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#竹脇無我
fuckyeahmeikokaji · 8 months
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Meiko Kaji (梶芽衣子) and Muga Takewaki (竹脇無我) in Kareinaru Dai Dorobo! Yonchome No Keiji No Ie No Magari Hito!! (華麗なる大泥棒! 四丁目の刑事の家の間借人!!), 1977.
Scanned from the May 1977 issue of Movie Pictorial (映画情報).
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bearbench-tokaido · 2 months
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三篇 上 その三
さて、二人は、ここを出てまもなく、大井川の手前の島田の宿場に着いた。 川越し人足どもが出迎えて、 「旦那がた、川、わたりますかい。」 と、聞いてくる。
「きさま川越しか。二人いくらで越す。」 と、弥次郎兵衛が、聞くと、 「はい、今朝、やっと川留めが明いた川なんで、肩車じゃ危ない。 蓮台で行きますんで、お二人で八百文ください。」 川越し人足が答える。 弥次郎兵衛は、それを聞いて、 「八百だと。とんでもない。淡路島に渡るんじゃねえんだ。」 「それなら、いくらだせるんで。」 川越し人足が答える。 弥次郎兵衛は、 「いくらもすりこ木もねえ。俺がじかに川を越そう。」 と、言うと、人足が笑って、 「おいおい、川流れの死人なら、二百文つけて寺へやるから、 なんならそうさっしゃい。流れたほうが安くあがら。ハハハ。」 弥次郎兵衛は、 「ばかいえ。問屋へかけあって、この川を越してやる。」 と、いい捨てて足早に、その場を立ち去った。 「くそ、北八よ。あいつらをからかうのが面倒だから、いっそのこと問屋へかけあって、川を越そう。お前の脇差を貸せ。」 と、無理矢理に北八から脇差を取り上げた。
ところで、大井川には、島田と対岸の金谷に川越しを管理する所(川会所と問屋)がある。 川越しの業務は川会所の指図で行っていて、川を越したい旅人は、渡し賃が公定価格の問屋に申し込むか、あるいは人足と直接交渉して、渡し賃を決める二つの方法がある。 ただし、武家は問屋渡しが原則になっていた。
北八は、合点が行かぬ様子で、 「脇差を貸せだと。なぜだ。どうする気だ。」 と、問い掛けるのに、弥次郎兵衛は、 「決まっておろう、侍になるのよ。」 と、北八の脇差をとって腰に差し、自分の脇差の鞘袋を、後ろの方に長く伸ばして、まるで、武士が、大小二本の刀を差しているように見せかけた。
「どうだ、北八。出来合いのお侍みたいになったろう。 この風呂敷包を持って、手めえ一緒に、供になってついて来い。」 北八は、この様子を見て、 「こいつは大笑いだ。ハハハ。」 と、北八は弥次郎兵衛の荷物を一緒にして肩に引っ掛けて、二人で川問屋にむかった。
弥次郎兵衛は侍のお国ことばの声色で、 「こりゃ、問屋ども、身どもは、大切な用件でまかり通る。川越し人足を頼むぞ。」 と、問い掛けると、 「はい、かしこまりました。何名様になりますので。」 と、問屋が返事をする。 弥次郎兵衛は、 「何名とな。」 「はい、さようでございます。 旦那様は、おかごかお馬か、それにお荷物はいくらほどございます。」 と、問屋が聞いてきた。 弥次郎兵衛は、 「本来なら、荷物をつませる馬が三匹に、荷物が十五であるが、今回は、道中、邪魔になるので、連れてきてない。 その代わり、かごかきが八人いる。その帳面へそうかいてくれ。」 「はいはい。で、お侍衆は何人で。」 と、更に、問屋は聞いてくる。 