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#牡鹿半島まちおこしを目指す!!
darkrebelwinner · 9 months
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3つの養殖業から事業拡大により、 ①雇用の確保、 ②魅力ある事業、 ③継続的発展に結びつく「夢の実現」を取り入れた事業計画を提案してまいります。 それらの推進を基に若者が定着できる労働ワークの確保を目指してまいります。
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 ��選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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judachigeiju · 6 years
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
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七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
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杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
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十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
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七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
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山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白��義は赤い悪魔だった。
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八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
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尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
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七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
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七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
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三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
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県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
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近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
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雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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abcboiler · 4 years
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【黒バス】高緑がサンライズビルに来た話(高緑が隣に引っ越してきた番外編)
2014/11/09 発行コピー本web再録
誰も私の名前なんか知らなくていいのだが、私の近所、というか、私のアパートの隣に住む人の名前は是非覚えてもらいたい。そうじゃないと話がなにも進まないからだ。繰り返して言おう、私の名前なんかどうだっていいが、私の、隣に住む、二人のイケメンの名前だけは、今すぐに覚えて欲しい。
そのイケメンの一人の名前は高尾和成といい、もう一人の名前は緑間真太郎という。
覚えてもらえただろうか? 高尾和成、と、緑間真太郎である。人間記憶できるのは見たものの六十二%だという話もあるくらいだから、あと三度ほど繰り返して言おう。
高尾和成と、緑間真太郎、高尾和成と、緑間真太郎、高尾和成と、緑間真太郎である。よろしいだろうか。
さて、じゃあ、少々お時間を頂戴して、私はこの二人のイケメンについての話をさせてもらおう。私が何故かうっかり休日にこの二人に出会い、何故かストーカーまがいの行為をする羽目になり、貴重な貴重な一週間の日曜日を潰した話をしよう。
ちなみ、言い忘れたけれど、こいつらはホモだ。
   *
人間誰しも美味い魚が食べたくなる瞬間というのが日常の中のふとした瞬間に訪れるものである。ああ、そうだ、美味い刺身が食べたい。ウニのどんぶりが食べたい。生牡蠣をすすってもいいし、タコの刺身を口の中で鳴らしてもいい。とにもかくにも頭の中が水族館のようになってしまって、スーパーに寄っても湿気た本当にマグロなんだか判らない赤身の魚が鎮座しているのを冷たい目で見るしかなくなる、そういう瞬間が来るものである。
私の場合それが今週の木曜日で、その日の帰りにはコンビニでおにぎりを買いながら、絶対に日曜日には美味い魚食ってやると決意したのだ。
だから一人で築地まで来たんです。
友達はどいつもこいつもデートと合コンと飲み会で予定が埋まっていた日曜日、お前たちは生魚を貪りたくないのか? と思いつつ、若干の敗北感は海鮮丼で蹴飛ばしてやろうと私は意気揚々、築地の狭い道を歩く。目指すは事前にリサーチした海鮮丼の店である。
ただでさえ狭い築地の路地の更に裏、店の中に通路があって、そこをぐいぐい折れて中に入っていくと、そこはウニが山ほど乗った海鮮丼の店である。お値段二千五百円。高い。高いがウニのためだ。ウニにはそれだけの価値があるのだ。そしてそれを食す私は二千五百円以上の価値がある人間なのだ。そういうことにしておいてください。時給二千五百円ももらってないけどな。その半分あるかなしやくらいだけどな。社会人なんて。
お一人様はお一人様らしくカウンター席に座る。注文を済ませ、さあいざゆかんと身構えた、その瞬間である。
「ひゃー、こんなわかりにくい場所にあんのに混んでんだな」
「それだけ人気なのだろう」
「そりゃわかるけどね。あ、すんませーん二人でっす」
聞き覚えがある声がするなあと思った。より正確に言えば、聞き覚えがあるホモの声がするなあと思った。
振り返ることは決してしない。それをした瞬間に負けると思った。そして別に振り返らなくても、私の視界の右端には、ちらちらと緑色の影が見えた。
私の人生の中で、私の知る限り、緑色の髪をした男なんてのは、渋谷と原宿にはいても築地にはいない。もしもいるとしたら、それはきっと、信じがたいかもしれないが、きっと、その男の自毛なのだろう。そして私の人生の中で、驚くべきことに、自毛が緑色の人間というものがたった一人存在しているのである。
「真ちゃん椅子狭くねえ?」
「いつものことだ」
「そりゃそーだわ。ぶっは、家のソファはキングサイズで買ってあるからあんま意識したことなかったけど、やっぱ改めてこうしてみると、ぶっふ、でっか、真ちゃん」
「恐ろしく今更なのだよ。というかこの店が全体的にこじんまりしているだけだ」
「真ちゃんどんだけ足がはみ出してんのさ。ってか、足、机にぶつかってねえ?」
「そうだな。お前と違って足の比率が大きいからそうもなる」
「俺は平均ですー」
「そうかそうか。ところで高尾、俺とお前の身長差は何センチだったかな。こうして座っているとあまり差が無いように思える。もしかして身長がのびたのか?」
「ぶっとばすぞこの野郎」
「椅子に座るとお前と目線が合いやすくて俺としては嬉しい限りなのだよ」
「デレと見せかけてけなすの禁止!」
「ふん」
「楽しそうに笑うのも禁止!」
「笑うのも駄目なのか」
「なんか妬ける」
ハイ分かってました確定しましたありがとうございましたこいつらは間違いなく私の家の隣に住むホモ、略してトナホモのお二人でいらっしゃいますー。頭文字ならWTSH、ワタシの家のトナリにスムホモ。マジかよ。どんな確率だよ。すげえ確率だよ。なんと私は家の外に出てもこのホモに出会ってしまう運命らしい。じゃあもう家の隣のホモじゃないじゃん。私の隣のホモじゃん。何ソレ。隣のホモモ……やめようどこから訴えられるか判らない。
「ま、俺としても目線が同じだと真ちゃんの表情が見やすくていいんだけどね」
「そうだな。俺も普段お前のつむじしか見ていないから、そろそろお前の顔がつむじになりそうだったのだよ」
「なんだかんだ言って俺の顔好きなくせに」
「…………」
「お、図星?」
いやーすげえウニはまだかなー。なんで私は休日の昼間っからホモのいちゃこらついた会話なんか聞いてるんだろうなー。ていうか周りの人たちは何も思わないのか? 思わないんだろうな。だってみんな目の前の海鮮丼か自分のおしゃべりに夢中なのだ。私のようにまだ海鮮丼も来てなくて、一緒にしゃべる相手もいない人間だけがホモの会話を敏感に拾い上げている。
っていうかね、あんたらもね、ホモなんだからね、こう、ちょっとくらいは節度っていうかね、なんかこう、隠れてる感出しなさいよ。外で会話をする時は友人同士のように、触れ合わず、馴れ合わず……みたいななんか、そういう葛藤みたいなの無いんですか。無いんですね。
いやあったらあったでそれはそれで可哀想というか、男女のカップルは外で堂々といちゃつけるのにホモは駄目ってそれって差別なんじゃないのとか難しいこと色々考えなきゃいけなくなって面倒なんだけど。面倒なんですけど。
だからこんな怒る筋合いも無いんですけどね。なんででしょうね。多分男と男がくっつくことによって、私のようにあぶれる女が出現することへの怒りってやつでしょうかね。本当に。
この高尾くんも緑間くんもイケメンで性格も(恐らくとても)良いだろう二人がくっつかれたら女の行き場ってどこよ。どこにもないわよ。こんな築地のカウンターに一人追いやられるだけよ。ええい、いっそ殺せ。
「真ちゃんどれにすんの?」
「これだな」
「えっウニ乗ってないじゃん」
「そうだな」
「ここウニでめっちゃ有名なのにいいの?」
「構わん」
緑間くんの発言は本当に必要最低限なのに、高尾くんがとてもわかりやすく解説してくれるおかげで会話をきくことしかできない私にも状況がわかる。高尾くんは将来レポーターにでもなればいいんじゃないだろうか? 取り敢えず緑間くんがウニに興味が無いというアンビリーバボーな人種であることは理解したけれど本当にじゃあなんでこの店に来たんだ。言っとくけどウニ以外の取り揃えはあんまり無いぞここ。
「うーん。真ちゃんがそれでいいならいいけど。俺はこれな! ウニ特盛ウニ丼な!」
「テレビで見た時からずっと騒いでいたのだからそれ以外を頼んだら逆に驚きなのだよ」
「へへへ。いやー、ほら、なんかさ、もう頭の中が海鮮一色になっちゃう時ってあるじゃん。あ、もう駄目だ今週中に魚食わないと死ぬわ俺、みたいな」
「その程度で死ぬな」
「気持ちの問題だよ。真ちゃんだっておしるこ飲めなくなったら」
「お前を殺す」
「嘘だろとんでもない八つ当たりじゃねえか」
ほんとにな。でも多分わかったけど、いや全然わからないけど何となくわかったけど、これ緑間くんの方はもしかして全然海鮮気分じゃないんじゃないか?
もしかしたらウニが嫌いな可能性すら存在する。でもどうしても海鮮が食べたい彼氏のために何も言わずに付いてきたっていう……今彼氏っていう言葉を使ったことに自分で酷いダメージをくらっている……でも間違いなく夜の営みでは緑間くんが高尾くんを、えー、その、なんだ、受け入れている、側(婉曲表現)の筈なので多分これで合っている。
昨晩もお楽しみのようでしたからね。めっちゃ声私の家まで響いてましたからね。
『ね、真ちゃん、きこえてる?』
『ん、あ、っは、たか、お?』
『あー、ほとんどトんじゃってるか……。ねえ、ゲームしようよ。先にイった方が負け』
『や、め、そこ、奥、も、むり、っだ、ぁ』
『負けたら勝った人の言うこと何でも一つ聞いてね』
『っぁ、ぁあ!』
つまらぬ物を思い出してしまって真昼間からそっと真顔を晒してしまった。あ? もしかして今日ウニ食べに来てるのってこの罰ゲームの一環なのか? なんかそんな気がしてきた。凄いな。どんどんホモのデート事情に詳しくなっていくな。私。
ようやく私の前に運ばれてきた海鮮丼は彩りも美しく、橙色の照明をゆっくりとはじくイクラが美しい。米もひと粒ひと粒立っていて、丁寧に切られたマグロの刺身とタコと調和している。そして何よりも、ウニ。丼の半分近くを覆うようなこの重厚感。あー、ありがてえ。これでようやくホモの会話をシャットダウンできる。ありがとうウニ。ありがとう母なる海。ありがとう地球。うめぇ。
   *
さてさて、わざわざ休日に築地にまで出てきたのだから折角だから女子力の高いことをしておきたい。というか、会社に行って休日何してたの? とか聞かれた時に「アッ一人で築地に行って海鮮丼食べて帰ってきました~」とか絶対に言えない。そんな時の強い味方。買い物だ。ショッピングだ。「ちょっと秋物のお洋服が見たくて~買い物しに遠出したんですよぉ~お洋服選ぶのって凄く悩んじゃうから、ひとりじゃないと行けなくって~」。これだ。とっても正解だ。「お昼にお腹空いちゃったんで築地まで足を伸ばしておいしい海鮮丼も食べてきちゃいました! え? あ、私あんまり一人とか気にならないタイプなんです~」とか言えばちょっと個性的な私アピールもできるけどそれはやめとこう。そんな訳で私は築地から首都高速を超えて銀座まで歩く。いやー本当に、あの雑多な築地とレディの街銀座がこんな徒歩十分みたいな距離��あるのは未だに納得がいかない。
あと何が納得いかないってここでまたあのホモに遭遇するのが納得いかない。
何故だ。何故銀座三越のデパ地下にお前たちがいるんだ。私もなんで洋服じゃなくてデパ地下で惣菜見てるんだ。マジで失敗した。
「しんちゃーん、まだ決まらねえの?」
「まだだ」
「そんなに悩むなら好きなの全部買っちまえば? どうせ金あるんだろ?」
「馬鹿か。全て買うのはもう決まっているのだよ。何箱ずつ買うかだ」
「そこは一つにしとけ」
そうだよね。買い物するのに凄い迷っちゃって凄い時間かかっちゃっても、それに付き合ってくれる彼氏がいるなら一緒に行くよね。わかってたよ。大丈夫。私知ってた。
「俺的にはこれが気になるかな」
「じゃあそれも買うのだよ」
「もしかして、買おうと思って無かった系? そしたら別にいいんだけど」
「いや、元々買うつもりだったが三箱にする」
「いやいやいやいや、それはおかしい俺の取り分がどれくらいなのかも判らないけど間違いなく俺はひと箱分も一人で食べない」
「俺がふた箱食べたいのだよ」
「じゃあやっぱ俺がひと箱じゃん」
「お前はひと切れで良いだろう。残りは俺が食べる」
「じゃあ真ちゃんそれほぼ三箱一人でくってんじゃん!」
緑間くんがじいっと見てるのは老舗和菓子屋のディスプレイである。最近は和菓子もどんどんお洒落な包装がされてパッと見和菓子だとわからないような物も増えているが、はてさてこの緑間くんが見つめているのは昔ながらの和紙に包まれたしとやかな羊羹。私知ってるけどこういうのってだいたい高い。っていうか羊羹ってドカ買いするものじゃなくない? そんな全種箱買いとかするのじゃなくない?
「真ちゃんさー、マジでそんなに食ったら絶対に太るよ」
「いつも俺にもっと太れもっと太れと言うのはお前だろう」
「だってお前、こう、ぐるっと腕まわした時にさ……あれ? 薄くね? って不安になんだもんよ」
「それでもお前よりは太い筈だが」
「真ちゃん、身長差、身長差、びーえむあいってやつ」
「だから糖分を摂って太ったとしても何ら問題は」
「健康に問題しかねえわ。やだよ俺糖尿病の世話とか」
あ、でも世話するんだー、とか、そっかそっか腕回して抱き合うことに何の恥ずかしさも覚えないんだー、とか、色々思うところはありました。ありましたので私はそっと煎餅をひと箱買いました。荷物になりますが仕方ありません。このやるせない気持ちをバリボリと家で噛み砕いてやろうと思ったのです。本当に。
「すみません、これとこれとこれとこれとこれ、全部二つずつください、これだけ三つ」
「俺のアドバイス一切受け入れなかったね真ちゃん!」
「あ、宅配で」
宅配とかお前天才かよ。とちょっと思いましたがそれよりもぶっ飛ばしたいの方が上回りました。セレブかよ。あとやっぱり高尾くんが気になってる奴は三箱買うんですね。はいはいはい。そうですか。そのことに高尾くんはつっこまないんですか。そうですかそうですか。怒り。
「えー、俺もそしたらキムチ買うわ。全種類」
「やめろ。キムチはくさい」
「すっげー横暴じゃね」
「明太子なら許してやる」
「高えよ! 馬鹿!」
ほんとにな(二回目)。
今度こそ洋服を見に行こう。洋服ならフロアが別れてる。メンズとレディースで別れてる。大丈夫。わたし、ホモ、会わない、絶対。
そうして買い物を終えた私がちょっと休憩がてらに入った和菓子屋でまたこのホモ二人に出会うことになったのであった。もしかして皆さんわかってた? ちなみに私はわかりたくなかった。
「真ちゃんおいしい?」
「ああ」
「そっか、良かった」
「お前はいいのか、抹茶だけで」
「うん」
あーあーあー、あー、はい、はいはい。お昼は高尾くんに合わせたからお茶は緑間くんに合わせたのね。成程ね。私そろそろホモ検定準一級とか取れるんじゃないだろうか。
   *
徒歩エリアを移動するからよくないのでは、と気がついた私はこの惨状から離脱をはかる。何が悲しくてひとりっきりの休日に充実ホモデートを見せつけられなくてはいけないのか? 果てしなく疑問である。
さて、とすると電車で移動するしかないわけだが、銀座からの選択肢といえば限られている。東京か有楽町か日本橋。恐らくそのあたりだ。
そのあたりって、次にホモが移動しそうな場所である。
東京に出て皇居とかでのんびりしたり丸ビルで買い物したり……或いは有楽町に出て映画もありだ……有楽町の映画館は結構マニアックなのとか重たい映画をやっていたりするから緑間くんなんか結構好きなんじゃないだろうか……日本橋は最近コレドが出来てから注目が増えている……が、しかし銀座からは一番遠い……正解は日本橋か? 私は日本橋に出ればいいのか? 間違いはないか? よし、日本橋、行こう。
そしてホモに出会う。
   *
全くもってやれやれなのだが、私の目の前にはどう見ても二人の男、すなわちホモとホモ、別名緑間くんと高尾くんが、かわいいインテリアショップの中で真剣に商品を吟味している。
まあ待てよと言いたい。
なんでこのビルにいるのかと問いたい。真剣に問いかけたい。どう見たって中に入っている店舗はほぼ全て女性物のファッションブランドとコスメなのに。何故お前らはその中で堂々とインテリアを見ているんだ。超浮いてる。超みんなちらちら見てる。でも多分イケメンだからみんな見てる。イケメンだからかわいいリスのぬいぐるみを真剣な顔して選んでても許されてる。
「どちらがより真剣な顔をしていると思う、高尾」
「俺のホークアイには両方とも同じにしか見えない」
「お前のホークアイは空間認識能力であって識別能力ではないだろう。今は関係無い」
「そーですね」
「お前の率直な意見が聞きたいのだよ」
「じゃあ率直に言うけど正直どっちも真剣な顔には見えない」
「なんだと?」
「世の中の人間が全てドングリにみえますっていう感じの顔してる」
「このリスの目には人間すらも捕食対象に見えるというのか……」
ん���わけないだろう。どう考えても緑間さんはからかわれているし高尾くんは暇つぶしにからかっている。っていうか何で緑間くんは真剣な顔のリスなんて選んでいるんだ? 彼女へのプレゼントだろうか、なんて普通なら思うのかもしれないが、どっこいこいつらはホモである。私今日一日で何回ホモっていう言葉を発したんだろう……心が苦しい……。今、世界で瞬間最高ホモ速をたたき出しているのが恐らく私であろうというのが凄く悲しい……。
「フランス製の真剣な顔をしたリスのぬいぐるみでなくては意味がないのだよ」
「相変わらずおは朝の指定はなんでそんな細かいわけ? リスのぬいぐるみでよくねえ?」
「細かいほうが難易度が上がってご利益も高まりそうだろう」
「何その『強い敵を倒せばいっぱいレベルアップ』みたいな一昔前のゲーム理論」
「しかしそうか。こいつらは真剣な顔はしていないのか」
「いや、まあ考えようによっちゃあ、食事って生きるために必須の行為だし、特に野生動物にとっちゃあ生死の分け目じゃん? そういう意味では、常に人間がドングリに見えるこいつらは常に生きることを考えてるとも言えるし、ってことはこのリス達はそれだけ真剣な顔をしてるとも言えるんじゃないかな?」
「成程」
今のどこに成程の要素があったのだろう。私には何にもわからなかったし果たして喋っていた高尾さんですらわかっていたかどうか怪しいレベルだったのだが、緑間さんはこれで納得したらしい。嘘だろ。何が嘘だろって、結局この二人が無事にリスのぬいぐるみを買い終わるまで物陰でそっと見守ってしまった自分に嘘だろって感じだ。なんなの。これはもしかして親心ってやつなの。駄目じゃん。偶然でここまで出会ってきているのに、それをこっそり見守ってちゃそれはただのストーカーじゃん。やめやめやめ。そういうのやめよう。
リスを買った緑間さんはとてもご満悦な表情をしていて、それを見守る高尾さんもとても幸せそうな顔をしていたことを思い出して私は怒りという感情を呼び起こす。ええい二度と関わるものか。関わるものか!
「やー、しかしまあ買えてよかったわ」
「ああ」
「思いのほかあっさり見つかったから、時間ちょっと余ってんだよなあ。真ちゃん他にどっか行きたいとこある?」
「日本橋か」
「多少移動してもいいけど」
なんと。このホモ二人はこのまま移動するらしい。ならばもう少し盗み聞き、もとい、えー、風の便り(苦しい曖昧表現)に耳を澄ませて違う所へ行けば私の安寧は約束されたものだ。さあ、どこへ移動する。今度こそ東京か? 有楽町か? それとも神田神保町?
「ならば七福神巡りがしたいのだよ」
なんでお前そんなちょっと面白そうなの言い出すかな。
   *
緑間さん曰く、少し歩いた所に七福神のそれぞれを祀った神社が密集している場所があるらしい。なんでそんなの知ってんのって感じだが、どうも先ほどの占い云々からして彼はそういった運命とか神様とかそういうの結構信じているタイプのようだ。イケメンじゃなかったら許されない趣味である。だがイケメンだから許そう。私は寛大だ。
寛大だ、じゃねえよ許されないのは私だよこれじゃ本当にストーカーじゃねえか。おい。
しかし時間が余っていたのに加え、なんとなく七福神巡りなんて面白そうな言葉を聞いてしまったからには私もやってみたい。というかもう神頼みするレベルで彼氏が欲しいし寿退社してもうなんの不自由もなく家の中で主婦やってたい。神様に頼んで叶うなら七人の神様くらいいくらでも巡ってやろうじゃないか。
せめて同じ道は歩くまいと高尾さんと緑間さんとは別ののルートを探し、携帯で調べながら歩いていく。こんな場所に来るのなんておじいさんおばあさんだけだろうとタカをくくっていたのだが、なんだか若い女性の姿が多くて私は少しびっくりしてしまう。いや、え、マジで多い。キャリーケースを引いている人もいれば普通に鞄だけの人もいるし、一人の人もいれば団体の人もいるがしかし驚く程みんな女性だ。何かこの近くで女性向けのセミナーとかあったんだろうか。旅行者か? ってくらいの荷物の人もいるんだけど、まさか旅行でこんな場所来ないよなあ。年齢も服装もバラバラで、セミナーって自分で言った言葉も全然信じられない。ただどの人も楽しそうなので、まあ、よくわかんないけどきっと私の知らないどこかで楽しい女性の会があったんだろう。タカミ、とかなんとかいう言葉が頻繁に聞こえたので、もしかしたらそういうアイドルのライブとかあったのかもしれない。
私がホモと一緒に飯食って買い物を眺めわびしい思いをしている間にこの地球上ではこんなにも楽しそうにしている人がいることに嫉妬と祝福を覚えつつ私は神社に向かう。小綱神社、茶の木神社、水天宮、松島神社、までは順調にきた。
そして末廣神社でホモに出会う。いや、流石に七個も同じ行き先巡ってたらそりゃどっかでは会うわ。これに関しちゃ私が悪いわ。
   *
「七福神って結構あっさりいるもんなんだな」
「神様をあっさりいるなどというな」
「いやー、だってこんな都会のど真ん中でひっそり密集してるとか思わないじゃん。普通に」
「普通の使い方がわからん」
「あと、正直どの神社も一緒に見える」
「バチが当たれ」
「命令形かよ」
お賽銭を投げ終わったのか喋りながら境内の砂利道を歩く二人を見つけた時、咄嗟に木の陰に隠れた私はもはや完璧なストーカーとしての体を整えている。何も疚しいことなど無いはずなのに何故私はここまでしているのか。わからない。わからないが仕方がないのだ。ああ、流石にもうそろそろ日が暮れるから、木の陰も大きくなって隠れやすいことこの上ない。十一月の太陽は、落ちる時は一瞬だ。
「おい、高尾、おみくじを引くぞ」
「またかよ! 全部の神社で引いてくつもり?」
「当たり前だ」
「いや別にそりゃ引くのは勝手なんだけどさ、全部の神社で大吉出されると、お前の運の良さ知ってる俺でも多少ひくよね」
「ひくとはなんだ。おみくじをか」
「わかってる癖にすっとぼけないで真ちゃん」
大吉しかひかない人間なんてこの世の中にいるのか。それはもう何が楽しくておみくじをひいているのだろう。絶対に楽しくないと思うのだが、どうなんだ。高尾さんもそれは疑問に思ったのか、そんなにひいて楽しいの? と至極真っ当な質問を私の代わりにしてくれる。
「楽しい楽しくないでやっていないのだよ」
「真ちゃんがそう言う時は大体楽しくて仕方無いっていうの俺もう知ってるからね」
「努力の結果が形になっているだけだ。試験と一緒だと思え。毎回ゼロ点のテストと、百点のテスト、どちらが嬉しい。百点だろう。そして百点を取ったから試験に飽きる、ということもないだろう。同じなのだよ」
「絶対におかしいけどうまく言い返せない自分が悔しい」
諦めるな高尾さん! 冷静に考えればツッコミどころは沢山あるぞ!
