Tumgik
#炙谷
misoyo-happy · 10 months
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今日のランチ!
午前中の会議が長引いて12時過ぎてしまったので、外でランチにしました。
期間限定!1番人気!冬の満足蕎麦1,400円。天ぷらサクサク〜。お刺身大きい〜。お腹いっぱい〜。
スマホしか持ってなくて、食べてる途中で、現金しか使えなかったらどうしよう。と思ったけど、大丈夫でした。
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yamacyan · 4 months
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今週金曜日のお昼ご飯は、
テレワークでおうちだったので、出前館でオーダー!
今回は、味わい創作 魚丼の駒沢店限定!超にんにく!バター炙りサーモン丼をご飯大盛、ネタ大盛で!
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贅沢!こりゃ美味しいですぞ!
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美味しかった〜
ごちそうさまでした😋️
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harubaku · 5 months
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ブタピエロ地上波初回で高野が絶対大泉洋みたいになってやる!って言ってたの心に残ってる。芸人が違う畑の人を目標にしてる話は地図に隠れてた道が光ってこことここ繋がるんだーってなるみたいで好き。芸人同士だけどケムリが伊集院光に憧れてるのとか街裏ぴんくのルーツが藤井隆とか。お笑いの星野源になってグレイモヤとか大喜るで今日は一斉に拍手笑いするのやめましょうって言ってみたい。拍手笑い全然するし嫌でもないんですけど、お笑いの星野源は言うから。
内容と関係なく「予定が無くなる」っていうイベント自体がけっこう好き。その日初対面の人に待ち合わせ時間の1分前にやっぱ今日無しで~って言われてもそんなに嫌じゃない。それは「その日やってるライブに行く/遊べる友達を探す」という選択肢が今のお前にある故の恵まれた者の余裕では?そうかもなスマン、2時間3時間待たされたらさすがに損が勝って嫌だしな。 自分に対してお前って喋りかけがちなのこないだ気付いた。関西人の逆。関西の俺みたいな人は自分に自分(二人称)って喋りかける。どっちが自然なんだ?
ルーティン(自分が子供のとき流行った言葉って、自分が子供だったからそこで初めて知ったのか流行きっかけで人口に膾炙した言葉なのか分からない/でもルーティンワークはルーティンより昔からある言葉な気がする ルーチンワークとか言う時あるし/ルーチンワークって言う人「相対性理論のシンクロニシチン」)的な、決まってる周期通りに動くのがめちゃくちゃ嫌で崩したくなる。別に早寝できるけど一回睡眠グチャグチャにしとくか~みたいな・・・。
小中の頃かなり読書好きだった記憶あるけどその頃流行ってた本思い出そうとするとコミックエッセイ(ダーリンは外国人、毎日かあさん、日本人の知らない日本語、うちの三姉妹、ツレがウツになりまして等)と食べてはいけない食品みたいなやつが真っ先に浮かぶので活字が好きなだけだったかもしれない。 ハリーポッターもダレンシャンもデルトラクエストも読んでないけどマジックツリーハウス、怪談レストラン、ブンダバー、ズッコケ三人組は読んでた。やっぱ本好きではあった。
しっかりした後輩に泣きつくばかりの先輩になるのは、ヤ���い!!言葉だけ優しい先輩ならAIに取って代わられるAIどうこう言うのがいくらスベっててもこれは真実だからお前(俺)のプライドより強い。