弥次郎兵衛は、 「侍どもは十二人に、鎗持ち、挟箱、草履取り、それから、合羽かご、竹馬、で、郡合三十人あまりじゃ。」 「はいはい。で、その皆様はどちらにおられます。」 と、弥次郎兵衛の後ろをすかしてみている。 弥次郎兵衛は、澄ました顔で、 「いやなに、江戸から旅立ったときは、召し連れていたのだが、途中でおいおい麻疹(はしか)にかかりおって、宿に残しおいた。 そこでただ今、川を越そうと言うのは、二人じゃ。 蓮台越しにいたそう。価はいくらじゃ。」 問屋は、肯くと、 「はい。お二人なら、蓮台で四百八十文でござります。」 「それは高値じゃ。ちとまけやれ。」 と、弥次郎兵衛がいうと、突然、問屋の男の言葉が乱暴になった。 「なんですと。この川の渡し賃を負けろですと。 馬鹿なことをいうもんじゃない。さあ、商売のじゃまだ。早くいってください。」 弥次郎兵衛は、この勢いにおされながらも、芝居を続けている。 「いや、侍に向かって馬鹿とはなんじゃ。」 問屋の方は、何やら気がついたようで、にやにや笑いながら言う。 「おやおや、侍がきいてあきれる。」 弥次郎兵衛も、引っ込みが付かない。 「こいつ武士を愚弄しておる。ふとどき千万。」 「お前さんは、どんな武士なんだ。ほれ、刀の先を見てみなさい。」 と、言われて弥次郎兵衛は、振りかえって後ろを見れば、刀の先のところが、柱につかえて、せっかくのばしたところが二つに折れている。 みなみな、それを見てどっと笑い出したので、さすがの弥次郎兵衛も面目なく、しよげかえって、だんまりをきめこんだ。 問屋が更に言う。 「折れた刀の差す武士がどこにいる。 さては、お前さん、問屋をだましに来たな。それでは、済ませないぞ。」 弥次郎兵衛は、なおも芝居を続ける。 「いや、拙者は、三尾谷四郎国俊の末孫だから、 それで刀の折れたのを差しおるので・・・。」 「これ以上、ふざけたことをいうと、縛り上げるぞ。」 と、問屋は怒った様子だ。 それを見ていた北八は、 「弥次さん、もう、無理だ。早く行こう。」 と、手を取って引きずられ、弥次郎兵衛もそれをしおに、こそこそと逃げだしていく。
問屋は、その二人に、 「ハハハ、とんでもない連中だ。」 と、言っている。 「ちっ、失敗した。いまいましい。ハハハ。」 と、弥次郎兵衛は、苦い顔で、一首詠む。
出来合いの なまくら武士の しるしとて 刀の先の 折れてはずかし
この狂歌に、問屋の者たちも感心、双方大笑いとなる。
弥次郎兵衛と北八は問屋を離れ、急いで川岸に戻ってみると、川越の往来は隙間もなく、先を争って行っている。 二人も人足とかけ合って値段を取り決めて、蓮台に乗って見ると、大井川の水は逆巻いて、目もくらむようだ。
今や命も捨てようかと言うほどの恐ろしさはたとえようもなく、まことに東海第一の大河、水勢早く石も流れて、渡るに悩む難所ながら、ほどなく無事にわたり終えて、蓮台を下りたうれしさは、この上もないほどだった。
蓮台に 乗りしは結句 地獄にて 下りたところが ほんの極楽
さて、二人は、無事に大井川も渡り、金谷の宿場に着いた。 ここでも、両側の茶屋の女中が声をかけてくる。 「お休みなさいまし、お休みなさいまし。」 そのうちの一軒の茶屋にいたかごかきが声をかけてきた。 「旦那方、戻りかごだ。安くするから乗って行きなされ。」 北八が 「ほれ、弥次さん、かごはどうだ。」 と、問い掛けると、弥次郎兵衛は、ちょっと考えて、 「いや、やめとこう。お前が乗りたければ、そうしろ。」 北八は、 「そんなら、俺だけ、日坂まで乗ろうか。」 と、かごの値段を決めて乗った。弥次郎兵衛は、その横をついて歩いている。
