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#社交界デビュー
koch-snowflake-blog · 8 months
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村島 未悠は、日本のグラビアアイドル、女優、元アイドル、歌手、YouTuber。大阪府出身。ジェイロックを経て、2023年現在はホリプロデジタルエンターテインメント所属。 ダンスボーカルグループ「CHERRSEE」の元メンバーで、当時の名義はMIYU。 ウィキペディア
出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1998年8月27日 (年齢 25歳)
身長: 157 cm
カップサイズ: F
スリーサイズ: 86 - 58 - 84 cm
デビュー: 2016年
別名義: MIYU
趣味・特技はけん玉、マラソン、バスケットボール観戦、ダンス。好きな色はピンク、白、黒。
ダンスについては、授業の際に指されるだけでも赤面するほどの人見知り(引っ込み思案)だったことを見かねた母により、10歳(小学4年生)から習わされた。「イケイケにさせたい」と半ば強引に金髪にさせられたこともあったが、そのおかげで仕事を始められた。グラビアについても、「やったらええやん」と背中を押してくれたことが志願のきっかけであり、自分とは正反対の陽キャラな母には感謝しているという。
昔から陰キャであり、人付き合いが得意ではなく友達が少なかったことも、ダンスを始めるきっかけになった。高校はもとよりCHERRSEEも恋愛禁止ではなかったが、そういう理由からも恋愛経験は少なく、個人活動中に帰省から偶然の再会を経て唯一良い感じになった同郷の友人との交際も遠距離ゆえの寂しさが災いし、2か月ぐらいで会わなくなった。自分の中では「交際=結婚」と思っているうえ、ナンパに勤しむ遊び人よりはちょっとオタクっぽい人の方が好みであるため、慎重になってしまうという。
足のサイズは本人曰く「20.5cmくらい」。普段はほとんどスニーカーしか履かない(本人曰く「スニーカーは大きめでもいい」)ため、撮影時に用意してもらった靴も合わないことが多いほか、水着のサイズも着てみな��とわからないため、衣装合わせに時間がかかってしまうという。
「むらみゆ」は高校当時のあだ名でもあり、本名への改名は「アイドル時代よりももっとファンの皆さんと近くなりたい」との理由による。それゆえ、『むらみゆ』についても「よりファンとの距離を縮めるような温かい1冊になったらいいな」と思っているという。
バックダンサー当時からアーティストに憧れており、CHERRSEEにはそれが高じて(J-POPとK-POPのジャンルを合わせたCHERRSEEのオーディションの広告を見つけて)オーディションを受け、所属した。CHERRSEE所属当時はアイドル活動はもとより生活的にも厳しく、焼肉屋にて3年間ほどアルバイトを経験した。一方、「グループが注目されるきっかけになれば」とグラビア活動を始め、頑張っていたものの実はそれまでプライベートで競泳水着しか着たことがなく、母の水着を借りて宣材写真を撮ったこともあったほか、グラビアの撮影に際しては上の水着を逆さまに着て1時間ぐらい気づかず、撮り直しになったこともある。それゆえにグラビアにはあまり自信がなく、撮影自体は楽しかったが慣れない部分があり、胸が大きいのもコンプレックスだったことから、ダンスの際にはインターネットにて購入したサラシっぽいスポーツブラを巻いたりしていた。グラビアを休んでいる間には何より「またグラビアに出て欲しい」との声を多くもらい、それに応えようと復帰した後には自分が輝ける場として前向きに捉えられるようになったという。
2022年現在では芝居にも意欲を見せてオーディションを受けるようになっており、バラエティ番組『あの界隈を恋愛ドラマにしたら…不覚にもキュンときた』(同年10月22日、中京テレビ)内のショートドラマで主人公を演じたことが、「演技に挑戦したい」から「もっと演技できるようになりたい」に意識が変わるきっかけとなり、学ばせてもらったという。
モデル・女優の花山瑞貴は、ホリプロデジタルエンターテインメントでの先輩にして中学時代やEXPG時代からの親友である。また、元NMB48の木下春奈は高校時代3年間通して同じクラスだった。
YouTubeについては、「むらみゆ」の開設時点では企画から撮影、編集をすべて自分で担当していたが、2023年10月時点ではホリプロデジタルエンターテインメントの社員などにも手伝ってもらえており、グラビアのオフショット動画のおかげで登録者数が10万人まで伸びたという。  
  
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kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家���ろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わ��ないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディア��大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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mlyzvt-no2157 · 1 year
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根��可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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0613magazine · 10 months
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062423 Vogue Japan
「生きていくうえで、心が自由であることが最も重要」──BTSのSUGA、本誌撮り下ろし&独占インタビュー全文公開
BTSのメンバーとして世界を魅了してきたSUGA(シュガ)は、Agust D名義のソロ活動で初のワールドツアーを行うなど、新しい歴史を切り開き続ける唯一無二のアーティストだ。多彩な才能を秘めた彼を迎え、『VOGUE JAPAN』史上初となる男性が単独で表紙を飾る特別な撮影が実現した。彼の人間性に迫るインタビューや直筆メッセージとともに、“INNER SPACE”をテーマにSUGAのさまざまな表情を撮り下ろす。
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世界的トップアーティストとして、その一挙手一投足が多くの注目を集める韓国発の7人組グループ、BTS。RM、SUGA、JIN、J -HOPE、JIMIN、V、JUNG KOOKの7人で2013年にデビューした彼ら。グローバルな活動基盤を固めていく中で、2020年にリリースした初の全編英語詞曲「Dynamite」が世界的な大ヒットを記録。あらゆる国の老若男女を夢中にした。
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BTSのメンバーであり、数多くの楽曲の作詞・作曲やプロデュースを手がけているSUGA。ソロアーティストのAgust D──逆さから読むと、韓国東南部にある彼の出身地、大邱広域市(Daegu town)のSUGAという彼のアイデンティを込めた名でも活躍している。過去の自己実現に関する苦悩や、社会に対する考え、成功者としての葛藤をさまざまな楽曲に込め若者の道標となってきた。
今年4月、ソロアルバム『D-DAY』をリリースしたところ、発売初日でミリオンを達成。全世界67の国と地域のiTunes「トップアルバム」チャートで1位を記録し、さらにタイトル曲「Haegeum」は86の国と地域のiTunes「トップソング」チャートで1位になるなど、ソロアーティストとしても絶大な人気を見せつけた。
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革命的なアルバムを引っ提げた初のソロワールドツアー「SUGA | Agust D TOUR 'D-DAY'」の日本公演(6月2〜4日)のために来日したSUGAは、撮影スタジオに颯爽と登場すると、丁重に会釈をした。撮影では、アンバサダーを務めるヴァレンティノの2023-24年秋冬コレクションのルックの数々を纏っている。ブラックタイというドレスコードの慣例を打ち破り再解釈したルックは、現状を打破し、もがきながらも前進し続けてきたSUGAのアティテュードと共鳴する。 凛とした佇まいでカメラの前に立ち、クール、セクシー、イノセント、ビューティー……多彩で魅力的な表情が次々とモニターに映し出され、そのナチュラルでしなやかな反射神経の良さに圧倒される。多忙なスケジュールの真っ只中にもかかわらず、時折リラックスした表情でBGMのビートに合わせ、自然と体を揺らす。やはり、SUGAの体には脈々と音楽が流れているのだ。
日本公演の前に、初のソロワールドツアー、ソロアルバム『D-DAY』、キャリア、パーソナルなことなど、さまざまな質問に答えてくれた。
3部作の集大成となる最新アルバム『D-DAY』
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──『D-DAY』には、どのような意味が込められていますか?
Agust Dのトリロジー(2016年のミックステープの『Agust D』、2020年の『D-2』)を締めくくり、「ミン・ユンギ(SUGAの本名)」チャプター2に進むのに十分なアルバムだと思います。
──タイトル曲の「Haegeum」は、“解放”がテーマだと伺いました。SUGAさんにとっての心の解放は、人生においてどんなことを指すのでしょうか?
(これまで生きてきて)多くのことを経験し、見て、聞いてきたと思います。心のリラックスと同じくらい重要なことがあるかと思うほど、心が自由で不快感のないことこそ生きていくのに最も重要だと思います。今回のアルバムの作業をしながら特にそんな思いがしました。
──前回の『D-2』ではRMさんと、今回はJ-HOPEさんとフィーチャリングをしていますね。その経緯やビハインドエピソードを教えてください。
今回のアルバムにもラッパーのフィーチャリングが必要な状況で、最も信頼してお願いすることができるラッパーが誰かを探し、10年以上ともに音楽作業をしてきたJ-HOPEさんに任せることになりました。
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──坂本龍一さんともコラボレーションし、来日時に対面していますが、特に印象的な会話や言葉はありましたか?
長い間音楽活動をしてきた大先輩でもあり、僕がとても好きだったミュージシャンなので、お会いできたことだけでも光栄でした。僕より先に道を進まれた方としてのアドバイスもたくさんいただきましたし、そのとき(坂本龍一さんと)交わした会話が、今回のアルバムを仕上げるのに大きな助けとなりました。
──『D-DAY』はドリルにチャレンジされていましたが、今後チャレンジしたいサウンドアプローチはありますか?
大衆音楽に携わる者として、最もトレンディな音楽、サウンドを探して挑戦しなければならないと思っています。
──ソウルでの『D-DAY』の制作作業に行き詰まって、ひとりで山籠もりをしたそうですが、その経験はメンタル面にどのような作用をもたらしましたか?
ソウルにいるとすることが多く、楽曲制作をして行き詰まったらほかのことをしてしまったりなど、弱さが出てしまう気がします。ほかの場所に行くと音楽作業以外にできることが多くないので、改めて「音楽を作るのは面白いな」と感じました。
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──『D-DAY』の制作を追ったドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、スティーヴ・アオキやホールジー、アンダーソン・パークといったミュージシャンのもとを訪れる姿が収められていましたが、それらの経験からどのような学びがありましたか?
音楽に携わる人々と音楽の話をするのは面白いです。何かを悟り学ぶよりも、心地よく話しながら楽しい時間を過ごせます。
──同ドキュメンタリー映画の中で今回のアルバムの曲「Snooze」を入院中に作ったと話していました。食事も摂れないようなつらい状態下でも、人を励まそうと楽曲制作を続けるのは、どんな思いからでしょうか?
もちろん、つらいときは休むことも大切です。ただそのときは、いずれ時間が経てば回復するだろうから休んでいるのはもったいないと考えて、やるべきことをやっただけです。ほかの方も、僕と似たような状況であればそうするだろうと思います。
──BTSのアンソロジーアルバム『Proof』のFAQで、一番大切にしている感情にコンプレックス(劣等感のようなネガティブな感情から力が生まれるから)を挙げていましたが、Agust Dとしての区切りになる今作が完成した今、感情に変化はありましたか?
Agust Dトリロジーを通じて、一層成長できたと感じています。ソロアルバム『D-DAY』を通じてコンプレックスやトラウマは克服したと思います。今は初公演も無事に終えてリラックスしており、大きな心配もなく、ツアーを楽しんでいます。
待望の初ソロワールドツアー、楽曲に込めたメッセージ
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──ソロツアーで一番こだわったことは?
一人ですべてのセットリストを消化しなければならないツアーなので、体力が重要だと思い、公演準備期間に運動をメインに頑張りました。もちろんライブの練習もたくさんしました。
──アルバムやツアーに関して、メンバーからどのようなメッセージがあったのでしょうか。
メンバーたちはみんなツアー公演が容易ではないことを知っているので、健康には気を付けてほしい、と話してくれました。
──今まではワールドツアー時に楽曲制作をしていましたが、今回も作業はしていますか?  また、新たにできた曲はありますか?
曲作りは常に行っているので、特に時期を決めて作ることはありません。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では「伝えたいメッセージがない」と、スランプに陥った様子も映し出されていました。ツアーで各国を回る中で、新しいメッセージは浮かんできましたか?
制作作業をするときは、「どんな話をするか」「どんなメッセージを入れるか」をいつも悩んでいます。それから伝えたい話ができてきたら、すぐに作業を始めます。ソロアルバム『D-DAY』を制作する過程でも伝えたい言葉ができ、作業を進めました。これからまた、(伝えたい言葉は)出てくるのだと思います。
──日本の公演で楽しみにしていることはありますか?
日本での最後のツアーは2019年でした。その後も日本で公演をしたかったのですが、できる状況ではありませんでした。今回とても久しぶりに公演ができるので、待ち望んでいてくれた方々に存分に公演を楽しんでもらえたらと思います。
音楽とキャリア、メンバーに対する信頼と想い
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──音楽活動のスタートとしてラップを書き始めてから約20年が経ちますが、ご自身にとって“音楽”という存在はどのように変化していきましたか?
最初は「運命」だと思いましたし、曲を書いて活動するときは「嫌いな友達」だと思いました。今は永遠にともに過ごす「家族」だと思っています。
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──これまでのキャリアで、ターニングポイントとなったと感じる出来事は?
2017年にビルボード・ミュージック・アワードの授賞式に初めて行ったことが、僕にとって最大のターニングポイントとなりました。
──今年の6月でBTSとしてデビューして丸10年が経ちます。この10年で最も多く感じた感情は何でしょうか?