ルーティンを回せる(のと同等に見せる)機動力がなければ持続的に人を幸せにする余裕を持ちえない。えなこ。2021年の日テレの年越し特番でバイきんぐがグラビア撮影のコントやってて、小峠が「えなことか伊織もえみてえなグラドルいねえのか!」って何回も振った上で全然別のおもしろ固有名詞タレントがいっぱい出てくるコラボネタだったの変だった・・・・・・・・・。オタクが経済回しすぎて日テレ買収したんですか?俺は貧乏なのに。去年大喜るトナメの帰りにしょせちくと渋谷の高そうな店見ながらいつか二人で普通に行けるようになりたいねーって話したなー。店名とか見ずになんとなくあの辺の店みたいな感じで話してたから回収できない伏線。 伏線回収っていざ見たら結局いまだに盛り上がっちゃうけど、↑みたいな比喩としての伏線回収だけ先に死語になりつつありませんか?新規人口が増えてる以上大学お笑いの大会で伏線回収されて冷めるみたいな層が多数派になることは無いと思われ・・・思われ?恋の話?ウフフ🙂🍷
ネタ見せしたら好きな後輩だけもっと飛躍してほしいですって言ってくれて嬉しかった。上手いことやるとこまで含めて見せたいねー。
3年間ナナペに台本出したけど自分の好きなものの中で全員面白いと思う強度のものをどうにか見つけてブチ通す!!のパターンしか覚えられなかった。せっかくならそれを外の大会でもやってのけたい!俺の落研との関わり方全部こういう感じ!!それでええやん!!飲めなくてもええねん!100%笑えばええねん←イロモネアの最終ステージ?設楽の焼けた携帯ってチャレンジ前にも見せてたのかな?俺あの場でパッと出されてすぐに何か分かる自信ないかも。あの場に立ち会えたのに気持ちよく笑えなくて後悔するのめっちゃやだなー。
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neigesucre · 2 years
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2月の外食記
2月4日 ABCラーメン@銀座/tabacco@恵比寿
歌舞伎観たあと、受験で弟が遠路はるばる来てくれたので銀座でランチ。東京で、ラーメン食べたいとのご所望があればここ一択。育ち盛りをいいことにサイドメニューもたらふく食わせる。大学の下見に付き合ってから好きな人①に会いに恵比寿に。彼の行きつけのラーメン屋向かってから、かよ先輩が行っていて気になってたイタリアンにお邪魔。串カツ屋さんみたいなノンストップタパス、楽しいなあ。大はずれだったビブグルマンフレンチの話して、ここは好みと伝えたら俺たち情報食ってるからねと返されて、たしかになと思った。情報を噛み締めて気持ち良くなりたいよね。4度目も手を繋いで健全解散。デートはこれが最後かな。
2月11日 うゆう@渋谷
大学時代のバイト同期と飲む。私以上に食にうるさいから、お店サジェストするときどきどきしちゃう。芸術品のようによそわれたお通し6品に毎度見惚れる。褒めてもらえて嬉しい。酔ったノリでハプバ行く。摘発されていたからどんなもんかと思っていたけど、プレイルームはホテルとして別会社が運営、行きたいときはスタッフにこっそり声かけるっていうパチ屋仕様になっていてウケた。たしかに懇ろになった男女がホテルに行くのは誰にも憚られませんからね。声かけてくれた男性2人と、半分おしりが見えるセーラー服着てダーツした。失礼だけど、私たちがアプリで会ったら初手で切ってしまう、なんならそもそもマッチしない属性の人。でも2人とも私たちに楽しんでもらいたい気持ちがまざまざと伝わってきて、人間っていとしいなと思えた。ここに来るといつだってあたたかい気持ちで帰路に着く。ありがとう。
2月12日 小野田商店@学芸大学
2ヶ月ぶりの加藤。大好きなホルモン屋さんとワインバー行く。ここに訪れるたびにお客さまは神様じゃないのを思い出す。この街がぜんぜんしっくりこない男だなと思う。ずっと日比谷線にいたほうがいいよ。そのあとなぜか六本木行こうや、と向かったもののバーはろくに空いておらず、さらになぜか遠隔プレイしようや、とドンキ行く。ぜんぜん思っていたのと違ってAVはフィクションだねと笑い転げた。
2月13日 友@目黒
