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#管弦打楽器
ryotarox · 4 months
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「ティンパニは音楽が決まっちゃうから(武満は使わなかった)。属音(ドミナント)と主音(トニック)で」
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札響プレイヤーズトーク(5月)~札響動画配信企画 - YouTube
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専門書にチャレンジ! 第35回 武満徹が愛される理由
黒澤明監督の映画『乱』(1985)の制作のそれである。武満は音楽として関わっていたが、黒澤の頭の中にはすべて音楽のイメージが出来上がっている。しかもそれはマーラー。 およそ武満の個性からはほど遠いわけだが、その音楽を超えろ、ティンパニを使えと監督は無茶を言う(それまで武満は自作の中でティンパニを使ったことは一度もなかった)。 立花はこのエピソードについて、武満本人から直接証言を引き出す。 「ずいぶん激しいケンカをしました。ぼくは何でも平気でズバズバいうほうだけど、黒澤さんは気が弱いほうだから、面と向かってはあんまり言えないんですね。それで、朝ホテルの部屋のドアの下から、ズズズッと紙が入ってくるの。それに『ぼくはきみの音楽が大きらいです。黒澤明』なんて書いてあるわけ。ぼくはずいぶん持ってますよ、そういう手紙を。」(88~89頁)。
乱 (映画) - Wikipedia
黒澤は演奏にロンドン交響楽団の起用を希望していたが、武満が「ロンドン交響楽団は映画音楽の仕事をやりすぎて、仕事が荒れている」と強く反対し、札幌交響楽団による録音(1985年4月、千歳市民文化センター)となる。 札幌交響楽団のような、日本でも有名とはいえない地方オーケストラを使うことに強い不満を抱いていた黒澤は、録音開始前に楽団員の顔をろくに見ようとさえしない態度であった。 しかし、演奏の予想外の素晴らしさに、昼食時の解散前に指揮台に上がると「みなさんありがとう、千歳まで来てよかったです」と深々と頭を下げ、しばらく顔を上げなかったという[29]。
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武満徹の管弦楽法について - 東京学芸大学リポジトリ
5.4.2 ティンパニ 武満はティンパニの使用について非常に消極的である。古典派のオーケストラ以来、ティンパニは打楽器の中でも別格で、ティンパニ奏者自身,打楽器奏者と呼ばれることを嫌うほどである。 実際、オーケストラに於いて、リズムやアクセントを強調する他、アンサンブルの要になることも多く、指揮者から見てもその重要性は大きく、信頼をよせられる存在である。現代では5,6個も並べて雄弁な使用をする作曲家も多い。 しかし、武満は、初期の作品ではティンパニを使用していない。初めて使用したのは1980年作曲の「遠い呼び声の彼方へ!」であった。その後「リヴァラン」でも使われたが、どちらの場合もトレモロによる保続バスの役割であって、ごく一般的な大人しい使用法であるといえる。「夢窓」ではペダル・グリッサンドを伴うトレモロを初めて使用しており、多少積極的な発言をさせてはいるが(譜例28),ティンパニを、あたかもメロディー楽器のように派手に使用する作曲家も多い中で、武満は極端にティンパニの使用が少ないといえる。 1975年に出版された「樹の鏡、草原の鏡」の中で、武満はティンパニについて次のように述べている。 「生まれてからまだ1度もティンパニの入った曲を書いていない。生理的にも受け付けないし、あのベイシックにスタンスを開いている音のあり方が気にくわない。もっと不安定に方向を探すような音が欲しいんですね。ティンパニは、いわば間をあけちゃう方の楽器で、つめようとしないですからね。それは僕の考える音楽ではない。」 ベイシックにスタンスを開くとか、不安定に方向を探すような音などが、実際にどのようなイメージを言っているのか必ずしも明確ではないが、「ひとつの音に世界を聴く」と発言したことのあるこの作曲家が、少なくともティンパニの1音に、自分とは相いれない世界を感じていることがこの言葉から理解できる。 「僕の考える音楽ではない。」という発言の5年後に、消極的な用法とはいえティンパニを初めて使用したわけで、実際、作風的にもこの前後に変化したことを考え合わせると、彼の心境の変化には興味深いものがある。
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ティンパニはベースラインという気がする。打ち込みでロックのベースをティンパニの音色に差し替えても違和感なかったり。
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Young prince and princess(Rimsky-Korsakov : classic)
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One movement of the orchestral master: Rimsky-Korsakov's symphonic poem "Scheherazade Suite". The first time I heard this song was as the opening song for an NHK classical broadcast, and I was impressed by the delicate beginning of this song that could only be expressed by stringed instruments. In other words, it seemed to express the trembling joy of the autumn harvest richly.
若い王子と王女
管弦楽法の大家:リムスキー=コルサコフの交響詩「シェエラザード組曲」の一楽章。初めて耳に挟んだのは、NHKのクラシック放送のオープニングとしてだったが、この曲の始まりの、弦楽器でしか表現できないような繊細さには感動した。言ってみれば、秋の収穫の打ち震えるような喜びを豊かに表現しているように思われた。
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.9.18mon_tokyo
牧野容也「City」リリースツアーの真っ最中。東京、名古屋、甲府、神戸と廻って、今日は神戸から最終地点の岡山へと車で向かう1日。
車移動のツアーの醍醐味は、土地土地の隠れた名店に寄り道出来ること。大抵の場合、各バンドに1人は優れた飲食店を見つけるレーダーを備えたヤツがいるもので…我ら牧野バンドは、前日の昼食で〈世界一カッコいいカツ丼セットを出す蕎麦屋〉を引き当てた、あだちレーダーぶ郎ことあだち麗三郎に今日のお店選びを託すことにした。
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メンバーからの「洋食」というリクエストもあり、兵庫県は相生駅そばの洋食店〈ファミリーキッチン スピカ〉にチェック・イン。あだちレーダー、本日はいかに。
店内は広く、ファミリーレストランのような開放的な雰囲気。私はランチAセット(有頭えびフライ&デミグラスハンバーグ)に、迷わずオプションの自家製牛すじカレールーをチョイス。もちろんライスは大盛りだ。
BGMは意外にもBTSやジョン・バティステなどイケイケで、曲のテンポが上がるにつれて空腹感と期待感も高まっていく。さて、お味はいかに。
料理が到着してまず驚かされるのは、その立体感。どっしりとしたハンバーグの横にそびえ立つのは、エビフライ。ふんだんに添えられたタルタルソースが嬉しい。それぞれの料理を下支えする千切りキャベツと、ナポリタンスパゲティの献身も見逃せない。大盛りライスはなんと一合分とのことで、その豪快なフォルムに思わず笑ってしまった。
まずはハンバーグ。近年チェーン店を中心によく見られるお肉ゴロゴロタイプではなく、挽き肉がギッシリ詰まった昔ながらのハンバーグ。赤みの強い(おそらくトマトベースの)デミグラスソースとの相性も抜群で、ライスがみるみる進んでいく。
エビフライは贅沢に頭付き20センチをゆうに超えるしっかりとした身、厚めの衣のおかげもあって食べ応えバッチリ。命を頂いてることを実感出来る味だ。
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メンバー一同が感動していたのは、オプションの自家製牛すじカレー。牛すじのコクと旨みが充分に染み渡ったドロっとしたルー、辛味と酸味のバランスが絶妙で、スプーンが止まらない。ライス大盛りをオーダーした自分を褒めてあげたい。もちろん完食。食後は喫茶店然としたアイスコーヒーで〆。ごちそうさまでした。
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岡山のライブは、手違いでピアノがないことが到着してから判明。急遽小さいシンセと、鍵盤ハーモニカだけで演奏することに。シンセポップと化した「ゆれる」や新曲の「雷」など、ツアー最終日にして新しいアレンジが生まれ、スリリングかつ燃えるライブとなりました。
こういうトラブルが起こっても動じないのが牧野バンドの強み。そういえば昨日、カナミネケイタロウは会場にぶら下がってたベースを本番で使っていたし、演奏も含めて有機的に変化していくところがこのバンドを楽しめるひとつの理由なのだ。
ツアーを通して鍵盤ハーモニカを使うのは自分にとっても初めてのことだったけど、改めて良い楽器だな、と。そもそもピアノやキーボードは、弦楽器や管楽器、打楽器と比べて、手元で音が鳴っている実感を得にくい楽器。ピアノはハンマーを使って弦を叩くから、どうしても弾いてから音が出るまでにわずかなタイムラグがあるし、キーボードはそもそもPA機器やアンプを通さないと音が鳴らない。その点鍵盤ハーモニカは自分の吹く息と音が直結しているから、音量やニュアンスのコントロールが出しやすい。若い頃は「どうして大人がわざわざ鍵盤ハーモニカを使うの?」と思っていたけれど、なるほどどうして。次の牧野容也バンドのライブは「なるべく電気を使わない」ライブとのことで、より一層鍵盤ハーモニカが活躍しそうだ。
終演後は会場近くの居酒屋〈みつの〉で一杯。あだちレーダーぶ郎のオーダーしたがんもどきが逸品で、思わずあだち君とアイコンタクト。あだち君とはもう10年の付き合いになるので、わざわざベラベラ喋らなくても目と目で通じ合う関係になりつつあることを実感してしまった。
岡山の青木さんの勧めもあり、明日の朝食は「給食のソフト麺をレベル99にした」(青木さん談)うどん店〈名玄〉に決定。バンドマンはみんなこのような食の情報を求めています。ファンレターに添えてお送りください。
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1日の締めくくりは、今年2月に六角精児バンドで岡山に来た際に六角さん連れて行ってもらった〈中華そば山冨士〉を再訪。少し甘めのスープと麺の絡み、ごろっとしたチャーシューとしなしなとメンマがたまらない。どのタイミングで食べるかがイマイチ不明なオプションのいなり寿司も含め、大変美味しゅうございました。
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宿に戻ってUNOでもしようと思ったら、みんなそそくさと就寝。次のツアーはトランプにしよう。明日は帰路です。それぞれの住処へ帰ります。あだち君は1週間ほど広島、四国、九州などを周って整体とライブをするらしい。見かけたら応援してあげてくださいね。それでは、おやすみなさい。明日もよく食べよく遊び、最高の帰路にしようぜ!
-プロフィール- 谷口雄 37 東京近郊 鍵盤楽器奏者/プロデュース/執筆 東京生まれ。森は生きているのメンバーとして2013年にCDデビュー。 2015年の解散後は、様々なミュージシャンのライブ/レコーディングに参加。2016年からはレコード&トークイベント「ミッドナイト・ランブル・ショー」を神保町試聴室で毎月開催。
https://instagram.com/yutanigu_ch https://x.com/yutanigu_ch https://note.com/mnrambleshow
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elle-p · 2 years
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NEVER MORE -Reincarnation:PERSONA4- scans and transcription.
