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#東放学園映画専門学校
yotchan-blog · 14 days
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2024/9/10 19:00:14現在のニュース
ガザ「人道地区」空爆、100人死傷か 深さ10mのクレーターも(毎日新聞, 2024/9/10 18:57:23) 「推薦人の名義貸しが堂々と行われている」立民代表選を疑問視 自民・山下雄平参院議員([B!]産経新聞, 2024/9/10 18:54:50) 学力テスト全国トップ級の石川県 10年続けた市町別評価の公表中止(朝日新聞, 2024/9/10 18:52:30) 「早く振り込ませて」 1時間半、80代女性を説得 詐欺防いだ行員(毎日新聞, 2024/9/10 18:50:10) 九州創玄書道会、選抜書展始まる 15日まで 大分(毎日新聞, 2024/9/10 18:50:10) NHKラジオ国際放送問題 会長の報酬50%返納、担当理事が辞任(毎日新聞, 2024/9/10 18:50:10) 上川陽子外相「推薦人集まった」 自民党総裁選に出馬へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/10 18:48:28) 7月来園の12歳メスゾウ死ぬ ゾウヘルペスの症状 福岡市動物園(朝日新聞, 2024/9/10 18:44:27) 東京都の会計年度任用職員、現役世代は7割超が女性 共産党が調査(朝日新聞, 2024/9/10 18:44:27) 2歳の息子に「守れずごめんね」家族3人死亡の衝突事故、遺族が談話(朝日新聞, 2024/9/10 18:44:27) 高校生が高性能爆薬を製造か、所持疑いで逮捕 自宅に実験器具 愛知(毎日新聞, 2024/9/10 18:42:50) 投票用紙からケネディ氏の名前削除せず ミシガン州最高裁が判断(毎日新聞, 2024/9/10 18:42:50) 映画「春の香り」 主演者ら舞台あいさつ 小さな幸せ、考える機会に(毎日新聞, 2024/9/10 18:42:50) 近所の飼い猫を連れ去った疑いで男逮捕 猫は70キロ先の隣県で保護(朝日新聞, 2024/9/10 18:36:28) 「俺はゴルフ専門の泥棒」 高級クラブなど盗んだ5人を最終送致(毎日新聞, 2024/9/10 18:35:09) 泉氏、自民総裁選を「立憲自民党」と皮肉 政策酷似を指摘 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/10 18:31:14) 兵庫県議全86人が斎藤知事に辞職要求へ 不信任案も検討、可決か([B!]産経新聞, 2024/9/10 18:30:58)
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sahasite · 5 months
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「演劇エリートスクール」第3期 受講者募集
日本各地で極北の観劇&ワークショップ受講 - 受講生は講師演出家らと日本各地をめぐり、半年かけて観劇とWSそして対話をつみかさねていきます。知る人ぞ知る講師陣と、プログラムの絶妙な密度に、第1期・第2期ともに各地から参加者がつどいました。
【期間】 2024年8月〜2024年12月(予定)
【募集要項】 募集人数:5名 受講料:¥20,000(チケット代、WS参加費、宿泊費込み) 条件: ・期間中に国内各地で行なわれる計5つの公演を観劇し、前後する日程のWSに参加すること(各公演+WSは、日曜を中心に連続する2日間を予定しています) ・各地宿泊場所あり(無料、ただし個室等は確保できません) ・要交通費別途
下記フォームよりご応募ください。 https://forms.gle/kvHuNDvP3kw3Y51s5
【スケジュール】 応募締切:2024年6月23日(日) 選考結果通知:2024年6月30日(日) 初回:2024年8月24日(土)
【講師演出家】 亀井純太郎(転回社) 1977年福岡生まれ。劇作家、演出家。2001年に劇団「第七インターチェンジ」を旗揚げ。小学校から大学まで様々な教育現場での演劇ワークショップに携わるほか、「くまもと子ども芸術祭」舞台部門演出を務めるなど地域の芸能にも関わる。2015年よりミュージカルスタジオ「studio in.K.」を共同運営、小学校公演などを行なう。第二回「外山恒一賞」受賞。熊本学園大学非常勤講師。 https://tenkai.org/
澄井葵(,5) 岐阜県出身。演出家。明治大学文学部演劇学専攻卒業。自身のユニット「,5(てんご)」を旗揚げ以来、東京で活動していたが、2011年から地元に戻り、名古屋を中心とした活動を始める。人の持つ感覚や普通さに働きかけ、観客俳優問わず感覚を足したり引いたりして、よく台無しにする。最近は年1回程度上演しており、2023年は,5(てんご)公演にて「黒門児童遊園」を演出。
羽鳥嘉郎(けのび) 1989年ブリュッセル生まれ。演出家、「けのび」代表、サハ。ワークショップ「自治」シリーズや、石をおかずにご飯を食べる「おかず石」などを各地で展開。京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT フリンジ企画「使えるプログラム」ディレクター(2013-2014年度)、TPAM – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 アシスタント・ディレクター(2014-2017年度)。編著『集まると使える—80年代 運動の中の演劇と演劇の中の運動』(ころから、2018)。女子美術大学非常勤講師、立教大学兼任講師。 https://kenobi.org/
村社祐太朗(新聞家) 新聞家主宰。演劇作家。訥弁の語りを中心に据え、書くことや憶え繰り返すことを疎外せずに実現する上演に取り組んでいる。その最中には、様々な取り組みに目配りをしている。近作に『とりで』(2023、作・演出、THEATRE E9 KYOTO)、明倫茶会『生鶴』(2024、席主、京都芸術センター)等。戯曲『とりで』が第22回AAF戯曲賞大賞。2019-20年度公益財団法人セゾン文化財団セゾンフェローⅠ。2020-22年度THEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。 https://sinbunka.com/
持田睦(PuP) 1971年生。演出家。ヘルダーリンのピンダロス翻訳を原作とした『SoPrates』(2004年)を最後に12年間、演劇活動を休止する。石川達三の『鳳青華』(1938年)と白信愛の『旅は道伴れ』(1939年)を原作とした『朝、鮮、人!』(2016年)で活動再開。コロナ禍をきっかけに映像作品作りを開始し、YouTube上で、フランスの映画監督ユイレ&ストローブに倣った作品『あらゆる革命はさいころの一振りである』(2022年)を公開中。ユイレ&ストローブの研究者として、「追放! 追放! 追放! そして……、解放?——ユイレ&ストローブのカフカ映画『階級関係』の最後の風景 」を、『現代思想』(2024年1月臨時増刊号「総特集=カフカ」)に寄稿した。
【お問い合わせ先】 主催:サハ http://saha.fun/ お問い合わせ:[email protected]
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aiten-india · 3 years
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【東放学園映画専門学校 映画制作科 上映会】に行って参りました。 私は堀内友貴監督の【パンデミック】という作品の冒頭のみの出演なのですが、そんな私にも招待状送ってくださりありがとうございますと改めて。 こちらゾンビショートムービーでして、ゾンビ、めちゃくちゃいました。ベルエポック美容専門学校の学生さんの本格特殊メイク、エグすぎました。私はギリ人間だったので、いいなあ〜と思いながらただただ見ておりましたが、コケたのでちょっと汚しメイクしてもらえました!やった🙌 改めて観て、やっぱり私が台本から受けた最初の印象とはめちゃくちゃ違くて!メインの俳優さんたちと監督とでディスカッションして演出とかも考えていったんだって。こういう題材の中で遊び心と挑戦心が溢れまくってて、ついふふって笑わせられて、でも希望溢れる訳でもなくて、てかよく考えると希望ほぼ全くなくて。不思議なバランスで成り立ってるのがとても魅力的なんです。 また今回、ユナイテッドシネマとしまえんでの上映とのことで、初めていく映画館!!とテンション爆上がりしつつも安定のぼっち参戦なので私ここにいていいのか感溢れまくりで終始ドギマギしてました。ですが作品観たすぎて最初から最後まで図々しくいてしまいました😳 今回上映されていた他の作品の題材はどれも私にとってはあまり身近でないものだったのですが、その世界を垣間見られて目がギラギラしました。生々し過ぎてゾワゾワしてしまったのもあって。えートークショーとかもやってほしかった!てか記憶力がなくて辛い!スタッフさんやキャストさんのお名前とかも知りたい。ググっても出ないーーーー!また観られることを心から祈ってます。 休憩の時もムービー作って流してくださってたの。あのセリフないムービー、大好き😂 休憩の時すらも見逃せなくて、なかなか席立てませんでした。 素敵な上映会に参加できてとても幸せでした。 あーめちゃくちゃ活力もらった。おし。 #東放学園映画専門学校 #ユナイテッドシネマとしまえん #学生映画 #上映会 https://www.instagram.com/p/CazBAN6FzS1/?utm_medium=tumblr
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serizawa-info · 4 years
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芹沢 花
【学歴】 女子美術大学付属高等学校 卒業 イメージフォーラム映像研究所 卒業
【資格】 知的障がい児 移動支援者資格
【活動歴】
2019年
短編映画「金木犀のせいにしよう」企画/脚本を担当
2020年
グループ展「authentic」展開催
音楽カルチャー誌「Rolling Stone Japan vol.11」 掲載
ミスiD2021ファイナル進出
2021年
二人展「visualize」展 開催
イメージフォーラム映像研究所卒業制作《異常性》 優秀賞受賞(研究所内)
初個展「hkni87」展 開催
ミスiD2021 SUZURI賞受賞
武蔵美映像科 課題ドラマ作品「DRUNK LOVE」ヒロイン•天使の女役 出演
映画「花束みたいな恋をした」エキストラ出演
日本テレビドラマ「恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜」エキストラ出演
東放学園映画専門学校 課題映画作品「少女」主演•富美 役
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t-u-e-n-3 · 4 years
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はっぴぃえんど
今回割と長いです。暇な人は読んで欲しい。
久しぶりにすごく楽しかったから。
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2日間の放浪記
昨日(おととい?何日か起きながらに日を跨いでいたので曜日感覚がバグってる。)
数少ない現在でも連絡を取っている高校の頃の友人(以下Tくんとする)がインスタで珍しく弱音を吐いていたので、心配で連絡をしたら今日飲みに行かないかと誘われたので、ちゃんと行った。