「感謝」です。デビュー前から作曲家として活動しながら音楽をやってきましたが、その頃は聴いてくれる人がいない音楽を作る、名もなき作曲家の一人でした。今はファンの方々に出会い、僕の音楽を聴いてくださる方が多くなりました。いつも感謝しながら生きています。
──この10年間で一番の思い出は?  多岐にわたる活動の中で一番楽しい瞬間は?
メンバーと一緒にツアーをまわったときがたくさん記憶に残っています。一番楽しかった瞬間も、舞台の上にいるときです。
──「BTSのメンバー7人でずっと一緒にいる未来を想像する」と度々おっしゃっていますが、その未来のために大事にしていることはありますか?
僕たちは7人がずっと一緒にいると固く信じています。そのためには、それぞれの領域でできることが明確にあると思います。それぞれ独自の領域を持ちながら、お互いを尊重し合っています。「尊重」が最も重要だと思います。
──2年前の『GQ KOREA』のインタビューでは「今の僕には夢がない。でもそれが楽だ」とおっしゃっており、ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』の中でも「やりたいことがない」とおっしゃっていましたが、今は夢がありますか?  今を大事にしたいとも語っていましたが、SUGAさんの次の「夢」はなんでしょう。
僕たち7人が長い間一緒に舞台に上がり、音楽をやっていくということ以外の夢は、ほぼすべてかなえられたと思っています。
──SUGAさんが後輩たちに贈りたいメッセージを教えてください。
すべてうまくいきます。今が最悪だと思うときもあるでしょう。僕にもそんなときがありました。でも、時間が経って振り返ってみれば思い出になるし、そこから学ぶこともあります。とにかく、すべて大丈夫になります。
切り離せない「心」と「体」、メンタルとの向き合い方
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──後悔は過去、不安は未来、今ここに集中する、というコメントをたくさん耳にしましたが、その考えにはどのようにしてたどり着いたのでしょうか?  マインドフルネスを学んだのでしょうか?
幼い頃から過去も未来も心配で、不安でした。自分ではどうすることもできないのに、悩んで心配していました。ある瞬間、そんな感情を取り除けば楽になるという気がして、瞑想をしたり勉強をしたりして、いろんなことをしました。
──等身大のままでいることが重要視される世の中です。しかし、何も努力せずそのままい続けることが「等身大」とは言えない気もします。SUGAさんが思う、「素敵な等身大」とはどんな人物像ですか?
自然体の人です。もっと上手くこなそうと苦労せず、できないことは隠さず、ありのままを見せてくれる人です。
──「心」と「体」はキャッチボールしていると言われます。SUGAさん自身は、どんなときにそれを感じますか。
メンタル的にあまり良くなかったり心配事があったりすると、体力は回復しても体にすぐに反応が出るほうです。逆に体調が悪いとメンタルにも影響があります。なので、メンタルと体のバランスを保つことが重要だと思います。
オフステージのSUGA、ミン・ユンギの素顔
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──自分の性格を3語で表すと?
うーん……難しいですね。
1、不明  2、無頓着  3、観察者。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、各国の友人に会いに行っていましたが、今はどのような友人が多いでしょうか?  前回の『D-2』収録の「Dear my friends」では、変わってしまった友人関係について歌っていました。今、友人付き合いはどのように変わりましたか?
今親しい友達は皆、お互いがお互いに対して望むことがない人たちです。そんな関係が一番理想だと思います。
──どのような人に魅力を感じますか?
自然体な人と前向きな人です。
──自分のファッションを表現すると?
リラックス。
──透き通るような肌の持ち主ですが、ビューティー・ルーティンを教えてください。
ルーティンは何もないです。シンプルにローションを塗るだけです。
──最後に、ARMY(BTSのファンダム名)はどんな存在でしょうか?
音楽を作って舞台に立つことは楽しいですが、それはファンの方々がいらっしゃるからこそできることだと思います。大きな舞台にたった一人で立っても、意味がないんです。僕の活動の半分を、ARMYの皆さんが満たしてくれていると思っています。
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English Translation
SUGA IS A VOICE OF AUTHENTICITY IN A SUPERFICIAL WORLD
VOGUE JAPAN’s first ever solo male cover star SUGA opens up about mindfulness, procrastination, and how his relationship with music has changed.
For VOGUE JAPAN’s August issue, our theme is “INNER BEAUTY”; in other words, searching beyond the surface to see what really drives our dreams and desires. What better icon to represent this than SUGA? By navigating an industry obsessed with the superficial, the megastar is a voice of depth and authenticity, fearlessly candid about the internal struggles he’s faced, and the expectations he carries as one of Asia’s most successful artists.
SUGA is also the first man to appear solo on the cover of VOGUE JAPAN in its 24 year history. Wearing Valentino’s Fall/Winter 2023 Black Tie collection, the South Korean artist is a celebration of a world where the connections between gender, fashion, and music are increasingly intertwined.
When it comes to music, SUGA is a true multi-hyphenate. A member of BTS, a rapper, a songwriter, and a producer for various global artists, he also performs solo under the stage name Agust D. His solo moniker is derived from SUGA spelled backwards, with the D referring to Daegu Town, a city in South Korea where he grew up.
In a Q&A with VOGUE JAPAN, before his Japan tour which was held on the 2nd-4th June, we asked SUGA about his first solo world tour, his solo album ‘D-DAY’, and what he does to stay motivated when it all feels like too much. He also opened up about how his approach to making music has changed over the years, offering his answer on a personal handwritten note. It reads: “At first I thought it was fate. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.”
The culmination of a trilogy The latest album D-DAY
-What’s the meaning behind the album ‘D-DAY’?
Solo Album ‘D-DAY’ completes the Agust D trilogy (the Agust D mixtape from 2016, and the D-2 mixtape from 2020). It’s like the second chapter of my story as Min Yunki.
-The title track "Haegeum" is about liberation. What does liberation mean to you?
I think I have experienced, seen, and heard a lot [in my life]. Just as essential as relaxing, I think the most important thing in life is to liberate your mind so that it’s free of negative emotions. I felt that way especially while working on this album.
-You featured RM on the last album "D-2" and this time you’re featuring J-HOPE. How did the collaboration come about behind the scenes?
We needed a rapper to feature on this album as well, so we looked for the most trustworthy rapper we could find. I’ve been working with J-HOPE on making music for over 10 years, and so we decided to entrust it to him.
-You also collaborated with Ryuichi Sakamoto and met him when you visited Japan.
He had been doing music for such a long time, and was someone I hugely admired and looked up to, so it was an honor just to meet him. He gave me a lot of advice as a mentor, and the conversations we had together were a great help in finishing the album.
-You experimented with drill music on D-DAY. Are there any particular sounds you would like to take on in the future?
As people involved in pop music, I think it’s our job to challenge ourselves to seek out the trendiest music and sound of the moment.
-I heard that you were stuck working on D-DAY in Seoul, so you went to Dangjin City by yourself and spent some time up in the mountains. How did that help?
When I’m in Seoul there are so many things to do, and so when I get stuck working on a song I tend to procrastinate and beat myself up about it. But when I go somewhere else, there’s nothing to do except working on the music, and I can start to feel the passion again.
-In the documentary film SUGA: Road to D-DAY, you visited musicians such as Steve Aoki, Halsey, and Anderson Paak. What did you learn from these experiences?
It's interesting to talk about music with other people who are involved in it too. More so than realizing and learning something, it’s really just about talking and having a good time together.
-You mentioned in the documentary that you wrote the song ‘Snooze’ for this album while you were in the hospital. What motivates you to continue writing songs to cheer people up, even when you were in a situation that you couldn’t even eat?
Of course, it’s important to take a break when times are tough. But I just did what I had to do, thinking that it would be a waste to take a break, because I knew I would recover eventually. I think anyone else would do the same if they were in a similar situation.
-In the FAQ for the BTS anthology album "Proof," you mentioned feeling inferior as the most important emotion. Have your feelings changed now that you have completed this album, which marks the end of your career as Agust D?
I feel that I have grown even more through the Agust D Trilogy, and I think I have overcome my complexes and traumas through making this album. Now, I’m feeling relaxed after my first show, and enjoying the tour without worrying too much.
Long-awaited first solo world tour The message behind the music
-What was the most important thing you focused on for your solo tour?
Since I’d be going through the entire setlist solo, I thought it was important to be physically fit so I exercised a lot during the preparation period. I did a lot of live practice too of course.
-What kind of messages did you receive from the BTS members regarding the album and the tour?
All of the members know that touring isn’t easy, so they told me to take care of my health.
-In the past, you have worked on songs during your world tours. Are there any new songs that have been created?
I wouldn’t say I write more songs during any specific time. I’m always writing songs.
-The documentary SUGA: Road to D-DAY showed you when you were in a slump, saying that you had no message to convey with the album. Did you come up with a message as you went around the country on tour?
When working on the production [of an album], I always worry about what kind of story I’m telling and what kind of messages to include and so when have a story I want to tell, I immediately start working on it. While working on this album, the words I wanted to convey started to come to me, and I’m sure they’ll keep coming.
-What are you looking forward to seeing in Japan?
Our last tour in Japan was in 2019. I wanted to perform there after that too, but it wasn't possible, so this will be the first time for a while. I hope that everyone who has been waiting for me there will be able to enjoy the show to its fullest.
Music and career Relationship with the members
-It has been about 20 years since you began your career and started writing rap songs. How has your relationship with the music changed over that time?
At first I thought it was fate [for me to make music]. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.
-Is there a moment in your career that was a turning point?
The biggest turning point for me was my first visit to the Billboard Awards in 2017.
-This June marks a full 10 years since your debut as BTS. What feeling defines that decade for you?
Gratitude. I have been working as an artist and making music since before my debut, but back then I was one of those nameless artists who made music that no one would listen to. Now, I’ve been able to meet my fans and see many people that listen to my music. I am always grateful for that.
-What are your fondest memories of the past 10 years? What were the most enjoyable moments?
I have a lot of good memories of touring with the BTS members. The most enjoyable moments are when we’re all on stage.
-You often say that you “imagine a future where the seven members of BTS will be together forever”.
We really believe that the seven of us in BTS will always be together, and I believe there are clear things we can do in each of our respective areas. Each one of us has their own unique sphere, and there’s a mutual respect there. I think having that respect is the most important thing.
-In an interview with GQ KOREA two years ago, you said, “I have no dreams now, but that makes it easier.” Then, in the documentary, you said, “There is nothing I want to do”. You also said that you want to cherish the present. What is your next “dream”?
Apart from the seven of us making music together and being on stage for a long time to come, I think I have fulfilled almost all of my dreams.
-What is something you would like to tell your juniors, or the people that look up to you?
Everything will be fine. There will be times when you feel at your worst. I’ve had that kind of time too. But when you look back at it, it becomes a memory, and you can learn from it. It’ll be okay in the end.
The inseparable mind and body, Dealing with internal struggles
-How did you arrive at the idea that regret is in the past, anxiety is in the future, and  to focus on the here and now? Do you practice mindfulness?
From a very young age, I was anxious about both the past and the future. I was worried and concerned even though I had no control over it. At one point I felt that it would be easier if I just got rid of those feelings, so I did a lot of things, like meditating and studying.
-We live in a world that places a lot of importance on remaining authentic. What kind of person do you think is an authentic person?
A natural person. Someone who doesn't struggle to do everything well, who doesn't hide the things they can’t do, and who shows their true self to the world.
-How do you feel about your own mind/body connection?
When my mental condition is not so good or when I’m worried about something, my body reacts to it immediately, even if I’m physically fine. On the other hand, if I’m not in a good physical condition, it also affects my mental health. So I think it’s important to maintain a balance between mental and physical health.
Off-stage SUGA, The real Min Yunki
-If you were to describe your personality in three words, what would they be?
Hmmm... that's difficult. 1, hard to figure out. 2, calm. 3, an observer.
-In the SUGA: Road to D-Day documentary, you visited friends all over the world. In ‘Dear My Friends’ from the last D-2 record, you sang about friendships that have changed. How have your friendships changed this time around?
All of my close friends now are people who doesn’t force others to be or to do something they don’t wish to. I think that kind of relationship is the ideal.
-What kind of people do you find attractive?
People who are spontaneous and positive.
-How would you describe your style?
Relaxed.
-You have such clear skin – what’s your beauty routine?
I don't have a routine. I simply apply lotion and that’s it.
-Finally, what does ARMY [BTS’s fandom name] mean to you?
I enjoy making music and performing on stage, but I’m only able to do that because of my fans. There is no point in standing alone on a big stage. Half of everything I’m able to do is possible because of ARMY.
