1時間10分ぐらいあった。
中川 つまり繰り返しがなくなったっていうことです?
肇万 そうそう、ほんで元歌が長かったんや。元歌がものすごい長かった。ここで聞いとって居眠りするぐらい長かった。それが今ひとつになったから短いの。
明美 そやから、最初の歌(ゆったりした部分、男性中心の踊り)が始まると、女の子らがみな(クラブから)出てきてそこらへんで涼んだり遊んだり。それで跳ねだしたら(後半のダイナミックな部分。よっさよっさと掛け声をかけながら踊る)、飛び込んでいってまた同じように跳ねてたんやけれども、最後の「よさよさ」まで。
中川 「よっさよっさ」も昔はもっと長かったですか?
明美 長かったねえ。
中川 大踊りはですね、最後「よっさよっさよっさよっさ」って言って体力が尽きるまで踊るっていうか、ぐるぐるぐる走って回るっていいますかね、ものすごくダイナミックな場面に移りかわって見ているほうはとっても面白いですけれども、やってるほうはほんとに息が切れるというか、はあはあ言って。
扇と灯篭
中川 今日は、昔使われていた扇を持ってきていただけました?
奈良枝 もうボロボロになっとる。
中川 ちょっと開けてください。おー。
奈良枝 今のみたいなきれいな扇じゃないけどな。
明美 かわいいな。
中川 金色とか銀色でキラキラした感じではないけれども、華やかな感じですよね?扇は何回か買い替えたりしたんですかね?
奈良枝 いやー。一回、二回ぐらい変えたかな、三回も変えてないと思うわ。これで、まあ私はあんまりよう踊らなかったからな。途中で音頭取りになったから使わんかったから。子どもらもあんまり踊らんし、うちのは(笑) 。
明美 扇は高いからねえ今は。子どもの時はよう買ってもらわなかったから、破れてくるんやでこれが。折り目が。だからこれに今やったらテープでもありますけれども、そんな時分はないし。半紙でお盆前になったらこれを全部貼ってきれいに使いましたわ、私らは。なかなか扇一本って高いもんやから、ねえ。昔でも高かったんやと思います。
中川 これはどこで買われたんですか?
奈良枝 どこで買うたんやろ。憶えてないよ。これ親に買ってもらった。母親に。
中川 じゃあ相当古いですね。これ昭和の初期ですね。
奈良枝 こういうの、小原で売っとったんやろか?
明美 平谷に新しい店もあったしな。
中川 大踊りのときに使う灯篭って、笹竹につけていろんな色のついた紙を貼るんですが、灯篭は誰が作るんですか?
奈良枝 小さいの貼るのだけはね、女の人ができて。男の人らは、この枠のを(音頭取りの上に吊る大きな行灯)。それを毎年張り替えて。
明美 でも昔はあんまり(大踊りのクライマックスで)回数まわってたらのう、火が出てきて、昔はろうそくやったから。叩きあいもしとったし、火がついたら池に持っていって走ってざぶっと浸けたり、そんな光景も見てますわ。
中川 なんか朝まで踊ってたっていう話も聞きましたけど。
奈良枝 朝まで踊った、ほんまに。夜が明けるまで。
肇万 4時ごろまで踊ったの。
奈良枝 そうそうそう。ほいでそれは終わってから家帰って朝ごはん食べて、でその足でこれ片づけに来たんや。えらかったわぁ、あのときは。
中川 それ女性も片づけに来るんですか?
奈良枝 来ました。
中川  ちょうちんを乾かしたりだとか?いろいろありますね。
奈良枝 はいはいはい。
中川 でも人も多かったんですよね?昔は。
奈良枝 多かったなあ、あの時分は。
明美 そりゃの、男の人多かったしな。
戦後の盆踊り
中川 それは戦争が…。
奈良枝 そうやなあ。
中川 じゃあ戦争のころっていうのは盆踊りやってたんですか?
奈良枝 戦争のころはなかったの。
明美 なかったと思うな。
奈良枝 終戦になってからやの、再開したのは。
中川 それで第二次世界大戦のあと、すぐに盆踊りをはじめられた?