(優しい友達の早急な要求は本当に助けて欲しい時のサインだと俺は思う)
Tくんは映画監督を目指していて専門学校に通っていたのだが、「単位を取るための学校」というシステム自体に嫌気がさしたらしく、中退。カンボジアを始め様々な国を渡り歩き、英語もまともに話せないのに彼女さえ作ってしまう強者。最近までフランス人の女性の家に転がり込んでいたらしい。
愛すべきヒモやろう。
現在は写真を撮ることに没頭していて、近いうちに台湾に留学したいとのこと。仕事もちゃんとやっている。���画が詳しい。そんな彼のお悩み相談会が今宵、華の東京、町田で執り行われた。
焼肉屋で一通り話したあと、「お金は使ったら返ってくるものだ」というヒモらしからぬ持論でほぼ全額奢ってもらった。
俺は悪びれもせず、ちゃんとお礼をした。それはもうニコニコと。ヒモに奢られるなんて光栄だ。
嫌味ではない。
ヒモにヒモがついてそれはもう知恵の輪の如く俺らは自らの持つ考えや映画や生き方についての意見をぶつけ合ったのであった。
少しの酔いの中、俺たちは失われた青春を取り戻すべく、知らんビルの屋上に勝手に侵入し、鍵を開け(拍子抜けするほどセキュリティがザル)アルソックの影に怯えながら地上9階の屋上に出てタバコを吸ったり、町田を手に入れたななどとほざいてみたりした。みんなも自己責任を前提におすすめする。
写真見ればわかるけど、全然綺麗じゃねぇの。
まぁそれもまたいい。行為自体にに酔いがあるのよ。
次はあれだなと、もっと高いタワーマンションを指差して、さながら登山家になった2人の知能指数は雌の猿にさえ恋こがれるレベルだったであろう。
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もう一件寄って、適当に一杯ずつ飲んでからTくんとは別れた。彼はやる気が出たと言ってくれた。
いえいえ、こちらこそ
二軒目も奢ってくれてありがとう。
しかしそのあと自身の失態で、自分の身を精神のどん底にぶち込むことになった。深くは書きたくない。
本当に下らないことだから。
際限のない絶望に飲み込まれて、さっきまでの気持ちも忘却の彼方に連れされた。帰りたくも無くなって、今から会えそうな人に片っ端から連絡した。(本当にごめんなさい)すごく寂しかった。人と話したかった。
終電が迫る10分前、誰からもいい返事を得れないまま、もう朝までここにいようと半ば自暴自棄になって駅周辺をぶらぶら歩いてたら、別の数少ない今でも連絡を取る高校の友人(以下Sとする)が泊まりに来なと言ってくれたので、急いで経堂行きの小田急に飛び乗った。
一刻も早く助けが欲しかった。
そいつの住んでる寮に侵入して、ゲロは吐かないと言う約束でストロングゼロをこれでもかと投与した。
ありがとう、ありがとうと何度も思った。
もちろんストロングゼロに。
翌朝、目を開けると当たり前のように二日酔いがそこにいた。ゴツゴツした容姿にテンパ、イケメンとは綺麗に対角線上で重なる。気持ち悪かった。
まぁそれはSだったのだけど。
14:00ごろ急にカレー食いたくね?とSに言われて、「いや気持ち悪いし、食欲ないわ」と返したら、「んじゃ水買ってくるわお前も飲むっしょ」優しい笑みを含ませて颯爽と出て行き、ちゃんと水とカレーセットを買って帰ってきた。
水を大量に飲んでいたら「俺米炊くから」と言われ���違和感なく俺がカレーを作ることになるという間接技を決められた。
まぁ料理は好きだから良い。はっぴいえんどを流しながら作っていたら、ひどくお気に召したようで、曲が終わるまでいいなぁ、いいなぁっと言いながら炊飯器の前にいた。ここまででお察しの方もいると思うが、彼は真髄を極めた阿呆である。
ピピーと米が炊けた。
しかし、彼の家にはカレーに適した器が味噌汁の器とラーメン丼ぶりぐらいしかなかったので、嫌悪の眼差しでご飯をよそい、スプーンが無いというので呆然と箸でカレーを食った。なんか色んな国を冒涜しているようで申し訳なかった。
彼はカレーの味を絶賛してくれた。おお、ありがとう。
そして、後で500円ちょうだいねと言われた。
まぁいいけど、お前はきっとロクな死に方しない。
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奴に勝手に撮られた一枚
しかしここまできて、Sは何故俺がそこまで落ち込んでいたのかは聞いてこなかったので、俺は嬉しかった。
結局俺から話したら笑ってくれて、そこだけで人生自体を咎める必要はない、というようなことを言ってくれた。YouTubeで最近ずっとそんな動画を見てるらしい。
なんだよそれは。逆に心配した。
カレーを食い終わったあと、これからまさかのTとSでタバコが吸えて映画好きのおやじがいる喫茶店に行くというので、もちろん俺も同行させてもらった。
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代々木八幡路上にて人間観察
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18:00ごろの夕焼けで街がキラキラしていた
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これはその道中にいた危機管理能力バグ猫。
初めて野良猫撫でた。汚かった。可愛かった。
そして思った以上にその喫茶店のマスターがすごい人でめちゃくちゃ楽しかった。
映画の話もたくさんしたし、人生観みたいなことも教えてもらえた。マスター本日の名言。
「しょんぼり下を向いてたらお金は拾うかもしれんけど、車には轢かれる」
実際、病気や急アルやらなんやらで4、5回死にかけてるらしい。66歳。
すごく楽しい人だった。マァジで3時間ずっと喋っていた。全部面白い。今まで会ったオヤジの中でダントツだった。絶対また行く。
「代々木八幡 おんぶ」で検索すると出て来る。名だたる著名人がプライベートで足を運ぶらしい。
安藤さくらをおんぶしていた写真があった。
モヤさまもきたらしい。すごいなぁ。
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コロナの影響で21:00店を出て、居酒屋もやってないし、豪徳寺の公園で飲むかとなり、スーパーで適当に酒と食い物を買ってSおすすめの公園に行った。
Sは頑なに煎餅を欲していた。(後にほぼ残す)
以前もこの2人と飲んだ機会があったのだが、結局こいつらとは最終的に公園で飲む。民度が低い。
Sによると公園は駅のすぐ近くにあると言うので歩いて向かったのだが、結局一駅分ぐらい歩かされた。もうこいつの話はまともに聞かないと誓った。踵が靴擦れで血だるまになった。
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公園、謎の遊具にて
22:00ごろ公園では電話をしてる女性とかカップルとか筋トレ中毒おじさんとか、途中に変質者や奇声を上げる大学生と思しき2人など、よりどりみどりの来訪者を迎えて夜の豪徳寺のポテンシャルを見せつけられたのだが、2〜3時ぐらいになるとさすがに俺らしかいなくなった。
俺はしれっと終電を逃していたので、2人とも歩いて帰れる距離なのに朝まで付き合ってくれた。
それからは本当にずっと話していた。音楽のことは少なかった気がする。
映画、人生観、死生観、将来、嫌いな人間の何が嫌いか、昔のあだ名、女、小説、哲学、やりたいこと、人間性、とりとめなく。徒然なるままに。
途中、中学の頃の友人らも電話で召集して、社会人と社会に馴染めなかった人との論争(お互いに尊敬の念がある)をしていたらいつのまにかお酒は無くなった。
S「あぁ、そこの通りまっすぐ行ってすぐにコンビニあるよ」
俺「んじゃあ、Tと買いに行ってくるから、おまえ電話してて」
そして一駅分歩かされた。
こいつに尊敬の念は1ミクロンもない。
ワインと適当にチューハイをTが買って俺は紅茶だけ買った。
戻るとSが俺のタバコをラス1まで吸ってた。
いや無くなったら吸っていいって言ってたけどさぁ。
しかもラス1だけ残すという卑しさ。ほんとブスだ。
しかしこいつは歴とした小田急電鉄社員である。
高収入であり、福利厚生も良い。
世の中ちょろすぎるだろと思った。
結局そんなこんなで朝の6時まで話し通して、全然酔ってもいなかったし、眠くもなかった。
暗いか明るいかの違いしか俺にはなかったのだ。
電車で携帯の充電が切れて、家に帰ってこれを書くまで、色々思い返していた。
人に助けられてばかりの2日間だった。
思えば友人の手助けしたろかいと意気揚々玄関の扉を蹴り去って出てきたのに。
でも2人とも楽しかったと言ってくれたし、本当に久しぶりにお腹が痛くなる程笑った。
朝方Sは、はっぴぃえんどを流していた。
なんだこいつ可愛いすぎるだろと思った。
そして鉄棒の下で立ちションしていた。
なぜお前はそこまでして全てをぶち壊したがるのだ。
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2人を見送ったあとの豪徳寺のホーム。
人の気配は無く、天気も気温も心地よかった。
改めて心を許せる友人(特に同性の)は大切にしなければと思った。多くはない、が決して少ないなんて事はない。1人でもいればいいんだ。2人いたけど。
俺は運がいいのかもしれない。
将来好きなことをやってる中でその人生どうしがまた交じわることがあるなら、どれほど素敵なことか。
まだバンド辞めれないなとも思ったりした。
Tも飽きるまでやりたいことやると言ってた。こいつにはなんだか人生2回目ぐらいの謎の余裕がある。
まぁそれでいいよ。
久しぶりに電車乗ったし、俺に付き合ってくれた
2人には感謝しています。ありがとう。
自分を含め自分の目の届く範囲の人たちを大切にできるだけの心は常に持っていたいな。
帰り道緩い坂を下る途中、空は遠いけど真っ青だった。
俺はいつの間にかはっぴぃえんどを歌っていた。
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shinjihi · 5 years
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何しろ日本は大東亜戦争でインド、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシア・フィリピン、
ベトナムなど東南アジアなどから英国・オランダ・米・仏などを追い出した。
彼ら白人は数百年間「栄耀(えいよう)栄華」の源泉であった「宝石」のごとき植民地を
日本のために失なったのである。
その怨念(おんねん)は簡単には消えない。
「猿」が人間を支配するという「猿の惑星」という映画の「猿」は日本人である
(作者は日本軍が英国兵捕虜を虐待したとする映画「戦場にかける橋」と同じ)。
それほどに有色人種で唯一、白人に刃向かった日本人への恨みは深いのである。
南京大虐殺も中国の宣伝
 そんな中で、英国人のストークス元支局長は「欧米・中国・韓国はもとより日本の学者までが
『日本は侵略した』と言うが、それは連合国の宣伝だ。
南京大虐殺も中華民国の宣伝で『作り事』であったことが確定している。
確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア植民地に軍事侵攻したのは事実。
しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国だ。
日本は欧米の植民地を占領し、アジア諸民族を独立へ導いた。
西洋人は世界史を見直すべきだ。日本はアジアを独立に導いた『希望の光』。
侵略したのではなく『解放』し、独立に導いたのです」と書く。
 また、「私は市ケ谷の防衛省内の東京裁判の法廷を訪れた。
そこで行われた裁判は邪悪なもので犯罪行為だった。
戦勝国が一方的に敗戦国を裁くことは許されない。
戦勝国が敗戦国を裁いて一方の将兵のみを戦争犯罪人として処刑するのは
復讐(ふくしゅう)であり、犯罪である。…東京裁判は数年に及んだ。
その全てが不法だった」
とする。
「独立は身を殺して仁をなした日本のおかげ」
 昭和30年、後のタイ王国の首相、ククリット・プラモード氏は