3年前からときおり会っているティンダーの男友達とサシ。はじめて会ったときは私は22で彼は27だったと思うとこわい。手書きのメニューが適当に壁に引っ付けてあるお店ってだいたいはずれがない。M1出場を打診されノーシンクで快諾。だってM1経験のある人生のがおもろいじゃん。いったん彼の芸風見てからコンビ組もっと。
2月15日 ilungo@自由が丘
お気に入りのおでんやさんで飲むつもりが、煩いおじさん客がいるからっておでんやの女将さんと2人して抜けてビストロで飲んだ。日本酒フリーフローは嬉しい。彼女は代理店の大先輩でもある。さんざん仕事の愚痴を連ねる。最近仕事干されてイヤイヤ期だけど、たしかに私はキャッチアップ遅いんだった。背中押される。私も彼女みたいに着物を自由に纏えるようになれるなら、アラフォーもそう悪くない。ハナエモリのお着物ずっと狙ってる。
2月18日 のんき屋@浅草/Trattoria Azurri@神楽坂
日本舞踊のお稽古に浅草へ。せっかくだし、と帰りにホッピー通り寄るもおひとりさまだからと4軒連続で断られる。もしかしてお呼びじゃない?半ば憤って入った立ち飲み屋が大正解で息をつく。もつ煮150円なんてマネタイズが心配です。ほろ酔いで神楽坂。電話でのリファレンスチェックも功を奏し案の定楽しかった。国家公務員からコンサルに転職した理由を問うたら、「それでいうと理由は3つあって〜」とお手本のような仕草を垣間見てにやにやしちゃった。まだ遊んでいたいと恋愛したいの狭間で揺れてると聞いて、正直な人だなあと思う。でも恋人がいないと甘えたくても甘えられないと溢されて、そんなの傷口の舐め合いじゃんと返したけど、まあ、そうだよね。だって私たち、頑張ってるもんね。男の子、みんな葛藤してて可愛い。菜の花とホタルイカ、旬のうちにリベンジしたいな。好きな人②に昇格。
2月21日 ゑぶり亭“@横浜
ダンサー3人で飲んだ回。まあダンサーじゃないんだけど。炙りしめ鯖にレモンを搾るさまさえもべた褒めしてくれるから自己肯定感あがる。元気の良い居酒屋って大好き、絶対にバイトしたくないけど。業界人でもないのにフースタ見てる人は変態と聞くけど、フースタは間違いない。
2月22日 カクニマル@神泉
某ギャラ飲みの日。ここも接客がいい意味でやたらやかましい。刺し盛を出血大サービスしてくれた。こういう人も、まだこういうお店で飲むんだなと思った。でもしっとりしない雰囲気で逆に良かったのかもしれない。女友達と来たかったなあ。
2月23日 da GIORGIO@湯島
好きな人②と飲む。彼から教えてもらったこのお店、かよ先輩が「東京で1番美味しいピザ」とツイッターに残していたのを思い出して俄然楽しみになった。MECEな恋愛の話する。MECEな恋愛なんてないだろ。私はやっぱり一緒にボトルを空けてくれる人が好き。いつだって飲みきる責任を背負った共犯関係でいたい。
2月25日 串カツ田中@横浜
サークルの同期3人と鎌倉で座禅を組んだ日。幸せってなんたるか、良い家に住むでも素敵な配偶者と巡り合うでもなく、皆さんの足元にあるそうですよ。頭ではよ〜くわかってるんだけどな〜!シャバい経営者は全員座禅したほうがいい。私もまだまだ先は長そう。そのまま横浜向かって、田中とカラオケとハブをはしごする煩悩に塗れた夜。田中で串カツ選ぶのってなんであんなに楽しいんだろう。好きなチェーンは田中と松屋とふたごです。
2月27日 どん底@新宿
「お会計30%オフになる年賀状が今月いっぱいだから!」と誘われてティンダーの男友達と飲む。彼ともかれこれ2年になる。ここ、クラシックでとっても美味しいけど絶対にスタッフが堅気じゃないんだよな。そこも含めて良店です。ティンダーを辞めた理由のひとつは彼で、彼に出会えてもう辞めても悔いないなと思った。好き同士ならただ一緒にいれば良いじゃない、なんて互いに婚姻アンチだけど、でも結婚したらバイブス上がりそうじゃね?!と盛り上がる。それもわかる。私が結婚式をするなら彼を「インターネット」のテーブルに着席させる。26歳、春からようやく社会人になるらしい。おめでとう。帰りに店員さんに「しこたま飲んだなあ!」と言われて笑う。2人でシーバスのボトルキープした。勝手に飲ませてね。