奈良枝 それもどうやろ、(昭和)二十何年ぐらいはまだ踊ってなかったやろ。
明美 踊っとったんちゃう?うーん。25~6年には踊ったようにも思う。私、中学校の時踊ったから。
奈良枝 しおり、これもたぶん古いわの、40…
明美 これ、踊りの会則。保存会できてからか?
奈良枝 そうそう。これ保存会できてからね、��のは41年か。
中川 あー、武蔵踊りのしおり。主に歌詞が書いてありますね。
奈良枝 そうです。一番最後に細かい字で書いてるでしょ?それが武蔵の踊りが出演したところなんですわ。大踊りを。
中川 はぁー!各地に出演、昭和35年が一番最初ですね。
奈良枝 やからのう、26~7年ごろはもう踊っとったんやろか?
中川 大阪の万博が昭和45年ですね。この話はよく聞きますが、その前もかなり出ていらっしゃいますね。これ全部行かれました?
奈良枝 私は全然行ってない、まだ入ってなかったから、保存会に。
中川 保存会っていうのはもっと年上の方が入っている?
奈良枝 ここにおる人は入っとったけど、私出てましたやろ、外へ。
中川 なるほど、昭和35年っていったらちょうど35歳くらい。その頃、奈良枝さんは結婚して武蔵ではないところに住まわれていたんですね。
奈良枝 明美さんは行ったんちゃうか?
明美 どこが一番先になっとった?
中川 昭和35年の8月20日に盆踊りコンクールっていうのが橿原神宮で。
明美 最初は私行ってないわ、だいぶん行ってない。主人はだいぶん出とるけれども、私はいちばん下の子がいくつぐらいやったかなあ、もう6つか7つくらいやったか、人に頼んで行けるようになってから。だから主人の母親が面倒見てくれたし。
中川 なるほど、子育てのときはなかなか出にくい?
奈良枝 そうやな。
明美 泊りがけになったからなあ。外に出ると。今のように車で走ったわけでなかったから。バスやったから。ほとんど。
音頭取り
中川 そうしたら、音頭取りの話をしたいと思うんですが。音頭取りっていうのはどうやってなるもんなんでしょう。
奈良枝 私は足が悪かって踊れんかったから、姉らが二人、文江の姉と照江の姉と、音頭を取ってましたんで、それの付属品として私がそこへ入ったんですよ(笑)。
中川 付属ですか…。奈良枝さんは四女ですかね、静江、文江、照江、奈良枝、という踊りの大好きな方ばっかり。
明美 まだもう一人上に。たまさんて。
奈良枝 あの姉は音頭取ってなかったよってな。
明美 でも上手やった。
中川 踊り系の家やったわけですね。
奈良枝 そやろな。
中川 その五人姉妹がいて、男の兄弟は?
奈良枝 二人おりました。兄貴らは二人とも、25と26で戦争に行って亡くなった。
中川 そうですか…うーん。じゃあ慰霊祭とかの時は行かれたりするんですね。
奈良枝 はい。母親と父親と行きましたけどな。私ら子どもは行かんかったけど。
中川 最近ですね、明美さんも音頭取りでやぐらの上におられたり…
奈良枝 明美さんは去年やめたんか、音頭(笑) 。
中川 やめたって?どういうことですか??
明美 やめたんや。いじめられたからや(笑)。よう歌わんのに上がってきたっていじめられた(笑) 。
奈良枝 伏して拝んで頼むんやけども、来てくれんねん(笑) 。
中川 言うことが違いますね(笑) 。
明美 足がまったく悪くなってね。ほんだから、やぐらの段を上下するんだけどしんどいし。もうだから3年ほど来てないんかと。
中川 じゃあそこ、エレベーターみたいなのつけたらできる?
奈良枝 それやの。エレベーターつけたら来てくれるかも(笑) 。
明美 今晩もだいぶ思案して出てきまして。
中川 今晩は、奈良枝さんが、ぜったい明美さんに来てもらわないと私は出ない、と。引きずりこまれてます。
明美 ほーんと?(笑)ここにも引っ張りあげられて。私らも踊りは好きなほうやったから。
中川 もうほんとに長い間お師匠みたいな感じで、みんな明美さんの踊りを見て、そやったそやった、っていうので踊っていたような雰囲気を私は憶えていますね。
奈良枝 この人はまた踊りをよう知ってるからな。
明美 いやそんなことないわ、忘れてしもうたけども。
奈良枝 そんなことないやろ(笑)。
中川 まあ音頭取りで、最初は付属品で入られて、で今では付属品でもなくなって、ほんとにご本体になってしまったんですけれども。
奈良枝 骨董品になって(笑) 。
中川 歌詞は引き継がれるんですか?あるいは自分でお考えになったりする?