まずそもそもテストで百点を取った経験なんてあまりないのだが、どうやら緑間さんの口ぶりからすると、努力すればテストで百点は当たり前だし、おみくじで大吉も当たり前らしい。運って努力でどうにかなるものなの? 私には全くわからないが、緑間さんの荷物から顔だけ飛び出しているリスと目が合ったような気がして額を押さえた。努力の結果があのぬいぐるみ。きっと。
「わかったらさっさとひいて次に行くぞ」
「へいへい」
「へいは三回までだ」
「HEYHEYHEY! ……って、真ちゃんこの前テレビでこのネタ見てから、しょっちゅう俺にフるのやめてくれる?」
「似合っているのだよ」
「お前にお笑い番組は似合わないけどな」
「お前が最初に見だしたんだろう」
「ま、そりゃおっしゃるとーり」
合間合間にのろけを挟まなくちゃ会話できないのか? 私の疑問は尽きないが、二人にとってはこれが日常会話なのだろう。高尾さんはつっこみを入れなかったし、緑間さんは恐らくまた大吉を出したらしく、おみくじを枝に結ぶことなくしまった。次は笠間稲荷だな、という声が聞こえて私は目的地を変更。
っていうか、今更だけど、この七福神巡り、調べてみたら神社八ヶ所あったんだけどそんな適当でいいのか?
   *
全てを巡り終わるまで、遂にホモたちには出会わなかった。良かった。とても良かった。清々しい気持ちだ。ついでに夕飯も済ませようと思って、暫く悩んだ挙句にファミレスに入った。お一人様ファミリーレストランに怯えるような歳では無い。そして恐らくあの二人はこれだけしっかりデートしてるんだからちゃんとした所予約してる筈、という私の予想は見事に当たり、店内には目立つ緑髪もその隣の黒髪も見当たらなかった。多分今こそ銀座とか有楽町で飯食ってるよあいつら。多分。
私はそろそろホモ検定一級を名乗ってもいいかもしれない。
   *
さて、家に戻ってテレビ見て、風呂に入って出たあたりで、アパートの廊下から少し抑えられた話し声が聞こえてきた。高尾さんと、緑間さんのものだろう。もしかしたらまだお話してなかったかもしれないが、私の住むアパートの壁というのは法律スレスレに薄いのである。廊下の話し声とかめっちゃ聞こえるし隣の家のテレビの音だってその気になれば聞こえる。
喘ぎ声だってね。
バタン、という隣のドアが閉まる音。それからドタドタ、とでっかい物音がして、静かになった。何か物落としたんだろうな、と思うがここで警報が鳴る。ホモ検定一級の本能が訴え掛ける。
玄関で聞こえた物音は、移動しただろうか?
何度だって言う。人間の記憶は六十二%、ってこの話はもうしたんだ。まあいい。大事なことだから繰り返し言うけれど、このアパートの壁は薄い。テレビの音だって聞こえてくるくらいだから、男二人の話し声なんて、内容までは聞き取れなくても、『何かをしゃべっている』くらいは常にわかるのだ。
今、廊下を、抑えた声で話していた二人が、玄関から、一言も喋らずに移動するなんてことあるだろうか。
玄関で、大きい物音が聞こえたけれど、もしも何か物を落としたら、普通何がしかの会話が発生するものじゃないだろうか。
つまりこうだ、私は今自分の想像が当たらないことを祈っているが、その、なんだ、これは、あの、あれだ。
あの二人は、玄関からまだ移動していないんじゃないか?
どっと冷や汗が出た。ホモの男二人が大きな物音を立ててから、会話もせずに玄関に居座り続ける理由ってなんだ。ナニしか思いつかない。
ナニってナニだ。
これ以上は喋らせないでくれ。
ええ、ちょっと、ねえ、マジで?
ちなみに私は今凄くトイレに行きたいし、トイレットペーパーは切れてるし、その予備は玄関のスペースに置いてある。警報がまだ頭の中で鳴っている。だがそろそろ膀胱も悲鳴をあげ始めた。人としての尊厳を捨てる訳にはいかない。
そっと玄関へ向かう。頼むから何も聞こえませんようにと祈りながら向かう。となりは驚くほど静かだ。そうして私が玄関の暗闇に鎮座するトイレットペーパーを見つけた瞬間に、また大きな物音がした。
例えるならそれは、人が倒れ込んだ時のような。
ジーザス。いいや、今日の私は七福神か。そういえば七福神って宗派とかあるの?南無妙法蓮華経とか行っておけば大丈夫? 隣から、がさごそと音がする。暴れるような、いいや、絡み合うような? そう、玄関で。
『……ぁつ、た、……め……んっ』
『しん……なあ……そ…あばれ……』
オッケーオッケー聞こえてきた聞こえてきた。これは今晩も盛り上がってきそうじゃないですか。盛り上がってきそうですね。私、明日、仕事なんですけどね。月曜日ですからね。週の始めですからね、でもきっと、彼らには関係ないんでしょうね。いいんじゃないですか。もう。
トイレットペーパーを抱えてトイレに��きこもる。彼らはあのまま玄関でどこまでヤる気なのだろう。まあ寝室から遠ざかっているお陰で、逆に私が寝る場所からは物音が一切聞こえないというのはありがたい話だ。いやでも待って、私にはわからないが、玄関で一発ヤってそのまま満足するものだろうか? 確実にしないだろう。性欲が有り余っているであろう若い男子は必ず次に行くだろう。その時は多分、普通に、ベッドとかに行くだろう。多分だけど。
トイレから出て、もう一度玄関に向かう。
『んっ、ぁあ、……っふ、ぅ……そん……』
『い…から……だま……』
あー、オッケー。やっぱり夢じゃないことを確認して、多分恐らくまず間違いなく訪れるであろう第二ラウンドを予感して、私は寝室にそっとメリーさんの羊を流す。知っているだろうか。都市伝説。携帯電話に、メリーさんとかなんとか名乗る人物から電話だかメールだかが入ってくるのだ。私メリーさん、今あなたの街にいるの、私メリーさん、あなたの家の前にいるの、私めりーさん、今あなたの部屋の前にいるの。そういう調子で近づいて、最後には殺��れてしまう、みたいなよくある話。
今の私の気分がまさにソレ。
私ホモの隣人。今ホモが玄関でセックスしてるの。私ホモの隣人。今ホモが一ラウンド終えて廊下を移動してるみたいなの。私ホモの隣人、ホモが寝室に入ってきたみたい。
ホモ検定師範代の名を欲しいままにする私はそんな想像をしながら眠る。頼むから私がノンレム睡眠してる間にホモたちが過ぎ去ってくれますように。
 まあ、こんなところで今日一日の私の話は終わりだ。明日会社で何を話そう。一人で築地に行ってたらホモに出会って、買い物してたらホモに出会って、お茶飲んでたらホモに出会って、何故かちょっとホモをストーキングして、最終的にホモの喘ぎ声に怯えながら寝ました。なんて、言えるわけないじゃないか。
夢の中で私は友達とウニを食べながら笑っていた。その友達というのは私の全然知らない人たちで、みんな全然特徴が違って、服の趣味も派手な人から地味な人までいるし、キャリーバッグを持っている人たちもいたし普通の鞄の人もいるし、年齢だってばらばらだし、そうしてみんな一様に楽しそうにタカミという人について語っていた。何がそんなに楽しいのかはわからないけれど、その人たちがあんまりにも幸せそうなので、よく知らない人たちなのに私は何故か友達だと認識していて、一緒に楽しそうに笑って喋っているのだ。
私と見知らぬ人たちはみんな楽しそうだった。だからなんかもう、それでいいような気がしたのだ。私の家の隣にはホモが住んでいるし、私はそんなこと、口が裂けても言えやしないのだけれども。
あーあ、こんな風に友達と一緒に行っていたら、最初からホモに気がつかない一日を過ごせていたかもしれないのにね。
目が覚めたら明日が始まっている。世界のどこかで見知らぬ人たちが楽しそうに生きているし、私の家の隣でホモも楽しく生きているだろう。勿論私も、ぐちぐち仕事に文句を言いながらそれなりに生きていくのだ。
まあ何にせよ、夢の中でもウニはおいしかった。ありがとうウニ。ありがとう母なる海。ありがとう地球。ありがとう世界。きっと明日も晴れだろう。
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eimaeda · 5 years
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みた展示の感想[2019/8/31-9/2](1/3)
REBORN ART FESTIVAL 2019
1日目、牡鹿半島を車で回った、
アート作品みるぞ!って意気込みじゃなくて、牡鹿半島の景色楽しむドライブしながら石巻の美味しいもの食べながらついでに作品見るくらいの気持ちじゃないときびしいなって思った(食がプログラムに入ってるのでこれは正しい、地域にお金を落としてってもらうための芸術祭 お金がない大学生には辛いと思った、実際お金なくて一回夜ご飯スーパーで買った冷凍パスタをホテルで食べたりした)
半島の先っちょの方から石巻方面へ戻るように回ったのだけど、最初にみた3エリアが全然よくなくて辛かった、正直全部こんな感じだったらお金ないのに来るんじゃなかったな、と思った、
作者がインスタレーションをやりたいからやってる感しかない作品とか、みせられてもどうしようもないんだなって思った リボーンアートフェスっていう題がついていて古い建物やフィールドを利用している以上場所性と作品に関連がないときびし、あとリサーチする作品なら中途半端じゃダメ
キャンプ場みたいなだだっ広いところにプレハブ小屋3,4こ建てて中を簡易ギャラリーみたいにしてるエリアあったけどやば…ってなってしまった、ここでやる意味ある?ホワイトキューブ目指してるけどプレハブ小屋はホワイトキューブになれない 天井が低くてエアコンが低いし気になるし 作品はよいものが多かったので本当にもったいなかった何
荻浜エリア ここめっちゃ金使ってる間(お金かかってなさそうなエリアとめっちゃかかってるエリアが見え見えな感じもすごい、ていうか全体的にカツカツなんだろうなとは思う)
牡鹿半島最後のエリア、桃浦エリア、ここにきてやっとアート作品を見た気持ちになった
防波壁につくった美術館MoWA最高だった
でも草間彌生の作品はここでこう展示するのはまったく最適じゃなくてひいた 景色も悪いし水は汚いし あといろんなところ作品監視少ないなって思ったけどここには2人ついててさすが…となった
旧小学校を会場にしてた
音楽室に置かれた増田セバスチャンのピアノ、わたしはコンプレックスが爆発して勝手につらくなっていた、わたしだけの話
中崎透《Peach Beach, Summer School》リサーチする作品はここまでリサーチしないといけないと思ったしインスタレーションとしてみれるようになっててすごいと思った
村田朋泰さんのコマ撮りアニメーション、ここで展示するのにふさわしい内容かどうかあやしいと思った、もう震災から8年経っているけど、8年経ってるからいいのか?とか、あまりにも表現が直接的すぎるのでは、
立ち入り禁止あまりにも雑でウケた 学校祭かな
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ronshi · 7 years
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『僧侶必携』
『僧侶必携』永田文昌堂刊より
   今日出発 万年初歩(白隠禅師)    真実は常に新しい 時事はすぐ古くなる    一日をむなしく過ごす人は 一生をむなしく遇ごす    くりかえしをおそれ くりかえしをよろこぴ 今日を生きる    年をとることはよろこぴである 去年わからなかったことが 今年はわかるからだ    長所も鼻にかければ 短所 短所も自覚すれば 長所    ほんものがわからないと にせものをつかまされる    牛 水を飲めば乳となる 蛇 水を飲めば毒となる(華厳経)    人の欠点がよく見えること自体 自分の欠点    ほめる人は ほめられる くさす人は くさされる    花を持った者がよける細い道    失ったものをなげくより 残されたものを 活かそう(グッドマンパラリンビック創始者)    嵐に耐える これが人生    不平の嵐に花は散り 感謝の大地に実がみのる    法聞ケヨ キケヨキケヨと 祖先(おや)の声    幼な子に合わせてみせるこの両手(宮下長太郎)    手をあわす家庭に育つよい子供    子と親は 同い歳    お金をたいせつに 物をたいせつに 心をもっとも大切に    物を粗末にし 仕事を粗末にし 人を粗末にすれば 自分も粗末にされる    土地があればそれで悩み 土地がなければまたそれでなやむ(大無量寿経)    何が起こるかわからないのが 世の中 何をしでかすかわからないのが 自分    わが身が大事なら 人さんを大事にせねば(足利源左)    十聞いて一話すを賢といい 一聞いて十話すを愚という    人間は 急がなくてもよいことを急ぎ 争わなくてもよいことを 争っている(大無量寿経)    スポーツに勝者はあっても 戦争に勝者はない    ガソリンの少なきままに飛ぴたちて僚機は日毎に還らざりけり(片山博園)    大き骨は先生ならむそのそばに小さき頭の骨集まれり〔原爆〕(正田篠枝)    牡丹江の河に棄てたる幼な子の溺るるさまを君泣きていふ(寺田栄子)    千万が(ちよろづ)のいのちのうえにさづかれし平らけき世を生くる悲しさ(大谷嬉子前裏方)    叱られた恩を忘れず墓まいり    夏には冬がよいといい、冬には夏がよいという これじや不平の一生だ    多いのも人間 少ないのも人間    怨みは怨みで静まらない 自分が怨みを捨ててこそ静まる(法句経)    この道は親鸞もゆき唯円も召されてゆきしわれらゆかなん(梅原真隆)    読みなれし聖教なるに読みゆけば新しく読むおどろきもあり(梅原真隆)    本願の船の目あては凡夫なり 煩悩具足の人はみなのれ(木山至善)    世を挙げて燥の時代といふものあり 日本列島飲み食い踊る(岸上たえ)    連如忌やまぼろしと云ひ露と云ふ(室賀映字朗)    今はただベッドに安く臥すがよしまかせよと聞こゆみ仏の声(季平由美子)    仏法がわかるということは、自分がわかるということである(原随園)    年はとりたくない しかし長生きはしたい この虫のよい人間    鏡の前に立てば姿がうつる 教法の前に立てば心がうつる    いくたぴかお手間かかりし菊(聞く)の花(千代女)    人は落ち目になると墓相や家相が気になりだす    よき師がいないのではない 師を見出す心がないのである    奪って得なく与えて損なし(二宮尊徳)    ���食足りて 礼節を知らず    年々花は似たれども 歳々人は同じからず    言うものは水に流し 言われたものは石にきざむ    人生 やりなおしはきかない しかし 見なおしはできる    いつの日か いつの日にかと 一生が過ぎゆく    忙しいで半生 寝て半生    悩みもち野道を帰る夕ぐれを 鐘おごそかにわがこころうつ    百八つの鐘の終わりに悔い一つ(スミ子)    一生過ぎやすし(蓮如上人)
同『僧侶必携』永田文昌堂刊より
掲示伝道用語文例五○○集
   元旦のこと 皆非なる はじめかな(高浜虚子)    元旦や 今日のいのちに 遇う不思議(木村無相)    御仏の 御名となえつつ あらたまの 今年も清く 日々を送らむ(甲斐和里子)    みひかりのうちに住む身の嬉しさを今年はたれに先ずわかたまし(甲斐和里子)    生きることの むつかしさ 生さることの ありがたさ 生きることの うつくしさ まかせきつて 生きることの よろこびに 燃えよう(坂村真民)    生かさるる いのち尊し けさの春(中村久子)    こつこつ こつこつ 書いてゆこう こつこつ 歩いてゆこう こつこつ こつこつ 掘ってゆこう(坂村真民)    仏法を聞くとは 自己を 聞くことである    今を 大切に生きる 一日を 大切に生きる 一生を 大切に生きる    やりなおしの きかない 誰にも かわって もらうことの できない  今日一日    人間は 自分に 都合のいい人を 良い人だといい 自分に都合の悪い人を  悪い人だという    歳旦の 目出度きものは 念仏かな(句仏上人)    報恩に 休息なけれど 年の朝(句仏上人)    めでたさも 中くらいなり おらが春(一茶)    私が笑うと 鏡も笑う 怒った顔すりや 鏡も怒る この世は すべて 私の心の鏡だ    人間に 生まれてよかった 私が私に 生まれてよかったと 心の底から  叫ばれる時に はじめて成人になる(米沢英雄)    この日 この時 この場所が つまり 私の全部の人生だ    自己を知ること いよいよ深くして 如来を知ること いよいよ深し    科学は ものを見る目 宗教は 心を観る眼    やり直しのきかぬ 人生であるが 見直すことが できる(金子大栄)    よい人にあって 教えられ 悪い人にあって 反省すれば 善悪共に ありがたい    誰の 言葉からも 何かを 聞きとろうとする人は 常に進んでいる 人である    悩みの種は つきないが 悩みをこえる 道は開かれてある    神仏を拝む 人は多いが 神仏を 嘆かせている 自分に気づく 人は少ない    宗教は 外から説法によりて わからされるものでなくて 内から 聞法を 機縁にして 自ら開けゆくものである(鈴木大拙)    施しは 仏の心 施したと言う心は 外道の心なり    人生の帰るべき処を もたなければ たとい八十で死すとも若死である    智慧を 求める者は いつも若い    平凡なことを 毎日平凡な気持で 実行することが すなわち 非凡なのです(ジイド)    いっさいに対して 私は 初心でありたい(亀井勝一郎)    真なるものは 必ず新しい しかしながら 新しいもの 必ずしも 真にあらず(金子大栄)    一すじに生きる ひとの尊さ 一すじに歩みたる ひとの尊さ われもまた 一すじに生きん 一すじに歩まん(坂村真民)    十人の子を養う 父あり 一人の父を 養わざる 十人の子あり(釈尊)    なにも 知らなかった日の あの素直さにかえりたい 一ぱいのお茶にも 手をあわせて いただいた日の あの初めの日に かえりたい(坂村真民)    踏まれても 根強く忍べ 福寿草 やがて 花咲く 春は 来たらん    母となりながら 母の眼を持たぬ人もおれば 子の生めぬ 悩みをもちつつ 母性的な眼を持つ人もある    物があることは 幸福の条件 であるが 幸福 そのもの ではない    見渡せば 往きかう車の 数知らずいづちへ人は 行かんとすらん(湯川秀樹)    苦しいことから 逃げていると 楽しいことからも 遠ざかる    自分のことしか 考えない者は 世間から取り残される    我れ 必ずしも 聖に非ず彼れ 必ずしも 愚に非ず 共に是れ凡夫のみ(聖徳太子)    この世の ものはすべて 壊れるものである わがままな心を すてて 精進するがよい(釈尊)    冬がすんだら あたたかい 春がくる 楽しみだ 楽しみを待つような原因を 平常から つくっておきた    地がくるえば 地震 水がくるえば 水害 火がくるえば 火事人がくるえば 鬼となる    生かさるる よろこび にほふ 春の梅(中村久子)    無条件の救いとは この私が救われることである    失敗が教える教訓 まじめに味わう人は 必ず 再起できる    他人が 自分を苦しめる のではない 自分が考えたことに 自分が苦しめられている のである    なさけの人は あたたかく 知恵のある人は きよらかなり    合掌の姿は尊く 念仏の声は美し    おろかなる 身こそなかなか うれしけれ 弥陀の誓に逢うとおもえば(良寛)    人の一生は 短いというが それは 時間の使いよう働きようである(吉井勇)    科学は自然への問いかけ宗教は自己への問いかけ(東昇)    財あれば おそれ多く 貧しければ うらみ切なり(鴫長明)    幸せを感じ得る身 となることが 根本の幸せであり 不幸しか感じ得ない身となることが 最も不幸なのである    恵まれし いのちなりせば 今日の日は 再び来ぬ 尊き一日    涙とともに パンを食べたものでなければ 人生の味は わからない(ゲーテ)    暴力が 獣の法則で あるように 非暴力は 人間の法則である(ガンジー)    水を飲んで楽しむ者あり錦を着て憂うる者あり    逆境を生きぬく人は尊い だが順境に酔わない人もまた有難い    明日 何をすべきかを 知らない人間は 不幸である(ゴーリキー)    自分の足らないところを見るのもよいが 自分にあるものを見ていこうそれは自分を大切にすることになる    念仏して 薄団の中に 合掌す(句仏上人)    愚痴を いうているうちは 進歩しない    自己嫌悪がない ということは 自己を 熟愛する事のない証拠だ(志賀直哉)    親のみ「いい子だのに 悪いことをして」と悲しむ    ひとりの殻を出て 縁あるままに人に遇う仏に遇う(榎本栄一)    人間生活の すべてに 味を持たせる というのが 南無阿弥陀仏の働きである(金子大栄)    嫁ぐ子に 忘れずもたす 珠数一つ    ただ一度かぎりのこの生命なのだ大切に今日一日を生きよう(広瀬晃)    もえさかる この煩悩を いかにせむ あみだ仏の み手のままに(中村久子)    海をよごし 川をよごし空をよごしあさましい人間 然し地球はこのあさましい 人間を抱いて悠悠自転している    方向をかえよ 光を 背にするから くらい闇が生まれるのだ    自分が怒れば 相手もおこる 自分が笑えば 相手も笑う 相手の顔を決めるのは いつも こちらの 顔つきだ    み仏といつも二人のよいくらし    時代に追従するあまり自己を失うことを憂うべし    悪をなさば 自ら汚れ なざざれば 自ら浄まる 浄 不浄は 自己による他から浄められる ものではない(釈尊)    自分の心さえ 自分の思うよう にならぬのに 他人を 思うようにしようと 考えるな    寒かった年の春には樹木はよく茂る人は逆境にきたえられてはじめて成功する    たくさんの 言葉よりも ただ一言でよい 真に 味のある 言葉が聞きたい    深い水ほど 波立たない 浅い水ほど 波がたつ 人間の心も それと同じだもまれねば この味はでぬ 新茶かな    貧しくとも 心はつねに 高貴であれ 一輪の花にも 季節の心を知り 一片の雲にも 無辺の詩を抱き 一碗の米にも 労苦の恩を 感じよう(坂村真民)    遺産なき母が 唯一のものとして 残してゆく死を 子らよ受けとれ(岡本かの子)    一粒の砂に 一つの世界を見 一茎の野の花に 仏を見る    人を 人とする ことによって 自分も 人となる    にちにち出合う なんでもない あたりまえの人を ひそかに拝めるような 私になりたい(榎本栄一)    自分の わがままは あたりまえと思い 他人の わがままは 許せないと思う    何ひとつ 成しえぬ身にて いたずらに 世にあることのはづかしさかな(足利義山)    腹の立つときは 石を見よ 千万年も黙って 濁世のなかに 坐り続けてきた 石を思え(坂村真民)    仏教は 知識の増大ではなく 智慧の完成を 苦痛の減少や 快楽の増大ではなく 苦悩の消滅を 目的とする(真継伸彦)    まことの 喜びは 人にわかちあって かえって 深まる    十億の人に 十憶の母あれど わが母にまさる 母あらじ    おはようと 素直に言える人は ありがとうという言葉も自然に出てくる(井上信一)    泣いて 笑うて 愛して 憎んで 最後は 別れてゆく    他を しがむる勿れ 他をいましめんとする 心をいましめよ(清沢満之)    南無阿弥陀仏と いうのは 人間の一生を 送るための 姿勢である(金子大栄)    み仏の心は 春の日の 水の如し 我々の心は 冬の夜の 氷の如し    人間にとって 大切なことは 言葉を 尽すことだという だが もっと    大切なことは 最後の一瞬まで 耳を傾けぬくことである(広瀬 杲)    自らを灯火とし 自らを帰依として 他を帰依と してはならない 法を灯火とし 法を帰依として 他を帰依としてはならない(釈尊)    心得たと 思う心には 油断がある 心得られぬと 思うことは 心得る 前兆である    待つ長さ 過ぎ去る速さ 生きる今    鮎は 瀬に住む 鳥は 木の枝に 人は 情の下に 住む(良寛)    たたかれて 強くなるのだよ わらわれて 反省するのだよ 叱られて えらくなるのだよ    人間の偉大さは 人間がおのれを みじめなものと 知る点である(パスカル)    自分を知ることが 深ければ深いほど 人はいきいきとしてくる(ハイデッガー)    だまされる人よりも だます人のほうが 数十倍くるしいさ 地獄に 落ちるのだからね(太宰治)    人生における苦しみは すべて如来の 激励である(曽我量深)    私が親鸞から学んだものを 一言で言えといわれれば 人生はマイナスの裏に プラスあり ブラスの裏にマイナスあり ということだ(井上信一)    さりながら 人の世はみな 春の雪(句仏上人)    心眼の 開けるのは 苦悩に あったとき    耳は だまっているくせに 聞いている 自分のうそを 聞いている    死がわかれば 生のねうちが わかる 生のねうちが わかれば 死は死ではない    失敗もおかげである 失敗して 自分を知る 他人を知る 入生を知る みんな ありがたい    お彼岸は 暑さにも寒さにも かたよらない 私の心は たかぶりの暑さや 卑屈の寒さに かたよって いないだろうか    春彼岸 菩提の種を まく日かな    人をそしらず自慢せず 身のいたらぬを恥じて 念仏    すなおに人の言うことが聞ける人は 最も力ある人 小心者は 我を張って 入の言うことを 聞こうとしない    生々世々の 悪を知らず慈眼の前に 何を甘ゆる(九条武子)    亡き人を 案ずる私が 亡き人から 案じられている    死ぬべきものが 今生きている 自分の今日を よろこびたい    一年は 春夏秋冬のリズム 一日は 昼と夜のリズム 人間は この自然のリズムに 合わせて生きている    寒さに ふるえた者ほど 太陽を暖かく感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る(ホィットマン)    潅佛の 日に生れあふ 鹿の子かな(芭蕉)    里の子や 鳥も交る 花御堂    あめつちの中に 我あり 一人あり(吉川英治)    天にも地にも われひとり 教えをきくも われひとり    それぞれに 特色あり 花の優しさ 雑草の根強さ    姿より かおりに生きる 花もある    人と生まれた 悲しみを知らない ものは 人と生まれた 喜ぴを知らない これが 浄土教の人生観である(金子大栄)    親鸞の信仰は 他人のことをとやかく いうのではなく どんな人もその人 自身の可能性を発見し その人の花を咲かせる ことができるという信仰である(井上信一)    満開の花木の香は 遠く吹き もたらされる ごとく 善行の香は 遠く吹き もたらされる(ウパ二シヤッド)    きれいな花を ほめる人は あっても 花を生かしている 土中の根を 思う人は 少ない    花は 自分の美しさを 知らない そこにおくゆかしさがある    信仰は 人生の力である    他人を困らせて 得たのは 自らの身に つかない    朝は 希望に起き 昼は 努力に生き 夜は 感謝に眠る    たっぷりと 春は小さな 川々まで あふれている あふれている(山村暮鳥)    自己を 見失っている者には 金も名誉も地位も 禍のもとである    幸福は 外に求めるな 