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#牟婁口碑集
oldkwaidan · 2 years
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無常の風
 今は亡き楠本松蔵くんから、大正四年に聞いた話。
 無常の風が吹く。  紀州西牟婁郡田辺地方では、老人たちがこんなことを言うことがある。  無常の風というのは、休み休みに、そして、ときどき吹く風で、一度吹き出すとたいてい七日くらいは吹き続ける。  そして、この風が吹くときにだけ、人が死ぬ。  だから幾日も続けて死人が出ることもあれば、十日間や十五日間も死人が出ないこともあるのだ。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「無常の風」)
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ofcoursejapan-blog · 7 years
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【關西・近畿】4大推薦溫泉地!不只是有馬溫泉!
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可能大部分人對「近畿地區」沒有什麼概念,其實近年熱門的京都、大阪、奈良就是在這個地區。一般說到在去大阪想泡溫泉,就只會覺得神戶的「有馬溫泉」最就近、最方便(其實,「有馬溫泉」被推薦也不單是因為位置啊!)所以弄得像沒有選擇一樣⋯⋯
其實還有其他很好的選擇!而且原來下次到關西玩時,一於試試不同地方的溫泉吧~
夕日ヶ浦温泉 @京都府京丹後市
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夕日浦溫泉位於丹後半島西側位置的溫泉地,以動人的夕陽景色聞名,每日沉落在日本海,將一片海天都染上夕陽專有的橙紅色,彷如神明降臨的瞬間,堪稱絕景。
其泉水的特徵是低張性、弱鹼性、高溫、有黏潤的肌膚觸感,並向來有「美人之湯」的美譽,其美容效果非常值得大家期待。
冬季時還有一件事更值得期待!就是一定要吃當地超有名的松葉蟹,有多美味就不用描述了吧?從大阪、京都前往只需少於3小時車程,有齊絕景、美食、美容的景點,很想到此一遊吧?
沒有方向的朋友,可以考慮一下在夕日浦溫泉之地,規模頗大、設備完善、即使有小孩同行也安心的「佳松苑」。
Information 夕日ヶ浦温泉 佳松苑 ■地址:京都府京丹後市網野町木津247 ■前往方法:從北近畿丹後鉄道「木津温泉」駅,再乘車約5分鐘 ※有送迎服務(需預約) ■電話:0772-74-9009
有馬温泉 @兵庫縣神戸市
相信不用多說,大部分人都有聽過有馬溫泉了,但到底有多少人知道它有什麼特別呢?
答案就是:有馬溫泉是是全日本最古老的天然溫泉地,而其泉源的特徵就是含鐵、強鹽性的茶褐色泉水。
既然大家都認識,那就直接介紹一下有馬溫泉最大的溫泉設施「太閤の湯」吧!
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「太閤の湯」有共26種溫泉風呂, 有一系列以關於日本戰國時代大名-豊臣秀吉來命名的溫泉,如「天下の湯」、「ねねの蒸し風呂」、「ねねの遊び湯」等,真是浸一浸都覺得有霸氣,喜歡日本歷史的朋友可以來趟獨特的「歷史探訪之旅」。
除了一貫茶褐色的「金泉」之外,還有透明無色的「銀泉」、人氣的「高濃度碳酸泉」等種類豐富且多樣化的溫泉風呂。怎麼可以不來這個連大名鼎鼎的豊臣秀吉都喜愛、大讚的有馬溫泉,親身感受溫泉的卓越功效呢?
Information 有馬温泉 太閤の湯 ■地址:兵庫県神戸市北区有馬町池の尻292-2 ■前往方法:從神戸電鉄有馬線「有馬温泉」駅徒步約7分鐘 ※提供駅前送迎巴士 ■電話:078-904-2291
白浜温泉 @和歌山縣西牟婁郡
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白浜溫泉是有1400年悠長歷史淵源的溫泉地,亦是「日本三古湯」(白浜温泉、有馬温泉、道後温泉)中,於飛鳥時代最多歷史上大人物到訪,而且根據《萬葉集》、日本紀錄書說到溫泉的豐富效能時,白浜温泉也有被提及。不但在古時受歡迎,現時每年也有近300萬觀光客到這裡享受,非常熱鬧呢!