奈良枝 歌詞ですか?いえ、みな本(武蔵の全曲の歌詞が載っている冊子)見て。でも、その本にない歌詞あるでしょ。
中川 そうそうそう、いっぱいあるんですよ。
奈良枝 それもまた他のとこからひらいだして。短いところはちょっと長めに歌えるように。
中川 例えば「高い山」なんかでも、西川の冊子、平谷の冊子とかもらって、ぱらぱらとみますと、全然歌詞が違いますね。
奈良枝 ああ、そうでしょう。
中川 最初の「高い山から谷底見れば」それだけ一緒ですけれども、それからどんどん変わって。違いますよね、地域によって。
奈良枝 そうな、平谷のほうも違うしな。
中川 それはやはり武蔵で伝承されてきたいろんな歌詞を拾い集めて書かれてるんですか?
奈良枝 なんなんやろなあ。
明美 そうや。いくつもいくつも書いてくれてるわ。奈良枝さんが、今の新しいのに。わたしら全然知らん。歌うてないから。
奈良枝 ああ、そうかそうか。これは平谷の人らが歌うとるやつを書き込んだりしたんやで。節はおうていくからね、そういうなんを拾いこんでも。みんなどれでも曲にあったのができるからね。この「くどき」(歌詞が物語になっている曲)やとかなにかはな、別やけど。
明美 ずっとつづいてるからの、文句が。
奈良枝 バカ踊りはね。
中川 バカ踊りはどんな歌詞でもいわば使いまわしができて。 盆踊りで実際本番の時ですね、歌の順番はどうやって決められるんですか?我々は音頭取りの言いなりになって踊るわけですけれども。 ここの踊りは、最初は「ダンチョネ」をやります。その次は「高い山から」、次は「串本節」と、だいだいなんとなくあるわけですけど、その後はどうされるんですか?
奈良枝 どんなにっていうたらいいんやろ。踊りやすいようなのから拾い出して毎年踊るんやけど。だから難しいのは最後に残っていくと思うんですわ。
明美 初めての人が多かったときなんかは。やっぱり踊りやすい…。
中川 踊ってるほうからすれば「木曽節」というのが手踊りですごく簡単ですけれども、あれから踊るっていうのは違いますよね。
奈良枝 そうそう、一番最初はね「ダンチョネ」とか「高い山」、最初にいきますね。ほいでそういうバカ踊りを最初に三つ四つして、ほして「くどき」に入るんです。やっぱりくどきはね、ちょっと間あいだいれたほうがいいやろかな、っていうて。
中川 で、やぐらの上で次あれしようとかこれしようとか相談なさってるわけですよね?音頭取り2~3人で。だいたいマイクで聞こえてくるんですけど、相談ごとが(笑) 。
奈良枝 そうでしょう?
明美 年寄りはそういうことが分からんの。今のことが。
奈良枝 これ(マイク)を切っといてしゃべるってことをせんよってな。
中川 あー今いろいろ考えてはるわーって思いながら待ってるわけですけれども。昔に比べて今の盆踊りの雰囲気とかはどうでしょう?
奈良枝 昔はの、ほんまに賑やかやったけども、歌そのもんでもな、賑やかに、音頭、囃子、もうみんな囃子をしたからねえ。やっぱり昔の人はみな踊り歌を知っとったから、それで囃子もようできたんやろうと思いますわ。
中川 14日の本番の日は、都会に出てられる方も戻ってこられて、結構うまい人もおられますよね?