現在与えられている 境遇の中に見いだせ    現在は 過去の集積である 未来の人生は 今積み重ねつつある    頬よせて 共に笑える人がある 抱き合って 一緒に泣ける人がある プンなぐり 思告しあえる人がある    肩たたき 激励しあえる人がある 我こそ この世の幸運児    たとえ 一生を尽してでも 遇わねばならない ひとりの人がいる それは 私自身(広瀬 杲)    手を合わすことから ものみな善意に受けとる心が生まれる    タンポポの 種の軽さ タンポポの 根の深さ それを 学びとろう わがものとしよう(坂村真民)    小楽を 捨てれば 大楽を 得るであろう智者は 大楽を見て 小楽を 捨つべきである(釈尊)    生きるということ それは つねに 誕生の意義を 問われ続ける ことである(広瀬 杲)    人生は 深い縁の 不思議な 出合だ(坂村真民)    人生とは その日 その日のこと(金子大栄)    聞法は 礼拝から始まる 礼拝は お仏壇の 掃除から始まる    大勢の 知りあいが あるよりも 一人の 親友をもちたい    与えられた このいのち このちから せい一ばい生きよう 精一杯働こう    欲望の倫理を 肯定するものは まことの 宗教ではない(伊井文子)    同じ五本の指集でも握ればゲンコツとなり胸に合わせれば合掌となる    失敗しないのが 偉いのではない 失敗しても 再び 立上る人が 偉いのだ    おなじようなことを くりかえす 日日であるが この日から 私はいろいろなことを 無尽蔵に学ぶ(榎本栄一)    もったいなし もったいなし 生かされて 生きて ナムアミダプッー(木村無相)    散る桜 残るさくらも 散るさくら(良寛)    仏の心とは 大慈悲 である(釈尊)    吉凶は 人によりて 日によらず(吉田兼好)    散れば咲き 咲けばまた散る 春ごとの 花のすがたは 如来常住(一休)    人多き 人の中にも 人ぞなき 人となれ人 人となせ人    人生は 学校である そこでは 幸福よりも 不幸の方が よい教師である(フリーチェ)    親の言うことを 聞かぬ子も 親のまねは 必ずする    信心というのは ただ仏の願心の ありがたさに 胸打たれるということのほかにない(金子大栄)    人生は 一箱のマッチに似ている 重大に扱うのは ばかばかしい 重大に扱わなければ 危険である(芥川竜之介)    何一つとして 最後のよりどころと なるものはない 妻も子も私自身すらもという驚きこそ 宗教の門に入る 第一歩である    親あっての子 子あっての親 二にして一 一にして二    憎む者を愛しようとすることは尊いだが憎むこころのやまぬ己がこころを恥じることもまだ尊い    南無阿弥陀仏の 念仏に ふれてはじめて まことの世界を 知らされました これが私の 立教開宗    せんだんの 枯れても残る 香りかな(句仏上人)    わが行く道に 茨多し されど生命の道は 一つ この外に道なし この道を行く(武者小路実篤)    あざみ花 我が身の針を 知らずして 花と思いし 昨日今日まで    子をしかる 親は多いが 子の行為の中に 自分の欠点をみて はじいる親は少ない    十憶の人に 十憶の母あれど わが母に まさる 母あらめやも(暁鳥敏)    この世で 母を敬うことは 楽しく 父を敬うことも また楽しい(法句経)    山あれば 谷あり 谷あれば水あり うつくしきかな 家あれば 母あり 母あれば 涙あり やるせなきかな(サトウハチロー)    幼児を抱ける 母親ほど 見る目清らかなる ものはなく 多くの子女に 取りまかれた母親ほど 敬愛を感じさせる ものはない(ゲーテ)    戦死者を偲ぶとは 争いを悲しむこころである    社会に貢献する人間は 実にきびしい規律を 自己に課している人である(高橋和己)    仕事に うちこんでいる 人のまわりは いつでも 明るい    そむきつづける 我をしも あわれみやまぬ 瞳あり 造悪われに たまわりし 念仏のみぞ まことなる(米沢英雄)    空中 海中 地中 いかなる処にあっても 悪い行為の 報いを 免れることはできない(釈尊)    世の中には物を失ったとき血眼になって探すが 心を失っても平気でいる人が多い(舟橋一哉)    悩みを つき抜けて 歓喜に到れ(ベートーヴェン)    無量寿 花咲くも 花散るも(広瀬 杲)    あらとうと 青葉若葉の 日の光(芭蕉)    人間は すべての人たちに 自分自身を見るとき はじめて 自分の生を 把握するのである(トルストイ)    真に人間の名に ふさわしい人間を 他から区別する 本質的な特徴は 困難な逆境に 耐えぬくことである(ベートーヴェン)    向こうが 憎むから こちらが憎むでは 両方 たすからない    正しく 明るく 力強く 生きてゆけるのが 救いである    自己の 分限を知れ 背のぴすると かならず 疲れる    花 見事に咲きぬ 誇りもせで やがて うつろひぬ つぶやきもせで(柳 宗悦)    光を かかげた人に めぐりあうと いうことは 人生の 一大事件です(井上信一)    青年愛読する古典を持つこと 少年自然に親しみ 永遠なるものを 思慕すること 幼年お早ようお休みを 忘れぬように(金子大栄)    自分ばかり もうけようとするから 損をする    念仏は知る力 自己を知る 悪を知る 死を知る 恩を知る    そしる風 ほめる風をも そのままに 柳になりて 南無阿弥陀仏    愚者は たとえ 一生涯 賢者に仕えても 匙が 食物の味を知らないように 真埋を 知ることがない(釈尊)    退屈�� すべての 悪の根源である(キェルケゴール)    鳥が 卵をぬくめる ように 私は 心をぬくめる これが 私に残された ただ一つの 仕事(榎本栄一)    わが生よ 一輪の花のごとく 一心であれ わが死よ 一輪の花のごとく 一切であれ(坂村真民)    生きて甲斐あり 死して悔いなき一日が われらの生涯を ゆたかにする    ほほえむ花あり 舞う蝶あり ざえずる鳥あり すだく虫あり ささやく風あり 語る雨あり おお何たる恩恵ぞ    幸福とは 必ずしも 物に付いているのではなく 幸福とは 幸福の意味を 知ることである    死を忘れるとき生活は浮き 死を知るとき生活はくずれ 死を超えるとき生活は成就する    念仏する身が 辛抱するに非ず 相手の辛抱が 見えるのである(大河内了悟)    「これは私のもの」と 思えるものも 死によって失われる 賢い者は その理を知りつくして 己の執着を去るのである    聞法は 死の準備でなく 生の糧である    つつましく 生きてゆこう つゆくさの つゆのように つかのまを 大切にしてゆこう(坂村真民)    汚れなく 罪なき人を 汚そうとしても その悪は 却って その人に戻ること 風に逆って投じた塵の如くである(釈尊)    九十九パーセント 正直でも わずか 一パーセントの 不正直で 一生を棒にふる ことがある    自分の都合だけで 物事を考えると 不平不満が 絶えない    食事とトイレは代理がきかない 生命の一大事だから 聴間も代理がきかない 心の一大事だから    またひとつ しくじった しくじるたぴに 圏があいて 世の中すこし 広くなる(榎本栄一)    歯痛がとまって 痛くない有難さを知る 不幸を知る者のみが 真実の幸福を知る    山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし(山頭火)    晴れぬ 長雨はない いつまでも 苦しい時 ばかりではない    あたかも粗く葺いた家には 雨が漏るように修養のない 心には貪欲が侵入する(法句経)    浄土教に於ては 浄土は 魂の帰依所である(金子大栄)    抱かれているとも 知らず愚かにも 我反抗す大いなるみ手に(九条武子)    生命は 時間の長さだけで 計るべき ものではない    わしがしなけりや だれがする いましなければ いつできる    いかにせば まことの道に かなわめと ひとえに恩う寝てもさめても(良寛)    人間にとっては 何でも思い通りに なるということは あまりよいこと ではない(へラクレイトス)    謙遜も すぎれば 高慢となる    人間にとって 「生きる」とは 単に「存在する」ことではなく 「よく存在する」ことを 意味している(ガゼット)    他力のたのみは 子が親の背を 頼みとし 親の力を わが力と するなり(七里恒順)    生も 死も その何れも 共に 自分のものである    兎にも 角にも 自分でやって 見ること 間違っていたら 直ちに 改めること(舟橋一哉)    子どもに 問題が あるのでなく 問題の親が あるのだ(二ル)    八方ふさがりのときが 八方へ のぴるときである    真珠貝は 海の中で 何かコロコロするような 異物を抱いたまま 今はそれを 除きたいとも おもわず生きている(榎本栄一)    念仏することが 乱れる心を 静める ことともなり 怠る心を 励ます ものともなり 人に親しむ ことともなる(金子大栄)    悲しみを 如来に捧げよ 微笑みが 天から降ってくる 苦しみを 如来に捧げよ 勇気が 地から湧いてくる(清沢満之)    生を奪う死は また 生きる意味を与える    矢いますときは 存ないを見 父いまさずば 志をみる    自分の力で生きているのではないはかり知れない背後の力周囲の力に支えられて今日の自分がある    心よき笑いは 家庭の太陽である    名残りを惜しみつつこの世を生き 娑婆の縁���きてこの世を去る    公害は人間の貪欲と無明の象徴である    くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ    からっぽの 容器は 一ばん大きな 音をたてる    有限なるものを あてにせず 無限なるものを 立場にして 生きるが仏の道    苦悩の原因を 他にもとめず自己に見いだすのが 仏教の立場    勤労は尊い 合掌のある 勤労は さらに尊い    日常生活を公案としてそれをどう解くかというところに真宗人の修行がある(金子大栄)    聞法は 生涯をかけて 私が受けなければならない 人間教育である(米沢英雄)    こうして 病んでいる間にも 白血球はバイキンと 闘っていてくれる 心臓は 一秒時も休むことなく 脈打ってくれる    胃腸・心臓をみても われわれの 知らぬ間に 活動が おこなわれている 生きることは 無意識の世界である(平沢 興)    過ちて改めざるこれを過ちという(論語)    めだたないけれど いのちのよりどころとなっている お経は人生の地下水である    錆は 鉄より生じて 鉄を腐蝕させる 人のあしき業は 己より生じて 己をあしき処へと導く(釈尊)    政治的自由も われわれの心が 自由でない場合には われわれに 自由を与えない(タゴール)    海よりも なお壮大なものは 大空である 大空より さらに壮大なものは 人の心である    のがれられない この暑さ 暑さから 味を見だす 夏のたのしさ    ふたりの人間が おなじ窓から 外をみている ひとりは星を ひとりは泥を    今日でも 明日でも よいということは 一つもない 今すぐせよ    自分が 今 生きているのは 先祖が自分の中に 生きているからだ    信心あるものは 道をききて 心 常に安泰なり    仏壇は 一家の中心 心のより処 である    物を粗末にし仕事を粗末にし責任を粗末にするものは やがて 人をも粗末にする    正しく 深く 求めよ 道は おのずから 開ける    合掌ほど誰でも何時でも何処でも できる平凡な善行はない    美しい心を 愛する人あるも 醜い心を 慈しむは ただ 母と 仏のみ    人間の魂の崇高ざは ある程度まで 何に対して またどれくらい 尊崇の念をあらわし得るかとうことによって 推定される(ドストエフスキー)    幼な子に 合わせて 見せる この面手    増悪によって鎮まらない 憎悪を忘れて はじめて憎悪は鎮まる(釈尊)    実道を 知らないで 百年 生きるよりも それを知って 一日 生きる方がよい(釈尊)    岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる(甲斐和里子)    人の徳を たたえる人は 人に たたえられる    一生は それがどんなもので あるかを知らないうちに 半分すぎさってしまう    玉磨かずんば 器を成ざず 人学ばずんば 道を知らず(札記)    生活はすべて 次の二つから 成り立っている したいけれど できない できるけど したくない(ゲーテ)    中の賊を 破るは易く 心中の賊を 破るは難し(王陽明)    極端なる自負心と 極端なる失望とは ともに極端なる 無自覚である(スピノザ)    如何なるが 苦しきものと 問うならば 人を隔てる 心と答えよ(良寛)    我々を行うは 山に登る時の如く 常に努力しなければならぬ 悪を行うは 山から崩れ落ちる如く 底まで落こみ 容易に立ち直れない    我々を存在せしめている根元の力を忘れて腕一本脛一本 自分の力で生きて来たと威張っているのを罪悪深重という(米沢英雄)    田畑は雑草によって損なわれこの世の人は貪欲によって損われる(法句経)    田畑は雑草によって損なわれこの世の人は瞋恚によって損われる(法句経)    田畑は雑草によって損なわれこの世の人は迷妄によって損われる(法句経)    今朝もまた ほうきとる手の うれしさよ はかなくなりし 人にくらべて    好き嫌いの 多い人は 自ら世の中を 狭くしている    人がもし 百年生き永えた としても 最上の真理を 見ないならば 最上の真理を 見る人が 一日生きたほうが 勝れている(法句経)    始めあれば 終りあり 生まれた時から 死は始まっている    怒れば地獄 むさぼれば餓鬼 恥をしらぬは畜生だ 先ず 三悪道を出ることだ    よい事をしようと 思えば出来る 悪い事をすまいと 思えばやめられる これを思いあがりという    苦しいことから 逃げていると 楽しいことからも 遠ざかる    山へ登る 道だって 途中には 下ることだってある(深田久弥)    よいことばかり いつまでも続かない 悪いことばかりも いつまでも続かない    すべてのものは むちに怯えすべてのものは死を怖れる自分の身に ひきくらべて他を殺すな殺させるな(法句経)    念仏して 五欲の暑さ 忘れうぞ(句仏上人)    どろ沼の どろに染らぬ ハスの花    共に苦しみ 共に泣き 共に喜び 共に笑う すべてを 共にする ところに 平和がある    百人 千人を すくう人あり 家のもの 一人をも すくいえぬ 私もあり(榎木栄一)    佛様は わが心の中にあり 心の外に 求めようと するのを 愚かな人 という    生きている 人を救うのが 生きている 宗教である    信心を よろこぶ人は 仏様に等しい 大信心は 仏性なり    はだかにて 生まれて きたに 何不足    人間は わが力で生きて いるのではなく 仏の 大きな御慈悲の力で 生かされている    我が身 一人が 生きようとするから 救われないのだ 他と共に 生きることが 自らを 生かす道である    生きながら 地獄におち 生きながら 仏様に救われる ただ 信心の如何による    何かをあてにすれば 遊ぴさえ苦しい仕事となる    悠々と 穢土に居れる 世界を浄土という(安田理深)    愚をさとった愚者はそれだけ賢い自らの愚を知らない愚者こそ真の愚者である(釈尊)    遠く かつ 深く思わん あめつちの なかの 小さき 星に生れて(湯川秀樹)    他人の罪は 見易く 己の罪は 見難い 愚者は 他人の罪を 吹聴し 己の罪は かくす(釈尊)    秋彼岸しみじみ思う身のおろか(木村無相)    人生に 雨や嵐が あってこそ 生活が 浄められてゆく    生きていることの不思議さに 街に出ていき 歩きまわったヤッパリ不思議生きていること(木村無相)    人しれず 人らしき わざせしあとの おのが心の 奥のあかるさ(甲斐和里子)    問題の ないような 人生は 寂しい    夏になると 冬がよいという冬になると 夏がよいという それは 自分勝手というものだ 夏には夏のよさ 冬には冬のよさを 味わいたいもの    大人は 赤子の心を 失わず(孟子)    一本の野の花さえ かけがえのない いのちの ありったけを 咲かせている    今日は人の身の上 明日は我が身の上(狂言)    荒磯の 小石は まんまるい もっと もまれ もまれて もまれぬけ    仏法は 死を問いとして それに応えるに足る 生を求める 道である(金子大栄)    早起きの家族は 活気に満ち 夜更かしの家庭には 乱れが生ずる    竹の強さは 真空にある 金だの 地位だの 恋だのと やたらに詰め込むと ポキッと祈れるぞ    サラリと 流しゆかん 川の如く サラリと 忘れてゆかん 風の如く サラリと 生きてゆかん 雲の如く(坂村真民)    柏の皮に 蟻が何十匹あつまって大騒ぎしているようだ人間の捨てた桃の皮が蟻の世界では 黄金よりもだいじかもしれない(榎本栄一)    たった一人 しかない自分を たった一度 しかない一生を ほんとうに 生かざなかったら 人間に生れた甲斐が ないじやないか(山本有三)    朝は 朝顔の花のように あかるく 簿いていたい 夕は 夕顔の花のように ほんのり 勾うていたい(坂村真民)    光追う 人に光は なかりけり 光なき人 光を仰ぐ(藤原正遠)    自分に何ができるかは 自分以外の者には わからない いや 自分でも やってみるまでは わからないものだ(エマソン)    ふるさとの山に向いて いうことなし ふるさとの山は ありがたきかな(石川啄木)    汝 善人たらんと欲せば 先づ 自己の悪人たるを知れ(エピクテータス)    仏法とは 鉄砲の反対だ 鉄砲は外を撃つものだが 仏法は 己の内を撃つものである(高光大船)    いまだかつて 一度も敵を つくったことの ないような人間は 決して友人を 持つことはない(テニソン)    拝む手 称うる日 信ずる心 皆 他力なり(梅原真隆)    はらがたったら 相手をかえて 弥陀を相手にするがよい 弥陀を相手に するような人は はらがたつようなことはない(貞信尼)    みづのたたえの ふかければ おもてにさわぐ なみもなし ひとも なげきの 深ければ いよよ おもてぞ しづかなる(高橋元吉)    闇路をたどること いよいよ深くして 我等を照らしたもう ところの光 いよいよ強し(金子大栄)    わが心 深き底あり喜びも憂いの波も とどかじと 念う(西田幾太郎)    眠られない 人には 夜が長いように 正しい教えを 知らない人には まよいが長い    子をもちし 今の心に くらぶれば 昔は 親を 思わざりけり    破壇は 住みあきたりと 這いのぴて人にふまるる朝顔の花(甲斐和里子)    苦から 逃げれば 苦は追うてくる 楽を追えば 楽は 逃げて行く(佐々木蓮麿)    いじけるな あるがままに おのれの道を 素直に 一途に歩け(坂村真民)    河が どんなに 広くても 堅固な橋を 掛け渡す 現代人が なぜ 身近な人と 人との間にさえ 心の掛け橋を 築こうと しないのか(広瀬 杲)    うぬぼれは 木の上から ポタンと落ちた 落ちたうぬぼれは いつのまにか また 木の上に 登っている(榎本栄一)    ほんものの鬼は 人の面を かぶっている    工師が 鉄の錆を 除く如く 賢者は 一刻一刻 己の心の 垢を除く(釈尊)    大きな巌が いかなる風にも 動かないように 賢者は 毀誉褒貶に 心を動かさない(釈尊)    われらの 迷いの 深いのは 仏の教えを 知らないからだ    外に迷うて いるのではない 自分に 迷うて いるのだ    美しく 散るは 貴い いつまでも 椅子に しがみついて 離れないのは 見苦しい    学ぶ ひまがない という人は ひまが あっても 学ばないだろう    子を拝む 親となりて 断絶なし    人間は 耳が二つに 口一つ 多く聞いて 少し言うため    見えそうで 見えないものは 自分の短所と 欠点    若さは美し されど 老いたるは 更に美しい    病には病いの値うち 身を横たえて 空の高さを知る    おこたるは 死の道 努めはげむは 生の道    み仏の 光のうちに住む身ぞと 恩えばうれし つらき浮世も    成功は 重要なことでない 重要なのは 努力だ    仏を信ずる心は 人々の心の底に 横わっている    人間の 運命は その人間の 性格の 生み出した ものである(エマソン)    災難が来ない様に 祈るのが 信心ではない どんな事が来ても 引き受けてゆける 力を得るのが 信心である    みほとけは まなこをとじて み名よべば さやかにいます わがまえに(仲野良 一)    家庭の平和は 互いの立場を 尊重するところから 生まれる    生きものに対する あわれみのない人かれは心の貧しい人 である(釈尊)    長寿百歳 尊きにあらず 今を永遠に生きる ことが肝要(佐々木蓮麿)    尊敬と謙遜 満足と感謝と 適当な時に教えを 間くことこれがこよなき 幸せである(釈尊)    あなたの その〃顔〃が 家庭を明るくもし 暗くもする    みずからは 豊かに暮して いるのに 年老いて衰えた 母や父を養わない人がいるこれは破滅への門である(釈尊)    朝な朝な 仏と共に 起き 夕な夕な 仏を抱きて 臥す(安心決定鈔)    この秋は 雨か風かは知らねども 今日のつとめに 田草とるなり    信心は 心を開き疑は 心を閉ず(易行品)    ああ もったいない もったいない きりぎりすよ おまえまで ねむらないで この夜ふけを わたしのために啼いていて くれるのか(山村暮鳥)    金はためておいていく 罪はつくって持っていく 法は聞かずに落ちていく    悲しいといって 泣いておる人を 慰めのには 一緒に泣くに限る これよりほか 悲しんでおる人を 助ける道はない(金子大栄)    闇を除けと 叫ぶよりも 光を 求めよ    月の出を待て 散る花を追うな    愚かなるを知るは 愚にして賢いと思うに まさる    血気の怒りは 有るべからず 理義の怒りは 無かる べからず    うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ(良寛)    愚者は教えたがり 賢者は学ぴたがる    まことの学問とは 賢者になることを 学ぶのではない 恩知らず であったことを 学ぶのだ    「いそがしや」で半生 寝て半生    身も心も すこやかにする 念仏    体裁よりも 心のかよう なごやかさ    人は身体の鍛錬には注意するが心の鍛練は怠りやすい    合掌して ご飯をいただけない人は 不幸な人だ    他人の過失は 見易く 自分のとがは 見難い    世の中に次のご三種の人が���る 岩に刻んだ 文字のような人 砂に画いた文字のような人 水に書いた文字のような人    花咲けば 共に眺めん 実熟せば 共に食はん 悲喜分かち共に生きん    人間はすべての人たちに自分を見るとき はじめて自分の生を把握するのである(トルストイ)    恵みは 期待しない時に おとずれ 私欲がでると あてがはずれる    人間社会の幸福とは 邂逅の喜びである(亀井勝一郎)    自らを 不幸にする者は 自分である    生涯をかけて 打ちこめる仕事を一つ 生涯をかけて信じあえる友一人 生涯読んでいつも太陽となる本一冊    不実を 真実と 思う者は 遂に 真実に 到達しない(釈尊)    人間は 欲を 離れねば 大事はできない(西郷隆盛)    いつか別れねばならないという上に 今 出会っているこの出避いを大切にしたいものである    人間のまごころには限りがあるが執着には限りがない    善い行いは よい報いがくるというよりも善い行いをするところに報いられている(佐々木蓮麿)    孤独は 最も自己に親しむ ときであり 最も自己の拡大 されるときでもある(小坂奇石)    一つのいのちを 二つに分けて 捧げようとするな 一つのいのちは 一つのものに 捧げ尽くさねばならぬ(坂村真民)    人間は 何十億いるのに 私とおなじ人間が どこにもいないのは フシギなことだ この私のなかに 無限の世界があるのは さらに フシギなことだ(榎木栄一)    人間の眼は 光を見つめることは できない しかし 光に照らされて わが身を 見つめることは できる(広瀬 杲)    やっと出ました 一本道 ナムアミダプツの 一本道 西の空 あかるい(木村無相)    人間 食物さえあれば 生きていける のだろうか    うらみの中にあって うらみなく むさぼりの中にあって むさぼりなく 安らかに 生きよう(釈尊)    正信は 科学や 医術に 決して さからわない    地獄の苦悩を 背負って 立ち上る心を 信心という(安田理深)    勿体なや 祖師は紙子の 九十年(句仏上人)    雨にうたれ 稲の低姿勢 霜にうたれた 柿の味 辛苦に耐えた 人の味    働くとは はたを楽に することである    長所は 鼻にかければ 短所となり 短所は 自覚すれば 長所になる    利害・損得だけで 働いていたのでは 働く真の喜びは 味わえない    他人の仕事が 楽に見えるのは その苦労を 知らないからだ    与えられた ものを受け取り 与えられた ものを活かす(塩尻公明)    他人の嘘を 怒りながら 自分は平気で嘘をつく    信仰は火である 心の汚れを 焼き清め 仏道にむかって 人々を もえたたせる    自己を知る者は 仏を知り 仏を知る者は いよいよ 自己を知る    教えは きけばきくほど 自分が はずかしくなる けれども その中に うれしさが 宿っている    いかりを捨て おごりを捨て すべての 束縛を離れよ 執着がなければ 苦もない(釈尊)    合掌から 平和な 光が出る    嵐に耐える それが人生    与えたら 黙り 受けたら 語れ    自分を 不幸に するものは 外ならぬ 自分である    足でけとばして いたものを あら 勿体なやと 頂ける世界を 浄土という(安田理深)    入いなる いのちにかえる 日をおもう ナムアミダプツと み名いただきつ(木村無相)    ぞうきんは 他のよごれをいっしょうけんめい 拭いて 自分は よごれに まみれている(榎本栄一)    今日 命あるを よろこぴ 今日 生きている よろこびを 仏に感謝しよう    目は よく物を見るが 自分自身を 見ることができない 自分を省みる 目が欲しい    迷いを離れて 悟りが あるのではない 迷いそのものが 仏の種と なるのである    浄土真宗が すぐれているのは 親鸞聖人自身が 永遠に生きる人 であるが故に すぐれている(松永伍一)    尊敬と謙虚と 満足と知恩と 時々 教えを聞くこと これが こよなき 幸せである(釈尊)    こころみに 息を吸って 空を見あげよ    勤労は尊い 合掌のある勤労は さらに尊い    月かげの いたらぬさとは なけれども 眺むる人の心にぞ住む(法然上人)    われわれが だまされるのではない われわれが じぶんじしんを だますのだ(ゲーテ)    