Tumgik
#波の上ビーチ
iktsarpok · 1 month
Text
あいかわらず
サトウキビ畑の暗い道を出勤
ペルセウス流星群が極大をむかえると聞いて、いつもより2時間早く家を出た
サトウキビ畑の道をときどき(おっととと)つまづきそうになりながら、空を見上げて歩いて、さらに近くのビーチにも寄ってみた
波音を聴きながら満天の星を見上げる。星が流れる、なんて素敵でしょ
そんな画像もあげたかったけど、私のスマホには無理だったみたい。(まっっ暗な画!)
せめて、寄せる波の音を。
そして、
待つのを諦めて砂浜を去ろうとしたとき、目の前を流れていった12個めの流れ星のことも想像していただければ…
(*´∀`*)
10 notes · View notes
quotejungle · 1 month
Quote
ヒトデを海に投げ返す子供の古い寓話のようなものです。ご存知でしょうが、男性が何千ものヒトデで覆われた浜辺で子供に出会います。子供はヒトデを一つずつ海に投げ返しています。男性はあざ笑います。「多すぎるよ! 君が何かを変えるなんてありえない」子供は別のヒトデを拾い上げて波間に投げ込み、「あれは変えたよ」と言います。 本当の力は、ヒトデ 1 匹を救うことではありません。10 人の人々にビーチに集まってもらうよう促すことです。そして、その 10 人がさらに 100 人を刺激します。突然、あなたの手の中にムーブメントが生まれます。それが物事を成し遂げる方法です。
助けてくれる人を探すのはやめよう。助ける人になりなさい。 | ジョアン・ウェステンバーグ | @westenberg | 2024 年 7 月 | Medium
15 notes · View notes
flamingo-rex · 20 days
Text
Tumblr media
2024.09.01
台風10号は西日本は、ほぼ被害なく
そして、あれだけ九州で停滞してたのに
通過する速度は半端なく速くて
あっ!と言う間に紀伊半島へ
つまり、温帯低気圧に変わるのが速く
勢力は衰えて行った
先週、高知でジャンククローズだったが
某シークレットポイントは爆裂!
シークレットポイントは、アップ出来ないので
スルーしてたが、台風一過で戻りのウネリを
日本海側が拾ってるだろう!と
Cat ch.22終わりで、そのまま海へ
昨日は、凄い良かったらしいが
1日経過するとサイズダウン
まあ、朝一は良かったんだけどね
朝8時くらいから、徐々にサイズ落ちて来て…
10時には、殆どの人が上がっちゃったけど
偶のセットで、良い波来るから
上がれなくなって4時間入り放しで
サーフィンしてました
Tumblr media
とは言え、ラッキー🐕を車で待機させてるんので
日陰とは言え、(ちゃんと水や対策してる)
可哀想だから、一回、ラッキー🐕の様子見
さっき言った様に、途中から貸切で
ビーチにも人気が無くなったから
ラッキー🐕をビーチ解放
 
適当に遊んで、日陰で寝てるラッキー🐕を見ながら
サーフィン楽しみました
帰りは、少し遠かったが、オススメのお店へ
Tumblr media
魚屋さんが経営する直橋で、豪華な海鮮丼。
Tumblr media
そして、温泉♨️へ
Tumblr media
美又温泉♨️は、駐車場に日陰が無く諦めました
Tumblr media
なので、過去に行った事ある、有福温泉へ
こちらの駐車場は、日陰バッチリな場所あるからね
この動画は、美又温泉で鴨🦆ちゃんが
沢山居たので撮影。
さー全部で何匹いるでしょう〜?的な事だったのだが
撮影中に、ある事に気付きビックリ!
鴨🦆どころではありません!
さぁ、何が映り込んでるでしょうか??
3 notes · View notes
bearbench-img · 3 months
Text
スナノシロ
Tumblr media
砂の城は、砂を使って作られる一時的な建造物です。一般的に砂浜や砂場などの砂地で作られます。砂の城作りは、砂を固めて積み上げたり、掘り込んだりして形作っていきます。バケツやシャベルなどの道具を使って、複雑で精巧なデザインに仕上げることもできます。
砂の城は、砂の彫刻の一種とも言え、芸術的な表現としても認識されています。プロの砂像彫刻家もいますが、ビーチで遊ぶ子供たちや家族でも楽しめます。砂の城作りは、創造性や建築技術を試すだけでなく、チームワークや忍耐力を養うのにも役立ちます。完成した砂の城は、写真を撮ったり、コンテストに出品したりして楽しむことができますが、砂なので最終的には波や風によって崩れてしまいます。
手抜きイラスト集
2 notes · View notes
tutai-k · 2 years
Text
ただそこを歩いていたいだけ、ただそこに立ち止まっていたいだけ
新しい仕事が始まって、二度目の週末が来た。日・月が休み。土曜日に出勤するというのが、じつは結構久しぶりの(十年ぶりくらい?)ことで、少し新鮮。一緒に出かけたい友人も数える程度しかいないので、休みがあわなくて……という悩みはそんなに頻繁に起こらないだろう。 いまのところ、驚いているのは、あんなに起きられなかった朝がスムーズに起きられて、支度を調えてもまだぼんやりする時間があると言うことだった。前の労働、前の前の労働ではそんなことがまったくできなかったので、一ヶ月間、療養したことは意味があったんだなと思った。 通勤は電車になった。ラッシュを過ぎた時間に乗るので、座席を確保できるから本が読める。 今週は『夜明けまえ、山の影で エベレストに挑んだシスターフッドの物語』(シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァド著 多賀谷正子訳 双葉社)を読んだ。 サバイバーの女性たちとともにエベレストの麓へ向かうこと、父の暴力・家事を手伝いに来ていた男性からの性暴力、そこから逃げ出してアメリカへゆきレズ��アンとしての自分を母に受け入れられずに苦しんだ遍歴……。 女性たちとのシスターフッドを構築するトレッキングから、エベレストのサミット・プッシュへ向かうチームに切り替わると、そこはもう男性しかいない世界になる。 男性のために規格された登山用品をなんとか使い、男性のために整備された登山道をゆく……頂上付近では、人体は心肺機能を維持するために身体のほとんどの機能を停止させるのに、それでも子宮だけは動きつづけるままならなさに歯がみする。 男たちが「征服」を試みる路を、筆者は傷つけられた尊厳を修復する路として歩んでいく。傷つき、苦悩した日々と、刻々と高度を上げて行く登山記録が交互に収録された構成は、人間は「前に進み続けるだけ」「乗り越えつづけるだけ」という行いはできず、つねに現在と過去を行きつ戻りつし、大きな傷の寛解を探る、「立ち戻る」作業が必要だというメッセージのように読めた。
電車内での読書は、とても順調にはかどっている。気づいたら降りる駅を乗り過ごしそうになってしまったり。次は「女の子と公的機関」「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を取り寄せているので、これを読もうかな、と思っている。読みかけのカズオ・イシグロにも手を伸ばさなければ……。
今日は友人が遠方から来てくれた。地元の浜を歩いてみたい、というリクエストだったので、十代の頃、友人たちとなにかにつけて歩き回ったプライベートビーチや、灯台の麓の浜辺、わたしがいつも鳥を撮りにいく砂浜を案内した。 貝や鳥を見つけたり、おしゃべりをずっとしていた。欧州ではひとびとは「ビーチをただ波打ち際と平行に横に歩く(おしゃべりしながら)」と言う話を聞いたあと、わたしたちも砂浜をゆっくりゆっくり横に歩いた。 「ときどきフグやウミガメが落ちてるよ」と話をしていたら、ウミガメが打ち上げられていた。浜辺で死ぬ大きな生き物というのは、食物連鎖がすぐ処理をする。甲羅の中は空洞だった。