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが(筆者注・日本の敗戦のこと)、
生まれた子はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
この重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大決意をされた昭和16年12月8日(開戦の日)、
われわれはこの日を忘れてはならない」と述べている。
 まもなく、予定されている安倍首相の戦後70年談話。
戦勝国の宣伝に「洗脳」され日本を侵略国家とした「村山談話」、
同じく慰安婦を強制連行したとする「河野談話」との決別を期待したいものである。
(この記事は、平成27年7月16日付岡山県版に掲載されたものです)
 森靖喜(もり・やすき) 昭和16年、岡山市生まれ。
明治大学大学院卒業後、43年から金山学園(現・岡山学芸館高校)の教諭、
岡山市教育委員長などを歴任。
現在は岡山県私学協会長、学校法人・森教育学園理事長、岡山学芸館高校・清秀中学校学園長、
教育再生をすすめる全国連絡協議会世話人。専門は政治学。
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xf-2 · 5 years
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2014年3月13日に東京地裁で行われた「黒子のバスケ」脅迫事件初公判で、渡辺博史被告が読み上げた冒頭意見陳述の全文をここに公開します。当初は月刊『創』の次号に掲載しようと考えていましたが、この事件について多くの人に考えてもらうために、全文を早く公開したほうがよいと思いました。
法廷では時間の関係で全文朗読されなかったのですが、読み上げなかった部分に重要な記述もあります。例えば、昨年、脅迫を受けた書店が次々と出版物を撤去していった時期の後に、被告は書店への放火を計画していたという内容です。実行前に被告は逮捕されたわけですが、これは実行されていたら、深刻な事態を引き起こしていたと思われます。
この公判の内容は新聞・テレビで報道されていますが、ごく一部のみ切り取って報じられているため、内容が正しく伝えられていない気がします。アベノミクスで景気回復などと庶民の実感と乖離したことが喧伝される一方で、格差が拡大し、自分の将来に何の希望も持てない人たちが日本社会に存在していることを、この事件は示しています。被告の短絡的な発想が目立つことは否めないとはいえ、現在の日本社会の深刻な断面も、この事件は浮き彫りにしているような気がします。
以下、渡辺被告の冒頭意見陳述の全文です。 
※追補 ここで公開した冒頭意見陳述については、書いた本人が後日加筆修正し、最終的に著書『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫人の全真相』(創出版刊)に収録しました。引用などをする際にはそちらを使っていただきたいので、このブログに公開した者は、最初の部分を除いて非公開とします)
「黒子のバスケ」初公判被告人冒頭意見陳述
「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人の渡邊博史と申します。このたびは意見陳述の機会を与えて頂けましたことに心から謝意を表させて頂きます。起訴されてない事案も含めまして「黒子のバスケ」脅迫事件とされる一連の威力業務妨害事件は全て自分が一人でやりました。全ての責任は自分にあります。そして、どのような判決が下されようとも、それを受け入れて控訴しないことと、実刑判決を受けて服役する場合には、仮釈放を申請せずに刑期満了まで服役することをこの場で宣言を致します。
取り調べについてですが、自白の強要や暴力的な言葉による威圧などは全くありません。自分は刑事さんや検事さんより望外の公平な扱いを受けています。ネット上では「喪服は恐い刑事さんからきつい取り調べを受けて涙目になっているんだろうな。ざまあwwww」などと言われているかと思いますが、そのようなことは全くありません。自分に対する取り調べは民主警察・民主検察のそれそのものです。
さらに申し上げれば、自分の国籍や民族的アイデンティティについて勝手な憶測がネット上などに氾濫しているかと思いますが、自分の両親も祖父母も曾祖父母も日本人です。帰化して日本国籍を取得した日本人でもありません。「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人である渡邊博史は残念ながら日本人です。
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。痛みに苦しむ回復の見込みのない病人を苦痛から解放させるために死なせることを安楽死と言います。自分に当てはめますと、人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。自分はこれを「社会的安楽死」と命名していました。
ですから、黙って自分一人で勝手に自殺しておくべきだったのです。その決行を考えている時期に供述調書にある自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。自分はこの事件の犯罪類型を「人生格差犯罪」と命名していました。
自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。あと、取り調べでは申し上げませんでしたが、新宿出身というのもあります。公判のために必要な事実関係は全て供述調書になっていますので、ここでその詳細については申し上げません。上智大学への自分の執着につきましては、自分が上智大学出身者だけにのみ強烈なコンプレックスを抱くようになったきっかけは、19年前にささやかな屈辱を味わったことに端を発します。バスケマンガと二次創作につきましては、色々な出来事が複雑にリンクしています。31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。いずれも昨日今日に端を発することではないのです。自分にとってはとてつもなく切実であったということだけは申し上げさせて下さい。ネット上などに流れた「黒子のバスケ」の熱狂的ファンによるファン感情の暴走による犯行説は全く間違いです。 そして今さらながら申し上げますが、自分が犯行初期を中心に出した犯行声明文の中の藤巻氏への怨恨を匂わす下りは全てデタラメです。自分と藤巻氏は全く面識はありません。自分は藤巻氏より何かされたということは一度たりとてありません。藤巻氏には全く落ち度はありません。この事実ははっきりとさせておかなくてはならないと思います。
自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。
しかし自分の主観ではそれは違うのです。以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者の受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります。自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。自分は犯行の最中に何度も「燃え尽きるまでやろう」と自分に向かって言って、自分を鼓舞していました。その罰によって30代半ばという年齢になるまで何事にも燃え尽きることさえ許されなかったという意識でした。人生で初めて燃えるほどに頑張れたのが一連の事件だったのです。自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。
自分が初めて自殺を考え始めてから今年がちょうど30年目に当たります。小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです。自分はピカピカの1年生ではなくボロボロの1年生でした。この経緯についてここで申し上げても詮ないので、詳細については省略します。自分を罰し続けた何かとは、この時にいじめっ子とまともに対応してくれなかった両親や担任教師によって自分の心にはめられた枷のようなものではないかと、今さらながら分析しています。
自分は昨年の12月15日に逮捕されて、生まれて初めて手錠をされました。しかし全くショックはありませんでした。自分と致しましては、「いじめっ子と両親によってはめられていた見えない手錠が具現化しただけだ」という印象でした。
自分は犯行の最終目標を「黒子のバスケ」の単行本とその他の関連商品全ての販売中止とアニメの放映の中止と関連イベントの中止と定めていました。ただし永久に脅迫を続けることもできませんから、それを一瞬でも達成できたら、犯行終結宣言を出して、事件を終わらせようと思っていました。「黒子のバスケ」が自分の人生の駄目さを自分に突きつけて来る存在でしたので、それに自分が満足出来るダメージを与えることで自分を罰する「何か」に一矢報いたかのような気分になりたかったのです。それを心の糧に残りの人生を無惨に底辺で生きて行くなり、自殺して無惨な人生を終わらせるなりしようと思っていました。ですから自分はとても切実な動機で事件を起こしているのです。いじめられっ子である自分が、いじめっ子の「黒子のバスケ」の暴力から必死になって逃れようとしていたというのが、自分の主観的な意識です。
自分は都内の路上で警視庁の捜査員から任意同行を求められた時に「負けました」と申し上げました。この言葉のせいで自分がゲーム感覚の愉快犯であるという説が世間一般に流れたようですが、それは断じて違います。自分は確かに「負けました」と申し上げましたが、これは自分の人生をギブアップしたという意味で申し上げました。自分は警察に捕まった時点で人生の負けの確定を宣言したのです。一部報道で自分が「ごめんなさい、負けました」と捜査員に言ったと報じられましたが、自分は絶対に「ごめんなさい」などとは申しておりません。「ごめんなさい」の部分は完全に誤報もしくは捏造です。しつこく申し上げますが、自分はこの事件を決してゲーム感覚などでは起こしておりません。どこかの臨床心理士が新聞紙上で「好きなキャラ云々」などと真相にかすりもしないプロファイリングを披露して悦に入ってましたが、そんなしょぼい話ではないのです。専門家も人間ですから間違えることもあります。しかし、こちらが違うから、犯行声明で「違う」と言っているのに「図星だから感情的になって反論した」などと、自身の能力への懐疑と謙虚さが完全に欠如した恥の上塗り的な強弁を平然と新聞紙上にできる人物が、臨床心理士と名乗っていることに改めて慄然とします。
自分が逮捕されて2日後の朝に勾留されている警視庁麹町署から東京地検に出発しようとした時には、署の前にたくさんの報道陣が押し寄せて来ました。この時に自分の顔は笑っていました。これについて「有名になれたことに喜んでいる」というのが、世間一般の説であると聞いていますが、そんなことがあるはずがありません。カメラのフラッシュの洪水を浴びながら、「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」と考えると、とめどもなくおかしさが込み上げて来て、それによって出た自嘲の笑いなのです。後日、弁護士さんにニュース映像をプリントアウトしたものを見せて頂きましたが、確かにあの顔は気持ち悪いです。人の怒りの感情を喚起させる気持ち悪さです。しかし、自分の心象風景とは乖離しています。自分がもう笑う資格がない人間であることぐらいは、自分も理解しています。
また一部マスコミ関係者に自分がグリコ森永事件に関与しているとの説があるようですが、それははっきりと否定します。