降り悪く雨が降り出したので、かごかきは、古いござを一枚ぶせた。 早くも菊川の坂にかかると、西国三十三観音の巡礼が二、三人、かごに乗っている北八に話し掛けてきた。 「はい、かごに乗ってらっしゃる旦那。一文くださいな。」 北八は、 「寄りつくな、寄りつくな。」 追っ払おうとしている。巡礼はなおもしつこく、 「御道中、御繁盛の旦那、この中へたった一文でいいですから。」 と、拝み倒さんばかりの様子である。 北八は、巡礼があんまりしつこいのでつい、 「ええい、寄りつくなと言うに。べらぼうめ。」 と、言うと、 「ない、べらぼうだ。べらぼうと言う方がべらぼうだ。」 と、巡礼がやり返す。 「この乞食めが。」 と、北八が力むはずみに、どうしたことか、かごの底がすっぽり抜けて、北八どったりと尻餅をついた。 「あいたたた。」 それをみた巡礼は、大笑いしている。 かごかきは、大慌てで、 「あれあれ、怪我はありませんか。」 と、北八をみると、 「おい、お前らは、どうしてこんなかごにおれを乗せたんだ。」 と、怒っている。 かごかきは、 「許してください。わざとというわけじゃないんですから。」 と、困った様子。 「どこぞへ行って、いいかごを借りて来い。」 北八は、代わりのかごをもってこいと催促する。 「ここは坂の途中で、借りるとこはないで・・・。 そうだ。いいことがある。おい、相棒よ。お前のふんどしを外せ。」 かごかきの相方はそれを聞いて、 「はて、ふんどしをどうするんだ。」 と、脱ぎに掛かる。 「まあ、俺がすることをみていろ。」 このかごかきは、自分のふんどしと、相棒のふんどしで二つの輪を作り、 これで、ござの上からかごを括ってしまった。
「さあ、これで大丈夫。乗ってみなされ。」 と、かごかきは澄ました顔で、あきれている北八を見ている。 「無茶苦茶なことをするもんだ。これで乗られるもんか。」 と、北八は、首をふっている。
つづく。
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sirinpasin · 10 months
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关于阿私陀仙的记载(20230716)
尔时,彼处有一仙人,名阿私陀,能立外道种种诸义,以舍五欲,有大威神,有大德力,具足五通,常能到于三十三天集会之所,自在能入。彼仙多住南天竺国遮槃低城聚落,名恒河怛,去彼不远,有一丛林,名曰增长,是时仙人,在彼林中,修学仙道。摩伽陀国,一切人民,咸皆谓:『此阿私陀仙,是阿罗汉。』摩伽陀国一切人民,贵敬彼仙,尊重承事。时彼仙人,有所知解,悉以教人,自知见已,教他令见。时彼聚落,有一童子,名那罗陀。彼那罗陀,年渐长大,至于八岁,其母将付阿私陀仙,令作弟子。时彼童子,供养恭敬尊重师事阿私陀仙,尽弟子礼,无暂休息。时彼仙人在增长林,昼夜精进,摄心坐禅,及那罗陀童子一处;其那罗陀侍者童子,在仙人后侍立,执拂駈逐蚊虻。
菩萨从于兜率陀天,正念下至净饭王宫,夫人右脇入于胎时,放大光明,遍照人天一切世界,复此大地具足六种十八相动。时阿私陀见未曾有希奇之事,异种光明,复见此地六种震动,心大惊怖,毛孔悉竖,自心念言:『今有何缘,此大地动?有何果报?』时彼仙人,少时思惟,默然而住,正念正定思惟知已,心生欢喜,踊跃无量,不能自胜,作是唱言:『希有大圣不可思议,世间当出大富伽罗。』
世間事無常,  猶如雲出電,
尊者今時至,  應捨家出家。
一切行無常,  如瓦坏瓶器,
如借他物用,  如積乾土城,
不久便破壞,  猶如夏泥壁,
如河兩岸沙,  緣生不能久。
猶如燈出炎,  生已速還滅,
如風無暫住,  急疾不曾停。
恒常無真實,  猶如芭蕉心,
幻化誑人意,  空拳誘小兒。
一切諸行者,  皆悉因緣生,
各各有緣因,  愚癡輩不覺。
猶如人索繩,  手木成因緣,
如因子生芽,  離子芽不生。
二相離不成,  復非常無常,
諸行因癡生,  彼不住無明。
無明亦非彼,  本性來空寂,
生滅無體故,  如印成印文。
非彼非離彼,  諸行亦如是,
眼不離於色,  識眼色因生。
此三不相離,  三亦不真實,
空淨不淨法,  眼等分別生,
此顛倒分別,  皆悉由識生。
若有巧智人,  推求識所生,
知彼無去來,  知我如幻化,
如兩木出火,  第三因於手,
若無此三因,  則不得火用。
若智推求者,  彼亦無去來,
諸方尋求已,  不見火來去。
陰入諸界等,  因貪癡業生,
和合因眾生,  真如無眾生。
咽喉脣口舌,  而出諸文字,