今月がはやく過ぎたのは決して日数だけの話じゃない。総じて非常に楽しかったんですよね。よく食べ、よく飲んだ。数えたら2日にいっぺんは飲み歩いていた模様。あと、思い返せば浮き足立つデートが毎週末あって幸せだったな〜!私、やっぱりときめいてたい。来月も素敵なお店で大好きな人たちと過ごせますように。
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sskyt · 1 year
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪��化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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zhouzongmin-blog · 22 days
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金鞭溪 開闊地帶 太陽炙烤,打短裝迎著山谷裡的風~
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a2cg · 1 month
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態度表明と私
「お互い30歳まで独身だったら結婚しよう」なんて会話を若い頃酔っ払ってしたのは嫌いじゃないけど付き合う決め手に欠けてたから曖昧な態度だったかなと思ったものです。
それはオリンピックと言う場所において「台湾が最高だ」って明確な主張の横断幕を掲げたら没収されるのに似たものを感じます。
かつて勤めていた企業では100色の中から好きな色の名刺を選べるシステムでしたが、とある先輩は白黒つけないのが好きと言う理由でグレーを選んでいたのが印象です。
一方こちらの食材は黒が加熱むきで白が生食に最適みたいですね。と言うわけで本日のランチは #白トリュフ香る極上和牛の冷たいとうもろこし を頂ける #麺や庄の です。
前回は、つけ麺を楽しんだので違うものを頼もうと思い店の前に掲げられた限定麺が夏向きで気になり注文をしました。
食券を購入し9分程で提供されました。色合いとしては赤が3分の2を占める丼の残りが黄色という暖色系の色合いが食欲をそそります。
まずはいつも通り #麺 をぐいっと引き上げます。細麺ですがしっかりと香りがある小麦粉に合わさる #とうもろこし の #冷製ポタージュ が自然な甘みとクリーミーさが最高。
4分の1にカットされて軽く炙られた #コーン の甘味にびっくりします。そして #和牛 は半生の柔らかい食感で旨みが感じられるお肉で素材の旨さが全面に出ています。
薄くスライスされて揚げられたごぼうもサクッと美味しくて、いいアクセントに。同時に薄く切られてパリパリと食べられる赤い大根?もいい味です。
#スープ を頂く時に鼻腔を抜ける #トリュフ の香りと旨さがいいですね。原材料費がかなりかかっていそうですが、1300円でこれを頂けるのは凄いですね。
他の店舗ではこちらのメニューにウニが加わったものがあるようでしたが、自分ではこの値段でこの具材の分量のバランスが最高なんでは無いかと思っております。
#市ヶ谷ランチ #市ヶ谷グルメ #市ヶ谷ラーメン #市ヶ谷らーめん #とa2cg #麺スタグラム
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wucheer · 1 month
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*
不知从什么时候开始的,我很少和她说话了。可能是她没空见我,更可能是因为我一直在回避她。
我和黎梢是从小就在一块玩的朋友,我刚出生没几天她就被人抱着来见我了。很小的时候她就开始成天伴着我了,而我总是一直随在她身后形影不离。她曾像逗小狗一样刮我的鼻子,而我也会报复性地捏她的脸。不知道为什么,像这样零零碎碎的事,我总是记得很清楚。