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01 Pursuing My True Self
02 Heartbeat, Heartbreak
03 Like a dream come true
04 I'll Face Myself (-Battle-)
05 Reach Out To The Truth
06 Your Affection
07 夢想曲
08 SMILE
09 Heaven
10 Signs Of Love
11 specialist
12 Never More
comment
目黒将司
大変長らくお待たせいたしました。ようやくP4アレンジ CD「ネバー・モア······(なんちゃら)」を発売することができました。構想から約3年、ゲーム「ペルソナ4」が発売された当初からアレンジCDを作ろうというお話を頂いていたのですがなかなか実現せず、ようやくこの度制作することができました。今回はボーカル曲 のアレンジを私が、インスト曲のアレンジを喜多條が担当しました。アレンジ自体は以前発売されたバンドアレンジCD「PERSONA MUSIC LIVE BAND」があり、差別化が難しかったのですが、ボーカル曲は 原曲を発展させる方向であまり大きく変えず、インスト曲では大胆なアレンジをしました。特にインスト曲は喜多條の頑張りと管弦楽器にピアノの生録音で大変豪華にアレンジされていますので、是非じっくり聴いて頂ければと思います。
profile
1996年アトラスに入社。歴代のアトラスタイトルのサウンドを手掛ける。「ペルソナ」シリーズにおいては、15年前の「女神異聞録ペルソナ」からサウンドに携わり、「ペルソナPSP」ではサウンド兼ディレクターも務める。
幼少の頃より様々な楽器と慣れ親しむ。中学時代から作曲を始め、高校時代には打ち込みによる音楽制作を始め、以来ジャンルにとらわれない幅広い楽曲を手がけている。ペルソナミュージックライブでは ギター演奏者として舞台に立ち、マルチな才能を発揮している。
喜多條敦志
このアレンジの話を最初受けた時は、2曲とのことだったんですが、いつの間にかインスト曲全部ということになっておりまして(笑)ただ自分も楽器の生演 奏を録っても良いと言ってもらえて、そのお陰で、素 晴らしいプレイヤー達とご一緒することができました。それと上司だからというわけではないのですが(笑)目黒(さん)の楽曲のメロディが良いからこそ、アレンジしがいがありますし、どんな楽器やボーカルを当てても形になるんじゃないかと思います。素晴らしい楽曲とプレイヤーに出会えて、自分はほんと幸運 だと思う以上に、もっともっと精進しないと!という気 持ちが大きくなってきました。とはいえ、今回はとても楽しかったですね。またやりたいです(笑)
profile
2006年アトラスに入社。ペルソナシリーズでは、2007年の「ペルソナ 3フェス」で一部効果音などを担当したのが最初。以降は、効果音やヘルプなどで様々なタイトルで少しずつ携わり、メインでは「東京鬼祓師 鴉乃杜學園奇譚」や「HOSPITAL.」でBGMなどを担当。 小・中学時代は体育会系だったが、同時期に作曲や打ち込みを始める。当時はギターが嫌いで、キーボーディストに憧れるも、現在はギターに目覚め、猛特訓中。
01 Pursuing My True Self
ご存知「ペルソナ4」オープニングテーマですが、こちらのフルバージョンをようやく制作することができました。ボーカルも全て録音し直し、曲もフルサイズに編集したのですが、4年近く前に作った曲を再現するのに苦労しました。もちろんデータは残っているのですが音楽ソフトのプラグインのバージョン が合わない問題もありつつ、大丈夫そうな部分も何となく原曲と違う気がするなど、色々と試行錯誤しました。原曲の雰囲気をしっかり継承しつつ細かい所の変更で少し聴きやすくなっていると思います。(目黒)
02 Heartbeat, Heartbreak
原曲を発展させる方向でアレンジしました。ゲーム中では曇りの曲なんですが、入りの効果音は曇りの環境音を、曲の途中から雨がしとしとと、最後は本降りに······。最後のピアノソロは実は「Heaven」のソロと同じアブ ローチをしています。(目黒)
03 Like a dream come true
この曲は原曲も、ブラスをフィーチャーした楽曲でしたし、アレンジするならこういう方向かなとすぐに決まりました。ただ、せっかくのアレンジなのに、打ち込みビッグバンドでは格好がつかないので、サックスプレイヤーの竹上良成さんにブラスのアレンジをお願いしたところ、ブラスのあまりの格好良さに、レコーディング中はニヤニヤしっぱなしでした(笑)プレイヤーはたった3人でも、大編成をイメージして2~3本ずつ重ねているので、音の厚みがすごいですね。(喜多條)
04 I'll Face Myself (-Battle-)
原曲にパートを足す方向で、歌謡曲のような構成にしました。原曲がロックだったのに対し、ロックテイストは残したまま、ややオケ風に色をつけた感じです。メインメロディはバイオリンなのですが、バイオリン一本で役割が多岐に渡っているので、室屋さんは大変だったかも······。(喜多條)
05 Reach Out To The Truth
バンドアレンジCDでは豪華なロックバンドアレンジになっていましたが、こちらでは原曲のフルバージョンを作る意識でアレンジしました。少々地味ではありますが、ボーカルはもちろんギターも全て新録音、他の楽器も全て打ち込み直しました。ギターは原曲では13トラックもあったので4年前の自分を恨みましたが(笑)、結果的には更に2本増えました。(目黒)
06 Your Affection
ボーカルの平田さんとアレンジの相談をした時に、原曲をさらに未来的にしたのがいいと言われ、じゃあPerfumeみたいの?ってことでこんなアレンジになりました。ボーカルはマネしてませんが、Perfumeの「ねぇ」のベースが広がりがあってスゴくかっこ良かったのでマネしてみました。······1回しか聴いたこと無いのでマネできてないと思いますが。(目黒)
07 夢想曲
原曲は菜々子の寂しいシーンでよく使用されていた曲ですね。淡々としたシンプルでとても美しいメロディの曲なのですが、それがより寂しさを表していたのではないかと思います。なので、だったら更にそれをシンプルにしてしまおうと、ピアノとストリングスのみにしました。大体のテンポ感とスコアだけ渡し、ダイナミクスやリタルダントなどピアニストの阿部さんにお任せしたのですが、それがまた絶妙でして、それに大先生室屋ストリングスが重なって いくと、レコーディング中に感極まって涙が出てきました······。(喜多條)
08 SMILE
この曲は最後に取りかかった曲です。原曲の雰囲気をあまり壊したくは なかったので、雰囲気はそのままにヒーリングミュージックのような感じで、聴いていて気持ちのいい曲になっていれば良いなと思います。(喜多條)
09 Heaven
原曲をさらにしっとりとした方向でということで、バンドアレンジと差別化するために楽器数を減らしテンポをさらにゆっくりにしました。ジャズバーで演奏されてる憂いのある雰囲気?テンポはホントに色々悩んで、原曲はT=122なのですがアレンジは当初89で作っていてさすがに遅すぎると103に変更し、一度平田さんに相談した所もうちょっと速い方が歌いやすいとのことでレコーディング当日に103、105、107、109と4つオケを作っていってテストしました。が、結局テンポは106という結果に(笑) (目黒)
10 Signs Of Love
この曲は原曲から大幅にリアレンジしました。ビッグバンド風ということで制作は大変でしたが、特に平田さんのテンション高めに変えたラップがいい感じだと思います。(目黒)
11 specialist
こちらは原曲からがらっと雰囲気を変えて、4つ打ちものです。大体形が出 来てきてからが大変でした。一番最初に手を付けたのですが、少し寝かせておいて、収録の打ち合わせ前に手を入れ直しました。後半の竹上さんの サックスソロがすごく気に入っています。(喜多條)
12 Never More
このCDの最後を飾る曲とのことでアレンジの方向性が難しかったのですが、ゴスペル風ならぬ合唱風にしました。日本語詞ではゴスペル風にはならないんですよねー。サビでは今回限りのアトラス合唱隊を結成、歌とハンドクラップで参加してもらっています。ライブ感を出すためにハンドクラップ中は曲に合わせてザワザワしてて欲しいと注文したのですが、あえてザワザワって難しいですよね。音数が少なくなった箇所でそのザワザワがちょっと聞こえるかもしれません。(目黒)
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nemosynth · 2 years
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episode 5 - KAWAI K5000W
1988年春、ついにKORG M1発売!!! タメにタメ、待ちに待った救世主の降臨に市場もコルグ社員も湧いた!!! 同時にROLANDも新型廉価版LA音源シンセ・キーボードによるちゃきちゃきのラインナップD-20、D-10、同LA音源モジュールD-110を発売。既に前年に歴史を変えたD-50とともに世界は一気にPCMサウンドへとなだれ込んだ。
そこへ同時デビューしたのはCASIO VZ-1。それまでの人気商品CZ シリーズからさらに踏み込んだ新開発iPD音 源とグラフィックLCDとをひっさげ、事実上のデジタル・フル・モジュラー・シンセとなるも14万8千円というお値打ちな戦略プライス。
しかし不運にしてその新音源iPD方式とは難攻不落のFM 方式をさらに上回る高度な変調方式となってしまい、音創りは超難解。でもそれだけならまだシンセ・ヲタにとって挑戦しがいがあったはずなのだが、タイミング悪くPCMサウンド時代到来にはちあわせしてしまいVZ-1は埋没。PCM波形を使う方が単純明快な理論で仕組みも分かりやすく結論も早くおまけに音が斬新とくりゃ、いくら名機でも相手が悪かったとしか言いようがない。
そしてそれは5年に及ぶ無敵のラインナップを誇っていた鉄壁のFM音源シンセたちと言えども、時代の潮流が変 わったことを思い知る運命の瞬間であった。
♬     ♬     ♬
ついにやってきた本格的デジタル・シンセ時代。上から下まで計5機種に及ぶPCMシンセが一気に発売されたことで堰を切ったようにサンプル・ベースの音色が世界を席巻。最安価のキーボード・シンセはROLAND D-10、メーカー小売価格12万8千円、しかもまだ当時珍しいベロシティ対応鍵盤も搭載。さぁついにキミやボクにもPCM音色をタッチ・センス・フル対応でどうぞ!
と思ったその矢先......!!!
第6のPCMシンセ、ダークホースKAWAI K1、61 鍵ながらに可搬性に優れたコンパクトなボディにたくさんの PCM 波形を搭載しアコピの音もばっちしでお値段きゅっきゅっぱ! しかもベロシティだけじゃないよアフタータ ッチも装備、おまけに鍵盤はクラス初おもりつきで“カワイらしく”タッチもよろしいのよ、さりげなくベクトル合 成までできたのよ♬
まさかのPCMシンセが10万円を切る値札付けて登場、思わぬ伏兵にD-10、D-20、D-50、M1に至るまで親亀コケたら皆コケるが如く足をすくわれ総ずっこけ。しかも相手はKAWAI。よもやこんなにセンスの良いあかぬけたフレンドリーな機種を投入してくるとは誰が予想し得たであろう。ってかそもそもカワイってシンセ作ってたっけ? やんごとなき良家の坊っちゃん嬢ちゃんがお行儀よくヤノピを習うカワイ音楽教室? KAWAIの電子オルガ ンことドリマトーンなんて覚えてる? エレクトーンはYAMAHAの商標ですよ。バブル期のことなんてもう忘れたってか?
しかしその源流は、実は狂乱バブル期どころか日本が焦土と化し灰燼(かいじん)と化し、すべてがただの焼け 野原となりただただ空だけが広く明るかった敗戦の翌年にまでさかのぼるのであった。
♬     ♬     ♬
TEISCOとはTokyo Electric Instrument and Sound Companyの略だという。その前身となるアヲイ音波研究所が設立されたのが敗戦翌年の1946年。その2年後辺りからはテスコというブランドでハワイアン・ギターやアンプを販売。まだ日本が謙虚にもの作りしていたころであり、朝鮮戦争へ行った米兵が買っていったという話もあ り、いずれにせよビザール・ギターとして欧米で知られることに。
1958年、なんと日本初の電子オルガンことテスコ・スーパーエレガン(TEISCO Super Elegan)発売。モノフォニックの真空管式オルガンであり、ここからKAWAIの電子オルガンことドリマトーン・シリーズへとつながる。そしてついに、1964年にテスコは株式会社となり、2年後KAWAIすなわち河合楽器製作所の系列会社になり、電気楽器メーカーとして頭角を現すようになった。
GS(グループ・サウンズ)ブームとともに個性派ギターを連発したTEISCO。映画『エレキの若大将』にも映っているという。有名なのはスプリット・ピックアップを6つも搭載したSpectrum 5シリーズ。なんですかこれは、ピックアップ加算合成方式のギター・シンセですか? いやこれぞまさしくビザール・ギター見参!
だがギター・ブームが下火になるとともに、入れ違いに盛り上がりを見せてきたシンセ・ブームにあやかるべく、1976年テスコ初のシンセ100FをTEISCOブランドとKAWAIブランドの両方にて発売。これが黎明期の混沌にふさわしく機種名すらもが不定で、
・100F ・S-100F ・Synthesizer 100F
などと表記。 100Fは 37鍵のアナログ・モノシンセであり、1VCO/1VCF/1VCA/1HPFという構成で一番最後にハイパス・フィルターが来るのがちょっと面白いが、多分これはEGが暴れて低音ぶっぱなしてアンプぶっとばすのを防ぐためであろう。お値段は9万5千円と、当時としては少し安めな印象もあって興味深い。しかもじつはさりげなくオシレーターでフィルターのカットオフモジュレーションができたのよ♬ まるでプロ5とかOberheimみたいだね!
以来、テスコはカワイの傘下にありながらTEISCOブランドでもって次々とアナログ・シンセを世に送り出 し、YAMAHA/KORG/ROLANDの御三家とはまたひと味もふた味も違う、ビザール・ギター・メーカーにふさわ しいひねりの効いた独自路線でクールな機種展開を魅せる。
そんなふうにちょっと変わった個性派アナログ・シンセを“Sシリーズ”や“SXシリーズ”として輩出したテスコ。 そのテスコがそれまでのアナログから脱してデジタルへと足を踏み出した次世代シリーズが、KAWAIブランドの“Kシリーズ”であった。時に1983年DXシリーズ降臨、デジタル・シンセ台風の暴風圏内、KORG DW-8000が 逆風の中で後出しジャンケン負けの崖っぷち、ROLAND JX-10 "Super JX" がそれでもなんとか踏みとどまろうとしていたとき、突如として出現したみょーなシンセKAWAI K3とは?