Tumblr media
友人を駅に送り届けて、家に帰るまでの間、「そういえば、何の目的もなく浜を歩くのって、久しぶりじゃないか」と思った。 わたしにとって浜へ行くのは、貝を拾いに行くとか、鳥の写真を撮りに行くとか、目的がある。今日だって貝を拾ったりもしたけれど、その貝をどうにかしよう(わたしは無職だったとき浜で拾った貝をインターネットでキロいくらで売りさばいてなんとか生きていた)と必死だったし、いまだって、シギやチドリ、時にクロサギはいないかと探し回っている……ということはなくてただ波の音を聞き、砂浜に靴底が沈んでゆき、そこでとりとめのないおしゃべりを交わしながらあるいている。そんな時間は、実はもう、何十年と持っていなかった。 ただ歩いているだけの時間がこんなにも、こんなにも豊かだということを、取り戻したような気がした。
前に進むこと、何か目的を持って「そこへゆき」、何かを獲得したり、劇的な(自己への)変化があったり……そんなことはなにひとつなくていい、ただ歩いているだけ、どこにもたどり着かなくても、ただ歩いて、……そして、ただ立ち止まって、見慣れた景色を眺めながら、どこへも行けなくても、なにかを成し遂げられなくても、得られなくても、人間はまず「ここにいる」、ここにいて、語る言葉を持ち、物語を持ち、存在しているのだと思った。
10 notes · View notes
applemusicbonker · 1 year
Text
『The Songs of Carole King』(Not Now Music)の全曲解説 Disc 1
Tumblr media
イギリスのレーベル「Not Now Music」から出たキャロル・キングの作品集。彼女が作曲家としてアーティストに提供した楽曲、また地味な存在ながらも歌手としてリリースした自身の楽曲をコンパイルした3枚組で、いわゆる著作権切れCD。その関係で、収録曲のリリース年も1962年頃までとなっている。この「Now Now Music」のCDは輸入盤として日本の大きなCDショップでもよく置かれているので入手は簡単。値段もこのボリュームにしては格安。バラツキのある音質や、どういう基準でそうなったのかよくわからない曲順など、もちろん普通のCDに比べると難ありな代物だが、こうしたグレーゾーンなCDならではの適当さはとりあえず置いておいて、全曲の解説をしてみたい。ディスク2までほぼ書き終えていて、ディスク3はほぼ手つかず。いつ書き終わるかわからないので、とりあえずディスク1の分だけここに書き残しておく。 ◎超有名曲/◆知っておきたい佳曲/☆レア曲 ※作品は基本的にすべてジェリー・ゴフィンとの共作。それ以外の曲については個々に表記。
1-1 Carole King It Might As Well Rain Until September ◆キャロル・キングが60年代に歌手としてリリースしていた5、6枚ほどのシングルの中でもっとも成功した曲。「泣きたい気持ち」の邦題で日本でも発売されている。全米22位、全英3位という好成績ではあったが、これ以上のヒットが続かず、ひとまずは裏方として作曲家のキャリアを重ねていくことになる。
1-2 The Drifters Up On The Roof ◎黒人男性ヴォーカル・グループのドリフターズに書いたヒット曲。のちに彼女もシンガーソングライターとして仕切り直しとなった最初のアルバム『Writer』でセルフ・カヴァーしている。
1-3 Little Eva The Loco-Motion ◎作曲家時代のキャロル・キングの代表作といえる大ヒット曲。ゴフィン&キング夫妻のベビーシッターだったリトル・エヴァに歌わせた、という話はキャロルの半生を描いたミュージカル『ビューティフル』にも採用されたほど有名は逸話であるが、これはいわゆる伝説や神話のたぐいで、リリース当時、宣伝のために広められた作り話だと思われる。1970年代のグランド・ファンク・レイルロードによるカヴァーでも有名。
1-4 Bobby Vee Take Good Care Of My Baby ◎この時期のアメリカン・ポップスを代表するティーンポップ・アイドルのひとり、ボビー・ヴィーのヒット。他の男のもとに走った元カノを心配する切ない曲。ビートルズがデビュー前に受けたデッカ・レコードでのオーディションで、ジョージ・ハリスンのヴォーカルで披露したことでも知られている。当時の邦題は「サヨナラ・ベイビー」。
1-5 The Cookies Chains ◎リトル・エヴァと同じ、ディメンション・レコードのガール・グループであるクッキーズに書いた曲。これまたビートルズがジョージ・ハリスンのリード・ヴォーカルでカヴァーしており、ファースト・アルバムの『Please Please Me』に収録されている。
1-6 Steve Lawrence Go Away Little Girl ◎もともとはボビー・ヴィーのアルバム曲だったが、イーディー・ゴーメとの夫婦デュエットも有名なスティーヴ・ローレンスがカヴァーしたことで全米ナンバー1の大ヒット。ポップスよりもよりジャズに近いポピュラー/スタンダード歌手がとりあげたことは、作曲家としては他のポップス作家よりも1ランク上とみなされる栄誉だったのではないだろうか。1971年にはオズモンド・ブラザーズのドニー・オズモンドがリメイクし、こちらもヒット。その余波を受けてか、日本でも郷ひろみがデビュー・アルバム『男の子 女の子』でカヴァーしている。
1-7 Billy Fury Halfway To Paradise ◆クリフ・リチャードとともにビートルズ登場以前のイギリスでロック・アイドルとして君臨していたビリー・フューリーが歌う全英3位の大ヒット。この曲を歌った1961年の頃、心臓の弱い彼はロックを歌い続けることができなくなり、バラード歌手として路線変更をしたのだそう。しかし結局は心臓発作によって若くして亡くなってしまった(享年42)。
1-8 Jackie DeShannon Heaven Is Being With You ☆そのキャリアと功績の割にいまひとつ評価が低いような気がするアメリカの女性歌手ジャッキー・デシャノンの曲。1961年のシングル「Thinnk About You」(こちらは彼女の自作)のB面曲。ハスキーな彼女の歌声がよく生かされている。 ※作詞はジェリー・ゴフィンに加え、彼らの良きライバル、良き友人であるシンシア・ワイルが手伝っている。
1-9 Ben E. King Show Me The Way ☆「スタンド・バイ・ミー」で有名なベン・E・キングによる歌唱。ドリフターズのリード・ヴォーカリストだった彼はグループを脱退し、独立。そのソロ第1弾シングルとして書かれたもので(「Brave Yourself」のB面に収録)、作風もドリフターズと似たようなドゥーワップ色の強い雰囲気である。
1-10 The Crystals No One Ever Tells You ◆大プロデューサー、フィル・スペクターのもとで「Da Doo Ron Ron」などの大ヒットを生んだガール・ポップグループ、クリスタルズへの提供曲。恐ろしいDV肯定ソング「He Hit Me」のB面に収録された、A面同様に浮遊間のあるメロディのバラード。A面共々このB面も埋もれることとなった。 ※作者にはフィル・スペクターの名前もクレジットされているが、これはプロデューサーであるスペクターが印税を作曲家から横取りするために仕組んだもので、おそらく曲作りにはタッチしていない。