いずこより 我呼ぶ声ぞ 秋の暮(句仏上人)    苦しむとき 仏は近くにあり 楽しむとき 仏はかなたに去る    苦しみは うけてゆくだけに 終わらないで よく味わってみれば よい教えがえられる    このみ法 聞き得ることの かたきかな 我かしこしと 思うばかりに(一蓮院秀存)    人の世の 小さき はからい 秋の風    信心とは 聞き溜めることでなく聞きぬくことである(大河内了悟)    浄土は 言葉のいらぬ 世界である 人間の世界は 言葉の必要な 世界である 地獄は 言葉の通じぬ 世界である(首我量深)    あらゆるものの中で 最大の富 それは 自ら満ち足りている 心境である(エピクロス)    他人のために 他人と共に 生きること それだけが 生きることだ(ハイベルグ)    信心で 消える暮しの 暗い影    安かりし 人 今日のひと日を よろこぴて み仏のまえに ぬかずきまつる    ご用心忙がしいという字は心が亡ぶとかきます    いうものは 水に流し 聞くものは 右にきざむ    年のくれ 静かに越そう 春が あかるく待っている    渋柿の 渋がそのまま 甘味かな    手みやげ 一つ持たずに 生まれてきた 私であるのに 今は 何と 多くのものに 恵まれていることか    死ぬべきものが 今 生きている 自分の今日を よろこぴたい    人を知るより自分を知れ 人に勝つより 自分に勝て    病のないのは 第一の利 足るを知るのは 第一の富 信頼のあるのは 第一の親しみ 悟りは第一の楽しみ    自分以外のものを 頼るほど はかないものはない しかし その自分ほど あてにならない ものはない(夏目漱石)    苦労して得たことは 身について離れない    金ためて 何をするぞと 思いしに 煩悩ふやす ことばかり    布施するものは 福を得 慈心あるものは 怨みを受けず    自分の 生きていることの 尊さを 発見した者のみが 本当に 他人を喜ぶことができる    空気も水も 川も海まで 濁ってきました これは この世の中も 人の心も 濁っているからです    一年の終りに思うこと ただ一つ わがままものが 今日も許されて 生きている ああ 南無阿弥陀仏(広瀬杲)    延命を祈るうちにも へるいのち    よくよく 考えてみれば 幸せな 身である    足ることを 知れるひとつは 天地の 何にもかへぬ わがたからなり(甲斐和里子)    うつつみの なやみつきねど みひかりの てらされてある 人はたふとき(本多善英)    肉体は おとろえるが こころの眼がひらく 人間の晩年と いうものは おもしろい 今日まで生きて いのちのたかさが 見えてきた(榎本栄一)    心の眼が 開けるのは 苦悩に 出遇ったとき    働くので 疲れるのでない 不満をもって 働くから 疲れるのだ    自己の主人は 自己自身である 他に主人が あろう筈がない 自己を制してこそ 得難い主人が 得られるのである(釈尊)    み仏は まなこをとじて み名よべば つつみています わがいのち    歯がぬけて かみしめる 親の味    原子力より 大きな力が もしあるとすれば それは愛だ これいがいにはない(井上 靖)    迷信拝んでなおす 祈ってもうける 大安・友引・おまもり・たたり    人間とは いいわけをする 動物である    三十までは 普通列車 四十までは 準急列車 五土までは 急行列車 六十すぎれば 超特急    欲ふかき 人のこころと 降る雪は 積るにつけて 道も 忘るる    仏教は酒の様に芳醇で母の乳房のように甘くゆたかで円満で平和なものだ(坂本勝)    何を笑うかによって その人の 人格がわかる(バニョール)    こだわりのない人は たじろがない しかし こだわりのある人は この状態からあの状態へと 執着してて 輪廻を 越えることがない(釈尊)    死すべき時を 知らざる人は 生くべき時を 知らず(ラスキン)    人の生活は 自己否定が はじまるときに 開始される    一年は 木の葉の 夢で ありにけり    如来に背相なし 生涯に このこと一つ身にしみたら    ほんとうの力は 力みをぬく力である    相手をたしなめようとする そのことが家庭にひびを入れる私が我慢しているというこらえが家庭を暗くする    たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を暖める    恩は返せるものではない ただ謝するのみである    「おかげさま」と 言える人生に孤独はない    あったかい やさしいことばを 引き出してくれる人に 出会いたい    子は親の言うようには しないが 親のするようになる    「あんなん親じやねえよ」 とは親を捨てた言葉ではない むしろ真実を求める子の歎きである    死してなお 親は子を育てる また 親なればこそ 亡き子に育てられる    賢くなることを 教える世の中に 自分の愚かさを 気づかせる教えこそ 人間の道である    他人の意見を間こうとしない これを我慢といい 自分の意見を聞かそうとする これを橋慢という    食わねば 生きられぬ では 食っていれば 死なぬか    あなたでなければ できない 仕事が あるのです    よかれと思って やったことも 悪い結果を生む場合もある    人生は短い 怠けてよい日は 一日もあたえられていない
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villa-chitose · 7 years
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艶と硬度を備えた新しいオリジナル ガラスコーティング「ドゥレッザ ガラスコーティング」
ドゥレッザ ガラスコーティングは秋田県横手市と新潟県新潟市でも施工可能です。 住所:秋田県横手市柳田字持田185 住所:新潟県新潟市南区神屋682 TEL:03-6231-4919 TEL:045-334-3033 秋田県全域のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすく、冬季には対馬暖流の影響もあってか日本海側から湿った冷たい風が吹き、みぞれや雪を降らせる地域のガラスコーティングは通常のガラスコーティングよりも膜厚が厚くなければ塗装の保護にはなりません。 ドゥレッザ ガラスコーティングは劣化しない硬度としては最高硬度7hで通常ガラスコーティングの硬さが2倍以上!膜厚は10倍以上あるので雪国には最高のガラスコーティングと言えるでしょう。 ディーラーやガソリンスタンドとドゥレッザ ガラスコーティングの違いはこちらをクリック
柔軟��のある最高硬度7h 硬く・しなやかなdurezza massimaガラスコーティング
ディーラーガラスコーティングの硬さが2倍以上!ガラスコーティング膜厚は10倍以上!
通常のガラスコーティングのみの施工ですと有機物汚れや酸性雨による腐食予防には強いですが、ウォータースポットには弱いという弱点がありましたがドゥレッザ ガラスコーティングは柔軟性のある硬く・しなやかなガラスコーティングの他にシリコーンレジンコーティングという無機物汚れやシリケート固着予防がされているので雪国でも強いガラスコーティング剤です。
他社のガラスコーティング店では絶対にマネのできない硬度と撥水力!
下記の動画は絶対に見る価値があります。新しい ガラスコーティングの硬度差テスト、オリジナル ガラスコーティング「ドゥレッザ ガラスコーティング」! 「鉛筆硬度9h 大手有名ガラスコーティング ハイ〇〇フィ〇ッシュ」とガラスコーティング「ドゥレッザ ガラスコーティング」の比較動画になります。 ドゥレッザ ガラスコーティングがスクラッチ傷に強いのは鉛筆硬度で7hではあるが柔軟性と耐スクラッチとの最適化が可能であり、膜厚化により微細な擦過キズに強いので傷が入りにくい。
「ドゥレッザ ガラスコーティング」の撥水力!撥水角110℃以上は世界ナンバーワン!
youtube
ガラスコーティング・車 コーティングってどれも同じ?
まずは硬さの違いもありますが、ガラスコーティングの厚さが全く違います。 上記画像の左側は通常のディーラーやエシュロン、GZOX(ジーゾックス)などのガラスコーティングの成分であり、右側の画像はドゥレッザ ガラスコーティングになります。 通常のガラスコーティングは硬化させても「でんぷん」の粉のようにしかなりませんが、ドゥレッザ ガラスコーティングは本物のガラスなので上記右側のようにガラスになります。 ガラスコーティングは塗装の保護なので、上記のようなガラスにならないと塗装の保護にはなりません。
Massima durezza rivestimento di vetro ドゥレッザ  ガラスコーティング
新しいガラスコーティング剤: 低分子シラン ドゥレッザ ガラスコーティングとは 従来のガラスコーティングとは違う硬く、しなやかな最強無機質ガラスコーティング ガラスだから硬いのは当たり前、衝撃や湾曲などのストレスによるひび割れが発生しにくい柔軟性を持たせました。 柔軟性が(硬いだけより)耐傷性を高めます。また、酸化劣化しないことと合わせ、将来の剥がれ、ひび割れ等の弊害に対する心配ををゼロにします。 ドゥレッザ  ガラスコーティングは単一成分98%の高密度ガラスコーティングです。限りなく無機質に近いコーティング剤ですが2%のアルコキシドを混合する事により3~4ミクロンの甲膜厚を実現しました。また硬度7hの高度を持ちながら高膜厚のコーティング剤でもあり非常にバランスのとれた撥水角100℃を超えた撥水性ガラスコーティング剤です。
Hard-supple 硬く・しなやか
衝撃や湾曲などのストレスによるひび割れが発生しにくいガラスコーティングでは最高硬度の7h! セラミックガラスコーティングのように9hなど硬さが増すほどクラックが発生しやすくなります。 このため弊社のガラスコーティング剤では、多少の柔軟性を持たせて、あえて鉛筆硬度9Hとはせずに7H前後に調整して、クラックの発生を防いでいます。 ※ペルヒドロポリシラザンは高硬度9hであるが、クラック発生を防ぐため膜厚は薄く、意外にも微細な擦過キズにも弱く、膜厚をあげるために何層にもコーティングを施工すると剥離する。 ディーラーガラスコーティングは殆どがオルガノポリシロキサンを使用しており高分子の為、定着性が粘着テープのような定着性の為、柔軟性はあるが硬度が3h位しかなく耐久性も実際は1年半位。 弊社ガラスコーティングは低分子シランガラスコーティングの為、高硬度7h~8hであるが柔軟性があるためクラックしづらく、また、低分子のため塗装面の微細な凹凸に浸透しやすく、強靭な密着力が違う。  
High hardness flexibility 3D 高硬度柔軟性3Dネットワーク構造被膜
従来の3Dネットワーク構造被膜ですと硬度5hで耐久性は1年半ぐらいでしたが、低分子シランは硬度7h以上で長期耐久を実現しました。
No machine quality moths La scan the membrane 無 機 質 ガ ラ ス 被 膜
無機ガラス主鎖+有機官能基側鎖構造:酸による腐⾷や撥水・低撥水にもかかわらず無機汚れ(ウォータースポット・イオンデポジット)固着し難い。 低分子のため高濃度無溶剤化により高密度化ができる。このため汚れがつきにくく、汚れを落としやすい皮膜を形成できる。 従来のガラスコーティングは塗装色により撥水や親水の選択が必要であったが撥水角も100℃以上でもウォータースポット・イオンデポジットも低減できます。 有機質ヨゴレと結合しにくいので、ピッチ・タールなどの油類、無視やのフン・あか、チリやホコリなどが付着しにくく、水洗いで簡単に落とせる。 耐紫外線性、耐熱性、耐油性、耐水性、耐薬品性が高く塗装面を強靭に期間保護する。
Thickness コーティング剤膜厚
低分子だから実現できる1層塗りでも3μ以上 多層でも20μも可能。 通常のガラスコーティングですと、高分子ペルヒドロポリシラザンですと硬度が9hにはできますが、1μ以下なのでクラックしやすく、オルガノポリシロキサンは硬度も膜厚もない。硬度9hを高膜厚にすると柔軟性がないため劣化します。
Quality クオリティー
ドゥレッザ  ガラスコーティングは外国製原料ではなく、現在世界最高の機能や性能と安定した品質を誇る日本製低分子シランを原料として、自動車塗装や建築内外装向けのガラスコーティング剤として求められる「耐久性・防汚性・施工性・光沢美観・メンテナンス性」を追求。 アルコール系溶媒なので、塗装面・人体・環境に優しい。
Price
今現在のガラスコーティングの相場は硬さに高硬度になればなるほど金額も上がっていきます。 ハイモースコートやセラミックガラスコーティングなどはお店によってことなりますが、15万円以上20万円以上の高額な金額になりますが、弊社は中間コストを省略することで安く提供することに成功しました。 硬度7h以上のガラスコーティングではお求めやすい金額になりました。
ドゥレッザ  ガラスコーティングを塗ったプロテクションフィルムを指で曲げても、ひび割れしません。
通常のガラスコーティングですと、数μでもここまで曲げるとひび割れしますが、ドゥレッザ  ガラスコーティングは低分子の為、膜厚が厚く、そして硬くても衝撃や湾曲などのストレスにも強い。
※今現在、コーティングの硬さは最高硬度で7hが最高です。 7hと言えど完璧ではありません、たまにセラミックガラスコーティングなどの9hガラスコーティングも存在しますが、研究者のなかでは車の湾曲に塗れる9hはないそうです。 例として、メガネのレンズは7hでアイフォン(携帯電話)の表面は9h?なのでしょうか。 この両者を道路などに落とした場合メガネは割れませんが、アイフォンは表面レンズがバキバキに割れ、よく割れたアイフォンをそのまま使用してるのをよく目にします。 なぜ、9hのほうが硬いのに割れるのか? 今現在の技術で劣化しない9hがでればノーベル賞ものだからです。 メガネが割れないのはある程度柔軟性を持たせた7hなので劣化しないのでしょう。
硬度とクラック
硬度が硬いほど良いと言われるガラスコーティング商品やサービスがありますが、ガラスコーティングは化学合成品であるため、被膜の硬さが増すほどに脆く壊れやすくなり、「クラック」と呼ばれる微細なひび割れ損傷が発生しやすくなります。
クラックは硬化の過程や使用中の物理的化学的刺激などより発生し、見た目の「クスミ・濁り」になったり、「被膜が剥がれ落ちやすくなる」ことの弊害の原因になります。
今の技術で作ることができるガラスコーティング(非晶質ガラス)は、鉛筆硬度9H程度が最高硬度となりますが、コップや窓ガラスなどの厚みのあるものと比べて、ミクロン(μm)単位の被膜では硬さゆえの脆さの影響が大きくなります。 クラック発生を回避するためには、少し粘り気を持たせる必要があり、6H~8H程度の硬度が最適であると考えます。
膜厚と硬度
膜厚はある程度厚い方が良いと思います。しかし硬度が同じ場合被膜が厚くなるほどクラックが発生しやすくなりますので、上記のような若干の粘り気のある6H~8H程度のガラスコーティングでは2~4μm前後の膜厚が、微細な傷からの保護という意味でもバランスが良いのではないかと考えます。
硬度が同じ場合は、膜厚が厚くなるほどクラックが発生しやすくなるため、硬度9H程度のガラスコーティングでは0.5μm~1μm程度の薄い膜にしないと、クラックの発生が問題になります。 このように余りにも薄い被膜では、摩耗や微細傷も塗装まで達してしまう可能性が高まります。
ドゥレッザ ガラスコーティング施工例
ガラスコーティング・カーコーティング・ボディーコーティング・ガラスコーティング四日市 ご来店の多いエリア: 東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。 地理 人口は約963万人(2005年10月1日-国勢調査) 面積は66,889km² 人口密度は1km²あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査) 東北六県の県民総生産の合計は33兆3007億円(2007年度-県民経済計算) 地形 プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる。そのため、海溝型を中心に地震が多く、ときには東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のようにマグニチュード9を超える大規模な地震が起こることもある。東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島の恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山、八甲田山・八幡平・岩手山・栗駒山・蔵王連峰・吾妻連峰・安達太良山・那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上には十和田湖・田沢湖・鬼首カルデラ・蔵王の御釜周辺などのカルデラ地形が見られ、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。 日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することができる。 太平洋側には北上山地と阿武隈高地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場がなく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈高地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。 これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。 気候 気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側(盆地)、那須火山帯山麓を除く東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。宮城県・福島県の太平洋沿岸を除いて全域が豪雪地帯で、一部特別豪雪地帯もある。 日本海沿岸と那須火山帯山麓と西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。 太平洋側の那須火山帯山麓を除く東側(盆地)は、太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。 太平洋沿岸は、太平洋側気候と海洋性気候を併せ持つ。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。 地域 東北地方内の区分 古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「商業勢力の地盤」の境界であった奥羽山脈による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。 ただし、文化的には戦国時代の大名の支配圏や、江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸海岸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。 太平洋側と日本海側[編集] 東北地方を「太平洋側」と「日本海側」に区分することがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山〜奥羽山脈の線、または中央分水嶺[7]による竜飛岬(津軽半島)〜奥羽山脈とする線などがある。 この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため冬の降雪量が多く、太平洋側は少ない。夏の気候では、日本海側はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋側はやませの影響で気温が低い年がある。盆地を見ても、奥羽山脈の東側は内陸であるが、冬の降雪量は奥羽山脈の西側ほどは多くない。 また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。 陸奥国と出羽国 「内陸国」と「沿岸国」 陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれたことでわかるように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。 陸奥国(内陸、太平洋沿岸)は、沿岸平野がいわき市周辺、仙台平野、八戸周辺と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」としての歴史が綴られている(→みちのく)。 一方、出羽国(日本海沿岸)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」としての歴史が綴られている(→越後国の先にある地域)。 藩政時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。 境界 陸奥国と出羽国の境界とされる奥羽山脈は、所々で山脈自体が低い部分があり、かなり低い峠が存在したりする。更に、奥羽山脈から太平洋沿岸や日本海沿岸に至る途中でも山地が峙えているため、一口に「陸奥国」「出羽国」とは括れず、境界は時期によって変わっている。 令制国 の区分では、「陸奥国」に、奥羽山脈の西側に位置する会津地方や津軽地方を含んでおり、その他の日本海側の部分が「出羽国」となっている。しかし、特に古代においては陸奥国と出羽国の境界は、時期により変更されることが度々あった。現在の山形県内陸部や秋田県内陸部(仙北三郡)も、当初は出羽国ではなく、陸奥国の一員であった。 基本的に、奥羽山脈東側盆地群(国道4号沿線)と太平洋沿岸(国道6号沿線、国道45号沿線)が陸奥国、日本海沿岸(国道7号沿線)が出羽国であり、その間に挟まれた奥羽山脈西側盆地群(国道121号沿線、国道13号沿線)は、陸奥側の政治勢力の盛衰によって陸奥国と出羽国の間で所属が変化していたようである。 奥羽山脈東側盆地群:北上盆地、福島盆地、郡山盆地 奥羽山脈西側盆地群(斜字 は令制国の陸奥国):青森平野 (青森湾)、鹿角盆地、横手盆地(仙北三郡)、新庄盆地、山形盆地、米沢盆地、会津盆地 即ち、測量された地図が無かった時代には、東北地方の「内陸勢力」の版図が陸奥国、日本海側「沿岸勢力」の版図が出羽国とされていたと考えられる。鎌倉時代以降は、日本海沿岸地域は政治勢力化せずに商業勢力に留まることが多く、陸奥国側の内陸政治勢力が、陸奥国と出羽国を一体的に「奥州」として管轄した。 分割 戊辰戦争終結の直後、1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国は分割され、陸奥国 (1869-)・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国が設置され、同じく出羽国も羽前国・羽後国に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。 北東北と南東北 東北地方は、主要都市の間に東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線が通ることで、全ての県に新幹線が通っている唯一の地方となった。そのため、新幹線が優位に立つ中距離移動(200km〜800km)が便利である。また、東北地方内陸を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、運行本数が少なく割高な在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。 北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。 一方、南東北三県においては、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していたこともあり、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成している。南東北三県都(仙台市・山形市・福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。 定義域と名称 この地方の名称は、歴史的に変遷している。まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」ともといわれた。 明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになる。 「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、1868年(慶応4年)正月に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」は五畿七道の内の「東北3道」(東海道・東山道・北陸道)、すなわち、天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており、西南4道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)と対比される。または、東国と北陸の合成語とも考えられる。 明治政府による中央集権的・統一国家的な地方支配が進められる中、当初は政府直轄の石巻県牡鹿郡石巻が当地方(軍事的には北海道を含む)を支配する際の拠点とされた。間もなく廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、当地方から北海道が切り離され、仙台県宮城郡仙台(後の宮城県仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の民権派は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および北海道」の範囲を指す美称として「東北」を(「西南」と対比して)用いるようになった。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった。 結果、「東北」は日本の地域の中で唯一、民間由来の地方名として定着し、明治以降135年以上に渡って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は雅称の「奥羽」よりも美称の「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。 現在でも、法的・経済的に新潟県が東北地方に区分される場合がある。それは、明治時代から始まった水力発電との関係が強い。