Source: Vogue Japan ENG: Vogue Japan
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zdlmlq · 10 months
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12.03.2023の日記
あなたの国は小さい子のヌード写真が多すぎるって
どのパーティーでも言われた
裸の女の子の写真があふれていて
電車の中にまで吊ってあるのは絶対おかしいって
でも、まさかその中のひとりがあたしだってことは
誰も気づかなかった
あたしは こういう所に集まるマダムたちは
エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて
馬鹿になっちゃたんだと思って育ったの
パパは「この国には肉食の文化がないから、みんな我々のように、乳飲み仔牛から腐りかけ成牛までの、色々な肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかがわからない。だから子供の裸ばかりありがたがるんだ。一種の国家的変態だよ」っていう、お得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。小さな卵を食べるのは野蛮人だって
フォクシーひと粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるって聞いたから、あたしは自分を魔女だって言ってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高によく効きますように、そして憧れのトレーシーみたいになれますように、って魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲み干した。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズ
あなたは、あたしが知る限り本当の天才、そして天使
あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ
黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)
あのヴィデオキャッセをパパから盗んでからあたしの人生は変わった
あれがバイブルになったの
あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの歳だわ。そう思うととっても変な気分。まだフォクシーは全然効いてないみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり
生きてれば74歳になるのねあたしのグレース・ケリー、生きてれば15歳になるのねあたしのジョンベネ・ラムジー
あなた方のことを考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの
パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対間違ってる
でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い
あたしはこんなに
死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか精神分析とか、そういうつまらない��のが流行っていて
でも、彼女たちが好きなものは結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ
裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけれども効果はすごいんです。真っ赤な血が、うっとりするような香りで
宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には水晶以上の魔力と、生体化学的な影響力があって、まあ、若返るんだと
こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのがわかる。後で呼び止められるから絶対
それで、彼女たちの宝石箱から一つ残らず出させてね
身に付けさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです
滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える
お腹を宝石でパンパンにした御婦人が喘いでるんですから
勿論、楽しくも何ともなかった、気持ち良くも何ともなかった、嬉しくも何ともなかった
この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も通いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は二十歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて
最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて、ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいなのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし。っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました
嫌な感じの嘲笑しか出来ないから。生まれてからずっとそうなんです
復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね
アメリカのポルノ女優に憧れてるっていう日本人の女の子がいて「さっきフォクシー飲んだの」って。この子は全然踊ってなくて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた
世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。「オレみたいになるなよ」って、誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かもいない
生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って
でも諦めました。彼女は、消えてた
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
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岩澤瞳のいたスパンクハッピーを知ったのは18の頃で、私はそれをカーテンもソファもない部屋の中で聴きました。退屈、と発音する彼女はその声にすら感情がなくてだからこそその言葉は彼女のためにあるような気がしました。私は自分を退屈だとは思えない。それは彼女のような人にこそ似合う言葉だと思っているから。
この歌詞にこころからうんざりできる人間であれればよかったのにと思います。私は自分が暴力を振るわれる若さと身体を持っている頃から、同じ傷を誰かにつけられるほどの加害性を持っていることを自覚しました。スパンクハッピー、或いはこの音楽を私に教えた人のせいです。傷をつけることがある人間だという自覚はついた傷を責め損ないます。自分がいつだって意図せずそちら側に立つ予感は、傷の痛みや怒りよりもよっぽどおそろしいものでした。私にとって、
ヘドラの目はヴァギナを模していますが性別は割り当てられていません。少なくともその言及はない。私はゴジラ対ヘドラという映画それ自体をとても気に入っていますが、何よりもこの怪獣にとても親近感をおぼえています。
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かわいいですね。
私が自分の体に嫌悪感を持たないのは、似た身体構造をもつ人々と親しくなった際にその体をこのましく思うからで、それが自分のものだから嫌悪するのは何か、通らないのでは、と、不安になってしまうからです。もちろんそれはそれ、これはこれとわけてしまうことはできます──というか、それが正しいのですが──、どうしてもその種の理屈を自分に向けて納得させることができません。私にはそういうことがとても多い。
今日が日曜日だということをうまく感じられません。とてもねむいです、
たくさんねむれるといいなと思います。
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apoandbangpo · 1 year
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別���のように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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ahi-inc · 1 year
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2023/06/11 (Sun.) 13:00-20:00 秋葉原重工 - Akihabara Heavy Industry Inc. r05 #3 - Live the Life Remixes Release Tour in Nagoya at Club JB's (Nagoya, Aichi) Door: 3500 JPY +1d Advance: 3000 JPY +1d [Zaiko: https://ahi.zaiko.io/item/356728] Guest: HIROSHI WATANABE aka KAITO ( Transmat / Kompakt ) REMO-CON TAKAMI ( REBOOT / BUZZ×3 ) DJ & Live: AcidGelge -Live Takayuki Kamiya KUME ( Lost & Find ) Earth ( Lost & Find ) Q DJ DIVA 五条 狐萩 隼雄 HAMMER VJ: VJ Akinashi Food: Neo和Dining MiRAI
HIROSHI WATANABE aka KAITO ( Transmat / Kompakt )
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ドイツ最大のエレクトロニック・レーベルKompaktのアーティストとしてKaito名義の作品を発表する傍ら、ギリシャのKlik Recordsからも作品をリリースしている。 2002年に制作したKaitoの1stアルバム『Special Life』に収録された「Intension」がFrancois K.のミックスCDに収録されるなど瞬く間に大反響を呼び、10年以上が経過した現在も色褪せることのない名曲として語り継がれている。 その後、Kompaktのコンピレーション・アルバムにも収録された表題曲を含む2ndアルバム『Hundred Million Light Years』を発表。この2枚のアルバムで一躍Kaitoの名は世界中に浸透し、バルセロナのSonar Festivalなどのビック・イベントでライヴを披露した。Kaito名義のオリジナル・アルバムでは常に対になるビートレス・アルバムも制作され、繊細かつ美しい旋律により幅広い音楽ファンに受け入れられている。 3rdアルバム『Trust』に対しての『Trust Less』では更にアコースティックな要素も取り入れ、リスニング機能をより高めた作品となった。本名のHiroshi Watanabe名義では自身最大のセールスを記録した1stアルバム『Genesis』に続き、2011年に『Sync Positive』を発表。タイトルが示す通り、リスナーを鼓舞させる渾身の作品となっている。またリミックスを機に交流を深めてきた曽我部恵一との異色コラボレーション・アルバム『Life, Love』ではメランコリックな音像と歌声が溶け合った叙情的なサウンドで新境地を切り拓いている。 一方、ニューヨーク在住時代に出会ったグラフィック・デザイナー、北原剛彦とのダウンテンポ・プロジェクトTreadでは、シンプルで柔らかい上音と乾いたビートの融合を絶妙のバランスで確立し、ハウス、テクノ、ヒップ・ホップなどジャンルの壁を越えて多方面から注目を浴びることに。限定生産された5枚のアルバムと4枚のEPは不変の価値を持つ名盤として知られている。 2013年にはKompakt設立20周年を記念して制作された2枚組DJミックス『Recontact』を、更にKaito名義としては4年振りとなるアルバム『Until the End of Time』を発表。新生Kaitoとも言える壮大なサウンドスケープが描かれている。 2016年初頭にはテクノ史に偉大な軌跡を刻んできたデトロイトのレーベルTransmatよりEP『Multiverse』をリリース。主宰Derrick Mayの審美眼により極端に純度の高い楽曲のみがナンバリングされるため、近年はリリースそのものが限定的となっている中での出来事。EPと同名のアルバムは、さながら宇宙に燦然と煌めく銀河のようなサウンドが躍動する作品となっている。 歴史を創出してきた数多のレーベルを拠点に世界中へ作品を届け続けるHiroshi Watanabe。日本人として前人未到の地へ歩みを進める稀代の音楽家と言えるだろう。 REMO-CON
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1993年よりDJおよび楽曲制作活動をスタート。 99年に制作会社 Y&Co.,Ltd (横田商会) に所属。「Cyber TRANCE」、「HOUSE NATION」(ともにavex trax)シリーズなど人気コンピレーションのミックスや、浜崎あゆみ、AAA、郷ひろみなど多数のアーティストへのリミックス/編曲参加、フジテレビ “SMAP x SMAP” LIVEコーナーの楽曲アレンジ、ディズニー楽曲の公式リミックス、ハローキティへの楽曲提供、ラジオCMのBGM制作やナレーション担当など、幅広いクリエイションを盛んに行っている。 また、ゲーム業界でもその実力は高く評価されており、 コナミ「ビートマニア」シリーズへの楽曲提供も多く、 “Y&Co.” 名義ではフルアルバムを2枚リリースし、代表曲の「DAISUKE」はリリースから10年以上経た今もなお、SNSでバズることも少なくない。さらに千葉ロッテマリーンズや東京ヴェルディ、プロボクシング井上尚弥選手の興行などのプロスポーツ関連BGM制作や、東京オリンピック2020閉会式編曲も担当。 DJとしては、98年まで横濱MAHARAJAに在籍後、2001年~06年まで「velfarre Cyber TRANCE」のレギュラーを務める。 その後も日本各地は勿論、イギリス、アメリカ、オーストラリアなど���界各国にてプレイし、オランダの “Dance Valley” や、国内の “サマーソニック”など大型フェスにも出演。そのソリッドながらバラエティに富んだプレイスタイルは高く評価され、自身がレギュラーを務めるラジオプログラム(FMヨコハマ “PRIME TIME”, block fm “Remote Control”)でも、トークを含め長年の好評を博している。 アーティスト “REMO-CON” としては、2004年に1stシングル「G-SIGH」をリリースし、ドイツでもライセンスされるスマッシュヒットとなる。 以降、精力的に楽曲をリリースし続け、07年「Atavism」 に於いては、ヨーロッパの有名誌”DJ MAG"レヴューにて最高の5つ星を獲得。 同年発表の「COLD FRONT」は、英国の名門レーベル “anjunabeats” にもライセンスされた。その後も、”パイレーツ・オブ・カリビアン”オリジナル・サウンドトラックの公式リミックスを担当。 09年には待望の1stアルバム「a life with remote controllers」をリリースし、全国主要都市で記念パーティーを開催。続く2ndアルバム「rhetoric」(オリコン13位)を経て、デビュー10周年にはその記念碑的な作品『DECADE 05-15』を発表。そして自身の運営するレーベル “rtrax” よりリリースされた 「Flowered EP」は、世界最大のダンスミュージック配信サイトであるBeatportの総合チャートにて2位にランクインという大躍進を遂げた。また、配信アルバム 「Beyond The Harder Styles」 もiTunesアルバムダンスチャート1位を記録している。 TAKAMI ( REBOOT / BUZZ×3 )
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1995年からDJを始め、現在は国内最長寿テクノパーティー「REBOOT」やアフター・アワーズの決定版「BUZZ×3」のレジデントDJとして活躍中。 他、2012年6月より日本初のダンス専門インターネットラジオblock.fmにて「radio REBOOT」(第3水曜日 20:00~)をレギュラー担当。 東京を拠点にテクノやハウスなどのジャンルを問わず様々なパーティーでゲストプレイし意欲的な活動を行っており、Charlotte de Witte,Amelie Lens,THE ADVENT,CHRISTIAN SMITH,HARDFLOOR,MARCO BAILEY,FILTER HEADS,CRISTIAN VARELA,SIAN,TOMEHADES, Steve Red Head など、ワールドクラスのDJ来日時にも共演し、「TECHNO」を基調として4DECKSを駆使した独自のファンキーな選曲と安定感のあるプレイスタイルは幅広いオーディエンスやDJの間で評価が高い。 また、ロック&クラブマガジン「LOUD」によるDJ人気投票「DJ 50/50」にも、2006年より連続ランクインを果たしたことから、キャリアと共にその根強い人気の高さが伺える。 2002年9月には、MOON AGE RECORDINGSからリリースとなったデビューEP.「AGAINST THE OVERDRIVE E.P.」はQ'HEY、DJ SHUFFLEMASTER、YAMA、DJ UIROHなどから高い評価を受けた他、ドイツのクラブ誌「raveline」では5つ★の評価を得て話題を呼んだ。 その後、秋葉原重工など数多くのレーベルからリリースを重ね、そのトラックのオリジナリティーの高さからリミキサーとしても作品を提供している。 Official Site http://www.takami.info FB ARTIST PAGE http://www.facebook.com/takami.info Twitter http://twitter.com/djtakami mixcloud http://www.mixcloud.com/djtakami/ soundcloud https://soundcloud.com/takami Beatport https://www.beatport.com/artist/takami/77325 block.fm “radio REBOOT” https://block.fm/radios/19
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barokoze · 2 years
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オコゼシネマのお知らせ
旅する映画館 café de cinémaが不動前のバーOKOZEで開催する「オコゼシネマ」
上映作品はアヌシー国際アニメーション映画祭で初演され観客賞を受賞、東京アニメアワードフェスティバル2016でグランプリを受賞し、ジブリの高畑勲監督をはじめ日本での上映を熱望された『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』
https://youtu.be/t6TjF7Q6zKo
少女は北極点を目指すーー
お祖父様の名誉のために。
<作品紹介>
舞台は19世紀ロシア、サンクトペテルブルグ。14才の貴族の子女サーシャには悩みがあった。1年前に北極航路の探検に出たきり帰ってこない大好きな祖父。探索船は出たものの未だ行方が分からない。祖父と家族の名誉は失われ、祖父の名を冠する予定だった科学アカデミーの図書館も開館が危ぶまれている。ロシア高官の父は、そんな状況にあって、なんとかローマ大使の道を模索するが、そのためには社交界デビューの娘が皇帝の甥っ子に気に入られるしかないと考えている。社交界デビューの日、サーシャは祖父の部屋から航路のメモを見つけ、それが捜索船がたどったものとは異なる事に気付く。再び捜索船を出して欲しいとサーシャは舞踏会の場で王子に懇願するが受け入れられない。王子の不興を買い、父からの叱責を受けた娘は、自ら祖父の居場所を突き止めようと決意する。―サーシャが目指すものは、祖父との再会、それが叶わなくとも遭難した艦船ダバイ号の発見、そして何よりも真実を突き止める為の旅だったゲ号に乗せて貰おうと船長の弟に話しを持ち掛けるが、手違いもあり港に取り残される。食堂の女主人オルガの手助けにて、住み込みで調理や船乗りの経験も無く、しかも女性であるサシャには、想像を絶する困難が待ち受けていた。そして―
・参加費用:¥1980(CINEMA CHARGE & 1ドリンク付)
▶︎ タイムスケジュール
開催日:2023年3月18日(土)
〜リアル〜
19:30 開場
20:00 上映開始 〜81分程度〜
21:40 アフタートーク開始
22:00 終了
#ロングウェイノース地球のてっぺん #アニメーション #旅する映画館 #cafedecinema #オコゼシネマ #okoze #映画 #cinema #ちゃっぴー #chappy #okoze #オコゼ #bar #バー #不動前 #目黒 #カクテル #cocktail #シェリー #sherry #目黒不動尊 #深夜2時まで #喫煙可 #上映会
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yachch · 2 years
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頒布物紹介
前回の記事でも案内したとおり、今週末に開催される委託イベントに同人誌を委託します。 委託する作品は以下の通りです。イベントによってお願いしている本が異なっているのでご注意ください。 ※各イベントの開催日時、概要については各リンク先からご確認ください。
■ ブックハンターセンダイvol.4 ・光や風にさえ ・不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ ・聖なるもの ■ ふらっとぺらっとpage1 ・光や風にさえ
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●光や風にさえ
B6版/256ページ/カバー仕様、スピン製本
(あらすじ) 未亡人として貧しい暮らしを送りながら、日系移民の社会に息苦しさを覚えるナオミ。あるとき船着き場に現れた二世の少女に導かれ、ナオミはより生きやすい場所、新天地をめざして開拓地からの逃亡を図る。事故の後遺症により夫に捨てられた少女、幽閉された先住民の女性、水上で生活する娼婦……。異国の旅を通じて、ナオミは自身が生まれもった困難と向き合っていく。
(試読) コチラからどうぞ。 (コメント) イチオシ。2022年11月発行の新刊です!