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1.序
Kシリーズ初号機K3は、2基のデジタル・オシレーターとアナログのVCF/VCAによる6音ポリのハイブリッド・ シンセ。そのデジタル・オシレーター波形とは、KORGのDWGS音源と同じく、現実のサンプルをフーリエ解析しサイン波倍音加算合成にて再合成したものであった。
なれど正直、K3はなんとも言えない機種であった。音源構造といいUIといい、どう見てもKORG DW-8000を大 いに参考にしているのはさておき、外観デザインがイケてない家具みたい、ホイールなんかピッチ・ベンド用1つしかない。しかしK3にはDW-8000には無いメリットがあった。音源波形が32種類もあって、ハイブリッド・シンセ最大級のバリエーションであったとか、LFOにS/H波があるとか、アフタータッチで波形2つの比率を変えられる などなどといった地味にヲタなアドバンテージがあっただけでなく、一つ明らかに抜きん出たところがあった。
たった1個だけとはいえ、音源波形を自作できたのである。
なんとK3において、33番目の音源波形とはユーザーが作成する波形であった。その実態は128倍音から32個を選び、それらを加算した結果をレンダリングさせ波形メモリーに記憶させ1波ループさせることで音源波形として利用する、つまりユーザー・エディットできるサイン波倍音加算合成であった。当時KORG DSS-1、ROLAND S-50、CASIO FZ-1、E-MU Emax SEのごときサンプラーでもないのにユーザー音源波形を自力で生成できる減算方式シンセというのは寡聞にして聞かない。しかもサイン波加算合成とは理論こそフランス革命直後の18世紀末ジョ ゼフ・フーリエによるフーリエ展開のころからあれど、具現化にはおびただしい数の正弦波発振器をただただひたすら愚直に並列に配置し、愚直にいちいち発振器ごとに周波数だのエンベロープだのなんだのとパラメーターを設定せねばならず、リアルな音を出そうものなら最低でも数十基はサイン波オシレーターが必要となり、デジタルによるシミュレーションの到来まで待たねばならなかった。そんな愚直にもほどがあるシステムを実用化しユーザー に開放すべく、民生機シンセとして本格的に挑んだのがKAWAIのKシリーズだったのである。
当時デジタル化に乗り遅れ、息も絶え絶えだったKORG。瀕死の彼らが力尽きて手が届かなかった音創りへの夢を、実は黙って引き継いでいたKAWAI。奇妙なK3の開発には、実は稀代のプロデューサー佐久間正英氏がかかわっていたとも言う。音創りに賭けたKAWAIの想いはその翌年、大化けすることになる。
2.破
ROLANDが革命的な主砲D-50をファイアしたのと同じ1987年、KAWAI K5ローンチ! D-50と同じ16音ポリでほぼ同じプロ価格、2基の63倍音加算オシレーターでもって最大127ものサイン波倍音をユーザーが設定し加算合成する方式、しかも2オシレーター個別に4基の多ポイントEGで倍音構成を制御したのちデジタル・レゾナン ト・フィルターとデジタル・アンプで加工するという、怒涛のパラメーター群の襲来に飲み込まれてしまう、ガチで恐ろしい超弩級ヲタ・シンセであった。
さらに民生機初グラフィックLCD装備。7ステージEGはもちろん、倍音加算状況をスペアナのように分かりやすく図示してくれるSF映画のごとき進化ぶりに誰もが腰を抜かした。ぐっと外観も当世風イケてるデジタル・シンセ になり、ただプログラマブル127倍音加算合成というDX7すらもが顔面蒼白で逃げ出す膨大な数のパラメーターを設定せねば音創りできず、あまりの道のりの遠きにかかわるのもためらわれるほどで、誰もがK5の存在には気がついていないふりをして布団の中にもぐってしまっていた。だから意外に知られていない(笑)。しかしそれは知られ ざるKAWAIが放つ超弩級音源シンセ、前代未聞の巨大アーキテクチャーを誇る革新���シンセであった。
なお、K5の音源方式はARTS音源(Additive Real Time Synthesis)となっていたが、商標にでも引っかかったのか、後からADD音源(Additive Digital Dynamics Synthesis)となった。
3.急
そして翌1988年、冒頭で紹介した驚愕の廉価版シンセK1見参! なんせタッチ・センス完備の16音ポリデジタ ル・シンセが9万9千8百円。してその音源波形はPCM波形と、DWGS音源みたいなサイン波加算合成で生成し たVM波形なるものとで合計256波形に達し、そのうち4波形を選んでおのおのに音量エンベロープかましてミックスするだけ、あとは必要に応じてAM変調もカマすだけ、ジョイスティックまであってベクター合成ごっこするだ け、これまた壮絶にシンプルな加算合成シンセであった。フィルターすら持たないコロンブスの卵シンセであり、 逆にその限定っぷりが潔く音創りに見切りの早さと創意工夫とをもたらし、画期的コスト・ダウンも実現せしめた。KORG M1がデビューした熱狂の影で、K1もまた人気を呼んでいたのである。
そのさらに翌1989年には16ビット・デジタル・オシレーターにデジタル・レゾナント・フィルターとマルチエフ ェクトとを加えたPCMシンセK4を投入。K1はリバーブ/ディレイを追加したK1 IIへと置き換わり、ここにKAWAI Kシリーズはラインナップ完成。腕っぷしの強いドラマーがたたいたみたいな頼もしい音がするリズム・マシンR- 50シリーズ、メリケン人の熱きご要望に応えたというこだわりのパーカッション・シンセ・モジュールXD-5、庶民の味方シーケンサーの名機Q-80、明らかに“分かってる”人が開発した便利アイテムMIDIミキサーMM-16、明らかに“分かってる”人が開発した4チャンネル・セミモジュラー・リバーブRV-4などなど、KAWAI機種だけを買えば いっちょまえにかっちょええ“分かってらっしゃる”自宅スタジオが、しかも比較的にお買い得なお値段で実現するというシンセ・キッズにうれしい夢が実現、奇跡のようにきらめくデジタル・シンセ音が誰でもお手軽に手にでき るKAWAIシンセ黄金時代を迎えた。
廉価機種で輝いていたKAWAIに対し、当時のKORGはM1とTシリーズという20万、30万、40万円するプロ価格 帯にフォーカスしていたので、KORGとKAWAIとでPCMシンセ市場の棲み分けができていたとも言える。プロからアマまで広くPCMシンセでカバーしていたのはROLAND1社だけであり、YAMAHAはFMシンセの着地点をどう見つけるか決断を迫られていた。してYAMAHAはV80FDという��のFMフラッグシップ・シンセをデビュー目前にして葬り去り、代わりにSY77というFM+PCM からなる新RCM音源の開祖へと舵を切る。
このときCASIOはVZ-8Mという、冒頭に出てきたデジタル・フルモジュラー・シンセVZ-1の同時発音数を8音 ポリへと半減させた1Uラックの普及機を出したもののそこから広がらず、明らかに時代はPCMシンセのものとなっ ていた。ここへ来てCASIOはプロの音楽文化からは距離を置くようになり、電子楽器全体の民主化へと専念するよ うになる。電卓屋CASIOの本分はテクノロジーの民主化にあり、FZ-1みたいな29万8千円プロ仕様プロ価格サンプ ラーを出すと“CASIOらしくない!”と言われて、10万円安いFZ-1GXへ交代させるなどかわいそうなところもあっ た。その一方、CASIOのおかげで安くなった液晶をニンテンドーが黎明期のゲーム機に使用したわけであり、他方 CASIOシンセの孔を埋めたのはスノッブなプロ文化ともつながりうるKAWAIのPCM/加算合成シンセであった。
4.SHIN
だが1990年代になってからKAWAIはDTMへ方向転換、その数年後GMegaという、音が良い32音ポリGM音源モ ジュールの名機を見た。GMegaをK1のボディに入れたキーボード・シンセ版K11というシンセもあった。デジタ ル・レゾナント・フィルターをシリパラ可変できたが、評判は聞かない。DTMではROLANDとYAMAHAに後追い となって今一歩、シンセも数年間ラインナップを放置したせいか存在感もディケイ。ついにテスコも影も形もなく なって河合楽器に完全吸収。KAWAIシンセは沈黙した。
そのまま数年が経過、他社シンセも数世代が経過、KORG TrinityとROLAND XPシリーズとが世界を席巻してい た1996年、シン・エヴァのごとく突如として新解釈で出てきたプロ仕様シンセが本稿の主役、KAWAI K5000シリーズである。こんにちのピアノ専業っぷりからは想像もできないKAWAIのシンセさしずめ“シン・Kシ リーズ”とでも言うべきか、それは一体どのような機種だったのであろう?
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 “写実派PCM音源の時代に終止符を打つ、印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載”
K5000シリーズのカタログには、そう書いてあった。そこには以下のラインナップがあった:
・1996年発売 KAWAI K5000S 16万8千円 素のシンセ ・1996年発売 KAWAI K5000W 21万8千円 ワークステーション・シンセ ・1997年発売 KAWAI K5000R 12万5千円 ほぼK5000S の2Uラック・マウント音源モジュール版
プロ仕様の割に比較的お値段がフレンドリー。してその実態は、シンセ・ヲタを黙らせた鬼のフラッグシップK5 をさらに発展させたる前人未到のシンセシスAA音源(Advanced Additive Synthesis)。
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それは凶悪な倍音加算合成に飽き足らず、悪魔の128バンド・デジタル・フォルマント・フィルターを追加、さら にPCM音源波形とも組み合わせ今度こそめんどくさいシンセ・ヲタどもを完全に沈黙せしめたるもの。すなわち、
①16基の言わば“倍音加算ジェネレーター”が64サイン波倍音加算合成を行い、2基ペアで128倍音加算も可能 ②26基の128バンド・デジタル・フォルマント・フィルター ③36基のDCOこと、ピッチや波形の概要パラメーター設定部 ④46基のDCFことマルチモード・レゾナント・デジタル・フィルター ⑤56基のDCA
倍音加算ジェネレーターの代わりにPCM音源波形オシレーターを使うときは上記3から音創りが始まる。こうし て最大6基のオシレーターにて倍音加算サウンドとPCMサウンドとをレイヤーして音創りする。
倍音加算合成にはマクロ・エディット機能もあり、奇数次倍音のみ、偶数次倍音のみ、などと特定の倍音グルー プに絞ってエディット可能なばかりか、さらに驚愕するのは個々の倍音ごとにEGを設定可能。そんな128倍音ごと に個別に多ポイントEGなんか設定してられっか!という至極まっとうな向きには、モーフ・モードを使うことによ り、時間軸上の4点タイム・スライスに128倍音スペクトラムを設定することで、その4点をモーフィングするウ ェーブテーブルを作成可能。つまりAA音源とはウェーブテーブルを自作できる音源方式!! この快挙はほとんど世に知られていない。
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それをさらにデジタルならではの最凶128バンド・フォルマントフィルターや、さらに別のレゾナント・デジタ ル・フィルター、デジタル・アンプ、ADDSRという2段ディケイ装備の多段EGなどで加工。
のちのバージョン・アップでは、0.5秒くらいの短いWAVファイルを外部から読み込み、それを逆フーリエ変換 で解析、さらにフーリエ変換でもって整数次倍音のみで再合成、つまりアナリシスとリシンセシスとを行うとい う、空前の機能すら付いてきてゾクゾクさせた。あまりのパラメーター暴風雨ぶりにグラフィックLCDでのエディ ットはもちろん、あとからPC/Mac版エディター・ソフトEMAGIC SoundDiver for K5000が一緒に付いてくるようになった。
“写実派PCM音源の時代に終止符を打つ、印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載”
このカタログ・キャッチ・コピーは、奇しくもD-50開発者ROLAND菊本氏が命題としてきたシンセのシンセた るゆえんそのものである。鏡写しにリアルな写実主義よりも理想的な音を求める印象派。お手本を忠実になぞり過 ぎるお行儀の良いサンプラーではなく、ハミ出まくるやんちゃ坊主こそ自由を謳歌できるシンセ。
リアルよりアイディアル(理想的)そのままに、AA音源では狙ったところに倍音を立てられる便利さにうれしく なる。これがFM音源とかだとレシオだのモジュレーター出力レベルだの、あるいは減算方式だと音源波形選択やカ ットオフ、レゾナンス、各種変調ソースからの変調デプスなどなどのバランスだの、ともかくいろいろ周りから堀 を埋めるがごとく遠隔操作しているようでまどろっこしいことを想起すれば、直接に当該倍音を操作するAA音源に は納得しかない。
しかも和音で弾いたとき音が濁りにくい。多彩なデジタル音も太いアナログ音も出る上にクリーンでクリアで内 蔵エフェクトも高品質。アコピのサンプルに至ってはKAWAIピアノらしい重厚で太くてプログレッシブな音がして 良い。
1990年代も後半に入ったとき、あらためて隆盛するPCMシンセへのアンチテーゼが登場したのである。それは
リアルさばかり求められる時代へ��向かうデジタル・シンセの聖戦、その布告であった。
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アゴが外れるほど驚愕させられたのは、その愚直なまでに広大だった音源方式だけではない。シリーズ唯一、か つKAWAI初のワークステーション・シンセとなったK5000Wにはこれまた広大なMIDI シーケンサーが内蔵された だけでなく、APG(Auto Phrase Generator)という一種の原始的なAIみたいなやつがフレーズを自動生成してく れる機能すらあった。
ユーザーがレコーディングしたシーケンス・データをなんとK5000Wが解析、別途ユーザーが指定した音楽ジャ ンルなどに則して勝手にK5000Wが最大8パートのマルチトラック・シーケンス・データを作成。しかもコード進 行を提案までしてくれる! 挙げ句、自動生成したシーケンス・データをご主人様がを気に入らなければ何度でも リトライ、K5000Wが都度違う楽曲データをご提案。最大で8,000通りくらいの場合分けで勝手にデータを作成し てくれる。
ユーザーが指定できる音楽ジャンルはプリセット105、ユーザー2つ。え、ユーザー?......そう、ユーザーが電子 オルガンやアレンジャー・キーボードなどで伴奏スタイル・データを作成し、それを読み込ませることでプリセッ トにない新しいジャンルを追加可能。未知のジャンルに至るまで人間様の感性を見抜いて提案してくれるのです よ、シンセが! プリセットされたジャンルには1990年代らしく“ランバダ”もあったが、APG機能の本質はAI支援 作曲、つまり機械が人間をアシストする時代への一歩二歩であった。さぁほら、落ちたアゴを拾いたまえ。
そうでなくともK5000Wの内蔵シーケンサーは当時のワークステーション・シンセとしては巨大な代物で、40ト ラック/4万ノート記録ができるという、およそ規格外と言っていいくらい大規模なものであった。MIDI端子すら IN/OUT/THRUを2セット計6端子も装備し、もはや広大なMIDIシステムの中核を成すキーボード・コントローラ ーですらあった。いわばKAWAIのPCなんか使わないぞ宣言、なのであろうか? SoundDiverはエディターであっ てシーケンシングじゃないしね。
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普通にPCMワークステーション・シンセとしても卓越した素養があり、加えて革命的な目玉機能も目白押し、し かも値段も比較的にいいところを突いており、ビルド・クオリティもさすがのメイン・イン・ジャパン、鍵盤タッ チも素晴らしいところはヤノピの老舗ならでは。ワークステーションではないK5000Sに至ってはノブがたくさん 付いて、例えば奇数次倍音だけをえいや!っとひねって制御。宣伝にはクリヤ・マコト氏を起用、まだ氏がエヴァ のクロージング・テーマを手掛ける前のことである。
主役は最後に現れる。1990年代も後半、ノストラダムス最後の審判が見えてきた世紀末、世も押し詰まったころ 遅れて出てきた意欲作、それはデジタル・シンセ最後の聖戦であった。
デジタル・シンセの時代。
新しいテクノロジーが新しい音と表現をもたらし、技術こそが未来を切り拓く。健全な未来観。シンセは未来。 シンセはSF。技術的センス・オブ・ワンダー。まぶしいくらい無邪気にテクノロジーを信じ、ハイテクで世界が一 つとなり、音楽が世界を一つにするというビジョンに歓声を上げる。約束された未来、痛々しいまでにナイーブな 未来感覚。そしてデジタルだからこそ多彩な音が可能となり、それはスター・ウォーズ異星人のようにチグとハグ の多様性であり、だからこそ多彩たり得た。
かつてCASIOがキーボード業界に乱入してきたとき、彼らのデジタル技術レベルはYAMAHAよりも5年は先を行 くものであったという。すなわち楽器業界にてデジタルはCASIOの独壇場だったのであり、CASIOのおかげで楽器 は初めて民主化しえた。
そこから始まった楽器のデジタル化が15年かけてたどり着いたK5000。ようやくインターネットがお茶の間に入 り込み、新しい世界の足音が聞こえ始めたその時。だが他方、迷いが出てきてどんどん感情的になっていくとき、 なんでもできてしまうデジタルへの疲れから人は限定を求め始めたのか。そして再び人が主役の時代へ、人の出番 が多いシンセへ、それはアナログ・シンセであった。
しかしアナログへの回帰とは、今やギターと同じくらい定番と化したアナログ・シンセ音色への懐古と郷愁でも あり、人は生まれる前の時代に対してすら懐かしさを抱きしめて生きるものであるという真理の追認でもある。デ ジタルもアナログもどちらが古いとかではなく、等しく未来へ向かうテクノロジーではなかったか。それこそFM音 源もMinimoogの同窓生たる古いテクノロジーだったのであり、だからこそ永遠に新しいのではなかったか。定番 と化したアナログ・シンセへ還ることはたやすい。だがシンセはそれで良かったのか? 前を向くのが新しい楽器 ではなかったのか? 楽器のフロンティアを開拓するのは、へんてこなシンセたちではなかったか。
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テスコのたましい百までも。
K3では、DW-8000が実現できなかったユーザー波形を。K5では、FM音源がなし得なかった倍音のダイレクト 操作を。K1では、ROLAND D-50でのPCMとシンセ波形との組み合せを格安プライス上質キーボードで。K4で は、KORG M1でも実現できなかったPCM波形を加工するデジタル・レゾナント・フィルターを。K11では、ROLAND JD-990と同じくセミモジュラー構成のPCM音源を安価かつ良質なキーボードで。K5000では、優れて 柔軟な音源と、来たるべきAI時代を予見する機械作曲の曙光を。
他社に学びつつも、他社がたどり着けなかったいま一歩最後の詰めをKAWAIのシンセは探求し続け、K5000Xと いうまぼろしの76鍵フラッグシップまで企画されていたという。しかし発売から2年後、K5000シリーズは一斉 に値下げされて在庫一掃セールが始まり、同年ステージ・ピアノの名機MP9000が入れ替わりに発売。そのまま河 合楽器は本業であったピアノに専念し、ごりごりのシンセの火は消えた。
時に西暦1998年。ついに世紀末が始まろうとしていた。Y2K問題が現実のものとして立ちはだかり、その対処に 翻弄され中小企業に至っては経営に大きな打撃をこうむり、世の中は終末ムードに覆い尽くされ、新しい世紀への 胎動もまた始まっていた。とっくにアナログ回帰への胎動と心音が聞こえてきた中、その過程で既に3年前に史上 初のバーチャル・アナログ・シンセCLAVIA(NORD) Nord Leadがデビューしていた。無名のメーカーから突如 として彗星のように登場するそのさまは、かつてのアナログ名機SEQUENTIAL Prophet-5を思わせた。ハンドメ イド・イン・スウェーデン、ニュー・タイプにふさわしく赤い彗星は高速演算DSPシンセ、感受性豊かな木製ピッ チ・スティックと石製に間違えられたモジュレーション・ホイール装備、EGのアタックが食い付くように激速でク ール!