之后她先我一年上小学,先我一年上中学。
我们曾都是优等生:她是大人眼中的模范,而我是特立独行的怪孩子。那时我在大人的议论和玩笑中第一次了解到什么是人与人之间的差异。当然我还小不懂事,只是觉得“区别对待”这件事有点奇怪,也不会想到在几年之后,我会因为这些声音走上异样的道路。
中学时,我因心理疾病耽误课程而成绩退步,别人冷眼看着我一步步跌落时,她说她理解我,想要帮助我。可是她当时的成绩那叫一个辉煌……面对她一句句冠冕堂皇的鼓舞,我只能像缩头乌龟一样沉默。在低谷时撞到自带光环的天使,我只感到自己无比渺小。
学业像开水一样滚烫,成绩却像麦芒一样扎心。黎梢成了尖子班的第一名,我却像水垢一样烂在壶底。就这样勉强度日,本就压抑的心渐渐把她滤掉了。你可能会说我冷漠吧,但是如果想到一个人会让我痛苦,我便不愿再想起她。
黎梢原是我所拥有的一切,现在我一无所有了。
不知是什么时候开始的,我对她的喜欢变成了崇拜,又变成了敬畏;我的告白变得沉默,又变得卑微。我不敢在放学后等她,不敢牵她的手,甚至不敢接近她,怕自己恶劣的性格会通过交流传染给她。我为自己的堕落感到不适,可我从来没想过要改变自己。明明是她曾说过(虽然是很久以前的事)会爱任何模样的我。可她似乎真的对我越来越冷淡了,我的理智告诉自己她不会喜欢这样的坏孩子了……
我夜夜梦见她。在梦里我们擦肩而过,我暗暗忍着、故意赌气没有喊她,她没有看我,径直走过去,眼神冰冷坚定。我悔恨地回头追去,她却消失在空白的背景板中了。我伸手抓住空气,它像粉笔灰一样飞走了。
我日日碰见她。在学校长廊上我们擦肩而过。儿时温柔包容的眼眸变得平静严肃。与我相视,她只会稍稍慌张地笑一笑,客气地打招呼;后来她的表现逐渐变为欲言又止地低下头……我受不了这个被调包的假黎梢。
你有没有想过自己最好的朋友会变成神呢?
我知道那是一种什么样的感觉。她变成众星捧月的人物之后,我好恨。
*
黎梢家住在我们这栋楼一楼,我住在七楼。这里空房较多,一到夜里这七层建筑里也就一首一尾两片灯光,冷冷清清的,很讨厌。
黎梢高考前夜,当全小区都在酣睡时,七楼的灯亮了。
*
夏天的夜晚,稍有温热的海水冲击着礁石,冰冷的沙砾在浅洼中零星地跃动。这座小城也微渺地闪烁着落寞前最后的欢愉,祂马上又要送别一群人了。
海浪的冲击愈来愈烈……
在它有一次在巨石上溅起古代房檐一样的水花、发出骇人响动时,柳华小区C栋西单元701室阳台前有人影踌躇不安地蓄力着。
像流星划过、陨石坠落,在人们的身下迸开的,是一具可怖的空壳。
不久,一楼的灯亮了。
*
那是高考第一天凌晨,也是李子茜跳楼轻生的当天。她在黎梢窗前死得惨烈,手里紧攥写着“我恨你”的字条:与其说是字条,不如说是欠条比较恰当,至少她自认为有人欠了她许多许多爱。
黎梢在窗口看着成年人们来来往往,失真的感觉扑面而来。那年,她高考失利了。有那么好几年,失真的感觉、炙烤般的疼痛在每个夏天如期而至地蔓延。
黎梢含蓄地喜欢了李子茜很久,但她从李子茜拒他人于百里外的尖利目光中看不出丝毫的感情;她甚至有意无意疏远她,试着忘记她,以为自己把爱意藏得很好……但是,她因为见证了那个孩子逝去的一幕,再也没有能力去爱别人了。黎梢知道,李子茜的愿望也达成了。
*
后来黎梢读了李子茜一直向往的专业,一声不吭地成为了一名教师。
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绯色的天室中有几只候鸟飞过,黎梢正走在下班的路上,冷不防瞥见在教学楼天台上有人影晃过,那人踱了一会儿便立在一处不动了,黎稍心头一颤。
她穿棱在一个个放课后疲愈沉郁的身影里,扶着墙快步掠过刚拖净的楼梯,而后,她用手叩开了六楼暗色中通往天台的门,那有一捧绚丽的晚霞。
一个脸颊有个女生站在不远处。细看有一脸雀斑,两眼红红的,不知是不是刚哭过,眼下还有很重的黑眼圈。黎梢想起她曾在这个女孩所在的班级代过课,对她有些印象,可是面前这个人的不协调感取谛了往日的元气。
刘小悠也愣住了,面前这个年轻老师头发乱成一团,衣领上的两颗扣子大概是在奔跑时弄去了,她敏锐的神色扫着刘小悠的面孔。黎梢先开了口:
“谁让你来这里的?”