值得一推的溫泉設施就是「崎の湯」,其溫泉風呂就設於十分接近太平洋位置,近距離的程度幾乎讓人可感受波浪水花,一於就這樣被大自然擁抱著地感受悠久歷史的古湯,細心欣賞它的過人之處吧!
Information 白浜温泉 崎の湯 ■地址:和歌山県西牟婁郡白浜町湯﨑1668 ■前往方法:從JRきのくに線「白浜」駅,轉乘巴士到「湯崎」站下車,再徒步約5分鐘 ■電話:0739-42-3016
洞川温泉 @奈良縣吉野郡
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洞川溫泉鄉位於熊野川的源流、山上川河畔,由於在820米高的高地上,即使是夏天也十分涼快,有「關西的輕井澤」之稱,不過鄰近滑雪場有積雪地的關係,冬天會比較寒冷。雖說是冷,但能在昭和懷舊氣息洋溢的小鎮中,靜靜地、忘我地泡浸溫泉,泡的可是氣氛啊!就算冷也是值得一去!
決定了去感受風情的話,可以考慮一下這間已屹立在洞川溫泉鄉330年的溫泉旅館-「角甚」,有著簡直就像是坐上時光機的非日常性,到過的人都讚口不絕,說「好想再來!」 ,選旅館就是要跟著好口碑來選吧?順有一提,他們自豪的「牡丹鍋」(ぼたん鍋)是用上了新鮮豬肉所製,一定要試試!
Information 洞川温泉 行者の湯 角甚 ■地址:奈良県吉野郡天川村洞川240 ■前往方法:從近鐵「下市口」駅轉乘往「洞川温泉」方向的奈良交通巴士,終點站下車後徒步約5分鐘。 ■電話:0747-64-0336
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oldkwaidan · 2 years
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紀州の死神(二)
 広畠氏による、死神についての話の続き。  彼によると、死神に憑かれても、何か食べれば離れるのだという。
 かつて紀州日高郡南部町の、とある家の雇人が、夜、西牟婁郡新庄村まで、三里の道のりを主人の使いで出かけた。  途中、礫山という場所を越えるあたりで、突然、首を吊って死にたくなった。  ふだん、そのあたりはとても寂しい場所なのに、その夜はなんとなく賑やかで、自殺する場所を探すのが難しそうだった。  それに主人の使いも果たさなければならぬ。取り合えず、使いを遂げて、その帰りに死のう。  雇人はそう考え、新庄村に向かった。  年の暮れのこともあり、新庄村では餅つきをしていた。  雇人を見ると村人たちは誰もが声をかけた。 「途中で何かあったんじゃないか。顔色がとても悪いぞ」  彼は早く使いを済ませて村を出て、礫山で首を吊りたかった。  しかし、村人は彼を引き留め、餅を食え、餅を食え、と勧める。  仕方なしに餅を食べているうちに、雇人の気持ちが落ち着いてきた。すると礫山を越えるのが急に恐ろしくなった。  彼は事情を話して村に一泊させてもらい、翌朝、家に帰ったという。
 これは広畠氏が若い頃に聞いた話であるという。  彼によると、雇人が心変わりしたのは、餅を食ったために死神が離れたからで、また死神に取り憑かれると死ぬのが楽しくなるのだそうだ。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「死に神の話」)
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oldkwaidan · 2 years
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紀州の死神(一)
 大正六年に五十七歳で亡くなった紀州西牟婁郡田辺町の広畠岩吉氏から聞いた話。
 首吊りとか投身とか、自殺を図った人を見つけたとき、その救助は必ず二人以上でおこなわなければならない。  なぜか。その理由はこうである。  自殺者には死神が憑いている。その自殺を妨げられると、死神は怒って、今度は助けようとした人に取り憑く。  しかし、救助者が二人いると、死神は同時に両方に取り憑くことはできないから、救助者は事なきを得るのである。
 かつてこんなことがあった。  ある夜、泥棒がある家の二階に忍び込んだ。  するとその家の女房が首を吊ろうとしている場面に出くわした。  相手もいないのに、彼女は、まるで誰かと戯れているかのような、妙に楽しそうな様子であった。  そうこうするうちに、彼女は梁に向かって帯を投げた。  ずいぶん高い位置にあるのに、まるで誰かが受け取ったかのように、帯はするするといとも簡単に梁にかかった。  これはおかしい。  泥棒は自分の立場も忘れて、今まさに首を吊らんとする女房を、慌てて引き止めた。  まるで夢から覚めたように、彼女はハッと意識を取り戻した。  泥棒は家族も呼び起こすと、今あったことを話した。  家族はとても喜んで、お礼として少なからぬ金を泥棒に与えて帰した。