1-11 Gene Pitney Every Breath I Take ◆日本では「ルイジアナ・ママ」のオリジナル歌手として知られているジーン・ピットニーの初期のヒット曲。プロデュースはフィル・スペクターで、すでに尋常でなく壮大で重量感のあるサウンドを生み出している。
1-12 Carole King Nobody's Perfect ☆「It Might As Well Rain Until September」のB面曲で、オーソドックスなロッカ・バラード。
1-13 Paul Petersen Keep Your Love Locked (Deep In Your Heart) ◆アメリカでは俳優や作家などマルチに活躍しているらしい、ポール・ピーターセンへの提供曲。この時期はティーン歌手として人気を博していた模様。
1-14 Connie Stevens Why'd You Wanna Make Me Cry ◆女優で歌手でもあるコニー・スティーヴンスに提供した、1962年のシングル曲。全米50位程度のソコソコのヒットとなった。ハリのある歌声が印象的。
1-15 The Shirelles What A Sweet Thing That Was ☆バート・バカラックが書いた「Baby It‘s You」でも知られるセプター・レコードのガール・グループ、シレルズへの提供曲で「A Things of the Past」のB面に収録された。同じく彼女たちが歌ったゴフィン&キングによる名曲「Will You Love Me Tomorrow」の焼き直しのような気がしないでもない。
1-16 Curtis Lee Just Another Fool ☆フィル・スペクターのプロデュースで「Pretty Little Angel Eyes」をヒットさせたティーンポップス歌手への提供曲。牧歌的なサウンドが魅力的だが、少々平凡で全米110位に終わった。
1-17 Annette Dreamin' About You ☆初期ビーチ・ボーイズとの共演でも知られるアネット��1961年のシングル。ディズニーが制作��た一連のティーン向けコメディ映画のヒロインでもあった彼女のレコードは、もちろんディズニー傘下のブエナ・ビスタ・レコードからリリースされていた。
1-18 Bobby Vee How Many Tears ◆彼の初期の代表曲「Rubber Ball」と先ほどの「Take Good Care of My Baby」と間に当たる時期にリリースされた1961年のシングル。ストリングスが印象的な忙しないリズムは翌年の大ヒット「The Night Has A Thousand Eyes」の予告編という感じで、これがリバティー・レーベルのサウンド。プロデュースはもちろんスナッフ・ギャレット。
1-19 Vinnie Monte Follow That Girl ☆Jubileeというちょっとマイナーなレーベルの歌手、ヴィニー・モンテが歌うコミカルな曲。その後、彼はジョニー・ソマーズの大ヒット曲「Johnny Gets Angry(内気なジョニー)」のアンサーソング「Joanie Don’t be Angry」(直訳:怒らないでジョニー)というを歌ったりもしていたが、割と最初からネタっぽい立ち位置だったのだろうか。1965年を最後に徐々にフェードアウトしていった。
1-20 Tony Orlando Happy Times (Are Here To Stay) ◆かなり後になってから「幸せの黄色いリボン」「ノックは3回」のヒットを飛ばすことになるトニー・オーランドの1961年のシングルで、キャロルの他にもバート・バカラックなど、その後にビッグネームになる作曲家の初期作品を歌っている重要なシンガーである。プロデュースはドン・カーシュナーとジャック・ケラー。アレンジにキャロル自身も携わった鉄壁の布陣である。 ※作詞にはシンシア・ワイルが加わっている。
1-21 Andy Williams Help Me (Find The Way Back To Your Heart) ☆この時すでにベテランになりつつあったアンディ・ウィリアムスのシングル「The Wonderful World of the Young」のB面曲。すでに確立されていた彼のスタイルで朗々と歌い上げている。こちらも1ランク上のお仕事という感じで、大手レーベルの録音なのでサウンドが豪勢である。 ※ゴフィン&キングとクレジットされているがこれは誤りで、シンシア・ワイルとの共作のようである。
1-22 Ann Margret I Was Only Kidding ◆エルヴィル・プレスリーと映画で共演するなど日本でも人気の高いアイドル女優、アン・マーグレットへの提供曲。彼女はやはり大手のRCAビクター所属で、「Jim Dandy」のB面とはいえ着実にステップを重ねていったようだ。キャロル・キングらしいちょっと粘っこいメロディが彼女のコケティッシュなヴォーカルによくマッチしている。当時同じカップリングで日本でもリリースされており、「ゆうべのはほんの冗談よ」という邦題で紹介されている。
1-23 Billy Fury I'd Never Find Another You ☆「Halfway to Paradaise」に続く、ビリー・フューリーのシングル。前作のイメージを引き継いだ堅実なサウンド。
1-24 Craig Douglas When My Little Girl Is Smiling ☆引き続きイギリス勢からクレイグ・ダグラス。もともとはドリフターズに提供した曲で、イギリスでは彼(トップ・ランク・レコード)とジミー・ジャスティス(パイ・レコード)のバージョンが競作になったようである。
1-25 Carole King Under The Stars ◆キャロルの2枚目のシングル「Baby Sittin’」のB面曲だが、ニール・セダカもよく使うおなじみのリズムでキャッチーに聴かせてくれるなかなかの楽曲。ABCパラマウントでのリリースはここまで。A面同様こちらも彼女の単独作曲。
3 notes · View notes
yfuga · 11 days
Text
20240911
旅路の記録。Adelaideにて 久しぶりにビーチへ(といっても二日ぶりか、Moretonbay以来)。風が強く、飲み込まれそうな深く荒い波に身がすくむ。この感覚は久しぶりである。嫌いじゃない。
力強い風が、不要なものを全てかっさらっていくようだった。私を洗う。海と隣り合わせて生活していた頃は、毎日潮風に洗われていたんだな。それにどれほど助けられていたか、身をもって知る旅立った。(海まで片道1時間半のパース街中で暮らした数ヶ月、後半本当に具合が悪かった)
生物として、いち生命体として、循環の中にいることを忘れたくない。というか、実感していたい。どこかから運ばれてきた食料品を食料品店で買い、調味料を買い、それらを掛け合わせて食べる生活。土から知っている食材をほとんど生きた状態で身体に入れる。調子が違う、土着の存在であればあるほど。バスに揺られながら考える。
ここにも、海に向けられた椅子があった。故人を偲び寄贈された椅子。「彼は海が好きだった。だからこの椅子と彼の視界をシェアします。」
彼の生活の一部だったのだろう、浜辺を散歩し、立ち止まり、海を眺める男性の後ろ姿を想像する。愛する人の愛した景色を、見知らぬ他者と共有するという思考と行動、私はそれを受け、椅子に座り、知らぬ故人を偲ぶ。時空を超えて共有する眺め。