奈良枝 そうそう。やっぱり好きな人はしっかり憶えてますわ。
再び娘時代のエピソードへ
中川 いいですか、なんかこれだけはもうちょっとしゃべっておきたいとか、もしあったらどうぞ。
明美 私ら5年6年生ぐらいになってきて、そろそろ大人の中に入って踊れるようになってきたら、お盆やから、ちょっとお化粧もしてほしいし、だけど自分ではようしない、家の者にもようしてもらわない、っていうて。ちょうどこの学校に勤められた先生がそこの前の家におりましたんで、その先生がしてあげるからおいでっていうことで、最初のうちはしてもらってたんですけど。やっぱり私ら中学生になって、ただしてもらうだけでは気の毒やからいうことで、お金だしてもとってくれないから、草刈りを手伝いに行って、刈るのから持つのから、ちゃんと納屋に入れて詰めるまでしておいて。 お化粧してもらって三人五人と踊って。ほんで夜中家に帰る頃に、この顔洗うのもったいないの、って言いながら、二人三人に連れて帰ったこと、あっと思い出した。
中川 そんなにきれいにしてくれるんですか?
明美 まあきれいじゃなしにただ白塗りですけど、汗かくから落ちてしまうんやけどね。それでもやっぱり毎年そないやって、中学校まで三年行く間そんなして、もう中学校卒業したらもうね、別やから、それもお願いにもよう行けなかったけど。だから親なりおばあさんなりが行って頼んでくれて、そして草刈りを手伝うたり運ぶの手伝どうたりして、そうしてお盆にはもうそれこそ晴れ姿で踊らしてもらったの、いまでもよう忘れませんわ。
奈良枝 昔は、かんざしってものはなかったんですな。だから今咲いてますやろ、ムクゲの花、あれを取ってきてね、それで頭にさして、踊ったんですよ。
明美 私らは紙で、障子紙で、障子紙ちょっと強いから、半紙よりね。それで切って花を作って、中に赤いインクでぴゅーっと竹にキレを巻いて吹いたりして、ほして、その夜中まで(お堂で)踊って外へ出てきたりして夜露を受けるでしょ?ほたらしんなりとしてくるやん、紙やから。中へ入っていって踊るのこんど、私のどないなっとるって隣の人に聞いたり。ひしゃげとるって。だんだんと花がしぼんできたっていって、踊ったこともある。
中川 それはまさに風流の精神ですよね。飾って、美しくして。
奈良枝 やっぱり女の人やってなんか飾りたいという気になったんやろな。
明美 お盆だけやもんの、こんなことしたのも。
中川 ほんとに特別な日だったんですね。そういうのを全然知らなくて、ああ、そんなことあったんだって。 本日はこのお二人にお話をうかがって、私ももう35年通ってますけども、聞いたことなかったような話をいっぱい聞かせていただいて本当にありがとうございました。みなさん拍手を。
奈良枝・明美 ありがとうございました。
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murasakiimo · 6 years
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崇仏派vs排仏派―丁未の乱―
筆者が小学校の頃読んでた、子供向けの聖徳太子の漫画には、蘇我物部の戦いとあった丁未の乱。 なんで対立が起こったのか掘り下げてみる。 * 蘇我氏が麾下として使っていた渡来人にはペルシャ人などもいたけど、ほとんどが仏を崇拝していた朝鮮半島から渡ってきた人々だった。 中国魏晋南北朝時代のはじめの頃は、色んな騎馬民族が入り混じった王朝で、彼らを束ねていた北魏の皇帝は人心を纏めるのに仏教を用いた。そして北魏の皇族たちも仏教を信奉するようになった。 渡来人を纏めていた蘇我氏にも同じようなことが起こったのではないか。 また、蘇我稲目の前の代の名が半島由来なのは、蘇我氏自ら渡来人と混血することで渡来人と融和したのではないのか。 そんな蘇我稲目の娘をふたり娶った欽明天皇も、妃たちの影響を受け仏教に染まりだした。 それを苦々しく思っていたのが、系図で神を祖とする物部氏や中臣氏だった。 * 物部氏は大和朝廷建国のときから重臣を出し、朝廷の武器庫といわれる布留社(石上神宮)を擁し軍事を司ってきた、由緒正しき一族だ。 また中臣氏は東国鹿島神宮の社家筋の家柄だった。 蘇我氏の影響を大王家が受け、神道が弾圧されるかもしれない。 物部氏や中臣氏には進退を問われる事件だった。 * 敏達天皇が病に冒されたとき、蘇我馬子が僧や尼が仏に祈れば病も治りましょうと、自分の邸宅に渡来仏を置き司馬達等(鞍作止利の祖父)の娘・善信尼らに読経をさせた。 それを黙って見ている物部守屋ではなかった。 ちょうど疫病が流行りだし、守屋は蕃神を祀ったせいだと仏像を海に投げ捨てさせ、善信尼らを裸に剥いて鞭打たせた。 その後敏達天皇は崩御、蘇我馬子が推す用明天皇が即位した。 が、用明天皇も病に臥し、仏に祈るが叶わず病没する。 物部守屋は次こそ仏を崇めぬ大王をと穴穂部皇子を推したが、蘇我馬子が先んじて穴穂部皇子を暗殺した。 穴穂部皇子が死んだあと、残る大王位継承者は敏達天皇皇子二人(押坂彦人大兄皇子と竹田皇子)と用明天皇の皇子(厩戸皇子)、そして穴穂部皇子の弟である泊瀬部皇子のみだった。 蘇我馬子と物部守屋は闘いによって、己の推す皇子を大王にしようと決めた。 * 用明天皇の病中、中臣勝海は竹田皇子と彦人大兄皇子を呪詛しようとした。が彦人大兄皇子には効かず、彦人大兄皇子の軍門に下ろうとし、彦人大兄皇子の部下・迹見赤檮に討たれた。 蘇我馬子と物部守屋の闘いは、守屋の別邸がある河内国渋川郡(現在の大阪府東大阪市)で行われた。 守屋は馬子が率いた軍勢に対する護りを固め、これを迎え撃った。 馬子と皇子たちが率いた軍勢は盛んで、守屋は軍を退却させ己は朴の木の��に隠れた。それを迹見赤檮が見つけ、守屋を射殺した。 こうして崇仏派の勝利に終わり、仏教はますます盛んになった。 * 物部守屋死後の物部氏はどうなったか。 物部氏の家伝書といえる「先代旧事本紀」に、物部守屋の姉妹にあたる太媛(布都姫)が次の代の大王となる泊瀬部皇子(崇峻天皇)の妃となり、朝廷で発言権を奮ったとある。 崇峻天皇死後、太媛は守屋の兄弟である石上贄子の娘を生んだ。鎌姫といわれるその娘は蘇我馬子を家に通わせ、蘇我蝦夷が生まれた。 (他の歴史書には太媛自身が蝦夷を生んだとも、守屋の他の妹が馬子の妻となったともある) 物部守屋の兄弟である大市御狩の家はのちも続き、天智天皇~持統天皇の御代に掛けて仕えた石上麻呂は朝臣の位を得るようになった。 石上麻呂の子孫は、物部氏の氏神である石上神宮を祀り続け、石上神宮は奈良県が誇る神社のひとつとして今も燦然としている。
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villa-chitose · 7 years
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平日施工のお客様がルミクールSD、シルフィードがさらに4,000円引きに!
※短期間のキャンペーンになりますので、ご了承下さいませ。
カーフィルムの施工が年間1000台以上は関東ナンバーワン!安さもナンバーワン!
激安カーフィルム・車のスモークフィルム!「ルミクールSD」は東京・神奈川の平均価格よりも24,098円、「シルフィード」は15,390円もお得です。他社と比較してください!
※弊社は色褪せのある外国製の使用ではなく、すべて日本製ですので5年以上は色褪せしません。
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カーフィルム・車フィルム・スモークフィルムってなんで貼るの?
まずは優先されるのがプライバシーの保護になり、日本車のプライバシーガラスでも透過率が20~30%になり、平均で25パーセント位が多いでしょう。 下記の画像の左側が透過率20%になり、右側画像が30%になり、通常のプライバシーガラスですと、かなり室内が見えてしまいます。
 
                                                         しかし、プライバシーガラスの上からカーフィルム透過率7%のフィルムを施工しますと、透過率1~2%になりますので、ほぼ外観からは見えませんので、盗難防止などにもつながります。 下記画像はプライバシーガラスの上から透過率7%施工後の画像になります。
では、室内からの視界性はどうなの?
↑どの透過率のカーフィルムを施工しても、もともとのプライバシーガラスより若干濃くなるぐらいですので、外観の色合いだけ決めて頂ければ、室内の視界性は良好です。
UVカット(紫外線カット)カーフィルムってなに?