長編で、文庫本2冊分くらいの長さになっています。いわゆるロードムービー的な要素を含んだ、とある女性の語りの記録、という建付の物語です。 ひとりの女性が過去を振り返って、信憑性に欠けた記憶を語る――それは彼女自身の特性からくる生きづらさや、人生に対する屈託を受容するためのリフレーミングの道筋のようでもある。
ガルシア・マルケスの「生きて、語り伝える」というエッセイには、マルケスの生育環境がこと細かに記載されており、祖母が一族の過去を反芻して語るめくるめく独言が「百年の孤独」につながったともとれるのですが、雰囲気としてはそんな感じのものに近いです。 しっかりストーリーを追って起承転結を楽しむというよりは、現実と幻想の入り混じった語りの波間を漂う話です。そういうのがお好きな方に届くといいなと思っています。 『鉄の時代』『白夜を旅する人々』『侍女の物語』『グアテマラ伝説集』『エレンディラ』など、私の好きな小説のオマージュもいろいろ詰まっています。
●不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ
B6版/ 348ページ/カバー仕様、口絵、ホログラム箔
(あらすじ) 『不幸な少女を主人公にした、シンデレラストーリー』をテーマにした、創作小説アンソロジー。 青春、和風伝奇、ホラー、中華・西洋風ファンタジーなど、多種多様な作品を収録。
(試読) コチラからどうぞ。
(コメント) 私が主催した文芸アンソロジーです。 参加作品のレギュレーションは以下のとおり。
① 「不幸な少女」が主人公であること。 ② シンデレラストーリーであること。 ※シンデレラストーリーの定義は「童話シンデレラのように、有名ではない一般女性が、⾒違えるほどの成⻑や幸福を⼿にし、芸能界や社交界、その他一流の場などにデビューしたり、あるいは資産家と結婚したりする成功物語」
これらの条件を満たしつつ、自由な発想で執筆された短編がたっぷり10本詰まっています。たとえばこんな感じ。
・ ゾンビになったYouTuberの女の子の話。 アンチもつくし炎上もする!?(「イタい死体、燃えたら灰」(トウフ)) ・文化大革命を背景に、3人の女性が登場するシンデレラストーリー(「本身 Benshen」(跳世ひつじ))
その他にも、男装ものや異類婚姻譚、百合など、みっちりバリエーション豊かに収録されています! 冬ごもりの読書をお探しの方にぜひおすすめしたい一冊です。
●聖なるもの
文庫判/248ページ/カバー仕様、箔押し
(あらすじ) ナパタ族の娘・ナサカは、首長である父親の命令で四十歳上の男に嫁ぎ、平凡な女として一生を終えるはずだった。しかし誘拐され、失われた神聖王権の復古をめざす戦士たちの隠れ里に連行されてしまう。 ナサカはそこでひとりの女と出会い、自身の運命を決定��に変えられることになる。
(試読) コチラからどうぞ。
(コメント) 2019年発行の長編小説です。これまで出した同人誌の中では一番部数が出ていて、いろんな方との縁をつなげてくれた作品です。(感想まとめ)
物語のキーワードは呪詛なのかな……。 性規範、信仰、血縁・地縁といったさまざまなしがらみに縛られ、そこに従属するしかない女性たちの物語です。そして、ナサカというひとりの女性が生まれてから死ぬまでの数奇な人生について。
こちらは今ある在庫がはけたら終売とする予定です。いずれKindle化する予定ですが、本の形でほしい方はぜひこの機会に。
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委託イベントに参加するのははじめてなので緊張しています、、、 いずれのイベントも企画・運営のみなさまが大変丁寧に対応してくださり、心から感謝しております。今回現地に足を運ぶことはかなわないのですが、本の委託頒布以外にもいろいろと面白い企画が予定されており、いつか実際に訪れてみたいです! イベント当日も盛り上がりますように。
なお、イベントには参加できないけど本がほしいよ~、という方は、各イベントで実施する通販(詳細は各イベントページをご覧ください)や自家通販をご利用いただければさいわいです。
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doctormaki · 12 days
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三日目は、カサブランカへ日帰り。うーむ。オーストラリアのキャンベラもそうだし、アメリカのDCもそうだが、近代に人工的に作られた首都とは、文化的には砂漠地帯ということ。実に無機質なのだ。首都とはそういうものなのだろう。
世界で3番目にでかい事を誇る王様が作ったハッサン二世モスクへ行く。無駄にデカいだけで、人生初モスクがイランでデビューのワシは、基本的にイランが基準値なので、何を見ても感動しない。イランは手の入れ方、丁寧さに繊細さが抜群で、絨毯にでさえワシは人の息吹を感じる。トルコでも、まぁハイ。。。って感じだったのは、父のおかげで、イランの手工芸を見ているからだろう。父、ありがとう。
それにしても、権威主義と権力の見せびらかしは、やるならもっと精緻にやれって感じ。折角、世界で三番目にデカイと誇りながら、モザイクのタイルのズレとか、そういうの、ワシはめちゃくちゃ気になる。大体、アホ丸出しの欧米人でもなけりゃ、こんなんで感動する奴はおらんやろ。まぁ首都だし、一応、見ておかんとねというだけのレベル。これに入場料取るのは、国家としては、もはや恥ずかしいレベルだが、アホな欧米人相手には良いのだろう。街中は、どこでも、植民地支配おフランスに対する反発か、イタリアンとアメリカンのレストランで溢れている。昼食も、イタリアンだったので、モロッコ仕様のマルゲリータを食す。
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昼食は、親切なイギリス人の二組のカップルと共に取る。ワシの両親とあまり変わらないだろうと推測される年配の御夫婦は、御主人はBAに長年、整備士として働いていたらしい。整備士として、若い頃はガトイックから派遣され、ザイールや南アフリカの空港に駐在。そう。アフリカ便は、皆、昔はガトウィックだった。アフリカから帰ってからはヒースロー勤務。日本にも四回、整備��として長期出張して、日本の整備士の正確さに感動し、リタイアしてから、奥さんを連れて一番最初に訪れたのは日本だったらしい。父と同じで、少し長めに働き、リタイアしたのは2015年頃らしいので、まだ観光客でごった返していない日本を見たのだ。京都、大阪、東京、御殿場、芦ノ湖、新幹線から見た富士山など、御夫婦は日本滞在がとても楽しかったらしい。良く働いた人の手は、節くれて、彼の人懐こい笑いとブリティッシュイングリッシュをチャーミングなものにさせる。子供は五人、孫は十一人目が絶賛製造中と笑って、奥さんに怒られる。ザイールでは若いのに、何もやる事なかったから、子育てしたんだよと、それでもめげずに笑いながら話す。奥さんも、笑いながら、そうね。大変だったけど、今はいい思い出と、ザイール生活を懐かしんでいた。いやぁ、マジで大変だっただろうな。ザイール。
もう一組は、ワシより少し年上で、熟年再婚のカップル。嫁はケープタウン出身。旦那は教会の牧師らしい。牧師だけに、モロッコでは嬉しそうにはじけていた。教会も大変で、イギリス国教会の矛盾、次世代への継続性が無いこと、本来はコミュニティサービスなのに、そうした教会の本来の姿が忘却されている事など、色々と話していた。御苦労なこっちゃ。まぁでも、牧師も休暇でモロッコ来れる位に儲けているなら文句無いやろ、とも思う。
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午後は海辺に立つフォーシーズンズの横にあるモールへ連れて行かれる。モールかよ。。。資本主義である。ワシは海辺で座って海を眺め、波のゴーという音に耳を澄ませる。波の音は、ザブンチャプンじゃなくて、ひたすらゴーという感じだった。父がどこかで買い求めた巨大な貝殻に耳をつけて、聞いていた音を思い出す。貝は海を恋しがり、海の音を、陸に上がっても己と共に持っていると、子供の頃、何かで読んでから、ワシは貝殻を見つけるたびに耳を付けて耳を澄ませていたっけ。平貝なんてダメよ、空気の音なんだから、巻貝じゃないと。。。と笑う母。父は何故か、その会話を覚えていたのか何なのか定かではないが、ワシの貝へのお熱が冷めた途端から、出張先で大きな貝殻を求めては得意気に持ち帰り、ワシに、おいマキ、土産だ、といって渡していたっけ。
ワシは、ドイツに住んだ二年間、今までより一層に両親への感謝しかなくなった。若い両親も、悩んでいた事もあろう。今ほど将来不安は無い時代だったにせよ、子育てに伴う不安や思いの中で、父には実に贅沢をさせて貰ったし、母には守って導いてもらった。海を眺めながら、涙が頬を伝う。ドイツにでも来なければ、これ程までに、今の自分がある事の礎を、両親がしっかりと授けてくれていたことに気付けただろうか。勿論、ワシは残念ながら天才で、やっぱり常人と違う自分に気付かされる事多数。でも、その常人ではない稀人ぶりを、温かく見守り伸ばして貰えたのは、両親と白百合の伸び伸びした環境だった。感謝。感激。雨あられである。
夕食は、ホテルの近所のモロッコ料理屋で野菜のタジンでも食べようとふらりと入る。静かに盛り上がっているアジア人の三人組。ワシは彼らの隣の席で相席となる。最初は、日本語だと気付かなかった。ワシの脳味噌、完全にフランス語とスペイン語モード。彼らの料理が来てから、なんでさっきから意味が分かるような気がするんだろうと、真剣に悩む。あー。日本語で喋っているんだと気付けるまでに、相当時間がかかった。自分に笑える。
彼らはシェア旅というSNS上で見知らぬ旅仲間を集うプラットフォームをベースに集まった旅行者らしい。主催者の男の子は三十代。旅行会社に十年勤めて、自分が生きたい旅ができる自由な旅行に憧れて、でも一人旅はなかなか予定が合わないしできないという現代日本の悲しい社会的ニーズに応じる形で、仕事としてやっているらしい。三年やって、考えて、もう少しやろうと思っていると言っていた。ノマド的に、請負仕事をしながら、海外を気の赴くままにプラプラしつつ、行く先々での旅仲間募集をしているらしい。基本的には、各自で飛行機とって貰って現地集合、現地解散。集まっている時の現地でのホテルや交通費などは、彼が手配するらしい。明るく笑う彼。日本の若者にも、まだ夢がある。
彼と一緒にいたのが、三河出身の可愛らしい女の子。まだ二十代後半。結婚プレッシャーから逃れて旅に出るのが好きらしい。愛知の女の子は大変そう。。ワシの隣の席の男子は木場出身の27歳。生まれてからずっと下町、木場育ち。スペイン語専攻し、メキシコ留学し、今は社会人らしい。私が、ついこの間まで教えていた学部生達を思い出す。ワシの学生たちも、伸び伸びと、悩みながらも伸び伸びと生きているといいなぁ。
木場の子に、何気なく話していただけなのに、別れ際に、こんなに包容力のある人に、僕、人生で初めて出会いました。本当に会えて良かったです。このレストランに入って良かったです。ありがとうございました。と、深々と頭を下げてくれた。すると、他の二人も、会えて、お話できて良かったと、頭を下げてくれる。ワシ、言葉をうしなう。素敵な良い旅を、と。お元気で。としかいえなかった。
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exceltemplateboy · 21 days
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【無料/登録不要エクセルテンプレート】自分史(1年ごと)のエクセルテンプレートの作り方
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「これまでの人生を振り返り、将来の目標を明確にしたい」と感じたことはありませんか?あるいは、就職活動やキャリアプランの作成に向けて、自分の歩んできた道のりを整理したいと考えている方も多いでしょう。そんなときに役立つのが、自分史エクセルテンプレートです。この記事では、自分史を手軽に作成できるエクセルテンプレートを無料で提供し、具体的な作り方や活用方法をご紹介します。過去の自分を振り返ることで、自己分析が進み、未来への一歩を確実に踏み出すことができるでしょう。自分史作成のプロセスは、単なる回顧ではなく、今後の人生をより豊かにするための第一歩です。では、さっそく自分史エクセルテンプレートを活用し��、あなたのストーリーを紡いでみましょう。
自分史エクセルテンプレートとは?