これだけの覚悟をして事件を起こしたのですから、反省はありません。反省するくらいでしたら、初めからやりません。また謝罪も致しません。もし謝罪するのでしたら、それこそ尾てい骨の奥から罪悪感がとめどもなくあふれ出て来て、全身から力が抜け、目の前が真っ暗になって、前後不覚に陥るような状態にならなければ、謝罪しても意味がないと考えます。残念ながら、自分は逮捕されてからそういう心理状態に一瞬たりともなったことがありません。自分はサイコパスと呼ばれるタイプの人間なのかもしれません。あと自分の犯罪の力が足りず「黒子のバスケ」というコンテンツに大してダメージを与えられなかったと自分は思っているからです。
ただ責任は取りたいと思っているのです。反省・謝罪と責任は違います。責任というとまず浮かぶのは、自分が起こした事件により生じた金銭的な被害を弁済するということです。これは単に被害金額だけではなくて、詫び料とでも言うべき金額を上乗せして初めて成り立つものであります。
これにつきましては、自分には当事者能力がありません。自分は昨年の10月に学園祭に対する襲撃予告を上智大学に送りました。これにより上智大学は警備体制の強化を余儀なくされました。約50万円の費用がかかったと聞きます。自分が起こした膨大な事件のうちの1件でこれだけです。被害総額はいくらになるか想像がつきません。自分のこれまでの人生での総収入額は1000万円に満たないです。年収が200万円を超えたことは一度もありません。月収が20万円を超えたことも数回しかないです。自分には金銭的な責任を取ることができません。
自分としては、犯罪によって一生をかけても払いきれない損害を生じさせたら、それはもう首を吊るしかないと考えております。実刑判決を受けて刑務所での服役を終えて出所して、できるだけ人に迷惑をかけない方法で自殺します。また自分の死が広く伝わるような手段も取ります。やはり「犯人が死んだ」という事実は、自分が起こした犯罪によって迷惑を被った方々に対して一定の溜飲を下げさせる効果はあるでしょうし、何より再犯がないと安心して頂けると思うのです。自分にはこのようにして「感情の手当」を行うしか責任を取ることができません。ただ同時に、自分の命の価値など絶無であって、自分の死も大して意味がないことも充分に理解しております。
自殺についてですが、自分は自己中心的な動機でも自殺したいのです。自分の連行に使用される捕縄を見るたびに首を吊りたくなります。この瞬間でも自殺させて頂けるのでしたら、大喜びで首を吊ります。動機も男として最もカッコ悪い種類の動機ですし、それが露見してしまったので、もう恥ずかしくて生きていたくないのです。それに自分は「負けました」と言って自分の人生の負けの確定を宣言したのです。つまり自分の人生は終わったのです。それなのにまだ生き永らえていることに我慢がならないのです。留置所と拘置所と刑務所は自殺が禁止された空間です。自分は下されるであろう実刑判決の量刑の長さを「自殺権を剥奪され、自殺をお預けにされる期間」と理解します。
取り調べで刑事さんや検事さんから「社会復帰」という言葉が出て来たことがあります。自分は先ほど申し上げました通りに刑務所から出所後にすぐ自殺しますので、社会復帰はしません。犯罪は程度の差こそあれ社会に迷惑をかけるものです。その迷惑が限度を超えた犯罪者を社会から永久追放するために無期懲役が、世の中から追放するために死刑が刑罰として存在します。自分は結果としては大した罪にはなりませんでした。しかし、明らかに社会の許容限度を超えた事件を起こしたと認識しています。職業窃盗犯の更生とは意味が違うのです。自分みたいなのが社会復帰しては絶対にいけませんし、それを許す甘い社会であってはならないと思います。取り調べで刑事さんから冗談めかして、「出所したら物書きにでもなったら? 喪服の死神の前歴を生かすならそれしかないよ」と言われました。自分は「冗談じゃない! 自分はもう物を言ったり書いたりする資格のない人間なんだよ」と叫びたくなりましたが、黙っていました。(以下、省略)
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yotchan-blog · 2 months
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2024/7/24 9:59:30現在のニュース
京都観光、さらに混雑 府内入込数が最多7518万人 コロナ禍前超す(毎日新聞, 2024/7/24 9:48:41) 防災マップ GIS活用…豊中第一中生、専門家招き操作方法学習([B!]読売新聞, 2024/7/24 9:48:07) クレディセゾン、クレジットカードのリボ払い手数料上げ 金利上昇で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/24 9:43:08) 中国メーカー、米制裁対象企業に部品供給 対ロシア軍事支援疑い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/24 9:43:08) トランプ前大統領、カマラ・ハリス氏との討論会「何回でも受ける」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/24 9:43:08) 沼津で藤井聡太七冠 祝勝会 対局の振り返りや棋士座談会 「棋聖戦 新鮮で楽しかった」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 黒柳徹子さんら輩出、トモエ学園校長 小林宗作の業績を後世に 出身の東吾妻町で顕彰会発足(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 災害時のペット問題で啓発 「同行避難」足利市が指針 栃木県内市町初(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 茨城県出身2人目、真打ち講談師 松林伯知さんはこんな人 地元愛強く、歴史好き 9月凱旋公演は発売初日完売(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 被災地のアスベスト被害を防ぐため さいたまの市民団体 能登で調査、マスク配布(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 炎暑でも 元気で伸びやか 大宮花の丘農林公苑でサルビア満開(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 大釜まぜまぜ おいしくなぁれ 児童ら、狭山市のセンターで給食作り体験(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 埼玉県警・サイバーボランティア団体 日本語学校などの生徒参加 「外国人が被害遭わないように」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 鴨川市の太海周辺 南房総の自然と野鳥をご案内 元公務員の武田健治さん(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 戦後、外貨獲得の重要輸出品 GHQ占領下に作製 陶磁器製の小物171点 東金の城西国際大水田美術館(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) あす準決勝 東京学館−木更津総合 市立船橋−市原中央<高校野球・千葉>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 攻守の要「やりきった」 中央学院(3年)・颯佐心汰(さっさ・ここた)選手<高校野球・千葉>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 横浜と東海大相模 激闘制し、きょう頂上決戦<高校野球・神奈川>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) プール管理体制 文科省通知受け 川崎市長「今後は市教委で検討」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 前理事長の献金を返金 川崎市長「母子育成会」問題で(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 等々力渓谷の保全、再生へ 剪定、伐採費用の一部 ふるさと納税を活用(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 「すみだの歩き方 葛飾北斎」 「地球の歩き方」と区がコラボ第2弾(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 東西東京大会準々決勝 ベスト4 出そろう<高校野球・東京>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 踏ん張れず、悔い残る 東亜学園(3年)・深野汰生(たお)投手<高校野球・東東京>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 2人でやり切れ、後悔なし 修徳(3年)・斎藤純捕手、紘選手<高校野球・東東京>(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) <行ってみたら>生誕130年 武井武雄展(上)《星曜日》童話の脇役から「童画」へ(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 違法な舟券購入…1人で数千万円の職員も モーターボート競走会が内部調査 発覚22人全員を解雇(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/7/24 9:42:21) 日本生命vs日本通運 スタメン発表 都市対抗野球(毎日新聞, 2024/7/24 9:41:02) <視点>精神障害者解放を訴えた生涯 「当事者の誇り」忘れない 論説委員兼編集委員・田原牧:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/7/24 9:33:55) 国内最後のUFO型信号機、撤去へ 惜しむ声も…実は名古屋に進化版(毎日新聞, 2024/7/24 9:33:54) 「こんなやつに…」と思われたい 詐欺犯を警官が熱演、被害防止(毎日新聞, 2024/7/24 9:33:54) グーグル親会社、増収増益 広告が好調 AI検索は「若者の利用増」(朝日新聞, 2024/7/24 9:32:45) 米金融・映画界にカマラ・ハリス氏支持 反トランプ前大統領勢が献金再開 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/24 9:30:45) Heartseedの福田恵一社長「心不全治療の扉、iPS細胞で」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/24 9:30:45)
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sahasite · 5 months
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「演出家の読書術」5夜連続配信
(「演劇エリートスクール」第3期プレイベント) 2024年6月5日(水)〜9日(日) 各日19:00スタート(最終日のみ14:00スタート) 「演劇エリートスクール」第3期の開催に先立ち、配信イベント「演出家の読書術」を実施いたします。
「演出家の読書術」では、「演劇エリートスクール」第3期講師演出家の5人が20冊ずつ本を選び、語ります。 演出家たちは何を読み、何を考えてきたのでしょうか? 選んでみると意外に多い20冊、折々に受けてきた影響から、もはや手に取ることすら恐ろしい一冊まで、ジャンルレスに拾いあげます。 上演に関心のある方のみならず、新たな角度から書籍に出会いたい方や、並んだ本の背に喜びを覚える方にもぜひお聴きいただきたいと思います。