UVカット(紫外線カット)カーフィルムは日焼けの防止や室内のインテリアの色褪せを防ぐフィルムになっております。 今の日本車の殆どは運転席・助手席のみUVカットガラスになっており、フロントガラスや後部座席のリア3面、5面のガラスにはUVは入っておりません。 プライバシーガラスが黒いから日焼けしないかと言うと違います。下記のガラスのようにガラス右下部分にUV,UVS,UVUと記載がなければUVカットされてないので日焼けします。皆さんのガラスはどうでしょうか? 外車の90%以上はほぼUVすら入っておりません。 NSコーポレーションのカーフィルムは全てUV99%カットになります。
ガラスごとに下記のUV,UVS,UVUの刻印があるか確認してみてください。
赤外線カット カーフィルムって何?
殆どのお客様がUVカットがあれば暑さ対策や冬場の保温性につながると思われておりますが、UVの他に赤外線もカットしなければ暑さ対策にはなりません。
例として、ルミークルSDを全体的に施工した場合は車内温度に変化はありませんが、ウインコスを全体的に施工すると車内温度は5度位変化し、シルフィード カーフィルムを施工しますと車内温度は11度位変化しますので、燃費の向上にもつながります。 特に外車はガラスの透明度が日本車よりも遥かに高いのでシルフィード カーフィルムをお勧めします。
※よくある赤外線カット率ですが、カット率の測定は測定機関があるわけではなく、メーカーごとに独自の測定結果ですので、実際は体感温度が大事になります。 弊社では実際、体感でき、過去のお客様も体感の違いを実感して頂いております。 皆さんかなり違うと言います!
カーフィルムの種類と性能の違い
ルミクールSD
※ルミークルSDは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。
ウインコス
※ウインコスは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。
シルフィード
※シルフィードは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が11度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 シルフィードはベンツなどを取り扱うヤナセの指定フィルムですので、外車にお勧めです。
※透明断熱フィルムFGR‐500 FGR‐500はシルフィードと同じ効果があります。フロント・運転席・助手席にも施工可能です。 透過率は1%しかダウンしないので、どの車でも施工可能となります。
ニュープロテクション
※ニュープロテクションは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。 一番、黒いカーフィルムを貼りたい場合は透過率5%があります。
※ニュープロテクション インフレットピュア 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 安くフロント・運転席・助手席に施工したい場合はインフレットピュアをお勧めします。 但し、日本車の運転席・助手席は透過率73%位であり、インフレットピュアを施工しますと透過率が5%ダウンしますので、ガラスの透明度の高い外車がメインになります。
3Mカーフィルム
※3Mカーフィルムは自動車整備指定、認証工場のみが取り扱えるフィルムになり、ディーラーの殆どがIR機能のついた「3M カーフィルム」が性能的にも主流になっており、フィルムの性能も今までとは違い200層を超える薄い膜を重ねた特殊な高級フィルムとなっております。
カーフィルム5年保証
※お客様の車が車両保険に加入していてガラスが破損した場合、相手方に車をぶつけられてガラスが破損した場合、カーフィルムも保険の対象になります。
NSコーポレーションのカーフィルムは激安ですが、すべてが日本製であり、量販店のような外国製とは違い色褪せがしません! また、ベンツなどを取り扱う全国ヤナセ指定フィルム採用により、他社の断熱フィルムよりも圧倒的に体感温度は違います! シルフィードはインフレットピュア、ウインコス・スタンダードよりもUVカットはもちろん、赤外線カットがとても優れたフィルムです。
紫外線を99%カットし、心地よい優しい光と快適な車内環境を生み出します。
断熱性能の違いを体感器で検証。左側がシルフィード、右側が一般スモークフィルムで、スタート時はどちらも26.4℃を示している。
照射後、5分後の温度計は31.2℃と42.1℃を示している。シルフィードを施工した側が10℃以上低いことがわかる。
万が一の事故などで側面ガラスが割れた場合、ガラスが割れて細かく飛び散り大変危険です。
シルフィードを施工したガラス。ガラスは割れますが、フィルムによって飛散が抑えられ、安全性を確保できます。
フロント透明断熱フィルムも施工しております!
カーフィルム「シルフィード」全体的に施工すると車内温度が10度変化します!
カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム・車のスモークフィルム・ガラスコーティング ご来店の多いエリア:
湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。
語源は、かつて中国に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である。 歴史 国内文献における「湘南」の初出は『倭名類聚抄』で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。 現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らにより日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。 「湘南」の定義は曖昧だが、鎌倉や江の島などは観光資源が豊富で観光集客力が高く、マスコミによるイメージ作りによって「海」や「太陽」や「若者」などを連想させ、「湘南」は範囲拡大傾向にある。 「湘南」の由来 「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、[要出典]「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している。 明治期の「湘南」 江戸期に大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。当時、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる。 明治維新により、当時西欧で流行していた海水浴保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子や葉山、鎌倉、藤沢など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。 1897年、赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介する。翌1898年、元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して随筆集『自然と人生』(1900年)を出版する。これを端緒に「湘南」は、当初の相模川西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。 明治期から戦前までの湘南 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問し、片瀬が適地と答申する。 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団が、ロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察する。 1885年(明治18年)- 軍医総監松本良順の勧めで海水浴場を大磯に設営し、由比ヶ浜三橋旅館が海水浴場の開設を東京横浜毎日新聞に広告する。 1886年(明治19年)- 藤沢鵠沼海岸に海水浴場を開設する。 1887年(明治20年)- 東海道線横浜駅と国府津駅間が開業し、保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置する。 1888年(明治21年)- 大船駅が開業する。 1889年(明治22年)- 旧日本海軍軍港の横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通し鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置する。 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の下、葉山に有栖川宮別邸を竣工する。 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸を竣工する。 1894年(明治27年)- 葉山御用邸を竣工する。 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が赤坂から逗子柳屋へ転居する。 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介する。 1921年(大正10年)- 神奈川縣立湘南中學校を藤沢町鵠沼に開設する。 1922年(大正11年)- 歌誌『明星』2月号に、荻野綾子の鵠沼を詠んだ『湘南にて』が掲載される。 1928年(昭和3年)- 高瀬弥一の江之島水道株式会社が玉川水道と提携し、湘南水道株式会社として事業を拡張する。 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道黄金町~浦賀駅間、金沢八景駅~湘南逗子駅間が開業し、「湘南電車」と呼ばれる。 - 神奈川県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手する。 1931年(昭和6年)- 湘南瓦斯株式会社が藤沢町鵠沼で創業する。 - 湘南養蚕実行組合が藤沢町で結成する。 1932年(昭和7年)- 植物学者久内清孝が、『植物研究雑誌』に「滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う」を発表する。 1933年(昭和8年)- 湘南学園(小学校・幼稚園)を藤沢町鵠沼に開設する。 1935年(昭和10年)- 都市計画神奈川地方委員会が、湘南海岸公園計画地域を可決して答申する。 - 松岡静雄が「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行する。 1936年(昭和11年)- 湘南氷業販売組合を藤沢町で結成する。 - 神奈川県道片瀬大磯線相模川「湘南大橋」完成し、全線開通する。 1941年(昭和16年)- 藤沢市内外の文化人や宗教家が集まり、「湘南文化連盟」を結成する。 各地域の特色 藤沢・茅ヶ崎・寒川 県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、江の島を中心とした海岸風景は、現代の「湘南」の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園-高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼や片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。 しかし、北部は海からも遠く、現代の「湘南」というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者のネーミング戦略的な理由により、かなり広い範囲で「湘南」が当てられている。 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。 藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。 現代の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。 太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が連合国軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた(コロネット作戦)。戦後海岸地区は一時アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された(在日米海軍辻堂演習場)が、1959年6月25日に返還された。 1940年(昭和15年)、藤沢��が片瀬町に合併を呼びかけた際、片瀬町が条件として市名を「湘南市」とする案が挙げられたが、実現せず、「藤沢市」となった経緯がある。(片瀬町が藤沢市に合併するのは1947年) 1956年(昭和31年)、寒川町が藤沢市と茅ケ崎市に合併の上「湘南市」とする話を持ち掛けるが実現に至らなかった。 明治期、相模川に接した東側の茅ヶ崎・寒川の一部地域は湘東と呼ばれていた。「湘東」は、湘江に見立てた相模川の東の意味である。 平塚 県行政区域では「湘南地域」に含まれ、県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」を始め、湘南ナンバーを発行する「湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域を管轄する行政機関が多く所在し、行政的に湘南地域の中心である。