 しかし、再び眠りについた家族は朝になって驚いた。  門前で泥棒が首を吊って死んでいたのである。懐中には与えた金がそのままそっくり入っていた。  これは女房に憑いていた死神が、女房から離れて泥棒に憑いたから、このようなことになったのである。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「死に神の話」)
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oldkwaidan · 2 years
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猫を飼うとき
 紀州西牟婁郡での言い伝え。  猫を飼うときは、あらかじめ年期を定めなければならない。  例えば「二年間飼ってやる」とか「三年間飼ってやる」とか、最初に猫に宣言するのである。  さもないと、猫はその家で年老い、化猫になり、災いをもたらすのだ。  最初に年期を定めておくと、それが満ちれたとき、猫はどこへともなく去っていく。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「猫」)
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oldkwaidan · 2 years
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玉置山の狼
 紀州西牟婁郡田辺地方で、かつておこなわれていたことである。  狐憑きが落ちないときは、最後の手段として和州十津川の玉置山から狼を借りてきた。  この狼は借りた人と一緒に来るのだが、その姿は見えない。  しかし、途中で川などを渉ると、水から上がってしばらくの間は、道に水で狼の足跡がつくので、狼が一緒に歩いてきているのが判ったという。  狼が来れば狐はたちまち落ちる。狼が山の王であるからだそうだ。  狐が落ちれば狼はすぐに玉置山へ帰るという。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「玉置山の狼」)
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oldkwaidan · 2 years
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幽霊松
 紀州西牟婁郡田辺町大字中屋敷町十九番地に松と梛(なぎ)の樹が隣り合って立っている。  この松は幽霊松と呼ばれている。  胴回りは九尺五寸、高さは四、五十尺ほどの下り松である。  形態学上の参考として和歌山県の天然記念物に指定されている。  なぜ幽霊松と呼ばれるのか、その由来はよく分からない。  その松自体には、別にいわくはない。しかし以下のような話がある。
 松があるのは元田辺藩士・可児倉太という人の邸があった場所で、今も地所の所有者は倉太の息子である。  明治維新後、倉太の夫人が三味線の師匠をしたが、この邸で八島の曲を演奏すると、天井から大きな足が現れたり、家が怪しく鳴ったりする怪現象が起きるので、八島の曲は禁物になっていたという。  また、昭和二年三月現在、松の傍に現存する土倉にも血生臭い話がある。  昔、この倉に落人が隠れていたのが見つかって、攻められた結果、十何人もが倉の中で切腹して果てたのだそうだ。  そのためか今でも、倉に手を触れると祟りがある、という話がある。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「幽霊松」)
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oldkwaidan · 2 years
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公孫樹の夢
 紀州東牟婁郡三尾川村字下地に泉光寺という曹洞宗の寺がある。  その境内に公孫樹がある。  胴回り二十尺、高さ二十五間、枝張り十五間を超え、枝の端からは気根が氷柱のように垂れ下がり、長いものでは一間を超える、という大きなものである。  永正の頃にこの村を拓いた日下氏が植えたものだと伝えられている。  その公孫樹に、かつてあったことだという。
 公孫樹があまりにも茂っていたので、葉から落ちる雨滴が多く、寺の屋根がすぐに傷んだ。  それを憂いた村人たちは密かに相談して、公孫樹を焼くことを決めた。  公孫樹の排除が決行される日の前夜のことである。  村の日下俊斎という医師の夢枕に一人の女性が立った。俊斎は村の開祖・日下氏の末裔である。  夢の女性は俊斎にこう訴えた。 「私は泉光寺の公孫樹の精です。村の衆の思惑で私の命数が旦夕に迫っております。どうぞ私を助けてください。今後はお寺の屋根が朽ちないようにしますし、ご住職の奥様の病気も治します」  そう言うと女性は消え去った。  いったい何のことだろうか。  俊斎は村人たちの思惑を知らなかったので、夢から覚めて、不審に思っているところに泉光寺から迎えが来た。  住職の妻が難産で苦しんでいるという。  俊斎は急いで寺に行くと、住職に自分が見た夢の話をした。  驚いた住職は村人たちを呼んで話を聞いた。そして、公孫樹を焼くことをやめさせた。  すると、住職の妻の容体は落ち着き、無事、赤子が産まれた。  また、寺の屋根にも雨滴が落ちることもなくなった。  このとき産まれた子は十五歳で剃髪し、後に当寺の住職になったという。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「公孫樹の精」)