ここからPCMシンセへのアンチテーゼが続出するようになり、それはKORG ProphecyやZ1、ROLAND JP- 8000やJP-8080、ACCESS Virus、WALDORF Q、QUASIMIDI Raven といった一連の変わりもんシンセた ちとなった。それは既存シンセへのもう一つのアンチテーゼとして独DOEPFERがユーロラック規格を提唱し始める ころであり、実はK5000もその同じ時代の空気を吸って生まれた果実の一つであった。そのミームは2003年 にROLAND V-Synthシリーズとなって結晶化する。V-Synthは売れはしなかったがその怪物性が話題となった現代 のレジェンドであり、楽器店から“ローランドさんやっちゃいましたね���”と言われたらしい。が、それでももう20 年ほどたつ。へんてこなシンセたちが挑戦するフロンティアは依然としてまだまだ開拓が始まったばかり。
へんてこシンセの挑戦は今やシンセの本流へと還流し、YAMAHAはMontageにて8オペ88アルゴリズムのFM音源へ回帰、KORG はKronos/Nautilusにて9つの音源を同居、ROLANDは変幻自在のZEN-Core音源にてハード/ソフト/モバイルの垣根をクラウドで超える大統一理論的存在になろうとしている。
一方、もう一つのアンチテーゼたるシンセの先祖返りも進み、ついにモノホンのアナログ復権を見た。それを 重々に認めながらもそれでもなお前を向こうとしたSEQUENTIALのデイヴ・スミス爺。そのProphet-5 Rev.4登場 に、Rev.1でもRev.2でもRev.3でもRev.3.3でもない、たった一つ時代の流れに歯向かう橋頭堡のようなビンテー ジ・ノブを回しきったRev.4サウンドに、電子楽器の歴史の縮図と宿命と可能性とを見る。さらにその彼方にある Rev.5サウンド、いまだ見たことも聴いたこともないサウンド、私たちはいかなる音色を次世代Rev.5世代へと贈り とどけるのか? Rev.5、Rev.6、Rev.7、Rev.8、Rev.9、Rev.10、私たちはいまだ4にしか到達しえていないでは ないか。次のRevisionはどんな音なのか、それがアナログであれデジタルであれハイブリッドであれハードであれ ソフトであれアプリであれクラウドであれ、まだ見ぬ全く新しいなにかであれ。
歴史のまにまに運命へと消えたK5000シリーズ、その恐るべき愚直な倍音加算合成はひょっとしていにしえの TEISCOの変態ギターSpectrum 5シリーズに見た“ピックアップ加算合成”に由来するのか? 春の遠雷を聞くか のようにその遠いこだまするエコーなのか? いや違う、多分違うと思うけど、そう想像するのは楽しい。
デジタル・シンセの春、デジタル・シンセ最後の聖戦は、ここに海外からアナログとモジュラーという先祖返り したかのような新しい黒船の到来を迎える。次からはそのルーツとなった海外からの波を俯瞰してみたい。きっと それはここまでの電子立国にっぽんシンセ自叙伝テクノロジー・ドリブンな歴史観とは全く違った、地球人類ならではの必要性と必然性に迫る視座からのものになるであろう。パンデミックにもめげず、ここまでお読みいただき まことにありがとうございました。まだまだWeb連載は続くで。ぜひぜひぜひとも皆さまおすこやかに~~~~! Stay healthy, and stay cool!!!!!!
(2022年2月10日Sound&Recoeding公式サイト初出)
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【11月合同練習会:1日目セクション練習】
11/19(土)-20(日)の2日間にわたっての練習です。
1日目は、東京フィルハーモニー交響楽団の講師の方々に各セクションをご指導頂きました。
1stヴァイオリン、2ndヴァイオリン、ヴィオラ、低弦(チェロ・コントラバス)、打楽器、木管、金管に分かれての練習です。
1stヴァイオリンの講師は、佐份利恭子さん。
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2ndヴァイオリンの講師は、 柏木かさねさん。
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ヴィオラの講師は、 重光明愛さん。
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今期、ヴィオラの団員はもともと人数が少ないのですが、 今日は欠席者もいたため、マンツーマンの贅沢なレッスンとなりました。
低弦の講師は、チェロの 竹林良さん。
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打楽器の講師は、 高野和彦さん。
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木管の講師はファゴットの 森純一さん。
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金管の講師はホルンの齋藤雄介さん。
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今回のセクション練習は、いつもより多くのグループに分かれて 練習を行ったため、福島民報ホールでは部屋の数が足りず、 金管は民報ホールから徒歩15分ほどの距離にある白百合幼稚園を練習場所としてお借りしました。
先生方も「この曲大変だよね…」と呟きながら、 ��パートごとに細かい部分を取り上げ、丁寧にご指導くださりました。
講師の皆様、ありがとうございました。
セクション練習は15時に終了。
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その後は、来週26日に予定している有志演奏に参加するメンバーのみで練習を行いました。
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団員の有志19名で下記のイベントにて演奏を予定しています。
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海岸線の美術館 開館セレモニー 雄勝壁画まつり SEAWALL MUSEUM OGATSU OPENING CEREMONY
開催日時: 2022年11月26日(土)10:30-16:00
会場: 海岸線の美術館 宮城県石巻市雄勝町上雄勝2-22 ※ google map「海岸線の美術館」で検索
アクセス: JR仙台駅から車で1時間15分 / JR仙石線石巻駅から車で40分
https://www.instagram.com/p/Ck-2AF-P94o/?hl=ja
(※下記、「海岸線の美術館」公式Instagramより紹介文引用)
「2022年11月26日、宮城県石巻市雄勝町の防潮堤に「海岸線の美術館」を開館します。 開館当日には、高さ7.5m、長さ54.6mの圧倒的スケールで描かれた壁画をはじめ壁画3作品のお披露目と、美術館の開館を記念して「雄勝壁画まつり」を開催します。 壁画の前でアートとミュージックとフードとクラフトが交わる時間をぜひご堪能ください。ぜひいっしょに祝いましょう!参加無料です!」
イベントプログラム:
10:30- 雄勝壁画まつり スタート(フード等販売開始) 11:30-12:00 美術館 開館セレモニー(開館の挨拶・序幕・オープニング和太鼓演奏等) 12:00-14:00 海岸線のお振る舞い(四季彩食いまむら×安井鷹之介) 13:15-13:45 東北ユースオーケストラ 壁際演奏会  14:00-17:00 雄勝小中学校壁画 特別公開展示(祭り会場と別会場) 14:15-14:30 チアダンスWINGSパフォーマンス 15:30-16:00 奇妙礼太郎 海岸線のライブ
宮城県石巻市雄勝町の巨大防潮堤に芸術作品としての壁画が描かれ、 その壁画の完成とともに、「海岸線の美術館」という野外美術館の開館セレモニーです。 東北ユースオーケストラはその防潮堤の前で「壁際演奏会」を行います。 ご都合の合う方は、是非遊びにいらしてください。
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この有志演奏会には、助っ人としてOBも参加します。
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小学5年生の担任として働くチェロ大束君。 有志演奏の練習をするため、この日福島民報ホールに差し入れを持って来てくれました。
そして16時半過ぎに、練習終了。
今回は土日2日間の練習のため、 福島出身以外の団員のうち希望者は郡山市のホテル宿泊をするため、 まとまって新幹線で移動します。
郡山は福島市から新幹線で1駅ほど移動した場所です。 ちょうど日程が重なっている福島競馬や全国旅行割の影響で、 福島市内のホテルはどこも満室状態。そのため郡山でのホテル宿泊となりました。
2日目以降の様子は、後日アップするレポートにてお伝えしたいと思います。
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sunaoruyama-news · 23 days
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24.08.03
福音館書店「かがくのとも」から絵本を出しました!9月号「どうぶつたちのおんがくかい がっきをつくろう!」です!(8月3日発売) つぎつぎ出てくる動物たちが、得意げに楽器のつくり方を教えてくれます。10種類の生き物たちが出てきて、10種類の楽器ができます。つまり、みんなでつくったら、音楽会を開くことができます🎊 絵本をつくることが、こんなに大変だと思いませんでした🥺ずっと並走してくださった編集部の方々に感謝致します🙇🏻‍♀️
下記は、福音館書店 Instagramのポストより✏️
・・・ 身近な素材で楽器をつくって、音楽会をひらこう♪
5~6才向けの#かがくのとも 9月号は『#どうぶつたちのおんがくかい がっきをつくろう!』です。お話仕立ての楽しい工作絵本です。
森のなかを歩いていると、ピアノを弾いているネコがいました。今日はいろいろな動物があつまる音楽会があるのだそうです。 「きみたちも一緒に出ない?」と誘われたのですが、楽器を持っていません。 「どうしたら、いいかな」と考えていると……
次々に動物たちがやってきて、身近な素材でできる楽器づくりを教えてくれます。
ウマが教えてくれるのは、「パカラン! パカラン!」、ひづめの音の出る楽器づくり。ひもと紙コップとわりばし、そしてテープとはさみで簡単に作れちゃいます。
タヌキが教えてくれるのは、「ポン! ポン!」とはらつづみの音が出る楽器づくり。風船と紙コップとわりばし、そしてガムテープとはさみで作れます。
ほかにも、「ケロケロ!」と鳴くカエルの声の楽器、「クワッ!クワッ!」と鳴くアヒルの声の楽器などなど、いろいろな動物がさまざまな楽器づくりを教えてくれます。最後はもちろん、みんなで森の音楽会!