当地での電源開発の最重要地域の1つに阿賀野川(只見川)があるが、これは新潟県下越地方と福島県会津地方(両地域とも分水嶺である奥羽山脈の西側)を流域としており、電力において下越地方と会津地方は不可分であった。このため、「東北7県」を供給範囲とする電力会社として、戦中の1942年(昭和17年)には国家総動員法と配電統制令により東北配電が設立された。戦後占領期になると進駐軍により「東北7県」のくくりで統治が行われ、1950年(昭和25年)には電力事業再編政令により東北電力が設立された。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効後になると、「東北7県」を対象範囲とする地域開発の法律がつくられた。 近代 1869年1月19日(明治元年12月7日)、戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた。同日、陸奥国は、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥国に、出羽国は、羽前・羽後に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、リアス式海岸の「三陸海岸」や、世界三大漁場のひとつ「三陸沖」などの語に用いられている)。1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県などを経て、現在の東北6県が作られた。 この時期、戊辰戦争により明治政府はその権力基盤を確立し、幕藩体制に則った社会秩序は完全にその権威を失った。西南諸藩に比べ、もともと経済基盤が弱かった東北地方の諸藩では、秩禄処分によって経済的な困窮へと追い込まれた各地の領主と家臣団による窮余の策として「北海道移住」と「帰農」が広く行われた。また後進地域だった東北地方では、農村部の商工業や貨幣経済の浸透も遅れていたため、土地の産物ではなく貨幣により税金を払うシステムが初めて導入された地域では、現金収入を得ることに慣れない人々に大きな混乱を与えた。 また明治以降の富国強兵・殖産興業の時代においても、郡山盆地における���積疏水、宮城県の野蒜築港、東北帝国大学設置、岩手県の釜石製鉄所などの例外を除いて、政府は東北地方での大規模な投資や開発に積極的ではなかった。野蒜築港が台風によって破壊された後も修復や代わりの港の建設はされず、鉄道のうち最初に敷設された東北本線は官営による国家計画としては行われなかった。 大蔵卿・松方正義による松方デフレは、農産物の価格下落をもたらし、全国的に小作農の比率を上昇(小作農率の全国平均38%→47%)させた。その影響によって、全国的には富裕層による地主所有の寡占化が進み、また産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となった一方、常磐炭田周辺などを除き工業化の遅れていた東北地方は更なる経済的ダメージを蒙ることとなった。そのため多くの者が女工や各種労働者として都市部などへと働きに出ざるを得なかった。 さらに、日清・日露戦争後に顕著となった日本の対外進出指向は、日本内地の開発の軽視につながり、地方の近代化を遅らせる結果を招いた。特に1910年の韓国併合後は、朝鮮半島から廉価な米が流入したために米価の低下を招き、東北地方にとっては大きな痛手となった。また昭和になってからは、農家の次男・三男などを中心に旧満州国などへの移民が活発化した。1930年には昭和東北大飢饉が発生し、身売りや欠食児童が続出、二・二六事件を起こす要因の一つとなった。 第二次世界大戦後は農地改革により、従来の封建的な地主小作関係は過去のものとなった。東北地方でも工業化が進み、生活水準に顕著な向上が見られたが、太平洋ベルト地域の著しい発展に取り残され、高度経済成長時代には東京方面への出稼ぎ、集団就職は非常に広い範囲で行われた。 方言 東北地方の方言、いわゆる東北弁は、東日本方言に属する。太平洋側では関東方言(特に東関東方言)との共通点が多くみられるほか、日本海側では近世の北前船の影響から関西方言との共通点もみられる。地域内でも方言差が激しく、隣県同士はもちろん、同一県内でも互いに通じ合わないほど特徴の違う方言が存在していることも少なくない。 アクセントは、太平洋側南部(宮城県中部・山形県内陸と福島県)の無アクセント、南部日本海側から北部の大半にかけて分布する北奥羽式アクセント(外輪東京式アクセントの亜種)、三陸海岸北部の外輪東京式アクセントに大きく分かれる[16]。 かつては聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表として鹿児島弁とともに挙げられることが多く、他の地方と比べて開発が遅れていたこともあり暗いイメージや否定的な印象を持たれることもあったが、現代においては、温かい人情や素朴さの象徴とする肯定的な見方も生まれた。しかし、方言話者自身にとっては「勝手なイメージ付け」に過ぎない点で従来の否定的な評価と何ら変わらず、必ずしも好意的に受け取られるとは限らない。現代では東北地方でも若い世代では共通語化が進んでいる一方、従来の古いイメージに最初から囚われない人も増えてきている。 なお、「一般的に東北弁と思われている特徴」としては、 シとス、ジとズの混同(中舌母音、いわゆるズーズー弁) イとエの混同 「んだ(「=そうだ)」「だべ(=だろう)」などの語尾(後者は関東方言の特徴でもある) 「べこ(=牛)」「めんこい(=可愛い)」などの語彙 などがある。しかし当然ながら、これらの特徴が当てはまる方言と当てはまらない方言がそれぞれ存在する。 東北地方以外で東北方言を聞ける場所の代表として、かつては上野駅(厳密にはJR東日本=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよくいわれた。実際に石川啄木の短歌や、高度成長期の望郷ものの流行歌にも登場していたが、東北新幹線の東京駅への乗り入れ(1991年)などによって上野駅と東北地方との結びつきは劇的に弱まり、すでに過去のイメージとなりつつある。 人口 東北地方全体としての人口動向を見てみると、戦後は自然増(第一次ベビーブーム)を中心に人口増の時代となり、1960年には東北地方全体で約970万人に達した。1960年代の高度経済成長時代には、「金の卵」の名の下に、主に京浜方面に集団就職したり出稼ぎに出たりするようになり、民族移動にも似た人口減(社会減)の時代に入る。この流れは1970年初頭まで続き、第二次ベビーブームによる大幅な自然増があったにも関わらず、1970年には924万人にまで人口が減った。その後、ニクソンショックとオイルショックによって低成長時代に入った東京への流出が減少し、東北地方は再び人口増の時代に入る。ベビーブーム終了後は、900万人を越える市場性と第三次産業への産業転換により地方中核都市の社会増が起き、日本全体の長寿化(死亡率低下)も手伝って堅調に人口は増え続けた。バブル景気期には、一時、東京圏から転入超過ともなり、20世紀末に約985万人に達した。21世紀に入り、東北地方全体の景気低迷と、高度情報化や金融の東京一極集中のために、人口は再び社会減による減少に転じている。今後は、長寿化の限界と団塊の世代の高齢化による死亡率の増加、及び少子化の影響で自然減になり、人口は引き続き減少していくと見られている。 交通 東北地方は、白河の関から本州最北端の大間崎まで道なりに630km以上あり、東京��姫路間の道のりより距離がある。そのため、東北地方の陸上交通路は、東京までの到達時間短縮が第一に重視され、街道、鉄道、道路の整備は、まず南北を結ぶ交通路が整備された。また、太平洋側の交通の整備が先に進み、日本海側については概してその後に整備された(以下は主要駅間の路線距離の5km毎概数。東北地方の諸都市の間隔に近い太平洋ベルトの都市を示す)。 東京浜松名古屋大阪岡山 東京郡山仙台盛岡青森 大阪福山広島下関熊本 現在、南北陸上交通においては、主に東北新幹線・東北自動車道により関東地方と連結され、旅客では新幹線が優位に立っている。東京への到達時間短縮のために高速交通機関が発達したが、一方で東北地方内の旅客移動も活性化させ、特に太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなっている。また、本州・北のターミナルである青森県は、津軽海峡を挟んだ北海道との間に青函トンネルが開通し、諸都市間の関係が深まっている。以前は青森・函館間に青函連絡船が運航されていたが、トンネル開通でフェリー航路が設定され、東北道・八戸道と連動したトラック流通に対応している。なお、近年、南東北と東京との間に都市間ツアーバスが格安で参入し、高速バスと熾烈な旅客獲得競争を繰り広げている。 他方、東西の交通については、山脈・山地などに阻まれながらも明治時代から鉄道や国道が整備されてきたが、高速交通への対応は遅れた。東西高速交通は、「幹」である東北新幹線や東北自動車道と接続する「枝」のように整備され、20世紀末に秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山と会津若松、仙台と山形、盛岡と秋田となどとの間で、自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。 東西交通の高速化により、現在の東北地方は、交通インフラの利便性の違いにより2つの地域に分類される。東京との交通上の関係で見ると、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までがいわば「新幹線派地域」、それ以外の日本海沿岸地域が「航空機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界はほぼ出羽山地である。 「新幹線派地域」にある仙台空港(仙台都市圏内の名取市・岩沼市)は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の拠点空港となっている。日本海沿岸地域(津軽平野・秋田平野・庄内平野)は、東北新幹線に接続するまでに時間がかかるため、東京とは空路需要が多く、「航空機派地域」となっている。 空港 現在、東北地方の各空港同士を結ぶ路線は存在しないが、かつて仙台空港からは直線距離が300km程度まででも東北地方内を含めて4路線が定期路線として就航していた。 仙台空港〜羽田空港(直線距離:約305km) (参考)新幹線…東京駅〜仙台駅:351.8km(東京駅〜名古屋駅:366.0km) 仙台空港〜青森空港(直線距離:約290km) 仙台空港〜三沢飛行場(直線距離:約288km) 仙台空港〜新潟空港(直線距離:約160km) (参考)高速道…仙台宮城IC〜新潟中央IC:253.5km 1982年の東北新幹線開通(大宮駅〜盛岡駅)によって羽田便が同1982年に廃止され、三沢便も廃止に至った。新潟便は、磐越自動車道が次々整備される中、1992年に廃止された。青森便は、新幹線の利便性が得られない地域であったために設定されたが、JRとの運賃値下げ競争に負けて廃止された。 その他にも新幹線の開通で空港の旅客数が顕著に減少する例が多い。参考として、空港に近い主要都市からの平成28年3月26日ダイヤ改正時点での最速所要時間を併記する。 岩手県(花巻空港)盛岡駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間10分。 花巻空港〜羽田空港間に航空路が設定されていたが、東北新幹線が盛岡駅まで開通したため、最大の利用客居住地の盛岡市から離れた花巻空港は、トータルで東京都心までの到達時間での優位性がなくなり、かつ、東北新幹線の方が運行頻度が高かったことから採算割れして羽田便は廃止となった。 山形県(山形空港)山形駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間27分。 山形空港では、羽田便を中心に1991年に70万人以上の年間利用客があり、ピークとなったが、1992年の山形新幹線開業で減少傾向に転じ、最盛期の3分の1以下の20万人となった。山形新幹線がミニ新幹線であり、福島駅で列車接続をするため、所要時間短縮効果がフル規格新幹線と比べて大きくないことから、自治体の支援で羽田便が1日1便で運行している。 秋田県(秋田空港)秋田駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は3時間39分。 秋田空港では、1996年に約150万人の年間利用客があったが、1997年に秋田新幹線開業、1998年に大館能代空港開港により利用客が減少した。しかし、秋田新幹線がミニ新幹線であることにより東京までの所要時間がそれほど短縮しなかったため、空路から新幹線への旅客の移動はあまり進まず、130万人程度で横ばいとなっている。 青森県南部地方(三沢空港)八戸駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間42分。 三沢飛行場では、全体の年間利用客数が2001年に58.3万人に達したが、2002年12月1日に東北新幹線が八戸駅まで延伸されたため、主に羽田線の旅客が減少し、2004年度には33.4万人まで旅客数を減らしている。 青森県津軽地方(青森空港)新青森駅 - 東京駅間の新幹線での最速所要時間は2時間59分。 青森空港も1998年〜2002年は150万人以上の年間利用客がいたが、東北新幹線の八戸延伸以降減少し続けている。 ひとつの空港から東北地方内の全ての空港に就航している路線はない。(例として、羽田からでは福島・仙台・花巻線がなく、伊丹からでは庄内・大館能代線がない。) ガラスコーティング青森 ガラスコーティング岩手 ガラスコーティング宮城 ガラスコーティング秋田 ガラスコーティング山形 ガラスコーティング福島
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qeisu · 7 years
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松岡史章氏の転載
FBFの皆様、先のタイムラインで、「初志貫徹の心」が日本人に欠けていると申し上げました。 日本人が「初志貫徹の心」を欠くことになった理由は、色々ありますが、一番の理由は、日本人が「心の拠り所である家庭と国家の結びつき」を見失うと同時に、「信念の大切さ」を忘れてしまったからです。 国家から切り離された個人の「家庭」は、「通州や、敗戦直後の日本・満州」を見れば分かる通り、「恐ろしいほど脆いもの」です。 国家が戦闘力を失えば、国民を守る力は、どこにもありません。 連合艦隊を失い、サイパンを失い、硫黄島を失った日本は、アメリカ軍による大虐殺を完全に許してしまいました。 B-29による攻撃で、日本全土は廃墟にされ、潜水艦による攻撃で生活物資は途絶し、日本人は餓死寸前となり、ポツダム宣言を受諾し、馬鹿正直に帝国陸海軍を解散しました。 日本がポツダム宣言を受諾する直前のことですが、アメリカは千五百隻もの空前絶後の大艦隊で、沖縄を陥落させた後、九州と房総半島から日本に上陸し、日本人を皆殺しにするつもりだったのです。 ところが、大西滝次郎中将は、アメリカの千五百隻の大艦隊に対し、千五百機の特攻隊で立ち向かいました。 大西滝次郎中将の特攻攻撃で撃破されたアメリカの艦船は三百隻以上、撃沈されたアメリカの艦船は三十四隻になります。 毎年八月になると、NHKを始めとする日本のTV局は、撃墜される特攻攻撃機の姿ばかりを放映していますが、馬鹿としか言いようがありません。 信じられないかもしれませんが、ハルゼー提督は「ギブアップ」をアメリカ本国に打電していました。 もし、日本軍の特攻隊が空母だけを狙わず、手当たり次第に、身近な艦船に突入していたら、撃沈撃破されたアメリカ軍の損害は、倍以上になった可能性が大です。空母だけを狙った攻撃でも、ギブアップ寸前だったのです。 日本国内に配置したスパイから入る情報は、ハルゼーの大艦隊を沖縄に釘付けにしました。 日本側は九州と房総半島に来襲するアメリカ軍を撃破する為に、一万五千機の特攻隊で、立ち向かう用意をしていたからです。アメリカの大艦隊が九州と房総半島に近付いていたら、アメリカの大艦隊は粉々になっていたでしょう。 だからアメリカは大艦隊による決戦から、原子爆弾攻撃に切り替えたのです。 アメリカは東京に落とす予定の三発目の原子爆弾を、重巡洋艦インディアナポリスで密かに運んでいました。 ところがインディアナポリスは突然行方不明になりました。 日本海軍のイ58潜水艦に至近距離から雷撃されたインディアナポリスは、二発の1t魚雷を撃ち込まれ、真二つに折れて轟沈しました。SOSを打電する余裕なしの轟沈です。 インディアナポリスが突如姿を消したことで、アメリカは「日本軍に原子爆弾を奪われた」と思い、恐慌状態に陥りました。原子爆弾の構造は簡単です。日本軍もすぐに原子爆弾を作ることが予想されました。 そんな時、日本政府からポツダム宣言受諾の知らせが届いたのです。 アメリカ軍には「棚から牡丹餅」の知らせでした。 アメリカ軍が驚いたのは、頑強な抵抗を続けていた日本軍が、天皇陛下の命令が下ると、直ちに戦闘を止めたことでした。三年八カ月に及ぶ戦闘は突如終わりました。 翌十六日、大西滝次郎中将は、介錯なしの切腹をしました。 「清々し 嵐の後の 月きよし」 これが大西滝次郎中将の辞世の句です。しかし、嵐の後の日本の指導者の中には、驚くほど愚かで、汚いスパイがいたのです。スパイ共は、本気で完全な武装解除をさせました。日本国が丸腰となった瞬間に、日本は「完全な敗戦国」となったのです。 軍事力を自ら放棄した日本には、日本人を守る「力」はありません。朝鮮人達は日本軍の武器庫を襲いましたが、勇猛な日本軍は何処にもいません。朝鮮人達は、思い思いの武器を持ち出すと、裕福な日本人家庭を襲い、駅前の一等地を占領し、莫大な富を奪い取りました。 武器を持たない日本人は至る所で財産を奪われ、命を奪われました。 国家権力と武力が、個人の家庭を守る「絶対的な砦」であることは世界の常識ですが、日本人は「武力は悪である」と固く思いこんでいました。殺生を嫌う仏教思想に忠実だったのです。日本人は殺されても、平和主義を信じ、武力は悪だと思い込んで、死んで行ったのです。 そんな日本人に徹底的な平和主義を吹き込んだのが日教組です。日教組は朝鮮人がリーダーを務める教職員組合です。 日教組や在日朝鮮人達は「骨のある日本人家庭」を目の敵にして、徹底的な攻撃を仕掛けました。初志貫徹をモットーとする日本人を踏みにじり、抹殺することを自慢のタネにし、御笑いのタネにしました。初志貫徹は家庭教育で培われるものですが、いつの間にか、初志貫徹の日本人は激減しました。 皆様は「日本人が基本的な家庭教育を見失うことなど絶対にありない」、と信じているかもしれません。しかし、いつの間にか国旗を揚げることにも、国家を歌うことにも、抵抗を感じるようになっているではありませんか。 ハッキリ申し上げましょう。日本人は刀を捨てた途端に、武力を否定した瞬間に、初志貫徹の精神、サムライ魂を失ったのです。 しかしまだ多くの日本人には「サムライ魂」が残っています。 御存じの通り、家庭を守り、国を守る基本は、心身の鍛錬した「力」以外ありません。 昔は刀と槍と弓を使いこなすために、心身を鍛錬し、武士の心得を磨きましたが、現代は拳銃とマシンガンを使いこなすために、心身を鍛え、現代戦士の心得を磨かねばなりません。 心身を鍛錬する時に、一番大切なのは礼儀です。知識ではありません。礼儀の次が信義であり、信念です。礼儀無き鍛錬、信念無き鍛錬は、ケダモノの鍛錬です。 かつての日本人は、神棚と先祖の霊に、お水とご飯を差し上げてから、食事をしました。日本人は祖先神である天照大御神様を神棚に祭り、先祖代々の霊を仏壇に祭っていました。家庭と御先祖様と天照大御神様が一体となっていた民族が日本人ですが、日本人は、いつの間にか、天照大御神様との一体感、国家と個人の一体感を忘れて、心が風来坊になってしまったのです。 心の風来坊になった日本人に、明治維新を成し遂げたような「初志貫徹の心」はありませんし、植民地主義解消を掲げて、圧倒的な力を持つ米英に立ち向かった「神の如き心」の発現はありません。 ではどうすればいいのか。 答えは非常に簡単です。 日本人は、どの御家庭も、天照大御神様から続く偉大な民族であることを、再認識することに尽きます。 天照大御神様をお祭りし、御先祖様に感謝するようになれば、日本人は、初志貫徹の民族に戻ることが出来ます。キリストも釈迦も偉大ですが、日本人の持つ絶対的なポテンシャルを引き出すことは絶対に出来ません。
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hakusyo · 7 years
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林 良博 東京大学教授 - ごあいさつ - 野生動物の価値を見直そう  鯨肉がアトピー性皮膚炎に良いという話を聞<と、ハブの粉末が回春に効くという俗説を連想して、多少なりともマユツバだと思う人がいるかもしれない。 確かに私たち日本人には、野生動物信仰が残っており、その肉を食することによって霊力が授けられたような気になることがある。  しかし、こと鯨肉については事情が大いに異なる。日本では原始時代から鯨肉食が定着していたことが、各地の遺跡の発掘によって示されている。さらに仏教伝来後の獣肉忌避の時代には、鯨肉が日本人の重要なタンパワ源の一つであった。鯨肉があまり口にすることのできない希少食肉となったのは、たかだかこの10年程度のことであり、歴史的にみればほんの一瞬にすぎない。  しかし残念なことにヒトは忘れっぽい。人類が成立してから100万年、ヒトは常に飢えと闘ってきた。私たちが糖尿病になりやすいのは、私たちの身体が飢餓に耐えられるよう設計されてはいるが、逆に栄養過多になることを想定して設計されていないからである。  にもかかわらず、私たちは歴史的にみてほんの一瞬にすぎないこの飽食の時代に慣れて、食糧生産の重要性を忘れがちである。   鯨肉について言えば、そのあまりの希少性によって、やがてはハブの粉末と同列に論じられる時代がくるかもしれない。  それを防ぐにはどうしたらいいか。常に鯨肉の重要性・有用性を訴えることであろう。幸いなことに、鯨肉は美味しく、鉄の含有量が高く、多価不飽和脂肪酸を多く含むため成人病予防に優れた食肉といえる。また畜肉・魚肉・卵・豆類に対して食物アレルギーを示す子供が、その根拠が科学的に解明されていないにしろ、事実として鯨肉にアレルギーを示さない例があるという。これは食物の多様性を保持することの重要性を示す好例といえる。鯨をはじめ野生動物を食肉として利用することは、かつては環境破壊の元凶のように非難されてきた。しかし現在は、環境をあるがままの状態で保全しながらそこからの余剰分を利用するという、生物という再生産が可能なシステムを生かした野生動物の持続的利用に対して評価が高まりつつある。この機会により広い立場から鯨をふくむ野生動物の食肉としての価値を見直すことが望まれる。 鈴木たね子 日本大学教授 ミンク鯨肉の栄養上の特性 動物性食品のうち家畜家禽の肉および乳、卵は畜産食品として世界的に定着しているが、れが国においては伝統的に魚介類、鯨肉も重要な動物性食品としている。 ●栄養的に良質のたんぱく質を多量に含んでいる。  たんぱく質は20種類のアミノ酸から構成されており、食物として摂取されたたんぱく質は、体内でアミノ酸に分解されて、再びたんぱく質に合成され、筋肉、内臓、血液、皮膚、毛髪等々の構成成分になる。人間の体内で作ることが出来ないアミノ酸を必須アミノ酸といい、8種ある。  鯨肉は、たんぱく質の栄養価値を決定する必須アミノ酸の含有量とそのバランスが優れており、肉類に優るとも劣らない。 ●牛肉、豚肉よりも低エネルギーである。  たんぱく質は牛肉や豚肉よりも多いのに、熱量が逆に低いということは、鯨肉が単にたんぱく源としてでなく成人病対策のできる食糧で重要な位置づけがされる食品であることを示唆している。 ●他の動物性食品とくらべて鉄の含有量が非常に多い。  鯨肉は赤い色をしている。それは筋肉組織のミオグロビンを多量に含んでいるためである。ミオグロビンは、血色素と同じく鉄を持った化合物へムと蛋白質グロビンとが結合したものである。鉄は体組織に酸素を運搬する大切な役割りがあり、鉄の欠乏は貧血の原因となるので食物から鉄を摂取する必要がある。 鯨肉は鉄の給源としてすぐれた食品といえる。 ●多価不飽和脂肪酸を多く含み、成人病予防の食物として魚介肉に匹敵する。    飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸とではその生理機能がことなり、飽和脂肪酸は多量摂取によって血中コレステロール値を上げ、動脈硬化や心臓病の原因となる。  一方、不飽和脂肪酸は逆に血中コレステロール値を下げる作用がある。イコサペンタエン酸(EPA)は血液の凝固を抑制する作用があり、血菅系のさまざまな病気の予防に効果がある。また、EPAは発癌の予防効果があることが認められている。  近年ドコサヘキサエン酸(DHA)は脳の活動を活発にし、学習能力を上げる効果がネズミで認められ、頭が良くなる脂肪酸として注目されている。鯨肉、魚介肉にはEPA やDHA の含有量が高い。鯨肉肉に含まれる油脂の脂肪酸組成は魚介肉のそれと殆んど同じであり、これが明らかに畜産物の肉と異なり食品として注目される特徴である。 ●ナイアシンは比較的多く含まれている。  ナイアシンが欠乏すると皮膚炎をおこす。 ●コレステロールの含有量が比較的少ない。  コレステロール含有量が多い脂肪を摂取していると、心筋梗塞のような虚血性心疾患にかかりやすい。 ●公害汚染のない南氷洋のクリーンな海で育った鯨は、汚染されていない。  年々アレルギー性疾恵を持つ人が急増している。その原因として住環境や食環境が悪化していると言われている。  このような状況の中で、鯨肉はアレルギー症状を起こすことが少ない、安全な貴重なたんぱく源と考えられている。 ●以上を総合すると、鯨は人間の健康にとって有用な食物資源である。 鯨ベーコン PHOTO:MINEO TAKAGI 表1. 鯨肉・食肉及び魚介肉の成分 (100gあたりの含有量) 成 分 ミンク鯨 尾肉 ミンク鯨 赤肉 牛肉 かたロース 豚肉 かたロース まいわし まだら 水 分(g) 71.9 73.1 60.3 64.4 64.6 82.7 たんぱく質(g) 23.9 24.8 18.1 17.9 19.2 15.7 脂 質(g) 3.3 1.2 20.4 16.6 13.8 0.4 灰 分(g) 0.9 0.9 0.9 0.9 1.9 1.2 炭水化物(g) 0 0 0.3 0.2 0.5 0 エネルギー(kcal) 132 116 270 233 176 70               リン(mg) 137 186 140 170 200 170 鉄(mg) 5.58 8.54 2.3 4.3 1.7 0.6 カルシウム(mg) 4.8 4.1 5 11 70 42 ビタミンA(IU) 30 0 33 30 60 100 ビタミンB1(mg) 0.06 0.08 0.07 0.10 0.03 0.10 ビタミンB2(mg) 0.17 0.20 0.20 0.24 0.36 0.17 ナイアシン(mg) 7.81 9.70 3.8 5.8 7.7 1.3 コレステロール(mg) 37 40 65 65 75 60 ミンク鯨以外のデータは、科学技術庁資源調査会編「四訂食品分析表」「日本食品脂溶性成分表」による。 