字非是咽喉,  亦非離彼等,
彼等和合故,  出語隨於智。
語言不在智,  亦復無色形,
生處及滅處,  智人求不得。
所觀悉空寂,  語言如響聲,
因木因諸絃,  人智三合故,
箜篌而出聲,  彼聲三處無。
若有智慧人,  求彼聲來去,
諸方求覓已,  去來不可得,
因及有緣者,  諸行如是生。
有諦了之人,  空觀應如是,
陰入及諸界,  內外悉皆寂。
求一切處我,  如虛空無形,
如是諸法相,  仁於定光佛,
往昔已證知,  今為天人說。
顛倒分別故,  欲等火焚燒,
應起慈悲雲,  施甘露法雨。
仁昔於億劫,  念施及持戒,
我得無上道,  聖財分諸世。
尊者念往昔,  聖財施貧窮,
以將聖財攝,  調御莫慳惜。
仁昔持淨戒,  窮急不偷財,
願開甘露門,  為諸眾生說。
憶念往昔行,  當閉地獄門,
善開解脫路,  戒行心願成。
往昔修忍辱,  聞他毀罵等,
建立忍辱故,  觀諸行悉空。
念此往行故,  世間瞋恚多,
教住於忍辱,  莫捨彼願力。
仁者行精進,  當得我淨智,
在於煩惱海,  度眾到彼岸。
念於往昔願,  拔眾四苦河,
出大精進力,  度脫厄難等。
往昔修習禪,  為斷諸煩惱,
諸根不調者,  教令調伏故。
仁念於往昔,  愍眾在煩惱,
寂靜諸慧等,  調伏彼諸根。
仁昔修智慧,  願破煩惱暗,
愍眾在無明,  開示真如眼。
仁念於往昔,  眾生煩惱瞑,
開無濁穢明,  仁最勝智慧,
應愍諸眾生,  方便教令出。
三界生老病火熾,  飢渴熱炎不曾休,
應當為世作大橋,  濟渡令歸到彼岸。
眾生流轉煩惱海,  猶如蜂在竹孔間,
三有循復若秋雲,  上下往還無止息。
亦如戲場諸幻化,  又似山川逝水流,
眾生老病死亦然,  或生天人三惡道。
諸有慾癡不自在,  展轉五道無覺知,
猶如陶師旋火輪,  處處五欲自纏縛,
猶如飛鳥犯羅網,  亦如獵師布黐膠,
貪他財寶無厭足,  如魚吞餌遇釣鈎。
諍競忿怒結怨讐,  煩惱染著受諸苦,
五慾過患如利刀,  亦如妙器盛毒藥,
應當棄捨如糞穢。  貪著愛戀失正心,
是因諸有相續生,  增長欲垢不曾斷,
六塵境界炎熾盛,  猶如乾草猛火燒,
速起捨離早出家。  智人觀察諸慾境,
可畏猶如猛火坑,  亦如魁膾屠刀机,
亦如深泥忽溺人,  利刃蜜塗將舌舐,
如觸蛇頭及攪屏。  聖人觀慾亦復然,
如箭如槊如劍戟,  如毒射肉難可食。
一切怨讐慾為首,  五慾功德如水月,
如影亦如山谷響,  亦如戲場眾幻師,
猶如夢裏見喜事。  智人見欲亦復然,
境界諸塵悉空誑,  怖畏不能得自在,
譬如陽炎無有實,  亦如水上聚浮漚,
此事皆從分別生,  智人應觀如是等。
凡人處世年少時,  端正可喜著諸慾,
及至年老頭鬚白,  為眾棄薄如枯河。
富貴饒財多放逸,  如是之人多樂慾,
於後失財貧窮苦,  以不自在捨於慾。
如樹多饒華果故,  眾人競來慾採摘,
人喜布施亦復然,  為他歸投無厭足,
其人財盡年老至,  從他乞求不喜見,
色美財多氣力充,  人喜愛見聚集樂,
財盡行乞人不喜,  年過膢脊手執杖,
如雹折樹無人愛。  如是可畏衰老法,
汝當速出求正覺,  自證已後為人說。
老病瘦損諸人輩,  如摩樓迦繞大樹,
衰老身力無精進,  乾枯猶如朽爛木。
老奪好色生惡色,  怡悅顏面皮膚皺,
老壞華色為悴色,  欲樂奪樂令無樂,
老奪威勢到命終,  眾病至如鹿投穽,
汝見世間百病已,  速說解脫方便處。
猶如冬天風雪雨,  摧折樹木軟枝柯,
世間老病多種至,  諸根損瘦亦復然。
老至令人盡倉庫,  世間欺苦莫過老。
死命鬼奪人氣去,  如日沒山不復現,
死命令人恩愛離,  使人憎嫉不喜會,
欲共恩愛之人合,  忽失如葉墮大水。
死至令人不自由,  命去如水漂一草,
人到彼世無有伴,  隨其業緣而受有。
死命鬼飲無量眾,  猶如摩竭吞海舟,
若金翅鳥噉大龍,  如猛火燒乾草澤。
如是苦惱逼切已,  大士往昔起弘誓,
念彼願力今時至,  捨慾應當速出家。
憶往昔行檀,  戒忍及精進,
寂靜禪智等,  為他不為自。
時至今願滿,  速出復脫他,