作者は、ワークショップデザイナーであり、プロとしてバンド活動もしている#丸山素直 さん。百円均一ショップで手に入るような身近な材料だけで簡単につくれる楽器ばかりですが、打楽器・管楽器・弦楽器・鍵盤楽器、と幅広い楽器をカバーしています。ぜんぶそろえば、本格的な音楽会がひらけますよ。付録には、自由に描き込める「音楽会告知ポスター」がついています。ぜひお家や園などでポスターを貼り、音楽会を開いてみてくださいね。
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hegotthesun · 1 month
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『ドギーアンドバニー:中篇』
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
新原生代('90年代)
小学生低学年の頃、父が会社の事務室から不要なワープロやPC(ブラウン管のWindows 95)を持ち帰りました。
当初はネット環境がなく『Klik & Play』でゲームを作り、富士通主催のコンテスト入賞作を収録した『Klik & Play Game Collection』をプレイ。この頃に三歳年上の兄が作ったタイピングゲームでタッチタイピングを会得しました。
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新古生代('00年代)
新カンブリア紀:西暦2000年問題
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『FF10』をクリアした13歳の頃、ようやく実家のインターネットが開通しました。
ストーリーの考察&攻略サイト(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『アーマードコア2』など)や、イラストサイトの常連になり、お絵描きBBSやチャットの利用を開始。今のDiscordの先駆けとなるMSNメッセンジャーやYahooメッセンジャーで同世代のフレンドと交流。
当時使用したノートPC(OSはWindows 2000)のメモリは256MB。 メモリを倍に増設したら起動が爆速になって驚いた思い出があります。
その頃に記念紙幣の二千円札が発行され、報道番組で「IT革命」「文部科学省が愛国心教育を開始」「ゆとり教育」などが報じられていました。
そうして実家のネット開通と同時に「新カンブリア爆発」が引き起きたのでした。
新オルドビス紀:OVAの視聴
ケーブルTVでキッズステーションやアニマックスを視聴。
まだ深夜アニメという言葉ができる以前のOVA作品(『南海奇皇(ネオランガ)』『円盤皇女ワるきゅーレ』『HAND MAID メイ』『ヴァンドレッド』『BLUE GENDER』『サクラ大戦』等など古生物学者垂涎ものの一群)を拝見。
当時は女性ユーザー層も少なく、ロボットものやご都合主義のハーレムものが数多とありツンデレという概念も希薄でした。
イラストサイトのBBS経由で、ゲーム制作サークルに広報として参加。連日チャットに入りびたり、絵師のお姉さんに可愛がられました。
なぜかYahooメッセンジャーで見知らぬアニメーターの女性から個別チャットがあり、その流れで「口パクを描くのはそんなに難しくないよ」と教わるなど日夜勉強をかさねたのでした。
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新カンブリア爆発から新オルドビス紀までに「ドジっ子メイド」や「おさげの眼鏡っ子」さらに「褐色肌キャラ」及び「前髪目隠しキャラ」、そして「ふくよかなキャラ」と「ボーイッシュキャラ」などの多種多様な属性が次々と出現し、環境の変化から次第に自然淘汰が始まった。
これが後の新ペルム紀末に起きた大量絶滅に次ぐ大きな絶滅事変とされる。
一方の「ツンデレ」「ロリキャラ」及び、どの作風にも馴染む「黒髪ロングキャラ」は地球上における繁栄の粋を極め、今もなおその数は計り知れない。
新シルル紀:HTMLによるHP作成
攻略サイトやお絵描きBBS関係のフレンド間でHP制作が流行し始め、ご多分に漏れずHTMLとtextファイルによるHP作成を開始。
こうして新シルル紀より生物の陸上進出が始まりました。
BBSの人脈から相互リンクを着実に増やすも、軒並みHPがフェードアウトして閉鎖。当時のWeb上のメインコンテンツは読み物とイラスト、あとはFLASHアニメーションくらいしかありませんでした。
その頃に、人類にはまだ早過ぎたエロゲ声優ネットラジオ番組「アケミとマリカのがっちゅみりみり放送局」を愛聴。
00年代前半の著名なテキストサイトに「侍魂」「ちゆ12歳」等があります。しかし、個人的によく読んでいたのは『FF11』のSS投稿スレをまとめた「涙たちの物語」のような某大型匿名掲示板に投稿された読み物でした。
今にして思えば、この同人小説と検索機能のお陰で読みにくい漢字を虱潰しにある程度は削減できたように思います。
その頃はまだYouTubeは疎か、pixivや小説家になろう等の各分野ごとの専用SNSがなかったので、創作物を公開するためには自分でHPを作成する必要がありました。
しかし今では個人サイトのBBSや絵チャット、及び某大型匿名掲示板は淘汰されてX(旧Twitter)に替わり、Yahooメッセンジャーの類はDiscordに推移。手作り感のある連絡媒体は不要になりました。
新デボン紀:和声理論
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個人サイトの馴れ合いから離脱した後、RPGツクール界隈のmidi素材配布サイトや、FFシリーズの耳コピmidiから、midiシーケンサーの存在を知りました。楽典などで楽譜の読み方を覚え、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の楽譜をmidiシーケンサーに打ち込み始めました。
次にRPGツクール向けのBGMを作るために音楽理論について学び、同時に耳コピや作曲をひそかに開始。
この「魚類の時代」とも呼ばれる新デボン紀後期に両生類、つまりオタマジャクシの祖先が誕生したのであります。
新石炭紀:薬指と小指の動作的分離
「楽器が弾けると作曲が捗る」という某大型掲示板の情報をもとに、14歳の頃より押し入れに保管されていたエレキギターの練習を開始。その影響もあり指版に依存するコードヴォイシングに傾倒。この長く続いた氷河時代から開放弦を利用したテンションコードの和声を構築し始めました。
丁度この頃に、今は学習院大4年生になり卒業論文『中世の和歌』を提出した愛子さまがご生誕されました。愛子さまは大学で平安時代から明治時代の古典や文学、和歌などをお学びになられました。また、幼い頃から情操教育として絵本を読み聞かされておられました。3歳は絵��のゴールデンエイジと呼ばれ、絵本の世界に入り内容を楽しむことができる時期です。絵本で感じたことを、自分が実際に経験した出来事や、感情と結びつけることができるようになります。
2001年の同時多発テロを契機に「イラク戦争」勃発。アメリカ合衆国が主体となり2003年からイギリス、オーストラリア、ポーランドなどの有志連合が結束。戦後初めて日本が戦争に参加し、自衛隊派遣を行い、イラク南部でインフラ整備や治安維持任務を実施。
米軍とイラクの正規軍同士の戦闘は2003年内に終了。"ジョージ・W・ブッシュ"米大統領により大規模戦闘終結宣言が出された。しかし、アメリカ側の目的だった大量破壊兵器の発見に至らず、さらにイラク国内の治安悪化が問題となり戦闘は続行。
2010年8月31日に"オバマ"米大統領により戦闘終了が宣言され、米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた作戦が開始。2011年12月14日の米軍完全撤収によってオバマ大統領が「イラク戦争の終結」を正式に宣言した。
アメリカでは2003年のイラク侵攻と実戦を「2003年イラク侵攻」と呼び、それから2011年の米軍完全撤退までをまとめて「イラク戦争」と呼ぶケースが多い。
落語家"立川志らく"氏は「去年はビンラディン、金正日、立川談志が亡くなりました。いわば世界的独裁者が相次いで亡くなった年でした」と寄席で哀悼の意を表しました。
ロックロックこん��ちは
『FF10』クリア後の翌年にラスボス戦の曲がヘヴィメタルというジャンルだとネットの検索でようやく知りました。また、音楽専門チャンネルのMTVやSSTVで00年代前半の邦楽インディー系ロック(この時代のクランチでテンションコードを鳴らすギター演奏やドラムのタム回しは"ブルートレイン"や"ロケットサイダー"など今の邦ロックに継承)や00年代の洋楽ロックのMVを視聴。しかし、その頃の世間はモーニング娘。(代表曲「LOVEマシーン」のMVで繰り広げられる熟女の腹踊りに圧巻)など芸能人の歌唱が人気を博していました。
某大型匿名掲示板でメタリカやメガデスなどの所謂80年代スラッシュメタル四天王を知り、お年玉貯金でCDを購入。ちなみに14歳の頃に初めて試聴目的(それ以前は『モンスターファーム』用に購入)で買ったCDは、ギターソロが巧いと評判の80年代正統派メタルを継承したインペリテリと、奇才ギタリストスティーヴ・ヴァイ。00年代前半を牽引したリンキンパークが結成前にライブを観て影響を受けたというアンスラックスも愛聴。
まだ深夜アニメの主題歌も普及していなかった時代は、芸能界やJ-POPを忌避する者の間でメタルやテクノ、ゲーム音楽などがもてはやされていました。ようするに他に聴く音楽がなかったのでしょう。ちなみにSMAPのキムタク氏はイングランド出身のヘヴィメタルバンドアイアン・メイデンのファン。
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音楽専門チャンネルSSTVで邦ロックを堪能。その中にはフジファブリックやナンバーガール、レキシやスネオヘアー、後に代表曲「粉雪」をリリースすることになるレミオロメンなども。
NANANINEのリードギター大野氏の講義でグランジを認知。大野氏のギターはカート・コバーンに敬意を表してドロップDチューニングにセッティングし、スタジオレコーディングでもライブ感を出すためにオーバーダビング禁止縛り。日本の商業音楽はギターにピアノにストリングスにと出来る限り楽器を重ねるので、それが不利になったのかも知れませんね。ギターボーカルはJ-POPファンで二人は雀荘で出会いNANANINEを結成したとのこと。
ところでピアノの調律もできるキーボード演奏家であり、レキシのボーカルの池田氏曰く「思春期の頃に口下手な友人がトーク術を鍛えるために、毎日テーマを決めて5分間喋って録音するという鍛錬をおこなっていた」とのこと。これはあくまでも友人の話。
00年代前半に初めてプレイしたオンラインゲームは、SEGAの発売したゲームキューブ版『PSOエピソード1&2』。まだネットが普及してない時代でしたが、BBSやチャットと同じく運良く同世代の中高生フレンドに恵まれました。人脈の広い中心核の男子や、改造PKの多い外国人プレイヤーが苦手な女子中学生など個性派ぞろいでした。
しばらく連日のように遊びましたが、任天堂ゲーム機として初のディスクシステムが仇となり、読み込みに耐えかねてゲーム機本体が壊れたのを契機に引退。やはり任天堂ゲーム機はカセットROMが理想的でしょう。
その数年後『PSOエピソード1&2』のボス戦部分を抽出したようなカプコン社の人気作『モンスターハンター』が発売されました。
新石炭紀の末期には「『ハッピー☆マテリアル』をオリコンチャート入りさせよう」とする未曾有の購買運動《ハピマテ祭り》が勃発。
その数年後には、各地の学園祭で「ハレ晴レユカイ」が踊られるなど、少し前までアンダーグラウンドの文化だったとは思えない広がりを見せ始めました。
原作まで購入した『ローゼンメイデン』や『涼宮ハルヒの憂鬱』以降から新作はあまり追わなくなったけども。
映画『時をかける少女』『君の名は。』などでさらに市民権を獲得し、ゲームも海外シェアを増やし続け、PS5やニンテンドースイッチ以降の人気作は数百万本~数千万本の売上げを記録するようになりました。
一方の媒体としてCDは衰退をたどり、2020年頃には二千枚ほど売れるだけでもオリコン上位に入り、ジャニーズでも一枚30万枚ほどしか売れなくなってしまいました。
90年代~00年代前半の売上げと比較すると10分の1以下にまで落ちましたが、それが正常とも解釈できるでしょう。
しかしながら、全盛期に宇多田ヒカルが海外進出しようとして頓挫してからのJ-POPはアニメの主題歌として需要が生まれました。
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アジアのポップスの中でK-POPは、2018年にアジア圏出身者として初めてビルボード200で1位を獲得。K-POPは欧米でも正式な音楽ジャンルとして認知され、ビルボードには専用ページも作成されました。オリコンチャートの原案は、この米国のビルボードチャートに他なりません。
宇多田ヒカル海外進出時から識者の間では「欧米の音楽ファンに宇多田ヒカルのような曲を聴かせても『まあ、こういう曲、よくあるよね……』というしらけた反応が返ってくる」と言われ、他にも「海外のライブハウスでは、よくある売れ線の曲を演奏するよりも、個性的で変な曲を演奏する方が反応がいい」などの意見がありました。近年の日本もインディーロックやニコ動音楽などの自主制作音楽が普及してからは、独創的な音楽も受け入れられるようになったと思います。
一方でJ-RPGは古典的なRPGの代名詞としてSteamにカテゴライズされました。理由は一概には言えませんが、そっとしておくことにしましょう。
僭越ながら筆者は敢然と考えます。自由気儘に回遊する姿こそ、本来の同人作品だと。
新ペルム紀:大量絶滅
ネッ���開通当初の2000年代前半は、ゲーム音楽の耳コピmidiや楽譜などがウェブ上に沢山ありましたが、それもJASRACの規制により一斉に淘汰されました。
今も使用料を支払えば二次創作も配布できますが、収益が支出に満たない場合は続ける道理が見出せないでしょう。
また、手作り感のある個人サイトや、RPGツクール関連サイトも管理人の就職などに伴い次々と閉鎖されました。
これが新ペルム紀末に起きた観測史上最大規模の大量絶滅です。
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◇No. 0 愚者《The Fool》
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▼正位置 ・自由、楽天的、天真爛漫、旅の始まり、我が道を行く
▼逆位置 ・無知、悲観的、軽率、無計画、無配慮、鈍感、空回り
愚者のタロットカードに描かれるのは旅人らしき少年と犬。22枚の大アルカナの中で唯一移動している人物が描かれており特別視されるカード。彼は、ほんの少しの荷物しか持っていない。荷物はこれまでに蓄えてきた知識や経験の象徴。身軽な方が新たな旅を始めやすくなるのだ。過去のしがらみから解放された旅は、自由で自分らしく生きることが出来るだろう。
しかし、旅は決して楽しいことばかりではない。きっと多くの困難が待ち受けているだろう。足元の断崖絶壁は乗り越えなければならない壁を暗示する。少年の足元には犬がいる。犬は誠実で忠実な動物。カードに描かれた犬は、崖へ向かう愚者に危険を知らせている。直感に従えば危険を回避できるという暗示だ。そのまま進むことも、引き返すことも、自分自身で決めることが出来るだろう。
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▼新中生代:ポピュラー音楽の成り立ち
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2006年:新生代
17歳の頃に4日間ほど絶食したところ意外と空腹間を感じず、このまま何も食べなければ簡単に命を断てることを覚った。
逡巡の中で「あと10年間だけ生きて『生きる理由』を何も見出せなかったら命を断とう」と決意を新たにしたのだった。
タイムリミットは――27歳の誕生日。
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18歳より幼馴染の祖父が経営する会社で勤続開始。
音楽制作に必要な機材を買い集め始めた。
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▲2007年(19歳)に作曲したオーケストラ曲
midi素材ブログの運営
2007年3月4日。13歳~19歳までに作ったmidiの供養のためにRPGツクール用midi素材ブログ『レオナル堂』を開設。
翌月に素材提供したRPGツクール製ゲームが『週刊ファミ通』でお馴染みのエンターブレイン主催デジタル作品コンテストで入賞。二ヶ月ほどで2万アクセスを突破。