これまで演劇エリートスクールの募集告知では、講師演出家陣をイメージした選書棚をつくり、その背表紙を美術家たち(原田裕規、梶原あずみ、西澤諭志)に撮り下ろしてもらい宣伝ビジュアルとして用いてきました。 久々の再開となる第3期ではさらに講師演出家が自ら書棚を紹介する機会を設けて、スクールのイントロダクションとします。
本企画は『建築家の読書術』(TOTO出版、2010年)、なかでも中山英之「本のなかとそと」を参照し立案しました。記して感謝します。
【配信スケジュール】 サハYouTubeチャンネルより無料配信 https://www.youtube.com/@1989saha
第一夜 6月5日(水)19:00〜21:00  亀井純太郎(転回社) 第二夜 6月6日(木)19:00〜21:00  羽鳥嘉郎(けのび) 第三夜 6月7日(金)19:00〜21:00  村社祐太朗(新聞家) 第四夜 6月8日(土)19:00〜21:00  澄井葵(,5) 第五昼 6月9日(日)14:00〜16:00  持田睦(PuP)
【登壇者プロフィール】 亀井純太郎(転回社) 1977年福岡生まれ。劇作家、演出家。2001年に劇団「第七インターチェンジ」を旗揚げ。小学校から大学まで様々な教育現場での演劇ワークショップに携わるほか、「くまもと子ども芸術祭」舞台部門演出を務めるなど地域の芸能にも関わる。2015年よりミュージカルスタジオ「studio in.K.」を共同運営、小学校公演などを行なう。第二回「外山恒一賞」受賞。熊本学園大学非常勤講師。 https://tenkai.org/
澄井葵(,5) 岐阜県出身。演出家。明治大学文学部演劇学専攻卒業。自身のユニット「,5(てんご)」を旗揚げ以来、東京で活動していたが、2011年から地元に戻り、名古屋を中心とした活動を始める。人の持つ感覚や普通さに働きかけ、観客俳優問わず感覚を足したり引いたりして、よく台無しにする。最近は年1回程度上演しており、2023年は,5(てんご)公演にて「黒門児童遊園」を演出。
羽鳥嘉郎(けのび) 1989年ブリュッセル生まれ。演出家、「けのび」代表、サハ。ワークショップ「自治」シリーズや、石をおかずにご飯を食べる「おかず石」などを各地で展開。京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT フリンジ企画「使えるプログラム」ディレクター(2013-2014年度)、TPAM – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 アシスタント・ディレクター(2014-2017年度)。編著『集まると使える—80年代 運動の中の演劇と演劇の中の運動』(ころから、2018)。女子美術大学非常勤講師、立教大学兼任講師。 https://kenobi.org/
村社祐太朗(新聞家) 新聞家主宰。演劇作家。訥弁の語りを中心に据え、書くことや憶え繰り返すことを疎外せずに実現する上演に取り組んでいる。その最中には、様々な取り組みに目配りをしている。近作に『とりで』(2023、作・演出、THEATRE E9 KYOTO)、明倫茶会『生鶴』(2024、席主、京都芸術センター)等。戯曲『とりで』が第22回AAF戯曲賞大賞。2019-20年度公益財団法人セゾン文化財団セゾンフェローⅠ。2020-22年度THEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。 https://sinbunka.com/
持田睦(PuP) 1971年生。演出家。ヘルダーリンのピンダロス翻訳を原作とした『SoPrates』(2004年)を最後に12年間、演劇活動を休止する。石川達三の『鳳青華』(1938年)と白信愛の『旅は道伴れ』(1939年)を原作とした『朝、鮮、人!』(2016年)で活動再開。コロナ禍をきっかけに映像作品作りを開始し、YouTube上で、フランスの映画監督ユイレ&ストローブに倣った作品『あらゆる革命はさいころの一振りである』(2022年)を公開中。ユイレ&ストローブの研究者として、「追放! 追放! 追放! そして……、解放?——ユイレ&ストローブのカフカ映画『階級関係』の最後の風景 」を、『現代思想』(2024年1月臨時増刊号「総特集=カフカ」)に寄稿した。
【お問い合わせ先】 主催:サハ http://saha.fun/ 協力:汀線 https://www.teisen-books.com/ お問い合わせ:[email protected]
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【選書リスト】
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tohogakuenvfx · 7 years
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白組 岩本晶監督スペシャルトークイベント
 12月10日(日)に映画VFX専攻科・スペシャル体験入学として株式会社白組 岩本晶監督スペシャルトークイベントを開催いたしました。
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(株)白組 岩本 晶さん(映画監督・VFXディレクター)
1991年(株)白組に入社。おもな作品は、映画『シン・ゴジラ』CGディレクター、NHK Eテレ『にゃんぼー!』監督・脚本・演出、ゲーム『蒼焔の艦隊』PV・OPムービー監督、映画『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』監督・VFXスーパーバイザーなど。
 当日は大変多くの方にご参加頂き、大盛況のうちに幕を閉じることができました!
岩本監督の手がけられた作品のメイキングを元に、撮影時のエピソードを交えつつVFX(3DCG・合成・エフェクト・実写映像など)について詳しくお話し頂きました。
普段、完成した作品を見ているだけでは分からない制作過程でのこだわりや苦労、そしてVFXを用いた映像を制作するにあたって重要なポイントなど、これからクリエイティブ業界を目指す方々にとって、大変貴重なお話をお聞きすることができました。
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 岩本監督の映像制作に対するバイタリティを感じることができ、VFXを用いた映像制作についてポジティブな刺激を頂いたのは、私だけではないはずです(笑)!
参加者の方々には、12月9日(土)公開/白組制作/山崎貴監督「DESTINY 鎌倉ものがたり」の鑑賞チケットをプレゼント。
LINK:映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」公式サイト
 そして、抽選10名様に白組の全貌を垣間見る事のできる一冊「白組読本」+特典DVDをプレゼントさせて頂きました。
お忙しい中ご登壇頂きました岩本監督、そして諸々お手配を賜りました白組 粟飯原さまにこの場を借りて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
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-脚本、演出、VFXスーパーバイザーと、作品毎にマルチにご活躍されている岩本監督。自分で出来ることはなんでもやってしまうというスタンスから、映像に対する情熱が伝わってきました-
岩本監督は、映画VFX専攻科の学科アドバイザーとして、次年度よりレギュラー授業を受け持って頂きます。
本科にご興味のある方は、ぜひ体験入学・学校説明会・平日相談会にご参加ください!
■東放学園映画専門学校/映画VFX専攻科 http://www.tohogakuen.ac.jp/movie/vfx/
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2ttf · 12 years
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niconicogakkai · 5 years
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ニコニコ超会議2019 超学会コレクション ポスター/マッドネス出演者
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2019年4月27-8日のニコニコ超会議2019『超学会コレクション』内ニコニコ学会βの「ポスター発表」および「マッドネス発表(口頭発表)」の参加者をお知らせします。
マッドネスの発表時間は28日の11:00より行います。
場所はこちら超会議サイトをごらんください
牧田翠 (@MiDril)『エロマンガを統計的に分析してみた』
出展:ポスター&マッドネス
エロマンガを集計して分析してみたやつです
Shiki(@_DEMEMS_)『メル一般化ケプストラム分析を用いてアニメ声優さんの音声を比較してみた』
出展:ポスター&マッドネス
アニメキャラクターの声はアニメの重要な要素の1つである。 そのため、筆者含めアニメ好きの中には特定の声優さんのファンになることもしばしばで、好きな声優さんが出ているからそのアニメを視聴するという場合もある。 そして、長くアニメを見ていると声優Aさんと声優Bさんは演じてる声が似てるなと感じることがある。 気になってネットで検索してみると同様の組み合わせで話題になっていることがあるが、議論では「似ている派」と「似ていない派」で主張され収束しないことが多い。 その一因は聞こえる声が各視聴者の聴覚に依っており客観的な議論が難しいからだと考えられる。 一般に20代は16kHz,60代は10kHzまでしか聞き取れないと言われているのを例に取っても、耳が聞き取る音声は人によって異なっている。 そこで「メル一般化ケプストラム分析」という手法を用いて音声の視覚化を行い、声優さんの音声を比較する研究を行ったので、その結果を報告する。
http://www.sciencecafe-demems.com/
black(@scarletcanoe) 阿部高和(くそみそテクニック)のコスプレに対するイベント参加者の意識調査
出展:ポスター&マッドネス
【背景】くそみそテクニック(山川)は2000年代初頭よりネットブームとなっている。また登場人物である阿部高和のコスプレ(:阿部さんコス)はコミックマーケット(:コミケ)等イベントの風物詩と言える。そして昨今、コスプレ全般においてイベントでのマナーやエチケットが重視されている。
【目的】イベント参加者が阿部さんコスに持つ印象を明らかにする。
【対象】コミケまたはニコニコ超会議に参加した事のあるTwitterユーザー。
【方法】Twitterアンケート機能を用い72時間内で以下の質問に答えて頂いた。①阿部さんコスを生で見た事があるか。②阿部さんコスを好意的に思うか。③阿部さんコスはイベントのルールを守れていると思うか。
【結果および考察】回答者数73名、全体で①有77%、②思う74%・思わない6%、③思う83%・思わない2%であった。男女での有意差はなかった。好意的という票が多かったが不快・ルールを守れていないという票もあり、一層配慮して阿部さんコスを実施する必要がある。なお本検討の限界として匿名のため正確性に欠ける事、回答数が少なくバイアスが存在しうる事が挙げられる。
【結論】阿部さんコスの印象は概ね好意的ではあるが一層の配慮が必要である。
守本陽一(@lackooon)『地域のコミュニティを編み直すモバイル屋台de健康カフェ』
出展:ポスター
モバイル屋台de健康カフェは、医者や看護師など医療従事者が小さな屋台をひいて街を歩き、コーヒーやお茶をふるまいながら、地域のコミュニティの編み直す活動です。コーヒーを配る屋台の店員と話していたら、実は医者だった。そんな病院の外、日常生活での医療との偶然の出会いをデザインします。
https://yataidekenko.com