何かを見る人の目線に、はっとすることがある。空が赤く染まった船の上で、一瞬手を止めてその赤を見る仲間の目線。言葉を交わさず、視線を交わさず、しかし共感があった。
日常の一部に海があることが、今では当たり前になった。
生まれ育った場所を振り返ると、歩く、ということは目的を持った移動そのものであった。20年近く住んで、愛おしむような感覚をもって景色を見ただろうか。
ふと、父と母の姿が浮かんだ。彼らの愛する景色を私は知っているだろうか。
遡る記憶の中に、母と並んで眺めた景色がある。子ども部屋から空を眺めた夜、月(だったか、星だったか。月のような気がする)が綺麗だという母の横で、視力が落ち始めていた私はぼやぼやとした輪郭に、「もう綺麗な月を見られないのか」と思って静かに涙ぐんだ。
横ならび、共有する景色の記憶。
日常が、常に目的を持ったものではなく、ただなんとなく美しいとか、好きだとか、立ち止まりたくなるような景色とともに生きたい。生活が、こなすためのもので埋まるのではなく、静かに受け止める瞬間を貯めていたい。心のトーンは深く、耕された柔らかい土をもっていたい。
0 notes
kei139-line · 20 days
Text
【電子版限定24ページ増】岡田紗佳写真集 おかぴのぴ プロ雀士として活躍しながらTVのバラエティ番組にひっぱりだこ、グラビアでは抜群のスタイルで「役満ボディ」
Mリーグの激闘の合間を縫って岡田紗佳が訪れた撮影地は、南国タイのビーチリゾート・パタヤ。鮮やかな青果が並ぶ市場を見物し、乗り合いバス「ソンテウ」に揺られ、夕暮れのビーチで波にもまれ、夜のウォーキングストリートを街ブラ、ベッドルームでは純白のシーツに包まれて……。卓上の緊張感から解放され、これまで見せたことのないリラックスした表情と艶やかな姿を異国の地で見せてくれた。 30歳を迎えますます大人の色香漂う岡田紗佳の「基本の基」であり「秘中の秘」をまるごと味わえる写真集、ここに誕生! 電子版では、紙版未収録の衣装を含めた計24ページの増ページを実現! <岡田紗佳からのコメント> 5年ぶりに写真集を発売することになりました!3作目にして初めての海外での撮影でした。タイ・パタヤは40度を超えていましたが、天気がとてもよくて、異国情緒も溢れ、普段見せられないような一面も自然と表現できたような気がし…
0 notes
sawakotanaka · 21 days
Text
Tumblr media
和歌山県和歌山市・海南市・有田市でシュリカリのお知らせ
9月スケジュール
【和歌山市】
▪️木曜日 中央コミセン 10:00-11:30
9/5・12・19
※9/19 (場所: 南コミセン)
※9/26(場所: 恵運寺)9:50-11:20
▪️金曜日 中央コミセン 19:00-20:30
9/13・27
▪️日曜日 中央コミセン 10:00-11:30
9/8・15・22
※9/29(場所: 南コミセン)
【有田市】
▪️金曜日 得生寺 19:30-21:00
9/6・20
【海南市】
■土曜日 中野上公民館 14:00-15:30
9/7・14・21・28
※最後にゆっくり休むので終了時間はプラス約15分みておいてください
詳細は予約サイトへ
https://reserva.be/sawakotanaka
★片男波ビーチヨガ2024開催中
9/7・8・21・22
<9/22ビーチヨガ後交流会>
そのまま残っておしゃべりしながら一緒に花火を見ましょう
★9/7 Shri Kali Japanお話会(無料)
オンラインまたは中央コミセンで集まって参加
詳細はサイトへ
https://shrikali.jp/satsang/
6月に朝顔の苗をいただき、ぐるぐる巻き巻き、家の木の上まで育ち、8月初めて花ひらいた朝顔。(こんなグングン成長するって知らなかった朝顔に出会う)
8月もクラスやビーチに参加してくれてありがとうございました。みなさん真剣に、気持ちよくとりくまれています。毎回、夏の体の疲れはとんでいき、ストレスや心配事から離れリセットされますね。自分の未来へのメリットに結びつきます。これからも自分の節になることを続けようと思います。
みなさん気軽に参加して自分のヨガを楽しんでください。
9月もよろしくお願いします。
佐和子
#シュリカリジャパン @shri_kali_japan
#タントラメラ @tantramela
#KoyasanSpirit @koyasan_spirit
☆予約/問合せ
田中佐和子
090 1134 4532
#shrikali
#ヨガ教室
#和歌山市ヨガ
#海南市ヨガ
#有田市ヨガ
#ヨガ初心者ok
#お寺ヨガ
#恵運寺
#得生寺
#サンセットビーチヨガ
#伝統的なヨガ
#本物の智慧
1 note · View note
introvertnudist · 27 days
Text
ビーチへ
Tumblr media
台風が来るとのことなので今日がラストビーチ…多分。今年行った中で一番天気が良かった。
波は高く、引きずり込まれるような潮の流れだったので海にはチャポチャポ浸かる程度。なんか今日は気合い入った人多かった笑。
帰りはネットで発見したちょっとした道を車で探索。悪くもないが良くもない。
その後、銭湯。ちょっと汗を流すだけの予定がサウナまで入った。サウナ付きにした方がのんびり長居できるので良いかも。
サウナ室内はBGMなし、TVなしなので落ち着いて入れる。水風呂も銭湯系の温度。多分20度前後。
夏はサウナなしでも水風呂入れるけど、サウナ入った方がより気持ち良いかも。
鏡で見たらめちゃくちゃ日焼けしている。今日は多分爆睡。
上の写真はビーチにいる時友達からLINEが来て、咄嗟に写真を撮って送った写真。
0 notes
tacthirose · 2 months
Text
Tumblr media Tumblr media
二十年続けて来たバンドに今年で一区切りつける決心をした。 青春...というか、自分の人生の一番元気な時期を捧げてきた活動だった。 ここしばらくその公示のためにフライヤー作ったりウェブを更新したりイベントの準備をしたりしていたけど、いちいち心へのダメージが大きくてなかなか大変だった。バンドマンなら知っていると思うけど、「バンマス」というのは死ぬ程孤独な立場なのだが、二十年の中で一番孤独を感じた(苦笑)。寝る前の酒量が増えた。幸い?繁忙期である夏の仕事の準備や、レッスンや教室や、ブラジル太鼓の学校公演/ワークショップのツアー、そして相変わらずの家事育児で本当に忙殺されていて...気が紛れて、とにかく前に進めた所はある。 キウイとパパイヤ、マンゴーズ。略称K.P.M.。 最初は本当に、大学の音楽サークルの営業バンドとして軽い気持ちで、キウイちゃん/パパイヤちゃん/マンゴーちゃんという女子大生三人(すぐにキウイ&マンゴー二人になった)が歌うポップかつアーバンなレゲエ...くらいのノリだった。自分が作曲をするなんて思ってもいなかった。 デビュー作になったこれは曲も詞も正真正銘自分の処女作(22歳くらいの時)で、とても軽いノリで作った。メンバーに聞かせる時はやたら緊張したけど。まあでも今聴くと、特に何も考えてなかったとはいえ自分のミュージシャンとしての根っこはこういう感じなんだよな、と思う。
Maruyeyi · Let's start makin' dub(Gentle rhodes Dub by AG Kanno)