仁昔施諸珍,  金銀及瓔珞。
恒立無遮會,  隨他所須願,
乞子與其子,  索孫即與孫。
求女與他女,  乞位捨王位,
乞資財不違。  仁昔作一王,
名為大聞德,  復一大德王,
名尼民陀羅,  復名阿私陀,
復名為師子,  此等諸王輩,
布施千種財。  昔復有大王,
名常思諸法,  復一大德王,
名為真實行,  此等思惟法。
往昔有大王,  精進名聞月,
復有一王子,  名曰福業光,
庶幾大威德,  得至知恩義。
仁昔一大王,  名為月色仙,
復名健猛將,  次名實增長,
次名求善言,  次名有善意,
次名調伏根,  如是等諸王,
法行大精進,  仁往昔作來。
仁昔作大王,  名為月光者,
其次名勝行,  其次名連兔,
其次名方主,  其次名健施,
次名迦尸王,  次名寶髻王,
如是諸大王,  即仁是非異。
種種珍寶貨,  來乞皆隨與,
仁彼世財施,  今勸捨法財。
仁昔於過去,  見佛如恒沙,
彼諸佛世尊,  仁悉曾供養。
無量供養具,  布施無慳悋,
求道不休息,  眾生解脫故。
今正是其時,  速出莫住家。
仁昔初覩佛,  名曰不空見,
持毘奢迦華,  喜心供養彼。
往昔有一佛,  名毘盧遮那,
一時歡喜視。  往昔有一佛,
名曰微妙音,  將一呵梨勒,
供養彼世尊。  往昔有一佛。
名曰白栴檀,  立於彼佛前,
暗然一草莖。  往昔有一佛,
名曰連兔者,  欲入大城時,
一掬末香散。  次佛名法主,
說法唱善哉,  聞法言快談,
仁稱說無量,  尊應當供養。
其次覩一佛,  名曰普示現,
仁見讚歎彼。  其次有一佛,
名曰熾盛分,  仁以歡喜故,
觀察彼佛身,  又將金華鬘,
供養於彼佛。  今可憶念彼,
勿令心忘失。  其次有一佛,
名曰光相憧,  持一掬小豆,
用供養彼佛。  往昔有一佛,
號名曰智憧,  仁持輸迦華,
以供養彼佛。  次復有一佛,
名曰調伏車,  仁見彼佛已,
於前立讚歎。  次佛名寶勝,
前然無量燈,  施妙無量樂。
佛名一切勝,  曾施真珠瓔。
次見大海佛,  布施諸蓮華。
至蓮花藏佛,  布施大帳蓋。
師子兩佛邊,  曾施軟草鋪。
於娑羅王佛,  布施諸所須。
到敷華佛前,  布施微妙乳。
耶輸陀佛所,  施拘陀羅華。
實見佛覩已,  歡喜布施食。
昔佛名智山,  屈身禮彼佛。
有佛名龍德,  施彼佛己子。
高飛空行佛,  曾施旃檀末。
次佛名帝沙,  珠寶及赤花,
曾供養彼佛。  見大莊嚴佛,
持瞻蔔香華,  而供養彼佛。
曾見光王佛,  持眾寶供養。
昔見釋迦文,  持妙多銀花,
而供養彼佛。  其次帝釋相,
見已喜讚歎。  昔有佛名曰,
廣大日天面,  多持眾花嚴,
供養彼世尊。  其次復有佛,
號名為勝尊,  持妙多銀華,
莊嚴彼佛上。  往昔有如來,
名曰龍勝者,  然燈照彼佛。
富沙如來邊,  曾施白㲲敷。
藥師王佛邊,  持寶蓋供養。
佛名大牟尼,  復有師子相,
世尊勝功德,  持寶網供養。
有佛名迦葉,  雜音聲供養。
昔佛名解脫,  供養雜末香。
寶相佛世尊,  天華而供養。
阿芻婆諸佛,  勸請坐像輿。
世間王尊佛,  供養以華鬘。
尸棄佛世尊,  捨王位布施。
有佛名難降,  一切香供養。
大然尊佛邊,  布施自身體。
蓮花上佛前,  布施諸瓔珞。
法憧如來上,  散諸妙花香。
然燈世尊邊,  五青蓮奉施。
如是等諸佛,  自餘無有量,
難說不思議,  往昔諸世中,
仁並曾供養,  復持無量種,
最妙供養具,  供彼過去佛,
無有疲惓心。  今念彼供養,
思惟往諸佛,  為諸眾生輩,
生慈解脫故,  覺悟莫戀家。
尊於過世時,  在然燈佛所,
供養彼佛已,  逮得上無生,
及獲五神通,  復證順法忍。
於後仁尊者,  供養佛勝前,
僧祇數僧祇,  如是諸劫數,
彼諸劫皆盡,  諸佛亦滅度。
仁往昔諸身,  彼世中所受,
種族及名字,  亦皆悉滅無。
諸行法非常,  世間相不定,
速捨空誑境,  疾宜早出城。
生老病死隨,  難當甚可畏,
猶如劫火起,  炎熾燒世間。
無常火亦然,  燒盡一切世,
如是諸苦逼,  云何可暫停?