そうこうして作曲を始めた13歳頃の目標だった「兄の作るゲームのBGMを作りたい」という念願を間接的に達成できました。
さらに秋の就職を以てブログの更新を停止しました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチにおけるウィトルウィウス的人体図における黄金比とは、r = (1 + 51/2) / 2 = 1.6180...または(1 / r) = (51/2 − 1) / 2 = 0.6180...という数値で表される比率。
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江戸時代後期
江戸時代の幕末維新は1853(嘉永6)年の黒船来航から始まりました。幕末の日本に影響を与えた欧米列強は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヶ国です。
《産業革命》~第二次産業の幕開け~
産業革命は18世紀のイギリスから始まり、その後は西ヨーロッパ諸国、アメリカ、ロシアなどに拡大し、欧米諸国は農業文明(第一次産業)から工業文明(第二次産業)社会に移行しました。産業革命は綿工業から始まり、その発展は鉄工業、石炭業、機械工業などの諸産業の発展を促し、石炭と鉄の時代を到来させました。
1830年以降になると、機械による大量生産体制が確立。産業革命の技術革新の総仕上げとして鉄道が出現。さらに帆船から蒸気船に転換し、それが自国内だけでなく、世界に進出する足掛かりとなりました。産業革命によって大量生産された製品は、まずは自国内で消費されましたが、すぐに飽和状態となりました。産業革命の進展は原材料の高騰や枯渇をもたらし、労働力の確保も課題となりました。その補給先も、自国外で確保しなければならない循環に陥ってしまったのです。
初めに産業革命を果たした英国は、ヨーロッパ大陸に市場を求め、さらには米国、そしてその矛先はアフリカやアジア諸国に向かいました。原材料の確保も同時に企図されるが、これも欧米以外に依存��ました。英国以外でもフランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなどが順次に産業革命を進展させ、資本主義国家群を形成し、欧米全体がアジア市場を求めて進出しました。その際には製品だけでなく軍隊も派遣し、武力を伴った支配化、つまり発展途上国の植民地支配を実行しました。これが帝国主義の時代の幕開けです。
当初の英国は東インド会社を国策会社として設立し、アジアに対する貿易と植民地経営を積極化させました。英国の植民地化を阻止すべく1857年にインドの反乱が起こりましたが、軍事力の差により鎮圧されました。翌1858年にムガル帝国が滅亡し、英国がインド全土の支配を開始しました。
19世紀に入ると英国の自由商人活動は活性化し、清にインド産のアヘンを密輸し始めました。アヘンの流入を阻止したい清国と、密輸を継続しようとする英国との間にアヘン戦争が1840年に勃発。清は英国の近代兵器に圧倒され、その後は欧米の侵略拠点となりました。そして中国の先にある日本に対し、いよいよ欧米列強が開国を求めることになりました。
江戸時代後半の日本は長崎などの例外はありながらも鎖国体制でしたが、18世紀後半からロシアが北方から南下を始めたので、それに対する危機意識が高まっていました。江戸幕府は鎖国を貫こうとしましたが、アヘン戦争による清の大敗は衝撃を伴い、戦争回避を前提に外交が展開されました。
幕府は外国船打払令(外国船とみれば躊躇なく追い払う令)とした政策から対外的な展開を図りました。それを契機にロシア、イギリス、フランス、アメリカが日本に接近して和親と通商を求め始めました。しかしながら、幕府は依然として鎖国を盾にその要求を拒否し続けました。そこに中国の政策に専念する英国を出し抜いて、嘉永6年にアメリカからペリー提督が開国要求の使者として来航したのです。
日露戦争
1905(明治38)年、日露戦争後半の大規模な陸上戦「奉天会戦」の戦力はロシア軍36万、日本軍24万。兵士の数ではロシアが優勢。しかし、機関銃の数は日本が上回っており、兵力的には互角と見込まれました。
戦場で日本は西側から回り込み、ロシア軍の退路を経つ包囲作戦に出ましたが、ロシアがそれを察知して全軍撤退を始めました。本来ならロシア軍を追撃すべきだったものの、兵士の数と弾薬が足りず掃討作戦を断念。拠点になる奉天の制圧に成功しましたが、新たな作戦を立てる余力もなく、もはや陸上戦は継続不能の状態でした。ロシア陸軍は撤退したと言っても、残りの兵力は約200万人。その数は日本陸軍の約10倍で、ロシア側も戦争続行の意向でした。
そうして対馬海域にロシア海軍のバルチック艦隊が到着。陸上戦に続き、次は日露海軍による日本海海戦が開幕しました。天候は『天気晴朗なれど波高し』で日本に有利な状況。ロシア艦隊は、前方で突然大きく旋回した日本艦隊に総砲撃しましたが、日本海の高波や長い航海による疲弊もあり砲撃の精度は低く、砲撃を免れた日本艦隊が横に並び、一斉砲撃を加えて壊滅的なダメージを与えました。ロシア戦艦6隻、巡洋艦4隻など計15隻を撃沈。これによりロシア艦隊をほぼ全滅に追い込みました。
こうして長期にわたる摩耗戦が続き満身創痍だったものの、海戦史上かつてない勝利を治め、アメリカの仲介のもとで講和条約を結ぶ運びになりました。
しかしながら、日本政府が日露戦争に費やした経費は15億2,000万円。これは当時の国家予算5年分にあたる金額。日露戦争の出征者は130万人。10年前の戦争は13万人だったので、その数の多さが分かります。さらに9万人(陸軍兵士の戦没率は8.7%)が死亡し、44万人が負傷。日本の目的はロシアの南下を防ぐことにありました。ロシアも日本に戦争の持続力がないことを知りながら戦略的撤退を行いました。ところがマスコミの誇大報道により国民は日本の大勝だと信じました。
この時期は、国民の識字率の上昇に加え、新聞は各紙とも急激に部数を伸ばしており、大きな影響力を持つようになっていました。
しかも戦勝の誇大ニュースを乗せると部数が増えるので、毎回ロシア軍に大勝しているように書き立てられていたのです。
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『ワルツ』 終局特異点 A.D.2007
※本稿は虚構《フィクション》であり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。
――2007年10月17日。今日はケミカルシューズ関連業の面接日。
これまで18歳から2年間ほど務めた印刷製本の仕事を、会社側の事情で唐突に解雇され、転職を余儀なくされたのだった。
そうこうして、会社2階の事務室に入室した。事務室の扉をノックし、「失礼します」と幾分か緊張しつつも開いた。
狭い事務室には、茶髪の長い髪をアップに結んだ女性が着席しており、ずいぶんと驚いた様子でこちらを凝視していた。
席を外すように促され、女性は事務室から退室し、すぐに僕の面接が始まった。
そうして数日後、採用の連絡があった。
どうやら茶髪の女性は事務員として入社し、僕は作業員として同期入社する運びになったようだ。
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2007年10月19日。小雨の降る緊張の初出勤の日。
延々と続く変わり映えのしない道を猪突猛進に歩き続け、勢いあまって会社の目前を通り過ぎ、咄嗟に踵を返したところ、今度は足を滑らせて転倒しかけてしまった。
この先、無事にやって行けるのか不安になりながら気を取り直して社内に入ったが、まだ誰も来ていないようだった。
不意に後ろから声を掛けられたので振り向くと、一人の女性が立っていた。
軽く挨拶と自己紹介を終えると、いきなり好きな音楽は何かと訊ねられた。
どうやら彼女が好む音楽はThee Michelle Gun Elephant、Number Girl、Syrup16g、Bump Of Chicken等の下北系のロックバンドらしくすぐに意気投合した。
そうして同じ持ち場の彼女から直々に仕事を教わることになった。
ちなみに会社の前で足を滑らせた情けない後ろ姿はしっかりと見られていたらしい。
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翌日、彼女に何かお勧めのCDを持って来るように頼まれたので、彼女の気に入りそうなCDを何枚か持ち出して聴かせたところ、フジファブリックの『茜色の夕日』を甚く気に入ったようで何度も繰り返し聴いていた。
後日そのCDは彼女に渡すことになった。
それから彼女に手取り足取り作業を教わる日々が続き、「繊細そうな手」「東京の人みたいで面白い」と辛辣なことを言われて困惑した。
さらには「彼女はいるの?」「どうして彼女を作らないの?」「女の子が嫌いなの?」と受け答えに困る冷酷な質問をされ、「音楽に専念したいから」と意味不明な言い訳をしてしまった。
同時に「貯金が貯まったら宅録環境を整えて曲を収録したい」と密かな夢まで語ってしまった。
まるで馬鹿みたいだ。
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──ある日の昼休みのこと。東京に引越して結婚すと彼女に告げられた。
要約すると、月末に寿退社する彼女と入れ替わりに、僕は補填として会社に採用されたのだった。
その後は、なぜか人生相談に乗ることになったが、どこか上の空で曖昧な答えしか返せなかった。
相談は人間関係や子供時分の思い出話にまで及んだ。
どうやら彼女は長い間、自分は変人なのだと思い込んでいたが、最近になって普通なのだと潔く覚ったらしい。
東京では友人を作った方がいいのか聞かれたが、「子供ができたらママ友ができる」とは流石にその時は言えなかった。
「どんな人が来るのかと思ってたけど、いい子でよかった」
なんだか褒めるにしても頼りないことを言われながら、意外と子供の頃の共通点が多くて驚いたが、横から割って入ってきた事務員に「結婚は結局のところお金」と断言されてしまった。
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翌週に執り行われた「歓迎会兼送別会」と銘打たれて催された飲み会は、僕にとって歓迎会だったが、彼女にとっては送別会だった。
僕は地元の神戸で働き、彼女は東京に行き嫁ぐ道を選んだ。
彼女は結婚を修行のようなものだと思って頑張ると言ったが、僕にとっては就職して働くことが修行のようなものだった。
「もし私が三ヶ月後に離婚して神戸に帰って来たら、また一緒に働こうね」と冗談を言ってくれたが、たとえお互い違う道を歩んでも彼女が元気に過ごして居てくれたらそれだけで僕は一向に構わない。
「定年退職まで頑張ってね」
そんな約束を彼女と交わしたのだった。
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「この飲み屋にいる中で誰が一番好みや?」
ふいに上司から不躾な質問をされたので、真剣に周囲を見渡しながら悩んだ。
「このお姉さんが眩し過ぎて他の人は見えないよね?」
お座敷で僕と向かい合わせに座っていた彼女が、隣に座る"ふくよかなおばちゃん"を指さしながらとその場を上手く誤魔化してくれたのだった。
「お前は返事が遅いから指示を理解したのか分からへんのや」
「適当に『はい、はい』と答えてればいいと思う」
上司の小言に対して、彼女が貴重な助言をくれた。
話の流れで上司には11歳年下の妻が居ると発覚して、社員一同に「犯罪や!」と褒め称えらていた。
また、その上司の息子は毎週ポケモンを観ているらしく、その場でポッチャマの絵を描き上げたが、年甲斐もなく中々上手だったので少々驚いた次第だ。
当時はまだ飲酒をしたことがなかったので飲みやすい酒は何かと彼女に聞いたら「カクテルは飲みやすい」と薦められたので、とりあえず"カシスオレンジ"を注文することにした。
カクテルを持ってきた店員に戸惑いながら年齢確認された後、初めて飲んだカクテルの味はジュースと大差ないとしか言えなかった。
「私も飲んでいい?」
物思いに耽っている内に飲みかけのカシスオレンジは彼女に横取りされてしまった。
ブルーベリーソースの添えられたサイコロ状のチーズを黙々と食べる僕の様子を、彼女は母のごとく微笑ましそうに見つめていたが、事務員が執拗に乾杯を要求してくるので仕方なく注文した生ビールで乾杯に応じた。
「へえ、乾杯するんだ?」
彼女に軽蔑の目で一瞥されたが、めげずにビールを口に含んだ。
そうして思わず渋い顔をしてしまった。
「ビールは舌で転がすもんやなくて、のどごしを堪能するもんや!」
「彼はソムリエですから」
上司の助言に、すかさず彼女が合いの手を入れてくれたのだった。
それから酔いが回り、事務員と横になって休んでいたら、いきなり足裏マッサージで彼女に叩き起こされた。
「痛い?」
そう言いながら、彼女は少しご立腹の様子だった。
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事務員がお座敷に連れて来た二人の子供を見て、彼女は「かわいい!」と率直に嬉しそうな反応を示していた。
たぶん彼女の幸せは温かな家庭の中にあるのだとその時に直感した。
円満な家庭を築いたら、彼女はきっと幸せになれるだろう。
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「俺は外国人には優しいからな」
唐突に上司が語り始めた。
「俺は在日韓国人やけど見た目は日本人やから、韓国で韓国語を話すと周囲とびっくりされるんや!」
そんなどうでもいい話を語り出し、ついにはパキスタン人も雇ったことがあるという話題まで飛び出したので、なんだか己の所在地が判らなくなりながら話に聞き入っていたら、突然その上司に胸を揉みしだかれて身じろぎをした。
「嫌がってる……」
目前の彼女はぽつりとと呟き、微笑ましそうにそのあるまじき光景を観察していた。
「なんでうちの会社の女はみんな胸がないんやろうか?」
それに乗じて無駄口の多い初老の同僚が本心からの愚痴をこぼし、女性達から顰蹙《ひんしゅく》を買っていたのだった。
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上司の武勇伝が続くお座敷のテーブルの下で、彼女に無理やり靴下を脱がされたかと思うと、今度は僕の太ももの上に足を乗せてきた。
たぶん黒いストッキングを脱がしてほしいという意思表示だったのだろうけど、流石にそんな勇気は当時の僕にはなかった。
案の定アルコールを摂取し過ぎてトイレで盛大に吐いてしまった直後、彼女が扉を開けて入って来た。
「大丈夫?」
心配そうに声を掛けてくれたが、もし僕が用を足していたら大変な事態になっていたような気がしないでもない。
とにかく、自分は夢でも見ているのではないのだろうかと思うほど幸せなひと時だった。
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帰り道、彼女の方から手を繋いできた。
「今日は手が冷たいね。手が冷たい人は心が温かい」
恋人繋ぎのまま手を引っ張られたので腕が少し痛んだが、彼女の左腕にあるリストカットの痕を思うとたいした痛みじゃなかった。
しばらく歩いているとタクシーの前で別れ際に抱擁する〝中年の男女〟が居て、それを真似るような形で彼女に抱きつかれた。
「私の部屋に来ますか?」
そう聞かれたので躊躇わずに一度だけ頷くと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
生まれて初めて自分という忌み嫌われた存在のすべてを胸に抱きとめられて全肯定されたような心持ちになった。
どこか諦めて迷いながら選んだ道だったが、彼女と出逢ったことにより、死なずに生きる道を選んだことが間違いではなかったと素直に思えたし、生きる価値や意味を見出すことが出来た。
少なくとも僕にも人を愛する権利と心が僅かでもあることを知れたのだった。
そうして、これまでに起きたすべての出来事は彼女と出逢い、意思疎通し、そこから人生の意義を学ぶためにあったのだと覚り、果てには自分はこの日のために生まれたのだと直感した。
同時に人と心を深く通わせるのはこれが最初で最後になるのだろうと予感した。
だから僕にとって彼女は最初で最後の最愛の人になるだろう。
喩え世界中に忌み嫌われ、その存在を無視して否定されようとも、彼女が僕という存在を抱きしめて全肯定してくれた出来事は、僕の人生において最も大切な記憶に他ならない。
この先どんな困難が待ち受けていようと、僕の記憶には彼女と過ごした僅かで確かな日々が今も息吹いている。
それが一過性に過ぎない勘違いだろうが何だろうが、もう二度と困難を前に絶対屈しないと心の底から誓う次第だ。
繋いだ手はいつか必ず放さなければならない。
それでも彼女と伴に同じ道を歩いた記憶と温もりは決して失われはしない。