その後、自分のやりたいことや思い、考えを伝えたい。何よりこの日本で「音楽」をやる時の気持ちの悪さや居心地の悪さを何とかしたい!と思って舵を切り換えてやって来た。「モテたい!」とか「売れたい!」とかいう気持ちももちろんあったけども、それより圧倒的に別のことについて思考や行動のエネルギーを使っていた。そんなことやってたらお金になるわけないし、同業者にもあんまり気に入られないし、可愛がられないし、大変なのは仕方ない。楽しかったことよりも、とにかく必死でしんどいことばかり先に思い出す。よく二十年も続いたものだと思う。 自分がバンドで何をやりたかったか、というのは、二年前にアぺトゥンぺ×KPMで出したEP 『KOMPU SATKE MENOKO(昆布干し女)』 をリリースした時に、お買い上げいただいたとあるお客さんからのメールがもの凄く的を射ていてビックリしたので紹介させて欲しい。
【キウイとパパイヤ、マンゴーズについて思っていたことと、新作「Kompu Satke Menoko」の感想】 「トロピカルジャパネスク」や「ワールドワイドローカルズ&アワジェイポップス」では、シャレの効いたタイトルを見たあと音楽を聴くとツッコミどころ満載で、タイトルの意味と行ったり来たり、考えるうちに笑ってしまった。 洒落ているというより皮肉っぽいのかもな。 「これがジェイポップだろ?」と投げかけられた。怒りと笑いの混じった挑発を感じた。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの音楽を聴く誰かにはその音楽がジェイ的なものへのアンチテーゼであるように見えるのかもしれない。だがキウイとパパイヤ、マンゴーズにとっては普通にテーゼだ。 聴く人にどう受け取られるかも分かっていながら、実は腹の中でそれを逆手にとって「これがコンテンポラリーな日本の音楽です」という態度を決め込んでいる。ちゃんぽんな盛り込みをしてしれっとした様子だから私は笑けてしまったのだ。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの曲調は好みではなかったが、やっていることが私は好きだ。 アペトゥンペとパパイヤ、マンゴーズ名義の新作「Kompu Satke Menoko/ herekanho」がもうすぐ発売だそうで、宣伝の短いビデオを見た。 ジャケットは「Kompu Satke Menoko(昆布干し女)」の世界をイメージしたデザイン。 深い夢の中のような、蜃気楼のような、此方彼方今昔のファンタジックオーバーラップ… 柴刈り男と洗濯女、熊狩り男とコブ干し女… この夜のビーチも、男女の出会いの場の役割を果たしたかつての盆踊り広場のような、ダンスホールなのでせう(ちょうちんやミラーボールは無いが月やビルの電気の光がある)。 仕事帰り大きな月の沈む海 ごらん向こうにシティが見える 音のスタイルにわざと「シティ・ポップ」を選んでいるような気がする なぜなら、都市であるところのモノと、大衆的であるところのモノの、両方の意味があるから 音楽好きの消費者の皆様へ向けてシティポップという既存の用語を巧妙に用いてそれとは異なるものをサブリミナルの方法で刷り込む。 (※どちらが主でどちらが従(異なるもの)ということは本来的にはない。何かに対するアンチテーゼではなく、それぞれに自分にとってのテーゼがある) 「今のこの場所の音楽」とは何か? わたしの考える「今のこの場所の音楽」、それを見せつける、主張する、教え込むという陰謀を成功させるのだ! そう考えたであろう音楽作りの場面を想像し、作品紹介で「シティ・ポップ」と解説しているところを見ると悪意を感じる(笑) 音楽とか文化を人々が受容、消費する様子を見物しているときに始まった「怒り」がシャレと遊びへ昇華されてゆく 怒りがヤケクソになり、諦めてから開き直り、 あくまでもこれが「ポップ」であると最後まで言い張る 音楽を通して自分が共同体とどう繋がるかについての最終的なプライドなのだと思います (そうしたら、何かに対するアンチとしてとか否定で何かを言うのでなくて自分が何であるか、自分の考えは何であるかのほうを言うってことは、いろんな場面で大切だと思いました。) あと、、、 「私の音楽はJ-POP」と言い張る理由のもう一つには「自分のバックグラウンドを考えたときに自分が日本の土着民であることが紛れもない」という生真面目があるのではないか? 自分が各地の音楽のネイティブでは決してない、自分がそれらに学びつつも指揮を執るようなことはしない。「私はその土地の音楽を出来る」と言わない。何をしようが私がするならJ-POPにしかならない。 だとしたらそれはワールドワイドローカルズ、それぞれの土着民への敬意だ。 J-POP人の自分へも含めて。 っていう想像をしました。 今回の作品は曲調が好き! 1枚予約したい。
ありがとうございます。実際、本当にそういうことを考えて葛藤を繰り返して、なんとか少しずつ前に進んできたので... 伝わっている人がいることが本当に嬉しかったし、驚いた。
自分なりに世の中の仕組みと、日本で「音楽」をやる、とはどういうことかというのを、おそらく無駄に考えすぎて来たのかと思う。活動がブーストしそうな時も、少し波に乗れそうな時も、いちいち何かを考えてバンマスの俺がいつも一番動きが重たかった。 2007年に『八月のさよなら』という曲をリリースしたのだけど、「アメリカへのラブソング」というテーマだった。25歳の時に当時のメンバー中井雅子(現・Rayons)と一緒に書いた。
Maruyeyi · 八月のさよなら(2007.August)
これが売れなくて、中井は脱退して、当時のレーベルの社長はどっか逃げちゃって、もう制作にお金もかけられないし、自分が社長で制作費出さなきゃだし、半ばやけくそ気分でアプローチを変えて趣味を込めたのがTropical Japonesque 以降の路線だった。そして佐々木遊太との出会いだった。
youtube
これ以降、Go(Arai)さんが参加してくれて。悠子ちゃんや小春が参加してくれて、そして海外での仕事が増えて行った。大橋キウイは俺と結婚して子供ができたので海外ツアーを続けるのが難しくなり、夫婦で悩んだ末、彼女は引退を決断した。その後はおもだか秋子ちゃんや、山本泉という贔屓目なしの天才民謡歌手たちが我々のツアーを助けてくれた。 海外転戦は本当に楽しかったけど、最初期は富山のSUKIYAKIが手伝ってくれたツアー制作をメンバー五人いた上での収益考えて、結局自分で全てやるようになって... 謎に外国語スキルは上がったけど毎回マジで必死。仕事量、というか仕事の種類?言語の数?しかしアフリカから南欧に渡って「J-POP(と半ば無理やり言い切る)」をやるようなバンドのアレコレを誰にどう頼んで良いものやらさっぱり解らなかった。ツアー初日は「あとは演奏するだけ!」という開放感で頻繁に飲みすぎて二日酔いになっていたし、ツアー終えて帰国するとかなりの頻度で寝込んだ。 あとは、海外でのパフォーマンスが増えたことで、いわゆるリベラルアーツやそれを土台に置いた娯楽の「本場」としての西欧の覇権主義、常識との付き合いにはさらに頭を悩ませることになったし、自分は踊れる音楽が好きだったとはいえ、あまり(特に欧米人が好むような)享楽的な刺激に特化したバンドは志向してこなかったな、とも思い知った。最近、マユンキキの現代アート作品周りで音楽系のサポートすることが多いけど、現代アート、というものにも色々モヤモヤしつつも、そこでのコンテクストの読み合いには、いわゆるバンド活動ではついぞなかったスッキリ感があったりするのが自分だ。 自分のこだわりみたいなものは「近代国家」としての日本でものを作る人間の心持ちとしては別に間違ってなかったとは思うが、「バンドマン」「ミュージシャン」としては独りよがりでメンバーたちには随分迷惑をかけた。皆もう若くはないし、これ以上は「バンド」という形で俺個人の闘いには巻き込めないな、と思う。皆歳をとってライフステージも変わったし、自分にも守らなきゃいけない生活もある。とにかく一緒にやってくれた事に感謝している。 自分は昭和五十六年('81)生だけど、世界一豊かだった頃の日本で育って、社会に出てその凋落とともに大人になり、中年(もう四十代!)になった。バンドブームは俺の青春時代には実はとっくに崩壊していたと思うけど、少なくとも最後の夢を見られた世代なのかなと思う。そして、気づけば元号も変わって「J-POP」の時代も終わっていた。