自分史エクセルテンプレートとは、過去の出来事や経験を整理し、一つの表やグラフとして可視化するためのツールです。これにより、自分の成長過程や重要な出来事を振り返りながら、自己分析が深まります。特に就職活動やキャリアデザインにおいて、自分史は自己PRや目標設定の際に役立ちます。また、高齢者の方々が人生を振り返るためのツールとしても活用されています。Excelの操作に慣れていない方でも簡単に使えるように設計されており、テンプレートを利用することで手軽に自分史を作成できます。
以下のGoogleトレンドで実際に計測したグラフを見ると、「自分史」を多くの人が探していることが確認できます。https://trends.google.com/trends/embed/explore/TIMESERIES?req=%7B%22comparisonItem%22%3A%5B%7B%22keyword%22%3A%22%E8%87%AA%E5%88%86%E5%8F%B2%22%2C%22geo%22%3A%22JP%22%2C%22time%22%3A%222004-01-01%202024-09-01%22%7D%5D%2C%22category%22%3A0%2C%22property%22%3A%22%22%7D&tz=-540&eq=date%3Dall%26geo%3DJP%26q%3D%25E8%2587%25AA%25E5%2588%2586%25E5%258F%25B2%26hl%3Dja
自分史エクセルテンプレートの作り方
自分史エクセルテンプレートを作成するためには、まずテンプレートをダウンロードし、自分の経歴や経験を順に入力していきます。以下に、具体的なステップを紹介します。
1. テンプレートの準備 まずは、記事内で紹介している自分史エクセルテンプレートをダウンロードしてください。このテンプレートは、シンプルで使いやすい設計となっており、必要な項目があらかじめ設定されています。
2. 基本情報の入力 テンプレートを開いたら、まずは基本情報を入力しましょう。名前、生年月日、職歴、学歴など、あなたの人生における重要な情報を記載します。この情報は、自分史をより詳細に振り返るための基盤となります。
3. 年表の作成 次に、自分の人生における重要な出来事を年表形式で整理します。テンプレートには、年ごとの出来事を記入できるシートが用意されていますので、それに従って入力してください。例えば、卒業、就職、転職、結婚などの節目を記載することで、全体の流れが把握しやすくなります。
4. グラフやチャートの作成 入力したデータを基に、グラフやチャートを作成してみましょう。Excelの機能を活用することで、自分史をビジュアル化することができます。たとえば、年齢ごとの達成度やキャリアの推移をグラフ化することで、視覚的に理解しやすくなります。
5. 記事や写真の挿入 より詳細に自分史を表現するために、当時の写真や関連する記事を挿入してみましょう。これにより、単なる数字や文字だけでなく、感情や思い出も同時に振り返ることができます。
6. ファイルの保存と活用 最後に、作成した自分史エクセルファイルを保存し、必要に応じてプリントアウトしたり、デジタルデータとして保管しておきましょう。作成した自分史は、将来の計画を立てる際や、家族との思い出を共有する際に活用できます。
自分史エクセルテンプレートの必須項目
自分史エクセルテンプレートを作成する際に、欠かせない項目について解説します。以下の項目を網羅することで、より充実した自分史を作成することが可能です。
基本情報 この項目には、あなたの名前、生年月日、連絡先などの基本的な情報を記載します。これらの情報は、自分史全体の背景を理解するための基本データとなります。
学歴 学歴は、あなたの教育の歴史を示す重要な要素です。卒業した学校、取得した学位、学んだ専攻などを詳細に記載することで、学びの過程を振り返ることができます。
職歴 職歴は、これまでのキャリアの軌跡を示します。勤務先、役職、担当した業務、達成した成果などを具体的に記載し、どのように成長してきたかを確認しましょう。
重要な出来事 あなたの人生における重要な出来事(例えば、結婚、出産、大きなプロジェクトの成功など)を記録します。これにより、人生のターニングポイントや大きな転機を明確にすることができます。
スキルと資格 取得した資格や習得したスキルも重要な要素です。これにより、自己分析が深まり、今後のキャリア形成にも役立ちます。
目標とビジョン 今後の目標やビジョンを明確にすることで、自分史を未来志向のものにすることができます。過去を振り返りながら、未来への計画を具体化しましょう。
フィードバック 最後に、これまでの人生に対するフィードバックを記載します。成功したこと、改善すべき点、学んだ教訓などをまとめることで、今後の行動指針が明確になります。
次に、「自分史エクセルテンプレートの例文5選」のセクションを作成します。
自分史エクセルテンプレートの記入例・例文
自分史エクセルテンプレートを最大限に活用するためには、どのように記入するかが重要です。ここでは、さまざまな職種や業界で働く人、高齢者などの具体的な記入例と例文を5つご紹介します。これらの例文を参考に、あなたの自分史を作成してみてください。
自分史の記入例①: 若手マーケティング担当者(24歳から34歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢24歳25歳26歳27歳28歳29歳30歳31歳32歳33歳34歳健康ジム通い開始運動習慣化食生活の見直し睡眠改善トライアスロン参加定期的な健康診断ヨガを開始メンタルケア強化ストレッチ習慣化リラクゼーション技術導入定期的なカウンセリング人間関係家族旅行社会人サークル参加結婚子ども誕生友人と共同イベント家族イベント定期開催新しい友人との交流親友との情報交換強化新しい家族との関係地域イベント参加家族との関係強化仕事・キャリアマーケティング部配属プロジェクトリーダー昇進新規事業プロジェクト参加マネージャー昇進大規模キャンペーン成功部署全体の管理マネジメント研修受講新規市場の開拓海外プロジェクト参画経営戦略策定担当事業部長昇進財務・お金副業開始初任給アップ投資デビュー昇給家計管理改善資産運用計画開始投資ポートフォリオ構築教育資金の積立開始不動産投資開始資産形成の見直し資産管理の最適化住居と生活環境賃貸アパート住環境改善引っ越しマイホーム購入計画マイホーム購入住居リフォーム新しいインテリア購入家庭の快適さ追求新しい車を購入環境に優しい生活開始住環境の最適化個人の成長・自己実現語学学習再開趣味活動強化自己啓発セミナー参加MBAプログラム検討MBAプログラム入学家族との学びを楽しむ自己啓発活動継続新しい趣味の発掘家族での旅行計画趣味活動の深化夢の実現に向けた挑戦社会的貢献・コミュニティ活動地域清掃活動参加ボランティア活動開始環境保護活動参加子ども向け教育支援コミュニティリーダー活動地域貢献活動継続自治会リーダー就任学校運営委員会参加教育環境向上のための活動社会的責任活動の推進ボランティア活動拡大目標30歳までに独立独立に向けたスキル習得キャリアアップの実現起業計画の策定35歳までに独立準備整う家族とキャリアのバランス確立自営業の開始準備事業の拡大計画事業成功に向けた新たな挑戦次の目標設定長期的なビジョン策定
自分史の記入例②: ITエンジニア(25歳から35歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢25歳26歳27歳28歳29歳30歳31歳32歳33歳34歳35歳健康定期的な運動開始食生活改善睡眠の質向上メンタルヘルスケアトライアスロン挑戦定期的な健康診断ヨガの習慣化メンタルケア継続体力トレーニング栄養管理強化健康維持のための新習慣人間関係友人との定期的な交流同僚とのネットワーク構築結婚計画家族との関係深化子ども誕生家族イベント定期開催新しい友人の紹介コミュニティ活動参加家族旅行計画家族との時間重視地域活動への参加仕事・キャリア新規プロジェクト参加技術スキルの向上フルスタックエンジニアへ転向海外勤務の準備海外勤務開始新技術の習得新しいプロジェクトリーダー就任CTO補佐に昇進技術部門の責任者起業計画開始CTOに昇進財務・お金副業開始投資デビュー収入増加家計見直し貯蓄の増加投資ポートフォリオ拡充家計管理改善教育資金積立開始資産運用計画策定資産管理見直し長期的資産運用の確立住居と生活環境賃貸マンション住居住環境改善マイホーム購入計画住宅ローン契約マイホーム購入住宅リフォーム計画家庭の快適さ追求住居のリノベーション新しいインテリアの導入自宅オフィス構築住居の最終調整個人の成長・自己実現語学学習再開プログラミングスキル向上MBAプログラム検討趣味活動強化新しい趣味の発見海外旅行計画自己啓発活動の継続新しいチャレンジ趣味活動の深化人生の目標再設定起業に向けたスキル習得社会的貢献・コミュニティ活動オープンソースプロジェクト参加地域のIT教育支援ボランティア活動開始地域社会への貢献コミュニティイベントの企画技術セミナーの講師就任地域社会のリーダー活動ITコミュニティの構築教育支援活動の拡大社会的責任活動の推進技術支援ボランティアの拡充目標30歳までにCTO就任海外勤務成功起業計画の確立海外勤務経験の活用起業準備の完了成功する事業の創出事業の拡大計画事業の安定化新規市場の開拓社会貢献を目指す次の挑戦に向けた計画策定
自分史の記入例③: 教育業界で働く小学校教員(30歳から40歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢30歳31歳32歳33歳34歳35歳36歳37歳38歳39歳40歳健康健康診断を定期化運動習慣の確立食生活の見直しストレス管理の強化メンタルケアの習慣化運動習慣の継続健康食品の摂取開始ヨガ教室に通う栄養バランスの改善定期的なメンタルケア健康維持のための新習慣人間関係家族との時間を大切に同僚との交流増加新しい友人との出会い家族旅行の計画親戚との交流頻度増加家族イベントの開催同窓会の企画コミュニティ活動参加家族との関係深化地域活動参加家族の絆を強化仕事・キャリア新しい教育プログラム導入教育研究の開始生徒の成績向上計画教育方法の改善新規カリキュラムの開発教材の執筆開始教員研修の企画教育コンテンツの開発学校のイベント企画新しい教育プロジェクト教育部門の責任者就任財務・お金教育ローンの見直し貯蓄の計画開始収入増加投資計画の策定不動産投資の開始資産運用計画開始教育資金の積立開始家計の見直し子どもの教育資金計画資産管理の見直し長期的な資産運用計画住居と生活環境マイホームのリフォーム計画新しい家具の購入住居のリノベーション新しい生活環境の確立マイホーム購入住居リフォーム完了家庭の快適さ追求住環境の最適化新しい車の購入自宅のインテリア改善住環境の見直し個人の成長・自己実現教育関連の資格取得教育セミナー参加新しい趣味の発見趣味活動の深化ガーデニングの開始家庭菜園の拡大海外旅行の計画自己啓発活動の継続新しい趣味の発掘教育研究の深化新しい挑戦に取り組む社会的貢献・コミュニティ活動地域の教育活動に参加コミュニティリーダー就任教育支援活動の開始地域活動の企画コミュニティイベントの開催教育セミナーの講師地域教育活動の推進教育支援ボランティア参加学校運営委員会参加社会的責任活動の推進地域教育活動の深化目標生徒の成績向上計画教材の執筆開始教育方法の改善教育プロジェクトの成功新しい教育カリキュラムの開発教材の出版教員研修の成功教育コンテンツの開発新しい教育プロジェクトの実現教育部門統括校長先生就任
自分史の記入例④: 高齢者(65歳から75歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢65歳66歳67歳68歳69歳70歳71歳72歳73歳74歳75歳健康定期的な健康診断を受ける散歩を日課にする食事を見直し、バランスの取れた食生活を心掛ける軽い運動を開始ヨガやストレッチを習慣化定期的なメンタルケアを導入ヘルスケアサポートを利用健康食品を取り入れる血圧管理を徹底する骨密度の検査を受ける体力維持のための新習慣を取り入れる人間関係家族との時間を大切に孫との交流を増やす地域のサークルに参加旧友と定期的に会う近所付き合いを深める地域イベントに参加家族旅行を計画孫との関係をさらに強化同世代の友人と旅行を計画孫の成長を見守る新しい友人関係を築く仕事・キャリア退職後の生活を楽しむ定年後のセカンドキャリアを模索ボランティア活動を開始地域の役職に就任教育支援活動に参加経験を活かして講演活動を開始趣味を仕事にするシニア向けの講座を開設地域社会のコンサルタントとして活動書籍を執筆する退職後のライフワークに専念財務・お金年金の受給開始資産運用の見直し定期的に家計を見直す老後資金の再確認医療保険の見直し余剰資金を使って旅行を楽しむ生活費の見直し節約生活を意識する家族への資産承継計画を立てる家の修繕費用を計画財務計画の最終調整を行う住居と生活環境自宅のリフォームを計画家の断捨離を行う移住を検討する住み替えを実行バリアフリー化を進める生活環境の改善を図る快適な住環境を維持環境に配慮した生活を開始移住先での新生活を楽しむ住まいのリフォームを完了終の棲家を見直す個人の成長・自己実現生涯学習を開始新しい趣味に挑戦地域の文化活動に参加書道や絵画に没頭ガーデニングを楽しむ自己啓発に努める新しい学びを追求趣味の深化を図る地域の歴史を学ぶ文化活動を支援する新たな挑戦に取り組む社会的貢献・コミュニティ活動地域のボランティア活動に参加コミュニティ活動に貢献シニア向けの支援活動を展開地域のリーダーとして活躍教育支援に取り組む地域イベントを企画地域社会の発展に貢献コミュニティリーダーを務める教育支援活動を拡大地域社会での役割を強化コミュニティの発展に尽力目標健康で自立した生活を維持家族との時間を大切に地域社会への貢献を拡大新しい趣味を見つける自己成長を続ける社会的責任を果たす孫との絆を深めるセカンドキャリアを充実させる文化活動を通じて自己実現を図る地域社会でのリーダーシップを発揮自己実現を達成し、充実した生活を送る