⋆ ⋆ ⋆ ⋆ ⋆ ⋆ ⋆ ✽.。.:*·゚MADE IN JAPAN.。.:*·゚ ✽
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当時製作に携わった商品は神戸ハーバーランド「モザイク」の婦人���屋にて販売されました。
✽.。.:·゚ ✽.。.:·゚ ✽
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▼Pokémon Special MV「GOTCHA!」
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ポケモン & BUMP OF CHICKEN 公式スペシャルMV「GOTCHA!」〈2020年〉 === 音楽:BUMP OF CHICKEN「アカシア」(TOY’S FACTORY) 監督:松本理恵 キャラクターデザイン:林祐己 アニメーション制作:株式会社ボンズ 企画・プロデュース:川村元気、畑中雅美 ===
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
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cmbwnt · 3 months
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ドゥダメル指揮ベルリン・フィル/2024.6.15
今シーズンの定期演奏会のトリは、ドゥダメルでマーラー6番(1曲だけ)。来週から数回はいつも通り、室内楽。8/24と9/15は、いずれもブルックナー5番だが、これはどちらかが特別演奏会なのかな。
弦:Noah, Horak, Mei, Bruno, Matthew 木:Pahud, Mayer, ?, Damiano 金:Guerrier, Ott 他:Werzel, Langlamet
HrはDohrが非番。8本必要なので、他の団員はみんな上がっているか。2.Willis, 3.Lamtoke, 4.Ernesaks, 5.Gal, 6.Zust, 7.トラ?, 8.Schreckenberger。Cl 1stは時々見る人。木管は2nd以降に若手のトラを大量に載せている。
(20:15) 客席で何かを落としたような音 (20:15) Guerrierが高音をピタッと当ててくるのはいい (20:16) 打楽器をちゃんと聴かせているところ、好感が持てる (20:19) 1st Hrのソロがちょっとふらつくが、ここは難しいよなあ (20:20) 今頃気づいたが、指揮台は後ろにバーのないタイプ。大丈夫か (20:22) Golobがバスクラを分解してるw (20:23) Flは2,3番にトラ。4番はWeber。PiccはEgolkin (20:24) Obは2,3番にトラ。4番はHartmann (20:29) 1楽章はかなり抑えめな気がした。特に弦楽器 (20:29) 2楽章。Golob(B.Cl)の方が、Kuder(Es Cl)より内側に座っているのは何か理由があるのかな (20:41) 4th Tpと5th Hrの間に2人いるのはTpの追加なのかな。編成を調べないとわからん→3楽章までは4本、4楽章であと2本追加。2人ともアラブ系だな (20:43) 3楽章。Hrのソロになると、ちょっと緊張するなw (20:49) 1st Clはいいねえ (20:53) 今日の2nd Harpは女性か (20:55) 弦楽器がまとまってていい。1楽章はとてかおとなしかったけど (20:57) 1st VnのKüdenの隣(イン側)の女性(Helena Madoka Berg?)が、違うボーイングで弾いてたけど、そういう楽譜の指定? (21:00) 4楽章。ドゥダメルもどんどんエンジンがかかってきた (21:06) 5th TpはStecher。4th Trbは3楽章まで休みだったのか (21:08) しかし、Hrだけでなく、木管にもあちこちでベルアップの指示があるんだな。この曲がこんなに複雑だとは (21:12) 一発目のハンマー。でかいw (21:20) 2nd Harpのアップとは (21:21) 1st VnのPichlmairはおめでたか?一番後ろのプルトのアウトに座っているので、出て行きやすい (21:27) Langlametはピックを使っている。2ndの女性は使っていない (21:30) 終曲。ドゥダメルは客席にあまり顔を向けずに、さっさと退場。ほっとしたのかなあ。再入場まで、ちょっと時間があった。OttがGuerrierの肩を叩く。しかし、人気曲はフィルハーモニーでも全然反応が違うよね。先週のオネゲルの方が、ずっと面白い曲で、すごい演奏(演技)だったのだが。
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masayuki-hirahara · 4 months
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2024.6.6
【楽器編成発表】
昨日は久々に熟睡でき、途中起きたりしましたがトータル14時間寝れて、朝6時に起床して大復活しました!
今日はエネルギーを身体の中にいっぱい集めて、遅れに遅れて、今からオーケストラスコアに着手いたします✊🗒️✏️
ピアノ協奏曲「宿命」(全4楽章)
【木管楽器】
ピッコロ1管編成、フルート2管編成、オーボエ2管編成、クラリネット(B♭管およびA管)2管編成、ファゴット2管編成
【金管楽器】 
ホルン(F管)4管編成、トランペット(B♭管)2管編成、テナートロンボーン2管編成、バストロンボーン1管編成、チューバ1管編成
【打楽器・その他】
ティンパニ、コンサートバスドラム、スネアドラム、シンバル、独奏ピアノ
【弦楽器】
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
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2024年度 団員募集!!
石川県ジュニアオーケストラでは以下の要項で2024年度の団員を募集しています。
オーディション開催日・場所
開催日:2024年3月10日(日) 16:30〜
会 場:石川県立音楽堂内
※パートによっては、指定の曲などがあります。
応募資格
小学校4年生から高校生まで
月に2〜3回の練習に参加できること。演奏会が近づくと3〜4回になります。
※練習は、合奏とパート練習があります。 ※合奏は、原則 土・日・祝日の13:00~16:00です。 ※パート練習はその都度調整して決まります。 ※平日の夜に練習が入る場合もあります。
募集パート
弦楽器 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
木管楽器 フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット
金管楽器 トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバ
打楽器 ティンパニほか
※楽器は大型、特殊楽器を除いて原則個人持ちとします。 ※お貸し出来る楽器もございますので、お気軽にお問合せ下さい。 ※曲目によっては、人数制限を設ける場合があります。
指導者
松井慶太(合奏全体指導・OEKコンダクター)
OEKメンバー及び(公財)石川県音楽文化振興事業団が委嘱した地域の指導者
活動及び事務局
個人練習は各自で行い、練習日にはパート練習や合奏を行います。
練習は主に石川県立音楽堂で行います。
運営主体は(公財)石川県音楽文化振興事業団です。
事務局は石川県立音楽堂内にあります。
その他、保護者で結成する「保護者の会」に演奏会等��ご協力をお願いしています。
諸費用について
年会費は24,000円(兄弟姉妹、2人目からは、18,000円)です。
別途、演奏会や合宿への参加費、保護者会費等として、年間40,000円程度が必要となります。
お問い合わせ
公益財団法人石川県音楽文化振興事業団
〒920-0856 金沢市昭和町20-1 石川県立音楽堂内
TEL 076-232-0171
ジュニアオーケストラ担当:福田、安井、宮下
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shamou-ne · 9 months
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続・演奏会のお知らせ
東北農民管弦楽団の定期演奏会で、私の作ったオーケストラ曲が初演されます。 クリックまたはタップで拡大します↓
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このオーケストラはとてもユニークな団です。代表でチェリストの白取さんは宮沢賢治に傾倒し、弘前に開墾して自然農などを営みつつこのオーケストラを作ったそうです。 そのお人柄のもとに集まった団員の方々は皆さん農に携わる方で、ブログやちらしなどから皆様の愉快であたたかくて深い精神を私は感じています。
「農」か宮沢賢治に関係のあるテーマで作曲を、というお話を最初にいただいたのは2019年のことでした。こんな機会はまたと無いのであまりに嬉しいけれど、どこか雲を掴むようで、ほんとかなぁ…と、寝ぼけているような心持ちでメモをため始めたものです。制作過程のことはまたあらためて綴ります。
今回の作品には錫杖の音を取り入れてみました。そしたら何と打楽器奏者の方が、錫杖を引きずる「山道の地面」を手作りなさったそうで、団のブログに写真を発見(’∀’人)*+ 今月いよいよ練習を見学させていただくのですが、実際の錫杖の音色や地面をどうやって作ったのか、なども知ることができるので楽しみです。
皆様、ぜひ演奏会で聴いてくだされば嬉しいです!
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ryotarox · 11 months
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「オケ中ピアノ」あれこれ藤井 泉(ピアノ)
(新交響楽団ホームページ: 「オケ中ピアノ」あれこれから)
一般的にはあまり知られていない「オーケストラの中のピアノ」について書いてみようと思う。
オーケストラの中のピアノ、つまりオーケストラ作品の1パートとしてのピアノ、略して「オケ中ピアノ」となるとその様相はかなり違ってくる。  そもそも「オケ中ピアノ」が入るオーケストラ曲はいつ頃から登場したのか。その前にピアノとオーケストラの成り立ちについて簡単にふれておきたい。
古典派後期からロマン派以降は、主に管楽器や打楽器等の種類が多様化し、楽器編成がより拡大する傾向にあった。例えばピッコロやコールアングレ、バスクラリネット、コントラファゴットなどの標準的な楽器の同族楽器や、タムタムやグロッケンシュピールなどの多様な打楽器群の参入である。またベルリオーズ「幻想交響曲」(1830)のように、オーケストラ作品にハープが効果的に使用されるようになったのもこの時期だ。だが鍵盤楽器は、協奏曲に代表される独奏的な扱いを除いて、まだオーケストラには登場しない。  ここで本題の「オケ中ピアノ」の初登場を検証したい。今まで私が新響で弾いた作品を、作曲年順に15番目まで列記してみる。 1,サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」(1886) 2.ドビュッシー:交響組曲「春」(1887) 3.マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」(1906) 4.サン=サーンス:「ギース公の暗殺」(1908) 5.ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」(1910) 6.ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911) 7.プロコフィエフ:スキタイ組曲(1915) 8.ファリャ:恋は魔術師(1915) 9.レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」(1916) 10.ファリャ:「三角帽子」第2組曲(1919) 11.バルトーク:舞踊組曲(1923) 12.レスピーギ:交響詩「ローマの松」(1924) 13.ショスタコーヴィチ:交響曲第1番(1925) 14.コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」( 1927) 15.レスピーギ:交響詩「ローマの祭」(1928)
7番目にはプロコフィエフ「スキタイ組曲」(1915)とファリャ「恋は魔術師」(1915)が入ってくる。「スキタイ組曲」*1はストラヴィンスキーの「魔王カスチェイの凶悪な踊り」をさらに輪をかけて狂暴にしたような曲で、体育会系「オケ中ピアノ」の筆頭といえる。冒頭から延々と続く最強音でのグリッサンドでは、軍手が欲しいほどだ。ここを抜けると低音の補強に入るのだが、引き続き懸命にグリッサンドをしているお隣のハープ奏者を見るにつけ、「まだピアノでよかった」と胸をなでおろすのであった。  なお、このグリッサンドと低音楽器の補強という役回りは、スキタイ以降の「オケ中ピアノ」の定番パターンの1つとなる。
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*1 Prokofiev Scythian Suite, Op. 20 - YouTube
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「ピアノ協奏曲」とかではなく、オーケストラの1パートとしてピアノを扱った管弦楽。 ポピュラー音楽なら普通にある。
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blue-item · 1 year
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ゲスト◇塚越 慎子(Noriko Tsukagoshi)
塚越慎子は、パリ国際マリンバコンクール第1位受賞をはじめ、ベルギー国際マリンバコンクール、世界マリンバコンクールなど国内外のコンクールにて数々の賞を受賞して、現在最も注目を集めるマリンバ奏者の一人である。国立音楽大学附属音楽高等学校を経て、国立音楽大学を首席で卒業。同時に「武岡賞」受賞。また、最優秀生として皇居内桃華楽堂にて御前演奏を行う。第8回 日本クラシック音楽コンクール打楽器部門第1位(1998年)、第2回 国際マリンバコンクール(ベルギー)第2位(2004年)、第4回 世界マリンバコンクール(上海)にて「The Talent Award」(2005年)、第22回 日本打楽器協会新人演奏会にてグランプリ(2006年)、第2回 パリ国際マリンバコンクール(フランス)第1位(2006年)を受賞。ソロ活動の他、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、宮崎国際音楽祭祝祭管弦楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、群馬交響楽団、広島交響楽団ほかと共演し、高い評価を得ている。また、ベルギー、スイス、ポーランド、アメリカ、イギリス、アルゼンチン等から招待され、ソロリサイタルやマスタークラスを行う。世界最大の打楽器フェスティヴァルであるPASIC(国際打楽器協会インターナショナルコンヴェンション/2009年)や、パタゴニア国際打楽器フェスティヴァル(2012,2019、2022年/アルゼンチン)、アメリカン・パーカッショ ン・セミナー(2022年/アメリカ)にゲスト出演するなど、国際的に活動している。国立音楽大学、(財)明治安田クオリティオブライフ文化財団から奨学金を、また同財団「海外研修生助成金」を打楽器奏者としては初めて授与され、2008年より2010年までアメリカ、ノーステキサス州立大学にて研鑽を積む。CDはこれまでに4枚リリース、最新盤はデビュー15周年記念「Cantabile」。デビューCD「DEAR MARIMBA」および最新盤「Cantabile」は、「レコード芸術」誌で特選盤に選ばれた。現在、国立音楽大学、洗足学園音楽大学で非常勤講師として後進の指導にも力を注いでいる。2011年度、第22回出光音楽賞受賞。 ・塚越慎子 オフィシャルサイト
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滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)を開催!
2023/01/15(Sun.)