表2. 各種食品に含まれる主な脂肪酸(脂肪酸総量中の重量%) 脂肪酸の種類 ミンク鯨 牛肉 サーロイン 豚肉 ロース まだら いわし 尾肉 赤肉 (飽和脂肪酸) パルミチン酸C16:0 ステアリン酸C18:0 16.9 4.2 15.8 2.7 28.4 11.2 28.4 13.5 17.3 4.3 19.0 3.3 (不飽和脂肪酸) オレイン酸C18:1 リノール酸C18:2,n-6 リノレン酸C18:3,n-3 (飽和脂肪酸) イコサペンタエン酸C20:5,n-3 ドコサヘキサエン酸C22:6,n-3 26.9 2.0 0.5 9.9 6.0 25.4 2.3 0.5 12.8 8.2 47.7 1.5 0 0 0 44.9 7.3 0.5 0 0 12.7 0.6 0.2 16.7 32.9 13.0 2.6 1.0 13.0 10.7 菅原龍幸 女子栄養大学教授 鯨肉の栄養価  鯨肉は、古くから我国において大変質の良い動物性食品として利用されてきました。最近の日本人の栄養問題から鯨肉の栄養的価値を考えてみます。 ●たんぱく質は栄養上大変重要です。  今更説明するまでもなく、近年日本人の平均寿命は著しく延び、また小・中・高校生に代表してみられるように日本人の体位が著しく向上しています。この理由はいろいろと考えられますが、その最も大きな理由として動物性のタンパク質を十分に摂取するようになったことにあると考えられます。  最近平均寿命の延びと共に、日本は急速な高齢社会に突入していると言われています。  このことに関係して福井市・長野市・東京の小金井市で行われた“身の回りのことを自分で始末でき、健康に生活している老人”についての大変興味ある栄養調査の結果が発表されています。それによると、元気に生活している老人の多い小金井市では、お年寄りが動物性のタンパク質と適度に脂肪を多く摂取していると言うことです。  実際に質の良いタンパク質は血圧を下げ、動脈硬化を予防し、動脈を強くすることが知られています。また現代の生活にあいて避けては通れないストレスに対し、その抑制作用があるとされています。さらに21世紀の国民病になるのではないかとされている肝臓病に対して肝臓障害の予防や肝臓の修復に重要な役割を果たしています。このようにタンパク質は栄養上大変重要な役割を持っています。   ●鯨肉は高たんぱく質です。  鯨肉はタンパク質含育量がミンク鯨の赤肉の例で言えば24.8%、尾肉では23.9%と獣鳥肉類の中では特に多く、また質的にもアミノ酸価が88(100 が最も良い)で大変質の良いタンパク質性食品です。 ●鯨の脂肪は成人病予防に好ましい。  ミンク鯨の脂肪については、赤肉では1.2%、尾肉では3.3%と少なく、脂肪を嫌う人には格好の食品と考えられます。さらに鯨の脂肪は鰯や鯖などと同じく、生理的に成人病予防に好ましい作用を示すイコサペンタエン酸・ドコサヘキサエン酸を多く含み、逆にコレステロールが肉100g 中赤肉では40mg、尾肉では37mg と少なく、この点からも陸産動物の牛肉、豚肉より好ましいタンパク質食品となっています。 ●鯨肉は鉄の大変良い供給源です。  最近、若い女性の中に誤ったダイエットが原因となっている栄養性の貧血の問題があります。ミンク鯨肉100g中には、鉄が赤肉で8.5mg、尾肉で5.6mgと食肉中では馬肉と同じく著しく多く、しかも鉄の形態が、最も吸収されやすいミオグロビン鉄と呼ばれる有機体の形となっており、このことからも鯨肉は鉄の大変良い供給源となっています。 ●鯨肉はビタミン類も含んでいます。  この他、鯨肉には各種のビタミンを含み、この点からも他の動物性食品に比較して栄養的に勝れた食品となっています。 ●科学的根拠に基づいた鯨資源は利用しても問題はありません。  ところで、鯨を食べる日本の食文化に対して批判的な考え方をする人々がいます。これについて私は動物の種を絶滅するような捕獲によって支えられるものであれば、食文化といえる資格はなく、人類のだれもがこのような食べ方をして良い権利は持てないと考えています。しかし、科学的にみて資源として何も問題がない場合には、これらの動物を利用することに問頴はないと考えています。   動物愛護の点からの批判については、ヒトは生きるために他の生物の命を犠牲にして生きていかねばならない宿命を背負っています。それ故にこそ、私たちは食事のときに意識しているか否かはともかく“頂きます”と言って私たちを生かすために命を犠牲にしてくれたものに感謝の気持ちを表わすのだと考えています。 PHOTO:MINEO TAKAGI 千葉友幸 東京医科大学病院小児科 食物アレルギーと鯨肉  近年、各方面の学識者から、子供たちの身体面・精神面における変調が報告されておりますが、そのひとつにアレルギー疾患の急増があります。先頃の厚生省の調査報告によれば、「国民の3人にひとりが、何らかのアレルギー性症状に悩まされている」とのことでしたが、このアレルギー疾患増加の背景には(1)自然環境の変化:大気汚染・水質汚濁、(2)家屋構造の変化:高層住宅・アルミサッシ、(3)生活様式の変化:冷暖房・ペット飼育、(4)食生活の変化:流通機構・旬の消失、(5)社会構造の複雑化:各種ストレス、(6)化学物質の氾濫:化粧品・農薬・医薬品などさまざまな要因があげられています。アレルギー疾の発症には「アトピー体質」と呼ばれる遺伝的素因とこの生活環境因子が複雑に関与するとされますが、アレルギー専門医を中心に病態の解明・症状軽減への努力が続けられています。そして一連の研究の中で、アレルギー疾恵の誘発および悪化に「食物」が関係することが、広く知られてきました。我国では戦後の高蛋白・高脂肪の食生活により子供たちの体位が飛躍的に向上しましたが、一方でアレルギー体質も助長され、摂取した食物で過敏反応を引き起こす「食物アレルギー」が大きな問題になってきました。なかでも牛乳・卵・大豆などが原因食物(3大アレルゲン)として重視されていますが、これら過敏食物を除去し、耐性を得る(再び安全に食べられるようにする)まで、他の食物で代替することが治療の基本となります。   しかしアレルギーの原因となる食物は栄養学的に優れたものが多く、重症者では代替する栄養源の確保に因ることもしばしばでした。そこで私達が注目したのが「鯨肉」です。鯨肉は上の世代にはなつかしい食材であり、私自身、昔、学校の給食で食べた記憶があります。そこで私達は鯨肉を代替食として使用したことのあるおかあさん方から聞き取り調査を行い、鯨肉がアレルギー治療の食材料として十分役立つことを確認しました。しかし捕鯨の禁止以後、鯨は必ずしも庶民の手の届くものではなくなっていました。いろいろ手を早くしたのですが、なかなか安くて良質な鯨肉は入手できす、一時はあきらめかけたのですが、そんな時、調査捕鯨の話が入ってきました。「ひょっとしたら鯨の肉を分けてもらえるかもしれない」との期待を胸に、私達は農林水産省に陳情に出向いたのです。そして鯨の肉を安く譲って欲しい旨の要望書を提出し、その担当���から「日本鯨類研究所」を紹介してもらいました。幸い私達の希望は受け入れてもらえたのですが、最小取り引き単位が1t(トン)と聞いて悦んでしまいました。誰も1トンもの鯨肉をまとめて購入し、保存・販売することまでは考えていなかったのです。しかしこれらの問題もなんとか解決でき、患者さんの所へおいしいミンク鯨の肉が配布できるようになりました。鯨肉と聞いて初めはしりごみしていた入院中の患児達も、食べてみて大喜び。我々スタッフも満足しました。 現在も希望者には鯨肉を送っていますが、食物アレルギーに悩む人たちは全国に散らばっており、以上の経過はもちろん、鯨肉が安く入手できることを知らないお母さんも多いようです。その後、IWCのオブザーバーであるカナダの政府代表の方々にも会い、アレルギー治療の面から捕鯨再開の希望を訴えましたが、こちらの方はまだ実現していません。   しかし鯨の数は年々増えているということですので、近いうちに捕鯨再開の許可がありうるのではないかと期待しています。関連各位には何かと御手数をおかけし、恐縮しておりますが、今後はもっと鯨肉の良さをPRして、アレルギーの代替食だけではなく、健康志向食としての需要にも応じて欲しいと思います。 PHOTO:MINEO TAKAGI 海野りつ子 食物アレルギーの子を持つ親の会 鯨肉を非アレルギー性の食物リストにぜひ加えたい ●子供のアレルギーを知る  私たち家族が食事療法を始めて、早9年になります。当時2歳半だった長男がひどいアトピー性皮膚炎と本格化した喘患、生まれたばかりだった次男のアトビー性皮膚炎を、食物アレルギーと診断してくれた病院との出会いがきっかけでした。  特に、長男のアトピー性皮膚炎はひどく、砂遊びをすると手の皮が赤むけになる程でした。副腎皮質ホルモン剤をぬってもまたすぐひどくなる事の繰り返し。漢方薬もさしたる効果がなく、私もノイローゼ気味になっていました。ですから、半信半疑で始めた食事療法で、息子の皮膚がほんの少しずつきれいになってきた時は、本当に嬉しかったものです。 ●厳しい食事療法  我が家では、ます血液検査でアレルゲン(アレルギーを起す原因となった物質-抗原)としてはっきりした牛乳・卵・大豆(三大アレルゲンといいます。)を完全に除きました。それらを含まない市販の食品を捜す苦労は大変なものでしたが、それでも1か月はがんばってみようと自分を励ますようにして続けました。1か月めで子供の湿疹がほんの少し良くなり始めた時は、それまでやってみた他の療法が何ひとつ功を奏さなかっただけに、喜びもひとしおでした。  とは言っても、症状はほんの少し改善したにすぎなかったので、更に他のアレルゲンを捜す努力も続けなければなりませんでした。   肉や魚など蛋白質の多い物は皆だめ、主食の米・小麦にも反応する、野菜の中にも合わない物がある、このような状況のなかで自分の体に合った食べ物をつかんでいくのに6か月程かかりました。この時期が食事療法を続けるなかで一番辛い時期になりました。  結果的に、主食は雑穀の稗や黍、蛋白源にアレルギー用の特殊ミルク、後はあくの少ない野菜のみで献立を組み立てるという日々がしばらく1年以上続いたでしょうか。  そのうち免疫力も上がってきたのか、白身の魚がだいぶ食べられるようになり、魚と野菜と穀類という実に伝統的な食生活のパタ-ンに落ち着いていきました。 ●鯨肉との出会い  その頃、私共の作っていたアレルギーの会に、日本鯨類研究所から調査捕鯨の鯨肉の放出のお話をいただいたのです。きっかけはやはり食事療法をしている方からの問い合わせで、鯨肉の放出があるのなら、体に合う蛋白源を捜すのに大変苦労している除去食の患者も対象にしていただければ大変ありがたいというものでした。食物アレルギーで食事療法をしているのは圧倒的に子供が多いので、成長発育の為にも体に合う蛋白源をいかにして捜し出して確保するかは、切実で重要な課題でした。たいていは、種類の多い魚の中から体に合うものを捜して食べることになります。  でも洋風化した食生活に慣れている私たちですから、たまには肉も食べて食生活を少しでも豊かにしたいと思ったりします。そこで、今まで子供はもちろん母親も食べた経験が少なく、アレルゲンになっている可能性の少ない肉に挑戦してみる事になります。 カエル・鹿・七面鳥・鴨・カンガルー・ヘビなど、結構グルメといえないこともありません。(アレルギー専門の店に行くとたいてい手に入れる事ができます。)  ですから、その中に鯨も加わるというのは、大変ありがたいことでした。一つでも蛋白源の選択の範囲が広がることは、また、除去食治療を容易にする事にもつながります。 ●鯨肉はアレルギー症状を殆んど起さない食品です。  放出していただいた鯨肉は、赤身で脂もなく、筋の部分を除けば、とても柔らかい美味しいものでした。なんと、先にあげた様な肉にほとんど合わなかった我が家の子供達も食べることができたのです。   鮮度の良い上質の肉であったことも大いに関係のあることかなと思いました。  私たちは子供の頃から、様々な形で鯨肉を食べ、親しんできました。実は逆に、子供の頃良く食べたものだから、すでに母親がアレルギーになっているかもしれない。すると、子供もだめなのではないか(胎盤をとおして抗体が子供に渡る)と心配していたのですが、そうではなかったのでかえって意外な感じもしました。もちろん中には体に合わない人もいたのは当然ですが、アレルギー反応の出ない人の方が多かった様です。私見ですが、日本人に鯨肉は合うのかもしれないなぁと思いました。  食物アレルギーの食事療法の選択肢にぜひ加えたい鯨肉。とりあえす、切実に求めている消費者にだけでも、常時容易に手に入るシステムができたらすばらしいと思います。 PHOTO:MINEO TAKAGI 阿部信子 宮城県鹿島台町 私の鯨肉と我が家の体験 ●子供のアレルギーを知る。  初めてアレルギーと知ったのは、昭和63年7月子供が生後4力月頃でした。 体中ぶつぶつと赤い湿疹ができて、5、6カ月とどんどんひどくなり、皮膚科でアトピーと診断されました。塗り薬が、顔用、頭用、体用と3種類、塗れば赤みが取れて一時的に良くなりますが薬なしでは治らない毎日です。1日2回かかさず塗っても良くならず、しまいには下痢が止まらず、お尻はアトピーとただれで真っ赤になってしまいました。友人に良い病院があると紹介されて坂病院の小児料で血液検査を受け卵と牛乳のアレルギーであると知りました。 ●食べ物さがしの生活が始まる。  生後10カ月頃、卵と牛乳を除去した食事をすることにしました。その時に食べ物でアトピーになることを知り、それからが毎日、食べることの勉強でした。  最初は卵と牛乳をやめただけで下痢が止まり、おなかの湿疹が1週間で治りびっくりしました。それでもその他は良くならず塗り薬は毎日でした  1才の頃、家族旅行に出掛け3日目からぐあいが悪そうで、咳やゼーゼーがでて病院へ着いたときはかなりひどい状態でした。 初めてのゼンソク発作でした。5日間入院してなんとか治まり再検査を受けたところダニのアレルギーもあるということでした。民宿の古い布団などに寝ると発作をおこすということがわかりました。   それから毎日布団に掃除機をか けるように指導されました。  1才からゼンソクの発作とアトピーと両方がひどくなりだしました。 次の発作は魚のカレイを食べた時、30分から1時間後にゼーゼーと発作が始まり、白身魚で発作が起きると信じられずに、又カレイを食べさせてはゼーゼーと発作をおこし3度目で魚もアレルギーを起こすと解りました。蛋白質となるもので発作を起こすのです。肉や魚、豆類等です。  病院でいただいたアレルギーを起こしやすい食品おこしにくい食品が詳しく書いてあるテキストを参考に食事指導を受け、鯨、鹿肉など喘息にならない食品さがしの生活が始まりました。なにが合うか合わないかは個人差がありテストしながら合わない時はやめるの繰り返しです。豚肉も最初少しは食べられましたが2才頃から発作をおこすようになったので止める事にしました。1~3才の間、月に1回はゼンソクで入院週1回軽い発作という毎日でした。 ●鯨肉はアレルギーを起さない  ついには野莱だけの食事がつづいて抵折力がなくなり敗血症という病気で1カ月入院、鯨だけは発作を起こさなかったので、なんとか牡鹿半島の親類にお願いをして、何件かの割り当て分を譲って頂き唯一の蛋白源としてどうにか確保して、1日、30~40グラムずつあげられるようになりました。 それでも、手に入らない時は鹿肉とかカエル肉とかでまにあわせ、その他力ワハギ、サヨリ、ニジマス、ワカサギなど、発作はおこさないのですが、食後、目が腫れ口のまわりが赤くなり手や足も赤くなり30分位掻きむしって泣いたり騒いだりしてつらそうです。4才現在、発作も殆ど起きずアトピーもだいぶよくなり、鯨がきれるとまたゼンソクはもちろん敗血症のような命にかかわる病気になると思うと不安です。 ●鯨肉が自由に買えるように  アレルギーもおこさない蛋白源としての鯨を手に入れられるよう仕組みを作っていただきたく思っております。    皆様のご努力で1日も早く鯨が自由に買うことができるようになることを切に願っております。  どうぞアレルギーの子供達のみならず我々大人も安全な蛋白源として日本人の体質に合うものであると考えますのでよろしくお願い申し上げます。 PHOTO:MINEO TAKAGI
日本捕鯨協会 - 勇魚・勇魚通信 - 勇魚 No.8
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localventurelab · 7 years
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【イベントレポート】「価値を見いだせば、地域はブルーオーシャン」。人口5人の浜を再生する「蛤浜再生プロジェクト」亀山貴一さんが考える、自然資本を活かす事業で重要なこととは?
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いま、地域の豊かな生態系を活かしたビジネスが各地で生まれはじめている。農業、林業、水産業、狩猟・採集といった、地域の自然資本をベースとした「自然資本産業」は、どのような可能性を持っているのだろうか。また、取り組む際にはどのようなポイントがあるのだろうか。
 東日本大震災以降、宮城県にある牡鹿半島の蛤浜を人が集まる場所に再生する「蛤浜プロジェクト」に取り組む亀山貴一さんをゲストに、『月刊ソトコト』編集長指出一正さんをナビゲーターにお招きし、3月9日(木)に開催された「ローカルベンチャーラボ 開校記念 事業構想オープンセミナー第3講 自然資本産業」でのトークから、自然資本産業について考えてみよう。
 持続可能な浜をつくる挑戦
宮城県石巻市、牡鹿半島の根元に位置する蛤浜。東日本大震災前も住んでいたのは10世帯にも満たなかったこの小さな集落は、津波で大きな被害を受け、住民の多くが移住。現在この集落に住んでいるのは2世帯、人口は5人だという。
 「わたしが生まれ育ったこの地域は、震災をきっかけに『限界を突破した集落』になってしまった。そんな集落を未来に残していくために『蛤浜プロジェクト』を始めました」(亀山貴一さん)
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  取り組みの背景にあるのは、「持続可能な浜をつくりたい」という思いだ。
 「震災後一年の間、この土地を離れて戻って来たとき、がれきの山でとても人が住める状態ではありませんでした。家も建てられない状況で、高台移転も世帯数が揃わずに実現できない。このままだと浜から人がいなくなってしまう……。そんな危機感から、『持続可能な浜をつくりたい』と思うようになったんです」(亀山貴一さん)
 蛤浜プロジェクトの取り組みは、海辺の古民家を利用したカフェ・宿、カヌーやSUP、BBQなどのマリンレジャー、子どもたちが自然の豊かさや厳しさを学ぶ自然学校、水産業、林業、狩猟の6次産業化など、多岐にわたる。今ではカフェに年間1万5千人が訪れ、土日は1時間待ちの行列ができるなど、小さな湾に人を呼び込むようになった。
  こうした蛤浜の事例について、ナビゲーターの指出さんは「里山・里海型のエリアリノベーションの事例と近いのでは」と指摘する。
 「他の地域では尾道(広島県)などが挙げられ、人が介在することで里山の自然資本保つだけではなく、経済や人の交流も生まれていく。特に東北では、こうした取り組みが多い印象。蛤浜は、その先進事例のひとつだと思っています」(指出一正さん)
 自然資本産業での「三方よし」の重要性
蛤浜を持続可能な浜にするプロジェクトに取り組む上で、亀山さんが大切にしているのが「三方よし」という言葉。もともとは近江商人が商売をするうえで大切にしていたという、「売り手よし・買い手よし・世間よし」の考え方だ。
 亀山さんは、自然資本産業の事業を持続させるためには、『自分たち・お客さん・地域』の三方よしを実現することが重要だと言う。
 「買い手のことばかり考えると、地域にしわ寄せが行くこともあります。たとえば『他地域からのお客さんをもっと呼んで、交流人口を増やしたほうがいい』という議論がありますが、小さな集落では増えすぎると駐車場に車が止められなくなり、地域の方の迷惑になることもある。かといって地域のことを考えすぎると、自分たちのやりたいことができない。『自分たち・お客さん・地域』それぞれのメリットを考えることは不可欠なんです」(亀山貴一さん)
 近江商人の教えは、どんなビジネスにも当てはまることだが、特に自然資本産業でのビジネスには言えることではないだろうか。というのも、自然資本は土地に根付いているため、自然資本をもとに事業を始めると、地域の人々がステークホルダーになりやすい。そのため、単に利益を追求して地域への目配せがおろそかになると、その地域で事業を持続していくことが難しくなる。
 とはいえ持続のためには利益は、自らのモチベーションも重要になるので、地域の人々への影響も加味しつつ、『自分たち・お客さん・地域』それぞれにとってメリットのある形に事業を落とし込むことが必要になるのだろう。
 どうやって価値がないものに価値を付けていくか
ところで、「自分が関わりたい地域には、事業に活かすことができそうな自然資本がない」と思っている方もいるのではないだろうか。しかし亀山さんは、「地域には自然資本がゴロゴロある」と語る。
 「地域にはまだ他の人が目をつけていない、未利用のモノが転がっています。しかも、原価がほぼゼロで手に入ることもある。それらにどう価値を見いだすのかが大事なんです。しかも都市と違い競合がいないので、地域はブルーオーシャンだとも言えます」(亀山貴一さん)
 一般的に、事業に必要な資本は都市に集まっていると思われがちだ。確かに、ネットワークや資金はそうかもしれない。だが、自然資本に注目すると、都市と地域の立場は逆転し、地域は資本の宝庫になるだろう。重要なのは、未利用の資源を見つけ、そこに価値を付けていくことだ。
 たとえば、ノルウェーの漁業における資源管理がヒントになると亀山さんは指摘する。ノルウェーでは漁獲量が1970 年代をピークに減少し、 1980 年代後半に大きく落ち込んだが、1990年から漁業の収益性を高めるために、行政が主導で漁獲枠を漁船毎に配分する「漁船別漁獲割当方式」を柱に、資源管理の仕組みを導入し、飛躍的な資源回復を遂げた。
 「この地域でも、震災で3年間漁業ができなかった期間があったら、水産資源が非常に増えた。このことからも、適切な資源管理をすれば自然資本は再生産されていくはずなんです」(亀山貴一さん)
 こうした資源管理は、行政だけのものでも、漁業の分野だけのものでもない。岡山県西粟倉村では、「50年前に将来の子どもや孫のために植えた木を、立派な100年の森に育てていく」という「百年の森林構想」を掲げ、自治体、ローカルベンチャー、森林組合などが協働で村の95%を占める森林の維持・活用に取り組んでいる。
 地域で求められる「キュレーター」という存在
ローカルビジネスを生み出し、継続させていくための重要な存在は「キュレーター」であると指出さんは指摘する。
 「長期的な視点で事業の可能性を見極め、どんな人にどんな価値を伝えればよいのかを把握して編集をしていく。着地すべき未来を見据えて、共に併走できる『キュレーター』と呼べるような存在が、行政側にいることが非常に重要です」(指出一正さん)
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  キュレーターとは、いわば"目利き"ができる存在であろう。地域でスタートしようとする事業やその担い手が、地域の将来に対してどのような価値を提供し得るのか、本当にそのビジネスに投資すべきか。そうした"目利き"ができずに、やみくもに事業予算や補助金をばらまいた先にあるのは、補助金に依存した事業者と、補助金がなくなれば終わってしまう目的不在の事業、という無残な結果のみである。
 キュレーターが行政の中にいないのであれば、外から呼び込んできても構わない。優れたキュレーターを呼び込むことができるかが、予算や地域資源を有効に活用し、地域に優れたビジネスを生み出す鍵になるのだ。
  その地域しか得られない体験はなにか
カフェ、宿、マリンレジャー、自然学校など、「蛤浜プロジェクト」の取り組みは多岐にわたるが、一貫している発想があると亀山さんは言う。
 「この場所でしか得られない体験はなにか、ということは意識しています。外の人が何を求めているか、ということよりも、自分たちが面白いと思えることから発想することがポイントです」(亀山貴一さん)
 その場所でしか得られない体験——。特に都市ではなく、地域でこそ可能性がある事業として、指出さんが挙げるのが「教育」だ。
 「都市では物理的に近くにいても心理的距離が遠いが、地域では逆で、都市にはない人と人との関係性がある。そうした地域に、最近では若者たちがいい意味でのショックを受けている。その価値観を持った若手が結婚し、子供を産み、育てる年代になるこれからの10年で、『子供に人との繋がりに触れさせたい』というニーズに地域が応えるようになるのではないか」(指出一正さん)
 たとえば島根県海士町にある隠岐島前高校の「島前高校魅力化プロジェクト」では、子どもが「行きたい」、親が「行かせたい」、地域住民が「この学校を活かしていきたい」と思うような魅力ある高校づくりに取りくむなど、「教育」に重点を置く取り組みで移住者の増加につなげている。
 「島前高校魅力化プロジェクト」や宮城県石巻市雄勝町にあるこどもの複合体験施設「MORIUMIUS」、そして蛤浜プロジェクトでの自然学校など、教育に関する地域での事業は全国に存在する。指出さんが指摘するような、若者の教育に対するニーズの高まりと相まって、地域にしかない自然資本を活かした教育の可能性は今後も高まっていくのだろう。
 これまで見てきたように、自然資本を活かした事業は飲食、商品開発、教育、観光など幅広い。これまで必ずしも地域と関わりを持ってこなかった人も、自らがビジネスの経験がある領域と、地域の自然資本を掛け合わせることで、まだどこにもない事業を作り上げることができる可能性がある。いま、新たなキャリアを模索している方は、地域での自然資本産業に注目してみてはいかがだろうか。
 お知らせ
5月に開講する「ローカルベンチャーラボ【定員60名】」の申し込みが始まりました!
 他にはない豪華な専門家のもと、少数精鋭のゼミ形式で「地域×ビジネス」を実現する力を身につける、半年間のプログラム。「自然資本産業」のテーマラボでは、エーゼロ株式会社代表取締役の牧大介さんをメンター、月刊『ソトコト』 編集長指出一正さんをファシリテーターに、岡山県西粟倉村へのフィールドワークを交えながら参加者のみなさんの事業をブラッシュアップしていきます。
 関心がある方は、ぜひお早めにお申し込み下さい!
 ●プログラムの詳細・申込はこちら
ローカルベンチャー���ボ 公式ページ
 また、プログラム説明会も4/5(水)に開催します。こちらも関心がある方はぜひご参加を! 