政治的にも「湘南市」として合併し政令指定都市を目指す構想の中心的役割を果たすが、リーダー役であった平塚市長が2003年に落選し構想は挫折する。 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さないが、「湘南」のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望する湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られる。夜景も美しく、湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの1つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした3日間に開催される。サッカーJリーグの湘南ベルマーレの本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。 大磯・二宮 県行政区域では「湘南地域」に含まれる。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされており、その碑が城山公園内の大磯町郷土資料館に保存されている。 大磯は、律令以前に豪族の師長(磯長)国造が支配する地域だが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移住したと考えられ、高麗山や高来神社など、大陸からの文化を広めた高句麗からの朝鮮民族渡来人に由来する地名もある。明治以降には伊藤博文や吉田茂が別荘を構える。二宮は手狭な海水浴場で観光集客力は高くないが、温暖な気候で交通の便も良く堤義明邸も所在する。 明治期の「湘南」は「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には湘南馬車鉄道や、大磯町の湘南大磯病院、二宮町の湘南牛乳株式会社、など「湘南」を冠する企業が存在した。 伊勢原 伊勢原市大山は江戸時代に「湘山」「湘岳」と呼称され、歴史的に湘南海岸方面と連携する。現在は県行政区域上「湘南地域」に含まれるが、経済面では車両交通に優れる平塚市と関連深く、小田急小田原線や国道246号で結ばれる厚木市など県央地域と関係が深化している。 鎌倉・逗子・葉山 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した。「湘南」育ちの印象が強い石原裕次郎は、逗子市で青年期を過ごしている。「歴史の街」や「御用邸」などの印象が強く、「湘南」ではなく「鎌倉」、「逗子」、「葉山」と呼称される。 横須賀・三浦 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。相模湾側は1000年以上昔から「湘南」と呼ばれ、鎌倉時代以降は幕府直轄領漁港として繁栄し、東京湾側と一線を引くように逗子市が横須賀市から分離する以前から最寄駅は逗子駅である。横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接し、湘南の基本的な定義である「相模湾沿岸」に該当しない。経済活動も横浜横須賀道路や京急線で結ばれる横浜と連携する。相模湾に面する横須賀市や三浦市西部では、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸などで「湘南」を訴求する住宅地や避暑地も近年見られる。湘南鷹取、湘南国際村、湘南信用金庫、横須賀市中心部に所在する湘南学院高等学校など地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。プロ野球横浜ベイスターズ(2010年当時)二軍チームは、2000年から2010年シーズン終了まで湘南シーレックスとして横須賀を本拠地に活動した。 小田原・足柄下郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれず、大磯 - 小田原間を結ぶ西湘バイパスの様に「西湘地域」と呼称される。温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、保養地や観光地の特色が強い。 明治期の「湘南」のイメージは「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、小田原には「湘南」を冠したものが多く存在した。 南足柄・足柄上郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「足柄上地域」と呼称され、一般的に「湘南」として扱われる事は無いが、自動車登録番号標の「湘南ナンバー」適用エリアである。 相模原 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称される。市内城山町小倉、城山町葉山島の両地区は、かつて湘南村という行政区が存在した。これは1889年に旧小倉村と旧葉山島村の合併で生じ、1955年に旧川尻村、旧三沢村と合併し旧城山町が成立して消滅する。2007年、旧城山町は旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至る。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」である。現在、1906年に創立された城山町小倉の小学校名にその名を留める。 大和・海老名・座間・綾瀬 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、気象予報区における二次細分区域「湘南」適用エリアである。 厚木 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つである。 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 平塚 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 藤沢 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 茅ヶ崎 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 鎌倉 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 小田原
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norisunorin · 7 days
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滋賀県日野町 しゃくなげ学校 旧鎌掛小学校
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ys-waiz · 9 years
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Former Kaigake Elementary School 旧鎌掛小学校
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Former Kaigake Elementary School 旧鎌掛小学校 by ys-waiz.net Via Flickr: 京アニ舞台探訪 ~3日目・滋賀 旧鎌掛小学校 & 旧豊郷小学校 編~ blog.livedoor.jp/ys_waiz/archives/53184969.html
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norisunorin · 10 days
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滋賀県日野町 しゃくなげ学校 旧鎌掛小学校
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norisunorin · 11 days
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norisunorin · 11 days
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norisunorin · 10 days
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norisunorin · 1 year
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