自分史の記入例⑤: ママ(30歳から40歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢30歳31歳32歳33歳34歳35歳36歳37歳38歳39歳40歳健康妊娠に備えた健康管理妊娠中の定期健診出産後の体力回復子育てに伴う健康維持ストレス管理の強化子どもと一緒に運動栄養バランスを考えた食事作り家族全員の健康管理を徹底自分時間を確保しリフレッシュ定期的な健康診断ヘルスケア習慣を見直す人間関係子育て仲間との交流ママ友とのネットワーク拡大家族との時間を大切に子どもの幼稚園ママ友との交流夫婦のコミュニケーション強化実家との関係を深める子どもとの信頼関係を築く親子イベントに積極的に参加地域の子育てサークルに参加家族旅行を計画家族の絆をさらに強める仕事・キャリア仕事と子育ての両立を模索育児休暇を取得パートタイムで職場復帰家事と仕事のバランスを模索フルタイムでの職場復帰を検討スキルアップのための研修参加在宅ワークにチャレンジ子育てと仕事の両立を実現キャリアアップを目指す働くママとしての成功を確立新たなキャリアに挑戦財務・お金子どもの教育費の計画家計を見直し貯蓄を増やす生活費の見直し子どもの習い事に投資将来のための貯蓄計画を立てる教育資金の積立を開始家計管理を徹底家族旅行の予算を確保家計簿をつけて無駄を省く住宅ローンの返済計画を再確認老後資金の積立を開始住居と生活環境子ども部屋の模様替え家族が過ごしやすいリビングのレイアウト変更子どもの成長に合わせた家具選びキッチンの収納を改善バリアフリー化を検討家全体のリフォームを計画省エネ家電を導入生活動線を見直して家事効率を上げる庭の整備を行う家族全員が快適に過ごせる空間作り住環境の最適化を追求個人の成長・自己実現子どもと一緒に学ぶ楽しみを見つける自己啓発書を読む時間を確保趣味を見つけてリフレッシュ家族と一緒に楽しめる趣味を始める新しいスキルを習得子どもの教育に役立つ資格取得を目指す家族のために料理スキルを向上読書の習慣を取り戻す習い事にチャレンジ新しい学びを追求夢だった趣味を始める社会的貢献・コミュニティ活動地域の子育て支援活動に参加PTA活動に積極的に参加ママ友と一緒に地域イベントを企画子どもの学校行事に積極的に参加地域ボランティアに参加環境保護活動に取り組む子どもと一緒にボランティア活動地域の祭りに参加コミュニティ活動を推進地域社会に貢献するための活動を増やす地域のリーダーとして活躍目標子どもと一緒に成長することを目指す家族全員が健康で幸せに過ごせること仕事と家庭のバランスを保つ自分自身の成長と家族の幸せを両立夢だった趣味を始める家族のために安定した生活を築く子どもが健やかに育つ環境を整えるキャリアと家庭を両立させる家族との絆をさらに深める家族全員が安心して過ごせる環境を作る家族とともに新たな挑戦を続ける
【無料/登録不要】自分史エクセルテンプレートのエクセル/Excelテンプレートダウンロード
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自分史テンプレート(1年ごと)ダウンロード
自分史テンプレート(1年ごと) – 空白ダウンロード
テンプレートの特徴
使いやすいインターフェース: 初心者でも簡単に入力できる設計。
カスタマイズ可能: 自分の好みに合わせて項目を追加したり、レイアウトを変更できます。
ビジュアル化: グラフやチャートで視覚的に人生の歩みを把握できます。
テンプレートの使い方
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Excelテンプレートを使用することで、これまでの人生の歩みを整理し、今後の計画を立てるための強力なツールが手に入ります。ぜひ、このテンプレートを活用して、あなた自身のストーリーを記録し、将来へのビジョンを具体化しましょう。
まとめ
自分史エクセルテンプレートを活用することで、過去を振り返り、自己分析を深め、未来への計画を具体化することができます。この記事で紹介したテンプレートは、誰でも簡単に使える設計となっており、学歴や職歴、重要な出来事などを整理しながら、あなた自身のストーリーを一つの形にすることが可能です。特に、就職活動やキャリアプランの策定、高齢者の方々が人生を振り返る際に役立つことでしょう。
自分史を作成することで、自分の強みや課題が明確になり、次のステップへの道筋が見えてきます。また、家族や友人とのコミュニケーションツールとしても活用でき、共有することで新たな発見があるかもしれません。ぜひ、今回紹介したエクセルテンプレートをダウンロードし、人生のストーリーを紡いでください。
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kennak · 1 year
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これな若い世代が気にかけてくれたら助かるなので少し説明させてもらう①水屋が料金を下げてる理由一般にわかりにくいのが、荷物を輸送してほしいと考えた時輸送業者を選ぶ大手何社かと、独自の配送、みたいなのが一般的だろうしかし企業が業務を委託するのにはドライバー単位だったりチャーターだったりする輸送側は飛行機と同じで輸送量が片道めいっぱい、できれば往復とれないと採算があわなかったり儲けが少ないそこで輸送計画とか立てたりする 依頼を整理したり営業して委託業務を受けたりほかに回したりするわけだこれをまとめて窓口業務してるのが大手輸送業者輸送業自体は個人でやってたりするのもあるし大手も繁忙期には個人を使うこの取次業務を取ってるのが水屋だ 一般人が大手を使うのに宅配業者のセンターに持ち込んだり電話をするように企業は水屋に電話して荷物を依頼する依頼の時点で値段交渉がある ドライバーによってはとれるものやとれないものとらないもの料金の差もあるここで取り分をできるだけ多くかつ得意先がリピートするように安くをするのが水屋いい水屋をもっているかどうかが輸送料金のコストダウンにつながる そのダウンが業界全体を押し下げているわけだが自分の財布が痛まなければそれが最優先なところが多いのだろうこれが輸送料金の伸びないところ輸送料金が伸びないから給料が伸びない ドライバーを募集したり要請したりする余力がなくなるちなみに水屋というのは水商売だから依頼をうけてそのままドライバーになげるだけの仕事ドライバーが自身で営業、計画、経営、実務をこなせばいいだけじゃんと思うだろうが君が起業して社長兼部長兼係長兼平社員やれば経営者デビューで無駄にピンハネされなくて済むし自営業で仕事すればいいでしょって話とおなじ そんなのは実際無理だ必ずでてくるわけではない仕事を自分のコースと車両に一番ベスト積み荷をつくるのに、どれだけの人数と企業に交渉して調整しないといけなくなるのか想像に足らなければ大変だとだけわかってほしい水屋ならそれができるのかと言えば、いったん受けたり聞いた依頼を各ドライバーに連続して聞きまわってとってもらえばいいだけだから作業の流れが単方向ですむドライバー10人がそれぞれ調整すれば10x10の交渉になるのが、水屋に1件なげれば受け手が即きまれば1で済む 直列構造が並列構造より速い部分が活かされてはいるかといって自営業してる人ってわりといるじゃん?トラックも自営業でしょ?という話もでてくるかとおもうそりゃ業種でかわるだろうし規模でもかわる 言葉がおなじだからと話をそらすのは勘弁してほしいくもはそらにうかんでいてもおかしくはない それは水だから くもは巣を張っていてもおかしくはない それは昆虫だからどっちやねんといいたいのはこっちだ とりあえずトラックで自営業は1企業と張り合えるわけではない 大企業はその規模の業務を細分化して分担してるからあのお値段なんだ②全員正社員で大手輸送業がトラックドライバーを雇用すればいいのではないか輸送にも繁忙期や閑散期がある 常にMAXの人数を雇い入れておく余裕がないその余裕のなさは競争経済のおかげで安くサービスが受けれる恩恵の影だ必要なときには最大の人数が必要だが閑散期には最低限の人数で維持するのが精一杯だからそれ以外の時期に個別に割安でも仕事をうけて食いつないでおく部分が必要で、それが水屋になっている安く維持するためには水屋によってフリーのドライバーがドライバーで居続けていてもらう必要はあるが、閑散期と繁忙期の差の倍数分だけ基本料金を取るようにすれば全員雇用も可能だろう料金を上げれば運輸業界が助かるのは確かだがその価格高騰により運輸を利用した経済活動が低下するのは避けたい政策や企業努力としては知恵を絞るべきところだが、安易にドライバーが生き残る術を選択できるようにされた政策を維持しつづけている結果とも言えるだろう③輸送料金を適正にしたところで個別に安い手段がでてくるのではそれを緩めているのが物流2法適正な運輸業者が適正に業務しなければいけないという基準がないため元ドライバーなどが知識やコネがあれば輸送業できてしまう④なぜそんな法律を だれが得するの?ドライバーつまり輸送手段を最大限に社会の中には滞留させておいて必要な時には使いたいが常に維持するには無駄にコストがかかる企業が小規模事業を生かし共生することで閑散期の利益確保と繁忙期の最大利益の見込みの両方を獲得できる農業で言えば種をまくところから収穫までで1サイクルの収益見込みだが 少ない時にも損を出さず多い時は取りこぼしがないようにと2倍にしてるその閑散期に雇用されないドライバーを取り次ぎ生かしつづけてくれるのが水屋だが水屋自身も生き残り収益を伸ばすためにドライバーの値段を下げたり品出しをさせたりする企業もできるだけ安いところを相見積もりで一番安い業者を選択するものだから結局値段を下げざるを得ない 企業間で取引を証明するメリットもないからただ安いところにやりますよと言ってくれたら頼むのが「いちばんコスパがいい」になるインボイスで野良業者に消費税が、みたいな「大手が業務量することにメリットを少しでも還元する」という方法ができれば少しずつでもよくなるのではないかと思う所もある実際大手企業が利用しているドライバーでも地域や一日の請負量で無理や要望が通ってないことがありそれを個人ごとに調整しているところはある朝はやくとか夜おそめにとかにトラックが路上で荷口をつなげて配達の要件にあわせて荷物を入れ替えていたりする場面をみたことがある人もいるのではないだろうかあれは「ヨコ」と呼ばれていてそれぞれの都合にあわせて荷物は配送計画をされているはずだがそれでもあわない都合があるので積み替えたりしている集配所で不在だから帰ってきた荷物の持ち合いなんかもあるように 送ったら届くという単純な話ではないんだ⑤なんでだれも知らないの?自動車整備から始まって販売、輸送、化成まで成した八田会長が一般社団法人運輸中小企業区域変革物流協会で料金を改正しようとしていた月例活動やホームページでの情報発信、議員の支援などひろくあつく活動していたが 一般市民にとどくことはなかった配達料金があがる以外の特徴となんらメリットを一般市民が感じることがなかったからだろう結果、配達できず業界は伸び悩みどうしてドライバーが好きでやってるつらくて安い仕事なのに好きでやってて文句いうの?働けよ荷物だしてるんだから金はらってるんだから?不思議だなあということになってるみんなの労働を購入して金銭にかえてる消費活動をしてるのはドライバーだって一緒だ 金がなきゃみんなの収入にもならないしそれを値下げする輸送量の低減にもつながらない ドライバーが増えないんだから最大限の出力を確保できる安定性を大企業が手に入れたらその定価が輸送料金になるだろうしそこで計画性もうまれてくる しかし都度だししぶりと抜け穴でじゃぶじゃぶ仕事がぬけていったらどこにもお金がたまらないせっかくなのでこの機会に一般人にすこしでも知られる機会が増えたらとおもって書いた若い世代も、どうしようもない話だろうけれどもいずれなんらかの機会に考える材料にもっていてもらえたらと思う
これな 若い世代が気にかけてくれたら助かる なので少し説明させてもらう ..