應觀諸眾生,  沒在煩惱暗,
愚癡無慧眼,  不能自覺知。
發大精進心,  令功德圓滿,
為諸眾生輩,  速出莫住家。』
佛经中还有很多很多关于此仙人的故事,看着也很感动。考虑好好了解一下师父修道的心路历程。
参考《佛本行集经》
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nohitrecord · 1 year
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ほにゃぽけ日誌『備忘録』
2022-05-22
HTML (Hyper Text Markup Language)
来週からWeb関係の仕事をわり当てられました。
今更ながら13歳の頃にテキストファイルにHTMLを書いて単純なホームぺージを作成していたのが役立ちました。
ところが、近頃はHTMLを使用せずにサイトを作成できるwebサービスがあるので、HTMLの知識がなくても企業向けのサイトが作成できるのだとか。
時代の移り変わりと言いますか、はたまた世代交代と言いますか、便利な世の中になったのだなと感慨に耽る次第でありました。
…………
オンラインゲームのフレンド"れいにゃん"に「仮面ライダーとプリキュアはどっちが面白いの?」と何気なく尋ねたら、「プリキュア」と即答されて危うく道を踏み外すところだった。
その子が言うに、仮面ライダーはかつての親友と戦ったりしなければならないらしい。
宿敵と戦う際に恥ずかしい衣装を着用する必要があるという点では、どちらも茨の道であるように思う。
==========
侏儒のメモ帳
==========
確立と云うのは詭弁だ。
当たらない未来予知を如何にも当たっているように見せかける数字の仕掛けに過ぎない。
例えば明日、雨の降る確率が五割だとしよう。
これでは降っても晴れても的中してることになるじゃないか。
…………
無理に前向きである必要はない。
前を向いても俯いても己は見えないし、前を向きながら道を踏み外す輩も多い。
それに、視点の向きを変えても道自体は変わらないのだから。
…………
今日あるものは明日なくなるかも知れない。
生きるということは徐々に死にゆくことだ。
歴史は選択と分岐で成り立ってる。
選び取ったものが、新たな世界を創り、新たな未来を生み出す。
しかし何かを選び取るということは、同時に選ばれなかった他の未来を失ってしまう、ということでもある。
…………
人は相手と接すれば接するほど解り合うどころか、かえって相手との相違点が浮き彫りになるものなので、結果的に親密に接する前の方が仲が良かったということになりかねない。
温かい食べ物は苦手だ。
いつか冷めてしまうから。
それならば最初から冷めてくれていた方が幾分か親切だ。
…………
思いやりは友を作るが、真実を語ると敵を作る。
嘘つきは嫌われるが、本心しか言わない者も嫌われる。
…………
概念の���け止め方や理解の仕方は、「受けとる側」との融合のようなもので、知識や情報は発信側も受信側でも、それ単体では存在し得ない。
常に受精卵のように懐胎されるから、半分は「その人」で構成されている。
…………
幸せと不幸の間にはプラスマイナスの計算式は成り立たない。
二つは同時に存在する。
だからいくら幸せになるためでも不幸を積み重ねるのは避けた方がいい。
どんなに大きな幸せが手に入ったからと言っても、不幸は帳消しにならないから。
…………
少しばかり大きな幼稚園に居た頃、頻繁に全裸になり走り回る羞恥心のない困った女の子が居た。
もちろん自称品行方正な僕は当然彼女のことを蔑んで居たが、ある日に周囲の園児と相容れない僕は思い切って幼稚園からの脱走を試みて正門に向かった。
そうして程なくして先客が見えた。
ダイヤル式南京錠の前で先述の女の子が悪戦苦闘していたのだ。
数十人と居る園児の中で、この幼稚園から脱走しようと考える変わり者は僕と彼女だけのようだった。
その時、僕は彼女と同類の狂人側なのだと覚った。
…………
自我が安定し、毎日を体感できるようになった4歳の誕生日のこと。
記念に何か記憶に残ることをしようと考えて、深く目を閉じた。
そうすれば、夜眠ろうとする度に、この4歳の誕生日を思い出せるだろうと閃いたからだ。
…………
「存在が空気」という言葉がある。
本来は人を蔑む言葉だが、人は空気がないと生きていけないのだから、「君がいないと生きていけない」という告白とも受け取れるのではないのだろうか。
…………
「人の胎児は、魚類の姿から哺乳類までの進化の過程をたどる」と子供の頃に知った時に「人は二足歩行の魚じゃないか」と戦慄した。同時に、魚を食べることは人の胎児を食べることに等しいのではないのかとも思った。
そもそも生物は同じ単細胞生物から多細胞生物に進化したのだから、「人類皆兄弟」どころか「動植物皆兄弟」にもなる。
それでもどれだけ進化しても、他の動植物を捕食しないと生命を維持できない動物のジレンマは拭えないのだろう。