●お申込はこちらから。
ローカルベンチャーラボ 説明会 申込フォーム
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darkrebelwinner · 10 months
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養殖技術確立に向け試行錯誤する中で、今後の地域活性化に向けた新しい取り組みと観光客らを呼び込み「アワビ、ワカメ・牡蠣の3本の柱で町おこし」を目指す。
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kachoushi · 3 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年4月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
受験の子送りてしばし黙す父母 喜代子 うつうつも待つこと楽し花便り さとみ 初桜幾歳月や句座の道 都 野遊びのノスタルジーを胸に秘め 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
野遊の一人は高きハイヒール はるか 春愁の長き耳垂れ犬来たる 光子 譲ること大嫌ひなの半仙戯 同 ボール蹴る子に一瞬の花吹雪 美紀 ぶらんこを替つてくれず漕ぐばかり 瑠璃 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 大使笑ふ南麻布の花の昼 佑天 花冷のベンチに花冷のお尻 緋路 群青の絵の具は春の水に溶け 同 教会の桜は透けるほど白く 小鳥
岡田順子選 特選句
花に息ととのへてゐる太極拳 光子 鞦韆の蹴り寄せてゐる桜色 三郎 純白の肌着吊られて花曇 同 皆遠き目をしてをれば桜かな 和子 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 子の声は残響となり連翹黄 同 花は散るべしと笛吹く裸体像 俊樹 春の野の児らしか知らぬものがたり 軽象 花すみれ遠くの空に戦闘機 美紀 春光の鳩はみどりの首見せに きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夕日落つ別離の駅の古巣かな 朝子 冴返る齢八十骨の音 成子 仔犬抱き遅日の船を見送りぬ かおり 菜の花や千の􄼫棺より生るる 睦子 枝枝に声転がせて鳥交る たかし いつせいに揺るゝ吊革鳥帰る かおり 煙草屋は古巣残して店仕舞ひ 久美子 陽炎の消えて居座る陰陽師 美穂 地に古巣天に野鳥の窓があり 修二 我先に舫ひ綱解き鰆東風 たかし 朧月十二単衣に逢へさうな 同 しつけ糸解くおぼろ夜の京友禅 美穂 待つといふうれしさ人も桜にも 孝子 永遠の未完でありぬ桜かな たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月8日 なかみち句会
春の海ばかりの駅に途中下車 秋尚 つれづれに雨音聞いて日永かな 廸子 鎌倉や角曲がるたび春の海 三無 石楠花や参道狭し奥の宮 史空 お別れの日に石楠花の紅の濃く 貴薫 また元の話に戻る母日永 美貴 小刻みにきらめく春の海まどか のりこ 寺領にも石楠花紅く小糠雨 ます江 ………………………………………………………………
令和6年4月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
娘良し妻さらに良し春日傘 三四郎 母の忌を迎へし朝の春の雪 ただし 風光る千年超えし物語 みす枝 春浅し耳朶柔らかなイヤリング 世詩明 天空へ光を返す白木蓮 三四郎 愛猫に愚痴こぼしをり四月馬鹿 みす枝 初蝶の二つ行先定まらず 英美子 貝の紐噛んでひとりの春炬燵 昭子 ほろ酔ひを名妓支へて大石忌 同 校庭の鉄棒に触れ卒業す 時江 薔薇一本くれる夫ではなけれども 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月9日 萩花鳥会
春一番濁りし川の鯉めざめ 祐子 春愁の情緒一新晴衣着る 健雄 春の宵椿徳利の矢の根寿司 俊文 四月空総出で迎える娘の帰国 ゆかり 遊覧の舟に続くや花筏 明子 教科書に漢字で名前進級す 美恵子 ………………………………………………………………
令和6年4月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
山笑ふ札所巡りに􄼺の急き 宇太郎 一歩づつ眼下となつてゆく桜 美智子 渡船場に飯蛸釣りて島土産 宇太郎 桃咲いて捨て犬たちの誕生日 都 杖を曳き混じりて遊ぶ花筵 悦子 囀を総て抱へてゐる大樹 史子 初燕無音の青を切り分けて 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
としあつ忌修す爛漫卓の上 百合子 信濃路は薄紅に花杏 和代 里は今杏の花に溺れたる 白陶 想ひ出のとしあつ談義飛花落花 亜栄子 竹秋の風を聞かむと句碑に佇ち 三無 白寿なる母満開の花と散る 多美女 句碑古りて若さ溢るる花楓 文英 雨上り杏の花の山家かな 幸風 ふんはりと包みたる香の花通草 秋尚 白き卓都忘れの彩映えて 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
対岸に人の流れてゆく花見 あけみ 軽貨物春の泥付け走る町 紀子 犬ふぐり自転車の子は風のやう 裕子 烏ども引き連れてゐる田打ちかな 紀子 障子開け全て我が世の花見なり みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
余生をば貪る朝寝でありにけり かづを 一穢なき姿のままの落椿 同 落ちてなほ華やぎ続けゐる椿 同 春風に仰ぎて凜と左内像 同 板木打つ仕草秘かに春そこに 和子 朝寝して咎める人も無き自在 泰俊 春愁や錆びし火の見の鉄梯子 同 蛇穴を出づと云ふ世の一大事 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
咲き満ちし花に静けきある古刹 かづを 芽柳に縁なる風棲み初めし 同 沈丁の闇をつないでゆく香り 同 九頭竜に吐息とも見る春の雲 同 此の花に幾春秋を共に���し 雪 花を見に一人で行ける所まで 同 春休み児ら自転車で飛び廻る 富子 鴬のしきりに啼く日啼かざる日 英美子 川幅を歪めて流る花筏 真喜栄 夜ざくらやいつも􄼴打つ寡婦暮し 世詩明 筍や十二単の皮を剥ぐ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
哀愁の容姿あらはに紫木蓮 数幸 徐に白を極めて花水木 千加江 流されて留まり忘る花筏 同 春場所やふるさと力士負け多し 令子 唐門の昔を語る桜かな 啓子 紫の夜空の中に桜散る 同 二人で見いつしか一人花の道 希子 仮の世にしては見事な花吹雪 泰俊 無住寺は無住寺のまま桜咲く 同 愛子忌やせめて初蝶見たること 雪 落椿踏まるるをもて瞑すべし 同 和尚来たかと散る花に酌まるるや 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月19日 さきたま花鳥句会
たまゆらの時を浮遊し石鹸玉 月惑 春愁や己を鼓舞し逝く句友 八草 花篝名残りの片のうらおもて 裕章 脱ぎ捨てし靴下にある花疲 紀花 掛茶屋へたどりつきたる花疲 孝江 花吹雪渋沢像の頭に肩に ふゆ子 腰痛の愚痴ふき飛ばす芝桜 としゑ 楤の芽の口にひろごる大地の香 康子 春炬燵夫の座椅子のたばこ臭 恵美子 藤棚の真中を風の通り抜け みのり 待ちかねた早朝よりの花見客 彩香 十字架の隣に読経山笑ふ 良江
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令和6年4月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
メタセコイアむんずと掴む春の雲 三無 今日も来て舞ひを見せたる春の蝶 ます江 佐保姫を見送る空の雲白く 軽象 蒲公英の真白き絮は飛ばず揺れ ます江 一山をより高くみせ桐の花 斉 僧一人花韮咲かす露地に消ゆ 久子 牡丹の重たく崩れかけてをり 秋尚 桜蘂降つて大地に横たはる 斉 春草の足裏くすぐる田圃道 経彦 観音の御手のやさしく著莪の花 芙佐子 ゆつくりと翅を広げて蝶生まる 斉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
昨夜爪を切りたる指に草を引く 雪 十一面千手千眼像朧 同 瞑すべし柏翠踏みし落椿 同 この椿もんどり打つて落ちたるか 同 初蝶や昨日は森田愛子の忌 同 不器用を誰憚からず針供養 同 春愁や文箱に封じたる手紙 同 春愁や此の髪に手を置きし人 同 昭和人昔語らず花の下 昭子 本気度を探るお見合亀鳴けり 同 久々に手に取る修司五月来る 同 しなやかにそしてしたたか単帯 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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judachigeiju · 6 years
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紀伊半島の俳句
志摩 御食つ国志摩の海人ならし真熊野の小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ 大伴家持 - 小春凪指輪に真珠鳥羽乙女 中村草田男 南風吹けば海壊れると海女歎く 橋本多佳子 志摩の海女朝餉のころの大揚羽 神尾季羊 熊野より男波ばかりや志摩の冬 廣波青 七曲り志摩路は合歓の花ざかり 筒井安子 低く延ぶ志摩半島は梅雨の底 小川彩子 幟破といふ風吹けり崎の村 山口いさを 秋暑く島の浜木綿花過ぎたり 臼田亜浪
英虞湾 英虞湾の銀をうしろに氷水 磯貝碧蹄館 崖を飛ぶ黍のちぎれ葉御座岬 橋本鶏二 荒海を前に一戸の日向水 宇佐美魚目
尾鷲 稲光南に北に熊野灘 山川喜八 ゆく夏の笠が旅情となる尾鷲 中村菊一郎 九鬼の人鰤を枕に酔うて寐る 福山峰華
熊野 み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも 柿本人麻呂 牟婁の浦の瀬戸の崎なる鳴嶋の磯越す浪に濡れにけるかも - 熊野から南はどこぞけふの月 来山 熊野路に知人もちぬ桐の花 去来 西日中草木の裔として騒ぎ 久保純夫 ひぐらしや熊野へしづむ山幾重 水原秋桜子 海昇り来し太陽が熊野灼く 右城墓石 青梅雨の熊野ずつしり重くなる 布施玉枝 法皇と上皇のあと斑猫 鈴木六林男 古道きてこんもりと梅雨の据膳 澁谷道
那智 神にませばまこと美はし那智の滝 高浜虚子 滝津音や身柱に負て冴返る 三千風 白木蓮や遠くひかりて那智の滝 石原八束 緑山中一瀑神の一糸とも 野澤節子 那智の滝祀るに白き肌着替ゆ 神尾季羊
太地町 日焼漁夫勇魚の神に掌を合わす 中谷恭子 囚はれし親子鯨の月に哭く 尾屋敷藤江子
潮岬 林なす潮の岬の崖椿 高浜虚子 潮岬人ゐてすでに初茜 大野雑草子 太陽の出でて没るまで青岬 山口誓子
和歌浦 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 山部赤人 行く春に和歌の浦にて追ひ付きたり 芭蕉 蕩々と旅の朝寝や和歌の浦 川端茅舎 和歌の浦あら波南風鳶を雲にせり 飯田蛇笏
加太 加太の海の底ひの鹿尾菜花咲くと 阿波野青畝 灰皿にしてゐるさざえ加太の茶屋 南上加代子 十月や風波建てる加太の海 八木林之助
信太 和泉なる信太の森の楠の木の千枝に別れて物をこそ思へ 恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 うら枯の葛や信田の狐道 頼広 夜咄や信太の狐こつと寝ね 岡井省二 安倍童子と病院前にころびしは 阿部完市
葛城 春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしそ思ふ 柿本人麻呂 猶見たし花に明行神の顔 芭蕉 葛城の神のねむりの初霞 川崎展宏 葛城やあやめもわかぬ五月雨 松瀬青々 一言主おしだまりゐる梅の花 鷲谷七菜子 蝶涼し一言主の嶺を駈くる 阿波野青畝 葛城の山懐に寝釈迦かな 阿波野青畝 葛城の山を父とし梨の花 有働亨
初瀬 うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼 うかれける人や初瀬の山桜 芭蕉 春寒し泊瀬の廊下の足のうら 太祇 頭巾著て声こもりくの初瀬法師 蕪村 橘や風ふるくさき長谷の谷 正岡子規 初瀬の駅獅子舞汽車を待てるかも 山口誓子 夜牡丹や長谷のきざはしゆるやかに 大橋桜坡子 をだまきの影のうするゝ初瀬の雲 飴山実
宇陀野(阿騎野) 阿騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに 柿本人麻呂 魚籃提げて日焼け子の来る菟陀郡 角川春樹 ひとり来て宇陀のしぐれに濡れにけり 日野草城 茴香や昼深みゆく宇陀郡 桂信子 初鶏やウダノを古道神ながら 鈴鹿野風呂 秋深みゆくと阿騎野につぶやきし 成瀬正俊 女人朝食それから山川へ宇陀川へ 阿部完市 万緑の宇陀郡ぬけて吉野郡 右城墓石
国栖 国栖らが春菜摘むらむ司馬の野のしばしば君を思ふこのころ 萱青し国栖に紙漉唄のこり 神尾季羊 錆鮎や国栖は水底まで透きて 伊藤昌子 国栖人の面をこがす夜振かな 後藤夜半 菫咲き国栖の御社岩隠り 林翔 遠栄と袖打ち返すのどかさよ 野澤節子 鶯のこゑをはじめの国栖の奏 山田みづえ
吉野 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪 坂上是則 み吉野の山の秋風小夜ふけてふるさと寒く衣打つなり 参議雅経 揚羽より速し吉野の女学生 藤田湘子 瞑ればよくものが見え吉野も秋 河原枇杷男 てふてふの水より浮び奥吉野 鷲谷七菜子
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kurokuroomame-blog · 8 years
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小坂ファンツアーレポ(19日1号車)
⚠自分用レポに加筆修正しているのでニュアンス7割なレポです。 ⚠ど緊張と現実味が無いままで終えたファンツアーのメモと記憶を頼りにレポしています。トークの順番はおぼろげ… ⚠あくまでも自分目線なので夢女子みたいな表現があるかもです。
今回の服装は前回とあまり変わらずLT TOKYOで購入されたHUMISのリバーシブルMA-1の黒。白ニット、黒スキニー、白の靴下(ケーブルニットみたいな感じの素材)、NIKEの黒スニーカーでした。 「前回はこれの赤を着ていたのでリバーシブルにして黒で。これ(ニット)、先週タレこぼしちゃったんですけど…ちゃんと洗いました!」 添乗員さん:また汚さないようにして下さいね 「少しくらい許して下さい」 添乗員さん:前回同様ボトムスの丈が足りてませんが… 「もう何着ても足りないので…しょうがない」 「今日のファッションは『白と黒の挟み討ち』がポイントです」
服装紹介の前?にファンの自己紹介コーナーがあり、何処から来たか、名前またはニックネーム、小坂くんの好きなところを言うと言う初っ端から公開処刑。 ファンが「おはようございます」や「よろしくお願いします」や好きなところを言うとちゃんと挨拶や返事をしてくれる優しさ。 芝居への姿勢、笑顔が好き!なんてほのぼのとした回答が多い中…「顔」「須賀くんを大好きなところ!」などど直球な回答もあり小坂くんも笑っていました。
ちなみに小坂くんの自己紹介は「埼玉県出身、小坂涼太郎です。好きなところはハイキューが好きなところです!!」(拍手)
「あ、昨日髪切って来ました!なんか切りたてってセットし辛いじゃないですか…」 「なんか、美容室行って隣見たら海里が居て!偶々なんですけど、え!?海里!?ってなりました。すごくないですか?偶然ですよ!」
添乗員さん:その後ごはんとか行かれましたか? 「行きませんでした。iPhone7にしたかったので…!でも結局時間が無くてiPhone7に変えられなかったので、海里とごはん行けば良かった…」
今使っている機種の話から小坂くんはiPhone6Plusと6を2台持ちしていると言う話に…
添乗員さん:どう言う基準で使い分けてるんですか? 「いや、使えるのはPlusの方で6は古い写真が入ってるから捨てられない…」
「すみません、今日僕花粉症かもしれません…!」 添乗員さん:花粉症は最近なったんですか? 「そうですね、一昨年?位から…」 添乗員さん:花粉症の方どの位いらっしゃいますか? (ファン手を挙げる) 「結構いますね…あ、今日箱ティッシュ1箱持って来たのでみんなで使いましょう 笑 言って下さいあげます。」 (普通に欲しい)
ぼそりとマイクにギリ乗る声で「首痛い…」 添乗員さん:昨日寝違えたりしましたか? 「はい…ジャスくんも首痛ぇ〜〜って言ってたので多分稽古のせいです」
「そう言えば、月島全然使わないんですけどジャンプサーブの練習してて!…でも、2日練習してないから鈍ってるかもだけど…」 「晃祐と頌利に『メッチャ上手いじゃん!』って言われたら動画とかあげたいです」
美容室の話の途中で急に「あ、富士山だ!」と言うので全員カーテンを開ける…「すごい綺麗✨」と嬉しそうに言ってから何事も無かったようにまた会話を始める小坂くん。
海ほたるに着いてバスから降りる時、悲しがるファンに「マザー牧場で会えるから✨」とイケメンオーラ全開で仰っておりました。
《BBQ》 会場に着いて座席を確認するとスタッフ席のど真ん前!!
添乗員さん:小坂さんも只今向かっておりますので少々お待ちくださいね (え?何処から向かってるの…笑とざわつく)
小坂くん入場
お茶を配ってくれる。めっちゃ目を見てくれるも緊張で直視出来ない…。
小坂くんの「いただきます!」の合図で食べ始める一同。
同卓の方々の肩越しにごはんを食べる小坂くんが見えていて、緊張し過ぎて紙エプロンの紐を千切ってしまったり、タレの器を手で叩いてしまって、「大丈夫!?」と同卓の方に心配され、「大丈夫です!こぼしてません!!」と答えるも(結構こぼしてた)その直後に箸を落としかける慌ただしさ。
小坂くんが各テーブルを回り始めて、私達のテーブル訪問。 小「美味しい?」 積極的な同卓の方々がお話をしてくれていました。 「お肉焼いて欲しいです!」 「鉄板開けときました!」 小「いいよ。どっち?(赤い肉と白い肉)」 「じゃあこっち(赤身)」
私の真横で焼いてくれました……。 背が高いのと近過ぎて肘から手しか見えていませんでした…。 ずっと顔面に肘鉄喰らいそうだった。(若干怖かった )
めちゃくちゃ鉄板にくっ付くお肉… 小「え、めっちゃくっ付く!」(白身を投下) 見兼ねた方が豚脂を渡すと、肉に豚脂を塗る小坂くん。 「「えっっ!」」 小「焼くから大丈夫…!」
「全員分足りないですよ」 小「全員分…!?…いいけど 笑」
お肉を一枚追加してひっくり返すタイミングをじーっと見極める小坂くん。 おもむろに「いらっしゃいませ〜〜」とか言って見たりする。 お肉を半分に切ろうとして脂身が切れず苦戦する。 「「あぁ〜〜〜 笑」」 小「もういいや、あげる」 お肉や野菜を1人ずつのお皿に配給してくれる。 小「足りない…」 「かぼちゃいけません??」 小「え〜〜、かぼちゃいける〜〜??」 トングでかぼちゃを押して火の通りを確認する。 小「まだだめだ」
諦めて最初に焼いたボロボロのお肉を申し訳なさげに私の目を覗き込みながら「食べる??」と聞いてくれて、凄い勢いで頷きました。
↑小坂くんがお肉を焼いてくれている間、顔面から拳1つ分位の距離に肘があって緊張してずっと小坂くんの腕を見ていました。ふと白ニットに「大きい毛玉がついてるな〜〜」って思ったらお米粒で笑いを堪えるのに必死だった。
ビビり過ぎて本人に言えず、別のテーブルに回って行かれた時に同卓の方に「お米が…」って言って近くの卓に来る度に「まだ(お米)付いてる??」「付いてます」「やばい」ってお米粒を見守っていました。
小坂くんの「ご馳走様でした」でBBQ終了。
私が伝えられず、同卓の方がお米粒の事を言って下さろうとした瞬間MA-1に袖を通す小坂くん…。 「「あ…っ!」」 小「??」 「お米粒付いてる…みたいです」 小「あぁ、付いてる?…取っとく」 颯爽と会場を去っていく。 「着ちゃいましたね…」「ですね…笑」
《キーホルダー作り》 休憩時間中トイレが混んでいたので少し遠いトイレに行くも、迷子になり集合時間に遅れてしまいました…。
慌てて会場に入ると… 「あ、遅刻!!だめだよ?単位あげないよ!!」 と小坂くんに怒られてしまいました。
そして、テーブルに回って来た時に「ねぇ、先生に反抗的じゃない?」とニヒルな笑みでいじられました。 (その表情がめちゃくちゃ月島くんだった…)
小坂くんの完成品の説明 「みなさんタイトルつけました?つけてね?」 「タイトルは『輝く未来』です。一輪の(大きな赤い)花に向かってちっちゃい花(白のかすみ草)が成長して行くっていう…」
完成したキーホルダー見せに来てくれた時、普通に会話して作品を見せずに行こうとして、再び戻って来た時は私の真横に来て「見せてなかったっけ?」と言いながら見せてくれました。隣の子に感想を聞いてるな〜〜と思っていたら「どう??」とキーホルダーを見せながらまた目を覗き込まれてビビる。「か、可愛いっす」「でしょ(満足気)」
その時に椅子の背もたれに手掛けられてて更にビビった。
「実はもう1つ作ってて…、健太くんが「俺にも作って来てよ!」って言うので作りました 笑」 見せてくれる。 「タイトルは『小坂涼太郎』で、下の草が俺の体を表現していて〜〜」
タイトルが衝撃的過ぎて説明を覚えていない……。
「多分Twitterに上がるからそれ見て下さい〜」 「健太くんには明日の稽古で渡します!みんな嫉妬しちゃうかな〜〜笑」 いそいそとMA-1の内ポケットにしまいながら笑っていました。 「前回は『捉われない概念』ってタイトルで健太くんと啓太さんのイメージで作ったんだけど、それの出来が良かったから頼まれたんだと思います!!」(自信満々に言う) 添乗員さん:須賀さんもマザー牧場行ってましたよね 「そうですね!でもキーホルダーじゃなかったから、唯一僕が上になれます。一緒にきてキーホルダー作り教えます!」
私物抽選会の私物は、 ・ジュブナイル&ツアーのビジュアルボード ・小学生の頃ずっと被っていたキャップ ・何故か昔から持っていたプーさんのぬいぐるみ ・小学生の時に買ってずっと学習机の上に飾ってあったミルキーの缶 ・初出演した作品のTシャツ(僕たちのプレイボール) ・夢の国出かけていたサングラス ・月島がガッツポーズしてるバボカ ・BDイベのキーホルダー×2 ・さっき作った『輝く未来』のキーホルダー
いちご狩りに行くまでのバスは抽選の結果1号車に乗る事に。 トークイベントはメモなしだったので記憶がおぼろげ…。 BDイベで言っていた目標は叶いましたか?という話で、 クレジットカードを作りたい→「まだ作ってません!というか今の所必要ないので…!」 免許を取りたい→「それもまだです!これ言っていいのかな…?最近海里が免許を取って、稽古場に車で来てるんですけど、たまに帰りに乗せてもらったりして…海里カッケ―なって思います!」 「免許取って車で旅行行ったりしたいです。交代で運転したりしたい。」 みたいなことを言ってました。
《ツーショット撮影》 同卓の方とのんびり出身地トークをしていたら自分達の番に…。 緊張しすぎて内臓が口から出そうでした…。 プレゼントは手渡し。緊張のあまり渡す時に「お願いします!!」と言い放ちました。素敵な笑顔でお礼を言われました。
ポーズは自由だったのですが、お任せすると肩を組んでくれたり…必然的にすごく距離が近いチェキになりました。 握手した手がカイロかな??って位暖かくて驚きました!! チェキは直接手渡ししてくれました。 顔がめちゃくちゃちっちゃい!9.5か10頭身はありそう…!! 意を決して顔を見ようとすると、思っていた所よりも顔が上にあるという意味のわからなさ。
そしてツーショ撮影直後、チェキが印刷されないというハプニングが・・・!? チェキのフィル��交換中に私が勇気を出して言った一言が「めっちゃ背高いですね」でした。もっと言うことあっただろうに…。
《質問コーナー》 海ほたるからマザー牧場の間に書いた質問を小坂くんが読み上げながら回答するコーナー 小坂くんの提案でいちご狩りに向かうバスの中で行いました。
「質問やっちゃいますか?」 添乗員さん:やっちゃいますか??ではどうぞ…(質問用紙を渡す)