“……”
“为什么来这里?” 黎梢不解地眯起了眼。
当黎梢慢慢靠近女孩时,她突然哇地一声扑进黎梢怀里大哭起来。
“如果我死了,李研会为我伤心吗?”
这下愣住的是黎梢。
“李研”这个名字她再熟悉不过了,她是个各方面都很优秀的学生,甚至优秀得不太真实;但是这倒还正常,奇怪的是,这个女孩总是让自己想到一个人,一个在记忆中埋沒了很久的人,久到她甚至不能其这段记忆具体化了。
那个她,究竟是谁呢?
“我和李研……”
刘小悠的话把黎梢拉回现实。
“从小就在一块儿玩,形影不离,从读书了之后,她成了无人能替的优等生,我却还是那个平平无奇的笨小孩,我们越来越远,但我却一天比一天更在乎她。但是现在,就算我们经过彼此,她大概也不会理睬我这个一无是处的人吧。”
黎梢似有似无地笑了笑,她摸了摸刘小悠的头。那个孩子浑身颤抖了起来。
刘小悠手上落下些了什么,那东西在一片布满苔藓的水洼里割分着波面。那把刀用来自残是有些可惜了。如果黎梢没有走神的话她一定会这么想。
但她突然张不开口了,此时此刻千头万绪涌像江河一样奔涌进名为脑海的荒流。
泥水,深夜,不断流的鲜血;尸体,泪痕,不成声的呜咽;万花筒一样翻转的考卷,晕眩……
等到黎梢开口时,她眼里闪着亢奋的光:
“李研,我知道的。
她是真人吗?我倒是觉得她更像幽灵呢。虽然作为老师说这样的话确实不太合适,但是真的好想看她从高塔上跌落的样子啊。只可惜沒有人有勇气亲自推下她。
“没有人亲自见证她在最后回忆、愧疚、忏悔,看她在踏入天堂前一秒让所有的思想所有的情感都臣服于自己了。”她微妙地笑了笑。
“如果她在璨如明珠的17岁逝去,那么扼杀她的人会占据她的整个青春。”
刘小悠眼里也闪着异样亢奋的光,那一刻,她内心世界迸出了一丝蓝紫色烟花。她似乎做出了一个重大的决定,那个决定像极了当年的那个人,是那么狠心。
而对面的黎梢表情暗露着满意,面具下不知是欣慰还是心痛。
“就当我没来过,也什么都没说过。”
灰色的云拓在浅橙的天空中黎梢转过身,背对着女孩颤动的躯体,一步一步走远。至门口时,在暮色中这位年轻老师猛然回首,长发飘扬。朦胧中,刘小悠好像看到了一个回忆过、愧疚过、忏悔为某人献出过灵魂少女。当她现那个女孩的身影和黎老师叠合在一起时,才觉出眼角竟有点点泪光。
黎梢回头时也惊讶了片刻,在某一瞬间,她无故想到了那个故人,那个眼睛总是红红的,总会在自己走后凝视良久的的女孩。
一声惊鸿鸣叫着飞越了高层建筑,黎梢小声对女学生说:
“快回家去。”
这是她最后一次回头,也是她第一次注意到她衣角上画的动漫角色。那是学生时代李子茜喜欢的鹿目圆香。
那时,在世界某处有个女孩呢喃道,魔法少女都会变成魔女吧。
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