その点、誰も傷付けず光合成と水分補給で生きる植物や、太陽光だけで走り続ける"ソーラーカー"は優秀だと思う。
…………
世界中の不幸や苦悩を背負ったような顔をしながら、そんなもの誰だって背負ってるからちっとも偉くないぞ。
心の闇だか何だか知らないが、心に光度や照度があるのかい。
明るい暗いで良し悪しが決まるのは、電灯くらいのものだ。
君が明るかろうが暗かろうが僕は一向に構わない。
…………
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「今日は給料日なので新しい機材を購入しよう」
そう考えながらも、帰りのバス車内でうっかり寝過ごしてしまい、気付いたら母校の近くで目覚めた。
久しぶりに歩く通学路は思いのほか小奇麗になっていた。
幼馴染が「近道だ」と教えてくれた遠回りにしかならない脇道を横切り、一人で通るのは少し怖かった竹林沿いを抜けて下り坂を歩いた。
そうして背の低かった子供の頃には気付かなかったが、坂の上から海が見えることを発見するに至った。
同じ道を歩いても、子供と大人では見える景色が異なるのだなと感慨に耽った。
スパルタ教育を標榜する時代錯誤な教師、かけっこやキャッチボールが得意な普通の男子、男子に対抗意識をやたらと燃やすクラスの女子、そういえば二段ベッドの上段は三歳年上の兄が使用していた。
クラスメイト達のことを思い出すと、到底あの頃に戻りたいとは思えないが懐かしく思う。
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anamon-book · 6 years
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大岡越前(上) 葉村彰子 LOOK BOOKS ルック社 表紙=加藤剛・竹脇無我
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fuckyeahmeikokaji · 6 years
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Meiko Kaji (梶芽衣子) and Muga Takewaki (竹脇無我) in a press photo for Kareinaru Dai Dorobo! Yonchome No Keiji No Ie No Magari Hito!! (華麗なる大泥棒! 四丁目の刑事の家の間借人!!), an 8 episode TV drama that aired in 1977.
More information on the show is available on Wikipedia or TVDrama-db. Both pages are in Japanese.
The image was scanned from the May 1977 issue of Movie Pictorial (映画情報).
http://fuckyeahmeikokaji.tumblr.com/
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kurayamibunko · 4 years
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ねぎ系男子あらわる。
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『ねぎぼうずのあさたろう』その7 さんぞくまつぼっくりのもんえもんのなみだ 作:飯野和好
この絵本を保育園の子どもたちに読み聞かせた直後、てやんでい化する子が、きまって1人は現れました。「ねえねえまきちゃん」「なあに?」「てやんでい!」「おう、てやんでい!」「また、てやんでいよんでね!」「おう、またてやんでい読むよ!」「てやんでいてやんでいてやんでーい!」
文章量は多めだし、ひらがなで書いてあるとはいえ「たびはみちずれ」「ひとだすけ」「しゅくば」「ほとけごころ」など、子どもには分かりづらい言葉もたくさん出てきます。が、子どもたちの視線はページにびっしり張りついたまま離れません。
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ねぎ系男子あさたろうの奇想天外な冒険譚が、キャッチーな構図と色使いとおどろおどろしい悪役たちに彩られて幕を開けます。
旅の途中で知り合ったおじいさんと孫娘の荷物を宿場まで運ぶことになったあさたろう。茶店で一休みしているところを一服盛られます。山賊・まつぼっくりのもんえもん一味の仕業です。 松の葉っぱを思わせる剛毛とウロコ模様がびっしり刻まれた顔。目からにじみ出ているのは松ヤニでしょうか。すばらしい造形です。実写化するならアル・パチーノで決まりでしょう。
こどもは うって じじいは からすのえさだ ふはははは