人前で演奏する「バンド」としては森川浩恵加入以降の、間違いなく今が一番ベストだと思っていて、このメンバーでもっとできることがあるとも思うんだけど、とにかく今年で一区切りにします。去年リリースした「SLASH!」という曲、今一番聴いてほしい。明るく楽しい曲が書けて、森川浩恵のボーカルも新境地見えた気がして、とても嬉しかったし気に入っているので。自分が書いてバンドでやった、今のところ最後の「J-POP(言い切る)」かな。
自分は歌や踊りや合奏を「音楽」として捉える時、その作法は全て���入ものだと思っている。その上でどう日本の「ミュージシャン」とか...もっと言えば「近代国家」の国民として生きていくか、というのは今後も悩みながらやっていくつもりだ。そのためには消費者とは別の立場で市場の中にも居続けなきゃならないので、演奏するアーティストとして引き続きプロの看板は掲げたままやっていきます。その上で「音楽」だけに関わらず自分の表現をもう少し自由にやるつもり。 メンバーもそれぞれ自分の活動続けます。引き続き注目してほしい。一番長く一緒にやってるメンバーである永田と誠也さんとか...本当にかなりイケてる演奏家になっているんだよな。聴きに行った方が良いし、何か仕事頼んだ方が良いです皆さん。マジで。 今のところ11/17が活動休止前最後のライブになると思う。今まで応援してくれた人たちに感謝の気持ちでやりたいです。配信もあるのでぜひ見てください。よろしくお願いします。
11/17(日)@下北沢Basement Bar
キウイとパパイヤ、マンゴーズ
『活動休止LIVE』
op12:30 st13:00
前売:¥3,500 当日:¥4,000
配信チケット: ¥1,800
【配信チケットについて】
下記URLのwebshopにて配信チケットを11/15までにご購入ください。後日配信URLがメールで届きます。
0 notes
blogood · 2 months
Text
サーフィンの恩恵、その1
Tumblr media Tumblr media
3週間ぶりのサーフィン
直近の2年は、比較的、海に近い職場ということもあり、金曜日の夕方に毎週サーフィンをするという習慣を作った。
波がなく、凪状態の時を除いては基本的にサーフィンをするようにしています。
月曜日から金曜日まで仕事をしていて、金曜日にサーフィンをする習慣を持つと、仕事と趣味のメリハリが出来て、仕事も捗ります。 体を動かす習慣なので、体も軽くなるし、元気がみなぎるから、仕事の疲れも軽減できていると思っています。
週末は、基本的にはサーフィンはしないようにしています。 家族との時間、家事や、副業、読書などの時間に充てるようにしているからです。
ただし、すごく波が調子良くて、気持ちが乗った時には週末にもサーフィンをするときはありますが…
家から、お気に入りのビーチまで車で50分くらいかかるので、時間とガソリン代の節約の意味合いもあり、この習慣を作りました。
ちなみに職場から、お気に入りのビーチまでは車で30分程度、更に、職場から一番近いビーチだと15分くらいでつきます。 波のコンディションと道の混雑具合を考慮しながら、どこのビーチでサーフィンをするかを決めています。
2週間前に風邪をひいて、サーフィンを控えていたのですが、やはり悪循環と感じました。
逆に、昨日はサーフィンをしたので、気分も上がり体調も良くなったと感じます。
サーフィンをすると、体調も気分も上がり、続けることによりこの状態が持続すると感じています。
人生が好循環すると思っています。
年齢も44歳なのと、仕事しながらなので中々体調が完璧にならないと思っています。
更に今回の風邪は周りの人もそうだったように、特に長引きました…
普段は、健康にも気を使っているし、サーフィンの恩恵もあるのか風邪は1から2日で完治させています。
そもそも、風邪を引くのも1年に一回あるかないかです。 こんなに風邪が長引いたのも10年ぶりくらいかな…
まとめ
毎週サーフィンをすると
1、仕事のメリハリが出来て、仕事も楽しく出来る 2、体調、体型、ストレスの管理がしやすくなる 3、人生が好循環する
サーフィンから得られる恩恵は、もっと他にもあると思っています。 次回は、そのあたりも紹介できたらと思います。 お楽しみに!
0 notes
flamingo-rex · 4 months
Text
Tumblr media
2024.05.09
GWも終わり、街が絶望的に死んでおります
昼はラーメン屋さんとか、お好み焼き屋さんは
大行列ですけど。
数年前にSHAKEさんとのセッション案件で
ベースの代役を引き受けてくれたギターリストが
久々にCat ch.22へ。
元々、広島市内の方で、ある期間だけ
尾道に住んでた時に、ギターを習いに来たのが
出逢いキッカケだった
格闘技経験者(彼はキックボクサー、ワイは総合)
バンドと、共通項が多いので、
物事に対する認識も共通してる
先日の井上尚弥戦から、音楽、仕事の経営…
色々と話したが、今、彼は
広島市内でグランピング施設を任されてる
グランピングは、ブームが去った後の撤収を想定してる
施設だから、今、全国に480ヵ所くらいあるらしい
ブームを仕掛ける側が、メディア使って宣伝し
ブームになり、480ヵ所にまで行き届く頃には
恐らく中央では撤収が始まる
その後に何を展開するのかもモデルケースとなる
部分だが、設営箇所は山だったり、海だったり
土地土地で展開違うから、全てが同じにはならない
音楽も同じだけどね。
サーフィンも波乗ってる時間より
移動や、波待ちの方が圧倒的に長い
良い波を見極めるチカラと経験
その一瞬に同調出来るスキル
そして、マナーだよ
ビギナーは、経験も、スキルも無い
これはどの分野でも同じ。
だからやはり、トレーニングしか無いのだよ
近道は無い
そして、知識も経験も無いビギナーが
1番簡単に出来るマナーをすっ飛ばす
ワープや、楽をしたがる。
楽せず、インチキせず、マナーを守って、
トレーニングしてるヤツしか結果残れない
GW明け、ゴミが散乱したビーチを見て思う
マナーが悪い👎
初心者が出来る1番簡単な事だけどな
解んなきゃ聞け!!
3 notes · View notes
endekashi · 3 months
Text
特殊支援部隊『山ん』。
Tumblr media
皆さん、おはるかです。暑サニ負ケズまめったくやっておりますでしょうか?
先日、能登で復興支援活動をしている人達のお手伝いに行ってきたので、その時見てきたものをシェアしようと思い、久々にPCを立ち上げてブログを書こうと思ったら久々すぎてログインするのに苦労したっていう事は内緒にしておいて、いってみましょー!
Tumblr media
の前にちと近況報告。春になり、とっくに屋根屋に復帰してると見せかけて、自宅の屋根の葺き替えをしてました。九年目にして遂にファイナルシーズンです。皆様のご協力のおかげもあり遂にここまできました。おしょっ様です。後ちょっと。ばんがるぞ!