6時の公共(@pm6lp_npo)『まちづくりプレーヤーたちの軌跡』
出展:ポスター&マッドネス
地方公務員の自主学習会からスピンオフして誕生したNPO法人6時の公共。わたしたちは、まちづくりに関心のある人なら誰でも参加できる「みんなの学習会」を定期的に開催し、市民も議員も行政マンも一緒になって、まちづくりに必要な知識やノウハウを、真面目かつ楽しく学んできました。まちづくりを自分ごとに、本気で考える。そんな、この1年間の実践事例を紹介します。 また、6時の公共は、これからの地域の担い手となる高校生らに向けて、身近なまちづくりの仕組みをわかりやすく体験し、学んでもらうための教育教材(ボードゲームワークショップ)をつくるプロジェクトを始動します。 自治体運営を日頃専門の仕事とする「地方公務員」が中心のNPOだからこそ、学習会で学んだ知識や日中の仕事で培ったスキルをフル動員して、“リアルで楽しい���教材をつくっていく。そんな試みも併せて紹介します。
ちゃいなみ(@chronos273)『筑波大学で遊んでみた~大学をコンテンツ化してみる~』
出展:ポスター&マッドネス 
筑波研究学園都市に位置する筑波大学は、広大なつくばキャンパスの内に18000人近い学生を有する総合大学である。その一方で、筑波大学に在籍しているとしばしば「そんな学類があるとは知らなかった」「あの建物で誰がなにを学んでいるか知らない」「自分の学類以外とは関わりが無い」というような自分の所属する大学に対する無知や、興味関心の薄さを実感させられることがある。筑波大学は広大なキャンパスを有するが上に、学生個々人が自分達の大学の強みを理解していなかったり、共同体としての一体感を抱き辛い弊害が生まれてしまった。
『筑波大学で遊ぶ』というのは、筑波大学内で学生生活を謳歌することを指すのではなく“筑波大学”というコンテンツを形成することを指す。学生が分かる小ネタを交えながら、筑波大学をコンテンツ化することで、学生間の話題や興味関心のきっかけにし、学外者にも分かりやすいコンテンツ化で筑波大学を面白おかしく広報できないものかということを考える。
宮本 拓海(@tokyobat)『タヌキ調査開始20周年!東京コウモリ探検隊!&東京コウモリ探検隊!』
出展:ポスター  
東京タヌキ探検隊!、東京コウモリ探検隊!は皆様からの目撃情報を集計・分析する参加型のサイエンス・プロジェクトです。東京タヌキの調査が始まってから今年は20周年。東京タヌキ探検隊!が記録した目撃情報は累計5000件を超えました。ハクビシン、アライグマ、アナグマ、キツネも含めて全国の目撃情報も対象にしています。東京コウモリ探検隊!は7年目をむかえます。東京都23区でのアブラコウモリの生息分布が明らかになりつつあります。冬眠期間中の真冬も観察を続け、低温下でのアブラコウモリの活動を確認しました。目撃情報の蓄積によって動物たちのさまざまなことがわかってきました。皆様もぜひご参加ください。
http://tokyotanuki.jp
onewan(onewan)『素数大富豪AIの機械学習における考察』
出展:ポスター   
素数大富豪は、日本中で広く親しまれている大富豪をベースにしたトランプゲームで、趣味数学界隈では近年熱狂的なファンが生まれ、大会や研究会が開催されるに至っている。インターネット対戦が可能なアプリやWebサイト、またコンピュータと対戦出来るWebサイトもある。 しかしながら、機械学習を用いたコンピュータ素数大富豪のプログラムは今の所見当たらない。 一方で、通常の大富豪(大貧民ともいう)の研究では、UEDdaという大貧民のコンピュータプログラムの大会が開催されており、近年、機械学習の手法で従来の最強プログラムであったモンテカルロ法を用いたものよりも強いプログラムが開発されている。 素数大富豪では、基本的に素数しか出せないという制約上、素数判定を一瞬で行えるプログラムでは、手札全てを同時に出すことも可能なため、人間が勝つことが困難となる。 そこで、本研究では、ルールを調整した上で、戦略的な意味で強いプログラムを作ることを目指す。
大森こーたろー(@kyo_kurukuru)『声で存在を問うメディアアート作ってみた』
出展:ポスター&マッドネス 
 声は色々な形態を持つものであり、存在を伝達し、規定するものである。一例としてコオロギは鳴き声によって存在を認知されている。聴覚的な存在としてのコオロギは映像作品の演出に用いられるなど、心地よいものとして広く受け入れられている。一方で見た目は醜悪なものとされており、敬遠される。そこでコオロギの存在から聴覚の部分のみを取り出すことで、視覚的存在としてのコオロギと聴覚的存在としてのコオロギを並べて比較することのできるメディアアートを制作した。 また異なる問題として、人間の声と他の生物の声の意味合いには違いがあるのかというものがある。そこで人間の声のドメインを異なる生物のものに変換した音声を用いて生命を表現するメディアアートを制作した。これらによって声と存在の関連に対する問題提起を行った。
ぞうち(@rgbten084)『Deep Learningでインスタグラマーになった話』
出展:ポスター&マッドネス 
 インスタ映えが一般名詞として定着しつつある昨今,明確に映えている写真やそうでもない写真が日々インターネットの海に放流されている. そんなインターネット上に漂う,美しさとエモさと自己顕示欲をGPUに投げ込み,イテレーションの果に生み出されたAIが見せる世界と作成方法について解説します."
https://www.instagram.com/insta_ba_ai/
nobi(@log_25)『ニコ生統計2019』
出展:ポスター 
 ニコニコ動画・ニコニコ生放送の各種データを収集している。 今回はその中からニコニコ生放送のデータを通じて、最近の状況を観測する。 なお、過去に2012年・2016年・2018年に出展している。
https://ch.nicovideo.jp/promath/blomaga/ar1517860
医療美術部(@medicalillust)『菌娘と学ぶ感染症:入門編』
出展:ポスター  
菌を美少女に擬人化したキャラクター「菌娘(きんむす)」とともに感染症の特徴や予防法を学んでみよう。
本間洋輔『心臓突然死からの復帰を当たり前の世界にするために、AEDと胸骨圧迫について真面目に考えてみる』
出展:ポスター    
心臓突然死は日本で現在1日200人以上に起こっている身近な問題である。心臓突然死の現場にいる人(バイスタンダー)による胸骨圧迫とAEDの実施で救命率は4倍上昇する。しかし、AEDの使用率は5%未満とまだその実施率は低く救命率も10%未満と低い。東京マラソンにおいてはAEDの使用率、救命率ともに90%を超えている。すなわち、バイスタンダーによる救命処置がもっと普及すれば救命率はもっとあがるはずである。今回の発表では、日本における心臓突然死の現状を紹介するとともに、バイスタンダーによる胸骨圧迫とAED実施率の改善のための様々な取り組みについて紹介する。さらに、ニコニコ超会議参加者の皆さまより、バイスタンダーによる救命処置の改善のためのアイディアを募集したい。当日はみんなで作るAEDマップアプリケーションである「AED N@VI」を使って実際にAEDを登録してもらうことと、AEDと胸骨圧迫の体験会をポスター前で行う予定である。 https://aed-navi.jp/
あしやまひろこ(@hiroko_tb)『バーチャルを錬成する。バ美肉フレグランスへの道。』
出展:ポスター&マッドネス 
 女の子を合成する試み「女の子ホムンクルス計画」の一つの応用または解として、バーチャルタレントの具現化であるところの「バ美肉フレグランス」(※)(※※)を開発した。本発表では、ここに至るまでの過程についての説明及び、現物の披露をする。ここに至るまでに、女性20名以上の体臭を分析し、数系統の香りを見いだし、それに合致する香料を入手し、加えて先行研究を参照しつつ、組み合わせることで基材や試験ロットを考案した。さらに今回はこれを発展させ、基本的な考え方は先のレシピを基にしつつも、バ美肉キャラクタの身体設定等から、個々の香りを作成した。ここでは、仮想空間にのみ存在するキャラクタを現実世界に具現化する試みという側面もあるが、具現化された香料はそのキャラクタの匂いとして体験者に対峙するように働くのである。これはすなわち、香りを用いた原義としての「バーチャル」の実現と言えよう。※バ美肉とは、バーチャル美少女(セルフ)受肉のことであり、可愛い女子のアバターを用いて、配信等を行う者のことである。特に、男性がこれを行う時に使われる語である。※※現在のラインナップは「兎鞠まり」「マグロナ」「あんず」「オニャンコポン」であり、いずれもバ美肉配信を行っているキャラクタないしはタレントである。
http://www.hirokotb.com
☆(@hoshistar81)『DIY音響浮揚装置を学術化してみた
出展:マッドネス 
 過去のマッドネスにおいて、DIY音響浮揚装置について2回報告した。その後、機会を得てはワークショップやイベントでのデモ展示を行い、ユーザフィードバックを収集した。また結果をまとめた論文を情報処理学会論文誌に投稿したところ、特選論文に選ばれるという学術的栄誉を得た。この論文ではマッドネス発表も引用している。この一連の取組みについて、平成最後のマッドネスにて報告する。
http://hoshistar81.jp/index_j.html
山口 浩(@HYamaguchi)『ロボット・AIとの「親密な関係」と「家族関係の社会化」』
出展:マッドネス 
 本稿で著者はロボットやAIなどの「仮想人」との親密な関係に関する新しい視点を提供する。近年の技術開発により生み出される高度なロボットや人工知能は近い将来多くの人々にとって親密な関係のパートナーとなりうる。このような考えは女性の物質化につながるまたは非倫理的であるといった厳しい批判を受ける恐れもあるが、これはむしろ性的少数者やさまざまな困難を抱えている人々のQOL向上の問題と考えるべきである。 1990年代後半の日本における介護保険制度導入時の議論を援用し、著者はこれを家族関係の「社会化」、すなわちビジネスによって提供される製品やサービスである仮想人が家族の一員となり、結果として家族内の親密な関係の一部が社会で共有される現象として位置付ける。「介護の社会化」として導入された介護保険制度が日本女性の介護負担を軽減しQOLを向上させたように、家族関係の社会化としての仮想人の導入も、世界に数多くいるであろう困難を抱えた人々のQOLを改善するものと思われる。
 https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3213799
河村聡人(@aDAVISk)『昔の太陽を古文献で研究してみた』
出展:マッドネス 
 「超みんなで翻刻してみた2019」(HALL9-D11)より出張してお邪魔します。科学的観測が不十分な時代の太陽活動を、古文献に眠るオーロラの記録を探すことで解き明かそうという研究をしてます。
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theatrum-wl · 6 years
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一��は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に���うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
3 notes · View notes
shintani22 · 3 years
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2022年3月16日
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「FIFAワールドカップカタール2022アジア最終予選(Road to Qatar)」の日本代表メンバーに、佐々木翔選手が選出!