ぶっそうなセリフを吐くのは、一の子分・からすうりのきんぞう。頭から血をかぶったような赤い実とざらんばらんにちぢれた花をもとに、サイコパス臭にじむ見事な造形です。木の実や野菜がどのようにキャラクター化されているか実物と比べてみるのも、この絵本の楽しみ方の1つ。 実写化するなら岸田森以外ありえません。
捕まえた女の子に、幼くして亡くした娘をかさねるもんえもんを、きんぞうがからかいます。
へへへへ、そういやあ びょうきで なくした おかしらの むすめさんも ちょうど あのくれえの としごろだったですねえ やっぱり ほとけごころが でますかい
幼いころ、水戸黄門、必殺仕事人、遠山の金さん、大岡越前、銭形平次など、TV各局もれなく時代劇が放送されていた時期がありました。子どもにも分かりやすい勧善懲悪なストーリーで、世を忍ぶ仮の姿はたとえ白髪のご隠居でもかっこよく、「して越後屋、あの件はどうなっておる」「ご安心ください。今ごろ親子そろってあの世でございましょうホッホッホッ」と、悪人はすがすがしいほど極悪でした。
 友人は暴れん坊将軍の大ファンでしたが、「上様はね、殺さないのね。ぜんぶ峰打ちなのね。峰打ちっていうのは刀のとがってない方で斬るのね。だから気絶させるだけなのね。でもね、本当に悪い人は斬るのね。上様の大事な友だちが殺されたときは、本当に斬ったのね。悪者を成敗したのね」と目を輝かせながら昼休みぶっ通しでぶっそうな将軍様の魅力を語ってくれました。
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反撃を開始するあさたろう。必殺にゅるにゅるねぎじるで縄抜けです。読み聞かせのときに、子どもたちが前のめりでぎゃあわあ大盛り上がりになる場面です。
しみたしみた ねぎじるしみた ぬれたまぶたに うかぶのは このみとなづけた かわいいわがこ いつつのふゆに かぜをこじらせ  いのちをなくした わっとばかりに なくちちの みみに���こるは むすめのこえ
おいはぎしたら  かわいそう さんぞくやめてね おとうさまと かわいいねがいに こころがゆらぐ そこにぴりりっと ねぎじるが はっとめざめる もんえもんー
改心したもんえもん。しかし、裏切りの刃がせまります。 「よわねをはく おかしらよりも このきんぞうさまが かしらになろうってんだ」 本当にすばらしいシーンです。すみずみまで晴れわたる夏の空のようなゲスっぷり。やはり、骨の髄まで極悪人の存在があってこそヒーローが輝くのです。
てやんでい てやんでい てやんでーいっ べらぼうに ひきょうだぜ ゆうきいっぱい あさたろう ねぎじるごころが ふるいたつ
「あさたろうがんばれー」「てやんでいー」「ねぎじるごころー」。子どもたちの声援がとびかいます。水戸黄門でいうところの8時40分のこらしめシーン、暴れん坊将軍の成敗シーン、銭形平次の投げ銭シーン、遠山の金さんの桜吹雪ご開帳シーンに匹敵するクライマックスシーンです。読み終えたあと、子どもたちも読み手のわたしもすかっと爽やか、なにかをやりとげた達成感に包まれるのでした。
現在9冊出ているこのシリーズ。弱きを助け、強気をくじく筋書きをベースに、悪党の恨みを買い故郷を出て旅をつづけるあさたろう、惚れっぽくてドジっ子の弟分(にんにくにきち)、あさたろうの命を狙う浪人(きゅうりのきゅうべえ)、幼いころに別れたあさたろうの父など、個性あふれるキャラクターが登場します。人生いろいろ割り切れないことだらけ、でも、ぴゅるるるるるにゅるるるるるぶりんぶりんぶりんたあーっと、必殺ねぎじるで乗り越えてゆくあさたろうの生き様に、子どもたちのねぎじるごころも奮い立つのかもしれません。
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小学6年生の冬、仇討ち系男子が登場する番組が放映されました。里見浩太朗、森繁久彌、丹波哲郎、西郷輝彦、竹脇無我、西村晃、上原謙などの豪華キャストで、期末テストのまっただ中にもかかわらず2時間夢中で見てしまい、気がつくと夜の9時。しかし、わたしの心は燃えていました。
あんなにもがんばってがんばってようやく成果を出した男子たちに比べて、わたしなんてぜんぜんがんばりがたりない。ムダに生きるか何のために死ぬかおまえが決めろと誰かが言っていた。そうだ、手遅れなんて言葉は墓場に捨てろ。このデスロードを完走するのに必要なのは己の拳のみ。教科書を開け、鉛筆を握れ、世紀の一夜漬けで真価を見せろ、フォースと共にあらんことを。
翌日の社会のテストで100点をとり、先生にほめられました。心のなかで、わたしを叱咤激励してくれた恩人にお礼をいいました。今でも人生の師匠です。大石内蔵助先生、あのときは本当にありがとうございました。
※文中の太字は本文より引用
『ねぎぼうずのあさたろう』その7 さんぞくまつぼっくりのもんえもんのなみだ 作:飯野和好 福音館書店
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