 昨年1月から秋田市に滞在して制作してきた新作「滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)」のパフォーマンスを開催しました。この展覧会は滑琴(かっきん)というスケートボードとエレキギターを合体させた楽器を使って冬の秋田を演走しようとするものです。
▲展覧会の記録
 午前中に最終のテクニカルリハーサルとパフォーマーとの動きの練習を行いました。会場には記録撮影や取材のカメラが置かれ、グッズ販売所も設置されました。ひとつの大きな空間をこれほど自分の活動で占拠したことがないので公演開始前は緊張しました。12時から客入りを開始して、13時に公演がスタートしました。
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▲館内に設置されたグッズ売店
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▲会場の風景(撮影:伊藤靖史)
 第一部のオープニングトークでは、ピンクのあいつのVtuberモデルがMCとしてイベントの進行管理を行います。ピンクのあいつの呼び出しで僕が登場して自己紹介を兼ねた短いパフォーマンスを実施します。
 映像に沿ってパフォーマンスを進行したり、映像と会話する演出は2019年ごろから軽演劇コントへの出演や金沢21世紀美術館でのパフォーマンスから取り組んでいました。パフォーマンスにおいてライブ性や臨場感が重視される風潮を疑う姿勢と、あらかじめ準備された(エンコードされた)映像の硬直した様子を吃音の硬直に投影する意図があります。現場で観客と対峙する演者に比べて、淡々と進行する映像は直線的な時間の流れを感じさせます。映像の流れに翻弄されるパフォーマーの工夫や苦労がパフォーマンスの刺激になるでしょう。
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▲オープニングトークの様子
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▲オープニングパフォーマンス(撮影:伊藤靖史)
 第二部「室内道楽(Street Chamber Music)」では公募したパフォーマー(バンドメンバー)と一緒に滑琴を同時に演走します。これまで街の中で独りで演走していたのに比べて、室内で複数人で演走のははじめての試みです。これまでの街歩き的な演走はフィールドレコーディングのような観察的な視点で取り組んでいましたが、室内での演走ではライブハウスのような観客を魅了する熱量を意識しました。演走の対象が街のカタチから見る人へ意識が変化したような感覚でした。
 なかなかバンドメンバーが集まってのリハーサルができず、当日の朝にやっと全員が集まって全体の音のイメージが把握できました。集団で演奏する時はメンバーのスケジューリングも大切であることを学びました。一方で、滑琴は正確な演走を行うための楽器ではなく、どちらかというとノイズ楽器のような側面があるため、どのような奏法(走法)で鳴らしても良い雰囲気があります。メンバーの中には今日はじめて滑琴に触った人もいましたが、自分なりに工夫して本番でもいろんな動きを見せてくれました。ノイズ楽器ゆえに正しさや失敗の境界意識が薄く、滑琴の誰でも演奏できる間口の広さを再認識しました。
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▲室内道楽(撮影:伊藤靖史)
 第三部「雪中演走(Rhapsody in Snow)」は冬の秋田市を舞台に作曲した走行ルートを滑琴で演走する演目です。この日は秋田市文化創造館をパブリックビューイング会場として、街中での演走の様子をYouTubeとZoomを用いてライブ中継します。コロナ禍にオンラインパフォーマンスや密を避けたイベントを経験してから、野外でのパフォーマンスを中継する練習を重ねてきました。これまでの滑琴の野外演走では観客のアテンドが必要で、街中を大きく移動することが難しかったのですが、映像中継する形式にすることでダイナミックな演走が可能になりました。特に今回は冬の街を歩くパフォーマンスなので、観客の負荷を減らすことができました。
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▲中継会場の様子
 1年前にSPACE LABO2021の企画で秋田市に滞在した際は、積雪のために滑琴を演走することができませんでした。そこでカンジキにエレキギターの弦を張った楽器「寒耳琴(かんじきん)」を新たに開発して、雪道の秋田でも演走できるよう準備を進めてきました。ただ、この日はあいにく?天気が良く積雪はありませんでした。
 今回の雪中演走のルートは、秋田市文化創造館から仲小路を通って中央通りにある「たまご公園」に向かいます。仲小路周辺は融雪舗装されているので滑琴で演走できました。また、たまご公園の一部に雪が残っていたので寒耳琴を使った演走を行いました。この日のために用意した寒耳琴を使うことができてよかったです。
 たまご公園から秋田市文化創造館に戻るときには小雨が降ってくるなど、ハードな演走でしたが、館内に戻ると拍手で迎えてくださり、上手く中継できていたんだなと安心しました。
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▲秋田市文化創造館から中央通りへ(撮影:伊藤靖史)
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▲たまご公園に残った雪(撮影:伊藤靖史)
 全ての演目を終えてから観客との交流の機会を設けました。滑琴や寒耳琴を試奏(試走)してもらったり、今日の演走の感想をいただきました。交流会のなかで嬉しかったこととして、私が観客の一人と話していて滑琴の試走対応ができなかったときに、観客同士でアンプや機材の触り方を教えあって乗っていたことです。自作楽器の分野では開発者自身が演奏することが多いのですが、作者の手を離れて人々が自発的に触って新しい奏法を試す姿が見られて嬉しかったです。今後も自作楽器が社会的な道具になるように努力していきたく、この点はイリイチの自立共生的(コンヴィヴィアル)の概念を参考にして、どうすれば人々の社会活動の一部に自作楽器が組み込まれるのか、影響するのかを考えていきたいです。
 交流会終了後は取材に来ていたNHKのぶら下がり取材を受けました。取材された内容はニュースこまちで紹介されるようなので、どのような内容になるか楽しみです。
 1年間の滞在制作と成果発表を終えて、当初のプランを妥協することなく実施させてもらえたのは館内スタッフをはじめ、パフォーマーやテクニカルサポートの手厚いバックアップがあってこそ実現できました。コロナ禍以降は密を避けるためにスタッフワークを避けて、自分一人で実現できる作品規模に取り組んでいましたが、今回は一人では実現できない規模での発表機会を持つことができました。自分の頭の中のアイデアを他人に共有するために、打ち合わせを重ねたりスケッチを何枚も描くなど、複数人での制作に必要な経験を積めたことは大きな収穫でした。大きな規模の発表機会を経験したことで今後も同程度の発表に物怖じせずに取り組めそうです。
 また1年前の滞在制作では積雪のために滑琴が演走できず、今回は雪対策として寒耳琴を用意して1年越しのリベンジに臨みましたが、雪は積もりませんでした。秋田の雪との戦いは負けっぱなしです。ただ、簡単に勝たせてくれないことが秋田の雪のようにも思います。夜中に除雪車を動かして闘ったり、かまくらを作って日本酒を冷やす冷蔵庫として利用したり。秋田での滞在制作を通して、そんな雪との暮らしの風景を何度も見てきました。思い通りにならない冬の秋田でしたが、たまご公園の隅に少しの雪を残してくれたのは嬉しいサプライズでした。
 思い通りにならない世界で現実だけを見据えて暮らすのは閉塞感で押しつぶされそうになります。それでも音楽や祭りという一時的な時間のなかで、思い通りにならないことを楽しんだり乗り越えたりして人は前を向くのでしょう。滑琴は音高をコントロールすることを目指す楽器でなく、秋田の雪もコントロールできるものではありませんが、今回の作品ではコントロールできないものを楽しむ姿が示せたと思います。今後も思い通りにならない世界を楽しむ音楽活動を続けていきたいと思った秋田滞在でした。
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【団員レポート】ミューザ―川崎シンフォニーホール 被災地復興支援チャリティ・コンサート 今回は前日のリハーサルから本番までの様子を、パーカッションパート三浦瑞穂から見た目線でレポートしていきます。
3月11日、ミューザ川崎シンフォニーホールにて「第10回 被災地復興支援チャリティ・コンサート」が行われ、第2部オーケストラステージに東北ユースオーケストラが出演いたしました。
指揮はミューザ川崎シンフォニーホール チーフアドバイザーの秋山和慶さん、ピアノはミューザ川崎シンフォニーホール ホールアドバイザーの小川典子さん、宮本貴奈さん 、パイプオルガンは同じくミューザ川崎シンフォニーホール ホールアドバイザーの松居直美さん、ソプラノ、鈴木美紀子さん、司会は山田美也子さんでした。 演奏曲は「Anger from "Untiteled 01”」「Three TOHOKU Songs」「Aqua」「The Last Empror」「Kizuna World」「Merry Christmas Mr.Lawrence」「花は咲く」の計7曲でした。 まず、団員は演奏会前日の3月10日17:30に会場入りし、打楽器の搬入を行いました。今回は楽器数が多いことに加え、参加できない団員の関係で担当パートも変わっているので、楽器をどのように並べるか、ステージのどのあたりに打楽器が来て、どのくらいのスペースがあるのかなど、直前まで心配事は尽きなかったのですが、なんとかセッティングを終えました。
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18:30からリハーサルが始まりました。
まずは、「Anger from "Untiteled 01”」からです。今回私はチェレスタを担当することとなり、とても緊張していました。そもそもあがり症なことに加え、チェレスタはヴァイオリンパートの後方にあったためいつも近くにいる心強いパートのみんながそばにいないためです。そのうえ、ほとんどimprovisation(即興演奏)だったので、とても不安でした。 
しかし、曲が始まってみるとお隣にいたハープが所々同じ動きをしていて、それを頼りに演奏することができました。いつもと違う楽器での演奏も、新たな発見があって面白いと思いました。
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次に、「Three TOHOKU Songs」です。指揮の秋山さんから「掛け声もっと明るく、張りがある声で」とご指導いただきました。掛け声はThree TOHOKU Soungsの大きな特徴であるパートであるため、私もよりはっきりとした発声を心がけました。 続いて、「Aqua」です。打楽器と一部の管楽器は出番がないのですが、弦楽器の音色には毎回聞き入ってしまいます。普段は朗読と共に演奏される曲ですが、朗読なしで聴いてもとても素敵な曲だと改めて感じました。 次は、「The Last Empror」です。この曲は何度も演奏して慣れていると思っていたのですが、指揮を振る方が変わるとテンポや拍の取り方が変わるので、それを修正していくという感覚でした。私はバスドラムを担当したのですが、いつも以上に気を遣ってテンポキープに徹しました。
続いて、「Kizuna World」です。この曲も打楽器と一部の管楽器は出番がないのですが、とても素敵な曲で、合奏に参加できないことを毎回悔しがっています。またしても聞き入ってしまいました。
次に、「Merry Christmas Mr.Lawrence」です。私はこの曲でも前半部分でチェレスタを演奏しました。後半で出てくる拍子木は移動の関係で他の団員に担当してもらう予定だったのですが、想定よりチェレスタと打楽器の距離が近かったため、早足で移動して拍子木も演奏することとなりました。加えて、グロッケンと銅鑼を兼任する予定だった団員の移動が間に合わないため、銅鑼も演奏することになりました。思いがけずたくさんの楽器を担当することとなり、ドキドキでしたが、なんとかこなすことができました。
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最後に出演者全員で演奏する、「花は咲く」です。この曲は鈴木美紀子さんが歌で参加されるため、歌声とのバランスに気を付けながら練習をしました。特に打楽器はシンバルなどいわゆる金物の楽器はよく響くため、ホールによっては音量を大幅に落とす必要があるのですが、今回は歌の方も参加されるため、より一層音量バランスに気を遣いました。
前日のリハーサルは21:00近くまで続きました。
3月11日演奏会当日、9:00にホール入りし、10:00からゲネプロが始まりました。
演奏会本番の流れに沿って合奏を行います。前日のリハーサルでご指導いただいた部分を確認しつつ、11:30頃ゲネプロが終了しました。
そして、13:00からキャプテン海津洸太くん、ヴァイオリンパートの中学生大田継美さんと共にインタビューのリハーサルをしました。聴きに来てくださった大勢の人の前で話すということでとても緊張しました。
13:45に開場し、14:00からプレトークとして秋山和慶さん、松居直美さん、小川典子さん、宮本貴奈さん、司会の山田美也子さんが登壇されました。
14:30に第1部が始まり、2曲演奏を終えたところで14:46に黙祷をささげました。私は毎年この時間に合わせて黙祷をしているのですが、今年は遠く離れた川崎でも東日本大震災を忘れないで思いをはせてくれている人たちがいることに感謝の気持ちをもち、祈りをささげました。
第2部が始まり、1曲目は「Anger from "Untiteled 01”」です。例のごとく私はとても緊張していましたが、なんとかハープを頼りに演奏することができました。即興演奏の経験はほとんどなかったので、貴重な経験となりました。
2曲目は「Kizuna World」です。この曲は前述の通り打楽器は全員お休みのため、弦楽器の音に聞き入りながら緊張で震える手を落ち着けていました。
3曲目は「Three TOHOKU Songs」です。リハーサルでご指導いただいた掛け声もホールによく響いていました。1曲を通して、特にキャプテンの海津くんの声が良く聞こえました、さすがです…!
ここで団員3名のインタビューが行われました。楽器を始めたきっかけや震災当時の記憶などを振り返りました。各々担当楽器をもってステージ前方に向かったのですが、私はリハーサルの際、海津くんに「みずほちゃんは拍子木でしょ。」と言われたため、拍子木をもっていきました。すると、私の自己紹介の後、司会の山田さんが「せっかくなので鳴らしてみていただけますか。」と仰いました。なんとか外さずに音を鳴らすことができた安堵感から、なにを話したのかはあまり覚えていません…
4曲目は「Aqua」です。例によって打楽器はお休みなので、じっくり聞き入ってしまいました。何度聞いてもとても素敵な曲だなあと思います。
5曲目は「The Last Empror」です。前日のリハーサルでの課題点だったテンポについてもしっかり修正し、演奏することができました。
6曲目は「Merry Christmas Mr.Lawrence」です。チェレスタ、拍子木、銅鑼と多くの楽器を担当しましたが、遅れることなく全てこなすことができて一安心しました。
最後は「花は咲く」です。2番は会場においでくださった皆さんにも歌っていただき、一緒に音楽を奏でることができました。感動して涙を流している方もいらしたそうで、とても嬉しかったです。
無事に演奏を終え、ミューザ川崎シンフォニーホールという素晴らしいホールで、4人のホールアドバイザーの方々と一緒に演奏するという貴重な機会をいただけたことをとても嬉しく思います。今回の演奏会で東日本大震災から12年がたった今でも、被災地以外の場所で震災のことを思い返す機会をつくってくださっていることの貴重さを改めて感じました。TYOもこれからは支援される側ではなく、支援する側に転換していかなければならないと思います。ミューザ川崎シンフォニーホールでの演奏会がその第一歩になればと思います。
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パーカッションパート 三浦瑞穂
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