W杯懸けた大一番も地上波放送なし サッカー日本代表の豪州戦(毎日新聞)
サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会のアジア最終予選でB組2位の日本は24日、アウェーのオーストラリア戦に臨む。勝てば11月開幕の本大会への7大会連続出場が決まる大一番だが、地上波での放送は予定されていない。国内で中継を視聴できるのは、映像配信サービスDAZN(ダゾーン)の加入者のみとなる。
昨年9月に始まった最終予選はDAZNが放送権を獲得し、全試合を配信してきた。日本のホーム戦はテレビ朝日が放送してきたが、アウェー戦は地上波などでのテレビ放送はなかった。アジア・サッカー連盟(AFC)が管理する放送権料の高騰に加え、中東などで行うアウェー戦は深夜帯で高視聴率が期待できないことも要因となった。
日本サッカー協会の田嶋幸三会長は2月に「自腹を少し払ってでも地上波で放送できないだろうか。とにかく多くの人に見てほしい」と語り、オーストラリア戦に向けてDAZNを含む関係先との交渉・調整に乗り出したが実現しなかった。DAZNは「加入いただいている皆様にとってフェアなものではない」とコメントした。
鹿屋体育大の森克己教授(スポーツ法学)は「注目されてきたスポーツイベントで、誰もが無料で視聴できるわけではないという環境が続けば、その競技の人気低下につながる恐れもある。統括する競技団体は、魅力を伝えるためにも適正な放送権料を設定する必要がある」と話す。【村上正】
宮城県と福島県で震度6強の地震 津波注意報も:気象庁
気象庁によれば、16日午後11時34分ごろ、宮城県と福島県で震度6強の地震がありました。津波注意報も発表されています。
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脱線のJR東新幹線、廃車へ 台車や機器、影響不明で―福島沖地震(時事通信 10月20日)
JR東日本は20日、福島県沖を震源とする今年3月の地震で脱線した東北新幹線「やまびこ223号」(17両編成)のうち、E6系の7両について、使用廃止手続きを進めると発表した。来年度以降、廃車にする予定という。
同社によると、外観では安全上の重大な欠陥はなかった。しかし、台車や車体内部の配線、搭載機器に影響がないかまでは確認できなかったため、営業列車としての使用には適さないと判断した。
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中央図書館など移転費用も 広島市議会の委員会で可決 新年度予算案(RCCニュース)
広島市の中央図書館を中央公園から広島駅南口に移転する費用などを含む新年度予算案が、広島市議会の予算特別委員会で16日、賛成多数で可決されました。
広島市は、中央図書館・映像文化ライブラリー・こども図書館をJR広島駅前のエールエールA館に移転する計画です。このため、移転に向けた設計などの費用として、新年度一般会計予算案に1億7730万円を計上していました。
これに対し、広島市議会の一部の会派は、「移転は拙速だ」などとして、移転費用の大部分を削除した予算案の修正案を提出していました。
しかし、予算特別委員会での採決の結果、修正案は否決されました。
そして、当初の新年度予算案が賛成多数で可決されました。あす17日の本会議で採決が行われ、可決・成立する公算が大きくなっています。
サブ駅名は「安田女子中学高校前」 アストラム白島駅開業以来、命名9駅目(中国新聞)
新交通システムのアストラムラインを運行する広島高速交通(広島市安佐南区)は4月から、中区の白島駅に正式名称と並べて使うサブ駅名として「安田女子中学高校前」を付ける。駅近くで中学、高校などを運営する学校法人安田学園(安佐南区)と有償で契約。サブ駅名の命名は9駅目となる。
牛田駅(ビッグウェーブ前)
不動院前駅(比治山大学前)
安東駅(安田女子大学前)
上安駅(動物公園口)
長楽寺駅(交通科学館前)
伴駅(広陵学園前)
大塚駅(市立大学口)
広域公園前駅(修道大学前)
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ウクライナ侵攻で勢いづく改憲派 自衛隊明記など念頭に安倍元首相ら 専門家「便乗だ」「プーチンと同じ」(東京新聞)
ロシアのウクライナ侵攻を受け、米国の核兵器を日本に配備して共同運用する核共有論に加え、与野党の改憲勢力内で「憲法に自衛隊を明記すべきだ」との9条改憲論が勢いづいている。有事の際、武力で国民を守る国家の意思を明確にすべきだとの主張だが、現行憲法の解釈でも自国への攻撃を排除する個別的自衛権の行使は可能。専門家は有事に便乗して「力の論理」が増幅しかねないと警鐘を鳴らす。(村上一樹)
論争のきっかけは、改憲に反対する共産党の志位和夫委員長が先月24日につ��やいたツイッター。「仮に(ロシア大統領の)プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条だ」と発信した。もし日本でプーチン氏のような指導者が現れても、9条で日本が侵略国家になることに歯止めがかかるとの論理だ。
これに対し、自民党総裁時代に、9条への自衛隊明記など改憲4項目の党政策をまとめた安倍晋三元首相が反応。今月3日の派閥会合で「空想にとどまって思考停止」と酷評し「問題なのは、武力行使をいとわない国が隣国にある場合、どうなるかだ」と主張した。
日本維新の会代表の松井一郎大阪市長も2日、9条への自衛隊明記に関し「バージョンアップする必要がある」と記者団に明言。「日本が攻められたときには、国民を守るために武力行使すると無法国家に明確に伝えるべきだ」と訴えた。維新の三木圭恵衆院議員も3日の衆院憲法審査会で「今の憲法のまま国民の命を守れるのか。覚悟を持ち、9条を含む改憲の議論を行うことが真に求められている」と強調した。
◆一問一答・「9条の会」田中優子・法政大前総長 ウクライナ侵攻での改憲論に「いつも機会狙っている」「現行憲法は人類の理想」
たなか・ゆうこ 1952年、横浜市生まれ。法政大社会学部教授、社会学部長、総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。現在は法政大名誉教授、江戸東京研究センター特任教授。市民団体「9条の会」世話人。
 ウクライナ情勢を受けて自衛隊明記の改憲論が強まっていることに関し、9条の理念を尊重する有識者らのグループ「9条の会」世話人の田中優子・法政大前総長に評価や9条の意義などを聞いた。
 ―ウクライナ侵攻によって、9条を変えるべきだとの声が強まっている。
 「便乗だ。新型コロナウイルス禍では、憲法に緊急事態条項をつくろうとの声が上がった。改憲派はいつも機会を狙っている。便乗というだけでなく、9条を変えて『力の論理』にひた走ろうとすれば(ロシアの)プーチン大統領と同じ思考になってしまうのではないか」
 ―改憲派は自衛隊を明記すべきだと主張する。
 「9条はあのまま堅持していい。自衛隊法もある。憲法で全部判断しているわけではない。現行憲法は特に9条と前文で、日本のみならず世界がどの方向に向かうべきかという人類の理想が入っている。その理想は捨てるべきではない」
 ―9条の下、日本が反撃できないまま攻められることが起こり得ると懸念を持つ人もいる。
 「9条は自衛権を否定していないし、変えなくても自衛できる。万が一、ロシアが日本に攻めてきた場合、自衛隊は自衛する。その時に(9条の理念を逸脱して)ロシアに攻めに行く必要はない。ウクライナ軍もロシアに攻め入っていない。(改憲派は)まるで何もできないかのように言うが、成り立たない議論を改憲の道具に使っている」
 ―9条堅持のためにやるべきことは。
 「いろんなことに便乗し、そのたびに起こる改憲論に対して『私たちは乗らない』と多くの人が言っていく必要がある」
「核共有」 自民の会合で議論 導入に積極的意見出ず(NHKニュース)
アメリカの核兵器を同盟国で共有する「核共有」について、自民党の会合で議論が行われましたが、出席した議員から導入に積極的な意見は出されなかったということです。
アメリカの核兵器を同盟国で共有する「核共有」をめぐっては、ウクライナ情勢を受けて、自民党内からタブー視せずに議論すべきだという声が出ていますが、政府は「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を堅持する方針で核共有は認められないとしています。
こうした状況を受けて、自民党は16日の安全保障調査会の会合で、核共有について議論を行い、3人の有識者が、核共有を行っているNATO=北大西洋条約機構では、一部の加盟国にアメリカの核兵器を置く形で運用されており、アジアとは状況が異なるなどと指摘しました。
これに対し、出席した議員からは核共有の導入に積極的な意見は出なかったということです。
自民党は、国家安全保障戦略など安全保障関連の3つの文書の改定に向けて、ことし5月をめどに提言をまとめる方針で、会合のあと、宮澤博行 国防部会長は「議員から核共有を積極的に行うべきという意見や質疑は皆無に近かった。私としては、提言に核共有ということばや非核三原則の見直しは盛り込まない」と述べました。
北朝鮮 飛翔体発射も直後に失敗か 韓国軍発表
韓国軍合同参謀本部は16日、北朝鮮が同日午前、平壌近郊から飛翔体を発射したが、直後に失敗したもようだと明らかにしました。
ロシア 欧州評議会からの脱退を通知
ロシア外務省は15日、人権保護などを目的とする国際機関、欧州評議会からの脱退手続きを開始すると発表し、マリヤ・ペイチノビッチブリッチ事務局長に脱退の意向を通知したと説明しました。
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ロシア、ウクライナで「戦争の実験場」再現か シリアでの戦術に酷似(AFPBB)
【3月16日 AFP】都市の包囲や民間インフラへの砲撃、市民を退避させる「人道回廊」の設置──。ウクライナ侵攻でロシアが採用している戦術は、シリア内戦に軍事介入して反体制派を弱体化させるために試し、微調整を加えてきた手法に酷似している。
ただし、作戦計画は異なるものとなる。シリアの反体制派武装勢力には、軍事力も国際社会からの広範な支援もなかった。西側の支援を受けたウクライナ軍は、いずれの点も大きく上回っていると、アナリストは指摘する。
ロシアは2015年、バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)政権を支援するためにシリア内戦に介入。10年超に及ぶ内戦における決定的な戦いで、政権側に勝利をもたらしてきた。
ウクライナでも、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が先月24日に侵攻を命じて以降、大規模なロシア軍部隊が進攻。都市中心部に砲撃を加えたり、多数の民間人に避難を強いたりし、国際社会から激しい非難の声が上がった。
ロシア軍が民間人居住区を標的にしていることを示す多くの証拠があるにもかかわらず、ロシア側はこれを否定。これに対し、西側主要国や人権団体は、戦争犯罪の可能性があると糾弾している。
フランス軍事筋はAFPに「シリアは小さな舞台だった」とし、ロシアのウクライナ侵攻で特筆すべきは「規模の違い」だと語った。
ただロシア軍は、シリアで複数の兵器体系の試験を実施し、重要な実戦経験を積んだ。ウクライナで採用されている戦術の多くも、シリアでの経験から導き出されたものだ。