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getrend · 2 months
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【愕然】 自社株が安くなってたから買い漁ってたら51%超えてて社内が大慌てになった結果・・・・・・・
今日のピックアップ記事 【閲覧注意】 ボクシング王者、DQN15人に暴行されてる少年を助けるも、その後終わる…(動画あり)(ポッカキット) 【動画】 ざんね~ん男の娘でした~❤エ●チなことできませ~ん❤←いや、できるが?(オカズランド) 美容師を辞めてプログラマーに転職したけど質問ある?(質問ある?まとめ速報) 松井珠理奈、大胆ビキニで大復活を遂げるwww(動ナビブログ ネオ) AV界で最も制服が似合うオールスター10人大舌レ交!チ●ポしごいてしゃぶってパコって抜きまくる3チーム対抗修学旅行を開催!(エロマーゾフの兄弟) 【愕然】 自社株が安くなってたから買い漁ってたら51%超えてて社内が大慌てになった結果・・・・・・・(稲妻速報) 【画像】 MUTEKIの芸能人デビュー、生まれた年と血液型が発表されるwwwww(おーい!お宝) 海外「日本での暮らしが恋しい…」…
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0613magazine · 2 years
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200801 Vogue Japan
世界が恋するBTSが見つめる未来〜独占インタビュー。
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今やアジアのみならず、世界で最も愛されているボーイズグループBTSを『VOGUE JAPAN』が独占撮影およびインタビュー! 7月に発売された新作アルバムのことはもちろん、ファンへの思い、そして将来の希望などについて聞きました。
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2013年にデビューしてから7年間、BTSが築き上げた実績は、そのとてつもない数字が物語っている。再生回数1億回を突破したミュージックビデオは計24本。2018年5月に発表したアルバム『LOVE YOURSELF 轉 'Tear'』、2018年8月に発表したリパッケージアルバム『LOVE YOURSELF 結 'Answer'』がともに米ビルボードで1位を記録。2018年、アルバム売上が世界2位のアーティストに選定された。2018年夏、ソウルからスタートしたワールドツアー“BTS WORLD TOUR LOVE YOURSELF”は、北米15回公演、ヨーロッパ7回公演すべてのチケット完売を記録。
頂点を極めたメンバーたちは爽やかで謙虚。 
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そんな圧倒的な業績を達成した7人のメンバーは、近づいてみると、礼儀正しい青年たちだ。彼らが登場する本誌8月号のテーマは「Luxury(ラグジュアリー)」。そこで、メンバーが考える「Luxury」について聞いてみたところ、答えは実にさまざまだった。  
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リーダーのRM(25歳)は落ち着いた口調でこう答えてくれた。「日常のささやかな瞬間を楽しんでいると自覚することが、最高のLuxuryだと思います。例えば、朝起きてすぐに植木に水をやる瞬間。どれほど平和で楽しいかを実感するときです」。
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「自分にさまざまな投資をし、いろいろな経験をしています」と、多彩な才能を持ち合わせているSUGA(27歳)。
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「誰かと心から触れ合えた瞬間ほど、胸がいっぱいになるときはありません。両親と食事をしながら交わす些細な会話や、僕を一番応援してくれる親しい友達と電話で話したり、そしてファンの皆さんと分かち合う日課。そんな心温まる出会いからインスピレーションやポジティブなエネルギーをもらっています。それが僕にとっては最高のLuxuryです」と、少年美あふれるV(24歳)が目を輝かせる。 
 性格もルックスも個性あふれるメンバーたちだが、ステージに上がるとそのパワーは一つとなってスパークする。
世界を舞台に、世界基準を変えた7人。 
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BTSの影響力は音楽活動だけに留まらず、社会的に、また芸術的にも広がった。2018年、UNICEF(国際連合児童基金)招聘の会合では、スピーチを通して「自分の声を見つけ、自分を愛そう」というメッセージを伝えた。そして、BTSの哲学とメッセージを共有するグローバル現代美術プロジェクト「CONNECT, BTS」では、アートと大衆をつなぐ架け橋になった。 
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BTSを通して全世界の音楽ファンは、K-POPの新しい世界はもちろん、価値体系の変化を目の当たりにした。友達のように気兼ねなく触れ合っていたかと思えば、ステージに上がると、カリスマ性にあふれる最高のダンスパフォーマンスを披露し、EDM、ヒップホップ等、今一番ホットなサウンドが一つになったダンスミュージックを完璧なスキルでこなすアーティスト。 
一方、欧米ではちょうど人種の多様性を享受するコンテンツが広く愛され、BTSの世界的な人気はそんな時代の世相を反映。と同時に、価値体系の変化、その出発点でもあったと言える。 例えばこれまで、アジアから欧米に進出し成功するには、英語で歌わなければと言われていた。インタビューにはRMが率先して流暢な英語で答えるが、BTSの楽曲の歌詞はほとんどが韓国語だ。
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「韓国の文化と、ありのままの僕たちを応援して関心を持ってくださることに感謝の気持ちでいっぱいです」と、自作のソロ曲「約束」では楽曲の深い世界観とハイトーンボイスで魅了したJIMIN(24歳)。
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ファンコミュニティ内では韓国語を学べるコンテンツもある。「僕たちがきっかけで韓国語を勉強するようになったと聞きました。とても不思議でありがたいです」と穏やかさと芯の強さを併せ持つ最年長のJIN(27歳)。
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「世界はとても広くて、とても狭いという相反する考えを持つようになりました。いろいろなことに感激するより、ここソウルで一生懸命、僕たちの音楽とパフォーマンスを磨き上げ、誠意を持って前進すること、それが一番、世界的なことではないでしょうか」(RM)
待望の日本アルバムに寄せるメンバーたちの期待。
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7月15日に日本で4枚目のアルバムとなる『MAP OF THE SOUL :7 〜 THE JOURNEY 〜』がリリースされた。2013年6月の韓国デビュー以来、7年間の喜びや苦悩、成功や試練を経て成長する“7人の旅の地図”がテーマとなっている。リード曲「Stay Gold」と、JUNG KOOKがプロデュースし、作曲に携わった「Your eyes tell」の2曲が新たに収録される。
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「自分が手掛けた曲にはいつもどこかに悔いが残るのですが、皆さんがこの曲を好きになってくれたらうれしいです」と、歌もダンスもパーフェクトな末っ子JUNG KOOK(22歳)は語った。  世界に韓国語の歌を届けている彼らだが、日本で発売されるアルバムには日本語の曲も収録される。 
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「同じ曲でも、オリジナルバージョンと日本語バージョンで魅力が違います。それぞれの言葉が持つ語感によるものもあれば、日本語バージョンとして新しくレコーディングしたことで新たにニュアンスが加わったものもあります。そこに集中して聴いていただけると、より興味深く今回のアルバムを楽しめますよ!」とムードメーカーのJ-HOPE(26歳)が笑顔で語る。
彼らがリリースする楽曲やミュージックビデオには、掘れば掘るほど楽しめる工夫が凝らされている。そんな完成度の高い作品が、世界のファンから音楽専門ジャーナリストまでを魅了するのではないだろうか。
予期せぬ事態に直面しつつも、前向きに躍進。 
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ただ、新型コロナウイルスの感染拡大により、春に開催予定だったソウル公演や北米公演が延期やキャンセルになるなど、BTSの活動も変更を余儀なくされた。 
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「これまで当然だと思っていたことを新しく感じるようになりました。ツアーの真っ最中は、今どの都市にいるのかもわからないほどに疲れて、自分の体がいつまで耐えられるだろうかと思うこともあります。でも、今回の事態を経た後は、もう一度、以前と同じ状況にぶち当たっても、仕事に臨めることの大切さを強く感じ、その瞬間をもっと満喫しようとするはずです」(SUGA)。
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「仕事に没頭するうちにその大切さを忘れて生きていた気がします。改めて振り返ってみると、仕事は僕の人生においてとても大事な原動力だということに気づかされました」(J-HOPE)。
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「自分をさらによい人間に成長させるために、ボクシングやギターなどをもう一度始めました。これからの自分の仕事のために、少し違ったアプローチをする努力をしています」(JUNG KOOK) 
 今や世界的なスターとして爆発的な人気を得たBTSだが、アーティストとしてターニングポイントとなった時期や曲はあるのか、聞いてみた。
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 「ターニングポイントはたくさんあったと思います。中でも一番記憶に残っている瞬間は、2015年の『I NEED U』が収録されたアルバム『花様年華 pt.1』をリリースしたことです。この曲があったから、僕が思い描いた夢のメンバー、そしてファンの皆さんのことを改めて考えるきっかけになりました」(JIMIN)。
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「2016年の『FIRE』が決定的な曲だと思います。『FIRE』のおかげでBTSとしての気持ちを新たにすることができました」(JIN)  
ファンと一緒に成長し、寄り添うメンバーたち。 
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抑圧された10代の心を代弁するヒップホップグループとして誕生したBTSが、『花様年華』シリーズから儚い青春の美しさを描いて人気を確固たるものに押し上げたできごとは、ファンにとっても大切な伝説のひとコマとなっているようだ。 最後に、7人でデビュー7周年を迎えたBTSが5年後、または10年後について、どんな世界を想像しているかを尋ねてみた。 
「年を重ねた分、内面がもっと成長して、素敵な人になっていたらうれしいです」(JUNG KOOK)。「5年後? 想像もできませんが、また違ったすごい世界が広がっているのかもしれませんね!」(SUGA)。「世の中は目まぐるしく変わっていて、5年後と言われても、はるか遠くのことのように思えます。10年前、スマートフォンがなくてはならない存在になっているとは、誰が想像できたでしょう(笑)」(J-HOPE)。「世界は驚くほど変わっていると思います。そのときも今のように、一緒に会って過ごすことができるなら、それ以上、望むことはないです」(JIN)。「どんな場所で、どんな姿で、どんな音楽をやっているか、全く想像できず、実は頭の中でずっと気になっています」(JIMIN)。
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「今と同じように、常に自分自身に挑戦する姿を見せて、ARMY(BTSファン)と一緒に年を重ねていけたらうれしいですね」(V)。
そして、リーダーのRMはこう言った。「5年前を振り返ってみると、BTSが注目され、活発な活動を繰り広げ始めた頃。そのときは、5年後に今のような姿になるとは全く予想できなかった。同じように、今から5年後の姿は想像することすら難しい(笑)。ただ、今のまま、元気に一緒に活動できたらうれしいですね。小さい希望だけど、それで十分です。そして今度はグラミー賞を受賞できたらうれしいです!!」 
若者の気持ちをリアルに表現し、詞と音楽とダンスで世界のミュージックシーンに風穴を開けた韓国の7人組。その未来は未知数だが、無限の可能性を秘めている。彼らが度々口にするように、近い将来、まずはグラミー賞を取るのかもしれない。
Profile JIMIN 1995年10月13日生まれ。「(自由時間があると)ソファに横になってテレビを観ています。あとは、歌の練習や運動をして過ごしています」。シャツ ¥105,000  パンツ ¥84,000  シューズ ¥95,000  ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)  その他/スタイリスト私物
J-HOPE 1994年2月18日生まれ。「(自由時間があると)音楽を聴いたり、ご飯を食べたり、寝たり(笑)……。主に家にいます」。シャツ ¥120,000  バミューダショーツ ¥68,000  ソックス ¥23,000  シューズ ¥83,000(参考色)  ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)  その他/スタイリスト私物
RM 1994年9月12日生まれ。「(自由時間があると)最近は運動をしたり、本を読んだり、動画コンテンツを見たりしながら過ごしています。もちろん、曲作りもしています」。ライトジャケット ¥380,000  シャツ 参考商品  バミューダショーツ ¥114,000  ソックス ¥23,000  シューズ ¥115,000  ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)  その他/スタイリスト私物
V 1995年12月30日生まれ。「(自由時間があると)Weverseをします。また、音楽を聴いたり、映画を観たり、曲作りをしています」。ジャケット ¥258,000  シャツ 参考商品  パンツ ¥90,000  シューズ ¥90,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)
JIN 1992年12月4日生まれ。「(自由時間があると)ゲームをしたり、寝たりしています」。ジャケット 参考商品  シャツ 参考商品  パンツ ¥90,000(参考色)  ソックス ¥23,000  シューズ ¥72,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)
SUGA 1993年3月9日生まれ。「(自由時間があると)最近はさまざまな挑戦をしています。さまざまな分野の勉強も一生懸命しています」。シャツ ¥105,000  パンツ ¥84,000  ソックス ¥23,000  シューズ ¥76,000  ロゴループタイ ¥28,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)  その他/スタイリスト私物
JUNG KOOK 1997年9月1日生まれ。「(自由時間があると)最近は、普段できなかったことをもう一度習っています」。ライトジャケット 参考商品  シャツ 参考商品  バミューダショーツ ¥68,000  ソックス ¥23,000  シューズ ¥115,000(すべて予定価格)/すべてPRADA(プラダ クライアントサービス)  その他/スタイリスト私物
Scans from Jun 2020 Magazine
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English Translation
Seven years after debuting in 2013, the achievements BTS have accumulated are told through tremendous figures. 24 of their music videos have surpassed 100 million views. The album LOVE YOURSELF TEAR announced in May 2018 and LOVE YOURSELF ANSWER announced in August 2018 both ranked in 1st in the Billboard charts. Their album sales put them as the second best-selling artist in the world in 2018. The world tour that started in Seoul in summer of 2018 had 15 shows in North America and 7 shows in Europe, all sold out.
Even after reaching such heights, the members are refreshing and humble. Upon approaching the seven members that had achieved such tremendous feats, they turned out to be well-mannered young men. The theme of the August Issue they’re featuring in is Luxury, so they were asked about what they considered a luxury. Their answers truly varied a lot.