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oldkwaidan · 2 years
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嘉平火
 紀州西牟婁郡西富田村の新田の堤には、毎年の田植えが終わる頃、怪しい火が現れる。  土地の人はそれを嘉平火と呼ぶ。新田を開拓した嘉平の霊が見回りに来ているのだ、と言っている。  近年、新田の所有者である石見氏が、嘉平の菩提を弔い、その墓を建てている。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「嘉平火」)
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oldkwaidan · 2 years
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獅子舞岩
 紀州西牟婁郡田辺町大字神子浜の田圃の中に獅子舞岩というのがある。  岩の形や岩についた草など、その外観が獅子が舞っている姿に似ているのでその名がついた。  この岩は阿波から流れてきたものであるという。 「阿波へいにたい(帰りたい)」  雨の晩にはこう泣くそうだ。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「獅子舞岩」)
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oldkwaidan · 2 years
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七人塚
 紀州西牟婁郡長野村大字馬我野字鎌倉に七人塚というのがある。  昔、ここに七人の山伏が住んでいた。  ある日、山伏たちは、田辺町の沖を進んでいた船に向かって、航行が止まるよう術をかけた。  ところがその船には強力な術者が乗っていた。術者は山伏たちが動けなくなるよう術をかけた。  山伏は皆その場から動けなくなり、ついには死んでしまったという。  今でも沖を通る船からこの地を望むと、夜には一点の青い火が怪しく光るのが見えるそうだ。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「七人塚」)
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oldkwaidan · 2 years
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牛鬼谷
 紀州西牟婁郡北富田村を庄川というのが流れている。  その川の奥に牛屋谷――またの名を牛鬼谷――というのがある。  谷には小さい滝があり、滝の奥には洞窟があって主が棲んでいるという。  昔、主を怒らせたため、川の上流で伐り出し、下流に向けて流していた材木が、滝の奥の洞窟に尽く吸い込まれた。  吸い込まれた材木は一万本を超えたが、一本たりとも戻ってこなかった。  それほど、この洞窟の深さは底知れないのだそうだ。
 旱魃のときはここで雨乞いをした。  どうしても雨が降らないときは、滝壺に牛の首を投げ入れる。  言い伝えでは、その穢れを清めるため、たちまち雨が降ってくるのだという。  実際に、大正二年の大旱魃のとき、牛の首を投げ入れている。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「雨請い」)
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oldkwaidan · 2 years
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牛鬼淵
 紀州西牟婁郡江住村大字里野字三崎は海べりの土地である。  その地を通る川の、海岸近くの流れの中に牛鬼淵というのがある。  直径は三間ばかり、周囲に屏風を立てたように岩石が巡っており、底には海に通じる洞穴がある。  その淵の水が濁っていると、鬼が来ている、と土地の人は言う。  また、この淵に石を投げ込むと、翌日には必ず取り出され、淵の前の岩の上に置かれているらしい。  毎月二十三日の夜、この淵で鬼の泣く声が聞こえるともいう。
 (雑賀貞次郎『牟婁口碑集』 「鬼の話」)
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