アナリストのファブリス・バランシュ(Fabrice Balanche)氏は「ロシアにとってシリアは兵士や装備の実験場だ」と解説する。
■恐怖をあおる戦術
人権団体は、アサド政権が反体制派を要衝から排除するため、民間人居住区を包囲したり、インフラを爆撃したりするのをロシアが支援してきたと批判している。
バランシュ氏は、アサド政権のてこ入れに向け、経済の中心地である北部アレッポ(Aleppo)や首都ダマスカス周辺の反体制派支配地域を含む「大都市を制圧することが、ロシアの初期の目標だった」と分析する。
同氏によると、ロシア軍はウクライナでも首都キエフやハリコフ(Kharkiv)、オデッサ(Odessa)を含む重要都市に向けて進攻し、シリアと同じようなパターンを踏襲したが、それにはウクライナの統治体制の正統性を奪う狙いがあった。
病院や学校を標的とした無差別爆撃も、民間人の「恐怖をあおる」ためにシリアで用いた戦術と同じだと、同氏はみている。
ソーシャルメディアに投稿された、戦争の記録を保存する非営利団体「シリアン・アーカイブ(Syrian Archive)」によると、シリアでは2011年以降、ロシア軍やアサド政権によって医療施設少なくとも270か所が攻撃された。人権団体によれば、2016年のアレッポへの攻勢などで、学校や市場も標的となった。
バランシュ氏は「ロシアは軍事的な標的を爆撃した後、民間人の生活を壊して退避に追い込もうと、医療やエネルギー関連のインフラを次に狙う」と指摘。「市民が去れば、軍の進攻は容易になる」と語った。
国際人権団体の���ューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)とアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は先月、ロシア軍がハリコフで病院や学校に対してクラスター弾を使用したと非難した。
今月9日には、南東部の港湾都市マリウポリ(Mariupol)にある小児科・産婦人科病院を空爆したとされる。ウクライナ政府によると、少女を含む3人が死亡した。これを受けて国際的に非難の声が高まり、主要国はロシアが残虐行為を働いていると糾弾した。
■異なる戦場
もう一つ類似する戦術として、包囲した都市からの市民を退避させるための「人道回廊」が挙げられる。専門家によると、これもシリアで試された戦術であり、包囲された反体制派支配地域から国際的な保障のないまま避難する民間人は、時に死傷したり、拘束されたりする。
シリアとは状況が異なる点もある。米首都ワシントンにあるシンクタンク、ニューラインズ研究所(Newlines Institute)のニコラス・ヘラス(Nicholas Heras)氏は「シリアでロシア軍は、親アサド派部隊に助言したり、援護したりする際、空軍力や特殊部隊に主に依存していた」のに対し、「ウクライナではロシア軍自体が(主要な)戦闘部隊になっている」と解説する。
またヘラス氏は、相手の戦闘能力という面でも大きな違いがあると指摘する。ロシア軍は現在、対空砲や対戦車砲などを西側諸国から供与されたウクライナ軍と戦っているが、「ロシア軍が完全に優勢だったシリアでは、マイナーリーグに参戦したようなものだった」と話した。
とはいえ、ロシアの有力シンクタンク、ロシア外交問題評議会(Russia International Affairs Council)のアントン・マルダソフ(Anton Mardasov)客員研究員によれば、ロシアは兵器体系についての感覚を磨いてきた。
マルダソフ氏は「(ロシア軍は)シリアで使用した地対空の精密誘導兵器の欠点を修正した」とし、「ウクライナでは精密誘導兵器を積極的かつ正確に使用している」と述べた。
ロシア側のシリア志願兵に5万8000人 在英NGO(AFPBB)
【3月15日 AFP】在英NGOのシリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)は15日、ウクライナに侵攻したロシアが、シリア軍関係者やシリア政権側の民兵組織員ら志願兵約4万人分のリストを作成したと伝えた。このほか、シリア政権側を通じて1万8000人が志願しているという。
同監視団によると、ロシア軍側は、シリア軍や政権側民兵組織と調整して、シリア国内の体制支配地域で志願兵の登録事務所を開設した。監視団のラミ・アブドルラフマン(Rami Abdel Rahman)代表は、「ウクライナでロシア側と共に戦うために4万人以上のシリア人が登録した」と述べた。
ロシア政府は先週、シリアからを含め、国外からの義勇兵を受け入れると表明。先月24日に始めたウクライナ侵攻での攻勢を強めるため、11年に及ぶシリア内戦で戦闘経験を積んだシリア人を勧誘している。
監視団によると、シリアでの兵士の月給は15〜35ドル(約1800~4100円)だが、ロシアはウクライナでの戦闘の報酬として1100ドル(約13万円)を提示している。また、負傷時には7700ドル(約91万円)、戦死した場合には、遺族に1万6500ドル(約190万円)を提供するという。
監視団によれば、シリアの政権与党バース党(Baath Party)を通じて、別に1万8000人が志願兵として登録しており、ロシアの民間軍事会社「ワグナー・グループ(Wagner Group)」が審査する運び。
これまでのところ、ウクライナに向けてシリアから志願兵が出発したとの確認された情報はないという。
シリア内戦11年、イドリブで大規模集会 ウクライナに連帯も(AFPBB)
【3月16日 AFP】シリアで15日、内戦のきっかけとなった反政府デモが始まってから11年を迎え、反体制派が拠点とする北西部イドリブ(Idlib)で大規模集会が開かれた。ロシアによるウクライナ侵攻に対し国際的な非難の声が高まる中、シリア政府を支援するロシアに抗議し、ウクライナへの連帯を示す参加者もいた。
イドリブ市の中央広場で開かれた集会には5000人以上が参加。同市で行われた集会としてはここ数か月で最大規模となった。
シリア政府の主要支援国であるロシアがウクライナを侵攻したことをきっかけに、シリアの現状に再び関心が集まることを期待する参加者も多い。
ラドワン・アトラシュ(Radwan Atrash)さんはAFPに、「ウクライナで起きていることは、ここで起きたことと似ている。敵も、目的も同じだ」と語った。
ウクライナ国旗のほか、ウクライナ人への連帯を示し、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領への制裁を求めるポスターや横断幕を掲げる人もいた。
シリアでは2011年3月15日に始まった反政府デモが全国に広がり、内戦に発展した。
プーチン氏が軍事介入を決めたことで、バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領はなんとか政権を維持できたとみられている。
内戦でこれまでに50万人が死亡した。その多くはシリアやロシア、イランなどの軍のほか、武装勢力の攻撃により亡くなった。
英国、フランス、ドイツ、イタリア、米国は共同声明を発表し、「(シリア内戦が)11年目を迎えた今年、ロシアはウクライナに侵略した。両紛争でロシアの非道かつ破壊的な行動が浮き彫りになった」と非難した。
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【本日 (3/16)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 163人死亡 5万7922人感染 (16日18:20)(NHKニュース)
青森県 新型コロナ 1人死亡 新たに522人感染確認(NHKニュース)
群馬県 新型コロナ 3人死亡 新たに721人感染確認(NHKニュース)
埼玉県 新型コロナ 9人死亡 3933人感染確認 前週比約350人増(NHKニュース)
茨城県 新型コロナ 1人死亡 新たに1261人感染確認(NHKニュース)
千葉県 新型コロナ 9人死亡 新たに3260人感染確認(NHKニュース)
【速報 JUST IN 】東京都 新型コロナ 1万221人感染確認 21人が死亡 先週水曜日より600人余減
東京都内 新型コロナ感染減も 10歳未満が多い状態続く(NHKニュース)
新規陽性者が減少するなか、東京都内では「10歳未満」の子どもの感染が年代別で最も多い状態が続いています。
今月に入って14日までの都内の新規陽性者、13万3166人を年代別にみると「10歳未満」が最も多い2万5242人で、全体の19.0%を占めています。
13.2%の「10代」を合わせると、今月は新規陽性者のおよそ3人に1人が20歳未満となっています。
都内の新規陽性者は減少していますが、大人と比べて子どもは減少のスピードが遅く、全体に占める割合が高くなっています。
第6波で都内の7日間平均がピークとなった先月8日時点と、14日時点を比較すると年代別では▽20代が38.8%▽30代は43.7%と、ピーク時の4割前後まで減っています。
また▽65歳以上の高齢者は32.3%と、およそ3割まで減少しました。
これに対し▽10歳未満は14日時点で63.5%▽10代は57.5%で、減少はしているもののピーク時の6割前後にとどまっています。
神奈川県 新型コロナ 13人死亡 新たに4510人感染確認(NHKニュース)
静岡県 新型コロナ 1人死亡 新たに1364人感染確認(NHKニュース)
愛知県 新型コロナ 14人死亡 新たに3761人感染確認(NHKニュース)
京都府 新型コロナ 一日で最多10人死亡 新たに1320人感染確認(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 36人死亡 5739人感染確認 先週比1000人余減(NHKニュース)
兵庫県 新型コロナ 3人死亡 新たに2985人感染確認(NHKニュース)
熊本県 新型コロナ 2人死亡 新たに632人感染確認(NHKニュース)
韓国、新型コロナ新規感染者が40万人超 過去最多(ロイター)
[ソウル 16日 ロイター] - 韓国疾病予防管理庁(KDCA)は16日、新たに40万0741人の新型コロナウイルス感染者を確認したと発表した。過去最多となる。
オミクロン株が流行しているが、政府は社会的距離規制の一段の緩和を目指している。
ブラジルで新たな変異株「デルタクロン株」の感染例 保健相
ブラジルのケイロガ保健相は現地時間15日、新型コロナウイルスの新たな変異株「デルタクロン株」の国内での感染例が見つかったことを明らかにしました。症状などの詳細は明らかにしていませんが、監視を続けるとしています。感染者は米欧でも確認されています。
「ゼロコロナ」を止められない中国に訪れた、オミクロン株の「試練」
厳格な水際対策と隔離措置、そして徹底した検査を組み合わせた中国式の「ゼロコロナ」政策。しかし感染力の強いオミクロン株が試練となっています。ロックダウンとなった都市では何が起きているのか。ゼロコロナから転換しづらい理由は何か。
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせ���受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わっ��。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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