Q1.健太くんの好きな所嫌いな所 「好きな所は…全部…!でも、絞るとしたら一緒に居て楽って言うか、素が出せるっていうか…スガ(笑)嫌いな所…ないな…。無いです。腹が立ったりとかも無い。あ、好きな所もう一つあります!写真撮ろ~よ!って言って来てくれるところ」 Q2.即興でラップしてください(テーマは自分で決める事に) 「マジか~!…俺は須賀健太さんの事がすき~でも俺は今からいちご狩りに行くから~健太くんは~~バイバ~イ~」 Q3.今までで一番思い出に残っているシーンは? 「何度か言ってるけど、再演で日向と初めて会って小馬鹿にするシーンで、『たかが部活なんだからさ』ってボールを後ろに投げるはずが自分のおでこにボール当たっちゃって…。ボール客席に落ちちゃって、テンパってわざと当てました!みたいな演技に変えたんですけど、皆メッチャ笑ってて、袖ハケてから海里に『終わった~…』って言った。(頭を垂れるポーズ)思い出ですね…」 Q4.ジュブナイルで座長として心掛けたこと 「心掛けたのは皆のムード。楽しく稽古が出来る様に、皆と仲良くなる様心掛けました」 Q5.ジュブナイルのカテコ挨拶の「それでは!!」は健太くんをお手本にしましたか? 「挨拶は真似したわけじゃないけど、(カテコ挨拶を)健太くんのしか見た事なかったから勝手に移ってた。あと、言いたい事全部詰めたら健太くんになった。健太くんが観に来てくれた日にご飯食べに行ったら『挨拶俺やん!!』って第一声に言われて(笑)…ので真似じゃないけど真似しちゃった。みたいな」 Q6.劇団ハイキューの誰かとコンビを組むなら?(ちなみに健太くんはリリイベで小坂くんを選んでいました) 「いや!健太くんでしょ!!健太くんだよ!!!健太くん…!」 添乗員さん:両想いですね。須賀さん意外なら? 「健太くん以外だったら…」 添乗員さん:漫才とか? 「漫才なら文ちゃん。楽屋で漫才してました(笑)」 Q7.将来の夢(目標)は何ですか? 「夢は俳優…。スタート地点に立ったばかりだけど、いずれはドラマとかでハイキューの人たちと共演したい」 Q8.舞台の本番前にはまだ『天地ガエシ』聴いてますか? 「本番前は天地ガエシ。でも稽古前は最近Fly Highにめっちゃハマってて、ずっと聴いてますね」 Q9.舞台の上から客席はみえてますか? 「見える!結構ちゃんと見えますよ。泣いてる人とか全然見えます。あの人泣いてるな~とか寝てる人とか。いや居ないけどね!芝居中は芝居に集中してるからあんま見ないけど、挨拶の時は客席も明るいからめっちゃ見てます!手振る時とか(手を振りながら)」 Q10.最近のマイブーム、稽古場で流行っている事は? 「マイブームはモンストとか、YouTubeでヒカキンさんとかマインクラフトとか見てます。マインクラフト好きです。あとFuluでプリズンブレイクは全部見ました。ブレイキングバッド(?)ってのをウォーリーさんにおすすめしてもらって見てます」 「稽古場で流行って居る事はまだないんで、塩さんとゲームボーイやろうぜって言って流行らせようとしてます」 添乗員さん:アドバンスですか(笑) 「ポケモンでもやろうかなって」 添乗員さん:なんだっけ、サンムーンですか? 「いやルビーサファイヤとか。サンムーンは皆もうやってます」 Q11.稽古場での事件とか面白いエピソードは? 「この間健太くんの差し入れでブタ麺があったんですけど…。あ、コレ一昨日位の話だ。ブタ麺にお湯入れようとしたらポットのお湯がかかって!すげー熱かった!!すぐに冷やしたから大丈夫でした。」 人差し指を出してたのでたぶん指にかかったんだと思います。 Q12.ポケモンにハイキューキャストの名前を付けるとしたら? 健太くんはゼニガメ 啓太さんは…ゴローニャかな? 達成くんは~ブラッキー? 康平さんは…ごめんなさい。イシツブテ…(笑) 海里はフシギダネ 健ちゃんはアルセウス ジャスくんは…外人のポケモントレーナー。タケシと外人のハーフみたいな。 広樹くんはファイヤー。三大ポケモン! 縁下…あ、違う(笑)え~と、一馬くんはトサキント 祥平君はディグダかな Q13.役作りはどうやる? 「原作があるものだったら原作読み込んで…、絶対にこうしようってのは決めて無くて、本番になたら結構変わるので。芝居は一人が変われば皆変わって来るので。自然に連鎖が起こるんだと思います。」 Q14.今年の目標をアイウエオ作文で 添乗員さん:小坂の「コ」! 「これからは」 添乗員さん:小坂の「サ」! 「讃岐うどんを」 添乗員さん:小坂の「カ」! 「必ず食べます…毎日!」 添乗員さん:讃岐うどん、毎日ですか(笑)うどん派ですか?蕎麦派ですか? 「蕎麦かな…」 添乗員さん:蕎麦なの!?(笑) Q15.尊敬している人は? 「健太くん…。ずっと健太くん健太くん言いすぎて恥ずいんだよな。でも健太くん。普通に尊敬してます。健太くん以外なら唐沢寿明さん。小さい頃からいいなと思ってて、芝居すごいのに、バラエティーだと面白いっていう。それですきになりました。バラエティ出たいです。」 Q16.人生で一番高い買い物は? 「う~ん、これかなぁ。(リバーシブルのジャケット)元は6万位なんですけど、それが安くなって2万…?あんまり高いものとか買わなくて、服とかも安いやつ。一年前のとかでも普通に着たりします。これが欲しいってのがあったら貯めて買います。」 Q17.自分を動物に例えると?(質問者さんはミーアキャットと思います) 「なんだろう…ナマケモノかな…?」 添乗員さん:柴犬とかレッサーパンダとかたれ目の動物かなと思います。ミーアキャットも納得です(笑) 「じゃあ、今度からはそれで行きます(笑)」 Q18.学生時代一番印象に残っている事は? 「高校の体育祭で髪染めるのOKなんですけど、ずっと芸能活動していたので副団長だったので体育祭の前後3日間だけ金髪にしました。あるじゃないですか、髪染めてみたい時期って(笑)でもすぐに黒く戻しました。」 「応援団の副団長でした」 Q19.お寿司屋さんで何を食べますか? 「サーモン(即答)」 添乗員さん:好きな物は先に食べる派ですか?最後に残す派ですか? 「サーモンだけずっと食べる。」 Q20.モンストどれくらいやり込んでますか? 「結構課金とかもしてて…、あ!一番お金使ってるのそれかもしれない(笑)」 添乗員さん:ゲームで課金しますか? (ファン頷く) 「するよね!!」 添乗員さん:あ、いちご狩りの会場に着きましたね。 「そうですね、あ、いちご採って欲しかったら挙手してね!採りに…狩りに行くから!!」
《いちご狩り》 前回とは違ういちご農家だったそうです。農家さんの説明と小坂くんの品種説明を聞いて、いちご狩りスタート。 小坂くんが練乳の器を手渡ししてくれるので本人の前で(練乳)あり・なしを申告する制度でした。
いちごの畝をひょいひょい越えていちごをデリバリーする小坂。 デリバリーに夢中で全く食べていない。(でもちゃんと自分の器に大きいいちごを確保していた。)
私達もデリバリーして貰おうと着いて行くも、ひょいひょい越えて行ってしまうので全く追いつかない…。
すると、ハウスの端で「い、い、いちご🍓」(本人Twitter用)の写真撮影を始める。 ファン全員が静かに注目…。 2枚程撮り終えると… 「いや!めっちゃ見るやん!!!笑」 いや、見るでしょうよ…。何のためにこのツアー参加してると思います? 笑 他のファンの方が「いちご食べないんですか?」と聞くと「食べるよぉ?」と言って目の前で大きいイチゴを食べていました。
やっとの思いで、いちご欲しいです!って挙手したら「待ってて」って3レーン位遠くまで行っていいヤツ探してくれた。ヘタ長いしオマケの小さい白いいちごが付いてて、一緒に取れちゃった…(=ω=;)みたいな顔してた。
いちご狩り終了。 再びバスに乗り海ほたるまで向かいます。
《質問コーナー②》 Q21.笑いのセンスとファッションセンスどちらかを極められるとしたらどっち? 「笑いのセンス。みんなの笑顔見たいし!……フゥ〜〜〜↑↑↑」 (突然すぎてファンがビビる)
Q22.健太くんの好きな所を3つ 「ひとつめは……あのー、先輩として尊敬しているんですけど……すっっげぇ可愛い…所(照)ふたつめは芝居に手を抜かない所。みっつめは「写真撮ろ〜よ!」(Q.1参照)って言ってくれる所 笑」
Q23.最近された無茶振りは? 「さっきのラップ(Q.2)です!!」
Q24.お気に入りの曲は? 「関ジャニ∞の『NOROSHI』テンション上がります!」
Q25.好きなブランドは? 「好きなブランド・・・。あんまりブランドにこだわりがないからなぁ・・・。」 添乗員さん:この間Instagramにステッカー載せてましたよね 「Supremeは手が届かないので憧れのブランドです。あとヴィヴィアンとか・・・高いので憧れです。なので(好きなブランドは)特になし。」
Q26.日常生活の中で幸せだなぁと思う事は? 「すっっごい稽古頑張った後お風呂入って布団の中に居る時。翌日オフが幸せ。」 Q27.今日の朝ご飯は? 「なんだっけ!?(マイクオフだったけれどとても大きな声で)あ!アメリカンドッグ!!・・・あ、あと味噌汁!」 Q28.緊張しない様にするには? 「相手の目を見て話す。背中を叩いてもらう。ハイキューの時は良く叩いてもらってた。あと!掌に「人」って10回書いて飲む!これは小学生の時ピアノの(発表会の)前にやってました。」 Q29.兄弟は? 「一人っ子です!三歳から芸能活動してたんですけど、今の事務所は小3からずっと。天テレに出たくて入りました(笑)」 添乗員さん:スタイルが良いのは誰譲りですか? 「母が162cmなんですけど、母方のお父さんや弟さんが185cm位あるのでそこからですかね?」 Q30.好きなスープの味は? 「コーンポタージュ」 添乗員さん:クルトン入れますか? 「(クルトンより)粒々コーン派」 Q31.カラオケで良く歌う曲は? AAAの「さよならの前に」ワンフレーズ歌ってくれました。相変わらず良いお声・・・。 Q32.理想のデートプランは? 「午後5時に待ち合わせして、映画を観て、相手の好きな物を事前に聞いておいてメッチャお洒落な夜景の綺麗なレストランとか予約しておく。あと、観覧車乗りたい。で付き合いたい。(照)あとディズニーも行ってみたい。」 添乗員さん:付き合う前のデートですか?それとも付き合ったあと? 「どっちも!」 添乗員さん:付き合う前はきつくないですか?待ち時間とか・・・。 「いや、俺は誰とでも仲良くなれるので!(サラッと普通に言ってた)午後一時位から行って、待ち時間はトークで何とかします!」 Q33.20歳なりたてと現在でお酒の好みは変わりましたか? 「変わったかも・・・いや、変わってねーな!相変わらずカシオレとマリブコークがお気に入り。ビールは飲みたくなかった。(前回また飲んでみたけれど)なので好みは変わらず、飲める物が増えました。」 Q34.ディズニー両パークで好きなアトラクションと苦手なアトラクションは? 「好きなのはランドだとスペースマウンテン。シーだとセンターオブジアース。苦手な物は無いですね。でも富士Qは無理。行ったら帰ってこれないよ俺・・・。お化け屋敷とか無理。文化祭レベルの出し物のやつに一回入った事があるだけ」 Q35.今日の下着の色は? 「見るわ・・・笑(暫く間が空いて)・・・赤です。」 Q36.ハイキューで好きなシーンと好きなセリフは 「いっぱいあるけど、月島がウシワカのスパイクとめたときは泣いた。あとは、東峰と菅原と西谷の関係がもとに戻る町内会戦はまじ感動する・・・!好きなセリフは、西谷の『背中は俺が護ってやるぜ』めっっちゃかっこいい。憧れですね。西谷大好きです。」 Q37.バレンタインツアーで得意なラップをお願いします。 「また・・・笑 行きます。YO!チェキ!今日始まったバレンタインツアー いや、一週間前もやんてんだ!来て下さる皆さんに感謝ありがとう 大好きぃ」 Q38.地方公演で食べた物は? 「大阪では串カツ。仙台では冷麺とずんだシェイク。福岡ではラーメン食べました。とんこつラーメン。」 Q39.おすすめのごはん屋さんを教えてください。 「渋谷のローストビーフ丼のお店。文ちゃんと行きました。」 添乗員さん:牡蠣もお好きですよね 「はい、健太くんと啓太さんと初めて行って生牡蠣を食べたんですけど、それから忘れられなくて。牡蠣を食べる時は絶対健太くんとって決めてます。」 添乗員さん:決まってるんですか 笑 「決まってます」 添乗員さん:お肉よりも魚介派ですか? 「お肉も好きです。焼肉とかステーキとか・・・。」 添乗員さん:じゃあ、お肉・サーモン・牡蠣ならどれが一番? 「う~~ん、みんな好きだけど・・・。牡蠣=サーモン<<<<<お肉ですかね・・・。でもずっと食べ続けるならサーモン。」 「歌とかもそうなんですけど食べ物も、なんでも好き。苦手な物はゴーヤ。」 添乗員さん:どこで食べて苦手になったんですか? 「家でかな?小学生の頃にお母さんがゴーヤチャンプルー作ってくれて、そこから忘れられない。(ある意味)」 質問シートの内容が終わったので添乗員さんが色々と聞きだしてくれました。 Q40.BRAVE10出演決定おめでとうございます。情報解禁しましたね。 「ありがとうございます」 添乗員さん:稽古は…夏位からですか? 「そうですね、今Amazonで漫画買って、1幕が8巻までなので…。今から読みます。」
Q41.これからやって見たいことは? 「ミュージカルやって見たいです」 添乗員さん:ジュブナイルでも歌ってましたよね。聴きたいな~・・・。 ワンフレーズ歌って下さいました。 「声裏返っちゃってすみません。(『いつか見てろって、涙ぐんで~♪』のとことで)いつも裏返っちゃうんだよな~」 添乗員さん:ジュブナイルの時のギターは自前だったそうで…。 「(ギターは)むっかし、ちょっっっとだけやってました。」(言い方こんなでした) 「ホントにちょっとだけだったので、ほとんど弾けない状態からのスタートでした」 (急に思い出した様に後ろを振り返りながら) 「誰にも言ってないと思うんだけど!ゲネの時にOPで曲に合わせてギター弾きながら出てくる所で途中で後ろの音源が切れちゃって、俺のソロギター(生音)だけになっちゃって…!『弾けて良かった~~!!』って思いました!もうちょっとでゴールデンボンバー(エアギター)になる所だった(笑)」 Q42.これから伸ばしていきたいのはギター?ピアノ? 「ピアノは伸ばしていきたい」 Q43.好きな女優さんはいますか? 「稽古入ったから最近ドラマ見てないからなぁ…。共演したいのは広瀬すずさん。同世代なのもあるけれど、学校のカイダン見てて。」 (健太くん…!(笑)とざわつくファン) 「いや!ハイキューで共演する前だったから!」 Q44.やってみたい役は? 「狂気的な役。サイコパスとか…。警察官とか学園ものもやってみたいです。」 Q45.口癖はありますか? 「たぶmm『やっぱり』とか言っちゃう。あと、最近分かったのが『君さぁ~』月島のが移ったっぽい」 Q46.初恋は? 「覚えてます(笑)小5の時。頭が良くて身長は小さめ?髪型はボブだったかな?」 添乗員さん:告白はしましたか? 「しました。でもむこうが好きじゃないのは分かっていたのだけれど、卒業したら会えなくなると思って…。」 添乗員さん:叶いましたか? 「破れました…。」 Q47.ハイキューで他のキャラをやるとしたら誰をやる? 「スガさんとノヤッさん」 「一人ハイキュー出来ます(笑)」 影山の「心底怖えよ…!」と、テレッテッテッテ♪「なんだあいつぅ!?」をやってくれました。 「休憩中にM流して一人でやってました(笑)『お前一人で本番出来んじゃん!!』って言われました。たぶん今も音あればできると思います(笑)」 自分のiPhoneで音源を探して実演してくれました。 初演再演の日向影山中学時代の対戦シーンをやってくれました。田中さんの「ちっこいのにギュンギュン~」の辺りであやふやになってしまい、音駒戦や勝者と敗者の情報が入っているので途中で分からなくなっちゃった(笑)と言ってました。 Q48.今まで演じた作品で好きなセリフは? 「ターーーートルッ!!」「いいじゃん王様(笑)」が楽しかった。 このセリフの時だけ月島の顔になるのがヤバかった。 言うのが大変だったセリフとしてホイッスルの不破大地の自殺分析の長台詞を舞台と同じ速さで全部言ってくれました。あっけに取られるくらいに長くて速かった…!! 台詞は見て覚えるより、聞いて音や周りの演技と合わせて覚えるそうです。 だから1人ハイキュー出来るのかな〜〜笑 Q49.バラエティーに出たいと言っていましたが例えば? 「イッテQとかしゃべくり7とか。出たいですね」 「でもイッテQは固定のメンバーだからなぁ~。可能性あるとしたらしゃべくりですかね?(笑)」 添乗員さん:出川イングリッシュとか面白くて好きです。見ました?『ガーガーバード』(笑) 「?その回は見てないです…。でも面白いですよね!」 Q50.3歳から芸能活動をしていたそうですがどんなことをしていましたか? 「キッズモデルですね、広告とかCMとかじゃっし(雑誌を噛んだ)とか。お芝居をしたいと思ったのは中一で映画に出演させて頂いて、秋元龍太郎くんの主演映画。(僕たちのプレイボール)それからお芝居もちゃんとやってみたいと思うようになりました。」
Q51.漫画家になりたかったというお話ですが理由は? 「絵を描くのが好きで、小さい頃から模写とかやってました。漫画も大好きで、高校の頃の友達に漫画が目指してるヤツがいて。そのころ丁度バクマン。を見てて、一緒にやろうぜ!みたいに二人で漫画描いてました(笑)」 「好きな漫画家さんは岸本先生です。『NARUTO』好きです。」 「あ、模写の絵入ってるかな?(iPhoneの中に)」 iPhone弄るも起動が遅いらしく「あ~!早く7にしたい!!」と言っていました。 「…(見つけても)見えないか!」 添乗員さん:あの~、後でお配りするんですけれど、バレンタインのチロルチョコの中に小坂さんの描いた絵が入っていますので後で見ていただけたらと思います。 「『牛に乗った小坂』ですね(笑)」 添乗員さん:チロルチョコはツアービジュアルの「あざといヤツ」と「金パのヤツ」ですね(笑) 「中々金髪にすることもないと思ったので記念に残しました(笑)」 ファンの方からも質問が出なくなった所で、質問コーナーは終了。 「それでは休憩で…!」という事で小坂君も窓際の席にちゃんと座ってたぶん寝てた…かな? 《海ほたる》 海ほたるに着くと小坂くんとはお別れでした・・・。 添乗員さん:どうしますか?(チョコ)今渡しちゃいますか?? 「う~ん…、東京駅で渡しましょうか…!」 という事で東京駅で再び小坂くんに会えることになりました。(ありがとう!!) 小坂くんが2号車に乗ると1号車が出発する時に窓越しに手を振ってくれていました。 小坂くんが居なくなったバス内ではBDイベの一部の映像を見ていました。 何故かBDイベのツーショ撮影の映像を見るというシュールな空間になりました。(頭ポンポン率が高かったです(笑)) 《東京駅》 帰りの東京駅でチョコを渡すために2号車から1号車に小坂くんが戻って来る時に、歩道側の前列ほぼカーテン閉まっていて私達の窓だけカーテンが開いているのに気付いて、立ち止まってニコッ😊って笑いながらメッチャ手を振ってくれた。可愛過ぎました。 チョコを1人ずつに「ありがとう」と言いながら目を見て手渡ししてくれていました。 「今日はありがとう。バイバイ、またね」と言いながらバスを降りて手を振ってくれました。 降りた所で添乗員さんに今日のお礼を言っていたのか添乗員さんとお互いにペコペコと頭を下げていたのが可愛かったです。 横断歩道を渡る間もずっと手を上に上げて手を振ってくれていました。人通りの多い横断歩道だし大きいからとても目立つのにずっと手を振ってくれていました。 そして、普通に歩いて帰っていくという・・・(笑) 《感想》 小坂くんは気付くと割と近い所に居たり、タメ口で普通に話しかけて来てくれるという自然体さ。それなのに溢れだす育ちの良さ。 緊張しない方法が人の目を見て話す事。って何!?って思うけれど本当にずっと目を見て話をしてくれる。その目が純粋過ぎて途中で何回か顔を隠して話したくなるほど・・・。 きっと「人と話すときはちゃんと人の目を見て話しなさい。」「いただきます。ごちそうさま。ありがとう。ごめんなさいはきちんと言いなさい」って言われて育ったんだろうなぁと思いました。 最初から最後まで自然体な感じで、不思議ちゃん。でも育ちの良さが溢れだしていて…。ホントに不思議であたたかなオーラを持っていました。 イベ後一緒に参加した友達とご飯を食べながら「小坂くんは妖精さんか何かかな・・・?」「神は多くを与え過ぎじゃない??神に愛され過ぎ〜〜」と話していました。 花粉のせいかな?なんとなく気だるげでちょっと色っぽかった印象。 いつもイベント終了後に訪れる「この後なにを目標に生きればいいの…?」という独特の虚無感ではなく、「嗚呼、明日も頑張って生きよう」と思える活力を貰えるイベントでした。(※なおこの効果は1週間たった今でも継続中です。たぶん個人差はあります。) 本当に生きててよかった。ハイキュー好きでよかった。小坂くんに出会えてよかった。 とても幸せな1日でした。 チェキを見ながらニヤニヤしてます。自分の顔が写ってるのがいやで牛の絵文字で隠した写真を眺めています🐮
あと、MA-1をリバーシブルにした時に赤の方にお米粒ついてたらどうしよう…。話ちゃんと聞こえてなかった感あったけど、お米粒ちゃんと取ったよね? 1週間経ってやっとレポを書き終えたのですが、うろ覚えと思いだしてニヤニヤしたりしながら書き起こしたので文章ハチャメチャですが許して下さい。 Twitterに感想を上げてここに書いたつもりになってるネタもあると思うので思い出したらまた追加しておきます。 それでは、ファンツアーに参加した皆様、ここまで約13000文字の長文レポを読んでくださった方ありがとうございました!!
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honyade · 8 years
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「アーティストの未来」 宮島達男トークイベント(聞き手:東晋平)『芸術論』(アートダイバー)刊行記念
2017年3月、現代美術家・宮島達男さんの新刊書籍『芸術論』が上梓されます。 この本には、宮島さんがこの10年間、教育の現場に携わりながら各紙に寄稿してきた文章や、若い世代のために発信してきた言葉からの選り抜きが収められています。そして、世界に衝撃を与えたデビューから30年の節目を刻む意義も込め、宮島芸術の根幹となる「哲学」について、踏み込んだ解説を施した2編の文章を、新たに書き下ろしとして加えました。
2千数百年間にわたってアジア、そして日本の精神性の底流に息づき、幾多の豊饒な文化を育んできた大乗仏教の精髄の生命観。若き日の宮島さんが、それをいかにして世界に通じる概念として〝翻訳〟し、その自身の打ち立てたコンセプトに促されながら「創作」と「社会との関わり」を重ねてきたかが、赤裸々に綴られた書籍となっています。
今回のイベントでは、宮島達男さんの指名で本書の編集を行った東晋平さんを聞き手に迎え、あらためて「宮島哲学」の深淵や、芸術やアーティストと社会の新しい関係、さらにシドニー個展の反響や3月3日から始まる東京での個展などのお話を、宮島さんに語っていただこうと考えています。
また、この日は東日本大震災から7年目に入る大切な日でもあり、六本木ヒルズにある宮島さんのパブリック・アート「カウンター・ボイド」も、同日から3日間限定で再点灯されます。本年から宮城県の牡鹿半島を舞台にスタートする宮島さんの新しい東北プロジェクトなどについても、さまざまお話しいただく機会となるでしょう。
終了後、宮島さんのサイン会も開催いたします。
宮島達男 みやじまたつお 現代美術家 1986年東京藝術大学大学院修了。1988年ヴェネツィア・ビエンナーレ、新人部門に招待され、デジタル数字を用いた作品で国際的に注目を集める。以来、国内外で数多くの展覧会を開催。世界30カ国250カ所以上で作品を発表。最近の主な個展としては、「生と死─ 命の光」展(霧島アートの森、2015年)、「コネクト・ウィズ・エブリシング」(シドニー現代美術館、2016年)がある。1993年ジュネーブ大学コンペティション優勝。1998年第5回日本現代芸術振興賞受賞。1998年ロンドン芸術大学名誉博士授与。2006 -2016年東北芸術工科大学副学長。2012 -2016年京都造形芸術大学副学長。代表作に「メガ・デス」など。また、長崎で被爆した柿の木2世を世界の子どもたちに育ててもらう活動、「時の蘇生・柿の木プロジェクト」も推進している。
東晋平 ひがししんぺい 文筆家・編集者 フリージャーナリストとして30年にわたり、国内外の約1000人をインタビューしてきた。1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件に際し、山下彩花ちゃんの遺族の手記を企画構成。深い死生観に根ざした〝絶望を希望に転じる〟言論として、計30万部のベストセラーとなり、司法や報道のあり方にも変化をもたらした。2013年には宮島達男の対談集『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)を編集。主な仕事に『彩花がおしえてくれた幸福』(共著)、『陸前高田から世界を変えていく』(編集)、『オーランド・セペダ自伝』(編訳)など。
概要 日程:2017年3月11日 (土) 時間:18:00~19:30 開場 17:30 料金:1,080円(税込) 定員:110名様 会場:本店 大教室
お問合せ先 青山ブックセンター 本店 03-5485-5511 (10:00~22:00)
チケットのご予約はこちら
書籍情報 『芸術論』 現代美術家・宮島達男がこの10年間に書きためた珠玉の言葉の数々を1冊の本に収録。書籍初収録となる貴重なドローイングも多数掲載し、宮島哲学の根幹にある思想や行動理念を平易な言葉で紹介する。 アート��イバー
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com http://ift.tt/2lRFh53
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darkrebelwinner · 2 years
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資金調達に一部「クラウドファンディング」を計画しております! 具体的内容については、後程詳しい詳細をアップしていきます。
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