しかし、そろそろ、会社も忙しそうだし、蓄えも寂しくなってきたの��この先は仕事をしつつ直していこうかと思ったところ、その前にどうしてもやっておきたい事がありました。
それが今年の元日に起きた能登の震災のボランティアです。石川にはヨコノリ友達も、ウチに来てくれるお客さんもいるので、少しだけでもなんか手伝いたいなと前々から思っていましたが、なかなかタイミングがなく行けずにいたので、仕事に復帰する前の今しかねえ!っつー事でつっこむ事にしました。
つってもどこへ行けばいいかな〜なんて考えていたところ、ちょっと前にボランティアに行ったPOWのショータローに、どっか紹介してっていうとすぐに二つの団体を紹介してくれました。一つはしっかりとした災害救助NGO団体。そして、もう一つが金沢のヨコノリスト達がやっている特殊支援部隊『山ん』なるグループ。もう名前で山んに決めました。
Tumblr media
目指すは能登の先っちょ、珠洲市。ナビで調べるとなんと五時間!ウヒョー!早朝、白馬をデッパツして車をぶっ放します。
氷見辺りからブルーシートの屋根が目立ってきて、さらに進んで七尾の辺りに来るとひしゃげた家が目に入るようになってきました。
しかし、この先がもっと酷いということで既に今回の震災の被害の甚大さが窺い知れました。
Tumblr media
能登の道は市街地以外は比較的スピードの出し易い広い道が多いのですが油断大敵。地震で出来た亀裂を修復したところに段差ができてるのでいいスピードで突っ込むと大変なことになります。
道中パトカーを多く見かけ、車の列の先頭をゆっくり走っていましたが恐らくこういう道での事故を抑える為でしょうか。
Tumblr media
珠洲に入るといよいよ被害は深刻でそこら中の家が潰れていました。
半年経った今でも全然片付いている雰囲気ではありません。
教えてもらった住所はこのすぐ先なのですが、建物などは大丈夫なのでしょうか?
Tumblr media
程なくして特殊支援部隊山んが運営する被災者無料商店、みんなの家に到着しました。山んの代表、マコ君が出迎えてくれました。
マコ君達、山んは地震直後から全国の友人らに支援物資の提供を呼びかけ、支援の手が及びづらい孤立集落や自主避難所に向けて届けてきたそうです。
Tumblr media
 1月中旬に無料商店の1号店を中能登町に開設。2月下旬に珠洲市に民家を借りて2号店を開き、水や食料、洋服、生活用品、学用品などが並び、被災者が必要な物資を自由に選んで持ち帰る形です。メンバーが寝泊まりして交代で店番を務めているそうなので、こうして俺みたいのがヒョコッと顔出して店番するだけでも(店番と言っても無料商店なので基本やることはない)彼らが作業できて助かるそうです(彼らはやることが山積み)。
Tumblr media
行政がやると色々な手続きやら管理やらで膨大な人数で無駄に時間がかかるところを彼らは少人数でシンプルにスムースに行っているそうです。
あ、そういえばさっきまで潰れた家ばかりだったのに、このみんなの家がある小泊地区に入った途端、嘘のように無傷(実際は少しダメージは受けていますが)な家が立ち並んでいました。なんでもこの地区だけは地盤が固いらしく被害が少なく奇跡の2kmと呼ばれているとか。
Tumblr media
小泊では既に電気は復旧しているそうですが彼らはあえてまだオフグリッドで生活しているそうです。もし再び電気が止まるようなことになってもへっちゃらです。そんな事は起こらないことを切に願いますが。
Tumblr media
更に裏庭にある奇怪な建物に案内してくれました。なんすかこれ?
Tumblr media
中に入るとこんな感じ。どこぞの大学の先生が考案した建物らしいですが、外側のテントを膨らませて内側をウレタン(なのかな?)で吹き付けたらはい出来上がり。5.,6人は楽に寝るスペースで一度立てれば三年ほど持つそうです。ポイポイカプセルやん!
複数人で手伝いに来てくれた人に泊まってもらってるそうで。
Tumblr media
なんてやっていると、タートルアイランドのTシャツを着た富山からきたおねーちゃんが、普通車にパンパンの水を積み、送り届けに来てくれました。日々、こうして救援物資が送られてくるそうです。
ヨコノリだけでなく音楽の繋がりからの支援もあるみたいですね。ヤーマン。
Tumblr media
店番や不要材などの片付けをして、この日の任務は終了。
更に北の方の様子を見に行きましょう、ということでマコ君の相方のユージ君が案内してくれました。
今回の震災では地震だけでなく津波の被害も局所的に甚大だったようです。局所的というのは能登半島の北側ではそれほどでもなく被害は珠洲市や能登町の東側に集中したそうです。というのも、北側の方では地盤が隆起して(最大で4m!)防波堤の役割をしたそうです。
対して東側の地域では隆起はほとんどなく、且つ、富山湾沖合の水深が深くなっていて、水深が深くなると早くなる津波の性質もあり地震直後わずか1分で津波が到達し、その後何度も押し寄せてきたそうです。津波の被害のあったところは地震の壊れ方とはまた違い、ものが散乱していて津波の威力の凄まじさがわかります。
Tumblr media
こちらは北側の海岸のかつてビーチだった場所。後に見える白い岩盤は元々水の中だったそう。
ユージくんも地震後初めて訪れたそうで、変わり果てた姿に唖然としていました。
Tumblr media
ユージ君の完璧なタイムスケジュールで最後は能登の最北端、禄剛埼灯台の夕日に連れてってくれました。この灯台は朝日も夕日も拝める素敵な場所です。
この日は散々自然の脅威を感じていましたが、最後に美しい一面を見せてくれました。
Tumblr media
翌朝、早起きして佐渡島から昇る朝日を拝む。
Tumblr media
今度は南に降り、珠洲の蛸島の方の様子を見に行ってきました。こちらも家が密集したところで悲惨な状況でした。半年経ってもまだこのような状況です。
現在、公費解体を行っているのは道路からはみ出した家が優先だそうです。それ以外の家は11月から始まるそうです。11月…。一年近く経とうとしても家の解体すらも終わらないのが現状です。
Tumblr media
さて、山んに戻り朝の涼しいウチに草刈り作業の手伝いをしました。彼らは農地を使わせてもらえるようになったので、畑をできる状態にして小泊に新たな需要を産み出したいそうです。誰かやりたい農家さんいませんか?何年も放っておいた荒地の草はしぶてえぜ。
Tumblr media
自分達で食べる野菜も作っています。
Tumblr media
というわけで、朝採れのビーツを使った味噌汁をいただきました。うんめえ〜!!
Tumblr media
ご飯を食べてる間もちょこちょこと被災者の方達が物資を取りに来ていました。毎日、だいたい30~40人程の方達が来るようです。マコ君達は来る方に気さくに流暢な金沢弁(能登弁?)で話しかけていて、みんなに愛され頼りにされている感じでした。
若い人たちはインスタを見て開店時間の10時頃から来るそうですが、口コミでくるじーさん、ばーさん達は朝8時頃からバンバン来るそうです。
Tumblr media
今日の作業は店も見つつ、他の家の片付け。実はマコ君、みんなの家の近くの二軒の家も使えるようになったそうで、そこの家を活用して飲食店か何か、さっきの農業に話もそうですが、この地区で雇用をうむ仕組みを作りたいと考えているそうです。
そのためにやる事はいっぱい!!
でもなんかワクワクしますね!