Leader RM answered this in a calm tone: RM: Being aware of how the smallest moments in daily life can be enjoyable is the greatest luxury, I believe. For example, watering my plants the first thing in the morning. I can feel how peaceful and joyful I feel at that moment.
SG: To be able to invest in yourself and experience many things. SUGA, who has a diverse range of talents, said.
V: There’s nothing that fills my heart more than being able to interact with someone with sincerity. Chatting about trivial things over a meal with my parents, talking to my closest friends over the phone, and being able to share my day with the fans. I receive inspiration and positive energy from such heartwarming moments. That is the greatest luxury to me. V said with his eyes shining with youthful beauty.
The members all have their own individual personality, appearances, and characteristics, but when they go on the stage their power combines into a single spark.
With the world as their stage, these seven people changed the standards of the world. BTS’s impact is not just musical – their influence extends to society and the arts as well. They were invited to the UNICEF General Assembly in 2018 where they gave a speech with the message of “Love Yourself, Speak Yourself.” They also combined their philosophy and message with global contemporary art in CONNECT BTS, a bridge that connected art and continents.
Through BTS, music fans around the world are witnessing a new era of K-POP and the change of existing values. They are artists that interact freely with fans in a friendly manner before going on stage to show the ultimate, charismatic dance performance. EDM, hip-hop all the hottest sounds come together to create dance and music perfected by their skills Meanwhile, the west is currently in a state where multicultural content is widely received and loved: BTS’ worldwide popularity is testament to that state of society. At the same time, the change of values could be said to have originated from that.
For example, it was said that success in the west only came about by singing in English. RM leads nterviews with his fluent English, but BTS’ song lyrics are almost entirely Korean.
JM: We’re so grateful there’s interest in the culture of Korea and that we’re supported for being ourselves. said Jimin, whose charming high-tone voice depicted a profound world in his self-composed solo song, Promise. There is even content in the fan community to learn Korean.
J: We’ve heard of people who started learning Korean because of us. It’s a very strange feeling, but we’re grateful Jin, the eldest possessing both a strong core and gentleness, said.
RM: I’ve started to consider the world as somewhere that is both very big, yet at the same time very small. Rather than being deeply affected by everything, we polish our music and performance here in Seoul, to the best of our abilities. I believe moving forward with sincerity is the best thing we can do for the world.”
The expectations of the members as their long-awaited Japanese album approaches. The fourth Japanese album MAP OF THE SOUL 7 JOURNEY will be released on July 15. The theme is the journey of seven people since their debut in June 2013 – seven years of joy and pain, trials and tribulations, success and growth. Lead song Stay Gold and a second song produced by Jungkook titled Your Eyes Tell are newly recorded.
JK: I always have lingering regrets about the songs I make myself, but I hope that everyone will like this song. Jungkook, the maknae perfect at singing and dancing, said.
BTS deliver songs in Korean to the world, but on Japanese albums the songs are recorded in Japanese.
JH: Even if they’re the same song, the original version and Japanese version both have their own charms. There are different nuances in the words of different languages, and newly recording the Japanese version means something new is added to the song as well. If you listen carefully for those nuances, I’m sure you’ll be able to enjoy the album even more! The mood-maker j-hope said with a smile. In the songs and music videos of BTS, there are many intricate details to be enjoyed the deeper you go. Such perfected works have charmed not only fans around the world, but music industry journalists too.
Despite facing an unexpected situation, they push forward positively. However, due to the spread of the COVID-19 pandemic, the Seoul and North American concerts planned for spring have been cancelled or postponed. BTS’ plans were forcefully changed.
SG: I started seeing the things I took for granted until now in a new light. Normally in the middle of tours, l’d be so tired I’d have no idea what city I was even in, wondering how much longer my body would hold out. But after the circumstances this time, even if I were placed in a similar situation to before I’ve realised how important it is to face my work and enjoy the moment to the fullest.
JH: Being immersed in work all the time has made me forget the importance of that. Looking back on it now, I realise how much of my work is my driving force in life.
JK: In order to develop myself into a better person, I started learning things like boxing and guitar again. I’m going to work hard and take a different approach towards my job.
The current BTS are superstars that have achieved explosive worldwide popularity, so we asked them if there was a particular time period or song that was their turning point.
JM: I believe there were many turning points. Among them, the one I consider most memorable would be when we released HYYH Pt. 1 in 2015 with the title song I NEED U. This song was what spurred me into reconsidering the dream I had pictured with the members and fans.
J: I think the song FIRE from 2016 was a definite turning point. It was thanks to this song that I was able to refresh how I felt as a part of BTS.
Growing with the fans, the members grow closer. Born as a hip-hop group that spoke on the behalf of oppressed teenagers, the HYYH series that depicted the fleeting beauty of youth boosted and cemented their popularity is a fan favourite of their many legendary moments.
Finally, we asked the now-seven-year-old BTS what they imagine the world will be like in five or ten years' time.
JK: l’d be happy if I matured more on the inside and became a great person as I gain years
SG: Five years' time? I can’t picture it at all, but I’m sure it’ll be another wonderful world!
JH: The world changes dizzyingly fast, so five years sounds like a lifetime away. Who would have imagined smartphones would become such an essential item ten years ago? (laughs)
J: I think the world changes in surprising ways. There’s nothing I want more than for us to be able to meet each other and spend time together just like now.
JM: Where will we be, what will we look like, what kind of music will we be doing? I can’t imagine it at all…. It’s actually something I’ve always wondered about myself.
V: Just like now, I’d like to be able to keep challenging myself and show that side of me to ARMY, who I hope will grow old with us.
Finally, the leader RM said this: RM: Looking back on five years ago, BTS was just starting to gain momentum in activities Back then, we would never have been able to imagine our current selves in five years' time. Similarly, it’s difficult to imagine what we’ll look like in another five years. (laughs) But I’d be happy if we could continue as we are right now, happily and healthily. It’s a small wish, but it’s more than enough. And I hope we can win a Grammys next time!
The seven-membered Korean group expressing the realistic feelings of youth and breathing new life into the music scene through their lyrics, melodies, and dance. Their future is unknown but holds countless possibilities. Like they occasionally mention themselves, a Grammy award mav be possible for them in the near future.
2018/09 – First appearance on The Tonight Show Starring Jimmy Fallon. Spoke about their dream to attend the Grammys someday.
2020/01 – Attended the Grammys as the first Korean artists to perform on stage. Collaboration with Lil Nas X.
2020/02 – Performed their new song ON at New York’s Grand Central Station for The Tonight Show.
2020/03 – Participated in James Corden’s remote music program Homefest by performing Boy With Luv.
2020/02 – Appeared in The Late Late Show’s extremely popular corner, Carpool Karaoke.
JIMIN Born 1995/10/13. “When I have free time, I lie on the sofa and watch TV. I also practice singing and exercise.” Shirt 105k, Pants 84k, Shoes 95k, Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP)/AIl PRADA / Others stylist-owned
J-HOPE Born 1994/02/18. “When I have free time, I listen to music, eat, sleep… (laughs) I mostly stay at home.” Shirt 120k, Bermuda Shorts 68k, Socks 23k, Shoes 83k (sample colour) Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
RM Born 1994/09/12. “When I have free time, I’ve recently been working out, reading, watching videos. Of course, I write songs too.” Light Jacket 380k, Shirt (sample item), Bermuda Shorts 114k, Socks 23k, Shoes 115k, Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
V Born 1995/12/30. “When I have free time, I’m on Weverse. I also listen to music, watch movies, write songs.” Jacket 258k, Shirt (sample item), Pants 90k, Shoes 90k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA
JIN Born 1992/12/04. “When I have free time, I play games and sleep.” Jacket (sample item) Shirt (sample item), Pants 90k (sample colour), Socks 23k, Shoes 72k (AIl JPY RRP) / All PRADA
SUGA Born 1993/03/09. “When I have free time, I’ve been taking on new challenges lately. I’m studying my hardest in all sorts of subjects.” Shirt 105k, Pants 84k. Socks 23k, Shoes 76k Logo Loop Tie 28k (AIl JPY RRP) / AIl PRADA / Others stylist-owned
JUNG KOOK Born 1997/09/01. “When I have free time, I’ve been learning things I couldn’t learn properly all over again.” Light Jacket (sample item), Shirt (sample item), Bermuda Shorts 68k, Socks 23k, Shoes 115k (AIl JPY RRP) / All PRADA / Others stylist-owned
Source: Vogue Japan Scans by: @kocchi English translation by: @kocchi
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yotchan-blog · 2 months
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2024/7/23 12:00:48現在のニュース
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suzukikahiro · 2 months
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自己紹介
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こんにちは、スズキカヒロです
こんにちは、皆さん。スズキカヒロと申します。この記事を通じて、僕の音楽の旅、創作の過程、そして移住先新潟での生活についてご紹介したいと思います。
音楽の旅の始まり
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絵:つきおかももこ
1975年、福島県いわき市に生まれました。
音楽との出会いは中学2年の時、初めてエレキギターを手にしたことから始まります。 高校時代はバンドのギタリストとして活動し、大学時代にはオリジナル曲のバンドを結成してボーカル&ギターを担当しました。 音楽に対する情熱は年々増し、その後も精力的に活動を続けました。
2005年にはシングル「坂道テケテ」とアルバム「カヒロックス」でメジャーデビューを果たしました。 デビュー以来、キャッチーで豊富な楽曲を提供し、ファンタジックでポエジーな音楽世界を紡ぎ続けています。 しかし、成功のために生活の全てを犠牲にすることに大きな違和感を感じ、一度音楽活動を中断しました。
新たな始まりと移住
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絵:つきおかももこ
音楽活動を中断した後、本当の「豊かさ」や「幸せ」を追い求める中で、「目標達成」と「幸せ」を両立させる大切さを実感しました。
その結果、2020年に埼玉から新潟へ移住することを決意しました。
新潟の豊かな自然の中で生活することで、心身ともに整い、音楽家としても成長できると感じています。
スズキカヒロの音楽の特徴
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絵:つきおかももこ
僕の音楽は、多様な影響を受けています。 特にアイルランド民謡やフォルクローレ、ジプシーブラスなどの民族音楽、そしてThe Beatlesなどの影響も強く受けています。 これらの音楽を自分なりに消化しながら、日本のポップスと融合させています。これにより、僕独自の音楽スタイル「森の音楽」が生まれました。
「森の音楽」は、今までの人生で得た音楽の知見や経験を全て活かし、カヒロ独自の「癒しの音楽」「心豊かに暮らすための歌・音楽」を追求しています。 自然の中で感じる静けさや美しさ、心の平穏を音楽で表現することを目指しています。 特に、森の中や海岸での弾き語りや録音を通じて、自然のエネルギーを音楽に閉じ込めています。
現在はDTMを用いて音楽を作っていますが、音の「手触り感」を大切にしています。ギターは生で録音することで、DTMサウンドに独特の空気感を持たせています。 歌詞やメロディも、自分の潜在意識から湧き上がるものを取り出して、曲の「空気感」を大切に構築しています。
現在の活動
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現在、新潟の自然の恵みを身近で受け取れる環境で心身ともに整えながら、創作活動を続けています。具体的には以下のような活動を行っています。
子供向け動画コンテンツへの楽曲提供:2021年より、子供向け動画「へんしん!ムシのうた」(ゆめある)シリーズなどの楽曲制作を手がけています。この活動を通じて、多くの子供たちに楽しい音楽を届けることができました。 生き物のうたシリーズ(虫・恐竜など) - YouTube
楽曲リリース:SpotifyやApple Musicなどの音楽配信サービスで定期的に楽曲をリリースしています。これまでに数十曲をリリースし、リスナーからの反響を得ています。
StoreStore - ダウンロードとストリーミングストアsuzukikahiro.amebaownd.com
YouTubeチャンネルの運営:YouTubeチャンネル「森と子どもの音楽家 スズキカヒロ」では、音楽の発信を軸に、最近は宮沢賢治の世界観に共感し、「ポラーノの広場」などの作品や自作の詩の朗読にも挑戦しています。 また、森の中での弾き語り動画なども発信し、それを見た制作会社の代表から、自社の曲をその森で森や海岸での弾き語り動画や歌って動画にしてほしいという依頼を受けるなど、新たな仕事の機会も広がっています。
森と子どもの音楽家 スズキカヒロ🌳音楽家スズキカヒロのチャンネルへようこそ!🌳 このチャンネルでは、オリジナル曲、童謡、こどものための音楽、ぬくもり系音楽www.youtube.com
オリジナルアルバムの制作:現在、オリジナル曲のアルバム制作にも取り組んでいます。新潟の自然環境から得たインスピレーションを音楽に反映させ、心に響く楽曲を作り上げています。
音楽の旅人: スズキカヒロのアルバム創作記2024|スズキカヒロ|note音楽家スズキカヒロが新潟の自然にインスパイアされて創り上げるアルバム制作の過程を記録するマガジンです。メジャーデビュー、活note.com
これからも、音楽を通じて多くの人々に癒しと喜びを届けていきたいと思っています。
最後に
僕の音楽が、あなたの日々の中で少しでも心の豊かさや安らぎを感じていただけるものになれば幸いです。これからも、僕の音楽の旅を応援していただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。 音楽を通して、心豊かな人生を共に暮らして行ける仲間と繋がり、交流して行けたら嬉しいです。 コメントやご連絡など、いつでもお気軽にコンタクトください。 スズキカヒロ
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