Tumblr media
この日はみんなの家の隣の神社でお祭り(お祭りと言っても祝詞をあげる神事的なものだったそう)があるという事でマコ君とユージ君が行ってる間、俺は店番。
Tumblr media
能登の祭りといえばこのキリコ祭りというど長え灯籠で練り歩くっていうド派手な秋祭りがあるそうです。
今年の開催状況はこちらに詳しいです。
Tumblr media
帰ってきて腹がペコリンちょだったので、禄剛埼灯台の麓の狼煙地区の『いかなてて』という最果てのカレー屋さんに連れてってくれました!
無茶苦茶美味いカレーでした!
Tumblr media
更にこの店、レコード屋も併設してるというたまらん造り。俺は井上陽水の二色の独楽というドープなアルバムをゲット!
Tumblr media
そんなこんなで一泊二日の山ん潜入記はこれにて終了。
能登の先端、被災地最前線で必死になって生きている被災者の方々を必死になって(まあ、ヤーマンなんでゆるいところもありますが)支援している山ん。正直その姿勢は、無茶苦茶かっこ良くて心打たれました。今でこそ、ちょっと落ち着いてきたと思いますが、発生直後のこれから冬が始まるというタイミング(スノーボーダー的には一番ワクワクしている時期でもあるにも関わらず!)ですぐに被災地に潜入し活動した時の苦労や恐怖は想像に難くありません。ナフリスペクト!
ちょうど半年ということで、少しメディアにも取り上げられてましたがまだまだまだまだ復興には程遠いといった印象です。引き続き、皆さんの支援は必要だと思います。ボランティアに参加するもよし、山んに物資を送ったり(水に加えて、カップラーメンも喜ばれますよ!)手伝いに行くもよし、いかなててへ行ってカレー食って観光するもよし、支援の仕方もそれぞれでいいと思います。ただこの先も能登から目を離さずに生活していきたいなと思うのでありました。
Tumblr media
P.S. 今度の土曜6日は前述の禄剛埼灯台台地にて復興祈願LIVEがあるそうですよ。山んのmalichanのバックバンドで参加するそうです。いかがでしょ?
Tumblr media
P.S.2 マコ君にPRAY FOR NOTOのTシャツと、無茶苦茶ハイセンスなキャップをもらいました。
ヤーマン。おしょっさまでした!
0 notes
izumihighschool · 5 months
Text
校外学習
前夜からの冷たい雨が上がり、5月連休にしては肌寒い朝を迎えましたが、1年生は泉南ピチピチビーチでのBBQとレクリエーション、2年生は大阪市内を地下鉄で巡る市内散策、3年生は京都の名所巡りに出かけました。
私は例年通り、1年生の入学後の様子を確かめるため1年生に帯同しました。テーマは「全力の遠足」。何事にも全力で取り組もうという79期生担任団の心意気が感じられる命名です。
ビーチでまずはクラス集合写真を撮ったあと、クラス対抗でさまざまな競技を半日かけて争うプログラムがスタートしました。
最初は潮干狩りをしました。生徒たちはビーチサンダルに履き替え、波打ち際を掘ってほって掘りまくりました!そして最もたくさんアサリを獲ったクラスから順に点が与えられました。
次はクイズ大会です。全20問のクイズに320人がYES/NOで答えながら、順に勝ち残っていきました。
12時前からは大BBQ大会の始まりです。決められたメニューに加えてグループごとに追加の食材やデザートを持ち混んで、調理をしながらワイワイガヤガヤとあちこちで歓声が上がり、食事の時間があっという間に過ぎていきました。
13:30からは後半のプログラムとして、20人21脚と長縄跳びが行われました。お腹いっぱいなった生徒たちは、「全力」を振り絞って最後のプログラムに臨みました。
ビーチのはるか向こうには淡路島が見え、関空を離着陸する飛行機がくっきりと見える快晴に恵まれた1日でした。79期生のクラスの団結力がますます強くなっていくのは間違いないと確信することができました。
5月2日
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
doctormaki · 5 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
新学期が始まる前に生活を整えるべくドイツに戻ったので、初めて観光なるものをする時間を取る事にした。なにしろ頭が働かず、気力もなく、文章に集中できない。ので、リハビリのよっぴーと約束した一日最低三千歩を実施する事にする。
まずは奇跡的にチケットが予約できたミニチュアワンダーランドへ行く。ここはハンブルグの港湾が世界遺産に認定されたのに観光できるものが無くて、市当局が困っていた時に、ミニチュア好きのおっさんがハンブルグ地方銀行から借金して、ミニチュアのハンブルグの街と港湾を作り始めた事に由来する。今では、ボーイングの修理基地が隣接するハンブルグ空港や、南ドイツ、スウェーデン、アメリカ、イタリア、モナコ、スイスなどもあり、一時間で世界一周旅行を謳う。ちなみに、この博物館を作ろうとしていた時の市長が、今の首相、オラフ・ショルツ。
ここの博物館は大人気で、予約しても、待ち時間があるし、時間帯に応じてチケットの値段は変動するし、早朝6時から深夜3時まで営業してるにも関わらず、ワシがチケット予約しようかなぁ。。。とウェブサイトを見る時にはいつも、数ヶ月先まで予約すら取れなかった。まぁ、そんな博物館にも関わらず、何故か前日の夜に、翌日の早朝6時半からのチケットに空きがあるではないか?!?!奇跡!と思ってチケット予約し、朝5時起床で三十分ほど拙宅から歩いて行ってみた。ワシ、ミニチュアは小学生の頃から集めていたし、大好きである。しかし、昨今目にする最近の中国製ミニチュアには目もくれなかったのだが、中国製もここまであると圧巻であるという博物館だった。勿論、建物などは自分達で製作しているようだが、ディスプレイされているおびただしい数の人間たちや車、電車などはチープに型取りで作る中国製である。ハンブルグと中国の蜜月な関係をここでも思い知るワシ。日本人なんて、目もくれないのだ、ハンバーガーの人々は。
電車が走っているだけではなく、街中では煙を出して火事の演出をするところに消防車たちを動かしたり、モナコではF1レースをやっていたり、飛行機が離着陸したり、博物館の入っている建物の地上5階から3階まで水を落とすことで自然な波を作り出し、大型船舶が出入りする港湾など、気づくと何も食べずに8時間位、ぶっ通しで集中して見ていた。基盤なども所どころ見せてあったり、基盤の手作りに感動する。プログラム大変そう。。。制御室では常に動かなくなった場所にアラートが出て、職員が小さな釣り竿の先に磁石を付けた手作り感満載の道具で、レールの上で動かなくなっている電車を釣り上げてレールの上に置き直しては、無線で制御室と連絡を取りあったりしていた。
ベルリンの壁の付近の土地を、歴史を辿りながら見せてくれるジオラマに、何故かピカチュウがいた。ちょうど、これが作られていた頃、ベルリンでもポケモンGOが流行っていたのだろう。その他にも小さなヨーダがいたり、羊のショーンがいたり、シマウマがスキーをしていたりと、ところどころ、よくよく見ていると笑える。ドイツ人はスケベで有名だが、ワシがそんな小さなキャラを見つけては喜んでいるのに対し、ドイツ人どもが集って写真を取っているなぁと思い見に行くと、お花畑や船上デッキ、ビーチでセックスしている模型に群がっていたようで、ワシは興冷めする。面白くもなんとも無いではないか。だんだん、ドイツ人達がカメラを向けている箇所は素通りする。全くもって、子連れで来ていたり、小さな子供がいるのに、えげつない人々だと、心底怒ってしまって気分悪いぜと子供達になんとなく申し訳なく思ってしまうワシは、多分、心底、お嬢さまなのだろう。
0 notes